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♪邪馬台国 ドンと来い♪54

1 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:42:14

    {        .    }
     ',.    (,゚Д゚,)    i   _⊂ ̄ ̄ ̄⊃
    ヽ   ∪ ∪   /  ⊂___⊃ ̄
     `ヽ、_    _ ○
          ̄ ̄ ○ ○
 ∧∧   ∧∧   ○ ○ ○
 (;;;;;;;;゚)  (;;;;;*゚) .| ̄ ̄ ̄ ̄|.   /彡ミ. /彡ミ
 /;;;;; |.i i /;;;;; |  ~| ̄ ̄ ̄|~   /彡ミ. /彡ミ
(;;;;;; /乂(;;;;;; /    .|__( ̄)__|   /    /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。 煽り、粘着禁止。荒しはスルー

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 53
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1252308634/l50


2 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:48:04
>>1

いや俺も立てようとはしたんだがスレ立ての規制に引っかかって…

本当に乙。

3 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 12:51:25
コテハン参加禁止にしようぜ。
>>1
今のうちにテンプレ変更しとこうよ

4 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:47:19
>>1
>>2
同じく、昨日からずっとスレ立て規制食らっていた。

5 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 13:51:39
コテハン参加禁止

6 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 15:59:36
>>5賛成
参加禁止だ。

7 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 16:12:55
意味ねーし。
コテはずそうが、書いてる内容で誰かわかる。
コテ付いてる方が、コテ見ただけで読まずに飛ばせるので合理的。

8 ::2009/09/16(水) 16:51:08
>>2 >>3 >>4  どういたしまして。
俺も昨夜はスレ立て規制で立てられなかった。
なので職場のPCから立てたwww

9 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 16:53:04
名指しで出入り禁止にすれば

10 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 17:42:03
ここは畿内説専用にしようぜ。先ず反省会だ。それから身の振り方を考えよう。

11 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:04:40
確か板に畿内説隔離スレ有ったよ。

12 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:10:47
反省会だって?

「すいませーん。生三つ」「それにモツ煮と刺身の盛り合わせ、あと焼鳥」
「俺はベーコンとアスパラ炒め」

13 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:34:47
「スーパーコンパニオン三人呼んでくるないかな?」「店長!コンパニオン来る前に、ゆで卵三つ用意してね」
「生三つ」

14 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:35:19
反省1. 畿内は郡から見れば南と言ったけど、奴国のあと東行至不彌国百里とあるからなあ。そしてそのあと
南至投馬国水行20日。これごまかすのは難しいわ。

15 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 18:41:06
>>14
そんな事どうでもいいから、先ずは飲めよ。
「店長!生一つおかわりね」
「モツ煮まだかなあ?」
「店長!千円札20枚持って来て!」

16 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:15:10
反省2.「自郡至女王國萬二千餘里」で奴国までで1600里使って、
残り400里で畿内まで。これもごまかすのは難しいわ。

17 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:18:48
>>16計算間違えた、残り1400里だ。
酔ったかな。

18 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 19:21:34
>>16
もうすぐコンパニオンが来るというのに、場の雰囲気壊す真似するなよ。
いいから「飲め呑め」
「店長!焼酎に氷に烏龍茶」
「あと、適当につまみ持って来てー。あと、生おかわりね」

19 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:02:45
畿内説は反省会をやっていたらいい。
むしろ、永久に反省会をやるべきだ。
九州説は、本当の邪馬台国を探すのだ。

20 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 21:33:41
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。

遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。

「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)

この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。

日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。

これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。

608年4月 裴世清ら隋使一行が筑紫に到着
  同6月 難波津に到着、一行のため高麗館の傍に新館を建設
  同8月 京に到着、大伴連が出迎えて国書を天皇に奏上
  同9月 裴世清が隋に帰国、小野妹子は大使として随行

この行程からも、裴(世)清ら一行のヤマト入りは、九州であった
はずはなく、当時の実力者(王)は推古天皇ではなく、実質的には、
嶋大臣の蘇我馬子(天武系の人々に後に卑しい命名がなされ歴史
から抹殺)であった。

21 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:22:29
>「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
>(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)
その邪馬台があったのは、阿蘇山のある島だ。裴世清が会ったのは、男王タリシヒコだ。
しかも、彼は隋の使者としてきたのだ。唐の使者として来たのではない。

>日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
>きていなかったことは事実である。
そんなことはないな。日本書紀の編者らをそんな馬鹿だと思ってはいかん。
ちゃんと推古26年に隋の煬帝のことを記載している。唐の前が隋だという
ことを編者らが知らなかったというのか? そんなことはありえんだろ。
裴世清が我が国へ来たとき(推古16年)は隋時代だということを十分に知
ったうえで、裴世清を大唐の使者と呼んでいるんだ。隋時代に裴世清が大和
へ来たことはないからだよ。



22 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:59:45
>>21
>その邪馬台があったのは、阿蘇山のある島だ。

阿蘇山のある島を経由しただけですw

23 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:02:09
>阿蘇山のある島を経由しただけですw
とは、どこにも書いてないな。

24 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:04:38
>>23
そうか、九州へは寄ってないのか。
斬新な説だねw

25 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:08:21
そう、寄ったりしたわけではない。九州が目的地だったのだ。

26 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:30:04
阿蘇山は火山なので有名だったんだよ。
つまり伝聞情報。

使いは東へ向いて移動してますから。

27 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:49:43
隋の時代には列島の状態が3世紀とは大きく変わっていた。裴世清に邪馬臺のことを教えた大和の人間は
邪馬壹国が九州にあったことを知らなかったのである。3百年以上も前のことだからね。今都のある所に
昔の都もあった筈だという思い込みだな。

28 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:55:49
>>26
竹斯国(筑紫国)の東は倭の附庸国だ。分かるかな? 附庸国というのは倭国
にくっついている国で、倭国そのものではない。つまりは植民地だよ。
そんなところはどこまで行っても植民地。倭国を訪ねてきた使者が、東へ向か
ってどんどん行くはずはないんだよ。海岸へ出たところで南下してるのさ。

29 :日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:56:24
またまたご冗談を、縄文人さん。

30 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:01:10
>>28
筑紫国から東が倭国なだけですよw

31 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 00:41:54
ここは畿内説派の反省会場だから縄文人は入場できない。
反省3. 伊都国を怡土との語呂合わせと平原などの王墓級遺跡の存在だけで糸島地域に比定したのはまずかった。
倭人伝の方角、距離の辻褄合わせに苦労した。いや、失敗だった。

32 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:19:27
>>30
こりゃ新説だ。対馬も一支も竹斯国も倭国じゃないってか。


33 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:53:25
単なる当て字だったりして…邪馬台国=大和大国

34 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 02:35:05
>>31
方位と距離・日数に加え魏志倭人伝に書き残された倭の地名は重要な手掛かり。
地名考証を「語呂合わせ」とレッテル張りして排除するのはよくない。
倭人伝は限られた資料なのだからどんな手掛かりであっても無視せずに考察するべき。

35 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 06:27:35
>>21
阿蘇山のある島でいうところの『難波津』とはどこに比定されるのでしょうか。
筑紫からは相当に距離ある所だと見込まれますが・・・

36 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 07:33:02
>>35
日本書紀は、大唐の使者裴世清と書いています。すなわち、裴世清は、唐時代になってから大和へやって
きたという趣旨です。隋時代には裴世清は九州を訪ねただけで大和へは来なかったが、唐時代になってか
ら大和へ来た。それを書くときに、間違えて推古16年のところに書いてしまった。そうゆう構成ですね。
隋使裴世清が来なかったと明記すると大和は倭国ではなかったことを認めることになるので、裴世清が唐の
使者として来たという話を推古16年に書き、読者が隋使が大和を訪ねたものと思い込むようにしたのです。
編者らにすれば、600年の訪問に対応することは書いてないし、大唐からの使者と書いてある、飾り馬の
頭数も違えてある、会ったのは推古天皇だとし男性が対応したとはしていない、まちがえたのは記事を入れ
る場所だけで、嘘は書いていないよということですね。ですから、唐からの使者裴世清が大和を訪ねたとき
の『難波津』は九州に比定する必要はありません。

37 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 08:29:40
隋書にすでに彼の都にいたった。その王は清とたがいに見え、おおいに悦んでいうには「わたくしは海西に大隋礼儀の国があると聞いている」とありますよ。

38 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 12:26:11
反省4. 「方位と距離・日数に加え魏志倭人伝に書き残された倭の地名は重要な手掛かり。 地名考証を「語呂合わせ」と
レッテル張りして排除するのはよくない。 倭人伝は限られた資料なのだからどんな手掛かりであっても無視せずに考察す
るべき。 」と強弁したものの、伊都=怡土を正当化できても方角、距離はいかんともし難く、素知らぬ顔をして来たがも
はや堪え難し。


39 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/17(木) 13:03:13
>>36

同意

7世紀末(698年〜700年頃)の唐使者の出来事を推古16年に挿入した。
この別件の時に唐の日本(大和政権)承認となったと推測する。
唐使にとっては倭消滅の確認。

40 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 14:50:33
>>37
隋書が伝えるのは、隋の使者裴清が九州の邪馬台国を訪ねたということだろ。
大和へ来たということではない。


41 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 15:53:23
反省5. 隋書を持ち出したが説得力がない。やはり魏志東夷伝倭人条に戻って勝負すべきだ。と言っても
勝ち目はないな。どうしたらいいんだろう。う〜ん。

42 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:35:07
>>20
自分でネタふったんだから がんばらないと。うふふ。

43 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:43:52
さっぱりわけがわからん。なにをもとにしてなに言ってんだか?

>>21
>その邪馬台があったのは、阿蘇山のある島だ

なんに書いてあるの? 日本書紀?

>>28
>竹斯国(筑紫国)の東は倭の附庸国だ

「自竹斯國以東、皆附庸於倭」
だろ? 竹斯國も倭の附庸。

>>40
「又東至秦王國」
竹斯國から東へ向かってますが?

これが九州王朝説ってやつか?



44 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:12:56
白川静の字統に『〔礼記、王制〕「諸侯に附するを附庸といふ」の庸は城墉の意で、
それが字の原義。』とある。
附庸とは諸侯に附すること。
「自竹斯國以東、皆附庸於倭」では
竹斯国(筑紫国)の東は皆、倭の附庸(諸侯)ですね。

45 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:23:49
>>43
>なんに書いてあるの? 日本書紀?
隋書を良く読んでみような。

>竹斯國も倭の附庸。
以東とあるからといって竹斯國も倭の附庸とは言えない。以東と
いう表現はそれを含まない場合もあるんだよ。

>竹斯國から東へ向かってますが?
海岸までな。竹斯國に上陸して周防灘沿岸に至ったということだろう。

46 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:27:18
「自竹斯國以東、皆附庸於倭」では
竹斯國の東に在る大和は諸侯に含まれることになりますね。

47 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 17:53:55
>>45
なるほど。
「達於海岸」までを九州のことだとするわけですね。

48 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/17(木) 18:03:11
「自竹斯國以東 皆附庸於倭」
上記は間違っている。
「自竹斯國以東、皆附庸於俀」
だろう。
倭と俀の領域は異なる。


49 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/17(木) 18:11:55
>>43
秦王国って、日本に渡って来たらしい秦の始皇帝の関係、徐福が
日本で造った国かね?w
なんだか秦王国を研究してる方がおらえるようだが、そちらのこと
は殆ど知らんので・・・?

50 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 18:57:56
>>49
裴清もそうかなと思ったが、「疑不能明也」だそうですね。
渡来中国人のコロニーでしょう。

51 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 19:25:47
>>45

>以東という表現はそれを含まない場合もあるんだよ。

では,用例をあげてみて。

>海岸までな。竹斯國に上陸して周防灘沿岸に至ったということだろう。

そんな事書いてないし。達於海岸まで、通行手段の変更を読みとれる記述なし。
海から海岸についた以外に訳しようがない。

52 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:49:11
ほら、黙っちゃった。

53 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 22:33:59
>>51
自分では何も考えようとしないんだな。女王国以北、有名なこの言葉があるだろう。
女王国以北に女王国を含めたら、女王国から派遣された一大率が本国である邪馬台国
まで検察することになってしまう。倭人伝の場合、女王国以北には女王国を含まない
ことが明らかだ。諸橋漢和でも調べてみな。以北とか以東とかいう言葉は、その基準
地点を含む場合もあるが、含まない場合もある。それはその時々に解釈していかなけ
ればならない問題なんだ。
達於海岸という文章は、陸を進んで海岸に出たという意味だよ。通行手段の変更を読
みとれる記述なしというが、秦王国について、その人華夏に同じとあるじゃないか?
上陸しなかったのなら、秦王国についてそんなことが書けるはずはない。当然、秦王
国よりも手前で上陸しているんだよ。

54 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:01:10
そもそも○○国「以東」なんて文章を作る時は、○○国は点ではなく面だから
○○国がどのような形をしてどのような位置にあるのかを明確にしなければ
使用できない。
だから「竹斯國」も「女王国」もそれぞれ○○國の前には基点を表す「自」が付いて「自竹斯國」
「自女王国」となっている
こうなれば○○国は面ではなく基点という範囲を持たない点となり
自竹斯國以東=竹斯國の基点を含めた東という 竹斯國全体を含むとは違った表現を作り出せる。
そしてこの場合「自」は大概 国の中心的な場所(国の首都)を基点と定める。

自女王国以北=女王国の都を含めた北
自竹斯國=竹斯國の都を含めた東

55 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:05:57
竹斯國をぜんぜん含めない東なら、「竹斯國東、竹斯國之東」で用は足りる

56 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:14:37
>>55
そうは言えない。竹斯國以東ならば、竹斯國よりも東はすべてという意味になるが
竹斯國之東ならばすべてか否かは必ずしも明らかでない。

57 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:21:48
九州王朝説なんてまだあったの?


58 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:22:03
>>54
面だとか点だとか、理屈をこねるだけなら何でも言える。
要は、現実の漢文で具体例を示せるか。

59 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:25:46
>>57
いくら不合理な説でも結構信者はいるもんだよ。畿内説だってまだ消えてない。

60 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:36:21
>>56

>そうは言えない。竹斯國以東ならば、竹斯國よりも東はすべてという意味になるが
竹斯國之東ならばすべてか否かは必ずしも明らかでない。

ここは含むか含まないかの話であって、>>56の内容は別問題で扱いたいわけよ

61 :日本@名無史さん :2009/09/17(木) 23:41:02
>>53
ひょっとしたら、東と西の方角を間違えてないかな。
東は右方向。
周防灘沿岸ではなく、大分県の北の豊前海の沿岸でしょう。
竹斯国は筑紫国(博多湾南の筑紫郡)のことで、東に秦王国、更に東に
十余国を経て海岸に達したのだから豊前海の沿岸のこと。

62 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:45:56
>>58

>現実の漢文で具体例を示せるか。

用例なんて検索すれば沢山出てくる。でも、そんな用例引っ張り出してもここがわからないんだから
他も区別がつくわけないよな?
つくわけないと考えたから、内部を分析したあげたわけよ
それを屁理屈だなんて、どんだけ我がままなんだよ

用例だって、その用例を解釈しなければならないんだよ
やってることはここの場面と同じことをしているにすぎないんだよ。
>>53のレスだって、結局自己判断による解釈だろう?


63 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 23:54:36
>>54
考え方は基本的に正しい
つまり、「自竹斯國以東」竹斯國の中心から東は諸侯(附庸)の領地であり
竹斯國の中心から西(都斯麻國、一支國、竹斯國の中心から西半分)は倭の直轄地なのだ。
九州内を十餘國経て「達於海岸」に付くまでが倭國。



64 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:01:55
>>63
なんか支離滅裂な意見に見えるが・・・大丈夫か?
竹斯國王の立場はいったいどうなるんだ?

65 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:05:04
>>57
探すといくつか出てきた。
否定できずに、無視されてる、そうだ。
文献資料の読み方、以外の論拠はないのか?
考古学とか伝承とかでもいいが。
邪馬台国も魏史読むだけじゃ水かけ論だし。


66 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:05:46
米の生産量から見た意見ですけど、

色々調べて出してみると、
      水田面積    生産量   生産効率 
現  代  1,916,667町歩 約850万ton 73.9俵/町歩
大正時代  2,945,590町歩 約700万ton 39.6俵/町歩
秀吉時代  1,423,077町歩 約285万ton 33.3俵/町歩
平安中期   885,367町歩 約145万ton 20.5俵/町歩
弥生後期   ????                となりました

全スレで、
「私が子供の頃(60年前)、一家7人で米20俵で1年暮らした。主食は米で、
 これに芋類があった。パンはなかった。 一人3俵(180kg)である。
 弥生時代でも1町歩で30俵くらいは穫れるだろう。としたら1町歩は10人分だ。」
という意見がありましたが、弥生時代で1町歩あたり30俵は無理でしょう。

平安中期の『延喜式』(905 - 927年)によれば、
    耕地面積
東北  77,549町歩
関東 201,607
中部 176,999
近畿 165,244
中国  94,507
四国  52,013
九州 117,448 (13.3%)
----------------
計  885,367町歩    です

67 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:06:03
(つづき)
また、大宝令の田令では、 
 上田(稲 500束/町)
 中田(稲 400束/町)
 下田(稲 300束/町)
 下下田(稲 150束/町) とされています

束とは両手で抱えられる量が目安ですが、
「2束の稲穂の実を脱穀・籾摺りして得られる玄米1斗」と定められ、
稲1束=5升(0.5斗)×0.4(現代升換算)=2升(3.6L) となりますから、
 上田では、500束/町×2升×1.54kg(1升当たり)=1540Kg/町歩 
  つまり =1540÷60(1俵の重量)=25.7俵/町歩
 中田では、           =20.5俵/町歩
 下田では、           =15.4俵/町歩  となります
(上で、平安中期の生産効率として挙げたのは、この中田の数字です)

平均的に中田として考えると、
九州で、117,448町歩×20.5俵/町歩= 2,407,684俵 と算定できます

1人の食い分=1石=2.5俵 と言われていますから、
2,407,684俵÷2.5=963,073人 が養える勘定です

また別の見方として、平安中期の人口、全国で550万人というデータがありますから、
その13.3%が九州としますと、73.15万人となり、
前述と似た様な算定結果が得られます
平均的に中田として考えると、
九州で、117,448町歩×20.5俵/町歩= 2,407,684俵 と算定できます

以上の事より、平安中期(AD900頃)のGNPでは、九州で70〜100万人くらい養えたでしょうか

68 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:06:16
(つづき)
しかし、弥生時代の末期頃となると、どうでしょう?
確実に、平安中期よりは水田面積も生産効率も劣るでしょうから、もっと養える人口は少ないでしょうね

伊都国  千余戸
奴国   二万余戸
不弥国  千余家
投馬国  五万余戸
邪馬台国 七万余戸
-------------------------
計    14万2千戸

1戸5人としても、およそ70万人の人口、果たして九州内に収まるでしょうかね???

69 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:10:39
反省6. 「邪馬台国も魏史読むだけじゃ水かけ論だし。」と言って倭人伝での議論を避けようとしたが
水掛け論にするための屁理屈も種が尽きたしなあ。困った。

70 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 00:15:43
>>68
だから1戸5人で計算するほうが間違いだし、(倭国の家事情を知らなすぎる)
米を全員が食べているわけではない。
支配者たちが米を集めて、それを別のものに売ったりして財を蓄えていくんだよ。
それは平安中期だろうが、江戸だろうが一緒。
田地面積でどれだけの人が養えるという考え方自体間違っている。

71 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:16:01
>>68

>果たして九州内に収まるでしょうかね???

稲作が伝来する前は数値0なんだけど、その計算で行くと人は住んでいなかったということですか?

72 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 00:19:03
米の生産していない職人や商人大工、その他農業以外の職業の者が、
米を買うからね。

73 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:21:52
>>54

こういう話題は飛び付くの早いなあw皿に水でも張ったか?

74 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:33:31
>>68
1戸平均4人だろう。邪馬壹国で30万人くらい。平安時代の調査の数字はそのまま鵜呑みにはできないだろう。
畿内から離れるに従って調査の精度が落ちてゆくだろう。九州辺りの水田面積なんて宛にならんよ。公地公民だ
などと言っても、実態は違うね。それはさておいてもだ。米だけで暮らせば1人1石は必要だが、魚や獣や果実
など他の食料もあるから米は半分もあればなんとかなる。九州内で30万戸は暮らせるよ。

75 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 00:48:34
戸数は約2、3倍になっていると思う。
藁葺きの竪穴小屋一つだけは考えられない。
穴を掘らないで、現在住居跡として残っていない掘っ立て小屋などいくつか他にもあったはず。
使い捨てのような粗末な家。そして高床の倉庫。共同の倉庫だとしてもかなりの数は必要。
家族を調べるのに、いちいち一つ一つ調べたりしない。

76 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:50:47
>>70
では、1戸を何人とするんですか? そして、その根拠は?
>>71
稲作が伝来する前は、自然に依存した生活でしょうね
一人当たり、稲作よりもっと広大な生活空間と自然の恵みを必要とするでしょう
稲作以前は、人口はかなり少ないのが必至です
米は非常に人の口に入るカロリーとして、生産効率の非常に高い農作物です
稲作をやったからこそ、弥生時代が花開いた訳で・・・・
>>72
それは、余剰生産分があって初めて外部に売れるわけでしょう
今は、「これだけの耕地面積だから、これだけの人口分の米しか作れない」という
上限を算定してみてる訳ですよ
米を買って食べる人も含めての、養いうる人口を求めてみた訳です

77 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:54:55
棲み分けすれば?倭人伝を逐次解釈したい人=九州説は志を同じくする者同士、議論すればいいんじゃない?河童さんのスレとかちょうどいいし。
考古学とか色んなもの絡めて考える畿内派は別スレたててそこで議論したらどうだろう?
否定のなじりあいばかりだよ。ネタはループだし。棲み分けすれば詳しい人ももっと参加するんじゃないかな? 今は読んでても全然面白くないし。

78 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 01:02:19
棲み分けは意味ないと思う。
なじりあいをしなければいい。

米はあと役人やら、召使やら、戦争時の何千、何万もの兵隊にも食べさせなくてはならないので、
常時宮殿の大きな倉庫には米俵が沢山蓄えられている。

79 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:02:49
米の生産量を絡めるのは邪道だろうか? 面白くない?
でも大事な事だよ  弥生文化は稲作だよ稲作!
生産の無いところに大きな国は出来ない
遺跡だの地名だので類推する人がいるが、その土地の生産力を考えに入れる人はあまり見かけない 

80 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:07:44
>>79
しかし、土地の生産力とかいっても、自分が思ってる結論の方向にこじつける
だけの話だろ。耕地面積も生産量も分からないんだから。

81 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:12:57
>>76
同意。
ドングリ食べてた弥生人にみんな夢を持ちすぎ。

>>77
そうかもね。
九州説における邪馬台国の場所を特定して欲しいものだ。
畿内説と同じ土俵に立てるのはそれからだな。

82 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 01:13:42
九州地方の特に筑後肥後地方はかつては田んぼが多く日本有数の米どころだよ。


83 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:14:59
>>80
そんな風に取らないでほしいな
耕地面積は増えこそすれ減らないよ
今のとこ、平安中期のデータよりは遡れない
ただ、魏志倭人伝の戸数、あれは人口そのものと言うより、生産力=国力 を示したかったんじゃないかなとは思う
生産力=人口=国力 なんだよ

84 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:22:10
平安中期のデータってどうゆう意図で書かれたか分かってるのかな。
邪馬台国が九州にあったことを隠蔽しようという意図で書かれた可能性を
考えたことはあるかな。

85 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 01:25:35
でも倭人伝を読むと邪馬台国や他の国々はどう考えても今の市町村単位。
まだまだ隣国と戦っていて不安定だし。
前が見えないほど草で覆われていたりする土地が多く、水田開発も発展途上だったように
思える。ただ、倭人が米作を携えて入植してきたので、
人口はあっと言う間に増えて、新しい土地を開拓していったと思う。
なにしろ土地が無ければ始まらないから。
日本は山地が多いので、平地へ平地へと広がったかもしれない。
棚田というのもあるけれど、平地に田を作り漁業をしながらの生活の方が合っている。

86 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:30:58
市町村単位程度の国の戸数として、2万戸、5万戸、7万戸なんて数字を
書くだろうか?  
倭人伝を読むと〜どう考えても、なんていうが、自分の思い込みに合わな
いところは無視して物事を考えているだけじゃないかな。

87 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:36:53
>>85
人口などから当時の状況を考えたいならば、朝鮮半島や対馬、壱岐の戸数から当時の
人口密度がどの程度のものかを想定してみたらどうかな。そして、それをもとに倭国
の人口密度を考える。そして、2万戸、5万戸、7万戸の国々がどの程度の大きさに
なるかを考える。そうすれば、倭人伝の書いているところが少しは理解できると思う
がね。

88 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 01:38:39
>>88
だから何度も言いますけど、戸数は2、3倍に計算されているんですよ。
何度いってもわからない人ですね。
どう考えてもという言葉が不快でしたか。




89 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:41:03
>戸数は2、3倍に計算されているんですよ。
それが完全な思い込みだね。そんなことを言える証拠はまったくない。

90 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 01:43:31
2万戸とか5万戸とか大雑把すぎるでしょ。
それを1戸あたり4、5人で数える方がおかしい。
ですから、戸数を2か3で割って、それに4、5を掛けると
其の当時の人口に近くなる。

91 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:45:54
仮に1万戸の戸数調査やってみればいい
ピーナッツの粒を数えるのとはわけが違うぞ
いや、仮に戸数の調査を実際に彼らがやったとしよう
ならば、行程記録は方角も含めもっと精緻に正確に記されていたはず
バカバカしい

92 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 01:46:39
>>89
完全だとなぜはっきりいえるんですか?
貴方も思い込みがはげしいではないですか。
とにかく、戸数はあまり当てになりません。
この位多いよという感じで読んだほうがいい。
壱岐が3000戸、対馬は千戸を基本に。

93 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 01:54:38
>>90
あなたが言う当時の人口って何? あなたは知ってるの?
今の福岡県五百万、大分県百万人っていったら、そんな大ざっぱな数字は
おかしい、二分の一、三分の一とみようっていうのかな?

94 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 02:01:48
>>92
完全だとはっきり言えるわけではないよ。しかし、不自然な数字だとは思わない。
それに、資料はそれしかないんだよ。倭人伝に疑問を差し挟むべき他の資料はな
いんだ。となれば、倭人伝の数字に従って考えるのが当然の話だ。

95 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 02:05:12
>>84
租税を取るための田圃調書ですよ
『遠江国濱名郡租帳夾名帳 天平十二年 
 濱名郡 依式造天平十二年輸租帳事
 合郡内管田惣壹仟捌拾陸町壹段壹伯肆拾伍歩』
という具合に、書き上げる訳です

「〆て、一千九百六町 一反 一百四百五歩」と読めます

大宝令の田令に、「准令、田租1段租稲2束2把」とあり、
1反当たり2束2把(2.2束)の税を徴収する訳です
中田(稲 400束/町歩)の田圃なら、
(2.2×10)/400=0.055 つまり、5.5%の税率になります

江戸時代は「4公6民」なんて税率で、40%くらい取られたんですけど
それに比べれば、班田収授法ははるかに少ない税率ですね
その代わり、庸(労役)と調(絹や特産品、または貨幣での納入)が別にあります
多分こっちの方がしんどいです
租(稲束で納める)が小さいのは、米の生産力が農民が自ら食べる分ぎりぎりだったからでしょう
農民は米を売るほどの余裕はなかった訳です
逆に、江戸時代は6割の農民取り分のうち、その多くを金に替えたり他の物と交換する理由のため、あまり口には入りませんでした

96 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 02:38:13
だいたい常識で考えて邪馬台国の七万戸はおかしい。
たとえば、奈良盆地をくまなく掘ってもそんな戸数は出てこない。
纏向遺跡なんて、無人都市なんていわれ方さえするくらい住居跡はないし。

では、近畿地方全部を邪馬台国とするか。しかし、大和といえば大和朝廷の
時代でも奈良盆地に限られている。その前の時代の邪馬台国がはるかに広い
というのは非常識。
また、畿内説の石野さんは、近畿地方全部でも七万戸には到底おぼつかない
と言っている。

鬼頭氏の人口調査でも、西暦200年頃の人口は、畿内・畿内周辺全部合わせても
10万人程度とされる。九州全部でも10万人ちょっととなる。
倭人伝の数字は信頼性に欠ける。

97 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 02:59:28
>>62
>内部を分析したあげたわけよ

なんて言っても、「私はこう考えました」の域をでないわけで、
たとえ精緻な理屈を積み上げて、見事に説明し尽くしても、
古代中国人が、そのように考えていなければ無意味、屁理屈でしかない。

>>53
>女王国以北に女王国を含めたら、女王国から派遣された一大率が本国である邪馬台国
>まで検察することになってしまう。

これは、原文の内容に即して導き出された論であり、誰が考えてもその通りという理屈。
だから、間違いなく、これを書いた中国人は、この「以北」には女王国を含めていなかったと断言できる。
これに反して、>>54は、原文の内容に基くことなく、ただ「○○國」は面で、「自○○國」は点だって、
オレ様解釈を書いてるだけ。
明確に、古代中国人がそう考えていたという証拠が見つからなければ、断言しないのが学問をする者の謹み。
証拠がないのに、そう考えると巧く説明できるというだけで断言するのは、
オレ様解釈で、トンデモ・電波へ通じる道。

98 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 05:58:46
>>97
あなたも人を批難する事はできませ。

>一大率が女王国から派遣は、原文に即し導かれた論


原文に即し導かれた論ではなく、自分と同じ考えだから推奨しているに過ぎない。
どんなに言葉を並べ尽くしても、結局自分可愛さには変わらない

99 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 06:21:05
>>68
労作おつかれさまです。
倭人伝の戸数について、
奴国と思われる那珂郡の耕地面積ってわからないものですかね。
延喜式、調べようと思ったけどわからなかった。

100 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:28:57
>>98
>原文に即し導かれた論ではなく、自分と同じ考えだから推奨しているに過ぎない。
では、「女王国以北に女王国を含めたら、女王国から派遣された一大率が本国である邪馬台国
まで検察することになってしまう。」という考え方は正しくないと思いますか?
どこが正しくないのですか?


101 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:30:49
>>97
>>53
>>女王国以北に女王国を含めたら、女王国から派遣された一大率が本国である邪馬台国
>>まで検察することになってしまう。

>これは、原文の内容に即して導き出された論であり、誰が考えてもその通りという理屈。

貴方の意見もオレ様解釈を書いてるだけだね。
誰が考えてもその通りじゃないよ。
女王国から派遣された一大率とか書かれていないことを勝手に妄想している。
>>98
皆、自分の思い込みに囚われすぎているね。

102 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:44:01
>>100

女王国以北に女王国を含めるのは、女王国内に「女王国以北」
と表現できる基準を設けると言う事。
基準が女王国ではない所だったら、女王国などという名称は必要ないだろう?

女王国以北とは、女王国内に設けた基準点と
女王国以外の北側と言う意味だよ。
だから女王国を含めないと言う言い方は正しくないんだ。

103 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:46:49
>>102

「女王国以外」というのは、女王国を含めないという意味で使用しています。

104 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:57:07
頼むからコテ使ってくれ。
アボできないじゃないかw

105 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:57:25
>>102
河童乙

106 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 07:59:55
ただ、女王国内に設けた基準点というのも
飽くまで仮りの点で
この辺りが数字とは大きく違うとこだろうな

107 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:19:21
特置一大率、検察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
これが、倭人伝に書かれているのは事実。
一大率の性格をどう見るかで、
女王国以北に女王国を含めないのはおかしいという意見なら、
それは原文に則した議論。
この場合、一大率の性格を議論すれば良い。

しかし、
>女王国内に「女王国以北」と表現できる基準を設ける
なんていうことは、原文に全く書かれていない。
書かれていないことを根拠にして説を主張するから、オレ様解釈というんだよ。



108 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:38:08
「女王国以北」ではなく「自女王国以北」ですよ
意味は女王国の中心より北ですね。
「自女王国以北」は女王国内のことですから
女王国以北には女王国の北部が入り
女王国の中心部(都)は入らないと考えられます。
「自竹斯國以東 皆附庸於倭」の場合も
竹斯國を点として扱っていますから竹斯國は入らないと考えられます。



109 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:49:50
>>108
そうじゃないというのが解らないかな。
一大率の性格は、倭人伝の記述から議論できる。
そこで一大率は、女王国が置いた機関だということになれば、
自女王国以北に女王国が入るのはおかしいと結論できる。
女王国の機関ではないと主張するなら、その根拠を示せばいい。
それが、原文に即した議論というもの。

ところが、まず自女王国以北は女王国の中心より北と決めてる。
その根拠は一体何?
倭人伝には、そんなことは何も書いていない。
根拠のない前提から、一大率はこうだと論ずるのは間違っている。

まず、自女王国以北が女王国の中心から北だという根拠を示さないと、
オレ様解釈から一歩も抜け出せないよ。

110 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 08:53:45
女王国と伊都は当然別ですよ。

111 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:10:25
>>107
原文に書かれていないことを問題にするなら、即した考えだって原文には書いていない事を考えるわけで。
即したか即さないかを判断するのも恣意的。
いったい誰が判断下すんだ?

112 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:12:46
結局ここに居る全員がオレ様解釈で、その度合い日本一を決めているに過ぎない。

113 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:22:17
相手をオレ様にする事で、自分はオレ様ではないと言いたいだけ。
まさかストレートに、「俺はオレ様流じゃないけど」なんて前置き出来ないから。

114 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:30:58
女王国の都が伊都国です。
「自女王国以北」とは伊都国より北のこと。

115 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:36:10
>>110>>114

よっ!オレ様だね

116 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 09:52:20
>>115
110は当然のことだろう。伊都国が女王国に統属していることは明記されている。
統属する国とその対象になる女王国とが同一ということはありえない。
114はオレ様流解釈、トンデモだね。伊都国と女王国を同視しているからな。


117 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 10:06:41
>>116
しかしそれは解釈であって、>>107から見ればやはりオレ様に該当する。
飽くまでも原文に同一である文がない限り。

118 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 10:20:49
だが、>>107は一大率を誰がおいたとみるのかね。明記されてなくても、当然の
こう解釈すべきだということもあるんだよ。
飽くまでも原文に同一である文がない限りオレ様に該当するなんて言うのは、そ
れこそオレ様の主張。合理的な解釈ならば、誰もオレ様とは言わんよ。


119 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:01:52
後世にはなるが15歳で口分田をもらったら
それで一戸扱いではないかと考えたのだが
なんだか日本では6歳で与えられていると書いてある
ものがある。

一戸を1家族として考え、必要な食料を考えると3名〜4名相当ではなかろうか。
10歳以下なら必要な食料は、平均して大人の半分程度だろう。


120 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 11:19:55
>>117
>飽くまでも原文に同一である文がない限り。

曲解するなよ。
原文から論理的に導き出せるかということで、
原文に、まんまのことが書いてなければならないということじゃない。

それに、オレがいう原文に即してとは、倭人伝だけのことを言っているのではない。
頭の中で勝手に規則を作り上げるのではなくて、具体的な漢文のなかで規則を見つけ出していくという事。
例えば統屬の解釈などは、三国志の他の部分や、漢書の文章などを参考にすべき。

>女王国内に「女王国以北」と表現できる基準を設ける

にしても、仮に他の文献で、その文に即してそのように解釈すべき根拠が見いだせれば、
倭人伝解釈にも大いに参考にすべき。
だが、102は、基準を設けると主張するだけで、その根拠が示されていないからオレ様解釈なの。
具体的に文献の中に根拠がないのに、勝手に基準を設けるなどと言ってはいけない。

121 :邪馬壹国:2009/09/18(金) 12:09:00
>>114
伊都国は女王国に行く途中に通る国のひとつだから都ではないでしょ。都は女王国の中にあるはず。
「女王国以北」の女王国とは女王の住んでた国だな。伊都国にも代々、王がいたと書いてあるしね。
壹国(倭国)は30国くらい集まった共和国だと解釈してます。
そして、女王の住んでた国は邪馬国だと思う。

122 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:15:34
>>120も典型的なオレ様だよなあ。
自分が分かるように書けと催促している時点で。

123 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:20:35
>>120
女王国の中に基準を設けなければ、自を〜よりという読みは出来ないぞ

124 :120:2009/09/18(金) 12:32:33
>>122
>>102は基礎がなってないと上から目線で指摘してるわけだから、
オレがオレ様だという印象を持たれても仕方ない。
とはいえ、オレがオレ様だとしても、解釈はオレ様解釈じゃないよ。
自説には根拠を示そう。
議論は実証的に進めよう。
という、ごく基礎的なことを要求しているだけで、
自分がわかるように書けと催促しているわけじゃない。

125 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:33:39
>>120お尋ねします。

倭人伝に書かれてある統属を解釈するのに、三国史や漢書の統属を参考にしろと、倭人伝の何処に書いてあるのでしょうか?
探しても見つかりません。
それは>>120の独自ルールでしょうか?
三国史や漢書を探しても、倭人伝の中でしか女王国と王の絡みのなかでの統属が見つかりません。

126 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:36:58
>>125
河童の屁理屈

127 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/18(金) 12:40:30
>>126
私は屁理屈なんて言いません。

私がルールブックです。
黙って従っていなさい。

128 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 13:12:06
「自郡至女王國萬二千餘里」で
「從郡至倭・・・東南陸行五百里 到伊都國」まで合計すると11900里だ。
次の奴国までで丁度12000里。
奴国が女王国の中心で伊都國が女王国の都。


129 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 13:36:36
>>125
統屬という言葉は、陳寿が発明した訳ではないし、倭人伝が初出でもない。
統屬がどういう関係を表すか、倭人伝編纂以前に、古代中国人には共通認識があった。
陳寿は、女王国と王の関係を、統屬として共通に認識される関係だと言ってる。
だから、その共通に認識されていた関係はどういうものだったかは、
三国志や漢書など、関係がよりわかりやすい、記述が詳細な文献から導き出せばいい。

もし、女王国と王の関係が、倭人伝の中でしか現れない特殊な関係であったなら、
統屬などという共通認識があらかじめ存在する言葉では表現しようがない。
特殊な関係を表す特殊な言葉を使っていなければならない。

130 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 14:21:16
>>96
>近畿地方全部を邪馬台国とするか。しかし、大和といえば大和朝廷の時代でも奈良盆地に限られている。
>その前の時代の邪馬台国がはるかに広いというのは非常識。
そのことに気づいたら、大和という地名にこだわって近畿説を主張することがまったく無意味だと
分かるだろう。邪馬台国は近畿の大和よりももっともっと広いんだ。



131 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 15:16:58
>>128
南至邪馬壹國、女王之所
原文では 奴国の南に邪馬壹国があり、女王の所とある。
つまり、奴国の南の接した国に女王がいる所があるのだ。中心は女王のいる所でしょう。

132 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 15:55:17
>>131
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。

奴国の南の接した国とはどこにも書いてないよ。
上記文の出発点は伊都国だ。すなわち、伊都国から水行10日陸行1月のところに女王の
都する所があるということ。

133 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 15:57:41
>>131
原文を誤魔化しで書くな。

『東行至不彌國・・・南至投馬國・・・南至邪馬壹國 女王之所都』
原文では 不彌國の南に邪馬壹国があり、女王の都とする所とある。
つまり、不彌國の南に接して女王が都としている邪馬壹國があるのだ。
中心は女王のいる都としている所でしょう。



134 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 16:15:50
>>132
「南至」であって「南行至」ではない。
魏使は動いていないのである、道程(行程)はないのである。
即ち、不彌國の領域の南に邪馬壹國の領域があるのである。
不彌國の城郭と邪馬壹國の城郭の位置関係を述べているのではない。
不彌國と邪馬壹國の領域は南北に接しているのである。

135 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:21:48
>>132
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月
原文に句読点はない。「女王之所都」だって女王の都の所とは限らない。「都」の用法
として「全て」という意味があります。用例として倭国を治めた武王に「都督」の称号
がある。すべてを治める ということです。
だからここの「都」は郡より女王国まで水行10日と陸行1月でつまり40日でつくといっ
てるわけです。

136 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:26:33
>>134
>「南至」であって「南行至」ではない
水行、陸行と書いてあるよ。

137 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 16:30:15
>>135
基本的に同意。
「所都」は「すべてを治めるところ」の意味です。

138 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 16:34:29
>>136
動詞の「行」と「水行・陸行」は次に続く名詞の形容句の違いがあります。

139 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:51:14
動詞の行がなければ不彌国の南に接していると読むわけかね。
じゃ、水行十日陸行一月 はどうするんだ?


