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太政大臣、摂政・関白、征夷大将軍 4

1 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 01:30:40
前スレに引き続き、三職について語りましょう。

過去スレ
1 http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1157633344/
2 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169184875/
3 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995/

2 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 02:58:15
age

3 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 03:36:51
>>1


4 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 18:40:10


5 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:15:15
太政大臣=太政官のトップ
摂政・関白=公家のトップ
征夷大将軍=武家のトップ
でOK?

6 :日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:22:26
征夷大将軍は武家のトップだが、あとは微妙。
太政大臣は摂関や征夷大将軍との兼任ができた。
摂関になった武家もいるため一概には言えない。

7 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:28:46
摂関になった武家w

8 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 10:51:00

豊臣秀吉、豊臣秀次

9 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 11:17:22
その2人は摂政になってないんじゃないの?

10 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 11:41:23
摂関家でひとまとめ

11 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 14:39:32


12 :日本@名無史さん:2008/02/26(火) 21:21:41
秀吉は藤原氏の猶子でしょ。
摂関は天皇個人のスタッフ。
江戸に下ると少し変わって公家への指揮権を持つようになるが、
本来はそういう権限がない。
太政大臣も天皇個人のスタッフだが、より外郭的な存在。
中国的に言えば「客」に近い。
摂関に比べればその身は比較的独立的で自由。

征夷大将軍はプロジェクトリーダーというような位置づけ。
課長級がリーダーになることもあれば次官級がリーダーになることもあり得る。

13 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 00:15:34
摂関は太政官の会議には臨席しない。

14 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 10:16:28
そこで内覧の出番ですよ。
むしろ頼通以降内覧が主でないのが不思議なくらい。
実務には携わらない超越的立場をとりたかったってこと?

15 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:25:56
>14
道長も外孫を天皇にして超越した地位を築いてからは摂政に就任している。
道長があえて内覧にとどまったのは、道長自身の地位がまだ危うく、
太政官の指差しひとつで道長は排斥されてしまう可能性があったため。
一条天皇は叔父道長に不満を持ち、てこでも関白にしなかったというし、
三条天皇は道長を外祖父としない敦明親王を東宮にするようごねた。
天皇との関係が血縁的にも精神面でもしっかりしているならば、
摂関になったほうが楽でしょ。

16 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:05:57
>>13
摂関が大臣を兼務してる場合は当然会議に臨席できるんですよね。


17 :日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:14:02
>征夷大将軍は武家のトップだが、
初代やら鎌倉幕府やら後醍醐天皇の親王やら、武家以外もたくさんいるぞよ。

18 :日本@名無史さん:2008/02/28(木) 22:44:08
鎌倉幕府の将軍は、本人が武家でなくとも、名目的には武家のトップだな。

19 :日本@名無史さん:2008/02/29(金) 22:51:42
>>16
しない筈
摂関は立場上は天皇の代理人だから、天皇が臨席しない平常の太政官の会議には代理も出席しない。

20 :日本@名無史さん:2008/03/01(土) 18:41:56
>>19
そうなんですか。
ありがとう


21 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 05:36:51
なるほど勉強になったよサンクス

22 :日本@名無史さん:2008/03/02(日) 10:03:12
確かに「一上」に摂関入らないしな

23 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 15:59:29
摂関でない内覧なら出席可?

24 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 16:16:26
可能

25 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 21:04:28
道長が摂関拒否したのはそんためだっけか?

26 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 21:23:45
って言う説と一条天皇の方が許さなかったって説がある。
真相はヤブの中だろうけどね。

27 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 21:49:04
疫病による人材不足でなりたくてもなれなかったって説もあるな。
一上を顕光や公季・道綱なんか任せるのは無理だったとか。
実資が若い頃からもう少し要領が良かったら一上になれたかも?

28 :日本@名無史さん:2008/03/04(火) 22:52:46
公季ってのちに太政大臣までなってるけど有能じゃなかったの?

29 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 08:35:28
このころから太政大臣は棚ageの職になってきてたから有能の証明とは言えないと思う。
他の二人みたいに無能だったという話もないけど、可もなく不可もなくって感じか?
他の二人の無能が突出しすぎて多少の無能では目立たなかっただけ?
顕光の方は老人ボケかもしれないけど、道綱は本気で無能だったみたいだな。
「字も書けない」はさすがに実資の言い過ぎだろうけど。
あの人目の上のこぶには格別に辛辣だからな。

30 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 08:40:07
征夷大将軍>臨時役職


まあ、鎌倉の前だけど

31 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 09:15:08
>25
道長が摂関を拒否したのは
さっさと退位させて外孫を即位させたい三条天皇のときだったと思うよ
兄道隆、道兼は一条天皇の摂政・関白を勤め、
姉の東三条院も当然道長関白就任を一条天皇に要請したが、
一条天皇がこれを許さなかったらしい。
道長が長女彰子に一条天皇の男子を産ませたのは一条天皇が死ぬ2年前で、
この時点でまだ外孫を得ていなければ娘を入内させてもいなかった道長は、
当然、兄たち同様一条天皇の関白となることを期待していた。

「一上」の地位が摂関より重視されたというわけではないと思うよ。
一上が誰であろうと、決定には天皇を代行、補佐する摂関の承認がいる。
公季が馬鹿だったという伝承もないし。

32 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 09:52:55
ところで道長政権初期の与党って誰?
伊周も弟以外は公卿の味方はなくて孤立してたらしけど、
明確な道長派って人も見あたらないような?

33 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 10:03:22
一上を自分、もしくは自分のいいなりになる人物を置いておかないと
摂関の地位は危うくなるというものでもないと思うよ。
父兼家のときだって自分の息子以外は敵だらけ、
兄道隆だって叔父や従兄弟が地位を狙うのは勿論、
機会があれば地位を乗っ取ろうとする弟道兼の存在だってあったわけだから。
このころ勝ち目がないと思っていた末弟の道長は、
おとなしく兄道隆の娘中宮定子に中宮大夫として仕えて
道隆や定子に従順なふりをしていたけどね。
道長は一条天皇の意思すら左右する姉国母東三条院詮子の
寵愛を受けていたのだから、十分なのでは?

道長が内覧に就任したのは996年。
それから3年後の999年には、
道長長女彰子の入内に多くの公卿たちが祝いの歌を送り(花山法皇まで)、
彰子はどの女御・中宮にも負けない華やかさで入内したのだから。

34 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 16:21:07
一条天皇は死ぬ2年前になってから後一条・後朱雀と次々に生まれたのか

35 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 23:26:01
てゆうか大臣兼任しない摂関だけの地位って誰が最初?

36 :日本@名無史さん:2008/03/05(水) 23:30:10
確か兼家、上がつっかえていて官制上はナンバー三の右大臣のままだから大臣辞めちゃった。

37 :日本@名無史さん:2008/03/06(木) 13:47:00
一条って、本心では定子と彰子のどっちがよかったの?

38 :日本@名無史さん:2008/03/06(木) 15:05:38
>>36
そう。そして「一座宣旨」を摂政専任の自分に出して
太政大臣の上座に着いた。

39 :日本@名無史さん:2008/03/06(木) 20:16:43
>>38
自作自演のねら〜もびっくりだな。

40 :日本@名無史さん:2008/03/06(木) 21:17:48
てか太政大臣兼任でない限り一座宣旨は必要なんじゃ。

41 :日本@名無史さん:2008/03/06(木) 21:48:33
なんかそれ以前は上席の大臣が居るときはその大臣が出仕しなくなったらしい。
それかもう死にかかっていて出仕どころじゃなかったとか。
兼家の時は上席大臣まだまだやる気満々だし。

42 :日本@名無史さん:2008/03/07(金) 10:20:04
無位無官な奴は社員だろうが派遣だろうが天皇から見れば穢多非人と一緒です。これが事実であり、真に人間として認められるのは100万人前後であります。



43 :日本@名無史さん:2008/03/07(金) 14:11:10
太政大臣空席で、摂関が左大臣兼務とかなら一座宣旨いらないか。

44 :日本@名無史さん:2008/03/08(土) 11:51:24
はやらないな

45 :日本@名無史さん:2008/03/08(土) 21:06:49
太政大臣は職務がないようなものだから、別に不在でも何の問題もない。
君主としての征夷大将軍は、例え乳幼児でも家臣がしっかりしてれば問題ない。
一応実務のトップであってそれでは困る摂関は5家あって、最悪でも一人くらいは適任者が居る。
けど一家で官職独占ってのがあるけど、あれで当主が急逝して後継者が幼すぎる時ってどうなるんだろう?
大宮消滅後の壬生とか、押小路とか土御門とか幸徳井とかああいう家。
例え養子は取るにしても、ノウハウが伝わらないわけだよね。まあ家伝の文書くらいはあるだろうけど。

46 :日本@名無史さん:2008/03/08(土) 21:34:22
諸大夫って少なくとも江戸期の摂家諸大夫は政治家秘書みたいなものって言う理解でOK?

47 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 00:07:30
つうか藤原北家が台頭する以前は、太政大臣は空席のほうが普通だったよ。

48 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 01:06:58
>45
小児の摂関もいたはず。

49 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 04:55:30
二条天皇のときの近衛基実あたりが最年少で、さすがにそれ以下の年齢の摂関はいないのでは?

50 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 16:36:14
秀次とか何歳?

