前衛書道は詐欺
- 1 :わたしはダリ?名無しさん? :02/02/08 16:43
- あんなんで金取るのは詐欺。恥を知れ。
ナルシスト書道家のオナニーじゃんか。
- 2 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/08 23:18
- まあ現代美術ってみんなそうだから。
- 3 :のり:02/02/08 23:38
- >1
例えば?
- 4 :現代美術作家:02/02/08 23:40
- >>2そうそう
うわーん。。。
- 5 :御愁傷様です。:02/02/08 23:44
- 私のオナニー姿最高!とお姉ちゃんに言われて、我慢すればいいのに
わざわざお金払ってオナニー見せてもらったが、あまりのいい加減さ
にその場では言葉もなく、お姉さん、そんな1さんを見て勘違い。
「ね、よかったでしょ?」そんな1さん、相手の手前、何も言えず、
その後に「あれは詐欺だな、プロの癖に、恥を知れ!糞!」って、そ
の事だけが頭を離れず、思わず2chで駄スレを立てずにはいられなかっ
た怒り心頭な1さんのいるスレ。
- 6 :その2の場合。:02/02/08 23:56
- 私のオナニー姿最高!とお姉ちゃんに言われて、我慢すればいいのに
わざわざお金払ってオナニー見せてもらって「いや〜昨日は、ウフフ」
とかって気味悪くほくそ笑んでいる周りのヤツの話しを聞いて、「んな
もんに金払う馬鹿いるか?小一時間、問いつめ(以下省略)」などと
思い、吹きすさぶ風の中、「なんだかな〜世間ってとこは、そんなオナ
ニーぐらいで金がっぽり稼ぐヤツらが野さばりやがって、あんなの詐欺
や!恥を知れ!糞!」 て、思いその事だけが頭を離れず、思わず2chで
駄スレを立てずにはいられなかった怒り心頭な1さんのいるスレ。
- 7 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 01:02
- >>1
勅使河原蒼風もダメかな?
私は結構おもしろいと思ったが。
- 8 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 01:19
- >>7
ぺっ、ぺっ、あっち逝って!
- 9 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 01:50
- いやなら買わねばいい。
好きなら見に行くし買えばいい。
それだけのことだ!
いちいち、非難するなヴォケ!
- 10 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 01:59
- >>9後ろ向きな考えはやめて好きな作家の
魅力を分かりやすく解説するのが真のファンであろう
- 11 :のり:02/02/09 13:32
- ≫1
どんなんで金取られたの?
- 12 :catt ◆X.ore.zA :02/02/09 13:51
- そうですね。>>1さんはどういう物を購入されたんでしょうか?
- 13 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 18:09
- >>12
1が買ったとは限らないでしょ。
- 14 :catt ◆X.ore.zA :02/02/09 18:12
- 買わないで詐欺とは?>>13
- 15 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 18:22
- cattさん大丈夫ですか?
警察官が詐欺で誰かを逮捕したからといって
警察官が詐欺に引っかかったわけじゃないでしょ。
治療には、こちらへお越しください。
http://jbbs.shitaraba.com/study/65/
- 16 :わたしはダリ?名無しさん?:02/02/09 19:20
- じゃ詐欺紛いでいいんじゃない?
- 17 :のり:02/02/09 23:24
- このスレ、内容がないよ〜ん。
- 18 :わたしはダリ?名無しさん? :02/02/09 23:54
- 前衛書道よりは内容がある。
- 19 :のり:02/02/11 03:48
- でもちょっとマジはいるけど、ゼンエイも一概に軽視できないよ。
彼らはともすると、今のニッテンのお偉いさんよりも偉大な功績を
残してたりする。
あ、今のゼンエイはだめよ。あ、そんなこと言ったら今全体的に
低迷してるか。
でも、彼らがいなかったら良くも悪くも現代日本書道界の評価もなかった
と言っても過言ではないだろうと思うね。
- 20 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/11 22:01
- 日展はダメだ。 金やコネで賞があるようなとこ。 日本の悪い確執だね。
- 21 :わたしはダリ?名無しさん?:02/08/13 01:36
- 99%の油絵よりも現代書道の方がよっぽど面白いけどね。
- 22 :わたしはダリ?名無しさん?:02/10/05 07:23
- 詐欺だね詐欺
- 23 :名無しさん:03/01/02 19:02
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ | 君さぁ こんなスレッド立てるから |
( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
( ゚Д゚) < おまえのことを必要としてる奴なんて |
/つつ | いないんだからさっさと回線切って首吊れ |
\____________________/
(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)
(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)
(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)
- 24 :山崎渉:03/01/08 22:39
- (^^)
- 25 :山崎渉:03/01/18 11:18
- (^^)
- 26 :山崎渉:03/04/17 09:33
- (^^)
- 27 :前衛推奨:03/04/18 23:05
- 書の本質的性質からみれば「今の前衛書」は非難を受けるのは当然。
もともと東洋芸術の土台に西洋要素をねじ込んだところに原因がある。
根本的な問題だが・・書は東洋の宗教観の上に芸術性を見るべき。
西洋が求めた表現主体の自律的芸術とは性格を異にするのだよ。
そこを踏まえて活動してるのか・・今の前衛作家は?
確かに今では伝統という悪質を生み出し進む現代書道だが・・・
排他的性格も東洋の芸術にはつきもの・・
ただ保守的になったら書も終わり。
伝統=保守という概念の崩壊が、まずクリアする問題だ・・・・
- 28 :山崎渉:03/04/20 03:51
- ∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
- 29 :わたしはダリ?名無しさん?:03/05/13 14:22
- 詐欺と詐欺紛いは言葉は違っても中身はかわらないでしょう。
黒とグレーは結局同じかもな。
- 30 :わたしはダリ?名無しさん?:03/05/13 23:36
- 書の本質的性質から見れば非難を受けるのは当然。
↑
そのまえに前衛なんて書じゃ無いと思われ。
もうあれは他のジャンル。
せいぜい新らしがって楽しんでいただきたい。
- 31 :わたしはダリ?名無しさん?:03/05/15 00:56
- 前衛書って具体的にどの辺りを指して言うの?
墨象とか?
調和体とか漢字小字数あたりは?
淡墨使ってたら前衛?
もしかして「お習字」っぽいもの以外は全部前衛とか?
- 32 :わたしはダリ?名無しさん?:03/05/19 19:40
-
簡単にわけちゃえば、なんて書いてあるか分からないのが
前衛なんじゃないのか?
(古典文字がわからないとか草書が読めなというのはナシで)
- 33 :山崎渉:03/05/21 21:38
- ━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
- 34 :わたしはダリ?名無しさん?:03/05/25 21:30
- 文字性があるか?って事??
可読性が問題か・・・なら「書」の定義は「文字を書く」ってことになるよな?
借り物の言葉を読めるように書き連ねた現代作品より、可読性にこだわらず
他の美的要素で勝負してる作品の方が魅力的だと思うが・・・
話は変わるが。
西川寧の作品のいくつかだって、あの時代に並行してた
「前衛」の要素を感じるものがある。
あの人は「前衛」とは逆の立場をとってたけどね。
学識もあって確実な学書を積んだ人の作品だってチョイト距離
を置いて眺めれば・・・前衛的な要素がチラホラしてる。
同じ作品を前衛思想者が創ってたらどう評価されたろうね?
バックグランドから書を見るから変なところに線をひいたりすんだよ。
作品だけで評価すれば前衛も何もなく好いか悪いかで判断できるのに。
- 35 :山崎渉:03/05/28 14:08
- ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
- 36 :わたしはダリ?名無しさん?:03/05/30 19:41
-
- 37 :vv:03/05/30 19:46
- みてね♪
http://s-rf9.free-city.net/page003.html
- 38 :わたしはダリ?名無しさん?:03/06/19 13:36
- 何故ウサギはカメよりも足が速いのか
それはウサギの寿命がカメよりもずっと短いからである
カメよりも短い人生の中でカメと同じだけのものを残すため
ウサギの足は速いのである
- 39 :わたしはダリ?名無しさん?:03/06/19 15:23
- 米国系Web
http://pleasant.free-city.net/
- 40 :わたしはダリ?名無しさん?:03/06/19 22:36
- まず、詐欺とはなにか説明しろ
次に、詐欺ではない書道を説明しろ
そして、書とはなにか説明しろ
1よ
- 41 :8 ◆YAC8RdPvv2 :03/06/21 21:39
- >>2
禿同
話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
- 42 :わたしはダリ?名無しさん?:03/06/27 23:17
- 詐欺な書家もいれば、詐欺じゃない書家もいるでしょう。
どんなジャンルにも。
- 43 :山崎 渉:03/07/12 12:24
-
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
- 44 :山崎 渉:03/07/15 12:55
-
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
- 45 :なまえをいれてください:03/07/17 17:15
- ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
- 46 :なまえをいれてください:03/07/23 17:21
- ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
- 47 :世直し一揆:03/07/27 20:41
- <血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い)
●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていない場合特に))
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているので性格が鬱陶しい(根暗・陰気)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない)
●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)
●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、またポーズだけで中身を伴っていない、「世間体命」)
●たとえ友達が多くいても、たいていは浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから)
●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかないだろう!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
- 48 :ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk :03/08/02 03:02
- ∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
- 49 :山崎 渉:03/08/15 18:40
- (⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
- 50 :初夏:03/08/15 21:21
- 書やってる人だったら空間とか線とかあと落款とか見ればいいものくらいわかるっしょ。
別に前衛に限らずすんげーやばい作品とか平気で出してる人いるしね。前衛は精神性を重視
する傾向があるから、それだけに突っ走っちゃってまともな基礎ができてない人が多いのも
事実。毛筆デザイナーもかなりやばいの多いよね。。
- 51 :kei:03/09/15 08:56
- 前衛とは 何か 線の芸術書 書道会では一部の人以外は指導者の物まね 自己満足
- 52 :わたしはダリ?名無しさん?:03/10/02 03:35
- >>34
他の美的要素で勝負してる作品の方が魅力的だと思うが・・・
とありますが、読めない書ばっかりで理解でない人だらけだから
漢字仮名交じり(調和体)作ったんでねーのかい。
わざわざ読めるように・・。
そもそも文字を素材にしないと書ではない。
それはつまり古典にもとづいたものでないといけない。
西川寧はどんな作品もすべて古典に基づいて書かれている
確かに「禅」の影響は多少なりとも受けているかもしれないが
それは「前衛」とは全然違う。
- 53 :わたしはダリ?名無しさん?:04/05/09 00:33
- >そもそも文字を素材にしないと書ではない。
それはつまり古典にもとづいたものでないといけない。
そこに疑問を持ったから、前衛は生まれたんでないですか?
だって、その理由をうまく答えられますか?
- 54 :わたしはダリ?名無しさん?:04/05/10 20:58
- 漏れは前衛書道について疎いんだが、
前衛書道って言うのはあれか、あの
猫の足の裏に墨つけて、紙の上を走らせたみたいなやつか?
- 55 :わたしはダリ?名無しさん?:04/05/10 21:25
-
骨董品、特に茶碗の箱に書いてあるのは詐欺が多いと思うが !?
- 56 :わたしはダリ?名無しさん?:04/05/10 21:28
-
54 それもそうだが
2度と同じ物を書けないようなやつだ。
- 57 :わたしはダリ?名無しさん?:04/05/10 21:37
- http://openuser1.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/toratoratora55jp
- 58 :わたしはダリ?名無しさん?:04/05/10 21:51
- >>55
骨董品の箱書きなどは問題外ですよ
中身がほとんどニセモンなんだから外だって同じ!
- 59 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/03 08:54
- http://nice.ciao.jp/ '04WEB公募書道展
前衛書道は去年排除された?時代は変わりつつ・・
- 60 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/03 22:50
- ミヤモトだが。何か?詐欺呼ばわりしないでくれる。
- 61 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/07 15:34
- ○水墨抽象と非文字作品て何が違うのでしょうか?
○それと、今現在自分で、あるいは自分たちで「前衛書道」と語っている人は(おさるさんは除いて)いるのでしょうか?
ご意見お聞かせください。
- 62 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 08:50
- 「書道」じゃなくて「ドローイング」としてみてみれば結構面白く鑑賞できるのでは??
- 63 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 16:01
- >>62
それは、「前衛書道(ここでは非文字作品)」をドローイングとしてみる、ということでしょうか?
ドローイングとしてみた場合、水墨抽象と「前衛書道」では、見分けることが出来るのでしょうか?
別に、鑑賞者がカテゴライズする必要はありませんが、作者からすると異なるものを同じカテゴリーに分けられたことになりますよね。
私の考えは、水墨抽象、あるいはドローイングは「描」かれたもので、非文字の書作品は「書」かれたもの、です。
どうでしょうか?
- 64 :62:04/07/08 20:44
- これはあくまで僕の私見ですが、
「書」の存在自体を「ドローイング」として見るというのはどうですか?
そこに、歴史的価値や、格式等、様々な概念が附随したものが「書」、
今を生きる人達の痕跡を表わしたものをいわゆる「前衛」と
言われている「書」
>>63 さんの意見と違う点は全てをひっくるめて「描」であるという
事。だが、これは僕がドローイングを主軸にいろいろな作品を制作
したり、見たりしているためかもしれません。だから、冒頭に
「僕の私見」と記したのもそのためです。
- 65 :63:04/07/08 21:25
- >>64
「描く」という行為の下に「書く」や「掻く」、また狭義の(絵画を)「描く」があるという認識でしょうか?
それならば、石川九楊さんの表記のようにひらがなで「かく」ではどうでしょうか?しかし、その場合ひらがなのない中国ではどう説明するか問題になりますが。
>>今を生きる人達の痕跡を表わしたものをいわゆる「前衛」と言われている「書」
うまく理解できません。少し説明してもらえますか?
私は、所謂「前衛書道」は前衛とは全く思っていません。ですから「」や所謂という言葉をつけています。
「前衛書道」の先生にお習字を習った若い人は、自分で何か書こうと思ったら先生の「前衛書道」を真似るようです。
そこには前衛の意識はありませんし、書の中に入れるには水墨抽象との差異がありません。前衛「書道」という以上、書である必要があると思います。
それが何か?という他の人の意見を伺いたかったのです。
sageてもいいですか?
- 66 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/08 21:28
- >>65
すこし言葉が足りませんでした。
「前衛書道」が書である為には、なにが他の異なるのか? それは何か?
