扶余族
- 1 :出土地不明:2007/08/10(金) 13:46:05 ID:i6vCA21s
- 扶余族について知りたい。どこから来たのか。どこに行ったのか。どんな言葉を喋ったのか。
我々の本当のルーツが知りたい。
- 54 :出土地不明:2007/08/27(月) 15:27:05 ID:miAgEUfB
- 「 わが国に馬が渡来したのは古くても弥生時代末期ではないかといわれている。
4世紀末から5世紀の初頭には乗馬の風習も伝わっていたようだ。」
ttp://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ts/tss/umabunka/04-shiru/01-ningen-history/01-nihon-history/01-denrai-kamakura/index.htm
やっぱり・・・
- 55 :出土地不明:2007/08/27(月) 15:51:07 ID:WDWIwsNF
- >>54
やっぱり負4が日本をつくっったのじゃなかったな
- 56 :出土地不明:2007/08/28(火) 23:02:38 ID:Gb3ZriV+
- 万世一系とは言うが現在まで簒奪なく血筋が保たれているかは不明。
往時の皇家に扶余の血は入っていたかもしれないが。
また、仮にこの国の支配層がそうであったとしても庶民の>>1の家系には関係ないこと
- 57 :出土地不明:2007/08/30(木) 10:07:48 ID:TwAkhD1c
- 韓国 国立扶余博物館
ttp://inoues.net/korea/fuyo_museum.html
- 58 :出土地不明:2007/08/31(金) 23:43:53 ID:Ntp7QAWl
- >50 ヤマト朝廷って名はもう少し後に付けられたと思うよ。
現在の佐賀県の吉野ヶ里にあった邪馬台国が侵入してきた加羅人によって滅ぼされた
侵入してきた加羅人達は瀬戸内海を通って巻向に王都を建設。
朝鮮半島南部の金官加羅国の首都金海から巻向へ遷都。
朝鮮半島南部から日本列島関東までの加羅人によるゆるやかな連合王国が成立。
首都は大阪。
これが古墳時代前期の日本。
ここから日本の歴史が始まる。
- 59 :出土地不明:2007/09/01(土) 02:56:03 ID:sk9FOUqO
- >>58
あんたらはどうしても日本の古代王朝成立の過程で朝鮮系勢力が中心的存在だったと主張したいようだが、
すでに日本には土着の豪族が五万とあった中、朝鮮系が中心的役割を演じたことはありえるとしても、
朝鮮系が権力構造の上層部におけるマジョリティで、土着豪族はマイノリティであり、かつ古代の支配階層が朝鮮系としての証拠がここまで希薄というのは考えられないと思うんだが
- 60 :出土地不明:2007/09/01(土) 22:54:07 ID:63Pjr22Q
- <丶`∀´>←こいつが書き込みしてんだろ
- 61 :出土地不明:2007/09/01(土) 23:26:39 ID:6fgrO9kX
- <丶`∀´>←不要族
- 62 :出土地不明:2007/09/02(日) 11:17:32 ID:L/HjYBu4
- 加羅は百済と戦争していたみたいですから、ちょっと違うのでは?
