歴 史 に 残 る
- 1 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 02:43:20
- 糞スレ
- 194 :サガミハラハラ:2008/12/22(月) 08:13:00
- 私の今年の十大ニュース
1 伊都国王都調査
多久市中小路に、弥生時代の遺構とおもわれる空堀跡と土塁を発見 ここが伊都国の王都であるとの確信を得た。
2 日向風土記の天神降臨年代の特定に成功
風土記の日食記事から西暦41年を割り出すことに成功
3 歴史研究会の出雲大会に参加
4 歴史研究の特集テーマ「出雲について」に「熊野神社と出雲振根事件」を寄稿。採用される。
5 神奈川歴史研究の定例会において、「倭の諸国の勢力関係について」を発表
6 木栗会と銀座駅前大学において「高天原の地震」を講義
7 古代未来塾にて講演「神武天皇の年代」
8 九州の歴史と文化を楽しむ会において、邪馬台国小城甘木説を展開
9 ブックオフに「卑弥呼の登場」を売り歩く
10 サブプライム問題による損失大
今後の研究(主に出版に)に影響か。
- 195 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 19:07:29
- このサガミハラハラって人は馬鹿ですか?
- 196 :サガミハラハラ:2008/12/22(月) 22:51:02
- 馬鹿と天才は紙一重といいます。
2ちゃんの古代関係のスレの私のレスをよくお読みください。
私が天才であることがよくわかるはずです。
- 197 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 15:41:16
- >>196
ああ、反切表記も知らずに、
康煕字典も諸橋大漢和辞典も藤堂明保の著書も読まずに
伊都国は多久だとわけのわからない事をほざいている人ですね。
わかります。
- 198 :サガミハラハラ:2008/12/23(火) 23:43:02
- 反切表記も知らずに、康煕字典も諸橋大漢和辞典も藤堂明保の著書も読まずにいても、
邪馬台国を発見できたのであるから、わたしは天才です。
- 199 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 06:02:57
- サガミハラハラさん、こんなところに居ないで
ブログにしなさいってw
- 200 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:33:15
- >>199
ネットウォッチ板の住民によってさらし者にされるでしょうね。
現状維持が一番かとw
- 201 : ◆ypURG809QA :2008/12/24(水) 19:54:18
- サガミハラハラさんに質問いたします。
天正時代、桜ヶ岡(娑婆岡)から大量の人骨が出土したという記録があると
おっしゃられておりますが、
その資料名について教えてくださいませ。
- 202 : ◆ypURG809QA :2008/12/26(金) 17:18:34
- あの〜、サガミハラハラさん、いらっしゃいませんか?
- 203 :サガミハラハラ:2008/12/26(金) 19:47:08
- 最初の目撃は桜ヶ岡の南端の岡山神社の入口近く、簡単にいえば小城公園の入口近くにあった説明板に
そのような(ただし人骨の量ついてはかいていない)記述がありましたが、現在はたてかえられてそのような記述はありません。
次に、佐賀県立図書館の郷土資料室においてそのもととなる文献をみて筆写したのであるが、筆写したノートが所在不明で、改めて図書館にいったが、どの書物であったか思い出せず、
現在も探している状態です。
- 204 : ◆ypURG809QA :2008/12/26(金) 21:17:00
- >>203
サガミハラハラさん、お答えいただきありがとうございます。
>佐賀県立図書館の郷土資料室においてそのもととなる文献をみて筆写したのであるが
ということは、佐賀県立図書館の郷土資料室には
その資料があるわけですね。
佐賀県立図書館の郷土資料室に立ち寄った時に探してみます。
- 205 :サガミハラハラ:2008/12/26(金) 22:08:18
- あと、小城市図書館の可能性も若干あります。どちらにせよどちらかの図書館ですが、
佐賀県立のほうだとおもいます。
記憶があやふやで申し訳ありません。ずいぶん昔のことなもので。
- 206 :サガミハラハラ:2008/12/27(土) 10:59:23
- 小城町史のp210に、藩主屋敷として、「今日の小城公園一帯は、昔「娑婆岡」「鯖岡」と称されていた。云々」という
