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【毛野】関東に大王あり【武蔵】

1 :日本@名無史さん:05/01/16 09:21:12
埼玉古墳群・稲荷山古墳から出土した鉄剣金錯銘。
「今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮」
これのどこが、畿内の長谷朝倉宮にいた大泊瀬幼武
(後代の漢風諡号=雄略)なのか?!
今年のセンター試験でも自明の理として登場した。
古田武彦氏の『関東に大王あり』で関東説が脚光を浴びたが、ほかにも
井上秀雄(東北大名誉教授/朝鮮古代史)・鶴岡静夫(青学大名誉教授/日本古代史)
・故金達寿(作家)各氏らが同様の立場であった。
関東説・畿内説をとわず建設的・生産的な議論をお願いしたい。
粘着・荒らしはスルーでよろしく。


367 :日本@名無史さん:2007/04/30(月) 16:33:55
>>366
わたしは天気予報士ではないので…

たとえば近年では何年の何月何日ごろがそうだったとか例をあげてください。
おねがいまします。

368 :日本@名無史さん:2007/04/30(月) 16:50:38
>>367

つ ttp://www.shonan-tenki.com/weather/snow.html

369 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/05/01(火) 06:36:40
>>367
「南岸低気圧」でググって下さい。
見つかるのではないかと思います。
ただ、南岸低気圧が沿岸部に近づいた場合に雪が降るったことの記載が殆どでしょう。
南岸低気圧が沿岸部から離れた場合の記載はなかなか見つかりにくいと思います。
雪が降らないで普通に寒いのでニュース性がありませんから。
寒冬になれば「何故雪が降らないのか」とニュース性がでるので記載が増えると思います。
しかしながら、この20年暖冬が続きで、南岸低気圧が沿岸部から離れて通過する場合があまりないようです。



370 :日本@名無史さん:2007/05/01(火) 06:37:55
自分は栃木出身で毛の字が入った苗字なんだけど
なんか関係あるのかな?

371 :日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:19:16
>>368-369
ありがとやんした

372 :日本@名無史さん:2007/05/16(水) 03:36:52
まあ普通に朝鮮人が来る前から関東にも縄文系の国家があったってことでしょ。
九州の隼人や出雲、東北の三内丸山みたいに。

んで第一次朝鮮移民では平和的に、出雲辺りで朝鮮系移民と縄文が
融合していったと。

第二次朝鮮移民が、いわゆる天孫降臨で、北部九州からどんどん東進して、
出雲以外の全ての関西圏を掌握。東の限界は日本アルプスまで。
いわゆるフォッサマグナだな。

この時点で、朝鮮系と日本系のバランスがしばらく続いて、
九州南部、出雲、そして日本アルプスより東が縄文系。
西側が朝鮮系の支配する領域になった。

そして、朝鮮系が更なる東進を始めて、関東、そして東北を支配下におさめたと。
しかし、関東以東は田舎だということで、朝鮮人は住みたがらず、
代官だけを置いて、税金を徴収して、縄文系の地元豪族に実質の支配は任せた。
朝鮮人が直接住んだのは大体名古屋まで。

また、関西圏でも山岳地帯に日本人が逃げ込んで残っていたために、
時代と共に徐々に朝鮮系と、縄文系が緩やかに混ざっていった。

っていうのが大体の流れだよな?

373 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 01:45:02
誤解されないように言っておく。
半島にとどまって、ツングース系女真族やら高句麗系と混血して、
新羅統一以降に出来たのが「朝鮮民族」。
だから、「朝鮮人」が日本列島に移民移民してきたわけじゃない。
半島倭人(ないし原日本人)の一派が日本列島へ移民してきた、
というほうが近い。

374 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 03:55:39
半島に留まったやつと、渡ってきた奴ね。
結局それ以前に遡れば一緒なわけね。

375 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 05:40:45
>>372
国立科学博物館 日本人はるかな旅展 遺伝子によるルーツ研究
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html

376 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 09:03:19
秦氏や漢氏などは一族で日本に帰化してるので、
半島に残った人間(今の半島人)とは根本的に違う。

377 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 11:09:00
373や376の意見って最近2chを中心によく聞くんだが、古代半島人と現代朝鮮人が完全に違うということは無いと思うんだがなあ。滋賀県人と朝鮮人との顔・体型の余りの類似度!柳美里や椎名英姫とおんなじ顔がゴロゴロ。あそこは古代半島人の入植地でしょ?

