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ゴビ砂漠が湖だった頃

1 :出土地不明:04/06/21 15:53 ID:GdhPQTYX
そのほとりには、高度な文明があったらしい

2 :出土地不明:04/06/21 16:04 ID:7q1vtMqb
おしえてくれてありがとう

3 :出土地不明:04/06/21 21:13 ID:toj7nXWM
ブラバツキーね、はいはい。考古学的な証拠は皆無ね。
オカ板でどうぞ。最近新スレはオカルトものばっかり。

4 :出土地不明:04/06/23 02:21 ID:pkM9Qckq
ホータン

5 :出土地不明:04/06/23 05:46 ID:hsEkRDD9
サハラ砂漠が緑の森だった頃

その脇には高度な文明があったらしい

6 :出土地不明:04/06/23 21:28 ID:LfYWHjcf
へえ〜

7 :出土地不明:04/06/24 00:28 ID:U2MxG5ux
>>5
マジレスすると乾燥化でナイル流域に牧畜民が移住して
農耕民の文化と融合してエジプト文明が誕生したとも。

8 :出土地不明:04/06/26 08:36 ID:gUEi2Loj
>サハラ砂漠が緑の森だった頃

緑の草原ぐらいだろう

9 :出土地不明:04/07/04 07:42 ID:tJMEv1Ca
タッシリ・ナジェール

10 :出土地不明:04/07/05 18:19 ID:Bj+lRxeu
チンパンジーの壁画にはたまげますた

11 :出土地不明:04/07/05 19:50 ID:iPq6JrD4
ゴビ砂漠が湖だった当時アーリア系のスキタイ人は遊牧生活を営んでいました。
その頃モンゴル人はタイガの中で狩猟生活を営んでいました。
マンモス狩りの名残です。
しかしゴビが干上がるにつれアーリア人は西に移動しゲルマン人や
スラブ人となりました。しかし彼らの文化はその後にゴビの住人となった
モンゴル・トルコ人に引き継がれました。

12 :出土地不明:04/07/06 21:11 ID:zaLakOrl
黒海とカスピ海とアラル海とバルハシ湖がひとつづきの巨大湖だったってほんとすか?

13 :出土地不明:04/07/07 17:29 ID:UPRR3bi/
それはいつごろの話?
新人がユーラシアにわたった後?
なんかいいサイトないだろうか?
しりたんい興味津々

14 :出土地不明:04/07/10 11:04 ID:5YQ7a/47
チョウザメの一種が黒海、カスピ海、アラル海に分布しているから
大昔はつながっていたんだろ

15 :出土地不明:04/07/11 22:25 ID:rm2WWk53
漏れが湖だったころ、
親父は熱帯雨林でお袋は照葉樹林だった

わっかんね〜だろ〜な〜

16 :出土地不明:04/07/11 22:49 ID:Buf+Td7+
松鶴屋ちとせハケーン

17 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :04/07/12 00:14 ID:+q/UZVcO
>>12
テチス海のことですか?
だとしたらホモ=サピエンスいませんね。

>>15
へぃへぃへ〜い…何度カキコを思いとどまったことか…。

18 :出土地不明:04/07/12 00:36 ID:z8wtRUa5
ここはオサーンだらけのインターネッツですね

19 :出土地不明:04/07/12 19:21 ID:8viSkzxB
松鶴屋ちとせネタはある一定の年齢以上の人間は
おそらく頭をよぎったに違いない。

シュビドゥビ〜

20 :出土地不明:04/07/12 20:00 ID:sULEcmJe
俺は35だが言われればのレベルだな。
それより上なのか?


21 :出土地不明:04/07/13 01:58 ID:UdZYtACU
ネタは分かるが名前は思い浮かばなかった
そんな俺は今年21歳

22 :出土地不明:04/07/19 09:33 ID:MS5XyPjH
アマゾンが海だった頃・・・・

23 :出土地不明:04/07/20 08:58 ID:rUdHhyf4
南極大陸に文明があった

24 :出土地不明:04/07/20 10:28 ID:qeMDhPRd
友達が地中海は昔、湖だったっていってたけど

アフリカとスペインが裂けてジブラルタル海峡できて
海水が地中海に流れ込んだって
地図を見せて説明してくれたんだけど本当なのか?

25 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :04/07/20 19:14 ID:aGO2JWNC
>>24
「テチス海」「地中海」でぐぐると、この話はけっこう出てきます。
テチス海は大陸移動説でいうゴンドワナ大陸とローラシア大陸の間にあった海ですが
アフリカ大陸とインド亜大陸の北上で潰されてしまいます。
イベリア半島とアラビア半島にはさまれた古地中海がかろうじて残るわけですが
600万年前頃に、孤立した古地中海の水がすべて蒸発して砂漠化し、
やがてジブラルタル海峡が決壊して現在の地中海になったとする新説です。
地中海の沿岸や海底に、水分の蒸発によって生成される岩塩や石膏が分布することが
新説の根拠となっているようです。

真偽のほどや詳細については、地球科学板の方に尋ねたほうがいいかと思います。

26 :出土地不明:04/07/21 02:40 ID:OBGYJaLB
古代から現代に至る変化をパソコンでみれる地図欲しいよね。
誰か作って!

27 : :04/08/22 20:21 ID:iF4cQwBb
語尾尾

28 :出土地不明:04/08/24 00:05 ID:P+P5jSgO
スレ全部が推測なのか?

29 :出土地不明:04/08/25 20:31 ID:a0V+VjBD
橋の市のことね

30 :出土地不明:04/09/05 06:43 ID:oUwTN6rI
ゴビ砂漠って貝殻たくさんあるんだってね

31 :ソドム ◆sDm/FNEfwE :04/09/22 05:21:06 ID:5+nxbTZL

   Ψ_Ψ
 ⊂(◎ ◎)⊃ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★
   (仝)
 _/ つ/つ  <こんな黄昏たスレが好きです。
 ~て ) _)
  ∪ ∪
 ////
ωω



32 :出土地不明:04/10/14 17:13:35 ID:93vWe3ZS
この前Nスペシャルでこの地域特集してた
インド大陸の圧力が原因だろうね
湖が干上がったのは

33 :出土地不明:04/10/16 20:39:49 ID:IV9gnTXF
>>30
貝殻でないでない。

34 :出土地不明:04/10/18 07:01:34 ID:azG8diz8
ゴビの西のアル鯛の湖は干上がると塩が大量に蓄積するらしい
あの辺が海だった証拠の一つ。
インド大陸の圧力で盛り上がったわけだけど、あの付近は
古代は世界でももっとも豊かな土地であり生物の多様性を
作り上げたとされる。

35 :◆Kr61cmWkkQ :04/10/18 20:26:01 ID:pQWFqj2c
>>34
ん〜アルタイ山脈付近に限らず、砂漠・ステップの尻無川や湖は塩水なんですが…。
いわゆる「塩」を構成するナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム等は、
普通に土壌に含まれています。
それが雨で溶け出して湖に流れ込み、砂漠で濃度が高まるわけで
ソルトレークや死海みたいに造山運動の激しい砂漠の湖は言うに及ばず
アフリカやオーストラリアなど安定陸塊上の砂漠の湖も塩湖ですって。

造山運動でひたすら隆起し続けているキルギスのイシククルはどうなんでしょうかね…
ミネラル分は多いらしいですが。

36 :出土地不明:04/10/19 06:12:46 ID:YixsVA85
そいはしてるョ。
でもNHKが言ってたから、海なんでしょ
問題はいつまで大きな湖があったかって事なんだけどね
世界のカモシカはあの付近の豊かな自然で進化し世界に広がったとか
もしかすると人間も?!
って事を考えるとロマンがある。

37 :出土地不明:04/10/19 08:14:20 ID:In/7f0TY
ロマンだとか夢だとか

ほとんどの場合は毒でしかねぇな

38 :出土地不明:04/10/22 18:41:08 ID:tmLgFaMF
>>36
NHKの言うことにも誤りがある:ということを知る機会を得たわけです。
自分で探求する心を忘れずに。おかしい、と感じる常識(感覚)を持とう。

39 :出土地不明:04/10/22 20:15:30 ID:h50/eAqB
塩の量が半端じゃない。
まるで塩湖のようでした。
湖に溜まる塩分にしては多すぎるとおもった

40 :出土地不明:04/10/26 18:52:09 ID:xgv64iP/
ようは、今のアラル湖みたいなもんだべさ

41 :出土地不明:04/10/26 18:53:30 ID:/oU4NDmE
はぁ。遺跡を移籍。

42 :出土地不明:04/11/02 14:56:24 ID:ieRTGri+
>>39
砂漠の湖、塩湖多いよ。
もうちょっと勉強してごらん。

43 :ある女:04/11/12 13:24:39 ID:x8884Aqy
おもしろい。
先日、モンゴル人(ウランバートルのハルハ族?)に告られたけど、その人は
すごい自分の民族の優位性みたいなのに自信を持ってる感じした。
ロシアとも中国とも独立してる。
調べてみると、意外と国土も広いし、古代には優れた文明が栄えたっぽい。
今はひちゃかめっちゃかのモンゴルが世界をリードする日がまた来るのだろうか。

44 :出土地不明:04/11/12 18:30:22 ID:LW/EBJOi
>>43
そのまえにアルヒをやめないとね。

45 :出土地不明:04/11/12 22:38:15 ID:5Ug8VjNY
>>43
そういえば、新潟中越地震に対して、モンゴル人が必死で
援助金を募金しているらしい。あの地震の話は、海外では、
モンゴルで、例外的に取り上げられ、多数の人たちが、
募金に応じている。

46 :出土地不明:04/11/13 03:15:49 ID:ZLJ9NGij
>>45
スペインでもテレビニュースの冒頭で大きく取りあげられてたらしい。
スペインは原爆の日でも毎年特番あるそうな。
日本人は忘れるのが早すぎるね。

47 :出土地不明:04/11/14 15:17:48 ID:D9KESw2O
>>45
問題は、その義捐金が新潟に届けられるかどうか?が問題。

48 :出土地不明:04/12/03 21:35:25 ID:sV8YzJ8/
義援金の使途報告書って出てるんじゃないの?

49 :出土地不明:04/12/09 20:32:33 ID:NyWBp0Gn
>>48
モンゴルで集めてい義援金のことだろう?よしんば報告書があったとしても、信用できないね。
ちょいちょいと、作って終わりでしょう。

50 :出土地不明:04/12/22 00:36:26 ID:Ayt+229+
ちょいちょいと、作って終わられたらたまんないね


51 :出土地不明:04/12/27 10:17:59 ID:A/k43+oH
インドがアジアにぶつかる前は
サハラとかも砂漠じゃなかったんでしょ?

ヒマラヤ山脈が出来たおかげで気候が変わったってどこかで聞いた

52 :出土地不明:04/12/27 10:35:42 ID:usMCeyqq
サハラ砂漠で拾った木の化石持ってるよ。

53 :鷂@出先:04/12/27 17:07:25 ID:+XvjEz3s
サハラの砂漠化はアルプス造山運動のかかなりあとで、まあ現在進行中なんですが
先史時代まで緑の大地だったことがタッシリナジェールの壁画から伺えますね。

54 :出土地不明:05/01/03 15:17:59 ID:WVP9UV/r
楼蘭(ローラン)のコーカソイドたちは
このゴビと関係あるんじゃねーか?

55 :出土地不明:05/01/03 22:58:15 ID:KJ3f1PP8
たくらまかんじゃないの?

56 :出土地不明:05/01/04 00:11:35 ID:xCZfI1uq
>54
>55
どっちでもいいけど、研究すすんでるのかな?
たくさんミイラがでたってやつでしょ?

なんだか馬車とかと関連があるってきーたよーな。

ゴビとローランとタクラマカンでは離れ過ぎ?

57 ::05/01/04 00:38:32 ID:bam0aLmd
ゴビとタクラマカンの間には天山山脈が立ちはだかっているので、直接交流は難しいかと。
ゴビは中原やトルキスタンに接してるので、侵略なり交易なり、そちらが手近ではないかと。
ローラン・クチャ・ミーランなどタクラマカン砂漠のオアシス国家が並ぶ天山路は、
トルキスタン経由の「草原の道」が切断された時のバイパスだ…とか嘘八百言ってみます。

58 :出土地不明:05/01/09 08:02:42 ID:EJ5gZA5p
1万4千前ごろ最後の氷河期が終わってその溶け出した水が湖になっていたのかも
タクラマカンやゴビが昔、石器時代の終わりごろに牧畜をして暮らす人たちが多くすむところだったことはまず間違いないと思う。
黄土高原や天山山脈なんかも侵食された地形だし、はじめは氷河の溶ける水を後には乾いた砂をこの地方にもたらしたかもしれない。
漢語とインドヨーロッパ語の関係もつながりは深いようだし
西や東や南へ家畜を連れて移動していった。
最後の最後まで残ったのが楼蘭かな?
高度な文明といってもピラミッドを作れるほどの高度な文化の蓄積はなかっただろうけど
遊牧民も多くいただけに戦闘にはつよかっただろう。

59 :出土地不明:05/01/09 21:58:13 ID:ooOpNxj8
http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
まあ、こいつをじっくりみて、先史の人々の移動を考えようや。

60 :出土地不明:05/01/09 22:20:15 ID:EJ5gZA5p
つまり新石器時代に漢語・インドヨーロッパ語族がそこにいて
牛・馬・羊などの家畜化はそこがおそらく発祥だったのだろう
砂漠化が進行しだした5,6千年まえあたりからユーラシアの各地に拡散して言った
ということだ

61 :出土地不明:05/01/10 01:46:31 ID:YTWMkYOd
漢族はもっと南だろう。基本的に東南アジア系だからな。言語的
には、って意味だが。

62 :◆53cmjHPmWw :05/01/10 19:31:14 ID:K97MDq5K
>>60
牛と馬では伝播ルートが違いますよ。
馬は北半球全土に分布したので問題ないのですが
アジア牛はインドのモンスーン地帯が原産地です。
(近東で家畜化が始まったヨーロッパ牛と別種)
牛は大量の水が必要なので、インドから中国にたどり着くには
大陸横断よりインドシナ迂回ルートが妥当に思いますが。

63 :出土地不明:05/01/10 20:53:42 ID:SIxkBUVr
馬は、なんとなく、もっともっと昔から家畜化されていた
と思うね。たぶん、氷河時代から。
轡とハミが登場して以降でないと、考古学的には検証不可能
だが、もちろん、歯に現れる痕跡も、ハミの使用を前提として
いる。たんに、馬の顔にロープまわして、手綱にしていた時代
のものは、全く痕跡も残さず、ってことになるからな。
で、現状、野生の馬は、染色体本数は違うが交配可能な、
プルツェヴァルスキー馬以外にはないので、これもたぶん、
現代の家畜馬につながる野生馬ではない(可能性が高い)ので、
馬の起源は不明。牛は、ユーラシアからアフリカまで広い範囲に
いるので、あっちこっちで別個に家畜化されたんだろう。
中国の漢族ってのは、たぶん、もと稲作農耕していた長江流域の
人々の中で、北方にいって、そこらのインド・ヨーロッパ語族か
なんかしらないが、そのあたりの連中から、麦作を習った連中
かもしれないな。だから、もともとの漢族には、白人系も多く、
その純粋なのが、山東半島にすみついた春秋時代斉国の白人集団
だろう。

64 :出土地不明:05/01/10 23:22:58 ID:c3nFopDe
>>62
タクラマカンもゴビもインドではなく中国だろう。
インドとの間には高い高い山脈がある。(中国中心部との間にもいろいろあるけど)
中国語がインドヨーロッパ語と近いか遠いかは知らないけどさ。

65 :出土地不明:05/01/10 23:37:56 ID:u7MKfnwc
>>64
中国語とインド・ヨーロッパ語はかーんんんぺっっききききーに
無関係。ただ、殷以前の民族形成時に、中原には、かなりの量の
白人(インド・ヨーロッパ系である証拠はないが、ほかの事情で
その可能性がある)が、大量にいたことはわかっているので、
そいつらと、中国人がどういう関わりをしたのか、ってのが
おもしろいところ。
中国人にいわせれば、長江流域の稲作は紀元前7000年に始まって
いて、その時代に使われていた文字が、フェニキア文字そのものなの
で、おそらく、シルクロードなどで、中国から、メソポタミア、
レヴァントに、文字が伝わったのだろう、といっている。
まあ、そのBC7000年の文字ってのが、文字なのか、たんなる
土器にくっついた記号なのか、部族を表す記号なのか、そのあたりは
わからないが、ただ、形がフェニキア文字と完全一致するというのは
事実ではある(もっとも、方向もわからんからな)。ようするに、
ヨをみて、英語のEと同じといっているようなものだし。

66 :◆53cmjHPmWw :05/01/11 01:47:12 ID:oEK8IT6S
>>63
家畜からのアプローチはこれで最後にします。
馬の家畜化は、定説どおりの年代でいいと思います。
羊みたいに生きる間じゅう毛をくれるわけでなく(革は一生1枚で打ち止めだし)
乳なら癖はあるものの山羊や牛が上質なのを出してくれるし
農耕するなら牛のパワーにはかなわない(後世のペルシュロン種は例外
豚みたいに食い物なら残さず平らげる効率性もない。
馬の特典はあくまでも高速移動であるから、
ある程度農工業がさかえて、略奪や商売ができる社会でないと使いづらい家畜だと思います。
あと、駱駝も重要な家畜となりますが、砂漠越えをともなう大規模貿易が成立して初めて活かされる家畜ですね。

67 :出土地不明:05/01/13 19:47:09 ID:mTAL/WbD
江戸時代頃に京都に今は無い、でっかい池があったんでしょ?

68 :出土地不明:05/01/13 21:43:57 ID:Y3c3ubve
漢語とインドヨーロッパ語は文法的に近いと思う。


69 :◆53cmjHPmWw :05/01/13 21:56:51 ID:cPo0wbDI
>>67
巨椋池ですね。
琵琶湖と同じ頃にできた池らしいですが
江戸時代どころか、昭和16年に干拓完了するまで残ってました。

70 :出土地不明:05/01/14 00:19:48 ID:m/iuJC4b
>>68
素人的にはな。たぶん、SVOとか、そういうあたりだろ。
まず、英語を思い浮かべる場合が多いだろうが、英語は、
インド・ヨーロッパ語の中では特別な存在だ。一応、
インド・ヨーロッパ語の古い形をかなり保っている例と
しては、ロシア語がよいと思う。あるいは、ラテン語
ギリシア語でもよい。ラテン語は、基本的にSOVだった。
前置詞が後ろにおかれる場合もある。

インド・ヨーロッパ語の特徴とされるものは多数あるが、
かなり厳密な議論ができているので、それらと中国語を
比べた場合に、共通点は全くない。

71 :出土地不明:05/01/19 22:11:25 ID:1hh7PazG
中国の山東半島には、
紀元前500年ごろまでは、ヨーロッパ系、地中海
系の人々がわんさか住んでいて、墓からでてくる
骨のミトコンドリアDNAはほとんどヨーロッパ系なの
だが、そこの人々がとくに皆殺しになったわけでは
ないのに、500年後の漢代になると、ヨーロッパ系
の比率が半分になる。現代では、ヨーロッパ系は痕跡
すらない。つまり、現代中国人にも、基本的に
ヨーロッパ系がかなり色濃く入っているのかもしれない
が、ミトコンドリアDNA的には、まったくその痕跡はない。


72 :出土地不明:05/01/19 22:18:11 ID:1hh7PazG

http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-6/p832-839L.pdf


73 :出土地不明:05/01/19 23:28:35 ID:oJbTtWQ0
>>72
さんくすです。このURLを探していました。
ダウンロードはしたんだけど、ブックマークしてなかった。
でも、実際は、もう少し細かい分析のデータがほしいけど。
ハプログループもかかれていないし。

74 :出土地不明:05/01/22 07:58:51 ID:uAwE6r/g
インドヨーロッパ語族の遺伝的な子孫はヨーロッパ人と考えるのはおかしい。
むしろペルシア人のが近いだろう。
ヨーロッパの原住民たちは他の言葉を話していたし今もその形跡は残る。

75 :出土地不明:05/01/24 06:34:01 ID:CSXXCKUj
>>72
問題は中国の春秋
戦国時代と漢代の2 集団である。前漢末期の臨
集団が,現代東アジアから離れて,中央アジアの
集団の中に入り込んでいる。さらに,春秋戦国時
代中期の臨集団は,明確にヨーロッパ集団と近
い関係となっている。

てあるね

76 :出土地不明:05/01/24 07:02:34 ID:ZxB7wMDr
>>74
なるほど、そうきたか・・
それもありうるな。
ペルシャ、エフタル、スキタイ、他欧米人って
感じで農耕が広まったように言葉も広がったのかも

77 :出土地不明:05/01/24 18:03:29 ID:BRUm6JIT
こてこてのモンゴロイドであるにもかかわらず
ペルシャ語をしゃべるハザーラ人は上の突厥語をしゃべる
コーカソイド顔のウズベク人と正反対である。

78 :出土地不明:05/01/24 21:37:23 ID:6gHCB8tz
中国山東半島の2500年前の白人系集団の話は、
どうやら、否定されてしまったようです。
以下そのソース。単なる南アジア系集団だったとのことです。
http://mbe.oupjournals.org/cgi/content/full/20/2/214

79 :出土地不明:05/01/25 07:51:17 ID:Ey12mW9v
今わかっている最古のインドヨーロッパ語はトルコにいたヒッタイトの言葉?
彼らはコーカサスのほうからトルコに来たといわれているけど元はどうなんだろ?
神話なんかはメソポタミアのものを受け継いでるけど牛を神聖なものとみなしたり

80 :出土地不明:05/01/25 15:22:51 ID:dxd6MM+s
ヒッタイトがどこから来てどこへ去ったかはよくわからないけど、
「鉄を生み出した文明」によるとカスピ海のほうからきたようだ。
カスピ海からならイランにも行くのも自然だしね。
ただその前にタクラマカンのほうにいたということを証明するには遺跡でも出ないとな。
しかし神話のような当時の文化の根本をメソポタミアから一方的に影響受けているぐらいだからたいして高度な文化は持って無かっただろう。
牧畜に関しては優れていたかもしれないが

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 17:15:19 ID:KXYrxCOW
馬鹿は静かにしてとよ。

うくく。

82 :出土地不明:05/01/25 21:44:10 ID:Ey12mW9v
>>80
遺跡が出たところで難しいと思うよ。
現在わかっている最古のインドヨーロッパ語族の文字はトルコから出土したヒッタイト語の
楔形文字の粘土板だ。
それは何を意味するかというとインドヨーロッパ語族はもともと文字を持たず
メソポタミアとの交易の中でヒッタイトがメソポタミアの文字を学び取り入れたということだ。
つまりヒッタイト以前のインドヨーロッパ語族の遺跡があってもそこには文字はないということだ。

83 :出土地不明:05/01/25 21:54:00 ID:6dP3EYH5
最近の説では、インド・ヨーロッパ語族は、アナトリア起源って
ことになりつつあるようだけどね。いずれにせよ、黒海の南と、
東(これはカフカスだな)と、多少はカスピ海にもかかるかって
ところあたりの広い範囲が考えられそうだけどね。
よくわからないけれど、ヒッタイト語の語彙の形は、ぱっと見て、
英語やラテン語などと結びつくってのがあるので、ヒッタイト語は
ケントゥム語派だっけ?