について、意見を伺いたかったのです。
- 67 :62:04/07/09 02:14
- おそらく、「書」であるためには、旧来からある「書」の基本を
ふまえた上で敢えて抽象化に挑むのが本来の前衛の形なのでしょう。
しかし、63さんの話によると、それが形式化、模倣化されてる以上、
数ある書道の流派の中の一つの「前衛書道」にすぎないと思います。
つまり、僕が思うには「前衛書道」が書道である理由はあくまで
旧来からある書道の活動のシステムを踏襲しているからにすぎない
ではないか、と、僕は推測します。
- 68 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/09 22:17
- >>67
旧来からある書道の活動のシステムというものは具体的に何を指すのでしょうか?
補足願います。
- 69 :62:04/07/10 03:17
- 師範だの教範だのの階級のシステムです。
日本に古くからある「〜道」「〜術」とつくものには大抵あると思います。
- 70 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 13:24
- >>69
ありがとう。
1、「旧来からある「書」の基本」とはなんだと思いますか?
2、「敢えて抽象化に挑む」といいますが、書における抽象化とはなんでしょうか?
ドローイングとしてみるという考え方には、あまり賛成していません。
デッサン(ものの見方)が基本の絵画、線のかき方(書字行動)が基本の「前衛書道(仮)」という考え方はどう思いますか?
- 71 :62:04/07/11 21:11
- 1 基本の道具(筆、墨、硯、半紙等)だとか、表現なら楷書と文字、文章
の意味の最低限の把握でしょうか?
2 「草書」なども抽象化の一つかもしれません。線がより生き生きとしたもの
で、且つ本質もついているものだと思います。
>デッサン(ものの見方)が基本の絵画、線のかき方(書字行動)が基本の「前衛書道(仮)」という考え方はどう思いますか?
「どう?」とは?堅実な考えかと思います。ただ、この考え方も数ある中の
一つの考え方にすぎないと思います。絵画でも多種多様な方法がある様に
「前衛書道(仮)」または「書」にも多種多様な方法があるのでは
ないかと思います。「道」や「術」にこだわると、今まで記したような
堅実な意見しか出ないわけで。ただ、いづれもモノや書の本質を見極めて
いないと作品としては成り立ちません。本質を見極める方法で比較的確実なのが
デッサンであったり、書字行動なのだと思います。
ドローイングとして見たりするのは、あくまで立場上の見方であり、絵画を
通して色々なモノを見知しているいわば「職業病」のようなものであり、
他の分野の人からしたら賛成できないかもしれません。一つの提案として
受け取って下さい。
- 72 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/13 19:47
- 書道スレ落ちたの?
- 73 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/13 23:26
- >>71
たとえば青山杉雨や新井光風は、書のタブロー化を重視しました。
しかし、書をドローイングとしてみた場合、書かれた言葉の持つ意味、筆順を追って時間軸で見ていく書字行為のの追体験、そこから伺える線のリズム(作者の感情)が鑑賞から落ちるのではないでしょうか。
そしてそれは書が他の平面芸術と異なる大きな要素だと思います。
ドローイングとしてみることは、もちろんひとつの鑑賞の在り方ではありますが、一面的なものしか見られないように思います。
「道」「術」は、書以外の様々なものが付随していて、問題も多いと思います。しかし、「書法」と言った場合の「法」、つまり書字行為は、言葉では伝えられないもの、独学では学びにくいものだとも思います。
現代書壇の徒弟制度は、大いに問題がありますが、師承を完全に否定することもまた危険だと思います。それは、日本の伝統工芸などを見るとわかると思います。
こうして考えていくと、経済的社会的利益と結びつくことが、悪弊を生んでいるように思います。
- 74 :62:04/07/15 01:37
- 別に師承は否定していません。現に僕自身も制作の中で色んな人に教わって
いますから。
僕は書道についてはあまり詳しくはないのですが、絵画の作家と同じように、
教えをもらって、そと(社会)に放逐された後が問題だと思うのです。
絵画や書道でも、実際自分の作品で生計を立てるなど至難のわざです。
だから食う手段として教室を建てる、生徒が増える、教室が増える。
「前衛書道の一派」も初代の師匠はきっとクリエイティヴであったこと
でしょう。しかし、前述の増殖で、その教えが2番煎じ3番煎じになり、
ついには見事「前衛」という「型」「マニュアル」と化してしまったのでしょう。
「経済的社会的利益」のウェイトが作品に対して重きがあれば、日本のこんな
「珍事」は起こらないはずなのに。しかし、伝統工芸に関しては需要はあると思うのです。
- 75 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/16 01:43
- >>74
失礼しました。62さんが師承を否定しいるという意味ではありません。
書壇の悪弊=師承という単純な結びつけかたをする人もいるので、そういう考え方は「危険」だという意味です。
書壇に限らず、作品以外のものに作品以上の経済的利益がある分野は多いでしょうね。絵画のなかでもいろいろあるみたいだし。
しかし、書の場合、作品に重きを置きすぎると完全に芸術の領域の中に入ってしまいますね。
手書き文字文化の余地も残しておきたいんだけどな。一般の人たちが書をたしなむ余地、と言いますか。
- 76 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/18 00:09
- age
- 77 :62:04/07/22 11:03
- 確かに、「読み書き」って生活の一部ですよね。
「芸術」に祭り上げると逆に衰退する可能性もある。
ただ、「前衛書道」と呼ばれている一派は、「芸術として祭り上げる
ことを前提とした」一派なのではないでしょうか?
書(文字)はほぼ100%近くの人達が生活の一部として利用しています。
その「書」を「芸術」にしている人は全体から比べたらごくわずかだと
思います。
当然、完全に「芸術」と化した「書」は一般庶民にはなかなか手が届かない
と思います。しかし、ずっと楷書などの様に比較的きっちりした「書」
ばっかり書いていてもつまらない、もう少し「芸術的」な書を書きたい、
という人の書く「書」が「前衛書道」だとしたら?
その「もう少し」「芸術的」なところが「本格的」な「芸術家」から非難を
浴びているのかもしれません。
- 78 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/22 14:42
- >>77
すごく嬉しい書き込みです。
私は、現代の書壇、日本の書の状況のおかしいところは、ほとんどの人が展覧会を目指していることだと思います。
のし書きや宛名書きがうまく書けるようにと手習いを始めた酒屋のおじさんが、なぜか手本をもらって展覧会で賞をもらうことを目標にしている現状です。
そうではなく、日常の為だけに文字を書く人も、文字を綺麗に書けることに喜びを求める人も、趣味で書をたしなむ人も、
展覧会に出品して人から認めてもらいたいと思う人も、自分を突き詰めて書によって表現する人も、
それらいろいろな目的を持つ人たちそれぞれが、それぞれのスタイルに合わせて書を楽しめるようになればいいなと思います。
無理をして展覧会に出す必要もないし、書家が書を生活の手段にする必要もない。
そんな中で、最初に前衛書道を志した人たちのように、書の可能性を突き詰めていく人たちもいるべきだと思います。
実際、若い人たちの中には、既存の書壇に興味を持たず、ひたすら自分の書を求めている人もいます。
書の高みを求めるひとたちがいると同時に、文字を楽しむ書を普及させていく人たちも出て来るべきでしょう。
そういえば、NHKはそんな感じの番組作りをしているように思います。
- 79 :62:04/07/27 14:14
- そういう意味では書は強いな。
日本人に完全にしみついています。
それに反して近年西洋から入ってきた「美術」というものは、
未だに入ってきた時からの進歩は殆どありません。売れた、流通した、って
言っても一部の愛好家や関係者の輪の中でたらい回しになってるだけのようなきもします。
一般市民にはちっとも流通しません。
そう言った歪曲した美術の概念の一部が書家の一部の人々に取り入れられてる
ということも考えられます。そう考えると、書に影響を与えている日本の美術、
芸術にも少なからず問題があると思います。
- 80 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/27 16:19
- 書道を真剣に考えている方がいて、すごく嬉しいです。
私は師匠から、
古典から学ぶ「普遍的な呼吸」を教えてもらっています。
「カタチ」を模倣することではなく、
息がどこで吐かれているか、吸っているのか、
その一点のみを線をみて指導してくれます。
本質は、自然との調和で、円運動と呼吸によって、
古来持つ、祈りの文字、美しい文字を書くというものです。
ですから何度書いても、同じ字になります。
また呼吸は一人一人違うので独自性もあります。
私の場合、書道は芸術という前に、
「運動行為」というのが重要になっています。
マラソンに近いというか。
ですから、前衛的書道と呼ばれるものは、
私個人はなんというか、目標が小さい感じがしてしまいます。
- 81 :62:04/07/27 22:57
- 僕は世間で言われるところの「現代美術」の活動をしております。
しかし、一言「美術」と一くくりにできるものではありません。
当然文化全体にも目を通さなければならないと僕は思っています。
書は書、美術は美術、芸術は芸術と必ずしも言えるとは思えない。
だから、できるかぎりあらゆる事に関して真剣に考えてるのです。
ことに僕が日本人である以上、その日本の昔からの文化である書など
についても最近考えるようになりました。
あなたの師匠はいい師匠だと思います。ものごとの本質から教えてくださるんですね。
そういう深くて芯を突いた精神活動をなさってるあなたにとっては、
やはり、最近流入してきた「美術、芸術」の概念に影響されたかあるいは
ちょっと違う事をしてみようといった感じで切り開かれたばっかりの書道(前衛書道)
が小さく見えるのは当たり前の事かもしれません。
「運動行為」という点ではおこがましいが僕と似ているところがあります。
筆で線を描く時はまさに真剣勝負であり、完成までは体力勝負なのです。
完成してホッとした時になってはじめて体力が随分消耗しているのがわかるのです。
- 82 :80:04/07/28 13:54
- 書道を「デザイン」とみるか「スポーツ」とみるかで
だいぶ捉え方が変わります。
私たちの流派ならば、描かれたものは、結果にすぎず、
むしろそこにいたった軌跡、運筆を研究し楽しむことの方が大きい。
しかし、「デザイン」と見るならば、その結果こそが重要で、
筆が寝ていようと、二度書きしようと、
物体的に「何かイイ感じ」であればいいわけです。
ただ、お金になるかどうか、この商業的意味合いでいけば、
明らかに絵画的な後者の方が優れているのかもしれません。
運筆を見るというのは、経験を要し、敷居が高いからです。
では、誰でも楽しめる本当の書道はどういったものか。
「写経」がわかりやすい答えをもっているかもしれません。
書いたあとよりも、書いている最中こそが価値です。
「リアルタイム書道」とでもいいましょうか。
宗教性も付随しますから、心理的な利益もある。
文字表現をこねくりまわすよりも、
墨をおとす運動性に着目すれば、
もっと深くすばらしい書道、
そういうジャンルが発展するのではないでしょうか。
- 83 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/30 21:57
- 習字やってるやつらは書いてる内容が薄ぺらいし、浅いし、読みごたえないし、
甘いし、社会見えてないし、困った奴等だね。あと言っとくけど
西高東低、漢字、日展系の大ボスの書だったら、女子高生の丸字の方がマシ
だから。前衛はすでに前衛でないところからして、前衛書道という設定がダサい。
あと、日展の売りである「技術」もボスキャラと、カルチャー上級のオバちゃんと
比べて対して変わりないから辛い。
お前らの文化はすでに終わってる。せいぜい生涯学習やってるんだという意識で
芸術鑑賞なんて板に出入りしないことだよな。
- 84 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/30 22:03
- あと2ちゃんレベルの内容で議論しても、、ぜんぜん知識も
意識も高まらないしね。見てて可哀想になったから書き込み
しておきます。
- 85 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/30 22:07
- 修正 芸術鑑賞じゃなくって美術鑑賞ね。美術じゃ、ますます
遠ざかるよね。ぜんぜん異なる価値体系だもんね
- 86 :わたしはダリ?名無しさん?:04/08/03 12:13
- >>83ほ〜ら釣れた。
こういう薄っぺらい人間こそが現代の日本の文化を反映していると言えよう。
- 87 :わたしはダリ?名無しさん?:04/08/04 03:51
- 薄いのはおたくの頭と人間性だけで十分です。
- 88 :わたしはダリ?名無しさん?:04/08/04 04:16
- >>83=84=85=87
いやなことでもあったんだろうね。
- 89 :わたしはダリ?名無しさん?:04/08/06 10:28
- リネージュのバグ(ドエット等NPCのせりふの矛盾含む)の情報交換ができるスレはいかがでしょうか?
問題の回避策がわかればいろいろ助かる人もいると思いますので。
わたしの出会ったバグっぽいものいくつか。
・エルフの洞窟でランテレすると壁の中にハマることがある。
--> ランテレ、帰還ができなければGMさんに頼む必要ありそう。
・チャットの途中だとF8-F12のショートカットキーが使えなくなることがある。
--> RETURNやESCキーを押すことで回避できる。
・デュッペルゲノンが出たままダメージをうけなくなりエルフの成人式が受けられない。
--> デュッペルゲノンは一人じゃないので他のを探す。
・CTRL-Sからでもランテレの魔法が使えない。
--> ショートカットの再設定、リスタートで回避できるかも?
・ケントに動かないドレイクが出る。
--> 観光名物になってるだけで実害はなさそう?
・WindowsXPだとトラブルいっぱい?
--> 18日のアップデートで修正されるらしい。
・エルフの洞窟3Fに敵が出ないことがある。
--> NPCサーバを再起動するまでそのまま。
・MTの付近に居るドエットのせりふの問題。(ドエットは話だけでメッキ未実装?)
・どこかに何もできなくなるブラックホールがある。
- 90 :わたしはダリ?名無しさん?:04/09/29 00:15:26
- 絶対変えてやる。
- 91 :わたしはダリ?名無しさん?:04/10/03 02:33:18
- 何を??
- 92 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/06 23:50:18
- 今、前衛的な書を書いている作家を誰か知りませんか?
