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(明治) 殿様の職業(再就職先)について

1 : :2008/01/15(火) 14:53:55
1881年現在

下総高岡藩 井上正順 宮内省出納課見習
備中岡田藩 伊東長トシ 内務省九等属
美濃高富藩 本庄寿巨 内務省十等属
豊前千束藩 小笠原寿長 陸軍省十四等出仕
駿河桜井藩 瀧脇信敏 沖縄県御用掛
伊予小松藩 一柳紹念 鹿児島県御用掛
伊予薦野藩 土方雄志 工部省九等属
常陸麻生藩 新庄直陳 司法省十七等出仕
下総結城藩 水野忠愛 群馬県御用掛
備中浅尾藩 蒔田廣孝 秋田県御用掛
但馬村岡藩 山名義路 広島鎮台陸軍歩兵伍長

以前の身分と物凄い落差がある事例を出してみました。

465 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:41:07
さっさと徳川見捨てて朝臣になった奴が賢いな
まわりには叩かれてそうだが代々の三河以来の旗本の忠誠心なんて
長州征伐以来だれも期待してないのでいまさらだし
農民みたいになって娘売春婦に売ったり
チャリンコ満喫してる慶喜を恨めしく見てるより
実を取ったほうがいい

とくに維新前から朝廷に何かしてなくてもだれでも朝臣になれるのならば、の話だけど

旗本勝ち組のトップは勝、榎本あたりだとおもうけど
この2人は維新前からめだってうごいてたし(三河以来の旗本でもないし)
三河武士だった家系が朝臣になりたいっていってさせてもらえるかは知らないけど
(なったところで具体的に何をするんだ?って疑問もある)

案外鳥羽伏見や戊辰戦争で勇敢にたたかってかっこつけて死んだ奴が一番の勝ち組かもしれんw

466 ::2008/08/11(月) 09:32:39
へたな小作大名より、江戸初期から続く、地侍あがりの大庄屋家のほうが余程現代でも地域の名士


例 上野家 麻生太郎家 森首相家 田中首相家 福田首相家 正田美智子家 など切りがない

鉢植え小作大名より、江土期以前より地域に根ずいた支配者である豪族あがり庄屋は
江戸大名のような成り上がり小作大名よりよほど権威や格式が当時からあり、
また明治期以降も落ちぶれた名門庄屋家は少ない
土地だけなら庄屋麻生太郎家は江戸成り上がり小作大名より数倍の領地を当時から持つ

また現代も政界は庄屋が圧倒的

前田や浅野チョン吉、蜂須賀程度の家柄より余程庄屋家の方が格式がある家柄が多い

結論でいえば、明治期以降も庄屋は実質地域や国の支配者




467 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:34:59
荒らさないでね。

468 ::2008/08/11(月) 09:43:27
さらに竹下首相 犬飼毅首相 も庄屋家

469 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:59:18
スレチで申し訳ないが、幕末期の藩主や公家の古写真みても
なんか威厳なくて品がなくてみすぼらしいように見える。

470 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 19:35:25
>>465
江戸開城以前に上洛して新政府に帰順した旧幕臣は、慶応4年5月に本領安堵された。
この時点で京都で本領安堵された旧幕臣は、高家8人、交代寄合16人、寄合55人、
三千石未満旗本58人であり、その中には板倉とか内藤のような三河武士の家系もあった。

こうして本領安堵された旧幕臣だが、翌明治2年には禄制改革によって俸禄制に切り替わり、
高禄の知行取だった者は禄を大幅に減額されることになった。
たとえば5千石の知行取だった者が150石の蔵米取になっている。

静岡藩士になって困窮した者ほどではないが、やはり没落と言えるのではないか?

471 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 20:09:04
>>470
まあ確かに大幅な削禄にはなってるんだけど、体面や知行地の管理、中間や小者の雇用やらの経費が浮くことを考えると
手取り150石なら家族が暮らしてくのに苦労しないんじゃないかな?
知行5000石と言っても実際には借上げで相当手取りは減ってたわけで1000石足らずの中から札差への借金の返済やら
幕府の軍役賦課金やら考えると家計は火の車・・・
ちなみに旗本の借金は事実上全部踏み倒しw

472 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:18:25
ただ、この時点(慶応4年5月)に本領安堵されて中・下大夫になった旧幕臣の中には、
元高家・若年寄の今川範叙もいる。
この人は明治になってから困窮して、所縁の寺から義捐金を受け取るほどになっている。
その上、嫡子に先立たれたあとは家名を継ぐ者が誰もおらず、名門今川家は断絶・・・

473 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 00:32:11
そもそも戦国時代に潰れなかったのが奇跡だが>今川家

474 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 00:30:01
>>469
そうか??
全くそうは思わんが。

徳川慶喜
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/syashin/toku15.jpg
http://komonsan.on.arena.ne.jp/gif/yosinobu.jpg

山内容堂
http://www2.plala.or.jp/shyall/retuden/youdou.gif

松平容保
http://www2.plala.or.jp/shyall/retuden/katamori.gif

475 :386:2008/08/13(水) 02:39:15
小笠原と申します。
祖父が戦前、戦時中、皇宮警察の事務系の仕事だったそうです。
士族の出と聞いたのですが、ありえる事でしょうか?

