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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!37

1 :神奈川県民:2009/09/02(水) 18:02:29
三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛

神秘的な女王、卑弥呼とはどのような人物か?
そして、邪馬壹國とはどこにあったのか?
日本建国と天皇家との関わり合い、日本古代史最大の謎に挑もう!

<前スレ>
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!36
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1250870402/

2 :日本@名無史さん:2009/09/02(水) 18:08:13

以下、河童虫先生のありがたい言意学のお話。


↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓



3 :サガミハラハラ:2009/09/02(水) 18:37:29
邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡(サクラオカ)です。
卑弥呼は誰?というしつもんですが、卑弥呼は邪馬台国の女王です。
183年に即位し、248年にぼっしています。
在位中の240年頃、吉野ヶ里にあった都を小城甘木に遷都しております。
その際それまでの邪馬壱国を邪馬台国と国号を変更しています。

4 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/03(木) 12:31:44
サガミハラさんの説が少しわかりかけてきました。私のとは少し違いますね。
邪馬壹国は熊本県と宮崎県に跨がる広い国でした。西都原はその墓域です。
大分県東部は邪馬壹国の版図ではありませんでしたが、邪馬壹国とは極めて友好的な関係にありました。神武が東征に出かける
とき日向から船出しますが、邪馬壹国は有明海の港と日向の港を持っていて、日向の港は九州東部や四国や中国地方との交易船
の出入りするところでした。倭国大乱の頃、邪馬壹国の一王子であった神武は日向に派遣され、ここで軍船を整え、船出します。
途中宇佐に立ち寄っていますが、ここで兵員、補給船などを補充して瀬戸内へと向かいます。この後、倭国内は邪馬壹国の王女
卑弥呼を共立して一旦平和を取り戻します。長くなるので今回はここまで。

5 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 12:35:45
あーあ、また基地外のレスが始まったよ。どうしてそう、見てきたような嘘がつけるんだろ?

6 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 12:39:41
↑だったら来なきゃいいのに。他にも同じようなスレはある

7 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 13:43:18
「伊都」との命名はitud からの造語だろう。
itudは "month; moon" と言う言葉です。

「伊都」を解剖。
itud +au(o) → it0(au) + ud
『月=itud』に『母音o(au)』を反応させると、『ito(au)=伊都』と『ud』が生成される。
で、
udは何かと言うと、『太陽』なのです。

「伊都」自体に意味は無い、
あくまでも造語であるが『ud=太陽』を生成させたことが重要。

本来「伊都」とは、月信仰から太陽信仰に移行して初めて使用可能な言葉と思われる。


8 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 13:49:49
>>4
あれ、倭国大乱は九州内とか言ってたよな?


9 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 14:01:32
>>7

論旨から云える事は、
少なくとも
魏の時間軸における
卑弥呼は「夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命」ではない。
ということです。
漢の時間軸の卑弥呼は含まない。

10 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 14:04:04
>>9
時間軸とやらも方位盤で指針が変わるんではないのか?? 

11 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 14:12:28
>>10
時間軸とやらも方位盤で指針が変わるんではないのか?? 

よく意味が解らないが、
方位盤で時間軸を変えられるのでしょうか???

12 :縦目仮面:2009/09/03(木) 14:19:06
太国氏は古神道の秘儀で卑弥呼の相貌を幻視できるほどの人だから、方位板をウィジャー板
のように用いて、時空を混乱させることなどたやすいでしょう。

13 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 14:24:29
とぼけなくもいいよ。
いいか、探せば「24時間時計」っていうのも売っている。

これだと通常の時計の短針が午前6時を指す時は南を指しているが、
「24時間時計」だと普通の時計の午前3時方向つまり東を指すこと
になる。こんなような特殊なことがあるからといって、一般には
午前6時といえば南に短針が向くと観るのだ。

オマエはこれに似た言い回しで易学的操作で南が東だとか言って、
滅多にない特殊な事項で妄想を防衛している。w

14 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 14:26:11
>太国氏は古神道の秘儀で卑弥呼の相貌を幻視できるほどの人だから、
>方位板をウィジャー板 のように用いて、
>時空を混乱させることなどたやすいでしょう。

凄いじゃないですか?
それでは幻視してもらいたいものがある。
それは、
出雲大社の御神体を幻視して頂きたい。
宜しく、太国さん。

15 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 14:26:31
>>13は縦目仮面氏でなく don'takuka氏への話。

16 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 14:33:27
>>14
それがしは幻視するのではありません。

この前もNHKでクレオパトラの妹のアルシノエの科学機器を使っての
復顔絵姿を見せての放映をしてましたが、これでもないですが、
ある細かい操作技術で卑弥呼の復顔は可能です。このことです。
世の中は広いです。科学機器のその方法と透視等以外にも方法が
あるんですよ。

出雲大社の大国主神も可能ですが、いまのところ障害があって出来て
いません。障害がなくなると(研究の進展があると)出来うる可能性
が出てきますね。

17 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 14:51:17
>>16
出雲大社の大国主神も可能ですが、いまのところ障害があって出来て
いません。障害がなくなると(研究の進展があると)出来うる可能性
が出てきますね。



>>906

i-iz + kummu → izumu + kim 。

izumu は、イズム→イズモ→出雲 というexpression 。
kim  は、"a stone" 。 この石は"太陽(ティダ)石 "だろう。
今だ知られていない御神体のこと。

のスタンスをとっていますが、
出雲が北緯35.5度に位置するから、
『オマエはこれに似た言い回しで易学的操作で南が東だとか言って、
滅多にない特殊な事項で妄想を防衛している。w』
の正体、
歳差理論そのものが御神体とおいています。
但し、この歳差は、北緯39°と北緯32度の北の位置が変わるを受けての
天動説歳差です。
この場合は方位は自由に決定できる、
言い換えれば、
魏志倭人伝の方位に関しては、一呑みにして霧吹きで吐き出せる。 ^^;


18 :縦目仮面:2009/09/03(木) 14:56:48
大国主神は、大黒様のイメージが重なってしまって、打出の小槌を持ってる姿しか想像でき
なくなってますね、俺は。大黒様は本来ヒンズー教の神で、宝船に描かれてるのは、神仏習
合した姿かな? don'takukaさんは、なぜに出雲大社の御神体を幻視してほしいんですかね?

19 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 14:59:20
>>17
それがしもウラゴトで易的類似論を唐松山相手ににやっているが、
倭人伝自体はこんな特殊な事はやってないと思うね。そういう特殊
な変化、先天定位、後天定位の八方位九星的配置は否定しているわけ
ではなく、確かにそういうことはあるが、伝がそんな特殊な味なマネ
をやってたとは考えすぎだよ。これは通常12時間一周時計の指針とは
異なる〜特殊な24時間一周時計を使ってたとのうっちゃり的反論な
わけで、伝は通常的方位の説明だよ。

だからあんたからそれがしを見れば一見自語相違的のようだが、その
ようでそうではなく、倭人伝に関してはそんな超風変わりなやり方
を陳寿はやってはいないと想うぜ。w

20 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 15:03:29
>>18
don'takukaさんは、なぜに出雲大社の御神体を幻視してほしいんですかね?

もしかしたら、共通項がえられるかもしれないと言う
願望があるからでしょうか?

21 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 15:13:18
>>19
だからあんたからそれがしを見れば一見自語相違的のようだが、その
ようでそうではなく、倭人伝に関してはそんな超風変わりなやり方
を陳寿はやってはいないと想うぜ。w

否!
歳差は聖書には黙示録、仏教では法華経に嵌めこんである。
中華は魏志倭人伝に嵌めこんだ。
大和は、キトラの天文図に嵌めこんである。


22 :縦目仮面:2009/09/03(木) 15:13:38
>この石は"太陽(ティダ)石 "だろう。今だ知られていない御神体のこと。

出雲は山岳祭祀が盛んだったようで、磐座があちこちにありますよね。大社の境内にあったし、
たしか背後の八雲山にもでかいのがあった気がします。太陽席ですか・・・もしかして、酒井勝軍
の古代ピラミッド説??

23 :縦目仮面:2009/09/03(木) 15:14:24
あたた、太陽席→太陽石

24 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 15:18:31
>>22
酒井勝軍 の古代ピラミッド説??

て、
全く知りません
酒井勝軍 の影響も全く受けていません。



25 :縦目仮面:2009/09/03(木) 15:25:40
そうですか、この系統ではないと。酒井勝軍は、日ユ同祖論ー日本古代ピラミッドー竹内文書
と、何拍子もそろった日本のオカルティストのはしりなんですがね。いや、スレ違いでスンマセン。

26 :don`ntakuka:2009/09/03(木) 15:41:19
>>いや、スレ違いでスンマセン。

酒井勝軍 は縦目仮面 さんからdon`ntakukaへの踏み絵だった訳ね。

人類みな兄弟というくらいだから、日ユ同祖論を否定もしないけど。
今のところ調べるつもりは無し。


27 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/03(木) 16:33:01
>>8
倭人伝にある倭国乱相攻伐歴年を通常倭国大乱と呼んでいるが、倭人伝では倭国(九州にあった奴国が盟主となっていた頃の連合国)内
の争い(権力闘争)として書かれている。しかし、実際は争乱は九州内だけでなく瀬戸内から近畿の広い地域で起っていたと考えられる。
この背景には2世紀末の異常気象による食料不足があったと考えられる。新羅本紀には食を求めてきた倭人が千人に上ったとの記述があ
るが、これは倭の国々で深刻な飢饉が発生したことを示唆する。食料の奪い合いが起ったであろう。
いつの時代でも食料は人が生きて行くために最も重要なものであるが、古代においては食料の生産と配分は最も重要な政治課題であったと
考えられる。
食料が有り余るということはなかっただろうが平和な時代に単に征服欲で神武の東征が行われたとは考えにくい。戦争をするのであるから、
それなりの切羽詰まった事情があるはずである。私はそれを倭国大乱にあてるのである。


28 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/03(木) 18:10:24
>>21
君も相当オツムのほうはカルト的でどうしようもないなぁ〜!?pp

法華経とか聖書等の宗教書と同一視している。女王国の位置についてこういう書
と同列にしている君の脳内は精神科で診てもらったほうがいいぞぅ。
まだ軽症のようだ??

見宝塔品のように大地から多宝佛のパゴダが空中へ浮かび、そこで停まったのか?
まるでUFOのようではないのか? 法華経ってのは小説なんだよ。

29 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:39:25
アク禁になった人の為にレス代行するスレ★144
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1251552335/97

97 名前:心得をよく読みましょう[sage] 投稿日:2009/09/03(木) 02:05:06 ID:js6FWBlY
 >>85
 >>87
 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1250870402/977-978

http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1251552335/85,87,88,91,92,93,96,98
 85 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 01:42:47 ID:3JiEF5XV
 87 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 01:49:06 ID:3JiEF5XV
 88 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 01:50:05 ID:3JiEF5XV
 91 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 01:56:02 ID:3JiEF5XV
 92 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 02:00:35 ID:3JiEF5XV
 93 名前:aa2008091994d28d61a6.userreverse.dion.ne.jp[] 投稿日:2009/09/03(木) 02:02:48 ID:3JiEF5XV
 96 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 02:03:50 ID:3JiEF5XV
 98 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2009/09/03(木) 02:05:56 ID:3JiEF5XV

30 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 19:03:33
>>27
基本的に畿内説の俺と大差ないんだよ。伊都≠前原説だし。

31 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 19:24:23
サガミさん
>大和向けの物資ですか、唐津で九州向けの物資をおろしたのち出港し、

大和方面の物資が唐津から、別便に成る。伊都国の1大卒は、恐るに足らず。
倭人伝はこの様には書いてない。


32 :サガミハラハラ:2009/09/03(木) 22:22:34
一大率が東国への輸送をさまたげたとでも。
まあ、その可能性はありますね。

33 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:30:36
大和へは弥生末期に丹波や敦賀経由のルートが出来たんだろう。
この時期に丹波が発展しているのは出土品からも確認出来る。

だから倭人伝にも伝聞情報として、投馬(丹波)と邪馬台国が別行程で書いてある。

34 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 22:32:45
一大率が検察したのは、そこを通る全ての荷物と考えています。
だから伊都国は、大多数の荷物の通過地点。ここに無ければ意味を成さない。


35 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 22:40:51
>>34
新羅〜丹波〜ヤマトへの直通ラインが出来たから、畿内が発展していったのだろう。


36 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 23:32:14
新羅〜出雲の直通ラインが出来た。
これにより出雲は、農業より工業へシフトする。製品を畿内で食料に変換。
ここに未曾有の凶作が襲いかかる、西暦192年の冷夏。
翌年も凶作で、製品を食料に変換できない。
これが新羅193年の記事6月(現在の8月)倭人千余人の渡海であり、青谷上寺地遺跡。
ここを書紀の何処に設定するかだ。
私は、崇神五,六年の記事が相当すると見ています。


37 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:34:20
>>27
東アジアの食糧危機は三世紀半ばから末だろ
日本も中国でもそうなってる
半島は知らん

38 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:38:19
>>36
新羅本紀の年代はあてにならんよ

39 :日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:42:59
>>38
まあ参考にはなるでしょう。何よりはっきり倭人の記録が書かれているのだし。


40 :俺様が崇神だ!:2009/09/03(木) 23:54:23
>>37
日本の食料危機は3世紀半ばから末ということをどうして知ったんだ?俺は知っとるがな。だが、2世紀末のことは知らんのか?

41 :縦目仮面:2009/09/03(木) 23:55:57
しかし、今日は唐松山さんが積極的に語ってるね。丹波ルートはいいと思いますよ。新羅本紀
は唐松山さんの生命線であるしね。

42 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/03(木) 23:56:58
倭国の乱れたのは、桓帝(成宗)〜霊帝辺りからと書かれている。
この辺は、大陸でも北方民族の南下により不安定な時期だ。

>新羅本紀の年代はあてにならんよ
しかし新羅本記は、書紀と同じ長さに変換する方法が有る。
対する百済本記には、其れが出来ない。だから
吉祥句などと誤魔化して併せるが、神功が360年頃では、書紀の記事とでは合わない。
整合性をもって併せるためには、新羅本記が正解であり、新羅は、半島の歴史を継続している。
対する百済は、首都を移しつつ途中で滅びた国だ。


43 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/04(金) 00:01:42
糸島半島の付根の伊都国も、南東に佐賀平野に抜けるルートも、両方正しいのですよ♪


44 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 00:04:21
邪魔が入らなければ、私でも語れる(騙れる?)のだ。


45 :俺様が崇神だ!:2009/09/04(金) 00:06:31
日本書紀の記事は俺様のところまでで干支2廻り引き伸されて書かれておる。神功の新羅征伐の記事は百年ほど前にずらされている。
3世紀半ばには新羅は建国されていなかったからな。

46 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:15:54
脱解王の時期を何年に推定すればいいのかな。
他でもない新羅が倭人の王と認めているのは重視したい。

47 :縦目仮面:2009/09/04(金) 00:31:17
>>44
邪魔は太国氏のことですか。ww 37が言ってるのは古墳寒冷期のことかな。この影響が
大きいのは日本や中国では3世紀あたりから。太陽活動の異常が原因とも推定される。まあ、
弥生後期でも気候は不安定だったでしょう。倭国乱は、人口増加による土地や水利の収奪争
いもその原因の一つだと思いますけどね。


48 :donntakuka:2009/09/04(金) 10:23:15
>>28 :太国
>君も相当オツムのほうはカルト的でどうしようもないなぁ〜!?pp

ファラ王のピラミッド内部に歳差の証拠を刻んで居るのを知ってますか?
歳差は宗教の最高の法門としての位置を築いたのです。
列島に宗教が無かったといなら貴殿のいうことは正しいだろう。
倭国の北緯32度と北緯39度の中央北緯35.5度に倭国の信仰の中央地であった。
35.5度の地は出雲である。
卑弥呼はの百枚の銅鏡はどうですか?
鏡の使用は歳差を示唆している。

列島での歳差をはめ込んだ物は2つ有る。
一つは、キトラの天文図、今ひとつはカタカムナ文字にある。
貴殿が、don`ntakukaを中傷する前に歳差を学ぶことです。
それからでしょう、まともな議論は。ま〜興味があればのことですがね。


49 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 10:26:08
>>36
盲象ご苦労。ハラをすかして畿内から半島まで行く奴は野垂れ死に!!ww

50 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 10:37:02
>>48
中傷というんではなく、冷静に考えてそんな12時間通常時計の指針を24時間時計
という特殊な言い訳ならどんな屈曲説も成立してしまうぜ。ww

だからそういう歳差とかが古代文明に隠されていることはあろうが、だからと
いって倭人伝もそうだとはならない。それこそ北も西でも成立してしまう。
君のやり口は正常な論説の攪乱であり、有害である。

九星では先天定位、後天定位とか方位の変更という秘説はあると思うが、それが
伝にまでやってるとは到底考えにくい。だから伝の南→東という90度変更は
そんなことでとても容認できる反論にはならない。それがしもウラゴトとか
言って方位がどうのこうのと言うことはあろうが、彼 陳寿もそうだったとには
なり難い。倭人伝に関しては歳差を陳寿がやってたとは考えにくく、君の妄想だよ。

51 :donntakuka:2009/09/04(金) 11:00:34
>>50 名前:太国

遮眼帯を掛けてる人とは議論は難しい。

邪馬臺国は  ya matai koku

ya は5、
matai はマタイ
マタイ(英: Matthew the Evangelist)は
新約聖書の福音書に登場する人物でイエス・キリストの十二使徒の1人。
つまり、
マタイ福音書の第五章の様な国。

マタイ伝第五章に曰く、
『殺すなかれ、殺すものは審判にあうべし』
『姦淫するなかれ』
『いつはり誓ふなかれ、なんじの誓いは主に果たすべし』
『目には目を、歯には歯を』
『なんじの隣を愛し、なんじの仇を憎むべし』
魏志倭人伝の風俗記事によく似てるよね。 ~~;


52 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 11:09:05
>>51
とにかく倭人伝の南というのは、君の言う易、九星からの東の意味
ではないよ。ただそういう易、九星の方位の移動とかいうのは、
そういう関係に関してはある場合もあろう。

だが伝の場合はストレートに南は南だよ。

君の唐松山のホツマ教にたいしてキリスト教、法華宗か〜?w

53 :donntakuka:2009/09/04(金) 11:17:34
>>52 名前:太国

では、鏡は何なんだ?

平面鏡でも陰陽反転するよ。
凸面なら凹面ならどうだ? 覗いてみたら良く解るだろう。
何度も書くが、鏡が歳差を示唆しているということ。



貴方も、相当頭が固いね。

>だが伝の場合はストレートに南は南だよ。

南は北だ。

東西は正常。



54 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 11:19:40
唐松山の千人空腹百姓が畿内から朝鮮半島まで渡ったなどとは、
盲象の極だ。もし行くなら山口県まで行き、ここまでも大変な飯
喰わずではの道のりだ。そこで北九州へ千人分の船を出しまさか
ハラペコで泳いで千人も渡れるわけもないし、そこからまた歩いて
北九州沿岸にやっと着く、ここからまた千人も乗れる船を用意して
半島まで渡るとなると、ハラペコで千人の多勢が2回も海を渡ること
となる。それまでに栄養失調で殆どが死ぬし、大船をだれが百姓の為
に調達するのか? そんな金があるんなら、百姓に飯を食わせられ
る余裕があることとなる。そこまでする当時金持ち援助者がいたと
でも言うのかね?www 盲象だよ。wwwww

55 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 11:23:00
>>53
オマエ右が左だという論のようだが、オマエの詭弁はオマエが運転
してどこかへ行くときそれが暴露される。道尋ねのとき南と言われ
たら東へ行く馬鹿がいるのか? 相手が騙してたとかでない限り、
南と言われて東へ行くのはオマエくらいの者だろう。ww

オマエ車の免許証返上だな。

外出だ。またあとでな。ww

56 :donntakuka:2009/09/04(金) 11:24:42
>>54 名前:太国

九州から沖縄までは、400km以上あるが、
可也の避難民が移動してるよ。

唐松山の千人空腹百姓が畿内から朝鮮半島まで渡った

一概に否定は出来ないだろう。

どちらが盲象が解らないね。

57 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 11:30:38
千人は実数じゃないが海人なら海を渡る位普通だろw


58 :donntakuka:2009/09/04(金) 11:35:52
>55 名前:太国

だから、貴方は遮眼帯を掛けた馬と同じだと言っているのです。

>道尋ねのとき南と言われ たら東へ行く馬鹿がいるのか? 

あきれて開いた口がふさがらないよ。
一般と例外をゴチャマゼデ他者を誘導するなど常人の成せる技ではない。
キ印でも背負っているのかね。

59 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/04(金) 13:10:00
太国ちゃん
飢饉が迫っていたら必死で海を渡って行く者もいるよ。ここは唐松山さんの言うことを認めようよ。
歳差とかマタイ伝とかは太国ちゃんの言うことが正常だよ。
donntakukaさん
鏡に映った像は鏡像と言うが、人の顔が左右反対になって上下はそのままというのは地軸とは無関係だよ。
(南は北、東西はそのままというのも分らんが)宇宙船に乗って鏡を覗いてみるがよい。

60 :donntakuka:2009/09/04(金) 13:56:25
>>地軸とは無関係だよ。

don‘ntakuka は、はっきり断っているはずだ、
天動説歳差とね。
地動説歳差ではない。

↓でも見てから思考して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8C
この八卦後天図の図で列島をはめ込むと東西南北が反転する。
それを、平面鏡に投影させると南北は反転された儘であるが、東西は最反転する。
つまり、南北だけが反転され、東西は正常の図が出来る。

だから、魏志倭人伝は倭国の領域は南北を反転して読まなければならない。
南は北、東南は東北と読むのです。



61 :donntakuka:2009/09/04(金) 14:04:35
>>60

×東西は最反転する。
 は
◎東西は再反転する。

62 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 15:21:43
千人も渡るということはハラペコでは不可能に近い。それは数人くらいならこれは
ありうる。現今の脱北がそうだ。少人数ならあるだろう。大変な苦難のはずだぞ。

千人といえば、日航の123便1985年8/12の事故でも520人だ。その倍の連中が
空腹で2回も海を渡って行けたということは奇跡に近い。せいぜい到達出来て
まあ10人ならいいほうだ。途中くたばるのが当選確実だな。

>>58
まぁオマエの旅行中、右に目的地がありますとか言われてオマエはこれは左へ
行くことだと考えるようなもので、どうやら精神科行きがオマエの身分相応
だと思う。早速精神病院でオマエはオマエの脳内の点検をしてもらえ。ww
ハンドル握っても左折不可のところ右折不可だから左折できるとか言ってるよう
なもので、オマエの主張じゃぁケーサツに切符を切られるのがオチ。wwwww

沖縄に渡海したとき幾人いて金も飯も飲まず食わずだったか、ちゃんとその話
を書きこめるか?ww 金持ちが食糧積んでならそれは九州から沖縄だって
行ける可能性はある。そういう状況のとミソト喰えないクソと一緒にするん
でないよ。pp

63 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 15:24:47
>>62 訂正
× 金も飯も飲まず食わずだったか
○ 金もなく飯も飲まず食わずのハラペコ人だったか

64 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 15:26:06
縄文人どの
八代が神武と崇神の部下だったなんて、えらい妄想だよ。

65 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/04(金) 15:38:58
太国ちゃん
倭人が半島へ逃げるとき、残り少ない食料=これでは来年まで食いつなげないことが明白な少量の食料 を携帯していたということは
十分に考えられる。半島に行けば食料にありつけるかも知れない と必死になって行ったんだよ。なにも
餓死寸前で海を渡ったと決めつけんでもいいじゃあ〜りませんか。

八代を神武の子孫にしたんだけど天皇としての事績を創りだせなかった。舎人親王の編纂チームも苦労したんだよ。

66 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 15:46:08
来年まで喰いつなげるくらいなら、なにも半島まで渡海なんかやらず
地元で来年まで飯を喰ってればいいことだろうが。

半島に渡ったのは半島に多少関心を向けてる百姓だよ。畿内の農民
なら、せいぜい吉備か東海くらいだよ。それだって喰うものが
ないのにそこへ行くには大変な苦労のはずだ。

だから関心を持ってた農民とは、それは対馬とか北九州で若干半島が
気にかかる地理にある連中だということだ。だから千人渡海が彼ら
なら可能性がある。それでも筆舌をつくし難い冒険だぞ。

67 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 16:47:54
まあ千人は虚数だが、半島に渡るのは日常行為だろう。
現に対馬の人は買い出しに半島や九州に出かけてる。
新羅建国の中心勢力になる位の人数が渡って行ってるのだし。

68 :donntakuka:2009/09/04(金) 16:54:13
>>まぁオマエの旅行中、右に目的地がありますとか言われてオマエはこれは左へ
行くことだと考えるようなもので、どうやら精神科行きがオマエの身分相応
だと思う。

おたくの頭大丈夫ですか?

けとはれの区別がつかないほど腐った脳なのか?

69 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 17:21:06
十年 春正月甲寅朔 日有食之 三月 漢祇部女 一産四男一女 六月 倭人大饑 來求食者千餘人
この年の日食は、太陽暦の2月19日から六月とは、今の八月に相当する。

八月なら何かしらの食料に有り付ける。しかし冬以降の食料の手当が出来ていない。

太国さん貴方ならどうする?


70 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 17:40:45
太国3倍年では、
凶作、飢餓の翌年春は、五穀豊穣となり百姓も食料に有り付けた。

まさか↑の様な主張をするのか?
だが此を否定することは、太国3倍年の否定でもある。


71 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 17:49:32
>>67
どこに金無しハラペコの半島渡海が紀無いから毎日行われたとの史書
があるのか? 北九州はありえても、日常なら毎日畿内から一文無し
に近い連中が渡海してたことになる。北九州沿岸の連中なら、中には
渡海経験者もいたろうし、そこの沿岸の船の調達もできうるから、
そういう渡海はありえたろう。しかし畿内じゃぁ、よそ者らに急に
畿内から北九州に渡ってきて簡単には、ロハでは千人も乗れる船は
貸しはくれないだろうがねぇ〜。又半島から船を戻れねば北九州沿岸
の船の所有者は貸しっこないし、渡って戻ってこなければ船の回収
は困難になる。こういう利害があって、船を軽く借りることは
まず出来ない。つまりハラペコ無金ではとても畿内からの千人渡海
は無理だね。

>>68
オマエが道路標識を見て「右折禁止」とあるとき、オマエは「これは
右ではない九星で左だ。」だとオメデタイ解釈をしてるわけで、早速
精神科でオマエの脳内の検査をしてもらったらどうだ? ppp
それを履行すればケーサツに切符を切られるのがオチ。ポリスに
「あなたは右折禁止標識のところを左折しました。」と言われて
もう点数の減るのは当選確実だねぇ〜。ウアッハッハ ww

>>69
随分長い8月だねぇ〜? pp ソウならハラペコではないだろうが?w
腹が一杯なら、なにも半島まで行く必要もなかろう。ww

72 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 17:59:38
>>71
× 右折禁止のところ左折しました。」と言われて
○ 右折禁止のところ右折しました。」と言われて

そこでdonn'takukaよ。ポリスに標識を指して、「これは九星で
左折禁止の意味です。」と食い下がるのか〜?ww

73 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/04(金) 18:13:13
太国ちゃん
8月から2〜3ヶ月食いつなげる食料はあっても年が越せない。なんとか越せたとしても春になれば米が穫れる訳じゃない。これじゃ一家飢え死に
するしかないとなったら、残っている食料や家財を持って逃げ出すよ。日本じゃどこに行っても駄目だとなれば半島でもどこでもいいから出かける
よ。皆で残り少ない食料を出し合って舟を借り水夫を雇う。あると思います。

歳差の話はあんたの三輪の玉の体積の話と似たようなもんだよ。こんな話は誰も信じないから止めたがよいよ。

74 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 18:26:38
>随分長い8月だねぇ〜?
一ヶ月とは、新月から次の新月の前日、29日か30日これが一と月だ。
10日や15日では、一と月と云わない、この数字を1ヶ月とするのが、倍年の思考だが
これでは度量衝にならない、他の単位でないとね。

しかもだ1月13日崇神即位を認めて、崇神世は、3倍年を主張している。
もちろん1年は12ヶ月である。

この主張を正しい、とするために”唐松山”を否定しても何にも成らない
事は明白。


75 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 18:27:33
>>71
別に畿内からとは限ってないですよ。
新羅の伝承では多婆那(橘=丹波)から渡ってきたとあるのは確かだし。
日本海側からなら複数地点から半島へ渡航した可能性はあるでしょう。

76 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 19:02:18
>>45 俺様が崇神だ!
>日本書紀の記事は俺様のところまでで干支2廻り引き伸されて書かれておる。

年の干支で引き延ばしがされていたら、元の数字は太陰暦にならない。

元はどんな暦法ですか?


77 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 19:11:14
>>76 に追加
書紀には「干支2廻り引き伸し」を否定するために「日々の干支」が書かれている。
「干支2廻り引き伸し」を肯定するなら「9月4日」の如く日付だけ表示すれば良い。


78 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 19:51:17
>>73 縄文人どの
当時の百姓なんか半島のことなど知らぬ存ぜぬ奴ばかりだろうが。
江戸時代あたりでは京都の天皇も知らない百姓が多かったんでは
ないのか? こんな状況で百姓が【千人】も霞を喰って仙人のマネ
をして畿内から大船の調達なんか出来ない身分だるろうし、到底
行き着く奴がいたところで数人止まりだよ。千人もの大船あるいは
船群をどうやって具体的に確保するのか?
縄文人さんよ。こういうところは弁護に回らず、冷静に不可能事に
近い現実を見極めるべきだ。
三輪の玉は唐松山の治療用だよ。古代史の飯ではなく君の薬ではない。

>>75
だからそんな大船を得られにくく金もあまりなさそうで年貢の
重そうなかつハラペコの飢餓で〜困り果てて明日にも死ぬかも知れ
ない百姓が、どうやって千人もの脱北の逆が出来得るのか?

そういう現実と考えられるカベをどうやってクリアし、半島へ行け
たのか? 千人分の水、食糧をどう確保したかそれを聞いてるんだよ。

79 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 20:01:01
>>74
365日の暦にだって1ヶ月が30日(あるいは31日)でない暦法も
ある。古代マヤ文明のハアブ暦は1ヶ月が20日である。このように
1年が絶対に12ヶ月とは限らない。

80 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:18:02
>>78
この時代金なんて存在してるの?
倭人は海人、移動は基本的に船ですよ。
船なんて各自で用意するでしょ。


81 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 20:21:35
縄文人どの
崇神紀のなぜ三輪の説話があるのか、そういう点を熟考しなさい。
いくら否定しても生涯貴殿の史論の目の上のタンコブになるだろう。
信じないとか強がりはよしなよ。

それがしはdonn'takuka氏の言う歳差を全く否定してるわけではない。
ただ倭人伝にてはそんなマネ、九星等での方位の取替えを陳寿が
やりはしないだろということだよ。

82 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 20:23:33
マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていた。一つは、一周期を260日とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、
宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう一つは、一年を365日とするハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。

>古代マヤ文明のハアブ暦は1ヶ月が20日である。
ハアブ暦は1年が365日だそうです。 太国さんの間違い
一周期を260日とするツォルキン暦の単位は、1年でないから許される。

対する太国3倍年は、太国書き込みと同じく、「何を言いたいのか解らない」暦でしょ。


83 :me :2009/09/04(金) 20:24:42
唐松山 ◆V0F34EbmQA さん
太国 ◆yVAs7uaYlY さん

倭人伝には、「所有無與タン耳朱崖同」とあり、
倭の指導者は卑弥呼ですから、その卑弥呼一族というのは
タン耳、朱崖方面から来た、いわば、南方系というやつとは思いませんか?

ほかにも、「唯有男子一人給飲食 傳辭出入」をみても、
卑弥呼はシャーマンと思われ、
そのシャーマンとは中国東北部〜ロシアにかけての小数一族が発祥というのは聞いたことがあるのですが、
南の島、ようは、南方系にもその「色」は強く残っているといわれている。


84 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 20:28:14
>>80
それは現代にあてはめて不合理を強調するためのこと。
貨泉とかあったというしね。

たとえば熊野市歴史資料館には徐福関係のだと言われて
いる「半両銭」貨が保存されている。

それに唐松山のいうその年代には畿内に船はまだ造られていない。
紀にはその後年の崇神十七年に始めて造船するとある。

85 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 20:34:00
>>83
それがどうしたというのか?
全く渡海がなかったとは言ってはいない。百姓は女王級の身分では
ないぜ。一緒に考えると失敗するぜ。

だいたい当時紀無いに船の製造が無いのに、どうやって紀無いから
半島に渡海したのか? UFOとか仙雲にでも乗ってたのか?ww
そう言い出したがるのはdon'takukaだろうがねぇ〜?ww

86 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:34:09
もはや、セント・ジェームス病院。ww

87 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 20:41:23
>>83どの
唐松山の書きこみだと勘違いした。貴殿への回答とかではないです。

88 :me :2009/09/04(金) 20:44:42
「続き」
シャーマンというのは、司祭者が「神」や「霊」と通信して
その意思を伝える、いわゆる、呪術者といわれている。

倭人伝に記されているのは「傳辭出入」ですから、
この女王卑弥呼もシャーマンに該当する。
そして、

<梁書>
漢靈帝光和中 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子「卑彌呼」為王
「彌呼」無夫婿 挾鬼道 能惑衆 故國人立之

「卑彌呼」というのは、日の「彌呼」。
いわば、日の巫女というのが想像出来る。

まあ、巫女さんって言っても、現在の神社の販売店に居るような巫女さんではないことは知ってるだろうw
当時の巫女さんて、シャーマン以外に、なにか聞いたことありますか?

太国さん、唐松山さん 以外の人でも〜知ってる人はかまわずレスして!

89 :me :2009/09/04(金) 20:47:16
ん〜〜どうなんだろうね....。

シャーマン イコール南方系て頭に入ってるんですが、
他にもあるのかな・・・・。

あ、ちなみに、「me」=「メ」ですw

90 :縦目仮面:2009/09/04(金) 20:55:36
あたたた、シャーマンはツングース語からきたものですよ。ツングースどこか知ってます?

91 :me :2009/09/04(金) 21:00:46
>>90
初めっから中国人の縦目さんに聞くべきでしたねw

説明宜しくデス〜〜


92 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 21:05:00
>>84
大体渡るのが百姓と決めてる時点でダメだな。
海を渡って王になるような人物が同行するのですよ。

船なんて普通にあったでしょ、徐福一派の末裔なら尚更大丈夫。

93 :me :2009/09/04(金) 21:05:29
ツングース語およびツングースはよく知らないのですが、
シャーマン衣装ならみたことがあります。
貝殻がジャラジャラついてるやつ。


94 :縦目仮面:2009/09/04(金) 21:07:36
ツングースはシベリアを含む北アジアです。言語は「シャマン」に近い発音で、ロシア語から
さらに各国語として広まった。もちろん南方にも似たような事例はあり、この概念を世界的視野
で捉えようとする試みがある一方、北アジアの事例のみにしか当てはまらないとする学説もあ
ります。

俺は中国人ではなく、茨城県人です。誤解を招く発言はやめてください。ww

95 :me :2009/09/04(金) 21:11:11
あ〜中国の巫女さんって、アレだね。

中国の王様(皇帝)が亡くなり → すぐさま巫女様を呼ぶ → 巫女による儀式が始まる
 → 誰も覗いたらいけないんだけど覗いた奴がおって、 → とんでもない儀式で、王の側近が巫女様をぶっ殺す

て話があったよね?
何かの本で読んだ記憶あるんだけど・・・・こんなかんじであってるかな?

96 :縦目仮面:2009/09/04(金) 21:15:43
すいません、その話は知りません。

ただ、シャーマニズムというのはあくまでも形態面についてのことと俺は理解してますけどね。
つまり、「脱魂」(ある人物の霊魂が身体を離脱すること)と「憑依」(神霊・精霊がある人物の身
体に憑くこと)。しかし、卑弥呼の鬼道の理解において重要なのは、その形態ではなく、何の神
が降りてくるのか、ということだと思います。

97 :me :2009/09/04(金) 21:17:29
www 中国人ではなく茨城県人でしたか〜 了解デスw

シャーマンというのは、中国北部 及び ロシア一部の小民族のよる
モノらしいですが、その南方にも似たような事例というのは、どこのことか知っていますか?
そこまでは、わたしも聞いたことがあるのですが・・・南方のどこまでは知らないので聞いてるんですが・・・

98 :俺様が崇神だ!:2009/09/04(金) 21:18:34
卑弥呼は単なる巫女じゃないぞ。祭祀には通じていたが、易にも通じ、政治のことも弁えていた。邪馬台国指導部の意図を
神の託宣として告げるのが主な役割だ。チャラチャラしたシャーマンなどと呼ぶな。無礼者め。

99 :me :2009/09/04(金) 21:22:45
ああ、「司祭者が「神」や「霊」と通信して 」では間違いでしたか....。
司祭者に霊が降りる、または憑依する ということみたいですね。

ていうか、太国さんとかはどこへいったんだろう?


