大東亜戦争で焼失した天守閣を惜しむスレ 4
- 296 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 08:04:11
- 紀州御殿しか知らないんだろうね。
- 297 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 19:20:23
- ところで大阪城に幕末や第二次世界大戦などの
戦災で焼失した櫓を全て復元した場合、
現在のコンクリ天守閣との見栄え的なマッチングはどうなるんだろう?
想像すると・・・意匠が違うからちょっとチグハグな感じになりそうな気が・・・。
だからと言って、今のコンクリ天守閣潰して徳川大坂城の天守復元したとしても、
資料からすると徳川天守自体味気ないデザインなので大阪県民は反対するだろうなw
- 298 :県民の焼きビーフン:2008/10/18(土) 03:26:14
- 潰さず和歌山に押し付けたら紀州御殿厨歓喜?
- 299 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 23:23:27
- 折衷案は「紀州御殿」というニックネームの、実は徳川大坂城の本丸御殿を大阪城に、
本物の紀州御殿を和歌山城の二の丸に、それぞれ復元すればよろし。
でも「大坂城」=「太閤秀吉」のイメージがあるだろうから徳川大坂城の建造物復元するのもなあ。
コンクリ天守閣もなんちゃって豊臣大坂城のに似せている(つもりだ)し。
- 300 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 13:56:24
- そのまえに本丸で陣取ってる貯水槽を他に移せないのか
- 301 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 14:09:30
- 豊臣大坂城なんてたかだか30年くらいしか地上に存在しなかった。
いまの大坂城は徳川大坂城の石垣や縄張りであり、それが幕末まで250年続いた。
現在の大阪城の遺構は徳川大坂城なのだから、豊臣風の建造物はいらん。
豊臣大坂城にこだわるのなら石山本願寺も発掘復元しろということになる。
- 302 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 14:17:43
- 大坂(阪)城の長い歴史において、築城者である天下人秀吉の存在は大きいが、
その城はいったん破却され、地上から完全に姿を消してしまった。
今見る石垣や堀が徳川期のものである以上、そこに豊臣期のものをつくるのは
捏造にしかならない。
そもそも秀吉自身、大坂城にいた期間はそんなに長くない。
天下人関白としての居所は聚楽第であり、太閤としての居城は伏見城。
- 303 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 14:59:42
- 大坂城が秀吉の城なのは間違いないが、
居城とか本拠地というとちょっとちがうよな。
死んだのも伏見城だし。
- 304 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 18:30:25
- 石山本願寺の下は仁徳天皇陵より巨大な前方後円墳だと言う。古墳の表面は石で葺かれたため石山と表現された。
- 305 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 19:21:13
- >>304
難波京と間違えてませんかな?
- 306 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 20:24:51
- 都がわざわざ丘になっててたまるものか。
- 307 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:53:13
- >>306
でも、一応難波京のあったところも石山本願寺(大坂城)のあったところも「上町台地」だけどね。
ただ、石山本願寺や大坂城の本丸は古墳の上に建てられたという説は確かにある。
- 308 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 06:09:54
- 「都を作るために国内最大級の平山城が作れるような地形を造成した」という主張は
いくらなんでも無茶だろうな。>>305の主張はそういう意味だろうと思うんだが。
- 309 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 17:20:39
- >>308
ん?>>306の主張の間違い?
古代の都は基本的に平地に作られるだろうから、
難波京の建設当時は陸地だった上町台地の比較的平らな個所を利用しただろうけれど、
古墳はどう考えても地形的に無理があるよね。
平山城を建造するならどちらかというと古墳のような丘のほうが利用しやすい。
実際平城京など他の都などを見ても、古墳などはなるべく避けられるか、
あるいは街中にあっても建物を建てる敷地としては利用されていない事が多いようだけど?
それにいくら仁徳天皇稜並の古墳があったとしてもそれを造成して都とするには手狭すぎる。
- 310 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 21:36:53
- 豊臣時代大阪城本丸の平面図が見事、前方後円形をしている
っていうのが着想点なのよ。
仮に前方後円墳だとすると、全長480m級、大山古墳並みの大古墳だ。
といえば近所の茶臼山古墳は二度の大阪の陣で、
徳川家康と真田幸村が着陣した場所でもある
- 311 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 08:52:10
- つまり一向宗、豊臣秀吉、徳川家康は世界最大の墳墓遺跡を破壊した大罪人ということか!
