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※ 九州王朝はなかったのか? ※ 13

1 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/12(土) 12:59:41

"※九州王朝はなかったのか?※13〜15"タイトルスレが抜けていたので、"13"に戻します。

※九州王朝はあったか?※の復活です。
九州王朝を肯定する人も否定する人も、立場の違いを超えて、思う存分語りましょう。
九州王朝に関心がある人は、おおいに語りましょう。
九州王朝に関心のない人や、九州王朝に関りの無い主張は、書き込まないでね。

881 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:27:18
>邪馬臺国は北部九州にあった。『魏志倭人伝』は正確を期するため同じ行程を距離と
所要日数とで二重に表記しているのであり。
古田教の信者以外は、馬鹿馬鹿しくてついていけない読み方ですな。

882 :のんびりひまじん:2008/09/04(木) 01:30:35
>>844
>アリバイ
アリバイだと?! そんな言葉は犯罪容疑者に使うのだ。

うーーむ。日本書紀にはいっぱいウソもどきが書いてある。嘘つきはドロボーのはじまり。

例えば、景行天皇の九州遠征旅行の話。時計回りに九州一周の終わりに、福岡大分の県境あたりで
「百官「がよく来るところが出てきた。百官とは中央の上級国家公務員のことだから、
そこが、そういう人たちのハイキングコースとバラしてしまった。

奈良のマキムクが本拠地の景行という近畿天皇の正体までわれわれは知った。

その当時のほんとうの日本列島の首都:公務員宿舎&官庁街は大分福岡県境から日帰り圏にあった。

日本書紀のウソつき!
こういう書物を相手にするときは、アリバイみたいな、容疑者に使う用語と心得でもって対応しよう。


883 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:38:46
神武を持ち出してるってどういう意味?
記紀の神武都落ち説話は、リアルな話で、現実にあった事件を反映しているだろうというだけ。

畿内の銅鐸国が中心部から滅亡していくのと、神武の侵略が関係ありそうだという
推測も可能だが、客観的にこの辺はなんとも確認のしようがない。

そもそも神武は王ではなかったから、都落ちしても九州王朝は何の変化もない。
神武が都落ちしたことと、九州王朝が九州に君臨していたことは、無関係。

神武は畿内の統一もしなかったし、巨大王権を打ち立てずに、わずかな
土地の支配者として死んだ。畿内には神武同様、何人もの王がいたので、
神武が巨大王国樹立をしたような勘違いをしてはいけない。

後世の畿内王権には、神武が初代の畿内王だという伝承があったというのは、
記紀に見るとおり。

神武がニニギの少しあとの世代だろうから、7世紀よりずっと前だということは
間違いないが、年代特定をするのは難しい。崇神だモモソだヤマトヒメだ
といっても、そんな絶対年代が曖昧な人間をいくら繰り出しても、特定のしよう
がないですね。推定するのは勝手ですが、学問じゃないでしょう。




884 :883:2008/09/04(木) 01:40:02
>>883>>880へのレス

885 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:49:58
>おれの頭が、それじゃ〜、寝られん、それじゃ〜、寝られんと 言うちょる〜。
>タノム!!! タノムから、>>869の疑問に答えてくれ〜〜〜い!!!!

一緒の貴種漂流譚と考えれば済むw

ぶっちゃけ畿内ヤマトの王と何の縁も所縁も無いからこそ
九州の地がチョイスされたと言うか説も成り立つ。

想像上の高天原、現実世界の畿内。
その間を繋ぐ地として畿内から遠く離れた場所が選ばれた。

(実在したなら)応神
(多分コイツはガチだろうw)継体
こいつらはヤマトの外からやって来ている

始祖王の神武が九州からやって来ているんだから
「よそ者」のそしりを受けずに済むっちゅう、言わば緩衝材の役割もあるwww

以上は一仮説に過ぎないが、他にも自家にオリジナルの伝承が無かったから
他家からパクったとかwww

まあ色々考えられるわけで別に鬼の首を取ったかのように
アホの九州王朝説が喧伝する材料でもなんでもないwwwww


答えてやったんだから安心して寝ろ!
二度と目覚めなくて良いからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

886 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:51:58
869 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/09/03(水) 22:50:03
天皇家が作った日本書紀には、天皇家は九州からやってきたと書いてあるのに、
なぜそれは間違いで、天皇家は悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたと
主張するのか?