51 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 16:53:26
豊臣秀次は関白就任時に24歳
近衛基実の16歳が最年少

52 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:01:27
基実16歳で関白、甥の師家が12歳で摂政。これが最年少かな?
まあ親父の基房が事実上の摂政だったんだろうが。
しかし考えてみると天皇4歳、摂政12歳。
数え年だから、やっとおしめが取れたような入園前の天皇に小学生の摂政か。

53 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:31:01
どっちも異常時だからな

54 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 19:26:21
『若年高官(位階だけ高いのは除外)』
源信、831年22歳で参議
源常、832年21歳で中納言(参議を経ず:後840年29歳で右大臣)
 この辺からおかしくなってきた。淳和在位時だから嵯峨上皇の責任だな。
 その後半世紀以上ここまで酷い例はなし。

藤原時平、891年21歳で参議、898年28歳で内覧
 皇子以外では画期的早さ、その後は記録的に若い公卿は約1世紀なし。

藤原道長、988年23歳で権中納言
藤原道頼、990年20歳で参議(約100年ぶりに記録更新)
藤原伊周、991年18歳で参議(ついに10代の現任公卿誕生)、同年中に権中納言、
     翌992年権大納言19歳、994年21歳で内大臣、翌995年内覧22歳
藤原隆家、995年17歳で権中納言(参議を経ず)、同年中に中納言
 この辺は兼家・道隆親子のごり押しなんだけど、頼通以後はこれが先例になる。

55 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 19:30:39
そのうちに0歳児で五位とか、4歳くらい(当然元服前)で侍従とか酷いことになるんだよね。
実資は皮肉(多分?)で「口なお乳臭き少将(そうはいってもローティーン)」とか言ったけど、
後世になると本当に乳臭い侍従が実在したわけだ。

56 :日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:23:32
イメージとしてはイクラちゃんが天皇でカツオが摂政ってところか。

57 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 00:47:07
でも師家は12歳から半世紀以上散位だったという事実が脅威

58 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 04:30:26
三位=さんみ
散位=さんに

なんだよね?

59 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 09:48:40
>>57
異母の兄二人は摂関家庶流として普通に昇進してるのにな。
自分のせいじゃないのに摂政になったばっかりに空しい人生だな。
親父は政界の長老として悠々自適だったらしいし。
なんだか当時の摂家関係者で一番悲惨かも。

60 :日本@名無史さん:2008/03/10(月) 11:14:28
悪いのは全部義仲

61 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 07:32:41
摂政、関白になって政権を思い通りに、、、って人いるの?
聖徳太子や豊臣秀吉にしてもその地位についても政敵がいて苦労していた
みたいだけど。
歴代の征夷大将軍もしかり。

やはり道長あたりかな。
実権でいえば室町の執権(連署)や江戸の大老もお忘れなく。

62 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 08:24:32
藤原道長は関白にはなっていない。
摂政も1年2か月ほどやっただけ。
道長は引退して御堂と呼ばれた時期が最盛期だったような。
望月の歌を詠んだ頃、道長はすでに摂政も太政大臣も辞した致仕で、
摂関になれて詠んだ歌ではないんだよね。

結局は外孫が天皇、娘三人は立后という栄華が道長を権力者にしたのであって、
必ずしも摂関の地位がどうこうというわけではないんだよね。

63 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 09:19:35
江戸の大老は名誉職。

64 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 09:36:42
それは極論、確かに漬け物石程度の大老もいるが、
本人にやる気と能力があればそれなりには動ける。

65 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 11:29:44
>>61
>室町の執権(連署)

釣りにしても、できが悪いな・・・

66 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 12:38:26
大老も執権も朝廷とは関係ないわな

67 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 19:08:59
>>62
内覧は20年やったけどね

68 :日本@名無史さん:2008/03/11(火) 19:33:49
>>67
内覧時代の道長は一上ではあっても発言力はそれほどでもなかったよね
娘を入内させた一条天皇、三条天皇にはほかにも妃が大勢いて
必ずしも道長を外戚とする皇子が即位できるか流動的だった
成人帝の一条天皇、三条天皇自身が道長と対立している(言いなりにならない)
というジレンマもあった。


69 :日本@名無史さん:2008/03/12(水) 08:33:30
「大老」は井伊直弼が(安政の大獄を強行した)、、、
執権は源実朝、尼将軍の後は実質的に実権握ってただろ?

これらの時代の将軍はお飾りで全くの名誉職だ。

にしても連署(No.2)の署名(承認)がないと効力がない
と言うのも辛いな執権職(実質武家のトップ)w

70 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 03:49:20
執権という名称は本来的には政所別当の別名だな。

71 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 08:57:31
得宗>執権 だろ

72 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 09:14:40
得宗(嫡男)制度の確立は執権確立の後だがな

73 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 14:32:15
>>71
末期のパワーバランスではそう。
ただ得宗は鎌倉幕府の制度として明確に位置付けられている地位とか役職ではない。

74 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 14:56:04
得宗は地位や役職ではないが執権になる優先権があり
得宗幼少によりほかの者が執権を務める場合でも
得宗成人後は執権を返す習慣になったこと
また得宗が執権を退いても得宗の嫡男に相続の優先権があり
一門が得宗を宗家と崇める習慣になっていたこと

北条高時は評価の低い得宗だが、
それでも最後まで高時に従い死を共にした北条家一門の数は相当なもので、
それだけ日本の歴史上でも例を見ない結束の固い一族だったことは言えると思う。

75 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 15:15:14
得宗は地位や役職ではなく家系(鎌倉北条氏の嫡流)を意味する言葉。

76 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 15:19:17
氏の長者に類似して、ないか。

77 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 16:53:18
氏の長者は嫡男じゃなくても継げるからね

78 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 21:58:05
得宗は役職ではないが一種の地位ではあると思う。
治天のようなものでは?一系で世襲されているけどね。

79 :日本@名無史さん:2008/03/13(木) 23:18:42
治天とは全然違うだろ。

そもそも得宗自体が義時の法名に由来するといわれるわけだし、単に義時の嫡流を表すんじゃないのか?

80 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 00:08:53
宗家以上の意味があるのか?
逆に間の執権は全員中継ぎ以上の意味はないし

81 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 07:13:36
それにしても上手くやったよな北条は。
罪人とはいえ名門源氏の嫡流を担ぎ挙げ勢力伸ばして
頼朝に弟義経のある事ない事吹き込み排除させた上
用済みとなった頼朝を抹殺(?)やその息子たちも、、、

おいしいなw

82 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 08:13:10
結局源氏3代に能力がなかったということだろ。
外戚に食われているようじゃ。

83 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 09:24:39
>>80
宗家というだけで権力を維持し続けたんだからすごいよ。
藤原でも足利でも宗家も嫡流も関係なく実力の世界。

84 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 13:22:34
足利氏で他家が宗家に取って代わったことなんてあったか?

85 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 13:48:19
でも足利将軍家は兄弟相続が多かったよね
特に嫡男を中心に一族が結束するわけでもないし。
応仁の乱を見てれば分かるけど。

86 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 14:17:55
当主に子供がいなければ、兄弟相続が起こるのは自然だろ。
それを庶家が宗家を乗っ取ったとは普通言わない。
ただ足利将軍で、兄から弟への継承は、義勝から義政しかないと思うが。
あとは義教に関しては、事実上義持からの継承といえるが。
無論いずれも兄の系統がに子孫がないから弟が出てきたにすぎない。

あと応仁の乱は、将軍家の相続問題という点に関して言えば、義政にまだ男子が
生まれる可能性があったのに、無理矢理弟を後継者に決めてしまったことが
原因であり、次元が違う。
義視を還俗させた段階で、義政29歳、富子25歳だからな・・・。

87 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 14:20:42
・・・しかしスレタイと関係ない話題が続くな。話題が変わったA級戦犯は>>61っぽいが。

88 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 15:01:16
>>83北条にも名越みたいなのもいたけどね

89 :武陽隠士:2008/03/14(金) 21:04:30
>>80
得宗が摂関、治天の君を決めた…そんな長い時期が得宗にある。
否、天皇の地位すら得宗の意見に左右されたんだよね。
嫡流、宗家がナンタラは話が単純だ。
そんなこといえば治天の君も天皇もただの嫡流にしか過ぎなくなる。
得宗専制期(この時期の確定がまた面接くさいんだが)
の得宗は日本の国主。
「王」と言って良い。


90 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:06:40
厳密な意味での得宗専制は貞時期だけだよ。

91 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:30:14
>>89
バカは引っ込んでろ

92 :武陽隠士:2008/03/14(金) 21:33:38
>>90
簡単に言い切り過ぎさW
いろんな学説が対立してんの知らないのか?


93 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:39:02
得宗が北条一門だけを統制していたのなら確かに単なる宗家だろうが、
公的職の如何に関わらず幕府を統制していたのだから、
半ば公的(この言葉はやや不適当だが)な地位でも有ると思うが。
>>90
得宗専制を得宗個人が専権を振るうという意味で捉えればそうだな。
得宗の名の下に専制的に政治が行われるという意味では高時期も該当。

94 :武陽隠士:2008/03/14(金) 22:15:59
>>93
幕府どこじゃないよ。
元の時なんか朝廷なんか無視して外交権まで握ってる。
幕末よりかひどい朝廷無視なのに何で戦前は時宗が偉人になってた
…馬鹿らしい、てな意味のことを上横手先生は指摘してる

95 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 22:19:04
敵国降伏

96 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 22:54:57
鎌倉時代の終焉、、、元冦の防御の恩賞与えられず各地で反乱。

室町時代の終焉、、、跡目争いで家臣団が分裂⇒大乱(細川VS山名)。

江戸時代の終焉、、、外圧による開国それ以前に爆発的な人口増加で幕藩体制維持出来ず。
薩摩、長州や公家による新政権へ。

97 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:00:34
>>94
武陽君、元寇のときに限って言えば、
時宗は得宗の地位のみで外交権を掌握していたのではなく
このときすでに執権の地位にもあった。
得宗の威力をいうのに
得宗が執権について行使した権力まで含めるのは不適当。


98 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 12:26:52
権力者に執権という地位を与えることにした時期。
執権であることが権力者であった時期。
権力者が執権である形式を取ることが必要であった時期。
得宗であれば形式(現職にはこだわらない)はどうでも良くなった時期。
って変遷かな?