140 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/18(金) 16:56:19
>>135>>137

「都」を(すべて)とした場合、(すべて)は副詞。その場合「女王之所都水行十日陸行一月」の
何を修飾しますか?

141 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 16:57:22
女王国以北はその戸数、道程を略載できるという表現から、投馬国も
女王国の北にあるということになる。

つまり、女王国とは邪馬台国を指します。伊都国ではありません。

今まで女王国とは「伊都国」だったり「邪馬台国」だったり、「女王国連合」
だったりと其の都度、都合よく解釈してきましたが、
女王国とは邪馬台国のことなんだなとはっきりわかりました。

ということは、狗邪韓国から末盧国までは一点通過で3000里、
で伊都国までは10500里、後の1500里は伊都国から女王国までの距離になります。

今まで古田説に惑わされていました。
対馬や壱岐をどこにも沿岸を水行したなどとは書かれていないからです。
史書には忠実であるべきです。

142 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/18(金) 17:00:47
>>141
女王国は陳寿が作り出した概念。

143 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 17:07:18
女王国まで万二千余里という記載も
邪馬台国まで万二千里であるということがはっきりわかりました。

144 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:09:06
>>141
せっかく改心したところに水を差して悪いが、女王国以北はその戸数、道程を略載できる
という表現から投馬国も女王国の北にあると結論するのは早計だよ。
女王国以北でないところは、その戸数・道里を略載できるところと略載できないところが
あるという意味なんだ。その略載できるものとして投馬国、邪馬台国があり、略載できな
いところとして旁国がある。
女王国とは邪馬台国とまったく同じではない。邪馬台国、投馬国、その他の旁国を合わせ
た連合体だ。だから、万二千余里(伊都国から千五百里)のところから始まるんだよ。
女王国=邪馬台国と考えたら、万二千余里という距離と水行10日陸行1月の所用日数と
の矛盾を理解できないね。

145 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:13:44
水行二十日の出発点は不彌国である。張政等は任務遂行のために伊都国から奴国、不彌国、投馬国と順次
訪問して邪馬壹国に至ったのである。張政等が派遣されるに至った経緯を見なさい。狗奴国との紛争を
自力で解決できず郡に訴え出る情けなさ。邪馬壹国連合の結束力が劣化している。これを立て直し魏の
役に立つ状態にすることが張政等の任務であった。そのために要所の国の指導者や豪族と会談を重ねな
がら行ったのだ。その張政等の報告書(これが魏の皇帝の使節としては最後のもの)に基ずいて書かれ
ていると見るのが最も妥当である。

146 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 17:19:48
>>144
>水行10日陸行1月の所用日数と
の矛盾

それは矛盾ではないです。

隋時代でさえ、九州から近畿沿岸まで2ヶ月、近畿沿岸から京都まで2ヶ月かかっているのです。
3世紀から隋の6,7世紀までの300年間には随分船の性能は進歩したでしょう。
それなのに300年前にたった水行一ヶ月で近畿までは着きません。
中には広島辺りまで来て、あとは陸行き1ヶ月という都合のいいことをいっているのも
見かけますが、なぜ、瀬戸内海を途中で下船して近畿までの長い距離をテクテク歩かなくてはならないのか、
不自然極まりないです。

>万二千余里(伊都国から千五百里)のところから始まるんだよ。
意味がまったくわかりません。



147 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:25:17
邪馬壹国は倭人伝の記載どおりに行けば熊本県辺りになるな。投馬国は筑後川以南の福岡県だ。

148 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:26:34
>>141
そうです。対馬、壱岐は陸行したのです。
・・至對馬國・・・所居絶島・・・方可四百餘里土地山險多深林・・・
・・至一大國・・・方可三百里多竹木・・・
方可四百餘里とは一辺四百余里の四角形(島を四角ととらえているようです)と考えて
半周すると八百余里ですね。壱岐は半周六百余里ですね。合わせて1400余里です。
そうすると伊都国から100里で不彌國につきました。南に接して女王国があります。

149 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:34:50
>>147
・・・南至投馬國水行二十日・・・
先行動詞の「行」がないので投馬国には実際とおってません。不彌國から水行二十日の距離
にあって方角は南の方であると説明してるわけです。
たぶん、宮アの妻あたりと考えてます。

150 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:37:56
>>146
それはただの旅行ではありません。偵察を兼ねてるわけですので歩く必要があったと
おもいます。だから、わざわざ島も陸行したと考えます。

151 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 17:53:38
伊都国は佐賀市北部だね。富士町の熊の川温泉辺りに出入国管理所があったのではないかな。有明海には
川を利用して出る。奴国は佐賀県南東部だね。ここには吉野ヶ里もある。不彌国は筑後川の北側、有明海
の入り江が伸びた先だ。

152 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:00:22
>>149
東南至奴国百里には先行する「行」はないが、奴国には行ってないのかね。

153 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:04:16
>>152
そういうことになります

154 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:08:52
>151
地元だけどね。
あの当たりに出入国管理所を置く理由は何もないような気がするんだ。
迂回路結構あるしね。

唐津方面の七山古湯ルートも糸島方面の三ツ瀬ルートにも行ける場所だけど、
昔から使われているルートとは言い難い。
糸島か唐津に出入国管理所を置いた方がいいとおもう。

155 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:10:09
>>153
訂正
行ってないことになりますね。

156 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:11:21
>>148 >>150
わざわざ苦労して陸地を歩かんでもよかろう。上陸はしただろうよ。宿泊や食事等で島の官の屋敷に入るよ。
山や木の様子は歩き廻らんでも分るだろ。偵察?なんでこんな島を偵察しなきゃならんのだ?


157 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:26:20
>>156
たしか卑弥呼に魏から軍関係者を派遣してますよね。つまり軍事行動がある場合(援軍を
送るとか・・・)を想定して詳細な報告が必要であったんじゃないかな。

158 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 18:41:20
>>139
>水行十日陸行一月 はどうするんだ?

帯方郡と邪馬壹國の距離です。


>>140
>「都」を(すべて)とした場合、(すべて)は副詞。その場合「女王之所都水行十日陸行一月」の
>何を修飾しますか?

「都」は動詞で、「総てを治める」の意です。
「所」を形容します。
動詞の形容詞化の為に形容されたい名詞の後に置きます。


>>141
>投馬国も女王国の北にあるということになる。

投馬國は女王國の中の一国です。
原文から読み取れる、女王國の構成国は、奴國、不彌國、投馬國と邪馬壹國の4ヶ国です。

>今まで古田説に惑わされていました。
対馬壱岐半周説の古田説は正しいです。
郡より伊都國は11900餘里となります。


>>142
>女王国は陳寿が作り出した概念。

同意。

159 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:52:18
>>157
正始元年の梯儁のことですかな。梯儁は校尉だから軍人だけど、彼は皇帝が約束していた(卑弥呼を親魏倭王に任ずるという)
詔書や金印や刀や鏡などを持って来たのであって、戦争とは関係ありませんね。

160 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 18:57:06
女王国とは傍らの国として記されている国々です。
少なくとも吉備、播磨、山城、近江、伊予、讃岐は記されてます。

161 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 19:08:55
>>143
>女王国まで万二千余里という記載も
>邪馬台国まで万二千里であるということがはっきりわかりました。

奴國及び不彌國までの距離です。


>>147
>邪馬壹国は倭人伝の記載どおりに行けば熊本県辺りになるな。

邪馬壹国は倭人伝の記載どおりに行けば久留米市南部辺りになる。

>投馬国は筑後川以南の福岡県だ。

同意。但し有明海岸沿いの筑後平野の西部です。
ちなみに筑後平野の山側、東部の北部は邪馬壹國の一部となります。


>>151
>伊都国は佐賀市北部だね。富士町の熊の川温泉辺りに出入国管理所があったのではないかな。

伊都国は佐賀市北西部だね。大和町惣座の肥前国庁跡辺りに城郭(出入国管理所)があったのではないかな。
出入国管理所は唐津市中原(末盧國)にもあった。


>>152
>東南至奴国百里には先行する「行」はないが、奴国には行ってないのかね。

奴國には行っていない。
奴國は伊都國の東南100里にあると書いてあるだけ。
奴國の城郭が伊都國の城郭の東南方向100里の距離にあると書いてあるだけ。

162 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 19:09:51
>>158
>>水行十日陸行一月 はどうするんだ?
>帯方郡と邪馬壹國の距離です。
東南至奴国百里にも動詞の「行」はないな。百里は郡から奴国までの距離と
みるわけかね?



163 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 19:25:11
>>162
>東南至奴国百里にも動詞の「行」はないな。百里は郡から奴国までの距離と
>みるわけかね?

里数表示なので道程表示の読み方。
100里は郡より女王國の合算道程(12000餘里)の一部だから。


164 :九州王朝応援歌:2009/09/18(金) 19:49:06
月が出た出た 月が出た ヨイヨイ

九州王朝の 上に出た

あんまり古田さんが 偉いので

さぞや畿内説は けむたかろ サノヨイヨイ


一山 二山 三山 堀り ヨイヨイ

マキ向 邪馬台国というけれど

なんぼ色よく ねつ造しても

古田さんが認めにゃ 仇の花 サノヨイヨイ


あなたが畿内説を 云うのなら ヨイヨイ
 
思い切ります 別れます

邪馬壱国を 読む前に

返してくれたら よいけれど サノヨイヨイ

165 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 20:08:09
>>163
>里数表示なので道程表示の読み方。
里数だから伊都国からの距離と読む、日数だったら郡からの所要日数と読むってのか?
里数表示と日数表示で何でそんなにちがうんだ?


166 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:20:13
>>163
不彌国から投馬国に至る水行では川や海を舟で行くが、蛇行や迂回でくねくね曲がりくねった行路となるので
距離が掴み難い。目的地の方角は分るが直線距離は出せない。したがって日数表示になる。邪馬壹国へ行く場
合も同様だ。郡からの所要日数であれば自郡水行二十日なりなんなりの書き方になるだろ。

167 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:38:44
>>166
戸数まで記しておきながら、何故に投馬国からの水行が終わる最初の上陸地を書かないんだ?
変な場所に上陸すれば殺される可能性あるぞ?

168 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:40:37
>>159
張政でした。卑弥呼に魏から軍事顧問として派遣されて20年間も邪馬壹国に滞在した人物です。

169 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:41:56
当時、上陸地点には都市がなかったんだろう。それに、どうせ一大率の配下が
一行の案内をしているんだよ。地名などよりはどの程度の行程かが問題なんだ。

170 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:42:22
最初の上陸地は重要
なぜかと言えば、伊都国からの物資を荷揚げする場所であり、港であるからね
更には邪馬台国に通じる要所でもあるから、全国の物資が集まっていた筈
伊都国よりは重要な場所であったのは間違いない(少なくとも邪馬台国からすれば)

171 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:47:00
>>169
都市でもない所に船をそのままにしてたんだ
魏使の船でもなんでも数日停泊させたら確実に盗まれてるよ
港には必ず町が出来るんだよ

172 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:52:18
町ができてたら泥棒がいるかも知れないが、番小屋だけだったら盗まれることは
ないな。舟をそこに置き去りにしたかどうかすら分からんぞ。

173 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:54:32
>>16
投馬国の官が居た場所は港の近くだろ。陸地には上がったさ。頻繁に。食事、宿泊、会談等で豪族の館
に入っただろう。そういう陸地での移動は近距離で用が済めば元の船着き場に戻って出発だ。なお、官
の居た場所は投馬国の一番大きな港だろう。ここからまた舟で豪族達の館を訪れながら邪馬壹国へ向か
う。邪馬壹国に入ってもしばらく(10日)は水行だ。同じように豪族達の館を訪ねながら。そして邪馬
壹国の港についてから上陸する。ここからは示威や宣伝や歓迎などの行事を行いながらの行進となる。
卑弥呼の宮殿まで1月をかけても距離にしたら大したことにはならないだろう。

174 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:58:06
>>172
ある程度の軍事的もしくは治安を目的とする行政機関がそこにあったろうってのは認めるんだなw
さて、その次だ
荷揚げした荷物はどうする?
そこに商人はいたよな?
で、その商人相手に宿屋とかもあったよな?
町はそうやって出来ていくんだよ

175 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:04:36
>>174
私のレスのどこから治安を目的とする行政機関がそこにあったろうって話が出てくるんだ?
番小屋が治安を目的とする行政機関か? すごいこじつけだな。サイキバを邪馬台国の証拠
だとかいうのと同じだな。
荷揚げした荷物? だれが荷物を荷揚げしたといった?
それに町ってのは、それができるまでには長い年月がかかるんだよ。

176 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:13:52
>>175
長い年月?
もしかして、陸行一ヶ月もかかる距離の邪馬台国が出来たからその港町が出来たと思ってる?
国の成り立ちからして全然逆だろ
集落が出来て、国が出来て、国が集合して、統一されていくんじゃなかったの?
まぁ、いいや、そして次
問題は投馬国との関係そして伊都国との関係がその港町にはあったわけだ
双方向なんだよ
邪馬台国抜きにしても投馬国らとの交易の要だったんだよ
それぐらい理解してくれよ

177 :日本@名無史さん :2009/09/18(金) 22:15:34
同じ九州説ですが古田説には無理がありすぎます。特に道程に於いて。

帯方郡から北部九州沿岸までは一万里。
後漢尺(後漢書に万二千里と書いてあるので)だと23・04センチなので、
1000里は約70キロ弱。
万里で約700キロ弱。
随の遣使の例をとってもいいけど、他に例をとると、
同じ時代に帯方郡から洛陽(約1500キロ)まで6ヶ月かかっています。
海対陸(馬)の速さの比を1:2とすると、帯方郡から山東半島までの海行約曲線で500キロは
3ヶ月も掛かっています。
それを考えたら、帯方郡から北部九州沿岸まで万里(約700キロ)の、水行一ヶ月は到底無理です。





178 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:18:56
お前等マジメだなw



179 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:20:36
>>176
一生懸命屁理屈を考えてみたようだが、ぜんぜん駄目だな。自分のいってることを
書く前にもう少し考えてみろ。伊都国から邪馬台国までのルート、これは全部「双
方向」なんだよ。「双方向」が交易の要で繁栄していたはずだってんならば、ルー
トは町が連なっている必要があるってことになる。まあ、まったくの笑い話だな。

180 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/18(金) 22:30:30
>>169-170
上陸地点の都市の有無は無用。
一大率の駐屯地でも十分だ。
末盧國には官がいないから一大卒が駐屯していたと考えられる。
一大卒が常駐して荷物も検察していたのだ。

末盧國は全国の物資が流通するところではない。
半島と倭の間の物資だけが流通するところ。

181 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:28:29
>>168
なんか以前もそういう話があったけど、
自分の結論をポッと出すだけだから、わけがわからなくなる。

前のときは、塞曹掾史張政は文官だって言われたぞ。
帰りは266年の使の記録に合わせたのか?
掖邪狗だっていくつになってんの?

それに、新倭王の即位にあたって、魏に一言あるもんじゃないかね。


182 :縦目仮面:2009/09/19(土) 00:13:32
>>178
ですね。ある意味頭が下がります。

白井克也氏による、楽浪土器、三韓土器の研究を見ると、西新式・庄内式の並行期、三韓
土器の出土が見られるのは、広島、大阪加美・久宝寺遺跡、纏向遺跡、島根など。まあ、倭
人伝の頃です。白井氏は、「西日本各地の倭人は西新町遺跡や加美・久宝寺遺跡群で韓人
と直接交易できる機会に恵まれたことになる。」と自らのホームページに書いています。

183 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:34:51
白髪三千丈の国の書き残した数値を
そのまま鵜呑みにする理由がわからん。

184 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:43:25
>>134
>「南至」であって「南行至」ではない。
>魏使は動いていないのである

>>158
>(水行十日陸行一月は)帯方郡と邪馬壹國の距離です

>「都」は動詞で、「総てを治める」の意です。
>「所」を形容します

「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」
(不彌國から)南に邪馬壹國がある。
女王の都(す)べるところ水行十日陸行一月(=帯方郡から邪馬壹國)、

でいいのかな。

185 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 00:52:39
>>183

> 白髪三千丈の国の書き残した数値を
> そのまま鵜呑みにする理由がわからん。

それが九州説。疑念を持つ事は許されない。 毒喰わば皿まで。

186 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/19(土) 01:04:52
>>154
詳しそうですね、すこしお聞きしたいのですが、
七山古湯ルートというのは、富士町の古湯温泉から観音峠を通る国道323号のコースのことでしょうか。
この道は昔から使われていたものではないのでしょうか?

松浦川沿いを南東に佐賀平野へ抜けるコースと、観音峠から古湯温泉を通りやや乍東乍南な感じですが
佐賀平野へ抜けるコースと、この2つは伝の方位里程に良く合うルートとして注視しているのですが、
観音峠はいつごろから使われているものだとか、何か知っておられるでしょうか?

187 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/19(土) 01:25:32
ざっと読んでみて、里数に島の半周を加えるとか、女王国とはどこそこの国まで(から)のことだとか、
上から目線的になりますが、私の2つのルート説に対抗できるクオリティのものは無いですね。

何か面白いことがあればよいのですが・・。

九州王朝さんは、水行20日と水行10日陸行1月は行程だという立場なのでしたっけ?


>>185
それぞれの情報のソースを明らかにし、その信頼度を推定する必要があるとは思っています。
直接見聞したものもどこぞの噂話も一緒くたにして信じる/信じないの、思考停止とまでは言いませんが、
小学生のような結論に持ち込むのは如何かとおもいますよ。


188 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:00:04
菱垣廻船は大坂〜江戸をノンストップで平均1週間くらいだった
速い樽廻船だと3日くらいの時もある
弥生時代も、内海をいく水行がそんなに遅かったとは思えない

189 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 02:27:20
畿内に至る水運を利用した物流・人流ルートには、古代から瀬戸内海を経由するものの他
に、若狭湾で陸揚げして、琵琶湖を経由して淀川水系で難波津に至る内陸水運ルートも存
在していた。この内陸水運ルートには、日本海側の若狭湾以北からの物流の他に、若狭湾
以西から対馬海流に乗って来る物流も接続していた。特に、朝鮮半島からは、海流のない瀬
戸内海を経由するより対馬海流に乗った方が早く畿内に到達出来るため軍事的にも重要であ
ったといわれる。

190 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 06:31:20

結局のところ女王国連合とは北部の九州に限定された国々であって

3世紀後半に勢力が衰えた邪馬台国は畿内ヤマト大王家連合に粉砕さ

れたってことでしょ。畿内ヤマトも大陸との交易を望んでいたけど、

玄関口に位置していた邪馬台国やその一派が目障りで、遂に吉備国や

尾張国との支援を受けて、北部九州の30ケ国を配下にいれた。

その出来事は記紀では景行天皇や神宮皇后の巡幸で比喩的に表現され

ている。

191 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 07:20:20
>>185
>毒喰わば皿まで。
いったん無茶を言い出すと、そんな心境になるのかね。畿内説も北九州説もそれかな?
倭人伝は、そんなに無理せず、素直に読めばいいんだよ。
末盧国で上陸したら東南に陸行すること五百里で伊都国だ。末盧国は唐津、そこから東南
に4、50キロといったら佐賀市あたりにきまっている。これまでの北九州だ、いや大和
だなんて論争は似た地名を探して伊都国を怡土だと決めつけたところから始まっている。
短い地名なんて似たようなものはいくらでもあるんだから、そんなもので国を比定しても
だめだね。今の日本の首都を探すのに、日本という地名を頼りに地図をみたって分かりっこ
ないだろ。伊都国から先が放射式に書かれていることは多くの学者らが指摘するとおり。
佐賀市付近から有明海を南に行けばいいんだ。何ら問題はない。
日本書紀や古事記も、景行天皇や神功皇后の物語で南九州に邪馬台国があったことを教えて
くれている。景行天皇の九州巡幸ルートは倭人伝が伝える邪馬台国へのルートそのものだ。

192 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 08:53:29
>>190
九州王朝説では7世紀末まで倭が九州に有り
畿内ヤマトも大陸との交易を望んでいたけど、
玄関口に位置していた倭国(九州王朝)に妨げられていた。
白村江の戦いで唐に九州王朝が大敗し衰退し、
敗戦の混乱から皇位を巡って九州王朝で壬申の乱が起き
大化の改新で皇位を九州王朝から畿内ヤマトが奪った。
日本書紀は記事の順序や人物を書き換えて自己の歴史に繋げた。

193 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/19(土) 08:59:40
「世界百不思議」とやらの10/15日号がいずれ発売されるが、特集は邪馬台国の
「台与」だそうだ。こう予告が載ってるから、この編集部は畿内説か?

194 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 09:02:49
500里は短里で後漢尺だと35キロです。
地図上で見ると、直線距離で30キロ弱の地点だと思う。

北部九州沿岸から東南に500里で地勢的に一番良い場所は「太宰府」です。
「太宰府」が最も適した場所なのにそれが今まであまり出てこなかったのは、
あまりにも当たり前な場所だと思うからと水行が出来ないと思うからだと思います。
でも水行は出来ます。
川を南に下って筑紫平野に出て筑後川に合流します。
末盧国はめいのはまの近くです。
翰苑(かんえん)では、難升米の名を難升末(未は誤字)利と書いてあります。
末は「ま」と呼んでいます。
末盧国は「まら国」と読んでいいと思います

195 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:08:51
>>192
丹波地方が3〜4世紀に繁栄していた以上
大陸と畿内とのルートは確保されているから。
その説は成立しないですね。

196 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:14:46
>>192
航海技術も途上であった当時、大量の兵士を送り込み、『唐・新羅連合軍』
と抗戦した九州王朝は大敗したにせよ、相当な権力(人、金、もの)を保有
していたに違いない。
でも、その痕跡がないんだよね。
だから、九州王朝説は韮澤潤一郎と同一視されるんだよ。

197 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:20:42
九州王朝説というのは、もはや過去の説だろう。だいたい、古田の倭人伝の読み方は
無茶苦茶だ。こじつけの繰り返しで、まともな学者はまったく相手にしていない。
最近の新しい九州説は、九州王朝なんて小さい考え方ではない。倭国は九州にあった
が、3世紀後半に本州をも勢力下におさめ、我が国全土を支配していたと考えてるね。
大和は確かに本州を支配する重要拠点だったが、九州の倭国の支配下にあった。だから、
外交は九州で行っていた。しかし、白村江の戦いで敗れたため大和を中心に防御態勢
をとりそのまま大和を都とするようになった。そう考えるわけだ。

198 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/19(土) 09:21:16
抗戦したのは九州王朝なのか? それを言うならもうあったことを
認めてることになるではないか?

年号がうんとあるこの事実をひん曲げないことだ。それは研究で
誰もが納得する創作を書いたことが確認とれれば別だが・・・。
私年号に落とすとか他の地域の年号だとか小手細工を考えたり
うっちゃったりしたところで、そんな言い訳は当人の説を無理に
保全をするための陰謀だということだ。

199 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:28:27
畿内説だが九州王朝は存在したと思いますよ。

但し倭国大乱があった2世紀には実体が
終了していたと思いますけど。

200 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:42:36
>>137
九州王朝大好きの勇み足だなあ。
都には「全て」の意味はあるが、「すべる」の意味はない。
「都督」が「すべておさめる」の意味と断定できるかはしらんが、
かりにそうだとしても、「都=すべて」「督=おさめる」だ。
だから「所都」は「すべてを治めるところ」なんていう意味にはならない。
「すべて」と「すべる」が日本語として近縁の単語だとしても、
漢語は「キ」と「総」や「統」は全く異なるから、
勝手に「都」に「すべる」の意味をもたせちゃあいけないよ。

201 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:52:54
九州王朝説

古田武彦によって提唱された、7世紀末まで九州に王朝があり、大宰府(太宰府)が
その首都であったとする説である。
・・・ただし現在、本説は、井上光貞、榎一雄、山尾幸久を始めとする複数の東洋史
・日本史学者等から批判されており、主要な百科事典や邪馬台国論争史を著述した
研究書においては記載されずに無視されている説であることに留意する必要がある

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


202 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 10:03:53
3世紀の邪馬台国は熊本と福岡の県境辺りだけど、
その後の九州王朝は太宰府が首都でいいと思う。
そこは古田説に賛同する。
ただ古田氏の他の説の中には賛同できないものも沢山ある。
誰の説の中にも真実を付いた説があると思うので、
一概に切捨てするのはどうかと思う。

203 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/19(土) 11:10:47
当時の古代は江戸時代が京都と江戸との朝廷と徳川幕府の二極であっ
たように、畿内と九州との二極的時代であったということだ。
言うまでもなく畿内は天皇の統治する場であり、九州には別の政権が
あったということだ。
あたかも諸葛亮が大陸で天下三分の計を語ったごとくの呉蜀魏での
天下三極の政局であったように、日本のほうは天下二分の系だったと
いうのが真なのである。卑弥呼の女王国を天皇(男王国)の畿内と
する説に不都合の学者研究家が九州王朝の否定に回りやすいので
あろうが、彼等の脳内の利害に騙されてはいけないぞ。

204 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:54:03
魏志倭人伝の時代の畿内は銅鐸文化であり、鉄器が少なく絹がないなど、魏志倭人伝の記述と合わない。
魏志倭人伝の記述は、当時の北九州の状況にぴったり当て嵌まる。
また古事記、日本書記の神話の舞台は九州であり、さらに記紀には大和朝廷による北九州討伐の話がない。
剣、玉、鏡の三種の神器の副葬は、北九州中心だ。
もろもろを勘案して最も矛盾なく説明できるのは、邪馬台国が北九州にあり、その勢力が三世紀後半か四世紀初め頃に畿内に進出して、皇室の祖になった、というシナリオだろう。

205 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:59:31
>>191
>似た地名を探して伊都国を怡土だと決めつけた
三雲遺跡ってなんなの?

206 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:18:39
世紀の発見は、神社の下に有り。
先ずは神社を掘れ

207 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:19:03
>>204
>その勢力が三世紀後半か四世紀初め頃に畿内に進出して、
>皇室の祖になった、というシナリオだろう。

これより前はなるほどと思うんだけどな。
ここは裏付けがないね。
正反対のシナリオもありだろう。

208 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:20:14
>>204
20年前の典型的な説だな。

弥生後期時代には北部九州は衰退気味、
現代の丹後地方の方が
鉄は多いというのが最近の見解です。

209 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:22:04
>>181
其八年・・・・・遣塞曹掾史張政等因齎詔書 黄幢 拜假難升米為檄告喻之
その八年(247年)・・・塞曹掾史張政を派遣し、詔書、黄幢(魏の軍旗)を難升米に拝仮させ、
檄文を為して、(戦いを止めるように)告諭した。

張政はたしかに文官であったと思います。実戦にでている武官では交渉などむずかしいでしょう
から。でも普通の文官ではなく軍略など考えることのできる(軍師まではいかない高級でない)
文官ではないかと。でも邪馬壹国では軍事顧問であったと思ってます。

・・・政等以檄告喻壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還因詣臺・・・
張政らは檄文を以て壹與を告諭し、壹與は倭の大夫の率善中郎将「掖邪狗」ら二十人を遣わして
張政らを送り届けたによって、臺(皇帝の居場所)に詣でる・・・

壹與が 掖邪狗 を使として献上させた。そのさい張政らを送りとどけたのが魏の次の晋であった
ろうと考えてます。理由は魏に記述なく、晋に 壹與から貢献があったと記述があるからです。
掖邪狗 の年はわかりません。
 

210 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/19(土) 13:46:35
>>200
河童虫氏ですね。

「キ」、「総」、「統」の違いが解った上での屁理屈は言わないで。
「キ」「総」「統」を動詞化したときの適切な日本語訳が解らなくて困っているのはお解かりでしょう。
意味上の語幹は「すべて」で同じですが、どの様にすべてなのかが違うだけです。


211 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 13:50:31
と言うか >>204 は馬鹿丸出しの自己矛盾している。

神話の舞台が九州と言ってもそれはもっぱら日向とかの九州南部だが
そこは鉄器も少ないし、北九州とは事情が全く違う。

単純に「九州」でくくって都合の良い所の摘み食い。

九州説論者のお得意の「三種の神器」も

じゃあ九州の最新の三種の神器の副葬と
畿内の最古の副葬の事例で連続性を証明してみろって話。

あまりに幼稚極まりない。

212 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 13:56:05
檄文というのは戦いを止めるようにという意味ではないよ。
勘違いしている人が多いけど、日本語がいい加減になってきた証拠。

黄幢は魏の軍旗。

あと張政らを送り届けたのは魏の時だよ。

魏の天子に詔と黄幢と檄の返礼に張政らを送り届ける際に、
掖邪狗等二十人を送使として遣わし、ついでに京(魏の都)に詣でた。
張政は魏の役人であるし、魏に返礼するのは礼儀。



213 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/19(土) 13:59:19
>>184
>「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」
>(不彌國から)南に邪馬壹國がある。
>女王の都(す)べるところ水行十日陸行一月(=帯方郡から邪馬壹國)、
>でいいのかな。

そうです。そのような意味のつもりで書きました。

214 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 14:20:21
>>212
>掖邪狗等二十人を送使として遣わし、ついでに京(魏の都)に詣でた。

違うだろう
掖邪狗等二十人は、倭王の使いであり卑弥呼の使いでは無い
京(魏の都)に詣でる必然性が有った。


215 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 14:22:43
>>214

台与の使いと史書には書いてあります。


216 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:25:03
>>209
>魏に記述なく
直接読んだわけではないが、
晋書の四夷列伝によると、
倭人は文帝(司馬昭)が相となるに及んで、またしばしば至った、
とあるそうです。

217 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:48:56
>>213
レスありがとうございます。

疑問なのは「(水行十日陸行一月は)帯方郡と邪馬壹國の距離」です。
どうしてそう読めるのかがわからない。
また、「女王の都(す)べるところ」なら、
女王がいるところが書いてないことになりますね。



218 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 14:49:11
>>216
横から失礼

司馬昭は187年か〜226年の人
魏は220年から265年まで続く。

司馬昭は司馬炎(晋の開祖)の父。魏の武将

よって魏末としばしば詣でたとあります。
晋の元年or二年(266年)(泰始)にも詣でました。



219 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:05:12
>>218
補足ありがとうございます。
ただし、司馬昭は211年〜265年の人、です。
255年に兄の司馬師の後を継いでます。

220 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 15:07:24
>>219
訂正ありがとうございます。

221 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:21:10
>>211
>神話の舞台が九州と言ってもそれはもっぱら日向とかの九州南部だが

神話の舞台も北部九州です。
日向も福岡市に存在します。
筑紫の日向とは福岡市の日向(ひなた)。

222 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/19(土) 15:32:51
>>216
『宣帝之平公孫氏也 其女王遣使至帶方朝見 其後貢聘不絶
 及文帝作相又數至 泰始初 遣使重譯入貢』晋書

晋書の宣帝と文帝(司馬昭)は230年代〜250年代の人です。
泰始初は265年か266年になります。

223 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 15:47:17
>>222
司馬昭は211年〜265年の人

よって倭は魏末にしばしば詣でました。

224 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:50:13
白髪3千丈式表現は中国に限らずどこにでもある。講談本の類いはほとんどそうだ。中国においては孔子を祖とする
儒家や秦の政治原理を作った法家の考え方が後世の為政者の教科書的存在になっている。孔子は怪力乱神を語らずと
言ったように現実的思考をする人であり、秩序を創りだすために人の道を唱えたのである。法家はさらに厳しく法を
もって最高の指導原理とした。したがって、政府の公式文書には白髪3千丈式表現は排除されたのである。倭人伝が
白髪3千丈式表現で書かれているなどと言う人は無学と言われても仕方がないであろう。

225 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:50:47
>>210
河童虫ではない。
動詞としての「都」の意味は、動詞としての「統」や「総」の意味とは無関係。
動詞「都」は「都を置く」であって、「統治する」という意味はない。
もともと無い意味に訳そうとするから、適切な訳語がないのは当たり前。

226 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:58:35
>>225
適切な指摘である。

227 :日本@名無史さん :2009/09/19(土) 16:07:08
てすと

228 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/19(土) 16:07:16
>>217
「女王の都(す)べるところ」とは、「倭の国々総てを治めている場所」となりますから、
女王の居るところになります。
「女王の都(みやこ)する所」と訳す人もいます。


以下の構文になっています。
從郡
  至倭循海岸水行・・・・・不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家―――女王國までの道程についての記述
  南至投馬國水行二十日・・・・・可五萬餘戸―――投馬國についての記述
  南至邪馬壹國女王之所都・・・・・可七萬餘戸―――邪馬壹國についての記述
自女王國以北・・・・・其官有狗古智卑狗不屬女王―――倭のその他国々ついての記述
自郡至女王國萬二千餘里―――道程についてのまとめ  

229 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:29:29
>>228
「女王の都(す)べるところ」・・・ これが誤訳。
「女王の都(みやこ)する所」と訳す人もいます。・・・そのように訳すのが正解。
至倭循海岸水行・・・・・不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家―――女王國までの道程についての記述
・・・女王国までの道程ではなく不彌国までの道程である。

230 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:36:05
女王国=邪馬壹国。 倭国=邪馬壹国に属する(邪馬壹国を盟主とする)国々の連合体。
伊都国=邪馬壹国の出先機関的存在。出入国管理を行う。一大率に検察され警護されている。

231 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:47:49
女王国=邪馬壹国。 邪馬壹国=倭に属する(伊都国を盟主とする)国々の連合体。
伊都国=邪馬壹国の都。


232 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:52:52
>>231の2行目が嘘なのは浅学非才な俺でもわかるぜ。

233 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 17:05:08
所+動詞の形は、すべて動詞の目的語を指す。
所有は「有する所」、たとえば、宝石とか土地とか「有する」対象を指す。
所行は「行う所」、「行った」事柄。
所存は「存ずる所」、「存ずる」内容。

翻って「所都」を見てみよう。
都が「すべる」なら、「すべる」の目的語は倭でなければならない。
つまり、「所都」は倭全体を指さなければならない。

九州王朝大好きは、「所都」を「倭の国々総てを治めている場所」と考えているが、
これは、例えば「所有」を「(宝石などを)有している場所」と考えるのと同じ。

漢語の「所+動詞」の「所」と、日本語の「場所」の「所」を混同した結果の勘違いだろうなあ。

234 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 17:12:19
張政は魏の皇帝が倭国に派遣した最後の使節である。卑弥呼(邪馬壹国政府)の要請により正始八年
に来倭。卑弥呼に面会したか否かは不明(面会していない可能性大)であるが、卑弥呼の死後、男王
が立った際の混乱と壹與共立を見届けた上で帰国している。梯儁も皇帝の詔書、金印、刀、鏡などを
届けにきているが、これは卑弥呼の生前のことであり、任務も単純であった。張政の来倭の場合は倭
国内の混乱を治めるというはるかに重要な任務を帯びていた。したがって、張政は倭国の多くの要人
らと接触して倭国の情勢を把握し工作を行った筈である。その任務遂行報告も他の誰より詳細なもの
であったろう。陳寿はその報告を(魏時代)最新の情報として用いたと考えられる。張政は邪馬壹国
に至るまでの間に要国を訪れ、要人と会談を重ねたであろう。伊都国は言うまでもなく、奴国、不彌
国、投馬国は途中にあった要国で張政が訪れたからこそ官の名前や戸数を記載して他の国々と区別し
ているのである。

235 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:01:18
>>232
浅学非才だから分からないのだ。
伊都國の説明には「皆統屬女王國」とある
この場合「皆」とは魏略との比較から倭の国々を指していることが判明している
女王國は魏略では王女であり、伊都國の女王を指すと見られ
伊都國の女王が倭の国々を統屬していたのである。


236 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:12:34
また伊都国の女王?それは無いよw

237 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:19:02
魏の使節が倭国に来る場合のことを考えてみよう。正使、副使、書記官等の官吏、通訳、警護の武官と兵士。これらが合わせて
数十人。これに郡から舟で末盧国まで行く為の水夫、案内人が加わる。舟もかなり大型のものが数艘必要であったろう。半島に
上陸することはあってもそれは食事や宿泊や補給の為であり、陸行は考えられない。對海国や一大国にも上陸したであろうが、
これは官に会うためと食事、宿泊、補給のためであり、島内の陸行はあり得ない。陸地を行って舟を持ち運ぶなど馬鹿げたこと
である。ちょっと前に誰かが對海国と一大国をそれぞれ半周してあわせて1400里になるから万二千里にこれを加えるようなこ
とを言っていたが、こんなのは詭弁だね。

238 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:23:52
>>235 伊都國の女王が倭の国々を統屬していたのである。
統屬の意味が分っていないね。統率とでも思っているの?

239 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 18:29:22
>>235 この場合「皆」とは魏略との比較から倭の国々を指していることが判明している
どう読めばそうなるのだ?倭人伝の皆は王を指すことが明白だろ。


240 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:01:18
>>239
この問題は既に決着が付いているが再度説明しよう。
魏略と魏志倭人伝の比較
魏略「其国王皆屬王女也」
魏志倭人伝「世有王 皆統屬女王國」
魏略の方が魏志倭人伝より数十年古い
魏略では「皆」は「其国王」を指している
魏略には「世有王」の文が無いので伊都国の王は単数であり「皆」ではない、
従って「皆」が指す「其国」とは倭国である
魏略で「皆」が倭国を指しているから
魏略から「皆」を引き継いだ魏志倭人伝でも「皆」は倭の国々を指す。




241 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:44:48
>>240
>魏略には「世有王」の文が無いので伊都国の王は単数であり「皆」ではない、
>従って「皆」が指す「其国」とは倭国である

其国とあれば、その直前の伊都国を指す。
「其の国の王は皆」(其の国王は皆、でも良いけど)
とあれば、当然歴代の王を指す。
魏略の記述は、倭人伝の「世有王、皆統屬女王国」と、何の矛盾もない。

いずれにせよ、あの翰苑の写本は誤字脱字が多すぎる。
とても、あれを根拠に、ああだこうだと結論を出せないよ。

242 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 19:59:36
>>241
>其国とあれば、その直前の伊都国を指す。

その直前とは限りません、既に書いた国を指します。


>「其の国の王は皆」(其の国王は皆、でも良いけど)
とあれば、当然歴代の王を指す。

そのような例はない、勝手に書いてない文を作ってはいけない。


>魏略の記述は、倭人伝の「世有王、皆統屬女王国」と、何の矛盾もない。

矛盾は無論ない、魏略の記述から「皆」が倭の国々を指している事が確定できる。


>いずれにせよ、あの翰苑の写本は誤字脱字が多すぎる。
>とても、あれを根拠に、ああだこうだと結論を出せないよ。

誤字脱字が有るにせよ、伊都国に付いての記述は割合よく残っていて参考になる。




243 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:00:29
>>228
どうもありがとうございます。

「女王之所都」が、女王の居るところ、ならば
それは、邪馬台国、にかかりますね。であれば
「水行十日陸行一月」は「南至」にかかるしかないでしょう。

244 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:13:42
>>242
>そのような例はない、勝手に書いてない文を作ってはいけない。

あったよ。

33. /新校本宋史/列傳/卷四百九十一 列傳第二百五十/外國七/日本國
- 14134 -
  太宗召見ク然,存撫之甚厚,賜紫衣,館于太平興國寺.上聞其國王一姓傳繼,臣下皆世官,

逆に、「其国」と書いて、複数の国を指すと明確に言える例はあるのかい。


245 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:17:21

このスレのテーマ曲作ってみますたwwww

   『九州説の☆星』

 ♪素直に読んだら 奇説の道を 

 ♪逝くが男のど根性
 
 ♪真っ赤な嘘を史実に変えろ

 ♪九州説を広めるぞ
 
 ♪デタラメ ハッタリ デンパを流せ
 
 ♪筑紫に日向 ドンと来い〜



246 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:22:36
>誤字脱字が有るにせよ、伊都国に付いての記述は割合よく残っていて参考になる。

ついでに言えば、その残ってるのが曲者。
重要な文字が、ずっぽり抜け落ちてたら、
かえって残ってる部分を全然違う意味に読んでしまう可能性がある。

翰苑は、漢籍の初学者の書写だと思うよ。
読める人間なら、於の順番を間違えるなんて不自然すぎて考えられない。

247 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:28:53
>>242
「其国王皆屬王女也」
皆は複数だから、其国王、は

倭の国々の王である。
伊都国の歴代の王である。

確定できるかね?

