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とにかく官位について語るスレ

1 :日本@名無史さん:2008/05/19(月) 23:11:20
なんか武家官位とか江戸時代の武家官位とか摂関・将軍・太政大臣とか
限定されたのしかないので立てました。
とにかく官職と位階について語りたいんだよー!

610 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 10:36:30
>>582
正三位内大臣は珍しくない。
正三位右大臣もわりとよくある。
正三位左大臣は珍しいけど、藤原朝臣時平とか、たまにはあったはず。
倉本一宏氏によると、奈良時代は左大臣は正二位、右大臣は従二位という通念があったらしい。
正三位で右大臣になると、さほどたたないうちに従二位に昇進。
正二位になるとまもなく左大臣昇格、ないしは正二位と同時に左大臣と言う例が多いそうだ。

611 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 10:41:28
遠山景元の大隅守から左衛門少尉は、江戸時代じゃなければ明らかな格下げだな。
父景晋は左衛門少尉任官は1807年らしいけど、1802年は通称を金四郎から左衛門
に改めたとか、そう言うのはあり?
幕臣の官職ぽい名乗りはかなり規制が厳しかったように聞いてるけど。

612 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 12:51:52
大夫といえば田村右京大夫


613 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 14:36:34
榊原・南部は極官が従四位下以上の家だから特例というほどでもあるまい。

614 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 15:20:35
>>613
初叙云々と書いてあるのが読めないのか?
四品昇叙以前の五位諸大夫のままでも名乗れるって意味なんだが

>特例というほどでもあるまい。
この措置の意味もわからないでこのスレでこのコメント?

615 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 15:29:00
>>614
まあそう熱くならずに。

>四品昇叙以前の五位諸大夫のままでも名乗れるって意味なんだが
田村右京大夫のように四位以上がないのに大輔・大夫を名乗れる家は特例だが、
南部は家督30年で四品、榊原も侍従成する家だから特例「というほど」でもないだろう。
むきになるなよ。

616 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 16:01:05
一関田村家(左京・右京大夫)、亀田岩城家(修理大夫)、岡崎本多家(中務大輔)、
岡中川家(修理大夫)、飫肥伊藤家(修理大夫)

盛岡南部家(大膳大夫)、二本松丹羽家(左京大夫)、高田榊原家(式部大輔)、
小浜酒井家(修理大夫)、中津奥平家(大膳大夫)

617 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 16:02:17
訂正

>飫肥伊藤家
伊東

618 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 17:36:22
>>615
やれやれ
その30年が「特例」だって言ってるのに

619 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:08:22
>>618
それは当然の前提かと。

620 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:14:42
30年後四品は10万石級の官位昇進としては基本ラインだから言うまでもないことかと。
富山前田や準国持の丹羽・立花はそれこそ特例だが。

まあ議論するつもりはないからこの辺でな。

621 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 18:35:13
流れとは関係なく思い出すままに「氏族」「特有の」官職を並べてみる。
「氏族」というのは曖昧な定義で使ってます。
「特有の」というのはその氏族の人がよく補任される、または名乗ってるよね、という程度の意味です。

佐々木氏族―左衛門尉、検非違使(左衛門尉に任ぜられたあと検非違使に補され、従五位下、従五位上まで叙留、のち受領。ただし従五位上叙留は佐々木惣領(六角)家と佐々木京極家のみ)
武田・小笠原氏族―大膳大夫(甲斐・若狭の武田氏、小笠原氏、南部氏など)
清和源氏義光流―刑部輔(佐竹、山入、武田など、刑部少輔義光の由緒によるか)
新田氏族―大炊助(大炊助義重の由緒によるか)
足利将軍一門―左馬頭(言わずもがな)
足利・斯波・吉良―兵衛督、兵衛佐(石橋や渋川も)
斯波・吉良氏族―治部大輔(石橋・今川なども)
吉良・今川氏族―上総介(三河吉良、奥州吉良、駿河今川など)
畠山氏―修理大夫(畠山匠作家・二本松畠山など)
足利一門―宮内輔(畠山氏・一色氏など、宮内少輔泰氏の由緒によるか)
秩父氏族―出羽守(河越、小山田他、先祖が出羽権守だったんだっけか)
小山氏族―左衛門尉、検非違使
土岐氏族―左衛門尉、検非違使
上杉氏族―弾正少弼、民部大輔など
山名氏族―弾正少弼(ちなみに上杉一門と山名一門の官途はよく似てる、室町初期の姻戚関係によるか)
山名惣領家・畠山金吾家―衛門督・衛門佐
大友氏族―左近衛将監(立花氏なども)、式部丞

