日本語と日本人の主客融合性について その2
- 1 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 00:57:54 0
- まだまだお話は尽きないようですね。
まあ、ぼちぼち行きましょうか。
- 2 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 02:42:29 0
- アナタハ主客ユーゴーヲ信ジマースカ?
ワガ主客ユーゴー教ニ入信シナサイデゴザイマース
- 3 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 04:54:27 0
- ユーゴーにかけて、ヴィクトル・ユーゴーのウィキペディアより、
主客融合のレッテルを貼られてしまいそうな手紙のお話。
> 最短の手紙
本作品が出版された直後海外旅行にでかけたユーゴーは売れ行きが心配で出版社に一文字で「?」と書いただけの手紙を送った。
出版社からは「!」の返事が来た「上々の売れ行きです!」というわけである。
事実数日で完売・売切れの状態であったという。これが世界でもっとも短い手紙となっている。
- 4 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 18:07:10 0
- っ柿
- 5 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 20:20:50 0
- 前スレで「内閉的」という言葉を使っている人がいたね。
確かに、主客融合することで
一体的、内閉的な空間(ムラ)ができる訳だから
「主客一体性」とか「主客内閉性」と言うこともできるよね。
ムラ的な空間のどういう性質に注目するかによって
呼び名も変わるってことかな。
全部まとめて
「主客融合的一体的内閉的な性質」って言うと長すぎるしなぁ。
一言で言うと「ムラ的な性質」 …かな?
「ムラ」=主体と客体が融合している一体的・内閉的な場所や空間のこと。
- 6 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 20:26:09 0
- 社会学の「ムラ」やら「ウチ」やら「ソト」やらの用語自体がうさんくさく思える。
それを言語に適用するのはもっとうさんくさく思える。
日本と欧米、日本語と欧米語の違いを都合よくそういう用語に押し付けて満足していて、
日本と欧米、日本語と欧米語以外の社会や言語のことを説明できないのではないか。
あまりに単純な二元論ではないか。
例えば東南アジア、中東、アフリカ、中央アジア、北米先住民、南米先住民、南アジア、
ポリネシアなどの社会や言語にその論を適用することはできるのか。
西洋と東アジアとの対比でしか成り立たない論ではないのか。
- 7 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 20:56:00 0
- どの言語もラングの構造自体が「ムラ的」と言えるのだから、
ほぼそのラングを共有していない「その言語話者以外」の話者から見れば、
どんな言語に対しても「自分はよそ者」と感じるということ。
そこを無視して、日本語がよりムラ的だという根拠がわからない。
「そのラング共有者が少ないこと」が「主客融合的言語」ということなのか?
話者人口が増えればムラからシやケン、クニなどに進化するってことですか。
日本語話者数って、結構上位のほうにいたと思うけど?
- 8 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 21:00:26 0
- 何がシムラケンクニ子だ
- 9 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 21:00:26 0
- >>6
それ、社会学の用語じゃないし、ここでその言葉を使っている人は独自の意味で使っているのでは?
- 10 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 21:07:44 0
- 独自で使ってるならなおさらのこと、その言葉の定義が必要なのにそれを示しもしない
前スレ参照が前提の話を続けるのだから、>>1-5あたりに前スレの要約をまとめるなり
少なくとも前スレURLを貼るべきだと思うのだが、それもなし
自分勝手な解釈が大好きな主客融合教信者の、他人のことを考えない自己チュー性がよくわかるスレだ
- 11 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 21:17:06 0
- 民俗学の用語を借用していると思われるが、どうやら民俗学の知識はないらしい。
- 12 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/13(月) 22:17:32 0
- >「ムラ」=主体と客体が融合している一体的・内閉的な場所や空間のこと。
これで何かを説明している気になってしまっているなんて、学問向きではないと思うよ。
- 13 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 02:10:51 0
- ttp://20541590.at.webry.info/200803/article_4.html
「空気読め」は主客融合とか言ってたっけね。
主客融合じゃない言語ってどんなだ?
- 14 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 03:21:53 0
- 不文律が多すぎるのが日本社会の問題なんじゃないの?
何ごともビジネスライクにいかないっていうか。
不和や対立を放置できないのもおかしい。
暴力沙汰にでもなれば不法行為として処理できるわけだから、それまではほっとけばいいんだよ。
他人と衝突するのが平気な者は、極悪人のように言われる。
人間は多面的な存在なのに、「一事が万事」的なとらえ方をするのも間違っている。
ただ、それらと言語とは無関係だと思う。
インドの上流階層の第一言語は英語だが、彼らの価値観は決して英国的ではない。
在日韓国・朝鮮人には日本語しか話せない人が多いが、日本人との価値観の違いから、一部の日本人に嫌われている。
仮に、英語を無理やり日本の公用語にしても、対立を恐れてはっきりものを言わない、
「英語日本方言」が発生するだけだろう。
- 15 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 05:03:33 0
- >>14
前半は賛同できかねる部分もあるが、後半はまぁ、そうなるだろうな。
- 16 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 12:47:32 0
- >>14
>ただ、それらと言語とは無関係だと思う。
>インドの上流階層の第一言語は英語だが、彼らの価値観は決して英国的ではない。
>在日韓国・朝鮮人には日本語しか話せない人が多いが、日本人との価値観の違いから、
>一部の日本人に嫌われている。
言語とそれを使う人々との間に一定の関係があるといっても、
その結びつきの度合はいろいろにありうる。
↑のエピソードがことばと文化の結びつきを否定することにはならないよ。
- 17 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 14:21:35 0
- >>14
> 不文律が多すぎるのが日本社会の問題なんじゃないの?
> 何ごともビジネスライクにいかないっていうか。
> 不和や対立を放置できないのもおかしい。
> 暴力沙汰にでもなれば不法行為として処理できるわけだから、それまではほっとけばいいんだよ。
欧米人が本当にそれまでほっとく派なのかも疑問だけどね。
犯罪予防対策やらいじめ予防対策に彼らは日本社会より消極的とも言えないと思うよ。
いじめがエスカレートして法に触れるまでほっとけってことなら予防対策なんて必要ないけど、
欧米でもやはり日本同様にいじめが問題になっていてコミュニケーションの指導まで行っている。
ノルウェーのいじめ学者として有名な人の対策本を読んでご覧よ。
子供の人間関係や性格にまで踏み込んだ、仲良し計画みたいな、かなり介入的な指導を提唱している。
> 仮に、英語を無理やり日本の公用語にしても、対立を恐れてはっきりものを言わない、
> 「英語日本方言」が発生するだけだろう。
2ちゃんねらーは日本語を使っているけど、対立を恐れてはっきりものを言わない人ばかり?
>>16
> 言語とそれを使う人々との間に一定の関係があるといっても、
> その結びつきの度合はいろいろにありうる。
そうすると、なぜ日本の「場合に(かぎって?)は」、インドなどの場合とまったく対照的に、
言語と自我や社会構造との関係が「密接」といえるのかを、さらに証明しないといけなくなるよね。
- 18 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 14:39:59 0
- >>17
インド人にとっての英語と日本人にとっての日本語を同列に扱う
という、そのあなたの前提は正しいのか?
- 19 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 14:45:17 0
- フィリピン人の英語も?
- 20 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 15:08:05 0
- >>18
>>14が言っているのはインド人一般ではなく、インド人の上流階層。
インド人上流階層にとっては英語が第一言語ということは即ち母語として話されている
ということでしょう。
上流階層は大変流暢にクイーンズイングリッシュを話すという話もあるらしいからね。
インド人一般についていえば、ご存知のように、インドは大国だから何十もの言語があって、
インド・ヨーロッパ語族に属するヒンドゥスターニー語系のヒンディー語などの諸語から、
ドラヴィダ語族に属するタミル語などの諸語まで、系統が違うと考えられている言語群がある。
インダス文明を築いた人たちはドラヴィダ語族らしく、ドラヴィダ語はウラル=アルタイ諸語
に近い特徴をもっているそうな。つまり、一方はヨーロッパ的、もう一方はアジア的な言語。
- 21 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 16:51:12 0
- >>13
W.A.グロータース氏によれば、
日本語でいう「間が悪い」に相当する表現が
英語や仏語にはないというのは嘘で、
仏語では、
Comme c'est ge^nant.
英語では、
It is quite embarassing.
One is quite put out.
とか表現するらしいね。
- 22 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 16:54:41 0
- 「自分たちの文化は世界に類をみない個性的文化だ」などと思い込む前に
もっと外の世界=世間について知ろうってことだね。
- 23 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 17:26:36 0
- >>21 あ、スペルミス。正:embarrassing
- 24 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 19:08:29 0
- >>20
日本語としては「ひちがつ」が正しいが、レッドブックの「なながつ」も間違いではない
ただ朝鮮人や関西人が良く使う「しちがつ」は明らかに間違い
これを使っていると日本人である事を疑われるので気を付けるように
- 25 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 19:37:02 0
- >>24
なんの意図があるのか知らんけどコピペ乙
- 26 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 19:50:07 0
- >>24
「七」の音は「しち」であって、
「ひち」は江戸訛り。
中世の「シ」はtSiのような音で
中世中国語の「知客」を日本で「しか」と読んだ。
唐末〜中世中国語の面影を残す広東語で
「七」はツァッ(ト)
//arts.cuhk.edu.hk/cgi-bin/canton-new.pl?query=%A4C
- 27 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 20:16:09 0
- 誤爆にマジレスすなw
- 28 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 21:00:20 0
- インド人の英語。
IがYOUの意味としても使われるとかあるけど。
ttp://kykshnhiro.blog68.fc2.com/blog-entry-18.html
ttp://love-curry.seesaa.net/article/17991037.html
- 29 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 21:03:26 0
- >>5
ここのスレタイは
「日本語と日本人の、『村社会性』について」とも言えるかな。
「村社会」って言葉、広辞苑にも載って認知されてきてるし
「主客融合性」より「村社会性」のほうがわかりやすいかもね。
「主客融合」って言うと
曖昧で混沌とした(神秘的で根源的な?)イメージがあるし、
「主客一体」って言うと
「団結」とか「結束」とか「絆」といった「かたまり」のイメージあるし、
「主客内閉」って言うと
外の世界はどーでもいい、ってイメージがあるかな。(?)
どれも日本的集団(村社会)に特徴的な性質だよね…。
- 30 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 21:12:49 0
- >>29
まったくわかりやすくなってなくて笑った
- 31 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 21:13:52 0
- 流暢なクイーンズイングリッシュ、キングスイングリッシュを話すのは
インド人の中のごく一部の上流階級出身の人たちでしょう。
- 32 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 21:28:35 0
- >>31
で?
- 33 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 21:29:16 O
- >>17
> 子供の人間関係や性格にまで踏み込んだ、仲良し計画みたいな、かなり介入的な指導を提唱している。
それはご苦労なことだねえw
おれが思うに、欧米のいじめの方が日本よりさらに凶悪なので、さすがにほっとけなくなったのでは?
やられたらやり返さないと、いじめは絶対止まらない。いじめ抜かれるよ。
だけど、やり返す前にいじめ殺されてしまったら、どうしようもないもんね。
> 2ちゃんねらーは日本語を使っているけど、対立を恐れてはっきりものを言わない人ばかり?
リアルでは全員そうw
2ちゃんねるが出来てはっきりものを言う日本人が増えたという話は、全く聞かない。
ヴァーチャルはリアルとは無関係で、リアルに対して何の影響も与えないんだよ。
- 34 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/14(火) 22:54:13 0
- むしろ「対立を恐れて」言語の使用形態を変えているとすれば
それは欧米諸国語だという印象があるけどな。
多くの文化が入り乱れていて、「言わなくてもわかるでしょ」が通じないから
日本人からすると不必要だと思われるようなところまでハッキリ言うようになった
とかいう説を読んだ気がするし。
- 35 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 00:32:48 0
- 西洋人は「わけがわからない」ことを恐れるんであって、対立は恐れてないだろう。
反目しても実害が小さければ気にしないし、大きくなれば相手を潰しにかかる。
ジェームズ三木によると、西洋型のヒーローは「敵を倒す人 (トラブル自体は永遠に続く)」、
日本型のヒーローは「トラブルを解決する人」なんだそうだ。
- 36 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 04:37:42 0
- >>32
だからそこで話題にしている対象をはっきり限定しないと意味がないということ。
つまり、>>14が言っているのは流暢な英国英語を第一言語として身につけた一部のインド人上流階層に
ついて言及しているんであって、インド人一般の英語(訛りのつよいインド英語)ではないでしょうってこと。
- 37 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 04:54:21 0
- >>33
> 2ちゃんねるが出来てはっきりものを言う日本人が増えたという話は、全く聞かない。
> ヴァーチャルはリアルとは無関係で、リアルに対して何の影響も与えないんだよ。
あなたが>>14ならば、日本語とは関係ないと書いているので話は別だけど、
もし仮に日本語がそういう日本人の心性があるとして、それに密接に関係があるというならば、
たとえネットであろうと日本語で会話している日本語のネイティブスピーカーであることには
変わらないわけだから、日本語で話しているその現場でその傾向は顕著に出るはずでしょう?
もしリアルでは違うというのなら、言語以外の何かべつの要因がからんでいる可能性が高い。
要するに、リアル面での要因が日本人の発話行動に影響を与えていると考える以外にないのでは?
その意味では>>14を支持するという話ですよ。
ただし、
リアル面でも本当に日本人が対立を嫌って意見を言わないかどうかはちょっと微妙な問題だと思う。
米国の法律の専門家の一人によれば、日本の訴訟件数が多いというのは間違った認識であるらしいし、
日本の国会やディベート番組とかを見ていても白熱していてちっとも同調的じゃなく、対立のための
対立みたいになっている感さえするしw
たしかに欧米人よりも「口下手だ」という印象はあるけれども。
- 38 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 04:55:32 0
- 訂正:
米国の法律の専門家の一人によれば、日本の訴訟件数が少ないというのは間違った認識であるらしいし、
- 39 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 05:13:55 0
- >>34
日本人が>>14の言うような性質を本当にもっているとして、
そうすると、日本が外国人移民をどんどん受け入れて移民大国になれば、
その性質は自然に変わっていく、つまり対立を好む社会になっていくだろうってことかな?
日本のディベート番組に外国人がたまーに参加していることがあるけど、
デーブ・スペクターさんは例外としてw、日本語での議論ということの言葉の壁もあるとは思うけど、
そういう人たちが日本人以上に辛口で、対立的であったという印象はほとんど抱かないけどなあ。
むしろ外国人のほうが遠慮がちで日本人のほうが対立を殊更に煽って外国人を戸惑わせていたりする。
>>35
そういえば、それ、誰かもどこかで言っていたなあ。
具体的にどのヒーローを指して言っているのかいまいち定かではないけれども。
- 40 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 05:21:22 0
- >>35
なにをもって「対立」とするかでもまた違ってくるんだろうけど、
その「わけがわからない」ことをなぜ恐れるかとなれば
そのことによって起こる「対立」を避けるためという所まで考えられるかと。
ちょっとした誤解や意味不明瞭さが、大きなトラブルになりやすいのが
「まぁ知らない仲でもないし許してやるか」的な許容範囲が小さい
価値観が違いすぎる人達があふれる多民族国家であるとも考えられるし。
「避ける」と「恐れる」は違うとかいう話になればまた別のことなんだけども。
- 41 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 05:35:59 0
- >>39
なんで>>34から「対立を好む」ということになるのかよくわからん。
- 42 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 06:05:01 0
- >>41
いや、>>35が>>34の続き(連続投稿)かと思ったもので。ちがうの?
> 西洋人は「わけがわからない」ことを恐れるんであって、対立は恐れてないだろう。
> 反目しても実害が小さければ気にしないし、大きくなれば相手を潰しにかかる。
>>35
この比較は、日本人よりも西洋人のほうが対立を好むだろうという話でしょ?
つまり、日本人のほうが対立を嫌うと。
- 43 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 06:39:56 0
- >>42
>>35はあきらかに>>34への反論だろう
内容逆だし
- 44 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 09:08:27 0
- 比較的言語学寄りな話が出来て、
一応聞く耳をもっていそうなもう一人の主客融合論者はスレその2には来てないようだね。
>>29のようにまったく具体性のない言葉遊びに逆戻り。
- 45 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 09:15:33 0
- キャラ二つ使い分けているだけじゃね?
言っていることは一緒だし。
社会学板とかでも>>29が批判を受けると
必ず助け船を出していたから、必ずまた現れるはずだよ。
- 46 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 10:14:50 0
- だからさあ、なんで日本と欧米、日本語と欧米語との比較の話に終始するの?
お前らの世界は日本と欧米しかないの?どんだけ欧米コンプレックスなの?死ぬの?
- 47 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 10:28:21 0
- 欧米は個人主義の国、日本は全体主義の国。
その証拠は、日本人の母子密着型(母子未分化型)の自我構造、
と日本語の主客融合的構造に見出せるの。どう、分かった!
- 48 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 10:51:43 0
- >>47
母国語でおk
- 49 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 11:31:31 0
- 日本人特殊論が日本をダメにする
ttp://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzv000018082006
- 50 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/15(水) 22:51:07 0
- 取り敢えず、前スレを貼ってみる。
日本語と日本人の、主客融合性について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1183141496/
- 51 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 05:16:21 0
-
ね え お 母 さ ん
主 客 融 合 っ て な あ に ?
- 52 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 08:34:51 0
- >>51
それはね、ママと自分の区別がついていない赤ちゃんのときのことよ。
赤ちゃんは自分とママの区別がはっきりついていないのよ。
だから、ママが笑えば赤ちゃんも笑うし、ママが泣けば赤ちゃんも
涙をぽろぽろ流して泣くのよ。難しい言葉でいうと自他未分化の状態なの。
日本人はその赤ちゃんのときで精神的に成長が止まってしまった大人たちなの。
だから日本人は大人になっても甘ったれていると言われるのよ。
あなたも赤ちゃんみたいにママに甘えてばかりいると日本人みたいになっちゃうわよ。
早く自立しなさい。
- 53 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 08:46:56 0
- 何その宗教。
- 54 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 09:04:37 0
- >>52
それと言語学とどう関係があるのお母さん?
まさか他の板と未分化な状態じゃないよね?もう大人なんだよね?お母さん?
- 55 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 09:10:43 0
- >>54
坊や、お話はここからよ。
その証拠のいくつかが日本人が使っている日本語のなかに見出せるとママは考えているのよ。
日本語ははっきり言えば「赤ちゃん言葉の一種」なの。赤ちゃん言葉に似ているのよ。
- 56 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 09:27:56 0
- >>55
それならそうと、まず言葉遊びをやめて
なにがどうなるのを赤ちゃん言葉だとあなたが思っていて
日本語のどこがどう赤ちゃん言葉なのかを、きっちり分化して他である我々に示してくださいよ。
そのいくつかがそうだったとして、それがどうして日本語全体の問題になって、ひいては日本人の問題になるのかも。
自分がそう感じるのだから他人もわかるはずというような、自他未分化な曖昧な説明にはうんざりです。
- 57 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 09:32:28 0
- 坊や、何度説明したら分かるの? そのことについてはもうさんざんお話してきたでしょ。
- 58 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 10:13:16 0
- >>57
前スレでのそのお話が別の意味で"さんざん"だったがゆえに、こうしてもう一度伺っているのですがね。
それに「赤ちゃん言葉」なる用語は、前スレでも出ていない新しい「主客融合」の定義ですよね。
またそのような意味の掴み辛い曖昧な短い言葉に定義を変えるとなれば、
それについてまた更にどのようなものかを述べるのが、起論している者の態度として適当かと思いますが、どうか。
仰るとおり「お話はここからよ」なのであって、「お話はここまで」で納得できる人はあなたの脳内にしか居ません。
- 59 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 10:31:33 0
- ttp://www.abysshr.com/mdklg010.html
ここを読んで、自レスを振り返って見てくださいね。
特に演繹的手法と、詭弁家のくだりを読み、自分に当て嵌まるところがなかったか省みてください。
- 60 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 13:54:00 0
- >>5の補足
「ムラ」=主体と客体が融合している一体的・内閉的な場所や空間のこと。
=心が一つになっている感覚共同体。
ムラの中は心が一つになっているので
ムラの外から見ると一つのムラが一個の有機体(生命体)のように感じることがある。
ムラの中に、心を一つにできない異分子が入ってくると
防衛本能から全力で抑圧・排除しようとする。 →日本的ないじめ
関連テーマ
「共依存」「全体主義」「互酬性」「クオリア」「空気」「純粋経験」など
- 61 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 14:00:04 0
- 全然補足にも説明にもなってないし死ねばいいのに
- 62 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 14:04:11 0
- 社会学板から来ている自作自演の粘着さんが約一名いるようですが
どうぞスルーしてくださいな。
マイペースで行きますので、どうぞよろしくです。
- 63 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 14:18:02 0
- MSN相談箱 日本特殊理論
http://72.14.235.104/search?q=cache:6ln2cxy3gfgJ:questionbox.jp.msn.com/qa729553.html+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%89%B9%E6%AE%8A%E8%AB%96&hl=ja&ct=clnk&cd=13&client=opera
- 64 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 14:31:09 0
- 日本人論と日本語論
ttp://torafuzuku.exblog.jp/2279591/
- 65 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 14:35:00 0
- オタク論と日本人論は似ている。
ttp://d.hatena.ne.jp/kaien/20070729
- 66 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 21:36:52 0
- ここでも同じような議論が・・・
なぜ日本人は幼児的なのか
ttp://www.nagaitosiya.com/a/japanology.html
- 67 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/16(木) 22:47:44 0
- フロイトはコカイン中毒だった 虚構の神話
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/19463508
精神分析学は麻薬による主客融合状態にあったフロイトによって創られたという話
- 68 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 04:25:21 0
- >>59を読んでも、あえて>>60のような表現を続けているということだろうか?
あなたの言う「ムラ」がそういうものだとして、
なぜそれが「日本的」に繋がるの?
多神教的な精神で、いろいろなものを受け入れてきたところもあるという考え方もできると思うけど?
一方の一神教的な精神が主な文化集団では、異教徒異分子を抑圧排除しようとする動きが
そこかしこで見られているようにも思うんだけど?
あなたにとってわかりやすい対比対象であろうアメリカで例えても、
学校では日本以上にジョックからナードまでヒエラルキーの階層がはっきりしていて
各個で「ムラ」を形成していると言えるだろうし、
逆にいえば日本人は集団ごとのムラという意識が薄く、
1クラス単位でムラ(もしくは集団ごとより人口が多いのだからシのほうが似合うか)とする意識があるから
排除される対象が少ないことによって、排除されてしまう側が目立つということだとも考えられる。
つまり「ある程度異質な人でも受け入れようとする都市的な意識」があるからこそ、
その「ある程度異質」の許容範囲にすら漏れるような人だけが
「別のムラ」に入ることすら出来ず取り残され、目立ってしまっているとも言えるのでは?
このように色々な解釈ができる程度の曖昧な言葉による定義で、「だから日本は」と安易に結論するのは
あまり分析的でない論のように思えますよ。
- 69 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 05:09:57 0
- クラス単位を人口が多いとしたのは誤謬があった。少ない場合もある。
「集団/ムラ」とするものの区切りの線引きがそれぞれの文化や人によって違うだけで、
そこに異質なものが入ろうとするのを拒む性質には、さして違いはないのではと考えます。
- 70 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 05:58:00 0
- 一神教
我々の信じる一人の神の名の下において、我々はひとつである。
- 71 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 08:08:54 0
- ひとつのもの(宗教・神・集団・村・個人・個性・ヒエラルキーのある階層等)に拠って立つ意識が強いからこそ、
二元論的にその対極にあると考えられるその他のものを区別や排除をするという行為が生まれるのでは?
そういう意味では、何を村とするかの括りの境界線の直径や形に差こそあれ、どんな文化にもあることではないのか。
- 72 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 08:15:07 0
- >>60を読むと、フロイトが唱えた自我の構造に近いね。
いわゆる防衛機制というのは心の免疫システムの発想に拠って立っているから。
- 73 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 08:20:30 0
- 言語学的話題から外れかかっているので戻すけど、
日本語は、他の言語、たとえば漢語や英語などを数多く吸収してきたし、
また、吸収しやすい言語構造を今なお持っているとされるのがそのとおりなら、
日本語それ自体は>>60のいうムラとはかなり対極にある語のようにも思えるけどね。
- 74 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 08:56:08 0
- 単純な質問なんだけど、日本語主客融合論者が思う
主客融合じゃない言語、つまり主客分離的な言語って何語なの?
- 75 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 08:59:38 0
- 英語は、人称による動詞の変化をなくしてきつつある語だといわれるね。
二人称の単数複数の区別をしないという話があったけど、あれも歴史的には新しい出来事。
この変化はいったいぜんたい何を意味するのだろう?
英語話者の意識や社会や文化に大きな変化が起こったことの証なのかどうか。
- 76 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 09:04:04 0
- >>75
ちなみに、アイヌ語では主格の人称どころか目的格の人称によっても動詞の形が変化するのだとか。
- 77 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 09:55:36 0
- 結局、言語の構造というのは、敬語の発達とか一部の側面を除くと
それほど社会構造とかに関係のないもので、それを何か密接な関係があるように
無理やり考えるからこんなトンデモ宗教が生まれるのでは?
- 78 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 11:28:18 0
- 「敬語」などとくくるからややこしくなるのだけど、それを「敬意表現」とするとどうか。
たまたま「敬語」という形あるものとして発達しただけであり、「敬意表現」自体はどこの文化(社会?)でも
それほど珍しいものではないはず。にも関わらず体系化された「敬語」という括りだけをことさら恣意的に抽出し、
それが無い、または少ないという他文化との比較のみによって、日本人の特殊性にまで結論を急ぐことに
トンデモなうさん臭さを感じるのです。
その「たまたま」がなぜ起こったかを考えていこうとするなら、まだ言語学らしくなっていくだろうと思うのに。
「敬語」のwikipediaを読んでみるといいかもね。敬語にもいろいろある。
主客融合論者がいうところの「敬語」の定義もまた、この議論において定まっていないということだろうね。
こんな一文もあったよ。
>英語の二人称代名詞である you も、もともとは敬称であったものが、
敬称でない thou が全くといっていいほど使われなくなった結果、敬称として意味を成さなくなったものである。
つまり、かつての英語話者が家族であろうと親しい友人であろうと常に敬称のみを使っていたために、
敬称でない形の thou が忘れ去られるに至ったわけである。
- 79 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 12:11:24 0
- >>77
まず第一にその点の問題がありますね。
それから、言語構造と社会構造とが密接に関係すると仮定した場合にも、
その結びつき方について明らかにしないまま、結びついているはずだからというということだけで、
部分部分を恣意的にとりあげてなんでも自由にその関係を頭の中で連想してしまうのでは、
どんなこじつけもできてしまう可能性がある。
それが恣意的でないことを論証するには、少なくとも、日本言語圏の社会だけではなく、
世界の多く社会を事例として検証していって比較する必要がある。でなければ論理的意味をなさない。
人称詞が多様な言語圏と、その社会のいじめの数や質とが密接に関係すると論理モードで言うためには、
逆に、人称詞が少ない言語圏の多くにいじめが比較的少ないことが「共通して見出せる」という事実を
なんらかの形で示さなければならない。いかようにも想像力だけで物を言えることになってしまう。
- 80 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 12:39:47 0
- >>79
「でないと」を書き忘れた。
正:でないと、いかようにも想像力だけで物を言えることになってしまう。
>>78
> 「敬語」などとくくるからややこしくなるのだけど、それを「敬意表現」とするとどうか。
> たまたま「敬語」という形あるものとして発達しただけであり、「敬意表現」自体はどこの文化(社会?)でも
> それほど珍しいものではないはず。
そうですね。
ソシュールのいう恣意的なシステム概念から説明できてしまうのではないかというのはそれで、
I love youの例で説明したような、同じことを表現する仕組みはどちらも同様に発達してもっているのだけども、
そのシステムの組み立て方が言語の構造上違っただけの話ではないか、と私も思えてならないのですけどね。
それから解釈の問題もあります。英文はIという一人称が義務的だからそれは自我が確固として独立してある
証拠だという解釈もありますけれど、いちいち明言するということは逆に、その話者の自我が極めて不安定で
分離不安を抱えている証拠で、そこから精神分析風に欧米社会を防衛機制で解釈してみせることだってできそう。
欧米諸語で主語を表すサブジェクトには動詞的用法として従属するといった意味がある(現代辞書に載っている)
ことから、欧米人の自我は常に目上の超越的な絶対者(絶対王や絶対神)と一体となっていないと不安で仕方ない、
そんな分離不安を抱えた依存的な自我であって、幼児期の発達段階で挫折を抱えた自我であり、それが欧米社会の
極めて侵略的、帝国主義的な覇権主義に反映しているなどとこじつけていくことだっていくらでも可能かもしれない。
- 81 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 13:05:18 0
- >>80
またお得意の「こういうようにこじつけることも可能だ」ですか?
は〜
- 82 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 13:30:14 0
- 精神分析論的な文学評論がだいたいその類いだけど、そうやって何でもこじつけて解釈できちゃう
ということ。だからポパーあたりも精神分析の言説の反証可能性に疑いをかけていたわけだし。
- 83 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 14:08:01 0
- >>81
そのような「ある他方の可能性」を示せるというような反論がないように
「その前提からはその結論しか導けない」と他者に納得させることができる論理的な記述をするというのが
ある理論を掲げる者としての務めだと思いますよ?
前スレで紹介しましたが、もう一度このURL先を読んで見てください。
ttp://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/2003/kiyo0309.html
特に6.論理=防衛力から7.さまざまな世界における防衛力までを。
あなたの前提やその定義や推論の記述に隙があるから、そのようなこじつけを許すのです。
あなたのその説もこじつけに過ぎないのじゃないの?という反論を許すのです。
その反論にただ嫌悪感を示す以外に何も明確な反論をせず、他者の反論の余地を残すのであれば、
それは自説を投げたと認識されることになってしまいますよ。
- 84 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 15:04:02 0
- そういう意味では、主客融合論者さん自身が、土居さんが言うような意味で「甘えている」のかもね。
客観的な実証性に訴えかけずとも、読み手が伝える側の感性をなんとなく汲み取って共感的に頷いて
くれることを期待している。論理が穴だらけでもその読み手側の共感意識が埋め合わせてくれると。
自分と世間感覚を同じくする共感的他者を前提にした上で、ドーナッツ論の人の言い方を借りれば、
論理モードというより日常モードに近いところで、ああだこうだと好きなように語っているにすぎない。
- 85 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 15:50:40 0
- >>84
>そういう意味では、主客融合論者さん自身が、土居さんが言うような意味で
>「甘えている」のかもね。
では、土居さんの「甘え理論」は、君に言わせれば甘えた理論ではないのか?
君は、要するにイチャモンをつけているだけのような気がするが。
君は、こちらが根拠を挙げようが、「そんなものはたまたまだ」と言い、
「こんな無茶なことだって言えば言える」と言い、
結局、どこにも自分の考えはない。
相手の考えに対する否定(ネガ)があるだけで、
ポジィティブにわたしはこう考えるというものが、どこにもないじゃない?
まあ、ぼちぼち前スレ最後の中断した議論を再開するので、よろしく。
ちょっとは聞く耳もってね。
- 86 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 16:03:16 0
- 追加
考えがないというのは、正確ではなかったかな。
君に言わせれば、欧米の言語に比して日本語の特徴と言えるものなどない。
両言語は、同質なのだということだよね。
じゃあ、逆に聞くが、敬語や終助詞や人称詞等の、
当方が日本語に認められる主客融合性(の高さ)のエビデンスとしてあげた
ものの存在は、君に言わせれば「たまたまでしょ」(!)ということになると
思うのだが、こんな説明のどこが学問的なのだろうか?
他人に対する批判の半分でもいいから、ご自分の考えに向けてはいかが?
- 87 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 17:25:12 0
- ではどうすればいいんだ←どうすればよいかを考えるために間違いをはっきりさせ退けるのが「先決」なので、
その質問を以って間違いの指摘を妨げることはできない。間違いの指摘には間違っていると言う証拠があれば良く、
独自の正しい答は要らない。名古屋から大阪へ行く時「その列車は東京行きだから乗るな」は正しく、大阪行きが何番線かは
知らなくても成り立つ。代案が義務付けられるのは相手の案が良いか悪いかの大別で良い場合でありこの場合は該当しない。
詭弁対処法ってのでこんなの見つけた
>>85の反応とそっくりw
「ではどう日本語を考えればいいんだ」に置き換えてみな
主張の整合性を検証する段階なのに、どう考えれば正しいかなんてのを示す必要性はないんだよ
>>86にしても曲解がひどすぎw
特徴ないなんてこと誰も言ってないだろ
「敬語がある」は特徴だが、だからってそれが日本語全部や日本人の特徴と言えるのかって話じゃん
- 88 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 19:24:31 0
- >>87
>主張の整合性を検証する段階なのに、どう考えれば正しいかなんてのを示す
>必要性はないんだよ
その「段階」とやらは君の脳内にある勝手な「段階」だよ。
「必要・不必要」なんて言い始めたら、私が君の「問いかけ」に答える「必要性」
などどこにあるのか?
>「敬語がある」は特徴だが、だからってそれが日本語全部や日本人の特徴と
>言えるのかって話じゃん
だから、こちらは筋道立てて、
「敬語・相対的人称詞・終助詞」の存在→日本語の主客融合性の強さ
という仮説を立てている。
>「敬語がある」は特徴だが
というが、それはどういう特徴なのか?
それを言わなければ何も言っていないのに等しいのでは。
<「敬語がある」は特徴。(←なにの特徴なのか意味不明!)
どうして日本語に敬語があるのかは、たまたま。>
こんなんでええの??
「曲解」と君は言うが、こちらがエビデンスとしてあげた現象(複数)を、
「それはたまたまそうなんだよ!」と連発しておいて、よく言うよw。
具体的な話を。
フランス語においては、日本語でなされる犬とたぬきの区別が単語レベルでは
なされないようだね。
それは、ソシュールに言わせれば「世界の切り取り方の違い」に対応している
ことになると思うのだが、君は、「世界の切り取り方なんて関係ーネー。たま
たまなんだよ!」と言っているように思われるのだが、如何。
(ソシュールの「恣意性」についての明らかな誤解が君にはあるように思う。)
ラング(言語)が「世界の切り取り方」を表わすものである以上、日本語に特
徴的な敬語の存在は、日本人の世界、特に対人的な世界の切り取り方と深く結
びついており、その意味で、敬語の存在は、日本人の心理的特徴に結びついて
いると考えられる。
相対的人称詞や終助詞も同様に考えられる。
- 89 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 20:35:40 0
- なんだかすれ違いがあるようですね。
>>87さんや私が求めている論点で重要なのは、
>「敬語・相対的人称詞・終助詞」の存在→日本語の主客融合性の強さ
の「→」の部分についてのエビデンス、つまり根拠です。
それに対してあなたは、その左辺そのものが根拠であると繰り返すばかり。
- 90 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 22:08:07 0
- 人称詞の問題にしても男女差があるよね?
女の場合は幼いときから年配になるまでワタシとアナタでほぼ変化がないのに対し、
男の場合はオレとかボクとかジブンとかワタシとかキミとかオマエとかバリエーションが幅広い。
このスレッドの趣旨にそくして見れば、これって男のほうが主客融合的な甘えの精神構造を持っている証拠?
- 91 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 22:32:12 0
- >>60
あと「関連テーマ」には「構造主義」もあるね。
「構造主義」の議論を深めていくと
「西洋vs非西洋」とか「近代社会vs前近代社会」
みたいな対立が表面化していろいろ差し障りがあるから、
「ポスト構造主義」(デリダ)みたいな
曖昧でよく分からない思想が出てきたのかな。(?)
- 92 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 22:43:56 0
- 現代英語の二人称youは単数複数を区別しないだけではなくて、
ノミネーティブ(主)とオブジェクティブ(客)の区別さえ消失させてしまった。
つまり、文法上の主客の区別さえ無くしてしまったわけで、
そこに現代英語の主客合一化の一端を見て取れる。なんちゃって。
- 93 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 22:47:58 0
- >>89
>それに対してあなたは、その左辺そのものが根拠であると繰り返すばかり。
そんなことは、ないでしょうが。 は〜。
@大前提として、言語は「世界認識」と直結している(あるいは深く関わっている)
という命題がある。(ソシュール的立場。)
Aまた、なぜ左辺の事象が「主客融合的態度」とつながるかも説明済みだよ。
要するに、左辺の事象(表現)は、不特定多数に向けられたものではなく、
特定の相手にのみ向けられた表現という意味で、「相手との関係性」を濃厚に持つ。
そして、そのような表現が存在し、しかもその使用が義務的であるのは、主体のあり
方が客体(相手)抜きには成立しがたいということも意味する。このことはとりもな
おさず、主体と客体(相手)との距離の近さを意味するでしょ。
そういう意味で、「主客融合性」が強いと述べている。
*****
>どういうことかといえば、英語なら、弟に対しても、女王陛下に対しても、
>This is a pen.
>が使えるのに、日本語では、その両者に共通して使える表現がないでしょ。
>つまり、日本語の表現と言うのは「特定の誰かのためのもの」になりやすいという
>こと。その現場、その現場に密着した形で、特定の「あなた」に応ずる形で表現が
>成立する傾向を色濃く持っている。(前スレ>>881) ※>>714も見てちょ。
*****
日本語は、「相手との関係性」を直に反映する単語(辞項)を豊富に持つ。
これはそれだけ日本語話者の「相手との関係性」を意識する度合いの強さの現われと
考えられる。
犬と狸を区別しない(仏語)と言ったって、「犬は犬だし、狸は狸だよ。」と言う
君には分ってもらえないかな?
ちなみに、虹は何色あると思ってるの?
- 94 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 22:50:12 0
- 補足
お〜い、君のソシュール理解はなっていないと言っているのだが、
それに対しては反論ないのか?
- 95 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 22:55:24 0
- >>91
その対立図式を設けたのは構造主義じゃないでしょう。
構造主義はどちらかというと、ヘーゲル史観に準拠したマルクス主義的な
歴史発展史観にみられた通時的な見方(歴史主義と呼ばれる)に異を唱えて、
共時的な見方を唱えて歴史を相対化したところがある。
そこで構造主義の議論といわれているのは、マルクス主義の議論の間違いでは?
ポスト構造主義は、マルクスに歩み寄って(?)ダイナミックな構造主義を唱えたともされるね。
- 96 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 23:47:00 0
- >>94
それについては既に前スレッドで反論してあるはずだけど、読んでなかったはずはないよね?
いっこうに返事がつかなかったのでスルーされてしまったなあと思いながらいたんだけどね。
要するに、そちらがソシュール的立場と言っているのはむしろ丸山圭三郎氏的立場であって・・・・
>>93
だからさあ、
「相手との関係性を濃厚に持つ」だとか、「主体と客体との距離の近さを意味する」だとか、
その左辺を好きなように恣意的に解釈して意味づけ、主客融合論へとこじつけるのは勝手だけど、
その解釈の根拠となるものが示されていないし、そこの部分の客観性に乏しいと言っているの。
こちらがエビデンスを求めているのはそこの部分。「→」の部分といったのはそれ。分かるかな?