378 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:51:20
「古代半島人」と言ってる時点でダメ。

379 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:58:34
んじゃ「古代朝鮮人モドキ」ならOKなのか?

380 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 13:34:57
「韓民族」という想像の民族の伝統を主張するために、
扶余・高句麗・百済・韓・新羅・加耶、といった諸集団を
「韓民族」の祖先だとするのが、韓国では一般的です。

381 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/05/31(木) 15:30:17
>>380
でも、民族として最大の文化である言語では、
「新羅語」が朝鮮語の基本祖語なんですよね。
「高麗語」になると殆ど「朝鮮語」とみなして良いし。
扶余・高句麗・百済・韓・加耶の言語が殆どわからないこともあるが。
高句麗語の数詞が日本語に近いので、(高句麗語と新羅語は全くの別言語)
扶余・高句麗・百済・韓・加耶の言語グループに日本語も入っていると見て間違いないと思います。
扶余・高句麗・百済・韓・加耶が、「半島に留まったやつと、渡ってきた奴ね。」に分かれたのでないかな。

15世紀のハングル文字の発明と朝鮮語に漢字1文字の訓読みが無い事が、
15世紀になってやっと半島の言語統一が為されたことを示していると思います。

382 :日本@名無史さん:2007/05/31(木) 16:53:29
>>381
>数詞が日本語に近いので

それはもう、日本人はどこから来たか論の話でしょうね。
やれバイカル湖がどうだこうだの…

383 :日本@名無史さん:2007/06/01(金) 08:33:01
関東の大王とは、この太田天神山古墳の埋葬者か。

http://www.juno.dti.ne.jp/~techno/kofun/sonota/tenjin/index.html

384 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/06/10(日) 11:57:18
>>383
太田天神山古墳の埋葬者は関東の大王の一人である事は間違いないでしょう。
時代が榛名山噴火時期によって60年ほど繰り上がる可能性があります。

理由は下記を参照してください。

http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/inariyama/text.html
着目部分
放射性炭素年代がいくつか測られています.それらの中で学術誌にきちんと報告されたものの数は多くないのですが,
ざっと見渡すと,ほとんどの測定結果が6世紀より古く出ています.
もちろん暦年補正した値についての議論です.むしろ5世紀に集中するようにみえます.


385 :日本@名無史さん:2007/07/07(土) 08:06:34


386 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 18:03:02
上げておきます。

関東平野の海岸線と神社のプロットはまだ出来ていません。
最近は魏志倭人伝の読み直しに嵌ってしまいましたので。
九州の1〜3世紀の気候地形等を踏まえて読み直すと新しい発見が数多く出てきています。

387 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:30:51
実質的に天皇家(大和朝廷?)が関東を支配下に治められたのは大政奉還以降とみなしてよいのでしょうか?

388 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/27(月) 00:08:53
>>387
畿内天皇朝廷が関東を支配したと思ったのは8世紀。
秩父和銅の件が、やっと支配できたと思い喜んだ最初の出来事だろうな。

389 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 05:38:56
蝦夷征伐が継続してできたのも、関東から兵士と食料を調達してたから。
また、平家が勃興できたのも関東と言う豊かな土地があったから。
これを考えると、それ以前に、朝廷と張り合える大王いたとしても不思議じゃない。
と寝れないので書いてみる。

390 :日本@名無史さん:2007/09/15(土) 22:02:08
あげ

391 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/10/16(火) 00:00:40
>>383 遅レス
国造を廃し、国司を置いた時点で、
武蔵は大和朝廷の支配化になった。
それは、8世紀の始め、何年か忘れた。710〜720年頃?

