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    六角氏   

1 :蒲生氏郷:04/01/01 03:19
名門なのに思いっきりマイナーな六角氏の誕生から滅亡までを語って下さい。

338 :335:2007/04/22(日) 16:10:57
家系的な話と惣領権は別の話ですが、
室町幕府体制のなかでは、土岐康行の乱以降は、
美濃守護職を持っている池田流ということではないでしょうか?

339 :日本@名無史さん:2007/04/22(日) 16:21:41
>>335
京極が近江守護になった例があるんでそれはない。
しかもその論理だと、世保が美濃守護じゃなくなった以降の土岐氏が説明不能。
あと上杉や武田など複数の一族が守護職持っててどこが惣領か微妙な家は?

340 :335:2007/04/22(日) 16:43:57
>>339
室町幕府の場合、将軍の指名で惣領が決まる、と私は理解しています(土岐氏、赤松氏、山名氏など)。
世保が美濃守護じゃなくなった以降は土岐惣領ではない、と思います。
京極氏や高島氏が近江守護になったのは「一時的な佐々木惣領職の交代」であると思います。
京極高詮が六角氏の養子になったのは、六角氏が佐々木惣領だからこそだと思います。
鎌倉時代からの佐々木氏における近江守護と、南北朝時代からの上杉氏を比較するのはどうかと思いますが・・・。
分国内外の話をしているときに、武田氏の例を挙げる意図がわかりませんが、
六角氏が佐々木信綱流の惣領ならば、例えば近江国内にいる京極一族はどうするのか、という趣旨でしょうか?

341 :320:2007/04/22(日) 17:05:52
そもそも>>320の話は朽木氏が奉公衆になる前の話なのに、
>>329で話がズレてしまった気がするのですが。

342 :日本@名無史さん:2007/04/22(日) 17:26:32
ここで下らない議論をしてる暇があったら論文でも書けや。
現在の研究動向に不満があるならそのほうが効果的だぞ。

343 :日本@名無史さん:2007/04/23(月) 19:42:13
佐々木イオンド学校の珍説は、信憑性あるの?

344 :日本@名無史さん:2007/04/25(水) 02:55:20
幕末の旗本。外国奉行佐々木信濃守顕発は関係者?

345 :日本@名無史さん:2007/04/28(土) 18:29:08
通字がちがうから、断定できないな。

346 :日本@名無史さん:2007/04/28(土) 19:05:28
佐々木小次郎は実在の人物であり、小次郎の残した子孫も今日まで実在する。


347 :日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:34:31
岩手には「佐々木」姓がたくさんいるけど、どうしてだろ?

348 :日本@名無史さん:2007/05/24(木) 22:29:30
北海道の佐々木の先祖って六角氏?

349 :日本@名無史さん:2007/07/03(火) 17:17:48
暇なんで佐々木氏の全盛期を考えてみた

1・平家滅亡〜承久の乱まで
一族で最大17ヶ国の守護を兼ねた時代
鎌倉幕府の下でここまで威勢を誇ったのは、北条氏以外では例がない
通称「5兄弟」時代

2・室町初期〜中期まで
分家の京極氏が四職の一つに数えられた時代
出雲・飛騨・隠岐などの守護を兼ねて、宗家六角氏を大いに凌いだ
通称「四職」時代

3・戦国初期〜中期まで
分家の分家の尼子氏が山陽山陰8ヶ国の守護を兼ねた時代
中国地方11ヶ国に勢力を伸張して毛利氏を屈服、西海の太守・大内氏を圧倒した
通称「尼子」時代

4・江戸時代
分家の分家(かもしれない)黒田氏が豊前福岡藩52万石を領した時代
秀吉にさえ恐れられた天才軍師・黒田官兵衛が親子二代で成し遂げた
通称「福岡」時代


350 :日本@名無史さん:2007/07/04(水) 20:41:54
>>347 岩手にいる佐々木氏は、ほとんどが鎌倉時代に南部氏とともに山梨から移住して来た者。当初の盛岡南部氏の拠点三戸で旧首長工藤氏を追い払うべく供に苦心してきた関係。幕末まで盛岡南部領土で、佐々木氏は歴代的に重要なポストについて来た。

351 :日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:31:41
>>349
5・21世紀〜
分家(かもしれない)亀井氏が引き入る国民新党が越中・備後・石見等を領有。天下取りを狙う。

352 :日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:49:42
>>350
それは初耳だ
なんか資料とかある?
岩手って言っても南北に長いから
北は主に南部領だが、南は旧葛西領だから
岩手にいる佐々木氏と言っても、数流あると思うんだよね…
旧葛西領の佐々木氏は水沢城主の佐々木氏を中心に
子孫が広がっていったようなんだが…

