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【魏志倭人伝】狗奴国を比定してみよう【邪馬台国】

1 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 03:01:36
邪馬台国女王国と敵対する狗奴国を比定しようという目論見のスレです。
あえて狗奴国に拘る事で邪馬台国の姿み見えてくるかもしれません。
私は久留米の出身です。
魏志倭人伝の舞台、九州に土地勘がある人を中心に議論を進めて
行きたいと考えております。
さあ、どうぞ。

2 ::2009/11/17(火) 03:22:28
おお、スレ建った!
何年ぶりだ、2chでスレ建てたのw

ちなみに私は邪馬台国は畿内説のものです。出身は久留米です。
かつては畿内ー宇佐の連合国家という独特の立場を採っておりました。
今でも大きくは変わりませんが、宇佐が畿内邪馬台国にとって特別な
存在だったという事を言いたいわけで実際に連合があったという
確かな根拠はありません。

本題に戻りますが狗奴国とは正式名称は隈国だと考えております。
日本書紀にある隈県を示す位置と一致するとみてます。
では隈県とは何処か?

狗奴国が九州にあった事はほぼ確定として
隈県とは福岡南部、佐賀南部、熊本、鹿児島北部
エリアだとみています。
その後、磐井の乱、南朝勢力の勢力域とほぼ一致しております。

筑後の久留米、三井郡地域から南の九州中部から西南部、あるいは宮崎まで
含む広いエリアだと考えています。

理由の一つはパワーバランス的に鹿児島や熊本だけだと
本州の広いエリアに広がる邪馬台国とパワーバランス的に
不釣り合いな点、その後の歴史で大和朝廷と敵対し続けている点、
このエリアの地名、文化、神社などの同質性にあります。

基本的に九州に土地勘の有る方の意見を頂きたいです。
「北九州」と「北部九州」の違いを知らない本州四国の方はご遠慮下さい。

3 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 03:32:40
狗奴国は熊本県北部(北半)です。奴はトと発音し、狗奴はクトと発音するのが正解です。
転訛してウトとなりました。宇土半島や熊本城の宇土櫓にその名をのこしています。
また熊本県北部には、菊池の地名があり、倭人伝中の狗古智卑狗の狗古智は菊池になったものです。
邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。卑弥呼の墓は小城公園内の桜ケ岡(サクラオカ)です。
ただし、卑弥呼は230年代に遷都してきたもので、それ以前は東の吉野ケ里の北内郭にいました。

4 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 03:38:23



おまえら、涙拭けよ。





5 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 03:45:17
相模さんは小城説の人ですよね。
小城だったら熊本北部だけで対抗出来るかもしれませんが・・

狗古智卑狗が菊池市の地名と関係があるとは私も考えています。

狗奴国と邪馬台国連合の境界線は流動的だった考えてるので
倭人伝当時、菊池市が北限だった可能性もありますが
その境界線に固執する事にあまり意味を感じません。

南北朝当時、菊池氏と少弐氏の勢力圏が流動的だったように
邪馬台国と狗奴国の境界線もかなり流動的だったと考えております。

6 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 03:49:33
確かにそうですね。
熊本北部にも山門の地名があるところをみると、一時的にそこまで邪馬台国の
勢力がはいりこんでいたと考えられます。

7 ::2009/11/17(火) 04:18:06
最終的に狗奴国は大和政権に併呑されるわけだから
山門、大和の地名があってもおかしく無いと思います。

私達は魏志倭人伝に比較的民族闘争的意味合いを求めがちですが
実はこの一時期だけみれば
戦国大名の領地争いのように日和見的な離合集散があったとしても
おかしくないとみてます。

ただ、九州南部勢力はその後時代を変え中央と対峙するわけですから
根深いものがあるのも事実です。

8 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 08:04:01
>>3
それだと奈良の勢力の名称問題が出てくるんだよな
邪馬台国でも、狗奴国でもないとなると
向こうの(魏の)調査不足で魏志倭人伝ではスルーされてるのか?

9 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 08:48:12
そもそも奈良地方がヤマトとなづけられたのは、九州福岡市の山門に住んでいた人が(下山門の駅があります)、奈良を征服し、
故郷のヤマトの名をつけたのです。
魏使が来た当時、九州以外は倭種としか表記されておりません。邪馬台国のまたは中国の勢力圏外であったわけです。

10 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 08:53:52
>>9
それって神話に出てくる神武東征のこと?
神武東征なら卑弥呼の時代より昔になると思うけど

11 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 09:40:57
>>8
大陸の王朝と正式な国交のない場所は書かない。
当該王朝が歩んだ歴史の禅譲行為だから、付き合いのない地域を細かく記す必要がないんだ

12 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 09:53:54
狗奴国は倭人伝の文章内だけに記された、邪馬壹国と同じような環境の名称。
狗奴や邪馬壹は、倭人伝だからこそ存在できる便宜上の地域名称です。
倭人伝は、その文章構成や時代背景から狗奴や邪馬壹を作り出す必要があったわけで
東京、埼玉、千葉、神奈川、茨城、栃木、群馬を関東地方と述べたにすぎない事とおなじ。

13 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 09:59:19
>>8
倭人伝の時代、「大倭」という名称で位置付けられていました。

14 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 10:05:24
>>10神武東征開始は西暦122年、橿原即位は130年となります。
それ以降ズーッと奈良に居住しヤマトと称したわけです。卑弥呼の時代(183〜247ないし248年)
は、孝昭,孝安、孝霊、孝元の各天皇の時代にあたります。

15 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 10:08:49
>>10神武東征開始は西暦122年、橿原即位は130年となります。
それ以降ズーッと奈良に居住しヤマトと称したわけです。卑弥呼の時代(183〜247ないし248年)
は、孝昭,孝安、孝霊、孝元の各天皇の時代にあたります。

16 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 10:26:50
>>15
開始から即位まで、五年や十年で成し遂げられるほど、こじんまり
した出来事か?

17 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 10:39:10
現在の総理大臣の五百年前の先祖の
生徒会会長になった記憶なんて、一体誰が覚え伝承したというのかな?

この人の子孫は、代々これから歴史に名を残すであろうと予感したから
代々語り継いでいったのかな?

18 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 10:44:57
濃尾平野で結論出ていますよ。
はい。

19 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 10:59:32
>>3
クトが転訛してウトになったのなら
クマが転訛するとウマになりますね?

20 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 12:05:01
>>16神武東征といっても畿内全土を征服したわけではありません。奈良盆地の西南の片隅を
支配しただけでした。それから代をかさねるごとに勢力圏をひろげていったのです。
当初はグループや集落のリーダーといったところでした。
>>19可能性としてあるでしょうね。けど馬がウマと発音されるようになったのは比較的に新しいようです。
ンマかマだったようです。

21 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 12:12:04
>>20
だから、そのリーダークラスの出来事を
覚えていなければならない理由は?

22 :サガミハラハラ:2009/11/17(火) 12:31:43
覚えていなければならない理由などありません。自然にこんなことがあった、こうだったと語りつがれていっただけです。
それを8世紀にまとめたのが、古事記日本書紀の古いぶぶんです。

23 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 12:41:56
>>22
覚えてなんかいないし、語り継がれる事もない。
一グループのリーダーの出来事なんて
百年もしないうちに忘れ去られる

24 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 12:44:27
サガミハラハラさんの五百年前の先祖の出来事、
今に伝わっていますか?
誰か語り継いでいますか?

25 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 14:15:43
狗奴国は諏訪地方を拠点とする一大祭祀国家です。
当時は濃尾平野どころか、最大版図に於いては三重・岐阜から群馬・埼玉に至るまでを勢力下においていました。
その証拠に三重や岐阜には諏訪社の兄弟社とその新興が散在しています。
その一方で同時に三重や岐阜は邪馬臺との前線地域であり、合衝を繰り返していました。
もともと木曽三川一帯は今よりも深い湿地・池沼地帯であり、戦略的境界線になりやすい地域でした。
邪馬臺勢が出張っては邪馬臺人や古出雲人が定着し、諏訪勢が出張っては諏訪人が定着し、
たがいに影響しあっていました。
そして戦時でないときは同時に活発な交易地帯でもありました。
邪馬臺の首都纒向から大量に見つかる東海系の品物はそのためです。

邪馬臺は肥沃な大地と莫大な人口を支えにした強大な経済力・地力があり、
その魅力の前には吉備や諏訪でさえ、戦略的な選択をとらざるをえませんでした。

狗奴国と邪馬臺の争いは長期化とともに互いの強大化を誘発し、
結果、ともに内政での混乱から平和的大変革を迎えるにいたります。

26 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:54:35
じゃあ25は狗奴国をどういう種類の民族の国だと捉えていますか?

27 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 17:45:58
>>26
倭人でしょう。
諏訪には鉄器文明があり、縄文から続く依り代をともなった祭祀もする、強大な国家がありました。
ただ、九州の倭人と関東の倭人は人種的に同じですが、慣習はまったく違ったと見てよいでしょう。
越人としての倭人と、入れ墨をいれ採集をする倭人を混ぜて扱う中国の史書からみれば同じなのですが。

28 ::2009/11/17(火) 17:56:50
>>15
>神武東征開始は西暦122年、橿原即位は130年となります。
>それ以降ズーッと奈良に居住しヤマトと称したわけです。卑弥呼の時代(183〜247ないし248年)
>は、孝昭,孝安、孝霊、孝元の各天皇の時代にあたります。

スレチですが、その部分およそ、認識近いです。
卑弥呼はもう少し後の崇神の時代とも考えて居ますが、
長生きだったのでその頃生きていてもおかしくありません。

崇神の四道将軍派遣はほぼ紛れもなく倭国大乱です。
この後北部九州が邪馬台国(大和朝廷)に併合され
崇神によって統一されるとみてます。
それ以前の孝昭,孝安、孝霊、孝元の時代は畿内の政権と
九州の政権が別個に存在していたとみています。

九州の政権の王の一人がスセン(福岡市西区に周船寺として地名が残ります)、
畿内の王権の王が神武の系統です。
神武は畿内に移り住み出雲の系統と融合しております。

スセンと神武とに何か血縁を含めた関係があったかどうかは
定かではありません。

神武が東征する前に南九州に居たのか居なかったのかも
分かりません。
ですが東征という記紀の伝説は何らかの根拠に基づいているとみています。

29 ::2009/11/17(火) 18:30:15
魏志倭人伝は中国人がまさに現代日本に残した難問です。
ちなみに私は孝霊天皇から分かれた家柄です。
うちの血筋は豊前に近い八幡の豪族でした。
孝霊天皇の時代はまだ九州には別の権力がありました。
近畿から八幡に派遣され九州征服を命じられていたのだと思います。
卑弥呼の時代の少し前の事です。
八幡や宇佐はかなり以前より大和朝廷の支配下にあったという事です。


30 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 18:35:58
難しく考える必要はないんじゃない?
狗古智卑狗って言ってるんだから、素直に熊本の菊池でしょう

31 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 18:42:57
>>29
ないない

32 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:42:47
>>31
どの辺が無いんですが?全部ですか?
見借を征伐した大屋田彦の話は今でも語り継がれています。

33 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:56:54
卑弥弓呼=武埴安彦
狗奴国=許乃国
狗古智卑狗=河内彦

34 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:43:01
大屋田子でした。


35 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:51:19
後の熊襲だとオモ(ノ><)ノ

36 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:04:07
狗奴国=球磨国
其官有狗古智卑狗(=菊池彦)

37 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 06:56:09
狗奴国との戦いは倭人伝に「素より和せず」とあり、スサノオの国家統一のときから統一国家に参加していなかった球磨
国との戦い以外には考えられない

38 :サガミハラハラ:2009/11/18(水) 07:23:33
弥生後期の九州の高地性集落の分布を見てみると、筑紫と肥後の境に集中しております。
これは北部九州の邪馬台国連合と肥後北部の狗奴国の抗争が卑弥呼の時代だけでなくずっとさかのぼる
ものであることをあらわしています。ねっから仲がわるかったのですね。

39 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 08:26:37
>>38
サガミハラハラ氏に問いたい。
女王国を邪馬台国連合とし、北部九州に比定しているようだが、
女王国内として記された、詳細不詳の国名を比定しうるだけの勢力が、
北部九州だけで得られるのか?
また肥前北部に近い地域で、その名前が得られるのか、
具体的な例を例示していただきたい。

40 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 10:00:48
>>9
逆でしょ?

41 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 10:41:58
>>38
耶馬台国とクナ国は津江村周辺の土地を巡って長年争っていたんじゃないかと思うのですが、
この辺は見当違いでしょうか?
津江村周辺というのはもちろん鯛生の事です。


42 :サガミハラハラ:2009/11/18(水) 11:36:49
対海国=対馬南島 都は小茂田浜
一大国=壱岐島寄港地は勝本
末蘆国=唐津市 上陸地は西唐津八幡町川浪商会前の浜
伊都国=多久市中小路 庄
奴国=肥前山口土元
不弥国=小城市不二町
邪馬台国=小城市甘木


43 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:12:04
>>42
伊都国が微妙だな、甘木って埴輪の発掘ばかりじゃないか?!

44 :銀河 秋彩:2009/11/18(水) 13:19:51
 【倭国・九州筑紫王朝・物部系<夏>】側
  【▲矛圏】
『魏志倭人伝(通称)』に記載は、明帝と司馬懿(→晋・中国南朝)が支持した、
(▲傍流)太伯後の、共立された女王・卑弥呼(物部系)の「邪馬壹(連合国)」
=《筑紫平野・久留米高良山(神籠石あり)》

西暦247年崩壊【西暦247年3月24日の日の入り時の日蝕(卑弥呼=壹与の死を揶揄)】
「伊都国(いづら)」=《佐賀県小城市牛津町》、東行百里の「不彌国」=【魏の城塞都市(木柵)・吉野ヶ里】
「其地無牛馬虎豹羊鵲。兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。」=『魏志倭人伝(通称)』
 「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩jun葬者奴婢百餘人」
=【ガラス管と剣が副葬の「1002号墳」が卑弥呼(難升米)の墓・径百歩】
卑弥呼の都【魏使が来るに及んで、久留米から遷都、隼人町が記載されている】・「★倭国は極南界」

  ▲卑弥呼の都・直接統治国「壹国(薩摩)」=「周旋可五千餘里(275km余)」=「55m/倭人里」
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/761d&.dnm=ac0e.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
【▲矛(→▲剣)圏・倭国(九州筑紫王朝)・物部氏】、「白村江(はくすきのえ)の戦い」で、一旦滅亡。
「「日出處天子(南朝の後継を名乗った、泉蓋蘇文=天武)致書日没處天子(北朝・隋の煬帝)無恙〜」
倭王・多利思比孤・【『万葉集』の「軍王」、のちに、天武天皇】は、こちら側。
天武は、(復活)倭国王。

▲卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」=「周旋可五千餘里(275km余)」=「55m/倭人里」
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/761d&.dnm=ac0e.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t


45 :銀河 秋彩:2009/11/18(水) 13:20:32
以下・卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」の都は、現鹿児島県姶良郡隼人町姫城。
  《加治木 義博説》を支持。
「55m/倭人里」を使用。卑弥呼の「邪馬壹(やまい)(連合国)」は、【筑紫平野】。

  七〇〇〇里 帯方郡治〜狗邪韓国
  一〇〇〇里 狗邪韓国〜対海国《対馬》
  一〇〇〇里 対海国〜一大国【壱岐・魏の直接支配地】
  一〇〇〇里 一大国〜末盧国《唐津湾界隈》
   五〇〇里 末盧国《唐津湾》(東南陸行)〜★伊都国(いづら)《佐賀県小城市牛津町・港でもある・魏使常駐》
  《万五百里》=「伊都国(いづら)」。
《不彌国、奴国、投馬(国)、卑弥呼の都などは、伊都国(牛津)からの★放射状説を採る》
  一五〇〇里 伊都国(牛津)〜水行十日《有明海を倭人が小舟で南下・「接女王国(女王国の国境)」の現八代市まで
《計・万二千里》……【八代市以北(「奴国・なら」の南・玉名市か熊本市以南)は、……
…… …… …… ……通行不可の、不仲の卑弥弓呼の狗奴国(旧奴国→百済)ゆえの「水行十日」】
   「余(国内)」……「接女王国(国境)」の八代市から球磨川沿いを遡り、山越えして南下、
        卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」の都、隼人町姫城までが「余=陸行一ヶ月」=倭人の歩み。

水行二十日・投馬(国)……伊都国(いづら)から、有明海を水行二十日南下し、「トカラ列島の宝島」に。
この「トカラ列島の宝島」の生まれ……「宝皇女=斉明太上天皇」。
「イザナキ」&「イザナミ」は、《伊是名島》から。
http://www.ocvb.or.jp/card/ja/0600001514.html

