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とにかく官位について語るスレ

1 :日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:11:20
なんか武家官位とか江戸時代の武家官位とか摂関・将軍・太政大臣とか
限定されたのしかないので立てました。
とにかく官職と位階について語りたいんだよー!

588 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 00:50:07
この場合の「羽柴」は一種の称号

589 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 02:15:45
羽柴って朝臣?

590 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 13:45:58
>>586
長岡忠興は豊臣政権下では公卿になってない

>>588
羽柴苗字をもらえる者ともらえない者には明らかに格差がある
羽柴苗字は一門・旧族大身大名・織田家での元同僚に許されているが
子飼の家臣にはほとんど許されていない(福島正則は一門として羽柴苗字を許されたか)

・羽柴苗字→公家成(初官侍従以上=公卿・殿上人)
例)羽柴清洲侍従正則・羽柴吉田侍従輝政・羽柴丹後侍従忠興
・それ以外→諸大夫成(諸大夫・昇殿不可)
例)石田治部少輔三成・黒田甲斐守長政・加藤主計頭清正・加藤左馬助嘉明・蜂須賀阿波守家政

591 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 14:12:58
>>590
>長岡忠興は豊臣政権下では公卿になってない
ネットで見る限り、慶長元年(1596)に参議に補されているとしているサイトも結構多いけど
史料によってたぶん年が違ったりするんじゃない?
上杉景勝が従三位になった年も史料によって違うみたいだから。

豊臣恩顧の奉行が連名で署名している文書で、忠興が筆頭に名を連ねていたのがあったような・・・

592 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 14:13:58
ミスった

>豊臣恩顧の奉行が
豊臣恩顧の大名が

593 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 15:24:33
関ヶ原以前に、家康から忠興宛の書状で「丹後宰相殿」としているのが現存している
みたいだから、豊臣時代に既に参議だったのは間違いないっぽいな。

594 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 18:29:59
忠興は公卿補任では慶長9(1604)年に参議従四位下で初出
京極高次も同年同官位で初出

だからむしろリストから高次を削除すべきかな

595 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 20:02:53
この時期、忠興に対する書状で確かなものといえば、三成を討とうと
した七将宛の家康のものがあって、たしかにそれではこうなっている。

(慶長四年)閏三月五日 家康御判
丹後少将殿//蜂須賀阿波守殿//清州侍従殿//藤堂佐渡守殿
//加藤主計頭殿//浅野左京大夫殿//黒田甲斐守

ところが、関ヶ原直前の家康書状では忠興を「丹後宰相」として
いるのだな(慶長五年八月 永青文庫所蔵)。さて??

京極高次の「大津宰相」は、慶長二年十月の「鹿苑日録」にも、
関ヶ原直前の家康書状にも三成書状にも出てくるので削除保留。


596 :名無し募集中。。。:2009/11/02(月) 20:38:25
少なくとも秀吉生前には公卿に列してないわけか

597 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 20:49:58
少なくとも関ヶ原の前には参議になっていたということなんだろうな。

598 :595:2009/11/02(月) 21:44:20
ただ、慶長四年閏三月〜慶長五年八月に忠興の公卿成を
家康は奏請できるかどうか? 正直疑問ではある。 

599 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 23:55:10
慶長元年だと一番納得できるんだけど、だとしたら慶長4年に丹後少将とはされないよなー

島津義弘の参議補任は何年?

600 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 00:32:39
山科言経が家康の執奏で勅勘をとかれたのが慶長三年の十一月で、十二月に
参内ということだから、家康は秀吉が死んだ直後からいろいろと動いていたので
はないですかね。
菊亭晴季の還補も十二月ということだし。

601 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 01:35:25
Wikipediaソースやらググっただけで恐縮だが(主な通称やちょっとした考察を加えてみた)

蒲生氏郷
1583従五位下飛騨守
??琉球守?
1586従四位下侍従
1587羽柴苗字(九州征伐の功、羽柴松ヶ島侍従)
1588正四位下左近衛少将(正親町院聚楽第行幸時、羽柴松坂少将)
1591参議従三位(秀次関白宣下時、羽柴会津宰相)

長岡(細川)忠興
1578?1596?越中守(1578年だとするとただの受領書出か?)
1583?1584?従五位下(正式にはこのとき越中守任官か?)
1585従四位下侍従羽柴苗字(秀吉関白宣下時、公家成同時に羽柴苗字?)
1588左近衛権少将(正親町院聚楽第行幸時?、羽柴丹後少将)
1596?参議従三位(細川家記、羽柴丹後宰相、豊前中津移封が1600年関ヶ原後なので「丹後宰相」の称からしてこの年に補参議か)
1604?参議(公卿補任)
1603以降?従三位(細川家記)
1924贈正三位