84 :出土地不明:05/01/25 22:52:16 ID:Ey12mW9v
>>83
アナトリア(トルコ)にはもともとプロトヒッタイトというヒッタイトとは民族的にも文明的にもまったく違う人たちがいた
製鉄の発明もプロトヒッタイトによるものらしい。
ヒッタイトが繁栄できたのも製鉄を行うプロトヒッタイトと高度な文明を持つオリエントとの交流ルートを独占できたからだろう。
インドのサンスクリット語の文字もギリシア・ロシアのキリル文字もローマのアルファベットも
起源をたどればレバノンにいたセム語族のフェニキアの文字に行き着く。
インドヨーロッパ語は独自の文字を持たなかったのはまず間違いない。
甲骨文字などにかすかにその可能性があるのかもしれないが

85 :出土地不明:05/01/25 23:04:32 ID:5mqBn3yD
フェニキア文字と中国の紀元前7000年ごろの新石器時代の
土器やらについている記号が同じだとかいう説ですかぁ?
まあ、いいけど。
インド・ヨーロッパ語族と鉄、インド・ヨーロッパ語族と
騎馬って結びつくようで結びつかないところが不思議。
たとえば、ギリシアの青銅器文化ってのはあるけれど、鉄器
文化の時代は、いわゆるドーリア人の侵入後のことでしょ。
ってことは、線形B文字でギリシア語を書いていた連中は、
青銅器文化段階、いや銅石器かな、そんな時代。
ペルシア人は、騎馬民族っぽいけれど、でも、本格的ではなく
やっぱり、スキタイ系とかの騎馬民族が先にあったらしい。
もっとも、スキタイ系がどういう系統なのかは謎だが。
新石器時代初期に、ヨーロッパから文字らしきものが出ている
わけだが、これについては、インド・ヨーロッパ語族到来
以前かもしれないしなぁ。
歴史的にみて、インド・ヨーロッパ語族の拡散と活動によって
西アジアから東ヨーロッパ(ギリシアもふくめて)あたりが、
鉄器文明で、馬使うようになったのは事実なんだが、どうも、
どちらについても元祖じゃないんだよね。不思議。

86 :出土地不明:05/01/26 11:44:42 ID:v2QmaY00
つまりタクラマカンやゴビに後期石器時代の文明があってそれがインドヨーロッパ系の言葉を使っていたとしても
文字すらないようでは高度な文明など起こり得ないだろ。
ピラミッドをみれば天文や測量や建築の専門家が何人もいたことがわかる、文字を使うようになって少なくとも百年は経ないと作れるものでは無いだろう。

87 :出土地不明:05/01/26 14:15:55 ID:KhhBWaOG
やたら難しく考えることはないんじゃないか?
俺はカフカス付近、北欧やスペインの非印欧語族
のコーカソイドに見られるように単に言語だけ、文字だけが
人種の枠組みを超えて広がったと考えるのがわかりやすいし
自然だと思う。
また、アフガンのハザーラ人のように普通のモンゴロイドが
ペルシャ語しか喋らないのもわかりやすい例として挙げられる。
そもそも、なぜ印欧語がこうまで広がったかはわからないが、
アラム文字がやたら広がったのと同様に単に利便性が高かったとか
で血統とは無関係だと思う。
そもそも語族なんて枠組みだって人間が作った定義であって、普遍性のある定義ではない。
麦農耕族、米農耕族とか遊牧族とかあってもいいしなw
つまり語族にあまり拘る必要もないだろうって事。

88 :出土地不明:05/01/26 22:52:29 ID:KNPNc5do
最近では、インドヨーロッパ語族といっても、最初の祖語の
段階から、サテム語派とケントゥム語派は違ったのではないか
っていうような議論もされているようだし。
まあ、サテム語派のなかにスラブ語も入っていたりするのだが。
mtDNAの系譜からすると、場所からして、ハプログループUの新しい
タイプが、どうも、インド・ヨーロッパ語族と関係しそうには思う。
ようするに、半遊牧半猟的な東側、北側の一派と、半猟半農の
西側の一派は、最初から、民族的には相互交流しつつ言語も似ている
が、かなり別、っていうような状況が紀元前7000年から4000
年くらい前の段階に設定できそうに思う。まあ、カフカス近辺には、
アルメニア語のような特殊なのも残っているので、だいたい、
アナトリアからコーカサスとカスピ海沿岸くらいが彼らの拡散の
ベースになった場所だろうとは思うけれど。

89 :出土地不明:05/01/26 22:57:12 ID:qUXDXFuJ
文字すら持たず文明的にはたいしたことがなかったインドヨーロッパ語だが
言語は民族の壁を越えてゲルマン人やアングロサクソンなどヨーロッパ人にも広まっていった。


90 :出土地不明:05/01/26 23:29:04 ID:KNPNc5do
>>89
言語版でやるべき話かもしれないけれど、なんか、単純に、
インド・ヨーロッパ語が「かっこいい」言語だったんじゃないっすか?
耳慣れていないせいもあるけれど、なんか、聞いていて、ぐにゃぐにゃ
べったりばったりしている言語って結構あるじゃないですか。
まあ、インド・ヨーロッパ語の中では、ロシア語なんてちょいとその
傾向あるけど、以前、ベンガル語のネイティブの人にベンガル語の
テキスト読んでもらったけど、かっこいいのね。響きが。
そういうのないかな。

91 :暇つぶしにみてます:05/01/27 11:45:25 ID:akKjRbFd
ぎゃくでしょう?
外来語由来の「単語」が大量にあるだけ。
科学技術面では輸入メインのはず。
音声上は宗教などで「朗読される言語」
という性格からくるものだと思いますよ。

新規・分類・概念などの造語力の高さから、
古代のラテン語やギリシア語をいつまでも
使っていたわけだけど、日本で同様の役割の
漢字体系はもともと「書き言葉」だから。

92 :暇つぶしにみてます:05/01/27 11:47:48 ID:akKjRbFd
技術的には高山の鉱石と森林の燃料など、
異質な由来と歴史を持つ同士の協力が
欠かせないが心情的でなくても良いなら
方言等が反映されない書き言葉が有利。

音楽のようには心を揺さぶらないけどw

93 :出土地不明:05/01/27 14:52:32 ID:RCmmkY9t
俺を含めみんな日本語おかしいと思う。
考古学はただでさえ、主観的になりがちで
他人に伝わりにくいのだから、わかりやすく
書くことをこころがけてほしい

94 :出土地不明:05/01/28 00:29:28 ID:HZLQ6+aa
いやその、90ですけど、大昔の話をしているんだけど。
ラテン語の抽象語彙だって、ラテン語の古典期においては、
けっして抽象語彙ではなかったのであって、たとえば、nature
なんていうのも、ラテン語時代の natura は、すっごい動的
で衝動的で感動的で、感傷的な語彙だったのだから、この語彙
を聞いただけで、ラテン人は、むらむら来たのであって、だから、
そんなに、抽象語彙ばっかりなんてこともないし、学問だって、
そうだし、だから、むしろ、発音のかっこよさ、みたいなのが
さきにあって、はやったとか、。

95 :出土地不明:05/01/29 23:30:05 ID:m7ZiMXOm
ペルシア、ギリシア、ローマなど侵略好きの民族性がインドヨーロッパ語を広めたのだろう。
フェニキアは侵略好きとは程遠かったがフェニキアの文字は文字を知らなかったインドヨーロッパ語族の人に取り入れられ広まった。

96 :出土地不明:05/01/30 00:32:02 ID:V5EvHZes
>>95
インド・ヨーロッパ語族にかぎれば、
1)ギリシア人は、古来線形B文字などの古い系統の文字があった。
2)ヒッタイトは、アッカド語のくさび形文字でヒッタイト語を
  記述していた。

のだから、なにもフェニキア文字を採用する必要なんてなかったわけ
で、それなのに、あーそれなのに、それなのに、neverthelessでも、
フェニキア文字を使うようになってしまったのは、よーするに、
よっぽど、使うに簡単、かつ、むちゃくちゃ普及していた、ってこと
につきるように思う。

97 :出土地不明:05/02/02 20:07:15 ID:8pozEFu4
今年のはじめにNHKでタクラマカンにロウランより千年さかのぼる墓地の発掘を放映していたが
当時そこは砂漠ではなく草原だっただろうことそしてそこに住んでいたのは「コーカソイド」的な容姿なこと
皮革工芸は優れているが文字らしいものはでてこないことが紹介されていた。
恐らく砂漠化からトルコやイランやイタリアに移住する前の印欧語族がそこにいたのだろう。
日本人の俺からするとイラン人もイタリア人も識別できない。
ギリシア人はスラブ的な鳩胸体型で違いがわかるけど
タクラマカンから東へ行った人たちもいたはずで

98 :出土地不明:05/02/10 05:09:28 ID:mN9SRcRV
サハラ砂漠が草原だったころそこには高度な文明を持った人たちもいたはず
エジプトなんかもその流れを汲むものかな

99 :出土地不明:05/02/12 01:27:48 ID:kvKiKvMc
>>98
サハラ砂漠は、かなりずっと、長いこと、砂漠だったようだよ。
mtDNAの系譜で考えても、サハラ以南とサハラ以北では、明確に
系統が違う。サハラ砂漠の縦断(南北方向)というのがほとんど
ここ数万年にわたって、なかったということのようだ。現在、
サハラ以北の地中海沿岸には、主に、西アジアから、あるいは
ヨーロッパから入った人々の系統が多い。mtDNAのハプログループ
では、Uとか、Hとかの系統だ。もちろん、かなり南方系のL系統も
多いのだが、うーん、やっぱりかなりサハラ砂漠はずっと隔離して
いたんだろうと思う。

100 :◆53cmjHPmWw :05/02/13 14:26:27 ID:E6INSXWV
>>98
タッシリナジェールの壁画にあるように、牧畜・農耕を手がけた人達がいたのは間違いないですが
サハラ全体が草原となることはありえないです。
タッシリナジェールの草原は、地軸の首振り現象によって中緯度高圧帯から外れた恩恵であって
サハラ全体は中緯度高圧帯に制圧されている以上、完全な草原は発達できません。


101 :出土地不明:05/02/14 15:57:17 ID:6Hkr4jKP
でもエジプトはメソポタミアとは全く別の成り立ちでかなり高度な文明をいきなり築き上げているでしょ
サハラにいたんだけど砂漠化でエジプトに来たというならわかるんだが

102 :出土地不明:05/02/14 23:32:22 ID:hl2BNVD8
>>101
エジプトは、最初に銘文を残したというナルメル王の時代から、歴史
時代というのだけれど、それ以前がよくわからない。エジプトの年代記
としては、ナルメル王は、「南北のエジプトを統一した王」ってこと
になっているらしいから、たぶん、それ以前に南北に分かれていたんだ
ろう。文字記録もないのだけれど、ナルメル王の銘文にしても、それ
以前の段階の文字ってのがなくて、いきなり、唐突にマトモな象形文字
がでてきちゃう。
そこいくと、メソポタミアは、文字が始まる数千年前から、トークン
とか、いろいろなプロトタイプがあったことがわかっているし、おなじ
く、中国も、甲骨文字の登場は唐突なんだが、それ以前の刻印などは
新石器時代の初期にさかのぼるものがでている。まあ、漢字との関係は
全く不明だけど。
エジプトの場合、なぜ、唐突に文化が始まるのか、は、たしかに不思議
だな。実際には、一つに、ナルメル王などの時代が普通いわれている、
紀元前3500年とかではなく、もっと古いっていう話がある。
そうかもしれない。

103 :出土地不明:05/02/19 20:41:47 ID:d/cMW7gN
そのタクラマカンの墓地の人のDNAとかはわからないのかな?
G.I.グルジェフというヘディンとほぼ同じ時代に中国西部からコーカサスの遺跡を探検し研究した人によれば
メソポタミアからはじまる有史以前の文化の拠点はアフリカとインドとタクラマカン・ゴビだったらしい
タクラマカン・ゴビには大きな湖がありそこに多くの人が暮らしていたが
砂漠化とケシの麻薬で衰退し文字を使える聖職者などは東へ、羊飼いなどは西へ移住したらしい。

104 :出土地不明:05/02/20 00:13:21 ID:ZmSb/kSm
>>103
いろいろ苦労して探したけれど、中国語の文献がみつかっただけで、
ただ、
http://www.smth.org/pc/pccon.php?id=110&nid=107928
において、以下の文章がある。で、中の参考文献の部分について、
私は、オックスフォード考古学という雑誌は読めないので、
どなたか読める人がいたら、簡単な紹介をしてくれるとうれしいので
すが。

  新?展中最重要的,如几位西班牙、英国和意大利学者在今年5月7日的
《?敦皇家学会会?》B?(Proceedings of the Royal Society of
London, Series B )上?表?文,?哈?克斯坦的公元前1500年至
公元5世?的36具骸骨的牙?中的mtDNA?行了分析,?明最古老的
?品具有典型的欧洲人特征,与??在地中海地区的mtDNA?品相同,
但从公元前7世?之后,来自??的影??始逐??得重要。作者之
一、巴塞?那大学的??学家L. Lalueza―Fox?:DNA?据清楚?
明早期的中?居民―?我?留下了白人干尸和?言学?迹(吐火??)
,是来自欧洲的,只是在后来才逐?与??民族混合起来。?于?个
??,并?参?:John Sheldon, The Ethnic Identity of the Mummies
Found in the Tarim Basin, Asian Ethnicity, 5, 1, 2004, 122-128.
但?新疆古尸与吐火?人的?系,也存在不同意?,?参?:
Christopher P. Thornton and Theodore G. Schurr, Genes,language,
and culture: an example from the Tarim Basin, Oxford Journal
of Archaeology, 23, 1, 2004,83-106; Brian E.Hemphill and J. P.
Mallory, Horse-Mounted Invaders From the Russo-Kazakh Steppe
or Agricultural Colonists From Western Central Asia? A
Craniometric Investigation of the Bronze Age Settlement of
Xinjiang, American Journal of Physical Anthropology, 123,2004,
199-222.

105 :出土地不明:05/02/20 00:30:50 ID:ZmSb/kSm
ついでにいろいろあたったけれど、どうも、Google で探すと、
Tarim Basin mtDNA あたりだけれど、トカラ語との関係をとりざた
しているサイトが目立つね。
まあ、上に上げた、中国語の文章の中でも、「典型的欧州人特徴、
地中海地区的mtDNAと相同とかいうから、うーん、mtDNAのハプログループ
としては、K とかHとかのあたりだろうか。

106 :出土地不明:05/02/20 00:34:16 ID:ZmSb/kSm
http://mentai.peko.2ch.net/whis/kako/995/995992088.html
ここでも話し合われていたな。元記事となったページは
アクセスできないのだけれど。

107 :出土地不明:05/02/21 00:47:45 ID:cZsphGSa


◎人類は1人の女性から生まれた?

細胞の呼吸をつかさどるミトコンドリアという小器官があります。
ミトコンドリアは核にある遺伝子とは違って、細胞質遺伝をしますから
(精子には細胞質がありません)母系遺伝をします。この遺伝子を解析
して人類の起源を探ると、人類はアフリカにかつていた一人の女性に帰着
するといいます。ところが現人類が持つHLAの多様性は人類が進化した
数百万年でできたとは到底考えられません。人類発祥のときにすでに
「もとになる」HLA多様性は存在したに違いありません。
人類は「多発的」に発祥したとしか考えられない、・・・
これがHLA多様性の進化から考えられる唯一の結論です。

http://www.marrow.or.jp/NWJ97/bank-hla.html


108 :出土地不明:05/02/21 07:37:17 ID:PEtEK19Q
トカラ語ということはていうか検索してみてはじめてわかったけど
トカラ語はインドヨーロッパ語族
ヒッタイト(トルコ)と同じぐらい古いインドヨーロッパ語族がタクラマカンにいたということで桶?

109 :出土地不明:05/02/21 10:44:14 ID:0KGjUZRF
トカラ語は一説によると西方印欧語に近いらしいけど
もしかするとギリシア人の末裔、あるいはそれに近い人
ってことはないのだろうか?
所詮この言語の存在を確認しているのは7,8世紀頃らしいから



110 :出土地不明:05/02/21 21:52:14 ID:KOKxSir4
>>108-109
トカラ語は、ケントゥム語派に属するって一応出ていた(WEBでさがした
結果)。で、インド・ヨーロッパ語は、100を表す語彙から、大きく
ケントゥム語派と、サテム(あるいはサタム)語派に分かれるとされる。
ラテン語では、100は、centvm (ケントゥム)であるし、英語も、
hundred の hun などをみると、まあ、k, h あたりが対応するとして、
おおむね k のままなのだが、ロシア語、インド・イラン語などでは、
satem とか、satam という形で、*kentum が、tsentum -> setem ->
satem のような変化をしている。ようするに口蓋化という。
で、これがそれなりにかなり古い段階からあったらしいということで、
インド・ヨーロッパ語を最初に大きく二つに分けるときに使うわけだ。
トカラ語は、ケントゥム語派だから、ヨーロッパ語(スラブ語以外)
ということになる。mtDNAでは、北欧系に近いなどと出ているという
ことだから、HとかVとかの系統だろうかね。
ギリシア人の末裔っていっても、このあたりの人々が住み着いたのが、
たぶん、紀元前1500年から2000年とされていて、最終的には、
紀元前500年ごろまで、ってことになるから、トカラ語の時代は、
もっとあとなので、重ならない。ただ、可能性はあると思う。
ギリシアは、紀元前1500年ごろには、すでにギリシアの付近に登場
しているわけだが。
まあ、白人系ってことになると、あのあたりなら、正体不明の、
コーカサス系民族(グルジア人とか)や、フィン・ウゴリックの可能性
もないことはないが、うーん、やっぱりインド・ヨーロッパ系の可能性
がもっとも高いのかもしれない。

111 :出土地不明:05/02/21 23:52:22 ID:hDRrceLe
トカラ語はトカラ列島の言葉だろう。
その名の由来については、沖縄・奄美地方で沖の海原を意味する「トハラ」から派生したという説。
宝島に乳房の形をした女神山があることから、アイヌ語の乳房を意味する「トカプ」に由来するという説。
また、「宝島」の「タカラ」から派生し、列島全体を指すようになったという説などさまざまですが、決め手になるものはありません。
古くは、「日本書紀」で述べられているのが初見である。
近世に入り、三島村を含めた有人十島をあわせ「じっとうそん」と呼んでいたが、昭和27年の日本復帰後は、三島村の三島と分離し、七島だけを「としまむら」と呼ぶようになった。

112 :出土地不明:05/02/22 03:20:51 ID:9+09ntOC
ケントゥム語派と、サテム(あるいはサタム)語派に分かれるのと
遺伝的な距離とは分けてか考えた方がいいと思うね。
現代スラブ人は外見的には明らかに西欧系に近いから


113 :出土地不明:05/02/22 03:21:58 ID:9+09ntOC
で、この口蓋化ってのは具体的にどういうことをいうのですか?


