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【大名】江戸三百諸侯について語ろう8【藩主】
- 1 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 07:09:04 ?PLT(16000)
-
前スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう7【藩主】
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http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1241003954/
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【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】
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【大名】江戸三百諸侯について語ろう3【藩主】
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【大名】江戸三百諸侯について語ろう2【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220359847/
【大名】江戸三百諸侯について語ろう【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1210810352/
- 2 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 15:59:26
- かわいそうだから2踏んでやるよ
- 3 :日本@名無史さん:2009/09/17(木) 16:55:26
- 1乙
- 4 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 00:35:32
- 乙
- 5 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:13:34
-
_,、-―‐- 、
//`: ヽ――- ミマヽ
__/:: /: : : : : : : : : : : : :  ̄ ̄`丶、
/ / ̄: : : : : : : : : `丶、: : : : :\::\丶
/: :.//: : : : : : : : : : : :ヽ\: :\:ヽヽ: :ヽ >>1乙
___{: :/: : : : : ',: ヽ: : :\\\、:::::.:ヽ: ヽ\ヽ
|/:::〈:Y:/: : : : :.:!、!ヽ:::\ヽ: ヽ>_¨`丶:\:ヽ',|ヽ ____
. --===〈:.|:{:.:|: :|: : :| |,.-=\:ヽ\:Yfら`ヾ \|ヽ! ! !:::::::::::::|
. //::::::::ハ|ハ :!: :!: : :l'| ,ィうヽ`ヽ\| ゝ┘ {ヽ: :{ .|________|ハ
//::/:,':ヽ',:|ヽ|V::! -{、マ> 、 ;/: : ':, | UCC_! |
. !;' | / :i: ::::::\;|-ヽ、 '_, 八: : : ヽ. (ヽ|coff. ゝ`V
. l' !':.:.:i ::::::::::|:ヽ、ゝ. < / ハ::::',:::: : :ヽ .ヽ!---(二ヽ〉
|: :;:j ::: : : l::::::::`ーへ ,イ::::::::',:',::: : : ヽ !;';';';'ゝ、_ヽ〉
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- 6 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 20:54:33
- >>1000 名前:日本@名無史さん :2009/09/18(金) 19:37:23
各大名は将軍の家来
∧∧
Σ( ・ω・) エッ?
_| ⊃/(___
/ └-(____/
↑
将軍の代替わりや新しく大名になった者には将軍に対し主従関係を誓う
血判つきの誓詞を提出するんだが。
- 7 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 20:59:48
- 喜連川はどうなってたんだろうな。朝廷との間で何かやりとりしてたのか?
近衛家とかでも領内支配は町奉行所と折衝するのが通例だったようだし、やはり幕府と
何らかのやりとりをしていたのだろうか。
- 8 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 22:54:37
- >>7
無位無官が何も出来るわけがない
そもそも朝廷の直接接触は幕府が禁じてるだろ
- 9 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:03:00
- 大名は調停の家臣で、幕府指揮命令権があるだけでは?
- 10 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:27:46
- 前スレ>>996
今「風雲児たち」の最新刊で其のあたりやってるが
江戸に乗り込むんじゃなくて朝廷守護で京に乗り込み、が題目
其の武威をバックに幕府に更なる脅しをかけよう、て腹だったと解釈されてるな
久光が後に似たような事やってるよね、これはほんとに乗り込んだわけだが
この辺りやはり兄貴の影響はあるかもしれんね
- 11 :日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:29:15
- >>9
諸大名は将軍家の臣下
直答すら許されない
- 12 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 01:20:49
- >>8
島津三郎久光
- 13 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 06:19:36
- >>8
wikiを見たところでは喜連川の歴代は左兵衛督になる場合が多く、これは従四位下相当らしいけど。
臣下でない喜連川がどこまで幕府の秩序に従っていたかは実例を見ないと判断できないだろう。
- 14 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 06:49:28
- >>12
幕末の混乱期にドサクサに紛れて・・・
- 15 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 07:48:44
- 喜連川氏
【官位】無位で官名(左馬頭、左兵衛督等)の自称許される唯一の家
【石高】五千石(実高一万石余)
【伺候席】無席(実際は大廊下→大広間→柳間→大広間と変遷)
【家格】御所号
武鑑では享保頃より十万石大名の末に記載されている。
殿中での装束が無位無官の為に素襖。これは屈辱だったかも。
- 16 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 08:07:33
- 官名は名乗れるのに無官って?
大名も官位はすぐに返上するから官位自称じゃないの?
- 17 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 08:46:29
- 藩主個人ではなく家としての家格をあえて順位付けすれば…
@尾張徳川家(極官:従二位大納言)
@紀伊徳川家(極官:従二位大納言)
B水戸徳川家(極官:従三位中納言)
C加賀前田家(極官:従三位宰相)
D彦根井伊家(極官:正四位上中将)
E会津松平家(極官:正四位下中将)
F薩摩島津家(極官:従四位上中将)
F仙台伊達家(極官:従四位上中将)
・
・
・
C
- 18 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 09:37:58
- >>16
江戸時代、官名が名乗りに出来るのは諸大夫(従五位下無官)以上。
武家官位の場合、官職は侍従以上を言う。
- 19 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:26:15
- 四品が約束されていた家格を有する『譜代大名』
@彦根井伊家
A酒井家(雅楽頭家)
B小笠原家(豊前小倉)
C榊原家(越後高田)
D酒井家(左衛門尉家)
- 20 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 10:28:37
- なんで酒井雅楽頭家って大老就任の格から外れたんだろう。選ばれなかったんじゃなくて、
格下の老中に就任したことから格が下がったと見るべきだよな。
- 21 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:09:44
- 松前家とか宗家の参勤交代は,3年1回→6年1回ですよね。
この場合,嫡子の在府はまあ当然としても,正妻も在府なのでしょうか?
正妻が在府なら,2〜5年も正妻と会えないんですよね
- 22 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:15:39
- >>20
幕末の忠績は一度老中を退いた後、大老に就任してるよ。
- 23 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 11:51:31
- 元禄期、喜連川昭氏を三河国吉田十万石に封じ、
正四位下中将に叙すると吉良上野介から内示があったとか。
これが赤穂事件で夢と消えたそうな。
喜連川の史料にはあるのだが吉良や上杉の史料にはなく
信憑性は低いみたい。
- 24 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:56:02
- 特別の功もないのに10万石に加増ってありえないね。
そんなことしてたら幕府が潰れてしまう
- 25 :日本@名無しさん:2009/09/20(日) 01:49:31
- 十万石「格」にするってことだったのかもよ。
- 26 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:49:35
- 幕府初期の領地インフレ時代、
それも綱吉時代なら、もしかしたらあり得たかも。
- 27 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:09:04
- 官位ならインフレできるんだが
(つか、長い間には確実にインフレする。朝廷の大納言がいい例。)
土地は物理的に限界があるからなあ。
- 28 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:18:27
- >>25
もともと十万石格だ罠。
>>26
確かに収量増加や新田開発が進んで表高と実高の乖離が進んだのは寛永〜元禄期
だからねい。天領の検地をやり直して十万石を捻出するのはできなくはないね。
- 29 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:47:27
- 高田に大きい空きができたんだし、10万石作るのは簡単だろうけど
喜連川にくれてやるくらいなら、犬に食わせたほうがマシ。
まさに文字通り。
- 30 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 09:24:22
- 喜連川なんて高家で十分だろ
- 31 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 10:31:45
- インフレってそういう意味だっけ?
- 32 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 12:12:43
- 元禄期当たりでは,喜連川には何の功績もないだろうに。
そんな喜連川に10万石やるくらいなら,岩松新田に500石くらいやれよ,と思う。
- 33 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 12:59:13
- ジャニー喜連川
- 34 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:28:47
- 喜連川の温泉付き分譲地。
なんか売れてないみたいだな。
- 35 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:38:13
- >>32
家康に系図を渡さなかったからそれは無理
- 36 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:41:23
- >>28
うまい・・・うますぐる
- 37 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:05:57
- >>32
綱吉がどんな人物だか忘れてないか? がちがちの朱子学信奉者で、
御料を1万石から3万石に増やし、御陵を巨額な資金をかけて修復するなどの尊王家。
功績が何もなくても、喜連川家みたいな特殊な家を優遇する可能性は十分にある。
- 38 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:59:04
- 喜連川って何か特産物でもあるの?
- 39 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 16:39:07
- 秀忠・家光の頃だって外様国持1つ改易で領地ぐらいなんとでもなっただろ
細川や有馬とか意味なく加増されてる連中も結構いるし
- 40 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 17:36:45
- >>38
存在そのものが特産物
10万石格、御所号、なんとは言っても鎌倉公方
権威大好きの綱吉にしてみれば、優遇しない理由が無いよな
- 41 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 17:47:19
- 足利将軍嫡流ならともかく、鎌倉公方(しかも血筋的には小弓の方だっけ)の子孫というだけで
そこまで優遇するとも思えないけど、独裁者綱吉に限ってはさもありなんってところか
喜連川に10万石やるぐらいなら平島に千石でも与えてやれば良いのにw
- 42 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 17:48:59
- >平島に千石でも与えてやれば良いのに
蜂須賀取り潰しの口実にするとかな。
- 43 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 19:47:02
-
瑞季さんが俺とやり取りする中でホンマはどんな事を考えたり感じたりしてたかも知りたいな。
- 44 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 19:53:59
- >>39
肥後は島津の押さえだからバラせない。
加藤家改易後の肥後は誰になるのか、
豊前国小倉の細川家という噂だけが先行してて
一向に処分が決まらないので忠興、忠利父子はやきもきしてたらしい。
加藤家改易によりその周辺国の国替えも噂されており、
江戸の忠興→国元の忠利への書状に
「肥後は船の便が悪く、九州の押さえとして長門、周防への国替えなら大吉、
現在の領地に豊前国の小大名領を加増されるか、
お家騒動中である黒田家の筑前国への国替えならそれも大吉、
肥後国替えは中吉」
と忠興は思ってたらしい。
- 45 :日本@名無史さん:2009/09/20(日) 23:01:54
- >>28
それはインフレじゃなくて、デフレだな
- 46 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 02:40:12
- 愛人&お犬様係で貢献しているとはいえ、
江戸氏の末裔の旗本喜多見に、
それも江戸城至近でどんと二万石あげちゃう綱吉なら、
足利氏の当主扱いな高家喜連川に十万石、でも不思議な話じゃない。
誰だって
「ああ、、、綱吉なー。奴ならやりかねん」
と思うだろ。
- 47 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 09:45:41
- >>46
十万石って簡単に言うが、
一つの国の1/3とかの領地でしょ?
功績もないのにそんなの簡単に与えてたら、幕府がもたないでしょ
- 48 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:39:55
- 喜連川は十万石格で所領五千石
- 49 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:06:34
- >>46
喜連川って高家だっけ?
- 50 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:21:10
- 十万石格で高家のわけないじゃん
- 51 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:26:09
- 10万石はまだしも、正四位下中将ってとこがどうにも信憑性ないな
- 52 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 15:37:12
- 足利義昭は秀吉から領地を貰ったはずだが、誰も相続しなかったのは何でだぜ?
- 53 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:02:27
- >>47
お前、同じこと何度も書くなぁ。>>37を100回読んで出直せ。
- 54 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:25:20
- 確かに綱吉は朱子学を重んじ、歴代将軍の中でもとりわけ尊王心が高く
御料の増額や御陵の修復に努めていた事実がある。
しかし、母桂昌院へ念願の生前官位(従一位)を得るべく、あの手この手を使
って運動していたのも事実です。
綱吉のこれら施策の全てが純粋に尊王思想で実施したとは考えられない皮肉
なわたしです。
- 55 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:47:37
- 無位無官から正四位下中将は破格だ
松平加賀守家の初官より高い
- 56 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:08:57
- >>53
喜連川は足利将軍家の末裔
綱吉の尊王とは少し違いわしないか?
喜連川にヨイショしても、母桂昌院の官位には何の関係もない!
- 57 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:47:25
- 綱吉は、がちがちの朱子学信奉者で、尊王家。
それが功もない足利の末裔を正四位下中将,10万石?
水戸のご隠居が聞いたら、卒倒するな。
- 58 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:06:21
- >>56
綱吉は朱子学的尊王意識ももちろんあったことは確かだろうけど、
それ以上に権威が大好きとしか思えん。だからこそ、お玉の従一位に
こだわったのだろうし。
- 59 :日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:33:24
- 桂昌院の官位の件は、権威大好きと言うより曲がった親孝行と
言う感じだろう。
- 60 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:25:54
- >>53
はあ?何いってんの。
100回とかアホ抜かすな。
- 61 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:41:45
- 喧嘩はやめたやめた
学問板なんだから、一行レスの煽りは無視しる
- 62 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:47:59
- 60はたぶんものすごいバカ
- 63 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:41:55
- 101回ならプロポーズ
- 64 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:48:08
- この流れ誰得だよw
つまんねーことで荒らすな
- 65 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:58:48
- >>19
徳川四天王と言われた「井伊直政」「本多忠勝」「榊原康政」「酒井忠次」
であるが、忠勝系の本多忠孝が7才で無嗣のまま死去する。
分家筋の忠良が名跡継承で15万石⇒5万石で再興するも、他の井伊,榊原,酒井
家と比べ高くはなかった。
- 66 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:08:43
- 本多忠勝の本多家は、本多正信の本多家とは関係ないんだよね?
- 67 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:29:26
- 30万石から15万石に減地された際の
上杉領は天領になったのか?
会津が加増されてるから、そこに回されたのかな。
- 68 :日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:24:36
- >>66
本多定助を同じ祖とする一族ではあったけど遠縁かと…
- 69 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:10:28
- 本多小百合とはどう違うの?
- 70 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:30:49
- 本多はもう一家あるぞ。
地味な本多が。
- 71 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:38:02
- 本多忠勝の家系の家格が幕府内で高くないのは何故だ
- 72 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:42:06
- swまで自演か・・・・・・・・
- 73 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:49:18
- 地味本多っつーても康重とか康俊とか、あと重次とか、
外様の本多ってのもいるぞ。
- 74 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 01:51:59
- >>71
軍事面でしか活躍していない上に、
一旦断絶しかけたところで、ちょっと遠縁から養子を取ってしまったから。
初期の幕府構築作業の時期に、
政治的な貢献があればよかったのにね。
- 75 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:11:57
- 幕府機構が安定してきた3代以降だけでも5名の老中を本多一族から出している
綱吉時代の老中
・本多正永(正重系)上野国沼田藩主
吉宗時代の老中
・本多忠良(忠勝系)下総古河藩主
家重時代の老中
・本多正珍(正重系)駿河田中藩主
家斉時代の老中
・本多忠籌(忠以系)陸奥泉藩主
家茂時代の老中
・本多忠民(忠勝系)三河岡崎藩主
- 76 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:13:16
- 1万石クラスの陣屋大名は参勤交代時や登城時など肩身がせまかっただろうな
- 77 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:52:48
- 幕府に許可・承認得ているなかで最大限、見栄を張っていたのだろう。
ちょっとした格差がクオリティ
- 78 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 08:58:03
- ほとんどの大名は参勤交代の時は下に下にはできなかったみたいだからね
一万石は特に辛い
- 79 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:06:36
- それでも、100万石も1万石も大名は大名だからな
交代寄合のような身分違いじゃないだけマシだろう
- 80 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 09:20:02
- >>79
乞食が揶揄した逸話があるよな。
柳生の殿様の行列みて
「あの殿様は加賀の殿様と99万石もの差があるのに
俺とは1万石しか差がない」
と言ったとか。
- 81 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:34:23
- まあ車善七あたりの生活は、小大名より豊かだっただろうし・・・
生計費の比較では、1万石クラスの大名だとちょっとした商家にも劣るレベルだろう。
- 82 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:46:41
- 大坂城は幕府直轄の番城でだあり、4品役となる大坂城代が一名、大坂定番が二名
大御番が二組、大坂加番が四名で各士卒を率いて警備にあたった
その中で、大坂加番にあっては、役高1万石〜2.7万石の役得があり、右筆に賄賂
をしてでも財政難の小大名にあっては御役に尽きたい職であった。
- 83 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 12:47:44
- ほう。
ちなみに役得は具体的にはどのように得るの?
賄賂的なものなのか役料の一種なのか
- 84 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:46:53
- >>75
「みんなのアイドル・忠勝系は幕府初期には政治的貢献できてない」
ってことでして。
- 85 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:17:50
- >>78
さっき立ち読みした本によると「下に〜下に〜」ていえるのは御三家だけみたいよ。
- 86 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:36:22
- >>83
役高1万石〜2.7万石の合力米が支給されていたらしい。
たとえば1万石の大名が就任された際には、年間で1万両もの臨時収入にあずかれた
のですから
- 87 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:15:58
- 米は江戸でもらえるの?
それとも大坂?
- 88 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:32:05
- >>87
旗本・御家人のうち、知行取りではなく蔵米取りにあっては、浅草の幕府の御蔵
から、2月に1/4 5月に1/4 10月に1/2に支給されていた。
だから普通に考えれば、御役料も分割で支給のような気がする。あとは自分で調
べて報告してくれ。
- 89 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:19:56
- >>85
将軍家と御三家だけの特権で、他の大名は「片寄れ、片寄れ」
- 90 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:36:47
- >>86
レスありがとう
しかしすごいな!
それなりの経費も使ったんだろうけど。
収入二倍ならつらい仕事でも頑張れるな
- 91 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:45:59
- 経費ハンパないよ
- 92 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:44:20
- やはり喜連川を三河吉田に10万石で転封しようとしたというのはなかったのね?
温泉付きハウスも売れないし運がないですね喜連川は
- 93 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:48:25
- 大坂加番については最後にしておこう
>>91
城代 ⇒ 警衛範囲は二之丸大手門の内外
京橋口定番 ⇒ 警衛範囲は二之丸京橋口の内外
玉造口定番 ⇒ 警衛範囲は二之丸玉造口の内外
大御番 ⇒ 警衛範囲は本丸・二之丸南曲輪南東両仕切内を東西で分担
山里加番(東大御番所属) ⇒ 警衛範囲は山里丸
青屋口加番(東大御番所属) ⇒ 警衛範囲は二之丸青屋口
中小屋加番(西大御番所属) ⇒ 二之丸雁木坂を交代で守衛
雁木坂加番(西大御番所属) ⇒ 同上
大坂には他に大坂町奉行、堺奉行があり、太平の世の中では、城内の警衛
が主目的の大坂加番に江戸在府時の経費は必要とならない。
- 94 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:51:14
- 結構おいしいポストだから1〜3万石の譜代大名が加番ポストを求めていたという話があるが
それはホントなの?
- 95 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:28:41
- 大名の家格には禄高や国主・城主の別又は詰席の別があったが以下の徳川一門
も優劣がつけにくい。
家としての極官で優劣を付けるのが一番分かり易いかもしれない。
であれば、以下の順になるが、越前松平家にあっては、初代結城秀康は秀忠の
実兄なので徳川家の実質宗家との認識も越前家にはあったかもしれない。
■会津松平家 23万石 城主 溜間(極官:正四位下中将)
■高松松平家 12万石 城主 溜間(極官:従四位上少将)
■越前松平家 32万石 国主 大廊下(極官:従四位下少将)
- 96 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:42:13
- 高松は所詮水戸連枝だし、会津よりは明らかに格下だろうけどな。
越前家は家格が一定ではないから、従四位下少将を以って極位極官とすることはできないと思う。
一橋から重昌が入って家格向上してるしな。
総合的には、会津≧越前>高松、こんな感じの印象。
- 97 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:53:49
- >>96
総合的には、会津≧越前>高松、こんな感じの印象。
だよね
- 98 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:40:11
- >>95
松平讃岐守家は御使で中将に昇るから極官は中将でいいと思う。
松平越前守家の伺候席を大廊下とするなら極位極官は正四位下中将とすべきでは。
吉品で↓重昌で↑さらに斉善で↑。
家斉の子が入り、初立ちが正四位下少将と松平加賀守家と同格となる。
その後は親族扱いとなり、幕末のインフレもあって訳がわからなくなる。
- 99 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:00:51
- 井伊や島津もそうだが、御使等による昇叙は家の極官と峻別すべきと個人的には思うけどね。
それと「インフレ」はこの場合の比喩としては少し違う気がする。
それにしても家斉の子沢山の弊害は大きすぎる。
- 100 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:07:58
- 「インフレ」って比喩は史家も普通に使ってるよ
- 101 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:09:15
- じゃあ史家が経済用語を誤用してるんだろ
- 102 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:15:15
- >>101
はいはい。おまえさんが正しいよ。
全く無粋なヤツだw
- 103 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:26:23
- 用語の誤用には御用心。
- 104 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:55:06
- >>102
確かに無粋だったな、すまなかった。
- 105 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:14:51
- 大坂加番は、自分の家臣を引き連れて大坂城の警備の増員に行ったってこと?
引き連れていった人数は軍役に定められた数だったのかな・・・
- 106 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 01:53:01
- >>92
断定はできてない。
可能性がなきにしもあらず、だが、確定ソースが無い。
- 107 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 03:06:49
- >>102
それが無粋ならば、あなたにとって粋とはなんなの?
- 108 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 03:48:24
- >>92
>>23氏の言う通り、喜連川側にしか史料がなく、公式記録に記載がないので
事実であったのかは判断出来ない。
史料も乏しく、当日の天候の記載にも誤りがあり、
信憑性も低いとのこと。
- 109 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 04:09:32
- >>107
あなたがとった真逆の行為じゃないの?
という俺の行為も無粋だなw
- 110 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 07:04:02
- 家康が源氏姓を名乗るにあたり、源氏名門に対する根回しと《同門》としての既成事実化のような気がする。
もそもの没落喜連川家からすれば5000石と10万石格は天から降ってきた夢のような再興話しだったんじゃないの?
- 111 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 07:05:09
- >>98
大廊下下之部屋には他に鷹司家も一時詰めていたけど従四位下侍従だったし
別に中将にならないと詰めれない分けではなかったのでは?
- 112 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 07:36:48
- 岩松カワイソス
- 113 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 08:35:53
- >>111
極位極官が従四位下少将の時代は
並の国持大名と同じく伺候席が大広間だったからでしょ
(吉品、吉邦、宗昌、宗矩)
- 114 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 08:52:31
- >>113
改易による家格低下で大廊下は伺候席に使用出来なくなり、
将軍拝謁は大広間の列に加わったが、伺候席は大広間ではなく、
御坊主部屋の一部を仮の詰間にあてていたそうだ。>「越城亀鑑」
- 115 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 11:19:57
- >>114
へえ そうなんだ 勉強になるわ
柳河立花や二本松丹羽のような初官五位、家督後四品の家格の大名が
嫡子五位の間は柳間上席で拝謁するが、伺候席が大廊下末御杉戸際だったみたいなことかな
- 116 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 11:34:23
- >>112
「新田を騙る偽源氏に宗家の系図は渡せない」
と意地を通したんだな。
しかし、よく家康にNOと言えたもんだ。
- 117 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 16:39:36
- >>116
義昭は秀吉にNOと言っている
- 118 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 17:56:39
- >>116
流石にNOとあからさまに断ってはいないでしょう。
寝たふりか,耳が遠いふりをして,聞こえなかったことにしたはず。
まあ,頼朝,尊氏に対する態度といい,新田の系譜に連なると将軍家に媚びないのかな。
- 119 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 18:17:31
- 系図を譲った吉良が徳川の出自の卑しさを一番よく知ってた訳だ。土豪松平は吉良の身近だし余計に知ってただろう。赤穂浪士の討ち入りで吉良が滅びて徳川も安泰となったんだろう。
- 120 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:07:14
- 酒井・本多・榊原・井伊は徳川四天王だって言われてたのに
>>19見ると本多家の扱いがかわいそうだな。
小笠原なんか譜代って感じでもないのに譜代扱いだし
- 121 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:20:03
- 小笠原さんは徳川の家臣の中じゃ最上等に筋目が良いもんね
- 122 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:28:02
- 八代の松井家って特殊だな
城主であり、実質藩主だけど参勤交代はしなくていい
ずっと肥後にいたのかな
- 123 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:39:11
- >>122
所詮ただの城代だし。
といえば、本城より立派な支城、米子城を預かっていた人も。
- 124 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:47:39
- >>120
本多の場合は自滅だけどね、他の四天王と遜色ない待遇だったし。
無嗣改易のところ家柄のおかげで5万石残っただけでも運が良い。
>>122
>城主であり、実質藩主だけど
松井・片倉・三原浅野は城主・領主ではあるけど、あくまで陪臣だよ。附家老・吉川ですら陪臣扱い。
領地持ちの城主でも藩主には平伏して拝謁したはず、御三家も将軍に直答できなかったというからね。
- 125 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:50:17
- 小笠原って信濃の?
