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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!32

1 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 00:05:26
新スレ立ちました。
どうぞ。

2 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/07(火) 00:20:20
>>1


自スレが立つまで居させてね

3 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 01:26:10
>>950 横ですが、
>>倭人伝には、3人だけとは一言も書いていない。王がいると明記していない国について
>>も、だからといって王がいないとみなすのは誤り。
>その通り、上記は正しい。
>しかし、魏志では、即ち魏の視点では、倭地での王と認める人物は3人だけ。
>魏が公認している王は3人である。他に王がいても彼等は魏非公認の王である。

王⇒官へ変貌したという事実を無視するんでしょうか?


>>『世有王 皆統屬女王國』は伊都国だけに関する話ではない。対馬国から伊都国までに
>>共通する事項である。すなわち、4か国には世襲の王がいる、4か国はいずれも女王国
>>に従属している、という意味。
>上記の解釈は文の区切りを間違えていることから来ている。

珍しい読み方ですね。
現実の日本史と照らし合わせると、そのようなことをなんというんです?

>倭人伝の「官曰」の「官」とは「官職名」であるから、任命者が誰であるかは判らない。

常識で考えたら任命者は誰になるんです?

>官職名が国によって同じであったり異なっていたりしているので、
>官職名は各々の国が独自に決めたものと思われる。

たとえば、会社の役職なんかは誰が決めるんです?
創造するのはかってですが、現実と照らし合わせて考えたほうがいいと思います。

4 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 01:40:50
>卑弥弓呼

これが難しい

卑弥呼との関係を考えるとどうなる?

5 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 01:51:01
河童虫はよっぽど悔しいみたいだねww

6 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 01:55:56
>>960 doontakuka
>『使人自稱大夫』
>『倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人』
>と、大夫が居るし、
>『蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕。』ともある。
>ならば帝を名乗る国があるかも。
>『自謂太伯之後』
>なら、王だけではなく公を名乗った国もあったかもね。
>王だけが国の頭ではないでしょう。
>王を名乗るのは倭系では?

大夫が二人いるんですがなぜか分かりますか?
国王=大夫と考えたらいけませぬ
国王 とは女王卑弥呼であって 王は一人も二人もいない。

7 :前スレの950:2009/07/07(火) 02:11:17
>>3
>王⇒官へ変貌したという事実を無視するんでしょうか?
王を官の呼称にした時点で、魏の公式見解は王≠官としている。

>珍しい読み方ですね。
伊都國に関する記述の中で、突然に『世有王 皆統屬女王國』を挿入句とするのは変ですよ。
『世有王 皆統屬女王國』も一連の伊都國記述の一部とするほうが普通だと思いますよ。

>たとえば、会社の役職なんかは誰が決めるんです?
独立した私企業では、普通はその会社自身で役職と役職名を決めます。

8 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 07:03:24
前スレの946で以下のように指摘した。

倭人伝には、3人だけとは一言も書いていない。王がいると明記していない国について
も、だからといって王がいないとみなすのは誤り。

『世有王 皆統屬女王國』は伊都国だけに関する話ではない。対馬国から伊都国までに
共通する事項である。すなわち、4か国には世襲の王がいる、4か国はいずれも女王国
に従属している、という意味。

多くの国に官が明記されているが、官とは何か? 王から任命された役人のことである。
王がいなければ、官はありえない。もし、官がすべて女王から任命されているのならば、
それは女王国の一部になるわけで、女王国と別の国になることはない。官=王であろう
などと言う学者もいないではないが、それは官の意味を全く理解しない妄言。

>>3 >>7
>王⇒官へ変貌したという事実を無視するんでしょうか?
そんな事実ないだろ。

>珍しい読み方ですね。
どの読み方をさしているのか分からん。

>伊都國に関する記述の中で、突然に『世有王 皆統屬女王國』を挿入句とするのは変ですよ。
伊都国に関する記述という理解自体が誤り。4か国に関する記述だよ。


>会社の役職なんかは誰が決めるんです?
社長に決まっている。





9 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 08:01:22
>>8

貴方は、先ず、漢文の世界で「国」とか、「王」とかが、どういう意味で使われているか勉強したまえ。

でないと、何時までたっても話が噛み合わないままだよ。

10 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 08:16:32
>>9
はっはっは、現実だとか変貌だとか言って、本来の意味を無視しようとするから噛み合わないんだよ。

11 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 08:27:01
末盧国は四千戸だが、官が一人もいないんだね。
女王国の衛星国なんて、末盧国より小規模でしょ? 王なんていないでしょうよ。

12 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 09:02:43
王は他の王の部下になった時から王ではなくなる。
末盧国が女王国の配下なら王はいない。

13 :前スレの950:2009/07/07(火) 11:16:10
>>8
>王がいると明記していない国について
>も、だからといって王がいないとみなすのは誤り。
魏の視点から「王」とみなせる人物は、
伊都國・邪馬壹國・狗奴國の3ヶ国以外ににはいなかった。
だから3人以外は書かれていないのだ。

>『世有王 皆統屬女王國』は伊都国だけに関する話ではない。対馬国から伊都国までに共通する事項である。
とすれば、『郡使往來常所駐』も対馬国から伊都国までに共通する事項となりますね。
『郡使往來常所駐』の場所は4ヶ国にあることになりますよ。
あなたの思考は錯乱していますよ。

>官とは何か? 王から任命された役人のことである。
それにしては、官の役職名称がバラバラなのは変ですね。
精々各国独自に決めた官名を王が追認した程度のものでしょうね。
官は各国の首長が独自に決めた役職名だと思います。
だから各国の官(首長)を監視監督をする為に一大率を派遣しなければならなかった。

14 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/07(火) 11:28:20
官は五人囃子を監視する。そして随時女王に報告。

15 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 11:35:45
>>13
>伊都國・邪馬壹國・狗奴國の3ヶ国以外ににはいなかった。
>だから3人以外は書かれていないのだ。
かってに決めつけるな。王がいなければ国とは言わないんだよ。

>『郡使往來常所駐』の場所は4ヶ国にあることになりますよ。
「駐」は駒をとどめる、つまり宿泊するという意味だ。4カ国すべてが宿泊する
所。当然だろ。それとも、対馬国や一支国には宿泊すらしないで先を急いだとでも?

>官の役職名称がバラバラなのは変ですね。
官を任命するのは、女王ではなく各国の王だよ。だから、官名も各国が独自に決めているんだ。
バラバラになるのは当然だろ。





16 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/07(火) 11:56:41
「国」は
社会情勢の変化によって誕生した文字
だから現在の「国」のイメージにて國を語ってはいけない。
國は国では言い表せない様々の事柄が絡み合い
国は、絡み合ったものをシンプルにした形。

だから國の中に王に該当するような存在が居たと一概には解せない。

17 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 12:17:05
>>12
そんなことはないよ。
弱い国が、強い国に臣従する、つまり属国になるということはある。
それで王がいなくなるわけじゃない。

18 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/07(火) 12:24:42
國=王の存在
ならば、韓伝弁辰条にこんな記述は必要ない


「十二國亦有王」

19 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 12:51:28
「卑弥呼」や「邪馬台国」の発音を現代の日本語音での推測でなく、当時の中国語の発音と
古代の日本語の発音とを勘案して比較した研究などはありますか?

20 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 13:04:47
>>1
乙、
だけどドツボ(=改め=神奈川県民)が・・・・・

21 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 13:21:30
>>17
>それで王がいなくなるわけじゃない。

王であった人物は残るであろうが、
王が王の家臣になったら最早、王とは呼べない。
但し、皇帝の家臣なら王でいい。
倭の女王、卑弥呼は魏の皇帝の家臣。
女王の家臣は王ではない。








22 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 13:38:32
>>4
   卑弥弓呼に関して俺流考察を一つw

倭人伝は女王卑弥呼と邪馬壹國までの行程情報報告である。
その伝に女王國と対立する国王の名を書き残す訳にはいかない。

卑弥弓呼とは狗奴国王の名ではなく、単に卑弥呼に弓を弾いた男という意味。
但し卑弥呼と言う文字の中間に 「弓」 を入れていることから倭国大乱当時からの仲間割れ。
卑弥呼が天照大御神なら、卑弥弓呼は月夜見尊で国は伊勢と濃尾平野及び琵琶湖東岸前方後方墳地域。

  津島神社  月夜見宮  でググって見て下さい。

23 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 13:57:30
>>21
それは、制度が整備された漢代以降の中原での話。

24 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 14:09:15
>>23
秦の始皇帝からです。
漢籍では皇帝、王、公ですね。
魏書でもこの順は変わらない。
王の下の王は解釈の誤り。

25 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 14:39:26
>>24
秦は郡県制だから、王は居ないです。

>漢籍では皇帝、王、公ですね。

ちなみに、具体的に何を指して公を皇帝、王と並べているのですか。

26 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 15:09:53
>>21
卑弥呼は魏に朝貢したからといって、その家臣になったわけではない。
倭国は魏の一部ではない。別の国なんだよ。
倭国における女王国とその他の国々も同じような関係だ。女王国以北の国々はそれぞれ
独立国でありながら、女王国に従属する。各国は独立国だから当然王はいる。
17氏の言うとおりだよ。

27 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 15:17:52
>>18
前後もよく読もうね。

28 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 15:20:57
>>24
儒教的身分秩序を念頭に置いてるみたいだけど、
そんなもの、当時の倭にあるとは思えない。
皇帝も王も外国語でしょう。
世有王と書いてはいても、伊都国の人々が自分たちの首長を「王」と呼んでいたとは限らない。
卑弥呼も親魏倭王の称号を貰ったから、対中国では王だけど、
国内で王と呼ばれていたわけではないだろう。
それこそ卑弥呼は、日巫女とか、姫皇子、日御子とか、いろいろ説があるんだから。
だから、王の下に王があるのはおかしいというのは、あたらない。

29 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/07(火) 15:28:52
>>27
感想文読んでも意味ないし、それに
話しに加わる気もない。

単なる独り言コメントだから気にしないで続けてくれ
独り言だから誰にもレス付けてないだろう。

30 :doontakuka:2009/07/07(火) 15:32:05
>>26
卑弥呼は魏に朝貢したからといって、その家臣になったわけではない。

而公孫淵仍父祖三世有遼東 天子爲其絶域 委以海外之事 遂隔斷東夷 不得通於諸夏
 景初中 大興師旅 誅淵 又潛軍浮海 收樂浪 帶方之郡 而後海表謐然 東夷屈服
とある。

今以難升米為率善中郎將牛利為率善校尉假銀印綬引見勞賜遣還
や、
倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人・・・掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬

受けた官位は只のアクセサリーか?


31 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/07(火) 15:53:18
>>30
官位を受ければ
どんな形でも下臣だよ

死ねと言われれば死ななければならないし、
殺せと言われれば、国本の王でも殺す。

32 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 15:58:00
倭人伝に、王の名前まで書かれているのは、狗奴国だけかな。
卑弥呼の場合は、倭王であって、邪馬台国王ではないから微妙なところ。
邪馬台国にいたとは書かれているが。

これは、徳川将軍を日本の王とは呼んでも、江戸の王とは言わないことと
共通するのかもしれない。

他に王がいると書かれているのは、伊都国だけということになる。
しかし、国には王がいるのが当たり前であって、王がいなくなるということは
他の国に統合されると考えるのが普通。

だから、王がいるとは書かれていなくても、王はいたのだろう。
書かれていないからいないということは、倭人伝には30カ国しか書かれて
いないから他に国はなかったというようなものだと思う。

33 :doontakuka:2009/07/07(火) 16:04:09
『掖邪狗等』はただ一人の名である。
オーストラリアの狗(Anubis)は、右手に十字架(Ankh)を持っているが、
http://www.crystalinks.com/egyptaustralia.html
エジプトの狗(Anubis)は、左手に十字架(Ankh)を持っている。
http://www.crystalinks.com/ankh.html

狗等とは、オーストラリアの狗(Anubis)とエジプトの狗(Anubis)の混血を意味する。
だから、頭に『掖邪』と置いてある。
『掖 音はye 』はオーストラリアの狗(Anubis)『邪は耶で音は ye』のエジプトの狗(Anubis)である。

伊聲耆は東夷で垂任、垂任は后は日葉酢媛命、日葉酢媛命が『耶 ye』なので、その子景行が掖邪狗等であろう。

耆は60歳以上の人に対する尊敬語。


34 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 16:18:43
>>30
これでも読んで勉強しろ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B

35 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 16:33:34
いまどきウィキで勉強しろとは

36 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 16:37:12
本を読めって言ったって読むわけないだろ。

37 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 17:03:36
>>32
家康は言わないだけで、江戸の王だよ
卑弥呼も邪馬台国を女王の都だとちゃんと書いてある

38 :doontakuka:2009/07/07(火) 17:06:17
>>26
倭国は魏の一部ではない。別の国なんだよ。

質問
魏の時間軸で倭国と呼ばれた国が存在していたのですか?

貴方が言う倭国とは邪馬壹【臺】國のオリジナル的な命名ですか?
倭國王帥升の倭國が邪馬壹【臺】國とも思えないし。
亦、
卑彌呼も親魏倭王卑彌呼で倭王ではあるが倭國王とは記述されていない。

ウィキには何と書かれていますか?  ^^;


39 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/07(火) 17:56:44
倭女王の大夫、難升米為率善中郎將、難升(斗)米=ナトベ=難(奴)戸畔
倭王の大夫、伊聲耆掖邪狗率善中郎將、伊勢のベテラン磐鹿=磐鹿六雁 この時30余才

1国に二人の大将では、おかしい
倭女王国と倭王国は、別物。
なお垂仁はイクメ=伊支馬 です。


40 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 18:12:31
邪馬台国 国王 伊支馬誕生

彼はいかにして邪馬台国の国王となったのか?

41 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/07(火) 18:13:25
知らない人も居るみたいなので、解る範囲で全員の名前を書きましょう。

倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下
都市牛利=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王←タリヒコ =景行
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
狗奴國=狗古智卑狗?
イヨ=五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向
ついでに書紀より
倭女王卑弥呼=巾3尺の石
男王=筑紫の大木
官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、
彌馬升=タタネコ ヤマシロ
 ホ37048 ミワのタタネコ ヤマシロが 
彌馬獲支?


42 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 18:24:59
>>38
某國の王を某王と表記するのは普通のことだ思うよ。
漢書だけど、呉王とか楚王と表記するけど、呉国、楚国が無いわけじゃない。

43 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 19:50:51
一生わからない問題を延々議論するだけ時間の無駄

44 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 20:08:09
對馬國 卑狗 卑奴母離
一大國 卑狗 卑奴母離
末盧國
伊都國 爾支 泄謨觚 柄渠觚
奴國 ?馬觚 卑奴母離
不彌國 多模 卑奴母離
投馬國 彌彌 彌彌那利
邪馬壹國 伊支馬 彌馬升 彌馬獲支 奴佳?
狗奴國 狗古智卑狗

       伊支馬は「伊」都國と一「大」國と對「馬」國を管轄する官
       彌馬升は不「彌」國と投「馬」國を管轄する官
       奴佳?は「奴」國を管轄する官  であってる?

45 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 21:31:07
>>44

>伊支馬は「伊」都國と一「大」國と對「馬」國を管轄する官
>       彌馬升は不「彌」國と投「馬」國を管轄する官
>       奴佳?は「奴」國を管轄する官  であってる?


ものしりだねw

46 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/07(火) 22:06:37
>>41
伊支馬≠垂仁  他

曲学の徒氏掲示板

No.9295
>天皇の無い時代に天皇の名を持って来てどうする?
         ↓
 垂仁天皇の無い時代に垂仁天皇の名を持って来てどうする?
 景行天皇の無い時代に景行天皇の名を持って来てどうするんだよ?

47 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 22:09:53
>>38
正始元年の項に、「倭国に詣り、倭王に拝仮し」とありますね。
倭国の王が倭王、問題はないと思いますが。
倭国とは、女王国とそれに従う国々の連合体です。狗奴国は入りません。
狗奴国があるのに、卑弥呼は何で倭王に叙せられたのでしょうね。わかりますか?

48 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 22:23:59
>>46

曲学の徒氏 掲示板 のどこ?

http://www.progoo.com/rental/tree_bbs/bbs.php?pid=21922&mode=topic&page=1


49 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/07(火) 22:34:19
>       彌馬升は不「彌」國と投「馬」國を管轄する官
「升」が抜けている 「しょう」もない説。
>       奴佳?は「奴」國を管轄する官  であってる?
手の字を入れて 「かって」な思考。


50 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 22:56:10
しかし、本当に魏が援軍送ってたらいまの日本どうなってたんだろ?

バカ女の元祖、卑弥呼

51 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/07(火) 23:08:31
>>843 唐松山さん
>ニギハヤヒは、九州で死んでいます。

それは初聞きです〜どこからの情報でしょうか?

>ニギハヤヒ死亡後、長脛彦は、ニギハヤヒの子ウマシマジと語らい、
>ニギハヤヒの倉に収められた「暦」を書き写し、畿内へ出奔。
>ニギハヤヒの子ウマシマジはニギハヤヒの庶母の子と思われる。
>是を追うのが大物主で初回討伐に失敗、
>この後神武等が二回目の軍を出し制圧。 神武の兄二人の死亡を受けて、神武が継ぐ
>神武の役割は、大物主の下で「暦の管理」です。
>神武は、大物主の娘の子神八井耳に後を託す、この決定に不服を申す天照大神系手研耳と対峙、
>神濡名河耳は、手研耳を討伐し、それに組する 建御名方、伊勢津彦を信濃に流す。
>安寧の子供懿徳は、子を成さずに他界、懿徳の子考昭とは、安寧の妃の一人が安寧崩御後 考昭を産む
>安寧崩御時点でこの妃は、懿徳の妃とされる。 書紀で考昭は懿徳の子供の裏話です。
>懿徳崩御時、考昭の年齢は四才、喪1年を経て五才で考昭即位
>この年代に、天皇家は初めて大物主を祀る、伊勢津彦も許される。
>その代わり、天皇家は暦を大物主に分与、これが 西暦93年戊寅から始まる「出雲暦」
>出雲暦は、伸長されずに使われる。(古事記の干支)
>この代償により、考昭は、手研耳の血を引く(天照大神の血を引く)世襲足媛を迎える事が出来た。

いや、ほつまでいうと、「大物主=クシヒコ(事代主)」ぽいんですが、
大物主とは、饒速日なんでしょうか?
それとも、大物主とは、事代主なんでしょうか?という質問だったんですが・・。
唐さんはどっちと考えてるのでしょうか。

52 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/07(火) 23:14:28
>>41
>知らない人も居るみたいなので、解る範囲で全員の名前を書きましょう。

うんうん、その辺の時代なのは間違いないでしょう。
墓石が発見されてるので、卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命は仕方ない事実。


53 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/07(火) 23:32:50
「南方系(タン耳、朱崖)の人骨に関して」

>>867 愛知県民さん
>私は考古学に疎いですが、福建あたりから九州へは海流がありますから
>時代にかかわらず、流入は続いたと思われます。
>ただし、西方・江南ルートは東[魚是]人・夷州・亶州などが出てきますが
>「倭」という名前は古くは北方・朝鮮ルートしか出てこなかったと思います。
>>869
>南方系というのがポリネシアン等のことを指すのなら、これは現時点では遺骨だけから判断
>するのは難しいでしょう。遺物でもゴウホラの貝輪などは、沖縄諸島等で大量に加工した
>遺跡が見つかっていますが、弥生時代には広範囲に流通している。今後のミトコンドリアDN
>A研究の進展に期待というところでしょうか。しかしこれは明らかに自然科学の範疇ですね。
>>888 ローガンさん
>ちょっと違いますが、たしか長江下流で土井ケ浜人とよく似た西漢人骨が出てました。
>抜歯の型式迄同じ。華北の抜歯は遥か以前に廃れたので 渡来系弥生人の流入元を華中、華南の可能性を考える…って
>中橋さんか 埴原さんが言ってた記憶が。どの本だったかおもいだせないけど。

人骨といえば、「縄文系人骨」、「弥生系人骨」が有名と思う。
縄文系、弥生系の人骨以外のものと思われる出土例はナイということでしょうか?

54 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/07(火) 23:46:38
ん?拘邪韓國まだやってるのか〜(ヤフーみてしまった・・w)
私はすでに完了してる所。

とにかく、人の言う事には耳を傾けず、
「認めさえしなければ良い」というものではないだろうに〜。

そう書いてアルんだからそのとおり読むべきで...。

55 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 00:26:34
太国と唐松山氏さんの言い合いwwwwwwwwwww

http://www.progoo.com/rental/tree_bbs/bbs.php?pid=21922&mode=pr&parent_id=9254&mode2=topic



56 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/08(水) 00:44:54
他でもいっぱいやってるよ〜だ〜。


57 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/08(水) 00:56:21
>>51 もし
ニギハヤヒとウマシマジとその娘 年頃の娘だから長脛彦に嫁に行く。
親子3代が、遠い土地に入植は無理。

ニギハヤヒの死亡記事は、今度書きます。


58 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 01:26:47
本来の読みは卑弥呼=ヒミホでしょ。
で、ヒミホ=ミホツ姫、国譲りの条件としても出てくる姫。

たしかミホツ姫も大物主の奥さんだよね?
という事はモモソ姫の事じゃないの?

59 :doontakuka:2009/07/08(水) 11:21:15
>>47
狗奴国があるのに、卑弥呼は何で倭王に叙せられたのでしょうね。わかりますか?

今以難升米為率善中郎將牛利為率善校尉假銀印綬引見勞賜遣還

而公孫淵仍父祖三世有遼東 天子爲其絶域 委以海外之事 遂隔斷東夷 不得通於諸夏
 景初中 大興師旅 誅淵 又潛軍浮海 收樂浪 帶方之郡 而後海表謐然 東夷屈服

東夷屈服!!!!!!

>>正始元年の項に、「倭国に詣り、倭王に拝仮し」とありますね。
>>倭国の王が倭王、問題はないと思いますが。

この倭王は卑弥呼ですか?
正始元年以降倭王卑弥呼の記述は無いようです。
正始八年の記述は倭女王卑彌呼で次の記述は卑彌呼以死です。

推測ですが、
正始元年、魏の視点的には邪馬臺國の倭王卑彌呼は倭女王卑彌呼の地位となり、
新たな倭王(男)が誕生し、女王と倭王(男)の二極性の倭国が誕生した。

難升米為率善中郎將

掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬

二人の率善中郎將がそれを語っている。

勝者は掖邪狗だが、最終的には、
壹【臺】與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還

和睦。


60 :doontakuka:2009/07/08(水) 11:52:40
 正始元年 太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王・・・倭王因使上表荅謝詔恩

詔書の内容が記述されていないが、魏自ら出向いたといことは大変なことですね、
それも倭国という贈り名を土産に。
公孫氏の残党の南への退路を絶つことは重要でしょうから。
が、飴と鞭で半分は脅した上での倭国と倭国王の贈り物であろう。
だから
其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等・・・掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
で、
屈服。。。。。。。


61 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 12:00:24
>>60

倭國と言う記載は、例え普段「倭」と使っていても
外交上は倭國

外交は個人の付き合いではなく
国と国の付き合いだから
全て国とする。


中華が正式に倭國と認めるのは
宋書から

62 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 12:15:39
卑弥呼が何故倭国王ではないかと言うと
卑弥呼に対して与えられた「親魏倭王」の称号は
卑弥呼個人に与えられた身分であって、卑弥呼を中心とした倭と魏の外交ではないから

63 :doontakuka:2009/07/08(水) 12:44:25
>>61
倭國と言う記載は、例え普段「倭」と使っていても
外交上は倭國

今使譯所通三十國
の総体が邪馬臺國であった。が
正始元年 太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王・・・倭王因使上表荅謝詔恩
と、倭国と倭王が明確に記述されている。
それ以前は、
倭奴國奉貢朝賀 と、
倭地(邪馬臺國)中の一国を国として対処しているようです。

>>61
中華が正式に倭國と認めるのは
宋書から

安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
詣倭國拜假倭王

あるのは、
後漢ないし魏は倭国を認めていた証左であるとおもいます。
倭国の存在は後漢の時間軸にも認められ、亦魏の時間軸に於いても倭国の存在を魏的には承認していた。


64 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 13:01:28
>>63

後漢書は「倭伝」

記事の中で倭国とでてくるのは外交上での形式
盛大に生口160人も贈られれば、取り敢えず倭国王と呼んで貰えますよ。が、しかし
帥升は称号だけで、それっきり
国交は出来なかったようです。


倭奴国とは雲泥の差ですね

65 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 13:07:29
帥升こそが半島南端に倭の足がかりを作った人間じゃないのかな?
須佐・・・語感的にも似てるんだよな

66 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 13:08:25
後漢王朝が認めた正式外交相手は
光武帝が認めた「倭奴国」です。

後からのこのこ出掛けた帥升が、倭奴国をしりぞけてまで国交は出来ません。

67 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 13:26:54
>>65
それは違いますよ
半島南端には、それ以前から中継港があったから
帥升は大陸にを訪れる事が出来た。


それが
晋書にて記された「東倭」

68 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/08(水) 14:07:48
>>48
曲学の徒さんの邪馬台国掲示板

ツリー表示で

 もう文献だよりの九州説はありえない

   RE:もう文献だよりの九州説はありえない

     No.9295

69 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 14:08:53
「武」が上表文を出すまでの列島は、政治的に二分されていた。

二分されていたその一つが、光武帝から正式に外交相手国と認められていた
倭奴国(九州主力=西倭)
もう一つが、安帝時倭国王の称号を得た(本州主力=東倭)


これを把握出来ないと、永遠に倭伝は瞑想する。

70 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 14:13:37
「倭国大乱」とは

この二つの勢力争い。(西倭の侵略)

これを止めさせる為に帥升は大陸にお願いしに行ったが、体裁よくあしらわれた。

71 :doontakuka:2009/07/08(水) 15:01:35
安帝時倭国王の称号を得た(本州主力=東倭)と晋書の正始元年春正月 東倭重譯納貢
が、
同じ東倭なら倭王は本州に居た。ということですね。
本州で、東と呼べるのは富士山を越えてからと言うことですか?

正始元年の時間軸なら北緯34.5度と北緯35.5度を睨んで、
北緯35.5度の出雲が西で、北緯34.5度の畿内を東と置くがどうか?
『出雲は伊都国』で『畿内は投馬國』。となる。

九州は存在は殆ど見当たらない。


72 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 15:21:48
すくなくとも
魏志倭人伝までの本州には倭国王の帥升だけしか記録されていないので
倭王は存在しません。

倭伝自体が西倭(九州)主体に書かれているので
倭王は西倭だけです。

73 :doontakuka:2009/07/08(水) 15:33:06
魏志倭人伝は九州を中心として記述されて居る訳では有りません。

日本列島全体が見事に描写されています。

自女王国以北
としては、
オーストラリアまで行き着きます。



74 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 15:33:29
国交のない東倭に、王と呼ぶ必要性などありません。王と呼ぶのは
飽くまでも国交有る地域だけ

一方的な来献だけでは国交ではありませんから

東倭は西倭が大陸と国交関係を続けている間も
何度も使者を大陸に送っています。
その時使われたルートが狗邪韓国であり、対馬の北島であり沖の島です。

対馬の南島や壱岐は西倭のルート。狗邪韓国を経由することはありません。

75 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 15:38:46
だから

出雲の北に位置する島も「オキ」で、宗像の沖に浮かぶ島も「オキ」なんです。
しかし、西倭の利用する島は「イキ」

76 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 15:47:29
>>70
それは確実に否定出来る
騒乱のさなかにそんな献上は無理

77 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 15:49:59
>>76
どうして無理なんですか?

78 :doontakukantakuka:2009/07/08(水) 16:06:10
>>74
その時使われたルートが狗邪韓国であり、対馬の北島であり沖の島です。
対馬の南島や壱岐は西倭のルート。狗邪韓国を経由することはありません。

其北岸狗邪韓國 七千余里の『北岸並びに七千余里』
去其西北界拘邪韓國七千餘里 の『西北界』
は、どのように考えていますか?

狗邪韓國・拘邪韓國は邪馬臺國の一応境界として記述してあります。

狗邪韓國・拘邪韓國の条件を満足出来るロケーションは与那国島以外にありません。

對海【馬】國が対馬で一大國が壱岐だと言うのはバカ歴史学者の妄想でしょう。^^;


79 :doontakukantakuka:2009/07/08(水) 16:18:47
>>74
国交のない東倭に、王と呼ぶ必要性などありません。王と呼ぶのは
飽くまでも国交有る地域だけ
一方的な来献だけでは国交ではありませんから

晋書の正始元年春正月 東倭重譯納貢
は、
正始元年 太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜
と係わっているのでしょう。
 其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等・・・ 掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
と、官位を受けている。この倭王が東倭なら国交はある。


80 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 16:22:59
>>78
私とあなたでは、尺度が違うようなので

81 :doontakukantakuka:2009/07/08(水) 16:28:16
>>80
私とあなたでは、尺度が違うようなので

そうですね。
大変失礼しました。


82 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 16:54:32
>>79

宣帝紀に記された、正始元年春正月と

魏志倭人伝に記された
正始元年の記事は、全く性質が異なりますので
単純に、正始元年の一致だけで同一と判断しないで下さい。


宣帝紀の記事は、魏書で取り扱う事の出来なかった記事です。

83 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 16:59:38
>>79

「西北界」

都の西北に、狗邪韓国と言う界が存在する


「其北岸」

大海の北に岸。

84 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 17:05:21
>>81

因みに、私の尺度は

魏晋朝尺=約24pです。

85 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/08(水) 17:42:56
>>79
同じ記事の焼き直しで良いと思いますよ。


86 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 17:56:08
>>85
焼き直しの訳ないじゃん

87 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/08(水) 18:42:21
では、同じ出来事が二通の書籍に書かれた。


88 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 18:51:54
>>87
そんな必要性何処にもないよ

方や宣帝
方や三少帝

魏の皇帝の出来事を、しかも魏帝紀に記載せず、ワザワザ西晋宣帝の記事に?
倭國に届けた詔書の名義が司馬懿なら別ですが

89 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 18:56:24
>>87

ましてや
東倭の正始元年は、単なる納貢
単なる納貢行為に「奉詔書印綬」なんてありません。

90 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 20:58:11
>>77
一番大きな理由は船
外洋に出られるような大きな船を最低でも何ヶ月とか失うわけにいかない
しかも卑弥呼のときと違って160人引き連れたというなら何隻必要だったか?
国家プロジェクトに近い
内乱時にこのような大量の生口を献上するってのは
帥升らが難民となって国外脱出したような場合のほうがより妥当な推測
僕は帥升は国王で他に臣下を伴っていたから帥升等と書いたんだと思う
半島に移住しようと思い、あるだけの船を使って渡ったんだと思うね

91 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 21:35:29
57年倭奴国〜107年倭国王帥升等の間も倭国は大乱なんですか?

92 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 21:41:18
>>90

これから国外脱出しようとする者が、生口贈っても意味ないと思いますよ
生口は
言ってみれば、自国を裸にする人質。これから付き従う宗主国に「私の国の事情を知らせる生証人(だから生口と)」
これから流人の民になろうとする行為ではありません。

93 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 21:54:41
>>92
言葉が通じる国ならそれは言えるね
でも、一般の生口とで言葉は通じたんだろうか?
それに生口に旅の目的を説明したとも思えない

そして、生口は移住先にて労働力にもなるし、途中飢えたら食料にもなるから
持っていくには最高だと思うよ
160人なんて最終的な数だろ
日本を出発する前はもっと多かったと思うよ

高地性集落が軍事的色彩を濃くしたのがこの時期だっけ?
でも、援軍を求めるために生口を献上したという発想よりは現実的だと思うな

94 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 21:59:18
>>91

いいえ
倭國大亂は「桓靈間」と書いてあります。
二つの朝見を范曄がピックアップしたのは、最低限の互いに異なる二つの事例を書く事により
倭國大亂を説明していると考えます。

倭國大亂となる原因は、既に57年には始まっていたから
光武帝奉貢朝賀を記載したのではないでしょうか。


日本の中心を取りたい倭奴國(九州)、方や取られまいと防御する帥升(本州 )陣営

その攻防戦が繰り広げられる桓靈間、ある重大事件が。これが大亂

95 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:07:13
>>93
言葉が通じたかどうかなんて心配する必要はないよ
中国側に全て整っていればいいだけの話しだから

それに、援軍なんていらない。
相手国の宗主国と話しを付け
宗主国が仲立ちをしてくれればいいだけの話しだから。

とにかく「侵略の中止」

96 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:16:22
>>95

>とにかく「侵略の中止」
この一言が、あなたの限界を物語ってる
妄想から導いた結論ありき

あなたが帥升だったらどうします?
最初にあんな大量の貢ぎ物を送ったなら相手が困るでしょう?
まずは相手の信頼関係をどう結ぶか?考える筈
やはり160人は異常なんです。
それが最初ならば尚更
最初から献上目的で160人を引き連れたきたわけじゃないと思った方がいい
でも、帥升達はそれだけの数を有していた
造船技術も大したものを持ってもいないのに
なぜか?
そこから考えていった方がよいのでは?




97 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:17:40
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。
光武賜以印綬。安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見。

これ読むと、倭國之極南界が倭奴國ですね。
そして、倭國王帥升の國である倭國がの後の「桓靈間」に大乱を起こした、と。

98 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:21:26
九州倭奴國側は
どう逆立ちしたって、規模の違う本州側に敵うわけがない。
だから
地の利をいかして、いち早く大陸とのホットラインを開設したかった。
大陸側も、いまだ落ち着かない朝鮮半島の押さえに、九州倭奴國と手を組むことの
両者の利害関係が一致し、57年の合意に及んだ。

大陸側にしてみれば
朝鮮半島から遠い本州側と手を組むメリットはないし、いっその事
倭奴國に侵略させた方が
倭奴國にとって驚異が無くなり
半島に集中できる。

99 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:22:57
倭國王帥升等獻生口百六十人  この時点では倭国は平穏だったんじゃないのか。

100 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:28:51
>>97

帥升の國に進攻した争いだから倭國大亂


>>99

でも、危険を察知したからこそ

101 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:32:31
そして
中国の国史にも記載される争い。
ただの内乱なんかではありません。
後漢王朝が絡んでいるからこそ、後漢書に記載されるのです。

102 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:33:27
>>100
倭國大亂って倭國内が大きく乱れたって事じゃないの?
帥升の國に進攻した國ってどの國ですか?

103 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:39:44
中国の歴史書を重く見るのなら、素直に受け止めればいいんだよ
倭国の王である帥升自らが謁見を求めたんだよ
王が自国を離れて謁見だよ?
しかも、騒乱のさなかだよ?
国外逃亡じゃないか


104 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:42:16
其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年

相攻伐歴年 相攻伐歴年   内乱でしょ?

105 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:48:50
>>102

大いに乱れる。

攻めた側は、九州倭奴國


>>103

国外逃亡なら、行き先は何処?
それに、国外逃亡者の記録を残した意味は?

106 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:51:22
>>104

本当の意味での内乱(クーデター)は、「相攻伐」

107 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:55:24
其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿」

その国(倭国)は元々、男子を王としていたが70〜80年ほどで終わった。
倭国は乱れ、何年も互いに攻め合うに及んで一人の女子を共立し王とした。
名を卑弥呼という。

卑弥呼は内乱の末に倭国内から共立されたって書いてあるよ。
卑弥呼はその後大和地方に移り住んだんじゃないの?

108 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 22:57:42
・後漢書にての「相攻伐」の原因は


倭國大亂によって主を失ったので


・魏志倭人伝にての「相攻伐」の原因は


倭國亂によっての派閥争い。

109 :カミハミテイル:2009/07/08(水) 22:57:52
後漢書に倭国大いに乱れ、更々相攻伐し、歴年主なし。
とあります。正統に支配する王がいなかったということです。
反乱とかではないようです。
これは、王にだれがなるかという混乱であったとかんがえられます。
つまり、王位継承戦争であったということです。

110 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 22:58:38
>>105
当時に於いて、帥升達が逃亡してきたなんてわかるわけないだろ
それとも、逃げてきたから会ってくださいと頼んだのか?
妄想は俺も妄想だけどそんな馬鹿げた妄想なんてしない

111 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:01:31
>>110

意味わかりません。
逃亡説唱えたのはあなたですよ

112 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:06:59
>>109サガミさん

「…倭國大亂更相攻伐…」と、書かれています。

この場合の「更に」は
ベースに重なる

詰まり、倭國大亂と言うベースがあるからこそ、相攻伐が重なるのです。

早い話し
相攻伐は、倭國大亂が原因。

113 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 23:08:22
>>111
王が遠く国を離れるのは神武もそうだよね
それが敗走なのかどうかは別にして、それはもう当時に於いては再び国に帰ろうとか、外交をするためとかの目的では無さそうだってことぐらい理解できないの?

114 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:11:12
>>107

それは倭人伝にての話し。
後漢書には
主が長年不在な為に
これが共立の理由。


倭人伝の理由は
倭國が乱れ内乱が起きたので、これを鎮める為に王を共立した

115 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 23:16:29
>>114
魏志倭人伝
280年-290年

後漢書
398年 - 446年

梁書629年
北史
晋書648年
隋書656年

古事記712年
日本書紀720年

魏志倭人伝が一次資料なんですが?

116 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:17:09
>>113

だから
そんな他国の逃亡者の事を、国史に刻んでどうするの?の話し
逃亡した後、中国と係わり合いを持つのであれば
それは立派な中国の歴史の一部だけど

ただの「はいそれまでよ」じゃ意味ないよね。


それを記録から探り出せれば、あなたの逃亡説が浮上する。

117 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:24:30
>>115

一次資料もなにも

対象となる時代が違うよ。
しかも
一次資料と最初に唱えたのは、いったい何処のだれなんだい。
後漢書が編纂された当時から、後漢書は
一次資料ではないので
倭人伝ベースでものを見ろと注意書きでもあったのかい?


もしかしてそれって現代の人?

118 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 23:25:20
>>116
倭奴国と違い、帥升達の件は国交を開いたというような記録では無いよね?
書いてあるのは、謁見を求めたとだけしか書かれてないよね?
それとも、なにか印綬とか貰ったの?
王達自らが160人もの生口を献上しに来ただけでも記録して不思議に思えない

119 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:27:45
と、言う事で

今日はこれで止めます。


指が腱鞘炎になりそうだ




お付き合いサンクス

120 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/08(水) 23:30:42
>>84
>因みに、私の尺度は
>魏晋朝尺=約24pです。

五尺刀二口 ←これは?考古学知ってます?

121 :日本@名無史さん:2009/07/08(水) 23:31:50
>>117
梁書、北史、晋書、隋書の倭国伝は魏志倭人伝からの引用でしよ?

それを読んだ天武天皇が腹を立て日本書紀の作成を命じた。
そして天皇号の創始へと繋がったんですよ。

122 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/08(水) 23:34:09
>>109 カミハミテイルさん
>後漢書に倭国大いに乱れ、更々相攻伐し、歴年主なし。
>とあります。正統に支配する王がいなかったということです。
>反乱とかではないようです。
>これは、王にだれがなるかという混乱であったとかんがえられます。
>つまり、王位継承戦争であったということです。

そんなこと皆、知ってることでは?


123 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:34:49
>>118

だから
以前から言ってるように
帥升は押しかけ来訪なの

貰ったのは
倭國王の称号だけ
言うなれば、慰労にたいする感謝


願い事は
鼻から聞くきもなかった。

はい
おしまい

マジで指痛い。全部携帯からなんだよ

124 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/08(水) 23:39:16
河童くん

師匠〜論破されてるやんw

【弁辰與辰韓雜居城郭衣服皆同言語風俗有異其人形皆長大美髮衣服[旁右潔]清而刑法嚴峻其國近倭故頗有文身者】


125 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/08(水) 23:54:54
>>124

あれを論破と捉える君のレベルは
極浅ね。


以上。

126 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 00:13:08
>>123
貢物を持ってやってくる国は、普通、歓迎すると思うが。

卑弥呼の使者の場合も、帯方郡に行って天子に朝献することを求めたら、
太守がわざわざ都に送り届けた。しかも、大歓迎され、そりゃあたくさんの
お返しの物をくれた。

帥升の場合も歓迎されたと思う。中国はそういう国だから。
「倭國王帥升等獻生口百六十人願請見」「願請見」の場合、拒否したと
明示されていない限り、受け入れたと考えるべきだろう。

127 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 00:24:25
いつもの河童さんじゃない
今日の河童さんには魔物でも住み着いたみたいにPower感じる。
けど『改めさん』今日はあんたお邪魔虫ですw

128 :doontakuka:2009/07/09(木) 11:09:41
>>84
因みに、私の尺度は
魏晋朝尺=約24pです。

1里=300歩 =1800尺ですか?
1800尺×24cm÷100=432m=1里。
ならば、
對海【馬】國・一大國間は南渡一海千余里
会稽東治【冶】之東は北緯30度の口之島(種屋久島)。
南渡一海の南に北を置換した對海【馬】國迄の距離は、

口之島 緯度: 29.987502 経度: 129.920047
那覇  緯度: 26.212293 経度: 127.678946

口之島・那覇間は約439.0300km ≒ 1016.27里です。

北岸狗邪韓國 始度一海千余里 至對海【馬】國
の狗邪韓國・對海【馬】國間も狗邪韓國=与那国島・對海【馬】國=那覇で、
その距離は約500.566km≒1158.7177里 です。

沖縄・那覇(對海【馬】國)⇔ 与那国島(狗邪韓國)⇔ 殷
の海路が有ったから
『沖縄のキイロタカラ』が
殷の貝幣として使われていたのです。


129 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/09(木) 11:45:39
>>128

>一里=三百歩=千八百尺

この公式を使用するには、換算値が必要です。

海の上で、その換算値を使用することが出来ますか?出来なければ
別の換算値を求めなければなりません。

130 :doontakuka:2009/07/09(木) 12:23:49
>>129
海の上で、

陸と陸の二点間の緯度経度で距離を決定できますから、
換算値の変更の必要は無いと思いますが。


131 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/09(木) 12:54:30
>>130
机の上で、六尺車輪転がしますか?
転がさないと数値化出来ませんよ。

132 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:00:40
目測ってのもあるぞ。

133 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:03:34
普通に目測だろ。
なんでわざわざ東の小島のことを
おまけで書いたのに正確な数値を調べにゃならんのよ(笑)

134 :doontakuka:2009/07/09(木) 13:05:08
>>131
机の上で、六尺車輪転がしますか?
転がさないと数値化出来ませんよ。

1尺が24cmなら、一回転の距離は、6尺×24cm×π=452.16cm

1尺が24cmと明確になっていれば机上の計算で大丈夫でしょう。
1尺が24cmと明確にされていなければ転がさなければならないでしょう。

『因みに、私の尺度は
魏晋朝尺=約24pです。』
と、ことわりがあります。
勿論、doontakuka も1里=432mで 1尺=24cm
です。


135 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:06:39
二つの陸地の緯度経度が判ってれば正確な地図があった訳ですなw

136 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/09(木) 13:13:45
>>134

机上はだめだよ
机上はモノサシだから


六尺車輪は、転がしてはじめて得られる数値
机上の計算じゃないんだよ机上で計算するならモノサシ使いなよ。

137 :doontakuka:2009/07/09(木) 13:16:49
>>135
二つの陸地の緯度経度が判ってれば正確な地図があった訳ですなw

『正確な地図』?
正確な地図を作る為には測量になる。
二つの陸地の緯度経度は二つの地点の座標が明確になるだけです。
二点間の距離を決定するのに必ずしも地図の必要性はないと考えます。


138 :doontakuka:2009/07/09(木) 13:18:12
>>135
二つの陸地の緯度経度が判ってれば正確な地図があった訳ですなw

『正確な地図』?
正確な地図を作る為には測量になる。
二つの陸地の緯度経度は二つの地点の座標が明確になるだけです。
二点間の距離を決定するのに必ずしも地図の必要性はないと考えます。


139 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:23:37
>>138
二つの陸地の緯度経度が判るのなら二千の陸地のそれもわかるでしょ?
そしたら完璧な地図が作成可能だよ。 
あとは縮小率を測量して導き出せば完全な距離が地図上で求められるよw

140 :doontakuka:2009/07/09(木) 13:32:10
>>139

無限大の緯度経度の測定地データーがあれば地図はできます。

地図があれば面積が決定できる。
魏志倭人伝で面積が記述されているのは
對海【馬】國の方可四百余里と一大國の方可三百里の2カ国です。
ですから、この二カ国の地図はあったと思われます。

日本書紀の天武記に「種子島が地図を献上した」という記述があったと記憶しています。




141 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:35:22
小数点の羅列に、いったいどんな意味があるんだ?

