[[[[[♪音楽はどこまで「言語」か♪]]]]]
- 1 :虚無好き:04/05/16 00:44
- 音楽を、言語学からの視点で語るスレ。(じつは雑談)
音声資料(ネタ)は、随時下記のurlにアップ。
ttp://www.geocities.jp/kyomsky2ch/
- 2 :虚無好き:04/05/16 00:45
- >「どマイナー」は「どマイナー」でもエオリアじゃなくロクリア、そしてずっと七度が外されてて、最>後の「今日もいい天気♪」では「どメイジャー」イオニア(フリギア?)になっている。(あってるか>心配・・・)
「どマイナーサザエさん」は、いわゆるメロディックマイナーで、
ロクリアンマイナーは減5度を含むブルージーでファンキー(昔のいみ)なものになるんじゃないかにゃ?
メロディックマイナーは、長調と同様の導音(主音からみて長7度)を導入し、
このとき現れた、第6音と第7音の、
旋律構成上あまり好ましいとはいえない短3度を除くため、上行については第6音を半音あげてできたものにゃ。
つまり上行についていえば、長調からみて変化しているところは短3度だけにゃ。
> で、主要三和音の機能が保存されているのみならず、「今日も〜」が
>メジャースケールなのに「もっとマイナー」に聞こえたんですけど、
>私だけでしょうか?
たぶん、最後のトニックコードをメジャーにして、何度か聴けば、そういう錯覚は消えると思われるにゃ。
「今日もいい天気」の部分の、ドミナント(G)投射内に、ダブルドミナント(D7)が挿入されており、
[G7-D7-G7-Cm]は、[D[T-D-T]-T]と書けるかもしれないにゃ。(知らんけど)
新作『POP君が代』アップしたにゃ。
- 3 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/16 01:34
- ちょっと気になる本。こういうの、「数理音楽学」っていうんだろうか。
G. Mazzola, _Topos of Music: Geometric Logic of Concepts,
Theory, and Performance_, Birkhaeuser, 2002.
http://www.birkhauser.ch/books/math/5731.htm
- 4 :(´∀`):04/05/16 05:21
- 新スレおめ
音楽板のほうが論客がいるかもにゃー 知らんけどにゃー
http://music3.2ch.net/test/read.cgi/music/1045867834/l50
67 :名も無き音楽論客 :03/03/11 19:05 ID:???
それよか、無調なのがよっぽどおかしい。。
なんかCなんだかDmなんだか。。
最後の部分もとってつけたようだし・・・だれか西洋の音楽理論に基づいて
説明してくれんかなぁ。
68 :名も無き音楽論客 :03/03/11 19:37 ID:???
どうしていきなり無調になっちまうかなあ。
たしかにCでもDmでもないかしらんが
れっきとしたDを核音とする雅楽の律旋なんだから
いくらなんでも無調に聴こえるようでは耳が曲がってる
としか言いようがない。
強引に西洋理論に当てはめればDドリアンに近い
と思えばそれほど間違ってはいないだろう。
虚無しゃんの降臨はあるのかw
- 5 :こさかな:04/05/16 10:24
- すごいスレだ・・・感動。スレタイもイイ!
ところで第2作拝聴しますたにゃ。「君に胸キュソ(はーと」となってしまい、虚無せんせが
もごりこませた政治的を誤解してしまったかもしれないですにゃが・・・
「壱越調(いちこつちょう)」は友人の尺八奏者(世をしのぶ仮の姿はマルクス全集のセールスマン)
にレクチャーを受けたのですにゃが、ちっとも覚えてないですにゃ。でもサイトのエセーで
なんとなく理解できましたにゃ。「終止感は文化相対的」という話、以前も意味論スレでうかがい
ましたにゃ。>4のカオモジせんせのハリコは「君が代」に関するものでしょうかにゃ?
私の耳は曲がってなさそうで、ちょっとほっとしましたにゃ
細く、長く、またーりとゆかれることを。
- 6 :こさかな:04/05/16 11:00
- >>2
>ロクリアンマイナーは減5度を含むブルージーでファンキー(昔のいみ)なもの
ロクリアンは完全五度を含んでませんかにゃ?と思ったら、コードを充てるとCm7-5でつね。
これじゃあSazae-san'd be so nice to come home toになっちゃいますね。失礼。
原曲のサザエさんがIonianに-5と+5を含むちょっとジャジーなスケール
(「みんなが笑ってるー」のところから)が入っていて、一部Mona Lisaのように
なってる(発想が貧困でスマソですにゃ)、この部分は同じく-5と+5を含んでまつよね。
これがblue noteとして機能していて、ラリー・コリエルがたしか「ジャズスケール」と
呼んでいるものに近いものに(部分的に)なっている気がしますたにゃ。でも
>メロディックマイナー
にゃるほどー 3度の音しかかわってないんでつね。それであんなに印象が変わるのはびっくり
ですにゃ。次と関係しますにゃが:
>つまり上行についていえば、長調からみて変化しているところは短3度だけにゃ。
>>で、主要三和音の機能が保存されているのみならず、「今日も〜」が
>>メジャースケールなのに「もっとマイナー」に聞こえたんですけど、
>>私だけでしょうか?
>たぶん、最後のトニックコードをメジャーにして、何度か聴けば、そういう錯覚は消えると思われるにゃ。
まだ錯覚がきえにゃい・・・しかしminimalな置換であれだけかわるものなんですねー
しかし、「悲哀感」とかそういったものはやはり「意味の層」に属さないものなのでしょうか。
(まだつづく)
- 7 :こさかな:04/05/16 11:07
- >「今日もいい天気」の部分の、ドミナント(G)投射内に、ダブルドミナント(D7)が挿入されており、
>[G7-D7-G7-Cm]は、[D[T-D-T]-T]と書けるかもしれないにゃ。(知らんけど)
虚無せんせのアレンジと違いますけど、私は[Dm7-5 - G7 - Cm]のジャズ的なII-Vを含む
...D-T/D-T]が自然かと思って、これも終止感が学習による獲得の傍証?
レス、ありがとうございますたにゃ(ぺこり
- 8 :こさかな:04/05/16 11:17
- >>3
その本、邦訳もでてません?本屋で見かけた気が(勘違いかもしれません)。
認知心理学では音楽の諸側面をいろいろなアプローチでやっていますにゃ。
絶対音感というようなものから、楽曲としての適格性に関するものまで、いろいろあり、
一定のformalizationも行われていますにゃ。というかkyom-labo(wサイトでのessayに
あるように、楽典とは程度の差はあれ数理的基盤をもって書かれるものなのだと思いますにゃ。
ピタゴラスのことや、古代ギリシアにおける修学上の数学と音楽の関係なども参照。
数学板でも楽理のスレがあったと思いますにゃ。見つけ直したら書きますにゃ。
ちょっと書きすぎましたにゃ・・・
- 9 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/16 11:35
- なんだこのスレは?
おにいちゃんハァハァしちゃうよ。
- 10 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/16 14:27
- >>3のMazzolaさんのサイト
ttp://www.ifi.unizh.ch/staff/mazzola/
ダウンロード可能な文献
ttp://www.ifi.unizh.ch/mml/musicmedia/publications.php4
Topos theory とか使ってるみたいなので、どんなバックグラウンド
の人かと思いきや、もともとは代数幾何の専門家みたいでつね。
- 11 :こさかな:04/05/16 16:39
- 10しゃん、教えていただいたところで草稿を一つダウンロードしますたにゃ。感謝!
(8は撤回しまつ)
なんかMazzolaせんせ、jazz pianistでもある人なんですねー すげーメンにゃ!
落とした論文にはイェルムスレウのプロレゴメナやレルダル&ジャッケンドフのGTTM、
さらにはバルトなどにも言及があり、読んでみたいです(数学の部分はわかんないと思いますにゃが)
>>3の本もかいたいにゃー(お金がないけど)
- 12 :虚無好き:04/05/16 17:02
- 細く、長く、またーりいきますにゃ。
てゆーか、最近ほんとうに遅筆になっちゃってて、生成スレの速さにはついていけないにゃ…。
>>4わざわざ乙。「降臨」はないにゃ。(たぶん)
>>5「文化相対性」のハナシだけど、これも言ったかもしれないけど、
音声学的にidenticalな母音でも、認知された音は母語によってバイアスでるにゃん。
で、平均律で演奏した雅楽の音階って、けっきょく「人工言語」になるわけにゃん。
そうでなくても、心的にも平均律的に再解釈するしかないわけですかにゃ、「平均律の世界の住人」としては。
さらにその平均律のなかでも相対性が発生してるのかにゃ。わけわからんにゃ…
最近どの調律が快いか、っていう実験に関する記事を読んで、
「訓練された耳」のひとと、「一般人」みたいな比較実験になってたと思うけど、
(平均律にいい結果がでたにゃ。)
これだけ商業音楽にとりかこまれていると、感性にも変化でるにゃ。(たぶん)
あ、今日は「サザエさん」の日?
なんかエンディングも「どマイナー」にしてほしいと首相がおっしゃってたので、録音するにゃ…。
とにかくわたしのレスは遅いので、あまり期待せずに待っててにゃ。ではまたにゃんノシ(つづく)
- 13 :こさかな:04/05/16 17:11
- なんか数学板に昔、はじめの方ものすごく面白い展開になって(例えばアドリブでひきまくっている山下洋輔の頭の中では
数理構造上どう記述されることが起こっているか、とか)いたのが、途中からオセロになっていたスレがあったのですが、
dat落ちか、見つけられませんですたにゃ。
かわりにこんなの見つけますた
理論総合スレ
http://music3.2ch.net/test/read.cgi/compose/1053794839/l50
- 14 :こさかな:04/05/16 17:21
- 虚無せんせの平均律の知覚のはなしに関係することかわかりませんけど、昭和のはじめぐらいに
普通の軍人が軍艦マーチを歌っているのを録音したやつを聴いたことがありますにゃ。
部分的に音があがりきってなかったですにゃ。あのままいったら、ブルースが生まれたような
ことが日本でも起こっていたんでしょうかにゃー
一応これも雑談ネタ用に。
HPSG homepage
http://www.ling.ohio-state.edu/research/hpsg/
- 15 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/16 17:26
- >>13
, _ ノ) ハニャン
γ∞γ~ \
| / 从从) ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ | | l l |〃 < これだよ!
`wハ~ ーノ) \_____
/ \`「
数学と音楽の関係
http://mimizun.com:81/2chlog/math/science.2ch.net/math/kako/1026/10264/1026495885.html
- 16 :ゝ^ )つ〜〜く:04/05/16 17:58
- >15 ドモm(_ _)m
- 17 :虚無好き:04/05/16 21:57
- わたしがはじめて和声問題に口出しした「音の心理学」スレ、残ってたにゃ…
(このころと比較して、いまぜんぜん進歩してないにゃ…)
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1008107945/l50
ただここいがいに「絶対音感」を問題にしたスレがあって、
そこでたぶん同じ人間が、平均律が完全に人工言語で、なんでもありみたいなことを言っていたように思うにゃ。
>>6
"You'be all that I could desire"の"I"のところが、第5音フラットになってますにゃ。
ただいっぱんに、ダブルドミナントにメジャーコードを用いる場合、
第5音の導音として、フラット第5音は必然的に現れるにゃ。
これは必ずしも、ブルージーというわけではなく、
つまりあるしゅの禁止制約の違反、ってかんじがブルースっぽさの起源かもしれないにゃ。
ちょっとしばらく書き込めないにゃ。紹介してもらった文献、けっこう難しいにゃ…
- 18 :こさかな@経過音(但、役不足):04/05/16 22:49
- 虚無せんせ、ありがとございます。
>ただいっぱんに、ダブルドミナントにメジャーコードを用いる場合、
>第5音の導音として、フラット第5音は必然的に現れるにゃ。
にゃるほど・・・φ(._.)めもめも
今日、たぶん十年ぶりぐらいにサザエさんを見ますたにゃ(後ろだけ)
もしかすると「今日は楽しい×2」のところ、単純にAじゃなく、Amaj7からDフラpassing diminish、あるいは
Aフラットdom7が繋ぎになってDmaj7へ、そしてE7->Aとかになってんのかにゃ?とか
ちょっとひねってありそうでびっくりしますた(いや、これもちょっと違ってる可能性大でつにゃ)
- 19 :こさかな@経過音(但、役不足) :04/05/17 12:40
- 生成文法総合スレで虚無せんせが言っていた和声のX'構造を私なりに敷衍してみましたにゃ。
ポイントは
・根音が主要部
・minorかmajorかを決定する三度が指定部
・五度は補部(五度抜きはintransitive)
例としてCの構造を表すと(ここでラベル'c'は「コード」を示唆)
[cp SPEC:E [c' HEAD:C COMP:G]]
五度抜き:
[cp SPEC:E [c' HEAD:C]]
三度抜き(投射が閉じていない):
[c' HEAD:C COMP:G]
即座にlinearityは?closed chordとopen chordの違いは?などの問が生まれますが
ペンディングですにゃ。
bare phrase structureでやると、主要部が照合を必要とする素性をもって
計算体系に投入され、表すとすれば
C{0/-3}
でしょうかにゃ。そして三度音程の要素が主要部の未照合素性を照合し、投射を
閉じた時には
[E{03}[C{--}]]
のようになる。Eに着目すると、それ自身のstatusを示す素性がEという範疇との間に余剰性を
持つことになるので、素性の順序列としてもっとうまい表し方はきっとあるでしょうにゃー
- 20 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/17 17:05
- 音楽なんてものはフィーリングなんだYO!
論理は全て後付けに過ぎないYO!
- 21 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/17 17:10
- 例えばね、漏れなんかメロディーラインと伴奏のコード進行が違ってる曲とか作っちゃうんだけど、ケッコー聞けるもんよ。
演歌ラインに今風の伴奏つけようとするとそうならざるを得ないんだけどね。
あとね、あとね、アニソン。
あれもケッコーメロディーと伴奏が食い違ってるもんよ。
それがまたアニソンチックなんだけれどもね。
- 22 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/17 17:13
- そもそもセブンスだのナインスだのシックススだのちゅーコード自体が
メロディーと伴奏の食い違いから生じてきたものなんだけれどもね。
現代音楽においてコード進行は二重三重に行われてるものなのよ。
まあ、結局は作曲者のフィーリング次第なんだYO!