100 :縦目仮面:2009/09/04(金) 21:23:43
いやー、似たような事例は世界各地にあるじゃないですか。アフリカの太鼓を叩いて踊る
あれ(ウィッチドクターやシャーマンドクターと呼ばれるもの)だってそうでしょう。日本なら
恐山のイタコ、沖縄のユタとか。

極端な話、改めさんが今、口から泡を吹いて「俺にマイケルジャクソンの霊が降りてきた」
といえば、それがシャーマニズムですよ。

101 :me :2009/09/04(金) 21:37:40
了解デス。

シャーマンの定義を勘違いしていたようです。

まあ、卑弥呼の鬼道=シャーマン の可能性は有りでしょうけどね。

102 :縦目仮面:2009/09/04(金) 21:40:28
だいたいこの、「俺が崇神だ!」にしても、何も言ってないのと同じで、重要なのは何の神
を祀っていたのかということですよ。

イスラムのムハンマド(モハメッド)などの預言者(神の言辞を託された者)も一種のシャー
マンと考えることもできますが、信じたのは苛烈なアッラーの神。この神の教えによるイスラム
原理主義が今日の世界情勢の混乱を招いているのはよく知られているところでしょう。

103 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/04(金) 21:44:15
私は太国さんを呼ぶ体質が有りますが、必要ですか?

桑原くわばら。


104 :縦目仮面:2009/09/04(金) 21:45:44
だから、卑弥呼の鬼道がシャーマニズムであるかどうかというのは、卑弥呼が個人的な呪力
で衆を惑わせていたのなら、シャーマニズムではない。しかし、何かの神の言葉(お告げ)を
伝えることで衆を従えていたのなら一種のシャーマニズムといえる、ということだと思います
けどね。

105 :俺様が崇神だ!:2009/09/04(金) 21:53:45
縦目仮面よ
卑弥呼が神の言葉として伝えていたのは邪馬台国指導部の意思だ。演技だよ。

106 :縦目仮面:2009/09/04(金) 21:57:23
それはないでしょ。卑弥呼を共立した諸王もそれほど馬鹿ではないと思いますけどね。

107 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 21:58:35
>>92
王の名前を言っていろ。どうだ?
それもも記紀にあるのか?

108 :me :2009/09/04(金) 22:01:48
>>103
>桑原くわばら

漫画のかな?!もし、それ知ってるのなら驚き。

みんなも縦目さんのシャーマニズム、ちゃんと聞いとけよ〜w



109 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 22:05:04
>>92
オマエの脳内の即興での言いわけだよ。王の名を言ってからそういう
口をたたけ。船をつくれたなら、その年に船を造ったと紀に書けば
いいことだ。その後の年に造ったと書く必要などない。
あまりデカいデタラメを言うな。

110 :me :2009/09/04(金) 22:05:28
なんかあがらない(上がらない)と思ったら「sage」になってるじゃんw
うわーっ これかょwww

111 :me :2009/09/04(金) 22:08:35
俺様が崇神だ!さんは、「演技」か...。

んで、太国さんと唐松山さんは、
「卑弥呼の鬼道」をどのように考えてるのでしょうか?

わたし?!てっきり、シャーマンかと思ってたら、突っ込まれてるところw

112 :縦目仮面:2009/09/04(金) 22:09:12
いずれ、何度も書いたんですが、古代の信仰概念の変遷を考えれば、

精霊信仰(万物に霊が宿る、アニミズムと呼ばれるもの)→
穀霊信仰(穀物霊を特別視し、収穫を祈念する)→
祖霊信仰(祖先の霊が穀物霊に影響を与え、収穫の多寡を左右する)→
首長霊信仰(大王が神と同一化し、民衆を支配する根拠を与える)→

まあ、異論は多々あるでしょうが、このような流れと捉えれば、俺は畿内説なんで、大型古墳
による首長霊信仰が、卑弥呼の鬼道と結びつく可能性を考えるわけなんですよ。


113 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:09:50
>>107
脱解王をはじめ、新羅には倭人系の王統あるでしょ。

スサノウも新羅に渡ってるし、神功もアメノヒボコも全部新羅絡み。
しかも全部九州以外の日本海沿岸諸国と縁のある人物ばかりだ。


114 :me :2009/09/04(金) 22:15:25
縦目仮面さんは、精霊信仰ですか。

んじゃあ、わたしは、
卑弥呼の鬼道=シャーマンのシャーマニズム?から
卑弥呼の鬼道=太陽信仰にかえましょ〜とw

誰だよ〜シャーマンとか言い出したのはwww


115 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 22:19:00
>113
それはオマエがハラペコで金のない農民と最上クラスの卑弥呼等とを
同等的に扱っている間違いだね。
当時の畿内の農民が遠い半島のことなんか眼中にないぜ。それは
北九州とか対馬等の百姓なら、これは遠方に眺望できるんだから
当然関心を持つ。畿内から半島まで遠いんだぞ。百姓は生活に
追われてむしろ半島どころでない。畿内から去るなら紀無い周辺
+αくらいだな。

眼中にあるのは卑弥呼とか畿内朝廷の連中だよ。半島からうまいもの
が朝貢されることがあるんだから、関心事だ。

それが農民なんかは考えても〜せいぜい紀無い周辺の国々だよ。
オマエ 脳内の即興でくだらない言い訳なんかするな。

116 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:19:58
河童虫さんはエース:don`ntakukaさん 縦目仮面 さん 
と言われたのが悔しかったとみたw

117 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:21:39
don`ntakukaさん 縦目仮面 さん  二人とも古代史に強いのでしょうがない



118 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:23:30
古代巫女はシャーマンだよ
名残のある神楽の舞いでも狂ったように激しく回転するヤツがある
あれはトランス状態になる


119 :me:2009/09/04(金) 22:25:22
「卑弥呼の鬼道」
改め:太陽信仰
縦目仮面:大型古墳による首長霊信仰
俺様が崇神だ!:卑弥呼が神の言葉として伝えていたのは邪馬台国指導部の意思(演技)

太国さんと唐松山さんと河童さんは??


120 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/04(金) 22:34:18
>>115 太国さんお久しぶりです。
よんどころない事情により、しばらくここで御厄介になります。

121 :縦目仮面:2009/09/04(金) 22:35:00
ただ、卑弥呼がシャーマニズムを用いていたかどうかについては、倭人伝に、

>その俗挙事行来に、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜
  する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く、火タクを観て兆を占う。

とあり、占いは基本的に自分以外のものに意志決定をゆだねることなので、汎霊信仰による
シャーマニズムとも考えることもできるかもしれません。ちなみに聖書でもコーランでも、唯一
神教は、占いを悪魔の技として禁じています。(ま、占星術とかありますけど。)


122 :me:2009/09/04(金) 22:37:19
しかし、倭人伝には、「所有無與タン耳朱崖同」とあり、
倭の指導者は卑弥呼ですから、その卑弥呼一族というのは
南方系としてみています。
早くいって、南方系からの侵略というか。
このように、私は考えています。

「卑弥呼一族の侵略ルート」
タン耳・朱崖 → 奄美大島(紀元前三世紀より前) → 種子島(紀元前三世紀より前)
 → 九州上陸[薩摩半島](紀元前二〜三世紀頃) → 九州西南部](紀元前二世紀頃)
 → 九州北部(紀元前二世紀頃) → 本州近畿[奈良](紀元前一世紀頃)




123 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:38:34
>>115
一体何をむきにになってるんだ?
俺は一言も畿内の農民なんて書いてないのだがw

君は千人もの飢えた人間が海を渡る事は、船も無いのに
無理だと言ってるのだろ?

俺はそれに対して海人なら渡航なんて問題もないし、
食を求めてや侵略目的にせよ、実際記録にあるのだから
倭人は半島に渡っている、その中には王になる者もいた、
そう言ってるだけですよ。

>眼中にあるのは卑弥呼とか畿内朝廷の連中だよ。半島からうまいもの
が朝貢されることがあるんだから、関心事だ。

当然渡るならそんな連中だけで行くのかい?
理由は飢饉でも略奪でも人足がいるだろ。




124 :me:2009/09/04(金) 22:44:47
ひゃあああ〜〜〜〜〜〜 河童くんが怒り出したああ。

誰か助けてくださいww

125 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:47:47
倭人伝の記述を絶対的なものとするから変な解釈しか出てこない
ヒントにならないヒントぐらいに思えばいいだけ
例えば、人と会わないのに何故に鬼道でもって衆を惑わすことが出来るの?
鬼道なのかさへ、他人は知ることが出来ない
恐らく、会わなかったのは昼間
ってことは、夜に祭祀が執り行われた
共立の王とは?
王を満たす条件がその祭祀の行為にあった
今の天皇も三種の神器以外にも天皇しか許されない秘事があるとされている
倭国大乱で神武以来の血統は保存されたが、その重要な祭祀を天津神系は許されなかった
ナガスネビコが神武より以前に祭祀を行っていたという三輪の麓に入って国津神に委ねる形で持って融和を計ったんだろう

126 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 22:49:46
>>123
王が半島に行くときは連れて行くのは兵隊だろうが。百姓なんか
足手まといだし百姓なら特別な状況がない限り連れて行きはしない。
渡海するのに千人だぞ。数人なら脱北みたいに可能性がすこし
出るが、三桁も違うんだ。兵隊、朝廷の連中なら千人はありうるが。

だから唐松山の言い分なんか通らないんだよ。だいたいどこに
スサノオが半島に行ったという明文があるのか? 三毛入野命とか
田道間守だとかならそれはあるがね。千人も畿内から腹をすかして
渡海したなどど、オマエの盲象だね。どれだけの大きさの船が必要
調達できうるのか考えたか? それにその金はハラペコがどうやって
工面するのか? そうならば兵隊のほうを連れてくよ。pp

127 :me:2009/09/04(金) 22:50:45
>>121
そりゃ〜卜事(うらごと)だてw

中国の文献(通称魏志倭人伝)では「鬼道」と記載されており、
鬼道=卜事(シャーマン)とはなるわけないw


128 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:51:20
>>115
畿内には丹、辰砂が豊富にあるだろ、防腐対策でも
海人には必需品でもある。財は豊かなもんですよ。

129 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 22:54:18
>>128
そんなに財があるなら、腹をすかして渡海なんかなおさらないぜ。
百姓のことだぞ。百姓に財があるんなら腹なんかすかないだろうが。

130 :me:2009/09/04(金) 22:55:44
>>128
その前に、「丹」なんて畿内にかぎらず、どこでもあるだろうw
「朱」ならば、水銀朱鉱山として
・徳島県水井高山
・奈良県大和鉱山
・三重県丹生鉱山 が有名ですが・・・。

131 :縦目仮面:2009/09/04(金) 22:59:14
>>127
まあねえ、しかし中国の文献に出てくる鬼道は、蜀で張脩が広めた鬼道教団を、張魯が漢中
で勢力を固め、五斗米道として広めた・・・あたりが有名だけど、まさか、卑弥呼の鬼道=道
説?


132 :縦目仮面:2009/09/04(金) 23:00:49
道説→道教説  スマソ。

133 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:01:02
>>120 プラム ◆TOfHBAKZgM
大人しくしていろよwwwwwwwwww

134 :me:2009/09/04(金) 23:02:03
me ← ミーじゃねーよwww ALL



135 :me:2009/09/04(金) 23:04:33
メ!メ!メ ちくしょーww

136 :me:2009/09/04(金) 23:07:41
>>131-132
ん?道教説?
道教説というのは知りませんが、
その鬼道=道教説というのは、確信があるのでしょうか?
ていうか、大型古墳による首長霊信仰はどこへ?!


137 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:09:28
>>126
兵は通常百姓だと思うけど、後年の防人もそうだし。

>スサノオが半島に行ったという明文があるのか?
日本書紀に記述ありますけど。

>>129
財があっても飢饉で食物が無ければどうしょうもないでしょw
持ってきてもらうか、こちらから行くしかないですよ。

>>130
水銀朱の意味で使ったから。

138 :縦目仮面:2009/09/04(金) 23:13:04
鬼道=道教説は、俺は取らないけど、それなりに根強くありますよね。まあ、根拠としては
(舶載・国産はこのさい置いとくとして)画文や三角縁の鏡の紋様、仙境の神である東王父、
西王母が並び立つ絵柄を、倭人がなぜああまで好んだのかということですね。

139 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/04(金) 23:15:06
>>133

俺は何時もおとなしいじゃん。
四年前だって、俺は大人しくしていたのに周りがはしゃいだんだろう?

140 :me:2009/09/04(金) 23:16:44
ああ、真ん中のやつでしたかな?w
ちがってたらスマソ。

それにしても、いつか、三角縁神獣鏡みにいったんですが、
ほとんど、違う銅鏡ばかりみてましたよ(他の銅鏡のが見栄えが良く感じた)。


141 :me:2009/09/04(金) 23:18:29
プラム ◆TOfHBAKZgM さん

久しぶりに現れたんなら、何か語っていってくだされ。


142 :縦目仮面:2009/09/04(金) 23:21:09
いずれこのあたりは何とも言えないところなんですが、女性の卑弥呼が倭王に冊封されて
るくらいだから、女性の地位は高かった。あるいは、女性が祭祀、男性が現実面の政治(軍事)
を受け持った共同支配体制があった、とする説もありますね。

三角はできの悪いのも多いです。

143 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/04(金) 23:24:08
>>137
腹ペコの百姓兼兵隊じゃぁ、王の護衛に役立たずだねぇ〜。ww
そんな弱い兵隊を連れて行くなら、屈強な訓練をうんと積んだ奴ら
を連れて行くよ。wwwww

オマエ脳内即興で考えて言い訳を造るから裏が取れてるわけがなく、
ボロがいくらでも出てくるのだ。考えても見ろ。畿内から半島まで
当時大変な距離だぞ。それに山口県から北九州に渡るときハラペコ
百姓の弱兵の面倒を王がみたっていうのかねぇ〜? さらに今一度
北九州から二度目の船を使うんだ。これに弱兵を乗せて向こう半島に
渡るのか^? ハハッ、半等の奴らに自分の王の首をとってくれと
でも言ってるくらいだ。wwwwwwwwwwwwwwwww

そんな空腹の百姓兵隊を極めて遠距離の半島へ行く間にへたばって
終りだよ。ppp

ま〜だ盲象だと言われるのがくやしいので抗弁するのか?ww
またボロが出てしまうぜ。pp

紀のどこに具体的記述があるのか? 中途半端にするなよ。もう
ボロを出さないようにしろい。www

>こちらから行くしかない
千人は行く間にハラペコで野垂れ死にだよ。オマエだとカスミを喰っ
て到達できるのか?www

また明日な。書いておけ。zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・

144 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:29:12
>>143
あれ、逃げるの早いね〜

145 :me:2009/09/04(金) 23:32:09
はあ、私も疲れたし、
縦目さん考古学に詳しいようなので逃げましょうかねw

今日〜これ始めてから、すでに〜5時間が経過しとるw


146 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/04(金) 23:51:00
>>141

>久しぶりに現れたんなら、何か語っていってくだされ。

俺なんかが語らなくても
周りが沢山コメント(収拾つかなくなるほど)くれるから安心しろ

147 :日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:52:35
>>143
飢えた人は北九州に寄らずに決死の覚悟でゆくでしょうね。
というよりまず国内に供給先を求めるでしょ?
これが倭国大乱の要因の一つでもあったのかもね。
その影響で半島へ倭人が押し寄せたと考えれば何の不思議もない。
渡航に大きな犠牲が出るのは言うまでもない事。

日本書記におけるスサノオの新羅の件…
まさか本気で知らずに言ってる訳ないよな?

148 :俺様が崇神だ!:2009/09/05(土) 00:04:21
>>106
ちょっと所用で失礼した。
卑弥呼が女王に共立されたのは倭国大乱の時だ。俺様は縄文人の言う食料危機が背景にあったという説があり得ることだと思っておる。
倭国内での協議により卑弥呼が女王に共立されたが、実質的な指導部(邪馬台国の王族、あるいは他の有力国の指導者も加わったかも知
れない)は現実的な政治をした筈だ。既にシャーマンが支配できるような原始社会ではない。公孫氏が滅びたと見るや直ちに魏に朝貢し
た倭国である。しかし、まだ一般民衆は神を畏れ、迷信を信じる傾向を持っていたであろう。そのような民衆を纏めて一つの方向に向か
わせるー大乱後は食料の奪い合いの争いを静め、食料生産に励ませるー役割を卑弥呼が鬼道と記述されたやり方で受け持ったのである。
卑弥呼は単なる霊能者のような者ではない。己の政治的役割を理解し、指導部の意図どおりに動いたと見なければならない。そうでなけ
れば50年近くも女王の位置に居れないであろう。もっとも、卑弥呼を一個人ではないとする見方もあろうが、役割は同じである。

149 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:19:43
自分で自分の説を肯定していれば世話はないわ。wwwwwww

150 :ローガン:2009/09/05(土) 00:20:25
縦目さんは茨城県でしたか…
そういやもう何年前になるかなあ、私、茨城県民プラムさんがレスで例えに使った「けんちん汁」がわからなくて(笑)
色々教えてもらった記憶が… もうすぐお月見だし、プさんもあまり尖らず、円くいきましょう。


151 :縦目仮面:2009/09/05(土) 00:25:02
>>150
あ、どうも。実家は古流剣術の道場を代々やってるんですよ。改めさん相手に切れててもしょう
がないですよね。

152 :ローガン:2009/09/05(土) 00:57:54
>>151

縦目さん、詳しいでしょう?
黒塚の8号画像鏡、細かい話はおいといて、舶載でいいと思いませんか?


153 :縦目仮面:2009/09/05(土) 01:13:32
ええと確か、8〜11号鏡が棺の頭部を囲むようにあったんでしったけ?8、6号鏡に傍題が
あったはず。舶載と見たいとこですが、笠松文が謎ですよね。

154 :縦目仮面:2009/09/05(土) 02:11:07
>>148
しかし、こいつはなぜこうも俗な見方しかできんのかね。おそらく自分の生活範囲でしかものを
考えられないんだろう。宗教と、実際の政治行動はむろん別物。

例えば「隋書」には、倭国の使者が質問されて、
>倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす。天が未だ明けない時出でて聴政し、結跏趺
  坐し、日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねる
と答えて、高祖に「大いに義理なし」と馬鹿にされてる。

また、平安時代になっても当時の貴族は、物忌み・方違えのような、極めて非合理なことに汲々
としている。宗教的側面の軽視は、歴史の本質を見誤ることになる。お前の地元の選挙運動レベ
ルに落とさないでおくれ。ww


155 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 02:36:51
世界史を見れば、ギリシャ、ローマ、オスマントルコ。宗教改革や英国教会など、宗教が
歴史を動かす大きな力になってたのははっきりしてますよね。

156 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 07:02:13
縦目氏もローガン氏も、畿内説のコテは博識な人が多いのは確かだな。

157 :縦目仮面:2009/09/05(土) 08:03:15
>>154 宗教が政治の上位概念であるという国は、世界でもまだまだありますからね。

うーん、しかしレスに根拠がない・・・ということの意味を「俺様が崇神だ!」はいつまでたっても理
解できないようだな。結局「私は常識から考えてこう思う」というだけでは、正しいかもしれないが、
そうでないかもしれず、水掛け論にしかならない。きちんとした根拠があって自説を否定されれば
人は黙るしかないが、そうでない場合論争になって、反感をまねくだけ。簡単に引き下がるようなら
2chに書いたりはしないだろう。そこをもう少し考えてみることだね。


158 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 08:24:28
>>151 縦

ヤマカンで「馬庭念流」あたりか?wwwwww

まあ古流の道場ともなると数限られて個人の特定にも繋がるが…w



159 :158:2009/09/05(土) 08:28:15
あ、でも茨城なら鹿島○○流なのかな?w

160 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 10:22:31
>>81 :太国

それがしはdonn'takuka氏の言う歳差を全く否定してるわけではない。
ただ倭人伝にてはそんなマネ、九星等での方位の取替えを陳寿が
やりはしないだろということだよ。

>>83
当たりだ。
たから、
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
とある。
侏儒國はフィリピン、裸國黒齒國はオーストラリア・ニュージーランドだ。
裸國黒齒國はオーストラリア・ニュージーランドは、anubis の卑狗。
フィリピンは面白いぜ!
>>85 :太国
そう言い出したがるのはdon'takukaだろうがねぇ〜?ww

筏で充分だろう。・・・・・
フィリピンでは丸木船を作っていた。
それは少なくても7000年前には既にあった。
この木を刳り貫く石器斧は列島からも可也の数出土しているはずだが。


161 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 10:41:27
>>122 :me
「卑弥呼一族の侵略ルート」
タン耳・朱崖 → 奄美大島(紀元前三世紀より前) → 種子島(紀元前三世紀より前)
は、
インド経由ですか?
卑狗=anubs のエジプトからインド。
インド経由も2系統ある、
一つは、me 氏のいう奄美に渡来、
今一つは、ジュゴンの道に沿って、
フィリピン→与那国島→沖縄本島  沖縄本島→種子島。
因みに、貝の道としてフィリピン・沖縄は今から5000年前には既にあった。


162 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 11:02:59
>>160
千人乗りの筏か〜? 食糧、水がうんと積めるのか〜?ww

163 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 11:08:04
>>162 名前:太国

一絡げがすきなんだね。

筏の船底は後楽園ドームと同じくらいの大きさが有ったのだ。
また、彼らは、遠心分離機を使って海水を真水に変えていた。
現在で云うミクロフィルターを既に彼らは持っていた。

無かったのは食料だけだった。 ^^;

164 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 11:20:01
>>160
外出だから簡単に書く
オマエ フィリピンでそんなものがあったって、崇神当時の畿内に
それがあったことにはならないんだよ。当時は崇神十七年に始めて
船舶を畿内で造ったとあるから、そんな比国のことはあまり関係が
ない。 またあとでな。

165 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 11:31:07
>>164 :太国

オマエ フィリピンでそんなものがあったって、崇神当時の畿内に
それがあったことにはならないんだよ。当時は崇神十七年に始めて
船舶を畿内で造ったとあるから、そんな比国のことはあまり関係が
ない。 またあとでな。

論外!



166 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 11:34:43
自分で桴作ってるって言ってるじゃん、
太国ボロボロだなw


167 :俺様が崇神だ!:2009/09/05(土) 12:28:59
>>157
俺は宗教の持つ力を比定している訳ではない。そのようなこと(否定論)を何時俺が書いたか?
卑弥呼の場合を論じたのだ。卑弥呼が宗教で倭国を支配したのではない。卑弥呼は実質的指導層の話し合いで共立された。
祭祀や占いや神託など民心操縦の術を政治に利用したのだ。
<平安時代になっても当時の貴族は、物忌み・方違えのような、極めて非合理なことに汲々 としている。> というのは全ての
者がそうだと言えるのか?現在でも風水だとか占いだとかに凝っている人は結構多いぞ。だが、政治や行政はそんなものではなさ
れない。もちろん古代と現代では程度が異なるが、食うか食われるかの世界では現実的な目を持った者が勝ち残るのだ。


168 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 13:13:30
改めさんは、卑彌呼の鬼道(鬼神道)を太陽信仰とされているが、根拠は何でしょうね?
魏志でも後漢書でも、倭人の「太陽信仰」を示す記事は無いと思いましたが?
『三国志魏書』高句麗伝
其俗節食、好治宮室、於所居之左右立大屋、祭鬼神、又祀靈星、社稷。
高句麗では「鬼神」と別に「靈星」を祭るという。
卑彌呼の鬼道(鬼神道)は太陽信仰ではあるまい。
ヒミコの「ヒ」は「日」「火」ではなく「靈」ではないか?
「ヒミコ」は女王「ヒメミコ」の訛りだろうと思う。

169 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 13:15:14
>俺様が崇神だ!

と言うかなんで縄文人、別ハン使うん?



170 :俺様が崇神だ!:2009/09/05(土) 13:48:06
縄文人は紳士的な常識人。俺様は傍若無人の無頼漢。

171 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 14:01:20
>>168
『三国志魏書』高句麗伝
其俗節食、好治宮室、於所居之左右立大屋、祭鬼神、又祀靈星、社稷。
高句麗では「鬼神」と別に「靈星」を祭るという。
高句麗の靈星はOrion.
卑弥呼に靈星があればそれはSiriusです。
シリウスは 天狼(てんろう)星(the Dog Star)。
日本では大犬座といわれている。
この大犬座のシリウスが狗であり、それはanubis なのだ。
更に、シリウスは女王isis の星であり、
Orionは男王Osiris, の星なのだ。




172 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:04:07
>>170
>縄文人は紳士的な常識人。俺様は傍若無人の無頼漢。

いやいやいや、そう言う脳内キャラ付けはいいからw
ネタはあがってるしw

「弟」「秘書」に続き祟神か…

自分で紳士的とか恥ずかしい奴だな。

173 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 14:20:46
>>170
変幻自在。他人の批評より卑弥呼について語られたら如何。

174 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:20:46
>>144
なに 逃げるだと〜。 オマエあれほど書きこんでおけと言ったろうが。
何の抗弁もないではないか。オマエは余計な反論を即興でやるからいろいろボロが
出て矛盾を指摘されるわけだよ。自分の言ってることが不合理があるかないか
〜そういうことを考えて地についたような説明をしろ!

百姓流離をするとき王が手伝ったと紀のどこに書かれてあるんだ? おまけに
空腹でギラギラしてただろう当時の畿内の千人の百姓がいかにして畿内から北九州
へ渡海できて、さらに北九州からいかように二度目の渡海ができたという船舶の
調達がどのように具体的に出来得たのか〜? そういう具体的目に見えて充分
可能性ある説明が出来てこそ、オマエの言い分がなるほどだと容認されるわけ
だろうが。そういうことを言えずに逃げたなどと、ちゃんちゃらおかしいぞ。

>>147
な〜んだ。新羅へスサノオが渡ったなどと答えてないではないか? オマエが
言ったんだろうからちゃんと責任を持って紀の明文を出せ。書きこめないなら
オマエの言い分はデタラメだということだな。オマエはいい加減な野郎だな。

>何の不思議もない
ド百姓千人が餓鬼状態で船舶の手配も無しに畿内から半島に大量に行けたとか
考えるオマエの脳内の軽薄さがタヌキの尻尾のようにミエミエだ。それは数人が
脱北の逆のように出来えたということは、これは相当程度言えるがね。

千人も渡海が出来る自体が大いに不思議だぜ。オマエは思考程度が船舶で
ない浅薄のようだから、オマエ人生経験があんまり無いな?wwwww

175 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:26:33
>>173 縄文人 ◆cM49xEAzX6

ここに来てまだ自作自演するのかこの馬鹿はw






176 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:27:19
>>174
だから誰が畿内からと言ってるんだよw


177 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:29:39
縄文人=太国だし。

178 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:31:50
>>163
記紀等のどこに当時畿内に遠心分離機とフィルターとやらがあったと
いう記述がああるのか? オマエの勝手な創作だろう? pp

そのうちUFOが千人のハラペコ百姓を乗船させて半島へ飛んだとでも
言い出すのか〜?wwwwwww
こんなことを言い出すと、オマエはトンだ脳内が出来損ない野郎
ではないか? と皆に思われるのがオチだぞ。bbb

179 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:32:32
ああ、もう、はっきり言ってやる。

一番分かりやすいのは相手のレスを引用する時 < > で括るってところかな?
使用語彙の傾向や、文体、改行の間隔等々…丸分かりw

この馬鹿は上手くやっているつもりなんだろうがwww


167 名前: 俺様が崇神だ! 投稿日: 2009/09/05(土) 12:28:59
<平安時代になっても当時の貴族は、物忌み・方違えのような、極めて非合理なことに汲々 としている。> というのは全ての

793 名前: 縄文人 ◆cM49xEAzX6 投稿日: 2009/09/05(土) 14:11:24
>>791 <世有王 皆統屬女王國」が伊都国が代々の女王の都で、倭の国々が伊都国(女王國)に統屬していた
の意味です、「伊都国、女王の都する処」と書かれているのと同じ。>
こんなへんてこりんな読み方はないでしょ。



180 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:35:32
>>176
オマエが余と唐松山の論戦に余計な猪ッ戒を入れたんだろうが。
オマエそういうことを言い出すなら、ちゃんとスレの数字の若い所を
ちゃんと読んでおけ。唐松山が紀無いから渡海したと言ってるん
だよ。これで分かったか〜?

181 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 14:36:22
>>171
>卑弥呼に靈星があればそれはSiriusです。

だから、倭では靈星など祭っていません。
『三国志魏書』穢伝
曉候星宿、豫知年歳豐約。
高句麗と同種のワイでも星を見ていたようですが・・・

太国さん
横ですが
日本書紀巻第一 神代上
一書曰。素戔鳴尊所行無状。故諸神科以千座置戸而遂逐之。是時。素戔鳴尊帥其子五十猛神。降到於新羅國。居曾尸茂梨之處。
乃興言曰。此地吾不欲居。遂以埴土作舟乘之東渡。到出雲國簸川上所在鳥上之峯。

182 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:39:20
>>181
成る程! thank you.

183 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 14:40:07
>>178 名前:太国

あ〜〜〜〜!

飛んじゃたみたい。   合掌  ’’’’!

184 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:42:04
>>177
縄文人は伊作だろう。奴は大名持神的でうんとコテハンをかかえて
いたからな。

185 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:43:46
>な〜んだ。新羅へスサノオが渡ったなどと答えてないではないか? オマエが
言ったんだろうからちゃんと責任を持って紀の明文を出せ。書きこめないなら
オマエの言い分はデタラメだということだな。オマエはいい加減な野郎だな。

日本書紀 一書第4に、スサノウはまず新羅に降りて、
気に入らないから出雲へ向かったと記述があるだろ、
それ位当然知ってると思ってたのだが。

釣りしてはレベルが低いし、マジで知らないなら
このスレで語ることがそもそも間違いですな、君は。

186 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:44:17
>>183
飛んじゃっただと〜ぅ?

オマエ、畿内に遠心分離機が当時あったなどと大デタラメを言うな!

187 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 14:47:00
太国ちゃん梃子でも動かんつもりだな。
海岸近くの民は海で漁もするんだよ。舟は持ってるよ。あんたの好きな神武だって船団を組んで東征に出かけただろ。
崇神の時代に始めて舟が作られたなんてそりやないぜ。舟は5人乗りでも千や2千はあったろうよ。まして弥生時代は渡来人
が入ってきて始まったんだろ。半島との行き来は頻繁にあっただろうしそれには舟が使われた。海岸地帯では舟は生活の道具
だし、その入手は簡単だよ。残り少ない米だけど、その半分でも貰えりゃ舟の持ち主は舟を出すよ。彼らも米が無くて困って
いるんだから。それに千人が纏まって一度に海を渡ったわけでもないだろ。少人数で渡ってもいいよ。
あんたは飢えて弱った人間が海を渡ったと思っているようだが、人間はそんなに馬鹿じゃないよ。米びつの米の量を見てこれ
じゃ年を越せないと考えた時点で行動に出るよ。米びつが空になってからでは遅いんだよ。


188 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:48:02
>>182
本当に知らなかった事が驚きだよ、
少なくとも日本書紀位読んでから来なさい。

189 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:49:49
>>185
その記述はすでに昔読んでたよ。ただ年が増すと耄碌ではないが
えらく忘れっぽくなるのだ。千座の置座で思い出したな。
オマエは若いんだろうから、分からないわけだ。分からなきゃぁ
オマエの書きこみは、オマエ自身が経験が薄弱と言ってるようなもの
だろうが。ww 老人にならなきゃぁ亡失が多くなる気力には
無理解だからな。

190 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:53:12
>>187
しようがないだろう? 紀には崇神十七年に始めて船舶を造ったとの
記述がある。それを違えなきゃぁならんあんたの言い分は通らないと
いうことだよ。このくらいのことで紀がデタラメを書く特段の事由が
あったとはとても言えない。

191 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:55:22
>>189
じゃ、もう無理しない方がいいね。


192 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 14:55:43
>>184
誤解だよ。俺は伊作氏のような学識は持っていない。彼と間違えられるのは光栄だけど、違うよ。

193 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 14:55:51
>>83
>又有侏儒國
神武前紀 又高尾張邑有土蜘蛛。其爲人也身短而手足長。與侏儒相類。
侏儒人は、神武より早くから大和に定着していたが、
隋国が琉球(台湾)を領土としたとき、沖縄までは足を伸ばしていない。
日本の使者に対しこの辺の事情も聞いているにもかかわらず領土とはしなかった。
だからこの島しょに興味がなかったと思う。


194 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 14:56:22
>>188
知らなかったんではなく、忘れてたのさ。オマエ年をとって
思い知るぞ。紀は行くども読んでたが、やはり亡失は多い。

オマエはまだ若いんだろう? 口の聞き方に気をつけろ!

195 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 15:03:11
今の青島=有侏儒國
侏儒人=台湾高砂族で主として高尾に住んでいた=倭国の大和 の高尾張邑
にも進出していた。



196 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 15:08:03
>>187
いいかい〜紀には崇神十七年に始めて船舶を造ったとある。これを
朝廷に献上したのなら、試乗するのは病気等でない限り通常は天皇
だろう。それは献上の前にドジがないか製作者らが先乗してることは
言える。こういう状況で、百姓らがとたんに千人も乗船してあんた
畿内から半島に渡ったと言っても、こちらは信じやしないぜ。w

おまけに唐松山のいう千人農民の渡海は崇神六年のことだと奴は
ゴリ押ししてるが、同十七年以後なら かすって可能性を主張でき
るが、始めて船舶ができるそれ以前ならなおさら千人百姓渡海など
ありえず、不可能事に近い。君とあいつの盲象なんだよ。

いい加減唐松山の妄想から目を覚ましたほうがいいぞ。

さて、こちらはまた外出だ。あとでな。

197 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 15:08:25
太国さんよ
年を取れば、人をののしっても良い事は無い。
まず 丸くなるべきは、長老太国さんですよ。


198 :縦目仮面:2009/09/05(土) 15:17:06
>>171
陰陽寮は国家機関で、方違、物忌、反閇などは宮中でも行われていた。源氏物語なんか
どうせ読まないんだろうが。

太国氏はいったん火がつくととまらないからな。まあ、「さるさん」に気をつけて。

199 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 15:18:16
崇神6年=193年新羅倭人千余人の渡海。
この記事を
畿内大和の千余人と書き直したのは、太国さんです。

出所を書き込んで下さい。
また誰かを誹謗中傷するための「太国作り話」ですか?