142 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:37:06
>>140
あ〜私が言いたいのはだね、
当時正確なA点の緯度経度測定技術はなかったろうって事です。

143 :doontakuka:2009/07/09(木) 13:51:18
>>142
あ〜私が言いたいのはだね、
当時正確なA点の緯度経度測定技術はなかったろうって事です。


古代人をなめてはいけませんよ。
歳差の知識すら紀元前2700年にあったのですから。

中華の都やホワイトピラミッドが北緯34.5度にあり
神武や箸墓が北緯34.5度に有ることは正確な緯度測定能力を有していた証拠でしょう。

ぶれが有ったのは経度でしょう。



144 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:57:39
正確な緯度経度測定技術があれば、真っ先に地図を作成してますよ。
最重要な戦争アイテムじゃないですか。郡使が方位を間違えたりするもんですか。

145 :doontakuka:2009/07/09(木) 14:04:09
>>144

郡使が方位を間違えたりするもんですか。

魏志倭人伝の方位は間違っていないと思います。


146 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 14:07:24
>>145
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/yamatai1/index.html

ここ全部は賛成できないけど、読んだことありますか?

147 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 14:22:39
素人って必ず、ワンパターンというか
方位は間違えたりするもんですか 言うよねw



148 :doontakuka:2009/07/09(木) 14:39:34
「十年(六八一年)八月、先に(天武八年)、種子島に遺した使が帰国して、『地図を献上』し、
その島は『京』を去ること五千余里(去京五千余里)、筑紫の南の海中に在り、髪は短かく切り、
革の衣を着て、稲作は盛んで、年に二度獲れ、他の産物は、くちなし・藺草であり、
その他、海産物等、種類は多い。と復命した。」 
・・・・中村幸雄論集 九州王朝の滅亡と『日本書紀』の成立より

此処での京とは長安のこと。
長安と種子島の距離は、
南種子島北緯: 30.73度 東経: 130.99分 
長安  北緯: 34.16度 東経: 108.94分
 2331.2km≒5,164.81里

去京五千余里と一致している。
おそらく
種子島が献上した地図を見ての去京五千余里と思われる。


149 :doontakuka:2009/07/09(木) 14:47:58
>>146
ここ全部は賛成できないけど、読んだことありますか?

知っていましたが殆ど読んでいません。
曲学の徒さんの日本建国史は4〜5年前に読みました。


150 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 14:53:40
>>148
三世紀中期の話をしているのに、七世紀末の話を持ち出すとはw
手品師なの?

151 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 14:59:56
>>149
日本建国史はだめだよw
三世紀半ばの郡使の方向認識がどれだけ正しいかって話をしてるんでしょ?今
方位の部分を頭の中を白紙にして読めば、狗奴国が何処なのかわかりますよ。

152 :doontakuka:2009/07/09(木) 15:00:00
>>150
三世紀中期の話をしているのに、七世紀末の話を持ち出すとはw
手品師なの?

魏志倭人伝の一大国・方可三百里 と記述した根拠となった地図が天武に献上された地図であろう。といことですよ。

北緯30度 ⇒ クフ王のピラミッド ⇒ 会稽 ⇒ 一大国=種子島

なのです。


153 :doontakuka:2009/07/09(木) 15:10:33
>>151
狗奴国が何処なのかわかりますよ。

方位も距離も歴史の流れを含めて検討すれは、

狗奴國は北緯39度以北です。
狗奴國を含む男王国の北端は北緯45度です。

北緯30度から北緯39度の領域は女王国で
北緯39度から北緯45度の領域が男王国

いうことです。





154 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 15:20:27
>>153
方位も距離も含めて検討すれば、位置が特定されると思いますが?

155 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 16:52:23
>>153
この暑さと湿度で、頭やられていませんか?美濃もん太は
どうやら入院した模様です。

156 :doontakuka:2009/07/09(木) 16:57:24
北緯30度から北緯39度の領域は女王国で
北緯39度から北緯45度の領域が男王国


言う基本が理解できなければ
魏志倭人伝を何度読んでも理解できないでしょう。



157 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 17:01:30
倭人伝よりも、doontakukaを理解する方が
より難解なんだが。

158 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 17:11:30
>>145
そうです。方角をまちがえるなどということはありません。

159 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 17:17:49
>>156
北緯0度が赤道  90度が北極なんだが、
するって〜と男王国のが北ってこと?  南って〜ことじゃなかったけ?

160 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 17:31:46
>>158
今ね、方角の話をしてるんじゃないよ。
方位の話だよ。
三世紀半ばの郡使が正確な緯度経度と正確な地図を持ちえたか?って事だよ。

161 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 19:15:48
>>160
何をもって正確と判断するかが最大の問題。
あなたの認識をその基準にし、正確を判断されては
誰も就いていけない

162 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 20:49:55


163 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:02:32
>>160
正確な緯度経度はむりだろうな。しかし、南と東をまちがえるはずはない。
末盧国から東南五百里、怡土はない。これは絶対だ。

164 :日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:26:24
伊都から先に行ってなく、
倭人から聞いただけなら
方位を間違った可能性はあるね

165 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 01:16:20
末盧国からの東南五百里は、伊都国に至るまでの話だ。方位をまちがった可能性は
ないな。それに、使者が邪馬台国まで行ったことは、倭人伝が明記するところだ。


166 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 01:40:55
>>165
郡使達だけで邪馬台国まで行ったんじゃなくて、倭人に案内されて行ったんでしょ?
それとも倭人は同行しなかったと思ってるの?
郡使は倭国内での方位なんて気にせずとも邪馬台国まで案内して貰えるよ。

167 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 01:44:41
郡使が実際に戸数や方位、里数を確認したわけじゃないでしょ?
倭人から聞いた情報を郡に持ち帰っただけだよ。

168 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 02:06:50
倭人に案内されたにしろ、使者が自ら邪馬台国を訪れ、方位や日数を確かめて
書いているわけだ。間違いの可能性は、まずないね。

169 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 02:33:23
>>168
>11世紀の中国の沈括の『夢渓筆談』
>正確には「真貝日誌送」にその記述が現れるのが最初だとされる。

羅針盤は11世紀だよ。  現代人でさえ見知らぬ土地に曇りの日に送り込まれたら
どっちが東かわからなくまりなすよ。

170 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 04:12:14
里数と方位は郡使の仕事じゃないだろ
張政の仕事
でも、この人二回訪問したことになってる
間違えたんじゃなく、行ってないんだよ、邪馬台国まで。

171 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 05:09:34
>>170
郡使は邪馬台国まで確実に行っていると思います。
帰国後に邪馬台国まで到着してないことがバレタラ命がないでしょ。
船旅だし、食料もあるし、金もあるし、釣りはできるし、行ったに決まってます。

172 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 05:29:00
詔書を渡すのが仕事だったわけでしょ。女王のいるとこまで行ったろうよ。
途中で誰かに渡してあとはたのんます、なんてありえないでしょう。
で、距離だの方角だのを調べる仕事で行ったんじゃないんで、
そこらは適当でしょう。

173 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 07:21:36
しかし、風俗記事をみると、細かく書かれているな。とても、適当に書いたとは
思えない。使者がとてもまめな人だったのか、それとも一行の中に記録係のよう
な人がいたのか、とにかく見聞結果をきちんと書いていることはまちがいない。
方位、距離も基本的に正しいとみていいだろう。

174 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 07:48:02
羅針盤は11世紀かも知れないが、当時中国には
羅針盤の代用となる指南が存在する。
だから、見知らぬ土地の方位も把握可能。

175 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 08:03:37
>>174
 指南車 でググってみたけど面白いね・・祭礼用で実用品では無いようですよ。
磁石利用じゃなくて、歯車のようだし。

176 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 08:22:54
指南車はどうか知らないが、当時の人たちは太陽や星で方角を確かめていたんだろう。
三国志なんぞ読むと星占いのことが結構でてくる。星を見る習慣があったことを物語って
いる。

177 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 08:35:15
行程文で「有」が使われているのは確認した情報、
「可」が使われているのは推測による情報。
郡使は邪馬台国まで行っているが邪馬台国の全体は回っていない。

178 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 08:54:16
>>175
それは指南車の方で、応用で使えるのは
占いで使うスプーンの方。あれなら携帯可能で、船の上でも使える。

179 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 09:07:34
>>178
 司南の杓 で画像検索して見たよ。使えそうですね。

180 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 09:22:15
>>179

決まった一方向を指せば、十分実用できるし

181 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 09:38:25
これで方位方角の問題は片付いたと

後は
老人達がごねるだけだから

182 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 10:51:58
そうなると、末盧国から東南500里は唐津から東北の前原では具合が悪いな。


183 :カミハミテイル:2009/07/10(金) 11:10:17
そうなんです。そもそも唐津から東の前原を伊都国としたのが間違いのもとだったわけです。最初の曲がり角ひとつまちがえて迷い道クネクネッてわけです。

184 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:22:29
>>182
全然OKです。

東南陸行五百里までは末廬ですから

185 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:26:56
河童の指南(司南)にインパクト有り。

186 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:30:05
>>185
そんな事はありませんよ。指南スプーンは
もう何年も前からここで話しているし、別に新しいネタじゃありません。

使い回しの古いネタです。

187 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:34:02
末盧国から伊都国は 「東南陸行五百里伊都国に到る」だね  一里432mで500里なら216kmだがねw
東南216kmて〜と宮崎県日向で決定ですねw 本スレとしては伊都国=日向でいいんですか?

郡使一行が司南の杓を利用したというソースはどこ?

188 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:42:39
そして更に、東南奴国に至るには百里
奴国は絶対に山幸彦が遊びに行った海底都市です。

189 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:43:05
>>187

そんなのあるわけないじゃん。
でも、携帯出来る方位を知る道具が当時存在していたと言う事。
存在している以上
方位方角を天体現象や、聞き取り調査だけに絞るわけにはいかない。

そういう話し。

190 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:47:20
一里432mで500里なら216kmというのには、何の根拠もないということに
気づくべきだな。郡から末盧国までの里数をみれば、1里=80メートルぐらいで書
かれていることは明らかだ。

191 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:48:04
>一里=432m

この換算値は、陸路だけの大陸内でのみ
に使用出来る換算値

海域計測の倭人伝では使用出来ないもの


海ではワッパ転がせないからね

192 :doontakuka:2009/07/10(金) 11:49:10
>>159
北緯0度が赤道  90度が北極なんだが、
するって〜と男王国のが北ってこと?  南って〜ことじゃなかったけ?

其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
ですね。
この、其南有狗奴國の南を北で置換して読んでください。
それは、歳差と鏡の文化を嵌め込んで記述されているから。

↓此れも同じです。
>>182
そうなると、末盧国から東南500里は唐津から東北の前原では具合が悪いな。


東南を東北で置換。全ての南は北で置換する、それで正しい方位が得られる。

一大国(種子島)から千余里の末盧国は九州を通過して下関でしょう。
下関の東北六百里の奴国は松江です。奴国=松江の百里手前の伊都国は斐伊川上流の南雲、勿論、伊都国には出雲大社を含む出雲市がはいる。

伊都国は荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡・四隅突出墳の地域です。


193 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:51:50
「東南」は方角じゃなく方位ね

経度的に東、緯度的に南


道は常に直線じゃないから

194 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:52:19
>>190
でも上の方で、doontakukaさんと河童虫さんが432m=1里とおっしゃていますのですが?

195 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:53:23
あてにできない方々ですから・・・

196 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:56:17
>>195
失礼な・・・(怒

197 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:57:33
直線ではない道程を計測するのには
当時、接地面の少ない車輪を転がすか、車輪が無ければ歩測するいがい方法はなかった。

198 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 11:59:34
>>192
南が北って〜と北が南て〜ことですか?
するって〜と右手が左手で左手が右手でちんぽが漫歩ってことでやすか?

199 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:00:49
>>194

それでOK

ただ、>>197でも書いたように、ケースバイケース。用途に応じた使い分けを。

当時の役人なら当たり前。

200 :doontakuka:2009/07/10(金) 12:02:17
因みに、北緯30度の口之島と下関2点間の距離は、
口之島  緯度: 29.98経度: 129.92
下関   緯度: 33.95  経度: 130.92
ですから、その距離は 408.79km≒946.27里 です。

一大国 から又渡一海千余里 至末廬國

ピタリ・・・カンカン です。


201 :doontakuka:2009/07/10(金) 12:10:42
>>170
間違えたんじゃなく、行ってないんだよ、邪馬台国まで。

『其地大較在會稽・東冶之東』が邪馬臺國だ、
と記述していますが。

ただ、
『其地大較在會稽・東冶之東』の理解が・・・・・。


202 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:12:02
>>195
あなたの一言よりは何十倍もインパクトあります。

203 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:14:57
>>202
ただ単にヘキサゴンってだけの事ではないですよねえ^^^

204 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:18:01
ただ
「里」とする以上、車輪を使おうが、物差しを使おうが、
三百歩為里はくずせません。

ようは、車輪を使用した六倍値(×6)なのか、モノサシを使用した等倍値(×1)なのかの違いだけです。

倭人伝はモノサシ仕様。

大陸内は車輪仕様

205 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:21:07
>>204

河童、コテ付けろよ
まぎらわしくて

206 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/10(金) 12:29:47
私の投稿は

>>174>>178>>180>>181>>184
>>186>>189>>191>>193>>197
>>199>>204


です。

207 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:33:48
>>172
邪馬台国で会ったとは書かれてない
しかも、檄文訓告するだけのために張政がわざわざ行くわけないだろ

208 :doontakuka:2009/07/10(金) 13:01:25
>>191
>一里=432m

この換算値は、陸路だけの大陸内でのみ
に使用出来る換算値

海域計測の倭人伝では使用出来ないもの


『其地大較在會稽・東冶之東』
計其道里當在会稽東治【冶】之東
と、
海を越えて同緯度の位置を特定できた。
経度は正確な時計があれば経度は測定可能か?

2地点の緯度経度に相当する座標で2点間の距離も方位も決定できるでしょう。


209 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/10(金) 13:23:33
>>208

で、その二点間と言うのは何で判断するの

「會稽東冶」と書かれているだけで
点はどのように判断するの?
恣意的な判断に委ねるつもり?

210 :doontakuka:2009/07/10(金) 14:00:19
>>209
で、その二点間と言うのは何で判断するの

「會稽東冶」と書かれているだけで
点はどのように判断するの?
恣意的な判断に委ねるつもり?


會稽は緯度: 29.97 経度: 120.598
東冶は緯度: 38.64 経度: 113.151476
です。
其地大較在會稽・東冶之東
會稽之東は口之島・種屋久島、東冶之東は平泉 緯度: 38.98(北緯39度)の同緯度線上。
と、列島の緯度に移し込めばよい。

便宜上の座標なら會稽又は會稽之東が座標軸の中心零でもよいでしょう。
これで正確な時計があれば、會稽又は會稽之東におけるそれぞれの2点間の距離と方位は決定できるでしょう。
勿論2点間は川があろうが山あろうが海があろうが直線です。


211 :doontakuka:2009/07/10(金) 14:07:28
會稽は緯度: 29.97 経度: 120.598
東冶は緯度: 38.64 経度: 113.151476
は、
現在の中国政府が公認している地点の會稽と東冶です。

後漢書・魏志倭人伝を読んでのdoontakukaの予測地点に位置している。
また、
計其道里當在会稽東治【冶】之東
の東治の位置も予測どうりである。

中華政府に感謝!!!! ^^;


212 :doontakuka:2009/07/10(金) 14:28:31

『狗邪韓國から至對海【馬】國』と
『一大國から又渡一海千余里 至末廬國』 の
方位が記述されていないのは何故か?
それは、
『狗邪韓國』と『對海【馬】國・一大國』と『末廬國以北』 
の3種のデーターの継ぎ合わせか?

何の目的を持って3箇所の方位を記述しなかったのか?


213 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/10(金) 14:33:40
>>211

中国政府が公認してようがいまいが
点をどのように後漢書や魏書に登場する「會稽東冶」の点と合わせるのです?

會稽や東冶は面ですよ
点ではありません。


それに、中国政府が公認する根拠と
公認とするソースはなに?

214 :doontakuka:2009/07/10(金) 14:46:00
>>213
中国政府が公認してようがいまいが
点をどのように後漢書や魏書に登場する「會稽東冶」の点と合わせるのです?

會稽や東冶は面ですよ
点ではありません。


それに、中国政府が公認する根拠と
公認とするソースはなに?


後漢書・魏志倭人伝を読んでのdoontakukaの予測地点に位置している。
また、
計其道里當在会稽東治【冶】之東
の東治の位置も予測どうりである。

會稽も東冶も本来は1点が面を生む。
全ての根拠はクフ王のピラミッドにある。

北緯30度を会稽としたことも、
北緯39度が東治で女王国と男王国の境界に当たる。
といことも。

中華政府にも歴史学者はいるだろう。


215 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 15:44:51
たま出版の特集記事w

216 :doontakuka:2009/07/10(金) 17:15:34
>>215
たま出版の特集記事w

クフ王のピラミッドに関係する角度は、
位置が30度、回廊の傾斜が26度、
南面の女王の部屋の換気口の傾斜角度が39度、
ここから女王星(Sirius isis)が見える。

南面の男子王の部屋の換気口の傾斜角度が45度、
ここから男王星(Orion osiris)が見える。

北面の女王の部屋の換気口の傾斜角度が39度、
ここから北極星が見える
北面の男子王の部屋の換気口の傾斜角度が32度、
ここから北極星の代替星(竜座のThuban)が見える。

南面に国土をとった女王国は北緯30度から北緯39度迄、その中央は北緯34.5度の畿内。
北面に歳差を嵌め込んでの北緯32度と北緯39度の中央は北緯35.5度。
つまり列島では出雲に当たる。

北緯34.5度の畿内派と北緯35.5度の出雲派の激突が倭国大乱の可能性も捨てられない。^^、


217 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 20:28:31
>>216

貴兄幸福我病院紹介外出新鮮空気

218 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 20:30:05
桂川光和 さんいるかな?

「魏志倭人伝に記された植物」

>その、社会、風俗や自然、産物について記した中で、
>「其の木有り」として、9種ほどの樹木名、
>「其の竹」として3種の竹、
>さらに4種の食用植物名が記されている。

其の木:8種
其の竹:2種
食用植物名:4種 では?

http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/namae.htm

219 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 20:47:59
>>218
@出真珠、青玉。
A其山有丹、
B其木有、杼、豫樟、?櫪、投橿、烏號、楓香、
C其竹篠?、桃支。
D有薑、橘、椒、?荷、不知以為滋味。
E有?猴、K雉。



真珠や青玉を産出する。
そこの山には丹(丹砂=水銀)があり、
樹木には楠木、栃、樟、櫪、橿、桑、楓。
竹には篠、?、桃支。
生姜、橘、椒、茗荷があるが、滋味なることを知らない。
猿や黒い雉がいる。

数に関しては句点も句読点も無いので、判断が難しいです。

220 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 21:46:08
>>219
きみは、桂川光和 さん??

まあ、いいか。
河童氏ががんばってたので、次はわたしの番かな?!

真珠←天然真珠
青玉←サファイア
丹←赤土(粘土)

其の木:8種
柟、←楠木  杼←ブナ科コナラ又はカシワ  豫樟←クスノキ科タブノキ属で別名をイヌグス
楺←クワ 櫪←クヌギ 投橿←カシの一種 烏號←わからない 楓香←モミジ

其の竹:2種
篠簳←ヤダケ 桃支←分からない(ササの一種?)

食用植物名:4種
薑←ショウガ 橘←コウジミカン 椒←コショウ 蘘荷←ミョウガ

221 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 22:05:30
「魏志倭人伝に記された植物」
比較したらこんなかんじかな?!
まあ、植物に関してあまり詳しくないので、
ただ、たんに〜私が間違えてる可能性もあるが・・。

改め(8種)      桂川氏(9種)         〜
ダン=クスノキ      ダン=クスノキ        〜
杼=コナラ        杼=ドングリ         〜
豫樟=イヌグス      豫樟=タブノキ(別名イヌグス)〜
楺←クワ         楺←解らない         〜
櫪←クヌギ        櫪←クヌギ          〜
投橿←カシ         投=熟語、カシの類 橿=カシ〜
烏號←分からない      烏號←クワ         〜
楓香←モミジ        楓香←カエデ        〜

みなさんはどう思う?   
             

222 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 22:15:38
「烏號」は中国文献には「柘桑」と出てくるね。日本でいう山桑のこと。あと「?櫪」で一つの
語だと思うが、これは自信ない。

223 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 22:29:25
>>222
>「烏號」は中国文献には「柘桑」と出てくるね。日本でいう山桑のこと。あと「?櫪」で一つの
>語だと思うが、これは自信ない。

お〜私も、ソコを熟語と考え、「樹木の種類は7種」と考えてましたが、
「楺」←これが「桑」ぽいんですよね。

「烏號」を辞書で調べたところ、「優れた弓を烏号」というらしくて、
桂川氏のHPに書いてあるとおりなんですよね。
しかし、烏號=ヤマグワ というのは、どこを調べても載ってなかったので、
「分からない」としました。

それにしても、日本代表的な、「スギ」の木、「マツ」の木、
「桜」の木、「ウメ」の木、「モモ」の木、などか載ってないのはどうしてなんでしょうね?
なぞの文献、魏志倭人伝〜少しいい加減過ぎないかい?ていいたくなるw



224 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 22:38:13
「魏志倭人伝」
有獮猴 K雉

アカゲザル、黒い雉 有り

赤毛猿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%82%B6%E3%83%AB
キジ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B8

赤毛猿って高崎山の??あれは混血だったか〜。

225 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 22:40:12
>>220
青玉は大玉だからサファイアはあり得ない
翡翠のことだよ

226 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 22:52:52
>>225
青玉はサファイヤで青色
翡翠は緑色 
間違う訳が無い。

227 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 22:53:09
青玉=サファイア です。

しかし、サファイアの勾玉とか〜私は見たことがない(みなさんある?)。
ヒスイの勾玉なら、皆さんもご存知だろう。

んで、>>225さんは、
陳寿さんの書き間違えで、実は「翡翠」だったということでしょうか?

228 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:04:56
>>227
古代では緑と青を区別していなかったのかもしれない。
現代でさえ信号機の緑を青と言うが如し。

229 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:05:45
>>226
青い翡翠もあるんだよ


230 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 23:09:32
>古代では緑と青を区別していなかったのかもしれない。
>現代でさえ信号機の緑を青と言うが如し。

>>228さんが・・・と言ってますが、>>226さん〜反論はありますか?

魏志倭人伝、「青玉」の謎
本当に〜謎の文献んだよね?www

樹木にしても日本の代表的な、伊勢神宮にもある、「杉の木」がないのもなんでだろうね?w
内陸に生える「クロマツ」、湾岸の「アカマツ」にしてもそう!

カエデとか、クスノキ、クヌギ、カシ、タブノキさえもあるのにね〜w

231 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:09:59
あの〜考古学者が隠し続けてきた金銀錯嵌珠龍文鉄鏡って、どう見ても卑弥呼の鏡だよね。
やっぱ数百億単位の文化庁予算が奈良から他地域に取られないようにしたってことでしょうか?

232 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:13:41
ちなみに金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の青玉はトルコ石ですよ

233 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:15:50
>>230

自分で自分に反論するのは、かなり難しいww

234 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 23:19:42
>自分で自分に反論するのは、かなり難しいww

www 同じ人物かよw

235 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:19:57
魏が倭に送ったのが真珠で
トヨが送ったのが白珠
もちろん真珠は白くない
大陸の気質を考慮すべき

236 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:36:43
これまで糸魚川のヒスイと言われていた玉製品はすべて九州産の緑石だったことが明らかになっている。
あと、韓国の王冠についている緑の石はホータンの砂漠から出た軟玉だ。

237 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/10(金) 23:38:46
>>232
>ちなみに金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の青玉はトルコ石ですよ

中国二十四史の一つ、三国志 魏書 東夷傳に記された
「青玉」の話デス。
この「青玉」が何物なのか?考えてみては如何でしょう。

>>235
アコヤガイの真珠の色は、パール、ホワイト、ブラックなどある。
ほかにも〜アワビ、ハマグリ、アサリ、シジミなどからも産出されるようですけど、
これらの違いでは?

238 :日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:54:53
まぁ、翡翠だったかどうかは別にして
この件でわかるのは陳寿はかなり忠実に当時あった資料をそのまま残してる可能性が高い
白珠と真珠
普通なら白珠も真珠だと書きそうなものを、彼は白珠とそのまま書いた

>>237
繰り返しで悪いけど
青玉は大玉と書いてるからサファイアじゃないってことだけは確かだよ

239 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 00:04:29
>>166
>郡使達だけで邪馬台国まで行ったんじゃなくて、倭人に案内されて行ったんでしょ?

正解、倭人に案内されています。
まあ、魏志倭人伝を読んだことがある人には常識でしょうが。

>>167
>郡使が実際に戸数や方位、里数を確認したわけじゃないでしょ?

「參問倭地」しているのは確実。

>>183
>そもそも唐津から東の前原を伊都国としたのが間違いのもとだったわけです。
>最初の曲がり角ひとつまちがえて迷い道クネクネッてわけです。

現在の佐賀県一帯の古墳は、卑弥呼の時代よりさらに遡るのでは?

>>108
>・後漢書にての「相攻伐」の原因は 倭國大亂によって主を失ったので
>・魏志倭人伝にての「相攻伐」の原因は倭國亂によっての派閥争い。

両方とも記録記事ということでしょうか。

240 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 00:05:42
>>238
>青玉は大玉と書いてるからサファイアじゃない

はて、どこのことでしょう?!

241 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 00:11:02
台与が魏に贈った「白珠」は丹後国の奈具岡遺跡で加工された「水晶」です。
また「青玉」はラピスラズリ(瑠璃)です。

242 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 00:26:50
「參問」

解決出来ないことを自ら赴く


自ら訪れるから「參」


「參問倭地」

倭地の解決出来ないものを、自ら訪れる。
つまり、未知への挑戦



な〜にが 尋ねるだ!
倭地に尋ねて返事するのか?

243 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 00:32:58
>阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、
>俗人はこれを異なことだとし、因って祭祀を執り行う。
>如意宝珠があり、その色は青く、?卵のような大きさで、夜には光り、魚の眼の精霊だという。
>新羅や百済は皆、倭を大国で、珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している。

ちょっと調べたけど、北史倭人伝かもね。

244 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 00:35:24
たとえ郡使の露払いに、倭人が絡んでいようが
その倭人は黒子

芝居で黒子気にする馬鹿が何処にいる?

245 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 00:43:58
>>242
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至

參問倭地

絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里

こんなとこまで、、自ら訪れるたのですか?

246 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 00:51:47
「もう一つの候補地」

宇佐神宮には一之御殿、二之御殿、三之御殿があり、
八幡造といわれる本殿がある。
この本殿が、国宝に指定されている。
http://www.usajinguu.com/Frame.html

この本殿がある場所ていうのは〜「丘」が盛り上がった亀山の頂上に有り、
長い階段を上がりやっとたどり着く。

ようは、この盛り上がった丘(亀山)の上に本殿を立てているということ。

この、亀山の地が、天孫降臨された場所というのを聞いたこともあるだろう。
しかし、もう一つ候補地があるって知らない人も多いのではなかろうか?
城山だったかな?(間違えてたらゴメン)

まあ、私個人の考えでは、間違ってはナイとは思うんですけどね・・・トホホ。

247 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 01:03:59
>>242
>倭地に尋ねて返事するのか?

倭地に尋ねても返事は無いと思うぞ。
倭地について尋ねれば返事があると思うぞww

248 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 01:21:16
大分県立歴史博物館行った人おる?
http://inoues.net/museum/usa_museum.html

宇佐神宮、大分県立歴史博物館といえば、その付近に「百体神社」というのがある。
又、百個の生首を埋めたといわれる「凶首塚」というのがある。

「百体神社」、「凶首塚」、なんとも不気味なかんじだが、
以前、仕事がらみで宇佐へ行った時、昼間に寄ったっけな〜!

コースとしては、
大分県立歴史博物館(高森古墳群)→宇佐神宮→百体神社→凶首塚。

凶首塚に関しては、隼人の反乱だったかな、
大和朝廷と宇佐神軍とで、南九州の熊襲を討ったという話し。

↓詳しく知りたければこちらを読んでちょーだい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%BC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1

249 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 01:29:45
また〜宇佐神宮の話しに戻るけど〜
宇佐神宮内、おみくじ売り場の白い服を着たおじいさんに聞いた話によると、
二之御殿(ようは真ん中)の奥に何かが埋まっているらしい。

突っ込んで聞いてもなかなか教えてくれないんだよね〜!
「宮内庁の管轄だから」という理由で口を閉ざしてしまった。

それと、>>246で言った、「もう一つ候補地」に関しては、
本殿がある広場に風景を眺めれる窓があって、そこからその山を
見渡すことができる。
たしか、城山と書いてあった記憶が・・・。
興味ある人はいってごらんょ。

邪馬台国=宇佐と考える人にはお薦め。

250 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 01:34:33
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡て大分県日田出土かよw
http://www.youtube.com/watch?v=OOT4kyggvfw&feature=related


251 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/11(土) 05:52:03
「宇佐」ってのは犬山(桃山)周辺の昔の地名だよ
扶桑略記にも出てくる弥勒寺があった場所だよ


ちなみに扶桑ってのも犬山周辺の昔の地名だよ

252 :愛知県民:2009/07/11(土) 06:43:44
宇佐の奧宮は大元山ですね。
そこまでは行けなかったが。

253 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 07:07:47
>>245

訪れているから書いてあるのです。


>>247

>倭地について

「について」の部分はどこですか?「就」の文字が見当たりませんが
それに、尋ねて答えたのであれば
黒子が衣装を脱いで役者になったのだから
「倭人曰」と台詞が入りますが、台詞は何処?

単なる思いつきの反論は遠慮下さい。

254 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 07:29:16
>>253
>訪れているから書いてあるのです。

ワロタw

255 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 07:55:57
>>250
それは出土品ではないよ。まあ、伝 日田出土としておけば・・・。大変不幸な来歴を辿った
た鏡だ。

256 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 07:57:24
>>254

その笑いは自分に対する笑いですね

「わかります。」

257 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 07:59:38
参問は、参験問尽の意味で、見たり聞いたりしたことをあれこれ照らし合わせる
という意味だそうだ。

258 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 08:01:37
>>256
郡使は卑弥呼に会った後、それらの国を訪れたの?
それとも卑弥呼に会う前に自ら訪れたの?

259 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 08:01:38
>>228

信号の色の区別は
日本人の方がいい加減です。

中国には「緑灯」としていますから

260 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 08:51:57
>>257

話しを照らし合わせるには実地検証


>>258

卑弥呼と会った後か先かなんて
誰にもわからない。

261 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 09:15:05
>>255
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は日田出土の国の重要文化財ですよ?
出土品ではないって、???


262 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 09:28:31
『参験問尽』

「参験」

自ら赴き証拠としるす

「問尽」

全ての未決(未解)



つまり
参問倭地とは


後漢時代にはまだ未解であった倭地の部分を
魏代になって解決したわけだ
それが以下に続く部分で、列島一周を折り返す(周旋)北海道参験。
後漢時代には北海道を実地検証しなかった

263 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 09:52:11
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡、国指定文化財データベースにあるな
http://www.bunka.go.jp/bsys/
日田出土となってる

264 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:01:11
しかし、またすごいな
http://www.youtube.com/watch?v=OOT4kyggvfw&feature=related

265 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:49:00
>>261
それ程重要な物なのに何の伝承もない。
つまりそれは隠したという事です。
大和朝廷が出雲に対して必死で探した宝物とかね。
日田は隠すのに適した場所だったという事でしょう。


266 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:51:27
なるほど〜

267 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:54:06
そいでまた、40年も東京国立博物館の奥深くに隠してたと・・・
なんでなんだぁ?

268 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:57:00
>>262
船で一年、ぐるりが五千里だと、HAWAII島の事じゃないですか?

対馬-壱岐が千里なんですから、北海道では大き過ぎませんか?

269 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:58:44
なんかさ、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡って、かなり重要なものなのかもな

270 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:01:40
歴史変わるってか?

271 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 11:01:57
>>268

船で一年は北海道ではありません。

北海道南部から列島の折り返しである根室辺りまでが、時間換算五千餘里と
述べています。

272 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:20:08
>>271
なるほど、そう優子とだったんですね、ようやく理解できました。大変有難う御座います。

273 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:21:41
>>270
それは無理だな、魏志に記述もない。
謎がまた一つ増えましたというところでしょ。

274 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 11:21:48
(魏志倭人伝)−(後漢書倭伝)=参問倭地(北海道)

275 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 11:25:19
>>273

はじめは誰(自分も含めて)でも無理と言う
でも、何れ解る時がくる

私は理解するまで一年掛かった。

276 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:28:10
>>274
虫さん、虫さん教えて下さい。
郡使は卑弥呼に会う前に何処かに寄り道したんですか?
それとも郡への帰りに寄り道した可能性の方が高いのでしょうか?

277 :doontakuka:2009/07/11(土) 11:29:40
>>262
参問倭地とは


後漢時代にはまだ未解であった倭地の部分を
魏代になって解決したわけだ
それが以下に続く部分で、列島一周を折り返す(周旋)北海道参験。
後漢時代には北海道を実地検証しなかった

參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千余里

其地大較在會稽・東冶之東が邪馬臺國なら
倭地とは、
一大國 ⇒ 對海【馬】國 ⇒ 狗邪韓國迄の島々を言う。

西之表 Latitude: 30.732412  Longitude: 130.996835
与那国島Latitude: 24.456056 Longitude: 122.991428
西之表〜与那国島間は1017.2358km≒2354.71里
周旋ですから2354.71里×2=4709.425里
と、
解釈しますが?

278 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:41:45
>>275
解ると言ってもね、「正解」と「誤解」があるんだよ。

279 :doontakuka:2009/07/11(土) 11:42:55
>>262

後漢時代にはまだ未解であった倭地の部分を
・・・・・
後漢時代には北海道を実地検証しなかった

自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王

此処での自女王國とは女王国の北の境界つまり、北緯39度の日本海側。
東度海千餘里とは北緯39度の日本海側から東度した。
ですから津軽海峡を通過して、・・・
千餘里の位置は1里=432mで苫小牧あたりでしょう。

ですから拘奴國は北海道です。
又、
苫小牧は北緯: 42.64ですから、男王国北緯39度〜北緯45度のほぼ中央になります。


280 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:43:47
>>275
×私は理解するまで一年掛かった。
○私は理解したと勘違いするまで一年掛かった。

281 :doontakuka:2009/07/11(土) 11:54:05
>>271
船で一年は北海道ではありません。

對海【馬】國 其大官曰卑狗 ・一大國 官亦曰卑狗の
狗信仰の根源 anubis の壁画が発見されたオーストラリアですよ。


282 :doontakuka:2009/07/11(土) 12:08:42
 倭地温暖冬夏食生菜 
の 倭地 も 北緯30度から北緯24度までですよ。
つまり、
一大國 ⇒ 對海【馬】國 ⇒ 狗邪韓國迄の島々を言う。
と、
言うことです。


283 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 12:13:30
>>276

私も推測する以外ないけど、来る時に
様々な目的を持った来日だと思うよ
接見だけなら短時間だろうけど、調査は数年〜数十年かかるだろうから

帰るときは目的班ごとにバラバラかと

284 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 12:17:09
>>278>>280
そんなレスして楽しいかい?


結構老人って、こう言うレスするんだよな
飽くまでも傾向なんだけど

285 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 12:20:28
>>281

倭人伝内に記載されたオーストラリアは、中国で認めた
日本固有の領土なのかな?

286 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 12:29:43
>>283
将来戦う事になるかも知れない仮想敵国に自国を調査させるのですか?

287 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 12:29:44
>>276

目的が卑弥呼に会う事の郡使は
絶対に寄り道なんてしない。
それが公務員だよ

288 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 12:34:02
当時の公務員は
現在と同じ様に、就業時間が決められていた。
だから、行程記事に一日移動と書けば
それは24時間ではなく、公務員の就業時間の事。

289 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 12:36:33
>>287
???參問倭地は?  行って見て、確認し、照らし合わせたんじゃないの?

290 :doontakuka:2009/07/11(土) 12:50:17
>>285
倭人伝内に記載されたオーストラリアは、中国で認めた
日本固有の領土なのかな?

魏志倭人伝の
女王國東渡海千余里復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
は、倭地とも女王国とも不屬女王とも記述されていません。
只、有國皆倭種・侏儒國・裸國黒齒國とあるだけです。

日本固有の領土と表現できる領域は、
其北岸狗邪韓國七千余里 始度一海千余里 至對海【馬】國の
其とは倭のことですから狗邪韓國⇒狗奴國 迄でしょう。


291 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 13:00:12
>>286

向こうから押しかけて来て、官位まで受けた
臣下国だよ。

何の遠慮がいりますか


>>289

郡使なんだから
様々な目的の人がくるだろう

292 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:03:20
>>290
北緯39度って〜と佐渡〜秋田南部ですから、日本固有の領土とは現在の日本全土ですね。
あれ?其北岸狗邪韓國は其北岸ではなくなっちゃうw

293 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:09:58
>>291

>>62
卑弥呼に対して与えられた「親魏倭王」の称号は
卑弥呼個人に与えられた身分であって、卑弥呼を中心とした倭と魏の外交ではないから

294 :doontakuka:2009/07/11(土) 13:16:55
>>292
北緯39度って〜と佐渡〜秋田南部ですから、日本固有の領土とは現在の日本全土ですね。
あれ?其北岸狗邪韓國は其北岸ではなくなっちゃうw

何度も書いているように
倭地・邪馬壹【臺】國 の領域・狗奴國 の領域の方位の北は南で置換すること。
従って、東南も東北と置換して読むこと。
これは、歳差と鏡の文化をはめ込んであるからです。

其北岸狗邪韓國は其南岸狗邪韓國
と読む。


295 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:33:07
>>294
なるほど、少しだけですが判ってきました、
投馬国へは北へ水行二十日ですね、ウラジオストックあたりですか?

296 :doontakuka:2009/07/11(土) 13:34:19
至一大國・・・方可三百里
方可三百里とは一辺が七十五里の平方形を言う。
75里×432m÷1000=32.4 km2 
方可三百里=32.4 km2 ×32.4 km2 =1049.76 km2 


種子島の面積:444.99km2  屋久島の面積:504.88km² 硫黄島の面積:27.45 km2  口永良部島面積:38.04km² 馬毛島:面積8.4km² 竹島 :面積 4.2 km2 硫黄島:面積11.65 km2 黒島 :面積15.37 km2 
合計1054.98 km2  

至一大國・・・方可三百里は1049.76 km2 

一大國=在 稽東治【冶】之東=種屋久島の面積誤差は、わずかに5.22 km² に過ぎない。
一大國=種屋久島の地図が存在したことに疑いを持たない。


297 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 13:37:55
>>293
そうだよ
卑弥呼は政治家じゃないからね
政治外交なら
ちゃんと倭王達が昔から頑張っているし

でも、倭王達では民の不満があったから
民を引き付ける宗教家を女王に祭り上げたんだろう。
だから何時も使いは二人一組。

難升米に牛利
伊聲耆に掖邪狗
載斯に烏越

298 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:41:58
>>296
うそ嘘、大嘘  一大國を円とみなしてもその直径は13kmだよ。

299 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:49:05
>>297
昔も今も、外交は役人がお膳立てしてトップが行ってるんですが・・・
トップ無しの外交ってなんですか?

300 :doontakuka:2009/07/11(土) 13:56:00
>>298

うそ嘘、大嘘  一大國を円とみなしてもその直径は13kmだよ。

ジェンジェン意味がわかりません。

方可とは円ですか?
300里が直径なら129.6kmですよ。
13075km2 には成るな。
直径は13kmとの数値は何処から盗んできたのですか?

壱岐の面積は133.82km²しかないのだ。


301 :doontakuka:2009/07/11(土) 14:01:03
壱岐の面積は133.82km²しかないのだ。

可愛そうに、
直径は13kmを
室見川で拾ってきたのかな。^^;

302 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 14:01:52
【天孫が舞い降りた(天孫降臨)宇佐の地は、「亀山」か?「大元山」か?】

愛知県民さんのレスのとおり、宇佐の奧宮は大元山らしいw

昨日は、資料等あまりみてない状態(ほとんど記憶)で書き込みしたので間違ってしまったか。
今日、少し調べなおしてみたら、大元山ダネ。

ちなみに、宇佐神宮本田のある丘をあがる階段はちょうど100段あるらしい。
ほかにも、
百体神社の生首を埋めたといわれる「凶首塚」の霊を慰める為に、
宇佐神宮でも十月体育の日の前、三日間にわたり、「仲秋祭」というのを行ってるらしい。

303 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:02:48
>>265
遺跡や遺物は、考古学者やマスコミを経由して人々の目に触れるものだから、
そこで止まってしまったらほとんど知る機会がない。
また、重要かそうでないかもそこで判断されてしまう。

三角縁神獣鏡が重要な鏡に祭り上げられることもあれば、その逆もありうる
ということじゃないかな。
日田の鉄鏡は、遺物の質としても、年代的にも重要なのは間違いないと思う。
出た場所が気に入られなかったのかもしれない。

304 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:03:34
>>300
>>296をもう一度良く読んでね
方可三百里=32.4 km2 ×32.4 km2 =1049.76 km2 
と説明してくれてるでしょww

6.5×6.5×3.14=132平方キロだよ。

305 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:06:35
>>300
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org224984.jpg

306 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 14:06:52
>>299

トップはちゃんといるだろう。

政治のトップである王のリーダーと
本来、民のブーイングを解消するために立てた臨時の筈の宗教女王が

お互いのトップが
使者を立てて帝国詣でするの



余談だが
裴清が倭国を訪れた時に
先発隊より十日遅れて挨拶したヤシいただろう?


