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【郷士】苗字帯刀 3【庄屋】

1 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 17:15:22
享和元年(1801)の御触書
領主によって苗字帯刀を許された庶民は
(1)郷士のように由緒あって以前から許されていたもの
(2)奇特な行為によって褒賞として新たに許されたもの
(3)町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの

2 :日本@名無史さん:2008/03/27(木) 20:00:29
九州肥後だけど菖蒲刀しか許されなかったって話を聞いたことがある


3 :日本@名無史さん:2008/03/28(金) 00:21:32
苗字帯刀
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059398495/

苗字帯刀 Part2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1143035977/l50



4 :日本@名無史さん:2008/03/28(金) 00:54:02
それって、民間人が実績を買われて行政の役職に就いたから
呼び名たる苗字と官職の証たる刀が授けられたって事じゃない?

5 :日本@名無史さん:2008/03/28(金) 19:26:42
藩に苗字帯刀許可の記録って残ってるの?

6 :日本@名無史さん:2008/03/28(金) 19:52:44
残ってるよ

7 :日本@名無史さん:2008/03/28(金) 20:03:32
庶民が幕府や大名や旗本に武士として召し抱えられた時点で苗字も帯刀も付いてくるよ

8 :日本@名無史さん:2008/03/29(土) 03:52:38
>>7いや、そういうことじゃないと思うのだがスレの趣旨として

9 :日本@名無史さん:2008/03/30(日) 06:13:27
上州の郷士(新田遺臣)についてご存知の方いませんか?
天領が主だと思われますが、この場合は代官所支配になるのかな?

10 :日本@名無史さん:2008/03/30(日) 11:15:13
よく高山彦九郎の家が郷士だとか書いてあったりするが郷士なんていないよ。
あの辺りは私領のほうが多いと思う。


11 :日本@名無史さん:2008/03/31(月) 07:38:50
自称郷士は多いわけで、そのなかで暗黙の了解もしくは黙認で苗字帯刀を
していたのはいたのだろうか?

12 :日本@名無史さん:2008/03/31(月) 11:50:10
私的な場合でも百姓が帯刀してら咎められるだけ。
公的に苗字を名乗り大小を帯ることはできない

13 :日本@名無史さん:2008/03/31(月) 13:24:52
村で勝手に自称なんてしてたら即村八分だよ


14 :日本@名無史さん:2008/03/31(月) 14:27:23 i
村八分のうえ訴訟にもなりかねないね。
八王子千人同心なんか村落内で武士だと主張して威張ってたら訴えられてるしな。

15 :日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:32:21
百姓から武士になるのはすごく難しい
現代も日雇いからサラリーマンになるのは難しいよな


16 :日本@名無史さん:2008/03/31(月) 18:05:41
春ですね

17 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:00:58
>>13勝手に小作人が始めたらそうだろうが・・・
土豪等が昔からしてましたってことは無いのかな?
 門だって戦国時代からあるやつは庄屋じゃなくても好かったらしいし

18 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:15:25
土豪はたいてい庄屋・郷士になってるし苗字帯刀だったりする

19 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:20:19
栗林忠道は松代の郷士だったらしいし、新田次郎は諏訪の郷士
信州って郷士っていたのかな?

20 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:46:35
制度としては藩によって違うけど、戦国期に地侍だったのがそのまま帰農したケースはほぼ黙認されて、自分たちで勝手に郷士を名乗ってるケースがあるようだ。

21 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 02:18:27
基本的に郷士って兵農分離の進まなかった(進めなかった)地域の
もので徳川幕府自体は認めていないため江戸から遠くの地域で
大名の転封後懐柔政策もしくは島津氏のように室町戦国期のままかのどちらか

22 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 05:23:36
>>18
 ひとつ誤解があるのだが庄屋というのは地侍の延長線上にあるもの
一般的にいえば農家の大きいもの
 郷士というのは本来的意味の武士が自分の領地なりに帰農(農民に帰ったもの)
したものをいう本質的に違うのだが、浪人と名乗っていたものが幕末期に郷士というようになった
これは教科書的

 薩摩郷士などは庄屋層であるべきである

23 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 09:23:08
>>19
うち松代藩内で郷士だよ。うちもともと武田家の間者で手柄立てて
領地貰ったけど武田家滅んでその後はよく知らないけどどこにも仕官
しなくて郷士になったらしい

24 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 14:09:51
>>22
藩によって違うから、その説は全てには当てはまらない

25 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 15:27:17
>>22
郷士株って知ってるか

26 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 17:36:36
>>22だから面白い
>>23知ってるが・・・金で買うもんだろ