吉野ヶ里が邪馬台国だと確定するには至らないと思いますが北部九州のどこかでしょうね。
「朝鮮系が権力構造の上層部におけるマジョリティで、土着豪族はマイノリティであり、かつ古代の支配階層が
朝鮮系としての証拠がここまで希薄」
実際の所、滅ぼされた土着豪族のクニも多かったでしょうが、連合した豪族も居たでしょう。
多分、九州麻生氏は代表的な豪族ではなかったかと。
- 63 :出土地不明:2007/09/02(日) 11:35:00 ID:L/HjYBu4
- あと宗像氏は明らかに古代九州の土着豪族ですね。麻生氏とは敵対したり連合したりしていた様子です。
- 64 :出土地不明:2007/09/02(日) 17:15:33 ID:rRFyHU0x
- 台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
- 65 :出土地不明:2007/09/06(木) 02:01:16 ID:vCjCkl/v
- 「4世紀」というのは日本古代史で空白と言われている様ですが、大陸では大激変の時代だった様です。
匈奴と漢の軍事衝突がお互いの疲弊を招き内紛・分裂に至る。その結果、
北匈奴が西へ移動、玉突き状態でフン族がロシア側へ、ゲルマン民族が大移動を始め、ローマ帝国の地中海支配を
解体に追い込む。
東側では後漢の支配が崩れ南匈奴は紛争の真っ只中に立ち、モンゴル高原で鮮卑族が五胡十六国の騒乱を起こす。
西側のゲルマン民族の大移動同様に、それらは鮮卑族と対立していた扶余族等を圧迫し朝鮮半島を南下させ
高句麗や百済、新羅等の国を興し、瞬く間に日本の北部九州に至り、農耕民族であった日本原住民の邪馬台国を
滅亡させ大和朝廷の成立へ至ったのではないでしょうか。
要点は、大陸で覇権を握ったのは遊牧騎馬民族で、定住農耕民族は征服、被支配されていった事、
当時、まさに騎馬技術は人類史を塗り替える革命であった事です。
日本に馬が伝わったのは早くとも4世紀とされている事とも合致します。
それまで定住農耕海産物狩猟民族であった日本原住民は全く歯が立たなかったであろう事は容易に類推出来ます。
- 66 :出土地不明:2007/09/17(月) 08:58:48 ID:VpGl9lgr
- ちなみにスペインがインカ帝国を侵略滅亡させた時も「初めて馬を見た」という証言がありました。
インカ帝国は南米原住民の国でモンゴロイドです。
- 67 :出土地不明:2007/09/27(木) 01:15:53 ID:/crnuM7I
- >>66
インカはちょっとはずれすぎじゃないか。
馬に驚いてたのは最初だけだったはず。
いまじゃ天然痘の流行で誰もいなくなったのが原因というのが主流だったはず。
航海技術や造船技術が低い時代に、日本みたいな島国に
本当に戦闘集団として可能な騎馬軍団が入ってこれたとは思えない。
もし、入ってきていたら、なんらかの、伝説、伝承が残っているとはずだけど、そんなのあるのか?
ヤマト政権が騎馬民族の継承者なら、もっと馬にまつわる伝承とかあると思うんだけど。
天照やヤマトタケルが名前の着いた馬に乗って活躍したとかになるんじゃないの。
そんな話になってないのが不思議だ。
- 68 :出土地不明:2007/09/27(木) 08:34:23 ID:FMzz2DAQ
- 仰る通り、馬にまつわる話と言うのは特に読んだ事無いですね。
ただ15代応神天皇陵墓、誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した国宝の「金銅製透彫鞍金具」の存在は大きいのでは?
「馬」が「渡来」したのは4世紀末とされてますが応神天皇陵墓の国宝と時期も同じだと思います。
埴輪の馬はどの時期に作成されたのでしょうか?
- 69 :出土地不明:2007/09/27(木) 18:56:02 ID:hWvqMI5R
- 国立博物館に埴輪のコピーがうってるが、馬もあったな
鞍はついていたが、鐙も轡もなかった気がする
- 70 :出土地不明:2007/09/27(木) 22:36:45 ID:xgCv14Vq
- >>67
記紀では馬と牛は同等でウケモチの神の死体から生まれている。
ついでに、粟、稗、蚕、稲、麦、大豆、小豆も一緒に生まれているな。
どう見ても農耕民族の伝承だわい。
魏志倭人伝では牛馬無しだから、微妙に文化が違うようだな。
- 71 :出土地不明:2007/10/10(水) 21:33:03 ID:3a2233Ou
- ttp://sankei.jp.msn.com/economy/business/071009/biz0710092025009-n1.htm
- 72 :出土地不明:2007/10/11(木) 02:26:42 ID:Sf4D44D3
- >>71
そんなのに反応するほど考古学板の住人は甘くはないぞ!!
- 73 :出土地不明:2007/10/30(火) 09:28:39 ID:ERlwPgYS
- 未検証ですが、日本の古代文字がハングルそっくりだったので韓国人に見せたらほぼ読めたという話を聞きましたが、
どうなんでしょう?