日本では持統天皇まで、そのような特殊体制が時々とられる。
所謂 大王(おおきみ)

307 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:12:58
>>306

余談が多いね

308 :doontakuka:2009/07/11(土) 14:13:22
>>304

6.5×6.5×3.14=132平方キロだよ。

だから、
直径は13km

何処から来たの。

壱岐の面積は133.82km²を
133.82km²÷3.14(π)=42.6178
42.6178 の平方根は6.528 km
と、したの。

此れは短里です。
と言いたいのですか?



309 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:14:44
>>308
>>305

310 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:14:46
>>303
昔は日田の鉄橋を研究すると、右翼差し向けられたらしいな

311 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 14:31:10
そういう特殊な政治体形を、文章の中では

『夏后少康の子』
『太伯之後』

で、言い表されてる。



…河童虫の、学校では教えてもらえない古代史…



おしまい。

312 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:32:33
捏造、カビ・崩落の次はインペイかよ

313 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:42:27
梅毒の妄想ファンタジーは終わったみたいだな。

314 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:44:19
ま、昔の学者は後期高齢者となって、
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が表舞台に出ら
れる時代に変わったってことで。

315 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/11(土) 14:45:51
日田の鉄鏡は卑彌呼ではないでしょう?
銅鏡ですから。

>>302
亀山、大元山、大尾山を宇佐三山というらしいです。
亀山のあと、大尾山には登りました。真夏の黒トンボが妖しげだった。


316 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 14:51:51
>>305
銅鏡=卑弥呼がもらった鏡
鉄鏡=卑弥呼クラスの人間が所有してた
ってことでしょ?

317 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 14:59:55
>日田の鉄鏡は卑彌呼ではないでしょう? 銅鏡ですから。

卑弥呼の鏡は銅鏡に対して、
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は鉄鏡ですから違うようですねw

>亀山、大元山、大尾山を宇佐三山というらしいです。
>亀山のあと、大尾山には登りました。真夏の黒トンボが妖しげだった。

大尾山登ってたんですか、初めて聞くような・・・。
黒トンボ?!どんなトンボだろうw

318 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 15:02:49
>>313

>>313氏が妄想の一言で片付けて仕舞うのは自由だが

319 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 15:03:31
>そういう特殊な政治体形を、文章の中では
>『夏后少康の子』 『太伯之後』 で、言い表されてる。
>…河童虫の、学校では教えてもらえない古代史…

その前に、河童虫さんは、河童師匠から教わったことを
ちゃんと理解してから、上記のような書き込みをしてはいかがだろうか?
聞いてるほうは何がなんだかさっぱりですわw

320 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 15:06:23
妄想と言ってる割には
全部レス読んだ様だね。
OK、OK

素直になれないのも、また老化の特長か?


しょうがねえなぁ

321 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/11(土) 15:06:39
>>317
「神様トンボ」ともいうらしいです。
きっと卑彌呼も見たことでしょう。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312425018

322 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 15:11:29
確かに金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は卑弥呼レベルの人間のものだな

323 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 15:11:42
>>319

別にわからなけるばわからないでもいいよ

既に何度も過去レスにて説明済み
それに、これオリジナルだから

324 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 15:28:29
>>319

君の場合は先ず、知らない言葉や知識が出てきたら
脊髄反射的にレスを返すのではなく
少なくとも『夏后少康の子』とは何か?『太伯の後』とは何か?
など、調べてからレス入れなよ

夏后少康の子なんて、調べるだけでも結構時間がかかるもんだよ

325 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 15:54:19
>>321
「神様トンボ」

オニヤンマなら見たことあるんですけどね〜w

>>322
>金銀錯嵌珠龍文鉄鏡

たしかに素晴らしい

>>323-324
>『夏后少康の子』
>『太伯の後』

説明よろしく



326 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 16:28:13
「青玉」←書いてあるのはサファイアなんだけど、

出土されてるのはヒスイの勾玉、青いガラスの勾玉

陳寿のミス?
倭=日本とは関係ない海外? 
「青玉」←これのことサファイアて信じてる人は、もう勉強不足としかいえませんよねw

327 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 16:35:28
もし、仮に本当にサファイアとしても
ヒスイとかのがふさわしいわけで、
魏志倭人伝←これっていいかげんな文献なの?てことになる。
かといって、まるっきりサファイアが産出されないてわけではないんですけど。

「青玉」←これが書き間違えてるのか?
「魏志倭人伝」←この文献がいいかげんなのか?どっちかだよね。

今ここで、何いってるんだ!って思う人は〜調べてみればよい。
それに、サファイアが、この列島で〜どれだけ取れるのやら...。

328 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 16:40:01
伊勢神宮の杉の木

伊勢神宮へ行ったことある人ならわかるが、樹齢何千年の杉がある。
しかし、倭人伝にあるのは・・・・・・。 誰か踏んで!


329 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/11(土) 16:57:49
投橿
東洋史学者の那珂通世氏は「投」を「艨vの誤りとし、「杉」とする。
しかし、これはあまりに恣意的だと思われます。
投馬国の謎と関係していたりするのかな?


330 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/11(土) 17:14:43
青玉
孝元天皇の妃・埴安媛は河内(かわち)の青玉繋(あおたまかけ)の娘ですので
日本にあったもののようです。
出雲国造の神賀詞にも「白玉の大御白髪在し、赤玉の御阿加良び坐し、青玉の水江玉の行相に」
とあります。
出雲の青玉は瑪瑙(メノウ)説が有力のようです。

331 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 18:34:34
>>309
方・・里の意味をまったく知らない人と話しても無駄だよ。

332 :畿内説の改め:2009/07/11(土) 21:41:04
>>329 「投橿」
う〜ん どうでしょうね。
投馬国....今は一緒に考えていません。
>>330 「青玉」
あったのは知ってるんですよ。
岐阜を中心にその付近から産出されてます。

しかし、よく寝たなーっ・・・真夜中、寝れそうにない〜w

333 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/11(土) 22:16:20
あおによし〜 は 山の緑と建物の赤の対比ですか〜。


334 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:27:30


 春過ぎて夏来るらし 白妙の衣干したり 天の香具山

持統天皇(女帝)。
母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、遠智娘(おちのいらつめ)。
宇治山田もそうですが、邪馬台国(山田国)の流れをくむ
山田の血を引く女帝の活躍は目覚ましいものがありますね。

ちょっと感動モノです。

335 :改め:2009/07/11(土) 22:27:44
>>333

そんなことより、桂川氏を連れてきて下さいよw

336 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:29:43
おっと〜山田馬鹿が現れたかw

邪馬台国は「山田国」じゃないよw

337 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:31:10
>>333
>「青丹よし」は、枕詞だが、青々とした街路樹や、赤い色彩の宮殿の並ぶ奈良の都の形容

現実は緑々とした街路樹・・・やはり古代日本では緑と青を区別していないのか?
赤、紅、朱などは区別できていたんだろうか?

338 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:59:02
>>333
丹とは朱色のことです。奈良は朱色でしょ。

339 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:02:24
持統天皇=天照=卑弥呼とういう説までありますよ。

340 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:06:59
青に朱を足して紫となる。緑はありふれた色だったのではないか?

341 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 23:21:45
【魏志倭人伝】
官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮

倭人伝に記される邪馬壹國の官は4人いる。
よって、官の種類に関しても4段階あったのではなかろうか?

【官位】 ※一般的な官位
正/従 第1位 太政大臣/左大臣 クラス
正/従 第2位 右大臣/内大臣  クラス
正/従 第3位 大納言/中納言  クラス
正/従 第4位 卿/大夫     クラス

【魏志倭人伝】
其六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授

魏国への朝献を機に「黄幢」を授けられた〜大夫難升米さんは、
大出世したのかもしれない。
よっぽど立派は人物だったのか、魏国から気に入られてるようです。

342 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:27:38
>>341
現代にもそんな糞高級官僚が一杯です。何時の世も変わりませんw

343 :うましか:2009/07/11(土) 23:28:32
>>337

万葉集で色彩を直接表現したものは少ないですよね。

代表的なのは

 『春者毛要 夏者緑丹 紅之 綵色尓所見 秋山可聞』 詠み人不詳

 春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも

 歌心が無いので具象的な題材の歌なのかどうかもわかりませんが、
 春の新緑(萌黄色)と盛夏の(みどり色)は識別していてたようですね。

 「青(あお)」は、今のコバルトブルー系だけでなく、藍色や萌黄、深緑などを総称した表現なんでしょうね。


344 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:31:51
塩基性炭酸銅(孔雀石型)
この顔料は、奈良時代には奈良の大仏で有名な長登の銅山などで
産出されましたが、きわめて貴重なものだったらしいです。

http://homepage1.nifty.com/namakemono/material/g_malachite.gif

345 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:33:19
>>343
緑なんて色はその辺の草木から得られたでしょうね。
しかし、青となると探し回る事になったでしょう。
さらに、紫を得るなんて三世紀じゃ無理だったでしょうね。

346 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 23:37:12
>三世紀じゃ無理だったでしょうね。

人類の誕生は、縄文時代からじゃないよw
君の言い方だと、そんあかんじに聞こL。
「弥生時代」と近代の「明治時代」と比べてみても、そんなに変わりないかもしれませんよ?

347 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:45:15
>>346
×紫を得るなんて三世紀じゃ無理だったでしょうね。
○紫を得るなんて三世紀に於いては興味なかったでしょうね。

348 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/11(土) 23:49:46
>>347
>×紫を得るなんて三世紀じゃ無理だったでしょうね。
>○紫を得るなんて三世紀に於いては興味なかったでしょうね。

180度逆だてwwwwwwwwwwwwww

×紫を得るなんて三世紀に於いては興味なかったでしょうね。
○紫を得るなんて現在に於いては興味ないでしょうね。

やたら、カラフルな弥生人w
まあ、現代人よりオシャレだっただろう。

349 :日本@名無史さん:2009/07/11(土) 23:50:36
3世紀?
>佐賀県吉野ヶ里遺跡から発見された絹織物片には、わずかに紫の染料が残っており、分
析の結果、これが弥生時代の貝紫による染色であることが判明し、大きなニュースになりました。

350 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/11(土) 23:55:36
参考迄に


青色染料は、藍から採り、そこから出来た言葉に

『青は藍より出でて藍よりも青し』…荀子勧学…

があります。



ま、河童の話しですし
話し10%、ヲタ90%でヨロ

351 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 00:01:03
>>348
俺様はな、表現力が低いんだから許してよww
紫は貴重な色って言いたかっただけで自分に反論するのは難しいww、

352 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/12(日) 00:03:56
イスラムでは緑が最高の色らしい。
砂漠では緑が憧れだからか?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97

353 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 00:10:52
これはずっと後代のものだが、日本人の色彩感覚の一端はわかるね。
http://www.colordic.org/w/

354 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 00:13:45
>>350
爺共は皆知っています。でもありがとね

355 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/12(日) 00:17:42
>>351
>自分に反論するのは難しいww

君は、昼間の自分を虐める人かw も〜っと短くいえば、自虐www


>>352
>イスラムでは緑色?

すると、日本はアカですか?w
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97

356 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 00:24:25
>>355
>日本はアカですか?

政権与党は共産党じゃありません。
日本の色は公明党の三色旗です。○○○会万歳、永遠に不滅です。

357 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/12(日) 00:38:48
三角縁神獣鏡

内行花紋鏡

有名な鏡なんだけど、方格規矩四神鏡とか、
他の胴鏡のが見栄えがいいと思うのはわたしだけだろうか?


358 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 00:59:04
またまた参考までに

『あをによし』
万葉集にて27首あり

・青丹吉…………12首

・青丹余之………2首

・青丹与之………1首

・青丹余志………1首

・緑丹吉…………1首

・阿乎尓余斯……1首

・阿遠尓与志……2首

・安乎尓余志……1首

・安乎尓与之……4首

・安遠邇与之……1首

・安乎尓余之……1首

359 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/12(日) 01:10:12
↓これ観に行ったな〜懐かしい
http://inoues.net/museum/ama_hira.html

「樹木」
1尾1個調べなくても、ここに書いてあるではないかw
http://inoues.net/nyumon/wa7.html

魏志倭人伝に載る「字」を1つ1つ調べるのにどれだけ時間かかったかw
私は、成し遂げるまでに、かなりの時間を費やしたわけだが、
もっと頭を使えば、きつい思いもしなくて良かったかもしれない。
ハッキリ言ってしまえば、いろんなところで見る翻訳文とそう変わりはないってw


360 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 01:10:31
「青丹よし」・・・この場合「青丹」は青色のみを表すのではなく、「赤や青などの色彩が美しい」
ほどの意味。「よし」は「良し」ではなく、「よ」「し」どちらも間投助詞。

361 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/12(日) 01:26:05
>>360
>「青丹よし」・・・この場合「青丹」は青色のみを表すのではなく、「赤や青などの色彩が美しい」
>ほどの意味。「よし」は「良し」ではなく、「よ」「し」どちらも間投助詞。

時間の経過とともに上達していってるじゃねーかwwww


362 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 01:28:45
またまたまた参考までに

『あをによし』
↓↓↓↓

『あをにほし』

363 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 01:35:57
奈良県の中央部吉野山が青や朱に染まり美しいってことでんがな。

364 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 01:37:14
またまたまたまた参考迄に

『あをによし』の(し=之)は 接続詞

365 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/12(日) 01:49:09
邪馬台国研究の井上氏てよく調べてるね。

↓調べなくても、全て、ここに書かれてるではないかw
http://inoues.net/index.html

さて、寝ようw

366 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 01:51:17
青丹だけで奈良の枕詞になるんですか?
吉野山の吉があってこそ奈良の枕詞でしょ。青丹吉 掛け言葉でんがな。 

367 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 01:56:54
>>365
×調べなくても、全て、ここに書かれてるではないかw
○調べば、全て、NETに書かれてるではないかw

368 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 06:03:51
>>359
大陸における漢字には「熟語」ってのは存在しないよ
漢字に「訓読み」を付けたり、2つ以上の漢字を組み合わせて1つの言葉とする「熟語」って使い方をしてるのは日本だけだよ
漢字ってのは、表意文字であって、「物」などを一文字で表す字なんだよ


例えば「さかな」
これを「魚」って字にしたとする
んでもって、「サバ」ってのは「青い魚」だから、サバを表す字としては「鯖」って字を作る
そうやって「鰹、鮪、鮎、鮫、鯰、鰻、鯛、鰺、、、」と次々に造られてたのが大陸に置ける漢字
ただこれだと、とにかく限りない字が必要になる
日本は、こんなバカ見たいに幾つも漢字を作らなくても「秋刀魚、岩魚、女魚」とか2つ以上の漢字を組み合わせて1つの物を表す「熟語」って使い方をしてたんだよ
大陸では「樹木(じゅもく)」なんて書き方しないよ
「木・喜・寸」で「樹」だよ


「字の意味を調べる」って意味解ってるの?
例えば干支の「子(ね)」は、「一(はじめ)+了(おわり)」って意味の字なんだよ


あと例えば「事・亊」は同じ字だし「韓・乾」も同じ字だよ


369 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 06:38:47
>>359
悪いけど、その井上って人は、そもそも大陸で漢字はどう使われてたのかとかを、まるで理解してないよ
そもそも近代の支那にあったモンゴル帝国(元)も明も清も満州国も、漢字とは別の自民族の文字(モンゴル文字、マンジュ文字、ハングル文字、キリル文字など)を使ってた民族の王朝だよ


・表意文字(表語文字)→象形文字・漢字・記号・絵文字、顔文字(^_^)v

・表音文字→アルファベット、カタカナ、平仮名、神代文字、ギリシャ文字、シュメール文字、満州文字、モンゴル文字、チベット文字、ハングル文字

例えば「おはよう。いいてんきだね」って言う言葉の文章は、漢字や象形文字や顔文字などの表意文字では書けないんだよ
例えば中国のニュースキャスターの原稿に書かれてる文字は、漢字じゃなく、ローマ字だよ
(中国は建国されたときに発音表記文字としてローマ字を採用)


例えば今の中国人に「この漢字で書かれた魏志倭人伝などの漢文を読め」って言っても読めないよ
つかそもそも漢文って「読む」為の文字じゃない訳だから

つか、言ってる意味解るかなあ?

370 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 07:35:56
例えば記紀ってのはさ、漢字に万葉仮名で和訓(やまとことば)が振って有るから、日本語の発音で読めるんだよ
日本では漢字には記紀の時代から既に神代文字の1つである万葉仮名で、和訓(訓読み)が付けられて使われてたんだよ
ちなみに平安時代の「類摂名義書」には1つの字に対して30種類以上の和訓(日本言葉の発音)が付けられてるんだよ
つかむしろ、漢字ってのは和訓(訓読み)を付けなければ、日本語を表す文字として使えない字だよ

もし漢字に訓読みが付いて無かったとしたら「天照大神命」は「テン・ショウ・タイ・シン・メイ」としか読めないんだよ

「テン・ショウ・タイ・シン・メイ」
こんな言葉日本語じゃないし、こんな名前の神様もいないよ

アマテラスオオミカミノミコトって神様がいて、漢字(意味)で表すとしたら「天照大神命」
ただしこのままでは「テン・ショウ・タイ・シン・メイ」になっちゃうから、万葉仮名や日本仮名で「あまてらすおおみかみのみこと」って、訓読みを付ける
これでようやく、漢字は日本語でも使える文字となるんだよ

ちなみに訓読みなんて何種類もの発音や読みを付けて使ってる国は日本だけで、例えば今の中国人に漢文を読めって言っても音読みで発音するだけしか出来ないよ
そもそも中国人に取っての漢字ってのは、字を見て、意味を読み取る為の文字でしかなく、読み書きする為の文字じゃないから

371 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 09:08:08
>>368
美濃もん太君


漢字は記号の組み合わせだよ。確かに君の主張の通りだけど 単に「至+リ」だけで解決する問題じゃない。

372 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 09:50:40

「あを(お)にほ」(し=之)「なら」

373 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 10:04:46
>>368
美濃もん太君。


>一(はじめ)


どうして「一」は“はじめ”なんだい?

374 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 10:13:02
× 文字を持たない日本は大陸から伝わった漢字を使用した

これが間違いだって事ぐらい普通に考えれば解るでしょ?
1、「あ・い・う・え・お」などの発音を表す「表音文字」を創作
2、新たに意味を表す漢字や梵字や数字などの「表意文字」を創作、または使用

記紀や百済から貢朝された漢字の書には万葉仮名が振ってある事からも解るように、まず万葉仮名のような表音文字を持って無いと、その漢字をなんと発音していいのかって事すら表せないんだよ
例えば文字を持って無い国に「(+_+)」とかって言う感情を表す表意文字の顔文字が伝わったとする
顔文字では「悲しい、泣きたいよ」ってのを「(>_<)、、(T_T)」って書く
んでもって、じゃあこの顔文字をなんて発音するのかってのは、表音文字でしか表せないから、表音文字を持って無ければ、漢字にしろ顔文字にしろ、単なる絵や記号でしかないよ
文字ってのは発したその場で消えてしまう「言葉」を伝え残す為のものだよ
だからどの民族や国もローマ字や平仮名や、とにかく「表音文字」ってのは持ってるんだよ
ちなみに自国の表音文字を持たない中国って国は
漢字を表す為の文字として、欧米から伝わったローマ字を使ってるよ
「辛(pinin)」とかって、発音表記は欧米の文字を使ってるのが中国
ちなみに日本では「辛(音:シン 訓:からい、つらい)」って、昔からある自国の文字を使ってるよ
更に日本語で発音出来るように訓読みまで付けたりもしてる


和歌や短歌などを詠うなんて事は、既に神武天皇の時代からやってる事で、和歌や短歌なんかは表意文字の漢字では唄えないよ

375 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 10:28:42
美濃は万葉仮名が漢字だってことも知らないんかな。

376 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 10:30:56
>>373
「イチ」って読むって事?
それは音読みでしょ?

和訓(日本語の言葉を当てた発音)では「はじめ」とか「ひ」とかだよ
「一、二、三」って「ひ、ふ、み」だよ
(まあ方言によって違う場合もあるけど)



あとさっきの「樹木」なんてのもあったけどさ、ああいう漢音読みさせる熟語ってのは、造語って言って、明治時代に造られたものだよ
「樹木」なんて書かなくても「樹」だけで同じ意味なんだよ
それを「木」を付けて「樹木(じゅもく)」って言う造語を作ってる
こういう造語って探せば沢山あるよ
「音楽」もそう
本来は「楽」の字だけで「おんがく」の意味なんだよ
それに似た意味の「音」を付けて「音楽」って造語を作った
「森林、衰退、衣服、住居、、」
この辺も全部、明治時代に造られた造語だよ
「もり・はやし、おとろえる・しりぞく、すむ・いる」
てのが、本来の日本語だよ



あと「賛成・反対」なんてのも、国会だの政府だのを作って民主主義を導入した明治政府が作った造語だし

377 :doontakuka:2009/07/12(日) 10:58:10
『晉書』四夷傳 倭人の条
「漢末、倭人亂、攻伐不定。乃立女子爲王。名曰卑彌呼、宣帝之平公孫氏也。」

公孫氏は北緯39度で滅亡。
南至邪馬壹【臺】國 女王之所都の女王之所都とは北緯39度以下の緯度の処を云う。


378 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 11:01:22
>>375
「漢字(カンジ)」
これも造語だよ。音読の組み合わせの言葉。つまり元々あった日本語の言葉じゃない
じゃあ「漢字」って造語が造られる前の古来の日本人は、「かんじ」って言葉とは違う言葉で読んでたはずなんだよ

んで、いま調べたらさ、近代になって漢字て言葉が付けられる前までは
「まな(真名)・まあざな(真字)」
って呼ばれてたってさ
日本語で「まあざな」って字だよ



で、万葉仮名(マンヨウカナ)も調べたよ(マンヨウなんて造語だし)
万葉仮名ってのは「かりな(仮名)」ってのが本来の日本語
○○仮名は「かりな・かんな(仮名・仮字)」だってさ


カンナってカンナビじゃないの?
字、大字ってのもカンナビの事だしさ

379 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 11:03:04
>>376

「一」を“はじめ”と意味付けするには
「一」は単一の存在ではなく、「一」の後に続くものを含めた「一」でなければ、はじめと言う意味表現は出来ないと言う事。
つまり
「一」を“はじめ”と意味表現された時は
既に「一」には数詞と言う別の表現が存在していた。数詞で使用されていたからこそ
「一」は“はじめ”と初めて意味付け出来ると言う道理。

よって
「子」を分解して
「一」を“はじめ”と意味表現する事には無理がある。


無理ん通せば道理が引っ込む。

380 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 11:08:59
>>375

それは飽くまで近世での見解であり、仮名が誕生した時に
作り方を説明されたわけじゃない。

ただ
今は誰も反論しないだけだから 大本営発表の如く
まかり通っているに過ぎない。

381 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 11:20:27
×漢字(かんじ)

○まあざな・まな(真字)

「漢字」なんて呼び方は明治時代に付けられた呼び方だね
唐傘(からかさ)、唐辛子(とうからし)、支那蕎麦(しなそば)、シナチク、唐モロコシ、、
支那を「漢(カン)」とは読んでないよ
「漢・乾(カン、ハン)」って呼ぶのは「漢城、漢河、乾国、乾語(ハングル)」て、今の朝鮮半島の河北部の呼び名で漢だし


「まな」で思い付くのが、朝鮮半島北部の女真族(まなぞく)だよ
女真字(あまな)を使ってた民族
てかモンゴル王朝の後は、清王朝までが女真民族の王朝だし


女真族の作った文字が真字て事で、真字て意味だと思うよ

まあ「漢族が作った字だから漢字」って言う解釈も、漢て女真族の事って解ってりゃ間違いじゃないけど、漢を中国の事と勘違いしてるなら、間違いだよ
前から思ってたけど漢字って中国が作った字じゃないよ
そもそも中国人が漢字を使えてねーもん
中国人に「この漢文読んでくれ」って渡しても、漢字って中国人に取って外国語と同じようなものだから、あいつら読めないんだよ
そもそも中国人は漢字で北京語を書くのも無理なんだし

382 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 11:24:53
>>376

本来「楽」には「音」の意味が含まれていないから
音を加えるに至ったんだろう。
つまり
“楽=おんがく”に対する姿勢の変化が「音」を必要としたからこそ、「音楽」の文字。

★楽器を扱う、音色を聞く、総合的な行為を観る側、行う側…etc…

表現は様々だよ

383 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 11:30:10
>>381

確かに、
古代漢籍に関しては、日本人も中国人も
レベルは一緒だからね

中国人だから理解出来ると言うしろもんじゃない。

384 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 11:30:32
とうもろこし=唐唐?

美濃もん太はまともジャン。

385 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 11:32:57
>>379
「子、丑、寅、卯、」の「子(ね)」の事を言ってるんだよ?


干支ってのは数字とちがい、また「子」に戻って来るでしょ?
「一、了(はじめ、おわり)」ってのは、循環する見たいな意味だよ
要は時計や方角を思い浮かべて下さい
明治時代前までは、時計や方角や天体とか、今のアラビア数字じゃなく、12分割して干支で表してたんだよ
「丑三つ時」とか「寅の刻」だよ

ちなみに干支の「午(うま)」ってのは、12分割した干支の丁度、半分の意味か何かだった気がするよ
だから午を境に午前と午後だよ

あと時刻での干支ってのは、朔(ついたち)がスタート
だから月が朔の位置に来る今の夜中の12時ぐらいが月の「一(はじめ)・了(おわり)」に当たるから子の刻だよ

つか「一」を「はじめ」て読む事とかって別に常識でしょ? 名前でも「はじめ」っているじゃん


386 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 11:48:32
>>385

循環には
始めも終りも存在しない。(からかさ連判)

387 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 11:51:08
>>383
漢字の使い方や新語(新しい漢字を作る事)にカンしては、中国より日本のがレベル上だってば
そもそも中国て、漢字ってのは、言葉や語源を表せない文字って知らないでしょ?(つか多民族、多語源を統一民族、統一語源と見せかけられる字が表音を表せない漢字だったから、中国は漢字を共通字としたと言う話もある)

表意文字の漢字てのは、表音文字と組み合わせて初めて文字として使える字だよ
中国見たいに文字は表意文字の漢字だけしか持たないなんてアホの国は無いよ
漢字仮名混じりの日本、同じく、ハングルの朝鮮や、女真字の満州(女真族、清王朝)

モンゴル民族、タイ民族、チベット、ウイグル、ハルピン、、、

ちなみにアジア圏に広まった文字としては儒国の漢字の他に、佛国の梵字もある
これも表意文字で、日本でも梵字は漢字とは別の文字として、まだ日本やアジアの一部では使われてる文字
にしても、漢字より梵字の方が普及してたインド付近や東南アジア諸国の国々も、梵字+表音文字を持ってたよ
インドネシアもフィリピンもベトナムもインドもさ

梵字や漢字は誰が誰に伝えたとかじゃなく、宗教と共に普及した宗教文字見たいなもんだよ
儒教は漢字、仏教は梵字
韻を踏んだりとか、意味を表す為の字であって
漢字はそのままじゃ、語源や言葉を伝えれる字じゃないよ


「ナンミョウホウレンゲッキョ」なんて、あれ何人の言葉でもないから
あれは、ああいう読み方をして韻を踏んでるんだよ

388 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 12:10:33
>>382
だったら
×楽器
○音器
の筈でしょ?
「楽」てのは英語で言えば「ソング」とか「リズム」とか「メロディー」とかだよ
別に似た字を組み合わせて「音楽」でも良いけど、本来の漢字の意味ってのは
音=おと
楽=リズム、音調
とかの意味すよ

音て字には楽の意味は含まれないけど、楽は音を付けなくても


1字で意味を表す為に作られてる訳だから
「樹木」なんて、「木・嘉・寸・木」でしょ?
別に「木」を付けなくても「樹」だけで樹木の意味なんだよ


「再会」ってのも「会う(あう)」だけで良いんだよ
つか、こういう造語って明治時代に一気に造られて、明治政府が藩校を廃止して統一教育をして普及させた言葉だから沢山あるよ
つか「政府」なんてのもそうだしさw
「まつりごと・はん」だし


389 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 12:18:07
言語学を覚えても、古代史とは関係ない。

390 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 12:21:00
>>389
言語学と古代史を究極まで学んでからでないと判断出来ないだろう。

391 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 12:24:09
埼玉稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文には、「辛亥年七月中記す」とある。
還暦とは60年のことだから、1500年も後になって、よもや60年前の出来事を混同する
とは夢想だにしなかったのだろう。
稲荷山鉄拳の辛亥年とは471年、ワカタケルとは雄略のことであり、すでにこの時期、
大和朝廷は関東を支配下におさめていたことが分かる。
その礎を築いたのが、崇神天皇と豊城入彦であり、景行天皇とヤマトタケルであり、
雄略とオオヒコだったことがわかります。
要するに、大和朝廷とは東国の軍事力経済力によって支えられた王朝だったのです。

392 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/12(日) 12:32:03
>>391
>辛亥年七月中記す

後のほうでも「記吾奉事根原也」と言っていて「記」が重複している。
「記」は氏の名ではないか? 記の乎獲居臣

393 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 12:32:21
>>386
だからくっつけちゃって、「子」なんだってば

干支は12進法(12×10法)
数を数える10進法の一、二、三、四、(ひ、ふ、み、よ)とは意味が違うよ
近代ローマが作った「西暦」とか、明治政府が作った「皇記」ってのは「○○年前のあの年が始まり」てやってるでしょ?
暦に始まりも糞も無いよ
つかやるなら「今年は宇宙がスタートして50億6952150年」てやれよなってなるしさw

江戸時代以前は「甲子年」とか干支表記だよ
んで、同じ干支に戻れば還暦を迎えるよ

要は暦ってのは歳星や太伯の位置とかを表す為の物なんだから、干支を辞めて西暦なんかに変えちゃえば、歳星の位置とか動きとか把握出来なくなっちゃうんだよ

つか明治時代になって新暦に変えた事で、あと何十年か立てば春分や秋分の日にちが解らなくなるって事になってるよ


卯月(梅雨など雨が多い旧暦の6月)が新暦では5月になってるし
水無月(水が少ない月、旧暦の7月)が新暦では6月になってるしさ

七夕も旧暦の7月7日ってのが、月と太陽の位置から、一年で一番、夜空に月光が届かないから、天の川が一番綺麗に輝いて見える日だよ

キリスト暦の7月7日に短冊ぶら下げて、彦星だなんだ言っても、星祭になってないよw
日にちを間違えちゃってる訳だからw


もう日本の文化や伝統を、意味も解らずクリスマスみたいなイベント的な感覚でやってるなら止めた方がいいよ
なんか伝統や文化を伝えてきてくれた昔の日本人に対しても神様に対しても失礼な気がするし


394 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 12:47:58
>>389
言語学なんて学んでるつもりは全く無いよ

漢も漢字を作ったのも中国じゃ無いって言ってるんだよ
そもそも歴史ってのは、学問や研究とかとは関係無い物だと思ってるし
歴史を歴史学やら考古学やらにしてる奴がバカなだけだよ

歴史ってのは、先人が伝えて来てくれた事が歴史だよ

魏志倭人伝に「日本は縄文時代には邪馬壹國の女王が治める女王の国があった!これが日本の発祥だ!幻の邪馬壹國だ!」なんて書いてあるかあ?

そんな事を言ってる奴は近代の歴史学者って奴らだよ
奴らがどんなに何を学んで考えた説なんかより、先人が伝え残してくれてる事が歴史であり史実だよ
そもそもどこにも「漢文は中国が作った!」とか、「日本は文字を持ってなかった」とか書いて無いしね

単なる学者の妄想と歴史の区別が付いてないんすよ
進化論だのビッグバンだの、あんなのも単なる妄想でしかないよ
何が人類の暦史だっての

395 :doontakuka:2009/07/12(日) 12:59:31
『晉書』四夷傳 倭人の条
「漢末、倭人亂、攻伐不定。乃立女子爲王。名曰卑彌呼、宣帝之平公孫氏也。」

『後漢書』
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
の『倭國之極南界也』の南を北で置換して『倭國之極北界也』。
『極北界』とは、北緯39度である。
又、
『山海経 海内北經』
「蓋國在鉅燕南倭北倭屬燕」
と、有る。
公孫氏は、公孫 淵の景初2年(238年)8月23日を持って滅亡。
が、
公孫 淵は遼東の地で自立し『燕王』と称した。
『燕王』と『倭屬燕』の『燕』。
又、
公孫 度の 字は升済と言う。
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻

『升』の一文字が重い。


396 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 13:03:01
>>393

数詞の「一」にしろ
干支の「子」にしろ

“はじめ”と解するには
単一じゃないと言う事

グループの存在があるから「はじめ、おわり」の表現が存在すると言う道理

だから「子」の「一」を“はじめ”と解するのには矛盾があるの。

それに「はじめ」と言う言葉が存在出来るには、必ず「はじめ」と区別しなければならない区別すべき言葉が、他に存在するからこその言葉。
で、子の“はじめ”に対する区別言語は、何処に存在するのかな?

397 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 13:03:12
あと「倭」と「魏」の漢字の意味も考えてみた方が良いよ

「魏」って中国の朝廷を指す意味の字じゃないよ
倭=人委
魏=委鬼

表意文字の漢字ってのは、人名や国の名前は表せないんだよ
ウズベキスタン国
ハムナル・タ・アハハチウババ大統領

今の中国人にコレを漢字で書けって言っても書けないよ
漢字ってのは、そういう文字

だから清王朝とかの女真族も、漢字とは別の女真字を使ってたんだよ

398 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 13:08:38
>>397

だから「国」じゃなくって「國」だって

399 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:19:34
中に王がいるのが国でというのは俗説。
國は国の旧字にすぎない。従って使い分けは無意味。

400 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 13:25:40
>>396
干支の「子」を「はじめ」とは言って無いってば

ヒモがあるとする。両端に「一」と「了」

その両端を持ってくっ付けたら「子」と言う字になって、いっぽんのヒモだったものは、円になるよ
コレが干支
時計の針がぐるぐる回るのと同じ
1日を12分割して、干支を割り当てたのが時刻
数字を割り当てるってのは、本当はおかしいんだよ



ちなみに深夜の12時を子の刻としてた訳じゃなく、朔(月が一ヶ月の間で太陽に一番近づく日、3日後が新月)を子としてるだけだよ

昔は日付も干支(十支12支)で表してたけど、朔が月の始まり(○月の甲子)。朔から15日目が15夜で満月になるんだよ
ちなみに今の新暦なんてのは、月の位置がどうだとか全く解らないよ
一年を365日(閏年を4年に一度)と簡略化しただけの暦が今使ってる暦だから

この新暦が造られたのが約400年前だけど、日本が新暦を導入した約100年前には、旧暦と約1ヶ月もずれてた

つまり新暦と旧暦では、300年で約1ヶ月も誤差が出る
ちなみにより正確な暦は、日本が使ってた旧暦の方だよ


401 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 13:27:09
>>399
単なる旧から新への移行ども
移行した理由があるだろう?

否定する理由はなに?

402 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 13:32:21
>>399
國は「地域」の意味だよ
「地域」なんてのは明治時代に造られた造語だよ

「國に帰らせて頂きます」
これが元々の「くに」の意味だよ
そもそも国家なんて観念が産まれたのは産業革命の時だよ



403 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 13:39:21
>>400

紐に 「はじめとおわり」の概念を付加するのはなぜ?
恣意的な解釈すぎないかい?

404 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 13:42:10
>>395
×景初2年=237年

年代に関しては、「237年」てのが当たり前のように言われ過ぎ
干支も書かれて無いのに、年代なんか特定出来る訳無いじゃん

それぐらい解らないの?


405 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:42:36
域の原字。
元、「或」を「くに」と読んだ。
「戈」は矛で武力、「一」は土地、「口」は領土を表す。
しかし、中原は争いが已まないので、領土は不安定なものであった。
よって「あるいは」と読む。
やがて統一が進むとより強固な領土を保有する。
それが国構えをつけた「國」である。

406 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:43:53
大日本帝國憲法の國は国そのものですよ。

407 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:50:52
或いは、亦は、若しくは・・という言葉は歴史につきものです。
あいまいな国境線、あいまいな王権、あいまいな支配体制…
広い国土を囲ってしまおうと考えたのは秦の始皇帝くらいのものです。
たいていは小さな城壁の中で安堵していました。
國という字は、言い当てて妙です。

408 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 13:52:55
>>406
何時の時代の話しをしてるんだい?


旧字から新字が移行したのであれば
旧字は何時の時代になっても新字をカバーできる。
しかし、
新字は、旧字から新字への移行理由を添えないと、旧字をカバーする事は出来ないとする理屈だよ。

409 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 13:56:46
>>405

その説明に疑問感じない?

410 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/12(日) 13:57:35
秦の始皇帝が、いまだに中国を呪縛しています。
中国は始皇帝以前のように分割・民営化したほうがいいんでしょうが・・・難しいでしょうね。


411 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 14:00:39
>>406
そもそも「魏國」とか「呉國」とかすら書いてない
魏やら呉なんてのは「くに」ですら無いってば
例えばモンゴル帝国が攻めてきた「元冠」
この「元」ってのはモンゴル帝国って意味じゃなく、氏族てか勢力を指す呼び名だよ
ちなみに秦なんて國も王朝もないよ
そもそも大秦ってのはローマを表す言葉だし
秦はローマからの移民の氏族の事だよ
例えば中東イスラエルのローマ地方から移民してきて、日本に蚕産業を伝えた渡来氏族の和爾氏、湊氏、幡多氏、王仁氏らは「秦」だよ

彼らが古代イスラエルの失われたなんちゃらって氏族でしょ?
ちなみに古代イスラエルやシュメールやアーリアは黄色人だよ
あとイスラエル帝国がローマに滅ぼされたりキリストが死んだりなんてのは、2000年前とかそんな昔の事じゃないよ


412 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:02:55
漢字では 河童虫 が上。

歴史では美濃もん太 のが上かな?

413 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 14:10:24
>>406
「くに」って日本語の意味を考えなよ

日本の大和朝廷と幕府が滅ぼされて、欧米の国家観念の元に、民主主義だの国民主権だの選挙権だの、フランス産業革命以降、メーソン達が唱えて来た国家観念の国になった出来事が明治維新
それを薩摩藩にやらせたのがグレバーだよ
それ以降、「くに=国家」を指す言葉になった


で、それ以前までは「くに」は何を指す言葉だったのかって話だよ
「國に帰らせて頂きます」の「くに」の意味だよ


414 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 14:19:46

>>413

「くに」と言う言葉は

「く」な
「く」ね
という連用される言葉を静止させる事によって「くに」と言う名詞形を作りだすものだよ

だから
そこから考えないと、全て中途半端な
梯子外しの解説になる。

415 :405:2009/07/12(日) 14:22:37
>>409
君はどう感じたんだ?


416 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 14:30:56
「あるいは」「若しくは」「不安定」

などと言う解釈を持ち出すのは、後世の学者が
学者特有の上から目線で見下した見解。

当時、誰も「あるいは」なんて考えを持って
支配領地を治めていないよ。当時はそれが最高の守りと考えて行動しているし、不備や不安があれば、必ずその不備不安を解決するのが
生活の知恵。

後世の発展した目線で評価すれば
不備不安に写るものでも、当時はそれが最高なの。

417 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:32:06
>>404 :美濃もん太
×景初2年=237年

年代に関しては、「237年」てのが当たり前のように言われ過ぎ
干支も書かれて無いのに、年代なんか特定出来る訳無いじゃん

それぐらい解らないの?


景初三年正月(239)魏明帝崩御
三年春正月丁亥、太尉宣王還至河内、帝驛馬召到、引入臥内、
と、
あるけどね。
景初三年は238年で問題ないと思いますが?


418 :doontakuka:2009/07/12(日) 14:33:55
>>417

× 景初三年は238年で問題ないと思いますが?
◎ 景初二年は238年で問題ないと思いますが?

419 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:34:42
>>416
國という字の成り立ちについてはどう思う?

420 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 14:43:42
日本の歴史上の人物の名前
・あまてらす
・いわれびこ
・すさのお
・さなとらくらま
・そがのえみし
・おだののぶなが
・とよとみのひでより

大陸の歴史上の人物の名前
・ナポレオン
・イエスキリスト
・チンギスハーン
・もうたくとう
・しょうかいせき
・そんぶん


漢籍書にある「武帝」とか「光帝」てのは、これ名前じゃないから
例えば「フランス、ナポレオン国王」ってのも、漢字で「佛始帝」とか書くと、ヨーロッパの白人の皇帝の事とは思えなくなるでしょ
あと「帝」てのは、日本語では「みかど」
みかどを天皇や皇帝の意味だなんて説明してるHPもあったけど「中御門天皇(なかみかどてんのう)」ってのがいる
だから少なくともこの時代までは「みかど」は日本語では天皇や皇帝の意味じゃないよ

「みかど」って、日本語では基本的に土地の名前だよ
みかどの乱とかってのは、みかどで起きた乱の事だし
漢字で書けば「御門の乱、帝の乱」とかだよ
そもそも「皇帝(こうてい)」なんてのは造語だよ
「皇」の字だけで「おう」な訳だから、帝は関係無いよ
「皇帝」を日本語読みすれば「すめらぎのみかど」だし



421 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:45:48
>>420

>>412は取り消すね

422 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 14:50:00
>>419

道理から考えれば

「或」と「口」からの構成で(もっと細分化出来るが)

「或」とする確定されない様々な物事を、範囲を設ける事で確定させる表現。

423 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:56:47
>>422
字って、元から沢山あった訳じゃなく、最初は単純な文字だけだったと
は考えられない? 単純な字を組み合わせさらに新しい字を造っていった。
だから、できるだけ、細分して検討する必要があると思うが。

424 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:59:05
で これはなんについて、しゃべるんだ?