甲斐武田と同系統?
- 126 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:50:36
- >>125
そう先祖は、小笠原 貞慶らがいるので信濃の戦国大名の末裔ですね。
- 127 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:16:55
- 小笠原は豊前小倉15万石、肥前唐津6万石、播磨安志2万石を保有し、
一族あわせて23万石の大一族でして、豊前小倉は溜間詰と老中を
狙ったが、反対派に阻まれて失敗しました
- 128 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:18:09
- 小笠原諸島の名前の由来とか
- 129 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:27:40
- >>124
なるほど、家名が残っただけでもマシな方なんだな。
そう考えると当主が幼年で跡取りのいない間は、
お家的には常に綱渡りな状態なんだな。(年若い当主が死んだ時点でお家断絶)
ちょっと調べてみたら、小笠原の家としての転機は信康の娘が嫁に入ったところだな。
これがあったればこそ「代々仕える未満、関が原以前」のこの歴史的に僅かの間に
徳川家中に潜り込んだ、言ってみれば時流に乗ったポッと出譜代が
えらく重く扱われるようになった気がする。(元々の家柄の良さもあっただろうが)
長時、1548年?に信玄により信濃を追われる。
貞慶(長時の子)、謙信→長慶→家康→信長→家康→秀吉→家康と仕える。
秀政(貞慶の子)、家康→秀吉→家康と仕える。1589年に家康の孫婿になる。
これでよく譜代扱いになったな、家康はよっぽど孫が可愛かったのか?
- 130 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:28:07
- 溜詰はともかく15万石の譜代に老中は役不足だしな
中津8万石も続いていたら豊前だけでゆうに二十万石以上か・・・
- 131 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 00:22:50
- >>125
また自演疑問文かw
- 132 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:34:44
- >>127
つ 小笠原長重
>>130
10万石程度の老中なんて山のようにいるが。
- 133 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:36:53
- >>119
吉良、滅びてませんよ。
- 134 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 02:33:48
- >>132
意味不明。小倉小笠原家は石高15万石・極官従四位下侍従で鶴岡酒井、高田榊原
あたりと同格の家だぞ?それがなんで明らかに格下の10万石の大名の話になってるんだよw
確かに15万石クラスからの老中も皆無というわけではないが、とてもじゃないが山のようにはいない。
当然、初期の幕閣は除くけどな。あれは逆に幕政に参与した功で大幅加増を受けてるわけだから。
- 135 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 06:23:54
- <詰席での序列>
四品以上の大名間の序列は官職叙任の位階と時期によって決定する。
同官職同位階の場合は官位先任順で家督の早い遅いは関係なし。
⇒家督相続直後の本家の当主が長老の分家の長老の下座に着く場合
が発生してしまう。
- 136 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 07:07:52
- 姫路の酒井も15万石ながら老中の常連じゃないか?
- 137 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 07:09:53
- 連投スマン
酒井が大老家から老中格落ちしたのって何か理由があるの?
- 138 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 07:52:51
- 姫路酒井家(雅楽頭家)に、他の譜代15万石級に比べて
老中就任者が比較的多いのは、
武功の家
酒井(忠次系2家)、本多(忠勝系5家)、井伊(2家)、榊原、大久保など
執事・御役の家
酒井(重忠系4家)、土井(3家)、阿部(3家)など
だからじゃないかね。
- 139 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 09:47:08
- 古来譜代の四天王クラスには老中では役不足
- 140 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 10:58:38
- >>139
の割には大老家って言えるのは井伊だけだよな。
酒井(左衛門尉家)・本多(忠勝系)・榊原の立ち位置って
「大老>井伊以外の三家>老中」ってところか。
溜間でもないし、幕府的には持て余し気味な気がする
- 141 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:00:49
- というより、井伊家の場合、元々は次男・直孝は秀忠の近習から出世してるからな。
初めは井伊家の当主ではなかった訳だし、運良く家督を継いだ後も引き続き幕政に
参与して35万石まで加増されて、直孝の存在が上手い具合に先例になってその後は
大老筋の御役家になれたってところなんじゃないかな。
- 142 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:25:35
-
というより、自演なんじゃないかな。
- 143 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:45:47
- >>142
証拠を示せって(笑)
- 144 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:13:39
- ついでだから書いておくが、139と141はオレのレスだが、間の140は別人だ。
自演自演と騒ぐなら140と141が同一人物だという証拠出してみろよ。
ホントに自演を指摘するならともかく、無関係の第三者にまで自演自演と騒いで痛すぎる。
ずっとこのスレに粘着してるようだが、ただの荒らしとしか思えない。
- 145 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:32:06
- >>144
スルー推奨。
どうせ下種の勘繰りしか出来ないゴミ野郎なんだから。
- 146 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:54:34
- >>145
スマン。スルーしようと思ったんだが、自演と無関係なのに自演自演と騒がれたの
これで2度目だからな、流石に頭にくる。こいつのせいでスレの空気も悪くなるし。
しかし証拠もないのに、ここまで長期的・継続的にに粘着して無関係なレスにまで自演自演と
騒いで荒らすからホントお手上げだな。
この種の荒らしって規制板に報告して書き込み禁止にしてもらうことって出来ないんだっけ?
- 147 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:56:02
- 自演なんてじぇんじぇん気にすんな!
- 148 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:11:50
- 《お話の途中ですが》
昔からこのスレには「自演」「自演」とほざく自演厨がいるんだよ。
気にしないこと。
自演厨も悪い奴ではないから危害は加えないと思う。
- 149 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:27:17
- そうやって気を許していると、自演厨に夜道で襲われるかもしれないから、用心に越したことはないよ。
- 150 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:35:56
- と自演しているんだなw
- 151 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:48:09
- ちなみに>>150は>>149の自演。>>150が自演じゃない証拠を出せないのがなによりの証明。
- 152 :146:2009/09/25(金) 19:20:16
- なんか変な流れになってしまったな。頭にくるが当面はスルーが最善か・・・
この板もID表示にしてほしいものだ。
- 153 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:37:31
- 酒井忠清が大失敗しなければ、大老職は井伊と酒井の持ち回りになってたかもしれない。
- 154 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:47:27
- 土井利勝の家は,何で大老家になれなかったのかな?
4代が夭折した以降の没落は分かるが,それ以前の2代目3代目は嫡子相続してるのに。
- 155 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:15:14
- >>154
たぶんだけど、下馬将軍といわれた大老酒井忠清の大老在位は1666〜1680
であり、2代土井利隆、3代利重、4代利久と同時代に忠清が権勢を揮って
いた。忠清とのダブル大老は避けられたのかも
- 156 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:43:49
- 殿中での佩刀持参は、将軍家以外では御三家で認められており、同朋が刀を
横持ちにして付き従っていた。ちなみに将軍は小姓が縦持ちに
老中でも殿中での佩刀持参は認められていなかったが、大老は如何に?
- 157 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:51:51
- 土井家は一時期17万石を保有する譜代大名有数の雄藩であったが
跡目相続の手違いから土井周防守利益に6万石が安堵される小型大名になり、
土井氏は大老たる資格を喪失した
- 158 :日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:12:05
- ふと思ったんだが本多や土井の小型大名化に際して
何がしかの陰謀が働いてたりってことはないのか?
例えるなら律令政府に於ける藤原氏の他氏排斥のような。
つまり、大老を勤める家柄は我が井伊家のみで充分みたいな動機で。
酒井もなんやかんやで大老職からフェードアウトしていくみたいだし
- 159 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:14:57
- 他氏排斥で大老といっても井伊直澄や井伊直該、井伊直亮らも飾り物だしねえ。
言ってみれば老中たちの決定に重石をつけるための役割程度で鎌倉時代の執権とはだいぶ違うと思う。
直弼以外の井伊大老の場合、老中たちの執務室である御用部屋の奥に張子型の障子を設置して、
その奥にいるだけ。閣議の際もいるだけ。うちの会社の退職直前の管理者みたい。
- 160 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:19:51
- 本多の場合は当主が突如病没したり、忠政系と忠朝系の家督相続争いで自滅していったという印象が強いけどねえ。
とくに大和郡山時代の9:6分割騒動は弁解の余地がないように解される。
- 161 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:33:31
- 酒井は厩橋15万石の大大名ではあったが、上野は人心が荒いから統治しづらいし、
根拠地の厩橋城が利根川の侵食のせいで倒壊しそうになり、幕府の要職を勤めるどころか
家の存続そのものが危機だったので、大留守居役・酒井河内守忠挙は山城淀への転封を
工作し、失敗。摂津尼崎への転封を工作したが、失敗。
酒井雅楽頭忠恭の代で姫路転封に成功したのである。
- 162 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 01:57:09
- 堀田の影が薄いな…
- 163 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 02:05:05
- 榊原の影も薄いな…
- 164 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:07:00
- 鳥居という寂しい存在について。
- 165 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:27:30
- 堀田は大老出していてこの影の薄さ
- 166 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 06:26:33
- >>163
そうそう、歴代の老中、所司代、大坂城代、若年寄にも「榊原」の名前が
見えない。
でも、四品が約束されていた家格を有する『譜代大名』
@彦根井伊家
A酒井家(雅楽頭家)
B小笠原家(豊前小倉)
C榊原家(越後高田)
D酒井家(左衛門尉家)
なんだよね。
なんか、外様並みに遇して近づけずって感じだな
- 167 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 06:36:34
- 榊原郁恵がいるだろうが
- 168 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 06:43:19
- 秀忠以降の老中就任者(延べ)では上から
@松平一門
A阿部家
B酒井一門
C井上家
D水野家
E青山、稲葉、本多、
F安藤、土井、堀田、久世、板倉、大久保、戸田、牧野
であり、鳥居は一人だが、堀田は頑張ってたんじゃないか
- 169 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 07:30:35
- 堀田と稲葉は異例なほど要職に食い込んでると思うよ。
>>168の表をみると、他家は三河譜代が非常に多い。
その中でも安祥譜代、岡崎譜代の名門が厚遇されてるね。
- 170 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 08:21:20
- 松平一門といっても、大給とか大河内とかいろいろな系統があるから、
実質、ひとつの家系からもっとも多くの老中を出したのは福山、忍の両阿部家だろうな。
- 171 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:01:46
- 確定しました。やっぱり来るみたい。今回は10月1日までは警戒が必要。
千葉神奈川静岡東京茨城や他の関東が危険
(重要事項につき会員同時公開) 2009/09/25
(5) なお、HAARPに誘引されて、関東地方ではM5前後の中規模地震が発生するだろう。
(3) HAARPの影響は大気イオンのみならず、気象現象や通信、動物の狂乱状況をも生み出し、
疑似宏観異常現象を発現させる。いわば環境テロである。
(2) HAARPは電磁波を宇宙に向けて放出、電離層を刺激し、反射して地表付近の大気イオンに影響を与えるものと聞いている。
HAARPの運用状況と大気イオン濃度変動を見比べると、明らかに同期しているとの指摘を多数頂戴した
大気イオン地震予測研究会e-PISCO
理事長 弘原海 清 大阪市立大学名誉教授
http://www.e-★pi★sco.jp/r_i★on/at★tention/090925weekly_z.html
http://s01.megalodon.jp/2009-0925-1414-33/www.e-★pisco.jp/r_i★on/attention/090925weekly_z.html
http://s02.megalodon.jp/2009-0926-0102-46/www.e-★pisco.jp/r_i★on/attention/090924weekly_e.html
HAARPの動きを四川地震のパターンに今回に当てはめると9月27日が危険
http://gol★den★tamat★ama.bl★og8★4.fc2.com/blo★g-date-20090922.html
http://s03.megalodon.jp/2009-0926-0114-47/goldentamatama.bl★og8★4.fc2.com/bl★og-date-20090922.html
世界的科学者がハープは地球の気候や人の脳を損傷させる兵器の疑いがあると
http://www.yo★utube.com/wat★ch?v=8A★MlqRsHUXI&feature=player_embe★dded#t=51★1
2ちゃんねる地震情報
http://li★ve2★4.2ch.net/eq/
9.11事件、破壊されたWTCで働くユダヤ人は1名も死んでいませんでした。
http://da★mhantaikanuma.we★b.infoseek.co.jp/Sonota/91★1dead.html
地震来たら権力者達が犯人。・・・ユダヤ人は大量に人を殺しています。
- 172 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:53:28
- 堀田家は大老を輩出したのっで大老家格だったが、約一名馬鹿殿出現により没落。
堀田登用の始まりは家光の穴寵愛。
- 173 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:25:13
- 堀田正盛―堀田正俊―堀田正仲―堀田正虎―堀田正愛―堀田正時―堀田正睦
バカ殿などいたかね?
- 174 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:27:26
- >>162-165
>>166-168
/'''''ヽ /ヽ |'''''''ヽ _
/ / | ヽ .| ィ \ '''''‐‐-────── ヽ
/ / \ ヽ l───┘ .└───‐ヽ \ _ .\
/ / \/ | ┌──────┐ )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /
|  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄'\ へ .|,,,.ノ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |/ / /
.| i‐‐‐───‐''''| | | \  ̄ ̄| | ̄ ̄ / /
| .| | .| \ ヽ | ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ヽ / /
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | \ノ | | ̄│ .| ̄ ̄| | / /
| .i‐‐‐───‐''''| | |  ̄ ̄  ̄ ̄ | / /
| .| .| .| /\ | | ̄│ .| ̄ ̄| .| ./ /
| . ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | / / .|  ̄ ̄  ̄ ̄ | / /
| .!‐‐‐‐───''''| .| ./ ./  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / / ./|
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.| . ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .| / / / / ヽ \ | ヽ───────┘ |
ゝ、______,,,,,,,,,.ノ ゝ、/ /_/ \_ \ \___________,,,.
- 175 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 17:38:04
- 榊原家が幕府の重職から遠ざけられた一つの理由は、榊原家8代当主の政岑が贅沢を極め、将軍吉宗の倹約令を無視した振る舞いがあったと言われている。それ以前は他の要因があったかも
- 176 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 17:52:58
-
- 177 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 19:21:03
- 譜代も15万石となると、功成り一丁上がりで棚上げか?
- 178 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 19:54:10
- 10万石以上だと,幕政に参与するより,守備隊の任務でしょう。
単独でも幕府の援軍が来るまで持ちこたえるため,10万石以上の軍勢と財力を与えられているのじゃないですか?
1〜5万石程度では,籠城もキツイでしょう。
- 179 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:07:33
- 何氏がどこを治めてたとかまとめて書いたホームページないですか?
- 180 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:23:04
- 九州の玄関口・小倉15万石の小笠原。
四国の玄関口・高松の松平讃岐守15万石
長州毛利の抑え・松江18万石松平
同じく・浜田6万石妻平
加賀前田の抑え、高田15万石榊原
伊達の抑え・白河10万石の阿部
- 181 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:33:18
- >>177
でも、井伊家は実権振るうこともあった罠
- 182 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:56:54
- 幕末の小笠原さんの情けない負けっぷりを見ると、15万石も呉れてやったのは無駄だったなと
- 183 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:32:36
- >>179
江戸三百藩HTML便覧
ttp://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html
江戸大名公卿net
ttp://www1.parkcity.ne.jp/sito/index.html
江戸300藩をめぐる
ttp://www.geocities.jp/edo300_japan/
- 184 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:51:03
- >>182
負けたのは小笠原家のせいではないぞ
- 185 :日本@名無史さん:2009/09/26(土) 23:41:50
- 大名家や将軍家の墓で有名だったり、観光地になってるのは東照宮・や瑞鳳殿くらいかな
まあお墓で観光と言うのも不謹慎だけど…
あと変わってるのは田中吉政の真勝寺だけど、他に変わってたり有名な墓所というとどこだろう
- 186 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:37:28
- >>185
・こないだ眼鏡が出てきた墓
・会津の心の拠り所の土津神社(だっけ?)
・国指定史跡の井伊氏墓所。しかし三ヶ所コンプリートしなきゃいけないという。
とか?
- 187 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 07:10:33
- 全国の外様の配置を見ると九州以外は背後に家門や譜代を配置し、安易に自領を出て空にして江戸に出撃できないようしている。
謀反の外様が自領を離れるや挟み撃ちにあい、自国の城からはうかつに出られない。
ただ、九州地区は押さえの配置が手薄だが、出口で小倉小笠原家が配置され、山陰・山陽道の要所にも押さえの城があり、姫路城や大坂城でも食い止める意思があったのだろう。
- 188 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 10:19:40
- >>187
ま、幕府も遠い九州にそれほど関心がなかったんだろな
肥後加藤家をつぶしておいて、そこに細川を入れるあたりからして。
- 189 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 13:05:32
- >>188
忠興、忠利父子は親徳川なんだけど…
- 190 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 13:09:30
- 九州のヘソ日田に天領、長崎に天領、
唐津や島原に石高に見合わない割と立派な城、
これを潰してあるくだけでも、結構な時間がかかると思われ。
確かに三河の田舎者の日本列島観では、
九州なんか「最果ての僻地」と思ってた節はあるとは思うけれど、
最低限の罠は置いてあると思う。
以降は>>187氏も指摘の通り、瀬戸内海両岸が罠だらけ。
「海のことなんかよくわかんね」な三河政権らしい感じはするけれど・・・
- 191 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:23:20
- 外様にしろ何にせよ
江戸初期に着上陸させての数万以上の大規模国内戦闘なんて馬鹿な真似はせんだろ
和睦前提の奇襲戦略でも兵站が持たない
後続が大量輸送しない限りすり潰される
最終的に陸戦で勝たなければ制圧は出来ないし
- 192 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:29:14
- >>190
天領の現地には幕府の代官配下の文人(士分)が10名程度しかおらず、大坂城
二条城、駿府城、甲府城以外には勤番士(武人)はいなかった。
- 193 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:48:45
- >九州のヘソ日田に天領、
生野、五條、倉敷など、幕府代官所はゴロツキ程度の兵力で陥落したけどね。
- 194 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:07:34
- 少なくとも配置された当時にあっては、細川や黒田は将軍家・幕閣と親しかったし、
芸州浅野、因州池田は親戚筋、岡山池田も輝政以来の縁がある。
豊前は小倉・中津に小笠原一族が配され、浜田も毛利の監視役。
姫路城には有力譜代が置かれ、四国も松山藩・高松藩が配されてる。
一応考えられた布石だとは思うけどね。福島・加藤の後任に浅野・細川を入れてるあたり。
そりゃ二百年以上も経つと機能しないのは仕方ないけど、小倉・浜田があんなにフルボッコ
になるとはなw
- 195 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:23:51
- 浜田は勢いに飲まれた形だからね。松江や鳥取で雪辱戦のために訓練してたら
将軍死去で休戦だからな。
- 196 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:44:10
- 幕末といっても、井伊大老が桜田門外で横死した頃は、実戦経験のない武士ばっかりだろ。
幕末で最初に内戦らしいものがおこったのは、1863年の天誅組の変や天狗党の乱の頃で、
それまでは武士といっても泰平の世でサラリーマン生活を送ってた普通のオッサン。
それが征長や戊辰の役では実戦での殺し合いに駆り出されたんだから、すごいといえばすごい。
- 197 :日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:51:04
- 彦根藩は阿蘭陀式に訓練された一個大隊を持っていたらしいね。
- 198 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 09:53:33
- 家康秀忠家光三代で築き上げた大名仕置きも全て江戸幕府防衛の為
時が流れると良い制度も老朽劣化してしまうものだ。
幕末における親藩一門譜代の情けなさは酷いもんだった。
- 199 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:23:58
- 会津や桑名は奮戦したよ
- 200 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:31:02
- 会津?
切羽詰ったところで泣き入れてはねつけられ、東北諸藩を巻き添えにしたところだっけ。
仙台よりはマシってレベルじゃねーの。
- 201 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:36:45
- また会津罵倒厨か
- 202 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:41:56
- 松平信明の評判はどんな感じ?
- 203 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 12:07:25
- >>202
知恵伊豆の後裔、寛政の遺老だけどあの吉宗の孫より数段まし。
- 204 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 12:36:21
- 家治公ですか?
- 205 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:37:29
- >>204
松平定信
- 206 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:56:11
- >>193
代官所にもいろいろあってな・・・
ゴロツキ集団に陥落させられた小倉城の立場ねーなwww
- 207 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:58:00
- >>194
あくまで噂として、だけど、
肥後には
・伊達政宗
・福井松平家
・中国地方の誰か(池田か浅野?)
という話もあったらしい。
- 208 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:58:43
- >代官所にもいろいろあってな・・・
代官業務に武ばったものはないぞ。
- 209 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 16:17:45
- 遠州菊川の旗本領にある代官屋敷は敷地1ヘクタールだと
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090928/dst0909280808002-n1.htm
- 210 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 16:27:57
- 広いだけで、地方役人しかいない施設でまともな守備ができるわけもない。
いくら広かろうが、役人から下働きの人間まで含めても十数人から数十人程度だからな。
旗本領の代官屋敷は、戦国時代の在地土豪の屋敷を在地代官屋敷としてそのまま
使ってるだけというケースがよくある。
- 211 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 16:48:20
- 当初はできるはずだったんだよ。
「幕末の幕府gdgdの時の状況では無理だった」
ってだけ。
- 212 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 16:58:06
- 幕府代官は基本的に数百石程度の知行の旗本から選ばれた。代官所は、建物のほうはともかく
内部の人員配置は戦闘を想定していない。一揆鎮圧等では基本的に近隣諸藩に鎮圧を要請していたしね。
- 213 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 17:45:04
- 地方の小幕府領の代官と、
長崎日田山田クラスがごっちゃになってるな。
- 214 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:04:40
- 日田の郡代は格と支配高が上なだけで代官と業務上の違いはない。長崎と伊勢山田は代官所じゃなくて奉行所。
- 215 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 18:23:51
- ああ、長崎は奉行所から貢租関係業務を分離して代官所を設けたのか。奉行所なら
場所によっては自前の武力を保持していたけどね。
- 216 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 22:10:15
- 諸大名が長袴で途上する式日には、下乗下馬の地からは歩行で御殿に行く
こととなるけど、大名らは長袴の裾を紐で括って歩いたとされている。
長袴の裾を紐で括る? どんな格好なんだろうか?
- 217 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 23:55:52
- 江戸時代にはなかったけど直垂や素襖の袴の裾には元々は紐がついてたからね
たぶん踝あたりで紐で縛って袴脇から手を入れて持ち上げて歩いたんだろうな
- 218 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 00:17:53
- >>207
その噂は、土井利勝あたりから聞いたのかい?
- 219 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 00:33:30
- 自演ショーが始まりますよw
- 220 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 01:18:52
- >>218
>>207氏とはちょっと違うけど
細川忠利から父忠興へ宛てた書状には
「私と薩摩殿は仲が良いのは上様もよくご存知なので、
肥後国替えはないでしょう。陸奥殿か尾紀両大納言殿を
中国地方へ国替えし、中国衆(毛利ら)の誰かを肥後に
遣わされるのではないでしょうか」
と推測していて、忠興もその可能性も否定できないと言っている。
結局幕閣中枢しか知らなかったのであらゆる憶測が飛んでいた。
- 221 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 01:57:33
- 伊達が熊本城、、、萌えるなwww
毛利が薩摩の至近、ってのも。
- 222 :日本@名無しさん:2009/09/29(火) 09:41:56
- ならば明治維新の主役は伊達になったのでせうか。
- 223 :日本@名無史さん:2009/09/29(火) 11:06:15
- >>220
忠興⇔忠利の書状はほぼ完璧に残ってるんで
当時の情勢がよくわかるよな。
最近話題の石田治部が当時諸将を顎で使ってたことも書いてあるし。
- 224 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 01:24:33
- 筆まめ親子三代だな。
お手紙配達専属家臣とかいそうだな。
- 225 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 16:26:06
- 御文奉行とかあったりしてね!
