後南朝2【不滅の皇統永遠なれ】
- 1 :日本@名無史さん:2007/12/23(日) 01:41:11
- もうすぐ絶えそうなので立てときました。
- 248 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 04:55:26
- 美作後南朝説自体がトンデモじゃん。
思い込みから発生した説でしょ?
- 249 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 23:59:31
- あくまでも仮説でしょうが、そのおおもととも云える原三正氏の
死亡事件には確かに腑に落ちない点があるのも事実ですよね。
- 250 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:32:51
- みんな何処行ってしまったのかね?
- 251 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 03:36:30
- 皆、幕府の追及を逃れて潜伏しておるのじゃよ
或る者は大和の山奥、また或る者は熊野の山野、そしてまた或る者は・・・・・
南朝再興を夢見て
- 252 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 14:07:50
- >>246
簡単で良いからどんな内容か書いてくれると嬉しい。
美作後南朝については書物も少なく、闇の中のまま。
南北朝時代の末期に山陰の大々名の山名氏が南朝の断絶を避けるために
美作国の植月に後南朝の皇子を招いて開設されたのが美作後南朝。
三種の神器も美作後南朝に伝えられ、代々天皇が即位し、地元豪族達に守られて
戦国時代も生き延びたが、第8代高仁天皇が死に、後継者である良懐親王が江戸幕府
により庶民の身分に落されて美作後南朝は滅亡したとされている。
その後の話を書いているならどういう内容か知りたいな。
- 253 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 01:58:59
- >>252
遅くなりました。
本作は、高仁天皇の妹君である藤子内親王を主人公に据え
タイトル通り、美作藩主・森家の改易から美作後南朝の滅亡を描いています。
残念ながら、滅亡後の話ではないものの、美作後南朝の成り立ちからの
歴史を判り易く合間合間に挟んでいます。由比正雪との関わりのくだりなどは
興味深く読めました。
全体的に静かな文調で進んでゆくのですが、その下には著者自身も語るように
史料や逸話収集の苦労が忍ばれる作品となっています。
些か簡単に過ぎ、失礼いたします。
- 254 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 07:09:59
- >>253
ありがとうございました。
やはり滅亡後の話ではないですか。
個人的には美作後南朝の存在自体を疑問視しております。
平民に落とされたにしろ子孫は続いた訳で、それらの足跡が余りにないのは
不自然ではないかと。
ましてや地元豪族が本当に支持していたなら、その後も支援するだろうし庇護もするでしょう。
突然のようにすべてが消失するなんてありえないと考えています。
- 255 :日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:56:31
- >>254
253です。
私も滅亡後の話かもと多少の期待を持ちながら購入したのですが、残念ながら・・・。
後南朝関連書物収集の一環として、所謂「美作後南朝」関連書にも手を染めているのですが
>>254さんもおっしゃるように読めば読むほどその存在には疑問を持たざるを得ないというのが
本音ではあります。
奈良・川上村に伝わる後南朝伝説を基に多少のこじ付けすら感じられるようなその歴史に
加えて、「モーゼの自然石」までがとび出して来るのですからね・・・。
その観点からも>>254さんと同感です。
- 256 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 21:38:46
- 村田正志先生、亡くなられてたんですね・・・
ご冥福をお祈りします(-人-)
- 257 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 01:04:41
- 同じく
合掌!
- 258 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 01:21:34
- 御教示感謝。合掌。
- 259 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 03:35:33
- 村田先生は戦前から南朝及び後南朝関係の論文を書いておられたので
相当高齢なんだろうとは思っていたが104歳だったとは・・・。合掌。
- 260 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 20:22:36
- 全集高額で・・・
- 261 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 01:31:15
- 追悼の意味も兼ねて購入いたしました・・・・・再び合掌
- 262 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 10:10:28
- 後南朝もこのようにひっそり埋没していったのかな。
- 263 :日本@名無史さん:2009/08/28(金) 00:34:08
- んなあこたあない。
- 264 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:48:47
- 元弘期に後醍醐天皇の御子を宿した広橋局が天皇の流された隠岐国へ下向する途中、
美作国は藤尾山で出産し、「大内皇子」と名付けられたそうです。
当時、美作国で勢威のあった菅公の末裔という菅家の一族がそれを守護して
御所を造営するも、「大内皇子」は三歳で亡くなられたといい、御所宮、日吉山王宮という地が
その跡だという話が「美作太平記」巻之二にあります。
同書には所謂「高福天皇」系の「美作後南朝」については見当たりません。
- 265 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 20:30:05
- Latter Southern Court
- 266 :誤難聴:2009/11/07(土) 22:08:22
- はじめまして。楽しく拝見させて頂いています。
ひょんな事から後南朝に興味をいだき、段々とのめりこみそうな雰囲気に
なってきました。特に尊雅王、信雅王、西陣南帝あたりに興味があります。
いろいろお聞かせください。
- 267 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 01:18:39
- こちらこそ、よろしくお願いいたします。
と申しましても、私も諸先輩に混ぜていただいている身ではありますが(笑
ところで>>266さんはどのようなきっかけで興味を抱かれたのですか?