46 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:57:37
1

47 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:20:03
>>32
そこも大事だが、私が比定先を聞いているのは、倭人伝にいうところの、
『自女王國以北 〜 此女王境界所盡。』のことだ。
北部九州より北で、邪馬台国連合に属する国が、
出雲王国にぶつかるまでにある程度揃うのかどうか。
それを聞きたい。

48 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:35:08
>>32>>42の誤り。
サガミハラハラ氏に問う。

49 :サガミハラハラ:2009/11/18(水) 18:01:58
狗邪韓国=半島南部都は金海。出航地は固城。
斯馬国=糸島郡
巳百支国=脊振山中三瀬村
伊邪国=福岡市南部、弥永原(イヤナガバル)
都支国(タキ国)=福岡市西部金武吉武
弥奴国(ミト国)=福岡県三輪町
好古都国(ハオカタ国)=福岡市(博多)都は香椎
不呼国(オカ国)=遠賀川河口岡田宮

奴はトと発音していました。トは国という意味です。

50 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:48:57
>>47に問いたい。
出雲王国とやらの範囲は?その範囲を特定してもらわないと
答えようのない質問だ。

51 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:45:12
金海は金官伽耶、固城は小伽耶

52 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:53:54
畿内大和説を採るが、狗奴国は熊本北部だね。
狗古智卑狗=菊池彦だし、「奴国の南」。
熊本北部から中部は、北部九州とも対抗できる独自の鉄器文化があり、鍛冶遺構も多い。一部原始的な製鉄もあった。
段丘や丘陵上の大集落が弥生後期後半から古墳初頭に発達し、たいがい環壕がある。
都は地域最大集落の方保田東原だろう。
とこ、これら大集落群は古墳前期前半過ぎに急激に衰退し、有力な前期古墳がなぜか無い。
まさに「景行」の頃滅ぼされた感じ。

前期半ば以降の有力古墳は、弥生終末の大集落の分布とは重ならない宇土や阿蘇、天水町にある。
赤塚氏の東海説はうさん臭い。なんでも東海起源、東海中心にしてうさん臭い。資料の扱いが恣意的な希ガス。
マキムクの東海系土器の出方や前方後方の分布から、畿内東海の対立的関係を強調し過ぎている。
濃尾や東日本の古いとされる前方後方の編年も、土器の平行関係に異論があったり、ハサマをはじめ古墳に関係ない土器で決めているのではなど疑問が多く出されていて、前方後方が濃尾中心かどうかも怪しい。
なんでいつの間にか東海狗奴国説が定説化したのか検証が必要だ。

東海説は実は怪しいので、邪馬台国畿内説でも熊本説はあり得ると思う。

53 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:58:09
>>49
好は古音ではハオではない。
また近県に集中しすぎている。
国は都市だけでなく、末端の農民や農地まで含むと知るべき。

>>50
島根および広島県東部まで。

>>52
熊襲と隼人の違いはどう考えるべきか。
また東海にある強い信仰の母体集団はなんであったと考えるか

54 :サガミハラハラ:2009/11/18(水) 23:23:54
姐奴国=津屋崎付近
対蘇国=対馬北島
蘇奴国=北九州市東部の麹半島の東南部
呼邑国(カユウ国)=遠賀川中流域
華奴蘇奴国=行橋市や苅田町あたり、肝等(カト)庄あり。

記紀神話に出てくる隼人は長崎県のあたりです。早崎や諫早の地名がある。

国によっては数百戸ぐらいのところもあうと思います。

55 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:32:11
あううう

56 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:54:01
>53
東海が狗奴国と思い込んでいる信仰集団のことか?

57 :サガミハラハラ:2009/11/19(木) 00:01:35
いっぱい書いたんだが、エラーということできえてしまった。
それで細切れでかいている。続きはまたあした。

58 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 06:17:59
邪馬台国は鹿児島市内で、狗奴国は笠沙町だよ。

で、笠沙町を味方につけて邪馬台国を挟み撃ちにするために、高千穂の峰に天孫が降臨した。
討ってみると、魏を味方にしていたにしては案外あっけなくやっつけられたので、「なんだ空っぽの国じゃないか」と思ったろう。
で、出来たのが古事記の天孫降臨の章。

「ここは韓国(からくに)に向かひ、笠沙の御前を真来通て、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、ここは甚よき国なり。」

59 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 08:33:51
時代と事例がむちゃくちゃ。日本史板とは思いたくない

60 :サガミハラハラ:2009/11/19(木) 10:01:35
鬼国=大分市周辺、ただし鬼奴国と場所がいれかわるかもしれない。なにぶんにも地名による比定しかできないので。
為吾国=大分県南部か?
鬼奴国=大分市周辺。
邪馬国=山国川流域
身弓臣国=玖珠盆地
巴利国=杷木や原鶴
支惟国=このあたりからわからなくなる。朝倉市あたりか・
烏奴国=これもわからない。ウクハあたりか?
奴国=福岡県南部の山門、これはバッチシです。


61 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:27:17
>>58

天孫降臨の地『筑紫の日向の高千穂のクシフル峯』
天孫降臨は福岡県の日向(ひなた)です。日向峠とは糸島(福岡市と前原市の境くらい)にあります。
「筑紫の日向」というのは 九州島の日向 と訳すのは間違い。そもそもこの頃 日向国はまだ
でてこないので宮ア県の日向をあらわすなら「熊曾国の日向」と書くはずである。
筑紫と書かれている他の記述の部分は福岡県をあらわしているのに、ここだけ九州島と訳すのは恣意的である。
日向峠(ひなたとうげ)の北に連なる高祖(たかす)山連峰には日向山があったことが黒田長政書状に記録あり。
また、高祖山連峰の中の最高峰が クシフル山(怡土志摩郡地理全誌(大正2年発行)に記録あり)で、
今はなぜか名無しの山になってます。
>「ここは韓国(からくに)に向かひ、笠沙の御前を真来通て、
>朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、ここは甚よき国なり。」
福岡側から糸島側に峠をこえる時の日向峠とは、まさにこんなところですよ。


62 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:47:11
>>61
筑紫の行橋と行ってるから九州は全部筑紫と言ってるだろう。
そもそも天孫降臨とは本州で起こった事、
本州人が天孫として九州に降って出戻りしたというのが真実。
実際、本州で神武は父方の親類討ってるんだし。

なんとしてでも朝鮮から朝鮮人が九州北部に降ったという
ねつ造したい人お疲れ様。

63 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:48:08
>>62
彼は行橋が筑紫でないという事を知らないだろう、
土地勘全然なさそうだし。

64 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:51:25
畿内説ならこれでばっちり、
順番も揃うし遺跡のある所ばっかり。

為吾国=伊賀地方
鬼奴国=内貴〜貴生川〜現水口
邪馬国=山背〜京都
身弓臣国=近江
巴利国=播磨
支惟国=吉備
烏奴国=穴戸
奴国=福岡

で、女王国の境界線が奴国におある訳です。



65 :サガミハラハラ:2009/11/19(木) 13:02:55
畿内説の旁国論の弱点は、二十一国だけでは空白地がいっぱい出てしまうことです。
上記でも安芸や伊予、讃岐、丹波、越等等どこになりますか。

66 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:18:14
>>65
俺は丹波は出雲に比定してるから投馬国。
安芸以外は一応候補があるが、
まだ確信はしてないからね。語呂合わせレベルだから。

逆に九州説の弱点は詰め込み過ぎだと思うけど。
上記の比定は遺跡や当時の地理状況から、外せない土地を選らんでるつもりだ。

67 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:17:28
>>65
逆に北九州説は詰め込みが過ぎている。
邑一つで国にしているようだし、文化的生活に必要な絶対生活圏を確保すると、おそらく干渉しあって和議もできない。
しかも数百戸の邑としても全部で10000戸以上になる。
つまり北部九州だけで16万戸近くなり、人口は約120万人になってしまう。
弥生時代後期の内地人口が約300万弱であり、つまり北部九州3県だけで内地の4割近い人口をもっていたことになってしまう。

畿内説には隙間が空きすぎるとかいって、その実この疑問点を無視するほうが問題だ。

68 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:58:50
次有斯馬國、……志摩。
次有已百支國、
次有伊邪國、……伊予。
次有都支國、
次有弥奴國、……美濃。
次有好古都國、
次有不呼國、
次有姐奴國、
次有對蘇國、
次有蘇奴國、
次有呼邑國、
次有華奴蘇奴國、……賀。石川。
次有鬼國、……紀。紀伊。
次有爲吾國、……伊賀。
次有鬼奴國、
次有邪馬國、……山背。山城。
次有躬臣國、
次有巴利國、……針間。播磨。
次有支惟國、……吉備。
次有烏奴國、
次有奴國。……奴國。博多市内陸。

あとはなんだろう。
畿内説としては邪馬台国の範囲はどう見たらいいのかな?
邪馬台国=纒向、諏訪=狗奴としては、
石川・福井・岐阜・愛知・三重・和歌山・奈良・滋賀・京都・大阪・兵庫・鳥取・島根・岡山・広島
あたりまでを台与時代の邪馬台国の最大領土と見てるけど。

69 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:30:05
質問、記紀に県と国が出てきますが
違いはなんでしょうか?


70 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:47:39
「くしふる峰」は高千穂町にあるわけだが。


71 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:48:45
>>61
お前は九州の人間?  九州島本土で一番高い山はどこか言ってみろ。

それ平仮名で書いて当て字してみろ。

ところで古事記では 久 士 布 流 多 気。これが答え。

いかに、本来は存在しない「くしふるだけ」と決め付け
後で命名した偽くしふるだけとかクシフル神社とかwww 偽モノばかり。


72 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:52:46
九州で一番高い山の主峰

九重連山の久住岳。発音は く じ ゅ う だ け
「 久 士 布 流 多 気」 
そのまんま。

このことだろが。何が「くしふる」だってのw

73 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:07:43
九州で一番高いのは久住山`くすさん`では?

74 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:11:35
くじゅう、くじゅういう。

75 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:22:10
糞古田け?

76 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:31:13
>>73
 く じ ゅ う だ け、って言うんだよ。地元の人間はね。

くすとは死んでも言わない。

77 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:33:07
久 士 布 流 多 気 = く じ ゅ う だ け

九州の中央の一番高い山
まあ、考えれば辺り前だろ。
本州でいえば、富士山っていうようなものだから。

78 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:33:13
ほらほら出ました。
地元民と本州四国人の決定的知識の差w


79 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:39:04
旧祖母山頂に祀られているいるのは豊玉姫。
だから祖母山っていう。
そんなことも知らないやつが九州に居たりする。

80 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:42:40
高千穂町のくしふる峰w
筑紫の櫛触山w
豊玉姫の志登神社w (さらに性質の悪いことに延喜式内社w)

どれもこれも全部、自称のあと付け

81 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:43:39
>>79
俺は福岡、知らなかった。
玉依姫はどこで祀ってるか知ってた?


82 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:52:43
狗奴国の位置は
九州説も畿内説も一部は一致するんだよな。
この一致する部分から何か読めない?


83 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:00:43
>>82
記紀が正しいとすると、崇神天皇時代はまだ東征も西征もできてない。
それは次の次ぐらいの世代だから。
景行天皇の時代にやっと九州までいってヤマトタケルが出雲や熊襲にいくから。

畿内の規模を考えるとモノが集まってるぐらいは当然だと思うが。
記紀にもそう書いてるんだら。

中国に貢ぎはしてないだろ。なんで記紀にあれこれ貰ったって書いてないんだw
なかったからだよ。

84 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:11:26
久住の古名って『く た み』じゃなかったか?
古詩にも出てくるし、のちの時代では万葉で『朽綱(くたみ)』と謡われている

85 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:13:36
くたたん

86 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:26:27
小倉の苅田の近くに朽網(くさみ)という地名がある。
関係あるのかな。

87 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:50:12
>>86
どうだろうね
ただ使われていた漢字の『朽綱(くたみ)』は万葉の頃で、それ以前は別の当て字だったようだから
『く た み』という音だけは変わってないようだね
今では久住三峰を指す名称になってるけどなぁ

88 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 02:43:57
>>83

崇神は、すでに四道将軍を派遣してますよ。



89 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 03:02:18
4世紀頃に古墳が全国に広がるから四道将軍の亡くなる時期と被るんだよ。
実に歴史のつじつまがあう。


90 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 03:28:00
ところで、狗奴国については倭人伝と後漢書で異なる。

倭人伝は、
其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王

後漢書は、
自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王

どちらを取るかで大きく異なるのだが。

91 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 03:34:35
>>90
後漢書だな。

92 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 05:43:38
狗奴國と拘奴國とは別の国だろ。なんのために違う字使ってるんだよ。

93 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 06:41:22
狗と拘は中国でも発音同じなんだよなぁ

94 :サガミハラハラ:2009/11/20(金) 06:47:40
九州本土で一番高い山は久住山じゃなくて、近くの三角点もない山ではなかったでしょうか。地図のはしっこだったのでみんな
みのがしていたとなにかで読んだ気がしますが。

95 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 07:28:17
まったく同じ字である「奴国」ですら別の国である可能性があるというのに、たとえ発音が同じだとしても別の字を使っているのであれば、別の国だと言って問題ないんじゃないかな。

96 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 07:32:22
東海西部のS字甕成立圏は
伊勢湾の鈴鹿市から稲城市まで。
その中心にあるのが桑名市
東海西部は、前方後円墳に対抗する前方後方墳体制を構築している

97 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 08:17:15
>>92
描き間違いや、漢字の経年の進化にともない廃字になったものもある。
そういう経緯で書き落とされたという可能性もある。
特に奴國は漢倭奴國や狗奴國、蘇奴國や華奴蘇奴國などから、
乃や之のような助詞である可能性が高く、
その前についていた字が廃字になったため欠字になったか、
書き写す際に誤って脱字した可能性がある。

98 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 08:33:41
>>95
それがなぁ・・・最初は狗を使ってたが、いつの間にか拘を使うようになってた例が他にもあってな
台湾の高雄の中国古名である打拘なんかそう
最初は『打狗』だったのが『打拘』になってる
もちろん発音は同じ

>>97
『奴』は随代に発音変わったって説あったわな

99 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:15:26
>>94
中岳だね
もっとも古歌に詠まれてるのを見ると、主峰久住岳を筆頭に、纏めて一つの山として扱ってるようだ

100 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:19:43
>>90
それは書かれた内容が違うからだよ
後漢書は、書かれた内容の一番新しい年代が後漢時代だけど
魏志倭人伝は、魏時代と時代が異なる。

同じ列島内でも、時間が違えば
大日本帝国が日本国へと変化する。

ましてや漢語で書かれたものだから 列島で呼称されていた名称「くな」がずっと変化していなくても、政治背景を漢字で表せば、後漢時代まで「拘奴」であった背景が、魏時代「狗奴」と変化しても
なんらおかしくもない。

101 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 12:48:25
古代伊勢湾、入海の島々、現在の尾張平野に
前方後方形墳丘墓(一宮市)がある。

102 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:07:31
そういや鹿児島県伊佐市の下鶴遺跡で、南九州じゃ珍しい銅戈が出土したらしいね。
どうやら弥生前中期のものらしいが。
ここらは有明海→川内川の船で行ける上限地、ここから上は曽木の滝が遡上を阻む。
大部分の遺跡は過去の川内川の蛇行で流出したと考えられてるが、それでも畑の下にはまたまた埋まってるんだなぁ。

103 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:02:46
>>100
>それは書かれた内容が違うからだよ
>後漢書は、書かれた内容の一番新しい年代が後漢時代だけど
>魏志倭人伝は、魏時代と時代が異なる。

『後漢書』成立は5世紀南北朝時代の南朝宋の時代で編者は范曄(はんよう、398年 - 446年)
『三国志』著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年-290年間)に書かれた。


104 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:01:18
>>103は何がいいたいのか?