- 312 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 05:57:58
- 水攻めした備中高松城も前方後円墳だしw
- 313 :日本@名無しさん:2008/10/22(水) 11:57:48
- >>312
築城された場所について、一説にはこの地方に多く点在する前方後円墳の一つを切り崩して築城されたとも言われるが
実際の発掘ではそれを裏付けるような結果(地層調査等で)は出ていない。
この為、実際には古代足守川の自然堤防を利用したと考えた方が合理的であろう。
http://www6.plala.or.jp/ImperialHQ/hp2/takamatu.htm
- 314 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 16:35:40
- >>311
あれだよ。
だからその呪いで石山本願寺から大阪城までの間に
信長によって、家康によって、官軍(薩長土肥)によって、米軍によって
計4回も落城、占領されたんだよ。
- 315 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 17:02:55
- だがちょっと待ってほしい。
前方後円型が曲輪の形として理にかなっているということではないのか?
とテキトーなことを言ってみた。
- 316 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 03:27:14
- 前方後円墳じゃなくても、大型の古墳なら堀が元からあったり、小さな円墳でも櫓台になったりしたから。
>>313
例えどう見ても古墳だとしても、埋葬施設が無くなってると認定され難いらしい。かといって備中高松城は
不明だけど。
- 317 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 19:24:42
- 姫路城の石垣に転用されていた石棺はどこの古墳から持ってきたのかな?
姫路城の一部も古墳だったとか?
- 318 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 07:01:01
- 古墳は良い立地条件に造立されたから築城地に転用されたようだ。上野寛永寺は古墳群の敷地にある。
- 319 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 05:07:07
- ノロノロしていたら城郭、寺社建築が出来る大工が絶滅するんじゃないの?
- 320 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 05:36:15
- 寺院建築自体は各地で堂塔の建てなおしがある。一時期コンクリ建築が流行ったが、
今は木造に回帰してるな。
- 321 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 06:40:16
- 木造復元ブームでゼネコンの下請宮大工は繁盛しているらしいな。
- 322 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 07:18:20
- 金剛組もひとまず安泰ってことか。
- 323 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 08:36:24
- 問題は材料として良質の木材が手に入りやすい環境が残せるかどうかだな。
数百年前から既に木材不足状態だったらしいし、さらに今の日本の山は荒れ放題。
日本国内での調達は現在既にかなり困難な状況だし・・・。
- 324 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 08:41:13
- 江戸時代には大木造建築をむやみに作ったせいで、数百年前の木は、運び出せるものすべて
切り倒したとか言われてるくらいだからな。出雲大社の大造営では、大社の威光で何とかなると
言って、但馬妙見宮の御神木を切り倒してしまったくらいだし。
- 325 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 08:44:29
- ちょっと田舎を回れば、やたらめったら針葉樹が植わっているんだけどね。
あれが使える時期になれば状況は好転する。環境保護だなんだと言って
輸入もそのうち厳しくなるだろうから。
- 326 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 09:13:00
- 戦後最初の全木造復元は戦災焼失の江戸城大手門渡櫓。檜材料一切台湾産。寺社最大の木造復元の薬師寺金堂、西塔も台湾産木材。
- 327 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 09:18:30
- 大洲城とか熊本城本丸御殿とか戦後最大の超巨大木造復原の平城京大極殿も外国産か?