392 :日本@名無史さん:2007/10/20(土) 10:59:04
おいおい、当時の状況でそんな余力が中央にあったとは思えない

393 :日本@名無史さん:2007/11/13(火) 16:22:54
>>392
>当時の状況でそんな余力が中央にあったとは思えない

地方支配を進めるだけの余力は持ち始めていたことが、続日本紀に記載されている。

*九州及び各地の鎮圧完了
*太宰府を核にした九州支配の達成
*各地の国造からの献上
*隼人や半島人等の東国北国への移住開始
*日本書紀の編纂開始
*風土記の編纂開始

394 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/01/20(日) 20:22:08
九州王朝揚げ

395 :日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:21:32
上尾

396 :日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:47:32
倭王武(雄略)は、
「六国(@倭A新羅B任那C加羅D秦韓E慕韓)諸軍事
・安東大将軍・倭王」を
中国(宋)の順帝から授かっている。

ヤマト朝廷は、当時の日本は間違いなく抑えていたと見ていいだろう。


397 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/01/21(月) 16:22:13
>>396
>倭王武(雄略)は、

それでは、倭武天皇(常陸國風土記)は誰になるの?

398 :日本@名無史さん:2008/01/21(月) 18:26:10
ヒタチハラハラ

399 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/01/23(水) 09:53:29

以前のレスに出た「南岸低気圧」が今日の雪だよ。

縄文晩期の暖冬では、今日の様に南岸低気圧が通過し雪が降る。
雪が降るときは暖かく気温は-2℃〜+2℃。
縄文晩期の関東平野では平年の冬には、
シベリア高気圧はもっと張り出し南岸低気圧は太平洋上に南へ後退。
連日晴天が続き、夜間気温は放射冷却とあいまって-10℃以下は普通。
関東平野には雪が積もらないので、現在の道東以上の厳しい冬となる。(土壌凍結)
これが縄文晩期に関東平野で縄文人が希薄であった理由。

400 :女王國はどこか?:2008/02/22(金) 01:26:25
之止ってる

401 :日本@名無史さん:2008/02/23(土) 10:26:41
地球温暖化によって今から1500年前くらいに関東にも人が住め
るようになったんですね。
今は東北南部までが雪に埋もれることなく生活できる地域だけれ
ど、今世紀中にも北海道まで雪に埋もれない地域が広がりそうです。
そのため、海面上昇によって領土を失ったり、暑くて住みにくくなった
土地を捨てた民が大移動を開始することになります。
日本人も、やはり、生まれ故郷であるバイカル湖の東岸まで戻ると
いいですね。

402 :九州王朝大好き:2008/02/23(土) 22:51:15
>>401
1500年ではないよ、2500年だよ。

403 :日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:04:52
>>401
>地球温暖化によって今から1500年前くらいに関東にも人が住め
>るようになったんですね。

井草、稲荷台や夏島みたいな10000-6000年前の縄文遺跡は無視ですか?

404 :九州王朝大好き:2008/02/27(水) 02:23:41
>>403
>井草、稲荷台や夏島みたいな10000-6000年前の縄文遺跡は無視ですか?

縄文晩期から弥生前期への移行期のこと。
縄文晩期には関東平野では縄文人の人口激減していたのが、
弥生前期にはいると縄文人と弥生人が共生し始め人口が増大した。

405 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 03:36:22
>>399
その説は、どう考えても無理だから。

http://en.wikipedia.org/wiki/Holocene_climatic_optimum

ここにあるグラフを見れば一目瞭然。
縄文晩期などよりずっと厳しい「寒冷化」が、中世末から江戸時代にある。
だが、江戸時代の関東が道東より寒く乾燥した冬で、
自然薯が寒さで絶滅して採れなかったなんて話は、どんな文献にも出て来ない。
ドカ雪の記録は、武士の日記から浮世絵の絵図まで本当に多くあるがね。

406 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:45:48
縄文晩期の人口減少の要因は気候の変動より
疫病の流行が疑われます。このころから弥生人
との交渉が増えてきて、免疫のない疫病が瞬く
間に広がったのかもしれない。

407 :九州王朝大好き:2008/02/29(金) 21:03:01
>>406
疫病の流行は殆ど可能性はないと思う。
縄文晩期の寒冷化時に縄文人の人口が減少し、
時間をおいて弥生人の登場だよ。
諏訪も同様。

