武家源氏本流・河内源氏
- 1 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 03:32:39
- 源氏というえば、やはり河内源氏。
河内国石川郡壷井(大阪府羽曳野市壷井)の香炉峰の館を本拠地とした河内源氏と、
その子孫について語ろう。
- 2 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 15:17:27
- 22
- 3 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:43:27
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- 4 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 10:09:42
- 源頼朝も河内源氏になるね。
- 5 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 07:16:58
- wikipediaよ、頼信の子孫全員の項目に「河内源氏の〜」って入れるのやめろよ。
- 6 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:11:51
- 河内に地盤がない者を河内源氏と表現して良いものか?
- 7 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:56:39
- 本流は多田源氏ぢゃないの??
- 8 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 01:30:23
- 源氏の本流は、源満仲。
- 9 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 16:11:14
- >>6
河内源氏で、河内に地盤がない者って誰?
- 10 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:52:32
- >>9
義朝
- 11 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 02:37:10
- そもそも為義以降を河内源氏と呼ぶのはナンセンス。
義家流の嫡流≠河内源氏
Wikiに頼家が河内源氏8代目とか書いてる奴
キチ○イとしか思えん。
- 12 :11:2006/03/05(日) 02:39:39
- あ、義親も「河内源氏」ではないか。
- 13 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:34:39
- >>11
誰か直したね。
- 14 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 10:29:30
- 河内源氏は最高だよね。
- 15 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 10:30:39
- 河内じゃないけどな
- 16 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 07:42:50
- >>13
何かまた摂津源氏/河内源氏の区分にこだわる厨が復活しているね。
しばらくおとなしかったんだけどHNも新たになって。
- 17 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:36:27
- 頼家が河内源氏の子孫というのは別に間違いじゃないけど、
摂津源氏・河内源氏というカテゴライズにどこまで重要性があるのかというと話だわな。
実際はその中にも様々な流れがあったのだし、
頼信の子孫達が「河内源氏」という同族意識でもって行動していたかというと、
まあそうではないと考えるのが普通ということか。
- 18 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:53:45
- 羽曳野の通法寺跡の頼信・頼義・義家の墓見に行ったけど、
何とも寂れた感じ。
河内源氏っていっても地方官どまりだろ?
頼朝が出るまでは、注目されてないのでは?
- 19 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:00:57
- 河内源氏が本流なら、なぜにあれほど清和源氏の末裔とかが多かったのか・・家康ですら、清和源氏の出だというてたし・・
- 20 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 17:22:43
- 源氏の本流は、清和源氏のなかの河内源氏だと>1は言いたいんだろ。
てか、>19は清和源氏と河内源氏が全く別だと思ってないか?
最低限の知識もないのに来るなよ。
- 21 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 18:53:39
- 清和源氏は、源経基もしくはその息子の源満仲を祖とする。
源満仲は、同時に多田源氏の祖でもある。
河内源氏は、満仲の息子の源頼信が祖。
多田源氏も河内源氏も清和源氏に含まれる。
一説に清和源氏は陽成源氏とも。
源頼朝は、河内源氏の末裔。
武家源氏が初めて幕府を開いたために、
戦国武将はこぞって清和源氏(河内源氏をもっとも標榜したと思われ)
末裔を名乗った。我こそは幕府を開く天下人であると。。。
しかし、源氏の中では河内源氏を含む清和源氏はいずれも地方官どまり。
官位も低い。
嵯峨源氏・宇多源氏・村上源氏などのように中央(京の都)で出世したものは
いない。
- 22 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 21:38:44
- まあ、例外と言えば足利将軍三代目の足利義満か。
武家源氏として初めて源氏長者となった。
征夷大将軍から太政大臣になった。
その後は出家し、宗教界をも支配しようとした。
思い上がって「日本国王」も自称した。
彼が死去(暗殺説あり)後、時代は戦国時代へ向かう。
- 23 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 23:14:44
- 今風に言えば軍事貴族だから
- 24 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 19:06:21
- 高野山奥の院で、40万基ともいわれる墓の中で
最も古いものは、源満仲の墓。。。
俺はそれを写真に撮ったら心霊写真になった。
- 25 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 08:46:49
- 武家源氏の本流は大阪だったのか・・・・
- 26 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 11:12:08
- 河内は為義まで
- 27 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 21:32:46
- 京都の朝廷で出世できないために、
地方官として次第に東国に根を下すようになった。
- 28 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:14:08
- 摂津源氏の別名が多田源氏、河内源氏の別名が石川源氏でよいのかな。
源三位頼政の戦死後は、土岐家が清和源氏の嫡流かな。頼朝も一地方の土豪で終わったら、石川頼朝または田方(北條)頼朝って感じで苗字で呼ばれた?
