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田沼意次

1 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 18:03:16
どういう評価?

2 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:02:15
経済感覚があった人

3 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:28:52
政治家には才能だけじゃなくて人望も必要だと教えてくれた人。

4 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:32:02
かなり人望あったようだよ

5 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:51:02
過去スレ
http://www.23ch.info/test/read.cgi/history/1078337754/

6 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 22:29:42
田沼氏って戦国時代は何していたんだ?
下野か常陸の藤岡あたりにいたようだが。

7 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 22:32:11
上杉と武田を行ったりきたり・・・とされている

8 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 22:36:25
紀州家の鉄砲足軽

9 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 22:53:21
悪いイメージがあるのは松平定信がネガキャンしまくったせいだろうな

10 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 23:35:07
教科書にも載ってた「まいない鳥」と「マイナイ潰れ」の絵は有名だけど
中学の時から疑問に思ってたんだけど、なんで島津の丸に十字紋にカタツムリの武士がが潰されてんの?


11 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 23:37:11
>>7
詳しく!
佐野一族で田沼和泉長道がいるが、この人かな?
生没年や活動時期が完全に不明だが。

12 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 23:39:21
小室哲哉問題。 : ひろゆき@オープンSNS
http://www.asks.jp/users/hiro/51480.html (小室を告訴した佐上邦久を追求)

小室に騙された被害者「6億5千万?全然足りんわ!誠意は金で見せんかい!ムショ入りたないんやろが!」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1237006071


13 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 02:46:48
田沼意次の子孫(元当主)は横浜市民

14 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 09:51:07
>>10
あれは田沼の田だという説があるようだよ。

15 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 01:28:45
田沼に関する信頼出来る文献というのは、何があるんだ?

16 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 08:11:31
>>15
徳川実記

17 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 00:24:56
徳富蘇峰は田沼をどう評価していたの?

18 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 01:04:58
>>17
大悪人

19 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 07:31:16
田沼意次は経済活動を活発にして社会を活性化しようとした人物。
それに対して、松平定信は徳川幕府伝統の農本主義者。

日本の発展のためには田沼にあと30年は政権を担当してほしかった。
その代わり徳川幕府はもっと早く潰れてたかもしれんがな。

20 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 12:13:20
閨閥の上に賄賂閥までつくる様な政治家が進める政策じゃ、
とんでもない格差社会になったような気もする

21 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 13:01:29
蝦夷、そしてロシア

22 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 13:28:59
封建制度がそもそも格差容認の制度なんだが?

それと、田沼が賄賂まみれっちゅうのを松平定信が批判するのはおかしい。
定信自身、田沼に賄賂を贈って取り立ててもらったという事実がある。

23 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 13:58:45
たとえ政策がよくても人格で貶められて失脚というのは、古今東西どこにでも
あることだからなぁ。

24 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 17:31:42
>>22
まぁその格差は、身分制度の格差だな。
田沼の賄賂政策を推し進めたら、スタートラインが不公平な形での経済状況の格差も出来るってこと。

まぁもしかしたら、経済格差社会の成立が身分格差社会の崩壊を早めたかもしれないけどね。


25 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 17:49:49
>>24
フランス革命のようなブルジョワジーによる革命だな。

26 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:37:15
>>24
スタートラインが不公平なんぞというのは、いつの時代でも当たり前にあるこってすが?

27 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:20:52
そもそもなんで田沼は賄賂に手を染めたんだろ?
現代の政治家のボスみたいに子分に金配りでもしてたのかな

28 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:45:17
>>27
そもそも、特筆するほどの賄賂政治家だったのかが怪しいという話が。

29 :日本@名無史さん:2009/03/19(木) 01:15:27
江戸時代自体が賄賂政治の固まりみたいなものではなかったの?
これはかなり偏見が混じってるかもだが…

30 :日本@名無史さん:2009/03/19(木) 02:31:57
今もじゃん

31 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 02:45:30
賄賂がまかり通っているのは、間違いないだろうけど、度合いがなかなかわからないの今も江戸時代も変わらない。

32 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 07:30:47
いずれにしても、田沼の賄賂が巷間言われているほどのことだったかどうかは不明。

33 :日本@名無史さん:2009/03/24(火) 23:29:26
定信は賄賂を貰わなかったのかな?

