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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!35

1 :神奈川県民:2009/08/09(日) 15:36:09
謎の文献 魏志倭人伝に記された、
女王卑弥呼とは誰だったのか、邪馬壹國とは何だったのか。
天皇家の祖、日本建国、魏志倭人伝について議論しよう。
<前スレ>
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!34
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1248873785/


2 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 20:32:26
                                ∧∧     ローリング!!
                  フワリ  ∧∧  )  ⊂(゚Д゚,,)⊃    ∧∧
                    ⊂(゚Д゚⊂⌒つ     \  ,)〜  (゚Д゚,,)
                          ̄       ( ( |   ⊂⊂,,ヽ
            クルン  /⌒⌒ヽノ  )))          ∪     (_ (_ )ノ
                 (   )て )              ヾ
              ((( ∨∨⊂ノ               タッ
              ノ~
   ズサギコ!!  ∧∧⌒つ
         (゚Д゚;)ノ
         (ノ (ノ         (´´
   ∧∧  )    ≡≡≡≡(´⌒(´≡≡
 ⊂(゚Д゚⊂⌒つ ≡≡≡≡(´⌒;;≡
           (´⌒(´⌒;;
 2げっとズサーーーーーーーーー!!!

3 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/10(月) 20:41:40
996 名前:縄文人 :2009/08/10(月) 20:03:01さんへ
只今ロックアウト中に付き。遅れる。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1229002826/l50 
サガミハラハラさんの『日本書紀の年代を考える』を読んで下さい。

神功元年を273年日食の翌年とすると、
274年神功元年
325年神功52年 ここで1年の狂いを認めると
神功52年=326年
@ 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
A 泰和四年五月十六日丙午正陽、百練の鉄の七支刀を造る。
B 泰和四年は東晋の大和四年と解釈され、西暦369年のこととされる。

下記の文章に大きな誤りが有ります。
西暦369年=泰和四年五月十六日丙午 
十六日丙午=辛卯朔になります。 西暦369年なら 吉祥句で乗り切る。
1を満たす西暦は、326年5月辛卯朔 
東晉明帝太寧元年 ?次:癸未 生肖:羊 西元323年4月22日(星期一)起 12月甲辰朔より数える、
東晉廢帝太和元年 ?次:丙寅 生肖:虎 西元366年1月28日(星期六)起 12月甲午朔。

この様に 吉祥句でなくとも 暦日で読むことが出来る。
300年 新羅 倭と友好は、神功47年(274+47−19)=302年
1年程度の狂い。
仁徳53年の記事は、399−34=364年新羅の記事。

この状態ですから四世紀は、空白と云われている。


4 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 20:50:43
テンプレに河童出入り禁止と貼っとけや。

5 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 21:14:03
今度河童が来たら、頭の皿でも割って
二度と現れんように追い払うっちゃ。

6 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 21:16:28


7 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 21:23:50
>>969 河童虫さん
>色んな事情で、家から出られない人は
>ガタガタぬかすなと?

いや、いや、そういう意味で言ったのではなく〜
貴方が、ろくに、勉強もしないからハッパかけんじゃん〜気づけよ。

>>971 愛知県民さん
>田油津媛は八女津媛と地縁、神夏磯媛と血縁あり。

血縁あり??

「復立卑彌呼宗女壹與」←正しく理解していればそんなこと言わないと思いますが...。

>>983-985 >>989

公孫氏 ⇔ 帯方郡 ⇔ 倭

公孫氏と帯方郡とは深いつながりがあるようです。
そもそも、公孫一族が帯方郡を占拠したとか聞いたことあります。

8 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 21:27:52
>>2 >>4->>6

周りの迷惑になるレスはやめてな
http://info.2ch.net/guide/


9 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 21:34:49
迷惑?
勝手に一人でキレてた奴に言えよ(笑)

10 :喇叭虫:2009/08/10(月) 21:44:46
>>7
やあみんな、ぼくの名前は喇叭虫。プップカプー。よろしくね。ところで君は頭が悪く、無能な
レスをすることで有名な改めドツボさんだね。有名な人に会えて光栄だなあ。よろしくね。

11 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 21:53:00
あいつの言ってる事はみんな出鱈目、今度あいつが来たら叩いて追い出せ。
非国民河童を追い出せ。

12 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:05:55
「倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」
倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王、卑彌弓呼、もとより和せず。

「遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状」
倭の載斯、烏越等を遣わし帯方郡に詣でて互いに攻撃し合う様子を説く

「遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米為檄告喻之」
太守の王頎は塞曹掾史の張政等を遣わし、因(となる)詔書、黄幢をもって
難升米を拝みて、(詔書、黄幢)を仮し、檄し、告げ、喩す。

「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
(そのときは)卑弥呼はすでに死し、大いに塚を作ること径百余歩
徇葬者は奴婢、百余人

「更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人」
更に男王を立てるも国中(の人々)服せず。
互いに殺しあうこと、千余りの人々が殺された。

「復立卑彌呼宗女壹與年十三為王國中遂定」
復、卑弥呼一族本家の娘壹與(十三歳)を立てる。国中は既に平定。

「以檄告喻壹與壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還
因詣臺獻上男女生口三十人貢白珠五千二枚異文雜錦二十匹」
政等は壹與を激し、告げ、喩す。
壹與は倭の大夫率善中郎將、掖邪狗等二十人を遣わし、政等が帰るのを送りとどけ、
因(となる)皇帝に詣でて、生口、白珠、孔青大句珠、異文雜錦、を献上し(お礼を述べる)。

13 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 22:10:38
また、奈良以外の地域は大変だね。
今、紀伊半島に雨雲が乗っかってるらしいけど。
盆地は小雨。

常に山神に守られてる奈良。
ここに都を建てた大王は偉い

水は大台ヶ原から流れて来て豊富だしね

14 :喇叭虫:2009/08/10(月) 22:12:48
>>12
あきょー。プップカプー。これなに?独自の訳??やっぱしドツボさんって噂どうりの無能な
人だね。仕事何やってんの。行商とか?プップカプー。


15 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:15:56
21:23 レスした後、ざっと訳してみたんだけど、短時間で現代語訳したので、
間違えてる箇所もあるかもしれない。
まあ、もし間違えてる箇所があっても、多めに見てくださいね。

んで、何が言いたいかというと、
政等が難升米に合い、激した時には既に卑弥呼はなく亡くなっていた。

難升米が詔書、黄幢を用いて、平定する。

平定後、政等は壹與を激す。

この間、何十年とか言う人がいますが、それは嘘デス。
この記事から、政等葉本物の卑弥呼とは会っておらず、
難升米、壹與に会っている。

親魏倭王卑弥呼ではなく、親魏倭王壹與という歴史的事実を見逃したらいけない。
ハイ〜反論ある人どうぞ〜!(バンバン来そうだねw)

16 :喇叭虫:2009/08/10(月) 22:28:00
>激した時には既に卑弥呼はなく亡くなっていた。
なんでこんなことがわかるんですか??やっぱし無能ですね。会社でも困りものでしょ?
いいんですか、2chなんかやってて。
ところでコテハンの中で、一番邪馬台国問題に役に立たないのが河童虫さんで、一番クレイジー
なのが美濃もん太さんで、一番知恵が遅れてるのがドツボさんって評判なんだけど、ほんとですか?
プップカプップー。

17 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:29:11
この私の考えに一致したのがJINZO氏の墓碑解析。

彼の解析結果では、倭迹迹日百襲姫命198年没、豊鍬入姫命13歳。

わたしは、彼の解析は本物なのか、偽者なのか知りませんが、
年代に関しては、一致するというか。
紀元前60年神武天皇即位、倭迹迹日百襲姫命198年没は大体合っていると思う。

親魏倭王壹與こと豊鍬入姫の献上はあったと思います。

18 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:32:45
>>16
>なんでこんなことがわかるんですか??

無能と決め付ける前に自分はどうなんだ?
わたしの>>12のレスと同じように君も現在語訳してみるといいよ。
そうしたら、私の言っていることが分かるだろう。

それと、むやみやたらと、新しいスレを、荒らさないでくれる?

19 :喇叭虫:2009/08/10(月) 22:37:07
>>18
いやだあ。プップカプッププカプカプー。まずじゃあ、張政が檄を持って難升米を告諭した
場所はどこですか?
ところで、みなさん。コテハン無能度投票しませんか???プププププピプー。

20 :喇叭虫:2009/08/10(月) 22:39:22
ププププ、「現在語」だって。wwwwプププププー。

21 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:44:47
>>19
>まずじゃあ、張政が檄を持って難升米を告諭した場所はどこですか?

質問が多いな〜ww
あのね、「ネタを書き込む人」と「そのネタに文句いう人」、
「質問を受ける人」と「質問に答えないといけない人」、

前者は常連コテ、後者は名無しとか素人コテばかりじゃねえかww

まあ、よい、答えてやろう。
「難升米を告諭した場所はどこですか? 」の質問に関しては、
倭人伝に記載がないので、詳しくは答えることが出来ない。
しかし、「拜假難升米」とあるように、難升米→政等ではなく、政等→難升米 となっており、
会ったのは半島ではなく倭ということは分かるだろう。
これでいいかな?これ以上、答えを求められても、記載されてないものは語れないというか...。

22 :喇叭虫:2009/08/10(月) 22:44:57
だってわけわかんないよな。>倭迹迹日百襲姫命198年没   はまあいいけどね、じゃ卑弥呼
と全然関係ないじゃありませんか?何がいいたいのかさっぱりですわ。ププププー。

23 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 22:45:54
喇叭虫っていうのは、覚醒剤でも使用しているのか?

24 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:46:36
>>19-20 >>22

もっとレスを大事に扱えよ
君は荒らしか?

25 :喇叭虫:2009/08/10(月) 22:48:54
>>21
倭で難升米を告諭したなら、卑弥呼の死を張政は知ってたってことでしょ。じゃ、難升米を
王と認めたってことですか???どうしてそのことが倭人伝に書いてないんですか???
ププププー。

26 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 22:58:36
>>25
質問はなるべく、まとめて書き込んでくれ。
単発な質問は、答えるのに苦労するというか、新しいスレだし勿体無いだろう。

>倭で難升米を告諭したなら、卑弥呼の死を張政は知ってたってことでしょ。じゃ、難升米を
>王と認めたってことですか???どうしてそのことが倭人伝に書いてないんですか???

そうゆう質問で、この人は倭人伝を知ってる人か?素人か?
こっちからみたらすぐに分かるもんなんだよ。
まあ、素人さんみたいなんで、いろいろと答えてやろう。

<魏志倭人伝>
其六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授

とある。
難升米は王ではなく、王は卑弥呼。
この、難升米という人物は、大陸の皇帝から、「黄幢」というものを授けられた人。
黄幢を授けられた人というのは、いわば、一定の役職を与えられた様なというか....
ようは、倭の代表者と認められたといえば分かり易いか。
そして、卑弥呼の死を知ったのは難升米に会った後、だとわたしは主張しているんだよ。

27 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 22:59:11
九州説ってこんな奴しかもう残ってないのかw?
末期だぞww

28 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:01:23
張政が難升米を告諭したとき、卑弥呼はまだ生きていた(対句奴国戦争時)というのが一般的
な解釈ですよね。それを、卑弥呼はすでに死んでいたという異説をとるなら、その間の事情を
もっとわかりやすく説明すべきですよ。プーカープー。

29 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:02:16
張政が難升米を告諭したとき、卑弥呼はまだ生きていた(対句奴国戦争時)というのが一般的
な解釈ですよね。それを、卑弥呼はすでに死んでいたという異説をとるなら、その間の事情を
もっとわかりやすく説明すべきですよ。プーカープー。

30 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:02:53
>>27
「ネタを書き込む人」と「そのネタに文句いう人」

レベル低いのは君のほうw
文句あるなら、自分の論を書き込んでからにしなさいwwwww

31 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:10:15
>>30
急に素に戻るなよ河童w

32 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:14:54
すみません。2回同じのがカキコされました。これはスレのムダ遣いだよ。プププー(泣)
ぼくは、太陽の子だから、覚醒剤なんかやってないよー。あと、ぼくは河童さんでもないよ。
誤解だよ、誤解だよったら誤解だよ。人生奪う白い粉、あなた人間やめますか?プップー。

33 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:14:55
>>30
レベル低いって認めるのかwww

34 :縄文人:2009/08/10(月) 23:15:32
改めさん
<「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
(そのときは)卑弥呼はすでに死し、大いに塚を作ること径百余歩 徇葬者は奴婢、百余人>

「以」には「すでに」という意味はありません。「以死」は「死んだので」です。

35 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:18:20
>>34
別にそれは大した問題じゃなくね?

36 :縄文人:2009/08/10(月) 23:20:16
喇叭虫さん
太陽の子は私のトレードマークです。多分、私が先に登録してると思います。

37 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:22:28
>>36
太陽の子は昔から仮面ライダーブラックRXだろjk

38 :縄文人:2009/08/10(月) 23:25:07
>>35
貴方様はどなたですか?簡単に切り捨てられますが、倭人伝の解釈はいい加減でよいとおっしゃいますか?

39 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 23:28:19
>>27-31 新しいスレだよ 最低でも4行ぐらい書き込んでくだされ。

>>28
>張政が難升米を告諭したとき、卑弥呼はまだ生きていた(対句奴国戦争時)というのが一般的
>な解釈ですよね。それを、卑弥呼はすでに死んでいたという異説をとるなら、その間の事情を
>もっとわかりやすく説明すべきですよ。プ

うんうん、それが一般的な解釈だろう。
わたしも、はじめ、その考えでしたが、
景初二年記事〜
其年十二月記事〜
正治元年記事〜
其六年記事〜
其八年記事〜とあり、わたしの>>12レスの記事はここの「其八年」におきた出来事になる。
しかし、
正治八年の1年間だけで、倭が載斯、烏越等を遣わし太守王頎に報告。
正治八年の1年間だけで、太守王頎が張政等に指示。
正治八年の1年間だけで、張政等が難升米に会い、詔書、黄幢を渡し、激し
正治八年の1年間だけで、難升米が詔書、黄幢を倭に住む人々に示し
正治八年の1年間だけで、卑弥呼が死す
正治八年の1年間だけで、大いに塚を作り完成(または途中)
正治八年の1年間だけで、更に男王を立てる
正治八年の1年間だけで、国中が乱れ(國中不服更相誅殺)
正治八年の1年間だけで、千余の人が殺され
正治八年の1年間だけで、壹與を立て
正治八年の1年間だけで、政等を送り、帯方郡にまで帰り着き
正治八年の1年間だけで、さらに〜帯方郡にまで送った後、皇帝のある本土まで行った。
とか、疑問が生じる。 おかしいと思わないかい???

40 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:28:35
>>36
はあ、それは知りませんでした。プププー。ならどうぞお使いなんしょ。「以」の意味はそうでしょね。
「井蛙不可以語於海」井の中の蛙は以て海を語るべからず。この言葉をドツボさんに捧げますよ。ぼくも九
州説なんでよろしくね。プカプカプードンドン。



41 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:31:50
>>32-38

ここはチャットじゃないんだよ!
最低でも4行は書き込んで下さいね

42 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:33:03
>>38
いい加減な外伝だがね。

どっちにしろ同じような意味だ。卑弥呼は死んでいたということだ。
問題あるかい、ボウヤ?

43 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:33:58
>>39>おかしいと思わないかい???
おかしくないですよ。

>卑弥呼が死す。大いに塚を作り完成(または途中)。更に男王を立てる。国中が乱れ(國中不服更相誅殺)
千余の人が殺され。壹與を立て。政等を送り、帯方郡にまで帰り着き。さらに〜帯方郡にまで送った後、皇帝
のある本土まで行った。

これをすべて正始八年の出来事と読む人は、まずいませんよ、プーカプーカ。

44 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:34:58
>>41








45 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:36:34
>>34
>「以」には「すでに」という意味はありません。「以死」は「死んだので」です。

無くはないです。大漢和には「すでに」という訓はないけど、
新字源は「すでに」の訓をとってます。
ただ、具体的に、文章の中で以を「すでに」の意味で読まなければならないという
状況にでくわしたことは、ほとんどないですね。
それに、「すでに」と読むと、文脈が変ですから、ここは「もって」じゃないかと思います。

「以死」が「死んだので」だったら、「以卑彌呼死」(卑彌呼死するを以て)じゃないですか。
「卑彌呼以死」だから「卑彌呼以て死す」で、「卑弥呼はそれで(そこまでに書かれている事情によって)死んで」だと思います。

46 :サガミハラハラ:2009/08/10(月) 23:37:57
正始九年十年にもかかるかもしれません。

47 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:43:36
「以」は @用いて 言葉を以て思想を表す Aよって、〜の理由で 老齢を以て引退する
B…までで この大会は本日を以て終了いたします Cを(の強調) 彼を以てはじめとする

こんなもんじゃろー。ププカププカ。しかし、こんなことしてたら河童が来るよ。デタラメ言語厨
が来ちまうよー。プププー(哀しい音色で)

48 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:45:33
>>45
では狗奴国との戦いで卑弥呼は死んだってことですか?

49 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 23:47:47
>>46
>正始九年十年にもかかるかもしれません。

それは絶対ありません。
あくまでも、>>12のレスは「その八年記事」デス。

正治八年、倭が載斯、烏越等を遣わし太守王頎に報告する。
正治八年、太守王頎が張政等に指示。
正治八年、張政等が難升米に会い、詔書、黄幢を渡し、激す
(卑弥呼は既に死んでいて、大きな墓だけが残っていた、張政等もビックリしただろう)
正治八年、難升米が詔書、黄幢を倭に住む人々に示し 平定

卑弥呼共立→卑弥呼の死→更に男王を立てる→国中が乱れ→ 千余の人が殺す→壹與を立る→平定
は、過去の出来事

正治八年、壹與は政等を帯方郡にまで送り、さらに皇帝までいきお礼を言う。

これが本当の出来事だろう。

50 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:49:26
ププー。ないと思うよ。だって冊封国の王が死んだら事情を記すと思うけどね。わからない
わけじゃないんだから。老齢による自然死でないのかな。プップカピッピカプー。

51 :喇叭虫:2009/08/10(月) 23:53:51
>>49
50は48へのレスでした。ドツボさん頭大丈夫ですか???
>おかしいと思わないかい???
って、全部正始8年であることに疑問倭を呈してたのは自分じゃないですか。自分でおかしい
といってることを自分で肯定するんでっか???会社で何やってるんです?電話番とか?

52 :縄文人:2009/08/10(月) 23:55:21
>>42
大変に尊大なお方のようですから、少しばかりお伺いしてもよろしいでしょうか。
倭人伝の記述で
一大國から海路末盧國に至り、末盧国から陸路伊都國に到っておりますが、貴方様は伊都國を何処に比定されますか?
もし、現前原市辺りに比定されておられますならば
一大國を壱岐として此処から前原市へ行くのには海路の方が便利です。末盧國から(夏の暑い盛りに)わざわざ陸路をとらねばならない理由がありましょうか?
私は陸路でなければ行けない(陸路の方が困難が少ない)ところに伊都國があったからだと思います。
ボウヤですから分かり易い説明をお願いします。

53 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/10(月) 23:56:48
>>48
>では狗奴国との戦いで卑弥呼は死んだってことですか?

狗奴国と相攻撃しあったのは卑弥呼ではなく、親魏倭王壹與

壹與は二代目卑弥呼といったら分かり易いかな??

>>50
>ないと思うよ。だって冊封国の王が死んだら事情を記すと思うけどね。わからない
>わけじゃないんだから。老齢による自然死でないのかな。

馬鹿だな〜ww
実は、卑弥呼は献上したことはない。
あくまでも、献上したのは、卑弥呼宗女壹與さんのほうだよ。

余りにも有名な卑弥呼さん・・・・・・。
魏は最初から間違えてたことになる〜〜理解できたかな?

54 :日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:59:22
>>49
>あくまでも、>>12のレスは「その八年記事」デス。

それは、ないでしょう。
例えば、漢書外戚伝
卒立王夫人爲皇后、男爲太子、封皇后兄信爲蓋侯。
という文があります。
王夫人が皇后に立てられて、その息子が太子になって、兄の信が蓋侯に封じられた。
という文なんだけど、実際に兄が蓋侯に封じられるのは、ずっと後のこと。
なのに、何の断りもなく、平気で並んで記されています。
漢文は、こんな書き方は珍しくないと思います。

55 :喇叭虫:2009/08/11(火) 00:02:31
>>53
はあ?間違えてたにしろどっちにしろ死の事情を知ってたら記載するでしょ。論点ぐちゃぐちゃ
ですがな?

>狗奴国と相攻撃しあったのは卑弥呼ではなく、親魏倭王壹與
これも今まで聞いた中では最強レベルの異説ですよ。
>〜理解できたかな?
理解できる人はいないでしょう。詳しい説明をどうぞ。特になぜ魏が間違えたのかをじっくり。
プカプカプー。

56 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 00:02:40
>>52の縄文人へ横レス
>一大國から海路末盧國に至り、末盧国から陸路伊都國に到っておりますが、貴方様は伊都國を何処に比定されますか?
>もし、現前原市辺りに比定されておられますならば
>一大國を壱岐として此処から前原市へ行くのには海路の方が便利です。末盧國から(夏の暑い盛りに)わざわざ陸路をとらねばならない理由がありましょうか?
>私は陸路でなければ行けない(陸路の方が困難が少ない)ところに伊都國があったからだと思います。
>ボウヤですから分かり易い説明をお願いします。

お前さん〜ホント、倭人伝を何も知らないんだなwwwwwwwwwww
>>42さんのいうようにボウヤと言われても仕方ないわw
なんか、考古学ばかり勉強してるように見えるんですが、
まずは、文献から入ったらどうですか?
考古学→文献 ではなく、文献→考古学であり、まずは、文献を学ぶべきと思います。

57 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 00:06:10
>>55
>はあ?間違えてたにしろどっちにしろ死の事情を知ってたら記載するでしょ。論点ぐちゃぐちゃ
>ですがな?

素人の君には、チト難しい問題だったよねw

>>狗奴国と相攻撃しあったのは卑弥呼ではなく、親魏倭王壹與

>これも今まで聞いた中では最強レベルの異説ですよ。
>理解できる人はいないでしょう。詳しい説明をどうぞ。特になぜ魏が間違えたのかをじっくり。

君たちのレベルをもう少し上げてくれたら理解出来るんじゃね?wwww
素人丸分かりってやつだーwwww

58 :縄文人:2009/08/11(火) 00:10:36
>>56
文献の読み方を学びたいものですからお尋ねしている次第です。改めさん 大変詳しくご存知のようですから私の
52の質問にお答え下さいませんか。お願いします お代官さま。

59 :喇叭虫:2009/08/11(火) 00:10:48
>>57
・・・できないでしょ。あの碑石HPの年代を丸呑みして思いついただけなんでしょ。ほんとに
・・・この一連のレスをプリントしてあなたの会社の上司に送ってあげたいくらいでんがな。
張り切るのはいいけど、言ってることがムチャクチャですよ。プププーピー。(諦念の音色)

60 :縄文人:2009/08/11(火) 00:16:33
>>59
ほんと 碑石なんて後世の作り物だということは誰でも知っている筈なのにね。それにしてもひとを馬鹿にするのが
お好きな方ですね 改めとかいうお方は。

61 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 00:21:49
碑石で納得できないのは明日香村の『鬼の雪隠』に馬子って書いてあるらしいんだけど、
蘇我馬子って名前は後世に付けられた名前なのになんで碑石に
『馬子』って書かれてるんだって思う。

62 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 00:22:06
>>52>>58 縄文人さん
>一大國から海路末盧國に至り、末盧国から陸路伊都國に到っておりますが、貴方様は伊都國を何処に比定されますか?

ズバリ、伊都國=前原市デス。

>もし、現前原市辺りに比定されておられますならば
>一大國を壱岐として此処から前原市へ行くのには海路の方が便利です。
>末盧國から(夏の暑い盛りに)わざわざ陸路をとらねばならない理由がありましょうか?
>私は陸路でなければ行けない(陸路の方が困難が少ない)ところに伊都國があったからだと思います。
>ボウヤですから分かり易い説明をお願いします。

日本のいたるとこに現存する書類はみたことありますか?
わたしも書類名までは覚えてなくて、
今も昔も、半島から列島に行くまでの「航海」の相場は、対馬、壱岐、唐津と決まっています。

現在の航海は、巨大なモーター付きの大型船。
壱岐から博多まで、船の便はあるようですが、
当時は、手漕ぎの小さな船です。
はたして、限界難の荒波に耐えうるでしょうか。
しかも、倭人伝には頻繁に「半島⇔列島」を往復していたような記事があり、
いわば、半島と列島の唐津とがルートになっていたと考えています。
まあ、貴方の疑問の答えについては、私が忘れてしまった日本側の記録を、ご自分で探すしかありませんね。

63 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 00:26:09
>>62
確かに、奈良時代の鑑真の渡海は酷かったとあるね。
渡海の苦難で鑑真の目が見えなくなったとか

64 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 00:30:16
>>59
>・・・できないでしょ。あの碑石HPの年代を丸呑みして思いついただけなんでしょ。

いえ、いえ、丸呑みしてません(すべて信用してるわけではない)。
わたしの考えと、JINZO氏の考えが一致したところ。

・神武即位BC60年
・倭迹迹日百襲姫命、二世紀末没

この2点のみです。
あとは、信用してないというか。

>>60
>ほんと 碑石なんて後世の作り物だということは誰でも知っている筈なのにね。

じゃあ〜質問する。
その後世とはいつごろなの?答えれないでしょ?

>それにしてもひとを馬鹿にするのが
>お好きな方ですね 改めとかいうお方は。

いえ、いえ、馬鹿にしてませんが〜〜〜
ていうか、人に質問して、答えをお願いするワケだから〜
多少いわれても仕方なくないですか?w

65 :縄文人:2009/08/11(火) 00:32:28
>>62
あの お言葉を返して申し訳ありませんが、仮に壱岐から唐津まで舟で来たとしましても、それから波の荒い玄界灘
に出なくても糸島半島の入り江(現在とは違って昔は随分内陸(現在の)に入り込んでいました)に海岸沿いに来る
ことができたんですけど。

66 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 00:32:39
常々思っていたが鑑真って名前
中国人僧とは言え、音読みは
ガンジン
なんとなくインド人の名前っぽい

67 :喇叭虫:2009/08/11(火) 00:34:22
碑石・・・しかし科学知識ないよね。例えば金印の実物に何らかの処理をするなら、見えなかった
字が浮かび上がることも理論的にはありえるでしょが(まあ、ないけど)、写真をどう解析したって
写ってないものが浮かび上がることはないっしょ。ププー。暗い写真を明るくすれば、暗い
とこのものは見えるようになるけど、それは元々写ってるものだしね。プププピー。

68 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 00:38:49
>>65
わたしは、そんなルートで「半島⇔列島」を往復したという記録はみたことがない。
しかし、船で行こうと思えば行けたでしょう、しかし「記録」がないんですよ。

そして、倭人伝に書かれてるのは、魏の使いがただ単に来ただけではなく、
倭人の案内によって来てるわけです。

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里

倭人の案内について行ったら、そうなったんでしょう。

69 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 00:39:59
>>66
ガンジーのことw?
まぁ、シルクロードを渡ってきた人かも知れんね

70 :喇叭虫:2009/08/11(火) 00:42:02
「鑑真」は向こうの字は出ない(文字化けする)けど、発音はJian zh?n。しかもこれは本名では
なく法名でしょ。ププカピピカ。

71 :喇叭虫:2009/08/11(火) 00:45:20
発音記号も文字化けするんか。Jian zhenだね。今Wiki見たら「俗姓は淳于」とあっね。
プカプカプカ。

72 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:06:24
河童は叩く。出たら叩く。出鱈目河童は叩く。非国民河童を叩く。朝敵河童を叩く。
河童が出たら皆で叩く。俺も叩く。お前も叩く。一緒に叩く。あいつの言うことは全部出鱈目。

73 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 01:07:19
>>966 河童虫さん
>965県民さん
>>海を渡っていない
>やっと2ちゃんでそう言う人が出てきたことに喜びを感じます。
>末廬以降、女王国東渡まで海を渡っていません。
>同じ島の内部での出来事です。

だから、机の上でガタガタ言ってるだけと言われるんですよ。
わたしは、魏の使いが歩いたであろう、
唐津→浜玉202号線→前原市→福岡平野を歩いてきました。
そこで、松浦川というのをみつけ、かなり大きな川でした。
わたしの目でみたところ、松浦川と関門海峡は「同等」ぐらいにみえた。
畿内説の関門海峡横断に「海を渡るっていない 」を持ち出すのでしたら、
松浦川はどうなるの?て言いたくなる。
机の上で、地図ばかり眺めてばかりいるから、そんな疑問が出来てしまうのです。
わたしから言わせれば、ゴタクとしか思えません。

>>969
>何時から身体が不自由な人を見下すそんなに偉くなったんだ?
>もし俺や太国さんが、身体の不自由な障害者だったらそれは障害者への宣戦布告だな

見下してませんし、文句言う前に、グーグルアースで確認したらどうですか?
http://maps.google.co.jp/?promo=JP-HA




74 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:10:06
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。

お前も呪文を唱え
河童虫は出入りを跳ね返そう。

75 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:12:22
>>69-72

無意味なレス、人を中傷するレスはやめてな
なんか、荒れ気味なので、落ち↓

76 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:14:56
>>73
ほらお前ももっと河童を叩け。叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩き潰せ。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。
河童虫は出入り禁止。

77 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:21:24
>>74>>76
ここのスレは関係ない

それにこのスレは河童ではなく愛知県民氏のスレだろう
河童に文句あるならこっち行け
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1249819708/l50

78 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 01:31:01
>>77
河童をここから追い出す運動を実施している。協力してもらいたい。

79 :喇叭虫:2009/08/11(火) 01:50:41
>>78
どうすんだ?河童がきたら罵声をあびせるんか???しかし、ま、障害者うんぬんの話は、
客観的に見ても河童のレスは言いがかりだよな。プップクピー。

80 :縄文人:2009/08/11(火) 02:00:27
>>68
寝ていたのですが、孫が目を覚まして起こされたので、つい覗きました。
あの、記録がないとのことですが、唐津から前原市には陸路で行くものだという記録はあるのでしょうか?もちろん弥生時代の
話ですが。
ついでに伺いたいのですが、末盧國から伊都國は東南の方角と倭人伝には書かれていますが、唐津から前原市ですと東北東にな
ります。これはどういうことになっているのでござりまするか?お答え下さいませ お奉行さま。

81 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:01:18
>>79
あいつの言うことは全て出鱈目だ。100字書いたら100字全てが出鱈目だ。
そんな奴は叩かれて当然だ。そう思うだろ?

82 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:02:23
東南陸行だから東南に向かって歩き出すでいいだろ

83 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:10:41
>>82
お前は河童か?
河童が言ってることは全て出鱈目だ。心を入れ替え考えを改めろ。河童と同じこと言ってると叩かれるぞ。

84 :縄文人:2009/08/11(火) 02:15:33
>>82
もしかして、道標の方角論ですか?一本道なら最初の道標の方角でいいですが、道が枝分かれしていたらどうしますか?
そのたびに道標の方角を書かなければなりませんね。五百里の陸路(魏の公式の里であれば2百km余、その1/4としても
5十km余)です。一本道でしたか?

85 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:18:14
卑弥呼系スレではなく邪馬台国系スレのコテ紹介

サガミハラハラ
学生時代さがした邪馬台国+地名で国々を選ぶ

縄文人
奈良盆地は湖、邪馬台国九州説

Ghost of KHM
畿内王道説、言い方を変えるとワンパターンとも言うw

九州王朝大好き
あいかわらず九州王朝オンリーw

ローガン
自称考古学博士w  アハハ どいつもキャラ濃いねwwwwwwwwww

86 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 02:20:19
荒れてるけど、河童さんが何したの?

87 :縄文人:2009/08/11(火) 02:27:36
>>85
貴方様もお偉い方のようでござりまするな。自己紹介はなされないのでございますか?
でも、慣れない夜更かしは苦手だ。もう飽きたし、眠いから寝るとしよう。ほな。さいなら。

88 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 02:46:31
>>80 縄文人さん
>あの、記録がないとのことですが、唐津から前原市には陸路で行くものだという記録はあるのでしょうか?
>もちろん弥生時代の話ですが。

古墳時代に入りますが、通称魏志倭人伝というモノがあります。

>末盧國から伊都國は東南の方角と倭人伝には書かれていますが、
>唐津から前原市ですと東北東になります。

縄文人さんは分からなければ、「素直に人に聞く」という姿勢が良いですね。
分かりました、お答えしましょう!

魏志倭人伝というのは、大まかに分けて、
「行程記事」、「風俗記事」、「事件記事(外交)」の三つに分けられて記載されている。
この行程記事にある○○里というのは区間距離ではなく、国と国の国境が現れてるんです。
たとえば、「到其北岸狗邪韓國七千餘里」というのは、
出発点の郡から狗邪韓國の国境に差し掛かるまでが七千餘里。
伊都國に関しても同じことが言えます。

本題に入りますが、
<魏志倭人伝>
又渡一海「千餘里」至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人

東南陸行「五百里」到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚

まず、先の末盧國への着点ですが、唐津湾でもなければ呼子の先端でも無い。
ようは、佐賀県唐津市呼子町ではなく、佐賀県唐津市鎮西町加唐島ということです。
そして、伊都國の着点と思われる、福岡県筑前深江付近をほうに目をやると「東南」。

縄文人さんが議論に感じてる「東南ではない」という疑問、これで晴れたでしょうか?

89 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 02:53:28
>>80
あとは、ご自分で確認して下さい
http://maps.google.co.jp/?promo=JP-HA

もし、わたしのいう>>88のレスが間違ってるのなら、
魏志倭人伝の記述は「東南」ではなく、「東北」の書き間違えということになりましょう。

お役に立てたか分かりませんが、
どの説をとるかは、貴方しだいですし、否定してもらってもかまいません。

では、眠いので、私もそろそろ落ちます zzzzz・・・・・・!

90 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/11(火) 08:56:02
>>89
なら3回目の渡海は千余里ではなく三百余里ですね。
千余里と書かれていることと違ってきてしまいます。

前原からの逆算では同様の問題が残ります。

91 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/11(火) 09:20:03
>>49
私も似たような認識を持っています。つまり張政がやってきた時にはすでに壹與が新しく王になっており、
その経緯の更立男王や、更相誅殺當時殺千餘人は倭人からの伝聞情報。
卑弥呼の冢は見た(徑百餘歩)でしょうが、徇葬者奴婢百餘人は倭人からの伝聞情報。

倭人伝全体の記述から、張政たちが長い期間(1年とか)倭国にとどまったとは考えにくく、
おそらく邪馬台国に着いて壹與に会い、数日で戻っていったのではないかと考えています。

八年の「遣倭載斯烏越等」と遣わしたのが倭となっているのは、後で知ることとなったことですが
すでに卑弥呼が死んでいたために倭王と書かれていないのかも知れませんね。


92 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/11(火) 09:40:04
>>52
横からですが、私の説も書かせていただきますね。

私説は梯儁と張政のルートが異なるというもので、
国名などは梯儁ルート、つまり伊都国=前原から奴国=福岡、不彌国=宇美町を経て南下し、
投馬国=久留米、邪馬台国=筑後川下流域に到る。

里行程などは張政ルート、つまり末盧国から現国道323号の観音峠を越え古湯温泉あたりが南東500里の国、
更に南東100里で肥前国庁跡あたり。その東100里で邪馬台国の一部となっていた吉野ヶ里。

距離、方位、比定地、全てにおいて問題のない説です。
この説明で、伊都国=前原で問題ないことがお分かり頂けたでしょうか。

http://yamat-2007.blogspot.com/

93 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 10:01:33
>>92
どうでもいいが君は宣伝ばかりだね。

94 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 10:08:48
よって誰からも返信がない。

95 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 10:16:02
>距離、方位、比定地、全てにおいて問題のない説です。

投馬=久留米、邪馬台国=筑後川下流なら、
行程が日数ではなく里数で表示されると思いますが。
それに投馬まで水行20日も苦しいですね。
大体50000+70000戸が収まるとはとても思えません。

96 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 10:19:58
>>92
ここに居てもレスが付かない事ぐらい君も分かっただろうから、
スレを移動し河童にでも相手してもらいな。
半日ともたないだろがwww

97 :縄文人:2009/08/11(火) 11:01:51
改めさんから大変貴重な説を拝聴できて幸せの限りです。
「末盧国から伊都国へは陸路をとるべし」と書いてある文献は倭人伝なのですね。そしてそれは古墳時代の文献なのですね。
ということは、古墳とは弥生時代の古い墓(墳)という意味なんですね。

<まず、先の末盧國への着点ですが、唐津湾でもなければ呼子の先端でも無い。
ようは、佐賀県唐津市呼子町ではなく、佐賀県唐津市鎮西町加唐島ということです。
そして、伊都國の着点と思われる、福岡県筑前深江付近をほうに目をやると「東南」>
とのことですが、

加唐島から深江は東南に見えるでしょうが、加唐島は海の中にありますから、ここから唐津方面へ行くには海を渡らねばなりませんね。
何故その渡海のことが記されていないのでしょうか?面倒だったのでしょうか?。それとも、加唐島から陸路で伊都国へ歩いて行ったの
でしょうか?

いやあ、まことに独創的な説を拝聴できて感激しております。このご高説をコピーして神棚に捧げるとともに母校の歴史関係の教室に「
最重要史料」として送りましょう。もしかしたら、何かの賞の対象になるかも知れません。楽しみです。



98 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 13:29:20
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Fmenu01.html%23MOKJI&_gwt_noimg=1&hl=ja&source=m#MOKJI#MOKJI#MOKJI

携帯ページに変換されてるかもだけど、とりあえず魏志倭人伝を初め、他の漢籍書とかもここで読めるよ



でさ、九州説を唱えてる人も畿内説を唱えてる人も、とにかく魏志倭人伝の「原文」を、一度きちんと自分の目で読んで見て下さい
邪馬壹國ってのは「楽浪郡から、海岸線に添い南下し、帯方に『接している』所」にあったんだよ
魏志倭人伝や南史や北史にもハッキリそう書かれてるんだから、自分の目で見て見て下さい

つまり邪馬壹國があった場所は九州でも畿内でも無いよ


99 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 13:33:41
>>98
書かれてねえよ

100 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 13:38:22
これより先はもん太の、思い込み満載レポートです。

101 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 13:51:41
もん太は人の話全然聞かないところが問題だよな
河童なんかと比べると煽ったり悪口叩かないだけ良い奴だけど

102 :縄文人:2009/08/11(火) 13:52:40
>>98
うわ〜 また面白い人が面白い説を出していますね。
狗邪韓國から初めて海を渡って対海國に、そしてまた海を渡って一大國に、そしてまた海を渡って末盧國
に上陸したように読めますが、その末盧國は半島にあるのですね。

これはえらいことになりました。改めさんは末盧國の着点は加唐島だとおっしゃるし、なにがなんだか分
らなくなって来ました。誰か助けて下さい。お腹の皮のよじれがとれません。

103 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 13:56:45
>>102
そいつにかまうな。また13時間独演になっても知らんぞ。

104 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 14:00:34
ちなみに日本にかんしては漢籍書では「東南海の大海中の嶋に住む人は皆倭人と同種民族」と言う書き方をしてるよ

北史や南史では、魏とは東南大海の中の嶋にある朝廷で、倭人とはその魏朝の命で派遣されて他の土地を治めてた人とある
そもそも「魏」と「倭」ってのは、「委鬼=大きい方、元の方」と「人委=小さな方、下の方」と言う意味で、魏も倭も共に「日本、日本民族」を指してるんだよ
「魏志倭人伝」つまり「魏の志を伝える倭人」だよ


邪馬壹國なんて国をいくら日本国内に探しても見つかる分けないし、魏なんて朝廷をいくら中国で探しても見つかる訳無いんだよ

そもそも三国史伝自体が中国人の歴史を書いてる書物ではないよ
漢籍書に登場する民族がそれぞれ何民族を指してるのか、良く調べてみ?
日本人、マンチュリア人、モンゴル人、古代漢人(現在の中国人とは別の本物の古代漢人)、朝鮮人、、、

清朝廷が再建した満州国のいわゆる「五族」達の歴史が書かれてるのが漢籍書だよ
それに元々、魏志倭人伝を初めとした中国の24史てのは、
五族共和の理念の元にマンチュリア民族を中心として建国された満州国が纏めた満州国史なんだから
それをいまの中国が勝手に「中国4000年の歴史を伝えた書」と言ってるだけだよ



105 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 14:07:33
時間を短縮させるには河童が必要か?スレは半分失くなるけどなw

106 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 14:14:08
>>102
とりあえず自分の目できちんと見てきて下さいってば
魏志倭人伝に何て書いてあるのかをきちんと確かめて来て下さいってば

俺は嘘は付いてないよ
邪馬壹國の場所はハッキリと「帯方郡と接する」と書いてある

疑ったり批判する前に、自分で確認して見てきて下さいってば

あと何故、ハッキリと「帯方に接」と書かれてるにも関わらず、やれ九州だ畿内だって話になるのかその理由も教えて上げるよ
九州説やら畿内説やらを唱えた明治や昭和の学者いわく
「海を隔ててた場合でも海を概して国境は接してる訳だから『接』と書いてあっても、それは日本国の事と言える!」
とかそんな解釈からだよ
つか仮に、海を隔ててた場合にも「接」と言う字をあてると言う前提でも良いよ?
仮にそれを前提とした所でも、帯方と接する地が朝鮮半島南部(倭人が建国した百済や新羅のあった場所)である事は変わらないんだから




邪馬壹國のあった場所は、現在の日本の領土内じゃなく、かつて倭人が治めてた全ての領土の中から探してみるって言う頭が無い人には、一生邪馬壹國の場所なんて解る訳が無いんだよ

107 :喇叭虫:2009/08/11(火) 14:18:27
えっへへへ。もん太さんようこそおこしやした。あっしやあ、日本一の幇間を自称する喇叭
ってけちな野郎であんすがね、で、お大尽は邪馬台国は半島にあったってお考えで?
プクプップカプー。

108 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 14:32:02
>>99
おれ携帯だからコピペが出来ないよ
だから一度ちゃんと原文を読んでみて自分で確かめて見て下さい
俺は嘘は付いてないよ


で、何が言いたいかと言うと「倭人の治めてた邪馬壹國の場所を探すのなら、現在の日本の領土内で探すのではなく、きちんと『かつて倭人達が治めてた領土内』から探そう」って事だよ

北史、南史には倭人がどこまで統治してたのかとか詳しく書いてるよ
ちなみにその中には現在の九州も含まれてるから、別に九州を候補から排除する必要は無いよ
ただ現在の九州にはないけどね、あと九州ってのはかつて筑紫州含めた倭人の領地の9つの州を指してた言葉であって、かつては九州と言えば筑紫〜朝鮮半島南部の事だよ




つか「九州説」を唱えてる人はちょうどいいや
現在の日本では九州と言えば福岡、鹿児島、宮崎など九州地方を指す言葉(ちなみに筑紫嶋が九州地方と定められたのは廃藩置県の後)
まず九州九州言ってる人は、明治時代以前までは九州と言えばどの地域を表す言葉だったのかを調べてみ?


「邪馬壹國は現在の九州地方にあった!」と主張してるなら、漢籍書の内容と一致しない場所だから間違いだけど
「邪馬壹國はかつて九州と呼ばれてた地域の中の何処かにあった!」って意味で九州説を主張してるなら、間違いじゃないと思うよ
任那や加羅や日本府や百済や新羅や筑紫などの倭人が治めてた9つの州の総称が「九州」だしね


九州説を主張するぐらいなら、元々は九州て言えばどの地域を指してた言葉なのかぐらいしっておくべきだよ
「九州」「昔」で潜れば直ぐ解る話なんだし

109 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 14:34:14
野郎ども。河童を叩く準備はいいか?
昨夜の打ち合わせ通り、河童が登場したら息もさせないうちに叩いて叩いて叩き抜く。キャツをこかから必ず閉め出す。

110 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 14:39:52
>>107
俺の考え?
別に俺の考えじゃないぞ?
俺が邪馬壹國が朝鮮半島南部にあったと考えてる訳じゃないよ

魏志倭人伝や北史や南史などにハッキリと、邪馬壹國の場所は
「楽浪郡を海岸に添い南下し、帯方と境を接してる国」
と書いてあるから、「漢籍書にはそう書いてあるよ」って言ってるだけだよ


俺の言ってる事を否定したいなら、まず自分で魏志倭人伝や他の漢籍書の原文を見てきて下さい
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Fmenu01.html%23MOKJI&_gwt_noimg=1&hl=ja&source=m#MOKJI#MOKJI#MOKJI
こことかで見れる

で「帯方と境を接する(確か帯方だったはず。弁韓とかだったかも)」って、書いてなければ「そうは書いてない」って否定してくれればいいよ
漢籍書の原文開いて「接」で検索とかしてくれれば直ぐ解るよ


て、俺が自分で張れば良いんだけど、携帯だから無理なんすよ
だからよろしくお願いします

111 :喇叭虫:2009/08/11(火) 14:40:54
>>108
いよっお大尽、ご高説お盛んで何よりでげす。任那日本府も元九州の一つであると。いや
こりゃ一本取られたね。で、具体的には邪馬台国はどこなんでやすか。やつがれに教えて
くんなましょ。プピププププププ。

112 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 14:52:07
えっと確か魏志倭人伝に書かれてるのは
「韓は帯方の南にあり東西は海に囲まれ南は倭に接する」
だったかな?

ちなみに帯方=現在の平壌周辺
韓(漢、乾)=漢城=現在のソウルの漢名

てのは、理解出来るよね?
つかこれをまず受け入れられない人とかいます?
そもそも漢のあった場所は中国では無く長江(漢江)の流れる漢城(ソウル)の事だよ
ても、漢城にしろ漢の南の倭にしろ朝鮮人の事じゃないよ

朝鮮民族は李氏だよ
帯方や楽浪の北部にいた民族だよ

113 :喇叭虫:2009/08/11(火) 15:02:49
いよ、最高。これぞもん太節ってやつでげすね。ここまでは大きな間違いはおまへん。
漢城は漢水(漢江)の北側の土地の意味ですがな。偉い。しかし、李氏というのは、倭人伝からは
ずっと後代のことではおまへんか?プープー。

114 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 15:06:47
流れぶっちぎって申し訳ないですが畿内説の方はどういうルートで楽浪郡から邪馬台国まで
使者がやってきたとお考えでしょうか。古代出雲は楽浪郡と交流があったようですがそちらを
通ってやってきたのでしょうか

115 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 15:07:13
>>111
まず「倭」のあった場所は理解出来たかな?
これに関してはまず自分で魏志倭人伝や他の漢籍書の原文を一度ちゃんと見てきて、ちゃんと自分で理解して下さい

で、邪馬壹國の場所ですか?
んなもん「倭に邪馬壹國がある」って魏志倭人伝にも他の漢籍書にも書いてあるでしょ?


邪馬壹國は「倭」にあるんだよ
ただあなたが「倭のあった地域」を理解してないだけだよ


あと魏志倭人伝の「水行○○日」とか、これらの出発点は楽浪郡からだから
だから南東の大海中には日本があるって言う位置関係になるんだよ

あなたは多分、出発点すら知らないんじゃないですか?
もしかして中国を出発点としちゃってません?
その場合って中国のどの場合を出発点にしてるんですか?
日本が「東南海中の嶋」てことは、日本からは北西を見れば良いだけだよ


楽浪から東南の海中には在倭人(倭人達の在住、半島南部を治めてる倭人はどこから来たのかを書いてる)の嶋
楽浪から海岸線に沿って南下すれば帯方郡の南に漢城のある韓
その南には倭だよ


てか、いちいち俺に聞かなくても、自分でちゃんと見てくれば解るでしょ?
なんで聞くの?
原文とかを自分でちゃんと読んでみて下さいってば

それとも「いや、おれは魏志倭人伝の原文なんて見たくないんだ!」って人ですか?

116 :喇叭虫:2009/08/11(火) 15:12:35
>>115
いややトンデモおまへん。倭人伝の原文(その他の漢籍もほぼ全て)目がつぶれるほど読んで
まんがな。では、邪馬台国はその昔、伽耶または加羅と呼ばれた地域であったと?ププピ。

117 :醜の御楯:2009/08/11(火) 15:19:06
海征かば水漬く屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ。
この米国に端を発する未曾有の国難にあたり、征韓の意義を改めて考えねばなるまい。

118 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 15:23:37
俺が何を言ってるのか理解して欲しい

「俺様がこう言ってるんだぜ!お前ら信用したらどうだ!ぐわっはっは!」
って事を言いたい訳じゃ無いんすよ

「○○には○○と書かれてます。○○は○○と呼ばれてました。○○を調べれば解るので確認して見て下さい」
ってお願いしてるんだってば

例えば魏志倭人伝には漢の場所は「韓は帯方の南にあり東西が海、で、南は倭と接している」と書いてある

けど人によっては『「接」てのは海を隔ててても使う字だから、韓と接する南とは九州の事だ』って主張する人もいるよ
こういう反論をする人は、確かに俺とは漢文の解釈は違うけど、ちゃんと原文に何が書いてあるのかを自分で見てて理解してる人だってのが解る
だからそういう人とはちゃんと会話になるんだよ
ただ原文すら読んだ事すらなく「九州だ!畿内だ!」なんて事だけを主張してるだけの人ってのは話にならないんだよ
まずはちゃんと原文を見てみて、その漢文を自分なりに読んでみてよ
俺が聞きたいのは「魏志倭人伝のどの漢文をどう解釈したら、魏や漢が中国のどの地域の事で、どう解釈したら倭の場所が日本列島を指してて、どう解釈したら邪馬壹國の場所が九州やら畿内なんて事になるんですか?」
って事なんだから
それを説明出来ない人は、魏志倭人伝すらよんだ事も無いくせに勝手に畿内だ九州だ言ってるだけだってバレバレだよ


119 :醜の御楯:2009/08/11(火) 15:25:18
大君の醜の御楯と出で立つ我は。
もん太氏のいうことは極めて妥当だ。太古の昔から韓は神国日本の領土なり。いざこれを
再び回復せんことは、この閉塞感漂う現状において、国威発揚のためのただ一つの道である
のだ。

あ、守るも攻めるも鉄の〜♪

120 :縄文人:2009/08/11(火) 15:27:22
>>110
原文を見てみましたが、倭国が帯方郡と接しているという記述は見つかりませんでした。

『漢書』 卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬
樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云。【如淳曰:「如墨委面、在帶方東南萬里。」臣[王贊]曰:「倭是國名、
不謂用墨、故謂之委也。」師古曰:「如淳云『如墨委面』、蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反、今猶有倭國。魏略云
『倭在帶方東南大海中、依山島爲國、度海千里、復有國、皆倭種。』」】   

『後漢書』東夷傳
倭在韓東南大海中、依山嶋爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王
居邪馬臺國。

『三国志』東夷傳倭人条
倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行、歴
韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里、始度一海、千餘里至對馬國。

『晉書』四夷傳(東夷条)
倭人在帶方東南大海中、依山島爲國、地多山林、無良田、食海物。舊有百餘小國相接、至魏時、有三十國通好。

以上は念のため示したものです。ご自分でもう一度確認して下さい。そしてもう止めてくれませんか。

121 :喇叭虫:2009/08/11(火) 15:27:32
>原文すら読んだ事すらなく「九州だ!畿内だ!」なんて事だけを主張してるだけの人っ
  てのは話にならないんだよ。
く〜〜〜っ出ましたね。これは名言でやす。いよっ大統領!!!

122 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 15:30:38
>>120
おまいは知らんと思うが、もん太は人のレスなど読まない。そして、自分の都合でしかやめ
ない。常人とは違うのだよ。

123 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 15:36:03
>>116
読んでる(つか見てる)なら、俺は別にあなたが何を主張して、原文の内容から、どんな解釈をしてようがそれを否定するつもりは無いよ
(つかできりゃ○○の文は、○○と言う事が書いてある。見たいなお互いの解釈を言い合えりゃ良いね。俺も他人がどう解釈して読んでるのかとか参考にしたいし)


つか問題は原文すら読んで無い人だよ
そういう人に限って、一般に流布されてる単なる先入観だけは人一倍強いから話にならないんだよ
そういう人ってのは自分で調べて自分の考えを主張してる訳じゃなく
単に「だって○○学者もそう主張してるだろ!」とか「お前は学校でそう教わらなかったのか?」とか「世間ではそう言われてるからそうなんだよ」って事を言ってるだけなんだし
だから自分と違う主張は、それを確認したり調べたりする事もせずに即否定する


こんな人とは話しても意味無いんだよ
あなたも原文をちゃんと読んで考えてる人ならそう思うでしょ?

124 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 15:38:49
>>120
わりぃ
韓の場所を書いてる部分だったかも

「韓は帯方の南にあり東西は海で、南は倭と接してる」
とか書いてあったはず
あと魏志倭人伝より北史や南史が詳しく書いてあった気がするよ


125 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 15:45:38
>>124
「南與倭接」

韓域の南は倭とワンクッションおいた関係。

「與」=組し(ワンクッション)

「接」=AとBの相互関係

126 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 15:48:59
>>124
うろ覚えでよく人に原文読めとか言えるな(笑)

ミノムシ、巣に戻れよ
「ミノムシ、ハウス!」

127 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 15:50:22
>>120
ちなみに、それらの漢文を縄文人さんはどう解釈して読んでますか?