- 93 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/09 02:49:24
- >>92
>>83=84=85=87
- 94 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/10 10:46:02
- 俺も書を嗜むものとして一言いうけど俺が最初に書に目覚めたきっかけ
というのは誰それの書が好きだったからというのではなかったな。俺の
最初のきっかけはミニマリズムというのにはまっていた時に出会った
比田井南谷がきっかけだったな。
これは見た瞬間から一発で共感できたな。紙と墨のシンプルな画面。
無題と表された文字とはもはやいえない代物。俺はその時に始めて
日本にはこういう文化もあったのかとはじめて思った。その時から
書を親しむようになったな。つまりもともとは西洋的観念の世界から
入ってきたわけだけど。
確かに今の書道は激しく煮詰まっている。前衛であろうとなかろうと
激しく煮詰まっている。でも一方で俺が思うのは今の俺とは違う純粋な
書家は「書とは紙と墨から成り立つもの」であるというシンプルな前提を
忘れているような気がするな。俺が書に見せられたのは美しい字でも
神がかり的な技術でもない。白地に黒々と伸びる線を美しいと思った
からで今の俺とは違う正統な書家は書をそれだけのものにしたくない
という想いが見て取れる気がする。
俺にとっては王義士だのから始まる書の歴史なんぞどうでもよい。
技術伝統などというものも関係ない。白地に黒々と延びる線が
ただ美しいからという理由で嗜む。もっと自由な観点から書という
ものを捉えると違うと思うんだがな。そうすればもっと自由に
開けてくるとおもうんだが。それが西洋的な観念であるとか
どうとか関係ないと思う。肌の色が黒かろうが黄色かろうが
白かろうがそのシンプルネスを美しいと思う奴はいるわけだし
そういうものとして書をとらえればもっと自由なものとして広まる
と思うんだがな。
- 95 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/10 11:36:33
- 珍しく、書道関係のスレでいい事書いてる人がいるね。
ただ、どうでもいい事なんだけど2ちゃんであれ王羲之と
書いたほうがいい。ぼくのパソコンでは変換したら直ぐ
出るようになってるけど。
外の人間の意見を聞いてちょといい気分になった。
美術関係の人はそれなりの思想を持って制作している人がいるから
話しても会話が成り立つよね。書道だけの人は世界と視点が矮小
過ぎて、たいして話が発展しないから、付き合いもあまりしないよ。
- 96 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/10 15:55:39
- >王羲之
誤字スマソ。
ところで・・・
とうじ魔とうじという人の本で「半芸術」という本にAKIRAさんという人の
話が載っている。そこでそのAKIRAさんという人の展開している習字道
というのがなかなかスルドイ。まあ細かい内容は本を読んでいただくと
してなぜ書道ではなく習字道なのかというのは・・・
「書道家は永遠に先生であり、習字道は永遠に生徒である」
ということで「生徒は永遠に先生から学ばない」という落ちである。
漢字が表形文字だとするならある意味書というのは絵画でも
あるわけだ。おれはその書の絵画性ということに惹かれたんであって
文字自体が持つ文学性とかはどうでもいいわけ。というかそれは
純粋に形を見るときその文学性が邪魔になることさえある。
だから比田井南谷の書であって無題という作品に惹かれた
わけだな。
- 97 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/10 15:56:12
- 書を東洋独特の芸術としてみるのはもう古いと思う。というより
これだけインターネットが普及した世の中にあって日本人である
中国人である、アメリカ人であるという分け方は古いと思うな。
これからの芸術はなんであれパーソナリティーというものが
最重要視されるもんでしょう。アメリカ人が何の前提も無しで
書くものでも、アフリカ人が何の前提も無しで書くものでも我々
と同じ立場で議論してこそ面白い物が出来ると思う。もちろん
そこには書の伝統というものは一切ないものとするわけだが。
書道のもつ究極のシンプルネスさの上で表現されるのは自分が
何人であるとか関係ない、まっさらの自分だけである。それで
勝負が出来るということこそが本当の意味で書が開けた芸術に
なる瞬間であると思う。純粋に自分自身を表現する器として
書を見た場合。この紙と墨だけのシンプルな設定というのは
きわめて優れていると俺は考えるんだが。
書家というのはそれを伝統や技術にとらわれていて忘れている
ような気がするんだがな。
- 98 :92:04/11/14 16:24:57
- >>93
ただの保守だから。
・パーソナリティの来源はなんだろうな。
今生きている、生活している環境から来るのかな。
実際にアフリカ人と接してみると、そのナショナリズムというか、アフリカ人(国じゃなくてね)であることをとても意識している。
自分が自分であることを求めるのに、日本ということが一つのキーワードとなってもよいと思う。
ローカルであることが、グローバルであるというのは、手あかにまみれた表現ではあるが。
・言語性を排除して、文字を造形としてのみ捉えることを、別に反対はしない。
しかし、鑑賞する人間のなかにはその文字の意味を考える人もいるだろう。
文字の造形だけを取り出すと言うことは、文字のほかの要素を無視すると言うことでもある。
・「書とは紙と墨から成り立つもの」
って、水墨画は? 抽象水墨というものもあるのだが。
俺は、毛筆という表現力を持った筆記具→単純にして変化に富んだ墨→(墨と水を調和させる硯)→その筆あとと墨色を最大限生かす紙
という解釈です。
やはり書というのは、本来書写行為だとおもう。それは、「話す」と同じ言語行為。
書の核心に付随する要素(墨色・造形・筆跡)のいくつかを取り出し強調したものが、戦後書道だと考える。
だからこそ行き詰まった。周辺を耕しても、核心との距離はうまらない。
まして、単にヒトマネをしてきた似非正当伝統書道は話にならない。
- 99 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/15 10:02:31
- >しかし、鑑賞する人間のなかにはその文字の意味を考える人もいるだろう。
>文字の造形だけを取り出すと言うことは、文字のほかの要素を無視すると言うことでもある。
俺からするとそれはナンセンスだな。例えば炎という字を書くのにやっぱりその字がもつ
寓意を盛り込まなければいけないのか?。なぜそうなるか俺にはわからない。俺が
炎という字を仮に書いた場合水を連想させるような書体で書きたいと思うことがあるかも
しれない。文字の持つ寓意性にこだわるというのは書を狭くしてしまうことだと思う。
前衛書に限らず美術一般の流れでアヴァンギャルドといわれている流れを俯瞰して
眺めるとき、どれだけそれ以前の美術から自由になったかということを考えると、書で
あってもその流れから依然として書が無関係でいようとするのは偏狭できわめて
ローカルな芸術であるとしか思えない。前のレスでも書いたが書を自分のパーソナリ
ティーを表現するための装置に置き換えようとするのなら、文字の表現に限るというのは
いかがかと思う。どうしたって文字を書こうとすると上手い下手が出るだろうし、お手本に
なるものがでるだろう。創作に上手い下手などは関係ないのだ。
翻って俺の生き様は君より優れた生き様であるといえるか?。逆に君の生き様は
俺の生き様より優れているといえるか?。
答えは無意味だ。
なぜならその人一人一人の生き様があって誰が優れているとかはいえないからだ。
書も同じだ。右側に傾きかけていようが、異様にバランスが崩れているからといって
それが駄目な書だとはいえない。その全てを肯定するからこそ世界中の人が横一線で
自由な精神を競える装置になりえる可能性が俺は書にはあると思う。アメリカ人であっても
インド人であってもアフリカ人であっても、八百屋であっても警備員であっても魚屋であっても
横一線で自由な精神を競え合えるからこそ素晴らしいと思わないか?。
- 100 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/15 10:03:03
- >やはり書というのは、本来書写行為だとおもう。
西洋絵画であっても最初は書写行為であったはず。ではなぜ現在は書写行為で
ない作品があふれかえっているのか?。
>書の核心に付随する要素(墨色・造形・筆跡)のいくつかを取り出し強調したものが、
>戦後書道だと考える。 だからこそ行き詰まった。
あなたは芸術というものを何もご存知ないようだ。芸術はいき詰まるからこそ素晴らしい
ものだ。しかし俺が見る限り戦後の前衛書はいき詰まっているかといえば、まだ全然
いき詰まっているようには見えない。まだ書というものを解体すらしきっていないからだ。
例えばピカソの分析的キュビズムの時代の作品のように「絵画は所詮点と線の集合体で
しかない」と言い切れるまで書を解体しきった作品はあるだろうか?。俺はまだそのレベルで
すら書は今だ達成していないと思う。そのレベルこそ初めて書が君の言う書の核心に付随
する要素のみで勝負が出来るようになる段階であり、そこまで来てようやく書は世界に通用
する開けた美術体系になる可能性が出てくるということだ。当然そうなると捨てなければいけ
ないものも出てくるだろう。でも俺はそれが文字が本来持つ寓意性であるとかならばそれ
自体を捨て去ることで開けてくる物がそれ以上に多いのなら何も躊躇することはないと思う。
俺は君と違って君の言う「書の核心に付随する要素」こそ書の全てであり、それはいき詰まる
ことのない無限の所作だと信じるし、それ以外に書が今後皆に開かれた芸術体系になるには
それ以外にないと信じる。
- 101 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/15 15:47:28
- いっさいを捨てて作品に耳を傾けることはできるか?
できないだろうね。すべてを捨て去ることは自分を構成しているものをも捨て去ることになるから。
その時点で判断基準を失っている。自己を捨て去っている時点でなにも判断できない。
たとえ何かを捨て去るとしても、何もない状態から何かを捨てることはできない。
つまり、すでに何かがあるということ。
それは書の歴史的なものであり、書を構成する要素であり、書の模式である。
それらを肯定した上で、要素をくみ取るなり、解体するなりしているわけだ。
書の標準や審美をいったん認定しておいてみとめないのは理解できない。
八百屋だろうが何だろうが全く関係ない。築き上げてきた審美によって判断するのみだ。
水のような炎を書くことは、全く問題がない。
しかし水を連想させる炎という字の時点ですでに言語になっている。言語として「炎」という文字を書いているのだから言語の寓意を否定していない。
共通認識である言語を個人的言語に置き換えているだけ。やはり言語として捉えている。
書の核心に付随する要素というものは、他の領域の芸術とも重なる部分が多々ある。
たとえば、見た目が雷のヴァリエーションのような絵画と雷のヴァリエーションの差はなにか?
書の核心、本質と言い換えてもよいけれど、本質から離れれば、それはそのものではなくなる。
書の本質から遠ざかれば、書ではなくなる。核を取り除かれた細胞のようなもの。
それは一向にかまわない。そもそもカテゴライズにたいした意味はない。
しかし、書の本質を離れた以上、書から派生したものであって書ではなくなっている。
行き詰まってはいるとは思うが、行き着いてはいないと思う。現状を打破することは十分可能だと思う。
それに、書は常に開かれていると思う。書を認識できるか意識できるかだけだと思う。それこそ八百屋だろうと何だろうと関係ない。
既存の大きな書壇システムはあるけれども、そんなものは気にする必要はない。関係をもたなければ関係ない。
- 102 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/16 18:23:06
- >書の標準や審美をいったん認定しておいてみとめないのは理解できない。
俺は認めてないよ。少なくても俺は正統的な訓練を受けているわけではないし
審美を認めているといってもその基準自体が標準的なものであるかどうかも
疑わしいものだから。
あなたが言うように客観的に作品に接することが出来るか?という点では
俺も出来ないと思う。でもそれは最初から知ってのこと。逆説的に言えば
価値判断は主観的でいいということ。つまり好き嫌いでしか物事は判断
できないということ。だから作品によって上下というものはないし、今の
書壇のように先生がいて弟子がいるという図式がそもそも成り立たない
ということになる。どこまで言っても主観的。だからこそ自分を表現する
器としては書は優れていると考える。
>書の核心、本質と言い換えてもよいけれど、本質から離れれば、それはそのものではなくなる。
>書の本質から遠ざかれば、書ではなくなる。核を取り除かれた細胞のようなもの。
君は何を恐れているんだろうね?。書でなくなる。結構なことではないかと思うよ。
それこそにこだわるから煮詰まるということでしょう。
漢字という文字はもともと象形文字だということはわかるよね?。何らかの
状態を図案化したものがどんどん抽象化して文字の形になっているということ。
つまり結局は文字を書くという行為そのものは絵を描くという行為となんら
代わりがないということ。結果的にそこに寓意が備わるようになったとしても
もともとはある状態を表しているということでしかないわけだから、文字を書く
ことは絵を書いていることと何も違いはないということに気がつかなければ
いけない。
- 103 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/16 18:23:39
- 例えば文字によって部首と他の部分を入れ違えることが出来てそれでも
意味としては同じ意味を持つ漢字として機能するということをあなたは
ご存知だろうか?。これは前衛の手法でもなんでもなくて古来より伝わる
手法のひとつで、こういう遊びのような技法が使われていたという事もある意味
文字をかくという手法自体が絵を描くという手法となんら代わりがないからこそ
できるるのだという事実を知るべきだと思う。
とするなら意味が伝わるかどうかということはそれほど大切なことではない。
少なくても前衛であれ、伝統的であれそこに何が書かれているかが読めない
文字が現在でも沢山あるわけだから、そこに文字としての機能をはたしている
ものがどれだけあるのかということでもあると思う。しかし文字としての意味が
わからなくても白地に黒々と伸びる線に圧倒されるということは誰でも普通に
あると思う。つまり意味がわからなくてもそれ以外の付随する要素で受け取る
情報のほうが実は多いのだということを理解するべきではないかと思う。かくして
お膳立ては全て整う。全人類的な開けた芸術になる要素は全て整っている。
あとは君のような人間がすこし頭を柔らかくするだけのこととおもうが?。
飛んでみるか?。新しい芸術としての書に。
- 104 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/16 23:34:00
- だいたいわかりました。
私は書ではなくなることをおそれてはいないし、書の本質から離れたものを否定してもいない。
本質から離れてたものは、書ではなくなっていると言っているだけ。そしてそれ自体何の問題もない。
漢字はもともと物事の象形で、絵画と同じという言い方は昔からされているけれど、すべてがそうではない。
文字は言語であり、言語は思想なんだよ。
(単に漢字の形象を借りて、画面構成を楽しむのは、ただのかたちでしかない。そこには意味がない。そういえば、未解読の古代漢字を用いた作品があるが、それは意味の消失によって却って漢字の意味性を際だたせている。)
また、漢字の部首を変える。例えば洛を各隹とするのは、さんずいの持つ水という意味を避けるために行っている。
これは遊びではなくて、背後に五行思想があるため(この場合は水を避ける)。漢字一文字よりもさらに細かく、その部分にまで意味を求めていることがわかる。
- 105 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/16 23:36:52
- そもそも、ミニマリズムに興味を持ち、見た目が抽象表現主義的な作品を見て、感動したという時点で、それを絵画としてみており、
書を鑑賞するという角度から考えると、書の本質にたどり着いていない(←戦後書の誤謬の一つ)。
自分が鑑賞したものが、書だったから、書を鑑賞したと思っているに過ぎない。
比田井南谷や当時の人たちは、書として鑑賞されることを拒否していたのかもしれない。
そこから書の要素を拡大し、模索の結果、抽象表現主義にすり寄っていった。しかし、鑑賞者を欧米に求めた結果、本質から離れたものへと変質していった。
