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【まだまだ】弥生時代は紀元前10世紀から【遡る】

514 :出土地不明:2008/06/11(水) 16:08:11 ID:8mAlIoCB
【考古】縄文晩期の堆積層から炭化した3粒のコメと数十粒のマメが出土 日本最古級か 京都・上里遺跡

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1213155213/

515 :出土地不明:2008/07/08(火) 11:00:16 ID:nIj4pu9F
【研究】日本のイネ・ジャポニカ米 中国ではなく「南に源流」 遺伝子研究で解明
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215402716/

日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。
農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井澤毅・主任研究員らが、もみの大きさを決める遺伝子の変異を
手がかりに突き止め、6日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス(電子版)に発表する。

もみの幅が広くて米粒が大きいジャポニカは、これまでの考古学的な調査によると、約1万年前の長江中・
下流域が起源との説が有力だ。

研究チームは今回、ジャポニカの「日本晴」とインディカの「カサラス」の2品種を比べ、米粒の大きさの変化
にかかわる遺伝子(qSW5)を発見。この遺伝子が変異してジャポニカのもみが大きくなったことを確かめた。

この変異と、もみを穂から落ちなくする遺伝子変異、もちもちした食感にする遺伝子変異の計3種類について、
アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。

その結果、フィリピンやインドネシアの品種で、三つの遺伝子に変異のないものと、もみを大きくする変異のみ
をもつものが見つかった。このため、この地域でイネの遺伝子が変異してもみが大きくなり、その後、インドシナ
半島や中国大陸で他の二つの変異が組み合わさって現在のジャポニカができたという。

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)の話 もみの幅を広げる遺伝子の変化をとらえた
ことは大きな発見で高く評価できる。ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。
考古学資料とのすり合わせが必要だろう。

http://www.asahi.com/science/update/0706/TKY200807060196.html

http://www2.asahi.com/science/update/0706/images/TKY200807060204.jpg

516 :出土地不明:2008/08/02(土) 19:50:40 ID:MUQKGMIf
886 :出土地不明:2008/08/02(土) 14:26:23 ID:fwoHKw5n
>>883
> それに、Yとmtだけに偏向した低級マスターベーションを見せるな、
> 他の遺伝学や土器や考古遺物との矛盾がない論理展開をしろ、
> と言っただろが馬鹿。
Y-DNAの他に、先祖の系統が明確に出るものはない。
最近までは、Y-DNAの判定技術が確立されていなかったから、他のもので推測するしかなかった。

過去の文化の伝播や人については、文化や出土物は参考になるが、
「現在の」民族間の違いや近さは、Y-DNAでごまかしなく出る。
これを無視して「現在の」集団間の近さを決め付ける方が、完全に間違い・矛盾になる。
サンプルが今後さらに増えてこれば、もっと詳細な違いが判ってくるだろう。
昔は、日本人は南北のアジア人の混合くらいにしか認識されていなかったわけだから、
最近になって、主に本当の系統があからさまになってきている。

以下は「現在の」種族・住民についてだが、
台湾人は意外な事に、中国北部系(黄河文明系、漢民族系)に多いO3系統が多く、
日本人より中国人、それも華北の中国人に近い。
また日本人よりも、中国人や朝鮮人、ベトナム人のいわゆる「中華文明圏」の種族に近い。

日本人が、北も南も含めて、「今の」隣接地域の種族すべてと、かなり人種が異なってるのが、
相当にまずい、気に入らないマイノリティーがいるらしいな。

Kの矛盾というのは、何の事か説明が全くないが、何の事か詳しく。

> 都合の悪い事は見えない聞こえない。
これはお前の事だ。


517 :出土地不明:2008/08/02(土) 19:59:22 ID:MUQKGMIf
日本人どこから来たんだ?3←512kを超えているので書けません!