- 328 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 11:38:00
- >>325
残念ながら手入れが全然行き届いてないから
柱になんて到底使い物にならないようなクズ木材ばっかりだってよ。
- 329 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 12:23:47
- 仙台城の大手門は政宗が家康の許しを得て肥前名護屋城の二の丸門を移設したんだが
空襲で焼けずに残っていれば名護屋城の雄大さが増しただろうよ。
- 330 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 18:46:02
- 名護屋城天守は発掘調査の結果通説よりかなり小型の建造物であったと判明。初層6間×7間。これは高知城天守より小さく大洲城天守や江戸城富士見櫓のサイズだ。屏風絵にやたら細長く描写されている理由がわかる。
- 331 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 18:49:31
- >>327
大洲城は地元材が40%、残りは木曽国有林のヒノキ。
心柱には地元の如法寺境内で伐採された樹齢約250年の
御神木ヒノキが使われている。
ttp://www2.osk.3web.ne.jp/~hirodas/oshiro/fukugen02.html
ttp://www.kiso-mokyo.org/105/osu.html
- 332 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 20:39:49
- >>330
名護屋城天守は佐賀の枝城の一つであった蓮池城の天主を移築したと云われている。
当時の蓮池城の規模からして大きさは推定できる。小さいよ。
- 333 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 20:43:31
- 平城京大極殿って奈良の大仏殿の次くらい大きい感じだけど材木の量は半端じゃないよ。
- 334 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 21:26:37
- >>330
その推論に異論は無いけど
屏風絵の絵などまったく当てには出来ないと思う
そもそも階数さえ違えて書いたりしているのもあるし
似ている絵などないから
- 335 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:20:29
- だいたい、現存する名古屋城図屏風って17世紀後半の作でしょう
建造物の外見は全くの想像なのでないか
- 336 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:11:08
- 蓮池城の天守は櫓として利用したんだろ?
名護屋城天守は複数の見学者の証言から五層七階が定説で屏風絵の天守も妥当な姿をしてると思われる
天守の規模は発掘調査の結果により作成された実測図により初層10間×11間ほどになることが再確認されている
- 337 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:22:09
- >>332
>蓮池城には2度天守が建てられた。 最初の天守は、肥前名護屋城大手櫓に、二度目の天守は佐賀城へと移築された。
- 338 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 05:48:21
- 佐賀城天守台は15×13間の巨大なもの。蓮池城ごときは小さすぎる。
- 339 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 12:49:02
- 名護屋城天守台は10間×11間ほどの巨大なもの。江戸城富士見櫓のサイズなどという、とちくるった妄想は論外。
- 340 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 12:58:37
- >>338
つか、蓮池城天守の部材が利用されたという考えはできないのかw
- 341 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:08:24
- 65 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 15:00:36
名護屋城天守台の発掘結果により天守の初層が従来の定説の半分程度の大きさとなった。7間×6間と言う。大洲城天守、江戸城富士見櫓と同等規模で五層である。板倉家伝来の名護屋城図屏風の天守がやたら細長い謎が解明された。
67 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 18:44:22
ソースは名護屋城博物館に直接照会。来年度に発掘調査報告書が出るとの事。7×6間の新説は小学館系の城郭本に発掘情報を元に既に取り上げられている。
71 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:32:51
つーか名護屋城天守台の柱間は南側は1間=6尺5寸で北側がは1間=10尺で、複数の柱間が混在していて、
名護屋城天守が7間×6間ってのは北側の柱間の1間=10尺を基準に解釈した規模だろ?
南側の柱間の1間=6尺5寸を基準にした場合は約8間×9間程になり、その規模は全然違うことになるが?
88 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 18:31:27
測量図は穴蔵の地面まで削りとられた寸法では?そこに石垣を積み重ねると推定初層寸法7×6間らしい。屏風でやたら天守が細長く描かれているのも納得できる。
89 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 18:50:18
>測量図は穴蔵の地面まで削りとられた寸法では?そこに石垣を積み重ねると推定初層寸法7×6間らしい。
こっちは天守の柱間の寸法話しをしてんだよ。石垣を積み重ねても推定初層寸法7×6間にはならないし
自 分 の 目 で 測 量 図 を 確 認 し ろ
90 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 19:13:08
崩れた穴蔵の不足分なんかせいぜい半間から1間だろ
少な目に見積もっても6間×7間にはならないぞ
想像で納得するなっての
- 342 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:09:57
- 91 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:08:07
六間×七間説は名護屋城博物館の公式見解らしいがね。石垣山城の天守も小さかったようだが。
92 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:13:19
>六間×七間説は名護屋城博物館の公式見解らしいがね。
だからなに?