大きな本屋さんにはいくつか研究書が並んでいましたがこんな感じだったです。
ttp://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-amatu-1.htm
- 74 :出土地不明:2007/10/30(火) 10:31:59 ID:piN/VASh
- >>73
ハングル文字自体が新しい文字。
ただ、ハングル文字を作る時に参考にした古代朝鮮文字があるので、それと古代日本文字が似通っている事には
否定はしない。
- 75 :出土地不明:2007/10/31(水) 02:23:47 ID:UC6Wz2Vi
- ハングルはパスパ文字・チベット文字等の北インド文字を参考にして作られた文字。
「訓民正音」で舌や口の形がどうこう言ってるのはただのこじつけ。
古代朝鮮文字があったという説もあるが、それも蒙古統治時代より先にはさかのぼれない所から見ても、
パスパ文字が起源である事は明らか。
日本の神代文字はハングルをパクったものもあれば単音に分割できない
カナと同じ原理で創造された音節文字もあるが、信憑性のあるものは一つも無い。
古くとも江戸時代より前には遡れない。
- 76 :出土地不明:2007/11/02(金) 10:58:30 ID:ErmUjI1I
- パスパ文字も漢字も原始日本人が作った超古代日本文字が起源だというのを
否定する証拠ってあるんでしょうか?
- 77 :出土地不明:2007/11/02(金) 20:18:18 ID:6wuJ6GRq
- >>76
超古代日本文字っていうと痛いから「ヲシテ文字」って言おうね^^
- 78 :出土地不明:2007/11/02(金) 21:00:10 ID:z1WVjoCu
- ヲシテ文字も典型的な神代文字。存在自体痛い。
漢字渡来以前に文字を持たなかった事をむしろ誇るぐらいの知性はないのか。
文化人類学でも学んで無文字文明の豊かさを知れ。
- 79 :出土地不明:2007/11/03(土) 08:25:00 ID:eOewDj2I
- >>77
ヲシテ文字以前に文字がなかった事を見てきたような発言だな。
証明できるのか?
- 80 :出土地不明:2007/11/03(土) 10:37:12 ID:PRv1wIhU
- >>79
超古代におけるヲシテ文字の存在を証明するのが先だろ?
ぐぐったけど偽造丸わかりの擬古文じゃん。
なにあの無駄な画数の多さ。
常用された表音文字ならもっとシンプルだろう。
漢字以前に文字が無かったことを悔しがる心性こそが恥ずかしいものだって気付けよ。
文字文明の早さで争うことは敵の土俵に乗ったも同然なんだってば。
後世に影響を与えるような、現代人をハッとさせるような、
あるいは国際的に注目されるような、ろくな文献も無いだろう?
そこを貶されたら同じじゃん。お前中国のスパイかよw
そうでなかったら川田順造でもレヴィ=ストロースでもいいからさっさと読め。
- 81 :出土地不明:2007/11/08(木) 14:49:43 ID:mCLmOex5
- ヲシテ文字が実在したとしても、ヲシテ文字なんかより古い文字もあったでしょう。
漢字や古代文字が突然現れる訳もなく、それ以前にいくらでも文字はあった。
ただ現存してないだけでしょう。
- 82 :出土地不明:2007/11/08(木) 16:35:58 ID:LaoBn950
- 数詞対照表の最新版 (娜々志娑无氏提供) 2007/10/25
古代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語
1 Φi1to2 −− hっtっn hっtっn hΛnah hana
(一等) (河屯)
2 Φuta −− tu¨pっ¨l tuβっr tulh tu:l
(二尸) (途孛)
3 mi1 mil siet sei s∂ih se:s
(密) (悉) (洒)
4 'jo2 −− −− nei n∂ih ne:s
(廼)
5 'itu 'utsu −− ta∫us tasΛs tasっs
(于次) (打戍)
6 mu −− −− 'jul∫us 'jっsΛs 'jっsっs
(逸戍)
7 nana nanun −− 'ilkup nilgub 'ilgob
(難隠) (一急)
8 'ja −− −− 'jultap 'jっdщlp 'jっdっl
(逸答)
9 ko2ko2no2 −− −− 'ahop 'ahob 'ahob
(鴉好)
10 to2'wo t∂k −− 'jっl 'jっlh 'jっ:l
(徳) (噎)
※古代日本語の[i1]はイ列甲類、[o2]はオ列乙類。[っ]は母音[?]の代用。
高句麗語の数詞「5」については村山説を挙げたが、李基文や板橋義三は
再構語形を[uc]としている。
- 83 :出土地不明:2007/11/10(土) 13:35:25 ID:+mbxBBrR
- 日本語と高句麗語ってその他にも「似てる」と思える語が30個ぐらいあるんだよね。
でも「似てる」ってだけで印欧語みたいにきれいな音韻法則がない。
語形の再建が難しいのかもしれないが… それ以前に使える語が少な過ぎる。
日本語がフヨ系の言語と関係があるかどうかはやはり何とも言えない。
- 84 :出土地不明:2007/11/10(土) 18:13:02 ID:RKA90H3x
- 途中に漢語が介在しているせいで、類似は指摘できるわけだし、
音韻法則の証明が困難だというだけで、
法則自体が成立しないと断言できるわけでもないんだよな。
- 85 :出土地不明:2007/11/10(土) 18:30:37 ID:YfpX6WVb
- モンゴル語→満州語→扶余語→高句麗語→百済語→日本語
だいたいこういう流れなんじゃないのかな?