- 226 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 19:24:54
- 細川忠利の兄たちってどうなったの
- 227 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 19:33:40
- 他に返り咲いた大名っていないの?
【福岡】立花宗茂の武運にあやかった就職用お守り発売「困っている人に勇気を」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1254292525/l50
- 228 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 19:54:54
- >>226
長男忠隆
関ヶ原前夜、正室千世が姑ガラシャと運命をともにせず
逃亡したため、忠興の怒りを買い離縁され、実家の前田家
に返されたが、忠隆が千世を弁護したため廃嫡となった。
こののち京都で一生寓居。
次男興秋
秀忠がお気に入りの忠利を嫡子とするよう、忠興に勧めて
いたのを忠興が受け入れた為廃嫡。この屈辱に耐えられず
出奔。のちに大坂の陣で大坂城に入城するが捕らえられる。
幕府からは許されるが忠興はこれを許さず自害させた。
- 229 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 19:58:02
- 奥州白河藩主・丹羽長重も返り咲いてるな
- 230 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 20:29:54
- >>228
忠興って相当ウザいオッサンだな
- 231 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 20:51:34
- >>230
だって基地外だもんw
- 232 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 20:57:11
- ガラシャと飯食ってたときに空から降ってきた庭師を斬首して生首を盆の上に置いてみたり
- 233 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 21:05:34
- 戦国板でいうDQN四天王だから仕方ないw
- 234 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 21:17:10
- 因みに忠興は大坂の陣まで羽柴姓。
忠利は関ヶ原後、家康より長岡姓から本姓の細川姓を許される。
松平賜姓を断ったのもこれが関係する
- 235 :日本@名無史さん:2009/09/30(水) 22:18:17
- >>228
忠興ヤな奴だな。
長男にここまでの処遇しておいて、かつて愛妻ガラシャの父が
覇権獲りそうになったときはスルーだしな。
細川の家を捨てて強力するくらいの気概を見せろよ
- 236 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 02:06:29
- ″細川の若様″みたいなのを想像するからいけない。
足元に生首が転がってても平気です!な時代に、
命がけの生存心理ゲームを毎日のようにやってて、
人なんかいつでも殺すよ!な家臣を何百人も配下にしてて、
現在の一県丸々を武力支配していた男。
そう思えば、こんなもんだろw
- 237 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 04:04:13
- 江戸時代の大名は旦那様みたいなものだけど
戦国大名って要するに酋長だからな
- 238 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 06:11:12
- >>236
苦笑いw
そんな時代でも、茶とか和歌とか文化があったことのほうが救いだな
- 239 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 10:49:30
- 細川は茶や和歌を極めながら抗争にも強い武闘派組長
- 240 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 11:16:40
- オヤジの幽斎は怪力だったらしいね。
- 241 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 13:21:14
- >>235
でも、それぞれの子孫は生かしているよ。
恐ろしいぜ武闘派文化人。
- 242 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 18:24:56
- ヨーロッパの貴族は、20世紀になっても将校として職業軍人になる者が多かった。
ドイツもフランスも、第二次大戦頃まではフォンやドのつく将軍や将校がやたらと多い。
それにくらべて、日本の大名華族で職業軍人になった者は少ない。
江戸260年ですっかり牙を抜かれ、軟弱な文化人や高等遊民と化してしてしまった。
- 243 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 18:28:11
- ヨーロッパの貴族なんて日本で言うところの旗本以上程度だろ。
- 244 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 18:33:35
- >>242
そりゃ戦のない時代だったんだからしょうがない
- 245 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 18:38:49
- 欧州では将校自体が実質的に貴族階級で独占されていたからだろ。
むしろ日本の兵制が開明的だったことが原因だ。
- 246 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 18:57:29
- 華族は貴族階級だが支配階級じゃないからな。
- 247 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:47:38
- 男子全員が軍人となった皇族の偉いことよ
- 248 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:01:18
- 戦前の将校の出自を見ると、よく言われるような貧農はほとんどいない。
昭和の将官クラスなら士族家庭や士族出の軍人2世が一番多いんじゃないか?
あと、佐官級以下は軍人家庭の出身者か地主の子だろう。
農村出身の兵に対する同情心はあっても、将校自身が農民出というのは少ない。
- 249 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:20:29
- 兵学校は学費が要らないから、優秀な貧農の子が受験に殺到して凄まじく競争率が上がり、
軍人二世は別枠で入ってたんじゃなかったか。
- 250 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:50:32
- でも、2・26の青年将校だって貧農出身なんていないしな。
もっと上の世代の高級軍人クラスなら、士族だらけ。
- 251 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:06:30
- >>249
兵学校の受験資格には,中学校第四学年修了程度の学力がいるんだが。
貧農の子は,素質が優秀でも,そんな学力を得る機会は得られないだろう。
中学に進学するとか,英語を学習するとかは,貧農の子ではムリだろう。
- 252 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:19:43
- 昔は村に優秀な子がいれば中学くらいの学費なら出してやるような有力者がちらほらいた。
日本全国となればかなりの数になっただろう。
- 253 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:26:22
- 陸軍じゃないけど、広田弘毅の家庭も似たような境遇だし。貧農から石工の養子となり、
字が上手いからと周囲に勧られて右翼結社の援助を受けて中学に上がった。
- 254 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:34:10
- 一体何のスレだよ
- 255 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:39:30
- 江戸三百諸侯。
- 256 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:40:21
- 確かにな。
まあ多少の余談は構わないんじゃないか?こういう流れが日を跨いで続くと完全スレチだけど。
- 257 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:43:43
- 小作人の子供が出来が良ければ学費出す地主はいたし
自藩出身者が東京の大学に行くために寮を作る旧藩主もいた
- 258 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:57:41
- とはいえ、戦前の将校の出自は、
貧乏でも士族や軍人2世の方が圧倒的に多かったのが事実。
- 259 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:11:28
- 中国共産党の指導者たちもほとんど地主の息子だし
- 260 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 23:15:22
- 建国60年記念式典での胡錦濤主席の黒の詰め襟スーツは、
クールで激渋でカッコよかったな。
- 261 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 23:31:53
- 1人で荒らして楽しいか?
パパとママに熱弁を聞かせてやれよ。
- 262 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 23:42:44
- >>251
陸軍には幼年学校があるし。
海でなくとも陸があるじゃないか
- 263 :日本@名無史さん:2009/10/01(木) 23:46:43
- 十万石の外様で侍従がなかったのは南部家だけってなんでだろ。
准国持の丹羽家より何倍も版図も広いのに。
- 264 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 00:13:21
- >>262
貧農の子はそもそも幼年学校に入るのも難しい。
少尉候補者は、学力はあっても進学できなかった人たちが徴兵で軍に入った後、
中学講義録等々で勉強して〜というパターンの人も結構いたというし。
- 265 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 00:18:08
- >>263
寛文四年に一度十万石を割ったことが関係している
- 266 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 00:18:48
- >>264
よそでやれ
- 267 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 00:37:52
- 亜利亜藩
戦国時代終了後も領土を埋め尽くす大烏など新生物により半ば壊滅状態にある。
街の住人は選りすぐりの精鋭兵約数十人により維持されてはいる。
- 268 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 01:27:38
- >>263
広いだけで、江戸時代一揆発生件数日本一、な土地だぞ。
そしてそんな治政。
- 269 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 03:15:39
- >>263
石高や版図の大きさ・広さで家格が決まるわけじゃないからね
国持の中でも結構官位昇進に差があるけど、石高・版図とは相関しない
>>265
同じ10万石(ともに分知で10万石割れ)でも、宇和島藩と南部藩の家格の差はすごく大きいね
- 270 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 05:24:36
- 南部だの津軽だの佐竹だのの北東北バカどものめちゃくちゃ治世といったら…
- 271 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 07:43:56
- >>269
答えになってないだろw
- 272 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:07:03
- >>271
答えは「家格が違うから」、だよ。
伊達・立花・丹羽は准国持、南部は城持
家格が違うから極官が違うのは当然だろw
10万石といっても、宇和島伊達、丹羽・立花、富山前田、南部では家格が違う
石高・版図の多寡で家格・極官が決まるわけではない
20万石超でも有馬が途中まで准国主だったのもその証左だな
- 273 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:12:23
- >>272
なんで家格が違うのかを知りたいんじゃないの?
- 274 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:13:41
- 家格が違うのは一目瞭然だしな
- 275 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:15:03
- なるほど
- 276 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 08:37:55
- 推測だが、10万石の譜代の家格を見ても、むしろ南部の方が標準的と考えるべきなんじゃないかと思う
准国主の立花宗茂・丹羽長重・毛利秀元・伊達政宗(秀宗父)は初期に将軍家と近しかったり官位も
元々の高かったし、富山は加賀100万石連枝・母や秀忠の娘ということで優遇されたんじゃないかな。
早くに断絶してるが、村上藩堀家とかも10万石でも城持の家格だろうし。
- 277 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 09:36:50
- 自演というより自問自答なのかい?
- 278 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 10:30:52
- 寛保三年官位覚では南部大膳大夫家は並之十万石以上だそうだ。
外様では一家だけで珍しい。
国持に差継候表大名(所謂准国持)と同じ官位昇進をする(家督四品、極官侍従)譜代は
小笠原右近将監(小倉)、松平隠岐守(松山)、酒井左衛門尉(鶴岡)
酒井雅楽頭(姫路)、松平大和守(前橋)、榊原式部大輔(高田)
並之十万石以上(初立ち五位、極官四品)の譜代は
奥平(中津)、松平(郡山)、大久保(小田原)、阿部(福山)、堀田(佐倉)
酒井(小浜)、稲葉(淀)、真田(松代)、戸田(大垣)、阿部(棚倉)
昇進にかかる年数は家格によって違うので割愛した。
- 279 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 10:58:37
- その覚によると、南部は「五位より30年で四品の家」と同等とあるな。
やはり南部の方が標準的で、准国主や富山前田の方が格別の優遇と見るべきなんだろうな。
- 280 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:24:53
- >>279
そうかな。外様では珍しい存在だと思うよ。
文化5年の高直しで津軽家が十万石となるが
家督四品極官侍従の立花、丹羽に准ずる扱いになってるし。
- 281 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:36:24
- >>233
細川忠興、福島正則、伊達政宗、伊達秀宗の四人ですね。わかります。
- 282 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:42:52
- でも村上堀あたりは南部と同等だと思うよ、松代真田も完全なる譜代とは言えないし。
津軽・南部の高直しは1800年代のことだし、南部が城主から二階級特進で国主に
なったように、津軽も二階級特進して富山と同格に家格上昇したと考えられるのでは?
- 283 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:43:07
- 昔は本当に貧乏だった
旧制中学は今の高校・・・進学しないほうがほとんどいないのに
昔はほとんどがいけなかった
- 284 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 11:46:50
- >>280
幕末、高直しで十万石になった溝口(新発田)は
十万石時の南部(盛岡)と同じみたい。
けど幕末だし侍従になったかも。
- 285 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:14:13
- >>277
自問自答というより自演だろw
>>272-276
/'''''ヽ /ヽ |'''''''ヽ _
/ / | ヽ .| ィ \ '''''‐‐-────── ヽ
/ / \ ヽ l───┘ .└───‐ヽ \ _ .\
/ / \/ | ┌──────┐ )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /
|  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄'\ へ .|,,,.ノ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |/ / /
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ゝ、______,,,,,,,,,.ノ ゝ、/ /_/ \_ \ \___________,,,.
- 286 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:16:51
- >>281
筆頭格の鬼武蔵をお忘れですよ
おや?誰か来たようだ・・・
- 287 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:18:04
- >>286
おまえ以外が来ることが稀なんだから驚くのも無理はないなw
- 288 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:22:10
- >>287
おまえが鬼武蔵かwww
- 289 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:25:50
- じゃ〜、俺が入ってやるよ。
大名の倅共で婿入り出来ないと、どんな人生を送るんだ?
大名と言っても千差万別だがな。
今、テーマになっつる十万石クラスの大名あたりのことを知りたい。
どうぞ。
- 290 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 12:27:59
- 幕初の堀(村上)はちょっと参考にならないのでは。
開幕100年ぐらいは一万石の陣屋大名は
家督後、必ずしも諸大夫になれたわけではないから。
- 291 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 18:07:41
- 旗本が役料プラスで一万石超える事あったの?その場合は大名になったの?お役御免で役料引かれて元の旗本に戻るの?
- 292 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 18:19:27
- 飯野藩の保科はそのパターン。他もいろいろあったような。
- 293 :日本@名無史さん:2009/10/02(金) 21:57:15
- >>289
大名・旗本に養子入り
分家(大名・旗本)創設
家臣に列し一門家創設
上級家臣に養子入り
扶持を与えられて部屋住み
>>290
確かに確証はないけど、でも他の十万石外様はその当時でも四品以上なんじゃない?
それに、将軍・幕閣と昵懇で元々参議や侍従だった丹羽・毛利・立花や、将軍縁者の
富山のような家と違って、南部や堀にはこれといって譜代10万石に比して優遇すべき
理由がない気がする。
- 294 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 02:04:46
- >>291
大岡忠相
- 295 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 02:12:17
- 盛岡南部は、
本来の「正統な南部氏」じゃないんだよ。
盛岡藩に組み込まれて、
のちに遠野を治めた八戸氏、遠野南部氏こそが、
南部の本家。
幕府もそのへんはわかってて、
盛岡と別に取り立てようとしたんだけど、
盛岡得意の″嫉妬″を起こして、
遠野南部当主は不審死。
家格が低いのは、その辺も関係あるかもね。
- 296 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 05:12:22
- そんなら龍造寺を別に取り立てろと
- 297 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 06:04:47
- >>291
大岡忠相は家禄6000石程度の際に大名役の寺社奉行に就任した。
のち長年の功績により更に加増され1万石を越えることとなったが
寺社奉行は役料とかもなさそうだし、足高も関係なかったろうに・・
特例だろうか?
- 298 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 08:44:16
- 表の役人から大名になるのは少ないな。
奥の役人からなら結構いるけどね。
- 299 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 10:06:47
- >>297
寺社奉行になった当初は、足高で1万石じゃなかったかな。
「ここは奏者番の席だ」と言われて控えの間から追い出さ
れたとかいう話があったような。
- 300 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 10:07:10
- 町奉行からだと大岡忠相が唯一だしねい
- 301 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 10:09:14
- >>299
んで、西大平藩主になったのは晩年で、長いこと旗本身分での寺社奉行だった。
- 302 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 13:21:05
- 同じ大岡一門で旗本から諸候に列した忠光の方が出世してるな
- 303 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 14:02:40
- だいたい吉宗以降の新規お取り立ては田沼を別格として一万石程度。
- 304 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 17:17:58
- >>299
その話って有名だけど、本当だったのかな
旗本とはいえ、ほとんどの奉行より先任にあたる大岡にそんな大層なことを言えたものだろうか
大名・旗本混在の御役といえば他に大番頭などがあるけど、先任の旗本の番頭は
後任でも大名の番頭には平身低頭で接してたのかな
- 305 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 17:43:37
- >>304
寺社奉行は奏者番が兼任するのが例だったから。
寺社奉行の詰所というのがないのでそういう嫌がらせを受けたんだな。
- 306 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 18:14:08
- 詰所がなかったというのはそうなんだけど、だからといってもし大岡が奏者番の部屋に
入ろうとしたならそれもちょっと筋違いだと思うんだよね。懇意の坊主に頼んで坊主部屋にでも
居させてもらうべきじゃないかなと。大名衆も茶飲み休憩で使ってるから不思議じゃないと思う。
格式にうるさい時代だからむしろ大岡の方に非があるようにも思えるし、他の奉行の指摘は嫌がらせ
ではなくて正当な言い分だったとも考えられるんじゃないかと思う。
それにいくら旗本とはいえ、後任が先任の奉行にそんな露骨な嫌がらせするかな・・・
- 307 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:16:39
- 先任だろうが格下なのは昔からだから。
旧軍の特務士官が同階級の将校からも煙たがれたのと同じことでは。
- 308 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 19:46:18
- >>307
特務士官の件は、士官学校出とじゃ年齢が親子くらい違うから、だな
- 309 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:03:30
- 忠相が奏者番の詰席から追い出された話の真偽は不明だが。
この話は,忠相の立場を表してるじゃないのか?
将軍に抜擢されて,町奉行になり,その後大名役の寺社奉行にも就任。
普通なら,忠相は,異例の出世を遂げた将軍の寵臣のはすだろ。
でも実際は,奏者番というまだ役職見習い中の若い大名に軽んじられる程度の立場だったという。
- 310 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:11:32
- 大岡は寵臣ではないだろ。
むしろたたき上げ。
- 311 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:13:53
- 忠相は能吏だからなあ。
寺社奉行は多年の労苦への恩賞。
将軍の側近として権力を握った側用人とは立場が違う。
- 312 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:15:32
- はっきり言って忠相はスレチ
- 313 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:17:56
- それで足高で一万石以上になった場合は正式に大名になるの。それとも役料は一代限りか在職限りだから大名扱いはされないの?
- 314 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:27:51
- 幕末の若年寄平岡丹波守が御側御用取次から若年寄に昇進したとき、
最初は役料込みで1万石で、そのあと加増されて安房舟形藩を立藩したんじゃなかったか。
維新で徳川宗家の家老になって駿府に行ったから、大名だった時期は短いけど。
- 315 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:28:45
- >>310
たたき上げなら寺社奉行にはなれなかったのでは?
吉宗の葬儀も担当したらしいから、やはり吉宗の寵臣では
ないだろうか。
- 316 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:38:40
- >>315
寵臣であれば,奏者番衆に軽んじられたりすることなかったでしょう。
いくら大岡の身分が旗本でも。
奏者番衆は,これから老中を目指す新進気鋭の譜代大名。
寵臣という実力者にケンカを売るような馬鹿な子はいない。
- 317 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:44:44
- 吉宗は自分の寵臣が虐げられたぐらいでは、綱吉みたいに
左遷や更迭なんてやらないだろうし、大岡も自分の立場(旗本)
を理解していたから、じっと我慢したのが実情だろう。
実際に吉宗は、大岡の実情を見て大岡用に部屋を与えたし。
- 318 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:46:15
- 大岡さんかっけー
- 319 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 20:59:17
- 奏者番は並の大名では勤まらない。
- 320 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:06:59
- 老中に就く前というか,そこまで出世する者は必ず奏者番からスタートするのでしょうか?
それとも,老中を沢山出す家は免除なのでしょうか?
- 321 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:10:40
- 寛政重修諸家譜には歴任した役職が書かれているだろうから、当たってみたらわかるだろうけど。
- 322 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:14:37
- 寺社奉行は奏者番兼帯なのがデフォ。
奏者番の中の有能な者が寺社奉行を兼帯して幕閣への登竜門となる。
大岡みたいに旗本からいきなり、兼帯なしの寺社奉行になるのは異例中の異例。
- 323 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:40:42
- 寺社奉行なんて
元々仕事無いポストだからな。
- 324 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:41:34
- >>317
>実際に吉宗は、大岡の実情を見て大岡用に部屋を与えたし。
「ただし数年後に」、と聞いたが。
その間、吉宗はこのことに気がつかず、忠相は城内に控え室ナシ。
- 325 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:52:49
- だから庭で床几に座って待機する羽目になったそうな。
とおりかかる大名は嘲笑
- 326 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 21:58:49
- 家重の報復人事で松平乗邑と理由は同じだよ
それだけの事を何をグダグダ書いているんだ、レス数稼ぎで
さすがは自演スレだなw
- 327 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 22:10:12
- そんな状態なら、寺社奉行なんかやめて、さっさと隠居すればよかったのに。
当時の大岡は、とっくに隠居しててもおかしくない年齢だったんだから。
- 328 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 22:16:46
- >>326
お前、何も知らないんだぁ
さすが荒らし
- 329 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 22:46:49
- >>304
大岡越前は寺社奉行になったばかりなんだから、当然再後任でしょう?
- 330 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:16:23
- 大名昇格&奏者番兼帯後は奏者番の席で控えたのかな
大名の奉行がイビってたとしたら、大岡越前の大名昇格は気まずかっただろうなw
- 331 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:41:09
- >>330
別にきまずくもなんともならんでしょ?
- 332 :日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:42:09
- >>323
評定所一座として政策立案や裁判に関与できるというのは、
非常に重要な権能だと思うけどね。
- 333 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 00:08:37
- >>331
当時、大岡はダントツの最古参で70近く、その上身分も同格となったら気まずいと思うけどな
旗本だからと「越前」と呼び捨てにしてたのを、「越前殿」と改めないといけなかったかもしれないし
まあどうでも良いことだけど当時は格式に煩いから。
- 334 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 00:35:35
- >>333
古参かどうかというのは、その職についた順番で決まる話で、
年齢は関係ない。
- 335 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 00:39:41
- 大名昇格の時点で突出して寺社奉行在任年数が一番長く最古参だが。調べてから言えよw
- 336 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:12:02
- 奏者番というのは殿中の作法に煩い儀典官のような役職だから、
なったらなったで年下の若大名どもから、ネチネチと虐められたのでは?
- 337 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:18:18
- >>336
いちゃもんをつけられて、進退伺いを出したりしているらしいね。
- 338 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:27:03
- 苛めるもなにも、席がなかったんだろう。
控え部屋は執務室でもあって机があって席が決まっている。
忠相はしばらくは隅のほうに正座してたんだろうけど、
居心地も悪いし、そのうち庭で待機するようになった。
大河ドラマかなんかでそういうシーンがあったぞw
武士たるものがいちいち苦情を上に言うものではない。
寺社奉行は大名職でこれは上様の思し召し。
ということで何年かは吉宗すら気づかず。
- 339 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 01:39:52
- 殿中のことは御坊主衆がよく知っていた。
御坊主衆とうまくやっておけば、それとなく噂を流してくれたり、なにかと教えてくれたりする。
部屋がないのならどこにいても、何かあれば知らせてくれる。
殿中の仕事を滞りなくやるためにはそういうことも大事。
- 340 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 02:06:53
- 御坊主衆って旗本の次男三男がなるんですか?
- 341 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 02:31:13
- 御坊主の家から出る
- 342 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 02:44:58
- 平民の美智子さんが皇太子妃になって、他の皇族からいじめられた
ようなもんだろうな。
- 343 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 03:10:11
- 一万石で大名!って、つらいよななんか。
9500石で旗本でいたほうが楽じゃね?
- 344 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 03:27:28
- >>343
経済的にはおそらくそうだろうけど、格式が全てな江戸時代の武士にとっては
大名か旗本かでは大違いだからなぁ。
- 345 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 03:44:09
- 一万石のギリギリ大名より、
大身旗本のほうが威張りきかないか?