京極高次
??若狭守・近江守
1585従五位上侍従(京極家譜)侍従従五位下? 羽柴京極侍従と称したのはいつだ?
1588従四位下(聚楽亭御成記、歴名土代) ※1590年近江八幡山移封に伴い京極八幡侍従
1591侍従従五位下?(秀次関白宣下時?) ※1593年弟高知が羽柴苗字拝領か?
1595?1596?左近衛少将
1596?1604?参議従三位(公卿補任によると1604年、若狭小浜移封が1600年関ヶ原後なので「大津宰相」の称からして1596年に補参議か)

義弘
1588侍従兵庫頭従五位下羽柴苗字(羽柴兵庫頭)
1599参議従四位下左近衛権少将
1918贈正三位

602 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:03:02
官位のことって、よく解らないんだけど、守と頭ってどっちが偉いの? 例えば、摂津守と内匠頭ではどっち?

603 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 23:15:26
質問が初心者すぎて逆に答えにくいが

官位相当では
大寮頭=大國守(攝津守等)>小寮頭(内匠頭等)=上國守>中國守>小國守
だが
そのうち官位相当はあまり関係なくなり
その官職にどれだけ権力や権益があるか、または先例による

江戸期の大名の官職としては上下はまったくないと言っていい
太郎と次郎のどっちが偉いかと言ってるようなものだ

604 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 23:27:08
あれもしかして>>601を読んだ上での質問かな?
だったら江戸期と同じ
忠三郎と與一郎と小兵衛と又四郎のどれが偉いだろうというのと一緒

605 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 00:13:11
>>603 >>604 ありがとう なんとなく解りました。 なんとか大輔とかも同じと考えて良いんですか? どうせもらえるなら、カッコイイ名前の方が良いですよねw

606 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 02:08:12
少なくとも江戸期には何とか大輔やら何とか大夫は位階四位以上がほぼ原則
(戦国時代には価値が下落したことがある)
並の大名じゃもらえない
たまに由緒があったりで五位でも何とか大輔を貰える家がある
本多中務大輔や榊原式部大輔や南部大膳大夫など
南部は江戸後期になると初叙が四位になるので関係なくなるけど

607 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 03:05:16
摂津は大国じゃないし

608 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 03:07:27
>>607

609 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 08:59:18
摂津や河内は職だったことがあるな。
京職とほぼ同格。
江戸時代には関係ないけど。

610 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 10:36:30
>>582
正三位内大臣は珍しくない。
正三位右大臣もわりとよくある。
正三位左大臣は珍しいけど、藤原朝臣時平とか、たまにはあったはず。
倉本一宏氏によると、奈良時代は左大臣は正二位、右大臣は従二位という通念があったらしい。
正三位で右大臣になると、さほどたたないうちに従二位に昇進。
正二位になるとまもなく左大臣昇格、ないしは正二位と同時に左大臣と言う例が多いそうだ。

611 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 10:41:28
遠山景元の大隅守から左衛門少尉は、江戸時代じゃなければ明らかな格下げだな。
父景晋は左衛門少尉任官は1807年らしいけど、1802年は通称を金四郎から左衛門
に改めたとか、そう言うのはあり?
幕臣の官職ぽい名乗りはかなり規制が厳しかったように聞いてるけど。

612 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 12:51:52
大夫といえば田村右京大夫


613 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 14:36:34
榊原・南部は極官が従四位下以上の家だから特例というほどでもあるまい。

614 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 15:20:35
>>613
初叙云々と書いてあるのが読めないのか?
四品昇叙以前の五位諸大夫のままでも名乗れるって意味なんだが

>特例というほどでもあるまい。
この措置の意味もわからないでこのスレでこのコメント?

