神仏習合を復活しようぜ 2
- 1 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:05:50
- 前スレでは、ぼちぼち住人が集まったので、
第2スレ作りますた。
ぼちぼち語り合いませう。
- 200 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 01:32:17
- あんまり関係ナイけど何かの参考として。
▽世界各国の宗教事情
ttp://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9460.html
- 201 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 13:58:05
- >>166
市神・・・市が開かれる土地の守り神
寄り神・・・浜辺・川岸の流木とかを神体とする
石神・・・特徴的な石を神体とする
姥(乳母)神・・・子育てを助ける神
これらは有名な神様(エビス、弁天、スサノオ、稲荷)とかに変わってたりする事も多い
また、多くの地域の産土神(土地神)もたぶんメジャーどころに置き換わっちゃったと思われ。
- 202 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 18:37:13
- あスマン。「廃仏毀釈の折に」かどうかは知らん。
後ついでに東北あたりの神だが、ホウリョウ神・・・田んぼの神、ウンナン神・・・水の神(ウナギ)
ご存じアラハバキ神・・・旅の神、最後のは神社有るけどね。
- 203 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 01:00:31
- >>197
「長所」とかの価値判断は余計だよ
ただ単にそうだった
でいいじゃない?
- 204 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 06:07:48
- 神仏分離なんて明治以後のはなしだしな
せいぜい江戸後期の儒教に被れた国学者が言ってたくらいで
日本の仏教は万物が仏の化身という宇宙観の密教が影響強いから
自然に、万物に霊性が宿ると言う思想の神道と仏教は合体し、神仏習合が当然だった。
インドでも中国でも土着の神々は仏教に取り入れられ、仏の下部存在として取り入れられたし
別になんもおかしな思想ではない。
ただ、日本の場合は当初八幡神に代表されるように、インドと同じく
神が仏に負けて帰依するという取り入れ方だったが
密教以後は、神もなにもかも全て仏(宇宙そのもの)の一面となって現れた姿という
取り入れられ方をしたことが日本仏教の特質と言えるだろう。
しかし本来各種如来(仏のいろんな姿)があるとされてたように、
インドの神のような取り入れ方がむしろ不自然で
万物全てが仏という思想のほうが自然だと思う。
神々というものは山だったり雷だったりなんだかんだの自然を神格化して生まれるものだが
密教のように、その万物から仏を感得せよという思想なら、
それらの肖像化した像や絵を仏のある一面の姿として捉えるのは
仏教としてなんら間違ってないと思う。
如来像なんてもんがあって、天部なんてモロに神を取り入れてるインド仏教がよくて
神仏習合は仏教としておかしいなんて思想は変でしょ。
- 205 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 06:37:19
- はじめてこのスレ来ましたが、なんかテキトー発言いっぱいあるなあ
>>52
神仏習合は神道側からも、仏教側からも、いろんな僧や神主が
縁起やら仏教論やらを書物として発表しています。
神道側では両部神道や吉田神道系の神仏習合を理論立てた書物が
鎌倉から室町あたりにいくつも出てます。
仏教では真言宗はもちろんのこと、天台宗の僧がいくつもこのあたりを理論だてている。
最澄がそもそも比叡山開いたときに神を祭って山王権現として祭っている。
日本では仏と神は同時に元から奉るものであった。
当初は神宮寺のように神が仏に帰依するインドの神々の形式だったが
密教後は神=仏の一面という思想での神仏習合
>>27
説っつーか、伊勢神宮自体が神仏習合思想の一大中心地で両部神道の大元。
内宮外宮を金剛界胎蔵界になぞらえてアマテラスと大日如来を同一視し
僧も参拝しまくる仏教としても重要な霊場であった。
>>49
陰陽道は道教の亜流だよ。
あと仏教に取り込まれて道教由来の天部も入ってきてるな。
- 206 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 16:28:50
- テキトー発言の無いスレなんて2chにあるのかと小一時間・・・
- 207 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 17:22:45
- 神仏習合みたいな無原則なナァナァ体質(ウチに対してだけ。ソトに対しては
逆にひどく排他的になる)こそ日本型無責任主義の精神的支柱だろう。
- 208 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 18:20:56
- どこが外に対して排他的なんだ?クリスマスもあり
ムスリムに対する排斥もない
宗教的な寛容さと逆の
民族的な排他性は島国だからだろ
- 209 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 21:36:28
- クリスマスが何か?