なにせ将軍直臣だし。
- 346 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 04:33:30
- 1万石大名……子会社の社長
大身旗本……本社の部長
- 347 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 06:51:01
- >>345
2-3万石の小禄大名でも、御三家の連枝大名などは、従四位下侍従となる家柄もあり、
石高の大小では威張れない。
大身旗本は高家や交代寄合なんかを除けば、家の家格ではなく、役職(御側衆、大目付など)
の権限でもって威張っていたんだろう。
- 348 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:00:13
- >>345
おいおい,大名だって,将軍直臣だぞ。
- 349 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:34:12
- >>348
おいおい、自演だって、バレバレだぞw
- 350 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:34:38
- 明治維新後の華族制度の武士に対する基準は一万石以上だろ。高家や交代寄合で公家並みの官位を持っていても男爵にもなれなかったんじゃないか?裏を返せば武士の官位なんて意味がなかったのでは。
- 351 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:45:09
- >>349
おいおい、自演だって、バレバレだぞw
- 352 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:54:09
- >>350
話が飛躍しすぎ
旧幕府が定めた職制・家格に基づく官位を新政府が考慮しなくてもそれは詮無いことだし、
そんなこと言えば公家ですら地下家から華族に列したのは確かたったの2家のみだろ
そこに一定の線引きがあってもそれは仕方ない。それに交代寄合は無位無官(久能榊原除く)
少なくとも江戸時代はその官位を以って諸席打込の序列では国持大名と伍していたわけだからね
- 353 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 10:00:27
- 俺は、孫会社の社長より本社の部長がいい。
- 354 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 11:35:01
- 孫会社の社長って前田家陪臣の本多家のような、万石クラスの陪臣のことか?
- 355 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 11:42:08
- で、御三卿だが・・・・・・・
- 356 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:51:25
- 仮に館林宰相や甲府宰相が将軍にならなかったとしたら、徳川を名乗るこの両家は
その後どういう扱いになったんだろう
水戸家より上か?下か?
- 357 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 14:57:13
- 越後騒動のときには、三家の次に綱豊という順で着座したらしい。
- 358 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 18:50:58
- >>313-314
12代将軍徳川家慶、13代将軍徳川家定の御側御用取次。
文久2年(1862年)8月24日に若年寄に昇進し、加増され5,000石となる。
元治元年(1864年)10月、安房国内で1万石に加増され諸侯に列し、
慶応元年(1865年)安房国平郡船形村御霊に陣屋を起工し、船形藩を立藩。
慶応4年(1868年) 7月、船形陣屋を未完のまま領地を奉還し、静岡藩家老。
- 359 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 18:54:47
- 御側御用取次から若年寄への転任って微妙だな
将軍側近の御側の方が権勢ふるえそうw
- 360 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 18:54:51
- ちなみに平岡家のもとの家禄は3,000石なので、
最初に若年寄になったときは加増されても5,000石の旗本のまま。
翌年、1万石に加増されて大名になっている。
- 361 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 20:06:38
- 逆に役料召し上げられて元の旗本に戻った例はあるの?
- 362 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 20:37:09
- >>361
だから、役料を足した石高で大名か旗本かにはならないんだよ。
- 363 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 20:45:34
- 家禄が加増されたわけではないからな。
- 364 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 01:20:38
- 華族にはならずに静岡徳川家家老?
- 365 :元御取次本郷出羽守:2009/10/05(月) 01:59:21
- 当家は役料はなかったが、駿河川成島1万石の大名に取り立てられたが
井伊掃部頭の大獄の側杖を喰らって旗本に降格処分を受けた。
- 366 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 02:09:05
- >>365
そんな上級旗本はいなかっただろう?
3000石以上の旗本なら大抵知っている俺でも知らん
- 367 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 02:55:56
- 役高なしの5千石のまま若年寄の職にあったのか?
- 368 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 03:43:15
- 真田は初代信之の頃から帝鑑の間詰めだった?
- 369 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 07:41:47
- 本郷泰固は実在の旗本。
>>365にあるように、家定時代に大名に取り立てられたが、
安政の大獄で失脚して元の旗本に降格。
上記の平岡といい、この本郷といい、典型的な側近政治家だが、
大名だった時期はほんの数年。
- 370 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 07:52:13
- 足助藩本多氏もほんの数年だけど、どんな背景で取り立てられ、どんな勤務怠慢の実態があって
旗本に戻されたんだろう。
- 371 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 08:29:35
- 1万石の大名って250人程度の部隊長だろ?
出陣命じられればあっさり討ち死にしちゃうかもしれない。
それより旗本として将軍の周りでぬくぬくしてた方が安全で幸せなのでは?
- 372 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 10:21:29
- 出世などに興味なくノンビリとそれなりな生活をするならば900石くらいの旗本が幸せだと思う。
- 373 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 12:03:48
- 旗本も討死してるぞ
- 374 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 13:46:41
- >3000石以上の旗本なら大抵知っている俺
純粋にすごいな。
「悪そうな奴はみんなトモダチ」みたいな?
- 375 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 15:51:56
- 部隊長つーか、当時は誰も本気で軍役など考えてなかったろ。
大名になって参勤あるほうが大変な負担。
- 376 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 18:16:04
- 軍役で石高に比例して定数の武器と戦闘員を揃えなくてはいけないから大変た。その点公家は貧乏と言いながら軍役がない分石高を生活費に使えるから楽だな。
- 377 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 19:20:58
- 公家は格が高い割に石高が少ないから、副業なしでは立ち行かなかった。
- 378 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 19:43:50
- 五摂家や家業で稼げる家は良いが、羽林・名家・半家の蔵米30石の家とか悲惨だぞw
公卿といっても非参議(従二位式部少輔とか)なんて位階が高いだけだしな・・・
同じ家禄なら旗本・御家人の方がまだマシと思う。まあ公家はお姫さんを大名に嫁がせて
そこから引っ張ることは出来ただろうけど。
- 379 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 19:48:29
- 貧乏公家は賭場開いていたものなぁ。完全にヤクザ。
- 380 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 19:59:59
- 公家には家業があるぞ。全国の盲人支配の久我家、占い師、陰陽師支配の土御門家など石高以外の家元の免状販売で儲けた家もある。
- 381 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 20:03:07
- 儲かる家業を持つ一部の例外を持ち出して公卿一般を語ろうとしてもな。
- 382 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 20:18:33
- まじで江戸期の天皇・貴族は火の車
生きていけなかった藤原鎌足の子孫達
- 383 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 20:19:11
- >>380
盲人の一部は青蓮宮支配では?
- 384 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 20:41:58
- 久我は検校の免状だけでしよ。
- 385 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:37:59
- まあ、幕末に再発見されるまで、天皇や公家はごく一部のインテリしか知らない存在で
農民とかに将軍様より偉い人がいるといっても理解できなかったからな。
- 386 :日本@名無史さん:2009/10/05(月) 23:51:30
- 1万石の大名のお小遣いは年間いくらくらいなんだろうか?
- 387 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 09:13:19
- もし長州毛利、佐賀鍋島が改易になったら、その支藩も自動的に改易になるのかな?
あるいは本家が改易になると蔵米支給の分家・新田藩も連座改易?
- 388 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 15:21:33
- 正式に幕府に認知された藩なら改易にならないのでは?
本家が分知しただけなら自動消滅するだろう
- 389 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 15:53:32
- 毛利の場合は吉川という特例があるから、そこがどうなるのかだろうね。
- 390 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 17:15:01
- でも長州藩や佐賀藩みたいな形での支藩は、支藩が改易されても領地は本家に還付されるからね。
本家が改易されても支藩が存続し得るかは疑問があると思う。
- 391 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:28:41
- 支藩も直臣扱いだから、本家との連座でもなければ取り潰しにする理由がない。
- 392 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:32:09
- 新田藩でも?
- 393 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:37:42
- 足利藩は?
- 394 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:39:11
- 連座は大久保改易、越後騒動、刃傷松の廊下事件いっぱいあって思い出せない。
- 395 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:41:24
- 鍋島・毛利の支藩は個別の領地朱印状もらってないんじゃなかったっけ?
蔵米支給江戸定府で領地のない新田藩は、本家が改易されても本当に存続できるんだろうか
- 396 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:44:38
- 有力外様大名を中心に新田藩をつくるようになったのは文治政になって以降の話しだし、
文治政以降はそれくらい規模の外様大名の廃絶がないから、本家改易に付随しての
改易が発生するかが判断できない
- 397 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:49:27
- 内分分知の旗本が本家の大名取り潰しにより新たに旧大名所領内から知行が与えられた事例があったように思うが、
どこのことだったか思い出せない。
- 398 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:53:40
- 内分でも存続した例が旗本とはいえあったということか・・・
だとすれば新田藩も存続の余地はあるのかもね
- 399 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 19:30:48
- 必死だなw
- 400 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 19:40:44
- >>395
鍋島さんの支藩当主は明治に子爵にして貰えたの?
- 401 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 20:43:06
- >>400
自問自答の「問」です。
まもなく本人が回答しますw
- 402 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 20:46:38
- >>397
彼の有名な大久保彦左衛門は相模小田原藩の大久保忠隣(65000石)の叔父であって、
本家の小田原藩領内から2000石を拝し家臣化していた身分であった。
大久保長安事件で本家が改易した結果、彦左衛門は駿府領内で幕府から直に
1000石(のち2000石に戻る)を領することとなり、ここに直参旗本として確定した。
これは類例となるのでは?
- 403 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 20:49:25
- もちろん内分や新田藩でも大名には違いないから鍋島の支藩主も子爵に列してるよ
- 404 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 02:18:42
- 幕府初期の混沌期のケースは、例にはならないかと。
- 405 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 02:20:00
- 津山の森とかどうかな
- 406 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 08:42:28
- 連坐で厳しかったのは綱吉だろ。本家の処分に分家からお伺いがないとか因縁つけて連坐させた。
- 407 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 16:28:07
- 広島藩浅野家は吉良が内匠頭に斬りつけられたのを聞いてひやっとしたろうな
- 408 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:03:16
- 水戸光国が綱吉へ犬の毛皮を献上した逸話は作り話?
- 409 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:21:25
- その逸話はホントでしよ。綱吉擁立には反対が多く光國の尽力で将軍になれた。だから恩人の光國が綱吉に強気に出てれたんでしょ。
- 410 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 20:24:47
- >>408-409
焦ってすぐに自演するなよw
- 411 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 04:24:52
- ねぇキチガ、
いやいや、正義の代理人のキミに聞きたいんだけど。
その、キミの脳内に住んでいる「このスレで自演する奴」はさ、
なんのためにここで「自演」してるのかな?
その理由を貴殿はどう推測しているの?
- 412 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:24:44
- 自演か?
- 413 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:26:36
- 自演?俺も知らなかった。
- 414 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:27:45
- え、自演なの、私はわからなかったわ。
- 415 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:29:48
- ほー、自演があるのかい。俺は気づかなかったぜ。
- 416 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 07:34:24
- ヤア自演かネ、ソイツは知らなかつた。
- 417 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:11:36
- おはよ>>409だが、あれ以来レスしてないが、それをここでは自演と言うのか?
- 418 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:21:54
- 僕はジェントルマンだから自演とかはじぇんじぇんしないよ
- 419 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 08:49:27
- これを読んだら大半の人が気がつくだろうな
- 420 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:46:19
- 恐らく自作自演している奴はいるんだろう(前スレの深夜の不自然なレスとか見てもな)
でも自演を騒ぎ立てる奴は、自演でないレスまで巻き込むから、自演よりはるかにタチが悪いアラシ。
短時間に2人の住人が何往復かレスしてるだけですぐさま飛びついてきて自演だと
言い立てるからかなり滑稽。常時スレを監視してるんだろうな、理解に苦しむものがある。
専ブラ使ってるとリアルタイムで更新が分かるから過疎スレではそういう流れになりやすいのに
そういうことには考えが及ばないんだろう。
410番台は自演というより愉快犯的な流れだろ。どうでもいい。
- 421 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 10:39:15
- ↑
自演にトラウマがあるのか?女に二股かけられたとか親に騙されたてか?
まあ、おまえの病は俺たちには全く関係ない。
早くその病を治して、お大事にされてください。
- 422 :420:2009/10/08(木) 10:43:43
- >>421
無関係ののに自演と騒ぎ立てる奴の被害にあってるだけだけどな。
そうやって誹謗中傷でしか反論できないところがアラシそのものだな。
- 423 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 11:11:19
- >>422
ああやって荒らすのは
構って欲しいだけの子供なんだから
相手しないほうがいい
- 424 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 12:13:02
- 「自演」およびそれに類するワードをすべてNG登録
AAとか使ってきたらIDアボーン
うざくなってきたら通報で削除
これでOK
一切触れない、レスしない、相手にしないが肝心
- 425 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 16:46:09
- 山内豊明は可哀想だった。綱吉の気まぐれから外様分家から奥詰衆へ、さらに若年寄へ、そして旗本降格、改易へ。
- 426 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 17:24:23
- >>425
土佐中村藩(山内豊明も)や土佐新田藩は高知出身の者にもよくわかりません。
山内豊明が減知を拒んだため廃藩されたそうですが、所領は幕府没収ではなく土佐藩に返還ですか。
山内豊明は赦免後、高知城下に住んでいて、その場所は大膳様町という地名でしたが
昭和40年代に大膳町になりました。
- 427 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:16:48
- 沼田真田家の子孫も改易後は罪人故再仕官もできず浪人として親藩松代に身を寄せて食い扶持は与えられた土地を耕して食い繋いだとか。豊明の末路に似ているよ。
- 428 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 19:05:30
- ところで佐伯藩毛利家は何で関ケ原後も毛利を名乗り続けたのでしょうか。
元の鯰なんとかっていう姓の方が名門だと思うのですが
- 429 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 19:47:00
- 中村藩3万石は元禄2年に除封されましたが
7年後に高知藩に与えられています
高知新田藩1万3千石は明治3年に本藩に合併されました
- 430 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 20:06:02
- ジ・エンド
- 431 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:29:09
- >>429
解説ありがとうございます。
- 432 :日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:43:14
- >>424
ここID非表示やん
- 433 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 01:16:02
- 綱吉はさ、
「譜代とか外様とか関係ないね。
俺が基準。俺以降が新時代。」
みたいにどしどしやってるよね。
南部を重用したり、どしどし新規取り立てしたり、
ドンドン取り潰したり。
ただ問題は、
その新体制、新価値観の″基準″が政治能力とかではなく、
「俺とのカラダの相性」「俺に優しいかどうか」
でしかないんたけどw
- 434 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 06:39:48
- 幕府の権臣、宰相は大久保以来皆悲惨な末路が多いのに柳沢出羽は十五万石を削られる事なく安泰な晩年を送れた。
- 435 :日本@名無しさん:2009/10/09(金) 08:21:48
- >>428
もとの毛利が潰れたわけでなし、返上するほど関係が悪化したわけでもなし…
>>433
自称改革者は、得てしてそんなもんだ…
- 436 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 10:03:00
- >>433
後醍醐天皇・足利義教もよく似ている
- 437 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 10:35:07
- その時々の全大名の序列が記載されてる文書とかありますかね?
- 438 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 17:25:49
- 武鑑がある。今日における国会議員便覧と同じく一切の経歴が書かれている。
- 439 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 17:39:03
- 金沢藩 渋いだろ
横浜唯一の藩
- 440 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 17:55:29
- >>438
公家の宮中座次や旗本役の大概順みたいな明確なランキングはちょっと聞いたことないかも。
大名の場合、国主・城主・陣屋の別、伺候席、官位、石高、譜代・外様の別、家固有の
細かな格式の差異など複数の要素が複雑に絡み合ってるから序列づけるのは難しいよ。
序列そのものが書いてあるわけじゃないけど、>>437氏が言うようにその時々の武鑑が一番近いかな。
将軍拝謁の際の「諸席打込」の順番は序列といえば序列だろうけど、極官ではなくその時々の
官位と先任順によって決まるからあくまでその時点での拝謁順を表したものに過ぎないし。
「江戸幕藩大名家事典下巻」から引用(118頁)すると、
『(1)大廊下・大広間・溜詰(格も)は、官位順(宰相・中将・少将・侍従)・位階順・叙任順で、
伺候席の格差と当主・嫡子の格差はない。
(2)高家の少将は位階が高くても、(1)の少将の次に位置する。
(※正四位下少将の高家より従四位下少将の大名が先)
(3) (1)の侍従および侍従格の次に、所司代・帝鑑間と雁間(帝・雁の格差なく元老中を含め叙任順)がつづく。
(4)帝鑑間と雁間侍従の次に、従四位下侍従、つづいて従五位下侍従の高家がつづく。
ただし高家末席は高家の次。
(5)高家従五位下侍従の次に、大広間四品・大広間四品格がつづき、帝鑑間四品と次に大坂城代で終る。』
とあり、
これによると嘉永3年12月の諸席打込の拝謁順(四品以上)は、
加賀宰相以下、薩摩、津山、会津、高松、福井、加賀(嫡)、徳島、広島・・・と続いて仙台少将は18番目とあるから、
極官の順とはかなり違う序列になってる。
ご希望のものとは全然違うかもしれないけど、四品以上に関しては同書に一覧表が載ってる。
あと、外様国主の中での序列、とかに限定すると、時代によって上下するけど極官と昇進の早さ(部屋住み中侍従の
有無とか)などである程度の序列(というか家格の優劣)っぽいものもある気がする。あくまで基準値で例外も多いけど、
前田>伊達・島津>細川・鳥取>浅野・黒田・毛利・岡山>藤堂・佐竹>鍋島・蜂須賀・山内・上杉>有馬・宗、みたいな。
- 441 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 17:56:33
- 安価反対につけ間違えた。失礼しました。
- 442 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 18:13:53
- 近世大名を現代の国会議員ふぜいと同列に扱うのは釈然としないな。
- 443 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 18:22:36
- >>440
三田村鳶魚の最後の弟子、小川恭一翁の名著だ。
俺のバイブル。亡くなられたのが悔やまれる。
- 444 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 18:28:38
- 武鑑は生きた歴史図鑑のようなものだ。大名行列を武鑑片手に見物するのが江戸の風物詩だった。井伊大老を襲撃した浪士達も武鑑片手に見物人を装って待ち伏せた。
- 445 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 18:37:58
- 武鑑の崩し字が読めんorg
>>443
おまいも持ってたかw
この手の事典はあまりないから重宝してる
絶版?になってるっぽいから面倒だったけど引用してみた
- 446 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 20:36:42
- >>443
在野の研究家だが
柳営学では間違いなく第一人者だった
- 447 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:23:24
- >>440
領地の豊かさでは岡山池田が上なのに家格は鳥取池田が上なんだな
将軍拝謁の序列と勅使拝謁での序列、参勤交代での優先順位違う場合があるのかな?
- 448 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 23:01:16
- >>447
岡山池田は、姫路→鳥取→岡山、鳥取池田は、岡山→鳥取。どっちも
当主が幼少という理由で田舎に移されているね。
鳥取池田は、元々家康の外孫を新規に大名に取り立てた家だから、
扱いが上なんでしょう。
- 449 :日本@名無史さん:2009/10/09(金) 23:33:18
- 池田利隆の母親、実家に送り返された中川氏が気の毒
- 450 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:27:08
- >>440
勉強になるわ、ありがと
で一つ教えて!
4品格とか侍従格の「格」ってなに?
従4位や侍従に内定しているってこと?
- 451 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 08:22:30
- >>450
同書には、鳥取(嫡)・松平五郎麿、久保田・佐竹次郎が無官侍従格とあり、
四品格についても同じ感じの記述だから、嫡子や、幼少で家督を継いだりしていて
元服前でまだ叙位叙任される前の当主って意味みたいだね。
- 452 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 08:56:06
- >>450
大広間、大廊下に伺候する家は嫡子も伺候する。
拝謁順はすべて官職位階先任順だから当然ながら嫡子が当主の中に交じる。
国持大名と宇和島伊達は嫡子無官でも侍従格として四品の上座、
初官五位のない家は嫡子無官でも四品格として四品の次に座した。
加賀、薩摩、仙台はさらに優遇され、
松平加賀守家嫡子
無官でも大広間で他の当主少将より上座。
松平薩摩守家、松平陸奥守家嫡子
侍従任官後は他家当主先官侍従の上座。
とある。
- 453 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:10:08
- >>452
律令制の官職がこのような形で使われるなんて、大化の改新当時は考えられなかったろうな。
- 454 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:11:28
- 加賀前田は無官の当主でも他家中将より先だから別格中の別格だな。
伊達・島津は嫡子侍従では他家侍従より先だが、当主の少将は特別優遇されてないっぽいな。
- 455 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:23:46
- >>452
>初官五位のない家は嫡子無官でも四品格として四品の次に座した。
>>440で挙げた小沢恭一氏の本では、大広間の四品格(山内家嫡子とか)は帝鑑間四品より
上座になってるけど、大広間四品>大広間四品格>帝鑑間・雁間四品って並びじゃない?
- 456 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:35:02
- >>455
そうだよ。大広間以上じゃないと嫡子は伺候出来ないから。
- 457 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:40:02
- ああ、諸席打込じゃなくて大広間席限定の話ね。
改行されてたから上と別の話かと思った。
- 458 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:27:16
- 徳川中期以後は公家社会より武家社会の方が典礼が複雑だったらしい
明治になって宇和島伊達の話を聞いて岩倉が驚いたという話がある
公家なら官位だけだが武家は石高や親藩譜代外様の別、将軍家との親疎などいろりろある
- 459 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:37:09
- そうそう。
公家=有職故実にこだわって儀礼的な生活をしていた ってイメージあるけど
実際には武家の方が儀礼と体面ばかり気にして生きていた。
- 460 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:38:42
- 権力を握り莫大な富を得た者たちは時間と共に高等遊民化していくのが世の常。
- 461 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 20:42:52
- 自分の領地では側室は持てたのかな?
持てたとしたら生まれた子供は江戸につれていかなければならないのだろうか?
- 462 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 22:05:35
- 諸席打込では御三家、御三卿も入ったんだよね?
時代によれば、同じ中納言で水戸⇒紀州⇒尾張で控えた可能性もあったんかな?
そして、加賀前田の後ろに御三卿が控えた場合もあったかな?
- 463 :日本@名無史さん:2009/10/10(土) 22:42:28
- で、その御三卿だが
- 464 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 00:52:51
- >>461
八代将軍徳川吉宗は、紀州藩主になるまで和歌山生まれ和歌山育ちだが?
- 465 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 02:28:36
- その前に将軍お目見えして、
在府だけど領地貰っているから、その頃は江戸在住じゃね?
- 466 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 09:18:01
- 国許の側室は老女扱い?あくまで使用人ですね。
男子の母でもなければ幕府に届けないでしょう。
身分が低ければ尚更。
子供達も全部届けてたかどうか・・・
家臣に預けっ放しだったり寺に入れたり百姓や商人に嫁いだ例もあるらしい。
逆に篤姫のように優秀な子は分家の子でも貰って来て実子と届けたり。
- 467 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 09:40:48
- >>461
国許の側室が生んだ子は国許で育つ。
たとえ側室であっても国許側室の筆頭は
「お国御前」と呼ばれて、藩主不在の国許にあって
家臣たちのよりどころとなっており、大変な権力を持つ例も多かった。
島津家で斉彬とその異母弟久光が当主を争ったといわれるのが有名。
斉彬は正室腹で江戸の島津藩邸育ち。
それに対して久光は側室腹でお国である薩摩育ち。
薩摩を守る在地武士たちが江戸育ちの嫡男にお国のことがわかるかと
薩摩育ちの久光を推したのが原因と言われる。
- 468 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 11:27:00
- ウィキペディアの「越後高田藩松平(越前)家家臣団」の項目に、
『(光長は)幼少であることを理由に越後高田藩26万石(与力48万9,088石を附され、
名目74万9,088石)へ転封となった』とあるけど、本当にそんなに与力を付されてた?
- 469 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 12:39:25
- 鳩山家は勝山藩士だったのに
維新後なんで出世したんだろ
優秀だったんだろうが・・。
- 470 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:06:36
- 勝山藩
安房勝山藩酒井氏
越前勝山藩小笠原氏
美作勝山藩三浦氏 ←コレ(幕末は倒幕派)
- 471 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:36:23
- >>467
>薩摩を守る在地武士たちが江戸育ちの嫡男にお国のことがわかるかと
>薩摩育ちの久光を推したのが原因と言われる。
これだけは違うぞ
斉彬派として有名な西郷や赤山靭負は在地武士
久光派の代表である調所笑左衛門は江戸家老だった
これ以上はスレ違いなので指摘のみ
- 472 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:58:11
- >>468
越後と信濃の大名が軒並み組下大名になった・・・とか・・・?