おれはさっき「漢籍書には倭人の在所(韓と南接してる倭国の倭人達がやってきたばしょ)は東南海の中と、倭人の在住を日本として書いてある」
みたいな事言ってたでしょ?

それがそれらの文だよ
んでそれら全て「倭人在」て書いてあるでしょ?

それらの文を「倭人の在所は日本と書いてる」って言ってたんだよ
で、倭の領土の明記は別に書いてあるはずだよ

携帯だからコピペ出来ないから申し訳ないけど、良かったら自分で調べて見て下さい
確か北史や南史には詳しく書いてあったと思う
魏志倭人伝には韓の場所を明記してる部分に倭の領土も明記してあったはず


あと書物によっては更に北部まで倭人が居たとの記述されてたりもしてたよ
時代の違いからなのか書物により倭の領土の明記も異なってたよ

ただしどの書物にも「倭人在」の場所は日本と書かれてるよ


128 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 15:54:58
ところでもん太君は、これまでカウンセリングやセラピーを受けたことがありますか?

129 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 16:03:00
>>125
興=ワンクッション

これはこれで河童さんの解釈だから否定するつもりはないよ


けど、俺の解釈はそうじゃないよ
まず「韓は帯方の南」この場所はソウル周辺でOKでしょ?

で「東西は海」てのも半島の地理見れば書かれてる通りじゃん?


でもさ、韓の領土は「南は海」では無いんだよね
て事は、韓てのは帯方より南全土(今で言う韓国領土)が韓だった訳じゃ無いんだよ


で、韓の南接した場所は俺は書いてあるまま「倭」だったんだって読んでるよ


興=ワンクッション だとしたら、河童さんは何があったと思ってるんです?


仮に「帯方→(南接)→韓→(南接)→ワンクッション→(南接)→倭」だとしても、まだ朝鮮半島の最南端まで到達してないしね

朝鮮半島は東西は海
で、南も海だから

「その南は海」って書かれてあって半島の最南端だよ


130 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 16:08:47
>>129

其北與樂浪

どうする。
帯方は解けちゃったの。



131 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 16:14:08
>>126
俺携帯だしさ
それに付いては謝りますよ

気になった事はいろいろ調べるけどその全てをメモしてたり暗記してたりしてる訳じゃ無いですよ
それは認めます


つかだからこそ、他人の意見や解釈も聞きたいと思ってるんだよ
「俺はアレを見て○○と書いてあると読み取ってた。けど他の人はどう読んでるんだろ?」
ってのは素直に知りたい部分だよ


漢文なんて主語も熟語も文法も句読点も改行も存在しないんだよ
よく句読点が打たれてたり改行されて原文が紹介されてるけど、あの句読点は本当の原文には書かれてない
ようはそこに句読点を打ってこう読むと解釈出来ますって解りやすく原文を紹介してるだけ


だから句読点とかの位置を自分なりに代えて読んでも良いんだよ
「いやここで区切れば○○って意味になるから、句読点を付けるとしたらそこじゃなくこっちで、その文の意味は本当は○○なんじゃ無いか?」
とかさ

まずはとりあえず自分で読んでみる事すよ


とりあえずどう読んだとしても、魏や呉なんていう名前の朝廷なんのは書かれてない事ぐらいは解ると思うし

132 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 16:30:53
>>130
つかそれ、どこの北が楽浪と書いてあるの?
その前後の漢文は?

例えば「帯方の興北が楽浪」との意味なら、「韓の興南が倭」ってのも、「韓の南は倭」って読めばいい事になるし


「韓の興北が楽浪」って事ならば、河童さんの言うように「興=ワンクッション」って意味なんだろうし
この場合のワンクッション(興)は「帯方」だろうね


けどその場合、「韓の興南は倭」ってのも同じように「韓の南は興(ワンクッション)で、その南には倭」となる

ちなみにこの「ワンクッション」ってのは海じゃないよ
「東西海」とあるように海と接してるなら海と書くだろうから
「東南海中、倭人在」
これは「倭」の地域を示した物では無く、倭人の在所(拠点みたいな)を表したもの(てか解釈が違う人もいるかもだけど、まあ一つの解釈として)


海の向こうにある場合、、つか特に日本ってのは「嶋」だから、筑紫嶋や本州を示す場合には「○方面の海の中(の嶋)には」って言う書き方をされてるんだと思うよ
ちなみに帯方郡から見て東南海中の嶋は本州だね
もし筑紫を現そうとしたら、朝鮮半島際南部から見た場合に「南海中の嶋」と書けば筑紫嶋の事と思うよ(まあ斎州嶋もあるけど)




133 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 16:39:37
>>132

馬韓在西、有五十四國、其北與樂浪、南與倭接

Res 入れたのが間違い。

134 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 16:47:12
>>129もん太君

「與」は海

韓域と倭域は、海がワンクッション入り「接」だから
南與倭接と書かれたんだよ

つまり
韓の東西は海、南も海

そう書いてあるんだよ

135 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 16:48:04
與というのは、「と」と訳せば大体うまくいく。
たとえば、
「馬韓在西、有五十四國、其北與樂浪、南與倭接 」の場合は、
馬韓は西にあり五十四カ国を有す。その北は楽浪と、南は倭と接す。となる。

136 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 16:49:39
で、俺は斎州嶋や百済や新羅の建国神話などで「海の中から来た神様が建国した」と伝えられてる事や
記紀に神功皇后が筑紫を治めたあと、更に韓国に渡りその地を治め「屯宮」としてた記述や、
同じく記紀に「大国主から国譲りを受けた。んで三人の天孫(日向三代)が国造りの為に乾国(韓国)の祖父里(ソウル)に降り立った」との記述などから
日本からの氏族達が朝鮮半島に渡りその土地を治めてた事を読み取れる


これは魏志倭人伝などにある
「倭国は韓の南、その倭人の在所は東南海の中」
って記述となんら矛盾して無い記述にしか見えないし

例えば朝鮮半島南部にあった百済や新羅を建国した王てのは、どの民族なのかを考えて見るべきだよ
百済や新羅や斎州嶋に伝わる建国神話には海の中から来た神が建国し、開拓し水田や麻などの農耕技術を伝えたと書いてある
魏志倭人伝にも「倭人在、東南海中。韓の南は倭」と書いてある
魏志倭人伝の「○人在」て書き方は「倭人在」としてしか使われてない書き方


これは「倭国在」との意味では無いと思うよ

137 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 17:08:49
私“と”貴方


私(空間)貴方

つまりこの空間が、與(ワンクッション)
両者の間には、必ず何か異質なモノが介入する

138 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 17:10:51
「倭人在」ってのは書いてある通り、東南海中の嶋て解釈で良いと思うよ
ただこれは「倭在」でも「倭国在」でもなく、あくまでも「倭人在」だよ
俺はこれを「倭国の場所は東南海の中」って解釈して「倭は日本の事だ」って解釈でも良いと思うよ
ただそう解釈した場合にも「韓の南は倭」とも書いてある以上、韓南部も倭と解釈すべきじゃないのかな?
魏志倭人伝には「韓南が倭」としかないけど他の漢籍所には韓南だけに留まらず、帯方や満州の方にまで倭人が居たって言う記述もあるんだよ」
「韓の南が倭」と書いてあるのに「朝鮮半島南部は倭では無い。倭が表す地域は日本列島内だけだ」と解釈してる人がいたら、どう解釈すりゃそうなるのかがむしろ知りたいよ



邪馬壹國を探す場合は、日本列島内だけでなく、ちゃんと「倭の領地内」から探すべきだと思うよ
てかそうやって探したら弥烏邪馬國とか、簡単に見つかったよ
百済や新羅って国が、百済や新羅の建国神話にあるように、海の中の神が建国した国だってそのまま受け取れば、百済や新羅の王や女王ってのは倭人なんだよ


つかそもそも百済王や新羅王が朝鮮民族だなんて書かれてる記述なんて何処にも無いのに、まず勝手に百済王や新羅女王を朝鮮人と決めつける方がオカシイ

朝鮮民族が朝鮮半島に住み着いたのは李氏(明)が半島を統治してからだよ
ちなみに朝鮮民族の李氏朝鮮や李氏大将軍が率いた明の事も漢籍書にも書かれてる
百済や新羅や漢じゃなく、あれが朝鮮人の朝廷だよ
(ちなみに明てのは中国の朝廷じゃなく、李氏朝廷の事。この明は秀吉と戦った明と同じ朝廷で、後に清(マンチュリ朝廷)に滅ぼされたよ)



139 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 17:13:37
韓伝に書かれている韓域は、だいたい現在の大韓民国の領域だと考えていい。

140 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 17:21:01
>>137
河童さん、漢字の辞書とか持ってるでしょ?
そんな難しい意味が本当にあるのか無いのか知らないけど、「興」ってのはそのまま普通によめば「おこす」て意味なだけだよ



まず河童さんの難しい解釈は置いといて普通に読んでみましょうよ
普通に読めば「韓の南に倭が興こる」てだけだよ



けど河童さんは「この場合の『興』はそういう意味じゃない!」っていう、「興す」と読む事を否定する何らかの理由があって言ってる訳でしょ?

まず「興」を「興す」の意味で解釈しては行けない理由は何ですか?
その説明があって初めて「だから興てのは○○って意味だ」ってきちんと説明して欲しいよ



141 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 17:24:19
>>138もん太君

>韓の南も倭

そんな事何処にも書いてない。
勝手に書いてあると誤認識しているから、話しが先に進まないんだ。

書いてないものは書いてない。

142 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 17:34:24
>>140もん太君


「興」ではなく

「與」
現在は、「与」と書いてしようしているよ

143 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 17:39:08
>>139
まあその解釈を俺は否定する積もりは無いですよ
例えばある時代はそうだったかもしれないし、またある時代は範囲や統治者が違うかも知れない
ただ要は「現在存在する国々や民族や国家などの範囲や領地や呼称は永久不変、ずっと以前からそのままの形だ」って意味でもし言ってるならそれは違うと思うよ
例えば日本に関して言っても、沖縄や北海道など昔は日本じゃなかったよ
かと思えばカラフトってのは昔の日本の領土だったよ


記紀に神功皇后が筑紫を統治した後に韓国に兵を送り治め、百済を海の向こうの屯宮としてたとある
百済や新羅の建国神話に海の中から来た神が建国したとある
魏志倭人伝に韓の南が倭とある


「韓国南部は本来は日本人の領土だ!」なんて言いたい訳じゃないよ
それ言ったらそもそも数十年前までは実際に朝鮮半島全域は日本が統治してた日本の領土だった訳だし


俺が言いたいのはかつては倭人や日本が統治してた時代もあるでしょ? ってだけ
だから邪馬壹國を探すにしても現在の日本の領土だけではなく、かつては日本が治めてた地(もしくはそれが明記されてたりそういい伝わる地や記述が残る地)なども含めて探さなきゃって話だよ
例えばカラフトだってかつては日本だったんだから、ここも含めるべきだよ


てか、なぜ朝鮮半島南部を倭人が統治してたって事をそんなに否定したがるのか解らん


歴史上、朝鮮半島が日本の領土だった時代なんて無かったと思ってますか?
たかだか数十年前にも朝鮮半島全域は日本でしたよ
カラフトだって台湾だって日本だったよ


144 :縄文人:2009/08/11(火) 17:48:24
>>140 >>142
河童虫さんの勝ち!


145 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 17:48:34
もん太君は致命的なミスをおかしてしまった。

これまでの半島に対するもん太君の認識は
「與」を「興」とずっと誤認しながら思考していたわけだ
今こうして誤認識を確認した以上、今までの思考は全てリセットされる。

わかるよね?

146 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 18:01:57
>>142
わかりずかいから日本語で説明して

「むらおこし」とかの「おこす」
これは違う言い方すればそこに新たな「むらがあたえられた」訳でしょ?
いきなり「与」って言う漢字を出すのはオカシイと思うけど、似たような漢字はだいたい似た意味が含まれてるんだよ
全く別の意味にはならないよ

辺や造りなどを共有してる字てのは同じような意味だよ
雨爾邇儒襾巫雷雹雪霰
これらも何となく意味は解るでしょ?


あと漢字てのは複数の意味があったりもするよ
つか「ワンクッション置いてって意味」って言ってみたり「与って意味」って言ってみたり、良く解んないですよ


つまりは「倭人が朝鮮半島南を統治してたなんて解釈をするな」って言いたいだけですか?


けど別に実際に魏志倭人伝の文からはそういう解釈も出来るでしょ?
もちろんそれと違う解釈が出来る事も俺は認めてるつもりだし

147 :縄文人:2009/08/11(火) 18:08:18
もん太さん
貴方が北史や南史を見てみろみたいなことをおっしゃったので見たのですが。

倭國在百濟新羅東南水陸三千里於大海中依山島而居魏時譯通中國三十餘國

北史には上記のように倭国は百済や新羅の東南で水行陸行で三千里の大海の中の山の島に在る
と書かれていますね。半島南部に倭人が住んでいたことを私も認めますが、貴方のおっしゃる
ことは極端で受け入れにくいところが多いです。すんません。


148 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 18:14:54
>>145
そんなのは俺には大した問題じゃないよ
そもそも携帯だから、難しい漢字書かれてもこっちは読み方か解らないと変換出来ないよ

けどさ漢字って、面倒くさいから似た漢字書いとけば何を言いたいのかって言うか書きたい意味は理解出来るでしょ?
神功皇后も俺「功」の変換の仕方とか知らなかった時は「神巧皇后」て書いてたよ
けどそれで神功皇后て伝わるんだからそれで良いんだよ
で、河童さんは興と「●(変換の仕方が解らん)」は字が違うって言ってるだけじゃん

国と國と圀と邑だって字は違うよ
厳密に言えば意味も違うかもしれない
けど部首や読みが同じの漢字はだいたい同じような意味だよ



むしろ河童さん見たいに漢字の意味に「ワンクッション置いて」とか言うような意味で解釈をする事はなんかおかしいと思うし

「接」ってのには「海を隔てた対岸にある関係の場合も含まれる」
とかいう意味付けして「だから韓の南接の倭とは九州だ」とか言ってる人もいたけど、同じような違和感かんじる

仮にそういう意味が含まれてたとしても良いんだけど、だからと言って「だから接した地ではない」って事にはならないんだよな




149 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 18:20:48
もん太君、横からなんだが。
「興」と「與」は別の字で、「與」の新字体が「与」なんだ。
いま問題になってる「倭と接す」で出てくるのは「與=与」の方で、「興」ではないんだ。
似ているけど別の字だからね。
與は旧字体だから、携帯だと出ないかもしれない。
そのときは、与と書いておけばいいんだよ。
漢字は間違ったけど、韓半島の南で、韓と倭が接していたのは間違いないからね。
では、仕切りなおして、頑張れ。

150 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 18:26:27

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo023.jpg
これは福岡県のスダレ遺跡から出土した弥生時代の壺です(高さ約40cm)。
その形状から子持ち壺と呼ばれているものですが、用途は不明とされているそうです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo031.jpg
これは古代の南インドの墓から出土したもので、楽器を模した土器です。
副葬品として墓に埋めていたものらしい。大きさはおよそ40cmで、
上の福岡県から出土したものとほぼ同じ大きさです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo011.jpg
これは南インドで今でも実際に祭りで使われている楽器(太鼓の一種)で、
大きさは高さが110cmあるということです。この楽器の存在がなければ、
上に挙げた日本の子持ち壺が楽器か、あるいはそれを模したものであろうと
いうことは判明しなかったと云えます。


151 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 18:29:01
>>147
俺と全く違う読み方してるでしょ?

倭国在として「まず百済と新羅の水陸三千里。及び大海の中にある嶋の魏の或中つ国の30国(これが筑紫かな?)」て読んでるよ


そもそも「百済や新羅の東南で、、」なんて言い方しないでしょ?
「百済の東南」とか「新羅の北東」とかならわかるけど

その文に書いてあるのが要は倭国の範囲でしょ?
そこに上がってる地域が「倭」だよ(時代により範囲の変動はあるだろうけど)


152 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 18:38:45
>>147
まずさ「倭人在」は何て書いてあって、それを何処って解釈してたのか自分で覚えてます?
「帯方東南海中」で、「帯方の東南の海の中」でしょ?
これは俺も縄文さんも同じ解釈だったでしょ?


で、今度は「倭国在」すよ
ここには2つ範囲が書かれてるでしょ?
まずは「百済新羅東南水陸三千里」
それと「大海中に至島の、、」って奴

縄文さんの言うような「百済や新羅の東南海中の嶋」なんて事は書かれて無いよ


153 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 18:41:32
>>114
畿内説だが使者は邪馬台国まで来てない説をとります。
でもやってきたとすれば、瀬戸内ルートじゃないかな?
でも若狭から琵琶湖経由も考えられるでしょう。

154 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 19:00:08
「百済東南大海中の嶋」を「日本だ」と読むのは解る

「倭人在、帯方東南大海中の嶋」てのは俺も「帯方(半島中北部)から見て南東の海の中にある嶋」って読んでますよ


で、縄文さんが書いてくれたけと倭国の範囲はちゃんと書いてあるの
「倭国在百済新羅東南水陸三千里」


これをまず「百済や新羅からみて」って読み方をされると俺は違和感ある
「東南水陸三千里」に居たっては範囲が書いてあるだけで、どう読めば大海中にある日本となるのかが俺には解らないですよ
って、こんな言い方だと俺も他人を否定してるだけになっちゃうね
つか別に「大海中の嶋の」ともあるから、俺も倭国在には日本も含まれてるって読み方をしてるよ

この文から「倭国の在は日本(もしくは日本の何処か)」て解釈は同じなんすよね


ただ俺はそれプラス「新羅百済東南水陸三千里」も倭国と読んでるよ
他の人は実際「百済新羅〜」をなんて読んでますか?

155 :縄文人:2009/08/11(火) 19:04:30
>>152
郡から狗邪韓国に至るまでの半島に後に(24史が書かれた時期に)百済、新羅と呼ばれる國があって、
その百済、新羅から東南の海中に倭国がある ということで問題はありません。

156 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 19:20:01
>>155
俺は「倭国に日本は含まれない」って「倭国在=日本」とする読み方を否定してる訳じゃないすよ

ずっーーっと言って来てるように「なぜ倭の範囲を現在の日本の領土内だけに限定してるの?」って事を言ってるんですよ


「倭国在、百済新羅東南水陸三千里」ですよ
これが日本ですか?

大海中の嶋ても書いてあるのは「大海中の嶋にある魏の中つ国の三十国」ですよ


つかあとついでだけど、これ読むと魏は中国の朝廷じゃなく日本の中にあるでしょ?
だから魏は中国の朝廷じゃ無いですよ
つかマジで変な先入観とかを一旦捨てて普通に自分なりに読んで見て欲しい


あと百済や新羅の場所に付いては「朝鮮半島南部」て同じ解釈してますよね?
縄文さんはこれらの王を「朝鮮人」と解釈してませんか?
漢籍書のどこにもそんな事は書いて無いですよね?
ちなみに明や李氏朝鮮に関しては統治者は朝鮮人て事が書いてあるの解りますか?
百済や新羅は海から来た神が建国してるんですよ?
これが朝鮮人なんですか?
記紀にある神功皇后の話とかは嘘って言いたいんですか?

157 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 19:28:46
けど縄文さんが漢籍書の自分なりの読み方を示してくれて有り難いです

漢文てのは読み手により色んな解釈が出来てしまう文だから、実際には俺には縄文さんの解釈が違うと否定は出来ないんですよ
もちろん俺も「大海中の嶋、、」て部分は縄文さんと同じように日本(ちなみに俺は日本の中の魏と呼ばれる一部の地域と解釈してます)と解釈してます

ここは同じ解釈が出来てるんだと思うよ


ただ「百済新羅東南水陸三千里」を俺は日本とは読んで無いですよ

「百済と新羅。朝鮮半島東南の水陸三千里の範囲」って読み方してます
だって百済の東南は海であって、陸なんて無いですから

日本は「嶋」ですよ
大海中にある嶋が日本だと思います


158 :喇叭虫:2009/08/11(火) 19:33:09
>日本は「嶋」ですよ
大海中にある嶋が日本だと思います。

いよっ最高だね。ここまでの結論がこれでやんすか。日本は大海中の嶋。だれもここまで
長レスして、これを結論付けた人はいないでやしょうね。プカドンドン。


159 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 19:33:44
>>149

ちくらっぽ教えちゃだめだよ
半島内で倭と接してなんかいない。

「南與倭接」
「居所絶島」

倭人の居は對海國で絶える。

160 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 19:35:16
もん太さんて、電気バチバチってやつとか、催眠術とか受けたことありますか?

161 :縄文人:2009/08/11(火) 19:36:40
もん太さん

魏時譯通中國三十餘國 を 魏の中つ國の三十國 と解釈されるわけですね。
だけど、それじゃ 魏時譯通 はどうなるのですか? 仮に中國を中つ國としても 魏の時代に
通交する中つ國は30國 と解釈するべきでしょう。魏が中国の國ではないなんて何処にも書いて
ありません。そろそろ冗談はやめにしましょう。

162 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 19:39:17
[魏志倭人伝]
韓は帯方の南にあり東西は海、南は倭と接している

[北史]
倭国在、百済新羅東西水陸三千里

[記紀]
神功皇后はその土地を酷く気に入り海の向こうにある屯宮と呼んでいた


他にも探せばまだたくさんあるけど、俺が言いたいのは「朝鮮人ども!朝鮮半島は我々日本人が統治してた土地だ!ガーッハッハッ!」て事じゃないすよ

そんな気持ちは一切無い。俺は右翼でも左翼でもない
ただ純粋に本当の歴史を認識したいってだけだよ

数十年前には日本は沖縄や北海道に続いて朝鮮をも日本に統合して、朝鮮半島は日本だった
これは日本人としては悪い事を認めなきゃいけない嫌な歴史なのかも知れない
ただそれは事実なんだからちゃんと認めるべきだろうし

163 :喇叭虫:2009/08/11(火) 19:40:18
縄文人さん、彼は冗談を言ってるのではありません。

164 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 19:47:29
>>161
縄文さんは「中国」を今の中国と読んでるんですか?
中華人民共和国が建国されたのはたかだか60年前
中華民国の方だとしてもたかだか100年前です
イザナミイザナキは中国に降り立ちましたよ
これもしかして中国だと思ってます?
今、中国って呼んでる場所は「シナ」って呼ばれてたんですよ
英語でももちろんCHINA(シナ)だし、インドからも「シーナ」だし
そもそもシナを「中国」なんて呼び方に変えたのは戦後の日本と韓国だけですよ

つかここから説明しなきゃダメなんですか?

165 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 19:52:34
>>148

国と国は「接し」はあるけど「接す」は、プレート移動でもしない限りありえない。

モノと国を一緒に考えちゃだめだよ


「接」=AとBの相互関係
陸の国境は、自然とくっつくわけじゃなく
人為的に境を引く事によって発生するから、「接す」という日本語の動詞の意味はなく、人為的に引かれた境によって二国は「接し」
この場合、倭と韓の間で線引きを記す文がない限り、「接し」は使えない。

だから「南與倭接」の「接」は関係と訳し、意味解釈は 「隣」

韓と倭は、海の塀を挟んでお隣さん。

166 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 19:54:13
縄文さんは恐らく中華民国と中華人民共和国の違いも理解出来て無いんじゃ無いんですか?
その違いは解りますか?
明や魏や漢て別に中国の朝廷じゃないですよ

シナにあった朝廷としては
明=朝鮮民族、朝鮮語、ハングル文字+漢字ハングル混じり文字、李氏
元=モンゴル民族、モンゴル語、モンゴル文字、パーン氏
清=マンジュリ民族、マンダリン語、真女文字、ヌルハチ氏


大陸の歴史ってのも良く調べた方が良いですよ
今の中国が勝手にモンゴル人の皇帝やマンジュリ族の朝廷を「中国4000年の歴史」って言ってるだけですよ

167 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:06:05
>>165
だからその「海を挟んで」ってのも俺は別に否定しないすてば
ただ海を挟まなくても北接には楽浪と書く訳でしょ?
俺は別に「倭=日本」てのは否定して無いでしょ?
むしろ「俺もそう解釈してる」って言ってるじゃん


ただ範囲の話をしてるんですよ
「韓接南倭」ですっけ?

朝鮮半島南部と解釈した場合、河童さんは「そうは読まない」と言えますか?
別に「接」に海の向こうまで含んでもいいんですよ
ただそれを「陸地では接していない」って読んで朝鮮半島南部を排除してるとしたらオカシナ話だと思うって事ですよ


河童さんは「この場合の接は陸地で接してないと読め」って言ってるんですよ?
それは解ってますか?

168 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 20:11:12
>>165もん太君

「シナ」を中国と読んでいるのが、今の日本と韓国なら中国でいいじゃん
日本の掲示板なんだから
中国でOKだろ?

169 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:15:00
俺は「韓と接した南部とあるから朝鮮半島南部も含まれるよ」って言ってるだけ
それに関しては河童さんは「この接をそのまま読むな。接して無いと読んで接してると言う解釈をするな」と言って来る

例えば「東京興埼玉接」「東京与埼玉接」どっちでも良いけど、こうあれば何て読みますか?
これに対して「東京と埼玉が陸地で接してると言う読み方をするのは間違いだ!」って言必死で言ってる奴がいたら可笑しいと思わない?
別に漢文なんて文法も何も無いんだからそうとも読めるんだよ?


170 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:17:42
>>168
「戦後の日本と韓国だけ」ね

つまり戦前までの書物、あるいは中華民国以前の書物に「中国」とあれば、それは今の中国の事じゃないですよって事
その時代にはシナは何処からも中国なんて呼び方されて無いですから



171 :縄文人:2009/08/11(火) 20:22:08
もん太さん
私は大陸(現中華人民共和国の凡その地域)の正式名称として古代から中国が使われたとは言っておりません。秦、漢、魏、呉、蜀、
晋、隋、唐などと王朝の名で呼ばれたことも知っています。ただ、詩経に中国の文字が現れ、孔子などにより文化的中心地を示す言葉
として、自国を中国と呼ぶことも行われていました。魏(晋の陳寿の時代に)が自国の美称として中国という言葉を使った可能性もあ
るのではないでしょうか。ありませんか?

172 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 20:23:24
>>167

たぶん文に対する読解力の差だと思う

「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接」

では聞くが
韓と倭の間には何があるのかな?
直接線引きだったら「與」は使わねえぞ
君は「興」だから直接なのかも知れんが、與だ

楽浪とは接じゃないぞ
間に帯方があるから「與」

173 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:25:33
つか河童さんも変な意地張らずに「韓の南の朝鮮半島とも解釈する事も出来る」ってのぐらいは、認めてくれりゃいいのに
その上で「けどこの場合は○○だから、韓国南部を指してる訳じゃない」って言い方すりゃまだ説得力あんのに


つかさ漢字辞書とか持ってるんでしょ?
河童さんにこんな事いいたかないけど、とりあえず「接」の意味を調べて見てよ
で、そこになんて書いてあるのか教えてよ


とりあえずもうさ理屈は良いから、漢字の意味を調べる所から始めようよ
俺も「接」の意味から調べ治して読み直してみるからさ

174 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 20:36:57
>>173

漢和事典なら目をつぶってもだいたいの頁がめくれるくらい読んでるよ
愛読書が漢和事典だよ

175 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/11(火) 20:38:24
改めさんへ 墓標の読み方

>神倭伊波禮毘古命81)(神日本磐余彦天皇=初代神武天皇68))の墓碑が、画像解析によって「丙子年三月十一日御年六十三歳」と得られ、
系譜からみて生存年代はBC107〜45年に比定59)されている。

「丙子年三月十一日御年六十三歳」 丙子年は、皇暦です。
皇暦は圧縮されないと信用できない。

皇暦と古事記暦の二重基準で考えましょう。

>「韓の南の朝鮮半島とも解釈する事も出来る」
河童さんの言う通り 半島内は論外。



176 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:38:36
>>172
つかさもういい
自分で調べたよ
http://fileseek.net/search_kanji_word.cgi?word=%e7%d0
とりあえず携帯辞書サイトだから見れるかどうか解らないけど

與[ヨ]でしょ?
あたえる、たくす、あずける
ただ漢字の意味としては興や輿と同じく「興る」「生じる」「因果」などの意味も含まれてるよ


ちなみに「與」にも「輿」にも「興」にも「与」にも「与の字が含まれるその他の漢字」にも
河童さんの主張してた「ワンクッション置いて」なんて意味は書いて無かったよ

河童さんの言う「ワンクッション置いて」なんて意味は、どの辞書に書かれてたんすか?


あとやっぱ「接」もいちいち調べた方が良いですか?

177 :喇叭虫:2009/08/11(火) 20:41:03
2から3世紀当時の半島南部は、弁韓と呼ばれる地域は実は多くの小国に分かれていて、
その中では金海市付近の金官伽耶(駕洛国)が最も大きな勢力を持ち、これを盟主とした
同盟的なものが形成され、新羅(斯盧国)を中心とする辰韓と争っていたはずでやんす。
つまり、この同盟は倭に近く、新羅(辰韓)に遠い。そこで、倭人伝の記述が出てきていると
あっしは解釈しているんですがね。言葉はかなり違ったはずでやんすよ。プププピー。

178 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 20:41:24
>>169

「東京與埼玉接」

無理矢理なら「與」は 「荒川」だよ

しかし、これは有り得ない設定だ


例文がお粗末過ぎて話しにならない。

179 :喇叭虫:2009/08/11(火) 20:47:03
だから、「與」の意味には、与(くみ)する、同盟を結ぶという意味が含まれてるってことだと
思うんでやんすがねー。プププ。

180 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:49:07
>>178
與の漢字の意味を「ワンクッション置いて」なんて意味としてるからそうなるんだよ


俺みたいに「與」の漢字の意味を調べなおしてきた方がいいよ

與も興も輿も、与えるとか授けるとか生じるとか言う意味の漢字だよ
嘘だと思うなら調べて来てみなよ
「ワンクッション置いて」なんて意味だなんとどの辞書に書いてあったんですか?まじで?
本気でそう思ってるなら、河童さんは間違って漢字の意味を覚えちゃってるんだよ


あずける、さずける、さずかる、生じる、判定する、、など複数の意味が含まれるよ
「ワンクッション置いて」なんて意味の漢字じゃないよ



マジで調べてきてみ?
俺が言ってる事が間違ってるなら、河童さんに土下座して謝っても良いよ


こんなの「與」の意味を調べるだけで確認できる事だからマジで調べて来なよ

181 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/11(火) 20:51:04
黄幢を仮綬する、とは、倭国内に軍隊を認めた事になる。
半島内は、帯方郡の属国であり、軍は帯方軍の旗下にはいる。

半島内に独立軍を認めたら、公孫氏の二の舞い に成るかも。


182 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 20:56:31
ちなみに「接」の意味はもう良いでしょ?
せっするとかくっつくとかせっちとか、そういう意味だよ

反対語は隔てるとか離とかだよ
基本的には間に海があれば「隔て」だよ
ただ別に海を隔ててたら接と言う字は絶対に使わないとも思わない
それは使う人の自由なんだし
海で接しているという意味で接と書いてる可能性だってあるんだし

ただ陸地で接してても「接」と書くよ
だから接とあれば接した陸地と読んでも間違いじゃないよ
それを間違いとか言ってる人は漢字の意味から調べて直して来た方がいいよ



とりあえず河童さんは一から漢字の意味を調べ直すべき
今日は訳わからない事しか言ってない

183 :喇叭虫:2009/08/11(火) 20:56:52
もん太お大尽がお好きな漢籍にも「桓公知天下諸侯多與己也(桓公は天下の多くの諸侯が
己につき従うのを知る)」とかあって、これは動詞なんだけど、接続詞とした場合でも意味は
失われないと思うんでやんすがね。ププ。

184 :喇叭虫:2009/08/11(火) 20:58:02
>とりあえず河童さんは一から漢字の意味を調べ直すべき
  今日は訳わからない事しか言ってない。

いつものことでやんすよ。プッップクピ。

185 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:07:02
>>180

>あずける、さずける、さずかる、生じる、判定する、、など複数の意味が含まれるよ
「ワンクッション置いて」なんて意味の漢字じゃないよ

だから、それらの全てに共通する意味が「ワンクッション」(〜と)という接続詞

間違って覚えたのではなく、学習したの
覚えたのは君たち。


186 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:10:10
>>182

>ちなみに「接」の意味はもう良いでしょ?
せっするとかくっつくとかせっちとか、そういう意味だよ

反対語は隔てるとか離とかだよ
基本的には間に海があれば「隔て」だよ


それが君が大っきらいな「なんとかの一つ覚え」




187 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 21:15:01
>>184
いや普段はまともな人
縄文人さんも今日話してみてまともな人だと思った


つか俺は単に漢文の原文から「これ○○とも読めるけど、他にどんな解釈されてたりする?」とかさ、自分一人であれこれ調べたりするよりかは、一緒にいろいろ考えられればそっちが良いと思ってるだけなんだよ

だからイチイチしつこく「調べて見てよ」とか「とう解釈してるの?」って聞くんだよ




188 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 21:28:55
>>185
つかもうイチイチ、先入観で頭がカチカチの河童さんの意見を教えてくれなんて言って無いよ
河童さんの主張なんて河童さんが勝手に言ってるだけなんだからどうでもいい

それともまだその下らない先入観まるだしの主張を他人に押し付けたいですか?



俺は河童さんは漢字の意味を調べ直す所から一からやって見て下さいって言ってるだけだよ
河童さんが調べなきゃ別に自分で漢字の意味ぐらい調べるから良いしさ

河童さんがいくら「○○の字の意味は○○だ」なんて言った所で俺は一切信用しないよ
んな河童さんの言う事を信用する訳無いでしょ
漢字の意味ぐらいもう自分で調べるから良いよ
河童さんの主張なんて信用出来ないから與も接ももう調べたよ
調べてみて解った事がやっぱ河童さんの主張は信用すべきじゃ無いって事


漢字の意味さえ解ればあとはそれをどう解釈するかだけだしさ
これは複数の解釈が出来る訳だし
ちなみに河童さんの解釈や意見は何も参考にはならない
自分の考えの正統性を一生主張しつづけてりゃいいじゃん

あたまカチカチなんだから

189 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:32:53
>>187

>だからイチイチしつこく「調べて見てよ」とか「とう解釈してるの?」って聞くんだよ

だからレスをこうして付けて、自分の持ちネタを出しているんだよ
それとも何かい?
調べれば必ず辿り着けるネタのほうがよかったかい?

欲しいネタは、どうしても調べられないネタじゃなかったのかい?
そして私の漢字ネタは、辞書には掲載しきれない一歩踏み込んだもの
漢和辞書ではどうしてそのような意味が発生するのかという根本的な意味
漢字には根本にこういう意味があるから
辞書に掲載されている  複数の意味が発生するという

たとえば

「接」という漢字の意味は  (つぐ、まじわる、つらねる、ちかづく、むかえる、もてなす)
という意味が辞書には掲載されていると思うけど
それらの意味が「接」で発生するのは

「接」という字の根本には  (AとBとの相互関係)という意味があるからだよ
ただこれは 絶対に学校では教えてくれないし、辞書なんかにも掲載されていない
日本語の言葉としては必要ないから。

190 :喇叭虫:2009/08/11(火) 21:34:37
>河童さんがいくら「○○の字の意味は○○だ」なんて言った所で俺は一切信用しないよ
  んな河童さんの言う事を信用する訳無いでしょ。

もん太お大尽。これこそ、これこそ、これこそ至言でやす。プククピッピピー(歓喜のラッパ)

191 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:37:39
>>189

>河童さんがいくら「○○の字の意味は○○だ」なんて言った所で俺は一切信用しないよ
んな河童さんの言う事を信用する訳無いでしょ
漢字の意味ぐらいもう自分で調べるから良いよ


ネットで軽々しく人を信じるとか信じないとかいうなよ

>漢字の意味ぐらいもう自分で調べるから良いよ

好きにしなよ


192 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 21:38:42
>>90
>なら3回目の渡海は千余里ではなく三百余里ですね。
>千余里と書かれていることと違ってきてしまいます。
>前原からの逆算では同様の問題が残ります。

倭人伝というのは、貴方が考えてるような正しい正確な寸法ではありません。
大雑把というか、ざっとな値というか・・・。
そして、半島から列島まで三千里という考えで、
大まかに千里〜千里〜千里 と記したことが想像できます。

>>91
>私も似たような認識を持っています。つまり張政がやってきた時にはすでに壹與が新しく王になっており、
>その経緯の更立男王や、更相誅殺當時殺千餘人は倭人からの伝聞情報。
>卑弥呼の冢は見た(徑百餘歩)でしょうが、徇葬者奴婢百餘人は倭人からの伝聞情報。
>倭人伝全体の記述から、張政たちが長い期間(1年とか)倭国にとどまったとは考えにくく、
>おそらく邪馬台国に着いて壹與に会い、数日で戻っていったのではないかと考えています。
>八年の「遣倭載斯烏越等」と遣わしたのが倭となっているのは、後で知ることとなったことですが
>すでに卑弥呼が死んでいたために倭王と書かれていないのかも知れませんね。

うん、うん、そうですね。




193 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:39:33
>>190

>もん太お大尽。これこそ、これこそ、これこそ至言でやす。プククピッピピー(歓喜のラッパ)

そういう挑発大好きだよ 血が騒ぐんだ

194 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 21:40:18
つかまじで身近な人にでも誰にでもいいから「東京接埼玉」または「東京與埼玉接」とかの漢文を普通に読んでみて貰ってみ?


いかに河童さんがあたまカチカチの人なのかが解るよ
「間にワンクッションあるから荒川をへだてて、、」なんて読み方は変な先入観でもなけりゃ、言えない読み方だよ
「普通によめば○○と読めるけど、実は、、、と言う読み方も出来るんだよ」ってのならまだ解るのに
「荒川があって、、」なんて言われても、普通に読むって事すら出来ないほど頭カチカチなの丸出しなだけ

こういう人が何を言った所で、俺は一切信じないすよ
信じないからその人が何を言ってももうイチイチ自分で調べて確認する

河童さんに漢字の意味を聞くのとかももう一切やめた
河童さんは漢字の意味なんて知りもしない
自分の主義主張を「これが漢字の意味」と言ってるにすぎないだけだから

195 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 21:47:06
>自分の主義主張を「これが漢字の意味」と言ってるにすぎないだけだから

そうではないだろう。その場の思いつきの単なるでまかせ。だから、河童にレスするやつは
やつの暇つぶしのいい餌になってるだけ。

196 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 21:50:23
>>191
だからもう好きにしてるし自分で調べて来てるじゃん

で、河童さんは調べましたか?
自分でもう一度調べた上で「與はワンクッション置いてって意味!興すなんて意味は無い!」って言ってた自分の主張がどうだったのか教えてよ


「與」てのには河童さんの言ってた意味以外の意味もあるし、それ以外の読み方も出来るって事もいまだに解りませんか?
漢字の意味を調べ直さなきゃ自分の間違いに気付かないでしょ?


河童さんの言ってた事が嘘だと思ったから自分で調べたんだよ
やっぱ嘘だったよ


あとは河童さんが別の意味もあるって事に気付けるかどうかだよ
じゃなきゃ河童さんは一生「與はワンクッションって意味で、、」っていい続けると思うよ


俺が調べた結果、河童さんの主張は嘘で、他の意味で読む事も出来ますよ
自分の主張だけが正しくて俺の言ってる事が嘘だと思うなら調べて来てみ?

俺が間違ってたら土下座でもなんでもするから

197 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 21:50:30
>>92
>私説は梯儁と張政のルートが異なるというもので、
>国名などは梯儁ルート、つまり伊都国=前原から奴国=福岡、不彌国=宇美町を経て南下し、
>投馬国=久留米、邪馬台国=筑後川下流域に到る。
>里行程などは張政ルート、つまり末盧国から現国道323号の観音峠を越え古湯温泉あたりが南東500里の国、
>更に南東100里で肥前国庁跡あたり。その東100里で邪馬台国の一部となっていた吉野ヶ里。

へぇ なかなか考えてますね。
しかし、無理がありそうですね。
南至投馬國 水行二十日
南至邪馬壹國 .....水行十日 陸行一月はどのように考えてるのでしょうか?

198 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:53:51
>>194

好きにしろよ
いちいち公言することでもないだろう?

君の意見は既に 「與」を「興」としたところで瓦解しているんだから
何を言っても戯言だよ
ま、今日「興」から「與」に認識移行できただけ君にとってはプラスだったんじゃないかな?

それなのに・・・・・・・・  ま、今時の子ということで   ではさようなら


199 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 21:55:30
>>195
いや、普段はまともな事しか言って無かったよ
本とかも下らない解釈がされてるエセ歴史書なんか読まずに、漢和辞書とかしか読まないって言ってたし

漢字の意味とかもちゃんと自分で調べたりしてる人と思ってたよ
日本語の成り立ちとかにも詳しかったし参考にしてたしさ


だからこそ今日の河童さんにはがっかりだよ



200 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 21:59:12
>>195

>そうではないだろう。その場の思いつきの単なるでまかせ。だから、河童にレスするやつは
やつの暇つぶしのいい餌になってるだけ。


女か? 絶対男ではないよなあ

201 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 22:10:08
>>196 追伸

>「與」てのには河童さんの言ってた意味以外の意味もあるし、それ以外の読み方も出来るって事もいまだに解りませんか?
漢字の意味を調べ直さなきゃ自分の間違いに気付かないでしょ?
河童さんの言ってた事が嘘だと思ったから自分で調べたんだよ
やっぱ嘘だったよ

以前、大漢和と説文解字で調べたけど  それじゃ足りなかったかな?
他にいい辞書があったら教えてくれ


では。


202 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 22:10:49
>>198
そういや「興」と「與」は全く違う意味とも言ってたよね?

興も與も輿も、どれも「与える、授かる、生じる、起する」など「興す」と同じ意味が含まれてますよ
あと与の古字は与の漢字の上に「八」見たいな冠が付いてる字だったよ
俺が嘘言ってると思うなら調べて来てみなよ
俺か河童さんか、どちらかの言ってる事は嘘な訳だから
こんなのはどっちが嘘言ってるのかなんて「與(よ)」て言う漢字を調べるだけなんだよ
それとも誰か他の人にどっちが正しいか調べて来て貰いましょうか?



って、もういいや
とにかくちゃんと調べましょうよ
俺にも河童さんにも今自分が持ってる知識の中には単なる先入観でしかない間違った知識が沢山あるはずなんだし
例えば俺も「神武天皇、前660年」とかずっと単なる先入観と気付かずに主張してたりもしてたよ
九州から来たってずっと言ってたし
つかむしろそんな間違った先入観を持って無い人はいないよ
ただその自分の中の間違った知識や先入観を「間違ってた」って気付けるかどうかだけなんだから
つかそれぐらい現代の日本人は、教育やメディアなどから沢山の先入観を植え付けられて来てるんだよ



嘘や間違いは嘘や間違いだと気付ける頭を持った方が良いですよ

203 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 22:13:03
>>97 縄文人さん
>「末盧国から伊都国へは陸路をとるべし」と書いてある文献は倭人伝なのですね。

<魏志倭人伝>
東南「陸行」五百里 到伊都國

ちゃんと、明記されてますよ。

>そしてそれは古墳時代の文献なのですね。
>ということは、古墳とは弥生時代の古い墓(墳)という意味なんですね。

三国志ぎしょとういでん というのは、西暦280代の成立と聞いています。
その頃の列島は、古墳時代に当たります。
上記、こふん時代にあたる文献という意味で、古墳時代の文献といったまで。

>加唐島から深江は東南に見えるでしょうが、加唐島は海の中にありますから、ここから唐津方面へ行くには海を渡らねばなりませんね。
>何故その渡海のことが記されていないのでしょうか?
>面倒だったのでしょうか?。それとも、加唐島から陸路で伊都国へ歩いて行ったのでしょうか

倭人伝に記される各諸国内の「川」、「海」については、
その末盧國以外の国でも書かれていませんよ。
すべてお読みになったのでしょうか?
たとえば、伊都國に到ったとします。
伊都国内に川があって、「渡川」してとか書かれてないでしょ?
一言で言えば、省略デス(加唐島〜唐津半島)。
あるいは、>>89でも書きましたが、
もし、わたしのいう>>88のレスが間違ってるのなら、
魏志倭人伝の記述は「東南」ではなく、「東北」の書き間違えということが考えられます。


204 :喇叭虫:2009/08/11(火) 22:16:46
いやいや、もん太お大尽のいうとうりでやす。「興」と「與」は仲間なんでやすよ。どちらも
「かつぐ」の字義が含まれていやす。ププ。

205 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 22:23:14
>>202

>俺か河童さんか、どちらかの言ってる事は嘘な訳だから

君は日本語も不自由なのか?

「うそ」というのは 真実を知りながら事実とは異なることを意識的に行う行為をいうんだ
君は私が真実を知りながら隠して
事実ではないことを述べたということかな?   その証拠は?



206 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 22:23:27
>>102 縄文人さん
>これはえらいことになりました。改めさんは末盧國の着点は加唐島だとおっしゃるし、なにがなんだか分
>らなくなって来ました。誰か助けて下さい。お腹の皮のよじれがとれません。

どうでもいいけど、あんた〜ド素人丸出しだなw
私がオカシイのではなくて、自分がオカシイということに早く気づこう!w

まあ、もんたくんの「邪馬壹國とは帯方に接す所」ていうのには反対だけどねw

207 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 22:32:42
なんだいなんだい。河童叩きが始まったか?
叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け。
俺が外出している間に野放しにするとはなさけねえ奴らだ。
ほらほら河童だ河童だ。出ていけ出ていけ河童は出ていけ。今日はもんキー野郎も加勢に来てるぜ。
河童は出ていけ二度と来るな。これは住人一同の悲願だぞ。ほらトランペット野郎も加勢せんか。

208 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 22:38:11
>>204
うん
まあでも俺は基本的には漢字やその意味を知らなすぎてのは解ったよ
まあ何となくで読めるから何となくで解釈しちゃってる事が多いと思うし

例えば現代の漢字の意味や形や音や訓は、明治時代に作られ統一教育なんてのも日本ではその時代に始まったもの
その時に漢字の形とかも統一され常用漢字やらも纏められ似た意味の漢字を並べて音発音する熟語の新語(選挙、国民、主権、法律など)なども作られ、
文章に記する際の標準語表記なども決められた
(ちなみに標準語てのは東京の言葉じゃない。東京の江戸方言は標準語に採用された言葉じゃない)
確か九州の方言や発音が標準語と採用されたんだよ
明治天皇は九州にいた大室だから京言葉じゃなく標準語を話してたし、神主の衣装なんか着たこともないよ
いつも欧米人と同じようにスーツ来てたよ
今の皇室の奴らはアメリカに留学し、欧米文化の自由やら民主主義やらを学んで育ってるし

外国人と会うときは外国人の方が日本語を学んで天皇に日本語で話すってのなら解るけど、明治時代以降つか敗戦以降は特にその逆をやってるよ
まああれは別に記紀の中の天皇や京にいた朝廷の天皇とは別もんだから奴らが何をしてようが気にはならないけどさ

209 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 22:38:44
>>207

なんだか凄い奴だなぁ〜ここまで露骨だと笑える。

出て行くから荒らすのは止せよ


210 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 22:42:53
>>207

固定ハンドルさんを叩く行為は禁止 て書いてるだろ?

http://info.2ch.net/before.html

211 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 23:02:17
>>205
じゃあそれは改めますよ
言い方を変えます

「どちらかが間違いです」に訂正します


で、俺が間違ってたら土下座でも何でもしますよ
ちなみに俺は単にネットの辞書で調べた事を書いてるに過ぎない
それらの辞書に間違いが書いてあれば俺は間違いをそのまま言ってるだけ

調べはしたけど、だからといって俺はそれが絶対に正しいとは思って無いよ。辞書にしろ歴史書にしろなんにしろあれらは参考にするもんで、辞書に書いてあるからとか、歴史書に書いてあるからってだけでそれを鵜呑みにはしてないし

だから俺いつも「○○に○○て書いてある」とか言う言い方するし


自分の意見に関してはうっすらと「こうじゃないかな」ってのはあるけど、まだそこまで明確な根拠を示せなかったり、調べ不足で解らない事も多いから、自分が思う解釈を言うときもあるけど、それは単なる自分の解釈だって言うよ

例えば文法も句読点もない漢文に関しては「絶対にこういう意味だ」なんてのは書いた本人に聞く以外に解らないんだよ
だからいろんな解釈をしてみるべきだし、俺は一切「違う」って言い方はしないように気を付けて話してたし
「違うと思う」とは言うけど、間違ってるなんて言い切れないし

河童さんは「○○の意味は無い。○○だ」って言ってたか、わざと追及したんだよ
なんでそれしか言わないのか良く解らなかったし




212 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 23:09:58
>>207
お前が出てけば済む話なんだからお前が出てけバカ
「與」の意味1つでこんだけ自分の意見を言える人なんて河童さんぐらいだろ
なんも自分で考えないお前見たいな奴こそ歴史板に居る必要ないだろ


213 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/11(火) 23:19:08
>>175 唐松山さん
>改めさんへ 墓標の読み方
>>神倭伊波禮毘古命81)(神日本磐余彦天皇=初代神武天皇68))の墓碑が、画像解析によって「丙子年三月十一日御年六十三歳」と得られ、
>系譜からみて生存年代はBC107〜45年に比定59)されている。
>「丙子年三月十一日御年六十三歳」 丙子年は、皇暦です。
>皇暦は圧縮されないと信用できない。
>皇暦と古事記暦の二重基準で考えましょう。

えっとですね、卑弥呼=倭迹迹日百襲姫として考えた場合、
百襲姫から7代逆算して、また、BC660年といわれてきた年数から-600年(60年10倍)(記紀は600年水増し)
という考えからBC60年ぐらいを考えていました。

んで、JINZO氏のBC60年というのを聞いて、それを支持してるわけです。
ようは、唐松山さんみたいに、細かい数値を出してるわけではないので、
BC61年でも62年でも良いというか、細かいことは気にしていません。

>>「韓の南の朝鮮半島とも解釈する事も出来る」
>河童さんの言う通り 半島内は論外。

唐松山さんは河童さん支持ですか?
わたしは、その逆で、もん太くん支持かな。
「半島内は論外」なんて論外。

214 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 23:27:09
とりあえず漢字の意味の解釈はもう良いや


つか漢字の意味に関しては自分で調べてみて良く解ったのが、「與」や「興」なんかもそうだけど、とにかく1つの漢字には沢山の意味が含まれてるから、その事を頭に入れて意味を決めつけて仕舞わない方がいいと思ったよ


例えば「倭」って漢字でも、(やまと、昔の日本、ちいさい)みたいな意味の他に例えば部首でに「委」が使われてるから「委」の字の持つ意味をも当選含まれてるし、さらに「委」て字の意味や成り立ちとかを掘り下げると、、
って、1つ1つの漢字にはそれぞれ沢山の意味やよみなとがある


つかだから基本はやっぱまず、イチイチ1つの漢字に対して深く考えずに普通に読めるようによんでみる事だと思うよ
解らない字は似た字に置き換えて読んでもまるきり違う意味にはならないし、解らない字は飛ばして読んでみれば良いだろうし
そもそも書き手もイチイチそこまで漢字1つ1つに深い意味を持たせて書いて無いと思うよ
漢文ても書き手側からしたら相手に意味が伝わるように書かないと書く意味がないから、そんな難しく深く解釈して読む必要はないと思うし


まずは単純に普通に読めばいいんだし、そういう読み方が出来ないような字なら普及もしなけりゃ誰も使いたがらないでしょ?



215 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 23:28:50
>>211

>で、俺が間違ってたら土下座でも何でもしますよ

そんなことは絶対にするな。
掲示板ごときで人に頭なんか下げるな。
第一誰がその審判をするんだよ?

掲示板で頭をさげるのは「ありがとう」という時だけで十分だ  それ以外は決して頭なんか下げるな

216 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:34:10
>>212
>「與」の意味1つでこんだけ自分の意見を言える人なんて河童さんぐらいだろ

他の人は、意見を言えないんじゃない。言う必要がないんだ。
師匠の奇矯な説を擁護するために、河童には余計な説明がどうしても必要になだけ。
そこんとこを履き違えないように。

>1つの漢字には沢山の意味が含まれてるから、その事を頭に入れて意味を決めつけて仕舞わない方がいい

それは、常識として、漢籍を読む人間なら皆知っていることだね。
自分が知らなかったことは、みなも知らないと思わないようにしよう。

217 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 23:41:43
>>214

>そもそも書き手もイチイチそこまで漢字1つ1つに深い意味を持たせて書いて無いと思うよ

私はそうは考えない。編纂者がプロの職人なら
自分の作品に妥協は入れないと考えながら私はふれてる。
職種こそ違うが、同じプロとして私は触れたい

プロって、素人に作品の良さが分からないようにするのがプロだよ
素人に分かるような作品は失敗作だよ
それが歴代歴史書の編纂者にあてはまるかどうかはわからないけど
私はプロとして評価しながらみている。
だから、一文字に徹底的にこだわるんだよ(自分の限界までだけど)

218 :日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:49:55
「畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s」ねえ…

最近何を思ってか畿内説に宗旨替えしたらしいが
そもそも畿内説の場合、魏志倭人伝の暗号解読ゴッコの延長上にそれを置くことは難しい
改めドツボは大丈夫なのか?wwwwwww

それとこいつ東遷説論者(この場合邪馬台国東遷説より広義のもの)みたいだが
現在の天皇の祖が九州からやってきた東遷は認めて
邪馬台国の東遷は否定するというのは、結構難いと思うんだが
これも大丈夫なのかな?wwwwwwwwwwww


219 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/11(火) 23:50:35
>>216

私は虫さんの教え子だから師の意見は大事にしている。
これは胸を張って言えることだよ

で、君が

>他の人は、意見を言えないんじゃない。言う必要がないんだ。
師匠の奇矯な説を擁護するために、河童には余計な説明がどうしても必要になだけ。
そこんとこを履き違えないように。

こういうレスを毎回好んでするのか意図を知りたいんだが話してくれないか?