>>405
グラフを見ても一目瞭然としないよ。日本のデータがないよ。
日本の生体酸素同位体及び海水位面から判断すると、中世末から江戸時代の小氷期より前3世紀弥生小氷期のほうが気温が低いよ。
自然薯は低温に強いから取り上げるのは無駄。生産性の高い里芋ではどうなるかな?
ドカ雪は南岸低気圧が接近通過して暖かい時に降るんだよ。
寒冷期ではドカ雪は早春と晩秋に多く、温暖期には降っても真冬。


408 :日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:20:52
「九州の火山の大爆発で西の縄文人は死滅して東に多くなった」とかNHKの番組で言ってたけど、
それなら、富士山なんか300年?ごとに噴火してるのに、関東はもっと減ってないとおかしい。

あれは、西を新参の渡来系の侵略者にでっち上げて、
東を「平和を愛する縄文人」に仕立てようという工作、関東のプロパガンダだった。

現実には、関東人こそ新参の渡来人。
朝鮮から渡来したのは明らか。裏づけもある。

この事実を全く扱わなかったのは、製作者が関東プロパガンディストだったから。

409 :日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:36:38
>>九州王朝が最大の権力を持っていても、
>>大王は全国に割拠していたのでしょう。
>>それらは>>九州・畿内・東海・関東・北陸・新潟・東北に
>>3〜4大王と推測しています。

それ、言ってて恥ずかしくない?
たとえ仮に大王を称する人物や政権が
地方に群在したとしても、
系譜が現在の皇室に繋がらないような政権は
「私政権」とみなすのが常識じゃないでしょうか?

もし地方の非大和系の政権を「王朝」として認めるのなら、
日本国王名義で明との交易を行った大内氏も王ですな(失笑)
俺はあなたみたいに闇雲に合理主義だけで
日本固有の歴史観を破壊しようとする人物は軽蔑しますね。

410 :日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:41:04
もし地方に独立政権の実態があったとして
それをどう解釈するのか、その姿勢が問題じゃないでしょうか?
俺は抗議しますよ。ヒド過ぎる。

411 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 00:45:45
>>408
>「九州の火山の大爆発で西の縄文人は死滅して東に多くなった」とかNHKの番組で言ってたけど、
>それなら、富士山なんか300年?ごとに噴火してるのに

自分で答え書いてるじゃないかw
九州の火山は大爆発、富士山は噴火って。

412 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 02:00:53
>>411
言葉尻をとらえるくらいしか能が無い、つまらん奴が湧いてきた。

413 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 11:43:09
大和朝廷にしてみれば、大和以外に大王なんかいては困るわけで、
正史である記紀にそんな記述を残すはずがありません。


414 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 12:55:37
>>大和朝廷にしてみれば、大和以外に大王なんかいては困るわけで、
>>正史である記紀にそんな記述を残すはずがありません。

なるほど、ようやくいいたいことが理解できました。
要するにこの説の方々は、
当時、「大王と称する者」たちが、大和王権以外の地域にも
複数名存在した、ということですね?

つまり俺とみなさんとの立場の相違は、その大王たちを
古代天皇家の大王たちと同列の「王権」であると認めるか否か、
というあたりになりそうですね?

俺の立場は古代天皇家との系譜上の繋がりを持たぬ「大王」たちは
「自称大王」に過ぎないと考えますが、この説の人たちは
その大王たちにも、大和王権の王と同列の地位を与えよ、
という立場なのですね?

415 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 12:58:48
これはある意味、非常におもしろく、新鮮な説ですね。
これら複数の「王権」は、ある時期、
畿内政権に吸収されてしまった。
別に古代においては、複数の王権があろうと
特段に困る事情はありませんでしたね…。

すいませんでした。

416 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 13:06:42
関東プロパガンディストなる気違い被害妄想よりマシ

417 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 13:40:40
NHKは、歴史モノで関東人のルーツを深く掘り下げて追求したことがない。
関東の古代史はタブー。
朝鮮にルーツがあるという事実が、ばれてしまうからな。

418 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 13:53:38
>>関東の古代史はタブー。
>>朝鮮にルーツがあるという事実が、ばれてしまうからな。

朝鮮といっても関東に入植したのは
百済かの移民だろう?
当時、百済とか南朝鮮、あるいは沿岸部の住人は
そうとう倭人と近い人種だったと推定されてるんだぞ。
少なくとも、今の朝鮮人とは別人種だぞ(笑)

419 :名前:日本@名無史さん:2008/03/01(土) 13:58:32
>>418
高麗郡や新羅郡は無視?
数千人で充足するような狭い集落ではなかったんだぞ。

420 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 14:08:41
確かにそう言われればそうだが、
そこまで厳密にいうなら、長い目でみた場合、
朝鮮の血が関東だけに限定される、というのは傲慢じゃないか?
正直、他の地域の日本人にも、そうとう濃く、
朝鮮人の血は移植されてると思うぞ...