- 473 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:15:24
- >>468
当時の越後高田領は、領地は広大だが耕地は小さく26万石ていどしか収穫がない。
つまり、開墾余地50万石程度も含めたもの。
- 474 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 17:31:33
- >>472
どこかで光長は家光より越後・信濃の旗頭を命じられたっていう記述を見た気がするけど
そういう意味なのかな?
>>473
開墾余地にしては、「与力を附され」とされていたり、「48万9088石」とかなり細かく刻まれてる
のが気になるかも。
- 475 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 18:54:00
- > 時代によれば、同じ中納言で水戸⇒紀州⇒尾張で控えた可能性もあったんかな?
家継の頃は、水戸綱條、紀伊吉宗、尾張継友の順。
- 476 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 21:58:38
- 宝永一揆を起こされて藩内に騒動の火種を抱える御三家筆頭水戸綱條は、長老的立場として調停役を担い、みずから将軍ポストに野心を燃やすことはなかったのである。
- 477 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:17:40
- おめでとう
スレ勢いはこのスレ8位にまで転落
もうすぐベスト10圏外だ
少し早かったかな?
ジエンまでして必死に書いてたのになw
- 478 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:29:12
- 綱條さんは無能のボンクラ老人ですから。
- 479 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:41:33
- スレが上がってると変なのが沸いて荒れるからsage進行にしようぜ
専ブラ入れるか、メール欄にsageって入力すればおk
- 480 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 01:53:11
- >>468
最近は活動沈静化気味だけど、
2chやWikipediaで暴れ回った「津山厨」ってのがいてな。
そいつが作った項目だから、
話半分で受けとめたほうがいいよ。
そもそも転載丸パクリ項目なんだけど、
津山厨が暴れると面倒くさいから放置されてる項目なんだし。
- 481 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:02:34
- 御三家でも、捨て扶持を貰い部屋住みのままで終わった庶子もいるのだろうか?
- 482 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:07:16
- 若くして死ねば当然。
- 483 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:14:35
- >>480
なるほど、そんな経緯があったのか
でも2ちゃんはともかく、ウィキペディアの記述は困ったことだね
その津山厨なる人物を知らない、2ちゃん使わない一般の人も見てるだろうし・・・
- 484 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:30:31
- Wikipediaは概ね信用してたけど
「越後高田藩松平(越前)家家臣団」の項目は眉唾ですね。
- 485 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 12:14:00
- 津山=河内源氏嫡流?
- 486 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 12:44:54
- >>481
部屋住みの庶子ではないが、継友の頃の倹約令で経費を大幅に削られた
但馬守が、「これではもはや出仕もなりがたい」と涙ながらに抗議するという
話があったとか。
蔵米取りだから収入は増えようが無いし、「御三家の連枝」の格式を維持
する義務がある以上倹約にも限度があるから大変なようですね。
- 487 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 13:31:39
- 幕府の要職に就くと大変な持ち出しだったようで
- 488 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 16:46:37
- 武士は存在を維持するだけで大金がかかるんだな
- 489 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 16:55:13
- 川田久保松平家って独立大名ではなかったの?吉川みたいな家格?
- 490 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 18:12:51
- >>489
部屋住と同じ
屋敷と1万石の蔵米が与えられた
- 491 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 18:22:34
- >>490
一万石分の家臣も付いてきたの?
- 492 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 18:32:45
- >>486
尾張藩って木曽の木材とかでかなり豊かな感じするのに
継友のときにはすでに財政は火の車だったのか・・・
石高額面割れの水戸藩はもっと悲惨そうだw
- 493 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 20:06:23
- >>492
水戸の領民は過酷な税と役務でやせ細りお殿様を代々恨んでいたそうな
- 494 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 20:12:57
- 武士は支配者というよりも、寄生者だよな。
社会って不思議だ。
- 495 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 21:09:37
- 安藤昌益先生は、すでに18世紀中旬に、生産しない武士が支配者であることの矛盾を、喝破しておられる。
- 496 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 22:04:52
- 諸席打込の際、加賀前田の当主が宰相で水戸徳川が中将であったならば
配席は前田⇒水戸ってわけだったんだよね?
実例はなかったかも知れんが
- 497 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 22:12:20
- さすがに御三家は別格だろ
- 498 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 22:27:46
- >>440
将軍拝謁の際の「諸席打込」の順番は序列といえば序列だろうけど、極官ではなくその時々の
官位と先任順によって決まるからあくまでその時点での拝謁順を表したものに過ぎないし。
「江戸幕藩大名家事典下巻」から引用(118頁)すると、
『(1)大廊下・大広間・溜詰(格も)は、官位順(宰相・中将・少将・侍従)・位階順・叙任順で、
伺候席の格差と当主・嫡子の格差はない。
(2)高家の少将は位階が高くても、(1)の少将の次に位置する。
(※正四位下少将の高家より従四位下少将の大名が先)
(3) (1)の侍従および侍従格の次に、所司代・帝鑑間と雁間(帝・雁の格差なく元老中を含め叙任順)がつづく。
(4)帝鑑間と雁間侍従の次に、従四位下侍従、つづいて従五位下侍従の高家がつづく。
ただし高家末席は高家の次。
(5)高家従五位下侍従の次に、大広間四品・大広間四品格がつづき、帝鑑間四品と次に大坂城代で終る。』
とあり、
●だから、前田⇒水戸の配席もありってことだよね?
- 499 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 22:28:45
- 元禄2年の綱吉への年賀の答礼では年齢順に御三家筆頭の水戸家、ついで尾張家、紀州家の順に着座したのである。
その際、水戸光圀が甲府宰相綱豊に対し、「甲府殿、まずは上座に座られい」
- 500 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 22:29:34
- >>496
諸席打込では御三家、御三卿は別。
伺候席も上之部屋と下之部屋で別。
別格だから絶対に加賀の下座にはならない。
- 501 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 22:40:40
- >>500
伺候席は了解
諸席打込が御三家・御三卿は他の諸候とは別ってのは、ソースどこ?
URLで確認できるサイトある?
- 502 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 23:04:43
- なぜサイトなんだ?
- 503 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 23:16:25
- >>501
小川恭一「江戸城のトイレ・・・」p219に諸席打込の解説があり
徳川礼典録によれば御三家と加賀前田家は別格優先
次に四位、その次に五位の3グループで混合か。
- 504 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 23:22:30
- 加賀藩がこれほど優遇された理由は何ですか?
女系で徳川に連なるから?
100万石ゆえ?
- 505 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 23:26:42
- >>501
『諸事留』
- 506 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 23:33:53
- 加賀藩二代藩主前田利常の妻が徳川秀忠の娘珠姫であるからである。
- 507 :日本@名無史さん:2009/10/12(月) 23:50:08
- 100万石故でしょ?
女系で繋がるなら鳥取池田を初め結構いるだろうしね。
- 508 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 00:09:22
- >>501
法制論以前に、徳川宗家と共に神君家康から徳川姓を許された御三家が、準親藩格と言えども外様大名下座へ並ぶことなどあり得ぬこと。
- 509 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 00:39:00
- >>501
君は教えていただいてお礼も言えないのかな。
- 510 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 06:06:06
- >>503
ありがとうございました。
- 511 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 07:04:55
- 小川恭一「江戸城のトイレ・・・」p219に諸席打込の解説があり、各席混合
とはいえ、各詰席いっしょではなくグループで行われていたと記載されてい
る。で、大広間と溜間・大広間と帝鑑間が混合、雁間と菊間は不明と記載とね。
徳川礼典録によれば御三家と加賀前田家は別格優先と解説されているが、こ
の解説だけでは、御三家>加賀前田とも確定できない。大廊下の上下之間も
同席・違席かの定義も不明。
しかし、諸席打込とは、節句や月次登城といわれた「席限り」のことではなく、
参勤時・交代時の挨拶等で各席大名が打込まれるもの
ただいえることは、水戸は定府なので参勤交代をしていなかった。
だから、水戸徳川と加賀前田が参勤交代時の諸席打込で鉢合わせする
ことはなかったから定義が不要だったのかも。
あくまで推測ですが。
- 512 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 07:24:26
- >>498
440書いた者だけど、この文脈の『大廊下』は島津・津山・福井・蜂須賀・吉井あたりのことね。
御三家は何につけても別格。
- 513 :500:2009/10/13(火) 09:12:26
- >>511
小川恭一翁著の「江戸城のトイレ・・・」だけ読んだだけで判断してもねえ。
同翁著の「江戸幕藩大名家事典」の下巻にある諸席打込は
大廊下下之部屋以下の四品以上の例。
御三家は別格ゆえ記載なし。諸大名と諸席打込しないわけ。
大廊下の上之部屋と下之部屋の場合。
「江戸幕藩大名家事典」の下巻に江戸城本丸御座敷見取図があるが
上之部屋(14畳)と下之部屋(22畳)の間は一部屋隔てている。
これを同席と言うのか?
参勤交代についてもいろいろあるが、他の史料も合わせて補完してくれ。
- 514 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 09:37:57
- それだけ分かっていて、更に理解できないのは君の個人的な資質ではあるまいか?
- 515 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:34:39
- 大廊下上之部屋は御三家と吉井
御三家は東面し吉井は北面して控える
- 516 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:41:02
- 吉井松平は下之部屋の入り口付近に座した
- 517 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:50:14
- 大廊下上之部屋は御三家のみと思う
時代による変遷はあるかも知れんなー
下之部屋は前田、越前松平、吉井
- 518 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 13:55:19
- 幕府内部ではそうして下らん事に情熱を傾け
また幕府要職を務めると莫大な持ち出しになり
高官を輩出した名家程経済的に疲弊するというまことに結構な制度。
- 519 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 14:02:21
- その代わり外様や譜代の雄藩は御手伝いで何十万両とやられるけどなww
- 520 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 14:48:48
- そうして経済的に首がまわらなくなり幕府瓦解、めでたしめでたし
- 521 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:04:14
- 幕府よりも大名家が先に財政赤字に突入
- 522 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:22:05
- 幕末には大名貸しが総額7413万両にまで膨れ上がり
各藩火の車となったため廃藩置県がうまくいった。
- 523 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 15:51:27
- >大名貸しが総額7413万両にまで膨れ上がり
丸っきり今の日本と同じじゃないか
7413万両も1000兆円も似たようなもんだw
- 524 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:18:11
- >>515
「幕儀参考」には
吉井候は下之部屋でも入口に座し
加州始め一座に列することなし
とある。
上之部屋は
日光御門主、御三家方、同御賢息方、芝方丈
と「武家●要」にある。
- 525 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:32:57
- そういう大廊下がどうの席次がこうの繁文縟礼に縛られ
奏者番、寺社奉行、大阪城代、京都所司代、老中と
栄転を重ねると30万両もの負債をかかえることになる。
小川恭一「トイレ」p225
- 526 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:36:40
- 武家?要(らんよう)な。
- 527 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:43:15
- 吉井は大広間としているものもあるようだし、時代によって違うのかもな
清武系の越智松平は8回も伺候席の変動とあり、なんとも忙しいことだw
- 528 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 17:51:18
- 「武家?要」
- 529 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 18:10:09
- >>525
で?
- 530 :日本@名無史さん:2009/10/13(火) 19:41:49
- 515だけど確かにそういう並びの図を見たことあるんだな
でも『藩史大事典』にも下之御部屋と書いてあるし
上之御部屋は御三家部屋とも言ったようだから間違いだね
ただ下之部屋説の出典は松平春嶽全集みたいだし
ここでは上之部屋になってるからペンディングということで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BA%E5%80%99%E5%B8%AD
- 531 :524:2009/10/13(火) 20:47:34
- >>530
そうだな。
「寛政重修諸家譜」では大広間となってるし。
しかしウィキは出典を明らかにしてないと全く信用できない。
- 532 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 22:42:20
- NHK歴史秘話見てるけど、かなり疑問。江戸開城直前、勝が慶喜に対して
対等な立場で物を言ってるが、ありえないだろう。
- 533 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 22:56:32
- どうなんだろね。
本来なら直答は許されない身分だから
御取合のはずだよな。
詳しい方よろしく。
- 534 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 01:43:22
- 直で面会できたとしても、
そんなズケズケ意見言ったり、つか面と向かって話したりしないでしょ。
勝だから将軍にも江戸弁で、なんてあり得ないだろうし。
ってか勝って、旗本止まりなの?
大名なれた?
- 535 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 02:16:08
- 大身の旗本だから直答くらいはできるでしょ?
確か勝の談話読むと、直接、慶喜をなじったりしてたよね。
まあほら吹きじじいの言うことだから、そのまま鵜呑みにはできないが
- 536 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 02:40:45
- 開城直前ならすでに幕府無く勝の身分は軍事総裁だよな
これは徳川家の家職であって、公のものじゃない
直答ぐらいは出来ると思うが、これなら
そもそも開城直前って言う時期に
なおも江戸場内の礼式が守られてたとも思いにくいけどね
すでにそんな悠長な事やってる状況でもなかったわけだし
- 537 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 05:50:16
- 慶喜は恪下の公方です。平時にはあり得ない襲職ですし全盛期の幕府との確執による軋轢、前科もある。正式な後継者田安亀之助の代理的な要素もあり勝も物申し易かったと拝察されます。
- 538 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 06:05:15
- >>537
本郷なみのアタマの悪さだな。
- 539 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 06:12:53
- 儀式・儀礼においては、御三家といえども格下の老中による御取合があったはず。
しかし、私的な場合では、小姓や小納戸たちとも直会話がなされていた。
勝からの意見具申を公式の場で提言されるのなら、やはりそれは御取合になったろう。
でも幕末の事案激動のなかでは大半それらは直に意見がなされて普通であったかと。
- 540 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 07:35:54
- 幕臣は心情的に慶喜を嫌っていたんだろ。勝も。鳥羽伏見に押し出す時に「上様を切ってから・・」なんて不敬な言動が吹き出しいた。
- 541 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 11:32:44
- なんで慶喜はあんなにみんなから嫌われてたの?
- 542 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 11:45:52
- 大政奉還 慶応3年10月14日
江戸城開城 慶応4年4月11日
NHK歴史秘話の勝の話し口はいくら大政奉還後とはいえ
ありえないんじゃなかろうか。大言癖か。
- 543 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 12:44:30
- NHKにありがちな嘘演出、でしょ。
- 544 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 14:10:54
- 福沢諭吉によれば大政奉還後の江戸城の緩みようはひどいもので
格式にうるさかった大広間であぐらをかいている者、柱にもたれている者、
懐からブランデーの小瓶を出してちびちび舐めている者などがいたと
- 545 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 14:43:54
- 福沢諭吉は中津藩士から咸臨丸による訪米後、幕府翻訳方に
取り立てられているから、おもしろい時期の城中の様子を
ご存知のようですね。翻訳方というさほどの役職でもないのに
その後、新政府の役職には就かず、旧幕臣から新政府高官に
なった勝その他を批判しているのですね。昨年江戸東京博物館で
あった中国の書の歴史の展示物で明・清二朝に仕えた者が
批判されてた。
- 546 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 14:52:23
- 勝は最終段階で若年寄になってるよ。
老中も若年寄も元々松平家の私的な役職だったからね。
譜代や親藩は独立した諸侯だからめいめいおのれの行く道を決める。
最終段階では徳川のことは旗本が処理しないといけないから。
あと慶喜は京ですでに外様大名とも膝詰めの談判とかやってるからね。
小うるさいことはいわないよ。
勝も直答は当然というか、江戸に帰ってきたときはもう将軍でもなかったし。
江戸弁ではなく殿中ことばだろうけど、なじるぐらいはしてるはずだよ。
諫言されても、慶喜は動じず、勝に全部放り投げたんだろう。
- 547 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 15:14:03
- 勝が心酔していたのは家茂。この方こそ将軍らしい方と惚れ込んでいたらしい。家茂は旧時代の正統な将軍。早死にしなかったら幕臣も忠節を尽くして奮闘。明治維新にはならなかったかもしれない。
- 548 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 16:13:32
- 家茂も夭折だよな
暗殺か?
孝明も暗殺?
- 549 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 16:40:20
- >>532-548
江戸三百諸侯について語ろう
- 550 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 18:35:19
- >>549
江戸と諸侯、どちらのワードも含んでいると思うが。
少々の脱線こそが重要なんだと思われ。
- 551 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 19:21:37
- >>550
こじつければそうなるが、基本的にはスレチ。ここは江戸時代の大名について語るスレだからな。
それに少々の脱線であれば無粋なことは言わんさw
昨日から延々この話題のみだし、話がどんどん広がってずっと続きそうな雰囲気だったから
一応釘を刺したまで。
- 552 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 19:42:20
- じゃあ江戸時代最後に大名に取り立てられたのは誰ですか?旗本の取立て、譜代、外様新分家も含めて。
- 553 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 19:42:31
- >>551
うーん、正論ではあるけど。
そういうならネタをふるべきだと思うが。
- 554 :551:2009/10/15(木) 19:43:59
- >少々の脱線こそが重要
それが住人の多数意見ならそうすれば良いと思うし水を差して悪かったけど、
どこかで一線を引かないとかつての交代寄合スレのように本筋からかけ離れて荒れてしまう恐れがあるし、
個人的には脱線はあまり望ましいことではないと思う。
幕末ネタは専用スレがあるだろうし、「江戸時代総合スレ」みたいなものもあっていいのでは?
まあ何にせよ水を差して悪かった。
- 555 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 19:49:22
- >>552
下野国高徳一万石 戸田大和守忠至
- 556 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:22:57
- >>554
いいえ、こちらこそ。
それはともかく
>>552
今、wikiで見てきた。
勤皇で大名になった人か。時代を感じる。
大政委任論を突き詰めるとこうなってしまうわけね。
- 557 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:32:40
- >>554
あと、今思ったんだけど、脱線する必要ってホントにあるんだよ。
江戸時代ってほとんどがグレーゾーンでしょ。身分とかグレーゾーンだらけじゃない?
やっぱり、大名も同じで、万石越えの家だけを見てても本質は見えてこないんじゃないかな。
交代寄合、大身旗本、高家、さらには御家人だって参考になる。
ていうか本願寺門跡だって話題に上げていいと思う。
- 558 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:46:34
- >>557
付家老も含めておいてくれ
- 559 :551:2009/10/15(木) 20:47:22
- >>557
あくまで大名に関してそれが他の話にも及ぶのは、それはもちろん良いと思うよ。
ただ上の勝安房のような三百諸侯と直接的に関係なく始まるネタは、個人的には収拾つか
なくなるから一線を引く必要があると思うし、大名の枠を超えて広く語るのなら「江戸武家総合
スレ」でも立ててやった方が良いと思う。
自分も家老の話とかもしたいけど、このスレだと憚られるから遠慮してるんだけど、
かといって家老スレは誰もいないから隔靴掻痒w
- 560 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:04:18
- 意外に殺された大名って多いな
名前忘れたけど農民から射殺されたりとか
あと柳川藩の藩主が豊前で謎の暴漢集団に殺されたりとか
なんで豊前に行ったんだろう?
- 561 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:09:22
- 追加
参勤交代の途中だったのか
- 562 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:16:34
- >>559
歴史板に限らず2chすべてにいえることだけど、なんでもカテゴライズすりゃいいもんでもない。
結局、総合スレが必要だったりする現状は少し間抜けに見える。
分類したところで理解は深まらないんだ。
曖昧なものしかこの世には存在しない。江戸時代も21世紀も同じだ。
それから、収拾なんてつける必要は無いんだ。本当は。
学問なんて本質的に収拾つかないものだろ。
分類をしたり、収拾をつけたりするのは、人間の理解力を補うためでしか無いと思うんだ。
- 563 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:25:50
- >>560
>あと柳川藩の藩主が豊前で謎の暴漢集団に殺されたりとか
wikiネタかな
以前どこかのスレでその真偽を確かめたときにガセネタ説もあったんだが・・・
その後レスの応酬が続かずよく分からないまま。
立花は宗茂以外の情報が極端に乏しい
地元の方の情報が欲しい。
- 564 :551:2009/10/15(木) 21:30:25
- >>562
それには同意。
要するに江戸武家総合スレに一本化すれば良い話だと思うけどね、ここも旗本スレや
家老スレ、交代寄合スレも。どうせどこも過疎なんだし。現状がスレ乱立しすぎなんだよ。
ここで議論しても仕方ないからこの辺にしとこうか。
- 565 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 21:33:32
- たしかに立花は情報少ないなー
丹羽も極貧だったということぐらいしか…
- 566 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 22:45:36
- 新撰組の近藤は鳥羽伏見以後に大名になっていないか?
- 567 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:03:07
- ぶっちゃけ
立花さん家は宗茂以降は地味な印象しかないんだよな
- 568 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:03:46
- それは勝先生の空手形だ>甲州百万石
- 569 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 23:17:34
- >>566
大政奉還以降に大名って
- 570 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 01:34:06
- 徳島も歴代藩主情報や、藩政の話は乏しい。
外様では割とでかくて、異例の将軍家からの養子まできてるのに。
- 571 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 01:38:21
- 安房守は「諸候」に入らないのですか?
吉良上野守は?
- 572 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 01:41:16
- 「諸侯」って考えは江戸時代初期からほんとにあったの?
- 573 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 01:44:07
- 近藤は大名にはなっていない。若年寄並にされたらしいけど
- 574 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 02:51:11
- >>571
どちらも諸侯ではない
旗本でも受領名は名乗れたし
吉良は高家=旗本の一種
- 575 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 06:40:06
- 宇和島藩の家格がやけに優遇されてるけど、初代は政宗の庶子秀宗と徳川家の
関係で優遇されるような出来事があったのだろうか。
一度↓になったとはいえ、忠勝系の本多氏との差はひどすぎる
- 576 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 09:20:35
- やんちゃな伊達が脅威だから、家中の火種を作るべく本家筋の宇和島を優遇したとか。
- 577 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 11:35:57
- 徳川家も似たような例で秀康がいるから
秀宗に同情的だったとか
- 578 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 12:21:24
- >>577
うちの母方の家系も宇和島藩や越前藩と同じ理由で成立した分家だったな。
まあ、農家だったけど。でも完全に本家のいいなり。
- 579 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 12:40:55
- まあ勝はいちばん諸侯に近い旗本ということで
- 580 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 13:02:12
- 宇和島伊達家は、仙台伊達家の分家に非ずとの裁定が幕府より出たと記憶してるが、ソースなし。
- 581 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 13:04:42
- 家斉の男子が多すぎて分家どころか大名の養子になったのは仕方がないが秀忠の希少な直系子孫である松平清武が傍系の吉宗に将軍職をさらわれたのは気になるな。
- 582 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 13:27:20
- 清武ってそのとき高齢で跡継ぎいなかったんじゃ
- 583 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 13:47:39
- 清武は他家を継いでるから難しいだろうな
正之も忠長や綱重、綱吉に比べると待遇がかなり劣ってるし
まあ両方とも本人が遠慮がちだったというのはあるんだろうけど
- 584 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 16:22:43
- >>583
>まあ両方とも本人が遠慮がちだったというのはあるんだろうけど
人間社会って究極的にはそうだよね。
- 585 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 16:44:22
- 保科正之は正式に徳川の子として公認されていたのかな?
松平定信は将軍家斉より嫡流に近い
- 586 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 18:01:50
- □□□□□□□□□□□□■明日開催です■□□□□□□□□□□□□
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皇室典範改悪、日教組教育の推進、国防・安全保障の軽視、友愛精神に基づく
「東アジア共同体」 ――― ”戦後最大の危機”を迎えた中、日本を守るために何が出来るのか?
今こそ、草莽ひとりひとりが立ち上がるときです! 多くの皆様のご参集をお待ちしております!
平成21年10月17日(土) ※ 雨天決行!