99 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 15:15:52
ブヨって上横手信者だったのか

100 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 19:28:56
100

101 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 20:02:40
>>93
高時の頃には得宗の地位も形骸化して
内管領が実権を振るってたんでは

102 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 20:57:45
ここは太政大臣・摂関・将軍スレだ。
執権とか得宗の話は鎌倉北条氏スレでやれよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1134232889/l50

103 :武陽隠士:2008/03/15(土) 21:09:21
>>97
多分そういう反駁来ると思った。
君は通説に則ってるね。
まあ優等生的見解で、
クソ真面目な学部生のレポートと言ったところかな。
私の論だがは、実は名前も挙げてるが上横手先生が唱えている得宗専制期の時代区分に拠ってる。
先生のは公武の関係を考慮に入れたシャープな議論。
得宗専制の初期段階は時頼(藤原将軍の京都送還時)から始まっている。
君は史学(特に中世)の学説が一枚岩でないことが
よく分かってないんだよね。
通説といったって、このあたりの議論はけっこう過渡期(ウン十年前からだ)
といったっていいのさ。
佐藤進一先生の教え子が存命する現今はともかく、
これからどうなることか…
ついでにいえば、得宗については私オリジナルの立論があるが、
それはネットになんか書き込みしない。
君も教科書の敷き写しなんか止めて、
もう少し見識広げたらどう?
ああそうそう、法制史的な側面からの得宗専制期の論証もウザいから止してね。
それも学部教科書レベル。
じゃ、がんばってね。

104 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 21:50:10
大河ドラマ 真木よう子
http://live27.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1204473143/

105 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 00:27:06
なんかまたうるさい奴が、俺の透明あぼーんの中で暴れているみたいだなww
ご苦労なこった

106 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 01:55:52
ブヨの勝ち?
それとも負け?

107 :武陽隠士:2008/03/16(日) 10:32:11
>>105
論争になって負けが込むと
必ず「W」を使用して茶化した捨てセリフを吐くレスで応戦……
今までみんなそうだった。
君は負けたんだね。

108 :なりすましウザいコテハンなんかいはねーよだW:2008/03/16(日) 18:22:22
>>102
馬鹿だな
その摂関だか太政大臣だかを決めちゃうのが
得宗だったりするわけだろうが。
おまえ才能ないよ

109 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 19:42:19
意味不明

110 :日本@名無史さん:2008/03/16(日) 21:58:01
他人のレスに粘着するのってウザイ

111 :日本@名無史さん:2008/03/17(月) 17:16:43
>>103
武陽君、時頼のときに得宗制度が始まったのならば、
なぜ元寇に際して年若い時宗が執権にならなければなかったのだろう?
他人が執権で、若い得宗時宗が裁断するのではなぜ都合が悪かったのだろう?
君の説だと、時宗はたとえこのとき執権でなくとも
外交権を行使できたことになるね。
史実はどうか?
武陽君、完全に君の間違いだよ。

112 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:21:02
ブヨブヨうるせーなw
しかもスレ違いの話題だしw

113 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 07:33:02
みんな権力のあるポスト(ワンマン社長みたいな)が好きなんだよw
スレの展開から執権、得宗に行き当たったってトコじゃないか?

太政大臣、摂政・関白、征夷大将軍

執権、得宗からすれば、いずれも名誉職みたいなモンだろ。

114 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 08:18:54
高時の時代は執権だって名誉職みたいなもんだな。

115 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 11:34:15
執権や得宗がどうのこうのはスレチだな
他所でヤレ

116 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:05:11
多少脱線しても過疎ってるよりはにぎやかな方がいいな。

117 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 13:44:09
それで最年少太政大臣って結局誰?

118 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 14:32:09
最年少太政大臣
大友皇子 24歳

119 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 16:19:33
令制太政大臣では20代はなし?

120 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 16:29:52
律令施行後では
最年少太政大臣
松殿基房 26歳

121 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 17:16:51
なんでそんなに若くてなったの?

122 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:42:45
武陽隠士ファンスレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1205285411/l50

123 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 21:57:32
摂関・将軍は不在では困ると言うこともかもしれず、
他に適当な候補者がなければ若年就任も有るのかもしれないけど、
令制太政大臣は別に欠員でもなんの問題もないわけで、
それでも20代で就任と言うのはごり押しなのだろうか?

124 :日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:01:58
鎌倉幕府の内は当主が幼年なら将軍どころか無位無官だったりもしたが、
江戸幕府になると幼児でも征夷大将軍。
こういうのはやはり形式主義の蔓延なのか?

125 :日本@名無史さん:2008/03/19(水) 10:44:24
>>121
松殿基房は兄近衛基通の早世により六条天皇の摂政となった。
一方、力をつけた平清盛は、六条天皇のとき太政大臣となった。
平清盛が太政大臣を辞した後は、花山院忠雅が太政大臣となったが、
花山院忠雅の嫡男兼雅は平清盛の娘婿であり、清盛の意向によるものとされている。
一方、基房は花山院忠雅の娘を正室としたため、当初は親平氏の立場にあった。
平氏待望の高倉天皇が即位すると基房はその摂政に就任。
26歳の時、妻の父である花山院忠雅から譲られる形で後任として太政大臣に就任。
基房がのちに後白河法皇とはかって清盛の娘平盛子が近衛家から伝領した荘園を没収するまで、
基房は平氏とも比較的近い姻戚筋の摂関として若年ながら高官に上ることが容認されていた。

126 :日本@名無史さん:2008/03/19(水) 12:47:56
今晩のそのとき歴史が動いたで道長やるよ

127 :日本@名無史さん:2008/03/20(木) 02:11:25
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1205005575/70-

128 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 14:08:47
あげ

129 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 21:34:31
清華家筆頭は閑院流嫡流の三条家か
村上源氏嫡流の久我家かどっち?

130 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:37:05
村上、後正親町源氏は格下だよ
あくまでも格の高いのは花山院流と三条家の3つ。

131 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 10:35:00
久我家は源通親の活躍がなかったら
清華家に列していなかっただろうなあ

132 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 18:15:32
清華の中で一番家録が多かったのは
今出川家だね

133 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 18:57:55
嵯峨源氏の子孫の堂上家ってあったっけ?

134 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 19:12:08
ない

135 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:17:30
清華家はこのスレとは関係ないんだが


136 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 13:16:07
一応太政大臣になれるけどな

137 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 15:20:53
江戸時代は摂関経験者しか太政大臣に慣れないから清家は事実上除外だな。


138 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 19:34:17
久我は皇胤貴族のエース

139 :日本@名無史さん:2008/04/15(火) 00:29:52
公家公卿

140 :日本@名無史さん:2008/04/18(金) 08:15:09
4つのどれが偉いんですか?

141 :日本@名無史さん:2008/04/18(金) 11:41:50
関白

142 :日本@名無史さん:2008/04/18(金) 16:28:41
関白より摂政のほうが与えられる権限は大きい

143 :日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:07:04
摂政太政大臣

144 :日本@名無史さん:2008/05/07(水) 19:23:55
>>77
氏長者は本来は一族で一番の高位の者が就くポスト


145 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 12:38:50
征夷大将軍の官位相当の位階は何位なんでしょうか?


146 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 14:10:42
んなもんない

147 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 14:13:01
坂上田村麻呂は征夷大将軍になったとき従四位下木工頭だった。
もともと征夷大将軍はそれほど高位な位の職務ではない。
源頼朝の時は正二位権大納言。
時代とともに征夷大将軍の地位は上がり、
江戸幕府では家光以降、征夷大将軍の宣下と同時に
内大臣に任じられるようになった。

148 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 14:16:45
であるから「征夷大将軍」の官位相当の位階など存在しない

149 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:07:24
源頼朝(1147〜1199、53歳。従四位左馬頭・播磨守義朝の三男)
 皇后宮権少進(1158、12歳)→右将監(1160、14歳)→門院蔵人→蔵人→従五位下右兵衛権佐(14歳)→解任→流罪(1160) →復従五位下(1183、37歳)→正四位下(1184、38歳)→従二位(1185、39歳)→正二位(1189、43歳)→権大納言
 (1190、44歳)→右大将(1190)→征夷大将軍(1192、46歳)→出家(1199)
源頼家(1182〜1204、23歳。頼朝の長男)
 従五位上左権少将(1197、16歳)→讃岐権介(1198)→正五位下(1198、17歳)→左権中将(1199)→従四位上(1200、19歳)
 →従三位左衛門督(1200、19歳)→正三位(1202、21歳)→従二位征夷大将軍(21歳)→出家(1202)→殺害(1204)
源実朝(1192〜1219、28歳。頼朝の次男)
 従五位下征夷大将軍(1203、12歳)→右兵衛佐(1203)→従五位上(1204、13歳)→右少将(1204)→正五位下(1205、14歳)
 →右権中将・加賀介(1205)→従四位下(1206、15歳)→従四位上(1207、16歳)→正四位下(1208、17歳)→従三位
 (1209、18歳)→右中将(1209)→正三位(1211、20歳)→美作権守(1211)→従二位(1212、21歳)→正二位(1213、22歳)→
 権中納言(1216、25歳)→左中将(1216)→権大納言(1218、27歳)→左大将・左馬寮御監→内大臣→右大臣(1218、27歳)
 →殺害(1219)
藤原頼経(1218〜1256、39歳。摂政左大臣道家の四(三?)男)
 正五位下右少将・征夷大将軍(1226、9歳)→近江権介(1227)→従四位上(1231、14歳)→左中将→正四位下(1231、14歳)
 →備後権守(1232)→従三位(1232、15歳)→権中納言(1233、16歳)→正三位(1233、16歳)→按察使(1234)→従二位
 (1234、17歳)→正二位(1236、19歳)→民部卿(1236)→中納言・左衛門督(1238、21歳)→使別当→権大納言
 (1238、21歳)→出家(1244)
藤原頼嗣(1239〜1256、18歳。頼経の長男)
 従五位下左少将・征夷大将軍(1244、6歳)→正五位下(1244、6歳)→美作権守(1245)→従四位下(1246、8歳)→
 従四位上(1248、10歳)→正四位下(1249、11歳)→左中将(1249)→美濃権守(1250)→従三位(1251、13歳)