>>87さんも多分同じような趣旨のことをあなたに再三問うているはずですよ。
それに、人称詞の用法が構造的に動かし難く義務的なのは英語などの言語のほうでは?
つまり、英語では、話者の社会的な戦略によって語彙を使い分けられる余地が残されていない。
日本語の場合はむしろ話者の社交上の戦略ゲーム的な要素を多く残しているという点で、
主体によるコントロールの余地をまだまだ認めているというふうにも分析できるんだけどね。
たとえば、上司に向かって「俺は」とか「あんたは」という表現をわざと使って自分の意思を
攻撃的に自らを誇示することだってできるし、人称の用法を選択することで状況を操作する
余地が話者に残されている。つまり日本語がその話者の主体性に任せている部分がある。
ラングというのはいわば村社会の掟、パロールが個人の意思にもとづく実践的ゲームという
ふうに考えるとして、日本語が仮にパロール的な言語だとすれば、それは日本語が発話主体の
自律性に依拠している面が大きい言語であるなどとう考える(意味付ける)こともできるわけ。
日本語を母語とする話者には「絶対的自己」がないとする議論に対してはこういう異論もありますよ。
ttp://socrates.berkeley.edu/~hasegawa/Papers/Groupism.pdf
- 97 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/17(金) 23:51:34 0
- >>94
それについては既に前スレッドで反論してあるはずだけど、読んでなかったはずはないよね?
いっこうに返事がつかなかったのでスルーされてしまったなあと思いながらいたんだけどね。
要するに、そちらがソシュール的立場と言っているのはむしろ丸山圭三郎氏的立場であって・・・・
>>93
だからさあ、
「相手との関係性を濃厚に持つ」だとか、「主体と客体との距離の近さを意味する」だとか、
その左辺を好きなように恣意的に解釈して意味づけ、主客融合論へとこじつけるのは勝手だけど、
その解釈の根拠となるものが示されていないし、そこの部分の客観性に乏しいと言っているの。
こちらがエビデンスを求めているのはそこの部分。「→」の部分といったのはそれ。分かるかな?
>>87さんも多分同じような趣旨のことをあなたに再三問うているはずですよ。
それに、人称詞の用法が構造的に動かし難く義務的なのは英語などの言語のほうでは?
つまり、英語では、話者の社会的な戦略によって語彙を使い分けられる余地が残されていない。
日本語の場合はむしろ話者の社交上の戦略ゲーム的な要素を多く残しているという点で、
主体によるコントロールの余地をまだまだ認めているというふうにも分析できるんだけどね。
たとえば、上司に向かって「俺は」とか「あんたは」という表現をわざと使って自分の意思を
攻撃的に表明することだってできるし、人称の用法を選択することで状況を操作する余地が
話者にそれだけ残されている。つまり日本語がその話者の主体性に任せている部分がある。
ラングというのはいわば村社会の掟、パロールが個人の意思にもとづく実践的ゲームという
ふうに考えるとして、日本語が仮にパロール的な言語だとすれば、それは日本語が発話主体の
自律性に依拠している面が大きい言語であるというふうに解釈してみることだってできるわけ。
日本語を母語とする話者には「絶対的自己」がないとする議論に対してはこういう異論もありますよ。
ttp://socrates.berkeley.edu/~hasegawa/Papers/Groupism.pdf
- 98 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 00:53:28 0
- >>85
> では、土居さんの「甘え理論」は、君に言わせれば甘えた理論ではないのか?
土居さんの仮説を真に受けるとすれば、そうなりそうだね。
池上嘉彦さんはどうやらその点について認めているご様子でもあって、
『「日本語論」への招待』にそのようなことを書いていらしたね。
> 君は、こちらが根拠を挙げようが、「そんなものはたまたまだ」と言い、
> 「こんな無茶なことだって言えば言える」と言い、
> 結局、どこにも自分の考えはない。
> 相手の考えに対する否定(ネガ)があるだけで、
> ポジィティブにわたしはこう考えるというものが、どこにもないじゃない?
またもやあなたの好き勝手な解釈ですね。
あなたは自分の考えを仮説とおっしゃった。そのことは忘れていらっしゃらないよね?
仮説であるかぎりは、厳密な命題文としては仮定でしか物が言えないということ。
そしてそれらはその時点で、あらゆる可能性の一つとしての地位しかもっていない。
つまり、「現時点ではこういう見方も成り立つ可能性があるし、ああいう・・・もありうる」
というふうに言及することしか厳密にはできない。それが仮説として語るということ。
そして、ここで今している議論は、客観的な対象についての真偽の話題のはずですよね?
この種の言説の下では、私やあなたが個人主体として、つまり主観的にどう思うかは
議論の展開においてどうでもいい話。
議論に関係ないどころか、主と客とが無縁であるという主客分離の観点からするのならば、
この種の議論において「私の考え」などという主題はむしろ徹底的に排除すべき事のはず。
客から主を徹底的に分離して、客観志向的にものを考えるとはそういうことのはずでは?
客観的な対象についての真偽の話題について議論している最中に、「私」という主観・主体
に属する考えに、あなたがなぜ異常にこだわるのか意味不明。
それはもしかすると、あなたが主客融合的な人格特性を持った人なのか。そう思えてしまう。
- 99 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 01:15:52 0
- 英語でも基本的な人称代名詞以外の人称詞としてダーリンとかハニーとかベイビーとかあるしね。
人称代名詞と人称詞を比較して英語と日本語が違うというのは、最初から異なるカテゴリーのものを
比較しているだけで厳密な比較になっていない気もするんだけど。
- 100 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 01:20:52 0
- >>96
>それについては既に前スレッドで反論してあるはずだけど、読んでなかったはずはないよね?
意味不明だったので、もう一度よろしく。
こちらが挙げている犬の例や虹の例に即しての説明も求む。
>好きなように恣意的に解釈して意味づけ、主客融合論へとこじつけるのは勝手だけど、
というのもこちらに言わせれば、君の恣意的な放言に過ぎない。
恣意的と言うなら、どこが恣意的なのか、どこに飛躍があるのか指摘してほしい。
それなしに単に「恣意的だ、飛躍だ」と言われても、困る。(前にも同じこと、言った気がする。)
>それに、人称詞の用法が構造的に動かし難く義務的なのは英語などの言語のほうでは?
こちらの話の脈略を無視し、話を逸らすのはもういい加減にしてほしい。
>日本語が仮にパロール的な言語だとすれば、
まったく意味不明。
- 101 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 01:30:32 0
- >>98
>この種の議論において「私の考え」などという主題はむしろ徹底的に排除すべき事のはず。
>客から主を徹底的に分離して、客観志向的にものを考えるとはそういうことのはずでは?
君は「対話」ということをどう考えるのだろう?
「私の考え」は大切だと思うがな〜。
君が意識していないだけで、君の議論には「君の考え」が実はべったりと存在してい
るよ。それなのに、そこを意識しないで自分の議論は客観的だと思い込んでいるとこ
ろが、話をややこしくしているように私には思われる。
あと、>>99のような半端なレスはいい加減にやめたら。
議論するなら、きちんとしようよw
なお、レスをもらっても返事は週明けになると思うので、よろしく。
- 102 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 01:45:11 0
- >>96
たびたびすまぬ。
>「相手との関係性を濃厚に持つ」だとか、「主体と客体との距離の近さを意味する」
>だとか、その左辺を好きなように恣意的に解釈して意味づけ、主客融合論へとこじ
>つけるのは勝手だけど、その解釈の根拠となるものが示されていないし、そこの部
>分の客観性に乏しいと言っているの。
以下のように、根拠は示しているよ。【 】部分を見よ。
***
【不特定多数に向けられたものではなく、特定の相手にのみ向けられた表現という意
味で、】「相手との関係性」を濃厚に持つ。
そして、そのような表現が存在し、しかもその使用が義務的であるのは、【主体のあり
方が客体(相手)抜きには成立しがたいということも意味する。】このことはとりもな
おさず、主体と客体(相手)との距離の近さを意味するでしょ。(>>93)
***
反論するなら、この部分を踏まえてよろしく。
- 103 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 01:51:43 0
- 何?社会学だかなんだか知らないけど、こんな曖昧な言葉のやり取りが「議論」だの「根拠」だのと
呼ばれる分野があるの?言語学とは全然違うな。
- 104 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 01:56:40 0
- >>86
> 君に言わせれば、欧米の言語に比して日本語の特徴と言えるものなどない。
> 両言語は、同質なのだということだよね。
全く同質でないのは当たり前。特徴はどの言語にもそれぞれあるでしょう。
しかし異質のものを比較するときには注意が必要。見た目が異なるからといって
機能的に異なるとはかぎらないし、ましてやそれが異なる意識や社会構造を
そのまま反映していると言うにはもっと慎重にならないとね。
その点はあなたも「一神教vs多神教論」文化論の話題で承知のはずでしょう?
> じゃあ、逆に聞くが、敬語や終助詞や人称詞等の、
> 当方が日本語に認められる主客融合性(の高さ)のエビデンスとしてあげた
> ものの存在は、君に言わせれば「たまたまでしょ」(!)ということになると
> 思うのだが、こんな説明のどこが学問的なのだろうか?
I love youの話で示したように、ソシュールの理論から考えるなら、この構文で
Iやyouが不可欠に要請されるのは、話者が自分をそれだけ誇示している証拠だとか、
そういう心理のあらわれだとかではなく、英文の言語体系からして当然だということ。
そういう意味ではたまたまではなく、言語体系内部の純粋に構造上の対立的な価値、
つまり語か文か、命令文か平叙文か、といった識別子として要請されている記号である
とも見なせるのだから、そこに何も体系外の価値の反映論をもってくる必然性はない。
日本語の敬語と英語などの敬語とがどう決定的に違うのか、その点について説得的な
説明をまだ聞いていないように思うので、もっと詳しく踏み込んだ説明ぜひお願いしますよ。
人称詞や終助詞についても。その上で異論や反論があれば改めてするつもりなので。
- 105 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 02:06:16 0
- だからさあ、なんで日本語と英語しか知らない奴ら(しかもそれも深く知っているわけではない)が
軽々しく言語に普遍的な問題に取り組もうとするの?
最低でも3つか4つの全然違う言語を知ってないとこんな問題は語れないんじゃないの?
なんでたった2つの言語を知っただけで得意げになって比較とか語っちゃって、
しかも「どっちが特殊」とか言っちゃってんの?たくさん知ってるならともかく、たった2つで「どっちが特殊」って…
- 106 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 02:18:43 0
- >>100
> 意味不明だったので、もう一度よろしく。
> こちらが挙げている犬の例や虹の例に即しての説明も求む。
前スレッドでは、イヌとタヌキの例を挙げて説明したじゃん。
あなたはどうやらシニフィエとレフェランとを混同しているようでもあったからね。
記号(シーニュ)に属するのはシニフィエのほうね。
> 恣意的と言うなら、どこが恣意的なのか、どこに飛躍があるのか指摘してほしい。
> それなしに単に「恣意的だ、飛躍だ」と言われても、困る。(前にも同じこと、言った気がする。)
だから何度も書いているつもりだけどなあ。「→」の部分だって。
> >それに、人称詞の用法が構造的に動かし難く義務的なのは英語などの言語のほうでは?
> こちらの話の脈略を無視し、話を逸らすのはもういい加減にしてほしい。
こちらが自分の考えを書くと、そうやって話を誤魔化すの?
あなたが自分の考えを示せと言うから、人称詞についての私の解釈の一つを示したじゃん。
私の解釈に飛躍があると思われるなら、それこそ議論が噛み合ってきた証拠ですよ。
> >日本語が仮にパロール的な言語だとすれば、
> まったく意味不明。
あなたの理屈も意味不明な勝手な図式化によって成り立っていることに
これでもお気づきにならない? こちらがわざわざ鏡になって上げているというのにw
- 107 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 02:38:41 0
- >>101
> 君は「対話」ということをどう考えるのだろう?
問題は何を目的にした「対話」かですよ。
なぜ「議論」を「対話」とまた言い換えるわけ?
何度も確認するけど、いまは客観的な対象についての真偽について話しているんだよね?
ということは「対話」ではなく「論争」をしているんですよ。
村社会の中で「和」をつくることが目的ならそれこそ「対話」というのが必要なんでしょうけどね。
ここで行なっている話題はそれとは異質のことのはずですよ。
共同主観性における一致点や妥協点を見つけるために「対話」することではなくて、
客観的な対象についての真偽を主題にした議論をしているんですから。
> 「私の考え」は大切だと思うがな〜。
思うがな〜って感覚的に言われて済まされても困りますよ。どうして大切なの? 根拠は?
「私の考え」の如何によって客観的な対象世界の真偽の問題に変化が起きるとでもいうの?
主と客との分離の前提に立つなら、客観的思考においては「私の考え」をできるかぎり廃して、
私の考えでもあなたの考えでもない、個々の主体性を超越した客観的な思考によって成り立つ
論理のモードにしたがって議論をしなくてはいけないんじゃないの?
> 君が意識していないだけで、君の議論には「君の考え」が実はべったりと存在してい
> るよ。それなのに、そこを意識しないで自分の議論は客観的だと思い込んでいるとこ
> ろが、話をややこしくしているように私には思われる。
私には考えがないと言ってみたかと思ったら、今度は、君の考えが実はべったりと存在
しているって。よくもそうコロコロと自分の言うことを変えられますねww
> あと、>>99のような半端なレスはいい加減にやめたら。
で、>>99には何か反論はある?
- 108 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 02:51:58 0
- >>102
> 以下のように、根拠は示しているよ。【 】部分を見よ。
> 【不特定多数に向けられたものではなく、特定の相手にのみ向けられた表現という意
> 味で、】「相手との関係性」を濃厚に持つ。
例えばさあ、相手のことをアナタとかキミとかオマエと呼ばずに「鈴木様」と固有名前で
呼んだとすれば、それは不特定多数に向けられたのではないよね。
その場合、アナタとかキミとかオマエと呼ぶよりも「鈴木様」と呼んだときのほうがその
発話主体が相手との濃厚な関係性を志向していると言えるのかなあ?
普通、前者は家族や友人や恋人同士で多く使われ、後者は接客業でお客さんの名前
を呼ぶときに使われるよね。その場合、前者の関係性は希薄で後者は濃厚だと?
やっぱりそれじゃ根拠になっているとは思えないんだよねえ。
- 109 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 03:07:07 0
- >>105
もともとの話題としてあったのは、どうやら
欧米社会の個人主義的性格に比べ日本社会が集団主義・全体主義である
という問題意識らしく、それが主客融合論者さんにとっては>>5 >>29 >>60の
ように考えられているようで、それが言語にも反映しているということらしいです。
その文脈で欧米語と日本語とが特に比較される対象になっているようです。
- 110 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 06:08:34 0
- >>93
>直に反映する単語(辞項)を豊富に持つ
だから、それが仮に他言語と比較したデータとして充分だとしても、それがなぜ
>これはそれだけ日本語話者の「相手との関係性」を意識する度合いの強さの現われと
考えられる。
とまで直結するの?ということです。
「持つ→考えられる」と「→」で直結しているが、その「→」の中身にまだあなたの個人的な好みによる
恣意的解釈があると感じているわけ。
「直」に表す「単語」が多いことが、直結して「その言語の話者の何々性の度合いが強い」と言えるだろうか?
単語がなくても、そのぶん表情や手ぶりで代替したり、人称と他の単語を組み合わせたりや、文章全体の構成などで
「間接的」に「相手との関係性」を「表現」する言語はあると明らかなわけで、その表現を話者が頻繁に行っていたとしても、
それは「直」に「単語」で表す言語の話者よりも、「関係性を意識している度合い」は低いと簡単に断言できるの?と。
- 111 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 08:59:33 0
- >どういうことかといえば、英語なら、弟に対しても、女王陛下に対しても、
>This is a pen.
>が使えるのに、日本語では、その両者に共通して使える表現がないでしょ。
ないというのは嘘。
前にも書いたように、日本語でも「これはペンである」は文語的に共通して使える。
「これはペンです」だって共通して使える。
先生が生徒に向かって「これはペンです」と教えるときにも、天皇からの質問に
「これはペンです」と答えるときにも共通して使える。
ただし日本語では、一般にbe動詞の訳語としても使われる、指定の終止を表す
「です」助動詞に、改まった公的表現としての機能が付加されているというだけの話。
弟という近しく親しい相手と、女王陛下という遠い相手という極端な事例をあなたは
出して比較させるけれど、それは一般にはプライベートな関係とパブリックな関係
との対比で説明できるもの。
公的な場面で感謝の意を言葉に表すときには、普段は親しく私的領域を共有して
いる家族や友人恋人に対しても、改まった響きのある丁寧語が使われることが多い。
また、皇族とプライベートで親しい関係をもっている友人たちだって、私的な場面で
彼らと談笑しているときには、それ相応の砕けたファミリー的表現を使っているはず。
「です、ます」体は、「特定の誰か(固有名)のもの」ではなくて、公的度合いと私的度合い
とに関わっているという見方もできるのであって、話者にそこで社交戦略上の責任ある
選択権を与えることができる豊富な日本語の機能の一つであると見なすこともできる。
(が逆にそれがない欧米社会では公私の区分感覚が希薄だと果たしていえるのか?)
これがもし日本人の意識や社会構造をそのまま反映していると仮定できるのであれば、
たしかに日本人が公私の区分を普段のコミュニケーションの場面ではっきり表明しようと
する文化をもつという解釈を、仮説の一つとして立てることが可能ではあるかもしれないね。
それはどちらかというと発話者の選択の問題に多くを依拠した語用論の問題になるのでは?
- 112 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 17:42:19 0
- 文脈知らない第三者が読んでも意味がつかみづらい現場性が、日本語の特徴とかも言ってたけどさ
I love you. にしたって、誰が誰に向かって言ってるかは第三者にはわからないよな
より第三者にもわかりやすく開かれていればいるほど理想の言語だみたいに思ってるということなら
前スレにあった、だらだらと逐一全てを細かく説明していきながらの会話が理想ってことになるな
めんどくせぇぇえそんな会話w
ドーナッツ論のとこの日常モードってのが論理モードとかわらんことになるのかw
日頃から議論好きのどっかの国民みたいだよなw主客融合の奴らはこれを目指せと言いたいのか?w
自分自身は議論モードになるべきときに日常モードで挑戦しちゃってるような、まるっきり逆な奴なのに?w
要はどっちのモードも使いこなせるようにバランス保てばいいこった
言語構造の責任じゃなくて、人の責任だろこれw
- 113 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 19:01:44 0
- >>112
> I love you. にしたって、誰が誰に向かって言ってるかは第三者にはわからないよな
たしかに。言語外の情報とセットになってはじめて分かりますね。
- 114 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 19:05:49 0
- >>112
その他の主客融合の定義として「相手との関係性を強く意識する」もあるようだけど、
それを同じくI love youで考えると、今度は逆の感覚がしてくるね。
ただ愛してると言うだけの日本語よりも、IやYOUを付けることで、相手と自分との関係性であることを
はっきり示しているということは、関係性を強く意識しているのだなんてことも言えてしまうし。
定義が「定」義になっていない議論というのも、とっても面倒臭いものですね。
- 115 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 19:43:38 0
- >>112
その言語を理解できない外国人が第三者であることも想定しなければならないから、
そのダラダラ長文を地球上のすべての言語の、出来るだけ近い意味の内容に翻訳して
上手に織り交ぜながら話すというのが、より理想的ということになるだろうか。
ただ「愛してる」を言うだけでも、一生かかるかも知れないね。
- 116 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 22:56:43 0
- >>91
あと…、
「理系vs文系」の対立もあるかな。
ノーベル賞なんかでも、
理系の賞はホントに「凄いなぁ〜」って思うけど
文系の賞は「ふ〜ん…」って感じだな。
たまに「なんだかなぁ…」って思うこともあるし。
ちょっと話がズレて恐縮だけど…、
共感されることの多い「民族主義」っていうのもさ、
「帝国主義」や「国家主義」と同じように
全体主義の一種(中間集団全体主義)だよね…。
よくはわからないけど、
欧米のアカデミズム(文系)も
日本のアカデミズムと同じような感じになってるのかな…??(=思考停止?)
- 117 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/18(土) 23:28:06 0
- >>91
構造主義のレヴィ=ストロースさんて、試しに日本人を当てはめると
日本語の特殊性を明確に主張し擁護する鈴木孝夫さんぽいイメージがあるかなぁ。
で…、
ポスト構造主義のデリダさんは、「無思想の思想」とか「多神教優位論」とか
論理的には無茶苦茶なことをたくさんしゃべる養老孟司さんぽいかな。(?)
- 118 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 07:45:00 0
- ま〜たとりとめのない独り言かよ
- 119 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 10:02:34 0
- デリダが実際に多神教優位を唱えるとは思えんけどな。
多神教優位観は一神教優位観の裏返しで同じ地盤を共有する表裏一体の発想にすぎず・・・
といった具合に、その対立図式の立て方が前提とするものから解体構築しちゃいそうだなw
- 120 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 10:43:27 0
- >>117
「うなぎ文」に関する「第三者云々」の定義だけを見れば、
そのデリダ的な論理展開を混用しているのが、もう一人の主客融合論者のような気がしますがね。
パロール(話し言葉)のように、誰が話していて、どんな状況かが、聞いている人に見え得る、理解し得る場合は
「現場性」によって意味が比較的はっきりするので、「うなぎ文」も通じやすい。
しかし、エクリチュール(書き言葉)で「うなぎ文」を読んだだけでは、現場状況が見えないために、
意味がより多義的になって通じにくくなる。
そういった意味のことを言いたいように見受けられる。
デリダが唱える、パロールとエクリチュールは別のものとして考えなければならないという考えを
まったく考慮しないでいっしょくたにしたまま、「うなぎ文」のエクリチュールだけを見て、
言語全体の問題とまで見てしまっていると考えられるね。
ttp://charm.at.webry.info/200606/article_2.html
- 121 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 11:04:19 0
- 言い換えれば、パロールによるうなぎ文ならば、
ラングの構造(心の中の文法/辞書)に書いてある、それがどのような状況ではどのような意味で使われるかの用法を
その発話の状況と照らし合わせることで、特定の意味であることを判断できる。
一方エクリチュールによるうなぎ文では、
その前後の文脈も同時に記述されていない限り(またはうなぎ文を書いた紙を直接食べ物屋の店員に手渡したりなどしない限り)
ラングに照らし合わせても、それが多義的であるということしかわからず、どのような意味であるかはわからない、となる。
うなぎ文の問題が現前するのは、それがエクリチュールである場合、と言えるのではないかな。
言い古された説なのかも知れないけれど、素人に近い私はそう考えましたよ。
- 122 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 12:54:30 0
- >>97のいちばん最後に挙げておいたpdf形式の論文では、英語をパブリックな特性をもつ言語、
日本語をプライベートな特性をもつ言語などとする見方を提示していて、日本語話者にとっては
「自分」以外の人称詞は単なる仮面であり衣装に過ぎない、という見方ができるとしていました。
>>120-121さんの意見を読むと、もしかすると日本語はパロール的な言語、英語はエクリチュール的
な言語であるというふうな見方もできるのかもしれません。
もちろんこの図式化も、両言語の一側面だけを一つの解釈の眼鏡によって切り取ったに過ぎないことを
はっきりと断わっておかなければなりませんし、言語だけが社会的な記号体系のすべてであり、
または根本原理であると考えてしまうことにも慎重でなければいけませんが。
- 123 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 13:27:35 0
- 英語の書き言葉でも現場依存性は存在するよ。
I love you.
と書いてあるだけでは、それを誰が誰に対して発しているのか分からない。
そのIが書き手であり、youが読み手である私だと認識するには、言外情報が必要。
- 124 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 17:53:04 0
- >>122
その論文で否定されている考え方、ここの主客融合論者の考え方そのまんまだなw
- 125 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 20:47:25 0
- >>91,>>116
北欧の国ってさ、
これからのお手本になる国なんだろうなぁ…って思ったりするけど、
最近ちょっと「…?」ってなることもあったりして。
例えば…、
ノーベル賞の選考をやってるスウェーデンって
自分たちはバリバリの個人主義(主客分離志向)なのに、
人文・社会科学系のノーベル賞では
全体主義(主客融合志向)的な思想や世界観を評価したりするよね。
これって、なんか違和感が…。
(あと、アメリカだけを悪者にしているような所もなんだかなぁ)
政治的な配慮から、
西洋と非西洋のバランスをとっているんだろうけど、
配慮することで国や世界が衰退しちゃったら元も子もないような。
昔のような未開民族に戻れる訳はないんだし…。
て言うか…、選考委員の人も
個人主義と全体主義(主客分離志向と主客融合志向、「自立と共生」と「共依存」)
の区別があんまりついてなかったりするのかな…。(?)
- 126 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 20:53:43 0
- >>125
こいつ散々適当なこと書いてるけど、要は自分の抱いてる安直なステレオタイプを
適当に言語に当てはめてなんか真理を見出したつもりになってるだけだろ。
- 127 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 21:12:56 0
- また懲りずに自分へのレスで薄っぺらな独り言かよってなもんだw
中身が空っぽで主張もなにもあったもんじゃないよなw
あえて主客融合的人間とはこういうものだと体現でもしているのかw
- 128 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 21:37:06 0
- >>126,>>127
あおとみどりの効果的使い分けってか?
いつもいつもご苦労様。
- 129 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 21:54:29 0
- >>80
>I love youの例で説明したような、同じことを表現する仕組みはどちらも同様に発
>達してもっているのだけども、そのシステムの組み立て方が言語の構造上違っただけ
>の話ではないか、と私も思えてならないのですけどね。
英語は動詞と名詞が同形のものがあるので、それを区別するために主語や目的語を
明示する【だけ】(笑)と言っているようだが、異形のものもいくらでもあるではな
いか。むしろ異形のほうが多いのでは。
しかも、同形の場合であれ、名詞と区別するためには、主語と目的語の両方を明示す
る必要はない。どちらか一方で十分。「ラブ ユ〜。ラブ、ユ〜。あなたの東京♪」
って歌、ご存じない?
主語なんてなくても、目的語さえ付ければ動詞であることは、明らか。
しかも、名詞である事は冠詞等を付加することで動詞との区別は可能となる場合もある。
- 130 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 22:18:59 0
- >>111
>ないというのは嘘。
嘘じゃないよw
もちろん、会話の場合の話だよ。
書き言葉なら、新聞記事や法律等を持ち出すまでもなく、「誰に対しても使える表現」
は、そりゃあるわな。
>弟という近しく親しい相手と、女王陛下という遠い相手という極端な事例をあなたは
>出して比較させるけれど、それは一般にはプライベートな関係とパブリックな関係
>との対比で説明できるもの。
これは前に、君の話は三つある敬語の使用条件のうちの一つだけを取り上げたものに
過ぎないと指摘してある。読んでる?
上下・親疎の関係に基づき(義務的に)表現が変わることをどう説明するつもりな
のよ?
>「です、ます」体は、「特定の誰か(固有名)のもの」ではなくて、公的度合いと
>私的度合いとに関わっているという見方もできるのであって、
それは、それこそそういう場合があるという【だけ】。私的場面において、上司は部
下に無敬語で話し、部下は上司に有敬語で話すなんて、よくあることでしょ。
その場合の、文体選択は、まさに「特定の誰かのため」に行われているでしょうが。
日本語には中立的な文体(だ体/です・ます体等)、中立的な人称が存在しないと
いうのは、すぐれて「文法的な問題」だよ。
なぜならば、それらの条件を無視して、自然な「文」(話し言葉)は成り立たないの
だから。
もっとも、君のあげる「公私の別」は、確かに「発話者の選択の問題に多くを依拠」
する側面があるかもね。
しかし、再度言うが、待遇表現には「上下・親疎」の関係が関わり、しかも、その
選択に当たっては、発話者の任意に任される部分はきわめて少ないことを再度強調
しておきたい。
- 131 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 22:36:19 0
- >>112
>文脈知らない第三者が読んでも意味がつかみづらい現場性が、日本語の特徴とかも言ってたけどさ
>I love you. にしたって、誰が誰に向かって言ってるかは第三者にはわからないよな
あの〜、あくまでも相対的なものとして言ってるのですが。
主客融合性の程度(強い・弱い)を問題にしているのであって、
ゼロ・100、白・黒の単純な二元論を展開しているわけではないので、よろしく。
これも前に言ったような…。
>>114
>その他の主客融合の定義として「相手との関係性を強く意識する」もあるようだけど、
>それを同じくI love youで考えると、今度は逆の感覚がしてくるね。
「主対客」の意識は、英語の方が強く出るでしょうね。主客分離的な関係性だね。
当方が述べている「関係性」は、主体・客体といった抽象的・一般的な役割に関わる
のではなく、より具体的・内閉的な役割に関わる関係性。
自分が主体なのか客体なのか(絶対的なポジジョン)についてはあまり意識しないの
に対して、自分と相手との<相対的な関係>にはこだわりを持つ(敬語・人称詞等)
と言えるかな。
その部分の限定は必要だね。ご指摘ありがとう。
- 132 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/19(日) 23:22:24 0
- 英語とだけ比較して、日本語の敬語を特殊なもののように語るのは何なの?
朝鮮語だとかジャワ語だとか敬語の発達した言語や、
茨城方言のように敬語が未発達な日本語の方言、
duとSie、tuとvousの使い分けがあるドイツ語やフランス語などとも比較せずに
英語と日本語だけ比較して何の意味があるの?
- 133 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 00:41:43 0
- >>126-127
言葉足らずだったかなぁ。
一応北欧シンパだから北欧の批判はしにくいのかもね…。
あんまり調べてないけど、
今年の文学賞の人って主客融合志向の強い人みたいだよ。
アンチ近代文明って感じかな。
(経済学賞はブッシュさんの批判で有名な人だとか)
- 134 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 05:06:33 0
- >>129
> 英語は動詞と名詞が同形のものがあるので、それを区別するために主語や目的語を
> 明示する【だけ】(笑)と言っているようだが、異形のものもいくらでもあるではな
> いか。むしろ異形のほうが多いのでは。
しかし極めて例外的にだけしか存在しないとも言えないのでは?
その種の単語が少なくなければ、それが一般化した形式的なスタイルとなり、
文的表現全般の用法として定着するってことも充分考えられることだよね。
それに、こちらが言っているのは名詞か動詞かということではなく、
単語なのか構文なのかという区別の意味ね。
日本語では「愛す(る)」と「-す(る)」が名詞の語尾につけば動詞になるけれども、
それだけだと動詞を単に抽象的に単語として表現しているだけのニュアンスになる。
「愛するね」とか「愛すよ」とか、相手に訴えかける意味をもった終助詞をつけることで、
相手に向かった、文の中の生きた動詞として表現ができるような仕組みになっている。
終助詞がいわばこの場合のyou的な役割を果たしているわけだね。
> 主語なんてなくても、目的語さえ付ければ動詞であることは、明らか。
いいや、その場合は命令文との区別をはっきりさせる効果があると言っていますよ。
日本語では「愛す」「愛せ」のように動詞の活用というか語尾変化単独でそれを明示できる。
英語では主語のあるなしに統語的な価値を設けないと、通常、語用論的に文法外の状況とか
前後の文脈に頼らなければいけなくなる。
- 135 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 05:07:42 0
- ちなみに、日本語では伝達対象である聞き手・読み手に向かって、特に畏まった関係では、
「あなたはどう思いますか」というふうに、「あなた」という二人称を直接用いることに
若干失礼なニュアンスがあると解されるらしく、構文から二人称をあえて省略してみたり、
「鈴木さんはどう思いますか」と固有名詞のほうを用いることが敬意的に選択されたりする。
英語でもこれと似たようなことがあり、改まった関係上で例えば相手の要求を尋ねる際に、
What do you want?などとyouを直接明示する構文を使用することが失礼になると解されるようで、
その場合にはMay(Can) I help you?といった、遠回しに相手の要求を尋ねる表現が一般に好まれて
使われたりすることが多い。youの隠蔽表現とも格納表現ともいわれる敬意表現の一種らしい。
- 136 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 07:25:54 0
- >>130
> 嘘じゃないよw
> もちろん、会話の場合の話だよ。
> 書き言葉なら、新聞記事や法律等を持ち出すまでもなく、「誰に対しても使える表現」
> は、そりゃあるわな。
文語的ニュアンスの濃い「これはペンである」ばかりか、より口語的なニュアンスのある
「これはペンです」だって用いることができると書いたはずじゃん。そこは華麗にスルー?
たとえば、目上の教師が目下の生徒に向かって「これはペンです」と普通に言うし、
天皇陛下に向かっても同様に「これは電子望遠鏡です」「あれが冥王星です」が使える。
この両者の間に敬意表現上の使い分けを設けるかどうかは、用いる主体の、パロール上の
差異化の問題で、文法上の強制ではなく日本語話者である個人の意思に基づく社交戦略
(ポライトネス・ストラテジーやらディスクール・ストラテジー)上の選択に任されている。
しかも「ですます」体が基本的に担っている敬意上の意味は、水平的敬語である丁寧語で、
特定の誰かに向けてというよりは公式的な場面や関係で広範に一般的に用いることができる。
「何々は何々である」というような事実指示的な文においてはユニバーサルに使うことが可能。
ともかくこれは文法的に強制される絶対義務ではなく話者の社会的な選択肢にかかわる問題。
話者がもし部下と上司との関係を対等に扱いたいと思うなら、どちらにもこの表現を使えばいい。
したがって、日本語には誰にでも通用する表現が不可能であるとか、文法的に義務的であるとか
までは少なくとも言えない。むしろ日本語が話者に与えている機能の多様性だということもできる。
- 137 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 07:27:51 0
- >>130
> これは前に、君の話は三つある敬語の使用条件のうちの一つだけを取り上げたものに
> 過ぎないと指摘してある。読んでる?
> 上下・親疎の関係に基づき(義務的に)表現が変わることをどう説明するつもりな
> のよ?
ですからそれは文法的に強制された義務ではなく、個人の責任をともなった選択戦略の問題。
英語だって一冊の分厚い本が書けるほど豊富な敬意表現規則があり、学校の教師に向かって生徒が
Hi!とかHey guy!とか呼びかけるのは好ましくないと考えられているし、公式の場でスラングを
多用するのも好ましくないと考えられている。
英語では日本語のような終止詞がない代わりに別の形式で、目上と目下、尊敬と謙遜、不躾な表現
と遠慮がちな表現などを区別して伝える、日本人にはすぐには理解しづらい微妙なニュアンスの違いを
伝える繊細で豊富な機能的選択肢をもっている。敬意表現をどう使うかは日本語同様、話者の戦略的
選択の問題で、教師に向かってあえてHi!と呼びかけてもいいし、かしこまった表現で呼びかけてもいい。
それをどのように受け取るかどうかは、いずれにしても相手の問題だけどねw
- 138 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 08:10:42 0
- >>131
> 主客融合性の程度(強い・弱い)を問題にしているのであって、
> ゼロ・100、白・黒の単純な二元論を展開しているわけではないので、よろしく。
どこに程度の違いがあるというの?
I love you.のIとyouがそれぞれ誰を指すのかその文だけでは自明にならない点で、
文外情報に依存しているというあなたのいう事実は全く違わない。
Iやyouなどの代名詞は、人称にしろ指示にしろ、それだけでは空の変数だからね。
あなたは会話を問題にしていると言っていた。会話においては通常、言外情報が不可欠に
ともなうので、一人称と二人称をそれぞれ表す発信者と受信者とが状況的に自明であるし、
Iとyouとにそれぞれ固有名を格納して意味を明確にする必要はないから唐突に代名詞が使える。
「うなぎ文」だって、その一文だけがそれ相応の現場から独立して壁に落書きされてい
るような状況を想起して、つまりコンテクストを無視して問題にするから変な話になってくる。
「私はうなぎだ」が「私はうなぎのようだ」の意味か「私が選んだのはうなぎだ」の意味か
を定めてくれるのは、やはりI love youのばあい同様に、会話では言外情報になるだろうし、
書き言葉においては前後の文ということになるでしょう。
> 「主対客」の意識は、英語の方が強く出るでしょうね。主客分離的な関係性だね。
再三言っているけど、その根拠に説得力がいまいちない。最初にその結論ありきで全部物を見てない?
そうじゃない解釈可能性にも目を向け、異論に対しても寛容にならないとそれこそ主客融合しちゃうよw
> 当方が述べている「関係性」は、主体・客体といった抽象的・一般的な役割に関わる
> のではなく、より具体的・内閉的な役割に関わる関係性。
とするなら、主客という言い方は訂正したほうがいいね。
英語にだって、特定の社会的地位や場面などによって、敬意表現とそうでない表現との間に規範的な
区別が存在していて、それがあるから、敬意表現についてのテンプレートがいくつか成り立つんでしょう。
そういう意味では、敬意表現というもの全体が具体的で内閉的な(というよりは対象選択的というべきでは?)
仕様をもつ表現なんだよ。
- 139 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 09:57:51 0
- 相手はコトバを根拠にものを言ってるんじゃないから、真面目に説明してもムダ。
程度の問題とか言い出した時点でアウト。統計を取って、数字を示して、一定のモノサシの上に現象を位置づけているわけじゃないから。
数値がないなら白黒二元論しか問題にできない。それならちょっと観察しただけでわかる。
- 140 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 10:49:23 0
- ttp://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/20060709
ここを読むと、主客融合論者が様々なバイアスに陥っている可能性を改めて感じます。
その言語が置かれていた状況がIなどを必要としていたのかもしれない可能性を排除して、
「○○人はこういう性質だから、●●がこんな風なのだ」と決め付けるような対応バイアス?
もうひとつは、前スレでも誰かが言っていた、確証バイアス。
自説を支持するような証拠ばかり集めて自己満足する傾向ですね。
ttp://www.l.u-tokyo.ac.jp/~takano/j/j-prof.html#3-3
ここには集団主義や個人主義のレッテル貼りへの反証があるけど、
こちらもバイアスという言葉が出てくるね。
- 141 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 14:51:23 0
- >>125
選出方法も不透明だしね…、
権威主義的っていうのか、恣意的っていうのか。
ノーベル賞って村社会っぽくない…?
(村の寄り合いで決めてるような感じ)
- 142 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 15:32:59 0
- ■なぜ日本はノーベル経済学賞が取れないのか■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/economics/1195037131/161
- 143 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 15:34:20 0
- なんで話をずらしていくの?詭弁なの?死ぬの?
- 144 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 16:36:18 0
- 前スレからのコピペ。
***
970 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 21:39:40 0
>>967
だから、そこでソシュールが言っているのは単に、
シニフィエとレフェランとがイコールの関係、つまり反映の関係にないという
論点では?