248 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:49:02
>>244
「其國王一姓傳繼」の意味は「其の国王は一姓を伝継する」とあり其國王は一人だ。複数ではないよ。


249 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:54:55
水掛け論だな。何とでもいえる。

250 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:04:06
>>247
>倭の国々の王である。
>伊都国の歴代の王である。

>確定できるかね?

何処から「伊都国の歴代の王」が出てくるんだ?

251 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:04:54
魏略の「其国王皆屬王女也」の其国王が倭の国々の王であれ伊都国の代々の王であれ伊都国に女王が居た
ことにはならんだろ。女王が居たなら伊都国女王之所都と書く筈だ。邪馬壹国女王之所都と別のところに
あるだろが。そんなに伊都国を女王の都にしたいのは何故だ?無い物ねだりはやめろ。

252 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:08:53
「其国王皆屬王女也」とは王が嫁(王女)の尻に敷かれているという意味だ。いい加減にしろ。

253 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:21:31
>>250
>何処から「伊都国の歴代の王」が出てくるんだ?

伊都国のことを書いていて、其国とあれば、伊都国を指すだろ。
「其国(伊都国)王は皆」とあれば、伊都国の複数の王。
一国に同時に複数の王はないので、つまり、「代々の王」。
だから、倭人伝は「世有王」と書いている。
逆に、この文脈で、其国王を倭の国々の王と読むのは不自然すぎる。

魏略逸文は、「王女」と書いているが、「王女」ではないから、
この部分に誤記が介在しているのは明白。
そんなものに立脚して何が断定できるっていうんだ。

まあ、いずれにせよ、251の言うとおり、伊都国に女王が居たなんてのは、ありえんが。

254 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:28:31
もうちょっと付けくわえると、
其国王皆属王女也
が、倭の国々の説明だとすると、伊都国の記述は、その前で終わって、
あらためて倭の国々全体の説明をしていることになる。
となると、王女なるものが、一体どの国に居たのか解らない。
だから、伊都国に女王が居たなんて、言えなくなる。

255 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:30:02
>>242
皆を国と読む説は確かにあるが、倭国全部と読むわけではなく、対馬国から伊都国までの4か国という意味
だよ。例えば、三品の「邪馬台国研究総覧」には次のようにある。

橋本は、〜 魏略に記された「其国王皆屬女王也」の一文に注目して、「魏略本文について考えれば、対
馬・一支・末盧・伊都と順次にその大官及び副官を掲げし後、乃ち之を受けて其国王皆屬女王也というので
あるから、其国王とは以上列挙せし各国の国王を意味するものとして認めるべきかの如き文脈をなしている
のである・・・陳寿は魏略によりてこの文を作る際に、其国王なる文字を世有王に変改して、その次の皆な
る文字はそのままとなし置きしため、魏略の場合には有効なる文字が魏志の場合には無用の文字となったの
ではあるまいか」と述べている。〜皆を対馬以下の各国の王とする見解は白鳥をはじめ賛同する学者が多い
が・・・



256 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 21:30:49
>>247
「其国」と書いてあれば【普通は】直前に書いてある国の事だよ

あと「王女」とあれば【普通は】王の娘の事です
王と女王
王子と王女ですよ

ちなみに国じゃなく「國」ですね
「國」と言う字は「地域」の意味で、国家の意味じゃ有りません
筑紫國とあれば「筑紫の地域」の意味です

ただ漢文は文法も熟語もなんも無い文でしかないっす
だから正しい解釈ってのは書いた本人にしか解らないですよ


まず、とりあえず普通に読んでみて「それ以外にも○○とも読み取れる」って幾つも解釈を上げるのは間違いじゃ無いとは思いますよ


「王女」
これは普通に読めば「おうじょ、おおきみのおんな」です
ただもちろん「おんなのおうきみ」との解釈も出来ますよ


257 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:32:21
出たな、妖怪。

258 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:36:52
>>255
そりゃその学者達が間違っとる。漢文を読めない学者とは情けないな。

259 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:40:42
>>256 「國」と言う字は「地域」の意味で、国家の意味じゃ有りません
ばかたれ!地域でありクニだ。おまえまだ分らんのか。

260 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 21:47:12
>>258
全く違う
その漢文の解釈は書いた本人にしか解らない
だから「これは○○と読むんです」と言ってる学者がいれば、そいつこそ学者失格

「実際には書いた本人にしか解りませんが、私は○○と解釈してます。その根拠は○○です」って言ってる学者が居れば、その学者は正しい学者だよ


261 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:47:31
>>258
いやいや、漢文が読める人ならばそのように読むんだよ。

262 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:55:15
>>254
別に終わる必要はない、女王は伊都国の王。
>>255
>其国王なる文字を世有王に変改して
「世有王」は卑弥呼〜壹與のこと、
魏略は卑弥呼の時代のことが対象だから「世有王」は無い。
魏志倭人伝は卑弥呼〜壹與が対象だから「世有王」が追加された。
魏略では「其國王皆」と王が複数居るが
魏志倭人伝では倭王と成った卑弥呼が居るので「其國王」は削除された。
王女は女王國と改められ、国が国を統属する形の文になっている。

263 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:57:34
>>260
>>258の言ってる意味もそれを書いた本人にしか分らんだろ。お前さんの理屈ではな。
全く違うと言えるか?

264 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:58:25
>>261の追加だ。
@ 国における最上位者は王。したがって、伊都国の王のことならば、官よりも先に書くのが
 常識だ。官や住戸のことを書いてから、伊都国のみの王のことを書くのは不自然。
A 対馬国、一支国、末盧国、伊都国と王のことに触れない文章が続いている。ここで、何で
 一番重要な人物であるはずの王にまったく触れないのかなと疑問がでて当然なんだ。
 そこで、世有王という文章が出てくる。上のような疑問を感じていた人ならば、当然、ああ、
 ここにまとめて書いたのか、と納得するものなんだよ。疑問を感じていなかったような人たち
 は当然そのようなことが理解できない。まあ、史書を読むだけの常識が足りないということだな。

265 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:05:52
>>262 国が国を統属する形の文になっている。
国が国を統属する このような統属の使い方はない。
国が国に統属する ならばよろしい。
だが、世有王皆統属女王国 は王が女王国に統属する であって 国が女王国に統属する ではない。
いい加減な知識でものを言わんでくれ。

266 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 22:07:46
つか俺も日本人だから決して人の事は言えないけど、
外国人から見たら日本民族ってのは
「権威や肩書きに滅法弱い」
「権威や肩書きを持ち出す事で正当化されると思っている」

と言う特徴があるらしいよ



これは戦後の日本を憂いでた白洲次郎も著者で言ってたよ
「イギリスでは大学生にもなれば自分の意見を持ち、大学の教授に対しても堂々と『私はあなたの意見は違うと思います』と言うが、今の日本人は相手が教授と言うだけで相手の主張を鵜呑みにしてしまう」

「私は日本人特有の『○○学者が○○と言ってる』と言う話方が気に入らない。
もちろんイギリスでも討論の場では学者や政治家の主張を持ち出す事はある。ただしその後に『私もその学者や政治家と同じ意見だ』と付け加える。日本人は欧米人から自分の考えや主張が無いと見られてしまうんだ」
て、言ってたよ


俺もそういう意見を知って初めて気付いた部分でもある
例えばこのスレを見返しただけでも「○○学者は○○と言ってる。○○学者の本には○○とある」ってスレが沢山ある


どの歴史学者が何をどう解釈してるかなんて事を、あたかも「だから正しいんだ」見たいに言ってる人は確かに多いよ




267 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 22:11:43
これは日本人の特徴らしいよ

俺も多分これに関しては人の事は言えないだろうし
無意識のうちに偉人や著名人の名前を持ち出して、権威を借りてまるで正当性があるかのように話したりしてたりするし



268 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:12:52
>>264
魏略に於いては伊都国の王が女王であり倭の国の王が皆属しているから最後に書かれているのだ。
魏志倭人伝に於いても魏略を引継ぎ伊都国を中心として女王国が他の国々を統属しているから最後に書かれているのだ。


269 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:16:12
>>265
「倭の国々が皆、女王国に統属する」と国が国に統属する
形になっている。
王が女王国に統属するは誤りなの。
  

270 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:16:44
>>267
自分の考えだけでは、論争になって収拾がつかない。他人の考えばかりではつまらないが、
客観的データを引くのはかまわないだろ。

271 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:21:35
>>264
なにを勝手なことを言っとるのだ。奴国、不彌国、投馬国についても王のことは書いてないぞ。
昔の国々(独立国)の時代は王が国のトップだったが邪馬壹国が盟主となった連合国では旧来の
王ではなく官が実質的トップ(政治指導者)となったのだ。昔の王が官になった場合もあっただ
ろうが彼らも王としてではなく官とされていたのだ。それが連合国の体制なのだ。伊都国に王が
居たのは特例だ。異例なことだ。だからこの伊都国の王は邪馬壹国の王家の姻戚だろうとの推定
も出て来るのだ。おまえさんには史書を読むだけの眼力がないようだな。

272 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:21:45
>>263
>>258は解るよ

大陸とは違って、日本ではちゃんと日本語で発音出来るように漢字に訓読みが振られてるし、日本語の文法で書かれてるし、日本語で発音出来る文章だし、俺、日本人だし


大陸の人らは漢字を表意文字でしか使えないからその漢文の発音には何の意味も無いし、発音しても何語にもならないし、文法も熟語も句読点も改行も何も確立されてないし



273 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:22:51
>>269
>>255を読んだのかな? 

274 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:24:58
>>273
読んだよ。

275 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:27:03
水かけ論に別方面から参照意見を。

倭人伝に出てくる王は三人だけです。
世有王と卑弥呼と卑弥弓呼。
それ以外の「今使訳所通三十国」
のそれぞれの首長は、中国側から見れば、
王と見なされなかった、のではないか。

というのは、
辰韓十二国に辰王があり、
弁辰十二国にも王があった、
そうだから。

276 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:29:29
>>271
言葉の基本的な意味が分かってないようだな。王は主権者だ。官は王に任命されて
国務を担当する役人だ。王がいなくて官のみなんてことはないよ。
もし、諸国の官を女王が任命していたのならば、それはその諸国が女王の直轄地と
いうことで、独立した国ではないということだ。しかし、倭の国々はそれぞれ独立
した国の体裁を保っていたんだよ。連合はしていたとしても。

277 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 22:33:07
>>270
「自分は○○と言う根拠から、こう考えてる。ちなみに○○学者も○○と言ってる」
こういう言い方をすれば、自分はこうだからこう考えてるってのが相手には解るんじゃないかな?

別に「○○学者がそういってる、私は○○学者の言う事は正しいと思うから、それが正しいと思ってる」って事ならそう言えば良いんだろうし



ただ俺も日本人だからあまり人の事は言えないかもね
無意識の内にそういう話方をしちゃってたりするよ

278 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:34:49
>>275
魏志倭人伝の場合は、「世有王」は卑弥呼〜壹與のことだから
魏志倭人伝の王は倭王の卑弥呼と卑弥弓呼の二人。
卑弥呼が魏から任命された正式な王で
卑弥弓呼は王を自称しているだけ。
正式な倭王がいるのに、その配下の伊都国に別の王はいない。



279 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:43:59
>>276
王には2種類いる。
魏から任命された王と
自分で王と名乗っている王。
魏略では倭の国々には王がいるが
皆、自分で王と名乗っているだけ。
魏志倭人伝では魏から王に任命された卑弥呼がおり他に王はいない
例外として倭王卑弥呼に従わず王を自称する卑弥弓呼がいる。
中華では皇帝の家臣は王、王の家臣は公など。
王の家臣を王とは史書は記述しない。


280 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:49:08
>>278 「世有王」は卑弥呼〜壹與のことだから
そしたら、皆統属女王国はどうなるのだ?
だいたい、東南陸行五百里到伊都国から郡使往来常所駐 までが伊都国のことを述べた文章だ。それに
他の国の王だとか卑弥呼だとか壹與がなぜ出てくるのだ?それらのことは一言も書いてないぞ。

281 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 22:53:22
>>279
中華人民共和国 毛沢東主席 山東民族 北京語

マンチュリ帝国(清) ウルハチ氏族 マンチュリン民族 マンダリン語源

李氏朝鮮(明) 李大将 朝鮮民族 ハングル語源

モンゴル帝国(元) チンギスハーン 朝鮮民族 モンゴル語源

チベット王国 ダライ・ラマ チベット民族 チベット語源



「中華」って何処の事ですか?
魏ってどの民族の王の事?

282 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:55:45
>>278
正式な倭王に統属している王がいる。

「世有王」は帥升以来の連合の名残り。
倭国大乱のとき権威を失った。
「伊都国王」ではない。

ここでの「王」とは中国がみなすもの。

283 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:03:17
>>倭人伝に出てくる王は三人だけです。
>>世有王と卑弥呼と卑弥弓呼
中国では、皇帝>王>公>侯 の序列
王と呼ぶからには、爵位としての王であって、上の序列に含まれている王でしかない
自称王に過ぎないなら王とは書かないだろう
卑弥弓呼は、狗奴国の王として、誰かが授爵ものに違いない
例えば呉が冊封したとかなら、不屬女王の意味が通じる
魏が冊封するところの女王国とは、相容れない他国なのだ

284 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:04:14
>>282
モンゴル帝国[元]
マンチュリ帝国[清]
中華民国[通称、中国:現、台湾] 孫文 約80年前
中華人民共和国[通称、中共:現、中国] 毛沢東 約60年前


「中国から、、」って言うけど、その時代にまだ中国は存在してません


>王と認められた、、
と言うけど、誰から認められなきゃダメだったわけ?
チンギスハーンやウルハチやダライ・ラマや、、アイツもそのド偉いさんに認めて貰って王や皇帝を名乗ってたんですか?

魏だの漢だの言われても解らん
どの民族のどの王がそんなに偉かったの?

285 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:09:20
>>284
>>誰から認められなきゃダメだったわけ?
天帝

286 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:12:21
>>1
女王国を宇佐(大分)から日向(宮崎)にかけての九州東南部と比定したい。
北部九州に比定できない根拠として

■計其道里當在會稽東冶之東
郡よりの方向、距離から推測すると、女王国の位置は会稽・東冶(台湾・奄美
大島の西対岸)の真東にあたると認識されるほど相当に倭国の南と理解されて
いた。九州北部の伊都国に郡使が常駐している以上、郡からの方位・距離は
正確に把握できていたはずなので。

■倭地温暖冬夏食生菜皆
倭の地は温暖で、一年中生野菜を食べていると記載されている。意外と北部
九州も雪が多く、冬も寒いが、その点では宮崎は温暖の地です。

■使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚
女王国より北の国々には監察吏員を特別において諸国の皆が畏怖していた。
よって、女王国が北部九州ではありえない。

■女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有朱儒國
女王国の東に海を渡ること千里(対馬から壱岐と同程度の距離)にまた国があっ
て、全て倭人が住んでいると記載されており、四国(伊予)が倭種として比定され
るが北部九州では比定地がない。

287 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:13:40
いつも思うんだが、もん太君のこの言語圏にこだわる自説は、混血を認めないのかな?

288 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:19:08
例えば今の中国は良く日本に対して「日本は中国に謝罪しろ!反省しろ!」って言って来るけど

あれもさ、日本が戦争したのは、ショウカイセキの中華民国であって、中華人民共和国とは戦争した事すら無いよ
そもそも中華人民共和国なんて戦後に建国された国なんだし


戦争の賠償金や謝罪をするとしたら、戦争をした中華人民にしなきゃダメなんだよ
ただ、日本が戦争した中華人民は「日本は悪くない、中華人民共和国が悪い」って今でも言ってるんだよ
だいたいショウカイセキの中華民国とは戦争はしたけど、その後、中華民国と日本は同盟関係を結んでたんだし
欧米は「ショウカイセキが居ない中華民国は国家として認めない」なんて中華民国を国家として扱う事すらしなかったなか
「中華民国は立派な独立国家だ!」として、最後まで支援してたのが日本だよ


「中国」って言うけど、自らを「中国」と名乗ってた国は大陸の歴史上、2つあるよ
それが中華民国と中華人民共和国


ちなみに、それ以前に大陸には中国なんて言う国はない
だから「昔の中国の皇帝」とか言う言い方はおかしいよ


モンゴル帝国の事を言ってるのなら、モンゴルの皇帝って言うべきだし、マンチュリ帝国(清)の事を言ってるのなら、マンチュリンの皇帝って言わないと解んないよ


古代インカの皇帝の事を「昔のペルーの皇帝」とか言う言い方されても意味解らないでしょ?
ペルーとインカは違うんだから

289 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:25:04
>>中華人民共和国とは戦争した事すら無い
中国共産党は、国共合作で抗日闘争したはずだが
中華人民共和国は、本土の国権を引き継いでいると考えているんだから
主張は筋が通る

290 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:29:37
メソアメリカ文明のメキシコはスペイン語だし、インディオのブラジルはポルトガル語。征服
や混血、大規模移動を考慮して民族は見ていかねばならんと思うけどね。

291 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 23:29:41
>>285
だから誰?
大陸には今でも沢山の民族がいる

例えば魏志倭人伝の中にも「倭人、鮮卑人、扶なんとか人、真女人、、」って沢山の民族の表記がある

まずその漢字で「天帝」って書かれてる人は、どの場所にいたどの民族の王の事なの?
「場所は今の中国大陸」とかアホ見たいに広い範囲で答えないでね?
それはだと「チンギスハーンは中国にいた中国の王」て言ってるのと同じだから
チンギスハーンは東都(現、北京)に城を置いてたモンゴル民族のモンゴル帝国の皇帝だから
で、天帝とやらは?



ちなみに「秦」ってのもさ、あれ日本では「うずまさ」って呼んで、今の中東の方を指す言葉だよ
大秦って書けばローマ帝国の事なんだし

292 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:35:31
>>282
>正式な倭王に統属している王がいる。

そんな王はいません。

>>283

>自称王に過ぎないなら王とは書かないだろう

自称王でも王と書かれてます。例はたくさんある。


293 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:39:01
>>291
「天帝」って、中華思想のそれですよ
天帝(天上界)→任命→皇帝(地上)
だから皇帝は唯一無二の存在なんです

294 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 23:41:14
>>289
君が何を言おうが、俺はあくまでも事実を言ってるだけですよ
何度でも言うよ
日本は過去にマンチュリ帝国(清)と戦争はした事がある
けどマンチュリ帝国と同盟関係を結んでた事もある
また日本は中華民国と戦争をした事はある
けど中華民国と同盟関係にあった事もある
んで、中華人民共和国と日本は過去に戦争なんてした事は無い

俺が言ってる事が事実と違うと思うならどうぞ反論して下さい
俺は決して反中国感情から言ってる訳じゃないですよ

ただ単に事実を言ってるだけですよ

ちなみにアメリカはインディアン達から土地を奪い建国された国だし、日本もかつては、琉球やアイヌを滅ぼしてるよ
これも別に俺は事実を言ってるだけ

295 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:43:41
NGワード設定完了しました

296 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:44:54
始皇帝の前は王だな。三皇五帝などの伝説の時代は別にして。

297 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/19(土) 23:51:54
>>293
だから中華思想なんてのも、マンチュリ帝国から独立した孫文の中華民国が掲げた思想であって、中華民国以前にあったマンチュリ帝国やモンゴル帝国の時代には無かった思想だよ


「天帝としたド偉いさんがいて、他の民族はその天帝さんに、、」
なんてのは要は中華思想って奴なんですか?
じゃあ中華思想なんてのが生まれた90年ぐらい前までは、んな思想は無かったって事じゃん
だいたい歴史の話をしてるのに、思想やらを持ち込んで来ないで下さいよ

中華思想ではどう考えられてるのかなんて歴史とは一切関係無いですよ
要するに単なる思想じゃん

歴史の話をしましょう
歴史の史実が中華思想での歴史思想と違ってたとしても別に構わないんだし
思想は思想。歴史は歴史だよ

298 :ローガン:2009/09/20(日) 00:02:48
>>246
>ついでに言えば、その残ってるのが曲者。重要な文字が、ずっぽり抜け落ちてたら、かえって残ってる部分を全然違う意味に読んでしまう可能性がある。

それが当たり前の考え方ですね。面倒なので出来るだけ簡単に…
翰苑、当該の魏略曰云々が全くオリジナルと同じと何故言える?
大体、翰苑の注記って、短い本文が何という史書類書に基づいたものか?の説明でしょ。
「分職命官統女王而列部」が本文。 次の本文って、わかりますね?その注記に後漢書が引かれてますが、
これは「後漢書倭伝」とは違いますね。これ以上言わずもがなでしょう。

299 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:12:50
>>292
>そんな王はいません。

こちらの言うこと、ちゃんと読んだか?

300 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 00:15:15
てか、魏だの燭だの、それらがどの民族の何処にあった国なのか?
なんて、解らないでしょ?

24史には書いてないもん
まずは24史に出てくる民族がそれぞれどの民族なのかをそれぞれどの民族の事なのかを考えて見れば良いんだと思うよ
24史には倭人、大和人、真女人、鮮卑人、秦人、とかいろいろな民族が出て来てるんだし
けど逆に言えばそれ以外の民族の事は一切書いてないよ

まず卑弥呼は倭人の女王でしょ?
倭人てのは日本人でいいんでしょ?
真女人はマンチュリ人でしょ?

ちなみに現在「漢字」って呼ばれてる文字は、あれは元々は「真女字」て呼ばれてた文字らしいじゃん。
これがもし本当なら、漢字って呼ばれてる文字は真女人達の使ってた文字って事じゃないの?
この民族は明の李大将を滅ぼしたマンチュリ人の事って言われてる民族
あと秦始皇帝
秦人てのは24史にも出てくるよ
て事は秦人の皇帝
秦人て蚕をアジアに伝えた中東からの移民じゃないの?
太秦=イスラエル
大秦=ローマ帝国
な訳だし

つかこれら全部を「中国」なんてヒトククリに呼ぶのはおかしいってば

そもそも倭が中国の皇帝に従えてたとか言うなら、倭の事も「昔の中国」て呼べばいいじゃん


301 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:17:50
>>297
中華思想と名づけたのは後世であっても、理念は昔からありましたよ
五帝・夏・殷の君主は、この世に同時に1人しかいない至尊の称号として、皆「帝」と名乗ってました
それを「皇帝」と名前を変えたのが秦の始皇帝
・皇帝は天(天帝)の子であり天命により天下を治めるとする。
・古代中国より天子は天帝を祀ることを義務(天義)とされた。これらは歴代の王朝に受け継がれている。
 天帝を祀ることは天子にしか出来ないことで、これを天子の天権といった。
・皇帝は全地上の支配者であり、周辺諸国の君主よりも上に立つものとされ、
 皇帝と周辺諸国との交流は、周辺諸国の君主が皇帝の徳を慕って使節を送り、
 皇帝がそれを認めてその君主を王として冊封するという形をとった。

そんな原理に基づいて、倭国を冊封したのです
全地上の支配権を委ねられている皇帝として、倭国を承認した
冊封国として承認されて初めて、まともな人間界の仲間入りと言うに近い
朝貢して来ない国々は、蕃民族
それが中華思想

302 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:18:16
世有王皆統属女王国
は、伊都国には代々王がいて、彼らは皆、現在は女王が治めるところの倭国に属してきた、という意味だろう。
A統属B
は、AはBの統べるに属する、という意味だね。

303 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 00:27:45
倭の女王を「昔の中国の女王」と言う言い方はしない
李氏朝鮮を「昔の中国の皇帝」と言う言い方はしない
チンギスハーンを「昔の中国の皇帝」と言う言い方はしない


けど皇帝の名前とか場所や民族とかがハッキリしない物は全て「昔の中国の皇帝」って呼び方になる


24史に
「モンゴル帝国の皇帝」ってあればモンゴル帝国の皇帝の事だし
「秦の皇帝」とあれば、秦の皇帝の事だよ


大昔にいたインディアンの王の事を「昔のアメリカの皇帝」なんて言い方したりしたらオカシイでしょ?
秦の皇帝は秦の皇帝だよ
秦と中華人民共和国は違う国

「昔の中国の皇帝」って言い方じゃなく、せめて「昔、今の中国大陸にいた皇帝」って言い方をして欲しい
じゃなきゃ「昔の中国の皇帝」て言われてもなんの事が全く解んないよ

どういう意味で昔の中国の皇帝って言い方してるの?

304 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:34:37
>>302
おお!
「大清国属高麗」は「高麗に清国は属する」ということだったのですね。
これまでの胸のつかえが下りるようです。

305 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 00:39:01
>>301
24史の何処にそんな事が書いてあるんですか?
三國史?倭人伝?後漢書?


歴史書に書かれてる歴史の話をしましょうって言ってるんですよ
歴史に思想を持ち込まないで下さいって言ってるんですよ


あなたが中華思想家かどうかはどうでもいいんです
そういう思想を持ってるなら持ってるで構わないんです
その思想を批判するつもりも否定するつもりもありません
あなた個人の信仰や思想にケチを付けたりするつもりは全くありません
人間にとって思想や信仰ってのはある程度は大切なんだとは思いますし

ただ歴史は歴史。思想は思想ですよ
あなたの思想がこうだからと言って、だから歴史もこうなんだ、、見たいなのは辞めて下さい
歴史の話をしましょう

24史にモンゴル帝国の皇帝って書いてあれば、これは中国の皇帝じゃなくモンゴル帝国の皇帝って言い方しましょうよ


306 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:57:44
>>302
代々仕えてきたにかかわらず、女王国は一大率を置いて伊都国を厳しく検察させたってか?
普通ならば長年従ってきた同盟国は大切にするものだ。

307 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:58:41
>>305
歴代の中国王朝が、共有している思想です、中華思想は


308 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:05:11
>>306
例えば、日本とアメリカのような感じ?

309 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:09:56
そう、倭人伝が伝える女王国以北の状況は、マッカーサーがいたころの日本みたいな
状態だってこと。戦いの後、何年かすれば進駐軍の将軍はいなくなるんだよ。

310 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 01:30:53
あと「倭」とか「元」とか「清」とか、大陸にとっての漢字は表意文字でしか無く、発音表記が出来ない文字だからこう言う書き方をしてるだけで、これらの国は「わ」とか「しん」って呼ばれてた訳じゃないんですよ

例えば古事記では「倭武命」には「やまとたけるのみこと」と発音表記が降ってあります
倭はそのまま音読みすれば「わ」ですけど、「やまと」を「倭」と書いてただけですよ
清はマンジュで、元はモンゴルの事です
「魏」や「秦」も同じように、どこかの事なんですよ
ちなみに「夏=シュメール」「殷=インド」ですよ


例えば中国大陸を治めてた王国として、ジェルチン民族のヌルハチ・ギョロが統治したマンチュリって国が有ります

日本語では、平仮名や片仮名って言う、発音を表せる表音文字があるから、発音のまま「ジェルチン」とか「ヌルハチ」って書けます
けど大陸における漢字ってのは表意文字でしかなく、日本見たいに訓音発音も当てられて無いため、こういう地名や人名の発音は漢字では書けません

で、大陸では発音とは関係なく「女真族」「清」「太祖帝」って書いて表していました
ちなみに「皇太極帝、太宋帝」てのは、ホンタイジ・ギョロ皇帝の事ですよ


311 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:33:27
>>307
だから中国の皇帝って誰ですか?
毛沢東? 孫文? ダライ・ラマ?

誰の事を言ってるの?

312 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 01:39:03
さっきから「中国の皇帝」とか「歴代の中国の皇帝」とか言ってるけと、マジで1人ぐらい名前上げて下さい


てか「祖帝」とか言う書き方は辞めて下さいよ?
祖帝てのはホンタイジ・ギョロの事なんだから、ホンタイジ・ギョロが歴代の中国の皇帝だと言うなら「ホンタイジ・ギョロは中国の皇帝」って言い方して下さいね

ちなみにホンタイジ・ギョロはマンジュリの皇帝です
ダライ・ラマ○世はチベット国王です

313 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:49:32
>>312
邪馬台国論争に貢献されてはどうですか
中国の皇帝と倭国の卑弥呼の関係などについて

314 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 02:04:51
>>313
だからその論争に思想を持ち込まないで欲しいんですよ
こっちは歴史の話をしてるのに、思想を語られても、話が噛み合う訳無いんですから


なんども言うように「中国の皇帝」て言われても、その時代には中国なんて国は無いんですよ
その時代に存在しない国の皇帝と、卑弥呼の関係て言われても困るんすよ

てかそもそも「中国の皇帝」て、どういう意味で言ってるんですか?

「今の中国大陸にいた皇帝」って意味でいいんですか?

チンギスハーン、フビライハーン、ヌルハチ・ギョロ、ダイチン・ギョロ、ダライ・ラマ、、、
それだと結構沢山居ますよ?

とりあえず「中国の皇帝」をどういう意味で言ってるのかが解らないんですよ


315 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:10:39
じゃあ魏の皇帝というのはいいの?中国っていわなきゃいいのかな??

316 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 02:13:25
「今の中国大陸内にいた過去の皇帝」
って意味なら、普通にそう言って下さい


「その時代にいた中国の皇帝」て言われても、「その時代にはまだ中華民国も中華人民共和国も存在してない」としか言いようが無いんですよ


317 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 02:26:49
>>315
それなら全然解りますよ
で、まずはさ、ちゃんと24史の記述などから、それぞれがどの民族のどこにあった国の事なのかをきちんと認識すべきだと思いますよ
例えば魏の場所を「中国大陸」とした場合に、中国大陸てチベットやウイグルやベトナムまで含まれますから

まずは「倭」からの方がいいかな?
「倭」てのは「やまと」の事で、日本民族の事でいいすよね?
で、俺が良く解らないのが魏のだいたいの場所と民族ですよ
とりあえず魏の皇帝て言っても俺が見た限りは24史の中には魏の皇帝の記述は無かったです
で、24史の中で魏の場所を探してみたんすけど、三國史(だったかな?)に「東海中之島」って書いてあった記述が有りましたよ


318 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:34:26
いってることは半分ぐらいわかる。中国というのは、いわゆる中国大陸の地理的中心という
ことであって、国家とはまた別の概念なんだよな。つまり、極端なことをいえば中原を征した
王朝が、この世界の中心になるという考え方。これは、万世一系とされる天皇家の血統が連
綿と続くとする日本とは全く相容れない考え方なんだ。

319 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 02:37:07
まだハッキリとした根拠がある訳じゃないですけど、例えば卑弥呼は「朝廷に貢いだ」ってあるじゃないですか?

「倭(やまと)の邪馬壹國の女王の卑弥呼」

解釈が間違ってるかもしれないですけど、魏志倭人伝を普通に読んだ場合
倭(やまと)の中には邪馬壹國の他にも沢山の國があり、邪馬壹國てのはその中の1國ですよね?
で、卑弥呼が朝廷に貢ぎ物をしたとした場合、卑弥呼が属してるのは普通に倭(やまと)朝廷の事だと思いますよ
イ委=委鬼
そもそも倭も魏も同じ字じゃ無いですか?

あと「中國朝廷」との記述もあったと思うけど、ここでいう中國ってのは「なかつくに、中心の國」て意味でしょ?

倭(やまと)に属してる邪馬壹國にとっての中國って、普通に考えれば倭朝廷の事だと思いますよ

320 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 02:41:56
で、女王が倭(やまと)朝廷に貢ぐような話の記述がないか、古事記の方も探してみたんすけど、やっぱありましたよ
なかなか帰って来ない女王に対して朝廷がヤキモキしてた話

その後の倭(やまと)の朝廷は大乱に巻き込まれてますし

321 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 02:55:54
魏志倭人伝ってのは三國史伝の中の魏志に書かれてる倭人伝じゃなかったですっけ?

この三國史って、日本からみた百済、新羅とかの三國時代の事じゃないんですか?
えっと百済や新羅は大陸では三韓時代とか書かれてる時代で、弁辰や馬韓とかって呼ばれてます

三韓時代の時の辰秦だか弁辰だかを調べたら、普通に弥烏邪馬國とかありましたよ
魏志倭人伝と同じ用に弥烏邪馬國の他に楽なんとか國とかの記述もまんまあったし

ちなみに弥烏邪馬國も鬼道使いの女王が治めてましたよ
卑弥呼と卑弥弓呼ってのも、あれなんとなく意味わかったし

つか三國史伝の魏志倭人伝も三韓時代も古事記の三國時代の話も、全て鬼道使いの倭人女の王を中心とした話すよ
同じ話じゃないんですか?

322 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:58:35
>>319
同意

323 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:01:18
>>321
では、ヌルハチ・ギョロの大王が中国の皇帝に貢物をする話だと、そういう事ですね?

324 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:03:25
また、中華というのは優れた文化を持つ者というほどの意で、周辺国を蛮夷とみて、北狄・
東夷・西戎・南蛮として蔑んだ。つまり、元(モンゴル)などは、例え地理的中心としての中国
を征したとしても、元来の遊牧民としての性格を色濃く残しており、中華の文化を体現してい
るとはいえないことになる。

しかし、やはりもん太君とはレスは全く噛み合わないな。

325 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:07:00
科挙で漢人の役人を雇えばいいじゃないか
だれでも中国は支配できるだろ

326 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:18:19
もちろん誰でも中国は支配できるんだが、中国=中華ではなくなる。遼・金・元・清の4王朝
は漢民族を支配して中華帝国の系統に属する王朝を作ったが、自民族の文化も保持し、漢
民族に対しては征服王朝として支配した。そこで、漢民族の間で華夷秩序が強調されるよう
になる。

327 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 03:26:17
>>323
ヌルハチ・ギョロの時代、まだ中国なんて國は存在してません

ヌルハチ・ギョロのマンチュリ國から独立したのが孫文の中華民国[通称:中国]ですよ
で、孫文の後継者でイギリスの支援を受けたショウカイセキの中華民国が、中華統一の思想を掲げマンチュリ国に侵略して来たから、マンチュリ国と同盟だった日本がショウカイセキを追い払ったんだよ
それが日中戦争じゃん


328 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:33:45
倭人伝に朝廷は出てこないと思うけど?
どの文献だろう。
朝廷という言葉自体、どうも日本独自っぽいよな。

唐が滅んでも、日本では唐の国という表現は長く使われてきたのだし
中国云々は偏執的に感じるな。

ちなみにモンゴル帝国は1206年、チンギスハンの即位から、
元は1260年、あるいは1271年のフビライの時代から始まる。
チンギスハン時代は中華王朝ではない。

329 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 03:42:32
>>324
方角は風水の意味じゃないの?
玄武
青龍
朱雀
白虎

あとチンギスハーンのモンゴル帝国は遊牧民じゃなく開拓民だよ

北京にラストエンペラーの撮影にも使われた古城と呼ばれるスゲー城があるんだけど、ここが帝都と呼ばれモンゴル帝国が開拓し都とした城だよ

ゲルを立てて遊牧生活を行ってる人もいるけど、あれは作物が取れなくなる厳しい冬の間だけああやって家畜を放牧してるだけだよ
日本で言う牧場主だよ
あのゲルは言わば牧場小屋で、定住してる家は家でちゃんとあるんだよ


330 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 06:42:13
>>286

以下は確かに気になるところ

■計其道里當在會稽東冶之東
郡よりの方向、距離から推測すると、女王国の位置は会稽・東冶(台湾・奄美
大島の西対岸)の真東にあたると認識されるほど相当に倭国の南と理解されて
いた。九州北部の伊都国に郡使が常駐している以上、郡からの方位・距離は
正確に把握できていたはずなので。


331 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 09:02:21
>>302おはよう
世有王皆統属女王国
は、伊都国には代々王がいて(卑彌呼〜壹與)、倭の国々は皆、女王が治めるところの国(伊都国)に属す、という意味だ。
A統属B
は、AはBの統べるに属する、という意味ですね。

332 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 09:26:25
プラムはあそこで
五レス アクセス禁止にでもしとけwwww

では、いったんオチ またのぅw

333 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 09:52:56
>>331
伊都国には代々女王がいて、女王が治める伊都国に属する? 支離滅裂、意味不明だな。

334 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 10:33:32
美濃もん太偏屈君は魏の場所も知らないのか。

「中国」という表現は昔からある。現代の表現ではない。
そこを勘違いしているようだ。
中国があるからこそ、四夷があるし、万里の長城を築き異族の侵入を防いだわけ。

秦始皇帝の兵馬俑見ればみんな典型的東洋人の顔している。
アフガンやトルコなどの彫の深い顔とは違う。
DNA的に言っても中国を中心にアジア全体に広がっている。
アフリカ、ヨーロッパ、中東、アメリカ、オセアニアにはない。
あったとしても近世に移住したもの。

中国とは漢民族の国。
中国は前漢の武帝が北は燕、楽浪郡、玄菟郡)、
南は楚、西南夷、ベトナム地方、
西は良く知らないが、かなり遠くまで、東は越を討ち、統一した。
分裂したり異民族に一時的に制圧されたりししても、漢は漢、中国は中国だよ。




335 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 10:41:36
>>333
世有王「伊都国には代々女王がた」
皆統属女王国「倭の国々は皆、女王が治める伊都国に属する」です
書き換えて支離滅裂、意味不明な文にするな。



336 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 11:20:42
>>335
伊都國には代々王がいるが、女王だなんて書いてない。
伊都国王は代々、女王国に統屬してきた。
書き換えて、支離滅裂・意味不明な文にするなw

337 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 11:23:14
>>335
失礼、見過ごした。だが、世有王の主体と皆の主体を別だと解釈するのは
無理があるな。皆が国々ならば、世有王も国々の話のはずだ。
それに国々と解釈する場合は、4か国とするのが普通だろ。倭の国々みんな
と解するのか? それではやはり、邪馬台国も邪馬台国に統属することとな
り辻褄が合わんと思うが。

338 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 13:42:41
>>336
>伊都國には代々王がいるが、女王だなんて書いてない。

確かに女王だとは明記されてない。
「世有王」は魏略には無く魏志倭人伝で付け加えれれた文で
魏略は卑弥呼が倭王に成る前、魏志倭人伝は卑弥呼が倭王に成った後の時代が書かれている
魏志倭人伝では王とは倭王の卑彌呼〜壹與のことを指す。
故に「世有王」の王とは卑彌呼〜壹與のこと。
伊都国王は代々女王で倭国の国々を統屬してきたのです。

>>337
>皆が国々ならば、世有王も国々の話のはずだ。

皆が倭の国々ですから、
世有王は倭の国々の王(女王)が代々伊都国にいた(伊都国が倭の都)
と説明している訳です。

>それに国々と解釈する場合は、4か国とするのが普通だろ。

魏志倭人伝の場合、皆は「今使譯所通三十國」を指すと考えています。

339 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 13:43:42
伊都国は女王の国ではない、当然の事だけど。

340 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 13:51:40
>>334
そう。それが中国建国の父である孫文が掲げ、ショウカイセキや毛沢山らが受け継いだ中華思想って奴です
そしてその中華思想を現在あなたも受け継いでいる
あなたが立派な中華思想の持ち主である事は良く解りますし、僕はあなたのような思想家に対して、その思想を否定したり批判するつもりも有りません
あなたはあなたで、そうやってアジア中に、そして世界中に中華思想を普及させる事に努めればいいんです


ただし僕は思想は思想、歴史は歴史ですから
歴史の話をしてる所にそうやって思想を持ち込むのは辞めて下さい
あなたや現在の中国人の思想がどうあれ、歴史は歴史なんです
「私の思想はこうだから、歴史もこうなんだ」
見たいな事は辞めて下さい


それに中華思想がどんな思想かぐらいイチイチ聞かなくても知ってますよ
それに僕が知りたいのは思想じゃなく歴史ですよ


こっちが歴史の話をしてるのに、そうやって思想を語られても話が噛み合う訳ないじゃないですか

341 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 13:54:35
>>340
思想史という言葉を知らんのか。
物を食うのも、思想を語るのも、すべて人間の営みは歴史なんだ。
思想は歴史ではないなんて、もん太の妙な思い込みのひとつだな。

342 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 13:57:13
>>340
もん太偏屈君へ

中華思想?
そんなもん知りません。

偏屈君こそ、そんなに意識するのはなぜ?
歴史を知りたいからここに来ているなら、
へんな思想は混ぜ込まない方がいい。

343 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 14:13:44
>>334
あなたのような思想家はその思想を唱え続けてて下さい。
僕は別に他人の思想も信仰も否定したり批判するつもりは一切無いですから
ただ出来れば歴史は歴史、思想は思想であって、ここでは歴史について調べたり話をしましょうよ

例えば「漢」
中華思想家にとっては漢は歴史上の中国であり「漢は昔の中国の事だ。中国人の皇帝だ」でいいんですよ
ただ僕は「漢はどこにあったどの民族の事だろう?」って24史などの歴史書などから調べてたりしてるだけですよ



ちなみに漢の場所は貴方の言う様に、24史などの歴史書には「楽浪郡の南」とある
楽浪郡の南には漢川があり、その川の南部に漢城が置かれてた。そこが「漢」です
ちなみに「漢城」とは今のソウルの事ですよ
漢と漠と韓と乾は、共に漢音で「ハン」と読み、全て同じ意味の漢字です
「乾いた土地」の意味ですよ
韓は乾と同じ字で、漢は漠と同じ字ですよ


344 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 14:18:03
美濃もん太殿
君は今度から本名で書きこめばいいんでないの? もん太とは君の
本名じゃぁないんだろ?