 信州は兵農分離が進まず(武田家が中世の組織だったため)家臣団は
半農半士が大半で庄屋は存在しても郷士はいないはず。
 逆に信長支配下の岐阜等は郷士がたくさんいてもおかしくはないが
家康が新たな強敵の出現を恐れたため、在郷の土豪等は悉く百姓に戻された。
ま、多数が幕臣になったというのもあるかもしれんが

27 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 17:46:28
兵農分離を誤解してるな

28 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 18:07:20
>9.10上州の郷士は士族になってまっせ

29 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 18:44:05
高山彦九郎正之の家は明治になってから彦九郎の功績により苗字帯刀を許されたという。
彦九郎は自分の身分をきかれると『儒士』と答えているが、生まれは農民だろう。
水戸弘道館教授、彰考館総裁杉山復堂「高山彦九郎伝」によると
『常に帯刀し、役人もこれを禁ずることはなかった』
『帯刀して諸国を旅し』
『役人に「庶民の帯刀には国の定めがあるのになぜ双剣を身から話さないのか」
と言われると「私は高山遠江守以来二十余代目、その間、一人も帯刀しなかったものはいない」と答えた』
また、幼いことから剣術を好んでいたという。叔父の剣持長蔵は馬庭念流の達人だった。
管茶山『筆のすさび』よれば、幕府の役人が彦九郎を呼び出しなぜ旅をしているのかたずねた。
彦九郎は「忠孝のことをきくためだ」と答えたので役人は彦九郎に論語の講釈をさせた。
数日たって役人は彦九郎をまた呼び出し、彦九郎の講釈を隣の者に書き取らせ、彦九郎の苗字帯刀を許したという。
その他彦九郎が帯刀していたことを書き残したものは多い。同時代のものもある。

彦九郎の生地は上野新田郡細谷村内の旗本筒井氏領だった。
彦九郎の父は相模に行っていた時に殺害されたので、筒井氏の手のものが暗殺したと考えた彦九郎は
復讐しようとした。しかし細井平洲はその彦九郎を「不孝者」と言ったので、彦九郎は刀に手をかけて不孝とは何だと言った。
平洲は「既にこんなに家人を心配させているのに不孝に気付かない。それこそ不孝だ。」
と言ったので、彦九郎は自分の誤りに気付いて平洲の弟子になったという。
正田喜久『明治維新の先駆者 高山彦九郎』より

30 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 18:55:03
幕末はゆるゆる状態だから、あんま参考にしない方がいいぞ

31 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 19:01:29
彦九郎は幕末じゃないよ。

32 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 20:30:50
明治はもっと滅茶苦茶じゃないかw

33 :日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:57:39
>>29>私は高山遠江守以来二十余代目、その間、一人も帯刀しなかったものはいない
こういうの探してた

34 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 00:29:23
>>30
>>32
「寛政の三奇人」知らないのかい。

35 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 01:04:09
林と高山と蒲生だろ
幕末じゃなくて江戸後期だな


36 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 01:19:31
上州郷士?
高山彦九郎 自称新田十六騎高山遠江守の末裔。帯刀公認?
須田房之助 自称信濃須田氏の末裔。『百姓房吉』扱い(前スレより)
中居屋重兵衛 中居村名主出身

37 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 02:11:17
江戸から明治にかけて、たまに「帯刀(たてわき)」という名前の人物いるけれど、
どういう理由で、親は命名したんだろう?

38 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 14:01:38
つけた親に聞いて来いw

39 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 17:50:24
>>37
百官名といって、昔公家が諱を避けて官職名で呼び合っていたのがうつって
官職名を崩したものを自分の通称としたもの。武士ならば諱(いみな)は別にある。
主税、主膳、雅楽、采女みたいな感じでね。
帯刀は帯刀舎人(皇太子の護衛)から。

40 :日本@名無史さん:2008/04/02(水) 18:37:52
>36上州の郷士は苗字帯刀が認められてたという理由で士族の班に列した
どの程度の郷士なのか?

41 :日本@名無史さん:2008/04/03(木) 16:52:59
うちの宗家は代々上州に住んでいて、郷士と言い伝えられていたけれども、
自分が歴史に興味を持って調べてみると輪番で名主/組頭を勤める上層農民だった。
でも、公に発行されている歴史書の類にも郷士と書いてあるし、
祖父は平民だが由緒書きで宮内庁関係に奉職できたから何でもいいw
戦前でも士族/平民で待遇に差はなかったそうだ。

42 :日本@名無史さん:2008/04/03(木) 20:30:50
初歩的なな質問で申し訳ありませんが、
在方で「給人格」とか、「御徒士格」というのは郷士のうちに入るのでしょうか?