105 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:10:52
要するに、倭人伝によれば狗奴国は、九州の南の方にあったと考えられる。
しかし、後漢書の方を信頼すれば、狗奴国(拘奴国)は、出雲あたりの可能性も
出てくる。

九州の邪馬台国と、出雲を中心とする山陰・中国地方の狗奴国。
対立の構図としては面白いと思うのだが。

106 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:16:26
>>105
どちらも信頼するか、どちらも信頼しないのどちらか

107 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:26:56
狗奴国=畿内国でFA。



108 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:36:02
>>107
という願望はよく理解できるが、方向が違う。

109 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:40:53
>>222
いやいや
畿内の大泊瀬幼武大王と関東の獲加多支鹵大王と九州の倭王 武の違いだな

110 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:41:47
>>109
間違えです。失礼しました。

111 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:14:39
>>107
魏志倭人伝が指し示した方角は間違えてたのか?
その説に立つならそれを認めることになるけど

112 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:52:41
邪馬台国は韓王朝? 竹島から「親魏倭王」の金印出土

http://kyoko-np.net/2006072601.html

113 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:52:36
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

114 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:09:48
九州説は記紀は信用ならないといって九州王朝を持ち出すけど、
狗奴國に関しては熊襲や隼人など記紀の記述に従うよね。
なんで?

記紀は信用ならないんでしょ?
ヤマトのあずかり知らぬ九州王朝が!!とか言いながら、
それを飛び越えて狗奴國=熊襲や隼人はヤマトが知ってる情報に従ってる。
なんで?

115 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:13:37
ダブスタ。

116 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:18:38
>>114
狗奴國に関しても記紀の記述に従ってません。
漢籍の記述に従っているだけ。

117 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:19:54
詭弁。

118 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:24:22
>>116
邪馬台国を北部九州にするなら中南部はがぜん広いのに、
なぜか熊本や鹿児島に比定するのは熊襲や隼人を狗奴國にしてるわけでしょ?
だって常識的に見たら北部九州以外での最大勢力は西都原なんだから。

119 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:46:08
結局、吉野ヶ里だったり福岡だったり、大分だったり西都原だったり、
これといって比定地に決定打のない九州王朝の都の可能性を濁らせたくて、
遺跡や古墳は狗奴國にしたくない、という内部事情だけ。

漢籍から読み取ったといいつつ記紀に記載のある勢力の熊襲や隼人を利用して狗奴國に比定。
こんなダブスタどころか村落程度の遺跡まで漁らなきゃ女王國を比定できない、っていう九州説の寒い事情なだけ。

120 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:40:06
九州説、もうおわり?

121 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:46:21
>>120
そんなに九州説が気になるか?

122 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 22:50:31
気を抜くと湧いて出るからね。
普段は『途中から方角が違うなんてダブスタ』とか、
『南が東になるなら東は北だよな 畿内説のダブスタ』とか人の話をきかず馬鹿にするくせに、
いざ記紀に対するダブスタを指摘したら聞かザルだから、本当に困る。

ぐうの音を何度ださせても足りないくらいだ。


123 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:02:01
>>119
では、女王国と比定した所からは
一体どんな遺跡が顔をのぞかせるというのかな?

アンタの頭の中では、ジュリアナの跡地からは、ジュリ扇が多数出土するとでも考えているのかな?

124 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:09:03
>>123
ジュリアナがそこで滅びたり、ある日うち捨てられて、そのまま朽ちたら出てくるでしょう?
火事のあとから燃え残りが出るように。
遺跡とはそういうもの。九州説は未だ出ぬ決定的九州王朝王都=邪馬台国を期待して曖昧な比定しかできてない。

>>64,68
躬臣國は、ヒミココだかの読みから弓がコらしいので、
音を借りた躬もコになるから、躬=コ+臣=シで越になると思う。

125 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:30:58
>>124
だから、女王国からは一体何と何が出るのかね?
これとこれは間違いなく出るとか
それとも何か出て来てから、後付けで都合に合わせた台詞をつけるのか?

126 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:37:46
>>125
畿内説は纒向があるだろ
いま俎上にあがってんのは九州説だろ
どこが九州説の邪馬台国でどこまでが女王国で、記紀を打ち破る比定になってるのか説明してくれよ
それとも狗奴国は記紀を全面信用して邪馬台国は記紀なんかにない九州王朝でダブスタです、って認めんのか?
どうなんだよ

127 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 23:59:25
九州説では巻向の遺跡や古墳をどう位置づけているのかというのは興味深い。

128 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 06:56:03
>>126
どんだけ貧困な九州説を対象に話してるんだよ?

129 :サガミハラハラ:2009/11/21(土) 07:08:25
邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡(サクラオカ)です。
くわしくは「邪馬台国はどこだ、小城甘木説」のスレをごらんください。

130 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 07:42:55
「どこだ」 ご案内
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207913538/l50
出版オメ
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1152467000/l50


でも、
> シロ - 2008/09/21(Sun) 12:28 No.505  //rara.jp/kunakoku2/page488.html

>     まあどうでもいいが、サガミさんは、東アジアの古代文化を考える会に、

>    >> よそからみて、ブットふきだしてしまうような見解や、呆然としてしまう解釈も、
>    >> どうやら本人にとっては至極真面目で合理的であると確信しているようだからである。(2008.4.8)

>   と投稿しているが、ご自身の見解がそれに当てはまることに気づかないのでしょうかね。

131 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 07:43:35
誰がダブスタだって?
狗奴も邪馬壹も、魏志倭人伝の文章だからこそ、存在出来る区分けであることをしらないのか?

132 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 08:56:39
>>131
邪馬壹って訓読みの当て字だろ?記紀の最初の神代の1にあるぜ。

及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本日本。此云耶麻騰。
下皆效此。豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。
次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。
皆是潮沫凝成者矣。亦曰水沫凝而成也。
産む時に至るに及びて、先ず淡路洲【アハヂノシマ】をもちて胞と爲す。みこころに快ばざる所なり。名
づけて淡路洲【アハヂノシマ】と曰う。すなわち大日本豐秋津洲【オホヤマトトヨアキツシマ】
(日本は耶麻騰【ヤマト】と読む。以下、それに倣え)。次に生まれたのが伊豫二名洲【イヨフタナノシマ】。
次に生まれたのが筑紫洲【ツクシノシマ】。次に双子の億岐洲【オキノシマ】と佐度洲【サドノシマ】。
世人或有雙生者、象此也。次に生まれたのが越洲【コシノシマ】。次に生まれたのが大洲【オホシ
次に生まれたのが吉備子洲【キビノコジマ】。これが大八洲國【オホヤシマノクニ】の始まりである。
すなわち對馬嶋【ツシマ】、壹岐嶋【イキノシマ】、及び所々の小嶋、はすべて泡が固まったもの、
あるいは水沫の固まったものである。

九州は筑紫州な


>廼生大日本日本。此云耶麻騰

大和=大倭=日本=耶麻騰=邪馬台

133 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:09:28
>>132
邪馬壹が訓読みの当て字なら、三世紀〜四世紀には
既に訓読みが存在していたと言うのか?

134 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:10:06
九州説だと邪馬壹という地名は九州のどこに残っていることになっているの?

135 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:23:45
>>134
邪馬壹なんて日本中何処を探しても存在しないし
残っていない。
邪馬壹は、倭人伝の中だけに存在する漢語
邪馬臺は、倭伝の中だけに存在する漢語

編纂者が日本の音意を上手く利用した漢語表記だよ

136 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:31:24
狗奴国を隅や熊襲、狗古智卑狗を菊地だっていうのなら、邪馬壹もどこだ、って言わないと一貫しない。

137 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:40:26
>>136
そんなこと言ってるのはごく一部の連中だろう。
そんなの一々取り上げていたらキリがない。

138 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 10:45:11
>>136
逆に8世紀に編纂された記紀が、
それ以前に書かれた大陸の正史の内容を利用していると言う考えは
否定しない。

139 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:01:52
もうはっきり言って邪馬台国はヤマトで結論出てるだろ。
問題はそれがどの範囲かが不明な位だよ。

140 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:12:29
>>139
それは脳内で願望が膨らみ、時間が経つにつれて
確定したかのような幻想をいだいているに過ぎない。

141 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:23:59
>>133
当然。日本語は存在してる。漢字の音を読みにあててる。

142 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:28:37
>>140
それが酷くなったのが九州説論者だな。
東遷とか九州王朝とか妄想論ばかりだし。

143 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:29:35
>>135
其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里、在會稽之東、
「倭国は東西五月行、南北三月行で各々海に至る。その地形は東高西低。都は邪靡堆、すなわち魏志
にあるところのいわゆる邪馬臺である(隋書)

「やまと」という言葉に漢字を当ててるだけ。読みに当てる漢字だから書き方は色々変わる。

144 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:42:21
>>140
冷静に考えて九州説で逆転の可能性があるとしたら、
北部九州以外で2〜3世紀に栄えた大規模集落遺跡、古墳の発見が最低条件。
勿論何かしらの伝承も必要で、これでやっと畿内説とドロー。

後はそこにある未発掘の古墳から金印でも出ない限り逆転はない。


145 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:50:34
当時の魏の人が、邪馬台国の漢字をヤマタイコク、卑弥呼をヒミコと発音していたとは
、とうてい考えられないのですが。 日本語の発音を当時の魏の漢字に当てはめたのですから。


146 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:51:13
>>143
「やまと」なんて勝手に作っちゃいけないよ
書物に「やまと」なんて書いていないだろ。

だから何時までも神の手が拭えない。

147 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:54:26
>>145
どうして考えられないの?あと邪馬台国はヤマタイじゃなくてヤマトゥ

148 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:56:09
>>146
記紀に書いてあるだろ。
>廼生大日本日本。此云耶麻騰。

これは読み方をいってるんだよ。いわゆる万葉仮名のようなもん

149 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:56:35
>>131
畿内説も魏志倭人伝の記述と記紀そして考古学の実績を元に地域の同定をしています。
九州説は魏志倭人伝の記述を元に狗奴國を熊襲や隼人に同定するのに記紀を利用しながら、
そのじつ邪馬台国の比定では記紀を信頼ならないと無視し九州王朝を立ち上げなさる。
ヤマト王権が熊襲や隼人を知り尽くしながら、偉大な九州王朝を知らないと仰るのか。

>>135
それは詭弁です
言語学的に否定するそぶりをして、論をはぐらかせている。
邪馬壹国が、狗奴国が存在するのか、記紀によらず比定していただきたい。
もしくは「我々は記紀を九州説にいいようにつぎはぎして利用します」と認めるべきだ。

>>137
邪馬台国を一大九州王朝連合としながら、それを「そんなこと」と仰る。
九州王朝は記紀のどの記事のことなのか。
それとも狗奴國などの一切の比定に記紀の記事を使わずやっていると論拠を出していただきたい。
どちらかに一つです。

>>140
逆に九州王朝説は「まだ発掘されていない」ということを「九州王朝を否定できない」という、
実にくだらない詭弁・妄想に利用しているといえますね。


で、結局、記紀を利用してるんですか?
なんで狗奴国の比定に記紀の熊襲などの記事を利用しながら、
「ヤマトの与り知らない九州王朝が!!」などと矛盾した資料利用をするのか。
それをちゃんと論拠だてるか、切り抜きしない資料利用するか、それとも倭人伝と考古学だけで論拠だてるか、
どちらか論拠立てて説明していただきたい。

150 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:59:24
>>148
隋書の話しがいつの間にか倭漢籍にすりかわっている何故隋書を出して隋書で応えられないの?
話しが複雑になるだけだ

151 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:00:54
>>146
記紀に「此云耶麻騰。」という記述があります。
それとも資料比較を否定なさるのか。
資料はそれ一冊のみから読み取るべきで他の資料を持ち出すべきでない、
とするのならそれは史学を否定なさっている。
どうなのか。

152 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:01:41
>>147
すみませんでした。ただ当時の魏の発音のできる中国のひとに地名や
人名をどのように発音するか聞いてみたかったので。

153 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:02:13
>>150
隋書に都は耶麻騰であって、これが魏志の邪馬臺であるといってるだろうが?
この時代は都は大和だ。単純な話を複雑化してるのはあんたでしょうが?

154 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:11:58
>>149
なんだい?さっきから何度も登場する「九州王朝」って?
ちょっと色んなモノに毒されていないか?
先ずは頭にこびりついた様々な固定概念を削り落としてくれ

「九州王朝」って、どんな書物に登場するんだ?教えて下され。

155 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:14:07
>>154
横レスだが、そんなの知らないで日本史板でしかも邪馬台国の話してるの?

156 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:15:29
俺も九州王朝なんて聞いたこと無いな

157 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:17:31
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159 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:27:26
>>153
隋書に耶麻騰なんて何処にも書いていない。
物凄い思い込みだな

160 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:29:35
>>154
毒されてなんかいないだろう。
君たちは魏志倭人伝に出ている末廬・伊都・奴・不彌以外に、
九州北部に邪馬台国があって、そこが上の4国と女王を中心とした連合国家、
つまるところのヤマト王権に対するテーゼとしての九州王朝なんだろう?
九州王朝は主張してないよ、っていうんでなくて、畿内説に対する仮定論としての名称が九州王朝説なんだろう。

161 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:34:54
>>151
記紀になんて言ってる段階で、史料比較云々なんて
言ってるレベルじゃないのよ
紀は漢文で書かれ、記とは文体が異なる。
だから記紀に「此云耶麻騰」と書かれる事はない。

そんな単純なミスにも気付かないで、史料比較なんて百年早いわ。

162 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:35:33
卑弥呼の魏の時代の発音はヒムカムに近いとされてます。たとえば九州
地方では日向、つまり今の宮崎県の呼び名にちかいと思います。(人名と地名の違いがありますが)
このように狗奴国も発音から推測するのはどうでしょうか。


163 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:37:34
>>160
九州説と言っても様々だぞ。

164 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:39:05
「邪馬台国と狗奴国が戦争」って言ってた人は消えちゃったのかね?

倭人伝理解能力ゼロな人!

165 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:45:23
>>164
初めからそんな奴いねえだろう。

>>162

「狗奴」は発音以前に漢語表記だよ
先ずは漢語として扱うのが先決だよ

166 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:53:48
分かりました。ありがとうございます。


167 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:55:48
>>159
ああ邪靡堆だったな。でもあまり意味のない突っ込みだな

168 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:56:33
>>162
巻向という意味は「ヒガシムキ」という説もあるんだよ。
今回の建造物も正面が東=日の出の方向だしな。

169 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:56:39
>>161
おいおいw そいつは俺じゃねーぞバカ

170 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:58:11
おまえら何言ってるアルか
魏志倭人伝は日中友好のために書かれたものじゃないアル
その記述を読む対象に日本人入っていないアル
当たり前アル


171 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:59:43
九州説もうダメボ。。。。

172 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 13:04:42
>>154
>なんだい?さっきから何度も登場する「九州王朝」って?

九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC

173 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:13:25
>>64,68をもとに作図。
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org380072.png

こんな感じでしょうかね。

174 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 13:19:18
>>154
>>156
>俺も九州王朝なんて聞いたこと無いな


新古代学の扉
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html

175 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:20:38
宝剣額偽造

176 :173:2009/11/21(土) 13:21:03
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org380108.png
何か接続が悪いので張りなおしました。


177 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:22:01
小便を用いた古紙化

178 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:22:28
というか縄文時代の栗栽培が発覚して、ヤマト政権どころじゃ
なくなりつつある。
話はそれより数千年前に飛ぶ可能性がw
何しろ縄文遺跡なんか47都道府県全てで発掘されるのだから


179 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:23:41
古田紙学?ゴッドペーパーか。

180 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:25:39
ほ〜ら、これが寛政原本だよ〜ん。シャッ、シャッ。

181 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:30:14
九州王朝、っていうと古田臭がするけど、
要はサガミハラハラとかの北部九州説だな。

北部九州に邪馬台国連合が!そして熊襲と対決!というやつ。

182 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:31:21
オウム臭だろ

183 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:31:31
いたこ; ほんげらほんげらほでほでほでな。はらみったはらはら、うんぎょ〜〜〜っ。

インタビュアー: あなたは和田喜八郎さんですか?

いたこ: そうだ。

インタビュアー; あなたが東日流外三郡誌を創作したのですか?

いたこ; そうだ、筆ペンで書いた。尿を用いたりした。

184 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 13:52:10
>>181
>九州王朝、っていうと古田臭がするけど、
>要はサガミハラハラとかの北部九州説だな。

「九州王朝」は、古田武彦氏が提唱しました。
「九州王朝」は、517年〜700年に九州島に存在した政権です。
倭の五王政権や邪馬台国はプレ九州王朝政権です。

185 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:54:10
変なの呼ぶなよ。。。

186 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:56:51
>>184>>114のレスに答えられるの?

187 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 14:19:24
>>186
>狗奴國に関しては熊襲や隼人など記紀の記述に従うよね。

狗奴國は、熊襲や隼人とは時代と地域が異なる全くの別物です。
狗奴國は3世紀に女王國(筑紫平野)の南の熊本平野に存在した政権です。
狗奴國の中心地は菊池平野で、その都である城郭は保田東原遺跡です。


188 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:24:55
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

189 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:41:36
>>187
菊地平野にしたのは狗古知比狗からじゃないの?
狗古知が菊地で菊地彦なんでしょ?