34 :日本@名無史さん:2009/03/24(火) 23:38:26
>>33
貰ってたんじゃねぇの?
バレねぇように上手く立ち回っただけだと思うぞ。

封建領主なんざあ、領民から年貢を取り立てるだけで、行政サービスゼロ。
暴力団の上納金とかわりゃしねぇ。

賄賂貰うほうがまだマシ。

35 :日本@名無史さん:2009/03/24(火) 23:57:29
異常気象が恨めしいですね><

36 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 00:54:50
当時の賄賂は今でいう歳暮とかの類に感覚が近い

37 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 02:45:56
西の丸御小姓の田沼龍助殿は秀麗眉目でたいそう美男におわしたそうな

38 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 10:59:08
眉目秀麗だろ

39 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 16:30:46
田沼意次より柳沢吉保のほうが人間性でも政治家としても上だと思う。

柳沢の方が出世してるし失脚後も石高を減らしてない。

40 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 22:01:06
>>39
どんな具体的な政策があったの?

41 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 22:24:59
田沼の美男ぶりが大奥でたいそうな評判だったって本当?

42 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 22:32:38
>>39 確かに何で柳沢は大和郡山15万石プラス支藩二つのままなのに、田沼はたった一万石…
なんて不公平!

43 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 22:48:08
>>41
松平定信は大奥で不評だったらしいね。

44 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 23:36:38
>>42
柳沢のほうが無能だったからじゃねぇの?
人畜無害とみなされたから捨て置かれた。

田沼のほうは有能だったから警戒された。

45 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 00:44:48
柳沢の方が権勢の面でも上。全ての事で田沼を上回っている。

46 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 01:40:42
柳沢と田沼では時代が違うよ

47 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 07:15:51
柳沢の権勢の源は綱吉のえこひいき。
本人の政治家としての実力によるものじゃあない。
柳沢の能力といえば、綱吉に対するゴマすりだけ。
綱吉が死ねば何の力もありはしない。
唯一の頼みの綱は「跡継ぎの息子は実は綱吉の落としだねだという風聞」だけ。

柳沢には「まつりごと」に関する理念がない。
田沼の場合、産業を育成し商業を活発にし、経済発展を図ろうという理念があった。

柳沢の政治家としての実力は、田沼の足元にも及ばない。

48 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 16:31:33
数多い側近の中で群を抜いて寵愛されたのはある意味柳沢の才能であり才覚によるもの。


49 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 18:28:51
5万7千石を1万石に減らすなんざ田沼は政治家として成功したとは言えないよ。自分の家や家臣を守れない人に天下の政は任せるなんて愚かなこと。
その点柳沢の身の処し方は見事で潔い。

50 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 18:48:42
まぁ柳沢は、あれだけ権勢を誇ってたのに、
家宣&新井白石が入ってきたら、随分あっさり身を引いた感じはするよな。

家宣にすりよろうとしたという話も有るにはあるがw
まぁそれも簡単に諦めたようだし。

正直政策面に置いては田沼の足下にも及ばないと思うけど、
権力の亡者というんじゃなくて、案外合理的な政治感だけはもってたのかもね。

51 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 19:46:46
なんで柳沢が出てくんの?

52 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 19:59:09
同じような将軍のお気に入りでも
田沼の出世コースの前例となった大岡忠光の話題ならまだ分かるんだけどな


53 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 20:11:13
しかも田沼と大岡は元々西ノ丸時代から直属の上司部下の関係だしな

54 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 20:41:42
田沼が幕府の抜本的改革を志向していたのなら、簡単に権力を諦めるわけにも
いかないだろう。実際に後任の白河DQNが改革を台無しにしてるし。

55 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 21:06:08
息子は何で殺されたの?

56 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 21:51:22
佐野が山城守に斬りつけた理由は不明


57 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 22:21:43
意次を斬ればよかったのに。

58 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 22:21:52
田沼意次と聞いて思いつくのは
浅間山噴火や蝦夷地や印旛沼や最上徳内、平賀源内ですな


59 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 22:50:44
>>53 忠光系大岡家が岩槻という江戸に近い要衝を幕末まで守っていられたのはなぜ?
間部や柳沢みたいに遠方に飛ばされなかった

60 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 23:13:57
忠光の人柄。たかだか2万石だし。

61 :日本@名無史さん:2009/03/26(木) 23:17:05
田沼君は家重のことばを読解できなかったのか。

62 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 01:23:13
忠光の嫡子大岡兵庫介の家督相続に田沼は骨を折った


63 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 08:58:51
田沼氏って下野の佐野一族でしょ。