- 23 :ゝ^ )つ〜〜く@経過音(但、役不足):04/05/18 06:48
- >>20-22
ここで油うってないで作曲活動に勤しんでくれYO!w
- 24 :虚無好き:04/05/18 18:03
- >>19
こさかな先生が、本格的な言語ギャグびとになってきてうれしいかぎりにゃ。
わたしは、第1転回はrootが完全5度をとびこえて主要部移動して構成されるというのが念頭にあって、
あんまりいみもなくspecに5度をもってきたけど、spec3度のほうがよさげですにゃ。
生成のアナロジーを用いると、C majと解釈される音があって、構造をみるとrootのCと長3度を再確認し
て、
(あるいは空範疇まで導入して)「やっぱりC majでしたー」ということになりがちにゃ。
ここのところが、生成による(言語構造の)説明がほんとうに説明なのか、わかんなくなるところなんだ
けど、
まあ、いまはアナロジーじたいが完成されてない状態なので、とりあえず批判はおいとくにゃ。
和声生成ギャグにおいては、機能和声の構造を扱うのであるから、解釈として、最終的にはT,S,Dを出力するようなかたちをとることになると思うにゃ。
すると、Eの自己言及的な素性についても、機能解釈の表示形に反映されるものかもしれないにゃ。
(ワカランけど)
わたしの予想としては、和声の「組み合わせ」を統合する部門と、
voicing(和声の順列・転回)に関する制約をチェックする部門は自律させ、
前者の情報が後者にうけわたされるとみたほうがいいと思うにゃ。
前者に関する制約としては、和声を「音の組み合わせ」として1オクターブ内に配置したとき、
「半音の連続があってはならない」という、かなり強い制約があるにゃ。(古典和声と、標準的ジャズ共通)
F,GがあるときF#は付加することができないし、すでにB,CがあるときC#は排除されるにゃ。
(具体的には、C7(maj7)やC7-9(9)などが排除されるにゃ。)
このような制約と、古典和声において導音が重複できないとか、
G7(13)は、7th(ファ)より13th(ミ)のほうが高い位置になければならないとかいう制約は、
voicingにかかわるものではないかにゃ。(ひょっとしたら、ドミナントのrootの省略もこの部門)
(つまり楽譜情報としては存在しないかもしれないrootは、基底生成では存在できることになるにゃ。)
まあ、こんなかんじで、なんか語っていくにゃ。言語ギャグマンセー。じゃにゃーノシ
- 25 :ゝ^ )つ〜〜く:04/05/18 19:34
- 「本格的な言語ギャグびと」と言っていただき、小踊りして
よろこみますたにゃが、はたと、「これで娑婆にもどれるのだろーか」
という不安がよぎりますたにゃ…
和声の「組み合わせ」とvoicingがそれぞれ自律せられるべき、という
考えは完全同意ですにゃ。
というか、音韻論からのアナロジーで、音節構造とか音調構造とかがそれぞれ自律していて、timing slotで結びつけられるようなものかにゃー、とかバクゼンとおもっていますたにゃが、
voicingの性質を考えると、同化のような感じで、例えばfeature geometryにおいて、前接素性がdelinkされ、そこに後続和声のたとえば根音がlinkされるようなイメージを描いていますた。
けど、T,S,Dを定義するような構造を目指すと、これはあまりにも局所的な処理杉ですにゃ。
自律的なより大きめの構造があり、そことの情報の受け渡し、特にこの「情報の受け渡し(あるいは共有)」というのがHPSGとの相性がよさげですにゃ。
- 26 :ゝ^ )つ〜〜く@経過音:04/05/19 22:54
- 前のカキコはちょっと暴走気味で、てきとーだったかにゃ、と反省してますにゃ。
和声生成ギャグがネタとして成立するには、あくまで厳密、正確でなければならない、と褌を締め直す次第ですにゃ。
まず、アナロジーを追求するほうこうでこの若い領域にいくばくかの寄与ができるよう、アイディアを出していきますにゃ。
アナロジー:空範疇
すでに虚無せんせが示唆している基底生成された根音が派生のある段階で知覚に関わる(実際には「あたかも存在するように」処理されるという点では
不正確ないいかたですが、物理的に耳に届かない、という意味で)素性がはぎ取られる、というようなものが「空範疇」と言えますにゃ。
もう一つ考えられる「空範疇」、こちらは考えつきやすいものですにゃが、休符です
にゃ。これはリズムという観点では隙間無いものですにゃが、旋律という観点では空になっているものですにゃ。
メロディが途切れたところでもリズムセクションは音を紡ぎだしてるわけですし、ギターのカッティングではミュートする場所で異なる音色が積極的な意味を持つ、というでもありますし、そう単純ではないでしょうけど、
ある水準の「理想化」においては「空」といえるものです
(このような事情で、生成文法が行う「理想化」を不可能とするのと同様の判断も出てき得ますにゃ)。
ジム・ホールのギターでは、少ない音でヴォイシングを行うとき、この空範疇を積極的に活用している(あ、すでにてきとー。いかん…)
空範疇にはどのようなものがあるか、そしてその過不足無い特徴付けとはいかなるものか、ということの追求が大事になりますにゃが、そこでやはり次を考えたい誘惑にかられるので
ありますにゃ。
空範疇原理
空範疇は統率を受けなければならない
- 27 :親切な人:04/05/20 00:03
- 統率→適正統率
- 28 :(´∀`):04/05/20 00:15
- ま、糞アナロジーであることを最初に断っておくにゃが、適正統率には主要部統率と先行詞統率の2種類がある、
ってな選言性を回避するために、一時、主要部統率はPF条件、先行詞統率は(たぶん局所束縛と統合されるべき)
LF条件、という見方もあったにゃ。
主要部統率は、いってみればその空範疇の存在が自然に理解されるような主要部の存在を要求するものであり、
先行詞統率は、空範疇の解釈を定める先行詞が近くになければならない、というようなもんにゃ。
音楽の空範疇に2種類あるにゃら、それぞれ上のような条件で出現する、と期待してみるのも面白いかもにゃ、
知らんけどにゃー
- 29 :ゝ^ )つ〜〜く@経過音:04/05/20 01:47
- 親切な方wありがとうございますたm(_ _)m
強引に穴路地を続けると、和声の基本的骨格に関するものについては適正統率のうち主要部統率が比較的ぴったり収まり、教えていただいたPF条件説でいけそうな気もしますにゃ。
休符については主要部統率も先行詞統率もあてはまらない気がしますが、よくわかりませんにゃ。
「空ピック規約」「カスタネット手のひら返し規約」などを個々に規定するという手もありますにゃが、これは「理想化」を経験科学のまっとうなやり方と認めないスタンスでの話になりそうですにゃ。
先行詞統率は?という方から考えると、転回形における根音主要部移動(a la 虚無せんせ)を仮定すると、その規制に関わるかもしれないですにゃ。
ただしvoicingは別立ての自律構造を持つ、とすれば別ですにゃが。
- 30 :虚無好き:04/05/20 12:48
- どうも、書き込みを怠って申し訳ないのだが、
混乱した着想がいろいろあって、そのいちぶは原理的なチョムスキー批判とからんでおり、
なかなか適宜なレスとして「作文」することが難しいのにゃ。
まず、このスレは、いきなりトライアドの構成と投射のアナロジーの考察からはじまっており、
ここでは平均律と3度基盤の和声構成を前提とすることから、
(古典和声が、任意の転調を対称的にあつかっているかぎり、平均律を前提としているとみなすにゃ。)
かなり限定的な<音楽>を問題としていることをことわっておくにゃ。
これは、いぜん意味論スレで問題にしたような、ヒトにとっての普遍的な音階成立の議論とは、
ちょっと射程がぜんぜん違うのにゃ。
(どのくらい限定的かというと、
ヨーロッパの離島のとある方言の特異な格表示にかかわる考察、くらいと思ってもらってもさしつかえないにゃ。)
たとえば3度基盤和声については、ヨーロッパで(協和音程として)成立したのが14cごろ、
平均律がいつ一般的になってのかという問題は難しいけど、(一般的なのか?という問題ももちろんあるにゃ)
きわめて近代的(18c以降)なのはたしかにゃ。
だがしかし、ここではしばらく、わたしたちになじみ深い「和声音楽」の記述的な問題にふれようと思うにゃ。
- 31 :虚無好き:04/05/20 12:50
- >あくまで厳密、正確でなければならない
そ…そうなのかにゃ(汗
rootを空範疇とするさいに、virtual pitchについてふれておいたほうがいいと思うんだけど、
有名な音叉によるうなりが「聞こえる」問題についてはいいとして、missing fundamentals(実際には存在しない基音)については、
じっさいの編曲やパイプオルガンの設計にも応用される、実用的な「幻聴」だということにゃ。
で、注意しないと、機能上省略される基音と、認知上の錯覚を応用した省略とが混同されることになるが、
ここでは物理的にも認知的にも「存在しない」基音(前者)について、空範疇として扱うということでいいのではないかにゃ。
どうせここでは平均律の問題にしちゃったので、まえに「音の心理」スレに書いたように、
ドミナント機能の源泉は減5度(物理的には、√2音程)を構成する対称的な2音(たとえばファとシ)にあり、
非対称的な3度に進行して(対象性が崩壊して)解決するという見解を検証してみようと思うにゃ。
この見解の根拠として、ドミナントのrootが省略可能であることと、
減5度上(下)の7thがいわゆる代理コードとして使われることがあるにゃ。
トライアドx-bar thoryについては新しい構想もあるけど、またこんどにゃ。じゃにゃんノシ
- 32 :虚無好き:04/05/20 13:01
- せっかく、(´∀`)のセンセに発言してもらったので、ひとこと言わせてもらうと
わたしのネタ音楽(プラス、ちょいロックギター)路線の源流は、よく考えると森t(以下ry)…
それはどうでもよくて、古典和声における強力な制約のひとつである(1)平行5度禁止
(声部が「ドレミ」と動いているときに、5度うえでパラレルに「ソラシ」と動いてはいけない)
おなじく強力な制約で、(2)和声がドミナントからサブドミナントに移行してはいけない(ハ長調のときに、G→Fはダメ)、
(3)転調を目的としないのに、やたら長調でトニックやサブドミナントに7thを加えてはいけない、
これらの禁止則を、故意に(特徴的に)すべて違反すると、「ロケンロール」様の曲調になるにゃ。
もうひとつ例をあげれば、初期の和声音楽は、おなじ旋律を5度上で歌う2声部からなるもので、
これは(1)平行5度禁止の違反の実践「そのもの」であるといえるにゃ。
さてここからなにが推論(妄想)できるか、確かなことはいえないのだが、和声規則が生得性とあんまし関係ないとしても、
それはある時期に「平行5度ハ、コレヲ禁止ス」みたいにして制度化される性質のものではないにゃ。
上のほうで、「理論はあとづけ」という「ご批判」をいただいたけど、これははからずも、
理論(規範化)に先立って、心的な和声判断が実在するのではないかという、じつにこのスレに沿った発言でもあるのにゃ。
とはいえ平行5度禁止について、
それについての心的なパラメタを想定して、それがONになったりOFFになったりする説明は、ずいぶん非生産的にみえるにゃ。
ハナシは飛躍するけど、とりあえず文法と音楽理論がアナロジーになるとして、
ある制約の違反そのものから、別の個別文法の特徴が導かれるとしたら、
やっぱし、記述的な制約はただ「いろいろな文法がある」ことのみを示し、
それ以上の(普遍性を推定する)推論は強引な気がするにゃ。(普遍性については冷めた見方も多いのかもしれないけど)
わたしが思いつくUG実在の経験的証拠は、昔どこかででた、語学能力に関するサヴァンが、
特定の人工言語の習得に困難を示したというものだが、チョムスキー理論の現行の方法論は、
この比較的有力なUG実在の根拠をフォローするものには全然なってないというのが、わたしの見方にゃ(あえて)
- 33 :虚無好き:04/05/20 22:13
- まえ、そもそも導音のない(半音intervalを含まない)ペンタトニックが古典和声風に解釈されたことが
ひとつの要因となって、cadence(終止へむかう和声の動き)に変化が生じたことは言ったっけにゃ?
ぶっちゃけ導音(゚听)イラネ どころか、終止音(ド)がドミナントコードで先取りされ、
(コード的にはF on G など)
トップノートが「ド-ド-ド」でも一定の終止感がえられているというのが、現在の大衆音楽での現状にゃ。
導音がないばあいは、ドミナントrootの省略はないので、(ドミナントを特徴づけるものが何もなくなってしまうにゃ)
まあこのあたり、無理やりこじつければpro-drop言語の扱いと似たものとなるにゃ。
どっちみちここでのアナロジーってこのていどでいいと思うので、(´∀`)のセンセもまたきて下さいにゃ。
>空範疇の存在が自然に理解されるような主要部の存在を要求する
は、有効な assumptionではないかにゃ。
- 34 :虚無好き:04/05/20 23:20
- 『言語ギャグサイト』に、いくつかのcadenceの例をあげたにゃ。
ぶにゃー、疲れたにゃ…
- 35 :親切な人:04/05/20 23:34
- juzzy → jazzy
- 36 :(´∀`):04/05/20 23:39
- 森tのバスターズ・ブルースみたいでいいにゃ
「♪やっぱ出ったぁーん」
- 37 :ゝ^ )つ〜〜く@経過音:04/05/21 08:25
- 虚無好きせんせ、cadenceのサンプルのうp、お疲れさまですた。
「どどど終始」(「どしど」のほうでしたか?)の話は以前意味論スレのほうでもうかがいますたが、改めて納得です。
おまけの"juzzy"な半音進行は、II-Vの連続(II-V=II-V)の真ん中を代理コードで置き換えたもの、と思ってましたにゃが、その逆で半音進行の真ん中を代理コードで、という風にも解釈できるのかにゃーと思いますたにゃ。
私も異常な遅筆でつにゃ。またーりおながいしまつにゃ。特にレスとか気になさらず(こさかな@前座ですにゃ)。
「厳密、正確」はまじめさの装いをしたギャグですたが、私のギャグはいつも寒いのでつにゃ(涙
- 38 :虚無好き:04/05/21 13:43
- "juzzy"のほうはですにゃ。
えーと、Dm9-G7(-9)(-13)-D on Cで(ふつうのツーファイブ)、代理とは直接関係なかったのにゃ。
混乱させちゃったかにゃ…
(ギャグわかんなくてスマソ。ギャグ者として反省しますにゃ。)
ところで、わたしもローマ数字使いたいんだけど、昔マカーのひとたちから機種依存とかで評判が悪くてにゃ…
いまはどうなってんのかにゃ??
U-X←ツーファイブ
- 39 :虚無好き:04/05/21 13:51
- 森tネタでなんかやろうかにゃ…
- 40 :こさかな:04/05/21 14:05
- >39 ローマ数字
Palm搭載機では読めてますにゃ(意味ないですにゃが)
- 41 :(´∀`):04/05/21 18:11
- 嫁ねえよ、ゴルァ、にゃん
"juzzy"はひょっとして深い意味があったのかにゃ、たいへん失礼しますたにゃ
- 42 :こさかな:04/05/21 23:48
- まとまりのない思いつきパピコでつ。えー、すでに虚無せんせが言ってる(とおもわれる)ことの繰り返しから…
和声の「文法学」というものを、しかもそれはformal scienceとして追求しようというとき、formalizeしようとするfactsは何か。
それを「終止感」という、カデンツの適格性判断に関わるintuitionだ、としましょう。
…と自分の頭を整理してみたところ、「ん?このような話、どっかで聞いたことあるぞ」と思ったら、かつて國語學(今は日本語学と言わないといけないかにゃ)の究極の課題であった「陳述」とのべ方がにてますたにゃ(あくまで表層的な言い回しですけどにゃ)
かつて國語學では、「終止する言語単位が「文」であるが、ではこの「終止する」とはなんぞや?」ということを至上設問としていたのですにゃ。
そこで「終止させる」何かということで「陳述」という仮説構築物が立てられ、その本質論として「陳述論」なるものがあったのですにゃ。
(尾上圭介せんせによると、もともと山田孝夫(もちろん、「笑点」の座布団配りではない)は「陳述」をよく定義されたタームではなく「終止」とおんなじぐらいの意味でしか使ってなかった、ということを指摘してますにゃが)
「陳述論」はまあ不毛な議論で、ここでのアナロジーに使えるような(茶化すに値するような)ものではないのですにゃが、文とは平叙文もあれば疑問文、命令文もあり、さらには一語文や「あ!」のようなものもあるが、かかる多様性においてある構成体を
「等しく」終止せしめる源泉は何か、と問い、それを山田せんせはヴントの心理学の影響化で「統覚作用」という心理的作用に求めたのですにゃ。
平叙、疑問などなど、意味に関わるような内実が多様である中、それとは自律した、まとめあげる精神作用を考えたのですにゃ。
しかしその後の「陳述論」は(陳述論は一応構文論の要とされていたのですにゃが)平叙の職能、疑問の職能、といったものを陳述のほうへ含める方向へ
移行していき、それは主語や目的語を述語とともにまとめ上げる「統叙」と区別される(時枝から渡辺へ)ものと考えられるようになったのですにゃ。(つづく)
- 43 :こさかな:04/05/21 23:48
- ここで改めて山田文法論を非常に乱暴にまとめてしまうと、「漏れが統覚作用によってまとめちゃった、故に文」とさえ言っちゃっていいようなものですにゃ。
これは「終止、ゆえに終止」というトートロジーになってしまう恐れがあるのですにゃが、非常に注意深く循環論を避ければ意味あることかもにゃー、と思う次第ですにゃ。虚無ラボの終止形の多様な例を見ると一層、ですにゃ。
- 44 :こさかな:04/05/21 23:56
- "juzzy"はやぱーりdouble quatation markなしでは使えないものだとおもはれ、ですにゃ。たぶん…
- 45 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/22 00:25
- 下がりすぎだYO!
もうちょっと誇りもってもいいYO!
ジャズはやっぱりWalking Bassだね!歩く低音!カコイイYO!
- 46 :こさかな:04/05/23 00:14
- >45
だね。で、ブルーズはやっぱりSLハーモニカだね。
作曲活動ははかどってんのかYO!
