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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 49

1 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 01:11:46
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九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。 煽り、粘着禁止。荒しはスルー

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 48
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1248356456/l50

2 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 01:13:39
22222222223333222

3 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:17:45
>>1

まあ前スレから出てきているアホの縄文人の

「3世紀まで奈良盆地は巨大湖の底、 九州の東征勢力の謎の土木工事により
 4世紀には人の居住可能地域も爆発的に増えました」

…って話は結局何処まで言っても「たら・れば」の妄想のお話、本人に言わせれば推理力だそうだがw

単純に推理としても話の造り方が下手ww

そもそも、なんでそんな盆地湖で人もまばらな地域にやってきたのか?
これが瀬戸内西部からジワジワ支配領域を拡大したってのならともかく
いきなりヤマト入りってのがワケワカラン。

迷探偵アホの縄文人!
犯人の動機が全く分かりません!wwwwwwww


4 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:27:59
>>3
>なんでそんな盆地湖で人もまばらな地域にやってきたのか

そんな疑問なら誰でもありそうな答えを思いつく。
「ワケワカラン」とか宣うあんたは老人性痴呆症か?

5 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:33:31
>>4
能書き口上は良いから言ってみ?

誰もが思いつく答えでも
誰もが突っ込めるような答えじゃあ意味無いぞ?w

6 :縦目仮面:2009/08/05(水) 02:34:00
まあねえ、推理にはジグゾー・パズルのピースが必要だろうが、縄文人の頭の中にあるのは
土木知識とあと数点。だから全体像がまるで見えていない。ピースが足りない分を自分で
作っても、いびつにゆがんではまりはしない。



7 :3:2009/08/05(水) 02:39:11
まあ俺なんか土木工学の知識のかけらもないが…

それでも素朴に疑問なのは水系全体の水量ってことで考えれば
縄文人の言う巨大土木工事は下流域に相当な影響を及ぼさなかったのか?

その痕跡も見つからないものなのか?
てか下流域の人間文句言ってくるよな?

実際「大和川の付け替え」でもすったもんだあったらしいし

どうせ
「無敵の九州神武軍団が下流の連中とはナシつけた」
って話なんだろうがw



8 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:40:14
>>5
人が住んでいない不毛の地だからだよ。

9 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:47:32
>>8
わざわざ巨大土木工事をせねば人の住む事も難しいような土地に

(数年の滞在はあっても)途中のどの地域にも目もくれず瀬戸内を横断して?

与太話も良い所だなwww






10 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:49:33
>>9
縄文人とやらの話に載っかる理由などまったくないんだが。

11 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 03:59:13
縄文人は東遷説か。
魅力的だけど、前方後円墳の広がり方から
真っ先に否定されている説だよな。

12 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 06:57:21
>>11
その前方後円墳の広がり方はあやしくなってきたな。
「南九州に最古の古墳」
   九州最大の古墳群で、特別史跡の「西都原古墳群」(宮崎県西都市)から、国内最古級とみられる
  前方後円墳が確認された。宮崎大学などの発掘でわかった。出土した土器から、築造は3世紀中ごろ
  と考えられ、南九州では最古。大和政権があった畿内でも、このころ古墳が造られ始めており、本土
  の南端でも同じ動きがあったことになる。これまで、大和政権が主導したとされてきた古墳文化成立
  に、再考を迫ることになりそうだ。
   確認されたのは西都原81号墳。長さ52bで、卵形の後円部と短いバチ状の前方部を持つ「纒向
  型前方後円墳」と呼ばれるタイプだ。本格的な巨大古墳の登場に先立つもので、3世紀中ごろまでに
  造られたとされる奈良県纒向石塚などと同じ形。後円部からは、弥生時代と古墳時代の過渡期にあた
  る土器が出土した。このため、4世紀とされてきた西都原古墳群の築造開始も、半世紀前後さかのぼ
  ることになる。
   纒向型は全国で30例を超えるともいわれるが、南九州での発掘は初めて。南九州は「地下式横
  穴」など独自の埋葬文化を持ち、のちに「隼人」と呼ばれる人々が中央政府に反乱を起こすなど、長
  く中央とは一線を画してきた土地柄だ。
   近年、大和政権は全国の有力豪族の連合体だったとの見方もあり、発掘責任者の柳沢一男・宮崎大
  学教授(考古学)は「南九州の勢力も、古墳文化の成立に参画したいた可能性を考えなくてはならな
  くなったのではないか」と話している。
   宮崎大では夏にも発掘を再開する予定。        (中村俊介)
      「徳島文理大の石野博信教授(考古学)の話」
   南九州の古墳がここまで古くなるとすれば予想外なことで、古墳成立問題を考えるうえでも衝撃的
  だ。前方後円墳は大和から拡散する考えがある一方、全国で多元的に発生し、その後統合されていく
  とする考え方があり、その可能性を示すひとつの鍵となる成果だろう。



13 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 07:19:35
纒向を例に挙げるまでもなく、最新の年代鑑定は早くなる傾向があるし、
全国一斉に鑑定し直さないとダメだね

14 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:08:55
>>12
徳島にも最古クラスの前方後円墳がある訳だが。

まあ最古クラスが3世紀初頭に西日本各地に点在するという事は、
邪馬台国北部九州説はもはやあり得ない事の証明だな。

15 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:23:58
前方後円墳は大和王朝系の文化なのだろう
北部九州は古い前方後円墳はない。古い円墳方墳はある。
北部九州にある前方後円墳は大和王朝が支配してからの新しいものだろう。
大和王朝の古い記憶は日向や宇佐であり、敬意を払っている様子が伺える。

金印、卑弥呼、水城の記憶のない大和王朝は、北部九州とは余り繋がっていない。
繋がっているのは日向宇佐であり、倭ではない。

16 :サガミハラハラ:2009/08/05(水) 09:32:19
前方後円墳は箸墓に始まり、書紀の崇神天皇の10年(箸墓のことがでている)は文献史では西暦273年であるから、築造はそれから何年かのちとかんがえられるのであるから、
最古クラスが3世紀初頭ということはない。考古学上の年代の設定が古くみすぎているようである。

17 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:42:06
3世紀中頃にかけて同一形式の墓が現れ出すという事は
当時に諸国の連合体のあった事の証拠でもある。

倭国大乱の後に女王を共立した国の指導者層が
同一形態の墓を造ったという事でしょう。

その中でも一番巨大なな墓が巻向にあったという事は
それが女王の墓だと思われるのは当然の事ですね。

18 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:55:33
王、もしくは女王を共立しなければならないということは
共立を構成する各国にそれほど力の差がないことを意味する。
力の差があれば、力のある国が小さな国を支配すればよく、
共立する必要が無いからである。

少なくとも台与も共立と言うことなので、卑弥呼崩御時には
まだそれほど国力の差は付いていないと推測出来る。

そうであれば、巨大古墳が発生する可能性は低いと考える。
各国が卑弥呼を慕って、協力して巨大古墳を作った可能性も
ないではないが、巨大古墳は支配者がシンボルとして作るものであり
共立という不安定な基盤では考えにくい。

19 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:09:00
>>18
大小よりも同一形式が各地同時期に
出現する事を無視できないでしょ。

箸墓での土器分布のバラつきは各国が協力した証拠でもある。
それに伝承では昼夜問わず人と神が協力して造営してるしな。




20 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:22:17
土器の分布のばらつきと、協力云々は別問題
人が動けば物も動く程度の話しだ。

21 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:24:59
巨大古墳があり、そして、周辺に同形式の古墳が発生するのならば
それは共立ではなく、支配の図式ではないだろうか。

様々な土器分布が箸墓にあるとすれば、各国が1カ所に集まったと言うことであり
各国同士の自由交易ではなく、支配国が統制する交易であろう。

広範囲であれば広範囲であるほど、それぞれの地に交易場所が作られても良いはずだが
あくまで箸墓しかないというのなら、支配の色が強い。大和朝廷の成立後は、
だいたい30キロ弱の範囲で、交易地が分散しているそうである。なんとか一日に往復できる
距離である。それ以上になると交易もかなり苦労することになり、自然とその中間地点辺りに
交易地が出来てきたりする。


22 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:28:37
別問題じゃないと思うけど。

交流の多様さは共立の地域の多さの
証拠に他ならないと思うが。


23 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:36:00
>>22

ある地点で人が集まり交流があれば、集まった人がそこに定住しない限り
また国本に帰る。
帰れば必ず各地の文化を見てきた連中が、他文化を伝え、集まった場所と同じ現象が、時間差で起こるはずだ。
奈良で静岡と岡山の民が交流すれば
岡山の民が帰国してから後に、静岡と奈良の文化が必ず入る。

24 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:39:59
>>21
周辺に同形式‥最古といわれる前方後円墳は
南九州・徳島・奈良に存在してるんだよ。

この場所は水銀埋蔵地と一致してる所に
注目した方がいいな。
交易の場所は何処でもよいという訳じゃない。


25 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:44:02
>>18
巨大古墳でも巨大公共工事でも、政権の強力さと必ずしも正比例しないのでは?
政権基盤が軟弱だからこそ、そういう工事をやる、ってこともありそうだし。
世界遺産の巨大シンボルのようなものでも、その幾つかは案外政権不安定のときに
つくられたり、つくったあとすぐ政権が倒れたりしているようだし。

26 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:44:41
大型古墳は、水利・水田開拓の残土、現代で言えば炭坑のボタ山だぞ。

大規模な農地開発が行われた以上、居住人口の増加率が他より高かったのは
間違いないだろうが、古くからちまちま開発されていて落ち着いた地域では、
古墳がないか、小型の古墳しか作られない。


27 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 10:57:22
>24
水銀埋蔵地は九州では

九州鉱床群 大分市坂ノ市から姶良郡溝辺町丹生附
九州西部鉱床群 佐賀県多良岳から嬉野町、松浦市

となっており、とくに佐賀の丹は縄文時代から使われているそうなので
水銀と交易地との相関はよくわからない。この辺りにも何かあるのかもしれない。

>周辺に同形式‥最古といわれる前方後円墳は
>南九州・徳島・奈良に存在してるんだよ。

最古かどうかは年代測定の解釈で違うから何とも言えないが
瀬戸内海から九州東南部までが一つの交流圏ではないかという
考えは持っている。しかし、これだけ距離が離れていて
女王を共立する必要があるかは疑問。

むしろ、文化交流はほどほどに行われているとはいえ
事実上の独立地域であり、それぞれに王、もしくは女王がいる可能性は高い。

これほどの広範囲をまとめる共立の女王を立てる理由がわからない。
奈良に女王がいても、南九州には余り関係がない。どうでもいいと言うことになりかねない。


28 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 11:52:51
>>25
巨大古墳が政権の強力さと必ずしも正比例しないというのは、そのとおりだろうね。
だいたい、近畿に200メートルの古墳がある、九州に100メートルの古墳がある
だから近畿の方がより強大な権力者がいたなんてのはナンセンスだよ。
その地方においては、とてつもない大きな墓を造ったというだけで、その大きさが
どれだけかなんて、いちいち検討するわけではない。
たまたま、発注者(王)が大きな墓を作りたいと言い出したとか、人を多く集めや
すい所が大きな墓を造ったというだけだろう。


29 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 11:55:54
巨大古墳が畿内説の根拠になっていませんでしたか?

30 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:07:32
と言うより、倭人伝の径100余歩の卑弥呼の墓は古墳であろうと。
すると、そんな大きな古墳はまだ大和ぐらいしか作ってないだろうと。

31 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:16:41
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%A1%9A%E3%83%BB%E6%A8%A9%E7%8F%BE%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3

とりあえず九州の大きめの古墳
九州は円墳とかホタテ貝式とか
普通の前方後円墳でないものが多い。

きれいな前方後円墳はもう少し後の時代になる。

32 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:17:31
>>27
弥生時代における九州の水銀採掘は
本格的な物が無いのが現状だろう。
この年代ではっきりと痕跡があるのは徳島と宇陀だけだからね。

それに墓の形式が共通するのは、単なる交流ではなく
指導者層に共通点があったと解釈できるのでは?

33 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:25:07
どちらにしても倭人伝が書かれた時点で、30国を
九州内で考えようとする事はもはやあり得ない事です。

34 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:30:48
>>27とか前スレの>>911とか邪馬台国をどこと考えてるのか分からないけど
すごくまともな考察だと思う


35 :縄文人:2009/08/05(水) 12:39:01
俺が退席すると途端に畿内説派が元気になって!!俺の悪口を書き連ねて楽しそうだね。
いつの世でもいつの時代でも才能のある者は叩かれる。メジャーリーグの優秀なプレーヤーは敵地では盛んなブーイング
を受ける。敵にとっては厄介な存在だからだ。しかし、当のプレーヤーにとっては勲章である。俺は勲章を欲しがるよう
な俗人ではないが、もう随分数が増えたな。こんど不要品回収車が来たらまとめて処分するとするか。それにしても人気
者はつらいのお。♪

>>3 をはじめとする俺へのくだらぬ反論(幼稚な反論と言った方が正確か)に対しては俺の代わりに良識派の人達が答
えてくれているから、俺はくどくど言うことはしない。

考古学資料や文献だけでなく地理、地勢、地質、気候、気象・・・等々多方面から物事を見なければ古代のリアリテイあ
る姿が見えてこない というのが俺の考えだ。そして、過去の如何なる説も自分の頭で検証する、鵜呑みにはしない、如
何なる権威にも権威であるという理由だけでは頭を下げぬ、 というのが俺の信条だ。(ただし、言論の場においてのみ)

まあ、倭人伝では勝負にならぬ、巻向の遺跡も役に立たぬ、で畿内説派も焦るなあ。何か面白いネタはないのか?

36 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:41:12
>>33夏休みの感想なんていらないから、具体的に有り得ない内容を纏めてレポート提出。
中身のない煽りレスなんて用事ないので

37 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:42:57
太国なんてスルーだよw

38 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:49:12
>>36
事実だと思うけど。

同年代に九州勢力と同等、もしくは以上の勢力の
存在が確認できるのなら無視は出来ないと思うけどね。

それを無視するから九州説は矛盾が解消できなくて
現在の苦しい状況があるのだと思いますよ。

39 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:53:05
>>28
なんか矛盾してない?

40 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 13:07:38
日向と大和のどちらの方に先に古墳が出来たかは重要だなあ。
記紀によると、神武天皇は日向から大和に東征したことになっているから。

41 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 13:18:47
>>38
なぜ、事実とすることを思わなくちゃいけないんだよ?
事実なら思う必要もない事だ。

矛盾だらけだから刺されたりする。

42 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 13:28:19
>>38
九州内に30国がありえないなどというが、対馬国、壱岐国、末盧国、伊都国、
奴国、不彌国が北九州にあったということは認めるんだろ?
九州の残った面積を考えたら、いくらでも入るじゃないか。戸数が書かれてい
るのは投馬国と邪馬台国だけだ。あとは旁国、それぞれがどのくらいの戸数か
すら君には分からんのだろう? 入らなんなどと言えるはずがない。

43 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 13:43:42
福岡近辺とされるの奴国が20000戸ですが、
人口50000戸や70000戸が北部九州は勿論
南部にも入ると思いません。

それに問題は信憑性に乏しい戸数何かではないですよ。

同時代に発展していた
本州西部の出雲・丹波や吉備をスルーなんて
無茶ですよという事です。

44 :縄文人:2009/08/05(水) 13:48:48
>>38
この人が何を言いたいのかよく分らんな。
<同年代に九州勢力と同等、もしくは以上の勢力の
存在が確認できるのなら無視は出来ないと思うけどね。>

とは何だ?具体的に 九州勢力と同等もしくはそれ以上の勢力を示せ。

<それを無視するから九州説は矛盾が解消できなくて
現在の苦しい状況があるのだと思いますよ。>
九州説の矛盾とは何だ?苦しい状況なんてないぞ。苦しい(死んでる)のは畿内説だろが。


45 :縄文人:2009/08/05(水) 13:54:24
>>43
<同時代に発展していた
本州西部の出雲・丹波や吉備をスルーなんて
無茶ですよという事です。>

あ、それね。
女王國の東、海を渡ったところに倭人の國があってね。魏の使節にはその程度に認識されていたんだね。


46 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 13:58:43
>>43
今度は夏休みの日記か

47 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:00:05
>45
女王國東渡海千余里復有國皆倭種

復を使用しているのは、
有國皆倭種の国が女王國と同程度だからということだぞ。





48 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:00:46
>>45
皆倭種。

49 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:09:20
>>43
あなたの論法をみると、九州説論者は本州や四国に人は住んでいなかったと考えてる
と言いたいみたいだな。九州説論者はそんな馬鹿なことを考えてるわけではないよ。
本州や四国にもそれぞれかなりの人々が住んでいた、しかし倭人伝が伝える倭国は九
州のことだと考えるだけだよ。>>45

50 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:09:37
>>45
この時代だと北部九州は女王国に統属されてるでしょ。
伊都を支配下における国を求めると、南九州か本州西部しかないな。

しかし南九州=女王国だと東は四国ですw

結局九州説だと出雲や丹波、吉備の存在を
スルーするしかないんだよね。
だから考古学界では九州説なんて誰も言わない、
だって説明無理だものw





51 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:12:33
>>47
程度の問題ではなく、国を表しているのだから
女王国と同じ体制の国が、東渡一海千餘里の場所にあるから復と

52 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:13:00
>>49
すぐ横の本州が何も記述がなくて
はるか南方の国は記述有りなんですかね?



53 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:18:25
南九州=女王国で、東は四国。それでいいじゃないか?
中国地方は、南九州からすれば、四国よりもはるかに遠いところなんだよ。
しかも、記紀などをみれば、南九州と出雲はけして友好国ではないだろ。
そんなところにはあまり近づかないだろ、九州と本州が近いなんて知らなかったんじ
ゃないかな。

54 :ローガン:2009/08/05(水) 14:25:37
>>45

> あ、それね。
> 女王國の東、海を渡ったところに倭人の國があってね。魏の使節にはその程度に認識されていたんだね。

こんにちは。お休みですか?いいですね。
「吉備、出雲、丹波が千餘里離れた所にあった」と言う内容のレスと、受け取っていいんですね?

55 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 14:30:26
老眼、もうろくしたか?

56 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 15:21:42
>>53
しかし南九州より同じかやや古い時代の徳島・大和に
前方後円墳があると、また話が矛盾すると思うけどな。

九州と本州が近いと知らない…いくらなんでもそれは無理でしょ。
はるか遠方の国の存在すら知ってるのに。
対馬と半島間を買い出しで出かけるような人種ですよw


57 :縄文人:2009/08/05(水) 15:27:53
ローガンちゃん

吉備、出雲、丹波に國(ある程度大きな國)があることは邪馬台国連合の者は知っていたと思うよ。そういう國があるらしいよという
程度の知りようではなく、戦争や交易の経験もあるよく知った関係であったと思うよ。だけど、邪馬台国連合30国には属さぬ異国なん
だね。だから、倭人伝には簡単に皆倭種と一からげに記載された ということだな。

58 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 15:31:38
同じ形式の古墳が同じ時期に作られたとすれば
タイムラグがないほど頻繁に交流があったか
比定年代が間違っているということかな。

C14年代測定すると、奈良平安時代の記録が残っている資料では
だいたい矛盾のない年代を出すが、九州弥生時代は
土器年代と比べて100年から200年古い年代へ乖離していくと読んだことがある。

もちろん新しい年代のものも出土するが、これは後に作られた古墳だろう。

59 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 15:44:35
>>56
例え南九州が徳島・大和と交流があったとしても、瀬戸内海を通航するだけで
足りるからね。関門海峡を利用する可能性はまずないだろう。それにもし関門
を利用するとしても、それは舟に乗っている連中が知ってるというだけの話しだ。
魏の使者に倭国の説明をしたのは、おそらくは邪馬台国の役人だろう。その役人
自身が舟にのって交易に携わったなどという経験はあるまい。
家族にでも聞いてみな。関門海峡の幅を知ってるかとか、徳島と和歌山の距離を
知ってるかって。分からん人が多いと思うよ。

60 :ローガン:2009/08/05(水) 15:45:06
>>57
なるほどね。ではとりあえず、貴方は伊都国を何処だと考えるか?教えて欲しいですね。


61 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 15:47:23
伊都国は出雲だ。

62 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 15:54:38
>>12
>その前方後円墳の広がり方はあやしくなってきたな。

今まで何回かその引用を見ているが、正直何が言いたいのかよく分からないw

その文章は要するに畿内説の言っている「広範な首長連合」に
日向も早くから参加していたってことで、ここの畿内説の人間が言っている事にも
何ら反するような内容ではないと思うが?

北限は会津あたりまで広がる所謂”纏向型”がヤマトのものと
さほどタイムラグなく広がっているのだろうと言うのは
大方の畿内説の人間の予測しているところだと思うが?
(後は個別の遺跡で年代を詰める必要があると…)

63 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 15:56:16
しかしアレだなアホの縄文人のような東遷説論者やサイキバ君らのように
3世紀のヤマトがまるで無人の野の如く言う馬鹿はこの板には多々いるが

俺も(気をつけていたつもりだったが)ヤマトは過疎地域だったと言う連中の主張に
やや引っ張られていたかもしれないと反省しているwwwwwwwww

むしろ盆地内を南北に走る多くの川があり水利が良くて
かつ紀伊山地により台風の直撃等も少なく

加えて、内陸にあり軍事面でも安全性が高いとw
(高地性集落を見れば海上からの敵襲が脅威だったであろう事が分かると思うが)

…等々考えれば、むしろ他地域と比べても結構な人口を擁していたと考えて良いよな?wwwwwwwww


64 :縄文人:2009/08/05(水) 16:14:15
縄文時代の昔から例えば富山県に産するヒスイが勾玉の原料として各地に運ばれている。古くから日本各地間で
交易などの経済交流がなされていたと見るべきだ。ただし、国家間での交易か民間での交易かは分らぬが、両方
あったのではないか。ときには途絶え、ときには相手が変わり、ときには紛争が起ったり、時代と場所で様子が
変わったりしながらも人や物の動きがあった と考えるのが自然だ。

2〜3世紀に於いては、何らかの自然災害により食料不足などの経済危機が生じ、倭国大乱(邪馬台国連合の
倭国だけでなく中国、近畿などまで広がった戦乱状態)など列島に不安定な、緊張した状況が形成される。倭
人伝には倭国はもと百余國であったとあるが、この百余國に中国、近畿、四国の国々も含まれていたのだろう。
それが幾つかのグループに分かれたのだろう。九州の国々は邪馬台国連合30國(魏の称する倭国)と狗奴国
(これも連合国家かも知れない)になったのだろう。

このような見方で何か不都合でもあるかな?なに?畿内説には不都合だと?そりゃそうだ。だが仕方なかろう。 

65 :縄文人:2009/08/05(水) 16:24:01
チンピラ君

おまえさんは幸せだねえ。物忘れが早くて、自分が何を言っているかもよく分っていない状態を恍惚の人と
呼ぶそうだ。

66 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 16:25:05
>>64
>九州の国々は邪馬台国連合30國(魏の称する倭国)

と り あ え ず …

その30ヶ国からなる連合体があったことを示す考古学的資料を出してくれんかな?
考古学その他の様々なジャンルの知識を駆使して総合的な推理(w)をしているお前にとってお茶の子サイサイだろ?w

畿内説の場合、言わずもがな
「初期型の前方後円墳の広がり」や
「纏向の搬入土器」が挙げれれるんだが

無論それらは30カ国をピンポイントで「こことここ…」と挙げられるようなものではないが
少なくとも相当広範な地域での連合体があったことの証左にはなりうるだろう。

はたして九州にそんな30カ国からなる連合体があったのかどうか?先ずそこからが疑問。

「お隣さんだから仲良しこよし」ってのは単なる与太で
「遠交近攻」と言う古来からの外交の鉄則から言えば隣接するクニは最大の敵wwwww

単に地図上で「ここからここまで30ヵ国の連合体」といっても意味は無いwwwwwwwwwwwww


67 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:27:35
>>66
畿内の30ヶ国がゆるぎなく比定できているなら、その質問も意義があるだろう。
そうでないなら、難癖でしかない。

68 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 16:34:22
>>67

おいおい、無茶と言うか逃げ口上としか思えないが?wwww

少なくとも畿内説は相当数のクニグニからなる連合体があった事の傍証を示している。

が九州説はなんら物証=考古学的資料を出すことなく
「倭人伝に倭国30ヵ国の連合体が出ている。
 倭国とは九州の事。
 故にその範囲が分からなくとも問題ない
 九州の何処かにあったのは確定」

…とか言ってるような物だぞ?w

高島忠平は遺跡や漢籍の地理誌を元に九州北部で30ヶ国を地図上に並べて見せた。
が、それらのクニグニが連合体を結成していた根拠はないもない。

それどころか不倶戴天の敵として血で血を洗う抗争やっていたかもしれないwwwwwwwwww




69 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:34:55
>>67
横からだが、俺からも聞きたい
どうやって本州と九州を区切ったのか?

70 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:42:06
>>66
倭人伝には、前方後円墳のことは書かれていない。あんなに目立つものが
書かれていないということは、断定は出来ないが、その当時、前方後円墳は
なかったと考えるべきだろう。

71 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:43:14
畿内説と九州説の国のオーダーを考慮する必要がありそうだ。
比定国や地域が30カ国比定できれば、かなり議論が具体的になる。

72 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:45:29
>>68
新井白石も外国事調書では、比定した国の全てを九州内に収めている。

73 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:47:02
>>71
まあ正直無理だと思うなw

大昔、地名の一致と言う事で湖南がやって
九州説の学者が九州の地名で同じことをやって見せたって事があったがw

先ず
「そんな30カ国からなる連合体があったか否か?」
…ここからだろうなw

九州に果たしてそのような連合体があったことを示す(考古学的)材料があるのか?
…ちゅう話wwwwwwww


74 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:47:58
>>72
訂正
外国事調書→外国之事調書

75 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:51:09
>>73
考古学で古代の国の名前を定めること自体がそもそも不可能。

76 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 16:51:41
>>72
それは>>73で挙げた地名の一致とか言うレベルだろう?

そんなもん古い地名が残っていれば日本の何処でもできるよwwww



77 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:52:10
>>66
平和な香具師だな。夏休みか?
なんかキャラが太国とかぶるな。

78 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:53:32
>少なくとも畿内説は相当数のクニグニからなる連合体があった事の傍証を示している。
傍証? 確定できてない事にかわりはなく、そもそも確定なんて出来っこない話だ。
そんな議論を持ち出す方がどうかしている。
海は古代においてはかなりの要害だ。古代では海沿いの地は発展の中心とはならない。
支配権の区切りと見て何ら差し支えない。

79 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:58:29
とりあえず、両方とも30カ国を比定し
連合体であることを示す材料は無いと言うことか。

80 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 17:01:17
なんだかなあ…

別にこっちは30カ国を逐一並べて見せろと言っているわけじゃない

ここまで言ってきたように
恐らく畿内説でも無理だし地名の一致や適当な遺跡をピックアップして並べたところで意味は無い。

その前の段階、
「30カ国からなる連合体があったか否か」というレベルで話しているんだが…

結局、九州説の場合、その範囲どころかあったかどうかさえ分からない訳で
「倭人伝に書いてあるからあったんだ」
と言う一種循環論法に陥るしかないとwwwwwwww



81 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:03:09
>30カ国からなる連合体があったか否か

たしか、畿内説は九州を含めた西日本全域を30カ国としていた
と記憶しているが、それらが連合体であったという材料を
提示できるのか?

82 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:06:01
前方後円墳の分布? そんなもの、単なる流行ってことも十分に考えられる。
土器は物資の流通があれば、当然、それに伴うもの。
いずれも、国々の連合体の傍証なんぞになるようなものではない。

83 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:09:29
>>78とか>>82とか言ってる事矛盾してねーか?


84 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:14:12
>高島忠平は遺跡や漢籍の地理誌を元に九州北部で30ヶ国を地図上に並べて見せた。
>が、それらのクニグニが連合体を結成していた根拠はないもない。
畿内も同様だろw

85 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:14:20
畿内説が九州内に30カ国の一部があるという説なら、
九州内が連合していたことも証明しなければならなくなる。

86 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:17:06
>>84
九州北部で30ヶ国並べて見せただけでも
畿内説よりはマシだな。
今のところ畿内説は並べて見せてない。

87 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 17:19:01
土器や古墳を単なる 『 文化交流 』 と言うのは
当然九州説の連中がとりうる態度だがwwww

じゃあそのような現象が、それまでの「弥生時代、半島に近い九州から文化文物は東に広がった」
と言うセオリーに反して広がったのか?
しかも相当な広範囲にだ。

それに対する説得力のある答えを用意できない限り
単に認めたくないから否定のための否定をしていると言われても仕方ないだろうw

まあどの道、九州説に材料がないのは同じだがwwwwwww






88 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:19:30
考古学的説明ったって、過去の年代測定が当てにならない現在、何をもって説明すんだ?

89 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:27:17
>>86
適当に並べるならいつでも出来るだろw

90 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:27:19
>>87
いつもダラダラ書いてるが内容無し。
その駄文の「九州説」を「畿内説」に置き換えて読んでみろ。

91 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:28:29
>じゃあそのような現象が、それまでの「弥生時代、半島に近い九州から文化文物は東に広がった」
>と言うセオリーに反して広がったのか?
>しかも相当な広範囲にだ。

意味が取りにくいので確認する。

:「弥生時代、半島に近い九州から文化文物は東に広がった」 のはセオリーである
:セオリーに反する=東から西へ広がった
:セオリーに反する現象はあるのか?

:それに対する説得力のある答えを用意できない限り
:単に認めたくないから否定のための否定をしていると言われても仕方ないだろうw


という設問なのか?
その設問が何のためにあるのか理解できない。答えられなくても九州説を批判する
材料にはなりそうにない。

92 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:32:42
>>90
縄文人も同様だけどなw

93 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 17:36:34
>>91
>セオリーに反する現象はあるのか?

…ったく学習能力がゼロなのか?
それとも根負けを狙って嫌がらせで書いているのか?wwww

初期型の前方後円墳がそれ、つかチョッと前に日向の古墳の話出ていたろう?
それに福岡平野でいち早く受け入れられた畿内系の土器。

あと銅鏡は(年代はおいといても)画文を契機にその分布が著しく変わると言うのは常識
国内の流通に大きな変化があったことは間違いない。

別にこんな物俺のオリジナルでもなんでもないぞ?

それをどう判断するかはおいといても
いい加減学習しろよwwwwwwwww

94 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 17:40:40
>>90
残念ながらこの場合、単純な置き換えは成り立たない。

「時間の経過」と「東西の方向」と言うファクタがあるからなw

どのレスにでも仕えそうなテンプレで煽りいれるのは良いが
もう少しケースによる使い分けを考えた方が良いぞw

95 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:47:10
>93
それが>91の設問の意味確認にどう繋がっていくのかよくわからんが
30カ国証明できるのか?
後世に大和朝廷が支配したのは間違いないと思っているが
共立はどのような証拠があれば証明できるのか?


あと、草生やすと2割方風当たりが強くなるから気をつけてな。

96 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 17:55:33
>>95
それだけの広さがあるから

97 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 17:58:31
>>95
>共立はどのような証拠があれば証明できるのか?

逆にこっちが聞きたいわw

まあこの板の九州説の連中だと
それこそ30ヵ国の首長の連判署名のある盟約書でも出さなければ納得しないんだろうがwwwww

一つ一つを「文化の伝播」と言ってもその規模やプロセスを考えた場合
連合体が結成されその上で起こった現象と考えるのが一番蓋然性がある

…と言うのも俺のオリジナルじゃなくて
恐らく邪馬台国論争なんかも関係のないところでの常識になっていると思うがなwwwwwwww

98 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:06:53
少なくとも各地の土器が出土するのは、やはりその土地と
交流があるからだと解釈するでしょう。
土器が歩いて来る訳ないからね。


99 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:22:43
これは

>その前の段階、
>「30カ国からなる連合体があったか否か」というレベルで話しているんだが…
>
>結局、九州説の場合、その範囲どころかあったかどうかさえ分からない訳で
>「倭人伝に書いてあるからあったんだ」
>と言う一種循環論法に陥るしかないとwwwwwwww

これはそのまま畿内説でも証明できないと言うことでいいか。
畿内説の連中は自分でも証明出来ないことを、他人に要求するんだな。

>一つ一つを「文化の伝播」と言ってもその規模やプロセスを考えた場合
>連合体が結成されその上で起こった現象と考えるのが一番蓋然性がある

連合体が結成されない状況での文化伝搬もあり得る。
卑弥呼、台与に代表される女神、女王信仰は連合以前の伝搬だろう。
男王が付いてもひっくり返されたように、支配権力より、かなり強い信仰だろう。

30カ国共立が成立したということは、それらのエリアで同じ信仰があったと言うことになる。
遠方の国では消極的賛成だったかもしれないが、少なくとも理解するだけの文化交流は
あったのだろう。

そして、そのような自然発生的文化交流は、それほど巨大な領域では行われにくいのではないか。
30カ国はそれなりに狭い地域であったと考えたいのだが。

100 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:25:48
>>97
畿内説に基づけば常識、九州説に基づけば妄想
毎度おなじみご都合主義だねえ
自分の信じる説を正当化したいだけだ
もっと言えばディベートに勝ちたいだけ、いや口喧嘩レベルだな

101 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 18:32:38
>>99
>畿内説の連中は自分でも証明出来ないことを、他人に要求するんだな。

…ったく本当国語の能力がないな、この板の九州説の連中はw

「30ヶ国がそれぞれ何処であったか並べて見せろ!」
と言ったのならそりゃ自分にできない事を相手に無理強いしたって事になるだろうが

「とりあえず連合体があったかどうか」
を質問していのであって
畿内説におけるその根拠はもう散々説明したぞ?

つうか本来畿内説を批判しようってんなら最低限知ってなきゃおかしいレベルで
俺が一々説明しなきゃならないのがおかしいw

更に言えば前方後円墳の広がり銅鏡分布のシフト・・・等で
首長連合ができたであろうと言うのはもはや常識レベルだと思うが?wwwww

リアルの九州説でもその連合体ができた事は否定せず
問題にするのは、その年代か(特に東遷説は必死w)
東に首長連合があっても九州邪馬台国の30ヶ国の連合とは別物…という展開だと思うがw

この板はやはり少し事情が違うッぽいwwwwwwwwww

102 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:39:19
>>101
自分は国語能力が優れてると、遠回しで言いたいのか?

103 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:40:49
>つうか本来畿内説を批判しようってんなら
畿内説代表でも気取るつもりか
勘違いすんな
他のまじめな畿内説の方々に失礼極まりない
あんたの九州批判がおかしい

104 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:48:58
つーか、九州説の知識レベルの低さはなんとかならんのか

105 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 18:56:24
で、結局…

 「九州には邪馬台国を中心とした30ヶ国内での文化交流の痕跡すら見いだせない」

と言う結論でいいのかな?ww

まあ、そんな物があったら、その範囲や中心と思しき地点がある程度は絞れて
現在、百家争鳴状態の九州説も、もう少しマシにはなっていると思うがwwwwwwwwwwwwwww



106 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 19:02:23
一般的に言って、前方後円墳は無理に比定を古くしない限り
弥生のあとの古墳時代なんだよな。
奈良や宮崎でかろうじて弥生に引っかかるという程度で。
それも、修正次第でどうなるかわからん。だいたい古い方に修正するけど。

そして、それが共立か支配か区別できないということがある。

また、九州説なら北部九州では古い前方後円墳が殆ど無いと言うことで、
九州とは関係ない勢力ということになり、九州説の否定にならないんだよな。

北部九州で卑弥呼共立していたのと同時に
畿内連合も力を蓄えてきたと言うこともあり得る。

107 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 19:05:27
「畿内には邪馬台国を中心とした30ヶ国内での文化交流の痕跡すら見いだせない」

という結論でいいよ

108 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 19:14:19
>>106
>弥生のあとの古墳時代なんだよな。

先ずその根拠を出せ。

>また、九州説なら北部九州では古い前方後円墳が殆ど無いと言うことで、

北部九州にも「早期」に分類されている前方後円墳があるが(有名なところで那珂八幡とか)
それらを比較的新しい物と判断するのか?

それとも数が少ないから無視できると言う判断なのか?
ちなみに先に挙げた「早期」と言う分類なら十は挙げられるが
(まあ学者により分類とその数はばらつくだろうが)




109 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 19:32:38
>108

ググってみた

http://www.asahi-net.or.jp/~ri5t-mk/4nendo/h4naka.html

縄文時代晩期に台地端部の数カ所に集落が形成され始め、弥生時代前期以降、
次第に集落の規模を拡大し、弥生時代中期には福岡平野の拠点集落の一つに成長し、
古墳時代にも大規模な集落が存在しました。古墳時代初頭には台地中央部に、
福岡平野で最初の大形前方後円墳、那珂八幡古墳が造られます。また、本遺跡の北側の
比恵遺跡において古墳時代後期から奈良時代にかけての大形建物群や瓦類などが多数出土し、
「那津官家」の推定候補地となっています。また、周辺の著名な遺跡としては
南東側約1.5kmに板付遺跡、南側約3.0届に須玖岡本遺跡などがあります。


「古墳時代初頭には台地中央部に、福岡平野で最初の大形前方後円墳、
那珂八幡古墳が造られます。」

110 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 19:40:04
>>109
だからその「古墳時代初頭」がいつなのか?って話で
結局、年代観争いになるわけだが・・・分かっててループさせようとしているのか?www

もしそれを4世紀以降と確定できる材料があれば
「畿内説が前方後円墳を持ち出すのは邪馬台国論争に意味なし」
と言えるだろうが

実年代を出せずともヤマトや前述の日向の物に比べ
” 相対的 ”に新しいと言う根拠でもあるのか?




111 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 19:45:19
とりあえず古墳時代初頭だろ。
弥生時代じゃないよな。

あとは、九大が変な比定をしているとか
古墳時代初頭を特別な解釈している可能性はないこともないが
それは九大に聞いてくれ。

112 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 19:53:24
>>111
で、結局そう言った時代区分のお話でお茶を濁すとw

だったら最初から

「邪馬台国は弥生時代のクニです、古墳は関係ありません」

ってお話で済むって事でw
もうこの板の九州説の底が見えたと言うか脱力だなw



113 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 19:59:01
>>112
うへ、反論した気になってるよ
毎度おなじみの理屈にもなっていない理屈だねえ。
これが中身のないディベート馬鹿の実体か。

114 :縦目仮面:2009/08/05(水) 19:59:32
確か那珂八幡古墳について、石野 博信氏が布留1式土器から3世紀後半、290年頃を想定
していたのでなかったかな。ただしこれは第1主体部についてで、三角縁神獣鏡が出土した第2
主体部はもう少し新しく、300年以降と見ていたはず。

115 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 20:13:20
九州北部の早期前方後円墳(所謂、纏向型)で三角出しているやつは
他にも一貴山銚子塚、神蔵、赤塚・・・等があるが

その出て来た三角の様式を詳しく載せたサイトとかないかしらん?w

その三角の編年から他地域との相対年代探れるかとも思うが…

まあ纏向からは三角でていないのだから
北部九州の前方後円墳の出現期はやや遅れると見るには
有利な材料かな?w

116 :縦目仮面:2009/08/05(水) 20:16:20
この古墳は御笠川、那珂川の下流域にあるが、当時は両河川が合流して大きな入り江を
構成していたとする説もあり、その岸に築造されたこの古墳の被葬者は、水運の管理者で
あり、福岡平野一帯を支配する王であったと考えられている。また、第1主体部内は那珂八
幡神社の社殿下にあるため未調査となっている。

117 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 21:04:29
>>115
朝から晩まであんたもヒマだねww

118 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:03:22
>>62
困ったもんだ、重要性が何も分かってないんだな。
畿内説は、九州説が成立しない理由として、畿内の前方後円墳は3世紀中ころにまで
さかのぼる、それが畿内を中心に各地に分布していったのだから、邪馬台国時代には
まだ九州には古墳はない、まして径百余歩というほど大きな古墳は存在しない、って
主張していたんだよ。そして、南九州には出現期古墳なぞないとしていたんだな(白
石・古墳の語る古代史)。
ところが、それが間違いだって分かったわけだ。南九州に出現期古墳がある、しかも
畿内よりもたくさんあり、径百余歩に該当する古墳もいくつかある。畿内説論者が九
州説を否定していた理由がいっぺんに吹っ飛んでしまったということだよ。
九州と畿内、どっちが先か分からんとなれば、神武東征の伝承がある九州の方がずっと
可能性があると考えなければならん。


119 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:22:06
>>118
>南九州に出現期古墳がある、しかも畿内よりもたくさんあり、

お手数ですが、古墳名を列挙してください。


>径百余歩に該当する古墳もいくつかある。

これも同様に、古墳名を挙げてください。

120 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 23:24:58
>>118
>九州と畿内、どっちが先か分からんとなれば、神武東征の伝承がある九州の方がずっと
>可能性があると考えなければならん。

結局、神武東征神話にもっていくんだなw
無論予想内だがwwww

それに九州と畿内って、また視野狭窄おこしてるな。
わざわざ「北限は会津まで」って書いてあるだろうが
関東なら千葉が一番多かったかな?
年代の検証をしなければならない物は畿内九州の他にもある。

もういい加減 畿内VS九州 の構図から頭切り替えた方が良いぞw

もっともいまだに銅鏡を東遷説の証なんて言ってる奴もいるがwwwwwwwwwwwww

121 :サガミハラハラ:2009/08/05(水) 23:28:52
すいません、古墳時代についてはあまりよく知らないのでおしえてください。
前方後円墳ですが、古い順に10番までおしえてください。

122 :縦目仮面:2009/08/05(水) 23:34:35
>>121
ムリですって。ww 「纏向に1番から5番まではある」とか書けば、九州説から猛反論が来る
でしょう。



123 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 23:41:57
>>118
>南九州に出現期古墳がある、しかも畿内よりもたくさんあり、

俺も聞いておこうw

所謂「纏向型」って言う事ならば>12で出ている「西都原81号墳」ぐらいしか知らないんだが…

畿内よりたくさん?
庄内期における前方後円墳なんて
少なくとも大和じゃあ纏向遺跡の範囲外にはないだろうに・・・・



124 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:42:29
九州にはあまり大きな古墳はない。

強いてあげれば、女狭穂塚古墳(西都原・前方後円墳)180m。
男狭穂塚古墳(西都原・帆立貝式古墳)175mくらいか。

生目3号墳(宮崎・前方後円墳)は143m。1号墳(前方後円墳)が137m。
福岡県八女市の岩戸山古墳は135mとされる。

鹿児島県の肝属平野にも唐仁古墳群というのがあり、140mの前方後円墳が
ある。鹿児島県なのに、このあたりの墓制は南九州独特ではない。

125 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/05(水) 23:45:07
>>124
つうかそれらの古墳、大きさ云々は別にしても流石に年代的に
邪馬台国論争には使えんだろ?

126 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:49:27
過去の年代測定か。纏向は4世紀だったな。

127 :縦目仮面:2009/08/05(水) 23:52:53
生目1号墳は3世紀におさまるといわれてますね。ところで、生目=イクメイリヒコ=垂仁天皇?
さあ、サガミ先生出番ですよ。

128 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:54:43
>>121

会員No1  奥田美香
会員No2  榎田道子
会員No3  吉野佳代子
会員No4  新田恵利
会員No5  中島美春
会員No6  樹原亜紀
会員No7  友田麻美子
会員No8  国生さゆり
会員No9  名越美香
会員No10 佐藤真由美

129 :日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:55:46
>>125
年代については良くわからない。男狭穂塚・女狭穂塚は、明治時代に
陵墓参考地に指定され、調査はされていない。調査されていないのに
どうして年代がわかるのか、ということになるわけだが。

ちなみに、共に、5世紀前半頃の築造となっているらしいが、どちらが先に
できたのかわからないらしい。

生目古墳群の最古のもの(1号墳)は、かなり古い年代が出ているらしい。
箸墓と同じ頃とされる。しかし、箸墓についても年代は疑問だと思うので、
これもよくわからない。

130 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 00:25:23
男狭穂塚古墳などは、形も円形に近いし、大きさも径百歩と言えば言えなくも
ない。円形部の直径はそれくらいになる。年代は合わないらしいが。
ただ、本当に卑弥呼の墓が径百歩だったかどうかは疑問。

131 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/06(木) 00:33:40
そうだな
「出現期古墳」と言う括りなら箸墓や西殿塚、椿井大塚山もはいるんだっけな…w

南九州説・日向説論者は例の春成センセイの年代はむしろウェルカムかwwwwww

何れにせよ纏向型(これもそろそろ使うの止めた方がいいのかな?)まで絞れば
「81号墳」ぐらいしかないのかな?

132 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 00:34:07
そもそも卑弥呼の墓は前方後円墳という資料はない。
年代的にも円墳である可能性のほうが高い。

前方後円墳はそのあとの形式

前方後円墳の年代の議論は、前方後円墳の
ルーツが宮崎なのか奈良なのかを考えるため
これが、文化の広まる方向の比定材料となる。


133 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 00:41:54
文献的には日向→大和となっているわけだが…。
しかし、記紀によると、神武東征の前に饒速日命が高天原から大和に天降って
いる。これをどう考えるか?

134 :サガミハラハラ:2009/08/06(木) 00:50:15
>>128どうもありがとうございます。
けどこれ、おにゃんこクラブのメンバーですか?