220 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/11(火) 23:51:00
>>175
御歳=おんとし
これって本当に年齢の事だと思う?
年齢ってのは日本語では「齢(よわい)」って言うんだよ

「よわい60年」てのが還暦だよ


ちなみに明治時代以前までの日本での「よわい」の数え方知ってる?


[現在]
・産まれた時は0才
・約365日周期で巡ってくる同月同日を迎える度に年齢を加算する
[明治以前、数え年]
・産まれた時は1才
・新年を迎える度に1才づつ加算
(誕生した日付や死亡した日付などは明記されるが、誕生日と言う観念は存在しない。新暦のように一年=365日と毎年同じ月日を繰り返すだけの暦では無いため)
数え年の場合は「○○年を迎えよわい○年」は解るけど「○○年、○月○日に○○才」と言う言い方はしないよ

「御歳」ても、「歳」て太歳や歳星で使われる字で、これは年とは違う意味だよ
(○○歳と言う意味を否定する訳じゃないけど)


もし「齢(よわい)○○25」とか「齢(よわい)30(みそじ)」って有れば年齢の事と解釈して良いだろうけど、「御年○○歳」を年齢と決め付けない方が言いと思うよ
年齢なんて産まれた干支さえ書いとけば、いちいち「○○年○月○日に○才になりました」なんて書く必要ないんだし
例えば俺が知ってるので言えば空海とかは誕生日がちゃんと伝えられてる人
干支は忘れたけど旧暦の6月15日だよ
あとは日本の書物ってちゃんと暦の太歳が書いてあるから、「○○年に○○才」なんて書かなくて良いんだよ

干支(いわゆる十支十二支)ってのは12進法×10進法の60進法を表してるもので、使いなれれば今の10進法のローマ数字よりも便利な数字みたいだよ


221 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:00:09
>>216おめえさんも河童追い出しに加勢しろや。
もんキー、トランペットにおめえさんが加われば河童も退散間違いなし。叩いて叩いて叩き出し、叩け叩け叩け叩けを連呼する。
河童出ていけ河童出ていけ河童出ていけ河童出ていけや

222 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:07:23
>>221
河童を追い出す?
まあ無理だと思うなw

今まで何回「もう来ません」つって臆面もなく(大概は数日で)戻ってきた?w

結局自分にしか通用しない
「オレサマ説」を垂れ流せるのは2ちゃんみたいな場所しかないんだよw

無論自分でHPでも立ち上げれば可能だが
まあカウントまわらないだろうなwwwwwwwwww


223 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 00:09:40
>>218
>最近何を思ってか畿内説に宗旨替えしたらしいが
>そもそも畿内説の場合、魏志倭人伝の暗号解読ゴッコの延長上にそれを置くことは難しい
>改めドツボは大丈夫なのか?wwwwwww

「または、書き間違えということが考えられます」とかレスしてるから大丈夫なんじゃない?w

>それとこいつ東遷説論者(この場合邪馬台国東遷説より広義のもの)みたいだが
>現在の天皇の祖が九州からやってきた東遷は認めて
>邪馬台国の東遷は否定するというのは、結構難いと思うんだが
>これも大丈夫なのかな?wwwwwwwwwwww

wwwwwwwwwwwwwwww
ほんとだーw、難しいよなw

わたしは、東遷説支持派だが、
卑弥呼のまたは、壹與の東遷説は否定してるので「邪馬台国東遷説」とはいってない。

ニギハヤヒ、神武の時代も「邪馬台国」としてカウントしなければいけないのなら、
仕方ないのではなかろうかww

224 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 00:11:49
>>217
だとしたら河童さんが漢文を読み取るのは無理
例えばローマ字って文字は主にキリスト教圏で使われてる事から解るように、キリスト教と共に普及した文字だよ
で、漢字ってのは仏教文字(つか儒教って言った方が良いかな?)

アジアで広まった文字って言われてるけど、ようわ仏教圏の地域が漢字なんだよ
日本にも大乗仏教(つか記紀では百済の倭王が飛鳥朝廷への貢物品で漢字と儒教がかかれてるから儒教の方かも) と一緒に入って来たんだよ


あと大乗仏教の他に日本では空海や陰陽師や源氏達の密教てのがあったの知ってる?
密教では「梵字」って字が使われてたんだけど、この梵字ってのは、正に河童さんが言ってる今の文字だよ
密教では誰でも読める仮名や漢字に対して、他に伝えたくない大事な事な全て韻を踏む梵字で書かれてたよ


漢字って文字は以外と簡単な文字なんだよ
基本的には部首とか辺とか、元となる漢字があり後はそれらを組み合わせて作ってあるだけだよ
「河童→水+可。立+里」
だから似た漢字てのは基本的に同じ意味が含まれるんだよ
つか書き方を変えてるだけで全く同じ字もあるし浜と濱と賓なんかがそうだし

225 :喇叭虫:2009/08/12(水) 00:14:22
>>222
まあ、そのとうりだね。ここまで読んだ限り、この河童という人に実生活での居場所はない
ように思えるわ。この場末感漂う2chでしかスポットが当たらない人なんだろうね。必死さが
伝わってくる。







226 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:15:13
>>222、俺一人では限界があるから全員で追い出せば成功するわ。
住人全員に参加してもらい河童追い出し運動なんかよくね?
河童出ていけ河童出ていけ河童出ていけ河童出ていけって連呼を繰り返す。

227 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:21:58
ほらほらそこのホラ吹きラッパ、もっと河童を煽らんかい。

228 :神奈川県民:2009/08/12(水) 00:22:54
>>221>>226 誘導

ここは学問板で周りに迷惑レスは慎めよ
そしてスレ違いだよ

↓これらへどうぞ
最悪板@2ch掲示板
http://mamono.2ch.net/tubo/


229 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:23:56
>>220
数え年は、明治以前ではなく戦前だろう。
昔は0才という概念はなかったと思う。
だから、8月生まれなら、翌年の一月には2才になる。現代ではまだ0才。
ということは、台与の13才は、11才くらいの可能性が高い。

230 :神奈川県民:2009/08/12(水) 00:28:39
>>227 誘導


最悪板@2ch掲示板
http://mamono.2ch.net/tubo/


231 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 00:29:04
>>217
あとプロだの職人だの言うけど、漢字なんてのは単なる表意文字でしかなく、そのままじゃ文字として使えるような代物じゃないから、日本は沢山の訓をつけ仮名と交えて初めて字として使えるようにしたんだよ


「漢字はそのままじゃ文字として使えない文字」
これはさ直接、中国人に聞いて見れば解るから機会があれば聞いて見て欲しい
ようは中国には教育や学校なんて満州国が始めるまでは存在してなかった土地だよ
(ちなみに欧米などの他国でも学校や教育なんてのは近代になって始まった制度
ちなみに日本では平安時代に既に京に大学があった。だからこんな複雑な日本語をも昔から使いこなしてる)


ちなみに満州は五族共和を掲げてたから、文字や語源や民族の統一とは真逆の、五族それぞれの民族を尊重し、それぞれの文字や民族や語源全てが使われてたんだよ(だから満州鉄道などの標識も五か国の語源で書かれてたよ)


で、今の中国は毛沢東が始めて統一教育なるものを実直
で中国が採用した文字が漢字とローマ字
この漢字ってのは使ってる中国人でさえ自分達の言葉すら表せない文字だから、あれを文字として強要されてる中国人は可哀想なくらいだよ
中国人に「ちょい漢字で中国語の文章書いてみて」ってお願いしてみ?
「漢字では書けない」って言われるかローマ字で書くかどっちかだから


232 :ローガン:2009/08/12(水) 00:33:53
>>45
> ただ、具体的に、文章の中で以を「すでに」の意味で読まなければならないという
> 状況にでくわしたことは、ほとんどないですね。
> それに、「すでに」と読むと文脈が変ですから、ここは「もって」じゃないかと思います。

三国志に「今権以死託孤於諸葛恪」と。それに、ハイ注所引司馬彪「戦略」に「今権已死託孤於諸葛恪」
已は以と同義と考えて良いのではないでしょうか?

233 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:38:10
なぜ意見の相違だけで河童さんはここまで叩かれなくっちゃいけないの
少しやり過ぎじゃない。

234 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:43:41
>>219
まず第一に、自分の意見を沢山書けば立派だと思ってるのが間違いだということを説明した。
真っ当な理屈はシンプルなものが多い。
奇矯な説ほど、理屈が多いか、あるいは、まったく理屈をすっ飛ばすか、どっちかだね。

次に、「師匠の奇矯な説」と書いたのは、もん太君が、
>河童さんの言う「ワンクッション置いて」なんて意味は、どの辞書に書かれてたんすか?
と質問をしているのを見て、辞書なんかに書いてるわけないじゃんと思ったが、
河童君自身は、その出所を書かなかったから。
もん太君は、ノーガードでさらけだしてるのに、ちょっとずるくないか。
長くこのスレを見てるものなら誰でも知ってることだが、
もん太君は知らないようだったから、ついでに、ちょっとコメントしておいた。
誇りをもってるなら、なんで答えないのかなあ。


>>226
>住人全員に参加してもらい河童追い出し運動なんかよくね?

イジメはよくない。たとえ掲示板でもね。
出ていけの連呼なんてやめよう。

235 :縄文人:2009/08/12(水) 00:44:06
畿内説改め様
私、ど素人でございます。
ところで、二さんの<>里行程などは張政ルート、つまり末盧国から現国道323号の観音峠を越え古湯温泉あたりが南東500里の国>
というのが伊都国だとは考えられませんか。佐賀平野は昔は海であった部分が多く、伊都国は小城市から佐賀市の辺りでも可能(末盧国を
松浦川河口の辺りとして東南の方向五百里(50〜60km)の距離のところです。そして、東に百里で吉野ヶ里ですが、この辺りから鳥栖市
および久留米市を含む筑後川流域が奴國、さらに東(東北東)に百里行くと現小郡市の三沢、津古、干潟辺りが不彌国 かも知れません。干
潟という地名は昔この辺りまで海が(入り江が)あったことを暗示していますが、現在宝満川が流れています。この辺りには古代の塚があ
ちこちにあります。この不彌國から宝満川を舟で南に下り、有明海(昔は大川市や柳川市などは海で、現在の筑後市辺りの平野部も海岸線の
入り組んだ複雑な地形だったと推定されます)の海岸線に沿って八女地方に至ります。この八女地方から大牟田辺りまでの地域が投馬國かも
知れません。福岡県小郡市から福岡県八女市、大牟田市の辺りまで水行20日とは日数がかかり過ぎだと思われるかもしれませんが、魏の使節
は皇帝からの下賜品を大切に運ぶのですから、護衛なども含めてかなりの人数です。途中で休憩や宿泊や土地の豪族などの接待を受けながら
の旅です。そのくらいかかっても不思議ではありません。さて、大牟田市辺りからまた有明海を南下して10日、熊本県北部の平野部で上陸して
ここから陸行1月で辿り着くところが邪馬台国の卑弥呼の宮殿です。邪馬台国は熊本平野にあったと考えられませんか?卑弥呼の宮殿は平野部
(低地)ではなく小高い場所で、防衛上有利な地形のところにあったでしょう。そして、この邪馬台国の南、鹿児島県と熊本県の南部および宮
崎県南部に狗奴国があったのでしょう。





236 :縄文人:2009/08/12(水) 00:45:33
235のつづき
ところで、倭人伝には奴國の名が2回出て来ます。伊都国の東に接する奴國と、支惟國次有烏奴国次有奴国此女王境界所儘(にんべん無し)の
奴国です。こちらの奴国は福岡市にあった奴国で、漢に認められた漢委奴国王が居たところでしょう。多分、倭国大乱の頃に内部分裂して一部
が吉野ヶ里を含む地域に(こっちが本家だと言ったかどうかは分りませんが)國を建てたのではないでしょうか。倭国三十國は鹿児島県と熊本
県南部および宮崎県南部を除く九州にあったと考えることができます。周囲五千里(500km前後)の範囲におさまります。
こんな見方は如何でしょうね。ど素人ですから、先入観も持ち合わせておりませんです。はい。

237 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 00:48:18
>>229
戦前なんだ?
てか0才から数える数え方ってさ、数の数え方が間違ってるって知ってる?


還暦にしろ厄年にしろ、あれ数え年と旧暦に沿った数えた齢じゃなきゃ意味ないんだよ

例えば平成元年9月に産まれた奴は、15年後の平成15年9月に15才じゃないんだよ


似たようなので、例えば10進法てのは〜10でくりあがる
12進法てのは〜12で1ダースにくりあがる

けど「2進法」てのがあるけどこれは〜1でくりあがってしまうから本当なら1進法なんだよ
これは近代の数学者達がアイツラもバカだから「0」なんて数字を数に加算したからだよ
2進法なんて「1、2、1、2、」でいいのに「0、1、0、1、」て0を数えてるから2が1になってるだけ

数字てのもバカの考えた学問だから勉強しても意味ないよ
「0を掛けたら」「0を割ったら」「−5を足したら」
これ「0やマイナスの数は有りません」が正解だよ


マイナス5てのをつくりたけりゃ、1を0と数えるバカと同じように、1をマイナス5とかマイナス10とかにずらせば数字表記が単にマイナス5とかって表せるだけ


ゼッケンを0を含めて−5から4まで並べてみ? 全部で何枚になる?

ようは1を−5から始めてるだけにすぎないよ



238 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:48:30
 
本日です!

【東京都豊島区】 8・12 NHK問題を考える日台国民大集会 (8/12)
日時
平成21年8月12日(水) 16時30分 (16時00分開場)

場所
豊島公会堂 (みらい座いけぶくろ)
  「池袋」駅(JR、東武東上線、西武池袋線、地下鉄丸ノ内線・有楽町線) より徒歩4分

内容
16時30分 ビデオ「NHKの大罪」上映
18時00分 パイワン族代表(「日英博覧会」参加者の御令甥)登壇、
NHK「アジアの“一等国”」出演者からのビデオメッセージ、識者によるシンポジウム

《登壇予定》
中村 粲(獨協大学名誉教授・昭和史研究所所長)、
水島 総(「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会 代表)、
松浦芳子(草莽全国地方議員の会代表)、三輪和雄(正論の会 代表)、
柚原正敬(日本李登輝友の会事務局長・台湾研究フォーラム顧問)、
永山英樹(台湾研究フォーラム会長)、井上和彦(ジャーナリスト) ほか 文化人、地方議員 多数登壇予定!

主催
草莽全国地方議員の会、「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会、
日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム、在日台湾同郷会、台湾団結連盟日本支部、
メルマガ「台湾の声」、NHK報道を考へる会、誇りある日本をつくる会、昭和史研究所、日本世論の会、
日本会議東京都本部、日本文化チャンネル桜ニ千人委員会有志の会、
新しい歴史教科書をつくる会「東京支部」「三多摩支部」

協賛報道
日本文化チャンネル桜、國民新聞

239 :234:2009/08/12(水) 01:01:54
今日は、平日なのに人多いな。

>>234への補足。
レスを書いた意図は、234で説明したことで尽きているが、オレの文章に嫌味が混じっているとしたら、
それは、河童虫氏とは馬が合わないからだろうね。
いろんな人間が出入りするんだから、それは仕方ない。諦めてくれ。

240 :畿内説改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 01:05:52
>>235 縄文人さん
>私、ど素人でございます。
>ところで、二さんの<>里行程などは張政ルート、つまり末盧国から現国道323号の観音峠を越え古湯温泉あたりが南東500里の国>
>というのが伊都国だとは考えられませんか。

まず、ありえませんね。
九州の大宰府に現存する「翰苑」という文書があります。
この翰苑には、「邪屆伊都 傍連斯馬」という記載があり、
斯馬とは、現在の九州福岡県志摩郡を指しています。
この、志摩郡について少し調べたことがあるんですが、
各時代によってその名前は変化していきます。
しかし、この「しま」という音は、今も昔もかわりません。
各時代によってその名前は変化したというのは事実なんですが、
感じの部分だけが変わり、音の部分は変わらなかったということ。

「邪屆伊都 傍連斯馬」ですが、伊都と連なる斯馬 ということ。
ようは、伊都国の隣にあるわけです。
この「イト」国と「シマ」がつながってる所といえば、貴方の言う「観音峠を越えた所」には
そのような地名がなく福岡県の「松浦市(昔はイト群)」と「志摩郡」 ということが分かる。
以上、伊都国が観音峠を越えた所ではないということはお分かり頂けただろうか?

>邪馬台国は熊本平野にあったと考えられませんか?

九州に都があったとすれば、そこじゃありません。
まあ、いろいろとご自分でお探しになってはいかがだろうか。

241 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 01:08:44
>>235

なんか軽はずみな判断してないかい?

「ワンクッション」の説明はしたし、
>>185では
(〜と)と言う接続詞でせつめいしている。
(〜と)にも出店がいるのか? どんな辞書にも載ってる事だから それでも出店がひつようなのか?

あと、これは虫さんには関係ない話し。

242 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 01:12:19
追い出し運動をしたい人を止める事は出来ないので
飽きるまでやらせればいい。
何時もの事だし

243 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 01:16:28
>>217
魏志倭人伝や漢籍書って日本人が書いたものそれとも他の民族?
例えば文学の話しましょうか?
日本てのは例えば平安時代に既に文学などを教える大学があった
空海や紫式部や歌人などの多くはここで学んでた人達
「俳句」とか「和歌」とか「詩」とか、、こういう言葉の芸術見たいな文学てのは日本は遥か昔からやってた事
何故日本人は千年以上も前から漢字や梵字や神代文字や平仮名かカタカナやあらゆる文字を使いこなせてるのに対して
なぜ中国はいまだに漢字を言葉を洗わせない文字のまま使ってるのか
これは正に文学の違いとしか言い様が無いんだよ
中国の歴史にどんな幻想を抱いてるのか知らないけど、中国どころか他のどの国にだって、日本ほど発達した文学は存在してないよ

俳句、詩吟、和歌、記紀にも沢山の歌が読まれてる
俺が「日本にとっての漢字と中国における漢字では使われ方がまるで違う」って良く言うのは、ようは「俺ら日本人が使ってる漢字と同じ感覚で、中国人における漢字を考えたらダメ」って意味だよ
日本人にとっては漢字素晴らしい文字
てもあくまでも漢字だけでは使わないよ
漢字と仮名を合わせて使う事で文字にしたときに素晴らしく表現力が広がる
日本人が漢字を仮名と交えて使ってる理由は、漢字だけではダメだからだよ
漢字が素晴らしいってより日本人の文字の使い方か素晴らしいから言葉や文字が歌となり芸術となるんだよ
これ記紀や古今和歌集の時代には既に日本人の文学はその域にあったんだよ


日本人の文学は特別だって考えて下さい
これは日本の文化が優れてたから出来てるだけで、中国なんて文学どころか教育すら近年ようやく始まった国
中国人が漢字を使えないのも仕方無いんだよ

日本とは違うんだから

244 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 01:36:26
>>217
文学のプロがどんなものなのか、日本の古今和歌集や万葉集を見てみ?
記紀にも和歌は読まれてるけど、万葉集なんかはあれも歴史書なんだけど、単に歴史を書くだけじゃなく全部歌として書いてるから、歌集に分類されちゃってるんだよ
そういやほつまつたえも歌で書かれてるしね
これがプロって奴だよ
誰かの心情を表すのに「○○は〜〜と歌を歌った」とかさ

武将の性格を表すのに
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
なんて歌を読む

日本の文学の素晴らしさを理解した方がいいよ
で、他にこれほど古くから文学が芸術として発達してた国は無いよ
中国に置ける漢字ても清にしろ元にしろ明にしろ、それぞれ漢字じゃない自分達の文字を使ってた国だしさ

漢字てのは清とかにしろ他の仏教圏に手紙を宛てたりする時に使ってた文字でしかないよ
表意文字を語源の違う民族に対しては意味を伝える時に使ってただけ

だから今の中国人に漢字で言葉書けっても無理なんだよ
中国にとって漢字はそういう為の文字じゃないもん
日本と同じように考えたらダメだよ


245 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 01:47:43
>>235
熊本は有り得るよ。特に菊地川流域。あるいは阿蘇。
河口の玉名は遺跡の宝庫だし。その上流には有力な弥生遺跡もある。
盆地気味で、生産性は豊かだし、人口も多かったと推定されている。

倭人伝の行程も、完全とは言わないまでもある程度満足できる。
弥生時代の鉄器の出土では突出している。
平安時代あたりでも、製鉄所の跡がこの付近で27ヶ所も出ている。

このあたりは十分に考慮に値する。

246 :畿内説改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 01:52:23
【204レスの誤字を訂正】

感じの → 漢字の

松浦市(昔はイト群) → 前原市(昔はイト群)

>>235
>現在宝満川が流れています。この辺りには古代の塚があ
>ちこちにあります。この不彌國から宝満川を舟で南に下り

宝満川は観に行ったことはアルのでしょうか?
もし観て来たのなら、アノ水量できついと思いませんか?

>卑弥呼の宮殿は平野部
>(低地)ではなく小高い場所で、防衛上有利な地形のところにあったでしょう。

考古学は知ってそうですね...。

>>236
>>236
>奴國の名が2回出て来ます

難しい問題だw

247 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 01:58:48
>>245
玉名についてちょっと書くと、斎藤山遺跡(縄文時代と弥生時代の変わり目
付近の年代とされる)からは、日本最古といわれる鉄斧が出ている。
この時代から鉄を十分に活用していた。この頃にはすでに有明海沿岸が
中心地になっていたといえるかもしれない。

したがって、郡使は有明海沿岸に行こうとしていたとも言えるかも。
前原方面ではなくて。

248 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 02:01:27
まあ別に漢文をわざわざ難しく解釈してよんでも誰もその解釈を否定は出来ないからどう読もうがいいんだけどね
つかまあ韓南興倭接にしろ、倭国在、百済新羅南東水陸三千里にしろ、そのまま読み取れば朝鮮半島南部も指してると読み取れるよ



「そう読み取れるから朝鮮半島南部に違いない」って言いたい訳じゃなく
「そう読み取れる地域を排除して考える事がおかしい」
って言いたいんだよ

邪馬壹國を探したいなら「当時の倭国の範囲」から探すべきで、何もそこにアメリカや中国大陸まで含まれるなんて無茶な解釈をしてる訳でも無いんだし


九州の可能性も機内の可能性も熊本や四国の可能性も捨てる必要は無いよ
それと同じように半島南部の可能性も捨てる必要は無いでしょ?


だいたいマジでそう読み取れるんだから、その可能性を考え無い方がおかしいと思うし

249 :縄文人:2009/08/12(水) 02:03:28
畿内説改め様
少し前に糸島郡と呼ばれていた地域はもと怡土郡と志摩郡で、これから伊都國を怡土に、斯馬國を志摩に
あてるという地名による比定に一理はあると思いますが、近世や現今の地名で考えると、伊邪國、彌奴國、
好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國 等々比定に困る國ばかり登場します。倭人伝記載の國の名が地名と
して残っているのか怪しいですね。伊都は怡土でよいのですか?斯馬は志摩でよいのですか?
なお、佐賀県武雄市の辺りは昔は海に浮かんだ島(しま)だった可能性があります。伊都としまが隣り合って
いますけど。

250 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 02:13:10
>>249
それも言える。伊都国が女王国の北にあって戸数・道里を略載できる国で、
すぐ隣の斯馬國が、遠絶したその余の旁国というのはおかしい。

251 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 02:16:41
>>249
まず漢字てのは表意文字であって「地名や人名を表せない文字」てのを理解しましょう


例えば「ビートルズのポールマッカートニー」とか「ニューメキシコ市のミセス・エイドリアン」
いま俺は片仮名で書いてるけど、これを全て漢字で書いてみ?



とりあえずチャレンジしてみて
漢字って文字がいかに不便なのかが良く解ると思うよ
とりあえず俺も自分鳴りに漢文書いてみるからさ

252 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 02:17:08
>>249-250

wwwww まあ、頑張って邪馬台国を探してください。
しかし、斯馬國=志摩郡 というのは、ほぼ確定してると私は思っています。

では、そろそろ落ち↓ Good night!〜〜☆ w


253 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 02:24:26
兜虫群の棒留と新墨西哥市の伊種馬

254 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 02:25:43
ビートルズのポールマッカートニー
西陸西北海南中島在四人組、有名演奏隊、低音楽器伴奏者


ニューメキシコ市のミセス・エイドリアン
日本東京乃東大海果大陸、東海岸都市発海岸添南行○○里、進路変更東行○○里在乃大陸南方乃都市、居名曰現地語意呼美人婦人



一応書いたけど、そもそも漢字で書く事にやっぱ無理あるわ

255 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 02:32:23
>>253
よっし、解読するわ(つか平仮名入ってるしw)


[兜虫群棒留]
カブトムシの群衆が棒に留まってる

[新黒西哥市伊種馬]
その新らたな黒い歌、西の都市の種馬



メキシコの方は意味わからんよw

256 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 02:38:16
イタリアの種馬は、ロッキー・バルボアだ。
そんで、エイドリアーン!

257 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 03:14:15
モンゴル帝国のフビライハーン
これが「楽浪北西地、元帝国有、其王、元始皇帝息子也、諡、荒馬神走帝」みたいなさ



つか「地名や呼称を書けない文字」って致命的でしょ?

例えば「シナの北部の都市、ヌルハチ市にはマンチュリン族のヌルハチヌス・ギョロ氏族のマンチュリン王朝があり、、」


仮名であれば呼称や名前や地名はそのまま書けるけど、漢字てのはそれが出来ないよ


ちなみに上は漢字で清とか愛新覚羅皇帝とかかれてる朝廷の事だよ
「清」て漢字の音のまま「シン」って読まれてるけど、これは地名や人名が表せない漢字ではそう書かれてただけ
日本語には仮名があるんだから日本語で書くなら「マンチュリン王朝のヌルハチヌス・ギョロ皇帝」って、正しい呼称で書けるんだ



例えば魏志倭人伝に関しても例えば当時の日本が「ヤマト」と呼ばれてたならそのまんま「ヤマト」て書けばいいだけ
けど漢字では地名などか書けないから、楽浪郡って地域から東海の中の、、、なんて説明を書かなきゃ行けなくなる


例えばその日本の中の「南アルプス市」てのを漢字だけで書くとなると大変になる

○○を○日歩き○○に行って○○歩いた場所が倭王宮
みたいなさ




258 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 03:22:37
>>256
まあ書いた君がそういうんだから、あの漢文はそう読むのが正解だねw

魏志倭人伝などもこれと同じだよ
読み手は漢字から意味を解釈するしかない

けど書き手がよっぽど解りやすく書いてくれなきゃまず読めない字が漢字だよ

書き手が深い意味を込めて、、、なんて前提にしちゃうと、漢文なんて誰も読めなくなるよ
意味は書いた本人に聞くしか無くなる



漢字てのは本来は文章や文字を書くには的さない文字
けど例えば漢字を使って意思を伝えるとかは割合簡単だし、この使い方すれば知らない言葉の人たちとも漢字使って意思の疎通がとれる

259 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/12(水) 03:26:38
メモだけ有れば中国人と日本人は文字の会話が出来るよ

「私日本人、名前、杉田卓也」
「私中国上海、名前、陳雪菜、齢17歳」


260 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 05:14:26
杉田卓也wwwwwwwwwwww

261 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/12(水) 07:18:24
>>93
宣伝のつもりは無いのですけれどね。

九州説で伊都国=前原市は全てアウトじゃないか?とかいっているようなので、
私の説は九州説で伊都国=前原市ですが、伝の記述になんの問題もないですよ、
と言っているだけなのです。

>>94
あきらかに間違ったとこを言ってる人には山のようにレスがあるのに、不思議ですよねw

262 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 07:32:57
>>261
レスが付くかどうかは、説の当否ではなくて、キャラの強弱だろうね。あと、年季。

263 :源勝正朝臣:2009/08/12(水) 07:36:51
俺は、猿田彦の後裔である太田命こと、太田田根子の子孫である。つまり、スサノヲ、大国主の後裔である。
後世からは、源氏の子孫と、名乗り初めたので。江戸時代までは、源氏を称していました。
つまり。実際は、大神朝臣。公式上は、源朝臣です。

さて、卑弥呼のことですが。この人は、天照大神ではないかと、思います。
しかし、実際に国の政治をしていたのはスサノヲ等だったと。
インドのカースト制みたく。
宗教者である天照大神がトップで。実際に政治をしていたスサノヲ等が二番目だったと。

天照大神が女性と言われる前に、男性の天照太神がいたとか、言われます。
スサノヲの後裔である。太陽神と言われた猿田彦こそ天照太神だと思います。
(女性=天照大神、男性=天照太神。)
事実、猿田彦の後裔である、太田命こと太田田根子が。
女性の天照大神を、元伊勢である大神神社から、伊勢神宮へと移しています。

つまり、当時の日本は。
初代男性天照太神:猿田彦か、二代女性天照大神のどちらかが、卑弥呼と呼ばれ。
その卑弥呼の下で、スサノヲ系等のスサノヲや大国主(大物主)が、実際に政治をしていたと。

二代女性天照大神系のニニギの後裔である神武天皇が、日本を支配してから。
魏氏倭人伝と真実の歴史が、塗り替えられ、グチャグチャになり、ワケワカメになったんだと、思います。

264 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/12(水) 07:48:22
>>95
それらの日数は、不彌国〜投馬国、投馬国〜邪馬台国の行程ではありません。

奴国〜不彌国〜投馬国〜邪馬台国、は一回目の魏使である梯儁のルートなのですが、
彼はそれぞれの国の距離を書いていなかったために(郡から邪馬台国は万二千里とまとめ書き)、
それらを2度目の魏使の張政の記録に求めたようなのです。

ところが張政ルートでは末盧国から3つめの国で邪馬台国に着いているため、
里程として「南東500里」「南東100里」「東100里」の3つしか記録がなかったのです。

ゆえに不彌国〜投馬国、投馬国〜邪馬台国の距離を他の何かからひっぱってきたのですが、
それが「水行20日」と「水行10日陸行1月」なのです。
なので、この2つの日数は邪馬台国までの行程距離などではないのです。

ちなみにこれらの日数が何だったかというと、水行20日は邪馬台国と交易のあった琉球までの日数、
水行10日陸行1月は、水行20日の参考値として書かれていた邪馬台国から郡(公孫氏時代の都)までの日数。


戸数に関しては、5万・7万の前についている「可」の解釈。1戸何人なのか。当時の日本の人口の推定基準など、
いろいろと問題がありますから、5万+7万が収まる収まらないといった感想を持つのは、時期尚早と言えるの
ではないでしょうか。


265 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 07:51:08
杉田ミノムシ 17歳。夏休み

266 :源勝正朝臣:2009/08/12(水) 08:22:10
杉田源左衛門家
源姓杉田氏
初代:四郎右衛門卓政
二代:藤左衛門卓清
三代:平左衛門卓盛
四代:源左衛門卓義
五代:藤右衛門卓信
六代:宗次郎卓利
七代:卓雄
八代:卓
九代:卓人
十代:卓也

267 :源勝正朝臣:2009/08/12(水) 08:28:39
杉田源左衛門家家系図

杉田源左衛門家
源姓杉田氏

初代:四郎右衛門卓政
二代:藤左衛門卓清
三代:平左衛門卓盛
四代:源左衛門卓義
五代:藤右衛門卓信
六代:宗治郎卓利
七代:卓雄
八代:卓
九代:卓人
十代:卓也

268 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 08:55:09
>>261
レスにPowerが無ければ誰もレスしない。せめて昨日の河童やもん太を止めるPowerを見せ付ければ、貴殿にも山の様にレスが付くだろう。










たぶん?

269 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 09:32:47
>>264
二氏はルートを二つに分断し、内容を組み立てているようだが、二つに分断しなければならない
理由は全て貴殿の都合。
貴殿の都合にそぐわない為に、ルートを各郡使に割り振りしたに過ぎない。
各郡使が貴殿の示したルートで移動したとする形跡は全くなく、
全ては貴殿の頭の中だけで組み立てられた、貴殿にとっては大変心地いい陶酔の世界と判断できる。


よって自ずとレスは付きづらくなる。

270 :縄文人:2009/08/12(水) 10:06:11
>>246
夏期の宝満川はかなりの水量ですよ。もっとも、弥生時代の川が現在と同じだったとは考えにくいですが。先に書きましたが、
昔は有明海が現在の陸地に入り込んでいて、小郡市の津古辺りまでは細い入り江として海だったか、あるいは幅の広い川であった
かも知れません。この辺りには干潟という地名や四三島という地名もあります。

271 :縄文人:2009/08/12(水) 10:32:48
>>252 <しかし、斯馬國=志摩郡 というのは、ほぼ確定してると私は思っています>
思うのは貴方の勝手でしょうが、私と250の方は疑問を提出しているわけでして。その疑問にお答えにならずに
「俺はそう思うのだからそれでいいじゃないか」みたいな言い方をされても、納得できるものではありません。
どうぞ真面目にお答え下さいませ お大尽さま、お殿さま、神様、仏様、改め様。


272 :縄文人:2009/08/12(水) 10:37:11
>>269
私も同感です。二つのルート論の根拠が見えません。なぜそうなったか 説得力ある根拠を示すべきです。

273 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 11:33:08
>>211 もん太君

君は漢字には沢山の意味があると考えているようだけど
私は敢えて一つしかないと述べておくよ。

漢和辞典などをみると様々な意味らしきものが掲載されているけど
あれは意味ではなく
漢字を日本語で表現するとこうなる。と言うものだよ
例えば「接」と言う漢字には つぐ、まじわる、ちかづく……
などが辞書に掲載されているが、あれは
こう言う文章に接文字を使用すると、日本語ではこのように表現されますよ
と、言う日本語の手引きで、その漢字の意味ではないんだよ

だから説文解字の説文は、漢字一文字に対して 一つしか提示されていない。
解字が一つなら当然意味も一つ。 これは道理だ。

日本語での表現を意味だなんて言っちゃ駄目だよ。



縄文人さん、間違っていると思いますか?

274 :縄文人:2009/08/12(水) 11:52:03
>>273
ここで述べられていることは なるほどと思います。私は言語学を学んでいませんので、河童虫さんともん太さんの
論争に参加できません。ただ、河童虫さんは漢字の意味を厳密に捉えようとされている、一方もん太さんは「感じ」で
捉えてもいいのじゃないか(間違っていたらごめんなさい)と言われているように思います。私としては倭人伝の文章
の本当の意味が知りたいところですが。

275 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 11:59:47
與と興や輿は形が似ているので意味も似たような意味になるとか
ならないとか言っていたみたいだけど

・似ているのは「担ぐ」まで

担ぐ対象が変われば
漢字に対する表現も自ずと変わってくる。

車を担げば 「輿」
同じを担げば 「興」
与を担げば 「與」

担ぐものが全く違う。

276 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 12:16:46
>>274縄文人さん

お手数かけます。


勿論目的は同じでして、ただ異国の文を解読する場合は
どうしても
表現豊かな日本語に変換しなければならないので、より厳格な線引きが要求されると考えます。
日本語は 連用があるので表現一つ間違えただけで捉え方もまるで違ってしまいます。
アバウトになれない一面です。


私は本来アバウトな性格、だから余計辛い作業です。

277 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 12:48:50
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千余里

『從郡至倭』は、『郡を通り過ぎて倭に至る』と読む。
『從郡至倭』の『郡とは楽浪郡・帯方郡の2郡』を言う。


278 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 12:54:08
>>277

通り過ぎたら七千餘里の起点は何処よ?

279 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 12:55:13
当然、魏の首都である、洛陽です。

280 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 13:44:45
>>279
でしたら

「去京師」の文字は消去する事はできません。
しかも
洛陽からの水行ですか?

281 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 13:55:49
>>280

魏志倭人伝ですから
「去京師」の京が洛陽であるとして消去可。

>洛陽からの水行ですか?

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千余里

水行は郡からです。

洛陽から郡へは、水行が有ったかどうかは記述されていない。
が、
到其北岸狗邪韓國七千余里
からすると、
遼東廻りの陸路で距離が記述されているようだ。










282 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 14:17:50
>>281
いいえ、たとえ倭人伝であっても東夷伝の一部だから、東夷伝にて起点を洛陽とする旨が書かれていなければ
「去京師」の文字を消去する事はできません。
しかも、先程は「通り過ぎる」旨を述べていたにもかかわらず、
今度は舟に乗り換えですか?
しかも七千餘里を洛陽からとしておいて
七千餘里は当然水行に掛かりますよ

283 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 14:25:04
伊都から先はなぜ日数表記なのか。
それは彼等が伊都から先には行ってないからです。

284 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 14:34:32
>>283
行こうが行くまいが、倭人伝は旅行エッセイじゃないので関係ありません。

285 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 14:43:39
>>いいえ、たとえ倭人伝であっても東夷伝の一部だから、東夷伝にて起点を洛陽とする旨が書かれていなければ
「去京師」の文字を消去する事はできません。

後漢書は
樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國 七千餘里
とあるが、
萬二千里、七千餘里の起点は何処。
長安に決まっているでしょう。「去京師」との記述はありませんよ。

>>しかも、先程は「通り過ぎる」旨を述べていたにもかかわらず、
今度は舟に乗り換えですか?

どこをどのようによめばそのようにかいしゃくできるのですか。

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國
の水行は郡からでそれ以前の道程は記述されていないからわからないが・・・
ということですよ。

>しかも七千餘里を洛陽からとしておいて
七千餘里は当然水行に掛かりますよ

水行が掛かるのは
郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國
迄でしょう。
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國。          七千餘里。
でも、七千餘里が全て水行といことになるの。



286 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 14:54:51
>>285

>長安

楽浪郡です。


>書かれてないからわからない。

よって洛陽という表現はありません。
起点は帯方郡です。


貴方の書かれたものが
水行によって起こる七千餘里の事象です。

287 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 15:03:50
楽浪から郡を通り過ぎて七千餘里と
解釈している貴方にはわからない世界かも知れませんが

ここは東夷伝の中、帯方郡が管轄する韓や倭は、帯方郡の文字が存在するかぎり基点は 帯方郡となり
七千里は、帯方郡の港からの値です。
仮に洛陽を基点に描くなら、「去京師七千餘里」
と記載されるので 安心して
基点を帯方郡にしてください。

288 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:14:13
>>286
>書かれてないからわからない。

よって洛陽という表現はありません。
起点は帯方郡です。

ゴミ箱の墨を突っつくのが得意かい。
『書かれてないからわからない。』
は何処で拾ってきたのかな?

從を起点と決め込んでの論か。
從に『通過する』があるのは知っているが無視して
恣意的に論を結ぶ。

起点は帯方郡です。
も成立しない。

從郡とは
公孫康が、建安九年(204年)楽浪郡18城の南半、屯有県以南を裂いて楽浪郡を設置した。
ことを踏んで、楽浪郡と楽浪郡の境界です。


289 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:17:50
>從郡とは

重箱の隅をつついて間違いを探せ ^^;

290 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:21:21
ここは東夷伝の中、帯方郡が管轄する韓や倭は、帯方郡の文字が存在するかぎり基点は 帯方郡となり
七千里は、帯方郡の港からの値です。

とは、
公孫氏の勢力をかいているのかい。

若し、魏の勢力と考えているなら錯誤があって当然。


291 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 15:26:00
>>288

帯方郡はゴミ箱の真ん中にあるので
隅に注意しなくても大丈夫

夏休みは実に楽しい。

292 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:28:14
楽浪から郡を通り過ぎて七千餘里

何をあせっているの。

楽浪から郡を通り過ぎて七千餘里

誰の説ですか?




293 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 15:31:36
>>288

>何処から拾ってきたのかな

>>285と言う夢の島のなかに「記述されていないのでわからない」
という 埋め立て間際のやつを拾ってきました。

294 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:33:48
樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國 七千餘里

其國て何処?
去其 の其は何処。

答えられるかな? 河童虫 さん

295 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 15:47:39
樂浪郡徼 

徼は『めぐる』て読むんじゃないの。

めぐられる一点が起点とは此れ如何に。

河童虫さん
箍が外れてんじゃないの?

296 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:14:45
.>294
答えられるかな? 河童虫 さん

樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國 七千餘里

其國て何処?
去其 の其は何処。

気が向いたら答えてね。

297 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:34:17
>プロって、素人に作品の良さが分からないようにするのがプロだよ
素人に分かるような作品は失敗作だよ

これ、逆だよ。
オナニーされてもうざいだけ。
プロとして尊敬できない。
素人にもわかるようにするのがプロ。
大体にして一部の人にしか通用しない文なんて糞の役にも立ちませんよ。
どっちかというと、馬鹿のやる事だ。
勘違いするな。

298 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 16:35:22
>>296

其国は邪馬臺国


>>295

楽浪郡でOKだよ

299 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:35:22
>プロって、素人に作品の良さが分からないようにするのがプロだよ
素人に分かるような作品は失敗作だよ

これ、逆だよ。
オナニーされてもうざいだけ。
プロとして尊敬できない。
素人にもわかるようにするのがプロ。
大体にして一部の人にしか通用しない文なんて糞の役にも立ちませんよ。
どっちかというと、馬鹿のやる事だ。
勘違いするな。

300 :ヨコからだが・・・:2009/08/12(水) 16:37:48
>>273
>君は漢字には沢山の意味があると考えているようだけど
>私は敢えて一つしかないと述べておくよ。

まあ、以下言語学おろか外国語も解さない人間の戯言だがwwwwwwww

そもそも如何なる言語でも大抵は一つの語に対し複数の概念を伴う。
いや概念自体は一つであってもそれを言葉で説明しようとすれば複数の語を用いて近似的に求めるしかないと言うべきか?

まして外国語でそれをやろうとすれば根本の概念自体が微妙にずれており
当然オリジナルの言語より更に難しくなる。

よって外国語もある程度の習得レベルになればシソーラス(類語)で調べる方が良い。
(英語なら 英和 から 英英 に)
日本語への置き換えで限界があると言う事であれば河童の言う事は間違いないと思う。

しかし、傍目からだがこの河童と言うコテが最後、有耶無耶にしてトンズラかますような事態になるのは

相手が河童が扱っている漢字一字について他の漢籍から意味を提示してきても
河童はその文字について「オレサマ流解釈」の一例しか示せず
結局「オレサマの言う事は分かるやつだけしか分からない」と嘯く羽目になるとwwww

結局外国語の文章の意味を正しく解する為には日本語への翻訳では限界があるのは勿論だが
「オレサマ流解釈」を並べ立てても糞の役にも立たんとw

結局その外国語の他の書籍を読むなりして「数をこなす」しかないんだろうなwwwwwwwwww






301 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 16:48:22
>>295
楽浪郡でOKだよ

逃げが勝ちか!
苦肉の策はそれしかない。
が、
其とは『魏』だよ。
樂浪郡徼の『徼』はパスですか?

パーフェクトの河童虫さんらしくないね。 ^^;


樂浪郡徼 去魏國萬二千里 で邪馬台国の北の境界。
去魏西北界拘邪韓國 七千餘里 で邪馬台国の南の境界
を記述してあるの。

あくまでも、樂浪郡を徼(めぐって)の道程ですよ。


302 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 17:02:36
>>299

そこかよ?
(沢山あるレスの中から)

>>300

私のレスがあるから貴方はこうして蘊蓄を並べられる。
河童を大事にしなさい。

303 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 17:03:16
301を訂正


>>296
其国は邪馬臺国
>>295
楽浪郡でOKだよ

逃げが勝ちか!
苦肉の策はそれしかない。
が、
其とは『漢』だよ。
樂浪郡徼の『徼』はパスですか?

パーフェクトの河童虫さんらしくないね。 ^^;


樂浪郡徼 去漢國萬二千里 で邪馬台国の北の境界。
去漢西北界拘邪韓國 七千餘里 で邪馬台国の南の境界
を記述してあるの。

あくまでも、樂浪郡を徼(めぐって)の道程ですよ。


304 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 17:29:40
>>303

>漢

そういう認識持ってないので


>徼

此処での徼を日本語で表現すると“めぐる”なんだけど
何がめぐるかって言うと

「起点」ね

305 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 17:49:51
倭人伝の内容を把握出来ない人が、後漢書倭伝読んでもチンプンカンだよ

背伸びしないで倭人伝に戻りなよ


後漢書倭伝は、倭人伝の補足記事だから

306 :縄文人:2009/08/12(水) 19:23:40
>>277
漢字には素人だもんですからお伺いしますが、從には1.起点を示す「から、より」の意味と 2.を通って という意味
があります(他にも従弟などに見られる形容詞的意味もありますが、ここでは関係ないでしょう)が、貴方は何故 2の
意味が正しいと言われるのでしょうか?

307 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 20:50:15
>>295
樂浪郡徼の徼は「めぐる」ではないです。境、塞の方向です。
大漢和に引いてある例文を挙げておきます。

徼、塞也。以木柵水爲蠻夷界。

おそらく「めぐる」という核となるイメージから意味のバリエーションがうまれて、
境、塞となったのでしょう。
しかし、そんな語源的な考察よりも、境・塞の意味で使用されていたという事実の方が
漢文読解には重要です。

308 :喇叭虫:2009/08/12(水) 21:13:14
河童さんは別に結論なんか出す気はないっしょ。想定外のことを言って人を驚かせる。2ch
に対してはそういった倒錯した楽しみ方をしてるように、ぼくには見えまんがね。本人の言では
言ってることの90%はオタやそうだし、調べれば結論が出ることには興味ないゆうてる。、ま、
このスタンスがずっとコテでやるための方便なんでやしょうね。だから、河童さんのレスに興味
がある人は、河童さんを利用して楽しめばいいってこって。ププププー。

309 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 21:23:19
>>308

>河童さんは別に結論なんか出す気はないっしょ

すでに地理記事は終わっています。

310 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:31:08
>>285
>後漢書は
>樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國 七千餘里
>とあるが、
>萬二千里、七千餘里の起点は何処。
>長安に決まっているでしょう。「去京師」との記述はありませんよ

この文、「其の國を去ること萬二千里」とあるでしょう。
起点は「其國」ですよ。
「其國」から樂浪郡徼までの距離が萬二千里とあるんだから。
長安は関係ないでしょう。

311 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 21:41:49
>>307

>樂浪郡徼の徼は「めぐる」ではないです。境、塞の方向です。
大漢和に引いてある例文を挙げておきます。

徼、塞也。以木柵水爲蠻夷界。


だから「塞」の意味で使用される場合は (樂浪郡徼)ではなく(樂浪郡塞)として使用します。
で、「徼」をとりでの意味で使用するときは
(徼外)として使用し、とりでの外 というよに塞の外部環境を表す場合にとりでとして「徼」をしようします。
そして「徼」一文字でとりでを表現する場合は (とりでのほとり)という表現になります。

だから樂浪郡徼の徼をとりでという表現で使用すれば、樂浪郡のとりでのほとりという
全く文とはそぐわない内容となるので  とりで の意味では使用できないということです。

大漢和は高価な辞典ですので、宝の持ち腐れにはならないように使用してください。

312 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 21:51:35
>>270 縄文人さん
>夏期の宝満川はかなりの水量ですよ。

実際、確認してから言いましょうね!

>もっとも、弥生時代の川が現在と同じだったとは考えにくいですが。先に書きましたが、
>昔は有明海が現在の陸地に入り込んでいて、小郡市の津古辺りまでは細い入り江として海だったか、
>あるいは幅の広い川であったかも知れません。

広い川?あんた〜アホかいw
ほうまん川というのは、ほうまん山の雨が流れてできた川だよwww
そして、弥生時代、日本列島は沈没してたわけではありません。
想像力豊かなのもいいのですが、もっと現実を語りましょう!
んで、ほうまん川というのは海沿いにある川ではないく、
丘高い、ほうまん山の雨が川になり、ほうまん川から筑後川へ そして、有明海に流れる。

>この辺りには干潟という地名や四三島という地名もあります。

だから何??
わたしは言ってるのは、「連なるイト、シマ」なんですよ。
関係のない地名の話はここではするべきではない。


313 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:52:41
>>311
>だから「塞」の意味で使用される場合は (樂浪郡徼)ではなく(樂浪郡塞)として使用します。

だからって、何がだからなんだろう?
「として使用します」なんて言ってるけど、その根拠は何?
根拠を示さなくていいなら、なんでも言い放題でしょう。
オレ様ルールは通用しないよ。
他の主張も同じ。

314 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 21:52:59
>>271
>>しかし、斯馬國=志摩郡 というのは、ほぼ確定してると私は思っています
>思うのは貴方の勝手でしょうが、

私と貴方の「思う」は根本的に違うのでは?
貴方は、妄想で感じたことが「思う」であって、
わたしの「思う」は、調べた結果、100%といえない部分は「思う」を使ってる。

>私と250の方は疑問を提出しているわけでして。
>その疑問にお答えにならずに
>「俺はそう思うのだからそれでいいじゃないか」みたいな言い方をされても、納得できるものではありません。
>どうぞ真面目にお答え下さいませ お大尽さま、お殿さま、神様、仏様、改め様。

なんでも、かんでも、私から教えをこうのではなく、自力で探したらどうです?
わたしは、誰かに教わったわけではなく、
自力で、そして自分の目で、自分の足で、金をはたいて、知識を得てるのデス。


315 :縄文人:2009/08/12(水) 21:54:55
>>310
この方の言われるとおりだと思います。
そして、其(其國)の西北界である狗邪韓国から楽浪郡徼までの距離が7千余里です。

316 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 21:56:19
>>311 削除訂正

そして「徼」一文字でとりでを表現する場合は (とりでのほとり)という表現になります。
だから樂浪郡徼の徼をとりでという表現で使用すれば、樂浪郡のとりでのほとりという
全く文とはそぐわない内容となるので  とりで の意味では使用できないということです


この部分を削除しします。

そして>>311のレスを 下記のレスに改めます。        


>樂浪郡徼の徼は「めぐる」ではないです。境、塞の方向です。
大漢和に引いてある例文を挙げておきます。

徼、塞也。以木柵水爲蠻夷界。


だから「塞」の意味で使用される場合は (樂浪郡徼)ではなく(樂浪郡塞)として使用します。
で、「徼」をとりでの意味で使用するときは
(徼外)として使用し、とりでの外 というよに塞の外部環境を表す場合にとりでとして「徼」をしようします。


失礼しました。

317 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 22:06:30
>>313

>「として使用します」なんて言ってるけど、その根拠は何?
根拠を示さなくていいなら、なんでも言い放題でしょう。


ちゃんと説明しているだろう
「徼」は外部環境を表現するときだけ(とりで)としての意味になるの
建造物の(とりで)として表現する場合は「塞」という文字を使用する。

だから、あなたが大漢和から抜き出したものに 徼、塞也。以木柵水爲蠻夷界。とかいてあります。

(めぐる)という表現は、外部環境を表現するところから解釈されたもの 

318 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 22:19:57
>>92 二さん
>私説は梯儁と張政のルートが異なるというもので、
>国名などは梯儁ルート、つまり伊都国=前原から奴国=福岡、不彌国=宇美町を経て南下し、
>投馬国=久留米、邪馬台国=筑後川下流域に到る。
>里行程などは張政ルート、つまり末盧国から現国道323号の観音峠を越え古湯温泉あたりが南東500里の国、
>更に南東100里で肥前国庁跡あたり。その東100里で邪馬台国の一部となっていた吉野ヶ里。
>距離、方位、比定地、全てにおいて問題のない説です。
>この説明で、伊都国=前原で問題ないことがお分かり頂けたでしょうか。
>>261 二さん
>あきらかに間違ったとこを言ってる人には山のようにレスがあるのに、不思議ですよねw

わたしも、伊都国=前原 としています。
この、伊都国=前原 と考えてる人はかなり多いので、反論しないだけではないのでは?
そして、梯儁ルート、張政ルートですが、倭人伝のどこにも、そのようなことは書かれていません。
よって、貴方の妄想と言われても仕方ないかも知れませんよ?

319 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:20:41
>>315
ある国の「方角+界」という表現は、その国の領域に含まれる部分を指します。
東界や西界などで検索してみれば、誰でも確認できます。
これから、拘邪韓國が其国つまり倭国の領域に含まれると言えます。
これは、韓伝の「南與倭接」、つまり朝鮮半島南部に倭の領域があることと符合します。


>>317
>ちゃんと説明しているだろう

説明を尋ねているんじゃなくて、説明の根拠を聞いてるの。
君が言ってるのは、君の頭の中で考えた理屈。
僕が聞いているのは、具体的に漢籍の中に現れている根拠。
根拠が示されなければ、どんなに辻褄の合う説明が出来たとしても、
それは架空の理屈でしかない。

320 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 22:24:35
「塞と徼」(とりで) の使い分け

「塞」= とりでそのものを表現する場合  守塞(とりでをまもる)

「徼」= とりでを表現するのではなく、とりでの外部環境を表現する場合に用いる  徼外(とりでのそと) 

321 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 22:31:51
>>319

>僕が聞いているのは、具体的に漢籍の中に現れている根拠

漢籍の文章を提示するのは簡単だけど
その漢籍を誰が判断するのかな? 誰かが判断するということは
君がいってる 判断する人の架空の理屈に相当しないか?

