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(明治) 殿様の職業(再就職先)について

1 : :2008/01/15(火) 14:53:55
1881年現在

下総高岡藩 井上正順 宮内省出納課見習
備中岡田藩 伊東長トシ 内務省九等属
美濃高富藩 本庄寿巨 内務省十等属
豊前千束藩 小笠原寿長 陸軍省十四等出仕
駿河桜井藩 瀧脇信敏 沖縄県御用掛
伊予小松藩 一柳紹念 鹿児島県御用掛
伊予薦野藩 土方雄志 工部省九等属
常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕
下総結城藩 水野忠愛 群馬県御用掛
備中浅尾藩 蒔田廣孝 秋田県御用掛
但馬村岡藩 山名義路 広島鎮台陸軍歩兵伍長

以前の身分と物凄い落差がある事例を出してみました。

2 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 15:00:14
明治14年だとまだ士族の下士官直任有りかな?
それだと第二次大戦中と違って兵卒までは経験してない?
山名は幕末お手盛り大名だもんな金がなかったんだろうな。

3 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 15:19:01
岡部長職などは、単身海外留学を経て新政府に登用され大出世してますね。

宮中伺候などという肩書きもありますが、これらは有給でしょうかね?
教部省の講義(無給)などという肩書きの方も少なからず。

4 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 17:13:06
藩主→陸軍省十四等出仕
藩主→陸軍歩兵伍長 すごい落差(下降)ですね。

百姓あがりの上官(上司)のもとで勤務
つい最近まで殿様であった部下の取り扱い方

双方ともにやりにくかったのでは?

5 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 17:19:09
かっての家来や領民(百姓)などが、上司などということもあったのでしょうね。

仕事になっていたんでしょうか?

6 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 17:42:52
山名義路歩兵伍長あまりにも可哀想・・・
案外、本人は喜んでいたかもしれないが

7 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 17:49:24
山名義路は、後に陸軍少佐。男爵。貴族院議員にもなっている。苦労して成功しています。

8 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 19:19:02
井上正順:明治8年(1875年)、警視庁15等を拝命。明治9年(1876年)には警部補に昇進。

9 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 19:25:11
蒔田廣孝は、明治30年(1897年)に第3代浅尾村長、明治41年(1908年)5月には初代総社町長となっています。

10 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 19:50:06
まだこの時期は百姓上がりの将校は希でしょう。
でもまあ足軽以下の家に生まれた山県が陸軍トップ、
これはまあ実績とかで仕方がないかもしれないけど。
小禄武士で大して実績もない若造の乃木が明治四年少佐直任とか、
薩長以外の出身者には腹立つことが多かったとは思う。

11 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 21:03:09
山名義路は、広島鎮台陸軍歩兵伍長で、「従五位」です。もらった金禄公債1万1千四百余円ほど。

12 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 22:09:42
小藩の藩主はつらいなあ。1万から3万ぐらいの手切れ金で。

新政府に登用されるとか、資産を上手に運用するとか、新政府に登用された旧臣に恵まれるとか。
才覚のない個人「殿様」は没落するのみ。

13 :日本@名無史さん:2008/01/15(火) 23:42:01
華族制度廃止後みんな貧乏人ばかりさ

14 :日本@名無史さん:2008/01/16(水) 17:58:28
貧乏になった直接原因は銀行が潰れたのと戦争だろ

15 :日本@名無史さん:2008/01/16(水) 22:22:35
伊東長トシの跡、久實は縁も所縁もない伊東巳代治の子に家をのっとられているのか?
困窮して子爵の株を売り払ったのか?

大正になり、久實は年上の二郎に家督を譲って隠居、さらには分家までしている。
分家すると平民だよね。

16 :日本@名無史さん:2008/01/16(水) 23:43:12
>>7
一般人が伍長から少佐にまで昇進したら大出世だけど、華族、しかも元大名じゃ・・・

17 :日本@名無史さん:2008/01/17(木) 14:59:30
ややスレ違かも知れないが

和歌山藩付け家老・水野家(男爵)の長男って、八甲田山で遭難死してるんだな ちなみに当時の階級は陸軍中尉
当主だった父も同年死去

18 :日本@名無史さん:2008/01/17(木) 17:43:49
前田家の当主は軍人になることが当然だったらしい

19 :日本@名無史さん:2008/01/17(木) 18:31:57
利家とまつ見たせいか、前田利家といえば華奢な役立たず男のイメージがどうしても拭えない

20 :日本@名無史さん:2008/01/19(土) 12:21:03
>>1
明治前期で小大名の没落振りが、ここまで激しいとはな。

21 :日本@名無史さん:2008/01/19(土) 13:15:19
士族は当初職業が失われる為


木戸が造った国鉄に就職するか


軍人や警察官になるかどちらかでした。


山縣さんは警察でしたが、子孫たちは華族制度廃止後

どん底の貧乏になり残された土地で林業し成功されました。

22 :日本@名無史さん:2008/01/19(土) 16:01:45
明治前期に大名華族の息子が徴兵検査を受けて、
農民出の壮丁と一緒に入営するなんてあったのかな。

23 ::2008/01/20(日) 09:32:20
1881年現在

下総高岡藩 井上正順 宮内省出納課見習 録券13440円余 家扶2名
備中岡田藩 伊東長トシ 内務省九等属 録券26595円余
美濃高富藩 本庄寿巨 内務省十等属 12205円余 家令1名
豊前千束藩 小笠原寿長 陸軍省十四等出仕 録券16585円余 家扶1名
駿河桜井藩 瀧脇信敏 沖縄県御用掛 録券13140円余
伊予小松藩 一柳紹念 鹿児島県御用掛 録券17860円余
伊予薦野藩 土方雄志 工部省九等属 録券20670円余
常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕 録券17975円余
下総結城藩 水野忠愛 群馬県御用掛 録券19152円余
備中浅尾藩 蒔田廣孝 秋田県御用掛 録券14695円余 家令1名
但馬村岡藩 山名義路 広島鎮台陸軍歩兵伍長  録券11435円余

陸軍省十四等出仕で家扶がいるなんていうのも不思議?

上記のレベルの華族の一月あたりの生活費はどれくらいだったのでしょうか?

公債の利息と給与でまかなえたのでしょうか?
それとも公債を取り崩してせいかつしていたのでしょうか?

24 :日本@名無史さん:2008/01/20(日) 21:48:57
1廃藩置県、金禄公債発行

小大名-さっそく職探し
大中大名-銀行設立、投資、利子ウマ〜

2.十四銀行などの倒産-ヤバ〜

3.財産税-あぼ〜ん

こんな感じか?

25 :日本@名無史さん:2008/01/21(月) 23:28:47
それでも資産家として生き残った島津家や尾張徳川家はたいしたものだな。

26 :日本@名無史さん:2008/01/21(月) 23:34:50
明治20〜40年頃、華族の対面を維持するのに必要とされていた年収は500円だそうです。
このため旧家老1万石以上でも年収500円未満の家は華族になれませんでした。
逆に1万石未満でも財産があれば華族になった例もいくらか有ります。

27 :日本@名無史さん:2008/01/21(月) 23:44:39
医者、学者への転進も体面維持の一つ。

28 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 09:10:41
俺は華族ぐらいあってもいいと思うけどね。
皇族が旧宮家11家復帰で年金が3億、
華族が100家ぐらいあって年金総額が3億、
計6億ぐらいの税金で名家を維持していくぐらいいいんじゃねーの?

まあ、俺のとこは九州の百姓なんで関係ないんだがw


29 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 17:37:26
廃藩で、側室とかはどうなったのでしょうかねえ。
小藩でも2人や3人はいたでしょうに。

30 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 17:45:11
たとえ小藩であってもまがりなりにも藩主の地位にあれば、
明治時代になんらかの華族になれたんじゃなかったか?
下に仕えていた士族は悲惨だったが

31 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 17:50:09
>>28
血税で買ったベンツに乗った若造がアンタの家の前に来て「おい、そこの下郎、頭が高い。特別のお慈悲で高貴な靴底を舐めさせてやる。」
なんて言われたら喜んで舐めるの?

32 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:24:56
>>30
万石以上の陪臣のことでしょ。万石以上でも華族になれなかった陪臣家はあります。

33 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:26:25
家老クラスの男爵はどういう職業についていたんだろうねぇ

34 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:36:53
不名誉な話のせいか具体的な家名はあがっていませんでしたが、
爵位申請を却下された旧1万石の家老家で本人は郵便局員、
家族はよその家に預けてあるなんて例が有ったそうです。

35 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:44:54
貧乏華族が宮中晩餐会に招かれると高価な食器を持ち帰っていたそうで、宮内省を悩ませる問題でもあったとか。

36 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:46:38
上で出ている例はみんな1万円以上有って、
1000円以上年利5%らしいので、
一応年額500円は確保ってことらしい。
不動産もゼロってことはないだろうし、
まあ最低限の対面は維持できたのでは。
家族の人数がよほど多ければ話は別でしょうが。

37 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 18:48:27
蜂須賀の当主はついタバコを失敬して、
明治天皇に「血は争えぬな」と言われたとか。
男系子孫じゃないけどね。

38 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:01:11
伝来の武具や家具調度、書画骨董もあったと思う。また個人資産もあったはず。

しかし、旧臣に公債や資産を食い物にされたり、資産運用に失敗したり、いろいろあると思います。
現実を受け入れることができず、それまでの生活を続け、あっという間に公債が0にとか。

39 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:31:00
>>37
小六とはアカの他人じゃなかったかな。
その人は11代将軍徳川家斉の男系の孫で、血筋を言うなら家康の子孫だし。

40 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:47:00
明治8年の9等官が(判任の上から2番目)が月棒50円、つまり年額600円
同じく10等官(3番目)が月棒40円、つまり年額480円。
このあたりが500円に近い地位かと。
ちなみに高等官最下位の7等官が100円、年額1200円。
15等官(判任最下位)が12円、年額144円。
これは明治14年改正の17等(12円)に相当するらしいので、
14年次の14等は20円程度ではないかと。

41 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 19:55:10
明治20年代に伊予松山の御曹司がフランス留学した時に、
ご学友?に選ばれた旧藩士秋山好古に渡された留学費用が年1000円。
大家は剛毅なものだ。
なおその後官費留学に切り替えられ時で1600円。

42 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 21:15:11
ちなみに、○等属(=等官)と○等出仕の違いは何でしょうか?

43 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 21:47:36
明治初期における試補、つまり仮採用。
また明治4年以後業務繁忙のため置かれた臨時員外官。
だそうです。

44 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 21:49:18
明治初期は旧幕臣(テクノクラート?)がかなり出仕になってるようで、
この時期はやはり差別待遇なんだろうな。

45 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:00:37
>>43

どちらが? ○等属 OR ○等出仕


46 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:10:09
>>45
等属だろ

47 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:11:52
等出仕だろ?

48 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:27:36
>>34
一万石もの家老家だったのに何があったんでしょうねぇ

49 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:41:07
一律、18石とかに切り下げられたんでないの? しかし、いきなり18石レベルの生活になれるわけでもなく。

数年、資産を食い潰して如何ともしがたく、、、。とか。

50 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:25:31
>>45
すみません書き忘れです、>>43は出仕の方の解説です。
目地10年前後の内務省の例だと、4等の寮頭(局長)が欠員で、
5等の権寮頭(局次長?局長代理?)しかいないのに、
なぜか4等出仕が居る寮とかもあったようで、
この辺の運用はよくわかりません。
同じ頃「準11等出仕」などというややこしい肩書きも有ったりして。
課長補佐代理とかそう言う感じのくどさですね。

51 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:41:38
殿様が知事になった例は多いが、知事なんて江戸時代で言う
代官みたいなもんだろ?明かな落ちぶれ

殿様は今で言う代議士だよな。与党が譜代で野党が外様 みたいな〜

しかし国会中継なんかみとんと大臣(老中)に対するヤジが多いのぉ〜
一大名が老中様に野次るなんて、江戸時代では考えられん光景だがなw

52 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:44:28
殿様は今で言う上院議員だと思う
参議院議員じゃなくて

53 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:48:07
なんだよ上院議員て

欧米か!

54 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 00:12:07
>>50
ありがとうございました。

ここの俸給表がわかりやすいですね。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J022.htm

55 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 05:20:40
大名は版籍奉還で実高の1割が家禄となり、それが公債の基準となっている。
草高1万石の大名だと、確かに家禄収入は苦しいが、藩財政と家計が切り離されて、
明治以前の借財から解放され身軽になったことも事実。

56 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 05:26:01
家老クラスの上級家臣の場合、版籍奉還前後の録制改革で、どこの藩も大幅に
家禄を削減されている。

戊辰戦争で減封された仙台藩など、万石級の一門・重臣が数十石になっているから、
そういう藩の上級家臣は公債の額も多くはなかっただろう。

57 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 07:37:01
すってんてんになった亘理伊達家は家臣引き連れて北海道に移民したしね

58 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 08:43:03
付家老及びそれに準ずるとの主張が認められて追加された越前家家老の本多家、
これ以外の一般の家臣で明治22年に最初に華族になった二人のうち、
島津珍彦(久光の3男)は旧14000石で公債26000円余り。
同じく山内豊積(容堂の弟)は旧1500石でなぜか公債20000円。
旧石高に比べてやけに金額が多いように思えるが、薩摩あたりはなにか優遇があった?

59 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 09:42:29
薩長土肥は優遇措置がとられただろうね。
下級公家だった岩倉も60000円とか。


60 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 10:09:13
殿様じゃなくて公家だけど坊城俊章は幕末に17歳で侍従、
王政復古後、総裁局弁事→軍務局三等陸軍将(21歳)、
更に→巡察使→按察使→※陸軍少将→山形県知事→
華族留学生(明治4年)→明治7年帰国※陸軍中尉。
その後は地道に軍務につき教官や近衛配属が多いが、
西南戦争で中隊長心得、日清戦争は大隊長として従軍、
最終的に※陸軍中佐で明治29年退役。
少将から中尉になったのってこの人くらいでは?
まあこの人のなった陸軍少将とは、
以前の近衛少将とも後の少将とも異なる存在だったみたいだけど。

61 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 23:04:14
御家人株とか明治になっての士族株の売買とか聞きますが、、、。

「華族」株の売買とかはあったのでしょうか?

62 :日本@名無史さん:2008/01/24(木) 22:16:57
age

63 :日本@名無史さん:2008/01/24(木) 22:27:25
>>61
超愚問なのでググレカス


といいたいところなのだが
日本の華族の成り立ちを見ると、「華族」という身分は売り買いされるような物でなかったのは明白です。
華族辞めたかった+辞めたひとはわりといるけど。

64 :日本@名無史さん:2008/01/24(木) 22:41:15
15の例とかどうよ?

困窮して売った感じがするが、どうよ?

65 :日本@名無史さん:2008/01/24(木) 23:16:55
華族が株?
数が少なく売り買いの相場が建たないものは株ではない

66 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 00:00:53
株とかじゃなくって、単なる金銭の授受ってことじゃないのかなあ。

困窮したら何でもありでしょ? なんて。

67 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 00:20:04
持に参金つきの養子縁組ならべついいんじゃないの?
家名が残れば

68 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 07:31:01
株でなく妹買いなら・・・

69 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 09:00:23
養子の相手にも制限があって同族か華族からしか取れないから、
華族の同族じゃない成金は無理だと思う。
華族の同族で有れば、その同族の華族に形だけ養子入りして華族、
華族同士なので赤の他人でも養子入りOKになると思う。
その同族って例えば菅原古人(道真の曾祖父)の子孫って言うくくり、
つまり加賀前田と堂上菅原や柳生なんかが同族、
さすがに菅原同祖の大江姓の毛利は別らしいけど。

70 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 09:16:17
17等出仕って役人としては本当に最低ランクだな。
この下の等外って巡査・看守・現業職の類だけだし。
このころの巡査は扱い現業みたいなもの。
その正規の17等ですらない人ってどんな仕事をしていたんだろう。

71 :sage:2008/01/25(金) 21:17:14
霞の平成版上巻だけ見たが、色々と面白いなあ。

大名華族の軍隊での尉官どまりがかなりいる。

有馬純文(越前丸岡5)…帝室林野管理局技師
羽後矢島の現当主…履物卸売業自営

おかしなのも
板倉勝任(上野安中3)…実は中山忠能9男、M5承、M6隠居、M11離
            実家に帰って分家
            この板倉家、この後に凄い複雑な継承がされていますね。吃驚します。
伊東久實(備中岡田)…M18生、M34承、T6隠居、T11分家
           伊東巳代治二男二郎(M17生、T6承)
           久實は40代で隠居し、全く血の繋がりのない年上の巳代治の二男が継承。
           困窮して、持参金目当て?



