超超超マニアックな悲劇の名家 尾張徳川氏
- 1 :日本@名無史さん:2007/07/27(金) 19:34:51
- 名古屋という全国有数の要所を領しながら江戸250余年の間に
ついに将軍を輩出せず、教科書に載るような当主も出なかった悲劇の
名門、尾張徳川氏を語りましょう。
ちなみに自分は小学生の頃、御三家といえば、「将軍家」「水戸「紀州」
だとずっと勘違いしてました
- 86 :日本@名無史さん:2008/05/10(土) 00:51:45
- 女系だが、九条か二条に吉通の血筋が残ってるはず。
今の天皇家も広い意味で尾張の血を残してる。
- 87 :日本@名無史さん:2008/05/10(土) 16:20:08
- 徳川宗春-勝子-近衛経熙---近衛家現当主
徳川吉通-千姫-二条宗基-治孝-九条尚忠---九条家現当主
徳川吉通-千姫-二条宗基---二条家現当主
女系なら近衛家、九条家、二条家に尾張家の血が流れている。
- 88 :日本@名無史さん:2008/05/10(土) 21:47:32
- 九条家を通して現皇室にも繋がるのですね、分かります
- 89 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 00:17:55
- ご当主はこんなお顔をされているんだね。
http://www.tokugawa.org/~toku/album.html
- 90 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 14:28:06
- 五代藩主五郎太。
吉通直系とはいえ、幼名しか持たない赤子が家を継いだ理由はなんでしょう?
- 91 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 17:18:22
- >>90 養子相続をよしとしなかったんだろ
いくら血がつながってても
おかげで継友は領民に人気がなかったのだ
- 92 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 21:05:49
- もっとも斉朝以降は義直の血筋が途絶えて養子相続が繰り返されるわけだが
- 93 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 21:50:40
- >>90
一応直系だからね。
長子相続できるならできる限りするのが吉という考えだろう
(最も三代綱誠は実のところ次男なのだが)
斉朝といえば
名古屋市史に載っている「順公小伝」はなかなか面白い
思えば彼以降紀伊系4代はいずれも
苦悩の時代に生きた苦悩の藩主だったのかも
特に鳩ばかり飼って、一度も名古屋入りしなかった斉温などは
かなり興味深い存在といえる
長編小説の主役になはれないが、短編向けの人物かも
- 94 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 22:37:39
- 松平高須侍従摂津守義建
- 95 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:08:45
- 家康の息子で現代まで男系子孫を残せているのは義直・頼宣・頼房だけなんだよね。
そのうち義直の男系子孫は井上、永井なんて小大名の家系にしか残せていないし、
頼宣は本家の紀伊家が断絶してしまった。
現代の徳川諸家は大半が頼房の男系子孫。
- 96 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 07:05:25
- 秀康はないの?
- 97 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 10:32:35
- 秀康の男系も残ってはいるが、幾度となく改易食らってるし、
宗家とされる津山藩系も福井藩系も秀康の男系じゃなくなってる。
- 98 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 20:54:45
- 断絶した連枝を復活させないから紀伊系に乗っ取られたのだ。
ところで、木曽川の堤防は尾張藩側が高かったようだが、
それでは高須藩と竹腰家が水没してしまうではないか!
成瀬家は安泰。
- 99 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 09:10:49
- 徳川黎明会は徳川家伝来の美術品・大名道具と藩政史料を保存しているが、
家康からの御譲り本を中心とする和漢の古典籍(蓬左文庫)は市に寄贈したんだよな。
なんで、古典籍だけ市に譲ったんだろう?
- 100 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 09:52:41
- 名古屋市内の真言宗・福生院の松平氏、は関係ないんですか?
