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【まだまだ】弥生時代は紀元前10世紀から【遡る】

1 :出土地不明:03/12/21 01:16 ID:5JIi75+P
弥生時代は紀元前10世紀から…歴史民俗博が測定結果

 国立歴史民俗博物館の研究グループは20日、弥生時代の始まりは紀元前10世紀である可能性が高いとする年代測定結果を発表した。
 同グループは今年5月の段階で、「弥生時代の開始は、従来の通説より約500年早い紀元前10世紀にさかのぼる可能性がある」と発表していたが、その後、縄文時代の最終末の土器の年代を測定したところ、当初の予想を補強するデータが得られた。
 また、近畿地方に稲作が普及した時期は紀元前7世紀ごろと発表、稲作は約300年かけて九州から西日本全域に広まった可能性が高まった。(読売新聞)


496 :出土地不明:2008/05/22(木) 10:17:57 ID:bb6DiRDu

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

497 :出土地不明:2008/05/22(木) 11:32:55 ID:+fZyw6v4
482 名前:出土地不明 投稿日:2008/05/15(木) 11:09:39 ID:Wjb2DBTl

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

483 名前:出土地不明 メェル:sage 投稿日:2008/05/15(木) 11:12:13 ID:OqiFtBNw
それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。
↑何か考古学的な説得力があるとでも思っているのでせうか(爆


もともと4000年くらい前に稲が中国から朝鮮半島に入った当初は
朝鮮半島にもbはあったが、bが寒さなどに弱いなどの理由で、
この4000年のうちに遺伝子が淘汰されて消えてしまっただけだろう。
↑何か考古学的な説得力があるとでも思っているのでせうか(爆

484 名前:出土地不明 投稿日:2008/05/15(木) 11:46:48 ID:Wjb2DBTl
↓おまえの台湾国策工作ムキ出しのこれよか1万倍マシだってーの(爆

どうせコピペすんなら全部しろよw

498 :出土地不明:2008/05/22(木) 15:54:40 ID:bb6DiRDu
この肝心な部分だけはコピペ抜きかw




ちなみに稲の伝播が、

中国南方 → 日本 → 朝鮮

というのはあり得ないね。

なぜなら、日本から朝鮮半島に稲が伝わったのなら、
日本と同じく朝鮮半島の稲の遺伝子もa、b、c、
或いはbが寒さで淘汰されたa、cになっているはずだからである。






499 :出土地不明:2008/05/23(金) 00:23:19 ID:IuViraoL
>>495
歴博の最新のデータでは、
北部九州:BC1000年、近畿・瀬戸内東部:BC600年、東海:BC500年
南関東:BC200年、東北北部:BC400年となっているな。
俺が知りたいのは山陰、北陸等の日本海側なんだが・・・

それからうちでは田植えは年2回だし、
東南アジアでは水さえ確保できれば3期作も有るはずだよ。
大体夏の乾燥を避けてメインは11月播種なんだが。

500 :出土地不明:2008/05/23(金) 12:28:44 ID:1t9jQEgk
この肝心な部分だけはコピペ抜きかw


>中国南方 → 日本 → 朝鮮
>というのはあり得ないね。
>なぜなら、日本から朝鮮半島に稲が伝わったのなら、
>朝鮮半島の稲の遺伝子も日本と同じくa、b、c、
>或いはbが淘汰されたa、cになっているはずだからである。

どんな超絶理論だよw

>なぜなら、日本から朝鮮半島に稲が伝わったのなら、
>朝鮮半島の稲の遺伝子も日本と同じくa、b、c、

朝鮮半島にはbが無いんだから日本もa、cになってなけりゃ
おかしいだろwwwww

日本から朝鮮半島に稲が伝わる必要条件に
>或いはbが淘汰されたa、cになっている
必要なんてねーだろwwwww

501 :出土地不明:2008/05/24(土) 02:27:52 ID:xpUCwS0s
協会明日あげ

502 :出土地不明:2008/05/26(月) 18:31:19 ID:YBr+CUbu
>>465
『東アジアの古代文化』の最新号でも新井さんは書いておりますな。
これを読んだ限りでは歴博がこの問題で反論することは難しそうだ。
ということでこの論文は無視されるに1票。