- 86 :出土地不明:2007/11/10(土) 23:46:51 ID:xflAuHDX
- トヨクニ文字って、いつ頃のもの?
- 87 :出土地不明:2007/11/11(日) 02:32:14 ID:fNEJM5uV
- >>85
なんで一本の線なんだよw
- 88 :出土地不明:2007/11/11(日) 05:50:06 ID:fNEJM5uV
- 29 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 2007/10/31(水) 20:35:20 0
朝鮮語とアイヌ語の数詞に似たものがあるのは、
いわゆる縄文vs弥生みたいなとらえ方だけでは
割り切れないものを感じさせられるんだよな。
そこで夫余系vs新羅という対立軸が生きてくる。
高句麗・百済・任那の夫余系諸言語はアルタイ諸言語に近いが、
朝鮮語はアイヌ語その他の古アジア諸語の一角を占めていたと考えるべきだろう。
35 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 2007/11/01(木) 02:32:36 0
1 2 3 4
アイヌ語 sine-p, tu-p, re-p, ine-p
朝鮮語 han-a, tu-l, sei-s, nei-s
hとs、sとrなどは比較言語学でよく対応例に出される組み合わせ。
似てるだろ?
- 89 :出土地不明:2007/11/11(日) 12:05:31 ID:rW4Ful/X
- >>87
日本語にたどり着く部分だけを書いたからだろw
- 90 :出土地不明:2007/11/11(日) 14:25:52 ID:fNEJM5uV
- だから、樹形図っていう発想はないのか?
時代順も変だしな。
- 91 :出土地不明:2007/11/11(日) 14:58:27 ID:SG4gD07D
- >88を書いたやつは分かってるようで分かってないな。
hとs、sとrがよく対応例で出されるって、どういうつもりで書いてるんだろうな。
sがhやrに変化する例はたくさんあるが、
普通はたくさんの語の音が規則的に対応してるもんだ。
でも>88の例だとアイヌ語のsが朝鮮語のhに、
朝鮮語のsがアイヌ語でrになってる。
どっちが変化の元になってるか考えて言ってるのか?
しかも母音の対応がバラバラだ。
「偶然似てる場合もあるんですね」って言ってるようなもんだ。
北東アジアのSVO言語で膠着語なやつが
昔は大雑把にアルタイ系だって言われてたんだが、
フヨ系諸語がアルタイ諸言語に近いってトートロジーじゃねえか。
そもそもアルタイ諸語って何のつもりで言ってるのか分からない。
ついでに言うと、アイヌ語は膠着的ってよりかなり抱合的な言語で、
>88の書き手が言いたいアルタイ語とやらとは別物だな。
- 92 :出土地不明:2007/11/11(日) 18:43:10 ID:fNEJM5uV
- >>91を書いたやつはわかっているようでわかっていないな
>>88は沢山の対応例が出る前に対応の可能性を指摘してるわけだろ?