彼らはなぜ、書から完全に離れることを躊躇したのだろうか? 書からスタートし、書から離れることをためらった。
井上有一も同じように、書から離れていったが、ある時点で書であることを強烈に意識し、書の本質へと回帰していった。
有一はいったん離れたからこそ、以前にもまして、書の本質を意識した。
戦後、書は西洋化の波にもまれながら、書の世界化を目指した。その試みは無駄ではなかった。
新たな形式を手に入れたし、書を要素に分解して、それぞれの要素の持つ特徴を我々に示して見せた。
それらは過程であり、書が新たな方向を模索する糧となるものだ。
あなたの主張は、前世紀60年代の思潮だ。
書をめぐる環境は変化しているし、新しい作品も試みられている。
戦後書の評価も現在から見た評価へと変わりつつあるし、書の理論も変化している。
長文すみません。今度からなるべく短くします。
- 106 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/17 00:38:50
- >>105
深いですね。
- 107 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 01:16:05
- >あなたの主張は、前世紀60年代の思潮だ。
ふむ。そうかもしれない。
しかし俺から見るとあなたの思想は・・・
>文字は言語であり、言語は思想なんだよ。
というところに全てが主役されていると思うが、物事を即物的に捉えてないね。つまり
君の言うところは前世紀60年代のものよりはるか以前のもの、つまり19世紀末の
ロマン主義的な思考であると思うよ。それは書が東洋のものであるから関係ないと
はいえない。日本であろうと中国であろうと芸術の分野で即物化というものは始まって
いるし、実際その動きは止められないはず。
物事にはすべてシンクロニシティ(同時性)というものがある。例えば芸術運動
を取り上げると音楽や絵画その他の分野にわたってやはりこの前衛運動というのは
だいたい同時期に始まっている(書は遅れたけど)。20世紀の普遍的な前衛運動と
いうものをつらつらと考えてみると一つの大きな柱がある。それは即物化であるよ。
簡単に言えばひとつの言葉の持つイメージを意味作用と意味内容に分けて、そこに
それ以外の言葉のイメージが入らないようにしようとしたものだよ。
- 108 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 01:16:45
-
どうも言い回しが回りくどいな。言い方を変えよう。
例えばピカソの分析的キュビズムというものの本質を考える時どのような物だったか
というと「絵画というものは結局点と線の集合体である」という運動であるということ。
ある人はそれじゃつまらない。俺が愛してきた絵画はそんなつまらない即物的な
ものではない。絵画を超えた何かに自分は惹かれたのだと言う。でもピカソが
そこでいうことは「そんな余計な物は必要ない。絵画というものは点と線の集合体で
あるからこそ美しい。」と言い放ったことに他ならないと思う。またこれは音楽の分野でも
そうだね。シェーンベルクが調性を放棄したのもだいたい同時代。シェーンベルク自体が
もともとマーラーの流れを汲んだ表現主義(つまり極限のロマン主義の流れ)から始まって
音楽自体を何の前提もなく音の集合体であるとし、だからこそ音楽は美しいのであるとし
その流れは12音技法からウェーベルンへと流れ、その後はきわめて客観的、即物的な
トータル・セリーの流れに移っていったというのはご存知だと思う。
書もまた然り。比田井南谷の前衛書も無題という作品があるところからも、そのロマン主義
からの脱出であったというのは明らかだと思う。しかしあなたが言うように結局比田井も
井上有一も伝統から脱却することは出来なかった。つまり完全にロマン主義から脱する
ことが出来なかったということだよ。書を結局白地に黒い線を書くものでしかないと言え
なかったんだ。それが書が抱える本質的な問題、弱さなんだよ。書というものについて
まわる伝統、文化、技法を捨て去ることが出来ないということ。で、俺がここで言いたいのは
書というものはそんな物がなくても一切大丈夫、白い地に黒々とした線さえあれば書は
完結する。それだけで充分美しいという物だよ。あなたが後生大事にしているものを
書全体が捨て去らない限り書の未来はないと思う。
- 109 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 01:17:18
-
例えばモンドリアンの絵を考えてみよう。モンドリアンは結果的にはどうであれ究極の即物性
を獲得したいと願っていたよ。その結果自分の絵画から全ての筆跡を丹念に消した。それは
後のミニマリズムにもつながる。さて、ひるがえって書にこのようにモンドリアンのやミニマリ
ズムのレベルで書の大切な要素であるはずの筆跡を徹底的に消して、没個性的にした人は
いるだろうか?。例えば定規を使って寸分の狂いなく線をひいた人はいるだろうか?。
いるかもしれない。でも多分その人の作品は書とは大半の人が認めないだろう。なぜなら
あなたたちが考える後生大事にしてきた書というものを超えているから。でもその人は
書を信じているからこそそれが出来るんだよ。あなたたちは結局書を狭いところに閉じ込めて
おかないと不安なんだと思う。実は書が抱える本質的な問題というのはそれに携わる正統的な
教育を受けた人たちが一番書を信じられないというところに悲劇があるんじゃないかと考える。
何度も言うように書から全てのものを解き放ち本当の意味での即物化を実現しない限り
その後の書の新しい価値観、書の新しい展望は開けてこないと俺は考える。
長文は真面目な議論をする場合どうしても必要になる物だ。許して欲しい。
- 110 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 09:42:40
- 上記の補足として・・・
>彼らはなぜ、書から完全に離れることを躊躇したのだろうか?
>書からスタートし、書から離れることをためらった。
答えは簡単。きっかけは彼らの行いそのものはは書の即物化、解体化の
試みであったということはいえるでしょう。ただそうはいっても、もともと
正統的な教育を受けていた人たちであることは事実だし、他の人以上に
書に対する愛着もあったということ。またこれはゲスな勘繰りかもしれないが
あまりに過激すぎて大勢の賛同者を得られなかった。つまり自分の地位を
脅かすことになるかもしれない計算が働いたのかもしれない。
つまり彼ら自身が非常なロマンチストであり書を白地に黒々とした線を弾く
こと以外の何者ではないと言い切れないだけの物をすでに身につけてしまった
ということ。
そういう意味では前衛という行為は残酷である。作品に上下がついたり
上手いまずいという判断が出来なくなる。前衛は誰でも出来る芸術
としての宿命がある限り、その価値判断は判断する個人の主観のみに
頼られる。つまりその書を好きかどうかという判断しか出来ない。ここに
至って彼らが血のにじむような努力をして獲得した技術であるとか、書の
歴史、価値判断を完全に捨て去れるかどうかという問いに、結局彼らが
今までに獲得した物が膨大であったために書を完全に分解する、捨て去る
ということが出来なかったと俺は見る。これは至極当然のことだろうと思うし
中国から続く歴史の重みを一瞬で自分の手で抹殺することは出来なかった
見るのが自然だろうと思う。
- 111 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 09:43:15
-
つまり今だ書は完全なる抽象化は獲得してないし、即物化もしていない。
書を白地に墨で黒々と線をひくものでしかないと言い切れないうちには
完全なる書の新しい価値観のl創造というものはありえない。
恐らくそれは書の側からでは出来ないものなのかもしれない。あまりにも
書を即物化するにはそれを知る人間にとって膨大な物があるのかもしれない。
とするなら外部の人間しか本当の意味で書を即物化、解体化することは
できないということなのかもしれない。
- 112 :白の騎士:04/11/17 12:47:59
- >>109
モンドリアンは全然筆触消してませんよ。つるつるしてる作品はいっぱいあるけど
あれは修復家が勝手な思いこみで消しちゃっただけ。この辺は最近盛んに議論されてる。
それに「究極の即物性」を求めるんなら筆触を強調するのが普通でしょう。
- 113 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/17 13:39:11
- ん、長い。板を独占したくないので、短くしておきます。
書からスタートして、即物化したっていいんだって。私がしているのは、否定ではなくて新たな評価。
哲学が言語の問題というのは、第一次世界大戦頃に始まり、今に至るまで哲学の一つの主流です。
あなたは、私を懐古趣味と思っているようだけど、違うから。均質化の方向へと向かっていた世界は、いま差異化へと向かっているんだよ。
芸術運動というのは、哲学などの影響を受けている。新たな試みをする人たちは、横を見ているのではなく、前を見ているんだ。
君はやや斜め後ろを見ているよね。けれどそれは問題ではない。すべての人間が前衛である必要はないから。
日本の茶道を世界に紹介しようという活動はあるけれど、それは、世界の茶道にしようとしている訳じゃない。
畳がフローリングになったって、正座があぐらになったってかまわないんだ。
空間のあり方、もてなしともてなされの心のあり方が茶道の本質だから。
書もどのように変貌したっていいんだ。キャンパスに油絵の具だっていいんだ。ただ、そこに本質があれば。
そして、その本質が失われたってかまわない。ただ、書から離れたと言うだけのこと。
- 114 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/17 13:44:40
- 連続スマソ
>>111
いまの状態のように、レスを独占したくない。
今後も議論を続けるのであれば、書き込みは短くすること(「できるだけ」ではなく、短く)。
二人だけで続けるつもりは、ありませんから。
それから、ageないで。sage進行にして。
- 115 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 17:06:14
- >均質化の方向へと向かっていた世界は、いま差異化へと向かっているんだよ。
それはそういうお膳立てがきちんと定まってからの話。俺が考えるに書はそこまで均質化
などされてないし、即物化もされていない。君が気がついてないだけで書はきわめて
中途半端な存在であるよ。
確かにポスト・ミニマル後の世界は再び新しい形でロマンを取り戻そうとする動きが
あることは事実。でもそれは解体された後の世界だからできることであって、新しい
価値観はその解体された後の世界でなければ、当然ながら育たない。でなければ
元に戻ってしまうのとかわらない。ロマン主義というのは実はぬくぬくと生暖かくて
居心地はいいものだから、ほおって置くとなんだかんだと元に戻りたがるものだ。
つまり君の立場はポスト・ミニマル、ネオ・ロマンティシズムの形を借りた実は
古臭いカビの生えたロマンティシズムの名残りでしかないと考える。変化を拒む
底意地の悪い書壇と君の意見はなんら代わるところがない。
>書もどのように変貌したっていいんだ。キャンパスに油絵の具だっていいんだ。
>ただ、そこに本質があれば。
ほらすでに君が考える本質と俺が考える本質に差異が出ている。君が言う書の本質と
俺が考える書の本質は違うだろう。俺はそこを攻撃しているんだよ。君が考える書の
本質は本当の意味での本質ではないし、本当の意味で書を開放することにはならない
という立場が俺だ。
- 116 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/17 17:06:49
-
君がどう思うが何の前提も教育もうけてないものが書を書こうと思い半紙に黒々
を何がしかの線をひいた時それはすでに書なんだよ。
恐らくこの話の結末は俺はこう考えてる。
(君の意見として)君はそう考えている。これはきわめて個人的な意見だから書の総意で
なんかはない。もちろん君の意見を自分は否定する物でないという所謂大人の意見で
君は巧妙にごまかしていくのだろうと思うが、残念ながらそうはならない。君の意見は
俺が考える現在書壇が抱える問題そのものであり、その一部が君の口をついてでて
きたものでしかないと考える。一見物分りがよさそうで実は本当のところ底意地の悪い
やり口という感じさえする。
最後に俺はバリバリの即物主義信者と思うかもしれない。でもそれは違う。俺の本質は
即物主義者の皮をかぶったロマンティストだ。なぜなら俺は書というものを信じているからだ。
書というものを信じているからぎりぎりまで余分な要素まで切り詰めることが出来る。書とは
白地に黒々と線をひくものであると言い切れるというのは、それだけ書を信じなければ出来ない
ことである。逆に俺は今の正統的な教育を受けた書家のほうが結局一番重要なところを
信じてやれないという意味でロマンティストの振りをした即物主義者という気さえしてくる。
何度も言うが何の前提も教育を受けない者でも線をひこうが墨をぶちまけようが書を
書いているという意識さえあればそれは書以外の何ものでもないと言い切れると思う。
>それから、ageないで。sage進行にして。
余計なお世話。こういうところで書にこういう問題があるということを晒すいいチャンス
だと俺は考える。議論をする場合ある程度の長文になるのは仕方ないこと。少なくても
俺は必要な物を必要なだけ書いているつもり。
- 117 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/17 22:06:46
- さらしあげ
- 118 :114:04/11/17 22:11:18
- そうなんだよねえ、スレをレスとを間違えちゃったんだ。
俺が悪かった。恥ずかしいからさらさないでくれ。
_| ̄| ○
- 119 :あぼーん:あぼーん
- あぼーん
- 120 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 00:03:12
- >>113
多くの若者は反抗期には物事の価値を否定し、
思春期には物事に主観で価値を主張したくなるものですよね。(笑)
その道を経て、書や美術のうちに本質にたどり着ける幸福な方がいるからこそ、
書も美術も文化として高尚とされるのでしょうか。
>>114
中人以下、不可以語上也、…。
>>116
将来ここが匿名掲示板であったことに感謝したくなる日が来たら、
そのときは君のような若者に対して温かく接してあげるといい。
持たざる者が富める人々にエゴを指摘し、すべてを捨てるよう主張するとき、
持たざる者のエゴが醜く垣間見えてしまうものだよ。
- 121 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 00:14:01
- >>120
???
- 122 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 03:09:16
- まとめてみました。
黒の騎士
1.西洋的観念から入った。
2.文字を書くということは絵画を書くということなので、書とは絵画である。文字の文学性・寓意性はどうでもよい。それにこだわると書を狭くしてしまう。
3.物事には同時性があり、芸術は即物化している。
4.書を即物化するには、書の歴史、価値判断、伝統、文化、技法を完全に捨て去る。書というものはそんな物がなくても一切大丈夫
5.書とは紙と墨から成り立つもの。白い地に黒々とした線さえあれば書は完結する。
6.好き嫌いという主観で判断する。
7.書は全人類に開けた芸術となる要素と可能性がある。
名無し
1.すでに書の歴史的なもの、書を構成する要素、書の模式などがある。
2.文字は言語であり、言語とは思想。書は「書く」という言語行為(「話す」と同じ)。これが書の核心・本質。
3.戦後書は、書の核心に付随する要素を取り出して拡大・強調して見せたもの。
4.書の本質から離れると、書ではなくなる。
5.本質から離れても、問題ない。書から派生したものになるだけ。
6.書の本質にたどり着かなければ、書を鑑賞したことにはならない。
7.世界は均質化から、差異化へ向かっている。ローカルであることがグローバル。
- 123 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 03:18:26
- 黒の騎士の
>何の前提も教育もうけてないものが書を書こうと思い半紙に黒々を何がしかの線をひいた時それはすでに書なんだよ。
>何度も言うが何の前提も教育を受けない者でも線をひこうが墨をぶちまけようが書を書いているという意識さえあればそれは書以外の何ものでもないと言い切れると思う。
がよくわからん。「何の前提も教育も受けて」いないのに、どうして「書を書こうと思」「書を書いているという意識」することができるの?