- 101 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 14:06:39
- >>99
戦後の財政難で名古屋市に売ったの。
義親侯も美術品を守るために苦渋の決断をしたんだと思うよ。
- 102 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 17:41:44
- 名古屋市がちゃんと引き取ってくれたから良かったよ。
散逸はしなかったから。
- 103 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 20:26:32
- 蓬左文庫は本居宣長が『古事記伝』を記す際に調査に使ったと言われる文庫。
藩の蔵書でありながら身元がしっかりしている者なら閲覧が可能だった。
このような由緒ある文庫が散逸していたら、名古屋は日本中から袋だたきに遭うところだよ。
- 104 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 20:47:22
-
名古屋叢書三編の「尾藩世記 上巻」をネット通販で買うかどうか悩んでいる。
送料込みで3340円だから、そう高い買い物ではないのだが、古書や文献などを
一度集めだすと、止まらない性質なので、悩んでいるのだ。
貧乏人の悲しい性と好きなだけ笑いたまえ。
- 105 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 19:34:17
- 買いです
尾張家を知るためには必携です
付録のパンフ「名古屋業書三篇だより」もいいですよ
林東一さんが連載されています
私は第一巻の『尾張徳川家系譜』をこないだ買いました
大久保家や川田久保家も詳しく載っていて、感激
この値段で活字で読めるなんて、さすがは尾張殿ですね
- 106 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 19:35:03
- 105です
×林東一
○林薫一
- 107 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:47:43
- とういちさんの「とう」は
草冠に重です
- 108 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 21:10:36
- ごめんなさい
よくみたらそうでした
(よくみなくてもそうだ)
- 109 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 00:39:58
- 董卓の董ですな
- 110 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 00:08:39
- 林董とは何の関係も無いよね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E8%91%A3
- 111 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 09:10:05
- 城山三郎と義理の兄弟ってのはすごいね。
作家と学者の閨閥みたい。
- 112 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 22:29:02
- 義兄弟
林さん著『将軍の座』(文春文庫)
の城山三郎さんのあとがきではじめて知った
だから『冬の派閥』をあれだけリアルに描けたんだなと納得
ひとつわからないことが
なぜ高洲松平二代目は、長幼の順を無視して、
通顕(継友)ではなく、義孝になったんでしょうか?
- 113 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 22:29:35
- ×高洲
○高須
- 114 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 12:54:29
- ヒント、藩主のスペア。
- 115 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:03:15
- やはり「お控え」ですか
ありがとうございます
- 116 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:41:34
- なんで尾張徳川家は京都守護職を拝命しなかったの
京都にも近いし御三家筆頭・60万石の大国、おまけに義勝は公武合体派。
政局に首を突っ込んだりしながら、いちばん面倒な役割はうまく逃げたんだな。
- 117 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:45:13
- >>103
つうか名古屋圏以外は散逸させすぎてるんだけど
なぜ袋叩きにしない・・・
- 118 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 15:48:04
- 京都守護職
家格かなあ。いくら王城とはいえ、他の二職より
格下
尾張が就いたら、バランスが崩れると思う
かと言って、慶恕のキャラクタとして後見職や総裁職は無理だろう
周囲も納得しないし
- 119 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 15:53:10
- 慶勝の明治以降の子供って、義寛、義信以外にもいる?
尾張の系図だと「以下略」としかないし
- 120 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 15:56:04
- ×義寛
〇義恕
- 121 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 00:49:35
- 歴史に畏怖は禁物だが、京都守護職になって新選組を配下にしていたら、長州
の恨みを買って、今の名古屋は無いかも…。そう言や弟も京都所司代か。
- 122 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 05:58:28
- >>84
その正順タソは斉昭娘の愛子タソと結婚したが二人の間には子供はいるのか?
- 123 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 08:49:17
- 幕府の役職は臣下がやるものであって納言の御三家様がやるような
ものではない。
- 124 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 12:54:21
- やはり家格の問題ですよね
しかしながら、慶勝は京都に滞在していたし
なにより征長総督(これこそ御三家のポスト)になったから
充分怨み買ってますよね
慶勝自身は征長に反対だった訳ですけど
青松葉はその報復ではないか
との説があるくらい
- 125 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 23:17:03
- おお、高須四兄弟
茂徳のことも忘れないでくださいね
- 126 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 12:09:17
- 高須クリニックの高須って、地名? 人名?