114 :出土地不明:05/02/22 12:38:55 ID:g03tJwNV
「西欧系な外観」というのもよくわからないな?
スカンジナビアのほうの人は完全にヨーロッパ的な外観だけど彼らはもともとラップ語とか使っているんでしょ。
印欧語はもともと中央アジアからコーカサスの言葉でヒッタイト→ギリシア→ローマと
だんだん西に移動していったんじゃないの?

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 13:17:15 ID:eHqDhypn
ばかの上塗りだ
谷口と言う人が
90歳で雪の中を民俗を保持していたんだな。

79才か。

案内した垣内さんは偽物だ。

馬鹿ではないか
東北に唐土だと、じ日本ジュウガ唐土だわ。
レベル以下。

馬鹿レポータアーと
馬鹿爺を騙してどうする?

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/22 13:19:06 ID:eHqDhypn
本とに
もう少しマシな方法を考えろ。

情けない。

117 :出土地不明:05/02/22 20:47:52 ID:g03tJwNV
七天使とかミトラ教とか歴史以前の印欧語族が信仰していたものの名残じゃないかと思うんだが、
ヒッタイトの神話はメソポタミアの神話をそのまんまだけど(文化水準の圧倒的な違いからヒッタイトはそれまでの信仰を捨ててしまったのか?)
ペルシャ・イランではゾロアスター教の下地になり、
インドやヨーロッパでもそのなごりらしきものは見受けられる。
欧米の研究者達は自分たちの文化がアジア起源だとは思いたがら無いだろうけど
アジア人の俺からするとローマ人はペルシアから西へ追いやられたアジア人で
ギリシア・スラブ人は

118 :出土地不明:05/02/22 22:26:44 ID:i6+IRekZ
つまり欧州でもともと話されていたのはウラル諸語で
アジアから出て行ったインドヨーロッパ語族の人たちがギリシアやイタリアに移住し
彼らからすると未開の地だった欧州で半ば強制的に言葉を広めた。
とするとゲルマン人は?

119 :114:05/02/23 04:38:28 ID:q3kVFtrz
つまり、ケントゥム語派、サテム語派何れも
印欧語族の起源はカフカス近辺でローマ、ゲルマン、ケルトは
それを受容したに過ぎないといいたいのですね。

そうかもしれん、しかしそうなると俺の理解を超えている、
暇なとき妄想してみて考えが纏まったらまた書き込むよ。

で、口蓋化って何?


120 :出土地不明:05/02/23 14:44:33 ID:Rn9bZFlm
バスク人には、mtDNAのハプログループHが多いんだよね。
Hは、ヨーロッパ人全体でも40%以上をしめるもっとも繁栄
したくちだから、これは、バスク人のことを考えると、
インド・ヨーロッパ語ではない、ってことになる。
インド・ヨーロッパ語は、Uだろうと思う。

121 :出土地不明:05/02/24 08:00:49 ID:P0501EK7
>>109
>トカラ語は一説によると西方印欧語に近いらしい

昔は、西のほうからトカラ語の話者がやってきたとする説もありました。しかし
「k/s の対応はもともとは k であって、印欧語の分裂後にインド・イラン語派
で s に変化した。それ以外のバルト・スラブ語とかはインド・イラン語派に隣
接していたので影響を受けた」いう考えかたもあります。なんにせよケントゥム・
サテムの分岐だけを頼りにするのは危険です。

>>118
>つまり欧州でもともと話されていたのはウラル諸語

ウラル語族にはインド・イラン語派との言語接触の形跡があるのでこれはまずい
です。ここで話題になっているケントゥム・サテムについても、フィンランド語
では百をsataと言い、サテム語派から借用したものと考えられます。



122 :出土地不明:05/02/24 21:21:56 ID:wNNQOnVr
印欧語が印と欧に分かれる前に文字は無かったしもともとどういう発音だったのか、方言というか地域ごとの違いや共通点はどのていどだったのか
わかりようもない。
日本でも近畿を中心として同芯円的に言葉の分布があったりするし
決定的なことはわかりようもないよ。
確実にいえることは最初に文字を残した印欧語はトルコにカスピ海のほうからきたヒッタイトということ
そして状況証拠からタクラマカンにはそれと同じ位古い印欧語族がいたということ。
オリエント比べればたいした文明ではなくても当時の欧州に比べればずっと高度な

123 :出土地不明:05/02/24 21:59:07 ID:ZsOlznNB
まあ確かに「高度な文化はギリシァから」「コーカソイドはギリシァから西の人たち」
みたいな客観的事実と相容れようも無い電波を欧米人たちは垂れ流すが
彼らがそういうことを言うのはまだわからんでもないがアジア人である日本人がそんな電波発言してたらおかしいな。

124 :121:05/02/25 06:31:16 ID:EsMxjDT3
>>122
「印欧語が印と欧に分かれ」たわけではありません。インド・イラン語派は、
ゲルマン語派・イタリック語派・トカラ語派などとおなじ語派のひとつにすぎ
ません。

文字が無かったから発音がわからない、ということはありません。というか比
較言語学は文字のない時代の言語を復元する学問ですので、その前提をくずさ
れると学問が全面的に否定されることになります。

トカラ語はほかの印欧語と地理的にはなれすぎていて、ナゾが多いです。地理
的にいちばん近いのはホータン語(イラン系)ですが、それでも遠い上に、ト
カラ語とホータン語はぜんぜん似ていません。むしろいちばん西の端にある
ケルト系の言語と似ている所があるので、周圏論を考えたくなるところです。

>>123
おっしゃることがよくわかりませんが、初期の比較言語学では何でもインドが
一番原形を保っていると考えていました。学問が進むに連れて、インドが意外
に新しい形態を持っていることが分かってきたのです。


125 :出土地不明:05/02/26 01:11:46 ID:Dn6GmOzd
>>124
まだ、情報がとれませんが、タクラマカン砂漠のタリム盆地の
みるからに白人系のミイラのmtDNAについては、たんなる白人系
というのではなく、どうも、北欧や地中海ということがいわれて
いるので、U,Hなど以外にK,T,Vなどの系統を含んでいると思われ、
その意味でも、インド・イラン語派とは違うということではない
かと思うのです。インド・イラン語派の系統ですと、アジア系を
のぞくと、U,Hなどの典型的白人一般のものが出てくるはずです。
何体かあったので、いろいろな系譜がでてきているのではと思います。
ですから、トカラ語がケントゥム語の一派で、サテム語の一派では
なく、西欧的っていうあたりなどとも付合するのかもしれません。
いずれにせよ、タリム盆地の白人ミイラについては、そのもとに
なった時期が、紀元前1500年以前に住み着き、紀元前500年
ごろまでロウラン近辺にいたということですから、紀元前2000年
ぐらいに、インド・ヨーロッパ語族の中の後にヨーロッパに向かった
一派の一部(それこそ、もっとも古いヨーロッパ系はケルト系では
と思うのでケルトに近い一派とか)が、東にすすんで中国近辺まで
入ってきたということになるのかもしれません。

126 :出土地不明:05/02/26 23:45:19 ID:LGWWCgg4
えっと、今日、書店にいったら、NHK新シルクロードの書籍が
並んでいましたね。で、買うのもなんだから、ちらっと立ち読み。
mtDNAは、ケンブリッジ基準配列と1塩基違いで一致とのことです。
まあ、Hかなんかですかね。かなり西欧系に近いっていう印象の
話ではありますね。
で、さらに、トカラ語との関係も一応ここで議論した程度のことは
かかれていました。

127 :出土地不明:05/02/27 02:37:25 ID:g0EM8yMi
西欧系とおぼしき民族で西に移動した順番は
ケルト、ギリシア、ラテン、ゲルマン。

128 :出土地不明:05/02/27 16:22:28 ID:Wq/8XkB4
>>127
言語的にみて、未発達なのも考慮すべきかもしれませんが、
ケルト、ラテンは、語派などは違うものの、語彙の形がかなり
似ていて、ラテン語の語彙からケルト語の語彙が推定できるよう
なものもあります。ラテン語とギリシア語の関係もかなり近い
印象があります。
とすると、ゲルマンだけはちょいと違うので、このケルト、
ギリシア、ラテンは、比較的にたようなところから、比較的
にたような時期に、比較的になような感じでヨーロッパにやって
きたのでは、とも思えます。

129 :出土地不明:05/02/28 02:07:24 ID:2B2IgC9o
ヨーロッパには「来た」というより「行った」だろ。
アジア人からすると

130 :出土地不明:05/02/28 21:52:43 ID:1ENhH8pB
九州語やヨーロッパ語的には「来た」でいいんだけど

131 :出土地不明:05/03/01 15:15:55 ID:qZ5GJpw8
七天使て七福神みたいなもの?


132 :出土地不明:05/03/01 17:04:06 ID:SzZ+yEx8
七英雄だな。


133 :出土地不明:05/03/01 17:25:05 ID:7TwV0MF8
七天使ってなんだけ?
飛天だと、ギリシア、ペルシア、インド、日本以下東洋にもある。

134 :出土地不明:05/03/08 21:43:56 ID:5e1RP2AK
だいぶ遅くなりましたが、ローランのミイラは、ケンブリッジ基準配列との
間で、一塩基違いとのことなので、一応、ケンブリッジ基準配列のハプログループ
を調べたところ、Hでした。
以下のページの系統樹の中の、Cam revise という配列がケンブリッジ基準配列です。
http://www.pnas.org/cgi/reprint/100/1/171.pdf

ということで、ローランのミイラの系統はHですから、ヨーロッパで最も
多い系統であり、かつ、バスク人に多く、西ヨーロッパに頻度の高いタイプ
ってことになります。ただ、コーカソイドの場合は、基本的に、H,Uの頻度が
高いので、これは、アジア系(インド、イラン系や中近東系)もこのタイプ
が多い。ただ、一塩基違いっていう意味では、西ヨーロッパ系に近いって
ことでしょうね。


135 :出土地不明:2005/04/07(木) 01:08:04 ID:QmMzvkTZ
このスレ、面白いのに、だれも書き込みがないので、あげ

136 :出土地不明:2005/04/22(金) 08:36:42 ID:g/lTEvQe
密かな名スレ発見!しかし私ごときの知識では邪魔になるので

とりあえず、あげ

137 :出土地不明:2005/04/22(金) 18:23:33 ID:0r5uYyre

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

138 :出土地不明:2005/04/22(金) 21:57:47 ID:Nycm3kIw
>>135-136
ちょっと話題がとぎれているので、なんか、面白いとおもったところで
疑問があれば、それを新たに話題のきっかけにしたいと思います。

後半の話のまとめですが、

タリム盆地の楼蘭(ろうらん)近辺の砂丘に、3500年ぐらい前から
2500年前ごろまでの人々の墓が多数発見されて、およそその数は、
1000以上にのぼるというのがNHKの新シルクロードで紹介されま
した。墓の人骨からは、あきらかに白人的な形質が認められ、そこで、
その系統などが話題になっているわけです。考古学的には、ムギ作の
農民であり、当時、タリム盆地は緑豊かな草原であったとされ、さら
に、牛を飼っていたこともわかっています。
時代はずっとのち10世紀かそこらには、この地域に、トカラ語という
言語を話す民族が住んでいたことが知られていて、かれらの言語は、
インド・ヨーロッパ語族ですが、近隣のインド・ヨーロッパ語族の
多くが、インド・イラン系である(この系統は古くはサテム語群に
属する)のにたいして、トカラ語はケントゥム語群に属し、西ヨーロッパ
系との関連が示唆されるものの、トカラ語とヨーロッパの言語との
関係も明白に近いものはなく、トカラ語の民族自体が不思議な民族と
いうわけです。
さて、そうなると、タリム盆地の墓の白人系民族ももしや、トカラ語
との関係はないか、という話なのです。
そこで、タリム盆地の墓から出た人骨のmtDNAを調べたところ、それ
は、ハプログループH型に属し、とくにケンブリッジ基準配列という
ものに対して1塩基しか違いがありませんでした。そのことから、
西ヨーロッパの人々と非常に近い関係にありそうだということが示唆
されました。
というあたりまでが、まあ、今わかっていることです。

139 :出土地不明:2005/09/16(金) 23:16:15 ID:XI3bxojm
ちょっと違う話だけど、
地球シミュレータのようなスーパーコンピュータを使って、
地形データと古気候データを入力して、
気候、植生、農業、動物などの様子を10万年くらいさか
のぼり、どこらへんに人間が多くいて、どう移動したとか
推定できないものなんでしょうか。
天気予報より、少ない計算でできそうだと思うけど。

140 :出土地不明:2005/12/15(木) 19:01:42 ID:KcIuAIDj
ageru

141 :出土地不明:2005/12/15(木) 23:01:14 ID:1Tadt9Lk
>>139
やっていると思うけれど、難しいね。
気象板のほうで議論してほしいけれど、多少、そっち筋の専門の人と
昨今の計算気象系の話したけど、もう、計算精度の上では地球シミュレ
ータでも十分なくらいでってことです。あとは初期値として入力するべき
部分かな。観測データのほうが足りないとかいうし。

古い気候については、氷床のデータをつかって、いろいろやっていますね。
案外ちょっとしたことで、カオス的になって難しいと思いますよ。

142 :出土地不明:2005/12/17(土) 18:07:18 ID:fVITGH6E
高度といっても、大阪以下だろ。

143 :出土地不明:2005/12/18(日) 18:07:22 ID:Ko7mmmeA
南極の氷柱は100万年くらいまえまでの試料がとれるとか

144 :出土地不明:2005/12/25(日) 11:40:52 ID:80T71C5Y
昔、湖だったのはタクラマカン砂漠じゃないのか??

145 :出土地不明:2005/12/25(日) 23:30:34 ID:ZxjhmyfT
たいていの大砂漠は、昔、湖だったそうです。
湖→気候変動で干上がる→砂漠

146 :出土地不明:2005/12/26(月) 14:48:43 ID:XZpH1Kjp
ロプノール萌え

147 :出土地不明:2006/03/09(木) 00:23:15 ID:ElSqkj+L
パナマ運河を海峡に改造すると、太平洋、大西洋の海流が大変化して
気候が変わり、砂漠だったところが耕地になることってないの?

148 :出土地不明:2006/03/20(月) 12:16:03 ID:7brOBAQc
>>98
古代エジプト語を含むアフロ・アジア語族の故郷は、
エチオピアという説が有力だそうです。
サハラ説は最近あまり聞かれません。

アフロ・アジア語族:
セム語派: 北アフリカ〜西アジア〜エチオピア
ベルベル語派: 北アフリカ
チャド語派: ナイジェリア〜チャド
クシ語派: エチオピア〜タンザニア
エジプト語派: エジプト
オモ語派: エチオピア


149 :出土地不明:2006/03/29(水) 13:37:38 ID:Gd5XD6lv
こないだNHKでシルクロードの総集編をやっていてタクラマカンのロプノールの共同墓地の発掘もまた詳しくとりあげられていた。
そこではロプノールをタクラマカンのれいめい期にヨーロッパから来た人たちの遺跡だろう。と扱っていたがそれはおかしくないか?
ロプノールやロウランは砂漠化で衰退したタクラマカンの最後の残り火のような生活の跡だと思うんだが
約一万年位前に氷河期が終わったころタクラマカンは周りの氷河からの水が注ぎ込み水も豊富な豊かな土地だっただろう。
それが次第に砂漠化していったわけだし
ロプノールからも小麦の栽培品種がみつかっているが小麦栽培もコーカサスなどよりももしかしたら早い時期から大きな規模で行われていたとしても不思議じゃないだろう。
ヨーロッパから来たのではなくむしろタクラマカンがルーツなんじゃないか?砂漠化がかなり進んでもとどまり続けた一部の人たちがロプノールやロウランと考えた方が自然だと思わないか

150 :出土地不明:2006/03/29(水) 20:22:26 ID:SBpxL1iC
>147
今耕地のところが砂漠になる悪寒。

151 :出土地不明:2006/03/29(水) 20:30:17 ID:rd2gb7fw
>>149
うーん、そこまで古いとは思えないな。
mtDNAの解析で、シルクロードのタリム盆地からのミイラは、ハプログループ
Hの基準配列そのものが出てきた。ってことは、西ヨーロッパの人種であって、
実際のところ、インド・ヨーロッパ語族よりも前に、ヨーロッパの西の端に
進出していた狩猟民の系統だ。まあ、ヨーロッパ全土では一番多く、また、
バスク人もこの系統だ。まあ、インド・ヨーロッパ語が話されている地域と、
それから、中近東のセム語の話されている地域(エチオピアとかもふくめて、
北アフリカも)は、H,U,Vの系統が多い。まあ、これが白人系の主流なんだが
ってことは、あのタリム盆地の美人ミイラは、まあ、ユーラシア西方型で、
インド・ヨーロッパ系だろう、ってことだな。
1万年前にタリム盆地に至るなら、完全西方型のケンブリッジ基準配列と一致
するとは思えない。一カ所くらいは違いがでるはずだ。

152 :出土地不明:2006/03/29(水) 22:01:43 ID:Gd5XD6lv
歴史に出てくる最初のインドヨーロッパ語はアッカドの楔形文字で書かれたヒッタイト語だろ。
ヒッタイト人は中央アジアからコーカサスのほうにルーツがあるらしくトルコに進出してそこでオリエントの文字を学んで取り入れるわけだが
インドヨーロッパ語族は文字を持たずに中央アジアからコーカサスにいた、その一部がトルコに行きオリエント文明を取り入れヒッタイトになった。
独立した語族になるぐらい長い期間まとまった大きな集団として社会を形成していた。そこはは砂漠化する前のタクラマカンだった。
てならないかな。
狩猟採集では大きな集団にならないしインドヨーロッパ語がヨーロッパ発祥というのは無理がありすぎると思う

153 :出土地不明:2006/03/29(水) 22:24:49 ID:OphiW1aL
>>152
ってかな、それはじゅうじゅう承知しているわけなんだが。
ハプログループHの拡散の問題があるわけ。なんつってもバスク人に多い
形だ。こいつらがヨーロッパに入り込んだのは、2万年前よりは後で、
で、どっちかっていうと、あとからヨーロッパに入り込んだ農耕民に対して
西の端においやられた連中だよな。狩猟民族だった。おそらく、ソリュートレ
とかマドレーヌ文化とかと関係する連中だ。で、そいつらが、また農耕が
始まったあとで、次第に西に移動してきて、中近東とかまで進出、実際に
インド・北部のインド・ヨーロッパ語族もイラン系もHはかなり多い。
ところが、同じインド・ヨーロッパ語でも、インド・イラン語派ってのは
サテム語の一派で、ヨーロッパ系のケントゥム語派とは違う。サテム語と
言えば、インド・イラン語系以外ではロシア語がそうなんだが。
でね、タリム盆地のミイラについては、当然のことながら、言語がどういう
もんなのか、わからないわけだが、あのミイラの顔と、それとハプログループ
Hのしかもケンブリッジ基準配列と完全一致っていうあたりからすると、
あきらかに西ヨーロッパ型で、さらにいえば、後のこのあたりのインド・
ヨーロッパ語としてトカラ語がしられているが、これが、ケントゥム語
なんだよな。
で、ここから推測される事実ってのは、
1)1万年前の農耕が始まる前のヨーロッパの西部出身の連中で、
2)農耕開始時期にヨーロッパ西部でインド・ヨーロッパ語を話すようになって、
3)サテム語のスラブ系やインド・イラン語派と混ざらずに、
4)どこかすりぬけて、紀元前3000年とかにひょっこりタリム盆地にやってきた。
というようなことが想定できるわけだ。

154 :出土地不明:2006/03/29(水) 22:26:16 ID:OphiW1aL
>>153
修正一カ所
7行目 始まったあとで、次第に西に移動してきて、中近東とかまで進出、実際に 
               東に移動してきて、

155 :出土地不明:2006/03/32(土) 17:53:21 ID:CYBoYcK6
民族大移動の原因はタクラマカン・ゴビの砂漠化。
てことはある?