200 :縦目仮面:2009/09/05(土) 15:18:25
アンカーーミスです。スマソ。198は >>167について。


201 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:28:08
誰も機内千人なんて書いてないよね。

海洋航可能な準構造船なら弥生中期には存在が確認されてるし、
食を求めてならそれこそ丸木船でも総動員して行くだろう。


202 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 15:29:56
>>198
平安時代の陰陽寮は、卑弥呼の時代と大きく違う。
平安時代の陰陽寮とは

卑弥呼の時代の鬼道+大陸の陰陽道+奈良に発生した魑魅魍魎(水銀中毒)

かなり強力だぞ。


203 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 15:29:57
>>193 :唐松山
>與侏儒相類
と言うことは、侏儒のオリジナルは別にいる。
オリジナルはフィリピンのunano だろう。
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
の去女王の地点は、波照間島。
侏儒國と刺している地点は、bohol だ。
此処に、チョコレートヒルスという1268個の禿山がある。
最も高い山は、エジプト・クフ王のピラミッドとほぼ同じ。
1268は12と6と8。 12,6,8は実に面白い。
↓がチョコレートヒルス
http://img07.pics.livedoor.com/010/d/6/d68da9b558f75258de9b-L.JPG

半島にもあるでしょう、
千を超えるチョコレートヒルスを模写した様な円墳郡が。



204 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:31:50
そう言えば喜界島大噴火で縄文人が
一か八かで太平洋に船で漕ぎ出して南米に漂着したって話もあったなwwww

205 :縦目仮面:2009/09/05(土) 15:34:06
>>202
>奈良に発生した魑魅魍魎(水銀中毒) これは百鬼夜行ってことですね。面白いです。スレ
違いでしょうが、ぜひ詳しく。


206 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 15:49:52
とうとう雑談スレになりました。とさ

207 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 15:50:03
宋書倭国伝の「海北九十五国」
魏志韓伝によると馬韓五十四国、辰韓十二国、弁辰十二国。
公孫康のとき楽浪郡十八城を二郡に分割して帯方郡を置き、晋代では楽浪郡六県、帯方郡七県。
これらを合計すると帯方郡・三韓で87、または85となり、95にきわめて近い。
あるいは楽浪郡も含めたのかもしれない。

魏志倭人伝の三十国は宋書倭国伝の「衆夷六十六国」の半分程度である。
三十国を九州内に収めるのは難しく、そうかといって畿内中心でもない。
北九州プラス瀬戸内ではないだろうか?
邪馬壹國と狗奴國の間の二十一国が吉備津彦の進出コースとすると
狗奴國=東倭は四道八十余国を治め、卑彌呼を圧倒していたと思われる。

http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/gokisichidou.htm
五畿七道の地図を見ると、七道のうち六道は畿内から伸びているが、
西海道=九州だけは畿内から飛び離れている。
西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかったが、
西海道だけは大宰府が置かれて諸国を管轄した。
これも九州の独自の歴史を暗示しているようです。

208 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 16:02:57
>>203
前漢時代のチンタオ、青島には、タンジ郡とシュガイ郡があり、
朱子学を初めとする、思想の出所として有名です。

>>205
奈良の大仏を造るのに、水銀50トンではきかない、
朱色の材料は未だ良いが、大仏金メッキに水銀アマルガムを使う
メッキ工程で、全ての水銀が蒸散します、
大仏の全身に塗られた水銀アマルガムを熱し金の定着。
この時蒸発した水銀は、広く奈良盆地を覆う…
ここからの話は、君にまかせる。


209 :縦目仮面:2009/09/05(土) 16:14:38
>>208 
やはりその話でしたか。長岡京への遷都(784年)の理由として一説にあげられているもの
ですね。


210 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 16:18:58
神代の昔、九州には、
ホ25205 このときに ミソフアガタの カミうたい ヨロトたのしむ しかるのち さきのミユキの
イセキみな ミココロそえて ニイタなす ツクシミソフの みめくりて カコシマにます

32国があった。
「カコシマ」は、今の鹿児島では有りません、北九州市あたりの島、
風土記で確認出来ます。



211 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 16:26:42
ホ24090 イトウケステメ アカガクニ クロソノツミと うむミコを コロビツクニの キミとなす

アカガクニは、香春。私には、この時代から国産銅を否定出来ない理由の1つ。


212 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 16:56:48
>>208
侏儒国の儒を使っているのは中華の血が混ざったからだと思われる。
フィリピンに中華の血が混ざったのは、
紀元前1500年頃、o の母音を持って異常繁殖したYao 族です。

このyaoはフィリピンではifugao と呼ばれている、別名を tayao と言う。
現在の彼らも小さい身長は、1m20cmぐらいでしょう。
又、彼らは、4本柱の神の家と8本柱の神の家を持っている。
前者はkalinga といい、後者はbuengetto と言う。

彼らの棚田は凄いよ!


213 :don`ntakuka:2009/09/05(土) 16:58:25
>>アカガクニ

赤い土器の国の信濃の国ではだめですか?

214 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 17:07:52
>>198
源氏物語なんか どうせ読まないんだろうが。と言われては黙っちゃおれん。むろん読みたくもない。あんなへなへなした恋愛
小説なんか好かんわい。

お前さんは平安時代の宮中が実際の政治を行っていたとはまさか思っていないよな。有力豪族が実権を握っていた。天皇は祭祀
と豪族が決めた事の承認を行うだけだ。まあ、卑弥呼と同じ役割だ。陰陽寮は国家機関であっても政治の中枢ではない。

215 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 17:16:15
>>213
銅はアカ。
今の地図で香春辺りの地名を見てごらん。
ホ28277 イトウヤスカタ カミのミケ はむウトウあり
ホ28294 アカツチが メをヲトキミに ちなむをば ハヤがヲロチに かみころす ヲトアシナヅが
メをこゑば ナナヒメまでは かみくらふ ときにソサノオ これをきり ミヲヤスカタと まつるゆえ 

此方が、出雲の銅。


216 :縦目仮面:2009/09/05(土) 17:22:05
>>214
しかしなぜこう理論的な思考ができんだろう。天皇をはじめ有力豪族は皆迷信深かった、と
いってるんだけどね。陰陽寮の指示にも従ってた。まあ、平安時代はスレ違いになるからやめ
とくが、もう俺にレスしないでくれんか?お前とはこの板にいる目的が全く違う。

217 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 17:31:05
>>216
また借金取りに戻るのか?

218 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 17:35:48
>理論的な思考ができんだろう。
君も崇神時代に卑弥呼を探しているんだろ?
では、理論的に崇神時代で正しいと書き込んでくれ。


219 :縦目仮面:2009/09/05(土) 17:39:43
いずれ縄文人は、もう少しコミュニケーションを学ばないとだれも相手してくれんようになる
ぞ。自分の考えの全主張、相手の全否定ではやっていけない。それと、根拠。

220 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 17:43:43
>>208
>前漢時代のチンタオ、青島には、タンジ郡とシュガイ郡があり

唐松山さん、本当ですか? 海南島じゃなくて?

山東半島は確かに気になる場所。
青州黄巾党と卑彌呼の鬼道を結びつける説もあるようです。

>>215
香春の近くには「採銅所」という地名があります。


221 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/05(土) 18:00:28
>>219
あれれ。俺とは口を利きたくなかったんじゃないのか。だが、忠告はありがとう。まあ、君はちゃんと
ハンドル付きで俺の悪口言うので軽蔑はしとらんよ。

222 :縦目仮面:2009/09/05(土) 18:01:34
青島の労山は道教発祥の地の一つとも言われ、始皇帝の最後の巡行コースに入ってますね。
東方の神仙情報を求めていたともいわれます。

>>218 記紀にある「崇神帝」のモデルとなった人物の時代というのは確かにそうですが、年代
はとてもわかりませんよ。考古学や人類学等で側面から攻めるくらいですね。

223 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:03:16
何となくだけど、卑弥呼、倭の時代より遣唐使の時代の方が
外洋渡航技術が劣化しているような気がする。

224 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 18:09:36
>>220
私の間違いです。すみませんでした。
訂正後
>前漢時代の海南島には、タンジ郡とシュガイ郡があり 。背は低い。
青島は、道士の出場所、ここの出身者は、伸長が高いのが特徴。

民の背丈を「やた」と表現する指導者群は、これより伸長が高かった可能性がある。




225 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 18:14:11
「あか」の付く地名は、現在香春の南西部に残る。


226 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 18:21:21
漢書地理志 粤地
武帝元封元年、略以為[憺(にんべん)]耳・珠崖。民皆服布、如単被、穿中央為貫頭。
男子耕農、種禾稲紵麻。女子桑蚕織績。亡馬与虎。民有五畜。山多塵[鹿/京]。
兵則矛盾刀木弓弩竹矢、或骨為鏃。
[鹿京]は「鹿」の下に京。
魏志倭人伝によく似ています。

227 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 18:22:50
>>161 don`ntakukaさん
>>「卑弥呼一族の侵略ルート」
>インド経由ですか?
>卑狗=anubs のエジプトからインド。 インド経由も2系統ある、
>一つは、me 氏のいう奄美に渡来、今一つは、ジュゴンの道に沿って、
>フィリピン→与那国島→沖縄本島  沖縄本島→種子島。
>因みに、貝の道としてフィリピン・沖縄は今から5000年前には既にあった。

インド経由かどうかは分かりませんが、
奄美大島 → 種子島経由で入ってきていると考えてます。

>>168 愛知県民さん
>改めさんは、卑彌呼の鬼道(鬼神道)を太陽信仰とされているが、根拠は何でしょうね?
>魏志でも後漢書でも、倭人の「太陽信仰」を示す記事は無いと思いましたが?
>高句麗では「鬼神」と別に「靈星」を祭るという。卑彌呼の鬼道(鬼神道)は太陽信仰ではあるまい。
>ヒミコの「ヒ」は「日」「火」ではなく「靈」ではないか? 「ヒミコ」は女王「ヒメミコ」の訛りだろうと思う。

愛知県民さんは卑は「靈」としては女王「ヒメミコ」ですか。
わたしは、卑弥呼の「卑」は太陽を感じさせる「日」として、日の巫女と考えています。


228 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:28:05
>>223
決してそうではないが、陸上交通の整備が進むから、
そういう印象はあるかもね。

229 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 18:31:59
>>160
>当たりだ。 たから、
>又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
>又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至 とある。
>侏儒國はフィリピン、裸國黒齒國はオーストラリア・ニュージーランドだ。
>裸國黒齒國はオーストラリア・ニュージーランドは、anubis の卑狗。

おっ、ドンタクさんから、お墨付きをもらったよ(卑弥呼一族=南方系)。
しかし、侏儒國、裸國、黒齒國については保留。
黒齒國なんかは、倭人伝以外にも載っているようなので、それを見極めてから。

230 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 18:36:28
>>168
愛知県民さんは、高句麗伝に書かれてる「鬼神」をに当ててるようですが、
それはなぜでしょうか。
その「鬼神」と卑弥呼の鬼道を一緒に考えるべきではないと思いますが。

231 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:42:57
瀬戸内海を縄張りにする大和朝廷系海人と
玄界灘を縄張りにする海人
必要とする技術は自ずと違うものになる。

232 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 18:43:59
>>222
例えば、私が最初に設定した位置
巻向に各地の土器が集まる、
巻向が崇神以降の土地であれば、崇神以降でこの記事に相当する所を探す。
崇神12年異族多帰
これは各地へ派遣した四道将軍の結果に相当する。
二世紀末のことですからこの数字に合う他の記事を探す。
192,3年の新羅の記事が崇神5,6年の記事と対応している。

これを否定しないと、崇神=卑弥呼は成立しない。
新羅を否定しただけでは、まだ不足。

では何故崇神は荒野の巻向へ出たのか?
これは崇神の出生に秘密があり、(崇神の母は、庶母)此までの土地の近くには「宮」を構えられなかった。



233 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 18:47:25
「常世岐姫神社」ローガンさん詳しそう?

ttp://kamnavi.jp/en/kawati/tokoyoki.htm

『新撰姓氏録』河内国諸蛮に「常世連 燕国王公孫淵之後也」
常世連は元々赤染造で、豊前国の香春神社の祭祀を司った氏族という。


234 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 18:55:19
>>232
天津金木  V=113.097335

1/13が崇神即位月日 097=97 のB.C.97年が崇神即位年、末の335が
実年代を与える差をとらすための値の年で−1を行う。

すなわち

 1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位

上の年はみかけの年であり、差(この場合、逆に和)をとり

 −97+335=238年

この右辺に−1にて実年代を得る。すなわち

 238−1=237年=景初元年=崇神即位年

なお唐松山の言う崇神6年とやらはまだ船舶がないので空腹千人渡海は
できない芸当。つまり唐松山の浅薄な考え。こちらのせいにしている。w

235 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 18:55:23
>>230
>「鬼神」と卑弥呼の鬼道を一緒に考えるべきではないと思いますが。

後漢書では「鬼道」でなく「鬼神道」となっています。
それに、中国では鬼(き)は死人の魂を言いますから、太陽信仰とは違うと思われます。
太陽ならば、高句麗が「星を祭る」ように「日を祭る」と書くのではないか?

236 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 18:56:00
玄界灘付近を拠点とする人(海人)が海神として祀るのは「豊玉姫」(父の綿津見神というみ方もある)。
この豊玉姫というのは、天照大神のひ孫にあたる彦火火出見尊(山幸彦)と結婚する。
その後の、神武天皇は畿内を征服した天皇家の初代王とされてる人物だが、
神武天皇の母親も豊玉姫の妹に当たる 玉依姫という海神一族の人。
畿内、九州海神一族の関係は友好だろう。

そして、豊玉姫の墓はあの有名な平原遺跡の被葬者とわたしは考えている。

237 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:56:36
>223
船舶技術が稚拙なのは事実だろうが、
一般的に言われている?渡航率75%は悪すぎる。
4回に1回は難破してしまうことになり、
それでは船乗りがいなくなってしまう。
壱岐対馬では日常的に交易で食っており
穀物不足を輸入に頼っていた。
一定数の船乗りがいなければ
そんな交易は成立できない。

もし本当に渡航率がそんなに低いのであれば
季節風や海流を熟知している玄界灘周辺の
人間を使わなかった(使えなかった)可能性はあるのだが。

238 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 18:58:10
>ローガンさん詳しそう?

ローガンさんは非常によく勉強をしている。
それを分かってない河童氏は、いまだに、昔のローガンさんと思っているところが笑える。


239 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/05(土) 18:59:42
>>234
このことは橋本増吉と菅政友の主張した崇神没年258年説がほぼ真で
あることを物語っている。それがしの計算では259年となる。
これで編年は確定。

このことから卑弥呼の活躍年代は崇神天皇の時代である。

240 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 19:02:20
何が〜「有棺無槨はローガンさんに任せます」だてw

そんなレベルの低いこと言ってるのはあんただけだってww

241 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 19:04:45
ほら〜河童さん
こっち来て、ローガンさんとか、愛知県民さんとかと議論しなよ。
たぶん、君が思っている何年前かの彼らではないから〜w

他にも、ドンタクさん、縦目さんも、詳しいよ〜。

242 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 19:26:18
>>235 愛知県民さん
>後漢書では「鬼道」でなく「鬼神道」となっています。
>それに、中国では鬼(き)は死人の魂を言いますから、太陽信仰とは違うと思われます。
>太陽ならば、高句麗が「星を祭る」ように「日を祭る」と書くのではないか?

なるほど、後漢書の文献からですか。
高句麗伝では「祭鬼神、又祀靈星」らしいですから、祀靈星は祭鬼神ではないということが想像できる。
「祀靈星」は愛知県民さんがいうように「星を祭る」ということでしょうが、
「祭鬼神」については調べてるのでしょうか?
そして、わたしが太陽信仰とする根拠ですが、後漢書や高句麗伝の文献ではなく、
考古学資料のほうからです。
たとえば、多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)とかご存知でしょうか?
それ以外にも、数々みつかるこの列島からぼう製鏡を考えたとき、
ただ、人を写すだけではなく、太陽の光を集めて、祭祀か何か行っていたのではないか。
そして、倭人伝に記される卑弥呼の鬼道もこれと関係するのではと考えているわけです。

243 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 19:43:52
愛知県民さん〜
他にも、平原遺跡で、鳥居の跡と思われる不思議な穴が発見されている。
この鳥居の跡というのは、二種類あり、高祖山、日向(ひなた)峠のほうに向けられてることが分かっている。
その方向というのは、夏至、冬至の太陽の位置が関係しており、
弥生稲作を主食としだした弥生時代というのは、太陽を非常に大切にするというか、
古代では太陽信仰とする山があって、全国各地でも「太陽信仰」という言葉はきく。
だから、卑弥呼の鬼道と関係するかもしれないというわけなんですよ。

244 :縦目仮面:2009/09/05(土) 19:45:28
>>242
改めさんは、畿内説になったんでしたよね。では、畿内で太陽信仰の痕跡が見られる卑弥呼の
都の候補地はどこですか?やはり纏向ですかね。

245 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/05(土) 19:53:06
>太陽の光を集めて、
オキツ鏡=凸鏡
ヘツ鏡=凹鏡


246 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 19:57:57
熊における古代朝鮮の檀君神話の位置
日本神話の天孫降臨を彷彿させる舞台設定だな

http://www.zoolo.info/myth/dankun.html
http://homepage2.nifty.com/jiyudaigaku/kannkoku/sinnwa.htm






247 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:02:03
>改めさんは、畿内説になったんでしたよね。では、畿内で太陽信仰の痕跡が見られる卑弥呼の
>都の候補地はどこですか?やはり纏向ですかね。

わたしは、畿内説デス。
その卑弥呼が居た都というのは、最初の”古墳”といわれてる、
アノ有名な、巻向にある箸墓ではなかろうかと考えている。
巻向と太陽信仰の関係はよく知らないんですが、
太陽信仰で有名なのは、三重の伊勢神宮に祀られる”天照大神”が代表でしょう。
他にも〜太陽信仰の山というのも各地にあるというふうに聞いてますが、
今ここで、すぐには出てきませんね。
逆にどこがあるんでしたっけ?と皆さんに聞いたい。


248 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:08:04
縦目仮面さん〜巻向と太陽信仰とが関係ある痕跡を証明できるものがあるのなら、
ここで語っていってくださいよ。


249 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:12:17
文献史学、考古学、民族学、人類学、神話学 とまあ、
いろいろあるんでしょうが、まずは、事件、記録が書かれた文献からやるべきであって、
言語学とかは、これらが終わってからするべきで・・・と思うこの頃。


250 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:20:35
>>249
同意ですね、勿論言語も大事だとは思いますが。

251 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/05(土) 20:27:19
>>112
前にも同様のレスをしたような気がしますが、
人類学的には、祖霊信仰は定住生活と1セットになりますので、
日本でも縄文時代には祖霊信仰が始まっていたと考えるべきではないでしょうか。


252 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:28:26
卑弥呼の事が記された文献となると、倭人伝の事は勿論だが、
新羅本記もやはり大事だと思う。

253 :縦目仮面:2009/09/05(土) 20:30:46
>>248
実は纏向遺跡には、太陽信仰の痕跡を示す遺物はあまりありません。見られるのは、農耕
あるいは共食儀礼に関する祭器と考えられるものがほとんど。改めさんがいつか貼り付けてた
木製仮面も、農耕具である鍬の刃を転用したと見られています。
あとは・・・あえていえば、箸墓古墳は日の出観測線上に古墳中軸線があるという説はありま
すが、どうでしょうかね。俺はあまりピンとこないです。

http://blog-imgs-30.fc2.com/k/i/t/kitsunekonkon/makimuku_map.gif

254 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:33:27
と言うか改めドツボの言うところの太陽信仰の痕跡なるものがピンとこない

初日の出拝むのは果たして太陽信仰なのかどうか…wwwwwww

天体で言えば妙見信仰(北斗)とかならまだ事例はあると思うが


255 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:35:13
>>251 横ですが・・・
>縄文時代

縄文時代をどこまでにするかによりますよね。
紀元前8世紀を”弥生”とする人もいれば(佐原氏とか)、
いやいや、まだ、縄文晩期とする人もいるわけですから。

弥生の初めは紀元前八世紀、紀元前五世紀、紀元前三世紀 とに大体分かれています。

256 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:36:29
>>253
それじゃあ困るじゃないですかw

見つけてくださいよww

257 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:38:26
>>254
ほらょ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E4%BF%A1%E4%BB%B0

258 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:40:40
>>257 ドツボ

だーかーらー

世界中の太陽神の事例を持ってきてお前は何を言いたいんだ?w


259 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/05(土) 20:43:40
分かりやすくいえば、お米を主食とする、稲作を始めた人々は、
太陽を神とし、考えたようなことを言っている。

ちと、風呂、外食してくるので、そろそろ、落ちます〜では、zzz

260 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:51:00
三輪山は蛇神みたいだから、太陽信仰はもっと後世じゃないのかな。

261 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 20:52:21
>>242
>多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)とかご存知でしょうか?

いえ、不勉強で知りませんでした。
ウィキペディアには
多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)は、鏡の裏面に紐を通す鈕(ちゅう)が2、3個付いており、
細線の幾何学紋様を施した朝鮮半島系の銅鏡である。弥生時代中期前半に伝わった。
多鈕細文鏡流行期より50〜100年後の中国鏡が大量にもたらされた弥生時代中期後半になると、
地域の支配者の墓に一死者一面に限らず、中国や朝鮮半島には例のないほどの大量埋納が行われた。
これは、倭人社会特有の現象であり、この習俗は古墳時代にまで継続されるこのとになる。
用途については、化粧道具ではないかという見解や中国の古典でいう太陽の光を集めて火をとる
採火器陽燧(ようすい)が多鈕細文鏡ではないかとの見解も出ている。
鏡は一つの性格として太陽信仰に結びつくものである。
・・・と書かれてはいるが、
太陽信仰は普遍的とも考えられるが、たとえば伊勢神宮に参拝したのは
歴代で明治天皇が初めてであった、ときく。
畿内説では卑彌呼=モモソヒメ説が有力だが、モモソヒメの祭神は大物主神であって
天照大神ではない。
中国文献でいえば、隋書倭国伝以後は太陽信仰が記録されていると言えるが、それ以前ははっきりしない。
今の「日本」=日出づる国という名前に引っ張られて、太陽信仰を過大評価してはいけないのでは?
正直よく分からない。

262 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:55:18
>>261
>歴代で明治天皇が初めてであった、ときく。

厳密に言えば古代に一人いる。

それが他でもない持統なんだなwwwww

263 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 20:56:44
理詰めで考察して行くと分からないと思う


264 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:10:05
>>261
モモソヒメが三輪の主の妻だからといって妻が天津神の系統に含まれないってことは無いから
むしろ、逆の可能性が高い
神武もタギシミミもそうだったようにね

265 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/05(土) 21:11:58
>>262

>それが他でもない持統なんだなwwwww

痔等は最後の卑弥呼だボンヨヨヨ〜ン

266 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:25:09
>>256
北緯34°32’の「太陽の道」は?
箸墓と伊勢斎宮跡が同緯度なのは重要じゃないかな。

267 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:25:11
モモソヒメの系統が大物主系なら逆に三輪の神が何なのか知らないはずはないんだ
あれ、蛇ですから
神武がくる前から蛇として祀ってたんだから

268 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:27:43
>>260
因みに天照は 蛇と化した大物主にビックリしてホトを箸で突いて死んだそうな

269 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:36:36
天照もモモソも死因は
ホトを突いて死んでるんだよな。

巫女は本来、処女でなければいけないらしい。
ホトを突くというのは、巫女の人身御供という意味ではないか?

270 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:42:23
違うよ
婦人病だよ
子宮癌とかで陰部から出血して死亡するケースが多かったんだよ

271 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/05(土) 21:42:53
♪ あかりをつけましょ ぼんぼりに
  お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛太鼓
  今日はたのしい ひな祭り

  お内裏様(ダイリサマ)と おひな様
  二人ならんで すまし顔
  お嫁にいらした ねえさまに
  よく似た官女(カンジョ)の 白い顔


  金のびょうぶに うつる灯(ヒ)を
  かすかにゆする 春の風
  すこし白酒(シロザケ) めされたか
  赤いお顔の 右大臣(ウダイジン)

  着物をきかえて 帯しめて
  今日はわたしも はれ姿
  春のやよいの このよき日
  なによりうれしい ひな祭り


272 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:45:55
子宮筋腫でもかなり死亡するケースが多かっただろ
栄養状態も現代人よりは悪いはず
大量の出血してたら命持たない

273 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 21:58:57
そもそも、この「伊都国が卑弥呼のいた都であった」と言うネタは定期的に出てくるが
元ネタってあるのか?
それともこの板の論者のオリジナル?

邪馬台国=伊都国+奴国+・・・・ で
更に九州の半分か全域近くをもって女王国とするわけなのか?


274 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:02:54
>>273は誤爆 

ドン来いのほうだったw


275 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/05(土) 22:05:27
九州の河童は群れをなし、水でも陸でもオールマイティー
しかし、九州以外の河童は何時も孤居。しかも生活環境は水

河童の頭の上に乗ったまあるい皿は縁取りもしっかり、まるで鏡のようだ
さらには何時も水をためピカピカピカピカ光ってる。
河童は天皇家から皿をもらい水を溜め、力をはっきする。
河童になれない「エミシ」達は東へ東へ追い詰められて、とうとう東北や北海道まで追いやられてしまった。

276 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:16:48
>>248
巻向という意味を知ってる?「真東を向く」ですよ。

277 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/05(土) 22:21:16
河童は鬼を裏切り天皇家から皿を貰ってしまった。
裏切った河童は何時も「鬼のいぬ間に洗濯」と

278 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/05(土) 22:25:49
マキムク=餌を与えてだまし取る

279 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 23:09:12
河童であるとも言われる久留米の水天宮は
水天狗とも呼ばれ、全国にある水天宮の総本社でございます。

280 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/05(土) 23:10:30
ん? プラムさんが何やらぶつぶつ言ってますが・・・
改めさん
太陽信仰はあまりに一般的で、世界共通のものだったのであれば
卑彌呼でなくても、みんな信仰していたのではありませんか?
卑彌呼は非常事態で女王として共立されたということを考えれば、
もっと特殊時代的なものだったのではないか。
そうなると道教との関連を考えたくなります。
徐福渡来は単なる伝説かもしれませんが神仙思想の素地はあったのかと。

281 :日本@名無史さん:2009/09/05(土) 23:53:10
三輪山に箸墓、天神山に伊勢斎宮跡、淡路島の斎宮跡が全て同一線上に並んでるんだね。


282 :ローガン:2009/09/06(日) 00:04:17
>>233
> 「常世岐姫神社」ローガンさん詳しそう?

ん?何ですか? と思ったら八王子さんですか。それなら近所です。
常世岐姫神社て云うとは知りませんでした。お恥ずかしい…
しかし、公孫淵っていわれてもねえ…だいたい諸蛮なんて祖はオールスターキャストでしょう。


283 :ローガン:2009/09/06(日) 00:12:42
>>153
>舶載と見たいとこですが、笠松文が謎ですよね。

謎とは?画像石にある旄節と考えるのに疑問をお持ちですか?

284 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:13:42
>>275
>河童の頭の上に乗ったまあるい皿は縁取りもしっかり、まるで鏡のようだ

さてここで問題です。

何故、河童の頭の皿は常に水に濡れていなければならないのか?

何故、馬を見ると川の中に引きずる込むという言い伝えがあるのか?

古に絶えた筈の色んなあれやこれを何故か知っていて
尚且つ自分のハンドルにそれを冠している河童虫先生には簡単すぎる質問かもしれんがwwwwwww


285 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 00:23:38
>>284

それは芥川龍之介先生に聞いてください。彼の方が正確に答えてくれるでしょう。

286 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:25:27
そりゃ、陸行水行で2ヶ月ぐらいかかると言われれば
びっくりして行く気力無くなるわなw
倭人面白すぎw

287 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 00:26:56
ところで馴れ合いの書き込みするためにスレ立てたんなら
なんでmixiに行かないのかな?
基本的に馬鹿だろ、こいつら

288 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 00:32:48
でもおもしろいね

壱岐なんて小さな島で、馬を川の中に引きずり込むような川がないのに
そんな伝説が生まれるんだから

289 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/06(日) 00:35:07
>>287

>基本的に馬鹿だろ、こいつら

そんな馬鹿と判断する奴らを材料にコメント入れるのも考え物だぞ

290 :縦目仮面:2009/09/06(日) 00:45:03
>>283
他スレに今ちょうどその「節」が出てきたんですが、これが入ってる中国出土の鏡がほとん
どないことが三角縁国産説の一つの根拠になってますよね。ただ、6・8号鏡はやはり他と
は違う感じはします。

291 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 01:30:58
>>282
>オールスターキャスト

公孫淵はスターかなぁ? 義経のような判官びいきの意味なんですかねぇ。


292 :ローガン:2009/09/06(日) 02:03:37
>>290
>これが入ってる中国出土の鏡がほとんどないことが三角縁国産説の一つの根拠になってますよね。

やはり特鋳かなw。

>ただ、6・8号鏡はやはり他とは違う感じはします。

はて6号の特徴とは? 銘帯四神四獣なんですが…



293 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 02:10:52
梅毒祭りだなww

294 :ローガン:2009/09/06(日) 02:11:55
>>291

秦公の祖は始皇帝の孫とか、八戸史の祖は光武帝の孫とか、火撫直は霊帝
当宗忌寸は献帝…広原忌寸は考献帝…あと、直支王…辰斯王…など…zzz…

295 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 08:20:39
>>294
>秦公の祖は始皇帝の孫

これは確かに疑問ですが、魏略や史記には「秦開」という人物が登場します。
『三国志魏書』馬韓伝
魏略曰:昔箕子之後朝鮮侯、見周衰、燕自尊為王、欲東略地、朝鮮侯亦自稱為王、欲興兵逆撃燕以尊周室。
其大夫禮諫之、乃止。使禮西説燕、燕止之、不攻。後子孫稍驕虐、燕乃遣將秦開攻其西方、取地二千餘里、至滿番汗為界、朝鮮遂弱。
『史記』匈奴列伝
燕有賢將秦開、為質於胡、胡甚信之。歸而襲破走東胡、東胡卻千餘里。與荊軻刺秦王秦舞陽者、開之孫也。
燕亦筑長城、自造陽至襄平。置上谷、漁陽、右北平、遼西、遼東郡以拒胡。
この人の系譜は不明ですが、気になるところです。
ただ本当の祖先が秦王の刺客の祖父だったとしたら何とも言いようがないというか(笑)

>当宗忌寸は献帝…広原忌寸は考献帝

後漢最後の孝献皇帝(魏による諡号)で、同じ人ですね。

296 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 10:26:21
>>260
>三輪山は蛇神みたいだから、太陽信仰はもっと後世じゃないのかな。

ツタンカーメンのマスクの額(ひたい)には、蛇と鳥を貼り付けてあるが、
あれが、太陽信仰の象徴です。て、皆さんご存知だとは思いますが、
太陽信仰の元祖はフンコロガシのようです。

スサノオがヤマタノオロチを退治しますが、あれは蛇の太陽信仰と鳥の太陽信仰の激突でしょう。勿論、スサノオは鳥の太陽信仰と言いたいのですが、梟となると夜の鳥になってしまいます。何れにせよ、蛇の太陽信仰と鳥信仰の激突といってよいと思います。
鳥の太陽信仰というのは『太陽を鳥が運んでくる』と言う意が出発点に有るようです。
又、スサノオを鳥信仰と置くのは、『インドでコブラの頭を突付いて殺し食べる獰猛な鳥がいる、これが孔雀です。この孔雀がスサノオに時折冠されている、

建速須佐之男命【須佐二字以音】
の『速はhaya で孔雀』のことです。


297 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 10:36:49
>>181
>だから、倭では靈星など祭っていません。

至對海【馬】國 其大官曰卑狗 至一大國 官亦曰卑狗
の『狗』はイヌでは無いということですか?
don`ntakukaはこの狗をanubisとのスタンスですが、
anubis神は、体は人間で頭はイヌです。
当然、その出発点は、大犬座か子犬座にあるでしょう。

狗邪韓國 狗奴國 其官有狗古智卑狗
の狗も全てイヌです。

靈星という文字が見えなくとも『狗』の一文字がそれを示唆しています。


298 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 10:55:51
>>253 :縦目仮面

三輪山の大物主の正体は蛇でしょう。
蛇は太陽信仰の象徴です。


299 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:08:25
>>261
>太陽信仰は普遍的とも考えられるが、たとえば伊勢神宮に参拝したのは
>歴代で明治天皇が初めてであった、ときく。

いや、いや、太陽信仰というのは、代表的な例として”伊勢神宮”をだしたんですよ。
イネの栽培の「稲作痕」というのは、九州のまがりだ、とか、ジャポニカで有名な菜畑でみつかってますよね。
稲作ゆうんは、”太陽がもっとも重要”ときいています。
まあ、わたしは農業というものをやったことがないので偉そうな事は言えないんですが...。

弥生の稲作文化というのは北海道、沖縄を除き、各地に広がった。
だから、太陽信仰いうんは、太陽がもっとも重要な稲作が広がる
全国各地であるはずといいたいんですよ。

>畿内説では卑彌呼=モモソヒメ説が有力だが、モモソヒメの祭神は大物主神であって
>天照大神ではない

もともと、モモソヒメの祖先は天照大神でして....
その一族の巫女のモモソヒメは大物主神を祀ってたから、
太陽信仰を知らないということにはならないかと思います。

>今の「日本」=日出づる国という名前に引っ張られて、太陽信仰を過大評価してはいけないのでは?

お米を主食とした日本人。
コメが重要であればあるほど、 太陽信仰というのはあったのではなかろうか。

300 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:15:17
>>260
>三輪山は蛇神みたいだから、太陽信仰はもっと後世じゃないのかな。

オイ、オイw て感じだよね〜この人。
わたしは、農業をやったことがないので詳しくは語れませんが、
農業をやってる人に聞いてごらんよ。
太陽サマサマって言うんじゃないかな。

>>265
>>それが他でもない持統なんだなwwwww
>痔等は最後の卑弥呼だボンヨヨヨ〜ン

そんな、キャラだったかな?w
たぶん、伊勢の斎王のことを言ってるようなんだけど、
魏志倭人伝には、別々としてるんじゃなかったかな?
よくみてごらん。


301 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 11:18:54
>>299
>稲作ゆうんは、”太陽がもっとも重要”ときいています。

重要なのは太陽ではなく、水と気温
よって

>太陽信仰いうんは、太陽がもっとも重要な稲作が広がる
全国各地であるはずといいたいんですよ。

この考えは成立しません。

302 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:20:42
>>301
ん〜〜稲作を知らない君の反論は説得力に欠けるよねww

「水」も大切です。
「温度」も大切です。だから〜太陽は関係ありません てかっ?ww

303 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:25:06
>>275
>河童になれない「エミシ」達は東へ東へ追い詰められて、とうとう東北や北海道まで追いやられてしまった。

だから、毎回、毎回、むし氏のウケウリとかホームページをコピーしてるだけ とか言われるんだよ。
プラムに変わって、何が変化したんだい〜?コピペして貼り付けてるだけじゃねーか。

304 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 11:27:08
>>301
水と気温は何が肝心かというと、勿論天候なのはわかるよね?
当然太陽が一番重視されますよ。

305 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:30:28
>>270 と>>272
>婦人病だよ 子宮癌とかで陰部から出血して死亡するケースが多かったんだよ
 
これは新しいよね。
どこから仕入れた情報ですか? 良かったら、説明してくださいな。

>>276
>巻向という意味を知ってる?「真東を向く」ですよ。

おっ?何か知ってそうですね。
詳しく語ってくださいよ。

>>278
>マキムク=餌を与えてだまし取る

これは意味不明、ていうか、またアホ説か.... あんたの師匠って単なるアホじゃん。



306 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:37:07
>>280 愛知県民さん
>太陽信仰はあまりに一般的で、世界共通のものだったのであれば
>卑彌呼でなくても、みんな信仰していたのではありませんか?

そうですよ。
みんな信仰していました。

>卑彌呼は非常事態で女王として共立されたということを考えれば、
>もっと特殊時代的なものだったのではないか。
>そうなると道教との関連を考えたくなります。
>徐福渡来は単なる伝説かもしれませんが神仙思想の素地はあったのかと。

卑弥呼はその代表例で、
そして、カリスマ性があった卑弥呼さんの鬼道とは太陽信仰と考えています。
「道教」というのはよく知らないんですが、もっと詳しく調べたほうがよさそうですよね。
徐福に関しては、ノーコメント。 しかし、その伝承は、佐賀、熊本とか多い。


307 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 11:40:41
>>264
>モモソヒメが三輪の主の妻
と言う関係は、
モモソヒメは月神で三輪の主は蛇で太陽
この二者が同位相にあると言うことは、Sky God の誕生ということ。

Sky God 頭は隼ですね。


308 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 11:40:52
>>302

>ん〜〜稲作を知らない君の反論は説得力に欠けるよねww

百姓が稲作作り知らなくて一体誰が知っているというんだね
君は馬鹿か間抜けか?

>>304

>水と気温は何が肝心かというと、勿論天候なのはわかるよね?
当然太陽が一番重視されますよ。

知ったような学問ずれな答えなんか出すな
知識ではなく体験からくるもので、太陽が気温や水を司るなんていちいち考えて百姓やる
馬鹿なんかいない。
水のぬくもりや肌に感じる気温、草花や木々の成長を考慮しながら稲作作りは行われる。
それらが全て太陽が左右しているなんてゆうのは後づけに理解されたことであり
現場の百姓には関係ないことなんだよ




309 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 11:42:40
>>233 補足
常世国は燕国の別称というが、田道間守が公孫氏に遣わされたとすると、唐松山氏の年代に近いようである。
しかし西晋末以後、慕容氏によって燕は再興されている。
この時代、北燕などが称した「天王」号が「天皇」号のもとになったという説もある。


310 :プラム ◆jPpg5.obl6 :2009/09/06(日) 11:44:47
>>303

>だから、毎回、毎回、むし氏のウケウリとかホームページをコピーしてるだけ とか言われるんだよ。
プラムに変わって、何が変化したんだい〜?コピペして貼り付けてるだけじゃねーか。

だったら読むなボケが てめいのご機嫌とりながらこちとらレスしてんじゃねえんだよ
俺の書いた内容が気に入らなかったなら読むな
うざったるいからいちいちコメント書くなボケ

311 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 11:44:53
>>306
卑弥呼はその代表例で、
そして、カリスマ性があった卑弥呼さんの鬼道とは太陽信仰と考えています。

どの卑弥呼、全ての卑弥呼が太陽信仰だといなら、
ヤマト トト モモソヒメの卑弥呼説は没だ。


312 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:47:21
>>283 ローガンさん
>謎とは?画像石にある旄節と考えるのに疑問をお持ちですか?
>>290 縦目仮面さん
>他スレに今ちょうどその「節」が出てきたんですが、

「節」がでてきましたね〜こうゆうところをみると、
河童氏より出来るな...というのが分かる。

倭人伝にも、「節」が関係している箇所があるとわたしはみています。


313 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 11:47:30
>>308
農家は何時も太陽気にしてますよ、
日照が不足しても困るし日照り続きでも困る、当たり前ですけど。

314 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 11:50:25
稲作で最も重要なものが太陽なら、稲作は一番日照時間の多い砂漠で発展するはずだけどね

315 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 11:51:58
鬼の現代中国語音は、yao の様ですが、

どのような語音変化で現在のyaoに成ったのでしょうか?
詳しいい方、ご教授願います。

316 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 11:54:19
>>313

>農家は何時も太陽気にしてますよ

それは太陽が大事であると理解してからの話です。


317 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:54:39
>>298 don`ntakukaさん
>三輪山の大物主の正体は蛇でしょう。 蛇は太陽信仰の象徴です。

「蛇は太陽信仰の象徴」というのは面白そうですね。
その関係を証明できますか?