- 127 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 03:06:01
- 人名
- 128 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 21:52:26
- 何で徳川義礼は慶勝娘登代と離婚してその妹良子と再婚したのは何故だ?
そして登代は離婚してから死ぬまでの約20年間一体何をしていたんだ?
- 129 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 11:46:08
- >>116
>>121
>なんで尾張徳川家は京都守護職を拝命しなかったの
尾張は、幕府が勝った第一次長州征伐の総大将じゃん。
京都守護職よりはるかに格上。
明治に、鉄道を中仙道にしようとしたのは、それで尾張を無視出来るから。
そんな金も地理的優位もなく、あっさり鉄道は東海道にして、
名古屋は両京間の中心となした。
- 130 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 14:42:07
- 尾張大納言五郎太が死亡した段階で藩土返上がされるべきであった
- 131 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 15:33:02
- >>130
それも吉宗との将軍争いに敗れた原因の一つだな
- 132 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 20:37:04
- >>130
ならば紀伊綱教が死亡した段階で藩土返上がされるべきであり
水戸頼房が死亡した段階で藩土返上がされるべきであったとでも言うのか?
あんたの言ってることは無茶苦茶だ
なぜ吉宗が将軍になっても紀伊徳川が残ったのか考えてごらん
- 133 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 20:42:42
- ちなみに五郎太は大納言になってません
というより幼児のまま死亡したんで、生前は無位無官
「同年(正徳三年)十一月二日、御無官ニ而御逝去ニ付、御願之通贈三位宰相
ニ被任之旨被仰出」
蓬左文庫蔵『御系譜』より
- 134 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:14:31
- >尾張大納言五郎太
尾張大納言義直公亦は光友公をさしているのでは??
と無理矢理フォーローしてみる
- 135 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 22:42:41
- >>132
五郎太→継友の甥から叔父への逆相続がまずいってことだろう。
このせいで尾張家の正当性が薄れてしまった。
- 136 :132:2008/06/04(水) 01:52:10
- >逆相続
「御三家・親藩」スレでも話題に出たからね
実はそれが言いたいってことはわかってたんだ
しかし、「藩土返上がされるべきであった」と言うのは暴論だと思う。
藩祖義直から一所懸命築いたものを軽く見すぎている、尾藩の武士たちのこと
も考慮に入れていない。
ましてや「大納言五郎太」なんて来た日にはね。
「正当性に欠ける」というのは綱條さんの発言を受けての琴田と思うけれど、
この発言自体勝者におもねっている感じがする。つまり後付に近いのでは。
まあちょっと大人気なかったかな、と反省はしている
- 137 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 19:04:28
- 継友が吉宗との将軍争いに敗れたのは、単に実績の違い。
藩主に就任して3年で実績が少ない継友や、老齢で実子のいない綱條より、
吉宗を選ぶのはごく自然な判断。
- 138 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 07:29:01
- いや、五郎太から継友への相続は御三家の家格を考慮しての特例措置だよ。
幕府の規定からすれば無嗣断絶か大幅減封されて相続が妥当な線。
- 139 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 08:33:36
- >>138
御三家は代替わり毎の朱印状いらないし何があっても潰されないの前提じゃないか?
- 140 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 09:04:05
- だから宗春もあれだけ大胆なことをやってのけたわけ
- 141 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 10:58:04
- 水戸光圀もね
- 142 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/06/07(土) 21:00:45
- 失敗したけど宗春追放の時に自分の子供を押し付けようとしたのが
事実上の改易処分でしょ。いわば義直藩の取り潰し。
- 143 :632:2008/06/07(土) 21:44:49
- 宗春→宗勝も「相続」ではないですからね
吉宗から新たに宗勝に与えたという感じ
宗春を父と呼ばせるのを禁止したし
- 144 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 12:59:53
- 謹慎を申しつけられたとき、田安宗武が後継ではないことを
なによりも気にした宗春。
- 145 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 19:59:39
- >>144
どうして?
