2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!44

1 :神奈川県民:2010/01/05(火) 00:04:51
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼
事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者
以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛

女王卑彌呼とは誰だったのか?
又、邪馬壹國とは何処にあったのか? 古代最大の謎に挑む!

【前スレ】http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1261187832/
【アク禁用のスレ】http://www1.atchs.jp/most/

2 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 00:30:18
ウンコチンコマンコ

3 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 09:45:15
卑弥呼は卑弥呼。無理矢理別の人にしないことだ。
邪馬台国の所在地は、倭人伝に書いてあるだろう。素直に読めよ。
北九州に上陸して南へ水行陸行した所だ。九州の中で行程的にも遺跡・遺物、
伝承、何も矛盾はない。


4 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 10:09:38
素直に…とかいう奴に限って
よくデンパ飛ばすんだよな(笑)

陸を一月も九州内のどこをウロウロしていたの?
んで、その後に水行してどこに行ったの?

5 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 10:24:44
陸行した後に水行? 倭人伝をどう読んだらそんな話が出てくるんだ?
もう少し勉強してから出直しな。

6 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 10:40:43
相変わらず、4や5みたいな着違いがウヨウヨ湧いててくるんだな。

7 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 12:09:16
>>4
逆だろw
しかし俺も九州説に聞きたいもんだね。
水行して陸行九州内ウロウロし過ぎだろw

畿内は瀬戸内海を水行、
陸行を丹波〜大和としてるんだか、
これだと、しっくりくる。

8 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 13:21:54
最大限九州説寄りの解釈をしても
3世紀の邪馬台国は畿内にあるという事ですよ。
これはもう動かせません。

9 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 14:32:17
>>7
水行して陸行。別にうろうろしすぎではないよ。
魏の御使者が生命の危険を冒して来てくれたんだ。毎日、歩け、歩けなんて言う
わけがない。お疲れにならない程度に歩いてもらって、2日歩いたら1日休みと
かの日程でお連れするんだよ。そのぐらい、接待係が気が利かないでどうする?


10 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 16:27:31
甘木ショック、九州説勝利宣言以降、福岡県民の盛り上がりは止まる所がない。
大阪花園ラグビー場で行われている高校ラグビー全国大会では、
東福岡高校が、準々決勝で大阪代表を破り、
準決勝で京都代表を過去の準決勝には見られない記録的点数差で破ってしまう。
九州が畿内勢を完全なまでに葬った模様。
たまたま、テレビ観戦をしていた安本教授は終始ご満悦だったという。
(東福岡新報)

http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/ovalball/1258807336/l50

11 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 17:07:31
九州内に入らないというのは一説だが
それが、なぜ畿内に繋がるのか分からない。

ただ大規模な遺跡があると言うだけなら
出雲でも吉備でも関東でもかまわない。

畿内説にはその当たりの根拠が全く無い。

12 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 17:45:10
ちょっと質問ですが
ヤマトが今の奈良を指してるかどうかはともかく
ヤマタイ=ヤマトっていう認識でOKなんでしょうか?

13 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 17:57:47
もともと、邪馬台国=ヤマト国だよ。
ヤマタイなんて言い出したのは江戸時代から。


14 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 18:50:53
日本風土記 大和〈野馬多(ヤマト)
★野馬多
和名類聚抄 大和〈於保 夜萬止〉
★夜萬止
『日本書紀』巻一第四段本文
及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本日本。
此云耶麻騰。下皆效此。豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐
洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由
是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。
(国生み神話 日本これを耶麻騰と読む。九州は筑紫洲)
★耶麻騰
日本書紀巻第一 神代上
大己貴神曰。唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶對曰。
吾欲住於日本國之三諸山。故即營宮彼處使就而居。此大三輪之神也
★耶對(大国主が)大和三山がある耶對の三輪山に住みたい)
日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年
時弟猾又奏曰。倭國磯城邑有磯城八十梟帥。又高尾張邑或本云。葛城邑也。有赤銅八十梟帥。
(倭國の磯城邑、磯城の八十梟帥有り。又、高尾張邑 【或本云 葛城邑也】赤銅の八十梟帥有す。)
★倭國
古事記〈中景行)
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 
多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 
夜麻登志宇流波斯
★夜麻登
言語学的には耶馬台のトはト乙類=大和の読みは全てト乙類


15 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 18:59:32
耶對、 夜摩苔

夜麻登 夜麻等 夜莽等、夜萬登、夜末等 夜萬止
野馬多 野麻登、野麽等、野麻等、野麻騰、
耶麻騰、耶魔等、
椰磨等、也麻等


16 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 22:23:55
>「大漢国」=大いなる漢  つまり 漢を超える<

☆ヽ(o_ _)o ドテッ


17 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 22:28:11
>>11
その後の大和朝廷に繋がるからだろ。
普通に考えたら何の問題もないじゃん。

18 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 22:43:31
天照大神ってどっかで聞いた記憶がある

19 :日本@名無史さん:2010/01/05(火) 23:46:58
卑弥呼を押し倒した三輪山の大物主が産ませた子が豊与

20 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 00:27:27
近畿に大和という地名が登場したのは七世紀だ。それ以前には「大和」という
地名はなかったんだよ。

21 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 01:14:53
巻向からは九州の土器はほとんど出ていない
九州の文化とは関係がない勢力なのである。

つまり九州を通過する魏志倭人伝のようなルートは
巻向勢力は持ち合わせていないのである。

九州説は九州だけで成立できるが
畿内説は九州と密接な関係が証明できなければ成立できない。

もっとも伊都国までのルートを出雲など別のところに比定すれば別だが。

22 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 01:24:50
九州の土器?

23 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 06:57:16
 日本書紀はどうするよ。
 天皇家は一応、宮崎の高千穂から東に向かったことになっている。
古墳の大きさや数が国力を示す上で重要であるなら、九州のいち豪族だった天皇家が東征できたのは
納得が出来ない。なぜ、奈良の祖先は敗れ去ったのか。
 今日のニュースにまた卑弥呼の証拠が見つかったと書いてあるが、根拠がなさ過ぎる。
 この国の考古学が感情を優先していることに大きな疑問を持つ。
 
 まだまだ全国横一線。みなさんあきらめずさぁ土堀り!!!

24 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 09:16:47
>>21
>九州説は九州だけで成立できるが
畿内説は九州と密接な関係が証明できなければ成立できない。

逆、畿内説は卑弥呼は諸国に共立されてる訳だから、
密接な関係だと逆に矛盾する。

吉備、阿波、河内、北部九州等の影響が何らかの形で
見て取れる方がいいんだよ。

北部九州の影響なら墓に朱を撒くという共通点がある。

25 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 09:27:38
里と日を続けて行程として読むのが間違い。
同じ行程を距離と時間で説明しているだけ。

26 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 09:45:09
当時里を日数で数えるのは倭人の風習。
つまり倭人の伝聞情報です。

27 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 09:47:50
里で書いた同じ行程を日数に言い換えたならば、「又は」とかそれなりに断りがあるはずだ。


28 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 09:49:13
中国人だって、日数で数えることもあるんだよ。

29 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 09:53:32
あの日数行程部分に実は意味あるんだよ。
早くそれに気づいた方がいいぞ。

30 :伊支馬:2010/01/06(水) 12:34:38
>>29
その通りだ。陳寿は文章を簡潔にする一方で張政等の来倭の目的および行動を(分かる人間には分かるように)
記述している。邪馬台(壹)国の卑弥呼の都に至るまでの記述に現れた国は張政が訪れた国であり、官は張政が
会談した代表的人物である。投馬国および邪馬台国への行程が日数表記になっているのはこの二国が特に気を遣
うべき国であり重要な仕事(折衝)が行われたことを示すものである。

31 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 13:11:47
思い込みとは恐ろしいものだ。

32 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 13:16:17
>>30
そしてまた、無根拠の憶測が始まる。

33 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 13:35:06
卑弥呼って神功皇后じゃないのか。
日本書紀はそう考えて書いてると聞いたことがあるが。

34 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 13:51:31
>>33
日本書紀のは

「倭人伝に卑弥呼ってあるみたいだけど、よくわからんけど多分、神功皇后のことじゃね?」

っていうような感じ。

35 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 17:23:42
>>27
断りなんか無くても「南至投馬國 水行二十日」と急に記述が変わっているんだから
同じ行程を日数に言い換えているんだよ。
日数行程部分は里数行程部分の補足説明だな。
邪馬台(壹)国の卑弥呼の都は里数行程の説明だけで着いているのを
再度、日数で行程をし、ついでに倭には国邑の連合体があったことを示しているんだ。

36 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 17:58:56
>>35

>断りなんか無くても「南至投馬國 水行二十日」と急に記述が変わっているんだから

なにも変わっていません。最初から最後まで古代の漢文で書かれています。
物事を猜疑心の眼差しで眺めているから「変わった」ように見えるのです。


37 :縄文人:2010/01/06(水) 18:01:53
帯方郡から不彌国までの里数は万七百余里だから邪馬台(壹)国までは千三百里と分かる。わざわざ里数を書く
必要もない。そして不彌国と邪馬台(壹)国に国境を接して(両国に挟まれて)投馬国が存在する。

不彌国から筑後川沿いにまた有明海沿いに入り江や河川を上り下りして投馬国の有力豪族(20カ所)を訪ねなが
ら行ったのが水行20日の示す意味である。

38 :古代史学校:2010/01/06(水) 19:00:44
改 4年生 
ロ 4年生 
河 6年生 
太 不明 
唐 10年生
サ 21年生
縦 2年生 
美 3年生
 
www 3年生
う 3年生
九 30年生
愛 4年生
巫 1年生
縄 2年生

39 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 19:12:28
>唐 10年生

これはないな・・・
違う人は指摘してくれ
唐松山さん何年生? 太も

40 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 19:34:33
魏志倭人伝が何のために書かれたかを考えるべき。
東夷の観光ガイドブックではない。
どこの誰が魏志倭人伝を読んで、倭国旅行して卑弥呼の都まで行きたいと思うのか?
使者はイト国まで着ければ、それで用は足りたのだ。
邪馬台国までの距離や方角にはなんの意味も無い。適当に誇張しただけ。

南に水行10日陸行一ヶ月というのは、倭国は南に長いことを示し、
「倭国という島国は、魏と敵対していた呉をけん制するするために重要だ」という意味でしかない。

そもそも倭国が朝貢してきた理由は、公孫氏を司馬懿が滅ぼしたからであり、
司馬懿の功績によって倭国を味方にして呉をけん制することができたという、
司馬懿を褒め称えるために書かれたものなのだ。

「倭国という島国は、魏と敵対していた呉をけん制するするために重要だ」と強調するために、
倭国は南に長い島国として強調されたにすぎない。
したがって、距離や方位で邪馬台国を論じることは、何の意味も持たないのである。

わかったか?>縄文人





41 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 19:48:38
2ちゃんねるの噂/謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!

が本になる?!

http://www.uwasa2ch.net/interior/1221483488.html


42 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 20:18:46
40みたいな、とんでもバカがいるんだな。


43 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 20:28:53
縄文人は自分の知識や思考能力が他のコテや名無史に比べても劣っていることを
自覚すべきだな。400冊程度も本を読めばなんとか追いつくか。

44 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 20:34:06
>>42

くすくす。
無学だと、言い返すこともできないんだね。

45 :卑狗摸古三世:2010/01/06(水) 20:40:03
>>43
なんだとう。なんという愚かしいことをほざく輩だ。おそらく畿内説に毒されて、頭の芯までとろけ腐っておるに
違いないて。私の畏友であるところの縄文人は、屋敷にゆけば床が抜けるほどの本であふれかえっておった
わ。しかし、縄文人は本で読んだ知識などほとんど用いないでレスをしておる。それは、彼が天才だからだよ。
そうだ、縄文人こそまさに歴史の天才、神童、傑物であるのだ。きさまら下々の畿内説が束になってもかなう
まいて。蟷螂の斧とはこのことだよ。んがははははははははは。

46 :卑狗摸古四世:2010/01/06(水) 20:44:29
>>45
おおそうだ、まさに畿内説は風前の灯火じゃな。すでに友人であるところの縄文人は本気になっておる。畿
内説が粉砕される日は目前ということだ。実際、私が論戦した中でも縄文人ほど力のある論客はおらんか
った。彼はヤフーを制覇し終えてここに来ているのだろう。

47 :博多っ子お囃子隊:2010/01/06(水) 20:46:26
縄文人偉い!縄文人偉い!縄文人偉い!縄文人偉い!あそれ縄文人偉い!

