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蒙古侵略を防げたから漢民族より大和民族の方が優秀

1 :名無的発言者:2010/05/31(月) 09:04:20
そう思います。

2 :名無的発言者:2010/05/31(月) 14:40:50
2

3 :名無的発言者:2010/05/31(月) 19:24:31
いまの中国人は偽漢民族だって

4 :名無的発言者:2010/06/01(火) 14:23:17
清朝の満州人にも勝ったから、やっぱり優秀かも…
と思ったんだけど、日本人は漢民族との直接対決だと勝率0%なんだよね。

5 :名無的発言者:2010/06/05(土) 15:34:54
海のおかげ

6 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:30:24
愛国無罪は中国の悪しき伝統である。身勝手な口実である。国を愛して行えば少々のことは許されるとは、中国国内で通じこそすれ、国際的な免罪符にはならない。百年前を顧みて義和団を正義の反帝国主義運動なりと言うのは勝ってだが、
動機は行為を正当化しない。愛国無罪はならず者の論理であり、それを許す国はならず者の国家である。
・フビライは、東アジアへの支配を拡大する中、東方で独立を保っていた日本をも征服しょうと企て、たびたび使いを日本に派遣し、服属するよう求めた。
 フビライが日本に送った国書は、日本を見下した無礼極まりない内容である。例えば最初の国書は「関係がうまくいかない場合は、兵を用いる」とあり、ほとんど脅迫状といったほうが近い。
こんな要求は受入れられるはずがない。
 朝廷は鎌倉幕府は一致団結して、フビライの要求をはねつけた。二度にわたって届いた元の国書に対して朝廷が用意した返書の下書きには「日本は天照大御神の子孫が統治する立派な国なので、
知恵でも武力でも侵すことはできない」とあった。戦端が開かれるのは必死である。鎌倉幕府は、時の執権・北条時宗を中心に元の襲来に備えた。
・弘安4(1281)年6月6日の弘安の役では、文永の役をはるかに上回る大軍団が来襲し、日本は窮地に立たされる。フビライは前回の失敗に鑑み、兵力を増強、四千四百隻、十四万人にも及ぶ兵を送り込んできたのである。
 博多湾は元の船で埋まった。だが、鎌倉幕府は博多湾に石塁夷を築き、防御を固めていたために、元軍は上陸できず、しかも日本軍は勇敢にも夜陰に紛れて、敵船に乗り付け、さんざん斬りあったあげく、船に火を放ち元軍を苦しめた。
一進一退の凄絶な死闘を繰返すこと五十四日間に及んだ。
 そして、七月三十日の夜半、またしても奇跡が起こった。再び大暴風雨が博多湾を襲い、元の船は海の藻屑と消えたのである。日本軍の追撃もあり、元は壊滅的打撃を受けて敗退した。軍勢の四分の三を失い、
無事帰還できたのは三万人にも満たなかったといわれている。こうして日本は第一の国難を切り抜け、独立を保つことができた。



7 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:36:00
圧倒的な元の軍勢に勝てたのは、二度の”神風”が吹いたからだというのが定説になっているが、勝因はそれだけではない。元は騎馬戦では、無類の強さを発揮したが、海を渡っての戦いには慣れていなかった。
また、大軍の中には高麗や宋の兵も多く交じっており、内部的な団結は弱かった。
 そして、最も強調すべきは、自分達の国を守ろうという当時の日本人たちの気概である。この国難に際し、朝廷と幕府は一致協力し、執権・北条時宗を中心に幕府統制のもと、御家人たちががっちりと団結し、
勇猛果敢に戦ったことが活路を開いた。 ・国のために私利私欲を排してまとまった御家人、
国のために一心に祈った宗教家たちが民衆の心を束ね、ひとつになって国難に向ったおかげで二度の暴風雨の到来という奇跡ももたらされたのだと。
 当時の人々、とりわけ武士には何よりも公を優先する心があった。「いざ鎌倉」の言葉が残っているように、武士たちは質実剛健を旨とし、平時は国難に備えて武道を磨き、質素な生活を送り、
いざ国難に際しては、すべてを捨ててでも駆けつけるという気概があった。
愛国心とは国家の『尊厳』と『名誉』と『主権』を守り抜く決意のことだ。
 主権とは国家の独立性、つまり国のあり方について他国の干渉や介入を一切許さず、国のことは国の中で決めるということだ。
内政への介入を絶対に許さないことなのだ。
先人は「一燈照隅、万燈照国」と言った。皆がそれぞれ一燈を掲げていこう。私利私欲ではなく国家民族の未来のために行う行動は、いかなる行動であろうとその大小を問わす、
国家再生という大きな大河へと流れ込む一粒の水滴となる。そしてその水滴はやがていつの日か、大いなる本流となって穢れた自虐史観を洗い流し、私達の愛する日本を再び強く誇り高い侍の国へと至らしめるものと信ずる(519頁)。


8 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:38:49
中華思想はNegativeだけではなく良い面も有る。 民族を問わず、時の王朝に朝貢すればその仲間に入れるという広大な思想である。
日本が現代でも叩かれているのは朝貢を渋って冊封体制下に属することを拒んだからである。
朝鮮半島は古代から自ら進んで中華王朝の冊封体制下の地域になった。 よって終戦まで朝鮮半島には独立国家が存在していなかっ
た。
時の地方豪族が僅かの貢物を中華王朝に贈りその数倍数十倍のお土産を授かって些かでも国らしき体裁を保っていただけである。
『韓国人は中国人のパンツを穿いた猿』・『鮮人は支那人の飼い犬である』と言われる由縁である。