425 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 15:00:45
>>420

全て「名」

つまり、区別するもの

「名」とは、形成されたものが、区分目的で割り振られる名詞や代名詞。
世の中に、ただ一つの存在なら、それを区分する必要性もない。
名は第三者から割り振られるものであるから
第三者の意図する区分が「名」

426 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 15:03:33
>>423

だから最初から
文字は記号の集合体で、もっと細分化出来ると

ただそこまでやる必要もないし

427 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 15:05:23
>>417
西暦が造られたのが、6世紀
古代ローマ帝国を滅ぼしたキリスト教徒達が、それまでのローマ暦を廃止し、キリスト生誕を元年としたキリスト暦(西暦)を制定した
当時のキリスト教徒達が「えっと、キリストが産まれたのが、こうこうこうで○百年前だから、今はそれから○百年後だから、計算すると、今は西暦(キリスト生誕から)○百○○年だ」
って事で、6世紀になって定められたのが今の西暦
(ちなみに西暦1600年の西洋の暦改正時に造られた説もあり)



そもそも、その(239)って数字が何?
アジアが西暦を使いだしたのは欧州の植民地時代からで、中国に至っては、中華民国以降だよ
日本は明治時代以降


もし魏志倭人伝に「二百卅九年」って書いてあるなら、それ西暦の事じゃないよ
そもそも魏志倭人伝に(239)なんて書いてないでしょ?

書いてないのにそうやって転載する時に(239年)なんて、書き方をされると
「そっか、これは西暦239年の事だから、補足して書いてくれてるんだ」
って、思っちゃうの?

つかアジアで使われてた暦は「干支」だよ
「甲子年」とか「辛酉年」とか干支が書かれてなければ、その書物からは年代なんか特定出来ないよ


つかさ、西暦とか以前にまず、歳年の干支を調べるんだよ
記紀にはちゃんと書いてあるよ

干支が解って初めて西暦何年の事なのかって、同じ内容の出来事があった年を探していけるわけだから



428 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:05:50
魏や呉は國ではない。中華思想でいうところの中原の覇権
を争っている最中ですから。
國とは中国の皇帝により、その地域を治めるようにと封ぜられた
周辺諸国のことです。

429 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:08:13
>>426
その説明に疑問感じない?

430 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:11:17
ぅーーーーーーんんんん

引き分け!!

431 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 15:12:29
>>429


禅禅。

432 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:14:13
帝というのは、イスラエルの失われた10支族のひとつガド族のことで、帝は当て字。

433 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 15:26:43
>>425
名前てか、発音表記が解らないて意味だよ
「秦始皇帝」これは「チン・ジュウ・コウ・テイ」と読むけど、こんなの、日本語でも北京語でも上海語でもないよ
チンギスハーンやフビライハーンや、ハルピン・ウルムサラ・ヌルチってのは、歴代の支那の皇帝の名前だけど、漢字じゃこうした名前とかは書けないでしょ?
例えば別に「秦始皇帝」て書いてあっても良いんだけど、これを「秦王朝の初代皇帝の事だ」って解釈するのは違うと思うよ


まず「秦」ってのは、ローマの事なのか、イスラエルの事なのか、モンゴルの事なのか、チベットの事なのか、、
まず、これすら解らないでしょ?
「秦」て書いてあって漢音は「チン」だけど、チンなんて国や王朝があった訳じゃ無いでしょ



例えばモンゴル帝国のチンギスハーン
北京語でも上海語でも朝鮮語でも英語でも、これはイントネーションは違っても「モンゴル」「チンギスハーン」て呼ぶんだよ
どこの事を「秦」と表記したのか
始皇帝ってのは、歴史上の誰の事なのか


それすら解って無いでしょ?
モンゴル帝国やチンギスハーンなんて漢籍書には出てこないよ
けど、モンゴル帝国やチンギスハーンの事は漢字で書いてあるでしょ?


434 :doontakuka:2009/07/12(日) 15:28:50
>>427

辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歳爲天皇元年
を、
アナログ人間にも時間間隔として理解できるように西暦を使わずに頼みます。


435 :日本史バカ:2009/07/12(日) 15:30:36
まじでお題むずいよー

436 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 15:36:08
>>428
これ、めちゃくちゃ基本的な話だけどさ
中華人民共和国が建国されたのは60年前で、支那を「中国」と呼ぶようになったのはそれ以降の事
(ちなみに、日本と韓国以外は以前と変わらず「シナ」て呼んでる)


つまり60年前までは「中国」なんて国なんて存在しないし、大陸の呼び名も「支那」と呼んでたんだよ
支那の歴史上には清王朝や李氏朝鮮王朝やモンゴル帝国や、タイ王朝や、チベット法国や、ネパール王朝や沢山の王朝や国があったよ

で、君が「中国の皇帝」って呼んでるのは、支那大陸の、どの地域の、どの民族の、どの皇帝の事なの?


437 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:39:08
始皇帝は、姓は?(えい)、氏は趙(ちょう)、諱は政(せい)。秦王から、初めて皇帝の称号
を創始した。始皇帝は諡号ではなく、自ら呼称を定めたもの。

438 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:40:00
邪馬台国はどうした?

439 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 15:40:20
>>433

だから言ってるじゃん
「秦」は、他の時代と区分させる為につけられた名詞(代名詞)だって
「秦」が何処にあった?なんて関係ない話しで、大事なのは
何と区分する為に「秦」と言う名称を割り振られたのか?と言う事。

物事は全て区分けされる事からスタートする
だから字も同じ。

440 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 15:43:05
>>434
だからそれは辛酉年て干支が書いてあるでしょ?

橿原に宮が遷都された辛酉年がいつなのかを探せば良いんだよ
ちなみにそれは西暦660年の出来事だよ
橿原の藤原京の事だよ

辛酉年てのは60年おきにある
だから60年おきに来る辛酉年の出来事を調べて、記紀の辛酉年と同じ内容の出来事があった年を探せばいいだけ


紀元前600年とか言ってるバカもいるけど、単に6世紀の話だよ


441 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 15:44:17
>>438

だから
その邪馬台国という名称も、何かと区分されるから
名称されたわけ。
だから 何と区分されたかを考えれば、そこから道は開ける。

442 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:55:34
もん太と河童だけでスレが

443 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 16:01:53
二人のための愛のスレです。w

444 :doontakuka:2009/07/12(日) 16:06:00
確か、藝文類聚では、
皇 帝 王を区別していましたが。

>>440
西暦660年の出来事だよ

なるほど、
神武と斉明は同時代の人といことですな。
すごいね〜〜〜〜!


445 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 16:06:44
物凄いテンポで物凄い内容が飛び交ってる。

446 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 16:11:29
>>439
>他の時代
だからそもそも魏志倭人伝の何処に時代や年代が書いてあるんだよ
西暦が書いてないのは当たり前だけど、歳年(干支)すら書いてないじゃん

>他の時代と区別する為に付けられた代名詞
だから漢籍書の何処に「秦は他の時代と区別するために付けた、、」なんて書いてあるんだよ
そう解釈してるバカな学者がいるってだけでしょ?
学者の妄想なんて歴史とは関係ない話は持ち出さなくて良いよ


魏志倭人伝に何が書いてあるのかだよ

つかさ
「三國史の記述だけでは場所も時代も特定出来ない」
って事すら本当に理解出来ないの?
秦始皇帝の名前を「えい」だ「ちょう」だ言ってる奴もいるけど、漢籍書にはそんな事は一言も書いてない

だいたい散々「表意文字でしか無い漢字てのは、中国人ですら北京語で読み書き出来ない文字」だって話したじゃん
漢字を理解した方がいいよ
例えば平仮名や片仮名や訓読みを一切無しで
漢字の音読みだけで日本語の文章を何か書いてみ?
そうすりゃ漢字がいかに文字として使えない文字なのかが解るよ


漢字に訓読みを付けて使ってるのは日本だけだよ


447 :doontakuka:2009/07/12(日) 16:20:40
>>446

漢字にも音が有る。
この音が、シュメール語やアッカド語その他の集合だたりしたら、
もん太ちゃんにはわからないだけかもね。

例えば、
支那はsina と言うアッカド語で
それを
シュメール語ではmin という、
このminが明で
それを英訳するとtwo である。


448 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 16:21:48
>>444
「神武天皇」「斉明天皇」
つかこれ、何て発音すんの?

ジンブテンノウ?
サイメイテンノウ?

これだと漢字を漢音で発音しただけで、日本語じゃないよ

かんなたけるすめらぎのみこと
って読むなら解るけどさ

日本ってのは漢字に何種類もの日本語の訓読みを付けて使ってる国だから、漢字を漢発音で読むなんて事は無いよ


天照は「あまてらす」って日本語で発音するんだよ

だから記紀にはわざわざ万葉仮名の和訓まで書いてあるてのに


そもそも神武天皇て誰だよ
かむやまといわれびこの話はあっても、神武天皇て人がどうしたなんて話は書いてないよ
ちなみにかむやまといわれびこが、神武天皇となったとも一言も書いてない




449 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 16:24:32
>>446

少しは物事の道理を理解してレスしなよ
それじゃまるで幼児の「どうして?どうして?」攻撃と同じで
自分の都合に合わせて
「魏志倭人伝」なんて名称使うのかい?
自分では魏志倭人伝なんて存在しないと否定しておいて、
それじゃダブスタだろう?

450 :doontakuka:2009/07/12(日) 16:35:53

>>448
「神武天皇」「斉明天皇」

神武はジンムで斉明はサイメイで天皇はテンノウで善いんじゃないの。

武と斉が有れば武は倭系、斉は伊邪那岐ではなく伊邪那伎と同じアッカド系だと解るから。




451 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 16:39:00
>>447
日本と大陸では漢字の使い方がまるで違うから覚えといてよ
日本は漢字が導入された直後から既に1つの漢字に対して多いもので30種類以上もの日本語の発音を付けて日本語を表せる文字として使ってる
またその訓読みの発音を表記する文字として、万葉仮名、平仮名、片仮名、神代文字と表音文字も複数を使いこなしてる


ただこんな昔から文学や学術が発達してた国は日本ぐらいだよ

日本以外の国では、現代でさえも漢字は造られた当時のままの1字1音
その発音は「子音+母音+子音」の音が当てられていて、その音自体には何の意味も無い
また文章に主語、熟語などの決まりや観念すらない

ていう、文字のまま使ってるよ

言葉や語源は表せない文字だから、字の持つ意味を書き連ねてくだけの文字
つか嘘だと思うなら中国人に聞いてみりゃいいってば
漢字って文字は中国人にとっては言葉の読み書きが出来ない不便な文字でしかないから

452 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 16:40:10
>>446
漢字の音読みだけで、日本語の文章を書かなければならない理由はなに?

漢字は視覚表現であり、日本語のように音声表現ではない。
漢字の音声は、視覚表現用の音声であり
日本語の音声のような音声表現は存在していないと言う設定であるから
日本語の音声表現を漢字の音声で視覚表現する事は
はじめから矛盾した話し。
変換作業の入り込む余地もない。

453 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 16:51:28
>>447
英語→China(チャイナ)
サンスクリット(梵字)→支那
漢字→支那
日本語→シナ
インド→シーナ
ロシア→チーナ
モンゴル→シナ


支那てのは王朝や国の名前じゃなく、「ヨーロッパ」と同じで大陸の名前だよ
例えば英語でも清王朝は、Chinaのsinだよ
明はChinaのmim
朝鮮はChinaのチョウセン
タイはChinaのタイランド


支那は支那だよ
あの土地を中国なんて呼び方してるのは戦後の日本と韓国と台湾だけ
ショウカイセキだって清皇帝だって「シナ」って呼んでるんだし、他国は中国て国が建国された後もちゃんと「シナ」て呼んでるよ

中国ね事をシナって呼んでる訳じゃなく、シナって大陸に中国て国がが建国されただけだよ

インドの聖典や古代ヨーロッパでも「シナ、チーナ」て呼んでるよ
支那は国や王朝の名前じゃないぞ?
大陸やあの土地の名称だよ

454 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 16:53:49
ワタシ中国人アル。支那人ナイ、ポコペン。

455 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 17:10:29
>>452
うん。意味しか表せない文字
漢籍書は漢字で書かれてる表意文

Aは単体で「エー」と言う音が付けられてるけど、その音には何の意味も無い
秦は秦と言う字に「チン」ていう音が付けられてるだけで、その発音は何の意味もない音
「シン」なんてのは国名や王朝名じゃなく、秦という字に付けられてる音なだけ
例えばインドが「佛(フツ)」って書かれてても、国の名前は「インド」だよ
インドってのを「佛」と言う字で表したってだけ

んで、「元」や「秦」や「夏」や「明」や「漢」や「唐」や「魏」や「呉」も同じ

これらが王朝や国の名前だというなら、インドやタイやイスラエルやニホンやヤマトって名前の国があって、それを漢字で「○」と書いてるってだけ
元はモンゴルだし、明はリシチョウセンだし、清はヌルマチ・マンジュの事だよ


「秦」てのは何処の事だろうね
ちなみにローマ帝国の事は大秦って書くし、日本はイスラエルからの渡来人の事を「秦氏(はたし)」とか「太秦(うずまさ)」て呼んでたよ
ちなみにモンゴル帝国が支那を制圧する以前は、ギリシャ帝国やトルコ帝国やローマ帝国は、支那大陸まで統治してたしね


456 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 17:23:21
>>450
すめらぎのみことを「テンノウ」て漢音呼びして
かむやまといわれびこを「ジンムテンノウ」て、漢音呼びの名前で呼ぶようになったのは明治時代以降だよ
幕末の孝明天皇を「コウメイテンノウ」て呼んでる人も多いでしょ?
あれ日本語では「たかあき」て読むんだよ
自分の名前が山本太郎だったとしてさ、なんか「キム・イルミンさん」とか呼ばれたら
「やまもとたろうです」て、普通は言うでしょ

天皇が支那人なら支那人名で呼べばいいだろうけど、かむやまといわれびことか、ちゃんと日本語で日本人の名前があって、江戸時代まではそう呼ばれてたんだから、「ジンブテンノウ」なんて支那読みで呼ぶのは違うと思うけどな

天照命を「テン・ショウ・メイ」なんて支那音の名前の呼び方にしちゃうと、日本の神様じゃ無いみたいでしょ?

457 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 17:29:10
とりあえず、美濃もん太のレスに納得してる人がいないだけ救いだな。
厨房の多い2chでも、さすがにそこまでバカじゃないか。


458 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 17:37:07
日本で取り入れられた「漢字に似ている形(古事記使用)」
あれが国内文字だよ。
漢字とは正反対で、表意性のない
音声表現文字。
だからパット見で判断する事の出来ない 仮名の原点。

大陸で使われている漢字と、古事記で使われている字は
同じ形をしているが
一方は大陸文字であり、一方は日本文字だ。

459 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 17:41:03
つか言いたいのは今言われてる中国の歴史なんて嘘だよ
自分たちの言葉や語源の読み書きすら出来ない字なんて作らないし作っても使えないし

漢や秦や夏が支那大陸のどの場所のどの民族の誰の事なのかすら解らないし
日本が古くから使ってて、後に清やモンゴル帝国などアジアの国々も使ってた和暦の干支年すら書かれて無いから時代を特定出来ないし
漢籍書で解る事は、とにかく倭国や百済や新羅の出来事ぐらいしか書いてないって事
支那の歴史書じゃなく日本や女真族や乾国の歴史が書いてあるって事ぐらい


それを「これは中国の歴史だ」て言ってる中国もアホだし、鵜呑みにする日本人もアホ
中国なんてのは60年しか歴史が無い国だってのにさ
いつ誰が中国を建国したのか調べれば、こんな事は直ぐ解るのに

モンゴル帝国や清が中国じゃないって事ぐらい解るでしょ?

460 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 17:50:33
>>457
いや、そんな事はない。
彼の細かな内容は別として、
ものに対する姿勢は買えるよ。


少なくとも 私は買う。

461 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 17:59:31
>>458
漢字てのは「漢字は○○が作った」て言うたぐいの物じゃなく、ある程度の素材の字を作れば、後は素字の組み合わせで誰でもいくらでも作れる字だしね


つか漢字ても中には日本が作った字もあるしさ
鰹とか萩とか鮎とかさ
それらの和造字を今の中国では例えば鮎を間違えて「ナマズ」て意味で使ってたりしてるしさ
そもそも中国人が漢字を使って中国語の読み書きが出来ないってのに、漢字を作ったとか無いよ
少なくとも日本、朝鮮、モンゴル、女真(マンシュ)は、中国とは違い、漢字と自民族の文字を組み合わせて、漢字仮名まじり表記などして、自国語の読み書きとかで漢字は使ってたし、新しい漢字も作ったりしてた訳だし

そもそも「昔の中国の皇帝は、、」とか言われても、60年前までは中国なんて国は無かったんだから、中国の皇帝なんてのは実在しないよ

462 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 18:12:50
そういう事を理解した上で、三國史や魏志倭人伝や漢籍書をちゃんと読んだ方がいいよ

あれ変な先入観さえ無ければ、中国の歴史を書いてる訳じゃなく、極東の倭人、女真族、古代漢族、鮮卑族達の歴史が書いてあるだけだよ
百済や新羅や韓国の三韓時代の話だよ
卑弥呼や邪馬壹國は西暦237年の頃の話じゃなく、三韓時代の話で、その時代の倭国の大乱の出来事を書いてる書物だよ
ちなみにその時代の日本の大乱て言えば大化の改新
百済や新羅との混乱があり、中国原(なかつくにはら)の蘇我氏の飛鳥朝廷が滅んだ時代

倭人が朝鮮半島南部を治め、その倭人が百済王や新羅王となり国を治め、邪馬壹國てのはその倭人の治めてた半島南部(今の釜山辺り)にあった地域の呼び名だって書いてあるし

変な先入観に惑わされなきゃ、邪馬壹國なんて謎でも何でも無いよ
別に魏志倭人伝に書いてある通りだよ


463 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 18:19:41
>>461
と、言うか
既に漢字文化が今の中国には残っていないんだよ
唯一東の外れの海に囲まれた日本でのみ存在する文化。
言うなれば
古代の漢字文化を受け継いでいるのは、民族変化の薄い日本かもしれない。

464 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 18:21:27
>>460
俺は二人とも買わない。根拠も何もない
単なる妄想に過ぎない。

465 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 18:26:15
>>462

それは違う。
魏王朝の歴史を書いた歴史書

魏王朝がかかわりを持った倭人を材料にした
魏王朝の歴史書です。

466 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 18:30:11
>>464
だったら二人の内容を全て根拠を持って否定してやればいい。
何もしないで否定的になるのも如何なものか?

467 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 18:46:29
>>463
つか漢字てのは昔は「真字(まあざな・まな)」て呼ばれてた字
清王朝の女真族の使ってた字の事だと思うよ
女真族は漢字以外に表音表記の女真字も使ってた民族だし

日本、倭国、百済、新羅の日本人
騎馬民族のモンゴル帝国のモンゴル人
明、李氏朝鮮の朝鮮人
清、満州国の女真人
漢、秦の大秦地方から蚕を伝えた渡来人
漢字文化や儒教文化てのは、元々が極東の朝鮮半島〜半島北部の民族達の文化で、初めから支那とは余り関係無いと思うよ
チャイナドレスなんかも、あれ満州民族の民族衣装で中国とか関係無いんだし
この漢字文化が支那南部とかまで広がったのは、モンゴル帝国が勢力を拡大させたからじゃないの?
モンゴル帝国てのは統治した都市の周りを石垣で囲んでたらしいけど
うちのじいちゃんが支那へ戦争に行ってた頃の支那の都市にはまだその城壁があったらしいよ
モンゴル帝国が開拓した北京はもちろん、南は上海や南京、東はチベットやトルコ辺りの都市にまでモンゴル帝国の築いた城壁は及んでたらしいよ


468 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 18:48:33
>>466
否定するもなにも、

>>459
>つか言いたいのは今言われてる中国の歴史なんて嘘だよ

ああ、ウソだろうね。
それで?
って話。


469 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 18:52:57
内容はともかく、もん太君を相手にして反論してるだけで凄い。河童を少し見直したが。

470 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 18:55:01
>>462

これなんか、美濃もん太は、
「魏志倭人伝に書かれた倭国大乱は、大化の改新のことだ」って言ってるわけでしょ?

それについて、いちいち根拠を挙げて否定しないといけないの?






471 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:02:14
>>466
その主張は変でしょw

472 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 19:05:00
>>464
話が下手だから伝わってないかもだけど、散々、その根拠を書いてるつもりなんだけどなあ
ただやっぱ「なにを根拠にそうなるんだよ」てのは一番大事だと思うよ


だから「景初2年=西暦297年」なんてのは、何の根拠も無い学者の妄想でしかないから、一切信用したらダメだよ
秦や漢や夏や唐や明や元を中国の国だなんだ言うなら、それらの国の場所は中国の何処で、どの民族で、言葉は何語で、王の名はなんなのかとか、明確に示せって話だよ
もちろんその根拠も示して貰ってさ
中国大陸の地図上を適当に塗りつぶして「この範囲が漢の領土」見たいな図は良く見掛けるけど、そもそも漢の領土だの魏や呉の領土だの、魏志倭人伝の何処にも書いてないんだし
そもそも北京にあるスゲー立派な城を「古城」て名前にして、昔の中国の王朝があったとか言う事にしてるけど、あの城はモンゴル帝国の帝都なんだから、中国の歴史にしたらダメだよ
もし日本が中国に統合されてたのなら、日本人は日本方言を話す漢族とされ、学校では共通語の北京語を習い、東大寺から何から何まで「秦から続く中国の歴史、中国の文化」て事にされるだろうね


473 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:07:23
>>472

従来の学説を否定するのはいいけど、
だったら、「魏志倭人伝に書かれた倭国大乱は、大化の改新のことだ」という根拠を、
同じ文章量で説明しなさいよ。


474 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 19:09:38
>>470

案外面白いかも

475 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:12:52
>>474

河童虫くんも、「魏志倭人伝に書かれた倭国大乱は、大化の改新のことだ」という説に同意するんだね?

もうね、こういうワケワカラン主張をしてるだけで、
美濃もん太や河童虫のレスは一切読むまでも無い駄文だって、普通の人は理解するわけ。





476 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 19:17:06
>>475

違う違う
面白いのは、大化の改新と倭国大乱の違いを
もん太君に説明する行為。

477 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 19:20:54
>>465
「魏王朝の歴史を書いた歴史書」て何?
魏志倭人伝の事?


魏志倭人伝なんて名前の書物なんて無いすよ
三國史の事でしょ?


http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/menu01.html
漢籍書とか読んで見てください

魏王朝だの呉王朝だの出て来ないすよ

帝紀てのもあるけど高句麗や倭国や東海浮島にある朝廷の事や京都や、その朝廷への貢朝の事しか書いてないよ


あと「帝紀」てのは皇帝の伝記の意味では無いと思うよ
王や皇帝の意味は「皇」の字だから
「帝」は「みかど」で、宮やその宮を囲う門壁とかの意味すよ

「文帝」とか「光帝」とかが歴代の皇帝の名前だなんて事はなんも書いてなかったし

478 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 19:24:33
>>472

君は大きな誤解をしている。
魏や漢などを中国と表現しているのは
単に便宜上そうして表現しているだけで、誰も=で結びつけるわけじゃない。

479 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:31:34
河童のレスは自分で、 >ま、河童の話しですし話し10%、ヲタ90%でヨロ
って書いてるほどのものだろうから、最初からそう思って読んでりゃいいが、もん太君はど
こまでがマジかわからんので怖い。(こう書けば「全部マジっす」って返ってくるから、なお
怖い)

480 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 19:37:29
>>479

100%ヲタでもいいけど
10%は入場料と、いうことで

481 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 19:43:09
>>473
倭国大乱の内容は、24史て言われてる漢籍書の全てに書かれてるよ
邪馬壹國や卑弥呼や女王国てのは魏志倭人伝だけに書いてある訳じゃないよ
んでさ、三國史伝記とかに書かれてるのは倭国の百済王や新羅王の大和朝廷への貢朝の話や、その後の大和朝廷へのクーデターの話すよ
つか「倭国大乱」てのは
例えば太平洋戦争や明治維新も漢字では「倭国大乱」て書けるよ
(漢字は意味を表す表意文字)

「日本に大乱」て事でしょ?
こんなの「日本の歴史上のどの事件や乱の時の事を書いてるのかな?」て探すだけじゃん

景初2年=297年っていう先入観がある人は、「西暦297年に倭国に大乱が起きたんだ」って考えるから、解らないだけだよ

そもそも何の根拠があって、景初2年を西暦297年と決めつけちゃってるんだろうね?
そもそも西暦で何年の事なのかを知りたければ、記紀にしろ漢籍書にしろ、旧暦(24節期)で書かれてるんだから、歳星干支がいつの事なのかを調べて、その干支を西暦表示に変換するって形じゃないと、西暦で何年の事なのかなんて解らないよ
元号なんか干支とも西暦ともまるで関係無いんだし


482 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:49:41
>例えば太平洋戦争や明治維新も漢字では「倭国大乱」て書けるよ
「乱」は国内で起きる謀反、政権転覆の試みってことだろ。単に乱れるという意味ではないよ。


483 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 19:52:10
>>481

邪馬壹國の表記は、魏志倭人伝(興・煕)外の何処に書かれているのかな?


されに、倭国大乱は後漢時に起きた出来事だと書かれているだろう?
それを否定するの?
西暦にすると紀元170年前後だ

484 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:55:57
>元号なんか干支とも西暦ともまるで関係無いんだし
この主張も何度も聞いてるけど、ある国の元号を西暦換算するのは調べればべきるよ。
ちなみに中国の歴代王朝の多くは私年号を認めず、冊封の条件の一つが「正朔を奉ずる」
ことであった為、建前上は、独自元号の使用と冊封は両立しない要素なんだがね。

485 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 20:00:07
>>478
いや違う。戦後、毛沢東から「支那と呼ぶな」と言われて従った結果なだけ


便宜上であれば「支那」て呼ぶべきだよ

[支那の歴史]
・南京に中華民国が建国
・毛沢東が南京の中華民国を制圧、北京を首都とし中華人民共和国を建国
・朝鮮半島に李史朝鮮王朝
・モンゴル帝国が支那のほぼ全域を統治
・女真族のウルハム・ヌルチが朝鮮の明王朝を倒し清王朝設立
・秀吉が明を征伐の為、明王朝のある場所へ兵を出兵(秀吉て明王朝征伐する為に支那の何処に兵を送ったんだっけ?)
・チベット王朝
・インドシナにタージマハル建設


これらは全て支那の歴史
この「支那」を「中国」と呼ぶから、支那の歴史が解らなくなるんだよ


× 秦は昔の中国の朝廷
○ 秦は昔の支那の朝廷


だから「秦」とか「漢」とかを「中国の、、」て言われると、じゃあそれは支那の歴史上に沢山あるどの朝廷の事を言ってるんだって聞くんだよ



中国なんてのは今ある国家の名前なんだから、支那を中国なんて読んだら紛らわしいに決まってるじゃん
中国ていう国家の歴史なんて60年前に支那に建国されましただけだよ
中国建国以前の支那の歴史なんだから「昔の中国」じゃなく「昔の支那」て言わないとダメだよ

486 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:04:15
>いや違う。戦後、毛沢東から「支那と呼ぶな」と言われて従った結果なだけ
相手が呼ばれて嫌なら「中国」でいいじゃないか。君のいうような学問的な不都合は実際には
ほとんどない。「帰化人」を「渡来人」と呼ぶようになったような配慮として考えればいいじゃないか。



487 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 20:14:18
>>482
だから明治維新はグレバーの支援を受けた薩摩長州らが、日本の大和朝廷や江戸幕府を滅ぼして、日本の文化や文明を崩壊させた乱じゃん

太平洋戦争も同じじゃん
海軍の水交社とヨハンセングループらが長州の明治政権を倒すために行った事じゃん
支援してたのがジグモンド・ウォーバーグらだしさ

西郷隆盛や坂本龍馬、山本五十六や米内や白州次郎が英雄とされてるのが笑えるすよ

明治維新にしろ太平洋戦争にしろ、陰謀でもなんでもなく、奴等は堂々と反乱してたぞ?

「戦争じゃなく革命なんだ!」
て、白州次郎なんて堂々と言ってるし
ああいうのは、どういう意味で言ってるのか理解してないのかな?
水交社の奴等も堂々と「真珠湾を攻撃させろ!」てやってるのにな
それを陰謀もクソもないのに、こういう話をすると「陰謀論」とか言われるから嫌だ

488 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:28:25
>海軍の水交社とヨハンセングループらが長州の明治政権を倒すために行った事じゃん
そういう側面も多少はあったということ。君の思考からは、当時の先進国のほとんどを覆っ
ていた帝国主義が全く抜け落ちているよ。携帯メールの速さと情報収集力は認めるが、そ
の力をもう少しまともに使ったらどうかな。

489 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 20:32:30
>>483
「後漢時」て何?
後漢書てのは書物の名前で時代の名前じゃないよ
見れば分かるけど漢書は地理書と帝記に別れてて、次者が後漢書だよ

あと「西暦紀元前170年」て西暦を決めつける前に、まずは書ではいつの暦の事と書かれてるのかを言って下さいってば

「僕は野球を見に行きました」
こんな記述では、これがいつの事かなんて解らないでしょ?


「甲子年、7月6日。僕はこの年に出来た新しい球場に阪神を応援に行きました」
これなら書かれてる甲子年て干支が、西暦何年の事なのか特定出来るでしょ?
(意味解る?甲子園は干支が甲子の年に立てられた球場だよ)

景初○年なんてのは単なる元号でしょ?
元号てその土地土地の政治者や氏族が勝手に定めたり気分で変えたりする年号だよ

つか個人で「俺たちが結婚したこの年を【婚姻元年】と言う元号にしよう」って決めて「今は婚姻16年8月7日」てやってもいいんだよ
それも元号だし



だから婚姻16年や景初2年なんて元号はどうでもいいから、元号が景初2年の年の干支は何年なのか?
とか、それをまずちゃんと言って下さいて話だよ
いや、別に支那は昔からキリスト暦を使ってたから、キリスト暦で書いてあるって言うなら、魏志倭人伝の何処に景初2年が西暦何年と書いてあるのか教えてくれればいいし

490 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:42:26
干支さえ一致したら何世紀も飛んでいいわけか。
他の文字や語句、情報は一切無視ねw

491 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:44:58
>元号が景初2年の年の干支は何年なのか?
景初元年が丁巳だったと思うが。蜀の建興15年、呉の嘉禾6年かな。呉では嘉禾7と赤烏
元年が同年内だからわかりにくいところもあるが、このあたり邪馬台国や三国志に興味ある
人間ならほぼ頭に入ってるだろう。それが、君の説に対する何よりの反証じゃないかな。



492 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 20:48:08
>>484
だから「支那」を「中国」て言うとややこしくなるってば

「中国の歴代王朝」言われても、中国なんて60年前に建国された共和国だから中国に歴代王朝もクソもない


まずは「支那の歴代王朝」って言い直して貰って良いですか?
んで、まず支那には歴史上、沢山の王朝があるんですよ
モンゴル帝国、タイ王国、カンボジア王国、李史朝鮮、満州国、、、

支那の歴史上の朝廷のどの朝廷の元号が西暦換算だのなんだの言ってるんですか?

じゃあ例えば魏って王朝があった事としますよ(魏王朝の記述なんて漢籍書の何処にもないけどまあいいや)

んで
・魏が建国されたのは西暦○○年
・魏が滅んだのは西暦○○年
魏て言う王朝が使ってた元号の資料なんて無いでしょ?
だから簡単に建国された年と滅んだ年で良いですよ
これを西暦何年なのか教えて下さい
これがわからなけりゃ元号○年が何年の事なのかなんて解らないでしょ?
つかさ、元号○年なんてのを西暦に転換なんて出来ない事ぐらい解らないすか?
そもそも過去に支那大陸の大部分を統治してた事のあるローマ帝国やトルコ帝国やモンゴル帝国てのは中国の歴代王朝じゃないすよ
そもそも支那は封建社会じゃなく多民族の暮らす都市国家だよ


493 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:55:17
>じゃあ例えば魏って王朝があった事としますよ。
北魏のこともあるって意味かな??曹魏なら220年 - 265年。西暦換算できるだろう。確か
に今は、Wikiなんかで簡単に調べられるが、それは先人の研究が積み重なってのこと。
それを無視して、干支以外は不確かというのは不遜だと思うぞ。

ところで河童はどこへいった。なんで俺が相手してるんだ。

494 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 21:02:59
>>486
別に毛沢東は君が「支那」て呼ぶ事を嫌だとは言ってないよ
家のじいちゃんもいまだに「支那」って呼んでるよ
ちゃんと支那の清国とか、支那の中国とか、支那の北京て呼ぶ
君は別に中国にそんな気を使うような立場でも無いんだし、こうして話すときは、便宜上、きちんと支那て呼んで下さい

・中国は60年前に建国された共和国の名前
・支那は大陸の名前


だから中国てのは支那に60年前に建国された国家です
それ前の支那には南京に中華民国、満州に満州国がありました
その前の支那には清王朝と欧米の植民地化される前のタイ王朝やカンボジア王国などがありました


で、歴代の支那の王朝ても、支那に2000年も3000年も続いてる王朝なんて有るの?
どの王朝の事を言ってるんですか?


これをちゃんと説明して下さい
それが説明出来ないのに「歴代の王朝の元号は、、」とか言っても無茶あるでしょ?

ちなみに日本朝廷なら辛うじて元号を西暦に転換出来るかもね
ただし、歴代の全ての年号と改元年数が改元した日にちまで、全て記録した資料が有ればの話だけどね
まあ江戸時代前半ぐらいまでならいけるかもだね

495 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:05:07
>>481

>景初2年=297年っていう先入観がある人は、「西暦297年に倭国に大乱が起きたんだ」って考えるから、解らないだけだよ

西暦297年に倭国大乱があったと思ってる人など、誰一人としていないだろう。

こういう、前提からして間違ってるから突っ込みようが無い。


496 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:09:37
だいたい、干支は確か後漢の頃から木星(太歳)の運行とはずれているだろう。たまたま日本
や朝鮮が中国に追従しているために、話が通じているだけだと思うが。これが、きちんと超辰
が行われていたのなら、過去に遡って天文計算できるだろうが、今のは単なる60年周期とい
うことだろう。

河童さん、タッチしてくれ。

497 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 21:11:04
>>493
俺もWikipediaで調べたよ
けど俺が知りたいのは研究者の唱えた年代じゃなく、それを主張した研究者が誰なのかってのと、その年代とする根拠だよ


皇紀2600年に関しては調べたら解ったよ
苛那とか言う明治時代の学者が、かむやまといわれびこの話の中の辛酉年を紀元前660年とした根拠も解った

つかあんな根拠で良く「辛酉年=紀元前660年」なんて主張出来るよなって思ったよ
だから学者の言うことは信用出来ないって言う話になる


根拠も解らないまま
景初2年=297年
を「はいそうですか」なんて、鵜呑みに出来る方がどうかしてる気がするけどな


いまだに誰一人、その根拠すら言わないし

498 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/12(日) 21:12:04
甲子年 だけなら 60年に一度巡ってくるので 西暦に直せません。

景初○年には、日々の干支も振ることが出来る。その日々の干支では、
景初4年5月には、丙午の日にちが存在できるが、
景初4年にあたる正始元年5月には、丙午の日にちは存在しない。
これが景初4年鏡の事実である。

もん太君 年の干支+朔の干支で歴史を読むことを希望する。


499 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:16:13
>・中国は60年前に建国された共和国の名前・支那は大陸の名前。
>歴代の支那の王朝ても、支那に2000年も3000年も続いてる王朝なんて有るの?

じゃあどういえば正確なのかな?平面座標はドンタコスさんのように緯度・経度で、時間軸
は今の西暦から○○年前・・・・これでしか言えないことになるな。


500 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 21:18:02
>>489

>後漢時ってなに?

もん太君だけが知らない時間。


>後漢書てのは書物の名前で時代の名前じゃない。

大丈夫、もん太君だけがわからない世界での話しだから


>西暦と決めつけないで

決め付けてはいないけど
もん太君以外にはこれで通用するから不便じゃないし


そんな事言ったら
君の干支だってあやしいんじゃないの
君の「子」の解釈だって、通用しなかったはずだよ



>景初二年の干支は

戊午

501 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 21:22:48
>>491
景初元年=干支、丁巳年
すか?

魏志倭人伝には書いて無かったけどなあ
あと蜀だ呉だの元号○○年なんてどうでも良いですってば
1192年、鎌倉幕府。この時は元号○○年
て言われても、元号○年なんてのはどうでも良くないですか?


魏や漢や呉や卑弥呼の時はやたら「○○の時が元号○○年だから」って話になるけど、記紀には書かれてる干支が漢籍書には書かれておらず、元号○○年と元号しか書いてないからですよ


元号を西暦に転換させるなんて無理なんだから、元号はどうでもいい
魏や呉の王朝がいまだに続いてて、しかもその王朝のこれまでの全ての元号と年数と改元した日にちまで、が1つ残らず記録されてて、その資料があるってなら話は別だけどさ


ようは無理なんすよ
つか無理だって事を理解出来ない人は頭悪いよ

502 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 21:23:35
>>487

>キリスト暦


それはなに?

私はただ、紀元170年前後と書いただけで
勝手にキリスト暦としないでくれないかな

私の書いた170年は、もん太以外に通用するもので、もん太君にしか通用しないキリスト暦じゃないよ。

キリスト暦なんて初めて聞いたよ! いったい何処に書いてあるんだい?

503 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 21:26:41
>>501

>魏志倭人伝

それなんですか?
もん太君専用の書物?

だったら記載されてないわ

504 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:32:37
だから、496に書いたように後漢の光武帝の時代から超辰(木星運行のズレの修正)は行
われていない。三統暦の超辰法が廃止された85年以降は単なる60年周期。これをもし、
日本などが天文計算をして正しい?干支にしていたら(当時の日本にそんな能力はないが)
中国とはズレてしまって、干支自体それぞれの国内でしか通用しないものになっていただろう。
それを、なぜそんなに有り難がるのかわからないね。

505 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 21:34:08
>>498
いや旧暦は元々が
歳年(干支)+○月+○○日
で、日付は干支表記すよ
記紀もそうだしさ

ちなみに「春」とかあれば24節期って言う暦で、24節期は幕末まで使われてた暦だよ
何年かに一度は閏月を含めた13ヶ月の閏年がくるよ

一ヶ月も30日と31日て一定の日数て、翌月の1日になるっていう、今のアホの暦じゃなく、朔日を毎月の初日と定め、15夜には満月となる暦すよ
だから一ヶ月は30日や31日じゃないよ
(新暦は月の天体運動すら表せないダメダメな暦)


506 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:42:46
24節期は、太陰だけでやっていくと何月というのと、実際の季節のズレが生じるために取り
入れたものだろう。二至二分は動かせないからね。ところで君の論法でいくなら紀日も干支
で決定した方が正確になるんじゃないの?

507 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 21:47:06
当時は既に日食が国に悪い事が起こる前ぶれとされており、
日食予報が行われていた訳だが、卑弥呼というのも、
当時の天文学や暦の知識に精通して、日食を予測しうる存在であったからこそ、
カリスマがあって邪馬台国の首長になれたのではないか。
ほとんど当時の中国暦に近いものを扱えたのではなかっただろうか。

508 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 21:59:56
>>504
だから支那のどの王朝がいつまでどの暦を使ってたのかなんて知らない
とりあえず日本は幕末までちゃんと使ってた太歳や24節季や七夕や、、、とにかく正確な暦だよ


つか「一年は365日、4年に一度閏年」なんて事としただけの今の暦なんて、そら太星もずれるさ
欧州が今の新暦を導入してから400年ぐらいだけど、旧暦とは既に40日〜50日ぐらいずれてるよ

旧暦なら今はまだ5月終わり〜6月頭だよ
旧暦の6月てのは水無月って呼ばれてて、丁度梅雨が開ける月が6月なんだよ

今は旧暦での6月頭ぐらい
だからそろそろ梅雨が開ける頃だよ
新暦では水無月の6月に梅雨入りしちゃってるね
400年でこんなに暦ってずれるんだね
太歳とかってのも単に今の新暦で60年を還暦としてる訳じゃないよ
だいたい新暦なんて太歳を表せる暦じゃないし



あと、還暦って太歳干支が一回り(約60年)が還暦とされてるんだけど
新暦導入以降は、数え年を辞めて、欧米と同じように産まれた時を「0歳」として、60歳の祝いを「還暦」という事にしちゃったでしょ?
これだと60歳の誕生日を迎える時には、太歳干支の還暦は過ぎちゃってるよ
十二支でも解ると思うけど、辰年で産まれた奴は、12年後の辰年には11歳だよ




509 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 22:07:53
>だいたい新暦なんて太歳を表せる暦じゃないし。
何が言いたいのかわからないね。新暦だって七夕などの年中行事はできるし、君にとって
新暦になって何が困るのかな。あと、少しはこっちの言うことも理解してくれよ。干支が木星
運行と関係なくなってから2000年ちかく経つんだよ。


510 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 22:18:07
今度の皆既日食で全てがわかると思う。

511 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 22:19:33
>>507
漢籍書を見る限りは、支那のこの暦より日本の和暦の方が正確だよ
魏志倭人伝に至っては太歳すら無いし
てもまあ支那は支那で、正確な暦を使う民族もあれば、そうでない民族もいたかもね

基本的にはインド中東アジアの黄色人圏は、いわゆる「旧暦」を使ってたよ
和暦はその中でも特に正確だよ

これ以外にも仏滅などの仏暦や、赤金星などの暦や伊勢暦や、、天体運動以外にも沢山の暦を使ってた国が日本だよ
厄年なんてのも、例えばあれも、元々は何かの暦なわけだし

てか旧暦を作った昔の人の天体知識は凄いと思うよ
天文学に置いては、現代の天文学よりも、旧暦を作った人の方が遥かに天文学的な知識があると思うよ

まあ現代の天文学なんて「ビッグバン」だの、「宇宙膨張」だの、単なる学者の妄想が天文学てなっちゃってるから当然だろうけど
次の春分や秋分がいつになるのか、計算して答えられる学者は今は居ないと思うよ(つか今の新暦では計算出来ないし)
春分や秋分がいつになるのかは、今でも旧暦の暦を見て春分や秋分がいつなのかを把握してるらしいよ

旧暦が無くなると春分や秋分も解らなくなるよ
かといって、また旧暦ほどの正確な暦を作れる程の天文学的知識は現代には無いだろうし

太歳なんて星は今の天文学では無い星だしさ
いまだに月は地球の周りを回ってるとか言ってるし(回ってねーのに)

512 :509=縦目仮面:2009/07/12(日) 22:19:51
疲れたんで、抜けます。もん太君またね。後はよろしく。

513 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 22:25:29
>>502-503は案の定スルーか?