345 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 14:26:46
>>341
だからあなたとは話は噛み合う訳は無いですって
あなたは「まず私の思想はこうだ。だから24史に書いてある事もこうだ。」って言ってるだけだもん
例えば漢の漢城は24史に楽浪郡の南部と書いてある訳だから漢の場所は楽浪郡南部なんですよ
あなたは漢もチベットも台湾もモンゴルもマカオも明も香港も朝鮮も「中国だ」っていってるだけじゃん

確かにそれらは中国大陸にある訳だから、別にそんなのは否定しないよ
こっちは中国大陸のどの民族で場所は何処なのかって事を言ってるだけであって
それを言うと「それは違う。中国は秦、夏の時代から、、」とか、また思想を言い出して来るし

ちなみに明ってのも、あれは李氏皇帝だよ
あれも楽浪郡含めた楽浪郡南部
その北部が清だよ

346 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 14:31:59
>>343
334ですけど。
あまり無知さをさらけ出さない方がいいと思いますよ。
いちいち指摘しませんけど。
他にも山ほど間違いがあるけど、面倒だから皆黙っているだけ。

私は思想家ではありません。
むしろ思想は大きらい。かたよった思想はね。

批判するつもりは一切無いですから といいながら批判しているではないですか。



347 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 14:38:52
>>345
日本人だってDNA的に見れば、父系母系ともいろいろな民族が入り混じってっているってことは認めるよね。
それを貴方は日本は単一民象だ、神の国だなどといっている人達と同じ。

とても偏った思想だよ。そういう思想家は洗脳されるとこわいね。
排外主義とか国粋主義とかに凝り固まる。

348 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 14:43:01
>>342
そう。マジで変な思想を持ち込むのは辞めて欲しいだけです

例えばここだって歴史書の魏志倭人伝に書かれてる内容について話てるだけでしょ?


それを何故か「その頃のアジアは中国大陸にド偉い皇帝がおり、その周辺にある日本民族などの様な弱小民族は、ド偉い皇帝様に従えて認めてもらう事で、、」
っていう話になってるんだよ

24史の何処にもそんな事は書いてないのにね

どこをどう読めば邪馬壹國が大陸の皇帝に国家として認められて、、とか書いてあるんだって話
そもそも「國」ってのは「地域」の意味だっての

そもそも国家観念なんてフランスの産業革命時に作られた近代観念であって、その時代に国家として認められるも糞もないんだよ

349 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:08:50
美濃もん太に餌を与えないで下さい。

350 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 15:18:06
>>347
俺は世界中のあらゆる文化も民族も尊重する人間
日本は過去にアイヌと琉球の民族と文化を滅ぼした民族
これも自覚してる
だからこうして他の民族や文化を滅ぼして、他の民族や文化まで自分たちの観念や文化を押し付けて統合統一しようなんて行為は俺は嫌い
俺は日本人だから、日本の民族や文化や歴史を大切に思うのは当たり前
だからこそ、他の民族もきっと同じだろうと思ってる
チベット民族が中国民族になりたくない理由も解る
チベット民族は中国が嫌いと言う理由で中国人になる事を拒否してる訳じゃないよ

むしろあなたの方こそ、そう言った世界中の民族や文化を否定してる人間
「DNAから言ったら同じ世界民族だろ。だから個々の民族や文化を認めない。同じ民族として扱え」
こんな考え方じゃん
君も民主主義やら自由主義なんて言う欧米の文化より、日本人として日本の文化や歴史や風習を大切に思う人間になって下さい
そして、他の民族も同じ様に自分たちの文化や民族(家族)を大切に思ってる事を理解してあげて下さい
他の國や民族に対して
「俺と考え方が違う。悪い奴だ。滅ぼして俺らと同じような正しい國にしてやるべきだ」
なんて考え方が間違いだよ
世界には各々沢山の民族、沢山の文化、沢山の語減、沢山の歴史がある
それぞれは皆違うんだよ
考え方も違えば文化も信仰も違う
まずはそれを理解すべきだよ
それが理解できて初めて他の民族や文化を尊重出来るんだよ


351 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:19:18
>>349
賛成。混ぜっ返したいだけの様だしな。

352 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/20(日) 15:23:50
スレが高速で進行してしまって遅々レスとなってしまいましたが、
>>233さんの漢語知識が間違っていることを指摘しておきます。
なお、「都」の動詞としての訳語を論じているのではありません。

>>233
>九州王朝大好きは、「所都」を「倭の国々総てを治めている場所」と考えているが、
>これは、例えば「所有」を「(宝石などを)有している場所」と考えるのと同じ。
>漢語の「所+動詞」の「所」と、日本語の「場所」の「所」を混同した結果の勘違いだろうなあ。

出鱈目の反論をまことしやかにするのは止めようね。
漢語の「所+動詞」場合は、「所」は「動作行動を受けるもの」の意味です。
「所都」は「倭の国々総てを治めているもの」の意味となります。
「所+動詞」場合には、動詞によって具体的な指す物は変わります。
それを決めるのは読み手の感性です。


353 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:25:18
>>350
ここだけ見れば立派な文章なんだけどね・・・。しかし、なんで中国という用字ひとつでこう
いう話になるんだ?

354 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:28:08
>>352
>それを決めるのは読み手の感性です。
まあ、いちいち読み下す必要はどこにもないが、九州王朝を信じるあんたの感性は狂って
るだろうよ。

355 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 15:28:20
まあ一言で言えば「歴史に思想を持ち込むな」って事だけだよ


だいたい邪馬壹國は何処で卑弥呼は誰なのかってだけでしょ?
なぜそれが中国に國と認めて貰って初めて日本は國となった。見たいな話になるんだって事だよ
24史だけじゃなくアジア中のどの歴史書にもそんな事は一言も書いてないだろ?


356 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:34:21
しかし、魏によって冊封を受け、卑弥呼は親魏倭王となった、というのは別に思想ではなくて
歴史的事実だろう。今時、マルクス史観や皇国史観で歴史を語る人など見かけないよ。む
しろこのスレを見れば、思想史にはうとそうなやつが多い。

357 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 15:35:28
世有王皆統属女王国
の次に郡使往来常所駐とあるから、
世有王皆統属女王国は伊都国のことを説明している。

他に国々は皆女王国に統属していることを前提に説明しているのだから、
ここで特に述べなくてもいい。
世有王は伊都国のことで、女王が伊都国にいたとは一言も書いてない。

伊都国には代々王がいてその皆が女王国に統属している、となる。

だから、伊都国は邪馬台国(女王国)と同時に出来た、分国のようなものだろうと
想像する。





358 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 15:38:52
>>353
中国大陸てのは沢山の民族があり沢山の文化や語源があるからだよ
それを引っくるめて「中国では、、」って言うのは俺はおかしいって思うだけ
漢は中国大陸のどの民族で何処にあったのか
秦は中国大陸のどの民族で何処にあったのか

同じように邪馬壹って言う地域は倭(やまと)の何処にあって卑弥呼は誰なのか?
じゃないの?

中国に拘ってる訳じゃなく、中国ってヒトククリにされても、それが中国のどの民族で中国のどの地域の事なのか解らんって言ってるだけだよ


「中国にはかつて日本が従え日本が『私達を國と認めて下さい』ってお願いしてたほどのド偉い皇帝がいる」
って言われりゃ
「すげーな、それ誰?中国の何処にいた人?どの民族の人?」
ってなるでしょ


そんなド偉い皇帝が何人なのかも、なんて名前なのかも解らないなんてむしろおかしな話だわ

359 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 15:43:20
>>356
だからそれが何処に書いてあるの?

ちなみに「封冊制度」って言葉を調べてみ?
それ戦後になって初めて言われるようになった言葉で、戦後のなんとかって言う日本の学者が提言した言葉だよ
「中華思想にある中国の皇帝を中心とした制度、これを封冊制度と名付けよう」
ってだけだよ

360 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 15:46:29
>>350
私は貴方みたいな人には絶対になりたくない。

そういう島国根性がたまらく嫌いだ。
わかったような口を利くけど、薄っぺらな人間だよ。
そういう人たちが国粋主義に走るんだね。
今は自国だけ思っていればいい時代ではないよ。
世界との調和だよ。
チベットが民族独立したかったら、独立したい人間だけ独立すればいい。
武力なしで。
それとチベット族と漢族の格差が問題になっているなら、
その格差をなくすよう中国は努力すればいい。簡単ではないだろうけど、






361 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 15:51:31
「中国大陸にはかつて皇帝が存在していた」
これは否定しない
24史にも書いてあるし
大清帝国のマンジュ人のヌルハチ・ギョロ
大明帝国の朝鮮人の李氏
モンゴル帝国のモンゴル人のチンギス・ハン
かつて中国大陸まで統治してたローマ帝国やギリシャ帝国やトルコ帝国の皇帝もこれにあたる
また中国大陸にあるシュメール王朝やイスラエル帝国などの皇帝も「かつて中国大陸に存在した皇帝」だよ



どういう意味で「中国の皇帝」って言い方をしてるのか知らんけど

362 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:52:39
なんでここ、普遍論争みたいになってるんだ?

363 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:05:10
>>355
中国から見て、の話ですよ
朝貢してくる国だけをマトモな国と見る、それが中華思想
天帝に認められて地上あまねく支配するのが皇帝だから、
周辺の国々も潜在的には皇帝の支配する土地、
なのに朝貢してこない国は蕃族だと、そういう姿勢でしょ

364 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 16:05:53
>>360
それが嫌いなら、自民族の文化や歴史や風土などを大切にする事を否定して、そんな奴らを滅ぼして、あなたが掲げる思想でアジアや世界を統一すれば良い
民主主義以外は悪だと言うのなら、民主主義じゃない國を滅ぼして民主主義を押し付ければ良い
それがあなたの思想なら、それはそれで俺は尊重するよ
だからと言ってその思想の元に他國や他民族を滅ぼして自らの文化や思想を強要しようとしたら「お前辞めろよ」って抵抗はするよ


「自分と他人とは違う」「自国と他國とは違う」
まずコレをきちんと認識すべきだよ


その上で君見たいに「あいつらは俺とは違うから気に入らない。みんな俺と同じ文化や主義の國になるべきだ」
って思うか

俺みたいに「世界中には各々の文化や民族があり、それぞれ信仰も風土も違う。それらを理解して尊重すべきだ」って考えるかだよ


だから別に中華思想も悪いなんて言って無いでしょ
単に中華思想がどうあれ、歴史は歴史だから中華思想がこうだからって理由で、だから歴史もこうだ って言う事は辞めてくれ
って言ってるだけだよ
俺が知りたいのは歴史であって思想じゃないんだから


365 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 16:12:29
>>364
物凄く私に対してゆがんだ解釈をしていますよね。
言ってもいないことを勝ってに書いて。
腹立たしい。

そういう悪口を書いて自分が王様になりたいのか。
悪の王様だ。
世の中、悪の王が国の王だったら、国民も周りの国も大迷惑さ。


366 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:15:06
美濃もんさんが、いちばん思想臭い気がするが・・・・
五族共和主義者なのかな

367 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 16:15:13
>>363
だから歴史の話に、そうやって思想なんかを持ち込まないで下さいってば
てか俺にまで中華思想を植え付けたいんですか?

俺が知りたいのは思想じゃなく歴史であり、歴史の話をしたいんですよ

だからそうやってどの歴史書にも書いてないような事をいちいち話されても困る

別にあなたの考えを否定してる訳じゃなく、その思想は思想でいいんですよ
中国は常に世界の中心って思想を持つ奴がいようが、大英帝国が世界の中心って思想を持つ奴がいようが別に構わないんだし

ただとにかく思想じゃなく歴史の話をしましょうよ
おれが興味あるのは思想なんかじゃなく歴史なんですよ



368 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:20:29
>>352
>それを決めるのは読み手の感性です。

読み手によって意味が変わる文ってwwww
無茶苦茶やなあ。
書き手の意思や、言語の持つ規則性は無視かい。


>「所+動詞」場合には、動詞によって具体的な指す物は変わります。

動詞によって具体的に指すモノは変わるのは当たり前で、
そのモノが動詞の目的語になるんだと言ってるの。

>「所都」は「倭の国々総てを治めているもの」の意味となります。

治めている「もの」って何だよ。
「もの」が国を治めるの?

369 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:21:00
果たして、白豪主義を語らずして
オーストラリアの歴史を語れるのかね?

370 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:23:31
>>367
あなたは、支離滅裂だ
「中国は常に世界の中心・・・」という思想を持っているのは、恐らくここの住民には居ませんよ
中国歴代の王朝が共有し、皇帝支配の原理としてきた思想です
魏志倭人伝の「王」の解釈をめぐって、それを記述した中国側の王朝理念を踏まえて考える必要があるのではと、
私がそう書いたことはあります

371 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 16:28:39
>>365
悪口と捉えられたなら謝ります
すみません
別に悪口を言うつもりじゃ無いです

単に歴史の話に思想を持ち込むのは辞めましょうってだけですよ


例えば俺が明治政府の奴らが掲げた天皇思想の持ち主で、そっちは歴史の話をしたいのに、俺がいちいち天皇思想を持ち出して来たら会話にならないでしょ?
邪馬壹國はどこで卑弥呼は誰なのかって話をしてるのに
「日本は2600年前の皇紀元年に、神武天皇の東征により統治建国された神の國であり、日本は常に天皇を中心とした、、」
って思想を持ち出されても困るでしょ?
ちなみに俺は天皇思想の持ち主でも無いよ
だいたいその時代に国家なんて観念はないんだから天皇を中心とした国家もクソもないから
そもそも公家ってのは天皇じゃなく関白が治世を行ってたって事ぐらい知ってるし


中華思想にしろ天皇思想にしろ、誰がどんな思想を持ってようが構わないんですよ
ただ思想は思想で歴史は歴史なんだから、思想じゃなく歴史の話をしましょうよ

だいたい日本は天皇が治めてた訳じゃなく江戸幕府が治めてたってのに「天皇が、、」なんて言ってる奴らもあれは歴史じゃなく思想を言ってるだけだよ


思想がどうあれ歴史は歴史だよ
歴史の話をしようよ

372 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 16:31:01
美濃もん太どの
名にこだわるなら、君は本名を使うといいぜ。もん太というのは君
ではないということだろうが?

373 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 16:38:01
>>370
いや、だからいい加減にして下さいってば
思想なんてどうでもいいんですよ
俺は思想を知りたい訳じゃなく、歴史を知りたいんだから

「中華思想では、、」って、そらそうでしょうよ
中華思想を持った奴らはそう言うでしょうよ
それが中華思想なんだから



こっちは歴史の話をしたいんです。いちいち思想を持ち込むのは辞めて貰えませんか?

例えば「漢」の場所が中国大陸のどこなのかとか一緒に考えたりしませんか?
24史によれば漢は楽浪郡の南部ですよ
楽浪郡っていったら魏志倭人伝で、「水行○○日」なんて記述の出発点として記載されてる所でしょ?


「楽浪郡も漢も中国大陸にあった場所」って、そら間違いじゃないけど、歴史書を調べて、詳しい場所を特定したりした方が良く無いですか?


「水行○日、陸行○日」っても、中国大陸って中東やインドも中国大陸なんだから、中国大陸のどの場所からなのかが解らなければ、意味無いですよ?

374 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 16:45:52
>>371
だから中国と言う言葉は昔からあるんですよ。
中国の皇帝といっただけで、過剰反応をみせるってどういうこと?

天皇思想でなければ、俺様思想か・・・。
そもそも天皇を神輿に乗せて操ったのは薩長ですからね。
薩長も俺様みたいなもの。





375 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 16:52:03
ちなみにこれは俺の解釈が間違ってるかもだけど「倭(やまと)」と「大和・大倭(やまと)」の違いとか解りますか?
北史にも確か倭と大倭の違いは書いてあるけど、「大倭(大和)」て方はより広い地域を示してるって事でしょ?
「清國」と「大清帝国」と書いた場合では示す範囲が違うし
清國てあればマンチュリ地域の事で、大清帝国とあれば、マンジュの皇帝のギョロ氏が治める範囲の事でしょ?

漢や魏って大漢や大魏では無いしさ
ても「大」が付いたからって、別に大倭(大和)程度の範囲の事だよ

○○國ってのは更に狭い範囲
今で言う村とか市の範囲
それらの複数の國をまとめて表す字が「郡」
楽浪郡とかの郡はこの意味でしょ?

376 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 16:59:06
>>374
「中国」と言う言葉が昔からあるのは知ってますよ

ちなみに「その中心の地域」って意味ですよ

例えばイザナミイザナキが降り立ったのも中国だよ
これはイザナミイザナキの勢力からみた中國だよ


例えば卑弥呼も中国の朝廷に貢ぐのは当たり前
倭(やまと)の邪馬壹地域の女王なんだから、卑弥呼にとっての中国の朝廷は倭朝廷だよ

中國ってのは中心の地域て意味だよ
モンゴル帝国に属してる奴らからしたら中国は帝都だろうし


国家の名前じゃないよ

377 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 17:05:59
國名(地域名)にしても、例えば邪馬壹國なら「邪馬壹の地域」だよ

仮に「中国」を特定の地域を表す固有名詞だと解釈した場合は、それは「中」って言う王朝だか場合を表してるんだよ
「清國」は「清」でしょ?
「中國」は「中」だよ

中なんて名前の朝廷なんて俺は知らない
「中國」は「中心の國」って解釈でいいんじゃないの?

イザナキイザナミにとっての中国
卑弥呼にとっての中国
清にとっての中国
モンゴル帝国にとっての中国

それぞれ違う場所だよ

378 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 17:10:56
魏志倭人伝にも「中国」って出てきてるでしょ?

倭(やまと)の倭人にとっての中国は何処なのか解る?
卑弥呼ってのは魏志倭人伝によれば倭(やまと)の倭人の女王でしょ?

ちなみに邪馬壹國は倭の中にある複数の國のうちの一つだよ
邪馬壹國は倭の中国じゃないよ


379 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 17:19:26
>>374
天皇思想もあれはアホ
薩長の人らは自分たちの思想を歴史と認識させる為に橿原神宮やら神武天皇陸やら、いろいろ作ってるしさ

皇記2600年だの、初代神武だの、あんなのも単なる天皇思想だよ
古事記や日本書記の何処にもそんな事は書いてないんだし
そもそも天皇ってのは日本語で「あまのすめらぎ」って読むんだし

朝廷の治世を行うのはあまのすめらぎじゃなく関白であり大臣なんだし

380 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 17:33:55
1

381 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 17:35:41
>>379
もん太君のいうような、歴史は簡単なものではないよ。幕末から維新後にかけて、植民地主義
全盛の列強に吾してゆくには天皇を中心に担いでまとまる必要があった。まあ、ベストの策では
なかったかもしれないが、太平洋戦争まではそれなりに機能した。

382 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 17:38:03
歴史を知りたいのであれば、2ちゃんになんか来るな。

383 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 18:19:24
>>381
別に薩長が悪いって言ってる訳じゃないよ
それが機能してようがしてまいが、単に過去の出来事でしか無いし

日本は太平洋戦争に負けて、アメリカに主権を8年間も統治され、主権者のアメリカが憲法などの政治体制を作り、日米同盟を結び、アメリカ軍の駐在する領地はアメリカ領土として奪い、独立させたのが今の日本
そらまだ明治時代の頃の方がよっぽど日本人は日本人らしかったし、今のクソ見たいな現状より明治体制の下の方がマシ

今の日本人が昔に比べ日本人らしく平和で幸せに暮らしてるとは思わない
日本人の文化や歴史や社会通念は奪われ欧米文化の國へとさせられてるだけ

日本人特有の道徳心や美徳や先祖崇拝や自然崇拝の文化や風習なでは、きっとこのままだと消滅して、欧米諸国となんら変わらない文化の國となると思うよ
それは凄く残念だとは思うよ
インカやマヤ文明も滅びてしまったけど、日本はそうなって欲しく無いよ

384 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 18:27:36
>>382
学校やメディアの場では思想しか伝えず、歴史を学んだり調べたり出来ないんだから仕方無いだろ
古事記では有名なアマテラスやスサノオの日本の歴史の話をした所で、ほとんどの日本人は「誰それ?」のレベルなんだし
俺なんてゴキブリと一緒で、バルサンに焚かれて2chに追いやられるだけだよ

学校でも教育でも誰もアマテラスやスサノオって言う人がいたなんて言う、日本の歴史なんて教えてくれなかったし
俺がいちいち歴史を調べたりしてるのも、誰も教えてくれない自分で調べるしか無いだけだよ

今の日本てそういう國じゃん

385 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 18:35:33
邪馬壹國や卑弥呼は確か学校で教わったけどね
何か「文化も文明も遅れてた弥生人の中で、初めて大陸に國と認めてもらった女王。そうして日本は中国からの文化が入って来てくれたおかげで豊かな生活を送れるように、、」
学校で教わったのは確かこんな話だったわ

まあでも、こんな話をまるまる日本の歴史だと思ってたけどね

今はさすがにんなの違うって解るわ

386 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 19:04:16
>>384
>俺なんてゴキブリと一緒で、バルサンに焚かれて2chに追いやられるだけだよ


別に来なくてもいいのに。

387 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 19:17:29
>>381
私はそうは思わない。


>>384
古事記のどこがいいの。
神話なんか勉強しても本当の歴史はわからないよ。
明治時代は歴史の授業は神話から始めたらしい。
なんと歪んだ歴史教育なことか。
そんな時代に生まれなくて本当に良かったと思うよ、私は。




388 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 19:20:33
>>386
歴史には興味があるし歴史を知りたいから来てるだけだよ
それなのに中華思想はこうだああだって思想を語られてもそらウンザリするさ

いい加減、思想と歴史の区別ぐらい付くでしょ?
「アダムとイブがいて、、」
こんなのも単なる思想だよ

なんて言うのかな、別に過去に俺ら日本民族が他の民族に統治され従ってたのが事実なら、それはそれで良いんだよ
例えば太平洋戦争後は8年間も日本人はアメリカに統治され、アメリカ人に従ってたのも事実なんだしさ
別にそれを情けないとも思わないし
けどコレを「他国への侵略を繰り返してた日本は戦争に負けて、それまでの行いを反省し欧米の様な国民主権の民主主義を取り入れた事で豊かさと平和を手に入れ、、」
こんなのは思想であり感情であって歴史じゃないんだから

歴史に思想を持ち込むとそういう話になってくるんから会話にならなくなるんだよ

389 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 19:39:38
>>387
明治政府が教育で教えてたのは思想であって古事記や日本書記の内容を教育した訳じゃないよ
明治政府がやったのは明治政府の掲げる天皇思想とは違う内容が書いてある歴史書物(先代旧事紀など)を全てまずは「偽書」として、唯一日本書記を正史とし、その内容をねじ曲げて「正史でそう伝えられて来た事」として教えてたんだよ

「日本は九州の神武天皇が東制を行い統治した事で建国された國」
って奴だよ
宮崎に宮崎神宮を立てて毎年天皇に参拝にいかせ「ここが神武天皇の出発の地」としたりさ
九州勢力の薩長が治世を行う事の正当性を得たかったからだと思うよ
薩摩も長州もあれ、それこそ外様大名の人らだった訳だし
だからこそ大和朝廷も江戸幕府も平気で滅ぼせたんだよ



日本書記とか読んでみ?「神武天皇」なんて名前の天皇は実際には出て来ないよ
薩長の奴らが勝手に「日本は九州発祥と書いてある」って言ってただけだよ



古事記も日本書記も歴史書だよ。日本の歴史がちゃんと書いてある
まずはそれをちゃんと読まないと日本の歴史なんか解らないよ
記紀に書いてある事が解って初めて、薩長の教育してた歴史はウソだって解るよ
別に天皇中心の國じゃないよ
ただ天皇思想を持ったままの人が記紀を読むとダメかもね
「これが初代の神武天皇の話かあ」って頭で読んじゃうだけだから


390 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 19:45:10
初代は神武だ。そうでないというなら、もん太君よ。君のコテハンも
本名でないと自語相違だということになる。君は本名で名乗ったほう
がいい。

391 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 19:50:33
>>387
薩長による思想教育の歴史が捏造だって否定するのは正しいと思う
ただだからと言って日本の歴史書の古事記や日本書記などの歴史書まで「神話だ!ウソだ」って言うのは間違い

あなたが否定しなきゃ行けないのは思想であって、日本の歴史じゃないでしょ?
日本にはちゃんと歴史があってそれを伝える歴史書もある
それらの歴史書を「あんなのは下らない神話だ」と言う奴がいるから、飛鳥平安時代より前までの日本の歴史が無くなるんだよ

石器時代→弥生時代→邪馬壹國→飛鳥平安時代
いまこうだもんな
弥生時代からいきなり平安京の聖徳太子すよ

そらアマテラスもスサノオも日本人は知らなくなるわ


392 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 19:57:05
>>389
古事記は神話物語として、日本書紀はそのまま受け取るとトンデモだってことを
頭に入れて読まないと。

どこの国も大昔は人々の昔話で歴史が語られたので、神話のような現実ではありえないことを
伝えたよ。
でもそれを元にして考えてはダメ。
一番信頼できる歴史書を学んでからの話。
でないと、古事記も日本書記の記述が正しいと思ってしまうと、
年代測定にしろ、土器年代にしろ古墳年代にしろ、変に先入観が入ってしまうから
間違いの元だよ。



393 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 20:03:08
>>390
初代初代って、だいたいなんの初代ですか?
確かにイワレビコの東征の話は書いてますよ?
イワレビコは東征してナガスネヒコを倒して、橿原に都を遷都したと確かに書いてますね

ナガスネヒコの都の飛鳥は、岐阜の伊吹山の東
て事は奈良でも京都でもないすね
でナガスネヒコを倒したイワレビコは都を橿原に移してますね



で、何が初代なんですか?
イワレビコが遷都する以前から日本は日本ですよ
だいたい橿原に藤原宮が置かれてたのって2600年前じゃないよ

辛酉年、橿原、遷都と言ったら藤原宮の事じゃないの?
そらイワレビコの東征の話には池で血にそまったイルカが出てきたり馬子が出てきたりするはずすよ
東征の話にある「入鹿」ってのを動物のイルカの事だとか本気で思ってるんですか?

蘇我入鹿が入鹿池で自殺したのなんて有名な話じゃないの?

394 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 20:07:41
だから君は美濃もん太なのか? 美濃もん太でないだろう? ならば
そんなことを突くことは止めろ。初代は神武だ。

395 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 20:20:01
>>392
そのくせ「魏志倭人伝には邪馬壹國と書いてあるからこれが日本の発祥だ!」ですか?


俺は24史も記紀も歴史を伝える歴史書だって言ってるだけですよ
ただそれらは漢文で書かれていて(記紀は完全な漢文ではなく、人物名などに仮名で読みが振ってある。それにより天照をアマテラスの事だという事が解る)
読み手の解釈によっては全く違う解釈をされる書物
「日本は初代の神武天皇が、、」なんて言う思想を持ってる人は、あれを神武天皇の活躍を書いた本として内容もそう解釈するだろうし

君みたいに「昔の人は現実を神話として伝えるから、そのまま受けとると、、」なんて頭で読むと
「白い兎がワニの背中に乗って、、これは白い兎てのは漂流してきた白人の事で、、」
なんて事になる

白い兎の話なんて記紀には書いてねーっての
記紀の漢文から「白い兎がぴょんぴょんとワニの背中を、、」
って読み取る方がオカシイだけ
神話で伝えられてる訳じゃなく、読み手が勝手に訳の解らない解釈をしてるだけだよ
稲葉の兎足って書いてあるんだから、伊吹山の東の稲葉の兎足(アリト)の事に決まってるじゃん
伊吹山の東ったらナガスネヒコがいる場所なんだし


396 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 20:20:30
>>393
貴方はただ神武東征説を否定したいがため。
天皇思想ではないといいながら、国粋主義であり、天皇の権威のかさを着て
威張るとんでもない人種だよ。

397 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 20:28:14
>>392
あのさ、古事記にしろ24史にしろ漢文で書かれてるんだよ
漢文ってのは意味を伝えるだけの文で「読む」なんて事が出来ない文章だよ

まあ俺も「読む」って言い方してたけど、正解には「文字を見てそこから書かれてる意味を解釈する」ってのが漢文だよ
24史も古事記も漢文だから、読み手がいくらでも間違った解釈が出来るよ


幸い記紀の方には名前や地名などには仮名で読み方が振ってあるから、まだ読み取れるよ
「飛鳥」ってのは「アスカ」って仮名が振ってあるから「アスカ」とよみ「アスカの事」と解る

けど「飛鳥」を「鳥が飛んで」なんて解釈も出来るよ
つか普通に飛鳥てあれば「とぶとり」だしね

398 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 20:43:08
>>396
はあ?
イワレビコの東征の話は書いてあるって言ってるじゃん
ただ初代だの日本の発祥は九州だの、これにより日本が建国されただの、それ以来天皇が治めてきただの
何処にも書いて無いですよ
そもそも大和朝廷も江戸幕府も薩長により滅んでしまったって言ってるだろ
大和朝廷と皇室とは別だっての
今天皇って呼ばれてる人達は薩長が九州から連れてきた自称南朝系の大室氏なんだし

天皇権威ってなんなん?
そんなもんを作って利用したのは薩長の奴らじゃん
そもそも記紀の中にある「天皇」てのは「あまのすめらぎ」て読むんだよ

だいたい東征の話にしたってイワレビコって人の話だっての
神武てのはその謚だか諱だか知らないけど、仮に神武が謚だとしても名前はイワレビコだっての
だいたい謚や諱ってのは仏教徒に与えられるもんだよ
家康も信玄も謚とかはあるけど、謚で呼ぶバカは居ない


399 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 20:52:07
記紀にはイワレビコなんて書かれてないだろう。紀の場合は
「神日本磐余彦天皇」だよ。もん太君、これでは自語相違では
ないか。w

400 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 20:54:20
まあとにかく24史も記紀も先入観を持って読まない方が良いよ

先入観って無意識の打ちに染み付いてたりするものだから、自分の持つ先入観には中々気付かないものだし、俺もなんらかしらの先入観を抱えてしまったまま勝手な解釈をしてしまう事は今までもこれからもあるだろうし


「そう教わったから。一般的にそう言われてるから」
俺も調べもせずこんな理由で沢山の先入観を抱えてたし、いまだにそういう先入観は沢山持ってるし

例えば「モンゴル帝国のチンギスハンはモンゴル人」
これを勝手に今のモンゴル人の事だと思って話してるけど、モンゴル帝の人らってモンゴル帝国が滅んだあとインドの方に新しい帝国を作ったなんて話もあったよ
もしかしたらチンギスハンのモンゴル人と今のモンゴル人て違う民族かもだよ
まだ調べてないし調べた所で答えがある訳じゃないかもだけど

401 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 21:00:19
>>398
じゃ、神道に関してはどう思っているの。
いろいろ言っているけど、でも私は知っている。
貴方は日本自生説者だってこと。
日本の島じまには元から、人間がいて渡来人ではないと言う説。

402 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 21:10:29
>>399
それを「かむやまといわれびこ」と読めるのは、記紀はちゃんと注釈を入れて名前や地名の仮名が振ってあるからだよ
ちなみにそれ「かむやまといわれびこ、あまのすめらぎ」って読むんだよ

ちなみに東征の話はイワレビコの話だよ

それを太國さんは「初代神武天皇の話」と解釈をしてる

つか太國さんは、九州発祥とか天皇史観って言う思想の人だから、まあそう解釈するだろうね
俺は記紀に「イワレビコ」の話として書いてあるから、書いてある通り「イワレビコの東征の話」って言い方してるだけだよ
神武天皇がアレした、これした、なんて何処にも書いてないから、んなのは書いてないって言ってるだけだし



わざわざ日本語で発音出来るように「かむやまといわれびこ」って発音の注釈まで書いてあるんだから、東征は「いわれびこ」の話だよ
だいたいイワレビコの部分を「神武天皇」って言い換える意味が解らんし


つか仲哀天皇にしろ景行天皇にしろ全部そうだし
記紀では仲哀天皇がなんたらなんて書き方してないよ
ちゃんと名前で書いてある
読み手が勝手に「○○天皇の事だ」として「○○天皇の話」と解釈して、そう言ってるだけだし


まあ先入観をもつとそうなるわな

403 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 21:22:36
>>401
神道なんてそれこそ明治政府が国家神道として作っただけのもんじゃんよ
大和朝廷にしろ江戸幕府にしろちゃんと檀家の墓に入ってる仏教だよ
「○○神宮」なんてのは全て明治政府が立ててるし
神社(かみやしろ)ってのは元々は氏神様が祀る所で、ご先祖様を大切にする先祖崇拝ってのが本来の日本の文化や信仰だよ
これを「先祖や氏を名乗るのは血統社会だ!自由と民主主義に反する」とかやって来たのが明治政府じゃんよ
そのくせ「天皇はこんな血統だから偉いんだ」だしな


つか明治維新で多くの寺が「○○神社」って名前に変えられたしさ
伊勢神宮も熱田神宮も出雲大社もそれ以前は寺だよ

本来神社(かみやしろ)ってのは、氏子達が氏神を祀る目的で立てるものであって、ご先祖様である氏神を大切にするって言う先祖崇拝の信仰からくる物だし

つか俺の認識間違ってますか?
日本人であるなら初詣は神社じゃなく氏神を参らなければダメでしょ?
そっちが本来の日本の風習なんだしさ

404 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 21:24:20
とにかくイワレビコとは記紀に載ってないんだよ。片仮名での記述
ではないんだよ。君はいままでそういう厳しいことを言って神武を
排除してるんだから、あんた自身、自分に甘いそういうことは言え
ないんだよ。 >|<

405 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 21:37:14
>>401
渡来人なんて言い出したら、世界中の民族は全て渡来人とも言えるんですってば
あと「渡来人」ってのは基本的には「来た場所」が解ってて初めて渡来人でしょ?
それと誰も居ない土地を開拓して田畑を耕し住み着いた人達は渡来人てより開拓民でしょ?

つか「渡来人」て言うなら渡来前に日本民族が開拓して暮らしてた土地や民族がある訳でしょ? もしくは居た訳でしょ?

単に渡来渡来言われても意味が解らんだけだよ
そら日本民族じゃなくとも人類なんてみな、その土地で自生したと言う人類以外は、全て渡来であり移民であり開拓民だよ

つかどういう意味で「大陸からの渡来」とか言ってるの?
今の中国人達もあれそこで自生した民族以外は全て他國からの渡来人すよね?


日本を渡来だなんだ言うなら、他の國の奴らも皆渡来って呼びなよ

406 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 21:43:35
>>404
悪いけどイワレビコにしろヤマトモモソヒメにしろ、記紀には発音が書いてある

だから表音文字のカタカナを使って発音の通りに書いてるだけ

「神日本磐余彦」なんて漢字で書いても普通はこれを「かむやまといわれびこ」とは読めないでしょ?


日本語で「かむやまといわれびこ」って発音してみ?
それが東征した人が呼ばれてた名前だよ


東征をした人は誰?って聞かれたら「かむやまといわれびこ」ってちゃんと東征した人の名前を言わなきゃだよ
「カミブテンノウ」なんて人じゃないよ
そんな名前の人はいないし

407 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 21:43:36
>>405 美濃もんさん
それぜんぶ、歴史書に書いてあるんですか?
24史のどのへんですか?


408 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 21:46:27
>>美濃もんさん
歴史を語り合いましょうよ
お好きなんでしょ?

409 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 21:47:26
言いたいことはそれではないんだよ。記紀にはイワレビコというのは
ないという〜君の言い分どおりだということだよ。君はそれを違え
ているだけ。

410 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 21:52:38
>>403
じゃあ、古事記だの日本書紀だの知らない現代人は情けないなどという意見がなぜ
出てくるんだろう。氏神には出てこないでしょ。
もうこの辺で。皆に迷惑だから。





411 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 21:53:57
>>407
ん?
日本人が渡来人だとも中国人が渡来人だとも書いてないよ?
秦氏や和仁氏は渡来人だってのは記紀にも24史の確か北史か通展(だったけな?)にも書いてあったよ


つか記紀とかのが詳しく書いてあった気がする
つかあと「百済からの帰化人」とかってのがまるで百済から来た渡来人って解釈してるバカも居たけど
渡来は渡来で帰化は帰って来たって意味だよ
乾國に渡り百済や新羅を治めた後、百済や新羅を築いた勢力が飛鳥に反乱し飛鳥のナガスネヒコを倒したって話でしょ?
まあ解釈が間違ってるなら指摘してくれりゃ良いけど

412 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 22:02:51
>>410
知らないから情けないなんて言ってないぞ?

こうして本来あった日本の美徳や道徳や先祖崇拝の気持ちや自然崇拝の信仰などが、本来の日本の文化であり風習な訳だから
それがこのまま忘れ去られて日本特有の文化や民族性が消滅してしまうのは日本人として悲しいとは言ったよ
これさ、俺インカやマヤとかの既に滅んだ民族達の遺跡とかを見ても同じ事思うよ
あれを滅ぼしたのはキリスト教だし


413 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:05:47
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

414 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 22:11:56
>>408
はい。
邪馬壹國や卑弥呼のスレだしね

まずは魏志倭人伝に書かれてる漢文から場所を解釈してみるってので良いと思うよ
ただ俺は魏志倭人伝に書かれてる漢文だけで場所を特定するのは無茶だとは思うよ
そもそも魏志倭人伝には干支すら書かれてないのに、年代まで特定出来てるかの如く言ってる人もいるしさ

まあ時代の特定と場所の特定が出来るかどうかを調べてみる事が先すよ
魏志倭人伝だけで特定出来なきゃ他の書物なども参考にしなきゃだしさ

倭や女王の記述は魏志倭人伝以外の24史にも沢山あるし記紀にも倭(やまと)は出てくるんだし


415 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 22:16:39
つか魏志倭人伝の「水行○○日」とかってあるけど、アレまずさ出発点が何処なのか特定しなきゃ意味が無いと思うんだけど?


つかあれ出発点は中国大陸内の楽浪郡でしょ?
みんなアレ、何処を出発点として考えてるの?