記事があるが、これではなかったように思います。
- 207 : ◆ypURG809QA :2008/12/27(土) 19:39:55
- いえいえ、こちらこそ申しわけないです(汗
たぶん、図書館での分類は
「口承文芸書(昔話、言い伝え、伝説などを収録した書籍)」
になっていると思いますので、そちらからも調べてみます。
来年の春休みを利用して行ってみたいと考えておりますので、
その際にはご報告いたします。
- 208 : ◆ypURG809QA :2008/12/28(日) 07:17:13
- 上記のレスはサガミハラハラさん宛てです。
失礼致しました。
- 209 :サガミハラハラ:2009/01/01(木) 08:32:10
- 新年明けましておめでとうございます。本年もまたよろしくお願いいたします。
昨年は吉凶相半ばする1ねんでした。
よかったことは、伊都国の遺跡(多久市中小路)の発見ができたこと。日向の天神降臨の年代(西暦41年)が確認できたことです。
悪かったことは、サブプライム問題による経済的な打撃です。
悪かったことはどうでもいいことにして、今年は去年以上の良い成果があげられるようにがんばります。
- 210 : ◆ypURG809QA :2009/01/01(木) 11:29:43
- サガミハラハラさん、明けましておめでとうございます。
- 211 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 07:18:42
- サガミハラハラさらしあげ
- 212 :サガミハラハラ:2009/02/19(木) 10:15:00
- 17日に考古学関係の学習会にいってみた。
年輪年代法とC14の話であったが、確定的な狭い範囲での年代決定はできないようであった。
各学者ごとに同じ資料をもとにして、例えば箸墓築造については、白石氏は247〜248年、寺沢氏は280〜300年、
石野氏は270年ころとしている。
日本書紀の箸墓の件は崇神10年の項にでてくるが、これは日本書紀紀年法では273年のことであるから、石野氏の年代が
正しいことになるが、このように三者三様となっている。
- 213 :サガミハラハラ:2009/02/21(土) 22:26:50
- 今日は九州の歴史と----の研究会で「高天原は実在する」という発表を行った。
参加者19名、思いのほか多かった。
- 214 :サガミハラハラ:2009/02/26(木) 12:33:27
- 明日から1週間ばかり九州にでかけます。
福岡で邪馬台国に関する大会があるのでそれに出席。
そしてs、中小路遺跡の調査です。
- 215 :サガミハラハラ:2009/03/06(金) 23:18:16
- 本日帰京致しました。
結果はのちほど。
- 216 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:42:22
- 篤姫と坂本龍馬と小松帯刀は高体連で顔を合わせる関係であった。
後白河法皇の前に突如現れた義経の年齢は、そして法王は。
信長と光秀は同じ年に死んだ。
そんな事が目で見てわかり想像が広がります。
http://www.liferelation.info
- 217 :サガミハラハラ:2009/03/07(土) 11:18:53
- 九州旅行 邪馬台国徹底検証第二弾 卑弥呼は九州にいた に、参加と、中小路遺跡調査
2月27日 京都途中下車をして東寺近くのブックオフに「神功皇后ーー」「卑弥呼のーー」を得りにいった。2冊150円で買っていただきました。
当日中に博多着
2月28日 K氏とA氏と3人でK氏の運転するレンタカーで阿蘇に出発。目的は北阿蘇に広がる鉄鉱床の調査である。
K氏は九州勢力の基盤となるとみているようである。A氏は鉄のけんきゅうをしている方だという。68歳で学生とのことである。
北阿蘇の鉄鉱床は水生鉄である。湧水に鉄がとけこんでおり、それが地表にでて鉄分が沈殿してできたという。
田圃の土が全て純度70%近くの鉄分を含む土である。その土を掘り上げて、製品にしていた。
そこから、南阿蘇に移動し幣立神社を訪問。ここが高天原と事象している神社である。
参拝者(お祓い)が数組来ていた。
夜は博多駅前の居酒屋で某酒造会社の社長さんと(K氏の人脈の広さに驚いた)4人で飲む。
この社長さんは宮崎県で日本山人参(ヒュウガトウキ)をも栽培しているとのことである。
中国の史書に倭人がチョウ草を献じたとあるが、それかもしれないという話もでた。
3月1日 福岡市民会館においてシンポジウムに参加
九州説ばかりの人なので大いにもりあがった。