「白い地に黒々とした線」が書だから「半紙に黒々を何がしかの線をひいた時」「線をひこうが墨をぶちまけようが」書になる、と言うことか?
つまり、「白い地に黒々とした線」が書だと知らずに、「半紙に黒々を何がしかの線をひいた」としても、書にはならないということ?
そうすると上の質問に戻ってしまう。
たんに「白い地に黒々とした線」があれば書になると仮定すると、マチスやミロやポロックが墨を使っていたら書になってしまうし。
書とは絵画だから、「絵画」と言っても、「書」と言っても同じということ? 「絵画」の中の、紙に墨を黒々とぶちまけたり、線がひかれているものが「書」?
- 124 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 03:20:13
- ↑の
「白い地に黒々とした線」が書だから「半紙に黒々を何がしかの線をひいた時」「線をひこうが墨をぶちまけようが」書になる、と言うことか?
を
書とは「白い地に黒々とした線」だから「半紙に黒々を何がしかの線をひいた時」「線をひこうが墨をぶちまけようが」書になる、と言うことか?
に訂正
- 125 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 03:45:59
- せっかく>>104>>105でまじめに答えてくれる人がいたのに、
その後のイタタな展開はなんだったんだろう。
- 126 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 10:43:43
- >。「何の前提も教育も受けて」いないのに、
>どうして「書を書こうと思」「書を書いているという意識」することができるの?
ならお聞きするが料理をするのに料理学校に行かないと料理はできない物だろうか?。
誰でも遊びで野球をしたりバスケをやったりするもんだろうけど誰かについて習わないと
出来ないもんだろうか?。
もともと文字を書くという行為はそういうものか?。そんなに窮屈な物か?。
文字といって問題があるなら絵画でもよい。誰かに師事しなければ絵画を描くという
ことは出来ないもんか?。
俺が言ってるのは書を解体するという意味で今まで語っているけど、実はもうひとつの
触れていない観点がある。それは書を誰にでも出来る芸術にするという意味であるよ。
ここで岡本太郎の主張と微妙にリンクしてくるな。これからの芸術は誰にでもできる
簡単なものだから素晴らしい。どんな人が書いても自由な精神さえあれば自分を
超えることなど(「岡本太郎を)簡単なこと。教育を受けた物でしか出来ない芸術
などは前時代の遺物であるといっている。
- 127 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 10:45:01
- とにかくデタラメでいいから今書いてみるということが書にとって一番大切なことなんだよ。
自分には教養がないとか悪筆だからなんて関係ない。誰それを真似することもない。
文字でなくてももちろんいい。自分を表現するということこそ一番大切だといっている。
自分が何かを表現したいんだ、なんかわけがわからないけど何かを言いたいんだ
という欲求を持ったとき、自分には教養がないとか悪筆だからといって書かない。書けない。
仮に萎縮して書いたとしても自分でやっぱり駄目だった。俺は教養がないものなといって
その書をクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てる。俺はそれこそ間違っていると思う。
本人が何かを言いたいと思い、拙いながらも表現した物を誰が貶められるだろうか?。
これは文字ではないから書ではないと誰が言えるものだろうか?。書は芸術では
ないのか?。姿かたちさえ整えばいいものか?。自分の教養を表現できさえすれば
書というものは完結する物なのか?。
書が>104で言われるように文字は言語であり、言語は思想とされ書が思想と
されるなら文字ではなくても、言葉で表現が出来ない衝動に駆り立てられ
自分を表現したいという欲求のままかかれたものが芸術でない、書でない
となぜいえるんだろうか?。
- 128 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 10:45:33
- だからここで振りかえって欲しいが>102で・・・
>君は何を恐れているんだろうね?。書でなくなる。結構なことではないかと思うよ。
>それこそにこだわるから煮詰まるということでしょう。
といってる。前時代の書のイメージであるなら書でなくなる事はむしろ
歓迎すべきことだと俺はいっている。
翻って前衛芸術というものは特別な存在でなければできないものだったかというと
そうではない。むしろ誰にでもできる物だからこそ素晴らしくその中で本当に自由な
精神の持ち主が脚光を浴びてきたといってよいだろう。その前提に東洋であるとか
西洋であるとかは関係ない。むしろこれだけITの普及した社会において書は東洋の
ものだから漢字、ひらがなを書かないのは書ではないというのは限りなく鬱屈した
変態的なものであるとも言ってよい。
- 129 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 11:30:40
- 何の前提も教育もなければ、書がなにかわからないでしょ。
野球やバスケを見たことも、ルールの説明も受けていなければできないでしょ。
料理を食べたり、野球を見たり、文字を知らなければ、
たとえ、野球みたいなことをしたって、文字と同じ形を書いたって、それが野球や文字であることはわからないでしょ。
文字が何であるか、野球はどんなものかをすでに知っているから、できるんだよ。すでに前提があるじゃないか。
書から離れた、という表現はしているけれど、芸術ではないなんて言っていないし。書から離れたって別に問題ない、と言っているし。
それに「君は何を恐れているんだろうね?」という問いは、何も恐れていない人に尋ねて、いや何も恐れていないよと返された問いだ。
むしろ君に問うよ。なぜ書じゃなければ駄目ないんだ? 白と黒、線だけで成り立つ絵画とでも名のればいいじゃないか。
>>126>>127を読んで、こう思った人は多いはず。
『日々の絶筆』だろ、と。
とりあえず、読んでから来い。
ww.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763979/qid=1100744641/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7409730-4899515
いや、いま読んでるからこんな感じなのか。
- 130 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 17:35:36
- >何の前提も教育もなければ、書がなにかわからないでしょ。
>野球やバスケを見たことも、ルールの説明も受けていなければできないでしょ。
そりゃ墨のすり方くらいはやるだろうけどそれは前提や教育とは違う。例えば
ろくすっぽ教育も受けてなくてもサッカーやバスケの名選手になる奴なんて
ごろごろいるだろう。君の言う教育とはなんだ?。わざわざ墨のすり方まで
習わなければいけないものか?。だったら墨汁使えばよい。紙がないんだったら
広告の裏を使え。君のいう前提や教養と言う物は何々流の墨のすり方や
何々流の文鎮の置き方などがあるのか?。そういう意味で君は教養や書を
語っているのか?。
>文字が何であるか、野球はどんなものかをすでに知っているから、
>できるんだよ。すでに前提があるじゃないか
君はアホか?。文字は書かなくてもいいというのになぜ文字の話をする?。
すでに君の話は旧来の書の前提で話をしている。俺が新しい書として話を
してるのは文字を書くという前提での話をしていない。
- 131 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 17:37:12
-
>むしろ君に問うよ。なぜ書じゃなければ駄目ないんだ?
>白と黒、線だけで成り立つ絵画とでも名のればいいじゃないか。
ほらきた。そろそろその核心が出てくるだろうと思ったw。
それはこちら側からも言えるだろう。なぜ文字を書かなければ書ではないと
いえるんだ?。君の言う前提を認めない俺がわかるように説明してくれ。
>127の問いかけを全否定できるだけの根拠を挙げてみてくれ。なぜ書きたい
という衝動はあるけど教養がなければ、文字が書けなければ書ではない
といえるんだ?。
それから話の流れでそういう風になったが別に絶対に文字を
書いてはいけないとは俺はいってない。俺が指摘しているのはなぜ文字を
書くことのみが書道といえるのか?という疑問をぶつけているだけだ。別に
文字を書きたい奴は書けばいい。ただその評価はその文字の造形的な
面で評価されるべきで何が書かれているかで評価が左右されるのはおかし
いし、文字を書いたからといって上手下手なんてものはないし、その人の
自由な精神を表すものなら別にかまわないと言う論点だ。ただ得てして
文字を書くとどうしても自分が悪筆であるとかそういうことを気にする人も
いるだろう。また中国か日本などの漢字文化圏の人のみの評価だけに
なるだろう。だったらいっそのこと文字なぞ書かなくても済むならそれに
越したことはないだろうという話だ。
- 132 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 17:37:42
-
結局君の論点は目の上のたんこぶが目障りで仕方ないという物だな。
自分の身近に波風を立てる奴がいる。ほおって置いてくれたら先生と
言われる立場かもしれないけど、どうもそのピラミッドを転覆しようと
狙う輩がいる。どうにも具合が悪いというものだろう。これこそ書壇の
意見が君の口をついて出てきたものではないのか?。今のままで
万事OK。狭い枠の中で自分の居場所が決まっていれば何も困ることは
ないという立場でなくてなんだろう?。そのような輩が新しい書を理解
することが出来るわけがない。今の書の流れがポスト・ミニマリズム、
ネオ・ロマンティシズムに続くものだとするにはあまりにお粗末な結果だ。
君らは自分の立場を守るだけで汲々としているだけではないのか?。
つまりなぜここに至ってなぜ書にこだわっているのかが読めてきただろう。
攻撃対象が明確だからだ。君のような連中が沢山いるからなおさら
書である必要がある。障害が多ければ多いほど認知される機会が多くなる。
芸術とは古来より旧芸術と新芸術の戦いの場であった。もちろん個人を
表現する器として書は最適であるという観点に偽りはない。でもそれ以前に
書が現在閉塞的状況であるというのは事実でそれを打開するためには
どうすればいいかと考えるのも自然な流れだろう。
- 133 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 20:04:09
- >>黒の騎士
もう痛々しいからやめな。
なんでも壊せばかっこいいと思ってるなら、人にやれと言ってないで
まず自分の身体でも壊しておけ。
- 134 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 20:41:22
- 彼は西洋美術の解体が必要だった理由は理解しているのかな。
解ってないから何にでも当てはめてみたくなるんだろうけど。
>>114
彼は他スレでいろいろあれだったコテハンですので、
今度見かけたら生暖かくスルーでお願いします。
- 135 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/11/18 22:23:23
- >134
>彼は西洋美術の解体が必要だった理由は理解しているのかな。
ほう、説明してもらいたいもんだ(ニヤニヤ)。
- 136 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/18 23:11:05
- >>130
サッカーやバスケの名選手は幼い頃からサッカーやバスケの訓練を受けているわけですが。
前提や教養はいらないと言っておきながら、少しならいいということかな?
言ってることが都合よすぎ。
- 137 :114:04/11/18 23:25:28
- ご迷惑をおかけしました。
釣られ放題ですた。
でも、これだけは言っておきたい。
「?」で一文が終わるときに「。」はいらない。一マスあけるんだ。
- 138 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/19 02:00:10
- >>135
まずは、わざと無礼を行って相手の反応を楽しむというお前のお遊びに
これ以上我々が付き合うべきという尤もな理由を挙げてみるんだな。
その理由を第一に必要としながら、自ら否定する有様はあたかも前衛芸術を見る思いだ。
- 139 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/19 03:46:40
- >>137
いやいや、せっかくの良レスに変な粘着がついて
お気の毒様です。
- 140 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/12/28 11:12:25
- 井上有一の著書については勧めもありどのような物かと興味もあったんで
読んでみたけど。
まあ結果から言えば所詮君らの認識する伝統的、前衛的な書とはこんな物か
というものだったな。まあ前衛書の一人として名をはせた人だから、ある一面は
共感できる部分もあった。とくに50年代あたりの借家住まいでデタラメを書き
なぐるあたりの描写はかなり自分と通ずるものがあったな。ただしそれ以降が
駄目。生理的に受け付けない。読んでいてムカムカする。
思うに井上有一の製作態度と自分の物とは根本的に違う。井上はとにかくいいもの
納得が出来るまで何枚も書きなぐる、書きなぐり続ける。なぜそんなことをするの
だろうか?その裏には書とは書を超えた物にこそ本質があるという見方とより体裁の
よいものを求めようとしているのが見て取れる。俺は根本的にそれが理解できない。
刹那に対する根本的な厳しさが井上にはない。
殆どの記述は井上の書壇での評価を表すように恨み節を永遠と聞かされているような
物ばかりだった。前衛であるわけではない。ましてや伝統的であるはずなど毛頭ない。
しかし古典を勉強しろという。しかし伝統的であるなという。いわゆる一般的な前衛書と
言われているものように誰でもかけるような誰でもやっているような物はクソだという。
自分以外の前衛書の大家は殆どクズだとこき下ろす。自分以外のいいものは殆どない
とまでいう。俺は後半は彼が書壇で前衛的にも伝統的にも主流になれなかった微妙な
立場を表現しているような気がして読んでいて辛かった。決定的に問題なのは己への
厳しさへの著しい欠如だ。自分は書く物は正しいが他は正しくないとする姿勢だ。そんな
ものが前衛の道しるべとして読まれている、または勧められるというのは所詮君らの
前衛観とはこんなものかとまで言いたくなる。
- 141 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/12/28 11:14:03
- 井上には刹那という物に対する厳然たる厳しさがない。教職から得られるボーナスを
全て墨と紙にあてがい、とにかく書きまくりその中で掬い取れるのは一点か二点程度
というのは単なる資源の無駄である。俺はそこに井上の根本的なうそ臭さが充満
しているようにしか見れない。よりよく見られたいという気持ちは誰にでもある。しかし
書とはそういうものか?。書の本当の素晴らしさというのはその刹那を素直に偽りなく
表現するからこそ素晴らしいのではないかと自分は思うのである。簡単に言えば間違ったら
間違ったままでそのまま放置することこそ何よりも大切な物ではないかと思うのである。
なぜ書き直しなどするのだろう。ましてや形が気に入らないといって井上のように反故
にしてしまうというのはいかがなものだろう。自分は書にひきつけられた最大の理由の
ひとつにきわめてミニマルな美的要素とジャズのインプロビゼーションのようなその刹那を
余すところなく表現しきるというところにあった。絵を描くという行為は下絵を描いてその
上を絵の具で塗りつけるという行為はどのように早く描いても瞬間を表すということは
できない。しかし書にはそれができるのである。そこに俺はひかれた。
書というものはまず芸術以前に生活に根ざした物である。物を書くという行為は芸術
以前に自分以外の他者に何かを伝えようとする物である。何らかの物事を他者に
伝えたい場合多少噛んでしまったり、文法的に多少変でも物事が過不足なく伝われば
問題ないわけで、むしろその噛んだりしてしまったほうが、よりその状況の緊迫感やその
人の切羽詰った想いを表現する場合が往々にしてあるということを知らなければ
いけない。そういう刹那を井上は否定してしまっている。間違いや不出来を認めて
いないのだ。しかしその間違ってしまったりまずい字を書いてしまったのも偽らざる
自分なのだ。それも偽らざる井上自身なのだ。もし自分の書きたい物を書くというのなら
全神経を集中して一枚に仕上げるべきなのだ。二枚目は無いのである。そこの厳しさが
井上には決定的に欠如している。
- 142 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/12/28 11:14:42
- 俺は書がどうしても芸術としていう今一メジャーになり切れないというのはそのような
厳しさの欠如があるからではないかと考える。ずっとレスをつけていた名無しの君に
改めて勧めるが岡本太郎の著書を読んでみたまえ。少なくても井上などよりも一人の
芸術家としてずっと覚悟がある。なにより岡本は前衛とは誰にでもできる物、自分が
やっているようなことは誰にでもすぐにできることとして他の自分以外の作家をこき
下ろしたりなどはしていない。芸術の厳しさを他者を貶めることにより自分を浮かび
上がらせることで表現しようとはしない。少なくても岡本はその厳しさを全部自分に
率先してひっかぶらせることで、少なくても井上などよりもよほど芸術家としての覚悟が
あるといわざるを得ない。少なくても君らの前衛とは所詮こんな物なのだ。それを
前衛の顕著たるバイブルとした上で書でポスト・ミニマルなどを語ろうとするのは
ちゃんちゃらおかしいとしかいえない。君の頭の中には前衛といってこれを読めと
いうのは書の上で前衛を語ろうとするには井上をはずすわけにはいかないのだろう。
君の中での前衛の認識は井上という構図が出来ているのだろう。しかし俺からいわ
せれば井上などは芸術家としての根本的な厳しさが欠如しているとしかいいようが
ないし、それを前衛の認識として君のイメージは今の書壇同様古めかしく怠惰と甘えに
満ちて書を根本的に変えるものにならないといえる。君らの認識こそやはり全時代からの
腐ったロマンティシズムから何も変わる物ではないということを実証している物ではないかと
考える。
井上を読んでみろといわれたが君らの認識などまあこんな物だ。まあそのくだらなさを
確認しただけでも君には感謝しなければいけないだろうが。
- 143 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/28 11:32:32
- 東京1K?