72 :sage:2008/01/25(金) 21:27:02
続き

これも面白い

黒田直養(上総久留理3)…慶応2承、M10隠居、M11除籍
             除籍って何よ? 何があったのか?
             「除籍されたお殿様」ですね。

京極壽吉(多度津1)…実は山崎治正6男、M5承、M7隠居、M8離
           先代京極高典再承、M6高備生
           先代の実子が生まれ、隠居させられて離縁され、散々な目ですね。

73 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 21:34:52
第二次大戦になると殿様の子孫の兵卒も珍しくないけど
徳川慶光の二度目の招集が30過ぎて二等兵ってはすごいな。
征夷大将軍の嫡孫が二等兵だもんな。
旧陸軍って変なところが民主的。
海軍の方は久光の孫(本家の方の当主)が兵学校受験の時、
時の海軍大臣山本権兵衛のお声掛かりで合格プロジェクトを組む、
こっちは明治三〇年代の話だけど、やっぱり貴族的?

74 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 22:21:51
徳川慶光の一度目の召集って、短期で2等兵から昇格する暇がなかったっていう訳ですか?

1等兵に昇格する前に除隊で、2度目の召集で再度2等兵ってことですかね。

75 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 22:58:00
なんか一度目は病気ですぐ除隊になったらしいです。

76 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 23:08:32
華族で、30過ぎて、2等兵って哀しすぎますよね。

位階は、連隊長よりも上の正4位とかですか?

処遇も難しすぎるのでは?

殴られたりしたんですかね?

77 :日本@名無史さん:2008/01/25(金) 23:10:44
華族の家禄
公家は旧禄高三〇〇石程度までは家禄の方が高い。
最低ランクが二五〇石強で、その上は適宜配分して増額してあるようだ。
逆に三五〇石程度から上は旧禄高の方が多い、最高の近衛でも家禄は1500石未満。
相当の平準化がなされている。
大名の方は加賀前田の六万石超、島津本家の三万石超が別格で、
二万石以上もかなりいるが、少ない方は本当に少ない。
足利が最低で二〇〇石なく、他にも公家の最低ランク未満が2、3家有る。
家禄だけを見ると小大名は貧乏公家と変わらない。
まあ還俗した公家分家は大概五〇石以下だからそれよりはましだけど。

78 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 09:44:07
作家の有馬頼義も旧久留米藩主の家出身。
幹候を受けずに一兵卒として出征したおかげで「兵隊やくざ」という名作が生まれた。

困窮した華族は華族株売買とかではなく、たぶん娘を新興成金に売ったはず。
小説「華麗なる一族」の当主の嫁も公家華族という設定だった。


79 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 10:24:56
娘なんかいらん。
名前と爵位だけでいいのに。

80 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 10:46:16
徳川慶光
正確には1940、1941、1944の三度招集。
もっとも二度目は身体検査で即日除隊なので実質二回の入隊。
一度目は内地で肺炎になり入院、退院即除隊。
その次は中国を転戦、赤痢・マラリア等で入院、
まるで入院するために入隊したような軍人生活。
南方ではなくて中国ってところが華族に対する配慮?

81 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 12:27:56
配慮するんだったら、本土もしくは台湾か朝鮮だろ
皇族の仕官もバンバン戦死してるんだから徳川家に配慮とかなくね?

82 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 12:38:36
皇族で戦死者はいない。
内蒙古で北白川宮が、日本軍の飛行機にひっかけられて事故死しただけ。

臣籍降下した元皇族を入れても、音羽侯爵と伏見伯爵の二人が戦死しただけ。




83 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 12:43:29
しかし、最後の将軍の直系の孫で直宮妃の実の兄弟だった公爵が一兵卒って・・・
イギリスでは絶対にありえんなw

近衛の息子も東條に懲罰召集されてるけど、すぐに幹部候補生になって士官になってるし、
もうちょっと何とかならんかったものか。

84 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 15:15:33
旧旗本のその後
@高直しで諸侯と認められた旧交替寄合
A早期に帰順して朝臣となり本領安堵
B徳川家の処分決定後、希望により朝臣
C同様に静岡藩士
D同様に帰農帰商
E同様に帰農帰商したが後に静岡藩士 

最終的な家禄
旧5000石 A250石 B75石 C18石 E原則5.4石 
旧3000石 A120石 B50石程度? C18石 E原則5.4石 
旧1000石 A75石 B35石 C14.4石 E原則5.4石
旧500石 A50石? B28石 C12.6石? E原則5.4石
旧200石 A28石 B16石 C10.8石? E原則5.4石
旧100石 A16石 B10石? C10.8石? E原則5.4石
旧40石 A9石 B9石 C9石? E原則5.4石

85 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 15:25:59
家康の男系子孫かつ徳川姓の人々の軍事体験
水戸家当主国順、士官学校卒業歩兵少尉となるも、3年後には依願休職、予備役。
「すぐに病気なって軍人が嫌になって止めちゃった」
半ばは韜晦だろうけど、武門にしてはあまりに情けない。
武人の誉れは日本航空界の草分け好敏中将くらい?
こっちは家が潰れたから根性が違うのか。

86 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 15:50:59
公家軍人の方が勇ましい
鷹司の当主も軍人になって中将ぐらいまでになった

87 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 20:01:23
華族の戦死第一号って難波家(旧公卿)嗣子宗明かな。
明治3年大阪兵学寮入学、4年少尉任官、7年以前に中尉昇進。
9年大尉昇進、10年西南戦争で中隊長として戦死。
丹波篠山藩当主(維新時は亡兄が当主であり藩主経験はなし)青山忠誠、
幼年学校、士官学校を経て明治13年少尉任官、明治24年現職のまま病死。
明治23年士官学校入校の23名の華族中、公卿系17名、大名系5名、その他1名。
うち将官は名和長憲少将(名和長年の子孫)だけ。

88 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 20:13:02
の訂正
表高5000石の足利家193石より家禄が少ない家が2軒ほどあった。
宍戸松平家1万石が189石、七戸南部家1万石ちょっとで165石。
このあたりは高直しした旧交替寄合諸家(最低が本堂家の195石)より少ない。
表高の通りなら1万石は現石3500石で、家禄は350石になるはずなんだが、
南部に至っては5割にも満たない。
逆に35000石強のはずの加賀前田は倍近い63000石強。
表高では100倍程の差が400倍近くに拡大。
大諸侯と小諸侯の経済格差は天と地ほども大きい。
あと公家の最低ランク未満は2、3家どころじゃない。

89 ::2008/01/26(土) 20:49:23
1881年 華族名鑑
七戸南部信方1万石余 現米162石 禄券5100円とあります。家扶も1人。
「本在所無之」とあります。これは?

八戸南部利克2万石 現米944石 禄券22015円余 家令・家扶が各1


90 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 21:47:33
一人だけなら家令でもいい気がするけど、
給与レベルで他家との均衡上の問題?

91 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:06:46
華族の家令・家扶って、旗本の家老・用人のイメージかな。

92 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:27:17
家令・家扶の給与ってどれくらいなんでしょうか?

教員とか巡査とかと同じレベルとか?

93 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:33:24
志賀直哉の祖父の直道は、旧相馬藩士で維新後は相馬家の家令をしていた。
この人は古河市兵衛と銅山経営やってたから、ただの家令ではないが。

94 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:25:37
下総高岡藩 井上正順 宮内省出納課見習  
 孫正鑑(八戸南部家からの養子)が大正時代に陸軍航空隊パイロット
備中岡田藩 伊東長トシ 内務省九等属
 子久実は同姓(超遠縁?)の政治家の子を養子とする。事実上の売爵?
美濃高富藩 本庄寿巨 内務省十等属  肥後宇土細川家からの養子、貴族院議員
豊前千束藩 小笠原寿長 陸軍省十四等出仕  肥後宇土細川家からの婿養子、東京市会議員→貴族院議員
 次代は恒は陸軍中佐
駿河桜井藩 瀧脇信敏 沖縄県御用掛  高遠内藤家からの養子、首里役所長
伊予小松藩 一柳紹念 鹿児島県御用掛  石鎚神社神官
伊勢薦野藩 土方雄志 工部省九等属  分家旗本土方家からの養子、貴族院議員
常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕 貴族院議員
 次代の直知も貴族院議員で明治30年代に学習院野球部の主将として早慶戦の主審。
下総結城藩 水野忠愛 群馬県御用掛
備中浅尾藩 蒔田廣孝 秋田県御用掛  浅尾村長→総社町長
但馬村岡藩 山名義路 広島鎮台陸軍歩兵伍長  後陸軍少佐、貴族院議員
 子義鶴は京大、社会主義者、終戦直後貴族院議員、昭和22年衆議院議員(社会党)出馬落選
 後に国家公安審査委員

後にかなり高率で貴族院議員。歳費が魅力?

95 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:34:56
悲惨なのが明治10年に当主となった常陸下館藩の石川重之氏、
第二次大戦後まで長生きしたばかりに経済的に困窮し銭湯で……。

唯一取りつぶしの請西藩林忠祟氏は、商店の番頭とか大阪の区役所書記。

96 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:49:14
貴族院議長の歳費は7500円(大正9年改正前は5000円。以下同じ)、副議長は4500円(3000円)、議員は3000円(2000円)

魅力的ではあります。

97 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:50:24
子爵の会派である研究会は交代で子爵議員の座を回転させることで、
利権を分配していたっていうね。

98 :日本@名無史さん:2008/01/27(日) 22:58:17
一橋の現在の家業が酪農自営だって。

請西藩林家の霞の系図には、「明治元年永禁錮」と。禁錮解除の年月はなし。
これって単に削るのわすれてるだけ?

貴族院議員、軍人、官僚とかが多いですね。

公債や金利だけを食い潰していただけの家とかもあったのかな。

華族の年収あるいは納税額一覧のようなものはないのか?

99 :日本@名無史さん:2008/01/27(日) 23:14:48
あんみつ姫の父親は確か薬屋になってたね

100 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 00:17:09
井上真央(井上清直の家系)のお父さんの職業は、大手商社のサラリーマン

101 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:39:13
誰だったか層化になった殿様の子孫もいたな。

102 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 14:40:24
北条浩ね。

103 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 17:47:02
会長だよな

104 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 18:20:21
逝田の幹部家来になってしまったのか。

105 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 19:33:20
華族じゃないけど松平穴のオヤジは真光だよ

106 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:41:15
age

107 :日本@名無史さん:2008/01/29(火) 01:22:16
北条家はもともと日蓮正宗の大檀家
北条浩の代で日蓮正宗創価学会に内部移動

108 :日本@名無史さん:2008/01/29(火) 02:00:36
信教は自由なんだからいいんじゃね?

109 :日本@名無史さん:2008/01/29(火) 09:47:14
日蓮正宗の総講頭は池田大作大先生
のちに本山より破門さる

110 :age :2008/01/29(火) 22:32:53


111 :日本@名無史さん:2008/02/01(金) 18:36:46
武の親父はペンキ屋だろ?

112 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:02:17
現在、成功しているのは医者、政治家、宗教関係従事、会社経営、団体役員、
あとは一流企業社員とか自営でそこそことかだろ。

霞会館の発行してる家系図名簿に、職業記載のない家の多いこと多いこと。

今でも維新以来の資産で食いつないでる家ってあるのかな?

113 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:00:47
尾張や水戸のように自前の財団(美術館)と資産管理会社持ってるところ。
外様の大大名の家もそういう家が多い。

政治家については、藤山愛一郎(大実業家で岸のパトロン)が政界入りしたとき、
「絹のハンカチを泥で汚した」と言われたように、大衆民主主義の現代においては
紳士が政治家になるのは、むしろ品格を落とすだけのような・・・

114 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:10:26
現在はともかくかつては公爵家と首相の縁が深かったイギリスとは偉い違い?
まあ日本にも公爵の首相もいたけど。

115 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:26:23
旧華族でも財団と会社持ってるところが勝ち組か・・・・・

116 :日本@名無史さん:2008/02/04(月) 03:20:30
つーか、貴族院議員は一応政治家なのだが・・・

117 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 20:06:03
あげときます。

118 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 21:25:56
華族の子弟は徴兵されたら優先的に近衛師団配属とかあったのかな?

119 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 21:31:17
特にそう言うことはないみたいですよ。

120 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 21:56:15
二等兵の華族って結構ごろごろ

121 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:08:30
華族=貴族院 ではないんだろうけど、貴族院にはどうしたらなれるの?
貴族院で欠員が出たら、貴族院が推薦して天皇が任命するとか?

122 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:40:22
華族以外は、多額納税議員とかで資格がある。

123 :日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:43:40
華族に限らないけど旧家は医者も多い気が。
とーどーさんはいまでも歯科やってるのかな

124 :日本@名無史さん:2008/02/06(水) 19:17:18
御一新で医者と学者の社会的地位がグッと向上したからね。


125 :日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:17:10
北条浩の息子の伸作さんは創価学会幹部で聖教新聞勤務。

126 :日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:24:01
学会に入った経緯はなんだろね?

127 :日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:43:50
柳沢保申なんてのは具体的には何やったんだ?
南都銀行の頭取ではないけれども
地元でそのまま名士っていう藩主も少なくないよね

128 :日本@名無史さん:2008/02/07(木) 23:54:30
旧家臣がしっかりしてたんでないの? 主家のために奔走、忠臣のおかげでないのかな?

129 :日本@名無史さん:2008/02/08(金) 01:36:20
柳沢の子孫は地元の国立大学長だったよね。地縁もありステータスもあり。

130 :日本@名無史さん:2008/02/08(金) 03:27:21
>>126
もともと浩の先代が正宗から鞍替えしたらしい

131 :日本@名無史さん:2008/02/08(金) 23:46:45
その理由が知りたい。地位と金に釣られたのかな?

132 :日本@名無史さん:2008/02/09(土) 02:00:52
浩の先代の頃の正宗なんて、創価もまだ出来てないころ
地位も金もない、純粋に教義に惹かれたんだろ

133 :日本@名無史さん:2008/02/09(土) 04:10:22
加納久宜は勝ち組人生だな
判事から内務省に転じて鹿児島県知事で退官
その後は農会(今の農協)の設立に尽力して大日本農会会頭
一方で東京競馬会の会頭にもなってる
晩年は旧領の上総一宮町長に就任して週1通勤

息子の加納久朗は横浜正金銀行ロンドン支店長から取締役
戦後は日本競馬会副会長、日本住宅公団総裁を経て
千葉県知事に当選したが半年で急死

134 :日本@名無史さん:2008/02/09(土) 06:18:21
1〜2万石の平大名の子爵は、華族といってもなかなか大変だったんだな。

135 :日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:51:23
貧乏公家華族の方が適応力があったんだな。

136 :日本@名無史さん:2008/02/09(土) 23:49:29
資産運用してた元大名も多かった
『金色夜叉』の主人公間貫一は高利貸になるが
自分が金を持っていたわけじゃない
明治時代の高利貸の多くが元大名の金を預かってた

出納は金庫番の家令がやってるんで元大名本人は
自分が優雅に生活できる理由を知らなかっただろうが

137 :日本@名無史さん:2008/02/10(日) 18:59:07
軍人、官僚、一流会社へ就職、学者や医者になる。

公債だけでは、年々目減りして、困窮。

138 :日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:15:08
明治になって成功した旧臣で忠臣がいたところはいいよ。

139 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 01:33:28
元狭山藩主の北条氏恭は、天皇の侍従に納まっているな。


140 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 04:37:08
狭山藩というと後北条氏か

141 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:40:56
大身旗本も大変だったようですね。

人力車夫にまで落ちぶれて、それにたまたま乗った成功した元奉公人が気付き
何某かの金を与えて、、、。なんて話もあったような。

142 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:58:50
>>141
無祿同然で駿府に移住して生活が成り立たず
東京に舞い戻った旗本も多かったし
かつての自分の屋敷は薩長の元芋侍が占領

143 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:27:28
やはり、さっさと帰順して朝臣になった連中が賢明だったのかな。

144 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 18:51:08
元々貧乏な公家や下級士族の方が適応力があったようですね。

年々の家禄、それがなくなる。時代の流れに適応できないって恐いことですね。

金禄公債を目減りさせることなく有利に運用するか、官職について月俸50円〜100円以上
は稼がないと駄目ですね。

145 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 19:00:24
ところで、明治初年の小学校教員や巡査の初任給8円などというレベル。

旧藩時代の石高に換算するとどれくらいになるんでしょうか?