322 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:32:34
>>320
だから、そういう使い分けをするという具体的な根拠を示してくれと言ってるの。

それにしても、「徼」一字に塞の意味がなければ、「徼外」に「とりでのそと」という意味は生じえないね。
さらに、漢書師古注の文、「師古曰、徼、猶塞也。東北謂之塞、西南謂之徼。」
これは、明快に河童説と反している。
現実の漢文に反した説明は、架空の理屈としか言いようがないです。

323 :縄文人:2009/08/12(水) 22:38:11
>>314
わかりました。私の結論を申し上げます。

伊都国を怡土という古地名に、また斯馬國を志摩という地名に音が合うからとして、伊都国を現前原市に、斯馬國を現糸島半島に比定する説は
極めて怪しい。

理由:
末盧国は現唐津市の近辺から伊万里近辺(松浦)であろうと考えられるが、ここらから前原市は東北東の方角になり、東南の方角とは言えず、
距離500里は魏の公式里と言われる数値はもとよりその1/4の値を用いても前原市をはるかに越えてしまう。

また、伊都国は郡使が常に駐まる所で官も正副2名、一大率(軍の指揮官)も居る所である。ここが前原市であるとすれば末盧国からは陸路を
採らず、海岸沿いに舟で行く方が楽であり、安全でもある。あるいは、官も記載されていない末盧国を経由する必要性もない(壱岐から唐津ま
での距離と壱岐から前原市までの距離はさほど大きな違いはない)。

さらに、女王國以北については戸数道里を略載できるがその他の國については遠絶不可得詳とあるのに、伊都国が斯馬國と隣り合っていて戸数、
道里の詳細が分らない筈はないし、遠絶とは到底言えない。伊都国=怡土、斯馬國=志摩 はたまたま地名が符合しただけであって、倭人伝の記
述と矛盾する。

なお、末盧国より陸路で伊都国まで行ったのは、陸路でしか(あるいは海路では所要日数がはるかに多くなる)行けない所に伊都国があったと考
えられる。


324 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:43:10
>>321
>誰かが判断するということは
>君がいってる 判断する人の架空の理屈に相当しないか?

そんなことにはならないよ。
徼外が「とりでのそと」であることは、みな意見が一致している。
問題になっているのは、徼や徼外が使われた漢籍の文章から、
「塞の意味に使われるときは徼外だけで、徼は使われない」
という君が抽出したルール。
個々の漢文が問題なんじゃなくて、
君がそこから演繹したルールが問題になっているんだからね。

325 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:45:25
プラム=河童虫→梅毒

326 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 22:47:47
演繹じゃなくて帰納だったかな?

327 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 22:50:31
>>323 縄文人さん
勉強不足

もう1度、図書館に行って出直してきなさい


328 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 22:57:46
>>324

>塞の意味に使われるときは徼外だけで、徼は使われない

を〜 改竄したな

私はこう言ってます。

「徼」を(とりで)の意味で使う場合は、徼外のように塞の外部を対象に表現された時だけ使用すると。

徼や徼外、塞の用例は腐るほどあるので、すべてをここに提示し一つ一つ検証することは遠慮します。



329 :縄文人:2009/08/12(水) 23:02:24
>>312
私の親戚が小郡市に住んでおりまして、宝満川はよく知っております。現在は筑後川に合流しています。私が小郡市の辺り
まで有明海の入り江が伸びていたかも知れないと書きましたが、実は、福岡市から春日市、大野城市にかけて警固断層帯が
あり、この断層帯に沿って地形の変動が起っています。昔は太宰府に近い水城の辺りまで博多湾の入り江が細く伸びていた
と考えられます。太宰府近くまで舟で行く事ができたのです。その水城の反対側に小郡市があり、こちらも有明海から舟で
太宰府の近くまで来れたのです。私が干潟や四三島などの地名を挙げたのは、そのような過去の痕跡を示すものではないか
と考えたものです。

330 :日本@名無史さん:2009/08/12(水) 23:03:55
>>328
じゃあ、漢書師古注の文、「師古曰、徼、猶塞也。東北謂之塞、西南謂之徼。」は、
顔師古が間違ってるということですか。
「塞の外部かどうか」なんて関係なく、徼は塞だと言ってるんですが。

331 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 23:03:55
>>325

それは俺に喧嘩売ってんのか?  旅費出してくれるんならいつでも買ってやるぞ
最近練習休みで、体が鈍ってしょうがないから

332 :縄文人:2009/08/12(水) 23:10:55
>>327
勉強不足は認めますが、それを改めさんから言われると なんとなく可笑しくて、思わず kっkっkと呼吸が乱れます。

333 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 23:17:40
>>330

>顔師古が間違ってるということですか。

間違っているとか、いないとかじゃなくて
どうして顔師古は「徼、塞也」とせず「徼、猶塞也」としたかだよ
そして「東北謂之徼、西南謂之塞」でもいいのか?

しかも、この用例は君が判断して選んだんだんだよね?
いうなれば君の個人的な脳内思考なわけだ

334 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 23:28:04
>>330

これは飽くまで私の記憶の中の話しだから
間違っていたらごめんなさいよ。


確か?

A猶B という用法は、“AとBはだいたい同じ”
と言う時に使用され、

A、B也 よりも曖昧じゃないかな?

335 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/12(水) 23:35:44
縄文人さん
>伊都国を怡土という古地名に、また斯馬國を志摩という地名に音が合うからとして、
>伊都国を現前原市に、斯馬國を現糸島半島に比定する説は極めて怪しい。

単なる、今探して「音」が合ってるといってるのではない。
たとえば、江戸時代の学者 新井白石という人物はご存知だろう。
彼は、各地に残る地名を調べるに調べまくった人物。
私や貴方が簡単に調べただけではなく、日本のいたる地名を調べあげた人物のが説得力もあるだろう。
彼は伊都国を探した結果、音の部分に注目し、伊都=怡土説という結果になった。
怡土というのは、糸島群の旧名(イト+シマだったかな...)そして、糸島群は現在の前原市。
そうした人物も、そっちの観音峠ルートではなく、この前原市付近としてるわけですよ。

ようは、観音峠ルートに残るモノより、この糸島群周辺のが伊都国にふさわしかったということデス。

そして、大宰府に現存される「邪屆伊都 傍連斯馬」、
ようは、伊都と連なる斯馬。
この斯馬ですが、(次へ)

336 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/12(水) 23:48:12
>>330

その顔師古の元ネタって

『人有告通盗出“徼外”鑄銭』

この場合の“激外”は、(とりでの外)と訳すか、(境の外)と訳すか微妙だね
でも、どちらでも

銭を盗んで外に出た事が主体で、とりでかどうかの問題ではない。


ま、私の個人的な脳内思考だけども

337 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 00:03:24
縄文さんへのレス(続き)
斯馬=志摩郡ですが、「シマ」という地名が前原市付近にあったのは、
十四世紀の南北朝時代はもちろん、かなり遡ると聞いています(四世紀ぐらいまで)。
ええ〜志摩郡の「シマ」て四世紀ぐらい遡れるの??て声が聞こえてきそうだねwwww

>理由:
>末盧国は現唐津市の近辺から伊万里近辺(松浦)であろうと考えられるが、ここらから前原市は東北東の方角になり、東南の方角とは言えず、
>距離500里は魏の公式里と言われる数値はもとよりその1/4の値を用いても前原市をはるかに越えてしまう。
・その「東南」は説明済みw
そして、正確には書かれていなく、大まかということ。
伊都国の文だけではなく、他の国も試したらどうです?w

>また、伊都国は郡使が常に駐まる所で官も正副2名、一大率(軍の指揮官)も居る所である。ここが前原市であるとすれば末盧国からは陸路を
>採らず、海岸沿いに舟で行く方が楽であり、安全でもある。あるいは、官も記載されていない末盧国を経由する必要性もない(壱岐から唐津ま
>での距離と壱岐から前原市までの距離はさほど大きな違いはない)。
・倭人伝にはそんなことは書かれてない。
あるのは、あくまでも「陸行」。妄想はいけません。

>さらに、女王國以北については戸数道里を略載できるがその他の國については遠絶不可得詳とあるのに、伊都国が斯馬國と隣り合っていて戸数、
>道里の詳細が分らない筈はないし、遠絶とは到底言えない。伊都国=怡土、斯馬國=志摩 はたまたま地名が符合しただけであって、倭人伝の記
>述と矛盾する。
・「其餘旁國遠絶」の「旁國」というのは、「傍の国」ということ。
ようは、「近く」という解釈もできます。

>なお、末盧国より陸路で伊都国まで行ったのは、陸路でしか(あるいは海路では所要日数がはるかに多くなる)行けない所に伊都国があったと考
>えられる。
・これも同じく、「陸路でしか行けない所に伊都国はある」とは書きておらず、
妄想を語るのではなく、現実に書かれたことを言ったほうがいいのでは?

338 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 00:05:20
横からですが

「イト」は 「イタホ」の転訛です。

339 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:13:00
>>334


340 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 00:16:44
>>339

意図がさっぱりわからん?

341 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:20:32
>>335
横レスだが、新井白石は地名を調べたが、逆に言えば地名しか調べなかった。
そのほかの要素は一切考慮していないといって良い。

また、新井白石の地名比定を利用する人は、都合が良いから利用しているに
過ぎないと思う。都合の良いところだけ拝借しているとも言える。
たとえば、白石は狗奴国を熊本県南部の人吉・球磨地方に比定しているが、
伊都国を怡土に比定している人が、これに賛同しているとは思えない。

投馬国=玉名なんてのも書いているが、これを言う人もあまり見かけない。
そう考えると、伊都国=怡土の根拠もかなり薄いと思われる。否定的要素の
方が多いかもしれない。

342 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:21:21
339は、レス書く前に間違ってエンター押しちゃって、一個無駄にしてしまいました。
みなさん、すみません。なんか眠いせいかな。

>>334
>どうして顔師古は「徼、塞也」とせず「徼、猶塞也」としたかだよ

顔師古が何故猶を入れたかは解らないけど、
「徼、塞也」とした注も、史記、漢書にあるよ。

>そして「東北謂之徼、西南謂之塞」でもいいのか?

ダメなんじゃない。方言だって言ってんだから。
ただ、徼も塞も、「之」という同じものを指していることはわかるよね。

>この場合の“激外”は、(とりでの外)と訳すか、(境の外)と訳すか微妙だね
>でも、どちらでも
>銭を盗んで外に出た事が主体で、とりでかどうかの問題ではない。

顔師古は「とりでの外」と解したわけで、
注は、激は塞と解しますというのが主体であって、塞の外云々とは無関係です。
だって、書いてないから、関係のしようがない。

343 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 00:29:49
>>342

サンクスです。

344 :縄文人:2009/08/13(木) 00:31:09
改めさん
339の書き込みは説得力がありませんよ。末盧国の着点を加唐島と言われましたね。其処からだと筑前深江は東南の方角ですが、
なにせ加唐島は島ですから、それに末盧国の領内であったかも証明がないし、此処から深江に行くには海を渡らねばならないし、
おかしな話でしょう。

私の論を「倭人伝に書かれていない」と言ってはねつけますが、貴方は新井白石の説を引いて伊都国は糸島郡だと言われますが、
そんなことも倭人伝には書かれておりませんよ。ひとの論は「倭人伝に書かれていない」、「現実に書かれていることを言ったほうが
いいのでは?」といいながら、自分は倭人伝に書かれてないことを言っているではありませんか。



345 :縄文人:2009/08/13(木) 00:37:06
改めさん
訂正 339は337の間違いです。

346 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:41:08
>>344
縄文人さん。339とかのレス番号の前に、レスアンカー >> を付けてくれると、
専ブラ使ってる身としては、便利です。
まあ、めんどくさくなかったら、よろしくお願いします。

347 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 00:46:11
和歌山に伊都って場所があるけど
なんでこの名前をつけたんだろ?

348 :縄文人:2009/08/13(木) 00:49:19
>>346
以後気をつけます。
馬鹿馬鹿しい論争だもんですから当人同士で済まそうとしてしまいました。

349 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 01:11:40
>私の論を「倭人伝に書かれていない」と言ってはねつけますが、貴方は新井白石の説を引いて伊都国は糸島郡だと言われますが、
>そんなことも倭人伝には書かれておりませんよ。ひとの論は「倭人伝に書かれていない」、「現実に書かれていることを言ったほうが
>いいのでは?」といいながら、自分は倭人伝に書かれてないことを言っているではありませんか。

じゃあ、倭人伝に載ってることで話しましょう!
倭人伝のどこに観音峠ルートのほうがふさわしい記述があるのでしょうか?
倭人伝をつかって説明してもらいましょうか

350 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 01:12:56
>>344
>339の書き込みは説得力がありませんよ。末盧国の着点を加唐島と言われましたね。
>其処からだと筑前深江は東南の方角ですが、なにせ加唐島は島ですから、
>それに末盧国の領内であったかも証明がないし、此処から深江に行くには海を渡らねばならないし、
>おかしな話でしょう。
・倭人伝に記されてる国から国への里数は、国境デス。
十分考えれるでしょう。

>私の論を「倭人伝に書かれていない」と言ってはねつけますが、
>貴方は新井白石の説を引いて伊都国は糸島郡だと言われますが、
>そんなことも倭人伝には書かれておりませんよ。
>ひとの論は「倭人伝に書かれていない」、「現実に書かれていることを言ったほうが
>いいのでは?」といいながら、自分は倭人伝に書かれてないことを言っているではありませんか。

<魏志倭人伝>
自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之
常治伊都國於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

一大率というのは、伊都國に置かれた機構。
この一大率というのは、一大國と関係してるのが予想されます。
そして、「津」とあるように、海が近くにあっただろうことも予想されます。
これらは何を言ってるのか?を考えた時、観音峠ルートのほうではなく、
今の前原市のほうふさわしいことに気づかされるだろう。
「檢察」した場所、末盧國の「濱山海居」の場所にしてもそうです。
山と海の間を通る唐津街道が相応しく思えます。
これらは、倭人伝の記述は観音峠ルートではなく、前原ルートを指してるといえよう。

351 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 01:21:09
「南」か?「東」か?論争

中国、半島とも、明治入るまでは、現在の日本列島の位置ではなく
南に長く描かれていた。

混一疆理歴代国都之図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%86%E7%90%86%E5%9B%B3


352 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 01:51:17
伊都国は前原だろ

353 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 01:52:40
>>351
混一疆理歴代国都之図は、15世紀に朝鮮で作られた地図。
だから、朝鮮半島はともかく、他のところはかなりいい加減に書かれている。
日本列島も、単に行基図を書き加えたものとされる。
北を上にして地図を書くという習慣は、行基図の書かれた当時はなかった。

アフリカ大陸が朝鮮半島より小さかったり、インドネシアの島々が書かれて
いなかったりするので、現代の地図とは違う。

15世紀の朝鮮で作られたあまり正確とは言えない地図を根拠に、3世紀の中国の
地理観を持ち出すのは適切とはいえない。

それに、混一疆理歴代国都之図の姉妹図といわれる地図も見つかっているが、
これにはちゃんと東西に伸びる日本列島が書かれている。

354 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 01:56:14
>>353
その東西に伸びる日本列島が書かれている地図というのを貼り付けて頂けませんか。
どうせ、 混一疆理歴代国都之図より新しいモノでしょ?

反論するには、この混一疆理歴代国都之図より古い地図が必要です。


355 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 02:03:36
>>344
>末盧国の着点を加唐島

現在の対馬、壱岐は、長崎県
加唐島らへんから唐津半島にかけて、佐賀県に入るわけです。

縄文人さんは反論する前に、よく倭人伝をよく読んでからにしたらどうですか?
倭人伝に記されてるのは、”国境”というのがよく分かってない貴方は、
よく倭人伝をよく読んでない証拠といえましょう。

>>348
>馬鹿馬鹿しい論争だもんですから当人同士で済まそうとしてしまいました。

私の前原ルートではなく、貴方の言う観音峠ルートが馬鹿馬鹿しいのです。
私がおかしいのではなく、ご自分が・・・・ということに早く気づいてほしいんですが・・・やれやれ。


356 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 02:33:32
<後漢書>
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀...... .......

この倭奴國というのは、倭の奴国。

<魏志倭人伝>
東南至奴國百里

後漢書に記される倭の奴國とは、魏志倭人伝に記載される奴國ということ。
実は、奴國が在ったであろう博多周辺(福岡市東区志賀島)から、
漢委奴国王印 という金印が発見されました。

漢委奴国王印
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%A7%94%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0

この、漢委奴国王印ですが、「漢」の「委(倭)」の「奴」の「国王」と読むのが正しい。

後漢書、魏志倭人伝に記載される「奴國」ということです。
「奴國」は、現在の博多周辺に在った国ということが分かります。

狗邪韓國(半島)
對馬國(対馬)
一大國(いき)
末盧國(松浦)
   伊都國(前原) 奴國(博多) 不彌國(宇美) ということデス。

よって、観音峠ルートなんて、バカバカしくて笑うしかないw 〜☆ 寝ょzzz・・・・

357 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 03:52:03
寝れない・・・てことで書き込もうw

<後漢書>
其大倭王居邪馬臺國
樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國七千餘里

ようは、郡〜邪馬臺國 の進んだ距離ではなく「区間距離」が萬二千里、
郡〜西北界にある拘邪韓國の進んだ距離ではなく、「区間距離」七千餘里、
ていうことが明記されてる文です。
区間距離というのは、郡〜邪馬臺國まで、郡〜拘邪韓國までの地図上で測った距離というか、
国と国を、地図上で、真っ直ぐに直線を引いた距離と言えば分かり易いだろう。

よって、”幻の邪馬台国”は、畿内ではなく、九州に在ったということが分かる。
わたしは、”幻の邪馬台国”が、畿内に在ったという説には反対する。

畿内に在ったのは”幻”ではなく、”実在”する邪馬台国が在ったということ。
結論的にいえば、邪馬台国は九州にはなく畿内に在ったということデス。
九州=邪馬台国というのは、著者が思い描いた邪馬台国だった〜!

九州説信者からバンバン反論来そうだねw    以上

358 :畿内説の改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 04:50:59
眠れない・・・・その2

弥生時代に栄えた九州は紀元前三世紀から紀元後の一世紀まで。
紀元後一世紀、二世紀を期に衰退していってるのが現実。
そのかわり、二世紀、三世紀を期に畿内のほうが栄えてる。

なぜ、そうゆうことがいえるのか?というと、王墓からみても分かる。
現在、弥生時代の九州で王の墓といわれてるのは、
・舶載鏡、内行花紋鏡26面を有した三雲南小路墳墓(前漢時代の墓)、
・舶載鏡、方格規矩四神鏡21面を有した井原ヤリミゾ墳墓(紀元前一世紀の墓?)、
・そして、舶載鏡、方格規矩四神鏡35面と大型鏡4面を有した平原遺跡(紀元前一世紀の墓?)。
あとは、スグ岡本墳墓ぐらいか。
これ以降、九州では、王の墓クラスと思われる墓が、畿内の箸墓よりずっと後の時代にならないと出てこない。

それに引き換え、畿内では3世紀末〜4世紀初めといわれた王の墓、箸墓の構築時期が
約100年早まるといわれ、2世紀末〜3世紀初めとなる。

邪馬台国の卑弥呼の時代はというと、この2世紀末〜3世紀に当り、
卑弥呼の時代、この列島を支配したと思われる王はどこに居て、都が在った場所はどこが相応しいかというと
一目瞭然というか、九州説は、かなりきついのが現状かもしれん。

そして、鏡といえば、魏の卑弥呼が献上した時代にあたる、景初や正治の年号を持つ
三角縁神獣鏡も畿内中心で出土されている(椿井大塚山、黒塚古墳)。
http://www.youtube.com/watch?v=nA6gdNbjAUE&feature=related

まあ、箸墓の構築時期がなぜ、約100年早まるかは、
最新の研究により、分かったことだし、文献が九州寄りに書かれてる以上、
九州説、畿内説とで分かれる運命だったのは間違いない。

359 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/13(木) 04:59:17
【>>358を少し訂正】

井原ヤリミゾ墳墓(紀元前一世紀の墓?)→ 井原ヤリミゾ墳墓(紀元後一世紀の墓?)
平原遺跡(紀元前一世紀の墓?)→ 平原遺跡(紀元後一世紀の墓?)

360 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 06:12:33
そういえば河童虫さんも邪馬台国東遷説ジャンw思い出したww

邪馬台国 ドンと来いスレで東遷説くんが叩かれてるけど(可哀想になるw)
君も一緒に叩かれてきなされwwwwww


361 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 08:55:07
ヒミコは三國志に登場しますだから中国人です

362 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 10:10:58
>>360

>そういえば河童虫さんも東遷説


“思い出すな!”(笑)

邪馬台国(神武)が念願の畿内に腰をおろしたのが
五世紀末。本州侵略を再開してから実に二百余年の歳月を経た。

363 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 10:57:01
五世紀?

バカじゃないの?


364 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:07:20
つうか河童は

 倭王武 = 神武

と言う説だったんじゃなかったかな?

365 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:33:38
九州王朝東遷説か。

ダメ説の抱き合わせか。


366 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 11:42:51
畿内に進攻出来たのは、多少のいざこざはあったが、天皇家による、緩やかなアザフ関係。
決して武力による侵略ではない。
畿内の権力者とアザフすることにより、内部から広がる天皇菌の繁殖

平安期における
藤原と天皇の構図そのもの

367 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 11:46:44
 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑 舊百余國 
漢時有朝見者 今使譯所通三十國
 從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國  七千余里

 從郡至倭は、『郡を通り過ぎて倭に至る』と読む。
『楽浪と帶方の二郡の境界』を刺して『郡』。
從郡至倭の起点は、洛陽である。

其北岸狗邪韓國の『其』とは今使譯所通三十國です。
『三十國の北岸の狗邪韓國』と読む。


368 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 12:14:04
>>367

『從郡到倭』の基点は、郡ではなく洛陽と この2ちゃんで述べたのは
多分 貴方で二人目。

確か三年ほど前、プラムと言うコテが 言い出してから貴方で二人目の出来事。

369 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:31:49
>>368
確か三年ほど前、プラムと言うコテが 言い出してから貴方で二人目の出来事。

と言うことは、
2chの魏志倭人伝は三年間も時間が止まってた
といことかね。   ^^;

現在でもプラム氏は、
洛陽起点なのでしょうね。

370 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 12:42:37
369
>>確か三年ほど前、

書生の日記を辿ると、洛陽起点は、・・・・・・

2006/12/7(木) 午後 6:57

殷の貝幣は沖縄産のキイロタカラ(イモガイ)でした。
この時代は、台湾経由で大陸に上陸し陸路をとって殷の都に至った。

因みに、狗邪韓國(与那国島)と魏の都・洛陽を直線で結ぶと
洛陽東経  東経112.度 北緯34.8度。
狗邪韓國(与那国島)東経123°00′15.0″北緯24°27′45.1″。
その間は1435.76km=3323里しかありません。

魏志倭人伝の洛陽から狗邪韓國(与那国島)のルートは郡=平壌にこだわって記述されている。

『從郡至倭』は郡を経由した場合狗邪韓國(与那国島)まで七千余里ということではないでしょうか。

郡=平壌 ( ピョンヤン)は北緯 39°1'38", 東経 125°45'31"
狗邪韓國(与那国島)は東経123°00′15.0″北緯24°27′45.1″ですからその間は
1638.85km =3791里です。
平壌 ( ピョンヤン)は 北緯 39°1'38", 東経 125°45'31"で
洛陽は 東経112.度 北緯34.8度ですからその距離は1285.51km=2974.里です。

洛陽・狗邪韓國(与那国島)は3,791(里)+ 2974(里)=6,765(里)
で、7,000里の近似値になります。


371 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:08:02
直線で!

372 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:14:58
>>371
直線で!

そうです。
二点の緯度経度を測定して、二点間の距離を直線で把握した。

東南陸行五百里
東南至奴國百里
東行至不彌國百里

明記してあるから可也測定値の精度は高い。

373 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 13:16:27
>>369

プラム曰: 『從郡至倭』の基点は洛陽。しかしこれは魏略と言う特殊な箇条書だからこそ なせるわざ
倭人伝のような「倭人在帯方東南大海之中」で始まる文章で洛陽はない。
だから『從郡至倭』ではなく、『郡至倭』で、基点は帯方郡。 と

374 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:27:09
「倭人在帯方東南大海之中」
は、
主語は倭人であり、
『從郡至倭』

主語は倭国です。

若し、
「倭人在帯方東南大海之中」は「倭在帯方東南大海之中」
なら、
『基点は帯方郡。』
と、認めましょう。
その時は
当然、到其北岸狗邪韓國  七千余里 の
 七千余里の数値が書きかえれれることになる。


375 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 13:48:00
>>374

〈プラム曰:〉 倭=日本列島。倭人=日本列島の中に住まう人

倭は倭人ではありませんが、倭人は倭に内包される。
根拠は『帯方東南大海之中』

376 :縄文人:2009/08/13(木) 13:55:35
>>349
今日はお盆(いま九州に居りますもんで)で何かと忙しいのであまりお相手できません。

あの、倭人伝の記述のとおり 末盧国(貴方の仰る唐津辺りとしましょうか)から東南の方角に陸路で五百里
(魏の公式里とされるものではないとしてよいでしょ。壱岐から唐津までの距離の半分程度)ほど行って辿り
つく所が伊都国でしょ。多分、佐賀市の辺りでしょうね。昔は佐賀平野には有明海が入りこんでいましたので
港(津)も近くにあったでしょうね。こんなもんで如何でやんしょ。では今日はこのへんで失礼させてもらいます。

377 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 13:55:42
『帯方東南大海之中』

良しとしても
到其北岸狗邪韓國  七千余里
は、同時記述は有りません。
だから、
魏志倭人伝の解釈として
『從郡至倭』ではなく、『郡至倭』で、基点は帯方郡。
は、
成立しない。

成立部分は、
『帯方東南大海之中』 only です。




378 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 14:27:18
>>377

〈プラム曰:〉これは郡使の旅行エッセイではありません。文章地図
貴方の言われる事が理解出来ないそうです。
其北岸も意味わからないし。

379 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 14:58:45


旅行エッセイ風に遊んでいるのは、プラム氏の方では?

『從郡至倭』ではなく、『郡至倭』で、基点は帯方郡。

何故『從』の消去が可能なのですか?

倭在帯方東南大海中 依山島爲國 度海千里復有國 皆倭種

上記の範疇で解釈すべきで、
 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑 舊百余國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
 從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國  七千余里
の倭人を倭に置き換えて全体を解釈するのは、旅行エッセイですよ。
倭人を倭に置き変えて全体を解釈するなど、とんでもないことです。




380 :縄文人:2009/08/13(木) 15:05:55
>>379
横から口を出してすんませんが、「從郡至倭」は「郡より倭に至る」で何か不都合でもあるのでしょうか?

381 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:08:20
「從郡至倭」と「郡より倭に至る」

違いを解ってから書き込んでね。 失礼!

382 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 15:10:51
>>379

いいえ
倭人は倭に内包される、魏王朝と交易のある人。

倭人は倭の範囲内に住まい、その倭人の住まう倭とはどういう地勢なのかを文章地図にて表現したのが 倭人伝地理記事。

だから『郡至倭』(郡を基点に倭の範囲は)


…プラム語録より…

383 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:19:24
>>382
>だから『郡至倭』(郡を基点に倭の範囲は)

上記の表記表現はそれはそれでよい。
が、
帯方を起点としたら
到其北岸狗邪韓國  七千余里

消化できないだろう。
消化できるはずが無い、起点は洛陽なのだから。

無理やり消化作業をやると
(魏の公式里とされるものではないとしてよいでしょ。壱岐から唐津までの距離の半分程度)
と言う、馬鹿げた勝手論が飛び出すのだ。


384 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 15:27:16
>>383

〈プラム曰:〉
「…狗邪韓国七千餘里」の七千里は、郡の港から其(大海)までの水行区間距離
消化出来るとか出来ないではなく、水行区間距離なのです。

385 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:32:31
>>384

「…狗邪韓国七千餘里」の七千里は、郡の港から其(大海)までの水行区間距離
消化出来るとか出来ないではなく、水行区間距離なのです。

では、
帯方を円の中心として半径七千里の円を描いたら
何処に狗邪韓国が有ることになるの。

短里を発明するから大丈夫。。。ですか?


386 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 15:36:49
>>383

魏に公式里など存在しませんよ。あるのは受け継がれた度量衡制度。
この内容については、先日取上たばかりなので
直近の過去レスを参照。

第一、当時の単位を現在の単位に換算しないと読めないような文章ではありません。
何時の時代も当時の単位で読んでいますので

貴方が現在の単位に直さなければ読めないのであれば、私の範囲ではないので
此処で中断します。


現在の単位に換算し、数字との鬼ごっこが大好きな人は沢山居るでしょうから
そちらを当たって下さい。

387 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 15:38:55
七千餘里は七千餘里です。

それ以外ありません。

388 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 15:46:47
>魏に公式里など存在しませんよ。あるのは受け継がれた度量衡制度。

度量衡制度の一尺は約24cm、一里=1800尺
でしょう。

因みに、
帯方からフィリピンのマニラ迄でも
5762里程度しかない。
七千里は何処?



389 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 16:10:05
>度量衡制度の一尺は約24cm、一里=1800尺
でしょう。

そんなことどこにも書いてありませんよ
六尺を一歩と換算した場合の「里」は、 1800尺に相当するということだけです。

>七千里は何処?

郡を起点に 循海岸水行歴韓国乍南乍東 した「其(大海)」が、倭人伝でいうところの七千餘里です。


倭人伝にはフィリピンもマニラも登場しませんよ

390 :日本@名無史さん:2009/08/13(木) 16:29:03
河童虫さんはずるいぞ。

元気とか云う便利な物が出土してでしょうが。
原器かな。
其れによると一尺は現在の約24cmになちょるがね。

 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑
に、高度なテクニックって奴で
 倭在帶方東南大海之中依山島為國邑 舊百余國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
 從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國  七千余里
 
とやっちゃうんだから、
プラム氏なら一尺≒24cmがOKじゃろう。






391 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 16:36:39
>>390

一尺=約24p は、桶です。
だから一丈は約240pで、一引は約24m も桶です。

392 :縄文人:2009/08/13(木) 17:49:29
>>383 <(魏の公式里とされるものではないとしてよいでしょ。壱岐から唐津までの距離の半分程度)
と言う、馬鹿げた勝手論が飛び出すのだ。 >

なにせど素人だもんで、對海國(対馬として)から一大国(壱岐として)まで千里、一大国から末盧国(唐津辺りとして)まで
千里と書かれていますが、この里を430m程度とすると実際に合致しません。だから、魏の公式里とか言われるものは使われて
いないと考えるのは自然でしょ。末盧国から伊都国へは五百里と書いてありますから、壱岐から唐津までの距離(千里)の半分
でよいでしょ。これを馬鹿げた勝手論と言うのは、貴方の考えに都合が悪いからでしょ。ひとを馬鹿にするな。

393 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/13(木) 22:47:42
ん? レスが止んだな

なんだよ 結局数字の鬼ごっこが目的かよ

394 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 00:05:35
>>192
2・3日で埋もれてしまいそうですね・・

>倭人伝というのは、貴方が考えてるような正しい正確な寸法ではありません。
>大雑把というか、ざっとな値というか・・・。
>そして、半島から列島まで三千里という考えで、
>大まかに千里〜千里〜千里 と記したことが想像できます。

残念ながら倭人伝には、それほど大雑把な数値といえる距離は出てきていませんよ。
歴韓国の七千余里、初めの2回の渡海の千余里、これらは誤差2割程度でしょうか?
測量したものではないことを考えると非常に正確な数値といえるものです。
また陸行後の距離は100里単位で書かれています。南東500里は、400里でも600里でもなく500里と書くのが妥当だと判断した距離なのでしょう。
水行は陸行より距離の測りづらいことでしょうが、それでも、もし3回目の渡海が500里程度であれば、
やはりその程度の(500里や300里に近い)数値を書いたことでしょう。
違う言い方をするならば、千里の1/2、1/3,1/4程度の”大雑把”な数値で記述されていると言える、となるでしょうか。

半島から列島まで三千里でそれを三等分した数値を書いている、などというのは妄想ではないでしょうか。
そのような事は伝には書かれていない、といっても良いです。


>>91” へのレス
一次情報、二次情報というのでしたっけ、直接的に見たりして入手した情報と、伝聞などを通して入手した情報。
倭人伝に書かれているものが、どちらの情報であると考えられるのか。そのあたりをちゃんと考えなければ、
どの情報がどの程度正しいらしいのか、という部分を見誤ってしまうでしょう。

このあたりを考えずに、「全部が怪しい情報だ」とか「全部正しい情報というなら」とか云っている人が多い様に感じられます。

よく張政が1年以上居たとか266年までいたとか云っている説を見かけますが、その根拠をまともに書かれている説を私は見たことがありません。
「冬」の一字にすがっていたり、根拠もなく言っていたり、多くの人がそう認めているからとか(しかも何故そう考えているのかは書かれていない)。


395 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 00:26:25
>>197
ブログに書いてある「まとめ」も読んでいただけてないようで、そこは残念です。時間があれば是非お読みください♪


私の説では、「水行二十日」と「水行十日陸行一月」は行程情報ではない、です。

水行二十日は邪馬台国と国交のあった琉球までの距離(倭人からの伝聞情報)。
水行十日陸行一月は、その「水行二十日」の参考値として書かれていた、邪馬台国から郡(もしくは公孫氏の都)までの倭人が掛かる日数(倭人からの伝聞情報)。
共に不彌国〜投馬国、投馬国〜邪馬台国の距離ではない、としています。

〜不彌国〜投馬国〜邪馬台国という流れは梯儁ルートであり、里程の書かれた張政ルートでは末盧国から3ヶ国目で邪馬台国についてしまったために、
梯儁ルートの国名でいう不彌国までしか里程が書けなかった。その為それらしき情報である「水行二十日」と「水行十日陸行一月」が残り2ヶ国の距離に当てられてしまった。

おそらく当てた人物は里程を魏の里と思い、万二千里との足し引き差の1300里程度を水行二十日+水行十日陸行一月に匹敵するものだと考えたのでしょう。

逆にもしこれらが行程情報であるならば、なぜ急に里程から日程に変わったのか。途中の国々が記述されなくなったのか。上陸地点は国ではなく船を乗り捨てたのか。
などの多くの疑問が出てきますし、それらにまともな答えが用意できないのが現状でしょう?

# もし「水行二十日」の文字がなければ、おそらく古田氏のいう南接説が最有力になっていたことでしょうね。

396 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 00:36:31
まあ、妄想は一人で楽しまれたら?

397 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 00:38:06
>>269
>>貴殿の都合にそぐわない為に、ルートを各郡使に割り振りしたに過ぎない。
よく分からない言い方なのですが。私の説は私の都合にそぐわない? ルートを各郡使に割り振り?
私の説は、梯儁ルートは北九州説(九州筑紫説)の最有力の説と同じですし、
張政ルートのほうも、九州王朝さんやサガミハラさんなど、末盧国から「陸行南東500里」を
一番無理なく説明できるルートとして少なからず支持を得ているものですよ。
それぞれに支持される理由があり、そのおいしい所取りをしているのが私説です。私が勝手に組み立てたものとはあまり言えないものですよ。

もし私が陶酔しているというなら、冷や水を浴びせさせればよいでしょう。簡単なことです、2つのルートを想定し私の説のおかしな所を指摘すれば良いだけなのですから♪

398 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 00:56:57
>>272
2つのルート論の根拠は、まさに倭人伝の記述ですよ。私の説以上に倭人伝の行程の記述を上手く説明できる説はないでしょう?
倭人伝の記述がどのように解釈できるか、ではなく、どのような状況で倭人伝のような記述がなされたのか、と考えてもよいかもしれません。

もしくは「2つのルート」という仮説を提示したのですから、この仮説に基づき、矛盾やおかしなところ、現実とそぐわないところなどを指摘するのが、私の説を否定する最短距離でしょう。

今まで誰もが2度の魏使があったことを知っていたのに、誰もがその魏使のルートが同一だとしか考えられなかった。初めて私がそのルートが別のものである可能性を提示できたわけです。
今後はこの「魏使の2つのルート」説を考える人が増えてくるのではないでしょうか。なにせ倭人伝の記述を最も良く説明できるのはこの説なのですから。
もしかしたら、この「2つのルート仮説」というのは、金印の発見に次ぐくらいの大発見なのかもしれませんね♪(事故出納w)


399 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 01:00:42
>>318
>>この、伊都国=前原 と考えてる人はかなり多いので、反論しないだけではないのでは?
それだけの根拠では、私は山のように反論しているのですけどね。
とくに南東500里の逆算で末盧国を求めるものや、距離と方位を無視するようなものなど・・

>>そして、梯儁ルート、張政ルートですが、倭人伝のどこにも、そのようなことは書かれていません。
2度の魏使があったことは書かれていますが、それらのルートが同一のものだったとは、倭人伝のどこにも書かれていません♪


400 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 01:06:49
>>354
ネタなのか素なのか・・同じ名の地図のことでしょう。

http://www.nishinippon.co.jp/news/museum/special/060428.html
の下から3つ目のものなど。

それともこの地図が描かれたのが、南北に伸びるものより新しいとか古いとかいう話でしょうか?

401 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 01:21:03
横レスですいません

素人的に邪馬台国に興味があるので、お詳しい皆様にいくつかお聞きしたいのですが

@台与はトヨって読むなら邪馬台国はヤマト国じゃないんですか?同じ字でフリガナ違う意味がわかりません。

A魏史東夷伝ってどこまで信頼できる資料なんでしょうか?例えば倭以外の国(セイジュウ、ホクテキ、南蛮)の国々の地理は今の地図と比較して整合性があるんですか?

B卑弥呼って言われても、その当時の人名ってナントカナントカミコト…みたいに長ったらしいのばかりなんで名前じゃない気がするのですが、それに近い役職があったんでしょうか?
「本来は日巫女」とか書いてる本を読んだんですが、それは当時の中国語発音じゃない気がするのでピメファ(だっけ)みたいなのに近い日本語の役職があったんでしょうか。

クレクレですいませんがお答えできる方いらっしゃればお聞きしたいです。



402 :サガミハラハラ:2009/08/14(金) 01:35:27
二さんへ、倭人伝には、伊都国は「郡使の往来常に駐まるところ」とあります。
この表現は、郡使(魏使ではない)が伊都国にきて駐まったのは2回どころかかなりの回数にのぼるということではないでしょうか

403 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/14(金) 03:24:21
>>401

@は 壹與と臺與 両方とも(イヨ)と言う日本語の表現を 各史書の目的内容に合わせて漢語表記で 壹與、臺與と書かれています。
因みに ヤマトは
漢語表記 大倭(ダイワ)の音を日本で大和 と漢字表記され、漢字“大和”の日本語の意味ヤマトを
そのまま大和の読みに充てただけです。だから 大和はヤマトと読むようになりました。


A 資料の信憑性ですが

歴史資料に信憑性なんて存在しません。
資料に書かれてあることが私達の知る歴史だからです。
仮にタイムマシーンで 歴史書に書かれた「黒」が「白」とわかっても
歴史書に書かれた「黒」が私達の知る事の可能な歴史です。


B カムヤマトイワレビコ
これは個人の固有名詞ではなく
カムヤマトイワレビコと言う日本語の表現であり、カムヤマトイワレビコと言う事跡です。

カムヤマトイワレビコと言う出来事を書いたので、日本書紀の最初に
題名のように記載されました。

404 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/14(金) 03:47:23
>>401

「卑弥呼」ですが

これも 日本語表現(ヒミコ)を 大陸側の官人が
漢字の意味と日本語表現を上手くミックスして 「卑彌呼」と記載しました。

個人の固有名詞ではありません。
というか、魏志倭人伝には、倭人の日本においての固有名詞など一切書かれていません。
全て事跡です。
「掖邪狗」と言う漢字を理解出来れば、掖邪狗と充てられた倭人の人物背景がわかるように施され、
かかわる歴史が読めるようになっています。

405 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 10:49:23
>>376 縄文人さん
>今日はお盆で何かと忙しいのであまりお相手できません。

私も昨日はお墓参り、お盆の準備やらで忙しかった。
他のみなさんも、ご先祖様のお墓参りにいきましょう!

>壱岐から唐津までの距離の半分程度)ほど行って辿りつく所が伊都国でしょ。
>多分、佐賀市の辺りでしょうね。昔は佐賀平野には有明海が入りこんでいましたので
>港(津)も近くにあったでしょうね。

あいかわらず、妄想が好きですね...。
私は真実を追ってますので〜www


406 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 11:22:49
いやー、縄文人さんも、二 ◆.L.MXSPOgc さんも
少しは邪馬台国を勉強してるんだろうけど〜

まだ、まだケツの青いトコロあるよねwww
鍛えがいアルというか・・・w

二 ◆.L.MXSPOgc さん
>>402のサガミハラハラ さんの言うとおりデス。

郡使は2回ではない。
倭人伝に明記されとるでしょーが〜!w


407 :doontakuka:2009/08/14(金) 11:33:08
>>404
「掖邪狗」

凄い名ですね。
掖の音はyi ですかね、yi の音なら『一も壹』もyi ですね。
邪馬壹國の壹の音が置きかえられて掖。
邪は耶に置き換えが可能かと。耶の音は、ye ですね。
[耶和华]と書いてエホバ. [耶鱖]と書いてイエス.と読む。
エホバはanubisと同一視されている。
そのanubis は狗とどん尻に控えて「掖邪狗」。
東夷はyi それともye 。


408 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 11:48:20
>>405
>私は真実を追ってますので〜www
真実を追ってると、末盧国から東南五百里ってのは前原あたりになるのかな?
普通は佐賀市あたりになるはずだけど。


409 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 11:48:58
>>400
>ネタなのか素なのか・・同じ名の地図のことでしょう。
http://www.nishinippon.co.jp/news/museum/special/060428.html
>の下から3つ目のものなど。
>それともこの地図が描かれたのが、南北に伸びるものより新しいとか古いとかいう話でしょうか?

提示ありがとう
上記、ホームページの地図ですが、私が聞いた情報によると、
「南北に伸びるモノ」が先にあり、その後の修正版なだけでは?
それとも、「南北に伸びるモノ」が後だと証明できるんでしょうか。

410 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 11:59:03
おい、おい、こっちにも書いてくれよw

エースの河童さん、doontakukaさんにレスつけてやれってw

411 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 12:08:01
>>408
>真実を追ってると、末盧国から東南五百里ってのは前原あたりになるのかな?
>普通は佐賀市あたりになるはずだけど。

私のレス>>240-356をよく読んで下さい。


412 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/14(金) 12:38:37
>>407

「掖邪狗」は、後に和音として(エキヤク“エキアク”)と漢字音されているので
それに近い和音表現だったのでしょう。
大陸側の受け止め方は、音ではなく「掖邪狗」と言う文字

413 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:09:51
>>411
倭人伝さえ読めばことは済むはずだろ。なんでほかのくだらない文章を読まねば
ならんのだ?

414 :doontakuka:2009/08/14(金) 13:15:19
>>412
大陸側の受け止め方は、音ではなく「掖邪狗」と言う文字

邪は耶に置き換えが可能かと。耶の音は、ye ですね。
[耶和华]と書いてエホバ. [耶鱖]と書いてイエス.と読む。
エホバはanubisと同一視されている。


掖は助ける・手をかすですか?

いずれにせよanubis系に助けられて、頭に成った人物。



415 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 13:27:48
>>423
>倭人伝さえ読めばことは済むはずだろ。なんでほかのくだらない文章を読まねば
>ならんのだ?

はい〜〜?
このレスの意味がわかりませんが?

わたしは、>>408 のレス
「前原あたりになるのかな?普通は佐賀市あたりになるはず」レスに対して
伊都=前原となる証拠を>>240-356で書き込んだので読んで下さいと言っただけなんですが...。


416 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 13:44:14
倭人伝を離れたこじつけか?

417 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 14:09:05
>>394
>大雑把
・寸分の狂いもなく細かい数値がでてるわけではない ということです。
大雑把という表現を用いるか、用いないか、人によって違ってきます。

>半島から列島まで三千里でそれを三等分した数値を書いている、などというのは妄想ではないでしょうか。
>そのような事は伝には書かれていない、といっても良いです。
・千+千+千は三千デス(当たり前)。
半島から狗邪韓國(朝鮮半島)〜末盧國(九州北側)までおよそ三千里ということが分かるだろう。

>”>>91” へのレス  〜 多くの人がそう認めているからとか。  まで
・ここは上でも述べましたが、同じように感じてるようですね。
どこが正しく、どこがオカシイのか、一つ一つ調べていかなくてはいけません。

>>395
>私の説では、「水行二十日」と「水行十日陸行一月」は行程情報ではない、です。
>水行二十日は邪馬台国と国交のあった琉球までの距離
>水行十日陸行一月は、その「水行二十日」の参考値として書かれていた、邪馬台国から郡(もしくは公孫氏の都)までの倭人が掛かる日数(倭人からの伝聞情報)。
>共に不彌国〜投馬国、投馬国〜邪馬台国の距離ではない、としています。
>不彌国〜投馬国〜邪馬台国という流れは梯儁ルートであり、里程の書かれた張政ルートでは末盧国から3ヶ国目で邪馬台国についてしまったために、
>梯儁ルートの国名でいう不彌国までしか里程が書けなかった。その為それらしき情報である「水行二十日」と「水行十日陸行一月」が残り2ヶ国の距離に当てられてしまった。
>おそらく当てた人物は里程を魏の里と思い、万二千里との足し引き差の1300里程度を水行二十日+水行十日陸行一月に匹敵するものだと考えたのでしょう。

「もしくは」とか「あるいは」は分かりましたがw
それを証明していくのは、貴方であって、このレスを読んだかぎりでは
「妄想」という言葉が1番ふさわしいでしょうww
>>396さんからも言われてるではないかww

>それらにまともな答えが用意できないのが現状でしょう?
>もし「水行二十日」の文字がなければ、おそらく古田氏のいう南接説が最有力になっていたことでしょうね。
・それらを、ここで議論してるわけですが・・・w

418 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 14:47:45
>太国 ◆yVAs7uaYlY

ガタガタ言ってないで、
ここに邪馬台国=阿蘇説とやらを書き込んでみろよw

曲学の徒氏とやらの元へ行き、
どれだけ進歩したのか確かめてやるよwwwww


419 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 14:53:42
オマエの盲象紀無い節をたらふく書きこみ、こちらを説得させるほう
が先だろう。天皇が金印をもらってないのに、卑弥呼が紀無いの女王
なわけがあるまい。ww

オマエの言うB.C,60年神武即位ならば、卑弥呼の時代は以後の八代の
どこかだ。そこに女天皇が即位した記事はまるでない。つまり畿内に
卑弥呼の女王国が当時あったとは言えない。畿内に女王国が出来
るのは、推古の世までないんだよ。これで卑弥呼の女王国が畿内に
あったとは全く言えない。つまりオマエのクルクル盲象だ。ww

420 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 14:58:07
>>419 太国 ◆yVAs7uaYlY

<魏志倭人伝>
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月

これのどこが、邪馬台国=阿蘇説になるんだよ?w

昔、魏使は九州内をぐるぐる観光したとか言ってたよね、

みなさん、笑いましょう!www


421 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 14:59:14
>>419
卑弥呼の時代に天皇など、存在しない。

422 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:10:19
観光してればなるだろう。おかしいのはオマエの紀無い節よ。ww
卑弥呼が女王に即位してるなら記紀に女天皇即位崩御の記事が載る。
オマエの言うB.C.60年神武即位なら、オマエも八代あたりが卑弥呼
の時代に当たる事は否定しないだろう。なると記紀のそのあたりに
女天皇即位等の記述は全くない。これは古史古伝でもないはずだ。

オマケに遣使が北九州上陸で畿内節ならば、そんなことより山口県
上陸のほうが紀無いへ行くのにてっとり早いが、山口県上陸なんぞ
したような形跡は伝には無い。いったん北九州上陸してまた海を
渡り山口等中国地方に着いて畿内行きでは遣使は要領が悪く無駄な
労力を増すようなものだ。

100m短距離レースのタイムを長距離マラソン等でも単純計算の
マルチで結論するほど史理が青いのか?www 陸行一月とかは、
九州説にとってその時間経過は妥当な数字だよ。ww

423 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:12:32
>>421

説明不十分。
なお、改めの説だと八代あたりだから、天皇がいたことになる。

424 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 15:19:03
まあ、いいだろう、一つ、一つ、答えてやろう。

>オマエの盲象紀無い節をたらふく書きこみ、こちらを説得させるほう
>が先だろう。天皇が金印をもらってないのに、卑弥呼が紀無いの女王
>なわけがあるまい。ww

<後漢書倭人伝>
自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統

ある三十国の諸国は王国に統治されていた

其大倭王居邪馬臺國

その王国とは、邪馬台国。

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀...... .......光武賜以印綬

かの有名な、漢委奴國王の金印は、福岡県福岡市東区から出土された。
この博多付近が奴國と思われる。

邪馬台国=奈良(畿内)なので、金印は天皇家の管轄内(奴國)、
すなわち、天皇と金印が結びつくのが分かる。


425 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 15:21:44
>>422
>卑弥呼が女王に即位してるなら記紀に女天皇即位崩御の記事が載る。

卑弥呼は親魏倭王だよ。記紀が取り上げる訳がないでしょww

そして、伊都国に寄らなければいけないルールなんだよww
山口県から半島南岸に直接帰るのは非常に危険なルートなのよ
海流に、歯向かう形になるのでね。
松浦経由が最も安全なのがわからないの?

426 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 15:31:43
>オマエの言うB.C,60年神武即位ならば、卑弥呼の時代は以後の八代の
>どこかだ。

<魏志倭人伝>
丗有王皆統屬女王國

この「丗」というのは、一世代「30年間」という意味がある。
これをもとに考えた場合、
神武天皇BC60年即位とし、ざっと計算すれば、
第2代 綏靖天皇・・・BC30年即位
第3代 安寧天皇・・・西暦0年即位
第4代 懿徳天皇・・・AC30年即位
第5代 孝昭天皇・・・AC60年即位
第6代 孝安天皇・・・AC90年即位
第7代 孝霊天皇・・・AC120年即位
第8代 孝元天皇・・・AC150年即位
第9代 開化天皇・・・AC180年即位
第10代 崇神天皇・・・AC210年即位  となる。

<後漢書倭人伝>
桓 靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主
有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立為王

桓 靈閧ニいうのは、二世紀末、
卑弥呼が共立された時期とは、
第8代 孝元天皇 〜 第10代 崇神天皇 がふさわしいことが分かる。


427 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:36:46
>結びつく
卑弥呼が紀無い女で天皇が金印をもらっていない。金印名の国王は
天皇ではないよ。オマエの支持している池田仁三氏によると、金印の
側面文字は「常根津日子命」であり、命は天皇になってはいないぞ。
命は九州奴国にいて金印をもらったから畿内からそれが出土しなか
ったということだ。

九州一部支配の王がもらったものであり、天皇がもらった
んではないね。卑弥呼も九州一部支配であり、天皇ではなく別に九州
に女王国があって金印をもらったわけ。卑弥呼が畿内に住んでたなら
ば、金印は天皇がもらうことになる。まぁ卑弥呼は一部支配といって
も統一的だから全部に近かったろう。

オリンピックで金メダルは1位の優勝者がもらうわけで、1番上は
畿内では天皇だ。3位4位に金印はいかない。その天皇が金印を
もらってはいないで別の女子(卑弥呼)がもらっているわけだ。
しかし卑弥呼は女王だとはっきり伝は記しているから、男王国
(天皇国)でない女王国が男王国(天皇国)以外のどこかにあっ
たということだ。なると、どこかとは畿内でない九州だったという
ことになる。当たり前だな。

428 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 15:39:36
>女天皇が即位した記事はまるでない。つまり畿内に
>卑弥呼の女王国が当時あったとは言えない。

古事記、日本書紀 はもう読まれたのでしょうか?w
古事記、日本書紀ともに、欠史八代天皇の記事は少ない。
意図的に外されたか、分からないのか、事件記事を載せなかったのか、
もし、その時代が分からなくなってたのなら、
「女天皇が即位した記事」がなくても不思議ではない ということ。

>畿内に女王国が出来るのは、推古の世までないんだよ。

江戸時代までは、代十五代神功天皇とされていた。
この貴方の書き込みをみるだけで、いい加減なことを言ってることが分かるだろうw

>これで卑弥呼の女王国が畿内にあったとは全く言えない。
>つまりオマエのクルクル盲象だ。ww

なら、邪馬台国が九州だとする根拠を挙げて下さい。
まずは、それからですw


429 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:40:20
>>426 末行
記紀のそこの代のどこに女天皇が即位したとあるのか?www
卑弥呼は女王だぞ。

430 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:46:12
>>428
ならば崇神もオマエのいう卑弥呼の時代なんだから、記紀は欠史に
すべきではないか?www そころが崇神は欠史にしてはいないぞ。
だからオマエの説は成り立ち難い。

それとも開化までに年代を修正か〜?wwwwwww

431 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:53:34
>>428
古史古伝で神功を天皇扱いしてる事は知っているが、これは例外的で
あり、取り立てて言うまででもないことだ。なぜか? 記紀では即位
してはいない。神功は皇太后までの身分だ。だから推古の世までない
と観ていい。どうしても天皇だと言っても、余もオマエも神功の代
が卑弥呼の時代でないことは百も承知ではないか。だから細かいその
ようなことを持ち出してどうのこうのと言わないわけだ。

432 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 15:57:55
>>422 太国 ◆yVAs7uaYlY
>観光してればなるだろう。おかしいのはオマエの紀無い節よ。ww

<魏志倭人伝>
正治元年太守弓遵遣建中校尉梯雋等奉「詔書」印綬詣倭國拜假倭王
并齎詔賜金帛錦罽刀鏡采物倭王因使上表答謝恩詔

正治元年、「詔書」がくだされた文デス。
魏使が観光した?????アホですか?