871 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/09/03(水) 23:43:59
お〜い、近畿論者〜、頼むから、お願いだから、拝みますから、懇願しますから、
土下座しますから、叩頭しますから、懇請しますから、平身低頭しますから、
>>869の答を書き込んでくれ〜い。


↑つまり君はさ、近畿説は神武東征を否定してると思ってる訳でしょう?
でも、神武東征を否定している近畿説って誰の説の事なの?

神武東征と邪馬台国近畿説は矛盾してないでしょ。

でも君は、神武東征と邪馬台国近畿説が矛盾すると思ってるから
近畿説は神武東征を否定してるんだと言い張ってる訳でしょ?きっと。

つまり、神武東征が何時だとどういう理屈で邪馬台国近畿説と矛盾するのかを
九州王朝説の君に聞きたい訳。

言ってる事解るでしょ?

887 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:55:34
>神武東征と邪馬台国近畿説は矛盾してないでしょ。

おいおい、ローガンは、邪馬台国近畿自生説だぞ。
自生した邪馬台国が、神武にサクッと滅ぼされるんじゃ、邪馬台国近畿自生説は成り立たないでしょ。

888 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 02:02:33
ローガンって人が何を言ってるか知らないけど

>おいおい、ローガンは、邪馬台国近畿自生説だぞ。
>自生した邪馬台国が、神武にサクッと滅ぼされるんじゃ、邪馬台国近畿自生説は成り立たないでしょ。

成り立ってるでしょ?よく考えようよ。

畿内に邪馬台国が九州の神武に倒された。
つまりこの場合、邪馬台国より神武東征が後ってだけなんだね。

何の問題もないね

889 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 03:06:57
>畿内に邪馬台国が九州の神武に倒された。

もし邪馬台国が畿内で自生したのが先ならが
あとで神武が九州から畿内に侵入したら、邪馬台国は滅亡しちゃうね。

もし先に神武が九州から畿内に侵入したのが先で
あとから邪馬台国が自生したなら、その自生した国は
神武が九州から畿内で定着して興したとする畿内王権そのものとなり、
邪馬台国東遷説になってしまい、畿内自生説が成り立たないね。

だからどちらにしても、邪馬台国自生畿内説は成り立っていないね。

890 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 03:47:34
>もし邪馬台国が畿内で自生したのが先ならが
>あとで神武が九州から畿内に侵入したら、邪馬台国は滅亡しちゃうね。

畿内自生説は邪馬台国の形成が畿内中心であればそれで良い訳でしょ?
自生的に形成された邪馬台国が神武によって滅亡しようが
畿内自生の仮説に矛盾しない。

邪馬台国は畿内に自生して、そして神武よって滅びた、つまり邪馬台国≠ヤマト政権だね。


>もし先に神武が九州から畿内に侵入したのが先で
>あとから邪馬台国が自生したなら、その自生した国は
>神武が九州から畿内で定着して興したとする畿内王権そのものとなり、
>邪馬台国東遷説になってしまい、畿内自生説が成り立たないね。

邪馬台国東遷説にならないでしょう。邪馬台国東遷説って、
3世紀後半以降に九州に存在する邪馬台国が、その後東方の畿内に遷都する訳でしょう?

でもこの場合は、九州から神武が来て興したとする畿内王権が、
2世紀中には邪馬台国としてあって、そしてその王が3世紀中に魏に倭王として認められたんでしょう


>あとから邪馬台国が自生したなら、その自生した国は

>邪馬台国東遷説になってしまい、畿内自生説が成り立たないね。

だからこの上下の文はそもそも矛盾してるでしょ。
君自身、「あとから邪馬台国が自生した」と言って、
神武東征「前に」邪馬台国は九州に存在し得ない事を認めている訳なんだから、
その意味での邪馬台国東遷説は成り立たないからね。


891 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 04:57:46
ローガンの邪馬台国畿内自生説は成り立たない。

仮説1:「畿内自生の邪馬台国を、九州から来た神武が滅ぼした」

このばあい、邪馬台国は考古学的に銅鐸国しかあり得ないが、
銅鐸国の特徴と邪馬台国の特徴は乖離しすぎているし、
漢籍には邪馬台国の後継諸国が書かれており、符合しないね。

仮説2:「九州からやってきた神武が邪馬台国を興した」

これは畿内説というより、邪馬台国の前身が九州にあったとする九州説。

以上、邪馬台国畿内自生説は成り立たない。

892 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 05:07:45
>>891
>このばあい、邪馬台国は考古学的に銅鐸国しかあり得ないが、

銅鐸国?