30俵2人扶持とかと同レベル?

146 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:39:05
貧乏も有るけど下級公家や下級武士は家臣がいないないしいても少ないから
何でも自分でやるしかない。
大名は借金まみれの貧乏藩でも家臣がいろいろ助けてくれる。
そう言う前提の教育しか受けていないし、
そもそも自分駄やるという発想に乏しい。
と言うことなのでは?

147 :日本@名無史さん:2008/02/13(水) 04:50:44
幕臣でも貧乏生活で内職とか庭で畑作りとかやってた下級の旗本・御家人と、
殿さま暮らしの高級旗本では維新後の身の振り方がちがってたようだ。

高級旗本ほど、その転落振りははげしく、売り食いする物がなくなってしまったら、
男は人力車夫、女は女郎や芸者に・・・

148 :日本@名無史さん:2008/02/13(水) 13:04:18
ただ先祖の功だけで高録を食むものの用にもたたぬ無為徒食の輩だからね

149 :日本@名無史さん:2008/02/14(木) 00:40:38
>>147
今川家最後の当主も、晩年は困窮して菩提寺だからか義捐金貰ってたしな・・・。
維新後の高家とかはどうなったんだろう。武田さんくらいしかその後の話を聞かないし。

150 :日本@名無史さん:2008/02/14(木) 00:55:37
私も興味があります 維新後の高家
いわゆる高級旗本なんだが、一般的な旗本とも異なる特殊分野の人たちだし
特に旧守護大名出身の人とか多くてプライドが高そうだから
維新後の路線変更も難しかったような気が、なんとなくする。

>>149
取りあえず大友氏は昭和末期分までの系統が判明している
(『地方別 日本の名族』に系図所収)
現在のご職業などは全く書いてないが。

151 :日本@名無史さん:2008/02/14(木) 01:44:54
>>150
昭和末期までということは普通に存続してるんだね。
「○○氏の会」みたいな組織がある場合はいいけど、そういう家ばっかじゃないしね

152 :日本@名無史さん:2008/02/15(金) 18:29:57
旧藩時代の序列が未だに続いているような旧藩会もあるんですかね。

ありそうな気もする。

土佐の殿様の酒造メーカーのCMみたいな。

153 :日本@名無史さん:2008/02/17(日) 14:20:39
上げときましょうか。

154 :日本@名無史さん:2008/02/17(日) 14:45:52
1万石クラスの平大名だと、廃藩後、没落するのも早かったんだね。

155 :日本@名無史さん:2008/02/17(日) 21:36:32
>>152
相馬

156 :日本@名無史さん:2008/02/18(月) 01:50:37
>>155
相馬の殿様は今も相馬野馬追で総大将を務めるらしい

157 :日本@名無史さん:2008/02/18(月) 15:52:37
10年位前、大学生の彼が参加するのをワイドショーで密着してたな。

158 :日本@名無史さん:2008/02/18(月) 22:54:14
殿様のお国入りには今でも駅まで旧家老など重臣達がお出迎え。
元家臣達は殿様の下に駆けつけてご挨拶。

159 :日本@名無史さん:2008/02/18(月) 23:40:22
>>158
どこの殿様が?
仙台の伊達さんもイロイロ商売がんばってるなそういえば。

160 :日本@名無史さん:2008/02/19(火) 00:14:47
>>159
この前「その時歴史が動いた」に出てきた現当主が
えらいこと渋いイケメンなんでビビったな、伊達さん

161 :日本@名無史さん:2008/02/19(火) 00:45:42
>>159
相馬だよ。

162 :日本@名無史さん:2008/02/19(火) 21:28:49
あげ。

163 :日本@名無史さん:2008/02/19(火) 21:39:56
薩摩の若殿、帰郷 島津忠裕さん 「北海道との懸け橋に」

「フィールド調査などを通じ、書物を読むよりも大きな収穫があった」
と北海道での生活を振り返る忠裕さん

 NHK大河ドラマ「篤姫」の放映で、脚光を浴びる薩摩(鹿児島県)の
島津家。その第三十二代当主、修久(のぶひさ)さん(70)の長男で、
小樽商大大学院ビジネススクールで経営学を学んでいた忠裕さん(35)
=札幌市東区=が三月上旬、帰郷することとなった。島津家ゆかりの品
々を展示する尚古集成館(鹿児島市)の新事業に携わるためだ。札幌で
の四年間の生活に別れを告げる忠裕さんは「鹿児島と北海道のつながり
は予想以上。今後は両者の懸け橋になれれば」と話す。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/76857.html?_nva=6


164 :日本@名無史さん:2008/02/19(火) 21:40:06
相馬は志賀直哉の祖父さんが銅山王の古河と組んで足尾でもうけたんだよな。

165 :日本@名無史さん:2008/02/19(火) 23:46:55
明治時代の紳士録のようなものを先日図書館で見たが、侍従となっていた北条氏恭(元狭山藩主)は
後年宮中顧問官にもなっていて、忠勤な人物の典型である、という評が書いてあった。
これを見れば、旧大名や旗本の動向がある程度は分かると思う

166 :日本@名無史さん:2008/02/20(水) 07:18:14
文献名を記してください。

167 :日本@名無史さん:2008/02/20(水) 18:05:32
先日伺ったお寺の責任者(大寺の家臣か何かの家系で僧侶じゃないらしい)は守護大名→15万石大名の
一族らしい。とはいっても、室町時代に分かれた家らしいからここのスレとは趣旨が違うか

168 :日本@名無史さん:2008/02/20(水) 18:54:30
>守護大名→15万石大名
って言うと小笠原氏くらいかな、京極氏はそれより多いか少ないかのどちらか。

169 :日本@名無史さん:2008/02/24(日) 19:58:08
中山良昭著『江戸300藩殿様のその後 明治から平成まで、大名はこう生き抜いた!』
朝日新聞社 2007年8月

これで色々わかるよ。

170 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:44:14
万歩藩の珍宝白液守仮太氏は、おまんこ大学の学長やってたね

171 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 04:46:34
殿様の末裔で一番凄いのは理研コンツェルンを作った大河内正敏じゃないか
三河吉田藩主家とされているが婿養子で実の父は上総大多喜藩主大河内正質

正質は上野不忍池の周囲に馬場を築いて競馬を興行したが明治10年代後半
この競馬場は内外の要人が集う野外版鹿鳴館だった

172 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 07:29:42
特権があった旧憲法下だとふ〜んだけど、特権が無くなった戦後に一番成功した殿様子孫は?

173 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 11:31:29
亀井(非静香)とか?

174 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 14:47:04
>>172
特権ってどういうの?
具体的に説明して

175 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 15:25:39
成功も具体的に定義してくれないか

176 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:09:38
特権:家憲を定める、世襲財産設定、貴族院議員互選、礼遇、学習院就学とかだろ。

成功:社会的、経済的成功のことだろ。

177 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:11:05
相馬藩の相馬氏の末裔は北海道で競争馬の牧場やってるな
拠点は東京らしいが
ローゼン閣下の妹が奥さんらしいからしばらくは安泰だな
次男は九州いるらしいがローゼンのコネで麻生グループにはいったかな

178 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:13:56
旧華族は娘を成金に売り払って、狡く金をせしめています

179 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 23:42:27
あげ。

180 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 23:49:30
>>171

明治以降、活躍して名を残した華族って、大名出身の人より
公家出身の人の方が多い気がする。

181 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 01:35:57
>>180
たしかに、大名華族よりも公家華族の方が知名度の高い人は多いような。

182 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 08:53:22
近衛とか西園寺とか。
でもスレタイが殿様だから
徳川宗家の当主も貴族院の議長か。

183 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:40:13
華族って結構アレな人も多いんだよなw
伊達の順ちゃんとかも、いいとこ生まれにありがちなDQNという感じの人だし

184 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:46:01
『江戸300藩殿様のその後 明治から平成まで、大名はこう生き抜いた!』

読んだか?

185 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:59:15
読んだけど
島津忠裕さんを全くの別人と間違えてるよな

186 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:19:50
殿様じゃないけど、大久保利兼は学者として成功したね

187 :日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:18:38
>>183
壇一雄によると壇と太宰と伊達で歩いていたら伊達順之助は皇居を指して「世が世ならあの城は俺の・・・」とか変な発言してたらしいな

188 :日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:33:22
軍隊だと出世したのは町尻、醍醐が公卿華族
前田、小笠原が大名華族かな
皇族の出世の早いのにはかなわんけどw

徳川好敏は分家だから平民→自身の功績で男爵だっけ

189 :日本@名無史さん:2008/02/28(木) 22:28:52
好敏は

伯爵の子として誕生

お父さんがぼーっとしていた間に家宰が散財、責任を問われるのを恐れて逃亡

一気に貧困となって伯爵家の体面を保てず爵位返上、一家離散

好敏(この当時平民)、陸軍に入って航空分野で活躍

軍功績により男爵位を授与される

かな。

190 :日本@名無史さん:2008/02/28(木) 22:59:03
殿様じゃないけど、大久保利春は経営者として成功したね

191 :日本@名無史さん:2008/02/28(木) 23:06:31
・・・あれは成功したと言えるのか?

192 :1111111111111:2008/02/28(木) 23:19:22
 薩長ってホントにクソだな

 別に自分達の力でも無いのに外人が単にやってきただけなのにな

 毛利も島津も一回も豊臣,徳川という中央に勝てないクソ

 今に見るコネなあなあ政治の原点みたいなもんかコイツ等

193 :日本@名無史さん:2008/02/29(金) 09:28:00
釣れませんね


194 :日本@名無史さん:2008/02/29(金) 17:17:35
秋田市はいまだに佐竹さんが治めておられます(本家筋じゃないけど)

195 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 18:50:21
あげときます。

196 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 01:19:36
>>189
どこからの圧力か知らないけど、
初飛行以前に、
別人がテスト飛行をやってる上に、
当日もう一人飛んでるけどそいつはほぼ無視、
そもそも飛ぶ順番も「徳川を必ず先に」という指示があったらしい。

なんか、汚いな。


197 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 07:58:57
>>196

日野熊蔵という人が先に飛んでいたみたいね。



198 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:37:48
ねた切れ?

新たな情報激しくキボンヌ。

199 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 23:07:42
百五銀行ってのも津藩の藩士が作ったそうだね
家老家の藤堂高泰が初代頭取だったそうで

200 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 00:29:47
>196
日野、徳川両大尉というのは、少なくとも今は必ずセットで語られていると思うんだが。

日野大尉があまり語られないのは、上とうまくいかず早々に退役したからだと思うね。
元々周囲としっくりいっていなかったという話もあるし。
徳川さんはずっと陸軍の航空畑で働いていたから、どうしてもそちらの方が優位に
語られるんでしょう。
徳川家が名家の末だからという説もあるが、当時の陸軍でそこまでごり押しするほど
旧幕閥の力があったというのは、疑問ですね。

201 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 01:12:18
第1次山本内閣が倒れた後、元老松方正義の推薦で
徳川家達に大命が降下してるな

しかし家達は自分は大政を奉還した徳川氏の当主であるとして固辞した
仕方なく清浦奎吾に大命が下るも組閣に失敗、第2次大隈内閣となった

202 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 22:37:40
工藤寛正編『江戸時代 全大名家事典』(東京堂出版、2008年)がでました。

203 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 11:28:46
黒田のお殿様は最近CDデビューしたよ

204 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 11:53:10
黒田節?

205 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 11:53:22
鳥類の研究やってる人が?

206 :日本@名無史さん:2008/03/29(土) 20:25:57
杉本勝二郎編『国乃礎 華族列伝』(霞会館、1991年、明治25〜28年の複製)に
華族の経歴がでています。

207 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 20:14:25
あげとく。

208 :日本@名無史さん:2008/04/11(金) 18:32:51
なんかない?



209 :日本@名無史さん:2008/04/24(木) 23:55:37
交代寄合とかは何に転身したんでしょうね。

210 :日本@名無史さん:2008/04/25(金) 18:52:12
>>209 領地に戻って豪農に

211 :日本@名無史さん:2008/05/06(火) 18:43:04
(-_-)

212 :日本@名無史さん:2008/05/06(火) 19:26:37
>>210
どこの交代寄合衆?

213 :日本@名無史さん:2008/05/06(火) 21:27:47
華族制度で持ち上げ


華族制度廃止後 没落した名家も多く悲しい

214 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 21:02:28
あげ。

215 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 21:05:21
 

216 :解放戦士:2008/05/19(月) 22:45:41
国民新党の亀井久興は津和野の殿の子孫らしい。


217 :日本@名無史さん:2008/05/19(月) 22:56:40
「らしい」どころか、正真正銘の津和野藩主の末裔で旧華族。

自称同族の広島の百姓あがりはインチキくさいが。

218 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 08:59:34
>>217 亀井さんは顔やしゃべり方もどことなく品格あるよね。下から学習院だし。
でも息子はいなかったような。断絶か?

219 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 12:51:23
久興さんは3男で御当主(久興さんの兄)は別にいます。

静香はどーでもいい。

220 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 18:53:12
>>219 そうなんですか。安心しました。
静香さんは庄原出身ですよね?やはり無関係では?

221 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 19:52:56
>>217

自称同族の方は東大卒のインテリのはずなんだけど、
品が無いね。

不思議なもんだ。

222 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 20:16:45
某県警歴代本部長で一番品のない男だったそうだ。

223 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:43:58
政治家が品がないやつじゃないと成功せんよ
いつの世もどこの馬の骨ともしれん低階層のえげつないやつが生き残る
のほほんとしてるやつらは没落
江戸初期だってそうだった

224 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:49:15










華族制度なので優雅な生活

225 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 14:03:51
静香ちゃんは駒場祭で焼き鳥の屋台出したんだよな
食材は近所の野良犬だったとの噂だが

226 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 14:50:02
バイタリティのあるヤツでないと、戦国の世も現代も生き残れないが、
とくに民主主義と平等主義が大義名分となった、戦後以降になってからは、
選挙や国会中継で、有権者向けにことさら下品にふるまうようになった。

田舎や下町のジジババには、ことさら下品で庶民性アピールしないといけない。
土下座選挙や国会乱闘もそのため。

227 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 14:56:10
自民も民主も、実際は高学歴の元官僚やボンボンの2世3世が多いのに、
ハチマキ、タスキがけで絶叫したり、お涙頂戴の泥臭い選挙運動。

国会審議では、民主のナガタ(元官僚)みたいに下品な野次を飛ばしたり、
オバサン議員まで男と同じように乱闘で大立ち回り・・・

有権者向けの下品なパフォーマンスをなくすには、完全比例代表制しかない。

228 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 15:19:43
そう言えば、明治維新後の政府の指導者層には下級武士出身が
多かったけど、品が無く、そこらでケンカしたりとかめちゃくちゃな
人が多かったらしいね。

だけどそんな連中が指導者になってもちっとも困らないのが日本の
特徴だと何かで読んだことがある。

他国では中々考えられないことらしい。

229 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 16:07:22
殿様と言えども国では社長だが、幕府内では社員扱いなんだから
それなりに適応力はあったんじゃないのか?

230 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 16:47:34
>>227
ああいうの見て、田舎の有権者は「ウチの先生は頑張っトル」とか思ってるのか。
とくに選挙のとき、事務所に集まるような後援会のジジイ連中。

231 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 09:21:24
あげ。

232 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 15:22:41
殿様=華族公爵

233 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 15:55:49
華族公爵になった殿様って数えるほどしかいないんだが

234 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 17:02:08
むしろ、五摂家の当主は殿様かよ!

235 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 21:25:50
むしろ、五摂家の当主は御所さんやね!

236 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 13:22:56
九条さんちの現当主は何をされてるんですかね?

237 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 22:23:05
真田家の現当主は慶応の准教授。松代での真田祭りにも参加している。
亡くなった先代の当主はテレ朝の技術屋さんだったと思った。

238 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 23:50:13
俺の先祖大名だったが
じいちゃん 木こり
おやじ ドカタ
俺 鑑別あがりで、今トラック運転手
だぞ?