- 144 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/28 15:30:56
- 黒ちゃんの正体割れたの?
- 145 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/12/28 17:46:13
- いんや。
- 146 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/12/28 17:48:17
- しかしこのスレも伸びねーな。こんなレベルじゃ前衛だの
伝統だの言う前に書自体が黙殺されちゃうな。
というよりしてるなこれは(^^;。
- 147 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/28 20:48:42
- >>144
昨夜美大出スレでがんばってた自称欝氏に近いものを感じる。
- 148 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/28 22:58:07
- アヴァンギャルドな柿沼くんの個展見に行く人いませんか?
感想アップおながいします。
- 149 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/03 15:55:34
- 「柿沼康二 書展 -日々告白- 」
日時 2005年1月6日(木)〜11日(火)
会場 伊勢丹新宿店5Fアートギャラリー
なんでも「正月早々アバンギャルドな柿沼アートをご披露」してくれるそうです。
前衛書道板の関東在住の方は、どうか感想アプしてください。おながいします。
- 150 : :05/01/05 18:59:27
- 黒の騎士←この人とりあえず情熱たっぷりだけど
頭悪いな。特に理系に弱そう。
あまりにも闇と闘ってない気がする。
実は孤独に結構としとってそう。
でも努力は嫌いです。
根付けとかみせたい。
何かを掘ればそれは全て根付けなんです!!
ってかw。
寝言は寝ていえ。
- 151 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/05 22:52:55
- レスご苦労。たまには来て荒らしてやってくれ。それくらいの
活力がないと書も遺憾な。
- 152 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/05 23:31:17
- 前衛スレの住人は、20人展を見には行かないのでしょうか?
ほかの書道スレは、20人展で盛り上がっていますが、ここでは全然触れられていないですね。
柿沼kozy待ちなのでしょうか?
- 153 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/06 00:09:31
- 皆様、他の書道スレに出張中です。
- 154 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/06 11:34:59
- >148-149
正直書と言うものではなくカリグラフィーといった物のような
感じがするな。別に好きな人を貶めるつもりはないけど俺は
残念ながら趣味じゃない。
言葉が表現以上にひとり歩きしているのも正直俺にはキモい。
俺の知り合いで一字書やっている奴がいるけど外見は
計算されつくしていて凄いと思うけど、その実内容空虚で見苦しいよ。
俺は書は外見で判断されるべきという意見をもっているが内容は
どうでもいいかといってるのではないよ。不思議な物でやっぱり空疎な
人間が作る物はやっぱりそれがしみだしてしまう物だし、そうではない
人が作った物はやっぱり魅力的に見えるもんだ。なぜかは俺も理由は
わからんけども。もちろん言葉を書かなくても、の話だ。だから言葉は
のイメージは余計だなと思うことがあるわけだ。
ごめんな。あくまで俺自身の感想だから気にしないでくれ。俺なんかより
よほど理会してくれている人もいると思うから。
- 155 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/06 17:24:35
- >>153
むこうは盛り上がったみたいですね。
まあ、20人展は書道界年始めの一番大きなイベントですから、共通の話題になりやすいんでしょう。
'05現代の書 新春展
http://www.mainichi.co.jp/life/culture/jigyo/shodo-kai/pickup/2005/0104.html
の方は、どうだったのでしょうか。
見に行かれましたか?
- 156 :R:05/01/07 09:42:47
- このスレには初めて書き込ませていただきます。やや長文で失礼します。
>>81
>僕は世間で言われるところの「現代美術」の活動をしております。
>しかし、一言「美術」と一くくりにできるものではありません。
>当然文化全体にも目を通さなければならないと僕は思っています。
>書は書、美術は美術、芸術は芸術と必ずしも言えるとは思えない。
>だから、できるかぎりあらゆる事に関して真剣に考えてるのです。
すばらしいお考えだと思います。
わたくしも現代美術の活動をしておりますせいか、>>62さんの書かれた、
>>64
>「書」の存在自体を「ドローイング」として見るというのはどうですか
というアイデアに深く共感しました。
書が文字(記号)をあらわさねば、その本質を失うものなのか?
書が可読的であることが、書の本質なのかどうか?
わたくしには、そうであるような、やっぱりそうではないような、はっきり
判断できかねます。けれど、何て書いてあるか読めないけど、心引かれる
書というのもあるんじゃないかと思います。
むしろ、字として読めないもののほうが、その線の運動性や、空間への放たれ方や、
リズムなんかが、自然に感得されるものなんじゃないか、という気にもなります。
そういう読めない線の集合体が、芸術作品として提示された場合、
「これは絵なのか、書なのか?」って悩むより、芸術であり平面作品なんだって
いう理解があれば、それだけでOKのような気もいたします。
そうなると、前衛書道というレッテルも不要になる気もいたします。
- 157 :R:05/01/07 10:30:25
- 書については、わたくしは全く不案内なんですけれども、
柿沼康二さんのホームページを拝見させてもらいました。
http://www.kakinumakoji.com/
作品について、どうこう言うつもりは無いんですけど、ちょっと驚いたのは、
|・パワーの源、それは走る事。
|・持久走用のプロテインを飲んでいる。
|・これも全て、40〜50キロにもなる大作用の筆を振り回すためでもある。
|・走った後、10キロのバーベルを20回ずつ3セット、腹筋を100回鍛える。
こういう鍛錬をされておられること。すごいですわね。
ベルセルクという漫画の、無闇に大きい剣を振り回す主人公を思い浮かべてしまいました。
わたくし、とっても非力なもので、わたくしが大作にとりくむとすれば、まず40〜50キロにもなる
大作用の筆なるものを、軽量化できないものかと考えるでしょう。たとえば万年筆の原理を
応用して、墨は医療用の点滴みたいに吊り下げるようにすれば、筆先も軽くなるだろうし、
どんなサイズの筆でも、墨継ぎ無しに、無限に長い線を書けるんではないかしら?
ただ、そうすると線が均一で単調になってしまう可能性はあるけど、墨の量を調節すれば、
重い筆で書くのと、同じなのではないかしら?
でも、きっとこういうことは、すでに誰かが試みてるんでしょうね。
- 158 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 20:47:08
- まあこっちでは多分>Rさんと上手くやっていける気がするのでR(古)。
まあ恐らく俺もRさんも外部の人間で結構客観的に書というものを
見ているんじゃないか思うわけですよ。
俺も書を書きます。でも所謂前衛書の類。それを認めたくないという人が
いるのもよくわかるんです。井上有一の著書にも書いてありますけどいい
師匠に出会うべきという話があります。比田井南谷もそうだけど必ず師匠
と呼べる人がいてその人の下で苦節何年と書を書くわけですよ。まあつまり
かなりの苦労をしているわけです。そういう人から比べるとどこの馬の骨とも
知らない奴がぽっと出てきてデタラメ書いて書家気取りってのは許せない
というのもよくわかるわけですよ。
- 159 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 20:47:34
- でもいい加減そういうものから脱却しないとこの書を取り巻く悪循環から脱却
出来ないんじゃないかと思うわけです。
厳しいこといいますけどここのスレにいる人々って凄く良識的だと思います。
知識も>Rさんなんかと違って(あら、ごめんあそばせw)かなり系統だって
いると思います。でもだから駄目なんだと思うんですよね。どこか弾けない
というか優等生的というか危うさがないんですよね。>Rさんもかなり優等生
的なところがあるけど現代美術なんか信じている段階で俺とおんなじで馬鹿
丸出しなわけですよw。だから荒唐無稽、無茶苦茶な理屈を信じれるわけ
です。
どこの世界にウンコの缶詰や便器を芸術品として眺めるところがありますか?。
そういう無茶苦茶なところが今の書には欠落しているんですよ。現代書といっても
しょせんは上品な趣味に堕してしまっているという。確かにそうではない活動をして
いる人もいますけど、その人たちはあくまで蚊帳の外というか完全にアウトロー扱い
なんですよね。端から書とは認めてもらえない。今の現代美術が均質化から離れて
ロマンを取り戻しつつあるというのは事実です。でもそれはもともと現代美術の中には
こういう悪趣味、酔狂といわれる物が沢山あってのことであると思うのです。
俺は副島種臣の書とか好きですけどでもどこまで行っても良識的、上品なんです。
一時の井上有一がそれを脱しようとしましたが結局それは彼でもできなかったという。
俺は今こそ書がその良識的、上品な趣味性から脱するべきだと思います。
言っとくけど>Rさん俺はあなたのこと褒めてるんだから噛み付く相手間違えないでねとw。
- 160 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 21:07:10
- >155
ちょっとサイト見てみました。
'05現代の書 新春展
http://www.mainichi.co.jp/life/culture/jigyo/shodo-kai/pickup/2005/0104.html
うーん・・・やっぱりどこか良識的なんだよなあ。上品で言うことないんですけど・・・。
技術的には文句の付けようがないと思うんだけど・・・。でもつまらんねえ・・・。
凄く不毛な感じがします。文字を書いているということではなく、型破りのところが
ないんですよね。
強いて言えば野口白汀の「質」という文字が質屋の前に出ていたらさぞ面白かろう
というくらいです。これが書を志す人たちの均質化を抜けた後のロマンを取り戻した
姿なんですか?。
全然駄目ッすね。全然駄目。俺の中でピクリとも来ませんよ。まだこれなら小便絵画
や小便付け十字架などのほうがピクリときます。
書の目指すというところはこういうところなんでしょうか?。なんか徹底的に猛省して
いただきたいという感じです。まあ俺の個人的な感想ですが。
- 161 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/07 21:36:12
- 何故、現代美術やってますなんて恥ずかしげもなく言える馬鹿どもは、生け花や書道にたいして優越感をもちたがるのか? (獏。
- 162 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/07 21:54:58
- 本当に現代美術なんてやってんのか?
おおむね唯の2chアーチストだろうさ。
- 163 :R:05/01/07 22:10:36
- >>161
現代美術をやってることは、ちっとも恥ずかしいことだと
思ってませんけど、わたくしの投稿の動機は、書道に対する
優越感などといいう下卑たものでは、ございませんわよ。
わたくしは>>62さんのように、普通人としての良識をもった
アーティストだと自認してるんです。
黒騎士さんと、ここでタッグを組んで書を批判する気持ちは
毛頭ございません。彼とわたくしの芸術に対するスタンスは、
かなり違うようですし、他のスレでのやりとりから、わたくしは
黒騎士さんへの、直接的レスポンスは、決してしないことを宣言
いたしましたのよ。
- 164 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/07 22:19:44
- >>163
な、なんだと、
お前がアーティストだと?
馬鹿をいうな、馬鹿野郎!
- 165 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/07 22:28:02
- >>164
あんた、大沢ってしらないか?
- 166 :164:05/01/07 22:30:12
- 知るかよ、そんな奴、
Rかもう一人の奴のことじゃねーか?
現代美術とか言ってる。
- 167 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 22:39:56
- >163
ほほう、またボコられたいのかこのネカマ君は(−−+
なんて嘘だよん。
でも自分で良識派なんてよく言うよ。誰もそんなこと思ってないから
安心しなさい。というよりそんな半端なスタンスで来るとバリバリの書家
は君ごときでは太刀打ちできないよ。書の歴史と20世紀から始まった
現代美術の流れではそもそも歴史の重みが違うんだから。現代書という
のもそもそもまったく前提なく始まった物じゃないし。
ま、こっちは適当に不良でいかないとね。このガチガチの良識派の人々には
太刀打ちできないわけよ。
- 168 :R:05/01/07 22:40:21
- >>157の話の続きです。
仮に万年筆型毛筆(筆ペンのペン先が毛筆になったようなもの)が
実現されれば、XYプロッタのような、パソコンのプログラムで
制御できる機械に、これをとりつけることにより、任意の大きさの
紙に、あらかじめデザインされた線の集合体を書かせることが、
できるようになるでしょう。さらに、筆圧、速度などまでコントロールできる、
ロボット・アームのようなものも、現代のテクノロジーをもってすれば
実現可能なんじゃないでしょうか。すると、パソコンでの作曲が簡単に
できるようなソフトがあるように、ペン型の入力装置で入力された、
強弱や速度の情報をともなう線のデータを、パソコン画面上にシミュレートし、
さらに気に入った形に編集したデータを、毛筆つきのプロッタで出力する
といったソフトとハードの組み合わせの実現も、決して難しいことでは
無かろうとおもいます。芸術的用途より以前に、年賀はがきの印刷なんかに、
需要がありそうですけど。
こういう技術改革ができれば、筆と墨と紙で表現できることの内容が、
飛躍的に増大するし、芸術表現への応用範囲も広がるだろうと思います。
- 169 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/07 22:45:39
- 現代美術?