156 :出土地不明:2006/03/32(土) 22:26:47 ID:CYBoYcK6
語族というものが形作られたのは農業の始まったころだよな。
メソポタミアやエジプト、インダスは高度な文明が発達したけど
タクラマカン・ゴビでもそこまでではないけど独自に発達した文明が出来た。そこではなされていた言葉がインドヨーロッパ原語だけど文字は無く文化的蓄積ではオリエントに遅れた文明ながら小麦の栽培や牧畜酪農では最も発達していた。
それが砂漠化で南西への移動を強いられヒッタイトになり後にペルシアやギリシアになった。
インドやヨーロッパの現地人も中央アジアから来た人たちの言葉を取り入れるようになり印欧語が広まった
んじゃないか

157 :出土地不明:2006/04/02(日) 05:07:24 ID:UAcqtyTr
>>147
海水が河川となれば摩擦から凄い電磁を帯びて

周辺人民は病気になるだろ〜

158 : ◆95x9ND0k52 :2006/04/02(日) 06:20:16 ID:ecsl43pm
     _l.^^^^^^ー。.
  ,,,,^-,  -^.ヽく_ ヽ
  ^        ゝ
           .ヽ  、
             t_ `、
             ]。 .\,,,,
             .ヽg_ .llilililii.i.;;;;llllllggg,,,,__
              ]i;i;i;i;lilii;i;;;;;i.i.i;i;i;i;i;i;[゛゛゛^ヽ、
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                ;; .."メ(,,,,ggi;i;i;i;!       ;;;;i.i.;;;;;,;,gg,,,,__
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              4l..;   .;/[  `、      .. ...
              ):l,,、.. "[,,f「..、  .l、
               ゛  ./V   .;gll]ll-.
                -^ /   .;f]^[゛
                     ](.ld .\
                     ヽ "
                              .l。.
                             __.;7[.ヽ"
       ^ -^ ------  --l:---.---.--   ^^^r「
              テラヨミニクス[Terajominychus Chobundares]
         (1億4千万年前〜9千万年前 白亜紀 ローラシア大陸)

VIPPERの漏れが華麗に創作

159 :出土地不明:2006/04/03(月) 21:58:56 ID:3uuacP8s
>>156
そう思いたいところだがな。
ところが、タリム盆地のミイラのmtDNAの型と、ついでに、後にその地域で
話されていたトカラ語の系統から考えると、紀元前2000年よりすこし前に、
どっちかというと、西ヨーロッパからやってきた人々ということになりそうだ。
すくなくとも、インド・ヨーロッパ語のインド・イラン系やウラル山脈くらい
まででてきていたスラブ系などとは違う系統だろうと思われる。

160 :がいやまん:2006/04/13(木) 10:25:17 ID:eACfSFnC
隣接する楼蘭のミイラと埋葬形態が類似するという。楼蘭はBC1800年頃。
出土したコーカソイドが典型的であったのかについての発表はない。
印欧語族については最近アナトリア(小アジア)故土説が再燃しているようだ。
今回の柩はサットン・フー等の舟型葬とは全く違い前後を柱で留めた舟形木枠
を横木で覆い、その上から牛の生皮でくるんだもの。欧州・黒海北岸では前例はない。
帽子の形態はフリギア、シュメール、古代中国、日本の烏帽子に近い。牛の両角は
バルカン農業文化と似ている。アーリア系に特徴的なコーカサスカタコンベ墳墓の
影響が見当たらない。崑崙山脈の蛇文石の玉が使用され、殷との距離的近さを感じる
がブロンズブローチはかなり古い青銅器時代の感じがする。6倍体パンコムギは当時の
中国、夏時代、とはしっくり行かない。やはり隣接するオクサス(アラル海)文明との
関係を考えざるを得ない。中国神話の神農・蚩尤・共工・羌などへのImplicationと
後のオルドス・遼寧青銅器文化への影響も視点に入れて考えて行きたい。
特に重要なのは斉・蘭陵王の伎楽の仮面の祖形ではないかと見られる仮面である。


161 :がいやまん:2006/04/13(木) 10:47:29 ID:eACfSFnC
漏れが驚いたのは高度な木工技術である。ただ、メンドリしてあり、鉄器を使用した
とは考えにくい。チョウナのようなもので削ったようであるが、丸みを帯びて、アイス
クリームをスクープしたような感じだ。鋭利な石器かあるいは青銅器であろうか。
ポプラというから下駄のような材料なんだろう。あの砂漠地帯でこんな技術がある
というのは、太古には森林地帯であったということであり、これがわれわれの想像を
絶するところだ。いわゆる森林ステップというようなファウナであったのであろうか。


162 :がいやまん:2006/04/13(木) 10:57:11 ID:eACfSFnC
また、ヒトガタが埋葬されており、顔が削られ、赤くX字が描かれていたという。
これが、荒神谷等の銅剣に刻されるのとアプリケーションが似ている。また、
類似したものとしては信州に残るチャンスンが同じく赤く塗られ、顔は平たく
削られている。できれば幼児、若い女性の死因を調べ、疫病の痕跡を発見して
貰いたいところである。

163 :がいやまん:2006/04/13(木) 11:10:32 ID:eACfSFnC
更に、付言すると6-8角の柱は日本では小さな護符とされており、上にある
ぎざぎざも辟邪の意味がある。全体的に見られる生殖器強調も日本の稲作
行司に影響を与えた可能性がある。この文化は中国北辺から朝鮮・日本に
入ってきた可能性は大いにあり、馬韓の月支国、新羅の古墳、インドとの関係、
斉明朝の百済からのトカラ人(スメール山築造、アーク石橋などの石工技術)
を掘り返さなくてはならない。銅鐸に残る蚩尤のごときシャーマン、箸墓古墳
と兵主、アメノヒボコ、秦氏、広隆寺牛祭り、スサノオ牛頭天王等も見直そうと思う。

164 :がいやまん:2006/04/13(木) 11:19:51 ID:eACfSFnC
西都原古墳に残る伝承でも地元豪族が渡来の鬼に古墳を作らせてその石を
盗んだというようなのだあるが、巻向の古墳も新羅方面からの難民であるアメノ
ヒボコに作らせ、つまり、スメール(ヒモロギ)を作らせ、後に辺境地帯に追払ったの
ではないかという感じがする。

165 :がいやまん:2006/04/13(木) 11:22:35 ID:eACfSFnC
BC1800年頃、アルタイのアファナシエフ文化に代わり、オークニュボ文化と
高地性集落文化が始まる。

166 :がいやまん:2006/04/13(木) 13:19:10 ID:sXQPSz9y
スマソ、ちょっスーパーにお使いに出ていた。要は三韓というのは月支国であり、
方位的に午、巳、辰の3つの地方に分かれる。ミマナというのは崇神天皇の直轄地
ではなく巳の方角の地方という意味だろう。漢籍というのはあまり信用できない。
しかし、山海経の倭、とか、須弥山に似た山の信仰は当時の燕の地方の実態とか、
宗教内容を反映していると思う。ポイントは石板墓、箱式石棺墓、ケレクスル文化を
もったものが三韓経由九州北部に後漢末に上陸したということ。また、元に返るが
三韓の成立は冒頓単于による月支分解後南下した月支族によって中国西北の民、
文化と満州の民つまり、天孫と地祇の百種の民、百済によって成り立っていたので
あろうということである。あ、またお使いに行ってくる。

167 :がいやまん:2006/04/13(木) 15:29:58 ID:r8rNWZcS
話は変わるが、満州朝鮮にかけて設置された漢四郡の中身は長城の内側に取り込
まれた異民族が多かったのではないかと思う。しかし、ステータスは漢の民であり、
三韓の連中とは格が上であったはずで、この辺にも天孫地祇の差別構造があったの
かもしれない。

168 :出土地不明:2006/04/13(木) 16:16:23 ID:z4xnnkda
.


169 :出土地不明:2006/04/14(金) 14:19:20 ID:jlGMkKxl
ロプノールや楼欄からは文字は出てこなかったんだろ?
印欧語属だというのは推測の域をでないわけだ。
灌漑農業で小麦を栽培し牧畜を営む人たちが古代まだ砂漠化しきっていなかったタクラマカンにいた。タクラマカンは高い山に囲まれているから他の地域との交易や行き来は滅多にできなそうだし他の地域からは独立した言語だったかもしれないよな。
あと印欧語がアナトリア起源というのはおかしくないか?
アナトリアの印欧語属のヒッタイトはオリエント文明の文字や神話を覚えて使うようになるが
それまではもっとオリエント文明の影響の薄いところにいたんじゃないか?言葉はあるけど文字はないという状態で

170 :がいやまん:2006/04/14(金) 16:03:59 ID:xCPdy6Or
文字もないため、印欧語族とは推測すらできない。シュメール、ドラビガ等の
膠着語族かもしれない。あるいは、エトルリア、バスク等のような言葉であった
のかもしれない。最近発見されるアーリア系の遺跡でも古墳の様なものがあるよう
だし、イラン系とされるスルーブナヤ(クルガン)文化は木槨墳。しかし、後世の
月氏の墳墓、埋葬形態についてもあまり情報はないようだ。

印欧語のアナトリア起源というのは最近の遺伝子研究者間ででているようであるが、
基本的に小アジアにアナトリア語(ルビア、ヒッタイト等)が来るのは、バルカン方面
からだとされてきており、漏れも、これまではドナウ川の下流域かなと考えてきた。
ヒッタイトの神話はオリエント系ともいえるくらい中近東の影響を受けていると思う。

タクラマカンは各種民族の交差路であり、このミイラ以後少なくともイラン系の影響
は受けているのではないかと思う。が、トカラ語とするのは塩基配列を一基除いては
ケンブリッジ標準H型はプロタイプということが、ある時期に西欧系と別れてMutation
を起こした、ケンタム系に近かったと考えることもできるのではないかと思うのだが。

171 :がいやまん:2006/04/14(金) 16:28:13 ID:xCPdy6Or
イランの人で、雲南の舟形木棺墓との関連を示唆する人があったが、雲南のは
日本の初期古墳時代の舟形木棺同様であり、丸木舟だ。それに引き換えこれは
木槨墳同様枠だ。全然違う。しかも船の形をしており上から見ただけではエジプト
のミイラのような形だ。クルガンの家型構造とも違う。あれは概念的に信州の
石積墳等になっているのかもしれないけど。

172 :がいやまん:2006/04/14(金) 18:45:10 ID:7imZqZc0
パンコムギ、牛、羊、木工技術等の全ては大きな文明を暗示する。インダス
文明であればモヘンジョダロ・ハラッパ遺跡に相当するものが発見されてもいい。
しかし、後100KMで楼蘭に達するという地点で何も残されていない。これは
Tiny boats to China emergingといった環境異変のための意図的な移住であったの
かもしれない。すると、西方のアナウ文明、インダス文明の消長との関係における
環境学的考察も必要となってこようか。

173 :出土地不明:2006/04/15(土) 22:37:06 ID:EybsoX/t
ヒッタイトはカスピ海のほうからトルコにいった。
と「鉄を産み出した文明」大村幸弘著で書いてあったと記憶してるが
最近の研究だと違うのか?

174 :がいやまん:2006/04/16(日) 08:18:19 ID:LtRPOyZX
それは初耳。ただ、鉄の方はシリアがヒッタイトより早く、ヒッタイトは黒曜石と
交換してその鉄を入手していたのではという最近の説は見ている。ただねー、
タタラ遺跡のような製鉄遺跡が発見されたとか、鉄原料が砂鉄なのか、鉱石
等は情報がないようだった。言語学的にQケルト、Pケルトといったケンタム系
の大筋が西方に拡大するので、トカラの東方進出が奇異な感じがし、カスピ
海周辺にヒッタイトがいたとするのは非常に興味があるので関係情報はほしい。

175 :がいやまん:2006/04/17(月) 09:00:28 ID:om9fppcO
印欧族拡散については↓こんなものかとも考えてはいたが
http://www.ship.edu/~cgboeree/europa1sm.gif
漏れは逆にアナトリア中心、つまり、アルメニアの方からフリギアに
入ると考えるのもありかなと。

176 :出土地不明:2006/04/18(火) 14:48:48 ID:j6zVmBgJ
「鉄を産み出した文明」ではヒッタイトがトルコに進出する前からそこにいたプロトヒッタイトがもともと製鉄を行っていたが
ヒッタイトはシリア側の山岳地帯のほうに製鉄技術をもった人たちを隔離して製鉄技術を独占していたのではないかと述べていたような気がする。
まあ専門書じゃないうえに古いからな
タクラマカン砂漠も全部掘り返せば砂の中から大規模な住居群の跡とか出てくるはずなんだがな。
水が利用しやすかった場所ほど砂にも埋もれやすいだろうから発掘は無理だろうな

177 :がいやまん:2006/04/20(木) 10:35:18 ID:paw5Daz9
やや外れるが
http://www2.memenet.or.jp/ntrc/M99/M9906.html
こういうのもある。

178 :がいやまん:2006/05/12(金) 11:22:44 ID:jXbtoUrw
>>176
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067442984/menu:224
やはり、シリアから来たようだ。

179 :がいやまん:2006/05/12(金) 11:32:10 ID:jXbtoUrw
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1067442984/menu%20224
何だ、うまく出てねねーじゃん。

180 :がいやまん:2006/05/12(金) 11:34:29 ID:jXbtoUrw
変だなー、インターネットエクスプローラではちゃんと出るがなー。

181 :出土地不明:2006/05/12(金) 23:31:58 ID:2ytcfRn9
ヒッタイトは、ぱっと言語をみたかぎりでは、インド・イラニアンでも
ないし、たぶん、後のスラブ系とも無関係そうだから、おそらくケントゥム
語派だと思うのだが。年代としては、ヒッタイトよりもタリム盆地の住民の
ほうが古いわけだが。
ただ、見つかったミイラは、たしか、遺伝子からするとアジア系とされる
系統とヨーロッパ系が混ざっていたとのことだ。見た目があきらかに
白人的な場合でも、mtDNAのタイプはアジア的であったり、その逆であった
りもしたらしい。とにかく、mtDNAのデータはかなり出ているようだから、
データはさがせばあるだろう。

182 :がいやまん:2006/05/13(土) 08:03:08 ID:iSHDy+cC
>>151
「うーん、そこまで古いとは思えないな。
mtDNAの解析で、シルクロードのタリム盆地からのミイラは、ハプログループ
Hの基準配列そのものが出てきた。ってことは、西ヨーロッパの人種であって、
実際のところ、インド・ヨーロッパ語族よりも前に、ヨーロッパの西の端に
進出していた狩猟民の系統だ。まあ、ヨーロッパ全土では一番多く、また、
バスク人もこの系統だ。まあ、インド・ヨーロッパ語が話されている地域と、
それから、中近東のセム語の話されている地域(エチオピアとかもふくめて、
北アフリカも)は、H,U,Vの系統が多い。まあ、これが白人系の主流なんだが
ってことは、あのタリム盆地の美人ミイラは、まあ、ユーラシア西方型で、
インド・ヨーロッパ系だろう、ってことだな。
1万年前にタリム盆地に至るなら、完全西方型のケンブリッジ基準配列と一致
するとは思えない。一カ所くらいは違いがでるはずだ。 」
>>181
年代的にタリム盆地のはヒッタイト以前、当時の後の印欧語族地帯で発見される
舟形闘斧等の出土はなく、それよりも、非印欧系のトリポリエ・ククテニ文化に見られる
牛の角、フリギア人の烏帽子、写真はないが小河墓で発見されたとする泥封棺は
エジプト、中国南部のヤオ族等で若干見られる。墓標は日本では信州、韓国では
ソッテとされたりするものとにており、奥尻島等の墓標のあり方に通ずる。仮面は
天狗、ナマハゲに似た蘭陵王型のものではの大きさ、鼻の高さを強調している。
玉の衣服への縫い付けは後漢書韓伝にある馬韓の玉の縫い付け方そのもの。
羊、牛の群れを保有していたであろうことは夫余のような多角的牧畜社会を感じ
させる。ちなみに棺の形状は略聖書にある箱舟と同じ形。こうした舟形棺は中国
南部にある。新羅のインド姫の磐舟、日本の物部磐舟を想起さす。漏れとしては
かれらはチベット・雲南・陝西・アルタイ方面経由後には満州・朝鮮・日本にも影響
するものと見ている。

183 :がいやまん:2006/05/13(土) 08:41:13 ID:iSHDy+cC
斎明、推古朝には百済方面からの亡命も多くトカラ人、白人もきているが、病気を
もっていると見て島流しをしたようだ。トカラ人は病気ではなく、動物にも白いのは
いるように人間にも白いのはいる。助けてくれたら須弥山を作ってあげようという様な
ことをいったらしい。トカラ人を居住国まで送ったといった記録もある。日本には巨石
遺跡として不明なものは室戸、五島列島にある。土佐では犂が大陸型の右側排土だ
とかいう。トカラ列島にはやたらと羊、牛、馬などが多い。島流しされたのではなかろうか。


184 :がいやまん:2006/05/13(土) 08:52:08 ID:iSHDy+cC
鹿児島県のホームページによればカゴとは金のことらしい。するとカグツチとは
ハンマーのことになるが、銅鐸には蚩尤のようなカセのようなものを持つ神様が
よく描かれていた。例の闘斧は頭が二つになり、交差され、インドラハンマーと
してインドに入る。銅鐸に描かれるカセ状のものは頭が2つのハンマーつまり、
カグツチと解釈すると、銅鐸文化の守り神カグツチは母の産道を焼いて死に至らしめた
罪により、イザナギに切り殺される意味が出てくると共に、カグツチの多くの子孫
も冷や飯を食わされたであろうことがわかる。

185 :がいやまん:2006/05/13(土) 09:10:58 ID:iSHDy+cC
韓国方面からのものとおもわれるが↓
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1623000/20060329114364149102522500.jpg
こういう地図を発見したが、これは小河墓遺跡がどこから来てどのように発展するかを
うまく言い表している。

186 :出土地不明:2006/05/13(土) 16:00:05 ID:crz1izhu
>>183
ってことは、敦煌文書のトカラ人と、日本のトカラ列島は関係ありって
ことなのか?敦煌文書の時代ってば、8世紀か9世紀かそんくらいじゃ
なかったっけ?もっと後か?斉明期はよいとしても、推古ってのは古すぎ
じゃないか?

187 :がいやまん:2006/05/13(土) 17:04:44 ID:brEppqz5
「日本書紀、推古20年5月の後」
この年、百済から日本を慕ってやってくるものが多かった。そのものたちの顔や体に、
白斑(まだら)や白癩(しろはた)があり、その異様なことを憎んで、海中の島に置き去り
にしようとした。しかしその人が、「もし私の斑皮を嫌われるのならば、白斑(まだら)の
牛馬を国の中に飼えないではないか。また私にはいささかな才能があります。築山を
作るのが得意です。私を留めて使ってくだされば、国のためにも利益があるでしょう。
海の島に捨てたりして無駄にしなさるな」といった。それでその言葉をきいて捨てない
で、須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築くことを命じた。時の人はその人を名づけて
路子工(みちこのたくみ)といった。またの名を芝耆麻呂(しきまろ)といった。

188 :がいやまん:2006/05/13(土) 17:22:21 ID:brEppqz5
「日本書紀、斎明3年秋7月3日」
トカラ国の男2人、女4人が筑紫に漂着した。「私どもははじめ奄美の島に漂着
しました」といった。駅馬を使って都に召された。15日に須弥山を像どったものを、
飛鳥寺の西に作った。また、盂蘭盆会を行われた。夕べにトカラ人に饗を賜った。

189 :がいやまん:2006/05/13(土) 17:35:40 ID:brEppqz5
「日本書紀、斎明5年3月10日」
トカラの人が妻の舎衛の婦人と共にやってきた。甘橿丘の東の河原に須弥山を作って、陸奥と越の蝦夷を饗応された。
・・・これなんかトハリスタンのトハラ人とインド人のカップルとしか考えられない。

190 :出土地不明:2006/05/13(土) 17:47:41 ID:va3HRdw+
それライ病じゃないんですか?


191 :出土地不明:2006/05/13(土) 18:05:50 ID:va3HRdw+
舎衛の舎とはシャーのことでしょうか?

192 :がいやまん:2006/05/13(土) 19:02:37 ID:BL7464PG
舎衛
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
ここでサーチかけてください。


193 :出土地不明:2006/05/13(土) 19:41:48 ID:va3HRdw+
コーカソイド系の渡来人がいたのは間違いなさそう。
彼らの子孫は今でもいるのか・・???