近現代のイベントとしてのクリスマスはいざ知らず、
キリシタン弾圧史を知らずにそんなことを言ってるとしたら頭がとんだお花畑だ。
現代だってうわっつらだけだ。
この人は敬虔なクリスチャンです(特にその人物が日本人の場合)
と紹介されると少々の違和感を抱くだろう。神仏習合主義者にとっては。
- 210 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 11:03:19
- 日本人の宗教的多様性としてよく、
葬式→仏教
初詣七五三→神道
クリスマス結婚式→キリスト教
のような図式化がされるが
別にどれも信仰しているわけでなく
単に儀式スタイルとして服を着替えるように
使い分けているだけ
- 211 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 13:49:16
- >>210
葬式は各人の宗旨で行われるから、葬式(広く言えば祖霊祭祀)が
個人レベルでは最重要の宗教儀礼だ。
- 212 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 15:05:33
- はあ?
キリシタンの弾圧が
宗教心から行われたと?
歴史の勉強しなおしな
それから自分の差別心を世間一般の意見みたいにいうな
上っ面でもこれだけの宗教が混在できるこの国が好きだ
- 213 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 21:23:40
- やっぱりね、天皇がアマテラスの子孫と言うよりさ、大日如来の権現としたほうが箔がつくじゃん。
ダライラマも真っ青だぜw
- 214 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 22:45:03
- 大日如来の権現って言うか
嵯峨天皇は空海に篤く帰依して
神道の最高権威でありながら、空海の潅頂をうけている(弟子になったと同義)
淳和天皇も大きく影響を受けている
このあたりから神仏習合が大きく進んだ
だから 大日如来の権現なんて考えはない
- 215 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 04:39:56
- >>203
流石に専門外だと茶々を入れるのが精一杯w
- 216 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 06:45:19
- 新仏分離と言われるが、神社を政府管理下に置いて仏教的要素を徹底的に
追放したのだ。仏教私設では神道的要素は一掃されなかった。
- 217 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/06(金) 22:02:14
- >>215
仮に専門であっても同様の「茶々」入れたろうな。
しかし価値相対主義も分からないバカには往生させられますね
- 218 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 10:37:14
- 馬鹿が必死(笑)
- 219 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/07/17(木) 17:50:45
- >>169
山岡荘八先生の小説『徳川家康』だと、家康の母が「建雷命」を祀った神社
に参拝する場面がある訳ですが、当時ならこんな言い方はしませんね。
鹿島や鹿島大明神、あるいはそれに類する呼び名で呼んだ。
大体、唱導も行われた縁起類を読んでみても、記紀とは異なる「歴史」が説
かれていて、基本的に人が神となったとし、その本地仏が説かれている。
幕末に国学の信奉者が正しい神、由緒ある神とは何かと考えて『延喜式』に
載っていることを条件としていましたが、逆にいえば載っていない神に対
する信仰が現実に広まっていた訳で、そこで復古を志向して理想にそぐわ
ない現実を破壊すれば、混乱するのが当たり前です。
- 220 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/07/17(木) 17:54:34
- 神仏分離の際、平田国学や水戸国学の人間が地方を調査して、「これは道の
神だ」というのを記紀の道の神(誰も知らなかったもの)に当て嵌めて回っ
ています。
天御中主にしても、平田国学で持ち上げられるまではまともに信仰されてい
た形跡がありません。
現在祭神とされているのは、妙見信仰に代わってからのことで、明治以降で
しょうね。
現在田舎の神社で祀られている記紀系の神格は、江戸後期はともかくそれよ
り前まではとても遡らせることが出来るものではありません。
地域の歴史を調べる際、「○○命」を無批判に「昔からのもの」とすること
には抵抗を覚えますね。
- 221 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:30:33
- 幕末の国学を待たなくても吉田神道だって地方の神社に
「そんな神はいない」
と言って由緒ある神に当てはめてたよ。
- 222 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/07/17(木) 18:45:37
- >>214
嵯峨天皇以降、天皇と仏教の影響が強まったことは否定出来ませんが(皇帝
の受戒は梁の武帝以降、隋・唐にも見られたもので唐文化志向も影響したと
思います)、「神道の最高権威」という言い方はどうでしょうね。
当時の史料でそんな表現は出て来ないと思いますが。
>大日如来の権現
東宮時代の後三条院に真言僧が奉献した書に、大日如来の化身が天照だとす
る説が見えていますが、これが初見でしょう。
以後は、天照が大日如来の垂迹であり、天皇はその子孫であって、日本の国
土は大日=天照の作り上げたものであるから、住人は信仰するという言説が
広まる。
