【男子禁制】大 奥 vol2【女の園】
- 1 :1:2006/06/19(月) 12:20:34
- 大奥の制度や
将軍の正室・側室、女中などについて語るスレです
注意
・よそからの丸々コピペ
・院号ネタ
・初心者に優しく
を守ってください。
- 2 :江田島:2006/06/19(月) 12:22:35
- 乙
- 3 :1:2006/06/19(月) 12:23:23
- 過去スレ
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1097056072/
- 4 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:48:39
- ・よそからの丸々コピペは、禁止
・院号ネタは、禁止
ですよね。
- 5 :1:2006/06/19(月) 19:13:14
- ああそうだ。うっかり。
- 6 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 01:09:10
- | l: :l: : : : |: : : : l i: : | l!: :|ハl ;.ィ|: : : : ト l、:l: / |!: ./!: : : : : :|: : : : |: : | \| |
| |: : |: : : l: !: : : : ト|、:.|,lィ::'|:~|! l|ヽ: : :| j/ノ`゙ '|: /、|: : : : : l: : : : :|: : :|\ ノ |
|/|/!:|: : : |: ヽ: : :ィ' ヽ,、z≡ミ、 ! ヽ: :| ノ イ云Zゥ、 ハ: : : : /: l: : ∧: : :| |  ̄
|/! !:ヽ : |: |: :\: |、イひ::::ィ::! ヽ じ::::ィ::}ヾァノ: /: /j/:| |: : : | |__
_//: :| : ヽト| : : : ドヽ l ::;;;;::c} | ::;;;;cj /ィ: :ノl : : :.| |: : : :| | `丶、
//: : |: : : : :.|: : : : |ハ ヾーソ t_ー'ソ /: : : : |: : : :| |: : : :| |
,' l: : :.|: : : : : |: : : : ト∧ ゞ''"´ `~"` /: : : : : |: : | | | : : : | |、
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! |: : : |!: : : : レ\: : : :'、 iヽ ´` ,.イ: : : : |: :.| | ||: : : :,'| | ',
│: : :|l: : ト、/ \トム |: .丶、 , ィ //: : :_/_:_リ | | |: : :;'│ | !
| |: : |ヽ: | |、 ` | : . : . `iヽ、 ,卍: .´´ ̄ | j |/: :./ │ | | 今日は来てくれる?
.| │: | | | l ヽ 、 |: . : . : . :〉ヾ ミニ´彡'゙: . | / /: :/ | | |
1 '、: | | | ヽ ヽ'、 l : . : . : . ,f⌒ヽ: . : | ∠ _// | | |
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| `│| ト ヽ l ヽ ` ´ | l / ノ | | |
| | | ヽ ヾ! \ ノ | 〃 / j/
- 7 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 01:36:47
- 荒らしは放置の方向でいきましょう。
さて、家康の居城、
岡崎→浜松→駿府→江戸→駿府
には側室もみな着いていったのかしらん。
とりあえず長勝院は違うよね
- 8 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 11:14:20
- 西郡局は最古参の側室として家康に付き従っていたと思われ。
京で没したってのも、家康の上洛に同行したのでは。
- 9 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 11:34:47
- 伏見城に側室大集合してるじゃん。
- 10 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 17:31:09
- >>9
では当時生存した側室は、家康の移動に伴っていたってこと?
娘の輿入れや息子の転封先についていったりしてなかったの?
- 11 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 13:04:27
- age
- 12 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:35:47
- 家康の死後はともかく、生前は共に居住していたのでは。
特にお勝、お夏、お六なんかは。
- 13 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 19:40:17
- お万の方(永光院)はいつ落飾したの?
- 14 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 11:11:09
- age
- 15 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 06:37:15
- age
やばいな、前スレ内での新スレ誘導が出来なかったので、みんな戻って来れないのかな?
- 16 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 17:23:20
- そうかも。前スレがいきなり消えたからねえ。
- 17 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:27:36
- 1000が近づいた時に、うかうかしてると突然倉庫入りって場合があるんだね。
これからは960ぐらいで、とりあえず新スレ立てしといた方がいいみたい。
いきなり途中で消えたので、ファイル保存するつもりだったけど出来なかった。
過去ログって読めないし、読む方法についての解説がむずかし過ぎて何が何だか理解できない。w
- 18 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 07:56:07
- >>17>>16>>15
まあ、みんなが戻ってこれるように地道に書き込みを続けましょう。
- 19 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:06:10
- 家康の最初の正室の、築山殿・駿河御前は通称だよね。
瀬名姫っていうのは、本名?通称?眉唾?
- 20 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:35:21
- 通称だと思う。
実家の関口氏の菩提寺が静岡の瀬名地方だからじゃないの?
所領もそうなのかな?
- 21 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:58:49
- 所領もそうみたいだね。
- 22 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:37:54
- 諸田玲子の創作爆発ではあるが「月を吐く」は良かった。
- 23 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 13:24:48
- つまり築山殿の本名については、チラっとも手がかりが無く不詳という事?
- 24 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 14:12:57
- 瀬名姫は濃姫みたいな出身地からきた通称なのね。
もしかして、お江の方も通称?出身地の江州にちなんだ名前なのかも
ちょっと前までお江よりも小督、督姫が使われることが多かったような記憶があるんだけど。
- 25 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 15:01:02
- >>24
個人的感触だけれど、お茶々・お初・お江は両親が名付けた本名だと思う。
お江は多分、近江国の別名の江州にちなんで名付けられたのだろう。
女性は本名のひらがな書きの上1文字を、書簡に署名する風習があったので、
「ご」と署名されたお江の書簡が残っている、という文を見た事がある気がする。
小督・督姫はお江の意味や漢字書きを知らない人などが、雅びめかして書いた表記だろう。
お江与は、秀忠との結婚に際して1文字加えて改名したのではないだろうか。
達子(さとこ)は、死後従一位を追贈された時に付けられた実名。
- 26 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 17:29:46
- 家康側室のお竹、お万、お六なんかもそうだろうね。
本名なんだと思う。
- 27 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 17:52:14
- お江与の本名(いみ名)は浅井徳子です。
出典は「日本の後宮」角田文衛著の女院表で東福門院(源(徳川)和子)の
生母として掲載されています。
- 28 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:47:50
- >>27
じゃあ娘の松姫和子(まさこ)が、女御として入内した時か中宮に冊立された時に、
母のお江与も実名・諱(いみな)を徳子と定めたのでしょうね。達子は没後の改名wに当たる。
読みは徳子(とくこ)ではなく、多分建礼門院と同じく徳子(のりこ)でしょう。
江戸時代以前に公家社会内部、又は公家社会との係わりで使われた「〜子」は、
音読みでなく必ず訓読みです。訓読みでも徳子(のりこ)は古典訓み、和子(まさこ)は有職訓み。
- 29 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:51:00
- 御台所や将軍生母・世嗣生母以外の側室・愛妾はいくら子をもうけても官位を授かる事は無かったのかな。
阿茶局を除いて。
- 30 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 00:24:57
- >>27
角田文衛著「日本の後宮」。持ってるんですか、それはすごい。
大昔に大書店で見かけたけど、とても手が出なかった覚えがあります。
ネットで調べたら昭和48年発行、定価\36,750。古書価格\65,000〜\90,000。
- 31 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 12:09:00
- >>29
将軍正室・将軍生母・阿茶局を除いた、他の側室たちは、
世継生母や御三家御三卿生母でも、叙位に与かった人は多分いなかったと思う。
- 32 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 16:01:52
- ' ♪兼六園命 ヽ
′ ______ ヽ
| ´ ̄  ̄ヽ |
| ´ ヽ |
| | ______/ \___ | |
| | _――――_――――_ | |
| || | ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄| | | |
| | \`――' ハヽ――‐/ | |
| |  ̄ ̄ ̄ |  ̄ ̄ ̄ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | | | <削除放浪人だけど文句あっか!
| |\ ヽ_/ /| | \__________
| | |||||||||||||||||||||||| | |
| \ ||| ー――ヽ||| / |
___| \ |||  ̄ ||| / |___
―( | \||||||||||||||||||/ / )―_
 ̄ ヽ ヽ ′ ′ ―
ヽ ヽ ′ ´  ̄―
ヽ `―――――――-‐´ ´  ̄――_
\__―――____/ ― ヽ
__ /能登七尾\ _― ̄ ヽ
― |==========| ― ヽ
―――-| ● |――― ̄ |
\__■__/ |
_― ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄―_ ヽ
- 33 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 16:28:25
- >>31いる
- 34 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 17:01:51
- >>33 えっ知らなかった、誰?
- 35 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 17:09:20
- 津田篤子は?
- 36 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 19:50:43
- >>35
有難うございます。本当だ、家治の世継の家基の生母、蓮光院お知保の方が、
家基の50回忌に当たって、没後37年にして従三位を追贈されていますね。
篤子はその叙位の時の名前でしょう。家斉は随分長い間、家基を気にしてたんですね。
- 37 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 20:17:11
- >>30
図書館で借りて全ページコピー。
著作権侵害の犯罪者です。私。
- 38 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:01:37
- 家斉の将軍就任には田沼や家斉実父の工作があったという説があるね。
そういう噂を断ち切りたかったのでは。
- 39 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:11:09
-
春画 は いいの〜
- 40 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:38:58
- 大奥女中における、候名と通称はほとんど同じようなものなの?
側室の名前もそう捉えて良い?
- 41 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:40:43
- >>40
文意が分かりにくいので、具体例を挙げてみて話して下さい。
- 42 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:10:14
- >>37
わーい
- 43 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:05:32
- >>41
つまり、奥入りしたときに女中は本名ではなく、
女中としての名を与えられるよね。
それは候名でもあり、通称でもあると思うんだけど。
例、岡野・藤江・浜多・嶋田など。
それは側室となって名を改めた場合にも適用されるのかしらん。
例、十二代将軍家慶側室・清涼院
お久(御中臈としての名)、お定(1819年11月2日、男子出生の際に改名)
- 44 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:10:03
- 大奥再放送はじまったーヽ(゚∀゚)ノ
- 45 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:36:18
- >>44
どの地方で、大奥のどのシリーズですか?
- 46 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:07:48
- >>43
本名:一般女性の場合は親が付けた幼名を本名と言い、あまり改名せず一生使い続ける事が多い。
女中名:奥女中は就職時に本名とは別に女中名を与えられ、異動により改名される場合も多い。
おおむね上級職は苗字風の三字名、中級職は本名風の二字名、下級職は源氏名。
「〜院」という院号も、現将軍生母以外は身分上一生奥女中なので、女中名の一種とも言えよう。
候名:公家方の女房名を候名とも言うが、候名という言い方は武家方では殆ど使われない。
通称:通称とは本名・女中名以外の呼び名の事で、大典侍の北の丸やお伝の方の五の丸など少数。
側室といっても職制はお手付きの御中臈か上臈で、待遇は御客応答上座〜上臈御年寄上座の場合もあるが、
奥女中である事に変わりなくその名前はすべて女中名。お久もお定も女中名。清涼院もいわば女中名。
- 47 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 03:54:51
- >>46
候名って宮仕えをした女性に付けられる名前だとばかり思ってた。
で、以貴小伝に「宮仕にまいりしに」という表現が使われていたから、
奥女中も候名をつけられたものと。勘違いだったんだな。
- 48 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 05:00:12
- 基本的に機能上は、候名=女性の仕え名=女中名、だろうけど、
大奥女中の場合には、女中名とは言っても候名とは殆ど言わない、という事。
- 49 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 12:17:03
- >>48
なるほど。
常磐井は候名だけど、右衛門佐は女中名ってことか。
- 50 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 15:28:59
- age
- 51 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 09:17:45
- 将軍家の姫には、○○子って名前はつけられたのかな?
- 52 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 12:04:47
- 家斉の成人して結婚した娘には全員ついていたよ。
あとは東福門院くらいじゃない?
- 53 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 14:31:57
- 有吉佐和子の小説は、あくまでも小説ですか?
そういう説は他にもあったのでしょうか?