150 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:07:49
宗尊親王(1242〜1274、33歳。後嵯峨第二皇子)
 親王(1244、3歳)→三品征夷大将軍(1252、11歳)→一品中務卿(1265、24歳)→出家(1272)
惟康王→源惟康→惟康親王(1264〜。宗尊親王の子)
 従四位下征夷大将軍(1266、3歳)→従三位左中将:源(1270、7歳)→尾張権守(1271)→従二位(1272、9歳)→讃岐権守
 (1276)→正二位(1279、16歳)→中納言(1287、24歳)→右大将(1287)→親王(1288?、25歳)→二品(1288?、25歳)→
 出家(1289)
久明親王(1276〜。)
 親王(1289、14歳)→三品(14歳)→征夷大将軍(1289、14歳)→二品(1295?、20歳)→式部卿(1297)→一品式部卿
 (1304時点、29歳)
守邦親王(1302〜1333、32歳。久明親王の子)、三品(1308以前、7歳)→征夷大将軍(1308?、7歳)→出家(1333)

151 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:08:36
足利尊氏(1305〜1358、54歳。貞氏の子)
 従五位下治部大輔(1319、15歳)→従五位上(1332、28歳)→鎮守府将軍(1333)→従四位下左兵衛督(29歳)→従三位
 武蔵守(1333、29歳)→正三位(1334、30歳)→参議(1334、30歳)→征夷大将軍(1335、31歳)→従二位(31歳)→解任(1335)
 →権大納言(1336、32歳)→正二位征夷大将軍(1338、34歳)→贈従一位左大臣(1358)→贈太政大臣(1457)
足利義詮(1330〜1367、38歳。尊氏の三男(嫡子))
 従五位下(1335、6歳)→正五位下(1344、15歳)→左馬頭(1344)→従四位下(1346、17歳)→参議・左中将(1350、21歳)
 →従三位(1356、27歳)→征夷大将軍(1358、29歳)→武蔵守(1359)→権大納言(1363、34歳)→従二位(1363、34歳)→
 正二位(1367、38歳)→贈従一位左大臣(1367)
足利義満(1358〜1408、51歳。義詮の子)
 従五位下(1366、9歳)→正五位下(1367、10歳)→左馬頭(1367)→征夷大将軍(1368、11歳)→従四位下参議・左中将
 (1373、16歳)→従三位(1375、18歳)→権大納言(18歳)→右大将→従二位(1375、18歳)→従一位(1380、23歳)→
 内大臣(1381、24歳)→左大臣(1382、25歳)→准三宮(1383、26歳)→太政大臣(1394、37歳)→出家(1395)
足利義持(1386〜1428、43歳。義満の長子)
 正五位下左中将・征夷大将軍(1394、9歳)→従四位下(1395、10歳)→美作権守(1396)→正四位下(1396、11歳)→参議
 (1396、11歳)→従三位(1397、12歳)→権中納言(1397、12歳)→正三位(1398、13歳)→従二位(1400、15歳)→
 権大納言(1401、16歳)→正二位(1402、17歳)→従一位(1402、17歳)→右大将(1406)→内大臣(1409、24歳)→出家
 (1423、38歳)→贈太政大臣(1428)
足利義量(1407〜1425、19歳。義持の子)
 正五位下左中将(1417、11歳)→征夷大将軍(1423、17歳)→従四位下(1424、18歳)→参議(1424、18歳)→贈従一位
 左大臣

152 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:09:14
足利義宣→足利義教(1394〜1441、48歳。義満の四男)
 大僧正・准三后(1419、26歳)→還俗(1428)→従五位下左馬頭(35歳)→従四位下(1428、35歳)→参議・征夷大将軍・
 左中将(1429、36歳)→従三位権大納言(36歳)→右大将→従二位(1429、36歳)→従一位(1430、37歳)→内大臣
 (1432、39歳)→左大臣(1432、39歳)→殺害(1441)→贈太政大臣(1441)
足利義勝(1434〜1443、10歳。義教の長男)
 従五位下(1441、8歳)→正五位下左中将・征夷大将軍(1442、9歳)→従四位下(1443、10歳)→贈従一位左大臣(1443)
足利義成→足利義政(1436〜1490、55歳。義教の子、義勝の同母弟)
 従五位上(1446、11歳)→正五位下侍従(1447、12歳)→左馬頭(1448)→征夷大将軍(1449、14歳)→従四位下参議・
 左中将(1449、14歳)→従三位(1450、15歳)→権大納言(15歳)→従二位(1450、15歳)→従一位(1453、18歳)→右大将
 (1455)→内大臣(1458、23歳)→左大臣(1460、25歳)→殺害(1490)→贈太政大臣(1490)
足利義尚(1465〜1489、25歳。義政の子)
 正五位下左中将・征夷大将軍(1473、9歳)→従四位下(1474、10歳)→美作権守(1475)→正四位下(11歳)→参議
 (1475、11歳)→従三位(1476、12歳)→正三位(1477、13歳)→従二位(1479、15歳)→権大納言(1480、16歳)→従一位
 (1483、19歳)→右大将(1485)→内大臣(1487、23歳)→贈太政大臣(1489)
足利義村→足利義尹→足利義稙(1466〜1523、58歳)
 従五位下左馬頭(1487、22歳)→従四位下参議・左中将・征夷大将軍(1490、25歳)→辞任(1501)→従三位権大納言・
 征夷大将軍(1508、43歳)→従二位(1508、43歳)→罷免(1521)
足利義遐→足利義高→足利義澄(1480〜1511、33歳)
 従五位下(1493、14歳)→正五位下(1494、15歳)→征夷大将軍・左馬頭(1494、15歳)→従四位下参議・左中将
 (1502、23歳)→従三位(1503、24歳)→贈従一位左大臣(1521)

153 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:11:01
足利義晴(1511〜1550、40歳)
 従五位下(1521、11歳)→正五位下左馬頭(11歳)→征夷大将軍(1521、11歳)→従四位下参議・左中将(1522、12歳)→
 従三位権大納言(1530、20歳)→右大将(1546)→贈従一位左大臣(1550)
足利義藤→足利義輝(1536〜1565、30歳)
 従五位下(1546、11歳)→正五位下左馬頭(11歳)→従四位下征夷大将軍(1546、11歳)→参議・左中将(1547、12歳)→
 →殺害(1565)→贈従一位左大臣(1565)
足利義栄(1538〜1568、31歳。義澄の孫、義維の長男)、従五位下(1566、29歳)→征夷大将軍・左馬頭(1568、31歳)
足利義秋→足利義昭(1537〜1597、61歳)
 還俗(1565)→従五位下左馬頭→従四位下参議・左中将・征夷大将軍(1568、32歳)→従三位権大納言(1569、33歳)→出家
 ・准三宮(1588)

征夷大将軍初任時は従五位下から従二位権大納言までばらばら、まあ五位以上なら良いってことだろう。

154 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:27:19
>>146 - 153
ありがとうございます。
Wikiに鎮守府将軍は三位以上で征夷大将軍なみの権限と鎮守府大将軍の呼称に
なると書いてあったので征夷大将軍の位階がきになりました。


155 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 19:29:53
征夷大将軍にしても摂政関白にしても元々官位相当はないから

156 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 20:14:56
足利の場合は嫡男は10歳前後で五位に叙任されて清華並みに昇進するんでしょ?
だから年長で将軍になったら大納言もありえるし叙任されてすぐに家督、将軍なら5位もあり得る。
それだけの事。
関白は官位相当は無いが太政大臣よりも席次は上だから2位以上じゃなければ事実上無理でしょ?
二位の関白と一位の大臣でも関白が飢えだしね。



157 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 21:34:22
摂関は明文の規定はないが内大臣以上の現職または経験者というのが条件らしい。
そこで内大臣の位階は言うと三位が下限らしい。
つまり摂関は最低でも三位以上と言うことになる。
内覧の場合は中納言以上が条件らしい、これも三位が下限と言うことになる。
中納言は極初期の場合四位もいるが、摂関・内覧が問題に成る時期以前から三位が下限。

158 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 21:50:03
ついでに言えば、摂関が太政大臣の上と決まったのは藤原兼家が初例。


159 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 21:53:27
>鎮守府将軍は三位以上で征夷大将軍なみの権限と鎮守府大将軍の呼称になる
やや不正確のような。
建武政権下の特例として三位以上が任じられたときに鎮守大将軍と呼称するだけのはず。
権限については三位以上であるとないとに関わらないと思われる。
征夷大将軍に準ずる権限を与えられたのはこれも建武政権下の政治情勢における特例だろう。
なお成立期の征夷大将軍は四位クラスだと概念されていたと思われる。
遣唐使等特に重要な使命を畿外で行う責任者は四位以上の地位が必要だったものだと思われる。
鎌倉期以後の征夷大将軍には関係ない話だけど。
まあどのみち平安中期以後の四位なんかは下っ端とまでは行かないが大した地位ではない。

160 :日本@名無史さん:2008/05/12(月) 22:12:39
頼朝・尊氏・家康等創設者は相当な力を手にして以後となるので必然的に任官前の官位が高くなる。
頼家の場合はまだ必ずしも将軍となるべきか定まっていなかったのかもしれない。
実朝以後は家督相続直後ないし、幼少の場合はある程度成長してから任官することになり、
任官時の位階が低下し、下限が初叙の位階となった。
こうなると貴族として初叙は五位以上となり、従五位下が下限と言うことになる。
頼経の正五位下は摂関の子として、惟康王の従四位下は親王の子としての待遇と思われる。
足利将軍家は義満以降(対象者としては義持以降)家格の上昇を計り、
初叙の位階を摂関家なみに上げようと数度にわたってか試みたようだが、
色々あって完全には成功しなかったって言うところか?
徳川家は初叙から公卿という嵯峨源氏以外に先例のないことをやってのけ、
しかも最初から権大納言、ある意味位階を軽く見ているとしか言いようがない。
所詮飾りとしか思ってないってことか。

161 :日本@名無史さん:2008/05/13(火) 18:55:36
鎮守府将軍は相当位があったのかどうかよくわからない。
職原抄は従五位上説、従五位下説もある。按察使相当で正五位上という考え方もあるようだ。
まあ正式な官位相当はなかったと考えるべきか。

162 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 03:05:44
家康は前政権時代の内大臣が大きかった。
その時点で頼朝・尊氏より上位。

163 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 07:14:48
徳川将軍家って豊臣政権での内大臣を250年間続けるってのも凄いな。
半分以上は内大臣のままでしょ?