即位灌頂は鎌倉期(即位式にあたって天皇が自身を大日如来に擬することは
大江匡房が記しているとは慈円の記録)からですが、対立要素という訳では
ありませんね。
ただ、仏教という要素が宇宙的・国際的なものであり、神は日本の国土に限
定して垂迹したものだという観念は確かにありましたから、その面での上下
関係は確かにありました。
>>216
昭和初期頃までは、寺院の鎮守の本地仏の記事が仏教の機関紙などに出て来
ますね。神仏分離以前の記憶を持った世代が増えると消えていますが。
>>221
吉田は(あれはあれで無茶なところがありましたから)面白そうですね。
やはり近世ですか。近世なら吉田も大人しくなっていましたが。
- 223 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 01:40:01
- 神仏習合といえば富士山も有名だけど、その富士山を祀る
浅間大社境内地で護摩を焚いてたお堂跡地が発見されたそうな。
他にも以前の発掘では、神社境内にも関わらず墓地と思われる
跡地も見つかっていて(明治頃のもの)いかに神仏習合が
浸透していたかがうかがいしれるらしい。
他にも浅間大社近くにある浄土宗3寺には、富士山の本地と
言われる大日如来や阿弥陀、神仏習合だった寺の山門などが
それぞれあるんだそうだ。
関係ないけど浅間大社にしても三嶋大社にしても他の神社にしても
親が子供に手を合わせてナムナムしようねと言ってる姿を
よくみかけた。微笑ましかったw
- 224 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 05:13:31
- 今の神社の由緒とか捏造、改悪が多そうだ。
太古の昔からあるように地元民に思わせてる節があるね。
- 225 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 14:14:25
- だれか、豊川稲荷の本社に詳しい人、いませんか?
むかし行ったとき、
境内にもうもうと線香の煙が立ちこめていたような記憶があるのだが。
- 226 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 18:43:30
- 南無八幡大菩薩
- 227 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:41:16
- >>223
静岡御殿場の浅間神社は朝鮮やくざ露天商の巣窟。
馬の神様の浄財箱の裏にマジックで在日やくざ幹部の名(本人自らが記名)が記載されている
ことは有名。
在日に首が上がらない宮司も然り=お祭り時には在日幹部がTBS放送に依頼して五秒ほど
の間だが神社の祭典を故意に取り上げる程の力を持ってる。
その50歳くらいの在日やくざ幹部(神奈川県城山町に居住)自らの自慢は「俺は富士山に60数回登頂したことが
ある=修験道?」
というのが口癖。あとは俺は重要な政治家ともひたしいし栃木にある竹久夢二の絵画を所有している旅館経営者
に「あなたが来たときは特別に絵をみせてあげる、何時でもおいでください」という
特権を自慢していた。
- 228 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:02:35
- >>227
新橋の方だっけ?
関係してるかわからないけど、毎年浅間大社で流鏑馬を奉納している
人の馬が(厩舎は御殿場)突然急死したんだと、昨年。
教えてくれた人は奉納している人も亡くなったから連れて行ったんだと
言ってたけどまさかね・・・。
- 229 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 01:57:32
- 後醍醐帝のころのあやしい感じを取り戻すべきだよ
- 230 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 06:39:20
- 在日が足引っ張りしてるからなかなか
復活しないんだよね…
- 231 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 12:43:26
- 明治以降延喜式にこじつけ由緒捏造した神社多杉だろ
今の神社の殆どは寺との繋がり抜きに己の歴史語れぬ事実を
ボチボチ神社本庁も公式に表明するなりしないと
歪みは更なる歪みを派生するぞ。
- 232 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 13:24:53
- >>231
以前京都加茂、木津の社を延喜式頼りに巡ったが
小村社は確かに色々符合しない所が多かったな。
祭神も明らかに後付けだし、本地仏像を今も密かに
本殿に奉ってる所が意外と多く驚いた。
(春日の本殿を遷宮毎に方々移築してるのは見どころ)
- 233 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 15:37:37
- 今さら復活する意義というのもあまり感じないなあ。
神社本庁がデカイ面をしてるのを懲らしめる意味ならあるかもしれないが。
- 234 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 16:42:58
- 俺が受験する時に無理矢理祈願させられて次の年は祈願したから合格したんだからお礼言いにいかなきゃなんないだろとぬかしやがる
頑なに拒否したら蹴り入れられてとばっちりでベッド破壊された
どうせてめえも信じてないのによく口うるさく出来るよなと思ったもんだな、親父のことだが
先日法事で坊主の話し聞いたがそれっぽいことは言うが実際の信仰なんてないだろ
どいつもこいつも信じてないが習慣としてやってるだけ
そんな熱くなるもんでもないからこれからも流れに任せて変容していくだけだろうだな
- 235 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 18:47:54