- 146 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 20:16:35
- 宗武が後継になっていたら松平定信が尾張中興の祖として称えられていただろう。
- 147 :名乗る程の者ではござらん:2008/06/11(水) 21:44:40
- ぶっちゃけ
吉通が長生きしてても
将軍職は吉宗にもってかれたでしょう。
酒乱・荒淫・悪政と三拍子揃ってたんじゃねえ…
そら白石も反対するわな
- 148 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 22:20:25
- 御三家筆頭生まれで苦労知らずの吉通より、
紀伊藩の財政を再建した功績のある吉宗の方が将軍に相応しい。
- 149 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:48:32
- 絵島事件〜八代将軍争奪戦あたりは
フィクションの題材にはもってこいなおかげで
お話として面白いように改変されまくって
ずいぶん創作がでまわっているからなあ。
間部・白石は尾張を支持した
→家宣が吉通を将軍後見職につけようとした時、猛反対して断念させたのこいつらだろ。
紀州(吉宗)は天英院の支持があったから将軍になれた
→姪っこが尾張(継友)の正室なのに何で天英院が紀州応援するんだよ。
尾張兄弟では吉宗相手に勝ち目ないな
- 150 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:39:09
- >>145
尾張の社稷を保つことができなくなれば、先祖に顔向けができない
死んでも償えないから
>>147>>148
吉通は名君、暗君両説あり、未だその人物性向ははっきりわかりません
暗君説の史料の一つに鸚鵡籠中記がありますが、これは一藩士朝日文左衛門の
見聞した記録であり、ゴシップに類するもので、真実かもしれないし、噂に過
ぎないかもしれない、どちらとも言えない物です。
御三家の当主とはいえ、若くして死にましたから、それほど記録は残っていな
いのです
ちなみに私も吉宗は稀有の人物であり、彼が宗家を継いだことは天の采配であ
ったと思っています
>>149
そうですよね
『折りたく柴の記』では、吉通を推したのは家宣であり、それを退けたのは白
石であると書かれていますね
とはいえ、白石が自著の中でそう述べているだけで、それが真実であったかど
うかはわかりません
- 151 :150:2008/06/12(木) 00:42:23
- 読み返してみて、149さんに反論しているように取れる書き方になっていました
スミマセン
同じ意見です
当時の白石たちからすれば、幼君家継が自分たちにとって一番都合がよかった
でしょう
幼い間は自分たちの腕を振るえるし、なにより学者である白石にとって、幼君
を自分が導いて、理想の将軍にしたかったのではないかと思います
- 152 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 08:20:14
- 間部も白石も
家継以外の誰が将軍になっても
自分たちの政治改革が頓挫するくらいは分かってたろうしね。
- 153 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 09:53:35
- 吉通は母親の奔放ぶりも問題あり。
本人が死んだ時もひどい扱いされた。
>>145
尾張家が紀伊家の血統になっちゃうから
- 154 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 12:57:07
- 吉通母本寿院(お福)の乱行も、そのソースは主に『鸚鵡籠中記』です
ですから真実かもしれないし、単なる噂かもしれない
たとえ真実であっても、「腹は借り物」が当時の考えであり、吉通の母親は
公式には新君(綱誠正室)なので、将軍継嗣に関しては重要視することでは
ありません
問題なのは、真実か否かにかかわらずたとえ、密やかな噂とはいえ、このよう
な話が残っているということ、すなわち尾藩の脇の甘さでしょうね
現代企業でもそうですが、社内のあれやこれやがリークされてしまうというの
は、組織としてゆるみがある
吉通の個人的資質がどうあれ、よほどの暗愚でない限り、将軍継嗣に支障はない
でしょう。そのための幕閣であり、逆におとなしい人物の方が御しやすいと
歓迎されたかも。
なお、少なくとも吉通は紀伊重倫のような暴君ではありませんでしたね