>>516
>>886
>Y-DNAの他に、先祖の系統が明確に出るものはない。


弥生人を中国だと出してくるようなウンカスがか?(爆

GM、HLA、土器は弥生人を北方だと正確に出していますが何か?w


>Kの矛盾というのは、何の事か説明が全くないが、何の事か詳しく。


とぼけて聞いている事くらい分かっているが言ってやるよw

おまえは682で弥生系は長江中・下流域の湖南(湘方言地域)や浙江(呉方言地域)、
765で江南が弥生人のルーツで文化が近い、
などと爆笑発言をさり気に披露してくれているよな。

だとしたら日本のYにも長江中・下流域や浙江のYのかなりの部分を占めている
K系があるはずだろが。

その江南のKが日本には無い矛盾を聞いてやってるんだよ。

都合の悪い事は全部見えない聞こえない台湾国策遺伝学工作部隊くんwwww

都合の悪い事は一切見えない聞こえない台湾国策遺伝学工作部隊くんwwww

518 :出土地不明:2008/08/02(土) 20:33:22 ID:yN9PrJ3m
弥生人はインド人
いわゆるクレオール

519 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/03(日) 02:57:12 ID:V9XPgatP
前スレ>>866
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/886
少し尋ねます。
あなた(達)の主張では、この場合の縄文人、または日本の一番の
先住民とも言えるべき人々は、主に南方からの渡来だったという事の
ようですが、それは現在の支那南部や台湾などから直接または沖縄経由で、
海上を移動して、なのですか…?
もしそうなのでしたら、それは他の人の「朝鮮半島経由での渡来」 のほうに
比べ、それこそかなり困難な移動の仕方ではないですか? 仮に半島と
日本が繋がっていなかったとしても。
それと誰かが言っていましたが、あの時代、人類はオーストゥレイリア
などへもたどり着けた理由は、航海の技術云々より、圧倒的に
陸地の拡大による移動の容易さのほうでしょう? まして「海洋民族」 云々
などと語れる水準の民族がいたとは到底思えません。
もし当時でも台湾から日本へ容易に行けたのであれば、その時代以降でも、
様々な地域おいて、大陸と離れた島々との交流は幾らでもあったはずです。
しかし実際はそうではありませんよね? ポリニージャンような民族は
考古学的な年代からはごく最近。しかも彼らですら、沖縄・日本への
影響は微々たるものだったようですし。
ですからわたしは、(支那または東南エイジア→)台湾→沖縄→
九州などの列島,の移動が主だったという説にはどうも疑問符を付けない
わけにはいきません…。
むしろ南からでも、朝鮮半島(または支那北部)や樺太・北海道から
回って入って来たと考えたほうが、まだ説得力がある意見なのでは
ないでしょうか?

520 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/03(日) 03:42:06 ID:V9XPgatP
>>519
△ 大陸と離れた島々との交流は
○ 大陸と、大陸と離れた島々との交流は

521 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2008/08/03(日) 04:48:22 ID:V9XPgatP
自分で言うのもなんですが、おそらくわたしが>>519で言っている事は
正論だと思います。“Y”や“mt”で南方と共通するものがあるにしろ、
それが主要で、またそれが(台湾・)沖縄経由のものではないと思います。
おそらくこれを強調したい人達は、とにかく支那や韓国・北朝鮮など
の経由を認めたくない、あったと思いたくない、人達なのですよね。
なぜなら愚かな事に彼らを憎んでいますからね。
それだけで縄文人などの経路すら「あちらから」と思いたくないなんて、
まあ何て不合理な…。彼らの好きなアイヌ族が比較的長期間孤立したような
状態でいられた事も、北海道が“島”になったからですのに…。
で、彼らが言うに「親日」の台湾からならOK!、という事ですからね。
やれやれ…。本当にそういった取るに足らない思いを挿んで考える人達は
学問板には来ないで欲しいものです。
で、こう言うとわたしなどを「朝鮮人だ」だのどうのと言い、論敵を
全て外国人にしたがる…。
本当に終わっていますよ。誰が朝鮮人なものですか!?
>517さんのような人も問題ありですが、まだ彼や白馬青牛さん達のほうが
マシです。客観性・相対性がありますからね。まあ彼(>517さん)も
論敵を全て「台湾工作員」だのどうのと言いたがりますがね…。要するに
これも“外国人”なのですよね。
日本人とはこうして自分達を疑わない、また「自分と同じ日本人なら
皆こうだ」、「こう考えろ!」みたいな思考になる愚かな人達の多い事…。
異論を認めない、自分(達)を省みない、他人をいじめる、ハブる‥‥。
先の大戦時の「非国民」ですとか沖縄戦などでの「同士討ち」の例など、
枚挙に暇がありませんからね。
どうりでこんな世の中です…。(泣泣泣…