48 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 20:58:50
>>40

>魏志倭人伝が何のために書かれたかを考えるべき。 東夷の観光ガイドブックではない。

まあ、ここはよ良しとして

>邪馬台国までの距離や方角にはなんの意味も無い。適当に誇張しただけ。 南に水行10日陸行一ヶ月というのは、倭国は南に長いことを示し、
「倭国という島国は、魏と敵対していた呉をけん制するするために重要だ」という意味でしかない。
そもそも倭国が朝貢してきた理由は、公孫氏を司馬懿が滅ぼしたからであり、 司馬懿の功績によって倭国を味方にして呉をけん制することができたという、 司馬懿を褒め称えるために書かれたものなのだ。
「倭国という島国は、魏と敵対していた呉をけん制するするために重要だ」と強調するために、 倭国は南に長い島国として強調されたにすぎない。 したがって、距離や方位で邪馬台国を論じることは、何の意味も持たないのである。


ここは全て自分が脳内で想い描いた事ばかりではないか?
こんな書き込みで、よくも縄文人を馬鹿に出来たものだと、しばし唖然。


49 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/06(水) 20:58:54
終止符!23か
なつかしいですね。そこで見つけた文

>呉の平縁神獣鏡の銘文で「赤烏元年五月廿五日丙午」とあります。
238年の5月は辛酉からではなかったですか?とすれば25日は乙酉…
丙午は月内にはありませんね?

238年には、確認出来る暦として、下記3つの暦日が存在する。
魏明帝景初2年 ?次:戊午? 生肖:蛇 西元238年1月3日(星期三)起
蜀後主建興15年11月30日起 
?大帝嘉禾6年12月1日起
景初2年5月辛酉朔 この暦日では齟齬が生じるが、
嘉禾6年の様にひと月早い暦が存在する以上、
景初暦よりひと月遅れの暦ならば、5月25日丙午が成立する。

東晉明帝太寧4年 ?次:丙戌 生肖:狗 西元326年2月19日(星期六)起
東晉成帝咸和元年 ?次:丙戌 生肖:狗 西元326年3月20日(星期日)起

七支刀 326年 太寧4年5月庚寅朔として、17日丙午が成立
この文字は百済で彫られたであろうから、多少の違いを認めれば、成立する。

この数字は、空白の4世紀を読める数字です。
近々書き込む予定。


50 :国士焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/. :2010/01/06(水) 21:02:04
>>23
まだ土掘りキャンペーンが草の根で続いていて嬉しい。

51 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 21:02:47
司馬懿の功績を褒め称えるなんて言ってる椰子が未だに存在していたとは、正に「世界ふしぎ発見」

52 :博多っ子お囃子隊:2010/01/06(水) 21:04:01
>>40
40は脳内だ。縄文人偉い!縄文人偉い!縄文人偉い!縄文人偉い!40は脳内だ。縄文人偉い!
縄文人は知恵者で、本もたくさん読んでいる。yeah!

53 :詩吟者:2010/01/06(水) 21:09:55
はるか太古の昔から、やってきたその人の名は、縄文人。

信じられぬ知恵者にして、読書家。知能指数は160を越えようかという天才。

歴史界の堕落を知り、畿内説を打ち叩くため、2CHに表れた英雄、偉人。

縄文人こそ我らが太陽。目元涼しき男、九州男児の鑑。

ああ、君も縄文人とともに九州説を語ろう。縄文人は心広き男。この板の支配者。

54 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 21:30:35
>>37

>不彌国から筑後川沿いにまた有明海沿いに入り江や河川を上り下りして投馬国の有力豪族(20カ所)を訪ねなが
ら行ったのが水行20日の示す意味である。

何処に筑後川が紹介されているのだ?
脳内旅行もたいがいにせいや


55 :縄文人:2010/01/06(水) 21:48:29
しばらくぶりに登場したらえらい騒ぎになったな。私は畿内説派の質の落ちる連中には嫌われているからな。
嫌われついでに巻向の遺跡について一言。

倭人伝では勝負にならない(方角等を恣意的にねじ曲げなければ畿内に到達しない)から、考古学的資料で対抗しようと
試みているが何れも成功していない。箸墓の築造を3世紀半ばにもってこようとしたり、土器の実年代を100年ほど繰り
上げようとしたり、前方後円墳の地方への広がりを言ってみたり、巻向に各地の土器が集まっているからここが連合の中
心だといったり、宇陀では水銀が採れたと言ってみたり等々無駄な努力をしている。傍からみれば涙ぐましいほどの抵抗
だが、畿内説派の連中にとっては生き甲斐なのだろう。無駄も人生なのだ。がはは。

56 :縄文人:2010/01/06(水) 21:56:59
>>54
ん?君には見えんだろう。想像力と洞察力の豊かな人間にしか見えないものだよ。これはね、倭人伝に
書かれている行程を辿ると不彌国が筑後川の北岸にあることになるんだよ。そこから南に投馬国が広が
るのだよ。水行するには筑後川を舟で行く、有明海を舟で行く。見えんかねチミには?心を磨き給え。

57 ::2010/01/06(水) 21:58:53
実は、晋率善羌中郎将銀印が発見されてるらしい。
出土地不明だったような・・・
今回のスレではこれを扱いたい

晋率善羌中郎将銀印
http://www.osaka-archives.com/museum_cat_06.html

58 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 22:08:42
太国氏、唐松山氏
両氏のために設けた新しいスレが誕生しました。至急そちらに移動願います。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1262782787/1-100


59 ::2010/01/06(水) 22:11:05
銀印ではなく、金印の話になるが、後漢書の
「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
これは、福岡県福岡市東区志賀島で発見されてものだが、
当初は偽造説というのがあって、いろいろいわれてきたらしい。
しかし、中華人民共和国雲南省で発見された「廣陵王璽」との対比から
そういう声も少なくなった。

晋率善羌中郎将銀印に関しては、出土地不明だが、なぜか 大阪府立近つ飛鳥博物館にある。
大阪付近に住む人は、この博物館を訪ねて観賞してくればいいのに・・・

60 ::2010/01/06(水) 22:14:16
【倍暦】太国 vs 唐松山【ホツマ】

スレ立ってるね!おれ知〜らねえっと(俺じゃない)ww


61 ::2010/01/06(水) 22:30:47
>>23
>天皇家は一応、宮崎の高千穂から東に向かったことになっている。

鹿児島からという説もあるよね。
こっちが一般的なような気がする。

>>24
>>畿内、九州の関係
>吉備、阿波、河内、北部九州等の影響が何らかの形で 見て取れる方がいいんだよ。
>北部九州の影響なら墓に朱を撒くという共通点がある。

今言われてるのは、九州の埋葬でみえる、鏡、玉、剣の三セットが、
畿内の初期前方後円墳に含まれてるなどいわれてますね。

62 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 22:30:54
司馬いがどうのと、バカ丸出しの奴がいるんだな。
中国にとって、辺鄙な島の中に存在する、その小さい一国に過ぎない邪馬台国が、呉の牽制になるだとか、
こんな考えを持つバカがいたとは、驚き笑ってしまったよ。

63 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 22:39:23
>>61
スレ主様。あなたに相手にされなくて、30分で我慢できなくなった縄文時代の名無史に、
反論しようかどうしようか迷っているのですが・・・

64 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 22:43:10
>>61
メ。河童に知恵袋教えたのはお前だろ? 
前方後円墳から見かけないと思ったら、知恵袋で遊んでた。どうやらベストアンンサー一つ貰ったようだぞwwwwwwww


65 ::2010/01/06(水) 22:48:07
>>63
>スレ主様

ここのスレを専門にしてるダケだってw

>あなたに相手にされなくて、

あ、それはすみません、なるべくアンカーをつけていただけるとありがたい。

>30分で我慢できなくなった縄文時代の名無史に、
>反論しようかどうしようか迷っているのですが・・・

ん?誰に反論?縄文人さんにかな?どうぞ、どうぞw

66 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 22:59:28
>>62
>中国にとって、辺鄙な島の中に存在する、その小さい一国に過ぎない邪馬台国

はい、自己破綻。

その辺境な島国に、たった一回朝貢しただけで金印送ったのはなぜ?



67 ::2010/01/06(水) 22:59:30
>>64
>メ。河童に知恵袋教えたのはお前だろ? 

そうかもしれんwww

>前方後円墳から見かけないと思ったら、知恵袋で遊んでた。どうやらベストアンンサー一つ貰ったようだぞwwwwwwww

アハハ、nebbia_18さん は河童さんで、ベストアンサー率33.3%になってるねw
あそこで遊んでたのか、何故か笑えてしまったw

68 ::2010/01/06(水) 23:28:26
アク禁用のスレがあるって知ってた?
http://www1.atchs.jp/most/

もう一点、ここのワッシーが、
C14(放射性炭素)年代測定と年輪年代測定が間違いだと
100年の誤差があるのではとして、邪馬台国畿内説を痛烈に批判してるんだけど
誰か反論ある人はおらんのですかw

彼いわく、光谷さんの測定方法が間違っており、大阪の池上曽根遺跡はBC50年ではなく、
実際は、AC50ではなかろうかとしてるんでしたっけ。
この池上曽根遺跡は、建物跡が五段階の時期に分かれており、
このうちの一番最後の柱の構築された時期をBC52年とし、
同時に測られたC14測定法の結果ではBC60年±20年という結果がでてるんですが、
年輪年代測定というのは一つ、一つ、の作業の積み重ねと聞きますし、
光谷さんじゃないと実際分からないと思う。

だから、私はあえて何も言わないんですが...、しかしですね、
この年輪年代測定も土器の年代と同じように100年も間違えるという事はないのではなかろうか?
光谷さんの測定に問題あるっていうよりも、土器との関係で間違ってるというのなら分かるんですがねえ。

69 ::2010/01/06(水) 23:33:24
あ、ワッシーといっても分からない人もいるかもしれん。
この方ですね http://www.jswork.jp/jsindex/jsbookview.asp?NO=0239

んで、彼のホームページがこちら
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listtitle

ちなみに、倭奴国王印と滇王之印についてはこちらを読んで下され
http://www.weblio.jp/content/%E5%80%AD%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0


70 :日本@名無史さん:2010/01/06(水) 23:36:42
>.>66
>その辺境な島国に、たった一回朝貢しただけで金印送ったのはなぜ?