503 :出土地不明:2008/05/26(月) 23:10:57 ID:MgPrJsBh
>>502
新井氏を無視するってのは同感

504 :出土地不明:2008/05/27(火) 22:32:40 ID:Fbg+sufh
新井の批判はC14年代の根源に関る最重要問題だが、マスコミ発表で
既成事実を作ってしまった手前、無視するしかないか。

最初に学界で発表して批判・指導を受けようという学問的態度でいれば
その後に学問的対応が出来たかもしれないが、いまとなっては・・・

505 :出土地不明:2008/05/27(火) 23:10:54 ID:/DE6z+oF
新井のをちゃんと読んでるの?
典型的な詭弁系トンデモなんだけど

506 :出土地不明:2008/05/27(火) 23:14:20 ID:Fbg+sufh
>>505  本人乙
どの部分が詭弁系トンデモかな?
書きっぱなしではなく、解説キボン。

507 :出土地不明:2008/05/28(水) 00:56:40 ID:58jyceGM
森浩一『魂の考古学』7頁より

「所詮「発見」の類は、研究に基づいたものであっても、仮説が出されたにすぎない。
仮説は年月がたつ間に、議論されたり検証されたりして、消える仮説は消え、数少ない
仮説が学説へと位置づけられていく。
 このように考えると、いきなりマスメディアに発表する方式は僕から見ると異常である。
さらに発表にさいし、教科書を書き換える必要を云々するなどの評価を下すこと自体、
研究者にあるべき謙虚さを逸脱している。」

いまだ学界の評価を受けていない仮説を自己のなかで「無謬の存在」に神格化し、
学界での議論も経ずにマスコミ発表をすることの破廉恥さを書いております。

508 :出土地不明:2008/05/28(水) 00:59:42 ID:159Lasth
考古学に魂なんかいるのか?
こんなタイトル付けるやつの神経のほうを疑う。

509 :出土地不明:2008/05/28(水) 01:02:13 ID:+uxqwXN4
中身を批判できないときはタイトルを批判する。
これ常識。

510 :出土地不明:2008/05/28(水) 13:29:00 ID:sqtHWC/z
そうだよね、明らかに偏向した意見をマスコミに吹聴する発掘担当者が多すぎる。

511 :出土地不明:2008/05/28(水) 13:59:47 ID:TRpdQqeP
でも考古学に限らずマスコミ発表は
もはや、どの学問分野でも......

512 :出土地不明:2008/05/28(水) 23:55:55 ID:sqtHWC/z
>>511
理系ではマスコミ発表は論文の審査を通って、
学会発表若しくは論文が載った雑誌が発行される直前なんだが?

513 :出土地不明:2008/06/01(日) 18:56:55 ID:AQpXVcSc
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
通説の江戸期伝来よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

514 :出土地不明:2008/06/11(水) 16:08:11 ID:8mAlIoCB
【考古】縄文晩期の堆積層から炭化した3粒のコメと数十粒のマメが出土 日本最古級か 京都・上里遺跡

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1213155213/

515 :出土地不明:2008/07/08(火) 11:00:16 ID:nIj4pu9F
【研究】日本のイネ・ジャポニカ米 中国ではなく「南に源流」 遺伝子研究で解明
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215402716/

日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。
農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井澤毅・主任研究員らが、もみの大きさを決める遺伝子の変異を
手がかりに突き止め、6日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス(電子版)に発表する。

もみの幅が広くて米粒が大きいジャポニカは、これまでの考古学的な調査によると、約1万年前の長江中・
下流域が起源との説が有力だ。

研究チームは今回、ジャポニカの「日本晴」とインディカの「カサラス」の2品種を比べ、米粒の大きさの変化
にかかわる遺伝子(qSW5)を発見。この遺伝子が変異してジャポニカのもみが大きくなったことを確かめた。

この変異と、もみを穂から落ちなくする遺伝子変異、もちもちした食感にする遺伝子変異の計3種類について、
アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。

その結果、フィリピンやインドネシアの品種で、三つの遺伝子に変異のないものと、もみを大きくする変異のみ
をもつものが見つかった。このため、この地域でイネの遺伝子が変異してもみが大きくなり、その後、インドシナ
半島や中国大陸で他の二つの変異が組み合わさって現在のジャポニカができたという。