476 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:26:27
出自捏造だな
みんなそう
うちはBに大名と同じ苗字のやついるが、そいつ親戚とほざいてる
かの佐藤栄作も名門佐藤家の出自と自称でほざいてる
根拠も証拠もないのにいうやつは大半捏造

477 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:31:22
近衛兵も宮内省も出自に関係なく採用してるから、士族も平民もいる。

478 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 10:23:08
近衛兵はBは入れないのではないですか?
平民といっても庄屋のような格式は戦国大名崩れや家臣団、豪族崩れが多い
由緒があるが現代の平民扱いにすぎない。庄屋上野家のような超名門が、士族扱いの奴程度と同じ扱いなはずないし。
平民でも庄屋や豪商が、一般に線引きされる平民扱いなわけがないましてや改易大名も平民になるわけだ。
で、これらも一律平民扱いとされてたわけではないはず。

また士族だからと、これらより格段の扱いであったというのでもないだろ

479 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 11:04:48
近衛兵に関しては出自云々ではなく、容姿端麗・成績優秀な兵が選抜されてたみたいよ。

480 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:36:48
表向きはね。
でも、優秀な兵士を手放すのはどこの部隊も嫌がって、見映えがいい長身の兵士を差し出したようだ。

481 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 21:19:15
良スレあげ。

482 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 22:24:50
>>480
警護の人ならそれでもわかるけど、内勤事務職の人たちの
審査基準に自出はあったんじゃないの?

483 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 18:30:05
近衛兵、徴兵前の少年志願兵ってのもあったよ。でも、徴兵されても志願してなったんだろで
優遇はなかったそう。

しかし、それなりに環境に慣れ、人間関係があると、やっぱり違うよね。

484 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:30:23
近衛って前線でないからいいじゃんそっちのほうが
近衛が前線でばるようになったらもう終わりだろ

485 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:54:49
西南戦争の時「大砲と近衛兵さえいなければ勝てた」とか
薩摩兵言ってたとか読んだ気がするんだけど。
近衛兵も前線出るんじゃないの、そりゃあ総力出動じゃないだろうけど。

486 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:04:52
近衛師団は普通に外征に使用されてる。
太平洋戦争開始早々、日本が優勢だった頃から近衛師団は動員されてる。

487 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:09:24
ウィキより
1873年(明治6年)に徴兵令が制定され鎮台兵として配備されると、
近衛兵は鎮台兵の軍事訓練も担うこととなった。

1891年(明治24年)、鎮台が廃止され、代って師団が編成されることとなり、
山縣有朋によって近衛兵は近衛師団へ改称され、陸軍大臣管轄の下、
平時は天皇や皇居の警護などに当たり、戦時には戦線に参加することとなった。

その後、近衛師団は第二次世界大戦終結による陸軍の解散まで、
天皇及び皇居の警護に当たりながら各地の戦いに参戦していった。

488 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 17:48:11
近江宮川藩主 堀田豊前守正養

明治11年(1878年)12月、東京府会議員選挙に際し浅草区から出馬、当選。
明治12年(1879年)3月、府会副議長。
明治13年(1880年)1月、東京府赤坂区長。
明治14年(1881年)6月下谷区長、8月深川区長に転じる。
明治17年(1884年)7月8日、子爵。
明治22年(1889年)2月27日、免職となる。
明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員(連続して三期選ばれる)。
明治41年(1908年)3月25日、第一次西園寺公望内閣の逓信大臣。

489 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 17:55:17
上総一宮藩主 加納遠江守久宜

大学南校(東大の前身)でフランス語など西洋の社会・人文諸学を学ぶ。
明治6年(1873年)文部省督学局に出仕、岩手県師範学校長、新潟学校長を歴任。
明治14年(1881年)には司法界に転じて熊谷裁判所判事、大審院検事。
明治17年(1884年)、子爵。
明治27年(1894年)から明治33年(1900年)まで鹿児島県知事。
明治35年(1902年)、全国農事会幹事長。
明治43年(1910年)、帝国農会の初代会長。東京競馬倶楽部の初代会長。
大正元年(1912年)、旧領の一宮町長。

490 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 18:02:12
肥前鹿島藩主 鍋島備中守直彬