- 神+仏、そろって伊勢参り
伊勢神宮のほか、延暦寺、東大寺、石清水八幡宮など近畿の150社寺でつくる
「神仏霊場会」(会長・森本公誠東大寺長老)は
8日、三重県伊勢市の皇学館大で式典を開き、会の発足を祝った。
神職と僧侶が共に神仏をまつり、拝もうと、祝詞の奏上に続いて般若心経が唱えられた。
式典後に、近くの伊勢神宮の内宮にそろって参拝。
正装した宮司や住職ら約220人が五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、社殿に向かった。
神仏霊場会は、神と仏が和合してきた明治維新前の信仰の再興を目指し、
伊勢神宮と150の社寺を結ぶ新たな巡拝の道を提唱している。
ttp://www.asahi.com/national/update/0908/OSK200809080062.html
- 236 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:48:31
- 朝鮮人信奉者のおかげでいわくつきの神社になったね。ゴテンバ朝鮮浅間神社。
死人まで出てるとなればそれはもう!
- 237 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 20:45:12
-
神と仏が和合?大体、天皇家が奈良時代から維新まで仏教徒だから、
神社を坊主が管理していることが多かったんじゃないのかww
- 238 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:00:49
- じゃないのかww
- 239 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 17:04:14
- 天皇家自体が神仏習合だったのを、分けたんだよ。
天皇家は仏教だけ信仰していたんじゃないね。
- 240 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 17:28:07
- 両方信じてるのと、習合思想は全然別の話
- 241 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 18:00:29
- 「即位灌頂」って神仏習合だよね。
- 242 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 18:13:44
- だいたい上皇が出家するぐらいだからなw
神主にはならんが…
- 243 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:40:06
- >>242
神主って発想自体、明治以降なんじゃないの?
天皇ってやっぱ祭祀者として、いたんでしょ。
- 244 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:54:15
- 継体→欽明の流れに神道は関係ないだろ!欽明の息子たちは蘇我と一緒に仏教を受け入れて、聖徳太子に至っては完全な仏教徒になっているからね。
- 245 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:07:22
- 仏教の信徒になったといってもでも神道の業法を全くしていないとは言えないと思うよ。
神仏習合の観点からすれば、仏教も神道も区別されないし。
日本の仏教は山岳信仰と密着だし、大神神社なんか本当に神道と仏教が集合していた土地だと思う。
天皇もおそらく、そういった神道由来の聖地に、仏教の儀式も交えた神道儀礼を行っていた可能性が高いと見ているよ。
- 246 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:20:37
- >>224
>今の神社の由緒とか捏造、改悪が多そうだ。
それは違うぞ。昔からだ。昔は掲示板とかに書いて無かっただけ。
- 247 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:09:01
- 天皇の祭祀にからむ神仏習合理論は
聖武天皇の娘の孝謙天皇がインドの神々を取り入れたあたりの理論を記した
埋もれていた仏教経典を用いて確立しているよ。
まあ要するに女帝の仏教の師匠である道鏡が理論的に経典解釈して作ったのだろうな
(道鏡はサンスクリット語まで理解したという相当に卓越した僧である)
- 248 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:14:00
- 神道儀式も天皇であるからにはあるわけで、その説明をできないままに
聖徳太子&蘇我氏は居なくなったので、尻拭いをそこでしたわけだ。
つーわけで、皇室の神道儀式は残りつつ、仏教に帰依という神仏習合の天皇家が確立したわけよ。
明治維新で変なことしたせいで、天皇家の仏教要素の祭祀も
古代から続く神道儀式も、双方無茶苦茶になってしまったけども
往時の習合時代はほんとに豊かな信仰ですばらしいと思うよ
明治維新までは天皇家は仏教ってのは間違いだし、神道ってのも間違い。
基本的な王権の祭祀は神道で、死後は仏教で葬るというような感じ。
- 249 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:30:48
- 明治までの皇族はどんどん出家していた
するのが普通だった
90 KB
[ 2ちゃんねる 3億PV/日をささえる レンタルサーバー \877/2TB/100Mbps]
取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 05.0.7.8 2008/09/25 アクチョン仮面 ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)