例えば日本語のイヌは、タヌキやオオカミを含まないカテゴリーとして、日本
語の語彙の体系の相対的関係内での存在価値を持つのみで、その語彙体系外で
はなんの普遍的意味もない。
それはつまり指向対象そのものでもなければ、人間の認識や知覚のシステムの
反映でもない。
単に日本語の語彙体系の中でたまたまそのようなカテゴリーを与えられただけ
という話。
その意味でシニフィエは記号システム内に属し、他のシステムにも・からも関
与していない。
シニフィエが記号とそのシステムに属するというのはそういう意味でしょ。
丸山氏はどうやらシニフィエをレフェランとを一体のものと見なす強い仮説を
主張してもいるようだけど。
***
君の理解のおかしなところは、
>それはつまり指向対象そのものでもなければ、【人間の認識や知覚のシステムの
>反映でもない】。
の【 】を付した後段部分。
その部分は、前スレでも引用した次の部分と明らかに抵触するように思う。
(つづく)
- 145 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 16:38:35 0
- (つづき)
『ソシュール小事典』の「fait[事実]」の項を以下に抜き出しておくね。(中略)
***
言語的事実とは客体としての自存的所与ではなく、《視点 point de vue》(共
同主観)の産物であり、事物(chose)、対象(objet)とほぼ同義に用いられる。
「かりに心理的実在と音声的実体があったとしても、この二者の系が言語的事
実を生み出すことは、一瞬たりともあり得ないだろう。」(frag.3323.4)
事実はあらかじめ与えられているものではない。「まず存在するものは視点だ
けであり、そのおかげで事物が創られる。(…)いかなる事物もいかなる対象も、
一瞬たりとも即自的に与えられてはいない」(frag.3295a)
※frag.〜:エングラーの断章番号(>>967)
***
「言語的事実とは視点(共同主観)の産物」、「まず存在するのは視点だけ」、
「いかなる事物もいかなる対象も、一瞬たりとも即自的に与えられてはいない」
といった理解は、ソシュールの理解ではないと???
ここで言われている視点(共同主観)とは、その言語を使う人間の認識や知覚
のシステムと無関係と言えるのか? むしろ、ソシュールはそれらをイコール
と言っているのでは。引用したソシュールの「ことば」はそうとしか読めない
でしょ。(←それは言いすぎかもとは私も思っているが。)
ソシュールの言う「視点(共同主観)」とは何か? わたしにはあなたはその部分
をとらえ損ねているように思われてならない。
- 146 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 16:52:03 0
- *****
971 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 22:15:13 0
>>968
> 『小事典』の言っていることが正しいならば、あなたは無茶苦茶いい加減なこ
> とをいい散らしていることになるよ。
はて?
その引用文からすると、いったいどのあたりがこちらの主張と矛盾すると言いたいの?
*****
以下に再掲するように、ソシュールの言う「言語記号」は、他の一般に記号と
言われるものとは別次元の存在のはずなのに、あなたはいっしょくたにしてい
る点。
(前スレ>>968より)
『小事典』の「シーニュ/シニフィアン/シニフィエ」の項を引いておく。
***
一般には「自らとは別の現象を告知したり指示したりするもの」をシーニュ(記
号)とよび、そこには図像、指標、徴候、象徴なども含まれるが、ソシュールに
おけるシーニュはシニフィエとシニフィアンから成る不可分離の言語的本質体
をさす。
***
「視点(共同主観)」が作る意味と関わるのは、基本的に言語記号のみでしょ。
他の身振りや手振りやジェスチャーなどは、言語により切り取られた概念を
表わしているに過ぎない。
言語記号と、その他の「記号」と言われているものの、そのような決定的差異
(次元の異なり)をあなたはとらえ損ねているように思う。
この当方の理解が違うと言うなら、ソシュールの発言を引っ張りながら説明
してほしい。
- 147 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 16:57:52 0
- >>145
言語的な事実と物理的な事実とを分けないと。なぜ言語的とわざわざ表現しているのか意味がない。
つまり、そこで言われているのは、言語のコード体系内の分節は、心理とも音声とも関係なく、
純粋にそのコード体系内の対立関係によって成り立っているのだとソシュールは言いたいのでは?
それを解説している丸山さんはその論理を文化全般に応用する言語決定論に拡張させたいようだけどね。
- 148 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:20:09 0
- 語用論の水準ならまだしも、統語論とか形態論の水準でその話者との密接な反映関係が
あるというのは、なんらかの新証拠でもないかぎり、ちょっと考えにくいよね。
前スレッドで紹介されていたように、むしろその説に反するような心理実験結果も出ている。
言語というのは過去から押し付けられる性格のものだとソシュールは言っていたと思うけれど、
その意味で実践的惰性態において最も形骸化しているもので、とくに文法的な水準での規則は
少なくとも現代の話者にとっては挨拶言語同様に単なる形式以上のなにものでもないわけで、
その形式自体には話者の心理とは直接無縁の形骸化した意味しかないと考えるほうがずっと
自然な解釈で論理的なあるように思うんだけどなあ。
100歩ゆずって語用形態や語彙形態については心理的影響が考えられると仮定できたとしても、
文法について、密接な関係を当然の解釈だと言いきるにはまだまだかなり難しいような・・・。
それはそれでなかなか面白い説の一つではあるけれど、現時点ではかなり無理がありそうだから、
そういう証拠になるような客観的に実験結果なり、実証する事実情報がほしいところだね。
- 149 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:24:18 0
- >>147
>つまり、そこで言われているのは、言語のコード体系内の分節は、心理とも音声とも関係なく、
>純粋にそのコード体系内の対立関係によって成り立っているのだとソシュールは言いたいのでは?
そのあなたの見解は再三お聞きしているけれど、>>146でも言っているように、
ソースをあげてくださいな。
特に、frag.3295aの発言は、あなたの理解では意味不明になると思うけど。
そうじゃないと言うなら、説明よろしく。
丸山氏の解説云々とあなたは言うけど、こちらはソシュールの「発言」も引用
して話をしているでしょ。
- 150 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:34:09 0
- >>149
frag.3323.4との文脈上の整合性を考えると、どう考えてもそこで言われている事物とは
言語的事物のことでしょう。つまり言語コード内ではいかなる事物も現前していないということ。
心理の系と音声の系とが言語記号の系には直接に関与していないことが強く主張されている。
その意味でもこちらの理解はソシュール講義のノートの引用部となにも矛盾したところはないはず。
- 151 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:45:24 0
- >>148
>語用論の水準ならまだしも、統語論とか形態論の水準でその話者との密接な反映関係が
>あるというのは、なんらかの新証拠でもないかぎり、ちょっと考えにくいよね。
その語用論の水準、統語論・形態論の水準って、どういう意味で使っているの?
このスレで、問題にしている敬語・人称詞・終助詞(ね・よ・よね)や
主語や目的語の省略等は、自然な「文」の成立に深くかかわるものという意味で、
すぐれて「統語論(シンタクス)」の問題だよ。(>>131)
なぜなら、それらを無視して自然な「文」は成立しがたいから。
つまり、ここで取り上げている表現は自然な「文」の成立のための条件になって
いる。そして、言うまでもなく「統語論」とは文成立の条件を考える分野なのだ
から、敬語・終助詞・人称詞等は統語論の課題と言っていいはず。
あなたは、西欧語の統語論を安易に日本語に当てはめちゃってるように思うの
だが。
もっと日本語の現実(実態)に目を向けてほしいな。
英語の「敬語」等の表現は語用論の水準にあると言えるかもしれないけどね。
語彙形態と文法形態を択一的に使っているのは、疑問。
>前スレッドで紹介されていたように、むしろその説に反するような心理実験結果も出ている。
また何を持ち出してきたのですか?
その実験は、ソシュールの言語論に照らせば、とても有意なものとは言えない
でしょ。
- 152 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:46:40 0
- >>147
その言語決定論こそ丸山さんがソシュールの思想をして西欧中心主義とともに批判していた
ロゴス中心主義のイドラであるように思うんだけどなあ。
- 153 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:48:48 0
- >>151
> その実験は、ソシュールの言語論に照らせば、とても有意なものとは言えない
> でしょ。
私の理解する意味でのソシュールの理論とはね、矛盾がないと思われ。
しかし、あなたの理解するようなソシュールの理論とは矛盾があるのでは?
- 154 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 17:57:37 0
- >>150
>frag.3323.4との文脈上の整合性を考えると、どう考えてもそこで言われてい
>る事物とは言語的事物のことでしょう。
もちろん。
あなたはシーニュと関わらない「心理」と、シーニュと一体的に成立する「心
理」(シニフィエ)との区別がついていないように思う。
ソシュールは区別しているよ。
>心理の系と音声の系とが言語記号の系には直接に関与していないことが強く主
>張されている。
その「心理の系」とは、シーニュと関わらない「心理」のほうのことでしょ。
再度聞きます。
***
「言語的事実とは視点(共同主観)の産物」、「まず存在するのは視点だけ」、
「いかなる事物もいかなる対象も、一瞬たりとも即自的に与えられてはいない」
といった理解は、ソシュールの理解ではないと???(>>145)
***
さらに言わせてもらうと、上に言われている「言語的事実は視点(共同主観)
の産物」の「視点(共同主観)」は「心理」ではないんか?
- 155 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:00:36 0
- >>153
では、>>146に答えてほしい。
- 156 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:11:53 0
- >>132
>英語とだけ比較して、日本語の敬語を特殊なもののように語るのは何なの?
「敬語を」問題にしているわけではない。
だれが「日本語の敬語は特殊だ、世界に唯一的なものだ」と言いました。
>朝鮮語だとかジャワ語だとか敬語の発達した言語や、
>茨城方言のように敬語が未発達な日本語の方言、
>duとSie、tuとvousの使い分けがあるドイツ語やフランス語などとも比較せずに
朝鮮語との対比では、日本語の相対敬語性が「主客融合性」を考える上で、興
味深い。あと、終助詞は日本語に比してあまり「普及」していないようだね。
それと、「〜わよね」といった女性語というものも存在しないそうな。
人称詞は似ているところが多いようだね。
韓国語は多くの点で日本語と類似したところがあり(また微妙に違うところも
あり)、とても興味深いと思っていますよ。
欧語に見られる二人称の区別は、まさに二人称にのみ認められる現象で、日本
語の人称詞や敬語とは同列に論じられない。
>英語と日本語だけ比較して何の意味があるの?
英語と比較しただけですべて分かったつもりになるのは、それゃアカンだろう
が、プロセスであることを自覚していれば、何も問題はないと思うが。
- 157 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:22:25 0
- 英語以外の多言語圏が、さいさん言われている例の「→」の部分の実証性との関連、
つまり思考様式や自我構造と狭義の言語(統語論的意味での?)との間に直接的な
言語目録的一対一の反映関係があるのかどうかという観点から比較検証されないと、
あなたのいう主客融合説にとって有意な比較にはなりえないし、その論証にもならない
という話じゃないのかなあ、>>132さんが言っていることは。
- 158 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:30:24 0
- >>157
>言語目録的一対一の反映関係があるのかどうかという観点から比較検証されないと、
「言語目録的一対一の反映関係」というのが何を指しているのかいまひとつ
分からないが、「言語と心のあり方には一定の関係あり」という立場は、
ソシュールの所説に照らしても成り立ちうると言うのが当方の立場。
(それをすぐ上(↑)で今論じているわけだけどね。)
- 159 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:37:43 0
- >>134
>それに、こちらが言っているのは名詞か動詞かということではなく、
>単語なのか構文なのかという区別の意味ね。
「火事だ!」、(亭主関白な旦那が)「水!」、(ねずみを見て驚き)「ねず
み!」
「ぼくは君を一生愛します!」
終助詞なんてなくても、日本語では「文」が成り立つ場合があるよ。
英語の主語や目的語とは同列に論じられないでしょ。
>いいや、その場合は命令文との区別をはっきりさせる効果があると言っていますよ。
なるほど。
しかし、それなら主語さえあれば目的語はなくてもいいはずなのに、
英語では、目的語の表示は義務的だよね。
- 160 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:37:49 0
- >>158
一定の関係っていまいち分からないけど、
関係があるとしてもそれは恣意的にバイアスのかかった関係であり、
言語目録的一対一のような対応関係ではないということは認めるのかな?
>>154についてはどこにこちらの主張と矛盾があるのか分かり兼ねるんだけど。
つづきは↓へ。
- 161 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 18:41:46 0
- >>160
>関係があるとしてもそれは恣意的にバイアスのかかった関係であり、
>言語目録的一対一のような対応関係ではないということは認めるのかな?
それは今しているソシュール理解のすり合わせが終わらないと答えようが
ないでしょ。
今の私には、あなたの言う「恣意的にバイアスのかかった関係」とか、
「言語目録的一対一のような対応関係」とかが何を指すのか分かりかねている。
特に前者の「恣意的」に関しては、繰り返しになるが、ソシュールへの誤解が
あるように思う。
- 162 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 21:03:22 0
- なんでしょね
昔は英語にも主語がなかったのに
英語文法にIとかが必須になってきたのは
使うやつらが自己主張をしたがるようになってきたからだ
みたいなこといいたいのが主客融合論者のやつで
それに反論してるやつは
Iなしじゃわかりにくい表現とか諸々の言語構成の偶発的な何かが重なって
偶然Iがあるほうが自然だと思われるようになって
その自然に思うってのが共同主観として一致しているという意味だ
といいたいんじゃないのか
俺のソシュール理解じゃ後者のほうが近いような気がするんだがな
- 163 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 21:26:05 0
- >>162
その前者の説明は、記号に先行する精神という原因があって、それに意味的に対応
して記号の体系が構造的に生じたというような、記号に対する心理学的還元の論理で、
それではソシュールがわざわざ独自に記号学が成り立つと唱えた意味がなくなるもんね。
- 164 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 21:51:36 0
- >>141
文系だけじゃなくて
理系のノーベル賞も、受賞のタイミングなんか、かなり恣意的みたいだね。
今まで、
世界を仕切っているのはアメリカだと思っていたんだけど…、
本当は、
ノーベル賞を頂点とするアカデミズム村が世界を仕切っているのかもね。
- 165 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/20(月) 23:07:04 0
- あいかわらず絶好調ですねw
- 166 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 05:58:30 0
- ソスュールは、ある 1 つの記号体系の中では、表しと表されとの間に必然的関係はない、と言っただけで、
世界に複数の記号体系が存在するようになった原因については、何も言っていない。
主客融合論者にとっても、その反対者にとっても、ソスュールは全くかかわりがない。
- 167 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 08:21:51 0
- >>166
> ソスュールは、ある 1 つの記号体系の中では、表しと表されとの間に必然的関係はない、と言っただけで、
いや、その言い方もちょっと違って、「1つの」体系「内」では必然的関係なのですよね。
しかし別の体系にとっても必然的とは限らない。つまりその本質(性質)は恣意的であるということ。
この記号の性質からみると、シニフィアン(表し)の面でも、シニフィエ(表され)の面でも
世界に多様な(言語に限らず)記号の体系が存在し得て不思議じゃない。
したがって記号には必然性(ウチの原理)と恣意性(ソトの原理)との二面性がある。
で、この記号の恣意的本質にかかわる部分について扱う学問が(一般)記号学ということになる。
> 世界に複数の記号体系が存在するようになった原因については、何も言っていない。
原因って? その意味するところが分からないんですが・・・
ソシュール自身の手稿には、あらゆる記号が純粋にネガティブな相互位置関係によって成り立つ
ということが書かれてありますよね(断章番号3299)。
シニフィアンとシニフィエの結びつき方どころか、一つ体系内で一つの記号の単位(要素)を別の単位
(要素)から分かつものは、ネガティブな相互位置関係であり差異であり対立関係だということになる。
でないとシニフィアンとシニフィエの関係の単位が記号として体系内で一体化されていないことに
なってしまう。そうなると記号はシニフィアンだけを表すという解釈も可能になってしまうのでは?
> 主客融合論者にとっても、その反対者にとっても、ソスュールは全くかかわりがない。
もしあなたのおっしゃるとおりだとすると、主客融合論者さんにとって問題が生じないかな?
あなたのおっしゃる意味がいまいち掴み難いので厳密にはどうこう言えないのですが。
- 168 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 09:14:08 0
- もし遺伝的に舌が短かったりして、まともに声を発し分けられない民族がどこかに発生していたとしたら
その民族にとっての言語記号とは、手話や音の高低がメインで表されるものになっていたかも知れないという点で
そこは状況的には「必然」といえる。
だって発し分けられない状態なのに、発し分ける言語形態を恣意的に偶然選択し得るわけないから。
人間が声でコミュニケーション出来るようになったのは偶然でしかないというのもどこかで読んだ。
声が「偶然」一番便利だったから、「必然的」に声がコミュニケーションの主な道具となった、と。
「偶然」の存在が先に立ってこその「必然」と言えるのでは。
つまり、その言葉が多くの人たちの共同主観としてある一定の意味をシェアするまでになる間には
その人たちが置かれている、それまでの社会状況や言語状況、文法状況などの偶然あったものに影響されるという点で
根源的には、その言葉や文法の成立は「偶然」「たまたま」と言えるということなんじゃないのかね。
故意的に作られた人工言語でもない限り、そこに主客融合論者が言うような「心理状況」や「人間がそう選択した」
というような強い意味での「恣意性」は含まれていないような気がするんだけどね。
簡単に言えば「周囲の状況に拘束された中での、その場の人間の勝手気ままさ」
によって「その集団でのその言葉の意味や用法が決まる」というようなことなんじゃないですかね。
- 169 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 10:34:58 0
- >>167
> 「1つの」体系「内」では必然的関係なのですよね。
違うよ。
表しは音声であり、表されは森羅万象だ。
両者は偶然の約束によって結びつけられている。その約束の体系が記号体系だ。
もっとも、約束が偶然であることは、全く接点がないと見られる複数の言語体系を対照することで、はじめてわかる。
言語体系が変わると、同じような意味が、全く異なる音形で表される。
この事実によって、言語記号の恣意性が証明される (擬声語は恣意性の埒外にあることになる)。
しかしながら、現代においては、「互いに全く無関係な」言語体系を見つけることは、なかなか難しい。
ソスュールは歴史言語学を基礎に置いて発言していた。古代語同士なら接点がなかっただろうから。
人名は、そもそも言語接触がなければ、ある体系から他の体系へと伝わらない。
したがって、これも言語記号の恣意性の埒外にある。
- 170 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 10:42:04 0
- 必然的というのは体系の内側から見ると必然的に見えることがあるというだけで、
あくまでも相対的必然性だから、その本質が恣意的であることと矛盾はないわけね。
名称目録観的言語学においてはなおさらのこと、ある対象aをイヌと呼ぶということが
必然だと思っている人はいないはずで、そういう意味では>>166のいう恣意性はべつに
ソシュールが言語学のなかで言ったことのオリジナル性ではないと思う。
彼のオリジナル性は、シニフィアンとシニフィエの区別はもちろんのこと、
その識別を前提にシニフィエとレフェランとを区別したことにあるんじゃないかな。
シニフィエのほうはソシュールにいわせると価値に属している。
イヌ、犬、ワンワン、ワン公、ワンコロは、レフェランはたとえ同一線上にあっても、
シニフィエはそれぞれのシニフィアンに対応して異なる。つまり語のもつ価値が異なる。
その意味で、シーニュ(記号) = 不可分離的{シニフィアン+シニフィエ}の関係にある。
- 171 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 10:45:39 0
- >しかしながら、現代においては、「互いに全く無関係な」言語体系を見つけることは、なかなか難しい。
いや普通に、大半の言語とは今もほとんど没交渉だろう。
英語なんかは大半の言語と関係を持っているかもしれないが、
例えば日本語と関係を持っている言語がどれだけある?
ある程度の数の日本語が借用語として取り入れられている言語まで入れても、せいぜい数十だろう?
数千もある言語全体から見れば取るに足らないかずだ。
- 172 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 10:51:09 0
- >>167
> 原因って? その意味するところが分からないんですが・・・
記号体系は 1 つでもいいわけだろう。
ところが、世界には多くの言語体系がある。
そうなったのには原因があるはずだが、それが何かはわからないし、ソスュールも何も言っていない。
彼は、神がそうしたのだと信じていたと思う。
- 173 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 10:52:44 0
- >>169
自然発生的な独自言語においての考察ということになるよね。
たぶんここの人達が互いに違和を感じているのは、敬語だの授受表現だのが自然発生的な表現といえる部分なのか
それともあえて必要性に迫られて作られたり、他との言語接触によって作られたりした人工言語的な表現なのか
という考え方の違いが推論の過程に影響を与えているからなんだと思うんだよね。
- 174 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 10:56:37 0
- >>171
> 英語なんかは大半の言語と関係を持っているかもしれないが
たとえば、英語を介して間接的に関係があることになる。
大航海時代以前の資料によらないと、言語記号の恣意性は証明できないだろう。
既に世界宗教になっていたキリスト教や仏教の言葉は使えない。
- 175 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 11:00:33 0
- 他言語との関係って言ったって、ほとんどの言語は基礎語彙までは他言語の影響をほとんど受けてないじゃん。
文化語彙とかそういう一部の語彙が影響を受けている程度。言語的にはほんの表層。
「英語を通しての間接的な影響」?そんなのごくごく僅かだろ。
例えば日本語とアルメニア語が間接的にでも何か接触しているか?
- 176 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 11:07:44 0
- >>169
> > 「1つの」体系「内」では必然的関係なのですよね。
> 違うよ。
> 表しは音声であり、表されは森羅万象だ。
> 両者は偶然の約束によって結びつけられている。その約束の体系が記号体系だ。
ちょっと待って! 「」で括っておいた強調箇所に目をやって。
「両者は偶然の約束によって結びつけられている。その約束の体系が記号体系だ」
については異論はないよ。
もうちょっと厳密にいうと、あるいは揚げ足取りになるかもしれないけど、
シニフィアンは=音声ではないよね。まず音声と音韻を区別する必要がある。
さらに音ではなく字や身振り手振り(手話など)が用いられることもあるかもしれない。
それから「森羅万象」をどういう意味で用いておられるのかが問題ですけども。
> もっとも、約束が偶然であることは、全く接点がないと見られる複数の言語体系を対照することで、はじめてわかる。
ですからそれを「外」から見ると必然的とは言えないわけで、だから記号の本質は恣意性にある
というふうに書いているわけでして。
形相と本質(性質)とを区別してウチとソトから見た場合に対応させて言い表しているんですよ。
> 言語体系が変わると、同じような意味が、全く異なる音形で表される。
音形どころか、それが含蓄する価値としての意味、つまりシニフィエもね。
- 177 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 11:08:08 0
- >>175
> ほとんどの言語は基礎語彙までは他言語の影響をほとんど受けてないじゃん。
それがなかなか。
英語の mountain,river はノルマンフレンチからの借用だ。
> 例えば日本語とアルメニア語が間接的にでも何か接触しているか?
ないとは思うけど、似た意味が似た音形で表される場合、偶然の類似だと即座には片づけられない。
英語やロシア語を介して接触していないか、いちいち調べてみなければならない怖さがある。
- 178 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 11:29:24 0
- >>172
> > 原因って? その意味するところが分からないんですが・・・
> 記号体系は 1 つでもいいわけだろう。
> ところが、世界には多くの言語体系がある。
いや、そこまでは当然分かるんですよ。
ただし言語体系ごとに異なるのは表すものと表されたものとの結びつき方のみならず、
それに対応して記号単位どうしの関係に基づくカテゴリー化についても異なる可能性がある。
語の単位ごとの意味する内容が、必ず一対一できちんと対応関係にあるとは言えない。
体系内の仕組みが異なるからこれは当然のことで、これを翻訳するときには意訳が必要になる。
> そうなったのには原因があるはずだが、それが何かはわからないし、ソスュールも何も言っていない。
分からないのはその「原因」が何を具体的に含意しているかで、要するにどういう原因のこと?
例えば、単語どうしの境界づけが恣意的な本質をもつならば、それが原因といえるんじゃないの?
あなたのいう原因がなにを具体的に示唆しているのかによる。
あと、ソシュールは、ラングと区別してもう一つ、ランガージュというタームも設けているよね。
> 彼は、神がそうしたのだと信じていたと思う。
その神とはいったい何の喩なの? 自然法則?
彼どころか、現時点では、あらゆる学者にとってそうとしか言えないんじゃないの?
- 179 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 11:51:04 0
- >>177
英語のように基礎語彙にまでかなりの数の借用語がある言語は割と例外的。
あと、借用語の流れというのは大抵は一方的で、例えば現代の英語と諸言語との接触では
英語から他言語が一方的に借用する流れが多い。
例えばアルメニア語→英語→日本語という語彙の流れは、アルメニア固有の事物などに関する語彙でもない限り
まず起きていないと言っていい。
まあ、借用語かどうかに気をつけなければいけないというのは正しいけど、
それを「全ての言語が何らかの関係を持っている」というように言うのはおかしい。
- 180 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 11:57:53 0
- ソシュールが構造言語学の祖といわれるのは、体系と要素とが同時発生的だとしたところで、
要素は体系(全体)に依存してはじめて成り立つということだから、比較言語学的に異なる
言語を比較する場合にも、それぞれの要素を単独で比較したんじゃ間違いということになる。
比較する場合にはまず全体の体系を考慮しなければいけないわけで、要素間を独立に比較できない。
敬意表現を比較する場合にも、それぞれの体系に沿ってその有る無しや程度を見る必要がある。
翻訳に喩えていうのなら、直訳的ではなく、意訳的に比較しなければならないことになる。
- 181 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 12:07:41 0
- >>174
そうすると、
ソシュール-ヤコブソン-レヴィ=ストロースといった系の流れには必然性があったのかな。
レヴィ=ストロースに代表される構造人類学が主として未開社会に関心を向けたのは。
それに関連して言うと、現代の個人主体もいくつかの言語についての知識を豊富に
持つようになっていたり、多かれ少なかれ、マルチリンガル化しているから、
そういう意味ではサピア=ウォーフ的な仮説もますます検証しがたくなっていると?
- 182 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 12:27:08 0
- >>180のつづき
日本語の「甘え」に直接一対一に対応する単語が他の言語との比較でたとえ見つから
なかったとしても、それをもって他の言語に同様のことを表現する機能や能力が希薄
であると結論付けてしまうには早急にすぎる。
また日本語においても「甘え」の語がどのように語用されているかという文脈や状況
や場面といったものから、その意味する価値を分析しなくてはならない。
「甘え」がネガティブに他人の評価を下げるための言葉や他人を責めるための言葉と
して頻繁に使われているとすれば、「甘え」という言葉が日本独特だからといって、
日本人が甘えに寛容な文化をもっていると一概に簡単に結論付けられるとは思えない。
- 183 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 12:53:01 0
- >>180が主客融合論者の推論の基盤のおかしさを最も突いている焦点だと思うな。
「敬語」や「終助詞」という他との差異によって、体系化されているかのように見えている部分だけをわざわざ取り上げて
そのあるやなしや、または多し少なしによってだけで言語間の根本的相違や話者心理の相違を見出そうとしているところが、
どうも怪しいトンデモに感じられるんだよね。
それら敬語などは全体の体系の中の小体系であるとも言えるのに、その体系だけを取り出して
他の言語にはこういう区切りはないから特殊だ、よってそれを使う心理も特殊だとしているように感じる。
たしかにそういう区切りの仕方をしているのは特殊かも知れないが、他の言語ではそういう区切りをしていないだけで、
曖昧な境界線の内側に混在している形で存在しているかもしれない可能性を排除している気がするよ。
- 184 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 13:00:46 0
- 要するに、日本語が敬語や終助詞に担わせている機能・役目が
日本語とは似ていない感じでは他言語にも存在しているだろうに、
そこを考慮に入れてないって感じだね。
- 185 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 13:48:35 0
- 話者にとっては形式的なもの(そう使われているから自分もそう使っただけ)でしか
ないほど形骸化した文法の構造的意味が、密接に話者の心理に食い込んでいるとか、
その心理をそのまま反映しているとまで因果づけるにはまだまだクリアしないといけない
問題が多々ありますね。
日本語の「おはよう」の分析をして、この文の構造にはかくかくしかじかの心理的表象を
読み取ることができるから、その構造的意味を知らずに朝の挨拶として使われているから
使っているだけの話者の心理にどこまで対応付けることができるのかやはり疑問です。
こうなると、精神分析にいうところの無意識の分析と似たようなものになってきて、
分析されているものが果たしてクライアントの側の心理(無意識)そのものなのか、
それとも、分析者の心理(無意識)の投影でしかないものなのか、
その境界が限りなく曖昧化して、それを読んでいる第三者には掴み様がなくなってくる。
まさしく主客融合の世界が無意識という用語を介し精神分析の言説によって実践される。
ザメンホフという人が創作したエスペラントという言語の構造から、
彼がどういう意図や気持ちでこういう構造にすることを選択したのかと
精神分析をするというなら、まだしも話は分かりやすいのだけどね。
- 186 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 13:53:19 0
- 修正:
日本語の「おはよう」の分析をして、この文の構造にはかくかくしかじかの心理的表象を
読み取ることができるからと、その構造的意味も知らず、朝の挨拶として皆が使っているから
ただ使っているだけの話者の心理にそれをどこまで当てはめることができるのかやはり疑問。
- 187 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 14:43:05 0
- >>185
そういうのを「慣用句的」または「慣用的」という言葉を使うと、うまく説明できそうな気はするかな。形式的と似てるけど。
それに>>111のいう、語用論の問題ではないのか?というところも、それでわかりそうな気がする。
ひとつの自然言語、またはそのどこを切り出してみようと、それはたいがい「慣用的である」とでもいうのかな。
たとえば「百聞は一見に如かず」は、
基本的には「如くはあらず」つまり「百聞は一見のようではない」「一見には似ていない」ということしか言っていない。
なのに人々が「一見のほうが百聞より優れている」のような意味で使う・または解釈するというのは
語用論の範疇の話になるよね?
人や状況によっては、「百聞のほうが一見より優れている」と受け取ってもいいということ。
またバカ正直にそのまんま「百聞は一見のようではない」とだけ受け取り、その慣用例を知らない人(言語的第三者?)
にとっては真意がわからないという事もありうる。
それと同様に、「ですます」や「人称による敬意差」も慣用的にそのような意味を強く持っているように
我々が共同主観として感じているだけで、他にも転用できるわけだ。
その言葉がその意味であるべき一対一の価値はないというか。
よくいわれる「人称の価値の下落や変動」もそういうことなのではないのかね。「貴様」の価値が逆転したりとかのアレ。
貴様の語用に、一時皮肉としての語用が多かったがために、見下すような意味になってきたとかの。
主客融合論者が言うようにある場面でその言葉の使用が「義務的」であり「それが自然だ」と感じると思うのは、
それが慣用的であるがためであり、言語的にそれがまったくの「義務」であるや、まったくの「自然」であるとは言えないとなるよね。
誰かが言っていたけど、やはりそれは個人の戦略的選択に拠るところが大きいものであると言えるよね。
- 188 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 14:59:16 0
- お〜い、お〜い。
>>154への返答はまだなのか?
- 189 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 15:12:16 0
- >>135
>ちなみに、日本語では伝達対象である聞き手・読み手に向かって、特に畏まった関係では、
>「あなたはどう思いますか」というふうに、「あなた」という二人称を直接用いることに
>若干失礼なニュアンスがあると解されるらしく、
これは単に、「あなた」という二人称が現在、全く見ず知らずの他人に使えるほどの敬意がないというだけ。
日本語の人称代名詞は印欧語族の人称代名詞のように独立した範疇ではなく、
一般名詞や指示代名詞との境が明確でない。
歴史的にもしばしば一般名詞や指示代名詞から人称代名詞への転用が行われている。
これは、人称代名詞が百年単位でどんどん価値の下落を起こすため。
現代中央日本語では全くの見ず知らずの他人に使える二人称がないが、
これは特に意味のあることでなく、最高敬意を持った二人称の位置から「あなた」が滑り落ちてから
再び最高敬意を持った二人称が登場するまでの空白の時期に今我々が位置しているに過ぎない。
例えば「お前」も江戸時代中期までは親にも使用することができる二人称だった。
やがて敬意が下がってきたため、「お前様」として敬意が付け加えられたが、これは明治に入ると廃れた。
江戸時代も後期になると指示代名詞からの転用の「あなた」が広く用いられるようになり、
明治時代までは親や他人にも使われたが、これも20世紀に入ると敬意の下落を起こして、
親や他人には使いにくくなった。
- 190 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 15:19:48 0
- 歴史的なことを考えないと、現代中央日本語で「あなた」が
全くの他人にいきなり使うことができないことだけを見て、
日本人の性質などについて論じてしまいかねないが、
過去の日本語や現代の日本語の方言を見れば、
これが単なる一時的な現象であって、そう深い意味はないことが分かる。
むしろ日本語の本質的性質として注目すべきは、人称代名詞が独立した範疇として存在せず、
不安定でしばしば一般名詞や指示代名詞からの転用が行われること、
敬意が百年単位ですぐに下落すること、指示代名詞の体系はかなり安定していることなどだ。
ただ、例えばここですぐに「印欧語族の人称代名詞は安定しているのに対し日本語の人称代名詞は
不安定で、これは人と物や一人称と二人称との境目が曖昧な日本人の主客融合性が…」などと
やるのもあまりに安直だろう。例えば印欧語族の人称代名詞が安定しているからといって
すぐに「人称代名詞が安定しているのが普通で、安定していないのは特殊」と考えるべきではない。
色々な言語を検討して、本当にそれが注目すべき特異な現象か考えなければいけない。
主客融合論者は、印欧語と日本語の違いをすぐに両者の特質のように考える傾向がある。
もっと人類の言語全体に目を向けたほうがいい。
- 191 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 15:58:48 0
- >>154
シニフィエは特定言語コード体系内の対立関係による単なる価値づけの単位であって、
共同主観性全般とは違うよ。レフェランとは違うの。
- 192 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 16:34:05 0
- >>187
私の意見とは例えもニュアンスも若干違うのかもしれませんが、
またべつの切り込む方から提示して下さっているようで、とても勉強になります。
>>189
> これは単に、「あなた」という二人称が現在、全く見ず知らずの他人に使えるほどの敬意がないというだけ。
うーん、そう言われてみればそれだけの話なのかもしれませんけれども・・・
> 日本語の人称代名詞は印欧語族の人称代名詞のように独立した範疇ではなく、
> 一般名詞や指示代名詞との境が明確でない。
なるほど、多いといわれる人称詞のほとんどが、一般名詞からの転用のようですね。
> 現代中央日本語では全くの見ず知らずの他人に使える二人称がないが、
「おたく」なんてどうでしょう? 「あなた」より少し丁寧な響きがありませんか?
英語のyouがもともと複数形だったことを考えると「おたく」が二人称単数形に転用されて
丁寧な意味を帯びるのはそれなりに納得できるような気もします。私の勝手な想像ですが。
でも最近はこの言葉が別の意味にも転用されるようになって価値の下落が起きていそうですがw
> これは特に意味のあることでなく、最高敬意を持った二人称の位置から「あなた」が滑り落ちてから
> 再び最高敬意を持った二人称が登場するまでの空白の時期に今我々が位置しているに過ぎない。
そういうふうにも解釈できるような、通時的な語の配置転換があったというわけですね。
なるほど説得力がありますね。
- 193 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 16:52:21 0
- >>192
例えば「おたく」という語が「あなた」よりも敬意が高く、他人や親にも使える二人称として
一般化したなら、最高敬称の座から滑り落ちた「あなた」の位置を「おたく」が埋めたということになる。
日本語の人称代名詞では、このようなことが何度も繰り返されてきた。
人称代名詞の敬意がどんどん下がっていくので、放っておくと最高の敬意を持つ人称代名詞は
すぐになくなってしまう。だから一般名詞や指示代名詞を定期的に最高敬称として転用し補充する必要がある。
- 194 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 17:01:00 0
- 例えば「あなた」は指示代名詞からの転用であって、「これ」「それ」「あれ」「どれ」に対する
「こなた」「そなた」「あなた」「どなた」から転用されたもの。「こなた」も「そなた」も中世に
人称代名詞に転用され、やがて価値の下落を起こして近世の途中で消えた。
「ここにいる人」「そこにいる人」「あそこにいる人」という意味からそれぞれ人称代名詞に転用された。
「私」(わたし)の原型は「わたくし」で、これは公(おおやけ)の対義語。
「わたくしのこと」(私的な事)のような言い方から一人称と意識されるに至ったのだろう。
「君」は元々は高貴な人や主人などを指す一般名詞だったし、
「僕」はしもべや下男を指す一般名詞だった。
「御宅」も家に接頭辞を付けて「あなたの家」を指していたのが「あなた」として用いられるようになったもの。
歴史上の日本語の人称代名詞で、文献上一般名詞や指示代名詞から転用されたことが確認されていないのは
一人称の「我」(わ)「吾」(あ)と二人称の「汝」(な)ぐらいなもの。
一人称と二人称の両方に使われる人称代名詞があることから安易に日本語の主客融合性とやらを説く人もいるが、
日本語の人称代名詞の性質と歴史をよく理解し、一般名詞や指示代名詞だったころの元の意味との繋がりを考えないと
とんでもない誤謬を犯しかねない。
- 195 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 17:19:07 0
- 今は「そちら」がけっこう「あなた」に代用されてる感じがするね。
これが「私の主観」であり、もしほとんどの人がそう感じるなら、ソシュールの言う「共同主観」
ということになるんじゃない?
- 196 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 17:33:17 0
- に代用されてる、じゃなくて
を代用している、か。失礼
- 197 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 17:47:44 0
- 「こなた」「そなた」の用法が現在の「こちら」「そちら」に置き換えられて残っているのか
ということを書こうと思ったけど、先を越されたかな。
ところで、その「共同主観」ってソシュールも使っていた言葉なんでしょうか?
私の知り限りでは見当たりません。「間主体性」とも訳される現象学の用語であると思うのですが。
- 198 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 18:47:57 0
- >>191
>シニフィエは特定言語コード体系内の対立関係による単なる価値づけの単位であって、
>共同主観性全般とは違うよ。レフェランとは違うの。
じゃあ、
「まず存在するのは視点だけ」、「いかなる事物もいかなる対象も、一瞬たり
とも即自的に与えられてはいない」というソシュールの発言はなんなのだ?
ちゃんと答えなさいよ。
それから、ソシュールは「レフェラン」なんて言ってないよね。
あなたの言う「レフェラン」ってなんなの???
レフェランなら「視点」と関わるのか???
いずれにしても、再三求めていることだが、ソースを示してほしい。
- 199 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 18:55:23 0
- >>198
あんたが話してるやつとは違うが、
その引用は単純にそれまで必然的と考えられ通説だった
「事物と言葉の一対一対応」という概念の反証というだけじゃないの?
難しい言葉を使って難しく言ってるだけであって、
ソシュールの基本的で当時画期的だった考え方の訳に過ぎない。
ネコと呼ばれるべき事物が、我々の知らぬところで即自的に発生しているのではなく
我々がそれをネコと呼ぶようになり、共同主観として認めるようになって初めてそこで
ネコという事物が現前する、というソシュールの基本概念。
- 200 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 19:25:59 0
- >>199
>その引用は単純にそれまで必然的と考えられ通説だった
>「事物と言葉の一対一対応」という概念の反証というだけじゃないの?
