【男子禁制】大 奥 vol2【女の園】
- 1 :1:2006/06/19(月) 12:20:34
- 大奥の制度や
将軍の正室・側室、女中などについて語るスレです
注意
・よそからの丸々コピペ
・院号ネタ
・初心者に優しく
を守ってください。
- 764 :日本@名無史さん:2008/04/27(日) 02:17:05
- >>551・>>686・>>759・>>763
幕府祖胤伝ではなくて、幕府祚胤伝でしょ。
>>761
>>735じゃないけど。自分が所持している中では、『史料 徳川夫人伝』が第一。
新人物往来社刊。高柳金芳校注。1995年新装版初版。税込\5096。
以貴小伝・幕府祚胤伝・柳営婦女伝系・玉輿記の、江戸時代著作4史料を収める。
4史料は主に正室・側室の伝記としての根本史料だけど、明らかな誤りもある。
調べたら『史料 徳川夫人伝』は、どうやら絶版のもよう。
「日本の古本屋」サイトでは、\2000〜\3800で5冊、
1967年人物往来社刊の旧版だと、\1200〜\5800で9冊出てる。
- 765 :日本@名無史さん:2008/04/27(日) 08:31:11
- 本というものはよほどの高額本か珍本か以外は、図書館を頼りにせずに、
自腹で購入して、すぐ手の届く身の回りに置いておく事が肝要だね。
- 766 :日本@名無史さん:2008/04/29(火) 19:00:00
- >>730
某作家の書いたチャンバラ小説読んでたら
大奥の権力ぶりを煽るようなことをさんざん書いた後で
「俗に三千の美女といわれ、上席から末端まで二百人の女性がいた」
とかさらっと書いてて大笑いしたw
そんなところだけ考証通りなのかよww
- 767 :日本@名無史さん:2008/05/01(木) 02:32:49
- >>764
高柳金芳の、読み物的な著書ではあるけど「徳川妻妾記」(雄山閣)ならば
復刊されてまた書店にあります。
「三王外記」や三田村鳶魚の著作からの引用もあり
ちょっと与太説じみた逸話も載っているし、
また少し昔の研究なので足らない部分もあるけれど
(家康側室の下山殿の墓が松戸本土寺で見つからなかった、とか)、
総花的でもあるし、史料的な裏づけのない逸話もあるけれど
ある程度まとまっている点では参考になるような気がする。
- 768 :日本@名無史さん:2008/05/02(金) 16:13:51
- 総記的な大奥研究本は、先行する書籍・史料の検証なしで引用しているものが多いからそういう意味では決定版みたいなものはまだ無いと思われるけど?
当時に近いものですら、俗説の類がかなり紛れ込んでいるが、それが定説化しているように思う。
- 769 :日本@名無史さん:2008/05/02(金) 17:56:00
- 江戸城本丸の元大奥女中からの維新後の聞き書きは、幕末限定になるけど有力な一級史料。
●『 旧事諮問録−江戸幕府役人の証言−(上) 』。岩波文庫。旧事諮問会編。進士慶幹校注。
1986年第1刷発行。\550。現在は\798。 最近青蛙房から、新装版の単行本\4200も出た。
第四回に「大奥の事」として、元中臈箕浦はな子と元御次佐々鎮子との問答を載せるが、
問者に大奥の知識が無いので、頓珍漢な問も交じる。
●『 御殿女中 』。三田村鳶魚著。青蛙房刊。青蛙選書2。1971年。\2500。絶版。
中公文庫から鳶魚江戸文庫17として、1998年\980で出たのもあるがやはり絶版。
鳶魚が元中臈の大岡ませ子(御年寄滝山の姪)から、問答・面前筆記した資料がネタ。
ませ子の証言部分と鳶魚の解説感想の地文が、交互に現れるが、
漢文教養者で江戸っ子の鳶魚が使う口語体は随分読みにくいし、思い込み眉唾もありそう。
- 770 :日本@名無史さん:2008/05/03(土) 03:39:14
- >>769
箕浦はな子は、おそらく現在見つかっている女中分限帳に出てくる御小姓の「はな」と同一人物。
分限帳では中臈になる前に退職しているんあよなあ・・・
佐々鎮子の女中名って何なんだろう?
- 771 :日本@名無史さん:2008/05/07(水) 07:12:28
- >>770
知らなかったなあ。
いくつかの本で分限帳はいくつか見たことあるけど、箕浦はな子に気を留めなかった。
御中臈になる前に退職してるっていうのはなんで分かるの?
- 772 :日本@名無史さん:2008/05/07(水) 14:57:17
- 770・>>771・あるいは他の人でも
分限帳が掲載されている「書籍」名を、知っている限りご紹介して頂きたいです。
- 773 :日本@名無史さん:2008/05/07(水) 17:09:48
- 過去スレにあるお
- 774 :日本@名無史さん:2008/05/07(水) 18:57:00
- 偉そうでムカつくから教えたくない。
- 775 :日本@名無史さん:2008/05/10(土) 21:25:41
- >>771
「はな」は文久二年の女中分限帳(「清華閣襍編 甲編 九」所収)で御小姓。
「清華閣襍編 甲編 十」に収録されている文久三年の大奥リストラの対象者リストに
はいっているのだが、そこでも身分は御小姓なのです。
- 776 :日本@名無史さん:2008/05/11(日) 00:25:48
- >>775
分限帳の事は知らないけど、はなが退職に先立って中臈に昇進させて貰って、
その上ですぐに退職、だった可能性はないのでしょうか?