190 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:44:04
>>189
菊池ね。

191 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:21:16
>>189

クコチからキクチにはならない。

192 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 17:41:06
>>189
狗奴國の官は狗古智卑狗です。
菊池の彦の意味でしょうね。
狗奴國王卑彌弓呼も狗古智卑狗と一緒に菊池にいたのでしょう。
熊本平野には保田東原遺跡以上に大きな遺跡がないので、保田東原遺跡を狗奴國の都としておきます。
4世紀に筑後平野に進出した勢力は菊池と同じ文化ですから、
彼らは狗奴國王卑彌弓呼の後継とみなすのが順当です。

193 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:47:21
>>192

>狗奴國王卑彌弓呼

100%有り得ない。

194 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:47:50
ああ電波がくるw

195 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 17:56:10
>>191
狗古智卑狗は漢語
菊池彦は倭語
両者は基本的に異なるもの
倭語を近似の音を持った漢語に変換
この場合子音は近似(t音の代用がd音等)のものを使われるが、
母音は全く違う音に変換されやすい。

196 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 18:01:03
>>194
>>狗奴國王卑彌弓呼
>100%有り得ない。

魏史倭人伝を原文で読みましょう。
原文抜粋『倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』

197 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:02:27
屋久島だぬ。

198 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 18:04:18
>>196の修正

>>193
>>狗奴國王卑彌弓呼
>100%有り得ない。

魏史倭人伝を原文で読みましょう。
原文抜粋『倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』


199 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:09:04
一年かかる場所に歯黒国があるのは知ってるのに
屋久島を知らないのはおかしいw

200 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:22:06
>>198
原文読めば200%有り得なくなる

201 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:28:30
>>195
漢語に変換する場合、変換された漢語には表意が発生する。
それが漢語だよ

202 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:28:50
卑彌呼と卑彌弓呼の類似に注目。
卑彌呼=日の巫女という説があるが、
じゃあ、卑彌弓呼はなんだ? ってことでボツだな。

素不和ってのは、同系列の内輪もめじゃないか?

203 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 18:36:14
>>200
>原文読めば200%有り得なくなる

原文『倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』
訳文「倭女王卑彌呼と狗奴國男王卑彌弓呼は素より不和」



204 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:38:34
>>202
別に没にはならんでしょ。

205 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 18:40:48
>>202
>素不和ってのは、同系列の内輪もめじゃないか?

其の通りだよ。
倭人同士の内輪もめだよ。

206 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:51:06
>>203

「AとBは素不和」なんて

そんな幼稚な文章か?

素不和とする理由を述べなければならない要因は何処に書いてあるの?
普通は、理由を述べる前に要因を示した後に理由や原因を記載するけど

207 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:52:43
>>6
山門はありえない

208 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:03:02
卑弥呼と卑弥弓呼の不仲を述べるなら
狗奴國は余計だよ

女王に対する男王
卑弥呼に対する卑弥弓呼

と言うように、卑弥弓呼に狗奴國まで付ける理由が全くない。
付ければバランスの悪い文章になってしまう事ぐらい、誰だって解る

209 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 19:29:53
>>206
>素不和とする理由を述べなければならない要因は何処に書いてあるの?
>普通は、理由を述べる前に要因を示した後に理由や原因を記載するけど

原文『倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状』
前半の「素不和」は、後半の 「相攻撃状」の要因理由の供述。

210 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/21(土) 19:36:41
>>208
>卑弥弓呼に狗奴國まで付ける理由が全くない。

「倭 女王 卑彌呼」は、倭の女王(女王國)の卑彌呼。
「狗奴國 男王 卑彌弓呼」は、狗奴國の男王の卑彌弓呼。
文節は同じ構造になっていますね。

211 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:54:58
>>210
倭と狗奴國ではバランス取れない。

212 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:58:04
>>209
ナイナイ

213 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:21:34
>>192
俺は九州説なんだがな、九州に拘らない頭で考えるに
>狗古智=菊池
狗の音は「き」を認めて、奴の音は七・七日(なな・なぬか-なのか)のように「な」と「ぬ」と「の」に使い分けるとだな

狗奴国は紀ノ国でその北にある奴国は難波とか奈良(大和厨サヨ奈良)で
そこから北にある邪馬台国は山城とかって解釈も成り立つんじゃないか?

214 :213 :2009/11/21(土) 21:10:13
>>213を書いたあとでの連想…
奈良・浪速・難波・灘とかは、倭人伝で言うとこの
ナの国の一部だったりなw

215 :日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:37:43
>>205
もうちょっと詳しく。
同宗派、ってとこかな。

216 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/22(日) 02:10:42
>>215
倭國乱以来の相攻撃状況の継続。

217 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:03:49
末廬国は神功皇后んとこでも出てくるから、ほぼ九州で確定だな
問題は九州のどこかなんだが・・・唐津か博多か宗像か・・・

218 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:27:24
>>217
末廬なんだから松浦だろう。

219 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:30:31
>>216
相攻撃状の続く地に、金印なんてやらないと書いてあります。
金印を戴く条件が、和平ですから

220 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 09:45:39
>>218
ところが神功皇后のくだりだと末廬は宗像周辺としか思えないのよ
しかし対馬→壱岐→なら風を考えても良港は唐津
名前の相似から松浦は確かに惹かれるけど
朝鮮通信使もこの唐津コース、つうか釜山からの定番コースだね

博多が一番可能性が低いかな・・・
昔の帆走船にとっちゃ入港難しいから、博多湾は結構スルーされてるケースが多い

221 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:09:20
唐泊を無視するなよ。

222 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:16:43
>>220
入船出船に政治が絡めば、自然環境の良悪なんて二の次ではありませんか?
オランダ船は江戸から遠い長崎が港です。
目の前の品川横浜は港にはなりませんでした。

223 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:42:33
>>221
西区の?
あれは泊地としては重用だが、湊としては小船にしか向かないでしょ

>>222
政治が絡んでも代替えにはやはり良港を選ぶでしょ?
横浜に入れなくても、長崎という良港の多い代替えに行かせてるしね

224 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 10:54:01
>>223
リアスの多い日本なんて殆ど良港ですね。

225 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:03:15
ところで九州説は>>176みたいな地図は出てこないの?
地図に出来ないくらいあやふやなの?

226 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:12:03
>>225
出さなきゃいけないの?

227 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:14:49
>>226
絶対正しいといいきるなら証拠出さなくっちゃ。

228 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:20:05
>>225
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/yamatai2.GIF

229 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:30:20
>>227
こんな所で証拠なんて出しても、何の意味もないから。
証拠なんて必要ない。
証拠なんて出したところで、認めない奴は何を出しても認めないから
徒労に終わる。
ここは言葉を濁す事に意味があるんだよ。
証拠を出さないで言葉を濁す事で、馬鹿と呼ばれる汚い役を作りだし、それを責める善良役が生まれる
そう言う両端な役者が揃う事でスレが盛り上がるという流れだ。
だから証拠を出さない事も、時には必要な事なんだ。
右の者や左の者ばかりが集まった世の中なんて、偏ったいびつなつまない世の中だから

230 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:32:14
>>228
周旋可五千餘里は倭国大乱などをしるす段落にあるから、
邪馬台国のことで女王国のことじゃないんじゃないか?

231 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:32:28
>>228
よく今時そんな恥ずかしい地図だせるなw

232 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:34:37
>>225
http://www.k2.dion.ne.jp/~penta/LOVELOG_IMG/986090l8D9192n907D.JPG

233 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:39:29
>>230
その5000余里は古田wの短里説にもとづいている。(1里約78m)
しかし、中国の史学関係のほうから三国志時代は漢の頃から既に長里だと否定された。
つまり1里=約400mなので周旋可5000里だと、周囲2000kmほどになってしまう。
九州じゃ2000kmは収まりっこないからね。

234 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:41:09
>>229
はいはい空論空論
屁理屈はいいから出してよ
中身がないから出せないんでしょ? 九州説は。

235 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:05:00
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

236 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:20:02
>>231
恥ずかしいのはチミの頭

237 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:35:46
>>224
君、船乗ったこと無いの?
良港を決めるのは地形だけじゃなく、風向や潮流や入江内の形状、それに適合した開口部
また気象条件に合わせた入出港の容易さ
さらに浜揚げする時なんかは陸揚げ地の有無
台風などの時に風避けになる遮蔽地形の存在
水深などなど・・・分かってる?

238 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:40:49
100年頃 倭国王帥升(スサノオ)連立政権樹立
スサノオ系から男王 世俗王を出し
アマテラス系から女王 祭祀王を出す

協定終結後にスサノオ系は銅鐸祭祀を捨てアマテラス系が鏡祭祀開始

協定を破り崇神が世俗王位を簒奪

前方後円墳 祭祀王系の墓
前方後方墳 世俗王系の墓

邪馬台国 大和     祭祀王の首都
狗奴国   東海地方 世俗王の首都

239 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/22(日) 14:26:28
>>225
魏志倭人傳 地図
〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜
〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛(餘旁國地域) ┗┓〜〜▲印:観音峠「草木茂盛行不見前人」
〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵倭28ヶ国∵∵┗┓〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國・狗奴國を除く)
〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛(餘旁國) ◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━奴國:須玖岡本遺跡〈倭奴國〉其餘旁國の一国
〜〜〜〜〜┃│┗↓━┛∵∵∵∵∵◎奴國〈倭奴國〉∵∵∵∵∵∵郡⇔不彌國(女王國):12000餘里
〜〜┏━━┛│∵◎→→→▲┐∵∵∵◇倭京大宰府∵∵∵∵∵∵郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行)
〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵∵↓∵∵∵∵∵∵(餘旁國地域) ∵∵∵郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由)
〜〜〜┃倭∵│[竹斯國] ∵∵↓∵不彌國〈倭面土國〉∵∵∵∵∵∵●印:女王國メンバー国 範囲(浮羽⇔筑紫野⇔白石⇔大牟田⇔浮羽)
〜〜〜┃∵非└┐∵∵伊都國◎→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國城郭:東唐津鏡中原遺跡「濱山海居:古松浦湾」
〜〜〜┗┓∵28└┐∵∵∵∵└┐┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵伊都國城郭:惣座遺跡(肥前國庁跡)
〜〜┏┓┗━┓ ヶ└┐∵∵奴國●┃┃│∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴  國城郭:佐賀城
〜┏┛┗┓〜┃∵國└┐┏━━━┛●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國城郭:吉野ヶ里遺跡〈=倭面土國城郭〉
〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌─────────投馬國城郭:大川市郷原
〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國城郭:久留米南部
〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵狗奴國城郭:保田東原遺跡


240 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:39:50
>>237
船に乗ったか乗らないかに何か違いが生じるのか?
それとも、俺はこんなに船に関して詳しいんだと
自慢話でも一席口上をぶち上げたいのか?って
既にその片鱗はちらつかせているようだが
つまらん自慢話はよしてくれ

241 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 14:43:13
>>237は典型的な自慢話のコンビニだな

242 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:14:38
>>240
リアス式海岸があれば良港だらけという単純脳よかマシよw
実際、分かってなかったろ?

243 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:49:44
>>242
あんたの知識は凄いと言う事は、全員が認めたから
もう逝ってよし

244 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:13:02
>>239
>邪馬壹國城郭:久留米南部

 遺跡とか出てるの?

245 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:14:58
九州王朝って…結局ファンタジーじゃん。

246 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:48:49
>>245
ファンタジーというより詐欺でしょ。

247 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:52:14
詐欺だよなあ。歴史好きなお年寄りに本買わせたり、寝言のような講演聞かせたり、会費取ったりする。
あの、九州王朝の会の中では新しい発見(単なるコジツケ)をすれば、しばらく英雄になれる。構造は
オウムと同じ。

248 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/22(日) 21:23:34
>>244
>遺跡とか出てるの?

卑彌呼の墓と思しき径23mの墳丘墓があります。
6世紀邪靡堆の宮殿址が見つかっています。
卑彌呼の都であった邪馬壹國の城郭跡は今のところまだ見つかっていません。

249 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:46:06
ていうか、漢の時代に分かれて百余国、倭王武の時代に121ヶ国からなるとされる倭国のうちの、たかだか4分の1を治める地方政権だぜ。
しかも、南の狗奴国1国の攻撃に悲鳴を上げて、魏に援軍を頼むような脆い国だぜ。
そんなりっぱな遺構があれば、それこそ狗奴国の都ではあっても邪馬台国の都ではありえないんじゃないか?

250 :日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:53:47
>>248
28mじゃあ1歩28aだぜ?
立ったばかりの赤ん坊でもそこまで小さくないのぜ?

251 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/22(日) 22:34:50
>>250
1里=300歩
1里≒70m
∴1歩≒23cm

1歩は踵から爪先までの足の長さ。(勘違いするな、脚の長さではない。)
身長160〜165cm成人男性の足の長さは約23cm。

>>249
狗奴國と対等に張り合えた邪馬台国の城郭は、
狗奴國の城郭である保田東原遺跡と同程度の規模だと思われます。

252 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 01:11:15
どの古墳とどの遺跡のこと言ってんの?
卑弥呼の墓はどれよ?
で、城はどこよ?

253 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 02:25:35
>>251
魏志での1歩は145cmってわかってるんですが。

254 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 07:54:35
魏志倭人伝で論議してるのになんでいい加減な記紀を出してきてまぜっかえすかね〜

255 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:32:57
>>254
えっ?

256 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:51:37
記紀を否定しないと九州説が始まらないんだから可哀相なものだ。
なんせ資料比較ができないんだから。

257 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 11:55:10
時の権力者が自らの正統性を示すために事実をねじ曲げて書物に残すのはよくあること焚書でそれいがいは認めないよってこと

258 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/23(月) 16:09:40
>>253
>魏志での1歩は145cmってわかってるんですが。

それはあなたの思い込み。
隋書以前の東夷伝東蛮伝では、短里即ち1歩23cmで書かれています。

259 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:27:11
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

260 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/23(月) 16:32:47
>>252
>卑弥呼の墓はどれよ?

祇園山古墳
>http://snkcda.cool.ne.jp/bunkazai/mii/bunkazai.html
>http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/himikotyou/himiko1.htm

>で、城はどこよ?

城郭の位置は現在特定できていません。
場所は第4次筑後国庁跡以南のその半径3km以内。


261 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:56:03
>>258
東夷伝が一歩約23〜24pで書かれている事は
誰でもわかるが
では何故東夷伝だけがその数値で書かれたか?

それを示さないと

262 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 17:07:24
>>261
歪んだ頭にはそう思えるだけだろ

263 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 19:15:46
祇園山古墳は布留1式の土器あり。
三角縁が出ていた可能性が高く、土器も整合する。
方墳だが葺石と段築がある定型化古墳。
墳裾の在地系甕棺は最末期型式で布留1で問題なし。
布留1はふつうは4世紀初め前後、布留0イコール箸墓を3世紀半ばとする歴博年代観でも布留1はせいぜい3世紀後半だろう。
筑後国府の近くの卑弥呼時代の「城郭」とか結局、何も無いよね?高良山神籠石とか言い出すのかな?神籠石は、調査例は全て7世紀代の築造が分かっているけどね。

264 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 01:02:52
>>261
東夷伝だけではないんだが。
もともと周の時代には1歩は足の長さだとされていて、
四川省から出土した木簡に、あぜみちの幅が3歩と記されていたり、
「戦国策、韓一」に強い弓に関して、天下の強弓は六百歩の外を射る、
と記述されていたりする。これをもとに76〜77mの短里が割り出され、
その長さで、周代に書かれた中国最古の天文算術書といわれる
周髀算経が書かれている。

そもそも1里が77m程度だからこそ、1日に千里を走る「千里馬」や、
千里先を見通す「千里眼」の存在が可能なわけだ。

ちなみに、日本書紀の中にも、短里を前提とした記事はある。
崇神紀の中の、任那から朝貢して来る記事の中で、任那の位置
につき、筑紫の国を去ること二千余里と記載されている。

その後、秦の始皇帝によって度量衡が統一される過程で長里が
制定され、漢の時代もこれを継承したわけだが、魏はこれを継承
せず、周の短里に戻ったわけだ。

265 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 07:09:03
後世にも
一日千里走る千里船

266 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 08:19:36
>>264
周の時代の話してる意味が分からない。中国の史学会では漢の時代にはもう君のいう
短里は使用していないというのが常識。

267 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 08:30:28
周朝時代的1華里折合現代長度只有298.65米,1000華里就是現代的298.65公里。
周朝の時代の1華里は近代的な長さを換算して298.65メートルであって、1000華里は近代の298.65キロメートルです。

268 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 09:26:06
>中国の史学会では漢の時代にはもう君のいう短里は使用していないというのが常識


↑これはウソ

269 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 09:42:34
現に日本書紀に短里が使われている実例が>>264にあるのを無視して、
漢の時代には使われなくなったとは呆れた屁理屈だな。
日本書紀が紀元前に書かれたとでも思っているのか?