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)の話 もみの幅を広げる遺伝子の変化をとらえた
ことは大きな発見で高く評価できる。ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。
考古学資料とのすり合わせが必要だろう。

http://www.asahi.com/science/update/0706/TKY200807060196.html

http://www2.asahi.com/science/update/0706/images/TKY200807060204.jpg

516 :出土地不明:2008/08/02(土) 19:50:40 ID:MUQKGMIf
886 :出土地不明:2008/08/02(土) 14:26:23 ID:fwoHKw5n
>>883
> それに、Yとmtだけに偏向した低級マスターベーションを見せるな、
> 他の遺伝学や土器や考古遺物との矛盾がない論理展開をしろ、
> と言っただろが馬鹿。
Y-DNAの他に、先祖の系統が明確に出るものはない。
最近までは、Y-DNAの判定技術が確立されていなかったから、他のもので推測するしかなかった。

過去の文化の伝播や人については、文化や出土物は参考になるが、
「現在の」民族間の違いや近さは、Y-DNAでごまかしなく出る。
これを無視して「現在の」集団間の近さを決め付ける方が、完全に間違い・矛盾になる。
サンプルが今後さらに増えてこれば、もっと詳細な違いが判ってくるだろう。
昔は、日本人は南北のアジア人の混合くらいにしか認識されていなかったわけだから、
最近になって、主に本当の系統があからさまになってきている。

以下は「現在の」種族・住民についてだが、
台湾人は意外な事に、中国北部系(黄河文明系、漢民族系)に多いO3系統が多く、
日本人より中国人、それも華北の中国人に近い。
また日本人よりも、中国人や朝鮮人、ベトナム人のいわゆる「中華文明圏」の種族に近い。

日本人が、北も南も含めて、「今の」隣接地域の種族すべてと、かなり人種が異なってるのが、
相当にまずい、気に入らないマイノリティーがいるらしいな。

Kの矛盾というのは、何の事か説明が全くないが、何の事か詳しく。

> 都合の悪い事は見えない聞こえない。
これはお前の事だ。


517 :出土地不明:2008/08/02(土) 19:59:22 ID:MUQKGMIf
日本人どこから来たんだ?3←512kを超えているので書けません!


>>516
>>886
>Y-DNAの他に、先祖の系統が明確に出るものはない。


弥生人を中国だと出してくるようなウンカスがか?(爆

GM、HLA、土器は弥生人を北方だと正確に出していますが何か?w


>Kの矛盾というのは、何の事か説明が全くないが、何の事か詳しく。


とぼけて聞いている事くらい分かっているが言ってやるよw

おまえは682で弥生系は長江中・下流域の湖南(湘方言地域)や浙江(呉方言地域)、
765で江南が弥生人のルーツで文化が近い、
などと爆笑発言をさり気に披露してくれているよな。