所詮こんなもんよ 世の中は。

514 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 22:32:03
>>509
木星は歳星の事だよ。木星て地上からみると、軌道が逆行とかする星だから誘星とも言われるよ
んで、朔の前後は「蝕」の日だよ

太歳てのはかつて火星と木星の間に存在してた惑星の事だよ
太伯は金星の事で、金星の暦もあるし、世界各地で信仰の対象とされてるシリウシ星や昴星の暦もある
あと狼星は北極星の事
てか、まだ調べれば昔の日本人は色々知ってるし、それらに合わせた暦とかを持ってたりもしてるよ


「日食になり人々はパニクった」なんてまずあり得ないよ
これだけ正確な暦を作った古代の日本人が、日食を知らない訳が無いんだから
蝕の日も朔も暦にあるし

むしろ今の日本人の方が、蝕の日や朔すら知らないと思うよ
だから七夕も新暦の7月7日とか意味の無い日にやったりするんだし


515 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 22:37:30
もう一つ暦に関して言うと、当時の大和は大和川が亀の瀬辺りで堰き止められて、
大きな湖の大和湖があったとされている。
その為に、梅雨の季節をきちんと暦で正確に補正できて、
湖面の上下動を有る程度予測できていないと、
大和の稲作が成り立たなかったのではないかな?

516 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 22:40:42
>>502
紀前170年て何?

>>503
三國史て書けって事かあ?w
まあ後で他の漢籍書に太歳の干支が書いてないか探してみるわ
つか太歳の干支ぐらい書いとけよなあ
それともこの時代にはまだ支那には太歳の暦とか無かったんかなあ?


517 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 22:48:38
>>515
稲作てのは、治水と水路と農地の開拓技術だと思うよ
木曽三川の源流の飛騨や信濃の高地には、治水の為に造られた湖があるし、記紀にも治水の為の湖を作った話は山幸彦の話とかに書いてあるよ



518 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 22:58:29
>>516

>紀元170年て何

対もん太君対策の秘密の暗号なんだよ


>三國史って書けって事か?


いや、


>太歳の干支ぐらい書いとけよなあ


もん太君の為に書いたものじゃないから
仕方ないんじゃない。

519 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 23:02:26
太陰暦だけで1ヶ月30日なら1年で5日、10年で50日ずれる。
これでは稲作は成り立たない。
やはり夏至と冬至を観測して、暦を補正する能力があり、
水の管理が出来てこその、大和に定着して、稲作であると考える。

520 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 23:04:38
>>518
それ暗号だったんか。

521 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 23:22:01
>>520

もん太君にしたら暗号以外の何ものでもないよ。

自分以外の人は意味がわかっているのに、自分だけは理解出来ない状態なんだから

522 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 23:25:45
>>515
奈良盆地が湖だったのは縄文以前の相当古い話だよ。
弥生中期には湖というより湿地だな。
でも大雨時には村が破壊されるのは事実だな。



523 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 23:34:31
それにさっきからレスを眺めてみると
やたらと太歳の干支を重視しているようだけど

60年しか使えない暦が
そんなに大切なのか?61年目には同じ干支がまた登場し
結局最終的には判断が恣意的になりうる可能性のあるものだ
だったら元号の方が、資料さえ継続されていれば
干支よりもあるいみ正確に、西暦に置き換える事が可能だ。

524 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 23:36:42
>>521
確かに。

525 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/12(日) 23:41:14
>>519
日本て都会はあれだけど、ほぼ全ての集落にまで水田があるでしょ
あれらは全て
・治水湖
・水路開拓
・水田農地開拓
を行って初めて稲作が出来るんだよ

日本ある水田の殆んどは、近年開拓された物ではなく、代々昔から譲り受けて来たものじゃないかな?
近年はむしろ、都会は特に都市開発の為に水田なんて潰しちゃって昔と比べて減ったぐらいじゃないのかな?

日本の人口1億3000万人
食料自給率は40%しかないけど米に限っては1億3000万人分は賄える自給率があるでしょ?
稲作を中心としたこの農耕技術は凄いと思うけどなあ

治水の為の人口湖なんて山幸彦の時代から既にやってていまなおその湖ってのは、俺が知ってるだけでも飛騨や信濃に幾つもあるわけだし
ちなみに地震か何かで治水湖が決壊して木曽川だか三河の川の流れが変わるほどの災害に見回れたなんて話もあるよ

衣類もカンナビ栽培によって優れた麻繊維技術を持ってたらしいし(今はカンナビ所持すら法律で禁止だってさ)
住居に関しては、山に木を植え、芝刈りをし、干魃などして木を作る所からやってるし


526 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/12(日) 23:53:16
>>519

稲作に必要なのは
正確な暦ではなく、基準とする自然環境の変化。
暦は有れば便利だが、飽くまでも目安でしかない。

田植えや種蒔きの時期は、現代は逆算農方だが、時間を遡れば遡るほど
その年毎の自然変化の方を優先する。

桜の花が咲いてから何日後に田植えをするとか
梅の花が咲いてから何日後に種をまくとか

今年はボケの花の咲きが悪いから、不作対策をしなくちゃならないから
田植えは何時にするか?

なんてね

527 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 23:54:14
>>522
ところが、奈良の地は
紀伊山脈があるおかげで、災害は極端に少ないんだよな。
おかげで古い建物が残ってるんだよね。

台風なんか通過しても
全然、曇ってるだけとかよくある。
学校が休みにならなくて凹んだもんだよ

528 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 00:01:34
>>523
だから支那の何処に、日本のように1000年も2000年も前から続いてる王朝があるん?
支那に存在した王朝の中で唯一日本を攻めてきたほどの、脅威となりえた、歴史上最大の領地を持ってたモンゴル民族のモンゴル帝国でさえ、とっくに滅びてるじゃん
女真族の清王朝で300年だっけ?
まあこれも滅びてるし

元号が継続とか以前に、古代の支那にあった王朝は現在は1つも存在してないって解らないすか?
清王朝ってのが数十年前まで存在してはいたけど、清王朝は400年だか300年前ぐらい前に出来た王朝だから、それ以前の歴史にはまだ存在してない王朝だよ
別に王朝の歴史じゃなくとも、清王朝の女真族としての民族歴史でも残ってりゃまだ解るけど、支那にはあれだけ沢山の民族が居るのに、日本民族みたいにその民族の歴史を伝えるような書物などが無いじゃん
唯一あるのが漢籍書って書物ぐらい

その書物に関しても、その内容の殆んどが「倭国」「百済」「新羅」「漢族」「秦族」「鮮卑族」、、
帯方郡とか楽浪郡とか、俺ら日本人を初め極東の国や種族の話ばかりだよ

まあ漢籍書てのがそもそも清の満州族と日本民族が、満州国建国の際に満州国五族の歴史書として纏めたものだから当たり前なんだけどさ
その歴史書を満州を滅ぼした今の中国が、中国の歴代王朝の歴史
とか訳の解らない事をやって、日本は中国にその歴史認識の共有を強要され、今に至ってる


529 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/13(月) 00:07:48
>>528

王朝が継続されていようがいまいが関係ない。
必要なのは
継続される史料。
さっきから、やたらと継続王朝にこだわりを持ってるようだけど
何か思想的に思い入れでもあるのかい?

530 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:16:46
>>527
畿内の土地を考える場合はやっぱり亀の瀬が鍵だな。
これが動けば奈良盆地が水害でやられるし、
河内は土砂災害でやられる。

大和〜畿内での王権や村の移動の話は
絶対これが関連してると思う。

531 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 00:19:30
あと太歳干支に拘るって言うか、アジア仏教圏が使ってた太歳干支の旧暦
それと、今使ってる西暦
これ以外の暦を言われても、そもそもその暦を知らないんだよ


ネパールの○○民族の古い書物に「樹立562年、○○王朝が栄え」なんてあったとしても、その562年が何の562年なのか知らなきゃ年代なんて解んないんだってば
元号もこれと一緒だってば

○○15年 なんてあっても、何かから15年目なんだって事でしかないんだし
西暦だって要は「キリスト生誕から○○年目」って言う元号なだけだよ

今は西暦を使ってて西暦を基準にしてるから、「これは西暦で言えば何年の話だろう」ってやってるだけで、別にキリストが産まれて何年目だとかなんかは、本来はどーでもいいよ

ただ景初の5年目だの、武帝の20年目だの、そんなどうでもいい年数を表してる元号なんかを、西暦に転換とかってのが無理だって事だけは解るよ


ただ漢籍書に百済や新羅や倭国大乱て書いてあるから、百済や新羅があって、なおかつ倭国が大乱て言うのは、日本の歴史上では、白江村の戦いや、大化の改新を思い浮かべるのは当たり前だと思うけどなあ?

逆にそれ以外に、それに該当するような出来事なんてなんかあったっけ?

532 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 00:34:14
>>529
要は「支那の歴代の年号を示すような資料や書物」でしょ?

ここで「中国」か「支那」か、名前の呼び方が重要になってくるよ
「中国の歴代の、、」って言い方されると、まるで今の中国国家は歴代の王朝を継承してる見たいな言い方になる

だからちゃんと「歴史上の支那に王朝の年号を記した資料や書物が、、、」とか言う言い方をして下さい

支那には今まで漢籍書に乗って無い王朝を含め、沢山の王朝や国や民族が存在してる

確かに中には何処かの王朝を継承してる関係の国や王朝もあるだろうとは思う(ちなみに満州国は清王朝の正式な継承国として建国された国)
漢代とか、晋代とか言う年代を付けたがるのも、年代を付けて並べて継承してると言いたいからでしょ?
たださ、今の中国は満州を継承してないし、清は明を継承してないし(つか明を滅ぼしたのが清だし)、モンゴル帝国は唐を継承した王朝じゃないし

だいたい何がどう繋がると思ってるの?

533 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/13(月) 00:34:45
>>531

それは違う。
継続史料があれば、逆算することも可能だ
しかし、継続史料がなければたとえ太歳の干支が使用されていても
その年代を特定する事は
恣意的に行わなければならない。

534 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:35:45
>>531
つまりその時代にしたいからって訳ね。

535 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/13(月) 00:39:12
>>532
史料に記載されていないものなんて
王朝でもないし、民族でもない。

いや、歴史でもないよ


そういう事。

536 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:56:26
>>535
もん太君は倭国大乱を大化の改新、白村江の戦いまでずらしたいからだよ。

537 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 00:57:10
>>533
「継続資料が有れば年号の逆算は可能」
これは解るよ
ただ、支那ってのは全ての支那地域や支那に存在する王朝で、統一された年号を使ってたのか?

中華人民共和国以前の支那は
満州地区→満州族、朝鮮族、漢族、モンゴル族、日本族の五族協和国家の満州国。清王朝の正式な継承国。独自元号
北京自治区→無政府地帯。日本軍が治安維持。元号無し
チベット→欧州の植民地。元号無し
ウイグル→欧州の植民地。元号無し
モンゴル→ソ連連邦。元号無し
朝鮮半島→日本が統合。日本の元号
南京、重慶など→南京族、重慶族、四川族、福建族などの江南地方の多民族を束ねるショウカイセキの中華民国。元号知らね
上海自治区→上海自治政府。諸外国に港を開港し、欧米諸国が雪崩れ込みアジア各国の植民地政策の拠点に

その他、インド、中東、タイ、香港、マカオ、東南アジアなど、上記以外のアジアの国と民族→欧米の植民地



「継続資料」とか言うけど、支那ってのは清の時代も明の時代も、元々こういう土地なんだよ


例えばカンボジア王朝やタイ王朝や上海民族や最大の人口を誇る重慶民族が、ワザワザ朝鮮半島北部の満州民族の清王朝に従うとかは無いよ
あと距離的にもめちゃくちゃ遠いんだよ

538 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 01:01:50
>>522
違う。
古墳時代前期まで湖があったんだよ。

539 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 01:04:17
>>535
それ言ったら「魏王朝」「呉王朝」「晋王朝」「髄王朝」なんて王朝は、漢籍書の何処にも記述は無いんだよな

唐書も後漢書も「明帝紀」とか「武帝」とか、書いてある内容は同じなんだよな

×唐書→唐王朝の書物→唐王朝の歴代皇帝の歴史が書いてある


河童さんって、中国24史をこういう書物だと勘違いしてないですか?
唐書も漢書も三國史も、どの書物も東偉伝で倭国大乱とか、同じ内容の話だよ

漢籍書読みましたか?
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/menu01.html

540 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 01:08:16
縄文時代の大和湖は60m付近まであって大和に平地なんて無かった訳で、
そういう大和湖で稲作をしろとかありえんだろ。
考え方がおかしい。
稲作のベースになる弥生時代の大和湖は50m付近にまで水位が下がった湖だよ。
これが亀の瀬の地すべり土砂崩れで不定期に水位を上下させる。

541 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 01:11:38
>>538
それは少し疑問だな。

542 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 01:21:07
>>539
残念ながら新旧唐書に倭国大乱の記述はありませんね。

543 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 01:24:24
「中国統一王朝」なんて過去に存在しないよ

あと今はテレビで盛んに「漢族」なんて言ってるけど、漢族ってのは、中国の主要数十都市(地域)に暮らす、それぞれの民族の総称を「漢民族」としただけだから、それ以外の民族は少数民族
ちなみに一番人口が多いのが重慶民族
ここは昔から西洋との交易が盛んな大都市。ショウカイセキが中華民国の建国の拠点ともしてた都市。重慶語を話す
南京→南京民族の地域。南京民族は、古くはモンゴル帝国や清王朝の支配下に置かれた民族。南京語を話す。ショウカイセキが南京を清から独立させ、南京を首都として、周辺の民族や地域を「中華民国」と制定
日中戦争をした国でもあり、中華人民共和国の毛沢東が、中華民国を攻めに入った際に虐殺をして日本のせいにした都市
上海→英国など欧州との交易が盛んな上海民族による上海自治政府都市
明王朝時代も清王朝時代も、いちいち従う事もしてない。
タイ、ベトナム、カンボジア、チベット、ウイグル、、

つか、支那の歴史っても今まで統一されてた訳じゃないから、一言で支那の歴史なんて言えないてば


544 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/13(月) 07:43:07
>>543

いや、別に統一されてる必要はないよ
現在の中華人民共和国の領土内で営まれ続いた歴史でいいじゃん。
それとも、それじゃ都合わるいか?

545 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/13(月) 07:52:10
>>539

歴史というのは
過去を記載するのは当然の事で、未来を記載するわけにはいかないんだよ。
それに、各史書は
建前では当該王朝の正当性を示すために、禅譲先である帝紀を中心に
前王朝の携わった歴史を書き残した行為。

546 :doontakuka:2009/07/13(月) 14:13:16
 國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國

樂浪郡徼 去其國萬二千里  の 其國=邪馬臺國で
去其國萬二千里の位置は邪馬臺國の北限。

去其西北界拘邪韓國七千餘里 の 其 =倭。

其地大較在會稽・東冶之東  の 其地=邪馬臺國で會稽が邪馬臺國の南限。

去其國萬二千里 の位置は東冶之東の緯度上で邪馬臺國の北限。

拘邪韓國七千餘里は倭の南限。

會稽は邪馬臺國の南限。


547 :doontakuka:2009/07/13(月) 14:15:23
×其地=邪馬臺國で會稽が邪馬臺國の南限。
◎其地=邪馬臺國で 會稽之東 が邪馬臺國の南限。

548 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 15:50:26
日本神話と魏志倭人伝の卑弥呼の記述で似ているところがあるんだけど、
気のせいかな。

549 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 16:42:47
>>548 魏志倭人伝には「牛馬なし」と書いてあるが、日本神話には天の斑馬というのが出てくるな。


550 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 17:00:27
馬はいつ日本にもたらされたんだろう

551 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 20:17:33
4世紀初頭か?

552 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 20:53:33
野生馬は古代から日本に住んでいたのではないのか?
日本が大陸と陸続きだった時代に半島経由で移動してきたのです。

553 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 21:30:46
>『日本書紀』にはアマテラスが岩戸に隠れたのは
>スサノオが斑駒の皮を剥いでアマテラスの機織小屋に投げ込み.
>機織女が驚いて死んだためであるとのくだりがある
>『古事記』では、スサノオの息子であるオオクニヌシが
>出雲国からでかける際に鞍と鐙を装した馬に乗っていたと書かれ......

554 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 21:56:59
>>544
いや、その通りっす
つか別に俺は中国を軽視してる訳じゃなく、その逆
中国てのは都市ごとに違う民族が暮らす都市多民族国家

で、何度も言うように、中華人民共和国の歴史なんてたかだか60年しかない
けど、その中に暮らすモンゴル民族、上海民族、トリキスタン民族、女真民族、重慶民族、、、
それぞれの民族には、中国国家の歴史なんかより遥かに長い、それぞれの民族歴史があるんだと思う

555 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/13(月) 22:02:16
>>544
だからそれらを「中国人」「中国の歴史」なんてひとくくりにするのは違うと思うよ

だから例えば
「昔の中国には秦と言う王朝が、、」
て、言うと俺はすぐ
「秦は、中国のどの都市のどの民族の王朝なの?」
て、聞くんだよ

中国には漢字を作った民族もいれば、支那を統治した民族もいるだろうし
別に漢字を作らなくて、中国を統治したことない民族にだって、その民族の歩んできた歴史があるんだろうし
そういった中国に暮らす人々の本来の歴史や文化ってのにも、俺は興味があるし、尊重すべき物だと思うしさ




556 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 22:07:02
>>552 その時代にはナウマン象も半島経由?で日本へ渡って来たな。


557 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 22:07:44
>>555
横槍すまん
科挙とか宦官とかあったわけだから、革命が何度か起こったけど、ごっそり入れ替わったわけじゃないだろ

558 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 22:17:35
>謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!32












スレが32代もつづいてどこが終止符なんだよw

559 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 22:18:41
>>555
このレスを読めば、少なくとも俺とは歴史観がかなり違うな。秦の始皇帝は、政という個人
の物語であるという側面も強いし、プロではない俺としてはもちろんそちらの見方のほうが
面白い。まあ、民族論的なことを否定するつもりは毛頭ないが。

560 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:05:25
今日のもん太は河童がいなくて淋しそうだ。
もん太に一日中絡んでったのは、未だかつて河童たけだからなw

561 :縦目仮面:2009/07/13(月) 23:10:17
だね。偉いと思うよ。

562 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/13(月) 23:15:27
ワシなんざ、近づくことも出来ない。


563 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:18:06
>>560
君みたいに議論もせずに
能ガキたれてる奴が1番腹立つわw

格が違うてか?w

564 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:20:02
>>560
>>562

もん太と議論をして格の違いをみせてから言いなさい。


565 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:22:47
>>561
もん太と議論をして格の違いをみせてから言いなさい。


566 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:23:06
君子○○○○に近寄らず。

567 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:32:51
>>563-565が、意味不明なレスをしている点について、誰か
説明出来る人はいませんか?

568 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/13(月) 23:47:00
もん太君に任せよう
>>563-565 さん是非彼のお相手を。


569 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 23:53:41
ドツボが名無しで書いてるの見え見えww

570 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 00:00:18
>>658
>もん太君に任せよう >>563-565 さん是非彼のお相手を。

いや、断る。
さすがにトンデモには着いていけんw

571 :縦目仮面:2009/07/14(火) 00:09:29
>>565 ??
479、482、484、486、488、491、493、496、499、504、506、509、512
は俺だけどね。最近はコテハンさんに呼びかけるとき以外は、95%名無し なもので。

「格の違い」なんてとんでもない。どこまでいってもエンドレスの底なし沼に入っていく感じ。


572 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 00:15:35
>>571
>479、482、484、486、488、491、493、496、499、504、506、509、512
>は俺だけどね。

おれより優秀ジャンw

後は任せたww



573 :縦目仮面:2009/07/14(火) 00:37:52
>>572
>おれより優秀ジャンw  ・・・・・・・・・・・。

ま、これまで「善徳女王」のこととかかなり議論してるんだけど、どうにも実りがない。


574 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 00:58:44
>>573
君はいろいろと知ってるよね。

大陸・半島の歴史、考古学等、ここの連中に教えてやってよ。

575 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 01:44:39
狗奴国も愛知で確定したみたいだし
邪馬台国も畿内で決まりだな

576 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 01:57:46
マキムクからは東海地方の土器が一番多いわけで
畿内を邪馬台国だとした上で狗奴国を愛知に比定するのは100%無理


577 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 04:09:35
貿易摩擦による不仲なんじゃないの?

交易品が多い=摩擦が多いという

578 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 04:25:18
奴国(二万)---投馬国(五万)---邪馬壹國(七万)---狗奴国(三〜五万位)

これらが一直線上に日本列島に並ぶんじゃ、狗奴国=愛知で決定だもんね。





---投馬国---邪馬壹國---狗奴国

奴国


不弥国


投馬国


邪馬壹國


狗奴国

579 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 09:54:00
勉強不足です。

580 :doontakuka:2009/07/14(火) 10:28:21
自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王
の『度−めぐる』は、
女王國の北の境界を出、倭種・不屬女王領域を西から東へ海を『度−巡る』り、
約千里で拘奴國に至る。   
この列島のロケーションは、北緯39度の日本海側を出、津軽海峡を西から東へと通過し、約千里で北海道の苫小牧中りに至る。
拘奴國は北海道・苫小牧で其南有狗奴國は北緯39度の平泉以北。

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國
七千余里 始度一海千余里 至對海【馬】國 
の、狗邪韓國は、倭の北岸(北は南に置換)であるから波照間島になる。
去其西北界拘邪韓國七千餘里の
拘邪韓國は倭の西北界(北を南で置換して西南界)であるから与那国島である。
拘邪韓國=与那国島から狗邪韓國=波照間島へ至る描写が
『乍南乍東』である。
更に、始度一海千余里 至對海【馬】國 は、
狗邪韓國=波照間島から拘邪韓國=与那国島へ
戻るように廻って千余里で對海【馬】國(沖縄那覇)へ至。


581 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 10:57:03
>>580
魏志倭人伝   其南有狗奴國男子為王其官有狗古智卑狗
後漢書      自女王國東度海千餘里至拘奴國

魏志倭人伝では官まで紹介している。どっちが正しい?

582 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 11:00:07
後漢書の成立は5世紀

魏志倭人伝の成立は何世紀? 

583 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 11:11:30
後漢書は魏志倭人伝の

「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南」
の部分を写し間違えたんだよ。

584 :doontakuka:2009/07/14(火) 11:31:39
>>583
後漢書は魏志倭人伝の
「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南」
の部分を写し間違えたんだよ。

又、写し間違えたんだよですか。

女王國東渡海千餘里復有國皆倭種の国の位置は北・南・大東島のことだよ。
侏儒國はフィリピンさ。


585 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 11:35:25
後漢書卷八十五東夷列傳第七十五倭人伝  って文字数少ない。
魏志倭人伝の半分もないよ。省略本です。39度の熱が出て来ました。

586 :doontakuka:2009/07/14(火) 11:40:05
至對海【馬】國・・・方可四百余里
方可四百余里は1,866.2km².

沖縄本島1207.66km²・久米島59.11km²・伊平屋島20.59km²・伊是名島14.14km²
徳之島 247.77km²・沖永良部島93.65km²・与論島 20.8km²・加計呂麻島77.39km²・
与路島9.35km²・請島13.34km²・伊江島22.77km²・伊計島1.75km2・宮城島5.50km2・
平安座島5.08km2・渡嘉敷島15.29km²・座間味島6.66km²・阿嘉島3.82km²・粟国島7.63km²・
渡名喜島3.46km²・
合計面積 1,815.17km²

其の誤差わずか3%。
對海【馬】國とは、加計呂麻島から沖縄本島を云う。

魏の時代は既に對海【馬】國の地図が存在したことの証左である。


587 :doontakuka:2009/07/14(火) 11:46:46
>>585
後漢書卷八十五東夷列傳第七十五倭人伝  って文字数少ない。
魏志倭人伝の半分もないよ。省略本です。

ジェンジェン反論になっていませんね。
省略本で?

>>39度の熱が出て来ました。
列島は45度迄有るよ。
45度の熱を経験したら正常な思考ができるかもね。^^;ゴッメン!


588 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 11:52:37
>>587
対馬は700平方kmだっちゅうのw

589 :doontakuka:2009/07/14(火) 11:55:14

>>588
対馬は700平方kmだっちゅうのw

魏に短里なと無かった。

馬鹿な歴史学者の勝手論!


590 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 12:01:01
>>589
沖縄本島1207.66平方km久米島59.11平方kmなどなど・・・・
これらは正確じゃん。対馬も正確な数値で比較しろってんだよ。

591 :doontakuka:2009/07/14(火) 12:02:53
>>581
魏志倭人伝   其南有狗奴國男子為王其官有狗古智卑狗
後漢書      自女王國東度海千餘里至拘奴國

魏志倭人伝では官まで紹介している。どっちが正しい?

どちらも正しい。
間違っているのは貴方の解釈。  ^^;


592 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 12:12:07
>>589

>魏に短里などなかった

長里もなかった。


あったのは
寸=約2.4p
尺=約24p
丈=約240p
引=約2400p

これだけ

593 :doontakuka:2009/07/14(火) 12:27:14
>>592
>魏に短里などなかった

長里もなかった。

あったのは
寸=約2.4p
尺=約24p
丈=約240p ,
引=約2400p
これだけ

里=300歩  歩=6尺         
故に、
里=300歩=1800尺
も、有ったようですが?

一里=1800尺
故に、
1800尺×24cm=43,200cm=432m


594 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 12:38:21
>>593

ないよ。

たたし、条件付きでは存在したけど
多くの専門家が、ものぐさしたおかげで
いま苦労しているようだけど。

595 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 12:40:34
>>593

因みに、「三百歩為里」は何処に書かれていますか?

596 :doontakuka:2009/07/14(火) 12:53:08
>>594
周代の一里は1800尺で360歩だった。
魏尺 で 尺=約24pとなったなら、
1800尺が一里であるから、一里は432mでも有る。


597 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 13:04:21
>>596

周代の値が何故そうなったのか説明できますか?
そして、周代の値がどうして魏代でも使用出来るのかも

598 :doontakuka:2009/07/14(火) 13:26:24
周代の値が何故そうなったのか説明できますか?

出来るけど面倒だね。

円と方の組み合わせだからでしょう。

紀元前3000年頃 ○ は3600と言う数字であった。
        ◎ は36000と言う数字であった。

此れが、
紀元前2500年頃 ○は◇が3600と言う数字に成った。

方形の面積の里の起源は此処にある。

円は360度で方は360歩。



599 :doontakuka:2009/07/14(火) 13:29:24
×紀元前2500年頃 ○は◇が3600と言う数字に成った。
◎紀元前2500年頃 ○は◇と変化して3600と言う数字に成った。

600 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 13:37:50
>>599

しかし、それは飽くまで360での話しだよね
しかし、ここで問題になっているのは300だ
全然違う数値なんだけど

601 :doontakuka:2009/07/14(火) 13:45:00
>>600
しかし、それは飽くまで360での話しだよね
しかし、ここで問題になっているのは300だ
全然違う数値なんだけど

正三角形じゃないの、300歩理論は。


602 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 13:59:47
>>599

それに貴方の考えには一つミスが存在する。
つまり
方形と方を同じ面積と言う意味で扱っている事だ

本来「方」と言う字には
面積や形の意味はなく、「「発点からの一指向性」と言う意味で、四角形で説明すれば
四辺のうちの一辺
これが「方」
後に、四辺同じ長さの正方形を、一辺だけ書き表すだけで“正方形を表す記号”になったが
方には形や面積の意味はない。

だから方形と言う熟語があるわけ


方〇〇里の面積は
一辺が〇〇里の正方形の面積。

もちろん、長方形には用いる事はできない。

603 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 14:04:18
円は360度で方は360歩。

天円地方
とも云うでしょう。

円は360度で方は360歩。
は、
言葉足らずですね。

602は全て肯定します。


604 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 14:11:22
だから
「方〇〇里」と書いてあるだけでは
一概に正方形の面積だ。なんて早呑み込み出来ないわけよ

方〇〇里の方が記号の「方」なら
正方形と判断出来るが、漢字の意味を持つ「方」なら、一辺の長さだ。

つまり、条里のような
最初から区分設定された面積においての「方」なら正方形だが

605 :doontakuka:2009/07/14(火) 14:23:24
>>604

つまり、条里のような
最初から区分設定された面積においての「方」なら正方形だが

に、一票。^^;
当時の測量地図があれば、一目瞭然なのだが?




606 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 14:24:00
>>603

「天円地方」は、飽くまでもものの考え方であり
それを全ての要素に取り入れる事は出来ないよ
飽くまでも、そのような考え方が当時存在したとする、現代で言えば
掲示板的な考え方かな?

607 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 14:32:14
そして
この「周代」と言うのがくせ者で
周代と言われている割には、いっこうに周代の根拠が存在しないのも“周代と言われる特長”

608 :doontakuka:2009/07/14(火) 14:41:53
>>607

河童虫さん

餓鬼の頃から国語は苦手だったのですが! ^^;


609 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/14(火) 15:08:28
>>608

私も何時も赤点ギリギリでしたし
国語の表紙みるだけで眠くなりましたから

これって国語力じゃなく、単に道理でモノを見たり考えたりしているだけです。

だから
私の書き込みには、一切学識的なモノは含まれていない
天然素材です。

610 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 15:36:03
>>609
なるほど、納得した(笑)


611 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 17:02:18
>>559
確かに基本的には「歴史観」の違いだろうね
つか俺の場合は「国家の歴史」と「その国家の政府が主張してる歴史」と「民族の歴史」と「その土地の歴史」と、きちんと分けて考えたり調べたりしようとしてるよ

例えば俺らが義務教育の過程の中で植え付けられてきた日本の歴史観てのは、戦後の日本政府が唱えて来た歴史


612 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 17:12:03
>>559
俺は今、33歳で団塊Jr.世代って奴
俺らの頃に教わった日本史と言えば
・石器時代(大陸では黄河文明やエジプト文明が栄えてた頃、日本はまだ猿見たいなもんでした)
・縄文時代(大陸では秦やギリシアやローマなど優れた文明が栄えてた頃、日本はやはり猿でした)
・弥生時代(邪馬台国の卑弥呼登場。中国様に認められて貰った国家がようやく誕生し、大陸様から文明が伝来したお陰で、ここまでの文明を持ちました)



613 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 17:15:54
モンタキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

614 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 17:29:00
>>559

・で、いきなり飛鳥時代や平安時代や鎌倉時代や戦国時代。この辺りは適当

・で、明治維新
明治維新では「外国の文明を取り入れた素晴らしい改革」見たいな、やたら民主主義や国民主権を賛美
『近代日本』なんて言い方をして、開国したお陰でアメリカやヨーロッパから近代文明が入って来て日本は近代化出来た見たいな書き方
(それまで続いてた日本の文化や信仰、城や寺や大和朝廷をも滅ぼしたと言う書き方はしない)

・で、戦後の日本政府が最も徹底して教育してきた太平洋戦争
日本は悪い国だった
まだちゃんとした民主主義国家では無かった
で『戦争に負けたお陰で、悲しい戦争が終わり、欧米のような民主主義国家になれた』見たいな話


615 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 17:29:49
>>559
ちなみに俺も、古事記や日本書記などを読む前までは、日本の歴史の事なんて、教育で習った程度の歴史観しか持って無かったよ

そもそも天皇にしても「天皇は敗北宣言をし、太平洋戦争を終わらせた偉い人」程度の歴史観しか持って無かったよ


あと教育以外ではマスコミから受ける歴史観もあった
まあこれも「日本は悪い事したから反省しなきゃだめ」とか
理由は解らないけど「皇室の人達はこんなに人徳にあふれています。皇室の人達は敬わなければいけない人達。子供でさえ『様』を付けて呼ばなければならない人達。」見たいな事


616 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 17:42:07
>>559
日本の歴史に興味をもったのは、皇室典範改正だの女系天皇だのやってた頃だよ
その頃に「そもそも天皇って何?」って思って、男系派が良く出してた神武天皇やら、古事記の内容が書いてある本を読んで
その頃は「日本の歴史ってのは正に天皇の歴史じゃん!天皇って2600年も血統が続いてて日本人にとっての誇りじゃん!」て思ってたよ

ただ、今になってはさ、その時に俺が持ってた天皇や日本に対しての歴史観ってのは、単に天皇を担いだ明治政府が唱えてた歴史観でしか無かったよ
(いまなされてる記紀の内容(てか解釈)は、全て明治政府が唱えてたもの)

ちなみに、記紀の話になると、俺も以前はそうだったけど、明治政府が唱えたその天皇史観の歴史観を「日本の歴史」と言う立場の人達が大半だって事は解る
俺も神武天皇2600年とか、何の疑いも持たずに完全に信じてたし


617 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 17:54:55
>>559
んでも、俺の場合はさ、記紀の中の明治政府が「神話代で空想の話」なんてしてた、日本神話の時代に興味があって色々自分で調べ出すようになって
ようやく「記紀の内容って、いま解釈されてる内容とは実際は違うんじゃね?」ってそこで初めて疑う事を知ったよ
たまたま実家が美濃でさ、地元や周辺の歴史を調べる内に、御嶽山や恵那山や犬山や信濃や神坂峠や、国之常立命や、中津国やイザナミイザナキや、スサノオや、稲葉の素兎足や、高天原から、葦原高原とか、、

記紀の解釈では「神武以前の話は、単なる想像上の話」とされてた話や人物や地名や遺跡や信仰が、
日本アルプスの山々を中心とした地域には、その土地に伝わる伝承や昔話として伝えられて来てたよ


618 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 18:11:35
>>559
んでさ、記紀の原本の記述なんかも調べるようになって、飛騨信濃美濃尾張三河越周辺の伝承と
記紀の原本の記述を比べて見たりしてくうちに、記紀の神話代の話は単なる想像じゃなく、現実に日本にあった歴史だった事が理解出来て来てさ

神代の話が単なる神話じゃなく、その神話代の話の元となる伝承や出来事やそれを示す痕跡や遺跡や場所や、、
神々が辿った古代のルート(東山道)まで特定出来る程、明確な歴史だったよ


神代の話が実在する歴史だった場合さ、
神武が初代天皇だとか初めて日本を統治した人だとか言う、天皇史観や今ある記紀の解釈が間違ってる事になって来るんだよね


619 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/14(火) 18:11:53
恵那山は、孝霊時代に孝安の「えな」を祀った。


620 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 18:27:44
>>559
例えば天高原から天つ浮舟に乗り神武天皇の手助けをした「ニギハヤヒ」
天高原、天つ浮舟、天つ海、、、
これ等の場所が何処だとか、天つ浮舟てなんの事なのかとかさ、これって記紀の記述を頭から、
要は「国之常立命の降臨」の話から順にずっと場所や神々の足取りまで、詳細に辿れる話だよ


例えば「天つ浮舟」てのはさ、単にその時代ってのは、天高原から中国(なかつくに)へ行くルートは神坂峠を越える東山道と
海(その時代にあった貯水湖。飛鳥時代の大地震で決壊し、下流の中国原は宮をはじめ大惨事に)を渡り伊勢から三河に抜けたり、恵那から美濃へ行けるルートとがあったって話なだけだよ
神坂のある東山道はイザナキが桃を投げたり、大和武が神が化けた猪に出会ったりした神坂を渡るルートで
天つ浮舟で海を渡るルートは猿田彦らが、岩戸のある皆神山までヒルメ達を案内したり、イワレビコがナガスネヒコのいた飛鳥(ちなみに場所は奈良じゃなく稲葉)を東から攻める為に、伊勢から舟にのり海を渡ったルートだよ


621 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 18:44:28
頭大丈夫か?

622 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 18:47:45
きょうも暑かったからなあ・・・・ww

623 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 18:47:53
記紀の記述が全部正しかったら、と言う前提で話をされても

624 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 18:49:12
記紀の原文では「稲葉素兎足」とある

[明治政府]
・場所→鳥取の因幡
・明治政府の解釈→白い兎がワニを騙してその背中をぴょんぴょん跳ねて、大陸から海を渡って来る話。ちなみにワニとは鳥取ではサメの事である
・史籍→白兎神社:記紀の話にある白兎を祀った神社(調べたら建設は明治時代)


[俺が調べた話]
・稲葉→岐阜
・伝承地→三河
・内容→稲葉の王子である兎足が、天高原(信濃)に向かう為に、美濃から海(昔あった美濃奥地の湖)まで行き
鰐(海を渡る葦で作った小船、和仁氏族が運搬してた為、ワニと呼ばれてた)に乗った所、船頭に騙されて身ぐるみを剥がされた上に河流れにされた

で、下流の三河に流された稲葉の王子を、三河の氏族が助けたって話
それ以来、三河のこの土地は「足助(兎足を助けた)」と呼ばれ、兎足が流れ着いた船石や、稲葉の王子の素兎足が建立した兎足神社がある

俺の説明で不足なら「足助」や「兎足」で調べて下さい


625 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 19:10:27
兎足神社については、
祭神の菟上足尼命は孝元天皇の御裔葛城襲津彦命(大和朝廷の名族)四世の御孫ってことになってるけど?

三河と孝元天皇の繋がりを示唆してくれるなら、
違う意味で面白い話になるんだけどね。


626 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 19:10:45
記紀の原文は「稲葉素兎足」
明治政府は天皇を九州発祥とする為に、稲葉を鳥取の因幡とし、素兎足を「白い兎」として、日本全国の学校でこの話を「神武天皇が九州から東征に向かう途中での話だから神武は九州から島根を辿り、、」って都合よく解釈した内容を史実として教えてたよ

「素」て漢字は「身ぐるみ剥がされた」て意味で「白」て意味は無いよ

んで記紀にはちゃんと「兎」じゃなく「兎足」と書いてある
稲葉の王の氏族の兎足てのは調べたら、5〜6世紀に実際に実在してる人物だよ
兎足は確か蘇我氏族だったはず
で稲葉(信長が岐阜に改める前までは、ここは稲葉て地名)周辺の昔の地名や蘇我氏縁の伝承や遺跡を調べたら
飛鳥川や聖徳や大和川や十七条や蘇原や蘇我山田麿呂の墓や、入鹿池や、、、、
西の飛鳥への遷都に住民が反対した話やら聖徳太子が開山した密教の修験寺の置かれた山々や、宇佐宮、弥勒寺、飛鳥宮、、



627 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 19:20:55
記紀にも「近飛鳥」「遠飛鳥」と二つの別々の飛鳥の地の記述があるように、ちゃんと調べれば奈良飛鳥以外にもう1つの飛鳥の場所も解るよ


「大和川の河口から船で宮まで物資を運搬し、、、」
奈良の飛鳥と、稲葉の飛鳥
これ、どっちの飛鳥の話だと思う?

実際に稲葉は長良川・や揖斐川、犬山は木曽川(木曽三川の旧名や支流名は長江、大和川、飛鳥川など。)などは、船で物資を運搬してた川だよ


奈良の大和川の河口から奈良の飛鳥(明日香村)まで、実際に船で物資の運搬が可能なのか、そんな史実があるのかどうか
地元の人で答えられる人、誰か居ますか?


628 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 19:22:40
>>625
葛城高尾張、もしくは河内安宿部の尾張郷から
4世紀頃人が移動してるでしょ。

629 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 19:28:40
>>627
>奈良の大和川の河口から奈良の飛鳥(明日香村)まで、
実際に船で物資の運搬が可能なのか、そんな史実があるのかどうか

大和盆地内は元々湖で川だらけ。
当然船で物資の運搬は可能ですし、運航を手がけてた
広瀬衆という存在もありますが。

630 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 19:38:48
>>625
指摘ありがとう
であれば、あなたの言ってる事が正しいよ
俺はうろ覚えで話してるから、細かい所では沢山間違った事を言っちゃってると思う

けど俺の間違いを、そうやって正解に指摘して貰えると有難いすよ

で、あとは記紀の中の「稲葉素兎足」の話は
日本の歴史上に起きた、どの地域の何の話を伝えてるいるものなのか?って考えてみて欲しいです


「白い兎が、ワニ(サメ)の背中をピョンピョン、、、」
これ意味解らないでしょ?

良く言われるのが「白兎の話は、大陸からの渡来人が渡って来た様子を、、じゃないのか」でしょ?
ただこのままじゃ単なる想像でしかない
先ずは島根の因幡に、そうした史実や伝承があるのかどうかを調べて、実際にそうした史実があるなら、その地には
本来の「稲葉素兎足」の話が伝承されてる話だよ
記紀てのは「兎がピョンピョン」なんて、童話話を書いてある訳じゃないし、「兎がピョンピョン」なんて話されても意味解らないでしょ?
「いやー、不思議な体験をしたー」とでも言いたいんか?って話だよ

それに、本当に「兎がピョンピョン」なんて話だとしたら、日本の歴史に全く関わらないような話をワザワザ記紀に書いた理由を知りたいわ

631 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 19:41:27
>>628

奈良に三河という地名があって、
そこから三河の土器が出る。




632 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 19:48:53
>>630

ありがとうじゃないだろ。
ググればすぐにわかるものを。

それと、因幡のウサギは「淤岐島」から始まる話なんだけど、淤岐島って岐阜にあるわけ?

633 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 19:57:17
つか今自分が持ってる「歴史観」なんてのに捕らわれないで、誰の主張や意見にも惑わされないで、普通に自分で考えて見て欲しい

歴史書に書いてある話として、適切なのはどっちだと思う?

記紀の原文には「稲葉素兎足」とある
1、これは白いウサギさんがサメさんの背中をピョンピョン、、て話が書いてあるんだよ
2、三河の足助地区、孝元天皇の御裔葛城襲津彦命(大和朝廷の名族)四世の孫の「稲葉の兎足素祭神」の話
稲葉の素兎足を助けた話



てか俺は別に神武天皇を否定したくて言ってる訳じゃないよ
仮に「2が史実」とした場合にも、記紀に書かれてる通り、イワレビコはナガツネヒコを倒してちゃんと遷都してる
ただ「イワレビコが九州から島根の因幡を通り、、」なんて解釈は間違ってるんじゃないですか?
って話だよ


634 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 20:18:01
>>632
よし、んじゃあそれを一緒に考えましょうよ
まずは記紀の原文にはなんて書いてあるのかっすよ
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/menu-w.html#MOKJI

俺、携帯だから内容をコピペ出来ずにすみません

まずは原文に書かれてる地名
で、岐阜でも島根ても三河でも何処でもいいよ
過去にそう呼ばれてた場所がある地域を探そうよ
例えば大和なんて地名は沢山ある

1、日本全国から探す場合→これは今回はやらなくていいでしょ?
2、めぼしい地域を限定して探す場合→過去に大和(発音だけヤマトも含む)に由来する地名(土地でも川でも山でも伝承でも氏族名でも)があるのか無いのか


2で色々調べようよ
島根と思うなら島根
岐阜と思うなら岐阜
三河と思うなら三河
(ちなみに俺は兎足は足助にいた氏族伝えてる話じゃないかと今のところは考えてます。岐阜の地名てより、三河の人がそう呼んでた地名は何処なのかてのを探して見ようかなとも思う)




635 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/14(火) 20:21:33
ワニ→ワニ船=サバニ船


636 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 20:27:50
ちなみに足助の周辺は色々あるんだよ
まず元伊勢とも呼ばれる伊勢神
ここには猿田彦、猿姫(ヒルメ)、猿田彦が投げ込まれた伊勢河と猿投石
猿田彦を投げ込んだ天皇の伝承、、その息子の大和武、、

記紀では「イワレビコは稲葉の素兎足に助言した後に、伊勢から船で、ナガツネヒコより日の登る地(東)に回り込んだ」でしょ?