妄想するのは勝手ですが、
倭人伝に書いてることを重視して物事を考えましょう!
神社へ参拝したことある人なら分かるでしょうが、
まずは、屋台など、寄り道せずに、まず神様を拝む。
皇帝というのは、当時、魏の使いからしてみれば、神様も同様。
その「詔書」をもって、「詔書」の文に記された倭王へ会いにいくわけです。
寄り道なんてしてたら、殺されますよ。

>卑弥呼が女王に即位してるなら記紀に女天皇即位崩御の記事が載る。
>オマエの言うB.C.60年神武即位なら、オマエも八代あたりが卑弥呼
>の時代に当たる事は否定しないだろう。なると記紀のそのあたりに
>女天皇即位等の記述は全くない。これは古史古伝でもないはずだ。

卑弥呼の献上というのは、当時の力関係からして仕方ないこととはいえ、
天皇家にしてみれば。恥ずかしいこと。
いわゆる、中国の皇帝に天皇が土下座したというやつです。
卑弥呼の記事を隠したって、なんら不思議ではありません。


433 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 15:58:59
>>422 太国 ◆yVAs7uaYlY  (続き〜)
>オマケに遣使が北九州上陸で畿内節ならば、そんなことより山口県
>上陸のほうが紀無いへ行くのにてっとり早いが、山口県上陸なんぞ
>したような形跡は伝には無い。いったん北九州上陸してまた海を
>渡り山口等中国地方に着いて畿内行きでは遣使は要領が悪く無駄な
>労力を増すようなものだ。

<魏志倭人伝>
自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之
常治伊都國於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

残念ですが、倭には玄関口というものがあり、倭人伝にもそのことが記載されてます。
ここらへんをみても、太国氏がいい加減に倭人伝を読んでいるということが分かるだろう?wALL

>100m短距離レースのタイムを長距離マラソン等でも単純計算の
>マルチで結論するほど史理が青いのか?www 陸行一月とかは、
>九州説にとってその時間経過は妥当な数字だよ。ww

なんじゃ、そらぁ〜wwwww 
とうとう、お笑いで逃げようとしてるて?wALL


434 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 16:33:06
>>427 太国 ◆yVAs7uaYlY
貴方の言うとおり、漢委奴國王の金印は、第一人者の天皇が金印を貰ったわけではない。
奈良の天皇に対して、天皇配下の一豪族が貰った(天皇の親戚)。
漢委奴國王の金印の「漢委奴國王」はどう訳すのが正しいか知ってますか?
これは、「漢」、「委」、「奴」、「國」、「王」 と訳すのが正しい。
ようは、倭王ではなく、倭王の下の「奴國」の王が授章されたモノ。
また言いますが、天皇配下の一豪族が授章されたモノ です。
JINZO氏の墓碑解析結果について全て信用してるわけではありません。
しかし、彼の年代は比較的、信用出来るとして照会しました。

>オリンピックで金メダルは1位の優勝者がもらうわけで、1番上は
>畿内では天皇だ。3位4位に金印はいかない。その天皇が金印を
>もらってはいないで別の女子(卑弥呼)がもらっているわけだ。

漢委奴國王の金印・・・・天皇家配下の一豪族 が授章
親魏倭王の金印・・・・・天皇家の最高第一人者 が授章 されたことが予想されます。

予想といっても、貴方がよく妄想してるアレとは違い、
私は、金印、詔文に記載されてるとおりに予想してるだけですから。

>しかし卑弥呼は女王だとはっきり伝は記しているから、男王国
>(天皇国)でない女王国が男王国(天皇国)以外のどこかにあっ
>たということだ。なると、どこかとは畿内でない九州だったという
>ことになる。当たり前だな。
・天皇家というのは、基本、男系男子ですが、一時的というか、
何らかの都合があっては、女性の王を立てています。
女性が王の時は「女王国」という表現でも良いと思います。
それに、倭人伝では、「女王国」とはあるが、「男王国」とはない。
あくまでも、女系の国ではなく、女性王の国ということ。
そして、マツリとマツリゴトというのがあって、ようは、祭祀と政治です。
魏志倭人伝には、「有男弟佐治國」とありますから、弟がマツリゴト(政治)を担当で、
太国氏の言う、女王国=九州、男王国=畿内(天皇家)というのが妄想だと分かるだろう?w ALL

435 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 16:36:23
二人ともこのエネルギーを正業に使えばなあ・・・・。

436 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 16:55:59
>>429
>記紀のそこの代のどこに女天皇が即位したとあるのか?www 卑弥呼は女王だぞ。
>>430
>ならば崇神もオマエのいう卑弥呼の時代なんだから、記紀は欠史に
>すべきではないか?www そころが崇神は欠史にしてはいないぞ。
>だからオマエの説は成り立ち難い。それとも開化までに年代を修正か〜?wwwwwww
>>431
>古史古伝で神功を天皇扱いしてる事は知っているが、これは例外的で
>あり、取り立てて言うまででもないことだ。なぜか? 記紀では即位
>してはいない。神功は皇太后までの身分だ。だから推古の世までない
>と観ていい。どうしても天皇だと言っても、余もオマエも神功の代
>が卑弥呼の時代でないことは百も承知ではないか。だから細かいその
>ようなことを持ち出してどうのこうのと言わないわけだ。

<宋史>
次「神功天皇」 開化天皇之曽孫女
又謂之息長足姫天皇 國人言爲太奈良良姫大神

外国文献では、「神功天皇」とされてるのが見えますか?
日本書紀では、「皇后」ですが、大陸側からみれば、「天皇」いわば、「女王」ということ。
卑弥呼も、中国文献では女王とされ、すなわち、卑弥呼、神功皇后ともに
一番高い位にあったが、天皇とはされなかった事が分かる。

太国さん、妄想ばかり言ってても前に進みません。
妄想ばかりではなく、現実をよく見ることが必要デス。

437 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 17:05:52
そろそろ、太国の泣きが入る頃だから、止めてやるかwww

まあ、これで、太国が進歩もせずに、のらりくらり、
文句ばかり言ってるということが、みなさんにも、分かっただろうwwww

アッハハ 〜高笑い

438 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 17:13:36
というか、
太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 15:53:34  からレスないね。

太国氏の 反論楽しみだったんだが、待つの面倒なので一旦、落ちる。

太国さん〜まあ、ゆっくりでいいので、反論よろしくお願いします。

では、一旦おち↓ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜見学人あばよwww


439 :縄文人:2009/08/14(金) 17:51:24
改めさん
お久しぶりです。
だいぶ太國ちゃんを苛めていたようですが、貴方も妄想してますよ。
宋史というのは1345年に完成(僅か3年で完成)とされています。13世紀末の元寇など元と日本の関係は
一時悪化していましたが、14世紀に入ると日本から留学生や商人がかなり出かけています。これらの日本人
が日本署紀を持ち込んだと考えられます。この日本の文献を基に宋史の日本に関する記述がなされたと考えら
れます。神功皇后のことを神功天皇と書いたのは、夫の天皇が死去した後の実質的指導者として描かれた紀の
内容から天皇と同じだとして書いたものでしょう。
だが、宋史には卑弥呼が天皇としては出てきません。倭人伝では女王です。
以上の内容から太國ちゃんを攻撃する理由は見出せませんよ。何が言いたいのですか?

440 :縄文人:2009/08/14(金) 17:54:52
>>439
訂正 日本署紀→日本書紀

441 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 19:58:35
>>432
もともと公務員は日本では遠方へ行けば、公務を兼ねて観光をやってるよ。
外国だって同様だろう。ww
オマエはそこだけは真面目な管理職のようだな?ww
人は見かけによらないからな。こういうことはおおっぴらの書面には書くまいて。

442 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 20:08:20
>>434 フ〜ン。
ジャァオマエに聞くが畿内朝廷の男王国の隣りに卑弥呼の女王国が、まるで
南北朝の如く南と北、あるいは東と西に定席1名のところ2名も天下を取った王
ト女王がwwwまるで歓喜天のように体をスリ寄せていた状態の如く両方の国が
ひしめきあって存在していたと抜かすんか?wwwww

オマエのおツムwを疑うぜハッハッハ! ppp bbb 盲象ゴクロウ!wwwww

オマエのだと紀無いに男王国(天皇国)そしてその隣りの紀無いに肌をピッタリ
寄せ合って卑弥呼の女王国がチチクリアイをしていた状況だという訳だな?ww

ウワッハッハ!wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

443 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 20:15:06
>>436
神功は即位はしていないよ。その外国古文献とやらも古史古伝式に天皇に彼女を
祭り上げただけのこと。即位なんぞはしていないさ。していたら重要個所だから、
必ずそれは記紀に載るべきものだ。紀は多数の紀の前身たる原書群の集合から
検討を充分して採用しており、即位の有無に誤認なぞあるわけがない。w

だいたい神功は卑弥呼の時代とは120年ばかりズレていて、そんな所をつついて
みてもオマエが焦点ボカシをやっているにすぎない。事は卑弥呼の時代に相当
するところなんだぜぃ。

444 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 20:23:44
>>402
「郡使」ですから、魏使ではなく公孫氏時代の人のことでしょう。

魏の使いが2回ではなく度々倭国を訪れていたとしたら、少なくともそのことが倭人伝に書かれていたでしょう。
しかし倭人伝には、魏使が3度以上倭国を訪れたようには書かれていませんし、その理由すらもなさそうです。
倭の使いが来たことは再三書かれていますよね、でも魏からのは2度だけしか書かれていないということです。

私説に則り説明するとしたら、1度目の梯儁は伊都国=前原で後の鴻臚館たる外国人専用宿泊施設や
後の大宰府たる出先(閲覧)政府機関を見て、その文化レベルを特筆すべきと書き残したのでしょう。
倭人に聞くと、公孫氏時代に郡使が再三訪れていた、彼らが来た時はいつもここを使ってもらっていた、
などという話があったのかも知れません。
「常」に引っかかるとしても、梯儁が未来の張政がここに立ち寄らないことなど知りようもありませんし、
2度の魏使の情報を下手にまとめた者は、張政が伊都国に立ち寄ったと思い込んでいたのでしょうから、
「常」とそのまま書いて間違えとも思わなかったのでしょう。

# 「2度の魏使の情報を下手にまとめた者」とは陳寿のことではありません


>>406
私は考古学は専門外なので、少ししか邪馬台国のことを知らないのです。土器やら鏡やらは皆様の書き込みがとても参考になります。
記紀などまともに読んだことがありませんし読むこともないでしょう。
そんな私が3ヶ月ででっちあげたのが私説なのですから、是非鍛えてやってください♪

445 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 20:28:40
卑弥呼が畿内朝廷内の女ならば、女王(女天皇)なんだから必ず彼女
の即位、崩御の記事が確実に記紀に載る。八代の欠史がこの卑弥呼の
即位等を書きたくないのだったんなら、八代天皇まで削除しないと
いずれ後代にて何かのゴマ不合理でイカサマがバレるのに〜一系は
しっかりと記述がなされている。なんで卑弥呼女王だけ隠匿せねば
ならないのか? その動機が存在しない。女天皇がマズイのなら、
記紀に推古、皇極等の女天皇の記録も削除してるはずだ。それが
書かれてるんだから、女天皇がいてはマズイということにはならない。

それに紀編纂当時は元明、元正両女天皇の時代だから、女天皇も
いたほうが女帝存在の正当性には有利のはずだ。だから改め(←毎回
論を改めるいい加減自信の無い野郎)の言うように八代あたりで女王
卑弥呼を故意に編者が落としていたとはありえず、考えにくい。

つまりチチクリアイが大好きな改めの歓喜天大好き盲象!www

446 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 20:33:20
>>409
私は地図に詳しくないので、それ以上はご自身でお調べください。
それらの図の元となったのがどのようなもので、何時ごろそれらが写されたと考えられるのか、
後の情報によって修正されている形跡の有無など、いろいろと奥が深そうですよ♪

この南北に伸びる倭国の混一疆理歴代国都之図はよく引き合いに出されるのでレスつけましたが、
これを根拠に南を東だと言うのは、いささか古めかしい論ではないでしょうか。

447 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 20:49:12
>>445
倭人伝に記載された「卑」弥呼の名前が気に食わなかったんだろ。
そのため神話や神功皇后の説話に置き換えたのですよ。

448 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/14(金) 20:51:49
>>417
>>・千+千+千は三千デス(当たり前)。
>>半島から狗邪韓國(朝鮮半島)〜末盧國(九州北側)までおよそ三千里ということが分かるだろう。
改めさんは、3度の渡海を2:2:1程度の距離だ、つまり1200里+1200里+600里くらいで計3000里だったのを
わざわざ足して割って、3度の渡海がそれぞれ1000里程度だったと、より不正確な記述をしたという主張ということですね。

私はそれぞれ1000里程度の渡海が3度あったからそう書いた、1000里というのは700里程度ではなく1000里と書くのが
妥当だと思える程度の距離だったのであろう、という主張です。

残念ながら私は、改めさんの主張のようなことが現実として起きるとは考えられません。
もし3回の渡海の距離を1200里+1200里+600里と計らずに、まとめて3000里と分かる何らかの方法があったのだとしたら、
3で割ってそれぞれ1000里と記した、という考えもあるでしょうが、そのような方法は思いつきません。

>>水行二十日」「水行十日陸行一月」
私はこれらを行程記事ではないと考えるに十分だと思える理由を述べましたが、それを妄想だというのでしたら、
具体的にどのあたりがどのように妄想だといえるのか、ご指摘ください。
そしてこれらが行程記事だというのでしたら、私が以前示したように、急に日程記事に変わったこと、途中の国々の記述が
なくなったこと、上陸地点の記述などがないことなど、なぜこのような記述になったと考えられる説をご披露ください。
そのどちらも出来ないようでしたら、私説と同じくこれらは行程記事ではないと認めたほうが楽になりますよ♪

449 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 21:16:58
電光説火の早業で〜今日も走らす王都倍

改め節に敢然と〜戦い挑んで去って行く〜♪

450 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 22:03:41
>>426
>歴年無主

オマエのいう紀無い節だが、>>426の表から孝元から崇神の代が
ふさわしいとぬかしているが、な〜んだ〜その表の孝元の前あたりは
歴年有主ではないか。これでは紀無い節が成立しっこないねぇ。bbb

451 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 22:31:05
>>444 二 ◆.L.MXSPOgc さん
>「郡使」ですから、魏使ではなく

郡使と魏使を分けてるね・・・
あのぅ〜、二人とも、魏使じゃなく郡使なんですがwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

この人、ウケ狙いなのか、素なのか・・・w

正確にいえば、梯雋さんは郡使で、張政さんは郡使、または、魏使ですが、
「詔」ということもあってか、俺ら、めんどくさいから、省略して、すべてを魏使と言っとるんデス。

それに、考古学が弱くて言うたんではなくて、こうゆうところ。

わたしが>>406で「まだケツの青い」とか「鍛えがいアル」て言ったでしょ?
ほんと、鍛えがいのある人ですねwwwwwwwwwwwwwwwwwww

二 ◆.L.MXSPOgc さんは、まだ、まだ、私と対等に議論できるレベルに達してないようです。
わたしの相手は、太国さんがしてくれそう・・・ww

452 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 22:39:18
なにが、「魏の使いが2回」だwww

久々に笑ろうたわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

いや〜みんな、河童さんみたいにお笑い系めざしてどうするんだwww


453 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/14(金) 23:07:31
http://www.sensin.net/enmyou/hotoke/h1.htm

454 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:26:11
改めさん
古い話を蒸し返してすみませんが、貴方が末盧国への着点は加唐島だと言われたことに未だ納得がゆきません。
加唐島は着点なんでしょ。そして此処から筑前深江は東南の方向と言えば言えます。だけど、普通では出発点から見た方角
を使うものではないでしょうか。改めさんは加唐島を着点であり、かつ出発点と考えておられるのでしょうか?

455 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/14(金) 23:48:07
>>454

>>88-89 もう一度読んで下さい

そして、倭人伝に記載されてるのは国境ということを〜


456 :日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:51:14
君達は本当にお馬鹿さん達だねwwww
エンジンのない時代の船の航海を想像してみろよ。
安全航海第一なら加唐島が着点は当たり前です。
後は岸に沿った航海で松浦から筑前深江着があったりめえだちゅうのwww

457 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:19:26
>>456

>エンジンのない時代の船の航海を想像してみろよ。

想像しなければならない理由を述べよ

>安全航海第一なら加唐島が着点は当たり前です。
>後は岸に沿った航海で松浦から筑前深江着があったりめえだちゅうのwww

当たり前とする理由があるはずだ、それを述べよ


458 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:23:05
>>455

>そして、倭人伝に記載されてるのは国境ということを〜

当時国境というものが存在していたことを証明してください。

459 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:23:16
>>457
ウツケモノメwww
 

460 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/15(土) 00:30:31
>>441
正治元年、「詔書」が下された。
観光というのは、まずありえナイこと。

>>442
>ジャァオマエに聞くが畿内朝廷の男王国の隣りに卑弥呼の女王国が、まるで
>南北朝の如く南と北、あるいは東と西に定席1名のところ2名も天下を取った王
>ト女王がwwwまるで歓喜天のように体をスリ寄せていた状態の如く両方の国が
>ひしめきあって存在していたと抜かすんか?wwwww
>オマエのだと紀無いに男王国(天皇国)そしてその隣りの紀無いに肌をピッタリ
>寄せ合って卑弥呼の女王国がチチクリアイをしていた状況だという訳だな?ww

吉野ヶ里遺跡 北内郭 http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=10
吉野ヶ里遺跡 南内郭 http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=11

同じ弥生時代の吉野ヶ里遺跡を参考にしよう。
貴方の言うとおり、ピッタリ隣りでチチクリアイしてたのかもしれないww
畿内にて、卑弥呼と男弟が一緒に居たというふうに思いませんか?

461 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/15(土) 00:32:09
>>458
>当時国境というものが存在していたことを証明してください。

なんでも、かんでも、私が君たちの質問に答えるんじゃなく、
自分たちでみつけなさいって!


462 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:37:43
>>461
あなたの言い出した国境と言う言葉に論拠を求めているだけだ。
あなたは自分の言葉に責任が持てないのか?単なるはったりで息巻いているだけか?

463 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/15(土) 00:39:30
チト電話おち

縄文人氏、太国氏へのレスはまたにする、では、さらば〜☆

464 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:46:51
>>463

逃げるのか?

逃げずに早く国境の証拠を示せ
逃げずに早く国境の証拠を示せ
逃げずに早く国境の証拠を示せ
逃げずに早く国境の証拠を示せ
逃げずに早く国境の証拠を示せ

465 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 00:47:27
質問したらなんでも答えてくれると思ってるし甘えるな

ちったぁ〜改め、河童の書き込みの多さに感心しなさい。
君らは単なる質問してるだけというか・・・

466 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:00:12
>>465
いや、言い出した人間が、自分の主張を証明しなければ。
言うだけ言って、証明はお前がしろって、そりゃあ通用しないよ。

467 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:24:01
>>456
変な人ですね。海岸沿いに舟で行くのが陸行ですか?
改めさんが居なくなれば私も去ります。

468 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 03:06:00
>>467
陸行だろうが水行だろうが船は水の上を行くんだよwwwwwwwwwww

469 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 03:17:58
>>467
お前馬鹿だろwwwww  船は誰が運ぶんだよwwwww頭使えよwwwww

470 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 03:27:37
>>467
wwwwww松浦で皆下船して陸路伊都国へ行くのかwwwww
そしてまたまた松浦の船に陸行して戻り乗船するのかwwwwww
ほんとにこのスレはアホばっかりだなwwwwwwwwwwwwwww

471 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 05:16:29
九州を陸行一月ぐ〜るぐる(笑)

472 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 06:24:52
>>468 >>470
アホはお前だろう。船をもっていくなら、下船するはずはない。
みんな乗ったままで行くよ。

473 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 07:00:53
♪回って 回って 回って 回るうううう〜

474 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/15(土) 08:02:38
>>451
公孫氏時代の郡使だから、伝にそう書いてあるのだろう、と言っているのです。
その郡使と、魏の使いを同じ郡使と呼ぶと混乱するので魏使と書きましたが、
日本語読解力が低いので伝わらなかったようですね。

何か間違えてか、お笑いになっておられるようですが、私の主張におかしなところがあるでしょうか、よく分からないです。
再度書きますが、伝には3度以上の魏の使いがあったとは書かれていませんよ。
理由もなく倭に行って記録も残さなかったものの何度も倭国に来ていた、という解釈は正しいのでしょうかね。
何度も伊都国に足を運んだ者がいれば、もっと詳しく経路などが書かれていそうなものですが。

あと地図のことで「素なのか」と言った事に根を持っているのでしょうか。
無知をさらしたようなものでしたからね。

475 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:23:47
>>474
感想と思い込みが多い内容。
また半年、レスが付かない日々を過ごしてくなはれ

476 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:26:29
>>474
皆から指摘されてると思うが勉強不足ですよ。

477 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 08:28:28
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
早く国境の証拠をだせ
突っ込んでやるから早く国境の証拠をだせ

478 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:49:59
国境かは知らんが関所?郡所?は、
年数を重ねるに従って波状に広がっているよね。あれが一応の国境だったのではなかろうか。
今でも古い民家だと家の境界は大きな石を置いてますね。
ああいうものが道の両端にあってこの先は他のムラという風にしてたと思う。

479 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 10:11:21
>>478
改めは国境と言って、多数の住人を挑発している。
国境を証明するのは当たり前。

480 :doontakuka:2009/08/15(土) 10:48:15
河童虫さん

始度一海千余里
又南渡一海千余里名曰瀚海
又渡一海千余里

海とは瀚海と解釈して宜しいですか?

瀚海との呼び名は、太平洋を刺したものですか?
対馬〜壱岐間の海を
瀚海とはさすがの中華も呼ばないだろう。


481 :doontakuka:2009/08/15(土) 11:25:45
因みに、瀚海との呼び名としては
バイカル湖やゴビ砂漠(現在のモンゴル砂漠)があるようですが。
バイカル湖は長径600km×短径30kmにも及ぶ。
600kmは魏志の長里で約1388.888888里。
ゴビ砂漠(戈壁,Gēbì)は、中国の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠。東西約1600km、南北約970km。

と、これらの数値からも
約63km≒146.25里しかない壱岐〜対馬間を瀚海と呼んだとは考えにくい。Ne.


482 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 12:13:03
>>480

>瀚海との呼び名は、太平洋を刺したものですか?
対馬〜壱岐間の海を
瀚海とはさすがの中華も呼ばないだろう。


後世梁書にて、この海域を「闊海」「瀚海」と分けているように
「闊と瀚」は、広さの範囲を区分けしていると判断できます。で、何が広いかというと
海という漠然とした基準のないの広さではなく、速い潮流の範囲が海全体か、一部かという区分けです。
つまり、
「闊海」とは 海の範囲のある部分からは潮流が速くなる
「瀚海」とは 海と表現された全体が速い潮流の部分

ということで、倭人伝に記載されている 對海國と一大國の間の海は
海全体が速い潮流だと述べられています。


広い海が太平洋などという表現は、地球全体の様子を認識できる時代からの発想です。
だから当時にその認識をあてはめることはできません。
ここでの広い狭いは、海の海流情報です。

483 :doontakuka:2009/08/15(土) 12:22:27
>>482
広い海が太平洋などという表現は、地球全体の様子を認識できる時代からの発想です。
だから当時にその認識をあてはめることはできません。
ここでの広い狭いは、海の海流情報です。

そんなことはないでしょう。
 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千里

 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
は、
何度も書いているが、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドに比定できる。

>>「闊海」とは 海の範囲のある部分からは潮流が速くなる
  「瀚海」とは 海と表現された全体が速い潮流の部分

ということで、倭人伝に記載されている 對海國と一大國の間の海は
海全体が速い潮流だと述べられています。

黒潮は無視ですか?
対馬海流も此れの別れでしょう。
つまり
対馬海流は黒潮の子供に過ぎん。



484 :doontakuka:2009/08/15(土) 12:43:33
>>481
倭人伝に記載されている 對海國と一大國の間の海は
海全体が速い潮流だと述べられています。

は、
瀚海との呼び名は對海【馬】國〜一大國間だけですか?

始度一海千余里
又南渡一海千余里名曰瀚海
又渡一海千余里
の一海は
全て瀚海であり、
始度一海千余里 と又南渡一海千余里名曰瀚海の瀚海は黒潮で
又渡一海千余里の瀚海は対馬海流である。
と、判断しました。


485 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 12:44:41
>>483

>何度も書いているが、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドに比定できる。

比定したのはdoontakukaさん個人だけであって
個人の比定によって文章内容が左右されるものではありません。


>黒潮は無視ですか?

無視ではなくて 倭人伝では一切関係のないものです。

486 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 12:52:41
>>484

>始度一海千余里
又南渡一海千余里名曰瀚海
又渡一海千余里
の一海は
全て瀚海であり、
始度一海千余里 と又南渡一海千余里名曰瀚海の瀚海は黒潮で
又渡一海千余里の瀚海は対馬海流である。
と、判断しました。


「一海」全部瀚海であるなら、あのような文章にはなりません。
最初の「始度一海・・」に瀚海を挿入し 三度出てくる一海全てが瀚海であることを示しますし
梁書にて「闊海、瀚海」の区別はされないでしょう。

ようするに
二番目の一海の「瀚海」の文字を挿入することによって、他の二か所の一海は瀚海ではないということを
同時に表すという手法です。
だから梁書の編纂者は「闊海、瀚海」と区分けし記載されたのです。

487 :doontakuka:2009/08/15(土) 13:09:31
>>486
「一海」全部瀚海であるなら、あのような文章にはなりません。

七千餘里始度一海 海闊千餘里 名瀚海 至一支國 又度一海千餘里 名未盧國

至對海【馬】國が省略され、始度一海 海闊千餘里 名瀚海と記述されている。
これは、狗邪韓國〜對海【馬】國間も海闊・名瀚海であると
解釈すべきではないでしょうか?


488 :doontakuka:2009/08/15(土) 13:15:54
>>486
七千餘里始度一海 海闊千餘里 名瀚海 至一支國 又度一海千餘里 名未盧國
の解釈は
狗邪韓國から一支國迄が海闊・名瀚海で(黒潮)で
又度一海千餘里 名未盧國は別表記になっている。
それは、海闊・名瀚海本線から分けて記述されている。
と解釈できますね。


489 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 13:32:24
>>487

>至對海【馬】國が省略され、始度一海 海闊千餘里 名瀚海と記述されている。
これは、狗邪韓國〜對海【馬】國間も海闊・名瀚海であると
解釈すべきではないでしょうか?

いいえ
同じだったら 三国志にて瀚海と明記することはなく「闊海」の語句だけで全ては完結できます。
對海國〜一大國の間と半島〜對海は状況が異なるからこそ二番目に「瀚海(海全体)」と記載し、他の前後とは違うと表現したのです。
以上のことから梁書では 「闊海」と「對海」にわけ、その間にある對海國を省略することができるのです。

これは「闊海・瀚海」の表現区分けを理解していないと
決して読める部分ではありません。
何冊かのサイトや著書をのぞいてみても、ここに注目している人は皆無といっても過言ではないでしょう。



490 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 13:42:37
先ほども一部触れたけど

「闊」とは 対象となる範囲のある地点から、それまでとは状況が変化するときなどに使用します。

「闊も瀚」も どちらも(広いさま)を表現しますが
「闊」には文字の構成に、「門」を伴うため
同じ(広い)という様をあらわすにしろ、区分の意味を伴う(広いさま)
いっぽう
「瀚」は その解釈に 砂漠という表現があるように
広いさまがまんべんなく全体にという表現がそんざいします。



・・・・河童虫の漢字の学習・・・・

491 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 13:43:40
>>489
闊海なの?  海闊だろ?

492 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 13:52:03
七千餘里,始度一海。又南千餘里,度一海,闊千餘里,名瀚海,至一支國。又度一海千餘里,名末盧國。

北史では海が抜け落ちて、闊千餘里となってるじょ?

493 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 13:53:57
やっちまったなあ

494 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 14:10:15
>>491

ご指摘ありがとうございます。

そうです。「海闊」です。  こちらのミスです。

しかし、今までの説明は「海闊」で組み立てられているので、内容の変更はありません。    

495 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 14:20:01
>>492

>七千餘里,始度一海。又南千餘里,度一海,闊千餘里,名瀚海,至一支國。又度一海千餘里,名末盧國。
北史では海が抜け落ちて、闊千餘里となってるじょ?


ここは「海闊」のように闊を形容詞(広いさま)として使うのではなく

(高さ○○)(長さ○○) というように

闊(はば)千餘里という使い方です。

496 :doontakuka:2009/08/15(土) 14:29:19
http://pds.exblog.jp/pds/1/200907/10/97/c0177497_2241385.jpg

参考にすると黒潮と一般的魏志解釈の相違点がよくわかる。

最も早い海流を横切るのは種子島近辺であることが。

497 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 14:36:06
>>496

当時そのリンクをどの編纂者が覗いたのでしょうか?
現代の知識なんて一切いりません。 当時の感覚で読まなければ、当時の文章は理解できませんよ




498 :doontakuka:2009/08/15(土) 14:39:28
漢か魏の書体の『山』という文字が出土している種子島。

黒潮の速さは良く知られていただろう。


499 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 14:50:13
>>498

「山」の形をしている絵または線ですよね?

それに、動産の発見が認識の判断に結び付かない事ぐらいは理解できますよね?

500 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 14:58:03
「山」の形をしている絵または線ですよね?

いいえ、文字です。

501 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 15:02:25
「E」じゃないんですか?

502 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 15:03:44
>>500
 へえへえへえへえへえへえ 詳しい

503 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 15:04:04
>>500

文字と断言出来る理由は?

504 :doontakuka:2009/08/15(土) 15:08:11
七千里は七千里

文字は文字だからです。
他に理由ずけはいりません。 ^^;

505 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 15:14:01
>>351 改めさん
>中国、半島とも、明治入るまでは、現在の日本列島の位置ではなく
>南に長く描かれていた。

後漢書倭伝「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」
魏志倭人伝「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
隋書倭国伝「自竹斯國以東、皆附庸於倭」

みな、列島が東に伸びていることを認識しています。

>>471
>九州を陸行一月ぐ〜るぐる(笑)

隋書倭国伝「其國境東西五月行、南北三月行、各至於海」
陸行一月は九州を何周もするような距離ではありません。せいぜい半周以下。

506 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 15:21:31
http://kataoka-re.com/modules/tnavi/index.php?lid=65

507 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 15:22:59
面白そうな話題なので参加。種子島の貝札は、おそらく渡来物ではなく現地産。しかし、島
人が書いたか、大陸の人が書いたかは不明。見るかぎりは文様ではなく、文字のようだが
書いた人が字義を理解していたかは不明。呪術的文様として見ているのかも知れない。
なんともいえないところ。
http://www2.odn.ne.jp/~nov.hechima/tanegasima.html

508 :アラタメ:2009/08/15(土) 15:23:20
隋書倭国伝は別ですが、後漢書、魏志倭人伝ともに千餘里です

たかが千餘里で列島が東に伸びていたといえるのでしょうか?

509 :doontakuka:2009/08/15(土) 15:35:42
「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」

東度海千餘里至拘奴國
とは
千餘里を数度繰り返し東に移動するの意でしょう。

ですね。 河童虫さん

510 :doontakuka:2009/08/15(土) 15:38:07
>>506 >>507

文字に一票。



511 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 15:39:50
>>432
土下座なら当時の卑弥呼も金印をもらうのを拒否するだろう。
紀の編纂当時大陸と生命を争うケンカなどしてはおるまい。隠すんだったら
神功39年の記事なんかも削除するに違いない。そんなもの載せれば卑弥呼の
いたことが分かりさらに金印をもらった恥がバレるんだから、そんな神功39年等
の記事も隠して紀から削除してなけりゃぁおかしいということになる。

ところが実際卑弥呼がいたことをここで臭わせてるんだから、卑弥呼を隠そうと
する考えが紀の編者らにあったとは全然言えない。ということはオマエの盲象
であり、歓喜天の天皇と卑弥呼のベッタリをしたいオマエの盲象が明確に
露呈していることになり滑稽至極である。ppp

512 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 15:43:03
http://www.youtube.com/?hl=ja&utm_source=ja-wh

513 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 15:47:28
>>508
>たかが千餘里で列島が東に伸びていたといえるのでしょうか?

千餘里はあくまで上陸地。そこから先の広がりは別です。

後漢書倭伝では「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」
女王国(九州)の東の海を渡った中国・四国・瀬戸内海諸島はみな拘奴国(畿内)の傘下に入った。
これが纏向遺跡が出現する後漢末期の実態だったと思われます。
これに危機感を覚えた卑彌呼は公孫氏に、次いで魏に朝貢し、東方諸国はみな自分の傘下にあると主張した。
魏も先に朝貢した卑彌呼の言い分を認めたが、瀬戸内海は狗奴国が実効支配しており、調査もできない。
そこで魏志倭人伝は「其餘旁國遠絶、不可得詳」「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」と曖昧に書かざるを得なかった。
こんなふうに推測しますが?

514 :アラタメ:2009/08/15(土) 15:56:48
>>511
>土下座なら当時の卑弥呼も金印をもらうのを拒否するだろう。
・あのね、土下座なんてしてないよwww
献上とは恥ずかしい意味で「土下座みたいなもの」として、わたしが用いたダケ。

>紀の編纂当時大陸と生命を争うケンカなどしてはおるまい。隠すんだったら
>神功39年の記事なんかも削除するに違いない。そんなもの載せれば卑弥呼の
>いたことが分かりさらに金印をもらった恥がバレるんだから、そんな神功39年等
>の記事も隠して紀から削除してなけりゃぁおかしいということになる。
>ところが実際卑弥呼がいたことをここで臭わせてるんだから、卑弥呼を隠そうと
>する考えが紀の編者らにあったとは全然言えない。
・魏と倭は良い関係を築いたのは確かだ。
そして、天皇家が数回にわたり献上してるのは事実なの。
しかし、記紀には、そのことが載ってないだろ?

んで、上にもレスしたが、吉野ヶ里遺跡の南内郭、北内郭がチチクリあってるだろ?
http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=3
何十メートルか離れた場所に男の王と女の王が住んでいた。
よって、貴方の「畿内で女王と男王がチチクリ合うなんておかしい」という説は論破されている。

515 :アラタメ:2009/08/15(土) 16:02:55
くそぅ〜こっちでは、畿内説叩きかよw
まあ、良い。

太国 ◆yVAs7uaYlY
愛知県民 ◆/aQLbFNNDU   二人まとめて相手してやろうwガハハ

516 :アラタメ:2009/08/15(土) 16:20:49
>>513
>千餘里はあくまで上陸地。そこから先の広がりは別です。

>後漢書倭伝では「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」
>女王国(九州)の東の海を渡った中国・四国・瀬戸内海諸島はみな拘奴国(畿内)の傘下に入った。
>これが纏向遺跡が出現する後漢末期の実態だったと思われます。

中国・四国・瀬戸内海諸島とか妄想ですか?w
千餘里はあくまで上陸地。そこから先の広がりは別です。 ww

>これに危機感を覚えた卑彌呼は公孫氏に、次いで魏に朝貢し、東方諸国はみな自分の傘下にあると主張した。
>魏も先に朝貢した卑彌呼の言い分を認めたが、瀬戸内海は狗奴国が実効支配しており、調査もできない。
>そこで魏志倭人伝は「其餘旁國遠絶、不可得詳」「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」と曖昧に書かざるを得なかった。
>こんなふうに推測しますが?

単なる妄想デス。

<晋書 帝紀>
正始元年春正月 東倭重譯納貢

少し考古学に関係しますが、重譯文化というのは何処だかご存知でしょうか?

517 :アラタメ:2009/08/15(土) 16:24:14
<訂正>

重譯→銅鐸

518 :アラタメ:2009/08/15(土) 16:27:00
やべえ やっちまったなwww

とりあえず、落ち(逃げ) またねwwwwwww


519 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 16:34:40
>>514
オマエ頭がおかしくなったんではないのか?ppp
九州は畿内ではないのに、オマエは畿内を九州に鞍替えている。ww

倍暦の論説だって畿内ではやってはいたが、九州でやってたかどうか
は、これまた別の話だ。

520 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 16:38:35
改めさん、重譯文化って何ですか?

推測(妄想?)ついでに言うと
狗古智卑狗=越智王子(孝霊天皇の第三皇子伊予皇子の子)
壹與は越智王子の関係者で、狗奴国=大和朝廷の傀儡。
天皇家はすべての本家であり、卑彌呼の本家だと言い張ったのでは?

521 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 16:50:41
アラタメは余に論破されたからトンヅラこいだ。

 アラタメ逃亡だな!wwwwwwwwwww

522 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 16:55:49
はいはい あんたが大将wwwww




523 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 17:00:21
ジャイアンw

http://image-search.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3&ei=UTF-8&ib=9

524 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 17:00:21
改め氏は重譯→銅鐸と勘違いし、「東倭」は銅鐸文化だから畿内と言いたかった?
しかしウィキ「銅鐸」によると
「かつては遺跡が発掘される事自体が少なく、青銅器の出土量も少なかったため、銅矛は主に北九州周辺、銅鐸は近畿から東海地方にかけての地域で出土するという偏りがあった。
・・・しかし、発掘される遺跡の増加に伴い当然のことながら青銅器の出土例も増え、「銅鐸文化圏」の地域で銅矛や銅剣が、「銅矛文化圏」内で銅鐸が出土するといったこと
(特に有名な例が吉野ヶ里での出土)が多くなり、この仮説は成り立たなくなり次第に論じられる事は少なくなった。
ただし、現在でもこれらの出土分布の傾向自体は変わっていない。」
それに「東倭」と「倭」は違うでしょう。


525 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 17:00:35
ウワッハッハ!!www 無コテか〜。

アラタメはチチクリアイの盲象大王!ppp

526 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 17:05:45
>>524
>「東倭」と「倭」では違う

逃亡者アラタメは畿内と九州が同じ(→>>514)の合体エッチppp bbb
だそうです。wwwww

527 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 17:26:44
>>526
>畿内と九州が同じ

それは困りますねえ。論争の意味が無い。
どっちでもよければ簡単に取替え可能?
私も昔は畿内説だったので他人のことは言えませんが・・・


528 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 17:42:06
>>509

この東を方角ととるか、方位ととるか
「度」は 繰り返すです。

東と言う行為を繰り返す。

529 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 17:44:10
「重譯」=しつこい程説明する。

530 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 17:57:33
しかしドツボの間違いは突飛すぎるな。銅鐸朝貢と思ったんだろうが、そんな文章が残って
りゃ、これまで邪馬台国論争に出てこない訳がない。

>>529 重譯=訳を重ねて では何故ダメなんですかね?


531 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 18:27:33
>>529

異国間の交流に、通訳は当たり前過ぎる程の行為
そんな事わざわざ書かないよ。
それまでの歴史書で、異国は言葉が違う事などは
散々記載されているからね

532 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 18:51:50
>>531
へええ。この「重譯」というのは一種の常套句で、この場合なら皇帝の威徳が遠い蛮夷まで
及んでいることや、相手国が未だ礼化されていないことを表すなどの意味を言外に含む、
と理解してたんですがねえ。まあ、いいです。

533 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:07:24
>>527

畿内説から転向したの?
ばかじゃない?

534 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:11:41
そうだよねえ。転向ってことは、一度は畿内説を信じたってことだ。
まともとは思えないな。

535 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 19:18:22
>>532

>へええ。この「重譯」というのは一種の常套句で、この場合なら皇帝の威徳が遠い蛮夷まで
及んでいることや、相手国が未だ礼化されていないことを表すなどの意味を言外に含む、
と理解してたんですがねえ

だったら
「相手国が未だ礼化されていないことを表すなどの意味を言外に含む」
の方がいいよ。
「皇帝の威徳が遠い蛮夷まで 」
の場合、三少帝紀に記載されているものならそれでもいいが、これは当時臣下の身分であった宣帝紀に掲載された一文



536 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:21:34
>>530
>重譯=訳を重ねて では何故ダメなんですかね?

それで良いですよ。現地語から直接中国語への通訳ではありません。
間に何カ国もあって、通訳1がA国語からB国語へ通訳して、
それを通訳2がB国語からC国語へ通訳して、・・・・・・
そうやって通訳を重ねて、ようやく中国の人間に通じると言ってるのですね。

直接通訳できる人がいないほど遠い国から使いが来るほど、
皇帝の徳は素晴らしいという常套句なのです。

537 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 19:26:07
>>536

>間に何カ国もあって

何処と何所?


538 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:28:52
>>537
常套句なので特定する必要はありません。

539 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 19:36:11
>>538

>常套句なので特定する必要はありません。

と言いながら
「現地語から直接中国語への通訳ではありません。
間に何カ国もあって、通訳1がA国語からB国語へ通訳して、
それを通訳2がB国語からC国語へ通訳して、・・・・・・ 」

と、なんで特定しているの?

特定しないんだから、「現地語から直接中国語への通訳ではありません」なんて
特定しちゃだめだよね?


540 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:41:24
報道で「少女A」とか出たら

「未成年を ” 特定 ” して報道した!」

…って事になるんだろうなwwwwwwwwwwww

541 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:01:59
>>534

そうだね、おそらく、
考古学上で論じられてる畿内説を、特に勉強もせずに妄信して、
その後、安本か関かトンデモ本の入れ知恵で、九州説に傾いたんだろう。
でも、ちゃんと考古学を勉強していけば、やっぱり九州説はトンデモだったことがわかるから、
何年かしたら畿内説に戻ってくるんだろうな。


542 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 20:23:39
PuPu!
何言ってのかね?ww

畿内なら卑弥呼が金印なんかもらえずに、天皇がもらってるよ。
おまけに卑弥呼当時ころの崇神前後の代で女天皇など畿内にいない。

伝は男王国(天皇国)でなく女王国だと言っており、当時畿内に
女王国が無いことは記紀から一目瞭然だ。ということは日本の他の
地域に女王国の領土があったことになる。ならば卑弥呼の国は九州
に他ならん。

543 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 20:44:47
畿内説、九州説双方の方が勝手なことを言われているようですが、
私は記紀の正しさを証明した纏向遺跡は高く評価しています。
そして倭人伝では、それが狗奴國に該当すると考えているわけです。
倭人伝通りなら邪馬壹國対狗奴國は30対1で勝負にならないはずですが、
それが「相攻撃」少なくとも互角に戦っているのは奇妙です。
卑彌弓呼=崇神、狗古智卑狗=越智王子説はかなり行けるのでは?


544 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:52:10
>>539
特定という言葉の意味が解っていないのかなあ。
x + y = z
という方程式は、x y z の関係を特定しているけれど、
xとは何か、yとは何か、zとは何かは、特定していません。

重譯は、
「現地語から直接中国語への通訳ではありません。
間に何カ国もあって、通訳1がA国語からB国語へ通訳して、
それを通訳2がB国語からC国語へ通訳して、・・・・・・ 」
という関係を特定しているけれど、
A国、B国、C国・・・がそれぞれどの国かは特定されません。
もし、これらの国を特定してしまえば、そのひと組の国々の場合しか
重譯という言葉が使えなくなります。
常套句とは、いろんな国の場合に使えるから常套句なんです。
解りましたか?

545 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:54:49
まあ、いいんだけど、まだ >>529 >「重譯」=しつこい程説明する。
について説明してもらってないよね。


546 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 20:55:48
倭人伝通りなら、女王卑弥呼と狗奴国は「與」で、男王卑弥弓呼は「素不和」

ぜんぜん争った形跡なんてないんだけれどもな〜  誰がデマ飛ばしたのか 

547 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 21:02:45
>>544

最初からわかっているよ
遊んだだけだから

だからその前の>>535で私の意見を述べているだろう


548 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 21:09:22
>>546
普通に考えれば「與」で結びつくのは「倭女王卑彌呼」と「狗奴國男王卑彌弓呼」
だと思うのですが、違うのですか?

549 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 21:21:36
>>545

>説明してもらってないよね。

「事情を何度も何度も重ねて言う」と書いてあるから (しつこいほど説明する)と表現したんです。


550 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 21:40:05
>>548

>普通に考えれば「與」で結びつくのは「倭女王卑彌呼」と「狗奴國男王卑彌弓呼」
だと思うのですが、違うのですか?

「與」と「不和」は相反するもの、「倭女王卑彌呼」と「狗奴國男王卑彌弓呼」では一体何が「不和」なのか分からなくなるでしょ






551 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 21:48:52
>>543 愛知県民◆/aQLbFNNDU
>私は記紀の正しさを証明した纏向遺跡は高く評価しています。

細かく言えば、実は祟神の宮の伝承地と纏向遺跡の範囲はずれている。

祟神の磯城瑞籬宮は遺跡の範囲より南。
位置的にビンゴなのはむしろ次代の垂仁の纒向珠城宮。

まあそうなると倭人伝の
「官に伊支馬有り・・・次を彌馬獲支と日い」
と言う部分が何やらリアリティを持ってくるとかこないとかwwwwwwwwwwwww

552 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/08/15(土) 22:32:37
まあね、卑弥呼を過大評価しすぎなんだよね。
たぶん魏志は女王が珍しいから大きく取り上げてるだけ。
倭国から見れば卑弥呼なんて大したことないよ。

あと、新唐書で天皇の名前を代々示しているが、「開化曽孫女神功爲王」みたいに
女性天皇だけはわざわざ説明を入れている。
梁書における「女国」も気になる。



倭国に行った中国の使者たちは女をあてがわれたのだろうか。

553 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 22:32:59
>>550
>「與」と「不和」は相反するもの

女王卑彌呼が仲の悪かった狗奴国と同盟し、魏と難升米に挑戦したと言っていますか?
誤解してたら失礼。

>>551
>祟神の磯城瑞籬宮は遺跡の範囲より南。
>位置的にビンゴなのはむしろ次代の垂仁の纒向珠城宮。

まあ、名前から言っても「纒向」は垂仁・景行ですからね。

554 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 22:36:45
>>548

「女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」とは

女王卑弥呼は、狗奴国を女王不属(男王属)の官である狗古智卑狗を介し間接的(ワンクッション)に統治していた。
だから「女王卑彌呼與狗奴國」

しかし、男王卑彌弓呼は女王と素不和であったために狗奴国では
女王に従うべきか、男王に従うべきかの狗古智卑狗を中心とする不安定状態に

狗古智卑狗は男王の官ではあるが、男王達を統属するのは女王国


555 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/15(土) 22:38:06
あてがわれるだと〜。ww
オマエ観光がご法度の旨主張していて、女を抱くのはご法度では
ないのか〜?ww

だからオマエは「歓喜天脳」だというんだ。bbb<<・・・・<<<

556 :傷に塩をぬる:2009/08/15(土) 22:44:49
>東倭重譯納貢
@東倭は倭ではないこと。
A重譯は銅鐸とまったく違うものであること、河童の解釈にかかわらず一般に「訳を重ねる」
 の意。
B晋代には銅鐸祭祀は廃れていること。

まあしかし、よく顔を出せるわwwwww



557 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 22:50:00
邪馬壹国の根幹でもある狗奴国の不安定は、お家内乱の種
その不安定を統括する目的が
宗主国でもある魏王朝の錦の御旗(黄幢)。魏の官人となった難升米が
黄幢を假授したのも狗奴国の安定化。

女王卑彌呼と男王卑彌弓呼の間に挟まれた狗古智卑狗は辛い立場なのよ

558 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 22:57:29
>>554
うーん、ちょっと・・・
「不屬女王」は狗奴国のことではなく、狗古智卑狗のことだと言われますか?
「男子爲王、其官有狗古智卑狗」だから狗古智卑狗が女王に属さないのは書くまでもないことでしょう。
狗古智卑狗は男王に黙って従っていればよいのです。
伊都国王でなく狗奴国王が女王に統属するというのも不可解です。

559 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 22:57:53
>>547
>「皇帝の威徳が遠い蛮夷まで 」
>の場合、三少帝紀に記載されているものならそれでもいいが、これは当時臣下の身分であった宣帝紀に掲載された一文

自分で宣帝紀と書いてるじゃない。
司馬懿は死ぬまで帝位についてないよ。それなのに晋書では宣帝紀が立てられている。
つまり、宣帝紀に書かれている事柄は、事実としては魏の皇帝の時代の事柄でも、
晋書の立場からすれば、宣帝たる司馬懿の徳によって実現した司馬懿の事績になる。
殷周革命で、実際に王位についていない文王を聖なる王者として語り伝えた伝統に則った形式。
だから、「皇帝の威徳」で全然問題ない。

560 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 23:29:38
帝についたのは司馬炎からだね。

561 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/15(土) 23:30:31
>>559

それは捉え方の違いだから、貴方の主張を否定するつもりはありません。
ましてや日本語にての表現の仕方だから。




562 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/15(土) 23:45:20
>>552
弥生時代は戦争が多く、男が死んでしまって女性の比率が高かったのだろうか?
しかし、うろ覚えだが同時代の中国のほうが人口の減少は激しかったように思える。

「倭」「委」「奴」などの漢字のイメージかと思ったりもする。
関係ないが「女真」族が「金」という国を建てたという面白い?話があった。

563 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/16(日) 00:08:59
>>558

>狗古智卑狗は男王に黙って従っていればよいのです

狗古智卑狗の直接的な上司は、狗奴国男王ではなく「三十人の男王達」
その男王達を統括するのが女王卑弥呼
男王達の中に女王と不和の実力者の男王が存在すると
狗奴国には二つの命令が届くこととなります。(女王の意の命令と、実力者男王を介した脚色された命令)

564 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 00:32:51
>>563
>「三十人の男王達」
>その男王達を統括するのが女王卑弥呼

「世有王、皆統屬女王國」で世=三十ということでしょうかね。
しかし狗奴国の「男子爲王」はこれとは別に書いてありますから「世有王」には含まれないと思いますが?
しかも狗奴国の北の奴国で女王の境界は尽きるとされて「不屬女王」と来れば・・・
世=三十に拘るなら狗邪韓國か、それが有り得ないなら「世」=魏の世でよいのではありませんか?


565 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 01:20:37
質問です。(ここでいいのか判りませんが、比較的近いと思って投下します。)
さっきウィキ見てたらヤマト王権か大和朝廷かで論争になってました。
どっちが正しいのでしょうか?
あと、どっちかが正しければどっちかは間違いということになりますか?