135 :118:2009/08/06(木) 00:50:24
出現期古墳といわれるものにはおよそ3種類ある。即ち、纏向型、箸墓型、茶臼山型だな。
茶臼山型は箸墓よりも後だとする説もあるが、茶臼山と箸墓は並行していたとする説も有力だ。
纏向型としては、西都原81号墳のほかには塚崎古墳。箸墓型は持田45号墳は有名だが、茶
臼山型と区別がはっきりしないものも多い。結局、箸墓型、茶臼山型を合わせて柄鏡型と称さ
れており、これが日向には計35基ほどあるとされる。
これらの中で、大きなものは、川南39号墳、生目の1号、3号、22号など。いずれも百数
十メートルあり径百余歩と言える。

136 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 01:34:54
九州には前方後円墳につながる前段階のものがない

137 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 02:41:17
>>135
>箸墓型、茶臼山型を合わせて柄鏡型と称されており、

現在の考古学界ではそう称していない。
自分勝手な用語の使用は誤解を招く。

茶臼山型というのは桜井茶臼山古墳タイプのことだと思うが
これは確かに以前から考古学界においても柄鏡の形に擬せられる。
前方部両サイドが広がりを見せずほとんど平行に近い。

柄鏡
http://www2.pref.fukui.jp/event/images/tei7e1244512239b0.JPG

桜井茶臼山古墳
http://www.kashikoken.jp/from-site/2002/chausuyama2.gif

日向地方、とくに西都原古墳群は確かに柄鏡タイプが多いが、例えば13号墳は
国産(ほう製)三角縁神獣鏡を副葬しており、明らかに前期後半(4世紀中葉以降)である。
こういうものまで「出現期」に含めてカウントするのは如何なものか。

西都原13号墳
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_13/s03.jpg
http://kofunnomori.web.fc2.com/miyazaki/saito/m13_p.jpg

箸墓古墳は前方部の途中から先端向けて、三味線のバチのように前方部が広がる。
バチ形と称され、柄鏡タイプとは必ず区別することが望まれる。

バチ
http://image.blog.livedoor.jp/shamimaster_shishido/imgs/3/c/3cd2e4d9.jpg

箸墓古墳
http://inoues.net/club/hashibaka23.jpg

138 :118:2009/08/06(木) 07:26:46
>バチ形と称され、柄鏡タイプとは必ず区別することが望まれる。
では、日向の柄鏡は何基? バチ型は何基?


139 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 08:52:45
とりあえず、前方後円墳の話なら
九州北部は余り出番はないな。

環有明海文化圏と
環瀬戸内海文化圏は余り交流がない。

140 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 09:06:35
前方後円墳なパイオニアって、関東だったりして
今更そんな事、公表出来ずに闇に葬れたなんて

141 :サガミハラハラ:2009/08/06(木) 09:44:13
文献史学からいうと次のようになります。
@箸墓のことが出ている崇神10年は西暦273年である。
A崇神の没年は288年である。
B九州が連衡の形で大和の王権のもとに組み入れられたのは290年以降であり、垂仁天皇の時代である。
C生き埋め事件の倭彦命の記事の垂仁28年は295年頃(まだ確実ではない)である。
D皇后の日葉酢媛命の死の垂仁32年は296年頃(未定)である。
Eこのころには前方後円墳の葬送がおこなわれていた。
F倭彦の生き埋め事件は卑弥呼の葬儀をかなり意識したものであると考えられる。
 ただし、聞きかじりであったらしく、殉死者は殺してから埋葬するのをいきたまま埋めてしまった。

以上から考えるに、前方後円墳は箸墓をもって創始とするが、本格的に支配階級の墳墓とされるようになったのは九州平定後である。
前方後円墳は全国的に築造されるのがほぼ同時期であることから、九州平定(全国平定)後に葬儀はそのようにおこなうようにということが決定されたようである。
おそらく全国が大和にくみこまれたことの証であったかもしれない。
そうなると、箸墓が1番であるなら2番はどこかとなる。

142 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 10:15:13
>>137
>13号墳は国産(ほう製)三角縁神獣鏡を副葬しており、明らかに前期後半(4世紀中葉以降)である。
三角縁には中国製と国産とがあるという立場ですか? だいぶ前に勉強されたんですね。今はそのような
断定をされる方は少ないでしょう。
三角縁は3世紀中頃までさかのぼる可能性があると指摘されてますが、それ以上に、三角縁のできが良い
か否かで、いつ頃の製作かを決めることは不可能です。ということは、13号には三角縁が入っていたと
いうだけでは、4世紀中葉以降の築造だなんてことは言えません。
もっと多角的に検討する必要があります。

143 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 10:23:50
>>142
>三角縁は3世紀中頃までさかのぼる可能性があると指摘されてますが、

誰が指摘?

で、君も同意?

144 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 10:30:51
確か白石などが指摘していたと思いますよ。私も可能性は否定できないと
考えます。紀年鏡に240あたりがあるわけですし、無紀年鏡がそれ以前
という可能性も否定し難いですしね。

145 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 10:44:49
鏡の年代と古墳の年代をごっちゃにするのは危険。

146 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 12:41:00
アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会
    ↑
香ばしい香具師だなwww

147 :サガミハラハラ:2009/08/06(木) 13:18:55
三角縁は国産で初期古墳からは出土しないとみていいと思います。
つまり三角縁が出土する古墳は形がどうであれ、出土土器がどうであれ初期古墳ではないということです。

148 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 13:37:45
三角縁神獣鏡は、縁の断面の変化や文様とその配置などによって、5段階程度の型式編年
ができあがっている。1形式を10年とみても、50年ほどの幅がある。まあ、伝世の期間は
それぞれだろうが。西都原13号は、発掘済みだし、多角的に検討されての年代だよ。

149 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 13:53:58
>>148
鏡はよくわからないんだが、そうすると
西都原13号は古墳時代の前期の後半でいいわけだね?
柄鏡型だけども、出現期みたいな最古の古墳ではないと?

150 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 14:10:45
>>149
これは、発掘主体である宮崎県および西都市の見解だよ。
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_13/


151 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 14:19:52
>>150
サンクス
ちゃんと読んでみるよ
わからないとこ出てきたらまた質問するよ

152 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 14:49:44
>>150
そんな見解は、何も真実性がないんだよ。古墳の年代はどんどん修正されているんだ。
>>148は言ってるね。5段階程度の型式編年ができあがっている。1形式を10年とみても、
50年ほどの幅がある、と。第1形式の鏡が出る古墳が250年ころから始まっていれば、
三角がでる古墳はすべて3世紀という計算になるじゃないか? 13号が4世紀後半などと
いう話は今や何も根拠がないんだ。

153 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 15:11:48
>>152
おまえの話こそ根拠がねえよ。

154 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 16:11:25
>>153
おまえこそ根拠がねえという根拠がねえよ。

155 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 16:31:03
>>153
これでも読んでみよう。日向の柄鏡は畿内の柄鏡と時代がちがうなんて話は
時代遅れなんだよ。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/006/re_006_040619.htm

156 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 16:50:42
???これは西都原ではなく生目1号のこと。しかも、

>箸墓(はしはか)古墳(墳長280メートル)の2分の1、鹿児島県高山町の塚崎古墳群
10号墳(墳長40メートル)は行燈山(あんどんやま)古墳(崇神天皇陵、墳長240メートル)
 の6分の1の平面規格という。

>ヤマト政権成立当初から、日向がその構成員であったことを物語っている。

つまり、日向は、ヤマトを中心とする「ゆるやかな首長連合」の早くからの一員であったこと
をいってるだけ。まあ、筑紫平野勢あるいは、隼人に対する牽制のため、他勢力に与した
証左。服従のしるしに、前方後円墳の企画を許され(1/2、1/6)とか喜んでいるという
構図。古墳は個々に比較しないと何の意味もない。

157 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 16:56:24
かし九州説といえど北と南じゃあ年代観は正反対だなw
同じ古墳の年代でも
北九州はできるだけ新しく
南九州はできるだけ古くと言うのが傾向か?wwwwwwww

>>135の塚崎古墳と言うのが良く分からないが
それを入れても纏向型に限定するなら宮崎と鹿児島で2基。

何故南九州にそんな物があるのかは興味があるところではあるが
まるで前方後円墳発祥の地の如く言うには材料不足の感は否めない。

ちなみに
北部九州福岡なら 那珂八幡、津生生掛、神蔵、原口…
関東は千葉なら 神門3・4・※5号墳、諏訪台1号墳

…等々が纏向型とされているが
※神門5号墳はやや形が違うがその三つ中でも一番古い発生期の物と言われているらしい

まあ単純に纏向型といわれているものを挙げただけなんで
年代的にあまりにも問題があるのなら指摘ヨロ

それとも宮崎鹿児島のその2基に
他地域より古いと断定できる何かがあるのか?

158 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 17:03:20
参考までに…

上記の千葉県の「諏訪台古墳群」 
http://www.city.ichihara.chiba.jp/~maibun/isekifile94.htm

各時代の墳墓が一つの場所に固めて造られている様は
日向のそれを髣髴させて面白い。

159 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 17:59:53
>>140
>前方後円墳なパイオニアって、関東だったりして

まあドサマギ的に書いておくと

前方後円墳の形の元ネタとして「柄鏡形敷石住居跡」を想像した事があるw

↓こんなやつね
http://www.gunmaibun.org/excavation_info/tayori/2009/images/090529-2.jpg

無論、孟宗竹なんだけどwwwwwwww

160 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 21:37:39
テスト

161 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 21:55:44
あたらしい Web Page を立ち上げました。

http://www.eonet.ne.jp/~organism/index.html

まだ第一章だけですが、これまでになかった視点から
倭人伝を解釈していますので一度のぞいてみてください。

162 :118:2009/08/06(木) 23:24:18
>>157
>それを入れても纏向型に限定するなら宮崎と鹿児島で2基。
ほかの古墳を全部調べたのか? 日向で纏向型がいくつあるかなんて誰も調べてた
奴はいないんだよ。日向には数千の古墳があるんだ。前方後円墳といわれるものだ
けでも二百。その中に纏向型とみるべきものがどれだけあるのかは誰も分からん。
しかし、日向に纏向型があることは確かだ。


163 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 23:35:09
>>162
2基じゃ少ない、もっとあるってこと?
じゃあ何基?

164 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 23:39:00
>>152
だから困るんだな。最初に覚えて、なるほどと思ったことが変わると、今さら
そんな…、と思う。さらに変わると、そのうちまた変わるんだろうなあ、もう
お前たちの言うことなんて誰が信じるか、となってしまう。

165 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 23:47:25
>>164
ははあ、じゃ信じなければいい。しかし、生物学、物理学・・・みな日々変わってる。素直に
ついていけないと言えよ。こうして、努力もせず、進歩に取り残され、ひねくれものができあ
がる。

166 :157:2009/08/07(金) 00:01:15
>>162
…ったく下らない。

未知の古墳?
そりゃ他の地域のもあるだろうよ…

話のポイントはそこにはない。

古墳の年代がドンドン遡って
(と言うか今までの年代観に根拠がなかった、 言わばボタンの掛け違いをしていた)
今まで重要視されてなかった古墳や地域が意味を持ってくると言うのは
何も日向だけじゃないってことだよw

もう笑えるぐらいの短絡思考で
「日向の古墳は古いんだ!神武東征神話と合わせ技で東遷説!」
ってことなんだろうがwwwwwww
 


167 :157:2009/08/07(金) 00:07:24
戦後と言うより80年代からなのかな?
山陰や丹後で大きな発見が相次ぎ日本海側のイメージがガラっと変わってしまった。

恐らく今後の3世紀の日本の事を知る上で東海関東の東日本もかなり重要性が増してくるんだろうと思う。
邪馬台国論争も益々その範囲を広げて考えなければならないようになってくるんじゃないかな?

おーい、九州にヒキコモっているここの九州説論者よ
ちゃんと付いて来いよ〜wwwwwwwwwwwww


168 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:14:08
wwwキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

169 :157:2009/08/07(金) 00:14:55
しかし、もし北部九州の纏向型が比較的新しく
南部九州のそれが古いという結果がでてきたら面白いかも

つまり日向は首長連合に早くから参加していたのに
北部九州はそれを拒むような動きを見せているとw

そうなれば北部九州に一つの勢力圏が存在していた事を
周りの光によってシルエットが浮かび上がる如く証明する事になるかもしれんwwww

もっとも個人的には九州の北と南でそのようなタイムラグがあるとは予想していないし
福岡平野はむしろ首長連合に参加した方がメリットが大きいと積極的に参加したんじゃないかと想像しているがwwwwwwww


170 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:19:26
北部九州はあまり前方後円墳に興味なさそうだもんね。
それに比べて、宮崎と畿内の前方後円墳に執着には感心するわ

なにか重要な宗教的意味があったのだと思うが
北部九州は宗教的には別だったのかも

171 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:24:56
>>169
その首長連合を詳しく説明してごらん。
どういう国々が参加したのか、主導権を取ったのはどこか。
どうしてそのような連合が必要だったのか。

また、倭国の大乱とはどのようなものだったのか。

ちなみに、日本では全国的な戦乱というのはまずない。
戦国時代であっても、限られた地域の限られた国が戦争しているだけ。
明治維新だってそう。大きなものと言えば戊辰戦争くらいのものだろう。

首長連合なんて、まさに歴史の素人が頭の中で考え出したものに過ぎない。
ただ単に、東遷説を否定するための幼稚な考え。

172 :157:2009/08/07(金) 00:28:19
しかし正直言って日向の古墳群が一番充実振りを見せるのは5世紀頃なんじゃないかと思ってる。

ほら、誰でも一度は見た事があるだろ?
日向から出てきた船型や家型の埴輪とかwwwwwwwwwww
(まあデータも無しの印象だけの話だがwww)

しかし

>北部九州は宗教的には別だったのかも

と言うのは一定の説得力はあると思う
単に銅矛文化圏だったと言う事じゃなくて
大型首長墓祭祀へのシフトがなかったってところでね。



173 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:29:31
>>170
北部九州の重要性については異論はないと思う。
古くからの先進地だし、邪馬台国連合にしっかり組み込まれているのも
間違いない。

古墳、特に前方後円墳については、そういう意味でちょっと時代が違うと思う。
古墳は新興地に出来たのかもしれない。

174 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:34:08
>>171
>ただ単に、東遷説を否定するための幼稚な考え。

随分と自意識過剰だなwwww

175 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:42:25
>>174
畿内説の考古学者は良くわかっているよ。
畿内の古墳の墓制は、弥生中期あたりからの九州の墓制そのものだから。
鏡、剣、玉類、さらに棺の中の朱。

さらに、記紀という文献もそれを示唆している。
連合なんて記紀にはそれらしきものの片鱗さえ書かれていない。

176 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:46:53
>>175
更に言えば、矛と腕輪だな。

177 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:49:49
>>172
西都原から出土した「子持ち家形埴輪」は有名だが、これは面白い屋根の形を
している。以前、調べたことがあるのだが、北部九州の家形埴輪も確か
こういう形をしていたと思う。畿内にも似たようなものがあった。
しかし、東の方の家形埴輪の屋根は違っていた記憶がある。

178 :157:2009/08/07(金) 00:53:20
>>175
葺き石は九州発祥なのかい?
特殊器台は九州発祥なのかい?

前方後円墳のプロトタイプのような突起付きの円墳と言うような形状のものは九州にあるのか?

まあどうせ足りない物は神武君がヤマト入りする途中で仕入れたか
ヤマト入り後に仕入れたって話だろうがwwww

東遷説を否定するために首長連合の構想が出てきたというのは
いくらなんでも電波が過ぎるwwwwwwwww

まあ東遷厨にすれば今の学者の全ては東遷説を潰すための陰謀ってことなんだろうがwwwwwwwww


179 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:00:33
ま、九州の威信材の副葬はよいことだから取り入れてあげたと。それこそ伊都国あたりの
連合の一員が勧めるとかしたんだろうね。

180 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:09:02
銅鐸なんぞ時代遅れですよ。鏡の方がいいですよ。
腕輪、かっこいいでしょ。これ使ってみます?

ウン、そうする。

  畿内の連中は軽いなあ。

181 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:09:12
>>178
未熟だねえ。邪馬台国畿内説の考古学者の念頭にあるのは常に東遷説。
それくらいわからないものかねえ。

182 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:33:05
>>171
「連合」なんて考えをいまどき本気で信じている学者なんていないよ。

しかしこの世界で生きていくためには、「連合」は避けられない。
著書を書いたときは、マルクスを必ず引用して、連合の言葉も書かないと、
老害たちから圧力をうけるからね。




183 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:36:20
まさしくゲーマーの発想www

184 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:40:14
倭人伝で女王卑弥呼の「共立」が成ったのは
「連合」ができたからだよ

武力制覇による卑弥呼の一人勝ちとは読めないだろ

185 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:43:03
世界史では古代連合国家体制は普通にある
王権が宗教から乖離出来てない過程では普通に起こり得る

186 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 01:43:38
未だに東遷説唱えてるのは一部の物書き位だよ。
今更自説引っ込める訳にはいかないんだろう。

187 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 03:03:34
>>182 いつもの東遷厨(現むじんくん)

…ったく、いつもいつもくだらねえ奴だな。

戦後マルクス思想にかぶれた老人どもが死んだら
東遷説が陽の目を見るとでも妄想してるのか?馬鹿www

そもそも、そう言った左翼的マルクス的歴史観の影響を受けたのが畿内説だけだとでも思っているのか?

自ら九州説に立ち、邪馬台国ブームの立役者であった松本清張のプロフィール見てみろ。
真っ赤っかじゃあねえかw

2ちゃん流に言えば 露骨なぐらいの”左巻き”だろうがアホwwww

「東遷説が受け入れられていないのは左巻きの爺学者どもの陰謀だ!」

そうやって陰謀論にすがって日夜怨み節を書き連ねて溜飲下げて
・・・ったく私怨晴らしたいのならリアルで学者どもを訴えて

 「謝罪と賠償を請求する!」

とでも言っておけよクズwwww




188 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 09:45:04
東遷説の人は、具体的に東遷の根拠を示してくれよ。
そのほうが、具体的に批判できるだろ。

ざっと見た限りでは、鏡、剣、玉類が副葬されてるから東遷があったとしてるのか?
それだけじゃ、九州には中国人が東遷してきたと言うことも出来るんだぜ。
もちろん、九州に中国人が東遷してきたわけじゃないよな。
「中国文化の影響を受けて」「流行の宝飾品を副葬した」というだけなんだよ。
文化の影響と東遷は全く別のもの。

だから、他に東遷の証拠を出してくれ。
無ければ、東遷説は終了。





189 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 10:50:22
うまり弥生初期に九州は、大陸、半島勢力に占拠されたんだろ。

それを西日本、東海連合のヤマト朝廷側が
九州勢力を逆に征服したという事でしょうね。

190 :サガミハラハラ:2009/08/07(金) 10:52:52
東遷とは邪馬台国の政治機関を邪馬台国の勢力圏内の東の地に移動することをさします。
ですから明治維新の東京遷都は、同じ日本国内の京とから江戸に移動したわけです。
ですから邪馬台国の奈良東遷といったら、奈良が既に邪馬台国の王権の勢力圏内にあるということをさします。
東征とは九州から、勢力圏外の奈良に武力をもって制圧して移動するものである。
よって東遷といったら、そこがすでに邪馬台国とおなじような文化をもっているとみたほうがよいので、
あらたに他地域の副葬品がみられるようになったとは、東遷より東征の結果とみるのがよいと思います。
これは、記紀ではイワレヒコという九州出身の集団によるものとされています。

191 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 11:10:52
>>188
古墳が、王あるいはそれに準ずる支配者層の墓であるのは間違いない。

その墓の様子が九州の系統であるのも間違いない。少なくとも、他の地域の
ものではない。これは、大和の支配者層が九州の文化を持っていることを
示しており、九州からやってきたことを想定させる。

これを単なる文化の変化と呼んでいいものか。一方で、近畿周辺で発展し、
大型化した銅鐸は消滅する。これも単なる文化の変化なのだろうか。
もっと根本的な変化と言った方が当たっているような気がする。

記紀は皇室の歴史書であるが、これも自分たちの先祖は九州からやって来たと
書いている。
九州の勢力がある時期、大和に移ったというのは十分根拠がある。

仮に、東征・東遷のような出来事を想定しなければどうなるのか。
もともと畿内説は、自生説を採っていた。大和朝廷は畿内で生まれ、
畿内で発展したとする説である。しかし、これは、その元になるものが
認められず挫折した。

その後、各地の首長が、戦乱の末、話し合いで王都を決め、王を決め、
みんなが移り住んだという人もいるらしいが、これは実態がつかめない。
文献的な裏づけもない。

果たして、どちらの方が妥当性があるか、ということだろう。

192 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 11:22:25
>>188
東遷がなかったといいたいようだが、もしそうだとすると、近畿勢力が九州を
やぶった、すなわち西征したということかな?
まず、その証拠を出してみなよ。それが出せなかったら、西征はなしね。

193 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 11:42:29
>>192
記紀、庄内甕、前方後円墳

194 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 12:23:37
>>188
>鏡、剣、玉類が副葬されてるから東遷があったとしてるのか?

横からだが、そんな考えで邪馬台国東遷説に与している人が多いようだ。
安本美典はその一人だろう。
ただこの東遷説の場合、東遷前の邪馬台国の所在は北部九州(熊本北部より北)だな。
安本も福岡県朝倉市あたりに邪馬台国を比定している。
南九州は、東遷前の勢力や文化はあったとは考えにくい。鏡、剣、玉3拍子そろう弥生文化が無い。

ただな、畿内の初期有力古墳には鏡、剣は副葬するが、玉を副葬してないケースが結構ある。
ホケノ山、黒塚、椿井大塚山など。
なぜ玉の副葬をしない古墳があるのか、東遷説論者から明確な説明はない。

そもそも玉が九州独自の遺物だったかどうかも議論の余地がある。
九州から遠く離れた佐渡ヶ島なんかに弥生時代の大規模な玉造り遺跡がある。
それから剣も、山陰・北陸の日本海側では弥生墳丘墓の段階で多くの副葬例がある。
福井県では弥生末の鉄剣副葬は大変な数にのぼり、北部九州に匹敵する。いや、上回っているかも。

>>176>>180
>腕輪

考古学に無知な人がレスしてるようだが、畿内の最も初期の古墳に腕輪は殆ど見られない。
九州の弥生時代の腕輪は貝殻を輪切りにしたもので独特の形態をもつが
これを石(碧玉)で再現した腕飾りの副葬品が畿内の古墳に現れるのはワンタイミング後になる。
古墳時代の前期後半がこうした石製腕飾類副葬の最盛期である。

ただまあ箸墓・西殿塚・行燈山・渋谷向山の前期大古墳4つはことごとく宮内庁に押さえられて
調査の手が及んでいないから、今後の新発見、新知見はあるかもしれない。

195 :194:2009/08/07(金) 12:28:18
「剣」と書いたところを「鉄剣・鉄刀」と読み替えてくれ。
急いで書いたので少々ずさんになってしまった、スマン。

196 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 12:52:59
>>191
畿内の墓は九州よりも出雲や吉備の影響が大きいと思うが。

それに記紀で自分達の先祖は九州からやってきたとあるが
それは南九州の事だし、反乱の多かった勢力に
気を使っただけの事ですよ。

記紀には結局神武は同族だったと書かれてるでしょ?


197 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 12:55:07
>各地の首長が、戦乱の末、話し合いで王都を決め、王を決め、
みんなが移り住んだという人もいるらしいが、これは実態がつかめない。
文献的な裏づけもない。

つ倭人伝


198 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 13:06:47
>>194
>ただまあ箸墓・西殿塚・行燈山・渋谷向山の前期大古墳4つはことごとく宮内庁に押さえられて

つか畿内の大古墳全部がそうじゃんww


199 :サガミハラハラ:2009/08/07(金) 13:19:39
東遷のもとは北九州ですよ。三種の神器は北部九州での風習です。ですからある時期から奈良でも三種の神器がみられるようになったのは北部九州からの勢力の移動があったとしたのです。
記紀の伝承では南九州からとなっていますが、これは記紀の編者の誤解であり、記紀の神代の舞台は北部九州なのです。

200 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 13:33:21
北部九州の質的な転換が2回に渡って行われているのは
衆知の事実だと思うのですが、
1度目は3世紀終盤から4世紀初頭の前方後円墳開始時
2度目は7世紀中旬の白村江

年表風にするとこんな感じになりました。もちろん都合の良い
出来事を書いているので、別の項目を入れると雰囲気は変わります。

紀元前:弥生前期
1世紀:弥生中期:周の時代倭人来たりとの記述
2世紀
3世紀前:吉野ヶ里(古墳時代まで続く)、仲哀天皇
3世紀中:弥生時代後期?、卑弥呼没、畿内日向前方後円墳開始、神功皇后没、
3世紀後:古墳時代開始?、福岡前方後円墳開始、応神天皇
4世紀前:箸墓古墳
4世紀中:
4世紀後:高良大社(景行天皇?)
5世紀前:
5世紀中:
5世紀後:
6世紀前:磐井の反乱、平定後筑紫館設置、小野妹子隋へ
6世紀中:宇美八幡宮
6世紀後:藤原京、宇佐神宮
7世紀前:
7世紀中:白村江の戦い、直後に水城建設
7世紀後:太宰府設置、、大化の改新、大和朝廷年号開始、九州年号終了
8世紀前: 平城京、古事記日本書紀編纂
8世紀中:
8世紀後:平安京


201 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 13:42:53
東遷厨にしても九州王朝教にしても九州の隣に畿内があったかのような発想だよなw

202 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 13:47:07
仲哀と神功の場所が不自然
藤原不比等が改ざんしたんだろう

203 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:00:02
>>193
そんなもので西征が言えるものか。記紀にはなんら符合する記事はない。
庄内式土器など物資の流通があったことは言えるだろうが、それだけのことだ。
西征なんぞと結びつけることは到底無理。前方後円墳は北九州は少ない。征服
がなかったことを裏付けるといってよいだろう。

204 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:06:35
>>194
腕輪があった古墳はどれで、なかった古墳はどれなんだ?

205 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:06:58
>>202

応神も不自然、3世紀は早過ぎ
つか応神のあとにヒイ爺さんの景行が出てくるのはなぜ?ww


206 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:09:48
>>204

自分で調べる気はまったくなさそうww

207 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:13:52
高良大社の玉垂の宮が景行天皇という
伝説があるのです。でもわからないので?としました

むしろ、仲哀、神功、応神を景行のあとに持ってきた方が素直な気もします。

208 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:25:06
空白の5世紀という言葉があるが
記紀編纂時に本来ならば5世紀の
景行、仲哀、神功、応神の事跡を
3世紀に移動したから空白になってしまった
と言うことはないのだろうか。

209 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 14:54:16
>>208
>空白の5世紀という言葉があるが

そんなもんは、おまへんやろ〜

210 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 15:10:25
空白の4世紀、空白の4〜5世紀とよくいわれてますな

211 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 15:13:56
ああ、7世紀
白村江の戦いで壊滅的打撃を受けた九州王朝が
最後の力を振り絞って水城を建設し、攻撃に備える
しかし力尽きて、大和朝廷に息の根を止められ
太宰府を乗っ取られる。

目の上のたんこぶを始末した大和朝廷は
勝利の宣伝と正当化のために記紀を編纂
以後、大和朝廷の天下となる。

そんな図が見える。

北部九州派としては悲しい出来事だ。

212 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 15:40:21
話を摺り替えたくて仕方ないのですね。

213 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 15:45:50
211
九州王朝の存在を認めるわけですね。

214 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 15:49:03
>>206
何も知らんのじゃないかと思ってね。

215 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 17:29:32
さて、以下はサイキバ君の一世一代の恥レスだがw

>576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
>考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
>畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
>なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

意外とこれって、この板の九州説論者の傾向を示していてw

九州以東におきた大型首長墓による祭祀
その祭祀を執り行う言わば「舞台装置」の機能を持ったものが古墳であると言う事をかなりのやつが理解していない。

参考)四隅の場合だと以下の「墓上祭祀想定復元」の写真を見てもらえば理解しやすいか?
http://murata35.chicappa.jp/katudohokoku/izumo01/izumo/nishitani01.htm

「鏡」だの「剣」だの「玉類」だのそんな単なるアイテムなんかどうでも良い。
「大型首長墓による祭祀」と言うもっと根本的な発想、コンセプトが違う。
埋葬文化と言う事で考えれば古墳文化の形成要因・ルーツとしては九州なんか真っ先に外すべきwwwwww

実際、出雲や吉備が注目されている原因は、そこにあるわけでw
いきなり纏向に前方後円墳と言う物が現れたのではなく
大型首長墓による祭祀と言う背景があっての話

まあ早い話三種の神器に飛びつく発想は
「冷蔵庫・洗濯機・テレビ」の家電製品にまで
「三種の神器」と名づけた時代の残滓のような物と言えるのかもwwwwwwwwwwwwwww

216 :215:2009/08/07(金) 17:44:39
>>215で言った事は逆に裏を返せば・・・

九州は「大型首長墓による祭祀」と言う九州以東で起きたムーブメントに乗らなかったと言う事であり
そこに邪馬台国以下30ヶ国による連合体

(・・・まあ、東遷厨にとっては連合体と言う形態はありえないんだから帝国かな?w)

を見る事ができるのかもwwwwwwww

ただし北部九州もやがて那珂八幡等の前方後円墳が築かれ、畿内系の土器を積極的に導入するに至るのだから
九州邪馬台国が存在しえた時間もそうそう長くない。

タイムスケジュール的に相当タイトだとwwwwwwwwwwwww

217 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 17:59:43
九州王朝なんて存在しても3世紀末には終了ですよ。


218 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:00:33
wwwサンキョウモキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

219 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:01:26
www死ね

220 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:12:35
非前方後円墳である卑弥呼宗教は3世紀で途絶えたが、
政治拠点である九州王朝は7世紀まで残って
そこで終わったと言うことだろうか。

しかし、天皇の時代が確かに不自然だな。
大化の改新以前の天皇は九州王朝の王と
プレ大和朝廷の王を混ぜているという説もあった。

そして、政権の移動は年号の移動が象徴しているように思う。

221 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:36:53
単なる前線基地を王朝とは言わないですよ。

222 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:41:38
結局は「王朝」と言う事場の定義づけの話。

少なくとも磐井の乱まで九州に一定の勢力があったのは認める
…と言うのが今の史学の趨勢じゃないの?

逆にこの板の東遷説だと祟神の代には四道将軍を全国に配し
その時点で強固な中央集権国家が出来上がってしまったと言うお話しだったと思うがwww

223 :縄文人:2009/08/07(金) 18:59:40
邪馬台国は九州にあった。この邪馬台国が畿内に移って大和王朝になったのではなかろう。大和王朝を作ったのは
倭国大乱のころから壹与が共立される頃までに畿内に移って行った九州勢力(日本書紀に出て来る神武から崇神に
代表される勢力)である。

224 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 19:11:11
蘇我氏とか物部氏とか大伴氏とか、複数の勢力の上にのる天皇の図式は
共立の雰囲気がないこともない。

前方後円墳の宮崎、三種の神器の福岡

一般的に宗教的要素を改変するのは大変なことだが
擁立する勢力によって宗教的要素も変わっていくのかもしれない。

大化の改新、壬申の乱は、複数の勢力による共立の図式から
藤原氏という単独勢力に変わっていく過程であると見えなくもない。

この辺りにドラスティックに政治形態が変わるポイントがありそうだ。
やはり大化の改新は大きな革命だったのだろうか。

225 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 19:17:40
>>223
相変わらず、人の話に便乗するのがお好きなようでw

226 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 19:20:53
>>225
つうかだな…

「九州の邪馬台国が東遷してきてそのまま大和王朝の祖となった」

…と言うクラシック(?)な東遷説も年代その他でしんどくなってきているのが現状かとwwwwwwww

まあ今後は奠都説が主流になる予感wwwwwwwwww

227 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 19:27:49
ゆるやかな首長連合ができたのは、卑弥呼の鬼道のせいだよ。それは、遠隔呪殺能力を
伴ったものだった。

228 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 19:32:18
卑弥呼から続く、複数の勢力の上に乗る共立の伝統
それは九州王朝、そして初期の大和朝廷にも受け継がれていた。

しかし、白村江の敗戦による各勢力の壊滅的打撃により
大和朝廷内の勢力は九州にある背景を失ってしまった。

そこに現れたのが藤原氏である。藤原氏は九州王朝とのつながりはなく
大和朝廷だけの勢力である。それが功を奏し、敗戦の被害がない
藤原氏は他の勢力を排除することに成功した。

それが大化の改新であり、壬申の乱である。

229 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 19:37:07
各地の大王・豪族が、邪馬台国の鬼道を受け入れ、前方後円墳の設計図をありがたくいた
だいたのは、呪術による呪殺を怖れてのこと。怨怨怨怨怨怨。
しかし、筑紫平野にはそれに対抗しうる能力を持った女首長、大斎女がいた。しかし、その
女酋もついには打ち倒された。卑弥呼は、女酋の霊力を受け継ぐため、鏡祭祀を取り入れた
のだ。恨恨恨恨恨恨。

狐、恨と鳴く夕ま暮、怨の花嫁御霊が通る。

230 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 19:49:22
卑弥呼の鬼道とは・・・様々なものがあるが、一つは殯による反魂、つまりはゾンビ化。首長達
は死した大王の殯(これは古墳上に殯宮を立てて行われた。そこでほ振る舞いは・・・いやいえ
ない、説としても怖ろしすぎる。しかし儀式的食・・・縄文遺跡からも・・・。怨恨怨恨怨恨怨恨、
特殊器台上の土器に盛られたものは・・・。

赤いベベ着た私の心、今日も鴉がまた騒ぐuuuuuuuA


231 :縄文人:2009/08/07(金) 20:04:05
>>226
私は最初から邪馬台国の東遷なんて考えていない。倭人伝の方角、里程、および倭国の風土風俗の記述が九州に
相応しく、畿内には相応しくないから邪馬台国は九州にあったと考えるのが自然である。大和王権は大型古墳を
作ったが、これは4世紀のことである。邪馬台国と大和王権が似ていなくても別に不思議ではない。大和王権の
系譜とする日本書紀に神武東征として九州からの畿内への侵攻が記され、これを祖とする崇神が王権を確立した
ことが記されている。自分で認めているではないか。

232 :Ghost of Karl Heinrich Marx:2009/08/07(金) 20:07:47
少し言葉が足りなかったようだな。反魂(返魂樹木香を用いる、漢の武帝が李夫人に用いた
ものと同一)を施された首長の亡骸は、生ける屍として葬られる。そして、九州女酋征伐後
は、鏡による僻崇が行われるよになった。辱辱辱辱辱辱 そして死後の苦痛は、朽ち果てる
までつうずくuuuA。夜ともなれば星屑光り・・・・。

233 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 20:16:34
それにしても、マクモニーグルはいかさま師だ。やつが、FBI特別捜査官をした事実などない。
卑弥呼の透視だと、ふざけおって。福来博士から由緒正しく続く、日本の心霊研究をなめて
いる。管、マダマダマダ、クダ、管管管管管管。

234 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 20:18:20
>>231
>これは4世紀のことである。

その根拠がなって事にいい加減気付けアホw

お前の言っていた東遷してきた勢力が邪馬台国なら
ある程度の実年代(上限)を与える事はできるだろうが

そうじゃないと言うのなら実年代の数字を与える根拠はなんなんだって話だな。

結局、最初から東遷ありきで組み立てられた妄想以外の何物でもないwwwwwwwwwww


235 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 20:28:10
まあ今後奠都説が主流になったとしてもだ・・・

じゃあその場合、九州の邪馬台国と植民地(?)のヤマトとがある程度の期間並存していたと言う事になり
本国と植民地の間で交流がないというのはおかしいわけで

今日纏向に九州系の土器が殆ど見られないというのが益々ネックになると思うがwwwwwww



236 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 20:31:44
古墳の周りで、奴婢は木面を被り、単調な縦笛と邪悪な太鼓を叩く。・・・卑弥呼の鬼道は
原理的には、アフリカー中南米におけるブードゥーと原理的には同一だ。ハイチのものよ
り、より原初的な、阿弗利加ペナンのものにより近い。暢草の含む硫酸アトロピンによる幻覚
作用。しかし、化学的反応と心霊呪術は似て非なるもの。卑弥呼は生まれながらにその力
を持っていた。

子孕まぬ嫁は帰しましょ、戻しましょおん、怨怨怨怨怨怨。

237 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/07(金) 20:56:40
>>234-235
あはは、いつもより、気合はいってんな〜w

>今日纏向に九州系の土器が殆ど見られないというのが益々ネックになると思うがwwwwwww

だって?!
きみの考えで言えば、
「九州文化→畿内文化」ではなく「畿内で自発的に起こった」ていうやつかな?

九州では後漢中期以前の鏡(方格規矩鏡・内行花紋鏡)が多く出土され(最多は九州だったはず)、
畿内からは上記の鏡と後漢中期の鏡(神獣鏡)が出土される。

方格規矩鏡・内行花紋鏡は九州系の鏡とみていいんじゃない?
方格規矩鏡はしらんが、内行花紋鏡は畿内でも出土されてるじゃん。
よって、九州→畿内へと移ったということが想像できる。

238 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 20:59:00
日本の精神文化が、ダメになったのは仏教伝来以降だ。その意味で蘇我氏、厩戸皇子の罪は
思い。古代の斎女は、力の弱いものでも精神感応くらいはできた。卑弥呼の力は強大で、
近畿にいながら九州王を呪殺できた。倭人伝の「ナカテ」というのは後代の中臣、神と人と
の間に入る役職だ。中臣が藤原氏となって政治の実権を握っても、仏教とは異なる独自祭祀
を守り続けたのはそのためだ。このあたりは、「福来友吉記念館」創設者の一人である、紀田
徳太郎氏の研究に詳しい。黄泉黄泉黄泉黄泉黄泉。

239 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 21:06:24
>>237 ドツボ

最近、畿内説に宗旨替えして多少鏡とか考古学的な事も学習しだしたみたいだが…w

畿内を中心とした首長連合の形成その画期にあると見られているのは画文以降の神獣鏡。
内行花紋やTLVの出土分布が東に移った事が根拠にされているわけではない。

それともお前は三種の神器の八咫鏡を見た事があって
それが内行花紋やTLVである事を確認しているのか?w

そういえば、お前、以前、過去に伊勢の鏡を見た人間がいるとか言ってて
ご紹介のサイト見たらヘブライ語がどうのこうの書いていたっけなwwwwwwwwwwwwww




240 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 21:13:26
>>235
>今日纏向に九州系の土器が殆ど見られないというのが益々ネックになると思うがwwww
あたりまえだろ。九州勢力は、東征しただけで、九州に本拠を置いていたんだよ。
土器は物資を運ぶ容器。植民地から本国へ物資を運んだんだ。だから近畿の土器は九州へ
行くが、九州の土器は近畿にはあまりこんのだよ。本国から植民地へ物資を運ぶことは少
ないからな。

241 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 21:14:09
ところで231の人の心頴娃には少し鬆があるな。気をつけたがいい。古来心霊感応力は
男性より女性のほうがより勝る。倭人伝の狗奴國の男王「彦巫子」が心霊呪術合戦で負け
たのもそのためだ。鉄器量ではm圧倒的優位を誇っていた北九州が、畿内邪馬台国の軍門
に下ったの呪力で劣ったため。皆、歴史の心霊的側面を軽視しすぎている。

きりきんとて、きしはぐれぬ臓物は。


242 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 21:20:31
>>240
つってもなあ、アジアやアフリカ或いは新大陸に植民地時代のヨーロッパ風の建物があったりするわけだがwwwwwwww

九州系の遺物の出土がない事の言い訳としては
東遷してきた人数が極少数であった事。
極短期間であった事を挙げるしかないだろうが

奠都説はそれに逆流してしまうって話だなw

どうも年代的に東遷説が危ないとなったので出てきたアイデアが奠都説だが
所詮その場しのぎで年代の問題はクリアできたとしても
他で矛盾が大きくなる始末wwwwwwwwwwww

243 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/07(金) 21:24:21
>>239
ばーかw
八咫鏡=内行花紋鏡というのは常識だろう。
ほかにどんな鏡があるっていうんだいw 
八咫鏡と思われる鏡は〜他にないだろう?
勝手に八咫鏡を妄想するんではなく、現実にある鏡をみることだな。

244 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 21:30:55
>>243 ドツボ

お前みたいなキ○ガイに脳内基準で常識っていわれてもなあwwwwwwwwww

『 常識 』とまで言い切る根拠を出してみろカスがw


そもそも三種の神器は皇位継承の証として受け継がれてこそのもの。

墓の中に埋めちゃったらそりゃ三種の神器ではなくて副葬品w




245 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 21:47:10
三種の~器に心霊発動力などない。それはいわゆる世間で言うところのトンデモ。日本
神道が現在の形、つまり天つ罪などというようになったのはずっと後代のこと。卑弥呼の
ような精神感応力の高い人々から、ちょうど力が失われてきた頃の話だ。三種の神器?
そんなものは、呪力を捨てた大和王権による権威の象徴にすぎない。

243胡座歩紅蓮だクダ、マダマダマダ管、管管管。

246 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 21:47:28
>東遷説が危ないとなったので出てきたアイデアが奠都説
なんじゃ、そりゃ?

247 :縄文人:2009/08/07(金) 21:52:03
>>244

この人は相変わらず下品ですね。
箸墓などの巨大前方後円墳の築造年代は未だ確定していないというのに、3世紀だと決めつけて。それこそ根拠を
示すべきでしょう。ひとに罵声を浴びせれば勝ったような気分になるのでしょうね。お気の毒に。

248 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 21:56:57
>>247
あなたの心頴娃には鬆があります、今月13日以降は慎むべきです。

249 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 21:57:26
>改め ドツボ◆PWTcGEfp1s

で・・・

>八咫鏡=内行花紋鏡というのは常識

とまで言い切る根拠は何なのか?
きちんと出してくれよw

ただし、また
「八咫鏡にはヘブライ語が刻まれている!」
なんて事が書いてあるサイトの紹介はいいからなwww

250 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 22:12:33
森有礼が暗殺されたのは、彼の急進的な教育改革にかねてより反発していた守旧派によ
ってで、伊勢神宮での不敬は事件の引き金にすぎない。繰り返していうが、鏡自体には
なんの呪力もない。付喪神など現在の神道になってからのものだ。古代呪術は、我々が
失った精神感応力。ユダヤなど、日本に何の関わりもない。怨。

251 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/07(金) 22:15:39
>>250
そもそも森有礼が伊勢神宮で不敬(垂れ幕をステッキで持ち上げた云々…)をやらかしたと言う話自体がデマ。



252 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 22:23:10
レンゴウ君は今日もスパークしてるねww

253 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 22:24:42
>>252
で、お得意の「怨み節」はまだ歌わないのかな?wwwwwwwww

254 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 22:26:21
そういえば籠神社の伝世鏡って内行花紋鏡?

255 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 22:38:58
>>254
http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/tango03.jpg

256 :縄文人:2009/08/07(金) 23:48:01
Ghost of KHMさんへ

私は太陽の子です。私と面と向かい合ったら邪悪な心の持ち主の眼は潰れます。変な書き込みは止めましょうね。

257 :Ghost of KHM:2009/08/07(金) 23:54:41
>>256
いや、貴殿のことを心配してのレスだがの。「心頴娃の鬆」は鼻風邪程度の運気の患いだが
事故などが起きる確率も、他の時期よりは少し高い。気をつけることだ。

258 :Ghost of KHM:2009/08/08(土) 00:03:21
皆は知らんだろうが、衆院選に入って与野党間の呪詛合戦も盛んになってきておる。やら
ないのは共産党くらいか。しかし、今回の選挙は愛知のあの方を後ろ盾にした民主党が、
大幅に議席を増やすだろうが、政権はとれない。「縄文人」さんとやら、太陽の子はよいが、
世の中には、貴殿のおよびもつかないことがあるのだよ。

怨すぐてい怨、怨怨怨、招来、クダ、マダマダマダ、管管管管管。

259 :縄文人:2009/08/08(土) 00:07:05
>>257
それはまたご親切に。だが、私は幸いにも神や仏にも支援されているようです。貴殿こそ気をつけられよ。

260 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 00:18:37
そう言えばww2末期にイギリスとドイツで魔術師同士の呪詛合戦がありました
・・・なんて話もあったなwww

ったく古神道の秘儀で卑弥呼の顔を見たと言う犬国や
このGhost of KHMとかその他諸々・・・

邪馬台国スレってオカルトキ○ガイと相性が良いんだろうなwww

もっともアホの縄文人の言う
謎の東征勢力が謎の巨大工事やって・・・なんて
まあ、本人に言わせれば推理、総合的な判断らしいが
そんなもんオカルトと変わらないって話でwwwww

261 :縄文人:2009/08/08(土) 00:29:11
>>260
この人の言う事もマニアと変わらない。巨大前方後円墳が3世紀に築造されたと信じている。年代測定が100年も
狂っていることに気づいていない。

262 :Ghost of KHM:2009/08/08(土) 00:31:30
>>260
私の言っていることはオカルトではない。卑弥呼は精神感応による遠隔呪殺能力を有して
いた。私は30年以上この研究を続けている、福来博士の孫弟子だ。まあ、にわかに信じろと
いうのも無理かもしれないが、日本の裏では、今でも呪詛や呪詛返しが飛び交っている。
卑弥呼は世界史的に見ても極めて高い能力を持つ、ブードゥ型(この名は便宜的なもので、
古代アフリカに源流を持つもの)のシャーマンだ。これに匹敵する能力を持つのは、男性だが
ラスプーチンくらいだろうか。

263 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 00:39:00
>>261
>巨大前方後円墳が3世紀に築造されたと信じている。

何らかの年代測定を根拠に前方後円墳が3世紀築造と信じる・・・?
俺がいつ何処でそんなこと言った?