522 :出土地不明:2008/08/03(日) 11:15:35 ID:fnpSSL3X
感情論に対して泣き言をいってるのはどこの高校生ですか
正論だと思うなら、朝鮮人とか台湾人とかいわれても堂々と主張すればいいだけのこと。
泣いたってなにも変わりませんよ。

523 :出土地不明:2008/08/03(日) 15:42:57 ID:tNqWcQOf
                              
シラキの第7代王(キミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。

■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョフン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、新羅滅亡(935年)まで金氏の王統が続く・・・>



524 :出土地不明:2008/08/03(日) 15:47:56 ID:tNqWcQOf
                                
■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
                                         
 高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として『朴氏』という王家が登場する。
だが、『朴氏』などという王家は存在しなかったのである。
 この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、任那日本府に伝わる古文書を読んで、
その記録の内容を誤解して創作した王家なのだ。
                                          
 おそらく金富軾は、任那日本府の『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、王族の「氏」であると誤解し、
ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
 古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を
意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ホホデミ、日子ウガヤフキアエズ、日子イマス王など)
 しかし、朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。

 第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。
これは金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔という意味なのである。
 おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
 それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
 『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)であろう。だからこそ、『三国史記=新羅本紀』は、
「昔氏は倭から来た」と記しているのである。

 実は、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、『金氏』はケリン族(鶏林)の酋長一族
だったのだ。つまり、新羅(ケリン)を建国したのはあくまでも『金氏』であって、『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。
 『三国史記』において、『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。


525 :出土地不明:2008/08/03(日) 16:48:28 ID:EtuwHZhT
で、その倭人は長江江南から稲作を持ってやって来た人々だったと。

だから日本人も朝鮮人も長江江南がルーツであり、
必然的に長江江南がルーツの台湾人とも同祖であると。

だから日本は同祖の台湾を支援する義務があると。

というオチなんだろ?w

美味しいところ全部総取りだな台湾国策工作員はwwww

526 :出土地不明:2008/08/03(日) 18:49:00 ID:tNqWcQOf
                              
シラキの第7代王(イセキミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。

■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョフン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、新羅滅亡(935年)まで金氏の王統が続く・・・>


527 :出土地不明:2008/08/03(日) 19:02:08 ID:tNqWcQOf

>朝鮮人も長江江南がルーツ

違うだろ。朝鮮人はシベリアがルーツ。ツングース系の狩猟民族だろ。
われわれ日本人とは違うよ。

台湾先住民は倭人系だが、外来勢力の漢人が台湾の支配権を
握っているのが悲劇だな。



528 :出土地不明:2008/08/03(日) 19:15:30 ID:xZp0+LxW
プ

529 :出土地不明:2008/08/04(月) 14:45:12 ID:zXeT426S
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

530 :出土地不明:2008/08/25(月) 18:00:53 ID:weXMnRuz
>>527
台湾先住民はオーストロネシア人ってのが定説だが・・・
ついでに、先島もね。
琉球に倭人が入ってくるのは平安末期から鎌倉時代にかけてだよ。

531 :出土地不明:2008/08/25(月) 22:50:28 ID:GH1W3LSM
>>530
島津の歴史でも習ってんのか?w

首突っ込むな

532 :出土地不明:2008/08/26(火) 02:10:55 ID:VF8+xb9S
琉球に九州から倭人が入ってくるのは8000年前から。

これが琉球人の祖先。

弥生人も貝のために沖縄と交易していていた。

533 :出土地不明:2008/08/27(水) 18:31:39 ID:OMHe8YVI
>>527 下のサイトを開いて良く勉強しろ。

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA


534 :出土地不明:2008/08/27(水) 20:03:42 ID:McqRZz/+
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている

535 :出土地不明:2008/08/27(水) 20:05:41 ID:McqRZz/+
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif






536 :出土地不明:2008/08/27(水) 20:42:52 ID:5rEiEuZg
弥生時代に越の代表的な文物である印文土器、越式鼎が一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