9 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:42:46
明治33(1900)年、ロシアは満州に侵入し、5、6千人の清
国民間人を虐殺する、世に言う「黒竜江上の悲劇」を起こしま
す。明治36年には、韓国の鴨緑江河口を軍事占領し、要塞工
事を始めました。朝鮮半島までロシアの勢力圏にされたら、日
本の安全と独立は重大な危機に瀕します。現在の北朝鮮のよう
な国が九州の目と鼻の先の釜山まで進出してきたと想像したら、
その脅威は現代の我々にも容易に実感できます。

 日本は清韓両国の独立と領土保全を要求して対露交渉を試み
ますが、ロシアは我が国の最終提案に回答せずに、急ピッチで
戦争準備を進めたため、ついに明治37年2月6日、国交断絶
を通告し、開戦となりました。

 この時に、明治天皇は次の御製を残されています。

 四海兄弟
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

 日本を取りまく四方の海はみな兄弟同胞だと思っているのに、
どうして波風が立ち騒ぐのであろうか。「など」という一語に、
国家間の平和と友好を祈念されながらも、戦いのやむことのな
い国際社会の現実を悲しく思し召されている御心が窺われます。
大東亜戦争開戦の際には、昭和天皇が再びこの御製を示されま
した。近代世界システムの荒海に投げ出された日本の宿命はこ
の一首に象徴されています。[a]



10 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:47:32
日本を取りまく四方の海はみな兄弟同胞だと思っているのに、
どうして波風が立ち騒ぐのであろうか。「など」という一語に、
国家間の平和と友好を祈念されながらも、戦いのやむことのな
い国際社会の現実を悲しく思し召されている御心が窺われます。
大東亜戦争開戦の際には、昭和天皇が再びこの御製を示されま
した。近代世界システムの荒海に投げ出された日本の宿命はこ
の一首に象徴されています。[a] 日露戦争での勝利により、我が国はかろうじて独立を護るこ
とが出来ましたが、それは同時に近代世界システムに虐げられ
ていた世界の諸民族に希望を与えました。

 ・フィンランド大統領パーシキピ
 私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最
初のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んで
きた。彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。彼は身
ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたか
を熱狂的に話して聞かせた。フィンランド国民は満足し、
また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、そして多く
のことを期待した。[1]
中国の国父・孫文
 どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロ
ッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパ
の奴隷にならなければならないと考えたのです。(中略)
ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。ヨーロッパ
に対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれ
がはじめてでした。この戦争の影響がすぐ全アジアにつた
わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、
とても大きな希望を抱いたのであります。[2]


11 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:48:51
中国の国父・孫文
 どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロ
ッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパ
の奴隷にならなければならないと考えたのです。(中略)
ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。ヨーロッパ
に対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれ
がはじめてでした。この戦争の影響がすぐ全アジアにつた
わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、
とても大きな希望を抱いたのであります。[2]


12 :名無的発言者:2010/06/05(土) 16:51:25
近代世界システムの荒波をかぶりつつ、必死に独立を護って
きた日本の歩みは、好むと好まざるとに関わらず、世界の非白
人諸民族に独立への希望を与える役割を担う運命にありました。
あるいは東南アジアの華僑のように、欧米の植民地支配機構の
手先となって安逸を貪るという道もありましたが、我々の父祖
はそのような選択をしませんでした。先に引用した「四海兄
弟」の明治天皇御製に見られる、世界の諸民族が平等に仲良く
していかなければならないという理想が根強く日本人の心の中
にあったからです。

 その理想はどこから来たのか、実は我が国はこの理想に基づ
いて建国されたのです。

 日本書紀には建国の詔が記されていますが、その中で神武天
皇は「恭みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたか
ら)を鎮むべし(謹んで皇位につき、大御宝、すなわち人民が
安寧に暮らせるようにしよう)」と即位の抱負を述べられ、さ
らに「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめにし
た)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと、亦可からずや」
(国家をまとめて、都を作り、天地四方の人々が大きな一つ屋
根の下で仲良く暮らせるようにすることは、素晴らしい事では
ないか)」と語られています。



13 :名無的発言者:2010/06/05(土) 23:14:28
この理想は江戸時代には日本国内において相当部分実現され
ていたのですが、明治維新と共に漕ぎだした国際社会の荒海は、
この理想と相容れない近代世界システムが支配していました。
その植民地主義と人種差別とは、「大御宝」と「一つ屋根」と
いう我が国の建国以来の理想とは本質的に相容れないものだっ
たのです。我が国固有の理想を護ろうとすれば、近代世界シス
テムとの衝突は避けられなかったと言えます。

 そこに我が国近代の悲しい宿命があったわけですが、我々の
父祖はその宿命に立ち向かい、大きな犠牲を払いつつも、世界
の潮流を転換させる上で指導的な役割を果たしてきたのです。

 フィンランド人を「スターリンのソ連とヒットラーのドイツ
に挟まれて、独立を維持した小さいながらも偉大な国民」と言
うなら、我が国は「『大御宝』と『一つ屋根』の理想を掲げて、
近代世界システムの植民地主義と人種差別主義に戦いを挑んで
きた国民である」と自分自身を語るべきでしょう。

 そしてこうした父祖の足跡を我々が自分自身のものとして引
き受ければ、現在の国際社会においても、取り組むべき課題が
たくさんあることに気がつくはずです。真の国際貢献とは、ま
ず我々自身が父祖から受け継いだ贈り物の真価を発見する所か
ら始めるべきです。



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