人の言っていない事まで捏造しなきゃならないのかお前は?

本当にクズだなwww

そんな電波飛ばすなら、てめえの説に実年代を与える根拠の一つでも考えておけアホw

お前の妄想説をチョッといじってだ・・・

 謎の九州軍団がやってきたのは2世紀か3世紀初頭
 謎の集団の謎の巨大工事により謎の古奈良湖は謎の耕地になり
 3世紀中頃には古墳が築かれるようになりました。メデタシメデタシ

・・・これでも良いんじゃないのか?w

東征してきた勢力が邪馬台国でないなら
どうやってそのお話に実年代を与えるんだよ?wwwwwwww






264 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 00:41:07
>>262 Ghost of KHM

お前がスプーン曲げできようが空中浮遊できようがどうでもいい。

オカルト板にでも逝けwwwwwww

265 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 00:42:48
>>262
縦目さん、もうやめなさいよ。

266 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 00:45:58
>>265
縦目なのか?
まあ見方によっては芝居がかったレスだが・・・

まあこのクラスの天然モノが普通にいるからなあ・・・この板はwwwwwwww

267 :縄文人:2009/08/08(土) 00:51:15
弥生時代でも1世紀あたりには大陸と通交して文化,文物を取り入れていた。ただし、その恩恵に与ったのは支配階級であった。
先進技術や易などの知識は支配力の源泉であった。卑弥呼は有力豪族の娘でありそのような知識を身につけることが出来たであろう。
祭祀儀礼にも通じ、聡明であれば、怪し気な呪術を使う(見せかける)シャーマンでなくとも人心の収攬はできる。
迷信は現代よりはるかに多かったであろうが、古代人(の知識階級)を馬鹿にはできないでしょう。

268 :Ghost of Karl Heinrich Marx:2009/08/08(土) 00:52:06
>>265
なんのことだ?私をだれかと間違えているのか。私はその人物ではない。・・・縦目というのは
もしや、古蜀の仮面のことか?ふん、あれはアステカの祭壇などと同様、八咫鏡とは比べ
ものにならん心霊発動作用を持つものだ。多くの血をくぐって来ている。
・・・意味がわからんが、人違いだろう。私はこの板で書いたのは初めてだ。



269 :縄文人:2009/08/08(土) 01:03:18
>>263
3世紀の畿内に強力な王権があったとする根拠として古墳文化を挙げていたんではなかったか?
古墳文化が3世紀でないなら、畿内には強力な王権の存在の証が何もないじゃないの。

270 :Ghost of KHM:2009/08/08(土) 01:09:32
>>264
わたしはスプーン曲げも、空中浮揚もできない。スプーン曲げは、おそらく手品だろうし、某
死刑囚の空中浮揚も同様。インドのヨーガを極めたものにはできるものもいるかもしれないが、
多くは身体能力によるものだろう。それらは、世間でオカルト、トンデモなどといわれるもの。
真の呪術、精神感応力とは全く別のものだ。
私は一介の研究者であり、世界超心理学協会の会員だ。私自身には何の力もない。少し
人の運気が読めるくらいだが、これは高僧や神職、山岳修験者など皆できる程度のものだ。
私はただ、卑弥呼と邪馬台国について自説を主張しているだけだ。スレ違いではない。

「怨」などと書いてるのは、まあ茶目っ気、こけおどしだ。w


271 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 01:10:48
>>263
今日も元気だね。ノリPになんかもらったの?

君の考える実年代の根拠ってなーに?


272 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 01:21:05
>>232
>夜ともなれば星屑光り・・・・
えー、縦目さんでしょう。あなたがクトゥルー好きなことは知ってますよ。
>>236
>単調な縦笛と邪悪な太鼓を叩く。
これって、アザトースの従者のことでしょう。



273 :Ghost of KHM:2009/08/08(土) 01:39:06
>>272
違う。確かに「夜ともなれば星屑光り」は、H・P・Lovecraft の引用だが、下の方は知らない。
偶然だろう。私の世代はラブクラフトを読むこともできなくて、創元社からの全集の発刊を
待ち焦がれていたものだよ。「縦目仮面」か。どこかは知らんが、それが所蔵される博物館
のある地区は、同程度の人口の他地区と比べて住民の死亡率が少し高いはずだよ。事故が
起きる率も高いだろう。それほどのものだ。

274 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 01:50:26
>>269
>3世紀の畿内に強力な王権があったとする根拠として古墳文化を挙げていたんではなかったか?

そんな事いつ言った?

最初に年代測定ありきの展開なら
結局は年代論に終始するのは目に見えている。

また現実に理化学的年代測定に距離をおいている学者も
畿内説である現実を見ろボケw

俺自身も
「実年代のお話し棚上げしてもらってう上等!」
とお前が登場してからも何度も言ってるぞ?

過去ログ読んで来いカスw






275 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:01:38
そもそも東遷説信者って八咫鏡は
弥生時代に九州で作られた超大型鏡が伝世で今日に
あるいは少なくとも源平の御世までは残されてきたと考えているのか?

276 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:10:53
>>274
>また現実に理化学的年代測定に距離をおいている学者も
>畿内説である現実を見ろボケw

石野のことか?
彼は年輪年代から距離を取る。というか完全無視。
その結果、1m刻みのものさしでミリ単位を断定するような無理がある。

つまり、理化学年代を無視すると、畿内説の年代論は成り立たない。

ところで君は自分の年代論の根拠は言えるのかな?????
他人の結果だけを引用なんてかっこ悪いぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


277 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:17:30
>>276
ん?

実年代に一切触れなくとも
畿内説をとるが何か?

それは過去に何度も言ったが・・・?

むしろ実年代の数字を必要なのは九州説。

どうにかして古墳時代の始まりを4世紀にして
畿内説を封じ込めなければならないからなwwwwwwwwww

特に東遷説信者にとっては文字通り死活問題www





278 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:18:56
<石野の考え>
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku257.htm    の半ばあたり

石野:3世紀という時に土器でいつなにを指すかと言うことと関係するので、庄内式土器の年代を、
210〜280年とする理由について説明する

庄内式にこのような年代を与える理由は、案外頼りないのだが、上限は、後期前半の土器といっしょに
出る「貨泉」で年代を押さえる。
下限は、かなり後になるが、471年ごろ築造と思われる埼玉稲荷山古墳の須恵器で押さえる。

九州には製作年代の明らかな鏡があるのでその鏡に伴う土器は何式か大いに参考にする。
九州の鏡は西新式土器の時代に多い。九州と近畿の交流によって西新式と庄内式の土器が同じ場所
から出土するので同時期に使われていたことが分かる。

九州の鏡の年代や、畿内の庄内式に伴うものを参考にして、これをもとに庄内式土器の年代を
210〜280年と考えている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
A、1C初頭以降の貨泉と、471年ごろと思われる須恵器の間の期間である。
B、九州の西新式と庄内式は同時期だ。
C、九州の鏡の年代、畿内の庄内式に伴うものを参考にする。

これが1mきざみのものさしでミリ単位まで断定する彼の手法www


279 :157:2009/08/08(土) 02:24:23
>>276 >>278

で、九州説はどういう根拠で年代論を展開するんだ?
別にこっちは実年代棚上げでも良いんだが・・・

今までこの質問にまともに答えたやつ自体殆どいないw

相手を否定したらそれで自身が証明されると勘違いしているか
はなからそんな事オツムの中になかったかwww


まあ一度 纏向スレで(いつもの東遷厨かな?wwwwwwwww)
「須恵器の年代から逆算して…」
とか訳の分からない事を言っていたやつがいたが・・・

最初わけ分からないので例の「邪馬台国の会」見たら乗ってたがwwwwwww


280 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:29:18
>>278 につづけて

Aの問題点(貨泉)
  すべての貨泉が後期前半以降と言えるか。中期に遡る貨泉が1個でもあるとアウト。
  出土した貨泉には明らかに漢の時代の復刻版も含まれる。これを認めるとアウト。
  貨泉は中国では魏晋時代の遺跡からも出土する。

Aの問題点(稲荷山古墳)
  稲荷山古墳の須恵器は500年以降の可能性が高い。
  鉄剣の所有者が10〜20代の頃に雄略天皇に仕えていて、60〜70歳で亡くなったとすると、
  50年近いずれが生じる。

Bの問題点
  西新式の年代自体が不確定である。

Cの問題点
  九州の鏡の年代には確実性がない。要するに、画文帯を200年頃とする考えであろうが、
  根拠が弱い。画文帯の大半は日本でのみ出土する同型鏡であり、中国と同年代とはできない。
  日本で同型鏡の出土のない位至三公鏡(魏晋代)は弥生時代の遺跡からも出土している。
  つまり、弥生時代は3C後半以降まで続いていた。


281 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:36:17
>>279
自分の意見も言えないなら、黙ってろよwww

須恵器については、年代遡上説の白石は350年頃開始説だが、それには乗らないのか?

というか布留2はいつからいつまで何だ。
布留0を250年頃にした。すると布留1は、270〜320年頃かな?
そうなると、布留2は320〜370年頃かな?

これじゃあ須恵器と合わないし、横穴石室や馬具とも合わないよなあ。
それでこの問題には誰も言及できなくなっちゃったね。
ようするに、都合が悪いことは無視するのが、畿内説ってやつだな。


282 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:40:57
>>279の補足
須恵器から逆算してと言うのは以下のようなものらしい

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku207.htm
関川氏の土器についての見解を、もう少し詳しくまとめると、
須恵器は、だいたい、五世紀のまん中ごろに出現する。
須恵器のまえの布留式土器は、三つないし四つの型式に分類でき、その長さは、100年を大きく越えることはないとみられる。
よって、布留式の初現は、四世紀のまん中前後とみられる。
布留式のまえの庄内式土器は、いくら分けても、せいぜい二型式にしか分類できない。
したがって、そんなに長い時期とは考えられない。
よって、庄内式土器の前段階である纒向の石塚がつくられた時期、纒向の1という時代は、三世紀後半までさかのぼれるか否か、疑問である。
(つまり、四世紀以降であろう)

須恵器を5世紀のまん中(450年頃)として、布留式土器に4形式、その前の庄内式土器に2形式あるとすると、庄内式土器の初現は、

1形式=10年とする学者  450年−10年×6形式=390年頃(4世紀末)
1形式=20年とする学者  450年−20年×6形式=330年頃(4世紀前半)
1形式=30年とする学者  450年−30年×6形式=270年頃(3世紀半ば〜後半)


・・・そもそも須恵器自体が土師器に変わって登場した技術ではなく基本的に外来の技術だし
須恵器が登場して土師器が取って代わられたという話でもないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

283 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:49:06
>>282
関川の年代は今でもそれほど変わっていないだろ。
須恵器の年代が遡ったのは、新たに「初期の須恵器」が認められたから。

須恵器と土師器が別系統というのは同意だが、そうなると布留2が450年以降まで
続いていたことは、否定できないぞ。

この「事実」を認めると布留0が250年まで遡るというのは無理だわな。
関川のように布留の開始を350頃とせざるを得ないよなあ。

だから布留式全体の年代なんて「地雷」には誰も触れないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

284 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:58:39
>>283

ん?

あえて突っ込んでみるが、布留全体が200年以上で地雷がどう爆発するんだ?




285 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 03:02:43
>>284
さすがにそんなに長い年代を与えられないから、みんな困っているんだよwwwwwwww


この問題は、マキムクで住居跡が極端に少ないことを言えないとか、
三角縁が日本で550面以上で中国で0面とかいうレベルのきわどいネタなんだよww


286 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 03:09:31
田辺昭三という須恵器の第一人者がいた。この人、箸墓は卑弥呼の墓であり、
箸墓は初期の古墳だと言い張っていた張本人なのだが、結局は、箸墓を
4世紀半ば頃としている。

結局、須恵器から逆算する布留0は、4世紀半ば頃になるんだろうな。
当然、庄内期もせいぜい300年くらいであり、纏向も同じような時期となる、
というわけかな。これは昔からの定説に近い。

だいたい、畿内の年代が遡った張本人は、年輪年代なのだが。

287 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 03:10:21
>>285 つうかこのネタ出してくるのはいつもの東遷厨だな?w

で?
困るから ” 逆算して ” 布留の開始時期を決めるのか?w

本末転倒だなw
まあこの手の ”逆算して” と言うのは東遷厨の常套手段
これにより年代をドンドン遅くできるからなw

極端な話、俺が古墳時代の三角を買ってきて自分の墓に入れる。
後世それが発掘されて21世紀を基準に 逆算して 三角の登場を20世紀中頃とする

・・・なんて話も成り立つとwwwwwww



288 :287:2009/08/08(土) 03:15:21
>>285

それにしても相変わらず 纏向むじんくんネタ とか 三角の出土500:0 とかが好きだなw

基本芸風はサイキバ君と同じwwww

分かり易いワンセンテンスを繰り返すのが楽なんだろうが・・・

まあ「嘘を嘘と見抜けない人はなんとやら・・・」だな
ただ結局は九州説のレベルの低さを宣伝しているわけだがwwwwwwwwww
 

289 :287:2009/08/08(土) 05:16:10
まあ一つ素朴な疑問を書いておく・・・

土器の一つの形式を例えば20年とか単純に計算していくと

じゃあ庄内より前、近畿T〜X(更に各々がまた分類されるが)をそうやって計算していくと・・・
弥生時代の開始時期自体が『 超トンデモ 』になってしまうと思うのだが?

そこら辺はどうクリアするのかな?






290 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 05:36:59
東遷説の人の反論があったので。

>>190
東遷と東征の定義をわけましたね?
で。東遷とは、天皇が京都から東京に居を移したようなもので、
すでに、京都〜東京が同一の日本国内であることが前提条件ですね。
つまり、東遷説とは、邪馬台国が、九州〜大和の広域連合国だったことを認めねばならないはずですが、
九州説で、九州〜大和の広域連合で認めてる人はいるのですか?
いなければ、東遷説自己破綻です。

次に東征。
なるほど、神武は武力で東征したと記紀にありますが、
唯一の文献資料を、貴方は都合よくねじまげてますね。

1、神武東征は紀元前と記紀には書いてあること
2、神武の故郷の日向には、鏡・剣を副葬する文化が無かった
3、神武は橿原で即位したが、大和の古墳の始まりは三輪山麓

>>199
これすべて、記紀の編者の誤解とするなら、神武東征そのものの信憑性を疑うべき。
「神武が九州から来た」というのも誤解の可能性がありますが、
なぜ、「神武が九州から来た」という趣旨だけは真実と認めるのか、その根拠は?
そして、「神武が九州から来た」という時期が、古墳時代直前の時代とする根拠は?

副葬品が九州っぽい、というのは、「神武が九州から来た」という理由にはなりません。
循環論法になりますからね。


291 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 05:55:52
仮に、古墳時代が4世紀だとして、
それが東遷・東征・九州から権力が移ったという証拠にはなりません。

神武東征を認めても、紀元前の話であり、
大和には、九州とは別の王権が存在した可能性はある。

邪馬台国が九州で、古墳時代が4世紀からでも、
邪馬台国は自滅し、大和王権が隆盛したという可能性はある。

そして、畿内には九州の文化は見られない(副葬品以外は)ので、
九州から畿内に権力が移ったとは言えないわけです。
副葬品は、当時の普遍的な威信財なので、王族が移動した根拠になりません。

むしろ、庄内式土器の西進は、大和王権が九州支配に乗り出した証拠になります。


292 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 08:05:27
>>290
>東遷説とは、邪馬台国が、九州〜大和の広域連合国だったことを認めねばならないはずですが
東遷説というのは、九州勢力が近畿を征服してそこに遷ったという説だ。
九州〜大和の広域連合国などを想定するわけではない。もちろん、同じ国の中でも遷都はありう
るが、いわゆる東遷説はそんなことを考えてるわけではない(観念的には東征が成功した瞬間に
同じ国になる、そこで都を遷すと考えることもできるがね。)。

293 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 08:17:48
>>291
>畿内には九州の文化は見られない(副葬品以外は)〜副葬品は、当時の普遍的な威信財なので、
>王族が移動した根拠になりません。
なんか矛盾した記載だね。それに、当時の普遍的な威信財とする理由は何? 何を威信財とする
かは時と場所によりちがうだろ。副葬品は弥生時代にも畿内からでているか? 都合が悪い物を
普遍的なものだと言ってにげてるだけのように見えるが。



294 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 08:54:08
>>293
横からだが、それらは普遍的なものといってもいいと思うが。
古墳から馬具が出てきたら、それは騎馬民族の墓なのか?
半島製のものが出てきたら、それは渡来人の墓なのか?
ベンツに乗っていればドイツ人なのか?
それともベンツにはドイツ人しか乗れないのか?

富があるものは国内外を問わず流行っているものを取り入れる
これは今も昔も変わらんと思うが。

295 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 09:01:10
まあ、副葬品になってる事自体、
当時では貴重なものだったと言えるだろうし
威信財としても構わないと思うけどな。

296 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 10:35:19
>>294
そうゆう屁理屈をならべていると、考古学は成り立たないな。
考古学というのは、少ない徴表から可能性が高いと思われることを推測する学問なんだよ。
副葬品が女性が使いそうな装身具だったら、被葬者は女性であることを考える。
威信財にも九州の威信財と本州の威信財には違いがあるだろう。九州の威信財が出てきたら
被葬者が九州出身者であることを考える。それが合理的思考というものなんだよ。

>>295
威信財かどうかを論じているわけではないよ。九州の文化を感じさせる副葬品、それが威信財
でもいいわけだが、それを普遍的なものとして無視することの当否を論じているんだ。

297 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 10:55:44
>>296
やっぱり、屁理屈って言ってくるって思ってたよw
明らかに九州製のものとか、九州から持ち込まれたとはっきりと分かってる
ものなら屁理屈と言われても仕方ないがな。

298 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 11:10:15
近畿地方あるいはその周辺の威信財といえば、銅鐸だっただろう。
しかし、古墳時代には銅鐸はなくなる。古墳から出ることはない。

地元の威信財が消え、よその土地の威信財が席巻する。
威信財の性格も変わる。集団的・集落的なものから個人的なものになる。

近畿地方にはその過度期といえる状態が見られない。突然大きく変化する。
突然の大きな変化は、自然な文化の変動とは言えない。
政治的な変革を想定するほうがわかりやすい。

299 :縄文人:2009/08/08(土) 11:49:03
>>274
私はかってこの人をチンピラと呼んだ。それはこの人の言葉遣いの下品さゆえである。この人は倭人伝の方角、距離の問題
についての私の問いかけに答えられなかった。戸数の問題で弥生の人口推定なる文献や食料生産力に関しても議論したが、私
の地形、地質等からの推定に対して考古学資料で示せの一点張りで納得できる反論を示そうとしない。大型前方後円墳の築造
には強大な権力(その背景には食料生産力や武力や政治力がある)の存在があるが、畿内でこれが発生したとしてここに3世
紀に既に強大な王権が生まれていた(すなわち、邪馬台国の存在が可能であった)というのが畿内説の大きな拠り所であるから
私はそれに疑問を投げかけた。年代測定法の問題点も示して。しかし、この人は年代論は棚上げにしてもよいという。
結局、私はこの人から「邪馬台国が畿内にあった」という納得できる論を聞いたことがない。いつもいつも吠えるだけである。

300 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 11:59:50
>>296
ああ、普遍的かどうかって事を論じたい訳ね。

先進地域であったとされる九州北部の物品を珍重するのはむしろ自然と思うけどな。

もし被葬者が九州出身者なら墓の様式は何故九州の様式ではないのか
説明が困難ではないかな?

301 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 12:47:32
>>298
銅鐸は威信財ではない。共同体の祭器である。


302 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 12:56:21
>280

>   日本で同型鏡の出土のない位至三公鏡(魏晋代)は弥生時代の遺跡からも出土している。
>   つまり、弥生時代は3C後半以降まで続いていた。

これは安本さんのところの見解でしょうか?
わかりずらいところがあるので、いくつかお尋ねしたい。

まず、「日本で同型鏡の出土のない位至三公鏡(魏晋代)」の意味から確認したいのですが、
「日本で同型鏡の出土のない」とは、いわゆる後期古墳から出土するタイプ(内区を縦断して位至三公銘が刻まれた双龍(獣)紋鏡)と
異なるタイプのことでしょうか?それとも、単に同範鏡や複製鏡が無いと言う意味ですか?

最初の問いは「同範鏡や複製鏡が無い」が正解であることを前提に次の問いを続けますが、
貴方が使用する「位至三公鏡」と言う言葉の定義ですが、私が定義した「内区を縦断して位至三公銘が刻まれた双龍(獣)紋鏡」だけと
考えて宜しいか?それとも漢墓からも出土する広い意味での双龍(獣)紋鏡群を含むのか?
まあ、わざわざ「位至三公鏡(魏晋代)」とご丁寧に表記されているので、漢代タイプの鏡群は含まないのでしょうね。
しかし、稀にこの二つの定義を巧妙に使いわける方々がいらっしゃるので、ここはちゃんと確認したい。

三番目は、「弥生時代の遺跡」です。具体的にどちらの遺跡のどの鏡のことか、お答えいただければと思います。
具体例が無いと議論になりようが無いので。

303 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:22:42
>>298
>近畿地方あるいはその周辺の威信財といえば、銅鐸だっただろう。


なんでこういう幼稚なでたらめを言うのかな?

古墳時代だろうと、古墳時代以前だろうと、
王墓からも墳墓からも銅鐸なんて出てこないわけだが。

それに、銅鐸が消えたというなら、九州の銅矛だって消えている。



304 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:26:15
今週出た季刊邪馬台国でも、安本は箸墓=卑弥呼の墓説に発狂しながら否定してるな

305 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:26:28

九州説は、吉野ヶ里の時代を邪馬台国と同時代とする見解だったろ?
つまり、カメ棺が主流。

大和からカメ棺が出てこないのだから、東征も東遷も無いということだよ。


306 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:40:58
>>304
そうか、ついに発狂したかwww

307 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:42:08
>>304

発狂具合が見てみたいなあ。
でも買うと高いんだよなあ。


308 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 14:08:51
安本を発狂させるようなネタならまだまだあるからな。
もう矛盾だらけなのに必死過ぎて痛々しい。

309 :縄文人:2009/08/08(土) 14:56:51
箸墓=卑弥呼の墓説の否定は安本とかいう人の専売特許ではないでしょ。私だって否定している。
「吉野ヶ里の時代を邪馬台国と同時代とする見解」とは意味が明確でないが、邪馬台国は卑弥呼が登場してから出来た國とでも
仰るのかな。1世紀や2世紀に邪馬台国があったのなら重なるでしょう。

吉野ヶ里のカメ棺が畿内に出土しない のと 畿内に邪馬台国があったこと にどんな関係があるのでしょう。九州北部の勢力
が畿内に東征した、あるいは東遷したとしても甕棺の製造職人まで連れて行かなくてもよいでしょ。墓や棺なんて現地で利用で
きるものを使えばよいでしょ。それとも何か、ある地方出身者は故郷のやり方を必ず守らなければならないという決まりでも
あったのですか。日本人はそんな融通の利かない人種ではありませんよ。仏教徒のくせにクリスマスを祝い、教会で結婚式を
挙げる。息子の受験の成功を祈って神社でお祓いを受ける。このような節操のなさ(おおらかさ、臨機応変)は現代に突然あ
らわれた気質ですか?太古の昔からそうだったんですよ。八百万の神がいたのですから。

310 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/08(土) 15:26:27
>>260 ジョーカー

8月2日、NHK1CHで古代エジプト特集番組を放送していたのを見たが、
ここでクレオパトラの妹アルシノエの墓がトルコに存在したことが判明し、同墓
からアルシノエの骨が発見された。しかし頭骸骨のみ失せていたが、過去に独逸
の考古学者が墓から持ち出して頭蓋骨の四面からの写真とその詳細な数値の
書かれた報告書のあることから、これを最新機器にかけて妹のアルシノエの正面
の顔を特定できた。その顔復元絵が同番組でしっかり放送されていて、なかなか
の美人であったことが分かった。彼女は身長154cmでヤセたヨーロッパ系と
アフリカ系の混血どということが判明、このことからクレオパトラも相当
の美女であったことが伺えるという内容を放送していた。

近代科学の最新機器の使用と高度な技術で、現在ここまで古代人の顔の復元が
可能であり、こういう研究機関が世界にいくつかあるということだ。

ならば卑弥呼の復元をしている研究人がいてもおかしくはなかろう。
俺がそれだ。

311 :縄文人:2009/08/08(土) 15:39:42
260を書いた人はジョーカーというのですか。なるほどね。

でも、太國ちゃん 私の書き込みをあなたの雰囲気があるとか言う人がいましたよ。全く違うのにね。
それはそれとして、卑弥呼をどのように復元しようと思っているのかな。

312 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 15:43:18
>>299
>私の地形、地質等からの推定に対して

はあ?
地形・地質?

古奈良古が3世紀にあったことをいつ地質学で示したんだ?wwwww

そのような巨大な工事は下流域にも多大な影響を及ぼしたと思うが
それも地質学的に痕跡を見ることができないのか?

お前の言ってるのは何から何まで妄想だけだろうがwwwwwwww

実年代を棚上げしても
混乱の末女王を共立、30ヵ国の代表として朝貢、親魏倭王として冊封された
・・・一連の出来事に関し対応する現象を見るとすれば畿内説にしかなりようがない。

方や九州に30ヵ国の連合体の形成の痕跡は?
(東遷厨は連合体を否定するから帝国か?w)
魏に冊封され他のであれば、それのもたらす恩恵は?
何で銅鏡も順調に右肩下がりなんだよ?
(これも実年代いじってもどうなる話でもない)



313 :ローガン:2009/08/08(土) 15:47:06
>>302うん、私も同様の疑問を持ちます。
是非 >280さんに答えて欲しいですね。


314 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 15:58:16
まあ縄文人の盆地湖3世紀消滅説は、はっきり言って電波以外の何物でもないがwwwwww

いつもの東遷厨の言う須恵器から逆算して云々んの方は考える価値はあるかもしれないw

年代決定の手続きとして、このような「逆算して」と言う方法は問題ないのかどうか・・・

古墳でも鏡でも
「〜を最古クラスとしてそこから一・二世代遡って」
と言うのは、ままあるしw

ただこの場合須恵器は土師器の発展のライン上でなくあくまで別物とか問題もあるんだろうが…

もしこの見解が妥当なものであれば小林説なき後w
九州説の年代観を支える一大理論としてもっと喧伝されてても良さそうだが

正直言って俺は知りませんでしたw
ぶっちゃけ多くの学者から妥当性を持つ説として支持されているのか?

素朴な疑問としては>>289で言ったように弥生時代全体に当てはめていくとトンデモな事になるだろうし
現在の編年案でも 庄内を0〜3、布留を0〜4 にするものもあったりでこうなると両方で9形式・・・

もうワケワカランwwwwwwwwwww 

315 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 16:12:09
>位至三公鏡(魏晋代)

これも東遷厨による無限ループ地獄のネタの一つだがw

位至三公鏡を魏晋代(220〜316)としてそれを出した九州の遺跡があるからと用いるのは良いが・・・

不思議な事に畿内では奈良では出てなくて(あったらソースつけて教えてくれ)
もっぱら河内で出ている。


例) カトンボ山古墳
http://www.city.sakai.lg.jp/kofun/database/katonboyama.html

河内の古墳群も弥生時代にしちゃうのか?wwwwwwwwww


316 :縄文人:2009/08/08(土) 16:27:36
>>312
大和川の河岸は現在整備されているから簡単には崩壊しないが、この川は元々は断層帯のずれなどで生じた割れ目なり
溝みたいなもので形成されたと考えられる。この断層帯に沿った部分は地震が起れば容易に閉塞したと考えられるのだ。
(もちろんそんなことは考古学資料として残ってはいないだろう。)だから、この地勢、地質情報から奈良盆地には湖が
形成される条件がある と言ったのだ。そして、実際、奈良盆地の標高約43m(これも湖消滅後の地下水位低下による地
盤沈下で約43mであるが、当時はもっと高かったとも考えられる)以下の低地には弥生時代の遺跡は存在しない。古墳時
代になって水田の水路と見られる遺構などが現れるのである。これを単なる妄想と切り捨てて有効な反論をしないのがこ
の人である。


317 :ローガン:2009/08/08(土) 16:34:49
>>315

>位至三公鏡(魏晋代)

って…内向花紋鏡ですよね。

318 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 16:47:10
>>316 縄文人

ん?標高43m?50mじゃなかったのか?微妙に下げてきた?wwwwww

じゃあお前のイメージとしてはだ・・・

3世紀までは43m以上の土地に集落がポツリポツリとあって
4世紀に入って謎の土木工事により43m以下の土地に田畑や集落が急増。

・・・って話だよな?

一度その現象を示す統計的なデータでも出してみ?

ある時代を堺に標高43m以下の土地に耕地や居住跡が爆発的に増えた事を示す根拠をw




319 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/08(土) 16:49:42
>>310
前後の Ghost of KHM 氏 の好きそうなことか?〜 過去に週刊誌に掲載されて
たか?〜 古代エジプトのヨランダ姫の霊媒によるエクトプラズムの発現に
よる幽霊姿の写真が載っていたことがあったが、過去の「心霊研究」誌には
クレオパトラの霊写真だったか、掲載されていたことがあった。これもだいぶ
過去のことなので内容がどんなだったか大分忘れたが、このクレオパトラの
霊言なるものも掲載されていて当時あったことの簡単な同女の話があったと
想う。この写真と今回NHK放送の妹アルシノエの姿を同誌掲載当時のうっすらと
なった霊写真の思い出の姿と頭の中で比較して考えたが、どうも似ていた感じは
ない。そのクレオパトラ霊姿写真のは一寸寂しい感じでおとなしいような女性に
思えたが神秘的であったとかすかに記憶している。

なおマクモニーグル氏の透視からの卑弥呼像は本物ではなく、おそらくは別の
古代女性の姿であろう? またそう錯誤した事由は、ムー誌の記者の畿内説への
先入観からの恣意的誘導であろうし、これが失敗に繋がったと想えるのだ?

320 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 16:59:42
Ghost of KHM と 犬国 は趣味が合いそうだなw

321 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 17:05:24
発掘された頭蓋骨から復元するのと、何もない人を想像するのは全然違うだろ・・

322 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 17:19:55
確かに縄文人、以前は標高50mと言っていたようなw
まぁ現実には標高42m地点まで遺跡は確認されてるけど。
でもそれ以下は湖は兎も角沼地だったのは確かだな。
でも3世紀時点の奈良盆地でこれだけ住めりゃ充分だよ。

323 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 17:27:07
結局、この「古奈良湖3世紀消滅説」と言うのは
標高40mチョイ以下の土地に殆ど耕地・居住跡が殆ど見られない
・・・ってのが最大の拠り所なんだろうが

考えてみれば当たり前で
多数の川が南北に投がれている奈良盆地では
川の反乱増水も頻繁にあっただろう。

で、盆地に住んでいた人間はそのリスクの高い低地には田畑や集落を造らなかった。
そのボーダーラインが標高40mチョイのラインだったと・・・

まあ、この程度のお話だろうなwwwwwwww

324 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 17:27:56
>>309

>あるいは東遷したとしても甕棺の製造職人まで連れて行かなくてもよいでしょ。

見苦しい言い訳だな。

だったら、畿内に九州の文物が見つかっても東征の証拠にはならないぜ。
九州の文化だけを、畿内の人が取り入れただけかもしれないからな。
そのほうがより日本人的だろ。


325 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/08(土) 17:53:40
>>321
それはオマエが無いということだよ。w
こちらもそうだということにはならない。

326 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 17:58:03
エクトプラズム・・・こんなものまで飛び出すとは

この板の九州説の懐の深さを感じずにはいられないw



327 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:04:52
ここはオカ板か

328 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:19:33
今年の夏休みは質が高そうだなww
ハードルが高くてなかなか食い込めん。

329 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:41:17
>>300
なるほど。従来の自分たちの威信財をすてて先進地域であったとされる九州北部の
威信財に乗り換えたってわけね。それも一理あるかな。
しかし、となると、墓の様式だって同じだろうね。自分たちの様式なんぞにこだわ
らず先進地域の墓の様式をまねたはずだ。
私もそうじゃないかと思ってたんだよ。畿内の墳墓と日向の墳墓は同じ形のものが
いくつかある。ただ、畿内と日向のそれを比べると、2対1の大きさだというんだ
ね。あとから造る方が半分の大きさのものを造るだろうか? 「こうゆうのを造っ
た例があります。」「そうか、ではその倍のを造ろう。」。あとから造る方がより
大きいのを造るだろうってね。やっぱり、前方後円墳は九州が先とみた方がよさそう
だね。そうそう、それが合理的な見方なんだ。

330 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 18:58:26
>>302 そだね。ちょっと分かりづらかったかも。

位至三公鏡(魏晋代)とは、「内区を縦断して位至三公銘が刻まれた双龍(獣)紋鏡」のこと、
これを仮に「縦ステッカー型」とします。

日本で出土した縦ステッカー型の約30面に同型がないので、これは中国から来た舶載品と
断定できるでしょう。単品の鏡が日本に来たといえます。
対して、日本で出土した画文帯同向式約30面弱のほぼ全部が同型の複製ですが、これは
大半が日本で複製されたからであると、容易に断定できます。

中国では縦ステッカー型は魏の時代に始まり、3C末葉〜4C初め頃に大流行しました。
なので、日本で出土する縦ステッカー型は高い確率で3C末葉以降ということになります。

縦ステも大半は古墳から出土していますが、福岡県北九州市若松区岩屋の岩屋遺跡からも
出土しています。岩屋遺跡は西新式の前の土器で弥生後期後半頃ですね。
つまり、3C末葉は未だ弥生時代後期後半であったとの推測が成り立ちます。

ただし、中国で縦ステが240年頃まで遡ると仮定して、その初期のものが岩屋にすぐに来て
すぐに埋められたとすれば、岩屋は240年頃まで古くなる余地もあります。
まあこの考えでも古墳時代は少しあとの270年頃からということになりそうですが。


331 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 19:00:19
>>329
箸墓の3分の1の網浜茶臼山古墳のほうが古いという事ですね

332 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 19:07:12
四国の前方後円墳を忘れるなよ。

333 :縄文人:2009/08/08(土) 19:20:23
>>312 >>318 >>323

<そのような巨大な工事は下流域にも多大な影響を及ぼしたと思うが それも地質学的に痕跡を見ることができないのか?>
この人は湖の排水工事をダムの決壊みたいに一時に大量の水が土砂などを押し流して下流域に影響を及ぼすとでも考えている
のだろうか?ものを知らぬ人と議論するのは難しい。

<ん?標高43m?50mじゃなかったのか?微妙に下げてきた?wwwwww>
奈良盆地には大和川の閉塞によって湖ができていた可能性が高い。その場合、標高50m以下は常に水没の可能性があった。
これは変える必要はない。標高43mの件は現在の標高で、実際にこれ以下の低地には弥生遺跡が存在しないと言ったまで。

湖水面の標高が50mから40mへと10m低下するだけで水田面積は従来の数十倍に増加する。そうして得られた生産力の増加
が人口の増加(各地からの移入も)を可能とし、やがて大和王権が誕生する環境条件ができた。私は、その王権の確立の時期
を4世紀と見ている。大型前方後円墳の築造も4世紀である。根拠は、日本書紀に記述がある崇神の時代が大和王権の確立 さ
れた時期であり、古墳の築造年代に関する年代測定法(年輪年代測定法とC14年代測定法)のこれまでの報告結果が100年ほど
古くでていることである。

ジョーカーと太國氏が呼ぶ人は私の書き込みによほどショックをうけたのか”アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推
進委員会”なるものを結成しているようだが、どうやらメンバーはごく少数のようだ。まあ、頑張って下さい。



334 :縄文人:2009/08/08(土) 19:40:59
>>324
私はそんなものは意に介していない。遺跡の出土物なんぞより重要なのが、文献では倭人伝、遺跡では巻向地域の
古墳群でしょう。倭人伝の解釈で方角、距離で恣意的な選択ばかりしなければ畿内説は成立しない。そこで3世紀
の畿内に大きな勢力が存在した証拠として巻向地域の古墳群と出土物を持ち出してきた。しかし、これは古墳の築
造年代が3世紀であることが証明されなければ何の役にも立たない。証拠を示さなければならないのは畿内説派で
あって、九州説派ではないのだ。勘違いされても困りますね。



335 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 19:48:41
>>333
>水田面積は従来の数十倍に増加する。

だからその 「 数十倍に増加した水田跡 」を出してくれって話で
古墳の造営可能になった状況がそれと言うのなら循環論法だなwwwwwww

この縄文人のアホに限らす東遷説論者って
3世紀までの大和を人っ子一人いないような無人の野にしたがるよなw
(むじんくんの「無人都市纏向」もそうだがw)




336 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 20:16:44
確かに縄文人は当初奈良盆地は湖で、九州勢力が東遷後
大規模土木工事の結果水が引いて住めるようになったと主張してた気が。

337 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 20:49:56
大和ローカルネタだと、北部九州人は
なにも書けるものを持ち合わせてないなあ。

338 :縄文人:2009/08/08(土) 21:01:39
>>335 >>336
私は<3世紀までの大和を人っ子一人いないような無人の野>であったなどと言ったことはない。土着の民が居たし、國さえ
あったと思っている。唐古・鍵遺跡はその生活の跡だ。湖の排水の結果生産力が増えて人口が増加したと言っている。ひとの
言をどこまで曲解すれば気がすむのでしょうかこの人達は。水田跡は現在水田として残っているところと近世以降の開発によ
って住宅地やその他に転用されているだろう。何でも遺跡として残るわけがなかろう。明治時代だって特別に遺跡に関心を持
つ組織なり人物がいなければ土地開発は無頓着に行われたのである。それ以前では今日では貴重な遺跡とされるものでもまる
で気にも留められずに破壊されたであろう。考古学資料は大事なものであるが、これが全てを語ってくれないことぐらい分る
でしょうに。それより、3世紀の畿内に戸数7万余の大国があったという証拠を出せばよいものを、くだらぬこと、些末なこ
とに拘っているのはそれより他に言えることが無いからでしょう。


339 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 21:10:29
畿内説は、九州説のちょっとしたことに突っかかって満足しているが、
もっと本質的なことを主張したらどうかな。
弥生時代の畿内と古墳時代の畿内のつながりについて、とか。

ただし、全く繋がっていなくて、何の関連性も見出せないというのは
つながりとは言わないから。

ちなみに、吉野ヶ里遺跡の墳丘墓を見ればわかるが、古墳の発生をにおわせる
ような冢?はある。ただ、こういう冢は、後世に壊される例が多い。
城の土台になったり、ならされて畑になったりする。あるいは神社に
なったりする。
古墳でもこういう例はけっこう多いはず。

340 :アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)駆除推進委員会:2009/08/08(土) 21:15:38
>>338
そもそもお前「七万戸」って実数としてどれくらいを想定しているんだ?

俺は一戸=5〜7人として最低35万人と思っているんだが・・・

少なくとも4世紀にそんな人口を奈良盆地で有したと思ってないが(苦笑

別にある時期に人口なり耕地が爆発的に増えた痕跡がないのであれば
元々初期古墳、纏向遺跡を築く地力がそこにあったと見るのが何か非合理な事かな?www
(この場合盆地の外から労働力を集めてくるシステムがあった可能背も考えなくてはならないだろうが)


謎の巨大工事の痕跡もない
そもそも3世紀に盆地湖が広がっていたと言う地質学的な裏づけもない。
たいそうな技術供与があっただろうにその技術の伝播も説明できない。
元の九州にその巨大工事に繋がる事を髣髴させる遺跡遺物もない。
etc・・・

ナイナイ尽くしの無い尽くし〜とくらあwwwwwwww

「一定以下の標高に住居田畑の痕跡が見られない」って程度のお話なら
そりゃ川の氾濫増水で水に浸かるリスクの高い場所は避けた・・・って事で何ら問題ないw






341 :287:2009/08/08(土) 21:24:36
以下「邪馬台国の会」のサイト
『日本で出土した「位至三公鏡」』参照・・・
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku236.htm

位至三公鏡を単純に3世紀末ごろとするなら
畿内では奈良では出ずもっぱら河内の5世紀頃とされる古墳から出ている。

ど〜すんだって話でw
古市・百舌鳥の古墳群を3世紀末にすんのか?ww

無論大和の古墳はそれより古いって話だがwwwwwwwwwww


342 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 21:32:52
方向性が変だわな。
35万人を証明できないから
大和勢力はいないとしか読めないのだがそれでいいのか。

もちろん、ごく小規模の村くらいはあったことまでは
否定しないが。

そもそも、どのくらいの面積を想定しているのだろう。

343 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 21:40:41
和泉・河内・大和が邪馬台国のエリアだろう

344 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 21:43:46
跡形もなく消えてしまった
3世紀、人口35万人を擁した巨大国家

  九州邪馬台国 wwwwwwwww

345 :縄文人:2009/08/08(土) 21:46:27
>>340
排水工事は川底を低くする工事で、岩石を取り除いたり、それを平地部に運んだりする工事である。ときには大きな岩石を割る
ことも必要であったであろう。これらの工事は現場から数km(舟で通う場合は十数km)離れた集落から通ってくる人々によっ
て行われたであろう。したがって、現場(川岸)には生活跡は残らないし、仮に遺物があったとしても洪水で流されてしまう。
さらに、後世の工事もあったであろうから、弥生の工事跡など残りようもない。そんなことも分らぬのであろうか。

九州では、例えば筑後川流域を例にとれば、川の氾濫に悩まされた。それを克服して人々は生活したのである。大陸から(長江
流域からも)治水の技術が入ってきたであろう。太古から人の行き来があったのであるから。技術は堤防の築き方や川の浚渫に
関するものである。もちろん工事用の鉄器も他地域よりも豊富に作られた。それは鉄鏃の出土数の多さから鉄器生産が盛んであ
ったであろうと推定されるからである。なお、鉄器は非常に貴重なものであるから、農作業や工事用の鉄器は大事に使われ、す
り減れば鋳直して用いられた。したがってそれらは遺物として残ることは極めて稀である。
<元の九州にその巨大工事に繋がる事を髣髴させる遺跡遺物もない。>というが、なくて当然なのである。堤防などは後世に亘っ
て何度も作り変えられた。工事のやり方、ノウハウは残りようがない。


346 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 21:58:09
>>345
もし大規模な土木工事があれば痕跡は兎も角伝承等には残るはず。
豊岡や亀岡盆地には河を整備して田畑に変えて行った話が残ってるよ。
現に保津川なんて名前にもなってる訳だが。
九州でもその手の伝承位残っていてもいいはずだが。

347 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 22:14:06
和泉・河内・大和

35万人相当
つまり35万石相当の面積が必要。
奈良大阪は小さな大名(小名?)が点在しているので
生産力が良く分からん。

ざっと見積もりして広く見積もって、平野面積だけなら800平方キロくらい。
67万反分の面積
弥生あたりだと20〜30万人相当くらいか。
あくまでも理想的計算なので
それより小さい可能性は高い。

もし、大和湖があって、耕作できないとすれば
もっと該当面積は小さくなる。

348 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 22:36:32
河内湖というのもあったらしい。
これが完全に陸地化したのは江戸時代だとか。

こんなのがあった。大阪平野の変遷。
http://agua.jpn.org/pre/pm.html

349 :日本@名無史さん:2009/08/08(土) 23:12:18
>>347
注目するべきは陸地面積よりも食料じゃないか。当時の人間が完全に弥生化した
定住民族ばかりではなく元の海洋民族としての性質を保っていたとすれば河内湖は
絶好の漁場だ。後背地の生駒山系も豊富な山の幸をもたらしてくれたことだろうし

350 :ローガン:2009/08/08(土) 23:43:54
>>341
> 以下「邪馬台国の会」のサイト
> 『日本で出土した「位至三公鏡」』参照・・・

めちゃくちゃですね。何も知らないのか知ってて嘘をついているのか迄はわかりませんが…

> 位至三公鏡を単純に3世紀末ごろとするなら

その前提すら無理ですね。

351 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:02:16
>>343
白石なんぞは、大和勢力と河内勢力が政権を争っていたと考えるようだが・・・


352 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:35:56
>>350 ローガン

すいません、ごめんなさい、実は・・・
「いっそ、その古市・百舌鳥の古墳を3世紀末か4世紀初頭に持ってきた方が話し早いんじゃないのか?」
と頭の隅で妄想してますwww


・・・にしてもこの「邪馬台国の会」のサイト。

確かに多岐の項目に渡り総花的に並べてくれているので俺みたいな初心者レベルは助かるんだが
(と言うか大抵の項目で検索したら上位に来てるしw)

いかんせん引用している著作とかがやけに古い気がするんだが・・・
まあタダで閲覧できてるんで文句言える義理じゃないがw

意外とわざと古いままにしてあると言うか
最新のものにすると使えるネタが減ってくるのを自覚しての上でとか?wwwwwwwww

353 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:41:01
>>350  これは>>330に対する応答も含むのかな。

>>330では位至三公鏡は、魏以降として、最盛期が3C末葉以降としているぞ。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku236.htm にもあるようにこの鏡は
小型で人気がないので、日本国内では複製されなかった。
東晋時代の中国では鏡の3分の1が位至三公鏡といわれるが、その出土量が少ないことは、
ほかの鏡も舶載品は多くないことを物語る。

つまり、画文帯などの 「日本でのみ出土が多い同型鏡」 の大半が国内で複製されたことは
容易に断定できる。

しかし、学界ではこのレベルの常識さえ通用しない。
このレベルの学問の進歩さえ許されないのが、今の学界の状況でもある。

その原因が三角縁神獣鏡舶載説というカルトにあることは、明白だよね。


354 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:41:19
邪馬台国の会は確かにネタが古い。まあ年齢層も高そうだから仕方ないかもね。

355 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:46:47
>>351
仮に七万戸もの国となると、部族間で
協調と対立を繰り返したりはあるだろうな。


356 :縄文人:2009/08/09(日) 00:54:21
>>348
いいものを見つけて頂いた。このサイトには大和川のことも書かれている。亀の瀬付近が地滑りの多いことや、この峡谷の閉塞によって
大阪に被害が出ることも予想されて現在も対策がなされているとも書かれている。
ジョーカーさん 見てね。

357 :縄文人:2009/08/09(日) 01:00:44
>>354
内容のない書き込みですね。新しいネタを出して論じたらいかがですか。

358 :ローガン:2009/08/09(日) 01:03:26
>>352

あ〜書き方が悪かった。「めちゃくちゃ」なのは邪馬台国の会に書かれた内容の事です。
確かに徐氏の論である事に間違いはないですよ。しかしその後に延熹8年(165)の墓碑銘をもつ墓から出土してるんですよ。位至三公鏡。


359 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 01:10:58
>>358
それは縦ステじゃないよね。
鏡の四隅に位至三公と別々に入れたものだよね。

>>302を読む限り、その辺の違いは分かっているのかと思いましたが・・・


360 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 01:14:36
>>356
今まで河内湖の変遷も知らずに今まで大和湖の事書いてたのか?
そりゃ無知と言われても仕方ないんじゃないの?