明治9年(1876年)、侍従に任じられ、明治天皇の側近として仕える。
明治10年(1877年)、西南戦争で明治天皇が京都に赴いた際に同行。
明治11年(1878年)、宮内御用掛・文学御用掛。
明治12年(1879年)4月、初代の沖縄県令。
明治14年(1881年)、元老院議官。
明治17年(1884年)、子爵。
明治21年(1888年)、帝室制度調査委員。
明治23年(1890年)、貴族院議員(その後も4回にわたって再選を果たす)。

491 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 18:14:33
488−490

出典を教えてください。

492 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:10:10
和泉岸和田藩主 岡部美濃守長職

明治8年(1875年)11月、渡米してニューへブンズ大学、イェール大学へ入学。
明治17年(1884年)、子爵。
明治19年(1886年)3月、公使館参議官。翌年12月からイギリス公使館に勤務。
明治22年(1889年)12月、外務次官。
明治23年(1890年)7月、貴族院議員。
明治24年(1891年)、大津事件の責任を取る形で外務次官を辞任。
明治30年(1897年)10月、東京府知事。
明治41年(1908年)7月、第2次桂太郎内閣の司法大臣。
大正5年(1916年)4月、枢密顧問官。




493 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:39:46
加納久宜は鹿児島県知事時代に農政に力を入れ
退官後は全国に農会(現在の農協)を作る運動に専念した
今でこそ農協は諸悪の根源のように言われるが
当時は商業資本による農村の収奪が激しく
農民自らの手で農具や肥料を購入し作物を販売することが急務だった

戦後千葉県知事に当選しながら半年で急死した加納久朗は長男

494 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 05:34:38
>>493
物の売買以上に信用事業が急務だったようだ
農村のマイクロクレジットと言えば高利貸ししかなかったわけだし

495 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 06:23:21
>>474
こうしてみたら徳川慶喜と山内容堂って顔そっくりだな。

かたや将軍、かたや外様。
かたや賊軍、かたや官軍。
かたや優柔不断、かたや意固地。

何の因果か。

496 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:16:28
>>495 でも健康管理に関する点では正反対だが

497 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:46:44
保守あげ。

498 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 22:06:47
ほしゅ。

499 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:21:30
おいおい
国民新党の亀井久興は津和野の殿の子孫らしい。

500 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:42:36
>>499
そんなことはみんなとっくに知ってると思う。
ついでに広島出身の方はドン百姓の子孫だってのも。

501 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 01:54:33
力士の亀井は?

502 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 13:17:09
津和野と広島の亀井は同族だろ。先祖がおなじ。

503 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 14:04:13
久興の祖は初代の津和野亀井家中当主・茲矩
(そーいや「琉球の風」でポール牧が亀井茲矩演じてたなw)
亀井秀綱の女婿で実家は湯氏(実父は湯永綱)
一方、静香の祖は亀井吉助と言われ、これは亀井茲矩の
兄ということになっているが、血縁関係があったかどうかは
知らない。吉助の家系は尼子滅亡後は帰農したが、
江戸時代は苗字帯刀を許されていたそう。ただ、明治以降
零落して、静香が生まれた頃はかなり貧窮していたらしい。

よって家系的には無論、血統的にも先祖が同じと
言い切れるかは微妙な感じ。湯氏の出も考慮に入れて
宇多源氏佐佐木流って捉えれば同族と言えなくもないが、
亀井氏の方は紀州・鈴木家の流れとも言われるので、うーんw

504 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 14:14:09
吉助は実兄かな。
山中幸盛が亀井家の名跡を継ぐ予定だったが結局は山中家を継ぐことになり、
その折に正室(亀井秀綱の娘)の実妹を茲矩と娶わせて、結果的に湯家が亀井家に
改めたのかも。

505 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 18:35:04
資産を相続できない二三男が、武家奉公して出世とかよくあるね。

医者になったりもする。

嫡男は、父祖代々の資産を受け継ぎ。二三男には、学問や技術を身につけさせ、独立させる。

506 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 19:45:41
ドン亀シズカの先祖が津和野の殿様と同族だと言い張ってる人は、
家康の先祖が新田氏とか信長の先祖が平氏とか大真面目に信じるタイプ。

嘘を嘘と見抜けない。

507 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 20:04:03
>>506
亀井吉助までは確実に辿れる
ただし吉助が本当に茲矩の縁者かは知らん

508 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 10:33:14
あげ。

509 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 11:18:09
悲観して自殺した人はいないんですか?

510 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:09:46
維新後の初代は、旧臣が何とかしてくれる。

511 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:22:19
>>503
久興の曾祖父茲明は公卿の堤家から養子に入ったんだが

512 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:22:19
十五銀行が破綻したときとか、戦後に華族制度がなくなったときは
無茶苦茶だったらしいな。

513 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 20:29:21
>>509
終戦後ならいるよ。

514 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 20:39:50
コノエフミマロとかな。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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