>>310 プラム ◆jPpg5.obl6 さん
突っ込まれれば、反論すれば良いこと。
それで、取り乱す貴方は、ご自分が「無知(古代史について何も知らない)」ということを証明してるんです。
わたしにムカツイタのなら反論んしてみろよ。
ただ、古代史について何も知らないだけだろう。

>>308
www レスする気にもなれませんわ〜ww

318 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 11:57:28
>>317

「蛇は太陽信仰の象徴」というのは面白そうですね。
その関係を証明できますか?

エジプトを調べてみたらすぐ解ります。
鳥の太陽信仰が有るのは知っていますよね。



319 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 11:58:45
ん〜〜〜 稲作=太陽が重要なんですよ。
私も農業をやったことないので、その稲作については詳しくは語れませんが、
農業をもっと勉強してから書き込めってかんじだよねw

稲作=太陽が重要 というのを知らないだけで、語られても...て思う。
まずは、ググって〜それから〜!

320 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:01:14
>>311
モモソ姫は「日女命」、または「日神」と呼ばれてるけど。

>>316
そう、よかったねw

321 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/06(日) 12:01:33
ん〜〜〜台湾ターカオの高砂族が農業を始めたのは、明治以降
琉球弧の島々の稲作は、余り発達していない。
高尾張村も神武等より遅れていたであろう。

これをフィリピンの現在の農業と比較して同等と言われても…
人種は同じかも知れないが。


322 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:02:03
>>318
>エジプトを調べてみたらすぐ解ります。
>鳥の太陽信仰が有るのは知っていますよね。

ああっ〜何かありましたよね。
言われてみれば〜そうゆうのがあったと思う。
しかし、その「エジプトの鳥の太陽信仰」が日本に入ってきた
というのを証明できないといけない。
そこのところはどうなんでしょうか。

323 :プラム ◆jPpg5.obl6 :2009/09/06(日) 12:07:12
>>317

>古代史について何も知らないだけだろう。

さ〜それは自分が判断することではなくて他人がすること
それすらも知らずにそんな野暮な質問するって、アンタ頭は大丈夫かい?
突っ込まれれば反論すればいいって
あんたに反論したところで何も出てこないだろう?だからあんたに対してのレスはこの程度のレスで十分なんだよ
理解できたかい  坊や

>わたしにムカツイタのなら反論んしてみろよ。

俺は「河童虫」じゃないから反論する価値のある人間にしか反論しない主義でね
くだらない人間にはくだらないレスを充当するのさ


>それで、取り乱す貴方は、ご自分が「無知(古代史について何も知らない)」ということを証明してるんです。

チラシの裏のプラムに今更なに言ってんだよボケが



324 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:09:02
河童くん〜
古代史に無知な貴方は、「節」いわれても、何がなんだかサッパリだろ?
縦目さんもローガンさんも知ってるぞ?


325 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 12:09:50
>>320

>モモソ姫は「日女命」、または「日神」と呼ばれてるけど。

三輪との関係改善後なら当然その様に呼ばれても不思議ではない。
が、
トトモモソ姫は月神です。

326 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 12:13:56
神武東征での八咫烏・金鵄は太陽と関係ありそう。
高句麗の古墳でも太陽の中に三本足の烏が描かれています。
ギリシャでは烏は太陽神アポローンの鳥で、春のからす座が
三本足で描かれている絵図もあるとのこと。

327 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/06(日) 12:14:20
>>324

よ〜改め
そんなに俺を煽ってスレを荒らしたいのか?
もう何度も忠告しているよな?



328 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 12:14:53
>>322 名前

長安の西で北緯34.5度のホワイトピラミッド郡はなんですか?
エジプトは中国に来ていますよ。

女性に贈られる金印は蛇なのも、エジプトのOgdoadの影響でしょう。

329 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:17:01
「節」言うのはだな、
もともと大陸側にあって、日本に渡ってきたもの。
そして、日本では「節刀」というのが有名なんだよ。
千葉でみつかった○○古墳(ド忘れ)から出土した刀があって、
その刀が「節刀」だろうといわれている。
そして、この「節刀」を持っている諸国の王とかは、天皇の意思を代理するというか、
権力の権限を委任する証として天皇から賜下される、その諸国の王の任が終わると
すみやかに天皇に返上したといわれてるもの。

330 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 12:18:10
>>節

don`ntakukaも知らない。
ご教授ください。宜しく!

331 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 12:19:52
>>329

若しかして、HaHaHa てやつでしょうか?

332 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:21:31
昔の人の認識として、農業で重要視されるのは水じゃないのか?
雨ごいは聞くけど、日ごいは聞いたことないし。

太陽信仰は単に暗闇の恐怖を払うことに対する信仰と思うのだけれど。


333 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:22:06
>>328
>長安の西で北緯34.5度のホワイトピラミッド郡はなんですか?
>エジプトは中国に来ていますよ。

これは、意味不明。
それで、エジプトの鳥の太陽信仰の証明が「出来た」と言えるのだろうか?

>女性に贈られる金印は蛇なのも、エジプトのOgdoadの影響でしょう。

わたしは、卑弥呼の一族は南方系と言ったでしょ?
南方系というのは、いろいろな国が該当するわけで、
南方系イコールエジプトとするのはどうだろうか。


334 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 12:23:14
>>326

中国で生まれた鳳凰は二本足、それが高句麗では三本足と変化しています。
ちなみに大正天皇の即位式の時の後ろには、八咫烏の描かれた旗が何本か
たっていたそうです。


335 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:24:46
>>327
どうでもいいが、貴方〜そんなキャラじゃなかったてwww

>>331
>若しかして、HaHaHa てやつでしょうか?

ん???これの意味はなんでしょうか。よく分からない。

>>332
太陽も水も温度も大事だてwww

336 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 12:32:05
>>329
>「節刀」

使持「節」都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王ですね?

337 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 12:32:52
>>333
これは、意味不明。
それで、エジプトの鳥の太陽信仰の証明が「出来た」と言えるのだろうか?


鳥の太陽信仰は、鳥が太陽を抱いて点に昇る彫り物の遺跡が中国の北緯30度にある。

>女性に贈られる金印は蛇なのも、エジプトのOgdoadの影響でしょう。

わたしは、卑弥呼の一族は南方系と言ったでしょ?
南方系というのは、いろいろな国が該当するわけで、
南方系イコールエジプトとするのはどうだろうか。

卑弥呼の一族が南方系であることと蛇を刻んだ金印は直接関係しない。
女性だけが持つことが出来る蛇を刻んだ金印はOgdoadの影響、つまりエジプトが漢に影響を及ぼしている
ということ。

338 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/06(日) 12:33:38
唐津呼子から船運は、東南ルートと南西ルートの二つに分かれる。
東南ルートは、伊都を通り1大率の検閲を受けるが、南西ルートで熊本方面への物資は
検閲を受けない。
もし熊本方面から、鉄の供給を前提に強力関係を結べば、
北九州勢力にとって、看過できない勢力ができあがる。
狗奴国による、倭国(北九州)浸食、これが倭国乱の始まり。
北九州は、此を阻止使用とするが、一度鉄の供給を受けた者にとって、北九州の魅力は半減、
ついには、卑弥呼共立で凌ぐしか方法は無くなる。
ここに魏の使節がやってきて、倭女王の朝貢となる。
この後倭王(卑弥呼では無い)が単独で朝貢、この時魏朝廷より、大倭国統一を打診される。
247年頃より、女王、倭王連合軍は、狗奴国側に付いた元北九州勢力を滅ぼして行く。
女王卑弥呼も筑紫男王もこの戦の最中に没する。
最後に残された倭王が全てを取り仕切り戦を遂行。


339 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 12:36:30
>>326

書きわすましたが、半島の真坡里古墳から出土した壁画には太陽を円で表し
中央には三本足の烏が描かれています。

http://katori.cc/karasu/karasu-3/kodainosakata.htm


>>332

私も百姓のはしくれとして 同意します。

340 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/06(日) 12:36:32
>337
>南方系

ホホゥ〜?
そうしますと、これは君が陳寿がやってたという九星の変転で
東方系の意味なんですな〜??

341 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:39:03
>>330
>>>節 don`ntakukaも知らない。 ご教授ください。宜しく!

いや、わたしもウロ覚え....。
たまたま、現れた縦目さんのレスの「節」という字に記憶が読み戻されたというか。
詳しくは、ぐぐってくださいな。

>>336
そうです、そうです。





342 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:49:35
>>332
太陽信仰と雨乞いはセットだろ。
太陽の力を鎮めなきゃいけないのだから。

343 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 12:54:31
「節」なんていうものは、調べればすぐに出てくるしろもんで
いまどき何の価値もないガキのカードゲームごっこみたいなもの

古代史で一番大事なものは、どうしてそれが「節」という文字を使い表現され
現在知られているような用途で使われだしたか?だよ

344 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:56:20
>>342
悪い影響を与えるものへの信仰じゃ、主神にはなりにくいと思うがね。

345 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 12:59:36
>>342

>太陽信仰と雨乞いはセットだろ。
太陽の力を鎮めなきゃいけないのだから。

それは違うと思うよ
雨が降るのは太陽が隠れるのではなく、太陽を隠してしまう雨雲の方が
太陽よりもずっと力関係が上と考えるのではないかな?「太陽と風」の話ではないけど


346 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 12:59:55
いつか、二 ◆.L.MXSPOgc さん 二人の使いは「魏の使い」というよりも
郡の使い が考えられると言ったことがあるんですが、この、「節」が関係しているということです。
中国の「節」いうのは玉節でしたっけ?!(日本は「節刀だけど中国は違う)」
とかがあり、帯方軍の太守が皇帝からこの玉節なるものを与えられていたのではないだろうか。
とみてるわけです。
「節」に関しては、これぐらいで勘弁〜。
これ以上いうと、ボロが出てしまいそうなのでw 他の二人(ろーがん、たてめ)に聞いてくださいよ。

347 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 13:01:12
>>344
神は怒るものですよ?

348 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:03:42
>>343 河童虫 ◆EY2wfgakAQ さん
勉強不足デス。
魏志倭人伝をもう1度よく読んでみましょう!

>>342>>344
どっちが大切とかじゃなくいて・・・
「水」も「太陽」どっちとも大事だてw


349 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:04:59
>>347
>神は怒るものですよ?

関 ゆーじさん 〜

350 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:07:54
神が怒ったよ

http://www.youtube.com/watch?v=4MCoUAg20rc

351 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 13:12:09
>>339
河童さん、ありがとうございます。
(プラムさんになったり・・・忙しい人ですね)
空に輝く太陽と空を飛ぶ鳥が結びつくのは分かりますが
なぜ烏なのか?
黒い色が太陽と対照的だからですかね・・・?

352 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:12:21
>>348

>勉強不足デス。
魏志倭人伝をもう1度よく読んでみましょう!

暗記しています。

で、具体的にどこをどのように勉強したらよろしいのでしょうか?
それともNET検索を沢山して、何時でもカードゲームができる体制を整えろということでしょうか?
ご教授願います。
ただし、何らかの不備があった場合は容赦なく突っ込みますが

353 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:12:55
いや、いや、「神は怒る」というのはあったでしょう。
批判してるのではなく、関 ゆーじさん を思い出しただけww

というか、誰か〜〜〜〜>>207の愛知県民 ◆/aQLbFNNDUさんのレスに対して
レスつけよう! この問題〜どうなんでしょうね。
うーーーん・・・・・・。 誰か〜答えて!


354 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:15:34
>>352
ほう、それは頼もしいですね。
んで、わたしのレス>>346はどう感じます?
倭人伝にも、この「節」が関係してるのではないだろうか と思う。
河童さんてきには、どうでしょう?


355 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:23:05
>>351

>空に輝く太陽と空を飛ぶ鳥が結びつくのは分かりますが
なぜ烏なのか?

たしか朝鮮には「烏は太陽からの使者」だとする伝説があり、それが在地化
したと考えられます。
それらと関係する人がその烏を旗印とし神に奉納し神紋化したのではないでしょうか?

356 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:23:13
三本足の烏?

真ん中のやつは本当に足でしょうか?
記紀のソレは、天皇一族が上下関係化なんかで、その案内役の人を
人間とみなさんず、動物にたとえて言った言葉とみなしたんですが。

河童さんの薦めたHPには
「朝鮮の渡来人が、太陽に三本足の烏を、故国の旗印としていた」とありますが、
神武天皇の先導役は「朝鮮の渡来人」となり、
それを、同じ人間として扱わなかった天皇一族は、「朝鮮からの渡来人」以外
とは考えられませんか?


357 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:24:35
>>354

>河童さんてきには、どうでしょう?

ぜんぜん興味がありません。

358 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:25:54
>>357
あ、ごめんなさい
トンデモしか興味なかったですもんね。

359 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 13:26:04
>>353
関デンパといえば
神=祟り神=物の怪=鬼

ってやつですね(笑)

360 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:33:13
>>356

半島からの渡来人が一番毛嫌いするのは、異国の民ではなく
同じ半島からの二番煎じ三番煎じの同系民族です。
図案化された三本足の烏が差別化を意味するものならば、神聖な即位式の会場や
神明神社へ祀ったりはしません。

361 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 13:33:30
>>351
なぜ烏なのか?
karasu は military camp と言う言葉で、
raven(大烏)は、uga と云う。

LTV鏡のLはu 、V はga 、Tはna と書き込んだことがるが、
ugaとはraven(大烏)のことでもある。
na は夜の鳥。
つまり、
LTV鏡は倭奴国と高句麗の連合軍の象徴か?  ^^;


362 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:36:30
>>358

はい、調べればすぐにわかるようなものには全然興味がありませんし
知識の詰め込みなんていうものは学者に任せておけばいいのです。
素人の領域ではありません。

363 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:41:14
>>362
でも、貴方の師匠の言ってること、聞いてると「笑えてくる」のは確かだよ?
たとえばね、行橋駅なんて、どうみても無いだろう。

吉野ヶ里遺跡の二重になっている囲いやら、数々みつかる、弥生の遺跡をみていたら
”高地性集落”いうのが大切であって、卑弥呼さんは倭の王様なんですよね。
狙われる対象であろう王が、行橋駅なんているかー?ふつう。

364 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 13:49:57
>>361
don`ntakuka さんの書き込みはよく分からない。
河童さんに笑われそうですが「カラス」は「カラ(韓、唐)」と関係あります?
カササギはコウライガラスと呼ばれたりしますが?

>>353
改めさんはどう思うのですか?

365 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 13:50:19
三本足の烏は高句麗では何と呼ばれていたのでしょうか?
知っている方、宜しくお願いします。


366 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 13:50:26
河童くん〜 
身分の高い人は、低い低地を好まない。

Do you ander stand? 

367 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 13:54:53
>>363

>でも、貴方の師匠の言ってること、聞いてると「笑えてくる」のは確かだよ?

それはあなたの持つ感受性の問題ですから何ともいいようがありません。
「笑えてくる」と感じたのならそれはそれでいいことです。
別にそれを「ヤメロ」などとは申し上げません。

それに行橋駅にいるのはJR九州の職員さんじゃありませんか?
卑弥呼なんていませんよ

> 狙われる対象であろう王が

一体誰に狙われているのですか?具体的に示してください

368 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/06(日) 13:56:18
>>366
anderはふざけすぎだね。

369 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 14:01:23
>それに行橋駅にいるのはJR九州の職員さんじゃありませんか?
>卑弥呼なんていませんよ

おお〜河童さんと考えが一致してきましたw〜w
そうです、そこに居るのは、JRの職員さんぐらいだろうww
だから〜プラムさんで登場してるのかな...(ムシ説捨てた?)。

>一体誰に狙われているのですか?具体的に示してください

わたしは、王として誰かさんに狙われたことがありませんので、
誰に狙われたかは知りませんが、一般人よりは、王様のほうが狙われる確立は高いであろう
ということは想像出来ます。

370 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 14:03:57
>>364

>河童さんに笑われそうですが「カラス」は「カラ(韓、唐)」と関係あります?

どちらかというと
「カラス」が「カラ」と関係するのかではなく
「カラ」が「カラス」と関係するのかのではないでしょうか?

そうなれば「カラ」は同じ意味を共有しています。
でも、「カラ」を使う環境と「カラス」を使う環境は全く異なるので、「カラ」と「カラス」の意味的な表現は全く別物です。


371 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 14:04:34
30国は北部九州から畿内にかけての国々でしょう。
瀬戸内海を中心としての国々の事です。


372 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 14:05:49
>>368
うーん 少しふざけ過ぎましたかな...。
ていうか、わたしは河童さんが可哀想で、可哀想で、仕方なんですよ。
ここで一生懸命議論して覚えても、彼が師匠に会ってくるとアホになって帰ってくるというか...w
だから〜いろいろ言ってるんですけどね。

一つ、河童師匠に言いたいのは、「もっとまともな事を教えてやれ!」と言いたい。
みてて、可哀想になるんですよ。


373 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 14:10:04
>>366

>身分の高い人は、低い低地を好まない。

それは環境次第でしょう
自分を高く見せなければならないような環境を持つ人は、高い位置に存在する意味や効果があるでしょうが、
自分を高く見せないでも済む人には、高い所にいる必要性はないでしょう。


>>369

で、一体誰が行橋駅に卑弥呼がいると言っているんです?
作り話ですか?

374 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 14:18:30
>>364
>改めさんはどう思うのですか?
>>207
>馬韓五十四国、辰韓十二国、弁辰十二国。

のちの、百済(馬韓)、加羅(辰韓)、新羅(弁辰)ですか。
基本的に、日本のほうが、国の形として国家が成立したのは、
早かったのではなかろうか?
それが、中国の風俗、皇帝の考えを早く取り入れた日本が正解であって、
「金印」もこちら側が貰っているのも、その証。
わたしは、天皇一族が九州を征服したのはBC300〜100ぐらいではなかろうかとさえ思っている。
そして、倭人伝に記されてる国家は強力と思っている。
半島の小さな国が集まってるのとは違い、国家として進んでるということです。

宋書倭国伝に関してはよく分からないというのが素直な感想かな。


375 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 14:20:51
>>373
もういいよ。
貴方のは反論ではなく、ただ、師匠をかばっているだけ。
ただ、それだけなんです。

376 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/06(日) 14:31:32
河童さん〜みてて良いやつなんだよね。
しかし、お人よしというか。

>>374の続きですが、九州を征服(BC300〜100)、
畿内へ東征したのはBC100〜AC100どこだろう。
まあ、九州を征服、畿内へ東征し西日本を征服といっても、
西日本全体が卑弥呼の国とはいってない。
まばら、まばら、抜けてると場所もあるだろう。
あくまでも、西日本全体「すべて」とは思ってませんけどね。


377 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 14:33:11
>>375

了解しました。

ここまで煽られて黙っているわけにはいきませんから、これにてここでの河童虫は終了させていただき、今後はプラムで暴れさせてもらいます。

378 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/06(日) 14:39:06
このスレ何だか人が少ないようですね?
俺は以前のように賑やかが大好き。

沢山人が集まりいっぱい意見を聞きたいですね
沢山集まらないかな〜?

379 :プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 14:42:08
あ!そうだ
このスレを多くの人に知って貰う為には 宣伝すればいいんだ

確かスレ宣伝は禁止じゃなかったよね?

380 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 14:49:27
>>376
>まあ、九州を征服、畿内へ東征し西日本を征服といっても、
>西日本全体が卑弥呼の国とはいってない。

畿内に都があるのに、東日本は別の国(狗奴國)?
だいたい都は国の中央にあるもので、畿内説で九州支配なら関東まで邪馬台国連合と見るのが普通と思いますが
間違いですか?
崇神天皇は会津まで征服したと古事記にあります。

381 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 14:50:04
>>378
お前が居るから人が集まらない

382 :プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 14:55:20
>>381
心配しないで大丈夫。
プラム登場って、大々的に宣伝すれば
まだまだ人が集まるから。

自治辺りにまだ知ってる奴がいるかもね?

383 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/06(日) 15:05:22
今度の政権交代で、天皇陵の発掘が動き出すかも?
少し期待しています。
ではGRRR・・・


384 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 15:17:13
>>380
九州の北緯32度を女倭王国の中央とするのは、
与那国島(北緯24度)から北緯39度を領域とした時間軸。
畿内北緯34.5度を女王倭国の中央と置くのは、北緯30度から北緯39度の領域の時間軸。

>崇神天皇は会津まで征服したと古事記にあります。

この領域は、男女王融合倭国の中央なのです。
その領域は北緯30度から北緯45度ですからその中央は北緯37.5度の会津若松になる。
が、新潟の長岡も同緯度であるから、京都長岡京として第五十代がそれに当たる。


385 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 15:50:35
卑弥呼は在日系で、当時の関東平野を治めるドン。卑弥呼の城は今の皇居にあったから
いまだに発見されない。
家康が江戸城改修工事の時、卑弥呼城は破壊されたためにその面影は永久に失われた。

386 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 15:57:08
>>385
太陽の道
出雲大社 北緯 :  35.681度 東経 :  139.766度
皇居   北緯 :  35.402度 東経 :  132.685456
  ^^;

387 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 16:03:01
卑弥呼の墓は日光にあったけど、東照宮造営で破壊された。
郡というのは今の群馬県で、魏は群馬県に出先機関を置き、卑弥呼の相談役になっていた。

388 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/06(日) 16:04:23
>>386
そうしますと東経は易、九星の法則とかで変わり、東経とは南経になりますか?
それとも北経の意味だったと解しますかな?

389 :don`ntakuka:2009/09/06(日) 16:08:02
>>388 :太国
>>386
>そうしますと東経は易、九星の法則とかで変わり、東経とは南経になりますか?
それとも北経の意味だったと解しますかな?

否!
法華経だろう。
ホッケは一夜干しの塩焼きが旨いが、刺身も美味しいな〜〜〜〜!

390 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 16:16:27
現在の出雲大社の本庁は、現在明治神宮となっていて、当時の面影は神宮の杜だけとなってしまったが、卑弥呼は毎日卑弥呼城と出雲神社を往復していた。
現在その通りの一部が原宿に残り、商店街として復活してきたのは嬉しい限りだ。

391 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/06(日) 16:16:44
>>389
そうしますと陳寿の倭人伝での例の個所 南とはそのまま南だと訂正
しますか?

また
方便品に

「爾時に釈迦牟尼佛眉間白毫相の光を放って 東方萬八千の世界を
 照らしたまふの周偏せざることなし。」

とありますが、これは北方だったのですか、それとも南方ですか?

392 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/06(日) 16:30:59
>>389
そうしますと現今中国の都市「南京」は以前に「東京」と易、九星の
変更によって呼ばれていたわけですか? また「北京」は「西京」
とか〜長安が西安と呼ばれてたように、過去にかような都市名が
ついてたんですか?

393 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 16:49:54
>>305
巻向の日代の宮なんて朝日の日照宮だから。
ミマキイリヒコも東に向かって来たと読めますね。

394 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/06(日) 17:28:40
流れをムシした話で申し訳ないが、
其餘旁国遠絶不可得詳のあと21の国名が記載されて、此女王境界所儘(にんべん無)其南有狗奴国男子為王
其官有狗古智卑狗不属女王とある。

狗奴国では王が卑弥弓呼で官が狗古智卑狗ということだが、この二人は兄弟だろうか。いずれにしても女王
に従っていず、不和、相攻撃という言葉があるから、邪馬壹国と狗奴国の間に紛争が起ったことは確かだろう。
そのことを郡にまで報告に行くというのも情けない話ではある。女王国がしっかりしておればそんな紛争くらい
自分で収拾できる筈だから、内部の結束が揺るんでいたのだろう。張政等が来たのはそのタガの締め直しという
ことだったろう。魏としては倭国が役に立つ冊封国でなくては意味がないだろう。


395 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 17:29:46
>>390
穢れの神社として造営されたらしいよ出雲神社は
日=聖の伊勢神社と相対的にね。太陽を遮る雲が・・

396 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/06(日) 17:38:16
>>394

どんな面下げて郡に報告に行くんです?「私は約束違反の不忠者です」って
自ら自首するのでしょうか?
誰がそんな不忠者に手を差し伸べますか?
とうとう縄文人さんも学者になり下がってしまいましたか。悲しい話です。


これはまだ誰も触れていないことですが
>此女王境界所儘

女王がいなければこの文章は消えてしまう臨時的な文章であることを頭の中に入れて読んでいますか?
倭人伝の中でも、卑弥呼と壹與の間にはほんの少しだけ隙間がありますよ

397 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 17:41:54
東照宮は卑弥呼の墓

東照宮の語源は、東の地に天照を祀るからと考えています。

http://www.toshogu.jp/

398 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/06(日) 17:50:02
>>396
まいったな。学者にされちまった。畿内説派のお偉いさんからは 縄文人の言うことは想像だ、資料の裏付けをしろ、
学問的じゃない と攻撃されるのに。私は作家になろうかな。自由奔放に想像をめぐらす。いいかもな。

399 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 17:51:32
>>397
本当は北照宮でもいいんじゃね(笑)

400 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 17:55:19
やはり狗奴国は九州南部一帯とするべきでしょう。

401 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 17:56:14
倭人伝に使われている里数は、現在の邪馬台国論争を想定し
一里4000メートルで書かれているのではないだろうか?
郡から水行一万里で末盧の陸地に到着するというのは、一里4000メートルで計算すると
おおよそ地球一周分の距離
郡から一万里とは、世界は水行一万里にて一周することができ、末盧国とは実は出発地の帯方郡の別名。
帯方郡(末盧国)から陸行五百里で伊都国がある。

402 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 18:06:14
何か友愛な人がいるねw

403 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 18:12:35
>>399
>本当は北照宮でもいいんじゃね(笑)
それは名案です。早速東照宮の社務所に意見書を提出しましょう。

徳川家光が弟の忠長よりも先に、将軍宣下されるためには
卑弥呼の墓のある二荒神社敷地内に家康の墓所を造営することを、朝廷と
交換条件にしたとかしないとかで
その地に家康の廟所を造営することによって、卑弥呼の墓の管理を徳川にまかせたのでしょう

404 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 18:30:03
残念ながら記録には残っていませんが、銅鏡は当時の力自慢大会の競技用具として
使用されていました。
各地区から代表を選出し毎年一回紅葉の季節に
銅鏡を円盤投げののように遠くに飛ばす競技です。

この名残は現在も京都の北部にある神護寺という紅葉の大変きれいなお寺で
瓦焼き投げという形で残っています。
神護寺の崖の上からから谷に向けて、手のひらサイズの瓦焼きをなげるというものです。

http://homepage2.nifty.com/cub/niwa/jingoji.htm

405 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 21:02:25
>>404
そいや、京都に力自慢が大鏡餅を持ち上げて歩き、
その距離を競う神事があるな。

『鏡』モチ。関連がありそう

406 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:09:03
ねーよ。

407 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:22:22
>>405
ある。  間違いないだろう

408 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:30:32
卑弥呼はどうしても鏡投げの全国大会を開きたかったし、
そして全国から集まる代表選手のために、出場記念の鏡もどうしても欲しかったので
魏王朝に百枚の鏡を求めた。
百枚の鏡とは、全国の国の数

409 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:37:43
これで、また一つ謎が解けたなwwwww

410 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:46:41
東照宮の拝殿内東側にある将軍の間には 鳳凰の彫刻や大鏡があることをご存じだろうか?
現在は将軍の間とし案内されているが
東照宮が卑弥呼の墓でもあることをも暗示している

411 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:59:02
鏡餅を刃物で切らず叩き割るのは銅鏡を割って墓に埋めた故事に倣ったものだ という学説が誕生しそうだな。
鳥の彫刻や絵や鏡があれば卑弥呼の墓なら、うちの近所に3カ所はあるぞ。

412 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:03:39
河童を見たかい

昔誰かが俺に言ってた、嵐の前は穏やかなんだと
わかっている、しばらくの間は静けさが続くだろうってことは
でもそれが終った時、そう、みんな言うんだ、晴れた日に言意学の雨が降るんだって
わかっている、河童の言葉はガラス玉のようにキラキラ輝くって
俺は知りたい、お前は言意学の雨を見たことがあるかい?
俺は知りたい、お前は言意学の雨を見たことがあるかい?
晴れた日にやってくる言意学の雨をね

昨日、おとといと、太陽は冷たくて雨のほうが激しくも熱かった
わかってる、俺のいた間中ずっとそんな感じだった
永遠に続くんだ、言意学は円陣を通り抜け、速くなったり遅くなったり
わかってる、それは止められない、そう思うよ

413 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:10:48
東照宮の前に流れる大谷川に掛る朱塗りのアーチ型の神橋は
卑弥呼の遺骸を二荒山神社境内に葬る時、大谷川を渡るために臨時に作られた
名残が今日まで残ったということです。
ここに家康の廟所を造営するとき、ここに卑弥呼が眠っていることは
極秘中の極秘であって、工事にかかわった人すべてに封印の呪文をかけたという。
そのことを暗示するかのように、東照宮陽明門の前の厩舎には三猿が

ここに卑弥呼が眠っていることは今後誰にも「言わない」そして何も「聞いていない」
絶対に誰にも「言わない」   そう念を押されて職人は国に帰ったという。

414 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:24:15
表門伊勢神宮を意識して作られた裏門東照宮



415 :日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:34:11
実は東照宮に眠る卑弥呼の墓の中には、徳川の埋蔵金が隠されたとする
古い言い伝えがあるとかないとか

416 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 10:36:11
河童虫さん改めさん愛知県民さんローガンさんに質問です。
倭在韓東南大海中
の『韓』とは、半島の『韓』ですか
其れとも、
中国の戦国七雄のひとつである『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』
のことでしょうか?
宜しく。。。。。。

因みに
don`ntakukaは中国の戦国七雄のひとつである『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』です。

417 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 11:28:56
倭在韓東南大海中
若し、『韓』が、半島の『韓』なら
倭在韓東南大海中の倭を倭国と解し、倭国の領域は
緯度的には北緯37.658度で経度的には、126.832度の範囲内ということに成る。
この領域に含まれる、列島は沖縄から会津あたりですね。

中国の戦国七雄のひとつである『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』なら
倭国の領域は、緯度的には北緯34.767884で経度的には113.688度範囲内ということになる。
この領域に含まれる、列島は与那国島から畿内あたりですね。

don`ntakuka的には
 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
の倭國之極南界也とは畿内でOK.  ^^;


418 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/07(月) 11:32:23
>>417
>極南界

そうしますと、あんたの論ではここは「極東界」でいいんですな?

419 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/07(月) 11:51:21
>>416

紀元前に後漢朝はまだ存在しないので、ここでの韓は前伝である韓伝の韓です。早い話半島の韓です。

420 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 12:02:19
>>419

有難うございます。
それでは、韓』が、半島の『韓』なら
倭在韓東南大海中の倭を倭国と解し、倭国の領域は
緯度的には北緯37.658度で経度的には、126.832度の範囲内ということに成る。
この領域に含まれる、列島は沖縄から会津あたりですね。
で、
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
の倭國之極南界也とは沖縄からかdon`ntakuka的の会津から.  
は、如何でしょうか?


421 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 12:06:04
紀元前に後漢朝はまだ存在しないので

矛盾していませんか?

後漢が先で、韓が後なら、
タイムマシンが無ければ後漢は韓を見ること、知ることは出来ないが、
その逆なら後漢は韓を知ることが出来る。

422 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 12:11:22
『韓』なり倭人在帶方東南なり、
『韓』・『帶方』は倭なり倭人なりの
緯度・経度の極限地点を刺して使われていると思いますがいかがですか?

423 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 12:25:27
公孫康は、建安九年(204年)に楽浪郡を裂いて帯方郡を設置。
楽浪郡と帯方郡の境界は北緯39.032度のpyongyang の同緯度線上でしょう。
故に
『倭人在帶方東南大海之中の東南』は『自郡至女王國萬二千余里の郡=楽浪郡と帯方郡の境界』を受けて、女王國の北限は北緯39度となる。


424 :プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/07(月) 12:42:53
>>421
それは屁理屈というもの
そんな事言ったら過去はなんでもアリ状態になる。
後漢書である事を第一に。

425 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 12:59:18
>>424 名前:プラム
>それは屁理屈というもの

そりゃ〜おかしいぞ。
『韓』が、半島の『韓』なら倭国の北限は会津になる。
会津迄北上したのは四道将軍ですよ。

後漢の時代軸と四道将軍の時間軸は一緒ということになる。

矢張り、韓は『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』の韓でしょう。


426 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 13:05:08
韓が『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』の韓なら
倭国の北限は北緯34.7679度で此れは神武ですね。



427 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/07(月) 13:27:06
>>425

何故質問したのです?
始めから半島韓が対象外なら、質問する意味がないと思います。

428 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 13:41:33
>>427
>何故質問したのです?
>始めから半島韓が対象外なら、質問する意味がないと思います。

don`ntakukaの論が完全だとは思っていません。
韓を半島の韓と置く人の論旨を学びたいからです。

429 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 13:42:18
カンカンガクガクが侃々諤々なら筋道を立てて遠慮なく(うるさくでも可)議論するさまだが、
韓漢ではうるさいだけだろが。

後漢書や魏志に載っとるのは半島の韓に決まっとる。北緯だとか東経だとかの概念は不要だろが。don`ntakukaは
何か知ったかぶりをしたいのか?そんなのは他所でやれ。

430 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 13:44:10
>>429

論外、うるさいだけ。

431 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 14:07:59
おそらくdon`ntakukaは、寄ってない人物だと思われる。

432 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/07(月) 14:38:44
>>426
>北限
これは易の法則により、変化規則とやらで「西限」になるわけですか?

433 :ローガン:2009/09/07(月) 14:57:54
>>416

>倭在韓東南大海中 の『韓』とは、半島の『韓』ですか
> 其れとも、中国の戦国七雄のひとつである『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』のことでしょうか?

戦国時代の韓って…河南省。東南に海、まあ 無くはないけどね。倭の位置を指す起点としておかしいとは思いませんか?


434 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 15:17:30
>>433
>倭の位置を指す起点としておかしいとは思いませんか?

ローガンさんの倭の位置とは?
倭は点ではありません面ですから、倭の領域は何処から何処までと据えていますか。
それは、後漢書も魏志倭人伝も同じ領域ですか?
don`ntakukaの後漢書の倭の領域は、
緯度的には北緯34.767884で経度的には113.688度範囲内ということになり。
この領域に含まれる、列島は与那国島から畿内あたりですね。

『倭の位置を指す起点としておかしい』とは、
樂浪郡徼 去其國萬二千里
の、樂浪郡徼は倭への起点ではなく、通過点といことになるのでしょうか?
それとも、
倭=倭国と女王国・邪馬臺國の領域には微妙な差がある事を示唆してのことでしょうか?


435 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 15:33:07
倭人在帶方
は、倭国の領域ではなくあくまで倭人の居住地としての範囲でしょう。
帶方の北限は北緯39度で東経は、126.832度ですからその範囲の列島の領域は
沖縄(那覇)から平泉あたりまでといことになるでしょう。
若し、倭人の居住地=倭国なら倭国と女王国は、ほぼ重なりそうです。


436 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 15:34:55
×倭人在帶方

◎倭人在帶方東南
に訂正。

437 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/07(月) 15:39:40
>>435
>北限
これは貴殿の主張する易方位の変化法則とやらで、「西限」の意味
であるわけですな?

438 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 15:48:54
>>437 名前:太国

o(*⌒―⌒*)oにこっ♪

439 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/07(月) 15:54:16
>>436
>東南
これも貴殿の言う易方位の変更法則とやらで、「東北」の意味に
化けるんですか?