お詳しい方、是非ご回答ください
- 54 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 15:10:42
- >>53
小説は「小説」として書かれたものです。
有吉佐和子の小説は、非常に面白く優秀な文芸作だと思うけれど、
あれが世間に流布したせいで、身代わり説が世間に蔓延もした。
本当に面白い物語だと愛読書の一つではありますが。
身代わり説は昔から、高貴な姫の幕末悲劇を大衆が色々と憶測した中に
発生していたようなこともあるらしいけれど、
信頼できる書物や、当事者のご子孫などの話や御用掛の日記、
幼児からの婚姻後の書風も変わっていないいう識者の方の意見、
楽器を奏していた、茶事も楽しんでいた等、
たくさんの和宮関連の書籍を読んだ結果、
あれは小説の中の出来事と(自分は)認識しています。
手っ取り早く、ここで聞けば教えてくれる人もいるだろうけど、
自分で図書館の歴史棚に出かけてみることもいいもんですよ。
色んな人の意見を読んで、自分なりに考えるのが最良かと。
また、wikiの内容は玉石混交、出鱈目もかかれていますので
全面信用はしないほうが良いと思います。
- 55 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 15:41:09
- >>54
なるほど、ありがとうございました。
自分でもいろいろ探して読んでみます。
初心者レベルですみませんでした。
- 56 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 00:30:59
- 家慶の御手付御中臈は子を生まなかった者も含めて、15人が確認されていると何かの本で読んだ。
誰か詳しく知らない?
- 57 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 23:38:23
- 浅宮顕子の生母って誰かご存知ですか。
某サイトで宇喜多秀家の娘と書いてあったけど、
秀家の娘は前田家に引き取られた娘のみだった記憶があるのですが。
- 58 :日本@名無史さん:2006/07/17(月) 23:45:04
- age
- 59 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 08:53:34
- >>57
宇喜多秀家の娘でも、豪姫腹じゃなくて脇腹の娘じゃないの?
- 60 :日本@名無史さん:2006/07/21(金) 09:14:12
- 江戸時代初期には武家の娘が宮家や公家に嫁ぐこともわりとあったんだねえ。
- 61 :日本@名無史さん:2006/07/21(金) 13:41:15
- 山様が一言↓
- 62 :日本@名無史さん:2006/07/21(金) 13:50:37
- 17歳うめぇwwwフヒヒ
- 63 :日本史@名無史さん:2006/07/21(金) 22:42:31
- 実は17歳以下だと噂も……
- 64 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 05:52:06
- 先生!質問です!
御台所の給与というか収入はどうなってたんですか!?
- 65 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:48:10
- お江の方は知行地を持っていました。
嫁いでくるときに秀吉から貰ったのではないでしょうか?
- 66 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 19:58:49
- 他の御台所も知行地を持っていたということ?
幕府直轄地からなのかしらん。
- 67 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 01:00:25
- 化粧料、ってやつかな?
高台院(寧々)は家康から一万石以上の化粧料を
与えられて、大名並みの扱いだったそうだし、
お輿入れに化粧料○千石持って行く姫様もいたそうな。
逆にお公家さんはビンボーだったから、
血筋の良い嫁はもらうな(化粧料が少ないから)
が合言葉だった事もあるそうです。
出所は…わからんw
- 68 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 01:24:27
- お江は秀吉の養女として秀忠に輿入れしたから、
天下人のご威光を見せ付ける意味もあって
それなりの持参金?を持っていったと思う。
徳川の時代が固まってからは(家光夫人・鷹司孝子以降)
大奥の予算+献上の金品でやりくりしていたのでは?
御台所のお里は天皇家・宮家・五摂家と言えど、
お金がない(いわゆる貧乏)から当てにできないし。
- 69 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 06:52:33
- では、御台所の財産や収入というのは、
特に取り決められてたわけではないということですか?
- 70 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 08:36:11
- 幕府直轄地の中に御台所の取り分がある可能性は
否定できない。が、確実な資料を(少なくとも自分は)
見たことが無い。
- 71 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 11:56:21
- 3代以降の御台所は御合力金(衣装料)の額は、年間何千両とか定められていたので、
その中から余剰金は出ただろうが、知行地は持っていないはず。
大奥御殿の経費や奥女中の組織は、将軍と御台所の私生活に奉仕する為の物なので、
大奥の予算で、御台所を丸抱えしていた状態と見る事が出来ると思う。
- 72 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 15:08:21
- 奥女中って代替わり後はどうなったの?
みんな解雇されたんだろうか・・・
- 73 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 15:36:38
- >>72
表向きは総入れ替えだが、実際は
結構な人数が残ってたそうな。
2〜3代の将軍に仕えることも珍しくはなかった。
- 74 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 17:09:39
- >>73
ありがとう!参考になりますた。
- 75 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 22:10:35
- 滝山は4代に渡って仕えてたしな
- 76 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 23:40:42
- >>75>>73
お目見え以上の女中とか、高級職に限られたことではないの?
- 77 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 06:54:43
- >>76
「江戸奥女中物語」という本を持っているが、
御使番という下から二番目の役職(もちろんお目見え以下)
の女性が十二〜十四代将軍の時代に大奥に仕えた、
とあるから、そうでもないみたい。
- 78 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 10:11:59
- 2008年のNHK大河ドラマが宮尾登美子さん原作の「天璋院篤姫(てんしょういん
あつひめ)」(講談社)に決まったことが31日、分かった。宮尾作品が大河ドラマに
なるのは「宮尾本平家物語」「義経」が原作だった滝沢秀明(24)主演の「義経」
(05年)以来となる。
「天璋院―」は薩摩の島津家の分家に生まれ、藩主・斉彬の養女となった篤姫
(1836〜83年)がヒロイン。斉彬から見込まれた篤姫は、政略によって13代将軍
家定の正室として江戸城に送りこまれ、やがて大奥3000人のまとめ役となる…
というストーリー。
03年のフジテレビ系「大奥」でも主人公(菅野美穂)となっているが、NHKらしい
新たな切り口が加えられ、描かれることになりそうだ。1日に正式発表される。
ソースはhttp://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060801-OHT1T00074.htm
- 79 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 11:02:47
- 脚本家と主演女優しだいだな。
人気や話題性より、時代考証能力と演技力。
浅野妙子が平気で、篤子(とくこ)と読ませていたのには萎えた。
- 80 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 11:19:12
- 徳川将軍家の大奥では、元旦に、「おさざれ石」という儀式があった。
御台所は午前4時に起床する。化粧をおえたあと、廊下に出る。
廊下にはすでに毛氈が敷かれており、なかほどにタライがすえられている。
その中に石が三つならべられている。
やがて御台所がタライの前に着座すると向こう側に座った中揩ェ一礼し、
「君が代は千代に八千代にさざれ石の」と、となえる。
御台所はそれをうけて「いはほとなりて苔のむすまで」 と下の句をとなえる。
そのあと中揩ェ御台所の手に水をそそぐ。
そういう儀式のあったあと将軍家に年賀を申しのべる。
この元旦儀式は将軍家だけでなく、国持大名級の奥にもあったという。
その元は徳川家の創始ではなく遠く室町幕府の典礼からひきついて
いるのではないかと想像される。 司馬遼太郎
- 81 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 18:04:06
- >>79
何かで読んだんだけど、11代正室の茂姫って篤子(とくこ)だった時期あるみたいね。
近衛タダ子(漢字がでてこん)に最終的になったらしいので、
島津家の時代かな?
ちなみにヒロイン、伊東美咲あたりになりそうな悪寒。
- 82 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 18:40:27
- 広大院は、島津寔子(ただこ)・近衛茂姫(しげひめ)。
天璋院は、島津敬子(すみこ)・近衛篤姫(あつひめ)。
・・・だったのじゃないかと、自分は理解しているのだけれど。
広大院の篤子というのは、天璋院の篤姫との混同・混乱という気がする。
篤子は(あつこ)以外に、訓読みの有職読みも行なわれた可能性はあっても、
(とくこ)という音読みでは、武家でもまず名付けられる事はなかったと思う。
- 83 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:01:30
- 脚本は田淵久美子だって。
大丈夫か?この人
- 84 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 20:15:38
- >>82
広大院
本名・・・篤姫、茂姫
近衛の養女になった時の名・・・寔子(茂子)
天璋院
本名・・・於一
斉彬の養女になった時の名・・・篤姫
近衛のになった時の名・・・敬子
じゃないの?
天璋院の篤姫は、広大院の本名にあやかってだったと思う。
- 85 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:21:22
- >>79
大河ドラマに時代考証なんて求めちゃイケナイですよ。
NHKの大河は大衆向けに作っているから、歴史オタから見れば
突込み所、満載ですよ。
- 86 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 01:20:40
- 過去放映作や吉屋信子のパクリまくりの浅野妙子脚本に
根拠を求めるのは難しいことだと思う。
全てが浅はかな思いつきなのだろうから・・・
>>85
そういう考え方もじゅうぶんに気持ちが悪い。
- 87 :日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:49:56
- >>84
そういえば、本人の署名とかは全部「敬子」だったって聞いたことがある。
- 88 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:03:48
- 徳川慶喜って正室腹だよね?
- 89 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 14:39:30
- 慶喜の生母は登美宮吉子女王。
天璋院自筆の書状を見たことあるけど、「敬子」と署名してました。
篤姫というのは、和宮と同じで通称のようなものでしょう?
和宮は「ちか子」と署名してましたよ。「ちか」が平仮名だったのが印象的。
ちなみに角田先生の『日本の女性名』が参考になりますよ。
- 90 :日本@名無史さん:2006/08/28(月) 01:29:18
- 映画大奥にお須免の方が出るけど、家継の代にはもう大奥にはいなかったよね。
どう絡ませるんだろうか。
- 91 :日本@名無史さん:2006/08/28(月) 02:39:56
- くだらないこと書くなよ
- 92 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 11:30:40
- フジの映画の大奥って家宣時代もやるの?家継だけ?
- 93 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 16:54:33
- そんなこと知りたいなら、フジのHPでもみろよ。
- 94 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 20:22:08
- http://www.surprise-video.com/video_list/KSUP056/KSUP056_3.jpg
えげつないエロ! 大奥
- 95 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:29:11
- 天璋院の大河ドラマ、タイトルってどうなるんでしょう?
タイトル中に天璋院とか、篤姫とか出ると史上初の単独タイトル
女性名が付くドラマになるんですよ。なんか興奮しますね。
利家とまつは単独じゃなかっだすでからね。
- 96 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:40:44
- 「篤姫」。
って、あの童顔の宮崎あおいに期待してるんだ・・・?
- 97 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:46:27
- >>95
春日局
- 98 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:37:37
- >>97
候名じゃなくて、本名、法名なんですけどね。
春日局って言ってみりゃ女官名な訳だし。
- 99 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:22:25
- 笑うような言い逃れ
- 100 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 11:10:27
- ちなみに「篤姫」ってのは近衛家の養女になってからの名ね。
- 101 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:54:21
- >>100
「近衛篤子」だったの?
島津篤子→近衛敬子 だったり、
島津敬子→近衛篤子 だったりするから、本当のとこはどうなんだろう?
- 102 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:58:21
- 島津で篤子なんて聞いたことが無いが・・・
- 103 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:20:58
- 実名 敬子
通称 篤姫
- 104 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:48:27
- 過去スレ嫁
- 105 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:19:06
- 藤原敬子ぢやーッ!!!!
- 106 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:21:25
- 基本事項すら理解してないんだね
- 107 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:34:29
- 菅野の大奥みて、「とくこ」が史実とか思い込んでる奴よりマシじゃん。
- 108 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:23:50
- 紀子殿
今度生まれた男児は私が嫡母として引き取ってあげましょう。
生母が「弟宮の妻」程度では格落ちして将来に触りましょう故にのう。
それに生母の父親が3DKの団地暮らしといった有り様では余りに不様ですしネ。
おほほほ、戯れ言でしたぞゑ。
雅子語録より
- 109 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:36:26
- 院号の読み方
順性院 じゅんしょういん
実成院 じつじょういん
専行院 せんぎょういん
であってますか?
- 110 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:38:02
- 家斉の男色相手は何人居たか知っているかゑ?
- 111 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:51:12
- 紀子殿
今度生まれた男児は私が嫡母として引き取り手許で養ふてあげませうぞ。
生母が「弟宮の妻」程度では格落ちして将来に触りませう故になう。
それに生母の父親が3DKの団地暮らしといった有り様では余りに不様ですしネ。
おほほほ、ほんの戯れ言でしたぞゑ。
雅子語録より
- 112 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 08:51:46
- 平民風情が大半を占める今の皇室など
最早や存在価値なしぢゃ!!!!!!
皇族と摂家の血統たる当家の方が遙かに高貴であるぞ!!