- 155 :154:2008/06/12(木) 13:07:52
- 結果として将軍となった吉宗が傑出した存在であり、改革を推し進めたため、
その能力によって継嗣とされたとみるむきもありますが、
第一は血統であって、個人の資質は二の次、三の次です
(紀伊重倫のような暴君は論外ですが)
それは後の紀伊慶福と一橋慶喜の例を考えればお分かりかと
このケースで「英才の誉れ高き」慶喜を推すと、個人の資質がうたわれていま
すが、それは幕末という局面において出てきた問題であり、
その時点ですら血統のよい慶福が本命でした
ましてや正徳享保の時期は、財政こそ赤字であるものの、表面穏やかなこと
平成の今と対して変わりはありません
たらればを重ねるのはなんですが、
吉通が長生きをし、その資質が愚鈍であったとしても、それゆえに将軍継嗣
から遠ざけられるということはないでしょう
- 156 :154:2008/06/12(木) 13:51:06
- 本音を言えば僕も本寿院はかなりの女性だったと思っています
ただ気になる点は先ほど書いたとおり
そして本寿院の出自が町人であったこと
(それゆえ娘時代に駆け落ちをしたとか、近隣の男性を誘いまくっていたとか
いうゴシップもある→『人品記』)
吉通の父綱誠には12人(一説には17人)の側室がおり、それぞれ子供をなしまし
たから(その多くは早世しましたが)、その縁者を巻き込んだ争いが陰日なた
あったことが、こうした噂を通じて透けて見えるような気がします
そういった中で頼れる縁者にたいしたものがいない本寿院は、
・藩主生母として力を振るい、己の欲望のままに振舞った
のか
・ネガティブキャンペーンをはられる無力な存在
だったのか
・周囲(反対派)の勧めに従い、乱行を重ねた
のか
現在残っている記録から僕が考えられることは上記3つのうちいずれかです
- 157 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 18:33:51
- つまりアレだね
いくら同時代の日記とはいえ、朝日文左衛門のポジションを考えると
現代の大企業の係長か課長クラスが、社長のゴシップを書き留めたもので
信頼できるといえば言えるし
逆にできないとも言えると
- 158 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 19:49:48
- >なお、少なくとも吉通は紀伊重倫のような暴君ではありませんでしたね
「暴君」に是非水戸光圀も加えて下されい
- 159 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:41:48
- 鸚鵡籠中記は貴重な文献だよ
同時代人の見解としてフィクションのイメージぶち壊しなことをさらっと書いてくれているからね。
浅野内匠頭が刃傷やった時に
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 殿中の喧嘩は是非を論ぜず、先太刀打つ者が全部悪いんだよ
`ヽ_っ⌒/⌒c はいはい浅野死罪 はいはい吉良無罪
⌒ ⌒
みたいな感想だったことは有名だけれど
絵島事件についてのコメント
. -―- . やったッ!! さすが秋元但馬守!
/ ヽ
// ', 俺たちにできない大奥リストラを
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
はもっと評価されていい
- 160 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 00:19:08
- 別に鸚鵡籠中記全部を否定しているわけじゃあないよ
もしそう読み取れる書き方をしていたのなら謝ります
僕自身抜粋版であるけれど持っているし、全文も数度目を通しました
同時代の貴重な記録で、市井の声を拾っていることや、当時の暮らしぶりが
よくわかる
赤穂事件についてもおっしゃるとおりで、当時の世の中の反応を今に伝えて
いるね
生類憐れみのことや絵島事件のことも歯に絹を着せぬ言葉を述べている
僕が言っているのは、しかし、だからといって、藩主やその生母のことを直接
見聞して書いていたわけではないから、真実を伝えているとは限らない、とい
うこと
吉通は成人するまで江戸にいたし、成人後も江戸と名古屋を往復してた
名古屋でも城中奥深くにいたのだから、文左衛門が会えたわけじゃあない
現代でも、上の方で書かれているけれど、大企業の係長クラスが社長の醜聞を
伝え聞いたとて、はたしてソレがどこまで真実かはわからないでしょう?