64 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 18:18:01
田沼家用人 三浦庄次



65 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 21:31:44
田沼改革は家重の政治的勘と大岡の実直さ、田沼の実行力が三本柱。
家重「タダミツ、ごにょごにょ…」
大岡「はっ。主殿頭殿、オロシアの脅威に備えるにはどのような…」
田沼「はっまずは西洋の書物を…」
てな感じで改革が進んでいった。

66 :日本@名無史さん:2009/03/27(金) 22:35:51
田沼が何故そこまで評価されるのか全く分からない。大したことしてないくせに。柳沢の方がよっぽど偉大だと思う。

67 :日本@名無史さん:2009/03/28(土) 02:30:45
>>65
家重「ただみちゅ・・・るうすけ(田沼)・・」

68 :日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:00:03
>>66
田沼のことをぜんぜん知らなければ評価のし様もなかろうて。

69 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 18:46:10
田沼は息子の意正が若年寄になっているが、白河侯はよく許したな

70 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 19:23:02
>>69
御用部屋の人事に当時の松平定信は口出しできないよ


71 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 19:28:11
田沼言次の弟が御三卿の用人や家老を勤めてる

72 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 22:53:27
弟の田沼意致だっけ?
この家は旗本として続いたの?

73 :日本@名無史さん:2009/03/30(月) 00:02:37
田沼意次の最初の奥さん(山城守の生母)って狂死してんの?

74 :日本@名無史さん:2009/03/30(月) 00:17:01
田沼の家中は家老から下士にいたるまで腰の大小はろ鞘に縁頭は銀だったそうな

75 :日本@名無史さん:2009/03/30(月) 11:35:35
>>69
意知では?

76 :日本@名無史さん:2009/04/03(金) 09:59:28
  q

77 :日本@名無史さん:2009/04/03(金) 12:47:58
意正もなっているよ。
幻十郎必殺剣にもでてきた。

78 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:41:48
重商主義

79 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:53:47
越後屋徳兵

80 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 02:04:07
居城は道の駅たぬま

81 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:13:22
そう。 >>78 が指摘してるように、田沼と定信の争いというのは、重商主義と重農主義の対立と見ることができる。

82 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:35:47
江戸幕府滅亡の原因もそれだよねえ。

83 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 19:39:16
定信は単なる保守反動にしか見えないけどなぁ

84 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 19:44:41
また田沼スレか

最近の田沼評価は、所詮史学の業績欲しさから来た異説だろ

85 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 20:05:08
>>84
'`,、'`,、('∀`) '`,、 '`,、

86 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 20:33:36
>>83
田沼は単なる悪徳賄賂政治家にしか見えないんだがなぁ

87 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 20:37:30
田沼意次が評価されたのは、他でもない、現代が新自由主義だったからだ。
それが崩壊したので、これからはまた変化していくだろう。
要は松平定信も田沼意次も、現代の人間の価値観が左右した人物像だった。
実際は、共に吉宗の路線を継承することで幕府権力を維持しようとした。

やり方は対照的だが、それは出自によるものでこの時代は仕方がない。

88 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:32:42
田沼が異能の政治家でああることは疑いの余地がない

89 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:46:48
何で、年貢は金納にできなかったの?
室町までは禄高制だったのに。

90 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 00:15:39
表示が石高なだけで実際には金納のところも多いよ

91 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 02:33:23
>>89-90
貫高制か

金納もあったし、為替もあった。
為替は鎌倉時代から日本では始まっていて、室町時代は年貢も為替払いが畿内ではあった。
NHK大河ドラマは歴史考証がドラマだという理由でいい加減だが、それでも「花の乱」で山城国の
農民が為替(割符を使う)で年貢を納めに行く描写があった。
こうなると、原本が米でも金銭でもあまり違いはない。それ自体が決済手段ではないから。

田沼評価の中で、「新御用金」を現代の税制に重ねる人がいるが類似点はあるがそれほどの意味はない。
それは経済政策についてもいえること。
明治以降の経済の仕組みは西洋の仕組みが入ってきたことによるもので田沼とは別もの。
それを「先見性」と誤解しないことが、歴史上の正しい見解だと思われ。

92 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 03:20:53
大河ドラマはすでにファンタジー

93 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 08:07:07
>>92
タイムスクープハンターが面白く視れる

94 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 11:39:08
海防、蝦夷地への夢

95 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 22:49:21
みんな後世のでっち上げだな

96 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 22:13:13
議論の意味ないしw

97 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 21:38:54
重商主義ですよね。

98 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 23:51:34
>>97
別に商業を重んじていた訳じゃないし
それに歴史用語で「重商主義」って意味は違うよ
調べてみ

99 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 14:46:20
跡かたもない相良城

100 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 21:36:07
>>98
何言ってるのか分からないんですがw

101 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 21:41:34
印旛沼について語ろう

102 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 17:25:52
>>100
分からないって知りたいのか?