だとしたら日本のYにも長江中・下流域や浙江のYのかなりの部分を占めている
K系があるはずだろが。

その江南のKが日本には無い矛盾を聞いてやってるんだよ。

都合の悪い事は全部見えない聞こえない台湾国策遺伝学工作部隊くんwwww

都合の悪い事は一切見えない聞こえない台湾国策遺伝学工作部隊くんwwww

518 :出土地不明:2008/08/02(土) 20:33:22 ID:yN9PrJ3m
弥生人はインド人
いわゆるクレオール

519 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/03(日) 02:57:12 ID:V9XPgatP
前スレ>>866
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/886
少し尋ねます。
あなた(達)の主張では、この場合の縄文人、または日本の一番の
先住民とも言えるべき人々は、主に南方からの渡来だったという事の
ようですが、それは現在の支那南部や台湾などから直接または沖縄経由で、
海上を移動して、なのですか…?
もしそうなのでしたら、それは他の人の「朝鮮半島経由での渡来」 のほうに
比べ、それこそかなり困難な移動の仕方ではないですか? 仮に半島と
日本が繋がっていなかったとしても。
それと誰かが言っていましたが、あの時代、人類はオーストゥレイリア
などへもたどり着けた理由は、航海の技術云々より、圧倒的に
陸地の拡大による移動の容易さのほうでしょう? まして「海洋民族」 云々
などと語れる水準の民族がいたとは到底思えません。
もし当時でも台湾から日本へ容易に行けたのであれば、その時代以降でも、
様々な地域おいて、大陸と離れた島々との交流は幾らでもあったはずです。
しかし実際はそうではありませんよね? ポリニージャンような民族は
考古学的な年代からはごく最近。しかも彼らですら、沖縄・日本への
影響は微々たるものだったようですし。
ですからわたしは、(支那または東南エイジア→)台湾→沖縄→
九州などの列島,の移動が主だったという説にはどうも疑問符を付けない
わけにはいきません…。
むしろ南からでも、朝鮮半島(または支那北部)や樺太・北海道から
回って入って来たと考えたほうが、まだ説得力がある意見なのでは
ないでしょうか?

520 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/03(日) 03:42:06 ID:V9XPgatP
>>519
△ 大陸と離れた島々との交流は
○ 大陸と、大陸と離れた島々との交流は

521 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/03(日) 04:48:22 ID:V9XPgatP
自分で言うのもなんですが、おそらくわたしが>>519で言っている事は
正論だと思います。“Y”や“mt”で南方と共通するものがあるにしろ、
それが主要で、またそれが(台湾・)沖縄経由のものではないと思います。
おそらくこれを強調したい人達は、とにかく支那や韓国・北朝鮮など
の経由を認めたくない、あったと思いたくない、人達なのですよね。
なぜなら愚かな事に彼らを憎んでいますからね。
それだけで縄文人などの経路すら「あちらから」と思いたくないなんて、
まあ何て不合理な…。彼らの好きなアイヌ族が比較的長期間孤立したような
状態でいられた事も、北海道が“島”になったからですのに…。
で、彼らが言うに「親日」の台湾からならOK!、という事ですからね。
やれやれ…。本当にそういった取るに足らない思いを挿んで考える人達は
学問板には来ないで欲しいものです。
で、こう言うとわたしなどを「朝鮮人だ」だのどうのと言い、論敵を
全て外国人にしたがる…。
本当に終わっていますよ。誰が朝鮮人なものですか!?
>517さんのような人も問題ありですが、まだ彼や白馬青牛さん達のほうが
マシです。客観性・相対性がありますからね。まあ彼(>517さん)も
論敵を全て「台湾工作員」だのどうのと言いたがりますがね…。要するに
これも“外国人”なのですよね。
日本人とはこうして自分達を疑わない、また「自分と同じ日本人なら
皆こうだ」、「こう考えろ!」みたいな思考になる愚かな人達の多い事…。
異論を認めない、自分(達)を省みない、他人をいじめる、ハブる‥‥。
先の大戦時の「非国民」ですとか沖縄戦などでの「同士討ち」の例など、
枚挙に暇がありませんからね。
どうりでこんな世の中です…。(泣泣泣…

522 :出土地不明:2008/08/03(日) 11:15:35 ID:fnpSSL3X
感情論に対して泣き言をいってるのはどこの高校生ですか
正論だと思うなら、朝鮮人とか台湾人とかいわれても堂々と主張すればいいだけのこと。
泣いたってなにも変わりませんよ。

523 :出土地不明:2008/08/03(日) 15:42:57 ID:tNqWcQOf
                              
シラキの第7代王(キミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。

■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョフン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、新羅滅亡(935年)まで金氏の王統が続く・・・>



524 :出土地不明:2008/08/03(日) 15:47:56 ID:tNqWcQOf
                                
■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
                                         
 高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として『朴氏』という王家が登場する。
だが、『朴氏』などという王家は存在しなかったのである。
 この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、任那日本府に伝わる古文書を読んで、
その記録の内容を誤解して創作した王家なのだ。
                                          
 おそらく金富軾は、任那日本府の『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、王族の「氏」であると誤解し、
ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
 古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を
意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ホホデミ、日子ウガヤフキアエズ、日子イマス王など)
 しかし、朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。

 第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。
これは金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔という意味なのである。
 おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
 それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
 『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)であろう。だからこそ、『三国史記=新羅本紀』は、
「昔氏は倭から来た」と記しているのである。