大沢?
団塊先生さんとところでヘコヘコしてるひとでつか、
架空美術館、
- 170 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 22:55:34
- >168
・・・(−−;。やっちゃったね。
俺と同じ与太者の意見だよ。端からここの人たちはそんなもの書と
認めていないんだよ。
書き込むのはかまわないと思うけどなぜここの人たちが前衛書を
書と認めないかというのをよくレスを読んでから書くようにしなよ。
こんな書き込みをする君が馬鹿に見えるよ。
>122あたりに大体軽くまとめられているよ。ちょっと俺に対して
悪意があるような感じがするけど、まあ嘘は書いていない。
書家の意見としては別に文字を書くことを特化しなくてもかまわないと
思うけど、それをやった比田井南谷も井上有一も結局もとの書に戻って
しまったのは文字を書かないというのは画面上の構図も結局単純な物に
なってしまうということなんだよ。
文字を書くというのは呼吸というかリズムがある。そういうのを三折法だとか
多折法という表現をするんだけど、そういうのを無視するのはもはや書とは
いえないというものなんだ。それは機械ができる物ではないしそもそもそんな
ものは書とはここの住人は思ってないんだよ。君の考えたことは充分ありえる
ことだと思うけど過程をすっ飛ばして結論を言っただけの物なんだよ。それを
順序だてて議論していくんだから君の意見だけでは本当に書を知らない愚か
者の意見になっちゃう。
否定するにはそれなりの見識も持たないとね。
- 171 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/07 23:21:30
- 確かに、比田井南谷、井上有一 は、痛い日本前衛美術と近いものがあると思う。
その分、痛い現代美術家にはわかりやすいものだと思う。
結局のところ、メディアの固有性、歴史性に対して、無自覚なのかなあれは、
音楽でいうと、出鱈目ノイズミュージックとか、そんなイメージだな。
- 172 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 23:28:30
- ま、ついでに住人さんに向けて書くわけだけど。
>155をみて>122の意見を考えてみるんだけど。
ね?。本当に自分たちがやっていることに疑問はないのかな?。
俺は>122でまとめられていた良識派の意見としてはそれなりに
納得する物だったんだけどそれがこの結果なの?と思わずには
いられないよ。たしか石川九楊という人の書いた前衛書のことを
意見を見たけどあなたたちは前衛書から学んだことはこんなこと
なんですか?と思わずにはいられなかったよ。
この石川某という人も殆どこの>122で書かれているような意見だった
ね。これが前衛書を経験して伝統回帰してやっていることなの?。だったら
駄目だよ。全然駄目だね。
- 173 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/07 23:29:02
- 俺は芸術というものは言葉なく人を圧倒するもんだと思う。一番最初俺が
圧倒されたのはゴッホのひまわりだった。もう20年近く前にゴッホの大規模な
展覧会があった。その一番最初にそのひまわりが飾ってあった。その時俺は
まったく圧倒されたね。その時はまだピカソもわけがわからない時だった。
普通の一般人だったよ。でも「うわーこんな絵を描いたら人はそりゃ死ぬだろう
なあ・・・。」と圧倒された。うちのオヤジがもともと絵を書いていたから絵心は
あったんだろうと思うけど、それでも普通のどこにでもいる少年だったよ。
つまりそれがないんだよ。本当に素晴らしい物だったら書いてあることはわか
らなくても圧倒されるもんじゃない?。それとも書いてある文字の意味が理解
できれば必ずぶっ飛ぶもんなの?。そもそも現代の書で文字が誰にでも簡単に
読めるもののほうが少ないわけだから、それなら文字を書こうと書くまいとその
画面がもつインパクト、情報量のほうがまず大切じゃないの?。副島種臣や良寛
なんかは何が書いてあるかわからなくても、俺はぶっ飛ぶよ。そういうもんじゃな
いの?。
現在の書は単なるカリグラフィーの一種と堕してしまったもんなの?。俺が書に
求めている物は全然違うよ。もっと画面を見ただけで伝わる物だよ。それでこそ
本当に芸術といえる物でしょう。だったら文字を書こうと書くまいと伝わるもんじゃ
ないのかな?。結局書をきちんとやっている奴らほど一番書を信じてあげられて
ないんだな。これは俺が考える書の一番の悲劇だと思うよ。
- 174 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 00:04:38
- (・∀・)ホー
- 175 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 02:11:30
- 黒岸ってナイーブだな。
- 176 :62:05/01/08 02:12:01
- 62だ。
自分のことを「現代美術家」とは一言も言って無い。
っていうかそもそも俺は普通人ではない。
寧ろ「次に何をするかわからん」っていわれてるぐらい。
相対的に論じてたし、書にも多少興味あったから善人に見えたのかな?
ペインターから見れば所詮書は前衛であろうがなかろうが黒のペインティング
にしか見えてないんだ。あとこの国の識字率の低下。要はバカの増加で字の
意味や深みが年々薄れるのは当たり前。守らないと「書」は破滅するんじゃない?
- 177 :R:05/01/08 03:22:59
- >>168でわたくしが書いたことは、決して荒唐無稽なことではないですよ。
1959年頃にティンゲリーというアーティストが、自動ドローイング機械を
作ってますし、たとえばYAMAHAのクラヴィのーヴァっていうピアノで、
ブーニンの演奏を再現させてますけど、これと同じことなんですの。
強弱やらリズムも、デジタルデータに落とすことは、十分に可能なんですのよ。
>>176
あらっ。ごめんあそばせ。黒さんが、あまりにもあれなものだから、
62さんを引き合いに出してしまったのですが、悪気はございませんのよ。
- 178 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 05:42:33
- ちょっとここの住人の人たちに聞いていい?
σ(゚∀゚ オレ!! DQNだから良くわかんないんだけどさぁ、
思考が単純とかいわれるかも知らんけど、
少なくとも日本は漢字文化圏なわけじゃん。
漢字って表意文字だよね。
「書」っていう漢字の意味は、どこまでいっても文字を書くことだよね?
(いちおう漢字源くらいは調べた)
少なくとも「書」っていう名称を使う限り、文字とは
切り離せないものになるんじゃないのかな?
ここで一旦書き込みっと。
…こういう議論ってガイシュツなのかな?だったらスマソ
- 179 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 05:50:31
- かといって、前衛書(便宜上こう呼ぶしかないんだが)を
否定するわけじゃないんだよね。
”墨を使ったアート”としてのカリグラフィックアートって存在しても
別に悪いわけじゃ当然ないよね。
”「artとは何か」という問いはもはや成り立たない。正しい問い方は
「いつartか」である”
みたいな言葉もあるわけでさ。ただ、これを「書」って呼ぶのは
どうなの? いや、もちろん言葉の持つ概念を拡大して考えれば
済む話なのかもしれないけど、その拡大の幅が問題だと思うん
だよね。
こっからは個人個人意見が異なるだろうけど、自分はもう、「書」って
いうくくりで語れないほど『書』のありかたが広くなってきてると思うん
だよね。
で、一回書き込み。
長いな…。もうちょっと考えて書けよ漏れ。
- 180 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 05:59:49
- つまり、「芸術」っていう言葉の持つ概念より、
「アート」っていう言葉の持つ概念が広くなっているように、
「書」<「カリグラフィー」
だと思うわけ。あぁ…なんか書きながらこんがらがってきた。
つまり、従来の「書」の概念を持っている人は、当然”前衛書”
と”本来の書”は違うと思ってるわけでしょ?
でも、”前衛書”の側に立つ人の中には、「それでは書の可能性
を狭める」みたいなことを言う人もいるわけじゃん。
これって、単に人が言葉に持つ概念のちがいじゃないの??
そんな「書の本質」なんて、見えない神様を追い求めてるだけ
じゃない?よくわかんない。何が言いたいのかわからんくなってきた。
たぶん次で終わる。
- 181 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 06:13:39
- 住人の方々の意見にコメントを加えるとね、
まず、黒の騎士さんの意見にはかなり疑問があるんだよね。
「芸術は通文化的」みたいなことを言いたいのかな?
でも、ここ一世紀くらいに興った「美しくない芸術」って
どう解釈したらいいの? 世界的にはずいぶん認知されてる
よね? 「知性による芸術」と「感性による芸術」に分けてる人も
いるけど、その場合、当然鑑賞する側には特定の知的前提が
必要なわけだよね。
同時に、僕たちが無文字社会を見たときに全然無秩序に見えても、
実はそこには彼等なりの秩序や合理性があるように、芸術だって
何らかの基礎的な前提がないと絶対理解できないよ。
で、Rさんの意見は実はまっとうだと思うんだよね。
「人間の身体は道具を使用するとき、その道具の先まで延長される」
みたいな意見があるよね。コンピュータ技術が格段に進歩して、
あたかも自分の体の一部のように使えるようになった時、
多彩な表現法が可能になるっていうのは当たり前だと思うんだよね。
もちろん、それを「書」って呼ぶかどうかの問題は残るけどね。
ハァ…疲れた。なんか訳のわからん文章になったなぁ
(-_-)ウツダシノウ
お目汚しすみません。勝手に書き散らしてドロンします。失礼しますた。
- 182 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 10:25:06
- >177
いい加減よせよ。なんで書のスレに来て現代美術のことを得意げにしゃべってるんだ?。
だから馬鹿に見えるっちゅーの。
>176の意見を読んだらこのスレの住人は一筋縄にいかないなというのがわかるだろうよ。
- 183 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 10:35:35
- >>黒の騎士
もう痛々しいからやめな。
>>みなさま
彼は他スレでいろいろあれだったコテハンですので、
今度見かけたら生暖かくスルーでお願いします。
- 184 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 10:57:37
- >181
多分これにレスすることでまとめてレスが出来ると思うので。
>「芸術は通文化的」みたいなことを言いたいのかな?