416 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:16:42
しかし、全然違うと思うけどなあ。各氏族を束ねたのが首長である天皇家。もちろん時代時代で
集団指導体制というのはあったかもしれんけどね。で、各氏族の祖霊神も、天皇家祖先との関係
から権威ずけられた。それが、記紀が著された理由の一つでもあると思うんだが。もちろん素朴な
祖霊信仰なら縄文時代から連綿とあるけど、それとは違う流れだと思うな。

417 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 22:25:28
>>412
>学校でも教育でも誰もアマテラスやスサノオって言う人がいたなんて言う、日本の歴史なんて教えてくれなかったし
俺がいちいち歴史を調べたりしてるのも、誰も教えてくれない自分で調べるしか無いだけだよ
今の日本てそういう國じゃん

これを読んで情けないと思っているとそう思ったわけ。

情けないとはなげかわしい。
嘆きとは悲しみ
>それがこのまま忘れ去られて日本特有の文化や民族性が消滅してしまうのは日本人として悲しいとは言ったよ
やっぱり悲しいといっているじゃないの。
ウソばっかり。


418 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 22:25:46
>>416
つかそもそも朝廷(公家)の首長は天皇じゃなく関白だってば
幕末の孝明天皇もそれで苦労したんだから
だいたい全国の首長を束ね治世を行って来たのは朝廷じゃなく幕府なんだし

それを天皇が行って来てたと言ってる方が俺からしたらオカシイよ
そもそも朝廷てのは御所の公家13家系だかの事でしょ?

あと今いる皇室やら天皇達は御所の公家の人達とは別者だよ
古事記とかに書かれてる天皇とか朝廷とかってのは京都の御所にいた公家の人達の事だよ



419 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:38:11
あのね、邪馬台国スレなんで、少なくとも奈良以前の話をしてるんだよ。藤原氏とかのこと
ではない。あと中世以降は秀吉など一部例外を除いて、世の中に影響を与えるような力は
なかっただろう。

420 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 22:43:10
>>417
今の日本人が情けないなんて言ってない
俺は日本人が培ってきた道徳や美徳や先祖を大切にしたり家族を大切にしたりする気持ちが好きだし、そういう日本人の民族性や文化や風土が好きだ
だからそれが無くなると俺は悲しいって言ってるだけだよ

別にアメリカの文化が嫌いだって訳でもない
アメリカの文化のロックもカジュアルも好きだよ

ただ手間味噌かも知れないけど、アメリカ人なんかより美徳や道徳を大切にしてた昔の日本人の方が俺はカッコいいと思う

チョンマゲなんてハッキリ言って「それなんのギャグだよw」って髪型じゃん?
けどあんなギャグみたいな髪型をしてても、礼儀を忘れないとか、筋を通すとか、相手を許すとか、家族を大切にするとか、貧乏でも見栄をはって精一杯客人をもてなすとか
そういう事が出来る日本人の方が俺は好き

教育ってのはそういう事だと思うし


421 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 22:44:10
>>415

>>つか魏志倭人伝の「水行○○日」とかってあるけど、アレまずさ出発点が何処なのか特定しなきゃ意味が無いと思うんだけど?


>つかあれ出発点は中国大陸内の楽浪郡でしょ?
みんなアレ、何処を出発点として考えてるの?


末盧國があるとする同じ島内が「水行○○」の出発点


422 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:49:11
>>421
>>つかあれ出発点は中国大陸内の楽浪郡でしょ?
>みんなアレ、何処を出発点として考えてるの?
放射式ならば伊都国、連続式ならば不弥国だ。それ以外の考え方は成立の余地なし。


423 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:50:58
>>411
歴史書に書いてないなら、この話はもう辞めませんか?
あなたの歴史観とか民族観?の様なものは歴史と関係ないはずでしょ?
あなたの理屈では


424 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:57:48
アメリカ人の何がわかるんだ。ニューヨークなどをTVで見て知ったふりをするもんじゃない。
アメリカは、だだっ広い場所に田舎の町が点在していて、そこの人たちは敬虔で日曜日には
着飾って協会に行く。子供は家長として親父が厳しくしつけ、中東で戦死して国旗につつまれ
て帰ってくれば町中で迎える。至極まっとうなところだ。イメージでものをいってはいけない。

425 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 23:04:40
>>419
俺も平城京への遷都以前の話として話をしてますよ
ただ時代にしては西暦何年頃なのかとかを特に特定して考えてはいないです
と言うより魏志倭人伝の記述からは時代を特定は出来ないですから
記紀みたいに干支でも書いてあればそれが60年周期の干支年の何処かの年って事が解るけど、24史の暦って干支すら書かれてないですし



「卑弥呼は西暦213年の事」とか言ってる人にその年代の根拠を聞いたら「中国の○○帝の即位が○○年だから、、」とか言ってくるけど
こっちとしてはじゃあその中国の○○帝の即位が○○年の根拠を教えて来れって話になるんすよ
「元号を逆算して出された年代だ」
とか言い張る人もいるけど、魏志倭人伝の中にある元号は、いつどの民族のどの國が使ってて、その民族や朝廷が現存して尚且つ元号をずっと記録してなきゃ遡れないよ
そもそも漢も清も元も明も全て違う朝廷だし、全てとっくに滅んでるんだしさ
ってか、そういう説明がもう面倒くさいんすよ
まあとにかく年代を特定出来るなら特定すりゃ良いんだけど魏志倭人伝の記述からは年代は特定出来ないですよ

「213年」とか一年単位の細かい年代をズバッと特定しちゃってる人には、マジでその年代である根拠をきちんと説明して欲しいし



426 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 23:05:40
>>422

>放射式ならば伊都国、連続式ならば不弥国だ。それ以外の考え方は成立の余地なし。

末盧國は、伊都国や不彌國と同一の島内に存在する地域
それを把握していないと「水行二十日」なんて永久に闇の中だ


427 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 23:07:22
>>420
>今の日本人が情けないなんて言ってない

ともっと前のレスで貴方は下のように言っています。
>そらアマテラスもスサノオも日本人は知らなくなるわ

それを見て私はあなたは現代人は情けないと思っていると。

でもそうではなく知らない日本人がいる状態が悲しいということですね。

私としては同じことをいったつもりですが、少し言葉が足らなかったようです
そうやって付け入られるわけですね、あなた方の論は。わかりました。

428 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 23:08:19
>>421
北史や南史にも確か「水行○○日」ってあったはず

えっと確か「楽浪郡を海岸線に南下し、、」とかって記憶がある

だから楽浪郡と思ってるんだけど、俺の単なる思い込みかな?
ちょいもう一度、魏志倭人伝見てみますよ

429 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 23:15:10
>>425
確かにそうだな
西暦とどこで摺り合わせているんかな?
不肖ながら考えたことも無いな

430 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 23:18:44
魏志倭人伝の地理志の中で一番大事なところは、末盧國
ここはご存じのように、それまでに登場した二つの島とは異なる
末盧の港から陸行できるほどの島だということ
そして、その島の中には伊都国や奴国や不彌国が存在するということもわかり
「水行二十日」はその何処かから出発しての二十日の距離  それが投馬国
その「投馬国」もやはり、二十日の距離を経過していても、水行である以上
末盧、伊都、奴、不彌国が存在する同じ陸続きの島内であるということだ。

431 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 23:28:01
楽浪はやっぱ思い違いだ
魏志倭人伝見て来た

そういやまず「帯方」すよ
「倭人在、帯方の東南の海の中。百余りの國(地域)」

「漢時有、(倭からの)朝見者。今使所通は30國従郡、至倭」
これって倭が来てから今では従う國は30國あるって意味じゃないの?

で、まずは「海岸を水行し韓国を歴て」
これの出発点て冒頭の「帯広」だよね?
確かに帯広を海岸にそって順行すると韓国(朝鮮半島)だし

で韓国から作南作東で到着した北側が狗邪韓國、、
てかこの韓国や狗邪韓国ってのは、冒頭の「30國従郡至倭」の中の國の事でしょ?


432 :日本@名無史さん :2009/09/20(日) 23:29:25
>>427
でも本質はそうじゃないんです。

貴方は氏神を信仰したほうがいいと言ったくせに、
スサノオ、アマテラスを知らない今の日本人の状態が俺は悲しいと。

それはおかしいではないですか?と。スサノオ、アマテラスは神道だから。
と本当は言いたかった訳。

うまくだまされるところだった。

433 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 23:32:25
>>425

>そもそも漢も清も元も明も全て違う朝廷だし、全てとっくに滅んでるんだしさ

滅んでいるからこそ前王朝の記録を書くことができるんだよ
前王朝の記録を書き、今の現朝廷が前王朝から禅譲されたものであることの
正当性を主張する意味で
だから、一見何のつながりも無いようにみえても、どこかで何かがつながっているのさ

434 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 23:36:39
>>431

>てかこの韓国や狗邪韓国ってのは、冒頭の「30國従郡至倭」の中の國の事でしょ?

可能性もない
というより、「帯広」「作南作東」なんて平気で書くかね普通?

435 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 23:49:06
>>433
だから前王朝言われても意味が解らんてば


とにかく中国大陸は全ての土地と民族は統一された元号を使っててそれが2000年以上も繋がって来てて遡れる

って言いたいなら、まず現在の中華人民共和国の元号からずっと遡って説明してみてよ
つかそもそも中国が統一されたのは中華人民共和国からじゃないの?
2009年 元号○○年、統治者、中華人民共和国主席、自治区、台湾、チベット、香港、マカオ

ここ100年だけ見ても
中華人民共和国、中華民国、満州國、大清國、新疆、チベット、イギリス領タイ、タイ王国、イギリス領香港(後に中国返還)、ミャンマー、ビルマ、ベトナム、モンゴル、大韓民国、日本帝国(朝鮮統合時)、北朝鮮、韓国、、
つかここ100年で思い付くだけで中国大陸には沢山の国があったり滅んだり建国されたりしてるよ


その「前の王朝を引き継いで、、」とかって、どれがどの前な訳ですか?
いやマジでちゃんと説明して下さい

例えば中華人民共和国はどの王朝の歴史を引き継いでるの?
中華民国や清や大韓民国は?
あと遡れるっていうなら100年前の西暦1909年に中華大陸では、元号が何で何年だったのか教えて下さい


436 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 23:49:53
>>431

> 帯広を海岸にそって順行すると

襟裳岬に着くんじゃね?

437 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/20(日) 23:56:27
>>434
帯方だ。ごめん
「作」は勘弁してよ
携帯だから読み方が分からない字はおれ変換出来ないんだよ


つか「可能性も無い」てか、俺も書き方が悪いな
「韓國」てのは当然、今の韓国の事じゃない
「韓の地域」「狗邪韓の地域」だしね
これがまず何処なのかってのも場所を特定しとかないと会話にならないだろうしね?


つか「帯方」が先かな?
とりあえず帯方って朝鮮半島北部でしょ?


えっと逆に言えば日本から見て西北が帯方って事だし

438 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:00:34
>>435
>>その「前の王朝を引き継いで、、」とかって、どれがどの前な訳ですか?
>>いやマジでちゃんと説明して下さい

なんか山下清画伯が、そんな体質だったらしいですね
なんで、なんでって、とことん説明を求めるという
普通の人間は「概念」という便利な認識手段を持っている、
>>433の言わんとしている事は、王朝は順次替わっても、
その替わり目は継承王朝が認識していて、歴史書に残す
という事だろ
つまりこれは概念だ、どの王朝とどの王朝がどう接続してと、いちいち羅列して説明すべき事柄ではない



439 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 00:01:47
帯方から海岸を順行した場所が韓國(韓地域)
ちなみに韓国てのは古事記の中にも「乾國」として書かれてるんだけど、同じ地域の事で良いのかな?
どのみち帯方から海岸を順行した場所な訳だから朝鮮半島の何処かだとは思うけど

てか余りピンポイントで特定する必要は無いかな?
てか魏志倭人伝の記紀から韓国の地域をピンポイントで特定は無理だしね

440 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 00:09:32
>>437

>携帯だから読み方が分からない字はおれ変換出来ないんだよ

「ながら」で検索すると「乍」という文字が

441 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 00:15:13
>>439

帯方郡から循海岸水行し、渡海する大海之中に倭人は住んでいると書かれています。

442 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 00:16:31
>>438
>いちいち説明する必要は無い


素直に「解らない」って言えばいいんじゃないの?
それとも「解ってるけど説明してやらん」って意味ですか?
「年号が遡れる。繋がってる」ってのは、実際に遡って見て繋がってるのを確認して、初めて「遡れた」って言えるんだよ

てかそもそも年号で遡るなんてめちゃくちゃ正確に年号の記録が無いと無理だよ?

例えば
元号1 13年
元号2 12年
元号3 8年

これじゃ遡れないから

元号1(現在の元号) ○○年

元号2(その前の元号) 元号2の元年6月2日〜13年 元号2の13年の9月1日に次の元号1に改元

こうして全ての元号の細かい記録がないと、仮に元号が統一して使われてたとした所で景初2年が何年前の事なのかは遡れないよ


24史には当然、西暦なんて書いてないのは解るよね?
あと日本の様に干支も書かれてないから、干支で判断するのも無理
本当に遡れるだけの細かい記録が残ってるとか思ってるんかあ?
見たことあるの?
それは今の中国政府が今なお引き継いで持ってるって事?
つかどこにそんな書物があんの?
24史には元号の記録なをて書いてないよ

443 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 00:27:39
>>441
うん「倭人在」だね
ただ「倭人朝見」てのは訪れたって意味じゃないの?
東南に倭人はいた
そして漢時に訪れて来た
今では30の地域が倭に従郡している
じゃないの?

つか古事記の方にも日向三代が乾國へ渡り國造りした事や、神巧皇后が海の向こうに兵を送り百済として、彼女が百済を大変気にいって屯宮としてた事が書いてあるし
確か魏志倭人伝より北史の方が詳しく書いてあったけど、倭人が治めてた國は朝鮮半島南部にもあるよ
てか朝鮮半島南部は倭人と秦人が治めてたとか書いてあったはず
統治者は民衆とは話す言葉が違うとかさ


なんか詳しくかいてあったはずだよ

444 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:28:44
>>442
では、世間の通説というか、教科書にも載っている西暦表示
あれは、年号を繋いで遡れたから、得られたものじゃないのかな?
元は誰か学者の先生がはじき出したもんだろうけど、それを貴方は信じないという事?

445 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 00:36:05
>>442

では、どこがどのように繋がらないのか具体的に提示して味噌
具体的に示せばよりはっきりするから

446 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:38:34
>>430
地理とは関係ないが、
末盧國にだけ官の記載がないのはなぜだろう?
というか、官がいないのはなんでだろう?
「官」は在地の首長を言うのだと思うが。

447 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 00:42:32
>>438
あのさ俺は「元号を遡って景行○年の年代を特定するのは無理」って言ってるだけ


これはいくら調べても中国の元号の記録が出て来ないからだよ
そもそも中華人民共和国は元号なんて使って無いじゃん
中華民国も使って無いし
清の正確な元号の記録すら無いし


つかさそこまで言うなら自分で調べて遡って見てよ
で遡れたら「○○の書に年号の記録があるからそれで遡れた」って教えてくれたらいいし
自分で調べて遡れなければ「遡れないや」って事じゃないの?
俺は調べても調べても元号の細かい記録が出てこないから「元号を遡るのは無理だ」って言ってるだけ
遡れるって言ってる人は前朝廷の元号を引き継ぐとか、それが観念とかんな理屈はどうでも良いから、自分で遡れるかやって見なよ


そもそもどの書物に詳しく元号が記録されてるのさ?
それだけでも教えてよ
知らないなら「そんなの知らない」って素直に言えばいいし

448 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:48:49
末盧國は「まつうら国」ではなく「もる国」である。
つまり「守国」のことであり松浦ではない。


449 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 00:52:04
>>446

置く必要性がないから

末盧の環境は「濱山海居草木茂盛行不見前人」

450 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:57:00
細かく調べられてるんだけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29

451 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:57:59
>>447
なぶりたい訳ですな・・・・

452 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 00:58:16
>>446 もう少し詳しく書けば

三度の海を越えた末廬もやはり大海之中にある倭人の住む島。
「…有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人…」
・四千餘戸は場所問わず散在し、草木は生い茂り前人も見えない地。
「東南陸行五百里到伊都國」
しかし、そんな環境であるにもかかわらず、五百里ジャストと言うこれまで餘里を用いた表現とは違う 表示の仕方。
つまり、悪環境の土地柄であるにもかかわらず、末廬の港から五百里と測量出来る道は確保されていると言う事です。

末廬は島ではあるが、先の二島とは違い東南の方位に広がる陸地が存在し、
港かそれに沿う地形と道が存在していた。
その確保された道は末廬國域だけでも、歩測量五百里。その先に伊都國域が続く。
かなり大きな島のようだ

末廬國は四千餘戸も散在しているにもかかわらず、草木生い茂り、不見前人と
全く生活道路の影もない。住人がいれば必ず往来の為の道路は出来、不見前人と言う状態にはならない筈、伊都に延びる道だけは測量
可能なほどの状況。
つまり、末廬には伊都に延びる一本の幹線しか設けず、住人に道路を作る事を許可しない 特殊環境な地域ではないか?

末廬の港に着いた入国者は なにがなんでもこの道を通らなければならないシステムを感じる。

飛行機を降りた入国者は、矢印に従い入国審査を受ける通路が
末廬の港から伊都に通じる道。 周りの草木は通路の壁。

だから末廬には官が存在しない。 存在させる必要のない
自然を生かした伊都までの通路。 他国の者が一歩道を逸れれば 草木が生い茂る迷路。

道に従い進めば自然と伊都のイミグレへと


453 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:01:21
>>447
では、世間の通説というか、教科書にも載っている西暦表示
あれは、年号を繋いで遡れたから、得られたものじゃないのかな?
元は誰か学者の先生がはじき出したもんだろうけど、それを貴方は信じないという事?

454 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 01:02:59
>>445
あのさ、遡れるだけの元号の詳しい資料がいくら探しても無いから、遡れ無かったって言ってるんですよ

こんなの遡れるかどうか自分で調べてみれば解るでしょ?



例えば「景初」は何年間続いた元号で、何月何日に次の元号に改元されて、次の元号名は何で、その元号は何年間続いたの?

前の王朝を引き継いでようがいまいが、その詳しい記録が全て残って無いと遡れ無いよ

遡れるって言うなら遡れれる筈でしょ?
かっぱさん、やって見てよ
遡るの反対でも良いんだよ
景初2年からスタートして見ても良い

まずこの元号が何年間続いたのか?
改元された月日は何時なのか?
次の元号は何か?
その元号は何年間続いたのか?

これすら俺は調べられなかった
どの書物見れば書いてあるのさ?

455 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:04:18
よく飽きもせず同じようなネタをループできるなw

456 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:05:19
「末廬」の発音は「松浦」よりも「前原」の方が近いと思われる。

457 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:08:54
>>435
1909年は宣統1年だろ。辛亥革命に1911年おきてるから
逆算すればすぐわかる。

458 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 01:15:29
>>454

>例えば「景初」は何年間続いた元号で、何月何日に次の元号に改元されて、次の元号名は何で、その元号は何年間続いたの?

それを君が聞いても意味ないだろう。
遡ることができなかったんだから

459 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 01:21:17
>>450
>歴史学や考古学の考証にもとずき、実際に使われてたであろう元号を掲載している

要は想像じゃん
だいたい現実には明と清と元が同じ時代に存在してたりするんだよ?
だからこうやって一直線には並ばないんだよ
で、同時代に存在してた王朝は共に同じ元号を使ってなければいけないはず
魏、呉、燭みても各々が違う元号な訳なんだ?

元号てか単に王の在位年を王の呼称の後に付けてるだけのものもあるし
清がそうだし

ちなみに24史などを参考にしたとあるけど24史には「○○元号は○年間使われ次の元号は○○」と言うような元号の詳しい記録は無いよ

景初2年 ○○があった
順明6年 ○○があった

景初2年〜順明6年の間が何年間あるのかは、景初2年が何年間続いて、その次の元号が順明だと言う記録が無ければ特定出来ないよ

また改元した日付が解らなければ、1年間づつずれるよ

460 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:27:10
>>459
>ちなみに24史などを参考にしたとあるけど24史には「○○元号は○年間使われ次の元号は○○」と言うような元号の詳しい記録は無いよ

二十四史、きちんと読んだことないな。

461 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 01:28:20
>>457
うん。
そうやって干支が書かれてれば干支から計算するだけなんだよね(干支の周期の60年単位で間違う事もあるけど)
魏志倭人伝って記紀とは違い干支が使われて無いよ

記紀なんかの場合だと干支で年代は特定出来るんだけどね(それでも神武見たいにめちゃくちゃな特定される場合もあるけど)

462 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:29:40
>>452
なるほど、確かに置く必要がない、ですね。

そうすると、他の国に見られる「官」とは、
いずれかの中央政権から派遣された役人、だと
いうことになるのでしょうか。

463 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:33:20
>>346
発音のどこが近いんだ。
「前原」maebaru
「末廬」matura
「松浦」matsuura

「前原」maebaraと発音すると思っているんだろ。


464 :神奈川県民:2009/09/21(月) 01:35:26
今後、終止符スレでは、

河童虫 ◆EY2wfgakAQ 、プラム ◆TOfHBAKZgM

立入禁止するので、みなさん、仲良くしてやって!

プラム お前来るなよ ここで仲良くしてもらいなさい


465 :神奈川県民:2009/09/21(月) 01:37:03
みなさん、プラム(河童)を仲良くしてあげて下さいね

うちでは、いらんw


466 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:39:39
>>452 >>462
>末廬の港から伊都に通じる道。 周りの草木は通路の壁。
>だから末廬には官が存在しない。 存在させる必要のない
入国者の応対なんてのは、国家が行う仕事のほんの一部なんだよ。それがどうこうだからと
いって役人が不要になるわけがない。馬鹿なことは言わないことだ。

467 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:40:48
仲良くしてあげてね

どんこいのみなさん


468 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:43:37
いらん いらんw



469 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 01:44:49
>>462

>いずれかの中央政権から派遣された役人、だと
いうことになるのでしょうか。


はい、そこで役にたつ史料の一つが翰苑に掲載されている魏略曰文です。

分[扁身旁右職]命官、統女王而列部。

【魏略曰:「從帯方至倭、循海岸水行、暦韓國到拘耶韓國七十餘里、始度一海、千餘里至對馬國。其大官曰卑拘、副曰卑奴。
無良田、南北布(市)糴。南渡海至一支國、置官至對。地方三百里。又渡海千餘里、至末廬國、人善捕魚、能浮沒水取之。
東南五東里、到伊都國。戸万餘。置曰爾支、副曰曳渓觚・柄渠觚。其國王皆統屬王女也。」】




470 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:48:10
)>446
その役人に魏使が会ってないからだろ
素直にそう思うが

471 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:50:01
www



472 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 01:52:56
>>469
「置曰爾支」のところ、「置官曰爾支」ですね正しくは・・・

473 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 02:03:35
>>469
ありがとうございます。

ただ、この文面からは、「官」が
各小国の首長なのか、派遣された役人なのか、
すぐには判断できませんが、考えてみたいと思います。

ところで面白いのは、魏略がここまで
まとまって残っているとわかったことです。
問題になっていた「其國王皆統屬王女也」が
どんな位置づけにあったかがわかりました。

474 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 02:04:39
>>472

確か影印では置曰爾支じゃなかったかな?

475 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 02:07:36
>>474
今日からここに住みつけ
みんな歓迎するよ


476 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 02:22:23
>>474の投稿は「河童虫」です。

このスレに「プラム」を登場させる理由はありませんので


>>473

いいえどういたしまして

>>475

ありがとうございます。

477 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 05:00:47
>>473
狗奴国にも官がいるというのが不思議。けっこう有名な狗古智卑狗なのだが、
これは誰が派遣した官なのか。
意外にも、いわゆる女王国に統属する国のうちの一つなのかもしれない。

478 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:07:45
>>446 >>477
基本的なことが分かってないから、奇妙な疑問を持つんだよ。国という以上、そこには
王がいるんだ(王と称しているか、別の名称を名乗るかという問題はある。倭の国々に
おいては王と称していた)。国という文字を漢和辞典で調べてみな。諸侯の領地とか主
権者が支配する所とかいうような意味が書いてあるだろう。
官はあくまでも王によって任命された役人だ。主権者の命を受けて国務を行う者、それ
を官という。だから、王=官などということはない(もちろん、小国の王が邪馬台国の
中で官を努めるということはあり得る)。官はいわゆる公務員だ。国には何百人もいる。
倭人伝が書いているのは、その中のトップクラスの者、おそらくは文官のトップと武官
のトップであろう。大国の場合には、国務を更に分担していたのでそのトップを書いて
いるのだろう。
狗奴国だって国である以上、同じ組織になっているんだ。狗奴国の王が狗古智卑狗を任
命しているのだ。一人しか書いていないということは、狗奴国が小国で、狗古智卑狗が
文武を束ねていたということだろう。狗古智卑狗を任命したのは当然狗奴国王なんだよ。

479 :ローガン:2009/09/21(月) 09:12:13
>>474
> 確か影印では置曰爾支じゃなかったかな?

そうですね。 官は見えません。脱字です。

480 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 09:17:47
末盧國では官名が記されてないから
倭人伝で記された官は「王」の可能性が高いよな


481 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 09:20:21
倭女王卑弥呼に付き従う小国の王は、「官」とも書かれた。
都市牛利=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
垂仁、伊玖米伊理毘古伊佐知、活目入彦五十狭茅 イクメ イリヒコの イムナヰソサチ
垂仁が遣使に選んだのは、朝廷とは、関係の薄い「田道間守」多分20才以下
垂仁の諱も知らず、通称のイクメと答えた。

482 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 09:37:51
>>479
簡単に脱字で片付けるわけにはいかないでしょう。

483 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:03:27
>>478
基本的なこと
倭人伝はちゅ(・・・おっと)
三世紀、漢・魏・晋の政権に仕える官人の
世界観で書かれている。

同じ東夷伝によると、
辰韓の十二国は辰王に属す、とあり、
馬韓は五十余国だが、国邑に主帥あり
としか記されていない。

彼らが王と見なすものを「王」と記したのであって、
倭人がどう言っていたかは関係ない、よ。

484 :ローガン:2009/09/21(月) 10:50:26
>>482

では、脱字以外の解釈について、論じて下さい。又後で拝見します。

485 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 10:51:54
>>461
ほんとに無知って恐い。
中国の史書はとても詳しく自分の王朝のことを記している。
それが紀元前のものから残っているということはずばらしい。
外国の記述も略載ではあるけれど、残してくれていたおかげで
邪馬台国や卑弥呼の存在が解ったというのに。
其のありがたみもわからずに。
日本書紀?
あんなの偽書だから干支をすらすら当てて適当にしているんだよ。
内容は適当なのに日にちまで干支があるから当てられるんだよ。
8世紀初めに、過去の歴史を埋めたから、空白だらけでそれを埋めるため
嘘を並べたんだよ。



486 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 11:00:12
>>484

>では、脱字以外の解釈について、論じて下さい。又後で拝見します。

それは変な理屈ですね
影印では「置曰爾支」です。そこに文字を加えるという方が無理があると思いませんか?
下手すると原文の変更に繋がる問題ですよ
当然影印のまま文を使用する方に筋があるのではないでしょうか?
一文字加えて「置官曰爾支」では 翰苑でなく別の書ということになります。

487 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:13:04
>影印では「置曰爾支」です
置くの目的語が曰くでは文章にならない、置くの目的語は名詞でなければおかしい。
やはり、官が抜けているとみる方が正しいだろう。

488 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 11:18:51
>>487

>置くの目的語が曰くでは文章にならない、置くの目的語は名詞でなければおかしい。
やはり、官が抜けているとみる方が正しいだろう。


いいやこれは日本語文ではなく漢文ですよ漢文に「置く」などという文字はありません。
文章にならないのは
漢語と日本語のギャップからくるものでは?
原文(影印)では「置曰爾支」 それを日本で勝手に「官」を加えてはまずいでしょう

489 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:24:10
分かりやすいように置くと書いたが置だって同じだよ。
脱字と解釈するのがまずいというならば、まず君の解釈を書いてみたらどうだ?

490 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 11:25:29
魏略の曰文が他に存在し、他が「置官曰爾支」となっているのであれば
話はまた別で、こういう場合は大いに議論すべきでしょうが
ここは影印が「置曰爾支」なんだから、置曰爾支でいくべきでしょう。

491 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 11:25:48
>>485
だいたいモンゴル帝国もマンチュリ帝国も、自民族の字を持ってる民族で漢字使ってた国じゃねーっての
だいたい24史読んだ上で言ってるっての

つか旧暦の事をもう少し理解した方が良いよ
干支を適当に当てる意味なんて何も無いって事解んないかな?
干支を適当に当てはめた所で「日本の歴史はそんなに古いんだ?」なんて事には出来ないんだよ
それに日にちにも干支が在るのは当たり前だろ
そもそも時間や時刻も干支なんだっての



492 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 11:28:18
>>489

ここは解釈の問題ではなく脱字かどうかの問題ですよ
解釈は人それぞれ違いが生じ、議論の対象にはなりません。

493 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 11:33:07
>>491
粘着だね、君は。
とにかく無知なんだよ。それしか言いようが無い。

494 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:38:35
>>492
そんなことはないよ。文章というものは、もともと何らかの情報を伝えようという
ものだ。それがまともな文章になっていなければ、誤記、誤伝、脱字などを考える
ことになる。解釈もしないで「これが原文にちがいない」ってありがたがっていて
も何にもならん。

495 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 11:40:19
官がないのと有るのとでどう解釈が変わってくるの。
同じでしょうに。
倭人伝には官曰とあるんだし。

496 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:47:37
知り合いのシナ人に末廬を読ませてみたが
はっきりいって俺には『つる』にしか聴こえなかった
よって安易に俺は末廬は舞鶴でいいことにしたよ

497 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:54:42
舞鶴って地名は明治以降だろう。

498 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 12:00:36
>>495

倭人伝と魏略曰文を比べるな

499 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 12:01:28
>>485
あとさ日本って大陸のどの民族かが作った漢字を導入はしたけど、漢字ってそのままじゃ言葉や文章を表す文字として使えない字でしか無かったから
例えば「魚」なら「さかな・うお」って、日本語の発音を付けて、それでもまだ言葉を表せる文字として使えなかったから、仮名を交えてちゃんと日本語を書けて日本語で発音出来る字として利用したんだよ

でさ、24史もだけど中国っていまだに漢字を自分達の話す言葉を読み書き出来る文字として使えてないんだよね
例えば中国人に「この文章を北京語で読めるように書いて」って言っても書けないんだよ


これは日本語でも同じ
日本は一つの漢字に沢山の日本語と同じ発音の訓読みを付けたけど、これをやってるのは日本だけ

試しに漢字を訓読み出来ない事として、漢字で日本語の文章書いてみ?

「マリナーズのイチロー選手が2000本安打を達成しました」

これを漢字で書いてみ?
いかに漢字が文字を書く字としてそのままじよ使えない字なのかが解る
そのままじゃ自分の話す言葉すら書き表せない文字が漢字
それなのにいまだに漢字をそのまましか使えてない国が中国
だからモンゴル帝国もマンチュリも自国の文字を使ってたよ


500 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:03:10
>>496
現代官話で発音しても何の意味も無い。
3世紀中原語と21世紀官話では、発音は全くの別言語。

501 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:07:27
>中国人に「この文章を北京語で読めるように書いて」って言っても書けないんだよ
あなたの言いたいことが相手に伝わってないんだよ。
他人に分かる言葉で話さないとだめだな。


502 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:09:53
>>498

比べたいと思う人は比べてもいいじゃん。

きみが他人に、「比べるな」って禁止命令する権限はないぞ。


503 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 12:19:13
>>502
誰が禁止命令出したのかな?
ま、禁止命令と言った方がインパクトの関係で使用したんだろうが…

504 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 12:20:12
>>496
漢文を中国人に読ませた所で、その漢字に当てられてる音を発音するだけだよ

烏龍茶なら「ウー、ロン、チャア」
茶龍烏なら「チャア、ロン、ウー」
龍龍龍なら「ロン、ロン、ロン」
て、字に付いてる音(日本で言う音読み)を発音するだけで、その発音は北京語でも何でもない
だから中国ではニュースキャスターが読む原稿とかは、北京語での発音を書いたローマ字で書かれてるよ
「漢字は中国が作った」って言うけど
自分の話す言葉すら書けないような文字を作って何がしたかったんだろね?

文字なんてモンゴル帝国も韓国もベトナムも日本でも何処でも作ってるよ
で、文字を作る時にワザワザ「自分の話す言葉を書く事すら出来ない文字」を作ったのかな?
そんな文字を使ってる国は中国ぐらいだよ

自国の文字を持つモンゴルやマンチュリでも漢字を使う時はあったけど、彼らは語源が違う民族に対しては漢字を使ってたよ
例えばマンチュリ帝国なんかは普段はマンチュリ文字を使ってたけど、日本への証書などは漢文で書いて来てたよ


505 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 12:21:26
>>498
倭人伝と比べたのは例えばの話。追加だからそこは問題ではないの。
官を置くという意味であることは前文を見渡して解ること。



506 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:24:51
>>489
河童虫は漢文読めないから、道理を説いても無理だよ。
ほっとくのが一番いいよ。
まあ、暇つぶしの相手が欲しいなら良いけど。

507 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 12:31:56
>>487

>置くの目的語が曰くでは文章にならない、置くの目的語は名詞でなければおかしい。
やはり、官が抜けているとみる方が正しいだろう。


だったら「置曰」で、置を名詞(代名詞)で捉えてみてはどうかな?


>>505

>官を置くという意味であることは前文を見渡して解ること。

官を置くという事であるなら「置官」と書くだろう
官を置くという事ではないから「置曰」   
たとえば(駅員が言うには)は(駅が言うには)とか(駅員から聞いた話では)が(駅で聞いた話では)になったり


508 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 12:34:21
>>506

>河童虫は漢文読めないから

俺は漢文が読めるなんて自慢しなくてもいいよ

509 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 12:37:20
>>501
つか中国人は仏教と共にアジアに普及した漢字の使い方を知らなかったんじゃないのか?
もしくは文字すら持って無かったから、伝えられた漢字って言う字を、そのまま使ってたんじゃないんか?

漢字ってのは語源が違う相手に対しても、お互いが漢字の意味を知ってれば意思の伝達が出来る素晴らしい文字としてアジア仏教圏に普及した、言わば便利な通訳文字だよ
だからマンチュリと日本は言葉は違っても漢文を使った文書で意思のやりとりが出来る


ただ自分の話す言葉すら書けない文字だから、普段はこんな字は使わないよ
自国の言葉を発音出来る文字を、今の中国以外は持ってるんだし普段はそっち使ってたよ
日本も元々は発音を表せる神代文字や仮名字を持ってた国
で伝えられた漢字に対して日本人は、まず日本語の発音をあて、仮名まじりで使う事で、日本語の発音と同じ意味持つ字で文字を書くなんて言う使い方をした
日本人は世界で唯一、表音表意文字を使ってる民族。しかも1000年以上も前から

平安時代には既に大学もあり、文学にとても優れてたからこそこれが出来た国
和歌集なんてのは、ただ文章を書くだけではなく、57577の節を付けて、巧みに言葉を使う書き方
芸術的な感性って言うか、こんな文化も既に1000年も前からあったくに

中国ってなんで自分の話す言葉すら表せない文字をいまだに使ってるんだろうね?
まあ近年まで教育すら行われて無かった国だから、文学が遅れてても仕方ないのかもね


510 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 12:38:09
>>507
駅員てw

511 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 12:53:14
あと中国をさっきからバカにしてる見たいで悪いけど、いま俺らが漢字って呼んでる字は、元々は「女真字」と呼ばれてて、記紀では百済を治めてた日本の氏族が
「彼らの文化には素晴らしいものが有りました。これを晋や遼にも普及させます」
って言って、大和朝廷に貢いで来たものが漢字と儒教だよ
その後日本からの、遣唐師や遣随師らによりアジアの仏教国に普及したのがこの女真文字だよ
韓国やミャンマーや、今では使う事を辞めた国も多いけど、漢字てのは普及させれば語源の違う相手との意思の疎通が取れるという素晴らしい文字であったのは間違い無いよ

ただこの字は普段使う字じゃない
言葉を表せる文字じゃない
普通はどこも漢字と自国の文字を使い分けてたよ

うーん、、、中国って本当に文化が発達してたんか?
北京の古城もモンゴル人が作ったものだし、万里の長城って、マンチュリ人、モンゴル人、タジキスタン人らの土地に立てられてるんですけど、、、
チャイナ服てのもマンチュリ人の民族衣装だし、、



なんかすべて中国の文化と言い張ってるだけのような、、

512 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:59:34
>>508
オレは、ある程度読める。
河童虫は、全く読めない。
自慢ではなく事実。

513 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:01:09
「(官)置曰」

置かれた官が曰く

「官置」が名詞化
官置が曰く

「置」だけで「官置」の意味を持ち、官の省略
(官)置が曰く

514 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:02:42
あらためからも無知とかいわれてたなwwww


515 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 13:03:25
>>512

ある程度理解出来るなら話しは早い。
>>507の判断ぐらい出来るよな?

名無しさん。

516 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 13:09:13
>>514
無知は無知故に、無知以外わからない。
だからすべてが無知に見える。


ただそれだけの事。
人殺しが相手の殺しを見下して、自分の殺しを褒めているような務所雑話

かわいらしい戯言

517 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:12:39
>>516

アホ



518 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:14:02
516
あんたいったい何がいいたいんだ?

519 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:17:39
「末廬」の北京語よみは[mo lu]だよ、アクセント記号が表示できないが
モォルゥと聞こえるな

520 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:18:17
>>518
オレ様はすごいって言いたいのだろうね。
ときどき、聞いてもいない自慢話を挟んでくるだろう。

521 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 13:19:44
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Ftuden.html&hl=ja&source=m

これさ、
新羅や倭や百済の事が書いてあるんだけど、倭の出来事として書いてあるのが「魏明帝」や「栄武帝」の事
これやっぱ「魏」って中国の皇帝の事じゃないよなあ
あと24史ってさ、中国24史って言い方はやめて、モンゴル、満州、朝鮮、日本、大秦24史って名前に変えた方が良いんじゃね?
これ百済や扶養や倭の事ばかりしか書いてないでしょ?

だいたいこれマンチュリ帝国の正式な継承国として満州国が建国された時に、満州が正史として纏めた奴じゃないの?
満州国の五族の事は凄い詳しく書いてあるけど、中国の話ってなくね?
中国24史て満州の五族の歴史書だろこれ?



522 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 13:20:30
>>517
お前はなんでそんなに必死なんだ?


>>513

官置じゃなくて置官だろ?
それに、どうして官にこだわるの?置一文字で名詞(代名詞)に使えないかい?伊都国なんだから。
倭人伝を参考にするなら、もっとワイドに参考にしようよ
魏略曰文だって、伊都国で終っているだろう。

523 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:24:55
>>518>>520
自演乙w

524 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:29:43
523へ
あのー、俺は518だけなんですけど……。

525 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 13:31:42
>>522
あのさ、魏志倭人伝以外にも24史には沢山記述があるから他も参考にして見たら?

http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Fmenu01.html%23MOKJI&hl=ja&source=m#MOKJI#MOKJI#MOKJI


そもそも24史のその殆んどに倭の事が書いてあるんだから、魏志倭人伝だけしか参考にしないなんて話は無いよ
ちなみに24史の殆んどが同じ時代の事を書いてるでしょ?これ?