103 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 00:39:20
>>98
重商主義ってヨーロッパのでしょ?
それは資本主義の経済、産業革命の工業力、そして軍事力。
それでもって世界を食い荒らすわけ。

田沼なんぞと比較にはならないね。

104 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 15:18:58
田沼意次を偲びに本郷の弓町を歩いてきたよ

105 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 18:13:00
田沼と水野と松平

106 :日本@名無史さん:2009/04/26(日) 19:01:22
みんな暇つぶし政治

107 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:35:07
馬鹿か?

108 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 12:18:33
>>107
その通りだ。詳しいな

109 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 16:29:18
意次が取り立てられた西の丸御小姓の役料ってどのくらいだったの?

110 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 17:43:44
>>108>>106へのレスw

111 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 19:26:54
レスってw

112 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 21:55:26
>>98
長崎貿易で俵物の輸出を奨励して銀を輸入したなんてのは
西洋でいうところの重商主義にあたるんじゃねーの?
田沼に(間接的にせよ)影響を与えたであろう本多利明の思想なんかもろに
重商主義だし。

ただ田沼個人が重商"主義者"といえるほどの政策理念があったかどうかは疑問。
むしろ田沼時代に「重商主義的な役人や知識人が現れ活躍するようになった」
というのが実態に近いんだろうなあ。

113 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:06:50
田沼に影響を与えた文人学者といえば
工藤平助
平賀源内
最上徳内

こんくらい?

114 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:12:03
なんでやねん

平清盛とか足利義満、織田信長とか豊臣秀吉・徳川家康は
重商主義なんか???

重商主義というのは商業の後押しとして政治が商売敵を武力で
倒したり、商圏を武力で切り開いたりするんだよ。

ある意味、近代以降の日本は敗戦までそれに近いような事を
やっていた。

上に挙げたような人物や田沼意次は商業や交易重視とは言えるが
それを「重商主義(mercantilism)」という歴史タームを当てはめる対象
ではない。

特に田沼は商業重視というより、商人重視、現金重視というだけに
過ぎないな。

商「業」を政治が軍事で後押しすることが、重商主義の条件だ。

115 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:15:41
側用人ふぜいに重商主義は不可

116 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:55:02
>>116
俺が昔ならった世界史だと重商主義って
ア「金銀の保有量が一国の富である=重金主義」
イ「金銀集積のために貿易収支の黒字を政策目標として重視する」
ウ「アイのために輸出産業や海運業を保護する=コルベール主義」
てなものだと聞いたぞ。

田沼(時代の幕府)は、アイウをほぼやっているだろう。


117 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 23:09:49
どうでもいいが、自分の世界だけで何やってんだ?

118 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 00:07:10
自信がないみたいだから許してやれよw

119 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 00:37:45
>>115
田沼は加判の列ですが?

120 :日本@名無史さん:2009/05/02(土) 15:58:30
田沼意次は正式に老中に就任してるの?

121 :日本@名無史さん:2009/05/03(日) 21:36:05
老中格止まりです。
奥の役人は表の役職には正式に就くことはできない。

122 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 01:06:46
>>119
だから「並ぶ」のが精一杯
みなをひっくり返して重商主義なんか出来なかってこった。
あくまで裏であきんどと癒着していただけだろ

123 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 09:00:21
> あくまで裏であきんどと癒着していただけだろ

・・・・

124 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 13:35:24
余りにも的を射たレスにぐうの音も出ないようだなw

125 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 11:36:24
'`,、'`,、('∀`) '`,、 '`,、

126 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 11:56:26
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw

127 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 19:32:27
徳川実記だと田沼は老中になってないか?