- 113 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 09:19:32
- >>112
んなこたぁない。皇族だろうが摂家だろうが外祖母は庶民ばかり。昔からね
- 114 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 09:33:52
- それは言い過ぎ。
いまの皇室はちょっと平民化が進みすぎなのは事実。
- 115 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 13:49:46
- 男色スレが無くなったからここに住み着いたのか
ホモ吉乙
- 116 :1:2006/09/16(土) 15:20:08
- かゑは禁止です。
- 117 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:54:59
- >>113
雅子や紀子の母方は大奥の側室の出自以下の悲惨さ
- 118 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 06:32:07
- 何で歴史板の住人は差別が好きかねぇ。
自分だって被差別者の可能性を無視して。
- 119 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 12:10:48
- 115番のド変態!!!!
サッサと死に腐れーイッ!!!!!!!!!!
- 120 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 20:00:58
- 母方の身分を重視しなくなったのは、いつ頃から何だろ?
武家でも公家でも、時代が進むにつれて生母の出自が低くくなってる気がする
- 121 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 20:36:25
- >>120
白河が土台を作って、鳥羽、後白河辺りから実行された
- 122 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 23:18:07
- いまの皇室は平民化が進んでるなあ・・・。
徳川冬子さんが皇太子妃になってたらどうなってたんだろうね。
何故か徳川家から皇室入りした人は子宝に恵まれないけれど。
- 123 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 06:39:59
- 徳川和子は、十分恵まれ過ぎてると思うが。
- 124 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 07:34:22
- 失敬。確かに和子は子福者だが、肝心の男の子がみな早世している。
高仁親王の死はきなくさいもんがあるけどね。
- 125 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 01:56:52
- 和子が子をあげるまで、他の女房たちは堕胎を強要されたり
流産させる薬を服用せられたりしたのだから、和子は恵まれた環境w
- 126 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:22:13
- 大奥をネタにしたAVが出たね
- 127 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 12:53:41
- 紀子殿
此の度生まれし男児は東宮家で養育して差し上げませうぞ。
ゆくゆくは愛子の聟に迎えて皇婿として遇することと致しませう。
さうです。愛子女帝の配偶者として上げると言ふて居るのですよ。
生母が「弟宮の妻」では、よもや将来、天皇として登極出来る等
といふ大それた非望を抱いては成りませぬ故になう。
「雅子語録」より
我が東宮家と内廷外の平宮家ズレとを一つに思ふては相成りませぬぞゑ。
- 128 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 12:57:19
- >>127
あちこちにコピペしてるけど面白くないよ
- 129 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 09:00:09
- 光格天皇だって生母は田舎生れの平民だぞ。
- 130 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 17:41:30
- >>129
当時は平民なんて身分は無かったわけだが
- 131 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:41:42
- やなツッコミ
- 132 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 18:43:28
- 過疎スレage
- 133 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 15:50:46
- 大奥モノの本で、瑞春院お伝の方について落飾後の醜聞が云々…でも事実じゃないだろうって記述があった気がしたんだが、お伝は何したのよ。
- 134 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 16:57:35
- だから、何もしてないんだろ。
- 135 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 19:43:17
- いや、それは分かるけど、どんな噂が立てられてたのよ。
- 136 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 14:55:53
- お伝の方にスキャンダルってあったの?
新典侍の間違いでは?
- 137 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:49:58
- 「大奥オナニーの乱」男同士のAVが発売された。
- 138 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:53:37
- その後のお伝の方について、巷説はいくつかの醜聞を伝えているが
事実とも思えないので、ここには省略する。
(徳川妻妾伝)
- 139 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 20:05:09
- 醜聞ってまさか吉宗とじゃないよな。
- 140 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:01:10
- だから、興味本位で書かれたただの巷説なんじゃね。
- 141 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 21:34:17
- 水野家の大奥工作のため、家慶側室になったお琴。
家斉側室にもお梅・お歌と水野氏が二人いるよね。
この辺りも何か裏があるんだろうか。
- 142 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 14:12:58
- 皇室ネタとテレビネタは、スレ違いなので書き込まないように。
>>141
家慶側室のお琴の方の父は、紀伊徳川家の御付家老で3万石余の城主。
家斉側室のお梅の方の父は、小姓組の旗本。
家斉側室のお宇多の方の父は、小普請組の御家人。
御付家老の水野家と旗本御家人の水野家は、多分江戸時代には無関係だと思う。
戦国時代以前に同祖だとしても、有名大名等と同苗字の旗本御家人は腐る程いる。
>>109
確証はないけれど自分も、あなたの院号の読み方の方が、仏教的で正しいという気がする。
順性院 ○?じゅんしょういん ×?じゅんせいいん 家光側室お夏の方
専行院 ○?せんぎょういん ×?せんこういん 家斉側室お美代の方
実成院 ○?じつじょういん ×?じっせいいん 紀伊斉順側室お操の方(家茂生母)
- 143 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 14:29:55
- 大奥が幕府を滅ぼした。
予算使い過ぎ。
- 144 :141:2006/11/08(水) 18:08:03
- 真性院お梅の方は家斉三男(女子説あり)を生んだが、産後の肥立が悪くて病死した。
お梅の臨終間際の願いにより、家斉はお梅の甥・水野忠篤を登用したといわれている。
忠篤はお梅の本名が「おみの」であったことから、美濃守となった。
ってコレは…デマか…
三侫人のルーツかと思ってワクワクしたのに。
- 145 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 18:12:07
- >>144
どっちみち時の流れには逆らえなかったと思われ。
大奥の破格の予算が無くても、あのままの体制では幕府そのものを維持出来なかったとオモ
- 146 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 18:21:43
- 宝池院お歌の方の実父は、徳川実紀や徳川幕府家譜では水野守鑑とされている。
徳川夫人伝なんかでは水野忠直。
同一人物?それとも養父か?
だとすれば、紀伊新宮藩との繋がりもあったのでは。
という妄想。
- 147 :145:2006/11/08(水) 19:01:26
- ×144
>>143
- 148 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 08:18:48
- 贅沢だったとはいうけど、貧乏な公家育ちの御台所やその側近たちは
案外つつましやかな生活してたんじゃないかなあ。
- 149 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 00:27:43
- 豪奢な大奥で、その女主がなぜつつましく暮らすのだ?
御台様の体面ってもんがあるだろう。
京都からついてきた上臈たちには支度金も出ただろうしな。
ちゃんと棒給だって貰ってるんだから
東夷の地で一生奉公するかわり、
貧乏な実家での困窮を味わわずに済む・・・という輩も多かったし。
貧乏旗本や御家人の娘の奉公なら、宿下がりの手土産やなんかで
困ってたことも多々あるだろうけどね。
- 150 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:13:22
- そう、御台所の意思に関わらず、衣食住他のすべてにわたって、
御台所が大奥1番の贅沢をせざるを得ないような、システムが出来上がっていた。
賄賂等の裏収入はともかくとして、上臈は御年寄よりも俸給等が多い事だし。
それに公家というものの本質的体質は、使える金さえある状況ならば、
無駄で優雅な金の遣い道に関する知識や知恵や欲求は、武家よりも上だったと思う。
- 151 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:42:48
- ああ、その茄子をわらわに下されませ!!
- 152 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 17:56:57
- >>148
貧乏公家というけれど、将軍家や大名家と比べての事で、
五摂家や宮家は上級旗本並みで、その姫は使用人にかしずかれる生活育ち。
まあ上臈たちは、おおかた御家人並みの生活だったろうが。
正式の奥女中たちの出身も、だいたい貧乏旗本か貧乏御家人。
逆に奥女中の私生活に無給で奉仕する又者の部屋方たちは、富裕な町人農民出身。
上臈や御年寄の部屋方になるためには、年間数十〜数百両も親元から「お付け届け申し上げ」て、
嫁入り前の花嫁修業として、「行儀見習いをさせて頂く」、という建前だった。
- 153 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:04:02
- 上臈年寄たちなんて、大奥での奉公引退後は屋敷を賜ったり
悠悠自適の老後だもんな。
- 154 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:14:33
- 御年寄職の御用掛と大年寄とは違うの?
- 155 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:10:18
- >>154
大年寄や筆頭御年寄という言葉は、映画等で聞いた事があるけど、
実際に存在した地位や言葉だったのかどうか、怪しいと思う。
大奥の決済事は御年寄が、小事は輪番で大事は合議で決する。
新参古参や実力の違いはあっても、身分上は御年寄一同同列。
御用掛というのは江戸時代後期に置かれた職らしく、御年寄又は上臈から1人兼務。
表役人である御用御取次と、常に密談する役。
- 156 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:50:00
- >>146
そういえば、お歌の方は他の家斉側室よりも一日遅れて落飾してるな。
他の美代・八重・糸・蝶・瑠璃が感応寺事件に関わっている事を考えると、色々と想像が膨らむ。
- 157 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 09:00:06
- 世嗣が西の丸に移ったら、その生母も一緒に西の丸で生活するの?
それから、側室の生んだ子が御台所お養いになったら、手許で育てるわけではないの?
いまいちそのへんが分からない。
- 158 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 10:25:23
- >>157
将軍・御台所、大御所・大御台所、正式の世嗣・世嗣御簾中は、真様。
世嗣以外の将軍の子女・養子女は、次様。 将軍生母・前将軍生母は、仮様。
以上の3種類が将軍の家族扱い(上通り)で、長局でなく御殿に住めて奥女中の主人となれる。
側室は現将軍生母にならない限り、世嗣生母でも上通りにはなれずに身分は一奥女中。
奥女中には必ず主人が決まっている。側室の主人は将軍・大御所・亡将軍。
世嗣が西の丸に移っても生母の主人は世嗣ではないので、生母は大奥長局住みで将軍に仕える。
将軍の子女は御台所お養いかどうかにかかわらず、お上通りなので大奥御殿で育てられる。
(家斉時代は、さすがにどうだかわからないが)
将軍子女の生母は奥女中なので、大奥長局で暮らす。所生の子女を手許では育てられない。
- 159 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:11:51
- 手元で育ててないわりには、自分の産んだ子をプッシュする側室多いような気がする
>将軍生母・前将軍生母は、仮様。
この辺のことに関わってくるからだろうか
なんかうまく書けなくてスマソ
- 160 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:50:23
- >>158
宝樹院お楽は西の丸に家綱と一緒に移ってなかった?
家慶生母・香琳院お楽も。
- 161 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 13:43:32
- >>159
大奥女中はすべて大奥長局に住み、長局から勤務場所である大奥御殿に、日勤夜勤で日々出仕する。
側室は、乳母や侍女に育てられている大奥御殿の我が子に、しょっちゅう「拝謁」した事だろう。
子供と同衾や授乳は出来ないが、母性愛や我が子の行く末を心配する気持は、世間と変わりない。
ゴメン、自分もなんかうまく言えなくて、ピント外れかもしれない。
- 162 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:12:59
- >>161
なるほど。
母親といえども生んだ子を手許で育てる事は出来なかったわけだ。
じゃあ、子供の縁組や官位を授かるときなんかは事前に知らされてるのかな?
成長して大奥を出た後も拝謁する事は出来たのか?
- 163 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:54:39
- >>160
家光側室の宝樹院お楽の方は、子の家綱と共に、大奥→二の丸→西の丸→大奥と移ったようだね。
綱吉以前は制度が整っていなくて、又将軍個人の恣意がまかり通ったので、云わば例外じゃないかな。
家斉側室の香琳院お楽の方は、御中臈上座→御年寄上座→御内証の御方(お万の方)同格と出世。
お楽が子の家慶と共に西の丸居住というのは、『幕府祚胤伝』のお楽の死亡記事からかな?