164 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 01:32:12
何かが違う気がする

165 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 22:20:42
関白と摂政は同格なの?

166 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 00:34:20
成り立ちから言うと関白は摂政経験者を優遇するための職だったらしい。
そう言う経緯からか待遇などは摂政>関白。
権限は天皇権限の一定部分を代行できる(出来ない部分もある)摂政の方が当然上。
関白で摂政に準ずる権限=いわゆる准摂政なんてのもある。
実質的な権限はあまり変わらないような気もするけどね。

167 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 01:59:53
まあ同格だろうけど。
関白は居なくてもどうにかなるが摂政は存在意義ある希ガス。

168 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 19:55:21
同時期に摂政と関白がいたことはないのかな


169 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 20:25:51
義経がなりそこねた(後白河のブラフかもしれんが)
鎮西大将軍とは畿内より西である中四国九州の武家の頭領で、
征夷大将軍と同格でいいのかね?

170 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:30:29
摂政が置かれる時期は関白は不要。
関白が存在する時期は摂政がおけない時期だけ。
内覧は単なる権限だから極端に言えば数十人いても良いはず。
もちろんそんな状態では内覧の意味など皆無に等しいが。

171 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:32:59
大将軍って言うのも単なる指揮官、旗頭って意味もあるしね。
寄せ手の大将軍、搦め手の大将軍とか。
九州の旗頭くらいの意味じゃないのかな。

172 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:46:18
>>171
それなら征夷大将軍は東北の旗頭くらい

征夷大将軍と同格なら征西大将軍か


173 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 23:09:02
あれじゃない、九州総追捕使・総地頭的職務の俗称ってところじゃないの。
権限は征夷大将軍と余り変わらないけど、格は明らかに下ってやつ。

174 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 00:18:26
旭将軍はどれくらい偉いの?

175 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 02:55:07
東北は鎮守府将軍のほうが名前的に偉そうに聞こえる
藤原(平泉)も鎮守府将軍だし

176 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 11:19:15
宇宙大将軍は?

177 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 19:51:36
残念、日本じゃない
韓国の国連事務総長は地球大統領と国内で自称しまたそう呼ばれているが

178 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 09:59:51
戊辰戦争のとき、仙台伊達家重臣は「鎮守府のご職掌としていかにあるべきか」
と記した文書を上申していたとか。これも「王政復古」に合わせたのか??

179 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 21:18:19
>>173
征夷大将軍も元は蝦夷征伐のための職だったから征西大将軍も同じじゃない?

180 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 21:48:14
豊臣・徳川は准三宮には固執しなかったね。

181 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:20:33
>>180
秀吉は准三宮の意味を知らなかったかもしれない


182 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 09:49:23
初歩的な質問かもしれませんが、どなたか教えて下さい。

宮中で徳川将軍様と関白様がいたとします。
上座はどっちですか?

183 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 10:05:13
将軍

184 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 11:36:12
その時々の幕府と朝廷の力関係によって違う。
家光が上洛したときは家光が上座だったが幕末家茂上洛時には関白が上座だった。

185 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 13:21:12
将軍の官位にもよりそうだね。

186 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 13:23:55
秀忠、家光上洛時は上皇の格式という事で関白より上。
その後は上洛例がないけど、仮に上洛していれば同じ格式でしょう。
幕末期になると、家茂が下座にまわされるような事態も生じていますが。

187 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 13:29:20
>182
関白や将軍の場合、本人の官位よりは職そのものの権威の高下
が問題のように思います。

188 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 21:25:26
「忠臣蔵」で夏八木勲演じる将軍綱吉が
宮門跡の法親王に土下座して礼をとっていたけど
ありえんな。


189 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 21:39:18
>>188
大河ドラマ「元禄繚乱」でも綱吉は束帯着用で輪王寺宮に下座
で会っていたぞ。

190 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:13:19
徳川将軍より皇族のほうが格が上なんすか?
輪王寺宮は出家した皇族ですよね?

191 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:16:17
将軍家から送る書状は、天皇に対しては同格、摂家や親王には家臣である三家と同様に
「殿」付にしていたそうですね。

192 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:26:05
いくらなんでも書状としても天皇を同格あつかいにしないだろ。

193 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:34:16
>>190
輪王寺宮は家康の墓がある東照宮、将軍の墓がある寛永寺を
統括していたから、将軍家も丁重の扱いをしたのではないだろうか。
東照宮の宮号宣下の要請や、勅使の参拝要請など、何だかんだ
言っても天皇の権威で将軍家は箔をつけてもらっていたから。

194 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:48:10
東照宮に将軍着座の間と輪王寺宮着座の間が本殿の左右に
同じ広さ、同じ床下高さにあることから見て、将軍と輪王寺宮に
限っては、同格と見て良いんじゃなかろうか。

195 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:45:03
>192
「幕末の宮廷」によると、将軍から天皇へあてた書状は宛書が「公方様から禁裏へ」
で、文面も「暑中御見舞いとて進ぜられ候」と対等の相手への書き方だったそうです。

摂家や親王には、「公方様から○○殿へ」で、しかも「公方様」を上、「○○殿」は下。
文面も「暑中御尋ねとして遣わされ候」だそうですが、これは三家、三卿と同じ書き方
だそうな。

196 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 12:12:02
幕末の将軍は関白より下座なんてなんか嫌だな。

197 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 13:18:03
和親条約締結の是非を朝廷にお伺いするぐらいだからなー
仕方ない

198 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 15:23:41
たしか二条家はずっと徳川将軍の片諱をもらってるよね。

199 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 20:07:02
近衛・九条・二条は一時期、室町将軍家からも偏諱を
受けてるね。

200 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 22:02:09
将軍家茂が関白に平伏してるなんて嫌!
どうにかならんもんか。

201 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 22:08:59
将軍家の勢いで絶頂だったのはやはり家康が大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼした
時であろう。この時の家康が下した判断は、禁裏に対し、禁中並び公家諸法度
をたたきつけるというものだった。家康はこの時点で天皇家にたいし豊臣家
をかばい立てした責を追求し、追放することも可能であったが、そうはしなかった。
それは、江戸時代終了後も徳川家が貴族院議長などをつとめ、
名門として残ったことを考えれば、成功だったといえる。
徳川氏が天皇家を追放し皇帝に就任していれば、清国の愛新覚羅家のように
おちぶれていたかもしれない。

202 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 22:24:33
>幕末の将軍は関白より下座なんてなんか嫌だな。
実力で格式を無視していただけだから、実力が衰えたらどうしようもない。
それがいやなら形式上の地位を上げておくしかかないんだけど・・・・
本来なら実力に見合ったなにか新しい職を創設すべきだったんだろうな。

203 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 22:27:31
戦国時代の天皇周辺にはごく一部の側近公家だけだったらしい。
それならそれ以外の公家は追放、は抵抗大きいにしても高家みたいに家臣化してしまい、
天皇はほとんど裸で残すという選択肢は取り得なかったのだろうか?
手足がなければあまり怖くないと思うんだけど。

204 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 22:44:15
>202
摂関の一座も「実力で格式を無視した」例に他ならないんだけどね。

205 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 23:04:58
いやだから慣例とか暗黙の了解とか無言の圧力だけじゃなくて、
「一座の宣旨」みたいに格好だけでも形式を整えておけばって言う話なんだけど。

206 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 23:16:11
多少無茶なはじまりに慣例だって1000年たてば伝統

207 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 19:49:09
まろは、まろやかでおじゃります

208 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:50:14
将軍の全盛期は徳川家康か足利義満で関白の全盛期は藤原道長かな。
太政大臣の全盛期はだれ?

209 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 21:35:40
エミノオシカツ

210 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 01:09:03
>>208
平清盛

211 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 07:50:39
>>208
道長は関白じゃなかった。
最強の関白太政大臣は秀吉だ。

212 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 09:38:36
カタカナ書きにすると先カンブリア紀の生物みたいだ。

213 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:01:27
道長は摂政の最盛期てことで。
道長が関白だったと勘違いしてる人多いな。

214 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:12:37
むしろ内覧左大臣の全盛期だと思う。

215 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:23:29
「この世をば」永井路子著
NHK大河ドラマでやってくれないかなぁ
藤原道長の生涯がうまくまとめてある。

216 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:37:10
あの道長は自主的な動きが少なすぎて、ドラマの主役には成りがたいような。
もっとあくが強くないと無理かも、小説だと問題ないんだけどね。
むしろ倫子が主役ならいいかも。
「女御堂関白記」?

217 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:50:00
頼通視点で父道長の権勢を見つめ、父死去後は本人が四苦八苦するドラマ。
兼家・道長・頼通で「九条三代」

218 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 12:16:55
>>214
それ以後だって、先を見据えて一歩引いて頼通を表に立てていただけじゃないか

219 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 12:42:45
道長は権勢をもっただけで本人何もしてないし残してないからなぁ
あまり華がない

220 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 12:48:33
 『小説大鏡』なんてどうかな?

221 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:23:36
関白未経験の道長がなんで「御堂関白」なんていわれるの?

摂政もほんの短期間しかやってないな。

222 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:30:44
「源博陸」とか「夜の関白」と「五位摂政」とか

223 :221:2008/06/22(日) 13:50:48
>222
なるほどなるほど。それらと同じ類のものですか。

224 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 14:13:39
最強の関白は秀吉。異論はないね。

225 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 15:13:02
時代が300年違うから単純に比較できないが、清盛の絶対権勢は、さすがの秀吉でも及ばなかったと考える。
太政大臣を語るに清盛が上ではないだろうか。

226 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 15:58:09
しかし秀吉は隣国では超時空太閤として悪いことは全部この人のせいになってるからな
清盛は国外では無名だし清盛のせいで〜とかはないからある意味かなわない

227 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 16:27:33
秀吉は太政大臣としても最強。個人的には嫌いだけどね。

228 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 20:24:19
>>225

天皇の外戚の地位を藤原摂関家から奪ったのだから、武家としての地位は最高

だよね!