もちろん根も葉もないゴシップに過ぎないとも断言できない
繰り返すけれど、問題なのは真実か否かにかかわらず、藩主や生母の醜聞が、
門外不出の個人の日記とはいえ、残されていること、密やかにリークされた
ことにあると思います
それだけ当時の尾藩は規律がゆるんでいた
吉通の寵臣といわれた奥田主馬は城中からさがってすぐに死亡、それも城中で
女中に刺されたため、という噂がたった
このようなみっともない話も残っていることから、藩内の空気がわかるような
気がします
一方吉通の近侍であった近松茂矩は文武の名君であると証言しています
これまたおべんちゃらだと考えることもできるし、近侍の者の証言だから確か
だと考えることもできる
- 161 :160:2008/06/13(金) 00:19:36
- 武に優れていたことは確かなようで、柳生新陰流の正統を継いでいる
これまた尾張藩主は代々柳生本家と交代で引き継いでいるのだけれど、生半可
な殿様芸でないことは確かです
繰り返しになりますが、毀誉相半ばする人物で、その実態は謎に包まれている
といっていい
だから単純に決め付けはできないし、ましてやそれをもとに将軍継嗣云々や
長生きしていたらというイフの話などは、(するのは自由だけど)、
現実的とはいえないでしょう
- 162 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 00:25:41
- 要するにいろいろな文献を読むと、その無個性が印象付けられるということ
- 163 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 00:42:44
- 『趨庭雑話』も忘れないでくれ
- 164 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:34:51
- 光友、綱誠の子女はかなり多いが、大半が早世した。
紀州光貞、水戸光圀の子女はそれほど多くないが、早世した者は少ない。
- 165 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 23:08:27
- 綱誠の場合、40人中成人に達したのが
吉通、義孝、継友、通温、宗春、そして松姫の6人
生存率低いと見るか、普通だと見るかは人それぞれですが
綱誠の庶兄、松平出雲守義昌(大久保松平家祖)の場合は
17名中育ったのが
義賢(大久保家2代) 稲姫(伊東佑崇室) 義武
の3人
同母弟、松平摂津守義行の場合
16人中成人したのは越智松平に養子に行った武雅ただ一人です
- 166 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 23:14:21
- >>165 家慶なみの幼児死亡率ですね。
- 167 :165:2008/06/13(金) 23:26:02
- 光友の場合は、綱誠とは異なり、生存率はやや高め。八代宗勝と似ています。
男女あわせて17人のうち、
「長男」義昌は庶出であるため3男扱い
(北条時輔と同じですね)
そして家督を継いだ長男綱誠、その弟次男義行、
大久保、四谷とならぶ川田久保の家を興した10男友著以外に
家臣松平図書の養子となった4男康永
浅野綱長の正室となった3女貴姫
6男松平六郎友重
がいます
まあこれも半数以上は夭折しているので、生存率低いといえば低いですね
どうも尾張家とその分家の系図ばかり眺めていると、
この比率でも「生存率高め」と感じてしまうのです、僕は
分家の祖となった、義行、義昌、友著に比べ康永と友重の二人は出来が悪かっ
たようで、粗暴な振る舞いが多く、康永は酒色におぼれて養父より早く死に、
友重は蟄居という処分にされています
- 168 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 23:31:49
- なになに?
綱誠はあんだけ子供いて男の孫は五郎太一人で女子も継友、宗春の娘だけか
女系でさえも血統は途絶えたの?