43 :日本@名無史さん:2008/04/03(木) 23:39:37
給人(侍)>徒士   ←武士
郷士     ←武士と農民の間
じゃないの? わかんない

44 :日本@名無史さん:2008/04/03(木) 23:50:04
林子平って親は旗本だろ 取りつぶされたわけだが

45 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:07:37
子平自身は仙台候の御家来ですが?

46 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:11:39
>>28みたいな馬鹿ってなんなの?

47 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:29:04
>>42格はあくまで格。御徒歩ではない
>>46具体的に

48 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:35:08
>>45
しってるよだから?

49 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:50:31
社会科で習うよね

50 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:51:33
上州の郷士って具体的にどういうもの?

51 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 01:04:36
百姓です

52 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 06:07:34
要するの学術的用語と慣用的用語ってこと?
学術郷士=藩に籍のある武士 慣用郷士=浪人
こんな感じ?

53 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 07:40:30
浪人というより旧地侍の子孫やそれを称する人達だろ。
公的な身分上は農民だけど、既得権益を黙認されていたんだろ。

54 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 09:07:21
戦国大名の領国支配の末端を担った下級代官や寄子同心的な地侍からの系譜を伝えている幕藩期の百姓が豪農になっている例はよくあるが、
正式にではなく郷士を称したり苗字帯刀を黙認されてた例なんてあるんかい?


55 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 16:43:06
地侍幻想にとらわれると郷士という曖昧な言葉を好んで使う

56 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 18:10:02
別の県だか、ウチは苗字帯刀で、親戚は「郷士だ郷士だ」と言う。ウチの藩には郷士制度は無く、「郷士」はほぼ自称か、子孫の妄想。戦国時代は地侍で、当時の領主の分限帳の最後の方に御先祖が載っている。
領主が転封後も残り、新しい藩主から苗字帯刀は黙認されたみたいだ。

57 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 18:18:57
正規に郷士の制度や呼称がある藩は土佐藩とどこ?

58 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 19:42:57
最も有名な郷士は薩摩藩の外城家中。
村役人を兼ね村落支配の要となった。

十津川郷士も有名。
太閤検地の際に赦免地とされ江戸時代にも特権を引き続き有した。
文久3年には禁裏御料となったので天皇の直臣の地位を得た。

59 :42:2008/04/04(金) 21:53:30
>>43
>>47
有難うございます。やはり単純に「郷士」と言うには無理があるようですね

うちの地元の藩の場合、慶応ニ年、「在方役人並格式覚」

 給人格>山奉行格>御勘定人格>独礼
>御徒士格
>割頭格>江筋割頭>郷目付格>水陣守>苗字帯刀御免
>苗字御免之者
>名主苗字無之者>名主代役>名主格>須賀番>御用達

なお元日の年頭御礼での待遇(万延ニ年)

 在町徒士格以上が登城、
 諸士並びに大目付、御徒士目付が御祝儀を申上げた後、
 在町独礼以上が年頭御礼、ここまで、月番年寄の謁
 徒士格之者、大目付の謁
 在町徒士格、郡奉行の謁

ご参考までに。

60 :日本@名無史さん:2008/04/04(金) 23:36:34
>>39
ありがとうございます。

61 :日本@名無史さん:2008/04/05(土) 01:45:13
>>58板的に評判のよろしくない司馬さん的には、おそらく代官所は百姓と認識
していたのでは?確たる証拠はないらしい、ただ免租地という特別な場所ではあったらしいが

62 :日本@名無史さん:2008/04/05(土) 02:30:16
外城士は薩摩では郷士とは言わない

63 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 02:18:19
>>1
なんで郷士と庄屋なんだ?

64 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 04:51:35
苗字帯刀を許されてたのがその辺りに多いからじゃないのか

65 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:30:51
制度としての郷士なら下級とはいえ大名家に侍として遇されるんだから苗字帯刀はあたりまえじゃないの?

66 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:34:58
武士だったけど帰農したとか前領主の家臣だったとか
苗字帯刀しているけど大名家との主従関係は曖昧な奴もいただろう

67 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:47:21
>>66
それは郷士じゃないでしょ?

68 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:49:32
>>66
苗字帯刀を許された百姓が郷士を自称してる場合はそうだね

69 :尾州男児 ◆7VELMWok.E :2008/04/06(日) 12:52:35
私の母方の家系は
江戸時代に年貢を納めるのに木曾川に舟を手配していた庄屋でして、
明治期に東京で奉職した西服部家から家を買ったそうですが、
大正のはじめに当主が早世して以降、没落しました。
ちなみに家紋は「五枚の笹」に似たものらしいのですが、
庄屋でも家紋を使用するのは普通に認許されていたのでしょうね。

70 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 18:06:37
家紋はえたでも持ってたそうだし、取り立ててこだわるようなもんじゃないよ

71 :尾州男児 ◆7VELMWok.E :2008/04/06(日) 18:31:19
穢多と呼ばれていた立場の人らはとにかく非人と呼ばれていた人らは如何でしたか?