小澤毅氏は奈良文化財研究所のかたなのであるが、邪馬台国九州説に加担しており、一番評判がよく拍手もおおかった。
3月2日 佐賀県に移動、東多久から中小路にいく。カラホリサンの調査である。
第一栄城ホテルにとまる。夕食は夢タウン佐賀にいってスパゲテイーを食べた。
3月3日 午前中は図書館で調査。ヒルは図書館の食道でかつ丼を食う。
午後は多久市の郷土資料館に行き官庁さんの西村隆司氏から情報を得た。
内容は後述
3月4日 吉野ヶ里に出かけ発掘事務所の方にいろいろ話を聞き、その後公園を見て歩いた。
3月5日 しらべることもなくなったので博多に移動。
3月6日 新幹線で帰宅。
- 218 :サガミハラハラ:2009/03/07(土) 14:19:58
- カラホリサン調査報告
カラホリサンは伊都国の都の環濠の跡ではないかと、今回調査したのであるが、
結果は否定的なものであった。
環濠の出っ張りと思われる部分は、吉野ヶ里のそれと比べて、おおきすぎること。
吉野ヶ里は8mぐらいのものであるが、カラホリさんは20m以上もあり、まるで異なる大きさである。
郷土資料館の人にきいてみたが、そのあたりからは、弥生土器等の遺物の出土はないとのことである。
土塁の経常も弥生ではなく中世の構造であるとのことである。
丘の地勢からいっても環濠集落の存在するような形状ではない。
以上からカラホリサンは弥生時代の痕跡ではなく、当然伊都国の環濠でもないことがわかった。
しかし、倭人伝の記述からは、あのあたりが伊都国の都であることは間違いないのであるから、丘陵部ではなく東の平地部に
あったと考えられる。東の平地には弥生の遺跡遺物も存在すること、かつて、佐賀平野の肥前国府が水害に見舞われた時、国府が多久市別府(東多久、中小路東方2km)に移されたことがあったが、
その時国府の印と鍵を補保管した印ニャク社という神社があったことなどから、このあたりが、古代においてなんらかの重要な位置をしめる場所であることが考えられること、当時の環濠集落がかならずしも
丘陵や山地に作られたものではないこと、全くの平地の例がみられ、吉野ヶ里は例外ではないか)
中小路が伊都国の都であったのは間違いないと考えるものである。問題は都の建物等の痕跡がいまだみつからないということである。
- 219 :サガミハラハラ:2009/03/15(日) 23:23:58
- 今日は神奈川歴研で「神話や説話についての新解釈」と題して発表をしてきた。
結構評判がよかったみたいであった。
- 220 :サガミハラハラ:2009/03/26(木) 21:51:05
- 今日帰還邪馬台国の「私の邪馬台国論」に日向風土記の日食記事についての論文を投稿した。
これも載録されなければもう投稿はやめよう
- 221 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 02:55:18
- http://bari3.net/bari3m/soc/rankname.asp?Pmd=rank
- 222 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 03:04:55
- >>221
http://bari3.net/bari3m/soc/rankname.asp?Pmd=rank
ヤホー調べでわしの苗字はない。
しかし、なんとここに存在していた。
しかも、100件家 未満の苗字
文献や歴史上どこを探しても存在しなかった苗字。
実は在日だけどね。
祖父母は日本の文字カキヨミできませんし
少数派苗字で歴史上にもない悲しいが現実だね。
- 223 :サガミハラハラ:2009/03/28(土) 23:56:15
- 今日季刊邪馬台国の101号が贈られてきた。
私の邪馬台国論のコーナーがない。
もうとりやめなのであろうか。
- 224 :サガミハラハラ:2009/05/23(土) 13:16:47
- おととい八王子のブックオフに「神功ーー」のほんを売って来ました。ブックオフでは私の著作をかってくれます。
ほかの古本屋ではどこも引き取ってくれないのですが。ありがたいことです。
昨日新宿の紀ノ国屋本店にいったところ、私の「神功皇后は実在した」が置いてあった。
しばらくなかったのであるが、またおいてくれたようです。ありがたいことです。
- 225 :サガミハラハラ:2009/05/23(土) 19:08:03
- 本日月刊「歴史研究」が送られてきた。「天孫降臨の年代と日蝕」がのっています。
もっとも、売りページで金払って載せたものですが。
しかしこれを読むと、天孫降臨が史実で西暦40年頃のことだということがわかります。
- 226 :サガミハラハラ:2009/05/23(土) 19:13:14