難文だけど、お楽は家斉に仕えて大奥居住・療養所で没・西の丸に遺骸移動、だと自分は思うな。
この時点で既に元服妻帯している、家慶が喪主に立つために、西の丸で通夜を執行したのだろう。
- 164 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 17:16:43
- >>163
香琳院お楽が家慶を生んでから家斉の子女を生んでいない事を考えると、西の丸に移ったようにも思えるけど…
同時期に真性院お梅や宝池院お歌が御中臈に昇進してるのなんて、お楽の代わりに召し出されたようジャマイカ
- 165 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:10:05
- >>164
家慶の西の丸入りは、多分家慶5歳の時。 家斉の側室には多産者が多いのに、
お楽が家慶以後出産が無いのは、産後体調を崩して、お褥すべりか石女になったのでは。
お褥の御用はなくなっても、名目上の主人は家斉なので、大奥居住だと思うけどな。
お楽も西の丸に移るには、お楽の主人が家斉から家慶に移る、「お付け替え」の正式辞令が必要。
我が子付けの侍女になるというのは、どんなもんだろう、考えにくい気がする。
御年寄上座・御内証の御方同格は、大奥内での他の側室・御年寄との席次配慮だと思うけど。
- 166 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 21:24:09
- >>165
ふへー。
じゃあ「主人である将軍から、世嗣の養育を託された」という事もないのか。無いだろうな…。
>>162
なんとなくだけど、事後報告っぽい気が。
- 167 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 00:21:29
- >>166
しつこいようで、どうもごめんなさい。
奥女中はお付けの主人の身近で働くものであるので、現将軍付けで西の丸居住はないと思う。
お手付き女中はたとえ一晩限りのお手付きであっても、将軍生母とならない限りは、
将軍没後でも一生飼い殺しで、奥女中の境涯を脱して引退する事は許されなかった。
同様の厳しさでお手付きには、お清とは異なりお付け替えが有り得なかったのじゃないだろうか。
- 168 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 00:29:22
- 朝廷も似ていた筈です。
孝明・明治・大正の三帝の母は全て女官だが正室の妃として育てられた。
孝明生母は正妃が全部死んだ後に女院号が与えられたが、明治大正生母は女院制度の廃止によりそれすら与えられなかった。
- 169 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 01:01:29
- >>162 将軍子女の縁組や朝廷への授位の働き掛けは、将軍の意を受けた表役人の仕事。
内定結果が大奥の御年寄にもたらされたら、生母など関係者にはすぐに知らされた事だろう。
>>162 御目見え以上の奥女中の奉公中の宿下がりは、親の病気の時などのみ。
寺社詣でには寛大だったらしいが、御台所名代でもない限り我が子の大名邸訪問などは無理。
将軍の子でも成人男子は大奥内に入れないが、姫たちは毎年大奥を訪れ将軍夫妻に拝謁した。
その折には、実母との面会も必ずあった事だろう。
- 170 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 16:31:12
- >>165>>167
そうかーやっと納得。
こちらこそウダウダとすまんです。
ちなみ御内証御方というのは、将軍家の家族と見なされたという事では無いの?
- 171 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 12:20:53
- >>170
お内証の方……う〜ん定義がイマイチ、自分はよく理解できてない。
吉屋信子「徳川の夫人たち」での、世嗣以外の男子の生母たる側室や、
お台場「大奥」での、内緒で将軍・世嗣の女性初体験の相手を務める女性、
という使われ方は、間違いのようだね。
- 172 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 16:16:11
- 御内証御方…
家重側室・お逸の方、家治側室・お知保の方、家斉側室・お満の方、家慶側室・お美津の方。
御内証御方同格…
家斉側室・お楽の方。
他に吉宗側室お須磨の方もそうだったかも。
やはり将軍家の一員としての称号なのでは?
仮に世嗣生母の称号だとすれば、お逸の方が引っ掛かってしまう…
- 173 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 16:21:23
- そういや御部屋様の称号もよく分からん。
徳川幕府家譜なんかでは側室はほとんど御部屋様だw
- 174 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 18:33:26
- >>173 お部屋様の方は分かり易い。
大奥女中はすべて、大奥長局に住居用の「局部屋」を賜わるが、
独立して1人で1区画を貰えるのは、筆頭中臈以上の職制の者だけ。
並の中臈以下の者は、同僚2〜3人以上での相部屋となる。
上様付きの中臈でお手が付いた者は、御年寄・上臈・御客会釈など高級職の監督を受ける意味で、
それらの高級職のうちの誰かの部屋の、2階部屋に住居を移される。
妊娠し大奥御殿北の御部屋(産室)で出産を果たすと、1人で独立した局部屋を新たに与えられ、
例えお手付き中臈には変わりなくとも、お部屋様・お〜の方様・お腹様と呼ばれるようになる。
- 175 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 18:38:13
- じゃあ御内証御方ってのは御部屋様の筆頭格だっていうのはどうよ?
それなら世嗣生母に相応しいし、それ以外の側室でもそう呼ばれる可能性はある。
- 176 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:40:22
- >>172・>>175
御内証の方の例を色々調べると、>>172で挙げてくれた他に、
吉宗側室の、田安宗武生母のお古牟の方と、一橋宗尹生母のお梅の方もそうだった。
家重生母のお須磨の方は、吉宗の将軍就任以前に没なので、大奥制度とは無関係。
家重側室で家治生母のお幸の方も、御内証の方ではない。
時代によって御内証の方の意味が、変わっていったのじゃないでしょうかね。
家重以前の時代は、「徳川の夫人たち」のように、世嗣以外の将軍の男子の生母を指す言葉。
家治以後の時代は、格上げされて、世嗣生母など側室筆頭1人だけを指す言葉。
こう考えれば辻褄が合うような気がします。
御内証の方が将軍家の家族扱いではないという、自分の考えは変わりませんけど。
- 177 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:20:48
- 大奥ってあれだけ金も暇もあって人数も多かったけど
平安時代の後宮のように文化的な活動が全くなかったのかな?
源氏物語や枕草子までいかなくても、同人レベルのはなかったのだろうか?
- 178 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 09:33:03
- 新潮新書の「大奥の奥」はおもしろかったよ。
作家が書いてるからどうかと思ったけど、入門書としてはいいんじゃない?
- 179 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:44:46
- その新書、幕末会津藩の山本覚馬や直江山城の小説書いた女性作家だろ。
それなら、あまり深くは無いだろうな、
時期からいって映画の大奥の便乗かな。
- 180 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 06:41:05
- でも新書だし安いし出版されたばかりだし、大奥好きとしては取り敢えず入手したいな。
あら探しでもして楽しもうか。 >>178さん、情報提供ありがとう。
・『大奥の奥』http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%91%E5%89%9C%82%CC%89%9C
- 181 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 08:39:15
- >>177
文化的な活動‥。殆どなかったでしょうね、年中行事は公家風のものも多かったけどね。
他には永光院お万の方や右衛門佐が、奥女中たちに文学の講義をしたらしいけど。
月光院は、天英院の仲介でか冷泉為久を添削の師として、和歌をよくした。
残された歌集『車玉集』の名には、「玉の輿」を暗示する自嘲気味のほろ苦さが感じられる。
・50歳の賀での詠草 「かくばかり老となるまでうきたびに いけらん身とは思わさりしに」
大奥ではないが、柳沢吉保の側室正親町町子(右衛門佐の養孫女)は、
栄華物語の藤原道長に吉保をなぞらえたような、『松陰マツカゲ日記』を残した。
擬古作ではあるが、江戸期の女流文学の中に数えられる。
- 182 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:14:15
- >>181
講義をしたっていうのはお台場大奥や徳川家の夫人たちにもあったけど、ソースは何なのよ?
大奥は文化的活動というよりは、政治的・社会的活動の場というイメージがある。
- 183 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:34:35
- >>182
自分は181じゃないけどさ、
希望する女達にたいして源氏の講釈くらいやったんじゃないの?
- 184 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 15:20:53
- 「大奥は礼儀作法を学ぶ場だから、きっと講義をしたはず」なんて、ちょっと無理があるけど。
それと、ソースをきちんと出すってのは大事なことだよ。
- 185 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 22:11:22
- >>184
「大奥の女性は将軍の世継を孕むことが第一の目的、第二が将軍の快楽のためだから
教養なんて関係ないやい!!教養がある女は理屈くさくてつまんねぇ。
きれいで体が丈夫で穴さえあればいい。ってはず。」
という考え方もできるもんな。
- 186 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 02:52:38
- >>184
習い事としては生花や茶道や和歌なんかがメインで、それらの教養の有無が昇進や将軍側室の条件の一つだった。
とあった気がする。
- 187 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 03:11:58
- >>186
つ 玉
- 188 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 03:22:04
- 絵島は熟れた肉体をもてあます34歳だろ
仲間じゃ無理あるぞ今度のドラマ
- 189 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 03:20:52
- >>188
スレ違い。
- 190 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:19:21
- >>186
めっちゃ思いつきだけど、江戸時代と平安時代では「女の教養」ってのも
違うんだよなあっていうのを思った。
平安時代には茶道も華道もなかったわけだし、それで文化的なものっていうと
文学とか創作の方にむくようになっていたのかも。
もちろんそれだけじゃないんだけど、江戸時代のほうが身につけるべき、あるいは
没頭できる文化活動も色んな種類があったぶん、文学に対する需要もなかったのかも。
- 191 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 22:56:13
- 永光院や右衛門佐の講義云々ってのはソース無しって事でいいの?
つまり創作だと。
- 192 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:17:27
- 江戸時代の武家の女性に関しては、
男性よりも遥かに武士らしさを美徳としたってな話もあるみたいよ。
海音寺潮五郎の「剣と笛」では、
剣やら馬術はおろか、切腹に介錯、追い腹までした武家の女性の話が出てる。
>>190
そもそも平安時代と江戸時代では女性の社会的立場が違うよね。
平安女性は男性と対等な王朝サロンの住人だったけど
江戸時代では男性と女性の文化的な居住空間はすっぱり分離してるし。
- 193 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 00:52:01
- あんまり大奥とは関係ないんだけどさ、側室の埋葬地ってのは幕府によって定められるわけだよね。
家斉没後に生存していた側室(東叡山がほとんど)と、そうでない側室(伝通院か増上寺)の埋葬地が違ってるのは、寺社との兼ね合いなのかしら?
- 194 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 23:34:10
- 徳川将軍家の菩提寺として、寛永寺と増上寺は同格だろう。
伝通院には将軍は埋葬されないので、かなり格落ちだが。
- 195 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 02:45:19
- いや、そういう事ではなくて、家斉没後に生存してた側室は一緒くたに上野東叡山に葬られたのか、それとも家斉側室同士の派閥闘争みたいなのがあって葬地が違うのかって事が言いたかったんだ。
- 196 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 06:52:34
- >>193の寺社との兼ね合い・>>195の派閥闘争、何を指すものなのかよく分からないけど。
単純に、原則としては家斉存命中に没した側室は、伝通院に葬られて、
家斉没後に存命した側室は、家斉と同じ東叡山に葬られた、っていう事じゃないかな。
家斉以前に没の者で葬地が伝通院なのは、お梅・お利尾・お美尾・お屋知・お八百・お志賀・お登勢。
例外は、現世継の家慶の母のお楽が寛永寺。前世継の竹千代(早世)の母のお万が増上寺。
現清水徳川家当主の斉彊の母のお袖が寛永寺。
家斉以後に没の者で葬地が東叡山なのは、お以登・お宇多・お蝶。
例外は、維新後の没のお美代が駒込の長元寺。葬地が不明なのは、お八重・お瑠璃。
- 197 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:53:23
- 家斉は泰姫の後に子をもうけてない。
どうしてだろう。
- 198 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:08:43
- >>197
インポじゃない?54歳だしバイアグラなんてない時代だし。
それより32歳で保科正之をもうけて以来子供がいない秀忠のほうが不思議。
- 199 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 15:09:20
- 普通に嫁が怖かっただけでわ
- 200 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:24:01
- >>198
そっか、男としての定年を迎えたわけだ。
秀忠は一夫一妻制を貫いたって事では?
お江与の嫉妬云々てのは俗説に過ぎないと自分は思ってる。
- 201 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:51:38
- 秀忠は丹羽長重への愛を貫いたから
正室とは将軍の義務として子作りしただけ。
- 202 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:09:20
- つうかさ平安時代の宮中の女房は(下っ端)貴族の娘で和歌なんかの素養も無きゃ駄目だったけど
中宮の家庭教師的なこともやってたから
大奥とは下地が違ったんじゃないのかね
- 203 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 00:02:35
- >>201
その話よく聞くんだが
いわゆるソースというか史料はあるのか?
そいえば秀忠の嫁は信長の姪だが
長重の嫁は信長の娘だったな。
長重の嫁さんもなかなかコワイ人だったようだが。
- 204 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 04:02:03
- 将軍側室が死んだら、それまで幕府から貰ってた給与はどうなるの?
他の誰かが相続したりするの?