440 :ローガン:2009/09/07(月) 16:09:20
>>434
いや、別にあなたが河南省や陝西省の東南の海の中って考えるのなら、それはそれで。
私はそうは読まないと云う事です。レスに私の名前があったので…

441 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/07(月) 16:10:25
>>435

帯方郡の北限が北緯39度なんて言ってるけど
実際はまだ、帯方郡の範囲自体も定かでないのが現状。
だから貴方の言う北緯39度も、ただの推測値
そんな曖昧の数値に対して、小数点以下まで記述する必要もない。

442 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 16:19:05
>>441 名前:プラム

>帯方郡の北限が北緯39度なんて言ってるけど
>実際はまだ、帯方郡の範囲自体も定かでないのが現状。
>だから貴方の言う北緯39度も、ただの推測値

公孫康は、建安九年(204年)に楽浪郡を裂いて帯方郡を設置。
公孫氏は本来北緯39度以北を国領とする系でしょう。だから燕。
燕からは北緯39度以南は属国に順ずる扱いをするだろう。
だから、
楽浪郡を北緯39度で二つに割ったのです。


443 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 16:27:04
燕からは北緯39度以南は属国に順ずる扱いをukeruだろう。


盖国在鉅燕南倭北倭属燕

ですよ。


444 :プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/07(月) 16:37:10
>>442

公孫が北緯39度以北を国領とする系なんて、一体誰が決めたの?
どの文献にでていた?

445 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 16:42:14
>>444

公孫 淵は燕王でしょう。

燕国の国都は北緯40度の現在の北京。
燕国が北緯39度以南に下りたことは無いはずですよ。

446 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/07(月) 16:46:01
>>445
どうして国都が北緯40度だと、国領が39度以下にならないの?
そんな決まり誰が作った?

447 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 16:51:16
446 名前:プラム

戦国時代(紀元前350年頃)北方地図.PNG
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3(%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83)%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG

参考にされたらどうでしょうか。

歴史がそれを証明しているようです。
ただそれをdon`ntakuka は書き込んだだけです。



448 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 17:14:41
「卑弥呼は公孫氏也」も有りか。定説とは違うが!

原文は「舊以男子為主 漢末 倭人亂 攻伐不定 乃立女子為王 (名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也)
其女王遣使至帶方朝見 其後貢聘不絶 及文帝作相 又數至 泰始初、遣使重譯入貢」

山形氏の訳文
もと、男子を以って主となす。漢末、倭人みだれ、攻伐して定まらず。乃ち女子を
立てて王となす、名を卑弥呼と曰う。宣帝の平ぐ公孫氏なり。その女王の遣使、
帯方に至りて朝見す。その後、貢聘して絶えず。文帝、作相するに及び、また、
しばしば至る。泰始の初め、遣使かさねて入貢を訳せり。


449 :don`ntakuka:2009/09/07(月) 17:21:13
>>448
「卑弥呼は公孫氏也」も有りか。定説とは違うが!

有りと行きましょう。(^Д^)ギャハ

樂浪郡徼 去其國萬二千里
自郡至女王國萬二千余里

その鍵を握っているかもね。


450 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 17:44:08
『新撰姓氏録』の河内国諸蕃に「常世連 出自燕国王公孫淵之後也」

公孫氏は大和に帰化し「常世の連」の姓を与えてるので
大和にとって特別な存在だったんだろね。

451 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/07(月) 17:45:42
>>442
>以北
これはあんたのうるさく主張していた易学方位の変化の法則から、「以西」の
意味になるわけですな?

452 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/07(月) 17:49:08
>>445
>現在の北京
それではこれはあんたの易学方位で必ず方位が逆転するんだとか言うあんたの
強度の主張から、当時でない過去では北京は「東京」とか「南京」とかの都市名
だったというのが貴方の言い分なわけですな?

453 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/07(月) 18:47:00
>>452
お〜 「書紀には西暦が隠されている」と同じレベルか?


454 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 18:58:17
卑弥呼の城は現在の皇居で、墓は東照宮にある。

455 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/07(月) 19:30:19
穢土へようこそ。


456 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:20:41
えどし、おえどし。

457 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/07(月) 21:30:45
>>448
山形氏の訳は間違いではないでしょうか。
(舊以男子為主 漢末 倭人亂 攻伐不定 乃立女子為王名曰卑彌呼)( 宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帶方朝見)
と区切って読むべきでしょう。宣帝が公孫氏を滅ぼすやその女王は使節を帯方郡に送って朝見した。

また、司馬懿は公孫氏を滅ぼしたとき後に火種を残さぬよう一族郎党をほぼ皆殺しにしていますので、卑弥呼が
公孫氏の係累であれば朝見など受け入れられないでしょう。

卑弥呼=公孫氏 は無し。

458 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/07(月) 21:53:30
もともと倭国王は、男子であったが乱を治められず、倭国王は、疲弊
そこへ魏の使節が来日、国王との面会を求めるがもはや倭国王に倭国を纏める力は無く
各小国王との合意の元「卑弥呼」を倭国王とする。

だから卑弥呼には、大きな力は無いが、旧倭王の軍隊は、伊都国にあり
この支配権は、名目上卑弥呼の下にある。

倭王(奴国王)の反対勢力はどの辺にいたか?
神香椎媛も倭王と対峙しています。


459 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/07(月) 22:00:03
>>458
新たな視点ですが、
倭国大乱時魏の使節が来日した痕跡はありますか?

460 :日本@名無史さん:2009/09/07(月) 22:39:09
倭国大乱時にはまだ魏朝は成立しておりません。

461 :日本@名無史さん :2009/09/07(月) 23:00:11
統属の統を「統治、すべ治める」と訳すとどうしても、
女王国に属し(自国を)すべ治めると訳されてしまう。
自国を治めながらも、女王国に従属するという状態。
伊都国は邪馬台国の出張所のような役割をしていて地方に刺史を置いたりしているので、
すべて隷従している感じだから、
統は「すべて」という意味じゃないの。統括の統の用法です。
隷属していると言う意味になりますが。

462 :うましか:2009/09/07(月) 23:18:57
>>461

日本語の「統べる」と言うことであれば、今風に言うと「まとめる」くらいのニュアンスだと思いますが。
倭人伝の「統属」を今風に別の表現で言うと「所属する」が判りやすいのではないでしょうか。
「統属」は動詞的表現ですが、これを「統べる」で説明しようとすると他動詞的になってしまいます。

「世有王皆統屬女王國」では、他動詞「統べる」を使うとすれば、主語は「女王國」としないと辻褄が合わない。
しかし、「女王國」は動詞の後の記述されているので主語では無く客語。
では、主語は何か、と言うように混乱してしまうのではないでしょうか。

私は伊都国の王(S)は、皆女王国(O)に「統属」する(V)と読みたいですね。

463 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/07(月) 23:26:09
>>462
同意同意。

464 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/07(月) 23:41:43
>>462

「統屬」という熟語風に解していいものでしょうか?疑問です。

465 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/07(月) 23:46:15
>>462

>私は伊都国の王(S)は、皆女王国(O)に「統属」する(V)と読みたいですね。


私もおまかには賛成します。

が、これではまた物議を呼び込みそうです。


466 :日本@名無史さん :2009/09/07(月) 23:52:00
>>461
スレ間違えました。すみません。
ドンこいに書いたつもりでしたが、こちらにあったのですね。
こちらと内容がダブっているという指摘がありましたので、訂正とお詫びを。

467 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:30:38
>>466 気にするな

ここは天下御免の雑談すれだ。

468 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:56:24
「吉野ヶ里考古学講座(9月)」を開催します
(財)佐賀県芸術文化育成基金では、吉野ヶ里遺跡の発掘調査の成果、弥生時代の生活・技術・交流、
『魏志』倭人伝の国々など様々なテーマで、毎月、原則第2土曜日に吉野ヶ里考古学講座を開催していますが、
9月は下記の内容で開催します。



1 開催日時  平成21年9月12日(土曜日)(受付)13時00分〜 (講演)13時30分〜15時00分
2 開催場所  吉野ヶ里歴史公園内 弥生くらし館
3 講演テーマ  邪馬台国―朝倉・甘木説の現場から
4 主な内容  
   今回の講座は、朝倉・甘木地域の北部九州における地域的特徴を、その歴史的過程の中で考察することで、
邪馬台国「朝倉・甘木説」の可能性を検討します。
5 講 師   朝倉市教育委員会文化課   川端(かわばた)正夫(まさお)さん 
6 定 員   50名程度(事前申込みは不要です)
7 聴講料   無料 (ただし、別途、吉野ヶ里歴史公園の入園料・駐車料が必要です)
入園料    一般大人400円  一般小人80円
駐車料    普通車300円  二輪車100円
8 お問い合せ  佐賀県教育庁社会教育・文化財課  吉野ヶ里遺跡担当  TEL 0952-25-7233
※当日のお問い合せ 吉野ヶ里遺跡展示室 TEL 0952-52-4130
9 主 催   (財)佐賀県芸術文化育成基金 (吉野ヶ里遺跡保存整備特別会計)

469 :don`ntakuka:2009/09/08(火) 10:24:42
邪馬臺國の生態系  

閔越の末裔の基点は北緯26.074度以北〜北緯29.868度以南、列島は那覇市が北緯26.212度。

一、越の末裔の基点は北緯29.868度以北〜北緯 32.058度以南、列島は口之島(種屋久)が北緯29.987度。

二、呉の末裔の基点は北緯 32.058度以北〜北緯35.581度以南、列島は西都原が北緯32.107度。

三、魯の末裔の基点は北緯35.581度以北〜36.813度以南、列島は出雲・松江が北緯35.402度。

四、齊の末裔の基点は北緯 36.813度以北〜北緯39.594度以南、列島は長野が北緯36.643度。(徐福の末裔の基点も北緯 36.813度、列島は長野で北緯36.643度以南。)

五、燕の末裔の基点は北緯39.594度以北〜北緯45度意以南で列島は盛岡が北緯39.7017度。

この生態系が乱れると、大乱となる。
西都原(北緯32.107度)から畿内(北緯35.581度)は呉の分布。只、
出雲・松江(北緯35.402度)は魯の分布と重なる。

桓・靈閨@倭國大亂は倭在韓東南大海中と基とし、
北緯34.7679度=畿内以南で起こった。が、
韓が半島の韓なら北緯37.658度=会津以南で起こったことになる。

越、呉、魯、斎、燕が邪馬臺國の邪(や)、『や』はya で5のことである。
邪馬臺國の中核に居たのは燕であろう。だから馬臺(またい)なのだ。

燕の国都は現在の北京であった。この北京がthe People's Republic of Chinaの首都であるり北緯40度に位置している。United States of Americaは北緯40度のPhiladelphiaで独立宣言をやっている。
古くは、ノアの箱舟漂着地のアララト山が北緯40度である。
燕はこの系なのであろう。だから馬臺(マタイ)を借用している。


470 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/08(火) 10:28:45
>>469
>畿内以南

これはあんたの言う易学の方位転換とやらで 「畿内以東」 と
いう意味になるんですな?

471 :don`ntakuka:2009/09/08(火) 10:54:29
 其行來渡海詣中國恒使 一人不梳頭不去(虫幾)蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之為持衰
を受けて、
邪馬壹國ですか。
ya mai koku のmai はまい、まひの幣=神に供える物。か?

卑彌呼の誕生から持衰=人身供養が始まったということか?


472 :don`ntakuka:2009/09/08(火) 11:00:55
人身供養の斎場はあの田和山の山頂か?

山頂には4本の掘っ立て柱と八本の掘っ立て柱の神の家があった。
はずだから。


473 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 12:31:30
>>416
>倭在韓東南大海中の『韓』とは、半島の『韓』ですか其れとも、
>中国の戦国七雄のひとつである『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』
>のことでしょうか?

韓有三種、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰
この「韓」は戦国時代の『韓』ですか? 其れとも半島の『韓』ですか?

「兒生欲令其頭扁皆押之以石 倭在『韓』東南大海中 依山島為居 凡百餘國」
don`ntakuka さんが言ってるのはここの『韓』ですよね?



474 :don`ntakuka:2009/09/08(火) 12:59:49
◎後漢書 東夷伝 韓項
「兒生欲令其頭扁 皆押之以石」

◎三国志 魏書烏丸鮮卑東夷伝 韓項
「兒生便以石圧其頭 欲其褊 今辰韓人皆褊頭 」

絶壁頭には特別用はないが、

倭在『韓』東南

韓は倭国の緯度経度領域を決定する重要表記であると。
don`ntakukaは考えている。
また、この領域内で倭国大乱があった。とも推測可能。



475 :473:2009/09/08(火) 13:17:45
473は
「乘船往來貨市韓中 倭在『韓』東南大海中依山島為居凡百餘國」でした。
すみません。

>>474
以前にもいったが、
もう一度、始めから読んでみな。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/gokan-toui.html#wajin

なんで、そこだけが戦国時代の『韓』なの?
他は全て、半島の『韓』なのに、
そこだけ戦国時代の『韓』と読める根拠を教えてください。
それに、私は、あなたから指名を受けた一人ですよ。


476 :473:2009/09/08(火) 13:20:53
それにしても、あっちのスレ
レベル低いな(笑)

『統屬』だってよwww
もういっぺん勉強してこいw


477 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/08(火) 13:23:44
>>474
>倭在『韓』東南

それではここの「東南」とはあんたの易学の法則で方位の変転の記載であると
強行に主張していたことから、「東南」とは実は 「北東」 のことを記述
したのだとあんたは主張してるわけね?

478 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 13:33:38
では、そろそろ落ちます。

また夜かな。

479 :don`ntakuka:2009/09/08(火) 15:19:55
>>475
>なんで、そこだけが戦国時代の『韓』なの?
>他は全て、半島の『韓』なのに、
>そこだけ戦国時代の『韓』と読める根拠を教えてください。

@.倭人在帶方東南 從郡至倭・・・自郡至女王國萬二千余里  魏志倭人伝
A.倭在韓東南   樂浪郡徼 去其國萬二千里 ・・・   後漢書 

Aの韓が半島の韓なら四道将軍の東北制圧は後漢時に完了。
上記が史実なら韓は半島の韓であろう。
若し、四道将軍の東北制圧が後漢時ではないということに成れば、
韓は、戦国時代の『韓』と言うことになる。
それは、緯度の数値が半島の韓と戦国時代の『韓』の相違からおこる。

其地大較在會稽・東冶之東
計其道里當在会稽東治【冶】之東
が許されているから、韓の緯度も列島にスライドさせることは有効であろう。




480 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 15:22:57
>>476
統属なんて難しい言葉は、考えたこともないんだろ。

481 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 15:38:34
>>480
「勉強しろ」の掛け声は、自分への掛け声だから。
まったくデタラメな奴だよ

482 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/08(火) 16:22:54
>>479 don'takuka殿
>会稽・東冶之東

貴殿の易学からの方位変更があったと強行に主張する論から、上の文
は 「会稽・北冶之北」 と読まねばならないわけですね?

483 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 20:43:58
卑弥呼の墓は東照宮。
卑弥呼が魏から貰った鏡は、全国力自慢大会の参加賞品

484 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 21:19:52
一つの古墳から出る大量の鏡は、被葬者が生前に参加した力自慢大会の出場回数。

485 :don`ntakuka:2009/09/09(水) 10:49:09
倭在韓東南   樂浪郡徼 去其國萬二千里 ・・・   後漢書
の韓が半島の韓であるなら、 
北緯は37.658度線上で東経は126.1線上が列島内倭国の領域となる。
それは現在の沖縄那覇から
『古事記』による、『北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した建沼河別命が合流した場所が会津』であるの会津あたりになる。
つまり、倭国大乱は南は丹波から北は会津の領域で起こったことになる。
更に、崇神天皇元年1月13日(紀元前97年2月17日)は、
西暦143年ということになる。
崇神天皇10年に四道将軍が派遣されたのであるなら、
倭国大乱は西暦153年に勃発したことになるだろう。
桓帝・霊帝の治世の間(146年〜189年)が倭国大乱の時間軸内で。

倭国大乱は九州とは直接関係がないようですね。 (^q^) ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

崇神の出自は何処? 九州それとも狗奴国の男王?
勿論、don`ntakuka的には狗奴国は北緯39度以北にあったのだけど。


486 :don`ntakuka:2009/09/09(水) 11:05:21
>>485
崇神天皇元年1月13日(紀元前97年2月17日)は、
西暦143年ということになる。
崇神天皇10年に四道将軍が派遣されたのであるなら、
倭国大乱は西暦153年に勃発したことになるだろう。
桓帝・霊帝の治世の間(146年〜189年)が倭国大乱の時間軸内で。

崇神天皇10年は3倍暦であるから、崇神天皇10年は崇神天皇3.4年となり、
西暦146年に倭国大乱が起こったことになる。
て、か? 


487 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/09(水) 11:09:03
>>485
>don'takuka的には・・・以北

これはあなたの易学的方位逆転の強行な主張から、「以北」は
実は「以西」ということを言いたいんですな?


488 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/09(水) 11:10:44
>>486
それがしの主張と同様、崇神の代3倍暦と言いだしたか。ww

489 :don`ntakuka:2009/09/09(水) 11:14:46
て、か? 

は、
don`ntakuka の論ではない。

人工衛星太国 号の論だべ。

490 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 19:43:42
狗古智卑狗と卑彌弓呼の
関係について話さない?




491 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 19:52:55
やだ

492 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 19:53:24
魏志倭人伝では年代不明、「倭國亂」と記載があり、
後漢書では、桓、靈閨i西暦167〜168年)に倭國大亂が起きた。
梁書では、漢靈帝光和中(後漢の西暦178〜184年)倭國亂とあって
時期がバラバラじゃないのかな?
後漢書、梁書ともに魏志倭人伝を参考にしたと思えるが
後漢書の(西暦167〜168年)と梁書の(西暦178〜184年)どっちが信用出来るのかな?


493 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:02:59
>>491
正直に知らないといえよw

まあ狗古智卑狗と卑彌弓呼の違いは難しいけどね(難易度大)

494 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:07:40
卑弥呼の墓は東照宮にあり

495 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:12:32
それよりヤマト王権とはいつ頃からいい、
大和朝廷とはいつからいうの?

一般的にいわれてるのは雄略天皇ぐらいからは『ヤマト王権』といえる。
大和とという字は記紀には記載されておらず八世紀からで
『大和朝廷』といえるのは八世紀からが普通かな?
もし、かりにだ。
邪馬台国がその前身であるならば
邪馬台国→ヤマト王権→大和朝廷とつながる。


496 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:16:02
>卑弥呼の墓は東照宮

卑弥呼様のお墓は『径百余歩』とあって巨大な円が築かれてるのがわかる。
東照宮に円状のお墓なんてあるんですか?


497 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 20:19:42
狗古智卑狗とは、維新後、東照宮宮司として卑弥呼の墓を守った松平容保の魏使倭人伝名
容保は京都所司代時代、孝明帝より内密に卑弥呼の墓を守る事を託された。

498 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:20:20
>>492
桓、靈閧ニいうのは、桓帝の初年の146年から霊帝の末年の189年の間のどこかということ。
桓帝と霊帝の在位の変わり目のことを指すのじゃないから。
後漢書は幅が広くて、梁書はそれを絞り込んでるわけで、
梁書は何かそれなりの元資料があったんじゃないかと思わせるね。

499 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:23:31
>卑弥呼の宮殿は皇居

皇居といえば、江戸時代には江戸城が聳え立っていた。
もし、仮にだよ
皇居=卑弥呼の宮殿ならば その構築時になにかしらの遺物が発見されたのでは?
今、聞いてるところではそのような話はまるっきり聞かない。
そしてほかにも疑問はある。
今の東京、昔は江戸
江戸は古代 武蔵ノ国といわれていた。
『関東に大王あり』
武蔵ノ国よりも群馬、毛野ノ国のほうがふさわしいんじゃないの?


500 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 20:24:27
>>496
残念な事に、形状は東照宮造営のおりに整理されました。

501 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:29:12
たとえば『関東に大王あり』 だけど
これは『武蔵ノ国』をいってるのではなくて『毛野ノ国』 だよ。
『毛野ノ国』といえば群馬だけど栃木もはるのかな。
皇居は東京。
毛野ノ国ではなくて武蔵ノ国だよね。

卑弥呼のお墓は栃木宇都宮の日光東照宮。←毛野
卑弥呼の宮殿は東京にある皇居。←武蔵
わかれてるのはなぜでしょう?

502 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:30:51
関東の古代関連に詳しくないので間違えてる可能性もありますが

日光東照宮。←毛野近く
皇居。←武蔵  間違えてますか??

503 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 20:31:21
>>499

群馬は三世紀当時、帯方郡の保養所が
水上と伊香保にありました。

卑弥呼城は、現在の皇居内紅葉山一帯に

504 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:32:07
No.1 群馬県
No.2 奈良県
No.3 京都
No.4 岡山
No.5 福岡

505 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:36:33
四世紀〜五世紀の列島をみると

『群馬県』と『奈良県』のツートップだよね
この二つの都市が巨大都市。
逆に紀元前後は圧倒的に『福岡』が都市。
縄文時代は東北のほうに人が集まっていた。


506 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 20:38:06
>>501

毛野は、下野(栃木)上野(群馬)の境付近の狭い地域を言います。

507 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:38:21
ごめん 『奈良県』というのは失敗。
畿内だよね


508 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:41:14
>>498
>桓、靈閧ニいうのは、桓帝の初年の146年から霊帝の末年の189年の間のどこかということ。
>桓帝と霊帝の在位の変わり目のことを指すのじゃないから。
>後漢書は幅が広くて、梁書はそれを絞り込んでるわけで、
>梁書は何かそれなりの元資料があったんじゃないかと思わせるね。

146年〜189年といえる証拠は?


509 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:44:25
>>499
徳川が治める前は 太田家が江戸を治めていたが、
城のあった辺りは田んぼと小さな館しかなかった。

510 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:46:11
狗古智卑狗は菊池彦だよね。
だから狗奴国は熊本県で決まり。

511 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 20:53:00
>>509
太田道灌がこの地に城を築いたのは、この地が城を築くのに最適な環境だったからです。
卑弥呼の城は時空を超えて、太田道灌に受け継がれ
そして家康へと

関東は天照が天城峠にて誕生し、伊東に降り立たった地でもある

512 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:01:55
>狗古智卑狗は菊池彦だよね。
>だから狗奴国は熊本県で決まり。

ないよw

513 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:13:15
>>508
高祖劉邦の即位年について異説があるから、
桓帝霊帝の治世についても、数年の誤差はありうるが、それが重要か?

514 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/09(水) 21:14:13
通典』邊防 東夷上 百濟 新羅 倭國 より
弁辰與辰韓雜居、
靈帝末、韓、wai[扁水旁歳]並盛、郡縣不能制。百姓苦亂、多流亡入韓者。
獻帝建安中、公孫康分屯有、

桓、靈閧ニいうのは、半島でも不安定な時代。


515 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:20:19
>>479
>Aの韓が半島の韓なら四道将軍の東北制圧は後漢時に完了。
>上記が史実なら韓は半島の韓であろう。
>若し、四道将軍の東北制圧が後漢時ではないということに成れば、
>韓は、戦国時代の『韓』と言うことになる。
>それは、緯度の数値が半島の韓と戦国時代の『韓』の相違からおこる。

伝の記事に『四道将軍』をくっつける理由はなに??
475の回答になっていますか?

>>485
>倭国大乱は南は丹波から北は会津の領域で起こったことになる。
>更に、崇神天皇元年1月13日(紀元前97年2月17日)は、
>西暦143年ということになる。
>崇神天皇10年に四道将軍が派遣されたのであるなら、
>倭国大乱は西暦153年に勃発したことになるだろう。
>桓帝・霊帝の治世の間(146年〜189年)が倭国大乱の時間軸内で。

残念でした、倭国大乱の時期は西暦153年ではない。

516 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:23:06
>>514
>桓、靈閧ニいうのは、半島でも不安定な時代。

質問、
後漢書の大乱はどこで起こったのでしょうか?
その大乱とは西暦に直すと何年?

>>511
詳しい


517 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:25:46
隠しきれない 移り香が
 いつしかあなたに 浸みついた
 誰かに盗られる くらいなら
 あなたを殺していいですか

 寝乱れて 隠れ宿
 九十九折り 浄蓮の滝
 舞い上がり 揺れ堕ちる肩のむこうに
 あなた・・・山が燃える

 何があっても もういいの
 くらくら燃える 火をくぐり
 あなたと越えたい 天城越え


518 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 21:28:01
狗奴国は(旧安房国)

あの有名な里見八犬士は狗奴国の末裔たち。狗には子犬という意味があるのも
狗奴国の流れをくむ者が犬に関連したことに由来する。
各地に飛び散った末裔たちが、先祖の地安房に集結するのも何かの因縁というものだろう


519 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:30:11
河童虫がプラムになると電波が強くなるん?

520 :508:2009/09/09(水) 21:34:08
>>513
>高祖劉邦の即位年について異説があるから、
>桓帝霊帝の治世についても、数年の誤差はありうるが、それが重要か?

??
『数年の誤差』があると なんで146年〜189年の範囲となるんだよw
オメーじぶんで数年といってるんだぞww

乱は西暦167〜168年が正解だろう
もし数年の誤差があるなら
ここからプラスマイナス数年。



521 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/09(水) 21:38:52
四道将軍は、冬の進軍、せいぜい岐阜県のアイヅがやっと。
この時、大和に対峙するような国は、有りません。
12年異族多帰 この四道将軍により連行された現地の人々。
1年後には大和の生活にも慣れた、対峙する敵方に人間が反抗もせず慣れる事は無い。


522 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 21:48:00
天城越えで忘れてはいけないのが

あの清朝最後の皇帝と言われた愛新覚羅溥傑の姪、愛新覚羅彗生と大久保武道
による天城心中
源義経の末裔ではないかとの噂のある清朝皇帝の末裔の彗生が、因縁の伊豆山中で
まるで義経と静御前のごとく散ってゆきました


吉野山、峰の白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき
しずやしず、しずの苧環繰り返し、昔も今に、「なすよしもがな(成吉思汗)」



523 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 21:52:15
たぶんこの愛新覚羅彗生は、遠い先祖である天照が
この地に導いたのではないでしょうか?
清和天皇の末裔でもある源義経、その末裔とも噂される愛新覚羅彗生

524 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:56:14
>女王国≠邪馬壹国、
>こうしないと倭人伝の、倭女王と倭王の区別が出来ない。

倭女王=巫女
倭王=男弟

むかしは「王」より「巫女」のが『格上』。
そして女王国=邪馬壹国が正しい。


525 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:57:25
>>524は向こうに書くつもりでした

まあ、ここでも良いか

526 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 21:58:44
なすよしもがな(成吉思汗)=ジンギスカン
あそれ  ♪ジン・ジン・ジンギスカン・・・

527 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 22:08:48
さて話はもどって卑弥呼の墓だが、現在はその所在は未公開ということで
一般的には知られていないが、
実はその位置を示す暗示が彫刻師の手によって施された。

東照宮造営にあたった職人たちは、工事中見た卑弥呼の墓のことは
「見なかった、聞かなかった、言わない」という戒めの三猿の彫刻
この三猿の彫刻の隣に「母子の猿」の彫刻があることはご存じだろうか?
三猿があまりにも有名なために、気に留める人も少ないようだが
実はこの母猿の眺めている方向に卑弥呼は眠っているという暗示なのだ

写真をよ〜く眺めてほしい。 母猿が子猿を腹の前に置き
手をかざして遠くを眺めているではありませんか

これが彫刻師が後世に残した卑弥呼の墓の位置を示す、物言わぬ伝承です。

528 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 22:10:11
東照宮母子猿の彫刻です。

http://sat.cside3.jp/home/1/tra27-1-5.html

529 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:10:13
>>520
>乱は西暦167〜168年が正解だろう
>もし数年の誤差があるなら

そっちかw
オレが言ったのは、桓帝即位の年を西暦になおすと167年か168年か
そのくらいの誤差はあるだろうということ。
だから「およそ146年から、およそ189年の間」ね。
桓霊間が桓帝の初年から霊帝の末年の間っていうのは常識だよ。
桓帝と霊帝の境目なんていう読み方はないw

530 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:12:53
書き間違えた。

桓帝即位の年を西暦になおすと146年か147年か、
そのくらいの誤差はあるだろうということ。

531 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:15:58
九州最古の前方後円墳
http://www.ctb.ne.jp/~himeno18/fudoki.html

前方後円墳のルーツを探るより


532 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:17:04
流石プラム。他のレスが色褪せて見えちゃうよ。

533 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:21:33
>>529-530

靈帝末 ←これは西暦に直すと何年?!


534 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:28:16
>>522
梅毒、静御前は散っちゃあいないぞ
頼朝に保護されとる

535 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:28:56
>>532
そうかあ? もはや邪馬台国についてまともに話すのが馬鹿臭くなってからしばらくなるようだな。
このままでは、単なるWikiちょこ調べ野郎になるんじゃねの?

536 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 22:34:53
>>534
確かに静御前は散ってはいませんが、義経と離れ離れになってからの静御前は
散ったも同然でしょう。
しばらくは義経恋しさの気持ちがありましたが、平泉での訃報を知ってからというものは


因みに静御前の終焉の地は、埼玉県の栗橋
JR栗橋駅ホームにも立て看板があったと記憶しています。

537 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:38:46
>>535
それは住人皆が河童に望んだ事なんだから、別にいい方向じゃないの?

538 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:40:15
消えてくれるのが最善なのだが・・・

539 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:43:38
>>583
消えてくれるの望むよりは、追い出すか自分が消える方が確実だと思う。

540 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:48:05
消える事なんて有り得ないよ。プラムさんは意識的に固定をスレ毎に使い分けてる。
ドンこいスレでは河童虫で真面目なレスだし。

541 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:50:09
>>539

河童&プラムと太国はNG設定であぼ〜ん化してるんだが、
たまに名無しで書かれると目に入っちまうww

542 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:51:25
>>540

「真面目なレスだし。」

この一言で御本人であることが丸見え。


543 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:52:39
>>533
霊帝の在位期間なんて、ちょっとググればわかるのに、なんでそんなこと聞くの。
なんか意図があるのかな?
それはさておき、霊帝末は、霊帝在位最後の一年のことではなくて、
漠然と、末期の数年を指していると思うよ。

544 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 22:56:46
>>542俺じゃないよ

545 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 23:00:59
>>541 プラムだよ〜

太国さんと私がNGなら
このスレ全て「あぼ〜ん」も面白いかもな

546 :日本@名無史さん:2009/09/09(水) 23:06:37
ドツボはハンドル替えたりして、いろいろ対策立ててくるからな。
ビューアのアボーン機能が効かないんだよね。

547 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/09(水) 23:29:09
さ〜て徐々に明らかになっていく卑弥呼の墓
やはり卑弥呼の墓はあの「母子猿」がカギを握ってそうですね
母子猿は確か西の方眺めていたので、やはり二荒山神社境内か、家光の廟所内

後はかなり可能性は薄いが、二荒山神社のご神体の一つでもある男体山か?
一時東照宮門前のカステラ屋がやたらと繁盛していたようだけど、あれも卑弥呼神事の御利益か?

たぶん、卑弥呼の墓を作った作業員達は
作業終了後中禅寺湖まで連れて行かれ、華厳の滝の上から口封じのために突き落とされたか?
以前、日本テレビの「特ダネ登場」という番組で
華厳の滝に写る心霊写真が紹介されたが、あれはもしかすると卑弥呼の墓造営にかかわって
悲運にも突き落とされた作業員の霊か?

548 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 00:53:34
系図に詳しい人ならわかると思うんだが
太田道灌の先祖は卑弥呼な。
家康は征夷大将軍になるため源姓系図に色染めしちゃったけど
本当は太田道灌
世の中色々事情があるわけよ

549 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 07:48:25
倭人伝にはそれぞれ区間距離が書かれているが
この区間距離が意味するものは、
使用料金が一目でわかるようになっている。
現在で言うと高速やJRの運賃システムと同じ
千里と書かれていれば、その区間を通るのに千里分の通行料金を支払い、餘里はチップ。
郡使や定期通行者には割引定期券を発行するシステム。

550 :don`ntakuka:2009/09/10(木) 10:24:20
三、魯の末裔の基点は北緯35.581度以北〜36.813度以南、
列島は出雲・松江が北緯35.402度。
四、齊の末裔の基点は北緯 36.813度以北〜北緯39.594度以南、
列島は長野が北緯36.643度。
(徐福の末裔の基点も北緯 36.813度、列島は長野で北緯36.643度以南。)

>>501
>卑弥呼のお墓は栃木宇都宮の日光東照宮。←毛野
>卑弥呼の宮殿は東京にある皇居。←武蔵
>わかれてるのはなぜでしょう?

日光東照宮は北緯36.758度で斉の国都営丘(現山東省淄博市)が北緯36.813度で対峙し、
皇居は北緯35.687度で魯の国都曲阜 (現山東省曲阜市)が 北緯 35.581137と対峙している。

これは、卑弥呼を共立したのは『斉と魯の末裔』であり、『呉越の末裔九州』は、関係ない。
喩、出雲・松江の北緯35.402度が北緯35.687度の皇居のへ移行しようと、
長野の北緯36.643度が北緯36.758度の日光東照宮へ移行しようと
それら子孫の生態系は同緯度で保存されているだろう。


551 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 10:38:30
>>548 名前:プラム
家康は征夷大将軍になるため源姓系図に色染めしちゃったけど

家康の爺ちゃんは、福島の出自で踊念仏の布教者だった。

ここでも、会津が粘着しているね。


552 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 11:28:36
家康の爺、松平清康が福島の出なら、卑弥呼→太田道灌の流れをくむのは松平信忠の娘で清康は娘婿。
もしかしたら
清康は、難升米の末裔かもしれない。
難升米の末裔は、卑弥呼の墓守り北部警護するために
福島の地に根をおろした。

553 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 11:55:12
書き込みが出来ない。

554 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 12:14:42
二代将軍秀忠の庶子保科正之が会津に封されたのも、清康の役目を受け継ぐ形をとったと
考えられる。
代々会津松平家の極官位が「正四位下近衛中将」なのも、かつて難升米が魏から下賜された「率善中郎将」を意識しての事か?

555 :don`ntakuka :2009/09/10(木) 12:31:39
BBQ status Boo2008リスト で書き込めない。


556 :don`ntakuka :2009/09/10(木) 12:33:42
>>503 :プラム
群馬は三世紀当時、帯方郡の保養所が
水上と伊香保にありました。

なら、帯方郡の領域は水上や伊香保と同緯度の北緯36.5度辺りまであった。
といことか?
必然的に韓の領域緯度も下がる事になるが、
何れにせよ卑弥呼の血は齊の末裔(徐福を含む)でアッカド系になるだろう。
従って、邪馬壹國は北緯 36.813度以北〜北緯39.594度以南が濃厚だな。


557 :プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/10(木) 12:35:02
最後の会津藩主松平容保が、京都守護職時代
孝明帝より戴いた御宸翰の中には、多分長年に渡る卑弥呼の墓警護に対する
慰労の言葉があったと思われる。
会津落城前に、城代家老西郷頼母に御宸翰を委ね城を落ちさせたのも
御宸翰を官軍の手には絶対に渡したくなかったからだろう?

明治になって
東照宮宮司となった容保に、頼母は御宸翰を手渡し
官軍の手には渡る事はなかった。

558 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 12:54:01
孝明帝からの慰労の言葉の話は、実は元新撰組隊士永倉新八から広がった話とか?で

思いがけない慰労の言葉を戴いた容保は、
酒の席で嬉しそうに新撰組隊長近藤勇に語ったという。
それを屯所に帰ってから新八に話し、現在こうして
世に出たわけだ。

559 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/10(木) 13:20:16
>>527
>「見なかった、聞かなかった、言わない」という戒めの三猿

栃木県宇都宮市にあるあの有名な日光ですね。
数年まえにいったことあります。
そこがどうしてヒミコさんと関わるのか説明してほしいです。

「彫刻師が後世に残した卑弥呼の墓の位置を示す、物言わぬ伝承」ではなく、
また違った伝承の可能性もあると思います。


560 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 13:52:06
>>559
所謂「東照宮」


列島の東の地に、天照縁の永遠の宮

561 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/10(木) 14:06:10
ん?卑弥呼さんとどのように関わるのか?聞きたいんですが。

それにしても日光というのは懐かしい。
以前、会社がらみの用事があり、待ち合わせ場所がその近くでしたんですよ。
そのついでに連れて行って貰ったんですが、階段がとにかく長かった覚えがあります。
そこは徳川家康が祭られてるところで卑弥呼とはあまり関わらないとおもってたのですが。

562 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 14:18:21
関東は卑弥呼系統が支配する地です。

563 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/10(木) 14:25:15
>>550
ムー誌の次の11月号は君がそれがしに要求してた出雲大社の幻視と似た特集記事
となるようだが、どうやら当時君は2回分後の号の同誌の特集記事を知悉して
いたようだが、何故知ってたのかね?

>以北・・・以南
そうするとこれは君の言う易学の方位逆転により 以西・・・以等 と90度づつ
変転するのですな?