 実は、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、『金氏』はケリン族(鶏林)の酋長一族
だったのだ。つまり、新羅(ケリン)を建国したのはあくまでも『金氏』であって、『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。
 『三国史記』において、『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。


525 :出土地不明:2008/08/03(日) 16:48:28 ID:EtuwHZhT
で、その倭人は長江江南から稲作を持ってやって来た人々だったと。

だから日本人も朝鮮人も長江江南がルーツであり、
必然的に長江江南がルーツの台湾人とも同祖であると。

だから日本は同祖の台湾を支援する義務があると。

というオチなんだろ?w

美味しいところ全部総取りだな台湾国策工作員はwwww

526 :出土地不明:2008/08/03(日) 18:49:00 ID:tNqWcQOf
                              
シラキの第7代王(イセキミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。

■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョフン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、新羅滅亡(935年)まで金氏の王統が続く・・・>


527 :出土地不明:2008/08/03(日) 19:02:08 ID:tNqWcQOf

>朝鮮人も長江江南がルーツ

違うだろ。朝鮮人はシベリアがルーツ。ツングース系の狩猟民族だろ。
われわれ日本人とは違うよ。

台湾先住民は倭人系だが、外来勢力の漢人が台湾の支配権を
握っているのが悲劇だな。



528 :出土地不明:2008/08/03(日) 19:15:30 ID:xZp0+LxW
プ

529 :出土地不明:2008/08/04(月) 14:45:12 ID:zXeT426S
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

530 :出土地不明:2008/08/25(月) 18:00:53 ID:weXMnRuz
>>527
台湾先住民はオーストロネシア人ってのが定説だが・・・
ついでに、先島もね。
琉球に倭人が入ってくるのは平安末期から鎌倉時代にかけてだよ。

531 :出土地不明:2008/08/25(月) 22:50:28 ID:GH1W3LSM
>>530
島津の歴史でも習ってんのか?w

首突っ込むな

532 :出土地不明:2008/08/26(火) 02:10:55 ID:VF8+xb9S
琉球に九州から倭人が入ってくるのは8000年前から。

これが琉球人の祖先。

弥生人も貝のために沖縄と交易していていた。

533 :出土地不明:2008/08/27(水) 18:31:39 ID:OMHe8YVI
>>527 下のサイトを開いて良く勉強しろ。

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA


534 :出土地不明:2008/08/27(水) 20:03:42 ID:McqRZz/+
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている

535 :出土地不明:2008/08/27(水) 20:05:41 ID:McqRZz/+
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif






536 :出土地不明:2008/08/27(水) 20:42:52 ID:5rEiEuZg
弥生時代に越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




537 :出土地不明:2008/08/27(水) 21:54:48 ID:2K7H+dzP

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。


538 :出土地不明:2008/08/28(木) 02:04:55 ID:NdYlK/kI

>これは同じ水軍人物像だよ!! 待てよチブサン古墳って起源前か!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」(アクセス変更の様なのでコチラヘ)
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360


539 :出土地不明:2008/08/28(木) 02:10:23 ID:qVeZdRO2
冠をかぶるくらいの上位層が来たなら鼎と金石文くらい残るだろが馬鹿w

それに臨しは華北だぜカスw

540 :出土地不明:2008/08/28(木) 02:24:47 ID:NdYlK/kI

土器人ちゃん腹に円く、白く描いてるのは小型の銅鏡じゃないか。?

541 :出土地不明:2008/08/28(木) 15:17:48 ID:NNzWLgYf
6Cだと呉越時代と1000年以上も違うだろうがヴォケw
結局、冠も朝鮮経由で伝わっただけ。


チブサン古墳(国指定史跡)

 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)
の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ている
ところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。
http://www.dandl.co.jp/gold/chibusan/

542 :出土地不明:2008/09/05(金) 22:26:05 ID:ztLWQ6aP
>台湾人は意外な事に、中国北部系(黄河文明系、漢民族系)に多いO3系統が多く、
>日本人より中国人、それも華北の中国人に近い。

大陸からどれだけ中国人が来たと思ってるんだよ?


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