- 205 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 07:08:55
- >>204
御付の人や実家などに一時金が行ったかも知れんが、
大奥の予算が浮くので他の用途に使われる。
新しい側室へのお手当てになる事もありえる。
- 206 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:17:33
- 秀忠は男としてはまだまだだったが、
お江与の方の方が年齢上外聞もあるし、自ら女としての定年を決めたのでは。
お静の事で側室を持つのは面倒だと思った秀忠は、紳士面をして女には手を出さず、
内々に小姓で処理するか、自分で処理でもしてたのだろう。
- 207 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:12:55
- >>203
レスアンカーを付けて特定の人に対して、回答でなく質問をする場合は、
ことさらぞんざいな口調を使うのは、相手に対して失礼だと思います。
相手は無礼な感じを受けて、答える気にもならないでしょう。
尊敬語を使うべきと迄は言わないけど、詰問調でない丁寧語尾でが穏当だと思われます。
- 208 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:41:29
- >>201=>>207
- 209 :207:2006/12/15(金) 00:10:16
- >>208
自分>>207は>>201ではありませんけれど。感じた事を述べた迄です。
あなたは>>203=>>208なんでしょうかね。
- 210 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:13:42
- >>207>>208>>209
超どうでもいい。他でやれ。
- 211 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:49:03
- 宿直の女って、目の前で上様と正室や側室がセックスするのを
見るのってどうなんだろうな?
宿直まきこんで4Pすることとかあったのかな?
- 212 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:57:05
- 距離をとった別の褥で、背中向けてたんじゃないの?
その間には御簾おろしてたり、室内具を設置してたはずだし、
目の前で直視してたわけじゃないだろ。
それに「宿直」ってさーwww
- 213 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:57:38
- あんまりおもしろいもんじゃなかったんじゃないかな?
女が派手に声出したりするのもだめ。
フェラチオだめ。
アナルだめ。
縛ったりもないだろうし、オナニーの見せっことかもしないだろうし
だめが多すぎて楽しくなさそう。
将軍が女を感じさせようとか喜ばそうという発想はないだろうから、
すぐ入れてすぐ出しておしまいっていう性交だったんじゃないのかな。
- 214 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:06:30
- おまえ、どんな性生活してんだよ。>213
でも3Pとか4Pとかやんないのは、もったいない気がするな。
せっかく大量の美女が大奥にはいるのに。
俺が将軍さまなら裸にした女を20人とかはべらせて、次から次に
おまんこを渡り歩いてみたいな。
- 215 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:33:04
- 将軍って夜しかSEXしないの?
公務ない日はダラダラ一日中布団の中にいて
「次は○○を呼べ」
とかやることないのかな?
おいらこの前、ボーナス出たんで、ラブホのフリータイムに入って
ホテトルを4人続けて呼びました。それぞれ別系列の店。
朝から夕方までやりっぱなしにやりました。
4人目は生中出しOKだったんで振り絞って出しました。
半年に一度の贅沢ですが、
- 216 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:51:17
- 50人くらい子供がいた将軍いなかったっけ?
かなりやりまくってたんじゃないの?
- 217 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:29:57
- 大奥の設置目的上性生活の話題がでるのは仕方ないけど
故意に下卑た言葉つかってる下卑な奴が来てるみたいだな。
- 218 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 18:54:57
- >>211以下
お添い寝役は上様と側室の両側に、上様付きの御伽坊主とお清の中臈が1名ずつ。
間に御簾などはなく上様と側室に背を向けて、眠らずに聞き耳を立てるのが役目。
翌朝に昨夜の様子を御年寄に報告する。御台所との場合にはお添い寝役は付かない。
宿直の御年寄などは、襖を隔てた次の間に詰めて夜明かしをする。
将軍には公務のない日はない。大奥泊まりは夜のみ。前後の入浴は中奥。
将軍は遅くとも当日昼過ぎ迄に、指名して大奥泊まりの意思表示をする事が必要。
- 219 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:23:26
- >>218
お添い寝役は別のお手つき中臈じゃなかったっけ?
で、隣の部屋に御年寄とお清の中臈が寝ずの番。
- 220 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:43:31
- >>219
御台所の場合だけお清。
あと、疑問に思ってたんだけど、御腹様や御部屋様になっても御添寝の当番はまわってくんのかな。将軍子女を何人も生んでるのに添寝させられる側室…可哀想。
- 221 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:27:20
- お添い寝はお手付きが務めるのが規則だったというのは、
高柳金芳の筆先がすべった眉唾なのかもしれない、という気もするが。
将軍にとって最初のお手付きや、家定・家茂のようにお手付き中臈が1人しかいない場合は、
お添い寝にお手付きを充てる事自体が不可能。
- 222 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:34:47
- 俺が将軍なら絶対にお添い寝まじえて3Pとか4Pをやるね。
内山理名に尻の穴舐めさせながら、菅野美穂に中出ししたら気持ちいいだろうな。
- 223 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:01:30
- >>222
おまえ、趣味悪いな。
自分が将軍様なら藤原紀香と浅野ゆうこと川島なおみと4Pやる。
ん?川島なおみは大奥にいなかったっけ?
かわりに高岡早紀でもいいや。
- 224 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:07:48
- そういうことならだんぜん滝川クリステル。
今、テレビ見ながらそう思っただけだけど。
- 225 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:20:09
- ボクならば歴代モーニング娘。全部と乱交したいです。
変になる前に広末涼子も奥に召し上げてましたね。
- 226 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 02:25:49
- ああ、絵島さま・・・これくらいでもう堪忍してくだされ
- 227 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:17:36
- いつのまにか性的願望を書き連ねるスレになってますな
どうせ将軍やるんなら50,000人くらい集めてオーディションで決めたいのぉ
- 228 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:29:22
- 下劣…しかも下ネタ禁止ですよね。
- 229 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 04:47:33
- 上臈は御台所付と将軍付の者がいますよね?
御台所付の上臈は輿入れなどに従って京から下向してきた公家の娘。
将軍付の上臈も公家の娘だったのでしょうか?
- 230 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 06:11:00
- >>229
将軍付の上臈や小上臈も当然公家、正確には堂上家の娘です。
堂上家でも摂家・清華・大臣家の娘は、宮廷女房・武家女中に奉公はしないものなので、
上臈は羽林家・名家・半家の娘か、最低限正式の養女でしょう。地下人や旗本の娘では無理。
天皇直属の女官だったら、典侍・掌侍になれる家柄です。
上臈は御台所付・将軍付ともに、各1〜3人ぐらいは常置のようなので、
将軍付の上臈は、御台所付や先代御台所付からのお付け替えか、
コネ採用か、京都所司代を通じて適宜補充採用されたのでしょうかね。
上臈は最初から上臈か年若ければ小上臈に任じられ、下からの出世はしません。
- 231 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 20:46:14
- >>230
ありがとうございます。
ただ、気になるのが徳川家定の乳母ともいわれる、上臈・歌橋なのですが…
将軍の側近く侍る者ということで特別待遇だったのでしょうか。
- 232 :日本人:2006/12/22(金) 22:38:27
- 大奥の財源はオランダ東インド会社の支払った出島使用料。
カピタンは江戸参府の折銀55貫を直接持参した。
- 233 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:27:40
- 肥後ズイキ【大奥セット】
肥後ずいき【大奥セット】は、新商品「異国人」を同封した肥後美人と肥後伝統の媚薬のセットとなっております。
世界最大のハーレム大奥では、男は将軍様のみの世界ですから、自分はいつ抱いてもらえるのか分からない世界です。
そこで肥後ずいきが大人のおもちゃ(通称こけし)であることを知り、ずいきを男代わりにして寂しさを紛らわしたという言い伝えがあります。
もちろん「小さいものより大きなものを!」というのは今も昔も変わりません。
http://www.higozuiki.com/oooku/
- 234 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:50:54
- とても詳しい方がいるので、質問。
氏家幹人氏の著作に引用されていた逸話で(出典までは失念)
和宮が大奥入りしたとき、顔じゅう毛がぼうぼうで奇異だった、
と、奥女中の回顧談にあると。
氏家氏も、顔中毛むくじゃらは大袈裟なので
頻繁に顔のうぶ毛を剃っていた江戸大奥の女に比べて
顔のうぶ毛が目立った・・・くらいのことだったのでは?と
書いてあったのですが、
京と江戸武家の化粧の違い?、または皇族の女は顔にカミソリを当てない、
みたいな事からのことなのでしょうか?
それとも単にうぶ毛の濃い体質なだけだった・・・のかな?
- 235 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:33:10
- >>234
奥女中の回顧談という事であれば、以下の書籍あたりでしょうかね。
三田村鳶魚著『御殿女中』青蛙房刊。旧東京帝国大学史談会編『旧事諮問録』青蛙房刊。
自分は持っているけど読みにくくて、一通り丁寧に読み直しての確認作業は苦痛。
古書サイトで入手して、ご自分で検証をして下さい。
- 236 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:02:54
- >>231
将軍家定付きの上臈御年寄の歌橋については、女中分限帳に、
宿元(身元保証人となる実家の男子当主)との続柄が、「由緒」となっている。
奥女中の宿元は江戸近郊在住者に限るので、江戸に実家のない公家方の女中は、
縁故や紹介により旗本等を宿元に立てて、続柄は父兄弟甥等とも言えず「由緒」とする。
これにより歌橋は、公家方の出身である事がわかる。
歌橋が家定の乳母であるというのは、田井友季子の『江戸女人物事典』に記述があるが、
自分は、授乳をした本物の乳母出身ではないと思っている。
世継家定付きの筆頭女中として、養育係・乳母代わりの役目を負った上臈ではないだろうか。
家斉・家慶時代は、将軍子女の乳母に旗本の娘を採用する事が難しく、
採用された御家人以下の娘は御目見得以下の身分なので、授乳時子供に顔を見せないようにし、
授乳期が終わればお役ご免になった、という文を何かで読んだ事がある。
- 237 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:22:22
- >家斉・家慶時代は、将軍子女の乳母に旗本の娘を採用する事が難しく、
なぜ難しくなったのでしょう。
- 238 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:42:44
- >>237
さあ、よく分からない。w やっぱり子女の人数が多いからじゃないの。
将軍や世継の子女1人について、昼夜交代要員として乳母2人ぐらいは必要かもしれないし、
グッドタイミングで充分に乳が出て、その上御殿奉公を望む女を、
旗本の娘でかつ旗本の妻の中からだけでは、探し切れなくなったんじゃないのかな?
- 239 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:37:12
- >>236
ありがとうございます。
ちなみに『女中分限帳』というのは、どこで見れるものですか?
近年に出版された文献に記されているのでしょうか?
自分もどこかで目にした気もするのですが思い出せず、気のせいだったかも…
- 240 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:39:15
- >>235
回顧談というので、明治期になってからの
御殿下がりの女性の話だとは思うのですが。
自分が知りたいのは、京と江戸武家の化粧の違い・・・というか、
顔のうぶ毛の処理方法が異なるのか?ということなんですよね。
回顧談の中に「和宮毛むくじゃら」の真相が書かれているわけでは
無いようなので、化粧史や御所風のおつくりに詳しい方はいないかな?
と思い、聞いてみたのです。
- 241 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:58:00
- >>222 :俺が将軍なら絶対にお添い寝まじえて3Pとか4Pをやるね。
内山理名に尻の穴舐めさせながら、菅野美穂に中出ししたら気持ちいいだろうな。
拙者が将軍なら
正室には、高円宮の姫君をもらい
側室には、馬場典子、島田彩夏、笛吹雅子、島田彩夏らをはべらせ
足の裏は、高島彩、小林真央らに舐めさせるであろうな!!
- 242 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:48:25
- 真性院お梅の方の奥入り当初の役職、御抱守って何?
育児担当の女中ってこと?
- 243 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 01:39:54
- 養老院
- 244 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 08:03:50
- >>239
自分の手持ちの本で女中分限帳の一部が見れるのは、以下の書籍です。
・教育社歴史新書『日本の女性名(下)』の中で、家斉付と和宮付女中の連名。
・青蛙房『御殿女中』の中で、家斉付女中名の一部と諸手当表。
・新人物往来社『歴史読本』平成10年6月号『徳川15代将軍家の夫人たち』の中で、
家定付の女中分限帳、家定・篤姫・本寿院付の女中の諸手当表。
- 245 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 10:44:34
- 国土地理院
- 246 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 14:26:08
- >>242
乳母より格下の育児要員みたいなもんじゃないの?
- 247 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 14:58:28
- 伊集院
- 248 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:12:46
- 修道院
- 249 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:00:35
- ところで今回の大奥の映画では誰か脱いだの?