たぶん、あなたの中にも、入ってるぞ(笑)
しかし朝鮮人って、結構優秀な民族だと思うよ。

421 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 14:38:21
古代においては
半島に残留→カス、戦争好き
日本に移住→優秀、平和主義

422 :九州王朝大好き:2008/03/01(土) 14:46:11
新羅、高句麗、百済の難民が日本に逃れてきただけよ。
その移住者は関西に比べれば関東は少ない。
関東の難民の多くは7世紀末から8世紀に入ってからの関西からの再移住。

これら移住してきた高麗(高句麗)人、新羅人、百済人は倭人に近い人々で朝鮮人ではない。

423 :九州王朝大好き:2008/03/01(土) 14:49:17
半島に残留したのは支配階級ではなく、下層階級だろうね。

424 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 15:02:06
現代においては
半島に残留→カス、戦争好き
日本に移住→カス、火事場泥棒

425 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 15:52:56
半島も仮の住処。
もとはといえば、揚子江文明を源流とし、越や呉の国を興した中国の王族の子孫
が(部族を引連れて)出雲の国、越前越後から関東平野に移り住んだわけだし、
集団稲作を持ち込んだのも彼ら。東国の祖ともいえる人たちです。

426 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 16:26:00
日本に移住→戦争好き=関東武士

427 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 16:41:49
朝鮮半島から渡来してきた人間が大量にいて、しかもそれが我々日本人の祖先に含まれるというのは事実なんだから
20世紀〜21世紀の日本と朝鮮半島の関係、しかも感情的な対立をもって当時の社会情勢を分析してもナンセンスだろ。

ばかじゃなかろうかw
>>408とか>>417とかは完全な気違い。

428 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 21:00:20
>>427
朝鮮からの渡来の本場が関東だったのに
関東含む東国が渡来系ではなく縄文系だとかなんとかいうキチガイが多い。

429 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 21:05:45
九州に半島の属国あり。

430 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 21:19:24
>>428
5、6世紀以前の記録に残らない朝鮮半島からの渡来人は畿内に多い。

431 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 21:23:50
>>427-430
渡来人はおまいらの祖先だろ。大馬鹿野郎、嫌韓もいい加減にしる。

432 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 04:10:58
渡来人の子孫だから頭がおかしいのです

433 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 04:56:17
関東の大王は太田に住んでたよ

434 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 23:20:38
>>422
高句麗(北朝鮮)の有力者、高麗若光や背奈福徳は、高句麗から直接関東に移住した。
朝鮮難民の移住先は、フロンティアの関東、武蔵だった。

435 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 23:58:25
>>430
「記録に残らない」のに、なぜ多いとわかる?神の声か?

436 :九州王朝大好き:2008/03/03(月) 02:02:21
>>434
高麗若光や背奈福徳は関東の先住高句麗人の地に移住した。
すなわち彼らは関東の一番乗り高句麗人ではなかった。
そして関東に散らばる高句麗人をまとめ、高麗(コマ)地方で発展した。
背奈福徳は畿内にワンクッションおいて関東に行ったのでは?
また、高麗若光は高句麗王族である背奈福徳一族に呼び寄せられたと見ている。
高麗若光来関東後の8世紀における高麗地方の灌漑米作による発展は目を見張るものがあるからね。