361 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 01:34:12
>>348
倭人の生活を海人的に紹介している点と一致するでしょう。

362 :ローガン:2009/08/09(日) 01:37:33
>>359

所謂、通称「位至三公鏡」の編年なんてありますか?
だいたい位至三公鏡の定義ってないでしょ?(笑)
通称ですからね。その通称「位至三公鏡」の編年とは、双頭龍紋鏡の編年でしょ? 龍の姿が時代が下がるにつれ、崩れてくる…
九州の弥生遺跡ででる通称「位至三公鏡」はX〜Y期のものとされてますよ。
ではお休みなさい。



363 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 03:09:38
平安中期のデータでは、
畿内(5ヵ国) 55,298町歩
1町で5人の食い扶持が生産できるから、畿内では27万人が養える

364 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 03:26:26
古墳時代既に平安時代並みの生産力があったんですか。
すごいですねー。

365 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 04:45:15
>364
いやいやw
仮にヤマトの外から人を集めたとしても
畿内全域と言う事はないだろうから
それで(一戸=5人として)35万人。

平安よりももっと後の時代に匹敵するんだろうなw

366 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 09:06:41
九州説も畿内説も、自説の地域の生産力を
過大評価する傾向があるな。

367 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 09:19:02
七万戸自体が虚数だろ。

368 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 10:25:58
距離にしろ、戸数にしろ、郡使は測量士でもなければ、戸数を数えにやって
来たわけでもないから、倭人伝の数字の信頼性を過大評価するのは間違っている。

いつも車に乗っていても、距離感はなかなかつかめない。時間がわかれば
ある程度推測できるが、それでも距離計というかメーターに頼ることが多い。
まして、船だと速度感もつかめないし、航行距離はわかりにくい。
これはもうイメージの世界だろう。

戸数も同じで、自分の住んでいる町内が何戸くらいあるのかさえわからないはず。
鬼頭説の方がはるかに理論的であり、これを考慮すれば、倭人伝の数字が
結果的に誇張されているのは間違いない。

369 :縄文人:2009/08/09(日) 11:16:56
>>360
無知はあなたのことだと思いますよ。河内平野のことは随分前に書き込んでおります。
348に示されたサイトは大和川のことが書いてあるから言及したまで。私が言っても信用しようとしないから
他の人が書いたものを示しただけです。地勢、地形、地質の情報を読める人なら分ることを私は述べて来たの
です。私を罵倒してきた人達は恥ずかしくてたまらないでしょうね。

370 :縄文人:2009/08/09(日) 11:27:05
>>369
倭人伝には税のことが書かれています。倭国は税の制度を持っていたのですよ。税を徴収するのに、どこに誰がどのような
生産活動をしているか、何も分らずにできますか?
あなた方は自分に都合の悪いことは間違いだ、誇張だ、いい加減だと、根拠もなく仰るのですね。アハハ 開いた口が塞が
りませんね。

371 :縄文人:2009/08/09(日) 11:29:56
訂正 >>360 は間違い >>368でした。

372 :縄文人:2009/08/09(日) 11:59:02
>>368
追い打ちをかけて悪いけど

<鬼頭説の方がはるかに理論的であり>
倭人伝と鬼頭説を理論として比較なさるのですか?まさか。そんなはずはありませんね。論理的に書いて下さいね。
鬼頭説は遺跡(発見されていたもののみ)をもとに推定したものでしょう。それが正しいとする根拠は崩れていますよ。

373 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 12:20:47
>>370
横からだけど、正確さとは別の話だね。

当時の税制がいかなるものかも判っていない以上、
税を徴収していたから戸数も正確に把握していたなんていうのは
論理に飛躍がある。

吉野ヶ里遺跡なんか、あの時代ではかなり大きな町だったと思うけど
九州説の高島忠平氏でも1000人くらいの人口じゃないかとの推測だ。
周辺を含めたクニだと5000人くらいらしいが、これでようやく1000戸程度。
とすると、あの規模の町がいくつもないと倭人伝の戸数にはならない。

そして、現在発掘された遺跡と今後発掘を期待できる遺跡を積み上げても
九州、大和双方とも無理があるという状況。
倭人伝の戸数を正確とする前提は、特に九州に倭人伝の国を押し込める
九州説にはより不利な条件と思う。

374 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 12:38:27
>>369
で、亀の瀬の河川水路開削工事に匹敵する、
九州の大規模土木工事の後や伝承は何処にあるの?

375 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 12:48:41
>>330

> これを仮に「縦ステッカー型」とします。

判りやすいネーミングですね。

> 中国では縦ステッカー型は魏の時代に始まり

「魏」からと言い切れるかは微妙、ただ、遡り得ても「漢最末期」でしょうが・・・

> 3C末葉〜4C初め頃に大流行しました。
> なので、日本で出土する縦ステッカー型は高い確率で3C末葉以降ということになります。

「大流行」というより、同時代の出土量が少ないため、他の鏡種に比べて「相対的に多い」と言うべきかと。

> 縦ステも大半は古墳から出土していますが、

「ほとんど」ですね。それも後期古墳からが多い。

> 福岡県北九州市若松区岩屋の岩屋遺跡からも出土しています。岩屋遺跡は西新式の前の土器で弥生後期後半頃ですね。
> つまり、3C末葉は未だ弥生時代後期後半であったとの推測が成り立ちます。

で、その「岩屋遺跡出土の位至三公鏡」ですが、どんな感じの「縦ステッカー型」なのでしょうか?
データベースを探してみましたが、漢鏡V期に分類されていることはわかっても、
現物の写真は見られませんでした。

376 :縄文人:2009/08/09(日) 14:17:44
>>373
正確さという点では漏れているものもあるだろうし、今日の国勢調査みたいなことが行われていたかどうか分りませんから
極めて正確とは言えないでしょう。私は368を書いた人が倭人伝の戸数は「調査されたものではない」みたいなことを言わ
れるものですから、税の制度があれば調査はされている筈だと申し上げているわけです。魏の人が税の制度があると述べて
いるわけですから、調査もしない、台帳みたいなものも無い、いい加減なものを税の制度があるなどとは認めないでしょう。
そんないい加減なものであれば、税の制度みたいなものがあるがいい加減なものだと書くでしょう。

もしかして、3世紀の倭国を未開人部落の集合体みたいに考えておられる人がいるのでしょうか。倭人伝には倭人は文字を
知らない、歳時を知らないみたいなことが書かれていますが、これは一般大衆のことを述べたものです。指導層(支配者層)
の人達は漢字の読み書きができた筈です。渡来人も入り込んでいますし、なにより、魏に使節を派遣したり迎えたりなどの
外交をしているわけですから、文字の読み書きが出来ないでは務まらないでしょう。

吉野ヶ里のことを言われていますが、あれはたまたま発見された遺跡で、発見されない(壊されたりして分らなくなった)
住居跡は無数にあるでしょう。無いということを証明できますか?

377 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 17:06:44
九州説論者の循環論法は見飽きた

378 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:37:32
>>369 アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)

ヨコからで悪いが>>348のサイトももう何回も見たし
多分他の人間も何度も見ているんじゃないかな?

そもそも お前がわが意を得たりとはしゃいでいるのは
下記の部分だろうが…

http://agua.jpn.org/yamato/coverf.html
>有史以前にあった火山の溶岩層が原因で起こる地すべりは、古来大きな被害を出してきた。
>峡谷が崩落によって埋まり、堰き止められた水が大阪平野を襲うというシナリオを想定して対策工事が今も継続中である。

奈良盆地が水没するじゃなくて大阪方面だぞ?アホ

一時的に堰き止められた水がダムの決壊の如く
大量の土石流で下流域を襲うって話じゃないのか?w

お前が言うような巨大盆地湖を形成するには
地すべりの一回や二回で間に合わないって事の傍証にすらなると思うが?wwwww

土木工学・地質学に造詣の深いアホの縄文人センセイの御講釈を是非承りたいモンダミンwwwwwwwwwwww


379 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 20:01:40
話が見えないな。ヤマトの盆地湖?いつの時代の話をしているんだ。倭人伝の時代なら
ありえんだろう。およそ、百万年前の紀伊半島隆起による地殻変動で奈良盆地全体が隆起
しているのは周知の事実じゃ。3世紀の奈良盆地には地盤の軟弱な地域はあっただろうが、
湖ということはありえん。それは地層をみればわかる。
ただ、じめじめした水辺というのは霊が集散する場所でもあるがの。

380 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 20:15:47
卑弥呼のいた場所は、三輪山のふもと、今の大三輪神社があるあたりだ。しかし、残念な
ことに卑弥呼の祭祀の痕跡は消されてしまっている。おそらく、台与の時代かその後くらい
であろう。卑弥呼の鬼道は、太陽祭祀だ。ただしそれは衆を惑わすための舞台装置であり、
実際は卑弥呼の個人としての精神感応力だな。おそらく台与にはそんな力はなかった。
そこで、信仰は徐々に農耕祭祀から、首長霊信仰へと意図的に切り替えられていった。
つまりは、倭人伝の記述がなければ、卑弥呼は歴史には残らなかったはずの存在なのだ
よ。

381 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 20:22:47
崇神紀に見られる人心の混乱は、卑弥呼という本朝史に残る大霊能力者を失ったための
ものだ。そこで、信仰対象の切り替えが画される。それが、大田田根子による大物主神の
祀り。記紀に、疫病は終息し、五穀豊穣となるとあるとおりだ。纏向から、太陽祭祀の痕跡
が全て消されているのはこのことによる。纏向の土坑から見られるのは、すべて農耕と共食
に関する祭祀跡のみだ。

382 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 20:39:48
卑弥呼は、三輪山に向かい、朝日の到来に鏡を持って祈った。おそらく大型内行花文鏡。
卑弥呼の出自についてはいろいろと言われておるようだが、私の推測では、平原遺跡の
被葬者の近親であろう。霊力が血筋を等して受け継がれておる。平原王墓については、埋
葬施設から正しく当面する大柱跡が証しておる。卑弥呼の出自については、系図等から説く
ものが多いが、あれらがいつできあがったものと考えておるのか。ただし、長く秘されていた
籠神社系図には、一篇のの真実が含まれる。倭迹迹日百襲媛命、またの名を日神であると。

383 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 20:53:01
もはや私の言わんとするところは十分察知しえたであろう。つまり、卑弥呼そのものが神
であったと。ただし、倭国乱の諸国をまとめるため、卑弥呼が仕える神は必要であった。
そこでの太陽祭祀である。これは、平原王墓に眠る血縁女性から受け継いだものだ、形だ
けではあるが。また、箸墓は卑弥呼の墓であろう。箸墓の中心軸は、後円部からのばせば
三輪山頂ではなく、日の出の位置に向いておる。

384 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 21:06:56
>>382
×当面する  ○東面する・・・でないとなんのことかわからないのう。

卑弥呼の霊力とは、既書したが、精神感応による遠隔呪殺能力。諸君のイメージとしては
star warsに見るダース・ベイダーのフォースであろうが、それで大きく誤ってはいない。
卑弥呼は歴史上その存在を消されたものの、ヤマト大王はその祀りをかかしてはいない。
名前を変えられ、伊勢神宮に葬られておる。台与を豊受大神宮として従えてな。これが、
史上の大市寸(おおいちき)に対する鎮魂の証としてな。なお、木簡出土の「大市」は、地名
ではあるが、元は大市寸=大齋女からきておる。

385 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/09(日) 21:34:28
>>376
>指導層(支配者層) の人達は漢字の読み書きができた筈です。

できなかった可能性の方が高いのではないかと思います。
鏡などでも国産のものは、元の渡来品が漢字だった部分を四角などの模様に変えているものがあります。
もし漢字を読めて意味が分かるようなら、そのような置き換えはしないのではないかな。

もう少し考察すると、漢字が読めたとしても読むものが無い、読みたいものが無い。
仏教が伝わる以前というのは、そのような状況だったと思うのですが、
それで苦労して文字を読み書きできるよう努力するなど、誰もしようと思わないのではないでしょうか。


386 :Ghost of KHM:2009/08/09(日) 21:37:25
われらが学燈、福来友吉博士の千里眼事件による帝大追放以来、我が国の超心理学は
長く不遇をかこつてきた。しかし見よ、このたびの衆院選を。与党、野党ふくめて、裏では
精神感応者の奪い合いではないか。しかし、自民党が掴まされているのは偽物ばかりだ。
愛知の盲目のあの方は、民主党のお味方をされておられる。もう勝敗は見えたも同じ。どう
だ、学会には認知されない超心理学が、裏の世界ではこれほど頼られておるのだ。
私たちの勝利であるのだ。怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨オン!!

387 :縄文人:2009/08/09(日) 21:44:23
>>378
これだからものの道理の分らぬ人は困るのだ。そこに書いてあるのは大阪の対策であるが、大和川が閉塞すれば標高の関係で
奈良盆地の低地部は水没するのだ。だいたい、地滑りが多いというのは大雨でも滑るということで、大きな地震があれば数百
メートルにわたって土砂岩石が川を塞ぐことは容易に想像できるのだ。現在は滑り易い部分が滑り落ちて少なくなっているだ
ろうが昔はもっと落石の量が多かった筈だ。こんなことも分らずいちゃもんをつけるばかり。他に畿内説のためになることは
考えられぬのですかね。

388 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 21:57:47
大和湖は神出鬼没の湖で、弥生時代には普段は安堵周辺が沼地という事ですよ。
今更議論する事でもないな。

389 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 22:09:29
>>376
無いということを証明できますか?ってのは多分無理だろうね。
一般に「無い」という事を証明するのは困難。
ヨーロッパ中世の魔女裁判なんかがその例。

仮に九州中を掘り返して見つからなくても、
壊れて、失われたものが無かったと証明できますか?
と問う事ができる。

「無いと証明できない事」が「あったという証明になる」が如き
論法では説得力が無いよ。

390 :縄文人:2009/08/09(日) 22:24:50
>>389
<「無いと証明できない事」が「あったという証明になる」が如き 論法では説得力が無いよ。>
私の書き込みの論旨はそのようなことではない。この書き込みは揚げ足取りというものです。


391 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 22:49:27
唐古・鍵遺跡は洪水で埋まったことがあったらしい。それも一回ではなく
数回あったらしい。
普通、洪水というのは河川の氾濫ということなのだが、唐古・鍵付近に
氾濫すると集落全体が埋まるほど大きな河川があったかな。

ひょっとして大和湖の氾濫か?

そう考えると、唐古・鍵遺跡の環濠は、水害対策だったのかもしれない。
つまり、吉野ケ里の環濠のように他の国との抗争のために作られた防御施設と
しての環濠とは意味合いが違うのかも。

392 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 23:03:47
>>391
大和湖というより普通に河川の氾濫だな。
そうじゃないと何百年も邑は継続しないでしょ。

393 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 23:37:20
ヤマトは四方を山に囲まれていて、川の流れが1箇所に集中する。

1か所しかない排水河川には当然に堆積物がたまり、河川の氾濫は多かったで
あろうし、雨季には湖のようになったであろうことは容易に理解できる。


394 :日本@名無史さん:2009/08/09(日) 23:39:43
実際に奈良時代以前の遺跡や田の跡も一切出土しない広大な地域が存在するが、
それを正面から認めることができないという北朝鮮のような言論状況がある。




395 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 00:01:36
倭人伝が書いていることを正しく読もうとせず、わざと無茶苦茶な読み方をする人が
多いのにはあきれるね。
倭人伝が書いている倭国の大きさは周旋五千余里。戸数は十五万戸+α。これを無視
して倭国が理解できるはずはない。邪馬台国もみつかるはずはない。

396 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 00:06:28
>>395
じゃあ、とっとと見つけてきてくださいねw

397 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 01:54:29
>>363
追記
大和 17,905町
河内 11,338
山城 8,961
摂津 12,525
和泉 4,569
------------------
計  55,298町
(出典 和名抄)

55,298×5=276,490人 の食い扶持 (1町の生産量で5人が食える)
班田収授法では、男子は2反、女子は1.33反を耕作する
10反=1町 だから 3夫婦×(2+1.33)=10反=1町 となり
1戸で1町を耕していたのかなぁと、推測する
 
7万戸、つまり35万人とかの人口となると、畿内5ヶ国ですら収まらないから
丹波 10,666町
紀伊 7,196
を加えると7万町を少し越える、これでやっと35万人になる

邪馬台国が戸数7万というのなら、
大和、河内、山城、摂津、和泉、丹波、紀伊くらいの領域を想定せざるを得ない

九州全体で 114,848町歩 だから、55万人くらいは可である

398 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 01:58:45
>>394
そんな事畿内説の人でも皆認識してますがw
現在の標高で42m以下が普段時に沼だったという事です。

399 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 02:06:56
>>398
>現在の標高で42m以下が普段時に沼だったという事です。

まあ沼地も多かったんだろうが
川の氾濫増水時に直ぐ冠水する地域として集落や田畑を作らなかったんだろうな。

数年に一回とか相当なリスクがあると分かっていて家や田んぼを造る馬鹿はいないwww

400 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 05:24:51
>>397
投馬国の5万戸を考えると平安時代でも九州じゃ無理ってことか。

401 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 06:01:51
>>397
乙!
九州内に全てを納めようとする考えには無理があるということか。

402 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 06:32:57
>>399

沼地だったら、田をつくらなくても、ほっといても稲は自生しますよ。

野生の稲の話ね。今の品種改良したやつは弱くてダメだけど。


403 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 06:42:24
奈良盆地は台風被害も少ないし、
沼地ばっかりだったら、住居が作りにくいかわりに、稲が取りほうだいだったことでしょう。
水田というのは、水を管理する必要があるから必要なんで、
あたりが沼地ならわざわざ水田を造る必要は無いわけで。

食料が潤沢なら人も集まってくる。
東海から多くの人が流入してきたことは土器を見れば明らか。
その東海も、今ほどではないにしても土地は豊か。
川の氾濫も多いけど、氾濫が多いということが土壌を豊かにする。ナイルしかり。
しょっちゅう氾濫しようが、実りが多ければ農民はそこに住みつく。
事実として、氾濫被害の多い土地は田んぼだらけ。


404 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 06:46:48
現代の感覚でいうと、田んぼばかりの土地は貧しい後進地域のイメージがあるけど、
弥生時代は、そこが生産の中心地だったことをお忘れなく。
田んぼの作れない高台は利用価値無いわけで、古代人は住まない。
高地性集落が注目されるのは、高地に集落を作ることが珍しいから。

405 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 08:23:41
現在美味しい米の基準である魚沼はほとんどが棚田なんだぜ
水さえあれば平地じゃなくても米はできるっす

406 :サガミハラハラ:2009/08/10(月) 08:38:53
沼地で稲の栽培は無理ですよ。日本では葦が密生していますから。
桜の馬場をみてもわかるように、灌漑が非対楊なのです。

407 :サガミハラハラ:2009/08/10(月) 08:45:23
非対楊は必要の変換ミスです。

408 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:09:15
流れを読まずに
佐賀県には大和町があるが関係ないのかね
畿内から移住してきた人が住んだとか
大分、宮崎、佐賀から瀬戸内海を経由して、東に向かうと畿内にたどり着く
畿内から西に向かうよりも、上記のルートが移民の流れとして自然な流れだよね
話しが前後するけど、九州が古く、次に畿内と別れ
二つの国が出来たと考えるほうが自然だよね
どの時点でどちらが邪馬壹(台)国を名乗ったかは不明だけど
自分は邪馬は渓谷を意味し、険しい山に囲まれた国と解釈する九州支持者なんだけどさ

409 :縄文人:2009/08/10(月) 09:11:59
>>402 >>403
見て来たような嘘ですね。サガミハラさんが言われるように稲はちゃんと手入れをしなければ十分な実り
はありません。雑草(葦の類い)に負けます。

川の氾濫で運ばれた土が肥沃な農地をつくるのは事実ですが、治水ができなければ水田はつくれません。
食料が潤沢という状況は自然に手を加えなければ成立しないのです。

410 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:19:53
またまた流れを読まずに
瀬戸内海を経由と別に
鹿児島や宮崎から土佐を通り畿内のルートもあるね
何らかの関連性を調べたいな
平地や山を通るよりも、海流や湾岸の航路が楽で速く、物資も大量に輸送できる

411 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:22:55
つまり普段沼の多い奈良盆地は治水しやすかったという事でしょう。

周囲に3世紀の大規模な古墳が存在してる事は
当時土木工事技術を持つ人が居住していた証拠ですね。

412 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:26:46
>>407

変換する前に、ひ・つ・よ・う、と正しく入力したかどうか

これは単なる変換ミスではあるまい
必ずや入力ミスがあったと思われ

氏は自分の仕出かしたミスを客観的に見ようとせず
できるだけ過小評価したがるわけで、そういう甘〜い態度であるなら、
否応なしにギリギリの厳しさが求められる古代史探究の世界は、
到底ムリと思われ

413 :縄文人:2009/08/10(月) 09:30:09
>>411
<周囲に3世紀の大規模な古墳が存在してる事は> どう証明できますか。4世紀ですよ。

414 :サガミハラハラ:2009/08/10(月) 09:34:52
入力ミスという言葉があったんですね。
今後それをつかいます。

415 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:43:57
>>414
入力ミスでも変換ミスでもない、故意だろう?

416 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:48:59
>>397
そんな計算をする前に、一大国(壱岐)が3千戸だろ。その平野面積を考えて
比例計算した方が正しい答えに近づくんじゃないかな。

417 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:51:31
故意に事実を捻じ曲げるのが九州説

418 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 10:14:23
>>413
4世紀だという証明も出来ませんが。

419 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 10:28:19
3世紀か4世紀か、それ以外か、わけが分からんということだな。それにどこが発祥の
地かも分からん。そんな古墳に頼って邪馬台国の所在を決めようってのが無理な話。
次のような点を考えるべきだろうな。
1 倭国の範囲 山島、周旋五千余里。
2 倭人伝の行程 無理なく合致するか?
3 考古資料に矛盾しないか?
4 記紀の伝承

420 :サガミハラハラ:2009/08/10(月) 10:28:25
こんな間違い故意ではできませんよ。非対楊では意味ある言葉ではありませんから。

421 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 10:32:10
>>406
しかし、池や沼が多く、湖もあったかもしれない奈良盆地で大和朝廷が
芽生えたのは確か。古代ではこういう土地が農業生産に適していたのかも。

ただ、この頃、稲作は盛んに行われていたのかねえ。
映画の「七人の侍」なんかを見ていると、江戸時代でも米は貴重品で、
百姓はヒエや粟しか食えなかったとなっているが。

422 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 10:39:56

佐賀県小城市は故意料理が、い、いや、鯉調理が自慢です。

>小城の美味 鯉調理
>天山山系から湧き出る豊富で冷たい清流によって育てられた鯉は、
>一段と身が引き締まり 川魚特有の臭みもなく、小城自慢の一味で、
>栄養満点。夏バテ防止に最高です。
http://www.ogi-cci.or.jp/kankou/koi.htm

423 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 11:06:42
奈良には池沼が沢山居るのか?

424 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/10(月) 12:02:57
奈良には池沼が沢山居ませんが、
奈良には池沼が沢山在りました。

明治以降の河川改修で沼沢地はなくなってきましたが、
それでも戦後までは溜池だらけの平野でした。
その池も昭和30年代以降から埋め立てられ、現在は少なくなっています。
それでも小さなた溜池の多い平野と言えるでしょう。
大和郡山の金魚が有名ですが、地面を掘ればそれだけで池になるような土地で、
田を簡単に金魚養殖池に転用できたのです。
現在は地下水位が下がり、戦後まではあった自噴井戸もなくなって来たようです。


425 :Ghost of KHM:2009/08/10(月) 16:30:22
今日は、精神感応力について話そう。これは、程度の差こそあれ、実は誰もが持つ能力だ。
超心理学界では、追試可能の観測事実として認められている。まあ、例えて言えば視力の
ようなもので、強い人も弱い人もいる。ただし、後天的に学習で獲得できる形質は少ない。
つまり、生まれ持った素質である部分が大きいということだ。
卑弥呼は、史上最強クラスに強い精神感応力を持って生まれた。

426 :Ghost of KHM:2009/08/10(月) 16:40:26
試しに、簡単な実験をしてみよう。会社の勤務中など(デスクワーク)がよい。ある一人の
人を選んで、誰もが知ってる(その人が知らないと意味はない)ややアップテンポの歌を
心の中で歌いながらその人に向かって念を送るようにする。(実験では「森の熊さん」などが
効果大であった。)すると、うまくいく場合は5〜7分程度(このあたりが最頻値をとる)で、
その人が「森の熊さん」を鼻歌程度に口ずさみ始める、という寸法だ。この程度のことは、
誰でもできるが、もちろんうまくいかない場合もある。この実験は、戦前、食生態学者である
西丸震哉氏が考案したものだ。

427 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 17:20:53
フーン、今度やってみよう。

428 :Ghost of KHM:2009/08/10(月) 18:09:57
ちなみに昔、西丸氏は「おさるのかご屋」で実験したそうであるが、今この歌を知る人は少ない。

429 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 18:46:34
>>421

米が貴重品というのは、認識がちょっと違う。
収穫した米がほとんど年貢に取られる(だから百姓自身は米が食えない)
というだけであって。


430 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 18:53:15
黒沢の描く江戸時代はあまり当てにならんと思うよ

431 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 19:11:06
>>425-426 Ghost of KHM

完全に板違いだ
.. この気違い

オカルトゴッコはオカルト板でやれドアホ

432 :縄文人:2009/08/10(月) 19:25:25
>>425-426 Ghost of KHM
卑弥呼が精神感応力とやらで人を動かしたり、呪殺できたりしたというなら、その証拠を示せばすむことでしょ。
やたらと多い無関係な書き込みはこの場に相応しくありません。

433 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 19:40:47
>>403
なわけないだろwww
稲より深い沼だとダメだし、雨季に一時的に冠水してもダメ。

この手の基地外自生説の支持者なんておらん。


434 :縄文人:2009/08/10(月) 19:44:49
>>421
429の人が言うように、江戸時代の百姓は米を年貢として差し出していました。私の祖父がそのまた祖父から聞いた話では
「お百姓は普段は全く米を食べていない」ということはなくて、他の穀類や野菜も食べていたということです。ヒエや粟や
キビなどは水田でなく、畑や米の育ちの悪い土地で栽培していたそうです。年貢の取り立てが厳しくて一揆が起きたという
こともありましたが、普通はそれほど厳しくなかったそうです。役人や庄屋も人に恨まれるのは嫌だったのでしょうね。生
かさず殺さずという言葉がありますが、お互いに折り合いがつく程度の年貢が支配者にとって得策だったのでしょう。


435 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 20:38:33
千葉県庁と厚生労働省 関東信越厚生局千葉事務所の不正

http://iwgp.aikotoba.jp/

436 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 22:49:00
>>430
そもそも、7人の侍は戦国時代の設定だしな。

437 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/11(火) 00:58:18
>>433
>なわけないだろwww
>稲より深い沼だとダメだし、雨季に一時的に冠水してもダメ。
>この手の基地外自生説の支持者なんておらん。

>>424をよく読め。
稲より深い沼も無いし、雨季の一時的に冠水もない。
地面を掘ればすぐ沼になり、井戸を掘れば水が噴出す。


438 :Ghost of KHM:2009/08/11(火) 01:53:03
呪詛してやる。呪詛してやる。おのれらを呪詛してやる。そんなに超心理学が憎いのか。

439 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:38:19
>>438
いや憎いとかはなくて単にウザイだけ。

オカルト板なら、お仲間いっぱい、いるだろ?
さっさと逝け馬鹿者。

440 :縄文人:2009/08/11(火) 13:30:34
>>438
ひとを呪えば穴二つと申します。呪詛を発する者は必ず報いを受けます。慎まれたほうがよろしいかと思います。

441 :Ghost of KHM:2009/08/11(火) 14:44:07
ちなみに438レスは「じゅそ」ではなく学会用語では「ずそ」と申します。

442 :Ghost of KHM:2009/08/11(火) 15:49:53
掛巻も畏き産霊之大神達の奇しき神霊に依りて

現出座る五柱の元津神は

風の神志那津比古之志那津比賣之命

火の神火産霊之命

金の神金山比古之命金山比賣之命

水の神彌都波能賣之命

土の神埴山比賣之命達

是の五種の元津気を以て

世に遍く災いを為す439,440

最も奇比成る苦悩と困窮に寄りて

稱辭竟奉る状を怨し恨し

聞食と白す

443 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 17:33:31
記紀の皇室の系列を簡単に記すと、

天照大神→ 子 → 孫(ニニギノミコト)→ その子 → その子 →
神武天皇(東征)→(いわゆる欠史八代)→崇神天皇→垂仁天皇→景行天皇

となる。
天照大神は高天原で暮らす。ニニギノミコトとその子、その孫が日向三代で
日向で暮らす。神武天皇からが大和になる。
天照大神だけが女性である。なぜ、女性が皇祖神でなければならなかったのか?

これは、そういう伝承があったからに他ならない。
古代の日本には女王がいた。それが天照大神伝説になったのだろう。
一方で、中国の歴史書もそれを伝えている。それが卑弥呼である。

444 :Ghost of KHM:2009/08/11(火) 21:00:00
というわけで、私は逝く。「醜」あとを頼む。

445 :醜の御楯:2009/08/11(火) 21:22:35
「Ghost of KHM」氏の後を受け継いだ「醜の御楯」です。よろしくお願いいたします。

海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君(おおきみ)の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ











446 :醜の御楯:2009/08/11(火) 21:26:49
万世一系の天皇家が日本を君臨統治することは神勅に基づく永遠の正義であり、天皇に忠
義を尽くすことが臣民たる日本人の至上価値であることをまず再認識せよ。

447 :醜の御楯:2009/08/11(火) 23:35:20
ももとせの命ねがわじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて

では、私の説を語ろう。

@記紀の記述は神代も含め、すべて事実か事実に基づいたものである。
A天皇家は万世一系であり、その皇統が途絶えたことはない。
B神武帝は前660年橿原で御即位なされた。もちろん日向国の地高千穂宮から東征なされ
  たものである。
C邪馬台国は、九州の女酋の類が大和朝廷の名を騙ったという本居宣長翁の説を支持す
  るものである。神国日本がシナに朝貢などするはずもない。
D太平洋戦争は、欧米帝国主義、植民地主義に対する抵・解放運動であり、大日本帝国軍
  は神軍として鬼畜の討伐にあたったものである。

以上。天皇陛下万歳、万歳、万歳。


448 :醜の御楯:2009/08/11(火) 23:36:55
×抵・解放運動 ○抵抗・解放運動

天皇陛下万歳、万歳、万歳。


449 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:43:44
ん?何だ?
「Ghost of KHM」から「醜の御楯」へオカルトキ○ガイのバトンリレーか?
なんかチョト前に「縄文人」から「縄文人の弟」とか似たようなパターンがあったなwwwwww

しかし邪馬台国ってこういうオカルトキチ○イを惹きつけ易い何かがあるんだろうなw
それでなくとも「九州王朝説」や「東遷説」なんてトンデモが常駐していると言うのに…

まあ二つの仮説が長年対立していた…なんてのは他の学問でもままある事ではあるんだろうが
この邪馬台国論争の奇異なところは、ある時点から市井の郷土史家、歴史マニア
はたまた一般大衆まで巻き込んでのブームを巻き起こしたところなんだろうなあ。

無論学問を象牙の塔の住人の占有物とせず大衆に門戸を開いたと言う点において
評価こそすれ非難する必要はないだろうが・・・

功罪の罪の部分はあったわけで、それが多少トンデモでも「○○説」として名乗りを挙げる事ができる場を作ってしまい
カオスの様相を呈してしまった事だろうw

で、2ちゃんみたいな匿名掲示板だと電波100%のオカルト○チガイも呼び込む状況になっているとwwwwwwwwwww



450 :サガミハラハラ:2009/08/11(火) 23:45:09
邪馬台国論争に活発に参加しておる皆様にここでクイズを一つ。
江戸時代以来多くの博識が論議しているにも拘らず、その姿を隠したままの邪馬台国が、
1991年8月に一人の天才古代史研究家によって見事発見されました。
さて、問題です。
この人物はだれで、邪馬台国はどこだといっているのでしょうか?

451 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:54:26
そう言えばサガミハラって九州説でも「九州王朝説」や「東遷説」の立場とってなかったんだっけ?

まあイロモノと言うか濃いキャラ揃いの九州説連中の中にあってこの板ではわりと貴重な存在なのかな?wwwwwwww



452 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:11:53
>>451
自分のキャラの濃さには気がつかないみたいだな。

453 :醜の御楯:2009/08/12(水) 00:24:48
ところで、諸君に正しい万歳三唱の仕方を講じよう。これは、明治12年(1879年)4月1日施行
の太政官布告第168号に依るものである。

一 万歳三唱の基本姿勢は之直立不動なり
   而して両手指を真直下方に伸ばし身体兩側面に完全に附著せしめるものとす

二 万歳の発声と共に右足を半歩踏出し同時に両腕を垂直に高々と挙ぐるべし
   此際両手指カ真直に伸び且両掌過ち無く内側に向く事肝要なり

三 万歳の発声終了と同時に素早く直立不動の姿勢に戻るべし

四 以上の動作を両三度繰返して行うべし
  何れの動作を為すにも節度持て気迫を込めて行う事肝要なり

若き諸君のため、旧漢字旧仮名遣いから改めてある。皇国は永遠なり。

454 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:30:22
でもぶっちゃけ邪馬台国ブーム華やかりし頃はサガミハラ先生のように
市井の好事家がメジャー・マイナー・自費出版etc…と色んな本を出してたわけだし
サガミハラ先生はその最後の生き残り・生きた化石とも思わないでもないwwwwwww

まあサガミハラ先生も内心はもう九州説に先がないとは分かっているんじゃないのかな?
でも九州説で著書を著した手前それもできないとw

サガミハラ先生、もうこの際全て吐いて楽になろうやw
もう先生は十分闘ったんやし、もうええやんwww

なんやったらカツ丼ぐらいやったらおごるでwwwwwwwwwwww


455 :醜の御楯:2009/08/12(水) 00:35:16
>>454
あなたはwwwの人ですか?自分は縦目さんの剣道部の後輩です。縦目さんはモンゴルに
行きましたが、自分らはここに書き込むように指令を受けています。Ghost of KHMは別の
人です。自分のキャラはオカルトではなく皇国史観の右翼です。

456 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:39:08
>>455 変態仮面

お前も、もう、ええちゅうねんwww

芝居がかり杉wwwwwwwwwwwwww

457 :醜の御楯:2009/08/12(水) 00:45:05
>>456
いや、この話は本当です。縦目さんの寮のパソコンを使って書いています。

堕落した日本人は、万世一系の天皇家が日本を君臨統治することは神勅に基づく永遠の
正義であり、天皇に忠義を尽くすことが臣民たる日本人の至上価値であることをまず再認識
せよ。


458 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:46:46
>>457
縦目のパソコン?
何処かのフォルダにエロ画像隠しているはずだ!

見つけて晒したれやwwwwwwwwwww


459 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/12(水) 07:06:53
>>450
問題文に誤りがあります。
誤)天才古代史研究家 → 正)妄想古代史研究家

>>451
私も九州説ですが、「九州王朝説」や「東遷説」などは採りませんよ。
ついでに「放射説」も採っていません♪

>>454
>>九州説に先がないとは分かっているんじゃないのかな?

畿内説には邪馬台国につながる「何か」が一切ありません。
全く関係ないものを「邪馬台国の何々だ」とか「卑弥呼の何々だ」と根拠もなく言ってるだけなので、
それで危機感とかそういったものを感じるということは全くないのです。


460 :縄文人:2009/08/12(水) 11:37:22
>>454
サガミハラさんを非難されてるようですが、「九州説に先がない」とは言い過ぎではないでしょうか。
私はむしろ畿内説が出されたのが何かの間違いではないかと感じます。倭人伝を素直に読めば畿内になどに辿り着ける
筈がないのです。

醜の御楯さん
私は山の中を走り回って獣を追っていた縄文人の子孫です。貴方が、私どもの祖先を暴力で支配した大和朝廷を賛美さ
れることに一寸ばかりムカつく気分があります。あまり邪馬台国と関係ないことを書き込まないで下さい。

461 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 12:15:01
素直に読んだら九州にも辿り着けませんけど。

462 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/12(水) 12:44:36
魏志倭人傳 [隋書俀國傳] 地図
〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜[十餘國]:伊都國〜投馬國・近隣餘旁國の後継国
〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜[秦王國]:唐津市浜玉
〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜▲印:観音峠
〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵倭28ヶ国∵∵┗┓〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國・狗奴國を除く)
〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛(餘旁國) ◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━奴國:須玖岡本遺跡
〜〜〜〜〜┃│┗↓━[秦王國] ∵∵◎奴國∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵郡⇔不彌國(女王國):12000餘里
〜〜┏━━┛│∵◎→◇→▲┐∵∵∵∵◇倭京∵∵∵∵∵∵∵∵郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行)
〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵(餘旁國) ∵∵∵郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由)
〜〜〜┃倭∵│[竹斯國] ∵∵↓∵不彌國∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵●印:女王國メンバー国 範囲(浮羽-白石-大牟田-筑紫野)
〜〜〜┃∵非└┐∵∵伊都國◎→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國:唐津鏡中原遺跡
〜〜〜┗┓∵28└┐∵∵∵∵└┐┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵伊都國:惣座遺跡(肥前國庁跡)
〜〜┏┓┗━┓ ヶ└┐∵∵奴國●┃┃│∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴  國:佐賀城
〜┏┛┗┓〜┃∵國└┐┏━━━┛●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國:吉野ヶ里遺跡
〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌─────────投馬國:大川市郷原
〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國:久留米南部
〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵狗奴國:保田東原遺跡

463 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/12(水) 12:52:12

帯方郡
↓ 南東7000餘里
└→狗耶韓國=慶尚南道
    ↓渡海1000餘里
   對馬國=対馬800餘里
    ↓渡海1000餘里
   一大國=壱岐600里
    ↓渡海1000餘里
   末盧國=唐津市鏡中原遺跡
     └→┐東南500餘里       東100餘里
      伊都國=佐賀市大和惣座遺跡→→不彌國=吉野ヶ里遺跡〜帯方郡12000餘里
        └┐東南100餘里        0里|接境界    0里|接境界…境界線は東から西に流れる筑後川
   佐賀城=奴國  水行20日帯方郡〜投馬國=大川市郷原 邪馬壹國=久留米市南部〜帯方郡水行10日陸行1月
                            0里|接境界    0里|接境界…境界線は現在の福岡熊本県境とほぼ同じ
                            狗奴國・・狗奴國・・狗奴國=山鹿市保田東原遺跡
道程は、帯方郡から不彌國迄の矢印部分。動詞がある行程。城郭間距離を里数で示す。
非道程は、奴國へ、投馬國へ、邪馬壹國へと狗奴國への矢印の無い部分。動詞が無い行程。領域が互いに接し境界を成している。


464 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 14:29:39
投馬は官がミミ、ミミナリだから出雲か但馬だよ。

465 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 14:34:53
>>462
魏志倭人伝のコースと隋書倭国伝のコースが同じとは限らない。
欲張らずに、倭人伝のコースを忠実にたどるべきだな。


466 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/12(水) 15:08:14
>>465
>魏志倭人伝のコースと隋書倭国伝のコースが同じとは限らない。

邪馬臺國と邪靡堆は同じ場所。
隋書に書いてある。
ルートの経過地点である一大國[一支國]と執着点である邪馬臺國[邪靡堆]が同じ場所なら、
魏志倭人伝のルートと隋書のルートは同じにならざるを得ない。

又、邪靡堆は、邪馬臺國以来400年間にわたり倭の都であり続け、
倭京大宰府の南にあると聖徳太子伝歴に書いてある。

467 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:33:06
>>466
>邪馬臺國と邪靡堆は同じ場所。
>隋書に書いてある。

そう、その通り。

故に
「中国史書の方角の記述に誤りはない
 よって畿内説はありえない」
と言う連中は隋書の邪靡堆も九州の何処か・・・と言う事になり
九州王朝説と言う事にならざるを得ない。

自らの立場を明確にせよ!wwww

よって・・・

>>459 二 ◆.L.MXSPOgc
>私も九州説ですが、「九州王朝説」や「東遷説」などは採りませんよ。

は噴飯モノwwwwwwwwww

468 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:00:43
>九州の何処か・・・と言う事になり 九州王朝説と言う事にならざるを得ない。
考えが浅いな。邪馬台国が九州だからといって、九州王朝説になるとは限らんよ。


469 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/12(水) 16:11:42
>>467
>自らの立場を明確にせよ!wwww

三潴(久留米西南)で官人達がそぞろ歩きをしていると日本書紀景行紀に書いてある。
これは都が近くにあることを意味する。

久留米南部の第三次筑後國庁の隣で曲水の宴の設備遺構があった。
曲水の宴の遺構があったことは、この近辺に宮廷があったことを意味する。

よって、倭の都は久留米南部にあったことになる。
即ち、倭の都は、3世紀から7世紀初頭(617年)まで久留米南部にあった。
ちなみに、倭の都は618年に大宰府に遷都。

470 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:37:39
>>469
国の出先は全国にあるんだよ。だから、「官人」というだけで都が近くにあるなんて
言うことはできない。曲水の宴は地方でも行う。

471 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/12(水) 17:00:24
>>470
>国の出先は全国にあるんだよ。だから、「官人」というだけで都が近くにあるなんて
>言うことはできない。

日本書紀の原文を見てください。都の官人の職名が2つ書かれています。


>曲水の宴は地方でも行う。

地方で行われた曲水の宴の事例はないと認識しています。
あれば、その事例を示して下さい。
地方では曲水の宴を催せるだけのメンバーが集まらないですね。

多賀城遺跡で曲水の宴遺跡が見つかったとか?
多賀城遺跡は7世紀末から8世紀初頭にかけての日高見王朝(蝦夷王朝・東北王朝)の都です。

472 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:12:57
>>471
こいつばかだねー。地方での例がお前のいってる久留米南部とかいうやつだよ。お前はそ
こを王都と決めつけてるからそういう論法になるんだろうが、これは循環だな。九州王朝否定
の立場からはなんの根拠にもならない。おいおい、お盆だぜ。嘘つくのはもうやめたらどう
だね。

473 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:17:25
>>471
だいたい古田の戯れ言を真に受けてる時点で程度が知れるぜ。曲水の宴など、施設があれ
ばどこでもやるだろ。遺構が出てないからやってないっってことはないよ。お前の巣でも書いた
が、そんなに九州王朝とやらに自信があるなら、お前の孫の受験の社会のテストでそう書かせ
ろよな。真実が合否より大切だってことを教えてやれよ。

474 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:20:53
俺がお前のスレで書いたことが、全く理解されてないようなんでもう一度貼っとく。老後の
楽しみを奪うようで悪いが、この世に害毒を流すのはもうやめろ。

古田は現実社会において、罪名が付くようなことはしていないだろうが、歴史の真実という
ものに対して、大きな罪を犯し続けた。日本における言論の自由を逆手に取った行為といえ
よう。その実態は、単に一学説の主張ということではなく、ゴット・ハンド事件となんら変わる
ことのないものだった。つまり欺瞞と捏造である。何度も言う。日本では脅迫や名誉毀損に
ならない限り、ネット上で何を言うのも自由であるが、中学生も見るであろうこの2CHの学問
板で、延々と欺瞞の情報を垂れ流し続けることの愚かさ、醜さ。あなたも年配者であることを
自覚するのなら、歴史の真実に対する尊重の念をもっと持つべきだ。一言忠告しておく。
恥を知れ。

475 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:43:34
>>474
同意です。私は大学で歴史学を教えているものですが、古田史学は捏造とこじつけであり
一つの証拠らしいものがあれば、それを百にふくらませて語り、百の否定的証拠があっても
そのうちの一つを否定して事足りる、というようなものです。九州王朝が本当にあったという
なら、どうしてそれが小中学校の歴史教科書に載らないのでしょうか。陰謀の一言で片付け
るのでしょうか。そうではありません、日本のほとんどの文系知識人が、そんなものはなかっ
たことを常識として捉えているからです。

わたしも九州の人間ですから、古田の会のことはよく知っています。少しでも九州王朝の
証拠らしいこじつけができれば賞賛される、まさに宗教のような構造をもったものです。
474氏に続いて忠告します。もうおやめなさい。このようなことでは、九州人はいつまでたって
も日本人の中でありうべき位置を占めることはできませんよ。子供達のことを少しは考えな
さい。

476 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:55:04
本当に新興宗教みたいでゾッとしたから入るの辞めたんだよ。

477 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:56:57
>>475
何処の大学の教授ですか?