差し支えなければお教え下さい。
- 268 :誤難聴:2009/11/08(日) 19:13:54
- はい実は私の在所が尊雅王や尊秀王ゆかりの地でして、
ついこの前までは後南朝という言葉さえ知りませんでした。
もちろん地元でありながら、学校で教わったこともありません。
先日近くの寺の前ご住職が市史の記述に対して激しく抗議しているのをて聞き
今更ながらそんな歴史があったのかと驚いたところです。
学術的なことは解りませんが、地の利を活かして現地調査の真似事でも
してみようかなと思っています。
- 269 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 04:53:11
- 地元の方なら、まず朝拝式ですかね。
- 270 :誤難聴:2009/11/09(月) 19:19:44
- 吉野方面は、たくさんの方々が色んな研究なりレポートなリを発表されて
いますから、私の場合熊野北山十津川を中心に歩きたいと思います。
当面のところ、座崩、池の宿、星野平、小橡、大河内、近露、等々と
いったところでしょうか。
- 271 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 23:00:20
-
後南朝なるものは痴人の妄想
歴史上、何の意味もない
好んで狂人の群れに加わるもの
に過ぎない
- 272 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 01:36:37
- とおっしゃる御仁もいらっしゃいますが、
歴史に浪漫を感じる事は個人の自由ですしね。
「誤難聴」さんもご自分なりの楽しみ方を見出して、
またレポ等よろしくお願いいたしますね。
- 273 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 19:31:01
- 確かに私も痴人の一人かも知れません。
ただ彼の王子達をお守りした人達の子孫は今なお各地に残っており、
当地方にも古文書にも残る家系は脈々と続いています。
一概に妄想と言い切れないこともあると思います。
最近ブログを開設しましたので、良い写真が取れたら紹介します。
- 274 :日本@名無史さん:2009/11/11(水) 01:18:35
- 痴人なぞと野暮な事を申してはいけませんよ。
悠久の歴史に夢を馳せる事も大事ですぞ。
時にはここで語り合いましょう。
雪の季節前に伯母ケ峰から北へもどうぞ。
- 275 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 22:01:49
- >>268
>先日近くの寺の前ご住職が市史の記述に対して激しく抗議
(熊野?)市史の記述というのはどんなものだったんですか?
「尊秀王・忠義王という名は民間の伝承に過ぎない」とか?
- 276 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 19:00:31
- 熊野市史には南北朝に関わる記述が200頁あまりあります。
和尚が抗議するのは、市史が大西源一氏の説
「円満院の大僧正円胤といふ方の事が誤まって伝えられて居るのだろうと思う
市史p632」
を取り入れ
「円胤をもって尊雅王と同人であるとすると、市内に残る尊雅王の伝承、
史跡のすべてが否定されることになる。」
という部分だと思います。(他にもたくさん文句を言っています)
和尚は神山光福寺の前ご住職ですから、心が痛むのだとおもいます。
- 277 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 19:29:16
-
後南朝を云々すること自体、狂気の沙汰
- 278 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:42:01
- その大西氏とやらのおっしゃる事も推測による一説に過ぎないでしょうし
熊野市史がその説だけを採って「否定的」記述をするのも如何なものかと思いますよね。
もちろん「歴史の闇の中」にある後南朝ではありますが、何らかの要因があって現存する
史跡・伝承等々もあるわけですからね。
熊野市はそれを地域文化資源として活かさなければならないでしょうに。
- 279 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 09:50:14
-
>>史跡・伝承等々
幕末・明治の南朝・勤皇ブームに乗っかって捏造されたものが殆どであろう
- 280 :誤難聴:2009/11/18(水) 18:58:37
- たしかに捏造されたものも多々あると思います。
機会があれば市長に言って、史跡等のアイソトープ測定の予算を
つけてもらいます。
- 281 :誤難聴:2009/11/18(水) 19:12:31
- >>278 熊野市はそれを地域文化資源として活かさなければならないでしょうに
おっしゃるとおりです。熊野市を含め当地方の農林水産業は
就労者の高齢化とともに衰退の一途をたどっています。
後南朝の遺産は地域活性化の起爆剤にもなりうる好材料です。
- 282 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:14:37
- >>281
正直そう思いますよ。
捏造であれども後世に生きる我々にとっては歴史浪漫に変わりありませんからね。
事実「平家落人伝説」などは捏造がほとんどなのに、地域の活性化に一役買っている
所もかなりの数にのぼりますしね。
後南朝ファンの一人として、ご健闘をお祈りいたしておりますよ!