564 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 14:27:55
日光は最初から卑弥呼の墓所。家康は、ワサワザ久能山から無理矢理日光に神として奉り、卑弥呼を掻き消したのです。

565 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/10(木) 14:48:44
>関東は卑弥呼系統が支配する地です。

卑弥呼=天皇家とし、近畿のヤマトと深いつながりがあったケヌと言いたいわけですね。

>日光は最初から卑弥呼の墓所

これは面白そうですね。
第6回全日本邪馬台国論争大会が開催に参加してみてはどうか。
http://inoues.net/club5/kunisaki0.html

ちなみに第5回全日本邪馬台国論争大会の論者は全国公募した17人から選ばれ
・東京都練馬区、元会社役員鷲崎弘朋さん(66)(宇佐中津説)、
・千葉県山武市、農業金田弘之さん(62)(朝倉説)、
・大阪府吹田市、会社員井上修一さん(59)(日田・吉野ヶ里説)、
・鳥取県境港市、会社員田中文也さん(53)(山陰説)、
・鹿児島市、主婦高橋ちえこさん(64)(宇佐説)の5人らしい。

上のホームページの井上修一氏もこれに参加してたらしいよ。
鷲崎弘朋氏とう人も今度本を出版するという噂がありますし、
けっこう、レベル高かったのではなかろうか。
プラムさん〜次、参加しなよ〜・

566 :don`ntakuka:2009/09/10(木) 15:03:13
横レスですが。
>そこがどうしてヒミコさんと関わるのか説明してほしいです。
1. 『日光東照宮』は『神武陵(北緯34.5度)と平泉(北緯39度)』の中央であることは間違いない。
2. 邪馬壹國が北緯 36.813度以北〜北緯39.594度以南領域で,これは齊の末裔(徐福を含む)で、共立した魯の末裔は北緯35.581度以北〜36.813度以南なら、その中央は北緯37.5度の会津若松でなければならない。
それが、北緯36.758度の日光東照宮を中央としているのは、呉の末裔の領域はの北緯 32.058度以北〜北緯35.581度以南が、卑弥呼の先史として係わっていることになるだろうね。
>>563 名前:太国
>どうやら当時君は2回分後の号の同誌の特集記事を知悉していたようだが、何故知ってたのかね?
あのね〜〜。
don`ntakukaの書きこは海外からなの。日本を離れて20年にはなる。ムー誌の関係者など無関係の関係だよ。ムー誌にどのようなことが載るのか知らないが、2chの書きこは、ほぼdon`ntakukaのオリジナルなのだ。


567 :don`ntakuka:2009/09/10(木) 15:04:32
don`ntakuka wa kakikomi kinnsini natta youda. /////??????


568 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/10(木) 15:08:45
>>566
じゃぁ来月出る11月号予定のその記事は、偶然だというのか?
なんでもマクモニーグルが出雲大社のどこそかを透視したんだそうだ。

早く北が西だとか言うなら返事せい。オマエの言い分が正解なら、
具体的に説明を加えて軽く答えられえるだろう?

569 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/10(木) 15:10:17
>>566
日光東照宮は神武陵(北緯34.5度)と平泉(北緯39度)の中央
というのはよくわからいないのですが・・・w
don`ntakukaさん〜海外から書き込みとは驚き〜!
海外はどこですか?

570 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/10(木) 15:13:03
この時間からしたらアメリカか、イギリスかな?

アメリカというのは日本より、約16時間 時間が遅れてる。

571 :don`ntakuka :2009/09/10(木) 15:29:18
>>569
日光東照宮は神武陵(北緯34.5度)と平泉(北緯39度)の中央
というのはよくわからいないのですが・・・w

神武陵の北緯34.5度で平泉が北緯39度ですから、その中央は北緯36.75度。
日光東照宮の緯度は36.758度ですから、神武陵と平泉の丁度真ん中に位置している。

>早く北が西だとか言うなら返事せい。

宇宙人の言葉は理解出来ません。

572 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 15:30:12
では
近いうち、邪馬台国ハワイ編でも挑戦し、完成したらディズニーワールド編
次にナミビア編、モルジブへと移る

世はグローバルな時代だ

573 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/10(木) 15:47:10
鷲崎弘朋??

太国 ◆yVAs7uaYlY さん・・・あんた一発で逃げて帰ってきちゃダメじゃんw
たまには、わたしが行ってきてやるかw

http://hpcgi3.nifty.com/washizaki/bbs/wforum.cgi?mode=allread&no=201&page=0


574 :don`ntakuka :2009/09/10(木) 15:49:27
福島の出自の家康の血は、畿内と福島の中央に権現様として居座りたいのは
人情だろう。

だが、江戸は遷都されていない。

最終遷都地は北緯37.5度であるから、
日本の首都が北緯37.5度に移される可能性が有るが、
宗谷岬から波照間島迄が日本国であるから、その中央は緯度34.8766度線上であろう。

575 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/10(木) 16:52:00
>>571
そうするとオマエがそう言ってたわけだから、オマエはオマエが
宇宙人だと自認してるわけだ。ppp

576 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/10(木) 16:53:55
改め
オマエな〜に鷲崎さんところでマルチでグズッてるんだ?ww

577 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 18:59:15
ついに馬鹿コテ以外いなくなったな。

578 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 20:44:02
オカルト的なレスばかりだな。つまらん。

579 ::2009/09/10(木) 21:05:01
>>577-578

君とはラベルが違うてw

>>576
いちいち言わないでくれよ 恥ずかしいんだからw



580 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 21:21:09
さて、郡使をホノルル最終便に間に合うように
予定組まなくっちゃな

581 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 21:25:37
>>579
このスレが続く限り、ず〜と遊んであげるからね
さびしくなったらお花畑から沢山応援呼んで遊ぼうね

582 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 21:33:54
聞け、神の声を聞け

卑弥呼のつく神の言葉を聞け
西野方を見よ、人々が来る

卑弥呼の奴隷1000人よりもはるかに多くの人々が来る

海の彼方の魏の国には多くの奴隷を送り、多くの貢物をしなくてはならぬ

この国は大いなる国

卑弥呼のいる大いなる国        壹與(台与)

         映画「卑弥呼」より
    

583 ::2009/09/10(木) 21:51:07
こっちも書き込んでたのか。

倭人伝の文字数だけど、
たまに1994文字とか言ってる人いるけど〜あれはウソだね。

魏志倭人伝(紹熙本のほうね)の文字数は1995文字が正解。
「其俗不知正歳四節但計春耕秋收為年」記事をあわせると2012文字。

まあ、約2000文字てことだね(少し細かいとか言われそう)。


584 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 22:02:07
九州説論者がオカルトに走ってる様を見ると、
完全に畿内で決まりなんだなと感じる。

585 ::2009/09/10(木) 22:16:17
どいつも勘弁してくれWWW

あ、ちなみに、わたしは畿内説デス。



586 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/10(木) 23:23:23
畿内説だって?

気取ってんじゃねーよ ボケが
もう一度肥え溜めで顔でも洗って出直してこいってえんだ

邪馬台国は関東に決まってっぺよ

587 :日本@名無史さん:2009/09/10(木) 23:52:10
実際もう畿内説で固まってるのだが、
一部の電波な人が騒ぐと業務に支障をきたすので、
決して断定口調では話さないように、との事です。

あんまり迷惑かけるなよ、誰とは言わんが。

588 ::2009/09/11(金) 00:28:10
えらぃこちゃ えらぃこちゃ !!

ドンコイ荒れてるやん こっちへ避難。

>>587
畿内説でほぼ確定。
しかし、その畿内説にも大きな穴があいてるのが現状。

>>586
邪馬台国=関東

他の人はどうゆうか分かりませんが
私は面白いと思う。
船を漕ぐメンバーに私も乗せてもらったとしましょう(6人乗り)。
九州から近畿まで半月もあれば到着してしまうのでは と思います。
海部氏というのは船のリに長けた豪族と聞いており、
その時代の約200年後に栄えるわけですが、8人乗り以上と思える
船が描かれたハニワが大分県大在付近(彼等の拠点)より出土されました。
それを考えると・・・本当に2か月もかかったのかなと思える。


589 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 00:41:28
河童虫はいないか?河童虫はいないか?河童虫がここに来たら追い出せよ
プラムはいないか?プラムはいないか?プラムがここに来たら追い出せよ
プラムは出て行け。プラムは出て行け。プラムは出て行け

590 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 00:59:36
今後の教科書では「卑弥呼=朝鮮人」となります。

公明代表「政策次第で民主党と協力も」鳩山代表と会談★6
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1252589770/



591 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 01:28:56
もう、畿内説で決まりだろ。

畿内説たらずんば人にあらず、という雰囲気が学界を支配しているのも事実。
畿内説に逆らうのは異端の野良犬だけ。





畿内説の唯一の難点は本気で畿内説を信じている学者が一人もいないことくらいだろ。



592 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 01:40:46
>>346
倭国全体交易国家で
海運業者がいくらでもいたと思う。

593 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 05:55:21
●邪馬台国時代の倭の習俗と社会

男はみな入れ墨する。もぐって魚・貝をとるときに大魚や海獣の害をさけるためだったが、のちに飾りになった。
この国は、会稽郡東冶県の東にあたるらしい。男子は中国のように冠をつけず、みずらを結い、布をかぶっている。
体には横長の布をまきつけている。女子は髪をたばねて、単衣の布の中央に穴をあけ、そこから頭をだして着ている。

稲・麻を植え、カイコをやしない、絹糸をつむいでいる。ここには牛、馬、トラ、ヒョウ、ヒツジ、カササギがいない。
矛(ほこ)・楯・木弓を武器とし、竹の矢は鉄か骨の鏃(やじり)である。  
気候は温暖で、年中生野菜を食べ、裸足(はだし)で生活している。まるでおしろいのように、朱を体にぬっている。
飲食には高坏(たかつき)をつかい、手づかみで食べる。棺はつくるが外箱はなく、地面にうめて上に塚をきずく。

人が死ぬと10余日は喪に服して肉を食べず、喪主は号泣し、ほかの人は歌舞・飲酒する。
埋葬がおわると家族みんなで水浴びにいく。

倭人が中国などにわたるときは、持衰という男が髪もとかさずシラミもとらず、衣服もあらわず、肉を食べず、女も
近づけないで、ひたすら謹慎している。
もし航海がうまくいけば褒美をあたえられるが、一行が病気や損害をうければ殺された。

物事の初めや往来には、焼いた骨にはいったひびをみて吉凶を占う。
人はみな酒好きで、100歳や80〜90歳くらいまで長生きする人が多い。
支配層はみな4〜5人、一般人でも2〜3人の妻をもつが、女子はみだらでなく、嫉妬(しっと)しないし、盗みなどもしないので訴えごとが少ない。

支配層の者にあうと一般人は道をゆずって草むらにはいり、命令をつたえるときは一般人はひざまずいて両手を
つき、承知したら「あい」という。

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/himiko.html

「あい!」wwwww


594 :don`ntakuka:2009/09/11(金) 12:54:33
>>572 名前:プラム
>近いうち、邪馬台国ハワイ編でも挑戦し、完成したらディズニーワールド編
>次にナミビア編、モルジブへと移る

どんなに引っ張ってもズッコケルのが落ちですね。
卑弥呼の墓は(畿内)北緯34.5度線上だろう。
複線が有るとすれば、(出雲)北緯35.5度。
これ以外には絶対にないのだ。
九州に卑弥呼の墓があるなど論外でしょう。
>>556
群馬は三世紀当時、帯方郡の保養所が
水上と伊香保にありました。
の、
出自を教えて下さい。

>>593
>、承知したら「あい」という。
「あい」は、『はい』だろう、古マレー族の特徴で、『H音』が欠落する。
『hai は ai 』 『hita は ita 』『hitati は itati』の様に。

古マレー族の代表種族は、イタ系ですね。


595 :don`ntakuka:2009/09/11(金) 12:55:32
誤爆で失礼!
>>501 名前:河童虫
「其餘旁國遠絶」の「旁」は、
この場合「旁」と表現する基は、「自女王國以北」と書いてあるので
女王國の基である女王の都となり、女王の都から北(一方向)に、隣の地域の更に北にある隣の地域となります。
これが「旁國」
て、
會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國
↑これか?
>「自女王國以北」と書いてあるので 女王國の基である女王の都となり、
は、
女王国とは北緯39度から北緯30度迄をいう。

女王の都から北(一方向)に、隣の地域の更に北にある隣の地域となります。
は、
女王国南限(=北緯30度)から南(一方向)に、、隣の地域(=對海【馬】國=北緯26度)の更に南にある隣の地域(=狗邪韓國=北緯24度)となります。

don`ntakukaの論旨は河童虫さんの解釈と摺り合わせをしたごとく精度が出てますね。       ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ


596 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 13:13:17
卑弥呼の墓
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/himiko.html

597 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/11(金) 14:08:29
>>595
>北にある隣の地域

そうするとこれは、君のえらくうるさく言う易学の方位の変更になるという論理
で、実は 西にある隣の地域 という意味になるんですな?

598 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 18:25:42
このスレはすでに河童によって腐れ果てた。いまに黒い山羊が来る。メェー、メェ−。

599 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 18:52:50
サガミハラハラ説
佐賀県小城市甘邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡(サクラオカ)です。
卑弥呼は誰?というしつもんですが、卑弥呼は邪馬台国の女王です。
183年に即位し、248年にぼっしています。
在位中の240年頃、吉野ヶ里にあった都を小城甘木に遷都しております。
その際それまでの邪馬壱国を邪馬台国と国号を変更しています。

あんた吉野ヶ里説だったの?

600 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 19:06:13
縄文人 ◆cM49xEAzX6
サガミハラさんの説が少しわかりかけてきました。私のとは少し違いますね。
邪馬壹国は熊本県と宮崎県に跨がる広い国でした。西都原はその墓域です。
大分県東部は邪馬壹国の版図ではありませんでしたが、邪馬壹国とは極めて友好的な関係にありました。神武が東征に出かける
とき日向から船出しますが、邪馬壹国は有明海の港と日向の港を持っていて、日向の港は九州東部や四国や中国地方との交易船
の出入りするところでした。倭国大乱の頃、邪馬壹国の一王子であった神武は日向に派遣され、ここで軍船を整え、船出します。
途中宇佐に立ち寄っていますが、ここで兵員、補給船などを補充して瀬戸内へと向かいます。この後、倭国内は邪馬壹国の王女
卑弥呼を共立して一旦平和を取り戻します。

日向は玄海難、有明海とはあきらかに文明が違うと思う。
日向、大隅、薩摩とか聞いたことある?


601 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 19:14:19
ニートスレに負けるなw
がんばれ がんばれ ww

602 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 19:53:08
www



603 :質問:2009/09/11(金) 21:00:03
庄内式土器に詳しい人いる?

庄内式土器は九州発祥の噂あり
その九州発祥の土器とはどこで出土されてるのですか。

604 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/11(金) 21:22:41
庄内式土器を九州で探すなら佐賀県かな。


605 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 21:28:34
あ、唐松山さん知ってます?

ひとつは吉野ヶ里 他、佐賀県でみつかってましたけ?



606 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 21:31:33
>>598

>このスレはすでに河童に腐れ果てた。

それは大変だ、早急に何とかしよう。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。

スレ住人全員の総意だ。二度とここに投稿するな。

河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。

スレ住人全員の総意だ。二度とここに投稿するな。

お前は隔離スレで一人さびしくオナレスしてろ
ここには二度と来るんじゃない。

河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。
河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。河童虫は出て行け。

スレ住人全員の総意だ。二度とここに投稿するな。スレ住人全員の総意だ出て行け




607 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 21:33:35
庄内式土器の出土地は、次の資料にあるよ。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku238.htm

608 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 21:37:46
>>607
ありがとさ〜ん

ちと読みますね


609 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 21:51:19
なるほど、なるほど〜・・・!
赤塚古墳といえば、前方後円墳の起源の可能性がある古墳。
ここからも出土されてたのか。
これはびっくり。
だから、畿内発祥とか、九州発祥とか議論してるのか。

しかし、畿内から九州へというのが一般的なんでしょ?
それはどうしてなのかな?
九州の赤塚古墳よりも古いのは畿内にあるとか?


610 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 21:58:07
板付周辺からも出土されてるのか・・・
いやーーー板付遺跡といえばかなり古いよ?

ほんと、九州発祥なんじゃない???ww




611 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 22:27:24
<太平御覧>
女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人

太平御覧では「殉葬」と明記されています。
したがって、魏志倭人伝の「徇葬」もこれが考えられる。


612 :縦目仮面:2009/09/11(金) 22:31:08
>>609
>しかし、畿内から九州へというのが一般的なんでしょ?それはどうしてなのかな?

九州から畿内でないと安本先生の説に大きな支障をきたすんですよ。「ドンと来い」で何度も
出てきたじゃないですか。

613 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 22:34:14
>>612
安本なんてどうでもいいですw
ただ、どっちが発祥なのか?知りたくはないですか?

それと、あした、愛さん来るよ〜少しレスを回しててやろうよ
少しスレまわすの手伝って ALL


614 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 22:43:59
サガミさんいます?
貴方、吉野ヶ里から都を移したとかいってましたよね?

あの、何百とある甕棺墓は墳丘の王に対しての殉葬とか陪塚といか考えてるのでしょうか?


615 :サガミハラハラ:2009/09/11(金) 23:02:13
墳丘墓は極めて身分の高い人が葬られるところです。、他はそれほどの身分が高くないひとが葬られていると思います。
殉葬陪塚があるかについては甕棺の埋葬状況(位置等)をしらべないとわかりません。
ただ、殉葬でも奴婢のような身分のものは甕棺は使用しなかったとおもわれます。

616 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:02:16
>>613
庄内式の発祥について確実に言えるのは、


九州の庄内式は弥生末期の遺跡、墳墓から出土する。

畿内の庄内式は古墳時代初頭の遺跡から出土する。


というはっきりとした出土傾向があるということ。


617 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 23:13:45
>墳丘墓は極めて身分の高い人が葬られるところです。、他はそれほどの身分が高くないひとが葬られていると思います。
>殉葬陪塚があるかについては甕棺の埋葬状況(位置等)をしらべないとわかりません。
>ただ、殉葬でも奴婢のような身分のものは甕棺は使用しなかったとおもわれます。

お、いた、いた、吉野ヶ里を知ってるのは
貴方とローガンさんぐらい?!なので〜助かります。
そうすると、吉野ヶ里のアレは、陪塚と考えてるのでしょうか?

貴方の、そのレスからはそんなかんじに聞こえる。
まあ、殉葬例と思われる玄海難の平原のは土こう墓ですし、そうかもしれませんが、
金隈遺跡なんかのは、身分の違いではなく、時代てきな違いが生じ、甕棺墓とそうでないものが有るというふうに聞いています。
だから、いちがいに、身分の低いものには甕棺は使用しなかったとは言えないと思う。
しかし、こうしてみると、邪馬台国=吉野ヶ里説 なかなか倭人伝の記述に当てはまりますよね。



618 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 23:18:05
>>616
「鉄」にしてもそうですし九州と畿内とでは
100年ぐらい違いがあるといわれてますよね(W期、X期の差ぐらい)。
んで、どちらが有力なのでしょうか?
一般的にいわれてるのは、畿内の土器が九州に入ったとかだったと思うのですが・・。

619 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:23:14
>>618
むかしは畿内の文化が1〜2世紀遅れて地方に伝わったという説が有力だった。
東国の古墳は同じ形の畿内の古墳より1〜2世紀古いとされていた。

しかし、今では東国も九州も、畿内と同じ形の古墳は原則として同時期であると
判明している。

だから、出土状況だけを単純に比較すると、九州の庄内式の方が古いことになる。


620 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:30:23
>>619

>九州の庄内式は弥生末期の遺跡、墳墓から出土する。

>畿内の庄内式は古墳時代初頭の遺跡から出土する。

この表現がまやかしなだけ。

西新式は、出土状況から見て畿内庄内式と並行する様式だろ。
筑前庄内は、西新に先行する土器様式なのか?
そうじゃないだろうw

621 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 23:33:50
>>619
>出土状況だけを単純に比較すると 九州の庄内式の方が古いことになる。

なるほど、板付(これはすごい)、赤塚とかですもんね。

>>620
西新式土器は順番からすると最後というふうに聞いています。
とすると、貴方は、畿内と九州の庄内式、どちらが発祥と考えてるのでしょうか。


622 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:39:16
>>620
九州の庄内式は、例えば吉野ヶ里の環濠からも出土している。
つまり、環濠集落の終末期。

一方、畿内の環濠集落で庄内式が出土した例を私は知らない。
畿内の庄内式は明確に古墳時代以降であるものが大半である。


出土状況を素直に見るか、それとも畿内で始まって全く広がっていなかった
初期の庄内式が九州からの大量発注により、ピストン輸送されたとかの
鏡の特鋳説のような考えを取るかの選択が必要である。


まあ、畿内説の大半は、九州で庄内式が出土していることに一切言及しないがww


畿内説の学者のプライドなんてしょせんこの程度だろwwwww

623 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 23:41:41
すっかり考古学授業になってるよねw

まあ、たまには文献ばかりではなく、他のことも覚えていかないとだな。


624 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/11(金) 23:46:02
>九州の庄内式は、例えば吉野ヶ里の環濠からも出土している。

吉野ヶ里の南内郭まわりの、溝ですよね。

庄内式が畿内発祥か?九州発祥か?
わたしは畿内説ですが、特にどちらが先でもいいというか、
実際どうなの?ていう目でみてる。



625 :サガミハラハラ:2009/09/11(金) 23:53:31
吉野ヶ里の墳丘墓の埋葬は数代にわたっているようなので、その陪臣をほおむったのは丘から北内郭までの間の甕棺墓
群の中にあると思います。勿論甕棺墓群は陪臣のものばかりではありません。

確かに文明の伝播には時間差がありますが、古墳時代の前方後円墳にかんしては、その製作方法等が中央できめられているようですので、時間差はないものと考えています。

626 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:54:35
>>622

> 九州の庄内式は、例えば吉野ヶ里の環濠からも出土している。

ウソ。
吉野ヶ里の環濠から「庄内式」が出たと言うソース出せますか?
出せないでしょう。

ただ、吉野ヶ里の終末が西新期にかからないとは言いませんがね。



627 :日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:59:56
>>626
ググレカス  (AA略)

628 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 00:12:34
>>625
>吉野ヶ里の墳丘墓の埋葬は数代にわたっているようなので、その陪臣をほおむったのは丘から北内郭までの間の甕棺墓
>群の中にあると思います。勿論甕棺墓群は陪臣のものばかりではありません。

うん、うん、そうですよね。

>確かに文明の伝播には時間差がありますが、古墳時代の前方後円墳にかんしては、
>その製作方法等が中央できめられているようですので、時間差はないものと考えています。

うーん たとえばの話で、金隈遺跡の話をだしたんです。
甕棺墓と土こう墓が一緒になっている丘(墓)で、金隈遺跡の場合は土こう墓が先に埋葬されてました。
その後で同じ丘に甕棺墓が埋められました。

だから、「土こう墓」と「甕棺墓」が一緒になっている丘(墓)で身分の違いによって分けられた
と考えるんではなく、時間的な差で別れるというのが言いたかったんですよ。
そして、古墳時代の前方後円墳に関しては、そうですよね。
同じ時期、同じ形の古墳が造られ、かなり細かい規格があり、設計がなされてた
といえますよね(比べてみるかぎりでは)。

629 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 00:17:20
ググったけど吉野ヶ里からは庄内式は出ていないと言う情報しかないよ。
もっとも周濠埋土最上部から西新期の遺物が出ることは知ってるけどね。
西新式>庄内並行>庄内式と脳内変換して覚え込んだのかな

630 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 00:33:30
>>629
>九州では、吉野ヶ里の環濠を埋めた土の一番上の部分から出土する。
>吉野ヶ里は弥生時代中期の遺跡で、その環濠が埋められた時期を年代推定の手がかりにできる。
>(邪馬台国より前の時代ではないか?)
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku207.htm



631 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 00:38:21
溝じゃないのかwww

632 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 01:03:26
私は卑弥呼は南方系と言ったけど、マクモニーグルも同じようなことを言っている。

邪馬台国発見 第九部:卑弥呼の墓
http://youtubedouga.net/detail/SFUeHNvsb1w

それと新しいの更新されたのでこれもついでに。

邪馬台国発見 第十部:総集編
http://youtubedouga.net/detail/lCefJ4319b8

では、寝る zzzz・・・・。


633 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 01:10:57
吉野ヶ里に行けば分かるが、あそこに埋葬されているのは渡来人だから
少なくと邪馬台国ではない。

634 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/12(土) 01:23:11
邪馬台国は関東だ。
卑弥呼の城は現在の皇居
墓は日光東照宮

卑弥呼の末裔は太田道灌で、その流れをくむのが徳川家康

635 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:45:28
>>634

ソースをだしてください

なんか九州王朝さんのニオイがするな クンクン

636 :縦目仮面:2009/09/12(土) 01:49:17
>>635
その人は単に、論理のアクロバットをやろうとしてるだけだと思うよ。

637 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 01:54:50
>>593
「あい!」wwwww  に吹いたw

才能あるよw



638 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:04:30
思うよ?

思うだけでは批判になっとらんよ




639 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:55:57
眠れない・・・その1

其木有柟、杼、豫樟、楺、櫪、投、橿、烏號、楓香,
其竹篠、簳、桃支
有薑、橘、椒、蘘荷、不知以為滋味

【木】
柟 クスノキ  杼 クヌギ  豫樟 クスノキ  楙 ボケ  櫪 クヌギ  
投 スギ  橿 カシ  烏号 ヤマグワ  楓香 カエデ

【竹】
篠 シノダケ  幹 ヤダケ  桃支 カツラダケ  

【滋味】
薑 ショウガ  橘 タチバナ 椒 サンショウ  襄荷 ミョウガ


640 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 03:12:23
眠れない・・・その2

有邸閣國 國有市 交易有無 使大倭監之

邸閣
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/k-yda1/k-ycf1/k-ysf4/k-yfd1.jpg

寝よう・・・zzz


641 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 08:00:40
河童さん
がんばれ がんばれw



642 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 09:01:52
ヤフーいってこよっと

643 :don'ntakuka:2009/09/12(土) 11:59:30
>>632
なるほど、それで奄美大島ね。
でも、
魏志倭人伝では奄美は別扱いですよ。てより、除外されている。
それは、多分卑弥呼と係わっていないからではないか? ^^+;
それと、北緯30度から北緯32度は呉系の領域なので、
奄美北緯28度のインド系は影が薄くなるだろう。
但し、インド系の居住が許されていたのは一大国(種子島)と不彌國(鳥取)であったことも確かでしょう。
>>501 名前:河童虫   「其餘旁國遠絶」
何度も書いていますが、魏志倭人伝の女王国の領域は北緯30度から北緯39度です。
『此女王境界所盡』とある、女王の領域は
『自女王國以北其戸数道里可得略載其余旁國遠絶不可得詳』
を受けて、女王國は上記の通りでその以南の北緯26度の『海【馬】國(那覇)』を飛び越えて北緯24度の『狗邪韓國』が『此女王境界所盡』であります。
先ず、女王と女王国の領域の違いを明確にしておくことが重要です。
だから、
次有斯馬國〜次有奴國 は狗邪韓國を含む廣志曰の安(案)[イ妾](倭)の国なのです。
「女王国30カ国連合」という理論は残念ながら誤読をしない限り成立しない。

『女王國東渡海千余里復有國皆倭種』は、女王国日本海側の北の境界から千余里は、北海道。
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里の女王は北緯24度を刺しそこから南へ四千里は、フィリピンbohol となるだろう。確か、漢国の尻尾はフィリピンbohol当たり迄南下していたはずだが。


644 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/12(土) 12:03:31
>>643
>北の境界から
そうしますと貴殿のゴリ押し易学的方位転換論から、これは
「西の境界から」という意味に強行するのですな?

645 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 12:08:49
>>643
>なるほど、それで奄美大島ね。 でも、
>魏志倭人伝では奄美は別扱いですよ。てより、除外されている。
>それは、多分卑弥呼と係わっていないからではないか? ^^+;
>それと、北緯30度から北緯32度は呉系の領域なので、
>奄美北緯28度のインド系は影が薄くなるだろう。
>但し、インド系の居住が許されていたのは一大国(種子島)と不彌國(鳥取)であったことも確かでしょう。

いえ、それで奄美大島と言ってるわけではありません。
ゴボウラガイ、イモガイというのはご存じでしょうか?
吉野ヶ里のシャーマンと思える巫女さんがはめていた腕輪です。
吉野ヶ里にかぎらず、九州全土で発見されています。
そのゴボウラガイ、イモガイですが、奄美大島から運んできたものと考えられており、
マクモニーグルがどうのではなく、私の考えはここからきているんですよ

ドンタクさんは一大国(種子島)と不彌國(鳥取)ですか、
ここは私の考えとは違う。


646 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/12(土) 12:11:40
あっ、私のいうシャーマンは
縦目がいうシャーマニズムとは違うからw

わたしのは人を指し、彼は「泡吹いた」とか行為のはなしでしょう。
シャーマン=シャーマニズム ではないんだよね。


647 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 12:55:03
唐松山 ◆V0F34EbmQA
太国 ◆yVAs7uaYlY の不仲説について ・・・

というかお前ら何してんだww


648 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 13:27:49
>>647
見ればわかるだろ。私の発言をシャカリキに否定しようとするのが太国
なぜ否定しようとするのかは太国さんに聞いてくれ、
できたら歴史の読み方で対決したいが、ご存じの通り、
太国は、否定するための数字しか持っていない。



649 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 15:29:34
太国氏は鬼道で人を惑わす倍歴信者ですから、釈迦力になって否定するというのもおかしな表現ですね。

650 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/12(土) 16:20:23
太国ちゃんと唐松山さんはもしかしたら異母兄弟かも知れない。父の遺産をめぐる争いかも?

651 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 16:46:05
>>416
>河童虫さん改めさん愛知県民さんローガンさんに質問です。
>倭在韓東南大海中
>の『韓』とは、半島の『韓』ですか
>其れとも、
>中国の戦国七雄のひとつである『韓(紀元前403年 - 紀元前230年)』
>のことでしょうか?

え? 韓は半島の韓ですよ。
ただ辰韓は「秦韓」と書かれることもあり、戦国時代の韓と関係あるのかもしれませんが。
古代史でそんなに厳密に経度・緯度を出して意味があるのでしょうか?

652 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 17:05:22
小迫辻原遺跡(おざこつじばるいせき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%BF%AB%E8%BE%BB%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

大分自動車道の建設に先立ち、大分県教育委員会によって1985年(昭和60年)から行われた発掘調査では、弥生時代から古墳時代にかけての住居跡や墳墓などが発掘された。
なかでも、3基の環壕居館の遺構は、出土した土器から3世紀末-4世紀初頭のものであると推定されており、日本最古の豪族居館跡であると考えられている。

これは貴重な遺跡のようです。
日田の會所神社(よそじんじゃ)には『豊後国風土記』に登場する比佐津媛(ひさつひめ)も祭られている。

653 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 17:52:56
>>651 補足
戦国時代の韓は内陸部にあり、東南に大海などありません。

654 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:11:53
小迫辻原遺跡?
有名な集落なんですか?


655 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:16:45
>>648

貴方という存在自体 否定されてるっていう事ねw

そりゃひどいやつだねwww



656 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 18:37:34
日田の地名「朝日宮」に興味がある。
ひょっとすると天照の頃の宮ともとれる。


657 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:43:14
>>656
>日田の地名「朝日宮」に興味がある。
>ひょっとすると天照の頃の宮ともとれる。

聞いたことがあります。
大分県安心院に伝わる神社伝承とか。

母親のオオヒルメノムチミコトと三人の娘がどうの。
朝日宮について何が興味あるの?

658 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 18:51:26
>>656
あれ、日本書紀スレとかぶってる!

659 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 18:57:06
朝日宮が本物なら、天照大神も歴史の中の伝承になる。


660 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:57:25
唐松山さんはそのうち
”赤玉”とか言い出すよwww

太国さんは唐松山さんイジメたら駄目じゃんww


661 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:02:18
おれ、
河童&九州王朝のトンデモ説にはついていけませんわwww


662 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:05:44
>>659
>朝日宮が本物なら、天照大神も歴史の中の伝承になる。

卑弥呼=天照大神説はいまだに根強い人気があると思う。
唐松山さんにとって天照大神とは男神ですか?それとも女神?


663 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 19:09:51
今、日本書紀スレでは、唐松山をオカルト教祖に仕立て、太国が呪文を唱える。


664 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:10:00
”持衰” という制度は、日本古来からある風習ですか?

若有疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹 ですが、

自分は聞いたことがない。

665 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 19:18:26
”持衰”が目的を達すれば、”精進落とし”となる。
ステキな風習だけが残る。


666 :縦目仮面:2009/09/12(土) 19:39:34
儀式的殺人、食人が疑われる例は古くからあります。
俺が、だいぶ前の「ドンと来い」に書いたのでも、三浦半島大浦山洞窟出土の弥生人骨10体は
明らかに動物と同様の方法で解体され、骨には肉を削いだ刃物跡も見られ、儀式的食人が疑わ
れてる。

三浦半島、浦賀水道、走水といえば、もちろん海に身を投じた 弟橘姫の逸話。
「この地域から出る多数の卜骨やバラバラ遺体は、走水の海の安全航海と関連していたのでは
 ないか。」・・・森浩一氏

667 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 19:53:19
日本武尊の遺体のかなりの部分は、蝦夷の腹におさまった。
弟橘姫に子供がいる以上、「海に身を投じた」は、伝説。
出産時の死亡かも。


668 :縦目仮面:2009/09/12(土) 19:58:29
うーん、弟橘姫自体が、この地域の特異な風習を反映させた象徴的伝説とも考えられます
けどね。

669 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 20:07:23
この程度の海を渡るのは、日常茶飯事、その度に「いけにえ」は考えられない。
何年かに1度は、海神を鎮める祭りを否定はしないが、文字以前の風習は?


670 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 20:11:28
玖珠・日田地方の民話・伐株山(きりかぶやま)
ttp://www.kusu-shokokai.jp/kirikabu.html?start=8

671 :縦目仮面:2009/09/12(土) 20:18:55
人骨は弥生中期(これは問題もあるんですが)頃なので、もちろん文字以前ですよ。
ところで、上に出てきた朝日宮の原遺跡は、俺はそう特別なものという感じはしません。
複合的な墓域ですかね。ただ、以前改めさんが紹介してた、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のダン
ワラ古墳など、日田市周辺は面白いなとは思いますね。

672 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 20:20:13
大阪大学の東野治之先生の言葉。
「治天下何々大王の世」という表現は、大王の在世中でなくて、
大王の世が終わったあとの表現ではないか?

船王後墓誌でも
「乎沙陁宮に天が下治めたまひし天皇の世に生まれ」の「天皇の世」というのは、
敏達天皇の世が終わってからの事です。

この読み方を可とすると、ワカタケル大王に使えたムリテが作らせたものですから‥

埼玉稲荷山鉄剣銘はいつ彫られたか?
この鉄剣銘の為、関東の古墳年代は、その他各地の古墳より、100年遅れて築造となっています。

「治天下何々大王の世」の読み方を考えて下さい。


673 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:26:02
>>665
いや 航海の話を聞きたかったんですが。
倭人伝のは、「持衰」というのがあり、災難が起きた場合ただちに殺す。
もしうまくいけば報酬とある。
そのような風習は聞いたことがありますか?てこと


674 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:36:22
>>672
>「治天下何々大王の世」という表現は、大王の在世中でなくて、
>大王の世が終わったあとの表現ではないか?

そう読めるのは河童さんぐらいだろう

>埼玉稲荷山鉄剣銘はいつ彫られたか?

古墳構築の後ではナイことは確か。

>「治天下何々大王の世」の読み方を考えて下さい。

いきなり、河童虫さんみたいなことを言い出す人ですね

というか邪馬台国はどこえ??

675 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 20:42:37
>>672
>この読み方を可とすると、ワカタケル大王に使えたムリテが作らせたものですから‥
>埼玉稲荷山鉄剣銘はいつ彫られたか?
>この鉄剣銘の為、関東の古墳年代は、その他各地の古墳より、100年遅れて築造となっています。

??
ワカタケル大王に使えたムリテが作らせたものは熊本県玉名郡にある江田船山古墳鉄刀ですよね?
埼玉稲荷山鉄剣銘はヲワケが作らせたもの。
関東、九州どちらの話でしょうか?

676 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:44:42
>>666
ドンと来いのレスはたまにしか読んでいません
三浦半島大浦山洞窟出土の弥生人骨?
縦目さんの得意な殺人事件かもしれませんよ
班員を捕まえてくださいw

弟橘姫の逸話、森浩一氏 て誰かも言ってましたよね
愛知県民さんかな?


677 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:50:52
>>669
>この程度の海を渡るのは、日常茶飯事、その度に「いけにえ」は考えられない。
>何年かに1度は、海神を鎮める祭りを否定はしないが、文字以前の風習は?

「持衰」という風習は、海神様と関係があるのでしょうかね。
冬の対馬海峡は大荒れ
当時の小刀船では厳しかったのでは?


678 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:53:11
失礼

小刀船 → 小型船 です

679 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 20:54:37
>関東、九州どちらの話でしょうか?