しかし、肝心な地方武家社会の棟梁としての地位を頼朝に奪われた!

清盛は武家が政権を簒奪出来る事を身をもって証明した偉大な人物!

229 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 20:55:53
清盛の権力と秀吉の権力じゃ天と地の差だろう
平家には天皇、院、摂関家、有力寺社、地方の源氏の潜在武力とか
力の及ばない域が結構あるけど、秀吉は絶対君主といっていい

230 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 22:14:59
>229
関白を追放した人はいくらでもいるが、切腹させたのは秀吉だけでしょうしね。

231 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 01:30:40
>>230
いや、天下のNHKは関白近衛基平を切腹させているぞw

232 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 02:09:45
>>231
日本史板に大河をストレートに持ってくるのはタブーだぞ

233 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 02:20:55
天皇の前で切腹。介錯は時輔で。ありえないから。

234 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 03:49:28
秀吉は天皇との外戚とかで関白になったわけではないから関白の最盛期かどうかでは評価はわかれそう。

235 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 10:44:37
最後の太政大臣とは
誰?

236 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 10:47:27
実美じゃないの?

237 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 20:08:33
最後の太政大臣は実美公だけど
京都朝廷における最後の太政大臣は
鷹司准后政通公だね。

238 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 15:00:42
清盛が権力をふるったのは太政大臣を辞任した後だよ。

239 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 17:39:57
現役太政大臣や関白より、前大臣とかの肩書きのほうが政治的影響強いのかな?

240 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:11:50
実力者が居る→大臣の肩書きを創設しそれを与える
実力者が大臣になる
大臣になることにより実力者になる
実力者に肩書きを当てることにより形式上公認する
肩書きなどなくても実力者は実力者→追認で一応肩書きを与えて格好を付ける

241 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 15:26:25
内閣廃止してニ官八省に戻せ!

総理→太政大臣 別称として相国。


242 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 18:39:38
>>241
責任が不明確だから内閣制度を導入したのですが

243 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 18:51:40
majiresusurunaya hazukasii

244 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:56:44
>>208
武家の相国の場合は武力を背景にしているので、最強の相国と言ってもちょっと違和感がある。
公家でも、摂関の場合は相国であっても摂関の方に重きが置かれるだろうし、
やはり、清華の相国という事になる。とすれば鎌倉期の西園寺実氏、公相、実兼三代の相国だろう。
それぞれの娘を後宮に入れ、特に実氏は後深草、亀山二帝の外祖父だ。
三代共に幕府の権力と結び、朝廷内における権勢は完全に摂家を圧倒していて、
まさに、摂関全盛期の藤原氏嫡流を彷彿とさせる。

245 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 22:08:53
家康は征夷大将軍としても太政大臣としても最強。

246 :日本@名無史さん:2008/07/03(木) 08:27:35
>>245
死の直前の任官だよ。

247 :日本@名無史さん:2008/07/03(木) 10:35:51
文字通りの最強の征夷大将軍は吉宗じゃないの。
まあ神君家康公と大恩有る綱吉公は投げ飛ばせないだろうけど。
秀忠とか家光なんかには遠慮する必要ないし。

248 :日本@名無史さん:2008/07/03(木) 10:37:08
逆に最弱候補はいくらでもいるな、病弱・幼少・アル中・障害者に事欠かない。

249 :日本@名無史さん:2008/07/03(木) 19:00:48
最弱には義勝公を推挙いたします。
でも勝元は義勝公から偏諱を受けてるんだね。

250 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 19:22:10
最強は
坂上田村麻呂

251 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 20:58:06
足利歴代はアル中が多いような気がする。
徳川になるとそう言う君主個人の恣意は制度的に抑制されちゃうのかな。

252 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 00:02:22
>>251
徳川はスーパー官僚機構があるから・・・・だから池沼とかガキでも
将軍が勤まったわけで・・・

253 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 00:10:24
マジレスで、足利義教。
秀吉に先駆けること150年、関東制圧、宗教界制圧、九州統一、つまり天下統一の
天下人になってる。
どうして教科書はとりあげないんだろ。

254 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 10:10:09
殺されちゃしょうがないでしょ。

255 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 11:25:16
信長とやってることはほとんど同じなんですけどね。
こんなに知名度が違うのがすごい。

256 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 12:30:06
人間的には信長よりもすごい。
日本のカリギュラ。
ただまあ、戦国っていう時代背景的に、信長の方が歴史小説向きなんだろ。

257 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 06:53:24
>>253
日本国王だよね。

258 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 20:25:18
>>257
「日本国臣源義教」かな。
控えめないい人だ。

259 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 10:46:23
>>221
江戸時代に近衛家熙が、道長の日記を「御堂関白記」と名付けたんだよ。
それまでは、「御堂御日記」と呼ばれていた。

260 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 11:08:53
>>189
>大河ドラマ「元禄繚乱」でも綱吉は束帯着用で輪王寺宮に下座
>で会っていたぞ。

違うよ。
確か、綱吉(ショーケン)は長直垂着用で、
輪王寺宮(中村橋之助)と上段で向かい合って座っていた。
で、柳沢吉保(村上弘明)が下段に居た。
ただ、上段同士の上下はどっちだったか分からん。

261 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 11:54:09
江戸時代には関白と将軍とどっちが上座だった?

262 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 12:51:26
>>260
そうそう。
そして宮が赤穂浪士を罰せよというんだよな。

同じ上段だと左が上?
でも向かい合ってたからなぁ。


263 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 14:25:19
上座同士の場合入口から遠いほうが上らしいぞ

264 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 22:33:03
>>261 将軍>関白
    ただし家茂のときは関白>家茂

265 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 22:40:19
江戸以前はどうだったんだろ。


266 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 23:45:57
室町時代は関白なんか将軍の家来みたいなもんでしょ。

267 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 23:46:55
義満とかぜったい関白より上座に座ってそうだ
イメージ的に

268 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 23:47:47
家来はねーだろ家来は

269 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 00:16:25
>268
関白が将軍の裾を取ったり、摂家が将軍のところに年始のあいさつ回りに行ったり
しているね。後、他の家来同様に偏諱も拝領している。

270 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 05:06:58
家来ではないが臣従の礼をとってる。

271 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 10:12:12
>>267
室町時代は義満がターニングポイントだよな。
義満の太政大臣任官とその後の上皇のような待遇が大きい。
尊氏・義詮は権大納言が極官だから。
偏諱も義満からだな。で、慣例化していった。

>>269
>関白が将軍の裾を取ったり
これも義満が摂政二条良基の裾を取って置いて、
その息子の師嗣に
「俺お前の親父の裾取ったよ」
って言うんだよね。
義満流のやり方で、決して命令はせずに。

272 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 10:19:08
足利将軍の中でも義満だけは別格だな、日本国王だからか?

当時の国際社会では日本国王(明が公認)>>>天皇(酋長)

273 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 12:40:10
国際社会っていうのは明人の脳内国際社会のことだけどな

274 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 16:12:44
江戸幕府にいたって、征夷大将軍はほとんど天皇のような存在になった。
京都におわす本物の天皇は、あたかも神聖ローマ皇帝のごとく有名無実の存在に。
あと100年徳川による泰平の世が続いていたら、天皇家は自然消滅か
お取り潰しになってたんじゃないかな。

275 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 17:40:38
義満も別格だが、義教もすごいと思う。比較はできないが。
尊氏だってたいしたもんだし、足利将軍ってのはそんな簡単に
語られるべき存在ではないんだろうけどね。

徳川家は天皇家を完全にコントロールして利用する
方向に進んでたから、消滅とかつぶす、ってことはないと思う。
ま、これは難しい議論だが。

276 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 18:30:42
>>274
桜田門外の変のときにニューヨークタイムズが大老じゃなくて将軍がやられたと誤って
「ジャポンの皇帝暗殺される!」って記事にしたらしいから
国際的には天皇より当時は将軍んほうがあきらかに上だったんだろうね
ちなみにその記事見た渡米していた幕府使節たちはパニック状態になったらしい

277 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 18:40:28
平安の昔から、日本では誰が最高権力者なのか、とか文書の
あて先名なんか困ってたみたいだもんね。

しかし、あの時はナオスケのほうがすげぇことしてたもんな。

278 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 22:41:29
掃部頭が?大君だろ?

279 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 23:47:46
>>274
>>あと100年徳川による泰平の世が続いていたら、
天皇家は自然消滅か お取り潰しになってたんじゃないかな。

それはない。江戸中期から見るように、朝廷と同様に幕府にも
「慣例」に支配されるようになり、むしろ将軍を任命する「天皇」
の存在が重要になってくる。家康、秀忠時代よりも「儀式」が増え、
諸大名の序列化に官位を活用するなど武士の公家化になっていた
だろう。長らく途絶えていた、大嘗祭などを復活させたのは朝廷と
言うより幕府。

280 :日本@名無史さん:2008/07/10(木) 10:58:03
>>279
>大嘗祭などを復活させたのは朝廷と言うより幕府。

二度目の復活はそうだな。
桜町院の時の。

281 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:48:34
大河ドラマ『毛利元就』の大内を滅ぼした後の会議で、
日本国王の印を掲げて、これから明と貿易を我らが〜
というシーンがあったが、大内が日本国王になった事実ってあるの?