「【だけ】じゃない?」という、その限定はなに?(笑)
共同主観(視点)のとらえ方も不正確な気がする。
共同主観(視点)をことばの成立に後続するものとして理解しているようだが、
共同主観(視点)は、ことばの成立に先行してあるというのが、ソシュールの
言ったことでしょ。
>>198で引用した箇所(frag.3295a)は、そうとしか読めないはずだよ。
- 201 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 20:08:15 0
- へ?
先行とか後続とかじゃなくて
同時成立するって何度も言われてない?
- 202 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 20:36:09 0
- ttp://taki.cool.ne.jp/di/Te/a-ka.htm#Intersub
>>200
ここ読んだほうがいいんじゃない?
だいたい引用で使われている意味と同じかと。
もっとバイアスを恐れたほうがいいですよ。
なにかを分析判断したいと思っているのなら。
- 203 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 20:57:05 0
- 「私が今書いている文字は日本語ではない」
ここにシニフィエとレフェランとの乖離がある。
- 204 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 21:25:46 0
- >>201
であれ、>>199の後段の説明はおかしいということだよな。
>>202,>>203
あら、あら。
- 205 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 21:40:34 0
- >>145の『ソシュール小事典』の引用のところ、
言語的事実が客体と区別され、choseとobjetが言語的事実と同義に使われている
と解説されているね。まずそれを確認。
そしてノートの引用部分。心理的実在と音声的実体の二つのシステムが、
言語的事実を生み出すのではないと言っている。つまり言語的に生み出される事実、
したがって言語的に生み出される事物、言語的に生み出される対象は、記号内の
シニフィエに属するということだよ。だからアンソワに与えられていない。
要するに、記号は、それ自身のシステム内の自律的な差異によって構築される。
外部になんらの基盤をもっていないということ。音声や心理の系にも。
- 206 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 21:41:49 0
- >>203をどう説明する?
- 207 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 21:43:39 0
- >>189
>これは単に、「あなた」という二人称が現在、全く見ず知らずの他人に使えるほど
>の敬意がないというだけ。
(中略)
>現代中央日本語では全くの見ず知らずの他人に使える二人称がないが、
>これは特に意味のあることでなく、最高敬意を持った二人称の位置から「あなた」
>が滑り落ちてから再び最高敬意を持った二人称が登場するまでの空白の時期に今我
>々が位置しているに過ぎない。
「単に〜だけ」「単に〜にすぎない」という思考がほんとうにお好きな方(々)ですなw。
それが学問的な態度なのだろうか?
ところで、
日本語史上、いかなる人にも用いうる二人称代名詞ってありましたか?
あったとして、それはどのくらいの時期、どのくらいの規模で用いられたでしょうか?
>日本語の人称代名詞では、このようなことが何度も繰り返されてきた。
>人称代名詞の敬意がどんどん下がっていくので、放っておくと最高の敬意を持つ人
>称代名詞はすぐになくなってしまう。だから一般名詞や指示代名詞を定期的に最高
>敬称として転用し補充する必要がある。(>>193)
なぜ↑のようなことが日本語で起るのか、その背景を考えるべきでは。
日本語は、各人称において、
上下・親疎・公私その他もろもろの関係性にがんじがらめであったのでは。
- 208 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 21:44:26 0
- 思想とか思考とか概念とか言われているものは最終的にはシニフィエと言い換えられるものね。
- 209 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 22:00:57 0
- >>204
もっと建設的な内容のある反論をしたら?
- 210 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 22:04:38 0
- >>205
正直、今の私にはあなたが、「つまり」(5行目)、「要するに」(8行目)と話を
展開している部分についていけない。前提部分はわかるのだが。
特に「要するに」以下が、毎度のことながら分からない。
「要するに」のあとに述べている考え方は、あなたが「当然そう考えられる」と思っ
ていることなのか?、「ソシュールが明言している」ことなのかどっち?
私は、それは「あなたの理解(誤解)」に過ぎないのではと考えている。
それから、記号を作るのは人間でしょ。その人間の影響はどう位置付けるのよ。
あなたの理解からはそれがすっぽりと抜け落ちているように思う。
ソシュールは、それを「視点」という概念でとらえようとしている。
あなたはソシュールの言う「視点」をどう位置づけているの??
もう一つ。
あなたの理解と「ソシュール小事典」とは正反対の事が書いてあったりするわけだけ
ど、「丸山さんは云々」なんていう給湯室の噂話レベルの批判ではなくて、
丸山氏に誤読や理解不足があると言うなら、ぜひ具体的に指摘してよ。
- 211 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 22:19:20 0
- 英語にも「敬意表現」はあると言っているが、じゃあ「敬語」と言えるものは?
敬意表現と敬語の区別は、今や常識でしょ?
敬意表現なら、英語にも日本語にも何語にもある。
しかし、「敬語」は英語等に比べての日本語に特徴的なものと言えるよ。
要するに、英語等には丁寧な言い回しはあるかもしれないけど、単語レベルで、
しかもその使用が義務的な表現は、基本的にないでしょ。
人称と文体(だ体・です体)等において、日本語には「誰に対してもいかなる場合に
も用いうる」中立的な表現がない。
一方、英語等には中立的な表現がある。
この違いは、日本人の対人関係が「相手との具体的関係性」に強く影響を受けている
ことの現われ言える。
- 212 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 22:27:06 0
- >>205
たびたびすまぬ。
あなたは、シニフィエと「こころ」は何のかかわりも持たないとでも?
て言うか、ソシュールに言わせれば、
言語記号(特にシニフィエ)=心的内容
じゃないのか?
- 213 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 22:39:21 0
- >>203 >>206
「これはパイプである」と同じ例だと思うけど、それはパロールの水準での乖離で、
ラングの語彙体系からすれば、パロールによるラングの誤用とされるだけだね。
逆にいえば、パロールという実践レベルでは、シーニュ内の分離だかシーニュと
指向対象との分離だかを意図的であれ非意図的であれ作り出せることを意味する。
もしかするとその誤用がそのうちに正統な用法になって定着してしまうことだってある。
ラングというのは絶対的に義務的なものではなく、恣意的であるがゆえに実践に
よって変動するものなんだよね。日本語の代名詞がどんどん変化したのもそのため。
- 214 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 23:03:51 0
- >>210
> あなたは、シニフィエと「こころ」は何のかかわりも持たないとでも?
関わりを持たないと言っているのではなくて、恣意的な関わりあいしか持たないから
そこに必然的な一対一の対応関係を見出してはいけないということ。
ラングがもし個人の心理となんの矛盾もなく一対一の対応関係で組織化されているならば、
ラングがパロールにおいて誤用されること、つまりラングを裏切るような発話が行なわれることはありえない。
- 215 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 23:23:20 0
- >>210
うーむ、「つまり」とあるところの文の意味は分かるでしょう?
「言語的事実≒事物≒対象」を指しているのが。
>>145 『ソシュール小事典』からの引用箇所{
> 言語的事実とは客体としての自存的所与ではなく、《視点 point de vue》(共
> 同主観)の産物であり、事物(chose)、対象(objet)とほぼ同義に用いられる。
}
「ほぼ同義に用いられる」という意味に対応する文のつもりなんだけどね。
「要するに」以下については、>>167でも書いておいたとおり、手稿の断章番号3299、
記号が純粋に否定的な相互位置関係(言い換えると対立関係、差異関係)によって
成り立つとソシュールが説明しているところね。
心の側に記号の素となるような積極的な差異なり実在なりが記号に反映して
表象・表現されたのでなく、純粋に記号同士の関係の産物だよってことね。
なかなか理解してもらえないようだけど、困ったなあ。
- 216 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 23:25:48 0
- ごめん、ちょっと訂正。
心の側に記号の素となるような積極的な差異なり実在なりがあって、それが記号に
反映して表象・表現されたのでなく、純粋に記号同士の関係の産物だよってことね。
- 217 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 23:43:38 0
- >>207 横レスですが、
> 日本語史上、いかなる人にも用いうる二人称代名詞ってありましたか?
あなたのいつもの決まり文句を借りれば「だから何?」ってことになると思いますよw
そういう語が仮になかったとしても、
そのことが下に引用するあなたの結論に直接結びつくとはかぎらないということですね。
> なぜ↑のようなことが日本語で起るのか、その背景を考えるべきでは。
> 日本語は、各人称において、
> 上下・親疎・公私その他もろもろの関係性にがんじがらめであったのでは。
例えば、現代英語では二人称の単複の区別までなくなってyouに統一されちゃいましたけど、
果たしてこれをもって英語話者が二人称を個人と集団とに見分けていないと云うんでしょうか?
そこまで言わなくとも、英語話者がコミュニケーション対象を個人として扱っていない証拠だと?
この直接の結論づけに納得がいかないのでしたら、お互いの話は噛み合ってくるでしょうね。
- 218 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 23:54:32 0
- >>210
丸山さんは、レフェラン(指向対象)とシニフィエとが混同されてはならないと
再三に渡って主張しているはずなんだよね。
ただしソシュール自身においても、部分的にシニフィアンとシーニュとの混同や、
シニフィエと指向対象(レフェラン)との混同が見られるとも丸山さんは書いている。
シニフィエは最初のころは思想とか思考とか視点とか概念といった類の言葉で
言い表されていたけど、けっきょく最終的にはシニフィエという語に落ち着いた。
- 219 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/21(火) 23:56:46 0
- 私が思うに、丸山さん自身にも、ソシュール自身にも、論理的に明晰でない部分がある。
ソシュールに関しては記号論理学のフレーゲあたりがその点を指摘しているようだけどね。
- 220 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 00:18:31 0
- >>189
> 現代中央日本語では全くの見ず知らずの他人に使える二人称がないが、
> これは特に意味のあることでなく、最高敬意を持った二人称の位置から「あなた」が滑り落ちてから
> 再び最高敬意を持った二人称が登場するまでの空白の時期に今我々が位置しているに過ぎない。
ということは、主客融合論的には、現在の日本は、最高敬意を表す二人称代名詞の席が空き、
少なくとも二人称代名詞での敬意表現上の義務が消失しているか、または弱くなっている時代だ、
というふうに見なせるということなんでしょうかね。
それにしても日本語のラングにおける二人称代名詞の記号的価値は強固ではなく意外と脆いんだね。
歴史的に安定していない。話者によってじきに価値を奪われ、次次に取っ替えられていってしまう。
- 221 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 00:56:12 0
- >>211
問題にしているのは、敬意表現を話者に強いる義務的性格の度合いですよね?
とすれば、「敬語」という形式で敬意表現を実現する日本語のほうが、そうでない
言語に比べてその度合いが強いとする根拠はどこにあるんでしょうか?
敬語という単語上の形式でなくとも、語用論上の形式、ディスクール上の形式などで、
同様の義務的強制力を話者に対しもたせることだってできるのではないですか?
そして後者のほうの形式のほうが話者によりいっそう敬意に対する神経を使わせる
ということだって考えられなくはないと思うのですけど。
- 222 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 01:05:44 0
- ttp://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA11286840/J-Int-Edu-HiroshimaUniv_10_29.pdf
今までの流れを意識しつつ読むと、色々ヒントになる共通点を見出せると思う。
- 223 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 01:26:37 0
- >>207
自分から見れば、すぐになんでもかんでも「主客融合」で説明しようとするほうが
よほど学問的な態度から離れているように見えるね。
あまりにもどれもこれも場当たり的でこじつけに過ぎる。
なぜ日本語の人称代名詞が安定しないのか、一般名詞や指示代名詞との境界が
はっきりしないのはなぜか、なぜすぐに敬意が下がっていくのかという問題は
恐らく通時的、共時的に見ても過去の日本語や日本語の諸方言に共通する問題で
日本語の本質的性質と言えるだろうが、かと言ってそれをすぐに社会構造だの
個人の意識だのに結びつけるのには疑問を感じる。最後の1行などあまりに抽象的。
言語の性質が必ず社会や話者の精神構造と結びついていなければいけないのか?
日本語史上、全ての人に用いることのできる二人称は自分の知る限り無い。
少なくとも歴史上ほとんどの段階で、敬意の度合いによって複数の二人称があった。
ただしこれはあくまで中央語の歴史だということに注意しなければならない。
過去の方言の二人称の体系がどうだったかというのはほとんど何も分からない。
現代の方言を探せば、全ての人に使える二人称がある可能性もある。
>>220
それにしても、「あなた」が最高位の敬意を失ったのはせいぜいここ100年ほどの話。
しかも「そちら」などが既にその地位を埋めつつある。こんなにめまぐるしく変わる現象の一瞬を切り取って
それに特別な意味があるように論じることが果たして正しいのだろうか。
- 224 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 01:35:55 0
- 体系的な「敬語」というものの発展自体には、社会構造などが関わっているというのは事実だろう。
一般に、日本語の方言で「敬語」が発達しているのは近畿地方の方言だ。
特に、歴史的に長く中央語の位置を占めてきた京都方言は、敬語が体系的に発達している。
尊敬語や謙譲語の専用の形式を体系的に持っているのは近畿地方を中心とした一部の方言にほぼ限られる。
例えば関東地方の方言は全体的に敬語があまり発達していない。
その中で東京の方言は敬語が発達していて、関東地方の中で方言の島を形成している。
これは、江戸時代中期以降に江戸が文化などの中心の位置を占めるようになったからだ。
江戸方言は江戸時代に入ってから上方の方言の影響を強く受け、複雑な敬語の体系を輸入した。
この名残は色々な点に残っていて、例えば「〜ます」の否定が「〜ません」となり、
「〜ない」を否定に用いる東京方言の中で唯一「〜ん」の使用が義務的となっていること、
「〜ございます」の直前が「あぶのうございます」などとウ音便を取ることなどが分かりやすい痕跡だ。
一方、丁寧語になると、大抵の方言が持っている。ただし、茨城、栃木、福島あたりの方言は
丁寧語も発達させていない。これは無アクセント地域とも重なり、語彙や音韻の面からも、
京都の影響が最も希薄だった地域と一致する。
社会的な上下関係があり、それに応じて言葉で敬意を表し分ける必要性に迫られれば、
それに応じて体系的な敬語が発達するのは自然。例えば現在、「正しい敬語」を使える人が減りつつあると
嘆かれることがあるが、これも現在の敬語が成立した時点と現在の社会構造が異なり、敬語の体系が
現在の社会構造に適合したものに再編されつつある過渡期にあるためだとみることもできる。
- 225 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 11:34:41 0
- >>224
なるほど。一般に、敬意表現というのは上流階層、支配階層で発達するとは言われていますね。
ただし今ここで問題になっているのは、「敬語」と「敬意表現(一般?)」との対立図式のようです。
比較の対象となっている欧米ではどうなんでしょう? 西欧には王室の残存している国もありますが、
西欧の貴族や王族の社会にはやはり発達した「敬語」体系というのが独自に見出せるんでしょうか?
また、関東には鎌倉(室町)、江戸といった武家社会を支配階層において栄えた都がありましたが、
その周辺では敬意表現が発達したり庶民の間にまで普及した事実はないということなんでしょうか?
- 226 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 11:48:45 0
- その点からみると、関西人は主客融合的、関東人は主客分離的?
もっとも主客分離的なのは茨城、栃木、福島あたりの人たちということ
になりそうだね?
あと、「敬語」は英語の「敬意表現」とは全然ちがうみたいなことを言うけど、
日本語の敬意表現の作り方の手段が単に膠着語的な特徴をもっている
ということであって、動詞の語尾にお決まりの慣用語句をくっつけたり、
名詞に「お」とか「ご」をくっつけたりするだけ、ということじゃないのかなあ。
英語は膠着語じゃないけど、英語でもPleaseとかMay IとかWould youを
文に付属させるとそれだけで敬意表現の一種だなということが想像できるよね。
- 227 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 11:56:03 0
- 敬語が発達しているかどうかで、すぐに「関西人は主客融合的」「茨城人は主客分離的」
ということに何の意味があるのか。場当たり的に印象を当てはめているだけではないのか。
あんたの言う「主客融合的」とは一体何なのかさっぱり分からない。
単にステレオタイプの「西洋的なもの」を「主客分離的」、「非西洋的なもの」を「主客融合的」と
呼んでいるだけではないのか。
- 228 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 12:01:31 0
- 西洋語(というより英語)と日本語を比較して、その違いを見て、
英語のほうの特徴を主客分離的な特徴、日本語のほうの特徴を主客融合的な特徴と
安易に言っているように見えるが、日本語のほうでもちょっと歴史を遡ったり方言を見渡すと
反例が見つかるし、英語でも同様に反例が見つかる。そういった場合に、
「この時期の日本語は主客分離的だった」「この方言は主客分離的だ」などという。
これではあまりにもいい加減で非論理的だとは思わないか?
- 229 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 12:06:10 0
- >>227
すみません。
>>226を書いた者ですが、私は主客融合論者さんではないんですけれども、
主客融合論者さん的な観点をあえてそのまま真に受けるとすれば、
>>224さんの情報に対してそういう解釈が成り立っちゃうんじゃないかと。
下段二つは、主客融合論者さんがいう、日本語の「敬語」と英語の「敬意表現」
の形式がそれぞれ異なるのは主客融合程度の反映だとする解釈への異論です。
- 230 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 12:30:47 0
- 英語などのヨーロッパ系の言語にも、同義語や類義語の類があって、それぞれの単語に
軟らかいニュアンスと硬いニュアンスの違いなどが含意されていて、その使い分けによって
目上の人や尊敬する人や年配の人や改まった公式の場面などの敬意表現として使える
ようなケースはいくつも見出せるんじゃないのかなあ。どうなんでしょうか?
- 231 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 13:13:05 0
- こんなんあったよ
ttp://www.gengo.l.u-tokyo.ac.jp/~animacy/index.html
- 232 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 15:22:31 0
- >>125
スウェーデンって全体的にはいい国だと思うけど、
ノーベル賞の選考に関してはスウェーデンらしくないよね…。
村社会(前近代社会)とは一番縁遠い国だと思っていたのにな。
大麻だってヨーロッパの中で一番規制が厳しいのに。
大麻…幻覚植物。主客融合を促す作用がある。
前近代的な社会では「神の草」として神聖視されている。
- 233 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 15:45:13 0
- サピア、ウォーフを支持する研究者は文系
スティーブン・ピンカーを支持する研究者は理系
という印象だね。
- 234 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 16:29:59 0
- 北欧といっても、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランドは
言語的に同じ系統で、アイスランドを別にすれば、互いにある程度意思疎通が
可能だといわれるけど、フィンランドの公用語は他の北欧諸国とかなり違って、
印度欧州語族にも属さないから、やっぱり北欧の中では異質な存在なのかな?
- 235 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 16:37:29 0
- >>91
>>117
ここで話題になっている丸山圭三郎さんはジャック・デリダ氏ら、
ポスト構造主義にも極めて近い思想的立場にある人なんだよねえ。
サピア-ウォーフの説はポスト構造主義がいちばん拠り所にしているんじゃない?
- 236 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 16:38:45 0
- >>232
ノーベル賞のことはともかくとして、日本の場合、
「規範意識の転換が急務である」ということは明らかじゃないのかな。
(ムラ志向→「自立と共生」志向、義理人情→遵法精神など) (>>60)
- 237 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 17:24:15 0
- >>232 >>236
自分の感覚的なエッセイ、ポエムを投稿したいならよそでやってくれ。
あと>>232と>>236って文体的に同じ人だよな?
- 238 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 17:29:09 0
- >>237
自己レスの独り言が好きなんだよきっと
おっと、また逆に自演認定されちゃうかな〜
- 239 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 17:39:02 0
- 日本人に一挙に4人も授章させたスウェーデンを見損なったとでも言いたいのだろうか?
- 240 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 20:07:17 0
- >>236の補足
・ムラ志向=「主客融合・主客一体・主客内閉&共依存」志向
・「自立と共生」志向=「主客分離&相互協力」志向
- 241 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 20:12:35 0
- >>235
構造主義の人も、ポスト構造主義の人も、
ノーベル文学賞のル・クレジオって人も、
思想的立場としてはポストモダン(=ムラ志向)ってことだよね…?
- 242 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 20:19:43 0
- サピア=ウォーフとかソシュールとかは
事実を考察しているだけで
「アンチ近代文明」という感じの思想的立場はないんじゃないの?
- 243 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 20:47:26 0
- なんでこの人自分で自分にレスしてるの?
文体の特徴が強すぎて丸分かりなんだけど。
- 244 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 22:17:57 0
- 日本の中には方言のみならず、かなり異質なアイヌ語(縄文語)もあるんだよなあ。
別系統の言葉なんだろうか、日本語と韓国語の距離よりも離れている気がする。
動詞の人称変化があるのは英語以外の西欧言語みたいだ。
主格の人称のみならず目的格のの人称によっても変化するらしいから西欧語以上。
でもその変化のさせ方はなんとなくトルコ語やスワヒリ語を思わせるところがあるね。
- 245 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/22(水) 22:18:58 0
- 詳しそうなやつに論理的に詰め寄られると出てくる気がするな
曖昧な話に戻そうとでもしてるのかなんなのか
- 246 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 00:40:42 0
- >>204
'>>202-203'
- 247 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 00:42:11 0
- >>128
'>>126-127'
- 248 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 10:22:29 0
- >>221
自由度があるほうがかえって発話主体に意識させるという可能性もあるな。
形式的に完全に決まっちゃっていれば、かえってそれは義務的とは感じられず、
発話主体はそれを丸暗記するだけでこの場合はこの表現を使うべきか使うまいか
実際のコミュニケーションで迷って神経を悩ます必要がないし、その必要がない
だけ意識の中にわざわざ表象させずに済むことになる。
- 249 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 11:59:20 0
- フロイトはコカイン中毒だった 虚構の神話
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/19463508
- 250 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 13:18:09 0
- >>241-242
構造主義とポストモダン、分けて考えたほうが良くない?
・「社会構造は言語構造や自我構造と関係がある」 …構造主義
↓
・「近代的な自我は絶対的なものではない」 (サルトルとストロースの論争)
↓
・「前近代的な社会(村社会)や前近代的な自我のほうが人間のあるべき姿である」
…ポストモダン(=ムラ志向)
- 251 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 13:31:29 0
- 広い意味で言うと
ヒッピーなんかも「ポストモダン」になるのかな。
- 252 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 13:35:57 0
- そうやって自分自身に話しかけるのも
なんでも広い意味で曖昧にとらえちゃう考え方も
みんな主客融合的を体現するパフォーマンスということだよね
なるほどね
- 253 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 14:06:25 0
- >>217
二人称というのは、基本的に当の相手を前にして、その相手に向って語りかけ
ながら用いられるものでしょ。だから、単数と複数を区別する必要性は低いと
言える。区別しなくてもまぎれることはないということ。
これは、仏語において、現場指示の代名詞が、「近・中・遠」の区別なく使わ
れるのと同じことでしょ。(文脈指示は区別される。)
ちゃんと説明はつくよ。
- 254 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 14:40:46 0
- >>252
いやいや。
少なくとも当方がこれまで言ってきた主客融合的態度とは、
典型的には二人称との融合・癒着。だからして、
言いたいことがあっても「これを言っても受け入れてもらえないだろうな〜」
と黙ってしまったり、逆に思ってもいないことでも「こんなこと言えば、受け
入れてもらえるかも」と口にしてしまったりするのが、主客融合的態度。
だから、むしろ、>>251さんはガチガチの主客分離さんだよ。
それがいいかわるいかはともかくもね。
- 255 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 15:03:12 0
- >>253の追加
所期の目的を達することができる限りにおいて、無用な言い分けはできるだけ
省力化しているのだと解釈できる。
あと、あなたに言いたいのは、単発の事象をあげて云々するのは意味がないの
では?ということ。
こちらのその主張の裏付けとして「一連の事象」をあげている。
>果たしてこれをもって英語話者が二人称を個人と集団とに見分けていないと云うんでしょうか?
>そこまで言わなくとも、英語話者がコミュニケーション対象を個人として扱っていない証拠だと?
たぶんそんなこじ付けを裏書する事象は他に見当たらないのでは?
- 256 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 15:07:16 0
- 失礼
>>255
(誤)こちら の その主張の裏付けとして「一連の事象」をあげている。
(正)こちら は その主張の裏付けとして「一連の事象」をあげている。
- 257 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 16:10:19 0
- >>214
>関わりを持たないと言っているのではなくて、恣意的な関わりあいしか持たないから
>そこに必然的な一対一の対応関係を見出してはいけないということ。
だれも心とことばの間に「必然的な一対一の対応関係」があるなどとは言って
いない。
>>215,216
>心の側に記号の素となるような積極的な差異なり実在なりがあって、それが記号に
>反映して表象・表現されたのでなく、純粋に記号同士の関係の産物だよってことね。
前にも聞いたが、じゃあ、その記号は「何の産物」なんだよ?
「たまたま」? 「単にそうあるだけ」?
あなたの発想には、「成り立たせるもの」を析出しようとせず「成り立ってい
るもの」をただそのものとして受けとめようとする「なる的価値観」を強烈に
感じる。
いっぽう、
ソシュールは、一方で記号同士の相互的関係を強調しつつ、一方で記号を「成
り立たせるもの」への言及を行っている。
それが「視点」(共同主観)ですよ。(「視点」についてあなたはどう考える
の?と何度問いかけてもシカトでしたね。)
『ソシュール小事典』の[価値]の項を見ると、次のようなソシュールの発言
が引用されている。
「価値を対象とするや否や、その関係性が問題となる。いかなる価値といえど
も個的存在ではあり得ず、シーニュは集団の容認によってしか即自的な価値を
もつには至らないであろう。シーニュの中には、一見二種の価値すなわち即自
的な価値と集団から生まれる価値があるように思われるが、実はいずれも同じ
ものなのである。(…)いかなる次元にせよ、集団によらない価値体系など存
在しまい。」(frag.1842)
この発言に、以前にも引用したfrag.3295aをあわせて読むと、あなたの理解が
いかに偏ったものであるかはもはや明らかだと思う。
(frag.3295aは、>>145に引用済み。)
- 258 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 16:42:54 0
- >>253
でも古い英語ではそれらを区別して使っていたわけだよねえ。その時には区別する必要があった。
あなたがたの考え方からすれば、少なくとも英語話者たちはそう共同主観的に感じていた?
ことになる。人称にかかわる語とその統語的形態がその語の話者たちの人間関係観及び自我構造
を直接に反映するはずだとあなたたちのように考えた場合、その点の説明がつきがたい。
現代英語に比して日本語はといえば、あなたとあなたたちという人称代名詞の区別を話者に
選択肢として用意している。しかも豊富な人称名詞を用意して、話者に社交関係の上での
チェスの駒をいくつか与えている。もちろんそれぞれの駒には属性が予め備わっていて、
戦略に規範的制約がかかっているものの、それでも話者に選択の余地は与えている。
しかし現在英語では、それを選択する人称代名詞をもたない。つまり一意に強制されている。
> 二人称というのは、基本的に当の相手を前にして、その相手に向って語りかけながら
> 用いられるものでしょ。
それは言外状況論的な、現場性の観点からすると話し手と聞き手双方に「自明」だからという、
こちらが提示していた解釈の一つに近いね。>>138
(ちなみにそこでは、>>112さんからご指摘があったように、I love you.といった人称代名詞
を明示した文でさえも言外状況から切り離されれば解釈上の自明性を失うと付言しておきました)
実際の対話場面では、状況からして人称代名詞や人称一般名詞(特に一人称と二人称)を省略し
ても意味的に自明な場合が多いので(英語でも命令文が通常主格のYouが省略されるように)
伝達が成り立った。それは人称名詞のたぐいに限らない。述語が状況上自明になる場合もあった。
例えば「うなぎ文」。発される言葉のパターンが特に限られた儀礼的発話場面では述語を省略
しても伝達上の不自由が現実上生じなかったと考えられるどころか、そのほうが発話の
エコノミーおよび伝達のエコノミーという観点から考えても効率的だったと考えられる。
あなた流の発想であえてこじつけると、日本人は効率性を求めたw 俗流日本人論と一致!w
そういう解釈だって可能かもしれないと書いてきたわけですね。
- 259 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 17:15:24 0
- >>258
>その点の説明がつきがたい。
ごめん。「その点」って何のことを指しているの?
明確にお示しください。
後の部分も、何をおっしゃりたいのかいまひとつ分からんw。
>それは言外状況論的な、現場性の観点からすると話し手と聞き手双方に「自明」だからという、
>こちらが提示していた解釈の一つに近いね。>>138
近いけれど、違う。
「辞項」としての二人称は、まさに発話の現場を構成する要素だよ。
二人称は発話の現場にしか存在しないと言っていい、
すぐれて現場的な表現。
そこに「現場性」が絡んでくるのは当たり前と言える。
それらと「うなぎ文」等をいっしょくたにしてはいけない。
欧語において、二人称にかぎって「敬語」があるのも、今述べた「現場性」が
関わっていると思われる。
- 260 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 17:27:26 0
- >>254
> 少なくとも当方がこれまで言ってきた主客融合的態度とは、
> 典型的には二人称との融合・癒着。
そう解しても>>252さんの話は通じるんじゃないの?
通常、伝達主体が一人称、伝達対象が二人称を意味するからね、
伝達主体と伝達対象の未分化性・癒着性という意味にそれをとらえるとすると、
>>251さんの書き込みには伝達主体と伝達対象との間に距離感覚がない。
そう>>252さんにも受け取られているようですね。
伝達対象を巻き込む客観的事実に関する真偽、すなわち公共的な知識の賛否
についての話題で、伝達主体である自分の主観的な発想の趣くままにそれを
客観的な対象に強引に当てはめ、そうでない異質な他者の発する意見はまるで
感知せずといった感じで、話をどんどん展開し飛躍させていってしまう。
「ドーナッツ論」の用語を借りれば異質な他者への伝達を想定した論理モード
になっていない。これが言葉の真の意味での主客融合。この表現にぴったり。
倫理のレベルでいえば個人主義というよりはエゴイズムになってしまっている。
個人主義であるならば、自らの意見が自らの主観性の範囲に留まるということ
について極めて意識的で謙虚であるはずだし、それを二人称である伝達対象に
通じるように伝達させようと思ったら、せめても公共的な表現スタイルである
論理モードを重視しようとする表現に努めるはず。
- 261 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 17:51:24 0
- この種の話題が議論されているのはどうやらこのスレッドだけじゃなさそうで
日本人は集団主義的か? ― 日本人論を実証的に検討する ―
ttp://www.musashino-u.ac.jp/ningenkankei/kankyo/gd53/contents/jsinp.pdf
- 262 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:02:53 0
- >>260
誰かさんみたいに表面的な論理モードだけがご立派なだけなのも
問題じゃない?
それに、
>伝達主体である自分の主観的な発想の趣くままにそれを
>客観的な対象に強引に当てはめ、そうでない異質な他者の発する意見はまるで
>感知せずといった感じで、話をどんどん展開し飛躍させていってしまう。
というのもあくまでもあなたの「主観的な発想」でしょ。
>論理モードを重視しようとする表現に努めるはず。
だれであれ「論理」は大切にしていますよ。
結局ことばの多寡の問題であって、論理モード云々はあなたの「主観的発想」
だと思うがな。
なお、この話題は明らかなスレチなので、この話題に関する私の発言は、
これまでとさせていただきます<(_ _)>。
- 263 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:04:40 0
- >>260
> 倫理のレベルでいえば個人主義というよりはエゴイズムになってしまっている。
> 個人主義であるならば、自らの意見が自らの主観性の範囲に留まるということ
> について極めて意識的で謙虚であるはずだし、
という意味では、
心理述語文においてのみ確固とした不変的自己をもつ傾向にあり、そうでない述語
については発話相手の立場に立った表現に努めようとする傾向が見られる日本語は、
上述のような意味での謙虚な個人主義と合致するように思える。
ttp://socrates.berkeley.edu/~hasegawa/Papers/Groupism.pdf
の論文は、英文のIは伝達指向的な公共的な自己であるとする解釈案を提示しているが、
このことから英語の自己像のほうが第二者や第三者である世間に依存した主客融合的自己
像を映し出しているとも考えられなくはない。
上の参照論文では、公共的とは伝達的と同義で、個人主義という政治哲学的意味はない。
- 264 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:13:13 0
- 思うに、>>254さんが二人称との癒着といっているのは、伝達主体が伝達対象に配慮して
伝達に努めようとする心理について、そう言っているような気がしますね。
発話が伝達を指向する場合には、発話者は相手の認識になるべく近づいて伝達するほうが相手に
伝わりやすいだろうと考えるのは当然で、その結果として日本語に現れたかもしれない傾向を、
>>254さんはどうやら主客融合と言いたいように思えるのですが。
- 265 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:24:15 0
- >>263
>このことから英語の自己像のほうが第二者や第三者である世間に依存した主客融合的自己
>像を映し出しているとも考えられなくはない。
また、その論法??
ある考えを提示するなら、ちゃんと腰(自己の存在)を入れてやりなよ。
少なくともあなたの説明を聞く限り、まったく何のことか意味不明。
話の前段と後段がどうつながるんだ???
(「このことから」の前後ね。)
- 266 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:38:12 0
- >>255
> こちらのその主張の裏付けとして「一連の事象」をあげている。
「一つに連なっている」とあなたがたが主張して挙げられている事例そのものに、
あなたがたによって一意に限定された解釈がかなり入っていて、そこがここで
いちばん問題になってきたところなんですけどね。
他の解釈可能性については、こちらもぼちぼちと挙げていくつもりでいます。
日本語の人称名詞が多いことも、むしろ言語が個々の話者に多様な自己像を演出させ
うるという点で、英語よりも個人重視の言語であると考えられるのではということも。
日本語の人称名詞が義務的なところをあなたは強調しますが、本当に義務的ならば
個人のなかでその選択に迷うような場面は出てこないはずなんです。
しかし実際にはファッション選び同様にどれを着て出かけるか迷わせる選択場面も
多々ある。自由に選択できるはずのファッションだって社交上の制約に依っている。
こういう服装で行けば相手にどう見られるだろうという制約はどんな場合にもあるので、
結局ファッション選びにも人は他者の目を気にしていることが観察できる。
ファッションに気をつかうことそのものが、そもそもそうなんじゃないでしょうかね?
ルネジラールのいうように、近代人も結局、模倣欲望というものに支配されている。
- 267 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:45:17 0
- >>264
>>254の説明を読んでもらえばよかると思うけど、私が「二人称との癒着」
と言っているのは、要するに「おのれ」が希薄になること。
まず「おのれ」があって、その「おのれ」が相手と交信をするのか、
まず「相手」があって、「おのれ」はその後に居場所をうるのか。
(所詮、程度問題ではあるのだけれどね。)
※↑森有正、木村敏氏らの考え。
敬語・相対的人称詞の義務的使用が示すのは、日本人にあっては、自己の位置
づけも(人称詞)、文体(敬語)も相手次第で動いてしまうということ。
その程度が著しいということ。
これを「効果的な伝達」という観点からのみ理解するのは無理があると思うよ。
>発話が伝達を指向する場合には、発話者は相手の認識になるべく近づいて伝達するほうが相手に
>伝わりやすいだろうと考えるのは当然で、その結果として日本語に現れたかもしれない傾向を、
「相手への接近」というのは、私も注目していることだけれど、あなたは「当
然」というが、なぜ日本語に特徴的なのかは考えてみるべきでは。
その際に、見落とすべきではないと思うのは、相手への接近は、第三者への排
除、公共性の喪失につながっているということ。
欧米の言語が、日本語に比べて、この「相手への接近」が見られにくいのは、
この第三者の排除、公共性の喪失を嫌ってのことだと思われる。
- 268 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 18:54:53 0
- >>257
> だれも心とことばの間に「必然的な一対一の対応関係」があるなどとは言って
> いない。
言語のなかに見出せる意味が、そのまま心や社会にもイコールで一意に見出せるはずだ
といわんばかりに、日本人が主客融合的である証拠=日本語みたいに主張してません?
しかも、そのあなたの解釈のあり方が一つに限定されていて、
ああいう解釈も可能かもしれない、もしかするとこういう解釈だって可能かもしれない、
というところにほとんど目を向けようとなさらないのでね。
論理モードでものを考えるのでしたら、そういう可能性の提示についても耳を傾けないと。
> 前にも聞いたが、じゃあ、その記号は「何の産物」なんだよ?
> 「たまたま」? 「単にそうあるだけ」?
> あなたの発想には、「成り立たせるもの」を析出しようとせず「成り立ってい
> るもの」をただそのものとして受けとめようとする「なる的価値観」を強烈に
> 感じる。
いや、だから、そう断じてはいないでしょう。現時点では、あなたのように一意に解釈
して話を飛躍させていっちゃうところに問題があると言っているだけなのです。
もしかすると、社会的文化的事象にも「偶然的」「偶発的」ということがいくらだって
考えられるかもしれませんよ。Aという人物とBという人物とがたまたま偶然出遭った
ことから歴史が動いたなんてことはいくらでもありそうです。その遭遇がAとBという人
の意図や自我構造によってもたらされたと果たしてどんな場合にも言えるのでしょうか?
その遭遇それ自体はAさんとBさんの意思とは無縁に字義どおり偶然だったかもしれません。
- 269 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 19:07:36 0
- >>267
そのあなたの推論というか解釈では、人称がそのままその人の自己精神・自我・人格の
分身であると一対一に対応づけちゃっているんですよね。だから人称名詞が対称によって
変化するとその話者主体の自我も人格も変わっていることの証拠だとイコールで発想しちゃう。
敬意表現についてもそういう発想なのかな?
これは突き詰めていくと個人の自己精神・人格像のとらえ方とも関係がありそうですね。
パーソナリティの語源がペルソナで、ペルソナがラテン語で「仮面」を意味しているという
西欧言語史からみれば、西欧にはそういった自己認識、個人認識の基盤があったんでしょうか。
- 270 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 19:12:05 0
- >>268
>いや、だから、そう断じてはいないでしょう。現時点では、あなたのように一意に解釈
>して話を飛躍させていっちゃうところに問題があると言っているだけなのです。
また、「〜だけ」ですか?
あなたが私の考えに批判的なのは分かっていますよw
で、お互いに根拠を出し合って議論している。
その中で、ソシュールの学説が出てきた。
(あなたの方ですよね、持ち出したのは。)
あなたはソシュールを根拠に私の主張はおかしいと言った。
私はむしろソシュールの主張は、こちらの言い分を支持していると
言っている。
その話題から逃げて、また別のことを話し出すのはやめてください。
- 271 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 19:15:28 0
- >>269
>そのあなたの推論というか解釈では、人称がそのままその人の自己精神・自我・人格の
>分身であると一対一に対応づけちゃっているんですよね。
「深く関わっている」のではと考えていますよ。
「一対一に対応づけちゃっている」って、どういうことですか?
あなたの言う「一対一」というのが何を指しているのかが分かりにくいです。
- 272 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 19:27:02 0
- >>270
本人じゃないけど、ひとつ言わせてもらう
そういう「だけ」を特定していくのが議論というか、推論のセオリーじゃないの?
この言葉や文章や論はあれもそれもこれをも意味しているものです、じゃ話にならないでしょ?