初めて聞いたwww

後学の為その国の中心地は考古学的に何処の遺跡になるのか教えてくれwwww

893 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 05:55:53
>仮説1:「畿内自生の邪馬台国を、九州から来た神武が滅ぼした」

>このばあい、邪馬台国は考古学的に銅鐸国しかあり得ないが、
>銅鐸国の特徴と邪馬台国の特徴は乖離しすぎているし、
>漢籍には邪馬台国の後継諸国が書かれており、符合しないね。

銅鐸なんか関係ないでしょ?
それにこの場合邪馬台国を滅ぼしたら神武がそこの政権を奪取するって事になる訳でしょ
ヒミコの後に男王が立ったんだよね、それじゃ服従しなかったようだけど


>仮説2:「九州からやってきた神武が邪馬台国を興した」

>これは畿内説というより、邪馬台国の前身が九州にあったとする九州説。

これは全然違う。「九州説」とは邪馬台国九州説の事であって、
九州王朝説でもなければ他の何でもない「邪馬台国九州説」そのもの。

邪馬台国の前身が九州にあったとするのは九州説じゃないでしょ、絶対に。
邪馬台国自体が何処にあったかの話をしてるんだから。


たとえばアメリカ合衆国が何処にあるのか?と言う話をしてて
「アメリカ合衆国はイギリス人が建てたと考えれば、
アメリカ合衆国の所在地は、北米説というより寧ろイギリス説が正しい」

とか返答されるのと変わらないね。こんなの通用しないでしょ?

894 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 06:52:49
>>885一緒の貴種漂流譚と考えれば済むw

漂流譚ね〜 ヒョ〜リュ〜 ねえ…。

あの日下での激闘、熊野迂回などなど、先住勢力を駆逐するために自分の先祖が
途方もない苦労をしたんだよ〜なんてことを、なんのためにあんなに特筆、大書、
力説、詳説、るる述べたんだろ〜ね〜?

それって、「漂流」なんて言葉はとても使う気にならない記述だ、「侵入」
「侵略」って言葉こそ相応しい記述だ、世に数多(あまた)ある漂流譚のパタ
ーンにはまったくあてはまらない記述だ、先住勢力を撃滅する激闘を詳述した
いわゆる「貴種漂流譚」ってのが他にあるのなら、その例を挙げてくれ〜、
「漂流」で頭が休まる人はオ・シ・ア・ワ・セ。。。。って、俺の頭が言う
んだよ〜。

思いつきの「〜〜だからかも知れないよ〜」なんてんじゃ〜、寝られん、
それじゃ〜、寝られんって 俺の頭が言うんだよ〜。

タノム!!! タノムから、>>869の疑問に真っ正面から答えてくれ〜〜〜い!!!!

895 :夏祭:2008/09/04(木) 07:23:13
畿内自立説を論破すれば九州説の勝利と思ってる人間も多い。
奥野正男はその典型だった。
>>894
神武東遷は2世紀後半に起きた筑紫勢力の畿内への移動がモデル。
というのが自説だが。

896 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/04(木) 07:28:29
>>880
倍暦等計上すれば  神武九州出発=B.C.7年

神武の前に卑弥呼の国が畿内にあったとすれば、神武以後歴代天皇の在位が247年
以後に来るから、各天皇の在位期間がスシ詰めとなり不合理になろう。
だから卑弥呼が神武以前の女ではないことは間違いない。

897 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 09:27:50
貴種流離譚と言えば、ローマの建国神話。

898 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 12:44:45
>>895
夏祭氏は結局九州説なんだね。