537 :出土地不明:2008/08/27(水) 21:54:48 ID:2K7H+dzP

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。


538 :出土地不明:2008/08/28(木) 02:04:55 ID:NdYlK/kI

>これは同じ水軍人物像だよ!! 待てよチブサン古墳って起源前か!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」(アクセス変更の様なのでコチラヘ)
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360


539 :出土地不明:2008/08/28(木) 02:10:23 ID:qVeZdRO2
冠をかぶるくらいの上位層が来たなら鼎と金石文くらい残るだろが馬鹿w

それに臨しは華北だぜカスw

540 :出土地不明:2008/08/28(木) 02:24:47 ID:NdYlK/kI

土器人ちゃん腹に円く、白く描いてるのは小型の銅鏡じゃないか。?

541 :出土地不明:2008/08/28(木) 15:17:48 ID:NNzWLgYf
6Cだと呉越時代と1000年以上も違うだろうがヴォケw
結局、冠も朝鮮経由で伝わっただけ。


チブサン古墳(国指定史跡)

 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)
の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ている
ところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。
http://www.dandl.co.jp/gold/chibusan/

542 :出土地不明:2008/09/05(金) 22:26:05 ID:ztLWQ6aP
>台湾人は意外な事に、中国北部系(黄河文明系、漢民族系)に多いO3系統が多く、
>日本人より中国人、それも華北の中国人に近い。

大陸からどれだけ中国人が来たと思ってるんだよ?


543 :出土地不明:2008/09/08(月) 00:47:18 ID:MspdHUA2
台湾人の98%が元チャンコロ

544 :出土地不明:2008/09/10(水) 09:33:26 ID:Adz9ifQ/
ジャッキー・チェンもテレサ・テンも
親は山東人だね

545 :出土地不明:2008/09/10(水) 20:25:48 ID:zi80UrQ1
だからもろ広鼻ブラックじゃないんだw

546 :出土地不明:2008/09/23(火) 06:39:29 ID:MAuKlatp
>>544
山東省の古代人はコーカソイド。
その後をモンゴロイドの漢人が侵略したのよ。

547 :出土地不明:2008/09/24(水) 23:35:56 ID:UAhMkx+q
>>546
コーカソイド?
遺伝子とかの根拠あんの?


548 :出土地不明:2008/09/25(木) 13:42:24 ID:S0pkUeiN
>>547
Wang L et al:Mol.Biol.Evol.(2000)の臨しのデータだろ。

549 :出土地不明:2008/09/26(金) 16:50:15 ID:5yUWcbSg
>>547
 中国人の位置

 以下はミトコンドリアから見たものである。
中国北部(斉の辺り)に幾つかの時代の骨が出土している場所があった。
そこでその遺伝子を調べてみたのである。
すると驚いたことに、戦国時代頃はヨーロッパ人に近い遺伝子だったが、
漢代あたりから、今の中国人に近い染色体になっているというのである。
これがこの地域だけのことで、そこに住んでいた人が、
どこかヨーロッパか中東あたりから移民してきた後、どこかへ消えたのか、
それとも昔は北部中国全体がヨーロッパ系に近く、
その後、今の中国系になったのかは今後の研究しだいだろう