- 内容は、この2ちゃんねるの皇国史観に基づいた正しい古代史の>>349に
概略をかいてあります。
- 227 :サガミハラハラ:2009/05/25(月) 08:56:08
- 昨日八王子のブックオフにいってみたら「神功皇后は実在した」が見当たらなかった。
もううれたようである。
- 228 :サガミハラハラ:2009/07/04(土) 23:08:33
- 6月24日に新宿紀伊国屋本店にいってみたら棚の「神功皇后は実在した」がうれていた。
本日いってみたら新しいのが並んでいた。
恒常的においてくれるのであろうか。ありがたいことです。
- 229 :サガミハラハラ:2009/07/19(日) 20:29:13
- 明日から九州旅行です。宮崎で部分日食をみて、佐賀で伊都国王都を探索してきます。
イト国の都についてなんとかケリをつけたいと思っています。
- 230 :サガミハラハラ:2009/07/30(木) 00:08:13
- 今日9泊10日の九州旅行から帰還しました。早速報告をと思いましたが疲れがひどく
あす以降にいたしますのでよろしく。
- 231 :サガミハラハラ:2009/07/30(木) 22:03:07
- 今回の九州旅行の目的は三つである。
一つは宮崎における日食の観察である。
20日の午前東京を新幹線で出発、宮崎は遠いので小倉にて一泊、「神功」の本を小倉のブックオフ旦過店に売ってきた。
21日に宮崎に到着宿をとり、宮崎駅前のブックオフに本を売ってきた。イオンモールにいってきた。
- 232 :サガミハラハラ:2009/07/31(金) 22:02:58
- 22日待望の日食の日である。朝から小雨。宮崎神宮において観測することにした。
9時35分に食がはじまりだしたが、雨は止んだが雲が空をおおっていた。
神宮の御神田にて空をみあげた。雲がながれており、その隙間から雲をフイルターにして半分ぐらいかけた太陽がみえた。
丁度雲がフイルターの役目をして、裸眼でも観測できた。くもの厚さもちょうどよかった。
とはいっても雲の薄いところから時折みられるという状況ではあるが。大体95%ぐらいかけたが、見た目たいして暗くならなかった。
しかし、鳥が騒ぎ街灯が点灯した。だいぶ暗くなったという人もいたので個人差があるのであろうか。
午後は雨もあがり、県庁をみてきた。うわさの県民ショウを見てしった、チキン南蛮となんとかのうどんをくってきた。
- 233 :サガミハラハラ:2009/08/02(日) 12:04:05
- 23日 小倉に戻り、松本清張記念館を見学。彼も邪馬台国研究者の一人である。
邪馬台国は逃げ水のように、つかまえれるかとおもうとすーっと消えてしまうという。
吉野ヶ里のときもそうであったようだ。現実には卑弥呼は吉野ヶ里にいたのであるが、
現実に目の前にあらわれても確証がつかめないのであろう。
博多で宿をとる。
24日 佐賀に移動。「邪馬台国を考える会」の関家氏に連絡をとり、県庁のレストランで会食をしながら
自説を開陳してきた。私の説はそれまでにない解釈が多いためすぐには呑み込めないといっていた。
「神功皇后は実在した 付録メジャーで辿る邪馬台国」を渡してきた。
桜ヶ岡の看板について岩松氏に連絡をとってみたら、以前渡した資料以外のものはないとのことであった。
天正のころの文書に沙婆岡の起源が書かれていたと私は常日頃いってきたのであるが、」その根拠となる文書が
見つからない(幻をみたのか)以上、とりさげざるをえないことになった。
これで今回の九州旅行の二つが消化できた。
夕食は夢タウンのレストランで食べ放題をしてきた。宿は第一栄城ホテル。
25日 図書館に手改めて桜ヶ岡等について調べたがなにもなし。
昼食は佐賀出身の女性タレントの優木まおみの実家の中華料理店(光楽園)で皿うどんを食べた。
味付け等が私の好みにぴったりでとてもおいしかった。場所はエスプラッツの近くで町が崩壊しているのであるが、
この店のある通りだけは昔のままであった。
駅前の西友は売り場が若干かわっていた。入口にある宝くじ売り場は客がひっきりなしであった。
勿論私もかいました。
26日 ものすごい大雨で歩道まで水があふれ、くるぶしの上まで水がきた。
しょうがないので、大和のショッピングモールにいき、ハリーポッターをみた。
子役が最初からの人たちなので、成長の具合がよくわかった。午後には雨がやんだ。
- 234 :サガミハラハラ:2009/08/07(金) 10:30:56
- 27日 はれたので、本番の多久市中小路地区の庄集落にいってきた。
とくにこれといったものはなかった。遺跡は勿論なにもない。ただ暑いだけであった。