- 47 :虚無好き:04/05/23 05:40
- 新ネタうpしたにゃ…
こさかな先生、いつも示唆深いコメントありがとにゃ。
それがないと、ただのへっぽこ音楽理論スレ@言語板になっちゃいにゃ。
またレスするにゃ。ではまたにゃん。
- 48 :こさかな:04/05/23 10:56
- 虚無せんせ、うpおつかれさまですた。stepwiseですごく勉強になりますた。(Xsus4->Xは目から鱗ですた、大きな声でいえませんにゃが)素敵…
- 49 :親切な人:04/05/24 00:02
- step by step のザ・〜ってのが森tネタのつもりでつか、そうでつかw
- 50 :虚無好き:04/05/24 01:29
- 【ザ・レス】(極東バージョン)
楽曲を「陳述」のアナロジーでとらえるさいに、
(このスレではともかく、常識的にいえばかなり突飛な類比なので、
なんらかの「心的統合」として楽曲をとらえるとしてだにゃ。)
ひとつ問題になるのは、音楽の<循環性>であると思うにゃ。
cadence でターゲットになる終止は、おおくのばあい「始発記号」(トニック)と相似であるし、
(いわゆる「循環コード」についてな、必ずしもトニックをターゲットにしない)
いっぽう、リズムに関しては、さらに単純なかたちでの循環性が見込まれるように思われるにゃ。
拍数にかかわらず、小節のgroupingは、4,8,16の数を基本とすることが多く、
このような経験的なデータがあると、バイナリ構造はかなり説得力をもつものになるにゃ。
(それに比較して、自然言語のバイナリ構造については、たんに単純性からの要請による憶測が働いている気がするにゃ。)
で、わたしの予想によれば、自然言語の線形産出について考えてみると、
いかにspell-outが循環的に考えられていようとも、循環そのものが本質ではないにゃ。情報が尽きればそこで終わりにゃ。
で、音楽では事情が違うのではないかにゃと。
(とくに和声進行では)結果的にできあがるものが有限であろうが無限であろうが、全体をSとおいて、
記号変換規則によって生成できることは「説明的」ではあるが、なんとなく本質的ではない気がするにゃ。
自然言語が、連鎖的・階層的に可能的無限なのはわかるが、
音楽の循環的無限は、べつのタイプの<回帰的な>原理を要求しているように思われるにゃ。わからんけどにゃ。
和声進行をT→TST、もしくはT→TDTのような自己回帰的な記号連鎖として形式的にとらえるとき、
自然言語の等位構造に類似してなくもないが(NP→NP and NP)、
まあこれは循環的性格とはかなーり異質のものでしょうにゃ…
- 51 :虚無好き:04/05/24 01:47
- あと>>32で、連続5度のことを、ことごとく「平行5度」と言ってますにゃ…
ぶにゃー…鬱。
- 52 :親切な人:04/05/24 06:03
- 【ザ・レス】(極東バージョン)
↑
森tの名曲【ザ・ストレス】(中近東バージョン)のパロディでつ(知らない人に解説)
- 53 :知らにゃい人:04/05/24 14:15
- >52
にゃるほどー
- 54 :こさかn:04/05/24 14:42
- >50
断片的なレスでつが…
虚無せんせの、自然言語と和声進行の再帰特性は本質的に異質なものではにゃいか、という直観について、前に生成文法総合の方ででてきたと思いますにゃが、
自然言語は微分操作を含まないのに対して、和声進行は微分操作をも含む、とはいえないでしょうかにゃ?
T->T D Tという文脈自由書換規則は単一記号を等価な記号列で置き換える操作であるのに対して、X->Xsus4 Xに置き換え、さらにやろうとおもえばXsus4 X->Xsus4 X X6などに展開できるとか、
「たまねぎ」から「肉」に行って終わり、と思いきや、ちょっと「しらたき」とか、またはきっと「たまねぎ」から「肉」とみせかけて「たまねぎ」->「豆腐」とか、このあたり、
編曲者の技量にしたがって、無限に微分可能な気がするのですにゃ。
factの時点で間違っているかもしれませんけどにゃ。
「陳述論」の不毛さは「終止」に関する観察をおろそかにして思弁的な本質論にのみ陥ってしまったことにあると思いますにゃが、和声進行に関しては、欧州一言語の一方言に関する記述とはいえ、
終止感に関する内観のfactが蓄積されている点、前に行った循環論には陥らないと思われ、ですにゃ。
原田信一氏が時枝構文論を批判して、構文論を表現論と同一視している、と
したことがありましたにゃが、もしかすると和声進行に関する「陳述論」はこの原田氏の批判に反して、和声進行の側から統語論へ理論を供給することになるかもしれませんにゃ。
完全な妄想ですにゃが。
- 55 :虚無好き:04/05/25 12:55
- >無限に微分可能な気がするのですにゃ
おお、ご明察にゃ。これは和声の側からみた旋律の構成法になると思うにゃ。
もちろん歴史的には「旋律」の起源のほうがはるかに先行して(あるいは普遍性をもって)いるわけだが、
「ゆらぎ」(装飾音みたいなの)、段階的移行、(ひとつとばし以上の)離散的移行、跳躍などが、
モード上に生起するとき、旋律的なものが成立すると思うにゃ。
いぜん、原初的な旋律「ドーシード」が終止の起源か?みたいなハナシもしたような気がするにゃ。
さて、音楽の「内観に関するfact」が言語学に寄与するかどうかは、
けっきょくいかに内観にかんする分裂した立場をどう克服するかにかかっており、もし音楽になんらかのアドバンテジがあるとすれば、
数理的な理論装置によって、たとえば終止の内観のようなものを系統立てて予測することができるか、
というところですにゃ。「内観に関するfact」を記述的に集めてもダメにゃ。
これに関連して、ある制約のもとでの順列問題にはhpsgは強力なツールを提供するでしょうにゃ。
いくら項目(語彙相当)に依存する情報が重くなるといっても、コードネームの数などたかが知れてるし、
実装的な問題としては(脳内実装ではない)、事実上、可能な連結をもうらする完全な「チャート」を構成するにゃ。
(これは、よくいわれている、現代音楽の限界論を裏付けるものとなるにゃ。たぶん)
いっぽう、同じ原理に基づく知識記述で「英語的な」音素連結も同じく包括的に扱えるとしたら、
けっきょく「説明」とは何か?って思っちゃうにゃー。
- 56 :こさかな:04/05/25 15:13
- 「説明の彼岸」と言ってみるテスト
- 57 :親切な人:04/05/29 06:01
- 意味なくageてみるテスト
- 58 :こさかな@ラリ:04/06/02 14:24
- 'u'がおっきくなってますにゃ!
- 59 :こさかな@ラリ:04/06/09 14:30
- おそレスすまそですにゃ。
>いぜん、原初的な旋律「ドーシード」が終止の起源か?みたいなハナシもした
>ような気がするにゃ。
うかがいますたにゃ。で、ちょっと思ったのでつが、任意の音からはじまった場合、そこから別の音に移行した後もとに戻れば、移行先の音がなんであれ、終止してしまう旋律を構成するのかにゃ?と思いますたが、これはどうなのでしょう。
逆に終止しないような移行先の音があれば、それは禁忌として制約の一つに挙げられるのかにゃー
- 60 :虚無好き@療養中:04/06/20 12:19
- サボっててスマソだけど、
じつはMPよりの派生で、和声の基底生成が与えられることが判明してるのにゃ。
Cのトライアド[ドミソ]の、さらに低い位置に3度下の[ラ]が加わると、
[ラ]が、そこより高い3度構造をすべて統御して、新たなrootとなり、
いちばん高い[ソ]は、トライアドの項から付加部(テンション)へと降格するのにゃ。
これを一般化すると、3度連続離散配置にある音列では、もっとも低い(左の)位置にある音が、
rootとしてそれより高い位置にあるすべてをc-commandするというかたちになると思うにゃ。
原初的旋律については、またいずれ
- 61 :虚無好き@療養中:04/06/20 12:23
- ageてしまった…
まあ、トライアドにみられる中間投射はなくてもかまわないかもしれないということにゃ…
- 62 :(´∀`):04/06/20 15:37
- 水差すようにゃが、rootは何もc-commandしないのにゃ
てか、そこでわざわざc-comに喩える必要ないんでないかにゃ
単なる穴路地遊びなら面白いけどにゃ
>[ラ]が、そこより高い3度構造をすべて統御して、新たなrootとなり、
>いちばん高い[ソ]は、トライアドの項から付加部(テンション)へと降格するのにゃ。
ラが新しく導入されたprobeだと考えて、ラ [ Spec=ド [ Head=ミ Complement=ソ ]]]
ドやミにはアクセスできてもソにはアク禁、と見れば phase impenetrability condition 、とかにゃ、にゃはは
- 63 :虚無好き@療養中:04/06/20 18:55
- まあ、どこまでまじめかわからないのが、生成音ギャグ理論なのにゃ…
さて、3度(あるいはひっくり返して6度)の関係にある2音が機能和声の最小単位なので、
けっきょくトライアド(3つの音からなる和音)の内部構造と、さらに複雑なトライアド+テンションの構造も相似的に記述して、
トライアド構造を無用(冗長なもの)にしてしまうのがMP和声ギャグにゃ。
いまのところ必要な規則はMerge α,β→{α{αβ}}のみで、機能を表象する音名が和声全体を表象するとともに、
それはrootとして左方に現れる(LCA)。Cはドミ(ソ)であるとともに、rootのCでもあるにゃ。
たとえばDm11thは、[レ[ファ[ラ[ド[ミ[ソ]]]]]]で、どの構成素をとっても機能和声のかたちをなしているのであり、
(Dm>F>Am>C>Em)
(書き換え規則では、転回していない和声は、必ず右辺の左側に非終端記号をもつC→aCとなることに注意にゃ)
いっぽう新しいrootがくわわるたびに、それが支配する新しい構造(機能和声)となるにゃ。
この関係が、rootによるc-commandなのにゃ。(c stands for chord and constituent)
わかるかにゃ〜。寝よ。
- 64 :こさかな@目眩:04/06/21 11:38
- にゃるほどー
へたれな私は音程の高さと構造の高さ、それだけで頭が混乱してしまうのですにゃが、音程が低いものほど、「投射」の範疇を決定するものになる、
そしてダイアドが基本になる、というのがガツーン!ときますたにゃ。
敢えて音程の高さも視覚的に表現しようとすると樹形表記をひっくり返せばいいのですかにゃー
C EP
\ /
A(=root) CP
\ /
AP こんな感じ。
左側に音程の低い音が併合されると、その音をrootとする投射が開かれる、ということは、やはり穴路地としてもroot=headとして、顔文字せんせのいうように、headは構成素を統御しないとするほうがよさそうですにゃ。
また、新たなrootの導入でcomplementとなる投射がにゃろー統語計算において新たな構造的価値が付与されるにゃらPICは課せられない、とすべきだと思えますにゃが、統語計算ではなく解釈において、統語部門からのバイナリ構造の出力を次々に解釈しなおすとすれば、
解釈の単位でもあるダイアドで解釈部門に送らなければならないのをPICに帰すという考えもありうるかもしれませんにゃ。
これを押し進めると機能和声ギャグにおけるX'理論は解釈部門の理論で、統語論は順序対を併合のような二項演算なしでせっせと解釈部門に送り出すという役割しかないことになるかもしれませんにゃが、どうにゃかにゃ
- 65 :こさかな@目眩:04/06/21 11:48
- >63
すぐ上で書いたことと矛盾ですにゃが…
Kayneはlinearityと統語構造をすっきり対応させるために、LCAではlinearityの統語的対応物としてasymmetric c-commandを選んだ訳ですにゃが、概念的にはdominationでもいい。
和声構造の場合には経験的にもこれでいいような気がしますし、もう一歩行って、dominationを廃止して、自然言語の場合と違って比較的すんなり統語論の派生のステップと産出・解釈の対応をつけられる鴨
- 66 :虚無好き@療養中:04/06/22 09:47
- 続けましょうかにゃ。
で、rootが低いからといってツリーひっくり返さなくてもいいのににゃ…。わたしのアタマんなかではこうにゃ。
C
/\
a C
/\
a C
/\
a C
/\
a C
/\
a b
ようするに、MP和声ギャグでは、おなじ(非対称)併合操作の循環的適用で和声構造をつくるというところが重要なので、
その非対称性のなかみは、dominationでもpercolationでもなんでもいいにゃ。
最初の姉妹関係がc-comandするならば、以下の操作もc-command関係の再生産になるにゃ。
(わたしのアタマんなかでは、埋め込まれた和声は、ぜんぶrootの倍音に束縛されてるにゃ。)
で、ごらんのとおりドリアドベースの和声理論だと、5度がいわば「テンション」の第1項になるわけだにゃ。このへんホンマかいなと思うにゃ…。
ところで、Am7th=[Am[C]]のような、平行調の関係にあるコードの併合においては、
たとえば省略可能な5度の位置はソからミへと変化するが、avoidであるファは保持される。
このへんの処理を何が行ってるかは、じつに難しいところだにゃ。
とりあえず、ここからどういうふうに最終的に「楽譜(発音)情報」になるか探っていけば、なにがフェイズ相当なのかわかるかもしれないし、そんな概念イラネになるかもしれんにゃ。じゃまたにゃん。
- 67 :こさかな:04/06/24 21:15
- 些細なことなんですが。
一つの和音ごとにフェイズがあるとすると、和音の集まりである
和声進行においては時系列にしたがってまた別個のフェイズ必要に
なる気が。あったら面白い、程度の妄想ですにゃが。
- 68 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/07/05 11:32
- 大絶賛ホシュ祭り中
- 69 :Adamas:04/08/01 11:47
- 虚無長官、おひさ〜♪
you are the joy 拝聴させていただきやした。
いやぁ〜、エエね〜。
なんかヲトナな雰囲気プンプンだね。
ブラボ〜だね、いや、マジで。
てか、あのヴォーカルやってる女性の方どなた?
声質からすると20代ぐらいかと思うケド。
ま、何はともあれ、
虚無長官の多才ぶりを再発見させていただきやすた。
話は変わるケド、昨日、花火大会に逝ってきますた。
なんか、キティちゃんみたいな花火もありますた。
なんか花火も変わったな〜とちょいと思った今日この頃ですた。はい。
あ”〜、それにしてもお仕事いっぱいで気が狂いそうでつ。ほぉあい。
- 70 :こさかな:04/08/02 18:52
- あ、それまだ聞いてないス(あせあせ
なんか、大雨落雷で、こんな日はジャズの調べを聞きたい気持ち…
- 71 :こさかな@ラリ:04/08/02 19:04
- 神をみてきますた
歌詞がエロイと感じたのは私だけでしょうか・・・
- 72 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/07 05:17
- ソルレソルっていう人工言語があったな。
言葉を「音楽」で表現する奴。
- 73 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/08 00:16
- 柏ソルレソル
- 74 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/08 22:06
- 正直ここまで盛り上がるとは思わなかったYO!
なんかいいYO!
ところで俺、ちょっとミニマルにも手を出してみたんだけど。
言語じゃなくて音の方ね。
シンセとベースが最初から最後までひたすらA音の連打すんの。
でんでででんででんでんででんでで(以下同文)
それだけだとチョトつまらないから裏メロで音階無視したストリング入れてみた。
絶対音感もってる人はきっと気持ち悪くて聞けないNE!
まあ、ようするに音階なんてなくたって立派な音楽だYO!
- 75 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/21 03:56
- age
- 76 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :04/09/25 23:19:53
- ぶにゃぶにゃ。
- 77 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :04/09/25 23:20:40
- どうも書き込みサボってて申し訳ないにゃ…
『サザエさんED』は、言語ギャグ的には特筆すべきネタはとくになく、
そのせいで放置ぎみになってしまったにゃ。
『ドレミのうた in Dodecatonic』は、12音階(ぽい)ドレミのうたで、
旋律の進行をむりやりクロマティック(半音階的進行)にした前半部分と、
旋律の短3(6)度進行を禁止して、調性をあいまいにした後半部分とからなり、
それなりに語ることはあるように思うにゃ。
で、ナニを?ということになるのだがにゃ…。うーん。
世の中、原理論ほど話の糸口をみつけるのが難しいものはないにゃ。
とりあえずわたしの「ドレミ」をきくとおおかた変な曲だと感じると思うんだけど、
じつは数学(つーか算数)的にはけっこう「きれい」に構成されてるにゃ。
かんたんにいうと、12の約数である4がきれいに12音階を(3)等分するような和音を
基調にアレンジされていて、まあ、ひょっとしてこちらのほうが美しくてもふしぎではないのにゃ。(ピュタゴラス数秘論みたいになってきたにゃ)
いっぽう「伝統的な」音楽は、完全5度は不可欠といっていい要素で、
これは半音の数でいえば(きりのわるい)7にゃ。
これは3たす4(短調和音)あるいは4たす3(長調和音)などの組み合わせで達成されるにゃ。
ところがドレミのうたは4たす4(増5度和音)が基本になっており、
そのけっか<調性>がよくわからなくなる原因のひとつとなっているにゃ。とりあえずここまでにゃ…
(このあたり、言語構造がひょっとして原理的に数論的なものではないかという問題意識がないと、
さっぱりわけわかんないとは思うけど…)
- 78 :(´∀`):04/09/25 23:25:17
- をー、生きていたのにゃ虚無しゃん!
病気でもしてんのかと心配したにゃん
- 79 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/09/26 00:02:25
- 俺もちょっと心配してたYO!
「『伝統的な』音楽」は平均律つかってないから
半音の数を単純に足し算はできないYO!
ってマジレスしちゃったYO! 恥ずかしいYO!