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http://www.ch-sakura.jp/topix/1290.html
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地図はこちら http://www.sabo.or.jp/map.htm
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■VTR 登壇 : 【安倍晋三】 ※ 10/9 追記
■司会 : 水島 総、高清水有子 ※ 10/9 追記
※ チラシは こちら からダウンロード出来ます! ※ 10/10 更新
http://www.ch-sakura.jp/sakura/savenippon-meeting1017_flyer.pdf
□□□□□□□□□□□□■明日開催です■□□□□□□□□□□□□
- 587 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 20:11:20
- >>560 立花貞則は参勤交代途中だったようです。
それにしてもウィキに「謎の暴漢集団」によって殺されたとありますが、御家騒動とは無関係なんですかね?
- 588 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:05:30
- 明石藩主が木曽の山ん中で殺されたってのはデマだろ。
甲子夜話の作り話だと
- 589 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:48:30
- 変死や討死が幕府に知れたらお取潰しだよ。井伊大老だって公式には病死です。首を獲られるような武士として不名誉な最期だと改易は確実。
- 590 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:32:21
- >>589
首をとられるのは武士にとって非常に名誉なことだよ
- 591 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 22:37:00
- >>588
『甲子夜話』じゃなくて池上金男(=池宮彰一郎)の創作なんじゃないの?>『十三人の刺客』
しかし松平斉宣がどうしようもない馬鹿殿だったのは事実のようだが。
- 592 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 23:55:44
- 菱のJIEN OTUw
- 593 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 01:57:49
- 秋田にも、殺されたんじゃね?っていう藩主いるね。
- 594 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 02:14:26
- 秀吉に減封食らいながら関東に居座って、関ヶ原で加増受けてもまだ関東に居座ってってパターンの大名少なくないか?他にある?
・安房岡本→館山の里見家(関ヶ原後に館山藩12万3千石)
・武蔵忍→下野烏山の成田家(関ヶ原後に烏山藩3万7千石)
・下野黒羽の大関家(関ヶ原後に黒羽藩2万石)
- 595 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 02:56:25
- そりゃあお膝元近くに外様置きたくないからなぁ。
佐竹があの時、江戸襲撃してたらねぇ。
- 596 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 02:59:47
- そもそも北条の更地に徳川が入ったわけで。
佐竹と里見以外は、関東辺境に極わずかしか残ってなかったよ。
- 597 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 06:14:27
- 江戸幕府では老中もつとめ、明治に子爵家になった秋元家にくわしいひとはいますか? 少し、うちはご縁がありますので、知りたい。
- 598 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:08:01
- >>597
何を知りたいの?
- 599 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:35:52
- >>590
すまん意味がわからん。
死に方の種類に対して、例えば磔や打ち首といった処刑にくらべて名誉の死と言いたいの?
だから、直弼の死は名誉の死なのか?
それは論じてる主旨と意味が全く違うだろ。
井伊家は、直弼の首を必死で探して首と胴体を縫合までして幕府へ「病死」と届け出たんだよ。
名誉の死ならば、そんなころしないでしょう。
征夷大将軍を補佐する大老職が登城中に、名も無き下賤の浪士に取り囲まれ横死したんだ。
こんな不名誉な話しはないだろう。
俺は589ではない。
- 600 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 12:40:21
- 日本軍と同じように武士にとって戦死は名誉だったのか?
近代軍の場合、戦死者に敬意を払わないと軍律の維持が出来ないから解るが
- 601 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:04:19
- 戦死しても子がなければお家断絶、恩賞にもありつけないから武士の戦死は不名誉
- 602 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:49:08
- でも武士道の基本理念は自己の死を厭わない事による一族郎党の繁栄だから奮戦しての死は名誉じゃないの。
- 603 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 14:31:22
- >>600-602同一
なんだいつものバカ荒らしか
おまえみたいな奴から引き合いに出された武士こそ死ぬよりも不名誉だな
- 604 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:15:25
- >>582
清方がいましたよ
ちなみに家重の西の丸入りは、その清方の死後
なにかあったりしてw
- 605 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:35:18
- >>602
死を厭わないのと実際討ち死にするのは違うんじゃないか?
- 606 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 15:54:27
- それこそ
無茶しやがって AA略
ということでしょう。
- 607 :日本@名無しさん:2009/10/17(土) 16:26:57
- >>597
http://homepage3.nifty.com/hyuuga/daimyou/akimoto.htm
- 608 :日本@名無しさん:2009/10/17(土) 16:40:07
- >>597
十五代で当主の秋元和朝さん
http://www.fujisan-net.jp/news_main.php?news_num=3629
日本興業銀行営業部に勤め、東ソーの専務などになっていました。
幕末を迎えた十一代礼朝とは血縁がなく、六代喬求の弟・戸田忠寛(肥前島原藩主)の子孫です。
- 609 :日本@名無しさん:2009/10/17(土) 16:41:22
- >>600
×東ソー
○東邦アセチレン
- 610 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:33:35
- 大名の吉原通いは、何名くらいお供を従えていくのだろうか?
お供も公費で遊べるのかな?
誰か知ってる?
- 611 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 19:38:04
- >>597 秋元氏は甲斐谷村15000石の極少名であったが、これを大名に拡大させたのが
戸田家から養子に入った秋元摂津守である。摂津守は綱吉・家宣につかえ、
新井白石が企画した貨幣改鋳の総指揮者として6万石にまで規模を拡大させた。
しかし孫の秋元但馬守が田村意次に睨まれ、羽州山形に左遷され、さらに武州館林に
国替えされ、度重なる引越し資金で財政が窮乏したのである。
以上
- 612 :日本@名無史さん:2009/10/17(土) 20:35:10
- 別に転封が財政窮乏の原因じゃない。元禄あたりでの米価下落による諸藩共通の構造的問題が原因だ。
- 613 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 02:14:44
- >>599
水戸屋敷に斬り込むぐらいのことしないと武士じゃないよな。
首を奪い返したのはせめてもの救いだが。
井伊の行列にいた家臣は即死者以外はすべてのちに断絶や切腹の処分がぐだっている。
結局、井伊家は水戸の処分に関して幕府に猛烈に迫ったけどうやむやに。
- 614 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 06:59:36
- 秋元氏についてレスくれたかた、ありがとうございました。わたしは、千葉の秋元小学校出身なので、興味ありました。近所に、秋元城跡とかあります。
- 615 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 08:19:18
- 関が原・大阪の陣以降大政奉還前で大名行列が襲われ大名が殺された事件って桜田門外の変だけですか。
- 616 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 10:54:25
- 彦根藩は桜田門外の変の後、生き残ったものに激しい処罰をした。
重傷者は下野に流され軽傷者は切腹、無傷のものは駕籠かきに至るまで斬首。
これじゃその後彦根藩に奉公に出るものが激減したんじゃないかと思うがどうだろう。
- 617 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 12:11:33
- ↑
当時は民主主義国家ではありません。国家形成素地が根本的に今と異なります。現代を基準に考えないことをお勧めします。
- 618 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 14:27:45
- 坂下門外の変
- 619 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 17:44:17
- 将軍家は病気療養中(既に死亡)の井伊大老に朝鮮人参を下賜された。その時の落首。
遺言を尻でなさるか御大老
- 620 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 17:50:06
- 江戸庶民って面白いね。2chは現代の落書だな。
- 621 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 20:03:09
- >>616
駕籠かきって駕籠の動力装置扱いされたんじゃないの?(ソースは杉浦女史)
処罰だけ人間扱いされるのもひどいな。
杉浦女史のは江戸市中か公儀直参限定かもしれない。彦根は彦根の法度が
あるのか?
- 622 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 21:10:08
- 駕籠かきは大抵江戸で雇っていて同業組合が強いから、殿様ごと投げ出すような
不祥事があっても中々処罰できなかったという話もあるみたいだけど、強引に処罰
したのかな?
いずれにせよ、幕府に届出ないわけにはいかないから、そっち方向で井伊家自体
に処罰がくる可能性は十分あるし、以降は井伊家に雇われる駕籠かきはいなかっ
たろうね。(なにしろ、「病死」なんだから、処罰する理由が無い。)
井伊家が彦根から駕籠かきを連れてきていたなら、話は全然違うけど。
- 623 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:09:40
- (・∀・)イイ!!大老は病死扱いなのに、どういう理由で従者を処分したんだ?
- 624 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 22:22:20
- 井伊の後継者となった安藤対馬守
- 625 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:06:57
- 井伊家側はブチ切れてるから慣習もなにも守らなかったんだよw
駕籠かき仲間も、おおごとが起こってるから文句はいえなかった。
幕府も、もし井伊が浪人ごときに行列を襲われ殺されたとなれば逆に処罰を与える必要がでてくる。
そうなると、水戸も処分しないといけなくなる。
幕府にそんな胆力のあるやつはいない(唯一、直弼がいた)から病気届けを受理し、かたちとして将軍家から見舞いが出たんだよ。
- 626 :日本@名無史さん:2009/10/18(日) 23:13:48
- え?藩主の駕籠かきがお雇い町人だったって?
- 627 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 00:11:12
- 釣られてやるよ。
斉昭や慶喜や春嶽と駕篭かき組合は違うってことだなw
駕篭かきスレへ行け!
- 628 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 00:12:45
- 伊井家が行列の警護責任者から駕籠かきまで苛烈な処罰を下したことが
幕府の崩壊を早めたのだろうか。
- 629 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 00:26:18
- >>628
そういう封建社会の不合理さが・・・ってなら理解可能
- 630 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 02:17:46
- >>614
秋元さんちは頑張ったよ。
お家立て直し成功!って意味では、
掘田の次くらいに凄いんじゃない?
- 631 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 06:11:31
- 彦根藩は領知半減だから、そりゃ当事者の処分も苛酷になるだろうよ。
- 632 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 06:12:22
- 水戸藩主を始め藩主の自殺、変死は結構あった。表沙汰になれば改易は必定。お家存続の全ては江戸家老の外交手腕にかかっていた。
- 633 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 07:52:10
- 彦根藩の減知は安政の大獄が原因
- 634 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 08:03:31
- 直弼が生きていればそこまで苛酷な処分が下るわけないじゃん。
- 635 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 13:34:39
- 〈直弼が生きてれば〉
〈れば〉?
れば、れば、れば、れば、れば、れば・・・
「れば」とはなんだろう?
直ちゃんは立派に暗殺され間違いなく生きてませんが・・・
- 636 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 13:48:51
-
>直弼が生きていればそこまで苛酷な処分・・・
これは事件による処分ではなく、一橋派の実権掌握による政治的な仕返し。
事件そのものは穏便に処理されている。
井伊家の10万石減知は直弼が死んだことによって起こった政権交代の結果。
春嶽らは直弼の政治を失政とし、人事でも安藤らの老中を罷免、直弼の側近らも処分されている。
あと大名駕籠を担ぐのは中間や小者と同じ武家奉公人で一般に陸尺と呼ばれた連中。
身分は中間ぐらいかね、詳しくはしらん。
- 637 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 18:45:56
- >>635
お前バカだろ。
- 638 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 19:30:26
- 暗殺された史実に基づくガチ議論に「れば」や「たら」の仮定論で参加して来た奴を馬鹿にしたのだろう。
- 639 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 20:22:52
- >>638
恥の上塗りはやめておけよ。
- 640 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 20:47:57
- ↑
幼いな(笑)
- 641 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 21:12:42
- ( ´,_ゝ`)プッ
- 642 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:15:12
- しかしまぁ10万石減知なんてことしなけりゃなぁ・・。
薩摩長州と鳥羽伏見でドンパチ始めたころにゃ赤備えが御所突入して陛下を・・・
- 643 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:32:06
- >>632
大名家というのは法人だからね。
当主が不出来で改易されそうだと、
家臣たちが隠居させたり病死させたりしてたらしい。
- 644 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:46:49
- 法人って自然人以外の法律上の権利義務の主体の事だぞ
- 645 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:54:30
- >>644
だから実質的にそうじゃん
- 646 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:06:05
- そもそも法人ってのは法律の規定によらなければ成立しないんだよ、それが本質。
幕府の法で定められているなら別だが、定義に関わる問題だから実質的とかそういう問題じゃないと思うけど。
揚げ足とったようですまんが、大名家は法人というのは違うと思う。
- 647 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:08:24
- 赤備えって・・・元亀天正時代の武者がなにをしようと?
- 648 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:14:42
- >>646
法人というか会社組織だね。
藩主個人の私物じゃなくて、
藩主が社長の会社みたいなもの。
- 649 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:16:38
- >>646
不文法というのにも当たらないのですか?
- 650 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:19:45
- >>649
つ法人法定主義
人でない者に人と同じ権利義務を与えるのだから、与える存在(=法)が必要でしょ。
- 651 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:29:19
- >>650
不文法も法のうちだと聞いたのですが。
- 652 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:50:09
- タラレバは意味がないよ
- 653 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:55:47
- >>651
この場合の法は当然実定法(民法33条など)のことね。
これに関しては、慣習・条理といった不文法が入る余地はないよ。法律の明文によって
法人が成立するわけだから。
完全にスレチだし、あとは内田民法でも読んでね。他の人スマソ。
- 654 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:56:02
- ニラレバは歯に詰まるよ
- 655 :日本@名無史さん:2009/10/19(月) 23:57:02
- 殿は一代,御家は末代
- 656 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:05:17
- なるほど。わかりました。
別に粘着とかじゃなく、近代以前に法人というものがなかったのか気になったので。
とりあえず、法律に弱いんで内田民法とやら読んでみます。
- 657 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:16:27
- 法学に詳しい人がいるみたいだから、自分もやや哲学の観点から言うとだなw、
「タラレバ」に意味がない、っていうのは暴論。
意味のあるタラレバと意味のないタラレバがある、というのが正解。
「もし作業員がマニュアルを遵守していたら、JCOの臨界事故は起きなかった」は前者。
「もし織田信長が本能寺で死ななかったら、日本は世界に羽ばたく大国際国家になっていただろう」はきっと後者。
普通のタラレバは、その両者の中間。
- 658 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:22:49
- 「たら」のあとに続く言葉に意味(重要性)があると?
それって哲学なの?
- 659 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:28:36
- ひどいじえんすれ
- 660 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 00:36:24
- >>658
後に続く言葉っていうよりかはね、
「もし織田信長が・・・」は、ありもしない仮想世界での話をしているから、無意味。
「もし作業員が・・・」は、マニュアルを遵守しないウランの混合が臨界を引き起こした、
っていう物理法則をパラフレーズしているだけだから、その限りにおいて有意味。
但しその「無意味」と「有意味」とは明確に白黒つけられるのではなく、常にグレーゾーンがある、
っていうのが自分の見解。
哲学云々については無視してもらってもいいが、
要は現代哲学の(或いは、哲学一般の)主流っていうのは「言語の使用法に関する自覚」なんよ。
そんなの哲学と呼ぶほどのもんじゃないじゃん、って思うかも知らんが、
まあ哲学(の、少なくとも一部)って、その程度のもんなのよ。
- 661 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:18:02
- そろそろ秋元氏の話しようぜ。
- 662 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:26:13
- >>656
646・650のレスは、いろいろ逡巡してみて我ながらあまり上手くないレスだったと反省しています。
ただそもそも論として、やはり現代の法体系を前提とした概念を江戸時代に遡及的に
当てはめるのはちょっと無理があるように思います。下手なレスをしてすみません。
内田民法も分かりやすいですが、ゼロから読まれるなら「スタートライン民法総論」を
お薦めします。失礼しました。
- 663 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:37:22
- キノコちゃんいい加減にしときー。
- 664 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:43:33
- 熊本藩の八代松井家だけど、家臣が600人に奉公人が300人いたらしいけど
参勤がないにしても3万石程度でそんなに養えるものかな。
- 665 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:51:12
- 奉禄を薄くすれば養えるよ
- 666 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 01:58:39
- やっぱり大半の家臣は足軽並みに少ない俸禄だったってことか…カワイソス
- 667 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 02:17:13
- 3万石÷600人で、平均50石って考えていいのかな?
まあ薄給だn
- 668 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 02:40:59
- 数字は正確か?それ。
- 669 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 05:58:15
- 家臣は主君の高の半分程度から分配されることが多い。残り半分で家政や主家の生活費などを賄う。
3万石家老なら、陪々臣である家老クラスなら百分の一程度の数百石、数多い下級武士なら数石程度の
禄米支給くらいじゃないかと。
- 670 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 07:49:06
- >>668
ネットでみた数字だけど、出典は市史に掲載されてる分限帳みたいだからたぶん
一応根拠がある数字なんじゃないかと思う。
- 671 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 08:38:25
- >>662
656は多分、権利能力なき社団の話を聞き齧ったりしてんだろう。
法原理が違う江戸の話だが法人みたいなもんだよな。
社団であり財団であるし、幕府から領土を保証する書類もある。
ただ名宛人が藩でなく藩主個人だが。
- 672 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 08:59:44
- 3万石の家老家の家老なら家禄も千石近かったようだが、
数石だと全力で内職しなきゃ妻子養えないよな、公家侍も似たようなものか
サンピン侍がはるかにマシに思えてきたw
- 673 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 09:50:55
- 田舎の侍は石高が少なくても食える
都市で禄高が少なかったら悲惨、年代を追うごとに
- 674 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 12:12:00
- 武士の家計簿の猪山家は地元金沢から離れ
江戸勤務が続いたから家計が破綻したらしいしな。
江戸暮らしは金がかかるようだ。
- 675 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 16:01:00
- >>674
貨幣経済とはいえ江戸なら全寮制だから下級武士なら金かからない気がするが
- 676 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 17:56:00
- 気がするだけ。
領地にいれば野菜その他は領民から奪う(または献上させる)または畑で作る
江戸屋敷なら野菜屋で買う。領地なら奥方と**する。江戸なら**も金で買う。
- 677 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 18:37:51
- 薩摩のように半農の郷士は得てして城詰めの上士よりも生活水準高かったりする。
- 678 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 20:13:19
- >>676
猪山家は二重生活(単身赴任)に対して手当てが出ないのと、武家特有の交際費がきつかったんじゃないか。
- 679 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 21:32:44
- >677
まぁ東京本社の課長より地方の工場の現場の係長のほうが
でかい農家の当主ででかい家に住んで良い車乗って地元の名士てのはよくある話で・・・。
- 680 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 21:34:04
- >647
英式装備(バッキンガムの衛兵みたいなの)を想像したけど・・。
- 681 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 19:57:09
- そう彦根井伊家は領地を削られたうらみで
戊辰戦争でハッスルするのであったw
- 682 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 01:24:30
- それにして井伊は優遇され過ぎ
- 683 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 05:45:45
- 新設の京都守護職は本来なら井伊家だろ。彦根藩は京都での騒乱に責任を持つ家柄だよ。減知で逆意を疑われたし藩主が幼少だから免れたんだろ。
- 684 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 06:30:02
- 井伊は大老の家なんだから、京都守護なんかやるわけにはいかない。
- 685 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 07:16:19
- それは徳川一門NO4の会津松平とて同じだね。
選ばれる悲劇だな。
- 686 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 08:46:18
- NO4は田安であろ。
あいずはただのあいず。
- 687 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 09:44:35
- 井伊は長州征伐の先鋒やって大敗したんだろ。徳川の吉例は井伊と藤堂の先鋒と陣立てが決められていた。
- 688 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 12:30:40
- >>684
一門だからご三卿がいたな。
会津松平はその次だ。
- 689 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 13:06:31
- 藤堂も長州征伐の先方だったの?
- 690 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 13:25:23
- 最終的にはその先鋒の両輪に裏切られたけどな
- 691 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 14:03:23
- 彦根藩は減知、長州征伐と酷使され止めに京都警備に人数を出せと命令され不満が爆発寸前だった。しかし現職老中の稲葉家中が淀城に籠もって徳川を裏切る方が面白い。
- 692 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 16:54:47
- 幕末は馬鹿でも饒舌なるのが不思議だよな
- 693 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 17:01:48
- と、馬鹿が申しております。
- 694 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 17:14:51
- 榊原と井伊の家格はどちらが上だ?どちらも大老になる資格があるらしいが。
- 695 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 17:22:52
- 榊原?酒井だろ。
- 696 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 17:30:56
- 井伊掃部頭 正四位上中将 常溜
酒井雅楽頭 従四位下侍従 飛溜
一目瞭然
- 697 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 18:09:26
- 石川数正が秀吉に調略されなければ石川家が譜代筆頭で大老になっただろうな。
- 698 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 18:17:17
- 井伊が大老輩出の家になったのは直孝一代の功績
秀忠・家光時代に幕閣に参与した家が結局は勝ち組
- 699 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 18:45:46
- >井伊が大老輩出の家になったのは直孝一代の功績
↓
直孝(彦根二代当主) ×
直政(彦根初代当主) ○
- 700 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 19:02:18
- そういう意味ではないんでは?
直政がどんなに活躍しても、直孝が後継して幕政に参与しなければ
唯一の大老家として扱われたか疑わしい。
酒井忠清が下手打たなければ、案外雅楽頭家と井伊家が交代で大老を出すシステムになってたかも。
- 701 :日本@名無史さん:2009/10/22(木) 19:02:49
- 直政の時点では他の四天王と大差なし
秀忠の近習上がりの直孝が思いがけず兄に代わって家督を継ぎ、四天王の家柄というより
将軍側近あがりの経歴から幕政に参与、家光の信任篤く35万石まで加増され大老輩出の家柄になった
直継が彦根藩主のままなら、井伊も他の四天王と似たり寄ったりだろ
よって井伊の突出した家格は直孝一代の功績
- 702 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 02:13:27
- 戊辰戦争でも最初は井伊の上士は佐幕で下士が勤王
彦根でもクーデターだったんだろ。
- 703 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 07:30:34
- 直弼を唆したとして長野主善を斬首。勤王派の家老岡本黄石が藩の全権掌握。以後幕府に深い遺恨を抱きながら報復の機会を待つ。
- 704 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 09:43:05
- 勝手に自爆しといて幕府へ逆恨みとは・・・・
- 705 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 10:34:10
- まあ家茂将軍擁立、開国調印、安政大獄等幕府の権威回復に忠勤の限りを尽くして命を落としたのに彦根藩に対するその後の仕打ち待遇は酷過ぎたね。
- 706 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 12:09:37
- 権利は当たり前に行使するくせに、義務や責任は取らずに逆切れしちゃう譜代筆頭家
- 707 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 14:37:40
- 三河以来の譜代も概して不遇が多い。鳥居家など尽くしても尽くしても子孫は特別の恩典、配慮もなく嫡子がないだけで取潰し。忠臣の家なんだから養子ぐらい幕府が斡旋してやれ。
- 708 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 14:53:36
- 逆に外様の、それも見ようによってはどーでもいいところが意外に取りつぶされなかったり
大村藩は3代にして無嗣断絶したのに旗本から末期養子を迎えておとがめ無し
人吉藩相良家なんて江戸時代初期から御家騒動の連続、途中で家中騒動による御家断絶もあったのにおとがめ無し
- 709 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 16:15:36
- 形としては最後まで徳川に逆らった青木・伊東も小藩ながら存続。
- 710 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 16:49:40
- >>709
なにげに伊東は伝統があるな、鎌倉時代からある
- 711 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 16:53:16
- 鳥居は24万石の大大名で遇されてるだけでもかなり厚遇だけどね。本多・榊原・酒井左より遥かに多い。
本多や鳥居は家名存続を許されてるし、水野なんて殿中で刃傷沙汰まで起こしてるのに
返り咲いてる。やっぱり名門譜代は外様に比べたらかなり優遇されてるよ。
それに譜代と外様であからさまなダブルスタンダードはさすがに出来ないでしょ。
先祖の功で家名存続がせいぜい、妥当なところなんじゃないかな。
- 712 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 17:35:50
- 相続についての明暗は江戸家老の手腕です。日常から幕府要路への交際、付届が肝要なのです。当日は早死や急死が多かったから尚更です。
- 713 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 19:53:37
- 幕初は無嗣断絶の原則が守られておったもんね
しかし譜代功臣と家康の外孫なんかはちゃんと家名存続の救済措置があったわけで。
手厚いもんじゃないか。
- 714 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 01:49:58
- そりゃあね、忠臣には手厚くしないと、
仕えるのバカバカしくなるじゃん。
- 715 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 06:10:53
- 嫡子なく改易でも親族に一万、三万石で名跡だけ残したり旗本として存続させる場合もあった。これも幕閣に相当なコネがなければできなかっただろう。
- 716 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 07:24:00
- 鳥居の場合は、家康の側近の一人であった元忠が伏見城の戦いで壮絶な戦死を
遂げ「三河武士の鑑」と称されている。
以後の鳥居家への名跡存続は全て元忠によるもの。
- 717 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 07:52:37
- 中村、堀尾、田中
この辺の外様大身の家名は存続しなかったの?