239 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 19:53:37
嫡流じゃなきゃ、意味はない。w

家康の子、孫にすら、凶人はいる。

240 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 18:04:53
あげとく。

241 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 18:26:54
>>12
当時の1万円は10億から20億円に相当
>>26
500円なら500万から1000万円に相当
>>28
華族は公家以外は国からお金もらっていたわけではない。
大名は明治に一時金として多いところは現在なら1000億以上もらったが
それ以外は世襲財産設定、子女の学習院入学、官位といったものがあるだけ。
だから華族になってもお金がもらえるわけではない。

242 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 18:57:04
1871年(明治4年)主要官職補任


元公卿の三条実美

正院・太政大臣:三条実美 になり


給料明細が当時の額680円ぐらいだった。


国立国会図書館蔵に保管所に保管されている。


他の主要官職の明細もキッチリ書かれていた。


680円(笑)だったけど 現在価格にすると680万円もの月収

破格値や

243 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 19:48:29
勲功家族は叙爵の時に金を貰っている例が多い。
元皇族も皇籍を離れる際に金を貰っている。

244 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 19:56:37
明治時代に国から最も多額の給料を得ていたのは山県有朋
総理大臣・陸軍大臣・参謀総長・枢密院議長など
多くの役職を兼任するたびにそのすべての俸給を受け取っていた
椿山荘をはじめ10ヶ所の別荘を次々に建てたのもその金で

245 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:41:20
>>244 世良修蔵も生きてればおいしい生活できたのに

246 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:48:30
1番最悪なのが伊藤博文 資産財産なしで死んだ阿呆!
毎晩・晩餐会・遊戯費・飲み代とかで消えたらしい。

247 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:50:09
>>243
それは一時金で、今の皇族みたいに毎年皇族費もらってるわけではないんでない?

248 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 21:35:37
>>243 >>247
つまり、紀宮様・・・黒田清子さんが、結婚されるときに渡された一時金と
同じ性質のものなんじゃ?

249 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 00:04:04
大名華族、公家華族を含めて、戦後自力でもっとも成功した人物といえば、
やはり元公家、子爵高丘季昭だろう。
公家としては身分は低かったが、父親が早く死んだので本物の子爵だった。
戦後東大に進学して、ナベツネや日テレに氏家、堤清二らと左翼活動に励んだあと、
マスコミ業界を経て、堤清二の片腕に。ファミマの事実上の創業者で、西友会長、経団連副会長を歴任した。

250 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 00:28:48
>>244
山縣家 華族制度廃止にあたり没落しかけたが。



現代では山縣の子孫があまた土地や山を元でに林業運用している。


山縣家の子孫が出ていた。

251 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 01:00:09
>>160
遅レス。
伊達さんの現当主は面長顔で久家さんみたいな雰囲気だったね。
東北の成り上がりも400年経つとすっかり上流階級。

252 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 04:06:05
山縣、伊藤って成り上がり的に秀吉クラスだよね
秀吉と違ってあんまりいわれないけど

253 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 20:13:30
新人物往来社の『華族事件録』っておもろいね。
借金とりに追われる元殿様とか殺人犯人の公家華族とか・・・。

254 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 23:04:13
慶応のラグビー部に山縣の曾孫だか玄孫という選手がいたな

255 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 01:55:34
つーかさ サンドイッチまんの伊達も子孫なんだろ?

どうしょうもねーなチンピラ顔はなおんねーよ

256 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 20:27:53
松前家って北海道の開拓したの?

257 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 22:51:50
松前家は海賊商人
武装してたから武士と間違えられた

258 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 00:20:35
ヨーロッパあたりでは、近代になっても各分野で名をなした貴族が多かったらしいけど
(近代ドイツ・オーストリアの偉人・有名人にはvonという名が含まれている人が
結構いるし、フランスのド・ゴールのドもそういう意味合いだったような気がする)、
日本ではそういう人が少ないというのは、どういう理由があるんだろうと、時々、
考えることがある。

259 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 07:18:33
いやわりといるんだが・・・
むしろ先祖代代平民出身で過去に著名人と誰ともつながらないの
偉人のほうが少ないでしょ
田中角栄ぐらいだろあいつも最後はあれだし
やっぱり血統ってあるんだよ
生まれた時からダメなやつはどんなに頑張ってもだめ
ゴキブリがいくら着飾っても努力しても不死鳥になれないのとおなじ

260 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 07:39:55
田中角栄自身が歴史中の著名人であるが?

261 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 08:30:12
だーからー角栄は先祖にも家柄にも大した奴いねーだろ
角栄以後の田中家には角栄がいるけど角栄が現役だったときには
あの一族には角栄以外にアウストラロピティクスの時から無名人だけだったろ

262 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 08:46:45
>>259

平民出身でも、先祖は藤原氏や源氏・平氏などにつながる人が
多いということ?

263 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 08:41:41
>>227
>完全比例代表制
確かワイマール共和政時代のドイツがそれ。
だから、退役後のフォン・ゼークト将軍が人民党(財界に支持された保守政党)から当選した。
フォン・ゼークト将軍は、最初は国会議員など「私には下品すぎる」とバカにしていた。

264 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 00:35:27
大名は明治初期の廃藩置県のときだったか、
東京に集められていましたよね?
その後の子孫達は東京に定住したのかな?

あと公卿は天皇と一緒に京都から東京に移ったんですか?

265 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 01:03:41
>>264
基本的には東京定住の方針だったが
上申書を出して故郷に帰った華族もいる。
元鶴岡藩酒井氏
元佐倉藩堀田氏(最も佐倉は比較的東京の近くですがw)
元柳川藩立花氏
など

逆に特例で旧領に住んでいたのに、代替わりの時に東京に連れ出されてしまったのが
元薩摩藩島津氏

公卿も全員が東京に移ったわけではなく、京都に住み続けた人もいる。
息子だけを東京に出した近衛家とか
あと時雨亭文庫で有名な冷泉家も。ここは東京に行くつもりだったのが新政府に丁重に断られたという噂が・・・

266 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 07:51:45
>>265
詳しい解説をアリガトゴザイマス。
大名も公卿も、大方の子孫は首都圏在住ってことですか・・・・・
冷泉家って来てほしくない理由があったんですかね(調べてみます)。

公卿はあまり興味がないんですが、
地方分権で大名が各出身地に戻って盛り上げてくれたら面白いですね。

それにしても幕末・明治初期の島津家はすごかったんだなぁ。
家柄の古さでは 島津>細川>伊達>徳川 ですか?

267 :266:2008/07/01(火) 08:18:40
Wikiを流し読みしてみると、冷泉家の御子息は戦死されたり、阪神淡路大震災でなくなったりしてるのですね。

268 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 08:35:54
故郷の田舎より東京のが絶対住みやすいとおもうのだが・・
大名って江戸屋敷生まれのはずだし
なんでかえったんだろ?
思い入れがあるとは思えないしなぁ

269 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:09:32
明治になって華族制度が成立すると、欧米から「ノブレスオブリージュ」の考え方が導入されて
その影響を受けた華族の中には旧地元に何らかの貢献をしなければという考え方を持つ人も多くなった。
旧鶴岡藩酒井家や旧柳川藩立花家はその典型的な例で、地元に帰った後は農場を開拓したりしている。

270 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 17:28:19
>>266
伊達もなかなか古いよ
改姓前まで入れると、足利家の支流(なので清和源氏の支流の支流)ということがはっきりしている細川家が
一番伝統のある一族と言うことになるのだろうか。
その4家で一番歴史が浅くて伝統がないのが徳川なのは同意w

>地方分権で大名が各出身地に戻って盛り上げてくれたら
地方によっては単なる譜代の転勤先で、城に愛着はあってもお殿様には(ry というところもあるから
なかなか難しいでしょうね。関東圏や近畿圏はそういうところが多いかと。

271 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 19:13:18
佐竹と相馬も結構古いよね
相馬なんて鎌倉あたりからほとんど領地変わってないし(他は島津ぐらいだろうか?)
今でも当主招いてお祭りやってるし・・・
明治には相馬事件とかあったけど

272 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 19:28:51
経済的に余裕があって学者、宮内庁、宮司、林野局あたりに趣味的に勤めるってのが華族っぽいな。
あとは十五銀行、国鉄とか。
軍人や貴族院議員ってのは勲功はともかく余裕のある武家華族は例外はあるにせよあんまり好きじゃなかったのかな。

273 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 13:51:30
>>271
東北と九州は歴史も古くて、元々の居着き大名が多いかと。
領地が変わってないのは 
 九州では宗、大村、相良、島津 
 東北では南部、相馬
あたりか。
最も、大村、相良は血統は断絶している(他家からの養子、血縁関係なし)。
佐竹も清和源氏の分家の分家で古くからの家系がはっきりしている珍しい一族だが、
関ヶ原の合戦で中立を取ったために秋田に転封されてしまった。
・・・徳川家康が勝った時点で、どっちみちどこかに飛ばされる可能性は高かったが。

274 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 22:50:34
>>273
他に最上なんかもいるね。真田も殆ど動いてないんじゃないかい?大名から転落したけど吉良も・・・
佐竹は東軍勝利の暁にはなんだかんだ逝って追い出される運命にあったからね。東軍方に旗色を鮮明にしていたらどこに移ったかな?上杉が秋田に飛ばされて、庄内を除く上杉領が無難かな。

275 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 23:54:41
>>274
最上も早々と大名から転落してしまったね(´・ω・`)ここは斯波氏の分家だからやはり名族だったんだが。

真田は最初に上田から川中島に移されて以後転封なしか。ただ真田も中の人は別の血統に。
現在の御当主は某大工学部准教授ですが。

276 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 18:08:58
あげます。

277 :日本@名無しさん:2008/07/05(土) 13:24:43
>>272
軍人は兵卒からやらなきゃいけない。経験もないし苛められる。(特に当主周辺の)プライドが許さない。
議員は金がかかるけど、法令で不動産などの資産を活用できないし、大名貸しの手前融資も受けられない。
元々領地を治めるのが家業であって新政府へのコネもあるわけじゃなし、議員から上に出世できるわけでもない。

それだったら家宝を売って暮らすとか、土地に学校を建てて経営するとかしてたほうがいい。
でなかったら何か新しい学問・技術を身につけて、新しい市場で勝負する生き方を選ぶさ。

278 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 14:00:03
日本の華族の場合は、その辺本当に平等というかw容赦ないですもんね
皇族辺りになると話は別だったようだが

徳川慶喜の孫なんて公爵なのに召集されたら2等兵・・・

279 :日本@名無しさん:2008/07/05(土) 15:30:40
>>278
皇族以外、階級の継承が殆ど無視されてしまったのは、やはり「革命」だった
と言っていいのでしょうね。


280 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 23:23:07
皇軍の悪平等は異常だよ。
自ら軍人になってない人間は身分を問わず兵卒だからね。
ヤクザが徴兵されてボコボコに虐められて逃げ出したという話もあるし

281 :日本@名無史さん:2008/07/10(木) 18:14:57
米英軍の場合、一般社会での職業や経験と軍隊内での地位や任務が対応しており、
大企業の管理職だった人が召集されると、それ相応の地位や任務が与えられたとか、
有名な映画俳優は士官の身分で広報宣伝の仕事を担当したとかいう。

282 :日本@名無史さん:2008/07/10(木) 18:23:41
>>278 世が世なら将軍さまも兵隊か・・・。
    しかも公爵ってことで平民出の伍長クラスに
    いじめられるんだろうな

283 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:17:34
>>277-278
今の政治家や公務員より法令キビしそうだね
100年前から退化したのか
江戸時代以下の現代日本人の倫理感

284 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:18:37
いいじゃん平等で
軍が悪平等ってのがわからん
代々水飲み百姓のうちからすれば立派な風習だ

285 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 23:56:52
血統による差別がないのは結構なこと。
能力や社会経験まで無視して平等に扱うのは人的資源の浪費と言わざるを得ない。

286 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 00:06:09
旧軍は何年軍の飯を食ったかが最も重要な究極の年功序列。
若い将校が自分より軍歴が長い兵卒に「古兵殿」とヘイコラしなければならない世界でも希に見る異常な体質の軍隊

287 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 09:53:35
>>286
さすがに士官学校を出た新品将校が「古兵」に殿付でヘイコラすることはないw

しかし、新品将校は役に立たないので、ベテランの下士官に補佐されなければ何もできない。
そういう意味で、表向きの階級とは別に下士官が実権や発言力は持っていただろう。
だが、それは米英軍でも同じこと。

そんなことより日本軍の異常体質はシャバでの職歴、経験、社会的地位を顧慮しないこと。
米英軍だったら、経営者や管理職が召集されれば、実社会での地位や経験に対応した階級になる。

288 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 11:37:02
大久保利通の玄孫の、麻生太郎はそうでもないんじゃね?

289 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 11:59:05
>>287

>米英軍だったら、経営者や管理職が召集されれば、実社会での地位や経験に対応した階級になる。



海軍はそういう制度だったんじゃなかったっけ?


290 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 12:34:10
貴族であっても一兵卒で召集されるのは、近代以降の軍隊ではやむをえない。
「星の王子さま」の著者のサンテクジュペリは城で生まれ育った伯爵家の息子だったが、
一兵卒として徴兵され、軍に入隊後パイロットになった。

291 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 13:16:40
第一次世界大戦のイギリスだと、オックスフォード・ケンブリッジの学生は
仕官で招集されたんじゃなかったっけ。
フランスのグランゼコールも同じだったような。

292 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 13:42:49
サンテクジュペリの場合は伯爵の子でも、そういうエリートじゃないからな。

グランゼコールは、理工科学校(エコール・ポリテクニーク)は陸軍省の管轄だし、
戦後のENAの学生でも在学中に予備士官として軍務に服するそうな。

293 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 13:48:49
しかしその社会的地位や職歴、出自が
軍人として優れた機能を発揮するとも限らんしなぁ
医者とか技術職のヒトは入った時からそれなりに優遇されてたわけだし

294 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:15:42
軍スレになっとるw

295 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:33:47
まあ、15代将軍の嫡孫で直宮の義弟にあたる公爵の一人くらい、見逃してやってもよかったのにな。
H須賀みたいに兵役にも取られず、のうのう遊んでいた華族の当主はいたのに。

296 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:49:08
>>293
学位があり博士号を貰い華族になる。
明治大正昭和初期は平民から大學に行くものは少ない。
ましてや農民から大學はまずいなかった。
大學行く者は士族出身者や華族出身者が多い。

297 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:53:02
大学に行く平民は多数ですが?

298 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 16:09:11
明治前半においては、中学校以上の学校への進学率は士族の方が高かったが、
明治後期以降は地主・豪農といった地方の素封家である平民の進学率が高くなり、
上級学校における士族と平民の比率が逆転した。

士族が優位の明治前半でさえ、夏目漱石や尾崎紅葉みたいな町人出身者=平民が、
最高学府の帝大に進学している。


299 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 16:46:17
>>296
アホすぎる

300 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 17:01:19
首相を例にすると、明治前半に高等教育を受けた世代は士族が多く(加藤高、若槻、平沼など)、
明治後期以降に生まれて、教育を受けた世代は地方の素封家が多い(池田、岸、佐藤、福田父など自民党)。

岸・佐藤兄弟の場合、長州藩の地域性もあり、士族であり素封家でもあるレアケースだが。

301 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 17:25:00
純粋に家系とか家の経済力とか士族とかのバックボーンなしの農民あたりから総理になったのって
戦後から現在も含めて田中角栄だけだろ

302 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 17:43:52
>>301
スレ違い

303 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 17:45:06
官僚あがりの首相ならいる

304 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:29:35
>>302
はぁ?すれ違いつったら俺だけじゃなくて50れすぐらいずっとそうだろうがヴォケ
謝ろうと思ってたけど俺を見せしめにした八ラ立ったから謝らん

305 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:32:13
>>301
地方の庄屋や庄屋+酒屋とかが多い。
帝大→官僚コースで。

306 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:41:45
>>301
海部俊樹
村山富市

官僚ですらない

307 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:47:02
今は二世三世四世じゃないとなれない

308 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:47:26
三木、大平は生家は普通の農家だが、角栄ほど出自を云々されないのは、
前者は大卒(私立だが)、米国留学のあと、いきなり代議士になっているし、
後者は高文試験に受かって大蔵官僚になったからだろうな。


309 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:51:57
海部は一応士族の出で、祖父が尾張徳川家の家令(か家扶)をしていたらしい。

310 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:54:53
>>309
でも時計屋だしバックホーンではないよな

311 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 18:57:18
>>308
当時は出自がどうであれ、大卒ならエリート、高文受かれば超エリート
になれた。

312 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:07:30
(゚Д゚)ハァ? この文官なんて軍人になれなかった落ちこぼれがなるモノだろ。

313 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:19:34
>>306 平成の片山哲と言われた村山富市氏は(アジ)演説の名手だったって本当?