- 80 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :04/09/26 00:36:54
- >病気で
いま心療内科いってるにゃ。
>『伝統的な』音楽」は平均律つかってないから
これは良質のつっこみ。そもそも平均律を前提として、「ヨナ抜き」をすればpentatonicができるかといえば、
それでは説明にならないというのが、以前意味論スレかどこかでいっていたわたしの主張にゃ。
ただし、いまはふたたびハナシの糸口の問題になっているので、ちょっとご容赦ねがいたいにゃ。
ちなみに、もう2年もまえに心理板で「平均律を前提とした対称性に関する論議」は、
人工言語についての不毛な辻褄あわせという趣旨の指摘をうけているが、ではなせ人工言語(平均律)はさほど自由ではなく、
制約を受けているようにみえるのか、というのがひとつの問いになってくると思うにゃ。
- 81 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/09/26 18:27:24
- ↑は百万円あれば一生遊んで暮らせると思っている
- 82 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/09/27 10:42:00
- 一億円あれば年間500万で生活するなら20年は働かずに生活を維持できるな。
- 83 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/10/10 15:50:46
- >>82
20年後にカネがなくなって気づいても、20年プータローやってた奴を雇う会社はない。
- 84 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/10/16 15:46:16
- >>83
そのころには年金が貰える。
でも国民年金だけじゃ生きられないか。
そうなったら生活保護だな。
あ、でも今までの分の厚生年金があるか。
- 85 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/11/06 22:40:47
- >>83
20年のうち、一般人が労働をしている時間が全て余暇として使えるわけだから
その膨大な時間を使って資格を取るなり技術を磨くなり芸術に目覚めるなりすれば
十分に余生を送れる。
…あ、結局働いてるのと同じことだな(笑)
- 86 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/11/15 00:09:24
- 年250万なら40年プーでいられるじゃないか
- 87 :こさかな@stray cat:04/12/02 14:31:17
- >77
虚無せんせ、お久しぶりですニャ。
虚無せんせの新古今ドレミの歌を聴くと、「言語構造がひょっとして原理的に
数論的なものではないか」という問題意識から言うと、「いややっぱり音楽もついても
数理以外のなにかがmusical endowmentとしてあって(以下略」
という気がして、それが「制約」なのかもしれないですニャが・・・
むう、これって前から虚無せんせが言ってることの繰り返し?話の糸口と関係ないですにゃ
今ホムレスなもんで書き捨てになっちゃいますがすみません。ではまたノシ
- 88 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/16 13:38:27
- ファンクショナルMRIで脳の活動部分を見ると、音楽と言語は脳のほとんど同じ部分を使っている。
- 89 :こさかな:04/12/16 14:11:38
- >88
これは脳内事象の可視化技術と、ある対象に関する理論の関係についての
話として、fMRIが見せるものと言語理論の関係の話の繰り返しになるのではないか。
活動部位は単にシンボルの組み合わせに働く部分かもしれないし、ならば
数理構造でも楽理構造でも、それに関しては言語構造と共通していても
全くトリビヤルなことと言わざるを得ない。
・・・と偉そうなこと言いましたが本当は詳細キボンですーオナガイマスm(_ _)m
- 90 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/16 18:10:49
- 中田力の「脳の方程式 ぷらすあるふぁ」に書いてあります。
他の脳科学関連の本にも書いてあったと思うのですが、あいにく書名を思い出せません。
- 91 :こさかな:04/12/16 19:31:23
- >90
どもです
- 92 :名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/16 19:32:46
- どうにも啓蒙書臭がプンプンする書名だな。読む気にならない。
- 93 :こさかな:04/12/17 15:26:05
- 啓蒙書臭、って2ちゃんではじめてみた二つ目の「・・・臭」(一つ目は加齢臭)
ま、どうでもいいことでつが。ついでにさらにどうでもいいことでつが、
年上の女性も嫌いじゃないし、専門以外の情報を得るのに啓蒙書を使うのには
否定的でないです、個人的に。ただ日本の啓蒙書って、時に薄すぎて専門書より
わかりにくいので、そんな本だったらやだな
- 94 :虚無好き@ネコミミモード:04/12/30 06:50:38
- >音楽と言語は脳のほとんど
わたしが聴いた節では、旋律解釈で脳の異なる部位が関与しているというものにゃ。
が、確認がとれない。
失音楽症の患者の話は読んだことがあるけれど、失語相当の記述はなかったように思えるにゃ。
いまの関心からいえば、音韻論でも音楽の拍節構造・和声進行でもやたらツリー表現大杉、
「総合スレ」でも書いたけど、およそ部分と全体をもつものはツリー構造を「もちうる」のにゃ。
で、重要なことは、結節点でどのような操作が行われているのか、にゃ。
和声進行については、作曲技術としては「内部構造」または「構成素」をもちうるが、
<理論/文法>としては事実上、隣接する要素にしか関与しないのではないかというのが、いまのわたしの見かた。
これについて、古典和声では旋法>和声であったのに対し、ジャズでは和声>旋法となり、
ぶっちゃけ和声が進行するたび転調しているような様相を呈していることにも関心が向くにゃ。
どうも「理論」(概念)に対する誤解が多いのであるが、
規則の集合が音楽の可能性を縮小させるというのは、わたしとしては避けたい表現にゃ。
べつにジャズがそういういみで<自由>になったわけでは、まったくないにゃ。
constraint-drivenな自由を獲得した、というべきかもしれない。
このような、(ある公理に準じつつ、豊かな)新しい規約の創発的出現(←ぜい語的表現)と、
それが人類の無視できない(大きな)集団に共通に認可されていくという事実は、
おそらく言語(2ちゃん語含む)にも適用される未知のシステムを予感させるにゃ。なんちて、にゃ。
- 95 :虚無好き@ネコミミモード:04/12/30 07:05:44
- こさかな先生、今後ともよろしくにゃ。
- 96 :こさかな@カンカイマヂカ?:04/12/31 11:51:26
- 昨日NHKで(FMで聞いてたのでつが)ドーキンズせんせが、「言語が進化を
加速させる」と言っていたので「えっ?」と一瞬耳を疑ったのでつが、
文化の進化の話ですた・・・
ぼんやりとしか覚えていないのでつが、丸山せんせの本で読んだキマイラの
話をなんとなく思い出しました。背中にキマイラがしがみついている人たちを
見て不自由そうに思ったのに、それがない自分はさびしく思った、とかいう。
それぞれフランス語とエウェ語、韓国語とインドネシア語しか話せ
ない人と会った時、拙いながらフランス語、韓国語で会話をしたことが
ありまつ。外国語でコミュニケートする不便さよりも、それなしではコミュニケート
できない、ということのほうが優先される、という経験を持ったことが
ある方いらっしゃるでしょう。言語という縛りが逆に意思疎通の自由度を
高めているという状況。虚無せんせの話と違って陳腐な例えですが、
ジャズの獲得した自由はひょっとしてこんな感じのものか、と思うのでつ。
ジョン・コルトレーンはジャズを通して神の領域に近づこうとしたという。
それはコルトレーンが新たな制約/契りを通して、それなしでは不可能な
領域への拡大を獲得していったということか。
とまれ、虚無せんせとコミュニケートするために楽典くびっぴきですたw
でもおかげで未知の領域へ少し踏み出せました。
虚無せんせ、ありがとうございました。
こちらこそ今後ともよろしくおながいします。よいお年を・・・
- 97 :こさかな@カンカイマヂカ?:04/12/31 11:53:51
- 74他氏もよいお年を・・・
- 98 :名無し象は鼻がウナギだ!:05/03/18 14:19:10
- こさかなです。
ChordPhobiaというソフトでchordphobiaになった・・・
- 99 :虚無な人:2005/05/23(月) 00:06:00
- ここを雑談の場にしようと思ってきたけど、どうしようかにゃ…
ChordPhobiaは、どうもコードプログレッションを演奏する機能はないようだけど、
(ここんとこスパイウェアにやられっぱなしなので、DLする気になれない。
「ふしづくり」<超簡単な楽譜作成ソフト>みたいな無害っぽいソフトが異常の原因になることもあるにゃ)
和声を単発で認知するのはかなり困難だと思うにゃ。
とりあえず、このスレがまだあってよかったにゃ。
- 100 :虚無な人:2005/05/23(月) 00:17:26
- やっぱりこっちに棲むにゃ。
ここんとこ、テレビも見ないにゃ。反日デモのあと、バイアスのかかったJR事故報道で、
つくづくいやになったにゃ。2ちゃんのほうがまだ健全。
だいたい、(古いはなしだが)日本の大企業の企業風土なんて似たよーなもんにゃん。
よくもまあ、以下略にゃ。
こさかな先生は立派な先生だにゃー。やっぱしまじめにやるにゃ。
ちょっと小ネタさがすから待っててちょ、にゃ。
- 101 :こさかな:2005/05/23(月) 12:19:19
- きゃー、虚無せんせ、おかえりなさーい!
あーんど、100げと、おめでとございますー!
>和声を単発で認知するのはかなり困難だと思うにゃ。
やっぱりそうですね...特に、ランダムに和声を出されて特定する、っていう課題では
やればやるほど成績が悪くなって、前の問題がプライミング?っていうんでしたっけ、
なんか先行和音として捉えちゃうのか、デミニッシュのあとにマイナーコード出されると
メジャーに聞こえてしまう、っていうか単におばか?しばらく放置プレイしてたスタインバーガたん
(韓国生まれ)に弦をはってならしてあげようかなー
ではでは、虚無せんせ帰宅ばんざいカキコでしたー
- 102 :こさかな:2005/05/23(月) 12:45:03
- テレビは、私も見なくなりましたにゃ。
反日行動の盛んな時、山で遭難した韓国人が新聞に名前のせられたっつーんで怒って、捜索費ださない、
ってごねたのは久々にほほえましいニュースでしたけどにゃ。違法操業で追っかけられた韓国漁船が
逆切れして保安庁の船に体当たりしたのも、にゃ。どんどん繰り返してもらって、領海侵犯してる船を
ただちに沈没させられるよう法整備が進むようになるといいにゃー
こんな話してるとadamas閣下兄貴こないかにゃー
- 103 :虚無な人:2005/05/29(日) 14:53:46
- >>102
巡回怠ってスマソ…
いやあ、コネタ見つけてから来ようなどと思ってたのでにゃ。
こちらこそまたよろしくお願いしますにゃm(_ _)m
ネタというほどではないけど、
ヤマハVXシリーズの、スロットで音色を作るシステムをご存知ですかにゃ。
6個か8個のスロットを並列か直列に組み合わせて、音色を作るやつにゃ。
わたしはあれが、どうも言語構造のモデルになる気がしてにゃ…
あと、GTTMの旋律のグルーピングについてなんだけど、それぞれのグループについて、
バイナリ的に上位構造を推定していくのは、なんとも恣意的な気がするにゃ。
むしろ、現代の商業音楽については、上でも書いたような気がするけど、
小節数については2,4,8,16...が好まれる傾向があるので、こちらのほうにバイナリ構造を推定したほうがいいにゃ。
仇陛下が卒業された?事実を、いまごろになってかみしめておりますにゃ。
わたしはふつうに、文法体系がヒトの思考にバイアスをかけるとは信じていないけれども、
韓国語の<絶対>敬語体系については、なんかあるんちゃうか、とか考えることもあるにゃ。
駄文スマソ 次は、水曜とかになるにゃ…。
- 104 :虚無な人:2005/05/29(日) 15:12:15
- VX→DX
orz
- 105 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/05/29(日) 19:57:02
- >仇陛下が卒業された?事実を、いまごろになってかみしめておりますにゃ。
仇陛下は現人ネ申になられますた
今思うと最後の2チャン的な御人だったと思います。。。
近隣諸国ネタとギターネタと生成ネタと哲学ネタの4拍子そろっていましたしね。。。
- 106 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/05/29(日) 20:21:43
- >6個か8個のスロットを並列か直列に組み合わせて、音色を作るやつにゃ。
>わたしはあれが、どうも言語構造のモデルになる気がしてにゃ…
エエー、それはちょっと発想の飛躍だと思うYO!
- 107 :こさかな:2005/05/31(火) 06:38:18
- 虚無せんせ>103
にあ!(じつは雑談)スレなのでコネタなしでも来ててくださいにあ!
ヤマハDX-7はあこがれでしたにあ・・・結局買ったのは一万円しないヤマハの初心者向けの
キーボードで、今は姪の情操教育にラヴェルのボレロをひいたりしてますにあ・・・でも姪は
そのキーボードをふりまわしたり、よだれをたらしたりで、出ない音があるのですにあ・・・
もうしばらくしたらキース・エマーソンを聞かせて立派なプログレ・キーボーディストに
なるよう方向付けて行きたいですにあ。
というわけでDXシリーズの音色の作り方というのは具体的なことはしらないのですにあ・・・
>106しやん
というわけで、詳細キボンですにあ。
- 108 :こさかな:2005/05/31(火) 06:55:34
- >GTTMの旋律のグルーピング
G^3スレで紹介されていた論文ではずーとるび、もといビートルズの曲を扱ってましたにあが、
GTTMでは西洋古典音楽に基づいて記述していたからなんですかにあー
たしかに商業音楽では2の倍数のリズムが多いことからバイナリなリズム構成をしたほうが
いいのかもしれないですにあが、変拍子などを扱うために2と3、あるいはより単純には
2と1の組み合わせができるようにするのがひとまず十分な記述力を持たせるためには
必要なのかにあ、と。Jackendoffがどこかで言ってたと思いますが、音韻論のmetrical gridとの
穴路地で、
(*)(**)
とか
(**)(**)
やってたと思いますにあ。(*=metrical grid)
これでやると、七拍子は
(**)(**)(*)(**)
(*)(**)(**)(**)などなど
となるでしょう。音韻論のmetrical gridはstress assignmentに使われるので
数える時にはじく単位extra-metricityとかもあるが、音楽論ではこれは関係なさそうなのと、
primary stressをあたえるgridを特定していくプロセスが音韻論では必要なのに対し、
音楽論ではそれより
(((*)(**))((**)(**)))
というようなグルーピングの階層性が重要になりそうなこと、この点がちがいますかにあ。
- 109 :こさかな:2005/05/31(火) 07:01:10
- >105しあん
あんまりネ申格化するのもどうかと思いますにあ。もっと食ってかかるのでないと。
でも確かにadamas閣下はバーリ・トゥードの2ちゃんの一つの理想型ファイターだったと
思いますにあ。最後の、とは思わないけど。
- 110 :こさかな:2005/05/31(火) 07:13:01
- リズムの話がでたので、音韻論のmultiple-planeの音楽論穴路地(たぶんずれる):
音韻論
z n 子音平面
| |
x x x x タイミング・スロット
/ /
o u 母音平面
音楽論
c c 調性平面
| |
x x x x タイミング・スロット
/ /
f g 非調性平面
- 111 :こさかな:2005/05/31(火) 07:17:25
- あ、そういえば音楽のリズムにもstressに類するものがありますね(ずれないでくれー)。
普通:
* *
* * * *
裏:
普通:
* *
* * * *
- 112 :こさかな:2005/05/31(火) 07:19:56
- 訂正
裏:
普通; → 裏:
「裏」は2,4に*
すみません・・・鬱
- 113 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/01(水) 18:55:05
- ここはケツ穴が豊富なインターネットですね
- 114 :厨:2005/06/02(木) 11:03:09
- すげーなおまえら!!
天才の集合体だ!
オレ語学とか本気でさっぱりだから言ってること
理解不能だが、おまえらのカッコよさを
びんびんに感じるぜ!
- 115 :虚無な人:2005/06/02(木) 16:47:38
- 2ちゃんはちょっとブランクがあったので、いろいろ板をのぞいたんだけど、
変わったのはワロスの氾濫と、クマAAが減ったことくらいかにゃあ。。
>>108
>たしかに商業音楽では2の倍数のリズムが多いことから
ちょっとことばが足りなかったかもしれないけど、わたしが言いたかったのは小節の数についてで、
基本となるmeterが2であれ、3であれ、5であれ、
小節のグルーピングは、2,4,8,16...になりやすいということにゃ。
このばあい、例外となるのは、2+2+3の拍子をもつAll you need is loveではなくて、
7小節で主動機がリピートするyesterdayということになるにゃ。
ちなみに「男と女」は、5拍子でカウントすると8小節で一巡するにゃ。
わたしには、旋律のグルーピングが多義的で柔軟な解釈をゆるすのに対し、
小節の<数>のグルーピングは、楽譜のバーそのままの硬直した構造の連結からなり、
両者(の原理)を統合するのは、ちょっと簡単なことではないように思うにゃ。
いわば、英語のプロソディが単語を横断する形で作用し、
'get Out of here'も'caLamity'も、音楽性としては類似しているいっぽうで、単語の数はカウントされるみたいな、
そんな印象をうけるにゃ。
>f g 非調性平面
これってちょっとよくわからないけど、c-fg-cだと、二重母音っていうことなのかにゃ。
- 116 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/02(木) 23:53:23
- >変わったのはワロスの氾濫と、クマAAが減ったことくらいかにゃあ。。
ブランク期間がわかりやすいですね。
- 117 :虚無な人:2005/06/03(金) 02:51:14
- うーん、
正直、あまりageんでほしいにゃ…(ここは地下の妄言スレなのにゃ)
まあ、書き込めるときに書き込んでおくけど、
DX7のハナシは、ものすごく抽象的なもので、
非対称な連結A->Bと、等位的な連結A=Bがあるにゃん。
前者はモジュレーションの関係、後者はたんなる波形の足し算で、
A(の音)とB(の音)を別個に知覚できるにゃ。
YAMAHAのスロット構造にはじつは入れ子構造はないんだけど、
A->[B=C]みたいなものも含めるにゃ。
以上の操作は、回帰的に行えるものとするにゃ。
これだけの道具立てから、どれだけのことがいえるかとちょっと思ったんだけどにゃ。
人間思考が究極単純な形式に還元されるのなら、このようなかたちになるかもしれないし、
もし原理的に「何か」足りないのなら、それは何かということになるにゃ。
まあ、そんなふうに思ってみただけにゃ。
- 118 :魚類関係:2005/06/04(土) 22:51:54
- >115
虚無せんせ、また早とちりしてますた・・・反省しますにあ。
小節のグルーピング、それからプロソディというか抑揚曲線と単語の
話、せんせー!よくわかりますた!