上記には氏族・家系に特有というより、身分に特有の官途が含まれているかも知れない(諸大夫に特有とか殿上人に準ずるとか)。

氏族横断的に見ると、室町幕府重臣の任官にはある傾向がある。

八省大輔・四府佐・四府督に任ぜられるグループ(斯波武衛家、吉良、畠山金吾家、山名惣領家など)
八省少輔・職大夫に任ぜられるグループ(赤松、一色、京極、大野斯波家、若狭武田、六角など)

以上記憶を頼りに書いたので裏はとってません。
何か気づいたら教えてください。

622 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 19:02:39
>>619-620
あのさ、俺は>>618で家督30年後四品を「特例」と言っているわけではないんだよ
それこそ当然の前提、言うまでもないこと
文脈を読んでくれ

俺は家督からの30年間四品でもないのに大膳大夫を称することができることを「特例」と言っている
というか当時の大名の一生のうちの30年間は相当長い期間だと思うが

田村右京大夫だろうが相馬大膳大夫だろうがそれなりの由緒・先例があるから特に五位諸大夫ながら四位称を許されている
織豊期にポッと出の小大名が中務大輔やらを名乗ろうとしても名乗れない
これを「特例」と呼ばない意味がわからない

殿中の格式はこういう微妙な差異の重層化によって構成されている
官位スレなんて所詮虚栄的な制度について話し合うものなのだから
南部氏が大膳亮ではなく大膳大夫と名乗ることによって得られる虚栄的な効用は無視できない
武家は「名こそ惜しけれ」だしね

623 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 19:11:38
>>622
その点については言われるまでもなく最初から承知してるんだが。

南部や榊原は大輔・大夫の官位相当の四品以上に昇進するわけで、それが早まったからといって、
田村のような四位になれないのに四位相当の官途を名乗れる家のような特例「というほど」ではない
だろう、と申し上げてるわけだからね最初から。

たいして実のある話じゃないし、この辺にしておこうや。

624 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 20:16:12
盛り上がってて大変よろしい

625 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 20:53:11
南部は30年と長いが、榊原・丹羽なら数年以内に四品になるからな

626 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 21:36:38
隼人佑ではなくて、隼人佐(はやとのすけ)というのは正式な官位?

627 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 22:24:07
もともとは、大膳=天皇のご飯の世話をする係、采女=天皇に女を世話する係、みたいな感じでいいんですか?

628 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 22:38:24
>>626
そういう官職はない。
ただ江戸時代に勘違いして隼人佐と名乗った大名や旗本はいかにもいそう。
ちなみに隼人佑をはやとのすけと読んでる人いるけどはやとのじょうが正しい。

>>627
大膳職は天皇というより朝廷の儀式なんかでごはんを用意する役所。
天皇にごはんを用意するのは内膳司。
采女司はセックスの相手じゃなくてお手伝いさんを用意する役所。

629 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:06:31
>>628 ありがとう。 なんか、面白いっていうか、可愛い感じがするなぁ。小学校でいえば、給食係、整理整頓係、黒板消し係等が名前にくっついてくるんだもんなw

630 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:18:44
成瀬隼人正

631 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:40:20
南部家は江戸後期には初叙が従四位下になってる