印ニャク社とおぼしきところは水田であった。土器の破片一つなかった。史書によると、庄はかつてはかなりおおきな集落であったようである。
28日 福岡に移動し、用もないので大阪に移動した。夕方心斎橋方面に出かけた。
食い倒れ太郎が再登場していた(実際は太郎が不在で次郎であった)。
29日 新幹線で帰京。新宿の紀伊国屋によってみたら「神功皇后は実在した」がうれていた。
売り場が若干かわっていた。
- 235 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 13:32:55
- 2chの廃スレ私物化するくらいなら、自前のブログ開設すればいいのに。
無精だな。
- 236 :サガミハラハラ:2009/09/18(金) 21:52:55
- 今日新宿紀伊国屋にいってきた。拙書「神功皇后は、、、」が並んでいた。
うれると補充してくれているようである。また、少しずつではあるが売れているようだ。
- 237 :サガミハラハラ:2009/10/14(水) 23:49:20
- 今月の17日に出雲について講演をするが、レジメがようやくできあがった。あとは、発表の練習をするだけ。
- 238 :サガミハラハラ:2009/10/17(土) 23:14:19
- 今日三田で出雲についての発表を行った。30名ぐらい来ると踏んでいたのに18名の参加であった。
そのご久慈氏の出版記念飲み会があったので参加した。
久慈氏は東日流外三郡誌等を復活させようという腹づもりのようである。
- 239 :サガミハラハラ:2009/10/21(水) 23:23:57
- 今日季刊邪馬台国が送られてきた。わたしの邪馬台国論のコーナーが復活していた。
よかったよかった。
私の投稿の天孫降臨の年代が掲載されていた。
- 240 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 01:31:34
- こんな廃スレでわざわざ自分の日記を書くなんて、自己顕示欲のカタマリだな。
- 241 :サガミハラハラ:2009/11/07(土) 21:23:54
- 4日から三日間、新潟と佐渡にいってきました。
新潟について、繁華街の古町に行き、小林幸子人形をみてきました。大きいだけじゃなく
表情もぴったしでした。よくできたものだと感心しました。昼食はこんど閉店するというデパート
大和で食べました。その後ブックオフに行き自著「神功皇后は実在した」をうってきた。
御多聞にもれず、このまちも旧繁華街はさびれ始め、新しく駅前から万代にかけて繁栄しているようです。
あくる日は佐渡に移動、相川郷土博物館でねぶた跳踊りについて聞いてみたが、25年もまえ(某TVでこの博物館に跳踊りの写真があったとレポーターがいっていた)のことなのでわからないとのことでした。
泊まらずに新潟に移動した。新潟駅の南口のブックオフに2冊目をうってきました。
最後の日は、まず、異人池を探しにいった。小学校の教員だった時、図書室でこの池についての絵本をみて、一度いってみたいとおもっていた。
カトリック教会はすぐみつかったが池はきえてしまってみつからなかった。
ただ異人池駐車場とか、マンションの名前に異人池の名がのこっているだけであった。
帰りに北方文化博物館によったら、受付の方の子供が近くの小学校の生徒で、小学校ではいまでもこどもの研究発表などで異人池のことをとりあげているとのことであった。
この池の歴史は100年もなかったが、短いながらもこれほどの歴史があるということはすごいことだと思った。
次に朱鷺メッセの美術館にいき男鹿和夫の展覧会をみた。トトロの森などの背景画をてがけたひとだという。
すごいものだと思った。
万代地区にある伊勢丹のうまいもの展を見てきた。すごい人であった。一角で、みかん大福を販売していたが、これはその前日TVの秘密のケンミンショウで紹介していた。結構行列ができていた。
昼食は同じ伊勢丹の那の福でパイコー坦坦スープ麺を食した。私が今まで食べたラーメンのなかでは、5本の指にはいるほどのうまさであった。
ちなみに1番は「せたが屋」2番は「大勝軒」です。
あとは新幹線にのってかえってきました。
- 242 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 07:22:36
- あっそ
- 243 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 05:15:25
- >>217 2冊150円で買っていただきました。
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