128 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 06:03:05
その幼名のとおり龍が天に昇るかの如き稀有の出世を果たした田沼だが、
しかし天変地異の前になす術もなく、殿中での刃傷によるわが子の死と続き、
やがて空位のはずの将軍の台慮による上意で城地あ召し上げられ相良城は破却
田沼意次が田安屋敷で生まれたのも何かの因果か


129 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 22:54:52
第6章 田沼意次の財政改革

 蝦夷地をロシアの南下から守るには、このように消極的な松前藩に委ねておいてはだめな
ことは明らかです。しかし、蝦夷地を直轄化し、幕府の手により防衛するためには膨大な
費用がかかります。そこで、意次は、蝦夷地内部に116万6400万町歩の開発計画を立て、
実行に移そうとしました。農耕者としては、まずアイヌ人に農機具や種子を与え、作り方を
与えることで確保します。しかし、それだけでは不足するので、非人、すなわち被差別部落の
人々をこの地に送り込んで、農耕民として救済する、という方策です。
 蝦夷地の防衛と、農耕地化、そしてアイヌや非人という被差別者の救済という、一石三鳥の
この計画は、江戸期のプランとしては、実にすばらしいものと思います。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/rekisi/06edo.htm
随 筆 の ファイルボックス
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/zuihitu.htm

田沼プランが実現していたら、明治以前に同和問題は消滅していただろう。

130 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 02:40:39
>>129
歴史を知らない本物のバカだねw


131 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 13:00:17
田沼の肖像画を見るとかなりシャープな顔立ちだがあれが美男子なのか?

132 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:17:57
美男におわします!!

133 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:25:20
つまり、衆道で成り上がったんだな

134 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:29:33
>>133
それは無い
彼が仕えた公方さまにその気が無い

135 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:36:41
大奥では一度は田沼龍助殿のお顔が見たいと大人気だったそうな

136 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 11:24:30
>非人、すなわち被差別部落の 人々をこの地に送り込んで、農耕民として救済する

なんか矛盾しているな。
非人=被差別の主張だが、救済しないから被差別だろ。

おれは非人≠被差別だとおもうけどな
いわゆる非人の起源そのものが、
浅間山の大噴火〜天明の飢饉などの
現在進行形で膨張しつつあった挑散農民ってことだろ。

だから為政者として救済しなけりゃならないんだ。
救済に失敗して寺門別帳からはずれた流民の身分が、
非人となり、長期化して、被差別を受ける身となったと思うんだ

137 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 07:20:37
>>136
捏造もいいところ
穢多・非人の起源は皮革業者だ
遡れば縄文・弥生人の対立の頃

経済的に落ちぶれただけで非人にはならない。

138 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 10:54:00
>穢多・非人の起源は皮革業者だ
>遡れば縄文・弥生人の対立の頃


いや、SFだか伝奇小説の話をされてもね

139 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 11:01:22
関西以西のはわかりやすいが
確かに江戸近郊の被差別部落はいつのまにか出現してた
という感じで起源がよーわからん
ただ幕府開闢から皮革業者がそれに指定されたとは聞いたこともない

140 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 02:11:15
加賀の国には非人一人もなし。非人出れば小屋を立て、入れおきて草履を作らせ、縄をなわせ、種々の業を申し付く。
加賀守これを養う役人を付け居きて、その縄・草履等をうらせて、また本の如く店を持たする事也と、
加賀国より逐電して来り、上総に住み居るものの語りしを聞きて、誠に仁政なるかなと存じたる也。
今は如何なるらん。

141 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 16:10:22
逐電って、何か格好いいな。

142 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 19:06:06
>>140は荻生の政談よね

143 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 06:59:56
>>138
自分の知らないことはSFだか伝奇小説にしてしまうみたいだな。
そんな狭い人間じゃ、成長できないぞ

144 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 07:02:38
>>141
実態は厳しいもんだがなw
カッコいいと思うのなら、「バックレた」という表現の代わりに使って
流行らせてみたらどうだろう。

145 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 20:06:05
政治家としては田沼意次より柳沢吉保の方が偉大。

146 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 21:03:04
たぶん>>143はなんにも知らない中学生

147 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 20:07:22
柳沢吉保と比べることがナンセンス。

148 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 21:31:09
出世の度合いは柳沢の方が上。

149 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 18:21:56
江戸市中に在居した部落民は鎧兜の革部分の製作者として上方より呼び寄せた者達。明治維新後は陸軍の御用達として軍靴、帯革、背嚢等を納めていた。

150 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 19:11:03
>>149
明治以降は、失業した士族が皮革業に進出したんじゃないの?