(クラスター図)ttp://kuroneko.blogdns.net/HP/aicient-Japanese/Japan-Koria.htm

 つまり、春秋自体の人骨は、母系的にはヨーロッパ人に近いトルコ人よりのヨーロッパ型である。
以後、段々と現在の東アジア人に近づいている。

550 :月光仮面:2008/09/28(日) 15:25:24 ID:MK8W1mHw
>1 弥生はバイカル湖から来たようだ。
沿海州新石器時代はRudninskaya、Boysmanskaya、Zaysanovskayaの3期に分かれる。
Rudninskaya・・・・・・・・・・ 8380 ±60 - 5890±45BPC14Cal、
Boysmanskaya・・・・・・・・6355±60 - 5030±140 BPC14Cal、櫛目文土器
Zaysanovskaya ・・・・・・ 5780±60 - 3090±35BPC14Cal。  Greater Glazkov並行
沿海州新石器Zaysanovskaya末期≒3600-3300BP頃、興凱湖農耕文化・臨日本海興凱湖類型農耕文化、Margaritovskaya文化(丹塗磨研土器、粘土紐巻付け土器)が起こり、これらは Glazkov(突帯文)文化に
並行している。バイカル湖では前13世紀にGlazkov文化が消滅する。その後沿海州に無文・弥生並行のYankovskaya文化が起こる。内モンゴルの夏家店上層文化が起きるのは前1000年ことであり、前13世紀
にGlazkov文化は一路朝鮮半島に入る。半島北西からも雑穀農業として流入する(Vostretsov)。このよう
にして一路朝鮮半島に入った結果、2005年8月19日発表/弥生時代の開始年代AMS/炭素14年代測定に
よる高精度年代体系の構築/学術創成研究グループ/藤尾慎一郎/今村峯雄/西本豊弘
p17/24 (89) Fig.11 The time table of the Yayoi period according to AMS carbon14 dating
これによれば、朝鮮半島早期突帯文土器は前13-12世紀頃に登場する。
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis_fujio.pdf

551 :月光仮面:2008/09/28(日) 15:41:49 ID:MK8W1mHw
↑上記の動きをYDNAでトレースするとこうなる↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/menu397-400

552 :月光仮面:2008/09/28(日) 15:45:58 ID:MK8W1mHw
最近なんだかIEに貼り付けないとだめだね。

553 :月光仮面:2008/09/29(月) 11:05:18 ID:yXXM3eE0
Vostretsovによる沿海州完新世第4次寒冷海退は2500―2200BPに起こり、内陸農耕民・沃沮
(Krounovskaya文化)の臨海進出をもたらす。これによって海人族と化していたヤンコフスキー文化人は
消滅するのであるが、おそらく、日本列島に南下し、安曇海人族とか、吉野ヶ里他の防衛的環濠集落をも
たらすのであろう。沃沮は?(邑婁)と共に元山方面から江原道春川方面に進出、そこに?貊の国を建国
した。この際の?(邑婁)はPoltse-Tuanjie(邑婁)の鍛造技術であり、鉄原料は燕が供給源となり、おそらく
楽浪郡経由入手したものであろう。最近のロシアによる江原道方面(Jungdo Culture)調査により、前4-3
世紀に沃沮が沿海州から江原道に入り、朝鮮半島が鉄器時代に入ることが確認されている。


554 :月光仮面:2008/09/29(月) 13:04:09 ID:yXXM3eE0
時はたってシ歳貊の地は「冬ソナ」の地となった。バイカル、チュンド、琵琶湖・・・水に関係している。
Jungdo
http://www.leefamilykorea.com/kankou-kangwondo-jungdo.htm
○中島(チュンド)〜歴史と自然の調和する衣岩湖に浮かぶ島!〜
http://www.seoulnavi.com/miru/images/miru_img/341/a_341re_11.jpg
春川Chunchon
http://www.lib.utexas.edu/maps/middle_east_and_asia/korean_peninsula.gif
古代は貊国の中心
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E5%B7%9D%E5%B8%82

555 :月光仮面:2008/09/30(火) 12:54:49 ID:vQ3uFxFE
>>553 Jungdo文化
朝鮮半島北東・中央地方の鉄器時代への移行はJungdo文化と密接に関連している。
そして、今次調査の重要な総括は、集落跡と発掘された建造物、土器類、青銅器具、鉄器、石器、粘土
製品、木工品出土物及び環境事実といったその主要な構成物の分析に基づくその詳細な内容にある。
調査においてはこの文化の年代の研究が行われた。この成果として、半島北東中央部鉄器時代の開始
はJungdo文化と同時期の前4-3世紀であることの確認が出来た。朝鮮半島北西で出土する燕鉄器も同
時代である。これは朝鮮半島北部全域において実質的に同時に鉄器時代への移行が行われたことを意味
している。同時に、朝鮮半島におけるこの過程は近隣地域各種文化圏との相互関係の中で推移した。
朝鮮半島北西部住民は中国である燕と積極的な接触を保っていた。この時期の朝鮮半島北東中央遺跡
出土品の分析に依れば、この地域の住民の文化は、中国考古学会においてはTuanjie文化と呼ばれる、
沿海州Krounovskaya文化と多くの共通点を有している。一連のJungdo文化遺跡出土品は漢楽浪郡から
の輸入物資であるが、鉞形状鉄斧は外見上ポリツェ文化圏起源である。この結果としてJungdo文化の
起源は沿海州及び中国東北部Krounovskaya(Tuanjie)文化にあるとする仮説が出された。