仲間の乳首が見れるんなら金払ってでも見に行くが・・・
- 250 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:05:27
- >>242・>>246
お梅は父が旗本で淑姫御抱守なので、多分乳母より格上の育児要員じゃないだろうか。
ただし御抱守という役職名で、正式の職階名が存在していたものかどうか疑問。
行なう役目は御抱守だけれど、お梅が形式上任命されていた職階は、
例えば「御次」あたりじゃないだろうか。
あるいは例えば「御次格御抱守」といった職階が、将軍子女付には存在したのだろうか。
子女付の女中分限帳を見た事がないので、はっきりした事は何も言えないけれど。
- 251 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:13:21
- 仲間は無理だろう。
麻生裕未か中山忍あたりはリーチかかってるんだから
本来脱がさないといかんのだが。
フジテレビ肝いりだと無理かな。
五社監督あたりなら木村多恵でも脱がすところだがな。
杉田かおるは脱がなくてもいい。
- 252 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:25:38
- このスレは、大奥の制度や、将軍の正室・側室、女中などについて語るスレ。
以上と無関係な、テレビ・映画のドラマネタ、下ネタ、院号ネタはスレ違いなので、
書き込まないように。
- 253 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:49:25
- ググってみたら、将軍家ではないものの、出産に合わせて乳母や御抱守を募ったと出てきた。
やはり臨時の女中だったのではないかと思う。
何で読んだかは覚えていないが、泣いている子供をあやしたり、寝かし付けたりする女中がいたらしいので、御抱守がもしそういった類のものなら尚更に役職としては御次よりも下なのでは?
- 254 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:51:20
- 俺も木村多恵の乳首見たい
age
- 255 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 02:05:13
- 仲間由紀恵は乳首が異常に大きいという噂がある。
たぶん脱ぐ事はない。
今回の監督は悪魔のキスで常盤貴子(当時無名)に乳出させたディレクターだから
自由にやらせればどこかから有望な無名女優を見つけてきて脱がすか
ちょい落ち目女優を脱がすくらいはやっただろうに惜しい事をした。
現役女子アナの高島彩でも脱がせれば史上最高の祭りになってただろうが、それは無理か。
- 256 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 02:53:29
- ここ見てると、上様の大奥での性生活ってつまらなそうですね。
将軍タンかわいそう。
子作りが仕事なんだから多少はムラムラやる気になる仕組みでも作らないと
奥泊まりを避ける将軍も出そうな気がする。
- 257 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 13:05:07
- 奥泊まりだけど女と寝ないというチョイスはあるの?
キャッキャッと側室達と呑んで騒いでそのまま寝るみたいな・・・・。
必ずやんないといけないってのも変なプレッシャーで楽しくないよね。
- 258 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 13:56:52
- 学習院
- 259 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:07:15
- >>256
つ 徳川家光
奥泊まりがいやだったことで著名な将軍
もっともその理由たるや根っからのゲイだったから
というのが有力説だが
- 260 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:29:42
- やっぱり大奥はセックスのワンダーランドにしとかないと世継問題出てくるよね。
今の千代田城もちゃんと世継製造所にしないとダメだよなぁ。
- 261 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:15:54
-
テレ東の恒例のトンデモ歴史番組で家重女性説をやってた。
家治がいるから、はじめからトンデモだが、
増上寺で発掘された骨盤が女性の骨盤の特徴があったよ。
あの骨盤の写真が本物だとしたら、考えちゃうよ。
まともな学者はどう説明しているのだろう。
- 262 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:16:51
- 逆に家治は誰の子なんだ?
- 263 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:25:35
- >>262
吉宗とか?
- 264 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:47:43
-
家重女説の補足。
家重が生まれた頃、吉宗は尾張の吉通と将軍後継で張り合っていた。
吉通に先に世継ぎが生まれたので、11カ月後に生まれた家重は
男である必要があった。
言語不明瞭で大岡忠光としか話さなかったのは、女の声を隠すため。
吉宗が大奥のリストラをやったのは、大奥の女中を息のかかった者だけにし、
家重が女であることを隠すため。
家重が政治をしないで、大奥に入り浸っていたのに、側室が二人しか
いなかったのは女だったから。
家治の存在をスルーするとか、都合の悪いことは出さないので、
番組だけ見てい香具師は騙されていたと思うよ。
- 265 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:00:10
- もしそれが事実なら、家重の逸話(酒や女色に溺れた)はどうなるのだろう。
この頃になると子女をもうけた者のみが側室って感じだろうから、側室の人数は関係ないと思うけど。
- 266 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:36:50
- >増上寺で発掘された骨盤が女性の骨盤の特徴があったよ。
>
>あの骨盤の写真が本物だとしたら、考えちゃうよ。
こっちの方が気になる。
写真を間違えて張り付けたとか言う可能性はないんだろうか。
最も写真取り違えって学術調査報告書にはあるまじきミスだが。
- 267 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:40:59
- テレ東の歴史ものは「所さんのトホホ人物伝」の流れだし、
とんでも理屈づけや、無理なこじつけも多いんだけど
ポッと面白いことを発表するよね。
でも、いつも出てくる加来耕三が大キライなんだけどさ。
- 268 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 01:08:28
- 家重女性説追加
小便公方→膀胱炎はたいてい女性
将軍は竹筒で小便を済ますのに個室の便所をたくさん作った
- 269 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 01:38:54
- 安野モヨ子の「大奥」の方がまだまし。
- 270 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 02:32:49
- 三十路引退
女の性欲や喜びが満たされない!
坊主の寺で毎晩やりっぱなし
- 271 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 03:43:37
- 仲間由紀恵のクリをペロペロクニクニしてグチャグチャにしたいお
- 272 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 09:06:08
- 仲間って乳首だけじゃなくクリもでかそう
- 273 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 09:46:29
- 仲間由紀恵似の女子小学生が近所に住んでるんだけど
しっかり舐めてるよw
- 274 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:59:06
- 一億総白痴とは、よく言ったものぢゃ!
- 275 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 16:48:53
- 映画のおかげで荒れまくり。
下ネタ・院号ネタ・映画やドラマネタは放置で。
自分は三田村鳶魚の著にある、奥女中の題目派と念仏派の派閥闘争が深く知りたいんですが、詳しい方いらっしゃっいますか?
- 276 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 18:11:30
- 人事院
- 277 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 19:17:08
- まぁ大奥なんかより小中学生を強姦するほうが楽しいよ
選り取り見取りで一生ものの傷を与えられるからね
- 278 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:22:32
- 国学院
- 279 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:36:52
- 家光はホモ!ホモ万歳!
- 280 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:38:02
- >国学院
それはどこのバカ大学?
- 281 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:50:16
- ホモ最高
- 282 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:23:45
- 自分は土屋アンナがいいな。
- 283 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:48:08
- 整体院
- 284 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:09:53
- ドライブ院
- 285 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:30:31
- 東横院
- 286 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:25:31
- ズーム院朝
- 287 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:29:00
- 手淫
- 288 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:40:18
- キャ院
- 289 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 02:56:49
- 院乱
- 290 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 10:57:50
- 鍼灸院
- 291 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 11:59:32
- 接骨院
- 292 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:27:12
- 衆議院
- 293 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:29:40
- 少年院
- 294 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:48:43
- 参議院
- 295 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:27:23
- 貴族院
- 296 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:46:11
- 伊集院
- 297 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:59:30
- 病院
- 298 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:17:52
- 大奥(再)
- 299 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:25:44
- 院果応報
- 300 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:22:33
- 笑えたのは287だけだな
つまらんから、いいかげんやめろ
- 301 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:11:23
- 湯布院
- 302 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:23:24
- 原子力安全保安院
- 303 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:29:12
- 正倉院
- 304 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 20:13:53
- 学士院
- 305 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:03:32
- 枢密院
- 306 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:35:04
- 大学院
- 307 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:03:53
- 院かげんやめろ
- 308 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:35:32
- 家重はエジプトのアメンホテプ4世みたいな感じだったんじゃないか?
病気で女性的な体型、でも子供は出来た
- 309 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:33:24
- 大奥での共食い行為(同性愛)はなく、単に「殿の胤をもらうに邪魔な者を消す」という
陰湿で女性らしい謀略があっただけ。女を生きるのに知能はいらないとはよく言ったもので、
女が10人集まると、とたんに粛清の嵐を巻き起こすというように、女は男より「上に立つ」行為が
好きなのだ。騙されてはいけない。彼女らは、下の口と上の口にモノが入れば、満足なのだ。
彼女らを人間と思ってはいけない。生殖器のみで動いている、エイリアンと思わなければ。
女性の知能はIQでいうと20くらいなのだ。後はすべて「生殖行為」に費やされているのだ。
こんなバカな「サル以上、人間未満」の生き物は根絶すべきではなかろうか。
- 310 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:37:38
- 大奧の女達は三十路になるとリストラされたってのはマジでつか?
- 311 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 02:58:55
- 奥女中の定員について知りたいです。
よく、「御年寄は定員七名」とか「上臈は定員二名」などというのを目にするんですが、これって時代によってまちまちなんですか?
それとも、規則として定めてはあるものの、特に守られなかったんでしょうか?
- 312 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:09:09
- ヤマハ音楽院
- 313 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:36:46
- 美容院
- 314 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:46:06
- 陰核
- 315 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:15:22
- 精神病院
- 316 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 17:10:55
- 平等院
- 317 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:13:37
- ボ院
- 318 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:14:16
- 差別院
- 319 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:38:34
- 歯科医院
- 320 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:52:44
- >>310
「おしとね寝下がり」させられます。
30歳になると丈夫な赤ちゃんを産めないということで将軍と寝ることはできません。
将軍と他の側室との寝屋の添寝役(二人の様子や会話を報告する役。
以前将軍に対してある側室が柳沢吉保に百万石を与えるよう密約したことがあり大騒動となった)などをしていた。
将軍ご逝去後は桜田御殿だったかな?で隠居生活。
- 321 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:00:45
- >>311
私も定員について知りたいです。
家斉は50人位側室いたらしいから、定員はあってなかったようなものなのかな。
詳しいこと知ってる方教えてください。
それから将軍のお手付きになったからといって、
全員が自動的に御中臈になれるものだったんでしょうか。
- 322 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 04:22:15
- >>320
ついこの間も話題に出たが、御添寝役はお清の御中臈がするもの。
家斉の時代のように御手付があまりに多いようなら話は違うかもしれないが。
それから、柳沢吉保の側室・染子がどうのこうのは俗説に過ぎず、ましてや御添寝には関係ないと思う。
- 323 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 10:19:25
- たとえば将軍がアナルセックスをしたくなったときには誰が止めるんでしょうか?