「解放令」の「身分職業共平民同様」は、士族らの皮革業進出を招来し、部落の皮革産業を
危機に陥らせた。その典型が、弾直樹の皮革会社倒産である。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-60.htm

1871   佐倉藩主・堀田正倫、「佐倉相済社」を設け、士族の授産に靴製造技術を指導
http://www9.ocn.ne.jp/~touei/rekisi.html

士族の出身であった初代大塚岩次郎が、「日本人に合う靴を」という意志の下「大塚商店」を
開いた明治5年という時代は、果たしてどのような時代であったのか。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/otsuka/other/history.htm

151 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 07:37:29
>>27
当時、高官に賄賂を送って役職をもらうのは慣例化していた。田沼は側用人上がりであるために
断ろうにも断れなかった。お中元お歳暮。元を正せばみな賄賂

152 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 14:58:01
日光代参を勤めたからね

153 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:39:50
江戸幕府で賄賂に全く手を染めなかった人っているんだろうか?

154 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:41:19
賄賂は否定材料としては不十分と言うことだよな。

155 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:58:22
松本秀持とか人材登用のあり方に問題があったんでは?

156 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:30:32
田沼と定信はどっちが有能なの?

157 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 18:03:04
18世紀末の、商品流通、貨幣経済が定着している信用社会で、
旗本の借金を帳消しする命令を出す時点で、
定信の政策判断能力の低さが窺い知れる
・・・と個人的には思う。

大規模な債権帳消しなんてしたら経済界が大混乱するのは目に見えてるのに。
鎌倉幕府の徳政令の時代とは違うんだからさ。



158 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:06:36
平成の時代でも金融機関を救うために
債務減債(徳政令)出してんだろ?
おかげで金融危機は乗り切った。

規模からすればさらに大規模だ。
時代錯誤しているのは誰なんだ?

159 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:07:07
定信は「昔の古きよき時代」に戻そうとした人物。
田沼は経済発展を目指した人物。

それぞれ長所短所はある。

が、あえて言えば、当時の日本がおかれていた状況に合っていたのは田沼の方と俺は思う。

160 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:31:25
>>158
よく分からんけど、
現代の金融機関への税金投入と、
旗本の抱える借金の棒引きを意図した棄捐令と比べるのってちょっと違和感を感じる。


161 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 21:10:13
経済の主導権が既に完全に町人側にあることを認識した上で経済政策を遂行したのが田沼。
その主導権を武家に取り戻そうと無謀にも戦いを挑んで、惨めに敗北・失脚したのが定信。

時期が悪かったと言えばそれまでだけど、定信がお手本にした吉宗ならば、
もっと現実に即したやり方を取れたんじゃないか、なんて妄想する。

162 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:05:53
>>158
>>160
昨今の民間への公的資金の導入と、定信の発した棄捐令は話が随分違うと思われる。

だって旗本と言う公的身分の集団が、民間の札差から借りた金をチャラにしちゃうと言うのは、
大げさにこじつけて言っちゃえば、国が国債の無効化を突然宣言しちゃうようなものなんじゃないのw

163 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:47:09
スレ違いだが、公的資金の注入って、チャラじゃないんじゃないっけ?

164 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:54:50
>>163
全額チャラではない。
しかし、減債には間違いない。
BTMUみたいに意地で返したところもあることはある。

田沼は新自由主義の流れの現代の中で評価されたのだろう。
最近の史学は、かつてほどの田沼悪徳政治家像を修正したのはいいが、ちょっと調子に乗り杉。
最近の劇画や時代劇が顕著なので、乗り杉なのは実は世間なのかもしれないが、殊更に大きな評価になるような政治家ではないだろうな。

165 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:29:17
定信で思い浮かべるイメージは、

豊作で米価が下がったのに、他の物価が下がらなかったせいで、
俸給の米を金に替えて生活資金にしていた旗本が苦しくなったのを救済しようと、
経済の法則を頭から無視するかの様に、
強権的に全体的な物価を下げようとするような政策の実行者。

困った蕎麦屋が、二八そばを(名目上だけ)二七そばとお品書きを書き換えたなんて笑い話も有名だけど、
流通経済が確立しはじめた社会において、そんな身内だけを救う為のだけの無茶な市場介入なんて無理が出るに決まってるのにね。
無理だと言うことを結局理解できないまま失脚したのが定信。


......まぁとは言え、比較的経済の仕組みを理解して居たかも知れない田沼だって、結果的には失敗&失脚したんだけどな^^;


166 :日本@名無史さん:2009/06/10(水) 18:20:38
田沼は政策が失敗したから失脚したわけじゃないぞ。

167 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 18:35:45
賤民に北海道を開拓させようとした人w

168 :日本@名無史さん:2009/06/14(日) 20:06:23
妙に差別意識が強い奴がいるなあ。
日本人とは思えない。

169 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 00:37:09
それも差別意識じゃね?