314 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:20:04
宮澤元首相は戦中大蔵省の主計官だったから軍部の連中はペコペコしていたと「私の履歴書」に書いてた気がする
宮澤は商大出の大平を見下したりひどいやつだと思う
中曽根の場合は大蔵省から短現主計として海軍に入ったからおいしくはなかったみたいだ



315 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:26:33
やっぱ細川護煕だね

316 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:42:34
戸のもやっと天下をおとりになって・・・
って元家臣の家系のじいさんが総理就任時にTBでいってたな

317 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:43:15
ゴジだらけorz
殿とTVね

318 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 22:09:53
>>314
宮沢は東大以外は大学ではないという態度だったからね。
最初の会話は「君どこ(の大学)?」
答えが「東大です」だとその後も会話が進むが、「○×大です」だと「あ、そ」で全てが終わり、名前さえ覚えて貰えなかった。

319 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 01:43:52
実際成蹊の安倍なんか2ちゃんでも人間扱いされてないジャン
あんなのは犬畜生でも入れる大学ってね
世間でもそうだよ

320 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 02:35:53
安部さんの場合は学歴なんて意味ないよ
藩閥以来の政治の家に生まれた筋目が正しい人だからねw

321 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 02:51:38
>>320
馬鹿でも限度というものがある。廃嫡して東大出の官僚を
婿養子にでもしとくべきだった。安倍家は。

322 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 02:53:53
鈴木善幸

網元の息子→社会党員→民自党…
この人も忘れられがちだな。


323 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 03:44:29
嫁がチョン顔つーのも

324 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 03:49:13
今の時代は馬鹿でも筋目が正しい人なら首相になれるんだろ

325 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 04:26:53
まるで旧幕時代と同じだなw

326 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 11:42:19
馬鹿でも筋目の正しい人が首相になれるのは、首相が傀儡同然の扱いしか受けていない証拠。

327 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:32:02
そうはいうけど、米国の大統領だって実際はエスタブリッシュメントの独占に近い。
20世紀前半のローズヴェルト一族や現代のブッシュ・ファミリーのような例がある。

ケネディにしても祖父がアイルランド移民からの成り上がりだったというだけで、
本人は父親の財力や政治力に助けられた三代目のボンボン。

328 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:35:10
さらに英国に目を転じれば、20世紀の戦後においても保守党の歴代首相は、
チャーチル、イーデン、マクミラン、ヒュームと貴族的出自の政治家が続いた。
(マクミランは出版社のオーナーで夫人は貴族の出)

70年代以降はヒース、サッチャー、アーチャーと庶民出身の首相が連続し、
保守党の貴族的性格は薄れたが。

329 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 19:02:28
>>常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕

どんな仕事してたんでしょうか? 

330 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:19:58
現代日本は江戸もびっくりの世襲制だろさ
せっぱつまって出自かんけいなく優秀なら幕臣にした
末期徳川以下
維新起こそう思う人もいなくあきらめモードだから
150年前よりしたってところだね
まさに清朝末期の中国が近い。眠れる獅子、経済大国と国民だけ思いつつ
上は他国への脈で生き残り亡命をはかり中間は目先の利益と我が子かわいさに眩む死せる豚
ちがいは国民性のおかげで革命は絶対に起きないこと

331 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:23:26
なんか憂鬱な気分になるな
この時代の閉塞感は


332 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:35:11
>>330

じゃあ、ぐだぐだ言わずにお前が立ち上がれよ。


333 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:35:48
>>329 雑役夫に近い事務官じゃね?

334 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 22:00:44
>>330
確かに議員の世襲率は多いが、せいぜい2世3世だし、叩き上げもまだまだ多い。
譜代大名と直参旗本が人事を独占していた江戸幕府と比べるのはナンセンスだろう。

比喩としてはわかるが、まあ江戸時代よりは現代の方がまだまだ開かれてるな。

335 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 22:05:03
そもそも、地方の百姓屋や土建屋のオヤジが国会議員になったり、
官僚や二世といえども泥臭いドブ板選挙の洗礼を受けなければいけない時点で
「お殿さま」の時代とは真逆なわけで。

336 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 22:26:18
>>常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕

>>雑役夫に近い事務官じゃね?

等外が大勢いるから雑役夫はないんじゃないの? お殿様に雑役できないでしょ?


337 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 22:38:33
よくわからないけど○等出仕ってのはエリート扱いなんじゃ?
伊藤が江戸時代に勢いで殺した奴の子を罪滅ぼしで出仕させてるんだから
一般より上だと思う
そういや伊藤は百姓から摂家、将軍家と同格の公爵だな
ひそかに秀吉レベルの大出世だw

338 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:47:52
明治14年の官制だと、十七等は判任官の最下級で警部補クラス。
司法省では十等属という下級事務官にあたる。

判任官というのは高等官の下で、軍隊でいえば下士官に相当。
ちなみに巡査や兵が「等外」にあたる。

339 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 00:06:17
判任官までは今で言うキャリア官僚だよ。
戦前はキャリアを官、ノンキャリを雇あるいは傭と言った。
どちらも給料は毎月払いだが官は年俸制、雇は月給。

役所は少数の官と多数の雇で構成されていた。
雇は1〜10等それぞれ上中下に分かれるが
5等以上はほとんどおらず大半は9等、10等、等外。

340 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 00:10:50
馬鹿が現る

341 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 00:23:39
給料はいくら?
当時の物価がわからんからなんともだが

342 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 00:31:10
高等官=将校がキャリアで
判任官=下士官がノンキャリ

「等外」(雇など)=兵はノンキャリ以下の存在

343 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:08:10
だからお給金はいくらなんだよ
当時の物価の相場も添えよ異論は許さない

344 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 02:03:31
判任官=ノンキャリアとはいえないよ。
ノンキャリアは高等官に相当する職種・階級にのぼっていけるんだから。キャリアよりスピードが遅いだけで。


345 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 02:30:26
だーかーらー銭金の話だってーの
キャリアで薄給より賎業でお給金たかいほうがいいやろがい

346 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 02:42:08
そんなの職種によってまちまちだからわからんよ。
憲兵上等兵は判任官ですらないのだが、高等官たる小学校校長より給金は上。

347 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 07:56:01
>>常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕

専用個室を与えられて、等外の部下が何人かいたのでしょうか?

それと○出仕と○等属との違いは何でしょうか?

明治8年15等=月俸12円
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J022.htm

348 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 10:19:35
>>43,>>50


349 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 10:22:53
最初はいきなり高等官だけど、途中からは初任は判任官になった。
まあ判任でも等級も上級の部類だし、高等官に準ずる扱いだけど。


350 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 20:01:06
出仕と属の違い、ありがとうございました。

351 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 07:19:17
「属」というのは、いまでいうヒラの事務官。
いまは事務系の職員は、次官以外は幹部からヒラまで全部「事務官」という名称だが、
戦前の制度では「次官」「局長」「書記官」「属」と、身分ごとに官名がちがっていた。

352 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 08:08:04
今も書記官はあるんじゃなかったけ

353 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 09:01:04
出仕は官、属は雇、全然ヒエラルキーが違う。
現存する開拓使日誌なんか見ても属の人事は書かれていない。

354 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 16:06:11
属は判任官だ。
高文に合格したキャリアが最初に任命されるのが、「○○属(大蔵属とか○○県属)」で、
「属」というのはいまでいう事務官の意味。

役付の幹部クラスに昇進したら「○○書記官」「局長」「次官」と出世魚さながらに
官名(官吏としての地位の名称)が変化していった。
この官名とは別に「高等官○等」みたいな官等もあるのでややこしいが。

355 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 16:24:22
高等官・某氏の経歴

1920年7月:東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業 
   7月:農商務属 鉱山局
1932年11月:専任農林書記官
1941年1月:農林省水産局長

356 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 16:59:01
各省官制通則(明治26年勅令第122号)

第十四条 各省ニ左ノ職員ヲ置ク
  政務次官
  次官
  参与官
  局長
  秘書官
  書記官
  属

第十八条 各局局長ハ一人勅任トス大臣ノ命ヲ承ケ其ノ主務ヲ掌理シ及局中各部課ノ事務ヲ指揮監督ス

第二十一条 秘書官ハ奏任トス大臣ノ命ヲ承ケ機密事務ヲ掌リ又ハ臨時命ヲ承ケ各局部ノ事務ヲ助ク

第二十二条 書記官ハ奏任トス大臣ノ命ヲ承ケ大臣官房ノ事務ヲ掌リ又ハ各総局若クハ各局ノ事務ヲ助ク

第二十五条 属ハ判任トス上官ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従事ス

357 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 21:28:45
>>352
戦前の「書記官」などは終戦直後の改革で廃止され、「事務官」に一本化された。
その際、高等官(勅任官・奏任官)と判任官という官吏の身分も一〜三級官に改称された。
さらに現在の公務員制度になって一〜三級の等級も検察官を除いて廃止された。

現在、「書記官」は裁判所や海難審判庁など、司法関係に若干あるのみ。
在外公館に勤務する「○等書記官」は、国際法で外交官の名称が決まっているため、
対外的にそう呼称しているだけにすぎない。

358 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:19:11
岸和田藩主の岡部長職は旧藩主から実務官僚に転身し、大臣になった稀有な例。
家柄だけで貴族院の議長や副議長、特命全権公使などになった殿さまとは一味違う。

359 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:35:08
幕末に少年だった殿さま、若さまたち(嘉永・安政期に生まれた人たち)は、
明治初年に徴兵令が出されたとき、百姓町人の壮丁と一緒に徴兵検査を受けたの?

360 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:41:32
受けて出征

361 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:56:28
藩主だった本人(当主)や世子は、徴兵令の免役規定に該当するから、それはない。
二男以下でも他家に養子に行ったり、海外留学などで免除されるケースが多いし、
最後の切り札、代人料がある。

明治初年の段階で大名家の男子が徴兵されることは、まずないだろう。
没落した大身旗本や朝敵藩の家老の息子ならわからんが。

362 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 20:24:48
岡部長職は、単身海外留学してるでしょ。生得の才能や適応能力があったんでしょうね。

個人の資質もあるんでしょうが、
大半の大名は、人(家臣)任せで何もできない、しないようになっていたんでしょうね。

363 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 20:33:42
一括金禄公債にせず、
1万石の大名で、最低保障年金1000円
30石3人扶持などの公家で、最低保障年金500円などとしていたら
そんなに没落はなかったでしょうね。

364 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 20:56:18
長職の長男の長景も東条内閣で文部大臣になったな

>>363
『金色夜叉』を読むと高利貸しの元手は大名の金が多かったらしい
主家の没落を防ぐために家宰が高利貸しに資金を供給していた
今の銀行とサラ金の関係に似ている

365 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 21:31:12
失敗して焦げ付かせて爵位返上なんてのも。
まあ大名の場合はわりとちゃんとしてるみたいだけどね。
やっぱり江戸時代のうちにやりくり財政で鍛えられたおかげかな。

366 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:14:46
岡 部長
かと思った

367 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 23:17:31
まあ大名は公家に比べれば資産状態が良かったし、いざとなれば元領民や元家臣がいて何くれとなく世話を焼いてくれたし。
あと失礼な言い方かもしれんが下級公家ってのは江戸時代からモラルがない生活送ってたしw

368 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 05:38:35
大名ではないが、最後の林大学頭の息子は明治初年に徴兵されて西南戦争で戦死したそうな。

369 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 08:27:24
そのオヤジの「明治元年にやった今はない」がかっこいいい

370 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 09:11:45
>>369
それは林だが>>368の親父ではない千年ROMって大便にまみれて死ね
お前みたいな奴は学問板に来る資格はない漫画板にでもいけクズ低学歴

371 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 09:27:12
真心の有るか無きかは屠り出す腸の血潮の色にこそ知れ 林

372 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 11:45:09
切腹ってそーゆー意味だったの?(´・ω・`)

373 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:01:42
林家の没落ぶりは涙をさそうな。

374 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:06:45
林家には鳥居耀蔵がいるじゃないか

375 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:08:05
人力車夫で、かっての下僕に恵んでもらうって言うほうが涙をさそうじゃないか?

あれって、誰だっけ?

376 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:33:14
>>375 旗本直参6800石大目付山脇伯耆守

377 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:47:50
ほう、それで、かっての下僕のおかげで御家再興になったんですかね?

378 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 00:40:18
明治の御代に旧幕の旗本に御家再興なんてない

379 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 01:36:13
>>371
切腹と斬首は天と地ほども違う
美しい腸を見せて無実を証明するのが切腹

380 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 02:29:14
潰瘍とかで汚く爛れていたらどうなるんだろう

381 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 02:39:57
>>369
辞世の時だっけ?戊辰戦争で死ぬ気だったのか?

382 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 14:51:14
属と出仕の違いはもう解決したのか?

官制表を見ると、司法○等属というのと、高等官○等の数字は対応していないんだが、
○等出仕と高等官○等の数字はどうなんだろう?

383 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:24:14
>>379
そんなの建前。実質同じ。実際、武士の切腹は斬首と同じ。

384 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:26:54
本人はすにのは同じでも周囲からすればその「建前」が重要なんじゃないのか

385 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 09:41:14
>>375
明治初期の新聞記事によると、松平某という大身旗本の若様。
旧幕時代に下男として仕えていた元使用人が、維新後に商人として成功して、
たまたま元若様の引っ張る人力車の客になった。
その際、零落した元若様を不憫に思い、いくばくかの金子を与えたそうな。

386 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 11:03:58
それで、後日身の立つようになんとかするといって別れ、、
後日を期待する云々の昔の新聞記事を見たような、、、。

かっての下僕のおかげでなんとか身が立ったのか? 後日談を知りたい。

387 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 12:37:26
バルガとコウケツみたいなもんか。
まあコウケツは小悪党だったけど。

388 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:45:50
切腹は現代の官僚が懲戒免職になる前に退職届を出して退職金を確保するようなもの
ってことなのか?

389 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:51:11
全然ちげぇw
前者はただの私欲からくる自己保身だろ

390 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 14:05:34
切腹は一門保身じゃん。武士の意地なんてただのきれい事。

391 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 14:06:57
熊本旅行してきたんだけど
最初に戦死した華族さまの像があったそうだな
細川護ナントカとかいう

392 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 15:16:37
昔の武士は些細な過失で切腹させられる。
ある意味、毎日が綱渡りのようなもの。

393 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 15:18:52
今の公務員だってささいな過失で失職させられるし
同じでしょ

394 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 15:31:09
リアルで生命を失うのと、失業者になるのとでは重みが全然ちがう。
昔だって主家をクビになって浪人してる武士もいるんだし。

395 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 15:37:10
公務員を必死に擁護している方がいらっしゃいますが
もしかして現職orリアルで免職になられた元公務員の方でらっしゃいますか?m9(^Д^)

396 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:04:05
必死に用語してる人がいるのか?

397 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:11:46
>>392
武士の世界でも切腹は異常事態。
普通は免職とか強制隠居とかで終わる

398 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:21:03
相撲の行司は昔は差し違えで即日切腹だったけどな
サムライ以上の覚悟ある人生だ

399 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:21:54
公金横領とか大事な儀式で失態とか、そんなことで自害させられるんじゃないの?

400 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:24:53
>>398
実際に切腹した行司っている?