- 169 :165:2008/06/13(金) 23:41:00
- >>166
そうですね
医学が未発達だった当時、乳幼児の死亡率は現代と比べ、はるかに高かった
のですが、加えて当時女性が胸元までつけていた白粉に鉛成分が入っていたこと
そして父母の頑丈さも関係してますね
2代光友は、紀伊吉宗と似て、その母は頑強な(一説に農家の)娘
彼女が義直に見初められたのは
・湯女として奉公していたが、その太ももに欲情した殿様に押し倒された
・殿様がやってきた時、その通り道に、彼女の父親が湯浴みをしていた。彼女は
殿様の邪魔にならぬように、急いで湯桶ごと父親を家の中へ。その力強さに
力強い男の子を産むであろうと見込まれた
・殿様の前に突進してきた猪を素手でつかみ、倒した
の三説あります。
儒教でコチコチの頑固者義直は、妻以外の女性を置くことを長らく拒否していた
ため、光友が産まれても、これを恥じて2年ほど面会もせず、認知もしなかった
らしいので、恐らく一番目が真相に近いかと
なお光友を産む時も壮絶な逸話が残っていまして
「おらのような下賎なオナゴの股から殿様の子をひりだすわけにはあかんて」
とばかり、下腹部を刃物で裂いて子を取り出したそうな
あくまで逸話ですが
- 170 :165:2008/06/13(金) 23:43:23
- >>168
義直の男系女系双方の子孫については>>83から>>87あたりを参照してくだされ
- 171 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 23:52:45
- 男系は井上、永井の小大名に成り下がったのに、
女系はやけに栄えているのも皮肉な話。
- 172 :165:2008/06/14(土) 00:00:55
- ちなみに義昌の娘稲姫が嫁いだ伊東佑崇は日向飫肥藩5代藩主佑実の養嗣子で
残念ながら病弱なため廃嫡されている
よって子孫は確認できない
ちなみにこの伊東氏は尾張分家や重臣家と婚姻をむすんでたりします
- 173 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 23:22:34
- >169
それ、なんて帝王切開?
でも、結局その末裔に帝王は出なかったんですねorz
- 174 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 10:47:19
- 三姫の息子が生きていれば
- 175 :短パンマン:2008/06/16(月) 12:36:35
- 名古屋はエ〜エ〜で
- 176 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 18:45:45
- 血統はともかく、結局一番体面を保ってるのは尾張家だな
- 177 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 19:12:19
- 水戸は血統も体面も保っているし宗家も血統はぐちゃぐちゃだがまあまあ。
紀伊は・・・・・
三卿は元々大名じゃないし大きな財産も無いだろうから知らない。
- 178 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 19:42:11
- 御三家で家康の男系を保っているのは水戸家のみ。
御三卿も田安家以外は水戸家に乗っ取られた。
- 179 :天知茂:2008/06/17(火) 00:20:13
- 城が無ければただの町
- 180 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:27:30
- なごやブルース最強!
囃しはにゃあでよ
- 181 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 07:32:42
- 男系うんぬんよりも、藩祖いらいの尾藩当主の遺志を継いでいるかどうか、
ですね
男系でつながっているとまずそれは途切れないけれど、別に女系でつながって
いたらそれが無くなるとも限らない
斉朝斉温斉荘慶臧4代50年が「押し付け」と呼ばれたのも、尾藩のアイデンティ
ティが薄められ、幕府の出先機関のようになってしまう/なってしまったのを
危惧したからの評価です
家と血統とはしばしば重なるものですが、だからといって、血統がつながって
いれば誰でもいいというわけでもないし、それが尊いとも、江戸時代ですら
考えられておりませんでした。
血統が続いているのを誇るのは結構ですけれど、他を見下げるのはよろしくない
ですな
- 182 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 08:43:55
- 成瀬、竹腰、高須藩主、
時の当主の年齢にもよるだろうけど、
だれが一番権力を持っていたのだろうか?
- 183 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 00:12:13
- 名古屋駅弁
「味噌カツとエビふりゃあ」は
でらうみゃあよ
- 184 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 22:37:01
- >>165
そう考えれば御三家の三人がみな無事に育ったのは奇跡に近いな。
- 185 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 09:27:42
- 家康の男子は仙千代と松千代以外は成人している。
過保護で軟弱な時代になったってことだ。
- 186 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:31:30
- 家重の子供はみんな成長して50近くまで生きました
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