- 29 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 17:45:13
- 伊豆頼朝
- 30 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:14:31
- >>28
親父以来、河内関係ないし
- 31 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 03:15:21
- 河内源氏の本流、頼義・義家まではその系譜ですが、前九年/後三年の役を
見ると或る種の疑問が湧く。前九年の役の発端は頼義が策略的に仕掛けた戦
とするのが通説だが、国司任期満了と殆ど同時で、しかも帰京すれば相応の
報酬が得られたのに何故、無理矢理とも言える戦を始めたのか?後三年の役
では、義家が坂東武士団を統括して戦勝に導き、武家棟梁の象徴の如く喧伝
されてきたのが通説だが、河内(及び都の周辺)を本拠とする義家が大規模
な武力集団として坂東武士団を組織できたのか?
- 32 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 05:11:25
- 義家が坂東の武士団を組織しえたのは、
祖父の頼信や父の頼義以来の坂東武士との関係が「資産」としてあったから。
- 33 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:25:46
- >31
>頼義が何故、無理矢理とも言える戦を始めたのか?
源氏の覇権を東国だけでなく、東北にも拡大したかったから。
- 34 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:11:59
- >>32>>33
31です。カキコミありがとうございます。まず坂東武士との関係ですが、
ごく限られた主従関係では確かにあったと思いますが、大規模な「武士団」
と言う組織を編成した事が疑問に思った訳です。前九年の役以降、義家は
殆どが在京しており坂東との関係も希薄であったと言う点、後三年の役の
主な武力は、義家が支援した清原一族だった点などです。話しは前後します
が、頼義の前九年の役が謀略的発端とする説に疑問を感じたのは、頼義の
任期が終わると再び安倍氏の圧力を恐れた在庁官人が、背後で策動したの
ではないか、と思ったからです。論拠は任期中に安倍氏を臣従させた功の
恩賞は明らかである点、摂関期/院政期の河内源氏の勢力は未だ坂東に波及
していなかった点(だから「河内源氏」でもある)などです。
さて、二つの戦に勝利しながらどうして河内源氏は衰退していったのか?
伊勢平氏が台頭して来たのは何故か?義親が「その男狂暴につき」的な人物
で河内源氏を衰退させたのか?伊勢平氏は平維衡以来、目立った活躍も無い
のに何故、院政機に伸長してきたのか?