箕浦はな子が見栄を張って、最終職階を詐称できる為には、
同席の佐々鎮子に口裏を合わせて貰う必要があり、ちょっと困難だと思うけど。
清華閣襍編って、1点ものの古文書なのですか?
それとも地方の県立図書館でも閲覧できるような、刊行本ですか?
- 777 :日本@名無史さん:2008/05/11(日) 01:55:02
- 基本的に分限帳か給料出す側の記録だから
間際の昇進は給料に関わるので、ありえないでしょうね。
ただし、給料が御小姓並でも仕事は中臈みたいなことを
させられていた可能性はあり。
だから「旧事諮問録」では中臈扱いになっていたのかも。
「はな」の勤務の短さは「旧事諮問録」の証言に合っている。
病気がちで勤務がまともに出来なかったので
リストラの対象になった可能性はあるな。
「清華閣襍編」は国会図書館に小宮山綏介の写本がある一点ものじゃないかな?
- 778 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 19:45:10
- 幾島の出自がわかったことがニュースになってるね。
篤姫付老女「幾島」 薩摩藩士の娘、63歳で死去
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=10654
- 779 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:16:55
- 実名や法名は分からないままなのかな。
にしても貴重な情報ありがとう。
- 780 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 05:15:33
- 勝海舟が語った天璋院の話がいろんな史料に出てくるけど
どれだけ信用できる?
語録は全体的に自慢話のようだから、話作ってるように
思えるんだけど・・・。
- 781 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:58:04
- >>780
浜離宮での草履の件は天璋院が浜離宮へ行った記録がないことから
その場で目撃したという勝の日記はその部分は作り話と判っている。
- 782 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 16:23:07
- 一応大奥関連ってことで、「お養い」について訊きたいんだけど、
広大院何かは家斉の庶子を何人も養子にしているけれど、
浄観院も家定を始め家慶の庶子と養子縁組を結んだ事実はある?
天英院以降、将軍の子は皆正室の養子になったって説を聞いていたのに、
浄観院についてそういう記述を見たことがなかったから。
- 783 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 20:00:48
- >>782
家定は誕生の翌年の文政八年に御廉中様御養となってから若君様の称号を得ている記述を見つけた。
「歴史読本臨時増刊 徳川将軍家人物総覧」上保国良稿。
原典はわからないけど、とりあえず。
- 784 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 22:59:25
- >>783
ありがとうございます。
一応、ちゃんと養子縁組を結んでたんだ。
広大院くらい長生きしてたら、そういう記述がもう少し残っていたのかな。
- 785 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:01:22
- >>770
佐々鎮子の女中名は「いし」
鳶魚の大岡ませ子の聞き取りで出てくる。
家慶→家定(御三之間→御次)→篤姫 と主人を替えている。
なお、鳶魚の聞き取りでませ子ははな子の旧事諮問録の幕臣の娘という出自を嘘で
名古屋の医者の娘と言っているが、女中分限では幕臣の養女になっている。
ませ子は実家の情報しか知らなかったらしい。
- 786 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 09:08:36
- tes
- 787 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:19:48
- 家慶の十三男斉信院って生母不詳のようなんだけど、本当にわからないのかな。
- 788 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:28:17
- >>787
当時は愛妾はおひろの方が独占していたからねえ。
鳶魚の聞き取りに出てくる子どもを産んだけどすく亡くした
家慶側室の「ちゑ」は記録に残って無いのでこれが相当するか?
- 789 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 17:13:28
- >>788
「ちゑ」? そんな人もいるんだ。自分が知ってるのは主だった人だけで、
定、加久、美津、波奈、筆、金、琴(広)、津由、よきの九人。
斉信院が生まれた嘉永二年当時、美津、波奈は御褥御免、定、加久、筆、金は既に死没、
津由、よきは生年等不明だけど子供産んだ記録なしで、琴かとも思ったけど
家慶の愛妾の数は十六人とも云われてるから、そのちゑかもしれないね。
子供産んだなら記録に残りそうな気もするけど。
- 790 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 18:55:29
- 広大院って家斉との婚約中、近衛家の養女になるまで「御縁女様」と
呼ばれていたんだっけ。
その後の楽宮や有君は江戸下向から縁組発表まで年月があるけどこの間
何て呼ばれていたんだろう。正式に縁組が調うまで「姫君様」ではないよね。
- 791 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 10:48:02
- >>789
家慶の側室では同じく記録に残って無い妊娠中に死んだ「そで」という中臈もいるらしいね。
鳶魚の記述では、家慶の隠し子を産んだ女芸人の坂東兼治(松村ぎん)もいたな。
- 792 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:19:08
- お津由の方が子を成していないというのは少し疑問が残るかなあ。
確かに出産の記録は幕府祚胤伝や徳川幕府諸家に記述されてないけど
この時代の子を持たない側室(御手付御中臈)が将軍家菩提寺に埋葬されるのって例がない。
お津由が出産していないってのは何かに記録されてることなんだっけ?
本によっては斉信院の母をお津由だとするものもあるね。
- 793 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:42:23
- >>792
確かに出産した記録が無い=出産していないという事にはならないかも。
少なくとも自分はお津由が出産していないという記録は見たことは無い。
ちょっと気になるのはお津由の死没は明治に入ってからで、また家慶生母
お楽が大叔母、慶昌を産んだ家慶側室お定が伯母にあたることかな。
まあお津由が子を産んだ可能性もあるわけだし、その斉信院の母をお津由
としている本、もし題名などがわかるようなら教えてくれるとありがたい。
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