同系の言語A:言語Bで、s:hとh:rが対応するなんてフツーだろ。
もっとデータを集めて音韻変化の条件を探す必要はあると思うけどね。
「どっちが変化の元」だなんて、比較言語学の基礎も知らないようだね。
こういう時は共通の祖語形を設定するんだよ。
「ヒトがサルから進化した」式の言い方をダーウィンはしてないだろ?
ウィリアム・ジョーンズだって「サンスクリットからヨーロッパの諸言語が生まれた」
とは言っていない。
実際子音ではサンスクリットが保守的だったが母音は全滅で、
ギリシア語がむしろよく母音を保存した。
記録された特定の言語が祖語そのものなんて事はまずない。
夫余系諸言語がアルタイ諸言語の一部だったっていう手がかりは、
史書に残された単語だけだから、当然センテンスも形態論もわからない罠。
だったら膠着語だっていう証拠だってないわけさ。
あと、同系の言語でも古典的類型論の帰属を異にすることはザラ。
系統論と類型論をごっちゃにするなよw
現代のインド諸言語はもはや屈折語とは呼べず膠着語だし、
英語は孤立語への道をひた走り、すでに孤立語そのものの変種を生んでいる。
Tok Pisinはれっきとした印欧語だが、まさか屈折語だとは言わないよな?
トゥングース諸語のうち、はっきりと膠着語だと言えるのなんて満洲語くらいだよ。
- 93 :出土地不明:2007/11/13(火) 17:09:59 ID:67Cl25KB
- >>92
>>>88は沢山の対応例が出る前に対応の可能性を指摘してるわけだろ?
>同系の言語A:言語Bで、s:hとh:rが対応するなんてフツーだろ。
それじゃ例を挙げる意味がないな…
これじゃどんな言語でも「対応する可能性あるよ!」って言えちゃうもんね。
>夫余系諸言語がアルタイ諸言語の一部だったっていう手がかりは、
>史書に残された単語だけだから、当然センテンスも形態論もわからない罠。
>だったら膠着語だっていう証拠だってないわけさ。
なるほど。「アルタイ諸言語」なるものがあったってのを
絶対的な前提として出発しちゃってるわけか。
>もっとデータを集めて音韻変化の条件を探す必要はあると思うけどね。
まあこれが全てだね。っていうか、これ以上の資料が集まるのか。
集まると思ってるからこれだけ力説してるんだと思うが…
朝鮮語とアイヌ語が同系統だってのはこの人にとって神聖不可侵な事実か。
そりゃしょうがない、口答えはやめておこう
要するに、>>88のコピペを見せられても
なんとなく似てるのもあるんだ、としか言いようがない
昔の「万葉集は朝鮮語で読める」みたいなもんで
- 94 :出土地不明:2007/12/04(火) 21:04:29 ID:/TUvjTU7
- そもそもアルタイ系言語ってのは、類型論的に似てるってだけで
語族扱いされた経緯があったから、「○○はアルタイ諸言語だった」って
主張する根拠自体が部外者には不明だと思った。
それと
> >>88は沢山の対応例が出る前に対応の可能性を指摘してるわけだろ?