194 :出土地不明:2006/05/13(土) 21:54:40 ID:fId4wTvH
>>193
ってか、大仏殿とか作ったときに、イラン人(ペルシア人)の大工がいた
ことは、正倉院文書から明らかになっているんだがな。
日本の奄美に近いトカラ列島と、タリム盆地のトカラ人ですか、うーん、
ちょっち違うような。

195 :がいやまん:2006/05/14(日) 08:02:36 ID:toDt+i3B
馬韓に月支国があり、月支国王は出雲に来襲したとする伝承が出雲の日御碕神社に
のこること。
http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/youyaku/12-1.htm
韓国にはスキタイ時代の西域の遺物が出土するが、これも匈奴に滅ぼされた
月支の一部が南下したと考えるとつじつまが合う。
この月支という民族が、小河墓遺跡の末裔であるという可能性もありえる。
新疆ウイグルの古代遺跡からの羊、馬、牛等のDNAと現代のトカラ列島の羊、
馬、牛のDNAの比較ができれば面白いと思うのだが。

196 :がいやまん:2006/05/14(日) 08:13:59 ID:toDt+i3B
>>187 >>188 >>189
この須弥山というのは同時にアーク橋などが建設されているようなので
多分
http://www.donggu.ulsan.kr/jpn/tourism/tourism3.html
http://www.donggu.ulsan.kr/jpn/tourism/img/dongchuksa_photo2.jpg
こんなものではなかったかと思う。

197 :がいやまん:2006/05/14(日) 08:27:16 ID:toDt+i3B
http://inoues.net/korea/korea_tenma.html
伽耶の遺物や正倉院の御物を見ると月支が抑えてて来たシルクロードの権益は
匈奴によって破壊されたのではなく、ガンダーラ、クシャン王朝から伽耶、倭国
の間で生き続けていたのではないのかという気がする。

198 :がいやまん:2006/05/14(日) 10:41:43 ID:toDt+i3B
>>188 >>189
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69913&servcode=700§code=700
http://www.geocities.jp/sailorsladyluck/2005.KAMO.kyoto.html
斎明天皇にはまことに失礼なこととは思うが、無粋な現代人が再現してみると
須弥山建設後の打ち上げ式とはこんなものであったのかと。↑

199 :出土地不明:2006/05/14(日) 12:32:25 ID:b9AXBE/u
>>195-198
だから、中国にクシャーン朝(インド・ヨーロッパ語系)の影響があったりすることは
あるだろうし、朝鮮半島にスキタイ系(これも、部分的にはインド・ヨーロッパ語族)
の要素が入る可能性もあるが、時代として、タリム盆地のミイラ群はもっともっと古い
わけ。少なくとも1500年くらいの開きがあるのだ。
タリム盆地のミイラ群の文化は、あからさまに、新石器時代の文化であって(あるいは
せいぜい、銅石器時代)、起源前後の話とは違うのよ。
で、トカラ語の話は、またまたたかだか8世紀とかそのくらいの話で、さらに後のこと。
そのあたりをきっちりやらないと、むちゃくちゃな話になるよ。

200 :がいやまん:2006/05/14(日) 12:39:31 ID:toDt+i3B
おっしゃるとおり、ちょっと大風呂敷l広げすぎた嫌いがあるんだね。ちょっとこれを↓
http://dienekes.blogspot.com/2005/09/stop-presses-huge-papers-on-brain.htm


201 :がいやまん:2006/05/14(日) 12:41:55 ID:toDt+i3B
スマソ、おかしいな
http://dienekes.blogspot.com/2005/09/stop-presses-huge-papers-on-brain.html

202 :がいやまん:2006/05/14(日) 12:58:19 ID:toDt+i3B
このURLに2つのパプログループ移動の地図がある。
この地図で23-36>43というような民族移動があるということが
わかると思うが、28>43については考古学的に箱式石棺墓という
埋葬形態でトレースできる。こうしたハプログループの移動で
今後何か判明するかもしれない。

203 :出土地不明:2006/05/14(日) 13:10:17 ID:wljRe1sV
>>202
あっちこっちに書いているけれど、非常に古い段階でのヨーロッパにおける
後期旧石器文化のオーリナシアン文化から、グラヴェッティアン文化への
変化については、あきらかに、ハプログループU から、X のヨーロッパへの
侵入と関係があると思っている。このことは、あまり、書籍などではかかれて
いないのだが。もともとのオーリナシアンのヨーロッパへの侵入の時期は、
ハプログループUができた段階とおおむね一致する。それに対して、
Xは、発祥の地は、黒海北岸であり、時期は、3万年前で、これも、
グラヴェッティアン文化の始まりの時期と一致し、さらにそれがヨーロッパ
へ入っていく様子もわかると同時に、2万年前以降、シベリア方面でも
同類の続グラヴェッティアン文化が進展していく様子もある。これらが、
複合して、アメリカに入り込み、アメリカ大陸におけるクロービス文化
とも関係するのではないか、と思う。クロービス文化と非常ににた、
フランスのソリュートレアン文化は、クロービス文化よりも5000年
は古いわけだが、クロービス文化も、ソリュートレアン文化もどちらも
グラヴェッティアン文化を母胎としている可能性もある。
ということで、旧石器文化については、こういう解釈も可能だとは思う
けどさ、いくらなんでも、箱式石棺墓なんていう、たかだか2千年前
ぐらいの話ってのは、ちょっと違うと思うぞ。
だって、新石器時代のタリム盆地のミイラですら、ハプログループに、
たしかに、ヨーロッパ系的要素(ハプログループHの完全西ヨーロッパ版
がみつかったことは事実だが)はあるけれど、アジア系のものもおおいに
混ざり込んでいるっていうから、もうその数百年後には完全混成民族と
なっていただろうよ。ユーラシアは一応、それぞれのハプログループの
発祥の地とか、その分散の中心とかは定義できるけれど、あとはほとんど
グレースケールだから、ハプログループの移動で、紀元前後の文化の
流れを追いかけるってのはちょっと無理だと思う。
それに、mtDNAのハプログループの伝搬なんぞは、民族内のハプログループ
比率が近いからといって、民族的に近いとかいうことがいえないのが
問題だ。そのあたりは、もしかしたら、HLAなんかのほうが使える可能性
もある。ただ、これも、免疫系とのからみがあるから、なんらかの病気が
一発はやれば、頻度は大幅に変わってくる。
とにかく、このあたりは、かなり微妙なことがあるので、正確な遺伝学
の知識が必要で、かつ、それらが学者の間でもコンセンサスがとれるよう
になっていくことが重要だと思う。

204 :がいやまん:2006/05/14(日) 13:49:24 ID:fUlxu6tL
まさにおっしゃるとおり。あのハプログループは小頭症とかのものであり、
ミトコンドリアとか、性染色体とかに関するものではない。が、あえてこれに注目
したいのはミトコンドリア、YAP等では2万年とかのスケールになってしまい、新石器
から青銅器、古代文明期にかけての遺伝子の流れを解明できない。従ってあの地図に
飛びついたもの。問題あるかな。

205 :出土地不明:2006/05/14(日) 14:01:43 ID:wljRe1sV
>>304
mtDNAも、精度は、1万年程度の解像度しかないはずだよ。そうとう細かく
わけたところで、たかだか5千年だろうと思う。

っていうか、だいたい、歴史時代っていうのは、まあ、文明のあるところで
は、紀元前後には始まっていて、そのころからは文献資料で歴史はおいかけ
られるが、mtDNAやY染色体で遺伝子情報でわかるのは、それ以前の、
氷河時代から、現代にいたる数万年の人類移動をある程度トレースできる
可能性があることなんだよ。
そのクリティカルな時期に、人類がアフリカを出て、そして、最終的には
アメリカ大陸にまで渡った。それから、最近の話では、すでに地域ごとに
mtDNAやY染色体のハプログループがだいたい固定されたあとで、ヨーロッパ
人を中心とした人々の大移動があって、それも、歴史的文献以外の形でトレー
スできるようになってきた。
たとえば、ポリネシア人の場合、mtDNAは、保守的でポリネシア的なものが
ほとんどだが、Y染色体については、ヨーロッパ系が半分程度になっている
のが現状だ。男ばっかりヨーロッパからやってきたということだろう。
で、もちろん、子供つくって、ほったらかしで帰ったやつが多かった。

私としては、さしあたり、グラヴェッティアン文化の流れをおいかけて、
そこから、ヨーロッパと、北東アジア、日本と、アメリカ大陸を結ぶ、
超氷河時代文化、文明みたいなものを、多少フィクションもまじえて、
壮大に構築したいと思っているわけ。mtDNA のハプログループXの話
だけどね。あの時代(3万年前から2万年前)にあれほどの広い範囲
に移動した人々もいないしね。たぶん、壮大な氷河時代のストーリー
が描けると思っている。彼らの一部は、インドネシアにホビットが
いたことも知っていたかもしれない。

206 :がいやまん:2006/05/14(日) 15:44:49 ID:qVO3rzpj
結構ですね。是非テレビ向けに作ってください。何ならお手伝いさせてもらいますよ。

207 :がいやまん:2006/05/15(月) 18:01:33 ID:Nmz3TwYP
ウルルン滞在記、ミャンマーの奥地未開部族のドルメン石引祭り、牛の角
の飾り、アワの主食、酒、仇討ち等やっていたが、吉野ヶ里より相当遅れている
様子だった。支石墓の起源などを考えると意義深いものであった。コメンテータ
に考古学者のいないのが寂しかった。

208 :出土地不明:2006/05/15(月) 18:07:49 ID:4UBW4dA2
見逃した。
それ時々チェックするか・・

209 : ◆7LCq.TWmIs :2006/08/11(金) 07:19:26 ID:S0VAwomI


210 : ◆GvlSrCrc/w :2006/08/11(金) 07:20:55 ID:S0VAwomI


211 :出土地不明:2006/08/11(金) 23:34:06 ID:dzEHpe3y
昨日のNHKの砂漠番組
巨大な砂嵐、ばった、飛び上がって虫を捕るとかげ、
カンガルーの体の冷やし方、
となかなか面白かった。
砂嵐のため撮影チーム2ヶ月待機って、
視聴料何ヶ月分使ったんだろう、節約よろしく

212 :出土地不明:2006/08/27(日) 17:57:12 ID:uHTBk+cu
グーグルアースでみたらタクラマカン砂漠にはわりと大きな湖が点在しているようにみえる。
古代にはカスピ海みたいな湖があったのかな?
砂漠化は年々進行しているようだが

213 :出土地不明:2006/08/27(日) 21:13:03 ID:NDcq35hX
[sage]って…

214 :出土地不明:2006/08/27(日) 21:53:01 ID:uHTBk+cu
ヘディンの頃わりと大きなオアシスだったのが今は砂漠化して廃墟になっていたり
以前は大規模に遊牧ができていたのがほとんどできないとかあるようだし
ロプノールにしても当時は灌漑農業で小麦を栽培していたようだしきっと石器時代ぐらいまでは肥沃な土地だったんだろうなとか思うんだが
砂に埋もれて分からないよな

215 :出土地不明:2006/08/29(火) 21:50:28 ID:EIAPPc/a
ものすごい量の人骨が埋まっているわけだろ、あのロプノールのあたり。
それだけの時間、ちゃんと麦作やってくっていけたし、牛もたくさんいた
わけだ。もっとも、彼らが後のトカラ人になったなら、2千年以上の間、
しっかり、どっかで暮らしていたわけだけれど。

216 :月光仮面:2006/08/30(水) 08:13:28 ID:wdAneu1s
トカラ語文書は敦厚に残ったが、それを話した民族は不明。サカ族というイラン系とされる民族と一緒に
なったのか。推古、斎明期にトカラ人の来朝が相次ぎ、白人種であること、インド系(クシャン王朝系か)
と同行していることがわかる。白人種としては坂上氏が有名だがこれはサカ族のような名前だ。バクトリア
地方のトカラ人の特徴は三韓同様幼児の頭上に石を載せ、頭蓋を平たくすることだ。馬韓月支はトカラ
人であろう。他方、アルタイのサカ族は峡谷、つまり、清水寺、石上神社のような立地、防御、水源としての
山地を好むようだ。エフタルも同様。すると、背振山系周辺に展開する甕棺墓文化も似たところがあるが
その人骨が白人系といった話はない。しかし、背振山系には須弥山(スメル→ソモリ→ソフリ→セフリ)、
アルタイ(金山)、天山、ジュンガルなどを想起さす南麓の地名がある。つまり、中国北西の新疆ウイグル
方面からの渡来者が命名したのではないかとも思われえる。

217 :月光仮面:2006/08/30(水) 08:20:50 ID:wdAneu1s
>>215
新疆ウイグル方面かな。

218 :月光仮面:2006/08/30(水) 16:46:25 ID:07gkxTm0
>>216
竺法護など敦煌周辺にいた月支族は優れた言語能力から見て、好戦的スキタイ文化担架者とみられる
サカ族とは別の古い民族ではないかと見られ、これが敦煌にトカラ語を残したものであろう。

219 :出土地不明:2006/08/30(水) 22:07:10 ID:7k3/nzQp
>>216-218
それだと、>>110と矛盾するんだよね。
スキタイ(あるいはサカ)についてはわからないけれど、中央アジアからアジア
にかけてのインド・ヨーロッパ系っていうのは、ほとんどまったく例外なく
サテム語派だ。だからどうしたってことでもないんだけれど、よって、系統が
違うから、トカラ語が、周囲の現在に残るインド・ヨーロッパ系と同じ系統
の民族ではない、ってことだ。

220 :月光仮面:2006/08/31(木) 07:35:36 ID:jXSY+0B5
>>219
NHKの「シルクロード」で見たんだが、小河墓遺跡の美人ミイラは北欧、ノルディック、そのいでたちは
アルプスの少女ハイジ、パリのファッションと言ったもので、遺伝子系統はケンブリッジ標準に近いと
されている。葬礼は同時期の黒海北岸から東方のサテム系文化圏、クルガン(木槨墳)地方には全く
見られないもので、死装束は、グリム童話の赤頭巾のかぶるとんがり帽子(フェルト製)を身に付けて
おり、フリギアとか、後の秦始皇帝兵馬俑の戦士の戦闘帽、日本の烏帽子、死装束三角巾と共通している。

221 :月光仮面:2006/08/31(木) 07:48:45 ID:jXSY+0B5
>>220
もし、言語系統がそれ以前ににアルタイ西麓にあり、この頃には南方に移動中であったと見られる
アファナシエフ文化のものとすれば、葬礼は黒海沿岸をトリポリエ・ククテニ文化を破壊しながら
バルカンに進入するサテム系、インド・イラン/アーリア系と似ていたはずであるが全くそうでない。
このことは、もし、赤頭巾の帽子が意味することを考えると、ゲルマン・ケルト・ギリシャ・アナトリア
言語と同じケンタム系である可能性が高く、当時はヒッタイト出現より700年も前のことであることから
トカラ語では内科と考えられる。

222 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:14:54 ID:AaD8M4K6
南西アジア系の書き込みであったと思うが、小河墓の木棺を南西中国の舟形木棺と関連する
のではとするのがあった。確かに、崑崙山系の玉を交易で得ていることから、および、その後
この地方の原住民である羌系が西蔵・雲南に南下することからそれもあるかなとは思ったが、
漏れとしてはアララト山の箱舟遺跡と縦横のサイズが似ている。聖書の記述のノアの箱舟
とも縦横サイズが似ているのではないかと思った。これは後代月支族が祁連山/天山に拘泥
することから、彼らがヒッタイトに近いバン湖、アララト山崇拝を行っていた民族ではないか、
そして、それが周辺の羌・テイ・匈奴の先祖に影響を与え、石板墓が生まれるのかなとも考えた。

223 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:25:53 ID:AaD8M4K6
しかし、小河墓の木棺は舟形の逆、屋根型である。そして堅魚木が蓋いとなっている。
棟持柱となるものがついている。鼻のとんがった、歯を以上に強調した魔よけのお面は
北斉(ほくせい)(550ころ)の蘭陵王長恭のお面、天狗、ナマハゲ、墓標は修験道関係
の魔よけ同様六角形が多い。韓国とか信州の木の柱を削り、面を赤く塗る様式のもの
がある。これはこの文化が後の匈奴圏に影響を与えたことを示すのではないかと思う。

224 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:35:56 ID:AaD8M4K6
中国に対しては夏の時代ではあるが、彩陶、後の殷の青銅器文化に影響を与えたことが
考えられる。これは小河墓が生活空間ではなく墓地であり、生活用具が一切発掘されて
いないため、彩陶があったのかなどは全く不明だが、この小河墓遺跡より更に1500年
ほど前からトルクメニスタンのアナウにおいて出現する狩猟・農耕・牧畜文明があり、
その一部として彩陶がある。これは後の北方からのイラン系の侵入によって無紋土器
にと変化すると言う。こうした彩陶が墓地空間から出土しないといって中原の文化に
影響を与えなかったとはいえない。

225 :月光仮面:2006/08/31(木) 10:44:22 ID:AaD8M4K6
日本に鉅燕というか、オルドス、内蒙、遼寧方面からこうした文化が流入するのは、燕人衛満が南下したのと
同時期であり、月氏自体も小月氏としてその中に入り馬韓に到達、月支国を作ったのであろう。

226 :月光仮面:2006/08/31(木) 19:27:24 ID:fYVTArQE
【庄内〜】畿内王権の成立・ぱーと4【〜布留】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1110528217/l50menu:126
ここで言う
V.YAPが−・47ZがY1・SRYがT・DFFRYがC・12f2欠損が−(=有る)
W.YAPが−・47ZがY2・SRYがT・DFFRYがC・12f2欠損が−(=有る)
これが半島では衛氏朝鮮、原三国、列島では倭人となる。その支配層として百済時代まで
半島にとどまり飛鳥時代に渡来するのがトカラ人ではないか。

227 :出土地不明:2006/08/31(木) 22:38:41 ID:8bz3BNcY
>>220-225
まあ、いろいろ書かれているけれど、
まず、タリム盆地の墓地遺跡から大量にみつかっているいかにも、
コーカソイドとされるミイラについては、mtDNAが、ケンブリッジ基本
パターンに一致しているので、ハプログループはHだ。ヨーロッパで
一番多いタイプ。バスク人などにも多いことから、ヨーロッパで農耕
が始まる以前の狩猟民族の子孫とされ、ヨーロッパへ入ったのは、
2万年前よりは後の、氷河時代ごろとされる。ただ、H型は中近東から
中央アジアにも広がるタイプであるから、この点では、イラン系や、
インド北部系とも一致することになる。
タリム盆地において麦作農業をしていたことが分かっているので、基本
は中東から東ヨーロッパあたり、さらには中央アジアあたりからきた
人々であろう。
まあ、これだけだから、トカラ人とのつながりはわからない。
かなり特殊な文化をもっていたように思われる。
ただ、墓地から発見された人々がみなヨーロッパ系のmtDNAであった
わけではなく、アジア系もかなり散見されるというからみためよりは
ずっとまざった民族だったことも事実なんだろう。





228 :月光仮面:2006/09/01(金) 07:39:41 ID:wU66bRZP
>>223
NHKシルクロードで残念なのは老女ミイラに入っていた、魔よけの仮面の材質について言及がなかった
ことだ。白銅に近い輝きを見せていた。鼻が鋭くとんがっており、板金加工をしたのかなと思った。三星堆
の鋳物とか、殷の青銅器とは異質のものであったようだ。木とか、石とか、その他には見えなかった。
他に見につけていたブロンズのブローチは、下記で
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
瓔珠(ようじゅ=玉の一種)を以って財宝となし、それを衣に縫って飾ったり、と記述される通り
の縫い付けかたであった。つまり青銅は宝石扱いのように貴重に扱われていたようだ。だから、
この仮面をどのように入手、製造したのか極めて興味がもたれる。

229 :月光仮面:2006/09/01(金) 07:54:39 ID:wU66bRZP
>>227
発見されたのがターリム盆地の東のはずれで、冒頓単于が月氏を討った甘粛祁連山に近いところから
月氏ではないか。韓伝にある幼児の頭蓋変形、大月氏国の同様の習性から月氏はトカラ人ではないか
という推量ができる。後のダリウス、アレクサンドロスなどが多国籍軍編成をしたこと、移動中のアーリア
族遺跡と見られるウラル・サマーラではアーリアから底辺のウグロ・フィン族を包括する大民族構成で
あったという発見事項もあるので、小河墓遺跡全体については異民族が入っていたことも考えられる。

230 :月光仮面:2006/09/01(金) 10:56:35 ID:wU66bRZP
>>226
YAP+についての漏れの考えは違う。
Uα.YAPが+・47ZがY1・SRYがC・DFFRYがT・12f2欠損が−(=有る)
Uβ.YAPが+・47ZがY1・SRYがC・DFFRYがT・12f2欠損が+(=無い)
はアフリカ・中近東と同じ系列のもので、アジア系D型の突然変異はアンダマン諸島周辺で始まり、
(1)ミャンマーから西蔵・雲南に入ったもの。
(2)インドシナ半島近隣諸島に広がったもの。
という2つの流れがあり、日本には(1)が更に江南地方から入ったもの、モンゴリア南部経由入ったもの
等があったと考えている。ただし、江南地方に存在した多くの同胞民族は喜界爆発の洪水により消滅、
その経緯が羌族系洪水神話に残っているものと考えている。モンゴリア南部は興隆窪文化時代乃至は
細石刃時代に北部日本に入ったのであろう。

231 :出土地不明:2006/09/01(金) 22:36:02 ID:6JQXrFDN
>>230
なんか、時間スケール間違えてないか。タリム盆地のミイラはたった3千
年から4千年前の話だよ。

232 :坊主:2006/09/02(土) 06:52:37 ID:Eee4Rkhc
なんかよくわかりませんが、元祖日本人って
日本海が凍結?いや陸続きのころマンモスや
鹿を追ってきたシベリア地方のモンゴロイド
だと聞いてますけど、教えてください。

233 :出土地不明:2006/09/03(日) 01:41:47 ID:O7RVPFYz
>>232
現在まで分かっている日本人の成り立ちを説明しよう。かなり複雑だ。
1)3万年前ごろ
氷河時代のさなかの3万年前ごろまでには日本列島(おそらく朝鮮半島と
はくっついていただろう)には人が住んでいた。彼らはインドから東南
アジアを経て日本にやってきた人々で、mtDNAは、M7a というハプログル
ープだ。これは、韓国人にも多く見受けられるタイプだ。文化的には、
後期旧石器文化である。インド系や東南アジア系に近いことから、肌は
浅黒く(かなり黒かっただろう)、髪がちじれていて、比較的背が低い
というタイプだったと考えられる。
2)オーストラリアからの移住(3万年前以降)
オーストラリアからの海洋民族の船団がほとんど男たちだけでやってきた
ようだ。彼らは、日本に来たあと、日本の人々もろとも、そのまま北へ
向かい、最後にはアメリカ大陸まで至ったわけだ。だが、この大きな
流れは氷河時代の後まで続いたらしい。
3)氷河時代の終わりごろ(1万8千年前以降)
北方系の人々が入ってきた。とはいっても、北方適応の民族ではないから
顔は立体的で、この民族と、先住民がミックスされて、縄文人が誕生した
と考えられる。で、この北方系民族とそれよりも前にオーストラリアから
やってきた男たちの集団との混成民族が最終的にアメリカ大陸に渡る
ことになる。
4)氷河時代以降
しばらくの安定期で、大陸や半島との交流もあっただろうが非常にかぎら
れていたようだ。
5)弥生時代の始まり
この段階で、あきらかに大量の大陸系の人々が来たようだが、その系統など
はわかっていない。このあたりになると遺伝学的な解析が使えないからだ。