後漢時代に金印を送った前例があるから
後漢王朝から禅譲されたのは魏王朝。魏王朝に挨拶があれば、後漢王朝の外交を引き継ぐのは当然な行為。


71 ::2010/01/06(水) 23:54:56
>>66
>>70
なぜ、列島の主に金印を与えられたのか?ですが、

後漢時代の「倭奴国王印」の金印、そして三国時代の魏による、
「親魏倭王」の金印にしてもですが、当時の大陸の政治が絡んでるようですね。

一般的によくいわれてるのが、当時魏国は呉と争っていた。
この政治状況をなんとか有利に保ちたい、そして有利に進めたい。
そこで周辺諸国を取り込む事によって打開するという手法はよく取られていたと聞きます。
そうした中で、倭の女王に金印が授けられた。

ちょうど良い時期に、ちょうどタイミング良く、倭の女王による献上があり、
たいへん喜んだであろうことが予想できるでしょう。

72 :縄文人:2010/01/07(木) 00:24:50
>.>68
鷲崎さんは年輪年代法とC14年代測定法について批判していて、光谷氏の池上曽根遺跡出土木材の伐採年代
値BC52は100年ほど古く(間違って)判定されているとする(従来説ではAD50辺り)。
彼は光谷氏の講演を聞きに行ったりしているが、データの詳細が(他人の検証が可能な状態で)示されない
ことに不信を抱いている。

私は木材を研究している友人を多数持っているが、年輪幅は1年輪内でも部位によって異なり、正確に値を
求めようとすれば写真撮影をしコンピュータによる画像解析を用いるべきであると言う。そして、年輪パタ
ーンは同じ地域でも尾根筋の樹木と谷筋の樹木では異なり、標準パターンを作成するのは困難で、統計的な
ものにならざるを得ないとも言う。

したがって、年代測定のための標準年輪パターンは多くの(伐採年の明確な)試料の年輪パターンから統計的な
処理を行って得られることになる。この作業は膨大なエネルギーを要する。そして、古代になるに従って木材試
料の入手は困難となる。標準年輪パターンの作成が可能かどうかという問題があるのである。

さらに問題なのは、同じ遺跡からの出土木材が(仮に表皮部分(木材の最外層)が存在するとしても)年輪パタ
ーンの同定に十分な数あるか否かである。ただ一個の試料であれば統計的な性質を持つ年輪パターンの比較は意
味を失うのである。

そのような問題が克服されない限り年輪年代法は古代の木材には適用できないと言わざるを得ない。





73 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 00:27:52
>>71

>一般的によくいわれてるのが、当時魏国は呉と争っていた。
この政治状況をなんとか有利に保ちたい、そして有利に進めたい。
そこで周辺諸国を取り込む事によって打開するという手法はよく取られていたと聞きます。

呉に対して政治状況を有利に運びたいと魏側が考えても、肝心の呉側にその情報が渡らなければ何の意味もありません。
そこでお尋ねします。
呉側が金印下賜や周辺諸国の取り込みの情報を知ったという記録は存在しますか?記録が存在しない限り単なる空想絵巻です。


74 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 00:52:29
>>72
>年輪パタ ーンは同じ地域でも尾根筋の樹木と谷筋の樹木では異なり、標準パターンを
>作成するのは困難で、統計的なものにならざるを得ないとも言う。

このとおりだとすると、試料(データの元になった木材)が乏しい期間の年輪パターンの
信頼性が劣るので、鷲崎の言うとおりに期間の接合をミスった可能性は十分にありそうだな。

光谷のように50〜100年のスパンで年輪を比較して、最も類似したグラフに合わせるという
やり方では、最も類似したグラフが別期間だった場合のミスは避けられない。

まあ、そもそも公表されていない基準グラフが本当に存在するのかさえも、不明ではあるが。


75 ::2010/01/07(木) 00:56:25
>>72
私も鷲崎さん指摘に関しては、
畿内説の私としても、光谷氏の年輪年代は非公開なので「確認できない」としか言えない。
しかし、土器と合致ではないので、その可能性は低いのではなかろうか?という事です。

>>73
いや、いや、金印といえば冊封のしるし、いわば、同盟関係ですよ。
記録云々は、すぐには提示できませんが、恐らくあったのではなかろうか。

呉という国は、夷洲、亶洲という国に同盟を求めて探します。
又、呉と燕の偽りの同盟関係は有名で、魏、呉、の両国は、諸国との同盟関係を求め、
自らの国を有利にしようという話は有名ですよ。

76 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 00:58:47
>>73

呉は公孫氏を通じて、倭国を取り込もうとしてたはずですから。
公孫氏が倒れたことは呉の痛手です。


77 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 00:59:08
結局、年輪年代の当否についてはデータが公表されてみなければわからない。
鷲崎の100年違うというのもただの推論だろう。ただ、この年輪年代に寄りかか
って自説を展開するのは極めて危険なため、積極的に採用している考古学者は
少なくなっている。それより、鷲崎は自説を何とかしてほしい。天照大神ー比売
大神ー卑弥呼の部分は、あれで納得するやつは相当の馬鹿だぞ。

78 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:05:37
年輪年代やC14に拘ってるやつらはバカとしかいいようがない。
なんの意味も無い。

3世紀当時に、もっとも進んだ地域が邪馬台国だったとするのは間違いだからだ。
九州が進んでいたとか、畿内が進んでいたとか、そういう観点では何も決められない。

確実に4世紀には畿内にヤマト王権が生まれているのだから、
トヨの朝貢した266年に、九州に倭を代表する王権があったと考えるほうがおかしい。
卑弥呼もトヨも、畿内のヤマト王権の女王と考えるべきなのだ。



79 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:05:43
>>68
池上曽根は、年輪年代以前の問題が多すぎる。

1、出土したすべての木材が前52年伐採であって、初めて前52年が定点としての意味を持つのに、
 実際は、出土した木材の年代はバラバラでその中に前52年頃とされるものがあっただけ。
 出発点となる定点年代が存在するのかさえ極めて疑わしい。

2、年輪年代と付き合わせた土器も少量のかけらなので、土器の型式評価が正しいとは言い切れない。

3、さらに数回の建て直しが同じ場所でなされているので、その土器がいつ混入したのかの確実性もない。

4、土器と建物が関連すると仮定しても、土器の柱穴への混入が建築時なのか建築後なのかはっきりしない。

5、土器がその型式の使用期間の初期に捨てられたのか、末期に捨てられたのか、その後なのかも当然不明。
 
6、前52年に伐採した柱が含まれていると仮定しても、その柱が伐採されてから使用されるまでの空白期間が
  不明である。

7、その柱が再利用ではないという確実な根拠が、実は存在しない。

など色々な問題がありすぎなので、普通なら底辺レベルの重要度の参考資料に過ぎないはずであるが、
なぜが「定説を100年古くした画期的大発見」と位置づけられてしまった。

80 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:11:29
>>37
女王国と邪馬台国の区別がつかないのが縄文人の限界かな。

>>40
>南に水行10日陸行一ヶ月というのは、倭国は南に長いことを示し、
>「倭国という島国は、魏と敵対していた呉をけん制するするために重要だ」という意味でしかない。
ホントにそうなら、万二千里とか周旋五千里とか書く訳がないな。ぶちこわしだ。
そんなことも分からんとは情けないやっちゃ。

81 ::2010/01/07(木) 01:12:05
>>78-79
しかし、C14測定法の結果ではBC60年±20年という。
年輪年代と一致しているこの点は見逃せませんぞ。

この一致に関して「池上曽根遺跡出土の木材による年輪年代批判派」の意見も聞きたい。


82 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:15:10
>>77
畿内W様式は、西暦50年あたりから始まるというのが以前の定説だった。
年輪年代で、それが100年遡った。X様式なども100年遡り、庄内式も
つられて100年遡った。

そして、纏向が卑弥呼時代に入ったということなので、年輪年代はけっこう
重要なのだが、その当否についてはあまり議論されていない。

年輪年代で纏向を100年遡らせておいて、年輪年代がうやむやになっても
その年代だけは生き続けて行くという感じでは困るな。

83 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:15:55
>>72縄文人氏へ
>したがって、年代測定のための標準年輪パターンは多くの(伐採年の明確な)試料の年輪パターンから
>統計的な処理を行って得られることになる。

多くの(伐採年の明確な)試料の年輪パターンから統計的な処理を行って得られる≠ニあるが、
年輪による年代測定の理論では、伐採年が明確な木材は、少なくとも一つあればよいのである。
あなたは年輪年代測定法の基本理論を何も解っていないようだ。

84 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:24:12
池上・曽根の年輪年代が、畿内土器編年の年代遡上のきっかけに
なったのは間違いないんだが、実はそれ以前から若手考古学者の
間では、年代観に対する疑義が出されていた。結局は、では遡上以
前の年代観の当否がどうかということだが、これには確たる根拠があ
るというわけでもないように思う。

85 ::2010/01/07(木) 01:28:57
卑弥呼=比売大神説はどうなんですか?

まあ、私も鷲崎さんの説には批判してる立場をとっており、
この比売大神説にはですね、宇佐の亀山に祀られた最初の神は、
北辰神社の神であって比売大神ではナイ!っというのを示してる所でして...

86 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:36:57
>>83
地域によって年輪の出来方は異なるので、一つの木材でパターンを作っても
それがどの程度の範囲に適用できるかが問題だと思う。

日本でも、年輪年代をやろうとした人はいたらしいが、日本の気候は複雑と
言う理由で断念しているらしい。
つまり、年輪の出来かたが非常に多様なのではなかろうか。

87 ::2010/01/07(木) 01:47:02
三角縁神獣鏡ですが、どんこいスレで景初四鏡を批判してる人がいるようなので
言わせてもらいますが、畿内説の私としても、全ての三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だ!
なんて思っていませんよ。誰が言ってるんです? 
たぶん相手が居ないのに、その居ない相手と戦ってるようでして笑えてしまう(笑)

一般的にいわれてるのは、三角縁神獣鏡の初期に当たる部分、同行式が人気あるようですね。

この三角縁神獣鏡が三百以上も発見されたからと言って
魏志倭人伝の「銅鏡百枚」とは数が一致していないとするのは早計と思う。


88 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 01:54:35
>>87
三角縁神獣鏡は、600枚位出ているんじゃなかったかな。
しかも、すでに盗掘されたもの、あるいは未だに土の中に眠っているもの
を合わせると、数千枚、あるいは、何かの本で森浩一さんが5万枚は作られたと
言っていたのもあながち間違いでないような…。

89 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 02:01:03
>>87
同向式が初期??? 同向式を初期にしたい意図があるだけじゃないのか?

紀年の三角縁も画文帯も全部同向式だから、「これだけはなんとしても舶載にしたい」
ってことだろ。

三角縁の同向式は600面近くの三角縁のうちの10数枚ほどに過ぎない。
しかも、三角縁の同向式は文様の抽象化が進んでいるので、三角縁全体の変遷の中の
後半期以降になることが確実である。

一方、画文帯の同向式は、中国の画像鏡の同向式とは異なる日本独自のデザインで
しかも20数枚出土したうち判明したものはすべて同型の踏みなおしで、確実に国産と
言える状況にある。

要するに、紀年の三角縁も画文帯も普通に考えたら、全部国産だよ。

90 ::2010/01/07(木) 02:03:05
ん? 三角縁神獣鏡は、600枚も出てるんですか?
私が聞いてたのは500枚だったかな・・・

まあ、いずれにしても数が多いですね。
黒塚古墳やその他の古墳で発見される三角縁神獣鏡は他の鏡と比べて重要ではないような
形で出土されたような話はよく聞きますが、この数の多さ、ようは値うち的なものが絡んでるのかもしれない。
ま、個人個人の好みも関係してるのかもしれませんが・・・・

今日は遅いのでもう落ちます・・・では後日〜zzzz

91 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 02:09:22
>>81
この時期のC14ほどあてにならないものはないww
国際基準(今では少し変更されている)にふつうに当てはめるだけの作業をすれば
良いのだが、そうすると古すぎておかしい(古墳時代が1Cになったりする)ので、
適宜日本独自の補正を調査ごとにしていた。

ようするに、調査するたびに理由をつけて、年代を補正して求める年代に合わせていただけ。
外国の研究所などに試料をそのまま送って、ブラインドで年代を出してもらうべきだろうね。


92 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 10:38:19
C14リビー値の基準グラフをみると
2〜3Cのあたりでちょっと大きめの谷があるのね

その谷の新旧側の両方で年代がクロスしちゃうんだ。
新側のクロス点に比定すれば
少しはつじつまがあわんかな


93 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 12:13:45
最新巻向遺跡情報以降、
考古学会では、邪馬台国は畿内で決まり、という事になってるようだけど、

「九州説勝利宣言」
をして畿内派を黙らせる事のできる奴はおらんの?