>その場合、当然鑑賞する側には特定の知的前提が
>必要なわけだよね。
まず今現在の我々を取り巻く状況を考えてみましょう。全部が全部とは
いえませんがどの人種も同じような洋服を着て同じような食べ物を食べ
同じような環境に住んでインターネットをやっている。知的前提としても
ほぼ平均化しています。もちろん差異があるのは当然ですけど。均して
見た場合の話です。なにか書を世界的に理解するという前提条件で
足りないところがあるでしょうか?。
また前衛書というのはすでに世界に向けて発信されているものでもあるので
ポロックあたりはかなり書に影響された作品を出していたりします。例えば
1952年製作のThreeという作品は井上有一の作品などにも紹介されています。
つまりすでに世界に認知された物であるのです。むしろ海外の方が前衛書に
関しては評価が高いのではないかと思えるほどです。比田井南谷あたりは
そこら辺の普及活動を熱心にしてましたから国内よりむしろ国外のほうが
評価が高いくらいです。
- 185 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 10:58:10
- つまりそれなりの評価はすでに前衛書自体は持っているんですよ。それを
書ではないといって偏狭な物にしているのは海外の人ではなくて自分たち
なのだということに気がつかなければいけません。
また俺が言う芸術的な評価というものは殆ど全て画面から取れる情報が
すべてという立場です。それに関しては東洋であろうが西洋であろうが
関係ありません。自分にとっては副島種臣の感動とピカソの感動に区別を
つけることは出来ないのです。どちらも画面を見ただけでぶっ飛ばされる
ようなインパクトがあるものなのです。なぜそれを別物といえるのでしょうか?。
感動に差はないはずです。なぜそれを書に何が書いてあるかが関係すると
いえるのでしょうか?。ちなみに副島種臣の書を見ても何を書いてあるか
などは自分はまったく意識しておりません。それでも感動できるインパクト
を副島の書は充分に持っています。
http://www.homma-museum.or.jp/
まるで自由闊達、天衣無縫。ピカソの表現と何も差がないことがお分かり
でしょう。これを見て海外の人間は理解できないとお考えですか?。それは
驕りというものです。本当に素晴らしい物はやはり海外でも評価されるはず
です。でなければピカソはその美術前提を持たぬ日本人には理解できぬと
いうことを逆説的に認めることになると思います。
- 186 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 11:16:40
- >あたかも自分の体の一部のように使えるようになった時、
>多彩な表現法が可能になるっていうのは当たり前だと思うんだよね。
>もちろん、それを「書」って呼ぶかどうかの問題は残るけどね。
いやそれは別に否定してませんよ。ただそれを何の前提もなしに書くのが馬鹿に
見えるという風に>Rさんに指摘しているわけですよ。やろうと思えばそれは誰だって
出来ます。実はすでに似たようなことを自分がやっています。でもそれを書家の前に
出したところで書とは端から認められてないから自分は議論しているのです。上の
ほうでも書きましたが書には独特のリズムがある。それは三折法、多折法という風に
表現されると書きました。例えば副島翁の作品を機械が完璧に再現しうるでしょうか?。
恐らく出来ないでしょう。多分できたところでいったい何の意味があるんでしょうか?。
だったら機械にインプットしなくても習いたての子供に書かせたほうがよほどインパクト
のある画面を書けると思います。
問題は書の多様性を機械で再現するといういうことを語るんではなく機械でしか出来
ない表現を語るべきです。例えば寸分の狂いもなくまた墨線に髪の毛一筋ほどのかすれ
もなく引かれた直線を書として語るべきなのです。トン・ツー・トンの三折法だのは最初から
無視です。俺はそれでもそれを書として見ているのです。しかし書家はそんなものは書では
ないと一刀両断にしているのです。それを>122で戦後書は、書の核心に付随する要素を
取り出して拡大・強調して見せた別物と表現しているんです。それを理解しないで書いた
ものは野次馬の野次と何も変わることがないわけです。
つまり同じ前提の議論のテーブルに俺は書家をつかせようとしているのです。それなのに
何の前提もなく>Rさんみたいな書き込みは馬鹿みたいに見えるといっているのです。
すでにその程度のことなんて考えてますよ。それなのにまた作家名の羅列ときたもんだ
(苦笑)。何度も言うようだけどここの住人さんはそんな作家名でビビるような人たちじゃ
ないんですよ。現代美術というものをある程度おさえて書に望んでいる人たちなんだから。
だから問題なんですよ。
- 187 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 11:43:38
- あんまりよく読んでなかったんだが・・・。今ちょっと読んだら強烈だな・・・。
>たとえばYAMAHAのクラヴィのーヴァっていうピアノで、
>ブーニンの演奏を再現させてますけど、これと同じことなんですの。
>強弱やらリズムも、デジタルデータに落とすことは、十分に可能なんですのよ。
これ本気でおもっているの?。ブーニンの演奏がヤマハの電子ピアノで再現できると
おもってるの?。それもよりによってヤマハに・・・。俺は音楽もやっているからわかる
けど、Rさんがどれほどの認識力かこれでよくわかったよ。
- 188 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 11:44:29
- 板違いだからあんまりいいたかないけどブーニンがどういう演奏する人かわかってんの?。
どういう経緯で有名になった人だかわかってるの?。またヤマハのクラヴィノーバという
楽器がどういう構造で自動演奏できるようになってるか理解してるの?。
ちょっと音楽わかる人はクラヴィノーバのブーニンの演奏は一種のギャグというか
皮肉なんだということがわかるはずよ。それをちょっとお金持ちの子女がさすが
ブーニンだわというところを想像して暗く笑い飛ばすところが面白いのに。なぜブーニン
かというところが面白いのに。俺は発売された当初ヤマハの中に洒落がわかる奴が
いるんだなと思ったよ。
つーかこれらの書き込みがあんまり馬鹿ばかしいんで俺は逆に釣られているんだと
いう気さえしてくるな。ま、とりあえず>Rさんは音楽を他の板で語らないほうがいいと
思うよ。爆笑もんだから。釈然としないならクラ板いって上記の書き込みしてごらん。
すまんな。煽りに見えるかもしれないけどそんな気は全然なし。老婆心ながらいってる
だけよ。
- 189 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 15:04:17
- をを、あんな訳のわからんものにまともにレスしてくれる
人がいた。ちと感動。dクス。
えっと、言葉が足りなかったようで、自分が言いたかった
ことと少しずれているので、補足をしておきたいと思います。
なにか書を世界的に理解するという前提条件で
>>182
>なにか書を世界的に理解するという前提条件で
>足りないところがあるでしょうか?。
まず、上にもつらつらと書きましたが、前衛書字体を否定
しているわけではありません。私自身は伝統書系の書き手
で、前衛書にはあまり詳しいとはいえないのですが、比田井
南谷さんあたりの作品をはじめて見たときは、かなり衝撃を
受けました。
私が上のほうで述べたのは、単純に言葉の問題なのです。
ここでは黒の騎士さんと意見が違うのでしょうが、もはや
現在の「書」を取り巻く状況が、「書」の一文字で包含できな
くなった、と言いたいのです。
続きます(;´Д`)
- 190 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 15:22:15
- あ、一番最初に書かなければならなかったことを書き忘れて
いたのでここに書きます。
えっと、レスに”現在われわれを取り巻く環境”的な部分があ
りましたが、この点に関しては全く私の誤りでした。
なんとな〜く大きな観念論だけで書きました。スマソ。
情報化社会が進行していく中で、一定程度まで人々が
均質化しているというのは至極もっともです。
前衛書が世界的な評価を受けているのも良く知っています。
「むしろ海外の方が」とおっしゃいますが、明らかに海外の方が
評価が高いでしょうね。
ただ、ここで脱線して現在の前衛書の状況を(門外漢ながら)
考えると、世界的に”前衛芸術”のピークが60年代〜70年代に
やってきたのとほぼ時を同じくして、日本の前衛書もそれ以降
衰退していったように思います。前衛は時とともに硬直すると
いうのがほぼ法則であるとしても、”前衛書”は今や”前衛”という
型にはまってしまった感が非常に強いですね。フランスなどでも
近年前衛書に対する批判が強まったかに聞きました。
まぁ、前衛書がこの状況からいかにして脱出するかは私ごとき
の語れるようなことではないので皆さんにお任せするとして、
で、中途半端なところで↓に続きます。
- 191 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 15:37:47
- 189は、
>>185
>それを書ではないといって偏狭な物にしている
に対する答えですね。話がこんがらがりました。
ちょっとアフォなもので(;´∀`)。どうぞお付き合いを。
で、
>>185
>芸術的な評価というものは殆ど全て画面から取れる情報が
>すべて
ここらへんには、私は強い懐疑感を感じます。
一番最初に「現代」という言葉を入れてもらえると無理やり
納得できないこともないのですが、ちょっとこの論は無理がある
と思います。
たとえば、イタリア=ルネサンスを理解するには、キリスト教的な
宗教価値観を理解する必要があります。
書は、文字が書かれています。そこには作者の意志性がありま
す。何故その題材を選び、そのように作品に展開したのか。
『風の谷のナウシカ』の”ナウシカ”は、ホメロスの”オデュッセイア”
の登場人物です。
こういう、画面から読み取れる知的な側面は、少なからず作品の
価値に影響を与えています。もちろん、黒の騎士さんのような鑑賞
法を全否定するわけではありません。ただ、『画面のインパクト』
というのは、その作品の価値を構成する重要な一要素ではあるけ
れど、それが全てではないのです。
まだ続くのかよ漏れ…。いい加減文章下手だな。
マジレスなんて久しぶりだよ。
- 192 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 15:50:47
- ピカソと副島を同等に比較してしまうところにもかなりの
疑問を感じないことはないのですが、残念ながらここに
触れるだけの頭が私にはありませんので割愛。
>>186
に関しては、全く同意します。そのとおりで、疑問をさしは
さむ余地もありません。技術的には、これから数十年経
てば、(それがYAMAHAかどうかは置いておいて、)ブー
ニンの演奏だって再現できるようになるでしょう。誰が開発
するか知りませんが、日比野五鳳だって再現できるように
なるでしょう。
でも、それでは意味がなくて、僕もやはりサイバー書独自の
あり方を模索してほしいと思います。
最後に、誤字脱字訂正。
>>189 5行目→削除
11行目 前衛書字体→前衛書自体
はぁ。疲りた。こんなところでどないでしょ。
拙い頭をふりしぼって書きましたんでよろしく。
- 193 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 16:36:42
- >ポロックあたりはかなり書に影響された作品を出していたりします。例えば
1952年製作のThreeという作品は井上有一の作品などにも紹介されています。
これが系統だった知識か。単に見た目似てるだけの話じゃんか。
書の影響ってことでアメリカ絵画を持田すんならFKとかMTだろ。
これをどう強弁/反論するかたのしみだな。
教養のなさetc.痛いところを突かれると必ず持ち出す「お前は江呂本で雄名弐ーしてる道程だ
本当のことを知っているのは漏れだけだ」論法で来るか。
- 194 :黒の騎死:05/01/08 18:16:01
-
俺が一番好きな雄名弐ーの方法がお前にわかるのか?。100年たとうがお前には
わからんだろうな。わからないのなら、認識不足をさらけ出して江呂本で得た
俺の役にも立たない知識をここに書き連ねるのはやめたまえ。
- 195 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 20:16:30
- スンマソーン
- 196 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 21:18:38
- >189
良識的で一筋縄でいかない住人さんの登場です。あなたのような方の
登場を待っておりました。
>ここでは黒の騎士さんと意見が違うのでしょうが、もはや
>現在の「書」を取り巻く状況が、「書」の一文字で包含できな
>くなった、と言いたいのです。
なるほど。それなら了解です。れ?旗色悪いぞ俺w。
以前のイメージで書と捉えられるかどうかということになればそれは
やっぱりノンでしょうね。書という言葉を使ったとしてもそこには新しい
意味がやはり含まれているはずです。
>、”前衛書”は今や”前衛”という
>型にはまってしまった感が非常に強いですね。フランスなどでも
>近年前衛書に対する批判が強まったかに聞きました。
アヴァンギャルド批判ですね。そもそもアヴァンギャルドというものは前衛でも
なんでもないというものですね。前衛書というものが型にはまってしまったという
のは事実だと思います。でもそれはその型を作った中での話しだと思うのです。
一字書や単に墨をぶちまけるだけではすでにそれは古いというのは当然です。
ただ書の前衛観というのはここからさほど変化してないのも事実です。例えば
以前書きましたがAKIRAというアーティストの習字道という活動の中から生まれる
作品を書家の方々は書と考えられるでしょうか?。
- 197 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 21:19:11
- http://www.akiramania.com/books/hangeijutu.html
恐らくこれは今だ書とも思われていないのではないでしょうか?。つまり前衛書
というものは現在1960年代あたりからさほど進化していないというのが実際だと
思うんです。前衛というものは本来進歩する物ですから、文字でないものを
書けばいいというわけではないとおもうんです。文字を書いても前衛であるもの
もあるしその逆もまたあると思うんです。自分が前衛書という言葉を使う時その話
のイメージで話をしています。
>たとえば、イタリア=ルネサンスを理解するには、キリスト教的な
>宗教価値観を理解する必要があります。
確かにそうですね。ただ西洋絵画ということで言えばやはりピカソ以降の
前衛絵画の時代になると基本的には画面からの情報が全てだと思います。
もちろん違う物もありますが前衛芸術というものを誰にでもできる簡単な
芸術という捉え方をした場合前提が必要な芸術ではすでに時代遅れで
あると思うのです。書を書くとき東洋の歴史観、書の成り立ちを志す人は
全て勉強し返さなければいけないのでしょうか?。東洋に歴史があるように
西洋にも歴史があります。だったら西洋の歴史観の上で自分たちなりの
書を展開すればいいと思うのです。それこそがいまやボーダーレスの
時代となった世界的な芸術として前衛書の意味が出てくると思うのです。
- 198 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 21:19:43
- どうも前衛書というと文字でない書というイメージがでてきますけど本来
自分が言おうとしているところはそうではことをご理解ください。以前のレス
>131でそのことを書いております。ただ今の前衛観というものもすでに
1960、70年代からやはり進んでいるんだということもご理解ください。
- 199 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 21:35:33
- 黒の騎士は議論することができない痛い奴なのでスルーしろ
- 200 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 21:36:44
- 黒の騎士は追い込まれると、痛さが増す。スルーしとけ
- 201 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 21:38:11
- 黒の騎士は、相手にされないと、誰彼かまわずレスしてくるから、そんなときも気にせずスルーしとけ
- 202 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/08 21:46:53
- あ、すいません。書家の方はこういうのどう思われますか?。
http://www.akiramania.com/shodo/shodo.contents.html
AKIRAさんの作品の中のひとつです。
書の前衛観というのは書家の人がどう思おうとここまで現在は
来ているという証拠になります。
しかし悪趣味だねえw。俺はAKIRAさんのやっていることを支持
しますよ。言っとくけどこんなことウォーホールがやっているなんて
無粋なことを言わないように。書という前提で考えないといけません。
- 203 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/08 21:50:54
- いやいや、スルーで。
- 204 :R:05/01/08 23:56:39
- >>181
>で、Rさんの意見は実はまっとうだと思うんだよね。
そうですとも。
勇気ある賛同者が、あらわれて、わたくしも心強いですわ。
>「人間の身体は道具を使用するとき、その道具の先まで延長される」
>みたいな意見があるよね。コンピュータ技術が格段に進歩して、
>あたかも自分の体の一部のように使えるようになった時、
>多彩な表現法が可能になるっていうのは当たり前だと思うんだよね。
ピアニストがピアノを、書家が筆を、道具として扱い、表現行為をしてきた
わけです。コンピュータやロボットも道具に変わりはなく、産業面では既に
不可欠の道具ですし、音楽や現代美術においても、コンピュータは
利用されており、ロボットも、そのうち利用されるようになるでしょう。
書の世界でも、もし新しい表現を求めるのに貪欲ならば、需要があって
当然なはずです。
>もちろん、それを「書」って呼ぶかどうかの問題は残るけどね。
いや、パソコンやロボットアームを使ったからって、可読的な文字を
題材に扱いさえすれば、保守的な見方をする人でも、書の本質を満たす
ことを認めざるを得ないと思うんですけどね。どうかしら?
- 205 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/09 00:21:19
- >204
(・・;
さて、どうしたもんかなあ?。微妙に話がずれてるなあ。
まあいいやほおっておこうっと。純粋に西洋絵画の人が
書をどう思っているのか?というのも参考になるだろうから。
ちなみにこういうソフトがあるのは書家の方はご存知ですか?。
ちなみにフリーソフトなんで誰でもダウンロードできます。
http://www.vector.co.jp/vpack/browse/pickup/pw4/pw004019.html
こういうものはどうおもわれているんだろうか?。やっぱり紙と墨でなければ
書とはいえないんでしょうか?。俺も使ってますがどんなにがんばったところで
毛筆に勝る表現などは臨むべくもありません。
例えばこういうソフトで書いた物をプリンターで出して公募展なんかに出すと
どうなるんだろうか?。それは書とは呼べないんですかね?。
- 206 :黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :05/01/09 01:00:21
- ん、面白いこと考えた(ニヤリ)。
>205で紹介したソフトのことなんですけどこれの具体的な説明を
ちょっとするとまあ自分で紙となる背景を選んで筆の細さ、太さを
選び、墨の濃度を選んで書くというものです。で、最後にjpgかbmp
で出力が出来るものです。ここで書かれた物をプリンタでjpg出力した
ものは書とは呼べるでしょうか?。
ちなみにきちんと楷書で「日々是好日」とでも書いておきましょう。
文字をきちんと書いてあります。これは書と呼べるものでしょうか?。
できれば自分と議論した方すべてに聞いておきたいところですが。
ちなみに>189さんはどうおもわれますか?。
- 207 :R:05/01/09 01:01:48
- >>192
>でも、それでは意味がなくて、僕もやはりサイバー書独自の
>あり方を模索してほしいと思います。
よく、わたくしのアイデアの射程を理解されておられますね。
わたくしの考えるところの、ロボットアームに書画を行わせるプロジェクトの
応用範囲は、サイバー書だけでなく、サイバー水墨にも及びます