478 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:09:21
>>474
>恥を知れ。
2chで説教垂れてるお前もな。

479 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:11:04
>>476
鏡で己の姿見た?

480 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:11:14
>>477
福岡県です。これ以上は勘弁してください。

481 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:12:09
>>474-475


同様に、安本の東遷説も否定するよな?








482 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:13:36
>>480
大学の先生と名乗った以上、自分の身分に自信を持って名乗りをあげて下さい。大学の先生なら恥じる事はないでしょ?

483 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:19:06
>>479
教徒さんですか?大変ですね。

484 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:30:58
私は475ですが474とは別人です。東遷説は説自体は私は取りませんが、安本氏の論は
一つの学説として学会でも存在を認める流れがあります。古田史学とは大いに異なる点です。
ただし、一般の市民を巻き込んで私的な史学会を作ることは、啓蒙という点ではよいことかも
しれませんが、十分注意する必要があると考えます。





485 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 18:51:50
安本氏の論が学説として認められ、古田氏が認められないのは差別ではありません。どこに
どのような形で論文を発表しているか。その内容や、日常の学問態度など総合的な判断がなさ
れてのことです。現に、高校教諭時代に発表した古田氏の親鸞研究は評価されています。
自分の論に対してごまかしをせず、どれほど誠実に論拠を積み重ねてゆくかが、私たちの
仕事であり、生きてゆく過程なのです。

486 :縄文人:2009/08/12(水) 19:04:32
最近ここはあまり議論らしい議論が行われていませんね。非難合戦が多いですね。邪馬台国について異なる説がそれぞれ
自説の正しいこと、あるいは相手の説が間違いであることを根拠を挙げて議論するための場でしょう。それらしくやりま
しょうよ。

487 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 19:17:55
>>486
それは無理だ。
ここは何時も名無しが固定を罵倒しながら優越感に浸る癒しのスレ

488 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 20:36:21
>>474
それは邪馬台国畿内説、あるいは九州説のどちらかについても言えるのでは
ないかな。畿内説はすでにその愚を犯しているとも言える。

たとえば、三角縁神獣鏡。畿内説は、長年にわたって、この鏡を卑弥呼が
魏からもらった鏡と主張し続けてきた。
三角縁神獣鏡が出てくる遺跡などの年代観も、それに合うように組み立て
られてきた。この始末をどうしてくれると言いたいものだ。

年代観といえば、東遷説の系統と畿内説では、現代でも土器編年などの年代観に
違いがある。どちらかの年代観が間違っているのは疑いのないところ。

489 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 20:58:44
>>488
それは、程度の問題でしょう。一つ一つの論拠を見ていけば古田学説は検証に耐えうるもの
ではありません。だから、前記したように学会では全く認められていない。しかし、安本説は
それなりに検証に耐えうる論拠を積み上げてきてはいます。私は東遷説は取りませんが、
九州説です。三角縁神獣鏡、土器編年などは考古学者の一部による主張です。これにより
邪馬台国論全体がゆがめられてはならないと考えるのは、ほぼ同意見といってよいでしょう。

490 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:17:01
>>488
>この始末をどうしてくれると言いたいものだ。

てめえで
「精神的苦痛を受けた」
とでもして裁判を起こせよw

今後だって大きく変わることがあるかも知れんぞ?

それが嫌なら学問じゃなくて宗教に救いを求めるんだなwwwwwwww





491 :489:2009/08/12(水) 21:25:50
少し言い過ぎたようです。
489を訂正します。

誤 邪馬台国論全体がゆがめられてはならない。
正 あまりにも大きな影響を被ることがあってはならない。

 

492 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:25:59
そもそも「東遷説」なんて果たして学説とした成り立っているのかどうかが疑問w

「神話の中にも一部史実が含まれている可能性がある」
とまあこれぐらいのリップサービス程度なら言う学者もいるが
大抵はそこまでw

そこから先、本気で東遷説なんて研究している学者がいるのか?
本職、心理学者の某先生を除いてwwww

何処から手をつけるのが良いのか良く分からないが
先ずスタートが神話なら当然神話学からのアプローチで
神話の部分を洗い流して、史実が含まれる可能性の高い部分を浮き上がらせる
・・・この作業はいの一番にやるべきだとは思うが

それすらやっている学者を俺は知らないwwww




493 :ローガン:2009/08/12(水) 21:27:48
>>489

はじめまして。古田云々はさておき…
先生は上にもでてた隋書の「則魏志所謂邪馬臺者也」はどのように解釈されるのでしょうか?
お説拝聴致したく。

494 :489:2009/08/12(水) 21:39:28
>>492
洗い流せば、大陸や北方、東南アジアが出てくる神話がほとんどでしょうね。

>>493
隋書の理解はその言葉どおり、邪馬台国=大和朝廷という理解でしょう、しかし、隋書の
編纂者が魏志を完全に理解していたとはいえませんでしょう。

495 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:02:13
大学で教えている云々は、あまり書かないほうが良い。
むしろ紛糾しやすくなる。

さまざまな文献、資料の解釈は、状況によって容易に変化することは理解されている
物と思われる。解釈という修飾の部分を取り去って、解釈分析手法や原資料が
示す情報を抽出し、新たな自分なりの分析や解釈の方法論を構築するのが学者の仕事である。

その結果として、新しい解釈が出てくることもある。

古田氏や安本氏も新しい方法論や資料を提示したのは素晴らしいことである。
しかし、彼らの解釈を盲信する必要もない。
新たな資料が出てきたくらいの考えで、

「同じ資料でも自分の方法論なら別の結果が出る」

でもよいのである。
安本説が正しいとか古田説が正しいと決め付ける必要はない。
古田説のある部分は自分は別の解釈をする。で問題ないのである。
で、なければ、どの学者の説を取り上げても、最後には結局盲信となる。

496 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/12(水) 22:32:42
九州王朝大好き殿

 頑張れ! それがしがいる。

497 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 22:36:24
>>496
>九州王朝説

太国さん
人に頼るのではなく、
なぜそうなるのか、皆が納得できる文を
太国さん自ら書き込んでは如何でしょうか。

498 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/12(水) 22:46:05
大陸も半島も当時多国に分裂していた。これは日本でも多国だったということで
ある。大陸に魏、蜀、呉の三分にあり、半島も高句麗とか新羅、百済とかに分立
してたが、当時の日本だけが単一の一国だけでずっと過ごして来たとかいうのは
妄想もはなはだしい。ww

諸葛亮は天下三分の計を言っていたが、そのころの日本は天下二分の系だったと
いうことだ。畿内の男王国と九州の卑弥呼の女王国の二極があったので
ある。そこで卑弥呼のときが九州王朝の始点であり、九州が小国に分立して
いた後、邪馬壹国が九州をほぼ統一した。勿論さからう国もあったわけだが、
九州がこんな局面に至っていたのだ。畿内に当時女王国がないのは記紀を読むと
卑弥呼のことが伝からの根子の額ほどの借り物以外見当たらないということは、
畿内に卑弥呼の関わりが無かったからであり、当然皇統に卑弥呼女天皇の記事も
崇神前後にないことは、畿内でない別の所に卑弥呼の女王国があったということを
物語っている。おまけに年号がうんと出てくりゃぁイヤでもあったことになる。

499 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/12(水) 22:49:46
>>497
オマエと論議してもしようがないだろう。どうせ来年あたりはまた論説が手の
ひらを返したように反転する。今オマエの言ってることは遅かれ早かれ、オマエ
はこっそりと間違いでございで話がスリ変わる。オマエのようにクルクル改めて
変わるんでは、信用などまるでない。

500 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 23:07:18
>>498 太国さん
あいかわらず、ワンパターンだねw〜この人はw
曲学の徒氏のもとへいってなにが変わったんだい?w

>>499
進化したと言ってくだされw

501 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 23:14:15
卑弥呼の事は九州に関する文献にも何も記録が無いのにねw

502 :ローガン:2009/08/12(水) 23:16:51
>>494
しかし、隋書の編纂者が魏志を完全に理解していたとはいえませんでしょう。

そりゃそうかもしれませんが…
もう少々敷衍していただけませんか?

503 :489:2009/08/12(水) 23:33:34
>>502
もうここらで勘弁してください。ぼくは大学教授ではなく、縦目さんの後輩の3人目でシーマ
といいます。キャラは「温厚な九州説の大学教授」でやれと言われていました。皆さん、お騒
がせして済みませんでした。でも、けっこう難しいものですね。いつボロが出るか必死でした
よ。ww 縦目さんは今、ウランバートルからテレルジに向かっています。


504 :縄文人:2009/08/12(水) 23:38:17
太國ちゃん

改めさんは別のところで、一大国から末盧国への行程で、末盧国への着点は松浦半島の北にある加唐島だと
言ってたよ。すごいよね。

505 :ローガン:2009/08/12(水) 23:39:22
>>503
> もうここらで勘弁してください。

あら、残念。楽しみにしてたのに…

506 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/13(木) 00:00:52
>>475
>わたしも九州の人間ですから、古田の会のことはよく知っています。
>>>474氏に続いて忠告します。もうおやめなさい。このようなことでは、九州人はいつまでたって
>も日本人の中でありうべき位置を占めることはできませんよ。

僕は奈良県人ですし、
古田の会についてはよく知りません。

古田氏の古い著書は読みましたが、
最近はインターネット検索の範囲でしか知りません。

507 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:01:21
>>492
毎度毎度、同じことを言うやつだな。
邪馬台国九州説の主流は、昔から東遷説だろう。
白鳥庫吉、和辻哲郎、井上光貞などの碩学以来、多くの学者が支持している。

畿内説の都合の良い人の意見ばかり読まないで、もっと幅広く勉強すべき
だろうな。

508 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 00:09:05
>>504
トンデモ倍暦の太国に助けを求めてんの?

人に頼らず、
ご自分で、観音峠ルートを証明して下さいってwwwwww

509 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 00:19:40
>>504
それに、私のレスをもっとよく読みましょう!

終止符スレ>>88-89
>もし、わたしのいう>>88のレスが間違ってるのなら、
>魏志倭人伝の記述は「東南」ではなく、「東北」の書き間違えということになりましょう。


510 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:41:54
>>504
>キャラは「温厚な九州説の大学教授」でやれと言われていました。

一体あと何人代打がいるんだよ!wwwwwwwwww

511 :縄文人:2009/08/13(木) 00:46:15
>>508
太國ちゃんに助けを求めているのでなく、二人はお似合いだから、太國ちゃんを応援したわけです。


512 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:52:56
>>507
お前の反応も毎度毎度同じw
いつもビッグネームを連ねるだけwww

じゃあそれらの学者や今に至る研究によって東遷説がどうやって発展してきてるんだ?
少なくとも今も研究を継続している学者何人いるんだ?

学者の名前だけじゃなくて中身を出せw

普段は殆ど畿内説一色の学会に対し

「自分は学者の言う事は鵜呑みになんかしない」

と嘯いているくせに
こういう時は学者の名前だけに頼るとwwwwwwwwww




513 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 01:02:32
結局、九州説にとって自説の畿内説に対する最大のアドバンテージは
倭人伝の方角の 『 南 』 の一字のみと言っても過言ではないだろうwww

しかしそれを金科玉条、ドグマの如く崇めるなら
隋使の訪れた地も九州の何処かと言う九州王朝説になってしまう
自縄自爆…もとい自縄自縛wwwwwwwwwwww

無論この板の連中だともとよりそのつもりのやつが殆どなんだろうがw

あと列島の南北が逆さまになったような古地図は当然間違いである事を知った上で描かれたもので
何でも描いているうちにスペースが足りなくなって、逆さまにしてそのスペースに押し込んだとか…

…って、あーた子供の落書きじゃないんだからwwww

いや、子供でもスペースが足りなくなったらわざと小さくして何とか納めるよな?普通w

もう発想が子供烏賊ゲソwwwwwwwwwwwwwwwwwww


514 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 01:09:44
>>344
>339の書き込みは説得力がありませんよ。末盧国の着点を加唐島と言われましたね。
>其処からだと筑前深江は東南の方角ですが、なにせ加唐島は島ですから、
>それに末盧国の領内であったかも証明がないし、此処から深江に行くには海を渡らねばならないし、
>おかしな話でしょう。
・倭人伝に記されてる国から国への里数は、国境デス。
十分考えれるでしょう。

>私の論を「倭人伝に書かれていない」と言ってはねつけますが、
>貴方は新井白石の説を引いて伊都国は糸島郡だと言われますが、
>そんなことも倭人伝には書かれておりませんよ。
>ひとの論は「倭人伝に書かれていない」、「現実に書かれていることを言ったほうが
>いいのでは?」といいながら、自分は倭人伝に書かれてないことを言っているではありませんか。

<魏志倭人伝>
自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之
常治伊都國於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

一大率というのは、伊都國に置かれた機構。
この一大率というのは、一大國と関係してるのが予想されます。
そして、「津」とあるように、海が近くにあっただろうことも予想されます。
これらは何を言ってるのか?を考えた時、観音峠ルートのほうではなく、
今の前原市のほうふさわしいことに気づかされるだろう。
「檢察」した場所、末盧國の「濱山海居」の場所にしてもそうです。
山と海の間を通る唐津街道が相応しく思えます。
これらは、倭人伝の記述は観音峠ルートではなく、前原ルートを指してるといえよう。

515 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 01:15:13
ミスったw

>>514は終止符スレに書き込むはずのが・・・w

516 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 04:55:47
>>484
>東遷説は説自体は私は取りませんが、安本氏の論は
>一つの学説として学会でも存在を認める流れがあります。

先生なら、もっと具体的に話してもらいたい。
安本の論から東遷説を引いたら何が残る?
邪馬台国が甘木にあった、それだけでいいのか?
年代も安本に沿う考えでいいなら、
箸墓は4世紀ってことなんだな?

しかし、東遷説は取らないということは、
畿内の大和王権は4世紀に自生〜成立という考えでよいのか?
九州王朝も否定しているということは、
4世紀に、畿内の大和王権が成立し、九州では邪馬台国が衰退し、
九州の邪馬台国は、畿内の大和王権に併合された、と、考えているわけかね?

先生の話を伺ってると、上記以外は考えられないが、
それでよいのかな?


517 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 05:06:21
>>484
>安本氏の論は一つの学説として学会でも存在を認める流れがあります。

安本は、庄内式土器が九州発祥だと主張してるが、
その点も学会が認めるのかね?
というか、学会ってどこの学会?
先生自身は、庄内式土器が九州発祥だと考えているわけじゃないよね?
東遷説を採らないわけだから。

では、お伺いするが、
庄内式土器と画文帯は、ホケノ山から出土しているわけだが、
九州では画文帯はほとんど出ていない。

九州で卑弥呼が死に、まだトヨの時代だったはずなのに、
九州を跳び越して、畿内は画文帯を手に入れていたということかな?
トヨになってすぐに、3世紀末に九州の邪馬台国は衰退したのかな?
同時に、朝鮮半島で出土した画文帯も、3世紀末の製作という年代観でよいのかね?


518 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 05:23:06
東遷説を否定する根拠を一つ挙げておく。

画文帯は、九州ではほとんど出土せず、近畿では多く出土する。
ホケノ山からは、庄内式土器と共に出土した。

画文帯を手に入れることが出来る「人物」なりが、東遷したなら、
政治的地盤である地元の九州を差し置いて畿内に画文帯をばらまくというのは不可思議。

「人物」が、何らかの理由で九州と決別して畿内に移住したとしても、
最低限、イト国を支配下に置かなければ、朝鮮半島と交易が出来ないはずだ。
しかし、イト国と目される平原からは、画文体は出ない。

東遷説を採る場合、九州の「人物」は、朝鮮半島と交易できる権限を持ち、
平原を”同盟関係ではなく”完全に支配するだけの力を持ち、
畿内に東征して”王”として君臨できる力を持っていたことになる。

いったい、そんな人物が九州のどこにいて、
どんな政治基盤をもっていたというのか?
いや、九州に政治基盤があったようにも見えない。平原を抜きに画文帯を手に入れている。

庄内式土器が九州発祥だとすれば、この不可思議さはもっと矛盾を露呈する。




519 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 07:10:35
安本教授は学者だからもう分っている。邪馬台国が畿内にあったらしき事は。馬鹿ではない。
ただ、自分が生きている間は、決定的にさせたくなく、AMS法に出来る限りのせいいっぱいの異を唱えているだけだ。
だけど、その異・発言は大きな仇となってますます安本教授を苦しめて行く事にならだろう。
なぜなら、自然科学が驚異的に進歩しているからだ。

いずれ箸墓築造が50年以上新しく覆る事はあり得ない。
今更、安本説は成り立ちません。現況では不可能と断言できます。

520 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 07:45:15
>箸墓築造が50年以上新しく覆る事はあり得ない

春成さん乙wwwwwwwwwwwwwwwww

521 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 08:46:08
つうか欠史八代も実在とか言い出したら箸墓どころか
庄内期自体を4世紀に持ってこなきゃ無理だろ?w

箸墓は下手したら4世紀後半www

C14とかは別にしてもそんな年代観、誰がぶち上げてるの?って話でwwwwwwwwwww

522 :489:2009/08/13(木) 09:08:33
>>516
503を読んでくださいよ。ぼくは大学教授ではなく、コテの縦目という人の後輩です。ぼくら
はたぶん全員畿内説です。庄内は九州発祥ではないし、画文の年代観もほぼそのとおりで
しょう。縦目さんが旅行中なので、このスレを混ぜ返すように指示を受けてやってます。上の
Ghost of KHM や 醜の御楯(こいつ馬鹿)も仲間です。すみませんでした。

523 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 09:31:50
>>522
>このスレを混ぜ返すように指示を受けてやってます。

縦目が帰ってきたらこのスレにツラ出すように言っとけよコラw

524 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:08:54
>>518
>「人物」が、何らかの理由で九州と決別して畿内に移住したとしても、
最低限、イト国を支配下に置かなければ、朝鮮半島と交易が出来ないはずだ。
しかし、イト国と目される平原からは、画文体は出ない。


畿内説だって同じ問題が生じるね。畿内政権が朝鮮半島と交易するには伊都国を
支配下に置くはずだ。しかし、伊都国からは画文体は出ない。ということになる。


525 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:37:10
>>524

畿内説なら矛盾しませんよ。

畿内の王は畿内を地盤にしてるわけだから、
九州は同盟国としてではなく、完全支配してしまえばいい。
完全支配しなければ、九州に勢力を広げることもできない。
九州に画文帯を配っておもねる必要は無いわけ。

庄内式土器の九州への移動は、近畿による九州占領軍の移動であり、
地名の類似も占領軍によるものであり、一大率も後の大宰府に続くもの。

いいかげん、九州の人間は目を覚ましたほうがいい。
九州が単独で勢力を持っていたのは「漢倭奴国王」金印をもらってた時まで。
2世紀頃までは、九州は立派な独立国だったんだから誇りに思えばいいだろ。


526 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:39:29
畿内や出雲が大陸に足を延ばすのに伊都なんて関係ない。
彼等は彼等の独自ルートを持っていた。彼等の大陸での記録は、晋書に刻まれている。

527 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:46:24
>>526
独自ルートを具体的にご教示ください

528 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/13(木) 11:03:33
改めなんかトンダ野郎だ。ww
どうせそのうち手のひらを返すんだから、論義したって無意味だ。
要するに今言ってることは後々デタラメになりますと、遠回しで容認して
いるような野郎だから。ww

529 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:27:33
かつて九州説だったコテハンが、分が悪くなるや名無しになって荒らすよりは潔いだろ。


530 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:32:10
>>526

(本州)
狗邪韓国→←対馬北部←→沖の島←→本州。


(邪馬台国)
郡→←対馬南部←→壱岐←→九州

531 :縄文人:2009/08/13(木) 11:35:49
>>519
考古学に詳しい方のようですのでお伺いいたします。
C14の大気中濃度は古今東西一定ではない(高空における太陽からの放射線によって窒素から作られるC14は太陽活動の
影響をうけますし、地球上の位置によっても生成量が異なりますし、気流による拡散も気象の影響を受けます)ので、古代
に於けるC14濃度は何らかの試料を分析して較正値を求めなければなりません。国際標準の較正曲線が出されていますが、
これが日本の古代に適用できるか否かは検証を要します。日本の古代であれば日本の試料を用いて較正曲線を求める必要が
あります。何故なら、地球上の地域によってC14濃度が異なるからです。ろころが、古代の炭素試料で年代が明確なものを
揃えることは至難のわざです。
また、木材試料については年輪年代測定法なるものが提案されましたが、これも伐採年代の判明した試料を揃えることが難
しい(不可能と言えます)ので、信頼できる年輪パターン図を求めることができません。

歴博グループの箸墓築造年代確定の発表は上記のような信頼できない状態の年代測定法に基づいたものでした。
科学が進歩しているとおっしゃられたのは、多分、C14の濃度測定方法のことだと思いますが、これがいくら精緻なものに
なっても上記の問題が解決されなければどうにもならないのです。

私は貴方の見解とは逆に考古学者達の今後の努力により箸墓などの築造は4世紀以降だと証明される日がくるものと予想し
ております。

なお、私は安本氏の邪馬台国甘木説に賛同するものでもありませんし、単純な東旋説論者でも、九州王朝説論者でもありま
せん。現在はまだ勉強中です。

532 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:36:18
九州王朝が漢や魏の柵封下に入り
朝鮮半島との関係があったのに対して

畿内勢力は大陸と関係があったと考えられるのは
鏡以外にない。
遣隋使ですら送った勢力が大和朝廷なのか疑問がある。

ひょっとしたら鏡が出た古墳はかなり後世に
作られたのかもしれない。九州王朝が入手した鏡の
紡製鏡なのかもしれないが。

大和朝廷が中国と関係を持つようになったのは
5世紀以降ではないかという可能性がある。

533 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/13(木) 11:39:19
>>514
下記についての根拠を示す。
@魏使のルートは観音峠ルート
A津は松浦湖(湾)中原遺跡・・・下記汽水湖(湾)
B末盧國には、官が居らず、官の代わりに一大率が常駐。


<魏志倭人伝>
千餘里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之
自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之
常治伊都國於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

<3世紀の唐津の地勢的知見>
東唐津、鏡山(領巾振山)の西側と北側は汽水湖又は湾になっている。
その汽水湖(湾)の北は虹の松原、西部側には松浦川が流れ込んでいる。
その汽水湖(湾)の唐津湾への開口部は現在とほぼ同じ。
その汽水湖(湾)の南部、松浦川の流れ込む右岸に中原遺跡がある。

534 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:47:01
畿内説への転向組はネット界でも多くいるようですよ。
世が世ですからね。

逆に、九州説への転向は聞いた事ないなぁ……。

535 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:51:42
>>534
長いものには巻かれろ

畿内で通す事で、風当たりをより少なくする生存本能。

536 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:54:47
>私は貴方の見解とは逆に考古学者達の今後の努力により箸墓などの築造は4世紀以降だと証明される日がくるものと予想し
ております。

100%ありえねぇーって。
貴方のいう誤差なんて微々たる物です。つーか既に、織り込み済みです。
間違いなく、箸墓築造が50年以上も新しくならねーって。


537 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:55:32
掲示板でこれだけ叩かれるということは、実社会では相当陰湿な叩きがあるのだろう?
畿内から九州なんぞに転向しようものなら………
考えただけでも恐ろしい。

538 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:57:53
>長いものには巻かれろ
畿内で通す事で、風当たりをより少なくする生存本能。

そうですよね。
貴方も、世の中は畿内説が有利になってしまっている、と認めているくらいですから。




539 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:02:54
>>530
本州とはどこを指すのかご教示いただきたかったのですが。
沖ノ島も小さ過ぎると思います。

540 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:20:00
原の辻で瀬戸内の土器も山陰の土器も出ているのに

541 :縄文人:2009/08/13(木) 12:21:58
>>536
<貴方のいう誤差なんて微々たる物です。つーか既に、織り込み済みです。
間違いなく、箸墓築造が50年以上も新しくならねーって。>

どのように織り込み済みなのでしょうか。古代の伐採年代の判明した木材試料を示して下さいませんか。


542 :縄文人:2009/08/13(木) 12:25:09
>>536
ついでにお伺いしますが、画文帯神獣鏡が3世紀半ばに古墳に副葬されたという証拠はありますか?

543 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:37:53
>どのように織り込み済みなのでしょうか。古代の伐採年代の判明した木材試料を示して下さいませんか。

普通は、非常識な事をいう方がサンプルを示すんだよ。
>私は貴方の見解とは逆に考古学者達の今後の努力により箸墓などの築造は4世紀以降だと証明される日がくるものと予想し
ております。
と予想する、といっている段階で神頼みなんだよ。

>画文帯神獣鏡が3世紀半ばに古墳に副葬されたという証拠はありますか?

庄内式土器と一緒にホケノ山古墳からでているだろうよ。
とぼけるなよ。

544 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:40:01
>>539

本州の表玄関は出雲でしょう。(確証はありませんが)
沖の島は、本州から半島を結ぶルートにはかかせない島、待避出来るスペースがあれば十分。
対馬の北部につぐ重要な島です。
対馬は本州勢力と九州勢力が南北で二分する形
だから倭人伝では『方可四百里』ではなく『餘里』
が、
餘里は、正式外交ではない別の勢力が支配している地域を表しています。
狗邪韓国もまた同じ。

545 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:55:05
>>544
本州→沖ノ島なんて無謀なルートあるわけない
普通は宗像→沖ノ島→対馬だろうが

546 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:58:25
庄内式土器は、吉野ヶ里では、集落が衰退過程の段階で
環濠集落を埋めるような形で出てきておりますな。

吉野ヶ里のかなり後期になってから、庄内式土器が使われていたのでしょう

もっとも吉野ヶ里の最盛期は紀元前という言う説もあります。

547 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:08:52
>>545
宗像ではく、大島。
宗像は当時九州勢力の区域。

548 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:17:44
>>546
馬鹿な話だ。高島の糞年代観のせいでそうなってるのは誰でも知ってることだろ。
やつの庄内式300年までという特殊な年代観のせいで、吉野ヶ里衰退期3世紀末とかいわ
れてるが、それはやつが九州で食い扶持を見つけるために、嘘だとわかってて主張してること。
みんな笑ってんだよ。おかげで、高島は佐賀の観光に貢献したということで、佐賀女子短大の
学長になった。嘆かわしいことだが九州の学会レベルなんてそんなもん。

549 :縄文人:2009/08/13(木) 13:39:08
>>543
私は年代測定法の問題点を述べ、日本の古代における大気中C14濃度の値が明確でない状況では試料中のC14の濃度
測定法がいくら精緻になっても正しい年代を知ることはできないと言っております。つまり、これまでのデータは正
確なものとは確定していないということです。したがって、この年代測定法で得られたという古墳時代、弥生時代の
年代が古く設定されて来たことには絶対的な根拠はないということです。あなたが正しいとおっしゃるから、では正
しいとする根拠(具体的には古代の大気中C14濃度を推定するための木材試料(伐採年代が判明しているもの)を示
してくれとお願いしているのです。<非常識な事をいう方がサンプルを示すんだよ。>と言われますが、C14年代測
定法や年輪年代測定法で得られる遺物の年代は正しいとお考えの貴方が非常識なのですよ。

<庄内式土器と一緒にホケノ山古墳からでているだろうよ。 とぼけるなよ。>
とぼけてはおりません。出土していることは承知しています。私がお尋ねしているのはそれが3世紀半ばに埋められた
という証拠です。4世紀以降に埋められたものではないという証拠です。

550 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:43:15
>>547
>宗像は当時九州勢力の区域。
これって笑うところ?

551 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:51:31
>>550
笑う笑わないは個人の感情表現ですので
他人に尋ねる事ではありません。
お好きな感情表現にて。

552 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:59:48
はあー、横レスだが549の野蛮人とかいうやつは、自分で画文(ホケノ)4世紀以降とか、
非常識なことをほざいておきながら、優秀な考古学者さんが証明してくれるのにまかせて
自分じゃ年代証明できないってことなのか?そんな論があるか?自分の論証はできないが、
人にはしてくれってことかよ。www





553 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:03:11
門脇禎二が最後の最後に、畿内説から九州説に転向したってことを知らないのかな?

554 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:07:54
だいたい、神仙世界の登場人物や動物を図柄にする神獣鏡は、後漢の元康元年(105年)
銘鏡が示すように二世紀初頭に始まるというのが、中国科学院での一般的な認識だよな。

その神獣鏡の中で、画文なら永康元年(167年)銘の環状乳神獣鏡が初期段階と考えられ、
紀年鏡としては、他に中平四年(187年)銘の紀年を持つものもある。まあ、ホケノ出土のも
のは形式的にはもう少し新しいが、三世紀初頭あたりと考えても全然不思議ではない。ただ
同向式の紀年鏡は見つかってはいないがな。このあたり中国サイトでググッてみれば、俺の
言ってることが嘘ではないとわかるだろ。

555 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:11:52
>>544
出雲付近から出航するのであれば、一路韓国を目指すのではないでしょうか。
沖ノ島まで行く航海術があるなら、ということです。
しかしながら、古代そこまでの技術はなかったと思います。
陸地を目視しながらの操船でしょう。
下って遣唐使の時代でも北九州経由であり、それでも生還率は高くありませんでした。

556 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:12:58
門脇は考古学者じゃないけど

557 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:13:54
>>552
いやいや、古墳の年代比定なんぞ、まだまだ怪しげだなあ。
何か新しいものが出たら、50年ぐらい、いつでもずれそうな感じだ。

558 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:15:22
そうか、門脇は考古学者ほどアホではなかったってことか。

559 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:17:33
>>557
まあな。古墳は怪しげとはいえるが、4世紀以降というなら、ホケノの画文は100年以上の
伝世ということになる。これは邪馬台国と関係のない中国人学者に見せても皆そういうだろ。

560 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:26:28
それほどではないよ。画文を卑弥呼の鏡と考えるならば、もらったのは240ころだ。
4世紀以降に副葬されたとしても60年程度の伝世だ。

561 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:31:33
>>560
そうかな?卑弥呼の鏡と考えるというのは魏からの答礼品としての銅鏡100枚のことかな?
しかしそれは一つの説かも知れないが、形式編年から見たものではないだろう。俺は180
年代あたりから始まった邪馬台国の鏡としても十分通用すると思うが。


562 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:36:34
>>555

本州→大島→沖の島→対馬北部→狗邪韓国のルートは、
当時の本州勢力が半島に渡る 最良安全コース
これより東側は海流の影響で、半島に至ことは出来ない 西端ルート。

563 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:40:08
歴史書の中には、渡航成功例しか書いてないので
100%の成功ですが、実質は1%にも満たない成功渡航だったかも?

564 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:41:10
まあここからは推測でしかないが、後漢の衰退により半島に流れてくる鏡が倭人には入手
しずらくなった。そこで、鏡の入手先を洛陽からのものから切り替えた。単にそれが画文が
増えた理由ではないのかなあ?

565 :ローガン:2009/08/13(木) 14:42:43
>>543
> 庄内式土器と一緒にホケノ山古墳からでているだろうよ。
> とぼけるなよ。

ん! 八幡さん?かな?

566 :縄文人:2009/08/13(木) 14:46:23
>>552
私を野蛮人と呼ばれても一向に構いません。しかし、縄文人を野蛮人と呼ばれると、縄文人の子孫は怒るでしょうね。なにしろ
貴方より賢いでしょうから。
それから、人を馬鹿にするなら正々堂々と名乗ってやりましょうよ。名無しでは卑怯でしょ。私は「馬鹿の一つ覚え」、「衒学の徒」、
「卑怯者」、「尊大な田舎者」などが相応しいと思いますが、如何でしょう。

盆だというのに忙しいことだ。でもこんな人も人間だから、寂しくてひとに構って貰いたくて、挑発的なことをかくのでしょうね。やれやれ。

567 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:52:05
>>566
お前のレスに人格の低さや人としての未完成さがにじみ出てるから書くんだよ。やれやれ。

568 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:52:15
>>555
意地でも九州上陸しない為のルートに見えます。
海流と仰るなら、対馬海流に逆らって大島に到達することも難しいと思われます。

569 :縄文人:2009/08/13(木) 14:58:17
>>567
貴方には名乗る度胸もないのですね。

570 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 15:02:29
>>569
お前は阿呆か?俺はお前のように暇ではないから、コテで書くなどできん。どうせ2chは月
に数度見る程度。名乗る???ほんとに阿呆だな?お前の本名、現住所、メルアド書いたら
名乗ったと認めてやるよ。まずは実名hp

571 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 15:03:55
続き
実名HPでもつくりな。(慣れてないんでレス失敗した)

572 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:05:28
>>566

縄文人よ。

画文帯が九州からほとんど出ないってことで、九州説の目は無くなったんだよ。
ホケノ山が発掘された時点で、九州説は消滅したんだよ。


573 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:17:09
>>569
なぜですか?

本州―大島―沖の島―対馬北部―狗邪韓国ルートは
最西端ルート
それより西に行く事は出来ないと 言ってるだけで
東側を航行してはいけないとは言ってません。
半島から本州へは、沖の島から直接本州も有り得ますから

574 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 15:18:21
俺も歴博のc14は現段階ではコメントしずらいものだと感じているが、あれだけマスコミで
取り上げられたことで、2つの点で面白くなった。

一つは、話題になる、研究費になるかもということで邪馬台国や考古学とは関係のない理科学
畑からの参入が増えるだろうこと。
一つは、箸墓など宮内庁管理の古墳の発掘調査を要求する論が高まるだろうこと。しかし
残念ながら後者は下火になってきたが。



575 :ローガン:2009/08/13(木) 15:21:52
>>564
>そこで、鏡の入手先を洛陽からのものから切り替えた。単にそれが画文が
> 増えた理由ではないのかなあ?

どうでしょうね。私は後漢末期、洛陽は焼かれたので、魏と呉が決裂するまでの間は
山陰の工房で作られた鏡が洛陽では主流だったのではないかなあと。


576 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:26:36
C14うんぬんは、安本流の目くらましなんだよ。

C14や年輪は不確かかもしれないが、
ホケノ山から画文帯と庄内式土器が出た時点で、
ホケノ山は庄内期に作られ、中国鏡が庄内期に大和に伝わったことが確定したわけ。
庄内式土器は九州〜畿内から見つかるが、画文帯は近畿中心に見つかっている。

ここからわかることは、庄内期には、中国鏡輸入の主導権は畿内が握ったと、
そういうことなんだよ。
どうやっても、覆らないよ。




577 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:28:23
そして、庄内期には、九州の遺跡は衰退してる。



578 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 15:29:58
>>575
ふーんまあ、洛陽の銅器製作が衰退したのはそのとうりでしょうし、華南地方や徐州あたり
から楽浪郡に流れてくる銅器が増えたのは確かと思いますが・・・。
ただ、画文に切り替わったのはそれだけではなく倭国側の入手先が変わったとも考えられ
るんですがね?

579 :縄文人:2009/08/13(木) 15:30:37
>>572
ホケノ山古墳の築造年代が3世紀(あるいはそれ以前)だと確定しているのでしょうか?

580 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:32:37
だから、安本はじめ、九州説の学者は、
庄内期が300年まで続いていたと、そういうことにしたいわけ。

畿内説に対抗するなら、
理化学的に九州のサンプルを調べて庄内期が300年まで続いていたと、証明すればいいじゃない?
どうしてそれをしないの?


581 :縄文人:2009/08/13(木) 15:33:50
>>570
ブラック・マンバとおっしゃるのですね。それでよいのです。

582 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:34:04
鏡が畿内を中心に出たからといって、中国鏡輸入の主導権を畿内が握ったなどとは
言えんな。九州が輸入して畿内に送り、配ったということも十分に考えられる。
畿内が直接輸入したとしても、その畿内勢力が九州勢力の下にあったということも
考えられる。

583 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:34:57
そんな議論は考古学板でやれ

584 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 15:36:36
>>581
ほら、その偉そうなレスが人になにより嫌われるんだよアホウ。

585 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:46:21
>>582
>九州が輸入して畿内に送り、配ったということも十分に考えられる。


では、九州の邪馬台国は畿内と交易していたことになるな。
交易品は最新の中国鏡という、上得意様だ。

卑弥呼共立の30国に、畿内も含まれていたと、考えているのかね?


586 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:51:40
>584

藁た。

587 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 16:04:28
吉備甕、庄内甕などの出土分布から弥生末ー古墳初頭の北九州〜畿内ルートは解明され
て来つつある現状。

博多湾沿岸〜周防灘〜松山平野〜今治平野〜備後東南部〜吉備〜播磨〜摂津沿岸〜
大阪湾〜河内湖〜大和川〜大和

このうち最も多い出土が、「河内・小阪合遺跡」。分布の両端の「西新町遺跡」と大和への出
入り口「船橋遺跡」そして「纏向遺跡」に突出した出土がある。 (次山淳『考古学研究』54−3)

これは縦目先輩が書いてた。四国ルートはやや意外だったが、このような面からも地道な
努力が続けられている。


588 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:14:05
>ブラック・マンバ

ええと、縦目一派の何人目だったか…

んで君はどう言うキャラなん?www

589 :ゆってぃ:2009/08/13(木) 16:14:28
ちっちゃいことは気にするなそれカワチコカワチコ

590 :ローガン:2009/08/13(木) 16:15:17
>>578
> ただ、画文に切り替わったのはそれだけではなく倭国側の入手先が変わったとも考えられ
> るんですがね?

萩原鏡の事ですかね?楽浪での踏み返し。画文帯は半島製とすると、やはり「銅鏡百枚」… △ですね。

591 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 16:20:39
>>588
「傍若無人な畿内派の若者」です。
>>590
そこははっきり言えないんですが、どちらかといえばそうまでして鏡が必要だった倭国側の
事情に興味があります。


592 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:47:32
画文帯神獣鏡の出土場所を見てみると
畿内周辺だけの狭い範囲でしか出土していない
という感じが強い。つまりそれらの勢力は
畿内だけを領地とし、他の地域との関係が
あまりないことが分かる。

画文帯神獣鏡が中国製だとすれば、交易ルートに
いくらかの関係国家の痕跡が存在しても良いはずだが
ほとんど関係している痕跡がない。
とすれば、若狭のほうから運んでくるしかない。
または職人ごとつれてくるかである。

それと同時に他の部分との関係が少ないということは
他の勢力から追い詰められている場合に起こる状況である。

推測だが、画文帯神獣鏡が古いものであるとすれば
銅鐸勢力の消滅過程を示しているのかもしれない。

銅鐸はかなり製造が難しいものである。大陸から
職人が入ってくること、そしてかなり高度な
鋳物技術を持っていたのかもしれない。

593 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:50:27
>>592
>畿内だけを領地とし、他の地域との関係が
>あまりないことが分かる。

画文帯と庄内式土器が同時に出土し、
庄内式土器は瀬戸内海〜北九州に拡散してるので、
君の論法は成立しません。

どうあがいても、終わってるんです。九州説は。



594 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:51:39
>>521
東大の斎藤教授は、箸墓を4世紀後半といっているらしい。
田辺昭三氏も4世紀中頃といっているらしいし、橿原考古学研究所の関川尚功氏
も同じような時期を言っている。
この人たちはみんな布留0の時期を4世紀の中頃と考えている人ということになる。

595 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 16:52:18
>若狭のほうから運んでくるしかない。
ここは実に興味深いところですね。俺らも皆いろいろ調べてます。

596 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:52:52
>>531 アホの縄文人
>私は貴方の見解とは逆に考古学者達の今後の努力により箸墓などの築造は
>4世紀以降だと証明される日がくるものと予想しております。

つうかその予測の根拠・材料の一つや二つ挙げてもらわないと
そりゃ予測じゃなくて” 希望 ”だろ?って話でwwwwwwwwwwwwwwwww

流石に
「謎の土木工事により3世紀に奈良盆地湖の消失」
なんてお話が如何にトンデモかがここで叩かれているうちに
少しは学習できたのかな?w






597 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:53:53
>>585
九州勢力が畿内を征服して画文をばらまいたってことが考えられるね。

598 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:00:25
>>518
画文帯神獣鏡が、どこで作られ、いつ頃日本に入って来たものかを考える必要
がある。多分、画文帯神獣鏡は呉の地域で作られた鏡だろう。
魏との交流があった卑弥呼が持っていたものとは考えにくい。

呉が滅びたのは、西暦280年。その後、呉から日本にやってきた人がいた。
工人もいて、その人たちが三角縁神獣鏡を作ったという考えもある。

599 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:10:45
>>597

その頃、九州は衰退してるんですが。

>>598
画文帯が卑弥呼の鏡である必然性は全く無い。

逆に、九州には、卑弥呼がもらって配ったであろう魏鏡があるのか?ってこと。

600 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:20:54
>>599
卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡あるいは方格規矩四神鏡というのは
だいたい合意されつつあるんじゃないかな。
しかし、もらった鏡が百枚とすれば、すでに盗掘などされているものもあるし、
未だに土の中に眠っているものもあるだろうから、表に出ているものは
わずかだろうと思う。

三角縁神獣鏡は5百枚も6百枚も出てきているが、実際には数万枚作られた
のではないかとも言われるし。

601 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:22:59
実際のところ3・4世紀あたりの遺跡遺物に実年代を与えるとなると
ネタは極限られてくるんじゃないのかな?

一つは「卑弥呼の鏡」を特定してそれを239年あたりに持ってくる
もう一つは実在の可能性が高い祟神の崩年干支か・・・

あとある程度年代を絞り込めるネタとして三角縁神獣鏡を挙げられるかもしれない。

良く怨み節ぶち上げている東遷厨は三角の製作地と制作年代をわざとゴッチャにするがwwwwww
倣製か舶載かとは別に年代はどうも魏代の確率が高いと言っても良いだろう。

まあ三角の事に対し進んで首を突っ込む人間なら知ってそうな話ではあるが
銘文に使用されている字句を検討して
例えば「師」の文字は晋の景帝の諱で晋代では使用できなかった…等々と絞っていけば
魏代のみになると言う話や(ただしこれも例外があって100%ではないが)

また三角にみられる鈕孔や外周部の形状を大陸の出土した物の中に求めれば
西晋泰始7年(271)の紀年鏡が時代的に下限で
三角の製作開始の下限もそれ以降にはなりえないと言う
福永センセイの研究もあるw

もっとも東遷厨にかかれば

 「百年ぐらい前のマイナーな鏡をコピーしたと言う事で無問題!」

・・・なんだろうがwwwwwwwwwwwww



602 :縄文人:2009/08/13(木) 17:25:34
>>596
この人は物事を総合的見地から見ることに慣れていないらしいですね。地形や地質などから奈良盆地は古代において
いつでも水びたしになり得る条件があったということを理解し、飛鳥時代にもかなり大きい湖(標高40m以下が水没)
があったことを知れば、私の推定が荒唐無稽でないことが分るでしょう。

箸墓などの築造年代については未だ科学的に解明されていない状況で、貴方は3世紀だと言うのでしょうが、それには
証拠がない。私が4世紀以降だと言うのも未だ証拠が出ていないから、それは今後明らかにしなければならないことです。
あなた方が古墳だとか庄内土器だとか鏡だとか(倭人伝では畿内説が成立しないものだから)を持ち出して必死にあがいて
いるから、優秀な考古学者が古墳築造は4世紀だと証明してくれるでしょうと皮肉ったまでです。

それから、ブラック・マンバはおそらく縦目仮面でしょう。生意気さと専門家ぶった物言いが似ていますね。



603 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:26:25
>>600
>卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡あるいは方格規矩四神鏡というのは
>だいたい合意されつつあるんじゃないかな。

ほほう〜。

じゃあ確実に魏代のものと分かる中国出土の鏡の中で
「内行花文鏡」「方格規矩四神鏡」は何枚ぐらい出ているのかな?