で、縄文人の特徴などから考えて、南方系の3万年前にやってきた人々も、
オーストラリアからやってきた人々も、1万8千年前ごろ北方から来た人々
も、けっして現在の北方的モンゴロイドの特徴をもつ人々のっぺり顔の
人々ではなかった。という意味では、現代日本人のもつ北方的要素の多く
は弥生時代の大陸からやってきた人々に起因すると思われる。

で、ご質問のマンモスをおって、というのは、北方系の旧石器人のおとで
広い意味ではモンゴロイドだが、現代の北方モンゴロイドとは違うという
ことをおさえておいてほしい。

234 :月光仮面:2006/09/03(日) 10:36:10 ID:nfMpIO/k
>>233
MtDNAによる旧石器時代の日本列島居住人類の想定と考古学的発見と照合するために↓
日本における土器出現のプロセス
http://www.tuins.ac.jp/~satoh/Ceramic2004/html/koza002/pg036.html
上記を見てみよう。そうすると、現在の考古学上の発見からは、
「隆帯文土器は、刻み目をつけた太めの隆帯文をつける土器で離島を含めた南九州一帯に
広がる土器である。放射性炭素年代によると約B.C.11,000〜10,000年という年代が得られており、
南九州ではこれ以前に細石器は消滅し、縄文文化が確立する。」
つまり、文化的には細石刃文化、それに先行する旧石器文化があり、それが九州南部で縄文
文化に移行するということで、こうした流れを説明するにはMtDNAよりはY染色体ハプログループ
でいうC、YAP、O47zではないかという感じがする.。そしてYAPの現れるのが縄文時代ではないか。


235 :月光仮面:2006/09/03(日) 11:14:47 ID:nfMpIO/k
>>233
上記1) 2) 3)の人々は一様に南方から来たとされるが、漏れとしては、彼らは西日本に
限定されており、同時期北海道を含む東日本は北方系であった。そして西日本に古くから
来ていた上記1) 2) 3)の人々は旧石器、細石刃のユーザーとして考古学上は東日本と
同様の遺跡を残した。しかし、中部山岳以北の人々はマンモスとか巨大獣の狩猟を継続
していた。このように考えることで考古学と遺伝学知識の統合ができるのではないかと思う。

236 :月光仮面:2006/09/03(日) 11:51:41 ID:nfMpIO/k
>>231
結論から言うとタリム盆地の文化は先ず周辺にいた先住民族、羌族に影響を与えたと思う。
これは大胆なスペキュレーションであるが、羌族洪水神話の起源は喜界爆発
http://www.juuu-net.gr.jp/hayato/07sirasugakka.htm
「約六千三百年まえ、鹿児島県薩摩半島南部の硫黄島辺りで過年の雲仙噴火の一五〇倍の
威力はあろうといわれる爆発が起こった。火砕流は海上をはって屋久島、種子島、鹿児島県
南部をひと嘗めにし、半径一〇〇キロ以内の生き物は全滅したであろう、また、爆発で空中に
上がったアカホヤ(火山灰)の分布は東北地方南部にまで達しているといわれる。」


237 :月光仮面:2006/09/03(日) 11:57:51 ID:nfMpIO/k
モンゴリア南部は興隆窪文化はこれより早い↓
http://www.nihonkaigaku.org/03f/i031213/t13.html
この時代にYAP+に関して大陸と日本の間で遺伝子移動があったとかんがえられる。
しかし、それは既に細石刃文化頃、つまり、縄文以前に始まっていたのかもしれない。

238 :出土地不明:2006/09/03(日) 12:01:31 ID:O7RVPFYz
>>234-235
YAP+の現れるのが、縄文時代といっても、その時代はかなり古い。
縄文時代をいつからとするかが問題だが、おそらく氷河時代末期という
時代だろうな。オーストラリアからの移住はこのころだろう。そして、
そのまま、アメリカ大陸までわたったとすると、非常にわかりやすい。
あと、mtDNA のM7a は、沖縄、アイヌ系で顕著に現れるタイプであるから、
これは、広く日本列島全体に浸透している。さらに朝鮮半島ももっとも
古いタイプは、M7aなのだから、これは、半島と列島が連続していた時代に
広く、半島から列島南北に拡散していたと見るべきだ。
ここから、だいたい3万年前にM7aの元祖型が朝鮮半島で現れ、それが
日本列島に到達して最初の日本列島住民となった。後期旧石器時代だ。
その後、オーストラリアからの移住者と北方系の移住が1万5千年前
ごろまでにやってきて、その合流した民族が、アメリカ大陸へとわた
ったわけだ。だから、アイヌ系が現在でももっともネイティブアメリカン
に近いアジア側の民族とされるわけだな。ネイティブアメリカンのうち
の半数は、日本列島を起点として渡ったことになろうかと思う。
場合によっては、未確認であるが、縄文土器風のものがアメリカ大陸に
存在する理由でもあろうし、また、環太平洋北部全体に広がる共通性の
高い文化もこれと関係があるだろう。シベリアの文化とも関係があるか
もしれないが、遙かに環太平洋型の海洋民族文化だ。
ここまでの段階では、日本列島全域を含むと考えてよい。北海道も当然
含まれる。最後の弥生時代初期段階の話は、西日本中心になる。

239 :月光仮面:2006/09/03(日) 12:06:58 ID:nfMpIO/k
漏れの時代感覚はタリム盆地東部の月氏、トカラ人文化は、殷と中国北辺に影響を及ぼし、
それは中国では周、燕、秦、北辺ではオルドス経由、倭・原三国集団に受容される。これが
Y染色体ハプログループO-47zのキャリアーであろう。これが列島・沖縄に入る頃の考古学
上の形跡は↓
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2001a.html#3_2
勒島貿易と原の辻貿易
3.粘土帯土器・三韓土器・楽浪土器からみた弥生時代の交易
(1) 弥生前期末〜中期初頭
「沖縄の滑石混和土器は南部九州の弥生前期中葉から中期前半にかけての弥生土器とともに
出土しており,楽浪建郡以前にさかのぼる。そのため,筆者は沖縄出土の滑石混和土器を
西北朝鮮の古朝鮮土器と考えている〔白井克也2000:94〕。」
ここに言う「滑石混和土器」にあると考える。


240 :出土地不明:2006/09/03(日) 12:10:59 ID:O7RVPFYz
>>239
もうそうだろ。
日本のトカラ列島とごっちゃにしてないか?

241 :月光仮面:2006/09/03(日) 12:35:23 ID:nfMpIO/k
ユダヤ・キリスト教関係サイトではYAP+日本人が東南アジアに進出したのではないかと
言っているが、「縄文土器風のものがアメリカ大陸に存在する」理由として江は赤道反流を
利用してマレーシア方面から中央アメリカに文化伝播があったとする学説もあるという。
漏れも最近ショックを受けたのはアマゾン古代農業遺跡、出土した巨人モンゴロイド、極め付きは
薩摩隼人の両端渦巻き文様のあったことだ。

242 :月光仮面:2006/09/03(日) 12:46:36 ID:nfMpIO/k
推古・斎明時代には大量の白人が渡来してトカラ人と名乗る。倭国当局は白人は気色が悪く、
病人ではないかとして、離島に放棄しようとする。また、トカラ列島には馬、羊など倭国には
見られない家畜群がいる。ちなみに、土佐の鋤も日本の他の地域にとは反対の排土方式であるし、
室戸には巨石文化があり、土佐犬は、血統の中断はあるものの、チベタンマスチフ等YAP+の残る
チベットとの同一の好みを残す(これはトカラと関係があるのかもしれない)。

243 :月光仮面:2006/09/03(日) 13:00:28 ID:nfMpIO/k
遺伝子、つまり、人間集団というのは常に複数の遺伝子タイプを含有していると思う。純粋のものはないであろう。
燕の方面では、Y染色体ハプログループとして古い、羌の時代からのYAP+(これは既に日本に入っていたものも
あろう)とO-47zという江南・江蘇・山東等の東夷が移動北上したものとが混在し、その中で祭祀・軍事集団として
白人系のトカラ・サカが共存すると言った形もあったものと考える。


244 :出土地不明:2006/09/03(日) 13:55:54 ID:O7RVPFYz
>>241
日本のトカラ列島と、中央アジアのトカラ語とが関連することを示す文献
を示してくれ。


245 :月光仮面:2006/09/03(日) 14:36:55 ID:nfMpIO/k
あえて言うなら推古・斎明記のトカラ人の来朝、白人であったことの記録、韓伝にいう韓人の
幼児の頭部を平たく変形する風俗と言った程度か。大月氏国の同様の風俗については海外の
掲示板で見たにすぎない。別に立証する必要もないだろう。単なる仮説だ。中国以外の海外では
トカラ語の研究が盛んであるが、中国では、中国語と英語の類似を研究する人もいるらしいが
きわめて重要な中国語とトカラ語の共通単語の比較は行われていないようだ。漏れとしては日本・
中国ではなく、欧州方面の研究成果を待ちたい。せめて・ウイグル語と中国語の比較研究でも
あればいいのにとは思うが、前途遼遠だろうな。

246 :出土地不明:2006/09/03(日) 14:51:58 ID:O7RVPFYz
>>245
その推古斉明記ってどこにあるの?日本書紀?
あと、そのときの、トカラの漢字表記はなに?
それと、日本のトカラ列島との関係はどういう文献に存在するわけ?

247 :月光仮面:2006/09/03(日) 15:24:48 ID:nfMpIO/k
倭国も白人はキモイから皆離島に捨てろとばかりいったのではなく、大騒ぎをして都にお連れし、
帰り舟で韓国方面に帰るものと途中まで一緒に送ったらしい。この途中からトカラ人はどこに帰
ったのがわからないんだが、南西諸島とか、宇和島とかかなと思う。
この辺のことについては、下記を参照↓
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
都貨羅人、舎衛人、須弥山、呉橋等を検索するといろいろ出てきて参考になる。

248 :月光仮面:2006/09/03(日) 16:08:31 ID:nfMpIO/k
漏れは、トカラ列島に生息する家畜の遺伝子調査による故郷の追跡を大至急実施すべきだと
日本政府に提言したい。安倍時期首相にお願いしたいところだね。日本の国際的地位が上がるよ。
全世界が日本に興味を持つからね。

249 :月光仮面:2006/09/03(日) 16:25:08 ID:MDcjPYg5
古代朝鮮人、縄文人が中国、中央ユーラシア、欧州を起源とする民族を受け入れると言う
共通した歴史体験を持つことがはっきり認識されると日中韓ユーラシアの諸国民は共通
した歴史認識を持つことになるが、これが欧州及びトルコ系諸国と日中韓の統一された
歴史認識につながり、ユーラシアの平和に貢献できることはきわめて有意義なことだと思う。

250 :月光仮面:2006/09/03(日) 20:07:10 ID:w0BGNThg
>>233 2)
豪州から来て日本をステッピングストーンとして渡米する集団と言うのは、米系サイトでも
アメリカインディアンはモンゴリア・バイカル湖付近から来たのかなーとしているのにひきかえ
極めて斬新な発想の感じがする。漏れとしては豪州アボリジニーズとか、パプアニューギニア
とアメリカインディアンというのは形質的になかなか結び付けにくい。遺伝子的には立証されて
いるとは思うんだが。

251 :月光仮面:2006/09/03(日) 20:17:55 ID:w0BGNThg
>>250
漏れとしては、マンモスハンターは黒海北岸方面で白人を主体とするものが初め、これにモンゴロイドが
合流し、シベリアまで追い詰めた。このため一部の白人はバイカル湖付近、更に東、中にはアメリカまで
いった連中もあったが、ほとんどはバイカル湖付近のモンゴロイドではなかったのかなーと考えている。
豪州アボリジニーズにはインディアンのような蒙古斑はないのではなかろうか。

252 :月光仮面:2006/09/04(月) 08:36:10 ID:e5Y9ccfE
>>248
漏れの説では、トカラ人発祥はルーマニアとウクライナの中間にあるモルだビアであり、トカラ人は
トリポリエ・ククテニ文化の影響、たとえば、日本の神殿によく似たこの倉庫↓
http://genealogy.org.ru/nikolaev/schools/getphoto.php?18048
を見ればわかるのだが、堅魚木、棟持柱は、小河墓遺跡の棺、真床追衾は鮮血の牛のローハイド
で棺を覆うセレモニー、トリポリエの中心的シンボルである牛の頭は小河墓の棺の中にあり、こうしたことは
飛鳥時代に渡来したトカラ人が須弥山建設のみならず、その後の宮廷神事に深くかかわったことを
物語ると見ている。もちろんこの頃のトカラ人はスキタイ・イランの影響を受け更には仏教も迫りつつあった
であろうが太古からのトリポリエ・ククテニ文化の真髄は保持し続けていたのであろう。日本の神話形成
にも大きく関係したのであろう。


253 :月光仮面:2006/09/04(月) 08:41:35 ID:e5Y9ccfE
それと、チャイナに向かう小さなボートに眠っていた美女のつけていた赤頭巾ちゃんのお帽子こそ、
傍らに眠ったいたおばあちゃん共々、黄泉の国の狼に食べられないようにするというおまじないで、
これこそ、トカラ語がゲルマン語と共通の造語法を有し、近隣に所在したことの証であろう。

254 :月光仮面:2006/09/04(月) 08:47:08 ID:e5Y9ccfE
ケルトの角杯が越の国を中心として出土するが、新羅のツヌガアラシトの作った敦賀の気比大社
の神宝は一角の獅子頭である。これは英国の国旗にも登場するがユニコーンであり、ユーラシア
の太古の交流の痕跡と言っていいのではないだろうか。

255 :月光仮面:2006/09/04(月) 10:58:40 ID:sSUTP0sZ
ところで出雲意宇には宇流布、宇留布(うるふ)、松江市大庭町平原ウルフ山
<宇流布神社>宇留布神社 八雲村平原金多 祭神:大山祇之命、木花咲耶姫之命
というのがあり、これは狼を祀るといわれるが↓
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/izumokami.html
印欧語で狼をどう呼ぶかを調べると↓
http://www.utexas.edu/cola/centers/lrc/iedocctr/ie-ling/ie-lex/animals/wolf.html
これはトカラ語系ではなく、ゲルマン系に近い。すると、応神朝に渡来したという阿知使主
(あちのおみ)を祖先とし大和国高市郡に蟠踞(ばんきよ)した倭(東)漢(やまとのあや)氏の
一族で,武術に秀でていた坂上氏、〈赤面黄鬚,勇力人に過ぐ,将帥の量あり〉といわれた
征夷大将軍田村麻、《吾妻鏡》の記事は田村麻呂伝承が利仁伝承や鞍馬の毘沙門天信仰
とも交渉をもっていたことを示すと言うが、毘沙門天信仰は西域の信仰、こういうことから、
サカ族↓が浮上する。
http://en.wikipedia.org/wiki/Saka

256 :月光仮面:2006/09/04(月) 11:17:39 ID:sSUTP0sZ
トカラ人が欧州を去ってから約千年後、その故地においてはチェルニャコフ文化↓右下
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Chernyakhov.PNG
に変化していくのだが、この図の左上に注目するとスカンジナビアのゲルマンと関係している。
大体、トカラとゲルマン、インド人とトカラ人というように対になって行動しているが、これには
昔からの軍事と祭祀といった協力関係があり、原三国・新羅に到来した時点においてもこうした
複合体であったと言うことが考えられる。とんでもない遠方の国の二つの隣接した民族がはるか
かなたの極東で出会うと言うのはおかしい。

257 :出土地不明:2006/09/04(月) 11:27:46 ID:1RHTpIiX
半島カルタ

あ あちらこちらでスリ強盗
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/2249559dff61832c1be6fed8591e076f.jpeg
う うまく化けてもエラは隠せず
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/fc4c714aa4c6b6960ead282e4729f293.jpeg
お 親は鮮人子は不良
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/f8172390c8918fe47717403986a5da1f.jpeg
か 韓国人を取り締まれ
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/4ea628010f397c18eed8ccd4eec03c23.jpeg
き キムチの臭いだ緊急出動
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/3b12473e1d9b5759779dac95c0206741.jpeg
く 糞食う民族犬も当然
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/fc5e0c286b47705d432a789e004f20a0.jpeg
さ 財布を擦られたまた鮮人か
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/a5dd7ac04de5b9f19dbc3a9396234ab5.jpeg
ぬ 濡れ衣差別といつものいいぐさ
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/e0e8b8b9b9e85924c82953199cec74b2.jpeg
み 密航してでも日本にいきたい
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/176f464cf55ff2be49b29efa95077056.jpeg
や 優しい新聞本名のせず
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/ac4d10544ea6d6b38e21cadf1e2f4870.jpeg

258 :月光仮面:2006/09/04(月) 11:48:46 ID:sSUTP0sZ
ヤクート・サハはインドのサカ族はヤクート人ではないかとか、韓国人は英国人は韓国人の
子孫ではないかというが、これは、自国史観というものの危険性を表し、権威を失墜させているが
「ヤクートにサハと称して進入したトルコ系集団はインドに侵入した集団同様サハを標榜したので
はないか」とか、「英国に進入したサクソン族は原三国に侵入したサカ族と同様スキタイ時代の
ユーラシア・ノマドではなかろうか」という、相対的アプローチ、エセ愛国主義を脱いで始めて世界の
耳目を集めることになり、さもなくば下手な政治プロパガンダとなる。

259 :月光仮面:2006/09/04(月) 12:00:31 ID:sSUTP0sZ
皇国史観はいけない。ただし、全世界が失った文化伝統を神社、仏閣、皇室、古墳に留めてこの長い歴史を
今まで守り抜いてきた天皇家から宮大工に至る貴重な文化遺産は世界のために守り通さなくてはならない。
これは世界に対する日本の責任と違うだろうか。

260 :月光仮面:2006/09/04(月) 14:01:23 ID:7btxBeie
>>252 >>256
サカ族はアルタイ、日本において峡谷指向を示し、エフタルもそうである。他方、月氏には祁連山のような
天山指向がある。だが、これらはドニエプル、ドナウの中間地方ではあまり適当な風景がない。しかし、
アララト山、バン湖にあり、日本において百済系が諏訪湖、八ヶ岳、二荒山、中禅寺湖を指向することに
反映される。言語・時代的にトカラの後輩はヒッタイトであるがこれはアララト山、バン湖に出現する。
コーカサス・バルカンは銅資源開発で相互に関係している。こういうことからシュメール伝説のウルク
のEnmerkar王に対峙したアラッタ王Ensuh-keshdannaとは小河墓に侵入してくる前にアララト山南麓
に王国を築いたアラット国から出ているものと考える。

261 :月光仮面:2006/09/04(月) 14:12:55 ID:7btxBeie
小河墓遺跡のころバルカン東部を中心に印欧諸語において*teikosという逃城、山城(パルテノン宮殿式)
の共通語が成立するが、この頃アルタイでは高地性集落が盛んに建設され、sveと呼ばれる。征夷大将軍
の蝦夷地遠征の際の城砦は志波、胆沢とか呼ばれる。何か関連があるのかもしれない。

262 :月光仮面:2006/09/04(月) 14:17:34 ID:7btxBeie
>>260
アララト山の箱舟が、アボウトな話であるが、小河墓の棺と縦横比率がよく似ているし、日本では
物部が侵入する際には山上に磐舟を作る。

263 :月光仮面:2006/09/05(火) 14:24:57 ID:oUgSZQz4
>>230
> 弥生前期末〜中期初頭
>「沖縄の滑石混和土器は南部九州の弥生前期中葉から中期前半
>にかけての弥生土器とともに出土しており,楽浪建郡以前にさかのぼる。
>そのため,筆者は沖縄出土の滑石混和土器を 西北朝鮮の古朝鮮土器と
>考えている
漏れは、これをO-47zとしたが、O-47zとは稲作にかかわる民族であり、
弥生時代の開始と共に流入が始まったと見るのが自然。一方弥生前期末〜
中期初頭の頃の衛氏朝鮮の移動などと同じ流れの移動はこの頃台頭を
はじめた匈奴、これは、犬戎、山戎とか言われるものではなかったと思うの
だが、狛犬とか、春駒とか、ナマハゲのお面をもたらしたものではないかと
言う考えが捨てられない。これの遺伝子は多分縄文のYAP+と同じで、黄河
上流の羌族、姜族等が多かったのではないかと思う。


264 :月光仮面:2006/09/05(火) 14:37:23 ID:oUgSZQz4
スマソ、上のは
>>239
であった。これは後に匈奴、東胡、鮮卑同じで、後のトルコ系とよく似た
風習を持っていたのだと思う。神話・伝承上では猿田彦とか、熊襲等の
農業の普及していない山岳地方に入り込んで言ったのでは。