94 :縄文人:2010/01/07(木) 12:30:15
>>80
誰かと間違えてないかい。37は私の書き込みだけど,40は私には関係ないよ。

女王国は邪馬台(壹)国だよ。君は卑弥呼を女王とする連合国家を考えているようだが、卑弥呼は邪馬台(壹)国の
女王であり、邪馬台(壹)国は連合国家(その当時の倭国)の盟主という立場だ。結果としては卑弥呼は倭国の女王
とも言える形だがね。倭人伝にある「自女王国以北其戸数道里可得略載・・・」の女王国は邪馬台(壹)国を指すと
しなければおかしいだろ。

まあ、確かに、倭人伝で王が存在すると見られる国は伊都国、邪馬台(壹)国と狗奴国の三つしかない。奴国にも不
彌国にも投馬国にも王の存在が記されていない。官の名前が記されているだけだ。これらの国の王の存在については
不詳であるが、一人の王を戴けば(つまり卑弥呼がそれらの国の王であれば)それらは別の国名ではなく全て邪馬台
(壹)国と称するべきであろう。

95 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 12:56:41
>>94
間違えていないよ。40が縄文人だとは思っていない。

「自女王国以北其戸数道里可得略載・・・」の女王国が邪馬台国ならば、それより
北の国々は全て道里戸数が記載されているはずだ。
しかし、旁国21国が全部、邪馬台国よりも南というのはおかしいだろう。
邪馬台国までは水行10日陸行1月かかるんだ。その行程が奴国、不弥国、投馬国
だけというのは不自然だ。邪馬台国よりも北の旁国が必ずあるはずだ。となると、
女王国=邪馬台国では話が合わなくなる。女王国には旁国を含むと考えるべきだよ。
そうすれば、奴国の南には女王国が広がっていたということになる。



96 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:04:33
>>93
>考古学会では、邪馬台国は畿内で決まり、という事になってるようだけど、

嘘を付くな! 考古学会は、邪馬台国について何かを言う立場ではないし畿内で決まり等とも言っていない。



97 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:16:59
>>36
>なにも変わっていません。最初から最後まで古代の漢文で書かれています。

当たり前。

>物事を猜疑心の眼差しで眺めているから「変わった」ように見えるのです。

里数表記から日数表記に明らかに変わってますよ。
国の規模も千戸〜二万戸から五万戸〜七万戸(2.5〜70倍)に変わって
表記も有○○戸から可○○戸、有が可に変わってますよ。
変わって無いなんて頭大丈夫?

98 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:21:27
ある人間が
卑弥呼は九州で女王になった
壱与は畿内で女王になった
だからある種邪馬台国の畿内説、九州説もどっちも正しいって言ってたんだけど
これってどうなんですか?

あり得ない説?
たしかに卑弥呼も壱与も別に同じ場所で女王になる必要性はないわけだし

99 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:29:45
>>95
>「自女王国以北其戸数道里可得略載・・・」の女王国が邪馬台国ならば、それより
北の国々は全て道里戸数が記載されているはずだ。

倭人伝には、自女王国より以北の国々は全て道里戸数が記載されているます。
自は基点を示す「より」だから、
自女王国とは女王国の中心地の奴国付近を指す。
旁国は不弥国から先の国々で、
女王国内を旋周して奴国に戻って来る。
女王国=邪馬台国で、女王国には旁国も含む。



100 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:31:55
>>98
あり得ない説です。
卑弥呼も壱与も九州での話し。

101 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:34:30
>>99の訂正と追加
倭人伝には、自女王国より以北の国々は全て道里戸数が記載されています。
自は基点を示す「より」だから、
自女王国とは女王国の中心地の奴国付近を指す。
旁国は不弥国から先の国々で、
女王国内を旋周して奴国に戻って来る。
女王国=邪馬台国で、女王国には旁国も含む。
女王国には旁国の他、対馬国〜不弥国も含みます。

102 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 13:47:32
奴国より南が女王国だろ、その都が大和。
伊都国には代々王がいて女王に従属してるでしょ。

>>96
畿内説で固まってても、畿内だなんて言ったら
雑用が増えて仕事にならないそうですよw

103 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 14:26:23
卑弥呼に比べて
壱与がかなりマイナーなのってなんでなの?

邪馬台国の二大女王みたいな扱いにしても問題ないと思うが
卑弥呼と見比べて功績とか歴史的重要性とか明らかに見劣りするところって多いの?

104 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 15:19:16
>>101
女王国に対馬国が含まれるのであれば、郡から女王国に至るには8000里の
はず。万二千里とあるのは、奴国、不弥国までは女王国ではないと言うことで
すよ。

105 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 15:20:18
>>102
奴国が女王国の中心地。
伊都国には代々王がいた。皆(倭の国々)は女王に従属してるでしょ。
伊都国の代々王とは卑弥呼、壱与などのこと。

>>103
卑弥呼に比べて
壱与についての情報が少ない。


106 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 15:31:28
どこの国にも王はいたんだよ。後漢書を読んでみな。

107 :縄文人:2010/01/07(木) 16:10:14
>>83
<年輪による年代測定の理論では、伐採年が明確な木材は、少なくとも一つあればよいのである。
<あなたは年輪年代測定法の基本理論を何も解っていないようだ。

バカこくでねえ。そんだら安易なことをやるから間違いを起こすんでね〜か。学問ちゅうもんは厳密なもんだでえ。
測定法ちゅうもんはそんだらいい加減なもんじゃね〜んだべ。
おめはも少し勉強してから書きこんでけれ けれ。


108 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 16:17:47
>>103
>卑弥呼に比べて
>壱与がかなりマイナーなのってなんでなの?

名前のインパクトの差だね。

109 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 16:50:09
>>104
万二千里とあるのは
自○○至××の形だから○○の中心から××の中心まで
つまり、郡治から女王国の中心地までのこと。
郡の端から女王国の端までではない。
郡治から奴国までが丁度万二千里(壱岐、対馬の外周分1400里を加える)です。

>>106
後漢の時代ではありません。次の魏代です。



110 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 17:00:43
>郡治から奴国までが丁度万二千里(壱岐、対馬の外周分1400里を加える)です。

無茶を言うなよw

111 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 17:31:03
>>110
対馬国の「方可四百餘里」と一大国の「方可三百里」を行程距離に加えることは
別に無茶じゃないよ。
アホか。

112 :縄文人:2010/01/07(木) 17:31:34
わしの名は縄文人。何度も言う。わしの名は縄文人。この板のスーパースター。九州説の希望の星。何度も言う。
わしの名は縄文人。畿内説を打ち叩くためにやって来た。ぐえはははははあ。

113 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 18:15:27
今日は沢山幼稚園児が湧いているようだ。

114 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 18:26:24
>>111
有り得ませんw
頭沸いてるのか?

115 :縄文人:2010/01/07(木) 18:49:00
>>111
うん 無茶苦茶だぞい。なんでそぎゃん無理な計算ばせにゃいかんとか。
ところで、もしかしておぬし、伊都国を前原(糸島市)に比定しておるのではなかか?もしそうであるなら
時代遅れだぞい。伊都国=前原説は学問的とは言えんとぞ。分る?分らんじゃろね〜。

>>112
「ぐえはははははあ。」はやめてけれ。


116 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 19:15:08
>>109
方四百里の意味が分かってないんだろうな。これは面積の表示だ。
四百里四方ということではない。二百里×八百里だって方四百里なんだよ。
ということは、周囲の長さは必ずしも千六百里ではないということだ。

117 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 19:15:53
国内最多81枚分の銅鏡破片=大半は大型、直径40センチも−桜井茶臼山古墳で

大和政権の大王級の墓とされる奈良県桜井市の前方後円墳「桜井茶臼山古墳」
(3世紀末〜4世紀前半、全長約200メートル)を発掘調査している県立橿原考古学研究所は7日、
これまで12種類、計81枚分の銅鏡の破片が確認できたと発表した。
1カ所の墳墓から出土した銅鏡としては、平原遺跡1号墓(福岡県糸島市)の40枚分を超え過去最多とみられる。

今後の調査でさらに増える可能性もあり、同研究所は「不明点が多かった大王級の大型前方後円墳の副葬品の一端が明らかになった。
古墳を研究する上で画期的な発見だ」としている。
同研究所によると、見つかった銅鏡の破片は384点。分類したところ、少なくとも12種類、81枚分が確認できたという。
破片の大半は1〜2センチ程度で小さいが、復元すると直径20センチ以上の大型鏡が半数で、最も大きいのは直径40センチ程度。
国産と中国製が混在しているとみられ、中国の神人や獣形の文様を持つ三角縁神獣鏡が最も多く計26枚分あった。
うち一つには「是」の文字が刻まれており、調査の結果、蟹沢古墳(群馬県高崎市)など3カ所で出土している正始元年(240年)の銘がある鏡と同型と判明した。
「是」は作者名の一部だという。(2010/01/07-17:56)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010010700758

118 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 19:26:18
奈良県桜井市の前方後円墳「桜井茶臼山古墳」が
平原遺跡1号墓(福岡県糸島市)の40枚を抜いて日本NO.1だってよ

1.桜井茶臼山古墳
2.平原遺跡1号墓
3.椿井大塚山古墳
4.宝塚古墳
5.三雲南小路一号墓
6.新山古墳
7.黒塚古墳
8.須玖岡本墳墓

119 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 19:31:13
<ビッグニュース>
桜井茶臼山古墳が平原1号墓を抜いて
銅鏡の副葬品、日本NO.1だってよ

いやはや・・・、河童さんここ抑えておいた方が良いよ。


120 :縄女人:2010/01/07(木) 19:42:15
おほほほほ。
九州の邪馬台国が、畿内の土人にわけあたえた鏡が出たからってなんだというの?
畿内の土人が九州を差し置いて、大量に鏡を得られるわけないじゃない。
これこそ、卑弥呼が九州にいた証なのよ。
おーっほほほほほほほほ。


121 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 19:46:57
え、?
三角縁神獣鏡は国産の可能性が高いから
畿内で大量に出ても、何も矛盾しないと思うけど?

それよりも、三角縁にして沢山積み上げられるように
魔改造するのは日本人のやりそうなこと。

それにしても、平原でもそうだが、何であんなに大量に
鏡を入れたがるんだろうか。
こりゃ、丹とかいろいろあるけど、鏡信仰って感じだなあ。

122 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/01/07(木) 19:48:43
今朝春の七草を台所でじっと観察した。
そして古代のことを考えた。
太陽暦2月の上旬に春の七草を食べられるところは何処だろう。
京都盆地や奈良盆地では無理だ。
福岡平野でも難しい。
筑紫平野有明海沿岸部なら食すことは可能だ。
倭人伝の冬期野菜生食とはこのことを言っているのだろう。


123 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 20:05:13
>>46
>彼はヤフーを制覇し終えて

やっぱイサクなのか。

124 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 20:25:52
三角の他に中国製も日本製も鏡が出たらしいな
13種類81枚分だと


125 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 20:27:52
その中国鏡が重要だな。

126 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 20:36:09
>>116
>二百里×八百里だって方四百里なんだよ。
積が同じならそれでいいという問題ではない。方四百里は一辺が四百里の正方形だ。
幼稚園児ばかりだと思って、いい加減な事を言ってはダメダメ


127 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 20:38:06
>>123

>やっぱイサクなのか。

河童さんに聞いてみるとわかるのでは?


128 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 20:41:38
四世紀初めだと、トヨの時代かな?

129 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 21:14:03
確認出来たのが81枚だからね、実際はもっと多いって事か。

130 :縄文人:2010/01/07(木) 21:14:07
>>127
イサクだとうっ。まあ、奴の力量は認めるがわしはイサクではない。わしは太陽の子、太古への郷愁、快食快便
縄文人様なのだ。
桜井茶臼山古墳で大量の鏡の出土だとう。うははは、三角縁を始め大方は国産だろう。5世紀後半と見ておこう
かいの。ふげっけっけっけええ。

131 :縄文人:2010/01/07(木) 21:24:40
>>123
私は伊作氏とは別人だよ。
伊作氏は自称天才と名乗っているが、彼の論は鋭く論理の筋も通っているから、私とは気が合う。彼の邪馬台国論
は面白いよ。

なお、言うまでもないだろうが、>>120は私のニセモノの書き込みだ。

桜井茶臼山古墳から大量の鏡が出土したのは興味深いことだが、それらの鏡が卑弥呼と関係があるのかな?