437 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 22:47:25
 埼玉県に高麗川、越辺川に囲まれた地域は幡羅郡と呼ばれ、
その名が示すように、朝鮮半島から渡来した秦氏(新羅系)
が中心になって拓かれたところである。秦氏の渡来は5世
紀の半頃といわれるから、7世紀に武蔵國が置かれる以前
から、この地方には渡来文化がやってきたようだ。
 この地域には、深谷市の「原郷」や「唐沢川」(唐は古代朝
鮮半島南部のカラ=加羅)、「幡羅(ハタラ)町」、熊谷市の上
奈良・下奈良、奈良神社など、いたるところに渡来文化のな
ごりをとどめる地名が残っている。
 ただし、上毛野国を支配していた毛野氏は=高麗人では
なさそうです。豊城入彦命の曾孫にあたる御諸別命が祖と
言われていますから、出生は定かでないにしろ崇徳天皇の
子孫ということになります。まあ、先住民も多かったわけだし、
源氏も朝鮮半島から渡来した騎馬民族だったと思われます。

438 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/03/06(木) 11:00:27
>>437
もう少し正確に書いてね。

>朝鮮半島から渡来した秦氏(新羅系)
秦氏は新羅(シラキ)系で半島倭人。
新羅(シンラ)は朝鮮人の国。(挹婁人もしくは濊人の国)

私は新羅(シンラ)が挹婁人の国と思う。
『挹婁 鏃皆施毒中人即死便乘船好寇盜』後漢伝
『挹婁 鄰國人畏其弓矢卒不能服也其國便乘船寇盜』三国志魏書
とあるように挹婁は南下し、濊を滅ぼし、次いで倭人の国である新羅(シラキ)を滅ぼし、新羅(シンラ)を建国。
新羅(シラキ)の秦氏は列島倭に亡命した。

>毛野氏は=高麗人ではなさそうです。
毛野氏は関東の夷だ。
高麗人≠高句麗人
高麗人は朝鮮人[古朝鮮語を話す人。新羅(シンラ)も古朝鮮語]。
高句麗人のつもりで高麗人と書いたのではないの?
関東の高麗(コマ)は高句麗のこと。

439 :日本@名無史さん:2008/03/07(金) 00:50:56
>>438
正確に書けといいながら妄想垂れ流すなヴォケ

440 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:34:55
>>438は妄想ではないな。
一理あり。
否定は出来ぬ。

441 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 14:14:27
>>438
新羅系秦氏について

まず、渡来の経緯から大きく3つに分けられると思います。
1.徐福集団の秦氏
2.新羅の秦氏
3.任那の秦氏

1.徐福集団の秦氏・・徐福出港(BC219)
 ただし、徐福自身、秦の始皇帝の血を引いているわけではなく、
秦に滅ぼされた斎の国の出身ですし、徐福が連れてきたのは、
職能集団でしょう。

2.新羅の秦氏・・呉の滅亡(BC472)、越の滅亡(BC334)
 秦は、始皇帝の死後間もなく崩壊し、さらに、呉や越も楚によっ
て滅ぼされるわけですが、その一部は、朝鮮半島に一時とどまっ
たものの日本に渡来して、我こそ秦王朝の正統と名乗ったのが
新羅系の秦氏ということです。

3.伽耶の秦氏・・伽耶諸国滅亡(AD562)
 いわゆる任那秦氏は、馬韓など伽耶諸国に住み着いた集団で、
これも民族的には混血が進んでおり、ある特定の血族だと考え
ると誤ると思います。


442 :438:2008/03/10(月) 16:09:24
>>441
2.は、新羅(シンラ)の勃興よって新羅(シラキ)が滅亡し、日本に再脱出した秦氏のことですね。

443 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 16:23:20
白木屋と関係あるんですかね?

444 :438:2008/03/10(月) 17:05:29
>>443
新羅(シラキ)の南部は4世紀から任那と呼ばれるようになった。
シラキは志羅紀とも書くらしい。
白木と新羅(シラキ)は植物のシラキ繫がりで関係があるように思える。その関係の否定ができない。



445 :日本@名無史さん:2008/03/23(日) 14:00:07
渡来人と言うのは、少数例外を除けば難民。
関東ローム層地域へ入植したのは
言い方悪いけど「棄民」みたいなもの。
数代で絶滅したろう。




446 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 00:16:17
>関東ローム層地域へ入植したのは
>言い方悪いけど「棄民」みたいなもの。
>数代で絶滅したろう。

高麗(コマ)は絶滅していない。

447 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 12:47:56
今でも高麗神社は賑わってますぜ!