秦→夏→殷、、って言うそれぞれの時代の歴史が順に書いてある訳じゃないよ
帝紀を見ても百済や新羅や倭ばっか


倭人→百済、新羅、高句里、倭
鮮卑人→高麗、唐、明、朝鮮
扶養人→清、満州
秦人→弁辰、秦韓、
モンゴル→元

なんかこんな感じ

ちなみに地理的には朝鮮北部の帯方(満州)からの視線で書かれてると思う
まあ満州国の纏めた正史を中国が中国の歴史書と言ってるだけなのならそれも当たり前だけど



526 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 13:38:23
マジで魏志倭人伝以外の24史も読むべきだよ

魏志倭人伝だけで判断しようとしてもむり
あと中国の歴史書って言う先入観を一度捨てて読んだ方がいいと思う
倭の場所も「帯方の東南海、、」って、満州があった地域からの視点で書かれてるし



527 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 13:44:22
置曰爾支の次に副曰○○○と書いてあるのだから、
これは置(官)曰でしょう。

528 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 13:54:14
>>519
そうなんですか。
末廬国はマツラとは読まないですよね。
末は「ま」と読んで、廬は呉音で「る」ですよね。
だから後漢の都洛陽では「まる国」と発音したと思う。

529 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 13:55:40
>>528
訂正後漢×魏○

530 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 14:02:15
>>519末廬国とは牟婁国、つまり、「継体紀」六年条に任那国の上多利・下多利・娑陀・牟婁の
四県が百済に割取されるとあるうちの牟婁なのではないでしょうか。 つまり、現在の全裸南道
順天付近。


531 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 14:03:24
orz
○全羅南道
×全裸南道


532 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 14:09:29
>>527
置官曰ではなくて、官曰かもしれんね。
官曰と書くべき所を2行前の置官に引っ張られて
置曰と書いてしまったと。
同様の間違いと思われるのが、
至一支國置官至對同
對馬と書くべき所を至對と書いてある。
これは、前の行の至對馬國と書いたのに引っ張られて
至對と書いてしまったんじゃないか。



533 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 14:10:51
>>481
 伊支馬≠垂仁

デタラメの垂れ流し、ご苦労。PPP

534 :ローガン:2009/09/21(月) 14:11:26
>>522
だいぶ進んだんですね。「脱字」がお気に召しさないなら、「官」を補って読む、とでもしときましょうか。
いずれにしても、注記として引用ゆえ、当該本文の説明文。

535 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 14:32:39
官て字があろうがなかろうがどうでも良いじゃん
どのみち漢文なんて解釈する以外に無い文字なんだし、どのみち正確な読み方は書いた本人にしか解らないんだし
あと書き方が間違ってるとか言い出したら切りがない
それに文法や句読点がある訳でもないんだから、どういう書き方をしようが書き手の自由なんだし


536 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 14:33:54
官≠天皇

537 :ローガン:2009/09/21(月) 14:55:24
>>535

それで?

538 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:14:15
誰かが言ってたけど
王が官を任命するなんて100%有り得ない話
当時は官のみならず全ての職業で世襲制であり
仮に宰相というものがあるならば、それは王家の近親者
よって
地方においての官はその国における王
邪馬台国においての官は有力豪族もしくは当時の王の近親者
となると
倭人伝に出てくる官に天皇がいても不思議じゃない

539 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:18:33
>>530
末廬=マル なら 馬韓(マルハン)にも通じますね 


540 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 15:32:17
下克上は天皇にはないから、天皇が官にはならない。世襲制なら
天皇もそうだろうが。なおさら天皇は臣にはならない。
武内宿禰も棟梁臣から大臣に任命されたも同然だろう。前者は世襲
でなくなっている。日臣命も道臣命になっている。

官は大王、女王、天皇、皇帝の家来。天皇は下克上はないから、臣
にはなりえない。臣は家来だよ。

541 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:37:06
3世紀の頃と12世紀の日本の社会秩序は確実に違うよ
3世紀は世襲制が基本
官だけでなく殆どの職業で世襲が行われた
アテネの貴族政治にイメージ的に近い
一つだけ違う点は豪族たちによる王の選挙が行われていたかどうか

542 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:38:48
官の名は、官職名か人名か、どっちなんだろ?

543 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 15:47:58
>>539
それはどうかな。
対馬、壱岐と来たのにまた戻るとは思えない。


544 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:50:54
>>543
まさか、戻るとは言ってませんよ
末廬の名前からして、馬韓地方となにか関わりがあるのではと

545 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 15:53:42
そもそも倭人(江南人)から天皇は出ていませんから。

546 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 15:56:21
>>544
馬はマルと意訳はできないでしょう。漢人が書いたのですから。


547 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 15:59:57
つかそもそも天皇の威厳って何?
日本ってさそこら中に神社や寺や地蔵があって、先祖も自然も信仰するような、信仰心が深い國でしょ?
毎年神社でお祭りをやって氏子や神主が儀式をとりおこなってさ

日本が氏神信仰で先祖や血統を重んじて来たのも、先祖崇拝の信仰からじゃないの?
氏神様への儀式を執り行うのは本来は神主じゃなく、その子孫である氏子の人達なんだよ

天皇て血統が違うと天皇じゃ無いんでしょ?
血統が変われば氏神が変わるからじゃないの?
天皇て巫女として儀式を行う司祭の事だと思うんだけど?

國を治める人なんて日本人なら誰でもいいじゃん
けど天皇が居なくなりキリストの宣教師が沢山入ってきたら日本の文化や信仰心っていうのが全て奪われるよ


いまはもう毎朝仏壇にご先祖様に手を合わせてるような日本人は少なくだろうけど、昔は毎日それをやってたよ
飯なんか食うわけないのにご飯をしんぜたりさ
なんて言うのかな?
もし天皇がその最高司祭の立場の人であるなら、幕府やなんかより威厳があると思うよ

出雲の神主も今だし氏子が血統継いで神主やってるし




548 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 16:02:45
>>545
江南人が倭人じゃなく、倭人は江南部も実際に治めてたんだよ
江南っても中国大陸の長江の方じゃなく、朝鮮半島の長江な
百済や新羅だよ。あれ日本人が統治してた國だから

549 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 16:04:47
倭人は日本人じゃない。倭人は半島から押し出された負け組み。

550 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:10:20
>>547
戦後によく言われるよね
天皇は司祭だとね
天皇には未だに公にされない宗教儀式があり
それは一説によるとゴザに自らくるまり、アマテラスさんの憑依を受ける、即ちシャーマニズムそのものらしい
すなわち、バチカンの司祭みたいなもんじゃない
もっとも、原始的な宗教の原型があるから日本人は「畏み畏み」なんだ
絶対権力者が持つ権威とも違うね

551 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:11:17
そもそも、対馬や壱岐は間違いないという前提自体が間違っているのではないの?
だからそのあとが全部おかしくなる。

552 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 16:16:02
とにかく天皇が國を治めてたとか、國を治めたいが為に武器を持って内乱に乗じてた、、、とか言われると、なんか全く描いてたイメージと違うくなる

それじゃ天皇は様は戦国武将達とってだけな感じになる

もっとこうミステリアスでオカルトな存在であって欲しい

神功が行った神言の儀式や、大誉祭の時に絶対に他人には見られない儀式を行うとか、儀式で使われる剣は天皇以外は見てはいけない、、とかさ。いろいろこういう話もあるじゃん
そういう霊界や秘術などの儀式が執り行えるキングシャーマンが天皇
見たいな事にしといてくれないと、天皇への興味がまるでなくなるよ
単なる覇権争いをしてた人の末裔なだけ、、、
ってのなら、そんなのイラネw
だいたい神武の東征が凄い事だとも思わんし
あれならまだヤマタのオロチを倒したスサノオや、最後に死んでしまうヤマトタケルの方がよっぽど魅力があるよ

553 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:23:51
しかし、2000年もの間、本当に天皇による儀式が正確に受け継がれてきていると思うところが笑える。
内乱や先代天皇の早世、継体のように5世孫とか、南北朝とか、安徳天皇以下平氏一門の滅亡とか、
儀式を継承するものは全てしんだなんてことは天皇の系統が変わるよりも頻繁に起こったことは確か。

現在の天皇は、神武とは縁もゆかりもない血統だということくらいわかるだろう。半島由来の藤原一族
ですよ。

554 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 16:28:11
>>550
つか実際には明治以降の天皇は儀式してない
今の天皇は九州から薩長が連れてきた人だし
ただやっぱそれ以前の天皇って、そういう儀式を行うシャーマン血統の人すよね?

俺が知ってるのは巫女にアマテラスを憑依させ、性行を交わす事でアマテラスと交わり天皇を継承するとか
三種の神器の鏡の使い道は、十五夜の夜に自らの裸体を鏡に写し、蓮の葉に精子をかける、、とかだよ

あと天皇の儀式の際にはアマテラスとイザナミと、もう1人名前も解らない神様を呼び出し、、人肉を食べる儀式がある、、とかさ
大誉祭とは食事の事だとかなんとか

俺が思うに、きっと過去に人肉を食らってた妖怪を霊力で封じた際に、そう言う制約を交わして妖怪を封じ込めたんだぜ?
やっぱ天皇てスゲーぜ


555 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 16:35:18
封じ込めじゃない。神にささげる生贄だよ。
おどろおどろしいもの。死ねば神になれる。



556 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:38:25
明治天皇、大室寅之祐説だろう?
その大室こそ、>>530の末廬国、つまり牟婁国王の血を引く者とだ思います。

557 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:38:57
>>554
>やっぱ天皇てスゲーぜ
その「スゲー」ってのは現代の言葉で言う「畏み」だね
本当に如何なる言葉でも形容できない
薩長が出てくるけど、その「スゲー」ってのを日本人って「スゲー」に転化させ矮小化させたのが、明治政府だったんだろうね
それが良いか悪いか判らないけど、もうあの時代には日本人は戻らないのは確かだろうね

558 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 16:39:34
>>553
初めから神武なんて関係ないって思ってるてば

本当はアマテラスでしょ?
エナにくるまれて雷と共に産まれたのがアマテラスで各地の岩座には必ず神鳴り岩とかがある

ちなみに今の天皇は九州にいた大室氏だよ
江戸時代までの御所にいたのがアマテラスの血統を継ぐ天皇や公家だよ
ちなみに藤原氏の祖である鎌足の血統も入ってるから藤原氏や源氏と言っても間違いでは無い

つか陰陽師や大仙人の良弁などが源氏なんだよ
義経と弁慶も大船山の良弁の元で修行してた陰陽師だよ
阿倍晴明とかも同じ血統

金星から火の車に乗って日玉の國に降り立ったのがサナトラクラマで艮の神
こいつがボスだよ


559 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 16:55:14
>>555
日本人にとっての神って貧乏神もカッパもヤマタのオロチも、化け物達も全て神だしね
つかやっぱあれか、、

妖怪「この村を救いたければ明日の夜までに若い娘を連れてこい!グッワッハハッハ!」〜・〜・〜・その夜〜〜
村長「弱った、、いくら村を救う為とは言え、ワシの村の誰かをあの化け物に捧げるなんて事は、、」
娘「お父様!」
村長「なんじゃ、桃姫や」
娘「お父様!私、、私が明日、あの妖怪の元に向かいます!」
村長「何を言ってるんだ!ワシにはそんな事、、」
娘「この村を助けた気持ちはお父様と一緒です!その為なら、私、、私、、」

ガラガラッ!(急に押し入れのフスマが開き)
天皇「じいさん、話は聞かせて貰ったぜ(涙を浮かべながら)」
村長「あ、あなたは、、?」
天皇「いや、なに、たまたま通りすがりの空き家に入り押し入れに入ってたら、ジイサン達の会話がきこえちまってねえ、、」


みたいな事があったんだろうなあ、、

560 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 17:06:58
妖怪の神じゃない。五穀豊穣の神だろう。


561 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 17:18:33
つかけど日本てマジで本来こういうミステリアスでオカルトチックな國だよ
日本人の信仰心って宗教とかの信仰心とは違い、密教とかカバラとかのそれに違いよ

そこら中に地蔵や寺や神社があるし、大木や巨石があれば祭るし、それらを切ったりすりゃ祟りが起きるし
あと言霊
「でも戦争に負けたらどうしよ」なんて言うと「縁起でも無い事いうな!そんな事言ってたら本当に負けるだろ!」みたいなさ

これは日本人は無意識に言霊って力を信じてるからだよ
発した言葉には力がやどっており、、みたいなさ
密教の真言宗なんてその極みだし


あと昔って「いろはにほへと」だったでしょ?
あれ本来は「あうえいお」だかの並びなんだけど、それだと普段発する言葉でも言霊の力が強すぎるから、それを嫌った空海が「いろはにほへと」に変えたらしいよ

あと中国の太コウボウの書物には日本は扶桑や蓬莱と呼ばれ大仙人が住まう島とかかれてるし
インドのサンスクリットの聖典にも「神々が住まう聖なる三日月の島」として日本の事が書かれてる

562 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 17:23:30
鬼道が卑弥呼が行い、人々をうまく惑わせたって。すごい観察力。

563 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:31:59
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

564 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 17:38:30
>>560
五穀豊穣の神が人肉を?
それってまさか、、



天皇「ジイサン、娘さん、ここは俺にまかせときな」
村長「し、しかし、、」
天皇「なあに、イザとなったら、、(上着をパサッ!と開き、腰に巻いた沢山のダイナマイトを見せ)」
村長「おお、、なんと、、」
天皇「娘さん、これを、、(首から外したネックレスを桃姫に掛け)」
娘「こ、これは、、」
天皇「なーに、もうこの村に悪い妖怪が来なくなるオマジナイさ」
娘「うう、、絶対に、絶対に生きて帰ってくるって約束して下さい、、」
天皇「ああ、約束だ。(流れ落ちる娘の涙を人差し指でさっと拭き取って)その変わり、もう泣かないで笑顔で向かえてくれよな、じゃあ言ってくるな」
村長「本当に、本当にありがとう、、」

〜・〜次の夜〜・〜
村長「しかし、勇敢な男じゃった」
娘「(ペンダントを握りしめ星空を見上げ)私、絶対にあなたの事を忘れません、」

村人「た、大変じゃー」
村長「な、何事じゃ!」
村人「こんどは五穀豊穣の神が、、」

村長「な、なにー!」
天皇「(押し入れのフスマをガラガラッ!ッて開けて)な、なにー!」


見たいな事があったとでもいうのか!

565 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:49:12
記紀神話の神々にはいまいちリアリティを感じない。
特に国産み譚に登場する万物の起源の神々は後世に全く根付いていない。
かろうじて伝わっているのは、豪族の開祖とされる擬人化された神々たち。

566 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 18:00:25
>>541
世襲なら、なおさら臣が天皇になれまい。天皇は世襲でずっと天皇、臣も世襲で
当時はずっと臣だろう。w

567 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 19:44:58
>>565
あれ間違って解釈されてるだけだと思うよ

古史古伝やサンスクリットやチベットの聖典では、最初は太陽系の惑星に起きた大異変について書いてあるよ

木星から真っ赤な金星が産まれ、火星は干からび、月は地球に迫り月から大量の土砂が降り注いだ、、
みたいな話
ギリシャ神話もアポロやビーナスが生まれる話から始まる

んで、大災害で混沌とした海原の雫から出来た島に降り立ったのが日本人では位山の艮の神、サナトラクラマだよ
國の常立命

ぞくに言う世界大洪水の話だよ
これも世界中で同じような話が伝わってる
化石ってのは急激に大量の土砂により圧迫されないと出来ないよ

例えば鎖を付けたままの犬や人間の化石も見付かるけど、これらは近くの川の氾濫の土砂で埋まったと考えられてるよ

568 :◆.L.MXSPOgc :2009/09/21(月) 19:51:58
虫もみのもんも、一般的な解釈は無視して「自分の解釈すげー、一般解釈間違い」って言ってるから、
それに食いついてくる者が沢山いて、ちやほやされてるように感じるのだろうけど、
じゃ、それで何か新しい見地があるの?というと全くない。

だから、私はこの2人は苦手で、はっきりいうと邪魔にしか思えないのです。

569 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 19:55:37
>>565
凄い高い山の中腹などから海の生物の化石なんかが見付かるけど、あれはそこまで水や土砂が押し寄せたって事だよ

とにかく化石になる絶対の条件は多量の土砂などで急激に圧迫される事が条件
氷付けのマンモスなんてのも、あんな氷るほど寒い場所には済まないよ

なみに地球上にある砂漠ってのは、同じ緯度の場所をぐるっと一週してる
あれは月から土砂が降り注いだからって言われてるよ
ピラミッドも近年まで砂に埋まったままだったよ
あとローマも地下に都市が埋まったままだし、沖縄の海底にも沈んだ遺跡がある


まあとにかく化石だよ
普通に死んだだけじゃ化石にはならない

同じ場所で沢山の化石が見付かるのも、土砂と死骸が纏めてソコに押し流されたからだよ
化石って山の中腹とかでは良く見付かるけど海岸沿いとかで見付かった話は聞いた事ないし

恐竜の地層から人間やブタの化石もこれまで沢山出てきてるよ

570 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:57:48
もはやムーの世界だ。

571 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 20:13:52
>>568
つか一般的な解釈って何?
解釈じよなく歴史的事実として一般的に普及されてるでしょ?
「日本の最初の國は?」って聞かれりゃ戦後の日本人はほとんどが「邪馬壹國」て答えるでしょ?
戦前の人間なら「神武天皇」って言うだろうし
そのクセ記紀以外の歴史書は偽物で認めないとか、記紀なんか神話だとかさ
一般的には日本の歴史は
「石器時代→縄文時代→弥生時代→邪馬壹國→飛鳥奈良時代→平安時代」
でしょ?
これが日本の歴史?
サルのような生活の縄文時代があり卑弥呼からいきなり聖徳太子ですか?

俺ら日本人って結局はなんなの?
どっからが日本の歴史?
それとも石器人が日本人て事?


疑問を抱かない方がおかしいよ
多くの日本人は日本の歴史なんてのは教わらないから、アマテラスもスサノオもなんも知らないよ
なぜ神社があるのかとか、なぜばあちゃん達は毎朝仏壇に手を合わせて食べるはずもないご飯をそなえるのかとかさ
だいたい今の日本で言われてる一般的な解釈は少し前の江戸時代では、全く言われて無かった解釈だよ

天皇史観や中華思想なんて無かった時代だしね


572 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:20:30
>>568
虫はまだしも、みのの文をよく読む気になるな。
接続詞が少ないのが原因だと思うが、
まとまりがなくて主張が掴みにくい文章なので
到底読む気にならないぜ。


573 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 20:22:25
>>570
ムーて言われるとアレだけど、とにかく日本を含め世界中で伝えらるてるよ
キリスト教の言ってるノアの方舟の話も、アレは歴史が無いキリスト教がイスラエル神話を勝手にキリスト教の歴史としてるだけだし
http://www.google.co.jp/gwt/x?ei=QWC3SsWBBoP4vAOYgq3hAw&source=m&u=http%3A%2F%2Fwww.ja-higashimino.or.jp/hiroba/story/n/agihuro.html&wsc=ti&wsi=2dbaa87f90ad1112
ちなみに日本も当時の事は伝えられてるよ

恵那山も血洗池も神坂峠も、アマテラスに関しては場所は細かく特定出来るよ
イザナキイザナミの降り立った場所も國の常立命の位の木曽川の下流の中つ川って場所にちゃんとあったよ


574 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 20:30:42
>>570
てか化石に関しては解るでしょ?
動物が死んだからって化石にならない事はなんとなく解らないですか?
化石てのは条件が整って初めて化石になるんですよ
動物の上に長い年月を掛けて土が被さり、、なんてならないですよ
それに1つの場所に固まって発掘されるって事はそれらは一緒に埋まった以外に無いですよ

動物の骨が化石になる為には長い年月は必要無いですよ
急激な土砂などで埋まり強い圧力がかかる状態で埋まった死骸だけが化石になる
人間や鎖の付いた犬の化石があるけど、これは数百年前らしいよ

何千万年、何万年もの時間は必要ないすよ

575 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 21:14:59
>>568

やきもちやいてるの?  最近多少レスがつくようになったら天狗ちゃんに
なっちゃったかな?

576 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:40:52
>>477
卑弥弓呼は「王」と記されているから、
やはり連合の盟主だという可能性があると思う。
だとすれば、狗古智卑狗は狗奴国単独の首長か?

そいえば、「今使訳所通三十国」に含まれるなら、
狗奴国も魏と通交したのでは、という意見があったな。

577 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:58:54
むかし、といっても紀元前、天皇はすごい長寿だったから民は何代が移っても天皇はずっと同じ天皇だった。
それが普通の人と同じように短命になったのは、それは天皇一族だけの交配が続いて血が汚れ、子供が
生まれなくなり、天皇族以外の血を入れざるを得なくなったためではないでしょうか?

578 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 22:07:54
自郡至女王国万二千里
女王国が邪馬台国連合という広い地域の場合、万二千里は弾き出せません。
拠って女王国は特定の国を指しますOK?

579 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 22:08:50
>>576
魏に関しては別にこれ中国の朝廷じゃ無いと思うけどな
「親魏倭王」
とかさ

て言うか「魏」や「漢」ってそもそも場所の記載すら無いでしょ?
倭も百済も新羅も辰韓も場所だか領土やその中にある國名まで書いてあるんだけど、魏ってもなあ
三國志の劉備のイメージがあるから中国ってイメージなんだろうけど、三國史て読むと百済、新羅、高句里の時代の事だしさ
「委鬼」「イ委」
これ「おおきい」「ちいさい」て意味もある
「親魏倭王」ってあるように、朝廷の魏に対する属する倭て意味だとは思う
つか普通に魏は大和朝廷の事だと思うけどなあ
そういや卑弥呼って邪馬壹國の女王で倭(やまと)の女王じゃ無いわけだし


580 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:12:35
>>541
卑弥呼は共立された王ですよね。
四世紀頃の大和政権の首長は、
複数の集団によって共立され、
その首長権は集団間を移動しうるもの、
という見解もありますし。
六世紀の大和王権も、
大王は有力豪族の合議で決定されます。

三世紀は世襲制が基本で、
官は任命されるものではない、
というのは、興味深いですね。

581 :縦目仮面:2009/09/21(月) 22:16:11
>>577
べつに日本だけじゃないよな。旧約聖書の創世記ではアブラハム175歳、イサク180歳、
ヤコブ147歳・・・ここらまでは太国さんの倍歴が必要かとも思えるが、その前の人たちは
200〜900歳とか。これだと10倍暦が必要ってか?


582 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 22:18:53
>>578

>女王国が邪馬台国連合という広い地域の場合、万二千里は弾き出せません。

だから原文に「自郡至女王国万二千里」って書いてある

自「郡」=郡庁(郡の基)

自「女王国」=女王の都(女王国の基)

583 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:25:03
>>578
明快ですね。それが悩みの種でした。ちなみに、

三世紀の「国」とは領域国家ではなく、
都市国家のようなもので、
女王国連合を構成する都市(国)のひとつが、
万二千里のところにある。
そこから(郡より遠方)が女王国(連合)に属するのだ、
としたらどうでしょうか?

584 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 22:26:52
>>582
OKね。
皆統属女王国 これは3通り解釈がありますが少なくとも伊都国ではないOK?
従って女王国=邪馬台国(女王之所都)ですね。

585 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:30:50
女王の都はゆるやかな首長連合によって新しく建てられた場所じゃないの。環濠のない
宗教祭祀センター、つまり纏向。

586 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 22:34:16
>>584

>従って女王国=邪馬台国(女王之所都)ですね。

それはちょっと違う
邪馬台国 > 女王国 

邪馬台国は加盟30だが、女王国(女王が直接影響が及ぶ国)は29加盟

587 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:34:30
倭はローマと同じ共和制だったのです。
メトロポリタンは、それぞれ自治権をもっていた。
選挙で選ばれた首長が邪馬台国の代表として使者を魏に送ったのです。

588 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 22:37:40
>>583
下二行がわかりません。
具体的にお願いします。

589 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 22:39:37
>>586
邪馬台国は加盟30 意味わかりません。
具体的にどうぞ。

590 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 22:42:46
自女王国以北
今まで南に来たので、それまでの略載地域は女王国の北ですね。

南に略載した最終地点は邪馬台国。従ってこの女王国も邪馬台国ですねw

591 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 22:42:52
>>581
西遊記によれば

 天界の1日は地上の1年です。

592 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:45:52
お彼岸の2日めを迎えました。23日が中日です。皆さんご先祖の墓参りの準備は出来ましたか?ご先祖の供養を
欠かしてはいけませんよ。あなた(もんた氏ら)がいかに惨めな状態になっているにしても、ご先祖はあなたを
不幸にするためにこの世に生をあたえたのではありません。あなたの不満や鬱屈は全てあなた自身が生みだした
ものですから、ご先祖を恨むことなく供養に努めましょう。南無。

593 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:48:59
>>587
倭はギリシアと同じ交易国家だったのです。
ポリスは、王制の段階にとどまり、互いに同盟・連合していた。
魏に選ばれた首長が各国の総代理店として使者を送ったのです。

594 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 22:53:31
>>584
漢文間違ってますよ

皆統属王女 です

ちなみに卑弥呼は「女王」って書かれてます



595 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:57:01
女王とは王の妃か、それとも、女王自身が国の最高権力者なのか?
どっちなんですか?

596 :縦目仮面:2009/09/21(月) 22:58:21
>>591
なるほど。孫悟空は天界の桃園の番人になって、不老長生の桃を盗み食いしている。えっと
その前に、地獄の閻魔帳から自分の名を消してるか。まあ、二重三重に不老不死を得てるっ
てことでしたね。


597 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 23:01:42
だから西遊記は365倍暦ということになりますか。

まぁ神魔小説ですから、それはそこまでとして、中国人が倍暦の
考えを持ってたということになりましょうか・・・。

598 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:06:14
何かここ、驚異的に無知な投稿ばかりだね。
興味がある分野なのに、何故そこまで基本的なことが理解できてないんだろう?
コテハン君達。

599 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:07:25
邪馬壹国=女王国、倭国=邪馬壹国を盟主とする連合国(30国)
伊都国=邪馬壹国の王族の姻戚者が王(名目上)であるが、実質は邪馬壹国の出先機関。
奴国=倭国大乱時に、(漢から金印を貰った)(旧)奴国の内紛によって作られた(新)奴国。親邪馬壹国
で建国にあたっても邪馬壹国の支援を受けた。
狗奴国=元は邪馬壹国の兄弟国(同じ王族の国)であったが、卑弥呼が倭国王として共立されるに及び不和
となる。魏につくべきか、呉につくべきかで決裂。


600 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 23:15:22
>>598

邪馬台国は、大陸王朝と正式交易のある(王朝に冊封される側)三十国の総称で

對海、一大、末盧、伊都、奴、不彌、投馬、女王の都がある女王国(本国)、
斯馬國、已百支國、伊邪國、都支國、彌奴國、好古都國、不呼國、姐奴國、
對蘇國、蘇奴國、呼邑國、華奴蘇奴國、鬼國、爲吾國、鬼奴國、邪馬國、躬臣國、
巴利國、支惟國、烏奴國、狗奴国、株儒國

601 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:15:51
太国や縦目は遊んでるだけだろう。これまで倭人伝の読解からは何の結論も出ないことをさんざん見て
きているからね。

602 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:16:08
>>598今日は敬老の日だし、まあ今日のところは大目に見てやってください。

603 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 23:18:46
>>600はアンカーミスです。

598ではなく  >>589でした。

604 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:21:27
>>588
奴国、投馬国、などの各小国は都市国家のようなもの、だと仮定します。
それらが連合して盟主を擁立します。
そのひとつが、邪馬台・投馬・その他がまとまった邪馬台国連合、とします。
女王が盟主なので、女王国と呼ばれました。
また別に、玄界灘沿岸の末廬・伊都・奴などがまとまった伊都国連合、があるとします。
かつて帥升という人物が盟主となり、世襲され伊都にいます。
倭国大乱というものがあって、かれの統治権は失墜しました。
各小国はそれに代わって卑弥呼を共立しました。
魏は卑弥呼を倭王としました。
卑弥呼は伊都国王の自治権を認め、
一大卒を置き、交易の監理をします。
こうして倭国には伊都国連合と邪馬台国連合(女王国)が併存しました。
女王国の各国のなかで、最も郡に近い国が、郡から万二千里のところにあります。
そこから先は、女王国とよばれる地域でした。

という仮定なんですけど。イメージできますでしょうか?


605 :日本@名無史さん :2009/09/21(月) 23:32:24
>>600
>>604
お二人ともありがとう。


606 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 23:37:05
>>598
倍暦は紀年確定に威力を発揮します。そこから卑弥呼に年代が
いずれの天皇の代なのかが判明し、日本古代史の年代確定にも貢献
します。西遊記も倍暦らしき話がひそんでもいますから、遠回しに
参考にて役立ちます。

 すべからく看よ 西遊釈厄伝

zzzzzzzzzzzz・・・・・・・・

607 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:38:08
「自郡至女王国万二千里」は郡の中心の郡治から女王国の中心の奴国までのこと。
邪馬壹国=女王国、倭国=邪馬壹国を盟主とする連合国(30国)。北部九州地域。
伊都国=女王国の都。漢代に金印を貰った旧倭奴国。
奴国=女王国の中心地、旧倭奴国の内で伊都国を除く庶民の町。
狗奴国=南九州に在って女王に従わず王を自称している。
投馬国=朝鮮半島南部に在って、狗邪韓國を含む地域。

608 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 23:41:04
>>605

いいえどういたしまして。  なんらかの参考になれれば幸いです。

609 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:44:01
纏向を見れば、都市国家ということはないと思うよ。あそこは祭祀および交易センター、一般人の居住区や
食料生産地、土器等の生産拠点は別にある。そうとうな広範囲だよ。おそらく出雲を中心とした山陰・北陸も
そんな感じだろう。

610 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:53:18
投馬国は筑後川南岸から大牟田辺りまでの福岡県南部、筑後市の近くは妻と呼ばれていた。船小屋は昔の
港の名残。

611 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:55:59
巻向地域は4世紀以降の墓域である。前方後円墳の発掘調査が行われればはっきりする。

612 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:57:15
>>605
あ。
いえいえとんでもない。

613 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:01:08
>>604 奴国、投馬国、などの各小国は都市国家のようなもの、だと仮定します。
無意味な仮定だ。奴国2万戸、投馬国5万戸の大国だ。都市国家であるわけがなかろう。

614 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/22(火) 00:05:52
>>608
荒らし報告
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1253122856/

別板にも依頼中




615 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:07:02
>>613
その戸数に疑問をもってます。

616 :改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/22(火) 00:19:01
>>608
荒らし依頼済み

すぐには規制にならないがじきになると思う
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1251365277/

「荒らし報告の仕方」
http://info.2ch.net/wiki/index.php?%B9%D3%A4%E9%A4%B7%CA%F3%B9%F0#content_1_3


617 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:26:57
>>611
>巻向地域は4世紀以降の墓域である。前方後円墳の発掘調査が行われればはっきりする。

じゃあはっきりしてないんだね。ww

にもかかわらず
「巻向地域は4世紀以降の墓域である」と断定する理由はなに?

618 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:11:50
>>609
マキムクの住居跡は異常に少ないね。
まあそれでもしがみつく信者もいるようだけど。

619 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:11:58
>>604
戸数道里を書いていない国については、道里がわかっていないはずだ。
それなのに、万二千里という数字が出るというのは矛盾しているね。
女王国に属する国の一つではなく、女王国の領域が始まるところまでが
万二千里と解すべきだろう。

620 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:23:32
>>600
侏儒国が30国に入るはずはないな。侏儒国は女王国の南四千余里にある国だ。
しかし、「株儒國」とは何て入力したんだろう。不思議だ。


621 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:24:08
>>美濃もんさん
あなたの話は面白いよ
あなた歴史が好きなんだねぇ
また来てね! おやすみ

622 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:25:26
>>618
あれだけの巨大古墳群があって、居住跡が少ないということは遺跡範囲が広いということ
以外にないね。だいたい遺跡の範囲を行政単位である旧磯城郡纏向村に限定する理由は
全くないんだよ。

623 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:31:10
>>622
それって、要するに「マキムク王権」からの撤退だよね。

「100回以上発掘して無理して自画自賛してきたけど、もう限界です。」
って自白するようなもんだよね。

624 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:44:52
>>623
誰も墓地だらけの場所を都にしようと思わないわな
面積的には、巨大古墳を集計した面積の方が、住居エリアより広くなりそうだしな
巻向地区は

625 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:58:34
>>623
>それって、要するに「マキムク王権」からの撤退だよね。

意味不明だな、それだけ規模が大きいという事だと思うよ。

626 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:13:16
纏向王権ではない。纏向へは各地からの人々が集められていた。九州勢力が征服した地の人々だ。
纏向を拠点として更に東の方の征服を進めていったのさ。巨大な墓はそこに集められていた人々
が訓練を兼ねて造らされたものだ。


627 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:20:05
河童が何日目で規制されるか楽しみ
以来してから一日か二日ぐらいでは規制はされないかな?

628 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 04:40:52
>>614 改めドツボ

…「スクリプト・コピペ」って意味分かっているか?

629 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 07:11:36
>>624
わかんないやつだな。纏向エリアを中心とするクニの範囲は相当広いということだ。人の家へ
きてトイレだけ見て、よくこんな狭いところに住めるなとかいってるようなものだぞ。


630 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 07:17:36
西新町遺跡だけ見れば、交易を中心とした都市国家のようにも見えるが、実際はクニの
窓口に過ぎない。都市国家論は成り立たないと思うよ。

631 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 07:44:57
>>627
あのくらいでは誰も規制されない。

632 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 08:48:35
つーか、河童虫じゃなくて改め
が消えた方がスレは正常化するんじゃね?河童虫煽ったの改めなんだし。

633 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 09:58:33
みなさん現地調査に行ってしまわれたのでしょうか?

634 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:06:05
畿内説の重要な根拠として、大古墳は権力の大小を示している、大きな古墳があるところに
大きな政治権力があったことは明らかだ、という見方がある。
しかし、これが破産してしまったな。日向の古墳の年代がいっきょに百年も遡ったというこ
とは、日向に初期古墳がぞろぞろあるということだ。日向にどんな政権があったというのか?
従来の畿内説の理論ではこれが説明できない。さらに、初期古墳の分布をみると、投馬国の
説明ができないということだ。邪馬台国7万戸、投馬国は5万戸。広島あたりに大古墳地帯
がなければならないのに、それがない。古墳の分布からでは、大国投馬国の所在がまったく
読めないってことになる。古墳はけして権力の大小を示すものではないということだ。

635 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:29:20
纏向遺跡のはずれを掘って邪馬台国の石碑は見つかりましたか?

636 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 10:53:41
>>634
あなたは邪馬台国、投馬国をどこに比定?

で初期古墳が多いと仰る日向は政治権力がなかったわけね。

637 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 10:57:03
箸墓はトンデモ。卑弥呼の塚は径百歩。塚の表現から巨大さは感じられない。
短里は一歩=一尺 魏尺24.12cm
よって、塚の直径は25m位で円墳。近くに殉死者100人の塚もある。

638 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:09:06
>>634
畿内説のいう投馬国は大抵が岡山でしょ。
水行20日と水行10日の比率でいくとその辺りということで。

639 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:18:18
>>636
古墳の大小のみにとらわれてはいけないと言ってるんだよ。
投馬国や邪馬台国の所在を決めるには、まずは倭人伝の行程記事が何を伝えようとして
いるのか、それを見きわめることが必要だ。
それから、倭人伝の伝えるところによれば、邪馬台国を中心とする女王国は、卑弥呼共
立に至るまでに少なくとも7、80年にわたる男王の時代があった。けして新興国がい
きなり大国になったということではない。となれば、他から侵略された形跡のないとこ
ろ、これが候補地になる。安定した発展が認められる所ということだな。
それから、中国史書の伝えるところによれば、邪馬台国を中心とする国々は古墳時代に
おいても継続して発展していたことが分かる。弥生末期から古墳時代にかけて発展して
いた地域はどこか、それが認められれば、重要な状況証拠だ。



640 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:21:10
>短里は一歩=一尺

ソースは?
一歩=一尺なんて記録は聞いた事ないんだよ。誰が決めた事なんだ?
文献証拠がなければ話にならんよ。

641 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:24:51
>>638
水行の比率だけで決めるわけにはいかないな。邪馬台国までは水行十日陸行一月と
ある。北九州から投馬国までが二十日だから、その二倍の日数を要しているという
ことだ。

642 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:25:33
ああ、また日向猿軍団のご都合主義か

643 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:26:29
短里は一歩=一尺
を示す原文を持って来い!
原文しか信じねーよ。
いっとくけど、河童のように自分の頭で考えた道理や解釈を披露しても駄目だよ。

644 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 11:35:16
箸墓信者が何言っても無駄。
周囲にお堀のある、巨大な前方後円墳を想像できる文ではない。


645 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 11:40:18
福岡県瀬高町大草字大塚に蜘蛛塚とその南に昔女王塚と呼ばれた塚がある。
蜘蛛塚は殉死者の塚。

646 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 11:47:02
卑弥呼の後、国が乱れて戦いが起こるような不安定な国に箸墓のような
整然とした立派な墓が出来るはずがない。あれだけ作るのに、何人の奴婢と日数がかかることか。
戦争どころではない。臨国の狗奴国との戦いもまもなく起こるし。箸墓は安定した政権下の古墳だ。

647 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:25:36
>>634
>>639
だから投馬国=丹波国なんだよ。
弥生後期に大国と呼べるのはここしかない。

648 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:25:37
>>646
無理してデカイ墓をつくったから
乱になったのだとも考えられるけどな。

649 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:27:00
邪馬台国は北部九州にあるというのに、畿内にあるという人もいる。
その隔たりの激しさは、水行1ヶ月陸行1ヶ月に惑わされているから。それと日本書紀。
実は水行1ヶ月陸行1ヶ月はそれほど進んでない。邪馬台国は福岡県の瀬高町の女山という場所が宮殿。

650 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:30:14
投馬国は出雲だろう

651 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:31:30
>>649
論外だな、北部九州にあれば伊都国も不要だし、
キチンと里数が記述される。

652 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:34:31
>>650
その出雲の範囲がイマイチはっきりしないからね。
本来の出雲神社は丹波の亀岡にあるんだよ。

653 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:34:48
女王国=邪馬台国 女王国まで万二千里。不彌から邪馬台国まで
約1400里約100キロ(東南、東と進んだから)地図上の直線距離の
2倍程度。川が激しい蛇行を繰り返している。だから瀬高町女山を比定できる。

654 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:36:42
>>653
訂正>東南、東と進んだから
奴国、不彌国が東南、東と進んだから、
不彌国から邪馬台国までは南に約1400里。

655 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:40:07
伊都国は太宰府。詳しくは大野城の城跡なたり。
投馬国は久留米のツマ地方。

656 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:43:39
末盧国(まる)は博多湾東のめいのはま辺りになんとか丸という地名が多い。
そこ。其処から東南500里で太宰府はぴったり。

657 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:49:17
>>653
その距離なら日数ではなく里数で記述されるでしょ。
女山の遺跡も年代が全く合わないしめ。

658 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:50:11
1400里の計算はというと伊都国まで記載通りだと10500里
、残りは1500里。奴、不彌と100里づつだけど方角が東南、東。
不彌から邪馬台国まで南に1400里。

659 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:51:55
>>657
あとで、誰かが修復したんじゃないの。
あとは年代測定そのものが間違っているとか。

660 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:53:46
>>657
里数でも示されている。水行1ヶ月陸行1ヶ月が1400里。

661 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 12:59:23
自分のいる土地から100キロ先のところまで、原始的に徒歩と
川下りと整備されきっていない道と天候と、地勢を調べたり、
家をかぞえたり。時には休息も必要。2ヶ月かかってもしかたなし。


662 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 13:01:24
>>661
訂正自分のいる土地から100キロ先のところまで、原始的な方法で行くのを
想像してみて。

663 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 13:03:10
松浦半島に上陸して、水行1カ月といったら九州の最南端、鹿児島まで行けてしまうではないか。


664 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 13:48:45
>>660
1400なんて数字は倭人伝の何処にも記載されてませんが。

それに女王国なんてのは、共立した国々の総称なんだから、
結構範囲が広いと思うけどね。

665 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 13:51:51
>>661
そんな原始的な交通手段しかない場所が都なのか?
人口70000戸もある大国ですよ。

普通に遠方にある場所と解釈するでしょう。

666 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:04:30
>>664
やはり考え直しました1400里×1300里○。
不彌から邪馬台国まで1300里。女王国が総称だと里数はでません。
女王国まで万二千里とあります。女王国は特定の国=邪馬台国

667 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:08:59
>>665
皆水行一ヶ月陸行1ヶ月に惑わせれて、実は邪馬台国=女王国までの里数も
出ていることに気づかなかった。
普通に遠方だと考えているからそれが間違いの元。戸数は概数。

668 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:15:31
古田説の島の半周を里数に加えるのは誤り。
対馬、壱岐は一点通過。伊都まで10500里不彌まで10700里、残り1300里。
ここまで詳しく説明すればもうわかるよね。


669 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 14:21:57
>>666
邪馬台国は女王の都する国です。

女王国は女王を共立した国々で、
伊都国は別に王の存在する、女王に統属する、
もしくは協力国でしょう。

万二千里だと大分や山口辺りが該当して、
畿内説でなら瀬戸内海を中心とした、吉備や播磨、
讃岐、(あるいは大分も)といった周辺諸国が
女王国となる訳です。

倭国大乱が瀬戸内海を舞台としている事は、
高地性集落跡からも実証できて、年代も合致してます。

その後和平して女王を共立したと記述があるのだから
女王国は総称でないと矛盾しますから。

670 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 14:26:42
>>668
それは数字のお遊びです。

671 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:27:06
>>669
郡から女王国まで万二千里と書いてあるではありませんか。
距離にすると郡から8400キロです。ちなみに郡から狗奴韓国まで
7000里500キロだということを地図上で確かめてみて。其の通りだから。

672 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:30:15
なんか小学生に教えているよな気分になってきた。

673 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 14:32:22
>>669
高地性集落、1遺跡あたり何人が住んでいたか?教えて下さい。



674 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:35:23
>>671
訂正8400キロ×840キロ○


675 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 14:35:36
>>671
邪馬台国まで万二千里ではないでしょ?