ちなみに魏の年号を持つ「 神獣鏡 」なら出土しているがwwwwwwwww

604 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:32:42
>>602 アホの縄文人
>生意気さと専門家ぶった物言いが似ていますね。

ヨコからで悪いんだが…

お前の風呂敷の広げ方からすれば可愛いものと言うより、謙虚さすら感じるわwwwwwwwwwww

大体、地質学で言えば2000年弱程度なんて殆ど「ついこの間」のお話だろうにw

それでも盆地湖の存在を見つけられないなんて・・・
普通に考えて与太話としか思えないんだがwwwwwwwwwwwwwwww


605 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:43:53
>>604
普通に考えても与太話しとしか思えないレスに、レスするあなたも
相当な与太廊さんでつね?似た者同士というやつで。

606 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:44:56
>私が4世紀以降だと言うのも未だ証拠が出ていないから、それは今後明らかにしなければならないことです。
あなた方が古墳だとか庄内土器だとか鏡だとか(倭人伝では畿内説が成立しないものだから)を持ち出して必死にあがいて
いるから、優秀な考古学者が古墳築造は4世紀だと証明してくれるでしょうと皮肉ったまでです。

横レス失礼。
つまり降参って事でしょうか?
畿内派の華々しい根拠・成果に対抗出来得る証拠が今の所はない、
ときっぱり貴方はいっているのですが。


607 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:50:38
>>601
景帝の諱が付けられるまでの晋では、「師」は自由に使えました。てえ話しで。

608 :縄文人:2009/08/13(木) 17:56:17
>>606
いいえ。降参なんて。<畿内派の華々しい根拠・成果>が崩壊する(している が正しいか)のに
お気づきでないようで、お幸せな方々ですね。 

609 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 17:56:36
>>606
出土物はまだ何も語っていない。喋っているのは
現代の人ばかりだ。
物の分布で時代が語れるなら、文献なんて必要なかと

610 :縄文人:2009/08/13(木) 18:05:05
>>604
私はキャラを変えましたから、「この野郎 アホか てめ〜 地形と地質の違いも知らずに分ったふうな口を
きくんじゃね〜 大和川沿いの断層帯、亀の瀬辺りの峡谷の地盤の状況を自分で調べることはてめ〜みたいな
低脳には無理だろうから専門家にでも聞いてみろ ドアホ」などと下品なことは申しません。
もし、専門家の知り合いでもおられましたら聞いてみて下さい。

611 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:12:29
>いいえ。降参なんて。<畿内派の華々しい根拠・成果>が崩壊する(している が正しいか)のに
お気づきでないようで、お幸せな方々ですね。

あのう「優秀な考古学者が古墳築造は4世紀だと証明してくれるでしょうと皮肉ったまでです」
と仰っていますが、第三者の立場としては、
希望ではなくて古墳築造は4世紀だという証拠が聞きたいんですけど。

612 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:28:23
最近は近畿説に有利な発見、出土ばかりだからな。
更にまだまだ控えてるかも?

613 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:30:51
>>607
>景帝の諱が付けられるまでの晋では、「師」は自由に使えました。てえ話しで。

はあ?
この場合、諱(いみな)は諡 (おくりな)ではなくて生前の本名だろうが?

景帝=司馬”師” は255年没。
司馬炎によって打ち建てられた晋(265〜)はまだ始まってもいないわけだがwwwwww





614 :縄文人:2009/08/13(木) 18:43:32
>>611
第三者の方ですか?ほんまでっか。
証拠はこれからだと申し上げていますでしょ。それは畿内説派も同様です。私は過去の書き込みで3世紀の畿内に
戸数7万余の大国が存在できる条件は整っていなかったということを状況証拠(地形などから推定されること)で
論じてきました。遺跡、遺物には発見されたものもあるが、発見されていない(既に破壊されているものもある)
ものもあり、また、技術などのノウハウのようなものは遺物として残らないことなどを考えれば、発見されている
遺跡、遺物だけで全てが分るものでないことは貴方も賛同されるでしょう。考古学資料が不足していれば、他の面
からの推定も必要でしょう。なお、考古学資料と言っても、そこに考古学者なりその他の人の解釈がついていれば、
それも推定でしかありません。その意味で、考古学資料も地理学的考察も地形学による推定も気象学からの推理も
同じ資料価値(正否は別として)を持つものとして論ずるべきでしょう。そうしないと議論は行き詰まっているの
ですから。もっとも畿内説派の皆さんは古墳や土器や鏡で十分と思っているようですが、これも未だ証明がなされ
ていないのです。


615 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:48:19
>>600
>卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡あるいは方格規矩四神鏡というのは
>だいたい合意されつつあるんじゃないかな。

魏の年号のある内行花文鏡ってどこで出土してる?

青龍3年の方格規矩四神鏡は近畿で出土してるみたいだけど。



616 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:50:16
>>611
箸墓が、布留0の時代に作られたことはわかっている。
問題は、布留0の時代というのが、実年代でいつ頃になるのかということ。
桜井市教育委員会は、確か、布留0の年代は未確定、ということで実年代を
明らかにしていなかったはずだが。

箸墓を卑弥呼の墓にしたい人は、3世紀代に持って行きたいらしいし、
そういう人の文章ばかり読んでいる人は、箸墓の年代は3世紀と思い込んで
いるらしいが。

617 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:53:13
>>615
年号は関係ない。卑弥呼がもらった鏡に年号が入っているとは限らない。
また、年号は後からでも入れられる。

618 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:54:05
>>614

どうして簡単な話がわからんの?

1.庄内式土器は、九州〜畿内から見つかってる。
2.庄内式の時代に、九州は衰退している。
3.庄内式の時代に、畿内に画文帯がもたらされている。
4.よって、庄内式の時代には、畿内は鏡を輸入することが出来ていると認められる。
5.庄内式の時代は、邪馬台国の存在した時代である。

1〜5のどれか一つでも否定してみなさい。


619 :繰り返して聞いておこうw:2009/08/13(木) 18:54:17
>>600
>卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡あるいは方格規矩四神鏡というのは
>だいたい合意されつつあるんじゃないかな。

ほほう〜。

じゃあ確実に魏代のものと分かる中国出土の鏡の中で
「内行花文鏡」「方格規矩四神鏡」は何枚ぐらい出ているのかな?

ちなみに魏の年号を持つ「 神獣鏡 」なら出土しているがwwwwwwwww


620 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:00:46
>証拠はこれからだと申し上げていますでしょ。

だから、希望ではなくて、といっているのですが・・。
畿内派のいう話は充分すぎる程聞いたので、
公平に一方の九州派の話を聞いているのです。
あなたのいう箸墓築造が4世紀だといえる証拠を上げてください。
双方に突っ込みを入れるのはそれからです。
相手に惑わされる事なく、先ずは土俵に乗ってください。
畿内説が不戦勝になってしまうじゃないですか。困ります。

621 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:03:03
>>616

箸墓が卑弥呼の墓かどうかなんてどうでもいいんだよ。
ホケノ山で、畿内説が確定したんだから。
ホケノ山が卑弥呼の墓ってこともありうる。


622 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:03:45
>>618
庄内式は300年以降。

623 :618ではないが・・・:2009/08/13(木) 19:05:36
>>622
>庄内式は300年以降。

それの証明・根拠は?




624 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:05:47
>>622

でましたね。庄内式は300年以降ですか。

では、画文帯も300年以降まで、九州にすら輸入されなかった、ということですな?
平原からは、画文帯は出てないんだから。



625 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:10:01
>>619
あのね、鏡は、わざわざ作ってからやる必要はない。そのときにあるものを
やってもかまわないのだよ。
それに、年号ということなら、景初と同じ年代の「赤鳥」という呉の年号の
入っている神獣鏡もある。これをどう説明する。

説明不可能だろう?
ずっと後の時代になって、誰かが遊びで年号を入れたのだよ。これなら
説明できるだろう?

626 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 19:11:12
>>614
食事に行ってたんだが、俺は縦目先輩ではないよ。同じ大学の1年下なんで書き方は似て
るかもしれない。しかし、お前がレスしてた「Ghost of KTM」や「醜の御楯」や昨日の「九州説
の大学教授」はみな仲間だが別人だよ。俺の出番は昨日「九州王朝」という人を罵倒したとこ
から今日の夜中まで。メールで指示がくるんだ。しかしあの先輩は変わってる。モンゴルまで
何とかという虫を探しに自費で行った。同じいくならHNの三星堆とか行けば勉強になるのに。
 
まあ、箸墓=布留0で実年代は未確定でOK、この言い方は学問として良心的だな。畿内説
というのはもっと当時の東アジア情勢を大局的に見てのもの。

627 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:13:25
プププ
この前まで三角縁神獣鏡が証拠だと大威張りで主張してたのに、
今度は画文帯神獣鏡に鞍替えですか
お忙しいこって

628 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:13:32
>>623
証明しろというのなら、自分の方から、こういう理由で、庄内式はこの頃から
始まるというのを証明したらどうだい。
そしたら、こちらも庄内式4世紀説を披露するけど?

629 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:16:52
>>628

だから、ホケノ山から庄内式土器と画文帯が出てると言ってるだろう。

画文帯は、300年以後まで、九州にすら輸入されなかったと主張してるのか?



630 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:19:42
>>625
ええと…だな。

この話「中国で出土したもの」限定で言っているんだが
その「赤鳥」は中国で出たものなのかな?

まあ、別にその「赤鳥」年号の物が中国から出ていようが日本から出ていようが構わない。
呉地の鏡が日本にやって来た・・・で何ら問題ないが?

そもそも・・・
 
>ずっと後の時代になって、誰かが遊びで年号を入れたのだよ。

と言うのは景初なら日本にとって由緒のある年号としてありうるだろうが
呉の年号を入れる意味が見出せないぞ?w

どこが説明になっているのかな?wwwwww

「赤鳥」の紀年鏡なんかは「後世に造った物」と言う説にとっては大抵ネックになるものだがwwwwwwwwwwwwww

631 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:21:08
>>626
>モンゴルまで何とかという虫を探しに自費で行った。

その話マジやったんか!wwwwwwwwwwwwwww

632 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:24:34
>>629
では、ホケノ山はいつ出来た?
確か、木棺の年代は、布留0あるいは布留1のはずだが。
そうなると、箸墓と同じような年代になる。

633 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 19:26:22
しかし、九州画文も300年以降なら、それと同時に出土したものも300年以降となり、あらゆる
ものの編年は崩壊する、と。
>>631
マジもマジ。探検部と一緒に行きました。

634 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:26:42
>>630
中国の王さんは、三角縁神獣鏡は、呉の工人が日本にやってきて作ったものと
いう説を出している。

635 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:31:46
>>634
古っ!王さんは三角縁のこと、あんまり知らないんじゃないの。

636 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 19:35:27
>>634
王 仲殊さんなら、畿内説だが。あと、メモリアル・イヤー説(後代に記念となる年の年号を
鋳込んだ)なら、景初4年鏡があるのは不自然だ。

637 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:35:48
と言うかだな…

仮に王説をとったとしても

呉の滅亡が3世紀280年。
まさかそこから何十年もして思い出したように
亡命呉人が日本に来るわけもなしwww

今言っている布留開始が4世紀半ば、庄内も4世紀から
…と言う説には到底合致しないわけだがwwwwwwwwwwwwwww


638 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:37:10
めんどくさいから、ここから引用しとく
ttp://yamatai.cside.com/tousennsetu/hokenoyama.htm
>ホケノ山古墳発掘について、安本先生のコメント

いろいろ書いてあるけど、主題は、
1.「庄内式土器は300年以後」
2.「画文帯は呉鏡だから卑弥呼の鏡じゃない」
ということなんだけど、

1.については、何の根拠も無い。安本氏がそう思ってるだけ。縄文人と同じ。
2.画文体が卑弥呼のもらった鏡であるかどうかは関係ない。

問題は、「庄内式土器が300年以後と考えるかどうか」の一点だけ。

九州説の人は、何の根拠もなく、庄内式土器が300年以後としている。縄文人と同じ。
畿内説の人は、3世紀に造られた画文体が庄内式の時代のホケノ山から出てるから3世紀としてる。

畿内説は根拠があるが、九州説は根拠が無い。
そういうこと。


639 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:45:16
だいたい、安本がトンチンカンなのは、
魏と通じていた邪馬台国が東遷したという説なのに、
呉鏡の画文帯や三角を近畿諸国に配ったらおかしいだろという。




640 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 19:48:26
まあな、王氏は畿内に鏡を製造分配する勢力の存在を認めているわけだし、紀年鏡実年代
と考えていたはずだし。

安本の庄内式の考え方は、九州地元の地道な土器その他の編年をすべて無にするもの。
ただ自説を守りたいだけのためにだ。いや、上で誰かが書いてたようにもう知ってるはずだ。
自説は誤っていた、と。自分の支持者や教え子、甘木の観光wのためにも後には引けない
んだろう。ま、邪馬台まんじゅうでも買ってやれや。

641 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 19:56:45
安本も古田も金儲けのためだけだろw
二人とも講演会や執筆活動でかなり儲けていると思うけど、
発掘なんかやらない。
本気で自説を信じているのなら、財産投げ打ってでもやるべきじゃないかな。

642 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:05:44
>>638

安本の論法のイヤラシイところは、
わざと本筋を見えにくくして攻撃するところだな。

ホケノ山の発掘結果で、マスコミが邪馬台国か?と報じたことで、
「魏志倭人伝の棺の記述と違うから、大和は邪馬台国ではない」と声を荒げているわけだが、
使者がホケノ山の葬儀を見たかどうかなんてわからないこと。

それより、庄内式土器が出てきたことのほうが都合が悪いはずであり、
安本としては、庄内式土器が300年以後のものだと、本来は証明しないといけないわけなんだが、
それは証明する手段が無いのがわかってるので、
「庄内式土器の年代については、考古学者のあいだで、一致した見解がえられているわけではないのだ。」と、煙に巻き、
「魏志倭人伝と棺が違う=大和は邪馬台国じゃない」という、
一点張りで否定するしかないという有様。

このへんのレトリックは、素人にはなかなか見抜けないだろうな。

643 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 20:07:03
ただ、古田の邪馬壹国での登場時はインパクトあったんだろう。昔のことなんでよく知らんが。
まあ、いずれ「邪馬壹」は否定されたんだろうが、地道にやってりゃよかったのに。東日流に
関わっての晩年は惨めなものだな。人の生き方としてのいい見本になるね。

644 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/13(木) 20:13:38
>>508
オマエは神武即位=B.C.60年だそうだが、細かいところが決められないんじゃぁ
何のメリットもないねぇ〜。www

くやしかったら整然とした根拠、資料等に基づいて編年して見せるんだな。
どうだ〜オマエじゃぁ〜出来まいが。www デカい口をたたくなら出してみな。

聞くがね〜。上記のとおり神武即位がB.C.60年で、神武誕生は何年なのだね?
また神武崩御は何年になるのかねぇ? まぁうぬじゃぁ〜示すことは出来まい。w

645 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:18:26
>>628
>そしたら、こちらも庄内式4世紀説を披露するけど?

安本にすら証明できない、庄内式4世紀説を、じっくり拝聴したいものだ。

遠慮しないで、披露してくれ。



646 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:44:02
庄内式土器と画文帯神獣鏡は畿内でこそ
同じ遺跡から出ているらしいが

庄内式土器は九州から畿内まで出ているのに対し
画文帯神獣鏡は畿内以外から出ていないとすれば
多くの地域で分布範囲が重なっていないといえる。

つまりそれぞれの発祥が違うのであろう。

画文帯神獣鏡は出土している畿内地域のいずれかが
発祥である可能性は高い。

しかし庄内式土器は鏡と同じような出土分布を
示していないことから、畿内発祥ではない可能性が高い。

たまたま文化的な広がりが重なった地点に、両方の出土が
認められたということに過ぎない。

もっとも、画文帯神獣鏡の入手が困難である為
文化が伝わったとしても配布(下賜、譲渡)ができなかった
のかも知れないが。

647 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:45:46
>>646
>画文帯神獣鏡は畿内以外から出ていないとすれば

はあ?

やり直せ馬鹿w

648 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:52:15
画文帯神獣鏡は九州からも出てるよね。
近畿にくらべて、ぜんぜん、数は少ないけど。

649 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 20:54:21
>>648
楽浪からも出てるんですけど・・

650 :623:2009/08/13(木) 20:58:05
>>628
>こういう理由で、庄内式はこの頃から
>始まるというのを証明したらどうだい。

今のところ無いねえ…。

まあ>>601で出した三角のネタも
そこで既に言っているような形で
どの道水掛け論になるだろうしw

で、こっちが出さなきゃお前も出さない。
…って事で実年代棚上げで良いのだな?wwwwwwww





651 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 21:14:37
画文帯が九州から出ているならば
畿内説の根拠のひとつがまた消失する。

三角縁も崩壊し、画文帯もまた…
次は?


652 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 21:18:18
>>651
お前何も知らんで、ただ書いてるだけだろ。クズだな、消えな。

653 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 21:23:07
>652
まあ、涙拭けよ、な?

654 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 21:31:59
>>653
おまえ646じゃねの?画文近畿でしか出てないとかいってた???語る資格ないよクズ。


655 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 21:33:20
ここは学問板ですよ

656 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 21:35:23
ブラック・マンバちゅう奴は生意気なくそガキだな。侮拉狗瞞婆とでも改名しろ。お前の考古学知識は臭くて臭くて
聞かされるこちらは息苦しいぞ。子供は寝る時間だ。漏らさないよう小便して寝な。

だいたい。邪馬台国が登場するのは倭人伝だ。墓だ、土器だ、鏡だって騒ぎすぎるぞ。倭人伝や他の文献で勝負しろ。

657 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 21:39:35
>>651
う〜ん、そのワケワカランさはやっぱサイキバ君なのかな?w

どうして九州から画文が出て畿内説が崩壊するのか?

普通に考えて画文の分布域の中に九州があった方が
畿内説には都合が良いわけだがwwwwwwww

その前に三角が崩壊したと言うのも良く分からないんだが?w

舶載であろうが倣製であろうが関係ない。
問題は年代で、それが4世紀も後半と言うのなら
先行する画文も邪馬台国の時代に届かないと言う事になるだろうが…

結局、馬鹿には製作地と制作年代の問題の区別が付かないとwwwwwww



658 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 21:41:14
>>656
お前縄文人だろwww 違ったらスマン。人格の低さに同じ臭いを感じる。俺のこれはキャラ
なんだよ、上読んでみな。「傍若無人な若者」を演じるって書いてある。まあ、俺の出番は
もうすぐ終わるから勘弁しな。明日は(たぶん)別キャラが出る。wwwwwwwwwwwwww

659 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 21:59:20
>>658
縄文人は真面目になったぞ。昔は口が悪かったが、それでもおまえほど下品じゃなかったな。人格のことは言わん方がいいんじゃないか。
おまえは「「傍若無人な若者」を演じるって」ゆってるが地がそのまま出とるじゃないか。なんつってもガキだ。

660 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:03:49
>>659
縄文人おつwwww

661 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:07:15
なんかいつもの如く、意味の無いレスで有耶無耶にされたが・・・

>>600
>>卑弥呼がもらった鏡は、内行花文鏡あるいは方格規矩四神鏡というのは
>>だいたい合意されつつあるんじゃないかな。
>ほほう〜。
>じゃあ確実に魏代のものと分かる中国出土の鏡の中で
>「内行花文鏡」「方格規矩四神鏡」は何枚ぐらい出ているのかな?
>ちなみに魏の年号を持つ「 神獣鏡 」なら出土しているがwwwwwwwww

上記の質問ちゃんと答えられる九州説論者はいないのかな?

で、現在の日本の考古学上の分類である三角縁神獣鏡は出ていないものの
神獣鏡は魏代の物が中国からは出ているが

九州説論者イチオシの「内行花文鏡」「方格規矩四神鏡」は果たして中国で出ているものかどうかさえ分からない。


それで馬鹿の一つ覚え「三角は日本で500枚以上中国では0」を念仏かお題目の如く繰り返すとwwwwwwwwwww

662 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 22:12:22
>>658
ははは。まーな、俺の地はこんなもんだな。確かにあまり無理せずやってる。KHMは大変
だっただろう。オカルトなど、まるで知らないやつだ。wwwww
ところで、鏡はなんのためのものだ?威信材か?僻崇か?

663 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:13:39
>>660
わては縄文人じゃおまへんで〜。おいどんは縄文人ではありもはんど。間違いでげすよ。

664 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:15:17
>>662
何言ってんだ?

鏡は鏡だろう。鏡で卵焼きするか?
何言ってんだゆ

665 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 22:20:44
>>661
http://we.magma.jp/~ark/sinkyou_utyuu/honkan/g019-naikoukamon.html
もちろん中国ではたくさん出てる。
>>664
化粧とか顔見るのに使ったってことか?


666 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:31:58
>>665
>もちろん中国ではたくさん出てる。

いや、だから『 魏代 』に限定しての話なんだが・・・

元々魏が短命であった上に薄葬が徹底してた事もあり

どの道、そうそうは数は望めないと思うが・・・




667 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:44:53
文献になると畿内説は黙ってしまうが、考古学になるとけっこう元気が出る。
考古学は解釈の自由度が高いので、畿内説でもけっこう頑張れるというところ
だろうな。

668 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:51:37
>>667
で、なんで九州説は一箇所に絞れないの?

669 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:55:20
>>668
八百万の神々の子孫だからだよ。一カ所に絞るには余りにも候補地が豊富だからだろうな。

670 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 22:55:25
>文献になると畿内説は黙ってしまうが

はっきりと身も蓋もない言い方をすれば

「魏志倭人伝なんかで邪馬台国の位置の特定は無理」

・・・この結論だけはどうやっても鉄板w
(無論そこから先、特に考古学的資料の取り扱いは人により千差万別だがw)

この板の九州説の大方はそのどうやっても無理な暗号解読ゴッコに引き籠もっているだけwwwwwwwwww


671 :ギーコギーコ:2009/08/13(木) 23:00:30
九州説は小城甘木説に統一すべき時が近づきつつあるとおもわれます。

672 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:01:28

 「 九州説は比定地を絞って下さいね(笑) 」

・・・とは畿内説が九州説におちょくり半分の皮肉で言う台詞だろうが

話が可笑しいのは同じ「倭人伝」と言う史料を使いながら全然違う答えを導き出している。

じゃあ「比定地を一本化しろ」という言い方を変えて

「魏志倭人伝の正しい読み方を一本化してくれ」

・・・としようw

それができなくてどうして邪馬台国に辿り着けるんだ?って話wwwwwwwwww



673 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:02:59
>>670
そうやって自分を慰めているのが畿内説派だな。考古学資料などと言っているが、試料の取り扱い方も知らぬくせに。
箸墓が卑弥呼の墓だという奴もいるし、その墓が3世紀半ばの築造だなどとタワゴトを言う奴がいるし、画文帯神獣鏡
が畿内専売だと威張る奴がいるし、結局知能水準が低い奴らの集まりに過ぎん。

674 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:04:41
はっきりと身も蓋もない言い方をすれば
「考古学なんかで邪馬台国の位置の特定は無理」
この結論だけはどうやっても鉄板w
(今になっても決定的考古学的資料が出ないから)
この板の畿内説の大方はどうやっても無理な考古学的年代測定とやらに血道をあげてるだけwwwwwwwwww

675 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:07:27
>>673
縄文人に手本を見せてもらおうかw

676 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:08:53
まあ、邪馬台国の比定地はいくつかあるが
九州含めて5〜6箇所はあるだろう。
そのうちのひとつが畿内にもたまたまあるというだけのこと。

677 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:09:25
>>673

「魏志倭人伝ウソツカナイ」

・・・このドグマに自縄自縛の一人SMやっている九州説の馬鹿には言われたくないなw

倭人伝に書いている事は全て正しくなければならないから
九州だけで人口100万人なんて話も平気で出てくるwwww

当然当時の倭人の平均寿命も今日よりも更に長く
80・90当たり前100歳がゴロゴロなんだろうがwwwwww

まあその他にも正気で言っているのか分からないネタがテンコ盛りwwwwwwwwwwwwww

678 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:10:34
>>672
畿内説が候補地を一本に絞れる理由について説明します。

はじめに大和に持ってくるという目的があったからです。その目的のために方角やらを間違いだとし、古墳の大きさなど
を武器にしてなんとか理屈づけをしてきました。でも、正直言ってきつくなりました。

679 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:12:33
改変コピペで返すこの芸風・・・サイキバ君かな?w

「考古学的年代測定」ってなんだよそれw

また「祭器場」に続く造語のヒット作狙ってるのか?wwwwwwwwwww


680 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:15:00
相も変わらず繰り返してる浅薄な九州批判をバカにしてるだけだよwwwwwwwwwww

681 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:15:33
>677
魏志倭人伝が完全に正しいといっている人間は
九州説どころか畿内説でさえ誰もいない。
ただ、どのように違っているのか
合理的に説明がつかないと相手にされない。それだけのこと

魏志倭人伝を完全に否定するならば、邪馬台国畿内説もありえない。


682 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 23:21:05
>>666
このHPがいいのかな?魏代の銅器製作は衰退してただろうが、公平に言って九州からも
出てる。ただし北部だけだが。
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko16kagami.html

これをもって奥野氏なんかは九州説の一つの根拠としてるが、北部九州を一大率が支配して
たと考えれば問題ないかな?中国鏡は先輩のがずっと詳しいんで残念。
http://www.okunomasao.com/sankakubuti.html
このHPの一番下のあたり、ただこの論にはごまかしもあるな。

683 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:25:15
>>682
いや、だから、、、、

 ・中国で出土したもので

 ・魏代のものと確認できるもの(出土状況が分かっているものが望ましい)

って事なんだが・・・



684 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:27:14
畿内説も、都合の良い所だけは倭人伝を引用している。
たとえば、卑弥呼が百枚の鏡をもらったとか、卑弥呼の墓として径百歩余の
冢を作ったとか。
倭人伝を根拠に自分たちの説を作っておいて、そのくせ、倭人伝は信用でき
ないとか言っている。

まあ、倭人伝がなかったら、卑弥呼も邪馬台国も存在しない。
当時、関東地方にどういう国があって、どういう王がいたかわからないのと
同じように。

685 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:28:52
俺は最初騙されて畿内説を信じていたけど、よく考えると畿内説というのはこじつけで成立してるのだな。早く
気がついてよかったよ。これからは九州説を馬鹿にするのは止めるよ。すまんかった。

686 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:37:02
>>684
「信じるのなら全て信じろ!信じないのなら全て否定しろ!」
の二択かよw

まあそのヒステリックな開き直りはいつものパターンだがwww

当然情報の確度にはメリハリをつけてる。

大まかに言って中国での事、北部九州近辺での事、それ以遠での事
・・・と段々話が怪しくなっている。

その内容については何十回と書いてきたが
もう本当無限ループだなw

だから九州説は畿内説を否定するだけじゃなくて
自律的に自説を証明して見せろって話で。

文献一本で勝負すると言うのなら
「これが正しい読み方」
と言うのを一本化して見せろ。

それすらできないのに何で自説の
「砂鬼四荼羅こうなった」
が正しいと証明できるんだ?って話でwwwwwwwww





687 :ローガン:2009/08/13(木) 23:39:45
>>684
> 畿内説も、都合の良い所だけは倭人伝を引用している。

都合の悪いところなどべつにありませんが。

688 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:40:21
>>687
え?角度とか

689 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:41:11
>>686
>人口100万人なんて話も平気で出てくる
それ言い出したの畿内説だから間違えない様に。

690 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:42:57
>>618
>2.庄内式の時代に、九州は衰退している。
これがいいかげんだな。庄内式の時代をいつからいつまでとみるか?
何を証拠に九州が衰退しているとみるか? 仮に衰退が認められるとしても
必ずしも時代的に重なるわけではない。


691 :ブラック・マンバ:2009/08/13(木) 23:43:26
中国出土の魏代の紀年鏡は梅原氏の古い本にいろいろ出てた気がします。あとで図書館
で調べてみます。

これは水かけ論にしかならない。倭人伝がなければ邪馬台国そのものの存在すらわからない。
おそらく「ここが邪馬台国です」と書かれた考古資料はでないだろ。しかし、だからといって倭人伝
を疑ってはならないということもないな。結局、複数の文献比較ができないから判断ができないし、
その分素人にもとっつきやすい?

692 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:45:25
九州説は基本的に自説の補強が多く
畿内に何らかの勢力が存在することまでは否定していない。

むしろ畿内説の補強をしないで、九州説の的外れな批判ばかりを
やって、否定にもならない否定をした気になって、返り討ちに合い、
突っ込まれたら意味のない罵詈雑言で逃げる、草ばかりはやした
キチガイが目に付く。

本来の畿内説の方々にとっても迷惑だろうなと思う。

693 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:45:52
畿内説でも角度?は問題ないですよ。
投馬や邪馬台国は伝聞情報ですから。

帯方郡から見れば船を南に出すという事です。

694 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:47:37
俺も騙されてたな。伊都国が糸島郡と思ってた。奴国も福岡市のあたりだと思ってた。糸島には平原だとか三雲
だとか弥生時代の王墓みたいなものがあるし、福岡には須久、岡本遺跡があるし、志賀島からは金印も出てるし、
信憑性があるように思ったんだよな。でも、怪しくなったな。倭人伝に出て来る國名なんて現在や昔の地名では当
てはまらないのがいっぱいあるし、例えば巳百支國、伊邪國、都支國、有彌奴國などなどいったいどこだ?


695 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:48:11
>>687
畿内説に倭人伝否定の人間が多いから言っているのだが。

たとえば、邪馬台国の方角が「南」とあるのはどう説明するのか。
女王国の東に海を渡ること千里でまた国がある、というのは畿内説では
どうなるか。倭の地を周旋すること五千里余はどうなるのか。
これらには答えられるのかな。

696 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:51:23
>>693
伝聞情報だとか倭人伝は誤りだとかいうのは、既に問題なんだよ。九州説は
そんなくだらん弁解はしない。

697 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:54:11
>>694
間違い 有彌奴國は彌奴國

698 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:54:22
>>691 ブラック・マン○
>中国出土の魏代の紀年鏡は

あ、いや「魏の紀年銘鏡一覧」と言う事で福永がまとめたものなら今手元にあるんだよ。

 『邪馬台国から大和政権へ』福永伸哉 大阪大学出版会 p68掲載図より

ただその中には「内行花文鏡」は出ておらず
「方格規矩四神鏡」は日本の京都・大阪で出土の青龍3年鏡しか出ていない。
(ここの九州説の連中にはこれらは後世のレプリカのはずwwwwwwwwww)







699 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:56:19
倭人伝をストレートに解釈すると
九州でも畿内でもないところに行ってしまう。

そのためなんらかの解釈の変更は必要。

ただ、その変更が納得できるものかどうかが問題。
そこで水掛け論になってしまう。

そこで別視点からの各説の補強が必要となる。

700 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 23:59:24
>>695
全く答える能わずです。俺も馬鹿だったなあ 畿内説に騙されて。

701 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:00:16
>邪馬台国の方角が「南」とあるのはどう説明するのか。
帯方郡からみて南ですよ。倭人伝は日本の史料じゃありません。
あくまで行き方ではなく彼等からみた「位置」を表してるだけです。

>女王国の東に海を渡ること千里でまた国がある、
伊勢湾を越えた東海以東でしょう。
女王国のすぐ横に海と書かれてる訳でもないしね。

>倭の地を周旋すること五千里余はどうなるのか。
これは確かに説明つかないな。でも九州説でも
倭国北岸の国をどう扱うのでしょうね?

702 :ブラック・マンバ:2009/08/14(金) 00:06:47
>>698
なるほど。先輩と違ってぼくは中国語検索はできないんでこれ以上わかりません。

では時間なので消えます。明日はたぶん今までで一番とんでもないです。ただしレス内容
はゼロかと。


703 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:07:10
>>699
魏の公式里とかのことですかな。そんなもん問題にならんとじゃなかか。韓国南部から対馬、対馬から
壱岐、壱岐から唐津辺りまでの距離が千里くらいと書いてあるなら実際との比較で考えりゃよかろうもん。
なんば難しかこつ言うちょるか。それでそのまんま素直に読めばよかったい。

704 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:12:04
>>701
帯方郡から見たら、九州でも南東の方角になる。近畿地方だったら、南東と
いうよりも「東」の方が近いだろう。そういえば、倭人伝の冒頭には、
「倭人在帶方東南大海之中」とある。

伊勢湾は海を渡るとは言わない。倭人伝の場合、「海を渡る」は、船で
なければ行けない場合に使われていると考えられる。
それに、誰かが言っていたが、陸路でも行ける尾張や美濃は無視かという
ことにもなる。

705 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:16:35
>>701
>帯方郡からみて南ですよ。
文章を読む力がないのかな。それは帯方郡から南と読むべきものではない。
それに、最初に東南大海の中と書いているのに南はないぜ。
>伊勢湾を越えた東海以東でしょう。
これも読解力のなさを露呈しているな。湾を越えたなんてのは詭弁にすぎん。
倭の地と東千里の地とは別の島でなければならん。
>倭国北岸の国をどう扱うのでしょうね?
単純なことだ。倭の北方の半島の岸にある国と言うだけのこと。漢文ではその
ような表現がなされることはある。


706 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:16:51
>>701
おまえは馬鹿じゃなかか。帯方郡から見たら奈良は東北東の方角になるぞ。
あんとき父ちゃんが酒さえ飲んどらんかったらこげな馬鹿息子は生まれとらんかったのに。

707 :ローガン:2009/08/14(金) 00:21:17
>>696

>伝聞情報だとか倭人伝は誤りだとかいうのは、既に問題なんだよ。九州説はそんなくだらん弁解はしない。

伝聞情報云々についてはさておき…
例えば、新羅についてですが
梁書「其國在百済東南五千余里…」
通典「其國在百済東南五百余里…」
冊府元亀「新羅國在百済東南五十余里…」
どれがホントなんでしょうね。笑いますね。
さて 「倭人伝だけは完璧だあ」って言えるだけの根拠、ありますか?ないでしょ?


708 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:22:37
>>706
あなた大丈夫?

709 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:25:18
>>707
書き写すときにまちがえたんだろうな。しかし、倭人伝の伝える「南」や里数は
一箇所だけの話ではない、誤写でないことは明らかだよ。
その区別がつかんとは、もうろくしたもんだね。

710 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:30:20
>>707
随分時代が違う書を例に出しますね。後世の書を引き合いに出すなら、まずは隋書でしょう。

711 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:35:33
>>707
糞コテらしい糞レスだな

712 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:36:03
>>667
>考古学は解釈の自由度が高いので、畿内説でもけっこう頑張れるというところ
>だろうな。

・・・しかしこれって結構なブラック・ジョークだよなw

自由度が高いはずの考古学的アプローチでは畿内ヤマトに集約して

自由度が低い厳密であるはずの文献に頼った九州説が比定地を絞れず
「九州だったら何処でもおk」的になっている

・・・と言うのはwwwwwwwwww





713 :ローガン:2009/08/14(金) 00:39:57
>>704
> 伊勢湾は海を渡るとは言わない。倭人伝の場合、「海を渡る」は、船でなければ行けない場合に使われていると考えられる。
> それに、誰かが言っていたが、陸路でも行ける尾張や美濃は無視かということにもなる。

地続きだからと言う意味のレスだと承知しました。では遼東山東間はどうでしょう?
「渡海」ではないという事ですか?

714 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:41:04
>>712
古墳の大きさだけで決めるって立場だからだろ。
しかし、畿内説の行程は、瀬戸内海コースとか日本海コースとか、じたばた
してるねえ。


715 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:46:15
考古学的アプローチをし、比定地が絞れてるのに
なぜいつまで経っても確定出来ないんですかね?

716 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:52:41
>>715
まちがった比定をしてるからですね。考古学ってのはその程度の学問なんです。
思い込みが先にあって、資料を正しく見ることができないんです。

717 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:56:08
>>713
山東半島が何か関係あるんでしょうか?

718 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:58:07
>>716
あぶない学問ですね。

719 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:01:19
>>714
>古墳の大きさだけで決めるって立場だからだろ

もう、いいかげんにしてくれwwwwwwwwwww
>>716
資料を正しく見ると、九州が先進的な地域だったなんて変な思い込みは
せんわなwwwww

720 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:05:22
そうそう、北九州が先進的な地域だったなんて思い込みは禁物だよ。

721 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:06:35
そうだね。

722 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:19:19
>>704
伊都に行く場合でも最初は南に船を向けるでしょ?

倭人伝の記述をみても、対馬から南へ向かうと壱岐には着かないからね。
つまり方角についての信憑性はそのレベル。
まして遠方の投馬・邪馬台国は漠然と
南と表記してるだけじゃないかな?

>「海を渡る」は、船で なければ行けない場合に
使われていると考えられる。

海人なのが伊勢から東海へ向かうのに
わざわざ尾張を廻らないでしょ。


>>706
意味不明だが。

723 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:24:34
まあ3世紀に正確な位置関係を記した
アジアの地図なんて当然無いからな。
現代の基準、それも日本目線で考えちゃダメだろ。

724 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:40:19
>>722
地続きの伊勢と東海が政治的に分断してるの? 争いが絶えず大変だったろうね

725 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:40:44
>>722
まちがえるおそれがないところは問題ないんだよ。対馬国から南の方で千里の
距離にあるのは一支国(壱岐)だけだろ。ほかに間違えそうな島はない。だから、
四分法の南で十分なんだ。しかし、陸上ではそうはいかん。だから東南なんだよ。

726 :ローガン:2009/08/14(金) 01:52:00
>>717
以遼東東沓縣吏民渡海居斉郡界…

727 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 02:36:06
辰韓12カ国
 斯蘆国 己柢国 不斯国 勤耆国 難彌理彌凍国 冉奚国
 軍彌国 如湛国 戸路国 州鮮?  馬延? 優由?

弁韓12カ国
 弥離弥凍国 古資弥凍国 古淳是国 半路国 楽奴国 軍弥国
 弥烏邪馬国 甘路国 狗邪国 走漕馬国 安邪国 涜盧国

邪馬台国と似たような国名が並んでるのは、表音文字だからだろうな、
一字一字に意味はなく、韓人の発音を漢字で当て字しただけ
現在の地名との類似で比定する方法はナンセンス
明らかに韓半島の地名でも、知名類似だけで日本列島内に持って来れそうだ

728 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 02:48:03
鶴瓶のベトナムでの旅番組見てたが面白かった
あなたは何処から来たの?って質問したら指差してあっちからと言ってた
当時も同じようなことだったんだろ
だから方角が違ってた
特に投馬国、邪馬台国
彼ら(倭人)は南を指差してた
それが北九州でのことなら、東よりも南の方を指差したとしても、あながち間違いでは無い
投馬国は吉備だ
邪馬台国は奈良だ


729 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 03:13:21
まあ個人的には畿内説で日本海ルートを推すwwwwwwwww

ただし魏使自身は当然最後には大和川を遡上すれば楽チンであったろう
瀬戸内ルートで卑弥呼のもとに向かった。

日本海も季節を選べばさほどに波も高くないかもしれんが
最後歩いて南下するのと船に乗って遡上できるのでは雲泥の差がある。

それに瀬戸内ルートが使えない状況なら首長連合の意味が無いw

あの行程記事は恐らく半島に渡る為、もしくは九州のクニと交易する為
北部九州に来ていた山陰(出雲)の人間からの情報と推測。

故にヤマトまでのルートを聞かれれば当然日本海ルートでの行程を答える。
それを郡使が直接聞いたか又聞きしたものがあの記事になったと。

方角の錯誤については、倭人の説明やその情報を収集した郡使の(誤った)地理観がごちゃ混ぜになっていると言う事でwwwwwwwww





730 :729:2009/08/14(金) 03:21:36
先に述べた複数ソースの情報の混乱について言っておけば
卑弥呼の墓についての記事で殉葬が出ているが

今日考古学的には一例も報告はされていない。

無論、考古学的な考察で「出土していない」事をもってどうこう考えるのは危険なんだろうが
実際古墳の全てが宮内庁に管理されているわけでもなし

削られ潰されたものも多々あるわけで、それで出てこないのなら、やはり古代の日本には
殉葬の風は無かったと考える方が確率は高いだろうと思う。

そうすれば話に尾ひれをつけるにしても当時の倭人にその発想自体が無い訳で
中国人による脚色の可能性を考えるべきだと思っているwwww





731 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 03:59:40
>>730

いやその前に
考古学にて 殉葬か、殉葬でないかの区別判断が出来るの?
ましてや
今まで殉葬らしき墓が確認されていないなら、尚更
そのような判断は困難では?
殉死した人達が、どのように葬られたかの記録がない限り、その判断も難しいのでは?

732 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 04:24:23
>>716
それは違う。

倭地は最初から大海の中という設定条件を設けられた文章。
しかし、遼東や山東は
陸続きの大陸内での出来事となり
地理的な表現にも違いを生じます。
大陸内での「渡」は、同じ地内の対岸に の表現であり、大海の中の島にての「渡」は 対岸は別の島の対岸の意になります。

しかし、これが日本国内で書かれた文章であるならば、それが湾であろうと川であろうと「渡」は全て対岸へであり、当然伊勢湾にての対岸へは「渡」でしょう。

733 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 04:31:49
>>732はアンカーミス


>>716は、>>713ローガンさんへの誤りです。

734 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 05:55:05
>>690

レスをながめてて、庄内式土器が300年以後だとしつこく思ってるのは君だけ?
他の九州説の人は庄内式土器が300年以後だと証明できなくて、口をつぐんじゃったみたいだけど。
君だって、庄内式土器が300年以後だと証明できないんでしょ?

じゃ、具体的に聞くよ?
庄内式土器は九州に出現するが、その時代に繁栄を遂げた九州の遺跡がどこにある?
畿内は、庄内式土器の出現から繁栄を始めるよ?

「九州は、庄内式土器の時代に衰退をはじめる」
これは、九州説の学者も認めてること。

でも、邪馬台国が九州にあると思ってるから、3世紀中に衰退されたら困るわけ。
だから、九州説の学者は、庄内式土器は300年以後だと、かたくなに主張してるわけ。
君のそれにならってるわけだよね?
でも、根拠はないわけだ。

根本的な問題は、庄内式土器の年代なんだよ。
C14とか年輪年代とかをいくら攻撃しても、目くらましには出来ても、
「庄内式土器は300年以後」だと、高らかに主張しなければ、九州説は成立しないの。

そして、現在のところ、「庄内式土器は300年以後」だと、論陣を張れる九州説の人はいないと。

わかった?



735 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 06:07:10
それは良いんだが、
繁栄・衰退とひとことで済ましているが、
具体的にはどんな考古学的資料からそれは言えるの?

736 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 06:16:53
もういちど晒すけど。
ttp://yamatai.cside.com/tousennsetu/hokenoyama.htm
>ホケノ山古墳発掘について、安本先生のコメント

平成12年3月28日 新聞各紙の報道について、
安本がヒステリックに反論しているのは、
ホケノ山から庄内式土器と画文帯神獣鏡が出てきたからなんだよ。

それまでは、画文帯神獣鏡は、布留以後の古墳時代から出ていたから、
九州説や東遷説はまだ安泰だったわけ。

でも、弥生時代末を意味する庄内式土器と、画文帯神獣鏡が一緒に出てきたものだから、
弥生時代末には、畿内は画文帯神獣鏡を手に入れるだけの王権があったと証明されてしまったわけ。

安本は、こんなことを言ってしめくくっているけれど、
>■ ホケノ山古墳の示す事実そのものは、「魏志倭人伝」の記述に合っていない。
>■ 事実を無視して、大々的なPRに走ってはならない。

問題の本質は、「弥生時代末=庄内式土器の時代」がいつなのかってこと。
九州説なら、「弥生時代末=庄内式土器の時代=300年以後」だと、まず説明をすべき。
説明ができるなら、ホケノ山から何が出ようが、関係なかったわけ。
画文帯神獣鏡が出ても、おとくいの東遷説で説明できるわけだからな。

でも、うまく説明する手段が無かった。

だから安本は、論点をぼかしてヒステリックに「魏志倭人伝の記述に合っていない」としか、言い張れなかったわけ。
本来なら、「庄内式土器の時代=300年以後だ」という言い方で締めくくるべき問題。

でも、さすがにそんなことを言えば、安本のあらゆるウソがばれると、そこは自覚してるんだろうね。



737 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 06:25:19
つうか

「庄内式土器は300年以後」

・・・と言うのは九州説というより

東遷説の事情ですからwww

738 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 06:26:49
>>735
>ttp://yamatai.cside.com/katudou/kiroku257.htm

>安本:九州の庄内式土器は、吉野ヶ里の環濠が埋められてすぐの時代なのに対して、
>畿内では環濠が埋まってからだいぶ時間が経ってから埋められたように見える。

安本は、環濠の埋め立てと庄内式土器をリンクさせて「目くらまし」してるけど、
本来は、吉野ヶ里は庄内式土器の時代に衰退してるという意味なんですよ。





739 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 06:39:56
>たとえば、邪馬台国の方角が「南」とあるのはどう説明するのか。

だから畿内説も「南」でなければならないんですよ。
倭人伝通りに忠実に進むと海に落ちるといっているんだから。
畿内説でも、あくまでも「南」。「東」に変えてはまずいのです。


740 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 07:11:12
>>739

何処に方角と書いてあるんだ?勝手な思い込みはご法度だぞ。

741 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 07:20:11
>>734
>庄内式土器が300年以後だとしつこく思ってるのは君だけ?
私は庄内式がいつかなんてことは、一言も言ってないよ。誰かと勘違いだな。
3世紀かどうか、簡単に決められることではないと思うが。

>「九州は、庄内式土器の時代に衰退をはじめる」
>これは、九州説の学者も認めてること。
どこの話だ? 九州全体が衰退しているなんてことはないな。九州は繁栄を
続けているよ。




742 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 07:29:25
>>736
>畿内は画文帯神獣鏡を手に入れるだけの王権があったと証明されてしまったわけ。
畿内の王権が手に入れたとは限らんぜ。畿内は直前に銅鐸が消滅しているんだ。
九州勢力が畿内に進出して、画文をばらまいたと考えるべきだよ。畿内の王権では
ない、九州の王権が手に入れたんだ。畿内の王権だったら、鏡には興味は示さんだろ。


743 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 07:31:19
畿内派に「南」を「東」と読み変えさせて得意になって喜んでいるのは、実は九州説のアホ連中だ。
別に「南」でいいんだよ。「南」に進んでください。
我々は九州から外れて海に落ちると主張しているのです。
畿内へは誘導していません。九州論者とは違います。



744 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 07:34:28
↑中学生でつか?