つか名護屋城博物館の公式見解らしいじゃなく、 護 屋 城 博 物 館 の 公 式 見 解
そんなことは各種資料でとっくに知ってるが
言いたいことがあれば天守台の測量図を見てから言え
93 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:05:33
>>92
天守台は22m×18mだからねえ。
間をどう考えるかしれんが、12間×10間と見るべきじゃろう。
94 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:24:53
天守は東西の礎石列の梁側の1間が9、4尺
南北の礎石列の桁側が1間が6、5尺
六間×七間の高瀬説は1間を9、4尺として天守全体の規模を導き出している
しかし1間を6、5尺とした場合の天守全体の規模はまた違ってくる
95 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 00:09:37
中華式だよばーーーーーーーーーーーーーーーーか
- 343 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:14:23
- この天守台の図に約2米四方のグリットを乗せれば6間×7間より大きな天守台だったことが分かる
http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0010/3652/tennsyudai.jpg
文禄2(1593)年夏頃の描写と考えられる狩野光信が描いた肥前名護屋城図屏風は城址と屏風絵で大差はないので縄張りは比較的正確
※文禄・慶長の役1592年〜1598年
http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0010/3650/san-yagura.jpg
天守台は検出された地山の状況から穴蔵は浅かった事が判明している
※小学館『日本名城百選』
http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0010/3644/tennsyudai.jpg
- 344 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:36:33
- 間でなくmで表記すれば歴然
- 345 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:22:53
- 佐賀城の天守閣は享保11年(1726年)火災にて焼失したが
再建する金が無く出来なかった
明治維新まで140年間天守閣のない佐賀城
- 346 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 20:23:47
- 戦災で焼失した仙台城大手門
↓
肥前名護屋城
↓
佐賀城
と話題が移っているが、スレタイには
「大東亜戦争で焼失した天守閣を惜しむ」
とあるので、
「なごやじょう」つながりで「名古屋城」の話をします。
米軍の空襲によって焼失した本丸御殿の復元工事が
いよいよ、はじまります。
- 347 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 13:23:05
- 名古屋城本丸御殿は明治に離宮として改変された状態即ち戦災焼失前を復原するのか?江戸末期の状況に戻してもらいたいものだかね。
- 348 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:29:32
- 佐賀城、熊本城、名古屋城と最近は本丸御殿の再建が目立つが
如何なものかね
- 349 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 07:35:20
- 上のほうで木材確保の話題が出てたが、
名古屋城本丸御殿も苦労しているようで。
柱550本にこだわり
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/nagoya/nagoya080911_1.htm
木肌の美にため息
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/nagoya/nagoya080925_1.htm
>>347
>本丸御殿は後に、将軍用の宿舎へと役割を替え、第3代将軍・家光の上洛(じょうらく)に
>合わせて「上洛殿」が増築された。その後も部分的な改修、改築が重ねられ、屋根も
>当初の柿葺(こけらぶ)きから瓦に変わった。1945年の空襲で天守閣とともに焼失したが、
>復元で目指すのは上洛殿が完成した直後の寛永期の姿だ。
- 350 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 09:22:39
- ところで濃尾地震の時の名古屋城本丸御殿の被害はどの程度だったんだろう?
「当初の柿葺(こけらぶ)きから瓦に変わった。」と聞くと、
二条城にあるどこかの屋敷を移転して出来た本丸御殿のように
屋根が重くなって耐震強度不足になってそうな気がするが。
古写真見ると、天守は壁の漆喰が一部剥がれたくらいで大した被害なさそうだが、
多聞櫓など低い建物は大破状態だったみたいだけど、同じく平屋で低い本丸御殿も
建物の固有振動数の問題で相当被害があったんじゃないか?
- 351 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:38:18
- 名古屋城本丸御殿の車寄せの唐破風って現代和風アートみたいに斬新なんだけど明治離宮時代の改造付加と言う説は本当ですか?
- 352 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:59:54
- 唐破風の玄関ってのは当時としては一般的だろ?
- 353 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 09:56:36
- >>349
このアングルの写真だと完全に二条城の二の丸御殿に迫力の点で負けてるな。
- 354 :ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/11/09(日) 17:31:59
- 障壁画がぶっこわれたくらい
- 355 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 02:01:39
-
お城の古写真貼ろうぜ!
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1218114101/
- 356 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 02:05:42
-
お城の古写真貼ろうぜ!