というかもっと反省しないといけないのは、上で挙げてあったJ氏の
論文にストレス付与との並行性のことが載ってたことですにゃ・・・
忙しくてもよく噛んで食べますにあ・・・(たぶん前に見たのは
Languages of the Mindでだったかも)
>>f g 非調性平面
>これってちょっとよくわからないけど、c-fg-cだと、二重母音っていうことなのかにゃ。
これはずれまくりですた。上は/zonu/、下は/f-c-g-c/ですた。
で、ちょっと虚無せんせの解釈からの妄想暴走ですにあが、二重母音に
相当する、つまり英語、日本語で言えば1音節2モーラみたいなのは
音楽でいえば装飾音とか経過音になるんですかにあ?
領海侵犯した韓国漁船をめぐる動きにはちょっとむかむかするものが
ありますにあ。早く法整備して(以下前の繰り返し
- 119 :虚無な人:2005/06/22(水) 06:57:23
- スマソにゃ。最近、昔の本、ひっぱりだして読んでたにゃ…
『収容所群島』とか、じつに面白い。っつーか、文学としてよろしい。
たんなるうらみつらみでかかれてないところが、今でも「鑑賞」にたえる理由かもしれない。
>つまり英語、日本語で言えば1音節2モーラみたいなのは
>音楽でいえば装飾音とか経過音になるんですかにあ?
そういうふうに考えたことはなかったけど…
いちおう、和歌の標準的な朗読が4/4のかたちにおさまることがまず連想されるにゃ。
(宮中での皇族の歌の朗読はこの限りではなくて、最終音節をやたらのばすみたいなので、
伝統的には、あまり西洋的meterと関連づけるべきではないかもしれない。)
あるいは、80年代くらいから、popsの旋律がモーラよりむしろ音節単位になっていること
(「がんばって」に3音符が対応する)みたいなことも関係あるかもしれない。
(これは、まあ単純に英語の影響だと思うが)
(j rapの話もするべきなんだろうが、じつに聴くにたえないので、まったく事情は知らない)
総体的にいって、日本語の音楽性については、英語に近づいているといえるのかもしれないにゃ。
なにぶん、標準的な2個のピッチアクセントでは、なかなか装飾音が定義しづらいにゃ。
むしろ偶数gridをもつリズムのスィング化(前の8部音符70%、後半30%みたいな)と、
それにもかかわらず旋律の同一性が失われないこと、なんかと関係あるかもしれない。
どうも、いつもめちゃくちゃ書きなぐってすんまそですにゃ。ではまたにゃん。
- 120 :魚系:2005/06/23(木) 06:18:20
- 虚無せんせ、おはようさんにゃ。
こちらこそいつもめちゃくちゃで、しかも話いったりきたりですんまそですにゃ。
文献にもちゃんとあたりますにゃ・・・反省
歌の朗読は、奈良時代、2音節1韻脚だったみたいで、おっしゃる
>最終音節をやたらのばす
をやると、歌の単位5、7が6音節3韻脚、8音節4韻脚になるようですにゃ。
奈良時代までは特殊モーラ「っ」「ん」「ー」および母音連続が
なかったため、上代日本語は音節リズム言語であったと考えられ、
助詞を伴わない一音節語も二音節で発音されていたらしい、ということ、
今に続く歌の単位は上代語音韻構造を反映したもののようですにゃ。
>80年代くらいから、popsの旋律がモーラよりむしろ音節単位になっていること
はもしかすると単に英語の影響だけではなく、先祖がえりなのかも、ですにゃ。
一般に、外来語音の影響といわれる新しい音節の出現は、既存の子音と
既存の母音の新たな組み合わせで、かつ、その音は昔存在していたものが
復活するといえるようなもので、そもそも日本語に存在しない[φ](円唇前舌狭母音)
みたいのは頑張っても借入できないようですにゃ。
私には「空に太陽がある限り」の「あいしてるー」も三音符かなー
(「愛」は二重母音、「して」の「し」は母音無声化でonset c-cluster)
と思え、すでに旋律が音節単位なのは戦後歌謡の早い段階のような気が
しますにゃが、これは完全妄想モード。戦中の歌は完全にモーラ単位っぽ、
ですにゃ。
>なにぶん、標準的な2個のピッチアクセントでは、なかなか装飾音が定義しづらいにゃ。
>むしろ偶数gridをもつリズムのスィング化(前の8部音符70%、後半30%みたいな)と、
>それにもかかわらず旋律の同一性が失われないこと
にゃるほどー
- 121 :虚無な人:2005/06/25(土) 00:59:32
- おお、すばらしいレス。
>歌の朗読は、奈良時代、2音節1韻脚だったみたいで
オモスロス...いや、でんでん知りませんでしたにゃ…あれですかにゃ、
日本語(←いちぶの日本国民とメディアにごくごく限って)の数唱で、
(関西の方でないにもかかわらず)一音節語が2音節になり、
「いち、にい、さん、しい、ごお…」ってなかたちになるのと似てるのかにゃ。
(稚拙なレスで申し訳ない)(ところで、関西のかたの数唱はほとんど「歌」なのだが…)
「先祖がえり」のところがちょっとよくわからないのだが、
上代の漢字音の音写を考えてみると、現代の日本語における英語音などの音写と
実質的おなじ操作であるようにみえるにゃ。
語末子音の1音節化や、擬似大和語の発生(「キヌ」とか)は
当時のモーラ環境が大局的に現代と共通しているのだという印象をうけるにゃ。
(nasal velarがしばしば無視されたが、これは「旡」などの音価が/m//n/であったためかもしれない)
1音節語を、2音符で歌うことは、結局母音連結を許容する方向に働くのではないかにゃ。
神武天皇とか、くゎんむ天皇とか、どう発音されてたのかにゃあ。(不勉強でわからない)
- 122 :虚無な人:2005/06/25(土) 01:00:00
- 「愛してる」に関して言えば、
(なぜか、スターにしきのの歌は、メロをどわすれしてしまった)
スピッツの「愛してるという響きだけで…」みたいな
曲を例にとると、やはり、aish(i)-te-ruと歌っているらしい。(3音符)
(無声化「し」は前のシラブルにくっついているように思われる。)
ところが、1モーラから1音符への写像がくずれたからといって、
じつはモーラ体系が<音楽的に>反映されなくなったかというとそうではなくて、
たとえば「ピンク」にたとえ1音符を与えようとも、「ピンク色」を3音節と数えたうえ、
「ピン・キ・ロ」という譜割りで作曲することはまずありえないように思われるにゃ。
これはたんなるリエゾン禁止則ではなく、モーラ保存則のようであるにゃ。
詳細は省くけど、このてんで英語の影響は限定的なようだにゃ。
- 123 :魚系:2005/06/26(日) 18:57:27
- きあー、ほめられたー
でもその後に濃いーレスが・・・断片的にレスつけますにゃ。
>日本語(←いちぶの日本国民とメディアにごくごく限って)の数唱で、
>(関西の方でないにもかかわらず)一音節語が2音節になり、
多分そんな感じですにゃ。「ニッポンチャチャチャ」の「ニッポン」(今は音符二個)も前は
「ニ・ー・ポン」の音符三つだったそうです。「ポン」が一つ分、というのがちょっとオモスロス。
実は私も詳しくはしらないのですにゃが、アクセントを直接付した資料として最古の『類聚名義鈔』を
見るとそんな感じらしく、すくなくとも鎌倉時代初頭までは遡れるらすいですにゃ。
アクセントに関しては途中でGreat Shiftがあったようですにゃが、それ以外は現在の京都アクセントと
同じで、音節の伸ばし方についても同じように考えられるのだそうですにゃ。
『万葉集』などでは字余り等から伸ばし方が推定されるようですにゃが、昔犬飼隆せんせの
「にき・たつ・にー ふな・のり・せむ・とー つき・まて・ばー」という吹き込みを
聴いたことがありますにゃが、これはその当時の詠じ方を再現したものなのだそうですにゃ。
- 124 :魚系:2005/06/26(日) 18:58:57
- >擬似大和語の発生(「キヌ」とか)
は古代朝鮮語の借用(と思われるもの)で、確か音節末子音は[m]でなかったかと
思いますにゃ。その他、「イト」は[sil]からという話もあって、実は単に母音挿入だけでなく
子音の方も変容していて、ちょっと音節毎かわってる感じですし、稲荷山古墳鉄剣銘や
推古朝文書とよばれる一群の資料に現れる、呉音以前の朝鮮古音と呼ばれるものは基本的に
一音節で、音節末子音は落ちているようなのですにゃ。これは中国でおこった-p,-t,-kの
脱落より前のことなので、借用では子音を落とす、ということもあったようなのですにゃ。多分。
一方で仏教伝来以降の漢音の学習は比較的中古漢音に忠実に行なわれたようですし、
また、有史以前の日本語の姿は閉音節をももつものだった、という説もあるようで、
なんか込み入ってそうなのですにゃが・・・
>1音節語を、2音符で歌うことは、結局母音連結を許容する方向に働くのではないかにゃ。
これは、いわれてみればおっしゃるとおりなのですにゃ・・・上代の禁忌を破ることになるので、
歌詠みに限られるのかもですにゃーこのあたり私の詰めのあまいところですにゃー
ハッ!音節構造と音楽の関係という、まっとうな話をしてしまいますた・・・
ギャグ問にもどりまつ・・・
- 125 :虚無な人:2005/06/29(水) 05:02:24
- 盛り上がってきたところを、話をふりだしにもどすようで申し訳ないんだけど、
「念仏」と「題目」のきれいな対比をすっかり失念していたにゃ。
真宗の正式な念仏は、なんとスローなスィングで、
「なーもあーみだーんぶー(ブレス)なーもあーみだーんぶー(ブレス)」
というのを声調をかえつつ繰り返すにゃ。で、御存知日蓮宗の題目は、
奇数小節にアクセントのある3/4のワルツになっており、
「なん、みょう、ほう、れん、げ、きょう、なん、みょう、…」となるにゃ。
で、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」それぞれのモーラを比較してみると…。
どうもこのコントラストは、ひょっとしたら中世にまでさかのぼれるかもしれないし、
少なくとも「現代的」なものではなさそうだにゃ…。わたしがまちがえたにゃ…。
もし音節構造に関する<現代的な>要因があるとしたら、書記体系の教育の発達が、保守的に働くことだにゃ。
もし上代にcoffeeが伝来していたら、それは「こひ」とよばれ、現在では茶の訓読みが「こい」だったかもしれない。
が、現代以降、このような変化は起こりにくくなっているかもしれない。
(いや、若い人間の「もしもし」を聞いてると、最後の「し」がナゾの二重母音になっているから、
(/ましましぇぁ/みたいな)やはりよくわからないにゃ。)
>有史以前の日本語の姿
stemを推定すると、どうしても閉音節形態素がでてきてしまうってことかにゃ。
ごちゃごちゃしてすまんにゃ。またくるにゃ。
- 126 :さかなけい:2005/06/30(木) 12:37:20
- 念仏・題目まで出てくるとは、虚無せんせ・・・
まるでギターと津軽三味線と佐渡の太鼓のバトルのよう。
>「なーもあーみだーんぶー(ブレス)なーもあーみだーんぶー(ブレス)」
>というのを声調をかえつつ繰り返すにゃ。で、御存知日蓮宗の題目は、
>奇数小節にアクセントのある3/4のワルツになっており、
>「なん、みょう、ほう、れん、げ、きょう、なん、みょう、…」となるにゃ。
へーへーへー!そういえばこちらの地方では念仏は
「なーむあーみだーんぶーつなーむあーみだーんぶーつ」
で、ブレスないので時々おばあちゃんが倒れて新聞にのりますにゃ。
「仏」の前の「ん」はprenasalかもですにゃ。だとすると、prenasalを上代の
清濁の「濁」とするか、それとも、中世あたりで有声阻害音に寄生するように出現したのか
どの説をとるかで、ある程度いつぐらいに成立した唱え方なのか推定できるかもですにゃ。
関係ないですにゃが、韓国の念仏は
「かん ぜー おん ぼー さる」
でtake five式かもですにゃ。
>もし音節構造に関する<現代的な>要因があるとしたら、書記体系の教育の発達が、保守的に働くことだにゃ。
そうかも、ですにゃ。
>「ピン・キ・ロ」という譜割りで作曲することはまずありえないように思われる
これも書記からの制約でしょうし、ジャンケンで「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」とすすむようなのも
この関係でしょうにゃー これって書記からの制約、とみるとトリビヤルな問題に見えますけど、
視覚情報、というか脳にストックされている視覚関連の単位が音韻構造の出力を規制している、
と考えると面白いことなのかもですにゃー(おもしろくないかもですけど)
>最後の「し」がナゾの二重母音になっているから
なぜだか笑えますたw 私もまたきますにゃ。
- 127 :虚無な人:2005/07/07(木) 06:44:09
- なにしろ、書記体系という偶発的な要素がなぜかくまでに単語の直観に影響を及ぼすのかわからないし、
かかる直観をはなれて、<語彙>あるいはその他の言語単位を画定しようとすると、
けっきょくのところ事実上の発話からのデータに依存せざるをえず、またまた言語単位が<確率>の問題になってしまうのか、
とりとめないけれども、いろいろなギモンがいっきょにまきおこるにゃ。
とりあえず、書記体系の脳内<表示>の概念は、認知心理的に妥当なものと思われる。
わかりやすくいえば、発話において、ヒトは脳内に表示された<文字のごときもの>を読んでいる
という想定は、かなりもっともらしいということだにゃ。
考えてほしいのだが、たとえば英仏独の3ヶ国語の撥音をかなりマスターした人間なら、
それぞれのナマリの日本語を即座に話せる能力があるのではないかにゃ。
この能力の発現のためには、心的書記というインタフェイス、
わかりやすくいえば「心的なアルファベット」を読むというプロセスがあるように思われる。
「井上」の英語訛りを撥音するときには、いったん'inoue'という心的表示に変換して<読む>ということなんだけど…
(in Norwayに似たイントネーションになる)
- 128 :虚無な人:2005/07/07(木) 06:48:43
- しまった…。こっちが>>127より先なのにゃorz
>これって書記からの制約、とみるとトリビヤルな問題に見えますけど
いや、これが…
わたしの悪いクセは、重要な問題が提起されると長考に入ってしまうことなんだけど、
書記体系の知識の問題は事実上、(わたしが事実上といえば、経験科学的に、ということなのだが)
たとえば、語彙の同定問題について、非常に重要であるが扱いにくい問題をまきおこすにゃ。
チョムスキー理論において、言語学的直観はほぼ<生物学的直観>なので、
とりわけ教育の問題は問題にすらならない思うのだが、では、いったいナマの<単語>の直観とはいかに構成されるのか。
これは結局のところ、なぜツリーの先端に辞書の見出し通りの「単語」がぶらさがっているのか、
また形態的に分解したところで、たとえば(通常別単語にみえる)「更ける」「老ける」について、
「深し」の語幹fuk+u(become deep)として形式的に同一に扱って、なにかうるところがあるのか、
(このような語源的遡行をやりだしたら、きりがないにゃ。「明ける」はak(赤)+u、「暮れる」はkur(黒)+uとかにゃー。)
- 129 :虚無な人:2005/07/07(木) 07:18:40
- もう少しムダ口をかくと、どうも調べてみると、仏などのtをドロップさせるのは、
真宗のうちで「大谷派」とよばれるセクトらしいにゃ。
わたしは、般若心経も、「かんじざいぼーさー」と読むのが通例だろ思っていたから、
tドロップはデフォかと思っていたけど、違ったみたいにゃ。
ちなみに、大谷某は語族協和と仏法の理念の統合をめざした、かなり政治的野心をもっていた人物で、
わたしの中では、池田某と同程度にうさんくさい人物にゃ。
ところで語形成で、母音が連続するときの戦略はふたつあって、ひとつは「ありそ」みたいな縮約、
もうひとつはma+ao->masao(真青)、ma+omo->matomo(真面)、などの子音挿入なのだが、
後者についてはかなり特徴的なので、朝鮮半島にこのような語形成があったかどうか興味があるにゃ。
sil(糸)については、l-t交替は、某将軍様の名前などのおかげで非常によく知られているけど、
(あとmiduの古形milが、半島にあったとか)
ちょっと単発的にそういわれてもにわかには信じがたいにゃ。もっと「構造的」でないと。
でもひょっとしたら、金属技術集団の幡=畠氏と、布の「ハタ」関係とは動語源かもしれない。
某〇山氏も、技術集団の末裔であるがゆえに、エンジニア的発想をもっていたのかもしれないにゃ。
ではまたにゃん。
- 130 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/07/07(木) 07:58:34
- >でもひょっとしたら、金属技術集団の幡=畠氏と、布の「ハタ」関係とは動語源かもしれない。
>某〇山氏も、技術集団の末裔であるがゆえに、エンジニア的発想をもっていたのかもしれない
>にゃ。
ジグソーパズルのようで面白いですw
ところで虚無な人の中の人はイ九の中の人とリアルでお知り合いで??