270 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 10:19:51
268 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/11/24(火) 09:26:06
>中国の史学会では漢の時代にはもう君のいう短里は使用していないというのが常識


↑これはウソ


これはウソ

271 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 10:58:30
268 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/11/24(火) 09:26:06
>中国の史学会では漢の時代にはもう君のいう短里は使用していないというのが常識


↑これはウソ


これはウソ

↑これはウソ



272 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 13:31:51
短里の存在を認めなければ、それが使用されなくなったなんて話はできないね。
中国人は、かつて短里が使用されたことは認めているのかな?

273 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 13:52:36
周朝時代的1華里折合現代長度只有298.65米,1000華里就是現代的298.65公里。
周朝の時代の1華里は近代的な長さを換算して298.65メートルであって、1000華里は近代の298.65キロメートルです

274 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 14:19:53
>>264
その二千余里は倭人伝からの丸写しだろう?
当時の筑紫は分割前の大筑紫時代だから、末廬〜狗邪をうつしただけだろうね。
飛鳥奈良時代の日本は長里だから。

275 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 16:43:55
>>264
>魏はこれを継承 せず、周の短里に戻ったわけだ。
前はそう思ってたんだが、魏志の本伝は長里と考えられるところが多いですね。
それから東夷伝は周髀算経によって距離測定をおこなったので、短里に統一して書かれているのでは
ないかと考えられます。


276 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 16:57:01
>>275
長里と考えられるところが多いものの、短里としか考えられない部分も多く残っている。
隋以降は長里で一貫していることから、後世の写本の過程で書き換えられたと考えるのが一番理に叶ってると思う。
写本者にしてみれば、「古伝のまちがいを、自分たちのわかる範囲で訂正した」つもりだったんじゃないかな。
だから、写本者にとって「わかる範囲」を超えた周辺国の部分に、短里のまま訂正されずに残った記述が集中してるわけだ。

ところで、>>274は、じつは大変なことを言ってる。
日本書紀の筆者が倭人伝を知った上で、邪馬台国等を完全に無視した「日本書紀」を完成させた、ということは、
つまり、意図的に邪馬台国を抹殺した、ということ。
だとしたら、卑弥呼の墓が、その時点で破壊されることなく、現代まで残ってる、という可能性はゼロだろう。
卑弥呼の墓に相当するほどの巨大古墳が、破壊もされずにいま存在している場所は、邪馬台国の候補地から外さなければならなくなる。

277 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 17:00:44
そうではなくて、周の古い制度を見習ったのではないかな。朝鮮の始祖箕氏は周の出身だ。
だから、東夷では周の古制が使われたんだろう。

278 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 17:02:03
このスレは狗奴国を比定するスレなのに、いつのまにか邪馬台国の比定に話が摩り替わってるから怖いw

他のスレに、こんなのを見つけた。
これでいけば、狗奴国は鹿児島・薩摩半島付け根の笠沙岬あたりだということになると思う。

♪邪馬台国 ドンと来い♪60
602 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 10:03:52
>>576
俺が聞いた話では、魏に親しい邪馬台国30カ国と、呉に親しい大和朝廷配下90カ国とが対立していて、
魏としては、呉に親しいものはすべて無視するという方針だったらしい。
だから、魏志には南方諸民族の記載は一切ないし、呉志が散逸しているせいでこの時代の南方はどこも欠史になっている。
狗奴国があれだけ強いのも、大和朝廷の援助があったからだが、そういう理由で魏志には書けなかったらしい。
しかし日本の古事記をみれば、天孫が笠沙の岬の勢力と協力して「からくに」を討つために高千穂に降臨したことが書かれている。

279 :ローガン:2009/11/24(火) 17:10:40
>>264
>そもそも1里が77m程度だからこそ、1日に千里を走る「千里馬」

1日に77km進む馬が特筆されるだろうか?

280 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 17:21:03
>>279
特筆されると思うが。どこからそういう疑問が出てくるのか疑問だ。
今川義元の子、今川氏真は武田氏に駿河を追われ、駿府の今川館
(現在の駿府城)から、2日かけて馬で掛川城に逃げ延びたという。
1日あたり20km程度だが、これが、命からがら必死で逃げた速さだ。

281 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 17:38:57
>>280
足掛け二日と、フルタイムの二日では
天と地程の差がある

その辺わかっていて言ってるのか?

282 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 18:44:22
>>279
>1日に77km進む馬が特筆されるだろうか?

いえます。
三国時代の馬は、
後漢時代の忠実に再現された銅製騎馬模型から、
トルクメニスタン産の
名馬「アハルテケ」に似て、
胴長で背の高い馬が主流であったと言われています。


赤兎馬もこの種(トルクメニスタン産)がモデルではないかといわれています。

よく走る馬で
1日約50kmだそうです。

283 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 18:48:37
>>279
298kmだそうです
周朝時代的1華里折合現代長度只有298.65米,1000華里就是現代的298.65公里。
周朝の時代の1華里は近代的な長さを換算して298.65メートルであって、1000華里は近代の298.65キロメートルです
ttp://140.128.182.248/~s6512/toppage1.htm

284 :ローガン:2009/11/24(火) 19:03:00
軽騎一日一夜三百余里…


285 :ローガン:2009/11/24(火) 19:53:24
>>264
>魏はこれを継承せず、周の短里に戻ったわけだ。

地統に変更してるんだが…

286 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 19:53:26
周代の「歩」が23センチとか初耳だが、ちゃんと典拠はあるのか?
23センチといえば、「尺」の長さだが。巍代もそのはず。そうでないと、「五尺刀」とか意味不明。23センチが「歩」とか無理がある。
まだ、「百余」が誇張表現の慣用句とする方が説得力がある。
短里説は一部あり得るが、あくまで東夷伝のみ、または東夷伝の一部の「里」表記にその可能性があるだけであって、「三国志」全体がそうとかは無理がある。これは、かつての古田と安本の論争での安本の論を参照。
短里の場合、古い周代にあくまで一部行われた短里が周縁に残っていたということ。
その場合、「尺」はやはり23センチなので(道教の「九寸」以上イコール三角縁鏡の徑など)、6尺=1歩=約140センチで、通常の「里」が300歩=1里が、50歩=1里(短里)ということになろう。
「歩」が23センチとか、いくらなんでもトンデモw


287 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 19:54:53
>>286
願望を書き並べられても・・・

288 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 20:00:07
286だが
短里が一部でも、あったとしたら、の話
基本は長里(400m強)だろう。ただし、東夷伝のみは少なくとも一部は短里の可能性があるだけ。それで通しているかも不明。周代については、短里があったという説がある。全面的に支持する訳ではない。
「歩」が「尺」と同じ長さとかあり得ないだろう?

289 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 20:46:05
735:日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:36:39
伝統文化ニュース
◆奴国の拠点・那珂遺跡群 巴形銅器の鋳型出土 伊都国王墓副葬品に類似
2009年11月22日

出土した巴形銅器鋳型の石片。
下に描かれているのは銅器の復元予想図
 福岡市教委は、古代中国の史書「魏志倭人伝」に記された
奴国(なこく)の拠点と言われる那珂遺跡群の一部(博多区竹下5丁目)から、
弥生時代後期(紀元前後−200年ごろ)のものと推定される石製の巴形(ともえがた)銅器鋳型が出土した、と発表した。
吉野ケ里遺跡(佐賀県)、九州大春日キャンパス内遺跡に次いで、全国3例目。
 出土した鋳型が、伊都国王墓の一つと考えられる
井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡(前原市)から出土した銅器と極めて似ていることから、
市教委は「奴国で製造された銅器が、伊都国王墓に副葬された可能性が高く、貴重な発見」としている。


290 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 20:59:00
蘇我氏も北九州といいだしかねん

291 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 22:12:22
>>276
>ところで、>>274は、じつは大変なことを言ってる。
>日本書紀の筆者が倭人伝を知った上で、邪馬台国等を完全に無視した「日本書紀」を完成させた、ということは、
>つまり、意図的に邪馬台国を抹殺した、ということ。
日本書紀の作者は卑弥呼を神功皇后に比定した。
つまり大和朝廷は邪馬臺の裔であるとし、継承していると見たわけだ。
抹殺したというのは間違い。

>だとしたら、卑弥呼の墓が、その時点で破壊されることなく、現代まで残ってる、という可能性はゼロだろう。
思い込み甚だしい。
天下の暴君とされた武烈帝ですら暴かれていない。
暴かれた墓は石舞台くらいのはず。

>卑弥呼の墓に相当するほどの巨大古墳が、破壊もされずにいま存在している場所は、邪馬台国の候補地から外さなければならなくなる。
邪馬臺≠ヤマトの九州説諸氏は1歩23aで径23bの円形墓を想定しているようですが。
とすると日本各地の大きめの円墳はだいたい該当しますね。
どこが巨大墳墓なのでしょうか。


書紀は狗邪をクヤとみて伽耶に見立てていたと考えます。
伽耶=任那であり、末廬=松浦なら間違いなく2000里は書き写したでしょう。
なぜなら当時の日本には海上で距離を測るすべがなかったからです。
結局安土桃山の頃まで2000里は信じられ、日本の地図は朝鮮から遠くはなれた絶海の孤島として書かれました。

292 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 22:12:30
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

293 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 23:45:10
少なくとも九州説によるならば、邪馬台国は九州限定の地方政権なんだから、巨大墳墓など作るはずもない。
九州に巨大古墳がない、というのは、九州説からすれば当然の帰結だ。

294 :日本@名無史さん:2009/11/24(火) 23:50:47
>293
短里説の九州説に聞きたいんだが。
径23mの円墳だと、殉死した100人の奴婢は納まらなくないか?
ほとんど遺体と棺や副葬品など玄室になりそうなんだが。

295 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/25(水) 02:52:30
>>294
祇園山古墳を見よ。
径23mの方墳の周囲に60基を越える箱式石棺・甕棺がある。
卑彌呼の墓はこの様なものだったのではないか。

296 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 02:56:47
>>294
すげー心霊スポットだな
死体のニオイが墓中に充満して
土葬なら人魂でまくり

たしかに卑弥呼っぽいけどなんかやだ。

297 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/25(水) 03:00:51
>>294

>>260参照のこと。

298 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 06:09:21
>>297
たいした古墳じゃねぇよ

299 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 06:51:28
だから祇園山古墳は布留1で新しいって。
あと、周りの埋葬施設は長い時期にわたり、一部は須恵器の出る5世紀代に及ぶ。一度の殉死ではない。

300 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 06:57:12
>263を参照

301 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 07:57:11
>>294
どうして同じ場所に葬る発想しかできないんだ?

302 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 08:03:23
>>301
そんなこと言い出すと可能性のある古墳なんていくらでも出てくるだろ日本中に。

303 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 08:51:45
>>302
可能性なんて持たせるからだよ
遺跡なんて出てきてからで十分だし、予想するものではない。

304 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 09:11:56
箸墓みたいに未だ発掘調査されていない盛り土を
卑弥呼の墓などと位置付けるのは、それこそ具の骨頂。
今は単なる盛り土か山に過ぎないんだから
それを卑弥呼の墓かもしれないとの前提で議論するから
話しがややこしくなる。
今の段階では、箸墓なんて言い出すよりも

既に調査が終了してる平原の墳丘墓の方が、現実的だよ。

305 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/25(水) 12:53:20
>>299
>だから祇園山古墳は布留1で新しいって。

布留1は、その名前が示す様に奈良盆地では4世紀と言われるだけ。
筑紫では今のところ時代不明。
ところで、祇園山古墳で布留1が出土してたか?
それを示す報告書を教えてくれ。
それと九州歴史資料館には祇園山古墳出土の三角鏡といわれる鏡は見当たらないが。

上記のことよりも祇園山古墳と呼ばれるものが方形墳丘墓であることがその古さを示している。

祇園山古墳が卑彌呼の墓とするには早計であるが、
卑彌呼の墓は祇園山古墳の様なものをイメージすると良い。

筑後北部においては、箱式石棺は4世紀以降のものと思われます。
箱式石棺が筑後平野に入ってきたのは4世紀になってからです。
箱式石棺は邪馬台国の南の狗奴國から入ってきたもの。

306 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 12:59:27
>>305は、四世紀以降と言われるが
その年代に対する誤差はいかほどに見積もりしているのか?

307 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:04:13
>>304
>既に調査が終了してる平原の墳丘墓の方が、現実的だよ。

それで「違う」という結論だろw




308 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:15:36
>>307
平原は誰の墓かはまだわからないが、墓であることはわかった。
しかし箸墓は、未だに墓であることすらも確認されていない。

夢やロマンではない、そういう現実的な話しだ。

309 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 13:28:41
>>308
調査が終了して誰か不明ならもう可能性は無いでしょ。
卑弥呼と関連するような伝承もないし。

箸墓は調査できないが、卑弥呼に関連するような
伝承や、周囲に状況証拠は数多い。

可能性では平原との比ではないですよ。

310 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/25(水) 14:01:05
>>306
>その年代に対する誤差はいかほどに見積もりしているのか?

箱式石棺の内容物についての報告がなく判断しかねるので、
4世紀から6世紀の広い範囲になります。
石棺内容物とは「リモナイト」か「その焼成物」か「ベンガラ」か「何も無い」かによって推定時代の範囲が変わってきます。


311 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 14:51:42
>>309
そりゃ比較する方がおかしい。
一方は墓で、一方は山・或は盛り土なんだから

312 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 14:57:01
墓のふりして実はただの森林、それが箸墓です。

313 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:12:19
狗奴国は当時の発展状況から考えて、今の群馬県(毛野国)あたりという説が一番妥当のようですね。

314 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:25:00
>>309
ある程度の調査はされているよ
墳丘の斜面には川原石を用いた葺石。墳丘の裾から玄武岩の板石(大阪府柏原市の芝山の石)
幅10メートル前後の周濠と幅数10メートル前後の外堤の一部。
両側に葺き石を積み上げた渡り土手。

宮山型特殊器台・特殊壺、最古の埴輪である都月型円筒埴輪などが採集。
岡山市付近から運ばれたと推測できる特殊器台・特殊壺。底部に孔を開けた二重口縁の壺
形土師器は前方部上で採集され、器種によって置く位置が区別されていた。

315 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 17:00:49
>>314
現代でいう公園みたいな施設だったのかな?
ミニテーマパークみたいな。

316 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:01:51
狗奴国は紀伊半島南部だろう。

317 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:22:03
>>316 でそこから遺跡は見つかったの?

318 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:36:22
>>316
熊野だよな

319 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:42:49
>>317
どんな遺跡が見つかるの?

320 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:47:14
>>317
バカだなw

>>318
和泉葛城山脈、紀ノ川が境界だったんじゃないか?

321 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 18:59:51
全国を統一した王朝がそんな勢力に手を焼くなんてありえないでしょう

322 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 19:46:17
熊野は候補地として出した。別に特定しているわけではない
>>317
遺跡みたいなもんは全国のどこでも見つかるから変なこといわないで。

例えば熊野あたりでは縄文時代の尾鷲市曽根遺跡、熊野市釜ノ平遺跡
弥生時代の熊野市津ノ森遺跡、紀北町横城古墳、道瀬遺跡

日本書紀では

一書曰。伊弉冊尊生火神時。被灼而神退去矣。故葬於紀伊國熊野之有馬村焉。

女イザナミ尊は国生みの最後に
火の神を生んだので、火に焼かれてみまかった。紀伊の国の熊野の有馬村に葬りまつる
有馬村付近は縄文時代弥生式以来の古式遺跡が多数分布

323 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:16:48
>>305
祇園山の報告書を見ろ。高良大社蔵の三角縁は祇園山出土の可能性大。
土器の位置付けは九州前方後円墳研究会の「前期古墳の再検討」にある。
西新などで畿内から搬入の土器と九州の土器が共伴する。並行関係が分かる。

>>299
> >だから祇園山古墳は布留1で新しいって。

> 布留1は、その名前が示す様に奈良盆地では4世紀と言われるだけ。
> 筑紫では今のところ時代不明。
> ところで、祇園山古墳で布留1が出土してたか?
> それを示す報告書を教えてくれ。
> それと九州歴史資料館には祇園山古墳出土の三角鏡といわれる鏡は見当たらないが。

> 上記のことよりも祇園山古墳と呼ばれるものが方形墳丘墓であることがその古さを示している。

> 祇園山古墳が卑彌呼の墓とするには早計であるが、
> 卑彌呼の墓は祇園山古墳の様なものをイメージすると良い。

> 筑後北部においては、箱式石棺は4世紀以降のものと思われます。
> 箱式石棺が筑後平野に入ってきたのは4世紀になってからです。
> 箱式石棺は邪馬台国の南の狗奴國から入ってきたもの。

324 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:20:26
あと、祇園山の大型箱式石棺は、筑前から豊前で弥生終末期に成立した型式の波及だと思うけどね。

325 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:27:22
>>322
出雲と地名が似通ってるからとか、色々疑わしい部分はあるよね。

326 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:45:22
>>325
もちろんだよ。つうかフィルターかけずに客観的に見れば
どこでも疑わしい部分があるもの。

それを「〜としか考えられない」「〜しかない」という表現をする人を
よく見かけるのは痛い。

熊野も有馬も地名は全国にある。ただ、日本書紀の記述限定(完全な史実というわけではない)で
「紀伊國熊野之有馬村」が現在のどこをさすのか明か。

327 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:55:58
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

328 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:04:02
で、このスレは狗奴国を比定するスレだよな?