745 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 08:39:21
今時「つか」ってw

746 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 08:40:59
「庄内式土器と画文帯神獣鏡が一緒に埋められていたからホケノ山古墳は3世紀の築造だ」とどうして言えるのでしょう?
「庄内式土器は弥生時代末期には消滅していた」ということは証明されていますか?
『吉野ヶ里は3世紀には衰退していた」と言われますが、それがどうして3世紀の九州に大きな勢力が無かったという証拠
になるのでしょうか?

倭人伝の記述どおり南へ進めば海に落ちると言われますが、海に落ちないですむ読み方(正しい読み方)が九州説の中に見
られますよ。まあ、しかし、それを認めたら畿内説は即アウトになりますから絶対に認めないでしょうね。

747 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 08:50:40
>>746
本当に「正しい読み方」なら当然定説になってるはずだけど。

748 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 09:01:56
>>746
>それを認めたら畿内説は即アウトになりますから絶対に認めないでしょうね
すぐ、そうやって畿内説をだすから反論食らうんだろw縄文人さん

749 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 10:02:02
>>741
吉野ヶ里は環濠が埋められ、
平原も画文帯を入手する前に衰退してるよ。

>>742
>九州勢力が畿内に進出して、画文をばらまいたと考えるべきだよ。
その仮説を証明する材料は何かあるの?

>>746

「庄内式土器は4世紀から」
「倭人伝を読めば九州でしかありえない」

九州説のよってたつ根拠の本質をあぶりだせば、この2点だけなんだよね。
で、庄内式土器は4世紀からという具体的な反証はまったく提示されてこないと。
倭人伝の「正しい読み方」なんて、読む人の主観の問題なわけだし。





750 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 10:42:05
>倭人伝の記述どおり南へ進めば海に落ちると言われますが、海に落ちないですむ読み方(正しい読み方)が九州説の中に見
られますよ。

九州派が素直に南に進まないから、海に落ちないんだよ。
頼むから倭人伝通り南に突き進んでくれよ。最低限のルールは守れ。
あくまでも南に二月だ。

751 :縄文人:2009/08/14(金) 10:54:38
>>747
誰か(かなり多数の訳の分からぬ人達)が邪魔してるからじゃないでしょうか。
私なんか九州説のいくつかは素晴らしいと思います。魅力がありますね。まるで卑弥呼が呼び寄せた(変な人が
ここでも精神感応力だとか超心理学だとか言ってましたが、それですかね)みたいです。
いやあ 九州説は素晴らしい。畿内説と違って読む人の人生を豊かにしてくれる。倭人伝とはこのように読むも
のか と目が覚める思いがします。

752 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 10:56:07
>743
海には落ちるのは海賊とか船中で自殺とか仲違いで海へ放りこまれたとかしか
あるまい。伝には海へ落ちるとは書かれてないだろう。

大陸人は大陸、半島の地理では陸続きのため知悉度が高いが、渡海した未知性の
強い外国の日本の地理情勢には大陸、半島のように軽くたどり着ける状況下には
なかったということだ。つまり大陸人にとっては当時の九州は土地鑑が殆ど
無く、ストレートで女王国に行ける詳細の地理把握は持ってなかったということ
だ。大陸を離れて半島までは時間の経過も少なく土地鑑あることから、ほぼ道は
分かっていたから、地理に関しては右往左往する必要はなったが、これが渡海して
北九州上陸となり、全く知らないに近い異国九州に着いた時点で日数の経過から
そろそろ疲労が始まり、今後の食糧の確保、病人が出たときの対処が重要に
なるわけで、未知の土地には毒虫、道間違いからの後戻り、海賊山賊台風との
遭遇等、疲弊困憊が生じるわけで、そんなストレートに女王国には到達出来
っこない。おまけに心に余裕があれば観光目的も兼ねて滅多に見られない地域へ
の周遊等で滞在をすればここで数日の経過が加わるわけで、女王国探索の時間経過
など総ての不測の事態を加味すれば、陸行一月は当然かかるべき時間であり、
これはむしろ合理的時間経過の数字である。

南九州以南の海を過ぎることなどは単純計算の妄想の発露だということだ。ww
遣使は疲労しないロボットではない。ww ロボットならば九州南の海へ落ちて
当然だがね。wwwww

753 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:04:02
>>750
>あくまでも南に二月だ。
それが間違いなんだよ。倭人伝は正しく読まなければいかんな。
伊都国からは放射式に読むんだ。それが倭人伝の指示するところ。
学者が何人もそれを指摘しているだろ。

754 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:08:16
>>750
それで、あくまでも南に二月進むと畿内のどこに到達するんですか?

755 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:13:10
>>749
>吉野ヶ里は環濠が埋められ、平原も画文帯を入手する前に衰退してるよ。
倭国の乱が終わったから埋められただけだろう。衰退とはいえない。仮に吉野ヶ里
や平原が衰退したところで、九州全体としては衰退していないよ。

>>九州勢力が畿内に進出して、画文をばらまいたと考えるべきだよ。
>その仮説を証明する材料は何かあるの?
あると言っても君は認めようとしないだろうがね。少なくとも可能性がある以上、
畿内王権が証明されたなんてことは言えないんだよ。


756 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 11:16:32
どうでもいいけど、太国さんと縄文人さんキャラかぶってるってwww



757 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 11:18:43
彼は伊作だろう。
オマエは早く神武誕生年がB.C.60年の前のいつなのか、崩御はその後
のいつなのか? 早く答えろ!

758 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:25:04
>>755
>あると言っても君は認めようとしないだろうがね。

認める認めない以前に、材料そのものが無いだろ?
あるなら早く出せよ。


759 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:25:11
>「庄内式土器は4世紀から」、「倭人伝を読めば九州でしかありえない」
>九州説のよってたつ根拠の本質をあぶりだせば、この2点だけなんだよね。
なんで、庄内式が4世紀じゃないといかんのかな? 私は九州説だが、庄内式
なんぞいつでも結構。畿内の古墳の年代をさかのぼらせるのも結構、それにつ
れて全国の古墳の年代もさかのぼるだけの話だ。
倭人伝によれば、邪馬台国時代には、径百余歩というんだから古墳がはじまっ
ていたんだろ。古墳がまったくないというほうがおかしいね。

760 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:28:48
>>459
>私は九州説だが、庄内式なんぞいつでも結構。

その姿勢が重要だよ。
あくまでも、事実に基づいて論を進めないとね。
たとえ、庄内期に九州が衰退し、近畿に画文帯が持ち込まれても、
それでも九州に邪馬台国があったと思うなら、そう言えばいいんだよ。



761 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:31:39
困るのは東遷説だけなんだから。


762 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 11:35:18
>彼は伊作だろう。

伊作てよく知らないんですが、邪馬台国暦長い人ですよね?
いや、別人でしょうw

>オマエは早く神武誕生年がB.C.60年の前のいつなのか、崩御はその後
>のいつなのか?

神武即位は紀元前後がふさわしいというのは以前から考えてたこと。
神武誕生年、崩御年とかの計算はそっちでやって下さいww


763 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 11:42:18
>>庄内式土器は4世紀から

なんで庄内土器が四世紀からになるんだよw
笑ろうたwwww

764 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:42:48
>神武即位は紀元前後がふさわしいというのは以前から考えてたこと。
即位って大和でかな? 銅鐸祭祀をやってたの? 九州勢力に攻められて
銅鐸勢力が消滅したとき、神武の系統は絶えたってことかな?


765 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 11:43:01
伊作氏は曲学の徒さんの掲示板の毎回書きこんでいたスレ人。

神武の生年、没年が分からんではオマエのB.C.60年即位とやらの
説がトンデモだとの確定とみなす。ww

766 :縄文人:2009/08/14(金) 11:49:53
太國ちゃん
私は伊作さんではありません。伊作さんてあの論理的な考察をされる方でしょう。私なんか到底及びもつかぬ方です。
間違えられたのは光栄ですが。

改めさん
お互い忙しいですね。先祖を敬い、親に孝養を尽くす。兄弟仲良く、隣人に優しく。これが私達の姿ですね。
それはそれとして、
神武は3世紀の人間で、九州から畿内まで出かけて、野蛮人ども(失言)を服従させて、奈良盆地を住み易いところに
変えるために苦労した人です。これはここに登場した超心理学の先生から精神感応で得た情報です。

767 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:52:42
>>760
>庄内期に九州が衰退し
どうしても九州が衰退したって言いたいのかな? 前原付近の衰退?
伊都国がそこにあったにしては衰退はおかしいね。伊都国があったのは
有明海沿岸。そちらはちゃんと繁栄しているんだよ。

768 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:54:36
>それで、あくまでも南に二月進むと畿内のどこに到達するんですか?

だから海に落ちる、といっているだろう。


769 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:57:35
畿内説がいう大和は海の中だったのか。知らなんだ。

770 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:07:51
太平洋に比定とは新しいな

771 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:09:43
>>767
三雲・伊原だけは後期後半まで発展するけど、それ以外は中期に王の存在が確認できた集落でさえ
後期前半には、王の存在や住人の存在さえ疑わしくなるほど衰退している。
あくまで北部九州での話しだが。

>>769
違うw
畿内説の言う九州説は海の中だw

772 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 12:10:48
>>765
>神武の生年、没年が分からんではオマエのB.C.60年即位とやらの
>説がトンデモだとの確定とみなす。ww

JINZOの年代感に飛びついて何が悪いw
文句あるなら、彼のBC60年説を論破してからトンデモといいましょうw


773 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/14(金) 12:11:54
>>766

>伊作さんてあの論理的な考察をされる方でしょう

いいえ。 日本一論理的な思い込みをされるかたです。

774 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:15:31
>>766
ほう伊作でなくて結構だな。みなも曲学さんの掲示板に行って、あの罵声だらけの汚い語り
口を見てこいよ。

775 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:53:26
>>771
畿内説って、朝鮮半島の鉄が欲しくて北九州を手に入れたって考え方だったんじゃ
ないかな。当然、邪馬台国時代には、北九州にはご褒美をいっぱい与えて繁栄させ
るはずじゃないか? その北九州が衰退ってのは畿内説論者の伊都国比定がまちが
っている証拠だよ。




776 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:56:19
>畿内説がいう大和は海の中だったのか。知らなんだ。

倭人伝通り進むと、邪馬台国が海の中になるといっているんだよ。
頭を巡らせようね。読解力をつけよう。

郡から12000余里離れると、これまた海の中だ。
あくまでも魏・晋時代の当時の公里で地図を測った上での話です。
当時の基準から外れる解釈話?で測ると違ってきますので、その場合はレス不要。
公で認定されているものしか受け付けません。


777 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:03:25
>頭を巡らせようね。読解力をつけよう。
読解力がないから、海に落ちるなんて質問に合わない答えを書いたんじゃないかな。

>公で認定されているものしか受け付けません。
公で認定されている里なんてないんだよ。

778 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:05:47
>>775
レベルの低い反論ありがとうw
三雲・井原遺跡がある位置も九州説は知らんのかw

だいたい北九州に褒美を与え発展させてやらなきゃいけないの?
安全にそこを通れれば良いだけだろ。

779 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:40:10
>三雲・井原遺跡がある位置も九州説は知らんのかw
そんな古い遺跡を持ち出して何を言いたいのかな。伊都国は、一大率が置かれた
北九州の中心地のはず。古い墓場ではなく、中心地であることを示す証拠を出せよ。

780 :doontakuka:2009/08/14(金) 13:46:03
>>779

伊都国って出雲じゃたがね。
知らんとね。



781 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:46:28
>>779
>そんな古い遺跡を持ち出して何を言いたいのかな。伊都国は、一大率が置かれた
北九州の中心地のはず。古い墓場ではなく、中心地であることを示す証拠を出せよ。

勝手に伊都国の定義を決めた上に、中心地であることの証拠を出せとか
やってれねーわwwwwwww

782 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:51:55
らが抜けたwww

783 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:56:07
「ま」でなくてよかったな。

784 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 14:02:13
墓の大小は権力の大小を示す、我が国の最大の権力者がいたところが邪馬台国だ。
畿内説論者って、そんな勝手な定義を決めるのが好きだったんじゃないかな?

785 :畿内説漫才大好き:2009/08/14(金) 14:06:48
畿内説の爺様方は頭が針金で縛られとらすけんで、魏の公式里で書かれているとか言うちょると。馬鹿より
下んレベルの人たちじゃけん 話にならんとたい。あん人たちゃ馬鹿は牛じゃと言うかも知れんけんね。でも
九州説に文句をつけるこっでなんとか生き甲斐を持てるっちゃろから、聞いちゃろかね。可哀想じゃもんね。

786 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 14:15:18
細かい比定地の話はどうでもいいが、
「衰退」ってどういうこと?
北九州の人口が弥生時代後期に向けて漸減してるの?
主要交易ルートに大きな変遷があったの?
国富を吸い取られるような収奪が行われたとか?(畿内勢力による支配?)

いくつかの環濠集落がなくなったことが
衰退と言われるのはいまいち納得いかない感じ。

787 :畿内説漫才大好き:2009/08/14(金) 14:21:51
>>786
あん人たちゃ漢字の意味を知っとらんとよ。衰退ちゅう漢字で瑞臺のこつば言うとうごたるよ。

788 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 14:31:19
>>772
フフンだ!
オマエは紀年に対して知りが青いわけだ。ww

789 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 14:35:56
>>786

北九州の人口は、弥生時代終末期に減ってますよ。

集落の規模が小さくなってる。

戦争ばっかしやってたからじゃね。

790 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 14:39:08
>>788
>オマエは紀年に対して知りが青いわけだ。ww

いや、一から、
歴代天皇の紀年を計算をしている貴方は頭が悪いというかw

時間、苦労をかけて結果を出すのが良いとはかぎらない。
でも、多少、苦労を伴わないと「謎は解けない」というのは認めます、
しかし、苦労したから解けるとはかぎらない。
つーことで、わたしは、年数計算を、他の人に任せてますwwww


791 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 14:44:43
>>790
そうだろう〜オマエはできないから他人に寄りかかりっぱなし。ww
他人の使いこなしの一時拝借はいいものの
暗闇で他人の懐中電灯を使いっぱなし。たまにはオマエがせねば、
オマエの名がすたる。ww

792 :ひよこ:2009/08/14(金) 14:47:35
>>788
有名な太国様にアンカーを付けることができて光栄です。質問が3つありますのでお答え
ください。

@なぜ、太国というハンドル・ネームになったのですか。(太国の意味)
A太国様が比定する邪馬台国の位置はどこですか。(現在の都道府県、都市名)
B太国様のご家族など個人的プロフィール。(明かせるだけでけっこうです)

以上よろしくお願いいたします。


793 :とよ:2009/08/14(金) 15:01:46
>>792
ご本人は照れくさくて答えにくいと思いますので、わたくしが代わりにお答えします。
1.太え野郎と書くつもりで指が震えてキーボード操作を誤ったらしいです。
2.熊本県阿蘇郡と聞いております。
3.秘密にしているようです。私の推測では独身のようです。
なお、得意技は半径3の球の体積の計算です。


794 :ひよこ:2009/08/14(金) 15:12:13
>>793
これは、ご本人様がお名前を変えていらっしゃるのでしょうか?それとも別人がお答えくださって
いるのでしょうか?わたしはこのスレ(といいますか2チャンネル自体)初めてなのですが、知り
合いの方から、ここで書かれている方たちの中で最も渋みのある方だとお伺いしております。
もう一度よろしければぜひご本人のお名前でお答えください。よろしくお願いします。

795 :とよ:2009/08/14(金) 15:33:11
ひよこ様
私は とよ で太國さんとは別人です。ご本人は「最も渋みのある方」と言われて穴に入っておられますので、決して
お答えにならぬと存じます。3倍暦なる珍説を発明されて有名になられましたが、誰も認めようとしていません。私も
笑ってしまいます。でも、人は良いですよ。妄想、盲象、津田病、脳内、WWWWWなどが得意の語彙です。




796 :ひよこ:2009/08/14(金) 15:42:28
>>795
そうですか。それは残念です。3倍暦というのも一番下の語彙もなんのことかひとつもわかりませ
ん。わたしは体育専攻生なので邪馬台国は高校の日本史で学習したこと意外(それもあやふや
です)わかりません。理由があってここに今日の夜まで書き込みをしなければなりませんので、
(「美濃」という人が出てきたらやめてもよいといわれてます。)よろしくお願いします。

797 :ひよこ:2009/08/14(金) 16:48:33
5回に1回は書き込めと言われていますが、このまま書き込みがないといいなあ。

798 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 16:54:47
>>734
土器の年代についてはいろいろ説があるみたいだが、倭人伝にははっきりと
「居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」と書かれている。
これは郡使がやってきたときのことだから、3世紀の半ば頃になる。

郡使はこの光景をどこで見たのだろうか。
今のところ、この光景が出土しているのは吉野ヶ里遺跡だけ。
纏向なんてその面影は微塵もない。

土器の年代で、庄内期に吉野ケ里が衰退してしまっていたとすれば、
それは土器の年代の方が間違っている。つまり、庄内期と邪馬台国時代は
重ならない。

一般的に、庄内期を四世紀あたりからとしている人は、須恵器から遡って
年代を定めている。これに対して、もっと早いとしている人は、年輪年代を
根拠にしている。池上・曽根遺跡の木材を年輪年代で測定し、畿内W式が
100年遡る。ついでに庄内期も100年遡らせた。

どちらの方が根拠があるのか。年代のはっきりしている倭人伝の記述からして、
庄内期が3世紀前半まで来ることはありえないな。

799 :とよ:2009/08/14(金) 17:01:16
>>798
この方の言い分はよく分ります。ほんと巻向地域の遺跡は墓だけが目立って、「居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」
の痕跡は微塵もありません。ここはどう見ても4世紀以降の墓域です。

800 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 17:43:01
>>799

おまえ、畿内説だろ。wwww



801 :とよ:2009/08/14(金) 18:00:13
私は大和王権は4世紀の畿内に成立したと思います。ばりばりの畿内説派です。

802 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:01:00
>>798
つまり3世紀中頃は環濠集落の最盛期だったと言うわけか
まあ高島忠平も同じような事を言ってるしなw

「宮室・楼観・城柵」の3点セットネタはしょっちゅう出て来るんだが

素朴な疑問、「婢千人を以て自ら侍せしむ」の部分はどう解釈するのか?

考えられるパターンとして
 ・千人なんて誇張された数である、下手したら話半分どころか数十分の一。
 ・卑弥呼に仕える奴婢だけで千人の超々巨大環濠集落が九州の何処かにあった。
 ・集落全体の人間を全て卑弥呼に仕えた奴婢としてカウントした。



803 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:08:09
それ以前に、魏志倭人伝にカメ棺の記載が無いのがおかしいだろ。

カメ棺の時代が終わった後で使者が来たんだよ。

804 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:09:14
そもそも庄内式土器が何世紀か分からないわけだが
吉野ヶ里の場合、その上や環濠跡から庄内式土器が
出てくる以上、そのあとにも生活の痕跡が存在する。
あくまでも、吉野ヶ里の首都機能が衰退したということに
過ぎない。

その首都機能は久留米に行ったのか、佐賀なのか
あるいは大宰府なのか。

小国家がまとまる過程では当然発生する現象ではないだろうか。

805 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:17:06
庄内式が西新式と平行することに異論のある人はいるの?

806 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:26:55
結局、九州説がダメダメなのは大乱の末にできた邪馬台国を中心にした30カ国からなる連合体
( この板の九州説は” 連合 ”と言う語を特に嫌うので別に” 帝国 ”でも良いがw)
の形跡を見出す事ができず

また魏に冊封された事の影響と言うか恩恵を見ることもできないところにある。
銅鏡も順調に右肩下がりに出土数が減ってるw

以上のことは実年代をどういじってもどうなる事でもないwww







807 :とよ:2009/08/14(金) 18:29:05
>>802
吉野ヶ里は卑弥呼の宮殿跡ではないでしょう。ここは奴國の一部です。卑弥呼の宮殿は吉野ヶ里よりはるかに大きい
ものである筈です。婢千人を収容可能な大きさです。

808 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:39:07
近畿で画文帯が広まってるように、
九州を中心にばらまかれた威信財というようなモノが無いんだよね。
物流の中心地みたいな場所も無いし。

もっとも、九州で吉備や山陰の土器が見つかっても、
九州説には都合が悪いだけだから無視してるんだろうが。


809 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:42:48
>>802
この際、吉野ケ里のことを言う資格はない。吉野ケ里はそれなりに卑弥呼時代
の様相を見せている。一方で、纏向はどうなんだ?
吉野ケ里は100点満点でなければ合格しない。纏向は0点でも合格とでも
言うのかい?

810 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:48:11
奈良には、唐古・鍵遺跡があるよ。



811 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:50:38
>>804
確か、吉野ケ里はある時期、集落が廃絶している。環濠に大量の土器が捨てられ
環濠も埋められていた。集団で引っ越したというような言われ方をしたことも
あった。

実は、熊本県の「うてな遺跡」も全く同じような状況になっている。
環濠に大量の土器が捨てられ、集落が廃絶状態になった。
九州の環濠集落で、同じような状態の弥生集落は他にもあるかもしれない。

果たして、これが何を意味するのかも興味深い。

812 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:50:50
>>809
吉野ヶ里が「宮室・楼観・城柵」をキーワードにするなら
纏向は「共立」をキーワードにすればよいwwww

しかも吉野ヶ里のそれは別に弥生時代において吉野ヶ里特有のものではない
現在において発掘保存されている僥倖に恵まれていると言う話で
(邪馬台国ブームさまさまだなw)

対して纏向のそれは、ほぼオンリーワン。

さてどっちが説得力があるかと言う話だなwwwwwww




813 :とよ:2009/08/14(金) 18:50:53
>>806
倭人伝は壹與を立てた後、魏の政等を送り返したところで終っていますので、その後のことについては推測に
なりますが、倭国(邪馬台国を盟主とする連合国家)は狗奴國との抗争が再発したか、あるいは倭国内で抗争
が生じたか、かなりの勢力が東へ移動して行ったのではないでしょうか。畿内には既に神武らにより大きな人
口を養う基盤が作られていましたから、この移動して来た勢力を加えて大和王権が成立したのでしょう。

814 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:54:11
>>813

>かなりの勢力が東へ移動して行ったのではないでしょうか。

奈良には、九州からの土器がほとんど出てないから、そういう話にはならないの。


815 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:56:31
>>813
と言うか東遷したからと言って
それまで邪馬台国が九州にあった痕跡が全て消えるわけじゃなしw

「邪馬台国のその後の話」はとりあえず関係ないなwwwwwwwww



816 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 18:59:03
ひよこ!!どこへいった??携帯に出ろ!!!仕置くぞ。

817 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:01:27
>>812
ひょっとして、搬入土器が証拠とでも言うのかな。
搬入土器なんてのは、畿内遺跡の常套手段の様なもので、どんな遺跡でも
それを言う。

たとえば、縄文時代の橿原遺跡は、東北の土器が見つかっているから、
東北地方と密接な関係があったとか。唐古・鍵遺跡からは各地の土器が
見つかっているから、交流の拠点だったとか。

しかし、土器の範囲が広いのは、畿内に限ったことではない。
九州の遺跡でも、いろんな地域の土器が見つかっている。

はっきり言って、共立の証拠なんて畿内にはないな。
その前に、大乱の意味、共立の意味を探ることの方が大事。

まあ、大乱は、帥升以来続く倭国体制の後継者をめぐる争いで、卑弥呼共立
より乱は終息する、と考えるのが妥当。これは、台与共立の記述からも妥当性
がある。
畿内連合なんてのは、何の妥当性もない単なる机上の空論。

818 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:11:06
>>813
卑弥呼=天照大神とすれば、その後のことは記紀などからある程度推測可能。
梁書などによると、台与の後、再び男王が立ち、共に中国の爵命を受ける
とある。
記紀によると、天照大神が天岩戸から出ると、高皇産霊尊が登場する。
高皇産霊尊が出現すると、出雲征服があり、天孫の日向降臨がある。
天神の子といわれる饒速日命も大和に降り立つ。

すなわち、高天原の勢力が各地に進出している様子がうかがえる。
記紀には書かれていないが、他のところにも進出したかもしれない。

819 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:19:57
>>817 いつもの日向厨かな?w

で、九州のf何処かに纏向と同じくらいか
それ以上の率で搬入土器が出てくる遺跡があるのか?

「他地域からの土器の流入があったか無かったか」
とか言っているわけじゃないぞ?w
その頻度を問題にしているのであって
人の言ってる事を勝手に変えるなwww

搬入土器が他の遺跡より突出して出ていれば
それは通常の交易その他以上に人の行き来があった証拠。

・・・でいつものパターンでイチャモンつで相対化
自分の方にネタがない事を誤魔化しているわけだが

結局九州には連合体の形跡はないと言う事だなwwwww


820 :とよ:2009/08/14(金) 19:22:07
>>815
九州から畿内まで一気に移動したとは限らないでしょ。瀬戸内を徐々に東進したのです。土器や食料は行く先々の土地で
調達しながら行くのです。九州から割れ易い土器を持参するなど馬鹿げたことです(出発時にはある程度は持参したかも
しれませんが)。九州の土器が畿内で出ないとしても不思議ではありません。移動した勢力は行く先々の土器職人を使う
ことが出来たのです。武力を持っていましたから。

821 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:26:47
>>820
そして仕舞には武器も忘れて大和に入るわけですね。

822 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:33:04
>卑弥呼=天照大神とすれば、

東遷説論者の「都合のいいところだけ摘み食い」はもううんざりだなw

天孫降臨と神武東征を一連の史実とするなら
その間にある日向三代の神話はどうするんだ?

産屋を覗いたらヨメの正体はワニだった!…とかの異種婚譚
海外にも類型の見られる釣り張り捜索神話
ブサイクな姉を追い帰してカワイコちゃんの妹だけ手元に残したが為
子孫が儚い命になってしまう・・・なんて話は海外だと神から送られた石ころとバナナの二択だったか・・・

笑ってしまうぐらい神話構造だがこれも史実なのか?

そもそも天孫降臨神話自体が扶余を含む東北アジア系の神話。

手っ取り早く言ってしまえば九州邪馬台国と言う「下敷き」がなくても
記紀神話の骨格は十分作りえる。
(一点説明ができないとすれば天照が女であることかな?)








823 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:34:27
>>820
すべてお前の脳内だな。証拠を出せよ。

824 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:34:32
>>821
でも鏡は後生大事に持ってくるわけでwwwwwww

825 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:37:34
搬入土器は置いとくとしても、九州から女は来なかったのかな。あるいは生口といわれる奴隷も。
人が移動すれば現地の土で前いた場所の形式の土器を作るものなんだよ。


826 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:38:46
もしかして九州の庄内が全て搬入とか思ってんじゃないの。馬鹿丸出し。

827 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:39:14
>>822
なるほど、記紀なんていい加減な話しか書いてないし、
モモソ姫が卑弥呼なんてありえませんしね。

828 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:42:11
こいつ神話そのまま信じてんだろ。その時点で阿呆決定だよな。幼稚な歴史観というか。
>卑弥呼=天照大神なら平原以外に九州の太陽信仰をまず挙げてみな。

829 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:46:22
>>817

>九州の遺跡でも、いろんな地域の土器が見つかっている。

九州以外の、山陰や吉備の土器が見つかってると認めるんだな?
ならば、卑弥呼を共立した30国に山陰や吉備も含まれると認めるんだな?


830 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:48:34
>>828
なるほど、>>822は釣りですか。幼稚なのは誰かよく考えましょう。
ついでに無意味なアンカーはやめましょう。

831 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 19:49:38
>>467
>邪馬臺國と邪靡堆は同じ場所。
>隋書に書いてある。

とは、当時の畿内ヤマト王権の人々がそう言っていた、というだけのこと。

勝手に飯でも噴いてなさいw


832 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:51:10
ケッ、認めやしねえよ。九州内30国じゃなきゃ困るんだからな。自説に取って不都合なとこ
ろは全て目をつぶる。どうせ、「はばひろい交易はあったが、卑弥呼共立の30国は九州内」
とか、また根拠もなく言うんだろ。早くママの所へ行けよ。

833 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 19:51:25
なんだか偉そうな糞が湧いてるな
畿内説=圧力団体ってのは本当だな

834 :822:2009/08/14(金) 19:59:26
ついでに言っておけば・・・

「高天原」なんて天を奉る宗教観・世界観や天孫降臨神話は北東アジア系だが

アマテラスに神話「岩戸隠れ」なんかは東南アジア地域の神話で

更に言えばアマテラスもチョイ咬みするが保食神(うけもちのかみ)が死んで(殺されて)
そこから種々の作物が出てくるなんて食物起源の話は「ハイヌウェレ型神話」と言われ
東南アジア・オセアニアに広く見られるタイプの物。

つまりアマテラスは最初から高天原の住人でもなかったし
天孫降臨劇に関与する神でもなかった。

案外(と言うか個人的にはかなり確信的にw)アマテラスの出自は九州じゃなくて
東日本にあったりするんじゃないかと思っている。

伊勢神宮がヤマトより東にあるのは伊達じゃないぞとwwwwwwwwwwwwww


835 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 20:03:12
「はばひろい交易はあったが、卑弥呼共立の30国は九州内」


腹痛え〜。

笑わすなよ。



836 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 20:29:37
だから九州説はだめなんだ。
某団体も電波爺ばっかりw

837 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 20:43:09
>>831
>当時の畿内ヤマト王権の人々がそう言っていた、というだけのこと。
だったらそれが正解だろw
隋を騙す必要性なんて無いし。


838 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 21:03:38
ちょっと確認して起きたいんだが・・・

>>798
>一般的に、庄内期を四世紀あたりからとしている人は、須恵器から遡って
>年代を定めている。

これ↑って一種スタンダードと言えるぐらいに一般的に認知されているのか?

正直言って以前、東遷註が言うまで知らなかったんだが・・・
まあ「邪馬台国○会」を見たら案の定出てたがw

しかしこれって逆に言えば1形式を仮に30年として
布留だと0〜5式までそろえれば、ほぼ問題ないって事だよな?w

今、布留を4式ぐらいまで挙げている学者いたんだっけ?
だったらあと一つ?wwwwwwwwwww

839 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 21:17:01
>須恵器から遡って年代を定めている。

はあ?

それって、天皇の在位年数をさかのぼってグラフにすれば、アマテラスは3世紀になるから卑弥呼のことだ、とゆー
例のトンデモ論法か。





840 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 21:40:21
>>823
とよさんはものの道理を言うとるんじゃ。おまえは道理の証拠を出せと言うとるんじゃが、「夏の暑い盛りに長い道のりを行ったので
喉が渇いた」と言うのに証拠を出せと言うか?何でも証拠と言えば反論できた気分でいやがる。おまえは単細胞だな。推論に対しては
推論で反論しろ!

おまえの流儀でやれば、
「畿内に各地の土器が出土する。したがって、畿内を中心とする連合があった」という証拠を出せ。
「庄内式土器は3世紀で消滅した」という証拠を出せ。
「畿内に卑弥呼の宮殿跡がある」証拠を出せ。
「箸墓やホケノ山古墳の築造が3世紀であった」証拠を出せ。
「伊都国が糸島郡にあった」証拠を出せ。
「倭人伝の南が東である」証拠を出せ。
「対馬から壱岐、壱岐から唐津までの距離が魏の公式里(と称するやつ)で書かれている」証拠を出せ。
ということになるぞ。



841 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:07:44
俺は九州説論者でよく分からんのでお聞きしたい。

仲哀天皇、神功皇后は紀記において卑弥呼の年代に
無理やり合わせて創作された実在性の低い人物だと
書いてあるものがある。

だが、応神天皇を生んだとされる宇美八幡
仲哀天皇が政務を取ったとされる下関の
豊浦神社、なくなったとされる香椎廟
神託を受けたとされる住吉神社

妙に生々しい伝承が博多周辺に集まっている。

年代は違うのかもしれないが、九州王朝系の
特に博多周辺の勢力の一人ではないかという
考えが起こり始めている。

もし大和朝廷の一員であれば畿内にもいくらかの
伝承があっても良いはずである。もちろんこじつけで
あればどうにでもなるかもしれないが、畿内周辺で
仲哀神功の伝承にはどのようなものがあるかお聞きしたい。

842 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 22:11:16
>>837
そう嘘をついたってことですよ。
わざわざ記紀なんか書いて、倭国はずっと天皇が支配してきましたって神話をつくろうとしたのに、
三国志に倭には邪馬台国って国があり女王がいた、なんて書いてあるから、
その邪馬台国が今の畿内ヤマトなんですよ、って中国に嘘をついたのですよ。
「ヤマト」なんて、そのためにわざわざつけた名前なんだし。

843 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:24:58
畿内にて各地の土器が多数出土するのは、畿内には土器マニアが多数居ただけの話し。
それを連合なんて話しを拡大させて

844 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:27:32
>>829
そんなことは言っていない。吉野ケ里でも各地の土器が見つかっている。
畿内系も、吉備系も、あるいは山陰系も出土している。
熊本県の方保田東原遺跡でも同じように各地の土器が見つかっている。
ただそれだけのこと。
交流があったことは確かだろう。しかし、言えるのはそれだけ。

畿内説のようにそれを無意味に膨らませて、首長連合などとは言わない。
政治的な意味があるのかどうかは別問題。

845 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:32:33
>>839
それがまともな考えだろう。確かと思われること、つまり須恵器の年代を
定め、それから順次遡っていくほうが理論的。

それとも、年輪年代で古い方、つまり畿内弟四様式を先に決め、ついでのように
庄内期も遡らせるほうが確かかな。
ところで、年輪年代を信じているのかな? 信じているんだろうなあ。

846 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:47:02
>>842
それなら日本書記に大々的に邪馬台国の事を記述するだろ。


847 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:50:02
紀記に邪馬台国の記述はなく
また、金印の記述もない。
中国の柵封に入った形跡もない。

倭と大和朝廷には繋がりはない。

848 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:56:25
akaの不正請求に加担する関東信越厚生局千葉事務所

http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/antispam/1250075512/

849 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:00:55
>>846
邪馬台国時代のことは、記録としては残っていないだろう。
でも、伝承つまり言い伝えのような形で残っていたことは考えられる。

記紀が編纂されたのは700年頃。その元になったとされる天皇記、国記は、
600年頃。卑弥呼は250年頃死んでいる。時差は350年ほど。
文章による記録がいつから始まったのかもわからないし、微妙なところだなあ。

850 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:05:25
>>847
でも隋は邪馬台国=大和だと断定してるからな。
小細工しても通用しなかったって事では?

対外的には魏の文献にも残る卑弥呼・邪馬台国を無視できないが、
国内的には3世紀に存在してもらっては困るので、
代わる存在として神功皇后を創造したのでしょう。


851 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:24:22
>>842 二 ◆.L.MXSPOgc
>そう嘘をついたってことですよ。

陰謀論キタコレwwwwwwwwwww

と言うか曲がりなりにも対等外交を目指した大和王権が

冊封関係にあった邪馬台国の後裔であるかのごとき事を
自ら捏造僭称しなけりゃならない動機が無いなwwwww

852 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 23:26:54
>>846
好き勝手に作り話を入れることが出来るようなものではないでしょう。
日本書紀の編纂は国家事業だし、半分は渡来人が書いたことが分かっているものです。
国内の実力者もそれらを見ることになるでしょう。
なんの記録も記憶もない邪馬台国のことなどを書いたら、それこそ日本書紀の評価は地に落ちてしまいます。

むしろ邪馬台国や女王の伝承などがあれば喜んで書き込んだことでしょうが、何の情報もなかったというのが本当でしょう。

でも神功の年代を120年古くして卑弥呼の時代にし、「彼女が三国志にいう卑弥呼だろう」みたいなことをしらじらしく書いていますね。
素で勘違いしたのかもしれませんが。

853 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:27:21
動機はあるだろ
邪馬台国の後継国家だと中国の朝廷から認められたかったんだろうさ

854 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:36:08
でも、隋書は矛盾したことも書いている。

会稽の東にあり、タン耳に相近し、とか。
これは倭人伝をそのまま引用しているのであり、大和の地理を知っている人が
こんなことを書くとは思えない。
その当時の大和の地理にも疎い人が、ずっと昔の邪馬台国の地理を知って
いたとは考えにくい。

「則魏志所謂邪馬臺者也」は、推定だろう。
あるいは「倭王」つながりで、そう思い込んでしまったのだろう。

855 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:37:56
>>850
隋の時代には畿内の日本朝廷と通交があったので、昔の邪馬台国も畿内の大和にあったものだという思い込みがあったのでは
ないでしょうか。なにしろ4百年も前のことですから。ですから、<でも隋は邪馬台国=大和だと断定してるからな。>は決
め手にはなりませんね。

856 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:42:51
>>855
そうだ、お前の言うとおり文献は決め手にならない。よくわかってるじゃないか僕ちゃん。
隋書のような新しいものでさえそうだ。倭人伝また、しかり。

857 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:44:54
>>845
その考え方であれば当然将来形式が増えていけば
ドンドン年代が遡上していく事を最初から認めていると言う事だよな?w

少なくとも将来的に今よりはトータルの期間が長くなり年代も遡上する事を認めざるを得ないわけだ。

庄内を0〜3布留を0〜4として合計9形式。
1形式30年として270年。450-270=180
庄内の開始を2世紀後半とする年代観があってもおkなのかな?

以下のサイト 寺沢薫 案 (畿内 大和) を参考
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

まあ寺澤と言えば年輪年代に批判的として東遷厨も度々名を挙げる人間だしwwwww 

858 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:48:42
>>856
てめ〜 なに様だと思ってやがるんだ?でかい口叩きやがって。てめ〜こそガキんちょだ。すっこんでろ!!

859 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:52:18
>隋の時代には畿内の日本朝廷と通交があったので、昔の邪馬台国も畿内の大和にあったものだという思い込み

倭人伝も、お前の言うこのような思い込みにあふれたものなんだよ。南とか東南がどうとか
言ってる時点で馬鹿決定だろうが。ただ、これは反論あるだろうな。しかし、かの安本大先生
も認めている。倭人伝は連立方程式の片方がないようなものだと。ただそこで、統計学ともいえ
ないような「数理文献学」とかに走った時点でアウトになった。連立方程式の片方に、自分に
とって都合のよい式を立てただけ。

858は縄文人かな?俺は人を怒らせるような言い方を計算して書いている。よい反応だww

860 :とよ:2009/08/14(金) 23:53:35
>>856
この尊大なものの言いようは劣等感の裏返しでしょう。うちの病院にもこのような患者さんがいます。

861 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:57:39
>>860
人は何かしら劣等感を抱えて生きるものだが、少なくとも邪馬台国問題で畿内説は九州説に
対して劣等感はないな。


862 :みよ:2009/08/14(金) 23:57:42
860
あら、うちの病院にもいますよ。

863 :みよ:2009/08/15(土) 00:02:07
>>861
倭人伝を「思い込みがあふれたもの」といわなきゃ畿内説は成立しないから、強がりを言ってるんでしょね。

864 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:05:03
>>860〜862
>うちの病院 危ないなあ、あんたお医者さんなの?それとも医者の馬鹿ムスコ?
じゃ、病院名さらしてよ。危険でいけないから。www



865 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:06:12
>>857
そのサイトにこんなことが書かれている。

実際、寺澤編年は「須恵器の登場を400年とし、弥生の終末を200年と見て
その間を土器の種類で均等に割ると・・・」といった相当にアバウトなものです。

と。

866 :畿内説患者専用精神神経科病院:2009/08/15(土) 00:14:09
うちの看護士達が何か危ない説患者さんの気に障ることを書き込んだようで申し訳ありません。
当人達は率直に真実を書いただけだと申しておりますが、きつく叱っておきます。 院長

867 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:17:19
>>866
で、病院名まだ?

868 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:17:48
このスレも落ちたもんだ。
コテの馴れ合いやら、統合失調症患者を演じるまぬけまで現れて、他人を罵倒しまくるやら、
全くもってアホらしい。
丸ごとメンヘル板に引っ越せよ。

869 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:18:34
>>865

まあそんなもんだよw

で、須恵器からの逆算も同じ
須恵器の出現を5世紀中頃とし、そこから前の布留を100程度と見積もって・・・と言う程度のもの。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku207.htm
>須恵器は、だいたい、五世紀のまん中ごろに出現する。
>須恵器のまえの布留式土器は、三つないし四つの型式に分類でき
>その長さは、100年を大きく越えることはないとみられる。よって
>布留式の初現は、四世紀のまん中前後とみられる。

当然将来的に資料が増え型式が増えたら期間を延ばし遡上する必要があるとw

この手のやり方はとりあえずの暫定値を出しておくと言う程度のお話じゃないのかな?w



870 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:21:43
なんか
>>1の主治医でございます・・・」
とかのコピペでも出てきそうな流れだなwwwwwwwwwww

871 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:25:04
>>869
要するに、寺澤編年の問題点は、最初から庄内期の始まりを西暦200年頃と決めて
いること。前にも書いたが、須恵器の第一人者といわれ、もともとバリバリの
畿内説論者だった田辺昭三氏が、布留0を4世紀半ば頃としており、箸墓も
同じような時期にしている。
この人、以前は、箸墓が卑弥呼の墓だと言っていたのだが。

872 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:26:51
>>869
一世代25〜30年で親から子へ形式が伝わるがちょっと変化する・・・でも、学問的とはいえ
ないし、しょうがなくね。

873 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:31:13
大和の人間に騙されたか、それとも勝手に思い込んだか…

何れにせよ隋代に至っても中国人にとって日本の地理情報における方角なんてその程度のもの。
元々北が南であってもどうでも良い程度のもの。

だから大和の人間にコロッと騙されたか、勝手に勘違いしたとwwwwwwwwwwww

当然地図もいい加減。
南北逆さまになったものもあれば、まともな奴もあるとw

無論、倭人伝のあの記述が絶対に間違っていると言う事ではなく
案外正しかった可能性もある。

しかし
「方角に絶対誤りは無い!畿内説はありえない」
と言い切るにはあまりにいい加減すぎるとwwwwwwwww




874 :縄文人:2009/08/15(土) 00:31:36
>>859
私の名が出てますが、何かありましたか?私はあんな下品な言葉遣いはしないことに決めています。
しかしなんですなあ、倭人伝を素直に読めない方々がいらっしゃいますが、その方々の頭をCTスキャンしたら
どんな画像になるのでしょうね。日本列島が南北に伸びた図のような画像になるのでしょうか。それとも貝ジャ
クシの貝殻のような形の画像になるのでしょうか。あるいは、画文帯神獣鏡に映った卑弥呼の顔のような画像で
しょうか。はたまた、肉の薄い壷のような画像でしょうか。いずれにしても正常ではないでしょうね。


875 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:37:58
>>874
お前は実は縄文人ではなく、ネアンデルタール。

876 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:40:05
>>874
>倭人伝を素直に読めない方々がいらっしゃいますが

砂鬼四荼羅教 キタコレ(゚∀゚)!!