- 35 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:17:53
- >>34
×院政機→○院政期。誤字失礼。
- 36 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 11:48:19
- ・軍事貴族として勢力を拡大する為には、豊かな東北地方が混乱している必要がある。
・任期満了を控えて、焦っていたのはむしろ頼義本人である。すんなり都に帰って恩賞…
という気は毛頭なかった。
・義家独自の兵力(家人)は少なかった。清原氏を動員できたのは、清原氏の領土的野心を
うまく刺激したからかとも思われる。
在庁官人策動説はやや無理があるかと。頼義謀略説の方が全体的に筋が通る。論拠の
「恩賞は明らか」という点もやや弱い。官位は限界があるがそれより領土や家臣団の
育成など実質を欲したのではないでしょうか。
河内源氏が衰退していったのは義家の勢力拡大を恐れた朝廷の策動説が有力ですね。
一族を離間させたのがうまくいったということですか。
平氏の伸長は瀬戸内貿易を独占して権門に荘園などとともに寄進したのが大きいかと。
- 37 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:50:41
- >>36
34です、カキコミありがとうございます。後三年の役で、義家が坂東武士団を
大規模に組織した、と言う通説は、やはり近年見直されつつありますね。前九年
の役の発端については、36さんとは意見の分かれる所ですね。十一世紀の東北
地方を、河内源氏(に限らず伊勢平氏や他の中央軍事貴族達)がどのような価値
や視点を持っていたか?と言うのが焦点になろうかと思います。河内源氏の衰退
の要因は、概ね同意見ながら、義親は実際、不肖の息子であったと推定します。
義忠は暗殺され(賀茂次郎義綱が嫌疑有り)朝廷が圧力を掛けずとも、自壊は
自然の成り行きであったろうと推察します。伊勢平氏伸長の理由は同感です。
院政期以降は「粗暴」な義家より「従順」な平正盛を重用しつつあった、と言え
ましょう。視点を変えれば、後三年の役は義家の「暴走」であり、それ以前の
清原氏は朝廷や国守に官物納入を遵守していたのが、開戦によって徴税滞納の
事態を招いた事は、朝廷側から見れば忌々しき事であったと思われるからです。
- 38 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:53:35
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1.あなたの好きな順に下記の動物を並べて下さい。
牛、虎、羊、馬、猿
2.次の単語に1つずつイメージを表現して下さい。
犬、猫、ねずみ、海
3.次の色でイメージする異性人物(相手もあなたを知っている人)を書いて下さい。
さっと書いて考え直さないこと。
黄色、オレンジ、赤、白、緑
4.最後にあなたの好きな数字と週のうちで好きな曜日を答えて下さい。
さて、解答です。
ですがその前にもう一度自分のお願い事を確認して下さい
1.あなたの優先順位について
牛は、キャリア、職業を意味します。
虎、プライド。 羊、愛。馬、家庭。猿、金。
2.犬 あなたの人格について
猫 パートナー、 ねずみ 敵、海 人生。
3.黄、あなたを決して忘れない人。
オレンジ、あなたが密かに好きな人。
赤、あなたが本当に好きな人。
白、あなたの事が好きな人。
緑、あなたが今後の人生でいつも思い出す人。
4.あなたは、あなたが答えた数字分これを知らせなければなりません。
するとあなたのお願い事はあなたの言った曜日にかなうでしょう
- 39 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:18:32
- 泉州源氏もいるよ
- 40 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 22:48:24
- >>34
・前九年
父の頼義の方が、清原氏の支援で安倍氏に勝てたんだが?
・後三年
義家は門客的(朗等よりもゆるい関係っぽい)な坂東武者を、頼義以上に広く動員して
清原氏と戦ってる。
- 41 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:37:51
- さすが日本史板
尊敬するよ
- 42 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 04:43:32
- 武家源氏は大阪なんですね。
- 43 :日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:57:05
- >>42
相模
- 44 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 04:24:43
- 河内生まれの八幡太郎義家は普段は河内弁をしゃべっていたんだ。
- 45 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 20:07:19
- 相模弁だべ。
- 46 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 20:09:19
- >>11
キチ○イだべ。
- 47 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:33:23
- >>45
相模弁は、義朝だな。
義家までは河内弁だよ。
- 48 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 22:51:53
- >>47
その当時、京の言葉と河内の言葉はどの程度違ってたんだろ?
- 49 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 11:34:32
- 今昔物語を読めば、義家の祖父の頼信は、完全な河内弁ですね。
- 50 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 17:55:37
- 大阪河内源氏は最高だよ。
- 51 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 20:00:00
- 古代の河内と現在の大阪を一緒くたにするとか
チョンが沸いたのか
- 52 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:12:13
- 河内源氏の本拠地の河内国石川郡壷井は
現在の大阪府羽曳野市壷井
だが。
- 53 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 10:36:28
- >51
歴史について無知な馬鹿
- 54 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 18:44:14
- 大阪府河内は、武家棟梁の本拠地
- 55 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 11:27:35
- 本当か?