132 :縄女人:2010/01/07(木) 21:27:51
縄文人さんたら、もう、
イ・ケ・ズ
なんだからぁん。

同じ九州説同士、仲良くしてよねぇん。


133 :縄文の赤子:2010/01/07(木) 21:42:16
ほぎゃあ、ほぎゃあ、ほほぎゃあ、邪馬台国は九州だ。ほぎゃあ。

134 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 21:45:30
桜井茶臼山古墳の鏡の副葬が81枚と大量だったことで、平原との比較だけが
されているのは片手落ちだといえる。
九州に古墳ではないものの、大量に鏡が出土している一方の雄との
かかわりが究明されなければならない。
それは、沖ノ島である。50枚以上銅鏡が出土している。
沖ノ島は宗像大社のご本尊であり、桜井茶臼山古墳に隣接しているのも宗像神社である。
九州vs畿内ではなく、両者を鏡の故郷宗像が取り持っていることに注意されたい。


135 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/07(木) 22:04:10
132は気持ち悪いからやめてくれ。

136 :斬2010:2010/01/07(木) 22:24:53
2chにおける、天才縄文人の功績を数え上げてみよう。

@大和盆地湖説・・・・縄文海進の名残により、大和盆地一帯が弥生後期にあっても広大な湖状態であったと
              する説。これは九州から来た神武らが、大陸の先進技術を用いて干拓工事を行い、人
              の住める場所とした。

A畿内説批判・・・・・・畿内土器編年は100年程度古い方に恣意的にずらされているとする批判。年輪年代批
              判、年輪年代は日本の気候には合わず、用いることができる場合も限られているとする説。

B伊都国非前原説・・いわゆる倭人伝を素直に読むことにより、伊都国を唐津東南の地に求めようとする説。

まだまだあるのだが、これらの偉大な言説により、氏は畿内説を打ち負かした。

137 :斬2010:2010/01/07(木) 22:25:42
2chにおける、天才縄文人の功績を数え上げてみよう。

@大和盆地湖説・・・・縄文海進の名残により、大和盆地一帯が弥生後期にあっても広大な湖状態であったと
              する説。これは九州から来た神武らが、大陸の先進技術を用いて干拓工事を行い、人
              の住める場所とした。

A畿内説批判・・・・・・畿内土器編年は100年程度古い方に恣意的にずらされているとする批判。年輪年代批
              判、年輪年代は日本の気候には合わず、用いることができる場合も限られているとする説。

B伊都国非前原説・・いわゆる倭人伝を素直に読むことにより、伊都国を唐津東南の地に求めようとする説。

まだまだあるのだが、これらの偉大な言説により、氏は畿内説を打ち負かした。

138 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 22:31:51
すごいぞ天才縄文人。
畿内説をぶっとばせ。

139 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 22:38:55
畿内説王道派のうましかさん 反論して下さい!!w


140 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 22:39:03
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

141 :卑狗模古三世:2010/01/07(木) 23:03:10
これは縄文人氏がこのスレを制覇する日も近いか。重畳、重畳。

142 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/07(木) 23:06:57
う〜ん。
伊都国非前原説は戯れ言で言っているんではないぜよ。伊都国=前原説の唯一の根拠は怡土という古地名の存在なんじゃが、
怡土という地名が3世紀に前原に存在したかどうかは分らんのだ。そして、怡土と伊都が同じ発音であったかどうかも分らん
のじゃ。それと、前原に伊都国があったなら何故怡土ではなくて伊都が地名として残らなかったのかという疑問もある。

卑字と言われる文字が多く遣われている中で伊都国とは異彩を放つ存在だから地名として残るなら怡土じゃなくて伊都が残って
もよさそうなものだがね。

王墓級遺跡、出土物の存在を伊都国=前原の根拠とする考えはあるが、これは成立しないのじゃよ。1世紀前後の倭では奴国が
覇権を握っていた。漢の光武帝から金印紫綬を受けた王は志賀島出土の漢委奴国王印の存在から博多湾岸地域を版図とする奴国
の王であったろうと考えられる。井原鑓溝遺跡の王墓はこの1世紀頃の奴国王の墓と見ることもできるじゃろ。

つまり、前原は奴国の版図の一部に含まれていたと考えることも可能なのじゃ。遺跡が伊都国=前原の根拠となり得ない所以じゃよ。
これまでの通説や常識とされるものも仔細に検討すれば砂上の楼閣にすぎないことが分るという一例じゃ。

143 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:12:33
>>126
やっぱり幼稚園児は困ったもんだ。方四百里というのは、あくまでも面積。
形には全く触れていない言葉だよ。だから対馬も方四百里と書かれるんだ。
例えば、川の流域面積を表すにも方里が使われていた。
大正時代の規則にこんなのがあるよ。川の流域が正方形のはずがないこと
ぐらい幼稚園児でも分かるだろ?
    
(1) 流域面積(方里ヲ単位トス)

144 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:34:59
>>143

>>大正時代の規則にこんなのがあるよ。川の流域が正方形のはずがないこと
ぐらい幼稚園児でも分かるだろ?
    
(1) 流域面積(方里ヲ単位トス)

大正時代って? 頭大丈夫か?


145 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:43:01
>>142
縄文人が言うとおり、伊都国=怡土などという説は、まったく合理性がない。
倭人伝によれば、末盧国から上陸して東南五百里のところが伊都国だ。
怡土ならば、末盧国(唐津付近だろう)で上陸せず、船で直行した方がずっと
便利だってことは誰でも分かることだ。それに倭人伝が伝える行程は、北九州
から南へ水行することになっている。しかし、玄界灘沿岸から南へ水行なんて
のは絶対に不可能。それに比べ、唐津から東南五百里をそのまま行けば佐賀市
付近だ。そこからならば、有明海を南へ水行できる。
伊都国は佐賀市付近、それでバッチリ決まりだよ。畿内説論者は北九州説論者
は死んでも認めたくないだろうがね。

146 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:45:29
>>144
中国古代の書物を持ち出しても理解能力がないだろうと思って分かりやすいのを
出してやったんだよ。言葉の意味を勉強しろってことだ。

147 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:47:54
>>143

これ理解できるか?

鄭注云:“周公制禮,九州大界方七千里七七四十九即四千九百萬里

方五百里國四一國二十五萬里四國合一百萬里


148 :日本@名無史さん:2010/01/07(木) 23:51:52
>>146

>中国古代の書物を持ち出しても理解能力がないだろうと思って分かりやすいのを
出してやったんだよ。言葉の意味を勉強しろってことだ。


さあ、古代の書物に流域面積を方○○里と表し計算された書物を


こちらはちゃんと、方○○里が正方形として計算された書物を提示したぞ


149 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:06:53
>>146

ほらどうしたい。  早く古い書物出さんか〜い

150 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:10:39
>>149
やっぱりお前の頭では到底無理だよ。

151 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:13:40
>>142

>う〜ん。
伊都国非前原説は戯れ言で言っているんではないぜよ。伊都国=前原説の唯一の根拠は怡土という古地名の存在なんじゃが、
怡土という地名が3世紀に前原に存在したかどうかは分らんのだ。そして、怡土と伊都が同じ発音であったかどうかも分らん
のじゃ。それと、前原に伊都国があったなら何故怡土ではなくて伊都が地名として残らなかったのかという疑問もある。


怡土という地名が3世紀に前原に存在したかどうかは分らんのだ。という事は、有ったかも知れないといういう説を否定することは出来ないよな。
貴方に有ったか無かったかを判断する材料はないと、自分で白状したのだから
それに、疑問なんて残らないだろう? 最初から判断材料がないと言っているのだから。
それなのに否定するって、いったい何を考えてるのよ。


152 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:19:00
>>150

>やっぱりお前の頭では到底無理だよ。

そりゃそうだ  存在しないものは何人も判断することは不可能だから。
出してから「お前には無理だ」と言うなら話は解るが、出てこないものを判断しろと言ってるよなものだから・・・・・・
やることがえげつないのう。


153 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:31:54
>>152
お前の答を見ただけで分かるんだよ。147は単なる面積の計算だ。
それを出しただけで、方○○里が正方形を表していると思い込んでるところ
が浅はかなんだよ。


154 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:47:52
>>142
縄文人さん、平原遺跡についてはどのように解釈されていますか?

155 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:54:56
>>153

ま、それが精一杯の儚い抵抗だろうな。   ごくろうさん。

156 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 01:02:30
それにしても縄文人とその一派の攻勢は怖ろしいばかりだな。

157 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 01:03:12
全くだ。

158 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 01:14:31
だって、基地外には勝てないよw

159 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 01:16:39
すごいね。

160 :縄文人派の急先鋒:2010/01/08(金) 01:28:56
おい、おまいら。縄文人さんを何だと思っておるのだ。九州では名の知られた名士にして、幼き頃から神童
の呼び声高かったお方だぞ。本来なら、気軽に声かけできるような身分の人じゃないんだよ。あの大和湖説
の雄渾な構想。畿内説の非現実性を知らしめる舌鋒鋭き批判。そして、あふれ出る英知に裏打ちされた前原
非伊都国説。ああっ、なんて偉大なんだ。縄文人さんの前に出ると自分の非才が恥ずかしくなる。

161 :縄文人派の二の矢:2010/01/08(金) 01:33:42
あそれ、縄文人凄い、縄文人偉い、あそれ、それそれ、ソイヤソイヤ ドドンコ、ドンドンドン。縄文人こそ
真の無法松だ。

162 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 09:13:38
>>116
>方四百里の意味が分かってないんだろうな。これは面積の表示だ。

「方可四百里」の表現は面積を指す場合と寸法を指す場合がありますが
倭人伝の「方可四百里」は島の寸法のことでで面積ではありません。
島の形状を把握しないと島の面積は知ることが出来ませんが
郡使は島の横を船で通過しただけなので、
島の形状も面積は知ることが出来ません
郡使が知り得た情報は島の外寸だけですから
当然、「方可四百里」は島の寸法です。
「方可四百里」等を2倍して行程に加えてよいでしょう。

163 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 09:49:48
対馬の寸法が四百里×四百里か? 気がちがってんじゃないの?
郡使は対馬に上陸しているんだよ。だから対馬の戸数や状況も書いている。

164 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 10:01:52
必死に行程合わせしてるのが悲しすぎるだろ‥

165 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 10:50:27
>>163
陳寿は対馬の大きさは、魏使の移動した記録より一辺400余里の方形と考えた。
でも、方可四百餘里(一辺400余里の方形)というのは対馬にしては、おかしい大きさです。
しかし対馬の南部(下島)だけとれば納得できる大きさなので、魏使は下島を半周するコース
を通ったのです。

そのコースとは対馬の西海岸中央部に大きく食い込む浅茅湾があり「船越」を使って
東海岸に抜けて海岸沿いに南下していた。なぜ、西海岸に沿って南下しなかったか
というと、島の南端を回り込むのは海流に逆行するためです。


166 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 11:52:54
>>165
対馬は上島と下島に分かれているわけではない。一つの島だよ。
下島だけ切り取ってその大きさを言うなんてことはあり得ないな。
船越なんてのは古代にはなかったな。

167 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 12:49:01
>>166
だから、魏使が移動した距離がかかれているわけで、陳寿はその移動した距離の記録から島の
大きさだと勘違いした、もしくは、移動距離だけ記述すればよし とした。
アマテル神社の目の前に船越はある。ここで航海の無事を祈ったんだな。

168 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 12:53:24
移動した距離ならば陸行何里だろ。方○里は面積の表示だよ。

169 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 12:56:01
太国、ローガン、縦目仮面は規制だってよ

規制発生時用のスレにおる
http://www1.atchs.jp/most/

170 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/08(金) 13:04:09
>>151
私は忙しい身であるから深夜にお付合いすることはできないし、暇が出来た時しかレスできないので
お待たせ致しました。

仰ることが不明瞭でありますが、私の言い分が不当であると言われていると判断します。分って頂け
るかどうか不安ですが(失礼ながら貴殿に他人の文章を正確に理解できる能力があるか、聡明であら
れるかという点について不安を感じているという意味です。念のため)今一度拙論を述べさせて頂きます。

伊都国=前原説の根拠とされた古地名「怡土」についての私の論に対して貴殿は
<怡土という地名が3世紀に前原に存在したかどうかは分らんのだ。という事は、有ったかも知れないといういう説を否定することは出来ないよな。
と言われます。それはそのとおりです。有ったかも知れない が 無かったかも知れない。