877 :縄文人:2009/08/15(土) 00:44:24
倭人伝がいい加減なものとすれば、邪馬台国も卑弥呼もなかった、あれも思い込みだという論も成り立ちます。
とすれば、畿内だ、九州だと言い合ったところで無意味なことをやっていることになります。畿内説派の皆さん
はそこのところをどうお考えですかね。

878 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:46:34
魏の時代にまともな地図が存在しないのは確実だな。
よって倭人伝に書かれた距離・方角の信憑性は正直薄いでしょ。

879 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:48:08
まあな。はじめに倭人伝を知ったときは、宝島の地図を見つけたような気になる。で、自分なら
解けると思い込むんだ。だが、だんだんにあの記述の外にとてつもなく大きな、何というか
理解しなければならないことの広がりが見えてくる。しかし、見えない人や見えても倭人伝
から出て行けない人、記紀あたりで足を止めてしまう人、ここはいろんな人が書いてる。世界観
の違いがある。それが嫌なら、サガミ大先生のように本を出すか、学術論文を書くか・・・。

880 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:51:31
>>877 アホの縄文人

この板ではいつもの九州説論者のパターンだがw
極端な話それでも一向に構わないw

この世に倭人伝が無かったとしても纏向や首長連合の構想が消えてしまうわけじゃないwwww

畿内説とは大和を中心にした首長連合があってそれが中国史書に邪馬台国として登場するって話で
実態があってそこに付加項目として邪馬台国と言うものが付いてくる構図。

当然、古代中国人視点で書かれた物と違いもある。
書いたものにあわせてクニグニが出現するファンタジーじゃないwwwwwww

逆に九州説は困るんじゃないのか?
倭人伝が無ければ先ずそのクニがあったかどうかさえ心もとないと思うのだがwwwww



881 :縄文人:2009/08/15(土) 00:53:45
>>878
ならば、倭人伝の距離・方角は読者が勝手に変えていいことになりますね。もちろん、まことしやかな理由をつけて。

882 :縄文人:2009/08/15(土) 01:01:14
>>880
何をたいそうにおっしゃってますか。
<畿内説とは大和を中心にした首長連合があってそれが中国史書に邪馬台国として登場するって話で
実態があってそこに付加項目として邪馬台国と言うものが付いてくる構図。>

3世紀にそんなものが畿内にあったことを証明できないじゃありませんか。

883 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:02:44
>>879
加えるならかつての邪馬台国ブームが
それをマスコミを巻き込んだ場にまで押し上げたとw

普通なら市井の歴史マニアが夜な夜な書斎の机の上で想像を馳せ楽しむ
・・・で終わるものをひょっとしたら大学の先生方を向こうに回し
一介の市井の好事家が勝利を納めると言うドラマの主人公になれる可能性を喧伝してしまったとwwww

まあその事は悪い事じゃないし
ある時期までその可能性もあったんだろうがw

九州説でも今じゃ誰も知らないようなマイナーな説の数々…
歌人だの哲学者だのはたまた実業家だのぶっちゃけ言った者勝ちのカオスな世界w
そう言うのを見ると「つわものどもが夢のあと」と感慨に浸る今日この頃wwwwwwwwwwwwwwww





884 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:05:13
>>882
そうだそのとおりだ。880を書いた野郎は威張るしか能のないゲス野郎だよ。君も相手にしない方がいいよ。

885 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:07:49
この邪馬台国を一つの知的ゲームと見て、できるだけ原文に忠実に比定地を求めるというの
は、アマチュアの歴史の楽しみ方の一つとして当然ありだ。しかし、今の歴史学の流れは
そうなってはいない、できるだけ幅広い視点から、3世紀なら3世紀の日本の実像を構築し
ていく。依然として邪馬台国は3世紀日本の重要なパーツではあるのだが、そこにこだわ
っては前に進まない。九州説は腹立たしいようだが、騒いでるのは一部の考古学者だけだよ。
吉野ヶ里のようなものは、規模の差こそあれ全国各地にあるはず。俺のようなアマチュアにで
きるのは、情報が積み重なっていくのを待つことだけ。

しかし、ここは2ch、各人が好きなことを書けばよい。しかし、それは所詮この板の中でしか
評価されないもの。


886 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:11:28
>>882 アホの縄文人
>3世紀にそんなものが畿内にあったことを証明できないじゃありませんか。

そんな証明必要ない。

「実年代棚上げで一向に構わない」と何べんも言った
同じ事を毎回言うのも馬鹿馬鹿しい。

現在の畿内説を否定したければそれが4世紀からである証拠をもってこい。
もしくは九州内でその倭人伝に書かれている事象に対応する考古学的資料を探して来い。

相手を否定するしか能の無いこの板の九州説w



887 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:18:47
>>877
>邪馬台国も卑弥呼もなかった、あれも思い込みだという論も成り立ちます。

成り立ちません。
魏の皇帝が親魏倭王の金印を与えた。
張政らが倭に来た。
そういった事柄が、すべて思い込みだったという可能性は、常識的に考えてありません。
魏の官僚が全員、集団幻覚に陥ったとは到底考えられません。
しかし、方角や距離は、報告者の思い込み、仲介者の写し間違いなどの要素が容易に考えられます。
両者の蓋然性には、天地の開きがあります。

888 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/15(土) 01:21:38
魏志倭人傳 [隋書俀國傳] 地図
〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜[十餘國]:伊都國〜投馬國・近隣餘旁國の後継国
〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜[秦王國]:唐津市浜玉
〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜▲印:観音峠
〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵倭28ヶ国∵∵┗┓〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國・狗奴國を除く)
〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛(餘旁國) ◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━奴國:須玖岡本遺跡〈倭奴國〉其餘旁國の一国
〜〜〜〜〜┃│┗↓━[秦王國] ∵∵◎奴國〈倭奴國〉∵∵∵∵∵∵郡⇔不彌國(女王國):12000餘里
〜〜┏━━┛│∵◎→◇→▲┐∵∵∵∵◇倭京大宰府∵∵∵∵∵郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行)
〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵(餘旁國) ∵∵∵郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由)
〜〜〜┃倭∵│[竹斯國] ∵∵↓∵不彌國〈倭面土國〉∵∵∵∵∵●印:女王國メンバー国 範囲(浮羽-白石-大牟田-筑紫野)
〜〜〜┃∵非└┐∵∵伊都國◎→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國:唐津鏡中原遺跡
〜〜〜┗┓∵28└┐∵∵∵∵└┐┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵伊都國:惣座遺跡(肥前國庁跡)
〜〜┏┓┗━┓ ヶ└┐∵∵奴國●┃┃│∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴  國:佐賀城
〜┏┛┗┓〜┃∵國└┐┏━━━┛●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國:吉野ヶ里遺跡〈倭面土國城郭〉
〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌─────────投馬國:大川市郷原
〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國:久留米南部
〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵狗奴國:保田東原遺跡

889 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/15(土) 01:22:41
從郡至倭
  循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里 7000里 @
  始度一海、千餘里至對馬國  1800里=1000里+400里×2 A
  又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國  1600=1000里+300里×2 B
  又渡一海、千餘里至末盧國  1000里 C
  東南陸行五百里、到伊都國  500里 D
  東南至奴國百里  100里
  東行至不彌國百里  100里 E
(從郡)南至投馬國水行二十日
(從郡)南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
自郡至女王國萬二千餘里  12000里=@+A+B+C+D+E


890 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/15(土) 01:23:23
帯方郡
↓ 南東7000餘里
└→狗耶韓國=慶尚南道
    ↓度一海1000餘里
   對馬國=対馬800餘里(方可400餘里) 乘船南北市糴
    ↓南渡一海1000餘里
   一大國=壱岐600里(方可300里) 亦南北市糴
    ↓渡一海1000餘里
   末盧國=唐津市鏡中原遺跡
     └→┐東南500餘里       東100餘里
      伊都國=佐賀市大和惣座遺跡→→不彌國=吉野ヶ里遺跡〜帯方郡12000餘里
        └┐東南100餘里        0里|接境界    0里|接境界…境界線は東から西に流れる筑後川
   佐賀城=奴國  水行20日帯方郡〜投馬國=大川市郷原 邪馬壹國=久留米市南部〜帯方郡水行10日陸行1月
                            0里|接境界    0里|接境界…境界線は現在の福岡熊本県境とほぼ同じ
                            狗奴國・・狗奴國・・狗奴國=山鹿市保田東原遺跡
道程は、帯方郡から不彌國迄の矢印部分。動詞がある行程。城郭間距離を里数で示す。
非道程は、奴國へ、投馬國へ、邪馬壹國へと狗奴國への矢印の無い部分で、動詞が無い行程。領域が互いに接し境界を成している。


891 :縄文人:2009/08/15(土) 01:40:29
>>886
おまえが言ったことを証明しろと言うとるんだ。証明は必要ないなど逃げ口上だ。この野郎 下手に出てりゃつけあがりやがって。


892 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:42:01
>>886
偉そうな口をきき、虚勢を張るしか能がないこの板の畿内説www

893 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:42:41
名前:縄文人[] 投稿日:2009/08/15(土) 01:40:
>この野郎 下手に出てりゃつけあがりやがって。

894 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:43:22
名前:縄文人[] 投稿日:2009/08/15(土) 01:40:
>この野郎 下手に出てりゃつけあがりやがって。

895 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:44:05
名前:縄文人[] 投稿日:2009/08/15(土) 01:40:
>この野郎 下手に出てりゃつけあがりやがって。

・・・お里が出たな。クズ。

896 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:46:39
>>891 アホの縄文人
>おまえが言ったことを証明しろと言うとるんだ。

で、俺がいつそんな事を言った?
(・・・なんか前も同じ事を言った記憶があるがw)

過去ログから該当部分を拾って来いこのドカスがwwwwwwwwww


897 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:52:29
>>891
畿内説論者全員の恥なんだから、相手しなくていいよ

898 :用語解説:2009/08/15(土) 01:57:10

砂鬼四荼羅 【すなおによんだら】

邪馬台国九州説論者の常套句。
この言葉には以下の二つの意味が読み取れる。

(1)砂鬼と言うのは結局自分の主観でしかない。
  それを糊塗する為、或いは合理性を追求されて窮した場合の
  保険をかけておく為の意図があると思われる。

(2)また言外に自説以外は素直じゃない。
   曲解だと言う非難が含まれる。

以上の二つを持ち合わせ、かつ自身は純粋無垢な人間であるかのように思わせる
実に便利な台詞である。

ただしこれを使う人間が多すぎ、一体誰が真に素直な人間なのかが分からなくなっているのが現状wwwwwwwwwww

899 :縄文人:2009/08/15(土) 01:57:16
>>887
貴方達の論法を借りれば
親魏倭王の金印を与えたのも陳寿の思い込みだった、張政を派遣したのも思い込みだった。思い込みでない証拠
はあるか?金印は発見されているか?張政が日本に来た証拠(考古学資料)はあるか?
というようなことも言えるということです。
親魏倭王の金印を与えたこも張政を派遣したのことも倭人伝に書かれていることで、常識で判断できることでは
ありません。倭人伝に書かれていることの内で、都合の悪いところは間違いとし、都合の良いところだけ正しい
とする(すなわち恣意的な読み方)のが畿内説だと申し上げているのです。

900 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:02:39
金印仮綬や郡使派遣は中国側の外交記録にあることだから、信ずべきとするのが学会の大勢。
魏から晋は続いてるし。馬鹿じゃないの、この縄文人という人。

901 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:04:16
名前:縄文人[] 投稿日:2009/08/15(土) 01:40:
>この野郎 下手に出てりゃつけあがりやがって。
 
そうだ。馬鹿の上に人としても未熟だ。

902 :縄文人:2009/08/15(土) 02:05:48
>>898
おまえに用語解説などして貰わなくてもよいわ。九州説の悪口を言うしか(それも内容のない単なる悪態)能のない
阿呆だろ。たまには人が敬意を表するようなことを書いてみろ。

903 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:06:03
まあこのアホの縄文人のみならずこの板の九州説論者のパターンだなw

「信じられないと言うのなら邪馬台国そのものも無いって話だろ!」

・・・とまるでゲームの負けが込んできたやつがテーブルひっくり返す様な
言わば死なば諸共の自爆テロみたいな?wwwwwwwwwwww

904 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:07:11
まあ>>899の文章も上手くはないが、>>900の読解力で何を読んでも何も理解できまいて

905 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:08:22
>>900
学会の大勢がなんだ。てめ〜の頭で考えろ。馬鹿はおまえだ。すっこんでろ。

906 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:09:07
>>902 アホの縄文人

まあ少なくともお前からの敬意は要らんわwwwwwwww

で、

>おまえが言ったことを証明しろと言うとるんだ。

俺がいつそんな事を言った?

過去ログから該当部分を拾って来いこのドカスがwwwwwwwwww

自分で言っておいて逃げるなよクズw

907 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:10:55
>>904
縄文人の文章は読み飛ばす。内容がないから。まあ、時としてお前の言うように理解不十分
のこともあるが、べつにかまわん。罵倒するために書いてるから。

908 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:13:14
>>905
お前に頭はない。(これは比喩だよ)

909 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:13:47
>>903
すぐパターンとやらにはめたがるねえ
ゆとり教育の弊害ここに極まれりだ

910 :縄文人:2009/08/15(土) 02:13:57
>>903
こいつも頭の程度が低いようだ。こんなことを書き込めば九州説をやっつけられるとでも思ってやがる。


911 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:16:40
>>910
それしか手がないからだ
放っときゃいい

912 :縄文人:2009/08/15(土) 02:19:52
>>906

>>882を読んでみろ。おまえが書いた文章を引用しておる。それを証明しろとゆうとるのだ。おまえほんとに
読解力がないな。ドカスというのはおまえのためにある言葉だ。ドアホ

913 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:21:19
まあ縄文人の3世紀の盆地湖云々の与太話はともかくwwwwwwwww

先の須恵器からの逆算での年代で

そもそも須恵器と土師器が別の系統のものである以上
須恵器の出現時に布留がどの型式であったかは共伴事例で確認とるしかないと思うが

「須恵器出現時、布留は○式である」と言った確認はされているのか?



914 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:26:12
>>912 アホ縄文人

お前日本語読めるのか?w

それの何処に 『 3世紀 』 なんて実年代が書いてあるんだ?アホwwwwwwwwww

言っておいてやるが俺はこの板で理化学的年代測定の数値を根拠に畿内説を述べたなんて記憶は無いぞwwwwwwwwwwww

まあ、お前の脳内仮想敵国としてはニーズに応えられないが
諦めて他を探せこのド基地害がwwwwwwwwwww




915 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:41:42
しかし、歴博一派は九州・畿内関係なく危険視されてきてる。真偽はともかく、あの発表の
しかたはいただけない。


916 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:44:22
以前テレビの「そこまで言って委員会」に出てた春成先生を見るに

結構受け狙いを目論んでいるような気がしないでもないwwwwwwwwwww

917 :ブラック・マンバ:2009/08/15(土) 02:52:19
>>916
俺らは関東ですんでたまにお見かけしますが、大変ユニークな方です。今日も罵詈雑言関係は
俺です。みなさん済みませんでした。実は別の女子が書く予定でしたが、>>796 を最後に逃亡?
したので後で粛正されます。もう俺は書かないんで勘弁してくださいね、縄文人さん。




918 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 02:54:23
>>917
>後で粛正されます

実況を画像つきでヨロwwwwwwwwwww

919 :ブラック・マンバ:2009/08/15(土) 03:05:59
なあにちょっときつい稽古が待ってるだけで。縦目さんはメール圏外に入った模様。では、
さようなら。

920 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 03:06:47
>みなさん済みませんでした
へえ、こんなんで済むと思ってんだ。どこまで人を馬鹿にしてんだか。

921 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 03:11:56
縦目氏が大恥をかいただけさ
放っとけ

922 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 04:11:34
寝ている間にだいぶ進んだが、結局、畿内説は罵詈雑言だけで、何も言ってないな。
ま、もともと比定が無茶苦茶だから、言えるわけもないが。
素直に読むってのは主観ではないよ。文章には当然、決まった意味がある。勝手に
変えないことだ。変えるのは、合理的に考えて、説明がつく場合だけだな。
郡から末盧国までは、まあ問題はない。その過程をみれば、倭人伝の1里がどの程度
の距離かは分かる。末盧国からは、東南陸行五百里だ。上陸するんだから、内陸部に
入るにきまってるわけで、玄界灘沿岸の前原なんぞのはずはない。当然、有明海沿岸
の佐賀付近だ。で、畿内なんぞに向かうはずがないことは明白。
伊都国からは放射式。学者の中でまともな人はそう読んでるな。畿内説の山尾や直木
らですら放射式が正しいって言ってる。伊都国に港があるんだから、そこから南水行
をすればよい、放射式は当然のところだ。
有明海を南下するのが南水行だ。水行二十日の先は薩摩川内、となれば、水行十日陸
行一月は八代付近で上陸してえびのの方へ抜けるってことだ。都城あたりが邪馬台国
だな。これまなら倭人伝どおりの行程だ。
方角も日数もごまかさない。これが素直な読み方ってんだよ。


923 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 04:17:38
>>922
と言うかだな…
元々倭人伝の記述の正確さに疑問を持っている畿内説にそんな事を熱弁しても無駄。

そんな異種格闘技戦を挑む前に、同じように
「砂鬼四荼羅こうなった!」
と言うほかの九州説に言った方が話は通じるはずだw

多分いつもの日向厨だろうが
ヤマトに東遷してきた証拠を探す前に

とりあえず九州を統一した証を探そうぜ?wwwwwwwwwww


924 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 04:30:33
郡から女王国に至るには万二千余里。これを女王国=邪馬台国と思い込んだ奴が
多いけど、それは完全なまちがい。わざわざ別の表現をしているのだから、女王
国が邪馬台国と同じということはない。邪馬台国を中心にそれと密接な連合をし
ていた国々をまとめて女王国と表現しているんだな。
郡から末盧国までは一万里。王朝大好き氏みたいな変な読み方をしてはいけない。
末盧国から残り二千里ということは熊本付近。そこから女王国が始まるってこと
だな。
周旋五千里は倭の地の大きさを表したもの。使者が上陸した末盧国から五千里即ち
四百キロぐらいで倭の地は尽きるってことだ。九州の大きさに合ってるだろ。


925 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 05:03:09
俺はこの板で騒いでいる畿内説の連中の頭を正常に戻してやろうなんてことは考えないな。
○○につける薬はない、ってことは良く分かっている。
まともな思考力をもっていて、どのように考えるべきか分からん人に参考にしてもらえば
それでいいんだよ。

九州を統一した証拠? 倭人伝だな。考古資料では無理な話だ。考古資料では、権力の中心
がどこにあったかなどを決めるのはむずかしい。
しかし、日向が弥生時代から繁栄し、古墳時代においてもその繁栄を維持していたことは明
らかだ。石野あたりが、3世紀後半に九州最大の王がいたなんて言ってるだろ。
九州説に立った場合、日向が一番の候補地だってことは考古学的にみても言えるってことだ。

北九州は甕棺が消えた。倭人伝によれば、一大率に厳しく検察されていた。近畿は銅鐸が消
えた。いろいろな考古資料は九州勢力が進出してきたことを示している。
近畿以西で畿内と北九州にやられた徴候が認められるとなれば、無傷の日向が加害者だって
ことだろう。だいたい、日向は農作物などはあまり見込めない。そこが、古墳時代を通じて
繁栄を続けた、多くの古墳を造っていた。他の地域(北九州や本州)から搾取しなければそ
んな贅沢はできるはずがないってことよ。

926 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 05:22:30
>>925
>考古資料では、権力の中心がどこにあったかなどを決めるのはむずかしい。

>いろいろな考古資料は九州勢力が進出してきたことを示している。


・・・随分便利な考古資料だなwwwwwwwwwwww



927 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 06:14:19
傍証なんて言葉を知らんと、理解できんかも知れんなあ。決め手にはならなくても
推測する資料にはなるってことだよ。それが積み重なれば、方向が見えてくる。
例えば、銅鐸のいっせい消滅。大事にしてきたものがいっせいに消えるってことは
普通では考えられない。そこで注意してみると、鍵、唐古が消えている。鏡、矛、鍬
形石など九州特有といってよいものが持ち込まれている。それらを総合すれば、畿内
は九州勢力にやられたなってことになる。全てが矛盾なく理解できるんだ。

にしても、言うことはそれだけかい。可哀想に・・・



928 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 06:35:46
>>927
頼む、10年ROMっててくれwwwww
痛すぎる、あまりにも無知、あまりにも好都合wwww

逆のことも簡単に言えるからな、可哀想に・・・

929 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 07:00:01
そうだったな。九州を征服して、九州文化のすばらしさに魅惑されて九州の
文化を全面的に取り入れた、それまでの畿内文化は捨ててしまった。そんな
話だったな。言えないことはないな。多分、多くの人に笑われるだろうが。


930 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 07:17:03
吉野ヶ里をはじめ九州各地から、山陰や吉備の土器が出てるのは認めるよな?
朝鮮半島南部からも山陰の土器は出ている。
つまり、九州は、山陰や吉備と交流があったことになる。

しかし、九州説では卑弥呼を共立した30国は九州内だけとし、
山口県より西側は、倭種として無関係としている。
つまり、九州で半世紀の間、卑弥呼が共立され30国を従え、魏と通じてるというのに、
その間、山陰や吉備は、政治的に九州とは無関係で、土器だけを持っていった人がいた、
ということになる。

しかし、その後、大和王権は隆盛を極め、画文帯などを手に入れるわけだが、
大和王権が政治的に強大になる過程が、九州説ではまったく説明ができない。
九州説があるということが、説明の障害にすらなっている。
九州説が歴史を語ることが出来るのは、3世紀までで、
4世紀以後、大和王権が誕生した理由は、九州説の枠組みではまったく説明できないのだ。
歴史を全体的に俯瞰できていないからである。

そこで、九州説は東遷説を持ち出すわけだが、
庄内期が300年まで続いたという前提、
東遷したのに、奈良から九州の土器がほとんど出ないという現実、
庄内式土器が九州発祥という仮説、
吉野ヶ里や平原を衰退させてまで東遷しなければならない理由、
これすべて、説明が出来ていない。

東遷説が証明できなければ、九州説も息の根が止まる。
だから、まずは、 庄内期が300年まで続いたこと、庄内式土器が九州発祥だと、証明する必要がある。
できなければ、九州説は終わりだ。

931 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 07:21:27
九州説が成立するには、以下の2点が必要。

1.庄内期が300年まで続いた
2.庄内式土器が九州発祥

この2点は、安本教授も主張していることだ。
この主張をひっこめたら、東遷説も九州説も敗北を認めることになるからな。

では、次に証明することだ。

証明できるものなら、してごらん。


932 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:12:41
ついに邪馬台国の復元図を入手!
邪馬台国は扶桑国にあったのだ。
なぜ、今までわかんなかったのだろう?

http://www.y-asakawa.com/mekishiko-gazo/teothiwakan18.jpg

933 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:20:03
>>932
テオティワカンだな。
そんなもんURL削らなくても分かる。
なめんなよ。

中南米の古代文明に興味持ってるのが
犬国だけと思うなよwwwwwwwwwwwwwww

934 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:21:44
>>930
>大和王権は隆盛を極め、画文帯などを手に入れるわけだが、
大和王権が存在した? それを証明してくれるかな?
画文を手にいれたのは九州なんだよ。近畿でばらまいただけだ。

>九州説は東遷説を持ち出すわけだが、
いつまでたっても理解できないんだな。私は東遷説なんぞ一度も口にしたことは
ないぜ。


935 :933:2009/08/15(土) 08:22:13
てか アドレスに「teothiwakan」って出てるって話だったなwwwwwwwww

936 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:31:34
>大和王権が存在した? それを証明してくれるかな?
じゃあ巻向の古墳群は何なんだよw

937 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:36:58
>>933洒落のわかんない奴だな、君は…

938 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:40:42
>>937

洒落やったらもっとボケ倒さんかい!ダァホ!

939 :ヨコからだが・・・:2009/08/15(土) 08:47:47
>>934
画文は九州が入手して畿内でばら撒いたとして
かつ東遷説じゃない??

まさか
画文をばら撒いたのはニギハヤヒで
・・・とか言う話じゃないよな?wwwwwwwwww

そもそも九州が入手した銅鏡をわざわざ畿内でばら撒いたと言うのは
一体何の根拠があっての話だ?

根拠無しに言えるのなら画文以前の銅鏡は
九州以東の勢力(大和でなくても吉備でも出雲でも河内でも可)が
九州でばら撒いたって話もできちゃうぞ?w

940 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:01:10
>>939
>画文をばら撒いたのはニギハヤヒで
彼はそこまで高尚な考え持ってないと思うよw

ただ自説の都合の良いように、知っていること並べ立てて書いてるだけかと・・

彼は大変病んでおられる。そのうち九州王朝教に入信なさるでしょうw

941 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:06:00
>>934
>画文を手にいれたのは九州なんだよ。近畿でばらまいただけだ。
>私は東遷説なんぞ一度も口にしたことはないぜ。

おまえの主張のほうが意味わかんねえよ。

九州の卑弥呼共立に参画してない畿内の大和王権のために、
九州の邪馬台国は、画文帯を輸入して、畿内の大和王権に売りつけてたってことか?





942 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:25:43
【和物】和のファッション パート5 【和柄】
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/fashion/1249931725/

943 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:25:57
>>934
画文を手にいれたのは九州?
近畿でばらまいたと?

どうやって証明する?


944 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:31:53
九州王朝教に入ったら人生終りだなw

945 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:41:51
鏡と土器だけで歴史を組み立てようと必死な
お盆休みの亡霊どもが。
また鏡や土器に台詞つけて妄想してる。

946 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 10:01:38
出て来たマグカップで、拉致問題まで語ってしまう、ゴミヲタどもが

947 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 10:47:24
考えが小さいなあ。邪馬台国は倭国の乱に勝って九州を統一したんだよ。そしたら、
次にやることは何だ? 本州、四国を勢力下におくことだよ。東遷して大和へ都を遷す
のではない。九州に都をおいたままどんどん東征していくんだな。
そのことは、宋書倭国伝の倭王武の上表文をみれば明らかだ。邪馬台国は卑弥呼の時と
同じ。変わってない。つまり南九州にあるんだよ。ただ、九州全体はもちろん、本州も
その勢力下に入っていったわけだ。最初の30国はもちろん九州だが、本州や四国を征
服していったから東の毛人55国って言ってるだろうが。
大和王権なんてものはどこにもないんだよ。弥生時代には大和にも王はいたかもしれん
が、古墳時代になってからは皆邪馬台国勢力の下に入ったんだ。だから、大きな古墳が
あちこちにできるんだよ。


948 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:11:00
>>947
時代考証が矛盾してますね。
まず1〜2世紀で九州での大乱の形跡は何処にあるの?
西日本には高地性集落が存在してますが。

949 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:12:37
やっぱりいつもの日向厨だったか…

しかしどんどん話が大きくなっているなw

まあ、ぶっちゃけ 九州王朝説 南九州版 日向王朝説 ってところかな?www





950 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:19:58
君が、アメリカやヨーロッパに行ったことがあれば、そのことを忘れることはないだろう。
しかし、何年前に行ったかとなると、一瞬戸惑わないか。
まして、ニューヨークまで何時間かかったとか、移動距離とか、正確に記憶しているか。
距離や時間や方角を間違って記録することと、事実でない事柄を捏造することは、次元が違う問題。
だから、距離・方角が信用できなければ、金印も邪馬台国も存在しないというのは暴論で、成り立ちえない。

君の主張は、ニューヨークへの所要時間や移動距離の記録が正確でなければ、
ニューヨークへ行ったことさえ疑わなければならないということ。

郡の官吏が、行ったこともない邪馬台国に、いつの間にか行った気になって、その記録を作って、
魏の朝廷が、下賜したこともない金印を下賜したつもりになってしまって、その記録を作る。
そんなことがあり得るか?ありえない。
だから、たとえ金印が出土していなくても、魏が金印を与えたということを疑う合理的理由が存在しない。
かたや、距離・方角は、そのまま読めば南の海の上だから、短里だとか放射説とか考えださなければならない。



951 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:21:42
>>950>>899へのレスです。

952 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:26:39
>>948
高地性集落と倭国の乱が直接にはむすびつかないことは常識だろう。
北九州の国々が一大率に厳しく検察されていたってことは明らかだ。それは倭国乱の
結果だよ。となれば、北九州が乱の戦場だったことは見やすい道理だ。


953 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:35:16
>>949
上のは縄文人のおっさんジャマイカ?

>>947はいつもの東遷説のお人だとおもうけど

954 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:35:44
>距離・方角は、そのまま読めば南の海の上だから、短里だとか
>放射説とか考えださなければならない。
そのまま読めばってのは1里=430を前提とすればってことだろ。
そんなのは、単なる思い込み。末盧国までをそれで読めるかな?ちがうことは
明らかなんだよ。倭人伝がどの程度の単位で書いてるのか、それを倭人伝によ
って検討する、それが当然必要なことだ。
放射説ってのは、 倭人伝の文章を検討して出てきた正しい読み方。
だから、畿内説をとる学者の中にも、放射説を支持する者がいる。畿内説の場
合放射説より連続説の方が畿内まで引っ張るのにずっと楽にかかわらず、放射
説の読み方が正しいと思うから採用せざるをえんのだよ。


955 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:39:51
>>652
>高地性集落と倭国の乱が直接にはむすびつかないことは常識だろう。

九州説並みには常識だと思うが。

956 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:43:11
>>947
>最初の30国はもちろん九州だが、
>本州や四国を征服していったから東の毛人55国って言ってるだろうが。

九州が30国で、吉備〜近畿〜東海〜関東が55国って少なすぎるだろ。アホか。


957 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:48:57
しかしここのところニューカマーの縄文人が目立っていたが
こうやって日向厨の御高説を拝聴していると
なかなかどうして、電波度では甲乙つけがたいwwwwwwwww

日向厨は倭人伝でもって2世紀初頭の帥升から
4世紀の日向王朝の東遷によるヤマト王権樹立まで
壮大な脳内ストーリーを紡いでいらっしゃるご様子だが
(夢は何処までもひろがりんぐ〜www)

そもそもその妄想ストーリーの出発点の
帥升の朝貢からしてその朝貢団
(帥升”等”と言う表記や献上の生口の数からして”団”とした方がいいだろう)
に既に九州以東の勢力が参加していなかったと言う保障は無いw

確かに今のところ玄界灘周辺地域の勢力と言うのが定説に近いとは思うが
将来的にはそういった想定も出てくるだろう(てかもう出てる?)

まあそうなったらある意味九州王朝説の復権だがwwwwwwwwww




958 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 11:49:50
>>956
単純だな。時代により所により国の大きさなんぞ、いろいろあるんだよ。
倭人伝が伝える国々だって、大国といえば、奴国、伊都国、投馬国、邪馬台国
の4か国だけだ。あとは小国だろ。
本州、四国だってある程度の大国にまとまっていたなら、55国で少なすぎる
ことはない。今、県がいくつあるか知ってるか?


959 :縄文人:2009/08/15(土) 11:57:25
>>950
今日はご先祖をお送りするために故郷に出かけるので、怒らないことにします。縄文人は心優しい常識人でなければ
ならぬ(つらいなあ)。
私は、倭人伝は思い違いやデタラメで成り立ってはいないと思っているから、方角、里程もそのまま素直に読んでみ
ようと言っているだけ。貴方達のように恣意的に解釈するならどのような論も可能だと言ったのです。

960 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 12:05:35
倭人伝の、「親魏倭王卑弥呼に制詔す〜故に鄭重に汝に好物を賜うなり」の部分は魏帝詔書
の全文掲載だろう。資料は残っていたということだな。しかし、魏答礼使が報告を書いたという
証拠も、陳寿がその報告を見たという証拠もないな。

961 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 12:19:57
>>960
それはそうだろう。直接に資料を見たのか、資料をみて書かれた魏略等を写したのか、
そこは分からんな。しかし、仮に直接の資料ではなかったとしても、陳寿はそれを信用
できると判断して倭人伝に取り込んだんだろ。その判断を信用するに何も支障はないと
思うよ。

962 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 12:23:58
都合の良い資料は信用し、
都合の悪い資料は、書き間違いですか。


963 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 12:48:44
>>961
まあ、何らかの資料があって陳寿が書くに足ると判断したのはそうだろうが、だからといって
内容に誤りがないともいえない。ただ、司馬懿による公孫氏討伐がなければ(そしてタイムリー
な卑弥呼の朝貢がなければ)倭人の条はこれほど詳述はされず、卑弥呼の名が後世に残る
ことはなかったかもしれない。

964 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 13:51:13
1歩とは3,3uだから、1.8m四方ということになります。
径百余歩といえば、直径200mを超えることは間違えない。
となると、この時代にすでに存在した古墳でそれにふさわ
しい規模のものは限られてきますね。

http://ryokosomething.up.seesaa.net/image/eur46_06.JPG


965 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 14:36:27
>>963
東夷伝全体を見ても、冊封国の人物名についての記載は少ないが、倭人伝は例外的に多い。
これは、やはり中国側にある鴻臚卿の資料に名前が残っていたからだろう。「大夫難升米・次使
都市牛利・使大夫伊声耆・掖邪狗等八人」のように中国あるいは郡に来たものは、任官もされて
おり名前が載る。卑弥呼、卑弥弓呼については当然、詔書、檄文を作る段階で名前を聞いただ
ろう。
しかし、倭にいる卑弥呼の男弟、卑弥呼の次の男王、各官なども氏名の記載がないのは、魏使
の報告がなかったか、あってもそれほど詳しいものではなかったということではないかな?



966 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 15:24:30
>>957
>4世紀の日向王朝の東遷によるヤマト王権樹立まで
こんな言葉がでてくるようじゃだめだな。ヤマト王権などなかったと言ってるだろ。
纏向の墓なんぞ、王でなくても造れる。王と呼ばれていたかも知れないが、倭国の武将の一人にすぎ
ないとも考えられる。独立の王権だというならば、その証明をしてみな。

>帥升の朝貢からしてその朝貢団 に既に九州以東の勢力が参加していなかったと言う保障は無いw
倭人伝を正しく読んだら、参加していなかったことは明らかだよ。


967 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 17:27:45
>>966
>ヤマト王権などなかったと言ってるだろ。
こちらの証明をどうぞ 。

>倭人伝を正しく読んだら、参加していなかったことは明らかだよ。
正しく=自分に都合よくでしょ。



968 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 17:48:25
>>967
その人は釣りだよ。お盆なのにこんな基地外レスをマジでするわけがないよ。もしマジだと
したら首になった派遣社員とかだと思うよ、自暴自棄になってるんだ。うん。

969 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:14:47
大体倭人伝の30国を九州内に比定してる人って
西日本の弥生遺跡から出土してる中国の古代貨幣を
どう説明するのかな?
貨泉なんて九州は勿論だが、吉備や出雲、畿内も出土してるけど。

970 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:48:06
卑弥呼は伊都国に、台与は奈良の邪馬台国に居たんだよ。

971 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:01:00
伊都には国王がいて、女王国に属するとあるけど。

972 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:01:06
>>969

4世紀まで流通してたそうですよ。


973 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:18:26
>>970
>卑弥呼は伊都国に、台与は奈良の邪馬台国に居たんだよ。

九州邪馬台国の卑弥呼の死後、その遺体を大和まで運んで葬ったのが箸墓…
と言うのは森浩一センセイだったっけ?wwwwwwwww

まあ一つの説としてだ…

「女王」と言う文字は最初の方の伊都国で
「皆女王国に統属す」で出てきてその後も頻繁に出てくるのに対し

「卑弥呼」と言う人名はかなり後半
「その国本また男子を以て王となし住まること七八十年…」
で始めて出てくる。

で、全体の構成として、その卑弥呼の名前が出てくる部分からは言わば”回想シーン”に入るとして
そこまで出てきた「女王」 とは畿内ヤマトにいた壱与の事だとする。

当然例の行程記事は畿内ヤマトに至るものとなるw
まあ、この板の九州説にはとてもじゃないが受け入れられないだろうが

反面、過去の卑弥呼は肯定記事に縛られる事無く
伊都国にいようが奴国にいようが構わないと言う自由度を得られるwww

ただし過去の卑弥呼も畿内ヤマトにいました…なんて事も可能なので
九州説にとっては踏んだり蹴ったりでとてもじゃないが受けは最悪だと思うがwwwwwwwwwwwww




974 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:30:47
>九州邪馬台国の卑弥呼の死後、その遺体を大和まで運んで葬ったのが箸墓…

そんないいとこ取りのご都合主義を真面目に考えてるような人だったのか。


975 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:32:56
>>974
とあるムック本で井沢との対談でw

976 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:36:22
>>972
1世紀前半のごく短期間にしか存在しない貨泉が?
しかも弥生時代の遺跡から出土してるのに??

977 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:36:44
16才中卒ヒッキー

978 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:49:46
>>975
あれは企画を盛り上げるためのまあ、リップサービスだろう。彼も三角国産説以来反体制を
気取りすぎたきらいがあるんじゃないかな。もちろん、基本スタンスが邪馬台国には正式には
言及しないようにするだったから、それなりに処遇されてきてはいるが。しかし、やはりこの年
代は、自分が生きてる間には結論は出ないだろうという達観が強くあるんじゃないかな。

979 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:03:26
>>954
>倭人伝がどの程度の単位で書いてるのか、それを倭人伝によ
>って検討する、それが当然必要なことだ。

古事記では神武天皇は137歳で崩御した。
だから一年を今の半分にしたらちょうど合理的な年齢になる。だから倍暦だ。
短里っていうのは、これと同じ理屈だよね。

>放射説ってのは、 倭人伝の文章を検討して出てきた正しい読み方。

倭人伝を検討しなきゃ出てこないんだから、間違った読み方。
日本人は、儒仏道の哲学的な思索や国家の運営を漢文でやってた。
読解力にかけては中国人に劣らない。
そういう人たちが、最初に放射説で読まなかった。
それで邪馬台国に辿り着けないから、結果として放射説を考えだした。
だとすれば、日本の地理を知らない中国人は、
放射説でなければ邪馬台国に辿り着けないことを知らないのだから、
延々と誤読し続けることになる。
陳寿は、同国人がまともに読めない文章を書いたことになる。

980 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:10:09
>>979
しかしそれは、陳寿が邪馬台国の位置を理解していたってのを前提にしてだろ。本当に理解
してたのか?会稽・東治の東にあると思ってたんじゃねの?

981 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:21:42
>>979
まあ「放射説」なんてのは、それこそ”素直に読んで”壁にぶち当たって始めて出てくる工夫だろうなw

放射説がトンデモなのは、それが最初から放射状コース前提で書かれているとした場合で

そうなると放射説を検討しなかった日本の過去の学者(勿論九州説の名だたる大家も含まれる)や
明確に連続式で読んだ梁代の中国人らは漢文も読めない馬鹿揃いと言う話になって

それこそ寝言は寝て言え!・・・になってしまうんだろうがwwwwwwwwww

ただ行程記事をものもしたのが実際に卑弥呼のもとに赴いた魏使ではなく
伊都国あたりに常駐していた郡使で
その文章が放射式で書かれていたとしたら?

で、その一次資料を陳壽かもしくはその前の記録者が(漢文の常道に基づいて)連続式で解釈して書いていたとしたら?

この場合、放射説の目は出てこないものかな?

982 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:25:12
理解もなにも陳寿は倭人伝だけ纏めたんじゃないぞ
魏史を書く上で、正確な倭国の位置など取るに足らない

983 :縄文人:2009/08/15(土) 22:01:29
魏の使節一行には半島の人間(半島の地理や末盧国までの渡海に関する知識を
有する人物や倭や倭人の言葉に通じた人物)が含まれていた筈である。魏の曹
操は人種や出身を問わず有能な人物を登用したことでも知られている。この人
材登用のあり方は曹丕にも引き継がれ、魏が呉、蜀を圧倒できたのもこの人材
登用のやり方に負う所も大きかったとされる。司馬懿が公孫氏を滅ぼしたのも
単なる武力によるものではなく、公孫氏陣営の有力者の懐柔など政略的な動き
によるところが大きい。こうして魏の帯方郡が確立されたのち、郡の官吏に多
くの半島人が登用されたであろうことは想像に難くない。もちろん半島の支配
のためである。魏が使節を送ったのは、卑弥呼の朝貢や要請に答えたものでも
あるが、呉と結ばれるのを防ぐことおよび半島支配の役に立たせようとの意図
もあったと思われる。ただし、倭国がとるに足らぬ弱小国であればわざわざ魏
帝の使節を送らず、郡からの使者で済ませたであろう。魏は倭国が半島に軍隊
を派遣しうる軍事力、経済力を持っていると認識していたのであろう。(続く)



984 :縄文人:2009/08/15(土) 22:03:03
983の続き
さて、倭人伝には郡から狗邪韓国までの距離を7千餘里と記述されている。こ
れがいわゆる魏の公式里(1里約430m)で表されているとすると3千km余と
なる。当然、実際の距離に合わない。魏の使節が半島の地理を知らなかったと
すれば思い違いで済むが、魏の使節団に半島の地理に通じた半島人が居たとす
れば思い違いでは済まされない。魏の使節団に半島の地理に通じた半島人が「居
た」、「居なかった」、を問うとすれば何れが道理に適っているか。もちろん、「居
た」であろう。魏帝の使節であるから、「目的地に到達できて使命を果たす」こ
とができないでは厳罰ものである。当然、必要な準備をして行く。

このような状況を考えれば、7千里餘は半島人の用いていた里で記述されてい
る可能性が出て来る。半島人が用いていた里がどのようなものであったかとい
う文献を私は知らないが、倭人伝にある数値と実際の距離から1里は50〜120m
程度ではないかと考えることが出来るのではないか。

とすれば、方角をねじ曲げなくてもよいし、九州内に邪馬台国を求めることが
出来るのである。倭人伝を素直に、そして当時の状況、情勢を考察しながら読
めばよいのである。


985 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 22:09:55
>>983 アホ縄
>倭国がとるに足らぬ弱小国であればわざわざ魏帝の使節を送らず、郡からの使者で済ませたであろう。
>魏は倭国が半島に軍隊を派遣しうる軍事力、経済力を持っていると認識していたのであろう。

まあ、そうなるともし九州の邪馬台国と纏向遺跡が時代的に並存していて
九州以東にヤマトを中心にした首長連合があったなら

当然、魏は倭における最大勢力のヤマト首長連合を選ぶ道理だなw

確実な実年代の確定材料がないかぎり完全否定はされないだろうが
それでもタイムスケジュール的にかなりタイトwwwwwww






986 :縄文人:2009/08/15(土) 22:22:23
>>985
あなたのような思慮不足の方とは議論になりません。

987 :縄文人:2009/08/15(土) 23:06:15
私は3世紀半ばの倭国は邪馬台国を盟主とする30国の連合国だと考えています。すなわち、對海国から始まって奴国で終る国々です。
女王国は邪馬台国です。行程記事の伊都国のところ*有王皆統属女王国と書いてあります。倭国=女王国とすれば矛盾します。

また、私は伊都国を糸島郡との語呂合わせから前原市辺りに比定する説には根拠がないと思っています。弥生時代の王墓級遺跡はありますが、
それが伊都国を証明するものとは言えません。そのような遺跡を残す國があったというだけです。伊都国は末盧国から東南の、陸路でしか行け
ぬところにあったのです。

988 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 23:10:03
かえすがえすも公孫淵がお馬鹿な事したのが悔やまれる
あの反乱が無ければ半島から日本列島にかけての情報がもっと多く残ってたろうに

989 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 23:25:00
魏に朝貢したから大国の歴史書に残ったと考えるべき

990 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 00:08:28
まあ九州説、畿内説を問わず、
30国が九州で収まらないのはガチだと思うぞ。

991 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/16(日) 00:25:24
「目糞、鼻糞を笑う」とはよく言ったものですね。

笑えないなら私説を否定してみなさいwwwwwwwwwwwwwwwwww
(某氏のまね)

992 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 00:33:06
>>981
まあ、君らの読解力では放射式で読むってことに気づかないかも知れないが、
漢文に慣れた人ならば、十分に読めるんだよ。
昔から史書は連続式ばかりではなく、放射式も使用されていた。それほど難しい
読み方ではないってことだな。


993 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 00:49:14
>>991
皆に否定されてると思うけど。

994 :縄文人:2009/08/16(日) 00:50:59
>>990
なにを根拠に<30国が九州で収まらないのはガチだと思うぞ。>と言えますか?

倭人伝の記事では、倭国の中で大国と思われる國は2万戸の奴国、5万戸の投馬国、7万戸の邪馬台国の3国です。
これに女王に属しない狗奴国の記載があります。狗奴国は滂(さんずいなし)国の記述の終わり 此女王境界所儘(にんべんなし)
の後に其南有狗奴国とありますから、邪馬台国の南にあったことになります。邪馬台国は倭国の中でも最大の人口を擁していますか
ら、九州のおよそ1/3の広さの版図を有していたと見ることが出来ます。私の推定では熊本県から宮崎県北部に跨がる國ではなかった
かと思われます。奴国は吉野ヶ里がある佐賀県南東部から福岡県の筑後川流域の一部を含む地域、投馬国は福岡県久留米市市から八女、
筑後、大牟田、熊本県荒尾あたりまでの地域であったろうと思います。その他の國は長崎県、佐賀県北西部、福岡県北東部、筑後川上
流域、福岡県中部,北東部、大分県で十分でしょう。狗奴国は大国邪馬台国と争うことの出来る國ですからこれも大国だったでしょう。
熊本県南部、宮崎県南部と鹿児島県にあったとすれば説明可能です。畿内説の皆様 すみませんね。まともな話で。


995 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 00:56:24
>>994
上にもあったが貸泉の出土分布図をみても、
1〜2世紀に西日本各地が中国と交流があったのは確実です。


996 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 00:57:53
同時代の雲南や華南などへの記述はどうなってたんだろうねえ。

997 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 01:00:34
>>995
倭人伝に書いてあるよ
漢の時代100国くらい使者が来たって

998 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 01:04:56
使者が来たとはかかれてないぞw

999 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 01:06:39
>>990 >>994
倭人伝が伝える国は対馬や壱岐がそれぞれ一つの国なんだ。九州島は壱岐の300倍、
壱岐(一支国)程度ならば300国も入る大きさなのだよ。
縄文人氏の言うとおり、大国は奴国、伊都国、投馬国、邪馬台国だけだ。それを含めて
30国ぐらい何と言うことはないさ。なお、縄文人氏は狗奴国をある程度の大国と考え
ているようだが、旁国という言葉は狗奴国にもかかっている。旁国は大国の傍らにある
小国、狗奴国もたいしたことはないとみるべきだと思うよ。
朝貢国同士で争うことは御法度だからね、狗奴国討伐の可能性も考え、根回しをしていた
だけかと思うがね。狗奴国が大国ならば、倭人伝以外の中国史書に出てこないことが不自
然だろ。


1000 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 01:11:10
30国入るという、国の大きさの事じゃないだろう。

とりあえず1000。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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