- 718 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 08:24:18
- それもじえんなの?
- 719 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 11:12:24
- 中村・・・一族の中村主水正が町方として存続
堀尾・・・堀尾家が断絶した後は押尾家と名乗り存続
- 720 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 11:27:07
- 鳥居の末裔が妖怪町奉行鳥居燿蔵だよ。
- 721 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 15:20:55
- 財政難にあわず借り入れがなかった優良大名家は実在したのかな?
- 722 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 18:13:28
- >>704
でもそんな彦根を薩長と並立して讃えるのがかの元(自称)エリート官僚八幡和郎先生。
- 723 :日本@名無しさん:2009/10/24(土) 18:29:59
- >>721
無かったかどうかは知らないが、讃岐高松藩。
一時財政が逼迫したが、俗に言う「讃岐三白」(塩・綿・砂糖)の開発に成功して
何十万両かの莫大な金を明治新政府に譲渡したとか。
- 724 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 18:48:22
- >>722
いや、自称じゃなくて本当にエリートだったんだってw
この人の一般向けの最初の著作は「フランス式エリート育成法」(中公新書)で、
30年くらい前に通産省からフランスのENA(国立行政学院)に派遣留学したときの体験記。
八幡センセは、諸外国からの派遣留学生とともにパリのENAでの研修のあと、
地方で副知事(日本でいえば戦前の郡長)見習いとして実習している(この時代は官選知事)。
- 725 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 18:53:01
- ちなみにENAってのは、第二次大戦後、ドゴールによって設立された官僚養成機関で、
ここの学生は卒業後、いきなり中央官庁の幹部に採用される。
- 726 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 19:15:08
- 旗本スレより
>458 :日本@名無史さん:2009/10/16(金) 21:51:08
>最後の大名取立てが判明した。それは播磨福本藩の池田喜通の模様
将軍慶喜のイミナとかぶってるんだが、改名した形跡なし。
もとは交代寄合で、諸侯になってるわけだが、将軍の一字を拝領できる身分・家格ではない。
幕臣のくせに将軍の一字を遠慮して改名しないなんて、肝のすわったオッサンだな。
- 727 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 19:28:01
- >>726
それ大政奉還後だろ
それなら池田氏以降もいくらでもいる
- 728 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 19:42:21
- ケツに火がついて必死だなw
- 729 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 20:16:32
- 池田喜通。播磨福本藩の第2代藩主。
文政11年(1828年) 交代寄合6,000石の当主・池田喜長の子として生まれる。
天保7年(1836年) 家督を継いで交代寄合となる。
慶応4年(1868年) 戊辰戦争では、新政府に協力して姫路藩攻めに参加した。
慶応4年(1868年) 鳥取藩蔵米3,500石を与えられ、石高直しにより10,573石となったため立藩。
直後の7月10日に死去。享年41。後を子の池田徳潤が継いだ。
まだ交代寄合だった慶応2〜3年の将軍が慶喜。
幕臣のくせに当代の公方様とイミナがかぶってるのは、肝が据わってるとしかいいようがないな。
そのくせ、立藩後の藩主徳潤は、本家の因州侯池田慶徳の一字をもらってるという矛盾。
- 730 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 20:22:23
- 初期に多い無嗣改易だけど、断絶を回避するいい方法ってなかったのかな
一度立てた世子は簡単には廃嫡できない?
- 731 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 20:39:24
- 天皇は諱で呼んで本名は呼ばないですが、将軍は神君家康公とか本名で
呼び捨てていたんですか?
- 732 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 20:45:35
- 例えば、家光のことは「大猷院様」と呼んだだろうな
- 733 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 20:51:20
- >>731
将軍本人に直接呼びかけることはない。
群臣同士だと将軍は「上(かみ)」と呼ぶ。
- 734 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 20:56:59
- >>733
現役時代はそれで良くても、家康と秀忠を比べる時とかどうするの?
- 735 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 21:02:53
- >>734
家康は権現様、秀忠は台徳院様、家光は大猷院様
- 736 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 21:07:27
- じえん発見
- 737 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 21:18:46
- 『旧事諮問録』で元御側御用取次の竹本要斎が
質問者にこう答えている。
問:貴君方が、将軍を何と御呼びなさいますか。
答:上(かみ)です。
問:将軍の面前で上とか御前とか何とか言うことはありませぬか。
答:ありませぬな・・・
しかし、ここで答える時には将軍を公方様と言ったりしている。
>>734
同じく『旧事諮問録』で竹本は
吉宗を「有徳院様」
家斉を「文恭院様」
家慶を「慎徳院様」
家定を「温恭院殿」、「温恭公」
と呼んでいる。
- 738 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 21:57:10
- なるほど、どうもありがとうございます。
すると、時代劇とかで家康公とかいっているのは間違いなんですね。
- 739 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 22:07:27
- うむ。水戸黄門が「チャンスですよ」と言っちゃうのも間違いです。
- 740 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 22:50:33
- >>738
特に家康の場合は
「東照大権現様」
と口に出すのも憚れていて
口に出す場合は頭を下げながらだったそうな。
- 741 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 23:09:43
- 八兵衛が「この茶店はサービスが悪いねぇ」と言っちゃうのはおk?
- 742 :日本@名無史さん:2009/10/24(土) 23:40:07
- >>741
おkじゃないらしい
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327468248
- 743 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 01:34:55
- >>705
第二次長州征伐で芸州口の先鋒になったのに、ボロ負けして赤備え捨てて
逃げ出すような藩だし。
- 744 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 02:05:14
- この土日は世田谷で、松蔭神社の幕末維新祭り。
境内には、
「明治になって、徳川家が謝罪として建てた燈籠」ってのがある。
屈辱的だな。
- 745 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 02:09:12
- >>730
参勤交代の際、
「仮養子を立てる」という慣例の藩がいくつかあったみたい。
正式養子だと、
幕府への養子届や解消届けがかなり面倒だったんじゃない?
- 746 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 06:24:29
- 浅野内匠頭は舎弟大学を仮養子にしてた様な気がするが?
- 747 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 06:37:06
- 昔は早死にが多い。他家に養子に出るよりも部屋住みでじっと我慢していればお鉢が回って来る。綱吉、吉宗、井伊直弼、山内容堂等々。
- 748 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 10:01:35
- 容堂は国元連枝の当主で部屋住ではない
- 749 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 11:32:42
- 容堂ってもし本家の当主が若死にせず、国を嗣いでいなかったら、
維新後は1士族として没落して
娘でも売らないと生活できなかったような身分だよね?そう考えると不思議だ
- 750 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 11:47:30
- 最大級の部屋住は御三卿だよ。城も領地も家来もない。将軍家を継ぐか他家に養子に出ない限り武士として成り立たない。
- 751 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 11:56:20
- >>749
>娘でも売らないと生活できなかったような身分
千五百石の堂々たる一門家だぞ?さすがにそれはない。
薩勲功扱いで男爵に列した可能性が高いし、たとえ士族でも山内侯爵家のコネで職ぐらい
どうとでもなるだろ。
- 752 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 12:09:06
- >>750
御三卿が部屋済みとは?意味がわからんのだが?
- 753 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 13:21:22
- 幕府が滅んで駿府藩が成立した時点で御三卿はどうなったの?独立して立藩したと聞いた事ないし。
- 754 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 13:57:13
- >>753
立藩した
後に華族(伯爵)になった
- 755 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 14:25:12
- >>745
江戸時代の家格からすれば伯爵って位不足だよね
前田家よりも高い家格を誇っていたのに他の大名は収納高で輪切り、徳川一門は家格で授爵だから
敢えて御三家よりもランクを下げたのかな?
- 756 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 14:38:44
- 結局、>>729の交代寄合池田喜通が、慶喜時代にも「喜」の字を遠慮しなかったのは、
なんでなんだろう?
幕末の押し迫った時期とはいえ、当時の人間はまだ幕府が滅亡するなんて思ってなかったろうに。
世の中が騒がしく、幕府上層部もゴタゴタしてたから、知らん顔してればごまかせると思った?
だとすれば、本当に肝のすわった図々しいオヤジだな。
- 757 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 14:56:30
- 御三卿の軍役はどうなってたんだろう?家来は幕府から出向した旗本、御家人だろ。一橋刑部卿として出陣した慶喜の兵力はやはり幕臣か?
- 758 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 19:35:27
- 近頃レベルが下がったね
- 759 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 19:46:50
- >>758
お前が来たからかな?
- 760 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 19:55:21
- JIENで書くからだろ
- 761 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 20:54:42
- >>522
藩主が個人的に使える財産というのは無い状態だったからね。
藩政から解放されて私有財産までもらえるんだから、
俺も俺もという感じだったんかな。
- 762 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 21:09:47
- >>760
書くなら漢字に統一しろよ。
何度もNG登録するの面倒だろうが。
- 763 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 23:12:02
- >>762
ワロタww
自演 JIEN JIEN ジエン ジエン じえん 慈円
全部登録しとけw
- 764 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 10:35:48
- いやーレベルが・・・
- 765 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 10:38:12
- >>758
>>764
ならば自分らが率先してレベルが上がるようなレスすれば良いだけだろう
愚痴るだけなら誰でも出来る
- 766 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 10:56:35
- >>765
相手にする価値もないぞ
レベルがって言ってるカスは
己が低すぎてレス出来ないんだから
- 767 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:03:59
- レベルが低すぎるとおっしゃるんだから、ぜひハイクオリティなレスを書いてもらって
皆で勉強させてもらおうじゃないか。
これは皮肉でもなんでもなくて、マジで>>758、>>764両氏にお願いしたい。
- 768 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:04:10
- あの。一万石って石の重さが単位なんですか?それとも石の通貨があったんですか?
- 769 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:11:46
- ははは
- 770 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:12:53
- 米は江戸時代には金銀銭と同じく立派な通貨。
- 771 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:38:32
- >>767
スルー推奨。
稚拙なレス連投されるだけだから。
- 772 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 21:01:47
- 豆知識を無駄に書き込むスレなんだからさ。
- 773 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 02:02:31
- さて、一番しょぼい親藩でも決めようぜ。
石高と歴代の役職のしょぼいとこ、な。
かつ、メジャー人物ゼロ、な。
三代くらいしかないような、流れ星な家は除外で。
- 774 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 05:45:13
- 一番しょぼいレスは>>773に決定
- 775 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 08:36:49
- 旗本なら、長澤松平200石。
- 776 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 08:38:25
- 親藩じゃなくて十八松平だったか。
- 777 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 08:44:50
- 伊予松山藩は石高の割りに桑名や水野と比べても存在感薄いな。
- 778 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 11:12:12
- 米よりも専売品等の副収入は何処の藩が一番なのだろうか?完全に貨幣経済に移行しているのだから現金収入こそ藩の実力だと思うが。
- 779 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 12:23:34
- 大野藩は小藩ながら各地に商社を建てて廻船業を営み、樺太開拓に尽力するなどがんばってたようだけどね。
- 780 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 13:14:05
- 米以外からの収入割合が一番高いのは言うまでもなく松前藩だろうけど、
絶対値ではどこだろうね。
- 781 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 15:21:16
- そりゃ松前だされたらおしまいだぁ
対馬も相当米はとれてないみたいだが。
- 782 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 15:41:01
- 対馬は飛び地の肥前田代領が富山と並ぶ薬の産地だから
薬種商からの運上金が莫大だっただろ
- 783 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 15:54:56
- 薬の産地といえば役行者の本拠地たる吉野なんだけどな。富山ごときは江戸時代に入って
有名になっただけだ。
- 784 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 16:43:55
- 琉球もしくは琉球を含んだ薩摩も米以外が多そうだが
- 785 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 18:19:32
- 阿波の藍染
- 786 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 18:54:20
- 加賀の密貿易
- 787 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 19:03:17
- 黒田の偽札偽造
- 788 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 20:14:41
- 薩摩は火山灰質の痩せた土地で、米作だけでは馬鹿みたいに多いサムライを養えないはず
- 789 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 22:11:03
- 薩摩は長崎へ向かうオランダ船を拉致して
坊津に荷物を下ろさせていた
- 790 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 23:10:45
- >>773
内田に決まってる。
このスレの常駐者でもない限り、
「内田って誰?そんな大名いたか?」が普通の反応。
- 791 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 00:38:48
- >>790
小見川藩って親藩ではない罠
- 792 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 01:10:41
- 糸井川藩が地味すぐる。
- 793 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 05:32:19
- >>789
マジ? なんで幕府のお咎めがないのやら。
- 794 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 07:17:34
- >>789
それって海賊行為だろ
- 795 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 08:19:32
- 農民から年貢を取り立てるのは山賊行為?
- 796 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 09:02:08
- 奈良の小大名は古墳を盗掘
木曾は尾張の檜を勝手に伐採
三重は和歌山の鯨を密猟
加賀は五箇山で武器作り
明石は珊瑚の偽物の玉作り
- 797 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 09:23:56
- 明石は違法やないやろ!
と隣町の俺が言う。
人造さんごの廃棄物の黄身の再利用からたこ焼きが生まれたんだぜ〜(有力説)
- 798 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 11:20:12
- スレチ以前の低俗スレ
- 799 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 13:15:07
- 仙台とか盛岡とかの特産物は餓死死体。
- 800 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 19:03:55
- 明石市大久保町じゃ銃の所持が普通に認められているという
- 801 :日本@名無史さん:2009/10/28(水) 23:57:05
- >>799
盛岡藩の特産品は「贋金」ですよ。
仙台藩大迷惑。
- 802 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 18:15:06
- 江戸末期に水田の面積は日本検地総面積の約二倍であった。つまり穏田がかなりあり百姓が脱税していたと言う事だ。検地をやり直すと布告すると一揆が起きる理由がここにある。
- 803 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 21:56:45
- >>801
> 盛岡藩の特産品は「贋金」ですよ。
筑前福岡藩モナー
> 仙台藩大迷惑。
迷惑するのが仙台藩だけなら大歓迎じゃ。
- 804 :日本@名無史さん:2009/10/29(木) 22:24:35
- >>802
純粋に表高と実高のことを言ってるだけだろう。
脱税?藩の歳入調べた?
どうせならば米価も変動しながら250年の間にどれだけ下落したかを調べたらどうですか?
検地すると一揆になるとは知らなかったよ。
- 805 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 00:07:45
- >>803
「他国もやってるからウリナラ無罪ニダ」
と言い出す郷土愛なので、南部に餌やるのは止めてくれwww
- 806 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 02:35:53
- 鎖国が全部悪い
- 807 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 05:30:54
- 明治になって土地の登記を始めたら耕作地が検地台帳の二倍になったのは事実だが・・・
- 808 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 12:40:49
- ↑
米収穫量2倍=藩歳入金額2倍にはなりませんよ×
相場って学びました?
何よりも江戸時代初期〜明治政府樹立まで約260年ありますからね…。
単純に収穫量2倍と言われてもね…。だからなんなの?と言われちゃいますよね…。
ましてや百姓が脱税してる根拠にはなりませんよ。
ここは学問板ですからもう少し…。
- 809 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 13:52:57
- ↑頭が悪いですね。中卒ですか?不動産登記の話ですよ。収穫料の話なんてしてないでしょ。
- 810 :日本@名無史さん:2009/10/30(金) 14:00:46
- 一般的な社会人としての研鑽を積まないで大学院行っても無駄。だから頭の悪い修士、博士が無職で溢れている。そんな奴はコンビニでアルバイトして人間をやり直せ。
- 811 :日本@名無史さん:2009/10/31(土) 16:48:52
- もちつけ
- 812 :日本@名無史さん:2009/10/31(土) 19:01:43
- >>778
長州藩は塩、紙、蝋という特産品がある。
- 813 :日本@名無史さん:2009/10/31(土) 19:04:25
- 防長四白な。
- 814 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 01:12:10
- あとひとつはなんだよ?
フグか?
- 815 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 02:54:45
- 米+塩・紙・蝋で四白
>フグか?
江戸時代は各藩禁令出して食べてない(ことになっている)
河豚は美味いから禁令が出ていても皆こっそり食べてたんだろうけどな
明治になって伊藤博文がメシウマして解禁を働きかけた
- 816 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 05:05:52
- 戦で死なずフグで死ぬとは不届きという理由でフグの中毒死がバレたらお家断絶だったという。
- 817 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 05:51:38
- 空弁当食ってんだもん
戦で死ぬわけねーじゃん
- 818 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 09:14:44
- 空港弁当?
- 819 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 12:16:57
- ちなみにフグ中毒というのは呼吸中枢がマヒして窒息死する
これ豆知識な
- 820 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 19:23:25
- ちなみに最近の致死率は5%
フグ中毒になっても↑がいうように呼吸困難とか麻痺するのがヤバいので
人口呼吸機とか付けたら大丈夫。
- 821 :日本@名無史さん:2009/11/01(日) 20:58:06
- うんこ食べると助かるって聞いたことある
- 822 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 01:05:11
- ふぐを食っても、全裸になって両手で自分の尻叩きながら
「びっくりするほどユートピア! びっくりするほどユートピア!!」
って白目剥きながら叫ぶと助かるらしいよ。
でも大抵の人は羞恥心があるから中々そこまではできず、あえなく絶命するって聞いたことある。
- 823 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 01:12:35
- 加賀藩特産品の、フグ肝の塩漬けがあるじゃん。
なんで毒が抜けるのか謎なの。
伝統食品だから、
日本で唯一(公式に)、フグ肝食べていい、っての。
- 824 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 02:06:53
- 石川梨華
- 825 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 10:37:13
- >>823謎ってのが怖いよな
どうやら単に希釈されてるだけってのが有力らしいからなお怖いw
ちなみに食ったらかなり塩辛い
日本酒のつまみにあうよ。
- 826 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 22:20:03
- おくりびとではフグの白子食ってたね。
ところで備中松山藩には熱射病で死んだ藩主がいたね
- 827 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 02:18:47
- むかし結婚式で大分に行った時にふぐ刺食べたんだけど
ふぐ肝もついてきてポン酢にあえて刺身を食べたんだけど
ふぐ肝出すのは大分県だけって本当?
- 828 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 02:46:45
- >>827
「独特の和え物」かよw
本来出すのはご法度だが、大分では出すところがあるらしいね
よそでもあるかもしれんが「知る人ぞ知る」で好事家のネタになってる場所は大分ぐらいだな
- 829 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 20:54:50
- 大分のは本当は違法なので、大きな声では言えない。
メニューにものってない。
江戸時代からあったかどうかは不明。
- 830 :日本@名無史さん:2009/11/05(木) 22:34:17
- 大分じゃ、こないだの中毒事件のときも「卵巣に毒があるなんて知らなかった」
と魚屋の親父が言ってたな。
- 831 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:06:36
- 出世といえば柳沢がよく取りざたされるけど、牧野成貞の子孫も取りつぶされることなく
続いて老中を出すまでになってるぞ。
- 832 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 15:25:10
- 過疎age
- 833 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 19:18:56
- やっぱり自演スレだったんだw
- 834 :日本@名無史さん:2009/11/08(日) 21:54:09
- きんもー☆
- 835 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 02:30:38
- 日出藩の城見に行ったが2万石でアレは立派すぎるだろ
国主級だぞ
- 836 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 07:00:07
- 兄貴筋にあたる備中足守藩の木下家は同じ25,000石でも陣屋格
この日出藩木下家は城主
初期に何かあったのかもね。
- 837 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 09:43:35
- 各大名が将軍家に各々の領地の特産品を献上していたが、
どの藩がどんな特産品を献上していたのだろうか?
- 838 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 17:37:37
- >>836
義兄弟に細川忠興、城も忠興の支援
- 839 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 18:59:39
- まだまだあるだろうが一例として・・
・信濃高島藩(諏訪家)⇒鮒鮨
・出羽天童藩(織田家)⇒寒中挽き抜きそば
・蝦夷松前藩(松前家)⇒白口浜真昆布
・加賀金沢藩(前田家)⇒氷
・近江彦根藩(井伊家)⇒近江牛の味噌漬
・肥前佐賀藩(鍋島家)⇒伊万里鍋島焼
・陸奥盛岡藩(南部家)⇒鶴
・陸奥仙台藩(伊達家)⇒鶴
・肥後熊本藩(細川家)⇒肥後ずいき
- 840 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 19:42:20
- >>838
忠興から見ると、自領に隣接して出城が有るというわけだ。
自分の城みたいなもんだな
- 841 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 19:57:47
- >>840
世が世なら天下人の義弟だから
ただなんか豊臣時代より良い暮らしを送っているような気が
- 842 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 22:10:13
- 過疎ったのを自演だと言われて突如として書き込みが増えるなんざ
自演以外の何者でもないなw
- 843 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 22:11:15
- >>838
城の支援は了解だが、陣屋格⇒城主となると、徳川本件との関係がないと
理由がつかないんじゃないの?
- 844 :日本@名無史さん:2009/11/09(月) 22:40:39
- >>836
関ヶ原で決まってしまった。
兄利房は西軍、弟延俊は東軍だったからね。
この2家は参勤交代が同じ時期だから
同じ柳間で常に本家と分家の家格逆転を思い知らされることになる。
- 845 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 01:39:41
- でも2万石クラスの九州の大名って
参勤交代かなりきつくない?
たとえ有力大名と婚を通じ、かつ昔の豊臣家一門であっても
- 846 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 06:02:31
- 一番江戸から距離あったのが、日向佐土原藩(島津家)27000石
だったでしょう。
相当に負担であったのは確か
- 847 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 07:30:33
- そっちは本家から支援があるだろうけど
本家とか身寄りのない家はどうしたんだろうね。
木下家は後者に近いと思うが、まさか浅野家から支援とか?
- 848 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 07:42:11
- 必死のJI・EN乙
- 849 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 07:54:00
- 今までの自演と言うレスをまとめて
規制関連板に相談する。
- 850 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 09:06:10
- この定期的にやってくるアンチ自演レスはいったい何?
自演だという証拠はまったくないだろうし、仮に自演だとしても彼にとって何か不都合なことってないでしょ。
はるか昔にこのスレで嫌なことがあって、そのまま居着くようになってしまったのだろうか。
- 851 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 11:07:38
- いたずらや愉快目的だったらこんなに続かないから
まぁなにか病んでいる人なんだろう
- 852 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 13:14:56
- 日出の木下氏は元は三万石である
なぜか末子に五千石を分知して本家は二万五千石に。
- 853 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 13:44:06
- どっちも「豊臣朝臣」?