なぜかそういう態度を嘲笑の対象にしているようだけど、それはおかしいでしょ
あとは知らんから本人同士やってくれ
- 273 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 19:54:14 0
- >>221
>敬語という単語上の形式でなくとも、語用論上の形式、ディスクール上の形式などで、
>同様の義務的強制力を話者に対しもたせることだってできるのではないですか?
「英語には、いついかなる場合にも用いうる中立的な表現が存在する」という
こちらの主張を否定するなら、具体例を出してほしい。
>>226
>英語は膠着語じゃないけど、英語でもPleaseとかMay IとかWould youを
>文に付属させるとそれだけで敬意表現の一種だなということが想像できるよね。
それらの表現に「義務性」や「被択一性」はありますか?
ないでしょ。
日本語の敬語とは同列には論じられない。
>>230
オプショナルなものとしての、「敬語」ならぬ敬意表現・配慮表現ならある
でしょうね。でも、日本語のように、その使用が義務的で、辞項として定着し
ているものはない。
- 274 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 19:59:28 0
- いくら推論ごっこをしても実証的じゃなくちゃ客観的には意味がないんだよね。
それでは厳密には推論にさえならない。幽霊はいるかいないか的な推論に終わる。
私がここで問題にしているのは、日本語や日本人の主客融合性を云々する前の
前提であって、その手続きそのものです。
単に主観的な感覚の一人称二人称間の共有としてそういう談笑をしたいだけなら、
私はなんとも言いません。
- 275 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 20:12:04 0
- >>223
>それにしても、「あなた」が最高位の敬意を失ったのはせいぜいここ100年ほどの話。
>しかも「そちら」などが既にその地位を埋めつつある。こんなにめまぐるしく変わる現象の一瞬を切り取って
>それに特別な意味があるように論じることが果たして正しいのだろうか。
<中立的な人称が存在せず、めまぐるしく表現が変わっていく>というのは、
「一瞬」のことではなく、日本語史上延々と認められる現象だよね。
人称詞の使用が「相手との微妙な関係性」を背負い込むからこそ、めまぐるし
く変化してきたと考えるのが妥当では。
(あなたに言わせれば、これも「たまたま」なのか??)
>>224
>社会的な上下関係があり、それに応じて言葉で敬意を表し分ける必要性に迫られれば、
>れに応じて体系的な敬語が発達するのは自然。
これも、「なる的発想」というか、「〜だけ(にすぎない)的発想」だけれど、
じゃあ聞くが、上下関係がある集団ではどこでも敬語が発達するのか?
敬意が言語的に定着する(「敬語」の成立)ということは、それだけその集団
において、上下(・親疎)関係が強く・広範囲に意識されていることの反映と
考えていいはず。
そして、上下(・親疎)関係とは、当方の言う「相手との具体的関係性」の下
位項目の一つ。
- 276 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 20:17:57 0
- >>274
>私がここで問題にしているのは、日本語や日本人の主客融合性を云々する前の
>前提であって、その手続きそのものです。
その前提の一つとして、ソシュールの学説について議論していたのではなかっ
たのか?
- 277 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 20:18:05 0
- エングラー版『講義』断章番号1931
「(1) 記号の恣意的性格(記号とそれが指示する事物の間には関係がない)。」
(『ソシュールを読む』丸山圭三郎著 岩波書店 120頁より)
要するに、「私」とか「俺」という人称詞と、それが指示する事物(レフェラン)
である話者自身とは「関係がない」ということです。
- 278 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 20:21:36 0
- >>273
義務性ってなんなんなの?
ソシュール的立場だというなら、彼はパロールは個人の選択に依拠すると言っているよね。
May IかWould youのどちらを選んで発話しようが個人依拠。自由。
それは日本語においての「単語」形態だろうが、英語においての「文章」形態だろうが、
選択は自由ということじゃないの?
なぜ「単語」になったときだけ、使用がより義務的であると言えるの?
私の感覚では、英語も日本語に負けず劣らず「Watch your mouth」
口に気をつけなさいという躾を耳にする機会が多い気がするよ。
それだけ口のききかたに厳しい、敬意表現に義務的であるということも考えられると思うのだけど?
- 279 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 20:34:07 0
- >>275
日本語がたまたま「人称なし」の構文が豊富に出来て、
そのほうが「中立的」だったから、めまぐるしく変わってもさして問題がなかった、とも考えられるのでは。
その「たまたま」は「人間の性格がそうだったから」というよりは「文法がそうだったから」起こったとも考えられるよね。
なのになぜそこで、「人間の性格がそうだったから」とか一意的に導出されるのかが不明。
「不定人称」とか「無人称」とか「ゼロ人称」なんて言葉もあるようだけど。
- 280 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 20:43:47 0
- >>277
それ、ぜんぜん「要するに」になっていないと思うよ。
>>278
>ソシュール的立場だというなら、彼はパロールは個人の選択に依拠すると言っているよね。
「ラングによる制限」はどうなった?
>なぜ「単語」になったときだけ、使用がより義務的であると言えるの?
(「単語」になったときだけ〜、なんて言ってないよ?)
英語にも丁寧表現やフランクな表現はあるが、一方でだれに対しても用いるこ
とができる表現もある。
つまり、丁寧な表現もフランクな表現も、その使用は任意と言うことができる。
極端に言えば、使いたければ使えばいいし、使いたくなければ使わなくていい。
一方、日本語は、「上・下 親・疎」の関係性において、「上・疎」に使われる
表現と、「下・親」に使われる表現がすっぱりと分かれており、だれに対して
も使える中立的な表現が存在しない。
(いわゆる「敬語」と「タメ語」ね。)
つまり、日本語では、「上・疎」の相手に対して敬語を使うのは義務的であり、
「下・親」の相手に敬語を使わないのは義務的、ということになる。
任意ではないのだよ。表現の選択において。
- 281 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:01:14 0
- >>257
> ソシュールは、一方で記号同士の相互的関係を強調しつつ、一方で記号を「成
> り立たせるもの」への言及を行っている。
> それが「視点」(共同主観)ですよ。(「視点」についてあなたはどう考える
> の?と何度問いかけてもシカトでしたね。)
どうやら丸山さんのソシュール読解というか解釈(丸山さんによると読解=表現)が
加わっていて話はより複雑だけど、
要するに、ソシュールがそこで言っているのは、記号システムにおける意味の単位が、
単位間の関係に先立って成り立つのではなく、その逆で、記号システム内の関係に
よって単位がもたらされるということ。
ソシュールはその関係、絆のことを視点とも恣意性とも価値とも言い換えているだけ。
視点とか価値というのは相対的なものでしょう? それをソシュールは言いたい。
つまり単位より先に関係があることを、事物より先に視点があるという喩で言っている。
それは物理的、心理的(脳物理的)実在をもつ単位としての視点のことではなくて、
記号のシステム内部での境界の線引きに依拠しているという意味での視点。
でないと記号学はけっきょく心理学に還元されてしまうし、独自に成り立ち得ない。
- 282 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:01:32 0
- >>280
だからさ、それ言語の問題じゃないじゃん
言語構造に規制されてないじゃん
誰かもいってたけど、日本語で偉い人に向かって
これはペンだという表現はあるという反証には目を向けないの?
親に向かって「おねがいします〜、宿題手伝ってください〜」と頼んだりする
自由な選択をしたことがないの?
- 283 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:02:31 0
- >>251
「国家の品格」もポストモダンと言えるのかも。
- 284 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:11:20 0
- >>280
> それ、ぜんぜん「要するに」になっていないと思うよ。
ごめん、じゃあ「要するに」を省いてもいいよ
こう言い換えたらもっと直截かな
Iとか私という「記号の恣意的性格」:
Iとか私といった「記号とそれが指示する事物である話者主体の間には関係がない」
- 285 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:30:03 0
- >>141,>>164
日本ではノーベル賞って言うと
「絶対的権威」って感じで批判しにくい雰囲気があるけど
海外では選考方法や選考基準など以前からいろいろ批判があるみたいだね。
年に一度のお祭りみたいなものなのかもしれないけど、
アカデミックな賞なんだし、社会的影響力も大きいんだから
もう少し透明性を高めたほうがいいんじゃないかなぁ。
あ…、
でも透明性を高めると権威性が低くなる…?
(なんか日本の皇室とちょっと似てたりして…)
- 286 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:40:33 0
- >>275
「日本語の人称代名詞が安定せず、中立的なものがなく、
敬意によって常に複数の人称代名詞が存在し、
人称代名詞はすぐに敬意を失い、一般名詞や指示代名詞から次々と補給される」
ということなら、日本語史上延々と認められる現象だし、恐らくほとんどの方言にも成り立つだろう。
これを日本語の特質として議論しようとすること自体には意味がある。
もっとも、本当に「特質」なのか、他の言語でもこういう現象が見られないのかはしっかりと検討しなければならない。
一方、「見ず知らずの他人に使える一般的な二人称代名詞が存在しない」
ということなら、これは現在たまたまそういう時期にいるだけで、特別な意味はない。
日本語史を見ても、方言を見ても、この命題が成り立つ場合は少ない。
君はやたらと「『たまたまそうだった』というのはおかしい考え方だ」と非難するが、
そもそも言語体系が社会構造や人間の精神構造に左右されるというのはそんなに自明なことなのか?
こちらからすれば、さして結びつける必要のないものを無理に結び付けておかしな結論に至っているように見えるが。
言語変化の背景には必ず社会構造や精神構造が原因としてあるとでも主張したいのか?
別にそれらと無関係に変化してもいいじゃないか。「たまたま」とか言うのがおかしい。
- 287 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:41:09 0
- >>285
いい加減に独り言をやめろクズ野郎。
- 288 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 21:44:47 0
- ttp://yamatake.chu.jp/03phi/1phi_a/5.html
>
ソシュールは次のように主張している。《これまでの言語研究においてこの主題が現われてこなかったのは次の理由による。
〓言語を名称目録のように見なし、言語内の価値が相互的に決定される事実を見落としてきた。
語は(対象ではなく)体系に依存しているのであり、孤立した記号というものは存在しない。
〓記号のメカニズムを、個人の精神的・物理的行為の中に見出そうとしてきた。
〓記号を考察すべきだと認めても、人はそれを自分の意志に依存するかのように捉え、
言語を契約や協定のようなものとして語る(実際には記号は意志を逃れてしまう)》。
以上のソシュールの主張には、ある循環論が示されている。
それは、記号学が成立しなかったのはラングの本質を正しく捉えなかったからであり、
しかしそれは記号学によらない限り見えてこない、という循環である。そこでソシュールは次の3つの言語観を批判する。
〓言語=名称目録という考え方への批判(コトバ以前に指向対象が存在することはないと主張し、
語の価値は体系内の対立関係からのみ生じるとした)。
〓個人の心理や生理現象を研究してもラングの本質は捉えられないという批判。
〓言語を契約のごとく見なす考え方への批判(ラングという共同幻想は、人為的関係に過ぎないのに、変革不可能な物神性を呈している。
惰性化が強く、社会制度のようには意識されないのだ。)
以上のように、一切の文化記号の本質は、言語の性質を追求することによってはじめて見えてくる。
両者が共通する特徴は、非自然性という意味での恣意的価値体系であることと、記号の形相性なのである。
- 289 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 22:05:18 0
- >>278
> それは日本語においての「単語」形態だろうが、英語においての「文章」形態だろうが、
> 選択は自由ということじゃないの?
私もそう思いますけどね。
話者主体による語用(パロール)に依拠するという点でどちらも同じ話ではないかと。
日本語話者にだって、例えば上司や教師に向かって明るく「オッス!」とフレンドリーに
呼びかけてタメ口をきく選択肢はあるわけです。
英語話者だって、上司や教師に「ヘイ!」と呼びかけて馴れ馴れしく肩を組んで話しかける
選択肢もある。
でもそれをやったときに、その相手がどう思うかという結果責任を負う義務はあるね。
でもそれは話者主体に選択肢があるゆえの自由にともなう責任であって・・・
言語的な構造の問題ではないはずですよね。そう思いますけれどもね。
- 290 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 22:17:49 0
- >>282
例にするなら、「友達に向かって」のがわかりやすいかもね。
弟にだって「お金貸してよ。だめ?どうしても?お願いします。○○様!」とか言えるよね。
「誰に対しても使える」ということを「中立的」の定義とするだけなら、
どんな言語のどんな言葉だろうと中立的ということになるね。
いまだになぜ「敬語」という括りを抜き出して、特にそこだけを他と比較して全体の判断を下しているのかわからない。
直観的に選んだデータとそれをもっての推論という、浅い演繹推理が真を導き得る可能性はなくはないけど、
たとえ導き出した結論がいくら個人的に真に見えようと、それをきちんと深く疑っていくことが学問的態度というものではないのかな。
>>289
書き終わってみたら、同じようなことを仰っていますね。
せっかく書いたのでそのまま投稿します。
- 291 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 22:18:24 0
- ソシュールはそこで、言語を含めた記号の話、すなわち記号のシステム内部の話を
しているんだという文脈をとばすと、とんでもない解釈になってしまう。
ソシュールが講義で言っているのはあくまでも言葉をはじめとする記号内部の話。
言語なら言語が分類しているかぎりでの事物という名のカテゴリーの話。
それが言語内での視点となって言語内での事物の意味を決める。そういう話。
- 292 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/23(木) 22:27:08 0
- >>290
ちょっと言葉足らずだったかな。
きちんと深く疑っていくべきなのは、導出された結論や推論過程だけじゃなく、
恣意的な括りで抽出しているはずの初期データをも疑うべきということね。
本当にその括りのデータを用いることに妥当性があるのかどうかを。
そしてその妥当性がないというのが、ここで反論している人の見方だと思うよ。
- 293 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 00:14:26 0
- >>257
'>>215-216'
- 294 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 15:39:00 0
- >>285
「透明性を高める」のもそうなんだけど、
「近代と非近代の違いを明らかにする」っていう問題もあるよね。
「共生」と一口に言っても、日本を見れば分かるように
「村社会的な共生」ではうまくいかない訳で…。
- 295 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 15:53:56 0
- まぁ、大変難しい問題ではあるんだけど…。
ノーベル賞に関係する人たちがどうこうできる問題ではないのかも。
- 296 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 16:03:17 0
- 突然不思議なことを言うなあ。
言語学がノベール賞に何の関係を持つというのか。
- 297 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 16:19:41 0
- >>294
言語学スレと君の脳内日本観スレの違いを明らかにすることが先決だよ
- 298 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 16:33:04 0
- >>294
氏ね
- 299 :日本人論→以降はこちらへどうぞ:2008/10/24(金) 17:33:33 0
- ●日本の未来は【集団主義】より【個人主義】●pt12
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1224807317/
集団・全体・封建主義的体質が目立つ日本の教育2
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1177682479/
幼稚な日本人、大人になれない日本人
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1216902284/
「協調性が無い」と言われる事を極端に恐れる日本人
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1074747201/
何故日本人は暗い・悲観的・嫉妬が強いのか★2
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1219161595/
日本は「民主主義の皮を被った北朝鮮」
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1087611166/
日本人の陰湿さ
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1218425990/
【驚愕】実は日本の文化って…【愕然】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1094655750/
日本人はいつまで世間に従属し続けていくのか?-2
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1131795619/
子供の「いじめ」は、大人社会の現実が根源だ!
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1164386665/
いじめ問題の解を追求し近代国家に。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1164952959/
日本は目立ち過ぎたら叩かれる
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1163833612/
何故日本人は先輩後輩の上下関係を作りたがる?
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1218704562/
日本はほんとうに先進国になろうよ
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1216775322/
日本社会の西欧化のためにできること
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1213444962/
- 300 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 21:12:05 0
- >>299
一番上の3レス目にいきなりここの主格融合論者と同じような主客融合的なレスしてる奴がいてワロタw
- 301 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 21:35:06 0
- ここで主客融合論者さんが名を挙げていた鈴木孝夫先生。
>>117
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1183141496/702
>鈴木孝夫や木村敏(精神医学者)らが、人称詞における日本語に特徴的な用法
>の分析から、日本人の自我の構造の特殊性を論じている。
インタヴュー
ttp://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603559.html
プロフィール
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/603559/
- 302 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 22:49:58 0
- 来客があったときの
「いま行きまーす」と「I'm coming」なんてのの対比だと、
一見しただけなら英語のほうが相手の立場に立っての発言のように聞こえるのだけど、
それを主客融合論者的に解釈するとどういう心理が隠されていることになるのだろうね。
- 303 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/24(金) 23:26:11 0
- アスペの人ぽかった
- 304 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 02:59:58 0
- >>300
時間的にもここのスレから飛んで行ったご本人様だろうな
- 305 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 08:46:21 0
- >>303
http://ja.wikipedia.org/wiki/アスペルガー症候群
アスペルガー症候群の人はどうやら「空気を読む」とか「暗喩表現、文脈、行間を読む」
といった能力に障害を持っていて、場合によってはそこに不自由さを感じているのかな?
- 306 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 11:27:14 0
- もう「かな?」という文末を見るだけでイライラするようになってきた
- 307 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 13:08:41 0
- 欧米人は自閉症的、日本人は神経症的、ということ..........かな?
- 308 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 13:56:05 0
- >>295
大局的には、
持続可能な「自立と共生」の社会に向かっているとは思うけどね…。
いろいろと差し障りがあるから表立った動きにはならないのかなぁ。
- 309 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 14:04:36 0
- 本物御降臨?
- 310 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 14:11:31 0
- 敬語とか人称詞とか主語の省略とか…
日本語には村社会的な特徴がいろいろあるけど、
一番のポイントは
内閉的な互酬関係を表す恩恵表現(〜てあげる、〜てくれる、〜てもらう)
じゃないかな…?
「恩恵のやり取り」や「義務的な返礼」が大前提になっているから
こういう表現が発達するんだと思うんだけどな。
個人的な経験から言っても、
「〜してあげる。」とか「〜してあげたら?」とか
「○○さんは〜してくれた。」とか…、結構抵抗を感じることがあるんだよね。
- 311 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 14:13:42 0
- もう死ねよお前
- 312 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 14:30:08 0
- >>310
でも、北欧の福祉社会体制も、その体制へのほぼ全員参加を、ほぼ全国民的な徴税システムという形で
全体主義的に強制しているシステムではあるんじゃないの?
もちろん民主国家であるかぎり選挙制度で国民の多数派による合意と信任をとりつけているんだけれども、
でも選挙という手続きを経たとしても多数派に少数派が有無をいわさず従属させられる事実に変わりはない。
それに、高福祉高負担に対する多数派の合意を得られるのは、「持ちつ持たれつ」な互酬性への北欧人の
尊重気質が潜在的に文化的にあってはじめて可能になっているとも考えられるんじゃないかなあ。
高負担による再分配体制への総意が作り出せるだけの互酬性感覚がそれ以外の諸国にあるのかどうか。
- 313 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 14:58:17 0
- >>310
あのさ、だからそれは日本語が単独の、そう仕切られた語で表せるようになってるだけであってさ、
わかりやすく英語で例えるとしても、特定の構成の文に
for meをつけることが〜してくれたと似た意味で使われることもあるし
for you とかfor themで〜してあげると似た意味で使われることもあるわけなのに、
それと日本語でなにが違うというの?
むしろ日本語に直訳風に解釈して「あなたのために」なんて大仰な文章にしてみちゃったら、
「あげる」なんかよりよっぽど「恩恵の押し付け」「村社会的」に感じてもおかしくないんじゃない?
そのように言語間で一対一の意味で訳せる表現なんてほとんどないと言っていいのに、
一部表現だけ切り取って他言語と比較するから、変に自国語が目立って見えて、
あなたみたいに自国語に劣等感を持つ人が出てくるのかな。
そういう人は「西欧ムラから取り残されてる」と感じちゃう「ムラ意識の強い人」という見方もできるかもね。
>>301みたいな意見もあるみたいなのに、そっちの方向には考えないのね。
- 314 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/25(土) 18:06:55 0
- >>310
もしそうだとすれば、日本にかぎらず、互酬的贈与関係の発達した社会の言語に
ほぼ一様にみられる傾向になるはずじゃない?
それに、互酬的贈与関係は税制などに比べれば、ずっと義務的性格がないはずでは?
贈り物を受け取るかどうか、お返しをするかどうかはその人次第で、贈り手とその後も
互酬関係を保ちだければ受け取ってお返しをすればいいし、そうでなければ断ればいい。
その意味では任意の制度では?
- 315 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 01:17:04 0
- 「ポトラッチ」って知ってる?
アメリカの物質主義ってよく批判されてるけど
未開民族だって同じようなことやってるみたいだよ。
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=28500
http://www5b.biglobe.ne.jp/~geru/page018.html
- 316 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 08:33:02 0
- >>311
穏やかじゃないね。
その手の発言をやめないなら、しかるべきところに相談するので、
そのつもりで。
- 317 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 09:42:16 0
- >>315
その辺りのことはジョルジュ・バタイユのいう「普遍経済」、とくに「蕩尽」論が
よく適用されて説明されることがあるね。未開社会の経済は「普遍経済」的なんだと。
思うに、前近代/近代の二分法もさることながら、それを精神主義と物質主義とに安易に
分けて論じる発想もあまりに現実を単純化した俗説であり、それぞれの定義の曖昧さの点でも、
集団主義/個人主義の二分法をそのまま日本と欧米に当てはめるのと似ているところがあるね。
- 318 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 09:51:41 0
- >>291
>ソシュールが講義で言っているのはあくまでも言葉をはじめとする記号内部の話。
>言語なら言語が分類しているかぎりでの事物という名のカテゴリーの話。
>それが言語内での視点となって言語内での事物の意味を決める。そういう話。
だから、君の言い分は分った(「〜の話」)ので、
ソースを示してくれと何度も言っているのだが。
- 319 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 09:55:40 0
- >>315
(317からの続き)
それから、そのポトラッチの話だけど、贈与品を受けた側がそれ相応の返礼を
行なわないと社会的信用を失い、その結果として自らの社会的地位や名誉、
そしてさらにはその結果の結果として財産をも失い兼ねないというのは、義務というより
任意に伴う責任の問題であって、かなり社会普遍的に言えることじゃねいでしょうかね?
自由にはそれ相応の社会的責任が伴うという問題でしょう?
自由をどう使うかによってその人が社会的信用を高めることにもなれば失うこともある。
ポトラッチの事例では、社会的地位の高い者のところにその社会の多くの富が集められ、
その富者が返礼という形でその社会に対して再分配を行なうことによってその富者の
社会的な名誉や信用を保持するというシステムが出来上がっていたということが分かるね。
近代ではその地位を国家が担っているということかもしれません。かつては任意で行なわ
れていたことが現代では国家による義務制度になっていると解釈できるのかもしれません。
- 320 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 10:03:53 0
- >>313
ソシュールを語るヤシが、そこまで「辞項」を無視しているのが不思議。
『犬』の指し示す範囲が日・仏では違うという議論があるが、
あなたに言わせれば、仏においても、「犬」は「犬」だし、「狸」は「狸」だよ、
となるんだろうねw。
ソシュールに言わせれば、世界の切り分けは「辞項」によってなされるということで
しょ。「辞項」を無視しちゃったら、何とでも言えるがな。
仏においても、「表現」レベルでは、「犬」と「狸」を区別しようとすれば、
それゃ可能でしょ。
自分の脳内価値観から外れるものは、一切目に入らないのかな。
これぞ、究極の「色眼鏡」。
木村敏氏のことを言っている場合じゃないと思うよ。
- 321 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 13:26:56 0
- >>320
>>313さんはソシュールについてはなにも言及していない人だと思われ。
> 仏においても、「表現」レベルでは、「犬」と「狸」を区別しようとすれば、
> それゃ可能でしょ。
じゃあその点は認められるんですね?
ところで、サピア=ウォーフの学説がらみで、イヌイットが雪をその状態に応じて
それぞれ名称分けしているというのがあるね。
日本語でもそれぞれ右辺に表したとおりに名詞化されているよね?
降ってくる雪:降雪
積もった雪:積雪
氷のように固められた雪:氷雪
どろどろになったシャーベット状の雪:?
風に吹かれて舞う雪:風雪(吹雪)
(ソースを辿ると4つらしいが、一部には400もあるという話まで流布されているらしい)
これらは辞項に入るのか表現に入るのかな?
日本語のサカナも実は「酒菜」という熟語なんだよね。
- 322 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 13:34:37 0
- >>315
で、そのポトラッチを行なっているネイティブアメリカンの言語には
>>310で言われている日本語と同じ特徴があるのかな???
もしその間に密接な因果関係があるなら、義務的なポトラッチを行なう
ネイティブアメリカンの言語にも同じ特徴が見出せるはずじゃない?
でもその特徴はたしか日本語とマサイ族の言語にしかないという話だったよね?
- 323 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 13:51:48 0
- なんで授受動詞のダイクシス対立だけを取り上げるんだか
- 324 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 16:18:29 0
- >>320
なぜ>>313からそういう発想の話に繋がるのか不思議だよ。
まったく逆じゃないですかね。
英においては「あげる」は「あげる」じゃなくて別の表現「give for you」などが近いということでしょ。
>>321さんが挙げたように、どこまでをあなたが辞項と考えるかですよね。
単語=辞項のようなこととお考えでしょうかね。
単語というのも言語学の中でかなり定義の難しい部類とされている、
場によって広義に成りうる用語だったと思いますけれど。
- 325 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 16:44:17 0
- >>307
この実験が面白いかもね。
指示詞コ・ソ・アの理解からみた自閉症児の語用論的機能の特徴
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110004735548/
自閉症児における指示詞コ・ソ・アの理解と他者視点取得能力 および知的能力との関連
ttp://www.sed.tohoku.ac.jp/library/nenpo/contents/54-1/54-1-19.pdf
ttp://my.reset.jp/~comcom/guide/z5330.htm
主客融合論者の論法のように拡大解釈しちゃえば、
ソの指示詞体系が確立してないのは、その言語の話者が自閉症的だからだ!とか言えちゃうのかな。
- 326 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 17:14:33 0
- 日本の敬語について、全面的に同意できるかはともかく、
こういう見方もあるのかという一例。
成り上がりのための敬語
ttp://bucchake.cocolog-nifty.com/bucchake/2008/04/post_397d.html
- 327 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 21:24:54 0
- >>315,>>317
アメリカの物質主義って、
ポトラッチとかに見られる前近代的な「蕩尽」みたいなものじゃないのかな。
前近代的な社会が物質的に豊かになると
「蕩尽」的な性質が強く出る…みたいな。
アメリカの問題って「近代文明」の問題というより
実は「前近代文明」の問題だったりして。
ところで…、
日本で「蕩尽」って言うと
名古屋の結婚式なんかをイメージするなぁ。
(名古屋って広大で肥沃な濃尾平野があるから物質的にすごく豊かなんだよね)
- 328 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 21:28:35 0
- >>316
なにか嫌がらせをしないと気が済まないんですかねぇ。
まぁ…、「おこちゃま」ってことだよね…。
- 329 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 21:30:49 0
- >>97でとりあげた論文と同じく廣瀬・長谷川両氏による論文だけど、
ttp://socrates.berkeley.edu/~hasegawa/Papers/Daikushisu.pdf
この論文によれば、「日本語ダイクシスの基点となる自己」という
観点から見ると、「相対的自己よりは絶対的自己が優先され」、
「公的自己より私的自己の方が優位に立つ」という結論が導かれている。
この点は「英語にも見られ、決して日本語特有のものではない」としている。
>>326
敬語で解く日本の平等・不平等
http://www.amazon.co.jp/dp/406149550X
- 330 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 22:22:47 0
- >>327-328
君の今までのレスの仕方も、じゅうぶん議論への嫌がらせになっていることに気付いてね
- 331 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 22:41:59 0
- 自演に釣られないほうがいいよ
- 332 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 23:21:03 0
- >>282
>誰かもいってたけど、日本語で偉い人に向かって
>これはペンだという表現はあるという反証には目を向けないの?
反証???
言えないよ。言えると言うなら、自然な対話例を示しなさい。
>>290
特殊な状況(:拝み倒す等)を持ち出せば、何とでも言える。
その場合、一時的に明白な「上下関係」が成立していると考えられる。
それだけのことw。
「ふつう」の表現レベルで考えよう!
>>323
それゃあ、日本語に特徴的なものだからだよ。
(「あげる」と「くれる」の対立があるのは、日本語とマサイ族の言語のみ。)
>>324
単語の定義に確定的でない部分があるのは承知しているが、
だからと言って、あなたのように「単語」か否かを「まったく無視」して
いい訳がない。
>>325
いや、だから、主客分離的だと言っているのだよ。
- 333 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 23:33:55 0
- ある言語に類型論的に珍しい特徴があるからと言って、
それがその言語を用いる社会の精神だとか構造を反映していると言えるのか?
例えば英語の疑問文の作り方(一般動詞の場合に主語の前にDoまたはDoesを付ける)は
類型論的に非常に珍しい(文末に疑問を表す語を付けるか主語と動詞の位置を逆転させるのが普通)が、
それをもって何か言えるのか?
名詞クラスを発展させている言語とその言語を用いる社会に関連はあるのか?
- 334 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/26(日) 23:46:30 0
- >>332
教師が生徒に向かって
「これは○○です」
と普通に言って授業で教えるし、
生徒が教師に向かって
「これは○○です」
とも普通に答えるけどなあ。
一般庶民の私が天皇に向かって
「これは○○ですよ」とも言えるし、
天皇が私に向かって
「ああ、それは○○ですね」とも言える。
「です/ます」調は、社会的地位を越えてフォーマルに使えると思うけどなあ。
- 335 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 00:07:12 0
- >>332 (横レスね)
> その場合、一時的に明白な「上下関係」が成立していると考えられる。
英語の敬意表現だって、そういう意味では一時的な上下関係が成立しているでしょう。
その意味ではすべての敬意表現には一時的な上下関係が成り立っているんじゃないの?
電車の中で黙って人混みを掻き分けて進む人が日本人男性には目立つんだそうだけど、
あれは欧米では非常に失礼な行為らしく、人間としての品位が疑われるんだそうです。
マナーの悪い奴だと信用を著しく落としたくなければ欧米でも敬意表現は不可欠なわけで。
> >>323
> (「あげる」と「くれる」の対立があるのは、日本語とマサイ族の言語のみ。)
だから何? それがどう主客融合と結びつくの?
- 336 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 01:49:51 0
- >>332
無視するもなにも、>>110でも言ったように、
それが「単語」になっている言語と、「文章」として表す言語とで、
なにがどう違うと「一方が主客分離的で、他方は主客融合的」となるのですか?と尋ねています。
似たようなことも再三他の方からも尋ねられていますよね。
そちらがその質問を無視しているように見受けられますが。
- 337 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 04:49:20 0
- >>332
> いや、だから、主客分離的だと言っているのだよ。
なぜ>>325に対してそういうレスになるのかわからない。
本当に思考過程を追いにくい人だ。
- 338 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 12:50:49 0
- >>337
それはお互い様だよ。
- 339 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 12:58:46 0
- >>305
そういえば、その指示代名詞が何を指すのかとか、文脈的に自明のことについて
何?何?ってしつこいほど質問してきた人だったよねえ。
わざとトボケているのかと思っていたけど、そういうことだったのか??
- 340 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 14:34:29 0
- >>339
>そういえば、その指示代名詞が何を指すのかとか、文脈的に自明のことについて
>何?何?ってしつこいほど質問してきた人だったよねえ。
議論が込み入ってくると、意味不明の指示代名詞を連発する悪い癖を持つヤシ
が約一名いる。
客観的には全然自明じゃないことを自明と思ってしまう濃厚な「色眼鏡」の持
ち主は、何症候群と言うのでしょうか?
- 341 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 14:56:38 0
- あと、色や尺(青と緑、長尺・短尺)を使い分けて複数を装うヤシは、
何症候群と言うのだろう?
「あれ? 何人かいらっしゃるのかな?」と思うときもあるのだが、
答えてくださるのはお一人のみw
なんでだろう♪ なんでだろ♪
- 342 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 15:09:42 0
- >>340
まさか、>>339で使われてもいるソ系列の指示語が全く理解不能ってことはないよねえ?
- 343 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 16:47:50 0
- >>340>>341
とうとうそんなことしか言えなくなったか
- 344 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 20:41:16 0
- 結局>>336には触れないではぐらかすのでしょうか。
- 345 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 20:45:51 0
- 結論:
欧米は自閉症的、日本は神経症的www
- 346 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 20:54:24 0
- また欧米対日本の狭い世界観か
対照する要素が2つだけだと簡単でいいね
- 347 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/27(月) 22:13:43 0
- もともと主客融合論者が欧米西欧対日本みたいな視点でものを語ろうとしているしね。
世界の言語に目を向けず、あえてその恣意的に抽出した範囲という土俵で語ったとしても、
それでもなお主客融合論者がいうような結論にすら辿り着けないのだから、
世界に目を向けても同じことであろうという主旨の反論ですね。
- 348 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 01:13:43 0
- >>343
'>>340-341'
- 349 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 14:00:30 0
- >>310
コラム 対象研究(2) −授受の表現ー
日本語以外でも出来事の恩恵性を表す言語がいくつかあります。
韓国語、タイ語、カザフ語、シンハリ語などは
日本語と同じく授受の補助動詞を用いて出来事の恩恵性を表します。…
日本語では動作主を主語にした表現を、
さらに話し手から見た動作の方向によって
「〜てやる・〜てあげる」と「〜てくれる」の二つに分けています。
このような言語は今のところ見当たりません。…
『中上級を教える人のための日本語ハンドブック』(173ページ)より
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883192016
- 350 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 14:45:41 0
-
「『恩』の構造 ー契約における非契約的要素の問題ー 」 佐藤嘉一
契約社会(ヨーロッパ)と非契約社会(日本)の違いを
グリム童話と日本の昔話を題材にして考察しているよ。
・契約社会…内発的・能動的
・非契約社会…外発的・受動的
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/393pdf/sato.pdf
- 351 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 15:22:14 0
- >>349
マサイ族の言語も日本語と同じように
「give」を「あげる」と「くれる」のように二つに分けているそうだけど、
補助動詞の使い分け(「〜てあげる」と「〜てくれる」)は
ないんじゃないかなぁ。
もしそうだとしたら、恩恵表現に関しては
世界の言語の中で、日本語が一番発達しているってことになるよね…?
- 352 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 15:55:52 0
- 「発達」の度合いが違うかもしれないだろ。
日本語とは違う区別の要素を持っているかもしれない。
一面だけを見て、軽々しく「一番発達している」などと言うべきではない。
- 353 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 15:57:53 0
- 鶴の恩返しも見様によっては契約(約束)のお話だけどね。
娘(鶴)との約束(契)を破ったがために哀しい別れが待っているという、
約束の切れ目が関係の切れ目を意味しているところにこの物語の含蓄がある。
恩返しは単にこの物語の導引部として設定されたものに過ぎないような・・・
この話はもしかしてもしかすると、日本神話の中にあるイザナギとイザナミと
の黄泉の国でのお話から来ているのかもしれない。
似たような話が、ギリシア神話のオルフェウスとエウュディケとの間の話として
あるようですし、また、中国の民話にもあったはずですね。
鶴の恩返しの主題は恩返しというよりむしろこの契約(約束の切れ目が関係の
切れ目)という点にあったのではないかと思えるんですが、どうでしょうか。
- 354 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 16:04:11 0
- あと、日本の神話でのアマテラスとスサノオによる神産みでもやはりウケヒ(誓約)という、
占いを用いた取引(契約)関係が重要なポイントになっている。
一種の婚姻の儀式なのかもしれないけど、神話の話だと非常に打算的な取引関係になっているね。
- 355 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 16:17:55 0
- >>351
もしそうだとしても、それはどうやら日本史の中でも中世ごろから徐々に「発達」
して中世末、つまり近世直前になってやっと定着してくるようだからねえ。
武士が支配階級に躍り出る以前の平安時代には見られなかったようだし、
しかも現在でも方言によって「くれる」が「あげる」の意味でも使われている
ところがある。これはいったい何を意味するのか意味しないのか。
- 356 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 19:51:19 0
- >>349
>「〜てやる・〜てあげる」と「〜てくれる」の二つに分けています。
>このような言語は今のところ見当たりません。…
なぜこれまでの議論の流れからして当然重要と思うべき部分を「…」で省略するのでしょうね。
相変わらず自説に有利なところだけに目が行っているように見受けられます。
…の後にはこう続いてますよね。
>日本語はこのような動作の方向性を表現する性質を利用して、
>名詞句の省略を頻繁に行いながら、談話をスムーズに行うという特徴を持っています。
「日本人の主客融合性」とやらいうものの強さを直接示唆しているというよりも、
このスレで論点となってきた言語構造的差異による発達であり、
日常モードにおいて合理的な談話を行うためであるとも解釈できうる文だと思うのですけど。
「〜てくれる」や「〜てあげる」を使うことで、英語のようにIやYouを使わなくても、
どちらが授受対象であるかが表現できるわけです。
こんな回答もありましたよ。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q128532662
それから英語の敬語(敬意表現)については、こんな意見も。
ttp://d.hatena.ne.jp/dlit/20081015#20081015f1
- 357 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 22:45:46 0
- >>356
>「日本人の主客融合性」とやらいうものの強さを直接示唆しているというよりも、
>このスレで論点となってきた言語構造的差異による発達であり、
>日常モードにおいて合理的な談話を行うためであるとも解釈できうる文だと思うのですけど。
事実の確認のために利用してはいかんのか?
著者の説明は確かにそうだが、「言語構造的差異による発達」に話を持っていくのは、
我田引水が過ぎると思うが。
>「〜てくれる」や「〜てあげる」を使うことで、英語のようにIやYouを使わなくても、
>どちらが授受対象であるかが表現できるわけです。
そういう側面があることは認めるが、日本語における主語や目的語の省略はそのよう
な要素がまったくかまない場合にも成り立つのだから、君の言う「構造的差異」云々
のみで説明するのには無理があると思うよ。
ちなみに韓国語やモンゴル語等は主語や目的語の省略が日本語同様多いようだが、
「あげる・くれる」の対立はないですよ。
(その意味で、君の見つけてきた「知恵袋」の回答は問題大有りでしょ。)
それはどう説明するの?
- 358 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 22:51:06 0
- 「主客融合的であるための発達」という方向に話を持っていくのも十分我田引水が過ぎるだろ。
- 359 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/28(火) 23:38:55 0
- 「差し上げる、下さる」の区別は韓国語にもあったんじゃなかったっけ?
- 360 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 00:16:43 0
- >>358
「あげる」と「くれる」という世界でも非常に珍しい辞項の対立は、
これまでに取り上げてきた、敬語・終助詞・人称詞、主語・目的語の省略とともに、
話者と相手との「具体的・現場的関係性」に関わるものとして、
「主客融合的」であることの現われと位置づけて差し支えない。
>>359
ソースは??
- 361 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 00:49:55 0
- >>312
>でも、北欧の福祉社会体制も、その体制へのほぼ全員参加を、ほぼ全国民的な徴税システムという形で
>全体主義的に強制しているシステムではあるんじゃないの?