556 :月光仮面:2008/09/30(火) 12:58:00 ID:vQ3uFxFE
Krounovskaya(Tuanjie)文化が朝鮮半島に出現することは、あらゆる点からして、沿海州南部のKrou
novskaya住民が先ず、朝鮮半島北東部に、その後、朝鮮半島中央部に移動したことに関連している。研
究者は漢籍情報の詳細な分析を基にKrounovskaya(Tuanjie)文化住民とJungdo文化住民が民族的に類
似であるという結論に達した。Krounovskaya(Tuanjie)文化住民と史書にある沃沮との同定はかなり以前か
ら中国の歴史書において一般的に認められていたが、多くのロシアの歴史・考古学者もこの意見に同意
している。
Jungdo文化住民は史書に現れるワイ/?(三国史)或いは靺鞨(三国遺事)とも考えられるが、これはこうし
た史書に記された出来事の時と場所がJungdo文化の年代呼び領域に一致しているからである。若干の
歴史学者は沃沮を民族的にシ歳(ワイ)の東部分枝であるとしている。今次のJungdo文化出土品分析の
結果、これとは反対に、シ歳(ワイ)は沃沮の一部分を占めているということが言える。従って、前4-3世紀
の朝鮮半島領域においては、到来したKrounovskaya(Tuanjie)文化と地元在来青銅器時代文化の相互
作用が進行していた。Jungdo文化とはこの相互作用の結果である。今回の調査はチュンド型遺跡に関連
する一切の問題を明らかにするには至らなかった。資料不足により、この文化の葬制といった重要な問題
が研究されないままで終わった。Jungdo文化住民の生産生活、チュンド型研磨土器の生産技法、
Tuanjie文化の変貌とKrounovskaya文化の起源に関連する諸問題に十分な解明の手を伸べることは出来
なかった。これら諸問題の解決には、新遺跡探求と発掘だけでなく、北朝鮮、中国、ロシア、韓国考古学
会代表者の今後の相互協力による考古学的リソースの拡大が必要とされる。将来における葬制の研究は
この文化の内容を更に豊かにするに留まらず、朝鮮半島北東及び中央部早期鉄器時代の精神生活に
関連する一連の問題の解明を可能とする。


557 :月光仮面:2008/09/30(火) 13:24:10 ID:vQ3uFxFE
「高句麗時代初期の物は川辺の砂の上に川石を敷いて死体を横たえた後、また川石で覆った様式で陽
平文湖里の漢江辺と春川の中島で見られる。このような墓の様式は漢江以北地域の上流層の墓であった
だろうと推測される。 広開土大王碑の近所にある将軍塚はこのような積石塚の石室墓と在来式の階段式
積石塚が合わせられた一番発達した墓の形式として長さ29メートル、高さ11メートルの平面の底の上に皆
段を整えた御影石で積んだものであり、内部には第3段を底にした四角形の石室があって合葬のため二
つの支え板が用意されている。」
http://jpn.korean.net/wcms/list.jsp?pageID=04025257&bID=22113&byid=1
「高句麗時代初期の物は川辺の砂の上に川石を敷いて死体を横たえた後、また川石で覆った様式で陽
平文湖里の漢江辺と春川の中島で見られる。」・・・この辺に日本の石積古墳の原点があるのではなかろ
うか。

558 :出土地不明:2008/10/03(金) 12:43:09 ID:P01TS411
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

559 :出土地不明:2008/10/03(金) 18:00:51 ID:xF1W6hac
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎].... 朝鮮半島は縄文人の生活圏か?