ところで
>「神武東遷は」2世紀後半に起きた筑紫勢力の畿内への移動が「モデル」。
という主張だが、極めて奇妙なのでお聞きしたい。
どうして記紀に「邪馬台国が九州から畿内に引っ越した」と書かなかったわけ?
神武軍は、神武の兄が戦死するし、熊野の隘路を登るなど、わずかな部隊で
畿内に乱入した様子だ。王様以下、何万戸の国民が一斉に移住しましたって
書けばいいでしょ。吾が大和朝廷の始祖を、わざわざ貧弱な部隊に貶めて書き、
「モデル」にするなど、大和朝廷に対する侮辱だと思いますが、如何?


899 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/04(木) 13:54:23
>>898
『神武東遷は2世紀後半に起きた筑紫勢力の畿内への移動がモデル。』
僕も夏祭氏と同じだ。

僕は以下のようにみなしている。
古事記の内容を伝説として持つ畿内勢力は、「倭」であることを誇りとした最も古い集団を祖とした。
九州出身を自認する彼らは、つまりその長い伝統と発展を自慢したかったのさ。
我々は、我々を追い出した九州を越えているぞ、ざまあみろ九州だろうね。

900 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 14:05:01
大好きさん、神武東遷説話は九州の機能移転のモデルじゃなくて、
神武の畿内侵入がそういう風に伝わっていたのでそう書いただけでしょ。
絹や青銅器、三種の宝物や、政治機構が畿内にシフトしていったモデル
には、全然なっていないと思いますが。

901 :夏祭:2008/09/04(木) 17:37:06
>>898
その論法なら、原田大六も九州説になるんだけどね。



902 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:43:32
>>901
九州から東遷した時期は何時?

903 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:46:08
お〜い、近畿論者〜、頼むから、お願いだから、拝みますから、懇願しますから、
懇請しますから、土下座しますから、叩頭しますから、平身低頭しますから、
>>869の答を書き込んでくれ〜い。

「貴種漂流譚」なんてお上品な例を持ち出されても、あの神武天皇の激闘と
先住勢力の殲滅の記述がそれに当たるなんて、とてもじゃないが思えない。

自分は九州王朝論者なんかにゃなりたくない。絶対イヤだ。何としてもイヤだ。
どうしてもイヤだ。金輪際イヤだ。何が何でもイヤだ。

しか〜し、>>869の疑問が頭に張り付いて、夜も寝られないのだ。イヤが応でも、
九州王朝説へ、九州王朝説へと、自分を無理矢理引っぱっていくのだ、

お〜い近畿論者〜、タノム〜、タノムから>>869の疑問に答えてくれ〜〜〜〜い!!!!!

もし>>869の疑問に答えられないのなら、「答えられません、近畿説は不十分です」
と素直に言ってくれ〜〜い!!!! でないと、俺は夜も寝られないぞ〜!!!

904 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:49:01
903はスルー
容易に乗ってはいけない。罠です。

905 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:11:00
>>902
2世紀後半。
まあ、卑弥呼がいたころには畿内に邪馬台国があったと考えている。

906 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:13:08
>>897貴種流離譚と言えば、ローマの建国神話。

ローマ建国神話のいわゆる「貴種」?とは、あのギリシャ文明の精華の一方の雄
であったトロイアの遺民だという神話であるのは、ご承知のとおりだ。ローマ帝国
以前に大いに栄えて、その声名を今日にまでとどろかせているギリシャ文明の
諸国の中でも、著名な都市国家であるトロイアは、単なるホメロスの神話の中
の存在ではなく、現実にこの地球上にかつて存在していた都市国家であったこ
とが、シュリーマンの発掘によって証明されたことは、周知の事実だ。

もし神武東侵神話が、貴種?流離譚であるローマの建国神話に匹敵するもので
あるとするならば、トロイアの存在が考古学上の発見によって証明されたように
神武天皇の先祖が統治していた九州王朝が実在していたことが、やがて考古学上
の発見によって証明されることになるであろう。