貴殿は有ったと思いますか?有ったと言うならその証拠をお持ちですか。証拠と言っても伊都国と書かれた
金石文の出土などとかたいことは申しません。遡れる限りの古い時代の文書で「前原にいにしえの伊都国が
あった」というような史料で結構です。あるいは他の資料で前原に伊都国があったことを論証できるものでも
結構です。

私は怡土=伊都の証拠を見出すことができません。貴殿が論証して下さればいいのですが、それが出来なければ
前原に伊都国があったということの根拠としての古地名怡土は使えないということになります。存在が明確であ
れば証拠として採用できますが、有るか無いか分らないものは証拠にはなり得ません。

<貴方に有ったか無かったかを判断する材料はないと、自分で白状したのだから
<それに、疑問なんて残らないだろう? 最初から判断材料がないと言っているのだから。
<それなのに否定するって、いったい何を考えてるのよ。

「有ったか無かったかを判断する材料がない」と言った覚えはないのだがね。怡土という地名が3世紀の前原に
有ったかどうかは分らん、怡土と伊都は同じ発音だったかも分らん、地名が残るなら何故伊都でなく怡土なのだ?
とは言ったのだけどね。別に文句をつけられるほどの悪さをしたとは思わんけどね。

171 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 13:14:19
>あそれ、縄文人凄い、縄文人偉い、あそれ、それそれ、ソイヤソイヤ ドドンコ、ドンドンドン。縄文人こそ
真の無法松だ。

いくらあがいたって、縄文人は河童の人気を超える事はできない。
河童の芸術・切れ味は天性の才能だからな。

172 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 14:36:15
>>168
>移動した距離ならば陸行何里だろ。方○里は面積の表示だよ。
船でいっとるのになぜ陸行せんといかんの ?
休憩や泊のためにならわかるが。

173 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/08(金) 14:46:45
陸へ下りて、行ったことのない外国の土地だから、どんな所か、何かの名所的
ものがあるか否か、薮蛇かの用心をもしながらの視察はやるでしょう。

174 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 15:45:40
>>173

・・・到伊都國・・・郡使往來常所駐・・・
・・・伊都国に到る・・・郡使の往来では常にここに逗留する・・・
 
  郡使の往来があったようなので、伊都国までは記録があったと思われます。
  倭王にまで会ったのは梯雋、張政なので伊都国より先は彼らの記録でしょう。
  よって、すべての魏使(郡使)が対馬や壱岐の陸行の必要はないですね。


175 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 16:05:18
>>166
魏志倭人伝ですから郡使とは魏代のことです
魏代の郡使とは梯雋、張政だけです
梯雋、張政が伊都国に滞在して倭王に会ったのです
梯雋、張政が海上から壱岐対馬を見てその外寸を記録して報告したものです。
島の面積を知る為には島全体の形を知る必要があり
島を一周して調べないと分からない
郡使に行程の途中の島を一周する暇は無い
方可○○里は島の寸法ですね。




176 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 17:12:06
方可○○里は面積では有りえないから
方可○○里が島の外寸であり
1400里は行程の一部である
1400里を加えることにより
郡治から丁度一萬二千里に位置する奴国が女王国の中心地である。
自女王国とは奴国のことである。

177 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 17:22:33
読解力がないというのは困ったものだ。
方可○○里は面積だ、それで何も問題はないよ。
郡から万二千里は女王国が始まるところ。女王国が終わるところは南の奴国。
北の奴国、不弥国などは女王国以北の国々だ。

178 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 17:57:48
>>177
>方可○○里は面積だ、それで何も問題はないよ
面積でもいいよ。一辺400余里だから2辺で800余里だ。

179 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 18:04:27
>>178
いやいや、面積だと一大国はまだいいとして、対馬の方可400余里はまったくあわないね。

180 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 18:19:02
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

181 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 18:39:59
>>177は漢文が全然読めないようだな。
方可○○里は面積ではありません
島の外側の寸法ですよ
空を飛んで行ったわけではないので
横から見た島の面積など分かるはずが無いですよ。
「自郡至女王國萬二千餘里」は
郡の中心地から女王国の中心地までが万二千里の意味ですよ。
2回出てくる奴国は同じ国邑で
奴国、不弥国も女王国の構成国です。

182 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 19:09:10
>>181
>奴国、不弥国も女王国の構成国です。

奴国も不弥国も里数で行程が書かれて
詳細も描かれてるので無理だな。

つまらん数字合わせしてる暇があるなら
どっか掘って候補地を絞ろうな。

183 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:05:34
>>182
>詳細も描かれてるので無理だな。

何が無理?意味が分からんが
数字合わせなどしなくとも
倭人伝を読む場合に
邪馬台国=女王国=北部九州の国邑連合と考えれば
全ての説明が付く
畿内説のように捏ね繰り回す必要は無い
伊都国、奴国、不弥国付近が女王国の中心部で
伊都国の代々の王が卑弥呼や壱与
梯雋、張政などの郡使は女王国の都、伊都国で卑弥呼で謁見した。
これで何の問題も無い。

184 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:14:34
女王が伊都までわざわざ来るの?
弟王以外、誰とも会わない人が?

185 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/08(金) 22:15:32
>>183
横から失礼。
<邪馬台国=女王国=北部九州の国邑連合と考えれば
<全ての説明が付く
<畿内説のように捏ね繰り回す必要は無い

貴殿の頭の中では説明がつくのかも知れませんが、貴殿の伊都国と奴国はどこら辺りになりますか?


186 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:38:53
>>184
伊都国が女王国の都だから梯雋、張政などの郡使の方が卑弥呼の会いに来たのだよ。
 
>>185
伊都国は前原付近、奴国は博多付近かな。

「周旋可五千餘里」とは奴国から不弥国を経て、
斯馬国・・・烏奴国と巡り、もとの奴国に戻って来ること
女王国内の一周の説明。

187 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:42:49
魏志倭人伝って北九州の小国は詳細に紹介してるみたいなんですが、
近畿まで途中にあったはずの吉備国や出雲国には全く触れられていないんですが
近畿説の人ってこれをどう解釈してるのですか?

188 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:49:18
>>187
帯方群(ソウル)より南水行20日、投馬国(出雲国)
投馬国より南水行10日邪馬台国(出雲⇒若狭⇒陸行1日⇒琵琶湖⇒淀川⇒運河⇒大和国)
もし陸行すれば1ヶ月

九州レポーターとは別隊


189 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/08(金) 22:54:06
>>186
伊都国=前原説ですか。根拠のない比定地ですね。
奴国=博多付近説ですか。それは1世紀前後のことでしょう。

190 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:57:51
>>188
里数での計算で大和国まで付けないでしょ。
不弥国までで少なくとも10700里を使っている
残り1300里(末盧国〜伊都国)の3倍無距離では九州から出られないよ。

191 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:00:19
>>189
特にこだわりは無い
よく分からんので
今のところ伊都国=前原、奴国=博多です。

192 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:04:26
>>190
九州隊が出した計算と大和隊が出した計算が食い違っていたのだろう


193 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:08:05
>>192
目的地が二つ有ったの?

194 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:15:28
>>189
縄文人さんはどのあたりだとお考えでしょうか?


195 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:21:42
邪馬台国の近畿、九州
それぞれがうちだってはっきりと言いきれない
決定的な弱点ってどの部分?


196 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:27:03
>>193
元々別々の資料だったものを陳寿が適等に編集した又、
写本を繰り返すうちに脱字が頻発した



197 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/08(金) 23:29:11
卑弥呼が畿内の女なら、金印は天皇がもらってるよ。当時の皇籍に無い。
つまり崇神のころに女天皇(女王)はいないんだよ。
陸行一月は遣使の滞在、遊覧、停泊、悪天候、海賊山賊の用心での遠回り
とかでかかったものだから、妥当な時間さ。

198 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/08(金) 23:29:23
>>194
昔、卑狗模古氏が私の考えを代弁して書いてくれていたと思いますが、
伊都国は佐賀市北部(富士町、大和町)で奴国は佐賀県東南部(佐賀市東部,南部から吉野ヶ里市や上峰町、みやき町、
鳥栖市、基山町)と考えています。

199 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:31:42
>>195
九州説の弱点は、候補地が多いことかな。

200 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:39:48
>>199
陸行一月で大半が脱落するところでしょ


201 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/08(金) 23:46:59
>>200
投馬国や邪馬台国への日数表記は張政の旅程記録によるものでしょう。そこに使節の目的と行動が顕れて
いると考えます。今日はもう遅いので又後日に。

202 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:55:19
>>201
グッナイッ


203 :日本@名無史さん:2010/01/08(金) 23:57:20
>>187
出雲(丹波)が投馬。吉備は女王国の
主勢力、傍国の中で説明されてます。

>>190
邪馬台国=女王国ではないからね。
何度もいうが女王国までが万二千余里だから。
女王国は瀬戸内海に面した国々なんだよ。

その都がヤマトだという事で、里数は畿内説で
何の問題もないですよ。

204 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 00:20:06
>>198
ありがとうございます。
末盧国からの方向(東南)とその後の水行(筑後川〜有明海)を
重視されての結論だと考えてよろしいでしょうか。
私自身はいま宮崎康平氏の説に興味があります。
伊都国は現在の前原(平原遺跡があります。三雲・井原付近が中心)、奴国は
現在に博多付近だろうと素朴に考えているだけです。
伊都国は古事記に「筑紫国の伊斗村」、日本書紀に「伊覩県」と表記されていたことも
あったようです。もちろん現在の前原なのかどうかの確証はありませんが。
全くの初心者で申し訳ありません。

205 :唐松山:2010/01/09(土) 01:19:14
宮崎康平氏がカゴシマを何処と云っているかわかってんのかな?


206 :唐松山:2010/01/09(土) 01:21:36
宮崎康平氏がカゴシマを何処と云っているかわかってんのかな?


207 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 02:01:21
>>204
>全くの初心者で

イサクに反論すると、罵詈雑言が返ってくるのでご注意下さい。

208 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 08:59:42
魏鏡上げ

209 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 09:21:34
>>203は「自郡至女王國萬二千餘里」の意味を理解していないのか
わざと間違えて解釈しているのか分からんが
「自郡至女王國萬二千餘里」は「郡の中心部から女王国の中心部までが12000里」の意味です。
「邪馬壹國 女王之所都」は「邪馬台国は女王の都の在る所」の意味です。
女王の都が邪馬台国にある、即ち邪馬台国=女王国ですよ。

>>198
可能性が無いこともないが
それらしい遺跡は有りますか?

210 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 09:46:31
ライバル卑弥弓呼王の御墓は宮崎ですか(西都原)

211 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 10:06:25
>>209
>「自郡至女王國萬二千餘里」は「郡の中心部から女王国の中心部までが12000里」の意味です。

理解してないのは君です。女王国の中心なんて
何処に記述があるのですか?
それなら邪馬壹國まで万二千余里とかくでしょう。


212 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 10:06:25
>姫后(奈良) VS 卑弥弓呼 (高天原)

>夏后少康之子 大国主一族の祖


妄想お疲れー


213 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 12:56:08
倭人伝で畿内説が成立しないのは方角の問題があるからだけではあ〜りませんで。
距離が全く合わんじゃあ〜りませんか。末盧国までで1万里でっせ。奈良までだったら万六千餘里くらいに
せんとあきまへんで。あんさんがた得意の誇張説だと二万餘里と書かれるかも知れませんで〜。

それともなにか、末盧国までは短里でその先からは魏の公式里で書かれてるちゅうんか?