265 :月光仮面:2006/09/05(火) 15:45:05 ID:JJwQ7qRu
>>256
トカラとゲルマン、出雲のウルフなどは少々脱線がきつすぎる。ヤムナヤ
(土壙墳)→カタコンベ墳→スルーブナヤ(木槨墳)の移行途上のカタコンベ
時代にプロト・キンメリアが出現、西のトリポリエ・ククテニにいたトカラと共に
バルカンに南下、この途中トラキア方面でゲルマンとの接触を持ち、アナトリア
に入り、コーカサス南麓からザグロス山脈、アラル海を越えターリム盆地に入る
と言ったことを想定しなくてはならないが、まさに屋上屋を重ねる話となり、自信はない。
がこうしたルートもありえるかなと言った程度の話となり、申し訳ない。

266 :月光仮面:2006/09/05(火) 16:23:30 ID:J6igYNG5
サカ族の属性としてバトルアックス戦闘に長じていたと言うが、バトルアックスが
磨製石製/青銅製闘斧として黒海北岸の木槨クルガン墳文化と共に欧州に拡散する
ものであり、これによる戦闘に長けているというのは小河墓遺跡よりやや早い頃
黒海北岸にいたと言うことになり、当時この地方は後のインドイラン文化と共通
する文化があり、印欧語ケンタム地方の文化とは異なっていたので、サカ族の祖は
プロト・キンメリアンとでも言うべき黒海北岸の出自と推定される。こうしたものと
農業文化であるトリポリエ・ククテニ文化のトカラ族がコンビになってノマドとして
移動すると言うことはありえることだ。

267 :出土地不明:2006/09/05(火) 16:31:19 ID:BtDzjs/J
コスプレ好きには最適の出会い系サイト
http://www.happymail.co.jp/?af14715427
マジエロい娘が多いんでコスプレokになる確率がかなり高い
NGでもなし崩し的に着せちゃってプレイするんだけどネw

268 :月光仮面:2006/09/06(水) 12:24:33 ID:Os+qoGdR
>>263-264 参考資料
ポーランドの春駒
http://www.chebucto.ns.ca/~aa051/lajkonik-sa.jpg
沖縄/春駒・じゅり馬
http://www.ne.jp/asahi/gekidan/union/gyn2-1.jpg
ハンガリーの熊野
http://www.findthelinks.com/history/Huns_Turks/western_Turks.htm
スイスのナマハゲ
http://www.loetschental.ch/admin/files/uptables/bilder/8.jpg
「良い子にしていたかー」 「お母さんの言うこと聞いてるかー」
「コラー返事は立ってキヲウツケで」「歌を歌え」「良い子だ」・・
東シナ海に浮かぶ甑島列島の下甑島の鹿島村・下甑村には
各集落毎に大晦日の夜の年越し行事「トシドン」が残っています。
8歳位から3歳位の子供のいる家に鬼のような鼻の長いお面に
カヤやワラのミノや、黒いマントで装ったトシドンがやってきます。
http://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/mend68.jpg


269 :月光仮面:2006/09/06(水) 12:32:26 ID:Os+qoGdR
こうした大陸からの来訪者の時代背景を考察する上で目安になるのは
秋田のナマハゲ伝承である。

「そのひとつは、中国漢の時代に不老不死の薬草を求めて男鹿島にやって来た
武帝(ぶてい)の話である。漢の武帝は自らは白鹿に乗り、五匹の蝙蝠(こうもり)
に化した眉間(みけん)・逆頬(さかうら)・眼光(がんこう)・首人(くびと)・押領
(おうりょう)の鬼どもを従えて渡ってきた。武帝は鬼どもを日頃に酷使していた。
そこで一年のうち一日だけ村里に出て自由な振舞いを許したので、悪態のきりを
尽くして娘まで攫(さら)ったりした。困り果てた村人は一計を案じ、鬼どもと賭
(か)けを申し入れ、鬼が勝ったならば毎年娘をさし出すというものであった。
賭けは一晩のうちに1000の石段を積むことである。鬼どもは怪力を用い
石段は夜明け前にはでき上がりそうになる。慌(あわ)てた村人たちは夜明けを
告げる鶏(にわとり)の鳴き声を真似て、あわよく999段目で鬼を騙(だま)して
決着をつけた。鬼どもは賭けに負けた悔しさに、そばにあった千年杉を引き抜き
逆さまに地面に突き刺して山にもどったという。その後、騙した鬼たちの崇りを恐れ、
年に一度若者たちが鬼に扮して村を訪れ、そのために村人は充分にもてなして
山に帰ってもらうというのである。
http://www.namahage.ne.jp/namahage/oga/sinwa.htm
武帝は始皇帝の後を追ったものかバイアグラのようなものを服用していたと言う。
前108年衛氏朝鮮を平定して,その故地に設置したいわゆる〈漢四郡)がら、秋田に
バイアグラをもとめてやってきたのはその頃以降であろう。ただし派遣されたのは
いわゆる戎、つまり、匈奴系であったのであろう。


270 :月光仮面:2006/09/06(水) 12:43:55 ID:Os+qoGdR
戎、匈、熊は語尾が皆iongであり、同じ民族であろうが、熊をもって神聖とする
朝鮮とか、縄文人にも熊に対する畏敬が残っていたことから、中国人は漢字を
悪用し卑弥呼などとする方式で匈奴としたものの、彼ら自身は「われらはクマヒト
であるぞ」というように倭人に教え、倭人はこれをクマヒト、熊襲などとしたのだあろう。
あるいは彼らはアルタイクマンジンのようにクマンと自称していたと言うことも考えられる。
多分彼らの子孫がトルコ系となるのだろう。

271 :月光仮面:2006/09/06(水) 12:49:52 ID:Os+qoGdR
楽浪郡の官吏はまるで囚人、流刑囚のごとくこれら匈奴を扱ったもので、
そのセックス処理にもいろいろと気を使ったようである。
参考 化け物祭考 ー「マレビト信仰」との関連から
http://www5.big.or.jp/~yu_k/b/b5.html
有り余ったエネルギーを長城建設のような石段建設に利用し、年に一度は
ドンちゃん騒ぎをする。

272 :月光仮面:2006/09/06(水) 13:03:32 ID:Os+qoGdR
ヘロドトスによれば月夜に狼に変身する、これは夜這いじゃないかと思うが、習慣
はカルパチア方面にあったようだ。
Herodotus in his Histories[6] tells us that the Neuri, a tribe he places to the north-east of Scythia were annually transformed for a few days, and Virgil is familiar with transformation of human beings into wolves.[7]
ヘロドトスは自書歴史において、スキタイの西北辺ではないかと見るネウリ族は事実
二三日変身すると述べており、ヴァジルは人間が狼に変身することを知っている・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/NeuriWerewolf
満月を拝して出陣する匈奴の戦法は月山富田城など、各地の月山信仰に
変身しているようだが、戎、羌がターリム盆地に侵入してきたサカ族辺りから
吸収したことが考えられる。


273 :月光仮面:2006/09/06(水) 13:09:49 ID:Os+qoGdR
武帝のバイアグラ熱のおかげで出羽三山にチベット・西域の修験道が伝わった
可能性があるが、これは途中の英彦山・吉野・大仙なども同様であろう。

274 :月光仮面:2006/09/06(水) 13:29:00 ID:Os+qoGdR
>>271
この化け物祭りは天神様というが、これはにちのトルコのタンリ、モンゴルのテングリ、
九州でタギリ姫などというのも同じことで匈奴・トルコ族の神であろう。こうなると、兜跋
毘沙門天等のガンダーラ時代以前には渡来系の神はテングリが多く、後の坂上田村麻呂
等はシルクロードが相当仏教化された後から、つまり、百済等に仏教が伝来した後から
渡来したと言うことであろうか。

275 :月光仮面:2006/09/06(水) 13:44:03 ID:Os+qoGdR
>>269
秋田の話にはとんでもない古いモンゴリアの風習が隠されている。それは
「千年杉を引き抜き逆さまに地面に突き刺して」と言うことであるが、モンゴリアでは
ヘレクスルヒモロギの前に古来永遠に生え変わる鹿の角を彫った柱、又は、香椎宮、
那智大社のナギのような同様の意味の世界樹を植えた。征服した他の部族のヘレクスル
においては鹿柱を掘り返し、さかさまに植え、その聖域の上部に征服者のヒモロギ
を築いた。これは霧島であったか、逆矛、国譲りの逆矛の形で呪詛的に出現するが、
紛れもなく匈奴の慣習である。このことを含む伝承は極めて古いといわざるを得ない
のだ。

276 :月光仮面:2006/09/06(水) 15:48:43 ID:SFh3hw78
>>268
スイスのナマハゲ
http://www.loetschental.ch/admin/files/uptables/bilder/8.jpg
鹿児島のトシドン
http://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/mend68.jpg
この二つのナマハゲを外人でも、日本人でもいいから比較して貰って
その国を当ててもらうと、スイスのものは鼻とか目が青森のネプタ・ネブタと同じで
鹿児島のものは鼻がヨーロッパ的であるのでヨーロッパと、必ず答えるであろうと思う。
ところが、鹿児島のものの鼻は小河墓遺跡の仮面にそっくりで、スイスのものは
秋田のナマハゲにそっくりである。どうしてこうなるかと言うと、小河墓遺跡のものを
付近の中国系がまねて秋田のようなものを作っていた。これが東西に分かれて
秋田とスイスに入った。鹿児島のものはそれよりも古い小河墓の魔よけマスクに
極めて近いとんがった鼻をしたものだと考えるほかはない。



277 :月光仮面:2006/09/06(水) 18:39:35 ID:155EhoHx
>>276
鹿児島県西海岸、甑島に到来した渡来人は原版に近い仮面を持っていたと言うこと
であろうか。もし、小河墓遺跡、あるいは、出土した魔よけの面がトカラ人のものと
したら、甑島にはそうしたトカラ人が渡来したと言うことになる。斎明天皇のころトカラ
人を見送ってと言うが彼らがどこにいたのかは不明。甑島はそういう意味で有力な
候補地の一つと言えるのかもしれない。

278 :月光仮面:2006/09/07(木) 09:34:57 ID:YTVpFGwB
>>269
志賀島からは何万本もの鹿の角が出土すると言う。男鹿半島、鹿角、牡鹿半島、
塩釜神社、鹿島、鹿取、葛飾、春日、厳島と続く鹿の地名と角きり行事、これらは
後漢が倭奴国に金印を授与する見返りとして漢に対して鹿の角の鹿茸を献上
する義務を追ったということも想定する必要があろう。上記の男鹿半島の話も
そうした文脈で読むと渡来したのは漢が制圧した匈奴の一部ではなかったかと
思われる。


279 :月光仮面:2006/09/07(木) 10:20:27 ID:YTVpFGwB
>>278
鹿飼いとして渡来したのは現在石川県羽咋の気多神社に祀られるケト人、
「上世の昔、大己貴命、出雲国より因幡国気多崎(因幡の白ウサギの地)に至り、
八上比唐フ許に通せ給い、夫より鹿・亀の二霊に駕して、当国当所に渡らせ給う、
今の府中の浦是なり。」
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/ketahon.htm
これは現在ではイェニセイ河中流まで後退して絶滅しかかっており、最後のケト人
鹿飼いはロシア人だとか言われている。古代日本に入っていたのは現在のツングース
系、エベンキ等よりも一回り古い世代の者たちであったようだ。ただ、エベンキ語で
海東はLAMUT、鹿飼いはOROCHEN、馬飼いはMURCHENというらしく、ヤマト、オロチ
ヤマダのオロチの意味は明確である。

280 :月光仮面:2006/09/08(金) 10:37:04 ID:furlIk6f
大避神社の伎楽面の謎
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Parts/Images/Okina_Men.jpg
小河墓遺跡の魔よけの面とミイラの帽子の両方を兼ね備える。
小河墓文化の基礎となる神話、伝承が保持されていなくてはこの
面は作れない。この面は周囲にライオンのような毛も付いていて
鹿児島県甑島のトシドン面と共通する。大避のサケとはサカ族の
可能性が強い。いずれにせよ小河墓遺跡と同等の重要度のある
遺物であろう。甑島もしかり。



281 :月光仮面:2006/09/08(金) 11:19:12 ID:furlIk6f
ツヌガアラシトが本来持っていたのが上記のような秘宝で、これは実物を拝む
ことが許されぬまま
http://www.e-sisi.com/index.html
こうした形で越の国を中心に流布された。スイスに、多分、後世のフン族が持ち込んだ
のも新疆ウイグル方面の中国系の獅子の面と同じようなものであったのではないか。

282 :月光仮面:2006/09/08(金) 16:48:23 ID:kUH+YqnF
http://www.frigateunicorn.org/yfighd2.jpg
スキタイ文化は大西洋から太平洋にまで広がっていた。
http://www.e-sisi.com/tokokazari/kuma/kumasisi.jpg

283 :月光仮面:2006/09/09(土) 13:04:58 ID:gwAsAgaB
古代中国神話からは熊が抜けている。抜け殻としては混沌、玄武などがそれのようだ。
一方檀君朝鮮では熊が大きな位置を占める。虎に代わって熊が王者になったような
扱われ方である。虎と言えば白頭山、吉林の王者である。朝鮮の王者としてはふさわしい。
これが檀君神話において熊に変わるのだから、なんらかの変化があったのではないか。
つまり熊は中国北辺にいた民族で中国に強い影響力を及ぼしたもののトーテムであり、
中国人に対しては支配するもの、玄武とし敬うことを、朝鮮人に対しては虎より上位のもの
として敬うことを強制したのではなかろうか。この主体は熊と発音が似る戎であると考えると
うまく説明が付く。この戎のトーテムは中国では使用できず、玄武、混沌とするしかなく、
本来熊奴とすべき戎を匈奴としたのではあるまいか。

284 :月光仮面:2006/09/09(土) 13:09:08 ID:gwAsAgaB
これは >>282
http://www.e-sisi.com/tokokazari/kuma/kumasisi.jpg
の熊の獅子頭が匈奴(熊奴)のトーテムではないのかという推測である。

285 :出土地不明:2006/09/09(土) 13:09:09 ID:U2H6WiXg
月光仮面さん、なんかむなしくないか?

286 :出土地不明:2006/09/10(日) 04:45:24 ID:2cDzAjJu
>>283
>熊と発音が似る戎である
現代北京語だと…

熊:xiong
戎:rong
龍:long
虎:hu

287 :月光仮面:2006/09/10(日) 08:57:56 ID:spUDVoun
熊に付き、古代狩猟民族は、狼も同様であるが、人間が直接にその名を
口にすると襲われる。日本でも天井裏のネズミは人語を解するなどと言われるが
よく似た話である。こういう風に言われてきた。マンモスハンターと言うユーラシア
北部の集団には白人もモンゴロイドもいた。中国は北から遼河、黄河、長江と
三つの地域、異なった文化が発展したが、この遼河文明がバイカル湖に達していた
マンモスハンター文化を継承し、ハンターのタブーを守ったと言うこともありうること
であろう。つまり、熊というと熊が来るので字とか、発音を変えて見たと言うことでは
なかろうか。ついでに、上記 >>286 熊 ション、戎 ジョン、 龍 ロン、虎 フ
と読む。大事なことは 匈 と 熊 が共に ションであるということだ。それじゃー
匈奴と言うと熊に襲われないか - 四声では匈が第一声 -、熊は第二声 /
なのでかろうじて安心なのである。熊が四声を認識するかどうか・・・そこまで
人のことを考えるなら中華思想は生まれないのではないか。

288 :月光仮面:2006/09/10(日) 09:31:23 ID:spUDVoun
戎:rong (兵器の意味もある)も熊同様第二声。
ロンとカナをつけるのが普通だが、実際の北京近辺の発音は舌端が
硬口蓋に接するほどの巻き舌であり、日本人はジョンと覚えたほうが
いい。「日本」もピンインではリーベンだが、意識上はジーポンである。
マルコポーロの時代とさほど変わっていない。

289 :月光仮面:2006/09/10(日) 09:51:40 ID:spUDVoun
>>285
朝鮮族が高句麗、百済、新羅は朝鮮族ではない。朝鮮族はその下層である。
と言われたら、日本人が、倭人は渡来人であり土着人ではなく、大和朝廷は
倭人の朝廷であるといわれるとむなしい。しかし、英国はアングル人、サクソン
人の国ではなく、ケルト人の国でもなく、全ては移住した民族のカクテルである
と言われたら英国人もむなしいであろう。英国でも民族、宗教問題の北アイルランド
問題が決着したら、今度はイスラム原理主義のテロだ。ヒズボラ、イラクどこをとっても
民族宗教原理主義に平和はない。ヒットラーはアーリア主義でユダヤ人を焼き殺した。
これだけの教訓があるのだから"和をもって貴しとなす"であり、"倭をもって貴しとなす"
であってはいけないのだが、日出る国であってもおかしくはないのだと思う。

290 :月光仮面:2006/09/10(日) 09:59:41 ID:spUDVoun
聖徳太子は当てこすりをいったのではなく、楯築の中円双方墳に見られる日月
とか、日の出、日の入りを遥拝するような子々孫々に至る相互尊敬の国交を
樹立したいと願ったのであり、現在も同じと思うがこれがたまたま中華思想に
かかったので、わが国にとっては大いに迷惑な話ではないか。

291 :月光仮面:2006/09/11(月) 08:31:45 ID:xAhcri1W
>>269 >>275
JUHA JANHUNEN「北東アジア熊神話を追跡する」によると殷、周時代にも
女性シャーマンが熊の毛皮をまとう習慣があった。また、熊祭りは北東アジア
では日本海北辺を北海道に入ったものと、南岸つまり朝鮮半島東岸から
九州・本州日本海側を北上するものがあったが、これは満州で発生した女性
シャーマン熊神話型であった。この女性シャーマン・熊に付いては神武が
熊野村で遭遇し、神武軍が気を失うというドラマチックな話が実に見事に
その実在を証言している。神武が女性シャーマンを倒した辺りにイザナギ
の墓があるのも面白い。女性シャーマンは熊の嫁になり、そのおかげで弟
は熊の獲物にあるつけるというのはどうも漢高祖が冒頓単于に公主を差し出した
故事のようである。つまり、松尾神社の鳴箭神と同様、漢族、つまり、黄河文明を
屈服させた遼河文明、匈奴冒頓単于への賛歌が読み取れる。

292 :月光仮面:2006/09/11(月) 09:25:52 ID:Zb5VCyTi
檀君<タングニ<タングリ<天神=小熊座=天御中主、こう考えると、やはり
虎こそ朝鮮族のトーテムであったのが何らかの事情で北方のトルコ・モンゴル
系神話に切り替えられたと考えられる。それは、無紋土器、稲作の到来か、あるいは、
それ以後の民族移動かであろう。

293 :月光仮面:2006/09/11(月) 09:37:27 ID:Zb5VCyTi
全く話が変わるのだが、徐市というのを韓国語で発音すると多分ソボルとなると思う。
辰韓に終結した各種亡民の中には秦の徐福の子孫もいたはずであり、さもなくば、
天日矛系のタジマモリとか、徐福伝承を日本国中にばら撒いた主体がわからない。
このソボルというのとは別に背振山脈の、背振という言葉があった可能性もある。
背振山系にある天山、金山(アルタイも金山の意味)等は中央アジア山岳との関係が
深そうである。

294 :月光仮面:2006/09/11(月) 12:07:34 ID:B6ZsJR8W
http://www.jata-net.or.jp/member/shibu/kanto/topics/dl/topics59.pdf
NHK新シルクロード
「楼蘭―四千年の眠り」
タクラマカン砂漠の不思議な墓〈楼蘭・小河墓〉
井上隆史先生
実は、小河墓発掘後の後日談で解ったことなのですが、最後に出てきた
木の仮面のようなものがありましたね。鼻がこんなに高いやつです。映像
では大きく見えましたが、実際は小さなお面でミイラの左の胸の、心臓の
上に乗っていたものです。盗掘がされていて、あのようなお面が砂に埋もれ
ていたりしていたのですが、あのお面が「こころのう」であったことが、この
発掘で分かったのです。戦前に大谷探検隊がシルクロードの探検をやっ
ており、大谷探検隊の橘瑞超という人が小河墓の周辺を探っているのです。
その橘瑞超が持ち帰った請来品の中にあのお面があったのです。それが、
どこのものかが解らなかったのです。あの辺りの村で、盗掘者から買ったの
ではないかということなのですが、それがどの遺跡からの出土品であるかを彼
は記録していない。そのお面が日本の東京国立博物館と韓国、ソウルの国立
中央博物館に展示されていたのです。どこの遺跡から出てきたものか分から
なかったのですが、小河墓の発掘によって、百年近く経って、大谷探検隊が持ち
帰ったものの素性が分かりました。

295 :月光仮面:2006/09/11(月) 12:15:50 ID:B6ZsJR8W
>>276 >>280
小河墓遺跡のお面については、漏れは、幾夜も眠れず頭をひねり、白銅では
ないかなどといったが、上記の話では何のことはない木製と言うではないか。
漏れは、ヘナヘナと大地に崩れた。知らずは漏れ一人であったとは。しかし、
2CHの読者は漏れの無知を許してくれると思う。NHKは木製のお面とは言わ
なかった。少なくとも漏れにはそうは聞こえなかった。漏れはその世界史的
重要性を指摘する。