566 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 05:22:03
論者が九州説か畿内説かで意味がかわる。

567 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 05:44:11
日本神話の正しい順序
天孫降臨    アマテラスを神とするニニギ族(倭人)が呉より九州に渡来、銅矛祭祀
山幸海幸    縄文人とニニギ族の混血
天地開闢    イザナギ族(倭人)が越より淡路島に渡来、銅鐸祭祀。
国引き     スサノオ族(徐福)が秦より新羅経由で出雲に渡来
ヤマタノオロチ スサノウ族が出雲先住イザナギ族(蛇トーテム)を征服
大国主の国作り スサノオ族の出雲建国
神産み     大和イザナギ族と出雲スサノオ族イザナミの人質として婚姻による同盟。
        その後イザナミは出雲に逃げ戻る。追いかけたイザナギは
出雲の反撃にあう。
イザナギが黄泉から追われる話はスサノウ族のイザナギ族への戦争
        イザナミの墓は出雲山中
岩戸隠れ    出雲スサノオ族が九州ニニギ(アマテラス)族を攻め
アマテラス族が逃げた話
誓約      出雲スサノウ族と九州アマテラス族の婚姻による同盟
国産み     イザナギ・スサノウ同盟の国土開拓
葦原中国平定  大和イザナギ・スサノウ族同盟が出雲残存スサノオ族を征服
神武東制    九州アマテラス・スサノオ族神武が
大和イザナギ・スサノウ族に婿入り、同盟。大和朝廷成立


568 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 06:05:34
>>565
どちらかが間違いということはないでしょう。
私も学校では「大和朝廷」と習いましたが、今は「ヤマト王権」「ヤマト政権」が一般的なようです。
戦艦大和から宇宙戦艦ヤマトへ?(これは冗談)


569 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/16(日) 06:57:05
>>475 >>476 改めさんへ
もうしっぽを巻いて退散、白旗ですか。残念です。私は今回、結構丁寧にお相手していたつもりなのですが。
「まちがい」と言うのに、どこが間違いなのか指摘できない。
「勉強不足」と言うのに、どこが勉強不足でおかしいのか指摘できない。
まぁ改めさんのお勉強というのは何年やっているのか知りませんが、その程度のものなのでしょう。

ところで付和雷同的なレスをされていた縄文人さんとサガミハラハラさんは、私の説明にどの様な感想をもたれたのでしょうか。
否定されないなら、認めた、肯定したと皆に言ってもよろしいのでしょうか♪


570 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 09:15:19
>>569
このスレの特徴は
デンパなものや、根拠のない妄想モノは
どんなに長文を書いてもスルーされます。

571 :縄文人:2009/08/16(日) 10:19:04
>>569
私に問いかけられましたので、
伊都国を前原市の辺りに比定されることには同意できません。伊都国と怡土の語呂合わせにすぎません。
末盧国の東南にありませんし、陸行五百里が説明できません。前原市には弥生時代の王墓級の遺跡や立派な副葬品など
の出土がありますが、このことが伊都国の証明になるものではありません。そのような遺跡、遺物を残した國が存在し
たことを示すだけです。また、倭人伝には奴國の名が2回登場して別國の如くの記述になっています。戸数2万と記述
された奴國は福岡市あたりではなく、吉野ヶ里辺りの佐賀県東南部から現在の筑後川流域の福岡県側の一部を含む地域
であったと考えられます。別の奴国がかって漢から金印を貰った博多湾沿岸の國だったのでしょう。

以上のように細かい点についての見解の違いはありますが、貴方の説は面白いと思っています。私は、権威の言われる
ことを盲信しない人は好きですから。

572 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 10:24:34
>>568
やはりそうですか。ご親切にどうも。

573 :サガミハラハラ:2009/08/16(日) 13:36:00
返事おくれましてすみません。スレの進行が速くてついていけませんでした。
海峡部の距離ですが、始めて一海をわたるとあります。始めてという形容がつくということは、それまで海を渡るということはなかったということです。
しかし、倭人伝のはじめのほうには水行の記事があります。
しかるに始めてという表現を使用したということは、始めの方の水行とここからの水行が違うということです。
始めのほうの水行は沿岸部を航行しています。あとのほうの水行は沿岸部ではない、外海であるということをさします。
さすれば問題は始めて一海をわたるところはどこかということになります。
ところで、海峡部の距離は倭人伝では千里が三つでていて3千里ち解釈されていました。
ところが地図でしらべてみると、四千里ぐらいはあります。
そこで私は、この千里は省略されているのではとみました。
つまり、半島のある港を出港してから千里は沿岸孝をしたのではないかということです。
さすれば、倭人伝の部分の総和と全行程の万二千里の差が1400里あるのもうなずけます。
この1400里の1000里は海峡部の省略された千里であると。
わたしは出港地は固城であるとみています。そこから沿岸の島々の間を千里すすんだところに鴻島という一つの島があります。
そこまでが沿岸行でそこから始めて一海を渡るわけです。
皆さん、金海までいきたいようですが、その手前で海を渡るわけです。
古代船を復元して海峡を渡ろうとする実験がありましたが、失敗したことご存じですか。
金海からでは海流に流されて日本海に運ばれるのです。よって古代ではそれをみこしてもっと西の海岸から出港したのです。

水行20日、水行10日陸行1月については、水行20日は投馬国まで行く日数、水行10日陸行1月は郡から邪馬台国までの総日数とみています。

郡使の往来ですが、漢の武帝が前108年に朝鮮を滅ぼして以来とみます。
つまり、漢の使者もとみています。

574 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 13:45:25
前スレで卑彌呼=八女津媛と言ってみたものの、考古学的には邪馬壹国=八女説は厳しい。
ttp://inoues.net/yametuhime.html
「筑紫の君の背景としての素地はあるが、それにしても、さかのぼって5世紀まで戻れたとしても、
4世紀には何もない。勿論3世紀の痕跡もない。「八女津媛=女王=卑弥呼?」という書紀の記事と、
大型古墳群だけでは、今のところ、ここを邪馬台国の候補にするには決め手を欠くと言わざるを得ない。」

苦し紛れの感はあるが、あえて選ぶとすると・・・
卑彌呼の墓=「童男山(どうなんざん)古墳群」(の前にあった墓)か?という説。
ttp://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_cbe4.html
「この「童男山」という名は「徐福の渡来」に基づくという説がある。
現在発掘された被葬者は6世紀以降の人物だが、実はその前にすでに墳墓があったのを取り壊し、
新たに造った墓に合葬したのだという。」
古墳のある「童男」という地名は徐福が連れてきた童男童女に由来すると言われ、
地元では今でも徐福の命日に「童男山ふすべ」が行なわれている。
池田仁三氏も童男山に言及しているらしいが、あえてノーコメント。

575 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 13:48:17
↑パスワード変更します

>>516-518 は私のミス。
ネタ探し、と愛知県民さんへのレスを絡めたところ、失敗。
516-518は改めさせて下さい。

>>552はわたしのレスではない。
そして、勝手に私に成りすましレスしないでほしい。

>>562
それは、わたしじゃないってw

>>569:二 ◆.L.MXSPOgc さん
誰に話しかけてるの?>>475 >>476はわたしのレスではない。
思い込みが多いのは確かなようだね。

576 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 14:13:08
>>575
>516-518は改めさせて下さい。
> >>552はわたしのレスではない。

了解です。

577 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 14:32:02
>>516 愛知県民 ◆/aQLbFNNDU   さん

女王国(九州)、拘奴国(畿内)ですか〜九州と、畿内とを別モノと考えてるようですね。
デハ、この九州と、畿内とを大型古墳が築造されるまで、文化的に結びつかないと考えてるのでしょうか?
それとも、ドンコイで邪馬台国東遷説くんが叩かれてるように、
邪馬台国東遷説をとるのでしょうか?

>>519 太国
>九州は畿内ではないのに、オマエは畿内を九州に鞍替えている。ww
>倍暦の論説だって畿内ではやってはいたが、九州でやってたかどうか
>>526
>アラタメは畿内と九州が同じ(→>>514)の合体だそうです。wwwww

わたしがニギハヤヒ・神武の東遷支持派だということを忘れたのか。
九州の文化と畿内の文化は繋がっている。

たとえば、吉野ヶ里遺跡というのは紀元前二、三世紀〜紀元後三世紀の遺跡。
(北墳丘墓は紀元前二、三世紀の構築、南北の環濠跡は紀元前後
と紀元後三世紀のモノとにわかれる)

九州の豪族(ニギハヤヒ、神武)が東遷した時期とは、紀元前後が考えられる。
あなたの倍暦計算でも同じぐらいだっただろう?
ということは、九州の吉野ヶ里と三世紀の畿内は結びつくことが考えられる。

よって、>>519の「九州は畿内ではない」という吉野ヶ里と畿内は結びつけるなという貴方の主張は通らない。
まあ、私は九州の東遷を証明しなくてはならないのですが、
もし、わたしの主張が通れば、貴方は、ご自分の考えた「倍暦年代」、
もしくは、吉野ヶ里遺跡の「紀元前二、三世紀〜紀元後三世紀」という先生達の考え出した年代を
否定しなくてはいけないだろうww
まあ、最後に笑うのは、この改めということかなw ガッハハ

578 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/16(日) 14:32:15
>>564

>世=魏の世

これは考える必要はないでしょう。
「女王国」という、女王が存在するという限られた時間設定がされているので
「魏の世」などと
二重に時間の範囲設定をする必要性がないからです。女王国にて統属されるのは、最大女王在任期間だけです。

「世」は“有王”の所在範囲、しかも“在王”ではないので固定ではない。
王は、世の所在範囲に限りを設ける漢字表現です。

579 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 14:46:11
>>577
繋がっていようが、あのときはオマエが畿内説だというから、畿内
限定での不合理をつついたまでさ。そこに九州に鞍替えてどうの
こうのいうのは、オマエが真面目に抗弁できないための言い逃れ
の焦点外しなわけなんだだねぇ〜。

昨夜は重譯だったか、これでオマエは旗色悪くまたもや、そこでは
1回限り書きこんで逃走だねぇ〜。wwwww

580 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 14:48:25
>「三十人の男王達」

「世有王、皆統屬女王國」の世=三十?
どうでもいいけど、貴方の師匠さんが言ってる「三十」はそこじゃないてwwww
それとも、彼も貴方と同様に「世」を三十と言ってる、マヌケさんなのか・・・?!


581 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 14:48:39
>>577
>九州と、畿内とを大型古墳が築造されるまで、文化的に結びつかないと考えてるのでしょうか?

いいえ。
私も神武の東遷支持派です。邪馬台国東遷説ではありません。
文化的な統合、経済統合、政治統合は分けて考える必要があるかと思います。

582 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 14:50:47
>>579

私は、>>575で改めている。

次は、お前さんが改める番だよ。


583 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 15:05:04
>>582
どうせオマエは来年また論説のクルクル鞍替えをやるんだろうが。w

オマエは紀の八代間が欠史なのを紀の編者連が隠したような抗弁を
してそれで欠史なのだとかぬかしていたが、およそ女王国という
ドでかい広大なもので当時附近住民がいるわけだから、隠匿など
できっこない。そうならば神功39年等の紀の記事も卑弥呼がいること
に都合がわるいのならば、これらの記事も編者らは削除しているに
違いない。こんなのを紀に挿入してたんでは、卑弥呼の所在がバレ
るんだから、これはマズいと思って書かない筈だぜ。が、神功39年等
の記事は厳然として紀に記載がある。ということはオマエの言う
卑弥呼を都合悪いので隠匿したという説は成立しっこない。

それにそんなに不都合ならば隠したって附近住民の口からいずれは
四方に漏れて卑弥呼の所在がバレるんだから、編者連はそんな隠匿
などという馬鹿なマネよりも、むしろ卑弥呼を悪く書いて、朝廷に
従わさせたとか卑弥呼と戦争をやって属国にしたとか紀に記載
するほうをむしろ選択するに違いない。だから隠すことなどありっこ
ない。つまりオマエの抗弁は即興でオマエが考えたのろまな言い訳
にすぎないのだ。ppp bbb!

584 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 15:16:09
>>542 太国 ◆yVAs7uaYlY
>伝は男王国(天皇国)でなく女王国だと言っており、当時畿内に
>女王国が無いことは記紀から一目瞭然だ。ということは日本の他の
>地域に女王国の領土があったことになる。ならば卑弥呼の国は九州に他ならん。

上記のレスおよび、>>427のレスをみても分かるとおり、
天皇国は男系で、卑弥呼は女系という考えで反論していることが分かるだろう?

ここは、軽〜〜〜〜〜〜〜〜く、太国氏の説を論破してやろう(みなさん、注目!)。

<魏志倭人伝>
「其國本亦以男子為」王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
<晋書>
「舊以男子為」主漢末倭人亂攻伐不定乃立女子為王名曰卑彌呼

上記の文で明記されているとおり、卑弥呼のところは「男系」です。
「女王国」と書いてあるから「男王国(天皇国)」ではないという考えはおかしいわけで、
卑弥呼は、一時的に担ぎ出されたことが分かる。
従って、太国氏のいう、反論文(>>542>>427)の
「男王国(天皇国)でない女王国が男王国(天皇国)以外のどこか」という主張は成立しない。

ハイ〜みんなで、太国さんを笑ってあげましょう!wwwwwwwwww

585 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 15:26:06
>>584
改めさん、横ですが、揚げ足取りだと思います。
記紀で一時的に女帝が担ぎ出された記録は、清寧天皇死後の飯豊皇女以前はありませんから。



586 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 15:27:42
>>569 二 ◆.L.MXSPOgcさん
>もうしっぽを巻いて退散、白旗ですか。残念です。私は今回、結構丁寧にお相手していたつもりなのですが。
>「まちがい」と言うのに、どこが間違いなのか指摘できない。
>「勉強不足」と言うのに、どこが勉強不足でおかしいのか指摘できない。
>まぁ改めさんのお勉強というのは何年やっているのか知りませんが、その程度のものなのでしょう。

このレスは人違いとはいえ、私宛にレスしたのだろう...。
というか、>>475 >>476さんの言ったことは私も含め皆、感じたこと...。

ようは、私と貴方とではレベルが違うということ。
どこを間違えてるか指摘をして欲しいらしいが、何で君に教えてやらないといけないの?
私は、君のティーチャー(先生)ではないてwwwww

>ところで付和雷同的なレスをされていた縄文人さんとサガミハラハラさんは、私の説明にどの様な感想をもたれたのでしょうか。
>否定されないなら、認めた、肯定したと皆に言ってもよろしいのでしょうか♪

呆気にとられてるだけだってwwww

587 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 15:33:19
神武から崇神までは記紀の系譜に女天皇など1名たりとも存在
しない。これは卑弥呼が畿内朝廷と無関係だったからであり、女幽霊
以上に畿内に卑弥呼がいた実体はまるで無い。改めはこれを紀の
編者連が都合が悪く八代を欠史として卑弥呼を隠したとてっとり早い
いい加減な抗弁でその場をチョロマカシているが、そうならば
神功39年等の卑弥呼の記事も都合悪いのに紀に載っているのが奴の
抗弁の矛盾である。そんなことをしてまで卑弥呼を隠したいの
ならば、隠すよりも卑弥呼を悪人に仕立てあげて朝廷が卑弥呼を
やっつけたとかする記事に改変するほうを選択するはずだ。だから
改め丸の言い分はデタラメであって、成立なぞあるわけがな〜い。w

改めは畿内に男王国と卑弥呼の女王国がwww歓喜天wwwの
チチクリアイでのウッウッウ〜〜〜ンと抱き合わせを喜んでいる。
古代史は同伴喫茶やラブホテルではない。wwwww

しかも改めは畿内の話の途中で負け運んできたので、途中九州に
土地変更し詭弁をたくましうしている。ww

改めは昨日、余と各位にコテンパンに論破され、手負いの獅史に
追い詰められている。ppp bbb wwwww
今日もまた改め丸は余らに論破され、明日にでも妄想をまたもや捏造
するだろう。www

588 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 15:40:32
銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢
銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢
銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢銅鐸納貢
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

589 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 15:47:59
九州にも卑弥呼がいた実体はどこにあるんだよw

590 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/16(日) 15:48:12
>>578
「次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國」
ここを見ると、狗奴國王が他の男王と同じ立場(単に不和なだけ)とは思えませんが?

>>588
改めさん、間違いは誰にでもありますよ。

またいつか来ます。
GRRR・・・

591 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 15:49:11
>>581 了解デス。

>>585 いや、太国氏は部分的にミスっただけではなく、そこが「根」となってるというか、
根本的なところを、改めさせるために、>>584のレスをしたんです。

>>583 太国 ◆yVAs7uaYlY さん
わたしは、卑弥呼は最上位(この列島を支配する王)についていたにもかかわらず、
大陸へ献上した という恥ずかしい事実を隠した という意味でいってるんです。
日本書紀に卑弥呼が載ろうが関係ない。
そして、この日本書紀と倭人伝の違いは何か、を考えたとき、
わたしの考えたことがごく自然に思えるハズ。

592 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 16:04:14
>>589
畿内に実体がないということは記紀からの帰結だ。
ならば遠回しに畿内でない九州に女王国があったといういうことに
なるのだ。

それとも畿内のどこに女王国の実体があったのか? 南北朝の如く
境界線をまたいでチチクリ合ってたのか? そうならばオマエの盲象
だよ。男王国(天皇国)と卑弥呼の女王国が畿内の中 隣り合わせで
抱き合い、並存してた実体があるのか?

593 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 16:05:28
>>587
>神武から崇神までは記紀の系譜に女天皇など1名たりとも存在 しない。

しかし、その神武から崇神までの間の時代、すなわち、倭人伝には
「女王」として卑弥呼が登場する。

>これは卑弥呼が畿内朝廷と無関係だったからであり、女幽霊
>以上に畿内に卑弥呼がいた実体はまるで無い。

<倭人伝>
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼

これを、わたしが今、レスを読んでいる人達に、分かり易くしてみせますが、

その国、もとはというと、男子を王とする。
七、八十年、安定した時期が続いたが、倭國が乱れ、
互いが攻撃すること数年が経ち、
すなわち、一人の女子を共立てに立てて王とした。
その王の名を卑彌呼という。

この卑彌呼という女王ですが、

卑彌呼というのは、「ヒ」「ミ」「コ」という音であり、
何のことかというと、漢字にして、「日巫女」、又は、「日御子」となる。
この「日巫女」、「日御子」というのは、「日出(いずる)処の巫女(御子)」
すなわち、「日いずる処の巫女」とは天皇家ということになる。

卑弥呼=天皇家 でなければ何ですか? もしかして九州王朝 とでも?
では、卑弥呼=九州王朝の王 とやらでも説明してもらいましょうか!


594 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 16:06:00
>>589
畿内の男の天皇が金印をもらったという事実がどこにあるのか?

595 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 16:10:08
>>593
オマエは卑弥呼を孝元〜崇神の間の女だと言ったが、それでは
崇神の母がppp卑弥呼で女天皇(女王)だと固く主張するのか?
それとも開化の母か?wwwww


596 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 16:28:58
>畿内の男の天皇が金印をもらったという事実がどこにあるのか?

それは、上のほう説明しただろう。
>>434でも書いたとおり、
「漢委奴国王」というのは、「畿内の男の天皇が金印をもらった」わけではない。
その記載された「字」から分かるはずだと。
ようは、第一位の人物ではなく、畿内の天皇に対して従っていたモノ。
そして、「親魏倭王」の印や「倭國王帥升等獻生口百六十人」記事に当たる人物は、
畿内天皇家の第一人者。

卑弥呼というのは、
天皇家の最上位として君臨しながら、日本書紀ではその記載がなく、
「消された王」だったということが分かる。

>>595
>オマエは卑弥呼を孝元〜崇神の間の女だと言ったが、それでは
>崇神の母がppp卑弥呼で女天皇(女王)だと固く主張するのか?それとも開化の母か?wwwww

わたしのレスをよく読んでからレスしましょう!>>426
「第8代 孝元天皇 〜 第10代 崇神天皇」の時代とあるだろう?
それに、わたしは、卑弥呼は「崇神の母」とか、「開化の母」とか
一言も言った覚えは無い。
逆にどうして、それになるの?て聞きたいぐらい。
太国 さん〜説明宜しく!


597 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 16:31:42
おお〜ミス

第8代孝元天皇〜第10代 崇神天皇でOKデス。
たまに、ちょんぼするので、大目に見てね ALL


598 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 16:43:01
>>587
>改めはこれを紀の編者連が都合が悪く〜
> (省略)
>明日にでも妄想をまたもや捏造するだろう。www    まで

グダグダ言ってても始まらない、人を批判するだけではなく、ご自分の考えを述べて
それの説明をして、これら書き込みを読んでいる人たちに納得してもらうべきである!

そして、わたしは、倭人伝に記載された「卑彌呼」という名が、音はどうゆうふうで、日本の何に当たるのか?
>>593のレスで答えた。
次は太国氏の番か???? 答えれないんであれば、無理をせず、答えなくてもいいよw>太国

599 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:55:26
>>593
>その国、もとはというと、男子を王とする。

自分の書いた文章を、後百回読み返してから出直しなさい。日本語の使い方がまるで在日系です。
『もとはというと』は、起きた事柄に対し振り返り、原因を表す時に使用し

使い方の例をあげれば
「この喧嘩は、(もとはというと)貴方の発した一言とが」
のような時に使用します。

貴方が日本語にて投稿するのは、もう少し日本語を勉強した後の方が
皆に笑われないとおもいます。

600 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 16:55:36
卑弥呼の時代は伊都国、台与の時代は巻向に王都があったと思うよ

601 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 16:59:50
サガミハラハラ氏へ
倭国歴訪で、魏志倭人伝の風俗記事は
まだ、取り掛かってないようなことを言ってた記憶があるんですが、
いつ取り掛かるのでしょうか?w

そして、太国さんは落ちたのかな?!
まあ、今頃、私の畿内説にビビって布団の中で怯えてるのだろう アッハハ

では、落ち↓ ロムラーまたのう〜!

602 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 17:06:57
>>596
な〜んだ、>>589はオマエが無コテでこっそり反問したのか〜?
オマエは小細工もやるんだな。論破されると別人の無コテで操作して
やってくるわけか? オマエも弱いか細い手の持ち主なんだねぇ〜。

誰に消されたもか? ハハッ!www
もともと畿内に女じゃねえから幽霊以上に記紀に卑弥呼の実体が
伝からの借り物しか全然ないわけだよ。

603 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:09:21
>>592
>ならば遠回しに畿内でない九州に女王国があったといういうことに
なるのだ。
それは単なる願望じゃないかw

604 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 17:10:51
>>603
オマエは畿内九州以外説なのか〜?

じゃぁ他にどこだと言うんだ? 根拠を上げてい言ってみい。

605 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:11:40
>>602
改めさんとは当然別人ですが。

606 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 17:15:06
>>605
おまえがヨコから猪ッ戒を入れるから改め丸がつけ上がるんだ。>|<

記紀に実体が無いということは、畿内に卑弥呼の活動の形跡が
無いということだ。ならば卑弥呼の国は九州だということが遠回しに
判明する。〜余計なことを言うな。

607 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/16(日) 17:18:53
>>599
お前こそ、もう一度勉強してこい

それに、君は、人が苦労して、「読んでいるロムらーに
分かり易くした文」に対してただ文句言ってるだけw
それに、わたしは翻訳したわけではない。

頼むからもう少しレベルを上げてくれwwww

>>600
あっち(ドンコイ)で叩かれている東遷くんぽいね〜あんたw

>>602
それは、わたしではない。
まあ、よい、今日のところはこれぐらいで勘弁してやるwww 落ち↓

608 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:29:36
固定の勝ち

609 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:41:50
>記紀に実体が無いということは

神功紀にさりげなくも挿入されでるべや。
編纂者は年代が分っていだんか?
邪馬台国の実体が分っていだんか?
邪馬台国をむしょうに書きたがった事は伝わっでくるが。
いずれにせよ、神功紀に挿入されでるべや。

610 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:46:16
>>606
>記紀に実体が無いということは、畿内に卑弥呼の活動の形跡が
無いということだ。ならば卑弥呼の国は九州だということが遠回しに
判明する。
全く意味不明でしょう。極力歴史を古くしたい大和朝廷にとって
中国側に記述の残る邪馬台国ヒミコの存在は
正直扱いに苦労したのでしょう。
そのためヒミコ〜トヨを神功皇后等に見立てて
業績を脚色したりしただけです。

それに私はヒミコは読みがヒミホで出雲(丹波)の媛という説です。
これなら畿内に実体というか伝承も多くありますよ。

611 :サガミハラハラ:2009/08/16(日) 17:58:00
魏志倭人伝の風俗記事に関するわたしの研究はまだはじまっておりません。
先に歴史や当時の勢力圏などつめていく必要があります。
というのは、風俗記事には倭国以外に情報が含まれているキライがみられるからです。
いつとりかかれるかは全く不明です。取りかかる前に死んでしまうかもしれません。

612 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 18:11:01
>>607
>読んでるロムらーに、分かり易くした


ここは在日仲間だけが会話する所ではない。あなたの日本語の使い方が間違っていれば
分かり易くしたという、日本語自体が矛盾したものとなる。
分かり易くする事と、間違った日本語を使用する事は違う次元である事を知り
投稿前に百回読み直し、チラシの裏に試し書きしてから三年後に投稿してくれ。

613 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 18:12:06

天照大神の事だろ!



614 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 18:52:43
天照大神は神様だろう。
人間じゃないよ。
神話を改竄したがるのは安本の得意技なようだが。

神話は神話として事実なんだよ。本当に神様はいる。高天原で実際にある話だ。
安本の罰当たりが。

615 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 19:48:03
>>609
そんなことは分かりきったことだろうが。いつも毎回論で言ってるだろうが〜
〜伝の借り物を除いてはとね。オマエはまだ余の論の書きこみを読んでないのか?

それは純粋に紀の原書群からのものではなく、外来の倭人伝のものだろうが。
畿内に卑弥呼が活動して日本独自原書群からの具体性ある文面が全く紀には書かれ
ていないということを言ってるんだよ。原書群にしっかり崇神前後に卑弥呼の記事
があれば、紀に記載されて然りだということだと。それが無いということは
これら紀の前身の原書群に全く卑弥呼の女王即位等の記述がどれもこれも書かれ
てなかったということを物語る。ということは畿内に卑弥呼女王と天皇(男王)
との交流なんか無かったことということとしか言えず、畿内に女王統治の国が
存在しなかったということになる。ということは遠回しに女王国は九州に
あったということが容易に分かりうる。盲象改め丸の幽霊卑弥呼論にたぶらか
されてはいけないよ。また紀の編者らは卑弥呼の年代がいつだったか正確には
知ってはいなかったろう。

616 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 19:52:17
>>610
>極力歴史を古くしたい大和朝廷
 どうしてそんなことが言えるのだ? 君の妄想だよ。それとも具体的説得力
 ある根拠があるのかね? 神功に見立てたことは一応言えよう。

617 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 20:04:55
>>610
出雲に卑弥呼の女王国が存在したとでも言うのか?
ならばなぜ遣使は出雲沿岸に着岸しないで北九州上陸なんかに上陸
する無駄なことをやったのか? 北九州着岸ではもう1回海を渡って
出雲へ行かなくてはならんがね? いちいち北九州を歩いて出雲行き
を考えるなら、直接島根、鳥取沿岸に着岸するだろうが?

実際孝靈の代、月支国王以下の大船団が出雲侵攻をやろうとして出雲
の海へ押し寄せて来たと「日御崎神社社記」に書かれているという
から、着岸は可能だろう。

618 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:22:11
卑弥呼は青池保子の漫画に出てくるような
迫力あるおばさんだったと思うな
でないと男たち統率なんてできない

619 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:40:45
>神功に見立てたことは一応言えよう。

神功に見立てたなら、邪馬台国を大和朝廷に見立てていたっていう事じゃないの。
違うか?

620 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 20:42:57
>>606
ヤマト王権成立時期=5世紀
卑弥呼生存時期=3世紀

そりゃあ、記紀には登場せんわな。
逆にヤマトの大王は盛んに朝鮮半島に兵を送ってるぞ?
邪馬台国が九州にあったなら
邪馬台国がヤマト王権に服属する国でなければ
ヤマトの軍隊は北九州をとれんわな。

621 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 21:01:58
改めって湖底は、在日だったの?

622 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 21:04:56
>>617
出雲(現代の位置ではない)に女王国があるのではなく
出雲(丹波)の姫が倭国大乱後に諸国連合の結果、
ヤマトで女王になったのですよ。

また国譲りの条件としてミホツ媛が大物主に嫁いだと
出雲大神宮の伝承にありますね。
つまり元々ヤマトは出雲の国で、外勢力が侵入の結果
国譲り、その条件の一つが女王の共立だったのでしょう。

遣使は九州の伊都国で交渉事を行うと
倭人伝にもあるじゃないですか。何の矛盾も無いです。

623 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 21:36:43
大物主が行った
黄泉国は出雲国?それとも地獄?恐山?

624 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:02:23
>>619
それははっきり分からんが、編者らの意見割れがあったんではあるまいか?
畿内だとか畿内でないとか、あるいは九州と言い張った者らもいたかも知れ
ないしね?

とにかく紀の前身たる(伝でない)原書群の中に卑弥呼とどこの天皇の代と
具体的に判明する記事があったんなら、彼らは神功紀に卑弥呼を当てたりすること
はなかったろう。直接その文献を入れたか、あるいは別説的参考に挿入して
おくに違いない。だから神功紀に卑弥呼の記事があるということは、別の面から
考えればそれら原書群には卑弥呼関係の記述されたものは無かったと考えるべき
であろう。となれば畿内に卑弥呼の国がなかったから原書群に卑弥呼のタネが
ないわけで、これは別の地域に女王の治める卑弥呼の国があったということと
なって来る。ならば当然九州に卑弥呼の女王国があったというのは動かない。

625 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:11:11
>>620
だから北九州に女王国があったとは言い難い。このことは以前からそれがしが
主張している。それでそこより九州の南の案外よそ者の入り難い奥地のような
地域が女王国という考えが正解に近く、濃厚になろう。

また北九州に卑弥呼の国があったんなら、当然大陸半島からの交易の通り道
だから大陸人等は女王国あたりを通って畿内に着くんだから、女王国の情報は
畿内に入りやすいこととなり、記紀にかかれるべき女王国のタネが容易に掴め
るから、原書群のどこかにうんと卑弥呼の記事が載ると観てよい筈で、北九州に
卑弥呼の国があったことは成り立ちにくい。

しかし北九州も広いから、そういう交易の道筋から離れた地域もないとは言え
ない。そういう個所なら北九州も可能性としてはいささか残りうるということだ。

626 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:17:02
>>622
ヤマトで女王になったんなら、それは紀無い説に他なるまい。君は畿内説なのを
とぼけてだまってたということになる。畿内で女王になったんなら、記紀の八代
か崇神あたりに女天皇が即位した旨の記事が載りますよ。欠史八代が欠史でも
即位崩御の記事は落としていないんだから、女王の即位くらいは記紀が落とす
はずがない。かように君の論は不合理があるということだ。

それともヤマトとは畿内でない意味なのかね?

627 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:19:31
>それははっきり分からんが、編者らの意見割れがあったんではあるまいか?
畿内だとか畿内でないとか、あるいは九州と言い張った者らもいたかも知れ
ないしね?

だから、結果的に大和朝廷に見立てていた、という事は分らないながらも当時は邪馬台国畿内説が優勢だったという事だろうよ。
つまり外国産の魏志倭人伝が曖昧すぎたんだよ。
こんな状態で邪馬台国が九州だと確定させる方がどうかしている。



628 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:23:11
>>626
俗世王と祭祀王は違うと考える。
現在に置ける
象徴天皇と総理大臣のようなもの。

権力は総理大臣にあるが、世界も国内でも天皇が上だと考えている。

629 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:31:23
>>628
それは現代の話だよ。

同じ「王」の文字で同一視しては妄想の畿内説にしがみつくぜ。
ケ小平主任と言ったって、日本の主任クラスと同一視なんぞできっこない。

当時は確かに祭祀は重要だが、それで身分が天皇と祭主が同格にしては、これは
妄想に直結だ。だから卑弥呼が畿内の女なら、金印は天皇こそもらうほう
だろうが。天皇と祭主が同格の身分なら、記紀は祭主も先頭的に日本武尊のよう
に大々的に書くよ。

630 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:39:10
>>629
倭人からみれば
俗世王が決定権があり、権力者だが、
祭祀王に神託を受け、頭を垂れる姿を外国人が見たとすれば、
誰が倭の権力者と思うだろうか?

女王には弟『王』がいたと書かれている。

631 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:39:14
>>627
編者らが畿内説派かどうかはわからんよ。しかしこれを落とすわけにはいか
なかったとは言えるから、渋々かも知れんぜ? 必ずしも賛成での安心記載では
ない。

またそれで畿内説が確定だとは全然結びつかない。とにかく雀の涙ほどの
伝の借り物以外、紀には卑弥呼の記事はない。これは畿内にて朝廷と卑弥呼の
交流が無かったということが妥当である。ということは畿内に卑弥呼の国なんぞ
あるわけがない。ならば遠回しに卑弥呼の国は九州に存在したということだ。

632 :日本@名無史さん:2009/08/16(日) 22:42:12
>>629
わからんぞ。知ってのとおり、日明貿易では室町幕府将軍が明皇帝から「日本国王」として
冊封を受け、明皇帝に対して朝貢する形式で行われた。これには種々の事情があるのだが、
倭人伝当時でも天皇(というか、当時この呼称も概念もないので、政治的最高権力者?)が
必ず金印をもらうとは限らないだろう。どの時代でも事情はあるものさ。


633 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:52:35
>>630
だから祭主がそんな力量があるならば、日本武尊のように記紀に大々的に
載るよ。載ってないだろうが。天皇は当時畿内の親分だよ。男弟くらいの
言い回しで終りっこないぜ。ちゃんとオオキミとか大王だとかの語で伝に記載
されるさ。大陸だってちゃんと親分は皇帝として絶対的権力を握っている。
日本の天皇だけ大きく格下げで考えてるのが君の誤算なわけよ。記紀の当時
「姉王」という女天皇がどこにいるのか?
金メダルは1位優勝者がもらうものだ。これが日本古代史では天皇だ。大陸は
審判員になっていて金印を授与したわけ。だから天皇か女天皇でない限り、畿内
の人間で金印をもらえる奴はいない。当時卑弥呼が記紀に即位した記事は全く
ない。これは卑弥呼が畿内の女王ではないということだ。ならば九州の女王に
間違いはない。

君のは自己で畿内説への頭脳誘導をしてるにすぎない。畿内説が不成立という
ことをしっかりと目を覚ますべきだ。

634 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/16(日) 22:58:17
>>632
そんなんなら、誰でも金印をもらえるという論理も成立してしまう。
現代だっていつぞやあったと思ったが、金メダルもカネを出せば買えることが
出来たんではないのか? それに金メダルもその選手がかカネに困って売って
手放せば、これは確かに優勝者でなくても入手できうる。君の言い分はこれの
ようなことではないか? だれでも金印は手に入るんなら、当時はやり出し
たカルト教を作った乞食女が卑弥呼だとの論まで成立してしまう。w

ものは言いよう〜ではしようがないぜ。w

635 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 00:02:51
>>612 日本@名無史さん
倭人伝のそんなところでレスつけるなよ〜w
相手するわたしまでレベルが低いと思われて恥ずかしいじゃねーかょww

「在日」、だとか「百回読み直し」とか「チラシの裏に試し書き」、
「三年後に投稿」ってお宅は子供ですかww
私は、子供にレスつける程、暇じゃありませんwwwwww
それに、君こそ、倭人伝を扱うのは100年早いつーのww

636 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/17(月) 00:04:47
>>586
あのタイミングであのような内容のレスをする必要があるのは貴方だけだと思ったのですけどねw

>>私は、君のティーチャー(先生)ではないてwwwww
>>呆気にとられてるだけだってwwww

ところで先生でもあっけにとられててもよいから、
何か1つでも指摘してみなさい。

バカはこれだから嫌いなのですけどね、何も書けない。
涙目の書き込みはそれで終わりでしょうか?情けない。

# ”ところで先生でもあっけにとられててもよいから”は貴方が先生どころかどうしようもないバカだと私が皮肉っている文章です♪書かなきゃわからなそうだから、親切な私は書いてあげました♪酔っ払うと素がでるなぁ私もw


637 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:29:56
>>633
思いっきり載っているではないか。
『倭迹迹日百襲姫』祟神が再三、祭祀をお願いしている人が。
彼女は天照と同じくホトを突いて死んでいることも、確認しておく。

>>634
>そんなんなら、誰でも金印をもらえるという論理も成立してしまう。

そう。現にベトナム(当時の南蛮)からも同じ金印が見つかっている。
同盟などを結べばその証として金印は使われたということだ。
その国の統治のお墨付きをもらったわけではないのだ。



638 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/17(月) 00:30:52
>>571
あらそれは残念です。
末盧国から南東500里で佐賀平野に抜けるルートにおいては伊都国に比定できるような遺跡がないという指摘が、
畿内説を初め多くの方から言われるものです。また奴国(委奴国)のものとみられる金印の説明も難しくなります。

私説は、末盧国から南東に佐賀平野に抜ける説を採りつつ、伊都国を前原、奴国を福岡に置いてけぼりにすることが
できるという、奇跡的に便利な説ですので今後考えられる際には頭の隅にでも残しておいてください。
直感的には間違えているように感じられるでしょうが、検討されるうちにその巧妙さに気が付かれる事と思います♪


639 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 00:33:53
わたしは、河童さんみたいに、「初心者くん」や「ど素人くん」、「青いくん」に
あまりレスするのは好きじゃないんだけど、たまには、レッスンていうか、構ってやるかww

>>612 日本@名無史さん

<魏志倭人伝>
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼

其國=倭 本=もと 亦=また同様に 以=もって 男子=男性 為=なす 王=王様 住=とどまる
七八十年=7.80年 倭國亂=倭国乱れて 相=互い 攻伐=攻撃 歴年=何年か 乃=すなわち 
共立=ともに立てる 一女子=一人の女性 為王=王様となす 名=名前 曰=いわく 卑彌呼=ヒミコ

これを翻訳すると、

その国本、亦、男子をもって王と為す。
とどまること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること歴年、すなわち一人の女子を共に立て、王と為す。
名を卑彌呼いう。

細かく分析し、現代語訳すると(たぶん河童も似たようなこと言う...)

その国家の基盤となるもの、魏の我々と同様に、男子をもって王とする。
七、八十年安定期が続き、互いが攻すること数年、倭国が乱れる。
すなわち一人の女子を共立し、王と為す。
名を卑彌呼いう。

君らのレベルに合わせて、”分かり易く、簡単”にすると

その国、もともと、男子を王とするが、
七、八十年、安定した時期が続いたが、倭國が乱れ、
互いが攻撃すること、数年が経ちて、すなわち、一人の女子を共に立て王とした。
その王の名を卑彌呼という。    とか、私のレス>>593になるかなw

640 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:36:33
>>638
その「改め」という人とはレスしないほうがいいですね。最高に低レベルですから。

641 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:40:00
葛城氏からは祭祀王、三輪氏からは政治王。
こうしないと二つの部族の対立は治まらなかったのだろう。

葛城地域の発掘が進めばもっと多くのことが分かるはず。
未だに馬見をはじめ多くの大量の古墳群が誰のものか分かっていないのだ。
二代目から雄略までの大王の伝承地や伝聞が葛城に多いことも興味深い。
これなら、三輪王家が武烈や雄略を愚公と書いたことも納得がいく。


642 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:40:01
>>640
そうだな。この板最低のコテハンだろう。

643 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:44:40
>>642
バカ四天王
ドツボ・ブタ国・梅毒・チョロ松

新世代バカ
ミノムシ・吸収応長大好き・ドンタク・ドンタクの子分

644 :縄文人:2009/08/17(月) 00:50:06
皆さんは明治の頃に亡くなったご先祖の名前、生年、没年を知っていますか?江戸時代ではどうですか?
人の記憶は、貴方にとって一番身近なご先祖の記憶でさえ、代を経るごとに薄れてゆきます。記録文書でもない限り、
2百年前のことはあいまいです。わたしは6世紀以前の記紀の記事は、特に年代については、信用できないと思います。
もし、6世紀以前の記事が正しいとすれば史書のような記録文書が存在していた筈です。ところが、我が国に残っている
古文所は8世紀以後のものしかありません。仮に存在していたけれども8世紀以後に消失したとしても、魏志や漢書に倭
の記事が書かれる時にそれらしいことが何か書かれてもよいのではないでしょうか。魏志には倭人は文字を知らないみた
いなことが書かれています。これは一般庶民のことで、支配者層には漢字の読み書きができる者も居たと思います。そう
思いますが、史書や系図はなかったのでしょう。
太國氏や改め氏などが崇神や神武がどうのこうのと議論していますが、そのころのことは事績はなんらかの事実の反映だ
としても、年代など記紀編纂者の創作(歴史を古く見せるための意図ででっちあげられたもの)ですから、無駄なことな
のです。太國ちゃん、改めさん ほんとのこと言ってごめんね。

645 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/17(月) 00:52:27
>>573
>>郡使の往来ですが、漢の武帝が前108年に朝鮮を滅ぼして以来とみます。 つまり、漢の使者もとみています
読み返してようやくわかりました。

>>402
は、魏使ではなくそれ以前の郡使が沢山きていた、という私と同様の解釈だということだったのですね。
倭は漢とも交流があったようですので、サガミハラさんの言われるように漢の時代からと考えるのは悪い考えではないように思えます。

>>水行10日陸行1月は郡から邪馬台国までの総日数とみています。
それは「邪馬一国がなかった」の古田氏(でしたっけ?)と同様の説でしょうか。
彼は水行と陸行の比が合わないことから韓国内陸行という、狗邪韓国までの「水行」の文字が
見えなくなってしまうというトンデモ説におちいってしまった訳ですが、
サガミハラさんはそのあたりどの様に考えておられるのでしょうか♪


646 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 00:54:26
>>644
そうですね。干支があったとしても、語り部の口伝で即位年やら生没年、まして月日などが
正確に伝承されているとは普通は考えませんね。

647 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 00:57:28
>>636 二 ◆.L.MXSPOgc さん

>何か1つでも指摘

こんばんわ〜今度、暇な時でいいですか?

それで、貴方の主張するもの、又は、他の人に聞いてみたいこと、
ここへ書き込んで下さい、そのレスを、次読んだときにでも返答します。

わたしも忙しく、すぐには応対出来ないかもしれませんが・・・。

648 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 01:04:03
おや、おや、二 ◆.L.MXSPOgc さん は酔っ払いですか〜w

わたしも、夕方から、町内の祭りに参加してまして、少し酔い気味...。

まあ、よってから本音を出すのではなく、
こうゆうところでは、「本音と本音のぶつかり合い」デス。

仲間どおしで、仲良しごっこをしてても始まりません。
本音で議論するというか....

649 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 01:11:05
>>644
私も太国さんも、意味のない議論をしてるわけではない。

お互いに主張しあい、どちらが正しいか、どうゆう考えで言ってるのか、新しい情報は持ってるのか、
などを見つけていってるのです。

>>611 サガミハラハラさん

私のほうはすでに終了。
よかったらサガミさんも・・・(なかなか議論できる相手がいなくて・・・w)。

650 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 01:14:07
では、もう遅い時間なので落ちましょうかね...。

みなさん、ちゃんと勉強しろよ〜www 落ち↓ zzzzz・・・・・。

651 :サガミハラハラ:2009/08/17(月) 01:34:46
>>645
郡使の往来は漢以降ですが、それ以前に箕氏朝鮮と通交があり、その使者が倭国と往来していた可能性がかなりあります。
韓国内陸行説は私もとっております。ただしわたしと古田氏とはかなりことなり、仁川から船で南下し、群山に上陸し南に進み、求礼口から東に折れて進み固城に到着し、
そこから出港します。固城はクヤ韓国ですが都ではありません。

652 :サガミハラハラ:2009/08/17(月) 02:07:28
水行10日について。
海峡横断をみると、1日の進む距離は60kmとみれます。マツロから固城までは4日かかります。(対馬小茂田浜から固城までのうちの中間地点に鴻島があり、
そこまで約60kmなので島影に停泊して一泊となります。それで4日となります。
郡山から仁川まで水行210.4kmで1日60kmとして3.5日すなわち4日となります。
合わせて8日となります。しかし、外海の航行と沿岸にそってすすむとでは沿岸に沿う方が難航する(韓国西海岸は干満の差が激しくかつ暗ショウも多い)
から1ないし2日ぐらいは日数がかかるであろうとみます。
とすれば、水行10日は総日数になるとして不都合はないと思います。

653 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 02:19:31
>>652
だから、何でそんな難しい航路をわざわざ使うんだよwww

654 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 02:42:27

卑弥呼=日の巫女=天照大神!



655 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 03:28:10
>>616
>>極力歴史を古くしたい大和朝廷
> どうしてそんなことが言えるのだ? 君の妄想だよ。それとも具体的説得力

まさか紀元2600年とか信じてるのか。
年代を古くしてるという説を妄想と言うなら九州説のほとんどすべてが妄想。

656 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 05:31:09
>編者らが畿内説派かどうかはわからんよ。しかしこれを落とすわけにはいか
なかったとは言えるから、渋々かも知れんぜ? 必ずしも賛成での安心記載では
ない。
そうだよね、必ずしもという表現は、もしかしたら畿内派だったという事だよね。
九州と確定されていたわけではないよね。

>またそれで畿内説が確定だとは全然結びつかない。
またそれで九州説が確定だとは全然結びつかない。

>とにかく雀の涙ほどの
伝の借り物以外、紀には卑弥呼の記事はない。これは畿内にて朝廷と卑弥呼の
交流が無かったということが妥当である。
九州とも断言できる要素はないよね。

>ということは畿内に卑弥呼の国なんぞ
あるわけがない。
当時は畿内派がいたんじゃなかったのか。
神功を卑弥呼に見立てて、大和朝廷を邪馬台国に見立てた人がいたんじゃなかったのか。
この状況下で畿内に卑弥呼の国なんぞあるわけがない。なんて乱暴ですよね。

>ならば遠回しに卑弥呼の国は九州に存在したということだ。
貴方がそう思っているという事は分りますが、遠回しに卑弥呼の国は九州に存在した、とはなりません。
編者は邪馬台国が畿内だと思っていたんだから。九州にあったとは断言出きない。
とにかく雀の涙ほどの 伝の借り物で何がわかる?伝が曖昧すぎるんだよ、記紀の内容と整合しないのは当たり前。
記紀にはっきりと卑弥呼の記事がないのは当たり前。




657 :サガミハラハラ:2009/08/17(月) 08:01:20
>>652ということは、干満の影響や暗ショウを避けて、半島のはるか沖合いを
航行したということをあなたは主張したいわけですね。で、その大回りをするのに普通どのくらいの日数がかかったでしょうか。

658 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 08:11:53
ジサクジエン?

659 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 08:13:19
↑カノウセイハタカイ

660 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 08:20:43

これこれ、助さん角さん、
見て見ぬふりをするのが情けと言うものですぞ。


661 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/17(月) 10:55:35
>>637
所詮オマエのは可能性の薄いのにしがみついているだけよ。ww

百襲姫は女王ではな〜い。女王ならば即位して、記紀に崇神あたりに即位記事が
できる。だから金印は姫がもらうわけがない。もらえるのは1位のボスの天皇
しかありえない。それは大相撲ならば横綱2人いるのが通常だが、畿内にこの
ような状況があって2人大王がいたのなら、それが記紀に2人分即位が載る。
それが無く片手おちということは、まるで番付の西側が無い右側が白紙の番付
だということになる。2人ならばそんな事はありえない。オマエの言い分が正解
ならば、番付のように左右(東西)最上位に整然と2人載る。記紀に片方が
ないということは、右側が白紙だということだ。これは1人横綱即ち大王は
畿内に天皇上御一人だったということになる。

662 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:11:08
それは裏返すと貰ってない方の系譜が記紀を作ったほうに繋がる場合はそんな事実は黙殺、と言うことになるのでは?

663 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/17(月) 11:16:50
>>637
過去にフィギュァの伊藤みどりさんが5位で技術点がズバ抜けていて無冠の女王
と言われたが、優勝できなかった。だから金メダル(金印相当)は 彼女はもらえ
なかったぜ。金印は男女とも大王級ならもらえるが、単なる祭主ではもらえない。
だから女王で金印を卑弥呼はもらってるんだから、畿内の女ではない。

664 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/08/17(月) 11:19:35
>>632
ちなみに明ってのは中国の皇帝じゃなく半島の李氏の朝廷なんだけどね
後に李氏朝廷は日本の秀吉の征伐に合い、最後は、マンジュリ民族のヌルハチ朝廷に滅ぼされたよ
ちなみにその頃シナでは長年モンゴル民族のハーン朝廷が栄えてたよ
このハーン朝廷は、西はトルコやローマ、南は東南アジア、インドにまで領地を拡大した歴史上最大の領地を誇る朝廷
東都(いまの北京)を開拓し風水学に習った広大な城を建て、領地下に置いた都市をそのつど高い立派な城壁で囲って言った
(例えば太平洋戦争時代の「南京入城」で言われる城壁はこのモンゴル朝廷が築いた遺跡。東都のハーン氏の城は今も北京にある)
そもそも「冊封」なんて言葉を作って「昔は中国の朝廷を中心とした冊封社会だった」なんて唱えたのは明治のなんとか言う学者だよ
んなのはそいつが勝手に唱えた説なだけ


だいたい「中国の朝廷」って言うけど、それってモンゴル帝国を築いたモンゴル民族のハーン朝廷の事なの?
それとも半島の李氏?
マンジュリ族のヌルハチ朝廷?
「中国の朝廷」なんて曖昧な言い方やめてちゃんとその民族と名前と王朝氏族を書かないと意味解らないよ

ちなみに過去に日本はモンゴル朝廷や李氏朝廷やマンジュリ朝廷やウイグル朝廷の統治国になった事は無い
仮にそんな時代があったなら、例えば「その時代は日本はマンジュリ朝廷のヌルハチ氏が治めてて」ってハッキリ言えばいい


665 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:22:56
バカが増えて困ったもんだ。

666 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:30:07
>ということは畿内に卑弥呼の国なんぞ
あるわけがない。ならば遠回しに卑弥呼の国は九州に存在したということだ。

ごちゃごちゃ言っても結局単なる願望じゃないか。
何の証拠もないw


667 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:36:37
中国大陸に現在ある遺跡や城に関しても「古代の中国朝廷の遺跡」なんて言い方はおかしいんだから、ちゃんと誰の残したものなのかをきちんと認識すべきだよ
例えば北京にあるラストエンペラーの撮影などにも使われたもの凄い城

これは今の北京を開拓したモンゴル民族のハーン朝廷の築いたモンゴル民族の遺跡(もちろん中国人ではない)
各陽の城の遺跡
これはマンジュリ民族のヌルハチ・ギョロ王朝がいた、マンジュリ民の遺跡
このマンジュリ民族は近年まて中国大陸を治めてた民族(もちろん中国人では無い)

「昔の中国の朝廷」てモンゴル皇帝の事?
もしくはマンジュリのヌルハチ朝廷?
だとしたら「昔の中国の朝廷」て言い方は辞めて、ちゃんと「ヌルハチ朝廷」とか「モンゴル朝廷」て呼ぼうよ

例えば北京にある遺跡も「中国の遺跡」って呼ぶからわかりずらいんだよ
「現在の中国の北京にあるモンゴル民族が築いた壮大なハーン氏族の城遺跡」
て言わないと


例えばモンゴル民族の残した遺跡を探すのに、いまのモンゴルの領土へ探しに行く奴はバカ
モンゴル民族のハーン氏は中国大陸や東ヨーロッパ、南インドまで統治してた朝廷なんだから、いまの中国大陸の中で探さないと




668 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:38:52
>>654
違う
卑弥呼は火の巫女、九州には火山が多いでしょ
アマテラス説は間違いだし、天岩戸騒動、皆既日食とも卑弥呼は関係ない

669 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 11:46:29
どっちだか、それ以外の意味だか、誰も分からんよ。

670 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 12:31:29
>>668
読みがヒミコは本来おかしい。
ヒミホとしか読めないという説もあるのだが。
その場合「妃・ミホ」ととれるからな。

671 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 12:33:37
大体邪馬台国なんて読み方も変。
ヤマイチ(イ)国かヤマト(ド)国だろ。

672 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 13:29:49
>>663
すまんが言わせてくれ。
『お前は、何を言ってるんだ?』

673 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 13:47:21
663だけど、
すまん、俺にも内容がようわからん。
でもフィギュァの伊藤みどりには興味がある。
いいたい事を簡潔に纏め直してくれ。
宜しく頼む!

674 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/17(月) 14:06:36
金印は畿内ならNo.1がもらう物だ。卑弥呼が畿内ならば天皇がボス
なんだから、天皇が金印をもらうに決まっている。然るに伝では
卑弥呼が女王でボスだと言ってるわけだから、畿内でない所でボスに
なってたわけだよ。そうなると、そこは九州だということが容易に
分かる。身分が4位5位級では金印も金メダルももらえっこない。

今回の世界陸上を見てみろ。4位5位で金メダルがもらえないのは
自明と言ってよい。天皇がもらえないのなら、女王国は畿内で
ない別の地域にあったということだ。w

675 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 15:17:47
>>674 太国 ◆yVAs7uaYlY さん

貴方何も知らないんだな〜!
「金」は第2位て決まってるのょ。

ようは、金印とは、
皇帝(王)クラスではなく、太子(諸国の王達)クラスということ。


676 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/17(月) 15:23:35
>>672
太国は、
昨日、私から「男王国(天皇国、女王(卑弥呼の国)」説を論破されたばかりで、
まだ、いまだに目が泳いでるというかw思考がとり乱れてしまってるのだろうww

677 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 15:40:01
>>674
実際に受け取ったのは卑弥呼かどうかもわからん。弟王が豪族を手なずけるために使用した可能性は高い。

倭国内の事情を完全に把握していない中国人は
最高位と思ってた卑弥呼が受け取ったと考えただろう。

大体、神の使いである巫女は外国の判子など必要ない。


678 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 15:42:25
>金印は畿内ならNo.1がもらう物だ。卑弥呼が畿内ならば天皇がボス
なんだから、天皇が金印をもらうに決まっている。然るに伝では
卑弥呼が女王でボスだと言ってるわけだから、畿内でない所でボスに
なってたわけだよ。そうなると、そこは九州だということが容易に
分かる。

ここが分かんねーなぁ……。
どうして畿内でないと、九州だと容易にわかるんだ?
何かあるのか?
吉備とか出雲とか東海とかはないのか?

>身分が4位5位級では金印も金メダルももらえっこない。

どこを、身分 4位5位級に例えたんだ?