しかし、それは>>310の言う「内閉的な互酬関係」とは違うよ。
話者と特定の相手との関係(森有正の言う「二人称関係」)が問題だとこちらは言っ
ている。
それに対して、個人と社会の関係を持ち出されても困るよ。
それは、当方の言う「内閉的な互酬関係」とは別のもの。
- 362 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 00:50:11 0
- >>357
事実って言っちゃったw
やっぱり盲目的に自論を信じちゃってるんだね
- 363 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 01:12:26 0
- >>362
もうそんなつまらない事しかいえないのw?
もちろん、事実関係という意味だよ。
- 364 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 01:14:07 0
- >>281,>>291
>>318でも要求したけれど、丸山氏のソシュール解釈が違うと言うなら、言いっぱな
しにしていないで、根拠を示しなさいよ。
丸山氏とあなたの言っていることは180度違う。
いろいろなところからいろいろな人の言っていることを引っ張り出してくるあなたに
聞きたいのだけれど、丸山氏のソシュール解釈をあなたのように「全然違う」と批判
している人、あなた以外にいますか?
「視点」についてはあなたの言い分も分らないではないけど、>>257に引用した「集
団」(frag.1842)についてはどう説明しますか?
これも「体系内の関係性」の別名に過ぎないと言うのは、無理があると思うが。
ちなみに、丸山氏は、『小事典』[価値]の項で、frag.1842を引用した後、次のよう
に述べているよ。
***
ソシュールはここで、事物それ自体が有するかに見える客観的価値、有用性、使用価
値なるものも、文化においては決して生のまま現れることはなく、交換価値と同じよ
うに必ずやその社会・文化内の関係に媒介されて現われること、そしてこの関係的存
在を生み出すものが視点としての共同主観性であることを示唆している。
***
- 365 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 01:29:22 0
- >>333
それは、[疑問]という意味がどのような「形」で表現されるかということでしょ。
それだけで何かを言うのは、それゃ無理でしょう。
<犬>なる概念が、英語ではdogなのに日本語では[犬]だ。これは日本語の特殊性
を示している!なんて言えませんからね。
それと同じ事だよ。
それは当方の主張とは全然違うもの。
当方の論法は、日本語には一連の日本語に特徴的な表現が存在し、そしてそれらには
[相手との具体的な関係性]に関わるという意味的な特徴が共通して認められる、
という表現の「意味」に注目したもの。
たんなる「外形」の違いを問題にしているわけではない。
- 366 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 01:46:24 0
- >>334
おいおい。
>>332は、
>誰かもいってたけど、日本語で偉い人に向かって
>これはペンだという表現はあるという反証には目を向けないの?
に対して、そんなこと言うなら例を挙げてみてと言っているんだよ。
偉い人に向かって、
「これはペンだよ。」なんて言えるのか?と聞いている。
(偉い人は偉くない人に向かって、初対面や公的場面などをのぞけば使える。)
>「です/ます」調は、社会的地位を越えてフォーマルに使えると思うけどなあ。
それは確かにそうだが、だからなんだと言うの?
日本語には中立的な表現が存在しないという、当方の主張の反論には別になっていな
いと思うけど。
This is a pen.
は、上・下、親・疎、公・私のいずれの場合にも使われる中立的な表現。
それに対して、日本語には、そのような「相手との具体的関係性」を超越した
中立的な表現はないと言ってる。
日本語には、一方で「だ体」しか使いにくい場合が間違いなく存在するからね。
- 367 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 01:51:50 0
- 単に、英語のgiveが日本語の「与える(渡す)」に相当する語であるというだけの話にも
思えるんだけどね。
I gave you my book. You gave me your book.
もそれぞれ、
私は(私の)本をあなたに与えた。あなたは(あなたの)本を私に与えた。
と、日本語でも同じ単語を使って第三者目線から表現するための客観動詞がちゃんとある。
それから、英語にもgiveとreceiveとの二項対立は存在するし、
韓国語にも「さしあげる」と「くださる」に対応するドゥリダとジュシダという言葉がある。
日本語の「くれる」という語の特殊性がいわれ、外国人に理解してもらうのが難しいというけど、
「くれる」を「下さる」の卑俗な言い回しだと考えれば、べつに難しいことはないと思う。
神に物を上げるイメージと、天から物がくだってくるイメージにそれぞれ喩えて、
「くれる」のほうは天からの恵み(恩恵)のように表現していると思えばいい。
くだる、くでる、くれる・・・?
ちなみに方言によっては「くれる」を「くでる」と言っているところもあるそうだ。関係ないかw
- 368 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 02:51:07 0
- >>365
冒頭4行、そこは自覚しているのですね。
私はまさにそれををあなたの論法に感じているのですよ。
「敬意」なる概念が、英語では「for you」などなのに日本語では「あげる」だ。これは日本語の特殊性、
ひいては日本人の特殊性を示している!とだけ主張しているに過ぎないように感じているのです。
なぜその前提がその結論に至るかの、推論部分の記述が不足していると再三指摘しています。
「→」の部分が不明だという表現を最初に使った方もそのことを言っているのだと思います。
- 369 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 02:51:40 0
- >>364
> 聞きたいのだけれど、丸山氏のソシュール解釈をあなたのように「全然違う」と批判
> している人、あなた以外にいますか?
なんならこっちのスレッドも覗いてみては。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/
こちらのスレッドの人たちに言わせると、丸山さんはソシュールを「拡大解釈」したってのが
その方面に詳しい人たちにとっての常識になっているということらしいですよ、どうやら。
丸山さん自身もご存命当時から同様の批判をかなり受けていたようで、『ソシュールを読む』
でも「文化のフェティシズム』でも、読むことは同時に表現することだと書いて弁解していたね。
ソシュールよりもフンボルトに近いんじゃないかって。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1138803174/9-6-907
> 「視点」についてはあなたの言い分も分らないではないけど、>>257に引用した「集
> 団」(frag.1842)についてはどう説明しますか?
でも変だなあ、そこんとこ。
私の手元にある『ソシュールを読む』のその引用箇所(断章番号1842,1843)では、
「集団〔体系〕」というふうに〔〕付きで「体系」とも書かれてあるんですよ。
つまりそこでは、記号の体系を経済学の価値体系と比べ、記号を価値に、体系を集団に喩えて、
記号(価値)は個的な存在ではありえず、体系(集団)に依存すると説明している訳ですよね。
比喩を比喩として解さず、字義的に受け取る傾向があなたに目立つのが気になりますが・・・
- 370 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 03:21:58 0
- ここでは丸山さんはソシュールよりもフンボルトに近いんじゃないかって見解も。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1138803174/906-907
> これも「体系内の関係性」の別名に過ぎないと言うのは、無理があると思うが。
うーん、「集団〔体系〕」と書かれてあることから考えるとそうだし、文脈上もそうと
しか受け取りようがないんじゃないかと私は思うけどなあ。
あと、ほかに、
断章番号1181では、「個人」はもちろん、「大衆」でさえも単語やモードを変えることは
不可能で、ラングに縛られた存在だと言っている箇所がある。
まあソシュールも矛盾したことを同時に言っているので明晰な読解は求め難い点はありますけど。
> ちなみに、丸山氏は、『小事典』[価値]の項で、frag.1842を引用した後、次のよう
> に述べているよ。
> ***
> ソシュールはここで、事物それ自体が有するかに見える客観的価値、有用性、使用価
> 値なるものも、文化においては決して生のまま現れることはなく、交換価値と同じよ
> うに必ずやその社会・文化内の関係に媒介されて現われること、そしてこの関係的存
> 在を生み出すものが視点としての共同主観性であることを示唆している。
> ***
そこはもう丸山さんの問題意識というか、彼の「視点」に導かれた読解=表現でしょうね。
丸山さんは、自我が実体を持たず、対他関係に依存した相対的存在であることも強調するから、
彼に依拠すれば、主客融合論者さんが前提にする主体性という概念も、かなり疑わしいものに
なってくると思うよ。彼の論理をそのまま応用すれば言語はすべて主客融合的になるはずでしょ?
- 371 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 09:36:28 0
- >>361 社会に合うように言葉は変わるだろう。
しかし、森有礼が言ったように英語を国語にすれば、日本社会は変わるのか?
問題はそこだ。
- 372 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 10:39:19 0
- >>367
>>単に、英語のgiveが日本語の「与える(渡す)」に相当する語であるというだけの話にも
敬語や人称詞に引き続き、授受表現でも「日本語の実態」を無視するんだね…。
自然な会話において、「あげる・くれる」ではなく「与える」が使われますか??
使えますか???
>それから、英語にもgiveとreceiveとの二項対立は存在するし、
二項対立の意味がぜんぜん違うよ。
英語に見られるのは、【主語(主体)】が「与え手」なのか「受け手」なのかという、
客観的(・命題的)対立。日本語で言えば、「あげる・もらう」の対立。
それに対して、日本語(あげる・くれる)に見られるのは、【話者】が「与え手」なの
か「受け手」なのかという、主観的(・非命題的)対立。
giveとreceiveとの二項対立は「話者と相手との具体的関係性」とは関わらないのに
対し、「あげる」と「くれる」の二項対立は関わる。
※「命題的対立」:命題内の要素間の関係が関わる対立。
(現代の共通)日本語においては、自然な表現において、「相手との具体的関係性」を
反映した使い分けがなされる事の意味は無視してはいけない。
- 373 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 10:46:57 0
- >>368
>冒頭4行、そこは自覚しているのですね。
>私はまさにそれををあなたの論法に感じているのですよ。
?
同じ意味が単に別の形で表現される事と、他言語では表現されない(されにくい)意味
がその言語では表現される(積極的に表される)こととは、別のことでしょ。
>「敬意」なる概念が、英語では「for you」などなのに日本語では「あげる」だ。これは日本語の特殊性、
>ひいては日本人の特殊性を示している!とだけ主張しているに過ぎないように感じているのです。
ごめん。意味不明だよ。
- 374 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 10:57:09 0
- 社会だけを持ち出して言語を語れるなら
共産主義やら民主主義やらの国同士では
それぞれ他方にはない言語的特徴が共通してみられたりするんかね
- 375 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 11:07:17 0
- >>365
ヤレヤレ<(´ロ`')、「外形」の違いにあれほど拘っていたのはあなたではなかったのかい?
あなたはたしか、>>151で統語論的な水準を問題にしているって書いていた人だよね?
>>333さんが書いていることも、「すぐれて統語論的な問題」に含まれているでしょう。
あなたの頭の中では何がどう違ってくるの?
結局、自分に都合のよい事例だけを恣意的に取捨選択しているってだけの話じゃないの?
どうしてもそう見えてしまうんですよねえ。
ちょっと前の敬語のところでは「単語」を問題にしていると強調していたにもかかわらず、
そこではいつのまにやら「表現、表現」と繰り返しているし。
>>366
> 偉い人に向かって、
> 「これはペンだよ。」なんて言えるのか?と聞いている。
英語だって偉い人に向かってHey!とは呼びかけられないし、親しい友達同士の間で
使われる気楽な表現形式を使ったら失礼な響きを帯びるのと全く同じことでしょう。
> >「です/ます」調は、社会的地位を越えてフォーマルに使えると思うけどなあ。
> それは確かにそうだが、だからなんだと言うの?
>>334でも例として示してあるとおり、フォーマルに使える中立的な表現じゃん。
教師から生徒へも生徒から教師へも、語用論的にみて自然に普通に使われていますよ。
まぎれもなく中立的な表現でしょう。
- 376 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 11:22:37 0
- >>372
> 自然な会話において、「あげる・くれる」ではなく「与える」が使われますか??
> 使えますか???
統語論的形態論的な水準で日本語を問題にしているというのであれば、
giveに対応する「与える」という訳語があるじゃないかと言っているわけですよ。
統語論的に言うならば、
「私が彼に与える」「彼が私に与える」「私が彼に(から)与えられる」も充分自然ですよ。
少なくとも、日本語にも授受関係を客観的な事象として表現するために「与える」と
いう動詞が容易されていている事実があるし、それは日本語の豊富さを物語っている。
そこで「自然な会話」とあなたが言っているのは結局「語用論」的問題のことでしょう?
パロールの問題、ディスクールの問題だよね。
- 377 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 11:40:10 0
- "this is a pen"の例も「うなぎ文」の時と同じような問題があるという気がするかな。
やっぱり恣意的に切り取った会話の一部なんだよね。
単独でそれだけを女王様に言ったりせず、その前後の会話があるはずだもの。
そしてそこでは当然敬意を払った言い方を選びながら会話をしているはずだ。相手によってかえるはずだ。
前後の文脈とか状況ですでに表せていることが、その切り取った部分には現れていないだけとでもいうか。
- 378 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 12:02:23 0
- >>369
>こちらのスレッドの人たちに言わせると、丸山さんはソシュールを「拡大解釈」したってのが
>その方面に詳しい人たちにとっての常識になっているということらしいですよ、どうやら。
いや、そういう曖昧な話なら前にあなたから聞きましたよw。
誰がどこでどのような批判をしているのか、それを【具体的】に示してくださいと
お願いしています。
>でも変だなあ、そこんとこ。
『小事典』の先に引用した箇所(frag.1842)には、「集団(collectivite)」と
なっているが。
それに先の引用部分を見てもらえば分るとおり、「集団の容認」という言い方も
なされている。
比喩と考える(あるいは比喩に【限定して】考える)のは無理があるのでは?
>>370
>断章番号1181では、「個人」はもちろん、「大衆」でさえも単語やモードを変えることは
>不可能で、ラングに縛られた存在だと言っている箇所がある。
その発言と、1842の「集団」を字義通りにとった解釈は別に矛盾しない。
チェスのルールを「個人」や「大衆」は勝手に変えることは出来ない。
しかし、歴史的立場から見れば、チェスのルールを作り(またそれを変えていくのは)、
チェスに関わる集団の視点(=共同主観)でしょ。
失礼ながら、あなたにはこのような重層的(?)な見方が欠けているように思うが?
>そこはもう丸山さんの問題意識というか、彼の「視点」に導かれた読解=表現でしょうね。
その部分に関しては、「示唆している」という言い方を丸山氏はしているでしょ。
それが「違う」と言うなら、明確な根拠を示してください。
「自分には理解しがたい」と言うならそれはあなたの自由ですけれどね。
- 379 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 12:24:47 0
- >>375
>>333さんが書いていることも、「すぐれて統語論的な問題」に含まれているでしょう。
>あなたの頭の中では何がどう違ってくるの?
統語論の問題と言っても、いろいろな側面がある。なぜいっしょくたにする?
表される「意味」の違いの問題か、表される「形」の違いの問題だと何度言えば分るのよ。
「形」の違いのみを持ち出せば、各国語体は『違いだらけ』だよw
分りたくないご自分の「頭の中」の問題では?
そこで使った「表現」は、「単語」と理解してもらって差し支えない。
>英語だって偉い人に向かってHey!とは呼びかけられないし、親しい友達同士の間で
>使われる気楽な表現形式を使ったら失礼な響きを帯びるのと全く同じことでしょう。
何と何がどういう意味で「全く同じ」なんだ?
「これはペンだ」が偉い人には使えず、This is a pen.が偉い人にも難なく使える
ことは認めるんだね?
>フォーマルに使える中立的な表現じゃん。
おい、おい。
「フォーマルに使える」って限定をなぜ付ける?
それゃあ、「中立的表現」じゃなく、「フォーマルな表現」だよ。
英語には、フォーマル・アンフォーマルに関わらず使える「中立表現」がある。
それに対して、日本語にはそのような意味での「中立表現」がないと、言っている。
確かに、英語にも、特にフォーマルな場合に使われる表現や君のあげるような特に
くだけた間柄の中で使われる表現も存在するようだが、一方で、再三指摘するように
誰に対しても仕える「中立表現」がある。
それが、日本語にはないのだよ。(相対的人称詞・狭義敬語)
これって、すごいことではないかい?
あっ、君の言っているのは、「相称的表現」のことね。
- 380 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 12:33:08 0
- >>376
>統語論的に言うならば、
>「私が彼に与える」「彼が私に与える」「私が彼に(から)与えられる」も充分自然ですよ。
それはあなたの脳内の『統語論』。
前にも述べたが、本来「統語論」とは「文」の成立を考える学問なのだから、
どのようにしたら自然な「文」が成立するかは当然考えに入れなくてはいけない。
君の言う「統語論」とは、西洋語のそれを単にタテに置き換えただけの、
「日本語の実態」を何も見ようとしない、旧弊な『統語論』だと思うよ。
>そこで「自然な会話」とあなたが言っているのは結局「語用論」的問題のことでしょう?
上記に述べたように、違います。
少なくとも、「統語論」の問題でもあります。
- 381 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 12:41:45 0
- >>376
>統語論的に言うならば、
>「私が彼に与える」「彼が私に与える」「私が彼に(から)与えられる」も充分自然ですよ。
『統語論』的には「充分に成り立つ」ならまだ分るが、
『統語論』的には「充分に自然」って、なんなんですか??
そこで、ご自分が「自然」という言葉をアクロバティックに(もちろん悪い意味で)
使っている事にお気づきですか?
何度も言いますが、「日本語の実態」に目を向けてみませんか?
- 382 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 12:42:46 0
- >>372
> 英語に見られるのは、【主語(主体)】が「与え手」なのか「受け手」なのかという、
> 客観的(・命題的)対立。日本語で言えば、「あげる・もらう」の対立。
> それに対して、日本語(あげる・くれる)に見られるのは、【話者】が「与え手」なの
> か「受け手」なのかという、主観的(・非命題的)対立。
「だからなんだと言うの?」w
ラング体系の違いによるところの、単にその動詞がもっている記号(単位)の違いだよね。
日本語にも英語のgive-receiveに対応する「あげる・もらう」の二項対立はちゃんとある。
さらにそこへ「くれる」「くださる」という、giveとmeとが一つの単語に膠着した意味を持つ、
「自己利益」だけを表す動詞がそこに加わって、三項対立になっただけの話でしょう。
ただし、「私があなた・彼にくれたもの」とは標準語文では言えないにしても、
「天があなた・彼に(授けて)くれた才能は・・・」という言い方は普通にできる気がするよねえ。
この例を見ると、受け手が身内に限られるという解釈も的を射ていないように思われてくる。
他スレで話題に上っていたけど、日本語にはさらに「くれてやる」という語もあるんだよね。
「俺がお前にくれたもんだ」は言えないが「俺がお前にくれてやったもんだ」なら普通に言える。
その人が言うには「くれる」にまだ「やる」という意味が分化せずに残っている証拠なんだと。
・・・にしても、これがなぜに、互酬性、内閉的、主客「融合」とイコールになるのか意味不明。
> (現代の共通)日本語においては、自然な表現において、「相手との具体的関係性」を
> 反映した使い分けがなされる事の意味は無視してはいけない。
それは具体的関係性依存なのかなあ? あなたのいう脈略だと文法外、というか言語外の
意味ならぬ意味(純粋な状況?)に依存していることをそう言ったはずだよねえ?
giveとmeが意味論的にくっついて、対格人称によって活用変化した動詞とも見なせるとすれば、
「くれる」という語自体がmeの意味をちゃんと含意しているので言外状況には当たらないのでは?
- 383 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 13:03:06 0
- >>377 ちなみに、
日本語では、「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」には敬語がないって言われるね。
「おはよう」や「ありがとう」には「ございます」、「おやすみ」には「なさい」という敬語があるのに。
これはべつに、前者の挨拶表現と後者の挨拶表現との間に、話者や社会の心理の違いが
直接反映した証拠だ云々ではなく、要するに、日本語には文の終止語句に敬意が付加される
体系上の構造(仕組み)があり、その体系上の制約を機械的に受けているだけの話とも言えるし。
広義の敬意表現には、たしかに、もっと親しい砕けた言い方はあるんだけどね。
でもそれはもうここで問題にされている「狭義の敬語」の話から外れることになるわけだからね。
- 384 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 13:15:42 0
- >>382
>・・・にしても、これがなぜに、互酬性、内閉的、主客「融合」とイコールになるのか意味不明。
イコールとは一言も言っていないよ。関係があるとは言っているが。
「互酬性」
「あげる・くれる」の対立があり、さらにそれらを使った補助動詞的用法があること
は、<ものや恩恵のやりとり>をめぐる日本人の「敏感さ」を示していると考えられる。
「内閉性」
これは何度も言っていることだが、<話者と相手>との具体的関係性に関わる点を問題
にしている。
主客「融合」性
もちろん、生身の人間が本当にくっつくわけではない。
主体性に対する関係性の卓越(の程度)を問題にしている。(⇒木村敏)
- 385 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 15:26:20 0
- >>378
> 誰がどこでどのような批判をしているのか、それを【具体的】に示してくださいと
> お願いしています。
↓のスレッドに目を通したのかな?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/691
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/392-393
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/349
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/384-385
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/493-497
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/665
あと、間接的には、ゴットロープ・フレーゲの名を挙げることもできるかもね。
丸山のソシュール解釈に彼が直接言及したということではもちろんないけども、
シニフィエとレフェランとを一体のものと見なしたがる傾向にあった丸山思想とは
その点で一線を画する立場にあるはずの人だから。
- 386 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 15:26:50 0
- >>378
> 『小事典』の先に引用した箇所(frag.1842)には、「集団(collectivite)」と
> なっているが。
> それに先の引用部分を見てもらえば分るとおり、「集団の容認」という言い方も
> なされている。
そこも「集団〔体系〕の容認」と書いてあるから、>>369のように言っているんだけどね。
> 比喩と考える(あるいは比喩に【限定して】考える)のは無理があるのでは?
体系の容認としても同じことだけどね。単にそれは、体系がハードウェアのレベルでは、
多数の話者の脳にデータベースとして記憶されてはじめて伝達機能をもつということだし。
でも、話者の心や思考のパターンを相互反映していることとはそれとは別の水準の話。
この話については、もっと多くの変数に目を向けて考える必要があると私は思うよ。
SOV語順のボディーラングエイジが本能的なものかどうかは別にしてね。
もし言語が心理や思考に先行する鋳型ならば、話者は頭に浮かんだことを表現する
ことになんの苦労もしないはず。言葉を選ぶ必要すらない。なぜなら思考は予め言語が
分節しているものだから頭に思い描いている時点ですでに文として確定しているはず。
- 387 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 15:48:46 0
- >>349-351
恩恵表現(〜てあげる、〜てくれる、〜てもらう)って言うと
「思いやり」とか「配慮」とか「感謝」といったプラスのイメージが強いけど、
見方を変えれば、
「共依存関係」(内閉的な互酬関係)を明示している、
ってことになるんじゃないかな。
「共依存」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98
- 388 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 15:58:59 0
- >>378
> >>370
> >断章番号1181では、「個人」はもちろん、「大衆」でさえも単語やモードを変えることは
> >不可能で、ラングに縛られた存在だと言っている箇所がある。
> その発言と、1842の「集団」を字義通りにとった解釈は別に矛盾しない。
いいや、字義通りにとれば矛盾になると思いますよ。
ただしソシュールは、ある箇所では、記号学の扱う対象を契約の産物とし(断章番号3342)、
べつのところ(断章番号309-310)では、言語を契約とか協定のようなものとして語ることを
責めている。ソシュール自身というか、
講義のノートも用語を厳格に使い分けているわけじゃないところがあるんですよね。
だから字義だけ取り出して、ここではたしかに契約という語、集団という語を使っている云々
と言ってもあまり意味がないところがある。けっきょく文脈の中で掴むことになるわけですね。
丸山さんでさえ、ソシュール自身の基本概念の使い方にも混同が見出させると指摘している。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/972303107/702
> チェスのルールを「個人」や「大衆」は勝手に変えることは出来ない。
> しかし、歴史的立場から見れば、チェスのルールを作り(またそれを変えていくのは)、
> チェスに関わる集団の視点(=共同主観)でしょ。
(=共同主観)って、どさくさに言語体系=共同主観としちゃっているけれども・・・ww
現段階では、言語体系⊂共同主観とでも書くべきじゃないですかね?
一致しない実験結果が見出されている以上、特定の母語体系を外れる他の記号体系なり、
もっと別の因子を重層的に想定しておく必要も大いにあるんじゃないでしょうかね。
> 失礼ながら、あなたにはこのような重層的(?)な見方が欠けているように思うが?
他の因子の可能性にも目を向ける。それが重層的な見方であるんじゃないですか?
- 389 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 16:24:20 0
- 「くれる」表現であっても、その受益者が常に話者か話者の身内である必要はなくて、
主格人称にも対格人称にも三人称をとって客観的に使えないこともないけどね。
「そのアイデアは彼が彼女に授けてくれたものであった」と書いても別段変ではない。
- 390 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 17:49:08 0
- 失礼、補格人称。
- 391 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 18:14:56 0
- 失礼、与格ね。
- 392 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/29(水) 19:25:20 0
- 英語のことばかりがとりあげられているが、英語は印欧諸語の中では特殊で、
むしろ中国語のほうに近い(近づいている?)とさえ思うけどな。
- 393 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 08:06:25 0
- >>378
>
チェスのルールを「個人」や「大衆」は勝手に変えることは出来ない。
しかし、歴史的立場から見れば、チェスのルールを作り(またそれを変えていくのは)、
チェスに関わる集団の視点(=共同主観)でしょ。
この3行の意味をもっと詳しく説明してほしい
あきらかに矛盾していると思うのだが
- 394 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 11:24:02 0
- ttp://www.office-ebara.org/modules/xfsection05/article.php?articleid=89
>「語や辞項から出発して体系を抽き出してはならない。そうすることは、諸辞項が前以て絶対的価値を持ち、
体系を得るためには、それらをただ組み立てさえすればよいという考えに立つことになってしまうだろう。
その反対に、出発すべきは体系からであり、互いに固く結ばれた全体からである。」(SMIII、1848)
「ある語の価値は、共存する諸辞項の力を借りてはじめて決定され、これらがその語を限定する。」(SMIII、1875)
※ 語や辞項から出発して体系を抽き出してはならない。
- 395 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 11:33:29 0
- >>374 そういうのはあるんじゃないかな。
共産主義社会での「同志」という意味の呼びかけとか。
- 396 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 12:39:33 0
- 現在の中国普通語で敬称としての「同志」はほとんど死語で、
今では特に「(男性)同性愛者」を指すスラングなので注意してね。
- 397 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 13:54:17 0
- とあるブロガーによる『国家の品格』書評
「国家の品格」を読んでみた
ttp://ccoe.cocolog-nifty.com/news/2006/06/post_6b9c.html
そこにサピア=ウォーフ学説の話題が出てきますね。
『国家の品格』ではイヌイットが持つ雪の語彙に関する有名な話が紹介されていて、
イヌイットは雪に関する名称を「百以上も」持つなんてどうやら書いてあるらしい。
でもこれはもともとのソースを辿っていくと四つだったらしいですね。
サピア=ウォーフ学説の根拠としてこれが世間に伝聞されていく過程でどんどん誇張
されていってしまって、ついには百以上もあるという話にまで膨らんでしまった模様。
この「都市伝説化」についてはS.ピンカー氏の著書からの引用箇所をご参照あれ。
『国家の品格』の著者もこの「都市伝説」を真に受けてしまったらしい。
ちなみに、そのブログでも少し名が挙げられている、言語学者のジェフリー・プラム氏。
彼は、北極圏の人々の言語には雪に関するかなりの数に及ぶ語彙があるということが
実際には間違いであることを示したことでも著名な人ですね。ご参考までに。
- 398 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 14:54:11 O
- >>396 そうかね。そういうふうに変わったのも、社会の変化によるのではないか。
- 399 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 15:17:55 O
- 言葉が変われば考え方も変わる、価値観、人間、社会も変わるはずというのは、実はきわめて日本的な発想ではないかと思う。
服装を正せば心も正しくなるという学校の生活指導、行いを外から直せば病んだ心も治るという森田療法(仏教思想の影響が強い)などと通じるものを感じる。
あながちおかしいとも言いきれないのが難しいところだが、問題は、服装や行動が意識的なのに対して、言語は(特に母語ともなれば)無意識に出て来るという点だろう。
- 400 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 15:24:34 0
- >>399
>言葉が変われば考え方も変わる、価値観、人間、社会も変わるはずというの
>は、実はきわめて日本的な発想ではないかと思う。
えっ? そういうの外国にはないの?
- 401 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 15:27:58 0
- 日本語でも「世間」はほとんど死語に近いよね。
「同志」と同じく比較的高齢な年齢層の人々によって
かろうじて用いられる語になってしまった。
その代わりに「社会」という語のほうがずっーと一般に定着したよね。
でも阿部謹也氏にいわせると、「社会」という語が一般に用いられるように
なったところで、日本社会がそのまま変化したことを意味しないらしい。
果たしてこれはいかに?
- 402 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 15:30:38 0
- >>399
仏教思想の中でも禅宗じゃないかな? 他宗ではそうでもないと思う。外見より内面。
- 403 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 15:51:58 0
- 共産党員が用いた「同志」というのは、年齢階梯や領地財産によって
支配関係が生まれながら決まっていた封建的な身分や地位を越えて、
同じ考え方を持つ者同士が対等な親交関係を結ぶ語義があるだろうから、
それ自体は急進的というか進歩主義的というか市民主義的であるよね。
用いられた語と実際の現実とが本当に一致していたどうかは別だけどね。
- 404 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 17:16:16 0
- >>236.>>240,>>387
規範意識を転換するには
「近代的な規範意識」(人権意識、遵法意識など)を高める必要があるよね。
そして、それと同時に
「人の和」「長幼の序」「義理人情」「お互い様」「持ちつ持たれつ」
といった言葉で表現されるような
「村社会的な規範意識」(身内意識、序列意識、互酬意識など)
を抑えていくことも大事じゃないかなぁ。
日本語の場合、
恩恵表現や敬語のスリム化はやっぱり必要だと思う。
でもまぁ、すぐには変われないだろうし、
とりあえずは、日本語の抱える問題を意識化していくことかな。
- 405 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 19:32:24 0
- >>385
おもしろいスレを紹介してくれたのは感謝しているし、また個別の発言を示し
てくれたのもありがたく思うが、丸山氏に対して批判的な人がいるということ
だけが分かったとしか言いようがないよ。
>シニフィエとレフェランとを一体のものと見なしたがる傾向にあった丸山思想
それも君がそう考えているということしか分からない。
どう一体にしちゃってると言うの?
- 406 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 19:38:16 0
- >>386
>そこも「集団〔体系〕の容認」と書いてあるから、>>369のように言っているんだけどね。
その前ページ(p.53)に『講義』1843番の次の発言が引用されているが、それ
をあなたはどう考える?
**
集団は、価値の成立のために必要であって、これの唯一の存在理由は、慣用と
一般的同意のうちにある。個人ひとりではそれを一つとして定めることはでき
ないのだ。(『ソシュールを読む』より)
**
また、同書p.54には、1842番の抄訳として次の記述がある。
**
ラングは記号学的産物であり、記号学的産物は社会的産物である、ということ
である。
**
上に言われている「集団」は比喩でもなんでもないし、ラングが社会的産物と規定
されているが、社会を構成するのは「集団」でしょうが。
ということは、ソシュールがラング(言語)を集団の産物としていると考えて
いいはずだよ。
これらの部分を合わせて読めば、あなたの「読み」がいかに偏ったものである
かは明らかでは。
同書、p.73には、次の言説も引用されている。よ〜く読んでね。(特に最後の一文。)
**
言語を、根も環境ももたない一つの有機体と考えたり、自らの生をもち、おの
ずから成長する一つの種の如くみなす考え方。これは抽象としてとり出された
<言語>であって、これをもとに具体的存在が作られるとする考え方である。
ところが実は、言語なるものは具体的人間と集団の中にしか存在していない。(SM8)
**
- 407 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 19:49:05 0
- >>388
>いいや、字義通りにとれば矛盾になると思いますよ。
ラングとパロールの弁証法的連関を否定するのか?
(「ラングによって規制されるパロールと、逆にパロールによって変革される
ラングという弁証法」小事典p.66)
>(=共同主観)って、どさくさに言語体系=共同主観としちゃっているけれども・・・ww
>現段階では、言語体系⊂共同主観とでも書くべきじゃないですかね?
は? 「言語体系⊂共同主観」のつもりだが。
>一致しない実験結果が見出されている以上、特定の母語体系を外れる他の記号体系なり、
>もっと別の因子を重層的に想定しておく必要も大いにあるんじゃないでしょうかね。
当方は、その実験結果(?)、認めてませんから。
言語とジェスチャーとの間にある記号としての「次元」の違いをあなたは認め
ないの??
- 408 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 19:55:20 0
- 追加
あなたの言語観は、>>406末尾に引用したSM8にてはっきりと否定されている、
「言語を根も環境ももたない一つの有機体と考える」言語観ということになり
はしませんか?
なぜならば、あなたは、言語外の何かを持ち込んで理解することをかたくなに
拒んでいるから。
違います?
- 409 :8:2008/10/30(木) 21:06:23 0
- 非常に哲学的な問題ですね。丸山は市川浩の「身分けの構造」を下敷きにして
いるが、日本語においては精神と身体の間に「身」という概念を持っているが、
精神と身体の間に「身」という言葉を持っている。これを両義性の問題という。
ここで西洋哲学の身体と精神は竹を割った様に分化されておらず、日本語や東洋
哲学(特に仏教哲学において)は身心合一を目指した方向がある。すなわち、
「分ける」という考え方そのものがいかにも西欧的であり、根本において、
西欧哲学でこれを考えた哲学者はメルロ=ポンティが有名であるが、そもそも
デカルト以降の西欧的な考え方を前提にしてもまずいたちごっこであろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
- 410 :8:2008/10/30(木) 21:13:17 0
- それと、重要な指摘であるが、柄谷行人の「日本精神分析」という本を
一度お勧めしたい。これは、日本語がひらがな、カタカナ、漢字と複雑な
エクリチュールを持ちえたかを考えさせる。これは、外来語は何ゆえに
カタカナ表記されるのか、という他の言語では有り得ない出自が明確に
なるという日本語の独自性が、すでに他のコトバを取り入れつつも分類
をして、「本来の日本語ではないコトバ」として明確になり、それゆえに
「排除」が可能というシステムとして浮き彫りにしている。但し、柄谷は、
ここまで、明確に指摘はしておらず、私がそう読み直しているということ
を付け加えておきます。
- 411 :8:2008/10/30(木) 21:24:51 0
- 日本語は「排除」というものを言語レベルにおいて行っており、
西欧のアルファベット等とはまるっきり違う「構造」を持った言語であり、
ソシュールが何ゆえに「差異」を強調した記号学であったのかは、要するに
この西欧・東欧の言語が差異ゆえに分化した言語であったからで、日本語
や中国は類似性の象形文字から派生した言語を使用しているがゆえに
差異はすでに明確であり、「類似性」を強調している点が強い。
これはパースは認識論も取り入れ、記号学を提唱している。
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1182.html
- 412 :8:2008/10/30(木) 21:34:54 0
- つまり、身体論や認識論をターゲットに取り入れて検討しなければ、まず、
日本語というシステムは明確になるはずはない。そもそも、派生がアルファベット
と違うということから開始するべきであろう。
日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字という三重の文字を使用している。これは
非常に稀有な言語で、多くの外国人が、日本語を話せても、日本語をきちんと
書くことができないのは、そもそも<言分け>のレベルから、前提が違いすぎる。
中国語に至ってもより漢字をより簡略化されていこうとしているけれど、
日本語はさらに複雑化されてきている。これは理解できないものを取り合えず、
「カタカナ」レベルで「エポケー」して使用しているからに他ならず、現象学的に
日本語を分析するべきでしょうね。英語ならオタクをotakuと表記しているが、
これが、何百年経ったら文書レベルで記録が残らない限り、出自が不明確に
なって土着化されるであろう。されど、日本語ではそういうことが非常に少ない。
これは不思議ではないか。まずそこから考えよう
- 413 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 23:02:09 0
- >>406
> その前ページ(p.53)に『講義』1843番の次の発言が引用されているが、それ
> をあなたはどう考える?
私が>>369で「断章番号1842,1843」と書いたところ、あなたが>>257で引用した
のは『原資料』のほうに掲載されているノートからのものです。
で、そのp.53の引用箇所は、バイイとセシュエによる『講義』のほうからのものですね。
だからソースになっているソシュールの講義は同じところなんですね。
『原資料』のほうには単に「社会的産物」となっている。
> また、同書p.54には、1842番の抄訳として次の記述がある。
> **
> ラングは記号学的産物であり、記号学的産物は社会的産物である、ということ
> である。
> **
なんのことはない。その点については私もすでに>>386で言及しておいたはずです。
記号は、ハードウェアのレベルでは、その記号体系を「共有する」人々の脳内に
データベースとして記憶されてはじめて伝達機能をもったラングとなるということですね。
つまり、共有(共同体・集団化)を前提にして成り立つ。これは当たり前の話です。
自分一人だけに通じる記号(暗号?)というものもたしかに考えられはしますが、
言語として通常考えた場合には、集団的な「共有化」を前提としているわけですからね。
でなければ自分にしか通じない記号になってしまう。
そういう意味でラングは社会的産物です。そのこと自体に異論を差し挟んでいる人は
ここには端からいないのではないかと思いますよ。ここで問題になっているのはその先。
- 414 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/30(木) 23:35:01 0
- >>406
> 同書、p.73には、次の言説も引用されている。よ〜く読んでね。(特に最後の一文。)
その引用文には、その前文にこうあるんですよね。
『ソシュールを読む』(p.73){
SM8(二二〇二)「主題の複雑さがどんなものであるかを理解するには、コトバに関する
次の三つの考え方を比較するだけで十分である。これらの考え方は当然なものとして提起
されているが、一つとして完全なものはない。」
}
で、一つめの考え方として書かれてあるのが、あなたがそこで引用している箇所。
言語記号をいわばパロール(実践)からもラング(共有)からも切り離す考え方ですね。
二つ目は言語を個人のパロールから考えるけど、それを個人の生物学的機能に還元してしまう。
三つめは言葉を社会的制度とみる考え方だけど、しかしこの喩え方も同様に完全ではない。
なぜなら、ソシュール自身の手稿10(同書p.75)によれば、三つ目も先の二つの考え同様、
自然との関係をそれとなく匂わせるアナロジーに陥ってしまっているからのようですね。
そしてその結論部にあるのは、
(同書p.76 手稿10){
しかし、コトバとエクリチュールは、事物の自然な関係にその基盤を置いてないのである
}
記号が恣意的な体系であるとするならば当然の話です。
- 415 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 00:12:20 0
- >>407
> ラングとパロールの弁証法的連関を否定するのか?
こちらが言っているのは純粋に論理学的矛盾。
「Aは生きていると同時に死んでいる」という言明に見出せる論理的な矛盾のこと。
あなたが言いたいのはおそらくマルクス的、サルトル的なことでしょうけどね。
それは社会的な言語ゲームに関する問題ですね。
> >(=共同主観)って、どさくさに言語体系=共同主観としちゃっているけれども・・・ww
> >現段階では、言語体系⊂共同主観とでも書くべきじゃないですかね?
> は? 「言語体系⊂共同主観」のつもりだが。
本当にそのつもり? ってことは共同主観を決める因子は言語(母語)体系だけ
じゃないってことを認めるということでしょう?