- 854 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 16:23:54
- >>853
そう
数少ない豊臣
- 855 :日本@名無史さん:2009/11/10(火) 22:40:48
- >>847
江戸に入ってから浅野家と木下家のつながりはないみたい
- 856 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 09:06:30
- >>848は、>>762-763を嘲笑うかのように、ご丁寧にわざわざ専ブラの
NGワード登録にかからないように書いてるし、荒らしの中でも悪質な部類だろ。
>>849さんじゃないが、限度っていうものがあるよな。
- 857 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 09:44:00
- 親族にしては秀吉にさほど優遇されてない木下がそのまま豊臣朝臣を名乗ったというのも皮肉だな
頂点まで持ち上げられて落とされた金吾や秀次のその後を考えると、
数万石の小大名でかえって良かったのかもしれんがw
- 858 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 10:24:25
- 木下は実は松の丸(京極竜子)と若狭武田の子供で
ねねの兄弟に引き取られたらしい
秀頼の遺児が落ち延びたという伝説もある
- 859 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 19:36:52
- >>857
一族全員無能に産まれて良かった
- 860 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 20:39:25
- 金吾・秀次「無能に生まれたのに、この有様です」
- 861 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 22:31:17
- 無能に大封を与えちゃうと災いの元なのね
- 862 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 22:45:09
- 秀次は無能というほどではないと思うけどね。
そもそもあの時期の老害秀吉が相手じゃ、有能でも無能でも粛清は
まぬかれなかったろうし。
- 863 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 23:03:05
- 金吾もかわいそうではあるけどな
6、7歳の頃から、大臣、大大名の上座、上壇中央に座らされて、
武家で金吾より席次が上だったのは秀吉と足利昌山ぐらいのもの
持ち上げるだけ持ち上げておいて、秀吉に子ができると手のひら返し
無能というが、こんな異常な環境で育って養子に出されて
いっぱしの武将・大名になれって方が無理だと思う
- 864 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 23:16:40
- 有名人の家紋 〜藤原紀香、鳩山由紀夫、小沢一郎、麻生太郎、中上健治、木村拓哉、坂本龍馬、タモリ〜
http://www.ippongi.com/2009/01/19/%e4%b8%80%e6%9c%ac%e6%b0%97%e5%ae%b6%e7%b4%8b%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%80%80%ef%bd%9e%e6%9c%89%e5%90%8d%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%ae%b6%e7%b4%8b%ef%bd%9e/
- 865 :日本@名無史さん:2009/11/12(木) 23:29:59
- 秀吉と秀長が異常に優秀なだけで木下家はあんなもんだろ
- 866 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 03:56:30
- 一方で親族として優遇された浅野はあっさり豊臣の姓を捨てたか
でもいつ捨てたんだろうね?
- 867 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 11:01:23
- 秀秋が有能なら秀次ではなく秀秋が関白になったのかな?
- 868 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 12:32:06
- 秀次、秀保が唯一の近親血統男子。残念ながら秀保は生来片目の不具者で知的レベルが低かったらしい。それでも淀君の妹お江与を妻として女児を設けた。この娘は九条関白に嫁いだ。この血統は今上天皇に伝わる。中村木下家の子孫は明仁天皇である。
- 869 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 13:16:06
- 天皇家はいろんな血が流れているな
- 870 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 14:06:12
- 秀次は無能ではない
- 871 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 15:39:47
- 知恵遅れではないが天下人としてはどうかな?
もっとも秀忠も名将とはとてもいえないが
- 872 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 15:45:31
- >>871
秀吉政権下でずっと伏見に詰めている家康の代わりに関八州をまとめていたのが秀忠なんだが
2代目としてはとても有能だったと評価していいと思う
- 873 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 16:28:20
- 伊達って藤原朝臣?
- 874 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 17:47:09
- 毛利輝元と毛利敬親はどっちが優秀だったんだろうか
- 875 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:21:38
- 毛利敬親だろ。上手く家臣を煽てて打倒徳川を達成した。時勢を読める才覚がある。輝元と島津久光は同じレベル。感覚がズレている。
- 876 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:37:10
- 結果を出したという意味ではそうかもな、過程はともかく
- 877 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:44:47
- 何を上申されてもそうせいとしか言わなかった人な。
- 878 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:54:25
- 毛利敬親だな。
殿様が何もしなくてよかった時代に何もしなかった人と
殿様が率先して決断すべき時代に何もしなかった人。
- 879 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:02:29
- でもその結果、敬親は朝敵になってるけどな
輝元も広家さえ裏切らなければ状況も違っただろう
- 880 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 19:50:38
- 毛利は後北条氏と同じだよ。地域支配以外に野心がなかった。天下と言うビジョンがないんだ。輝元なんて担ぐだけ無駄だった。
- 881 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 20:20:57
- 輝ちゃんもボンクラだったんだろな
- 882 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:04:06
- 輝元も敬親も凡庸だったが、敬親は家臣を信頼する度量が広い殿様だったと思う
- 883 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:09:43
- 輝元は周囲(元就・隆元・両川・虫けらの子・秀包・秀元)は一族皆優秀なんだけどな
輝元だけ、よくも悪くも生まれながらのお坊ちゃんだよな、戦国武将って感じじゃない
- 884 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 21:17:28
- この時代は山内容堂や徳川斉昭みたいな賢い大名がバカを見る時代だからね
「そうせい候」と呼ばれた毛利元徳や抜けてる島津久光(国父)みたいな主君だったら
勝ち残れたのに。容堂は武市を懐柔しようとしたが応じずに側近の東洋殺して
暗殺調査役の井上までブチ殺したから勤王党弾圧をしなければいけなかったからな。
豊範が藩主になってたら間違いなく操られてただろうけど。
- 885 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:12:20
- >>883
毛利輝元=鳩山由紀夫 ←New!
ネタ元はhttp://www.asahi.com/politics/update/1111/TKY200911110416_01.html
>やはり恵まれた家庭に育ったもんですから、
- 886 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:12:31
- >>873
途中で名もなき国人に簒奪されてるから実際のところは不明だな。
- 887 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:41:28
- 真人姓の大名っているんですか?
- 888 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:36:22
- 旗本や小大名が、大大名に嫁や養子を送ることができた例ってどれくらいなんだろう?
有名なのは吉良と上杉だが
- 889 :日本@名無史さん:2009/11/13(金) 23:57:34
- 上杉治憲(高鍋秋月)、伊達宗城(旗本山口家)、蜂須賀重喜(佐竹分家)とか有名人にも多いな
- 890 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 01:12:43
- そういうのは血筋の分家なんだよね
部屋住みでスペア置いとくのと同じ
- 891 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 01:27:01
- 伊達の血筋の宗城はともかく、治憲は母方の祖母が上杉出身ってだけじゃないのか?
吉良から入った綱憲だって母親が上杉家出身だが
佐竹出身の蜂須賀重喜が蜂須賀家の血筋だとは知らなかった
- 892 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 08:18:51
- 上杉は景勝がバンバン子供を拵えなかったのが悪い
さらに言うなら謙信が男の尻好きなのが悪い
自家保存に万全を期さぬとは太守の自覚が足らぬ。
- 893 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 02:05:22
- 久留米有馬も、赤松一族から養子貰っていたかも。
- 894 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 02:16:14
- 将軍家ですら3代で断絶の危機で
男顔の女を捜し出して男装してやっとできたじゃないか
- 895 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 06:51:01
- 御三家は部屋住み中は徳川常陸介とか受領名を名乗ってるけど
- 896 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 07:03:11
- ミスって途中で送信した
御三家は部屋住み中は「徳川常陸介」とか受領名を名乗ってるけど家督・参議の後は
専ら紀伊中納言とか尾張宰相で、「徳川+受領名・官途名」の呼称は使っていないみたいだけど、
加賀藩主(綱紀・吉徳など)も参議補任後は加賀守を称していなくて専ら「加賀宰相」
を自称・他称していたのかな?
それとも前田家は参議転任後も加賀守如元で「松平加賀守」と呼ばれていた?
- 897 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:05:14
- 細川越中褌
- 898 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 15:51:27
- >>896
君はこの前の加賀贔屓か?
前回教えてもらってお礼の言葉の一つも言えないなら
誰も答えないと思うぞ
- 899 :896:2009/11/16(月) 17:01:39
- >>898
まったく記憶にないな
変な言いがかりは不愉快
- 900 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:51:21
- >>899
お前、武鑑ぐらい確認しろよ
- 901 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 17:54:40
- 藩主一門を家臣として中に入れておくのと、子藩や旗本として外に置いておくのは
どういったちがいがある?なんかよく分からん
- 902 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:07:46
- >>900
武鑑には位階と単に加賀宰相としか書いてないんじゃないか?
つーか、武鑑の記載が正しいとは限らんだろ、従四位下侍従を従四位侍従とか
勝手に略していたりするし
- 903 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:20:04
- >>901
本家の影響力・支配力が全然違うね。
一門の家臣なら完全に主従関係だけど、支藩は独立や家格向上をしようと
反抗しかねない。
毛利家のように宗家内分知の家ですら支藩が宗家に公然と反抗しているからね。
- 904 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:23:24
- >>902
お前馬鹿か?
それが武家の認識なわけ
- 905 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:27:23
- >>904
つまり加賀守如元ではないということか。ありがとう。
何故、江戸大名は参議以上になると受領名を称さなくなるんだろう?
- 906 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:30:57
- >>903
新田藩でもやっぱり支配力全然違うものなんだろうか?
- 907 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:32:47
- でも御三卿は徳川刑部卿とか一橋刑部卿とか言うよな
- 908 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:40:34
- >>906
本家の影響力が強く及んでいても、大名という点では本家と対等だからね。
中には若年寄や奏者番とか公儀の御役に就いている新田藩主もいるし、
そうなると完全に本家の思うまま、とはいかないだろうね。
- 909 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:41:39
- >>905
如元というかもともと加賀守は官職じゃなく、単なる名乗り。
宰相は官職。
武鑑では四位参議から記載が変わってる。
島津は中将でも薩摩中将とは記載されず、松平薩摩守。
幕末の書状なんかには会津宰相、桑名中将とか書いてあるものもある。
- 910 :日本@名無史さん:2009/11/16(月) 18:58:05
- >>909
ありがとう
加賀守は単なる名乗りだけと、一応正式に口宣案には記されるんじゃなかったっけ、
記憶違いだったらごめん
- 911 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:00:26
- ところで,将軍家世子の名乗りは,大納言?右大将?
将軍の名乗りは何になるのでしょうか?
- 912 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:20:25
- 忠輝、忠直、忠長
将軍家の近親大名はなぜ乱行するのか・・・
乱行は後世のこじつけで、なんか「消された」ような気がしてならないんだが
- 913 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:08:59
- 外様大名の元家臣を多く抱えていたという共通点はあるね。
色んな意味で粛清
- 914 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:18:15
- >>908
横から
じゃあなんで「支藩」なんてつくるんだろ。
家系が絶えないためとかいってるが、家臣でもええやん。
- 915 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:24:33
- 一旦家臣になった人間を主君にすえると家中が乱れる元になる。部屋住みと違って格が明確に下がるわけだからな。
- 916 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:24:51
- 支藩は(一応)対等、血のプールたりえる
家臣にするとその時点で一族ではなくなる
よって血が絶えた時のプールにはなれなくなってしまう
臣籍降下した皇族は天皇にはなれない。越智清武が
将軍になれなかったのも同じ理由。ま、本人も望まなかったようだが。
- 917 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:02:34
- >臣籍降下した皇族は天皇にはなれない。
源氏物語では、光源氏が天皇(不倫によって出来た光源氏の実子)から天皇の座を譲りたいと懇請され、
そこでは、中国はおろか本邦でも臣籍降下した後に皇籍に戻って天皇になった人がいると言っているな。
醍醐天皇がそうらしい。
- 918 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:13:51
- >>914
理由はいくらでもあると思うよ。すでに出てるレスに加えて、
当時の武家は、藩主が幼少だったりすると親族や同輩が後見的な役割も果たしていたし、
殿中とか公の場で藩主を補佐するには何かと陪臣では都合が悪いことも多かったと思う。
一門といえどあくまで家来、主と従は絶対的な差だからね。
そりゃ家臣でも良いけど、当の次男三男にしてみたら陪臣よりは支藩主・旗本の方が
良いに決まってるし、親心としても出来ればそうしてやりたいだろうし。感情的な面で。
戦の空気がまだ残っていた初期と中期以降でもまた違うだろうけど・・・
- 919 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:41:21
- >>917
醍醐天皇もそうだけど、そもそも醍醐天皇の父親である源定省が宇多天皇だけど・・・
宇多天皇が即位することで、第一皇子の源維城→醍醐天皇が皇族に戻った。
- 920 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:06:57
- 陽成天皇 「あいつは朕の召使だったではないか!」
- 921 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:24:50
- >>911
将軍「上(かみ)」
将軍世子「大納言様」、「西御丸様」
- 922 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:25:19
- 徳川家宣自身が一時家臣の養子になっていたよな。 世襲親王家の伏見宮も鍛冶屋の小僧になっていた御落胤を皇族として跡継ぎにしているぞ。
- 923 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 01:08:02
- >>>916
> 家臣にするとその時点で一族ではなくなる
んなわけねーだろ。
山内容堂はたった1500石取りの陪臣である分家の出でしょ。
大藩なら大抵、どこでも藩主の一族と見なされている分家がある。
普通の家老とかよりは格上だが、
それでも幕藩体制の中では本家に従属する陪臣であったことに違いはない。
- 924 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 07:23:57
- 新田藩を作る一番の理由は、本家取り潰しの際に陪臣は当然一緒に取り潰されるが、
直臣になってれば所領は残るから。
- 925 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 08:36:50
- 無嗣改易の多かった初期には特にそういう意識が働いていただろうね
分知できる余裕もあったし
- 926 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 16:35:25
- >>923
山内容堂の生家は藩主家連枝でしょ。連枝と家臣は家格が違うでしょ。
俺も正確に説明できる自信はないんだけど、藩主宗家の継承権ってことでいうとさ、
宗家世子>宗家部屋住(次男以下とか庶長子とか。まあ生母の格等場合による)>一門(家門、連枝)>支藩藩主家
>>>超えられない壁>>>藩主家に血筋が連なるけど一門じゃない家臣家、家臣に養子に出された奴
って感じじゃないの?
まあ、継承権がある家は普段はゴロゴロしてて、継承権がない家は家老職とかやらされてるってイメージがあるが。
- 927 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:18:54
- 一門家の扱いは藩によって様々だろうな
- 928 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 17:33:02
- 津山森家の二代長継が家老・関氏の息子だね
しかも隠居から二十数年後、本藩が改易された後にしぶとく取り立てられた家名を残した。
長命はするものである。
- 929 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:29:52
- そしてその子孫が元禄の事件後の赤穂藩に入部。小藩ながら塩でウハウハ。
- 930 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:35:32
- 津山城には及ばないにしても2万石には過ぎたる城だしな
- 931 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 21:09:21
- 徳川御三家も、御両典も、一門家臣ですよね
- 932 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:45:51
- 五街道の宿場町が寮内にある場合
支配は藩?道中奉行?
- 933 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:52:37
- 藩主に即位した後の敬称は殿下? 閣下?
- 934 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:02:05
- >>926
連枝と家臣は家格が違う、っていうのは同意だが、
>>901から>>916の流れで言うと、
支藩の藩主っていうのは幕府の直臣で、いちおう独立した大名。
藩内で禄もらってる連枝っていうのは、藩の中では確かに藩主の一族なんだが
幕府から見ればあくまでも陪臣、つまりその藩主の家臣って扱いになるでしょ。
まあ「家臣」っていう言葉の使い方の問題だね。
- 935 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 07:05:33
- 支藩だともらえる嫁がちょっとランクアップするか
ただの一門家臣と藩主では相手が違うわな
- 936 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 07:38:27
- 嫁の家格がアップしようが大した問題じゃない。愛人の集めやすさがアップする方が重要だろうに。
- 937 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 10:20:02
- 御三家・御三卿は将軍家の連枝?家臣?支藩?分家?
- 938 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:31:29
- >>937
その四つのどれでもない。強いて言えば「家門」
将軍家が徳川本家なら分家だが、徳川宗家なら分家ではないし
将軍家の置かれている位置によって立場が変わる
変わらないのが、家門という親藩的な立場だろう。
- 939 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:48:52
- 島津や伊達はあれだけの大藩にしては、積極的に支藩作ってないな
佐土原や宇和島は微妙な立ち位置だし、一関は血統だけで伊達姓じゃないし
規模からいえば3家ぐらい支藩があってもよさそうなものだが…
- 940 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:54:00
- でかい上に幕初には武ばっていたから、取りつぶしよりも御家騒動の危険の方が強かったんじゃね?
藩主候補を増やすと幕府に調略にあって本藩が池田のように割られかねん。
- 941 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:55:16
- 一門家臣とすることで統制を維持したかったのだろうね。
あと逆に支藩の不祥事が本家に及ぶリスクってのもあるし
浅野家のような
- 942 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:03:03
- 家臣が三万石で実質城持ちとかだからなぁ。
- 943 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:03:21
- 大河ドラマで伊予西条藩の松平頼純が吉宗(子供)に3万石という石高を馬鹿にされたのに対し
「兄上(光貞)からも2万石禄を貰っていて5万石じゃ!」
と言っていたけどそんな事って可能なの?二君にまみえずに反しているような・・・
- 944 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:17:54
- 新田藩の内分分知とか、能役者の諸藩による世話とか、色々例外がある。正式なものも非公式なものも。
- 945 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:21:38
- そんな吉宗も、ガキの頃には有馬の行列を羨んだというオチ
- 946 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:37:45
- >>943
兄が紀伊家を相続した時に五万石を分知されていたのを、幕府から三万石貰って
独立した際に、本家からも減った分の二万石を現米で貰うことになった
兄弟で仲が良いってことで。
- 947 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 02:12:27
- そもそも何で頼宣を駿府から紀州へ移したんだろうね・・・
正直、紀州ってそんなに重要か?
「権現様ゆかりの地に弟をそのまま居させてたまるものか」という尾張の陰謀とか?
- 948 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 02:14:48
- 豊臣系大名の浅野家を教徒の目の前に置いておくのが不安って
方がでかいかと
- 949 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 02:18:58
- 紀州といっても和歌山城は大阪の直ぐ下だからね
西国で何かあったときに直ぐに兵員を動員できる。
一方で西国から攻め入るときも近江を通らない場合大和伊賀というルートがあるから
それににらみをきかせる所に親族を置いておきたかったのだろう。
残念ながらどっちの押さえも幕末に機能しなかったが・・・
- 950 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:00:05
- >>928
森長継さんはもしや最長寿の大名?
百年近く生きた人って他にいるかな
- 951 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 03:06:41
- 真田信之(1566-1658)
- 952 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 04:08:55
- 紀伊・水戸・甲府・駿府・館林。全部、現代だと微妙なところばかり。
栄えているのは名古屋ぐらい。
- 953 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 05:52:34
- 宿場って道中奉行の管理下だけど、同時に城下町だった場合
どういう支配体制だったのだろう?
- 954 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 06:09:18
- 大名って天皇の直参? 将軍の陪臣?
- 955 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 08:00:19
- 朝臣を名乗っていたりするから直臣だろ。
- 956 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:56:20
- >>928
松平忠輝(1592-1683)
もっとも1616年から生涯流罪の身でしたが。
wikiみたけど、1984年になってようやく現在の
徳川宗家当主に赦免されたそうだが、
やはり赦免されていないと何かあるのだろうか。
- 957 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:32:36
- 江戸の藩邸が自国の城より大きいことは珍しくなかった。
加賀藩なんて上屋敷が10万坪で金沢城が9万
ただ、ここまででかいのを何故必要としたかは疑問
- 958 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:44:45
- >>957
大名庭園重要
- 959 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:46:54
- 運動不足解消のために散歩でもするんだろ
- 960 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:55:39
- 中に商店や農家まであったらしいな
ここまでくると一つのミニ国家だわ
- 961 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:04:38
- 農地登録で年貢まで幕府に払っていたとか・・。
- 962 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:11:58
- 10〜20万坪クラスの江戸屋敷は下手な旗本の知行地より広そうだなw
岩松涙目ww
- 963 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:50:23
- >>957
雑書だが「徳川将軍家の演出力」「大名屋敷の謎」当たり読むといい
大体の疑問が解ける
簡単にかつ今風に言うと、社宅・会社事務所・社長の邸宅・摂待所・娯楽施設
これらをすべて兼ね備えてるのが藩邸
当然一つじゃ足りず、二つも三つも必要になったりする
- 964 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:32:38
- 自 演 乙
- 965 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:17:54
- >>956
徳川さん、軽々しく赦免するなとある人に説教されたと朝日新聞に載ってた
- 966 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:28:03
- 赦免されなければ一族会に呼ばれなかったりするんじゃねーの。
- 967 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:58:12
- 石高が少ない割に江戸屋敷が広かったのは信州高遠藩内藤家が筆頭だろうけど
石高の割に地味だった筆頭はどこですか。土佐山内家?それとも伊達か島津?
- 968 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:17:56
- 御三卿の屋敷ってあれ江戸屋敷なの?
- 969 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:25:31
- 江戸屋敷なら何か問題でも?
御三卿は各地に代官所、大坂には蔵屋敷を持っていた。
- 970 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:27:47
- やぱり柳川での評判は立花>田中なのかな
それとも今の人はあまり気にしていないとか
- 971 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:59:04
- >>970
やっぱり立花だよ。
当代は知らないけど、先代の和雄氏は「とんさん(殿様の意)」と呼ばれてた。
宗茂公の甲冑が見たい方は是非御花へ。
田舎が柳川の者より。
- 972 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:59:37
- 福岡では蒲池一族の評判はどうなの?歌手ばかりが目立つが
- 973 :971:2009/11/21(土) 22:13:44
- >>972
評判というか、武門としてはほとんど無名。
知ってるのは歴史好きぐらい。
某スーパーアイドルの本名では超有名。
高校時代に蒲池姓の同級生がいたが、
某スーパーアイドルの遠縁だと言っていたのを思い出した。
- 974 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:40:47
- 今どき松田聖子?歳いくつだよおっさんw
俺は田中麗奈が好きだよ(>.<)y-~
- 975 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:27:58
- 松田聖子最高じゃん
カウントダウンコンサートに行かないのか?
五十手前で、アキバでメイド出来るのは
蒲地だけだろう。
聖子ちゃ〜ん!
おでこ出さないで!前髪垂らしたポニーテールでヨロシク
- 976 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:33:38
- >>950
大名じゃないけど天海大僧正も長生きだよな
130歳とかだっけ
- 977 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:41:01
- いまどき田中麗奈って歳いくつだよ、おっさんwww
- 978 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:50:36
- 久留米の有馬さんはあまり人気ないね
田中麗奈はきれいだけどちょっと宇宙人っぽくね?
- 979 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 04:32:55
- 10年前くらいの雑誌にほぼスッピンのグラビアがあったけど
そばかすがすごかったような記憶が。。。
- 980 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:50:46
- 次スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう9【藩主
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258847385/
最後の】をコピペし忘れた。すまん
- 981 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:08:51
- 田中吉政&麗奈
- 982 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:15:04
- >>977
どんだけ年少なんだよ
ガキ!
- 983 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:18:18
- 江戸藩邸の治外法権を利用した商売とか無かったのかな?
- 984 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:45:05
- 宮廷では乱交パーティーとかあったな。
楽しそーだ。
- 985 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:55:55
- 逃亡犯の引き渡しでもめたケースは?>藩邸
- 986 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:27:38
- >>982
おっさんがキレてやんのw
バーカ
- 987 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:16:11
- >>984
つ禁中並公家諸法度
- 988 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:46:44
- >>986
その口汚なさで育ちの悪さが窺える。
少しは礼節を学ぶがいい。
- 989 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:02:36
- つーか松田聖子なんて知らないしな
- 990 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:15:44
- >>989
松田聖子を知らないとは、生きてる価値ない。どうせ税金の納付もしたことのないガキだろう! な、ガキ
- 991 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:19:41
- 松田聖子って諸候と関係あんのかよ?
- 992 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:27:27
- >>991
君のパソコンはショコウと打っても諸侯と出てこないの?
- 993 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:28:33
- 彰晃
- 994 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:36:55
- >>985
池田家で起きた事件の犯人を、旗本の水野が匿い
池田家と旗本の間でイザコザが 幕府も手を拱いた
- 995 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:17:08
- いわゆる鍵屋の辻の仇討ちですね
- 996 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:21:20
- >>995
後世脚色された部分はあると思うけど
有名な犯人隠蔽かな
- 997 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:23:27
- つ鍵屋の辻
- 998 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:53:03
- へたしたら池田家 VS 藤堂家になりかねなかった
赤穂浪士の時も上杉家は軍を本当にだしかねなかった。
- 999 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:06:14
- 999なら自演厨消滅
- 1000 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:09:26
- 1000
- 1001 :1001:Over 1000 Thread
- このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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