679 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 15:44:07
>今回の世界陸上を見てみろ。4位5位で金メダルがもらえないのは
自明と言ってよい。天皇がもらえないのなら、女王国は畿内で
ない別の地域にあったということだ。w

すまん、この文章の落ちもよーわからん。


680 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 15:46:08
>>674
国内で新記録出しても、国際的に認められなければ世界新記録にはならない。
倭の内輪でどんな力関係になっていようが、
魏の側からすれば、金印を与えた卑彌呼が一番偉い。
それは、魏の論理であって、倭の実情かどうかは知らん。

681 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:08:16
伊藤某が金メダルをもらえなかったのは、体型が寸づまりで、顔も美しくなかったからだ。
太国も、倍暦を信じレスも意味不明と、二重苦・三重苦を背負っている、まあかわいそうな
人の部類だ。

682 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:22:46
ではここで、「コテハン ダメランキング」をば集票。エントリーは、

A 太国 B 唐松山 C 河童虫(黴毒) D 改め(ドツボ) E 美濃もん太 F doontakuka
G  doontakukaの弟子 H 縄文人  I 二  J ローガン  K サガミハラハラ(ギーコギーコ)
L 九州王朝大好き  M www(ジョーカー、厳密にはコテハンではないが)  N その他

です。できれば理由もどうか。

683 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:23:53
>4位5位で金メダルがもらえないのは
自明と言ってよい。

なんで4位5位が出てくるんだ?
2位ならばどうなる?

684 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:25:39
しかしこう見るとろくなやつはいないな。Cに一票、こいつのいうことは、合ってる間違ってる
以前に意味がない。

685 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:31:45
何で、河童虫さんが3位なんだ。
本人に失礼だろ。
芸術性を考慮すれば文句なしで一位だ。
太国はその次。太国氏といえども、常識を一切顧みない河童虫さんの新しい世界観の迫力には負ける。
大体にして君にも河童虫の論がさっぱりわからないだろう。記紀を読めば、倍暦には何とか付いて行けるぞ。人間正直になろう。


686 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:49:45
>>685
このA〜Nはランクではなくエントリーナンバーで順不同。投票するのはあなた自身。

687 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:51:29
縦目氏
愛知県民氏
二氏
もいれてやれw


688 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 16:55:46
失礼。
ではCに一票。
芸術の域であり、氏の日本語はさっぱりわからない。

689 :改メ:2009/08/17(月) 17:15:29
<改め論を聞き終わった後の皆さん>

(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン       なるほど、納得!

<河童論を聞き終わった後の皆さん>

?????(o゜ー゜o)?????     説明してる本人も分かってないもんw

<太国論を聞き終わった後の皆さん>

……(o_ _)o パタッ               wwwww

690 :改メ:2009/08/17(月) 17:22:26
>>682
う〜ん

K サガミハラハラ 氏は部分的には詳しいところがあるし、
M www(ジョーカー、厳密にはコテハンではないが) 氏はよく勉強はしてるみたいだね。
逆に、河童氏、太国氏はもっと勉強しろってかんじかなw

それに、新しく来た人は、まだ、まだ、青い部分があるよねw

691 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/17(月) 17:23:32
>>685
>記紀を読めば、倍暦には何とか付いて行けるぞ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1229002826/l50
「日本書紀の年代を考える」を読んで貰いたい。

倍暦は、ありえない。



692 ::2009/08/17(月) 17:41:55
<唐松山論を聞き終わった後の皆さん>

( ̄ー ̄;∂ポリポリ     またホツマ、記紀年代論かよ・・・w

<愛知県民論を聞き終わった後の皆さん>

( ̄、 ̄)  インターネット検索、好きだな・・・・ 

(逃げ) ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌( ̄ー ̄)┘

693 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/17(月) 17:56:38
書紀を「倍暦」で圧縮すると
253日+253日+283日=283日+253日+283日など
この様に数字上からも、あり得ない。
日本書紀の1年は1年として読む、が治世60年は長すぎ圧縮する必要が有る。
空白年を圧縮するのが妥当。

>記紀年代論かよ
最終的に、数字が合わなければ、4次元の世界が再現出来ない。


694 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 18:13:06
倍歴って閏月とかどうなってんの?

695 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 18:17:59
良い悪いは別として、河童虫の人気が断トツと言う結果か。

696 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/17(月) 18:40:42
>>694 倍歴って閏月とかどうなってんの?
太国さん曰く、1年の日数が不特定の「太陽暦」
サガミさん曰く、倍年は、年数を数えるだけで、日数まで踏み込んで考えない。

キッチリした日数で書かれた書紀の数字を比定する所から 倍暦は始まる。


697 :改め:2009/08/17(月) 18:44:22
>682
ドツボはフトクニに毎回負けハコンデ泣きの涙だなw

698 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/17(月) 18:47:46
対する「増し」年は、19年(6940日)を基本とする為
太陰暦に齟齬は生じない。


699 :改め:2009/08/17(月) 19:23:19
ぼかー言うが〜 2位のゲイ選手も金メダルをもらったんだよ〜ん。
すごいだろーが。

700 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 20:30:46
河童ともん太でツートップだね。
トンデモっぷりが他の追随を許さない。

701 :縄文人:2009/08/17(月) 21:07:47
>>694
貴方も太國氏や唐松山氏らが記紀の暦の読み方で論争しているのを「何を馬鹿なことやってるんだ」とお思いでしょう。
記紀が編纂された時代から50年前くらいまで、長めに見ても100年くらい前まではある程度正確な年月日が記憶されていたかも
知れませんが、それ以前のことは記紀編纂者達が智慧をしぼって創り上げた年月日と考えた方がいいと思います。もし、それら
の年月日が正しいとするならば、登場人物の墓誌だとか、家系図だとか、史書に類するものがあった筈です。口伝や歌などで事
件などの事績は伝わるかも知れませんが、年月日が正確に伝わることは考え難いことです。例えば、かって日航機が御巣鷹山に
墜落して多くの犠牲者を出した事故があり、これは新聞やテレビで報道され国民の多くが関心を持ちましたが、この事故につい
て覚えている人は多いと思います。しかし、あの事故の日時を覚えている人はご遺族や関係者を除けばほとんどいないでしょう。
この事故は数十年前のことです。これが、2百年前にある地方で農業の水利権争いで多数の死者が出たというような事件になると
どうでしょうか。そういう事件があったことは伝えられているかも知れませんが、年月日はどうでしょう。記録が残されていない
と極めて難しいと思います。ところが、我が国に残されている史書と言えるものは記紀が最も古いものです。少なくとも6世紀以
前の記事の時間関係は信用できないと思う次第です。


702 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/17(月) 21:09:54
>>647
もちろん暇な時でよろしいですよ、そんな時など永久にないとかでなければ♪

仮説「2度の魏使のルートが異なる」から出発した私の説で、
伝の記述に対してオカシイ・矛盾している・考えずらい、などなど、
と思えるところを指摘してください。

http://yamat-2007.blogspot.com/

# 前回は酔っ払っていましたのでつい講釈が過ぎてしまいました。でもいつでも本音で書き込んでいますよ♪

703 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/17(月) 21:19:32
>>651 >>652
ありがとうございます。
韓国内の地理は全く分かりませんのでその部分はおかしな事を言うかもしれませんが、
私が気になるのは水行と陸行の日数の比率です。10日と1月=30日と陸行が3倍の日数になっています。
サガミハラさんの説で水行を韓国内水行のように考えると、陸行は韓国内の一部と末盧国以降となり、
その距離に対して30日というのは、水行10日と比べて無理がでてくると感じます。

邪馬一国の古田氏もそう考えての韓国内陸行というトンデモをやっちゃったと私は思っているのですが、
陸行の30日(1月)のほうだけは、国々に留まった日数も入れているとか伊都国に20日いたから、とかと
いうような説ではないですよね?

704 :サガミハラハラ:2009/08/17(月) 22:04:24
陸行1月
邪馬台国都である佐賀県小城市甘木から出発計算します。
伊都国は郡使の留まるところですから、多久で1泊です。多久から唐津までは30数kmですが、
1日で歩く(荷物を背負い)のは無理なので厳木で1泊、そのあくる日は山本1泊、4日目に唐津八幡町に到着。4日です。
距離は40kmぐらいなので1日の歩く距離は10kmぐらいとなります。
さて、半島固城に上陸し陸路をとります。群山まで259.7kmなので10kmで割ると25.97日つまり26日となる。
ここまで陸行30日である。
ついで、海上を進み仁川に上陸、ソウルに到着(ソウルのハンガンの南に郡庁があったとみる)。
仁川からソウルまで陸路33.5kmで4日かかる。
総日数は34日となる。
これで陸行1月とみれる。まさか30日きっかりでなければだめとはいわないでしょう。

705 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 22:16:49
ええっ、きっかり30日じゃあねえって?そいつあいけねえや、ええ、サガミのじっさんよお。こういう
遊びは厳密にやらなきゃあ、面白くもなんともねんじゃあねえのかい。(勝 小吉の口調で)

706 :縄文人:2009/08/17(月) 23:39:36
水行10日陸行1月が問題になっていますが、畿内説ではそれをどう説明されているのでしょうか。
仮に、前原市の伊都国から玄界灘を越えて関門海峡を通って瀬戸内海に入り、大阪に到着が10日、そこから奈良まで陸路で
1月かけて行くのでしょうか。あるいは、伊都国からは陸路で門司まで行き、そこから舟で大阪に行き、また陸路で奈良に
行くのでしょうか。何れの場合でも水行10日はまあ許容できますが、陸路の1月は九州説の場合と異なるところはありませ
んね。九州内で陸行1月はあり得ないみたいなことを言われますが、大阪からは大和川をかなりな距離行けますし、盆地に
入れば陸行するより川あるいは湖を舟で行く方が便利でしょう。陸行1月なんかする必要はないとも考えられます。距離だ
けで考えればの話です。水行10日陸行1月には距離だけでない事情があったのではないでしょうか。

707 :日本@名無史さん:2009/08/17(月) 23:45:04
>>702
倭人伝には、梯儁と張政の二つの報告書が混在しているというのは面白いと
思う。ただ、二人のルートが異なるというのはどんなものだろう。
目的地が同じなら、ルートも同じだと思うが。

708 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/18(火) 00:04:24
>>707
ありがとうございます。

2人のルートが異なる理由ですが、まぁこれは私の脳内妄想なのですが、2回の魏使の役割が若干異なることに由来するのではないかと考えています。

1度目の時は黄色い旗を見せびらかせて魏の関係国になったことを知らしめなさい、ということで人口の多い伊都国や
奴国、投馬国を通れるルートを選び、更にはルート上から少しはずれた不彌国にも寄っていると考えています。

2度目はより直接的な武力介入(話がそれますが、今日読んだ本に「仲介の為」と書かれていて、意表をつかれた感じでした。確かに張政は戦っていないですが)
が目的で急いでいたので、末盧国から最短ルートを通ることになったのではないか、と考えています。

まぁ私の妄想は別として、2つのルート仮説は考えて見ると面白いと思いますよ♪(自画自賛)

709 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/18(火) 00:09:59
>>704
1日10kmですか、ちょっと短すぎるのではないでしょうか。
一刻=2時間、午前一刻午後一刻で時速5kmでも20kmですよ。

それより司馬懿さんが公孫氏討伐に「行きと帰りに60日づつ」と都から郡(?)までの凡その日数をあげているので、
これなどを算出根拠にすべきではないでしょうか?

# 中国地理にも疎いニでした

710 :縄文人:2009/08/18(火) 00:45:09
>>708
<急いでいたので、末盧国から最短ルートを通ることになった> 
とは考えられませんね。
伊都国を前原市の辺りとするなら陸路を行くより舟で行く方が便利で速いですよ。荷物を持って歩くのは舟で行くより
労力と時間を要するものです。

壱岐から唐津辺りまでと壱岐から糸島水道(昔の地理)までとでは舟で行けばさほどの違いはありません。前原の伊都国
に行くのなら末盧国などに上陸して陸路で行く必要はないでしょう。時間の無駄です。末盧国を経由したのは其処から陸
路をとらないと行けないところに伊都国があったとみるべきです。なお、何度も言ってますが、伊都国を怡土との語呂合
わせで前原市辺りに比定する説には根拠がありません。


711 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 07:02:55
>>610

だから、これは旅行エッセィじゃないって。
文章で書き表した地図。

陸行五百里は陸地が続き、今までの二島と違い一島一国じゃない
と、言ってます。

712 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 07:05:54
>>711はアンカーミス。


610ではなく、>>710です。

713 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 07:56:56
>>706距離だけじゃない事情。
なんで、だから畿内説はなりたたないと考えられないの?
これでは始めからに畿内説が正しいとしてるじゃないですか。

714 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 08:06:02
>>706距離だけじゃない事情。
倭人伝は魏代についての記録であるが、対象読者は晋代の知識人。つまり、何らかの事情が
あって時間がかかったとしてもその事情を記さないまま、かかった日数を示せば、晋代の知識
との齟齬をきたすことになる。つまり、水行10日陸行1月は晋代の倭国に関する知識に照らして
不自然ではない記述と考えたい。倭人伝は地誌であって、視察記録ではないのだから。

715 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 08:17:21
他スレでも書いたのだが、714に関連して、陳寿には280年代までの倭国や邪馬台国に
関する知識があったと考えたい。(266の倭女王朝貢以降、倭国の情報は晋に入ってきてい
ないとする考えも成り立つのではあるものの) とすれば、歴史的な記述については魏代終末
地までで筆を置くとしても、行程距離・日数など晋代でも変わらない部分については、陳寿の
(あるいは陳寿が参考にした他の著述の著者)が持つすべての知識を総動員して書いたので
はないだろうか。

陳寿が倭人伝を書いた280年代には、倭女王266年朝貢時の情報を持った人もまだ存命し
ていたであろう。なぜ、倭人伝の記事が魏使の報告書のみを参考として書かれているといえ
るのだろうか?それが常識にかなうことだろうか?

716 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/18(火) 08:26:05
>>710
私の説は、2回の魏使のルートが末盧国から分かれます。お間違いなきようお願いします。

末盧国の次の国を伊都国、と情報を提供したのは梯儁です。私は、彼は伊都国もしくは奴国まで船で行っただろうと
考えていますし、末盧国には上陸しなかった可能性もあると思っています。

陸行南東500里、は張政です。彼のルートは末盧国から内陸に入り佐賀平野に抜けるので、ここで陸行に変わります。
末盧国の次の国は南東500里にありますが、それはもちろん伊都国ではない国です。

梯儁はずっと水行なので、伊都国へはわざわざ水行と書いてないと考えても不自然ではありません。
ところが張政は陸行に変わったので、そう書くのが自然です。
ですから2つを合わせた時に、末盧国から陸行と書かれたのはおかしなことではないと私は考えています。

別々のルートになった理由は >>708 の通りです。
あるいは、急いではいなかったが遠回りする理由もなかった、と考えてもよいのかな・・。

717 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 10:41:24
仮に福岡勢力と筑後勢力が争っていたならば
佐賀、筑後に行くためには
松浦から佐賀に抜けるルートを通るしかない。

松浦から佐賀に抜けるルートは福岡を避けているように見える。
そうでなければ、伊都、奴国、対蘇(鳥栖?)を通る方が楽。

ただし、佐賀市周辺が目的地なら佐賀に抜けるルートが近いかもしれない。
久留米、筑後ならば距離的にはそれほど変わらない。

718 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 11:25:45
文章地図として書かれているものを
郡使往来旅行エッセィとして捉えているんじゃ、そりゃあ永久ループになる
のは必然だわな。

アホらし!

719 :doontakuka:2009/08/18(火) 11:49:26
>>718

文章地図として書かれているものを
郡使往来旅行エッセィとして捉えているんじゃ、そりゃあ永久ループになる
のは必然だわな。

アホらし!


『其大官曰卑狗、官亦曰卑狗』と『其官有狗古智卑狗』 
の卑狗の狗はAnubis だが、狗古智卑狗の卑狗の狗はAnubis で狗古智の狗は、Thoth だろう。
日本書紀では、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)
古事記では、夜麻登登母母曾毘賣命(やまととももそびめのみこと)
の、迹迹・登登 と同一神だろう。

母母は、3個の桃で宝珠。


720 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 12:10:55
>>719
意味や意図がわかりません。

721 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 12:31:36
末廬国のある島は、
末廬国の東側に伊都国。
伊都国は、伊都と表記されているから“都の玄関”
伊都国の東側には奴国。
奴国にはその表記から、その島の中心的な生産地であり、中心的な地域。
奴国の東側には不彌国、不彌と表記されているので
その東側には「彌国」の存在。
不彌国の表現は彌国からの表現で、彌国の対的な位置にある。

722 :doontakuka:2009/08/18(火) 13:08:11
>>721
その東側には「彌国」の存在。
不彌国の表現は彌国からの表現で、彌国の対的な位置にある。


「彌国」とは、如何様な国なのですか?

如何様な国なら「彌国」と命名できるのですか?



723 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 13:17:44
>>722

彌国=太陽の登る国
不彌国=太陽の沈む国


卑彌呼の「彌」

724 :doontakuka:2009/08/18(火) 13:42:33
>>721
伊都国は、伊都と表記されているから“都の玄関”

“都の玄関” ではないでしょう。

『倭国を統治する上での不完全ではあるが一つの幹』
だから『都 du』。
伊は《一》、《壹》、《夷》と同じ yi  の 音。

古事記では伊都はitu と読ませている。
『伊都をいつ』と読むなら、『伊の聖職者』。
『伊』とは誰のこと。
『其大官曰卑狗、官亦曰卑狗』の卑狗でanubis神≒Jehovah神(エホバ)。

『倭国を統治する上での不完全ではあるが一つの幹』
だから『都』。
伊は

725 :doontakuka:2009/08/18(火) 13:47:20
>>723
彌国=太陽の登る国
不彌国=太陽の沈む国

ワシ流だとその逆だ。
『彌』はnight だから、太陽の沈む国。
不彌国は太陽の登る国かな。


726 :doontakuka:2009/08/18(火) 13:49:24
卑彌呼の「彌」

『彌』はnight だから、太陽の沈む国。
だよ。

727 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/18(火) 13:54:14
>>717
>仮に福岡勢力と筑後勢力が争っていたならば
>佐賀、筑後に行くためには
>松浦から佐賀に抜けるルートを通るしかない。

その通り。倭國乱後に卑彌呼を共立した反邪馬壹國の相手国は、
餘旁國のラストの奴國、即ち福岡平野にある古の倭奴國です。

備考:
伊都國の城郭は佐賀市大和の惣座遺跡
伊都國の東南の奴國の城郭は佐賀城

728 :doontakuka:2009/08/18(火) 13:54:30
卑彌呼は奴国に居た。
と。

不彌国の東に彌国有りとは魏志にはないが、
不彌国の西に奴国が有ってそこに彌があった。
が、国ではなく卑彌呼。

729 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/18(火) 14:02:42
>>721 河童蟲さん
>末廬国のある島は、
>末廬国の東側に伊都国。
>伊都国は、伊都と表記されているから“都の玄関”
>伊都国の東側には奴国。
>奴国にはその表記から、その島の中心的な生産地であり、中心的な地域。
>奴国の東側には不彌国、不彌と表記されているので
>その東側には「彌国」の存在。
>不彌国の表現は彌国からの表現で、彌国の対的な位置にある。

上記が四方位で表現しているのであれば、その通り同意。

730 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 14:04:56
>>728
doontakukaさんは電気ビリビリや催眠術や、薬で長く眠らされる治療を病院で受けたことが
ありますか?

731 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/18(火) 14:09:15

doontakuka説と河童蟲説はどちらも正しい。
解釈の仕方が違うだけ。

732 :doontakuka:2009/08/18(火) 14:12:23
>>730

日本@名無史さん
是非、その治療を受けることをお勧めします。

電気ビリビリや催眠術や、薬で長く眠らされる治療を     ^^;


733 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 14:14:50
>>732
さっそくご連絡ありがとうございます。
僕はすでにあります。思春期統合失調症という病名で27年間入院しました。あなたの考えは
僕ととても似ているので仲間かなあと思ってお便りしました。

734 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 14:14:53
>>728

>不彌国の東に彌国有り


書く必要もない。

北京と書けば南京はセットもの
東京と書けば西京はセット
不彌と書けば、対的に彌。視線が西から東に移動しているのだから
不彌国の対的は不彌の東。

彌国は女王の都する所で、(西)末廬→伊都→奴→不彌→彌(東)
その距離千五百餘里

末廬=入国港
伊都=玄関(イミグレ)
奴=生産中心拠点(繁華街)
不彌= 門(狛犬)
彌= 本殿(王宮)

その東は太陽の登る海。

735 :doontakuka:2009/08/18(火) 14:26:21
>>733
でわでわ、

到伊都國 官曰爾支

爾支
は、何を持って爾支というか?

是非、記述してくださいね。
其の上で、似ているか否かを判定しましょう。  ^^;





736 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 14:33:22
爾という字は、なんと読むかは知りませんが雨が降ってるように見えますがそれは間違いです。
おそらく昔の電話のことだと思います。「爾支」で、電話を支える台という意味ではないでしょうか?

737 :doontakuka:2009/08/18(火) 14:33:55
>視線が西から東に移動しているのだから
不彌国の対的は不彌の東。

西から東に移動しているのは倭国の地形の問題でしょう。

>>彌国は女王の都する所で、

河童虫さんの奥さんのお国は何処ですか?

於是共立爲王 侍婢千人 

ですから、『女王の都する所』で卑弥呼をやっていたかどうか?


738 :doontakuka:2009/08/18(火) 14:36:32
>>736

はい!


貴方と全く同じ考え方をする自分に驚いています。


739 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 14:38:47
>>737
それにしても拘禁服 はとてもいやでしたね。着ない身分になって嬉しい。

740 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/18(火) 14:43:57
今残る神社の形態は、当時の邪馬台国の縮小版


鳥居があって仲見世が有り、橋を渡れば本殿に。

741 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/18(火) 14:49:34
みき→爾支
シナ人の倭音に合わせた当て字だろ?
「みき」は、倭語で「幹」の意味じゃないかな?

似たものに、「一支」がある。
「一支」は「倭支」又は「倭基」「倭城」と思うのだが。


742 :doontakuka:2009/08/18(火) 15:00:13
>>740
今残る神社の形態は、当時の邪馬台国の縮小版

鳥居があって仲見世が有り、橋を渡れば本殿に。

Ištaru だIštaruはアッカド語、英訳するとpriestess。
伊都の伊はこれだな。


743 :doontakuka:2009/08/18(火) 15:18:53
>>740
『倭国を統治する上での不完全ではあるが一つの幹』
だから『都 du』。
其れに対し
爾支の爾・er とは、
『倭国を統治する上での完全なる複数の幹』のこと。
だから中国語音、er=爾がつかわれている。

伊都の意と爾支を重ねて読むとその構図が理解できそうです。

複数の幹とは『邪・馬・壹』だろう。


744 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/08/18(火) 15:50:09

一支・壹基(壱岐)が「海壹」に対して、
内陸に進出して、邪馬壹は「山壹」じゃないだろうか?

745 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/18(火) 19:26:46
>>701 縄文人さんへ
日本書紀といえども西暦に直せなければ、4次元の世界を再現出来ない。
私の数字は、それ相応に記事を合わせて数字に直しています。

この数字に不都合があったら指摘して下さい。


746 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 20:19:54
>>745
よし行け、チョロ松。縄文人は記紀の紀年を否定したぞ。つまりはあんたの全存在を否定し
たってことなんだぞ。戦えチョロ松。

チョロ松応援歌

♪朝焼けの空に日輪輝く 人として生まれ ホツマとともに生きる
美しきホツマ 幸せの賛歌 いざ讃えよ 永遠のホツマ
  われホツマとともに 邪悪を切り開かん
  ああホツマ 麗しの 愛しのわがホツマよ 



747 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/18(火) 20:50:14
>>746
比定なら良いんだけど、自分の都合に合わないだけで比定しても
自分の都合の良い読み方が無いんだよ。


748 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/18(火) 21:59:10
クルクル改め丸は、論破されて今日は逃走中か〜。

2位でも金メダルが取れると言い張ってたそうだが、こんなことで社員から
嘲笑されてひっこみがつかないで大慌てなんだろう。これで社員から馬鹿に
されるのは目に見えるようだ。また2位で金メダルだとか言ってたそうだから、
改め丸はそのうちビリかビリ前でも金メダルが取れるとか言い出すんだろう?ppp
改め君、今回の世界陸上で、2位が金メダルをもらった事例を述べよ。bbb pp

改め丸も精神科から招待状でも来てもよろしいぜ。www オイオイ改め丸は
ブービー賞が金メダルだとかぬかすらしいぞ!www

縄文人さんよ
そんなことを言ってることは、君が凡人だということを遠回しに宣言して
いるようなもので、改め丸よりはずっとマシだが、人間も百万二百万とかいると、
その中では数字に得意の奴はかなりいるだろうぜ。君自身の脳の出来で、人類
全員もその出来だとはならんのだよ。自分が不得意だから他人も不得手だとは
限らんの。君のは、自分が不得意だから他人もそうだとの考え方ではないか。
他人もそうだとは必ずしもならんぜ。w

749 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:34:47
ブタ国は何を言ってんだ?シャブ中か?

750 :DoW:2009/08/18(火) 22:35:38
ここは紀年派の太国さん、唐松山さんが一時手を組んで、記紀紀年懐疑派の縄文人さん
と戦ってはどうですか?

751 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:36:30
毎度同じ事を書いているが、たまに書いておかないと
犬国の毒電波に侵される被害者が出るからなwww

犬国の九州説と言うのは極簡単

「畿内に邪馬台国があったなら大和朝廷の編した記紀に出る。
 出ていないのは即ち畿内に邪馬台国が無かったから」

と言うものwしかしこれは
「大和朝廷(正確を期すならその全身という意味でヤマト王権)と邪馬台国は別物」
と言う前提に立っている。

現在の畿内説は大抵ヤマト王権=邪馬台国の前提で語られているのであり
(まあ探せば過去現在にそう言う説もあったろうが…てか直木がそうだったかな?)

犬国の前提は畿内説を否定したものと言って良い。

つまり「畿内説を否定した前提」の下で「畿内説を否定している」と言ういわば循環論法wwwwwww

まあこんな事誰でも少し考えれば分かるんだが
ここまで堂々と電波流されたら意外に分からないって事もあるんでwwwwwwwwwww


752 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/18(火) 22:37:48
>>749
オマエは畿内「台馬」節か〜?w

753 :総聯:2009/08/18(火) 22:41:06
改め君、必ず連絡してね。心配ないから。

754 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/18(火) 22:44:26
>>751 ジョーカー
オマエも畿内で男王(天皇)と女王(卑弥呼)の合体節か〜?www
オマエも歓喜天盲象抱擁だな。ppp
目を覚ませよ。 ↓

http://www.sensin.net/enmyou/hotoke/h1.htm

755 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 23:08:27
>>754 犬

お前毎度毎度「歓喜天」がいたくお気に入りのようだが

それって何か面白いのか?

どうせならご利益のありそうな生駒聖天の秘仏でも出せよアホウw
(某財閥がのし上がるに力を発揮したとかの噂があるとか無いとかwww)








756 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/18(火) 23:20:59
ジョーカー
オマエの盲象を覚醒させるためだよ。畿内節っていうのは、結局は
天皇と卑弥呼女王のベッタリ盲象だよ〜ん。ppp ww

じゃぁまたな!zzzzzzzzzzzzz・・・・・・・

757 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 23:41:30
>>756 アホ犬

…ったく下らん奴だな。

「男女ベッタリ」とかなら左道密教の立川流か
チベットのその手のタンカでも出せよ芸の無い奴w

オカルト屋としてもう少し電波芸の巾を広げろカスwww

それとついでに忠告しておいてやるが…

お前以前どこかでマヤ歴に関して金星の周期に基づくものを
マヤの暦法の中においてまるでオマケのような扱いしていただろう?
(まあ馬鹿は覚えてないだろうが・・・)

マヤアステカの世界観を知っていればそのような言葉は出てこない。
…それはアステカが僅かなスペイン人(コンキスタドール)に滅ぼされた原因でもある。
別に中南米の古代文明に詳しいと言うわけでもない俺でさえ突っ込めるような話。

倍歴で好んでマヤとか持ち出すが知ったかぶりすると大恥かくぞwwww



758 :DoW:2009/08/18(火) 23:48:19
太国氏は歓喜天と歓喜仏の区別もつかんだろう。まして「一の葦」の話など知るようには見え
ない。

759 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 00:03:43
>>757
またいつもの話題そらしか
ツマンネ

760 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 01:12:22
豚国(笑)まだファビョってんのかw

761 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/19(水) 11:16:37
>>757 ジョーカー
オマエの言ってることは中途半端で意味不明。起きていて寝言をもう言って
るのか〜?ww 顔を洗ってまた来い。

ヒミコが朝廷の女子だと思ってるのか? 金印をもらう女王なら、記紀の皇統に
連なるはずだろうが?それが皆無なら、女王で金印をもらっていて畿内の女王
たるわけがない。所詮オマエはベッタリ盲象が大好きで離れられないわけだ。w

762 :縄文人:2009/08/19(水) 13:46:17
こっちには変な人がいっぱいいて変なことばかり言ってますね。面白いですね。笑えますね。太國ちゃんジョーカー氏
とやらとコンビになって漫大会にでも出てみなよ。あ、唐松山さんも入れてトリオがよいかも。

763 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 15:32:00
>>762

トリは縄文人のアホ踊りだね♪

764 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 16:09:19
>>762
本当に縄文人は嫌なやつだね。実生活でもどれほど嫌われてるやら。

765 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 16:16:12
>>764
これからは最低人と呼ぶことにしないか。

766 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 16:37:18
いしいひさいち かよ。

767 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 16:39:48
>>335
>画文帯は、呉の領域の鏡、卑弥呼がそれをもらうというのは無理がある。

>画文帯は呉が滅んでしばらくしてから日本に来た。
>穏当に考えれば、300年以降だろうね。

出ました東遷厨のお得意のパターンw

長い戦乱の中銅鏡の製作組織も壊滅したこともあり
魏が銅鏡の製作まで手が回らず、また呉が臣従していた時期もあり
呉地に紀年鏡をアウトソーシングしていたであろう事は確実。
(と言うか政治的に対立する二国間で文物の往来が絶えると言うのなら、春秋戦国時代はどうなるんだ?って話だが…w)

その事は東遷厨の大好きな王も論証しているとかwww

実際『黄初』の年号のある同行式神獣鏡や対置式神獣鏡の中国での出土がある。

恐らく何も知らない人間に
 「三国志知ってますよね?
  魏と呉は争っていたでしょ?
  だから呉があるうちは呉地の鏡は魏には流れないんですよ!」
とイメージ操作しようってんだろうが幼稚なレベルでの詐欺、勘違い商法、

良いこのお友達は騙されないように気をつけましょうwwwwwww

もうこのパターンも何回も繰り返している
恐らく本人も分かっててやっているんだろうが…

嘘も死ぬまでつき続けたら真実になるって事かな?wwwwwwwwwwwww

768 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 16:43:34
すまん >>767 は誤爆ですw


769 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 17:01:40
たかが2ちゃんの掲示板で実生活とは、どんだけ掲示板に依存した自宅警備生活なんだよ?

770 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 17:02:35
単に嫌いなだけだろ。

771 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 17:36:04
掲示板なのに好き嫌いしちゃうのか?

772 :縄文人:2009/08/19(水) 17:48:20
私を嫌う人は畿内説派の方々と一部の九州説の方です。その方々には都合の悪い書き込みをしてますから。
こう言うとまた嫌われそうですが、私は良識ある大人には好かれています。それに、子供にも、特に若い女の子や妙齢の
ご婦人がたにも特に好かれております。

773 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 18:02:27
おめでたい勘違い野郎だな

774 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 18:09:00
>>773>>772の知り合いか?

775 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 18:49:23
>>767  
>呉地に紀年鏡をアウトソーシングしていたであろう事は確実。

頭大丈夫?
空想をたくましくしても確実なんて言えないよ。実際に魏での出土量は極めて少ないわけだし。

  wwwwww → 草を植える → 植草 → ミラーマン


776 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 18:55:19
>>775
とりあえず呉地の意匠の強い鏡が魏の年号を入れられている現実について
何らかの説明してもらえないかな?

そんなイチャモン、ケチレスだけつけられても困るw

「邪馬台国○会」なんかはここら辺のデータは載せず
古い話ばかり載っているが、ありゃわざとかねえ?wwwwwwww

777 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:12:01
>>776
呉は当初は魏の年号を用いていて独自の年号を持っていなかったからだろ。
後漢末期に漢王朝が魏の傀儡になっていた頃から、惰性で魏の年号をそのまま使っていた。

それが呉の領域で出土したからといって、魏の注文で呉で作られたものが魏に運ばれる前に
紛失して埋められたなんて想像は無理じゃないかな。


778 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:12:20
三角縁神獣鏡に多い「陳氏」は、黄武七年〜黄龍元年(228〜229)、呉で紀年鏡を作っているな。


779 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:35:03
それは、三角縁神獣鏡が舶載という意味か?


780 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:43:08
>>779
作風から、同一集団と見たい。ただし、製作地は呉か魏か倭かはわからない。

781 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:44:00
>>777
ちなみに黄初二年から四年までの神獣鏡があるが

 魏        呉
黄初三年  黄武元年・・・孫権呉の建国
黄初四年  黄武二年

確かに孫権が皇帝を名乗ったのは後の時代だが
「黄武」って年号” 後付け ”だったのか?





782 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:48:36
そうではないと思う。>元年10月魏の年号を改元し、黄武元年とする。と、Wikiにはあるな。

783 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 20:00:41
陳氏作と銘に刻まれているものは、中国で出土が7枚、そして日本が20枚ほど。日本出土の多
くは三角縁神獣鏡。作風から見て、三角縁神獣鏡で陳氏にかかわるものはもっと多いと考えら
れている。中国で出土したものはほとんどが長江流域のもので、しかも南京で出土の1枚を除
いて、すべてに呉の年号がついている。鏡の形式はどれも神獣鏡で、呉の鏡としてふさわしい
とは言える。

784 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 20:42:10
>>783
それは本当なの?
だったら、こういうことですか?

呉の時代、長江流域で鏡職人だった陳氏がいた。
呉の年号を刻んだ神獣鏡を作っていた。(三角ではない)
その陳氏は、魏の時代に三角縁神獣鏡も造った。これはすべて日本にもたらされた。




785 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 20:45:46
安本のサイトでは、同位体から三角縁神獣鏡は鋳潰されて再生産された鏡とされてるが、
魏の時代でも銅が不足していたとするなら、
魏で鋳潰された銅が三角縁神獣鏡として造られた、ということは考えられる。

その三角縁神獣鏡には、景初三年(239年)銘があることから、
卑弥呼がもらった鏡であると推定され、卑弥呼は大和にいたことになる。


786 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 20:55:31
>>784
中国人史家王金林氏の研究から。しかし図式はたぶんそう単純なものではないだろう。

787 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:02:05
>>786

俺は>>784ではないが、その研究興味ある。
どんなん?

788 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:08:43
詳しそうなサイトみつけた。

ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/Sankaku.html

どうなんだろう?
いい線いってる?

どうも、三角が舶載鏡というのも捨てたものじゃなさそうだ。


789 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:11:43
中国日本史学会名誉会長。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%8E%8B%E9%87%91%E6%9E%97&lr=&aq=6&oq=%E7%8E%8B%E9%87%91

790 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/19(水) 22:00:30
日本の女子バレーはこの前ドイツに勝ったと思ったが、どうやら今日
は負けたようだ。途中TV放送を観戦していたが、敗色が濃いところ
所用で最後まで見てはいなかった。前に相手は負けたわけだが、
やはり前に勝ったこちら側をしっかり研究していたろう?

ジョーカーの奴もそれがしの論を研究していたようだ。だからあんな
論をして来たのだろう? それがマヤ暦がどうのということで、
ハハァこちらを研究してるなと思ったが、な〜に?枝葉末節のことを
並べて文句を垂れていた。こんなところしかツツケないかねぇ〜と
苦笑したものだが、こちらの研究を相当していたことは見受けられる。
これであいつは自己の論がおかしいと感づけば大したものであるが、
まだまだ盲象合体がおかしいと直感せずにいるのが惜しい。w

何と行っても卑弥呼の女王国論は畿内と九州に二分されるが、一方が
間違いであることは、双方にまたがる大国だった以外そのことは
確かなことだ。だから片方の不合理は不合理に見えてそうではなか
ったということになり、もう片方は不合理が矯正できないもので
あることになるのだ。

791 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 22:17:53
消えた日本の歴史

百済王家 = 天皇家
百済王 = 天皇(大和朝廷と百済王朝統合)
百済の高官 = 蘇我家 = 大和朝廷の高官
百済人 = 日本人(朝鮮半島が安定せず弥生時代から奈良時代まで大量移民。
縄文人の蝦夷、熊襲を追い払う)

そもそも私たち日本人のほとんどは朝鮮半島からの移民である。

792 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:16:03
>>788
>どうも、三角が舶載鏡というのも捨てたものじゃなさそうだ。

無理だよ。

野球の試合で言えば、500対0のパーフェクトゲームですでに試合が終了している。
その後に審判に詰め寄って難癖をつけている敗者のような存在が、今の舶載説。

はたから見ればみっともないとしか言いようがない。



793 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:40:04
>>791 日本語と朝鮮語が全然異なり、同系の証明もできないのは何故なんだ?

 移民なら言語がほとんど同じか、方言程度の差しかないはずだな。

794 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:57:00
>>793
その人はあちこちに同じ内容を書き込んでるみたいだから
まともに相手をできない人物と思う。

795 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:57:38
現在半島には世界最悪といえる国家の一つがある。残念なことだ。

796 :ローガン:2009/08/20(木) 01:07:57
>>788
>どうも、三角が舶載鏡というのも捨てたものじゃなさそうだ。

捨てるなんてとんでもない。

797 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 01:23:28
>>792

審判って誰?

というか、三角が国産だっていう根拠って、中国で一枚も出てないって、それだけじゃん。
全部倭人が買い占めていったなら、そりゃ、中国には残ってないわな。

その程度で国産と決め付けるのは短絡的すぎる。アホの考えること。


798 :金博司:2009/08/20(木) 01:27:04
どーけや、ババァ(卑弥呼)
(金目のもんをせしめて)ヨッシャー!

799 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 01:51:50
>>797のような人が日本の学問を貶めているのでしょうね。


800 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 02:07:48
>>792
>野球の試合で言えば、500対0のパーフェクトゲームですでに試合が終了している。

こんな事しか言えないからここの九州説は終わっているwwwwww

それは舶載説論者が国内で出土する三角の全てを舶載と主張した時にのみ使える理屈。

むしろ中国での出土で見れば卑弥呼の鏡は”神獣鏡”であった可能性は高い。





801 :ヒミコ クエスト :2009/08/20(木) 06:21:35

コマンド: すてる
  → さんかくぶちしんじゅうきょう

ローガン: それを すてるなんてとんでもない!

ほんとうにすてますか?
  →はい
    いいえ

802 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 10:07:45
三角縁神獣鏡の復元
http://www.mahoron.fks.ed.jp/kiyou/pdf/2002_1.pdf

会津大塚山鏡は10個の小さな乳が2環列あります。
外の10個の乳環列は十界(地獄・餓鬼・畜生・・・・菩薩・仏)で、内の10個の乳環列は十如是(如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等文)を刻み込んだものだとおもいます。だから仏がいる。十如是は歳差の応用です。
4個の中乳は12星座の省略形で西から伝播した歳差の確認形態です。

会津大塚山鏡は『西の歳差』と『仏教の歳差』が融合した証にみえます。

宇佐市大字高森 赤塚古墳出土の三角縁神獣鏡
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/kokogaku/images/sankakukyo-1l.jpg
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/kokogaku/images/sankakukyo-6l.jpg

小さな6個の乳が2環列あります。やはり西から伝播の歳差を表しています。
仏が居ますから西から伝播の歳差と仏教の融合を意味するでしょう。



803 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 11:08:35
>>801

迷わず「捨てる」一択

804 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:06:52
500対0を野球に例えてるけど、1点でもとらると負けになる野球なんて
聞いたことない

805 :ローガン:2009/08/20(木) 14:50:18
>>792
> 野球の試合で言えば、500対0のパーフェクトゲームですでに試合が終了している。

なんで、0なの?
三角縁も、神獣鏡も、三角縁の神獣鏡も大陸で見つかっているのに…

806 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 16:13:26
>>805
『三角縁神獣鏡』の定義にあてはまる鏡は中国、朝鮮での出土はありませんよ。
定義をひろげれば別だろうけど。


807 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 16:29:58
500:0 っていうのは、大陸の鏡ではないな。特鋳なら、卑弥呼の分
100枚で済むはずだ。それが5倍では卑弥呼の鏡ではないということ
が妥当だな。

808 :ローガン:2009/08/20(木) 16:44:54
>>806
> 『三角縁神獣鏡』の定義にあてはまる鏡は中国、朝鮮での出土はありませんよ。

確かにね。でもその定義って ずっと後世の学者が遺物としての分類目的で便宜上、こしらえたものですね?
作鏡当時のマニュアルに基づいたものな訳ないでしょ。

809 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 16:46:46
犬国先生って、やっぱあれだよね・・・

810 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 16:55:18
うん。太国氏は Sailor White だね。

811 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 19:07:44
>>808
その見方をしても、日本の学者が「三角縁神獣鏡」としているものは中国から1面も
出ていないという事実は変わらないよ。

812 :縄文人:2009/08/20(木) 19:13:18
>>807
500枚も出ている鏡の中に模造品が例えば450枚あったとすれば残り50枚は卑弥呼が貰った鏡だと言えば言えない
こともないが、まあ、太國ちゃんの主張のようにあれは卑弥呼の鏡じゃないだろね。なんかみすぼらしい感じがす
るもんね。魏の威信を示すならもっと立派なものが欲しいね。あ、金の鏡なんかどうだろね。

813 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 19:39:03
>>812
だからそういうのがうっちゃり論なわけよ。うっちゃりもあっても
少しまで。これが多けれればその説が間違いだと思うのが妥当な
考察。特鋳説が肩透かし的でこれも前押しから外れた準うっちゃり的
言い訳だよ。そこでこの言い訳があって次はうっちゃりの450枚が
原鏡からの模造だと言い訳すれば、2回も特殊な例外的事情があっ
たとさせて△が卑弥呼の鏡だと防衛しても、そんなに2回も特殊な
言い訳が旨く成立するものなのかねぇ?そんなことは言い訳するより
間違いだぞと受け止めるのが、冷静賢明な判断だね。

814 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 20:01:39
うっちゃりというのは確かに存在する。けれどもそれを肯定
する為には、自説の保全がきくからやるのが2ちゃんの連中の使用
方法なわけだが、ことに唐松山がこれを多用してるがそれは後に言う
が、それ相当なうっちゃりの肯定出来うる根拠、論理、資料等を
模索してほぼウラが取れるべき状況が必要だと客観的に考える。

こういううっちゃり多用というのは探偵小説にうんと見られるよう
で、江戸川乱歩の「一寸法師」がひっくり返ってまたひっくり返り、
さらにまたも換わり変わって、ついに真犯人が判明する段取りの
物語で、その世界の白眉に思うのだが、他の探偵小説でもこれは常套
手段的物語の構成が多く、これが探偵小説推理小説を面白くして
いるわけで、こういうことは大いに結構だが、これが古代史論でも
うっちゃりのひっくり返し論がそんなようにうまく行くのかと考え
てみると、現実はそんな滅多やたらにうっちゃりばかり利くわけが
あるまい。ww 唐松山はうっちゃりの多用で論を固めてきたわけ
で、無理不合理がところどころに見え隠れしており、それでも彼は
その警告を翻そうとせず、うっちゃりうっちゃりの古代史論展開を
突き進み、それでもやめようとしないくらい盲象の恐ろしさは、酒井
の覚醒剤と同様、妄想した脳の治療は、強く諭しても到底治らな
いひどいものである。だからうっちゃりが多い論だと観たときは
まず盲象だから、離れ警戒して受けないほうが安全であろう。

815 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 20:12:13
鏡についてまず考えたいのは、倭人のために特別に鋳造(尚方であれ呉地等であれ)した
ものか、それまでの収蔵品か、市場などで買い集めたなどのものか、ということだな。

時間的には、難升米が郡に詣でたのが景初二(三)年六月、都において詔制があったのが
同年十二月、倭王に詔書・印綬が仮拝されたのが正始元年。新たに鏡百枚を鋳造する時間
はあったと考えたい。同型鏡を百枚ビシッと揃えてこそ皇帝の威儀が示されるというものだろ
う。

とすれば、鋳造時に倭使の好みを聴取したということも考えられなくはない。実用に適さない
祭祀用の大型鏡、倭人の好む神獣文様などなど。こう考えれば、特鋳説もあながち的外れ
ではないと思う。魏帝詔書の結びに「故に鄭重に汝に好物を賜うなり」とあり、一般には他の
朝貢国より良い物、と解されるが、特に好みの物というニュアンスがくみ取れないこともない
だろう。



816 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 20:19:00
うん、三角縁は特鋳だね。
間違いない。

九州説だと、中古の漢鏡をバラバラにかきあつめて渡したということらしいけど、皇帝のプライドが許さんよね。

817 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 20:35:05
もちろん新たに鋳型を起こしたのではなく、それまであったものを用いた可能性は否定でき
ない。しかし、三角縁神獣鏡の名の由来となる三角の断面は、凸面鏡であるため構造上造り
やすいからとする説もあるが、あるいは遠い倭地に運ぶため欠けにくく工夫したと考える説も
ある。

出土数五百枚強については、倭人が鏡の造作を見て学んだということも考えられるだろう。
倭地には鏡よりはるかに立体的な鐸を作れるほどの銅鋳造技術があった。

818 :ローガン:2009/08/20(木) 20:52:51
>>815

そうですね。それに、詔書に先立ち工房に打診があったと考えれば、日数に問題はないでしょうね。

819 :ローガン:2009/08/20(木) 21:04:24
>>811

> その見方をしても、日本の学者が「三角縁神獣鏡」としているものは中国から1面も
> 出ていないという事実は変わらないよ。

うん。でも、細かい定義に合致しないだけで、よく似たのがあると云う事ですよ。
だいたい△は定義が厳しいでしょ? 内向花文鏡なんて、10cmのもあれば40cmでも内向花文鏡ですよね。


820 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 21:05:23
>>813-814
この考え方には同意。「うっちゃり論」のネーミングも言いえて妙ですね。

証拠の上では「550以上対0」で決まりのところを、推理小説のようなどんでん返しの
理屈を前面に出して、常識的な結論とは程遠いところに行ってしまう。
それが、三角縁神獣鏡の舶載説ですね。

821 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 21:08:57
>>819
じゃあ、「鏡」というレベルでくくりますか。
これだと一部が舶載であることを否定する人は居ませんよね。

定義変更を申し立てても、そのうちの「日本でしか出土しないグループ」
に「三角縁神獣鏡」が分類されるので、結局同じことですよ。

822 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 21:12:59
「三角縁神獣鏡」は魏の皇帝の墓を掘っていないので
まだなんともいえないらしいが。

823 :ローガン:2009/08/20(木) 21:29:48
>>821
>そのうちの「日本でしか出土しないグループ」

日本でしか出土しないグループの共通点を三角縁鏡の定義としようと云う意味ですか?
じゃあ日本以外から出土した物との類似は考慮しないのですね?
すみません、今帰り道なんで、又、後程。

824 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/20(木) 22:01:21
>「うっちゃり論」って何ですか?
例えば、
@季節さえ無視すれば、3年分の記事を1年として読め、且つ重ねても記事に違和感が出ない。ですか?
A三角縁鏡は、景行の倭国統一と共に全国の古墳に埋葬される。ですか?

@に関しては、無理 整合性無し。
Aは整合性がとれる。


825 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 22:04:04
>>824
君は三輪の玉とズッとにらめっこしていたほうがいいよ。ww

826 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/20(木) 22:18:06
「うっちゃり論」とは、「日本書紀の年代を考える」の>608や>614の
質問に答えずに3倍年は正しい。とする 太国さんの態度。


827 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 22:23:16
君もホツマの月々に季語を加えるのかねぇ〜?ww

玉手箱の中の雲霧内の塩三つ玉を、ズッとにらめっこしてな。ww

828 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/20(木) 22:36:58
>君もホツマの月々に季語を加えるのかねぇ〜?ww

別に季節を全てに入れなくとも 太陰暦で正直に読めば、季節は、間違っていない。
それに比べ、太国3倍年は、記事に齟齬が生じる。

太国さんの数字を正しいと認めている私に対し、疑問点に正しい認識が得られない以上
太国編年は、異常があり 正しい編年とは認められない。

>>826 の様な態度を「うっちゃり論」と云うんでないの?
正面から受け止めろ。


829 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 22:52:29
もちろんチョロ松は、正々堂々の「押し出し」「寄り切り」論者。

830 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:34:04
>>823
定義を変えても、日本でしか出土しないグループが明確に区分可能なので
意味がないということです。

831 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 23:35:23
君が答えないのはホツマの季語こそだな。ww

さ〜て。半径3の塩三つ玉の体積vは

 v=113.097335

ここで09が焦点だ。0は丸。9は球で0は塩干ルの丸、9は塩三つ玉
の丸→九。この玉手箱のこれらの玉09を除くと

 皇紀113年7月3日 安寧天皇 即位(磯城津日子玉手見尊 即位)

安寧天皇の宮は片塩の浮穴宮だな。

7月はデジタル式に07月だから、塩満ツ玉の9を除去すれば07月で
即位年月日が成るから、三輪王朝の先王朝は三輪王朝と別物であり、
先王朝(欠史八代)は三輪王朝と呼ばないという意味と観てよい。

縄文人氏の八代観とホツマ狂は妄想の類である。

832 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/20(木) 23:52:32
数字の09にては、

 0は数字の干る状態
 9は数字の満つ状態

zzzzzzzzzz・・・・・・・・

833 :ローガン:2009/08/21(金) 00:06:02
>>830

> 定義を変えても、日本でしか出土しないグループが明確に区分可能なので
> 意味がないということです。

ではその「明確な区分」とは具体的に何を指しますか?
大陸出土鏡との決定的な違い 云えますか?

834 :縄文人:2009/08/21(金) 00:18:44
私は三角縁神獣鏡を卑弥呼が貰った鏡とは認めていない。812に書いたことは太國ちゃんを支持したものだよ。
だけどなんだね、半径3の塩三つ玉の体積論はもうやめなよ。これだから信用落とすんだよ。

835 :ローガン:2009/08/21(金) 00:18:55
>>832

> zzzzzzzzzz・・・・・・・・

本日も掲示板、お疲れ様でした。又明日頑張ろう。

836 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 00:27:49
>>833
大陸で出土する三角縁(斜縁)のある神獣鏡とは、外区が違います。
いわゆる「三角縁神獣鏡」は外区に決まりがあります。

『シンポジウム三角縁神獣鏡』で定義の問題も議論しています。

837 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 01:21:45
鏡なんて大して重要ではないですよ。

838 :ローガン:2009/08/21(金) 01:32:44
>>836
> 大陸で出土する三角縁(斜縁)のある神獣鏡とは、外区が違います。
> いわゆる「三角縁神獣鏡」は外区に決まりがあります。

鋸歯文帯複線波文帯ですか?(違ったらごめんなさい。本が手元になくて)
だとしたら方格規矩鏡によくありますよ。佐賀県寄居一号墓とか、遼寧省三道壕墓とかね。
例えば、山東省のヤツも結局、いくら類似点が多くても、細かい条件を全てクリアしないから三角縁神獣鏡とは云わないぞって事ですよね。
しかも、その細かい定義、前期古墳から見つかる鏡の最大公約数だと云う事ですね。
勿論、便宜上の呼称として「あり」なのは理解してますよ。
しかしほぼ同様の鏡が大陸で見つかっているのに、他種鏡にない細かい定義に基づいて、
「三角縁神獣鏡は日本以外から出土しない」って… 確かに 間違いではないにしても
鵜呑みにするのではなく、その部分についての議論があって良いでしょう?
ではおやすみなさい。

839 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 01:59:05
>>838

>しかしほぼ同様の鏡が大陸で見つかっているのに、他種鏡にない細かい定義に基づいて、
>「三角縁神獣鏡は日本以外から出土しない」って… 確かに 間違いではないにしても
>鵜呑みにするのではなく、その部分についての議論があって良いでしょう?