- 324 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:42:52
- 少年院
- 325 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:44:19
- 大奥(笑)
- 326 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:47:15
- >>322
大奥での御添寝は考えられない。彼女は大奥にさえ上がっていないのだから。
だが、柳沢邸御成りの際はわからない。
俗説と断じる根拠もない。
- 327 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 15:48:51
- うろ覚えだが、『徳川綱吉(人物叢書)』に牧野成貞の室や柳沢吉保の側室などに手を付けたという事実は近年否定されている、とあった気がする。
桂昌院や鶴姫、お伝の方、大典侍などへの待遇を考えると、綱吉はフェミニストだったのではないかと自分は思う。
- 328 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:10:35
- >321
詳しくは知らないが、時代によって大奥の規模が違うし、人員整理も度々行われてきていることからも、定員は特に定められていなかったのではないかと思う。
『定本江戸城大奥』に収録されている、元奥女中の話によれば、御中臈の人数には変動があったという。
御年寄の人数も「ただのが○人、上臈御年寄が○人」とあって、自分はここからも上臈と御年寄を兼任した者が上臈御年寄となるのではないかと思っている。
- 329 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:03:16
- 自分の寵妃を家臣に下げ渡したり、家臣の妻女に手をつけたりするのは、
今とは違って、、当時倫理的な抵抗感もなくふつうに行なわれていた。
綱吉がフェミニスト・・・確かにそんな気はする。
吉保に賜った染子の弔い方をみても・・・吉里が我と染子と間に生まれた落胤
では?と、綱吉が疑っていたという説もこんなあたりが傍証になっている。
- 330 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:39:46
- >>329
家康を除いて正式な側室や御手付御中臈を家臣に下げ渡したことはない、というのが前スレでの見解だった。
当時の習慣としてそういったことが行われていたとしても、武家の頂点たる徳川将軍家が下々と同様だったとは思えない。
染子は柳沢家家臣の娘に過ぎないというのが私の意見。
- 331 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:12:26
- もうすぐ今年も終わり。
皆さんありがとうございました。
このスレで色々な事を学ばせてもらいました。
- 332 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:21:58
- >>320
「おしとね寝下がり」 → 正しくは、「お褥(しとね)退(すべ)り」
- 333 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:22:11
- >>332
御褥辞退ともいうけどな。
- 334 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 06:47:53
- >>311・>>321・>>328
大奥女中の定員については、主人となる大奥居住の将軍家族の人数が時代によってまず違う。
大奥女中の主人たる大奥居住の将軍一族が、将軍1人だけだった時代と、
家茂・和宮・天璋院・本寿院・実成院がいた家茂時代では、当然大奥女中の総数が違うだろう。
家茂時代は和宮降嫁に付き添って来た京方女中の、長局の割り振りが難しい程だったそうだ。
上臈3人御年寄7人などと言うのは、1人の主人付きあたりの最大限人員の目安だろうと思う。
>>322・>>327・>>328・>>330
多分同一人物の方の書き込みと思いますが、自分もなかなか同感する所が多いです。
質問に対する回答だけでなく、たびたびの書き込みをお願いしたいです。
- 335 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 08:54:51
- >>321
将軍に見初められた者、御台所献上・御年寄合議での推薦・お庭御目見え等で将軍が納得した者は、
必ず、将軍付でない者は将軍付にお付け替えされ、
中臈未満の者は例え御目見え以下でも中臈に昇進した上で、閨に召されお手付中臈となります。
中臈より上の職階の者は、御客応答・御年寄等は大方30歳以上なので召される事はないけど、
公家方の娘である上臈・小上臈がお手付となった例はありますね。
家斉時代のお手付50人などは俗説に過ぎず、子女出産者は御台所を含めて家斉生涯で17人。
側室死亡や出産者の御客応答上座等への昇格で、将軍付中臈の定員は破綻しなかったと思います。
多産者が多い点から、家斉自身が側室の人数を無闇に増やさないように気を付けていたのでは。
側室たちの死亡・病臥・御褥すべり・生理・妊娠等により、お相手がいない時期にだけ、
新たなお手付を召すように、できるだけ家斉は気を使っていたように思えるのですがね。
それでもきっちり月に数回の奥泊まりを欠かさないだけで、あの子女数になったのでしょう。
30歳御褥すべりの制度と妊娠発覚後の交合禁止の点が、現代とは大きく異なります。
- 336 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 20:26:52
- >>334
そう言って頂けるとありがたいです。Web上で大奥について知識を得たり議論できる場所は少ないし、自分にとってもこのスレは勉強になるところが多いです。
>>335
三田村薦魚によると、他におとや(登屋?)・おすか(須賀?)・百瀬が御手付御中臈といわれているが、その出自までは触れられていない。
将軍就任時から没するまでかなり長期に渡って女色を好んだ家斉だが、それでも御手付五十人は多いだろう。
実際は子女をもうけた者も含めて二十〜三十人ほどだったと思われる。
- 337 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:40:45
- 紀州から吉宗を持ってこざるを得ない状況っていうのは
それほど本家の体制がダメダメだったろな
- 338 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:44:44
- 江島、生島っていうのは当時っていうよりは、明治になってからだよね
興行としも歌舞伎自体が関わってるから、題材としてオモシロよね
- 339 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:30:28
- >>338
日本語でおk
- 340 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:06:06
- 綱吉と信子の夫婦仲ってどうだったのかなあ?
比較的良好な方だったって説と、不仲説があるよね。
- 341 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:06:11
- >>337
家継は第二次性徴前
- 342 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 17:58:47
- >>340
家光と孝子も、元々不仲だった説と、春日局によって
別居させられた説とあるし、
天英院が吉宗を推薦した説もあれば、月光院が
推薦した説もある…
どれを信じてよいか解らんね
- 343 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 18:52:07
- 夫婦仲がどうのって、限りなく巷説の彼方のことだと思うので
あまり論考しないことにしてるけどね
- 344 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:57:11
- >>340
本理院の別離の理由として、原因が家光にあるという説、春日局説、秀忠説がある。
関係ないけど、孝子が忠長と家光の仲を取り持とうとしたために春日局が怒ったとかいうのが何かの小説であったな。
浄光院が綱吉と不仲だとするのは桂昌院や瑞春院との対立に端を発するのだろうが、真相は不明。当時の将軍家の慣習として、正室に距離を置いて接していたのではないかとも思える。
- 345 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:14:26
- >>343
公的な文書に書かれてるような類の話でもなく、
所詮は稗史家の記したものや
後世の作家の想像でしかないよな。
○○と××の本当の夫婦仲なんて、いくらでも創作できるし
本当のことなんて誰も知りえないことだ。
- 346 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:29:36
- >>344
実際ありうるかどうかはともかく、
話としては本理院が家光と忠長の仲を取り持とうとしたのは、
何だか惹きつけられる話だね。
- 347 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 16:43:49
- お万の方が春日局や土井利勝から懐胎を禁じられていたって話、
ほんとうかな?
もしそうなら、将軍個人の感情とは別に、宮家や公家が外戚になるのを恐れて、
御台所をことさら遠ざける幕府の政治的意図を感じるけど。
- 348 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:22:07
- 避妊薬を飲まされていたというのはいくらなんでも違うだろう。
流産させられたというのも、当時の医術では母体に負担がかかり過ぎるのでは。
たまたま懐妊しなかったお万の方に対する揶揄・邪推の類に過ぎないと思うが。
家康が徳川の血筋に公家の血を入れないように命じたというのは嘘か真か。
- 349 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:51:45
- >>347
そういう逸話も実証するものが無いんだからさ。
(公的な文書や日誌にとどめられる類の話でもないけど)
後の人々が状況や政治的背景を考慮して考え付いた推測は、
現代の自分たちでもうなづける部分の多い論ではあるけど
面白おかしく創作しようと思えば、なんとでも作れる理由だ。
お万に関しては、上級公家の娘でもなく、
その血をひいた子が誕生しても大勢に影響するとは思えない。
ただ江戸の武家女たちからすれば、都の女が将軍の種を宿すことへの
嫉妬羨望中傷は渦巻いたであろうけどね。
- 350 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:39:15
- >>340
信子の母親は秀忠の陰謀で悲惨な生涯を送ったから、その孫の綱吉の嫁なんかになりたくなかった。
- 351 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:43:49
- >>350
詳しくお願いします
- 352 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:49:02
- >>350
梅宮のことを言ってるんだろうが、彼女が仏道に入った年と信子の出生年とが合致しないので、梅宮=信子の生母というのはちょっとなあ。
- 353 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:36:31
- お万の実家六条家は歌学の家で、政治的にはメジャーじゃないですが、
従二位権大納言を極官とする羽林家。暦とした上級公卿と思うけど。
実際、お万の弟忠元は高家に取り立てられているし、
姪は、綱吉から吉宗の代まで30年以上も老中を勤めた土屋政直の正室になっている。
もし将軍生母となっていたら・・・って考えると。
それに、当時はまだ幕府にとって朝廷は脅威で、それだけに介入しきりの時代でしたから。
- 354 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:27:12
- 六条家は羽林二十五軒のうちに入ってはいるが
羽林家ってたくさんあるし、そんなに力のある家とも思えない。
- 355 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 03:09:59
- 家光の代で朝廷は脅威と呼ぶほどの力はないだろ。
- 356 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 07:35:21
- >>353
羽林家は上級公卿ではありません。中級貴族です。
本当の上級公卿は、宮仕えなどはしません。
本来の上級貴族は、摂家、清華家、大臣家。
羽林家でしかも、家禄が265石の家の娘は出家
するしかないのが当時の常識なのです。
そんな意味では、永光院幸せだったし、周りにも
幸せを与えたんだと思う。
>355
そんな永光院の実家だからこそ脅威にはならないと思う。
朝廷はちょっと微妙だけど。
- 357 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:32:06
- 上級、下級、まして中級なんて仕切りは確たる根拠がなく、
そう区別する人の主観なんだろうけど、
「上達部」と呼ばれる大中納言・参議、その他三位以上の人は公卿の中でも上位だろうな。
まあ三位自体が「上階」と呼ばれているし。一つの基準になるのかも。
>>356の言う財力は、必ずしも公卿の家格を反映しない。
- 358 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:56:21
- >>357
今問題になってるのは六条家の家格ではなく、家光とお万の間に子が出来た場合に、幕政に口を挟んだりするなどの影響があったかどうかではないでしょうか。
>>356が言うように、貧乏公家ではそうした事は不可能だったと思いますが。
- 359 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:38:10
- >>358の意見は、やや脇道に逸れ気味の話題の修正になるね。
ただ、お万の実家がどうたらこうたらというより、
大きく朝廷・公家勢力というカッコで括って、それが徳川将軍家の血統に
血を扶植されることを嫌ったとはいえないだろうか?
後水尾〜霊元帝に至るこの時期、朝幕関係は緊張状態にあったうえ、
朝廷はその後もずっと幕府にとっては潜在的脅威だったと思うよ。
- 360 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:59:17
- やはり側室で、同じ羽林家の梅渓道条の娘お幸の方は、家治を産んで将軍生母となった。
嫉妬心が強すぎて、家重に疎まれたらしいが。
時代背景が違うって、叱られるかな。
- 361 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:10:01
- 公家の力を過大評価したがる人がいる。
- 362 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:49:48
- 綱吉〜家宣の時期は積極的に公家の息女を側室にしてるよなあ。
何か公家の血を入れたくないってのがピンとこない。
- 363 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:19:40
- >>361
そうそう、俺もそう思ってた。
朝廷は権威があっても貧乏過ぎて話にならん。
- 364 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 08:39:44
- >>362
綱吉家宣は歴代将軍の中でも公家文化が大好きな人だから。
家光の時代に公家が嫌われたのは
和子入内で朝廷との関係が悪化したためかもしれん。
- 365 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:12:35
- >>364
この本ぐらい読みましょう
『近世公家社会の研究』橋本公宣
- 366 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:54:19
- 綱吉は、桂昌院の影響があったのでは?
彼女は町民出で、武家対公家みたいな対抗意識が強くなく、
お万の方の引き立てがあったからこそって背景もあるから。
それに、学問芸能に親しんだ綱吉を惹きつけるため、右衛門佐や大典侍など
教養人を桂昌院あたりが選んだってこともあると思う。
家宣は、なんと言っても熈子の実家、近衛基熈を最大のバックボーンにしていたし。
武家諸法度を和文調に改めるあたりなんかも、公家流に流されていた感じ。
まあ、お須免の方は吉保の保身策からだろうけど。
- 367 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 08:43:52
- 5代将軍綱吉の正室の鷹司信子と
6代将軍家宣の正室の近衛熙子は
いとこ
- 368 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:35:04
- 鷹司信子の母親は佐々成政のむすめではないの?
- 369 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:17:56
- >>367
母親が、いずれも後水尾の娘だからね。
でも信子と熙子の仲って、どうだったんだろうね?
少なくとも実家同士は、興福寺社務職をめぐって対立しているけど。
ま、当時五摂家は血統的には近衛対鷹司一族に分かれていたはず。
- 370 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:28:14
- >>368
それは、家光正室の鷹司孝子では。
- 371 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:28:25
- >>369
生母が共に後水尾の娘だったのですか?
妾腹では無かったのですね。
二人の生母の名前ないし院号が分かれば教えて下さい。
よろしく。
- 372 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:07:15
- 前レスにもあったが、だから違うでしょう、
梅宮文智女王を信子の母だとするのは。
禅宗に帰依したからとか、病弱だったからとか原因ははっきりしないが、
梅宮が鷹司教平と離婚し、出家したのが1640年。
信子が生まれたのが1651年。
信子の享年については52歳、59歳など諸説あるけど、
いずれにしても信子を梅宮が産んだとは考えにくい。
- 373 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:55:17
- >>372
じゃあ、信子の実母は誰なのかな?
その名に信憑性があるのなら、納得するけど。
もともと宮や公家の出家って、結構いい加減だからねえ。
果たして「円照寺」を創建した梅宮が、それをモデルに三島由紀夫が書いた
「月修寺」の聡子ように純潔を徹したかどうか?