353 :日本@名無史さん:2007/07/04(水) 22:39:07
その葛西領にいた佐々木氏は、葛西氏崩潰後、伊達領氏に引き取られたろ。江刺氏が崩潰したときは、津軽氏に引き取られたし。盛岡南部の佐々木氏は、山梨からだよ。親戚の叔父(佐々木=下級武士)さんの家系図がそうだから何よりの証拠かな。

354 :日本@名無史さん:2007/07/04(水) 22:49:06
鎌倉以前の佐々木氏(滋賀から山梨に来た?)のことは分からん。六角氏との関係も。だから岩手に来た佐々木氏は、数系統あることはまちがいないだろうけど盛岡南部傘下の武家である佐々木氏は山梨が発詳。

355 :日本@名無史さん:2007/07/05(木) 00:16:42
>>354
今調べてみたが、確かに南部氏の家臣に佐々木姓は多いみたいだ
葛西よりずっと多いな
葛西家臣佐々木→伊達氏や留守氏に仕える、もしくは帰農
南部家臣佐々木→南部藩士に
大雑把にいうとこんな感じかな

356 :日本@名無史さん:2007/07/05(木) 13:57:59
亀井琉球守久興が石見、備後、越中を領有?して津和野藩壊滅の理由は?竹下隠岐守には勝てないのか?

357 :日本@名無史さん:2007/08/01(水) 15:28:25
>>356
亀井の姫が青木出雲守の軍勢を打ち破りましたぞ。
シズカちゃんも一門を称しており、楠木氏の民ジイは御愛嬌ということで。

358 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 01:06:18
現在、『系譜伝承論─佐々木六角氏系図の研究』(思文閣出版、2007年10月刊行予定)の再校を
進めると同時に、『絵画資料論─一遍聖絵の図像学』の執筆を進めている最中ですが、勉強会を
再開したいと思います。
『絵画資料論』が筆了間近ですので、一般書『反信長』執筆の準備をするにあたり、みなさんとお話し
するなかで、多くのヒントを得られると思ってのことです。
また東大現代文の解釈も、直接お話した方が、みなさんにより多くのものが伝わるのではないかと考えています。

とおるタンがまたぞろ動き出す悪寒!?

359 :日本@名無史さん:2007/10/14(日) 08:41:11
佐々木タンの新著『系譜伝承論』クルー!!!

http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784213702

¥3,990かぁ 洒落や酔狂で買うにはちっと高いなwww

360 :日本@名無史さん:2007/10/15(月) 15:07:54
六角氏は天下を狙えたのに領土拡大を目指さなかったのは何故なのか。浅井久政との戦で勝ち本来浅井家は領土が半分以下にまで縮小するべき所を不問としてやった経緯がある。


361 :日本@名無史さん:2007/10/15(月) 15:40:27
>>360
近江は寺社領や荘園が多いから戦国大名化出来なかったんだろうな

362 :日本@名無史さん:2007/10/15(月) 19:32:15
>>361 京に近い大名等からは天下人は出づらいのか?お公家遊びが常態化して金を使い過ぎたとか。

地方大名の方が実力的覇権体制を敷きやすい場合が多いのは日本だけなのか。

ボンボンの尊氏や蛮民な楠木は論外として。

363 :日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:21:58
佐々木氏の主張って、どれくらい信憑性があるの?

(1)正しいんじゃないか
(2)そういう人物はいたとは言えそうだが、当主は定頼-義賢系じゃないの?
(3)これだけじゃ確定できない
(4)はいはい、デムパデムパ。



364 :日本@名無史さん:2007/10/15(月) 23:22:35
『佐々木六角氏の系譜』を読む限りでは、3番だなぁ。

365 :日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:52:54
3げと

366 :日本@名無史さん:2007/11/07(水) 17:53:42
佐々木哲さんは立派な人です。
一時期、ブログなどで素人の質問にも丁寧に答えていました。
今は、ご多忙なようですが。

367 :日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:26:55

宮島敬一『戦国期社会の形成と展開 ―浅井・六角氏と地域社会―』(吉川弘文館、1996年)

368 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 16:26:05
>>358
2chでくすぶってないで、ちゃんとした論文書けよ。
おれは素人だから、論文なんか書かないが、アイデアくらいはある。
ヒント教えてやるよ。
六角義秀・義郷・氏郷が歴史から抹殺されたのは、秀吉との縁を徳川が嫌ったから
なんだよ。
方広寺鐘銘事件で分かるように、徳川幕府の初期は、豊臣潰しのためにはどんな難癖でもつけた。
建部某が沢田源内と江源武鑑を否定したのは、幕府におもねるためと、自身の出自を正当化するため。
徳川がその後長く続いたので、間違った学説が定着してしまった。
今、やっと、正しきに戻すときなのだ。
佐々木哲さんは、それをやってるんだ。
ろくに勉強もしないで、他人の業績を茶化すなよ。
自分が腐っていくだけだぜ。

369 :358:2007/11/08(木) 22:39:21
>>368
当人すら忘れてた書き込みにレスをありがとうw
論文ねー。書いてるよ。貴方が仰るような「ちゃんとした論文」かは分からんケドね。

で、なんかステキなヒントをご下賜くださったご様子だけど、当方守備範囲が
中世の前の方なんで、折角ですが活用できないなぁ。スマソ。
素人だからなんて仰らず、ぜひ文章化して『歴史研究』あたりに投稿されてはどぉでしょう?