- 131 :さかなけい:2005/07/07(木) 18:17:56
- うーん、難しい・・・というわけで無駄口から。
>大谷某は語族協和と仏法の理念の統合をめざした、かなり政治的野心をもっていた人物で、
そういえば語族協和をとなえ、それぞれの民族の独立国樹立をめざした石原莞爾も
熱烈な法華経信者でしたにゃー仏教というのは何か、そういう思想と親和性があるのかにゃ・・・
私にとってはあらゆる宗教はうさんくさいですにゃが。
(そういえば韓国でもっともポピュラーな便所の落書きは「神は死んだ」ですにゃが、
これに関しては、韓国人のこういうところ嫌い)
- 132 :さかなけい:2005/07/07(木) 18:47:00
- >でもひょっとしたら、金属技術集団の幡=畠氏と、布の「ハタ」関係とは動語源かもしれない。
金達寿せんせの『日本に残る朝鮮文化を求めて』(かなんか、正確な書名失念)の関東篇に
秦氏とゆかりのある土地の話があったやに記憶してますにゃが
>某〇山氏も、技術集団の末裔であるがゆえに、エンジニア的発想をもっていたのかもしれないにゃ。
某〇山氏が泣いて喜びそうな・・・
>ちょっと単発的にそういわれてもにわかには信じがたいにゃ。もっと「構造的」でないと。
うーむ、そうですね。反省。
まず呉音が漢音と異なり移入の時期が複数あり、経路も複数ある重層的正確をもっているような
ところが漢字音での上代日本語の古代朝鮮語からのloanword phonologyをややこしくしてそう
なのと(たぶん「一」などの「-ち」は朝鮮半島経由ではない、と思う)、'sil'対「いと」のような
固有語を含む奈良時代よりだいぶ遡る借用においては「うめ」「うま」のようにはっきりしてそうな
ものまで、ちゃんと立証されているとはいえない状況なので・・・んーこれは単なる逃げですにゃが。
個人的には'pyel'と「ほし(星)」、'pat'と「はた(畑)」は借用だろうと思っているのですにゃが。
(上代文献には「ほし」という語はほとんどあらわれず、「つつ」が用いられていて、中央では「ほし」と
いう語は用いられていなかった。しかし一部地域では用いられていたよう。)
上代、サ行頭子音は[t∫〜∫]、タ行頭子音は[t]と考えると、もし古代朝鮮語の音節末の/l/の
音価が現在のdark 'l'のようなものではなく、口蓋化したalveolar trill[rj]のようなものなら
日本語では[t∫〜∫]で受けたことは十分ありうるし、この場合epenthetic vowelは[i]がもっとも
ふさわしいものであろう。一方、[t]でおわる音節に関しては[a]が挿入されているのは、
動詞否定形において、子音末語幹の場合に挿入される母音が[a]であることと連動しているのかも
しれない。外来語受容において、何らかの母音を挿入する,という点では現代と同じような感じ、
しかし選ばれる母音は違っていた、と言えるかもですにゃ。漢字音受容では[i][u]が使われた
上代あたりが、現代の受容の原型かもしれないですにゃー 眉唾理論ですにゃが。
- 133 :さかなけい:2005/07/07(木) 19:00:21
- >もうひとつはma+ao->masao(真青)、ma+omo->matomo(真面)、などの子音挿入なのだが、
>後者についてはかなり特徴的なので、朝鮮半島にこのような語形成があったかどうか興味があるにゃ。
河野六郎せんせの説にしたがうと、上代文献に現在の'sai-sios'(属格的な働きをする's')にあたるものが
「之」で表記されていて、きっと語形成において[+coronal]の子音を挿入する、ということは
すでにあったものと思われますにゃ。「まさお」「まとも」の挿入された子音[t∫][t]がこれと
関連するもの、ということもあり得るかもですにゃ。しかしするとこれは母音連続を避ける手段では
なく、語形成における接中辞挿入が結果として母音をわけているということになるんですかにゃー
しかし一方で、[+coronal]というのはもっとも無標な素性で、ラテン語でも母音連続をさけるのに
rやsがあらわれていること、日本語内部でも受動形態素、使役形態素で母音連続をさけるのに
/r/, /s/が挿入される(削除説に立たないならば)ということを考えると韓国語との関連は
ないかもですにゃ。
書記と発音の関係については・・・うーんやっぱし難しい問題なのですね。
デリダのDe la Grammatologieも挫折してるし、なんか私が言えることってあるんだろうか・・・
何か思いついたら書きますにゃ。
- 134 :虚無な人:2005/07/08(金) 03:26:02
- えーと、とりあえず真上の文章に脊髄的にレスしておくと、
『グラマトロジーについて』は、デリダがまずrepresentとre-present(再現)とのあいだで<オヤジギャグ>をやりたかったと、
まずそれを中心にして読むとわかりやすくなるかもしれない。
わたしが書記体系の知識をもちだしたのは、もっとふつうの心理学的な意味合いであり、
フッサールが「自然的態度」にもとづくとして非難したほうの、凡庸な心理学のほうに、
むしろ立たざるをえない、いや立つべきだ、と思ってるにゃ。
(で、ストーリーとしては、フッサールは内省=コギトにもとづく「超越論的心理学」をうちあげ、
のちにその還元不可能な(=最も単純な)自我のコアについて、デリダからデコン何とかをくらうのにゃ。)(デコピンではない)
はっきりいって、現在の認知心理の成果を正当に評価するならば、
あるしゅの観念の(たとえば黄色とかの観念)の根源について、内省のほうから接近するなどとは、
あまりにも不毛にゃ。それよりも、脳が純色の黄色と、赤と緑の混成による黄色を区別できない、
という「自然的態度」にもとづく事実の発見のほうが、よほど人間的英知に貢献するものだと思うにゃ。
人間の脳内に、音声にかかわる計算的機能、というと抽象的すぎるかもしれないが、
上のほうでいった「心的アルファベット」が存在することを実証することは、わりと見込みが立ちやすいと思う。
そしてこれは、いわゆる形而上学批判とはあまり関係がないにゃ。
(現前する「表現者」のいないエクリチュールは、形式意味と一脈通じるかもしれないが)
(エクリチュール=スクリプトで思いついたんだけど、書を最初に「かく」=掻く・欠くと訓読したのは、
どういうわけがあったのかにゃ。書とかいて、「ひく」でもよかったのではないかにゃ。
トンデモ学者がいってそうなことで申し訳ないけど、日本に「引っかく」ような書記体系があったということなのかにゃん。)
(いったん休むにゃ。どうも音楽から離れてきてるにゃ。)
- 135 :虚無な人:2005/07/08(金) 05:22:18
- ぶにゃー。昨日メールで外人を激怒させたせいで、調子悪いにゃ。
ほとんどstick to your assの臨界点まできたにゃ(assのところが、「太陽の届かない場所」になっていた)。
毛唐は怒らせるとコワイので、気をつけるにゃ…
>接中辞挿入が結果として母音をわけているということになるんですかにゃ
まず思いつくのは「つ」なんだけど、
>上代文献には「ほし」という語はほとんどあらわれず、「つつ」が用いられていて
こっちが、その「つ」がらみだという話もあるにゃん。「津つ」みたいな。
ところで、「真」「小」のような接頭辞的なものについでt,sの挿入がある例が多いんだけど、
このての接頭辞に「つ」は下接するのかにゃ。ちょっと思いつかない。「霧津雨」とかならまだありそうなのだが。
で、いかにも呉音的な結けち、節せち、七しち、鉢はち、罰ばち、など、
わたしは半島経由の仏教由来かにゃとか思ってましたけどにゃ。一イチについては、違うと…
([t∫]はとりあえず口蓋化したiで終わりやすい傾向はあるらしいが、
どうも呉音というのは一筋縄ではいかないらしい。
ちょっといま当て推量はやめとくにゃ。)
fataについては、なんとなく母音調和の類推で、おなじ母音になってしまったのかもしれないにゃ。
最後に無理やり音楽の話にもっていくと、現代のメディア日本語で、
ほとんどパッチム化している「である」の「る」についてなのだが、(ほとんど消滅しそうなほど弱くなってる)
「ある」に1音符の時代もやってくるかもしれない。
なんとなく「星野姓」を思い出してしまった不謹慎なわたし。ではまたにゃん。
- 136 :虚無な人:2005/07/08(金) 05:23:28
- >ところで虚無な人の中の人はイ九の中の人とリアルでお知り合いで??
未然形にゃ。
- 137 :さかなけい:2005/07/08(金) 11:40:59
- >ぶにゃー。昨日メールで外人を激怒させたせいで、調子悪いにゃ。
・・・何があったか存知ませんが、お気を安らかに、ですにゃ・・・
さきに
>(たぶん「一」などの「-ち」は朝鮮半島経由ではない、と思う)、
は書き方が不正確でしたにゃ・・・正確には王仁のような音博士が早くから
いたか、百済から流れてきた学僧などが中国南方音を比較的正確に
伝えていたのであり、朝鮮字音を伝えたのではなかった、ということで
>わたしは半島経由の仏教由来かにゃとか思ってましたけどにゃ
は、たぶんそうですにゃ。もっとも日本語の基層にまで達している
「にく」みたいな生臭いものも仏教由来なのかはわかんないですにゃが・・・
- 138 :さかなけい:2005/07/08(金) 12:02:52
- 私も音楽からあまりにも離れてたことを申し訳なく思いつつカキコしてましたにゃ。
強引に戻していきますと、にゃ・・・
>なにしろ、書記体系という偶発的な要素がなぜかくまでに単語の直観に
>影響を及ぼすのかわからないし、かかる直観をはなれて、<語彙>あるいは
>その他の言語単位を画定しようとすると、 けっきょくのところ事実上の
>発話からのデータに依存せざるをえず、またまた言語単位が<確率>の
>問題になってしまうのか、
ここの最後の部分、<確率>の問題を、電子の位置の確定を確率で求めざるを得ない、というようなことと似たことかにゃー、と漠然と考え出したのですにゃ。
とはいえ、私自身、確率の背後にある数理がちっとも理解できていない有様で、確率を毛嫌いしてしまうところがあるのですにゃが。
ただ、子音と違い、連続的な性質を持つ母音が、一定の変異粋を許して実現されるのは電子の分布とむりやり同質の問題としてしまいたい衝動に
かられますにゃ。ここでさらに、連続的なものを離散化する音階について話をもって行きたい気もしないでもないですにゃ・・・ただこの穴路地は
一度虚無せんせに諌められたような気が。
書記形式が脳内でどのように表示されているのか、よく知りもしないコネクショニスチックな接近法のやりかたは、ニューロンの発火の
ordered pairだったか、たとえば/i/は<1,0,0,1>とか(適当に言ってまつ)、ここで確率が関係するとすると、発火が起こることに関するものなのか・・・
これはちょいと電子の分布とは違った様相を呈しそうに見える。
また迷子になっちゃいました・・・
>デコピンではない
デリダがフッサールにデコピンしてる姿を想像すると笑える・・・
フッサールの師ブレンターノ、ならびに兄弟子マルティはmethodologicalnaturalismをとってたんでしたよね?特にブレンターノの方は心理学に
関して公約してたとか。デリダのフォネー中心主義批判はよく知りもしないことですた・・・でも認知心理学のほうもよくわからないですが、
ない知識をしぼってギャグ問にコミットしていきますにゃ!
- 139 :さかなけい:2005/07/08(金) 12:19:01
- >エクリチュール=スクリプトで思いついたんだけど、書を最初に「かく」=掻く・欠くと訓読したのは、
>どういうわけがあったのかにゃ。書とかいて、「ひく」でもよかったのではないかにゃ。
>トンデモ学者がいってそうなことで申し訳ないけど、日本に「引っかく」ような書記体系があったということなのかにゃん
葉っぱに引っ掻いて書く、ってことなかったですかにゃ?連用形「かき」の
「き」が上代特殊仮名遣で、「書く」「掻く」「欠く」ですべて共通だったかにゃ?
いや、一段活用とかは甲か乙かで揃ってるから五段でも違いは出得ないかにゃ・・・
「えがく」が後世の複合によるのではなく早くからあるものだとすると、訓をあてる
段階ですでに「何かを二次元に固着させる」というような語義があったのかもですにゃー
- 140 :さかなけい:2005/07/08(金) 12:23:38
- ぎゃー、うっかり書きましたが「え(絵)」はweで、しかも固有語ぢゃないですにゃー
失礼しますた。
- 141 :虚無な人:2005/07/18(月) 11:33:47
- ちょっとフッサールがメロディ知覚について論考していたのを思い出して、
ちょっと調べてみたのだが…
これが、超微妙。というか、はっきりいえば、まったく特筆すべきもの何もなし。
おそらく、フッサール周辺の「心理学」は、現在にいたる実証的な心理学の系譜にはいってないにゃ。
まあ、精神分析やら、マルクス主義的・キリスト教的な流れを視野にいれた巨視的な観点からすればべつであるが。
とはいうものの、ついつい読んでしまって、時間を浪費してしまうのがわたしの悪いクセ。にゃ。
なぜフッサールがダメなのか、これについては簡単に述べることができて、
たとえば『内的時間現象のナントカ』での考察で、一つの音符を聴取しているとき、
一つ前の音符もまた<過去把持>によって意識されていると、
(これによって、旋律の知覚が生じる)
ところがこれと同様の認知プロセスが、1コの<音符内部>でもおきるらしいにゃ。
これでは、わざわざ音楽認知を考察した意味はまるでなくなって、犬の遠吠えでもなんでもいいことになってしまう。
ここで働いている<過去把持>は、いっぱんに時間的延長をもった対象について、
(つまり構造的な視点がまるでない)
普遍的な認識の根拠を与えてすまうのにゃ。このような論及は、すくなくとも、
おんがくについてなにか固有な知識を追求している(つもりの)このスレにはふさわしくないにゃ。
とはいえ、なんのかんのいって、読みふけってしまうのにゃ…
あらゆる表象(時間を含む)の構成について、つねに明晰な直観がともなっているという奇妙な確信、
これはじつは、おなじ問題領域をもつ仏教哲学の、逆転した姿かもしれないにゃあ。
わたしは、刹那滅思想(一貫した対象も自我もない)のことを思い出しているのにゃ。
ちょっと休むにゃ。
- 142 :虚無な人:2005/07/18(月) 11:43:43
- >葉っぱに
葉書のことかにゃ??
>「書く」「掻く」「欠く」ですべて共通だったかにゃ
えーと、「き」は甲類で共通なのではないかにゃ。しかし、それはこれらが「おなじ」語彙である、
強い根拠にはならないにゃ。
>一段活用とかは甲か乙かで揃ってるから五段でも違いは出得ないかにゃ
ちょっと考え込んじゃったけど、一段二段がそれぞれ甲類、乙類で統一されているとして、
だからといって四段がひとつの動詞について甲乙いずれかに統一しているかどうかという問題と、
(じっさいにはしていない)
四段動詞の連用形に甲型と乙型があって動詞を区別する根拠になる可能性とは、
ちがう問題ではないかにゃ。
「そろう」という語の解釈にかかわることなのだが…
いずれにせよ、「水かき」をストロークといい、漢字の一画もストロークというわけだから、
ことさら「かく」という語に、甲骨・金文みたいな書記体系を読み込むのがおかしかったのにゃ。
毎度、ぬるーい問題提起ですみませんにゃ…
あと、うえのほうで、representationとre-presentationの言葉遊びをデリダがやっていると書いたけど、
どうも、もともとフッサールがこの対比を用いていて、デリダが批判的に借用したみたい。
たぶんそうだと思う。
ぐだぐだでスマソにゃ…またもう少し建設的なことがかけるようになったら、またくるにゃ。
- 143 :さかなけい:2005/07/22(金) 08:12:39
- あー、なんかたいしたこと書けね〜(いつもですにゃが)
>あらゆる表象(時間を含む)の構成について、つねに明晰な直観がともなっているという奇妙な確信、
「超越論的コギト」っすか・・・とよくわかりもしないで言ってみるテスト。
先験的な自我ではないですにゃが、音声学で自分のアクセントの書き取りを
させたときのことを思い出しますた。理想化すると日本語のピッチは高か低か
だということを言わずに、世界中の言語の音調はだいたい三段階で、あとはその
組み合わせむにゃむにゃ、とか適当にいって書き取らせたら、音楽やってる人は
音符で、中国語やってるひとは中国語の声調でかきとってましたにゃー
この人たちはあとで日本語は高か低、そして下がったら上がらないから、
服部流のアクセント核があるかないか、ある時にはどこに、で完全にピッチパタンを
決定できる、と言ったときにちょっと抵抗してましたにゃが、拍ごとに
ピッチが決まっている、といって譲らなかった金田一春彦せんせを思い出しますた。
「絶対音感なるもの、ありやなしや?」ということは僕にはよくわかんないん
ですにゃが、こういった人たちが後天的に獲得したものさしをエポケー(?)