72 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 19:21:38
何が如何なのか知らんが家紋は誰でも持ってた
非人でも大名でも皇族でも

73 :尾州男児 ◆7VELMWok.E :2008/04/06(日) 19:33:32
それでは政商三井の家紋は、いつごろ作られたのですか?

74 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 19:50:42
三井に聞いてくれば

75 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:07:24
>>66
前領主の家臣だったという前歴はあまり意味がないような気がする。
そんなの大勢いただろうしね。

76 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:46:14
あのさ、苗字帯刀の庄屋や名主もすべてが普段から帯刀してたわけじゃないんだけど

77 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:49:38
そりゃそうだろ


78 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:56:11
ほとんど帯刀なんてしてないよ
帯刀してたのは稀なケース

79 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 23:29:16
誰も普段から帯刀してたなんて思ってないと思うが


80 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 23:50:35
領主に帯刀を許されてない単なる自称郷士なら普段も晴れの場でも帯刀できないよな

81 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 00:36:00
時代劇で堂々と刀差したヤクザいるけど
あれって不思議な感じがする

82 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 00:44:05
旅行する時は護身用の脇差しを帯刀することは庶民にも許されていたから、博打打ちはいつも旅姿をして長脇差しを差していた

83 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 01:13:59
基本的なことだけど帯刀とは二本差すことです

84 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 02:45:23
>>76どの程度のことを言うのかな?そんなことを言い出したら下級武士だって
用向きの無いときは近所を丸腰で歩いてたらしい

 商家の場合はほとんど帯刀はしないらしいけど大庄屋はしてるんじゃね?
家の中じゃやらんと思うけど

85 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 17:00:27
余裕のある家でもなければ普段は農耕に従事していて、
日常的に帯刀はしていないと思う。

みんなの家は裏紋は伝承されている?
うちは忘れ去られていて不明。

86 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 19:24:59
ぜんぜんわかってない・・・

87 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 21:38:23
>>76
>あのさ、苗字帯刀の庄屋や名主もすべてが普段から帯刀してたわけじゃないんだけど

前スレにあったよね。式目のときとか、領主出迎えの際に正装・帯刀していたとか。

88 :日本@名無史さん:2008/04/07(月) 22:12:20
どうせ春厨だ
スルーしておけ

89 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:32:12
うちの先祖は殿様の財政を救ったとかで苗字帯刀を許されたらしいんだが苗字帯刀だと郷士なの?

90 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:38:31
>>85余裕のない庄屋は苗字帯刀は許されないのでは?
 というか。小作人と同じように田圃耕す庄屋っていたの?
>>89最近は郷士とは言わないね。昔は総称として使われてたらしいけど

91 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:52:32
苗字帯刀の名主や庄屋は村役人であって大名家によっては制度上の郷士なんていないしな

92 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 02:09:59
セロ弾きのゴーシ

93 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 04:19:09
でも本来の郷士というのはおそらく総称的なものでは?
太政官公布で由緒ある郷士は士族に列すとあるから、おそらく
士籍を確認できるものを考えてるのだとは思う

94 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 08:39:11
>>90
うちの地方は農地解放の影響がない位の広くはない地域だから、
庄屋も自分で耕作していたよ。

献金で苗字帯刀を許された家は高利貸しで蓄財した家が多いのかな。

95 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 08:43:53
地方によるんだろうが普通土地が少なければ庄屋は置かないけど
全般的に貧しい地域だとおく必要はあるんだろうな

 家なんて一村に3人の庄屋、それも庄屋は年番で二軒で交代だから
6軒の庄屋がある。理由は3つの地域が離れているのに一つの村だかららしい

96 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 12:54:36
新撰組に出てくる壬生郷士ってのは何?京都だと京都所司代支配とかなのかな?

97 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 13:04:43
壬生住人士

98 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 13:10:34
藩によってはいろんな村へ転勤をする藩機構末端の役人としての色が濃い庄屋もいるしな

99 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 13:19:06
一、主を持たず、田畑作らざる侍、相払わるべき事

100 :日本@名無史さん:2008/04/08(火) 15:26:21
二年前に八木氏が本を出したけれど、
壬生郷士は1700年頃まで自称にすぎなかったらしい。

自分の実家のある街は千石クラスの村だったけれど、
五人の旗本に分割統治されていて、それぞれに村役人がいた。
無駄極まりない・・・

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