282 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:20:13
日本国王はあくまでも足利将軍で大内はその代理の一人って位の認識は明人にだってあった。
ついでに陶の謀反のことは明側にもばれているから、大内義長は正当な大内氏当主じゃないと言われて貿易を拒絶されたはず。

283 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 09:10:16
>>282
ありがとうございます。
朝廷を奉ずる歴史の中で『王』は違和感がありましたが、
明との日本通商代表と理解いたします。

284 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 09:43:00
ドラマの話で地方大名の大内の話題か。


285 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 15:26:19
貿易を拒否されたんじゃなくて、当主とか王とかそういう立場であることを
拒否されたんじゃなかったっけ?
ま、細かい話だが。

286 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 15:29:27
内閣制度は明治の生まれだけど太政大臣の制度の改定と考えれば、
奈良以来ずっとあるとも言えるな。
福田康夫は何代目の太政大臣-総理大臣と考えるべきか、
何代目の右大臣-総理大臣と考えるべきか、
皆さんの忌憚なきご意見をお聞かせ願いたい。

287 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 15:38:28
内閣は明が発祥です

288 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 18:12:37
平安の途中から江戸まで太政官は実質的に機能して
いなかったから、王政復古の大号令以後の
1.有栖川宮熾仁総裁
2.三条実美太政大臣
3.伊藤博文内閣総理大臣
以下歴代首相でいいと思うよ。
 
戦後新紙幣発行に当たってGHQは
三条実美・大隈重信は認めず岩倉具視・板垣退助は認めた。
大東亜戦争に至る歴代最高指導者は認めない方針によるもので
太政大臣と内閣総理大臣を同列に置いたことわかる。
 
厳密に言うと明治元年閏4月21日から4年7月28日までは
制度上政府に最高指導者が存在しなかったが、行政のトップには
2年7月8日まで輔相として、同日以後右大臣として三条実美が
当てられたので、有栖川宮→三条→伊藤でいいと思う。
なお輔相には三条と共に岩倉も任じられた(途中辞任)。

289 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 18:52:20
そうか俊輔は長州の百姓から太政大臣と同格まで一代で成り上がったのか
就任年齢も歴代総理で最若年だしこっそり秀吉並の大立身野郎だな
山縣も似たようなものだが

290 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 23:31:48
平安時代の藤原教通はなんで頼通彰子死亡後とっとと息子に関白を譲らなかったのでしょうか?


291 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 02:01:38
教通は道長の意志を尊重しただけ。

292 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 04:35:54
大統領制にするんだ、バカ!

293 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 15:36:31
小泉純一郎を初代大統領にしよう!!

294 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 16:07:56
大工の棟梁みたいに聞こえるから駄目大臣がよい(伊藤俊輔)

295 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 17:46:59
>>290
嫡男の信長に嫡流継承目論むも政争に敗れ信長は太政大臣止まり子孫繁栄せずだったんじゃ?

296 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 20:34:36
>>290
白河天皇の寵妃中宮賢子は藤原師実(頼通の子)の養女だった。
白河天皇は賢子を寵愛するあまり、信長を退け師実を関白にしたことになっている。
賢子が28歳で没したとき、白河天皇は賢子の遺体を抱きしめたまま離れず、
死は不浄であるために天子がお触れになってはなりません、
先例のないことです、と周囲がいさめると白河天皇は
「例ハ我ヨリ始マラメ(先例は私から始まるのだ)」といったことは有名。

297 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 21:30:38
>>295-296
師実の養女を白河店のが寵愛しているのだから、余計に教通が生きているうちに信長に跡を継がせようとするべきでは?


298 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:00:29
>297
関白の宣下を行うのは当たり前だが天皇。
後三条天皇や白河天皇と外戚になかった教通に、
外孫を天皇にした父道長ほどの権力がなかったのも事実。
教通は息子信長に関白を譲ろうとしたが
白河天皇に認められなかった。

299 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:11:36
天皇様

300 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 22:36:53
五摂家で今現在、スポットが当てられるのは近衛家と鷹司家だけですよね。
伊勢の斎主は全て嫁に行った天皇の娘が勤めるし。
その他は、雅楽部や書陵部で世襲の大人しい人生ですかね、、、、


301 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 08:51:05
そもそも師実が抱えていた問題と自己が問題が抱えた問題(皇位継承)は類似していたから白河と師実には共鳴するものがあった。
白河院政は専制的と言われているが、むしろ初期ににおいては師実を立て続けていたから摂関政治と大差なかった。

302 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:48:41
>>300
近衛家と鷹司家は武家の細川と松平に乗っ取られたから、
五摂家の血筋ではなくなったよ。

303 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 09:21:34
母系って知ってる?


304 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 18:45:54
女系

305 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 21:45:00
>>303
平安貴族は性に対して自由奔放なイメージがあるけど、母系家族だったから、 
子供は母親の実家に引き取られ、夫は通い婚が一般的だった 
1人の妻に対して何人もの夫が通うこと、或いは前後することもありも、 
”産まれた子がどの夫の子であるか”、これは妻や女房を全面的に信じるしかなかったんだよ 
皇族ともなれば、家臣の子が間違って帝王の座に着いたなんてことがあったら目も当てられない 
それで貴い身分の人ほど、処女性(性愛という身ではなく、身の潔白と言う意味で)が尊ばれた 
天皇に代わって天皇が御すまでの間、神に仕える斎宮も同じく貞操が求められたが、 
密通や懐妊した斎宮がいたのもまた事実(儀同三司) 

この時代は庶民も母系家族で通い婚がふつうだった 
性に対しては貴族と同じく非常にオープンで、夫の居る妻でも他の男と寝るのも自然だった 
お祭りの日や商いで遊女のような仕事をし、何喰わぬ顔で戻ってくる 
夫も夫で浮気するし、一番有名なのはいわゆる神に仕える巫女(=芸のある遊女。遊行女婦。白拍子)だよな 
奥さんが子供埋めない体だったりすると、巫女さんに子供を産んでもらって、その子を引き取ったり、 
ふつうに買春して、子供が出来るとその子も引き取る、これらは平安の日常風景だった 



306 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:02:17
母系とか言い出したら
徳川将軍家なんかどーなるの?
カーチャンが町民の娘だったら将軍は町民の血筋ということになる?

307 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 08:03:20
よくあっただろうけど、通りすがりの浮気なら「知らん」ですむし
その町民の娘にホレてしまってたら、ちゃんと面倒みたろうし、
このあたりは興味あるよね、DNAとかさ。

>>305
聞いていい?
ある作家が大奥の意味について「処女性」「単に男のスケベ心」に加えて
「性病予防」と言ってた。これ、あんまり聞かない論だけどどうなんだろ。
家光あたりからが本格的なんだろうけど、さて、ね。

308 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 09:17:23
>306
江戸時代と明治維新以降と昭和20年以降の違いもわからないとは、
この板には住みにくいだろw


309 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 09:57:07
>>307
家光は小姓が好きで中々女に興味を示さなかったから、
何とか女に興味を持たせようとして、大奥が肥大化した。

性病予防もあるだろうね。
戦国時代の話だけど、上杉謙信なんかも貰ってんだよね。
男の子から性病を。

310 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 11:32:57
>>309
へ〜、徳川はあんまりくわしくないけど、周りがそういう風に仕向けた
というのは大したもんだな。
結局、幕府と言っても血縁あってのものだから、家康が遺言でよほどしっかり
残しておいたのかな、そのテに関しては。
なにせ70近くになってから御三家残したぐらいだもんね。

ほんで、鎖国、というのもそういう性病予防説につなげる論があって
これもどうなんだろね。

311 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 12:05:49
>>310
「家康の後家好み」と言って、家康は後家を側室にしていった。
それも子供を産んだことのある女。石女を避けて効率良く子供を作った。
現に、家康の側室で子供を産まなかったのは、阿茶局だけ。

>ほんで、鎖国、というのもそういう性病予防説につなげる論があって
>これもどうなんだろね。

それは嘘だろ。鎖国しているなんて意識無いし。
江戸時代にもオランダ人が梅毒を持ち込んだりしてるし。
それも、うる覚えだが、ヨーロッパで流行った半年後には、
吉原で流行ってた、というのを読んだことがある気がする。

312 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 15:48:30
>>311
知ってる。安全確実にいったんだな、家康らしく。

いやいや、秀吉の朝鮮出兵あたりでかなり、入ってきた、らしくて、
血筋を守るために大奥というシステムはかなり有効だったと思うよ。
なにせ今と違って薬もないし、予防法だってわからなかったわけでしょう。
とりあえず隔離しておけ、というのは原始的だけどとても理には
かなってるというか。

吉原で流行るぐらいなのに、大奥には入り込ませなかった、という風に
解釈すれば、大奥、鎖国、という二段構え作戦みたいにとらえる、ってことなんだけどね。
家康はそのぐらい容易周到だったし、梅毒ってのも秀吉あたりからあったんでしょ普通に。

313 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:15:38
時代は戦国、当時は戦乱で夫を亡くした未亡人が大勢いたんだ
一番手をつけやすいだろうね、この手の女が。「

鷹狩りに出た家康に喧嘩で死んだ夫の仇討をさせてくれと直訴してきた未亡人を
そのまま城へ連れ帰り側室にしたのは有名な話。
先夫との間に子供がいたかどうかなんていちいち調べてないよ。

314 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:01:33
で、その話仇討ちはどうなったんですか?


315 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 19:12:33
信長にも似たような話はあるな。

316 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 20:29:04
>>315
どんな?

317 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 01:23:55
>>315
お勝騒動だな

>>316
夫を殺された妻が犯人を美濃まで追いかけて仇討ちした話

318 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 06:24:27
家康とかまぁ家康じゃなくても偉い人と再婚した女の人の
先夫との子はそれをきっかけに立身できたんですか(親族扱いで)
もしくは邪魔ということで殺されることが多かったんでしょうか?