615 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 15:29:00
>>614
まあそう熱くならずに。

>四品昇叙以前の五位諸大夫のままでも名乗れるって意味なんだが
田村右京大夫のように四位以上がないのに大輔・大夫を名乗れる家は特例だが、
南部は家督30年で四品、榊原も侍従成する家だから特例「というほど」でもないだろう。
むきになるなよ。

616 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 16:01:05
一関田村家(左京・右京大夫)、亀田岩城家(修理大夫)、岡崎本多家(中務大輔)、
岡中川家(修理大夫)、飫肥伊藤家(修理大夫)

盛岡南部家(大膳大夫)、二本松丹羽家(左京大夫)、高田榊原家(式部大輔)、
小浜酒井家(修理大夫)、中津奥平家(大膳大夫)

617 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 16:02:17
訂正

>飫肥伊藤家
伊東

618 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 17:36:22
>>615
やれやれ
その30年が「特例」だって言ってるのに

619 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:08:22
>>618
それは当然の前提かと。

620 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:14:42
30年後四品は10万石級の官位昇進としては基本ラインだから言うまでもないことかと。
富山前田や準国持の丹羽・立花はそれこそ特例だが。

まあ議論するつもりはないからこの辺でな。

621 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:35:13
流れとは関係なく思い出すままに「氏族」「特有の」官職を並べてみる。
「氏族」というのは曖昧な定義で使ってます。
「特有の」というのはその氏族の人がよく補任される、または名乗ってるよね、という程度の意味です。

佐々木氏族―左衛門尉、検非違使(左衛門尉に任ぜられたあと検非違使に補され、従五位下、従五位上まで叙留、のち受領。ただし従五位上叙留は佐々木惣領(六角)家と佐々木京極家のみ)
武田・小笠原氏族―大膳大夫(甲斐・若狭の武田氏、小笠原氏、南部氏など)
清和源氏義光流―刑部輔(佐竹、山入、武田など、刑部少輔義光の由緒によるか)
新田氏族―大炊助(大炊助義重の由緒によるか)
足利将軍一門―左馬頭(言わずもがな)
足利・斯波・吉良―兵衛督、兵衛佐(石橋や渋川も)
斯波・吉良氏族―治部大輔(石橋・今川なども)
吉良・今川氏族―上総介(三河吉良、奥州吉良、駿河今川など)
畠山氏―修理大夫(畠山匠作家・二本松畠山など)
足利一門―宮内輔(畠山氏・一色氏など、宮内少輔泰氏の由緒によるか)
秩父氏族―出羽守(河越、小山田他、先祖が出羽権守だったんだっけか)
小山氏族―左衛門尉、検非違使
土岐氏族―左衛門尉、検非違使
上杉氏族―弾正少弼、民部大輔など
山名氏族―弾正少弼(ちなみに上杉一門と山名一門の官途はよく似てる、室町初期の姻戚関係によるか)
山名惣領家・畠山金吾家―衛門督・衛門佐
大友氏族―左近衛将監(立花氏なども)、式部丞

上記には氏族・家系に特有というより、身分に特有の官途が含まれているかも知れない(諸大夫に特有とか殿上人に準ずるとか)。

氏族横断的に見ると、室町幕府重臣の任官にはある傾向がある。

八省大輔・四府佐・四府督に任ぜられるグループ(斯波武衛家、吉良、畠山金吾家、山名惣領家など)
八省少輔・職大夫に任ぜられるグループ(赤松、一色、京極、大野斯波家、若狭武田、六角など)

以上記憶を頼りに書いたので裏はとってません。
何か気づいたら教えてください。

622 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 19:02:39
>>619-620
あのさ、俺は>>618で家督30年後四品を「特例」と言っているわけではないんだよ
それこそ当然の前提、言うまでもないこと
文脈を読んでくれ

俺は家督からの30年間四品でもないのに大膳大夫を称することができることを「特例」と言っている
というか当時の大名の一生のうちの30年間は相当長い期間だと思うが

田村右京大夫だろうが相馬大膳大夫だろうがそれなりの由緒・先例があるから特に五位諸大夫ながら四位称を許されている
織豊期にポッと出の小大名が中務大輔やらを名乗ろうとしても名乗れない
これを「特例」と呼ばない意味がわからない

殿中の格式はこういう微妙な差異の重層化によって構成されている
官位スレなんて所詮虚栄的な制度について話し合うものなのだから
南部氏が大膳亮ではなく大膳大夫と名乗ることによって得られる虚栄的な効用は無視できない
武家は「名こそ惜しけれ」だしね

623 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 19:11:38
>>622
その点については言われるまでもなく最初から承知してるんだが。

南部や榊原は大輔・大夫の官位相当の四品以上に昇進するわけで、それが早まったからといって、
田村のような四位になれないのに四位相当の官途を名乗れる家のような特例「というほど」ではない
だろう、と申し上げてるわけだからね最初から。

たいして実のある話じゃないし、この辺にしておこうや。

624 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 20:16:12
盛り上がってて大変よろしい

625 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 20:53:11
南部は30年と長いが、榊原・丹羽なら数年以内に四品になるからな

626 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 21:36:38
隼人佑ではなくて、隼人佐(はやとのすけ)というのは正式な官位?