> 当方は、その実験結果(?)、認めてませんから。
はいはいw
> 言語とジェスチャーとの間にある記号としての「次元」の違いをあなたは認め
> ないの??
何が言いたいの?
- 416 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 00:33:37 0
- >>408
> 「言語を根も環境ももたない一つの有機体と考える」言語観ということになり
> はしませんか?
> なぜならば、あなたは、言語外の何かを持ち込んで理解することをかたくなに
> 拒んでいるから。
いいや、その場合にも、最初からその持ち込み方を問題にしていたはずですよ。
記号が人間から独立して物理的(ハード)に成り立つ自然的客体だなんて言っていません。
何度も書いているように、ソシュールの講義ノートの言葉を引用させていただけば・・・
断章番号301{
「言語を研究する時、心理学者や哲学者や、さらには一般大衆がするやり方で行うと、
記号学的主題は現れてこないのだ。まことに、そういった人びとは、
(1) 言語を名称目録のように見做し、言語内の価値が互いの共存自体によって相互的に
決定される事実を蔽いかくしてしまう。」
}『ソシュールを読む』(p.128)
及び>>394
- 417 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 00:34:59 0
- >>404
> でもまぁ、すぐには変われないだろうし、
> とりあえずは、日本語の抱える問題を意識化していくことかな。
そんな、効果があるかどうかわからないことより、先にやるべきことがあるだろうw
- 418 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 00:57:43 0
- >>409
8さん、丸山ソシュール思想がらみでここでひとまず問題になっているのは、
シーニュとレフェランとの関係についてです。
特に丸山思想にとって、シニフィエとレフェランとは同じ概念の言い換えに
過ぎないのかどうか。もし同じならこの二つの概念を用いる必要はないはず。
レフェランはそのままシニフィエを意味するのだからシニフィエと言うだけで
済むことだし、シーニュに完全に取り込まれるわけですね。
しかしもしそうなると、日本語なら日本語内に、PCとパソコンとパーソナル
コンピュータといった三つの言語記号が生じた場合。この三つが異なる
シニフィエ(価値)を持つのはまあいいとして、同時に異なるレフェラン
即ち指示対象を持つことになるわけですよね。
- 419 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 12:16:06 0
- なんか、主客融合的なままじゃだめだ!
みたいに言ってるやつのほうが
よっぽど主客融合的な感じがするのは俺だけかw
- 420 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 12:45:29 0
- >>399
「初めに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった」という聖書の有名な一節を
想起させることから考えると、必ずしも日本的とか東亜的とか言えない部分もありそうです。
言語そのものではありませんけれども、東アジアの漢字語圏の主要諸国ではかって、
漢字廃止論というものが唱えられ注目を浴びた歴史的事実はあったようですね。
中国と日本では実現に至りませんでしたが、wikipediaの「漢字廃止論」の頁を参照すると、
北朝鮮では法律上漢字が廃止されているようで、レーニンの東洋革命論にもとづいている
ようだと書かれてありますね。また、中国共産党の幹部が、中国が日本に影響を与えた
悪い文化があったとして、孔孟思想と漢字文化の二つを挙げたという話もあったようですし。
- 421 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 13:22:41 0
- 例の身振りと絵の選択による実験結果の話で、
他のスレッドでもちょっと話題になっていたことだけれども・・・
パソコンの世界を見ると、コマンドラインインターフェース環境においては
SVO(正しくはVO)という順番が標準的で、それがグラフィカルユーザー
インターフェース環境になると、今度はSOV(正しくはOV)という順番が、
言語の違いを越えてユーザーインターフェースのグローバルな標準になっている。
このことをなんとなく連想させる実験結果なのかもしれないなあって。
グラフィカルユーザーインターフェースが欧米発だとすると、なぜ彼らの母語体系
での一般的語順であるSVO(VO)にならなかったのだろうかと疑問といえば疑問だね。
当然だといえば当然だけど。このことをどう考えられるのかってのも興味深い。
- 422 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 13:54:34 0
- 本当にGUIってOVなんでしょうかねえ
- 423 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 14:19:35 0
- 少なくともグラフィカルな部分についてはOVでしょう。
- 424 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 14:33:42 0
- グラフィカルな部分に付いて解釈したいのであればSVだと思うけど
欧米語発のプログラミング言語が頭にあるから命令形に解釈されてOVのように見えるだけで
- 425 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 14:59:13 0
- >>424
> グラフィカルな部分に付いて解釈したいのであればSVだと思うけど
その場合のSとVには例えば具体的に何が入るの?
マウスで画面を操作している動作主であるユーザーはどこに?
> 欧米語発のプログラミング言語が頭にあるから命令形に解釈されてOVのように見えるだけで
その言語というのはオブジェクト指向プログラミング言語のことかな?
GUIのデスクトップ画面の操作でもOSへの命令形であることには違わないんじゃないの?
もちろんユーザーとPC(OS)は状況的に自明だから伝達上省略されるわけだけど。
まあ、主語をどう定義するかにもよるけれどね。
- 426 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 16:08:15 0
- 英語だけなのかは詳しく知らないが、英語では、他人の名と自分の名を併称・併記する場合に、
必ず他人の名を前に持ってくるというのが社交的な辞令というか習慣のようなものになっている
ということを習ったことがある。
レディーファーストじゃないけど、そうでない日本語に比べて英語というものが主体を他人に
従属させている側面を表していて、英語話者が他人本位の主体性しかもっていないことを意味
するのだと果たしてどこまで言うことができるのかどうか・・・
- 427 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 16:36:46 0
- GUIはオブジェクト(目的、目標)指向。
他動詞より目的語を先に提示する日本語的
逆ポーランド記法が主流。
- 428 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/31(金) 16:41:33 0
- オブジェクト指向は主格体格言語。
メソッドが引数を要しない場合を自動詞文、引数を要する場合を他動詞文とみなすことができる。
- 429 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/01(土) 01:38:28 0
- >>413
社会と集団の「産物」と言われている、その「産物」の意味を自分勝手に限定しては
いけない。
これを素直にとれば、なぜ世界に多数の言語があるのかも了解される。
(逆に言えば、君の考え方では説明不能となる。)
>>415
>本当にそのつもり? ってことは共同主観を決める因子は言語(母語)体系だけ
>じゃないってことを認めるということでしょう?
言語と集団を直結したものとして述べた覚えはまったくないのだが…。
なんかそこは君の一方的な決め付けを感じるのだが。
>何が言いたいの?
世界を分節するのは、言語記号でしょ。
ジェスチャーは、言語により分節された世界を「言語の代わり」に表しているに過ぎ
ない、ということ。
>>416
>(1) 言語を名称目録のように見做し、言語内の価値が互いの共存自体によって相互的に
>決定される事実を蔽いかくしてしまう。」
また単細胞なことを言っているな〜。
「言語内の価値が互いの共存自体によって」決まる事と、言語は社会・集団の産物
であることとは、どう矛盾すると言うのか?
矛盾すると言うなら、その根拠を分りやすく説明してくだされ。
- 430 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/01(土) 02:48:31 0
- ソシュール自身が言っていたのは、言語内の集団(他の語の集団)や言語内の社会(文法組織)
というような意味なんじゃないのか。そこのところの誰かの拡大解釈がどうであれ。
- 431 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/01(土) 12:30:16 0
- どうやら主客融合論者は、サピア=ウォーフの強い仮説を基盤にしたような推論をしているらしいが、
強い仮説のほうはまゆつばものだろう。
弱い仮設のほうならまだ可能性もあろうが、それとて膨大で緻密な研究調査をしてやっと
微妙な差異を認められるか否かぐらいだろうと予想される。
しかもその比較は、語の「形」だけをもってしても意味はないだろう。
for you と あげる の例などでもわかるとおり、語の形は違えど類似するものも存在するのだから。
ある語の使用頻度や、ある語の存在の量、ある語の有無、それらをも考慮に入れなければ
信用に足る結論などは導き出せないだろう。
「中立」なる語の「有無」を表層の部分で判断したりなど、
どうもこの論者、勇み足に過ぎるところ多々見受ける。
- 432 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/01(土) 18:14:38 0
- 言葉なしには、我々は、コミュニケーションはおろか、思うことも考えることもできない?
- 433 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/01(土) 18:24:50 0
- 強い仮説ではそのような感じだね。
「です」という言葉なしには、偉い人には「この物の名前はペンだ」ということすら言えない、とか
「です」という言葉なしには、偉い人を目の前にしてもその人が偉い人だという意識すら持てない、とか?
- 434 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/01(土) 19:25:14 0
- 『ジェスチャーは、言語により分節された世界を「言語の代わり」に表しているに過ぎない』
ということを認めたとしても、語彙はともかく、その文法構造からその言語の話者にも意識
されないような隠れた意味を読み取り、それを話者の心理をそのまま反映していることの証拠
であると結論づけるやり方には、二つ返事で「うん」とは頷けないとこがありますけどね。
精神分析学者の行う患者の無意識解釈と同様の、なんだか狐につままれたような・・・
それは解釈する側の意識の単なる投影じゃないの?って言いたくなってしまうところがある。
- 435 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/02(日) 12:29:39 0
- イヌがしっぽを振るジェスチャーが「喜び・嬉しさ」という「気持ち・心理・意識」」を表しているものかどうか
- 436 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/03(月) 21:38:28 0
- 日本語は主客融合的である。
理由はまだ無い。
- 437 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/03(月) 23:23:45 0
- 日本語の長いトンネルを抜けると、主客融合であった。
論の底が浅くなった。
- 438 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/05(水) 00:06:01 0
- 結局スレ主が何を言いたかったのかわからずじまいで終了か
- 439 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/05(水) 04:18:58 0
- そうか? 随分と言いたい放題に書き込みしていたぞ。
あとは読者判断に任せるしかないだろう。
- 440 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/05(水) 13:29:36 0
- 言いたい放題口から出るにまかせてに言うだけで、
何を意味しているのか相手に伝わるのなら苦労はないわな。
まさに名称目録的な世界だよね。
- 441 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/05(水) 15:43:40 0
- 日本語コンプレックス:日本語に対する劣等感と優越感とが入り交じった感情。
この感情は表裏一体。同じ地盤を共有し、背中でくっつき合っている。
そして時代や状況に応じて反転する。その源泉は共に日本語特殊論。
- 442 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 03:58:02 0
- 結局>>313ってことなのか。
たいして深い比較もしていないのに何かを特殊だなんて信じてしまうことで感じる、普遍ムラからの疎外感。
そういう主客融合的にしかなれない自分が嫌いなことが無意識に反映されて、
そんな自分がいる社会や使う言語も主客融合的であることにし、
それらに自己投影して批判することで自分を慰めていたのかも知れぬ、などと主客融合論者ばりに精神分析してみたり。
しかし、二人いると思っていた主客融合論者がいっぺんに書き込みしなくなったね。
自論を簡単に信じてくれそうな住人がいるスレでも見つけたのかな。
- 443 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 11:16:08 0
- >>430
>ソシュール自身が言っていたのは、言語内の集団(他の語の集団)や言語内の社会
>(文法組織)というような意味なんじゃないのか。
そんな「集団」や「社会」の解釈は、あなたの手前勝手な解釈に過ぎない。
何度も言うように、そのようなアクロバティックな解釈しかできないと言うなら、
根拠を示しなさい。
ソシュールがごく常識的な意味で「視点」という言葉を使っているのがはっきりと分
る「原資料」を示しておくね。
もう強弁はできないと思うよ。
***
我々はある事物についてさまざまな視点から語ることはできない。何故ならば事物を
創るものが視点だからである。(frag.3295a)※『小事典』「ソシュール用語解説」
[視点]の項より。
***
これは、丸山氏の「視点」=「共同主観」説を裏付ける言説。
以前に問題になった、
***
まず存在するものは視点だけであり、そのおかげで事物が創られる。(…)いかなる事
物もいかなる対象も、 一瞬たりとも即自的に与えられてはいない。(frag.3295a)
***
の部分についても、あなたの解釈(>>150等)がいかに偏ったものであるかは明らか。
なお、『ソシュールの思想』の索引で「視点」を引くと、ごく常識的な意味で使われ
ている例がさらに出ていたよ。(確か、弟子のノート中の例。)
- 444 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 11:19:00 0
- >>431
>for you と あげる の例などでもわかるとおり、語の形は違えど類似するものも
>存在するのだから。
どこが「類似」するのか???
「君にしか分らない」と思うがw
あと、韓国語にも敬語になれば「あげる・くれる」の対立が認められると言ってい
たが、それは「あげる」に相当する一つの動詞の尊敬語と謙譲語の対立だよ。
つまり、「おあげする(さしあげる)」と「おあげになる(くださる)」のような違い。
- 445 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 11:25:40 0
- 補足
「あげる」と「くれる」の対立と同様の対立が英語にもあると言うなら、
きっちりと説明してくれ。
- 446 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 13:23:28 0
- 「視点」というのは個別の言語記号システムのこと。システムの外にあるものの反映ではない。
特定言語の分節構造をそのシステムが内的に持つ独自の「視点」と言い換えているだけの話。
システムという全体の視点があってはじめて、個別の語彙である単語が決まるという意味で、
システムという視点に先立って事物を表す単位が記号内に存在しないということを言っている。
この解説とソシュールの講義ノートのそれらの引用とが矛盾するという主張は果たして真か?
その「視点」なる語を、人間の認識をトータルに指す意味でソシュールは果たして用いたのか?
もしも仮に事物が字義通り記号システム外の事物そのものをも含意させているとすればそれは、
サピア=ウォーフ仮説でいうところの「最も!強い仮説」をソシュールはそこで主張している
ことになるだろう。
しかし、ソシュールが『講義』で「記号学」が心理学や社会学などの他の学門から独立して
個別科学として成り立つことを訴えている文脈からしても、言語だけが記号システムの総て
でないことを再三断っている点からしても、心理的実在から記号システムが独立してあること、
つまり心理的実在の反映として記号を捉えてはいけないことを指摘している点からしても、
それは考えにくいのではないか。
- 447 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 13:31:01 0
- いや厳密にいえば、ソシュールがもしそのとおり「強い仮説」の主唱者であったとするならば、
ソシュールは記号学ないし言語記号学を、すべての社会科学、あらゆる人文諸科学(丸山氏に
とっては自然科学までも含まれる)を包含する、しかも基礎科学・原理科学として主張していた
ことになる。自然科学も人間の視点であるかぎり特定の個別言語体系の支配下にあるのだと。
- 448 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 13:35:16 0
- こうなってくると、ソシュール自身がこの言葉の本義でいうところの「主客融合」論者
であったと言わざるをえなくなってくる。共同主観性が客観世界を支配するという意味で
主と客とが一致融合している、つまり極めて純度の高い反映関係にあることになるのだから。
- 449 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 13:56:45 0
- あんたらいつまでやるつもりかな、暇人の観念論を延々と。
こんな話題はもう止めてくれ。pgdnの手間ばかりかかってしょうがない。
- 450 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 14:10:57 0
- >>444
> あと、韓国語にも敬語になれば「あげる・くれる」の対立が認められると言ってい
> たが、それは「あげる」に相当する一つの動詞の尊敬語と謙譲語の対立だよ。
> つまり、「おあげする(さしあげる)」と「おあげになる(くださる)」のような違い。
for you, for meを主張していたのは私ではないが、韓国語については私が書いたので
それについてだけコメントさせていただくよ。
そうすると、私の主張(「くれる」は「下さる」の卑俗語化)どおり、
日本語の「くれる」すなわち「下さる」も、尊敬語「上げる」に対する謙譲語である
とは果たして考えられないの?・・・という疑問がわいてくるのですけどね。
韓国語の場合も音韻からして同一単語を膠着変化させた言い換えには見えないし。
- 451 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 14:37:10 0
- 「くれる」という単語の存在をもってして、それが「主客融合的」の証拠だとか、
二者(一人称-二人称)間に「内閉」している証拠だとか、という話のもって行き方
も強引で理解しがたい。
英語は単数形と複数形の区別が厳格だといわれるが、weがIの意味で用いられたり、
本来複数形であったはずのyouが二人称単数形であったthouの意味で用いられること
があった。これをもって英語話者の中に個人と集団との混同が生じたと言えるのか?
- 452 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 17:44:38 0
- >>444
勿論「恩恵表現」の感覚があることを類似点としている。
スレの流れにて明確かと。
君は「恩恵」という感覚を「単語」で代替している日本語と、
「二つの単語の組み合わせ」で代替している英語というのを、
両者の類似しない部分としているとされている。
そしてその類似外の部分のどこがどう巡ると一方の日本語だけが主客融合的と言うことになるのだと、
君は何度も尋ねられている。
この部分は「君にしか分からない」ことであるのに、
それを全く説明していないことを棚に上げ、逆に揶揄するような言葉を吐く。
説明責任を放棄した論者に、私はそのような言葉を浴びせられる謂れはない。
- 453 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 21:11:09 0
- >>443
> ***
> まず存在するものは視点だけであり、そのおかげで事物が創られる。(…)いかなる事
> 物もいかなる対象も、 一瞬たりとも即自的に与えられてはいない。(frag.3295a)
> ***
> の部分についても、あなたの解釈(>>150等)がいかに偏ったものであるかは明らか。
> なお、『ソシュールの思想』の索引で「視点」を引くと、ごく常識的な意味で使われ
> ている例がさらに出ていたよ。(確か、弟子のノート中の例。)
ちなみに、『ソシュールを読む』でのその引用箇所のあとで、たしかに丸山氏はこんな
ふうな解説を加えていますね。
{
つまり、絶対的神も理性もありません。一切のア・プリオリは否定されてしまう。
具体的に言うと、個人主義的発想のもとにあるアトミズムやモナドロジー、主客二元論、
実体論、反映論、ダーウィニズム、いずれも実は決定論でしかない機械論と目的論、
こんなものでは人間の生も文化も説明できないというラディカルな思想です。
右の手稿の中の「他の場所」と「此処」という表現は、〈実体〉と〈関係〉という概念に
置きかえることができ、この二つの領域における「〈同一性〉identiteとは何か」という問が、
〈単位〉を決定する鍵となってくるのです。
}(同書p.139)
で、引き続いてその「同一性」についてソシュールが言及しているSM60(エングラーの
断章番号では1772-1787)が引用されている。その最後、エングラーの断章番号1787では
{
そしてこの同一性の問題は、結局のところ、言語の実在(レアリテ)の問題であることがわかる。
}
とある。これは「言語のレアリテ」、要するに言語的現実の問題だと言っている訳ですね。
- 454 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/06(木) 22:56:37 0
- A 私が彼にして下さったこと.
B. 私が彼にして(差し)上げたこと
a, 彼が私にして(差し)上げたこと
b. 彼が私にして下さったこと
- 455 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 10:29:26 0
- 「して上げる」は与格に対する謙譲語ですよ。
与格に話者である一人称の私がくる場合には「して上げる」では
謙譲の意味にならないから変。その場合は「下さる」を使わないと。
- 456 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 15:15:06 0
- >>446
先に引用したとおり、ソシュールはごく常識的な意味で「視点」ということば
を使っている。それは動かない。
「視点」を常識的な意味に解してこそ、<言語=社会的「産物」>という表現
とも整合性がとれる。
君の理解は、<言語=社会的「存在」>の説明にはなるが、なぜソシュールが
「産物」という言い方をしたのか、説明がつかなくなる。
>もしも仮に事物が字義通り記号システム外の事物そのものをも含意させているとすればそれは、
なんでそういう話になるの???
>心理的実在から記号システムが独立してあること、つまり心理的実在の反映と
>して記号を捉えてはいけないことを指摘している点からしても、それは考えに
>くいのではないか。
「視点」と「心理的実在」は別だよ。
- 457 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 15:25:21 0
- >>394
>「ある語の価値は、共存する諸辞項の力を借りてはじめて決定され、これらが
>その語を限定する。」(SMIII、1875)
関係性の中で決定されるのは、あくまでも「ある語の価値」とされているとこ
ろを見落としていませんか?
チェスの一つ一つの駒の「価値」は、その体系の中で決定されると言える。
それは間違いない。しかし、そのことと、ゲームとしてのチェスがある集団の
共同主観の産物であるということとは、別に矛盾しないでしょうが。
あなたはそのことを矛盾すると言っているように思うが、違いますか?
ただし、「産物」と言っても、その影響度にはさまざまなレベルがあること
に注意すべき。
- 458 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 15:38:00 0
- >>447
>自然科学も人間の視点であるかぎり特定の個別言語体系の支配下にあるのだと。
おい、おい。
自然科学の知見は個別言語を超えているでしょ。
対して、言語は各国語体のバリエーションを持つ。
「恣意的」だからだよ。
そしてその「恣意」の内実が、視点(=共同主観)。
>>451
「あげる」と「くれる」の対立だけをあげているわけではないので。
>>452
それ専用の「辞項」を持つことは、その方面の意識の強さを表わしていると考
えられる。
>説明責任を放棄した論者に、私はそのような言葉を浴びせられる謂れはない。
「理解責任」も持ってほしいものだ。
- 459 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 15:43:26 0
- >>450
>そうすると、私の主張(「くれる」は「下さる」の卑俗語化)どおり、
>日本語の「くれる」すなわち「下さる」も、尊敬語「上げる」に対する謙譲語である
>とは果たして考えられないの?・・・という疑問がわいてくるのですけどね。
その可能性は否定できないかも(?)。
ただし、現代語としては、「くれる」(非敬語)、「下さる」(敬語)。
対して、韓国語において使い分けのあるのは、敬語のみ。
>韓国語の場合も音韻からして同一単語を膠着変化させた言い換えには見えないし。
確か、どちらか一方は規則的な変化で、一方は「特別な形」だったかな?
話す→お話になる(規則的)
食べる→召し上がる(特別な形)
- 460 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 16:44:46 0
- >>456
> 先に引用したとおり、ソシュールはごく常識的な意味で「視点」ということば
> を使っている。それは動かない。
ごく常識的意味での「視点」とはどういう意味?
ごく常識的な意味でも視点は比喩として使われているのが一般的なのでね。
多くの見方ができるなかでの一つの見方という程の意味で常識的に使われている。
その常識的意味で理解したとしても、こちらの理解となんら矛盾しないはずですけど。
> 「視点」を常識的な意味に解してこそ、<言語=社会的「産物」>という表現
> とも整合性がとれる。
前にも説明したとおり、「産物」というのは単に、社会のなかで記号が共有されることを
言っているに過ぎないと見なせるでしょう。そう受け取っても「産物」という意味は通ります。
あなたのようにわざわざ尾ひれをつけて受け止める必要などないですよ。
しかしあなたは、記号学的対象が社会学的ないし心理学的な対象のそのまま表象された
反映物であると、「記号=代理表象」という意味でその「産物」なる語を用いたがっている。
その発想はむしろ記号の社会心理学的な還元というべきで、そうなるとソシュールがわざわざ
記号学に固有な対象を強調し、記号学に固有な学問的領域の創出を謳った意味が分からない。
> 君の理解は、<言語=社会的「存在」>の説明にはなるが、なぜソシュールが
> 「産物」という言い方をしたのか、説明がつかなくなる。
というわけで、そんなことはまったくないのですけどねw
> 「視点」と「心理的実在」は別だよ。
いいやあなたは、後者の直接反映論として視点(=記号システム)を考えたがっているようです。
でもそれはむしろ記号の心理学ないし社会学への還元とでもいうべき発想じゃないですか?
記号学の扱う固有の領域はなくなり、心理学や社会学に還元される分野であることになる。
それだとソシュール以前の古典的な言語心理学に逆戻りという話にもなりそうなのですけどね。
- 461 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 17:09:44 0
- >>457
ある民族にはその民族固有の心理が言語外に実体としてあり、その心理の直接の
反映として社会構造なり言語構造があって、その民族はその言語を話すようになる
べくしてなったとでもいうような、要するにそれは人類学的還元の発想ですよね。
記号学的還元は、そうなるとけっきょく意味をもたず、記号外部の実体の単なる反映
としてだけ記号を考えればいいという話になってくる。そうなってくると記号学の学問的
自律性を唱えようとソシュールが行った『講義』の意味はいったいどこにあったのか。
- 462 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 17:49:51 0
- >>460
>ごく常識的意味での「視点」とはどういう意味?
人間が主語になっている、と言えば分かるかな?
あなたの理解する「視点」は人間がぜんぜんかまないでしょ?
(そういう意味で、あなたの使う「視点」は比ゆ的(手前勝手)だと言ってい
る。)
>前にも説明したとおり、「産物」というのは単に、社会のなかで記号が共有されることを
>言っているに過ぎないと見なせるでしょう。
少なくとも、当方にはみなせない。それなら、「存在」で十分。
>いいやあなたは、後者の直接反映論として視点(=記号システム)を考えたがっているようです。
「直接」だとか、「対象のそのまま表象された反映物」だとか、それは確かに
ソシュール以前への後退だわな。
しかし、そんなこと一言も言ってないでしょうが。
該当するところがあるというなら、指摘してくださいな。
なぜ話をそう極端な方向に持っていくのか?
さあ、ソシュールの言う「視点」の主体として、人間を設定できるかどうか答
えてもらいましょうか。
- 463 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 18:28:49 0
- 言語は言語以前に存在する事物・観念を表わすものに過ぎない。
言語は言語以前に存在する事物・観念と一切関わらず自立している。
いずれも、単細胞な極論。
ソシュールはいずれの極論にも与しない。
- 464 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 21:05:48 0
- 1. 日本人の対人心理ないし自我構造はこうだ。
2. 日本の社会構造はこうだ。
3. その証拠は日本語にそれが反映されているからだ。
あなたの論法はこうなっているんですよね?
1と2の事実関係自体もそもそも実証的に問題になるわけですけれども、
あなたは1と2の証拠として3を直接もってきている。
つまり、3は1と2の実体のそのまま「反映=代理表象」であるという前提でもって
話をすすめ、それをもってして1と2に対する解釈の十分な証拠であるとする。
なぜなら3は1や2の実体がそのまま代理表象されたもののはずだから、
3を見せることがそのまま1と2の証明になるのだという論法なんですよね。
- 465 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 21:57:02 0
- >>463
あなたはたしか「密接な関係にある」とまで言い切っていませんでしたか?
だからこそあなたは、日本語の斯く斯く云々の構造にあなた流の解釈を取捨選択的に当てはめ、
それをもってして日本人の自己意識やら集団意識を示すだけの十分な証拠になっているだろう
と言い張ってきていた。
私(あるいは私たち?)は、その部分について、果たしてそこまで因果関係は明白なのかどうか、
現時点ではその因果関係の透明性はまだまだ疑わしいのではないか、この段階でどんどん
その先に話をもっていってもいいものかどうか、などと数々の疑問を差し挟んできたわけです。
言語と話者の自我や社会関係とがあらゆる点において一切無関係だと私は言っていません。
語彙あるいは語用においては、そのような因果関係を見出せる可能性はあるかもしれない。
もちろんその場合にも、そこでその論者によって解釈された内容にどれほど真実味があるのか、
検証するに足る実証的手続きの積み上げは必要になりますが。
言語外の事実との直接反映と見なせる部分は言語構造の総ての面や要素に見出せるのではなく、
それはいくらかの条件に応じて限られていて、その間に仮に直接反映的な因果関係の証拠を
見出そうとするのであれば、その媒介項の役割を果たすそれ相応の証拠が必要になってくるはずで、
あなたのその提示レベルでは決定的に不十分ではないかと再三に渡り指摘してきたまでです。
- 466 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 22:11:48 0
- >>458
> >自然科学も人間の視点であるかぎり特定の個別言語体系の支配下にあるのだと。
> おい、おい。
> 自然科学の知見は個別言語を超えているでしょ。
だーからその前に、「事物」の意味をあなたのいうとおり「字義的に解釈すれば」という仮の条件
をつけた上で書いているわけですよ!
ソシュールがそこで言っている「事物」が記号内での個別単位の比喩を意味しているのではなく、
字義通りの意味であるとしたなら、自然科学の対象であるはずの字義通りの「事物」までが
丸山氏の言い方を借りれば記号学的還元の対象になるとソシュールが考えていたことになるわけで。
そうなると、ソシュールは言語決定論ないし言語による認識相対論のもっとも強い仮説の理論的な
提唱者であったという話になってくるでしょう。少なくとも丸山氏はそう解釈しようとしていますよね?
>>453の「(同書p.139)」からの引用箇所を見てください。
- 467 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 22:45:05 0
- 自然諸科学まで拡大しなくてもその話を社会人文諸科学の領域にかぎってもいいですよ。
社会的文化的領域においてはソシュールは、言語相対主義者であったことになってくるだろうし、
丸山氏のいうとおり主客二元論を否定した主客融合論者であったということになってくるでしょうね。
『ソシュールを読む』で丸山氏は、>>453で引用しておいたソシュール講義ノートのSM60の解説での
最後の締めくくりとして「自我」を例に挙げて言及しているので、その箇所を引用させていただきます。
{
「自我」なる〈本質体(アンテイテ)〉を構成しているものは、肉体であり血であり細胞であると考える人は
いないでしょう。「自我」は常に誰かにとっての私であり、時には私にとっての私でもあります。
「自我」は純粋に関係的存在であり、それだけに「自我」のアイデンティティは、いつ崩されるかもわからず、
絶えず不安定な状態におかれていることも、よく御存知かと思います。
}(同書p.143)
ここでは「自我」の本質が関係そのものにあり、したがって共依存的にしか成り立たないことが本質的
なこととして強調されています。日本人の特徴であるとあなた方が主張しているものは丸山氏にいわせる
ならば自我一般の本質であるのです。個人主義的な単位として自立した自我構造なるものは錯覚であり、
そうした自我像もまた共依存的な関係性の産物でしかないことになりましょう。個人主義は否定されるのです。
- 468 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 23:29:40 0
- >>458
> 「あげる」と「くれる」の対立だけをあげているわけではないので。
いいやそういう問題じゃなくて、それぞれの根拠に乏しければ、どんだけ挙げてこようとも
それにはまったく意味がないという話。
解釈の自由に任せてその解釈にこじつけられそうなものを集めさえすればいいのだから。
>>458
> それ専用の「辞項」を持つことは、その方面の意識の強さを表わしていると考
> えられる。
考えられるっても、それだけではそれはあなたの主観的な想い以上ではないのであってw
そこをまるで自明な因果関係であるかのように繋げちゃうところが話を急ぎすぎているんで。
- 469 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 23:43:59 0
- 「ごく常識的な意味での視点」とは、人間の認識全般をトータルに包摂する視点一般という意味?
問題になっているのはそこでしょう?
母語の文法体系がその話者のジェスチャーによる文法体系までをも同じ鋳型にはめているの?
- 470 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 01:52:20 0
- これで何か文化の差を語れるのだろうか
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa3142863.html?ans_count_asc=1
- 471 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 02:03:25 0
- サカナという一見して一語にみえる単語が、本来は「酒の菜」という熟語だったことの透明性は
もう失われてしまいましたか? 日本語は単語同士を区切って表現しないからこういう透明性は
すぐに失われてしまうのかもしれないね。
- 472 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 02:13:01 0
- 「男」も実は「をと+こ」という二つの単語から成り立っていたらしいね。
日本語の場合は単語間に空白を設けないから語源の透明性が残らない。
「をと こ」というふうに記述していたら現代人にもそれが二つの単語だった
ことを理解できただろうね。
「娘」も本来は「産す(むす)女(め)」という熟語だったという説があるね。
- 473 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 02:16:36 0
- 漢字で思考するということはどういうことなんだろうね。
さんずいは水という単語で、それと組み合わせた熟語としてさんずいのつく漢字があるのだから
さんずいのつく漢字は単語ではないとか、そういう話になってくるんですかね。
- 474 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 02:41:25 0
- >>458
「あげる」は何も「専用」ではないよね。
敬意表現だけに使われる言葉ではないし、
敬意表現のために作られた言葉でもないよね。
- 475 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 04:25:42 0
- >>474
「あげる」は「やる」もしくは「あたえる」に対立する敬意表現なんじゃないの?
「さしあげる」とすればもっと丁寧になるけど、敬意の程度はあるものの、
「あげる」が相対的に敬意表現であることに違いはないと思う。
これは勝手な連想ゲームだけど、「あげる/くれる」は上下の対立をイメージさせるね。
「くれる」が「下さる」に対応していることからも、日が下(くだ)って下方に沈むことを
イメージさせる「日がくれる」からしても、どことなくそう想像させられるところがあるね。
「くれる」はその受け手が一人称かその身内でないと使えないという人がいるけど、
「その才能は天があなたに(授けて)くれたものですよ」とは普通に言える。
才能が天から降ってきてあなたの物になったという下るイメージがあるからなのか?
- 476 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 04:46:05 0
- 欧米社会は日本に比べて階級社会だとか格差社会だとかしばしば言われることがありますね。
日本は近年でこそ格差社会化が問題になっているけれども、相対的に平等な社会と言われてきた。
言語が社会構造を反映しているとすると、欧米のほうが敬語が発達しそうにも思われるんだけどね。
- 477 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 05:28:21 0
- 王室とかあった時代はそれなりに
- 478 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 08:35:02 0
- >>471-472
例えば英語とドイツ語の間には語源の透明性が残るかどうかの差があるのか?
- 479 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 08:48:27 0
- 王室とか貴族社会とかで独自に発達したような狭義の敬語ってあるのかなあ?
それに近現代になっても、英国にしても仏国にしても、教育による階級間の移動が
相対的に少ない階級社会であるというふうに言われているよね。
>>476 >>477
その辺のことについては、あくまでも一つの例として、こんな解釈の仕方でもって
分析しようとしている本があった。
敬語で解く日本の平等・不平等
http://www.amazon.co.jp/dp/406149550X
- 480 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 09:08:41 0
- >>478
ドイツ語の合成語複合語では、発音するときに区切っているようですね。
- 481 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 16:49:17 0
- 「です」も「で」+「そうろう(さぶらふ)という説もあるし、
少なくともfor youと同様に何かの組み合わせだろうと思われるし、
元を辿れば「単語」であるとは言えないだろう。
日本語は複合語でも単語として認識されていきやすい言語だということは出来るかも知れないね。
- 482 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 02:09:00 0
- そろそろ「無理があった」という結論まで煮詰まってきたろうか。
ことごとく根拠が中途半端な立論であったようだね。
もうすこし穏やかで局所的な部分のみ突き詰めていく意向がスレ主にもあれば、
今までに論じられたことのない日本語のある部分のある種の特殊性ぐらいは、
新たに語ることが出来たやも知れぬ。惜しい。
- 483 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 11:23:17 0
- >>481
日本語で複合語の構成が分かりづらいのは、音節が単純だからです。
日本語の文法とはあまり関係がありません。
「酒菜(さかな)」、「木の子(きのこ)」、「水な門(みなと)」、
「御御御付け(おみおつけ)」など色々ありますね。
フランス語も音節が比較的単純なので、
複合語がくっついて一語のようになることが頻繁にあります。
au jour d'hui (今日という日に) → aujourd'hui (今日)
gens d'armes (軍の人々) → gendarme (憲兵)
pot au feu (火の上の鍋) → pot-au-feu (ポトフ)
などなど。
- 484 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 15:24:10 0
- 英語のなどの文法理論から見ると、日本語には動詞などの人称変化がない
ように見えるが、考え様によっては敬語がそれに近い意味の代わりをしている、
ということを言っている人もいるね。
- 485 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 15:39:56 0
- そうだ! 中国語を日本の公用語にしよう!
中国語なら「貸す/借りる」までも「借出/借」で、同じ「借」を使って表現できるんだからw
- 486 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 17:02:16 0
- >>485
それだけで??
かす・かりる
を同じ動詞で使う言語なら他にもあるよ
- 487 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 17:18:28 0
- 売る買うもたしか似たような発音の似たような字だったよね?
- 488 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 17:27:03 0
- フランスと日本の比較について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1091775499/
- 489 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 16:59:22 0
- 「単語」云々に関して、語源を持ち出すというのは意味ないでしょ。
また、微妙な例があるのは確かだが、「あげる」は誰が見ても一つの単語。
対して、「give for you」を一つの単語と言うヤシがいたら、お目にかかりた
いものだ。
見出し語が多くの辞典でほとんど一致するように、「単語」は一つの単位とし
て十分に成立しているでしょ。
またお得意の極論ですかw
それゃあ、複合語を持ち出せば話はややこしくもなるが、「give for you」
なんていうのは、それ以前の問題。箸にも棒にもかからない。
>>468
> それ専用の「辞項」を持つことは、その方面の意識の強さを表わしていると考
> えられる。
>考えられるっても、それだけではそれはあなたの主観的な想い以上ではないのであってw
>そこをまるで自明な因果関係であるかのように繋げちゃうところが話を急ぎすぎているんで。
このような考えを絶対だと言うつもりはないが、よく使われる考えかただし、
ソシュールの理論にも則ったものだよ。
全然関係ないというのこそ、「あなたの主観的な想い以上ではないのであってw」。
>>462への返答、お待ちしているのですが…。
ソシュールの「視点」についての当方の理解が間違っていなければ、「共同主
観」と「ラング」とを関連させて考える当方の考えは、ソシュールの考え方に
則ったものと言えることになるよね。
脳内の理解に突っ走るのではなく、ぜひfrag.3295を虚心に(と言うか、ごくご
くふつうに)読んでもらいたいものです。
- 490 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 17:53:05 0
- >>485
日本語の貸す借りるだって、しゃべり言葉では共に「か」を語幹とするわけだから、
同語と見なせないことはないし、単に活用の違いによるだけにも見えないではない。
>>489
辞項というのが辞書の項目を意味し、それが単語の定義であるというなら、
「文化」「本屋」「頭痛」「熱水」「冷水」といった、いわゆる熟語は単語に入るのかな?
- 491 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 17:57:31 0
- 極論じゃなくて厳密性を求めているんだよ。単語とそうでないものとの「差」を強調するのなら
その「差」がいったいどこにあるのか、なんであるのか、それがはっきりされないと論証にならない。
- 492 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 18:27:17 0
- >>490.491
先に述べたように複合語の扱いは難しいが、
「あげる」はだれが考えても単語。
「give for you」はだれが考えたって単語ではない。
>>491に聞くが、じゃああなたは単語という単位を認めないのか?
あと、「くれる」を「くださる」の変異形ではと言っている人がいたが、
それはおかしいのでは。
というのは、前にも出た話だが、方言で「くれる」を「あげる・くれる」の
両様の意味で使うところが広範囲にあるよね。
そのことから考えて、「下さる」(敬語)とのみ関連させるのは無理でしょう。
むしろ、「くれる」は「くる」と関連すると考えるべきじゃないかな。
古語の終止形は「くる」だしね。(活用は違う。)
もっとも、「あげる」の意味で使われる場合も、『日本国語大辞典』によれば、
「くれてやる」に見られるような「上から目線」のものが多いようだ。
そのことからすると、「上から下へ」の動きは、確かに認められるのかな(?)。
- 493 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 18:48:17 0
- >>492
「誰が考えても単語」などということは到底言語学では単純には言えないからこそ
問題にしようとしているのではないのか。
「誰が考えてもそうだから説明の必要なし。言わなくても空気読んでよ。なぁなぁで行こうぜ」なんてのは
>>84のいう「甘え」でしょうに。あなたのいう「主客融合」でもありそうです。
- 494 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 18:57:28 0
- >>493
ほう。
じゃあ、あなたは、
「あげる」は単語で、「give for you」は単語ではない。
という命題を否定するんだ?