シュリーマンが、神話の記述からトロイアはここにあったはずだと思い定めて、
発掘に取りかかったとき、世の人々は、神話を信じて本気で発掘しようとする
なんて、トンでもないバカだアホだとあざ笑った。しかし、シュリーマンは、
自分の財産を投げ打って発掘を続け、ついにヒッサリクの丘の麓から、古代都市
国家トロヤの遺跡を発見したのだった。世の人々は、神話と固く信じていた説話
が真実であったと知らしめられて、のけぞって驚いたのだった。

今は、トンでもないバカだアホだとののしられている九州王朝論者だが、そのう
ち誰かが、ここと見定めた場所を発掘して、古代九州王朝の王都を発見することに
なるだろう。「日本のシュリーマン」がやがて出現するであろう。それは、時間と
金と運の問題であって、知能や論理の問題ではないのだ。

907 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/04(木) 22:15:44
>>906
ウガヤ朝のことかい?

908 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:07:34
>>903

所詮、神武東征なんて(少なくとも現在のところは)神話。

それに歴史的必然性を持った説明を求める方が無理。

結局、九州王朝説・東遷説が最期の拠り所がその神話しかないんだよなwwwwww


本来なら、てめえらがその神話が史実である事を証明する物を持ってこなきゃなら無いんだがそれも出来ず、開き直って

 「このお話が全くの作り話である事を証明してくれ。
  でなきゃ史実である事を認めろ」

と言う無茶苦茶を言ってる訳だw

まあ不眠で人間が死ねるかどうかは知らんが

死ぬまで起きていろとwwwwwwwwwwwwww



909 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:16:04
>>903

大丈〜夫だよ〜!

>しか〜し、>>869の疑問が頭に張り付いて、夜も寝られないのだ。イヤが応でも、
>九州王朝説へ、九州王朝説へと、自分を無理矢理引っぱっていくのだ、

はなっから九州王朝説を支持している人ならいざ知らず〜、
『畿内説のなかでなにか分からない点があるからという理由から〜、
九州王朝説でそれらの疑問も雲散霧消し、すっかり説明ついた気分になってしまうような〜、
物分りのいいっちゅうか〜 安っぽいけどシアワセなアタマのつくりであるならばだな〜、
心配しなくても、すぐに眠れるよ〜! 大丈夫なんだよ、心配しなくていいんだよ〜君は!

でも不思議なのは〜
畿内説で疑問が解消されなかったら〜 なんでイキナリ九州王朝説なのかな〜
畿内説で疑問が解消されないことと、九州王朝説を支持するか否かってのは〜
ぼくはゼンゼン異なる問題だと思うんだなあ〜

畿内説で疑問が解消されなかったら〜 畿内説を支持しなくなればよいだけで〜
畿内説を支持しなくなったからといって〜 九州王朝説を支持しなければいけないわけじゃないよ〜
君は、畿内説か九州王朝説かのどちらかを支持しなければ、呼吸ができないとでも思い込んでいるようだけど〜
君は学者でもなく、2chを楽しむ一介の物好きに過ぎないのだからさ〜 どっち選ばなきゃならんてことないよ〜

あとねえ、一つだけ忠告しておくとだね〜
君が疑問をかかえていて困ってるからって、だれか助けてくれるなんてことはないよ〜
このなかで畿内説を奉じている人がいるかもしれないけど〜 
君のように自分自信の主張もなく、自分ではなにも提供できないのに人に恵んでもらうことばかり考えている、
どこぞの馬の骨になにか教えても〜 何の得にもならないから〜 だれも助けてくれないよ〜 たぶん

ボクも、畿内説も九州王朝説もよくわからない古代史素人なのだけど〜 そんなことを感じたよ〜



910 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:16:27
話ブタ切りだけど、
倭の五王に関する説明は、従来の教科書説明より、
古田説のほうが、納得できます。

ところどころ、仮説で片手落ちがでてしまうのは仕方ないように
思うので、全否定では無く、信憑性のある話のすり合わせで
いいと思うのだけど、どうでしょう?(初心者マニアより)

911 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:28:00
>>906
実際はこうだったみたいよw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
>発掘当時は「トロイア戦争はホメロスの作り話」と言われ、
>トロイアの実在も疑問視されていたというのもシュリーマンの著作に見られる記述であり、
>実際には当時もトロイの遺跡発掘は行われていた。
>シュリーマンの「トロイア実在説」は、当時からして、けして荒唐無稽なものではなかった。