627 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 22:24:07
もともとは、大膳=天皇のご飯の世話をする係、采女=天皇に女を世話する係、みたいな感じでいいんですか?

628 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 22:38:24
>>626
そういう官職はない。
ただ江戸時代に勘違いして隼人佐と名乗った大名や旗本はいかにもいそう。
ちなみに隼人佑をはやとのすけと読んでる人いるけどはやとのじょうが正しい。

>>627
大膳職は天皇というより朝廷の儀式なんかでごはんを用意する役所。
天皇にごはんを用意するのは内膳司。
采女司はセックスの相手じゃなくてお手伝いさんを用意する役所。

629 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:06:31
>>628 ありがとう。 なんか、面白いっていうか、可愛い感じがするなぁ。小学校でいえば、給食係、整理整頓係、黒板消し係等が名前にくっついてくるんだもんなw

630 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:18:44
成瀬隼人正

631 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:40:20
南部家は江戸後期には初叙が従四位下になってる

632 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:57:34
>>628
ありがとう。
「秀吉の接待」という新書で、豊臣時代に毛利輝元の家臣の国司助兵衛が従五位下行に叙され
布衣(ほうい)任官に伴い助兵衛改め隼人佐を名乗った、とあったから気になってた。
同役の粟屋与一郎は右近大夫を名乗ったとあるけど、これは五位の右近将監のことだと思うけど、
口宣では隼人佑となってたのを国司が読み間違えたのかな・・・
著者(国学院名誉教授)が隼人佐に「はやとのすけ」とわざわざ仮名を振ってるから
国司の読み間違いではなくて隼人佐と承知の上で名乗っていたのかもしれないけど、正式な官職
ではないとなると、隼人佐での口宣案はあり得ないんだろうね・・・難しい。

633 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 00:00:09
官ではないから布衣任官という表現はおかしいかな。布衣に任じられた際に、って意味です。

634 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 00:32:36
調べたら国司助兵衛は1588年毛利輝元参議補任と同時に
豊臣元蔵(もとまさって読むのかな?)として従五位下隼人佑に叙任している
ちなみに幕末に蛤御門の変(禁門の変)で活躍した国司信濃のご先祖さんだね

考えてみれば佐と佑って似てるな
左と右だしw

ところで布衣と叙五位って関係あるのかな?
布衣=六位相当と定められたのは1615年だから別におかしくないのかも知れないが

635 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 05:58:32
>>634
調べてくれてありがとう。正式に従五位下隼人佑になってるんだね。
よく考えてみれば、国司じゃなくてこの新書の元となった「毛利輝元上洛日記」の
著者・平佐就言(輝元の近臣)が書き間違えたというのが真相なのかなと思った。
身近に小早川隆景が左衛門佐を名乗ってるから、それで佑と佐を混同したのかも。


>ところで布衣と叙五位って関係あるのかな?
布衣について同書(が引用している矢部健太郎氏の見解。138頁)では、
『豊臣期の布衣は、従五位下に叙任されて狩衣を着し、御剣役をつとめる者で、
身分序列としては諸大夫成の一形態であった』とあって、鎌倉・室町期の布衣侍や
江戸期の六位相当の布衣旗本とも異なる性格のものだったらしいね。
輝元が参議に任じられた際に、小早川・吉川広家が従四位下侍従になった以外に、
穂井田元清以下6人が諸大夫に、国司・粟屋両名が布衣に任じられていて、
輝元が束帯姿で臨むような公の場には布衣の国司・粟屋が御剣役として従った
みたい。

636 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 18:24:45
鎌倉時代の○×右衛門尉△□とか、あれは正式な官名?
北条氏とか有力御家人。有力御内人なんかは正式なんだろうけど、
北条一門の執事クラスの被官とかは本物?単なる名乗り?
って言うか単なる名乗りはいつ頃から出てくるんだろう?
詐称は初期からあるんだろうけど。
続日本紀にも偽兵衛逮捕の話があるくらいだから。

637 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 23:57:22
例えば壱岐次郎左衛門尉って人がいたら
壱岐守の次男で左衛門尉になった人って意味だが

守護クラスの武士が国人クラスの武士に官途名・受領名を授ける官途書出し室町時代からは確実にあった
鎌倉時代は知らん

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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