170 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 13:33:08
>>168
自己紹介か?w

171 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 18:17:26
アイヌと和人の関係というのも色々あったからなあ。

172 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 20:11:40
なんだか田沼にあまり関係なく差別の話に持っていきたがってるバカがいるな
最近こういった現象をよく目にするんだがイイカゲンニシテホシイね

173 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 20:23:30
小汚い巣に帰れって感じだなw

174 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 21:21:37
巣ってここ?
ttp://c.2ch.net/test/-/rights/1219494867/i

175 :日本@名無史さん:2009/06/15(月) 23:08:35
>>172
田沼が弾左衛門に打診したのは確かだな。
誰も差別の話はしていないし、何かやましいことでもあるのか?偽善者w

176 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 00:57:31
まぁまぁ
現実世界でストレス抱えてこういうとこで人をおちょくってる可哀相な人
なんだから生温かい目で見守ってあげましょう

177 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 01:06:14
>>175
田沼が打診?
いつ?

178 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 14:45:49
田沼意次の幕政改革

 新田開発のために十万人の労働力が必要と見込まれアイヌ人に農耕を教えるだけでなく
本土からの入植を検討していた。関東などを支配する非人頭・弾左衛門は全国の非人への
支配を許可してくれれば全国の二十三万の非人の中から七万人を入植させ、費用を負担すると
願い出ている。同時に入植して百姓になるのだから彼らの身分解放を求めている。勘定奉行の
松本は彼らの申し出を認めたが身分解放は町奉行の管轄のため協議する予定だったが
その前に田沼が失脚し計画が中止になったため真相はわからない。

 入植者十万人のうち七万人が確保できる見込みがあり、幕府の計画では詳細な調査を行い
八年から九年後に入植し十年以内に開拓は成功すると見込んでいた。中止は非常に残念である。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/kaikaku.htm

179 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 14:59:37
田沼意次について語るスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1078337754/
http://www.23ch.info/test/read.cgi/history/1078337754/

180 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 19:57:42
田沼専左衛門意行と意次親子の屋敷があった旧本郷弓町界隈に行ってきたよ
整然としたところが武家地っぽいかなという程度でなにも残ってなかった
ところで重症を負いながら追われて田沼屋敷に開門を求めた駆け込み者の浪人に門を開け庭先を貸して腹を切らせてその遺児が三浦庄司になったって本当の話ですか?

181 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:22:49
>>168
過剰反応には笑うなw
もしかして被差別の方?w

182 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:51:06
田沼が差別で問題になった事ってあるのかねえ。
定信とかはどうなのかな?
何が問題なのかもう少し整理してほしいな。

183 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:51:39
>>181
何が楽しいの?

184 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 21:55:59
>>183
ご本人ですかw
また反応しているしw

185 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:23:39
いや正直分からないんだが、何で田沼で被差別部落が問題になるの?
そういう議論が何故起こるのか説明してほしいのだが。
どういう根拠なの?

186 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:28:16

http://same.ula.cc/test/r.so/academy6.2ch.net/history/1228167383/l10?guid=ON

187 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:20:13
>>185
誰も被差別部落なんか問題にしていないが?
田沼が北海道に穢多非人を移住させようとした話だよw
被差別部落なんか関係ないしw

188 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:23:21
何か過剰反応しているのがいるが
やはり被差別の方?w

189 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:25:59
167: 2009/06/14 18:35:45
賤民に北海道を開拓させようとした人w


何故、被差別部落問題になるのか理解できないw

190 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:26:20
縄文人なんだから蝦夷地に行け
でおk?

191 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 23:34:09
当時の穢多の人々の集落を被差別部落なんて誰も呼ばないしw

192 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 20:28:14
平賀はわからないが最上徳内や工藤平助は田沼に大恩がある


193 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 22:53:13
蝦夷地開発はあれだったねえ。

194 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 23:54:03
るうすけ!るうすけ!