401 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:44:15
いないよ

402 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 17:52:12
>>399
横領は死罪で問題ないだろ
今みたいにかるい罰で
運が良ければ天下りも可能退職金ゲットだったら
横領したほうがお得て馬鹿でもわかっちゃうからやめられんのだし

403 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 22:01:39
切腹というのは武士特権。
逮捕された現職国会議員が拘置所から釈放された時、迎えの車が拘置所の敷地内に入れるのと同じ。


404 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 21:38:37
保守

405 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 08:57:21
関連スレ
明治以降の徳川家
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172743676/


406 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:54:14
三島由紀夫や麻生太郎にも大名の血が流れている。
しかも三島には家康の血が流れている。

407 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:18:53
でも三島自身は平民の出身・・・
その屈折がなければ小説家三島由紀夫は誕生しなかったとは思うけど。

408 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:32:07
学習院で虐められたみたいだね。
周りは公家や上級士族ばかりなのに、高級官僚の息子とはいえ平民身分で、爺さんは横領事件の主犯としてで失脚してるし

409 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 09:25:54
麻生太郎って母方の吉田茂・大久保利通の血ばかりが強調されるけど、
実は父親の太賀吉にも譜代大名加納家(暴れん坊将軍の側用人)の血が流れている。

410 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 10:12:45
俺には過去の偉人や大名の血は一切流れていない
人類誕生から幾万年わが一族で名をなしたものなしorz

411 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:36:45
>>410
そりゃ分からんよ。
井上某のような大名もいることだし吉宗だって天一坊は身に覚えがあったから事件になったわけでw
大名が農婦に手をつけるなんて珍しくないよ。

412 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:00:41
いくらそういう「可能性」を言っても、確証がなければ妄想の域を出ない。

413 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:54:44
そういえば、よっぽど長期間隔絶された地域でもない限り、
大抵の日本人は20代もさかのぼれば皇族にぶち当たる計算になるというのは
トンでも説なのかなー
戦中の「皆陛下の子」という思想の補完とかなのかな

414 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 15:56:02
皇族だけ強調するのが、なんだかなあ。
圧倒的大多数の日本人は農民だったし、昔は近郷近在のムラ同士で
同じ身分の人間同士で嫁取り婿取りするのが普通だし。

皇族がどうのこうの言う以前に、昔の日本人は99パーセント農民の血だという、
ごく普通の当たり前の現実を直視したがらないヤツが多い。

415 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 15:59:26
仮に、どっかで誰かの血が混じってたとしても、
それがどこの誰か特定できないようなレベルの数字の上での確率論じゃ無意味。

確率と可能性だけ言い立てても、きちんとした立証のできるブツがなければ、
田舎の爺さんの酒の席での与太話以下。

416 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 17:04:32
BBC特番の遺伝子調査では、任意に選んだ人種の異なる人々でも6代で共通の先祖に行き当たった。

狭い日本ならなおさら。

417 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 17:38:55
だから、そういう場合、天皇とか皇族持ち出す前にそこいらの農民の田吾作・権平だろ。
確率でいうなら、まず確実にそっちに行き当たるだろうに。

418 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:22:11
明治10年の段階では七等以上が高等官、八等以下が判任官(属)で、一等属が八等。
以下対応して最低の十七等が十等属。つまり○等属の○等に七を足せば官等が判明。

419 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 12:43:49
先祖自慢する人がごろごろいるからね
有名人でなくても我が家は100石取のお武家なるぞとか威張ってるし
怒ると「百姓黙れ」って叫ぶ奴は俺の小学校の同級生にもいたぐらいだからどきにでもいるわけだ
旧知行地では今でも名士で通るし料金割り引いてもらえるしね
こういうこと言うとかならず「僻みですか?うっしっしwww」って出てくるから迂闊に発言もできんし

でも実際何の血も引いてないどん百姓はこの国ではいくら頑張ってんも名をなせないんだけど。

420 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:25:02
先祖自慢にインチキが多いのは名家でも賤民でも多いが、
没落する名家も成り上がる家も多い。

先祖自慢のインチキさと遺伝子の分散の話は別。

どれだけの殿様が没落して、どれだけ後も告げない子供と庶子がいたか
考えれば、わかりやすいと思うが。

421 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:33:28
この手の話はよそでやってください。
その手のスレがちゃんとあるでしょう。

422 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 06:51:29
遺伝子の分散で皇族とか殿さまにばかりこだわる人がいるけど、
人口の比率や通婚圏とか考えたら、普通に農民の遺伝子が分散してるんだけど。

なぜ意識的に圧倒的大多数の農民をスルーする?

423 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 16:43:04
生物学や人類学での遺伝子拡散の問題と歴史学での家系の問題は混同すべきではない。
歴史学的には没落した貴種の子孫が庶民の中に埋没しているというのはファンタジーか与太にすぎない。

424 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 22:28:44
分散がなく隔離されたままと言うことにこだわるのもまたおかしい。


425 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 15:04:01
だけど、土民百姓の血という大海の中に貴種の血が目薬一滴程度混じるようなもんだからな。
ことさら言い立てる必要はない。

やっぱり大多数の人の遺伝子は農民の遺伝子。

426 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:09:15
保守あげ。

427 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:27:38
日本では妾の子を平気で跡継ぎにしたからな

西洋では庶子は誰の子でもないというのがデフォだった
自己と釣り合う高貴な血筋の妻が産んだ子だけが跡を継げる
というわけで、カルロス2世みたいなのが出てきちゃうわけだが

428 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:52:43
基本、西洋では宗教からいってそうだったけど
時代と国によるところもあるじゃない。

イタリア・ルネサンスとかだと妾の子でもブン取ったら勝ちみたいなとこあったし、
スペインあたりでも妾の子でも嫡流の娘を嫁にすればオケだった場合もある。

429 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 20:27:05
ていうか原則が一夫一妻制だからじゃね

430 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:00:38
>>429
教会の権威=神によって祝福された夫婦しか認められないからね
貴賤婚の場合は子孫は相続権を失ったり家名を名乗れなかったりするし
 
ポルトガル王ジョアン1世はペドロ1世の庶子で
異母兄フェルナンド1世が娘しか作らず死んだため跡を継いだ
しかし父や兄が名乗ったブルゴーニュ家を継いだのではなく
新たにアヴィシュ家を起こしたことになっている

431 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 07:38:44
ポルトガル王家がユーグ・カペーの男系子孫でフランス王家の分家筋だったというのは意外だった。

432 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 09:06:21
興味深い話題ではあるが、スレ違いを通り越して板違いになってきたな。

433 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 20:30:01
フランスでカペー家の血を引かない君主はナポレオンだけ

434 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 20:55:31
大給恒は面白いな。
旧藩主で、維新勲功や家柄に頼らずに実力で陞爵したのってこの人くらいか?

435 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 17:51:16
幕府の老中・陸軍総裁で幕府強硬派の急先鋒みたいな立場だったのに、
慶喜による恭順路線決定後の変わり身がはげしいな。

436 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 19:32:12
ミニ五稜郭を作ったのもな

437 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 09:41:41
>>1
廃藩から10年の段階で就職してる殿様ってけっこう多いんだな。

しかし、同じ大名でも国主級の大藩主なんかは資本家や全権公使になってるのに、
1〜2万石の小藩主は哀れだな。

438 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 11:21:54
現在従業員なんてざらじゃねえの

439 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 15:14:14
京都や奈良の豪農系なら、公家の血を引いてても不思議じゃない気はする。

440 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 18:23:34
だからどうだって感じだな。
明治以後の成り上がり者でも公家や大名家から嫁さんや養子が入ってるし。

441 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 21:29:01
>>438
現在といわなくても戦前にもいくらでもいたよ。
当時の大手企業の社員ってのは現代とは全く違うけど・・・

ちなみに小藩主と言っても大体15000円くらいの公債はもらってるはず。
当時の中流生活レベルだと100円あれば家族が一年暮らせたそうで、公債の利率が8パーセントだったと思う。
贅沢しなければ十分生活できたレベルの収入は確保できてる。
アホやって資産失ったのはいくらでもいるけど、普通に生きてた武家華族は戦後財産税で身ぐるみ剥がされるまでは
元小藩主でも悠々自適に暮らしてたのが多いと思う。

むしろ厳しいのは家禄が少ない公家、さらに厳しいのは奈良貴族。

442 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:00:36
安定した収入が伴う職につくことができたか否かが境目ですね。

過去の遺産だけでは、ジリ貧ですね。



443 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:50:29
戦後の財産税・相続税が華族の経済的没落を決定的にしたね。

444 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:08:52
うーん、そのまえの大恐慌(による第十五銀行の破たん)の方がインパクト大きかったんではないかなぁ。
『家宝の行方』を読んでみると大正時代辺りで、かなりの華族が苦しい状態だったようだし。
戦後のGHQによる財産税と相続税は「とどめを刺した」という印象。

445 :日本@名無しさん:2008/08/10(日) 00:39:55
大名時代でも苦しくて倹約だ倹約だと言っていたのに、維新後は租税もなく、融資もままならない。
にもかかわらず貴族院議員などやっていたら、そりゃ苦しくない訳がない。
まま収入のある仕事に就くか、事業が起動に乗るかしないとねぇ。


446 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:08:27
庶民はもっと苦しかったんだから
華族が特別苦しかったわけじゃねーベ
当時あすに希望が持てる生活してたのは
東京とかの都会の金持ち市民だけで
9割ぐらいの連中は江戸時代以上に貧困
(義務だけ増えたから)
女工の話とかもあるしもっとひどいのいっぱいだし
ほかに食う方法ないから飯が3食食えるってんでみんな軍人になる

447 ::2008/08/10(日) 01:15:07
スレ違い

448 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 07:00:38
流れ的には問題ないレベル
文句付けたいお年頃?

449 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 07:02:24
いいえスレ違いです
学問板である以上スレタイに関係ないことは話してはいけません
殿さまのとの字も出ていないのですスレ違いです
ああそうですかのっとり厨ですか。わかります

450 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 08:05:31
「庶民はもっと」など、「と」の字はいくつも出てるますね。
ひらがなが読めないのでしょうか?真の文盲氏の登場のようです。
と真意はわかっていてもあえて突っ込みたくなるようなお方ですね。

451 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 08:47:32
そういう状況だから、貧乏華族とはいえ一般庶民よりはマシだった。
貧乏といってもも庶民の貧乏さとは質や程度がちがう。

本当に哀れなのは明治初期に没落した旧幕臣や士族の方だろう。

452 ::2008/08/10(日) 10:22:09
だからスレ違い。
タイトル読み直してこい。それとも日本語らしい文章は書けても読めない方?

453 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:15:32
人力車夫になった大身旗本と歩兵伍長になった交代寄合の山名。

どっちもどっちやな。

454 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:28:36
区役所の書記や商店の番頭など、転職を重ねていた林忠崇の没落ぶりが泣ける。
現役の大名で一番没落したのは林だろ。

455 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:59:21
明治初期は下士官と兵卒の差は非常に大きく、
将校と下士官の差はその後に比べると小さかった。
って言う観点から見ると伍長ならかろうじて可だったのではないか。

456 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 13:05:23
>>451の内容は華族(旧大名含む)とそれ以外の比較なのですから、
スレの趣旨から逸脱していないと思いますが。
>>452の人は日本語の読み書きは出来ても、
文章の内容を理解出来ない学習障害の方ですか?

457 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 15:23:13
(明治) 殿様の職業(再就職先)について


458 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 16:09:47
大大名
日本鉄道会社や十五銀行などの大株主、北海道で農場経営、
欧州各国に特命全権公使として赴任、宮中の名誉職など

小大名
>>1のような下級官吏

459 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:06:59
小大名のなかでも、北条さんのように天皇の侍従におさまって、宮中顧問官まで出世してる
ような人もいるが、山名さんや新庄さんのようなケースもあるんだよなあ。まさに悲喜こもごもという
感じ。

気になるのは旗本や高家衆がどうなったのか・・・?
今川は落ちぶれて家も絶えてしまったし、「ひとんちの2階に住んでる武田さん」とか「元若様の車夫」
とかそんな話ばっかり聞くんだが。維新後にわりとうまくいった旧幕臣は、開国したくらいに取り立てられた
連中がほとんどだし

460 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:16:53
侍従って側用人でしょ。大名から小姓とはずいぶんと落ちぶれたような。

461 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:22:10
>>460
それでも明治天皇の側近なんだから、まずまずうまくやったほうじゃないか?

462 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:32:19
>460
江戸時代の大名だって、自分の領地では殿様であっても、江戸では良くて一介の役人に
過ぎませんが。

463 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 05:47:19
>>459
それは殿様と同じ。
万石に近い交代寄合は上手く立藩して男爵に納まったのもいれば、武家の商売で大損して無一文になったのも多い。
3000石くらいの大身旗本でも静岡まで付き合った人たちは足軽なみの扱いになったので秩禄処分でも大した金もらってない。
一方で官軍にいち早く忠誠を誓った連中はまとまった金を受け取って、上手いこと公務員にでもなれれば地方の名士くらいの
生活はできただろうし。

464 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:35:20
石高詐称で爵位剥奪されたあげく逮捕禁固までされたあいつが一番の落ちぶれじゃね?
旗本の場合は
大旗本から犯罪者、謹身どころかムショいきですよ

465 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:41:07
さっさと徳川見捨てて朝臣になった奴が賢いな
まわりには叩かれてそうだが代々の三河以来の旗本の忠誠心なんて
長州征伐以来だれも期待してないのでいまさらだし
農民みたいになって娘売春婦に売ったり
チャリンコ満喫してる慶喜を恨めしく見てるより
実を取ったほうがいい

とくに維新前から朝廷に何かしてなくてもだれでも朝臣になれるのならば、の話だけど

旗本勝ち組のトップは勝、榎本あたりだとおもうけど
この2人は維新前からめだってうごいてたし(三河以来の旗本でもないし)
三河武士だった家系が朝臣になりたいっていってさせてもらえるかは知らないけど
(なったところで具体的に何をするんだ?って疑問もある)

案外鳥羽伏見や戊辰戦争で勇敢にたたかってかっこつけて死んだ奴が一番の勝ち組かもしれんw

466 ::2008/08/11(月) 09:32:39
へたな小作大名より、江戸初期から続く、地侍あがりの大庄屋家のほうが余程現代でも地域の名士


例 上野家 麻生太郎家 森首相家 田中首相家 福田首相家 正田美智子家 など切りがない

鉢植え小作大名より、江土期以前より地域に根ずいた支配者である豪族あがり庄屋は
江戸大名のような成り上がり小作大名よりよほど権威や格式が当時からあり、
また明治期以降も落ちぶれた名門庄屋家は少ない
土地だけなら庄屋麻生太郎家は江戸成り上がり小作大名より数倍の領地を当時から持つ

また現代も政界は庄屋が圧倒的

前田や浅野チョン吉、蜂須賀程度の家柄より余程庄屋家の方が格式がある家柄が多い

結論でいえば、明治期以降も庄屋は実質地域や国の支配者




467 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:34:59
荒らさないでね。

468 ::2008/08/11(月) 09:43:27
さらに竹下首相 犬飼毅首相 も庄屋家

469 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:59:18
スレチで申し訳ないが、幕末期の藩主や公家の古写真みても
なんか威厳なくて品がなくてみすぼらしいように見える。

470 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 19:35:25
>>465
江戸開城以前に上洛して新政府に帰順した旧幕臣は、慶応4年5月に本領安堵された。
この時点で京都で本領安堵された旧幕臣は、高家8人、交代寄合16人、寄合55人、
三千石未満旗本58人であり、その中には板倉とか内藤のような三河武士の家系もあった。

こうして本領安堵された旧幕臣だが、翌明治2年には禄制改革によって俸禄制に切り替わり、
高禄の知行取だった者は禄を大幅に減額されることになった。
たとえば5千石の知行取だった者が150石の蔵米取になっている。

静岡藩士になって困窮した者ほどではないが、やはり没落と言えるのではないか?

471 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 20:09:04
>>470
まあ確かに大幅な削禄にはなってるんだけど、体面や知行地の管理、中間や小者の雇用やらの経費が浮くことを考えると
手取り150石なら家族が暮らしてくのに苦労しないんじゃないかな?
知行5000石と言っても実際には借上げで相当手取りは減ってたわけで1000石足らずの中から札差への借金の返済やら
幕府の軍役賦課金やら考えると家計は火の車・・・
ちなみに旗本の借金は事実上全部踏み倒しw

472 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:18:25
ただ、この時点(慶応4年5月)に本領安堵されて中・下大夫になった旧幕臣の中には、
元高家・若年寄の今川範叙もいる。
この人は明治になってから困窮して、所縁の寺から義捐金を受け取るほどになっている。
その上、嫡子に先立たれたあとは家名を継ぐ者が誰もおらず、名門今川家は断絶・・・

473 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 00:32:11
そもそも戦国時代に潰れなかったのが奇跡だが>今川家

474 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 00:30:01
>>469
そうか??
全くそうは思わんが。

徳川慶喜
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/syashin/toku15.jpg
http://komonsan.on.arena.ne.jp/gif/yosinobu.jpg

山内容堂
http://www2.plala.or.jp/shyall/retuden/youdou.gif

松平容保
http://www2.plala.or.jp/shyall/retuden/katamori.gif

475 :386:2008/08/13(水) 02:39:15
小笠原と申します。
祖父が戦前、戦時中、皇宮警察の事務系の仕事だったそうです。
士族の出と聞いたのですが、ありえる事でしょうか?