てか「昔、奥美濃にあった海」の説明が面倒くさいからとりあえずここは良いや

俺は海のあった場所は調べて特定出来てるし、その周辺の地域に伝わる竜神の湖が決壊して起きた災害の伝承や、現にその海の下流の地域では、数メートルもの地下に埋もれた石碑などが発見されたりしてる




637 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 20:46:23
でもさ、名古屋だかの大学が信越地震の時に話題になった地震の土砂崩れによる自然のダムの調査に来て
「ここは確かにかつては湖があった」
の後に「私達が唱えてた過去にも越のように地震で自然のダムが出来てたが証明されたぞ!ガハハハ」て、訳の解らない研究発表してるんだよ


地質や土砂に埋もれた大木の発見などから得られた事は「かつて海(湖)があった」て事で、そんな事はいちいち調べなくても、この地域周辺では伝えられて来てる話


それを「だからここにもかつて地震災害による自然湖が出来てたって事になる。で、美濃には400年前に大地震があったと言われてるからこの時のものに違いない」
て、アホかよ

400年前のその場所には武田軍が美濃に進入した古道があって、、、だからこの大学の研究結果は間違ってるんだけど、それを説明するのが面倒くさい
そもそも「地震研究チーム」て奴らが地震湖と結び付けたくて調べに来てただけだから話にならない


とにかく「かつてそこに海(湖)があった」て場所は説明できるよ
その海はかつては御川と呼ばれてた川の源流にあり
「信濃の阿智(ヤマサチヒコ、扶桑の木など)・三河の伊勢(猿田彦、兎足など)・美濃の恵那(天照、大船の良弁杉)」
などを鰐(葦の船)で行き来できる場所だよ


つまり記紀の記述にあるように、実際に伊勢から船で、日の登る扶桑の木のある阿智信濃へ向かうのに使われてた古街道上のルートだよ
塩の道て呼ばれてたルートだよ

638 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 20:51:49
言い伝えなんて人が移動すると
その場所で語り継ぐもんでしょ。

似たような話が微妙に形を変えて
全国に伝わっていっただけの話。

639 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 20:55:33
>>632
いま原文みてるけど、その名前の嶋は出て来ないすよ
つかイワレビコの話の中に、足助の兎足神社が伝えるのと同じ「葛城宮」てのは書いてあるね


葛城て足助の事なんかな?
ちょい調べてみるよ

640 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 21:10:01
なんだかすごいことになってるな。因幡の白兎???

・・・まあ、東南アジアには、陸の動物が水の動物をだまして川を渡るという素朴な説話があ
るが、これほど複雑な話ではない。皮を剥がれたウサギが大国主の助言によって助かると
いうのは、報恩説話(ウサギはヤガミヒメと大国主の結婚を予言) ともいえるが、擬死と再生
がモチーフともいえるかもしれない。あるいは古代の医療譚とも。

この後、ウサギを助けた大国主も八十神の手によって二度まで殺されかけたが、治療により
再生し、スサノオのすむ根の国に向かう。

641 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 21:10:19
>>638
てよりさ、例えば同じ事柄でもその伝え方が、地域によっては違うんだよ
あと人の呼び名も違う
スサノオは記紀ではスサノオだけど、「牛頭大王」とか「大国主」とか「○○祖神」とか、地域によって呼び方も様々だよ

草薙の剣もさ、地域によっては大船山の大木(弁弁杉。京都じゃないよ)の元にすむ竜神と呼ばれた大仙人の元で酒を飲みかわして、船で帰る時に、船頭の鰐氏から渡された剣て伝えられ方もされてる
それが三河や尾張では「ヤマタノオロチを酒で酔わせ眠った所を腹を引き裂いて、、」て話になってるよ


あとちなみに日本書記も古事記も、尾張の寺(当時の寺は寺子屋と言って藩の歴史などを学ぶ教育の場でもある)にあった風土記の1つだよ(寺の名前忘れた)
三種の神器や記紀なんかは、そら尾張の氏族の祖氏らの活躍を書いた話だしさ
やたら「尾張」が出てくるのもその為だよ
そもそも家康も秀吉も信長も、この尾張藩の出身者だし


家康は実は尾張じゃ無い気もするけどね


642 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 21:27:29
>>640
だから原文よんできてみ
そもそも「稲葉素兎足」の漢文を「皮を剥がされた白い兎が、、」なんて話だと読み取る方がおかしいんであって、そもそも「サメ」なんてのも出て来ないでしょ?
はっきりと「鰐(ワニ)」て書いてあるのに
「日本にワニはいない。けどサメの事をワニと呼ぶ地域があるから、きっとサメの事、、」
記紀には一言も書いてないのに、勝手な妄想話だけが広まる。つか明治政府がそう広めた

そもそも古事記も日本書記も尾張の風土記なんだから、尾張の奴らの解る地名や呼び名で書いてあるんだよ
木曽川や三河などの河口に当たる尾張の奴らは、良く川を渡ったりしてたんだよ
色んな目的や名前の船がある
ちなみに鰐(ワニ)てのは、船の種類で言うとレース用のヨット見たいな船
海でのる船じゃなく川を早く行き来出来る細長い小型船


日本は矢を作ってた氏族を矢作氏、絹を伝えた波多氏(秦氏・はたし)の名前から、絹を作る作法を「機織り」てよんだりさ
その船が鰐って呼ばれてたのも和仁氏って言う船頭の氏族がいたからだよ
ちなみに渡来人だよ。和仁氏とか王仁氏とか呼ばれてる氏族

神功皇后がのたうち回る鰐を産んだ話あるでしょ?
ようわ渡来人の子を産んだって事が書いてあるんだよ

643 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 21:47:04
>>641
だから話なんてものは、その地方や語る人によって変わるだけの話。
どこがオリジナルかなんてのは、人の移動を探ってゆけば
大体わかるでしょ?

尾張というのは元々葛城(勿論畿内の葛城山周辺)と縁が深いし
その葛城自体は丹波方面ととても縁が深いのは
調べりゃすぐ解る事です。但馬〜當麻で調べてみ?

因幡の話が伝言ゲームで三河まで伝わったという事ですよ。

644 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 21:51:45
ワニザメとは瀬戸内海の海賊こと。

645 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 21:54:41
もん太にハッキリ言おう。

美濃や長野には郡所しかなかった。
唯一あるとすれば、大物主の息子が
諏訪に逃げただけ。

646 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 21:58:35
ちなみに大国主て信濃の諏訪の祖神だよ
あと「諏訪大明神」「物部」でくぐってみ?
ニギハヤヒが出てくるから
ちなみに「天高原」もくそも、まず「高原」てのは「こうげん地帯」て、そのままの意味でしか無いっての
だから尾張や江戸を「高原」とは言わないだけ
「中国原」これも単に「なかつくにはら」でようは「中心の國・我々の國」とかだよ
薩摩藩の奴らなら薩摩が中國原で、会津の奴らなら会津が中國原だよ


「天高原のニギハヤヒが天つ浮舟に乗りやって来てナガツネヒコを殺害した」
これ「天高原=信濃地方」「天浮舟=さっき説明した伊勢三河や恵那美濃や阿智信濃を行き来する為に渡る湖、日本アルプスを東西に渡る為の古街道の1つ」
大した話じゃないんだってば

日本アルプスを境に東國の信濃(天高原)方面と、宮や都が置かれた中つ國(美濃飛鳥・奈良飛鳥・近江・橿原)を行き来する古街道ってのは
・天照の胞を奉納した恵那大権山にある神坂峠を越える東山道
・三河、美濃、信濃の東海を船で渡る古道(東海道)
この2つのルートを渡る際の話は記紀の中にはなんども書かれてるよ
大和武は東山道を通り東國のあらぶる国々を納め、東海道の海を渡る際に溺れ死んだ(実は死んでなくてそれが兎足かもね)とかさ
「東海道」の意味とか解った?
実際に東國へと海を渡る道だから東海道だよ

太平洋沿岸を渡る道なんてわざわざ開拓する必要無いでしょ
んな苦労しなくても沿岸に街道作らなくても船で行けるんだから
天高原って信濃の事だから信濃に行けるルートを考えれば解るよ

つか神坂峠を越える東山道にしろ、伊勢神峠を越える東海道にしろ、めちゃくちゃ険しい道だから
日本アルプスの高原地帯へ登り続ける峠なんだよ

647 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 22:14:08
>>645
そんな事はどうでもいいよ
天照が産まれた場所が恵那山の麓の阿木村だからって、イザナキが治めてた高原地帯ってのが信濃だからって
そこが日本の発祥だとも思わなけりゃ、そこの地域が偉いとも思わない
ただ記紀ってのは天皇の歴史や日本国家の歴史なんかじゃなく、俺らが日本民族である由来を伝える日本民族の歴史
ただし日本書記・古事記なんてのは尾張藩が伝えてきた風土記の1つであって、尾張氏族の立場から見た伝承なだけ
そらその地域から見たら恵那大権山の蔡神の天照が中心になるさ

ただ未だに根強い白山信仰があり、記紀でも天照よりも遥か前に登場する御岳山の蔡神の國之常立命の伝承の地である飛騨(旧名、日玉之國)では、
「天照なんて日玉を降りたイザナミが産んだ奇形児だ」だよ



648 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 22:26:29
確かにイザナミは記紀でも奇形児を沢山産んでるし、美濃でも大権山の天照は「胞にくるまれて産まれてきた」とされてるよ
天照は通常の出産と同じように産まれた赤ちゃんじゃないしさ

あと美濃はイザナミイザナキだけど、それ以前に5対もの夫婦神が現れては消えてる

これら6対の神はチベットの聖典にもあるように、六山御岳(トルコ・チベット・南米・北米・オージー・アフリカだったかな?)の聖山に下ったのかな?
日本各地に散らばっただけなのかもよ


どの道さ、俺は記紀を頭から読んでる訳だから、美濃(イザナキの中津國)も信濃(イザナキの天高原)も、発祥の地にはならないよ
記紀を読めば解るけどイザナミも天照も、日本民族の歴史の発祥や祖神じゃないよ
そもそも日本には海原をかき回して島々の大地を作り降り立った最初の神がいるんだし

降り立ったからって、降り立った日玉の國に暮らしてる奴らが偉いって訳でもないし

ただ先祖に対する信仰心は日本人であるなら持つべきだと思うよ

649 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 22:28:39
別スレ立てるべきだろ
倭人伝とか全然関係無いじゃん

650 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 22:46:16
>>643
つかさ稲葉素兎足の話が鳥取だろうが足助だろうが、こんなのは他所の地域からしたら「だから何?」の話でしかないでしょ?
って事を言ってるんだよ
記紀なんてのは尾張藩が持ってた風土記なだけで、会津や吉備や他の地域にはまた違った風土記があったんだってば

「人の移動」なんて前に、俺は「記紀にしろ他の風土記にしろ俺ら日本民族の歴史」って言ってるんだってば
で、明治維新前までは、君も俺もそれぞれの日本人が、それぞれの祖である氏神を信仰して、家紋なんかはそれを表す名残だよ
つか君ん家の家紋が何か解る?あと先祖が入ってた檀家の寺とかさ

勝った地域の奴からしたら諏訪大明神なんてただの負け犬だけど、物部氏や諏訪大明神の氏族を氏神としてる奴からしたら、負けようが何をしようが氏神は氏神なんだってば
天皇も君も同じ日本民族なんだから、君も天皇も同じだってば

檀家に戸籍が残ってれば君の血統や氏神もはっきり解るんから一番良いんだけど、それが無くとも、君の家系や血統は日本神話の時代から今なお続いてる血統だって自負してください
日本神話は他の民族ではなく、あなたの先祖らからの歴史を伝えるあなた自身の話だよ


651 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 22:47:47
美濃もん太よ、

三河の足助地区で稲葉の王子を助けたって話はどこで聞いた話なんだ?
ググっても出てこないぞ。
URL知ってるなら、張ってくれ。
面倒なのはわかるが、君の話を何も検証できないぞ。

652 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/14(火) 22:50:59
伝承の変化、伝達をどうもん太君に、伝えよう?


653 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 22:54:53
>>649
倭人伝てのは、そんな歴史を持つ俺ら日本民族の事を伝えた話でしょ?
スサノオが他の地域では牛頭大王と呼ばれたりするのと同じ
倭人伝が俺ら日本民族の事を書いてるなら、日本人の民族神話の中に出てくる誰かの事を「卑弥呼」だの「邪馬台国」だのて書いてるだけだよ
卑弥呼は倭人の女王て書いてあるんだから、日本神話上に出てくる何人かの女王の誰かの事だってば

謎でも何でもない話だよ


654 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:08:12
>>651
もん太の脳内風土紀に書いてありますので、
ググッても出てきませんw

655 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:13:09
因幡ー稲葉から  >記紀なんてのは尾張藩が持ってた風土記なだけ
となるのか。・・・・凄すぎる。

656 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 23:15:14
>>651
ごめん。いま調べて見たけど俺、うろ覚え
いろいろ間違えてる
まず兎足神社は足助じゃないや
足助は足助氏族の足助城の地で、この足助氏が稲葉からの稲葉氏て事見たい
あと兎足もアリトは間違い
「ウタリ」て読むすよ
あと「兎」って漢字も正しくは「草冠に兎」て言う漢字(携帯で打てん)


このさ足助や兎足神社の小坂井町て所を流れてる川は、古くは「御川」て呼ばれてて、上流に龍神が住む海があったとされてる川で、三河て呼び名もこの「御川」から来てるんだよ



657 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:15:53
もん太って本当に時間認識とか出来ない人なのか?
正直釣りかマジなのかわからなくなってきた。

658 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:19:40
>>656

固有名詞の間違いはどうでもいいよ。

「三河で、稲葉の王子を助けた」という話は、どこで聞いたのか?と質問してる。



659 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 23:20:32
でさ、この兎足寺の更に下流には浦島太郎が流れ着いて数年暮らしてから上流の國に帰ったら、まるで違う様子になってガッカリしたって話がある「竜宮」て地域もあるんだよ
確か浦島子は御川の亀岩まで流されて、そこが竜宮て場所

この話とごっちゃになってるかもだよ

ちなみに御川の上流へ行き美濃に行くと神坂峠付近には、また竜宮の話を裏付けるように、その地では浦島太郎の伝承や痕跡が伝わってたりしてるよ

660 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:24:35
浦島太郎の話なんてそれこそ何処にでも残ってる。

661 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:27:33
美濃には桃太郎伝説もあるよな。

あ、エサあげちゃった。

662 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 23:32:48
>>655
とりあえず古事記ね
http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E7%9C%9F%E7%A6%8F%E5%AF%BA+%E5%B0%BE%E5%BC%B5&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=0pRcSsDkHZDk7AO4isi0Ag&cd=10&resnum=
10&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.asahi-net.or.jp%2F%7EFB8H-SKI%2Fhitoshi%2Fkayo%2Faka10%2Fikeda%2Fikeda.htm


「真福寺、尾張」や「古事記、尾張」てくぐって貰ってもいいよ

「風土記」て「各地の寺や氏族家や大名家に伝えられて来てた歴史書物の総称」て意味で風土記て言葉を使ってるだけだよ
だから江戸幕府が聖典としてた先代旧事記も、俺の中では江戸幕府に伝わってた風土記て意味で風土記て言葉を使ってるだけ

古事記に関しては一般的には「真福寺本」て呼び方が正しいかもね
同じ尾張藩内にある熱田の草薙剣とかの由来の歴史とかが書いてあるのが真福寺本

日本書記も調べるからちと待ってて

663 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:38:34
俺専用学術用語を何の説明も無しに掲示板で使うなよ
周りの人間には何のことかさっぱりじゃないか

664 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 23:40:12
あと良く九州発祥説の人等が上げる「宇佐宮」
これは「扶桑略記」て言う、扶桑國の歴史を書いた書物で、弥勒山の弥勒寺の事が詳しく書いてある本

ちなみに扶桑てのは犬山周辺の昔の地名で扶桑略記があった寺も確かこの周辺だったよ

扶桑略記の記述と同じように、岩座(イワクラ・古代の山岳信仰の対象の山に残されてる古代日本の巨石遺跡。中腹には雨乞い岩などがある)の置かれた弥勒山は春日井と多治見の間にあるよ
弥勒寺は今は春日井に「寺跡」の地だけが残されてるよ
ちなみに宇佐てのは昔の春日井の地名
てか今でも春日井に沢山残る地名だよ
宇佐宮や犬山の周辺地域が扶桑國
その隣には蓬莱國もあるよ



665 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:50:22
美濃もん太河童虫doontakuka面白いw 自分語り最強w ある意味・・・・・・

666 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:51:13
もういいから、誰か 早く河童呼んできてくれ

667 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/14(火) 23:52:36
>>661
うん。つか桃山(犬山)の話だよ
つかあれさ伝承とかを調べるとさ
×腰につけた吉備団子
○越(今の中越地方とか)の強族である吉備氏に郡団(連合)を呼び掛けて戦って貰ったってだけの話だね
「○○島」って地名は日本各地に沢山あるように、鬼ヶ島て島じゃなく地名だしさ
鏡原(各務原)の勢力部族を鬼て呼んで彼らのシマ(ヤクザ用語と同じ意味)が鬼ヶ島だよ

猿雉犬なんて別に対した意味は無いだろうけどこじつけるなら、猿田彦やヤタ烏(黒雉)とか案内した奴らて意味と思うよ

あれでも美濃で起きた話ではあるけど、桃太郎自体は西方に渡ってた氏族だよ
猿だか雉だがの案内で越の吉備氏と連合して、神坂峠から犬山に入り鏡原の鬼ヶ島を倒した話だよ


イワレビコや大和武の話とにかりよっかりの話
これらは元は同じ話なんだろうね

668 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:53:42
これは・・・時系列の混乱にプラスして、一つの肯定的根拠(しかも曲解している)により、他の
全ての否定的事実が見えなくなるというような状態だと思う。マジレスだとすれば。

669 :日本@名無史さん:2009/07/14(火) 23:59:01
>>668
もはや分裂してるな

670 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:00:19
まあ邪馬台国が美濃に無い事だけは確かだw

671 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:06:19
いやいや、案外卑弥呼は美濃にいたかもしれんぞ?

なあ、美濃もん太くん。


672 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:09:55
もう卑弥呼も神功皇后も推古天皇も
楊貴妃もクレオパトラも

美濃にいたという事でいいよ、な?

673 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:12:30
>>667
んなこたあ、誰でも想像できてんだよ。

674 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:13:01
レインマンじゃねの。

675 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:17:07
>>667
ちなみに赤鬼青鬼ってのは、鉄を生成する時の炭の温度の違いにより
顔が赤く見えたり、青く見えたりってことな。
鉄の取り合いの話です。こんなの常識です。

676 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:25:00
>>674
サヴァン症候群?

677 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:37:13
ついでに、、八岐大蛇の話な、あれは雨季に川が氾濫して近郷の農民が苦労してたのを
治水工事をして解決しましたってお話。
田んぼの姫と結婚してるでしょ。
尾から剣が出たってのは川の上流で砂鉄が取れたって事。これも鉄の話。

678 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 00:50:19
鬼ヶ島は九州のことだよ。
桃太郎は吉備の吉備津彦。

吉備の吉備津彦が九州の鉄を入手するために九州に攻め込み、
鉄の利権を確保し、吉備の王としての地位を確立したのが、
日本一の桃太郎伝説の始まり。

世間でいわれてる、鍛冶集団ウラを退治したなんてスケールの小さい話じゃないよ。
地方の小競り合いで日本一になれるわけないじゃん。


679 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:00:11
>>678
出雲には広瀬町西比田の金屋子神社を中心として
東西に50キロ南北に20キロに及ぶ広大な規模の砂鉄産地がある。
なんで九州まで行く必要があるもんか。出雲だよ。常識問題です。

680 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:04:45
>>678
だいたい九州の鉄の利権ってなんのことだよ。
鉄の産地を吉備に持ってこれるの?

681 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:11:01
>>680
九州が鉄を独占してて、東に流通させないから、
吉備が九州のイト国を征伐して、東にも鉄を流通するようにさせたんだよ。

吉備と出雲が対立してたことなんてないよ。
吉備は出雲からも鉄を交易で入手してたけど、それじゃ足りなくなってきたから、
九州を支配下に置いたの。
鉄の交易ルートが瀬戸内海に移ったことによって、出雲は衰退したんだけどね。

682 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 01:14:45
>>671
いねーての
倭人てのは朝鮮半島南部まで治めてたんだってば

・倭人の治めてた領地→天高原、中國(なかつくに)、斎州島、唐(加羅)、任那、百済、新羅
そもそも漢籍書にはどの地域にどの民族が居たのか書いてあるじゃん
「○○の南には○○族」ってさ
「中国に○○王朝があり○○皇帝が、、」なんて話を書いてる訳じゃなく、どの民族が何処にいてって話だよ


つか支那の歴史を皆理解してなさ過ぎ
例えば
[清王朝]
・場所:
・領土:
・民族名:
・使用語源:
・使用文字:
・初代皇帝の名前:
・二代目皇帝の名前:
中国の王朝を中心とした封建制度なんだの言う前にこれぐらい調べて見てみ?


683 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:18:35
>>681
日本神話は出雲の砂鉄を指し示しているよ。
伊都國は征服なんてされてないよ。官位が高級ですから。

684 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:40:17
畿内大和(天高原)のイザナギと天照がスサノオに中津国(出雲)の制圧を命じた。
スサノオは吉備の国の兵士をお供に出雲を支配下に置き、鉄剣を天照に謙譲した。
国譲りの話から、白ウサギの話まで、何から何まで日本神話は出雲の話だよ。

685 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 01:43:39
[清王朝]
・王朝名:マンチュリア王朝
・場所:ムクデン
・領土:ムクデン、スクスフ、フネヘ、ワンギャ、ドンゴ、ジェチェン
・民族名:マンジュシュリー族・使用語源:マンダリン
・使用文字:ジュシェン文字、及び漢字
・初代皇帝の名前:ジュエルオ・ヌルハチ
・二代目皇帝の名前:ジュエルオ・ホンタイジ
・最後の皇帝の名前:ジュエルオ・ギョロ



そら漢字で「清・康皇帝」とか書けば中国の王朝に思えるかも知れないけど
今は他国を「米国・小濱帝」なんて書かないでしょ?
今はフランスやナポレオンを「仏国・初武帝」とは書かないでしょ?


× 中国の清王朝 武皇帝
○ マンジュ・ムクデンのマンチュリア王朝 ジュエルオ・ヌルハチ皇帝
だよ

チベットも昔は清みたいに「恙」見たいな字で書かれてたけど、今はちゃんとチベットとかダライ・ラマて表記してるんだし

686 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:53:53
それで、美濃もん太は、卑弥呼は誰だって思ってるんだ?

687 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 01:54:00
>>677
治水湖が決壊して川が氾濫した話は、ちゃんと氾濫した災害話として記紀には書いてあるだろ

つかヤマタのオロチの話を良く読めば解るじゃん
「首が八つに別れた大蛇が、、」
なんて書いてないでしょ?

海を渡った大木のある山に暮らす龍神と呼ばれる大山人の話でしょ?
その仙人の元で3年暮らし水を操る術(治水の技術)を教えて貰ったのち、故郷に帰って来て治水工事をして、下流の兄弟をギャフンと言わせたって話じゃん


688 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:56:01
天武天皇は当然ながら、各倭人伝、各倭国伝を読んでいたろう。
そこには、卑弥呼などと言う卑しい名や親魏倭王などの文字が目に付いた。
そこで、日本書記作成となるが、日本書記に卑弥呼のことなど書ける訳がない。
そこで、卑弥呼の変わりに天照を作り出し神代の話と偽造、神武も紀元前としてしまった。
天武が無邪気な子供に見えてくるからおかしいわw

689 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:58:26
>>683

景行天皇が九州を征伐してますが?


690 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:07:48
>>689
景行天皇
成務天皇
仲哀天皇 192年 - 200年 神功皇后
応神天皇 270年 - 310年
仁徳天皇
履中天皇 400年 - 405年 讃
反正天皇 406年 - 410年 彌
允恭天皇 412年 - 453年 済
安康天皇 454年 - 456年 興
雄略天皇 456年 - 479年 武

景行天皇 はおそらく四世紀半ばの人

691 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:14:36
>景行天皇 はおそらく四世紀半ばの人

根拠は?


692 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:15:20
天照が卑弥呼であることを隠す為に
神功皇后を200〜270年活躍
卑弥呼と勘違いさせるのが天武の子供の様な作戦だな。

693 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:18:47
>>691
倭の五王武  雄略天皇の九代前だから。

694 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 02:18:50
>>686
名前や呼び方なんてさ、土地や地方によって違う
ましてや魏志倭人伝を書いた民族(これがまず誰だよって話だし)なんてのは、日本民族の女の王を「卑弥呼」て表記してるし


あとさ、江戸時代以降は日本人は本来の日本語の言葉を使わずに、わざわざ漢字の音発音を言葉として使っちゃったりしてるでしょ?

「天皇・大王・大麻」これなんて呼んでる?「すめらぎのみこ・おおきみ、かんなび(おおあさ)」が日本語だよ


すめらぎのみこ=すめらう(統めらう)、みこ
おおきみ=おおきな、きみ
かんなび=かんな(神の)び(草)
※方言により発音は異なる

「テンノウ」なんて日本語じゃないよ
「テン=そら」これは日本語じゃなく単に天(テン)て漢字の意味だよ
「あま」てのが日本語だよ
「あま」て日本語は雲や雨や水て意味
あま=みず(雲や雨などの気象状況や川や海などの自然)

「あま」「そら」て、違う意味でしょ?
それとも同じ意味で方言の違いなの?

「あま」って、漢字では「雨、雲、海」の意味で「空」とかとはニュアンスが違う気がするよ


695 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:19:20
>>684
実はその出雲の範囲が問題だと思うけどね。
今漠然と米子辺りを中心とした範囲で考えてるけど、
本来はもっと畿内より、というより大和の地が
出雲そのものだったのではという気もするのだが。

696 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:30:07
>>695
>本来はもっと畿内より、というより大和の地が

大和なら女王の主力軍が動くと思うが・・・・・
吉備団子持っていったんだから出雲から鳥取砂丘あたりではないだろうか。

697 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 02:30:36
>>688
「天武」て名前なの?なんなの?
昭和天皇の名前って知ってる?
「なんとかのみや・ひろひと」
だよ
「昭和」てのは、ひろひと天皇が天皇に就任してた間に付けられてた元号の名称

幕末のたかあき天皇を、コウメイ天皇とかって呼ぶ奴とかも多いでしょ?
なんで「たかあき天皇」て日本語の名前を、わざわざ漢字の音読み発音して「コウメイ天皇」なんて、中国人見たいな名前で呼ぶのかが俺にはわからんよ

日本人ならせめて日本語で発音しよう
「天武」を読むとしても「テンブ」て発音しちゃうと、「テンブ」なんて日本語の言葉ないでしょ

「天武」を日本語の読み方するならせめて「あまのたける」だよ
「大和武」を「ダイワブ」なんて発音したらおかしいんだから



698 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:36:22
>>697
天武ってのは人の名を文字で表したものだよ
あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと も同じ、簡単な方使わせてよww

699 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 02:42:08
>>690
つかさ、そんな昔の事が解るなら、つい最近の大和朝廷の最後の天皇(みこ)から遡ってみ?



大和朝廷
最後の天皇(みこ)→たかあきのすめらぎのみこ
たかあき天皇は大和朝廷(公家)の何代目のみこだったの?

出雲家はまだ代々御子(みこ)が続いてるけど、公家の御子はたかあき天皇が最後でしょ?

つかヒロヒト天皇にしろ明治の天皇にしろ「天皇」を名乗るのは勝手だけど、どの家系の御子を名乗ってるのかがわからんし
大和って呼ばれてた公家は薩長が滅ぼしてるぞ

700 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 02:47:22
>>699
ごめんね、もん太 天武までにしか興味ないんですわ、ごめんね。

701 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 03:03:20
>>698
>人の名前を字で表したもの

それ、違うと思うよ
天武なんて単に元号じゃないの?
昭和、明治、元禄、天武、、
もし「天武○年」とかあればそれは単に元号の事だよ
太子や天皇が新しい元号を定める事が「即位」て事じゃないの?

新しい天皇(みこ)が立つことは「おおほまれのまつり」じゃないの?

「即位」ってこれなんて発音するの?
「ソクイ」なんてのは、漢字を音読み発音してるだけの言葉だけで、日本語の言葉じゃないよ
「なる」とか「つく」とか「おさまる」てのは日本語の言葉。これらの日本語の意味解るでしょ?
和歌や短歌や唄が漢文で書かれてたり漢字が使われてるけどさ、漢字をそのまま音読み発音なんてしないでしょ?

近代の日本では「就任」とかいう言葉が一般的に使われるようになったけど、大和朝廷(公家)が滅ぶ前の日本でそんな日本語の使い方してたかあ?

702 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 03:15:15
諡号というものを知らないのか。

勉強不足だな>もんた


703 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 03:36:05
>>702
つか君は年号も知らないんですか?
「天武○年」なんて使い方してた場合は単に年号ですよ

「崩御」「即位」「改元」辺りの言葉てセットで使われてない?

ちなみに大和の公家の祭りにさ「大誉祭」て祭があったけど、これなんの祭か知ってますか?
御子が死に新しい御子が立つときに行う祭りだよ
記紀にも「○○死、○○誉」て箇所は沢山ある確か「死」を書かれてるのは41人
大和武から蘇我の入鹿から、、、
逆に誉立った人物も沢山いるよ
誰かが死んで、誰かが誉がってるみたいなさ
「崩御」「即位」て言葉が使われる際は「天武元年」とか「○○元年」とかじゃね?
年号を崩して、太子や天皇が速やかに位を改めて○○元年としたってだけでしょ?
その儀式の名前がも知れないし

「崩御、即位、天武元年」
これ、天武て、新しく位いた年号の名前じゃなきゃなんなの?


704 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 03:45:26
諡号として国風諡号・漢風諡号の2種類がある。
天武は漢風諡号、勿論天皇創始の天武が考えだしたんだろ。

705 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 03:51:40
あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと    これは国風諡号
これじゃみっともないので天武と名乗ったんじゃないの?天武ちゃんは。

706 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 03:54:24
ちなみに年号なんてさ、めったに何十年も同じ年号なんて使わないよ
例えばたかあき天皇の時は5度も年号が改められてるよ

「天武○年」「推古○年」
天武や神武や推古や大化てのが元号なら、「○○30年」なんて30年や40年なんて年数は無いはず
「甲子改号」って言って、数年〜20年程度で変えてくのが年号だもん
で、元号は「漢字2字・縁起の良い字を組み合わせる事」て決まりがある
神武、推古、大化、天武、、、、
天和元年〜天和6年
推古元年〜推古12年

元号だろってば
天皇は「○○天皇」て呼び方しないって
公家77家の、すめらぎの(統べる)御子って意味なんだから


707 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 04:02:30
>>704
贈り名、忌み名に対して
「天武元年」「天武3ね」
て、おかしいって気付けよw

じゃあ、おきのまびと天皇の贈り名を天武としよか?
天武元年てどういう意味になるの?
天武3年とかさ
あと死んだ後の贈り名に「天皇」なんて付けない事とかも解るよね?


・名前はおきのまびと天皇
・死んだときの贈り名が天武
で、いいんでしょ?


天武元年て何よ?
天武が元号の名称じゃなければ、天武3年とかとは別に違う元号が存在してるて事でしょ?
天武3年てときは、年号名が何で何年の時なの?

708 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:07:27
諡号を付けた人物すら知らないのか>もんた
もう少し勉強しようねw

元号=天皇名
とか、本気で行ってる?

馬鹿も休み休み言い玉江w


709 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 04:09:53
「贈り名だ」「忌み名」だ
て主張したい気持ちも解るけど、例えばじゃあ昭和の時代のヒロヒト天皇の「昭和」て何よ?
「明治」て何よ?
たかあき天皇の「元禄3年」て何よ?

年号だろ? 昭和60年や元禄3年てのは、年号じゃなくて贈り名なのか?
ちなみに昭和の天皇の名前は「ヒロヒト」で、海外で「ヒロヒト天皇」て名前で呼ばれてるぞ

贈り名やら忌み名なんてどうでもいいし
孝明天皇の贈り名がなんであれ、普通はたかあき天皇て名前で呼ぶ
元禄元年とかは単に元号の名前だよ


710 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:13:24
>>707
1 大化 たいか 645 〜 649 6.19
2 白雉 はくち 650 〜 654 2.15    孝徳天皇崩御後使わなくなった。
3 朱鳥 しゅちょう 686 7.20     天武天皇崩御後使わなくなった。
4 大宝 たいほう 701 〜 703 3.21
5 慶雲 けいうん 704 〜 707 5.10
6 和銅 わどう 708 〜 714 1.11
7 霊亀 れいき 715 〜 716 9.2
8 養老 ようろう 717 〜 723 11.17
9 神亀 じんき 724 〜 728 2.4
10 天平 てんぴょう 729 〜 748 8.5

711 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:16:15
16 宝亀 ほうき 770 〜 780 10.1
17 天応 てんおう 781 1.1
18 延暦 えんりゃく 782 〜 805 8.19
19 大同 たいどう 806 〜 809 5.18
20 弘仁 こうにん 810 〜 823 9.19
21 天長 てんちょう 824 〜 833 1.5
22 承和 じょうわ 834 〜 847 1.3
23 嘉祥 かしょう 848 〜 850 6.13
24 仁寿 にんじゅ 851 〜 853 4.28
25 斉衡 さいこう 854 〜 856 11.30
26 天安 てんなん 857 〜 858 2.21
27 貞観 じょうかん 859 〜 876 4.15
28 元慶 がんぎょう 877 〜 884 4.16
29 仁和 にんな 885 〜 888 2.21
30 寛平 かんぴょう 889 〜 897 4.27
31 昌泰 しょうたい 898 〜 900 4.26
32 延喜 えんぎ 901 〜 922 7.15

元号はまだまだあるよ。

712 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 04:17:29
>>708
贈り名の話なんてしてないでしょ?
昭和3年、元禄2年、天武4年

これらは「年号の名称」て言ってるんだよ
それを君が「いや贈り名だ」て否定してるだけじゃん
大化元年や推古12年てのが年号じゃないなら、じゃあ推古12年の時の年号は何なの?


推古3年
武帝4年
てあれば、それは年号の名称だろってば
君は死んだ天皇に武帝やら推古とか言う使ってた年号の名前を送ってたって事を言いたいんじゃないの?

まあそれも可能性少ない話だけど

713 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:22:55
美濃もん太が何を言ってるのかサッパリわからん。

誰かわかるひといる?



714 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:23:51
>>712
推古12年って605年?606年元号って大化からだろ?
推古12年に元号があるの?

715 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:28:27
あー、「天武○年」の「天武」ってのは、年号の名称であって諡号じゃないって言ってるのか。

なるほど、なるほど。

天武より前の時代から「漢字の年号」があったと思ってるんだな。






716 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 04:29:57
>>711
「大同4年」てのは年号だしね
それだけ詳しく書けるのも、ちゃんと改号した時には「大同元年」て記録されてるからだろ?
で、同じように「天武元年」て詳しい日付けまである「天武3年」とかさ
これが年号以外の何なんだよw
ちなみに以前の年号を崩御して元禄て元号が即位された時に、別にたかあき天皇は死んでねーよ



「天武は贈り名だ!」って主張してる奴は、年号が変わる改号元年の度に、別の誰かが天皇になってる話になるじゃんね


君の書いてくれた様に元号なんて数年でコロコロ改号してくもんなんだから、そのつど誰かが天皇になった事にしちゃうと、家族や兄弟皆天皇に為った見たいな事になるでしょ?

斎明年号も神武年号も天武年号も、数年しか使われてない年号だよ
神武108年なんて無いんだし

717 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:38:21
  年号一覧  で検索してみると、大化の辺りから扱いが少し変わったような気がする。

718 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:39:26
美濃もん太くん、

天武より遠い昔の時代では、日本独自の年号とか歴というのは無くてね、
大陸の暦を輸入してたのよ。いわゆる干支とかね。

それは、
七支刀の「泰■四年」とか、
稲荷山鉄剣の銘で、「辛亥年七月」とあるように、
記紀にあるような「天武○年」という表記は使われて無いわけよ。
日本独自の年号は存在しなかったんだから。

後に、諡号をもって年号として表記しなおしたの。おわかり?



719 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 04:40:13
>>715
つか邪馬壹國とかいう時代から中国王朝から封建を授かってたと言うなら、ちゃんと「武帝3年」とか漢籍書と同じ元号使えよw

元号が使われてた時代?
「天武元年、天武6年」
神武元年、、いわれびこの時点で年号使われてるじゃんw

記紀とかよんでないの?

つか「天武3年」
これが元号を表してるんじゃないならなんの年数だと思う訳?

しかも江戸時代や鎌倉時代や大化と同じように「元年」て呼び方までしてるしさ


720 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:40:56
諡号も元号も『漢風』を使ったものだから、もん太が何を騒ごうが仕方ない。

諡号をどうこう文句をつけるなら、淡海御船に言ってくれ。
元号に文句をつけるなら、元号を制定した天皇に言ってくれ。


721 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:49:09
>>719

>つか邪馬壹國とかいう時代から中国王朝から封建を授かってたと言うなら、ちゃんと「武帝3年」とか漢籍書と同じ元号使えよw

使ってたかもしれないよ?
七支刀の銘にその名残があるからな。これは百済から贈られたものだが。

とにかく、天武以前の日本には元号が無かったから、
記紀編纂時から、新しく天皇の諡号を使って、元号に置き換えたってことだよ。
なんでこんな簡単なことが理解できないのかね?



722 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:52:45
>>719
>神武元年、、いわれびこの時点で年号使われてるじゃんw

8世紀に書かれた書物を根拠に、「イワレヒコの時代から年号があった」と言われてもね。


723 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 05:02:08
>>718
アホか。話にならん
記紀で思いっきり元号も和暦も使われてるっての
てか暦が大陸から輸入だあ?
記紀は24節季て言う暦で書かれてる事も解んないの?
日本と時差、緯度、経度、、全く同じ場合が大陸にあるってか?
「大陸から輸入」ても、大陸の東と西では時差や緯度経度が違うって事解らないの?



724 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 05:13:48
>>721
まずさ、目の前の現実を受け入れて下さいよ
年号なんてのはね、各氏族や地域で勝手に付けて使っても良いんだよ
記紀で使われてる年号と、ほまつたえで使われてる年号は一致する必要は無いんだよ
年号て暦でも何でもないし

これを統一すりゃ統一年号となるよ
昭和や明治てのは統一された年号じゃん
「結婚30周年」「○○10周年」
こんなのも一種の年号だし
年号てのはあるか無いかじゃなく、誰かが統一したかしてないかだよ
そら統一されてなきゃ国内だけでも同じ時代に複数もの年号が使われるさ
南北朝時代でさえ同じ公家で二つの年号が存在してるんだし
あと別に年号を使わなかったり書かなかったりする地域もあるさ


そもそも年号を付ける理由とか知ってますか?
陰陽道や密教て知ってる?


725 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 05:14:46
>>723
古事記   712年
日本書紀 720年
 
記紀の成立は天武の死後なんだってば。そこになにが書いてあろうが
八世紀初期の知識で書かれてるんだよ。その事を考えながら読まなくちゃ。

726 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 05:18:16
>そもそも年号を付ける理由とか知ってますか?
>陰陽道や密教て知ってる?

この話題そらしの手法はこのスレのコテ共通だなwww
朝鮮人の話法である。

727 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 05:39:27
>>725
だからなに?
あのさ、日本やアジアで使われてた旧暦ってのは、物凄い天文学的な知識が無いと作れないんだよ
例えば「辛酉年」とかってのは太歳の位置を干支で表した暦だよ

これは現在の学者達の天文知識程度では、絶対に表せない暦
今の天文学者達では太歳の動き所か、太歳て星の存在すら知らない訳だから


つか旧暦の成り立ちを分かって無いでしょ?
旧暦なんてのは現代人には作れないほど正確な暦なんだよ
そもそもかつて火星と木星の間に太歳なんて星が本当にあったかどうかなんて、その時代を経験してない君には解らないでしょ?