912 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:54:57
>>909
畿内説が根本的に誤っているのが前提で、九州王朝説が秀でているからそうなるだけでしょ。

913 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:51:31
>>903
ほ〜ら、眠くな〜るwwwwww


  /|\
 ◎ ◎ ◎

914 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:51:36
>>909畿内説で疑問が解消されなかったら〜 なんでイキナリ九州王朝説なのかな〜

(その1)
いやさ、その説明が必要とまでは、さすがの自分も思いもしなかったな〜。

日本書紀の記述は、九州で天下を統治してた勢力が、神武天皇の時、九州から
近畿大和に移ったと書いてある。ところで、九州王朝説は、九州に王朝があっ
たって説だから、こりゃどうしても、九州王朝説にならざるをえないでしょ。

そうだっ!!!! 九州に王朝があったって考えれば、日本書紀の記述が
理解できるようになる!! 近畿王朝に先行して、光り輝く九州王朝があった
からこそ(古田説によればAD700まであった)、近畿天皇家は九州からや
ってきたと書いたのだ、その勢力こそ自分のルーツだと天下の人々に向かって
言いたかったのだ。あの光り輝いていた九州王朝の本流こそ我が王朝なのだと
いうことを言いたかったのだという理解が可能になって、夜安らかに眠ること
ができるようになるのだ。

915 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:52:58
>>914続き)
(その2)
上の理解以外に、どのような理解が可能と、>>909は考えるのか? >>909
>君は学者でもなく、2chを楽しむ一介の物好きに過ぎないのだからさ〜 
>どっち選ばなきゃならんてことないよ〜
なんて言うけど、そりゃいくらなんでも、人間ってものを知らなさすぎ。
真実を愛する人間は、学者であろうがなかろうが、寝ても覚めても真実に恋い
こがれて、真実を追い求めるもの。自分がまがい物で満足する人間だからって、
他の人間もみんなそうだと考えるなんて、人生経験がなさすぎ。

真実を愛する気持ちがない人には、天皇家が自ら作った日本書紀の記述と近畿説
の矛盾なんか、全然気にならんのだろうな〜。まるで信念や宗教のようだな。

自分は、真実の話をしているのであって、信念や宗教の話をしてるわけじゃ
ないのだ。

あと一つだけ。>>909は >だれか助けてくれるなんてことはないよ〜
って言うが、それは、ダレも助けるなんてことはできない 近畿説では助ける
ことができない って言ってるように聞こえるってことを、付け加えておこう。

916 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:54:47
>>915

ほ〜ら、眠くな〜るwwwwww


  /|\
 ◎ ◎ ◎


917 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:57:48
>あの光り輝いていた九州王朝の本流こそ我が王朝なのだと

で畿内ヤマト王権はその誇るべきルーツを何故か徹底的に破壊して
九州王朝を証明する考古学的証拠が無いとwwwwwww

寝言は寝て言えwwwwwww

918 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:00:22
絹も三種の神器も鉄も青銅器も圧倒的に九州。
邪馬台国の気候は温暖。
よほど強引な解釈をしない限り、畿内は失格、
北部九州しか合格しない。

919 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:03:13
結局、九州王朝説なんて創造説みたいなもんで

創造説だと如何なる問題でも

 『それは神様がそう御造りになったからです』

でおkwwwww


そりゃノンストレスで
夜も昼もぐっすり眠れるでしょうって話でwwwwwwwwwww



920 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:17:54
白村江の敗戦後、九州王朝は派閥に分裂します。
海外を放棄し、畿内の地で列島統一を図った天武が、勝利します。
それ以外の残党は(含む後九州政権)、天武・持統によって討伐されます。

921 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:28:30
>>917 畿内ヤマト王権はその誇るべきルーツを何故か徹底的に破壊

何故かって、その理由を一々説明せにゃならんかね〜?