> 同系の言語A:言語Bで、s:hとh:rが対応するなんてフツーだろ。
> もっとデータを集めて音韻変化の条件を探す必要はあると思うけどね。
つまり、証拠はまだないけどこれから見つけるから問題ないって言いたいのか。
言語学って難しいな。
- 95 :出土地不明:2008/04/16(水) 08:40:38 ID:efU6vcDT
- 日本最古の寺院とされる飛鳥寺(奈良県明日香村)のモデルが韓国の王興寺ではないかとの見方が強まってきた。
王興寺は6〜7世紀に百済の都だった扶余(プヨ)にあった寺で、朝鮮の歴史書では600年以降の創建とされていた。
ところが、国立扶余文化財研究所の調査で昨年10月、金・銀・青銅の舎利容器が出土、そこに刻まれた文字から
百済王の発願で577年2月に創建されたことが判明した。
日本書紀によると、飛鳥寺は、577年11月に百済王から技術者が日本に送られ、588年に仏舎利が届いて造営を
開始、596年に仏塔が完成したとされる。今回の出土で二つの寺を結ぶ深い関連が浮かび上がってきた。
今月初めに遺跡を確認した大橋一章・早稲田大教授(仏教美術史)は、両方の寺に同じ系統の技術者がかかわった
のは間違いないとみる。「先行する王興寺を追いかけるように飛鳥寺の計画が進められたのだろう。百済は仏像や
お経を日本に贈ったが仏教は広まらず、寺を造らなくてはとの思いだったのではないか」
現地を訪ねた研究者の間では塔の構造や出土品、瓦の文様などもよく似ていると見る声が強い。飛鳥寺の別名が
法興寺、元興寺というのも王興寺との類似性が指摘される。
仏教は6世紀半ばまでに日本に伝わったとされる。本格的に受容されるのは飛鳥寺の段階からだが、建物は鎌倉
時代に焼失、仏舎利の行方もわからない。「飛鳥寺の舎利容器も王興寺の出土品と同じようなものだったはずだ。
なぞだった飛鳥仏教の具体的な姿が見えてきた」と大橋教授。調査は00年に始まり、今後10年は続く見通し。
ソース
asahi.com http://www.asahi.com/culture/update/0415/TKY200804150318.html
2 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/04/16(水) 07:31:42 ID:Aka2S7Xz
- 96 :出土地不明:2008/04/18(金) 09:28:24 ID:NfYlmZUx
- >>95
瓦と塔の構造は百済に類似するものがあり、
伽藍配置(建物の配置)は、百済の敵である新羅又は高句麗に類似するものがある
建築のマスタープランともいうべき伽藍配置を軽視するなど、笑止。
大橋一章教授、あんたも素人じゃないんだから、・・・。
正しい考え方は、
日本側が飛鳥寺のプロデュースを進め、その建設の過程の中で、半島の工人をこき使った。
半島の工人には、百済の者も新羅や高句麗の者もいた。
なお、日本書紀の崇峻元年(588)には、百済が仏舎利や工人を「献じた」とあり、個人名まで明記されている。そして飛鳥寺(法興寺)を「作り始めた」とある。
つまり、百済の工人の主要メンバーは百済からの貢物。(百済は実質日本の属国)
それ以外の工人の多くは、出稼ぎ労働者
又は半島を嫌って日本を慕い、半島人であることをおぞましく思い日本人になろうと日本へやってきた人々。
- 97 :出土地不明:2008/04/19(土) 10:24:18 ID:SpwjpWU8
- 私が考えるに 言葉の意味から言うと、扶余とは日本国の余り。
つまり日本の国の別名が扶桑国であるので その余り、日本から来た者たちという意味だと
思うわけです。
古代、日本が遅れていて、中国から広まった文明が辺境であるはずの日本へ、韓
間違えとしか思えなくなってきた。 今までの常識は逆ではないかと思うわけ
です。
当時 日本の力がそこまで到達していて 多くの日本の民がそちらへ行っていたと考えたら矛盾があるのかどうか。
付与国の風俗習慣というのを書いてある所をみたが古代の日本だとしても矛盾がないように思えた。
- 98 :出土地不明:2008/04/19(土) 13:55:40 ID:qmEt6G5m
- >>97
昔、満州に開拓移民として移住した人達の中に、親祖国派と反祖国派に
わかれて争った人達がいたらしいけど、親祖国派とは正に扶余グループで
反祖国派とは白頭山に逃げた高句麗グループ、そこで倭人軍部は親祖国派
を集めて皇帝溥儀、擁する「満州国」のような傀儡政権「百済、新羅」
を樹立、まるで張作霖の日中合作の様な、倭・楽浪郡合作って所か道理で
半島北部には倭人語、数詞が残ってる訳だ満州では北に馬賊、南白頭山に
山賊が出没した。
倭王「帥升」などは、しきりに楽浪郡へ生口(奴婢)数百人を送り出してた
からな、満州建国史と古代半島史は良くにてる。
- 99 :出土地不明:2008/05/08(木) 18:10:13 ID:szsZktBe
- 知り合いの店がここ3ヶ月で3つ潰れました。うちだけが悪いのかと思っていたけどそうじゃない。。。