前夫教平との関係が清顕と聡子のようになかったと言い切れるか。
生年から誰でも怪しいと考える経緯にあえて構わず、公けには信子を鷹司教平と
梅宮の子とする・・・禁忌なるがゆえにことさら触れぬが、そのあたりの事情は
歴史の行間から察してくれ・・・って感じがする。
- 374 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:01:08
- 私は>>372ではないですが、同意見です。
信子は鷹司房輔の子、生母は鷹司兼熙の母と同じ大江氏。
将軍家との婚姻において祖父教平の子となった。
そう考えるのが矛盾がないと思いますが。
- 375 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:16:28
- 信子は毛利輝元のひ孫にあたるのか。
- 376 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:15:53
- 悪いけど>>374の解説は常識だよ。
>>373は『各家成員リスト』など、あまりネットを過信しないこと。
ま、「朝廷は権威はあっても貧乏過ぎて話にならん」て一蹴して、
その権威が曲者だってことに気づかない人よりマシだけど。
- 377 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:06:02
- でも信子が藤原紀香の顔と体なら、かなりいい。
俺なら毎晩紀香だけでいい。
側室なんかいらん。
- 378 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:50:29
- あの、質問なんですけど・・・
家綱の子を身ごもったといわれる「おまる」についてなんですけど、
御手付き中臈になる前に家綱に先立たれたのですか?
「おまるの方?」になっていたのですか?
- 379 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:32:23
- 374ですが、朝廷が各地の大名らと連携し、実質的な力を持ち始めたのは、幕府が衰退してきた江戸後期の話なのでは?
それまでは日々の生活にも事欠くほどに貧しかった朝廷が、そこまで大きな存在だとは私には思えないのです。
薄学で朝廷公家に関して疎いので詳しくは分かりませんが…
その点についてご存じでしたらご意見お聞かせ下さい。
- 380 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:35:10
- >>378
落飾して御位牌を賜り、尼屋敷に御引移。
- 381 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:36:34
- >>366
何勘違いしてんの?
- 382 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 01:13:43
- 浅宮顕子、八十宮吉子、真宮理子、比宮増子、
五十宮倫子、楽宮喬子…
↑徳川家の正室のこの方々の名前、
どう読むんでしょうか…
あきこ、さなのみや、さざのみや…ある程度は
探せてもほとんど「読み」が見つかりません
- 383 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:57:41
- >>382
手元にある”「大奥の謎」を解く”だと、
浅宮顕子(あさのみや あきこ)
八十宮吉子(やそのみや よしこ)
真宮理子(さなのみや まさこ)
比宮増子(なみのみや ますこ)
五十宮倫子(いそのみや ともこ)
楽宮喬子(さざのみや たかこ)
となっています。
- 384 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:03:10
- 質問
大奥の年寄りでだいたい禄高はいかほど支給されてたのですか?
- 385 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:30:49
- >>384
ググれ
- 386 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 07:58:58
- 低レベル杉
- 387 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 12:39:11
- みんな知りません。
以上!
- 388 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 13:49:11
- >>383
ありがとうございます。意外と字のままの読み方が
多いですね
- 389 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 23:19:31
- 大奥の糞尿は、肥汲み屋により回収され、江戸川区葛西付近の農作物肥料としてリサイクルされたそうです。
- 390 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 16:41:45
- 江戸東京博物館で江戸城展やってるな。
行った人いる?
私は明日行ってきます。
- 391 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 05:39:39
- 江戸城展か、面白そうだな。俺も近々行ってみよう。
- 392 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 15:37:35
- >>390-391
地方に住んでるんで、行けない。
感想聞かせてほしいなあ。
- 393 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 08:11:46
- Wikipediaに大奥関係の記事が乱立しまくってんのね。
一つ一つの内容が薄杉。
- 394 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 09:50:41
- >>384
まっとうな大奥本のようなものに普通に載ってることだけどね。
wikiなんて見ないで、図書館にでもいって調べてきなよ。
自分の手持ち本の記載は幕末の資料だろうけど
石高百石、十人扶持、合力金八十両、その他薪や炭、盆暮服拝領
その他に賄賂や取次料などで裏収入が多し。
>>390
江戸東京博での「江戸城展」には和宮の手鏡とかも展示されてるよ。
3月4日までね。
- 395 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 10:35:29
- >>393
383の後、同様の記事が立てられてる…
- 396 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:51:18
- >>395
ま、所詮Wikiですからね。
矢島局なんて娘を家綱の側室に斡旋したとか書いてある。
- 397 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 06:42:02
- >>396
あれって間違いなの?信じてたよ…orz
- 398 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:53:59
- >>397
新参者?
もっと勉強して下さい。
Wikiの大奥記事には誤りも多いので、ネットに頼らないこと。
特に、最近立てられてた記事は誤り以前の問題外。
- 399 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:06:33
- wikiは大奥関連記事以外も(ry
戦国大名記事はコーエーガイド本の丸(ry
明治維新関係は会津厨の工さ(ry
近現代日本史関連では特定アジア系の工(ry
関連文献があがってない項目は注意して扱った方がいいよ。
- 400 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 23:21:23
- でも日本女性人名辞典には、矢島局の娘お島が家綱の
側室になったという記述があるんだよな。手持ちの
それ以外の本ではお島の名すら出てこないが。
Wikiでは確か「お亀」と書かれてたっけ。
- 401 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:12:34
- それを鵜呑みにするなんて…
矢島の娘は小島。
家綱の乳母を勤めた矢島の縁者ということもあって大奥に召し出された。
これが真実。
それを高柳金芳が曲解した。
- 402 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:16:52
- つまり、ただの奥女中に過ぎない小島を「召し出された」=「側室に推挙されて御手付き御中臈となった」と解釈しているわけ。
- 403 :400:2007/02/10(土) 00:39:10
- なんだ…ありがとう。
- 404 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:55:26
- 家綱が浅宮を正室に迎える頃まで、お万の方は落飾せず、
お梅の局として大奥に留まり、権勢を保った・・・ってほんとうの話なのかなあ?
- 405 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 15:34:26
- お万がお梅と名を変えたという説もあれば、
全く別人という説もあるらしい。ただ、家光の死後
上老になったのは間違いないんじゃないかな?
- 406 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 16:45:36
- 「徳川夫人伝」「徳川妻妾記」・・・いずれも家光死後もお万が大奥に残った
とするが、上臈になったのは春日局死後のことだろう。
史料的には根拠薄弱で、お万とお梅は別人と見るのが妥当では?
これも高柳の先走り?
- 407 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 23:48:43
- お梅も大上臈、お万も大上臈。弟が召し出されて高家となった点も共通している。
ここから、お万=お梅説が出ていると思われるが、実際には、お梅という人物はお万とは別に存在していた。
しかし、お梅が没したor引退した後、大上臈としての名「お梅」をお万が引き継いだ可能性は否定出来ない。
家綱の治世の初め、大奥老女の署名に「むめ」なるものがあり、これをお万と見ることも出来る。
ただ、将軍が死去した折に落職しなかった側室は、阿茶局のように特記されるはずで、その記録もない(というか落職の記録もないけど)お万が大奥に一女中として残ったというのは不自然。
明暦の大火の際に本理院と共に無量院に避難したのは、互いに子のない家光の縁者であり公家の出身であるからで、お万が大奥に残っていたからではないというのが持論。
お万は落職して、本丸近くの尼屋敷に引き移っていたのではないだろうか。
- 408 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 00:17:28
- 一度還俗した身だから落飾せずに残った、と
考えてたがそんな単純な話じゃないのか…
- 409 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:48:06
- お梅の弟が高家?
お梅の素性は定かではないが、弟が高家ならその筋から素性を辿れる。
何という名か?ぜひ教えてほしい。
- 410 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:59:07
- 織田信長の五男、勝長の子孫
- 411 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:54:31
- 公家の樋口信孝の長女の梅が「大猷院殿上臈」で弟の信慶が御家人(のち旗本)に列して寄合になってる。
その息子信実が高家になって「中條」という苗字をもらっている。
ちなみにこの姉弟以外にも幕府仕えの次女、三女は尾張家で側室になっている。
梅の没年は天和三年
- 412 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:36:40
- >>411
詳しいですね。
>>409ですが、ありがとう。
- 413 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:01:03
- 大奥って宮中サロンみたいに歌合とか、私家集編纂とかしなかったのかな。
文化的な側面も知りたいけど、大奥は才女ってイメージ無いよね。
- 414 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 02:07:35
- まあ西洋に例えればフランス貴族の娘が
ロシア皇帝の妃になった王女に従って
雪深いペテルブルクへ行く感覚だろうし
パリの社交界の真似事をするのが精一杯では?
- 415 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 09:39:41
- >>414
誰この無知
- 416 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 05:01:09
- 上級職に昇進するため、あるいは将軍の侍妾になるためには、ある程度の素養は当然要求される。
また、町人の娘が縁故を頼り、準備金を支払ってまで大奥に奉公に上がった理由の一つに、礼儀作法の他に華道・茶道・香道などの嗜みを学べるということが挙げられる。
そもそも京と江戸では文化の形態が違うし、宮中と大奥では存在意義が異なり、単純に比較することは出来ない。
- 417 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:35:38
- 右衛門佐や大典侍、新典侍を愛した綱吉みたいに、
京の雅に惹かれた将軍はいただろうけど、綱吉もいかにも儒学好きらしく、
その歌は古歌にせよ自詠の歌にせよ、芸術的というより教訓的だったらしい。
大奥の京風化が進んだといわれる、時の将軍家宣も自詠の歌は残っていないようだ。
まず将軍自身にとりあえず教養として身に着けるって感じはあっても、幼い頃から嗜むという
環境にはなかったからかなあ。
武家出の側室や女中の多くは、お伝の方のように嫉妬したクチでは?
- 418 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 09:27:07
- だから、何度も言うが、京出身の女中と江戸出身の女中では奉公目的も違うし、勤務内容も違う。
嫉妬云々は推測の域を出ず、まして側室や老女同士の勢力によるもの。
奥女中による文化的影響は、関連書が出てるから、それを読んで勉強しろ。
- 419 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:24:28
- エラそうな奴だな。
- 420 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:50:08
- だが的確。
- 421 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:40:20
- 力んで偉そうに言うほどのこともない自明な指摘ばかりで、
的確もクソもないと思うがな…
まあ、スレ頭の>>1の忠告読み直すか、>>411のツメの垢でも煎じて飲むといい。
- 422 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:50:55
- >>421
そんなあなたに「的確」以外の御指摘をお願いしますね。
私は418でも420でもないんですが、気になりまして。
あなたの言い方だとさぞ素晴らしい論説をお持ちなんでしょう。ワクテカ
- 423 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:00:32
- さすがは大奥スレ
鬼女板とか同サロ板と同じ空気が漂ってきたわぁ(w
- 424 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:07:12
- 本当、ドロドロしてるわ。
- 425 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:13:18
- 昔はこんなじゃなかった気がするけどなぁ。
つってもこの流れにワクテカしてる俺。
どこまで自演か分からんが、早く>>421来ないかな。
- 426 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:24:48
- 大学院
- 427 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:38:22
- 工作院
- 428 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:45:20
- 俺は普段書き込まずに傍観してるんだが、レスを付けただけ>>418のが正しい気が。
何の反応も示さずにダメ出しするやつの気が知れん。
- 429 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 15:50:07
- >>421を責めるのはお門違いも甚だしい。
というより、もうこの手の話題は終わりにしましょうよ。
- 430 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 00:26:21
- 将軍側室の子女が、御三家をはじめとした大名家へ養子に入ったり輿入れしたりすれば、当然その側室と大名家との繋がりが出来たと思うんですが…
その点に関して詳しい方いらっしゃっいますか?
調べるとして、諸藩の日記や書簡等は活字化されているのでしょうか?
- 431 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:33:25
- 閑古鳥
- 432 :日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:02:20
- ああ。
- 433 :日本@名無史さん:2007/02/26(月) 02:50:17
- 江戸東京博の「江戸城」展、閉会間近。
江戸開城時、滝山はすでにお暇をとって城内には居なかった!
展示の最後にこういう内容のパネル説明がありました。
- 434 :日本@名無史さん:2007/03/05(月) 22:09:10
- 正室・側室・お手付きは、割合と資料があるけど、
お清の奥女中でその女中名と存在が実証されているのは、どのくらいいるんだろう。
時代