- 283 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:39:13
- 大西源一といえば、それまで諸説あった神武天皇の東征時の上陸地を
三重県熊野市二木島に定説化した人だよね?
- 284 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:33:58
- 光福寺の前住職って秋田氏でしょうか?
氏の著書 「後南朝 尊雅王子は蘇る / 平惟盛卿残照」はなかなか見かけませんね。
どなたかお読みになられましたか?
- 285 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:40:52
- 光福寺は平維盛の開基と伝えられてるよね。
熊野には維盛はじめ平家の伝説も多いね。
- 286 :誤難聴:2009/11/20(金) 22:49:58
- 後南朝のスレなのになんだか熊野ばかりで申し訳ないです。
>>283
神武天皇の上陸地を熊野にして頂いたのはありがたいことです。
尊秀王を否定されたのは残念です。
また日本最古の神社といわれる 花の巌 もあります。
>>285
そのとおりです。平家の伝説もたくさんあり、光福寺はここらあたりが
捏造と言われる所以かも知れません。
>>284
秋田和尚は隠居され、 光福寺の横に私文庫を開設されています。
「後南朝 尊雅王子は蘇る / 平惟盛卿残照」とともに
「後南朝の殿 尊雅王子」も編著されています。
2,3時間 後南朝談義を聞くつもりで訪問すれば
二冊タダでくれるかもしれません。
この著の中で中谷順一氏の「高尾谷城塞」説が秋田和尚の考察と
ともに紹介されています。
恥ずかしいのですが、ヤフーブログでこの「高尾谷城塞」らしき一部分の画像をup
しいてます。「誤難聴」で検索してみて下さい。
- 287 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 01:13:14
- 川上村の人たちがあれだけ熱心に自天王を祀り続けてるってことは
逆に言うと自天王以後の後南朝なんてものは存在しないってことだよな
- 288 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 01:28:45
- >>286
貴ブログに訪問させていただきましたよw
今後とも現地の生の情報レポを楽しみにしています。。
高尾谷には南朝方の山東氏も潜居したといいますよね。
ただ、ご存知とは思いますが、山中に残る石垣等住居の形跡は
木地師の生活跡という事も多いのでご注意下さいね。
光福寺にも近いうちに伺いたいと思っています。
奥の院には尊雅王のご遺骸が眠っておられるとか、でしたね。
- 289 :誤難聴:2009/11/22(日) 17:49:01
- 光福寺より尾鷲方向に10分程走ると、長谷山大義院があります。
ここには自天王の位牌があります。
星野平は自天王に仕えた星野源六左衛門が定住した地です。
星野氏はここに尊雅王のお后と子(信雅王?)を匿っていたのかも知れません。
また光福寺には藤の方という側室がおられたようです。
- 290 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:14:47
- ごめんなさい、奥の院にあるといわれているのは平維盛の遺骸でしたね。
星野氏のお話は有り得るかも知れないですよね。
- 291 :誤難聴:2009/11/23(月) 18:19:30
- 光福寺の皇霊殿の裏に石宝殿(尊雅王の墓)があり、その右奥に維盛の夫人
菖蒲御前の墓があります。
また本堂裏の一番高い所に熊沢天皇と右翼清水亘氏の
墓碑があります。
平維盛の墓は各地にありますが、討手の目をくらませるため
かも知れません。
- 292 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:40:37
-
お客(歴オタ)を呼べそうなエサ、山盛りだな
- 293 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:50:58
- 興味もないのに横槍ばかり入れる御仁は放っておきましょう。
「熊澤天皇」は生前に光福寺を訪問したのでしたね?
また、維盛の遺骸が安置されているというのは観音滝のようですね。
- 294 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:44:41
-
時代錯誤の南朝なんて、国民に塗炭の苦しみを与えただけだし、
後南朝に至っては足利方に追われ山野を奔竄しただけなんだが・・・
- 295 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:42:21
- 「塗炭の苦しみ」を与えたのは南朝だけに限らんだろが。。。
それに時の政権に追われて逃げ回ったのも後南朝だけに非ず。。。
- 296 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:47:17
-
竜頭蛇尾 → 雲散霧消
- 297 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 01:22:22
- 何か恨みでもあるのかな、この人。
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