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1218114101/
紀州御殿の画像をやっと見つけた。
こんな立派な建物が、大阪のど真ん中のコンクリート天守閣の前にあったんだなぁ…。
鬼畜メイルの空襲に生き残ったのに、占領軍の米兵に焼かれたと思うと無念で仕方がない。
- 357 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 03:23:58
- 上空から見た福山城、左下の面(北側?)最下層が真っ黒に見えるがあれが鉄板なのか?
どっかに福山城天守鉄板写真ないのかな
- 358 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:39:32
- >>357
本屋で立ち読みした城の古写真特集みたいな本に鉄板写真載っていたような記憶が。。。
- 359 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 14:39:04
- 姫路、名古屋、熊本みたいに誰でも知ってそうな有名な城以外では福山って群を抜いてカコイイな
(焼失前限定、異論は許す)
- 360 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:00:38
- 木造再建なんて無意味だ。
城なんて外から軸部は見えないんだから躯体は鉄骨鉄筋コンクリートにして
内装の見える部分だけ仕上げに化粧として木造でつくればいいよ。
- 361 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:42:33
- >>360
>躯体は鉄骨鉄筋コンクリートにして
>内装の見える部分だけ仕上げに化粧として木造でつくればいいよ。
あの現存天守に有りがちな多量の柱全てをその仕様するのか?
建築費用高くつきそうだなw
ましてや小型天守の場合柱もそれほど太くないから
総鉄骨作りにしないと躯体がもちそうもないなw
復元、復興鉄骨鉄筋コンクリート造にありがちな「学校仕様」や
名古屋城天守や若松城天守のように「なんちゃって木張り仕様」は
無粋すぎ。
何にしても無知な人間に「リフォーム」と勘違いさせる罪深き建物は
もう建てなくていいよ。
木造で再建不可能なら天守台自体重要な文化財なのだから
わざわざそれを破壊してまで再建しなくていい。
- 362 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 22:02:08
- 最後の二行に同意しすぎて禿げ上がった
- 363 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:43:16
- >>357-358
手元にあった2002年5月19日発行
新人物往来社の別冊歴史読本No.09
「日本名城古写真集成」のP165に
福山城の天守北西方向から撮影された
1〜2階部分の鉄板写真が載ってた。
http://www.amazon.co.jp/最新日本名城古写真集成―全国各地の近世城郭97城を680点の古写真で綴る最新の集大成-別冊歴史読本-09-三浦-正幸/dp/4404030096/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1226587352&sr=8-1
- 364 :357:2008/11/14(金) 00:29:31
- >>358 >>363
どうもありがとうございます。
まだ一度も見たことないんで、ひょっとして幕末〜維新のころには
もう錆びて剥ぎ取ってあったのかなとか思ってました。
写真に残ってるってことは、何度かメンテしてたんでしょうね。
江戸初期に作った鉄板が雨ざらしで300年も保つなんてことないだろうし。
- 365 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 10:40:44
- 福山城鉄板写真ネット上で発見しました
「福山城遺構の石垣を活かした水辺公園を!」
(中段「三、西国の鎮衛福山城」あたりに鉄板の写真)
http://www.sannomaru.com/ishigaki/castle/history.htm
「福山城の昔風景」
http://homepage.mac.com/satoseigaen/new19/PhotoAlbum360.html
- 366 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 22:20:03
- 空にそびえる鉄の城 COOL!!
水堀がある福山城も初めて見たわ。
ところで駅前で発見された遺構てのは>>365の福山城入り江ってやつの部分?
- 367 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 09:17:12
- 「日本の南進の地歩を海南島、仏領インドシナに進め、
南進活動の拠点をつくった後、またその間、十分に国力を充実した後、
好機に乗じて蘭印を占領するのがよいと思う。(中略)
これからの国家には石油およびゴミが必需品であることを考え、
我が国は南進の準備に着手しなければならない。」
(木戸幸一 1941年5月18日)
長州人の木戸が南進を煽った結果、
日本はアメリカとの全面戦争となりボロ負けしたんだよ。
- 368 :sage:2008/11/22(土) 22:53:46
- ゴミが必需品とは、当時すでに自動車型タイムマシンの開発に着手してたのか
日本軍凄すぎ
- 369 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:58:06
- >>367-368
激しくスレ違いだが、誤爆?
- 370 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:32:45
- ゴムだろ
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