329 :日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:19:14
きのくに

330 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:00:39
熊野市有馬には花の窟神社があるね。

331 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:46:24
まず、狗奴国についてわかっていることが整理できてないんじゃないか?
男の王がいて、邪馬台国と対立し、しかも邪馬台国30国相手にいい勝負をしていて、魏への援軍要請にまで追い込んでいる。
その後150年間の空白を考えると、結局は狗奴国が勝って(単独で勝ったとは限らないが)、邪馬台国を滅ぼした可能性が高い。
古事記によると、薩摩半島の笠沙の岬の勢力と協力して「からくに」を討つために、天孫が高千穂に降臨したと読める記述がある。
位置関係を見ると、高千穂の南に鹿児島市内、さらに南に笠沙となっていて、鹿児島市内が邪馬台国だとすると、笠沙が狗奴国となる。
とりあえず、こんなところか。

332 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 09:17:05
>>330
熊野は東海道じゃなくて南海道なんだよね。現在でも串本行くよりかは名古屋の方が
ずっと早くいける。紀伊半島、四国南部を制圧していたのかもしれんね。
>>331
>後150年間の空白
それは中国の歴史書上のことで、倭の事情ではなく中国大陸の事情かと。目まぐるしく
変わってるからね。その間に魏、西晋、五胡十六国、北魏が台頭、東晋、宋・斉・梁・陳
三国志 280頃に書かれたあと、後漢書が432年、南宋の宋書が490頃

333 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 09:46:04
男の王=継体大王。

334 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:01:03
>>332
目まぐるしく変わって見えるのは、未来から過去を総括的に眺めるからで
リアルタイムに生きた人達には
そうは見えない。
現王朝が、未来永劫に続くかも知れないし。

物事を未来から眺めては、リアルタイムの事はわからないし、理解できない。

335 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:08:55
魏志によると女王国の勢力圏の南限にあるんだから、邪馬台国が巻向近辺だとしても
クナ国=熊襲でよさげな気がするんだど、これでは駄目なん?
魏の援軍頼むにも九州なら近いし

336 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:11:13
それだけ離れたら、仲がいいも悪いもないだろ。

337 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:25:22
>>336
例えば毛野国だとしても、奈良からはけっこう遠いし、魏が援軍送るには
いくらなんでも遠すぎるような気がするんだよね。
北部九州に援軍送ってるけど遠すぎで大変だから大陸の魏に援軍を頼んでいると
考えるとしっくりくる気もしないでもない。

338 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:25:50
>>334
何をいってるのかわからない
中国の史書自体に時代の幅あり。だから記述があいているのはしかたないし
中国にも結局、リアルタイムで書いた歴史書自体がない。
150年開いたからと行って、そこに理由を求める方がおかしい。

二十四史の順序と書かれた年(世紀)
漢書ー1世紀
後漢書ー5世紀
三国志ー290年頃
晋書ー648年
宋書ー500年頃

339 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 10:38:46
>>338
書かれた時期なんて関係ないよ。

340 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 14:09:30
中国の歴史がめまぐるしく動いた時期を扱った歴史書ではあるが、
書かれた時点は後世の平和な時点であり、150年間の外交史をごっそり書き落とすことなど考えられない。
やはり150年間の空白と考えるべきではないか?
そしてこの空白は、邪馬台国が狗奴国に負けて滅んだと考えなければ説明がつかないだろう。

341 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 17:19:31
>>340
隋書倭国伝によると倭は「自魏至于齊、梁、代與中國相通。」魏より斉、梁に至るが、代々中国と相通じた。
とある。卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼 宗女臺與爲王、其後復立男王、
並受中國爵命。晋安帝時、有倭王賛

とあるから卑弥呼が死んで男王→臺與→男王→賛
だから大和朝廷まで引き継がれていることになる

342 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 17:23:47
×卑彌呼死
○南齊書によれば、卑彌呼死

343 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:36:24
卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、←これが前提に以下の文章が書かれてる
復立卑彌呼宗女臺與爲王、←この「復」は卑弥呼の時代の体制に復帰したことを表す
其後復立男王、←この「復」は男王が立って相誅殺した時代の体制に復帰したことを表す
並受中國爵命。←つまり男王の側が中国の爵命を受けたことを表す
晋安帝時、有倭王賛←つまり倭王賛は邪馬台国側ではなく、男王の側の人物であることになる

344 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:45:34
>>343
男王の側って何?ただ同じ勢力(連合政権)の中から男たてたか女たてたかだけの話。


345 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 20:51:56
>>344
同じ勢力(連合政権)の中から男王が立ったら相誅殺して連合が保てなかったんだろう。
>>343の立場に立てば、連合内の反邪馬台国派が勝利を収めて、邪馬台国解体、後の倭王賛になったってことになると思う。

どっちにしろ、狗奴国と関係ない話題だからスレ違いだね。

346 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 21:04:47
>:345
そこで331登場ですよ。
反邪馬台国の男王が高千穂に降臨、笠沙の狗奴国とともに邪馬台国を
挟み撃ちしたのが古事記の天孫降臨だ、と続くわけですね。

ただそうすると、倭王賛以下は天皇家とは無関係な九州王朝だ、という話
になるわな。
さらにその後、天皇家が倭王賛系列の王朝を征服して、国民の王家への
信仰を天皇家に向けるために神話に加えたのが古事記だ、となれば話は
合いそうだが、果たしてどうだかw

347 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 01:53:00
畿内説に立っても、百襲媛は天皇とは無関係なわけだから、>>343の経過がそのまま当てはまりそうだね。
だとしたら、倭王賛は天皇家だとしても必ずしもおかしくはないし、古事記の笠沙岬が狗奴国だとはいえないことになる。

348 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/11/28(土) 02:14:13
>>345
>どっちにしろ、狗奴国と関係ない話題だからスレ違いだね。

関係大有り。
倭讃は狗奴國(菊池)出身勢力。
横穴式石室装飾古墳の北進(菊池川流域→筑後平野)から上記が云えます。

349 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 05:52:33
九州王朝説は現在のところ、日本古代史の学界からは「批判・検証を受ける段階に無い」と見られ
黙殺されている。それは以下のような理由による。

史料批判など歴史学の基礎手続きを尊重していない。[30]
考古学の資料分析の成果に合わない。[31]
漢文の読み方が恣意的である。[32]
九州王朝の歴史を記録した一次史料が存在しない[33]。したがって説の論拠となる史料は、記紀や
中国や韓国の歴史書等に散見される間接的な記事、九州年号(逸年号が九州年号である証明は無
い)や大宰府など僅かに残されたものに止まっている。この直接的記録が無いことが、九州王朝否
定論の論拠となっており、また多くの亜流を生む原因ともなっている[34]。


350 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 09:04:54
海部系図にもモモソは載ってたな

351 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 12:08:56
>>349
>九州年号(逸年号が九州年号である証明は無い

はっきり言える事は、大和朝がぼーっとしてる間に、他の権力集団に年号を使えるほどの公権力を
使われたということ。ということは、関東か九州のどちらかということになるね。

352 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 12:40:43
逸年号が出てくるのは室町時代
どっかの僧侶が遡って偽作しただけ
古代に施行されていた根拠は無い

353 :銀河 秋彩:2009/11/28(土) 14:26:12
卑弥弓呼の「狗奴国(旧奴国)」は、【現八代市以北】。

卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」の「接女王国(国境)」は、八代市。
以南が卑弥呼の「壹国(薩摩)」。都は、隼人町姫城。


354 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:16:12
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

355 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:20:48
>>354のコピペってあちこちで見るけど、結局なにが言いたいのか分からん。
タイトルから考えるに、小麦のほうはその後の研究で何かの間違いだったことが明らかになったのかもとは思うが、
もしそうならば、その後の研究のほうも同時にコピペしなきゃわかんねえよ。

356 :銀河 秋彩:2009/11/28(土) 23:31:34
>倭王賛は天皇家だとしても必ずしもおかしくはないし


こんな事をいうのは、アホー!(笑)

357 :日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:39:18
>>356
え?
むしろ逆に、天皇家だと考えるほうが普通なんじゃないの?

358 :うましか:2009/11/29(日) 13:27:32
後の大和朝廷に繋がるかどうかわかりませんが、誉田山古墳とかを築いた勢力でしょう。
九州の勢力が単独で半島や中国本土と交渉して、倭王を僭称できたとは思えない。
当時の畿内と九州では、そのくらい物量差があります。

359 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 14:30:57
>>358がそう思えないのは知ったこっちゃない。実際そうだったのだから仕方のない事。
駄々を捏る筋合いのものではない。

360 :日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:59:45
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

361 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 02:26:42
小麦作が6000年前にもうあったとして、どこがおかしいのか誰か解説pls

362 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 02:27:47
>>361
ふ、触れるな!!

363 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 04:24:15
以前、三足土器?とか言うのをやたらコピペしていたのがいたが、
同一人物じゃないのかな。

ところで、今までの定説では、小麦は2000年ほど前に日本に入ったとされ、
ハトムギにいたっては、300年前の江戸時代に中国から伝わったとされる。
6000年前に、ハトムギがあるわけがないじゃないかと言いたいのかな。

364 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:57:28
>>361
それから2500年以上後じゃないと炭化米も炭化小麦も出土しないからだよ。

365 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:23:52
ハトムギゲンマイツキミソウの話はいいよ。マルチコピペに反応しないように。

366 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:52:53
畿内説では狗奴国をちゃんと説明できないからね。
スレ違いの話をするのが多すぎw

367 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:58:56
>>363-364
ようやく了解したthx
今までありえないと思われていたからこその大発見なのに、それが理解できないアホだったってわけか。

368 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:00:21
>>366
美濃の国とか熊野を想定してるのではない?

369 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:03:51
後漢書には海を挟んだ先に狗奴国があるんだよな。

370 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:16:35
あのね、プラントオパールってのは非常にこまかいので、目の粗い土粒の土地だと、
雨が土にしみこむときに一緒にしみこみ、粘土のように水を通しぬくい地層にたっすると、
そこに滞留するのです。
岡山の場合はその地層が6000年前の地層であったということです。

371 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:18:06

畿内説だとなんで狗奴国ごときで魏にヘルプを求めるのかという問題もあるな。

372 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:19:48
>>369
古代には湖や池など広々と水をたたえたところも海といった。
琵琶湖はあわつうみだが、普通の人は「うみ」といい、今でもそれで通じる。
伝聞ならそういうことにもなる

http://www.google.com/search?hl=ja&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=50&q=%E3%81%86%E3%81%BF+%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96

373 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:20:43
はりわすれた 

海の語源
http://gogen-allguide.com/u/umi.html

374 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:23:39
あと毛野のことをいってるかもしれぬ

浜名湖もうみといってたから。

375 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:27:51
確かに当時、遠くの海=遠江の向こうは毛人(アイヌ)の領域だな
しかし、大和が大ピンチになるほどの勢力を持っていたのかどうか

376 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:29:17
東千里だからな。湖では苦しいな。


377 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:31:34
自称トンデモ説。

則日本武尊進入信濃。是國也山高谷幽。翠嶺萬重。人倚杖難升。巖嶮磴紆。長峯數千。
馬頓轡而不進。然日本武尊披烟凌霧遥徑大山。既■于峯而飢之。食於山中。山神令苦王。
以化白鹿立於王前。王異之。以一箇蒜彈白鹿。則中眼而殺之。爰王忽失道。不知所出。
時白狗自來。有導王之状。

>人倚杖難升
これは「人は杖つえをつかないでのぼりがたい」という意味だが。
ヤマトタケルが難升かも。。。といっても記述がないから没かw

378 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:35:06
>>376
それをいうなら九州に海なんてないだろうにw

379 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:35:40
狗奴国はやはり熊本だな。

380 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:36:43
>>379
邪馬台国から熊本いくのに千里の海わたるのかよw

381 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:37:40
九州には狗奴国は存在が不可だな。

382 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:50:05
そこで邪馬台国徳島説ですよ。

383 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:51:00
>>372
和語で「うみ」と表現しても、それは漢語の「海」であって、和語「うみ」とは結び付かない。
漢語の「海」に和語の「うみ」をあてたのは
ずっと後世の話し。

384 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:17:37
>>383
倭人から聞いたらそうなるだろ?全然問題ない。
「海」は固有名詞じゃないんだから、「山」どうようあてじじゃなくて意味、概念でとらえるはず。
で、熊本うくのに千里の海渡るの?

385 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:39:05
>>370
なるほどね。それは筋が通っている。
理化学的な事となると、疑いもなく信じてしまうケースが多いが、
けっこう裏があるということなのだろうな。

386 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:54:00
やはり、狗奴国は出雲じゃなかろうか。

倭人伝の場合は、狗奴国は南にある、と書かれているから、福岡とか佐賀に
邪馬台国を持ってくる人には都合がいいのだろうが、どうも違和感がある。

熊本のクマから狗奴国を連想するのはおかしい。もともと熊本なんて地名は
なかった。城の名前が最初で、地名が誕生したのは明治時代。
狗古智卑狗→菊池と言うのは、こじつけもいいところだし。

総合的に見て、邪馬台国九州連合の宿敵は出雲だろう。
そのように見ると、狗奴国は東に海を渡ること千里と書かれた後漢書の
記述の方が正しいと思う。

387 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:55:59
>>384
中国人だって、湖と海の区別ぐらい出来る。
仮に倭人から聞き出した情報でも
文字の区別があるいじょう、その疑問は残り
塩水か真水かぐらい聞き出すよ。

388 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:31:31
>>386
いや、熊襲は昔からあった言葉だし

389 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:54:31
>>387
それは「はず」じゃなくて可能性にすぎないと思うよ


390 :サガミハラハラ:2009/12/01(火) 15:22:46
>>380邪馬台国から狗奴国にいくのに、
不彌の港から有明海を東南に縦断すること約68kmで熊本県宇土半島の基部に到着します。
そこが狗奴国です。

391 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:16:24
>>390
不彌国が島原半島に在るってことですか?