- 100 :出土地不明:2008/05/15(木) 15:35:28 ID:64qBSNEj
- アイヌ民族、先住民族認定へ 今国会決議 サミット前政府声明(05/15 06:41)
自民、民主、公明、共産などの各党は十四日、アイヌ民族を先住民族として認め、権利の確立を求める国会決議を今国会中に行う方針を固めた。国会決議を踏まえ、政府も七月の北海道洞爺湖サミット前に、
アイヌ民族を先住民族と認める声明を正式に発表する方向で調整に入った。
三月に発足した超党派の北海道関係国会議員による「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」(代表・今津寛自民党道連会長)が、政府や各党と水面下で調整をしてきた。
「議員の会」は十五日に各党代表による世話人会を開き、決議案の文案調整に着手する。決議案は、《1》先住民族として認める《2》名誉や尊厳、権利の確立を図る《3》政府にも先住民族の認定を働きかける−ことが軸になる。
二十二日にはアイヌ民族の代表が官邸を訪れ、福田康夫首相や町村信孝官房長官らに権利の確立を要請する。政府は国会決議後に、首相自らによる声明文か、官房長官談話の発表を検討している。
国連は昨年九月の総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択した。しかし、政府は「アイヌ民族の権利を認めると財政措置が必要になる」(首相周辺)などの理由から、国内での適用に難色を示していた。
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/92785.html
- 101 :出土地不明:2008/05/15(木) 15:38:23 ID:64qBSNEj
- 後住の民族は・・・
- 102 :出土地不明:2008/06/20(金) 13:17:29 ID:a9nYiOjP
- 司馬遼太郎は倭人と扶余族は分けて考えてたようですな!
http://www.kurikomanosato.jp/to-siba-syuhen2.htm
- 103 :出土地不明:2008/06/21(土) 13:08:49 ID:ckIa2srr
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■『新羅文化』は日本文化よりも遅れていた
現代の韓国人は、「古代日本人に対して古代韓国人が先進文化を教えてあげた」だの、
「古代韓国文化が、古代日本文化に大きな影響を与えた」だの、「日本仏教は新羅仏教の影響を受けた」だのと、
デタラメな話を主張する。
古代韓国などという国は存在しなかったし、古代韓国文化も存在しないのである。カラ(韓)は韓国ではない。
新羅と日本の間で、『文化交流』は無かった。外交関係はあったが、それは友好関係ではなかった。
両者の合意の上で、使節団を派遣し合い、相互スパイ活動(相手国の内情を探る活動)をしていただけだ。
半島の新羅時代は、日本の平安時代と重なるが、新羅文化の日本文化に対する影響はゼロである。
日本文化に影響を与えられるわけがない。なぜなら、5世紀〜9世紀にかけての時代に存在した東アジアの国で、
新羅は文化的にもっとも遅れた国だったからだ。日本文化の足下にも及ばないほど、新羅文化は後進的だったのだ。
その証拠は、新羅文化が現在の韓国にカケラも残っていないことである。同時代に存在した日本の平安文化は、
現代の日本にも伝えられている。平安文化が、平安時代、鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代、明治時代、
大正・昭和・平成時代と受け継がれてきたのは、それだけの価値がある文化だからだ。平安文化が各時代の日本人から
愛されたからである。
もし新羅文化が、日本の平安文化に匹敵するほどの成熟した文化、洗練された文化であったならば、
とうぜん高麗時代にも受け継がれたはずであり、現代にも残っているはずだ。しかし実際には残っていない。
これは、新羅文化が『狩猟文化』を基本とする原始的文化だったからであり、後世に伝えるほどの価値が無かったからだ。
新羅には仏教文化は無かった。古代の半島において仏教が盛んだったのは、西北部(旧帯方郡)と西南部(クタラ)
であって、新羅本領(現在の慶尚道)ではないのだ。
新羅の仏教文化ウンヌンという伝説は、高麗時代に「創作」された話にすぎない。統一新羅の仏教文化は百済文化であり、
帯方郡文化なのである。新羅文化ではない。
日本の平安文化に匹敵する「成熟した文化」「華麗な文化」は、新羅には無かった。平安日本のほうが先進国だった。
これが歴史の真実である。韓国人にとっては認めたくない真実であろうが、真実は真実なのだ。
★『承香院・平安文化研究会』ホームページ
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