どちらもワカタケル大王の臣 といわれています。


680 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 21:00:37
>>676
いや、私も教えられた方だと記憶します。

681 :縦目仮面:2009/09/12(土) 21:10:25
>>672
書紀の安閑天皇元年(534)の条によれば、笠原直使主と同族の小杵が、継体天皇の時代
に武蔵国造の地位をめぐって争い、小杵は密かに上毛野君小熊に助力を求めたが、使主は
大和政権に助けを求め、安閑天皇元年に大和政権は彼を助けて小杵を殺し、使主を武蔵国
造にしたとの記述がありますね。

考古学的には、4世紀後半から5世紀前半にかけて、南武蔵で100mを超す大型古墳が築か
れますが、5世紀後半には古墳の規模が急速に縮小。同様のことが上毛野でも起きている。一
方、5世紀後葉になると、突如として北武蔵の行田市に大規模古墳が築造され始める。

そこで、書紀の記載とは年代が少し異なりますが、笠原直使主を北武蔵の有力豪族、小杵を南
武蔵の有力豪族と考え、北武蔵による南武蔵勢力の制圧という実際にあった事件を反映したもの
と見ることもできるかも知れません。

682 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:10:48
>>677

>「持衰」という風習は、海神様と関係があるのでしょうかね。
冬の対馬海峡は大荒れ

なして対馬海峡が関係あるんだ?

「其行來渡海詣中國恆使一人不梳頭不去[虫幾]蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰」

683 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:12:39
其行來渡海詣中國 恆使一人 不梳頭 不去蟣蝨 衣服垢污 不食肉 
不近婦人 如喪人 名之為持衰
若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病 遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不謹

「持衰」に関してですが、日本書記や万葉集に「持衰」という職業?のことが書かれてる
箇所ってありましたかな?
これなかなか聞かないですよね。


684 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 21:13:27
>>679
>どちらもワカタケル大王の臣 といわれています。

それはいいのですが、唐松山氏はワカタケル大王=若建王(ヤマトタケルの子)説。
これは考えられません。
若建は大王ではありません。

685 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:15:09
>>682
渡海とあります。

対馬海峡は陸地ではなく、海ですよね?
じゃk蘭系あるのではないでしょうか。


686 :縦目仮面:2009/09/12(土) 21:18:17
>>672
もちろん「笠原」を鉄剣銘の「カサヒヨ」とする説は有名ですね。あと、古墳の年代は榛名山の
2度の噴火から見て、定説から大きく外れることはないでしょう。このあたりはオオヒコスレで
さんざんにやったと思いますが。

あと、金石文の読みはぜひ河童さんに。

687 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 21:21:00
>>682
対馬海峡も関係あるでしょう? 当時は半島経由で行くわけですから。
そもそも持衰は同行するのか、残っているのかどちらなのでしょうね?

>>683
私も知りません。
インドネシアのモルッカ諸島で似た例があると聞きますが・・・

688 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:23:48
>>686
>あと、金石文の読みはぜひ河童さんに。

倭人伝もまともに読めないのに?


689 :縦目仮面:2009/09/12(土) 21:29:48
「持衰」に関しては、以前だいぶ調べたんですが難しいですね。考古学的には、持衰に相当
すると思われる人物が描かれた絵画土器片が、奈良県の唐古・鍵遺跡から見つかっていて、
持衰は、左手に何かおそらく宗教的意味を持つと思われるものを手にして船尾で孤立している。
年代は1世紀後半あたりと推定されてます。これにはもちろん異説もあります。今ちょっと画像
をググッても出てこない。陰謀かなww

まあ、考古学より民俗学・人類学等で生け贄・人身御供などを調べたほうがラチがあくかも
しれません。

690 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:32:11
「如喪人、名之爲持衰」
喪人とは、国が滅んで逃げてきた帰る国のない渡来人のこと。
ボートピープルのことです。

691 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:37:53
>>672
>>684

文字のなかった時代
文字のあった時代
初めにこの日本でその「字」が認められるのは石上神宮に伝わる
七支刀ですよね。
その七支刀というのは半島の文献で紀元369年、百済王世子が倭王旨に造る とある。
日本書記では372年ですよね。
約3年間の誤差があるけども、だいたい年代的に合っている。
ここからみても、大王=若建王(ヤマトタケルの子)というのは少し厳しい様な気がします。



692 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:41:51
>>683>>685

半島も大陸も関係ないでしょ
島から島への、瀬戸の花嫁状態も渡海

「恆使一人」「不近婦人」

これでも半島や大陸が関係しますか?

693 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 21:43:41
>>684
日本武尊の子ワカタケルは、312年頃死亡
この五,六年後が古事記ラインの辛亥年。
「シキ」は、河内のシキ。
神功時代の出来事。ここは「空白の四世紀」

雄略ワカタケが死亡後の辛亥年では、遅すぎる。


694 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:44:07
奈良県の唐古・鍵遺跡の人物が描かれた絵画土器片

唐古・鍵遺跡の土器片といえばトリの格好をした巫女が有名ですよね。
そこから出土した土器に「持衰」がのってるようなモノまであるんですか。
縦目さんいろいろ知ってますね。
こんど、URL貼り付けて下さいよ。
ついでに生け贄・人身御供もお願いします。


695 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/12(土) 21:53:23
愛知県民、縦目さんお願い「日本書紀スレ」に「799 :ユッキー」さんが答えを待ってる。
私はこの様な状態なので美味くない、代わりに答えてくれないか?


696 :縦目仮面:2009/09/12(土) 21:53:25
あとは・・・持衰同行、非同行に関しては、インドネシアの持衰に相当する人物は、同行して
いないようです。 また、倭人伝では持衰の記事は風俗記事の文脈で出てくることから、非同
行説の根拠ともされてるようです。が、俺的には船に同乗していたと読みたいですね。

ただ、疑問なのは「持衰」が倭語なのかということ。「衰えるを持す」と漢語でも意味がとれる
ように音写したんですかね。

697 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 21:57:17
メは必要ないらしいですwww


698 :縦目仮面:2009/09/12(土) 21:58:29
>>695
すんません、俺にこれはムリです。文献は苦手な上、武烈非実在と考えてますから。

699 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/12(土) 22:00:50
>>692
「其行來渡海詣中國」
関係する場合もあります。
中國に行くのに、対馬海峡は渡る必要があります。(飛行機はないので)
それとも東シナ海? もっと危険です。

700 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:04:55
>>696

>「衰えるを持す」

介錯なしの切腹

701 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:16:08
というか、対馬海峡が最も荒れる海として有名でしょう。
とくに冬はものすごい荒れると聞きます。
他に流れが速いところですと大分の豊後水道、
関サバ、関アジが有名ですよね。
関門海峡の魚海水もうまいと聞きます(なんか違う話になってるなw)
他、荒れる、流れが速いところとはどこがあるんでしょうかね?

「持衰」に関しましてもこれら対馬海峡とかが渡海するのに
難しかったのではなかろうか。 と 思う。


702 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:17:42
>>699

>中國に行くのに、対馬海峡は渡る必要があります

ないない。

ここは政治的な記事ではなく、倭の国内風俗記事だよ

703 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:20:04
>>700
>介錯なしの切腹

んで???
貴方の場合はどのように読むの?


704 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:22:14
>>703

自害(自らを生贄として)

705 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:32:16
秋なのに、紫陽花みたい。
季節外れのたとえではないの?

706 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:32:57
いまググったけどここにも少し書いてるね。
「持衰」
http://www2.ocn.ne.jp/~syouji/kodaisi_14-I.html

縦目さん 持衰=自害(自らを生贄として)  らしいです(たぶん文献派から)。
反論してくださいwwww



707 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:36:57
>>706
何時までも芸者の尻を追っかけた太鼓持ちしてないで
たまには自分で全て答えてみろ

708 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:47:40
>>706
くだらね〜HP引っ張ってくるなよ(突っ込み山ほどできるぞ)



709 :縦目仮面:2009/09/12(土) 22:48:15
まあよくはわかりませんが、持衰が身を慎むことで災いを避けるという考え方は後代にも
受け継がれているようで、万葉集の、42631で

>櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎ふと思ひて

というのがあって、これは遣唐使の副使として入唐する大伴胡麻呂宿禰に捧げた歌なんです
が、髪を梳らない、室内も掃除しない、というのは持衰の忌みとよく似ています。これはもちろん
航海には同行しないんですがね。この歌は8世紀、鑑真来日の頃のもんです。

710 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:51:22
縦目さんがいってたのはここかな?

「持衰」に相当すると思われる人物が描かれた絵画土器片(奈良県の唐古鍵遺跡)
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/09/post_601e.html

>>707
「持衰」というのは名詞と思ってますので、その「持」と「衰」とを合わせて
「持衰」とした意味までは分からないというか、私としては
その「字」から、こうゆう意味ではないか?いや、こうだ!という想像はできますが、
誰がそれを命名し、一般的にどのような意味で描かれてるのか辞書でも載っていればわかるのですが
今、ここでみなさんに教えることは私は出来ないと思います。
命名した本人が一番よく知ってるのではなかろうか ぐらいしかいえませんね。


711 :縦目仮面:2009/09/12(土) 22:54:58
そういえば今思いついたんですが、俺が剣道で試合までひげを剃らない、とかやるのと似て
るんですね。願掛け・・・というのかな。

712 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 22:56:42
>>711 縦目さん
くだらね〜HP引っ張ってくるなよ らしいですよw



713 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:12:32
>>711

四段の昇段審査受けないの?

私は後二年待たないと受験資格がないから無理だけど(四段以上の学科審査は別室なんだって?)

714 :縦目仮面:2009/09/12(土) 23:16:30
>>710
まあ名詞だと思いますが、中国語ではないようです。ただ俺は、倭人伝の倭語の音写は、
基本一字一音「卑奴母離」とかで、「一大率」のように漢語的なものは何か意味があるのか
なあ、とか考えてるんで。考え過ぎかもしれませんが。

>>712 ??俺の引用じゃないっすよ。ww
>>713 三段だってよく知ってますね。河童さんでしょう、倭語の音写はやはり意訳?も加わ
     ってる?

715 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:23:07
昭和天皇崩御後の民放の自粛持衰はすごかったですね。


716 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:28:02
>>715
なんですか?
その民放の自粛持衰というのは???


717 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:29:35
>>713

>倭語の音写はやはり意訳?も加わ
     ってる?

はい。 それがあるから漢人が意味を解せるんです。
書いた人は漢字を扱うプロ中のプロ  たぶん日本語も日本人以上でしょう。
洛陽にいても生の日本語は十分に習得可能ですから

>一大率

一大率と考えるからわからなくなるのです。
身近なところで「一大事」


>考え過ぎかもしれませんが

全然考えすぎではありません。 倭人伝の最初の一歩です。

>三段だってよく知ってますね

私は形の六本目が苦手で、打ち太刀の小手がタイミング悪いと、どうしても
すりあげが払いぎみに  三段の昇段審査の時に失敗しそうになりました。

718 :日本@名無史さん:2009/09/12(土) 23:40:21
昭和天皇崩御ですか 1月7日

この時の春の天皇賞は イナリワンとミスターシクレノン  の 1−7 馬券でした


719 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:15:54
持衰のような考えは今でも残っているよね、
1、願掛け   >>709
2、物忌み

つまり、ある人のために、他の人が宗教的意味のある苦痛を受けること。

その根底は、「帳尻」という普遍的な感覚にある。
他人のために苦痛を伴う行動をした場合に、その苦痛・不自由の分だけ
その他人のためになるという感覚。




720 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:25:29
>>719
>持衰のような考えは今でも残っているよね、

自民党の政策が失敗して大不況になれば、
責任を取って退陣を余儀なくされる(上のHP)。
これと同じように追放、殺害されたのだろう。

これも該当しますか?w

唐古・鍵遺跡の絵画土器片とはどれでしょうね・・・
http://inoues.net/museum/karako_museum.html

のってません。

721 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:28:50
>>709
>万葉集の、42631で >櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎ふと思ひて

遣唐使の副使として入唐する大伴胡麻呂宿禰に捧げた歌 といういことは
海をわたったでしょうし、似たような風習はあったといえますよね。


722 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:35:45
しかし、持衰はあくまでも”責任を取る”人で
成功すれば報酬が与えられるという職みたいなもの。

まあ、似てる風習はあるんだけどね・・・少し違わないかい?


723 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:37:00
持衰というとモモソヒメもその一種なんだよね。

彼女は祟り神の大国主の妻となった。
一身を捧げて、祟り神を鎮めて、国家に安寧をもたらした。
武埴安彦の反乱も予言した。
生涯独身で一身を犠牲にして国家のために尽くした。
それであの大きな箸墓古墳の築造がなされた。

ヤマトドトヒモモソヒメの名も、モモつまり百のソ(襲)=災いを、トド=千の
ヒ=日(プラス面)で相殺して、人々に幸福をもらすという名前である。


724 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:41:23
持衰とモモソヒメのそれが関係あるかー?

たとえるならば、今回の自民党退陣のがふさわしいぞよ


725 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 00:48:15
「持衰」に相当すると思われる人物が描かれた絵画土器片が、
奈良県の唐古鍵遺跡から見つかっている。
その絵画土器片では、持衰は、左手に何かおそらく宗教的意味を持つと
思われるものを手にして船尾で孤立している。

この土器片も怪しいよね
それだけで、持衰と思われる人物が描かれた絵画土器片 とするのにも
疑問を感じるのは俺だけ??


726 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/13(日) 02:49:06
魏志倭人伝の卑奴母離(ひなもり)のヒナとは万葉集注釈書などでは
「夷」の字が当てられ大化の改新の畿内が東西南北の四至で決めるのがあり
中国の王畿(王城を中心にして東西南北)と同じといわれている。

ようは、畿内政権の枠の外側にヒナモリというのを置いたらしい。
もちろん、畿内だけではなく九州や東北でも該当すると思う。
魏志倭人伝だが、卑奴母離は「對馬國」、「一大國」、末盧國は官名なし
あとは「不彌國」だね。
これをみると伊都國を中心に卑奴母離が置かれてることが分かる。

んで、これは伊都國=邪馬台国 とする人がいうヒナモリの配置なんだけど
伊都國というのは、昔、邪馬台国があったところなのではなかろうか?
そして、三世紀には畿内へ移ったとか。

反論ありそうですが、面白いとおもうのですが・・・・いかが?


727 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/13(日) 03:04:53
「朱」
朱というのは、赤色顔料のひとつで硫化水銀。
考古学得意な人は知ってるとおもうんだが、よく死者を棺桶に詰める前に
顔の一部分(ひたいとか)に塗り、比較的身分の高い人のみが使用されたという。

これの原産地だが、
・徳島県水井鉱山
・奈良県大和鉱山
・三重県丹生鉱山 とかが有名かな?

九州説の人に怒られそうなので書き込みますが、
九州では長崎県「佐世保」が有名だったと思う(間違えてたらごめん)。

わたしが九州国立博物館にいったときの知識をいうと
大きな石の塊に赤色のツブツブみたいなのが付着している。
それを一つ一つ取り、結構、苦労しそうだったね。
「朱」とは別に棺の内側に塗る「丹」というのがあるんだけど、
「丹」はどこでも取れるらしい。
モノは鉄を腐らした時にでる、赤色な塗料といえばわかり易いか。

728 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/13(日) 03:14:36
また、「朱」のはなしになるが、
国内で発見されている朱では、三パターンあるらしい。

・中国産水銀朱
・国内産水銀朱
・中国産水銀朱プラス国内産水銀朱を合わせたもの

出土されたもので、土器に付着してるものもあるらしい。
その付着していた「朱」では中国産水銀朱のモノは
九州玄海難付近や本州の日本海側で多くみられ、
それ以外のモノは瀬戸内海側で発見されてるらしい。

↑これ本で読んだんだけど、中国産、国内産 どっちが上質なんだろうね?
知ってる人いましたら書き込みお願いしたい。

729 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/13(日) 03:27:50
あと、河童さんが「世有王」の「世」で30人の官がどうの言っていたが、
それは違うと思う。

30人の官が伊都国に集まっていたというのはこっちの記事だよ。

<魏志倭人伝>
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之
常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國 及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯

そして、

<倭人伝>
其人壽考 或百年 或八九十年 

記事ですが、私が、金隈(かねのくま)遺跡にいったとき得た知識によると
考古学・人類学 でいえば、最長と思われる人骨でも60〜70才ぐらいだったと思う。
魏志倭人伝の80,90 100歳というのは大袈裟というか、
倭人が使いの人たちに少し大目に言ってるように感じます。

眠い・・・・・・・・4レス目だし落ち zzzz

730 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 06:52:28
>>702
すると、国外への航海では持衰は活躍しなかったということですね?
「詣中國」とあるのに?

>>723
魏志扶余伝
舊夫餘俗、水旱不調、五穀不熟、輒歸咎於王、或言當易、或言當殺。

こちらの方が持衰に近いようです。
卑彌呼の地位はもう少し安定していると思われます。

>>725
ttp://dhistory.hp.infoseek.co.jp/kyus_11.htm
これは大阪の池上・曽根遺跡高殿壁面に描かれた絵だそうです。

731 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 07:03:31
>>729

>30人の官

言ってない。「世有王」の「世」は
伊都国と言われる地域の中の“限定された範囲”



それに
考古学・人類学の前に、目の前の倭人伝ぐらい正確に読もう。
「其人壽考」なんだから

どんなに長生きしてもと言う、平均よりも掛け離れた意味

732 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 07:28:50
>>730
「詣中國」と書いてあるから尚更だよ

詣でるのは、政治的に位の上位地
(大陸なら郡や京師)
風俗なら宗教的な施設に行く事を詣でると言う。

そしてここは風俗記事
一体大陸のどんな宗教施設を詣でるの?


それに、倭人の管轄は郡。大陸に渡る時には必ず郡に詣でるから、中国に詣でることなど有り得ない。

733 :縦目仮面:2009/09/13(日) 07:31:28
まあしかし、改めさん夜中にご苦労さんですね。

734 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 07:44:43
>>730
中国に直接渡航していたんだと思うよ。北九州と南九州が対立関係にあった当時は
南九州の勢力は、朝鮮半島を介して中国に渡るということはできない。
南島経由か薩摩半島から直接中国に渡るといことになる。だからこその持衰だ。
朝鮮半島へのルートならば、壱岐、対馬と飛び石があるわけだから、持衰なんて必
要はないな。
魏が卑弥呼を優遇したのも、以前は呉と通交していた女王国が倭国の乱に勝って九
州全土を支配するようになり魏に朝貢したからだろう。

735 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 08:00:24
>>732
男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。

この「詣中國」も国内の宗教施設でしょうか?


736 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 08:20:21
>>735

は〜い。

737 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 09:19:47
>>735
以朱丹塗其身體、如中國用粉也。

この「中國」も国内の宗教施設でしょうか?


738 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 09:28:24
>>737

風俗記事にある中國は、列島の中の中心的な位置にある本州の事です。

本州にある宗教施設だったり、商業施設だったり

739 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 09:35:34
倭種は全身朱に染め、まるで炎のような人。だから侏儒國

740 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 10:35:37
>>738
其使詣中國、皆自稱大夫の「大夫」も政治的な意味ではないということですか?

>>739
倭種と侏儒國は別でなないのですか?

741 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 11:06:06
この朱が、水銀系の丹だったのか、鉄系のベンガラだったのか?
それが問題ですね。


742 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 11:27:49
>>740
中華で大夫と言えば、領地持ちの貴族。
中国詣での使いを果たすことにてのご褒美の特典付きなのでしょう
ようするに、大夫への試験。

修行僧が満願成就の後、即身成仏への道が開かれるように


>侏儒國と倭種

侏儒國は倭種そのものです。これは私も2ちゃんで余り触れないネタなので
機会があったら徐々に話しを広げていきましょう。

743 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 11:49:25
自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。(魏志倭人伝)
聞其舊語、自謂太伯之後。(魏略逸文)
自謂太伯之後。又言上古使詣中國、皆自稱大夫。(晋書倭人伝)

この三者の関係はどうなんでしょうね?
「其使詣中國、皆自稱大夫」「聞其舊語、自謂太伯之後」
当時の漢語では音は似ていたんですかね?
いろいろ妄想が浮かびます。

744 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 11:56:37
>>743

先ずは、何故倭人伝や倭伝で「夏后少康の子」や「太伯之後」などという言葉が使われたかを
考えてみてください。
言っときますが  末裔ではありませんよ

で、ないと

自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。(魏志倭人伝)
聞其舊語、自謂太伯之後。(魏略逸文)
自謂太伯之後。又言上古使詣中國、皆自稱大夫。(晋書倭人伝)

この部分は100%永久に理解することはできないでしょう。

745 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 12:30:56
>>744
風俗の話ですから、末裔とかは関係ないでしょう。
太伯の時代から「黥面文身」の慣習があると倭人は言っているが
夏后少康之子の時代まで遡ると考えられる?


746 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 12:46:01
>>745

>太伯の時代から「黥面文身」の慣習があると倭人は言っているが
夏后少康之子の時代まで遡ると考えられる?


倭人がそう言ってるのではなく、倭人が言ってることや様子を中華の人に分かるように例えると
です。


747 :doon'ntakuka:2009/09/13(日) 12:54:36
>>645
ゴボウラガイ、イモガイというのはご存じでしょうか?
吉野ヶ里のシャーマンと思える巫女さんがはめていた腕輪です。

ゴホウラの貝輪は出雲からも出土しているね。
沖縄の鍬形石になると畿内の出土が抜けている。
お椀先生によると、
ゴホウラは南島(奄美・沖縄)では「太陽の巻き貝」という意味の名で呼ばれた。
らしい。鍬形石を見ると、台座の上でトグロを巻く蛇というイメージですよね。
蛇は太陽信仰の象徴ですから、このゴホウラや鍬形石はそのオブジェクトだったと思われる。
このゴホウラが卑弥呼と係わっているとすれば、伊都国になるでしょう。
卑彌呼・難升米に点が有ったり無かったりするのは、彌=mi,米=miのmi=夜を否定する意味で使われたと思われる。
つまり、魏の時間軸の卑彌呼は太陽信仰で、後漢の卑弥呼は太陽信仰ではない。
ヤマトトトモモソの月神であったであろう。

>>740
フィリピンのunano とか、何回もかいてるけど、侏儒て小人だってさ。
http://www.excite.co.jp/dictionary/chinese_japanese/?search=%E4%BE%8F&match=beginswith&id=34622


748 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/13(日) 13:01:01
>夏后少康之子
東王父、
西王母。


749 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 13:11:04
>>745
「夏后少康之子」「太伯之後」という、全く時代の違うものを同じテーブルの上にのせるということは
この倭人伝や倭伝の目的が対比にあるということです。
簡単に言うと、
「夏后少康之子」が白の例えなら
「太伯之後」は黒の例えのように

文身で言えば、「夏后少康之子」は陸の獣から身を守り、「太伯之後」は海の獣から身を守るというように
そういうことが
この「夏后少康之子」「太伯之後」には沢山組み込まれているということです。

750 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 13:27:50
>>746
>倭人がそう言ってるのではなく、倭人が言ってることや様子を中華の人に分かるように例えると
>です。

ttp://nippongo.hp.infoseek.co.jp/nippongo/content/iu.html
【謂】
人に直接告げていふ。物事の定義。または批評。
「この都市は謂はば東洋のヴェネツィアである」「今の君は謂ふならばNEETと云ふやつぢやないのかね」

なるほど・・・ありがとうございます。
ただ、魏志で太伯が書かれず、別の話が出てくる理由が分かりません。
そもそも黥面文身とは無関係の話のように思えます。
呉の太伯だから無視したのか? しかし魏略は平気で出している。
よろしければご見解を。

751 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 13:31:28
>>747
私も侏儒は倭種でないと思っていますが、河童さんがいずれお話してくださるとのことです。
楽しみです。

752 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 13:59:18
夫餘王尉仇台の謎
永寧元年、乃遣嗣子尉仇台(印)〔詣〕闕貢獻、天子賜尉仇台印綬金綵。(後漢書夫餘伝)
夫餘本屬玄菟。漢末、公孫度雄張海東、威服外夷、夫餘王尉仇台更屬遼東。
時句麗、鮮卑彊、度以夫餘在二虜之間、妻以宗女。(魏志夫餘伝)

永寧元年は西暦120年であり、公孫度が遼東で自立したのは189年です。
ちょっと間が空きすぎる? 魏志と後漢書の尉仇台は同一人物なのか?
因みに魏志夫餘伝の続きは
尉仇台死、簡位居立。無適子、有孽子麻余。位居死、諸加共立麻余。
牛加兄子名位居、為大使、輕財善施、國人附之、歳歳遣使詣京都貢獻。
明らかに二人の「位居」が出てきます。
倭人伝も読み直すべきか・・・?

753 :doon'ntakuka:2009/09/13(日) 13:59:56
>>750
魏略は「封於会稽」で北緯30度、呉と越が介入するから太伯がある。
魏志倭人伝は「計其道里當在会稽東治【冶】之東」で会稽(北緯30度)以南と東治(北緯26度)以北が領域であるから、夏后少康之子に成る。
太伯の入り込む余地は無い。
で、いいですか河童虫さん  ^^;

>>751
侏儒国はフィリピンで鉄板です。
幾ら河童さんでもフィリピンを知らなければ欠落するところも有るでしょう。
人偏に朱の朱は水銀ではないよ。勿論、鉄系でもない。
侏儒国は倭の異種ですよ。


754 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/13(日) 14:04:48
>>753
>以南・・・以北

そうしますと貴方の強固に主張する易学方位転換を当時やってから
の文書に記載したという論から、上の文面は

 「以東・・・以西」

と解釈しなければいけないというわけですな?

755 :日本@名無史さん:2009/09/13(日) 14:08:36
でた〜〜〜〜!

756 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 14:16:47
>>753
なるほど・・・会稽郡治は東冶県より北にあるから、会稽東冶と限定している倭人伝は南方の越に限る。
分かります。
「大夫」の話は「太伯」と韻を踏むということですか? 嘘ではないでしょうが。

757 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/13(日) 14:48:15
改めさんへ
もう一つの掲示板、落ちてるみたいですよ。
ではGRRR・・・

758 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 01:27:07
まぼろしの邪馬台国 見たよ

ほろっときた





759 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 14:12:07
>>758
妄想障害爺に付き合った妻の物語だね。

760 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 18:21:34
>>758
それって俺も見たよ。
南極基地に取り残されちゃうあれだろ?

一生懸命首輪を外そうと

泣けてくるよね

761 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 20:47:34
違うよ、死者が甦って人を食う映画だったよ思う。監督はジョージ・A・ロメロ。

762 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 20:58:49
野原信之助という少年とその家族が、
春日城を舞台に活躍する話じゃなかった?

763 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/14(月) 21:13:52
>>762

「雲黒斎の野望」か?

764 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 22:07:35
>>763
「尺」「升」「斤」は長さ(モノサシ)ですけど
歩、里やら モノサシとかいってると笑われるぞ?


765 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 22:16:03
>>763
あそこの奴らて全然関心ないな。

主張を書き込むのはいいが、それだけで進歩する話なんてしないよ。
せっかく2ちゃんから来てるのに


766 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/14(月) 22:53:08
>歩、里やら モノサシとかいってると笑われるぞ?

767 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/14(月) 22:57:06
おっと失敗

>歩、里やら モノサシとかいってると笑われるぞ?

あれでわからない奴は相手にしない。ただそれだけ
わかる奴にはわかる、究極まで追いつめた高度な言葉だよ
わかんね〜だろうな〜

笑いたい奴は好きなだけ笑えばいい

768 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/14(月) 23:08:04
ま、あの「モノサシ」だけの書き込みで  「ニヤリ」とするのはたぶんmkpo33さん
だけだろうけど

769 :日本@名無史さん:2009/09/14(月) 23:56:00
>>767
>究極まで追いつめた

宙に浮きますか?W

さすが!オウム松本チズオさんのお弟子さん^^


770 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/15(火) 00:10:12
>宙に浮きますか?W

浮けるものならぜひ挑戦したいね〜


で、君も東照宮に眠る卑弥呼のファンかな?
「見ざる、言わざる、聞かざる」「母子猿」の謎に興味があるのかな?

771 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:12:03
>一里=・・・・mなんて議論やっているんですね。
>メートルに換算馬鹿スル前に

おい、おい、古臭いぞ?
流行に着いて行けない、おっさんじゃーねーんだからさ

>「里の仕組みを知れ」デス。(⌒ε⌒)

里はモノサシではない
あくまでも「定義」が大事。
人は、モノサシで測れないところは、この「定義」を用いて
測るようにしました。
「里の仕組みを知れ」と言いながら
またトンデモ読みですか? ( ̄∀ ̄)ニヤリ


772 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:14:16
>>770
>で、君も東照宮に眠る卑弥呼のファンかな?
>「見ざる、言わざる、聞かざる」「母子猿」の謎に興味があるのかな?

話して味噌

773 :縦目仮面:2009/09/15(火) 00:21:14
三猿の謎には俺も興味津々です。

774 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:25:29
「稲作」「土器」、そして「巨大古墳」。

775 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:34:10
きゃあああああああああ 見っかったーーーーー





776 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/15(火) 00:34:25
>>771

はいはい
君はトンデモ読みが希望かな?

だったらトンデモ読みです。

希望にそえてめでたしめでたし。

777 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:39:04
【平原が女性の理由】

・出土された副葬品から、大陸の婦人の間で流行した飾り物が出土されました。
・鏡39面、刀は一つと全体的にみて、武器より武器以外のモノが多い。
この割合(全体像)からみても女性と考えられている。

きゃあああああーWW 見ないでW


778 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/15(火) 00:39:05
>>772-773


>>527参照あれ

779 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:43:45
副葬品から男女の区別が出来るかどうか ですが、
これ以外にも、九州ではゴボウラガイ、イモガイの腕輪がよく出土され
・男性・・・ゴボウラガイ
・女性・・・イモガイ    は常識。

大きさ、内径とか調べてみっ  ↓↓もぐれ、もぐれW

780 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 01:06:52
【鏡が割られてた謎】

本を読んでいたらスパッと出るだろう。

・土の圧力により破損(但し、埋める前に割れてしまったのもあるらしい)
・鏡を埋めてから、盛り土を固めたり、盛り土を叩いたりして割れた可能性

大体、先生方の考えは、こんなかんじで書かれてるぞょ。


781 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 01:09:42
ドンコイ行っても良いんだがラベルが・・・



782 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 06:33:05
>>758-759

レンタル開始されてるのですか?
竹中直人の演技力には脱帽です

吉永小百合がヒミコ約役でしたよね

783 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 06:35:13
ヒミコの母親はさる??



784 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 08:58:01
いよいよこのスレも終止符か、雑談専用だな。

785 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 11:41:18
竹中の飛んだりはねたりはいただけなかったな。小百合がかわいそうだった。
もう少し、しっとりと見せたら、興行成績もあがったろうに。

786 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 12:30:57
濡れ場があれば多少話題性があったのに

787 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 14:27:55
卑弥呼の王宮を、吉永小百合宅に認定。
帰りにサイン入り洗濯前パンツを貰い、オークションに出品。果たしていくらの値段がつくか?

788 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 16:51:49
映画で再び九州説盛り上げたくても無理でしたね。

789 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 19:41:09

まあ、本当に幻だったと言う事だなw

九州説の皆さんお疲れ様でした。


790 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:53:39
www

791 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:02:51
美濃もん太くん来ないかな

また河童やっつけて欲しい



792 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:19:55
ほんとに九州の皆さんは疲れがたまってるみたいですね。

793 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 21:36:36
九州説が逆転するには
標札付きの卑弥呼の墳墓が見つからないと無理だな

794 :DoW:2009/09/15(火) 21:48:00
かああごめ、かごめ、籠のなあかのとりいいは、いつう、いいつう出やあるうう。夜明けの晩
にいい、鶴と亀があつうーべったあああ。後ろの正面だあああああれえェェェェ。

795 :DoW:2009/09/15(火) 22:01:09
童歌「かごめ、かごめ」には、徳川家康のブレーンとして、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教
政策に深く関与した天海大僧正の作であるとする伝承がある。そして、天界大僧正には、明
智光秀がその正体ではないかとする説がある。そして、このかごめ歌には埋蔵金にかかわ
る伝説が・・・。

796 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:03:05
>>795
童歌 かごめ歌

河童がなにか発言してたな
どうせ根拠無いんだろうが・・・

797 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:05:18
>>793
箸墓以外以外でなら黒塚古墳はどうだ?

798 :DoW:2009/09/15(火) 22:12:19
日光東照宮の造営が、天界大僧正の指揮であったことは史実として知られている。家康死後、
その神格について、吉田神道(明神)と山王神道(権現)のどちらで祀るかで議論がおきたが、
天海が主張した山王一実神道が採用され、家康は東照大権現となった。日光東照宮の寛永の
大造営は、総工費五十六万八千両(約四百億円)、動員四百五十三万人、延べ日数一年三ヶ月
に及ぶ大工事であったとされる。

799 :DoW:2009/09/15(火) 22:23:37
河童氏は、東照宮の彫刻である三猿にこだわっているようだが、これらの彫刻は、天正二十年
に家康が造営を命じた秩父神社の彫刻群をモデルにしていることが分かる。一例として、東照宮
の三猿は「見ざる、言わざる、聞かざる」だが、秩父神社には「お元気三猿」と俗に呼ばれる彫刻
があり、これは目を見開き、耳を広げ、大きく口を開いた猿の姿として表される。
http://bell.jp/pancho/travel/saitama/titibu%20jinja.htm

そして、興味深いことに、秩父神社の幣殿側面には東西に向かい合った二人の人物の彫刻がある。
東には右手に竹笹を持つ桔梗紋の男が座し、西には同じ桔梗の紋の僧侶が頭巾を被って座している。
そしてここで桔梗の紋が明智家の家紋であることに気付く。そう、桔梗紋の男こそ明智光秀、そして僧
形の男が天海僧正である。

800 :DoW:2009/09/15(火) 22:35:08
光秀は山崎の合戦に負けた後に、土民の落ち武者狩りによって命を落としたとされている。
しかし、光秀を倒したとされる小栗栖村の百姓・中村長兵衛なる者は、その後の調べでは
その村の住人の誰も知らなかったとされている。この他にも光秀の死を疑わせる事例はこ
とかかない。明智は土岐源氏の流れであり、桔梗を家紋として用いていた。

一方天海は比叡山出身である。元亀2年、織田信長により比叡山が焼き打ちに合うと、武田
信玄の招聘を受けて甲斐国に移住したとされるが、この間の消息は曖昧である。信長の比叡
山焼き討ちに反対したのは光秀であり、その信長を滅ぼした光秀は僧侶たちにとっては英雄
視されたことは、想像に難くない。ここで、死を免れ天台僧らによって匿われた光秀が天海と
入れ替わったとしても、そう史実との齟齬はないだろう。

801 :DoW:2009/09/15(火) 22:51:34
そこで、かごめ歌である。東照宮の陽明門には「唐子遊び」と呼ばれる子供をテーマとした三つの彫刻があ
鬼ごっこ、温公の瓶割、(司馬温公が幼少時代、瓶に落ちた友達を助けようとして、父の大切にしていた瓶を
割った故事)、喧嘩と呼ばれるものだ。子供たちの戯れを描いた像をこの陽明門に配したのはもちろん天海
僧正、そして天海には、かごめ歌の創作者としての伝承が、本邦の津々浦々にまで広がっている。東照宮に
は、鶴、亀、そして籠の彫像も存在する。

802 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:55:54
河童の出鱈目が暴かれたな
あの人んぼ言うことは全て間違い


803 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:04:13
河童の師匠、doon'ntakuka氏から好き放題いわれてる
ヤフーみろよ
どっちが議論勝ちするか面白そうだ

804 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:06:16
おれは1対3 で勇敢にも不利な状況で挑んでる
doon'ntakuka氏に1ポイント与えたいな



805 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:19:06
>>777
熊本県の向野田古墳は、遺骨が出ていて明らかに女性なのだが、武器は大量に
副葬されていた。1mを越える鉄刀を初め、鉄刀4口、鉄剣3口、刀子にいたっては
78本も見つかった。
女性だから、武器がないというのは当たらない。

鏡も、割られてから棺に入れられた可能性が高いと何かで見たことがある。
なぜ、武器がないのか、なぜ鏡が割られていたのか、これらは棺の主の
死に方に原因があるような気がする。

806 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:21:30
河童は相変わらずの人気だな

807 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:25:04
>>806。河童をネタにするド壷の必死さの方が笑えるけどw

808 :Duke of Wallachia:2009/09/15(火) 23:29:55
かごめとは籠目、六芒星形であり桔梗とも相似する。籠の中の鳥は鶏、宝物の象徴である。
皆は金鶏山の伝承を知っているだろうか。平泉にある金鶏山は、造り山とも呼ばれ、人工の
山であるが、藤原秀衡が、純金製の鶏を埋めたとする伝承からこの名で呼ばれる。宝を信
たものの手による盗掘にもあっている。

鶴と亀は四神獣の朱雀と玄武、すなわち南北の方位を示す。そしてこれは、東照宮にある
三具の鶴亀の彫像からもその暗示を読み取ることができる。この鶴は鍵を加えている。また、
夜明けの晩の箇所は、申と酉の刻であり、また方位としては南西から西、日光の庚申山を意
味するだろう。

滑ったは、「つべった」の転訛であり「貫き通す」ほどの意。そして最後の後ろの正面であるが、
日光を正面にするとその真後ろには岸和田の本徳寺がある。その本徳寺には明智光秀の位牌
と日本にただ一つとされる肖像画が安置されている。

809 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:30:49
>>799
>河童氏は、東照宮の彫刻である三猿にこだわっているようだが

それはないと思う。
ただ無茶苦茶に繋ぎ合せているお遊びコーナーなんだろうと思うから、マジレスは骨折り損です。

810 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:31:05
あいつトンデモばっかで腹立つけど
人を思いやる優しさと知名度(人気)だけは一流


811 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:36:02
>>807
浮気はしないと心に決めてる
奴らの方が笑えますよwww



812 :Duke of Wallachia:2009/09/15(火) 23:37:10
808、加えている→咥えている。

808レスはわざと財宝のありかをぼかして書いたが、ヒントはすべて提示した・・・おっと、
かごめ歌には二番の歌詞がある。これも重要なヒントになる。興味ある人は自分で検索し
てみて欲しい。私が考える宝のありかは、赤城山でも久能山でもない。では、諸氏の健闘
を祈って今日は終わりとする。

813 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:45:34
>>812
こんな手の込んだことをやるのは縦目さんでしょ。

814 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:54:57
縦目は裏切り第一号だ

おれらレベル低いところには興味ない

815 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:57:47
>>809

>ただ無茶苦茶に繋ぎ合せているお遊びコーナーなんだろうと思うから

天城峠が出てきて義経ジンギスカンが飛び出し、皇居に城を築いたと思ったら太田道灌まで飛び出して
東照宮は墓。それを守っているのが会津藩で、狗奴国に南総里見八犬伝を繋げてしまう豪華キャスト
俺の物足りなさのリクエストとして平将門を登場させてほしかった。


816 :日本@名無史さん:2009/09/15(火) 23:58:51
by 改めwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


817 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 00:11:43
>>815

平将門や水戸光圀は、河童さんの地元茨城だから
意識的に外したと思う。

818 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 00:26:58
>>801
何で卑弥呼のスレに、光秀と天海?