392 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:49:00
>>390
なんだ結局海路使うのか?それだったら畿内説でもなんでもありじゃん。

393 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:56:32
>>390
そもそもその1里=68mという計算がおかしいのだが。。。


周朝時代的1華里折合現代長度只有298.65米,1000華里就是現代的298.65公里。
關於三國
ttp://140.128.182.248/~s6512/toppage1.htm


394 :サガミハラハラ:2009/12/01(火) 17:27:35
東に海を渡るですから海路ですね。
不彌国は佐賀県小城市不二町で港はその南の大江にありました。
>>392問題は距離です。千里は約68kmです。地図で測ってみてください。

>>393しかし実際に倭人伝のあちこちの距離が全てそれでピッタシなのであるから、1里67.5mkmなのである。


395 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:33:09
狗奴国は群馬だろうね

396 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:47:02
>>394
地図ではかるってw 本末転倒としか思えない。千と500しかないのに。

実は倭国の尺度は適当だったというのが答え。

397 :サガミハラハラ:2009/12/01(火) 17:59:53
適当で小城甘木説を唱えるわけがないだろう。

398 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:41:31
倭人伝の他の個所との整合性を考えると、
同じく千里である朝鮮半島から対馬までの距離、対馬から壱岐までの距離と等しいと考えればいい。

狗奴国は屋久島だと思う。

399 :サガミハラハラ:2009/12/01(火) 20:11:06
問題は半島のどこから対馬のどこまで、対馬のどこから壱岐のどこまでの
きょりなのかということになります。対馬の引く短から南端まで70kmはありますよ。

狗奴国は屋久島だということは、邪馬台国南九州説ですか。

400 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:15:39
>>375
毛人っていうのは景行記によると
単に毛皮きてた人達・・・

401 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:17:13
>>386熊本は
隈元
隈の地名は九州の福岡、佐賀、熊本に多数ある。

402 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/01(火) 20:22:41

狗奴國は熊本平野に展開していた国家群に比定できる。

その国家群は、邪馬壹國を含む国家群である女王國に対応する。
対応を示す語句
女王卑彌呼⇔男王卑彌弓呼
女王境界所盡⇔南有狗奴國男子爲王

女王國の南端は邪馬壹國と投馬國で筑後平野である。(説明省略)
邪馬壹國の南端は八女市(旧八女郡)で現国道3号ルートを介して狗奴國国家群と接しており、
投馬國はみやま市(旧山門郡)で現九州自動車道ルートを介して狗奴國国家群と接している。

狗奴國国家群は菊池平野に存在することとなる。
即ち狗奴國の中の一ヶ国は菊池川流域に存在し、その官は狗古智卑狗である。

403 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:23:22
不思議な事に
福岡、佐賀、熊本、鹿児島では隈が多いのに
豊前、豊後、本州四国は熊になるんだよね。


404 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:43:27
狗奴國   鈴木さんの土地
邪馬台国  小野(春日)さんの土地

405 :サガミハラハラ:2009/12/01(火) 20:47:16
>>402は、投馬国以外私も大体同じです。
投馬国は宮崎県(鹿児島もふくむか)だと考えています。
みやま市は奴国(その余の旁国)と考えています。

406 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:57:00
>>367

そのコピペを張ってるのは、日本稲作は朝鮮経由で伝わっていると喧伝したくて焦ってる在日くん

407 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:00:29
>>361
661 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 18:15:55
そのコピペ見るたびに、どこが爆笑なのかと思う。
このニュースは、もう十年も前のもので、現在では常識だし、
陸稲の栽培は、水稲稲作とは全く違うのに、
そんなことも、知らないやつが、何人もいて、コピペ張りまくっているのが
爆笑なんだろうか?

665 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:18:48
>>661
おえい、褐色広鼻ギョロ目突出た口元の醜悪な顔面の台湾ベトナミーデ(爆笑
そのニュースはな、2005年02月19日 読売新聞の記事だぜ(爆笑
そのギョロっと飛び出た土人目で確認しろよこの広鼻ウンコ色土人!(爆笑
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
やっぱりおまえか、この台湾褐色広鼻豚が(爆笑



408 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:03:59
668 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:46:24
99年4月22日 山陽新聞
最古の稲細胞化石発見 岡山・朝寝鼻貝塚
6000年前の縄文前期初め 稲作起源論争に波紋
 岡山理科大発掘チーム(代表・小林博昭同大教授)は二十一日、岡山市津島東の
朝寝鼻(あさねばな)貝塚から採取していた縄文時代前期初め(約六千年前)の
地層から、稲の栽培を示す細胞化石・プラントオパールを検出したと発表した。
稲作を行っていたとみられる資料としては、岡山県美甘村・姫笹原遺跡など
縄文時代中期の例を千五百年近くさかのぼり、日本最古の発見。
稲作起源論争に大きな波紋を広げそうだ。
 同貝塚の調査は、同大の通学路建設に伴い、九、十年度に約百六十平方メー
トルを発掘した。地表から約三メートルの地層で採取した土壌を顕微鏡で調べ
たところ、栽培種の稲に固有の「イチョウの葉」形のプラントオパール
(長さ約〇・〇四ミリ)約五十個が検出された。
 同チームによると、1同じ層から縄文時代前期の型式とされる羽島下層式
土器が出土2プラントオパールの形が栽培種の特徴を示す3同層のすぐ上が
何も遺物が含まれない間層で覆われ、後世のものがまじり込んだ可能性がない
―ことから、縄文時代前期に稲の栽培が行われていたことを実証する資料と
断定した。
 同チームの調べでは、これまで稲作の起源を示す日本で最も古い資料は、
いずれも縄文時代中期(約四千五百年前)とみられる姫笹原遺跡、倉敷市・
福田貝塚など県内四カ所、鹿児島大学構内遺跡など県外二カ所。
今回が日本最古の検出例となる。
 また土壌分析の過程で、同じ地層からこれまでの検出例を約二千年さかの
ぼる小麦のプラントオパール一個と、ハトムギとみられるプラントオパール百
個以上が検出された。

669 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:52:22
>>665
ごめんね。6000年前と小麦のプラントオパール というキーポイントは、
99年の記事と変わらないから。

409 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:05:43





670 :日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:00:40
>>669
そうか、じゃあ6000年前に小麦作があったが常識になるまで
貼り続けてみるか(爆笑



410 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/01(火) 21:21:08
>>405
投馬國に宮崎鹿児島が含まれない理由。

景行紀に九州遠征の話が出てきます。
景行が平定した地は、豊前→周防→豊後→日向となっています。
肥後以降終着地の浮羽までは、住民の歓迎を受ける巡幸となっています。
これは肥と筑紫を統一していた大王の東九州平定物語を示しているのです。
なお大隅と薩摩を示す地名が出てきませんので、
この九州統一後も大隅と薩摩は未統一地域とみてよいでしょう。

この統一大王の出身地は、装飾古墳の北進現象から見て、菊池平野であると推定できます。
なおこの九州平定巡幸話は邪馬壹國消滅後の3世紀末から4世紀中期までの出来事でしょう。
4世紀末には倭の半島進出が見られるので、倭の九州統一は4世紀末には完了していると見做せます。

411 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:26:47
>>410
んなわけねえだろうが、アホウ。

412 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:37:42
一般的に邪馬台と狗奴が対立して投馬は中立(やや邪馬台にスタンス)言われるけど、ここのスレでは一応前提になってるかな?

413 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:37:49
福岡市付近では、古代の甕棺がたくさん見つかっている。
ところが少し離れた遠賀川付近より北では甕棺が全く見つかっていない。
長崎、佐賀、熊本でも出ているのに、この地域でどうして出ていないのか。

実は、この甕棺の分布は言葉の面でも関連性がある。
福岡県の大半、長崎、佐賀、熊本は似たような系統の言葉だが、北九州市
あたりは違う系統の言葉になる。むしろ、中国地方などと近い。

どうもこのあたりは古代から違う文化圏だったような気がする。
つまり、出雲の勢力が入っていたと思われるのである。

記紀でも、天照大神と、出雲との関連が強い素戔鳴尊の対立が見られる。

卑弥呼が魏に援助を求めたほどの狗奴国との軋轢は、同じ文化圏との争い
ではなく、違う文化圏ではなかったか。
そういうわけで、狗奴国は出雲だと思う。卑弥呼は、三十カ国を支配下に
置く倭王なのだから、相手は倭国でなく、倭種といわれる国だろうと。

414 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:16:11
>>413
九州人では常識なんだよな。
遠賀川流域(宗像、小倉、八幡、宇佐)が文化圏が違う事。
実は縄文時代から違っていたらしい。


415 :日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:31:22
>>414
磐座学会の論文では、伊都国をも沖ノ島信仰集団だとしている。

ttp://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/miwayama.html

>本論は、まず沖ノ島信仰と三輪山信仰の進化論的比較をおこない、沖ノ島におけるヤマト王権による
>磐座祭祀以前の北九州海人集団による海上祭祀が、三輪山の源流となったことを推定した。


416 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:38:55
>>415
いつ頃か博多周辺も八幡信仰が入ってるから
その頃には出雲や近畿の勢力が入ってると思う。

それとヒボコ、天系は濃尾、丹波が本場だけどなwwww


417 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:41:03
>>416
そうすぷりーず

418 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:53:02
>>416
どの部分のソース?

ヒボコと天が濃尾と丹波に状況証拠が残ってるのは事実だろ。
九州には天系の証拠は妄想以外のソースがないしwww

博多の箱崎宮が八幡系なのは誰もが知ってる所、
八幡が入ってたのはかなり後になるが。

419 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:54:18
>>416×
>>417

420 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:58:22
>>418
>ヒボコと天が濃尾と丹波に状況証拠が残ってるのは事実だろ。
そんな事実はない。これこそ妄想。
九州北部と玄界灘は海人=アマつまり天の地名がいくらでも残っており
縄文以来の海人の存在という史実もある。三種の神器は天津神が持ってやってくるが、
そのような遺跡は九州北部に集中している。

421 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:01:30
>>420
>九州北部と玄界灘は海人=アマつまり天の地名がいくらでも残っており

他の地域よりそのアマの地名が多いいうソースを出していうように
一切九州には妄言以外の天系のソースがない。


422 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:02:56
天満宮=天神=関西人(菅原)

423 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:05:27
>>421
甘木周辺、糸島郡、博多湾岸、大宰府付近、壱岐(海士)・対馬、宗像大島(天の川)、アマにつながる海部、阿の
つく地名など探し出したらきりがない。

424 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:07:22
>>423
それは妄言だってwwww
神功征伐の土地だろ一部はwwww

アマは丹波経由で濃尾に痕跡が子孫残してるという事実があるだけ。
スガワラ天孫様とかwwwww

425 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/02(水) 01:07:42
>>420
>三種の神器は天津神が持ってやってくるが、
>そのような遺跡は九州北部に集中している。

追加事項
そのような神社も九州北部に集中している。


426 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:08:12
>>422
9世紀の人物を出して何の意味があるの?
沖ノ島ー>三輪山伝播は3世紀後半なんだが。

427 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:09:38
>アマは丹波経由で濃尾に痕跡が子孫残してるという事実があるだけ。

こんな小学生以下の低脳を相手にした俺が馬鹿だった。
海より深く反省。

428 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:11:36
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
出雲を中心に本州の渡来形質が広がっている。
九州中南部は日本でもっとも縄文系の形質。

429 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:15:12
>>428
近畿は古墳時代以降って書いてあるよ。
北九州だけが縄文人。

430 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:16:33
>>429
古墳時代で比較するように。
九州中南部は日本でもっとも縄文系の形質。
東北・関東の眼窩の高いのっぺりした人はどこから来たか。


431 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:18:53
おれ関東人だが濃い顔をしているといわれる。

432 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:23:29
でもその程度じゃ日本でもっとも彫りが深い
肥前の人にはのっぺり朝鮮系だろうな関東の人は
肥前は吉野ヶ里の弥生人が混じっても
日本で突出して彫りが深いってどういう縄文人なんだろう。

福岡南部は更に鼻が狭くなってる。しかも眼窩が低く
彫りが深い。

筑前の宗像付近で停留してた出雲系の朝鮮の人たちが居たが
九州中南部には殆ど進入しなかったという事が
データから読み取れる。

関東東北の方は古浦(出雲)の朝鮮人だろう。


433 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/02(水) 01:24:11
>>412
>一般的に邪馬台と狗奴が対立して投馬は中立(やや邪馬台にスタンス)言われるけど、
>ここのスレでは一応前提になってるかな?

「此女王境界所盡 其南有狗奴國」とあるように、
女王の支配地域の南に狗奴國があるから、
女王の支配地域に含まれる投馬國は狗奴國の北にあることになる。
又、投馬國が中立だと類推できる表現は倭人伝中のどこにもない。

434 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:31:42
>>428
これって北部九州は朝鮮系という色眼鏡で
データ取られてる筈なのに
調べた人以外だったろう。
コメントは控えてるようだが。

他の機関にもこれを裏付けるデータがあった。

おそらく出雲系の朝鮮の血の濃い人達が宗像界隈(非亀棺)地域
以南には殆ど入り込めなかったんだろう。
神功の頃、宗像や八幡の人がかなり筑前に入り込んでるけどな。

435 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:43:04
朝鮮半島の新羅と百済では人骨の形質が違うらしい、
データはどこかにある。
渡来系遺伝子は新羅方面にいて対馬海流を通じ
日本の北東方面に入っていったというのが読み取れる。
新羅建国に関わる脱解は丹波の人、朝鮮のヒボコが漂流したのもそう
あの近辺は新羅と密接だったと思われる。
日本海出雲に広がる四隅突出墳は高句麗の墓。
磐井が新羅と通じたのは当時の政局だろうよ。
その前に近畿ヤマトに久留米の鬼が退治されてるし。


436 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:52:12
朝鮮(出雲)の人におまえは朝鮮ニダ!!と指さされてるって事?

437 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:03:59
鳥取県の青谷上寺地遺跡で、100体を超える散乱した人骨が見つかっている。
女性や子供を含んでいるので、戦乱があったと見られる。
傷は骨まで達するものがあり、鉄剣などが使用されたらしい。

土器による年代は、2世紀後半頃で、倭国の大乱の跡か、とも言われる。
ただ、畿内説的な年代は、100年ほど早いという考えもあるので、
3世紀後半頃の可能性もある。

天照大神=卑弥呼的な年代観に立てば、記紀の出雲の国譲りにある
出雲平定の痕跡というのもありえるのではないかと思う。

438 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:21:05
>>428
一概には言えないんじゃなかろうか。
明治天皇や大正天皇の顔は、どう見ても縄文顔だが。

439 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 09:22:29
出雲や宇佐だけ2礼4拍1礼ってのはなんなんだろうね
文化圏と関係あるのか

440 :サガミハラハラ:2009/12/02(水) 10:11:51
明治までは、神社によりいろいろな拝礼の仕方があったようです。
明治の廃仏毀釈の際に、神道にも干渉があり、現代の拝礼の仕方に統一されたとの説があります。
しかし、出雲と宇佐だけは強大であったために干渉をはねつけたとのことです。
伊勢とかはもともと2礼2拍手1礼であったようです。

441 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 10:18:11
>>432
今でも鹿児島くらいまで南下すりゃ、明らかに眉毛太くて二重瞼の多い縄文系が圧倒的
熊本より南は朝鮮系が入り込めないくらい、北部九州と政治的に断絶してたんじゃないかな

442 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 14:36:39
>>410
>景行紀に九州遠征の話が出てきます。

何年ごろと思ってますか ?

443 :サガミハラハラ:2009/12/02(水) 15:22:54
かわりにお答えします。熊襲が叛いたとの記事は景行12年秋7月とあります。
これは復元日本書紀紀年では西暦320年秋年となります。
このときの遠征に天皇は日本武尊をつれていったようです。
タケル14歳のときです。

444 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 15:57:00
>>443
感謝です。
卑弥呼の時代よりずいぶん後ですね。時間軸についてこれから妄想しますw

445 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 16:00:37
5世紀初め頃、倭王・讃がいて、15代・応神天皇あるいは16代・仁徳天皇が
当てられることが多い。

讃の朝貢は、西暦413年? 421年、425年の記録がある。

14代・仲哀天皇の后である神功皇后は、三韓征伐で有名だが、朝鮮の記録で
それらしきものといえば、好太王の碑があり、これには辛卯年(391年)、
倭兵が海を渡りやってきて、百済・新羅を破り臣民とする、とある。

三国史記にも、同じ頃、似たような記述がある。

この時代が神功皇后の時代、神功皇后が架空だとすれば仲哀天皇の時代と
いうことになるのだろうか。

これらから考えて、12代・景行天皇の時代は、4世紀後半に入ってから
ではないかと思うのだが。

446 :サガミハラハラ:2009/12/02(水) 22:26:47
413年は倭王讃(仁徳天皇)の時代です。411年秋年が即位年になります。

447 :日本@名無史さん:2009/12/02(水) 23:03:00
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

448 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 12:16:25
狗奴国は熊本。畿内説ww

449 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 12:31:10
>>448
ん?何の問題も無いけど?
おめ〜さんは、まともに倭人伝を読めないお馬鹿さん?

450 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:19:19
毛野なのか、球磨なのか。

451 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:52:14
>>448も読めない、目糞鼻糞状態だ。

452 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:53:21
>>448じゃなくて>>449

453 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 13:59:40
狗奴国は南九州〜紀伊半島にいた黒潮文化圏の民族

454 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 14:30:53
↑紀伊半島で梅干しでも作っていたか?

455 :日本@名無史さん:2009/12/03(木) 17:00:44
>>453

>黒潮文化圏

鰹や鮪でも追い掛けていたか?