476 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:26:27
出自捏造だな
みんなそう
うちはBに大名と同じ苗字のやついるが、そいつ親戚とほざいてる
かの佐藤栄作も名門佐藤家の出自と自称でほざいてる
根拠も証拠もないのにいうやつは大半捏造

477 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:31:22
近衛兵も宮内省も出自に関係なく採用してるから、士族も平民もいる。

478 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 10:23:08
近衛兵はBは入れないのではないですか?
平民といっても庄屋のような格式は戦国大名崩れや家臣団、豪族崩れが多い
由緒があるが現代の平民扱いにすぎない。庄屋上野家のような超名門が、士族扱いの奴程度と同じ扱いなはずないし。
平民でも庄屋や豪商が、一般に線引きされる平民扱いなわけがないましてや改易大名も平民になるわけだ。
で、これらも一律平民扱いとされてたわけではないはず。

また士族だからと、これらより格段の扱いであったというのでもないだろ

479 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 11:04:48
近衛兵に関しては出自云々ではなく、容姿端麗・成績優秀な兵が選抜されてたみたいよ。

480 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:36:48
表向きはね。
でも、優秀な兵士を手放すのはどこの部隊も嫌がって、見映えがいい長身の兵士を差し出したようだ。

481 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 21:19:15
良スレあげ。

482 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 22:24:50
>>480
警護の人ならそれでもわかるけど、内勤事務職の人たちの
審査基準に自出はあったんじゃないの?

483 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 18:30:05
近衛兵、徴兵前の少年志願兵ってのもあったよ。でも、徴兵されても志願してなったんだろで
優遇はなかったそう。

しかし、それなりに環境に慣れ、人間関係があると、やっぱり違うよね。

484 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:30:23
近衛って前線でないからいいじゃんそっちのほうが
近衛が前線でばるようになったらもう終わりだろ

485 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:54:49
西南戦争の時「大砲と近衛兵さえいなければ勝てた」とか
薩摩兵言ってたとか読んだ気がするんだけど。
近衛兵も前線出るんじゃないの、そりゃあ総力出動じゃないだろうけど。

486 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:04:52
近衛師団は普通に外征に使用されてる。
太平洋戦争開始早々、日本が優勢だった頃から近衛師団は動員されてる。

487 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:09:24
ウィキより
1873年(明治6年)に徴兵令が制定され鎮台兵として配備されると、
近衛兵は鎮台兵の軍事訓練も担うこととなった。

1891年(明治24年)、鎮台が廃止され、代って師団が編成されることとなり、
山縣有朋によって近衛兵は近衛師団へ改称され、陸軍大臣管轄の下、
平時は天皇や皇居の警護などに当たり、戦時には戦線に参加することとなった。

その後、近衛師団は第二次世界大戦終結による陸軍の解散まで、
天皇及び皇居の警護に当たりながら各地の戦いに参戦していった。

488 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 17:48:11
近江宮川藩主 堀田豊前守正養

明治11年(1878年)12月、東京府会議員選挙に際し浅草区から出馬、当選。
明治12年(1879年)3月、府会副議長。
明治13年(1880年)1月、東京府赤坂区長。
明治14年(1881年)6月下谷区長、8月深川区長に転じる。
明治17年(1884年)7月8日、子爵。
明治22年(1889年)2月27日、免職となる。
明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員(連続して三期選ばれる)。
明治41年(1908年)3月25日、第一次西園寺公望内閣の逓信大臣。

489 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 17:55:17
上総一宮藩主 加納遠江守久宜

大学南校(東大の前身)でフランス語など西洋の社会・人文諸学を学ぶ。
明治6年(1873年)文部省督学局に出仕、岩手県師範学校長、新潟学校長を歴任。
明治14年(1881年)には司法界に転じて熊谷裁判所判事、大審院検事。
明治17年(1884年)、子爵。
明治27年(1894年)から明治33年(1900年)まで鹿児島県知事。
明治35年(1902年)、全国農事会幹事長。
明治43年(1910年)、帝国農会の初代会長。東京競馬倶楽部の初代会長。
大正元年(1912年)、旧領の一宮町長。

490 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 18:02:12
肥前鹿島藩主 鍋島備中守直彬

明治9年(1876年)、侍従に任じられ、明治天皇の側近として仕える。
明治10年(1877年)、西南戦争で明治天皇が京都に赴いた際に同行。
明治11年(1878年)、宮内御用掛・文学御用掛。
明治12年(1879年)4月、初代の沖縄県令。
明治14年(1881年)、元老院議官。
明治17年(1884年)、子爵。
明治21年(1888年)、帝室制度調査委員。
明治23年(1890年)、貴族院議員(その後も4回にわたって再選を果たす)。

491 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 18:14:33
488−490

出典を教えてください。

492 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:10:10
和泉岸和田藩主 岡部美濃守長職

明治8年(1875年)11月、渡米してニューへブンズ大学、イェール大学へ入学。
明治17年(1884年)、子爵。
明治19年(1886年)3月、公使館参議官。翌年12月からイギリス公使館に勤務。
明治22年(1889年)12月、外務次官。
明治23年(1890年)7月、貴族院議員。
明治24年(1891年)、大津事件の責任を取る形で外務次官を辞任。
明治30年(1897年)10月、東京府知事。
明治41年(1908年)7月、第2次桂太郎内閣の司法大臣。
大正5年(1916年)4月、枢密顧問官。




493 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:39:46
加納久宜は鹿児島県知事時代に農政に力を入れ
退官後は全国に農会(現在の農協)を作る運動に専念した
今でこそ農協は諸悪の根源のように言われるが
当時は商業資本による農村の収奪が激しく
農民自らの手で農具や肥料を購入し作物を販売することが急務だった

戦後千葉県知事に当選しながら半年で急死した加納久朗は長男

494 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 05:34:38
>>493
物の売買以上に信用事業が急務だったようだ
農村のマイクロクレジットと言えば高利貸ししかなかったわけだし

495 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 06:23:21
>>474
こうしてみたら徳川慶喜と山内容堂って顔そっくりだな。

かたや将軍、かたや外様。
かたや賊軍、かたや官軍。
かたや優柔不断、かたや意固地。

何の因果か。

496 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:16:28
>>495 でも健康管理に関する点では正反対だが

497 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:46:44
保守あげ。

498 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 22:06:47
ほしゅ。

499 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:21:30
おいおい
国民新党の亀井久興は津和野の殿の子孫らしい。

500 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:42:36
>>499
そんなことはみんなとっくに知ってると思う。
ついでに広島出身の方はドン百姓の子孫だってのも。

501 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 01:54:33
力士の亀井は?

502 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 13:17:09
津和野と広島の亀井は同族だろ。先祖がおなじ。

503 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 14:04:13
久興の祖は初代の津和野亀井家中当主・茲矩
(そーいや「琉球の風」でポール牧が亀井茲矩演じてたなw)
亀井秀綱の女婿で実家は湯氏(実父は湯永綱)
一方、静香の祖は亀井吉助と言われ、これは亀井茲矩の
兄ということになっているが、血縁関係があったかどうかは
知らない。吉助の家系は尼子滅亡後は帰農したが、
江戸時代は苗字帯刀を許されていたそう。ただ、明治以降
零落して、静香が生まれた頃はかなり貧窮していたらしい。

よって家系的には無論、血統的にも先祖が同じと
言い切れるかは微妙な感じ。湯氏の出も考慮に入れて
宇多源氏佐佐木流って捉えれば同族と言えなくもないが、
亀井氏の方は紀州・鈴木家の流れとも言われるので、うーんw

504 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 14:14:09
吉助は実兄かな。
山中幸盛が亀井家の名跡を継ぐ予定だったが結局は山中家を継ぐことになり、
その折に正室(亀井秀綱の娘)の実妹を茲矩と娶わせて、結果的に湯家が亀井家に
改めたのかも。

505 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 18:35:04
資産を相続できない二三男が、武家奉公して出世とかよくあるね。

医者になったりもする。

嫡男は、父祖代々の資産を受け継ぎ。二三男には、学問や技術を身につけさせ、独立させる。

506 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 19:45:41
ドン亀シズカの先祖が津和野の殿様と同族だと言い張ってる人は、
家康の先祖が新田氏とか信長の先祖が平氏とか大真面目に信じるタイプ。

嘘を嘘と見抜けない。

507 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 20:04:03
>>506
亀井吉助までは確実に辿れる
ただし吉助が本当に茲矩の縁者かは知らん

508 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 10:33:14
あげ。

509 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 11:18:09
悲観して自殺した人はいないんですか?

510 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:09:46
維新後の初代は、旧臣が何とかしてくれる。

511 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:22:19
>>503
久興の曾祖父茲明は公卿の堤家から養子に入ったんだが

512 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:22:19
十五銀行が破綻したときとか、戦後に華族制度がなくなったときは
無茶苦茶だったらしいな。

513 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 20:29:21
>>509
終戦後ならいるよ。

514 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 20:39:50
コノエフミマロとかな。

515 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 18:21:33
元高1万石の大名、金禄公債が2万円で、年利5%で運用するとする。
年利1000円、月にして83円。屋敷、土地、書画骨董、現金など
個人資産が1万円程度あったとする。
それで、月俸30円程度でも官職についていたとする。

家族のほか、家令か家扶の1人、下男下女各1人、女中1人、書生1人、
厄介人2〜3人ぐらいは可能ですよね。

516 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 18:23:47
明治時代の高利貸しの元手は大名金が多かった
年利5%どころじゃないでしょ

517 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 13:10:10
どれぐらい月に収入があれば体面保って
ぜいたくはできないまでも家族安泰に暮らせたんだ?
わかりやすいように現代の額に換算したのと合わせて教えてほしい

518 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 15:59:56
明治20年ごろの巡査や小学校教員の初任給が8円ぐらいですから。
8円=18〜20万と考え、そこから計算するといいんでは?

519 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 16:07:06
>>515
518を参考にすると財産5億から7億円
で月収70万+財産収入200万 年収4000万程度
ただしこれだと十五銀行破たんとか焦げ付きが出ると苦しくなるね。



520 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 18:01:20
下男下女の賃金は安いよ。住込み3食付きで、2人で月3円も支給するぐらいで雇える。
家令や家扶は10円〜20円で雇えるでしょね。

各種の寄付金、付き合い、一門への扶助、困窮する旧家臣の無心、出費はいろいろ。

新政府で出世した有能な旧家臣の相談役やら家政顧問がいて、あれこれ面倒を見てくれるようなところはいいよね。

521 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 18:13:25
今だと財産10億あっても(元金減らさずに)堅実運用だと年2000〜3000万程度の収入にしかならない。
当時はもっと運用益が大きかったの?

522 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 18:37:10
1万石ていどの小大名の場合
金禄公債の一部で、田畑20〜30町ほど買って小作に出して年貢を得るという
のがいい方法ではなかったんでしょうか。そして、世襲財産にしておく。
これだったら、敗戦まで安泰。

あと、預金利息、株、高利貸などに資産を分散させて。堅実な職につき給与をえるのも大切です。

523 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 19:22:03
子弟の教育も肝要。学を身につけ堅実に就職するのが一番。官吏、軍人、教育者、堅実企業社員など。

524 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:38:28
華族が学習院へ進学するのに学費は要ったんでしょうか?

525 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 21:19:34
無料です。

526 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 21:26:36
華族には国家からの年金などは一切支給されていない。
旧堂上家への賜金(援助金のようなもの)は天皇家のポケットマネーから出ていた。

しかし、子弟の教育費が無料であり、学習院から帝大への進学が無試験というのは、
現代人からみればたいへんな特権なのではないだろうか。


527 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 23:08:58
その特権を活用できずタケノコ生活しかできなかったのが多いのも、なんでだろね?

528 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 00:00:53
基本的に華族の収入源は明治初年に交付された金禄公債の利子。
これは従来の家禄廃止に対する一時金で、これを元手に投資したり地主になったりした。
いわば封建領主をやめる代わりにもらった一時金であり、華族としての私産となった。

しかし、中小の華族は慣れない事業に手を出して早い時期に私産を失った者もいたし、
資本家となった大華族も金融恐慌による十五銀行の破綻で財産を失う者が多かった。
決定的となったのは戦後の超インフレと高率の累進課税による財産税や相続税。

高学歴で堅実な職業についていた華族でも、資産を守るのは困難かと。

529 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:03:05
資産を株・土地・預金・高利貸・国債・投資などに分散して、半分は堅実な
企業経営に転換するのが一番でしょうかね。そして、子弟には教育を受けさせる。

医者や学者になってしまうのも生き残る手段ですね。

530 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:58:12
>>528
華族制度が戦後維持されても、それだけでは今と(経済的には)大差
なかったんですね?学習院民営化されてしまえば(旧帝大特権もなくなって)


531 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 09:31:13
保守

532 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 09:17:48
現存している大学で、殿様がスポンサーではじめた大学ってある?

533 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 20:16:20
東京農大の設立時のスポンサー&経営母体が徳川宗家みたいだ。

榎本武揚は、1891年に徳川育英会育英黌に農業科を設立した。
1893年には徳川育英会育英黌から農業科が独立、私立東京農学校となるも、
経営悪化から大日本農會のもとでの経営となり、
1903年、専門学校令による東京農業大学への改組を経て、
1925年には大学令による東京農業大学となる。

534 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 20:26:23
華族って、貴族院議員として給料もらってたんじゃないの?

535 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 20:37:03
公侯爵 世襲なので無給(名誉職、ボランティア)
伯子男爵 互選で任期7年なので有給(子爵なら4人に1人の割合)

公侯爵と大部分の伯子男爵は給料(あくまで議員としての歳費)をもらえない。
華族であるというだけでは給料は出ない。
例外として公家華族のみ、貧乏だったので天皇家から私的に援助金が出てた。

536 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:09:01
保有資産には課税されていたの?

537 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:13:56
戦後に比べたら、かなり税率はゆるいが相続税もあった。

538 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 02:44:48
>>535
主要官職補任表

初期の国会の時代公家による国政

三条実美(太政大臣)←今では総理大臣


岩倉具視(外務卿)←今では外務大臣


東久世通冨(とみ)(開拓長官)


万里小路博房(大輔)

539 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 10:44:14
東条英機って、華族の子弟など平気で二等兵として徴兵
戦場に送ってなかったっけ?
華族に限らず自分に否定的な人物もみな兵卒徴兵。

540 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 12:59:02
封建時代のトノを家臣たちは命を張って守るが現代の大物を庶民は命を張って守らない。まさか現代の大物って封建時代のトノよりたいしたことない奴なの〜?

541 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 17:03:13
幕末私の祖先は2万石の小藩の家来で
95石の家禄をもらってました。
どのくらいの階級なんでしょう。
武士団があったらしいのですが、
そこに属していたと思われます。

542 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 17:45:48
備前岡山の動物園

職員は、今も譜代の家臣の子孫で固められています。旧高500石以上の筋目ある忠臣の
子孫から特に優秀で忠実な人材が選抜されて飼育係となります。ほぼみな定年まで奉公します。

543 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 17:49:27
松平容保
日光東照宮 宮司

徳川家達
日本赤十字病院社長

544 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 17:57:30
>>541
1〜2万石の小藩なら100石前後でも家老クラス。
武士団というのが藩の中での士分の階層をさすのなら、
大藩なら馬廻(上士のほとんど、家臣団の中堅クラス)だけど、
小藩ならそこまで区別があるかどうか。
まあ、家老とか中老など年寄の可能性はあるけど。

545 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 18:10:04
各藩大名クラス君主(藩主)


藩主の次に偉いポストが家老クラス

藩により違いはありますが、各藩にいる家老は2人〜5人

546 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 18:29:04
2万石の藩なら95石あれば、家老クラス数名に入ってる可能性は高いな。

547 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:35:12
家禄名簿で備考見習いとあるので、意味がよくわからないのですが。

548 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:10:55
若年で半人前ってことでしょ。それで、見習。一人前の仕事を覚える見習い期間であるということでしょ。

549 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 07:36:48
547です。
佐賀鍋島藩の親藩で2万石の殿様の家来のようです。
家禄名簿に95石いただいて見習いだったと書いていました。
私の祖父が書き残したものには、見習いだった先祖の父親は20騎の
侍大将だったあります。
いろいろ教えてもらってありがとうございます。
お墓とか探して回ったんですが結構大変でしたが、いろんな事が分り
楽しかったです。

550 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 09:48:04
追加です。
8合渡 地米95石 達米3石とあります。

551 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 18:20:41
>佐賀鍋島藩の親藩で2万石の殿様
鹿島藩か諫早、多久、武雄の邑主?