632 :日本@名無史さん:2009/11/04(水) 23:57:34
>>628
ありがとう。
「秀吉の接待」という新書で、豊臣時代に毛利輝元の家臣の国司助兵衛が従五位下行に叙され
布衣(ほうい)任官に伴い助兵衛改め隼人佐を名乗った、とあったから気になってた。
同役の粟屋与一郎は右近大夫を名乗ったとあるけど、これは五位の右近将監のことだと思うけど、
口宣では隼人佑となってたのを国司が読み間違えたのかな・・・
著者(国学院名誉教授)が隼人佐に「はやとのすけ」とわざわざ仮名を振ってるから
国司の読み間違いではなくて隼人佐と承知の上で名乗っていたのかもしれないけど、正式な官職
ではないとなると、隼人佐での口宣案はあり得ないんだろうね・・・難しい。

633 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 00:00:09
官ではないから布衣任官という表現はおかしいかな。布衣に任じられた際に、って意味です。

634 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 00:32:36
調べたら国司助兵衛は1588年毛利輝元参議補任と同時に
豊臣元蔵(もとまさって読むのかな?)として従五位下隼人佑に叙任している
ちなみに幕末に蛤御門の変(禁門の変)で活躍した国司信濃のご先祖さんだね

考えてみれば佐と佑って似てるな
左と右だしw

ところで布衣と叙五位って関係あるのかな?
布衣=六位相当と定められたのは1615年だから別におかしくないのかも知れないが

635 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 05:58:32
>>634
調べてくれてありがとう。正式に従五位下隼人佑になってるんだね。
よく考えてみれば、国司じゃなくてこの新書の元となった「毛利輝元上洛日記」の
著者・平佐就言(輝元の近臣)が書き間違えたというのが真相なのかなと思った。
身近に小早川隆景が左衛門佐を名乗ってるから、それで佑と佐を混同したのかも。


>ところで布衣と叙五位って関係あるのかな?
布衣について同書(が引用している矢部健太郎氏の見解。138頁)では、
『豊臣期の布衣は、従五位下に叙任されて狩衣を着し、御剣役をつとめる者で、
身分序列としては諸大夫成の一形態であった』とあって、鎌倉・室町期の布衣侍や
江戸期の六位相当の布衣旗本とも異なる性格のものだったらしいね。
輝元が参議に任じられた際に、小早川・吉川広家が従四位下侍従になった以外に、
穂井田元清以下6人が諸大夫に、国司・粟屋両名が布衣に任じられていて、
輝元が束帯姿で臨むような公の場には布衣の国司・粟屋が御剣役として従った
みたい。

636 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 18:24:45
鎌倉時代の○×右衛門尉△□とか、あれは正式な官名?
北条氏とか有力御家人。有力御内人なんかは正式なんだろうけど、
北条一門の執事クラスの被官とかは本物?単なる名乗り?
って言うか単なる名乗りはいつ頃から出てくるんだろう?
詐称は初期からあるんだろうけど。
続日本紀にも偽兵衛逮捕の話があるくらいだから。

637 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 23:57:22
例えば壱岐次郎左衛門尉って人がいたら
壱岐守の次男で左衛門尉になった人って意味だが

守護クラスの武士が国人クラスの武士に官途名・受領名を授ける官途書出し室町時代からは確実にあった
鎌倉時代は知らん

638 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 11:56:40
細川幽斎や木下家定などが叙されている二位法印の『二位』は堂上の位階と同じ位階
(=公卿)なんでしょうか?出家後の位階は公家とは別物でしょうか。

木下家定はその前から公卿(従三位中納言)だったみたいですが、関ヶ原直前、
豊臣政権内での家定の序列は何番目ぐらいだったんでしょうか?

639 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:00:58
始めまして、門外漢です。最近ちょっとしたきっかけで叙目に興味をもちました。
読んでいて分からない部分が出てきました、史学を専攻した皆様には常識のこととは思いますが。
どうにも理解できません。
從五位下行内膳正清原眞人眞貞爲上総介。從五位下守雅樂頭橘朝臣春成爲下総介。の様に
位階と旧官職らしきものの間にある「行」「守」とあるのはどういった意味なのでしょう。
よろしくご教授お願いいたします。

640 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:06:46
ヒント、「官位相当」って言葉。
官職と位階は一応別の体系なので、釣り合いと言うものがあって。
あとはご自分で調べてみてはいかがでしょう?