- 56 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 11:48:57
- うそ
- 57 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 12:05:37
- >>56
根拠
- 58 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 15:18:08
- 武家棟梁は河内源氏
源氏嫡流は摂津源氏
源氏長者は村上源氏
- 59 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 19:37:47
- 武家棟梁は伊勢平氏
- 60 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 19:55:39
- えええええええええええええ
- 61 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 08:05:38
- また大阪か!
- 62 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 16:58:45
- 河内弁で喋ってたの…とか言ってる人いるけど
下人は兎も角、官位を得ていたような高身分の者は「〜おじゃる」とか喋ってたんじゃないの?
- 63 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 17:02:53
- おじゃる丸かよw
- 64 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 23:48:10
- >>62
>>49さんがソースを挙げておられるんだから、批判するなら今昔物語を読んでからにしろよ。
- 65 :大和の者:2006/11/25(土) 22:03:41
- >>49
図書館から借りてきて頼信の出てくる話を読んだんですが、どこが河内弁なのかわかりません。
素人には都のことばと変わらないように思えます。
何巻のどの話のどの発言に河内弁の特徴が出ているのか教えてください。
- 66 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:30:52
- スレ落ちちゃうよ。
巻第二十五、第九、第十一、第十二、第十三語(これ以外に頼信
(頼義)出てくる話し、あったら教えて)、俺にもどこが河内弁
なのか、全くわからんぞい。
そもそも平安期の河内弁ってどんなんかも知らんが w
- 67 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:57:02
- そもそも河内生まれの頼義・義家親子ならまだしも、年取って河内に来た頼信一人をさして河内弁喋ってるってのがおかしな話だ。
他スレや一般サイトでも同じ主張(同一人物だろうけど)してるの見たが、どこのどんな台詞が河内弁なのか一度たりとも書いてないし。
何がしたいのかさっぱりわからん。
- 68 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 18:51:19
- 有名な割りに過疎だな。そんなに人気ないのか。
- 69 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:36:50
- この板自体が過疎だからね
にぎわってるのは三国人工作員の自演スレだけ
- 70 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:10:33
- 大阪というだけで色眼鏡で見るバカがいるからね
- 71 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:18:40
- ああいうのは世間知らずの引きこもりだと思うよ
- 72 :日本@名無史さん:2007/04/22(日) 19:28:09
- 河内源氏は最高だよ
- 73 :日本@名無史さん:2007/04/22(日) 20:33:45
- 源氏が関東武士團との関係をきづけたのは、
「頼義が平直方の女婿になった」
というのがでかい。関東は女系社会だからな。
鎌倉も直方に持参金がてら譲って貰った感じ。
- 74 :日本@名無史さん:2007/04/23(月) 01:06:53
- 鎌倉は大庭が寄進したとマジレスしてみる。
- 75 :日本@名無史さん:2007/04/24(火) 05:45:10
- むしろ名門の血を関東が欲しがったんだろ
- 76 :日本@名無史さん:2007/04/24(火) 05:53:32
- 関西人でも、「河内源氏」つうと、
なんか「河内のダダケもん」ってイメージが……。
摂津源氏なんか、武装貴族ってなイメージもてるけど。
- 77 :日本@名無史さん:2007/04/24(火) 08:14:39
- ダダケもん、て何??