日本書紀は、それが作成された時点よりもおよそ1,000年も前に、神武天皇が
九州から近畿ヤマトに東侵した、それ以来ずっと近畿ヤマトで統治してきてる
って書いてる。だから、書記作成時点で、九州に紫宸殿や内裏や寺院などの建物
や史書などが残ってたら、困るでしょ。だから破壊せざるを得なかった。現に、
史書などは強制的に提出させたと、書記自らが書いている。

こりゃ、日本書紀を読んだことがある人には自明のことであって、一々説明し
なきゃわからんようなことではない。畿内説の人だって、>>917のような無謀な
主張は、普通しないよ。

ま、朝早くから起きてる>>917へのサービスで説明してあげたが、そのような説明
を受けること自体が、恥ずかしいことだと知っておくが良かろう。

922 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 06:04:27
>>917>>919は、スフィンクスの謎かけ(>>869の疑問)をとけない旅人の
言いぐさだな。答にもならないことをさも答らしく書いて、結局、スフィンクス
に谷底に突き落とされてる。つまり、謎に答えられない、近畿説は間違ってるって
ことを、自分自身で暴露しちまってる。

スフィンクスの謎かけって知ってるよね?
スフィンクスは「朝は4つ足で、昼は2つ足、夜は3つ足とは何か?」という
謎を旅人にかけ、それに答えられない旅人を谷底に突き落としていた。ある時、
賢者が、それは「人間」だと正解を言ったので(赤ん坊は4つ足、その後2つ足だが、
老人になると杖をつくので3つ足)、スフィンクスは、自ら谷底に飛び込んだという。

上の書き込みを書いた旅人は全部、谷底突き落とされ組。
誰か、自分を谷底に飛び込む気にさせてくれる旅人ならぬ近畿論者がいないかな〜。

923 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 07:18:55
>>908 「このお話(神武東侵)が全くの作り話である事を証明してくれ。
でなきゃ史実である事を認めろ」って言ってる。

ダレもそんなこと言っちゃいない。言っているのは、

  日本書紀には近畿天皇家は九州から来たって書いてあるが、
  もし近畿説が正しいってのなら、その記述はデタラメだってことになるが、
  なぜそんなデタラメを日本書記が書いたのか、

それを説明(「証明」じゃなく)してくれと言ってるのだ。

神武東侵の記述がデタラメってことを証明してくれって言っているのじゃなく、
そんなデタラメをなぜ書いたのかってことを「説明」してくれと言っているの
だ。

相手が質問してることをよく読んでから、返事を書いてくれよな。ま、こんな
理解しやすい質問を読み間違えるって人も、少ないだろうが……。

924 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/05(金) 07:41:12
紀の神武東征の記述は殆ど年月日が記述されており、しかも日まで
しっかり記述されているから、神武手前の神代の記載とは同一視
できない。年月日がキチンと書かれているということは、単なる
神代同様の神話扱いにはできない。神話だと東征をかたずけるのは、
黄金を真鍮と思って遺棄する所為の如くであり、失敗である。
黄金は真鍮とは違い、双方黄色で輝いているが、よく観察すれば
口には言い表し難い違いが分かるもので、充分観察せず真鍮だと即断
して軽視するのは失敗である。紀での言い表しにくい焦点は、年月日
が多くキチンと書かれているか否かである。そこが判別のポイント
である。さらに紀は単独的一人が過去を書いたものではなく、これの
多数の原書群からの相当量の、検査に耐えうる記述群による編纂で
あって、個人著作のようでそうではなく、原書群の多人数相当の著者
のバックがあるから、信用度は個人著作の古文献とは比較にはなら
ないもので、信用度は大きい。

925 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 09:51:16
>>914>>915

そこまでの説明が必要って、べつに俺は古代史マニアでもないしね。

九州王朝説のひとたちの言い草は、日本書紀は後世畿内王朝の
(九州王朝の証拠を消して歴史を改竄するための)創作じゃなかったっけ?
そんな、畿内の陰謀の産物たる日本書紀を援用しちゃっていいの?

まあ、仮に日本書紀を援用するにせよ、
神武の記述は、とても王朝と呼ぶに足りないんでもないんでしょう。
日本書紀が神武を記述したから、神武が実在で、かつそれが王朝だなんて、
きみは皇国史観のウヨ史観かい?