追伸:とおるタンの前著ですが、後半は知らんけど、鎌倉期までは氏独自の記述は
そのほとんどが目鱈出だよ

370 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 23:38:21
豊前田川郡に六角姓がけっこうあるがどの系統?

371 :日本@名無史さん:2007/11/09(金) 00:41:10
>369
後半は牽強付会だらけ。おもしろいが辟易もする。

372 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 20:24:48
>>369
「目鱈出」って「出鱈目」の2ちゃん俗語ですか?
 雰囲気的には「でたらめ」という意味でお使いなんだろうなとは思いますが、
実は「目鱈出」は「出鱈目」の反対語だ、なんちゅーことがあるといけないの
で、念のためお尋ねしたく存じます。

373 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 13:04:14
茶化すってことは、業績が羨ましくもあるってことだろw

374 :日本@名無史さん:2007/12/09(日) 10:53:51
>>359
 12日に出るそうですよ。
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4784213708/ref=pe_snp_708
たしかに「洒落や酔狂で買うにはちっと高い」ですね。

375 :日本@名無史さん:2007/12/15(土) 20:44:07
『系譜伝承論』 誰か買った?

376 :日本@名無史さん:2008/01/19(土) 01:03:30
ハイ六角ピー 

377 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 11:40:20
    |┃三 ガラッ! ┌───┐ミ 
    |┃       | あげ  |  
    |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃   ( ___)│    サッ 
    |┃=  (_》 ^ω^)E)   
    |┃ ≡⊂     ノ  

378 :日本@名無史さん:2008/03/24(月) 02:56:29
一昔前の信長の野望の弱っちい大名から
いまや偽系図がまかり通るいかがわしい大名か

379 :日本@名無史さん:2008/03/24(月) 05:55:51
幼なじみが六角姓!
末裔かな〜今度聞いてみよ


380 :日本@名無史さん:2008/05/03(土) 17:08:30
>>369
鎌倉期については詳しくないので知らないけど、
室町期もかなり無茶な解釈が多いよ。
「江州宰相」が六角氏って・・・

381 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 15:02:57
>>380
宰相って参議だろ?
細川氏とかですら右京兆とかなのに、四職ですらない六角が参議になったってどうよ?


382 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:57:59
四職ですらない大内が従二位の兵部卿また大宰府の大弐
までなってるんだから
ないとはいえない!!!!!!!!!!!!!!!!!

383 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 23:53:37
ぶっちゃけると足利義晴のことなんだけどね

384 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:44:19
    |┃三 ガラッ! ┌───┐ミ 
    |┃       | あげ  |  
    |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃   ( ___)│    サッ 
    |┃=  (_》 ^ω^)E)   
    |┃ ≡⊂     ノ 

385 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 00:01:29
佐々木六角氏の幻の系譜

氏綱―義実―義秀―義郷―氏郷

by『大系図』

朝倉義景(『大系図』)と浅井久政(『浅井日記』)も
六角氏とされている。










まるで、2chの朝鮮・韓国ネタの世界ですな。



386 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:58:04
今の天皇の系図もうそばかり

387 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:37:45
佐々木タンのブログ見たけど

六角氏綱(1492-1528)・六角義実・義久(1510-1557・六角義秀(1532-1569))だとすると
・四郎殿父子として足利義晴の婚姻に出席(『天文三年甲午六月八日江州於桑実御台様むかへニ御祝目六』)
 天文三年(1535年)当時3歳の子供が公の場に出るかね?まあ義秀より早くに生まれた息子がいたってことはありえるけど。
 (義実の年齢からみてかなり厳しいと思うけど)
 ついでに先に定頼が参上とあるが、陣代が当主より先に儀礼の場に登場するものですかね?
 wikipedeia書いた人は四郎父子は氏綱と義実のこととしているけど、氏綱は既に死んでいるはずなんでこれもおかしい

・大永六年(一五六二)五月二十八日付青木社中宛六角隆頼願状・・・えーと六角義久さんはすでに死んでいるとしているから隆頼=義久説はおかしいですよ、先生。
 天文十九年(1550)の義晴葬儀で義秀は剃髪して徳川と名乗っているって書いているから隆頼=義秀説も成り立たない。
 何らかの事情で還俗して、(おそらく将軍から一字もらった)義久って名前を替えた?うーん、無理ありすぎな気が。

なんだかなあ。
あやしげな史料に基づいて、あやしげな論理でくみ上げた説ってところ?


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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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