819 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 01:26:51
籠目は海、住吉大神ですなわち蘇我氏の事だと
関が言うとった。

別の話で
テレビで鶴と亀は 鶴岡城と亀山城のことだと言うとった。

滑ったは統べったのことだと

820 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 07:31:24
一番の誤解は、王族がその住民と同じ種族だと勘違いしてしまっていることです。


821 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 07:59:53
箸墓古墳は最近の発掘調査で、
外堀内堀の二重の掘に囲まれていたことがわかったらしい。

こりゃ、現実味を帯びてきたな。
天皇でもない、ただの皇族の女性だったら
こんな巨大な墓にはしないだろjk

822 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 09:18:20
>>821
単なる天皇陵だろう。

823 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 09:23:44
箸墓、相当大規模みたいだね。

824 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 09:26:19
余り大規模過ぎると民衆は離れて行く事確実。
専門家だって、今までの常識では語れなくなってくるだろう。

825 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 09:40:23
唯の皇族の女性というだけでなく、祭政一致の時代のシャーマンだから墓がでかいんだよ。
4世紀のヤマトトトヒモモソヒメは。

826 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 09:45:52
今まで三世紀の卑弥呼の墓に比定してきた学者は、今後どう言い訳するのだろう?
まさか今更、近くの古墳にくら替えするわけにもいかないだろうし

827 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 10:02:31
>>826
何を言い訳する必要があるんだ??

828 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 10:09:32
箸墓を卑弥呼の墓にしたくて炭素年代測定を捏造まがいに強引に3世紀まで遡らせた歴博は、いずれ言い訳することになるだろうね。

829 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 10:12:44
図々しいから言い訳なんかしないか?
いざとなったら調査予定地に、金印でも埋めておけば済む事だし。

830 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 10:49:00
そもそも九州の年代観もおかしい

831 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 11:14:46
もう邪馬台国は九州とか言ってる場合じゃないのにね。


832 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 11:18:15
北部九州は伊都国中心、本州西部は邪馬台国を都とする
諸国連合の事です。

倭人伝にもそう書いてあるでしょw

833 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 11:50:46
倭人伝には邪馬壹国は九州にあることが書かれている。

834 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 11:55:44
箸墓が卑弥呼の墓であるという証拠は皆無である。

835 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:05:43
もう卑弥呼の墓が箸墓だとか邪馬台国がは畿内とか言ってる場合じゃないのにね。
倭人伝には伊都国中心とした九州に邪馬壹国があったとはっきり書かれている。



836 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:15:24
>>833〜835
一生言ってれば?
まだまだこれから色々発表ありますよw

837 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:32:39
3世紀末から4世紀にかけて大陸および半島は動乱の時代であった。半島に居た百済系と倭人は高句麗等に押されて列島に
避難してきた。その人数は数万以上に上った。彼らは縁故を頼って九州に来たが、食料や住居が間に合わないので瀬戸内や
畿内へと移住した。畿内では神武以来の水田開拓で発展途上であったが、渡来人の入植により急速に成長した。その結果4
世紀の列島において一大政治勢力となった。これが大和王権のはじまりである。

838 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:52:41
>>837
>畿内では神武以来の水田開拓で発展途上であったが

縄文人だな?



839 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 14:18:15
九州説論者、ファビョり過ぎ(笑)

モモソもアマテラスも
ホト突いて死んだというのに
今回の発見はその裏付け
内堀と外堀の間に奴隷を埋めたとみた

840 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 14:29:29
>>821
単なる地方豪族の墓でしょう。


841 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 15:11:49
資産家豪族の悪趣味

842 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 15:46:41
>>821
すぐそばで土を調達したってことも言えるな。

843 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 16:55:13
>>839
アマテラスはホとを突いて死んだ?いい加減な知識だな。

844 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 17:10:34
これまでの考古学会に蔓延していた「古くする」病を撲滅しようとする動きも出て来た。【古くする」病
とは、縄文遺跡の年代を古くする、弥生時代の始まりを古くする、古墳時代の始まりを古くする病である。
より古い遺跡にすることで注目を浴びる。それによって研究費が貰える。人間とは弱いもので多くの研究
者がその風潮に流された。真実を追求するのが学問であるから、それから外れた動きはいつかは是正され
る。箸墓などの巨大前方後円墳の築造を3世紀にもってこようとする陰謀はもうすぐ破綻するであろう。

845 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 17:13:58
>>836
色々発表しても内容はカスばかり。

846 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 17:40:38
>>845
そう思い込まなきゃやってられないよね。
ちょっと同情するよ。

847 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 17:57:42
投馬国を出雲だとか丹波だとか言う奴は詐欺師みたいなもんだ。伊都国は九州内と認めておいて、それから
東に投馬国や邪馬壹国を持ってくるなど普通の神経では出来ぬことだ。郡から見れば南だなどと、倭人伝の
読み方も知らぬ言い草だ。出雲や丹波には新羅系の渡来人が入ってきていて窯業などの技術が進んでかなり
有力になったが、3世紀には5万戸の人口を養う生産力はなかったのだ。土器などの言わば工業製品を扱う
商業で食っていた地方だ。

848 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:03:09
>>846
実際にそうだろ
大した発見もないの騒いでうれしい?
色々発表しても邪馬台国や卑弥呼とは全く繋がらない。


849 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:13:55
>>848
じゃあ、とりあえず畿内で無いところに
卑弥呼との関連がハッキリ見える遺跡とかが どこにあるの?

850 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:23:00
>>849
なにをボケたこと言っとるんだ?畿内にいろいろ発見があると言ったのはそっちだろ。九州説は遺跡に頼る必要はないのだ。

851 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:27:56
>>850
じゃあ邪馬台国は君の頭の中だけにあるんだろうね。
よかったじゃんw

852 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:33:05
>>848
マキムクの箸墓は年代も各種文献上記述、伝承も
大半一致してますけど。

何もない所を必死に推測している九州説と
同次元で語られるのは心外です。

853 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:35:38
>>847
もっと素直になりなさい、縄文人さんw

854 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:36:58
>>852
心外だったら帰れよ

855 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:41:55
>>854
何もない所を必死に推測してるのは
事実だと思うけどね〜

具体的に何処と訊ねても未だに回答ないし。

856 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:47:57
>>855
何もないってどうして断言出来るんだ?

857 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:10:51
何もない所を必死に発掘してる畿内説
関係ない物を掘り出して妄想して喜んでる。
文献により伊都国が女王の都だと判っているんだから
北部九州を発掘しろよな。

858 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:13:40
>>856
ただ古墳がある、遺跡があると言う事で、
ここが邪馬台国だって言ってる説ばかりでしょ。
少なくとも箸墓はそういう次元で比定されてる訳ではない。

859 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:15:36
>>857
まず頭を掘ってもらったら?

860 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:16:48
>>858
どういう次元?
被葬者が女性だったと確認とれたの?

861 ::2009/09/16(水) 19:40:50
君ら殉葬てあったと思う?
確実な殉葬例があった証拠は?

ほらよ〜
首なし遺骨の殉葬坑
http://www.cpcjapan.com/china/history/iseki/photo2/inkyo_jyunshi001.html
殉馬坑
http://www.cpcjapan.com/china/history/iseki/photo1/rinshi_jyunmakou001.html

弥生後期〜古墳前期の時代にかけて、日本は最も大陸とのつながりが強かった(外交)。

862 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:01:00
>>861
殉葬は概念の世界、考古学で殉葬なんて絶対にわからない。

863 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:13:04
>>862
殉葬例がそこ載ってるじゃん

よく嫁


864 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:19:50
>>863
ただ殉葬って思い込んでるだけじゃん。ばっかじゃね!

865 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:19:51
ホケノザンで我慢しなさいwwwwwwwwwwwwwww



866 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:25:57
>>864隊長!
「馬鹿発見したようですね。処分しますか?」
「余り近付くと移るから、距離は十分保ち行動しろ。You have」
「了解しました。 I have」

867 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:33:44
九州説オワタ

868 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 20:58:25
>>>859
墓に入って出てくるな!

869 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:07:59
>>857
どうして伊都国が女王の都なんて、トンデモというか電波というか、
そんな読みを信じられるのか、不思議でしようがない。
今の教育では、漢文なんて、センター試験のために
チョロッとやる程度だろうから、仕方ないのかね。

870 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:14:31
もう九州説論者は
畿内説を頭ごなしに批判することしか出来ない。
今までの物的証拠はなにもなく、新たな発見が皆無。

もう詰んだだろ?

871 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:14:36
卑弥呼は男だったとすれば全て辻褄がある。なぜ、それを認めたがらないのだろう?

872 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:27:13
女王国と書いてあるというのに。


873 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:31:36
>>871
おぬし河童師匠だろ?



874 :横槍:2009/09/16(水) 22:10:01
やはり、箸墓は他とは違うんだな

3、4世紀群を抜いた特別な墓だよ

875 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:19:52
畿内に邪馬台国があったと言う人は漢文が読めない。
魏志倭人伝はの倭は九州のこと。
本州人は倭種。

876 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:29:04
>>869
畿内説がトンデモというか電波
トンデモに洗脳された人間には正論がトンデモにみえる。
畿内説はオウムと同じだな。

877 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:36:23
>>861
>弥生後期〜古墳前期の時代にかけて、日本は最も大陸とのつながりが強かった(外交)。
 
このレスの意味が不明だなあ。殷墟王陵区なら歴博年代観に従っても、はっきり弥生以前で
すよ。

878 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:43:44
>>877
きねんめいきょう て言葉知ってる?

>>876
そいつはオウムではなかろう


879 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:56:06
>>878
ますます意味不明だなあ。殷周代の銅鏡は、現在まで中国で21面しか発見されていない。
一般的な青銅器だったとはいえないものですよ。

880 :縦目仮面:2009/09/16(水) 23:19:01
少ない資料だが、殷墟で出土した銅鏡は直径12.5センチ、厚さ0.4センチ、鏡面はわずか
に反り、凸面をなしてる。この時代の銅鏡は、例えば「鼎」や「尊」のような他の青銅器に比べ、
極めて簡素で、単純な葉脈文や平行線文などの幾何学的文様、あるいは文様のないものがほ
とんど。

881 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:34:50
そいつの前では女の子
ツ‐ンとお澄ましそれはなあに
それは鏡、鏡の中からツンツンツン
シンデレラ姫があらわれたツンツンツン
それはだあれ
それはひみつ ひみつ ひみちのアッコちゃん

882 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:51:48
縦目さん考古学専門なので適当にネタ出しできねーなw

それより、太国と改めは今、鷲崎さんのところ行ってるぞ。


883 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:53:21
>>881
何がアッコちゃんだ
バカたれww


884 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:04:04
卑弥呼の墓そのものの大きさは不明だ。径100歩は100人の徇喪も含めた墓域のことかも知れない。卑弥呼の
墓が円墳であったか、方墳であったか、前方後円墳であったかの記載はない。其死有棺無槨封土作冢とあるか
ら(卑弥呼の冢のことと決まったわけではないが)、これと卑弥呼の墓が異なるならばそのような違いを記し
てもよかろう。いずれにせよそれほど大きな規模で作るほどの墓ではないだろう。

885 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:24:46
>>884
>径100歩は100人の徇喪も含めた墓域のことかも知れない

それって確か河童説だよね?

886 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:32:50
>>885
河童専用の説でもないだろ。実際、卑弥呼の墓の形状については何も書いてない。径100余歩徇葬者奴婢百余人
とあるだけだ。

887 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:39:28
>>886
特別河童説ではないが、ここでそんな事言ったの
貴方で二人目だから。もう一人は河童だけど

888 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:48:24
>>887
ふ〜ん。河童氏もまともな事を言うこともあるんだな。

889 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:04:13
www

わろうたww


890 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 03:15:36
>>876
畿内説でも九州説でもいいけど、伊都国が女王の都というのだけはない。
伊都国が女王の都なんていうことを言い出すのは、
まったく漢文が読めない人という証拠。

891 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 09:05:46
>>890
伊都国が女王の都であることを認めたくないのは
認めると邪馬台国問題に終止符が打たれるから。
魏略と魏志倭人伝の比較からも伊都国が女王の都であることは間違いない。

892 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 09:24:50
>>891
オレは、正直いって邪馬台国が何処だって、どうでもいい。
畿内にあっただろうなと思うくらいで、それも勘にすぎない。
だから、実際九州だったとしても、へえと思うくらいで何の痛痒も感じない。
しかし、倭人伝の記述を伊都国が女王のキと読むのは無理。
それだけは、確実。

893 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 10:09:29
伊都国が女王の都ならば、「郡使往来常所駐」なんて書き込みいらないし、
この記述があるだけで100%否定出来る。

894 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 10:19:11
伊都国=女王の都の議論は、アナルファック義務化法案を、国会で裁決するくらい有り得ない。

895 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 11:52:34
伊都国は王のいる国ではあるけれども実質は邪馬壹国の出先機関だと書いてあるだろが。
伊都国が女王の都などと言う輩は漢文の読み方を勉強してから出直せ。未熟者めが。

896 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 13:57:18
一大率。
太宰府とか長崎の出島みたいなもんで、
中国、朝鮮から来たものや人を検査して
瀬戸内海航路で邪馬台に運んでた。

897 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 14:23:16
>>891
> 魏略と魏志倭人伝の比較からも伊都国が女王の都であることは間違いない。

幼稚。 以後はスルーする。

898 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 15:44:21
>>896
一大率=太宰府とか長崎の出島みたいなもの?こいつも倭人伝を読めぬ。勉強し直せ。

899 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:33:55
>>893
>伊都国が女王の都ならば、「郡使往来常所駐」なんて書き込みいらないし、

伊都国が女王の都だから「郡使往来常所駐」だろ。
都だから郡の使節が滞在して女王と会談していたのだ。

900 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:36:25
>>897
魏略には伊都国の説明として「其国王皆屬王女也」とある。

901 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:23:17
>>899
それだったら
「郡使往来」じゃなく
「郡使往復」或は「郡使来」だろ。
「往来常所駐」と書いてあるのだから、飽くまでも中継地点。


理解できましたか?

902 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:27:11
>>899
郡使が直接女王と会談などするわけがなかろう。郡使に応対するのは邪馬壹国の外交担当官だ。魏の皇帝の使節
であれば女王が応対することになるから、張政等は邪馬壹国まで赴いたのだ。
>>900
其国王皆屬王女也 は その国の王は皆王女に属する ということだけであってこれが「伊都国が女王の都であ
った」証拠になるか?おまえさんは裁判員には不適格だな。

903 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:37:48
>>900
魏略を部分抜粋してはいかん。
翰苑に掲載されているなら、そのお題目を書き
曰文全て書き読まなければ駄目だ

904 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:39:56
>>901
「往来」の意味分かってる?

>>902
個人の思い込みですね。

伊都国の説明に「皆屬王女也」とある。
王女(女王の誤記か?)は伊都国の王でしょう。



905 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:55:33
>>904
俺に「往来」の意味を聞くのか?

906 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:58:09
>>904
河童さんに漢字の意味聞いて自爆するの?

907 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 18:05:22
>>904
なんで王女が伊都国の王になるんけ?おめさんは小学生け?

908 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 18:12:26
>>904
そんな短い質問でごまかすなよ。
アンタの趣旨に対して俺は答弁した。だったら貴方は準備書面或は口答にて、俺の答弁にこたえなければならない。

逃げるなよ。

909 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 18:13:39
>>904は人気者だね

910 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 18:38:37
河童は知ったかぶりで嘘八百、実は漢字を知らんヤツ。

911 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:32:19
>>907
伊都国の説明に王女が出てくるだよ、
王女が伊都国の王でなくて何処の王?


912 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:36:52
デテクルダヨ〜

913 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:38:00
王女とは王の娘。
女性の王は女王。

914 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 19:38:11
>>910

坊やは小学生だね

坊やは知ったかぶりしたくても出来ないだろう?
それに、漢字を知らないと嘘をつく事も出来ないんだよ。
朴ちゃんには難しいかな?
あのね、本当の事を知っている人がわざと違った事を言う行為を「嘘をつく」と言うんだよ。
わかったかな?

坊や、今日は勉強になってよかったね。

坊やにはまだまだ倭人伝は無理だな。背伸びしちゃ駄目だぞ。

915 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:47:37
>>908
「往来」の往はもと王の出行をいう字でゆくの意味。
来はくる。
「往来」では訪問の意味。、


916 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:51:15
>>914
知ったかぶりは無知でも出来る。
嘘も無知でも口から出任せ出来るよ。



917 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 20:16:15
>>916
口から出まかせは「嘘」とは言わないんだよ。
真実を知るからこその虚偽。

勉強になってよかったね

918 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 20:19:02
>>915

その理屈じゃあ「王」の存在が無ければ「往」は成立しないんだね?

919 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 20:31:17
>>915
「往来」の「往」をどうして“訪問や出かける”の意味に使うか知らないで
そんな事言ってないよな?
普通は知ってるから提示するんだよな? な? な?


それとも知らないで辞書のコピペでごまかした?

920 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:33:38
「往」は国字。菅原道真左遷の頃にできた。「主なしとて春な忘れそ」つまり、意味は「飛び梅」。

921 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:38:45
「飛び梅」ねえ。麻雀でハコテンになったプラムか?しかし、この梅は叩くとお金が出る。
300両ほどだけどな。

922 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:44:25
>>921
ほほう、金と梅なら「蘭陵笑笑生」の得意とするところ。

923 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:46:38
青柳の風の糸
結んで えにしになるならば
もしも えにしになるならば
桜の色香を それ頼む   wwww

924 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 20:58:10
>>921

>この梅は叩くとお金が出る

叩いてみるかい?リアルで   金は持ってるぞ

925 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 21:03:18
>>920

ほらよ

http://www.youtube.com/watch?v=UAMhd07_KX4

926 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:04:01
ははあ、この話知らないと。文楽の「ひらかな盛衰記」。あと923の歌詞を作ったのは仮名垣魯文。

927 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:09:28
922は別の話だな。その先生は「金瓶梅」の作者だろ。この題名は、主人公西門慶が関係を
持った三人の女、潘金蓮、李瓶児、?春梅からとれれている。金はそのまま金、瓶は酒瓶、
梅は色事ってか。

928 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 21:14:47
>>926

「金瓶梅」は上辺だけなら知ってるが、詳しくは知らないし読んだこともない
ただ、「雁」という本の中に登場することは知っている。
その程度かな?

929 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:15:09
しかし、「飛び梅」は危険だ。黴毒は空気感染するのか?花柳病といえば聞こえはおつなもん
だが。

930 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:16:29
>>928
はあ、日本の話だよ。芸者「梅ヶ枝」が金ほしさに手水鉢を叩いた。

931 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:24:19
>>930
浪速節の「唄入り観音経」なら20両ですむんだがな。

932 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 21:24:38
>>928

「雁」に金瓶梅の本登場しなかったか?
俺の記憶違いか?   だったらスマソだ 

人のきおくなんてあてにならないな  もうかれこれ約30年前に読んだ本だから
ただ、その金瓶梅に記憶あるんだけど・・・・・・なんで知っていたんだろう?????
思い出せない。

933 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 21:26:12
アンカーミス

928は>>930の間違い   スマソ

934 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:27:24
ピョコン ペタン ピッタンコ ピョコン ペタン ピッタンコ トノサマガエルアマガエル カエルにいろ
いろあるけれど この世で一匹! 平面ガエルのピョン吉さまは ケロケロケロとは鳴かないで
根性 根性 ど根性 泣いて笑って ケンカして 「にくいよーッ!このオど根性ガエル!!」 ドッ
コイ生きてる シャツの中。

935 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:28:54
↑これかよ。
http://img.7andy.jp/bks/images/i7/07139817.JPG

936 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:31:41
鴎外の「雁」なら「金瓶梅」は重要なモチーフの一つですよ。

937 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/17(木) 21:39:25
>>936

お〜っ  やっぱり記憶違いじゃなかった   
これでもやもやが吹っ切れました(また読んでみよ)  サンクスです。

本嫌いの俺も、森鴎外では「舞姫」と「雁」だけは読んだ

938 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:09:09
スレ主も別な場所に往ってるようだし、もうこのスレ新スレ立てないで沈めような

939 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:14:59
>>920
往の字、古代中国の象形文字にもありますけど。

940 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:44:20
魏略の伊都国のとこの王女は誰かが言ってたように邪馬壹国から嫁入りした王女だよ。その王女が王を
尻に敷いているから其国王皆屬王女也なんだな。かかあ天下の漢語表現也。

941 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:48:35
>>939
洒落で言ってるんだから突っ込むなよ

942 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:57:28
おまえらな〜にも知らんな。往来とは道のことだ。全て正しいという意味もあるぞ。

943 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/18(金) 00:08:02
all right  か?

944 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:24:54
>>937 プラム ◆TOfHBAKZgM
>本嫌いの俺も、森鴎外では「舞姫」と「雁」だけは読んだ

もう少しレベル上げて来い
話にならん


945 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 06:29:07
>>944
一番レベル低い奴が言う台詞じゃない。
大部屋の人間が、主役に意見してはいけないし、意見意見言ってる暇があったら
靴でも磨いてな

946 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 19:08:49
wwww けんかするなw



947 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 20:17:57
子供の喧嘩か(笑)

948 :縦目仮面:2009/09/18(金) 21:19:18
ははあ、「ひらかな盛衰記」ですか。奇妙なスレになったなあ。これは源平盛衰記秘話のよ
うなもので、梶原景時とかが出てくるんですよね。

ところで、鴎外は古代史フアンならぜひ「帝謚考」は読むべきかな。これは各天皇の漢風諡号
について、漢籍にも堪能な鴎外が考証したもんで、実に面白い。

例えば、「天智」とは、周書の記述から取られており、殷朝の最後の王、紂が死の間際に身につ
けていたのが、「天智玉」という宝玉。つまり、「天智」の諡号は悪王の証であり、天智と天武の関
係は、中国の紂王とそれを滅ぼした周の武王の関係になぞらえられている、というのが鴎外の
研究。

949 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:25:13
魏の皇帝の墓はみつかってません

みつかれば親魏倭王金印がそこで発見される可能性があります。
みつけましょう。


950 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:34:00
縦目は生意気だが、物は知っているね。

951 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:37:30
>>950
誰と戦わせたい?


952 :縦目仮面:2009/09/18(金) 21:56:24
>>949
このレスは意味不明だなあ。台与が晋に朝貢して「親魏倭王金印」を返納したということなの
かな?ありえないこともないが、そうだとしても、そこらの倉庫にほっぽられたんでないのかな。
晋の司馬炎の墓なら河南省にある晋武帝崚陽陵。

>>950 どうもです。
>>951 太国さんとは倍暦関係で二度ほどやりましたが、お互いダメージが大きいので、今は
     敬して遠ざける関係。

953 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:57:50
サガミハラハラ説 なかなか面白いと思いますよ

ただ、一般の方には少し難しいようですね。



954 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:59:53
>>952
う〜ん 「物」に関しては少し知ってるようだが
もう少し邪馬台国関連本を読んだほうが良いぞ。



955 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:05:01
悔しいけど縦目に最後まで付き合えるのは河童ぐらいだろうよ

956 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:15:30
悔しいけれどお前に夢中 卑弥呼〜卑弥呼〜♪


957 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:16:45
河童虫 vs 縦目仮面 決定!!!!!!!!

【戦力値比較】
      河童虫     縦目仮面
知力     2        8
財力     4        2
文献学    7        5
考古学    2        8
他の学問   1        8
妄想ない度  2        7 
スレ運営度  9        3
2ちゃん知識 8        2

あと何だっけ?ww この数値は個人的な考えをもとにしてるので苦情はなしねw

958 :縦目仮面:2009/09/18(金) 22:22:42
>>957
なんすかね。河童さんとはスタンスが全然違うんでやり合いにならないですよ。

あと、>妄想ない度 2 (河童氏) 7 (俺)  これは違うと思う。俺の常駐はオカルト板。

959 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:25:28
河童虫 vs 縦目仮面 決定!!!!!!!!

【戦力値比較】
       河童虫     縦目仮面
知力       2        8
財力       4        2
文献学    7        5
考古学     2        8
他の学問   1        8
妄想ない度  2        2(五分五分) 
スレ運営度  9        3
2ちゃん知識 8        2

あと何だっけ?ww この数値は個人的な考えをもとにしてるので苦情はなしねw


960 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:47:20
ハイハイ サガミハラハラさんも仲間に入れてやろうね(又嘆くから)w

【戦力値比較】
       河童虫     縦目仮面     サガミ
知力       2        8        10
財力       4        2        8
文献学    7        5        7
考古学     2        8        7
他の学問   1        8        10
妄想ない度  2        2(五分五分)  1 
スレ運営度  9        3        4
2ちゃん知識 8        2        9

(理解している人は、日本中で数えるほどしかいない)
(俺の常駐はオカルト板)
( 小城甘木、小城公園内桜ケ岡説) どれも濃いなw

961 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:09:52
のりピー見ていると、卑弥呼もこんな女だったのではないかと思うのです。
薬で失敗して失脚しながら、その絶大な人気から畿内に呼ばれて三輪山の女王として祭られた。
最後はほぞを突いて死ぬのでしょうね。

962 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:12:46
卑弥呼は孤独です。
それにひきかえのりピーは全然違う。

映画『まぼろしの邪馬台国』のヒロイン役の吉永小百合はミスキャストとは思わないが、
あと10年若かったらな・・・


963 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:16:07
河童が森鴎外を読んだことあるなんて意外だったな。

964 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:29:35
誰か知ってる人答えてください。
河童さんは本当に考古学や他の学問の知識って、限りなく0に近いの?

965 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:42:46
>>964

ゼロと言うよりマイナス。

およそ他では聞いたことが無い事を自明の理として口走る狂人。

966 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:51:59
>>965

>ゼロと言うよりマイナス。

およそ他では聞いたことが無い事を自明の理として口走る狂人。

それを額面通りに受けちゃってもいいのかな?

967 :神奈川県民:2009/09/18(金) 23:58:45
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!38
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1253285783/

それと河童さんが居ないところで悪口いっちぁダメだよ


968 :神奈川県民:2009/09/19(土) 00:00:30
ここが書き終わるまでは次スレへは書き込まないで下さい

宜しくーでは・・・・


969 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 00:09:16
ホツマより日本武尊東征時
ホ39359 ヲホミヤを たてゝまつらす ヒカワカミ イクサウツハは チチブヤマ
この時物部氏は、丹沢から秩父山地の東側に入植

 http://www.imaken.biz/sakuhin.html より

東京近郊の山歩きをしていると、奥多摩西部から奥秩父連山にかけて、
周辺の秩父、丹沢、御坂山塊などと比べて、「タワ、タオ、タルミ」地名が特に多いのが気にかかる。
この地域では、普通は沢とあてる地形に「川乗谷、倉沢谷、唐松谷、大雲取谷」といった関西系の
「谷」も使われている。こうした状況から、奥多摩・奥秩父連山の一帯は、
弥生〜古墳時代に西日本と何らかの関係をもっていたか、あるいは特別な事情によって、
この地域だけに例外的な特殊地名が残されたと考えられるかもしれない。
この辺は考古学、民族学の考察が不可欠であり…




970 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:11:41
たとえ間抜けなことを言ったとしてもだ
師匠の虫氏はあまりナメてかからないほうがいいぞ
君らに比べたらずっと上の人なのは確かなんだから



971 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:19:59
まあ、河童くんみとったらナメたくなるのもうなずけるが・・・


972 :縦目仮面:2009/09/19(土) 00:55:13
>>969
難問ですね。多摩、球磨、巨摩といった地名は渡来人が関連しているという説がありますが、
実際多摩地域には渡来人の伝承が多いです。確か「続日本紀」に高麗王の一党が入植した
記事があったような気がします。(本が手元にないんでちょっと自信ない)多摩という地名の付
近には狛江、高麗川、秦野といった地名、また「新羅神社」といった祭祀施設が多いのも渡来
人との関連をうかがわせます。ただ、山岳地形名となると・・・。後で少し調べてみます。

河童さんのレスは俺は面白いと思ってますけどね。

973 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/19(土) 01:44:46
>>952
嘆かず練習と思えば♪ 学会というところでは、こんなものではなく叩かれるようですよ。
30代40代の脂ののった人から叩かれ、50代60代の権威と言われる人から叩かれ、70以上の長老と言われる人から叩かれ・・
もし貴方が皆が諸手を挙げて賛同するようなものを出したとしても、敢えてそれに異を唱えるのが長老の役割なのだと、
ちゃんとそういうところが解っているなら・・・・・・・・良いのですが。


974 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:33:45
「一本」入ったかな?(よその掲示板ですが・・・)

どうでしょう?


975 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:37:26
合わせて二本?

ヤフー131395-131398 と邪馬台国についての掲示板の 「百体神社」について

まあ、判定は任せます。


976 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/19(土) 02:42:29
「百体神社」のほうは「私も痛い」というか微妙ですが・・・
ヤフーは完璧に入ったべ?w

では、ぐっすり寝れそうなのでまた明日〜zzz


977 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:35:23
あげ

978 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:48:10
>>31
サガミさん
>>大和向けの物資ですか、唐津で九州向けの物資をおろしたのち出港し、

>大和方面の物資が唐津から、別便に成る。伊都国の1大卒は、恐るに足らず。
>倭人伝はこの様には書いてない

唐さんのいうとおり
よって差がルートなるものがデタラメといことが分かる


979 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:21:54
周りを囲む溝が発見されたとか・・・
箸墓て結局何メートルになるの?
現在は280メートルとかいわれてるよね。


980 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:28:03
「魏志」
國出鐵韓濊倭皆從取之

この倭とは九州の人か?畿内の人か?


981 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:41:03
>>980
誰もわからない。

982 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:44:54
>>981
皆分かってるよwww



983 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:13:39
あと17

984 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:13:54
>>982
超能力者ですか?

985 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:14:20
ミスターマリックです。



986 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:22:38
ミスターマリックって美味しい?

987 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 14:26:42
>>972
>多摩、球磨、巨摩といった地名は渡来人が関連しているという説がありますが、
此方は、出雲族の関東入植より少し間を置いてから入植。

「谷」という関西方面の方言と関係無し。


988 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:56:33
おめーら 河童、河童、 てうるさいよw



989 :うましか:2009/09/19(土) 16:01:52
山梨の巨摩は高麗(コマ)だと言われてますね。
何で高麗がコマと読まれているのかはわからないのですが。

東京の多摩は多摩川の流れるところですが、
上流部の山梨側は丹波山と言う地名です。
多摩は丹波と関連があるのかもしれませんね。

990 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:14:55
マキムクの北、今の天理市付近も丹波だしね。

991 :縦目仮面:2009/09/19(土) 18:36:21
>>987
まあ、おそらく渡来人以前の地名でしょうが、なぜ972レスをしたかというと少し気になることが
あって・・・。

というのは、初代日本山岳会会長小暮理太郎氏の研究によれば、甲斐国都留郡周辺には「丸」
と名のつく山が多く(本社ヶ丸、コンドウ丸 鎮西ヶ丸、大谷ヶ丸、大蔵高丸、白谷丸、丸岳等々)、
このマルは、古い朝鮮語の山を指す「モリ」、現代語の峰を指す「マル」が語源ではないかと推察
されています。

その根拠としては、続日本書紀に持統天皇が百済人を甲斐に移すという記述があることを指摘
し、これは、上スレの高麗人の多摩移入とほぼ同時期であり、この地方が百済人や高麗人に
よりて早く開拓されていたことから、丸=マルの地形名がついたとするものです。

992 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 18:55:07
甲斐国都留郡周辺の開発は、孝霊時代と書かれている
しかし その後どれだけ新語が流れ込んだかは、知らない。

持統天皇が百済人を甲斐に移す、この人数が大きければ「丸」もありうるか。
ところで半島に「丸」の付く 同様の地名はあるか?

>>911 で書き込んで戴いた「丸」の付く名前は新しい?と思われる。


993 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 19:04:57
コンドウ丸 のコンドウが「近藤」なら鎌倉以降
鎮西ヶ丸、の 鎮西が 鎮西八郎でも同様。


994 :縦目仮面:2009/09/19(土) 19:18:29
>>992
どうですかね。現在の地名はほとんど漢語で音読みのようですから。ソウルは漢字表記が
なく固有語のようですが。確かセマウル運動の「マウル」は村的な意味合いだったと思いま
す。この「マウル」が九州に入って「丸」となり、さらに「原(バル)」になったとする研究は多い
んですが、韓国語は首位範囲でないんで、これはちょっとわかんないです。

995 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:25:30
太国ひっつくなww

http://hpcgi3.nifty.com/washizaki/bbs/wforum.cgi

996 :縦目仮面:2009/09/19(土) 19:36:10
>>993
もちろんコンドウや鎮西は後付けでしょうが・・・地名は難しいです。まして地形名では。

997 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 19:38:40
>山梨側は丹波 タバです。


998 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 20:13:12
長野県塩尻市と伊那谷を結ぶ峠が善知鳥峠(ウトウ)
先の考えから行くと 弥生時代に九州、四国方面から入った名前。
神武亡き後、手研耳の乱が発生、建御名方は諏訪に流される。
見張り役として、伊那阿智に思兼、長野にその息子手力男が配置される。
長野と伊那の行き来に通るのが、善知鳥峠。
松本中山古墳は、三河尾張系統ですから、峠にウトウとは、名付けない、それ以前に
名付けられていた、と思われる。

神武を不在にすると、出来ない思考。



999 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 20:29:03
黒曜石の産地、和田峠の近く 星糞峠が縄文時代の遺跡。
星=穿る(ほじる)から転嫁。
糞=クズ、カスに転嫁。

遺跡は黒曜石を掘った穴と残滓から成り立っている。


1000 :縦目仮面:2009/09/19(土) 20:50:58
引用していなくなったと思ったら今度は長野ですか。善知鳥峠はよく知りませんが、

考古学的には、長野の歴史はけっこう研究されてて、弥生文化の流入は、東海地方から県
南西部へと伝わるルートと、その後に北陸地方から北部へと伝わるルートとの2方向からと
いう説が有力視されています。

中野市の柳沢遺跡は、東日本で唯一、銅鐸(5)と銅戈(8)がともに出土したことで知られて
いますが、この銅戈も畿内型と九州型が混在しており、複雑な文化背景があることが伺えま
す。つい最近この遺跡から、前1世紀と推定される、シカを描いた絵画土器が出土し、話題に
なりました。シカは豊作をもたらす霊力を持つという説があり、西日本型の農耕祭祀といえま
す。従来のシカ絵土器の分布の東端は石川県でしたが、近畿地方からおそらく北陸経由で
この地に伝わったものではないかと考えられます。

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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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