「失われた契約の聖櫃アーク」はどこにある?
- 754 :出土地不明:2008/07/02(水) 02:11:02 ID:+NMhIUkv
- 魍魎のはこ見た人
- 755 :出土地不明:2008/07/23(水) 17:55:56 ID:llWl6pAk
- ゴーグルアースで宮中三殿の皇霊殿北側中庭に不思議な文字が浮かんでる、多分
其処。
- 756 :出土地不明:2008/08/02(土) 16:26:45 ID:tP4t8/3E
- >>192
畿内の元の支配者は出雲系。
出雲系も大陸から来たのは知ってるよね
出雲系は四国を支配してたの知ってる?
その神さんは
金毘羅宮で祭られて、四国を守っている。
- 757 :出土地不明:2008/08/02(土) 17:43:17 ID:sY57H3IG
- ■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として『朴氏』という王家が登場する。
だが、『朴氏』などという王家は存在しなかったのである。
この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、任那日本府に伝えられていた古文書を読んで、
その記録の内容を誤読したために創作された王家であり、実在しない。
おそらく金富軾は、任那日本府の古文書・『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、
ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を
意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ウガヤフキアヘズ、日子ホホデミ、日子ヤイノミコト、日子イマス王など)
しかし、朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。
おそらく、
第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。
これは金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔の意味である。
おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)である。だからこそ、『三国史記=新羅本紀』は、
「昔氏は倭から来た」と記しているのだ。
『三国史記=新羅本紀』には、新羅王家として、『朴氏』、『昔氏』、『金氏』という三系統の王家が記されている。
実は、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、『金氏』はケリン族(鶏林)の王家なのである。
つまり、新羅(ケリン)を建国したのはあくまでも『金氏』であって、『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。
『三国史記』において、『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。
『三国史記』は、倭人国・シラキ(弁韓)と、その北方にあって、シラキと敵対関係にあったケリン(辰韓=後の新羅)を
混同しているのだ。『金氏』はケリンを建てた王家であり、シラキの日子(日本皇族)とは無関係である。
- 758 :出土地不明:2008/08/02(土) 17:59:06 ID:sY57H3IG
- <修正>
■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として『朴氏』という王家が登場する。
だが、『朴氏』などという王家は存在しなかったのである。
この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、任那日本府に伝えられていた古文書を読んで、
その記録の内容を誤読したために創作された王家であり、実在しない。
おそらく金富軾は、任那日本府の古文書・『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、
ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を
意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ウガヤフキアヘズ、日子ホホデミ、日子ヤイノミコト、日子イマス王など)
しかし、朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。
おそらく、任那日本府に残されていた歴史文書には、「日子と書いて菩古(ぼこ)と読む」というような解説文が書かれていたであろう。
それを読んで、金富軾は首をかしげたはずだ。日古を「ボコ」と読むのは日本式の訓読みであって、中国式の音読みや朝鮮式の音読みでは、
そのような読み方はしないからだ。
それで金富軾は、『三国史記』を編纂する際に、ボコ(日子)という呼称に『朴』(ボク)の字を当てたのである。
この事実から、当時の半島における漢字の読み方が見えてくる。現在の韓国では、『朴』の字をパク[PAK]と発音するが、
金富軾がボコ(日子)という呼称に『朴』の字を当てた事実から、高麗時代までは、半島人も『朴』をボク[BOK]と発音していたことが
分かるのである。
第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。
これは金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔の意味である。
おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)である。だからこそ、『三国史記=新羅本紀』は、
「昔氏は倭から来た」と記しているのだ。
『三国史記=新羅本紀』には、新羅王家として、『朴氏』、『昔氏』、『金氏』という三系統の王家が記されている。
実は、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、『金氏』はケリン族(鶏林)の王家なのである。
つまり、新羅(ケリン)を建国したのはあくまでも『金氏』であって、『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。
『三国史記』において、『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。
『三国史記』は、倭人国・シラキ(弁韓)と、その北方にあって、シラキと敵対関係にあったケリン(辰韓=後の新羅)を
混同しているのだ。『金氏』はケリンを建てた王家であり、シラキの日子(日本皇族)とは無関係である。
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