- 78 :京都出身者:2007/04/24(火) 10:46:09
- >>77
ttp://www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/ajiten.html より
>だだける
> 「駄々をこねる」の意味。また「駄々けモン」=やんちゃな人、粗暴・乱暴者の意味になる。
私も聞いたことなかった。河内弁かな。
- 79 :日本@名無史さん:2007/05/01(火) 08:01:17
- 義家の経済的な勢力基盤は、河内国古市郡の石川荘
- 80 :日本@名無史さん:2007/05/03(木) 02:18:15
- 源氏は関西
平氏は関東
- 81 :日本@名無史さん:2007/05/03(木) 10:18:49
- >>80
伊勢平氏は?
- 82 :日本@名無史さん:2007/05/03(木) 10:36:30
- >>80
義朝は?
- 83 :日本@名無史さん:2007/05/04(金) 08:42:55
- その時歴史は動いた、頼朝だそう
- 84 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 12:57:11
- >>80
どっちも関西のイメージ
- 85 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:10:31
- 「河内源氏」ってのは当時からあった名前?後世につけられた名前?
頼朝は自分を河内源氏の嫡流と意識してたのかな
もし当時から河内源氏の名前があり、頼朝が新しく「○○源氏」という
名前を作らなかったんなら、頼朝は河内源氏だと思う
- 86 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:59:26
- >>85
そんなこと言うなら、鎌倉幕府なんて後世つけられた名前。
源頼朝本人は「鎌倉幕府」と呼ばれるものは開いてはいない。
- 87 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 14:01:34
- >>81
伊勢平氏は、関東の平氏の中から伊勢へ移った一族。
>>82
義朝は、関西の河内源氏の関東進出拠点に出向していたようなもの。
- 88 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 14:12:21
- 親父は河内でも傍流の息子は相模。
そして相模の傍流が勝った保元の乱。
- 89 :日本@名無史さん:2007/05/10(木) 22:50:57
- 八幡太郎義家の頃には河内源氏の親衛隊的な武力ともいうべき
本拠地の河内国の石川荘の郎党たちは、為義の頃は、
義家の石川荘を相続した義時の郎党となっていた。
- 90 :日本@名無史さん:2007/05/11(金) 18:10:07
- 頼朝より為朝
- 91 :日本@名無史さん:2007/08/04(土) 15:17:27
- 陸奥六郎義時
- 92 :日本@名無史さん:2007/08/04(土) 18:04:30
- 子孫は多田氏。今も住んでる。
- 93 :日本@名無史さん:2007/08/05(日) 13:14:51
- 多田氏は摂津源氏。
- 94 :YAP?:2007/08/05(日) 14:22:59
- 陸奥五郎義時、子は石川氏(義基)
陸奥六郎は義隆、子は森(毛利)冠者を称した(頼隆)
ついでに言えば、陸奥次郎が義親だ。
- 95 :日本@名無史さん:2007/08/07(火) 03:15:17
- 源氏三神社
六孫王神社・・・祭神:源経基、所在地:山城国葛野郡(京都府京都市南区八条町)
多田神社・・・祭神:源満仲、所在地:摂津国河辺郡(兵庫県川西市多田院多田所町)
壺井八幡宮・・・祭神:源頼信、所在地:河内国古市郡(大阪府羽曳野市壺井)
清和源氏の発展過程がよく分かる。
- 96 :日本@名無史さん:2007/08/07(火) 16:10:59
- 大阪は昔は武家の本拠地だったんだね。
- 97 :日本@名無史さん:2007/08/07(火) 17:44:27
- そういえば、多田神社に行ったとき石段の石碑にモーターボートの
親分の笹川良一の名前があったな 笹川も清和源氏のようだな
- 98 :日本@名無史さん:2007/08/07(火) 20:03:00
- 六孫王神社ってどんなにすごいところなんだろうって行ってみたが、
見た感じが余りにも普通の神社でガッカリした記憶がある
- 99 :日本@名無史さん:2007/08/07(火) 20:20:32
- 壺井や、お隣の古市、誉田八万もぜひ行ってがっかりしてくれ
- 100 :日本@名無史さん:2007/08/08(水) 01:15:12
- >>98
目の前が線路で五月蠅かったという記憶しかない。
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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。新着レスの表示
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