して、ある手続きによって超越論自我にたどりつき、そこから日本語のアクセントの
記述ということができるのだろうか、いやできはしまい、と反語を発して
しまうのですにゃ。
余談ですにゃが、中国語をやっていた人の中に、下がってから上がる、という
語がある、と記述していた人がいましたにゃが、これは声調の影響で
雑音を拾ってしまったのだろうかにゃ・・・これに対して、音楽をやっていた
人は呼気の減衰に伴うピッチの下降まで音符で書き取っていたのでびくーり
しますた。なんだか、スティーブヴァイを思い出しますた。
>これはじつは、おなじ問題領域をもつ仏教哲学の、逆転した姿かもしれないにゃあ。
>わたしは、刹那滅思想(一貫した対象も自我もない)のことを思い出しているのにゃ。
診療内科に通っているときに、せんせにそんな話を聞いたかもしれにゃい・・・
そのせんせはいつもナンバで歩いているという方でもある。僕はもう行くの
やめたんですにゃが・・・
- 144 :さかなけい:2005/07/22(金) 08:22:13
- >>葉っぱに
>葉書のことかにゃ??
むかし、葉っぱにとがったもので歌を書いてラブレターにしたとか。
「言の葉」の語源じゃなかったかにゃ?このへん適当ですにゃ・・・
どっかで調べてきますにゃ・・・
「書く」については、『古事記』のはじめのほう、日本列島の創造神話の
ところで、神様が天のぬぼこで海を「かき回し」て作ったという、その「かき」に
「書」が宛てられてましたにゃ・・・
意外と
>「水かき」をストロークといい、
このあたりが原義で、結果の方(引っ掻き傷、痕跡など)のほうは
その時点で含まれておらず、つまり「かく」とはmanner of motionの
動詞だったのかも、ですにゃ。
- 145 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/08/19(金) 09:18:35
- hosyu
- 146 :こさかな:2005/08/20(土) 08:58:31
- hosyu thanx
- 147 :こさかな:2005/08/23(火) 23:46:38
- つまんないことばっか書いてスレストップさせてしまいますた・・・
反省・・・
といって、面白いことも浮かばないのですが、音ギャグと言語ギャグがらみで
関係しそうなことを書いてみますにゃ。
ちょっと前に上代の歌謡の韻律のグルーピングについて書きますたにゃが、
どっかで記紀歌謡から万葉の短歌成立までに関する論文をみつけますたにゃ。
まず記紀歌謡は歌い親しまれている形式として、歌作上の定型のようなものは
はっきりしていなかったのが、やがて片歌形式として五・七・七が生まれ、
その繰り返しの旋頭歌や長歌が生まれ(五・七・七・五・七・七)、
長歌の反歌、あるいは最後の部分の析出として短歌が生まれたとか
(うーん、適当。今度ちゃんと書きます)
基本は偶数で、一音節分を休符として五とか七になっている
(古い形には三とかもある)
万葉集には四とかもあるのだけど、これって休符なしってことだよねー
で、なんで、休符を入れるような形式へと変わって行ったのか、
とちょっと疑問におもいますた。
単に、別になくったっていいじゃん、って思っただけです、失礼・・・
では煎って参ります
- 148 :こさかな:2005/08/23(火) 23:51:43
- 無理やりこじつけ。
和歌は七で終わるわけですにゃが、このつくりは意味的な
解消感を必要とする。そこではさまざまな方法で解消感を
つくるのですが、これもまた今度。ケーデンスとセマンチック・ケーデンスの
むりやりな対比。
- 149 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/24(水) 04:19:40
- いやいや、つまんないとかそういうことではなくて、
せっかくフッサールの問題がでてきたのだから、ただやりすごしては申し訳ないが、
こっちのほうでわかりやすく問題を整理する能力がなかったのにゃ。
まず第一に、世俗的な書記体系(識字)に対するあるしゅの畏敬があり、
そのなかに(専門家ですら)民族主義的な<漢字書記体系>をデリダが見直したみたいな思い込みもある。これは問題外。
つぎに、『グラマトロジー』のなかに、世界秩序の<書記体系>による比喩、
「世界は数学的な書物だ」みたいな言い方に対する警戒だあるにゃ。ここまでがデリダの射程。
そして、わたしのいいたいことは、デリダが数学に対して必要な考察を行ったかどうかなのだが、
デリダの結論は、あいまいながらも、<音>に服従していることになっているにゃ。
さて、>つまり「かく」とはmanner of motionの
動詞だったのかも、ですにゃ
のところはじつに面白いところであって、じつはエクリチュールの拡大解釈のひとつの要素となったぶぶん、
つまり単なる書かれたものではなくて、それはあるしゅの空間的・質料的イベントであり、
いっぽうイデアのほうは瞬間的・点的であるとともに永遠でもある、つまり非-時間的なものということで、
これが世界的であるかいなかということで、両者が対立するという構図になるのにゃ。
この対立を媒介するものとして、形式的でありながら<主観>というか直観する誰かを必要としない<数学>が問題となってくる。
これはいわゆる形式意味論ではおなじみの<意味なし>の真理というものの地位にかかわってくるわけですにゃ。
まあ、ほとんどわかりにくいとは思いますが、ちょっとここまで。
- 150 :こさかな:2005/08/25(木) 16:07:38
- うわーん、虚無せんせ、長考妨げて反省なのです・・・
>まず第一に、世俗的な書記体系(識字)に対するあるしゅの畏敬があり、
>そのなかに(専門家ですら)民族主義的な<漢字書記体系>をデリダが
>見直したみたいな思い込みもある。これは問題外。
私はこの思い込みにつられていたかもしれないですにゃー→問題外
とはいえ、(少なくとも昔の)生成音韻論のアプローチをとると、
英語の語の基底表示は限りなく表記に近くなり、それと同時にラテン語などの
ルーツにも近くなる。これによって、見かけ上、私が思い込んだデリダと
似たような、「歴史的綴り字原理主義者」のようになるわけですにゃが、
一応生成音韻論者とかPikeはそんなのとは無関係に、脳内の表示に
表記は自然と近くなる、という(思い込まれた)デリダとは逆の主張を
することになる。
これと関係しそうで、虚無せんせが前に言ってた話に絡みそうなこととして
思いついたのが、日本語話者のモーラ獲得に関する「表記説」。文字を持たない
子供などの観察から否定されているようなのですにゃが、日本語話者が
モーラを様々な音韻現象に駆使するようになったのは、「かな」のせい、
って話。
うーん、敷衍しようと思いましたが、力およばず・・・
- 151 :こさかな:2005/08/25(木) 16:09:29
- >つぎに、『グラマトロジー』のなかに、世界秩序の<書記体系>による比喩、
>「世界は数学的な書物だ」みたいな言い方に対する警戒だあるにゃ。
>ここまでがデリダの射程。
確か『ヨーロッパ諸学の危機と・・・』のフランス語訳の付録に、
「幾何学の起源」の長い解説をデリダは書いてませんでしたか?
内容は覚えてないですにゃが・・・ネオ・カーテシアンとでもいうべき
フッサールを、デリダはどのようにひざかっくんさせ、実証主義を
復権させたのか(させなかったのかにゃ?)
あー、ハイデガーとデリダのオヤジギャグの系譜の印象が強くなりすぎて、
もう頭がまわらない・・・
>そして、わたしのいいたいことは、デリダが数学に対して必要な考察を
>行ったかどうかなのだが
>デリダの結論は、あいまいながらも、<音>に服従していることになっているにゃ。
ガリリアン・スタイルに対し、フッサールは「起源切れ」の実証主義批判を
行った、と思っていて、デリダはエクリチュールについての考察から
「起源切れ」を肯定していたのかと思っていました・・・
うーん、なんだかよくわかんなくなっちゃいました。勉強しますにゃ。
>この対立を媒介するものとして、形式的でありながら<主観>というか
>直観する誰かを必要としない<数学>が問題となってくる。
うーむ、これは、現実に三角形を描いて、それを公理から導出される性質の
集まりとしてみる手続きとして、人間を離れた<数学>が必要、
ってことなのですか?
やっぱりわかりませんでしたが、まったりよろしくおねがいしますにゃん。
- 152 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/26(金) 03:39:55
- いやもう、おつきあいいただいてまことに申し訳ない…
ときにわたしのレスはかみあわないことが多々あるんだけど、
それはじつにわたしの非力のせいであるとご容赦ねがって、すすめようかと思いますにゃ。
>「起源切れ」の実証主義批判を
ここのところは、安直な経済からの比喩を用いさせてもらうけど、
(経済と言語の対比は、安直にもなれば、じつに深遠にもなるにゃ。)
通貨にとって金への交換可能性は必須なものか、それとも、
<交換の場>というアクティブな空間があれば矛盾なく稼動していくものなのかという問いと、
フッサールのいう自然主義的な態度によって流通しているさまざまな諸概念が、
はたして超越的な主観による絶対的な確実性を必要としているかという問いは類比的である。
このてんで、フッサールはデカルトを再評価したとかいうレベルではなくて、それこそ再-現前にゃ。
で、デリダは、そのような直観的確実性はすでに世界的に(質料的に)「汚染されている」といいたいわけで、
このぶぶんで金=イデア(なんちゅー比喩やねん…)からの価値の裏書みたいなものは、
内側からの危機につねにさらされているというようなことを言いたいのにゃ。(実証主義ではないにゃ)
で、ここで、わたしがいいていのは、はたして数学が、このような直観的な確実性を必要としてきたのか、
- 153 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/26(金) 03:41:21
- すくなくとも、カントがユークリッド幾何学を先験的要件としたのはすでの同時代の数学者に否定されかかっていたわけだし、
真理の公理主義的見解がめずらしくもなんともなくなった現代では、
真理の公準を直観的確実性に求めるのはむしろ奇異であるにゃ。
そしてわたしの問いは、そのような(真理を形式的に生産するような)動きは、伝統的論理学のなかにすでにあるのだし、
はたしてそのような真理の集合は、意識=声に照らされる必要があるのか、ということなのだが、
これはちょっとぶっとびすぎな問いかけなので、とりあえずもう少し具体的な問いとなると、
数学的命題を自然言語に<読み下す>とき、意味論的にはなにが起こるのかということかにゃー。
フッサールのあるしゅのプラトニズムっぽさは、じつは幾何学からの考察に由来するものなのだが、
なぜにわたしとのギャップがこれほどひろがったのか、もう少し内省してみるにゃ。
とにかく、これからも雑文のお相手よろしくおねがいしますにゃ。
- 154 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/26(金) 03:47:57
- 超越的な主観→超越論的な主観m(_ _)m
超越という語はなかなかてごわいけど、フッサールのばあいは、構成ということでいいと思う。
いちおう、バラバラの印象みたいなものから、イデア的な構成がなされるということで、
われわれが表象するものはほとんど超越的なものばかりであるにゃ。
- 155 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/26(金) 03:54:52
- もう少しついでに書くと、わたしのあてにならない当て推量では、
就学前にすでにモーラの心的グリッドは成立していて、
その後の書記体系の学習はたんにそれを裏書するものではないのかにゃ。
たしかに書記の知識なしで「チョコレート」を「チ・ヨ・コ・レ・ー・ト」というかどうかはギモンだけど、
それと、モーラそのものの心的理解とはべつのような気がするにゃ。
「井上」は、英米人にとって自然な発音が非常に難しいとどこかで書いたかもしれないけど、
たいがいの「井上くん」は、就学前に自分の名前をかなり正確に発音するものと思われる
- 156 :こさかな:2005/08/26(金) 23:12:25
- こちらこそなんか役不足でもうしわけねーっす。いつも虚無せんせのカキコは
insightfulでどきどきするのにゃ。
やっちゃいけない、ぶんみゅあくから切り離しての勝手な引用ですにゃが
>はたしてそのような真理の集合は、意識=声に照らされる必要があるのか、ということなのだが、
なんか、むねキュン・・・いまいち、私の<声>の理解は「自我が真理を話すのを聞きたい」という
程度のお粗末なものなのですにゃが・・・ただよく公理体系のsoundness, completenessを
証明するときに出てくる、「極大無限集合において、ある部分集合の元を「てきとーに」並べると」
というところに人間くささ、というか「てきとー」に塩梅されたX論的自我(Xは超越論的、と
言っていいのかわかんにゃい)への問い合わせがある気がしてならないですにゃ。
多くの数学者の信念、というか信仰とする、神が独り占めしているエレガントな証明を掘り出す
という作業は、<声>に照らし合わせて、というもの以外のなにものでも無い気が。
もっともこのことは数学本来の性質とは一応独立の問題だと思いますにゃが、
この問題を相談するべき数学者はあてになりそうにないし、かといって数学的直観を
離れた哲学者の議論はもっとあてになりそうもない。
ここは虚無せんせの答えを待つしかない(これはお世辞とか、プレッシャーとか、全然
そういう性質のものでなく、たんにそう思うだけですにゃ)
>これはちょっとぶっとびすぎな問いかけなので、とりあえずもう少し具体的な問いとなると、
>数学的命題を自然言語に<読み下す>とき、意味論的にはなにが起こるのかということかにゃー。
ε−δ論法は自然言語に<読み下し>ちゃいかん、とよく言われますが、
これは意味論的に何かが起こるからなのでしょうにゃ。しかし読み下してしか理解できない
私には不可知の問題なのですにゃ・・・
いつもありがとうございますにゃ。明日から数日、出稼ぎに行ってきますので、しばし
失礼しますにゃ。
- 157 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/28(日) 19:14:48
- 昔、生成スレの論議の中で、わたしに対しのレスだったような気がするが、
例の言語の無限再帰的性格が、事実上われわれの直観には不可能だと、
そのようなご意見をいただいたが、じつをいうと、これはあんまり考えられたレスではなくて、
まず第一に、無限と「ものすごく大きな数」というものを区別していない。
経験不可能性からいえば、無限はむしろ<ゼロ>に近いのであるにゃ。
だがしかし、無限の「適切な解釈」はたかだか近代に起源するにすぎないということと、
多くの人にとって、無限はやはり「ものすごく大きな数」を「連想させ」、
これらふたつの、学術的には「類似していない」観念がなんらかの同一の起源をもつとするならば、
無限の素朴な解釈も、ただたんに「認識不足」とか、安直にかたづけられるべきではないのだにゃ。
(おそらく無限に類する諸概念が、一般的な量に対して有標であることはまちがいないのだが)
この問題は、いっぱんに自然な観念の、科学的な洗練、多くの場合数理的な再解釈ということになろうが、
「数理的な再解釈」とは何なのか(そのなかには落体現象も含まれる)、それはいっしゅの隠喩なのか、
(たんに指示物のちがい、という解決はいただけない)
この問題もまた、わたしを長考に至らせ、生成スレをしばらくたちのいた原因となったものにゃ。
これではレスになっていないので、またくるにゃ。
- 158 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/08/29(月) 18:40:28
- >多くの人にとって、無限はやはり「ものすごく大きな数」を「連想させ」、
心理学用語ですが、そういうのは「素朴概念」ってやつですよ。
ヒトが非論理的な考え方(というより「感じ方」)をすること。
非論理的ではあるが、実際の生活・生存には適している場合が多く
その意味では非常に「合理的」だったりもする。
あたかも「真理」と関係があるかのように思われてしまう場合が多いが
あくまで心理的なシロモノなので、
眉にツバつけてかからないと嵌ってしまいますよ。注意。
- 159 :名無し象は鼻がウナギだ!:2005/08/29(月) 18:44:45
- 物理とか数学とかには素朴概念と矛盾することがいくつもあるので
そういうのを利用したひっかけクイズとかパラドクスとかが見られますね。
「ヒトはなぜ○○をこのように感じるのか?」と本質的に考えることは確かに興味深いですが
「それは何か真理に関係あるに違いない!」 となってしまうのは短絡的、というか危険。
(それもまさに素朴概念の一種なのですが。)
- 160 :こさかな:2005/08/29(月) 23:35:38
- 虚無せんせ、ただいま、ですにゃ!