641 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 10:37:19
ご教示だろ

642 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:10:53
639です、おかげさまで探す方向が分かりました
素人の質問に対応、ありがとうございました。

643 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:27:47
位階>官職→行
位階<官職→守

644 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 00:39:08
ただし、参議には実際上はともかく、
正式には相当する位階がないので
どの位階で参議になっても「行」も「守」もつかない


645 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 04:05:58
あと詔書の決まりごとで令外官(関白・内大臣・参議)は位階の上に
官名を記すとかね。

646 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 07:59:02
内大臣は官位相当があるから普通の官職と同じ
その場合重要なのは令制官と令外官の区別ではなく
むしろ職事官と宣旨職の区別

647 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:46:14
中世以降は位階>>>官職はたくさんあるけどその逆は稀だよね
従一位で大納言とかも結構いたし三位相当の大納言がほぼ全て二位でしょ

648 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:11:13
位階→定員なし
官職→定員あり

つまり時代が下るにつれて官職の相対的価値が上がった

649 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:58:16
足利家の将軍は従四位下参議、従三位大納言のが通例。
これはそれぞれの職につける位階の下限に相当し特徴的。

官位の価値が落ちても、それでも一応は上限があるようだ。
中納言・参議・中将・八省卿あたりは二位、少将は三位。

650 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:42:36
時には
従一位准大臣対正二位内大臣と
位階と官職で「ねじれ」がおきたこともある
(准大臣が官職か否かという問題はさておき)

651 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:36:13
准大臣って大納言を長くやっても家格の上から内大臣になれない人に従一位をやって慰めるとかいった性質の物
よって二位内大臣>>>>准大臣

652 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 13:27:34
>足利家の将軍は従四位下参議、従三位大納言のが通例。
これはそれぞれの職につける位階の下限に相当し特徴的。

これって最期の義昭だけじゃない?

653 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 13:31:18
昌山も准后宣下を受けてるんだよな

654 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 13:31:33
そういう例もあったけど通例とまではいかないよな>足利
大人になってからいきなり将軍継嗣になって無理矢理官位を与えたら下限になってしまったという感が強い
例は違うが織田信長の3位内大臣もその類だと思う

655 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:27:05
>>652
義輝は死ぬまで従四位下参議じゃなかったっけ?
三好長慶父子や松永弾正、三好長逸も義輝生前に従四位下になっている。

656 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:44:24
>>654
少しは調べてから書き込めばいいのに
若年での参議従四位下や従三位権大納言の例はいくつもある

>>655
義輝は参議従三位左近衛中将まで進んでいる
仮に参議従四位下であったとしても
地下四位諸大夫とは天地の違い
奈良時代じゃないんだから
位階の高低だけではなく
公卿>殿上人>地下諸大夫>侍などといった身分差にも着目しないと
当時の社会関係を見誤るだけだよ

657 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:19:09
足利将軍家は後期になると、従五位下左馬頭・従四位下参議・従三位権大納言が、
必須通過点って感じになって、中間はすっ飛ばす傾向があるな。
従五位上・正五位下・従四位上・正四位下・権中納言あたり。
まあ必ず飛ばすってわけでもないけどね。

658 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:29:51
平朝臣清宗って、正三位まで昇進しても侍従のままで少将にもなってないみたいだけど、
こう言うのって珍しいような?
本官が高くて侍従は兼官の場合はかなり位階が高い場合もあるけどね。
それでそのまま、少将も中将も経ずに右衛門督、これも珍しい?
藤原朝臣道長と頼道親子はは少将から中将を経ずに衛門督だったけ?

それとスレの趣旨から外れるけど、清盛の嫡孫って、維盛?資盛?清経?清宗?

659 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:44:04
>>656
うろ覚えだが、公卿補任によると確か永禄8年に死ぬまで従四位下参議だったはず。
もちろん、三好氏や松永氏も同じく従四位下だったからといって、それをもって
どうこうという気はないよ。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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