まったくその通り。
中国では1枚も見つかってないなんて報告を信じるほうがバカなんだよ。

840 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 07:35:56
■最初の弥生人として中国揚子江の河口付近から越に滅ぼされた
呉の倭人が九州に流入。(天孫降臨神話)
呉人は敵の越との同盟時代に越より航海技術を得ていた。呉越同舟。
越国の航海技術は発達しており、越は南インドと交易をするほどの技術があった。
その為、中国南岸から日本列島の航海は容易だった。
北九州で東南アジア稲作民族の特徴である高床式住居を作り、稲作を始め、銅矛を祭る。
信仰は農耕民族の特徴である稲・太陽(アマテラス)信仰。(ニニギ族、蛇トーテム)
土着の縄文人と混血していく。(山幸海幸神話)
■次の弥生人として揚子江の南、越国の倭人(呉国の倭人と同じ百越人種)が楚に
滅ぼされ流入。呉の倭人がいる為九州に上陸できず淡路島に到達。(天地開闢神話)
稲作と銅鐸祭祀を、近畿を中心に広げる。(イザナギ族、蛇トーテム)
最も初期型の銅鐸が淡路島から出土し、その後の伝播も淡路島を中心としている。
越国の貴族の墓から淡路島で出土した銅鐸と同じ形の物が発見されている。
■スサノウ(徐福)は秦より新羅の曽尸茂梨経由で出雲へ渡来。(国引き神話)
越族を失った秦は拙い航海技術しか持たず朝鮮半島を経由する必要があった。
蛇をトーテムとする出雲先住イザナギ族を征服する。(ヤマタノオロチ神話)
この時一部のイザナギ族は福井から新潟にかけ逃げ越前、中越、上越を作る。
蚕、五穀、鉄器を持ち込む。養蚕の北限は現代でも山形県。スサノウが南から
来た事を意味する。農耕に必要な暦をえる為、ツクヨミ(月読み)を行う
百工(師匠)と呼ばれる技術者が技術伝播しながら全国に勢力を伸ばしていく。
その時に徐福伝説が全国に残る。
出雲で日本海沿岸にかけて大王国を作る。
神社を全国に作ることで支配。祭神はスサノウ、ニギハヤヒ、オオクニヌシ。
現在、ほとんどの神社の祭神にはスサノウ・ニギハヤヒ・オオクニヌシが入っている。
スサノウ族のトーテムは牛。徐福のトーテムも牛。牛頭大王を奉った神社も多い。
後の藤原氏の謀略によって物部氏のトーテムは鹿のように見せかけられたが
物部氏の神社である石上神宮には鹿はいなく牛像があり牛の祭りがある。


841 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 07:36:59
■神生み神話でイザナミが黄泉(夜見)の国(出雲)へ行ったと言う事はイザナギ族が
出雲まで到達していた事を表わす。スサノウ族の渡来時にイザナミは殺される。
イザナミの墓は出雲山中にある。これはイザナギ族の敗北を意味する。
鉄器を持つスサノウ族に銅器しか持たないイザナギ族はかなわなかった。
黄泉からイザナギが逃げる記述はイザナギ族がスサノウ族の追撃を受けた事を
意味している。
■誓約と岩戸隠れ神話は順序が入れ替わっている。岩戸隠れが先で、出雲アマテラス族
が北九州ニニギ・アマテラス族を攻め、アマテラス族が広島に逃げた事を表わす。
呉と言う地名が現在に残る。
その後スサノウ族とアマテラス族の婚姻による和解という誓約神話につながる。
■スサノウの子孫ニギハヤヒ(物部氏)が大和まで到達。邪馬壱国(ヤマト国)建国
スサノウ族は関東地方まで支配を広げる。
全国支配の為大和に出雲政権を移動。オオクニヌシの国譲り神話。
ニギハヤヒの9世代後が卑弥呼(モモソヒメ)。(籠神社より系図発見・国宝)
魏志倭人伝の倭国大乱は大和出雲連合と筑紫連合国との戦争。
卑弥呼時代に筑紫と和解。筑紫の円墳と大和の方墳が合わさり前方後円墳発生。
大王に貢献した部族には前方後円墳を作る権利と技術をあたえた。
貢献により土器など全国各地の生産品が大和より出土し、前方後円墳が全国に残る。
大和と筑紫が人質交換(神武天皇東征伝説)。神武は物部に婿入り大王家となる。
大和朝廷成立。大和とは大連立の事。ヤマト読みは前の地名(邪馬壱)のなごり。
三つ巴の印は大和、筑紫、出雲の大連立を表わす。
大王家は祭祀のみ、政治は物部と大伴(筑紫系)。


842 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 10:38:11
卑弥呼はインドの愛の女神ペマカだという説もあるな。


843 :縄文人:2009/08/21(金) 11:10:14
>>840 >>841
面白い説ですね。魅力的です。私はこういう説を述べる人は尊敬します。
ただ、神話の時代をもう少し後ろにずらして頂くとなおいいんですが。それと、邪馬台国はやっぱり九州でないと
魏志との折り合いがわるいですね。

844 :doontakuka:2009/08/21(金) 11:20:29
>>838
鋸歯文帯複線波文帯ですか?

http://higashinomiya.com/index.php?%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B8%81%E7%A5%9E%E7%8D%A3%E9%8F%A1

「三角縁神獣鏡」は
『(官職・地位などへの)指名, 任命』の証として用いられた。

『鋸歯文帯複線波文帯』はHieroglyphic Writingで
『鋸歯文帯はn (子音)』で、『複線波文帯は a (母音)』。 
故に n+a = na  na は、奴国の(ナ)。
『子音n は、ripple water  で、 母音a は、水。』をあらわしている。

『(官職・地位などへの)指名, 任命』の証として用いられた。
と、するのは、その下に『鋸歯文帯と細線文帯』があるからです。
『細線文帯は i(母音)で reed 』。
故に『鋸歯文帯と細線文帯で ni 』
ni とは"a designation of nets" です。

最初の
三角縁波文帯三神三獣鏡(10号鏡)面径21.50cm・鈕径3.26cm
は、鋸歯文帯は三段になっている。
三段目は an と読む。
an とは、"sky, heaven; upper; crown (of a tree)" "date spadix"のことであり、
神のしるしでもあり、八方位をも表す。

四種のデザインの違いは、官職の上下かグループの違いか?


845 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 12:36:33
>>843

結局おまえは、歴史の真実を知りたいんじゃなくて、

空想ファンタジー的に面白い話が好きなだけだろ。
面白い話にするために、邪馬台国が九州にないとだめだし、
九州勢力が畿内に天孫降臨しないとだめなんだろ。

勝手に自分のサイト作ってオナニー小説書いてればいいんだよ。
真面目に意見交換してる人にとっては迷惑なんだよ。




846 :縄文人:2009/08/21(金) 12:52:11
>>845
あなたが真面目な意見を述べているのかどうか分りませんね。偉そうな口をきいているから、何か役に立つことでも
しているのですか?

847 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 13:58:49
縄文人。ここで信頼を得ようと思ったら、レスに根拠をつけることだ。だれもお前のその場
限りのデタラメなど読みたいわけはない。もっと勉強して、広範な知識を得ることだ。暇は
あるんだろう。

848 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:06:05
 本当は、邪馬台国がどこにあったか、卑弥呼は誰かはすでに解明されてるって誰かに聞いたけど。

849 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:06:07
>>847
その通りだな。コテハンで書いてれば偉いとか思ってるのだろうが、こいつのレスなど読まない
ほうがまし。スレの無駄遣い。

850 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:07:34
邪馬台国がスンダランドにあったことは、すでにミュンヒハウゼン伯爵が証明しています。

851 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:08:18
>>847
だな。みんなうんざりしているんだ。

852 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 14:23:12
縄文人も紀の八代は創作だと抜かしていたが、それを創作したのは
いつ、どこで、誰が、どうして(動機)、どのようにしたとの説明
がない。古代史をやる奴が2ちゃんで書きこみをやって八代を創作
だと主張する場合、その殆どがこれを言わないで論を展開させて
いる。まぁ古代だから年代はだいたいでよいだろうが、少なくとも
誰がどういう動機どういう大なる利害があって公文書偽造をやら
かしたという詳細な説明はしようとせず、論を先行させて行くのが
大半の書きこみである。これでは根拠が薄弱と言わざるを得ない。

縄文人氏はこんないい加減な論理で八代創作という結論を決めこみ、
何ら根拠もない当人の脳内の創作論だということになる。創作して
るのは皮肉にも縄文人その者だということなのだ。

853 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:37:32
家系図の偽造なんてどこでもある話ジャン。

854 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 14:45:13
オマエの家もそうなのか?w

855 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:48:25
家系図なんてないよ。
寺や墓を調べても辿れるのは江戸時代までかな。

856 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 15:10:03
とにかく裏づけが無く、た〜だ縄文人のように自分が記憶力が
悪いから当時の数字の記憶力も皆悪いとかくらいでは裏づけられ
たとは全く言えない。紀は家系図ではないだろう。まぁ取り出せば
そうも言えようが?w

857 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 15:20:40
>>849

>こいつのレスは読まない方がマシ

って、アンタは読んだんだよな?それとも読まずに判断してるのかな?
読んでアンタがそう判断したなら黙ってスルーしろよ。
どんな愚作であろうが、周りが自分の意思で読み判断する選択ぐらいは自由にさせろや。

858 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 15:29:52
八代が欠落してるのは
葛城と三輪の争いで混沌としてたからだ

859 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 15:53:35
>>858

普通は、そう解釈するものだ。

だからといって、神武と崇神が同一人物で同一時代なんて事にはならない。
八代天皇の外戚の子孫はいるし、なにより「オオヒコ」が存在していた。


860 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 16:04:38
混沌としていたならむしろ記事が多くなるもんだが。

861 :doontakuka:2009/08/21(金) 16:35:39
>>838
鋸歯文帯複線波文帯ですか?
だとしたら方格規矩鏡によくありますよ。

鋸歯文帯複線波文帯は、どちらも同じですが、
「三角縁神獣鏡」には仏がいる、インドと関係していることが示唆される。
方格規矩鏡もインドと係わっている、それが、L.T.Vの三文字である。
Lは u という母音で、Vは ga 。
L+V は u + ga = uga 。
ugaとはカラスのこと。karasu というアッカド語は
 "defeat, annihilation; (to be) resistant, obstinate" だからカラスは不吉の代名詞なのだ。
T は, na 。奴国のナ。
L.V.T は una ga と読み文字は、インドのBrahmi文字なのです。

「三角縁神獣鏡」と『方格規矩鏡』は対極にあったようだ。
その結果、若し、『方格規矩鏡』グループが勝利していたら奴国は滅亡したことになるが?
共立の可能性が大か。


862 :縄文人:2009/08/21(金) 16:35:53
太國ちゃん
攻撃の相手が出来てうれしいだろ。私は記紀の神代の記事はお伽噺や東南アジアの伝説みたいなものが大半だと思っているし、
神武から八代はもとより崇神の年代は大幅に古く引き伸されているとの見解をとっている。お伽噺の類いや荒唐無稽な話は除い
て、各天皇の事績は何らかの事実の反映であろうとは思っているが、年代は(特に6世紀以前については)当てにならないと考
えている。欠史八代の天皇の事績は欠史と言われるくらいだがら実体はなかったと考えてもよいでしょう。

863 :doontakuka:2009/08/21(金) 16:44:16
>>861
L.V.T は una ga と読み文字は、インドのBrahmi文字なのです。

L.V.T は uga na と読み文字は、インドのBrahmi文字なのです。
に訂正。

uga na は 奴(ナ)を殲滅せん。




864 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/21(金) 17:35:29
縄文人さん
何故 書紀は、朔できっちり読めるよう書かれているか考えた事が有りますか?

私が思うには、書紀は太陰暦で書かれている、が長さに異常がある、しかし太陰暦で読まねば成らない。としたとき
「朔」は、加増された数字を「正しい数字」に直すための指標である。

この考えに「各天皇の事績は何らかの事実の反映」を設定したのが私の数字。


865 :縄文人:2009/08/21(金) 18:01:40
>>864
唐松山さん
私はあなたの努力には敬服しています。太國ちゃんの倍暦より分り易いです。
日本書記は天武天皇の大方針のもと、舎人親王率いる官僚、学者チームが智慧を絞って書き上げたものだと思います。
天武天皇は天智時代までの政治外交を大転換し、当時、半島に台頭した新羅と国交関係を結びました。新羅の要請に応
えて唐とも断交しました。その新羅より古い歴史があるのだぞと言うために歴史を引き伸したのです。引き伸した歴史
を太陰暦で書くのは相当な労力を要したのでしょうね。


866 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/21(金) 18:18:19
日本書紀の太陰暦の数字には、時々暦法で説明出来ない狂いがあるそうです。
この間違いは、次の「朔」には訂正されている、そうです。
つまりこの間違い?は、後付けでは説明出来ない。

書紀の数字は、「後付け」でなく「記録」です。


867 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 18:23:46
記録なら特殊朔たる月食が記録に少なくとも数個はあって然りだよ。
季語も後付けだな。ww

868 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 18:27:11
>>862
即位崩御等があるから実体はある。おまけに陵も揃っている。まぁ中には比定
の間違いはあろうが、ならばどこかの陵とボタンのかけ違いだけのことだ。
要するに、君は盲象津田廟に罹患してるだけのこと。

869 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/21(金) 18:45:55
>>868
その津田さんとやらは、太陰暦を支持していましたか?
毎年何回かある月食を記事に残す意味は何ですか?

ちなみに当時の暦法は、秘密で有ったがホツマの主張。


870 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/21(金) 19:08:14
太国さん 現実の数字で
崇神の末頃ツノガアラヒトの任那建国の話がありますが
255年頃の半島は、魏国の支配下 此所で建国は可能ですか?


871 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 19:40:01
三種の神器でも分かるように、”鏡”は古代の人達によって大事に扱われたモノ。
その鏡の出土状況はというと....

<銅鏡の出土数ランキング>
全国No.1:平原一号墳 福岡県・・・39面
全国No.2:椿井大塚山古墳 京都府・・・37面
全国No.3:宝塚古墳 奈良県・・・36面
全国No.4:三雲南小路一号墳墓・・・35面
全国No.5:黒塚古墳 奈良県・・・34面
同   :新山古墳 奈良県・・・34面
全国No.7:スグ岡本墳墓・・・32面

だが・・・三雲南小路二号墳墓から22面みつかっており、
合計57面てことで、三雲南小路が全国No.1か?!

872 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 19:58:34
「古代史旅行の旅」

今回の夏連休最終日、この三雲南小路墳墓、スグ岡本墳墓、を目的として
福岡県へ行ってきました。
コースとしては、

博多駅 ⇒ 奴国の丘歴史公園 ⇒ スグ岡本遺跡 ⇒ 奴国の丘歴史資料館 ⇒
金隈遺跡 ⇒ 福岡市埋蔵文化センター ⇒ 九州国立博物館(2回目) ⇒ 宝満川(2回目) ⇒
高速で伊都国のほうへ周り...
平原歴史公園 ⇒ 平原遺跡(2回目) ⇒ 石ヶ崎支石墓 ⇒ 君が代で有名な細石神社 ⇒
三雲南小路遺跡 ⇒ 井原鑓溝遺跡 ⇒ 井原一号墳 ⇒ 伊都国歴史博物館(2回目) ⇒ 怡土城跡 ⇒
高祖神社 ⇒ 志登支石墓群 ⇒ 日向峠 ⇒ 博多駅へ

まあ、こんなかんじだが、お金〜ぇ相当使ってしまった....。
こうゆうの行ってしまうから、お金がたまんないんだよね〜。

873 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 20:11:27
わたしが居ない間、すごい展開になってるねwww

ジョーカーVS二 ◆.L.MXSPOgc ?!

縄文人氏が太国氏、河童氏に噛み付いてw
唐松山 さんが自らの日本書紀、年代論を説明してるところ?!w

まあ、みなさん頑張ってくださいwwww

874 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 20:12:09
>>869
津田病は今は君のことを言ってるんではないの。縄文人への話だよ。余計な
猪ッ戒を入れるな。

ほほう〜、余に毎回論破されている改め丸の登場か〜。w 今夜は何だな?ww

875 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 20:25:34
ドツボって本当良く遺跡めぐりやってんな…

なのにレスの内容が付いてこないのが悲しいわけだがwwwwwwwww

876 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 20:30:46
>>874 太国 ◆yVAs7uaYlY
この前の日曜日、わたしから軽〜〜〜〜く論破されてしまった、
太国さんではないかwwそれに、毎回論破されてるのは貴方だろ?

んで、縄文人氏からも舐められてるではないかw
河童氏では無理だろう....太国さん〜〜貴方が相手しなされ。
それとも、舐められたママでいいのかな?wwwwwww

そして、卑弥呼の祖先は”南方系”の一族で、その一族とは天皇家。
タンジ、シュガイ⇒奄美大島⇒九州⇒畿内へと移ったことが予想され、
九州勢の遷都というより、この列島を南から違う民族が侵略したといったほうが良い。
その侵略一族の天皇家による部分的なものが、倭人伝に記されてる。

877 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 20:34:20
>>875
>ドツボって本当良く遺跡めぐりやってんな…
>なのにレスの内容が付いてこないのが悲しいわけだがw

机の上でガタガタ、ゴタク並べて騒いでるおぬしとは違うということよww
君のお友達くん(ゴタク君達)は、わたしの話についてこれないダケでは?wwwwwww


878 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 20:38:58
>>875
>ドツボって本当良く遺跡めぐりやってんな…

なのにレスの内容が付いてこないのが悲しいわけだがwwwwwwwww


塾通っても一向に成績が向上しない奴いるだろう?それだよ。

879 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 20:41:45
>872
伊都城や高祖神社を回られたようですが、もし時間と体力があれば
高祖山の望楼跡(かなり後世のものですが)に登っていくと
博多湾と福岡平野を一望できます。

伊都城がここに構築されたのもそれが理由ではないかと考えています。
日向峠からは糸島平野を一望できます。

あと日向峠を越えて室見川の方向に降りていくと
飯盛神社の辺りに出ますが、その辺りにもいろいろと遺跡があります。

海側から福岡の方に出ることも出来ますが、長垂山に阻まれていますので
古代ではかなり険阻な道だったでしょう。今は道がありますが。

880 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 20:42:28
>>878
負け惜しみな、レスはするなょww

実家が、九州で、家居ても暇だろう?
それに、遺跡めぐりしたことある人と、ない人とでは、全然違うわな。
向上しない奴て100人いて1人も居ないのでは?

881 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 20:48:43
>>879
ほう、いろいろと詳しいですな。

高祖山の頂上では、海、福岡平野を一望出来るって聞いたことがあります。
まあ、時間と金の問題でしょうw
それさえあれば、チャレンジしたいですわw


882 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:02:26
>>880
>向上しない奴て100人いて1人も居ないのでは?

向上した100人だけ数えて、101人以上数えなかったからでしょう。

883 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:14:58
その意味は?

884 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/21(金) 21:20:18
改め丸はこの前、2位が金メダルだとか抜かしている。まぁ精神病院
で診てもらえ。bbb wwwww

オマエは会社でそんなことを言ってると、気でも違ったんではないか
と社員に嘲笑されるぞぅ〜。ppp 

毎回毎回余に論破されていて、こんなんではオマエの目は世界陸上を
見て論破離にでもなっているんではないのか〜?あ〜ん?
〜どうだ〜改め丸〜?ww

885 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 21:27:32
>>884
もう少し本を読めょ

古代、皇帝が印綬(賜下)する際、どのように行われたか?
それと、現代のオリンピックの金メダル獲得とを一緒にして考えるなて


886 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:29:22
しかし、畿内において天皇1位だから、もし邪馬台国が畿内だったら必ず天皇が金メダルを
もらうはずだ。ところが倭人伝では女王が金印をもらってる。これはもし、畿内が邪馬台国だ
ったら2位が金メダルをもらうようなものだ。故に邪馬台国は畿内ではない・・・畿内説否定は
これ一本か。なんか清々しい感じもするが、もちろん間違っている。


887 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:31:44
>>885

お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。
お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。お前が言うな。

この、「銅鐸貢納」の馬鹿コテが!!!!これまで非常識な間違いをどれだけ犯してきたと
思ってるんだ、ダボが。


888 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:45:14
「重譯納貢」→「銅鐸納貢」

889 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 22:46:34
>>702
>もちろん暇な時でよろしいですよ、そんな時など永久にないとかでなければ♪
>仮説「2度の魏使のルートが異なる」から出発した私の説で、
>伝の記述に対してオカシイ・矛盾している・考えずらい、などなど、
>と思えるところを指摘してください。

指摘て・・・・・・・梯儁ルート、張政ルートですか・・・・

倭人伝を読むと、貴方が考えてるようなことは記載されてないというか、
二つのルートの分けたんですか・・・うーん・・・まいったな・・

指摘するとすれば、「だから何?」ていう指摘がまずきますねwww

それと、韓国内陸説ですが、それはマズありえません。
倭人伝を読んだことがあるのなら、
「韓国内陸では行っておらず、すべて、湾岸に沿って行った」と明記されてるぐらい知ってますよね?

それが分かって無く、韓国内陸説を取るなら、もう1度最初からというか...
また、練り直し、↓のHPを書き換えるべきですね...。



890 :日本@名無史さん:2009/08/21(金) 23:05:26
>>708
>今日読んだ本に「仲介の為」と書かれていて、意表をつかれた感じでした。

今頃、知ったのですかw
みんな、数年前から知ってるてwwwwwwwww


891 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/21(金) 23:40:21
>>748-852-868
「太国さん」と「縄文人さん」が言い合ってるw

どうでもいいけど、二人とも、キャラかぶってるてwwwwwwww

892 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 00:00:30
>>891
一人ジャジメント気取りのようだが、ウザイ。

893 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 00:11:26
もちろん改めはうざいのだが、いくらやられても黄泉返ってくる。ターミネーターだね、まるで。

894 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 00:12:04
「伊都國」

イツクニ ⇒ イトクニ ⇒ イトコク ⇒ イトグン カナ?

狗奴國は、倭人伝から見ると「東海」、
各地に残る伝承からは「ハヤト」   かな?

>>892
君はいつも、文句しか言わない日本@名無史か...w

895 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 00:13:32
>>892-893


いつもやられてるのはお前らwwwww



896 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 00:14:44
>>892-893


負け惜しみレス 乙wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


897 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 00:46:55
今日はしけてるね
もっとまともな人いないのか...

898 :神奈川県民:2009/08/22(土) 01:01:44
次スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!36
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1250870402/

ここが終了しだい書き込んで下さい。

899 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 01:21:04
>>802
朝鮮半島でも三角縁神獣鏡は出土してない。


900 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 01:24:03
>>894
狗奴国は葛城国だろ。
葛はクズとも読むしな。

901 :◆.L.MXSPOgc :2009/08/22(土) 07:44:35
>>889
方位が間違えている、経路が間違えている、水行と陸行の1日の距離が異常に違う、など
へぼい説には山ほど指摘できるのが、私説には何もないということでしょうか。

>>韓国内陸説
これは魏使の行程ではなく「水行10日陸行1月」の説明ですよ。
ごっちゃにしてしまうのは古田氏の説がそうだったからでしょうが。


902 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 07:57:31
>>901
韓国内陸行なんて言ってるから、反論が無い事を自覚された方がいい。

903 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 09:03:51
>>901
自己陶酔してる奴に構いたくないのが本音ですね。

904 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 10:38:44
>>840
なんかこれで正解の様な気がしてきた。

905 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 12:20:13
>>904
自惚れするなよ

906 :doontakuka:2009/08/22(土) 13:38:22
武帝. 文帝. 明帝. 斉王。
『斉王紀』には、
『斉王諱芳、字蘭卿。明帝無子、養王及秦王詢;宮省事秘、莫有知其所由来者。
青龍三年、立為斉王。
景初三年正月丁亥朔、帝甚病、乃立為皇太子。
是日、即皇帝位、大赦。』
とあり、青龍三年は「斉王誕生年」です。

この青龍三年製作のLTV鏡には
「青龍三年 顔氏作鏡成文章 左龍右虎辟不詳 朱爵玄武順陰陽 八子九孫治中央 壽如金石宜侯王」
と、銘文が刻まれている。 

武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた臣に太公望・召公奭と周公旦がいる。

燕の始祖が召公奭であり、na の元祖であろう。
na hu と書いて nu と読み『鳥』のことである。
『奴(ヌ)と書いて奴(ナ)と読む』。である。


青龍三年の翌年236年、皇帝曹叡から上洛を求められると、
公孫淵は魏に反旗を翻し、燕王を称した。
一度は魏の幽州刺史カン丘倹の軍を退けたが、
(景初2年)238年、太尉司馬懿の討伐を受け、
国都襄平に包囲され、一族ともに滅ぼされた。


● L.V.T は uga na と読み文字は、インドのBrahmi文字なのです。
uga na とは 奴(ナ)を殲滅せん。と翻訳できる。


907 :doontakuka:2009/08/22(土) 15:05:34
太公望は斉公望ともいわれ斉王で並列視。
周公旦は魯の開祖で顔氏は魯人。
召公奭は燕の始祖で公孫淵の燕王を並列視。

主役の司馬 懿はSīmǎ Yì
SīmǎがSīmーǎなら Sīmは swallowなのだ。
懿のYi だが『一も邪馬壹の壹も』 yi なのだ。
ふざけた名前だぜ。

908 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 16:05:41
>>901
反論するにはある程度何を言ってるのか理解しなくちゃならないが、
読む価値があるとも思えない。

909 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/22(土) 16:32:52
>>675
>「金」は第2位て決まってるのょ。

「玉印」のほうが上ということでしょうか。
しかし漢も魏も、倭に玉印など与えていないから、倭では金印が一位で、二位が銀印(多数いますが)
でよいのでは?
いや・・・宮崎県で玉璧が出土していたか?

>>574 補足
童男山ふすべとは、八女市の童男山古墳で江戸時代から行われてきた行事。
徐福の命日とされる正月二十日に地元の小学生がふすべ(焚き火)をして慰霊をするという。
卑彌呼と徐福は、イメージ的に似た部分が多い。
鬼道につかえる女王卑彌呼、不老不死の霊薬を求める方士徐福。
婢千人が侍り、奴婢百余人を徇葬させた卑彌呼、童男童女数千人を連れて旅立った徐福。
考古学と伝承の矛盾はあるが、何か解決方法があるのかもしれない。


910 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/22(土) 16:36:27
ww

911 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 16:45:09
しかし・・・河童がずっといってるように、倭人伝の地理的記述というのは別に魏使の紀行日誌
ではなく、地誌としてのもので、読者は晋代の識字層。

まず、魏使の報告書なるものがあったとしても、それが太守が戦死するような帯方郡の混乱を
乗り越えて洛陽にまで運ばれ、魏から晋への王朝交代で遺失を免れて陳寿の目に触れたとす
るのは相当にハードルが高い。特に梯儁のものは、陳寿の手に渡るまで40年以上経っている
だろう。
 
次に、「日本書紀」の神功紀に引用される「晋書」起居註に秦始2年(266年)に倭の女王の使者が
朝貢したという記事があり、これは晋の司馬炎の時代。この朝貢においても、詳細は記されてい
ないものの、この「倭女王」は「親晋倭王」の冊封を受け、答礼使が倭に渡ったと考えるのが自然。
とすれば、新しい地理情報(これは倭人伝の最後にある台与の朝貢と同一と考える人もいるだろう
が)を陳寿が参考にした可能性の方がはるかに高いだろう。





912 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 16:46:32
続き

倭女王は、文献にはないものの、冊封国の立場から、大きな政治的混乱でもない限り義務として
の朝貢を続けたであろうと考える。とすれば、陳寿が倭人伝を書くにあたり280年代の最新の地理
情報を用いたと考えたほうがより自然である。

歴史的記述については、魏代までで筆を止めるという制約があるが、特に画期的な交通手段の進
歩や倭国地理の大きな変容(あれば文献に残るだろう)がない限り地理は地理であり、まず同時代
に情報を真っ先に手に取るものではないだろうか。

913 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 16:55:08
続き

晋代において、倭国情報が少なかったとする根拠はない。新しい「るるぶ」が手元にあるのに、
数十年前の書類を引っ張り出してくる意味がわからない。これは推測になるが、魏代伊都国
に常駐したとある郡使は、晋代でも常駐を続けた可能性が高い。これが、倭人伝において伊都
国までの記述が詳細に記されている理由であると考える。

以上にように、陳寿が「魏使の報告書」なるものを採用した可能性は低く、(というか新しい情報
採った可能性が高く)まして、魏使が2ルートを取ったという根拠もないため、「二」氏の説は机上
の空論であると言わざるをえない。

914 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 17:02:14
晋代において、半島以遠を重視したとも思えん。


915 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 17:08:30
つまり
魏時代に於いては、半島は、楽浪郡の直轄属国で有った物が
晋時代は、半島以遠は、朝貢属国と少し関係が疎遠になる。


916 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 17:18:23
>>915
そんなことはないでしょう。魏時代の帯方郡は混乱の連続。公孫氏滅亡後も太守が戦死す
るなどの状況。晋書地理誌によれば、帯方郡は7県に整備され、統治に心を砕いた様子が
見て取れる。しかも、常に高句麗の脅威があり、実際、313年の高句麗による楽浪郡占拠に
より、補給を絶たれた帯方郡は瓦解している。台与の時代でも東方経営は必要だったので
す。

917 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/22(土) 17:24:36
>>911
>この「倭女王」は「親晋倭王」の冊封を受け、答礼使が倭に渡ったと考えるのが自然。

これは疑問。
壹與は「親魏倭王」に封ぜられていないし、下賜品も書かれていない。
(倭の五王では代替わりごとに封ぜられた。)
壹與以後も朝貢は続いたものの、関係は卑彌呼時代より疎遠になったようです。

珍しく唐松山さんと一致?
ただ晋も半島は列島より重視していました。(馬韓・辰韓の朝貢記事は続く)


918 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 17:37:27
魏時代の帯方郡は公孫氏滅亡を以て盤石となる。
ここから魏と倭国は朝貢を始めるが、晋時代となると帯方、楽浪郡は弱体化
半島は独立を強める。


919 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/22(土) 17:39:57
>>917
壹與が晋王朝に朝献した記録はない。晋王朝に朝献しているのは
壹與とは別の権力。

920 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/22(土) 17:40:17
面白いねぇ〜。pp

金メダルが2位でもらえるんだとか日食が数日間も続くだとか bb
こういう事を言う連中が、精神病院行きの論説を撒き散らしている。w

921 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/22(土) 17:48:25
>>919
おそらく「東倭」でしょう。
(宣帝紀の「東倭重譯納貢」と倭人伝の「重譯入貢」の類似から)

922 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 17:59:43
>壹與とは別の権力。
壹與は,景行の娘五百野姫であり筑紫に下向
この時点で九州と大和は一体化しました。


923 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 18:23:47
>>916
『通典』邊防 東夷上 百濟 新羅 倭國 より
是後倭韓遂屬帶方。魏景初中、…
晉武帝咸寧中、馬韓王來朝、自是無聞。三韓蓋爲百濟、新羅所呑并。
晉武帝 265〜290
これ以降に 神功の渡海チャンスは、有りません。



924 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/22(土) 18:41:42
>>921
朝献しているのは倭人だから「西倭」です。
でも、壹與の使ではない。

>>922
畿内に食い込むまでには後200年待たなければなりません。でも、その足掛かりを作ったのは
正に「壹與」です。
カムヤマトイワレビコ劇場の始まり始まり〜

壹與からは大陸王朝歴史書ではなく、「記紀やホツマ」の出番です。

925 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 18:50:58
>>924
それでは 神功の活躍の場が無い。
神功の渡海は272年頃。


926 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/22(土) 19:00:34
>>923
>これ以降に 神功の渡海チャンスは、有りません。

三国史記・新羅本紀

味鄒尼師今十一年 春二月 下令 凡有害農事者 一切除之 秋七月 霜雹害穀 冬十一月 百濟侵邊
272年、倭の侵攻記事はありません。

奈勿尼師今九年 夏四月 倭兵大至
王聞之 恐不可敵 造草偶人數千 衣衣持兵 列立吐含山下 伏勇士一千於斧東原 
倭人恃衆直進 伏發撃其不意 倭人大敗走 追撃殺之幾盡

三十八年 夏五月 倭人來圍金城 五日不解 將士皆請出戰 
王曰 今賊棄舟深入 在於死地 鋒不可當 乃閉城門 賊無功而退 
王先遣勇騎二百 遮其歸路 又遣歩卒一千 追於獨山 夾撃大敗之 殺獲甚衆

364年と393年、これが、海賊の襲撃レベルですか?

927 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/22(土) 19:02:43
>>925

ちゃんと有りますよ。
カムヤマトイワレビコなんて百三十年程に纏められているけど、二百数十年も活躍してるんだから

928 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/22(土) 19:06:24
>>926

神功が半島に渡ったなんて記事ありましたか?

929 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/22(土) 19:08:10
アンカーミス

926は>>925の間違いです

930 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 19:33:07
>>920
よっぽど〜金印が第二位ていうことに驚いたようだね〜。
それは、太国さんが本を読まなかったのが悪いんであって、
そして、現実逃避しても仕方ないわけで....。
今の貴方は、まさにこの言葉がいえてる。
現実逃避
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E9%80%83%E9%81%BF

そして、わたしには、教えてくれてありがとうだろwww

931 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/08/22(土) 19:39:52
>>928
仲哀亡き後の倭軍を神功軍として了解して下さい。

>>926
>晉武帝咸寧中、馬韓王來朝、自是無聞。三韓蓋爲百濟、新羅所呑并。
ここに馬韓王の登場、馬韓、辰韓の国は登場しませんが 百濟、新羅国以外に馬韓、辰韓が
はまだ健在。
馬韓王は登場しても馬韓国は登場しない、鑑みるに、後の記録として削除されたか?

百済国は、倭国に向かい倭国をたてる、大陸を向き倭国(馬韓、辰韓を属国扱いして)を無視
又は、百済は、大陸に向かい倭国を兼ねる。

神功最初の渡海から戦は不可能、280年代より戦を仕掛ける。
百済と新羅の戦が272年時点で可能なら 百済、新羅はかなり強力な国と成っているハズ。
その後馬韓、辰韓が独立を保てるか?
考える所は色々ある。


932 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 19:57:16
>>901 :二 ◆.L.MXSPOgc氏=サガミハラハラ氏?(同一人物?)
>方位が間違えている、経路が間違えている、水行と陸行の1日の距離が異常に違う、など
>へぼい説には山ほど指摘できるのが、私説には何もないということでしょうか。

いや、いや、この人何も分かってないんだな・・・w

「方位」とか、「経路」、「距離」にしても、みんなその裏づけがあって、皆、言ってるんだよ。
そうゆう「例」が実際あって、この倭人伝の距離も・・・という考えになってるんじゃないの?

それに、ひきかえ〜貴方の妄想度は100%というかww
何の裏づけもなしに、妄想ばっかで呆れ返ってるところですw

>>>韓国内陸説
>これは魏使の行程ではなく「水行10日陸行1月」の説明ですよ。
>ごっちゃにしてしまうのは古田氏の説がそうだったからでしょうが。

はいはい、古田氏が言うから僕も〜てやつねw


二 ◆.L.MXSPOgc さんはサガミハラハラさんと同一人物?!




933 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 20:10:28
>>909
>「玉印」のほうが上ということでしょうか。
>しかし漢も魏も、倭に玉印など与えていないから、倭では金印が一位で、二位が銀印(多数いますが)
>でよいのでは? いや・・・宮崎県で玉璧が出土していたか?

第一位の「玉」、第四位の「銅」をのけたらですか?
そうした場合、「金」は最上位で、「銀」が最下位。
あくまでも、基準は向こうですので、金=第一位という表現はふさわしくない。

>>574>>909
>前スレで卑彌呼=八女津媛と言ってみたものの、考古学的には邪馬壹国=八女説は厳しい。

どうして、考古学的には八女説は厳しいのでしょうか?
http://inoues.net/yametuhime.html 読みましたけど、考古学的なこと書いてましたか?

「徐福と卑弥呼」は時代が違います。
どっちかというと、天照大神とのほうが接点はあるかもしれません。

934 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 20:28:24
>>993 縄文人氏へだが・・・・(突っ込みどころ多いので...)
>266年に壹與が晋に使いを出した後は、宋に倭の五王達が使節を送っています。

それは妄想ですね。266年に誰が送ったのでしょう?
もう1度図書館へ行って、原文(写し)を読んできなってwww
まずは、それから〜


935 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:29:54
基準が天子であっても、外臣に対しての第一位は金印紫綬です。

936 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/22(土) 20:33:06
>>933
>http://inoues.net/yametuhime.html 読みましたけど、考古学的なこと書いてましたか?

思い切り書いてありますよ。
「八女市・八女郡を大きな一つの地域と見た場合、その古代勢力の一番の痕跡は「岩戸山古墳」だろう。
これが卑弥呼の墓という訳ではないが、この古墳に代表される八女古墳群や、この矢部村にも近い童男山古墳を見ると、
古代ここに相当な勢力を有した渡来人達の末裔が根を張っていたのがわかる。
童男山古墳の石室の構造は、紀州和歌山県の岩橋千塚古墳群にみられる、石板を横にして積んでいくやりかたと全く一緒だし、
岩戸山古墳から出た「金箔の勾玉」は、紀州の大谷古墳から出たものと同じである。
この二つの地域に渡ってきた渡来人達は同一の部族だと断言してもいいくらいだ。
古墳時代、何らかの大きな勢力が八女地方にあったのは間違いないし、おそらくはそれが「筑紫の君」、「磐井」へと
つながっていくのだろうと思われる。しかし卑弥呼の時代に、その素地がこの地方にあったのかどうかまではわからない。」
因みにBGMはジョン・レノンの「ACROSS THE UNIVERSE」名曲ですね。

>「徐福と卑弥呼」は時代が違います。

勿論ですが、童男山古墳の推定年代(6世紀)から遡るという方向は同じで、筑紫君と徐福の間に卑彌呼の時代がある。
何かヒントがありそうな・・・?

937 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 20:37:25
>>935
勉強不足

「金印」は、皇帝と同格ではない。
ワンランク下なのは事実なんです。

ボクシングに例えればランキング一位だろうが、
金印の場合はその表現はふさわしくない。
あくまでも、第一人者は「皇帝」ということです。

938 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:42:00
どんとこいスレのレスこっちに書いて良かったんですね。
>>993
中国王朝側の認識は晋書の266年までの記述では倭人達は九州以東にもおり
倭人達の国の一つ邪馬台国が朝貢して来る
だったのが南朝宋の時代に書かれた宋書の認識だと150年後の413年以降は
たくさんある倭人達の国々でなく倭国(つまり中国王朝に朝貢していた倭人国家は統一をした)と認識されたで良いですか?
晋書と宋書の間には大きな認識の違いがありますよね?
してあなたが晋書時代以前に認識されていたと言う邪馬台国以外の九州以東の倭人国家(あくまで九州説の方々の認識ですが)はなくなってしまったと。

939 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:44:25
>>938
いや、基本的にはよくないが・・・
スレ1000終わるまでに立てないほうにも落ち度が有ると思う。


940 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:56:09
>>937
外臣には璽が下賜されることがないので、金印が最上位の外臣下賜印となる。
内臣の極官位、内臣金璽下賜と外臣の極官位、金印とを同列で取り扱ってはいけない
外臣金印は内臣金印のワンランク下は常識の範疇だからである。


941 :縄文人:2009/08/22(土) 21:06:10
>>934
晋書に晋王朝の開始(265末)に際して、倭から使節が来て方物を献じたとの記載があり、これを壹與が送ったもの
との解釈です。あなたの言うとおり、倭王の名前はありませんが、妄想ではなく推定です。その前の朝貢記事では卑
弥呼の名が出ていますから、邪馬台国の王が朝貢したことが認識されていたでしょう。266年の倭の使節は卑弥呼没
後のことで、壹與がその後継者ですから、また、倭の政権に変化があったとの記述もないので、前述の推定となった
のです。

942 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 21:07:59
>>940
あのね、皇帝が「金印」を下賜する際、「貴方が最上位ですよ^-^」としたわけではない。
もう少し、「金印印綬」の意味を深く考えて発言してはどうか?

内臣、外臣の差はあるというふうに聞いてますが、卑弥呼はこの「外臣」に当たる。
あくまでも、「上下関係」がここで発生してるわけですから、
これを読んでいる素人さんに誤解を招く発言は好ましくない。
たぶん、貴方が言ってる発言を聞いた人は勘違いするではないか。
そして、太国氏がいう金メダルは無知ゆえの発言であって、それを正していくべきと思っています。

943 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:12:13
たとえば、同じ従三位の極官位である
水戸徳川家と前田家を同じ従三位として扱ってはいけないということと
同じです。
水戸徳川家は前田家と同じ大名格従三位でも 御三家あるいは徳川家親藩ということで
従三位権中納言であり、前田家は従三位参議 と、超えることのできない格が存在します。
だからこの場合も、従三位参議前田家は徳川一門を除く大名家の最高官位という扱いになります。

>>937あなたの方がよっぽど勉強不足です。

944 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 21:14:30
>>941
だから、それが申そうだと言ってるワケですよ。
想像を膨らませて、頭の中で楽しむのも結構なんですが、
もっと現実的に語ったら如何でしょうか?

「九州説なので、畿内説論者と違って妄想は語らない」と考えてるようにみえますが、
貴方のレスは妄想が多い。


945 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 21:16:12
>>943
もう少し勉強しましょう!

水戸徳川家? 「金印印綬」デス。

946 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:17:54
>>942

>あのね、皇帝が「金印」を下賜する際、「貴方が最上位ですよ^-^」としたわけではない。

いいえ「貴方が最上位ですよ^-^」と言っているから金印紫綬なのです。
これは官制です。
前田家に従三位参議を下賜した段階で、大名家の最高官位を前田家に与えたなり、このときから正四位の島津家とは格の違いや席次の違いが黙って発生します。
それが制度というものです。

947 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:20:34
>>945

>もう少し勉強しましょう!

「重譯文化」のあなたこそ勉強不足の典型でしょう。

948 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:22:09
>>947

一本! 勝負有り。

949 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/22(土) 21:22:52
>>945
>「金印印綬」

??
印綬(印章と紐)には卑彌呼の「金印紫授」難升米らの「銀印青授」などがありますが・・


950 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:29:09
「重譯文化」に「金印印綬」

またやっちまったな。
恥の上塗りってえやつですね

951 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 21:33:05
>>946-947
〜ったく!素人は疲れるな.......。
太守さんは、魏国から金印を与えられたわけではないてw

<魏志倭人伝>
今以汝為親魏倭王假金印紫綬裝封付帶方太守假授汝

あくまでも、皇帝が帯方郡に下し ⇒ 帯方郡の「太守」が封じ、倭王に下してるのです。
ここらへんをみれも、貴方が言う、「貴方が最上位ですよ^-^」とは言えません。
ただ、私の想像で言ってるわけではありません。
ちゃんと、文献資料に記載された「事実」で語ってるのです。

ようは、貴方が思い抱いてるイメージではない。
僕ちゃん(貴方は)は〜「金を貰ったんだー」というイメージでしょうが、
そうゆう考えは成り立たないわけで、そこのところを認識されたほうが良いですよ。

952 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 21:35:26
>>942>>945>>951

<訂正>
金印印綬⇒金印紫綬

953 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:39:24
>>951
これ以上傷口を広げるな。暫く自宅謹慎にてほとぼりを冷ませ。
「武士の情けじゃ」

954 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 21:41:52
>>953
君らが10人(11人は簡便w)、束になって、この改めに向かってきてもかなわないと思うよ。

それだけ、レベルの「差」があると思う。

955 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:49:05
>>954
皆、これで○○負けしたぞ。○○につける薬はない。さて、○○に入る言葉は何でしょう?

956 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:52:29
>>955

重譯文化?それても銅鐸納貢?

957 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:08:49
ところで○○て何?

958 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:16:38
改めさん、皆とどこか違うんだなー、投稿が光っているけど。誰かもいっていたけど。
もしかして、教授かなんかですか?
考古学のプロの方ですか?
君はとぼけているけど実は最初から畿内説だったんじゃないの。

959 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:24:38
>>958
改め教授が河童に金印で、一本負けって絵になるか?

960 :955:2009/08/22(土) 22:25:21
>>958
第二問、上の958レスは、@自演 A他人による自演に見せかけた釣り
さて、どちらでしょう? ちなみに私は誓って958とは別人です。

961 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:35:06
河童と改めの事は今始まった事ではないような気がする。
何となくずーっと以前からの因縁というか、ひょっとしたら遡って河童の師匠との因縁というか・・・。


962 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:45:51
河童が江戸時代の話しが出来る事に驚き。しかもプチマニアックに触れてるしw

963 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:52:40
955へ
@もAも違う。

964 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/22(土) 22:54:17
>>958
畿内説というのは、考古学的にみても、九州説を圧倒してるわけですが、
その畿内説というのも万全ではありません。
まあ、どうしてか?て声が聞こえてきそうですが、
それはこの終止符スレを読んでいたら分かってくると思う。
それに、私が〜教授ってwww

>>961
河童氏とか河童師匠との因縁?!
いえ、いえ、ありませんよ。
河童氏とは、ライバル?!ぽい立場にいるだけでしょう。
しかし、最近の彼は勉強もろくにしてなくて・・・・w

965 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:06:25
>>964
その勉強していないとする河童に、あっさりうっちゃられるとは情けないのう。それこそ「レベルの違い」
河童のレスを引用すれば、超える事の出来ない従三位権中納言と、参議の違いと言うやつかいのう。

966 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:19:16
河童師匠めw

967 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/08/22(土) 23:20:24
改め丸の言うことが正解だったら、去年の中国オリンピックで
金メダルの上に中国人が玉メダルを造るだろうがねぇ〜。ww

所詮改め丸のデタラメ虚飾の品が玉で、これで改め丸はドジを照れ
隠しているわけ。ppp 愛知県民さんにイカサマ論の隠れ蓑を
もらったにすぎない。ww

あのときの五輪では改め丸の主張の逆に中国は金メダルを1位
におき、それに玉板をつけている。金メダルのまた上に玉メダル
なんて無いのでここに改め丸のマヤカシが露呈するのだ。

毎回毎回余に論破され、改め自体論破される度に奴は自論をクルクル
と取替えねば勝つことが難しい。それで期間が過ぎるごとに論を
取替えて出現する。つまり奴の前論は遠回しにデタラメだという
ことを奴が自認したも同然であ〜る。ww

968 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:20:52
師匠が登場したよwww

969 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:31:54
965へ
だったら、君は河童のいう事が理解できるというのか?
どうなんだ?
「往来」の河童訳がわかるのか?
「略載」の河童訳がわかるのか?
いっとくけど、国語辞典読んだって河童の前では意味ないよ。
常識ぶった事いったって河童の前では意味ないよ。
河童の世界でのルールを知らなければ、通用しない。

さあ、あっさりとうっちゃってくれよ。「往来」に「略載」だよ。


970 :日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:37:11
太国が出ると、問題がいっそうややこしくなる。
ここは河童の師匠だけでいい。

もういいよ、太国のせいで台無しだ!


971 ::2009/08/22(土) 23:41:46
>>965 師匠
ほら、>>969さんから質問されてではないか。
ちゃんと答えてやれよ。

972 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/22(土) 23:50:34
ようつべ覗いている間に凄いことになってないかい?

>>969

河童の世界でのルールって、単にあんたらの世界を一歩踏み込んだ世界なだけだから
決して特別なことじゃない。


973 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/23(日) 00:01:46
あのね、
>>972の河童氏の肩を持つワケではないが、
「倭人伝」を、分かりやすくしたモノは皆さんが見ているモノだろうょ。

しかし、それだけでは、陳寿さんの記した醍醐味が分からない。
ソノ奥に秘められた真実を探してる河童氏は〜馬鹿に映ってるというワケだww

こんな感じで良いかい〜?フォローになってないかw

974 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/08/23(日) 00:11:01
>>967 太国さん

「ガラス製の玉」

今じゃあ、その価値は低い(こんなのどこでも売ってるょ)。
しかし、古代の国では、貴重な価値があったのかもしれない。

現在、金メダルは最高の勲章でしょうが、
当時と今の価値観には多少違いはあるようです。


975 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:17:54
愛知県民さんはどこへ?

次スレ立ち上げてるしどんどんレスしてね

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!36
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1250870402/l50

976 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/23(日) 00:26:56
>>949
>印綬(印章と紐)には卑彌呼の「金印紫授」難升米らの「銀印青授」などがありますが・・

私も誤字があった。「印綬」を「假授」するとは・・・


977 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:39:43
私も誤字があった。「印綬」を「假授」するとは・・・

???

978 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/23(日) 00:48:08
>>977
分かりにくかったかな?
「假授」の「授」につられて、金印紫「綬」が金印紫「授」になってしまったということです。


979 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 05:34:24
金印は単なる主従同盟の証

980 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 05:37:19
>河童の世界でのルールって、単にあんたらの世界を一歩踏み込んだ世界なだけだから
決して特別なことじゃない。

その一歩で既存する国語辞典が全く役に立たない世界になってしまっているんだよ。
だから「往来」「略載」の河童訳を聞けば分るよ。


981 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 06:03:31
>>980

漢和辞典も、国語辞典も役に立つ。
ただ、正しい使い方が出来ればの話しだけど

982 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 06:29:00
例えば「接」と言う漢語を日本語訳で「せっす」と表現したとする。
しかし、これは飽くまでも日本語による表現であり
「接」の意味ではないということ。
その辺りが全然理解されていないのよ
しかも理解されていないどころか、「せっす」と日本語にて表現されても
肝心の「せっす」の日本語の意味も理解されていないのが現状。
「せっす」と言う日本語の表現だけで、イメージ解釈しているだけにすぎない。

983 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 06:52:41
「往来」とは、往来と表現する地点に“来”そして“往”する事。
決して“来”“行”する事ではない。

「往来」は、この「往と行」の使い分けが出来れば
ほぼ理解出来る。

984 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 07:00:56

” オレサマ流言語学 ”の能書きはもういいわw

「史書に白と書いてあれば黒いものでも白」
とかほざいている原理主義者は他所に逝ってくれ。

史料あるいは資料は歴史を理解するための手段であって目的ではない。

まあそこら辺の履き違えと言うのはこの板の九州説の連中に多かれ少なかれ見られるが
このコテハンはそれの極めつけの電波というところだろうなwww



985 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 07:08:31
>>984
一億二千万分の一の貴方の意見は読んだ
だからもう消えていいよ。
せめて貴方と同じ意見が後百万程集まったら
考えさせてもらう。それまではじっと蓑虫の如く、我慢しスルーしてくれ。

986 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 07:13:55
>>984

そうそう
アンタが別スレ立てればいいんだよ
そしてテンプレに「河童虫出入り禁止」と張り付けておけば、スレに立ち入らない。

いい考えとは思わないか?さあさあ、さっさと実行あるのみ。
「ガンバレスレ主」

987 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 07:40:00
河童がいなくなると、寂しいだろうよ。
ところで河童さん、「略載」の方はどうなんだ?


988 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 07:52:06
>>987
今から学校の掃除あるから、あとで

989 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 08:22:40
>>985-986 河童虫 ◆EY2wfgakAQ

情け無い奴だなw

せめて自分の「オレサマ流言語学」が邪馬台国論争にいかに有用であるかを熱弁してみろよwww

まあ今まで「もう来ねえ!」と言って舌の根も乾かない数日後には
ぬけぬけと舞い戻っている奴に

>スレに立ち入らない

と言われても説得力ゼロなわけだがwwwwwwww

990 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 09:03:21
>漢和辞典も、国語辞典も役に立つ。
ただ、正しい使い方が出来ればの話しだけど

いやいや、河童の世界で通用させるのは、
国語改革が必要だ。
って師匠もいっていなかったか?
河童の世界では常識なんて通用しないよ。
とりあえず聞く耳を持って「略載」の河童訳を聞いてみる事にしよう。

991 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 09:35:51
てか河童の場合、中国語の翻訳より自分の言ってる事の翻訳を先にした方が良いよねw

992 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:01:15
>>991
河童の心配している余裕があるなら、君が河童の代わりになりなさい。

993 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/08/23(日) 10:01:36
福岡県八女郡矢部村字「神の窟(いわや)」の八女津媛神社に伝わる浮立(ふりゅう)
春と秋に行なわれた五穀豊穣を祈願の踊りで、今でも5年に一度、氏子によって行われ、
子供たちにより毎年行なわれているという。
矢部村大字北矢部字「御側(おそば)」には良成親王陵墓もある。
良成親王は、南北朝時代に明から日本国王に封ぜられた南朝の征西将軍・懐良親王の後継ぎで
壹與に似た立場の人であった。


994 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:14:21
ていうか、河童さんは既に師匠の存在感を超えてまっせー。
抜群の注目度。人気振り。知名度。
最近ではどっちが大御所なのか分からなくなってきたぜよ。

995 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:24:33
>>994
自分の説が破綻し、他人の説の細かい小さいところを突付いて
罵ってるだけのチンカス梅毒を持ち上げてバカにするのはよせ

996 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:31:23
日本地図 = 世界地図論でいくと、
九州    = アフリカ
邪馬台国 = エジプト
卑弥呼 = クレオパトラ

 ということで九州(福岡)に決定

997 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/08/23(日) 10:33:52
「略載」というよりも「略」について

これは以前にも説明したことの繰り返しになるけど
たとえば『学』という文字は『學』という文字を簡素化したもので、「学」をもって略字といわれる。
しかし正確には「学」は略字ではなく、単に略字といわれているにすぎません。

略を日本語を用いて簡単に説明すれば、

「學」の文字を意味を変えずに「学」という文字に簡素化するという

・元ネタ→(簡素化)→完成文字  というように、ここまで全てを「略」といいます。

つまり
「学」という文字は「學」という元の文字を簡素化する過程
単に「学」だけでは「略」は成立しないということです。


数字でいえば、 300という略された数値は、303という元ネタを300という大まかな数値にしたという
元ネタが一番の材料だということです。
結果ではなく、元ネタと過程が特に重要なのが「略」文字の本来の意味です。

998 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:39:23
>>995
自分では何も出来ないのに、他人を批判する事だけは一人前の
君の性格は歪んでないかな?
それとも、河童に対する嫉妬から生まれる
女性的な性格がそうさせているのかな?

999 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:39:27
なんかトートロジーの典型みたいな?wwwwwwwww

1000 :日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:59:11
九州説はアホばっか

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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