456 :453:2009/12/03(木) 18:04:12
九州南部を中心に紀伊半島まで勢力を持っていた狗奴国
その北方には強力なライバル国があった
その名は…

『奴国』

九州北部を中心に中国の最新技術を採り入れた戦力で狗奴国と対峙していた
(その頃の遺跡が吉野ヶ里)

しかしその後、奴国は頻繁に地震の被害を受けるようになった
そのため中国との窓口機能は維持したまま新天地を求めて東方へ…
マキムクの地に邪馬台国が出来る

一方、狗奴国も火山の被害を受けたため支配していた紀伊半島へ一時的に避難…
そこで再び、邪馬台国と名を変えた奴国と対戦する
しかし邪馬台国は魏や周辺諸国を味方にさらに強力な戦力を持っていた
狗奴国はあえなく退却…九州南部へ戻るも勢いに乗る邪馬台国に制圧されてしまった



お し ま い

457 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/12/03(木) 19:28:55
>>442
>>447

>>景行紀に九州遠征の話が出てきます。
>何年ごろと思ってますか ?
>景行天皇の時代は、4世紀後半に入ってからではないかと思うのだが。

紀元年を単純に西暦年に変換するとAD83年になります。
しかし、景行の実年代は4世紀前半ですので、
九州大王が東九州を統一したのは4世紀前半となります。遅くとも4世紀中盤。

景行を4世紀前半とする時代比定は、関西の時代比定論からきたものです。


458 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 10:23:53
会稽の真東にあった国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%A6%B0%E5%9B%BD
7世紀後半には「日本と通交があった」んだそうです。狗奴国ってここじゃないのかな?

459 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 17:55:45
ヅマ国=句奴国って説は無いのかい

460 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 21:26:41
ないだろうね。音が全然違いすぎる。
薩摩を細妻と書いて、邪馬台国由来の女王国があったという説なら聞いたことがある。

461 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 21:31:37
薩摩はイモ国だろ。

462 :日本@名無史さん:2009/12/08(火) 00:13:26
>>461
サツマイモが鹿児島に伝わったのは江戸期だっての。


463 :日本@名無史さん:2009/12/08(火) 19:04:27
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

464 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 19:47:50
>>463
どこがおかしいのかさっぱり…

465 :日本@名無史さん:2009/12/10(木) 19:55:30
>>464
しっ!さわっちゃだめ。

466 :日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:08:59
哀れな在日さん。 (爆
哀れな在日さん。 (爆
哀れな在日さん。 (爆
哀れな在日さん。 (爆



467 :日本@名無史さん:2009/12/11(金) 19:44:05
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

468 :日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:34:25
狗奴国は球磨地方でよくない。

469 :日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:48:02
狗奴国という名は邪馬台国から見て、奴隷産出国のようにも思われます。
九州南部が隼人・熊そで、東北が蝦夷で邪馬台国が本州ならば、四国辺りが対立していたのでは・・?




470 :うましか:2009/12/12(土) 15:58:22
奴隷産出国なら「敵対」国より「友好」でないと。
奴隷の条件で最大のものは従順であること。
それには自ら奴隷であることを納得している必要があります。
戦争捕虜と言うのも自らの身分を納得する一つのケースですが、
身売りなどの経済的理由で奴隷になるケースの方が多いと思います。
身売りとなれば、商行為、交易にも利用されますので、
奴隷獲得の手段としては戦争よりもリスクの少ない方法です。
狗奴国との関係が「元より和せず」であるならば、
最大の奴隷産出国ではないと思います。

471 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 16:28:39
>>470
青いな。拷問とアルカロイドでゾンビ化(といっても生ける屍)させる。
しかし、倭国などかわいいもの。中国に行った生口など「燈台鬼」にされる。

472 :日本@名無史さん:2009/12/12(土) 16:59:28
昔、「軽大臣」という日本人が、遣唐使として中国にわたったきり、行方不明になった。息子の「弼宰相」は、
父の消息を探すため、中国へ渡った。彼は中国のとある場所で、「灯台鬼」を見た。これは「人間燭台」の
ことである。頭に大きなロウソクを載せる台をしつらえ、体中にびっしり入れ墨をほどこされ、薬で喉をつぶ
された灯台鬼は、弼宰相の姿を見るとポタポタと涙を流し、声を出せないので指先を歯で噛み切り、漢詩を
書いた。
弼宰相は、目の前の灯台鬼が、自分の父親の変わり果てた姿であることを知り、愕然とした。

473 :日本@名無史さん:2009/12/13(日) 16:45:23
まぁそれは都市伝説としても、「民」という字の由来なんかもすごいな

474 :日本@名無史さん:2009/12/13(日) 17:41:02
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

475 :日本@名無史さん:2009/12/13(日) 21:56:02
http://resistance333.web.fc2.com/newpage7.htm

476 :日本@名無史さん:2009/12/16(水) 19:48:34
彦崎貝塚の知名度を上げようと必死なのはわかるが、
書けば書くほど、岡山県人に対するイメージがどんどん悪くなっていくんだが。

477 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 17:09:50
狗奴国は西日本の盟主邪馬台国とは敵対していた大国なのだから、
邪馬台国の支配圏外で関東地方あたりを中核にしていた国だろう。

478 :日本@名無史さん:2009/12/19(土) 02:50:29
>>477
千葉県流山市で、三世紀末の墨書土器が発見されてるぐらいだから
関東地方もなかなかのものだよね。





479 :日本@名無史さん:2009/12/19(土) 21:26:15
縄文時代は東日本のほうが栄えていたようだしな

480 :◆.L.MXSPOgc :2009/12/20(日) 09:45:31
>>479
そのころ東日本に住んでいたのは、ほとんどアイヌの人達なんじゃなかったでしたっけ?
この辺りよく整理付いていないので、私が間違えているかもしれませんが。

新潟にもアイヌ語由来の地名が残っているのは、なかなか興味深いものがありますね。

481 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 03:12:55
あのさぁ、言いたいことはわかるけど。
後に、アイヌとして分化すると考えると
アイヌの登場ってずーっとずーっと後でしょ。




482 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 10:02:32
アイヌはどうかわからんけど、恐らく毛人とか蝦夷と言われてた人達でしょう

483 :◆.L.MXSPOgc :2009/12/21(月) 10:56:32
アイヌとして分化? そういう話は聞いたことがありませんが。

アイヌ語というのは日本語とは別系統の言語であることがはっきりしていますので、
原日本語を話していた縄文人が、倭人とアイヌ人に分かれたわけではありませんよ。

私も知識不足なのですが、南の台湾の方から入ってきた人と韓半島を通って入ってきた人、
これらが混合して原日本語が産まれたと考えられる。一方、北からアイヌ語を話す人たちが
入ってきていて、後に北海道に追いやられるものの、その痕跡は東北に広く残されている。

しかし日本の歴史としては同じ”縄文人”というくくりでしか話されていないように思えるのです。
このあたり、もう少しちゃんと理解しておく必要があるのではないだろうか、という話です。

484 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 11:07:19
東北北部には江戸時代くらいまではアイヌ語の一種が普通に
使われていたけど、そのうち使われなくなったとか聞いたな。
あと、マタギの山言葉がアイヌ語と共通するとか

485 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 11:09:32
関東なら、
やっぱ狗奴国=上野(ケヌ)国だな。

486 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 15:40:39
>>485
狗奴国は毛野国つまり今の埼玉北部、群馬、栃木あたりを根拠地にした東日本の有力国でしょう

487 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 16:34:02
しかし、大和を脅かすほどの大国だったのかという点が疑問ではある

488 :日本@名無史さん:2009/12/21(月) 19:26:43
>>486
関東なら、という前提でなぜ大和が出てくる?

489 :日本@名無史さん:2009/12/23(水) 02:49:24
アイヌ文化の成立なんて13世紀だよ。続縄文文化、擦文文化の担い手も縄文人の子孫だろうけど、それに弥生人とオホーツク人に影響されて、混じり合いながら、ずっと後に形成されたのがアイヌ。


490 :日本@名無史さん:2009/12/23(水) 05:31:58
渡来人と先住民の話しだな

数々の

歴史が教えてくれる

先住民は駆逐されることを

491 :日本@名無史さん:2009/12/23(水) 08:21:11
>>490
駆逐されて現在はいないけど、先に住んでいた人たちのことを「先住民」と定義するんだろ。

492 :日本@名無史さん:2009/12/23(水) 17:34:52
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

493 :日本@名無史さん:2009/12/27(日) 00:15:12
くなこく→くゎこく→かゎこく→かわちこく
狗古智卑狗=河内彦

494 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 01:19:15
平成決着あげ

495 :サガミハラハラ:2010/01/10(日) 09:04:33
しかし語呂合わせでしか比定できないとは情けない話だ。
所詮邪馬台国論争とはその程度のものか。

496 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 09:11:49
>>493
狗古智卑狗の狗は狗奴国の狗じゃないかな。狗の古智卑狗とかね。

497 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 14:30:51
あげ

498 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 17:10:41
河内ひこ あげ

499 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 17:58:19
>>495
魏志倭人伝にとらわれて語呂合わせにとらわれるよりは、
実際の資料にもとついて分析するのが本来の歴史学のあり方ですね。

500 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:17:57
日向王→卑弥弓呼

神功→卑弥呼(姫皇)

501 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 14:03:23



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




502 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 14:52:51
>>500
結局 神功と日向支配者は 神武を介しての 遠戚と 知った 魏の使者は 蔑称も込めて 同じ卑弥を用いて 魏誌作者に 伝承した

503 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 17:39:35
熊襲だと困るんだろ?www

504 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:22:38
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
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小麦などのプラント・オパールも見つかり

505 :日本@名無史さん:2010/01/25(月) 20:31:29
稲作 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C

起源
以前は、稲作の起源は植物相の豊富な中国雲南省といわれてきたが、最近の考古学的調査により、
雲南省の稲作遺跡は4400年前以上に遡れないことが明らかになった。
ところが、江西省や湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見されており、古いものは1万2000年
前に遡る[1]。これらは焼畑による陸稲栽培と考えられている。
(中略)

日本への伝来
(中略)
4.の江南からの黒潮ルートは柳田國男の提唱した海上の道で名高かったが、沖縄での稲作を示す考古
学的資料が出ていないため関心が薄かった。しかし、岡山県で6000年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)
のプラント・オパールが次々に発見された等により、水稲伝来も考えられるとして再び注目されつつ
ある[6]。

コムギ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%BA%A6
歴史
中央アジアのコーカサス地方から西アジアのイラン周辺が原産地と考えられている。1粒系コムギの
栽培は1万5千年前頃に始まった。


稲作についても研究が進んで1万年以上前のものが6000年前に日本に伝わったことがわかったわけだから、
小麦についても、15000年前の小麦が6000年前に日本に伝わったとして何らおかしくはないな。
今後の研究成果が楽しみだ。

506 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 13:26:12
狗奴国は西上免遺跡(前方後方墳祖形)を中心とした西東海
勢力。


507 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 12:07:51
西上免遺跡の出土土器を調べたところ、2世紀後半から3世紀後半
に集中する事が分った。この時期は狗奴国が隆盛し、邪馬台国と
戦いを繰り広げていた時期と合致するそうだ。

508 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 13:47:33
西上免遺跡(前方後方墳)は濃尾平野部に位置。
神道的側面から見ると西上免遺跡近くに尾張国一宮(真清田神社)あり
祭神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(天火明命)が祀られている。

509 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 07:40:18
>>507
3世紀頃、濃尾平野にも人が住んでいたってことは分かったが、
倭人伝にはまったく一致しないからなあ。

510 :日本@名無史さん:2010/02/15(月) 12:20:37
>>507
その内容は昨年の日経新聞(2009.7.13)に記載されてたなぁ。


511 :日本@名無史さん:2010/03/09(火) 17:31:20
狗奴国東遷ってどうなのですか

512 :日本@名無史さん:2010/03/10(水) 09:04:51
13日の産経新聞によると、狗奴国の候補地と考えられる愛知県一宮市の西上免遺跡出土の土器を放射性炭素年代法で調べたところ、2世紀後半から3世紀後半に集中する事が分かったそうである。
この時期は狗奴国が隆盛し、邪馬台国と戦いを繰り広げていた時期と合致するということだ。

最近、邪馬台国関係の遺跡が話題になることが多いように思う。
今年に入ってから、邪馬台国畿内説の中心である纒向(まきむく)遺跡でも注目される発見があり、今回の狗奴国の可能性が高まる調査など、進展が多いように思う。

纒向遺跡のある近畿と西上免遺跡のある東海には他にも異なる国があった可能性を示すものがある。
卑弥呼の時代の後に始まる古墳時代の初めには二つの特徴的な古墳があった。
一つは有名な前方後円墳、もう一つは前方後円墳の円が四角形になった形の前方後方墳である。

このうち、前方後方墳は濃尾平野など東海地方に多く造られた。
このことからこの地に別の勢力が存在し、それは狗奴国ではないかという説もあった。
古墳は完全に分布が分かれていなかったため、それによって断定されることはなかったが、今回の遺跡の年代測定と合わせると、狗奴国の可能性が高くなるかもしれない。



513 :日本@名無史さん:2010/03/19(金) 15:55:09
狗奴国が隆盛し、邪馬台国と戦いを繰り広げていた時期に、
そのはるか東の黒歯国や裸国でも、激しい戦いが繰り広げられていたというわけだな。

514 :日本@名無史さん:2010/03/20(土) 01:22:14
東海で決まり。以上。

515 :日本@名無史さん:2010/03/20(土) 07:29:38
東海にも人は住んでいたってだけのことだ。

516 :サガミハラハラ:2010/03/20(土) 08:23:34
邪馬台国を奈良県にしたことからの無理、ですね。

517 :日本@名無史さん:2010/03/20(土) 14:49:49
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

518 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:12:26
>516
畿内が邪馬台国である証拠は、奈良県名物潜水漁、というネタですから。

519 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:32:28
丹が出ないので邪馬台国九州説はもうないんでしょ?

520 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:39:55
ていうか、国内丹の多くが九州産

521 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 13:49:52
岩井の君がいたところ

522 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 14:19:13
6世紀以降に九州から丹が採掘されていたのは確実。
ただ、それ以前はどこまでさかのぼれるのか分からない。

523 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 14:37:48
>>516
やっぱり、九州説な人だなぁ〜

スレタイすら理解できない「お馬鹿さん」すか・・・

524 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 15:14:30
狗奴国は出雲にしたいのだが。自分的にはその方が都合がいい。

後漢書には、
自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王
(女王国より東に海を渡ること千里余で拘奴国に至る。倭種といえども
しかして女王に属さず)
とあるしね。

525 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 16:55:11
>>520
ソースは?

>>522
じゃだめじゃん、畿内だと弥生期に確認されてるし。

526 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 17:13:09
弥生時代に畿内で採掘されていたということは、我が国に採掘の技術はあったと
いうことだ。九州に丹があったのに、九州では採掘されず、輸入に頼っていたな
んてのは不合理な推測だな。

527 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 18:52:30
魏志倭人伝の狗奴国は河内でした。
記紀の葦原中国も同じく。

難波江の 葦のかりねの ひとよゆえ 身をつくしてや 恋わたるべき
一度真に受けたからと言って、一生九州説を信じなければいけないのか。
そんな思いを詠んだ歌ですね。

528 :日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:59:57
弥生時代あるいは縄文時代と水銀厨氏は語っているが
そんな時代に水銀朱はなんに使われていたのだろうか。

529 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:43:38
棺の中に入れるんだよ。

530 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:12:46
狗奴国にも丹があったんじゃなかろうか?

531 :水銀厨:2010/05/13(木) 22:32:20
>>528
簡単に言ってしまうと呪術でしょう。
棺に入れるのも同じ理由。

>>530
倭人伝の記述からは何とも言えないですね。
個人的には


532 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:19:34
邪馬台国と狗奴国の乱は、丹山を巡る争いだったんだよ、きっと。

533 :水銀厨:2010/05/14(金) 07:55:45
年代までは特定出来ませんが、辰砂、水銀を
追いかけていた勢力が最低でも二組あったとは
言えると思います。
丹生神社と水分神社の存在はその名残でしょう。

534 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:28:26
水分神社の名前は、水銀とは関係ないだろ。水の配りだよ。

535 :水銀厨:2010/05/15(土) 18:11:27
決して無関係とは言えないですよ。

農業に使う水を分けるとすると、場所的に?な部分が
多いでしょ、水分神社の所在地は。

536 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 19:32:33
農業に限るわけではないよ。

537 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 09:55:34
丹生神社と違って
水分神社は奈良周辺だけのようだね。

地図を見る限りじゃ
分水嶺や川の合流、分岐との関連性は少なそう。

最初は川の分岐地点に創立され
あとは、水に関係なく、勧請されていったのかも知れない。

538 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 14:57:36
狗奴国は伊勢湾沿岸、濃尾平野

http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/books/books100311_1.htm

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