195 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 00:31:35
るうすけにござりまする

196 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 23:40:24
松平定信が将軍になっていたら?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201691562/

197 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 19:25:22
週刊ポスト連載の井沢元彦「逆説の日本史」で、最近、ちょうど蝦夷地の話をしている。
田沼の蝦夷地開発構想が松平定信に潰された話もこの前書いていた。

198 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:47:17
田沼意次は、勘定奉行松本秀持に対して、蝦夷地のことはどんな些細な事でも噂話でもいいので
報告して欲しいといっていた。すると、蝦夷地には鉱物資源が豊富である事、松前藩がアイヌの人々を相手に交易で
多額の儲けを出していたことなどを聞きつけてきた。
さっそく調査団として勘定所の中堅官吏・支配勘定らを派遣して調べたところ、
蝦夷地に鉱山があるというのは真実ではなかったことが判明したが、土地を
調べると、寒冷地ではあるが農作を行う事も不可能ではない事を知った。
松本の調査だと開発が進めば約500万石に相当すると。そこで、内地の人々を移住させて
耕作させれば失業や飢饉の対策にもなるし、住民が多数いればロシアも無造作に
南下政策を取る事はできないから一石二鳥だろうと。

田沼意次がもう少し政権に座にいてくれればねえ。

松平定信の政策だと、蝦夷地を今までどおり荒野のままにしておけば、ロシアも
魅力に感じないだろうから南下政策は取らないだろうという子どもじみた考えによっている。
ロシアの南下政策は氷凍港ではない港を欲しがって行われていたわけだから、
たとえ蝦夷地が荒野のままでも、ロシアにとっては十分沃野に見えたという前提が
まるで欠落している。

199 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:58:37
最上徳内は私的に田沼屋敷に出入りを許されていた

200 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 21:17:46
>>180
田沼意行って、幕府では何役だったの?

201 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 23:14:11
小納戸頭取

202 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 11:56:02
田沼政権時や江戸後半 についてよく「幕藩体制の矛盾」
とか書かれているのを見るのですが
これは具体的には何と何の矛盾なのでしょうか。、、?
またその矛盾の諸原因はなんなのでしょうか?



203 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 00:35:11
@米を大量生産すればするほど価額が下がり、却って武家や農民の生活を苦しめる
ことになったということ
原因としては、貨幣経済が発展しているのに、原初的な自給自足社会モデルを適用させんとした
ことである。もっとも、室町時代にも貫高制など、米じゃなく金で支給する時代だったのに
なんで米になったのかはよくわからぬ。
いずれにせよ田沼は、郡上侯金森氏除封一件で幕府から年貢増徴派が一掃されたのを契機に
金がモノを言う時代に果敢に挑戦せんとしたのであろう。

A将軍家は俗に八百万石といわれる天領の収穫のみで、日本国全体の統治を行わざるをえないということ
この原因だが、開幕当初はゴールドラッシュなうえ、諸大名から徴税するという統制を敷かなかった。
金が余りすぎて必要ないと思ったか、あるいは諸大名を刺激したくないと思ったか。
多分両方だろう。結果として幕府は天領の収穫のみで全国的な執政を行わざるを
得なくなった。いわゆる、行政上の過剰サービスを行う破目になったのである。
田沼の出した、新御用金令はこの矛盾を解決せんとしたものである。
しかしこの法度は、江戸在府の伊達重村や浅野重晟らが反対の声を出して騒ぎ出し、
そのうえ大洪水が起こったせいで、休止に追い込まれたのである。




--------------------------------------------




204 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:30:07


205 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 02:50:11
とくがわくんちは三河の田舎者なので、
米でしかモノが考えられなかったんだよ。
いやマジで。
幕府政治システムも、農村共同体システムの延長でかないし。

206 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 23:46:49
あほ。
石高制への移行は明銭が毛嫌いされるようになったからだよ

207 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 23:48:57
あとな、矛盾っつーのはシステム的な問題点のことを指すんだよ。
資本主義の矛盾とか言うだろ。
それと同じだよ

208 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 20:19:23
田沼意次は老中を免職されたが、新将軍家斉への年賀の挨拶は、老中たちの末席で行っている。
田沼ら雁間の大名は毎日登城する。よって意次への差控を水野忠友が解除した段階で、老中に再任されるのは時間の問題であった。


209 :日本@名無史さん:2010/03/07(日) 02:11:24


210 :日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:01:54
   

211 :日本@名無史さん:2010/04/19(月) 13:56:50
普通に優秀でしょ

212 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:40:06
田沼さんの経済政策は今は評価されているが当時としては新しすぎて受け入れられなかったのかな
参考文献読んでみて勉強してみるかな

213 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:35:14
今の日本に田沼意次がいればどんなに素晴らしいことか。

214 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:11:11
田沼龍介

215 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 14:09:17
「御不興を被ること、身に覚えなし」を読みました

216 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 21:14:25

息子の山城守の墓碑銘が読みたいのですが
掲載されている書名か、手がかりがありましたら
御教示ください。よろしくお願いします


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