国之常立命は本当に艮から来たのか、俺には解らないけど、古代の出来事なんかに関しては古代の人の方が詳しいんだよ
太平洋戦争中の日本はどんな国だったのかなんて事すら、戦後の奴等がああだこうだ好き勝手に言ってるしさ


728 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 05:47:59
つかさ「大陸からの文明のお陰で、、」とか「日本は文字すら持ってなく、、」とか
こういう日本民族の文化を否定するような言い方はマジで辞めて欲しい
んなに大陸の文化や文明が素晴らしいなら、下等民族の日本民族の文化なんて全て滅ぼして
言葉から風習から文字から宗教から、なにから何まで、アメリカ人なり中国人に同化して貰えよ
日本人の癖に日本民族がどれだけ長い歴史を持つ民族なのかを知らないからそんな話になるんだよ



729 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 05:50:58
もん太さんは古代が好きなんですね。
現代の天文学も古代と同じ位、発達していると思いますよ。
なにしろ人工衛星で、太陽光発電し、
大量の電気をレーザー変換し、地上の目標をプラズマ攻撃しようって時代ですから。

730 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 06:01:48
>>722
アメリカやヨーロッパはいまだに年号すら持って無いんだけどな

日本にしたって、今の日本は何の為に年号とか使ってんの?
そもそも今の日本と江戸時代までの日本とでは、年号の決め方も改元の仕方も違うし
太歳の暦も旧暦も捨てて、春分や夏至や朔や十五夜や七夕も正月がいつなのかも表せないような西洋の暦なんかを使っちゃってるしさ
つまり日本もう欧米の暦に統一された国な訳だろ?
そんな現代の日本人が良く、日本民族独自の文化や信仰や暦をまもりとおしてきた昔の日本を下等国家だった見たいな言い方出来るよな
外国に貢ぎものをしてへつらってる奴隷国家なんてのは、昔の日本じゃなく、今の日本民族の方だろっての

アメリカの奴隷民族に成り下がったのが現代の日本人で、サムライや公家や朝廷があり美徳を重んじて来たのが古来日本民族だろ


731 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 06:17:19
>>729
古代が好きってより、かつて存在してた美徳を重んじて筋を通す日本の民族性や文化が好きなんだよ
朝起きて田畑を耕し、食べる前には「いただきます」って恵みに感謝し、立派なサムライさんがいて、悪人を裁く時も法律なんかじゃなく、きちんと人が人を裁いてたよ
善悪を決するのは法律ではなく、道徳心であり美徳心だよ
他人に何かをして貰えばきちんと感謝し、金なんかよりも義理や人情を優先する
こんな日本人が開国なんかして欧米の文化や価値観の国にされりゃ、かつての日本の民族性も失われ、アメリカ人や中国人と変わらない民族になってくだけさ

大陸や欧米の文化がそんなに素晴らしいか?
かつてこの土地にいた、独自の文化や民族性を持つ日本民族の方が現代の日本人や欧米人と比べても立派な民族だと思うけどな


732 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 06:27:01
大陸は優れてた、欧米は優れてた
日本なんて大陸様や欧米様の素晴らしい文化が入ってきたお陰で、、
そんな歴史教育をしてるから、日本民族はこんな民族になっちゃったんだよ
逆だっての。大陸や欧米からの文化を侵害されずにいたから、美徳やら道徳心やらを育み大切にする、日本民族なんていう素晴らしい民族性や文化や信仰心を持った民族でいられてたのがかつての日本て国だよ

朝は早く起き、家族にまで「おはようございます」「父上様」なんて挨拶し、
武術や文学に励んだり、目上の人を敬い、目上の者は下の者の面倒を見てやり、互いに礼儀を重んじ、
食べる時もキチンと正座し、「いただきます」と恵みに感謝し、、




733 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 06:29:51
>>727

えーと、
古代には、「太歳」という星が火星と木星の間にあって、
「辛酉年」は、太歳の位置を表してると、そういうコトを言ってるのかな?君は。

>>730
>アメリカやヨーロッパはいまだに年号すら持って無いんだけどな

グレゴリオ暦は一種の年号じゃないの?しばらく改元されないだろうけど。


734 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 06:37:42
>>731
卑弥呼の時代以前も現代も大陸に脅威を感じているのは同じこと。
自前の五世代戦闘機も核も無い。
駐留米軍が沖縄を去ったら、海底資源は確実に奪われる。
日本って良く考えたら昔も今も奴隷的国家だよ。
半島には強いけどね。

それとね、たかだか1800年位で日本人の本質が変わる訳が無い。同じです、昔も今も。

735 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 06:49:23
>>727
ちょっと調べたら「太歳」は木星に対称する仮想の星じゃん。

736 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 06:54:35
>>732
それは単に平安の国風文化時代と鎖国時代の恩恵。
あと、美濃には何もなかった。
あったのは郡所だけ。
尾張氏は言わば毛野に対する備え。
長野には諏訪に逃げた事代主の兄弟が居ただけ。

737 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 06:58:08
>>734
本質が同じだというなら、じゃあなぜ今の日本人は、かつての日本人とこんなに違うのか解る?

例えばまずは日本の信仰心である先祖崇拝の心
きちんとお盆にはこれまでの風習と同じような送り火焚いたり、お盆の儀式をしてますか?
そもそも自分の先祖(氏神)が誰なのか分かってますか?
お盆に先祖を迎えるにも、それを行う日にちや何故その日なのかとか、あとそれを行う作法やその意味を理解してますか?
今の日本人はもう自分達の先祖や風習や歴史やかつて使ってた本当の暦すら知らないんだよ
だから「正しい歴史や文化を知ること、伝えること」って事は最も大切な事なんだよ

だからとにかくかつての日本民族と同じ本当の歴史の上にたち、本当の日本の文化や風習や歴史や暦を伝えて行かないとダメなんだよ


738 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:15:23
>>737
>本質が同じだというなら、じゃあなぜ今の日本人は、
>かつての日本人とこんなに違うのか解る?

外的環境が異なってるだけに決まってる。
本質は同じ、外的環境が変化すれば、いくらでも変わります。

739 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 07:18:09
>>735
今の天文学者がそう解釈してるだけだよ
金星は木星から産まれた新星だとか、月から土砂が降って来て、その場所が砂漠になったとか
太陰暦てのは月の運行てより、陰陽を知る為の暦だとか、、、

月経なんてのも月の周期(太極を境に陰気と陽気)に関係してるらしいしさ
密教の秘術のカバラを極める為にも正しい暦と暦の持つ意味や陰陽暦なども知って無きゃいけないらしいし
日本がかつて使ってた暦は和暦や太歳暦だけじゃないんだよ
仏滅なんかも仏暦って奴だし、とにかく今の天文学者の知識程度では作れない暦だよ
今は無い太歳だけじゃなく、太伯がいつ出来て、火星が地球にこれだけの影響を与えたとか、だから月がこれほど近づいたとかさ
シリウス星の衛星の記述まであるしさ


まあこれが本当かどうかすら現代の天文学者程度の知識では解らないよ
かつて何かが起こってたとしても、その知識ってのはそれを伝えて貰って始めて得られる訳だしさ

740 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 07:22:00
>>738
いや、歴史や文化や風習、またそれを行う歳の作法や暦を知らなければ無理

じゃあ環境を変えて日本語も文字も捨てて英語を言葉としてアメリカ人と同じ文化になれば、かつての日本人の文化や風習や民族性は取り戻しせるのかな?


741 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:34:27
>>739
>金星は木星から産まれた新星だとか、月から土砂が降って来て、その場所が砂漠になったとか
>太陰暦てのは月の運行てより、陰陽を知る為の暦だとか、、、

どこの誰がそんなこと言ってるの?



742 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:36:53
>>740
もん太は何を言ってるんだ?
日本語も文字も捨てて英語を言葉としても日本人の本質は日本人だよ。
韓国人がアメリカで暮らし英語をしゃべっても韓国人でしょ。
文化や風習などは守りたい奴が残せばいいんだよ、
必要の無いものは、足の小指の様に退化すればよい、
必要な物は親指の様に残っていくよ。

743 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:50:19


どんどん話を摩り替えていくな。美濃もん太は。



744 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:55:23
>>740
言語が英語なアフリカの国が欧米みたいな生活してるか?
全く言語は関係してない。
他文化を吸収しつつ、
その土地にあった生活をしているだけ。

745 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:59:15
かつてのドツボ並だ(笑)
あだ名を考えないと…『美濃郡所』ってどうだ?

746 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 08:01:49
>>745
尾張の信長に吃驚!した美濃の斉藤道三!

747 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 08:22:58
>>673以後sageてるのはオイラともう一人の御方だけだったな。
二対一じゃもん太に申し訳なかったな。

748 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 08:29:25
もん太や、太歳は本当の星じゃないよ
飛鳥昭雄みたいなことを言うのは止めろよ

749 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/15(水) 09:11:33
>>748
俺は知らないってば
とにかく今の時代には無い星だってのは間違いないよ

旧暦の成り立ちなんて、今の俺らの知識じゃ解んないし、今は何処も旧暦ほど正確な暦は使って無いんだし
ただ旧暦の成り立ちとかを調べると色々は解るよ
実際の一ヶ月(朔〜次の朔)てのは30日や31日じゃないとか、一年は365日じゃ無いとかさ
太伯と歳星の意味で太歳なのかもだし


750 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 09:25:15
岡山から桃太郎が日本海側に進行したとしてそのルートは?何処だろう?
53号で碓井峠を越えて鳥取へ、9号線で倉吉経由出雲へ
もそくは、279号で倉吉に出て9号線で出雲へ攻め込む?
勿論こんな国道当時はなかったし冬は全然無理な獣道
でも実際車で走ってみれば良く判るよ。
53号で鳥取にまず出た。一番険しくない。碓井峠を除いてはね。

751 :sage:2009/07/15(水) 10:51:33
13時間ぶっとおしで、この学術板を茶化したのは誰〜れ?

752 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 10:54:15
徹夜独演

753 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 18:32:16
>>もん太
結局、結論は何?


754 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/15(水) 19:14:13
天皇即位時の「太歳」は、天体運行の”太歳”と関係無し。
これを同じものと見なしては、成らない。

いいか〜 もん太君よ。


755 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 19:45:46
ミノムシは消えたな(笑)

756 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 22:03:31
もん太君は仕事してるの?

757 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 23:31:24
もん太君は無職なの?

758 :日本@名無史さん:2009/07/15(水) 23:41:57
もん太君は・・・。

759 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 04:38:26
@到其北岸狗邪韓國七千餘里
A千餘里至對馬國方可四百餘里
B一海千餘里至一大國方可三百里
C千餘里至末盧國
D東南陸行五百里到伊都國
E自郡至女王國萬二千餘里

七千+千+(四百×2)+千+(三百×2)+千+五百+(四×餘)=萬二千餘里

Eでは邪馬壹國まで萬二千餘里とは言っていない。 
伊都國は北九州を支配する女王國の一部である。 
自郡至女王國(伊都國)萬二千餘里ということです。
邪馬壹國は女王之所都なので、Eは全く正しく自然な表現です。

760 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 08:54:06
漢字の意味やら使い方は倭人伝だけ見てもわかんないよね
他の伝ではどういう風に使われてるのよ?

761 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 09:23:51
もん太昼寝後
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1222936747/642

762 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 09:34:29
もん太昼寝後(追加)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1236156475/460
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1211102119/887
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1216111766/894
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1226362020/887
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1232438218/840
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220169530/910



763 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 10:07:44
なにこれ

764 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 10:26:28
@到其北岸狗邪韓國七千餘里
A千餘里至對馬國
B一海千餘里至一大國
C千餘里至末盧國
D東南陸行五百里到伊都國
E自郡至女王國萬二千餘里
よって、伊都国から女王国まで千五百里。女王国と邪馬台国とは別。
これが正しい読み方だよ。



765 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 10:35:20
>>764>よって、伊都国から女王国まで千五百里。女王国と邪馬台国とは別。
>これが正しい読み方だよ。

女王国はどこ?
邪馬台国はどこ?

その考えに至った理由は?単なる妄想の域?


766 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 10:36:52
>>760
漢字は文章によって微妙に意味のニュアンスが違うから、他と比べても
意味ないし、大まかな概況しか掴めない。

767 :759:2009/07/16(木) 11:16:54
韓伝の冒頭部分です。
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里

韓の国土は方可四千里と言う事です。一片が四千里の方形です。
北の角から南の角までは辺が二つです。
韓の北東地点から南西地点までは八千里ってことです。

768 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 11:30:14
>>765
女王国は万二千里から始まる。その女王国というのは、邪馬台国を中心とした
旁国も含む国々のことだ。女王国の中心というべき邪馬台国までは、水行10日
陸行1月かかる。つまり、女王国は非常に大きい、万二千里はその北の境界ま
での距離にすぎない。

769 :759:2009/07/16(木) 11:43:16
仮に、昔々、北九州の倭国が畿内の邪馬壹國と戦ったのが倭国大乱で
邪馬壹國が勝ったとしましょうか?

邪馬壹國の軍勢は北九州に留まる事は出来ません。畿内が疎かになってしまいます。
この場合は軍勢の中の精鋭部隊を監視軍として一部残します。そこが伊都國でしょう。
北九州で女王國と呼べるのは伊都國だけです。
?

770 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 11:43:40
>>767
>韓の国土は方可四千里と言う事です。一片が四千里の方形です。
ちょっと違うんだな。一辺が四千里の方形に相当する面積って言うだけで、
形を言ってるわけではないんだよ。韓の場合は、方形と考えてもそうおか
しくないが、対馬国を一辺が四百里の正方形と考えたら、どうみてもおか
しいだろ。面積を言ってるだけで、形はまったく別問題なんだ。

771 :759:2009/07/16(木) 11:57:20
>>770
面積と考えても同じことでは?
對馬國の面積は方可四百餘里として、對馬國を長方形と考えても
島の北限から南限までは八百餘里になります。

772 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 11:57:56
>>770 当時、国の形など何も分かっていないだろう。船で回りながらやや南北に長いとか、複雑な地形だというくらいしか分からんのではないか?

 行基の日本地図のような単に国を団子のように順番に並べていただけだろう。面積もいい加減なものではないか?



773 :759:2009/07/16(木) 12:02:40
>>772
島の官や漁師に聞けば島の形位わかると思います。

774 :九州王朝大好き:2009/07/16(木) 12:11:50
>>770
面積と考えても同じ。
對馬國を長方形と考えた場合、南北800餘里×東西200里であるから、
面積は方可400餘里と同じ。

775 :759:2009/07/16(木) 12:37:56
『三国志』は中国の正史。陳寿は西晋の知識人。嘘を書く理由もない。
自郡至女王國萬二千餘里・・・・・この文章は誰もが疑問に思わず変更されなかった。
で、素直に読めば、この場合の女王國とは伊都国と判断して良いのでは?
勿論、女王之所都は別の場所だが。

776 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 12:45:31
・金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
http://www.youtube.com/watch?v=OOT4kyggvfw&feature=related

・青木繁「わだつみいろこの宮」
http://www.ishibashi-museum.gr.jp/collections/art_a_05.html

↑これの情報提供者はだれ? よく知ってるなぁ、詳しい・・・・・。

777 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 12:49:37
>>771
王朝大好きが南北800餘里×東西200里だって書いてるだろ。
そのとおりで、方四百里と言っても、対馬国の場合は、二辺の和が800餘里+200里
で千里になるんだよ。つまり、形をどうみるかで、二辺の和はどのような数字にで
もなるんだ。


778 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 13:02:31
>>769
駐留軍が残ったからといってそこが駐留軍の国になることはないよ。
大戦後にマッカーサーがいたからと言って、日本がアメリカと呼ばれたわけではない。

779 :759:2009/07/16(木) 13:13:05
>>778
問題の本質は郡使の目にどう映るかって事。
駐留軍が残っていたら、郡使の目には、女王國であると映ったんではないか?

780 :759:2009/07/16(木) 13:20:31
>>777
島の官や漁師に聞けば島の形位わかると思います。

781 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 13:25:58
>>780
そのとおりだよ。だから、759の(四百×2)というのは間違いだってこと。

782 :759:2009/07/16(木) 13:42:32
>>781
わかりました。  
では、對馬國も一大國もある面積をもった島ですね。
その島を通過する里数は考慮しなかったと考えますか?
まず目視できる對馬國の北限を目指したと考えているのですが。

783 :759:2009/07/16(木) 13:49:29
對馬國の岸沿いの航行は  渡一海とは言わないのではないですか?

784 :759:2009/07/16(木) 14:07:44
>>781
東行至不彌國   不彌國までの百里を記録しておいて
對馬國の岸沿いの航行距離については記録しなかったと考えるのですか?

  

785 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 15:12:37
対馬の王に会うためにはどこの港に入るべきか、壱岐の王に会うためには
どこに入るか、そのぐらいは情報を得てきているはずだよ。島の北の端に
たどりついて南の端まで島巡りするなんてのはあり得ない。
それに、そんなものまで読み手に計算させる行程記事があるわけはない。
そのへんは常識の問題だよ。

786 :759:2009/07/16(木) 15:23:03
>>785
>対馬の王に会うためにはどこの港に入るべきか、壱岐の王に会うためには
>どこに入るか、そのぐらいは情報を得てきているはずだよ。

当然情報は得て来ています。しかし日本海の潮流と何より航海の安全を考えれば
まず島の北を目指します。

787 :759:2009/07/16(木) 15:30:12
>>785
>読み手に計算させる行程記事

w何言ってるのw

@到其北岸狗邪韓國七千餘里
A千餘里至對馬國方可四百餘里
B一海千餘里至一大國方可三百里
C千餘里至末盧國
D東南陸行五百里到伊都國

を全て計算したのは倭人伝の作者だよ。読み手に計算させるって?もん太よりひどいな。

788 :doontakuka:2009/07/16(木) 15:40:21
其北岸狗邪韓國  七千余里
自郡至女王國萬二千余里
計其道里當在会稽東治【冶】之東

狗邪韓國〜女王國は、萬二千余里−七千余里=五千里。

邪韓國(波照間島)   の緯度は24.061で 経度は123.775
女王國(新庄=東冶之東)の緯度は38.762で 経度は140.305
 であるから、邪韓國(波照間島)〜女王國(新庄=東冶之東)は
  2212.126km≒5,120.07里 となる。
(因みに東冶之東の緯度は北緯: 38.646である)

上記の分析を持って
女王国と男王国の境界つまり、邪馬壹【臺】國と狗奴國 の境界は北緯39度である。


789 :doontakuka:2009/07/16(木) 15:42:41
×邪韓國(波照間島)
◎狗邪韓國(波照間島)

790 :759:2009/07/16(木) 16:12:33
>>788
北緯   38度08分37秒
東経  140度26分22秒
これ蔵王連峰ですけど、(新庄=東冶之東)はこの近くですか?

791 :九州王朝大好き:2009/07/16(木) 16:18:05
>>785
>島の北の端にたどりついて南の端まで島巡りするなんてのはあり得ない。

対馬海峡の潮流と航海の安全を考えた航路を選択するでしょう。

狗邪韓國から東南に朝鮮水道を渡って対馬の北西端に到着します。(1000里)

次いで対馬の東海岸沿いに南下し、対馬の対馬の南東端に着きます。(800里)
朝鮮水道側は潮流が早く波が荒いので対馬水道側の東海岸を南下します。

対馬の東南端から対馬水道を南東方向に進み、壱岐の北西端に到着します。(1000里)

壱岐は右回り又は左回りで海岸沿いに南東端に着きます。(600里)

壱岐の南東端から南東方向に壱岐水道を渡り、唐津湾に入り、松浦川の河口に到着です。(1000里)
合計4400里です。




792 :日本@名無しさん:2009/07/16(木) 16:20:36
 各国から京に向けての到着日数 到着日数

 佐渡 国津より敦賀を経て京着まで 49日
 越後 蒲原より敦賀を経て京着まで 36日
 越中 旦理より敦賀を経て京着まで 27日
 能登 加島津より敦賀を経て京着まで 27日
 加賀 塩津・敦賀を経て京着まで 8日
 越前 比楽湊より敦賀を経て京着まで 6日

 『延喜式』から

793 :759:2009/07/16(木) 16:23:24
>>788
38°44'34.27"N
140°13'29.03"E   山形県新庄市がここですが、ここのこと??

794 :759:2009/07/16(木) 16:24:48
>>791
それが正解だと思います

795 :doontakuka:2009/07/16(木) 16:25:32
>>790

http://www5.ocn.ne.jp/~botan/map_g.html
で、
座標入力で緯度経度を打ち込んでください。
新庄市の位置がわかります。


796 :doontakuka:2009/07/16(木) 16:33:35
>>793

38°44'34.27"N
140°13'29.03"E   山形県新庄市がここですが、ここのこと??

そうです。
(因みに東冶之東の緯度は北緯: 38.646である)
の北緯: 38.646線上に近似であればOKでしょう。


797 :759:2009/07/16(木) 16:42:48
>>796
なるほど、船で山形県酒田市に着きそこから陸行10日なら納得。
飛島、佐渡島,粟島等も関係してきますね。

798 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 16:43:47
島の周りには小島もあれば暗礁もある。だから、最初から目指す港をめざして
航行するんだよ。島の北端について云々などということは愚の骨頂というやつだ。
島を出るときも同じ。まず港を出たら島からある程度離れる。島の周りは海流が
複雑で危険だ。離れて海流に乗って次の目的地を目指す。島の周りでうろうろす
るなんてことはないんだよ。

799 :759:2009/07/16(木) 16:52:05
>>798
一人でボートに乗って島の周りを釣行したことないでしょ?
郡使の船は島から十分に離れて航行してるから心配要りません。
1km離れれば安全です。

800 :doontakuka:2009/07/16(木) 16:58:10

>>798
なるほど、船で山形県酒田市に着きそこから陸行10日なら納得。
飛島、佐渡島,粟島等も関係してきますね。

全然関係ありません。

水行十日陸行一月は北緯30度から黒潮に乗って10日で名古屋です。
そこから陸行一ヶ月で北緯39度まで行く。

黒潮のスピードは3.5〜4ノット
1.6km×3.5ノット×24時間×10日=1,344km

種子島〜名古屋まで黒潮に乗って10日で名古屋に到着。
ですよ。


801 :759:2009/07/16(木) 17:03:38
>>796
郡から波照間である狗邪韓國を経由し、北九州も経由し、山形へ行ったて事?
>>800
昼も夜も海が時化てる時も24時間航行したのですか?

802 :759:2009/07/16(木) 17:12:10
>>800
波照間島から種子島へ1000km
種子島から美濃の国まで720km
美濃の国から陸行10日で山形県新庄市の女王國ですね。やっと理解できました。

803 :759:2009/07/16(木) 17:28:41
>>800
ということは、種子島が投馬国か・・・・
波照間島と種子島の間に対馬島と壱岐島や伊都国があるの?

804 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 21:24:19
>>802
岐阜からあるいて10日で山形とか凄いよな(笑)

805 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 00:20:09
>>799
島の周りでこわごわと釣りをしていた程度では、渡海のやり方は分からんだろうな。
島から思い切り離れた方が海流の流れが一定していて安全だし楽なんだよ。


806 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 00:23:13
邪馬台国が九州にあったのは明らか・事実から目を背けて畿内説を唱える奴らって脳みそ腐ってんの?
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1247750455/

807 :九州王朝大好き:2009/07/17(金) 01:40:07
>>805
>島から思い切り離れた方が海流の流れが一定していて安全だし楽なんだよ。

対馬から思いっきり離れたら、海流に乗って進行方向とは逆に流されます。
特に朝鮮水道側は海流の流れが速いので。
海岸から1〜5km離れて航行するのが適切でしょう。

朝鮮水道と対馬水道の渡海も、
船は南に進行することににより、
海流に流されて東南方向に進むのです。
昔のポンポン小型漁船(焼玉エンジン)で海峡を何度も渡った経験者でないとわからんだろうな。
(今の小型漁船はハイパワーディーゼルエンジン)

808 :759:2009/07/17(金) 02:15:43
>>807
東シナ海と日本海の間の狭い瀬戸みたいなもんですから、潮流はきついでしょうね。
朝鮮半島から流れ着いた漁具やゴミが
日本の日本海側に流れ着いて困ってるようです。

809 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 09:49:20
>>807
流れが逆の所は海流に乗るわけないだろう。
そんなことは言うまでもないこと。常識のない奴は困ったもんだ。

810 :doontakuka:2009/07/17(金) 10:28:22
>>801
郡から波照間である狗邪韓國を経由し、北九州も経由し、山形へ行ったて事?

『波照間=狗邪韓國』です。
『波照間=狗邪韓國』と『女王国北限』間が5000里です。
2地点の緯度経度が解ればその距離が得られる。
788:doontakuka:2009/07/16(木) 15:40:21の数値です。

>>昼も夜も海が時化てる時も24時間航行したのですか?

黒潮に乗れば船は流されます24時間、それも3.5〜4ノットのスピードで。
だから、神武東征の時、黒潮に乗った連中が流されちゃって名古屋じゃなく千葉に付いた連中がいたでしょ。確かインベとかいわなかったかな〜〜〜!


811 :doontakuka:2009/07/17(金) 10:29:25

>>801
>ということは、種子島が投馬国か・・・・
>波照間島と種子島の間に対馬島と壱岐島や伊都国があるの?

何度も書き込んでいますが一大国が種子島で、
『對海【馬】國が沖縄(那覇)』で『狗邪韓國は波照間島』です。。

狗邪韓國千余里至對海【馬】國・・・・魏志倭人伝。
『狗邪韓國=波照間島』と『對海【馬】國が沖縄(那覇)』間は、
波照間島 北緯: 24.061 東経: 123.775
那覇    北緯: 26.212 東経: 127.679 ですから2地点間は
445.715kmです。それは一里=432mで、1031.75里です。

對海【馬】國千余里名曰瀚海 至一大國・・・魏志倭人伝。
『對海【馬】國が沖縄(那覇)』と『一大國=口之島(種屋久島)』間は、
那覇    北緯: 26.212 東経: 127.679
口之島   北緯: 29.987 東経: 129.920ですから2地点間は、
14.250  438.999kmです。それは、一里=432mで、1016.203里です。

『波照間島』 ⇒ 『沖縄(那覇)』  ⇒ 『口之島(種屋久島)』、その距離各約千余里と、
↓         ↓        ↓
『狗邪韓國』 ⇒ 『對海【馬】國』 ⇒ 『一大國』、     その距離各約千余里と一致する。


812 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 11:37:05
■邪馬台国シンポジウム9 開催のご案内

 考古資料を通じて、邪馬台国が存続した3世紀の大和と各地域の関係や前方後円墳の出現・成立過程等を考える邪馬台国シンポジウムシリーズの第9回。
今年度は、古代に伊予(愛媛県)、豊前・豊後(福岡県東部から大分県)、安芸(広島県西部)、周防・長門(山口県)とよばれた西部瀬戸内地域に焦点をあて、
各分野に精通された7名の考古学研究者によって、邪馬台国時代前後の同地域と畿内の関係等について検討します。

▼日時 第1日 7月19日(日) 13:00〜  第2日 7月20日(月・祝日) 9:30〜
▼会場 香芝市文化施設・ふたかみ文化センター・市民ホール
▼定員 300人

▼内容
第1日(7/19)
13:00〜13:10 開催挨拶・趣旨説明 石野博信・二上山博物館館長
13:10〜14:00 「周防・長門における3世紀の集落と初期古墳」 田畑直彦氏・山口大学埋蔵文化財資料館
14:00〜14:50 「3世紀の豊後の集落と初期古墳」 田中祐介氏・大分県教育庁
15:00〜16:00 「3世紀の伊予と西部瀬戸内の土器交流」 梅木謙一氏・松山市考古館
16:00〜16:50 「畿内の西部瀬戸内系要素」 橋本輝彦氏・桜井市教育委員会
第2日(7/20)
09:30〜09:40 開催挨拶・趣旨説明 石野博信・二上山博物館館長
09:40〜10:30 「邪馬台国時代の前期古墳と西部瀬戸内の海人族」 苅谷俊介氏・俳優、日本考古学協会会員
10:30〜11:20 「3世紀の安芸の集落と初期古墳」 古瀬清秀氏・広島大学大学院
11:20〜12:00 「瀬戸内の早期古墳と近畿」 石野博信・二上山博物館館長
12:00〜13:00 休憩
13:00〜16:00 シンポジウム「邪馬台国時代の西部瀬戸内と近畿」
テーマ1「土器の流通」 2「住居と集落」 3「鉄と青銅器の生産と流通」  4「初期古墳─墳形と埋葬施設─」 5「初期古墳─副葬品(鏡他)─」
司会・進行:石野博信 パネリスト:梅木謙一氏、苅谷俊介氏、田中祐介氏、田畑直彦氏、橋本輝彦氏、古瀬清秀氏

▼その他
・事前の申込みは不要です
・入場には、当日発行の二上山博物館観覧券が必要です(観覧券は2日間有効です)
・資料集は1冊1,500円程度で販売します
http://kashiba-city.net/hakubutsukan_cgi/nicky.cgi?DT=20090614A#20090614A

813 :doontakuka:2009/07/17(金) 14:16:01
一大國  又渡一海千余里 至末廬國
東南陸行五百里 到伊都國 
東南至奴國百里      ・・・・・・・・・・魏志倭人伝

一大國 が口之島(種屋久)であることは811で確認した。
さて、一大國から末廬國迄の距離は千余里(一里=432mで約432km)です。
『一大國=口之島』から半径千余里の地点は何処か?

九州を飛び越えて『一大國=口之島』から下関までの距離は。

口之島   北緯: 29.987 東経: 129.920
下関     北緯: 33.950 東経 : 130.923 ですから
 『一大國=口之島』から『下関』迄の2地点間の距離は、
408.79kmですから(一里=432mとして)946.275里です。
此処で、『末廬國を下関』と仮置きし、

東南陸行五百里 到伊都國
東南至奴國百里 ・・・・・・・・魏志倭人伝の『東南の南』を『北』で置換し、
東北陸行五百里 到伊都國
東北至奴國百里。なら、
『末廬國=下関』から『東北至奴國』は六百里の地点は松江。

下関  北緯: 33.950 東経 : 130.923 
松江  北緯: 35.46 東経: 133.064 ですから、
『末廬國=下関』から『奴國=松江』の2地点の距離は。
261.990kmであるから(一里=432m) 606.458里となる。

『末廬國は下関』、『奴國=松江』とする。
伊都國は押して知るべし。


814 :doontakuka:2009/07/17(金) 14:19:50
×『末廬國=下関』から『東北至奴國』は六百里の地点は松江。
◎『末廬國=下関』から『東北至奴國』迄の六百里の地点は松江。


815 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 16:47:28
>>814
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
   
      ↓

從波照間至郡循海岸水行歴韓國乍西乍南到其南岸郡七千餘里(3024km)

816 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 18:33:19
これが倭人伝の原文ね

http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww001.upp.so-net.ne.jp%2Fdassai%2Fgishi%2Fgishi_gen.htm&hl=ja&source=m


まず魏志倭人伝の地理の出発点は韓国の「帯方郡」だよ
で「倭人在」の地として、「帯方郡の南東の島(日本の本州)」としてある

で、「それに従う国」として「邪馬壹國の卑弥呼」だよ
この所在地は倭人在の島からは対北岸の地

つまり日本国内じゃないよ
つか魏志倭人伝にも韓国と書いてあるのに

817 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 18:40:10
出たな妖怪・・・・・。

818 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 18:40:22

モンタキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!


819 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 18:42:19
また明日の昼まで居座るのか・・・・・

820 :doontakukaの弟子:2009/07/17(金) 19:12:35
>>816
何度も言っていますが 「帯方郡の南東の島」は南を北と変換して下さい。
「帯方郡の北東の島」に「倭人在」です。つまりサハリンのことです。

821 :doontakukaの弟子:2009/07/17(金) 19:19:17
>>813
伊都國は出雲市ですね。不彌國は米子あたりであると考えます。
投馬國は何処ですか?やはり山形県と出雲市の中間あたりになりますね。

822 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 19:29:26
ドンタコスの弟子って、どんなお菓子???

823 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 20:38:09
邪馬台国は朝鮮半島で、卑弥呼も朝鮮半島にいました。

これでFAだろ。
何か問題あるのか?



824 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 20:53:46
>>823
ないない。その通りだから、あんたも国へ帰れば。

825 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 21:37:38
>>820
君が勝手に北と南を入れ換えてるダケじゃん

まず「帯方」から行こっか?
これは「朝鮮半島北部」でオッケ?

まずは魏志倭人伝は「帯方」からスタートだよ
この「帯方」の場所の認識は「朝鮮半島北部」でオッケ?
ちなみに半島北部より北の「潘陽周辺」て意見もあるでしょ?

826 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 21:39:02
>>822
ポリンキーかなんかじゃね?

827 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 21:42:34
今週は〜ミノ虫(もん太)くんと河童虫くんだけで
ほとんど、消化されてるな〜何の話題かサッパリやし、
もっと大切に使わんかいw

この二人には、もっとつめて書いてもらう?w <オール


828 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 21:42:57
もん太くん。明日は仕事お休みなのかな?

829 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 21:43:40
>>824
つか、当時、朝鮮半島を治めてた民族は朝鮮人じゃないぞ?
百済も新羅も「大海から来た神様が建国した」という建国神話を持ってるよ

現在の朝鮮人や君→百済も新羅も朝鮮民族の建国した国だ。竹島も対馬も朝鮮の物だ


「かつて朝鮮半島南部は倭人が納めてた。百済も新羅も倭人が建国した」
そら君が朝鮮人なら、この事実を受け入れられないだろうさ

君こそ国へ帰れよ

830 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 21:44:41
>>828
昼から仕事だよ


831 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 21:52:09
邪馬壹國の場所に付いては一旦置いといて、魏志倭人伝の記述からは

・帯方の東南の島に在倭人
・朝鮮半島南部に在倭国

つまり「倭人の統治國の範囲=日本列島+朝鮮半島南部」て認識なんだけど、この認識について反論とかある?
まずは邪馬壹國の場所以前に「倭人の統治領土の特定」が先じゃね?

例えば対馬や斎州島や邪馬韓國ってのも倭人の領地でしょ?
これ場所は何処?

832 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 21:54:34
>>829
何を言ってるんだか??倭人伝の3世紀当時、朝鮮半島南部と九州北部に国境などなか
っただろう。それに朝鮮人と日本人たって、DNA塩基配列による遺伝的な差異などほとん
どないも同然。しかし、倭人伝当時ならともかく、現代においては、長い歴史と文化による
決定的な考え方の差異が日本人と朝鮮人にはあると思うね。あと、俺は日本人だよ。

833 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 22:11:04
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww001.upp.so-net.ne.jp%2Fdassai%2Fgishi%2Fgishi_gen.htm&hl=ja&source=m

コピペ出来ないんで申し訳ないけど、まず魏志倭人伝はには「帯方の東南の大海の島に倭人は在た。百数十國」とある

で「漢時に朝見者が有り、今では使通した所は30國」かな?

「朝見者」の「朝」てのは何の意味なのかってのも重要だね
・朝鮮半島を指す土地名
・大和朝廷を指す言葉
・「明」と同意語

「韓國」は「乾國」と同意語で朝鮮半島南部の「乾いた土地」を指す言葉でしょ?

韓、乾、朝、、、朝てのは半島を指す地名の事と思うけど違うのかな?


834 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 22:13:26
今週は、ちと用事があって九州の佐賀県へ行ったついでに

「吉野ヶ里遺跡」
http://www.yoshinogari.jp/
「佐賀県立博物館」
http://inoues.net/museum/saga_museum.html
「県立佐賀城歴史本丸会館」(中には入ってない)
http://www.sagajou.jp/   へ行ってきました。

そして、大分県埋蔵文化財センター主催の展示会があり、
そこで、アノ有名な大分県下郡桑苗遺跡から出土した
「弥生時代のブタの頭骨」、「柄付の石斧」をみて、考古学講座にも参加。

この三連休、又は、盆休みにどこか出かけたい人にはお薦め!

835 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 22:18:55
>>832
DNAてのはまだ全体の1%しか解明されてないよ
だから人間と猿も今のところは解明された遺伝子的には99%が一致する生き物てなる
んで俺は民族の分類を「DNA」で分類してるつもりは無いよ
・言葉、文化、文字、風習、民族共通神話、氏族、、
とかだよ

ちなみに朝鮮民族で有名な氏族は「李氏」でしょ?
李氏族はエルサレムの失われた13支族の1人にも数えられるほどの有名な氏族だよ


836 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:20:14
何を言ってるんだか??この場合の「朝見者」は漢の朝廷に謁見するもの、という意味しか
ない。URLを手打ちしてるのか!

837 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:25:20
>>835
何を言ってるんだか??DNAそのものについてはまだまだ謎も多いが、、ヒトゲノムの全
塩基配列を解析するプロジェクトは2003年に完了した。だから、サルとどこまで同一かもわ
かるんだよ。

838 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 22:29:50
>>836
その場合「漢」てのは何を指す言葉なの?

ちなみに漢て漢字は「乾いた土地から来た者」て意味で、砂漠の漠とかと同じ意味
日本では漢や秦は主に蚕を日本に伝えた大秦(ローマ)や太秦(イスラエル)からの渡来人を指す言葉だよ
もしくは朝鮮半島を「韓國」や「漢國」と書いたりもしてるけど、、、


漢てのは倭のように民族や氏族を指す言葉のような気がするけどな
仁和氏とかは漢民族の有名な氏族じゃないの?

839 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:34:01
何を言ってるんだか??>失われた13支族 って10支族だろう。2支族が残った。13番目
があるというのならトンデモもいいところ。

840 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 22:34:35
「吉野ヶ里遺跡」 行った事ある人は何人ぐらいいるのかな?
http://www.yoshinogari.jp/

わたしは、今回、初めていったのですが、
思ってたより公園内が広く、すべての遺跡をまわるまで、時間がかかってビックリした!
コースでいえば、「入り口広場」→「出土品展示室」→「南内郭」→「北内郭」→
「北墳丘墓」→「中の村」→「倉と市」→「南の村」
時間的には2〜3時間ぐらいかかったかな。

実をいうと、
7/18(土)奥野正男氏による「邪馬台国を考える会の講座」がある日、
もしくは、7/22(水)日食観察イベントの日に行きたかったんですが、
こっちにも都合があるし、日帰りなので諦めました.......。

近い日、行こうと考えてる人は、7/18か7/22がよさそうだね。

841 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:36:06
何を言ってるんだか??
>漢てのは倭のように民族や氏族を指す言葉のような気がするけどな
この場合は、自分たちの国号だろ。もちろん多民族が含まれる。

842 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 22:40:14
>>837
「民族」てのは「DNAの違いで分類してるものじゃない」て言いたいんだよ
まあおれ的には基本的には「語源」かな?
・朝鮮民族てのは朝鮮語を話す民族、現在は朝鮮半島に分布(一部、潘陽などの大陸にも分布)
・日本人てのは日本語を話す民族で、現在は日本に分布


ちなみに「英語」てのはブリティッシュ語源で、元々はイギリス島にすむ民族の言葉じゃないの?
現在北京語て呼ばれてる語源は、元々はマンダリン語と呼ばれてたもので、マンチュ民族の使ってた言葉だよ

魏志倭人伝の中に出てくる民族や氏族や王朝は、それぞれ何民族なんだろね

倭は日本語を話す日本人でしょ?

漢や魏は?


843 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:42:41
いずれにせよ、今度の皆既日食の日にすべてがわかる。楽しみです。




844 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 22:43:38
吉野ヶ里遺跡の感想文を書いてるのに〜目立ってないではないか!w

つーか、吉野ヶ里遺跡へ行ったてはなし、聞けよw

以前、ローガンさんが行ったとか行ってたよね。

ローガンさんいるかな?

ほかの人で行った人はいないのかな?誰もいない?池ょww

845 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:46:06
妄想しかないな

846 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:48:46
何を言ってるんだか??古代中国に統一した言語がないってことか?まあ、現代でも話言葉
の違いは大きいが、「後漢書」や「三国志」なら当時の知識人は共通理解できただろう。
言語の話は、河童さんがしてくれるだろう。スマンが明日試合なんで、風呂に入って寝る。
Good night!


847 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 22:50:12
>>841
「国家」なんて観念はフランスの産業革命で産まれた観念だよ
だから今の「国家」や「国」なんてのはこの時代にはまだない
自分を「私・僕」と言うように
自国や我々の国を指す言葉が「中國」だよ
中國では→我々の國では
中國の皇帝→我々の皇帝
て意味だよ



今の中國は「我々の国家こそ、世界の中心であり、歴史も民族も統治された、中心の国家である」って理由で「中国」って国号を付けたんだよ

日本は「中國てのは特定の國や地域を指す固有名詞じゃないんだから、それを国号として名乗るのはおかしいから辞めろ」て、当時は文句も言ってたんだよ

「天下」とか「中国」なんて国号にする事は、子供に「僕」や「私」って名前を付けるようなもんだから

848 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:56:04
>>847

何をいってるんだ?

「中華人民共和国」って、そもそも日本語だからな。




849 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 22:56:36
>>846
言葉が違うて事は、お互いに会話が出来ないて事だから
民族を一番分類がしやすい「言葉」で分類した場合に
例えば日本語なんて言葉を話してるのは日本民族だけだし
日本民族からしたら日本語以外の言葉を話す民族は、他民族でしかないよ
他民族を同化する際には話す語源を同化する所から始まる訳だし
アイヌも琉球も今では日本語圏民族となったよ

850 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:59:41
>>849

日本語なんてものがあるとでも思ってるのか?

文法は中国や英語から、語彙はタミル語からの借用にすぎない。



851 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:01:18
>>844
吉野ヶ里遺跡には3回行ったかな。
最初は、確か平成元年だった。
物見やぐらくらいしか出来ていなかった。

どういうわけか近くの日吉神社に大勢の人が行っていたなあ。
ここにはなんかあるぞみたいな感じで。

一番最近は、デジカメの写真の日付によると2002年となっている。
立派に、きれいに整備されていたし、係員の態度が非常に良かった。
もう一回行ってみようかな。
でも、あんまり変わっていないかもね。

852 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:04:32
吉野ヶ里は、「ここは邪馬台国じゃない」ちゃんと明言してんのか?

邪馬台国時代には衰退してることを説明してないと、考古学施設としてはサギだぞ。

853 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:05:09
蘇我倉山田石川麻呂の子孫、石川遼が世界のタイガーウッズを相手に
大舞台で素晴らしい活躍を見せていますね。

さすがに、武内宿禰の血を引くだけのことはあると感心しました。
拍手!!

854 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 23:08:44
今回の佐賀県、大分県 行きの当初予定では、
・佐賀県小城市甘木(サガミ氏がいう卑弥呼の墓)
・佐賀県立博物館
・吉野ヶ里遺跡
・大分県日田市「天領日田資料館(金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡のレプリカ)」
・大分県教育埋蔵文化センター
だったんだけど〜日帰りなので、時間なく、
「サガミ氏がいう卑弥呼の墓」と「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡のレプリカ」は諦めました。

次回必ず行きます。

855 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:10:53
>>852
年代についてはあまり言わないほうがいいだろう。
確かと言えるものがないし。
まあ、卑弥呼時代の後のはずだった纏向を、卑弥呼時代に持って行ったために
吉野ケ里はあおりを食った形になっているわけだけど。

856 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 23:19:15
>>850
日本語はあるよ

ちなみに日本→ニホン
この言葉は君の言うように、たんに「日」と「本」の漢字を音読みしただけの言葉であって、本来の日本語じゃないよ
日本なんて国号が付けられる前は自国を指す言葉は「なかつくに」だよ

漢字を導入した当時の日本は日本語に対して、日本語と同じ意味の漢字を当てて使ってたよ。また字も発音は日本語音で発音してたよ
あま→雨、天、海
あまてらすのみこと→天照命(発音:あまてらすのみこと)

ただ近代では>>850さんの言うように、日本語では無い外来語や造語も沢山産まれたよ
カステラ、スポーツ、デート、、とかさ

あと他国の言葉を漢字で表して、その語を漢音発音する言葉も沢山産まれた
言葉→意味を漢字で表記→漢音発音
デモクラシー→民主主義→ミンシュシギ
とかね
あと似た漢字を二つ合わせて漢音発音する言葉も明治時代に沢山作られた
雷雨(ライウ)→台風(たいふう)→選挙(せんきょ)


雷雨や台風なんてのは本来の日本語では「あらし」って言葉だよ

857 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 23:24:20
邪馬台国と吉野ヶ里遺跡の関係?!