だから本州西部、大分辺りから瀬戸内海に面した
畿内までが女王国なんですよ。
万二千里で矛盾しません。


676 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:39:42
>>675
女王国が総称で広い範囲なら里数は出せません。
女王国まで万二千里とあります。


677 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 14:51:43
>>673
手持ちの資料では今判らないですね。

>>676
だからそれで正解でしょう。
女王国の入り口が本州西部か大分だとすれば
ピッタリですよ。



678 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 14:55:08
>>677
方角も無視、里数も無視の典型的な畿内説ですね。
ずうずうしいというかなんというか。

679 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:01:51
>>678
方角は兎も角里数は無視してませんが。
考古学資料とも合致しますし、年代的にも現状は矛盾しませんが。

更に各種伝承とも整合できますよ?

例えば箸墓のモモソ姫が卑弥呼だとしたら、
モモソ姫が吉備と所縁が深く、瀬戸内沿岸に各種
伝承を残している事も合致しますからね。



680 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 15:10:34
>>679
畿内説は支離滅裂だから、どのようにでも説明できるよね。
そうやって嘘の歴史を作っていくわけだ。箸墓のニュースもメディアに流して
嘘を垂れ流して。

681 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 15:13:32
女王国まで郡から840キロなんだから、方角どおりにいけば、高瀬町になる。
その傍らの数十国を過ぎた南が狗奴国。
狗奴国は熊本、菊地市にその名残りがある。

682 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:27:16
>>637
>>640
>短里は一歩=一尺 魏尺24.12cm

短里の1歩の長さは、成年男子の踵から爪先までの長さ。
素足の地域(田舎)では近年(太平洋戦争後)までこの方法で地面の長さを測っていた。
歩行10歩は約2.3mであった。
故に
1尺≒1歩=約23cm

683 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:30:01
>そうやって嘘の歴史を作っていくわけだ。箸墓のニュースもメディアに流して
嘘を垂れ流して。

現実の公表がよっぽどに悔しいんだね。
わかるよ。

684 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 15:31:25
>>682
歩行100歩は23mでいいのでしょう?
つまり卑弥呼の塚は直径23m位ですよね。

685 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:33:52
>そうやって嘘の歴史を作っていくわけだ。箸墓のニュースもメディアに流して
嘘を垂れ流して。

男ならポーカーフェイスで。
心のショックを悟られるな。

686 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 15:39:48

>>682の田舎とは奈良のことです。

>>682は僕の書き込みね。

687 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:51:48
>短里の1歩の長さは、成年男子の踵から爪先までの長さ。

誰がそんな事を決めたんだ?

>素足の地域(田舎)では近年(太平洋戦争後)までこの方法で地面の長さを測っていた。
歩行10歩は約2.3mであった。

そんな話はないよ。
デタラメいうなよ。


688 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 16:02:05

>>687
あなたが知らないだけ。

689 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:02:29
なんの決め手がないまま、一生こうやって無限ループ、無間地獄の中で生きていくのかと思うと卑弥呼を恨みたい気持ちになります。

690 :寸法の神:2009/09/22(火) 16:03:18
>>687
>そんな話しはないよ
デタラメいうな。

そのような赤ちゃんみたいな反応ではなく、デタラメだと言うのであればデタラメが成立しない話しを、文献的な証拠を突き付けてやればいい。それが出来ないようなら
人様を軽々しくデタラメ呼ばわりすべきではない。

691 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:06:00
>>688
> あなたが知らないだけ。

俺も知らん。聞いた事がない。君のオリジナルか?

692 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:10:24
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

693 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 16:12:09

物差しを使わない地面の歩測方法は普通の方法。
前期高齢者以上で平野の田園地帯で育った者なら誰でも知っている。
特に、奈良盆地や筑紫平野では当たり前の事。

694 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 16:20:51
>>689
決め手は十分あります。一つ例に、
投馬国のツマ地方は久留米辺りです。官の彌彌(みみ)は御井または三井郡に名残りが、
副の彌彌那利(ミミナリ)耳納山地にその名残りが。皆久留米近辺です。

695 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:30:10
まだやってたのかおまえら
もうとっくの昔に九州北部で決着付いて畿内説は沈黙して議論にならず終了してたんだが
まだやるのか?
卑弥呼は博多より南、熊本より北
その辺だよ

696 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 16:36:43
>>694
其の通り。
女王國(邪馬壹國・投馬國・不彌國・奴國・α)は、
筑紫平野(筑後平野・北野地域・佐賀平野)だから。
中心地は久留米。

697 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:39:37
>>695
君の脳内決着の話されてもね。

世間一般では箸墓=卑弥呼の墓で決着がついてます。
厳しいようですが、九州説は一部の
在野研究家が涙目なのが現実です。

698 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:42:59
確かに九州説は2chの中だけだな。

699 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:44:11
九州説では出雲や丹波の存在の説明が苦しいからね。

丹波なんて弥生後期には北部九州より栄えていた
形跡濃厚なんだろ?
大陸所縁のモノも多いのに、魏志倭人伝に
記述が無いのは矛盾するのだけどね。

700 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:45:55
>>694
その程度の語呂合わせなら畿内他に腐るほどあるけどw

701 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:46:40
>>697 世間一般では箸墓=卑弥呼の墓で決着がついてます。
お前さんは科学的方法論を勉強したことがないな。箸墓の築造時期を確定できる調査が行われたとでも
思っているのか?科学を知らぬ者が何を偉そうな口を叩いて、恥ずかしくないか。


702 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:52:04
>>699 九州説では出雲や丹波の存在の説明が苦しいからね。
女王国から海を渡った東の地域の倭種の国の中に出雲や丹波があったのさ。

703 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:52:07
>>701
つまらん言い掛かり付けてる間に
話はどんどん進んで行きますよ。

箸墓周辺は秋からは春の前調査の結果を元に
更に本格調査に入りますから。

704 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:57:22
>>703
その本格調査でどのような科学的方法(箸墓の築造時期を確定するための方法)がとられるかが問題だ。
何がどのような状態で出て来て、その実年代をどのように測定するか。方法はあるのか?

705 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:01:54
>>702
20年前ならそれでも通用したんだけどね。
今そんな主張したら普通に笑われますよw

>>704
縄文人さんかな?詳細まではさすがにね‥

706 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/22(火) 17:06:35
先ずは証拠文献を提示しておこう。

【文穎曰:介山在河東皮氏県東南其山特立周七十里高三十里】

これは漢書武帝紀の中の注釈一文であり、この文穎は後漢時代から魏時代の人。
文章を見てお分かりのように、ここに掲載されている周七十里高三十里
を、六尺一歩で換算する馬鹿はおるまい。
当時一尺一歩は別にして、六尺一歩以外の換算値が存在していたことの確かな証拠にはなるであろう。



707 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:09:37
箸墓を無理やり卑弥呼の墓にするために、炭素年代測定結果の捏造で三世紀などと発表した歴博の罪は大きい。
第二の藤村事件だ。
ちなみに箸墓は卑弥呼より百年くだる四世紀が正解。

708 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/22(火) 17:33:38
>>705
このところ仕事も忙しく、世間的なつきあいその他の雑事も多くて暇がなかった。久しぶりに覗いたら私の名前が出ているね。
しかし、このスレも相変わらず進歩がないな。まだ箸墓が卑弥呼の墓だとか巻向地域の遺跡が3世紀の繁栄の証拠だとか 科学
的とは言えない考え方がまだ残っているとは。箸墓が卑弥呼の墓であるための条件は何か?よく考えてみたことはあるのかな?
先ずは、こんな単純なことから突き詰めて考えてみることだ。

709 :ローガン:2009/09/22(火) 17:37:49
>>706
>六尺一歩で換算する馬鹿はおるまい。

別に、おかしいとは思いませんが… 馬鹿なのかな?

710 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/22(火) 17:46:32
>>709

おかしいと思わない人は、それはそれでいいと思うし、改めて疑問に思う必要もない。

711 :うましか:2009/09/22(火) 18:03:51
>>703

箸墓の調査は、別に卑弥呼の墓かを検証するためのものじゃないでしょう。
墳丘部を掘るわけでもなし、広く見れば纏向一帯の調査の一環です。


以前からこのスレには「箸墓=卑弥呼の墓」が畿内説の鉄板みたいに言う方々がいらっしゃいますが、
今はまだ布留を3世紀前半まで遡らせる人は主流ではないと思います。

712 :ローガン:2009/09/22(火) 18:06:44
では>>706

>【文穎曰:介山在河東皮氏県東南其山特立周七十里高三十里】



> 当時一尺一歩は別にして、六尺一歩以外の換算値が存在していたことの確かな証拠

にはならないという事ですね。


713 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 18:11:00
北部九州説の決め手はまだまだある。女王国(瀬高町)より去ること南4000余里(280キロ)
朱儒国(薩摩半島)からさらに東南に海の中に島で二つの国(島)が絶在している。
これは屋久島と種子島。地図上で調べて、一致するから。周りは約350キロ。これも一致。

714 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/22(火) 18:23:38
>>712
ローガンさん限定で。そうなります。

715 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:25:57
>【文穎曰:介山在河東皮氏県東南其山特立周七十里高三十里】

なんで六尺一歩で換算しては駄目なのでしょうか?
ぞちにせよ、実際に測ったわけではないと思いますが、登山するのに三十里は歩いているのでは。

716 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:26:23
>>707
別に箸墓だけが年代を遡ってる訳でもない。

>>711
>箸墓の調査は、別に卑弥呼の墓かを検証するためのものじゃないでしょう。
墳丘部を掘るわけでもなし、広く見れば纏向一帯の調査の一環です。

勿論そのとうりです。誰も卑弥呼の墓を前提として
調査する訳ではありません。
むしろそういった視線が色々重荷になるため
極力避けたい話題でもありますから。

しかし年代的に魏志倭人伝の時期と一致する
、大規模な遺跡という点は現実ですからね。


717 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:33:01
つーか、これじゃ郡から女王国までの12000余里の議論と同じじゃん。
「一歩=一尺」
これが直に明記されている証拠を持ってこなければ意味がないよ。
つまり、一歩=一尺なんて存在しなかったんだよ。ないものを生み出しても無駄。

718 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 18:42:27
>>712
理解不能。
河童虫氏が正しい。
6尺=1歩ならば、
「其山特立周七十里高三十里」は、
其山は周囲31km高さ13000mになる。

719 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/22(火) 18:46:23
>>715

登山の為の距離が三十里と考えますか?

720 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:52:47
はい。

721 :ローガン:2009/09/22(火) 18:54:08
>>718
>其山は周囲31km高さ13000mになる。

13km。頂上へ至る道のりですよ。

722 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 18:56:41
>>717
>一歩=一尺なんて存在しなかったんだよ。

其の通り、一歩=一尺ではない。
一歩は一尺より少し短い。
単位系列が違うのだ。
歩:地面の大きさを表す単位。(里はこの系列の単位)
尺:身の回りの物の大きさ表す単位。(丈はこの系列の単位)
2系列の単位を統一する時に、6尺=1歩としたと考えられる。
m尺=n歩の単位統一もあり得る。


723 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:00:44
だから、実際に登山で歩いた道のりを6尺=1歩で計算してもおかしくないだろう。
13kmにはなるよ。

724 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/22(火) 19:13:36
>>716 しかし年代的に魏志倭人伝の時期と一致する 、大規模な遺跡という点は現実ですからね。
そこが確定していないということを理解出来ませんか?C14年代測定法や年輪年代測定法の問題は抜きにしても、
出土土器の年代も確定したと言えますか?

725 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:14:47
いえる。

726 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:16:24
現資料をみろよ。
九州説はほぼ無理。

727 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:17:39
九州説はネットでしか粋がれないよ。哀れ。

728 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/22(火) 19:20:42
ご回答下された皆さん、ご協力有難うございました。

729 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 19:21:38
畿内説は方角と距離と理路整然と説明した説を未だかつて
一度も目にしたことない。


730 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/22(火) 19:30:55
魏志東夷伝の半島の国々についての記載を見ても、1里を約430mとすると実際の約5倍の距離
になる。倭人条の郡より狗邪韓国、狗邪韓国より對海国(対馬と見る)、對海国より一大国(壱
岐と見る)、一大国より末盧国(松浦と見る)の里数も1里を約430mとすると実際とは大きく
異なる。この事実から1里を約430mとしない別の里が使われていたと考えるのは自然なことだ。
つまり、6尺=1歩、300歩=1里とする体系のどこかが異なっていたと見るのは不自然ではない。

731 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 19:38:22
末盧国は松浦ではないです。博多湾の東の次郎丸とか丸の付く場所です。
マルと言うのはオマルにあるようにあれです。
脊振山地の東の糸島の南は山が南にシッポのように出っ張っています。地形を現した国名です。

732 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 19:40:09
>>731
訂正
博多湾の東×
博多湾の西○

733 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:48:07
>>707さんへ
>ちなみに箸墓は卑弥呼より百年くだる四世紀が正解。

理由や根拠を述べてください。

734 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 19:49:07
断定調で語る人がいかがわしく感じるのは何故だろう。

735 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 19:59:59
>>734
そういうあなたもいかがわしいですね。わざわざ書いたりして。
断定調で今まで、こっちは何度もやられているんだから。
あなた方は自分では使っているくせに、人には厳しいんだね。

736 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:02:22
>断定調で語る人がいかがわしく感じるのは何故だろう。

事実ならしかたないんじゃないの。


737 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 20:06:36
>>736
じゃあ、どう書けばいいの。
思うって書けばいいの?
以前思うって書いたら、思うだけなら誰でもできると書かれたよ。


738 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:12:09
邪馬台国はなかった。珍寿の捏造。(断定)

739 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:12:57
だから、史料で確認できる事実を語ればいいじゃん。
思う事を書いたって仕方ないだろう。

740 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:13:53
>>729
九州説でもないですけど。

741 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:16:16
1里=70m〜100mほどの、いわゆる地域的短里が存在していたと仮定して、魚豢ある
いは陳寿は、資料がそれを用いて書かれていることに気づかなかったということなんだろう
か?もし気がついていたら、魏代の普遍的な1里に換算して記述したと思われるが?

742 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:25:04
それは、倭人伝は晋代当時の中国人が詠むために書かれた。あるいは、史書としてもっと
後代にかけてまで読み継がれることを著者は考えていたのかもしれない。だから、当然短里
なるものの存在を知っていれば、当時の中国人の誰にでもわかるように直しただろう。

743 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 20:32:46
後漢書韓伝も短里だよ。

744 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:36:25
>>742
では、後代の後漢書韓伝なども含めて、史書の著者の元資料に対する理解は不十分だった
ということですか?

745 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:37:53
>>744
・・・・そう考えるべきではないかな。

746 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:40:41
地理はすべて一尺一歩
机の長さと海岸線の長さは同じ物差し。
違うのは、固定か移動の違い

747 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 20:56:37
>>743
>後漢書韓伝も短里だよ。

隋書東夷伝も短里

7世紀前半までに書かれた史書の東夷(蛮)伝は、全部短里で書かれてる。

748 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:00:48
>>747
これが、著者の怠慢で前掲書を引き写しただけでないとする根拠をどうぞ。

749 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:00:59
>地理はすべて一尺一歩

だから、結論を先に述べても駄目なんだよ。
そのソースを出しなさい。


750 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:05:57
しかしある程度の年配となって九州王朝などといってる輩は、これまでの人生においてど
れだけ間違いを犯し続け、人に騙され続けてきたかわかるような気がするな。

751 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 21:06:49
>>749
「そのソースを出しなさい」とか命令口調でいうの。偉そうに。
そういう言い方やめなさいよ。
断定調を批判されたからお返し。


752 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:07:39
>>750
そういう貴殿はどれ程の成功者?

753 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:12:07
醤油を出しなさい。wwwwwwww

754 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:13:39
>地理はすべて一尺一歩
机の長さと海岸線の長さは同じ物差し。
違うのは、固定か移動の違い

これだって断定してるだろう。
人にいえないだろう。


755 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:14:14
>>749

どのようなソースが希望?

756 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:15:26
だから、
>地理はすべて一尺一歩
のソースは?


757 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:16:41
>どのようなソースが希望?

一尺一歩 を設定した原文


758 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:21:11
>「そのソースを出しなさい」とか命令口調でいうの。偉そうに。
そういう言い方やめなさいよ。
断定調を批判されたからお返し。

いいや、世の為にトンデモを粉砕したいだけだ。


759 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 21:21:43
>>748
意味不明

>>750
僕は、
これまでの人生においてどれだけ間違いを犯し続け、
人に騙され続けてきたか解りませんが、
一応人生の成功者の部類に入ると思います。

760 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:23:01
石碑ですよ。邪馬台国碑です。
好太王碑、多胡碑、多賀城碑ですら残っているのに。

761 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:23:12
早く地理はすべて一尺一歩
のソースを出せよ!

762 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 21:26:48
>>758
トンデモはそちらの方。

763 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:27:07
ちょいだれかあっちのスレで唐松さんに言ってやってよw
どんだけ説明してもあかんよ

764 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:27:58
>>757
間違いがあったらいけないので、例えばどのような?

765 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:33:22
>>761

六尺為歩。

はい、出しました。

766 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:36:33
>>750

ある程度年いった人ほど、長年信じてきた事を否定するのは難しい
俺みたいに自分は頭悪いから、今までもこれからも間違いは沢山あるって理解してる方がまだ自分の間違いを幾らでも改められる
つか九州王朝自体を否定するつもりは無いけどさ
てか俺は間違いが多すぎるからあれなんだろうけど
けどそれだけ色々考えてるだけだよ
いまだに絶対にコレだ!と言えるようなものも根拠もないし

767 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:41:11
>>759
>一応人生の成功者の部類に入ると思います
ああそうか、それはよかったな。しかし「九州王朝大好き」などという看板をぶら下げてるだけで馬鹿決定。

768 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 21:41:44
>>750
九州王朝がないと言うなら、その根拠資料を掲げたりして説明を
しなよ。君が無いと勝手に信じてたって、検討してないわけで、
果たしてそうか否かを研究し、これを説明すべきだろう。

769 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:43:23
767は言い過ぎだと思うけど、古田説を歴史の真実をゆがめるものとして憎んでる人が多いのは確か。


770 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 21:44:15
>>767
そういう貴方が馬鹿決定!

771 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 21:44:33
>>757
>>561
>一尺一歩 を設定した原文
>早く地理はすべて一尺一歩のソースを出せよ!

そんなものは存在し得ません。
一尺と一歩は全く異なる概念ですから、
長さにおいて、一尺≒一歩だと云う事実があるだけです。

772 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:46:52
>>770
>長さにおいて、一尺≒一歩だと云う事実があるだけです。
このレスを見ろよ、馬鹿で悪けりゃ大阿呆だ。

773 :九州王朝応援歌:2009/09/22(火) 21:48:21
月が出た出た 月が出た ヨイヨイ

九州王朝の 上に出た

あんまり古田さんが 偉いので

さぞや畿内説は けむたかろ サノヨイヨイ

                              九州王朝さんがんばってください。

774 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 21:54:14
>>772
大阪圏の人間として、アホと呼ばれるのは光栄あることで、ありがとうございます。

775 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:55:49
こんな場末の掲示板でも、「〜は〜である」と一般的な認識とは異なる説をあげた場合
反発がくるのは必至。まあ、根拠をあげずに書き逃げする自由はあるだろう。しかしただ
強弁を続けるだけなら、それは荒らしととられてもしょうがないんじゃないかな。

776 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:59:23
蔑む侮辱の言葉「以下」  目上に対する侮辱「タコ」

777 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 22:09:45
>>772
「歩は一般的には歩行時の二歩分約130cmを示しますが、
秦時代にはその5分の1に当たる約24cmとする方が
ふさわしい記述がいくつかあります。」(他サイトからコピー)秦時代のソースを探せばいいんだよ。



778 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:18:33
>>一尺一歩 を設定した原文
>>早く地理はすべて一尺一歩のソースを出せよ!

>そんなものは存在し得ません。
>一尺と一歩は全く異なる概念ですから、

そうです。
一尺=一歩なんて証拠は、世の中にはいくら探してもありません。
ないものはないのです。探しても無駄です。
あなたもわかってるじゃん。



779 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:24:42
>>777

>歩は一般的には歩行時の二歩分約130cmを示しますが

一般的もなにもそれはないよ
歩幅なんて個人差があるから

780 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:25:50
>>730
これは当然そのように考えてみるべきでしょう。直木孝次郎氏も「360尺(6尺=
1歩とすると60歩)=1里という特別な里制があったのであろうか」と書いている。
1里を何尺と定めるかは、時代によってちがっても不思議ではない。


781 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:27:42
>>778

>一尺=一歩なんて証拠は、世の中にはいくら探してもありません。

あります。
「六尺為歩」

782 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:37:25
>>740
九州説は倭人伝どおりで説明できる。知らなかったのか?
郡から末盧国までは、まあ問題はない。その過程をみれば、倭人伝の1里がどの程度
の距離かは分かる。末盧国からは、東南陸行五百里だ。上陸するんだから、内陸部に
入るにきまってるわけで、玄界灘沿岸の前原なんぞのはずはない。当然、有明海沿岸
の佐賀付近だ。で、畿内なんぞに向かうはずがないことは明白となる。
伊都国からは放射式。学者の中でまともな人はそう読んでいる。畿内説の山尾や直木
らですら放射式が正しいって言ってる。伊都国に港があるんだから、そこから南水行
をすればよい、放射式は当然のところだ。
有明海を南下するのが南水行だ。水行二十日の先は薩摩川内、5万戸の国の中心が広
い平野であることは当然だろう。川内=投馬国となれば、水行十日陸行一月の邪馬台
国は八代付近で上陸してえびのの方へ抜けるってことだ。都城あたりが邪馬台国だな。
これなら倭人伝どおりの行程だろう。方角も日数もごまかさない。これが素直な読み
方ってんだよ。



783 :日本の名無しだす。:2009/09/22(火) 22:40:03
>>774
> 大阪圏の人間として、アホと呼ばれるのは光栄あることで、ありがとうございます。

あんさん、居直る舞えに、反論しなはれ。ほんで「アホやなあ〜」は上からのたしなめですよ。
光栄と感じた時点で自分が下だと気付いて卑屈になってわろてごまかす…。ありがちだけど
止めなはれ。笑わすのと笑われるのは全くちゃう。


784 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:46:40
>こんな場末の掲示板でも、「〜は〜である」と一般的な認識とは異なる説をあげた場合
反発がくるのは必至。まあ、根拠をあげずに書き逃げする自由はあるだろう。しかしただ
強弁を続けるだけなら、それは荒らしととられてもしょうがないんじゃないかな。


こんな場末の掲示板でも一応学問版、「〜と思う」と毎回感想を述べた場合
反発がくるのは必至。まあ、感想文を書く自由はあるだろう。しかしただ
妄想や感想続けるだけなら、それは荒らしととられてもしょうがないんじゃないかな。

785 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:48:56
四川省の戦国墓(戦国の七雄の一つである秦の時代)から出土した木牘(=木簡)によれ
ば、阡陌(=あぜみち)の幅が3歩と記されております。これを歩(長歩=6尺)で考えると4
m以上の幅となり畦道としては広すぎると思われます。通常あぜ道は人が一人通れる程度
と考えれば80cm弱で十分と思われます。このことは、1歩が25cm程度の短歩の存在を示
唆していると考えることもできます。ただ、これをもって根拠とするには弱いでしょう。

さらに調べてみたら、「戦国策、韓一」に強い弓に関して、天下の強弓は六百歩の外を射る、
という記述があり、天下の強弓は六百歩以上の射程があると言っているわけです。弓とい
っても日本の弓とは異なり、現在の洋弓に近い形のものですが、これを長歩で考えると射程
が900m以上となり、いくら強弓といっても現実離れの観がします。何よりも900mも飛ぶとなれ
ば、滞空時間が長すぎて容易に身をかわすことができそうです。これが短歩であれば160〜
170mとな、まさに強弓の名に値すると思われます。因みに日本の弓場(的場)は古来、約76m
で変わっていません。

786 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:02:17
>>647
丹波の出現期古墳はどんなものがあるのかな?

787 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:03:10
>>782
それじゃ狗奴国の場所が無くなるけど。
それに八代に上陸してえびの方面に抜けるのも、
記述の方角としてはおかしい。

俺も昔は大体その考え方で南九州に比定してたが、
結局この辺りに矛盾があるからあきらめたよ。

放射説なら何も伊都国からでなくてもよいというのが結論。
畿内方面へ向うなら半島から海流に乗って、
出雲へ向う方が早いからね。
丹波地方の遺跡を無視する事は出来ない。

788 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:10:48
>>783

>笑わすのと笑われるのは全くちゃう

世間でそういう話も聞きますが、たとえ笑わしても笑われても
ギャラC万円は同じです。
今日は笑わせたからとギャラがD万円になることはありません。

789 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:15:43
>>787
倭人伝を丁寧に読んでみな。狗奴国は戸数・道里が書かれていない国だ。旁国の一つに
すぎない。旁国というのは、大国の傍らにある小国。狗奴国の場所がなくなるなんて心
配をする必要はないんだよ。
八代上陸で都城に抜けるのは、その部分だけをみれば東南かと思うが、伊都国(佐賀市
付近)から全体的にみれば、南南東ぐらいだろう。南といって何ら問題はない。
放射説を伊都国以外のところから適用しようというのは無理。放射式を説く学者は皆、
伊都国からとしているはずだが。




790 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:16:18
>>786
紀元前後なら日吉が丘遺跡、
卑弥呼の年代なら大風呂南遺跡に赤坂今井墳丘基等。
どれも同年代では規模、出土品等でも注目する内容でしょう。
大陸との繋がりもあります。

791 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 23:21:57
>>787
魏志倭人伝を丁寧に読むことをお勧めします。
狗邪韓國から南に海を三度渡って末盧國に着くと書いてある。
「狗邪韓國⇔對馬國⇔大國⇔末盧國」は南北に一直線だとも書いてある。
簡潔に書かれている陳寿の筆法に注意を払って読んでね。

792 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:23:36
>>789
個人的にその>>782説でしっくりいかなかったのだから仕方ない。

それに投馬=出雲(丹波)比定を重視してるので、
必然的に邪馬台国はヤマトになる。
記紀や三国史記等の記述と合わせるとね。

793 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 23:26:05
出土品に埴輪があったり馬具があったらアウト。
埴輪は殉葬を止めてからの副葬物。
卑弥呼の時代は鏡、玉、銅剣、土器など。


794 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 23:26:10
邪馬壹國の場所
倭の場所
これ以外に「倭人の分布地域」「他の王朝の場所や民族の特定」「他の民族の分布」
とかも調べた方がいいよ
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Fmenu01.html%23MOKJI&hl=ja&source=m#MOKJI#MOKJI#MOKJI

てか魏志倭人伝以外にも詳しく書いてあるから、他の書物も見た方が良いよ


ちなみに倭人のいた場所や倭の範囲を今の日本国内だけと思ってると幾ら考えても解らないと思うよ
北史や南史が詳しく書いてあったかな?


795 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:26:33
>>791
その辺りの記述は何の問題も無いけど。

796 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/22(火) 23:27:34
>>789
>放射式を説く学者は皆、伊都国からとしているはずだが。

古田武彦氏は、伊都國と不彌國の2回枝分かれ説ですよ。

797 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:29:34
>>792
あなたがしっくりいかないというのは自由だが、客観的にみたら投馬=出雲(丹波)
はまったくの方角違いだ。伊都国を倭人伝に従って佐賀市付近に比定したときに、
本州方面の目はまったくなくなっているよ。


798 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:31:15
>>796
彼のは放射式とは言えないと思うよ。

799 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 23:36:52
あと出発点とかもわかって無いでしょ?
てか、例えば北京から日本に来るとして、わざわざ朝鮮半島南部まで歩いてきてそこから日本に来る人は居ないよ

青森の人が朝鮮半島南部に行くのにわざわざ九州まで歩いて行き、そこから行くのと同じだから
陸道は山あり谷ありで、あととにかく道が作られて無ければ進めないよ


あと卑弥呼が貢ぎ物をしたとして、どこの朝廷にいった事となってるの?
仮に九州から北京に行く際に、朝鮮半島南部まで舟で、あとはわざわざ陸道を歩いて行く奴は居ないよ

車なんか無いしよっぽど立派な道が無ければ馬では行けないよ
あと道てのは一直線では作られてないし山を一つ越える道は特にクネクネ道の道だから



800 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:40:16
>>797
方角違いといっても、投馬国と邪馬台国に関しては
記述が少なすぎて資料にはならないという結論です。

客観的といっても所詮現在の日本からの目線、
大陸からの目線だと場所がはっきりしないから、
おおよその場所と方角を書いたようにも思えます、
あの書き方ならね。

半島からの行程を記しているだけだと思いますけどね。


801 :日本@名無史さん :2009/09/22(火) 23:43:28
丹波に卑弥呼時代の倭人の古墳があってもなんの不思議もない。
対馬海流に乗ってやってきたんだろう。
だからといって、それが邪馬台国畿内には決して結びつかない。

802 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 23:48:17
仮に大陸からだれかが来た場合、港は
福岡、近江、金沢、石川、青森
他にもあるかもだけどこれぐらいだと思うよ
あと何処へ向かうか知らないけど、古代はそんなに沢山の道が無いよ
國(地域)と國(地域)を繋ぐ道は1本かあってもせいぜい2本だよ

あと九州南部へ行くのに鹿児島から歩いては行かない
だったら鹿児島まて舟で行くよ

あと○○から○○までの距離は歩く長さだよ

「すみません。ここから何キロぐらいの場所ですか?」
って聞かれたら、頭に地図を浮かべて直接距離で○○キロって教えちゃダメだよ
「大人の足だと歩いて○○分ぐらい」とか「だいたい○○キロ」とかだよ


803 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:48:56
>>800
畿内説をいうためには、方角を無視するか誤りと決めつけなければどうにもなりませんからね。
あなたのような見方をするのも、その意味では理解できますが。やっぱり合理性はないと言わ
ざるをえない。あなたのような見解では、倭人伝の行程を理路整然と説明したことにはならん
でしょう>>729



804 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 23:51:55
つか平地以外の道は今で言う登山道を思い浮かべてね

登山道を三時間歩いても、地図上の直接距離では数キロしか進んでないよ



805 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:54:56
>>803
まあ逆にいうと方角以外は畿内説で
大半話の整合性がある訳ですよ。現状ではね。

で、私は南九州説(都城説)から畿内説へ転換したんだよ。

806 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:55:20
>>790
注目すべき遺跡だとは言えても、畿内に7万戸の邪馬台国を想定し、丹波に5万戸の投馬国を想定する
のにあっている遺跡、古墳だとは思えませんね。箸墓が邪馬台国の作品ならば、丹波にも全長200メ
ートルくらいの初期古墳がないとね。古墳の大きさは権力の大小に比例するなんてとても言えそうにな
いな。

807 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:58:44
>>805
そうですか。惜しいことをしましたね。


808 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:01:17
>>806
200M位の初期古墳‥九州にはあるの?

809 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 00:07:15
他国から舟である程度近くの港まで来れる日本には来やすいかもしれないけど

仮に卑弥呼が中国大陸の朝廷に本当に貢ぎ物を治めに行ったとして、その朝廷のあった場所はどの辺りと思う?
大陸沿岸部は舟で行けるけど、大陸奥地は日本より道が悪いし、その間に集落が無いような所はまず行けないしそもそも道も作らないよ
あと川も舟で上がれるのは満潮時の流れが無いときだけで、それに河口付近だけだよ

逆に言えばそんな場所からわざわざ来ないよ
あとある程度交易も無いのに言葉も通じない民族の所に言って何を話しても何も出来ないよ
それに見たことも言葉も通じない他民族の奴の事を(とても偉い人だ)なんて思わないよ

あと他の王朝に「國と認めて下さい」なんていちいち許可を得る必要は無いよ


交易をしたい場合は交易が出来る場合としか交易をしないよ

810 :縦目仮面:2009/09/23(水) 00:07:33
弥生時代の丹後半島の野田川や竹野川流域の鉄出土量を考えると、大陸との直接ルートの
存在が推察できる。倭人伝の時代と考えられる、大田南墳墓群2号墓と5号墓第1主体部からは、
画文帯環状乳神獣鏡と青龍3年銘方格規矩四神鏡がそれぞれ出土している。

画文は、異論もあるだろうが蜀の官営工房で製作され、さらに楽浪郡から輸入されたと考えてる。
方格規矩四神鏡は,鈕孔の形状や正L字文であること、方格が歪んでいること等々から、魏の
年号をもつ三角縁神獣鏡の製作工人達と技術系譜が近いのではないかと思われる。つまりは
?製鏡の可能性も指摘される。

これら銅鏡についても解釈は難しいが、製作場所が異なる2つの銅鏡が同じ尾根の台状墓に
副葬された経緯を考えると、3世紀前半の三国時代の動乱の中、あるいは新しく神仙世界を象
徴する銅鏡を副葬し始めた勢力の政治的傘下に組み込まれたのではないかと考えることもで
きる。


811 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:08:25
>>808
九州説の場合、古墳の大きさは権力の大小に比例するなんてことを言わないんですよ。
大きいのがすきな奴もいれば、人民を苦しめたって仕方ないって小さいのですます王も
いるだろうって考えるわけです。畿内に大きな墓があったからといって邪馬台国には
結びつかないって考え方ですね。


812 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:19:53
>>809
倭国はたぶん朝鮮半島から鉄などを輸入していたではないですか
だから、帯方郡をおいて半島を支配している魏へ挨拶に行った
今まで様に半島と交易を続行させてくださいと

813 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:20:30
そこで古墳公共事業説ですよ。

814 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 00:33:36
>>812
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ceres.dti.ne.jp%2F%7Ealex-x%2Fkanseki%2Fmenu01.html%23MOKJI&hl=ja&source=m#MOKJI#MOKJI#MOKJI

てかその前に「魏」の場所や民族が特定出来るか調べてみ?

あと半島にいる民族は今の何民族かとかさ
てか半島は三國時代の頃ですよ

あと鉄なら別に国内で取れる
国内で取れる分で足りない理由でも無ければそこまでする必要もない
仮に鉄が当時は利権だったとしたら、その利権をわざわざ外国の他民族に渡してくれるような人は居ない


815 :縦目仮面:2009/09/23(水) 00:39:38
>>812
まあ、商売なら買い手有利の側面もあるから、韓人や楽浪人が原の辻、あるいは那珂川
河口部付近まで出張ってきて交易していたと思う。実際楽浪土器、三韓土器の出土からも
それは確認できる。倭人が半島に渡っての買い付け?もあったろうし、公孫氏と倭国の関係
も当然あったと思われる。それが公孫氏滅亡後の邪馬台国のタイムリーな魏朝貢へと繋が
ったと見るのは自然じゃないかな。

816 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 00:45:16
中国ってじいちゃんが戦争で北京に行った頃はまだ「山を1つ越えたら言葉が違う」って呼ばれてた土地

中国国内でも他民族と交易があったり無かったり様々
昔から他民族との交易が盛んだったような都市っても、、重慶や上海とかかな?
あと各陽か

沿岸部か、シルクロードの交差してるような都市ぐらいじゃないかな?
中国の人口が爆発的に増えたのも近年の事だし
基本的に生産出来る作物以上の人口にはならないよ
今は輸入とかで補えるけど当時は自給自足



817 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:56:30
>>816
中国なんて国は最近までなかったんだよ。・・・まあ、いいけど。

中国人が邪馬台国まで交易に来たんだよ、きっと。

818 :縦目仮面:2009/09/23(水) 00:58:27
あと、あまり話題にならないんだが、晋書の記述、

>舊以男子為主 漢末 倭人亂 攻伐不定 乃立女子為王 名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也
其女王遣使至帶方朝見・・・

解釈として A 名を卑弥呼と曰う。宣帝の平らぐ公孫氏なり
        B 宣帝の公孫氏を平らぐや、その女王は使いを遣わして帯方に至りて朝見す

もちろんBとするのが多いが、Aは非常に面白い。

819 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:00:35
>>815
交易ても当時は物々交換でしょ?
物々交換ても物と物って意味じゃなく等価交換の意味でさ

例えば金の価値ってどれくらいだったんだろうね?
ちなみに金の採掘量って日本が一番多いでしょ?
近年でも世界一とか二位だった気がするし

あと当時の半島は南部に倭人と秦人、北部は鮮卑人、フヨ人、女真人とかだよ

交通網が発達してない頃は、民族が広い地域に分布するような事は無いよ
移民でもすりゃアレだけど、移民っても移動する理由でもなきゃだしさ
移民先を開拓して食料を確保しなきゃだし


てか中国の皇帝ても、魏の時代って三人いたんじゃないの?
三國志によると魏て直ぐ滅んだような、、、

820 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:07:36
>>817
24史にある民族で、日本に渡来して来た民族と言えば秦氏ぐらいだよ
秦氏はもともと太秦地方から東に移民して来た氏族だよ

あと百済人や新羅人が渡来なんて良く言われるけど24史では百済王も新羅王も倭人だしさ
確かに日本でも渡来人の秦氏や和仁氏に対して新羅や百済は帰化人て呼ばれてるしさ
渡って来た人と帰って来た人


821 :縦目仮面:2009/09/23(水) 01:10:15
>>819
>物々交換ても物と物って意味じゃなく等価交換の意味でさ
まあそうだろうけど、それぞれ自分の地域に帰れば価値はあがる。それが倭人にとっての
銅や鉄だろう。

あと、>>785は俺のレスだけど、面白い議論だったのでググってみた。まあ、こんな感じで
短歩の根拠らしきものはすぐ見つかるんだけど(というか膨大な漢籍の量を考えれば大方
何かしらのものは見つかる)これを、卑弥呼の径百余歩の墓に繋げるのはハードルが高い。



822 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:11:38
あと漢人って言う民族は24史の中には居ないね
長江の南部が漢や漢城て名前だけど、ここ今の韓国の長江だしソウルの事だし

ちなみに韓は秦人と倭人が納めてて民衆とは言葉が違うってさ


823 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:16:01
>>820
渡来とか帰化ってナニ?
中国人は渡って来て物々交換して帰った人だよ、きっと。
民族はわからないけど、中国国籍の人。

824 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:23:08
>>823
だから中国人て24史の何人です?
大陸って沢山の民族がいるんだから、中国人てヒトククリにされてもだし
都市さえ別れは大陸って民族同士の移動が少なくから、都市さえ解ればだいたい解るよ


825 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:35:22
>>824
だから中国人は中国人だよ。
たくさんの民族がいるけど中国国籍を持ってるのが、中国人。
都市の名前はわからないけど、漢水の渓谷にあったっていうから、
今のソウルかな?

826 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:39:55
>>美濃もん太
魏が日本列島あるいは韓半島にあったということ?