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。


560 :出土地不明:2008/10/03(金) 23:37:26 ID:RbmBCUqC
>>辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに
割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻す
こと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

当時の秦語と云えば今の西安辺りの方言で、中国の中心言語、今の北京語に相当。
その彼らが苦役を逃れて新羅に亡命、こんな中国の中心集団が多勢来てるのに

粗製灰陶で出来ている鬲、灰陶を焼く原始的な穴窯も鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も兵馬俑、土器、青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。

>>558 土器人ちゃん如何してかな。中国人がウソを書いたのか、説明よろしく。


561 :出土地不明:2008/10/04(土) 01:22:33 ID:KwKJDBc5
>>560
それ徐福スレのレスだろ?w

徐福でむぱの洗脳解除用のレスであって朝鮮半島の事なんか誰も
言っていないが。

朝鮮半島では楽浪郡遺跡で灰陶や青銅鼎や金銀器や馬車や傘や瓦や
その他多くの中国影響文物が出ている。

つまりそれは、日本には直接中国から渡来定着した集団など全く無い
という反面材料になるがなw

562 :出土地不明:2008/10/04(土) 02:36:51 ID:lGlHj97m
>560の話は朝鮮半島東南地域の話で西北の話じゃないんじゃないか
話題を摩り替えてないか?楽浪郡って半島東南地域に有ります。

563 :出土地不明:2008/10/04(土) 14:28:34 ID:n0QBQquo
意味不明

564 :出土地不明:2008/10/04(土) 20:00:09 ID:zYAQeYqC
結局どうなった?
中の人、レポよろしく。

565 :出土地不明:2008/10/06(月) 23:50:18 ID:wOoXP4Ud
>>辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲
したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)
と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

当時の秦語と云えば今の西安辺りの方言で、中国の中心言語、今の北京語に相当。
その彼らが苦役を逃れて後の新羅地域に亡命、こんな中国の中心集団が多勢来てるのに

粗製灰陶で出来ている鬲、灰陶を焼く原始的な穴窯も鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も兵馬俑、土器、青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。

出土遺物が揃って無いからと云って、渡来を全否定出来るほど確かなものでは有りません。
ただ、馬鹿で、無知で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる三足土器人の創作デムパです。


566 :出土地不明:2008/10/07(火) 00:56:44 ID:ouI3eu71
単に文献自体がデムパなんだろがw

楽浪郡遺跡からは灰陶も青銅鼎も龍信仰も中国楽器も漢字も馬車も金銀器も
傘もガッツリ出てるじゃねえかこのボケナス台湾ゴキブリ野郎w

567 :出土地不明:2008/10/07(火) 01:45:17 ID:Gc7iDEME
>>566
前から何度も言うように楽浪郡と、後の新羅地域は500Kほど離れてて
日本に例えると福岡ー大阪ほど離れてるんだぞ、福岡から灰陶が出たから
大阪も灰陶文化圏だと言ってる様なもんだぞ。

少し位は少ない脳みそ使えよキムチの食べすぎか。!!!


568 :出土地不明:2008/10/07(火) 03:37:42 ID:ouI3eu71
だからその文献の内容自体がデムパなだけだろがこの東南アジア野郎w

楽浪郡がBC108年に設置されて粗製灰陶の楽浪瓦質土器の生産が
始まると、ほどなく南朝鮮でも楽浪瓦質土器の影響を受けた
還元焔焼成の三韓瓦質土器の生産がすでにBC1Cから始まる。

日本で灰陶、つまり須恵器の生産が始まるのが4C後半。

もちろん半島帰化人が伝えた瓦質土器をさらに高温焼成した
朝鮮陶質土器だがな。

中国からの人の定着なんて全く無かった証拠だよ。

ま、ウンコくせえ江南ベトナム顔をクシャクシャにして
泣くんだな醜悪な下等生物の台湾ゴリラw

569 :出土地不明:2008/10/07(火) 21:13:58 ID:S/vJyjEC
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎]..朝鮮半島は縄文人の生活圏か?孔列文,突帯文,縄文系土器など。

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。


570 :出土地不明:2008/10/07(火) 23:00:11 ID:4+HrFmrl
半島南岸に縄文人がかなり入り込んでいたんだろうな。

ただ日本にしろ半島南岸にしろ縄文時代から古墳期に至るまで
相互の土器文化の交流があるのに、何で中国土器文化の交流が
日本には一切見られんのかね?

朝鮮半島にしても楽浪時代に入るまで中国土器文化がない。

中国からの渡来集団などさらさら無かった事の証だなw

571 :出土地不明:2008/10/10(金) 23:31:23 ID:yNpjHdKd
>>568
時代がまるで違うんだが・・・
弥生の発祥はBC9-10世紀

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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