296 :月光仮面:2006/09/11(月) 14:29:09 ID:dO/OcXHj
蘭陵王、伎楽の面によく似た小河墓の面、棺、柱等の木造製品には日本に百済から
技術が入り仏閣、神社、山車、面等となって開花することに関係するのであろう。
多分トカラ人はカルパチア山脈の森林地帯に棲息していたものがモルドワの農地に
降りてきたのだろう。ブルーノ・タウトが引き付けられたのは彼が本能的に
察知した森林文化の共通性であったのだだろう。

297 :月光仮面:2006/09/12(火) 08:24:56 ID:BvJzshJD
>>287
中国中古、上古時代のシノ・チベット圏の韻律システム、当時の人種的
配置等を復元し、現在における北京官話に古代の漢字-韻律関係を見出すことが
はたしてできるかと言えば、それははなはだ疑問のあるところであろう。
単にブレーンストーミング的な意味しかないかもしれない。発想を変え、熊とは
タイガ、ステップ、水田地帯という風に環境に当てはめてゆくとどうなるかと
考えると、タイガ、湖水、河川(樹木・サケのような魚の多いところ)となろう。
虎は白頭山を中心とする地域に限定される。狼はステップで遊牧するものの
害獣である。

298 :月光仮面:2006/09/14(木) 10:33:36 ID:p5j5R3sV
>>294
ミイラ仮面の内、東京国立博物館のものは小河墓遺跡盗掘品としても、ソウル
国立中央博物館のものは百済から出土したいないかどうか、非常に気になる。
百済からだとすれば馬韓月支国が月氏であったことの物証となる。

小河墓ミイラ仮面の加工工具は細石刃、黒曜石のような鋭利な石器であったのか、
あるいは銅、青銅のツールであったのか。極めて興味がある。柱、板の仕上がり
具合はまるであら引きのかんなをかけたようであり、相当大きなツールであったのか、
あるいはエッジを石器などで精密加工し、大きな面は石器、例えば、砂岩等で
研磨したのか。鉄器が使用されたとすると現在はアッシリアが最古とされている
鉄器使用の開始が更に古くなる。

299 :月光仮面:2006/09/17(日) 12:59:16 ID:ZJmCkL5v
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/menu151-152
夏、殷の時代になぜ中国で世界最高レベルの青銅器文明が発達するのか
を考えて見ると、例えばシュメールの場合、北方のアラットなどの生産地を
脅迫し、宝石、金属を要求している。中国においても考えられることは近隣の
銅生産地を襲撃し、生産者を捕虜として連れ帰ることである。アルタイの中近東
向けの銅生産者が夏、殷によって中原に連行され、長江中流域で銅の生産を
命じられると言ったことがあった可能性もある。

300 :月光仮面:2006/09/17(日) 19:01:51 ID:6iBsqmCj
もう一つ考えられるのは、アルタイの産銅業者がシュメールの没落により
中近東への供給ができなくなり、夏、殷に供給先を切り替えたと言うことである。
中国でも殷の崩壊時にお払い箱となりオルドス、遼寧、朝鮮半島経由日本に
入り銅鐸を開始したと言うこともありえよう。

301 :出土地不明:2006/09/18(月) 22:25:34 ID:F+pu7W5i
>>259
>今まで守り抜いてきた天皇家から宮大工に至る貴重な文化遺産は世界のために守り通さなくてはならない。
これは世界に対する日本の責任と違うだろうか。

天皇家は、純粋に学問研究の観点から残しておきたい。
彼らの伝統文化、宗教、これは善隣友好にも役立つものであるのだ。

302 :月光仮面:2006/09/19(火) 08:47:11 ID:UnwB+qVW
コーカサス・マイコープは世界最古の青銅器とドルメン(支石墓)で知られるが、
バンチャン青銅器遺跡のあるタイの山岳民族はいまだにドルメンを作る。
ドルメンについてはその天井石がセメントのような鋳型物質を使用して作ったのでは
とする仮説があるが、それはそうとして、巨石をささえるのに土を使用するというトリック
は鋳型に共通するものがある。朝鮮半島・九州西部に達した支石墓文化においては
失われた青銅器とのリンクがあったのかもしれない。

303 :月光仮面:2006/09/19(火) 09:05:47 ID:UnwB+qVW
小河墓遺跡でも崑崙の玉が入手されており、青銅のブローチもある。材質的に
殷のものなのか、バンチャンのものなのかも興味がある。

304 :月光仮面:2006/09/19(火) 09:53:28 ID:e4Cvb5MA
倭人の起源は江蘇省、湖北省の大冶・銅緑山、徐州、無錫等の方面にいた、つまり、
呉の太白などと先祖を共にしたもので、夏・殷の青銅器文明を支えていたものが、殷
の崩壊と共に、他の多くの民族と共に、河西オルドス、内モンゴル、遼寧、馬韓、九州、
出雲、河内、近江、諏訪と流れ、そしてついに秩父で和銅を発見した。彼らの信仰は
溶解した流体の銅を入れる柄杓、北斗七星、北極星であったのだろう。これで秩父
神社の謎が解ける。

305 :月光仮面:2006/09/19(火) 10:01:20 ID:e4Cvb5MA
しかし、この倭人にコーカサス系の青銅技術を伝達したのは、おそらくは、
羌族でないかと思う。これが蜀、雲南経由バンチャンにも青銅器文化を伝達
したのだろう。そして、そこから夏・殷に青銅器文化を伝えたのもかれらであった
のではないだろうか。

306 :月光仮面:2006/09/22(金) 07:36:39 ID:XZ/dTrpS
春秋、秦、漢時代に成立、加筆されたとされる山海経に倭人の居住地の
位置が出ている。誤って別スレに入れたので御参考。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/menu213

307 :出土地不明:2006/09/22(金) 14:25:17 ID:4Wjr4cbU
>>304
つまり、倭人=ミャオ族?
諏訪って割と最近=大和朝廷成立と変わらない時期じゃ
なかったでしたっけ
わからん

308 :月光仮面:2006/09/23(土) 09:49:17 ID:/6WFGkQS
>>307
別スレで聞いたんだが、ツングースは湖南省方面ではないかとかいう、シロコゴロフ
説というのがあるらしく、倭人も南から北に移ってもいいかなと思うんだけどね。
諏訪は隣県山梨の八ヶ岳とセットになっていて、高速が中を通るのでややこしいのだが、
日光の中禅寺湖、男体山(二荒山)と類似の風景となる。諏訪大社では神主、ホオリ
がタタエ神事と言うのをやるが、鉄鐸を使う。二荒山頂上からも小型の鉄鈴が出土する
と言う。男体山(二荒山)はあるとき赤城の蜈蚣と戦争をするが蜈蚣というのは鉱山・
冶金関係者で松江付近から近江南部、そして日光にも現れる。

309 :月光仮面:2006/09/23(土) 11:03:32 ID:R/X/ag3s
長野県は八ヶ岳方面の黒曜石が古代からの経済活動の中心としての地歩を
保持してきたようで、北部には野尻湖・黒姫山辺りにマンモス狩り遺跡がある。
また、山越えにはヒスイ原産地がある。更にはひだ高山の鉛の産地とも近い。
諏訪神社と言うのは全国にあり、大きな影響力を持っていたものと思われる。
安曇というのも全国的に見られるがやはり諏訪と関連するのだろう。
で、諏訪大社コンプレックスとか、善光寺とかは飛鳥・奈良に始まる近畿木造
建築とほとんど同時期に百済系は始めたのだろう。

310 :出土地不明:2006/09/26(火) 15:47:52 ID:4rDoVWMp
286 :出土地不明 :2006/09/10(日) 04:45:24 ID:2cDzAjJu
>>283
>熊と発音が似る戎である
現代北京語だと…

熊:xiong
戎:rong
龍:long
虎:hu

xiongとrongは韻を踏んでいるだけで、発音が似ているとは判断されないと
思われ。
別の漢字を借りてくる場合は、発音が同じで声調が異なるもの、とかそういう
基準だろう、普通。

311 :出土地不明:2006/09/28(木) 17:18:14 ID:/o3vsufQ
歯が抜けても、幼児でも、畜生でも四声の方が簡単と思うがなー。

312 :月光仮面:2006/10/07(土) 14:17:33 ID:bbxd7KBt
小河墓遺跡老女ミイラのとんがり帽子にはいたちの毛皮が巻き付けてあった。
とんがり帽子はユニコーン伝説によるもので魔よけであろうが、いたちの毛皮は
なんだか蛇を象徴するようであるが、補助的な魔よけで、この2つが合わさって
葬礼用のいでたちとなったのであろう。ちょっとこれを見てもらいたい↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/menu527
中国では少なくとも北魏の頃には既に存在したと考えられるのだが、辟邪・天鹿
つまり、冠婚葬祭で一角獣の使用方法、形体が分化している。
「中国では無角は獅子、一角は天鹿(天禄、てんろく)、二角は辟邪といった。 」
http://www1.linkclub.or.jp/~rqw/wf/GR/0202.html
上記を参照。この中国銅鏡発達史ににおける神獣文様の登場こそ邪馬台国が
古墳建設の規格統一を含む国土統一手段として採用されたものである。このことは、
邪馬台国建国においては楽浪地方の帯方郡・公孫氏経由洛陽の銅鏡製造本拠と
密接なフィードバックを持つ関係があってこそ、邪馬台国政治経済システムは維持
できたということである。つまり、楽浪との事前協議なしには邪馬台国建設はありえな
かったことを意味する。

313 :月光仮面:2006/10/08(日) 06:44:28 ID:yTV7Ecjp
下記参照↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/menu539

314 :月光仮面:2006/10/08(日) 16:55:56 ID:yTV7Ecjp
小河墓遺跡では男性被葬者の墓標は行事分配形、これは女性自身を意味し、
女性被葬者は赤く塗られた六角程度の棒で先端に特定の形状のあるもので、
解説によれば各々女性、男性性器を表すとの事であった。この男女が陰陽補完
の原理によるとするのはひだ高山の金蔵獅子の、獅子と戦う天狗、鳥羽根頭飾り
をつけたものが、女性守護霊というか、オカメによってその闘争を支配されると言う、
これは後世の極東における陰陽の思想の起源と言えるのではないかと思われる
極めて奥深い宇宙観を表明したものと考えられる。つまり、韓国、中国の陰陽思想
の起源は冒頓単于によって東西分裂を余儀なくされえた月氏によるところが大きいの
ではないかといえる。

315 :月光仮面:2006/10/08(日) 17:01:01 ID:yTV7Ecjp
そもそも縄文人などは生殖と言うことにさほど大きな意味を持っていなかったが、
農業、牧畜、これに同調する子孫増殖のイデオロギーは、それに伴う農耕、牧畜の
飛躍的生産性拡大を伴って、日本列島に外部より持ち込まれるものではなかったか
と思う。

316 :月光仮面:2006/10/09(月) 11:34:45 ID:IJFT+OiY
>>314
古代日本にはアラタマ、ニギタマという精神状態の仮面的アスペクトを表す言葉
があるが、ここにも陰陽の考えがある。ただ、高山の金蔵獅子舞にそういうものが
表現されているとは少々考えににくい。荒々しい武者を背後で操るのが女性である
という意外性に陰陽にあるものと同一の背景を見るような感じがする。筆者は以前から
高山のサルボボは日神の御神体と考えている。そして、天細女命は、シュメールの
太陽神ウツをトカラ人が印欧語でサル(フランス語のソレイユ参照)と表現したものが
新羅では三国遺事の延烏郎(サルタヒコ)、細烏女(辛国息長大姫大目尊、猿女、
アマテラスを祭る巫女)となり、豊前、隠岐、飛騨(同じく太陽信仰のある日田)、伊勢
等を遍歴し、現在は千葉県佐原でオカメとして祭られるようになったのであろう。

317 :出土地不明:2006/12/02(土) 23:00:45 ID:hn73RP9u
up

318 :出土地不明:2006/12/18(月) 01:17:08 ID:WDmGVHFB
あげ

319 :月光仮面:2006/12/18(月) 08:20:57 ID:rdnk/Pnb
>>316
和歌山で発見された両面埴輪
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/wakayama/archive/news/2006/12/02/20061202ddlk30040520000c.html
これは明確にアラタマ-ニギタマの表情をしていた。高山については
「『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・タケフルクマが飛騨国の怪人・宿儺
を退治した話を伝える。「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、
体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて
膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。
是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊
を遣して誅さしむ」というのがあり、金蔵獅子舞にそういうものが表現されていてもおか
しくはない。ツヌガアラシト伝承のある越前に極めて高度な木工技術集団が渡来、
獅子頭、竹細工、高山宮大工、秋田まげわっぱ、こけし、木師などを生んだものが
越前から木曾に移ってきたものと考えたい。馬韓月支国より渡来したコマ、これは、
満州・沿海州日本海沿岸に達した山戎と同族の犬戎、これが高句麗と同族でアズミノ
イヌカイではあるまいか。


320 :月光仮面:2006/12/18(月) 08:44:45 ID:rdnk/Pnb
津軽、沖縄、ポーランドクラコフのタタール春駒については、スサノオがアマテラス
に献上したマダラ馬のものである可能性が高い。ファロス(コチャカナ)神事は新潟
とアルタイに残るが、新潟で言うボダレというのがアルタイでは馬頭全身皮革を指す
バYダラと言う言葉になる。私はこれを新疆ウイグルにおける獅子舞の起源ではな
いかと見る。その淵源はコーカサス西北のマイコープ文化に見る牛の胴体を貫く
柱とスキタイ墳墓から出土する四肢を結縛された馬の2つの文化の結合したもの
つまり牛が中近東バルカン、馬がウラルアルタイと考える。


321 :月光仮面:2006/12/18(月) 09:02:39 ID:rdnk/Pnb
スイス・レンチェンタールに彼らが残したナマハゲ
http://a1608.g.akamai.net/7/1608/1365/93b49211a042ae/away.com/images/outside/winter-olympics-2006/022506.jpg
以前のお面は秋田のものと同じであったがなんだか次第に変わっているような
感じもする。

322 :月光仮面:2006/12/18(月) 09:24:43 ID:rdnk/Pnb
アルタイでは天界神ウルゲンには白馬、冥界神エルリクには黒馬と明確なのに
アマテラスにはマダラなのが引っかかる。マダラとは馬頭毛皮と言う意味なら
秦氏広隆寺マダラ神もわかるし、興禅寺の神像もある程度解明されるんだが↓
http://www.tsushima-cci.or.jp/machi/area/img/f_02.jpg

323 :出土地不明:2007/02/19(月) 23:52:34 ID:6kugCg/B
>>321
昔の普通の人の顔がなまはげ儀式に凍結保存されている
今みたいに洗顔、髭剃り、入浴してないもんな

324 :出土地不明:2007/02/20(火) 08:26:39 ID:bpRaZEf6
【心の】旦那には絶対言えない過去4【奥に】既婚女性板
http://human6.2ch.net/test/read.cgi/ms/1168957905/

7 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/18(木) 03:03:54 ID:iE8GVdnP
援交10回、中絶2回、デリヘル、ソープ1年、整形2か所

12 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/19(金) 22:43:01 ID:s7dkuHKN0
高校生の頃から喫煙。不倫経験あり。
旦那は私にとって7人目の彼氏。(旦那には3人目と嘘ついた)
酒に酔った勢いでワンナイトラブの経験あり。

25 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/26(金) 04:08:25 ID:IfNo5kNWO
中絶4回、イメクラ一年、二重整形、大学中退、性病2回、同棲3回。

45 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2007/02/04(日) 14:24:40 ID:PBhJa6V+0
自分の預金が旦那の年収の7倍くらいあること。
学生のとき、ちょっとした事業起こして大成功w そのことも話してない。

47 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/04(日) 17:16:59 ID:CaAW9Ko50
うーん。堕胎。母子手帳に記載しないといけないから…そこは糊で貼付けた。
義母にはバレているだろう。でも回数が…1回多いとは…永遠の秘密。

92 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/09(金) 23:46:04 ID:QRXcETQYO
セクキャバでバイト経験あり。援交しまくり時代もあり。ヤッた数は100人くらい。
私バツイチで今の旦那には元夫の浮気が原因で離婚したの。とか言ったけどほんとは逆。
好きな人できて夫捨ててのりかえた。浮気しまくりだった。
すごくいい夫だったのにすごく最低な事したって思う。

106 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/18(日) 09:56:13 ID:wIf/65Md0
半年前、万引きして捕まった事。嘘泣きして逃がしてもらった(^^v

325 :月光仮面:2007/02/25(日) 10:13:32 ID:yCknmG/H
>>314
この男女顛倒の故事は、千数百年後、維摩経において天女から舎利子に伝えられ、
庄内平野の天神祭りでも男女の衣装を変えて行われる。
天女-全ての女は本質において女ではない。女の形をとるに過ぎない。仏は万物に
男女の区別はないとされた。・・・維摩経

326 :出土地不明:2007/03/24(土) 00:20:10 ID:mNnHVyb3
age

327 :月光仮面:2007/03/25(日) 11:17:55 ID:h7NNJaKm
維摩経の天女のこの言葉は男女平等を初めとする現在の民主主義の基本原則
の由来を述べる珠玉の言葉。仏教の偉大さがわかる。が、仏教にせよ、ヤソ教にせよ
その仏国土、コミュニティーを自己中とするが故に排他性を生み出す。真に透明な
コミュニティーはG7国家群の様な社会基盤の上に生まれるが、その対価は地球温暖
化なのであろう。諸行無常だな。

328 :出土地不明:2008/01/08(火) 22:50:19 ID:1Ylvy3b5
すまん、レポート書くから何かいい話くれ


329 :月光仮面:2008/01/13(日) 17:24:15 ID:JxFSbRp7
小アジアを原郷とし、地母神マグナマーテルを信奉、殺雄牛供儀を行い、東トルケス
タン地域で東胡と対峙し、トカラ語を話した月氏がおそらくは趙、中山を経て馬韓に
入り月氏となる。これに羌語を話す西戎秦が加わり応神朝に日本に入り、先着の
東胡文化、三輪王朝と対峙するも継体朝に大和三山方面に新たな都を建設しよう
とする。大筋はこうであろう。

330 :siraki:2008/01/13(日) 17:34:50 ID:zXSrDbcM
檀君 桓國

331 :月光仮面:2008/01/13(日) 17:35:19 ID:JxFSbRp7
地母神マグナマーテルは支石墓・ドルメンと同じ宗教であり、月氏は既に殷・商期に
遼東方面に到達していたことも考えられるが、この頃西戎秦氏は中原の夏・商に
食い込みを始めていたのであろう。

332 :月光仮面:2008/01/13(日) 17:39:09 ID:JxFSbRp7
秦氏は多国籍コングロマリットのようなもので軍事・商業機能を持ってヒクソス・秦となり
後に全員が日本に移住したが、本家筋のものがチベット・雲南方面に若干残るもので
遺伝子的にはYAP+ではないかと思われる。

333 :月光仮面:2008/01/15(火) 12:07:26 ID:zRGlf6ov
ヒクソスというのはアジア系ディアスポラとでも呼ぶのが適当で、当時の東西交易幹線
はカラスク文化であるためカラスク期のアジア系ディアスポラとでも呼んだらいいのだ
ろうか。

334 :出土地不明:2009/12/13(日) 15:49:00 ID:hWN/Mu8i
sge

335 :出土地不明:2010/04/24(土) 00:04:20 ID:5P7Mq9ap
 
      /⌒⌒\
    /⌒(._.ノVヽ._)
ヽ_/⌒   ( ・人・) )  くもじいじゃ
 \_   /  \ノ
     `--(.__.人__.)
 

336 :出土地不明:2010/04/28(水) 16:09:43 ID:CAbkR014
         ,..-――-..、._
       r::::::::::::::::::::::::::::::::::.、
       /::::;:r '´  ̄ ゛ ̄ ヾ:l!
      i;::r!          :i:!
      lr::;!    ,,,_ ; .,,,,_;;:l:!
     r-、r-‐  ̄「tT;: T Tr lエTl
     ! :. i!    ヽニ -' ヽ._/
     .ヽ :..      .:' -、.ノ ::! 今のタリム盆地がすっぽり入るような巨大な湖があったのは事実です。
.      ,>._,       ___, !.:l
   .r:::::::::::::l ヽ ::.   ´` .ニ;::.:/
  /::::::::::::::::::::ヽ::::::.. ._    ,r'、
 /:::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、_  ̄/:::::::::ヽ
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ`‐r!.!ヽ:::::::ヽ

337 :出土地不明:2010/06/24(木) 19:25:59 ID:ZqsULbSa
       ____         / ̄ ̄ ̄\
       /___ \      /  ___ ヽ
    /  |´・ω・`|  \    /   |´・ω・`| \ みんな〜
   /     ̄ ̄ ̄   \  / _,    ̄⊂二二)
   |  i          ヽ、_ヽl |        |
  └二二⊃         l ∪  |          |
     |   ,、___,    ノ    |    ,、   |
     ヽ_二コ/   /     ヽ  / \  /
   _____/__/´     __ヽノ____

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