214 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 13:10:43
>>170
>貴殿は有ったと思いますか?有ったと言うならその証拠をお持ちですか。証拠と言っても伊都国と書かれた
>金石文の出土などとかたいことは申しません。遡れる限りの古い時代の文書で「前原にいにしえの伊都国が
>あった」というような史料で結構です。あるいは他の資料で前原に伊都国があったことを論証できるものでも
>結構です。

縄文人さん
横ですが、気になったのでレスします。
伊都は怡土にあらずという強固な信念をお持ちのようですが・・・

釋日本紀 卷十
筑前の國の風土記に曰はく、怡土の郡。昔者、穴戸の豐浦の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし足仲彦(たらしなかつひこ)の天皇(仲哀天皇)、
球磨噌唹(くまそ)を討たむとして筑紫に幸しし時、怡土の縣主等が祖(おや)、五十跡手(いとて)、天皇幸しぬと聞きて、
五百枝(いほえ)の賢木(さかき)を抜取(こぢと)りて船の舳艫(へとも)に立て、上枝(ほつえ)に八尺瓊(やさかに)を挂(か)け、
中枝(なかつえ)に白銅鏡(ますみのかがみ)を挂け、下枝(しづえ)に十握劔(とつかのつるぎ)を挂けて、穴門の引嶋(下關市彦島)に參迎(まゐむか)へて獻(たてまつ)りき。
天皇、勅して、「阿誰(たれ)人ぞ」と問ひたまへば、五十跡手奏(まを)ししく、
「高麗の國の意呂山(おろやま・蔚山)に、天より降り來し日桙(ひぼこ)の苗裔(すゑ)、五十跡手是なり」とまをしき。
天皇、ここに五十跡手を譽めて曰りたまひしく、「恪(いそ)しきかも伊蘇志(いそし)と謂ふ。五十跡手が本土(もとつくに)は恪勤(いそ)の國と謂ふべし」とのりたまひき。
今、怡土の郡と謂ふは訛れるなり。

日本書紀卷第八 足仲彦天皇 仲哀天皇
筑紫伊覩縣主祖五十迹手。聞天皇之行。拔取五百枝賢木。立于船之舳艫。上枝掛八尺瓊。中枝掛白銅鏡。下枝掛十握釼。參迎于穴門引嶋而獻之。
因以奏言。臣敢所以獻是物者。天皇如八尺瓊之勾以曲妙御宇。且如白銅鏡以分明看行山川海原。乃提是十握釼平天下矣。
天皇即美五十迹手曰伊蘇志。故時人號五十迹手之本土。曰伊蘇國。今謂伊覩者訛也。


215 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 13:13:04
>>213
>末盧国までは短里でその先からは魏の公式里で

いいセンいってますね。短里なんてものは無いけど。
参照した一次資料が異なるので、そうなったのでしょう。

216 :((-.-.) <ホワイトクリスマス:2010/01/09(土) 13:31:08
((-.-.) <サスガ 愛知県民センセー 縄文人ドンマイwww


217 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 14:57:34
>>214 愛知県民さん
レスありがとうございます。ご呈示頂いた文献からは前原とおぼしき地方は古代において伊蘇國と呼ばれていたようだ
ということです。日本書紀編纂時の情報でしょうが、伊都という地名は無かったのでしょう。伊蘇と伊都で伊の字が共
通していますが、蘇と都では聞き間違いはないでしょう。

倭人伝によれば伊都国は郡使往来常所駐とありますから、伊都国という国名について
音声でも多数回の会話があったでしょうし、文字でのやりとりもあったでしょうから、
間違えることはなかったと考えるのが自然でしょう。


218 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 15:02:21
>>215
あんたはんの頭は養毛剤を振りかけるためについてるんどすか?頭ちゅうもんは他の使いかたをした方が
いいもんどっせ。

219 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 15:27:21
伊都というのは、あくまで中国式の地名なので、それが日本にあるということ
はないんじゃないかな。もし、あるとすれば、他の地名、末盧とか奴とか投馬
とか邪馬台という地名もなくてはならないし。

伊都国=怡土とすれば、方向がおかしい、末盧国を経由する行程が不自然。
陸行がおかしいなどということがある。

また、伊都国には、一大率がおかれていて、諸国を検察するとある。
諸国を検察する場所としても、怡土は適切とは思えない。

伊都国が佐賀平野の一角にあるとすれば、全てが妥当になる。

220 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 15:34:57
>>218
反論できないときのイサクのいつもの反応パターン。

>養毛剤を振りかける

えっ、あなたそうなんですか?

221 :うましか:2010/01/09(土) 15:42:23
>>219

畿内説にしろ九州説にしろ一大率の本拠としては適地でしょう。
対外ルートの窓口で壱岐・対馬を押さえられる位置ですよ。
佐賀平野にこそ、そんなもの置くメリットは無いんじゃないですか?

222 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 15:58:43
>>217
>前原とおぼしき地方は古代において伊蘇國と呼ばれていたようだということです。

仲哀天皇を迎えた人物は「五十迹手(または五十跡手、読みはイトテ)」で「イトの支配者」と解釈できる。
仲哀天皇が「伊蘇國」と名付ける前から「イト」と呼ばれていたと考えるほうが自然ではないでしょうか。

日本書紀卷第六 活目入彦五十狹茅天皇 垂仁天皇
意富加羅國王之子。名都怒我阿羅斯等。亦名曰于斯岐阿利叱智于岐。傳聞日本國有聖皇。以歸化之。
到于穴門時。其國有人。名伊都都比古。謂臣曰。吾則是國王也。除吾復無二王。

ここでツヌガアラシトは穴門で「伊都都比古」という王に会っていますが、仲哀天皇も穴門で「五十迹手」に会った。
同系の人物の可能性が高い・・・?

223 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:13:55

要するに当時はトとソを足して2で割ったような発音だったのでは?
i-tho国とか

伊都国=前原説は固いぞ
倭人伝の方角はアテにならんようだな

224 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 16:20:42
>>223
>倭人伝の方角はアテにならんようだな

アテにならないといっても、程度を考えないと。
東南と東の誤差と、南と東北の誤差は全く違います。


225 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:21:21
>>221
有明海沿岸は、遺跡の宝庫とも言われ、古くから非常に発展していた。
一大率が怡土にあるとすれば、その有明海沿岸が視野に入らないことになる。

226 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:24:12
>>213
相変わらずのおバカさんだね。

畿内説で距離は全然問題ない。
女王国までが萬二千余里だよ。奴国が境界線と
倭人伝にも書いてあるじゃないか。
都の邪馬台国(ヤマト)までじゃないですから。

227 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:26:55
てか、距離で論ずれば九州説はことごとく崩壊するんだが(笑)

228 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 16:30:34
>>221
うましかどんも勉強しているようだが、まだ読みが浅いの〜。

一大率は将軍のような軍事組織の指揮官と見られるが、同時に組織そのものを指して使われている。この一大率は
諸国を検察した。倭人伝には常治伊都国とあるが、通説ではこれを伊都国に常駐したとする(誤訳である)が、治
は文字通り「治める」であって、特に伊都国を監視していたのである。

一大率は諸国を検察したが、その主な仕事は各国の港における人や物の出入り(交易や通交)の検査、監視である。
卑弥呼共立後、邪馬台(壹)国は政治的、軍事的支配体制を作り上げた。その支配体制の一つが一大率という軍事
組織である。これを可能としたのは7万余戸という人口の大きさと大陸および半島との交易による収益であった。

229 :うましか:2010/01/09(土) 16:30:47
>>225

で、貴方の邪馬台国は何処に?
有明海から近いところでは、やはり一大率を置くメリットはありませんよ。

230 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 16:32:29
>>225
有明海沿岸は邪馬台国のお膝元だったのでしょう。

>>227
隋書倭国伝「其國境東西五月行、南北三月行」
現代人の普通の想像より、陸行一月は短いようですよ?

231 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 16:39:05
>>222
<到于穴門時。其國有人。名伊都都比古

穴門(穴戸)→長門ですからね〜。山口県西部に伊都都比古が居たのなら前原とは関係ありませんね。

232 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:40:32
>>229
伊都国は、佐賀平野の北西部だと思われるので、一大率が検察する国々は
主に佐賀平野だと思う。邪馬台国は、熊本県の北部・内陸部ではないかと
思っているのだが…。

ちなみに、日本の古代地名は、地形から来ているケースが非常に多いらしい。

233 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:43:10
詳しい人が多いので質問です。

畿内説と九州説がありますが
その中間の四国もいろいろと出土したり古墳もあります。
四国が征伐されたと言う話はあまり聞かないので
もともと非常に古い時期の古代から四国はヤマトだったとすると
畿内も九州もどちらもヤマトで、都が移っただけという説は
あるのでしょうか?


234 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 16:44:22
>>229
およよ。知らんかった〜?
邪馬台(壹)国は熊本県の大部分(球磨川以南を除く)と宮崎県の大部分(日南地方を除く)を版図とする
大国なんよ。これに事実上属領となっていたのが大分県東南部だね。どだ!

235 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 16:45:36
>>231
山口県西部が伊都なら、佐賀平野説もダメでしょう。
伊都都比古の本国は何処にあったのか。
少なくとも、前原より佐賀平野が遠いことは確かです。

236 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:54:58
>>233
ヤマトとは淡路島周辺の瀬戸内東部の
諸国連合だと思うよ。
中でも吉備や阿波は重要でしょう。

北部九州も倭人伝の記述をみると
その成立には関連してるでしょうね。
でも女王の都というのは奈良県東南部だと思います。



237 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:57:07
>>233
ちょっと重たいけど、
http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf

これで400年頃の日本を見ると、倭の範囲が、近畿地方と九州北部、それに
四国の瀬戸内海側になっている。
四国の北部は、近畿地方と北部九州を結ぶ重要な役割を担っていたのかも。

238 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 17:01:48
>235 愛知県民さん

あの〜 伊都都比古は人名で国名は穴門なんすけど。

239 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 17:06:38
>>236
ちょっと失礼。ヤマトは奈良でよかですよ。邪馬台国九州説論者の誰もそれには文句を言うちょりませんたい。


240 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 17:15:05
>>238
それはそうですが、地名に「ヒコ」をつけた人名は多く存在しますから、可能性を考えたまでのことです。
因みに、仲哀紀の「筑紫伊覩縣主」についてはどうお考えでしょうか。


241 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 17:27:06
>>240
筑紫という語がつく場所や神社は福岡県春日市、太宰府市、筑紫野市、小郡市と佐賀平野におおいようですね。佐賀平野は
筑紫平野の一部でもありますね。ですから、これらの地域に関係しているのではないでしょうか。


242 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/09(土) 18:01:49
実は私も怡土=伊都が絶対だとも思っていません。
書紀では怡土は「伊覩」と書かれており、「覩」はト、「都」はツと書き分けられているようだからです。
何かスッキリしないところはあります。

243 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 18:08:49
>>239
そう?じゃ、ヤマタイなんて有り得ない読み方はせずに、
ヤマトォ国、ヤマド国とでも読めば済む事ですね。


244 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 18:51:32
卑弥呼と卑弥弓呼は元々一人の人間だった
彼女が王になるときに捨てた悪の心が分離して狗奴国の卑弥弓呼大王となったのである


民明書房「呉志倭人伝」

245 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 19:20:32
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

246 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 21:10:12
>>234
距離がダメ

247 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 21:22:40
>>234
また何の根拠もないことを言ってる。

248 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 21:33:06
>>220
おぬしはこんな意味のない書き込みしか出来ぬようだの。少しレベルが高すぎたんだね。ならば、おぬしでも突っ込めるように
ネタを一つ。

1世紀において(と言ってもローマは一日にして成らずと言うからその前BC100~200辺りからかな)倭の覇権国は博多湾岸地域
の奴国であった。この地域には須久岡本や高木吉武などの有名な弥生遺跡があり、さらには前原に三雲、井原鑓溝、平原などの著
名な遺跡がある。これらは奴国の王や有力豪族の墓地である。なお、この地が奴国であることは後漢書に記されている「建武中元
二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」に該当すると考えられる漢委奴国王印が志賀島から出土したこ
とから確かであろう。

漢の光武帝は王蒙に簒奪された漢の王権を取り戻したのであるが、疲弊した国の再興に苦労した。外敵に対して武力で制圧するた
めの財力と人口(兵)が足りず、蛮夷に対しては専ら懐柔策をとった。その策の一つが官位の授与である。特に王位を与えた者に
は漢との交易の独占権を与えた。漢はそれ以外の者との交易を禁じたのである。交易の独占権を与えられた者は莫大な収益を得る
ことができるので喜んで漢に仕えることになる というわけである。

奴国はAD57に漢から漢委奴国王に任じられ、対漢交易の独占権を得た。もちろん、それに至るには奴国が倭の覇権国であるという
実力を漢に認められる必要があったであろう。奴国は福岡平野に古くから発達した稲作を中心とした豊かな食糧生産力と当時として
は大きな人口を持ち、半島との交流から得られる技術や知識に恵まれ、外交能力や武力を蓄えたであろう。その結果として倭と半島
を結ぶ航路の制海権を握ったのであろう。これが漢に認められたものと思われる。

このように隆盛を誇った国であるが、これは(旧)奴国である。その終焉は2世紀初に訪れる。BC時代の奴国王の墓は須久岡本の甕
棺墓で、その後の王墓は三雲南小路(甕棺墓)と井原鑓溝(甕棺墓と木棺墓)であろう。

長くなったので続きは次回に。






249 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 21:38:08
>井原鑓溝(甕棺墓と木棺墓)

甕棺墓と木棺墓は出土されてたかな?