319 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 09:17:02
家康に関しては出世してるな。
後家さんの連れ子が、家康との間に生まれた子の重臣になったりしてる。

320 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 09:21:52
尾張義直の異父兄竹腰正信

321 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:03:11
加藤主計頭は朝鮮の遊女と交接して瘡(梅毒)に罹患したと聞くしな

322 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:51:40
>>305
子供は父の氏に属するから母系制ではない。正妻との同居も一般的だった。

323 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 04:58:27
茶阿局(家康側室・松平忠輝の母)の娘(忠輝の家老花井吉成の妻)

324 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 08:30:24
>>322
平安時代に関して言えば正室との同居は一般的とまでは言えない
有名な藤原道長の父兼家は長年妻や愛人のもとを泊まり歩く通い婚で
道長らの母で正室の時姫を東三条第に迎えとって同居するのは結婚20年後。
それも時姫と同居するために迎えたのではなく
2人の間の子である超子が天皇に入内することになり東三条第を里第とすることになったため。
時姫は女御の母親ということで女御の里第に住むことが許されただけ。
光源氏が正室(もしくは第一夫人)と同居するのも女三宮は降嫁で里を出なければならない特殊事情、
紫上は父親に愛されず父親が屋敷を用意してくれなかったためで
最初の正室葵上とは同居していない。
道長も倫子や明子をはじめあちこちの愛人のもとを泊まり歩いている。
倫子の娘たちだけが天皇の后妃となって出世し、倫子が親から受け継いだ土御門第は
倫子の娘たちの里第となり、3代の天皇が出生した場所にもなったため、
その後も天皇の行幸があったり、后たちの行啓があったりしたため
道長も土御門第に滞在することが多かったけどね。

325 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:41:41
平安時代も一応生活の拠点は正室の下にあったというのが近年の説の筈だが。
通い婚は戦後の家制度の反動でかなり過大評価されていたきらいがある。

326 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 12:17:55
中公版「日本の歴史 王朝の貴族」あたりのレベルで止まっちゃってる人の多いこと。

327 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 09:24:29
秀吉って准三宮宣下は受けてないよね。
そこはどう考えたらいい?

328 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:53:41
秀吉は足利義昭を准三宮にする位だから、それ程高い価値を見出していないのかも。

329 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:50:26
武家の棟梁であり、関白太政大臣兼ねた秀吉が最強かと

330 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:31:52
准三宮て尊称は殿下でいいのかな?

331 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 21:12:01
どうだろう?
前近代で「殿下」というと摂関のイメージだが、
三后にも准后にも殿下の敬称は用いたのかな。

332 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:59:35
今でも近衛さん、徳川さん、重要な役割してるね。
鎌足の直径の子孫が宰相を独占し、1300年後に総理になる
日本はすごい。欧州のどの王家より古いし。ヨルダン王家に匹敵するか。
近衛さんちだって、世界的に見てもこんな古い家ないでしょ。

333 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 21:03:28
天皇家が存続したから摂関家も存続した
両方とも政治の実権を失ったまま名誉職の世襲をしてきたんだな
それをすごいというのかどういうのかは知らんが
家系図が残っていることをもってすごいというのならば
まあそうかもしれない

334 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 21:04:18
近衛家の宝物展で、藤原道長の日記が公開されてたけど
これはすごかった。何がすごいかというと巻物だけど、羅線付きで
等間隔で日付が入っていてそれに記入するってかたちで、平安時代に
現在と日記帳と同じスタイルなのがすごいと思った。
それに判別不可能なくらいヘタクソな字で道長が記入してあるんだな。

335 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 21:32:43
それ、横浜美術館で今やってる源氏物語展でも展示されてましたね。
たぶん一条天皇(上皇)が崩御するあたりの記述。

336 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:45:20
今の政治家って何でこんなアホなんだ
麻生とか開き直ってる感が滲み出てる

・とりあえず総理になって名を残したい
・日本はもうダメだ

露骨にこんなことを考えてるのが伝わってくる

337 ::2008/10/31(金) 15:34:42
どうしてこんな厨房まるだしの駄文を書けるのかなあ。
何年後かに自分のレス読み返して死ぬほど恥ずかしくなる
だろうな、なんて考えもしないんだろうな、バカだから。

338 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 15:42:03
まぁこの時間帯はアレだから

339 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:19:01
       _, r< _,ニ斗‐ l;;;;;;;;,;;;;;;;;;l.l! !l 
     , -<   ´ 、    ゞ='7;;;r‐'!l| |ヘ 
    /   / ,  ヾ ヾヾヽマゝ.リレi从{ 
   〃 ∠/ 厂 ,/ 、  |! !..| | | | |!} |l∧ 》,` 
  ,《. /,爪./ / |l ;∧ j|! !..}1i! ! !!|||:!: ヘ. ト、 
  ,'/:/.√ !  :;||彳 !:}!ムr|'爪幵!}||Aト、! |`¨ 
  ||!:| :l|   !. !:l||{:l|  lリ リ l l,rェ‐x《リ:.:l.:.l! | 
  |||:| |i: | |} !f爪ll ´ ´  "込ziリ"|:.:l:.:.} l 
  代! {l: N:lハィ云い     `ー" !:.:!.:,Ll 
  `.\W:.l:|::《弋゙少           ,l:.:.:/ / 
      ヽ:.:.!|:::lミ;、 ¨´  - '   i¨7‐'K_人 
       }}、:!::l三ミ;._        ィ´ー、 〉廴 
     " ヾ| /`メミ了;7i = 个i゙ー  /;;;;ハ 
.       ;彡. 〃 /゙7}〈;;::l;;::!/ー、 /!;;;;;;::| 
      /:;;/;;\_ ィ三》;;{;;;;{_,ノ:::!;;;;;;::| 
.     /:シ:::::::;;;;;;;;/::l⌒v-、jミ三;;;:::::};;;;;:〈 
      j/:{:::::;;;;;;;;;タ:::〃;;fe./;;;;;;;;;;::::::::} ̄,' 

340 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 09:38:42
>>337
よせ、>>336はただの世間知らずの中二症だww
俺にもこんな時期があったもんだ

341 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:44:07
うめぼし殿下

342 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 17:57:00















              このスレは終了しました

















343 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 20:31:35
一条兼冬について語る?

344 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:01:21
保守

345 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:22:51
室町時代の副将軍って朝廷から正式に任命された征夷副将軍なのでしょうか?

室町幕府が勝手にあたえた室町幕府内の役職ってこと?

346 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:54:23
なんで朝廷に任命されなあかんの?

347 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 09:29:35
朝廷に任命されれば重みが違うだろ

348 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:02:53
征夷副将軍だったら朝廷の正式な役職だから朝廷からの任命になるだろ




349 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:54:01
室町時代に副将軍なんか直義以外にいたか?
しかも正式な勢威副将軍じゃねえだろ。

350 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:35:07
>>349
「さきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ、ズガ高ぁ〜い」
「ぷっ、副将軍だぁ? 聞き初めだな。かまわん、やっちまえ」
「ウォ〜」

351 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:07:58
権中納言をやっちゃあマズいだろ

352 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:49:14
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353 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:57:01


354 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:49:21
>>345
「征夷大将軍」は朝廷から任命される。
ただし、副将軍という役職はなく、朝廷から任じられた人はいない。
天下の副将軍などというものはニックネームの類だろう。
ところで、水戸光圀って、在世中に副将軍って世間から呼ばれてたんだっけ?

355 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 02:24:39
>>354
坂上田村麻呂が副将軍に任じられていなかったっけ?
律令制で副将軍は規定があったのでは?

356 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 13:46:09
>>349
今川範政もなってなかった?

357 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 14:31:22
足利義直、今川範政は征夷副将軍

358 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 11:37:32
そういえば、足利将軍義昭はやたらと
副将軍のポストを餌に
織田信長を懐柔しようとしたり、
信長包囲網構築の為に、
毛利輝元や徳川家康等を副将軍の地位で釣ろうとしてたな。

359 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 23:40:13
そう。副将軍などとは朝廷が詔を下して命じるのではなく、将軍が有力者を懐柔するために世辞でその場しのぎに使用した虚職に過ぎない
領民に重税を課した水戸光圀や、レイプ魔水戸斉昭などのうるさ型を宥める鎮静剤みたいなものだろう。
将軍家におかれては、老職水野羽州を通じ水戸藩国老中山備後守、榊原淡路守、鈴木石見守、水戸侯御連枝松平大学頭の根回しも済んでおり、意向通り清水卿徳川恒之丞を以って水戸藩嗣子となすへきであった

360 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 14:48:38
>足利義直
だれ?

361 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 21:26:01
>>360 尊氏の弟、足利直義でねぇのかい?

362 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 01:32:10
「御堂関白記」ブームなのか?
ttp://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200902000396
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAY17887/

363 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 02:47:09
義昭も秀吉を養子にしてあげればよかったのに
蔑んでたんですね

364 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 04:34:28
戦国時代だけど後北条の誰かが上杉に攻め込まれてぼろ負けしたとき
どっかの神主が「あんたは(世が世なら)副将軍だからがんばりな」
って励ましてたよな。

365 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 18:55:53
誠意大将軍 羽賀研二

366 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 19:28:54
総理を太政大臣に擬するとして、特命代理の位置づけで
納言職復活させたら面白そうなんだけどな。
権限は各省大臣より上、総理より一歩下がる。
総理が手が離せないときなどに外遊に出たり、セレモニー的な式典出席の代行させるとか
例えば、大納言小泉純一郎とか(←名前はあくまで実例で、小泉じゃなくても別にいい)

367 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 23:13:41
むしろ、太政大臣と左右大臣を復活させてその下に八省卿を置くとか

368 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 12:41:39
左大臣が関白になると蔵人別当を辞めちゃうけど
関白は大臣以外は兼任できないの?


369 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 22:54:44
>>368
確かそうだったと思う。
そのために、令外の官である内大臣が活用されたことがある

>>366
>>367
1 左大臣:首相
2 右大臣:副首相
3 内大臣:内閣官房長官
4 納言・参議:その他大臣
5 省卿:副大臣
6 大輔:政務官
7 少輔:事務次官

と言うところでか

370 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 00:24:19
左右内大臣が総理で
副総理、官房長官が准大臣
大納言、参議が国務大臣
卿は皇族
輔が官寮

371 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 22:32:52
>>369-370
太政大臣はどこへ?

372 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 06:29:02
従一位内閣総理大臣源朝臣太郎

373 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 20:39:31
あれ?藤原朝臣じゃなかったか?

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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