>この問題は、いっぱんに自然な観念の、科学的な洗練、多くの場合数理的な
>再解釈ということになろうが、「数理的な再解釈」とは何なのか
>(そのなかには落体現象も含まれる)、それはいっしゅの隠喩なのか、
>(たんに指示物のちがい、という解決はいただけない)
以前、生成スレで仇閣下へのレスだったかどうだったか、自然数の数理的
解釈について、0に{0}=1を再帰的に足していくというような定義に対して、
ウィトゲンシュタインは演算子Ωの適用回数=自然数というような話を
虚無せんせ、してませんでしたかにゃ?ウィトゲンシュタインのスタイルは
たしか数学に対する論理主義とは袂をわかっていた、と理解しているのです
にゃが、この点については論理主義的な気がします。ただよく理解してない
だけの気が・・・しかしもしこの理解でそう外れてないとしたら、ペアノ算術は
やはり「単に指示物の違い」というところに落着きそうな気もしないでもないです
にゃが、0に限りなく近い小さな数の存在定理は論理主義的か?
しかし数学に対する論理主義は数学者からの反発も強いようですし、
というか、なぜか生産的な数学者は数学的プラトニストばかりのような気も
する。結局直観主義だなんだといっても数学的プラトニストの中の
一スクールではにゃいのか。
- 161 :こさかな:2005/08/29(月) 23:36:12
- まー私は自称「なんちゃって数学的プラトニスト」ですが、虚無せんせは
真性数学的プラトニストとして、フッサールがまた数学的プラトニストで
ある、というのは、同じ「プラトニスト」でも大きく乖離がありそうですにゃ。
フッサールが数学的プラトニストというのは不勉強で、今まなびますた・・・
しかしそれはなんとも意外な・・・しかしそれが再-現前としての
イデア論なのでしょうか。にゃ。
言語と貨幣のアナロジーについては、前になんという人だったかの
『貨幣論』だかなんだかという本を読んで、へー、と思ったことが
あったのですが、どこにあるか、探し出してもいちど勉強してみますにゃ。
いや、ここでは言語とのアナロジーではなかった・・・イデア=金。
兄弟の子供にinborn error of metabolismの可能性がある、とか今日の午後に
いわれ、頭がぐじゃぐじゃなままあちこち車をはしらせていたのですにゃが、
医療関係の知り合いとかにそれほど大事ではない、と教えてもらい、全身に
血の気が戻ってきますた。やっぱり仏様は毎日おがまないといけないのかにゃ・・・
- 162 :こさかな:2005/08/29(月) 23:42:00
- >158-9氏へ
sage進行でおながいしますにゃ。underground音gag雑談スレ
(including musico-linguistic harmony notes vs. anarchy notes)
なもんで。
- 163 :こさかな:2005/08/30(火) 00:02:23
- ところで、数学者は無限は手玉にとるけど、ものすごく大きい数では
何が起こっているのかわかんない、って恐怖心があるみたいな話、どこかで
みましたにゃ。たぶんそれには素数の分布とかの話も絡んでるんでしょうけど、
言語学者はそういうことはないのかにゃ?以前から、たとえば依存で介するbounding nodeの
数が1だといいけど、それ以上だと+nでnだけ適格性がdegradeされる、という
ことはあるけど、そこに3だとどうだ、5だとどうだ、っていうことは
ありえないだろうなー、と思ってたんですけど、Syntaxって雑誌に
そういうことに認知心理学でいわれる7が記憶という点から関係してくる、
という話があって・・・意味論スレでちょっと書きかけてなげちゃったん
ですにゃが、そういうことがあると、ある操作とかそれに関する制約に
ついて、「数える」ってことは関係ないと一般に言われているわけですにゃが、
すごく大きい数ではなんか起こっている可能性があったりして、とか
おもったりして、ですにゃ。ただ事実上、そんなものは実践上現われない
わけですから取り上げられないか、取り上げる意味が見出せないものな
わけですにゃが、無限については普通に、というか安心してやってるけど
(中には「定義に無限を組み込むのはなぜ?」とかいう人もいますけど)
数理言語学的関心から離散無限ということを考えたとき、それとともに
離散「すげーでけー数」みたいのをやってもいいのではないかと思う。
Chomskyは意味ねー、っていうでしょうけどにゃ。
- 164 :こさかな:2005/08/30(火) 00:14:33
- なんか形式言語gagと哲学の話が同時にすすんでると、それを
やってたJean-Claud Milnerを思い出しますにゃ。確か『不分明な名』という
タイトルで邦訳がでてたとおもいますが、かってにゃい。形式言語学というか
生成文法では手元にde la syntaxe a l'interpretationという本があって、
量化表現をよく扱ってましたにゃ。あとNicholas Ruwet。数年前に
お亡くなりになって・・・Ruwetの古い本で生成意味論の良質の概説みたいのが
あって、そこには統語論でもpurpose clauseに関する重要な観察が
あったり。若い頃はそんな言語学者を憧れのまなざしでみていたにゃー
今は自分の限界を知ってしまったし・・・
- 165 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/31(水) 06:05:42
- いろいろ述語上の混乱がわざわいしてるにゃ…
えーと、ここは哲学のスレではないので、まあ、どうでもいいといえばどうでもいいんだけど、
まずはイデアが質料性を免れているゆえに、非-時間的であり、なにもそこなわれることなく再現前可能であり、
そこのところは観念論者の共通の符丁のようなもので、フッサールはそこのところを幾何学のなんとか、
幾何学の起源かなにかで説き起こしたらしいので、ここのところが一般的な「プラトニスト」っぽさで、
ウィ(ry)かなにかがめのかたきにした「数学的プラトニスト」ではないにゃ。
「なにも損なわれることなく再現前」というご都合主義が、デリダのしゃくにさわったところで、それが<声>。
てなわけで、エクリチュールはイデア性一般の批判になるわけだが、そこに数学の<厳密性>もからんでくるところなのにゃ。
うえのほうに「数学的直観」の語がみえるが、このように「数学的判断」とか俗に言う「数覚」とかと交換可能な文脈で
「直観」の語を用いると、わたしの意図したものとはかなり異なってくる。
直観なき数学が、「判断する主体なき数学」みたいな意味のなって、人間がいなくても円周率は決まっていたか、
みたいな、夏休みの終わりにふさわしいようなひまつぶし哲学談義になっちゃうにゃ。
(このスレは、むしろ人生の終わりにふさわしいようなひまつぶし哲学談義。ややオヤジむけ)
まあ、純粋直観とことわればいいのだけど、一般にある判断はさらに単純な判断に分解され、
最終的には、疑いようもないほど単純で論証の余地すらない真理の層につきあたるが、これが「直観」、
フッサールのよくだす例では、色の表象は必ず延長をもつとか、直線の表象がどうとか、そういうのにゃ。
だから、直観なき数学といっても、必ずしも人間不在の数学ということにはならないのにゃ、わたし的には。
ちょっと理屈っぽくなっちゃったけど、事情により今日はここまで。
音楽と、なにもかかわりがなくなったと思われるむきもあるかもしれないけど、音楽に言語的な位相があるとすれば、
意味なき純粋形式のようなもの。この議論は、それほどスレのテーマからはなれていないと思う。
- 166 :こさかな:2005/08/31(水) 08:10:43
- ほとんど書きなぐりな私は、厳密を期そうとしてもなんか出鱈目になって
しまう・・・とほとんど開き直り的なことをいいつつ、反省。
>だから、直観なき数学といっても、必ずしも人間不在の数学ということには
>ならないのにゃ、わたし的には。
実はこの点についてずっと虚無せんせを理解できないでいると思うのにゃ。
単純な椰には、だから虚無せんせがコギトを復活させようとしているように
見える場合がある一方で、「人間がいなくても円周率はきまってる」という
ような主張をする人、あるいは人間がいなくても言語は存在する、というような
モンタゴヴィアン普遍文法の話をしているように見える。単純な椰=こさかな。
しかし、だからといって虚無せんせにこの点をはっきりしてほしい、とは
思わないのにゃ。この「?」が私をこのスレにいざない、つなぎとめ、
虚無せんせのことばに耳を傾けさせているもののような気がしますにゃ。
>音楽と、なにもかかわりがなくなったと思われるむきもあるかもしれないけど、
>音楽に言語的な位相があるとすれば、 意味なき純粋形式のようなもの。
>この議論は、それほどスレのテーマからはなれていないと思う。
私もそうおもいますにゃ。というか、虚無せんせにデリダの戦略を解説して
いただいているような申し訳なさとともに、実は前に虚無せんせがすすみかけて
口をつぐんでしまった原理論(の一つ、おそらく)にさしかかっているように
うけとってますにゃ。
- 167 :虚無好き ◆DQNDQN20hs :2005/08/31(水) 17:56:19
- あぁ、もうレスが…。どうもですにゃ。
>厳密を期そうとしてもなんか出鱈目になってしまう・・・
そりゃわやしですがにゃ。わたしの立場がなくなってしまうにゃ。
で、わたしがコギトを復活させようとしている、というのは、ちょっとちがうんだけども、
まず、あまり気が進まないけど、20世紀にはいわゆる「無意識の発見」と俗にいわれるものがあって、
フロイディズムと連結しているところが非常に不快なんだけど、そのほか構造主義の<季節>みたいなものがあって、
結果的に原理的に意識にのぼらないような(しばしば数学的に記述される)プロセスが、認識に直接・間接的にコミットしていることは、
チョムスキー信者でなくても、かなりひろく理解されていると思われる。(音楽認知も格好の一例)
そして、意識にのぼらないのに、<わたしの認識>の一部として原理的に機能しているナニカが関与せざるをえないということは、
デカルトの正統な後継者としての現象学にトドメをさすにほとんど十分なのじゃないかにゃ。
ここにおいて、パラダイムだか、フーコーによるエピステーメーの断絶だかと同様の、通約不可能性があるにゃ。
事実上、色彩の認識を含むような意識について、
内 省 に よ っ て 見 通 し が き く という考えは、
現代では、相対的にせよ、もはや<異文化>のようになったような気がするにゃ。
だからこそ、いまごろフッサールなんか読んで、いっしゅの感慨をおぼえているにすぎないのにゃ。
それはあるしゅの屈折した感情で、まあ、半分バカにしているのだが、フッサールの救われない生涯のことを考えると、
いわくいいがたしというか、あんまし感情的なコメントをいう気がしなくなるにゃ。
とりあえずコギトの復活も、絶対的明証性みたいな亡霊のような概念も、内省から得られるという意味からは、
あと、「心理学」(現代的ないみでも、通俗的ないみでも)のいちぶとしても、まったくありえないにゃ。またくるにゃ。
- 168 :こさかな:2005/08/31(水) 19:27:45
- いえ、こちらもレスどもです。
>とりあえずコギトの復活も、絶対的明証性みたいな亡霊のような概念も、
>内省から得られるという意味からは、 あと、「心理学」(現代的ないみでも、
>通俗的ないみでも)のいちぶとしても、まったくありえないにゃ。
なっとく、というか復習しますた。
ちょっと私の飲み込みが悪いためにお手を煩わせてしまっている
ような気がしますにゃ。一巡りして、最初の地点に戻らせてしまって
いるような。しかし虚無せんせがフッサールについて言わんとしている
ことははっきり理解したと思いますにゃ。
ではまた。またまたーりとよろしくお願いしますにゃん。
- 169 :こさかな:2005/09/10(土) 00:37:48
- 欲しいときにでて来ない拙者の本。大して山となしてない蔵書の
塊のなかから見つけたでやんすよ
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(木田元訳)。
付録二の「幾何学の起源」、暇見てよもーっと。
そういえば関係ないですが、小松英雄せんせの本(一般向け)を立て続けに
二冊よんだのでつが、なんか感銘うけたっす。かつて教えを受けたせんせの
せんせなのでつが、全然スタイルが違う・・・謎
で、詩歌の分析に基づいて古典文法を構築することには慎重に、とのことで、
しばらくその方面に興味を持っていたので欝 このスレとしては詩歌の
分析でいいわけでつが
なんとなく保守。仕事のため期日前投票に行ったら選挙人名簿に名前が
なかた。俺はもしかして在日外国人だったのか・・・躁
- 170 :虚無好き:2005/09/19(月) 05:47:32
- 幾何学関連では、E・カッシーラー『実体概念と関数概念』(みすず)からひとこと。
(この本はどこをとってもおなじ主張の繰り返しなので、引用箇所には事欠かない)
「この意味で(個別の実体概念から、論理的産出的な関数概念への流れ:虚無好き)近代幾何学は、
『間(あいだ)』という一般的関係のような、最初はそれ以上分解不可能な感性的存立であるかのようにみえた関連を
そのような制約(感性的所与として究極的単純であるから、それ以上に原理的な連関を求めることは不可能だという憶測
からくる制約:虚無好き)から解き放ち、自由な論理的使用にまで高めようと努めている。」
「この拡張によってわれわれは、間(あいだ)の概念を、当初それが理解されていた直観的内容から独り立ちさせ、
それが指している関係がもはや直接的・直観的相関物(この「相関物」は、<指示物>ということでいい:虚無好き)を有さない
ような系列にも適用することができるのである」p.105
以上のことから、「直観を必要としない」数学的概念がいかなるものか、わかっていただければさいわいなのであるが、
この書物は数学の無矛盾性の危機の以前に書かれたものであるし、いくぶん時代がかっていることも認めなければならないだろうにゃー。
おおまかにいえば、引用のなかで言われているような<関数概念>を
自然言語の構造の記述にもってこれるかというところがおもな関心となるにゃ。
昨日、サンプロで櫻井先生を見たにゃ。軍事リアリストのわたしにとって、
ただただ頭のさがる思いでしたにゃ。小泉の季節が終わったら、政界入りしてほしい。
平和ボケ憲法をあぼんして、「砲艦外交」を展開してほしいにゃ。
- 171 :こさかな:2005/09/19(月) 08:23:32
- 虚無せんせ、おはよっす&ありがとうございまっす
>最初はそれ以上分解不可能な感性的存立であるかのようにみえた関連を
>そのような制約(感性的所与として究極的単純であるから、それ以上に
>原理的な連関を求めることは不可能だという憶測 からくる制約:虚無好き)
>から解き放ち、自由な論理的使用にまで高めようと努めている。
「直観を必要としない」数学的概念、わかりますた。
でも、これは私にとって、日常的感覚から離れた科学的概念を論理的に
問題なければ創造的につかってもよい、というようなこととの区別が
つかにゃい。写像の理論は、やはり妥当性のほかに審美的観点からも
選ばれるのでしょうから、これは数学者の直観を使う領域が増えただけ、
という気がしてならないですにゃ。ブルバキ流の数学は公理主義
(なんかこの訳はだめ、ってどっかで読んだ希ガス)
を数学全般を覆わせ、数学研究のスタイルを変えたと思うのですにゃが、
やはり直観なしということにはならないと思いますにゃ。
無矛盾性も、数学者が真であると知っていながら証明できない命題が存在する、
ってことじゃなかったでしたっけ?Erdos Paulは不完全性定理を
数学の限界ととらえるのではなく、むしろ数学者の直観をある方法では
汲み尽くせない、と捉えるべきだと言ってたとか。
むぅ、もしかして「直観」の定義の問題?
- 172 :虚無好き:2005/09/20(火) 07:21:27
- むにゃむにゃ。観念論とはいえ、かなり穏健なぶぶんを援用しただけに、
理解がえられなくて非常に遺憾。
>日常的感覚から離れた科学的概念を論理的に
>問題なければ創造的につかってもよい、というようなこととの区別が
つかにゃい。
そんな区別は、そもそもいらんにゃ。てゆーか、そのように創造的につかうのがもっぱら数学の操作となるにゃ。
さもなければ、現実世界に照応する実体がないという理由で、4項以上の乗算を拒否したギリシア人と、
実質的にはおなじことになってしまうにゃ。
直観の定義のちがいということはありうるが、わたしはこの語を、あまりに単純で明晰なゆえに、
論証の必要がないような真理の看取という意味で用いており、それは数学史のなかでしばしば裏切られてきたものにゃ。
この「裏切られる」の意味は、自然科学が日常的な自然理解を瓦解させるみたいなコペルニクス的ナントカとはまったくちがい、
わざわざ直観的真理にもとる公理から出発しても、十分ゆたかな体系が導出できるということであり、
まあ、例のおなじみの事実にゃ。(あまり言いたくない)
20世紀におこった数学上の転換といわれるものが、この見解と矛盾するとはとても思えない。
「事象にかえった」フッサールは、負け組にゃ。
不完全性定理は、無矛盾性と完全性のいずれかは犠牲になることを示したのであり、
それが予言している<未決定な>命題について、構成的に示しているわけではないにゃ。
なんらかの「インスピレーション」で、数学者がそれが真であることを「知っている」としても、
ここでの議論とはあまり関係ないにゃ。
- 173 :こさかな:2005/09/20(火) 22:48:20
- >むにゃむにゃ。観念論とはいえ、かなり穏健なぶぶんを援用しただけに、
>理解がえられなくて非常に遺憾。
ガーン!(;д; )
でもこのカキコはよく理解できたと