827 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:41:57
>>825
解らないって言うか、24史に書いてなければそんな國は無かったと思うんだけどな

中国大陸の何処かに魏て言う國があった前提でしょ?
書いてないんだよなあ
倭にしろ楽浪にしろ民族や場所とかちゃんと書いてあるんだから、あれば書いてるはずだしさ


828 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:48:49
>>826
魏がまず何の意味かが良く解らないし

とりあえず倭(ヤマト)があってそのなかには沢山の國(地域)があって、卑弥呼は邪馬壹地域の女王でしょ?
そもそも倭人の卑弥呼にとっての朝廷って倭(ヤマト)じゃないの?

「魏時」とあるけどこれなに?
魏て時代の名前?


829 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:50:28
>>827
中国なんて国はなかったって言ったのはもん太じゃないか。

魏という国があったかどうかは知らないが、
国勢調査はやってるし、戸籍もつくったんだよ。
ウー・リーハンはモンゴル人だけど中華人民共和国のパスポート持ってるぞ。
邪馬台国に来て物々交換して帰ったのは、そんな人。

830 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:51:47
>>24史に書いてなければ・・・・
三国志は24史のうちでしょ?
魏が出てきますよね
それこそ戦争のあった地名とかも

831 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 02:07:46
>>830
えっと地名なの?
楽浪や帯方と同じ単なる地名なんだ?
てか確か魏は東南海の中の島なんて記述もあったし


あと中国は統一された元号を使ってた、、だっけ?
て事は明帝3年とかって元号?

これ皇帝の名前?
だとしたら昭和天皇3年みたいな事?
て事は実は元号なんか無かったの?

てかマンガの三國志によれば魏てすぐに滅んでるじゃん
そもそもが中国の皇帝を中心とした封冊制度って本当なの?

あと朝廷を次の朝廷が受け継ぐ、、とかって、例えば魏朝廷が呉朝廷になったなら、魏朝廷を受け継いでないじゃんね


832 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:16:36
>>831
いや、例えば赤壁とかの場所
現代は観光名所になってますけど、あれはあの場所で確定してないの?
許昌も洛陽も、現代どの場所って確定してますよね?
いまも城壁が残ってるし
魏の場所は揺るがないんじゃないの?

833 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:16:56
>>830
24史云々はもん太が権威付けで言ってるだけでしょ。
24史自体は、清の乾隆帝が紀伝体の歴史書の中から選んで
正史と定めたもの。
24史になければ無かったなんてのは論理的に成り立たない。

834 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 02:18:45
てか中国皇帝を中心とした封冊制度とか
中国の皇帝に認めて貰って國になったとか
中国の朝廷に貢いだとか


これって「そう解釈されてる」ってだけでしょ?
(まあ中国が言ってる話じゃなく、そう解釈したのは戦後の日本の学者なんだけど)

いちいち他國の勝手に主張する歴史を否定するつもりはないから中国も朝鮮も自分達の解釈した歴史を言ってれば良いんだけど
日本は日本で日本の歴史があるんだし、

835 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 02:24:25
>>833
良くしってるじゃん
そうなんだよね
で、清の正式な継承國としてアイシンカクラギョロを君主として、五族共生を掲げた満州國を建国した際に、満州國五族の正史としてこの24史が定められた
今は中国の歴史書とされてるけど、これ満州國の歴史書なんだよね
まずそこを理解して読まないとさあ


836 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:27:40
>>834
日本ができたのは七世紀だよ。

837 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 02:29:35
もし日本が戦争に負けなくて、シナに今でも満州國があったとしたら
この満州24史を見て
「昔は満州の皇帝を中心とした封冊制度、」とか「卑弥呼は満州の朝廷に貢いだ、、」
とか言う解釈をしてた訳?


なんか良く解んないんだよね

838 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:30:37
よくわからない

839 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 02:33:30
>>836
んなの何世紀でもいいよ
ウソ付いて2600年前とか言うぐらいなら、それが事実ならそれで良いんだし
古ければ古いほうが偉いなんて思ってないし
つかそれに日本ってのは日本民族の意味ね



840 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:37:15
>>839
24史に出てくるからねー。

つーか、日本民族ってなに?
日本民族と日本は、どっちが先にできたの?
邪馬台国には日本民族が住んでいたの?

答え1 日本 答え2 いなかった

これどうよ?

841 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:42:39
24史って、乾隆帝が選んだ物なのなら
清や女真族に都合よく書かれているのかなぁ?
どのあたりだろう

842 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 03:13:57
>>841
既存の史書に、改めて乾隆帝がお墨付きを与えたってことだろう。

843 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 05:25:27
>>840
24史の中に出てくる倭人ての今の日本民族て解釈してるよ

今は日本って国名が付けられてるから、そこに住む同一語源の原住民族を日本民族て呼び方してるだけだよ

ちなみに現在日本に来てる外国人は別の国から来た違う民族だよ
血統も語源も先祖も違う

けどその外国人も日本民族の血統に吸収されれば日本民族となるよ
渡来して来た初代の人は他民族で、2代目の人は半分日本民族のハーフってやつだよ



844 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 05:39:13
>>842
てかさ日本と清って同盟国だったでしょ?
乾隆帝て何度も日本に来てるでしょ?
日本に留学してたラストエンベラーの布義に関しては日本語ペラペラなんだし
清ってさ女真字を使ってた民族だから漢字って書かないんだよ
モンゴル人だって漢字使って無いでしょ?


で女真字を使ってた清が漢字で歴史書なんか書かないよ
あと漢の時代に書かれたとか言ってもさ、その朝廷の場所が江南や長江だったとしたら、そんな所の民族の朝廷が書いた本を、文字も言葉も違うマンチュリ人が持ってる方がオカシイとか思わない?

現に今の中国政府てこういう書物なんて持ってなかったから満州国のをそのまま使ってる訳で
この24史て日本にあった書物を日本の学者と清の学者でまとめたものだよ

三國史なんてそれこそ平安京時代から日本にあった書物だよ
モンゴル帝国にしろ漢字なんか使ってないんだから、前の王朝を次いでこういう漢文の書物を、、なんてのは無いよ
だいたい倒した相手の朝廷を引き継ぐ制度なんてねーし

845 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 06:29:25
>>843
中国はじいちゃんの頃
山越えたら言葉が違ったんだろ。

地方出身の大学生は
まず先生が話す言葉から勉強したそうだし。

だから今北京語を基に中国語を作ろうとしてる。
新疆・蒙古・チベットを同化しようとしてる。

うまくいけば十世紀後には
中国民族って呼ばれてるよ。

邪馬台国の頃は血統も語源も先祖も
違う人たちが混ざり合っていたのさ。
各々のコロニーにわかれて。

中国って何よ? 日本って何よ? 魏ってなに?

846 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:05:20
畿内説は、結局、自分でも認めるように倭人伝が伝える行程には、絶対に合致しない。
南九州説は、倭人伝の行程どおりで何ら問題はない。矛盾なく邪馬台国の所在を比定
することができる。
それについて、異論ある方はどうぞ。

847 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:22:20
>>846
同意。邪馬台国は南九州以外に考えられません。
畿内にあったのは邪馬台国と同時期に栄えた別の国でしょう。
邪馬台国と畿内は交流があったと考えられます。

848 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:02:56
>>847
大まかな全体像はOKだけど、南九州は邪馬台国でもあり狗奴国でもある。
現代風に言えば、九州地方が邪馬台国、鹿児島県が狗奴国
「南至邪馬壹國」は、
熊本の南にも九州地方は広がっていると説明しているわけ

849 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:07:28
問題は南九州が当時後進地域で、それらしきものが何も出て来ないことだな。

850 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:16:40
南至邪馬壹國の所で狗奴國を紹介しなかったのは
倭の政治的な背景を同時に表すための陳寿のワザ。狗奴國は邪馬壹國の一部ではあるが、九州地方では最後に紹介すべき位置や政治的な背景のある國
だった。

851 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:22:14
南九州は、シラス台地と呼ばれるように
地表の大変脆い火山灰の堆積台地、大雨で直ぐに地形が変化してしまう。
遺跡が大変保存されにくい土地柄でもあることは言えるだろう。

852 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:22:35
>>一尺=一歩なんて証拠は、世の中にはいくら探してもありません。
>あります。
「六尺為歩」

キャハッハ、、誰かこの間抜けな返答の意味がわかるか?
結局、自爆してるんだよなぁ。
六尺為歩からどうやって一尺=一歩が証明されるんだ、おい。

853 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 09:24:46
漢時代(後漢も含め)に諸侯や王に賜った金印で、見つかったもののうち、
漢の文字がるのは、「漢委奴国王」と「漢帰義賓邑候」だけ。
なぜ漢の字をつけたのだろう。
なぜ「漢の」と読むんだろう。
「帰」と言う字はひとに物をおくるという意味がある。帰義賓邑候か義賓邑候か
わかれば、もしかしたら、委の字はゆだねるの意ととってもよさそう。

854 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 09:31:48
「漢帰義賓邑候」と一緒に銅印「漢帰轟音邑候」という
印綬が出土したらしい。
やはり「帰」の字は「物をおくる」の意味だろう。同じ帰るが付くのはヘンだから。
それに漢の後直ぐに国名が来たのでは意味がわからない。
「委」もゆだねるという意の可能性が出てきた。奴国が金印を賜ったのかも。

855 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 09:51:03
この奴国の金印が後漢の光武帝の時に贈られたのだから、1世紀。
2世紀後半に倭国大乱があり卑弥呼が共立された。
ということは、1世紀に奴国という小さな国が次第に大きくなり、2世紀に卑弥呼が共立されて
数十カ国の大きい国が出来たということ。ということは、やはり国の成立過程を
考えると、北部九州に女王国連合は存在したと見るのが自然だ。

856 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:52:45
>キャハッハ、、誰かこの間抜けな返答の意味がわかるか?
結局、自爆してるんだよなぁ。
六尺為歩からどうやって一尺=一歩が証明されるんだ、おい。


哀れで可哀そうな奴。wwwwwwwwwwwww
わかる人だけでクスクス楽しみましょう。

857 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:06:35
>>848
卑弥呼が狗奴国との紛争を帯方郡に報告したということから、狗奴国を邪馬台国と同じような
大国だと思い込んでいる人が多いようだが、それは間違いだろう。
狗奴国は倭人伝と後漢書にその名がでてくるだけで、そのほかの中国史書には名前すらあがって
こない。中国と通交した記録もなく、その姿を消してしまう国だ。
しかも、倭人伝をよく読めば、戸数道里が書かれておらず、官も1名だけ。倭人伝にいう旁国の
一つにすぎない。狗奴国がありながら、魏が卑弥呼を「親魏倭王」としたのも、狗奴国がとるに
たらない小国だったことを裏づける。もし、狗奴国が大きな国だったならば、卑弥呼を「倭王」
に任じることは、狗奴国を敵の呉陣営に追いやることになる、魏がそんな愚かなことをするはず
はない。狗奴国が小国で、卑弥呼を「倭王」に任じても何ら問題がなかったということだ。
狗奴国は志布志湾沿岸にあったのであろう。

858 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:12:27
>>853
後漢書 順帝紀の注
東觀記曰:「葉調國王遣使師會詣闕貢獻,以師會為漢歸義葉調邑君,賜其君紫綬,及?國王雍由亦賜金印紫綬.」?音?.

葉調国王を漢歸義葉調邑君にしたというのだから、
これは 「漢 歸義 賓邑侯」 だと思う。
歸義は、「義に帰す」で、漢に降伏あるいは服属したことを示すのじゃないかな。


859 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:13:24
>>856
オレも解らん。是非、説明してくれ。

860 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:13:49
852
意味の通じない事が通用するのが2チャンネル。


861 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:17:58
>>857
狗奴国も女王国も、陳寿が創りだした概念の地域。
だから魏志倭人伝にしか登場しないんじゃないかな?後漢書にも狗奴じゃなく拘奴で登場するし。
概念同士を喧嘩させてもバーチャルゲームになっちゃう。

862 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:22:42
魏略にもあるから陳寿が創りだした概念ではない。

863 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:23:41
>>849
南九州が後進地だというのは、まちがった思い込みだな。確かに青銅文化はなかったと
思われるが、それは朝鮮半島との交流がほとんどできないという地理的な条件によるだ
ろう。しかし、南九州は、持衰の風習が示すように、中国南部とは交流をもっていたと
考えられる。それを裏づけるのが、串間から出ている玉璧だね。
そして、日向を中心としておびただしい花弁状住居の遺跡がでているが、これは当時と
しては極めて進んだ部屋割りがなされた住居だ。屋室あり、父母兄弟臥息所を異にする
と伝えられるところを彷彿とさせる。南九州が近畿地方と交流をもっていたことは夙に
指摘されているところだ。朝鮮半島からの文物は直接には入っていなかったが、それ以
上ともいえる独自の文化を花開かせていたといえるな。

864 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:43:39
>オレも解らん。是非、説明してくれ。

六尺為歩とは一尺=一歩の事である。
六は一に変換される。
言語の解体である。基準なんてない。気分で読め!




865 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:48:41
>>855
金印をもらった奴国と倭人伝が伝える戸数2万戸の奴国は同じだろう。その奴国
は、女王国以北の国として、一大率の検察を受け、畏れおののいていた。
ということは、奴国は、奴国とは別の地域にあった女王国勢力に敗れたというこ
とだろう。奴国=女王国ならば、奴国が惨めな立場になった訳が分からない。

866 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:01:53
金印が南九州で見つかったのは、邪馬台国の使者が魏からの帰路、
海賊に襲われてかの地で力尽きて果てたからだと思う。
ご冥福をお祈りします。

867 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:02:33
>>864
はあ?
なんで、六尺と書いていあるのを、一尺と読まないかんの?
じゃあ、本当の六尺を表したいときは、なんと書いたらいいの?

868 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:04:34
投馬国5万戸、邪馬台国7万戸などというと、そんな戸数は到底信用できないという輩
が多いが、そのような数字はいきなり出てきたものではない。対馬国千戸、一支国三千
戸、末盧国四千戸、伊都国千戸(魏略は万余戸)、奴国2万戸というような数字が示さ
れた上での5万戸、7万戸だ。北九州の奴国、伊都国を忌憚させるような国となれば、
当然、その奴国、伊都国よりも強大な勢力を有していたとみるべきだ。
ということは、5万戸、7万戸というのも十分に理由ありということだ。

そして、それだけの戸数となれば、これを北九州に押し込むのはどうみても無理。倭
人伝に素直にしたがって、南九州に女王国勢力の本拠地があったとみるべきこととなる。
それでこそ、魏がわざわざ使者を送り、卑弥呼を優遇したことも理解できる。
北九州の村やせいぜい郡程度の国だったのならば、魏がそれほどの対応をするであろうか?

869 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 11:05:13
>>865
それが一般的な見方ですよね。
奴国=女王国のような書き方をしましたが、
私も一般的な見方の方です。

870 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:07:06
>六尺為歩とは一尺=一歩の事である。

恥ずかしい・・・ヤフーの人もみてるかもしれねーのに
やめてくれw
2chまじで低いなww

871 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:15:46
>一尺=一歩なんて証拠は、世の中にはいくら探してもありません。

あります。
「六尺為歩」


872 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:18:31
>>870
お前、からかわれていることに気づいてないのか?

873 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:22:20
レベル低


874 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:25:56
870と872に座布団三枚。

870、ナイスボケ。
872、ナイス突っ込み。

下手な漫才聞くより数段に面白かった。

875 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:30:26
>>868
倭人伝の数字が間違ってるという前提では
その論理が成り立たないのは判るだろ?

876 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:33:41
お笑いは置いといて、
六尺為歩からどうやって一尺=一歩が証明されるんだ、おい。


877 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:39:36
>>876
されません「六尺=歩」とかいてる。

>871は
どーせバカ河童かバカ九州王朝だろ


878 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:42:45
6尺褌というのもあるし、6尺は南方系倭人である男の原点ですな。


879 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:43:30
河童なのか。河童なら河童と、コテをつけろ。
いちいち読んでしまうだろうが。

880 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:44:18
後漢の光武帝が金印を贈った国は倭奴国。
金印にも委奴国とある。
金印をもらった倭奴国と倭人伝が伝える戸数2万戸の奴国には繋がりがあるだろう。
奴国は帯方郡から丁度12000里の位置にあり、女王国の中心を成す国である。
「自女王国以北」とは奴国以北のことである。
「常治伊都國」とあるように女王卑弥呼は伊都国に居て一大率を使っていたのである。

881 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:55:21
>>880
なるほど。女王之所都と常治伊都國は同じことを書いていると読むわけね。
よって、伊都国=邪馬台国。千戸=7万戸。さっきの六=1よりもすごい、
数字の魔術だ。

882 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:04:30
>>875
そうゆう前提をとるということは、倭人伝に合致した読みができないと認めることだね。
私は、倭人伝が正しいか、正しくないか、それぞれの記事を検討して判断するという立場だ。
例えば、一大国は地理的に壱岐以外には考えられないから一支国が正しいだろう、邪馬壱国
は後漢書、隋書などに照らして邪馬台国が正しいだろう、とかね。
戸数については、検討しても疑問を持つべき理由はなかったということだ。

883 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:07:26
自分の結論に合わなければ、南を東と読んでしまうような人たちだから。
漢字の読み方何か議論しても始まらない。

884 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:22:53
>>883

御意

885 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:28:53
>>862
魏略曰文は、唐の張さんが参考文献として掲載したので、魏略原本に書かれていたかどうかはわからない。

886 :ローガン:2009/09/23(水) 12:33:43
>>885
> 魏略曰文は、唐の張さんが参考文献として掲載したので、

雍公です。

887 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:34:35
>>881
女王之所都と常治伊都國は同じことを書いていると読むわけね。
よって、伊都国は女王国の都、女王国=邪馬台国。千戸は首都の戸数、7万戸は国全体の戸数。



888 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:34:59
>>882
文面から察するに>>868は戸数がおかしいと主張する人に向けた主張だろ?

倭人伝の戸数が間違ってるという人には倭人伝の数字を根拠にしても
循環論法になって説得力を持たないということ言っているだけだが。
発掘物や後代の人口等の資料をもと戸数に疑念を抱いている人たちには
何も検討していないのと同じに見えるだろうな。

889 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:35:18

C→Am→F→G7→?


?= 黙って「C」

890 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:36:32
探せばあります。


五尺為歩

891 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:40:31
>>886 サンクス

892 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:48:00
>>890
だ〜〜か〜〜ら〜〜 それはずっと下った時代。

こいつトロクサ・・・・



893 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:53:46
トロでクサヤは作れません。
残念でした。

894 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:59:18
そうそう
八尺為歩や六尺四寸為歩も探せばあったな

895 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 13:08:00
戸数は、実際に家族が住んでいたのはその3分の一の家屋


対馬 1000÷3×5人=  1665人
壱岐 3000÷3×5人=  5000人
末盧 4000÷3×5人=  6665人
伊都 1000÷3×5人=  1665人
(魏略 10000÷3×5人=16650人)
奴国10000÷3×5人= 16650人
不彌 1000÷3×5人=  1665人
投馬50000÷3×5人= 83330人
邪馬70000÷3×5人=116665人

女王国連合計       233305人(248290人)

何度も言うけど、家族の住む家だけを数えることは無理です。
当然家の数は多く数えられているし、戸数見ればわかるけど
相当アバウトな数です。その戸数をそのまま鵜呑みにするのは馬鹿。

北部九州は他地域より人口密度は高かったでしょう。



896 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 13:32:24
>>865
奴国を博多湾岸の国に比定すると1世紀の漢委奴国王印との関連から一見よさそうに思える。しかし、末盧
国から東南に陸行して五百里の伊都国は佐賀市北部となり、そこから東南百里となれば博多湾岸ではあり得
ない。佐賀県南東部に奴国があったことになる。ここで、注目したいのは其餘旁国の最後に奴国が登場する
ことである。この奴国は前に出て来た奴国と同じであるとする見方があるかも知れないが、私は違うと見る
べきだと思う。なぜなら、前に出て来た奴国については戸数、道里を書いてあり、戸数、道里など詳しいこ
とが分らない旁国として記載された奴国とは明確に区別されているからである。この旁国の奴国が博多湾岸
の奴国ではないかと思う。倭人伝には1世紀に漢から国王印を貰った奴国がその後どうなったか書いてない
が、2世紀末には倭国大乱があってその収拾策として卑弥呼が女王に共立されたと書いてある。ということ
は其の前の男王の時代は奴国が盟主となって倭国を纏めていたと考えられる(他の国が盟主となったような
ことがあれば何らかの記述があってもよさそうだが、それはない)。しかし、大乱が起きた。ということは
奴国の指導力が失墜したことを示す。そして、卑弥呼共立で収拾されたのは、博多湾岸の奴国に代って邪馬
壹国(およびその同調国)の勢力が優勢を占めたことを物語る。奴国の衰退がどのようないきさつであった
かは記述されていない。王が凡庸であったからかも知れないが、恐らく奴国内部の分裂だろうと私は推測す
る。邪馬壹国と親しい勢力が博多湾岸から佐賀県南東部へと移動して新しく奴国を立ち上げたのではないか。
これが倭国大乱の時期に起った。このように考えれば二つの奴国が説明できる。一つの試みである。

897 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:53:48
尺為歩はねーよ。
絶対に見付からないと断言する。


898 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:57:56
>トロでクサヤは作れません。
残念でした。

つまんねー事いうなよ、河童。




899 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:58:44
尺為歩は基準となる概念だから
見える形にすれば、六尺為歩、五尺為歩、八尺為歩、六尺四寸為歩

900 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 13:59:48
>>896
五百里は約35キロ
目視で計ったとして誤差を考え、実際はもっと短い距離だと見るのが普通。
それと地図上の直線距離にやや多く見積もらないと。
佐賀へは山があるので曲線で40キロ、これは地図上の距離だから実際はもっと多い。


901 :合羽虫:2009/09/23(水) 14:06:00
>>897
一尺為一歩があると書き込んだ人間がそう書かれた史料をていじすればいいだけの事。
書いた以上それが最低限のルール。

902 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 14:10:59
また末盧がなぜ松浦なのかわからない。
ただ音がにているだけでその一点をもって比定するのは無理がある。
他にも条件がないと。
それとかつて後漢と通交した奴国が博多湾にあるというのに
なぜ唐津湾なのかということ。
普通は国の主力を博多湾に持っていく。
博多湾の奴国の隣に伊都があってここが諸国の監視所。
伊都は博多湾の東南500里(35キロ)
誤差を考えて太宰府とするのが適当。

903 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:11:17
>>901

ほら

六尺為歩

904 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:21:23
キャハハ、
903はたぶん馬鹿だ。

905 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:25:17
六尺為歩
を提示してどうするの?
一尺為一歩を提示して下さいといっているのにね。

結局、この人は六尺為歩の方を証明してるんだよね。
短里説諸君、残念でした。

906 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 14:29:58
近畿説といっても所詮ヤマトの音、ただその一つだけを以って
根拠にしているけど、
実際近畿の朝廷が大和王朝ではなく別の名前だったら、いったいどう
説明したのかなって興味ある。


907 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:35:15
>一尺為一歩を提示して下さいといっているのにね。
結局、この人は六尺為歩の方を証明してるんだよね。
短里説諸君、残念でした。

いかなる説も、
裏がとれなければ、糞の役にも立たないという事がわかりました。

908 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:35:30
>>905
を見ていると、まるで五年前の自分を見ているようだ。
おもろい

909 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:38:57
>>906
>近畿説といっても所詮ヤマトの音、ただその一つだけを以って
根拠にしているけど、
いくらなんでも勉強不足ですよw

910 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 14:41:54
>>909
日本書紀?
年代測定?
土器の年代?
どれもあてにならないものばかりw

911 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:44:43
>>910
君の頭の中ででしょ、
世間的には合致してますよw


912 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 14:46:05
>>911
そんな反論しかできないってかわいそw

913 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:46:32
>>907
一尺為一歩なんて何処の世界にも存在しない。

914 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:50:27
913
という事でいいですね。

915 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:50:49
>>904

哀れだな

いい加減に「一尺為一歩」なんてよせ。見てて恥ずかしくなる。「一尺為歩」だろwww

916 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:52:14
>>912
事実を指摘されたからといって
むきになるのは良くないですね。

実際考古学の世界では、現在大半畿内説ですよ?
信じたくないのは仕方ないのかもしれないけど。

917 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 14:54:57
>>916
あなたは大和王朝がヤマトと言う名前ではなく別の全然違う名前だったら
どう考える?
倭人伝の記述を見て、やっぱり近畿だと思うかなあ?

918 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:58:03
>>916
大半が畿内説と言うなら、具体的な数字をあげてみろ。
数字の裏付けもなく、脳内判断だけで人を馬鹿にしているのか?
大半と言う根拠をあげてみろ 愚か者が

919 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:00:41
だから、一尺為歩なんてどこの世界にもないよ。

920 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:00:45
>>914
俺に殺しのライセンスでも与えてくれるのなら
返事してやってもいいぞ。

921 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:00:50
>>917
読む限り少なくても北部九州では100%無い、とは思いますね。

では南部九州か?と考えたら、倭人伝の時代、
明らかにそれらよりも大陸や半島と
関連の深い国を候補として考えます。

となると出雲や吉備、畿内に候補を求める事になりますね。

922 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:06:50
>>919

ほら   「六尺為歩」

923 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 15:09:17
>>921
そんなに刺青の裸足の馬もいない倭人社会が其の時代に近畿で統一王朝を作って
発展していたんだったら、もっと日本は早く発展してたですよね。
でもそう思うんだったらしょうがないw

924 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:09:48
>>918
具体的な数字は無いですね、そんな統計知らないし。

しかし論文等や講演を拝聴する限り、
最近は考古学界では畿内説が主流なのは
判ると思いますけどね。

925 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:10:12
>>919
尺爲歩を六回唱えろという御託宣じゃねえの
それで六尺爲歩

926 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:13:33
「一尺為歩」と「六尺為歩」は違うだろう。
声を出して読んで見よう。
君は一と六の区別が付かないのか?



927 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:16:23
>>924
すると>>916はマインドコントロールというやつですか?

928 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:16:41
>>923
倭人伝の時代に統一王朝はまだないですよ。
せいぜい西日本一帯でしょう。

それにこの時代海運主体なのは言うまでも無いことです。

929 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:17:52
>>923
だから朝鮮半島の国より優位に立ってるじゃねーかw
そんなことも知らないの?

930 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:18:21
922は、たぶん馬鹿だ。


931 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:20:33
>>927
2chの書き込みがマインドコントロールになるなら
九州各地の自治体のイベントや映画は布教活動ですかね?

932 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:21:20
>>923
史的唯物論者か。
まあ、日本は世界を見回しても十分早く発展してる方だと思うぞ。

933 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:21:45
>>922は、たぶん河童。
いいかげん、コテつけろよ。あぽ〜んできないだろ。

934 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:24:15
見ず知らずの他人に対し、安易に「馬鹿」と言える精神構造ってなに?
家庭での躾の失敗作品か?

935 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:25:16
河童は世間を甘く見てないか?
一と六は別物、通用しないものは何処に行っても通用しないんだよ。

936 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:26:43
>>935
河童は想像上の生き物だから、世間をどう見てるなんて設定はないでしょう。

937 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 15:27:09
>>928
へえ、畿内説ってそういう説なんだww

938 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:27:43
サイコロを見ればわかる。
一と六は表裏の関係にある。

939 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:32:30
>河童は想像上の生き物だから

それが落ちか。

940 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:32:50
>一と六は別物、通用しないものは何処に行っても通用しないんだよ。

>>935必死だな

941 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:34:35
>>939

落ちじゃないだろう。 いきなり河童なんて飛び出すから
流れからして河童の話じゃないから

942 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:36:11
>>938

>一と六は表裏の関係にある。


サイコロだからじゃないの?

943 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:37:17
でも、何で最初から死に者狂いになって六を一に置き換えるんだろうね?
先ずは既存原文史料、それから説の構築だと思うんだけどね。
河童の場合、先ずは結論になっている。嘘から始ってどうする?

944 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 15:39:20
不彌国と奴国は100里しか離れていない
伊都国と奴国も100里だけ。
100里は7キロくらい。
対馬も壱岐もあの範囲だし、
倭人伝の魏に朝貢している国に初めは異常に小さい国だね。
あのころの国ってのは今の市町村の大きさと同じだよね。

945 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 15:39:52
>>902
豊臣秀吉が朝鮮出兵のために松浦半島に名護屋城を築きました。その地は海賊松浦党の城跡でした。秀吉が
なぜ博多湾岸でなく松浦半島に拠点をおいたのか考えたことがありますか?現在ではエンジン付きの船で博
多と釜山が結ばれていますが、昔は安全な航路としては松浦半島ー壱岐ー対馬ー韓国が一番だったのです。
したがって、末盧国を松浦の地に比定するのは無理ではありません。



946 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:45:16
>>928
>倭人伝の時代に統一王朝はまだないですよ。
>せいぜい西日本一帯でしょう。

西日本一帯も難しい。
北部九州、南部九州、出雲、吉備、大和盆地、程度の纏まりで
各勢力は独立している様な状態でしょう。

>それにこの時代海運主体なのは言うまでも無いことです。

邪馬台国の中心地も内陸ではないでしょうね。





947 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:47:18
>>945
末盧国は唐津より呼子の近辺だろう。

948 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:47:36
>>945
縄文人から初めてまともな意見を聞いた気がする。

949 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:00:29
畿内説って卑弥呼がいたところが奈良と見ているんだよね。
それじゃ女王国っていったいどこを 指しているのかなあ?

950 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 16:03:56
>>948
あなたが成長したのでしょう。私はあり得ない話はしていないつもりだ。

951 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:11:42
>>944
「今使譯所通三十國」の國は國邑のことで今の市町村の大きさ
可五萬餘戸の投馬國と可七萬餘戸の馬壹國は國邑ではなく國邑の連合体。

952 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:18:57
>>943
河童ってなんだよ?

953 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:21:39
一尺為歩の原文は、六尺為歩だろ。
一尺為歩があるから六尺為歩の論は成立するんだから

954 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:34:28
>>949
女王を共立した諸国の総称ですよ。

955 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:34:44
>>951
奴国が2万、不彌が千、だから平均をとって一小国は1万位だとするよね。
すると投馬国は5国、邪馬台国は7国分を連合しているってことだよね。

一小国5千とみても投馬国10国、邪馬台国14国位合併したってことかな。

956 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:36:19
>>954
でも女王国まで万二千里とあるから、一応総称でもどこだと見ているの?

957 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:47:22
>>956
入り口が山口(長門)辺りでしょう。それから瀬戸内に面した
伊予、讃岐、吉備、播磨、紀伊。
それに近江、山城、志摩、亀山、伊賀辺りですね。
名前が判別している傍らの国です。

958 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:51:01
たまには頭を休めてお茶にしてください。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4765713

959 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 16:54:02
>>957
ありがと。
畿内説は南が東なら北が西なんだよね。
傍らの国の境界の奴国の南(東)が狗奴国だと。
そうすると狗奴国は卑弥呼の都の東、西のどっちかな?

960 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:55:41
>一尺為歩の原文は、六尺為歩だろ。

何を意味不明な事いってるんだよ!
何で六尺が一尺になるんだよ。

>一尺為歩があるから六尺為歩の論は成立するんだから

こいつは馬鹿だ。


961 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:59:47
戸数についてあれこれあるみたいだけど
倭人伝の戸数は国の大きさを現してると思った方がいい
投馬国は水行二十日の大きさであり
邪馬台国は陸行1ヶ月の大きさなんだ
殆どの人は国を都市のように思ってるけど
倭人伝ではそう扱ってないことが行程記述で見て取れる
だから、投馬国は四国
邪馬台国は山口から畿内(もしくは東海地方?)までの地域

962 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 17:01:47
>>957
伊都国は女王国に統属しているわけだから、伊都国は山口より東だよね?

963 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:02:22
>一尺為歩があるから六尺為歩の論は成立するんだから

何で?

964 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:05:43
>>959
狗奴国は九州南部一帯でしょう。

ひょっとしたら四国や
紀伊半島南部一帯に勢力を持っていたとも
考えるので、方角を指せと言ってもむりですね。

それに畿内説と言っても私は方向修正しませんから。

投馬・邪馬台国への行程が里数から日数へ変わるのは伝聞情報で、
半島から大まかな行程、方角をさしているという説です。

965 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 17:09:55
>>964
方向修正しないの?
じゃ南の一箇所だけ?
じゃあ、女王国より北の国ってどこ???
山口の北にあるのが伊都や壱岐や対馬なんだ。

966 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:10:32
>>963

六尺為歩は使用目的によって作られた換算値だから。

967 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:16:27
>>965
そうなります。
方向修正はしないと言いましたが、
現在の感覚でなら多少は必要ですね。
それは九州説でも同じ事だと思いますよ。
対馬〜壱岐へは南では無い事や、伊都=前原説と同じです。

968 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:18:14
>六尺為歩は使用目的によって作られた換算値だから。

だからっていって、何で一尺為歩が存在する?
文献の何処にそんなルールが書いている?
勝手にルールを作るなよ。
何処にも書いてない事をいうなよ。
韓国陸行説みたいな事いうなよ。


969 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 17:20:27
>>967
で伊都はどこを比定しているの?
それで、対馬や壱岐は女王国には数えられないの?
女王国の入り口が山口だから。

970 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:35:33
>>968

では、六尺為歩のルールはどこに書かれていますか?

971 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:41:11
三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、
(言語虫の言葉を抜粋)


972 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:42:52
>>968

>だからっていって、何で一尺為歩が存在する?

六尺為歩、五尺為歩、八尺為歩、六尺四寸為歩


>文献の何処にそんなルールが書いている?

六尺為歩

>勝手にルールを作るなよ。

昔の人がそうしたことなので、赤ちゃんみたいなこと言わないでください


>何処にも書いてない事をいうなよ。

六尺為歩

>韓国陸行説みたいな事いうなよ。

韓国陸行説とこの一尺為歩の関係を、400字以内で説明してください。
私は一度も韓国陸行説なるものを述べた覚えがないので

973 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:45:11
>>971

>三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、

そうですよ
誰か非公式だなんて言ってる人がいるのでしょうか?
そういう人が居るのであれば、ここに連れてきてください
私が相手いたします。

974 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:45:34
数は六を以て紀となす。符、法、冠、皆六寸。
而して
輿は六尺。六尺、歩と為す。
      (史記、秦始皇本紀)



975 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:48:13
>>だからっていって、何で一尺為歩が存在する?
>六尺為歩、五尺為歩、八尺為歩、六尺四寸為歩

で一尺為歩は?

>>文献の何処にそんなルールが書いている?
>六尺為歩

で一尺為歩は?



976 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:49:12
>>971

私が言ってるのは、「では、六尺為歩のルールはどこに書かれていますか?」

その答えが
>三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、
(言語虫の言葉を抜粋)

なら

今後、言語虫さんの言葉はここでの証拠ということでいいですね?

977 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:51:58
>>974

そうですよ
だから先ほどから、使用目的から作られたものだと

978 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:53:37
974の方が証拠になるんじゃないの。


979 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:57:38
>>960

>>934を参照

980 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:58:38
>>969
対馬や壱岐は女王国ではなく伊都国の管轄でしょう。
つまり後年の倭国伝で、筑紫より東が倭と記述されてるのと
同じです。

981 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:58:50
河童がいくら騒いだって世の中は河童のいう通りにならないよ。
河童も子供でないならそれくらいわかるだろう。
意味不明な言動はよせよ。

982 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:00:15
>>978

どちらも価値は同じでしょ>>976は必死で証拠見つけ出したのだから
その行為はむげにはできません。
これからも使わせてもらいましょう。

983 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:05:22
>三世紀の遥か、大昔から「六尺一歩」は“公式”なんじゃけどネ、
(言語虫の言葉を抜粋)

そして魏志倭人伝も公式記録だ。
公式の基準で書いてある。


984 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:07:55
>>981

河童がいくら騒いだって世の中は河童のいう通りにならないよ。
河童も子供でないならそれくらいわかるだろう。
意味不明な言動はよせよ。


だからうまく丸め込まれたふりをして
同調してうなずいていろと?  そういうことですか?
どっかの太鼓持ちのようにお座敷毎の風見鶏は性に合わないもんでね

で、

河童って?  どこにそんなのいる?








985 :日本@名無史さん :2009/09/23(水) 18:08:32
>>980
ありがと。じゃ、伊都国はどこかな?
伊都国は女王国の中だから、山口以東だよね。

986 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:10:39
径100余歩は
公式に換算すれば、径145m余りだ。

そんな墓は3世紀の九州にない。
あくまでも公式換算で考えるなら、九州説は成り立たない。
公式換算で考える説が出てくるのは必至なのに、畿内説を論外とする神経はわからない。

987 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:11:10
それにしても「短里」「短里」とお題目唱えてる連中も
情けね〜ナ〜
急に大人しくなっちゃったよ

せっかくここまでお膳立てしたのに・・・・  馬鹿見て〜

988 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:14:57
>>986

>径100余歩は
公式に換算すれば、径145m余りだ。

公式に換算したら 測れない。


六尺一歩の換算の意味分かっていますか?

>>974をじっくり参照してください。




989 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:15:29
公式換算では畿内説が成立。
解釈換算では九州説が成立
でいいんじゃないですか。

どっちをとるかですよ。

990 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:38:03
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

991 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 20:03:06
>>987
私は短里というものは知らないが、魏志東夷伝の半島の国々や倭人条の郡から狗邪韓国、對海国、一大国を
経て末盧国に至るまでの里数記事の数字を見ると1里=約430mでは実際の3〜5倍の距離になってしまう
ことから、あなた方の言われる公式換算(6尺=1歩、300歩=1里、1尺=約23cm)は適用できないと
考える。したがって、別の換算方式がとられていると見る。この考えは間違っていますかな?

992 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:08:14
>>991>1里=約430mでは実際の3〜5倍の距離になってしまう
・なぜそのようになっているかお考えがありますか?推測でもあればお聞きしたいです。
・このような公式以外の基準が用いられていたことを、陳寿または魚豢らは知っていたと
 お考えですか?

993 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 20:35:16
倭人伝を読む場合には先ず書かれてある通りに読む。不可解な点があれば他の文献と照合する。もちろん、
方角は8分割表示であるがこれには±30度のゆとりは持たせる(例えば南であれば南南東から南南西までを
含むと考える)。里数で示された距離は1里≒430mの1/3〜1/5として考える。
以上の読み方で邪馬壹国の所在地を探すと熊本県辺り(7万余戸の超大国であることを考えると宮崎県もそ
の版図に入る)となる。たびたび述べたように水行二十日や水行十日陸行1月は張政等の任務遂行報告書に
記載された投馬国の要人達との会談を含む旅程と邪馬壹国内での示威的、宣伝的および歓迎的行進の旅程よ
り出されたものとして説明できる。畿内説派の皆さんはこのような素直な読み方を真剣に検討する必要があ
ろう。

994 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/23(水) 20:41:10
>>992 ・なぜそのようになっているかお考えがありますか?推測でもあればお聞きしたいです。
なぜでしょうね。私には分りません。ただ実際がそうなっていますから、それで考えるほかに仕方がない。
急用が入りましたのでまた後ほど。


995 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:42:50
そんな叙述トリックみたいな読み方が素直とは思えないけど。

996 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:45:25
>>993
>里数で示された距離は1里≒430mの1/3〜1/5として考える。
これは多くの九州説で採用されている方法です。しかし、どうしてそうなっているかの説明は
周髀算經などによるものをのぞいて多くはありません。この理由の説明をぜひお聞きしたい
です。
また、縄文人さんは、過去に「三国志は中国人が読むためのもの」のようなレスをされていた
と記憶していますが、とすれば倭人伝の編者などは、元資料が特殊な度量衡に基づくことを
知らずに転記したのでしょうか。倭人伝(東夷伝)の部分だけ公式尺度と違っていたのでは読
者の誤解を招くと考えられます。


997 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:56:08
なんか罠くさいな。縄文人は逃げて正解だね。

998 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:24:51
>>996

>倭人伝(東夷伝)の部分だけ公式尺度と違っていたのでは読
者の誤解を招くと考えられます。

読者の誤解を招いたのは近世になってからでしょう。


999 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:33:41
そうかな?当時の中国人読者は、倭人伝の1000里を実際より長い距離と考えたんじゃ
ないの。もちろん本人にはわからんだろうが。

1000 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:38:41
魏略も短里だし
短里はたぶん公孫氏が使用していたのだろう。


1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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