448 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 16:01:42
摂津源氏は牛(かっこつけて)牛の文化で牛とともに発展した

449 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 16:05:53
摂津源氏は牛!ンモモモモモおおおおお牛に乗った武士団がやってきます
牛に乗ったトライさむらいがあああああ

450 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 16:10:32
んもももももみみをすませてごらんきこえてくるだろう?牛に乗った侵略者。
鉄の刀を持ち鉄の矢じりを持った大軍のざわめきが!んももももももも

451 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 16:14:09
たいへんたいへんしんりゃくしゃがきた神戸和牛にのっている!てつのやじりを
もっている!

452 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 16:46:56
いかだにふんどしの大筏団が!・・・わたし(かみつけぬ)はあのような大編隊
をまだみたことがありませんいったいどうなるのでしょう・・・ひとつきいていいか?
…かれらは   うみにんか?

453 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 16:51:03
う〜ん国家として侵攻したとどこにもなさそうなのでうみにんのしゅうだん
でしょう

454 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 17:12:35
わたくしかみつけぬとしてはちゅうごくの大商人以外は皆丸木うみにん
なのではないかと・・・

455 :日本@名無史さん:2008/03/29(土) 13:47:14
まるで丸太を抱いているような石女は嫌じゃ。
やっぱり虞美人がいええのう。

456 :日本@名無史さん:2008/03/29(土) 23:39:23
鈴木氏の分布をみれば、出雲由来の毛野氏がいかに大きな集団だったかが理解できると思います。

457 :日本@名無史さん:2008/04/22(火) 20:06:21
テレ東京見てみな。

関東の歴史が変わるぜ。


458 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/04/22(火) 20:42:30
見れない。

テレ東京しか放送していないから。

459 :日本@名無史さん:2008/04/22(火) 21:55:34
日テレ見たけど、日本国って関東だったのね。



460 :日本@名無史さん:2008/05/04(日) 02:36:23


461 :日本@名無史さん:2008/05/05(月) 02:47:03
古代社会において、良民とされるのは農民であって、それ以外の職能集団は
賎人だった。朝鮮帰化人も王族貴族をのぞけば、その殆どは最下層の民だった
のである。続日本紀に出てくる雑戸、雑色の類である。今は民族問題とか
複雑な問題があり、誰も深く言及したがらないのだけれども、少し文献を読めばすぐわかる。
古代ローマのガリア戦記をよめ、あそこに書かれているのは、虐殺と奴隷狩りの
記述あるのみである。日本書紀には直接的表現ない。これはガリア戦記と違って
正史としての体面を重んじたからであろう。悲しいことに、わが先祖も例外ではない。
ローマ兵士と同じことを三韓で繰り広げたのである。




462 :日本@名無史さん:2008/05/05(月) 03:23:05
いまの価値観で古代社会を語るな、てことだ。徳川の士農工商制度は別に
徳川幕府が発明したのではなく、昔からの慣習を継承したにすぎないのである。
もっともこの時代は貨幣経済が浸透した後なので、身分にそれ程差があったわ
けではない。貨幣が浸透していなかった古代社会において、農民はオオタカラノタミと
して良民とされ、残りはおうざっぱにいえば賎民だったのである。



463 :日本@名無史さん:2008/05/05(月) 15:18:01
参勤交代も古代九州王朝の制度を真似たらしいです。
九州大宰府を守るため、各地の大王は大宰府周辺に
陣屋を建てて、そこに一定期間ごとに移り住んだ。そし
て防人として自国の領民を住まわせて大宰府の防衛
に当たらせていたとか。
さらにそれは、日本中の神々が集まる出雲の神無月
に由来するものという説まであります。

464 :唐松山:2008/05/05(月) 15:33:27
九州王朝大好きさん その他の皆様にも 大変ご迷惑を掛け申し訳ありませんでした。

やっと編年が出来上がりましたので 少しは論に加われると思います、

戻ってきても 宜しいでしょうか?


465 :ファッションセンターしまむら:2008/05/05(月) 17:41:34
はい

466 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/05/05(月) 18:37:10
ネタがあればいつでもどうぞ。

467 :日本@名無史さん:2008/05/06(火) 00:00:54
ネタがあれば・・ね

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