552 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:08:46
鍋島山城守です

553 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:54:30
あれ?レスとまってる

554 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 07:53:18
保守

555 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 21:33:31
幕末にリアル殿様だった世代は、宮中の名誉職(麝香間祇候)とかを除けば、
外交官や神主になってる人が意外と多い。

556 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:57:46
>>555
なぜそうなるの? って質問が許されるのなら教えてほしい。

557 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:09:06
>86

砲兵連隊長でノモンハン。
撃ち負けて部隊全滅同然だったっけ。

558 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:57:06
明治前期、西洋諸国の外交官は貴族が多かった。
外交官同士の社交にはカネがかかる。
そこで家柄、財力の点で大大名だった人が任命された。

神官は旧佐幕藩の藩主や実務に向かない人への処遇という性格がある。

559 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 13:11:18
>>1 御用掛って今でいうどんな職業?

560 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:40:44
>>55
「相談役」みたいな名誉職

561 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:59:23



562 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:28:08
>>555
明治初期に清国に派遣されて日清修好条規を結んだ伊達宗城を皮切りに、
明治十年代には浅野長勲、鍋島直大、戸田氏共などの殿様外交官が出ている。

563 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:12:00
あげ。

564 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 16:30:51
>>1
伊予薦野藩 土方雄志 工部省九等属
伊予でなく、伊勢。

あと日銀総裁の土方久徴はその伊勢菰野藩の家系。

565 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 14:11:39
良レス

566 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 00:14:59
書き込みどうぞ。

567 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 03:50:51
一番の勝ち組は理研コンツェルンを作り上げた大河内正敏だな。
三河吉田子爵家を継いだが実父は上総大多喜藩主大河内正質。
上野の不忍池の周囲を埋めて競馬場を作ったのがこの正質だ。
正質の実父は越前鯖江藩主間部詮勝。先祖は丹波の土豪西田氏。

568 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 23:34:47
古河家に金を貸してた相馬家は?

569 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:19:29
ネタが尽きたか?

570 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 03:13:37

    λ   
   λ !.! /      免許証を返せ・・・
   >Y〃
  (ヘ <                 免許証を返せ・・・
   ヽヾ、、     
    ヾ ヽ     /_⌒ヽ⌒ヽ
     ヾ  ゙'-、,  /` ゚` :.; "゚`ヽ
      ゙'し  `/    ,_!.!、  ヽ
        ゙'-、( __ ⊂⊃  , , )
           ヽ__(r  `〜〜ュ_
              `ヽ  ノ    \
                Y /~    ト、
       __        ノ !   ,、--'" ヽ
      \_>>    ___ノン /,'" ヽ--'" ヽ
      -= \__,、-'"  _゙',_ノ-'"ヽ'--'" -'" ヽ
       ゙'、,__,ニ、,二,、-'"     ヽ'--'"゙'--'"ヽ
                     /    :::::::::::ゞ〜ヾ
                     !::::::::::::::::::〆⌒
                    ⌒⌒⌒⌒゙'〜〜



571 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 21:59:14
良スレだと思う。

572 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 22:01:46
あげましょう。

573 : :2009/01/26(月) 22:04:13
 

574 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 09:29:22
徳川コーヒーを飲んでみたい

575 :日本@名無史さん:2009/03/30(月) 02:44:28
保守age

576 :日本@名無史さん:2009/03/30(月) 11:39:56
ANAやJALに松平さんとか大名っぽい苗字の人が多い

577 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 22:57:20
そうかね

578 :日本@名無史さん:2009/06/28(日) 10:50:51
日本人が没落して今の時代俺たち在日コリアンが日本の特権階級だ。
俺には日本人の血が一滴も流れていない大変誇らしいw 

579 :日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:41:24
バブル崩壊だ

580 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 08:18:35
私立中高行ったのに二流私大しか入れなかった奴でも
公立中・公立高から東大に行った奴と比べたら
やっぱり地頭というか根本的な人間としての質が全然違うからね
小学校から私立に行かせるのは決して無駄じゃないよ
私立に行くような子は家庭環境からして違うって事もあるけど

581 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 09:27:52
浅野長勲。有恒社創業。

582 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 09:44:47
>>578
そうかいチョン。良かったなチョン。俺は死んでもチョンにはなりたくない。

583 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 10:57:04
軍人なって一番出世したのは前田利為候ぐらいかな

584 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 11:45:02
大将になったのはその人ぐらいかな
少将ぐらいなら結構いるが

585 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 12:36:53
薩摩の島津忠重公爵と会津の松平保男子爵は、どっちも海軍少将だな。
御三卿清水家の徳川好敏男爵は陸軍中将。

586 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 12:40:42
徳川公敏は自力受爵だからちょっと違う

587 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 12:57:18
俺が知ってるのは

松山藩の久松定謨伯爵が陸軍中将
新発田藩の溝口直亮伯爵が陸軍少将
佐賀藩家老の鍋島直明男爵が陸軍少将
一関藩の田村丕顕子爵が海軍少将
ぐらいかな

佐官クラスならもっといると思う

588 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 13:03:33
あと爵位は持ってないけど
土佐藩の山内豊範侯爵の4男、山内豊中氏が海軍少将

やっぱり少将ぐらいで終わるのが多いみたい
大将は前田公ぐらいかも

589 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 16:22:54
>>585
松平少将は会津の出なのによく少将まで出世できたな

590 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:37:28
家臣の山川浩や柴五郎も将官になってるしな。
もう保男少将の頃には、その辺はこだわらなくなってたんだろうな。

591 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 22:03:10
薩摩・皇族以外で初めて海軍大将に昇進したのは会津人の出羽重遠だしな
斎藤実みたいに閨閥で出世したわけでもないのに

592 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:22:40
>>584
日本軍じゃないけど
伊達順之助が満州国軍上将にはなってる

593 :日本@名無史さん:2009/07/20(月) 19:51:26
上将は大将の上?

594 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:07:30
>> 589
藩閥の色が濃かった初期はともかく
中期ぐらいになると士官学校の成績とかで昇進決まるんじゃないの?

595 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:21:39
蜂須賀は戦後大没落

596 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:27:50
そうなの?

597 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:45:32
うん、会津の家臣だった柴五郎なんか、
幼年学校から正規教育を受けて大将まで進級している。

598 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:37:30
東條の親父が賊藩出身だから冷遇されたってのは嘘
柴五郎や松川敏胤はちゃんと出世してる

599 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:43:20
そもそも東條英教も下士官出身で陸軍中将まで昇進してるわけだから

600 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:02:03
まあ陸大首席だからね

601 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:13:49
桑名藩士の立見鑑三郎が賊軍ながら出世したのは、
旧幕臣の榎本なんかと同じで「敵ながら天晴れな奴」って感じだったのかね。
会津の山川大蔵は半分はそれ、半分は弥助どんのコネだろうけど。

602 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:51:25
立見さんはイクサの匂いがわかる男だからね
仙台伊達家の梅沢道治陸軍少将もイクサで汚名を注いだね

603 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:54:10
山縣の参謀なんてけっこう旧幕側の人間がいる
小川又次とか
東條英教がよっぽど世渡り下手だったんだろ

604 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:20:12
奥元帥は神

605 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:29:25
人材難だったんだろ
新国家建設には敵も見方もなし

606 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:35:55
でもそこは、痩せ我慢の説ですよ。

607 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:47:52
花の梅沢師団

平時の講評はこれを取り消す

608 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:17:39
>>599
薩長出身でも中将・男爵ぐらいで軍歴終わる奴も多かったしね
東條父は言うほど冷遇されてないだろ

609 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:27:14
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610 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:07:16
本当に冷遇されたのは木越安綱や梅沢道治みたいな将軍

611 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:44:32
>>609の書き込みは単なる愉快犯ではなく、国家動乱罪を適用できないか?

612 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:12:26
梅沢道治は老兵ばかりのお荷物師団率いて武勲あらわしたからラッキーだったよな

613 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:52:22
いつの間にか日露戦争スレになってきてるね

614 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:31:54
大名華族って軍人になるように奨励されたというけど、
将官まで出世した人って上記の何名かだけで、
あとはいったんは軍人になっても尉官か佐官で退役してる人が多いね。

まあ、貴族院で活動するには現役軍人では無理ってのもあるだろうけど、
軍人になった人でも進んでなったというより、周囲の勧めで渋々って感じだよね。
陸軍中将(没後大将)の前田侯ですら、軍人になるのは不本意だったらしいから。

615 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:18:37
陸軍って華族とか嫌いそうだもんな
実際妬まれたらしい
居心地良くなさそう

616 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:19:23
>>614
江戸時代の大名自体が貴族化しているもんな。
戊辰戦争のとき陣頭指揮した大名なんていたか?
どこの藩も大名は御殿に引きこもって、家老たちに「良きに計らえ」と丸投げだったのが殆どだろ。

617 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:08:11
それ以前に勤王か佐幕でも丸投げしてたのがほとんどだろ。


618 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 09:54:29
>>585・587
少将は結構いるんだな
中将の壁が厚いぜ

619 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 16:37:09
井伊の殿様は藩閥が嫌で軍人になるの諦めたらしい

620 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:04:37
軍人になればかつての陪臣どころか百姓だって上官になるわけだから。
無職でいれば御前様だし。

621 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:35:51
竹田恒徳氏は戦前の宮様時代に軍に入ったが馬術が好きで
西中尉の金メダルに触発されて五輪を目指すと言ったところ
将来司令官となるべき皇族が競技会に出るなどとんでもないと
上官に叱られて諦めたそうだ
 
競技会で負ければあいつ俺より下手じゃんとバカにされる
最初から出なければひょっとして世界一上手いのかもしれない

622 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:42:08
>>620
南部公は元飼い犬に軍人になることを勧められたために旅順で落命した

623 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:55:04
大名華族は,先祖だって極官が少将でさえ希で,中将なんて手も届かないのがほとんどなんだから。
先祖を越えたのは,前田の大将だけ?



624 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:12:38
その前田侯爵でさえ、戦没後の進級での大将だからなあ。
大名華族出身の軍人で生前に大将になった人はいないんじゃないかな。

生前中将なら、前田の他にも
小笠原長生(海軍、唐津)、久松定謨(陸軍、松山)、徳川好敏(陸軍、清水)
とかいるけど。

625 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 00:09:08
徳川好便は勲功華族だろ

626 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 03:31:02
>>616
>戊辰戦争のとき陣頭指揮した大名なんていたか?

一万石だけど、上総請西藩主の林忠崇。
伊庭八郎、人見勝太郎らの率いる遊撃隊に呼応して藩兵を率いて出陣。

627 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 04:09:47
代々7500石旗本で幕末に大名となった林家か

628 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 13:41:01
>>622
勧めたの東条の親父だよな

629 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:14:58
宮様の球避けに使うために?

630 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 17:15:02
スレ違い失礼します。
-------------------
鳥取市に知人がいらして
以下の不可解な出来事の事情が分かれば連絡お願いします。
http://tottori1.tripod.com/

疑問:1993年、「僕が鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」
という意味不明の噂でクビになった。これはどういう事情か?

疑問:1993年、鳥取最大の工場・鳥取三洋のラジオ体操が中断した。
中断は下請け工員僕のラジオ体操不参加の影響か?
----------------------------------------------------------
以来地元の人との人間関係が不自然になりました。
2つの大手企業が関わる問題のせいか、鳥取市の人は16年経っても
真相を僕には教えてくれません。

茨城県のAさんから「協力は惜しみません」というメールが届き
ラジオ体操の件を調べてくれました。
調べていくうちにAさんは僕と関わりたくなくなったのか
僕からのメール受信拒否の措置を取ったようです。


631 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:49:22
>>625
好敏本人は勲功華族で男爵だが、御三卿清水徳川家直系だからいいんじゃないの。
親が爵位返上さえしなけりゃ好敏も伯爵だったんだから。


632 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 17:34:01
前田侯爵は陸大優等だからね

633 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 17:39:29
前田侯爵は陸大優等だからね
公家だけど町尻子爵も陸大優等で中将
中将・大将の壁は厚い

634 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 20:30:10
今 朝日の夕刊で殿様 連載中

635 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:42:44
明治時代ではないが、肥後熊本の細川家の現当主は政治家だったらしい。

636 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 16:25:08
元総理だろ、熊本藩の最後の藩主は陸軍少将だったな。

637 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 07:36:01
>>635-636
天保10年3月1日 生
慶応4年1月12日 議定・刑法事務総督
明治2年3月 参与
明治3年5月8日 熊本藩知事
明治4年7月14日 免官(廃藩置県)・海軍少将
明治4年8月23日 陸軍少将(海軍より転任)
明治5年 白川県知事
明治17年 侯爵
明治26年9月1日 歿

638 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 07:51:58
>>637
>明治5年 白川県知事
とあったのだが、別の記述(ウィキ)には、こうある。

慶応4年(1868年)1月、新政府より議定・刑法事務総督に任命される。
明治2年(1869年)3月には参与に任命される。
そして明治3年(1870年)5月8日、藩主で兄の韶邦が佐幕派で(略)隠居となり、
代わって護久が後を継いで藩知事となった。

明治4年3月と同年5月の二度にわたって藩知事免職を願い出た。
明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官、
同年に白川県(現・熊本県)知事となる。

639 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:15:29
団地住まいの松平さんがいたな。川越藩主の直系当主だったか。

640 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:16:55
現役女子大生タレントの松園詩織は
松園家末裔

641 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 00:47:40
だれそれ?

642 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 01:17:54
肥前の地頭松園氏は天文11年に全滅

643 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 01:38:54
>松園家末裔
どこの松園家?
摂家の九条家の分家のような、
奈良華族(興福寺大乗院)の松園男爵家のこと?

644 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 13:45:00
松園家と松殿家ってまぎらわしいよな。
大名華族なら、小早川みたいに明治になって廃絶家を復興した例はあるのに、
なんで五摂家の分家から松殿家を復興しなかったんだろ?

645 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 15:48:47
>>644
そういえば小早川家って再興されてたな。
でも、あれって小早川隆景の養子になってた秀包系じゃなくて、毛利元徳の息子なんだよね

646 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 22:17:14
秀包の血筋は江戸中期ぐらいで絶えたような
養子続きで

647 :日本@名無史さん:2009/12/29(火) 18:18:59
小早川の地元 早川口はよく渋滞する・・箱根

648 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 12:59:39
>>280 高橋岩太郎の様に上官をボコボコにして、即日召集解除の例もあり。
>>280 ワロタ。 俺もそうおもう。

649 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:00:49
二行目訂正 >>333 ワロタ。 俺もそうおもう

650 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 17:46:27
旧殿様で維新後一番出世したのは松平春嶽?
>>358〜364で見ると岡部さんか?

651 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 19:06:14
徳川家達じゃね?
貴族院議長で組閣の大命も下った(断ったけど)

652 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:08:40
東京府知事、貴族院議長、文部大臣を歴任した蜂須賀茂韶
初代開拓史長官の鍋島閑叟

ここらへんだろ

653 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 17:41:39
大給恒はどう?

654 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 18:44:25
家達公は幕府が続いてたら征夷大将軍・三公になってたかも
しんないから貴族院議長はむしろ・・・

655 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:21:04
貴族院議長て名誉職みたいなもん?

656 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 04:13:33
大給は偉くなったと言っても官僚だから一番出世レベルじゃないわな

657 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 06:59:01
大給は慶喜将軍の頃、老中格陸軍総裁だったんだから、
賞勲局総裁ていどじゃ出世にならんだろう。

658 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 10:28:46
大臣クラスじゃないと駄目か

659 :日本@名無史さん:2010/03/11(木) 22:47:58
嗚呼

660 :日本@名無史さん:2010/03/20(土) 20:46:00
だめよ

661 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 18:34:09
だめかあ。

662 :日本@名無史さん:2010/03/30(火) 13:26:40
大給松平家に連なる御家人斬九郎は、明治になって芸者蔦吉を送り迎えする
人力車夫になってます。

663 :日本@名無史さん:2010/03/31(水) 09:32:26
このスレの出典は華族総覧?

664 :日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:58:51
さまざまだろ。

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