まあ、神武の記述から、神武自体が王朝支配者じゃないとしても、
九州王朝の存在が類推できるだろうし、そう説明されれば整合性がつくってことか?
それは、学問じゃなくって、君の勝手な想像ってもんだよ!

だいたい、畿内説で納得できない箇所があるならば、
畿内説を採らなければ良いわけで、そのモヤモヤ感を解消するために、
無理やりに九州説をとらなければならなないってことはないだろ?
「畿内説が納得できない箇所がある→九州説は正しい」が君の自説かい?

真実を追究するならば、現存する2勢力のどちらかに必ず加担しなければならない
なんてことは全然なく、どちらもまだ実証が不十分って認識しておいてよいじゃん
それがイヤダなんて、それこそ君の大好きな学問や真実を求める姿勢に反するぞwww
(べつに私は古代知らないので畿内説が実証不十分とか、十分とか言いたいわけじゃない)

あるいは、九州説が実証的に真実であると>>903が知っていて書いていたのであれば、
もはや何も眠れなくなる要素はないし、むしろ、迷えるスレ住人のために、
君のほうからその真実とやらを実証的に説明してくれたまえよ
人生経験豊富(笑)なんだから、われわれの迷いを解消してくれよw


926 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 09:56:31
「2つの説が現存する→この2つの説のいずれかは必ず真実である」

これが、君たちの言う、真実を求める姿勢かw ずいぶんと安いもんだなァ
ま、その安っぽさに寛容になるってことが人生経験と認識しておくことにするよw


927 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:39:10
>>925
>九州王朝説のひとたちの言い草は、日本書紀は後世畿内王朝の
>(九州王朝の証拠を消して歴史を改竄するための)創作じゃなかったっけ?

日本書紀にそういう面がある可能性は否定できないが、むしろ、九州王朝を
ルーツに持つ王朝の末裔であることを主張して、神武近畿朝廷の正当化を
行っているようにおもう。
書記の書かれた時代は九州王朝のほうが正統で近畿のほうが傍流扱い。
傍流なのか赤の他人なのかは知らないが、とにかく自分たちは九州の正統の
流れである、という主張をする必要があったということではないかな。

九州であることを主張する必要がなければ、近畿あたりの由緒のありそうな山
に降臨したとでも書いておけばいいのだ。そのほうが無理がない。

928 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 12:59:18
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

929 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 13:05:47
畿内王権が勝手に「九州王朝引継ぎ宣言」をして、
過去の九州王朝の栄光は自分のものという理屈をつけた。

一方で九州王朝の別派閥の連中を、討伐中だからこれは
殲滅の対象であって、8世紀末〜9世紀初まで、徹底的に
破壊していた。

よって、九州王朝の建物や国家記録はすべて破壊・没収された。

930 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/05(金) 14:24:42
>>929
>一方で九州王朝の別派閥の連中を、討伐中だからこれは
>殲滅の対象であって、8世紀末〜9世紀初まで、徹底的に破壊していた。

残念ながら破壊し切れなかったようだね。

肥前地域(五島列島は除く・對馬は畿内に帰順)の九州王朝の残党撲滅はできなかった。
その証拠は遣唐使の成功率が20%程度であったこと。
遣唐使の1回1船団あたりの成功率でも50%程度であった。
遣唐使は薩摩西海岸を坊津を出発し、坊津近海に帰着しなければならなかった。
遣唐使船が航路反れて肥前西海岸に流れ着くと全員虐殺で、一人も畿内に帰国出来なかった。
遣唐使船が漂着しても助けてくれたのは五島列島の島民だけ。
帰りは肥前西海岸を避けピンポイントで薩摩西海岸を目指す為、
又南寄りの航路をとらざるえない為、琉球まで船が流される始末。
遣唐使達は九州西海岸を北上する黒潮をどれほど恨んだことであろう。
シナを出発し、ただひたすらに東に向かえば、
たやすく肥前海岸か壱岐に着くものを、
ただそこに着けば全員虐殺の運命であることを、
遣唐使達は恨んだことであろう。

畿内天皇朝廷は、對馬國の金献上による畿内への帰順がよほどうれしかったに違いない。
「大宝」と建元したほどだから。




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