う〜ん、吉野ヶ里遺跡は甕棺墓(縄文晩期〜弥生中期)の時代ですからね。
倭人伝には、「径百歩余」と明記されてるわけですし、規模の違いから、
邪馬台国は、吉野ヶ里遺跡より離れた所 と考えたほうがよさそうですね。
しかも、吉野ヶ里遺跡には追うがいた事がわかってますし、その王の墓と言われる
北墳丘墓は卑弥呼の墓と、似ても似つかないわけで・・・。

858 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/17(金) 23:36:36
>>850
ね、ね、日本語言葉と外来言葉とを探したり別けてみるのも楽しいよ

日本語言葉表記(本来の日本語を元に、同じ意味を持つ漢字を当てる)
あまてらすのみこと→天照
いずものくに→出雲國
なかつくに→中国
あすか→飛鳥(明日香は発音を当てたもの)
やまと→大和
すめらぎのみこ→天皇おおきみ→大王
さむらい→侍
もののふ→武
ちからぬし→力士
すもう→相撲
かたな→刀
てっぽう→手銃
ひゃくしょう→百姓


漢字から作られた造語
天皇→テンノウ
日本→ニホン
東京→トウキョウ
九州→キュウシュウ
国民→コクミン
主権→シュケン
選挙→センキョ
力士→リキシ
武士→ブシ
鉄砲→テッポウ


859 :doontakukaの弟子:2009/07/17(金) 23:45:12
郡(平壌)から伊都國(女王國)まで萬二千餘里
不弥國-----投馬國---邪馬壹國---狗奴国は一直線上に並ぶ
不弥國から邪馬壹國(卑弥呼・女王・女王國)までは水行30日と陸行10日
狗奴国は名古屋  狗奴国領土は前方後方墳地域
卑弥呼共立時卑弥呼は年已長大 卑弥呼の在位は短く弟がいる。
天照は伊邪那岐命から高天原を任せられるが直ぐ岩戸にお隠れになり在位は短く弟がいる。

860 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/17(金) 23:48:35
>>851
>吉野ヶ里遺跡には3回行ったかな。 最初は、確か平成元年だった。
>物見やぐらくらいしか出来ていなかった。
>どういうわけか近くの日吉神社に大勢の人が行っていたなあ。
>ここにはなんかあるぞみたいな感じで。

平成元年といえば、約20年前!!
日吉神社というのは初めて聞きましたわ。
何の関係があるんでしょうね。

>一番最近は、デジカメの写真の日付によると2002年となっている。
>立派に、きれいに整備されていたし、係員の態度が非常に良かった。
>もう一回行ってみようかな。 でも、あんまり変わっていないかもね。

あ〜係員の態度は確かに良い。
もう1度行くんでしたらイベントがある日をお薦めする。
7/18,7/22みたいなイベントがあるほうが盛り上がると思います。

そして、他にも古代史関連の場所があるわけだし、
いろいろ行くのも良いかもしれません。

861 :サガミハラハラ:2009/07/17(金) 23:49:57
卑弥呼は183年の即位以来吉野ヶ里にいたのです。北内郭は卑弥呼のためにつくられたものです。
しかし230年代に、もっと西(中国に行くのに近い)の方の小城甘木に都を移したのです。
卑弥呼の墓は、小城公園内桜ケ岡(サクラオカ)です。直径南北192m東西154mの円墳です。

862 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:59:26
>>860
日吉神社というのは、吉野ケ里のすぐ近く、というよりも吉野ヶ里遺跡公園の
中にあるような神社で、小高い丘のようになっている。私有地なので発掘調査
は行われていない。
古墳のように見えないこともないなあ。

863 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 00:08:06
>>862
補足すると、
Google マップで見ると良くわかる。
北墳丘墓の西約150mほどのところにある。

864 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 00:09:56
>>859
「在位」てのはさ、日本語で言う「みこ」の位でしょ?

きみ(おおきみ)→大王、大君、大将
みこ→御子、神子、神子、天皇、皇子、巫女、儒子、彌子
みこと→命、魂、霊、祖、氏


国を治めたり政治や統政を行うのは「きみ、おおきみ」でしょ?
「みこ」はいわゆるシャーマンだよ。雨乞いや神詞を聞く特別な能力を持つ氏族たち。シャーマン血統の持ち主
「みこと」に関しては既に御霊となった人達でしょ?


江戸時代は江戸幕府
鎌倉時代は鎌倉幕府
記紀時代は天照やスサノオや大国主

出雲大社→出雲家
御所→公家
天皇は祭祀を行う公家でしょ?
国の統治者ではないから「おおきみ」とは呼ばれない
君が代の「君」も、公家が大君(統治者)に贈った謌でしょ?


865 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 00:12:48
>>861
北内郭=卑弥呼の居た場所ですか、
たしかに、北内郭=「巫女が居た場所」らしいですが、
卑弥呼というのは、大陸から金印を授けられたわけですし、
もう少し、【北内郭の規模】が大きくても良いのでは?と思います。
そして、卑弥呼が祭祀をしていたのなら、【後漢末期〜三国時代の遺物】が
もう少し出土されるはず。

わたしは、【甕棺墓が出土されてる】吉野ヶ里遺跡は、卑弥呼の時代より
だいぶ前の遺跡と考えます。


866 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 00:19:26
>>865
卑弥呼は「朝」から譲り受けたんでしょ?

ブルボン朝、シュメール朝、徳川朝、飛鳥朝、漢朝、明朝、、、

魏志倭人伝の記述をどう読んだら、大陸から譲り受けたって読み取れるのかが俺には良くわからない

倭人の卑弥呼が貢いだり位を受けるとしたら、普通は倭朝からだよ
倭朝を差し置いて他族の朝の属隷となったなら、卑弥呼は日本の歴史上、日本民族を敵に回してた人物なんだね

867 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 00:22:53
【訂正前】
>そして、卑弥呼が祭祀をしていたのなら、【後漢末期〜三国時代の遺物】が
>もう少し出土されるはず。

【訂正後】
そして、卑弥呼が祭祀をしていたのなら、【後漢末期〜三国時代の遺物】が
出土されるはず。

【後漢末期〜三国時代の遺物】は出土されてないハズ。

862-863
情報ありがとう。

868 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 00:24:25
まあでも日本の歴史上にも倭人の癖に、唐だか高句麗だかと一瞬になって、大和朝に対してクーデターをしてきた女王てのは居るには居るけどね


869 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 00:43:40
「吉野ヶ里遺跡は邪馬台国?」

吉野ヶ里遺跡の時代=紀元前300年〜紀元後300年ぐらいといわれている。
その範囲は長いわけで、ここが卑弥呼がいたと考える人もおるだろう。
しかし、卑弥呼という女王は、大陸と頻繁に外交していたわけで、
そんなこと、ここのスレを読んでいる皆さんならご存知だろう。

吉野ヶ里遺跡にしても大陸との付き合いがあったようなものは、
たしかに、見受けられる。
しかし、もし、仮にここが卑弥呼の宮殿のあった場所ならば、
もっと「大陸と頻繁に外交していたようなモノ」があっても良いということ。

ここは、邪馬台国ではないだろうと思うのが普通ではなかろうか。

870 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 00:51:59
>>869
卑弥呼が大陸と外交?
誰にも会わない人が?

あり得ません

871 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 00:53:55
>>869
>大陸と盛んに交流

「仏教・密教・漢字・梵字・暦・信仰」
これら共通の文化を持つ地域を「アジア文化圏」て呼ぶんだよ

東は日本、北はモンゴル、西はチベットやトルキスタン、南はインドや東南アジア諸国

これら地域は同じ文化を共有してる地域と見なして良いんだよ


ちなみに今の日本は「欧米文化圏」の国だけどね
アジア文化より欧米文化寄りの国へと変わってしまった国


872 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 00:57:02
サガミハラハラ、聞いてるか?
>>869

873 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 00:57:31
>卑弥呼という女王は、大陸と頻繁に外交していたわけで、
思い込みだな。

874 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 00:59:57
アジア文化圏から飛び出して「世界の共有文化」みたいなのも有るんだよ

ギリシア神話、ユダヤ神話、日本神話、アイヌ神話、ヒンズー神話、、、
いわゆる人類創造神話を伝える神話には世界中で共通の部分がある
まるで同じ事柄を各地の言葉でそれぞれ伝えられてる見たいな感じだよ


875 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:00:10
>>871
日本は中華圏ではありませんよ

876 :サガミハラハラ:2009/07/18(土) 01:02:26
>>863吉野ヶ里が邪馬台国の都であったのは長期間ではあるが、倭国大乱から卑弥呼の魏への朝貢まで80年ものあいだ没交渉だったのです。
魏との通交が始まって直に、邪馬台国(卑弥呼女王)は小城甘木に遷都してしまったのです。
よって、吉野ヶ里からは中国との通行のしるしがでないのです。

877 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:02:39
ついでに言うと
中華圏というものはあっても
アジア文化圏てのはありません
過去にも現在にもね

878 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:04:34
卑弥呼の頃は中華圏といってよかろ

879 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 01:06:15
「吉野ヶ里遺跡の遺物」
ここから出土された「鏡」や「剣」は2〜3世紀中心のものが出土されている。
↓詳しくはここを読んでほしい。
http://inoues.net/museum/yosinomusieum.html?

>>866>>871
?? 君は河童虫くんか?w言ってることがサッパリですわww

>>870
卑弥呼は女王デス。
あなたの頭の中はどうなってるんだw

880 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 01:06:27
>>875
つか中華圏てなに?
アジア共有の文化を有してる地域は「アジア文化圏」な

その中で日本は日本、インドはインド、チベットはチベット、トルキスタンはトルキスタン、モンゴルはモンゴル、、それぞれ独自の文化や語源や風習や歴史を持つ

ちなみに「中華文化」って何?
中国の民族衣装がチャイナ服?
チャイナ服てのはマンチュリ族やモンゴル族の民族衣装デスよ?
北京語? マンダリン語と呼ばれマンチュリ族が話してた言葉だろ?
て、要は中華文化てのはマンチュリ族の文化の事なのか?

漢も唐も髄もマンチュリ族の王朝て事で良いのかな?


881 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 01:13:49
>>873
>>卑弥呼という女王は、大陸と頻繁に外交していたわけで、
>思い込みだな。

モノとモノを交換したのは、
「列島の王(ようは卑弥呼ネ)」と「大陸の王(皇帝)」だけじゃないよw

ていうか、みんなの書き込みって少ないな〜〜。
もっと長い文章ぷリーーずww ていうか、わたしも・・・・・w

882 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/18(土) 01:14:11
北京には「古城」と呼ばれるスゲー城がある
朱雀、青龍、玄武、白虎に守られ、城壁で囲まれた凄い建造物
風水学にもとずき建築された城
これ、どの民族のどの王朝のものなのか解る?
潘陽にも古城がある
これは何民族の何朝なのか解る?



883 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:17:18
>>880
じゃ、カップヌードル食べる連中は日清圏だな
マンガのような梅毒撒き散らすんじねぇよ

884 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 01:19:49
>>881
倭人伝をよく読め。景初二年六月のところに、朝献せんことを求む、〜送らしむ
とあるだろ。初めての外交だったからこそ、郡が案内を出してやったんだよ。
大陸と頻繁な外交なんてまったくの思い込みだ。

885 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 01:33:26
>>876 サガミハラハラさん
>吉野ヶ里が邪馬台国の都であったのは長期間ではあるが、倭国大乱から卑弥呼の魏への朝貢まで80年ものあいだ没交渉だったのです。
>魏との通交が始まって直に、邪馬台国(卑弥呼女王)は小城甘木に遷都してしまったのです。
>よって、吉野ヶ里からは中国との通行のしるしがでないのです。

吉野ヶ里というのは弥生時代前期(紀元前300年)〜後期(紀元後300年)の
約600年間存在した集落と聞きます。
そうした場合、邪馬台国が600年間続いたということでしょうか。
後漢書に記されてるのは、「邪馬臺國」。
魏志倭人伝に記されているのは、「邪馬壹國」。

後漢の時代と三国時代を合わせても300年間も達しない。
そして、中国文献の「史記」や「漢書」、「後漢書」、「魏志倭人伝」を読んでも
そのようなことは見受けられない。

サガミハラハラさんの都合によって「邪馬台国=吉野ヶ里」としているダケ
にしか聞こえません。 以上

886 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 01:36:43
>>884
>倭人伝をよく読め。景初二年六月のところに、朝献せんことを求む、〜送らしむ
>とあるだろ。初めての外交だったからこそ、郡が案内を出してやったんだよ。
>大陸と頻繁な外交なんてまったくの思い込みだ。

うんうん、初めての外交だね。
だから、238〜248年まで「頻繁に外交があったんだろ?」て言ってるんだよ。



887 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 01:45:14
>>884さん
私の主張は、
卑弥呼は大陸と「頻繁に外交があった」 から、

もし、邪馬台国=吉野ヶ里ならば、
その爪痕が、吉野ヶ里遺跡にもあっていいんじゃない?てこと。

頻繁に外交があったか?無かったか? なんて議論しようとは思ってないよw
では、そうゆうことで・・・zzzzzzzzzzzzz 

888 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 07:40:43
だから、前提がまちがっているって言ってんだよ。

889 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 08:19:35
倭人伝の冒頭で30カ国が使者を通わせていたとあるんだから
貿易の主体者が女王国だとは考えにくい
管理は伊都国でしていたんだろうけどな
今の中央集権体制というイメージではなく緩やかな連合国家体だったんだろ

890 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 09:17:57
卑彌呼とは、彌呼と呼ばれる宗教的な集団から選ばれた象徴。
卑彌呼は男王達の治める混乱した世の中に安堵を齎す為に誕生した
特異な宗教的指導者。
つまり、国内に向けての顔として誕生したのだが………

891 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 09:25:33
外交推進の実務は側近の男の誰かがやったんだろうね

892 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 09:34:26
彌呼は元々、太陽神と人を結ぶ仲介役
それまでは決して表舞台には登場しない影の存在。
しかし
国内の乱れに歯止めをするため
当時東夷を実質的に支配していた公孫が、後漢王朝の名のもとに
対倭政策の一環で行ったのが卑弥呼政策。
彼女は公孫の後ろ盾を背景に邪馬台の象徴となり
宗教的な指導者に止まらず、政治の実権にも関与し始めた。

政治の混乱が治まれば、当然また不満は再燃する。それが男王達の不満
もともと政治は男王達の合議制だったのに

893 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 09:48:55
後漢王朝の後ろ盾とは言え、今の邪馬台の卑弥呼体制の実質的な政策は公孫
公孫との蜜月な関係は、魏王朝になっても続く。
しかし、段々公孫の立場が危うくなるにつれ、邪馬台の立場も危ういものに
公孫が倒れれば、蜜月な関係の邪馬台もただでは済まぬし、卑弥呼そのものの存在が失くなる。
なんとしてでも
公孫が倒れる前に、魏王朝とのパイプを作る必要があり、それが景初二年六月と言う際どい遣使。

後二ヶ月遅れれば、邪馬台は帯方郡の一部となっていたろうね?

だから景初二年ではなく景初二年六月。

894 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 10:06:21
どんなに公孫と蜜月な関係にあると言っても
卑弥呼政策は後漢王朝史にも記載された王朝の公式政策
後漢王朝から禅譲された魏王朝が、公孫と関係をネタに無茶する事はない。
しかし、卑弥呼は焦っていた。

焦らねばならない事情があった。

895 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 11:33:51
今度の7月22日の日食で皆既日食が見られる地域は屋久島から奄美王島にかけてですが、
卑弥呼の時代に相当する248年の日食で、皆既日食が観測できたのは、能登半島から
宮城県南部にかけかけての狭い範囲です。
その地域で邪馬台国候補地といえば、猪苗代湖のほとり、福島県耶麻郡。
邪馬台国は、北塩原村の塩で巨利を得て、周辺諸国を支配していたのだ。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/56/0000033856/28/img3708f413zikfzj.jpeg


896 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 12:14:06
「福島の
号砲とともに
夏を知る」

いよいよ夏休み、今年はどんな珍説奇説が飛び出るのか。

897 :doontakuka:2009/07/18(土) 12:22:51
>>895
邪馬台国は、北塩原村の塩で巨利を得て、周辺諸国を支配していたのだ。

会津若松だよ。
『古事記』によれば、北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した建沼河別命が合流した場所が会津であるとされている。
の、会津だよ。
邪馬台国ではなく邪馬臺國の中の 邪馬壹國です。
邪馬壹國の領域は『北緯36度線上の諏訪』から『北緯39度線上』の平泉
で、
その中央は北緯37度30分の会津若松なのだ。

邪馬臺國は
樂浪郡徼 去其國萬二千里
去其西北界拘邪韓國七千餘里
其地大較在會稽・東冶之東
ですから、北緯30度から北緯39度の領域となる。


898 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 13:08:04
鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」には、岩手の八幡平って結論が出てたよ。
異論があるやつは、まず読んでみろ。

899 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 13:15:04
読む必要もない。

900 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 13:22:23
スゲーェ
昔のスレを発見してしまった。

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17
http://unkar.jp/read/academy6.2ch.net/history/1205421895
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!16
http://unkar.jp/read/academy6.2ch.net/history/1207744868

901 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/18(土) 15:35:04
>>871
>アジア文化圏

ウィキペディアでは「漢字文化圏」を採用しています。

漢字文化圏の場合、「東アジア文化/文明圏」「儒教文化圏」などの用語も並行的に使われているが、
「東アジア」という地域名称には具体的な意味内包がなく抽象的すぎること、
中国、日本、朝鮮において「儒教」の受容のされ方にそれぞれ違いがあることから、
「漢字」が全体を平等にカバーする中立的かつ具体的な文化要素として適切と判断され、もっとも普及したものと考えられる。


902 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 15:36:10
>>900

スゲー勘違い馬鹿だなこいつ↓


>謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!16

>20 :神奈川県民[ta]:2008/04/13(日) 02:03:57

>普段は「改め」に進行役を一任してる身です。
>「改め」が居ないときは「河童さん」、「愛知県民さん」お二人が改めの代役。
>というか、ブルーが出ないんですけどなんなんでしょーね!
>それと15は一時放置でお願いします!
>「卑弥呼」、「邪馬台国」について議論を始めましょう!
>以後、スレの話は禁止します。 

スレを仕切るのは自分か河童か愛知県民らしいw

今時こんな勘違いのアホウ
2ちゃんで見るのもまれだよなw



903 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 15:38:28
>>859
郡(平壌)から伊都國(女王國)まで萬二千餘里
は、
大きな間違い。
自郡至女王國萬二千余里
の『郡』とは『魏郡』の事。
洛陽と置いても間違いではない。

『女王國』とは邪馬壹【臺】國の北の境界・北緯39度線上の事。


904 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/18(土) 15:41:55
>>869
吉野ヶ里遺跡は邪馬台国ではなさそうです。
私は行ったことはないですが、係員の態度がいいのですか。
態度が悪いのは論外ですが、態度がいいから邪馬台国というわけには・・・

905 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 15:47:37
一年以上も前のスレ見て、コメント入れる方も相当なものだ。

906 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/18(土) 15:58:37
>>901 補足
因みに「アジア」は古代ローマの属州の名で、現在のトルコ西部を指す。
中国、日本、朝鮮とは、本来何の関係もない名称。
日本は太平洋の火山列島であるから、オセアニアに入れてもよいのではないか。(超少数意見)

907 :神奈川県民:2009/07/18(土) 21:15:30
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!33
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1247918912/

スレ33へは、ここのスレ32が終了次第、書き込んで下さい。

908 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 21:51:26
今日は、土日だっていうのに〜少ないね。
何か面白いTVでもやってるのかな?



909 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 21:57:01
吉野ヶ里遺跡は邪馬台国ではなさそうです。
>>904
>私は行ったことはないですが、係員の態度がいいのですか。
>態度が悪いのは論外ですが、態度がいいから邪馬台国というわけには・・・

態度で邪馬台国はここだとか、ここじゃないとかは決めれませんよねw
愛知県民さんは〜この3連休、どこかでかけないんですか?


910 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 22:04:21
>>903
>郡(平壌)から伊都國(女王國)まで萬二千餘里 は、大きな間違い。
>自郡至女王國萬二千余里 の『郡』とは『魏郡』の事。
>洛陽と置いても間違いではない。
>『女王國』とは邪馬壹【臺】國の北の境界・北緯39度線上の事。

郡=帯方郡
というのが、一般的な見方なんですが、
郡=各腸 ですか?

そうした場合、狗邪韓國まで長すぎませんか?

「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里」

誰か踏んで!

911 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/18(土) 22:58:14
>>909
今回は遠出は無し。
22日は部分日食でも見れればいいが、天気予報は悪そうですね。
次は2012年の金環食か・・・

912 :安本:2009/07/18(土) 23:02:58
邪馬台国東遷説
問題は京都郡であり、「ミヤコ」という地名が残っています。
古代においては、都はしばしば移っております。
中国の方に注意がむいていた卑弥呼の時代にはたしかに
卑弥呼の都は甘木、朝倉地域にあったと思いますけれども、
その宗女の台与の時代になったとき、都が京都郡に移ったのではないかと考えられるわけです。
ここらへんは、豊前、豊後の「豊の国」であり、「豊の国」と台与という名前は、
地名が豊という国だったから台与という名前で呼ばれたのか、
あるいは台与という女性がそこに住んだから地名が豊になったのかわかりませんけれども、
いずれにしても、豊という人名とは、無関係ではないであろうと思います。


913 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 23:20:35
今日の午前中の「新日本紀行ふたたび」をご覧になった方も多いと思います。
キリストの墓があるという青森県三戸郡新郷村戸来、十和田湖畔から津軽半島
にかけての広い範囲に邪馬台国の支配は及んでいたのです。
キリスト以外にも、釈迦、孔子、モハメッドなど、この時期相次いで世界にも齎され
た新興宗教(この時代はカルトだった)は、全て東北の邪馬台国が故郷だったのです。


914 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 23:22:43
結局、連想ゲームなのかよ
だったらジンギスカンも義経でいいよ
奈良もウリナラなんだよ
蘇我入鹿はイルカなんだよ

915 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 23:24:20
>>911
22日の皆既日食は観にいかないんですか。
私は、鹿児島までみにいくか迷ってるところ。

「皆さんへ」
誰かみに行く予定の人いる?

916 :doontakukaの弟子:2009/07/18(土) 23:30:33
>>910
魏の使者は魏郡、すなわち河南省洛陽から東へと陸行し黄海に出たのです。
その後南へと水行し、?今の福建省福州市(会稽東冶)にたどり着きます。
そこから台湾北部を経由し波照間(狗邪韓國)に到着します。
その後は種子島、下関、出雲、山形県酒田市、女王國の39度新庄市まで7000里です。
グーグルアースによっても5200kmとピッタン子官官です。

917 :doontakukaの弟子:2009/07/18(土) 23:34:17
× 7000里
○12000里

918 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/18(土) 23:37:58
>>915
>私は、鹿児島までみにいくか迷ってるところ

おや、羨ましい。
奄美大島北部、トカラ列島、屋久島、種子島南部が皆既帯ですね。
ttp://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/index.html


919 :サガミハラハラ:2009/07/18(土) 23:44:04
>>915わたくし、22日の日蝕は宮崎でみる予定です。
今を去る1968年前、その年も日向で日食がみられたことが日向風土記にでています。
この年に天孫降臨があったのです。
今回はトカラ通過ですが天孫降臨の年は、種子島を通過しています。
今年はあの年とおなじような日食(どちらも部分日食)がみられるものと期待しております。


920 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 23:49:42
>>916
方向は無視ですか?

>>918
次は二十年後ですからね〜ていうか、実際、鹿児島まで行くとしたらめんどくさいな〜w
うーんw

921 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 00:01:38
>わたくし、22日の日蝕は宮崎でみる予定です。

この夏は、九州が面白そうですね。
22日、宮崎へ行くんなら、ついでに宮崎県立美術館へ行くと良い。

7/18〜8/30「海の幸」、「大穴牟知命」、「わだつみいろこの宮」 で有名な
青木繁の展示会やってますわ。

http://www.ake-s.com/aokisigeru.html

宮崎県に住んでる人〜にもお薦め!!
私も行きたいんですけどね〜。

922 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 00:17:05
22日は天気どうだろうね。

923 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 00:20:59
天気は最悪
http://weather.yahoo.co.jp/weather/

サガミ氏は、きっと美術館行きになるなw
ミスってどんとこいレスしてたw

924 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 00:49:29
部分日食でも、一生に何度も見れるものではないし、
この機会にぜひ本物の日食を見るべきですよ。
そうすれば、古代人がいかに日食に怖れ慄いたか
理解できるようになると思います。
最近の若者は頭でっかちで、本当の日食さえ見たこ
ともないくせに、見てきたようなトンデモ説を唱える
ので困ります。

三輪山で、いっしょに日食をみませんか?

925 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 00:55:55
古代人がそんなに恐れおののいたんなら
推古以前に遡って記録や伝承があるはずだよ
なんだか判で押したような感じだな

926 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 01:02:35
産経新聞にも載っていたが
この推古帝の世において、日本は柵封を明確に拒否したわけで
それは、それまでの中国に頼った暦情報からの独立もあったわけで
事実、この時を境に日本でも本格的に天文観測が盛んに行われるようになった

927 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 01:06:21
■邪馬台国シンポジウム9 開催のご案内

考古資料を通じて、邪馬台国が存続した3世紀の大和と各地域の関係や
前方後円墳の出現・成立過程等を考える邪馬台国シンポジウムシリーズの第9回。
各分野に精通された7名の考古学研究者によって、邪馬台国時代前後の同地域と
畿内の関係等について検討します。

▼日時 第1日 7月19日(日) 13:00〜
  第2日 7月20日(月・祝日) 9:30〜
▼会場 香芝市文化施設・ふたかみ文化センター・市民ホール
▼定員 300人
▼内容
(7/19)
「周防・長門における3世紀の集落と初期古墳」
「3世紀の豊後の集落と初期古墳」
「3世紀の伊予と西部瀬戸内の土器交流」
「畿内の西部瀬戸内系要素」 
(7/20)
「邪馬台国時代の前期古墳と西部瀬戸内の海人族」
 「3世紀の安芸の集落と初期古墳」 
「瀬戸内の早期古墳と近畿」
シンポジウム「邪馬台国時代の西部瀬戸内と近畿」
司会・進行:石野博信 パネリスト:梅木謙一氏、苅谷俊介氏、田中祐介氏、田畑直彦氏、橋本輝彦氏、古瀬清秀氏

▼その他
・事前の申込みは不要
・当日発行の二上山博物館観覧券が必要
・資料集は1冊1,500円程度
http://kashiba-city.net/hakubutsukan_cgi/nicky.cgi?DT=20090614A#20090614A

928 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 01:26:50
>>924
日食
http://www.youtube.com/watch?v=xCwYoF_IA_s

929 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 03:40:38
古代人が日食を怖がってたというソースは何だよ?

あまりにも既成概念が強すぎないか?


930 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 03:42:13
天の岩戸だって、あれが日食だとしても、
楽しく歌い踊ってたお祭り騒ぎだって描写じゃないか。



931 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 04:08:10
皆既日食はビックリするだろうな。
部分日食ならそもそも気が付かない。

932 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 07:35:01
たかじんのそこまで言って委員会の番組欄に「3世紀”卑弥呼”住所を暴く」と
書いてあるのだが、この番組で邪馬台国論争をやるのかね?

933 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 08:48:09
見るに値しない。

934 :サガミハラハラ:2009/07/19(日) 09:49:07
>>925神功紀に和歌山で日食の騒ぎがのっています。
 日向風土記にAD41年に天孫降臨の記事があり、その年に日食があり、稲穂を撒き散らしたらもとにもどった
との話あります。
天石屋戸事件についてはわかりません。

935 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 10:07:09
>>929
やはり、部分日食と皆既日食ではその世界が異なることがわかる。
部分日食は雲にさえぎられて暗くなったのと変わらないけれど、皆既日食の場合は夜のようになる。
となると、やはり邪馬台国の位置は、248年に皆既日食が観測された地域にあった
ことは間違えなく、>>858の説が正しいことがわかる。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/56/0000033856/28/img3708f413zikfzj.jpeg





936 :サガミハラハラ:2009/07/19(日) 10:18:14
>>885返答が遅れすみません。
吉野ヶ里が都になったのはAD40年だいであるとみています。
邪馬台国のはじめの名は倭奴国(委奴国)でした。
それが、倭面土国をほろぼした122年から邪馬壱国としょうしました。
237年ふたたび中国と通交するようになり、都を小城甘木に遷都し、国号も
大いなる委奴国であるとして邪馬の大委奴国すなわち邪馬大委国となり中国人は
邪馬台国と表示したのです。

937 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 10:21:29





 台 湾 人 の 日 本 侵 略 を 許 す な !


http://www.youtube.com/watch?v=f7LXG9gqzbo






938 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 10:37:52
>>934
神功紀のそれは暗くなって数日が経過したとあるから日食とは考えられない
そして
日向風土記のは霧です
国見ヶ丘の雲海は観光のパンフレットにも必ず出てるほど有名
ついでに
天岩戸は台風によって日が隠れたという伝承であって
弟、素戔男尊と天照大御神との間で起こった物語です

939 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 10:49:59
>>936
こじつけっぽいよね。
大を「ダイ」や「タイ」って読むのは中国の読み方だし。

940 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 11:04:59
邪馬台国は台湾ではないのか?
それなら伊都国の南といえる。

941 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 12:10:59
台湾が日本の固有の領土?
初めてきくな。

証拠といえるものをいくつか示してください。

942 :doontakuka:2009/07/19(日) 12:27:53
920 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/18(土) 23:49:42
>>916
方向は無視ですか?
方向ではなく方位でしょ。

下関(末廬國)から東南(東北と南を北で置換)で奴国(松江)
下関(末廬國)から南(北で置換)で投馬國(舞鶴・畿内)
投馬國(舞鶴・畿内)から南(北で置換)で邪馬壹【臺】國(平泉)。
との方位を見たければ、
日本列島の地図をペイントに貼り付け、それを270度回転させなさい。

納得できるでしょう。


943 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 12:57:10
>>942
>方向ではなく方位でしょ。

君は、自らが「ド素人デス」ということをサラケだしただけ。
何で倭人伝だけ方向ではなく方位なの?て話。

「三国志魏書東夷傳夫余伝」
夫餘在長城之北去玄菟千里南與高句麗東與挹婁西與鮮卑接北有弱水方可二千里
「三國志魏書東夷傳高句麗」
高句麗在遼東之東千里南與朝鮮濊貊東與沃沮北與夫餘接
「三國志魏書東夷傳東沃沮」
東沃沮在高句麗蓋馬大山之東濱大海而居
其地形東北狹西南長可千里北與挹婁夫餘南與濊貊接
「三國志魏書東夷傳挹婁」
挹婁在夫餘東北千餘里濱大海南與北沃沮接未知其北所極
「三國志魏書東夷傳濊」
濊南與辰韓北與高句麗沃沮接東窮大海今朝鮮之東皆其地也
「三國志魏書東夷傳馬韓」
韓在帶方之南東西以海為限南與倭接方可四千里
有三種一曰馬韓二曰辰韓三曰弁韓、辰韓者古之辰國也馬韓在西
「三國志魏書東夷傳辰韓」
辰韓在馬韓之東其耆老傳世自言古之亡人避秦役來適韓國馬韓割其東界地與之
「三國志魏書東夷傳弁辰」
弁辰與辰韓雜居亦有城郭
衣服居處與辰韓同、言語法俗相似祠祭鬼神有異施灶皆在戸西、其瀆盧國與倭接界

944 :doontakuka:2009/07/19(日) 13:17:47
>>943
君は、自らが「ド素人デス」ということをサラケだしただけ。
何で倭人伝だけ方向ではなく方位なの?て話。

恥の上塗りじゃないかな〜〜!

「将来の方向を決める」「妥協の方向で話し合いがまとまる」
「北の方向を指す」「右の方向から風が吹く」「進行方向」。

くだらないスレだなあああああ〜〜〜! 失礼。




945 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 13:20:54
ほらねw

化けの皮を剥がしたらこんなもんだよ〜w

946 :サガミハラハラ:2009/07/19(日) 13:21:49
>>939 大の中国での当時の音はダまたはタです。
倭人伝の大倭の読みであるがこれは倭人の語に当て字したものです。
倭人はある役職をダイとよんでいたのです。ダイイではありません。倭語ではイイと母音が続くことはないので
大倭はダイであり、大は中国人はダと発音していたことがわかります、

947 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 13:27:38
倭の国号が中国語?

948 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 13:29:42
>>936
>吉野ヶ里が都になったのはAD40年だいであるとみています。
>邪馬台国のはじめの名は倭奴国(委奴国)でした。
>それが、倭面土国をほろぼした122年から邪馬壱国としょうしました。
>237年ふたたび中国と通交するようになり、都を小城甘木に遷都し、国号も
>大いなる委奴国であるとして邪馬の大委奴国すなわち邪馬大委国となり中国人は
>邪馬台国と表示したのです。

金印は福岡県福岡市東区志賀島の公園から、列島一の鏡は福岡県前原市から出土されています。
それでも、佐賀県神埼郡吉野ヶ里、佐賀県小城市甘木のほうが
都にふさわしいと言えるのは何故でしょうか?

漢委奴国王印
http://image-search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%87%91%E5%8D%B0&ei=UTF-8

国宝 内行花紋鏡(これはレプリカだがw)
http://sakurano-e.workarea.jp/topc40-3.html#rabe02


949 :サガミハラハラ:2009/07/19(日) 13:42:17
倭国大乱は156年にはじまったとみています。原因は王位継承問題です。当時の倭の支配層はクリルタイをおこなっていたようである。
大乱の初期の段階で、王位継承の候補者の一人が吉野ヶ里にあった金印をもちだし逃走、志賀島に上陸したが島の豪族が味方に
なってくれるか確証がなかったので、一時的に浜の石の下に金印をかくしたものです。
そのままの状態で江戸時代に発見されたということは、その人物がもどらなかった、すなわち死んだということです。
鏡についてはもう少し考えたいです。

950 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 13:47:35
>>949
倭国大乱については、私もそんな感じで考えています。
しかし、
「候補者の一人が吉野ヶ里にあった金印をもちだし逃走、志賀島に上陸」
というのは、苦しい言い訳に聞こえるのは私だけだろうか?
現実的じゃないというか・・・。
私の場合はそのまま、福岡県福岡市東区志賀島から出土されたなら、
もともとその辺にあったものだろう(ようは福岡平野にいた王のもの)と考えます。

>鏡についてはもう少し考えたいです

どっかといえば、「金印」より最大の鏡について聞きたかった。
まあ、結果がででからで良いので、ここへ書き込んで下さいよ。

951 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 13:55:37
doontakukaくん、帰っておいでよw

それじゃ、私が「言語学」を否定して出て行ってきり帰ってこない
イジケた河童くんと同じではないかw

まあ、こうゆう掲示板は好きなことを書き込めばいいんだよ。

952 :doontakuka:2009/07/19(日) 14:03:56
>>951
それじゃ、私が「言語学」を否定して出て行ってきり帰ってこない
イジケた河童くんと同じではないかw

君のは、否定じゃなく只の落書きでしょう。

落書きを相手に書き込んでも書き込みの質量を失うだかでからね。
あほらしいのさ。




953 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 14:08:33
>>952
「言語学」
古代史とは100%関りないと言ったら嘘になる。
しかし、これを覚えたところで、どれぐらい古代史が強くなるの?
古代史というのはだね、日本史の古い部分にあたり、大まかに分けたら、
「文献史学」と「考古学」を学ぶべきなんデス。

この二つの学問をまず、覚えるべきで、「言語学」ゆうのは、
直接的にはあまり関係ない学問であり、それを覚えたところで
「古代史に強くなった」というのは少しズレてるように感じるてこと。

↓それに〜言語学つーのはこうゆうのをいうんだよ?
http://academy6.2ch.net/gengo/

古代史と直接的に関係あるか〜?
ほんのわずかしか関係ないと思われ・・・・。

954 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:17:06
たかじんの委員会で邪馬台国やってるぞ

955 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:19:07
見てるよ〜

956 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 14:21:25
愛知県民さんが来ないな・・・・・・・・・・。

愛知県民さんどこ行ったのかな?

957 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:22:33
さすがのたかじんの委員会でも
発言が慎重になるな(笑)

佐賀のバカ教授が九州派代表かよ…

958 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/19(日) 14:35:26
テレビ見てるけど、あまり参考にならないです。

959 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:36:50
たかじんの邪馬台国は3チャンでやってるのか

畿内の先生が
刺青のある埴輪も出土されている といったのは
どの埴輪のこと?
画像があればURL貼り付けてください。

960 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:44:41
>>959
「鯨面埴輪」でググれば?

961 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:48:47
なんで九州説側が高島なんだ。
関西のテレビ局の陰謀か

962 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 14:48:59
TV 3対3(畿内説VS九州説)

山口もえの最後の1票で、
邪馬台国が畿内か?九州か?を決めるらしいよw


963 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:52:46
奈良研究所の所長が九州説(笑)

964 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/19(日) 14:55:15
いつかのNHKもそうでしたが、世論は九州説、学者は畿内説という印象があります。

965 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 14:56:19
やっぱり、邪馬台国より叶姉妹の謎の方が重要だよね

966 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:00:21
パトロンが
西アジアの石油王だという説

テレビ局が作り上げたキャラ説

967 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:00:23
まあ畿内優勢ですな。


968 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:00:29
やはり畿内説が正しいのか。

969 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/19(日) 15:06:59
私は邪馬壹國=九州、狗奴國=畿内説。たぶん少数派。

970 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:09:39
最新の研究について来れる人は畿内説
ついて来れない人は九州説
で納得して、
高島が実は上司に命令されて
九州説のサクラやってます。で、爆笑で終わったな

971 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:13:36
知れば知るほど、邪馬臺國=畿内 ということが分かる。

九州説→畿内説に変えた人も多かろう。

972 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/19(日) 15:18:28
当時の日本列島で畿内が優位にあったことは確かだろう。
しかし、それと邪馬台国問題とは別の話。
九州の懐良親王が日本国王に封じられた例を思い出すべき。

973 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:19:00
>>961
いやいや畿内説から言えば春成センセイも結構痛かったぞwww
まあある意味テレビ向けキャラだったw

>>970
若かりし頃、討論形式の勉強会で無理矢理九州説をやらされてボロボロに叩かれて・・・
って話は以前に本人が書いたものを読んだ記憶があるが・・・
絶滅危惧種から盛り返して半数に迫る勢いってのは幾らなんでも大法螺吹きすぎwwwwwwww

974 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:19:22
>私は邪馬壹國=九州、狗奴國=畿内説。たぶん少数派。

相攻撃するのも大変そうw
こんどそっち行くぞ〜〜ってww


975 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:23:38
>いやいや畿内説から言えば春成センセイも結構痛かったぞwww
>まあある意味テレビ向けキャラだったw

うーん 春成より高島のほうがひどかったかな〜

「上司に命令で」なんて言ったらいけないだろうww

976 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/19(日) 15:25:08
>>974
現代のミサイルじゃないですから、境界で戦っていたんですよ。
また次スレででも。

977 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:26:13
河童にすら相手にされなくなったドツボ


カワウソスwww
アホーで完全無視ワロタ。

978 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:28:51
>>975 ドツボ
>「上司に命令で」なんて言ったらいけないだろうww

>>973でも書いたがそんな事は本人がとっくの昔にカミングアウトしている事だぞwwww




979 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:32:28
>>978
高島←この人の本読んだことありませんわw

>>973さん〜は以前絡んだあいつかな?
うんうん、よく知ってたね えらいえらいww

980 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:36:23
邪馬台国ってそもそもなんて読むの?ヤマタイコクって違和感あるな。ヤマトトコクでいいと思う。また、当て字なんだから、野蛮な馬のいる国なんていかに支那が地方を侮辱していたか分かるんだから、教科書にはヤマトと並記すべき。

981 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:37:18
九州王朝説の人を出してほしかった。
もっと議論が起きただろうに。

982 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:39:11
次スレで愛知県民さんが倭国の乱・・・じゃなかった
山陽周辺で起こった戦いについて書き込むらしい。
期待だね〜!

>>977
私は、そうゆう挑発にはのらないタイプ。
今回はつけたけど〜普段は、レスをつけるのも嫌だからな〜

983 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:40:50
九州王朝説

現実的ではないんだよね〜

984 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:41:07
>>981
しかし、ぶっちゃけた話、今日、邪馬台国九州説を語ることは九州王朝説を語ることに等しい状況になりつつなるのではないのか?
まあ高島は流石に違うと思うがw

もっともこの板の九州説論者の多くは元から”そのつもり”なんだろうから
むしろそう言う状況はむしろウェルカムなんだろうがwwwww

985 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 15:44:55
次スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!33
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1247918912/

そろそろ落ちないといけないので、後、宜しくです。
999まで〜今日中に終わるかな?



986 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:47:59
愛知県民さんは両氏(春成・高島)ともに、知ってましたか?

987 :973:2009/07/19(日) 15:49:04
>>979 ドツボ

残念だが現在九州説を唱える考古学者と言えば
すぐに名が挙がるであろう「高島忠平」の過去の言動を知っていたところで
自慢にも何にもなるものでもない。

「えらいえらい」ってお前・・・

同じ煽るにしても、もうチョッと頭使ってひねってくれないかな?

鼻水垂らした餓鬼の負け惜しみ遠吠え聞いているようでこっちが情けなくなるw


988 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:53:26
>>987
もういないよ

989 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:55:17
次は、河童虫がくるだろう。

990 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:56:10
高島氏は、本当に自分の説を信じてるんだろうかね。俺はかなり疑ってる。佐賀県の観光
に対する貢献度大で、佐賀女子短期大学学長にまでなった。自分でも「赴任先を佐賀に
選んだことは本当に運が良かった。」といっているね。   
   

991 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 15:59:04
>>990
ひょっとしたら畿内説に抵抗する・チャレンジする事自体に意義を見出しているんじゃね?w

つうか現在の九州説の学者には少なからずそう言うスタンスの人がいるのではないかと・・・



992 :縦目仮面:2009/07/19(日) 16:07:38
>奈良にある国立文化財研究所所内で邪馬台国についてのディベートをすることとなり、
  九州出身の高島さんが邪馬台国九州説」を担当。当時、有力な畿内説が世に出された
ばかりで、その影響力が高まっていたこともあり、高島さんの発言は49対1という大差で
否定された。「この敗北をバネに今日があると言っても過言ではない」と高島さんは言う。
 (月刊タウン情報佐賀)
  

それ、けっこう当たってるんじゃないのww

993 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 16:13:17
>>992
ディベートをした場所が悪い。たとえば東京あたりでやるべきだろうな。

994 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 16:18:32
>>993
いや、場所の問題じゃなくて時期の問題だったろう。

>当時、有力な畿内説が世に出されたばかりで

・・・と言うのは例の小林説で高島本人も内心
「もう九州説だめぽ」と思っていたらしいwwww

はっきりいって先輩から九州説の役目を押し付けられたのは
プチいじめだったのではないかと疑っているwwwww

995 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:00:19
邪馬台国ってほんとに実在したの??

996 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:09:31
>>989
河童はいややわあ、苦手どすえ。

997 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:24:03
邪馬台国沖縄説ってのはどうなん?

998 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:36:29
>>997自分で判断出来ないほどお馬鹿さんなの?
いややわあ

999 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:44:44
ume

1000 :日本@名無史さん:2009/07/19(日) 17:45:38
1000なら邪馬台国は大和。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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