「説明の必要なし」ではなく、何らかの仮説(前提)に基づき、話を進めてい
るだけだよ。
それを否定するのは、もはやイチャモン。
- 495 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 19:04:50 0
- >>493
>>462に対しては、どう考えてるの?
だいたい、あなたが自説の根拠として何度も引用している
>「ある語の価値は、共存する諸辞項の力を借りてはじめて決定され、これらが
>その語を限定する。」(SMIII、1875)
をはじめとして、ソシュールの言説は、辞項(単語)を大切な「単位」として
成立している。
自説に都合のいいところでは「単語」を前提に議論し、自説に都合が悪くなる
と、突如「厳密」なことを言い出すのは、ご都合主義もはなはだしいのではな
いかい?
- 496 :483:2008/11/10(月) 20:32:53 0
- 横槍ですが、複合語と句の違いはそれほどはっきりしたものではないですよ。
「食べた」は現代語では一語ですが、その元になった「食べたり」は古語では二語からなる句です。
近年でも、「…か知らん」が「…かしら」になっています。
句がそのまま複合語になったものは、英語では少ないですが、フランス語では多いです。
>>483 で指摘したとおり、音節が単純だからです。
Qu'en dira-t-on? (それについて人々は何を言うか?) → qu'en-dira-t-on (噂) なんてすごいのもあります。
もちろん、「あげる」は一語で "give for you" (こんな句はありませんが) は三語という解釈は妥当ですが。
- 497 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/10(月) 21:59:00 0
- 日本語の場合は、複数の付属語が融合する場合が多い。
例えば「〜だった」は「〜であった」「〜でありた」「〜でありたり」「〜にてありたり」、
「〜だろう」は「〜であろう」「〜であらう」「〜であらむ」「〜にてあらむ」、
「〜だ」は「〜でぁ」「〜であ」「〜である」「〜にてある」、
「〜だけど」は「〜だけれど」「〜だけれども」「〜であるけれども」「〜にてあるけれども」などに遡る。
現代語でも、「書いただろうけど」「書かせられたかもしれない」
「書かなかったということなら」のような句を何語に区切るかは論争の種だ。
まあ、これは日本語が膠着語だということを示しているのだが。
- 498 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 00:00:17 0
- >>495
もっとも細分化したものが単語という定義であるなら、
「あげる」は「上(あ)」という単語との組み合わせ。
- 499 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 02:02:27 0
- 上げ+する?
- 500 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 02:20:09 0
- 一語だと感じるなら、それは一語なんだ、って言ったのは時枝でしたな
- 501 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 02:34:01 0
- 時代劇とかによく出てくる「目に物見せてくれようぞ!」という台詞の「(して)くれよう」は
たしかに「(して)やろう」という意味だね。一人称が二人称に対して「くれる」と言っている。
それが例えば信州の方言に現在でも残っているということですかね。
- 502 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 03:33:05 0
- >>470にあるリンク先で、日本語では「湯」という一語を英語では「hot water」と二語で表現する
という例を挙げて比較文化論じみたことを話題にしているけど、英語では名詞の「gift」を日本語
では「贈り+物」と二語で表すじゃないか、これはどうなんだ?って疑問が当然浮かんでくるよね。
「寄贈」とか「贈与」という語もあるし、「hot water」という意味なら日本語の「温水」や「熱水」だって
国語辞書には一つの辞項として設けられているはずだけど、これらは「hot water」とは違うのかとね。
- 503 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 03:44:59 0
- >>502
はは、そこだけを主客融合論者のように取り上げて論じれば、
あちらさんが持ち出した主客融合的だとされる「互酬性」においては、
日本語では贈り物という二語なのに対して、英語ではgiftと一語なのだから、
英語を話す人たちは「贈り物」に対する意識が強く、互酬性のエビデンスと言える!とか言えちゃうね。
- 504 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 05:18:05 0
- 愛してるは一語で、I Love youは三語だから、英語の愛の告白は愛の意識が希薄なのである!
ということ?
- 505 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 05:57:30 0
- 日本語には、愛する、惚れる、恋しい、愛おしい・・・・
いろいろな表現があって、愛の語彙が豊富だね。
- 506 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 07:38:32 0
- ttp://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/waei07/tokucho1.htm
ex1) 日本語:(服を)着る、(めがねを)かける、(帽子を)かぶる、(靴を)履く
英語:put on
ははぁ。露出度が高かったりするのは専用の単語が無く、服を着る意識が薄いからか。
いやまてよ、家でも常に靴を履く習慣があるのはどう説明するのだ。
おー、常に履いているからこそ、脱ぐことも履く機会も少ないので、履く意識も薄いということか。なるほどねー。
こじつけが決まると爽快だねー。
- 507 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 10:16:37 0
- >>495
証拠「単語であること」からなぜ「それに対する意識が強い証拠であり、主客融合的な証拠である」という主張に繋がるかの、
その推論の部分を明らかにしないのですから、
残る三角ロジックの一端、証拠・データの妥当性、
つまり「単語であること」という前提データに妥当性があるかを検証するしか、
こちらとしてはすることがない。
「それって本当に単語なの?」
- 508 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 10:27:25 0
- >「まず存在するものは視点だ
>けであり、そのおかげで事物が創られる。(…)いかなる事物もいかなる対象も、
>一瞬たりとも即自的に与えられてはいない」(frag.3295a)
細かな話だけれど、3295から3295aの一連の話って
言語共同体に属する話者たちの視点が彼らの言語を作り出すという話じゃなくて
言語学者が、さまざまな視点を通じて、言語学の対象を作り出すって話だよ。
- 509 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 14:57:36 0
- 「日本は主客融合だ」論的視点から見ればあれもこれもそう見えてくるってことかな
- 510 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 18:11:44 0
- >>502
その話題は鈴木孝夫氏が出したものだと思うが、そこで問題になっているのは、
一語か二語かということではなく、「水(みず)」と「water」の示す範囲の違
いでしょ。
>>503
だから、一語か二語かの語数の違いじゃないって。
それに「贈り物」は、二語なのかね?
>>507
>証拠「単語であること」からなぜ「それに対する意識が強い証拠であり、主客融合的な証拠である」という主張に繋がるかの、
>その推論の部分を明らかにしないのですから、
われわれは「辞項」により世界を分節しているという命題を君は認めないのか?
その前提に立てば、私の言っていることはごくごく常識的なことでしょ。
>>508
これが、>>462への返答?
ソシュールの「視点」についてのあなたの理解ということでいいのか?
(もしそうなら言っていることが全然違ってきているがね。)
- 511 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 18:27:02 0
- >>510
> その話題は鈴木孝夫氏が出したものだと思うが、そこで問題になっているのは、
> 一語か二語かということではなく、「水(みず)」と「water」の示す範囲の違
> いでしょ。
どう違うの? 日本語の「水」だって「温」とか「冷」という修飾語を冠して「温水」とか
「冷水」とか表現するわけで、これが文化の違いがあらわれていると言えるほどに
「hot water」や「cold water」と本質的に違うのかなあ。
- 512 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 18:35:00 0
- >>511
それは位相を無視した議論では。
「温水」、「冷水」なんて日常用語ではないでしょ。
- 513 :508:2008/11/11(火) 19:22:17 0
- >>510
3295aが無茶な文脈で引用されてるので書き込んだんだけど
もしかして二人しかいないスレでしたか?
- 514 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 20:29:59 0
- >>510
> だから、一語か二語かの語数の違いじゃないって。
> それに「贈り物」は、二語なのかちなみに辞書には「贈り」という独立した辞項もありますけどね。
「貰い+物」「頂戴+物」「戴き+物」「拾い+物」「忘れ+物」「無くし+物」・・・
ちなみに、「贈り」「貰い」「頂戴」「戴き」「拾い」「忘れ」「無くし」は、それぞれ
国語辞書に独立した辞項としても載っているけどね。もちろん「物」も。
- 515 :508:2008/11/11(火) 21:15:06 0
- 断章番号3295aが、無茶な使い方をされており、特に >>145
> 事実はあらかじめ与えられているものではない。「まず存在するものは視点だ
> けであり、そのおかげで事物が創られる。(…)いかなる事物もいかなる対象も、
> 一瞬たりとも即自的に与えられてはいない」(frag.3295a)
の意図的か偶然か分からない省略部分がとても重要なので、
Écrits de linguistique générale から訳しておきます。
文脈は、例えば二つの音声形が与えられたとして、
その間に存在しうる関係はどのようなものだと想定しうるか、という話。
( )内は私自身の説明的補足。
「他所(=他の学問)では、(まず)事象 choses があり、対象 objets donnés が与えられている。
次いで、そうした対象が、様々な観点 différents points de vue から考察されるのである。
ここ(=言語学)では、まず、観点がある。
それが適切なものであるにせよ間違ったものであるにせよ justes ou faux、
ただ観点だけがあるのであり、その助けを借りることで、
事象は、それに従って(二次的に) secondairement 作り出されるのである。
こうして作り出された事象・対象 créatures は、
(1)最初の出発点(観点)が適切なものであれば、実情 réalités に対応することになるだろうし、
(2)最初の出発点が適切なものでなければ、対応しないことになるだろう。
ただ、どちらのケースにせよ、どのような事象 chose も、どのような対象 objet も
それ自体として en soi、一挙に un seul instant 与えられはしないのである。
それは、たとえ、最も基本的(質料的)matériel な事柄 fait が問題になっていても、
一見したところ、それ自体として自明な形で定義されているような事柄が問題になっていても、
―― 例えば、一続きの音声が問題になっている場合でも ――
同様なのある(=対象は所与のものではない)。」(p.200)
ある言語の所与に見える事柄 fait も、言語学的には、
(言語学上の)異なった観点により、言語学の対象として様々に構築されたもの fait である(p.201)という話です。
少なくともこの箇所では、サピア=ウォーフの仮説に類するような話はされていません。
- 516 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 21:24:44 0
- 「落とし物」「拾い物」は一語なのか二語なのか、「着物」「獲物」は?
これを考えても、どこまでが単語でどこまでが複合語なのか
簡単に決めることなどできないのがわかる。
- 517 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 23:05:15 0
- 爆笑問題の爆問学問で「日本語で日本人を知る」みたいな内容のを今やりだしたね。
山口女史。
- 518 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 23:25:01 0
- キスの習慣を持たず、むしろ苦手にしている日本人の言語に、
キス、接吻、吸い口、チュー、口づけ、、、、などとキスに関する語が多いのはなぜ?
- 519 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 23:26:15 0
- ごめん。吸い口じゃなくて口吸いね。
- 520 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 23:39:14 0
- 苦手としてるからそれだけキスに馳せる思いが大きくなり
言葉が多様化したからじゃね?
- 521 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/11(火) 23:40:14 0
- 主客融合派に言わせれば、たとえどんなに種類が多かろうと、
口づけや口吸いは二語だから意識が薄い証拠だし
キスやチューは擬音語や外国語からの借り物だから専用の単語じゃないから意識が薄い証拠だとなるよ。
- 522 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 00:56:18 0
- United States of Americaも日本語に訳されると「アメリカ合州国」という単語(?)になっちゃうw
- 523 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 01:00:32 0
- familyも日本語に訳されるとhouse clanという二語になっちまうよw
- 524 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 02:03:50 0
- ソシュールの訳として「辞項」という語を使っているとして、
それが主客融合論者が思う「単語」と同じ意味なのか。
字義から考えても、ソシュールの全体的な考察の帰結としても
「辞の項」つまり言葉のひとまとまり」と考えるのが妥当じゃないのか。
>>500の言う通り、「どこまでをひとまとまりと考えるか」は見方によって違ってくるね。
「のら犬」も単なる「犬」でもなく「狼」でもないもの、つまりそれら他との差異によって区別される存在としての「のら犬」であり
そうするとソシュールの論にも外れないままの解釈でも、「のら犬」をひとつの辞項と考えうるよね。
「犬」という単語があるのだから、それと何かがくっついた語は単語(=辞項)とは言えないなんて、
単純に単語と辞項をイコールで結べないのではないだろうかね。
for youというひとまとまりの語(=辞項?)によって、for単独でもyou単独でも、そしてその他の言葉でも表せない
ある独自の感覚を表せるのであれば、そのひとまとまりは「辞項」と言えるのではないのでしょうかね。
- 525 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 03:19:06 0
- ソシュール(ELG, p. 82-83)
不幸にも言語学に置いて、語 mot を辞書の項目として見つけられるような独立した
ものとして考える見方があるとした後で
「差異以外に基づく〔言語学上の〕単位は(どんな位置づけ ordre を想像する imagine にせよ、
どんな性質を想像する imagine にせよ)存在しないのだから、
実のところ en réalité、単位というのは常に想像上のもの imaginaire なのであり、
ただ差異だけが存在する existe のである。
とはいえ、私たちは〔差異によって否定的に規定されるのではない〕実定的な単位 unités positives の
助けを借りて研究を進めることを強いられるのである。
さもなくば、出だしから、事実の固まり masse de faits を扱いようが無くなるからである。」
( )はソシュールによるもの
〔 〕は訳者による補い
- 526 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 05:03:35 0
- >>515
複数いるのか一人の自演なのか知らないけど
ここの主客融合論者はバイアスによる都合の良い取捨選択を通した引用が著しい。
意図的と判断されてもおかしくはないレベル。
- 527 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 07:58:28 0
- >>394ではっきり結論でてんじゃんね
ソシュールをきっちり理解してんなら、結論も>>394になるんじゃないんかね
わかりやすく噛み砕けば
一部の授受に関する語やあげるくれるだのいう辞項から出発して
日本語はこうだだとか日本人はこうだだのと全体の体系を抽き出すんじゃねーよってことでそ
- 528 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 13:02:28 0
- 恣意性っていうのは他言語との間の差異を指して恣意的というばかりでなく、
自言語内でも恣意的なんだよね。恣意的というのは関係次第で変化するということ。
日本語の「水」にしても、「湯」という語との対立関係のコンテキストに置かれたときには、
「人の体温と同等かそれ以下の温度にある液体H2O」という限定された意味範囲をもつ。
けれども、「温水」とか「冷水」とか「熱水」とかいった概念との関わりにおいては、
その温度に関わりなく「液体H2O」一般という意味範囲を広く持つようになる。
同一言語内でも語の意味は固定されず、対立関係の文脈に応じて動いているんだろうね。
- 529 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 13:09:42 0
- よって、言語内に実在するのは単位としての語ではなく、語間の差異(すなわち関係)だけだ、
という結論にソシュールが達したのも分かる気がするね。記号学の対象はまさしく「間」だとね。
- 530 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 18:35:14 0
- >>528
考え方としてはそうだし、ソシュール自身も揺れている上に
資料編集の問題もあるんだけれど
基本的に彼が強調していたのは、言語記号と事物との間の恣意性で
言語内的な関係については、様々な度合いの違いを想定していて
引かれている例の後者の「水」と「温水」や「冷水」との関係は
motivé や relativement arbitraire と言われるような例で
つまり一言語体系内部である程度、法則的に関係付けられた繋がりができあがっている
(対して、言語記号と事物の間には恣意的な関係しかない)
という話になるので、あまり一緒にしない方が良いかと思います。
- 531 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 22:00:39 0
- /.つ))((⊂\
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- 532 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/12(水) 22:06:12 0
- リーマンでぐちゃぐちゃのアメリカ。
オバマさんはキング牧師を引用して「今こそ団結しなければならない」なんて演説しているようですね。
こじつけるとしたら、こんな時代は主客融合で切り抜けようということですか?
困った時には必要で、豊かな時代には主客分離で自分勝手に出来るほうがいいぜってことでしょうか?
それとも主客分離だったから困った状態になっちゃったってこと?
それじゃ主客融合論者は満足しないから考慮リストから削除かな。
- 533 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:19:15 0
- 「民主党も共和党もないアメリカ人は一つだ」みたいなアプローチがウケけているみたいだね。
まさしく「心を一つにしよう」→「主客融合」の発想じゃないか。
- 534 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:20:35 0
- >>532
あの〜、何度も言うようだけど
「共依存」と「自立と共生」の区別をしてよね。
<全体主義と個人主義について>
@「全体主義」(主客融合を志向する。「心を一つに」など。)
・日本モデル(前近代社会)=共助(共依存)=「村社会」
A「個人主義」(主客分離を志向する。「人は人、自分は自分」など。)
・米英モデル(近代社会)=自助(自立と競争)=「小さな政府」
・北欧モデル(次世代社会)=公助(自立と共生・相互依存)=「大きな政府」
- 535 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:26:15 0
- >>533
オバマさんとかも
「共依存」(先祖返り路線)と「自立と共生」(リベラル路線)の区別が
ついていなかったりして…?
・「先祖返り路線」=主客融合志向(みんなの心を一つにするべきである)=「人の和」を志向する
・「リベラル路線」=主客分離志向(内心の問題には踏み込むべきではない)=「個人の尊重」を志向する
- 536 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:27:34 0
- 自分の主張に都合が悪い例が見つかると、それは共依存(心を一つに)じゃない自立と共生の例だと
都合よく言い逃れてしまえるから、主客融合論者さんの説にはそもそも反証可能性がないんですよね。
ポパーがいう精神分析と同じで。
主客融合論者さんの説じたいが二重基準を都合よく利用しちゃっている発想になっているようだから、
>>532 >>533のような例をどんだけ出してきても無駄ってことのようです。客観的議論が成り立ちません。
- 537 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:30:22 0
- >>535
オバマさんだけじゃなくて、そのアプローチの仕方がどうやらアメリカ合州国民にウケているらしいよ。
そういう発想を嫌う国民性があれば、まったく逆効果なアプローチのはずだよね。
- 538 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:38:32 0
- >>536
「内心の自由」を侵害しているかどうか、については実証できるでしょ?
<日本の特殊性について>
・日本は心を一つにする教育を行っている。(主客融合志向)
・日本は欧米と同じ近代社会ということになっている。(主客分離志向)
この二つの事実を
「日本の特殊性」(@主客融合志向 A二重規範)の大きな実証にするのは
論理的、科学的には特に問題がないように思うけど、
政治的、文化的、宗教的には問題がある、ってことなんじゃないかなぁ。
- 539 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:41:32 0
- >>537
アメリカのことはよく知らないけど…
アメリカってどでかい村社会って感じもするよね。
特に、9.11以降はさ。
- 540 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:48:30 0
- 近年欧州を中心に政治哲学的に話題になっているシティズンシップの復興というのは、
どちらかというと、これまでの行き過ぎた個人主義を抑制しようという発想があるんだよね。
市場経済でばらばらになった国民の意識を統一しようという発想がその問題意識にある。
- 541 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 13:54:19 0
- >>539
その点は、アメリカ在住のロック歌手の氷室京介さんもインタヴューに応えて言っていたと思う。
あの時は家族を外出させるのにも神経質になったほどで、身の安全のために星条旗を家の門に
でも掲げなきゃならないような異様な雰囲気(外国人への風当たり?)があったんだってことを。
- 542 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 14:15:38 0
- >>528 >>529
ソシュールのその観点は、現在では広い意味での語用論、
ディスクール分析といったものへと進化していますね。
言い表された言葉と言い表されていない言葉(沈黙)との関係まで
ディスクール分析の対象になっていたりする。
- 543 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 20:52:13 0
- >>534-535
>>538-539
君は曖昧なことばかり言って客観的な事実を何も提示できず議論を混乱させるだけだから
いい加減お引取りいただきたいとみんな思っているのだが。
- 544 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/13(木) 23:29:37 0
- 曖昧君がいなくなったら、このスレ終わるよ。
燃料投下するために、わざと頭が悪い振りして頑張ってるんだし。
- 545 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/14(金) 15:03:56 0
- 古い時代の言語ほど文法複雑になるお
原始的な言語ほどむずかしいお
人種民族関係なく
野蛮原住民語は皆むずかしいんだお
- 546 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/14(金) 20:19:06 0
- なるお
しいお
- 547 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/14(金) 20:25:04 0
- >>479
'>>476-477'
>>492
'>>490-491'
>>536
'>>532-533'
>>542
'>>528-529'
- 548 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/15(土) 20:49:11 0
- まったりとはどういう意味でしょうか?
- 549 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/19(水) 19:55:00 0
- >>548
今のこのスレ状態の感じ
- 550 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/21(金) 14:36:00 0
- >>548
まったり=ゆったり <----- もったり=もっさり〜ぼんやり
もたもた、もやもや、ぼやぼや、等と関連する、
- 551 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/21(金) 16:48:09 0
- のんびりとも?
- 552 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/21(金) 17:45:10 0
-
ぼんやり、のんびり は気配りが不足する場合も含まれる。
まったり、ゆったり は慌てず、目配り、気配りできる余裕を持つ行動の様子を表す。
- 553 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/21(金) 23:45:40 0
- のびのびは?
- 554 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/23(日) 05:44:20 0
- 会社をダメにする法令遵守
- 555 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/24(月) 01:21:01 0
- 論拠はめちゃくちゃでも議論を煽る刺激としては有効だったと思うよ。
サピア=ウォーフの仮説の信憑性におおいに依拠しなければ
あなたの説が成立しないのは明らかなのだし、
次はそれに関するスレでも立てて自説の足しにしてはいかが。
どうやらサピア=ウォーフの仮説に関するスレって無いみたいだし。
それとももう諦めたかな。どっちにしてもオツカレサマ。
- 556 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/29(土) 13:12:04 0
- >>537
だから、これからは北欧モデルの時代なんでしょ…?
- 557 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/29(土) 13:22:14 0
- スレチだけど…、
言語っていうのはオノマトペ(擬音語・擬態語)が始まりだと思う。
ソシュールさんは西洋人だから
そこら辺の認識がなかったんじゃないかなぁ。
(日本語のオノマトペって他の言語に比べてすごく多いんだってね)
- 558 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/29(土) 13:39:47 0
- >>555
ここにいた人たちはPTAスレに行ってるみたいだよ。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/baby/1215409865/
- 559 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/29(土) 13:40:07 0
- また曖昧君か
- 560 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/29(土) 18:17:57 0
- 「じゃないかなぁ」とか曖昧に表現するのも一種の敬意表現だよね。
- 561 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/29(土) 22:42:18 0
- >>557
バウバウ説にプープー説、ってか、それってイェスペルセンが唱えた説だっけ?
イェスペルセンといえば、西欧の言語の中でもっとも進化しているのが英語であると
説いていた人だよね。
ラテン語にみられた屈折語としての特徴を失いつつある最先端にあるのが英語で、
徐々に、中国語のように孤立語化してきているのだとか。
とすれば、孤立語として確立した中国語は欧州語より進化した言語になるのかね??
- 562 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/30(日) 07:33:11 0
- >>558
わかりやすいねw
ここで二人いるように装っていた主客融合論者レスのそれぞれの特徴が
あわさったような文体だw
議論に積極的で、「のだよ」とか偉そうな口調を使い、
引用を***の下に書いたり、アンカを文末に(>>558)のように書いてた一人と、
…や(?)を多用して、妙に丁寧口調で「かなぁ」を連発のもう一人。
あちらのスレでは見事に融合しているw
- 563 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/30(日) 09:43:00 0
- とうとう主客融合をなしとげたのか
おめでとう!
- 564 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/30(日) 10:21:59 0
- どうやら、「○お」(一応伏せますよ)という人だったみたいね。
ブログも読みましたよ。日本語とPTAを人の特殊性で結びましたか。これまた。
社会を正したい、みたいな姿勢は立派だと思うけど、
無茶な論理展開でなんでも強引に結び付けてちゃ信用を落としますよ。
- 565 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/30(日) 10:54:43 0
- >>561
今は膠着語のほうが、より進化発展したものだと言われている。
- 566 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/30(日) 11:42:45 0
- >>565
まあその中国語も膠着語に近づきつつあるらしいって話があるからね。
- 567 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/30(日) 13:58:01 0
- >>561
だって彼はキチガイの英語学者だもん
- 568 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/11(木) 12:13:12 0
- 社会学もアレだけど言語学もアレだよね
- 569 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/24(水) 13:07:21 0
- 「空気読めない」は新たな共同体感覚か
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1200003907/
新スレ建てました。よろしく★
- 570 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/01/17(土) 13:30:52 0
- >>558
容量オーバーのため新スレに移動しました。
「PTAの違法性について3」
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/baby/1232076168/
- 571 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/01/22(木) 19:40:21 0
- >>524
うん、「野良犬」を一つの事項とするのに異存はない。
しかし、なんにしても、
「give for you」
などという見出しが、なぜまともな辞書にたつことはありえないのか、
その理由を考えてみませんか?
- 572 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/01/22(木) 19:46:01 0
- >>536
>>>532 >>533のような例をどんだけ出してきても無駄ってことのようです。
>客観的議論が成り立ちません。
>>532のような発言のどこが客観的な議論なのですか?
- 573 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/01/22(木) 20:21:09 0
- いまさら蒸し返すとかもうね
どうせ蒸し返すならまともな議論が出来るように
もう少しうまくネタ振れよ
- 574 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/01/24(土) 14:05:57 0
- >>561
その場合の「進化」には進歩の意味合いは無い。
もっともかけ離れてきたという意味。
> 孤立語として確立した中国語
一貫してアルタイ化してきたが。
- 575 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/02/02(月) 16:10:18 0
- 【社会】 "「空気読めない」など" ニート、実は「発達障害」?…厚労省、就労支援見直し
http://www.heiwaboke.net/html/2006/08/24-04.dat.html
- 576 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/02/02(月) 16:12:06 0
- >>574
> > 孤立語として確立した中国語
> 一貫してアルタイ化してきたが。
>>566
- 577 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/03/10(火) 19:47:27 0
- 麻生:「アルツハイマーの人でも分かる」
→マスコミは総叩き
田中真紀子:「口の曲がった訳の分からんおっちょこちょいが、
アルツハイマーでも分かると失言したが、そんな失言を
する自分(麻生)の方こそアルツハイマー」
→マスコミはスルー
小沢:「安倍政権は脳死状態。 ボケェーッとして、
ウンとも、スンとも言わなくなった」
→マスコミはスルー
柳沢:「子供は女性以外からは生まれようがない。
だから、生む機械といっては申し訳ないが、
1人当たりが子供を生んでくれる出生率を上げる必要がある」
→マスコミは総叩き
菅直人:「東京や愛知の経済生産性はとても高いが、
女性が子供を生む生産性は最も低いんです」
→マスコミはスルー
田中真紀子:「子供が出来ない安倍さんは種無しカボチャ。
そんな種無しスイカに何が分かるんですか」
→マスコミはスルー
- 578 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/03/28(土) 22:54:10 0
- >>570
「主客融合理論」(おもち化理論)をブログにまとめました。
「たぬ子の哲学ノート」 http://tanuko418.exblog.jp/
ではでは。
- 579 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/03/29(日) 01:13:33 0
- 「言葉を何とかすれば」というのは、「型から入る」の典型だと思うんだが。
日本人が変わりたいと思ってないのに、皆が使わざるをえない日本語を変えようなんて、全体主義もいいとこだよ。
気質は遺伝する。
ある集団で好まれる気質があって、それをもっている人は配偶者を得やすく、子孫を残しやすい。もっていない人はその逆。
世代を重ねるごとに、その集団にはその気質をもつ人の割合が高くなる。
こうして、民族性とか国民性とかいうものが形成されるわけだ。
今、日本社会はリーダーシップを完全に失ってしまった。永住外国人を政治に参加させることが、1 つの解決策になるのではないか。
- 580 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/03/31(火) 22:48:56 0
- >>579
永住外国人って日本人より日本人っぽい人が多くない…?
- 581 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/04/01(水) 00:47:41 O
- >>580 そういう人もいるが、やはり日本人とは違った、自我の強さをもつ人の方が多い。
姜尚中などは、日本の参政権があればと惜しまれる人の 1 人。
- 582 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/04/01(水) 12:11:25 0
- 姜尚中っ、ばかか
中身が無い話を高級そうに苦虫噛み潰し面してしゃべるあほ。
- 583 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/04/01(水) 13:38:23 O
- 中身がないんじゃなくて、まともすぎるだけ。
「そんなことだれでも知ってるよ。だけどできないしやらないから言わない。もっとウケそうなことを言う」
これで日本にはリーダーがいなくなった。
- 584 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/05/29(金) 19:17:31 0
- 創価学会・腐女子・PTAで社会は狂い始めた
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1181653498/
- 585 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/02(木) 14:36:52 0
- 日本語の特殊性から目を逸らすなよ!
- 586 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/03(金) 00:14:37 0
- 日本語の個性は世界一
- 587 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/09(木) 16:08:17 0
- 33 名前:名無しさん@英語勉強中 投稿日:2009/02/02(月) 18:05:07
アメリカに長く住んでる人は、口をそろえて、
アメリカ人は普通に日本同様閉鎖的というよ。
その知らない人といろいろ世間話はするものの、
実際仲良くなるのとは別次元のものだって。
文化が違うから、違ってていいだろう。
- 588 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/26(日) 05:42:53 0
- 易経の漢文について少々。
易経に限らず漢文は易経で言う亨=投射文脈の
過程として記述され、推移の出発点は自明なら
(例えば、前文と同一なら)省略されるし、また
漢文ならではの特徴として投射のターゲット
=推移の目的到達以降は文に含まない。
※成果を明示したいときには付着関連の
言い回しを流用してその継続として表す
―が流用だけに流用元との区別はない。
日本語との違いは主格言語文法の動詞相当の
推移を意図した行為=投射を省略できないこと。
良く似た運搬文脈を代名詞・接続詞・定冠詞等
端点によって運用する主格言語とは違い主語
(相当)なら(それに目的語も)省略できるが、
易経の言や信を名詞的に訳するのは誤訳。
投機=確率的に計画された合目的行為の
判断力等において比較的劣る相手からの、
「言」計画への異論・反論の行為であれば
その情報を付加的下位情報=部分として
所有し所属させる『有』を補うことが可能。
『聞』は「上位の相手に聞いてもらった」で、
例外的に君子の行為が「言」にあたる。
「信」はまず「メッセージの発信行為」で、
「受信」や「メッセージ」は派生に当たる。
「有言不信」は異論があったが(珍しく)
無視しないで黙って聞く一連の行為だ。
易経では「言」=君子への異論反論は
ほぼスルーで物事を先に進めてしまう。
「聞言不信」は主体が君子でないので
受信側拒否=日本語の「信じず」だが、
易経の信・不信は君子が計画に関し
説得した・説得せずにほぼ相当する。
- 589 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/26(日) 06:08:00 0
- 達成の世界観=美のイデアを基礎とする点で
英語等の主格言語と漢文は変わりがない。
米語では官能等を実現する近接・到達系の
「勝利」の点が強調され、漢文(書き言葉)
ではイデア=各種同等性(土行)の実現と
しての各種秩序(空間)としての易経の吉
(元亨利貞)の亨=達成のイデアの本体
「効果対費用で評価される成功尺度」=
『美(わざわざ手間ひま掛け太らせた、
費用以上の効果を期待される羊)』が
強調される点が違うだけと言っても良い。
これらの構文骨格は事実上一種類であり、
特に英語等の主格言語ではそのうちごく
限られたバリエーションだけを多用する。
それに対して、近接・焦点を集約・集合
として主語相当型とし構文の基として、
各種集合操作系機能全てを構文に
使用する日本語は構文骨格の種類の
多さと個々の高機能高費用において
(特に、主格言語とは)対極を成す。
いわゆる能格言語は他動詞の扱いが違う
だけの主格言語であり、英語に限らず、
互いに断続無く自然に相互推移する。
(主格言語は昔、能格言語性が高かった。)
普通、感覚等の焦点は遠心側である
投射「先」に対応させて(「達成」文脈)、
目的語や能格言語他動詞動作主体の
方に割り当てるが、日本(諸)語の場合、
対応するイ列語尾格=角度※指定とは
対立する「主語」=投射「元」の方になる。
※全体的・数理統計的傾向性=性質の
形容詞類(〜イデア)が亨:投射や運搬
- 590 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/26(日) 06:36:01 0
- Be動詞に代表される、英語の自動詞では、
運搬距離がゼロというだけで運搬の一種
=英語の大多数と全く同じ構文構造だ。
=「主客が一致する他動詞が自動詞」。
より古い形を残すドイツ語の構文等が
参考になると思うが、ゲルマン諸語は
両端を構文の足場としているために、
運搬の途中経路に割り込むことで
複数の構文骨格を組み合わせる。
漢文は過程が本体=構文時の
足場だから、これはできない
(やる必要もないわけだが)。
「主客」の扱いについては、「能格言語」は
もちろん、最も文法の研究が進んでいる
主格言語のうち最も研究者が多い英語
でさえも基本的な自動詞・他動詞の別
でさえも細部においては異論が多い。
日本語では省略可能なものだけが=他の
言語でも口語でも省略されるものだけが
削られているため、日本語ならではの
特異性は(他の分野と比べて)ない。
だから魅力の無い地味なテーマではあるが、
日本(諸)語が「普通である」ことを示す点で
他では代わりが効かない主題とも言える。
日本諸語に匹敵する「構文骨格自体が」
高機能高費用少数精鋭主義=各種の
集合操作系である類例は見つかって
いない―付加的部分に持つものなら
多いというか世界の絶対多数派―
であり効果対費用評価等の構文 日本語は
骨格やそれに伴う基本構造の 日本諸語しか
選択は「普通ではない」から。 参考にできない。
- 591 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/07/26(日) 06:46:14 0
- …英文法で言うと? ※MMR注意
「主格言語文法で言えば
英語では退化してしまった
文法上の性別のたぐいこそ
日本語の文法だったんだよ!」
ΩΩΩ<「な、なんだってー!!!」
- 592 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/08/24(月) 14:25:25 0
- 科学的な言論というのは、人称主体の排除・無化にこそ、その本質があると思われる。
科学にとっては、誰がどうしたかの「誰が」でなく「どうしたらどうなったか」が問題なのであって、
むしろ、誰がやっても同じ結果が得られることが科学的な論理の信憑性を増す条件なのである。
したがって科学的言論は本質的に「匿名」である。この匿名化こそが科学をより科学たらしめる。
ガリレオが居ようが居まいが、地球のほうが太陽の周りをまわっているのだし、
ニュートンが居ようが居まいが、リンゴは木から落ちるのである。
実験において重要なのは、それを「誰がやったか」ではなく「何をどうやったか」である。
科学は、この「誰が」という人称主体をことごとく消し去ることで、万人に共通の真実を発見する。
- 593 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/09/11(金) 12:02:54 0
- 曖昧な語の数を中国語や英語と比較すると、日本語がいちばん少ないYO
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sakai/edu/lec/fuzzy/sld005.htm
- 594 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/09/11(金) 19:13:42 0
- 曖昧さの定義
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sakai/edu/lec/fuzzy/sld006.htm
- 595 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/01(木) 12:52:17 0
- 敬語という言い方はやめて接客語と呼び方を変えたほうがいい。
現代日本語では、敬語は接客用語でしかほとんど生き残っていない。
ところで接客語を使うと、どうして、オカマっぽくなるんだろ。
- 596 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/01(木) 23:36:30 0
- オカマが接客業だから
- 597 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/02(金) 06:16:15 0
- >>595
皇室番組があるぞ。
- 598 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/02(金) 12:47:50 0
- 先輩や上司に普通に敬語使わないのか?
- 599 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/02(金) 14:49:40 0
- >>598
フォーマルな「です、ます」調で話す程度です。
- 600 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/09(金) 16:14:53 0
- >>597
今の天皇の結婚式のときの報道がときどき放送されているけど、
そのときのほうが今の硬質報道のような過剰な敬語や敬称が使われていないね。
「皇太子様が」などという言い方もせず、「皇太子が」と言っている。
- 601 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/11/20(金) 12:55:59 0
-
【政治】ダム受注の裏金か「小沢氏側へ5000万円持って行った」 水谷建設元会長の供述に民主党激震 「事実なら原爆級」
1 :出世ウホφ ★:2009/11/19(木) 11:45:47 ID:???0
民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」による政治資金収支報告書の虚偽記載問題で、
法人税法違反罪で実刑判決を受け服役中の中堅ゼネコン「水谷建設」の元会長が
「平成16年に小沢氏側に少なくとも5千万円を持っていった」と東京地検特捜部の
事情聴取に供述していることが判明し、民主党内には波紋が広がった。
ある中堅議員は19日午前、「(事実であれば)スパッと議員辞職してもらった方がいい。
内閣支持率にも大きな打撃になる」と頭を抱えた。別の同党議員は「事実だったら原子爆弾級だ。
幹事長も辞めざるを得なくなる。特捜部は諦めていなかったのか。事実でないことを祈っている」と語った。
民主党幹事長室は産経新聞の取材に対し「小沢氏の事務所に聞いてもらいたい」としている。
一方、公明党幹部は「民主党が早く国会を閉じたがっているのは、
小沢氏にまつわる疑惑が出てくるのを嫌がってのことではないか」と皮肉った。
11月19日11時38分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091119-00000535-san-pol
元スレ
【社会】水谷建設元会長「民主党・小沢氏側に少なくとも5千万円を持っていった」…ダム受注の裏金か
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258564689/l50
- 602 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/27(日) 12:38:33 0
- >>578
「エビデンスとしての日本語」
http://ameblo.jp/maruo-jp/theme-10018055403.html
- 603 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/27(日) 13:05:07 O
- >>595
> 現代日本語では、敬語は接客用語でしかほとんど生き残っていない。
積極的に変える理由はならないでしょう。
主観の押し付けに思うが。
- 604 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/29(火) 06:56:37 O
- >>600
もともとは「皇太子殿下が」と言うべきところを「皇太子さまが」と言うようになったんだな。
尊敬語を簡素化したつもりだろうが、「皇太子さまが」は、野暮ったい。
- 605 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/29(火) 07:11:05 O
- スレタイの意味が分からん。
>>1に説明もないし、まとめもテンプレもない。
思ったのが「出す」⇔「入れる」は逆の意味なのに、「お茶出しますね」と「お茶入れますね」が、同じ意味になるってのかなー、と。
- 606 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/30(水) 05:17:51 0
- >>604
昔の報道では、単に「皇太子が」と称していて「殿下」すらつけていなかったりする。
婚姻パレードの報道でもそうだったような気が。
- 607 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/30(水) 05:20:42 0
- 皇太子様とか皇太子殿下というのはもう二重敬語のように思えるけどどうなのかなあ。
たしかに社長様とか王様とかいわないわけじゃないけど。
- 608 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/12/30(水) 12:15:53 0
- 出すのも入れるのも元々自分じゃん。ていうか>>10
- 609 :名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/05(火) 23:07:29 0
- >>605
> 「出す」⇔「入れる」は逆の意味なのに、「お茶出しますね」と「お茶入れますね」が、同じ意味になるってのかなー、と。
お茶を入れるの「入れる」は「出す」の対義語ではない。
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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。新着レスの表示
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