250 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 21:44:27
>>246
248の続きを書かねばならんのにうるさいことを言うてくれるの〜。
あのな 不彌国までで万七百余里なんよ。残りは千三百里(70〜100km)だよ。福岡県小郡市から南に
それだけの距離だと熊本県だ。どだ、文句あっか?


251 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 21:47:17
>>249
も〜 忙しいの〜。これ見てみ。
http://itoitokoku.hp.infoseek.co.jp/yarimizo.html

252 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 21:57:59
>>251
ありがとさん 石棺墓も発見してるみたい
ttp://inoues.net/ruins/mikumoshouji.html

253 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 22:11:00
>>248
進歩が見られる。

>長くなったので続きは次回に。

楽しみに待ってます。

254 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 22:44:59
さて、248の続きだが

後漢書に次の記事がある。
安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
AD107年のことである。安帝は幼帝であり、もちろん外国人との接見など出来もしないが、この記述は謎めいている。
請見を願い出たのは倭国王帥升となっている。それまで漢が認めていたのは奴国王であるが、ここに倭国王が登場した
のである。

献上したのは生口160人、そしてそれに対する見返り品(官位や印綬その他)は記載されていない。さらに、安帝は無
理だとしてもケ皇太后への接見が許されたかどうかも分らない。通常であれば、中国の王朝は外国からの朝貢を喜び、
官位や下賜品を与える筈である。それが書かれていないのは解せないことである。

推測するに、帥升は奴国の王権を武力で簒奪した。金印が志賀島から出土したのは(旧)奴国の王又は王族が持って逃
げた結果であろう。帥升の漢への献上物の生口はその戦での戦利品かも知れない。王権を簒奪した帥升は王印を失った
ので漢へ出向いて再給付を願い出たかも知れないし、漢委奴国王を殺したことの詫びを入れたのかも知れない。

漢としては悩ましいところである。王権の簒奪は許し難い。さりとて、漢の国力は落ち、王朝の威信も低下していて国内
には叛乱の兆しも出ている。帥升を罰して何の得があるだろうか?罰するより帥升を倭国王として認めて従わせた方が得
ではないか。というようなことではなかったろうか。ともあれ帥升は倭国王として認められた。ただし、王朝の公式文書
には願請見と記録するにとどめた。体面を慮った処置である。

この奴国の王権簒奪に際しては近隣諸国にも影響があったであろう。と言うより、帥升は戦乱に乗じて奴国の領土を拡張
したと考えられる。博多湾岸から佐賀平野へ侵略の軍を向けた。吉野ヶ里遺跡の甕棺に戦死者と見られる人骨が残されて
いるが、ちょうどこの時代(2世紀初)のものと見られる。

長くなったので続きは次回に。

255 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 22:46:50
254の続き 今回は短めにします。

こうして帥升の奴国は博多湾岸地域から筑紫平野一帯を版図に納めた。そして倭国の盟主として君臨した。だが、この帥升系
倭国も七八十年で終焉を迎える。漢では内戦状態となり、半島でも夫余系などが南下し混乱状態となる。寒冷化による食糧作
物の不足などが背景にあったらしい。列島でも戦乱が発生した。倭国乱である。



256 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:13:22
伊都国は佐賀市付近。あとは水行十日で八代、陸行一月で都城だろう。
邪馬台国の版図は都城を中心として宮崎平野、熊本の一部も入るかな。

女王国は邪馬台国ではない。だから伊都国から千五百里で邪馬台国に至る
わけではないが、かといって大和ではだめだ。倭の地は周旋五千里、本州
に踏み込んだら周旋五千里なんてことで済むことは絶対にない。

257 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:14:04
>>248
「(旧)奴国の終焉は2世紀初に訪れる。」と書かれていますが、
平原王墓(180年頃)も奴国王の王墓というご見解なんでしょうか。

258 :卑句模古V世:2010/01/09(土) 23:24:19
>>257
彼はそう考えているようだ。そしてそれには根拠はないのだ。

259 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 23:29:17
>>257
平原遺跡は難しいですね。私は帥升系王統の墓ではないかと思っているのですが。倭国乱で帥升直系の王権は
絶えることになり、(帥升の同族と見ているのですが、分家みたいな)邪馬台(壹)国が主導権を握って卑弥
呼を王に擁立した。もちろん、帥升系本家や豪族連合国家であった投馬国(倭人伝のここの官の名前は他国と
は趣きが違いますね)にも根回しをして纏めたのでしょう。伊都国は邪馬台(壹)国の王族の者が2世紀初に
建てた国でしょう。

260 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:37:46
>>233
あるよ おかやま県 神武天皇アニじんじゃ(旧宮内省出先機関)近辺
安仁?

261 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 23:39:28
>>258
貴君とは根拠というものについての考え方に違いがあるようだね。直接的文献も考古学資料もない歴史の空白
期間については間接的資料から推定するしかないだろう。私の推定には後漢書の記事、志賀島出土の金印、博
多湾岸地域から佐賀までの遺跡、倭人伝の記事を材料として用いている。全く根拠の無いことではないだろ。



262 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:40:59
>>261
ただ単にだれでも知ってる材料を妄想でつなぎ合わせているだけ。

263 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/09(土) 23:45:59
>>262
おぬしは私にとっちめられたことでもあるんかな。なんかイジケタ臭いがするけどな。

264 :日本@名無史さん:2010/01/09(土) 23:46:46
純度99・3%の象嵌太刀が造れる 先進国ヤマタイの技術? まさか魏王様のプレゼント!


265 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 00:10:28
>>242 追伸
スッキリしたかもしれません。
釋日本紀 卷十一
筑紫(つくし)の風土記に曰はく、逸都の縣。子饗(こふ)の原。石両顆(いしふたつ)あり。
一は片長(なが)さ一尺(さか)二寸(き)、周(めぐ)り一尺八寸、一は長さ一尺一寸、周り一尺八寸なり。色白くして鞕(かた)く、圓きこと磨き成せるが如し。
俗(くにひと)、傅へて云へらく、息長足比賣命(おきながたらしひめのみこと)、新羅を伐たむと欲(おもほ)して、軍(いくさ)を閲(み)たまひし際(とき)、
懷娠(みはらのみこ)、漸に動きき。時に、両の石を取りて裙(も)の腰に插(はさ)み著(つ)けて、遂に新羅を襲(う)ちたまひて、凱旋(かちかへ)りましし日、
芋湄野(うみの)に至りて、太子誕生(あ)れましき。此の因縁(ゆゑよし)ありて、芋湄野と曰ふ。産を謂ひて芋湄と為すは風俗(くにひと)の言詞(ことば)のみ。
俗間(よ)の婦人(をみな)、忽然(たちまち)に娠(はらのこ)動けば、裙の腰に石を插(さしはさ)み、厭(まじな)ひて時を延べしむるは、蓋しくは此に由るか。

日本書紀卷第九 氣長足姫尊 神功皇后
于時也。適當皇后之開胎。皇后則取石挿腰。而祈之曰。事竟還日。産於茲土。其石今在于伊覩縣道邊。

「逸都」=「伊覩」、>>214 より「伊覩」=「恰土」ですね。
「伊都」=「恰土」でよいかと思われます。

266 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:13:41
>>259
その前に平原王墓が180年頃というのを前提にしていいのか?

年代遡上を認める前提なら、それもアリかも知れないが、年代遡上を
認めない立場からは、あれは4C初頭になるだろ。

267 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:36:43
>>259
質問ばかりで申し訳ありません。もしピントがずれていたら申し訳ありません。
縄文人さんは「魏志倭人伝に登場する伊都国は佐賀市北部、奴国は佐賀県東南部)」
と考えていらっしゃいます。
博多湾岸地域の奴国(1世紀における倭の覇権国)→帥升の奴国(2世紀初における倭の覇権国)
→倭国乱→邪馬台(壹)国(熊本県・宮崎県の大部分)と考えられている流れの中で、従来から
一般的には伊都国・奴国と言われている、前原付近・博多付近は邪馬台(壹)国の時代どのような
統治状態だったとお考えでしょうか?
佐賀市北部とお考えになられている伊都国の北の外れとなり、帥升系の小国は残っているかもしれませんが、
魏志倭人伝には前原付近・博多付近の国は一切登場していないという理解でよろしいでしょうか。

268 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:47:26
>>255
これまで語ってきたストーリーと同様だが、学習した情報をハメ込んでいるね。
ただ、帥升は漢へ出向いていない。安帝紀を確認してみなさい。

>>259
>伊都国は邪馬台(壹)国の王族の者が2世紀初に建てた国でしょう。

佐賀に? 帥升の朝貢は107年だぞ。佐賀は帥升の版図じゃないのか?

>平原遺跡は難しいですね。私は帥升系王統の墓ではないかと

そうだろうねえ。

269 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 00:54:39
>>266
前原市教育委員会の資料ではAD200頃となっていたと思うんだけどね。年代遡上?なにそれ?

270 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:56:29
>>1
>謎の女王卑弥呼は誰か?

韓国人女性のパクさんだって韓国の作家が書いてなかったっけ?

271 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:58:00
>>267
>一切登場していないという理解でよろしいでしょうか。

うふっ。それピント。いきなり言っちゃダメだよ。

272 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 01:12:24
>>267
旁国として出ていると思います。奴国は二つ出てきますから旁国の中の奴国は博多湾岸地域でしょうね。
帥升時代は奴国は一つだったのでしょうが倭国乱のとき分裂したのかも。(証拠は有りません)
前原は一大率の水軍基地が置かれていた所で、また、交易の基地でもあったでしょう。もちろん、霊園
もあったわけです。(私の推測です)

>>268
伊都国は帥升の奴国に近いが、私は邪馬台(壹)国の王子の一人が帥升系の王女を娶って建てた国
だとする。伊都国について倭人伝は「世有王皆統属女王国」とあるで、これを王の系統は女王國の
系統に属すると解釈したのである。面白くないかい?

273 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 01:20:59
>>265
曰伊蘇國。今謂伊覩者訛也 ですから私はすっきりしませんけど。

274 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 01:29:06
>>269
年代遡上というのは、古墳時代を300年以降としていたのを、200年以降として
100年古くしたことだよ。

弥生時代の畿内の遺跡から鏡は出ないから、邪馬台国を畿内にするためには
100年古くする必要があったんだな。


275 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 01:30:42
>>272
>邪馬台(壹)国の王子の一人が帥升系の王女を娶って建てた

なるほど。うまく考えたね。

276 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 01:37:14
>>272
>旁国として出ていると思います。

自女王國以北其戸數道里可得略載
其餘旁國遠絶不可得詳

なのに?

>旁国の中の奴国は博多湾岸地域でしょうね。

次有奴國此女王境界所盡其南有狗奴國

なのに?

277 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 04:28:41
>220
こちらのイサク氏はヤフーの掲示板にいる類似名のイサク氏に比べるとマトモな人のようで。

278 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 07:54:45
>>273
縄文人さんはすっきりしないようですが、書紀の「地名説話」の信憑性は疑問です。

日本書紀卷第九 氣長足姫尊 神功皇后
夏四月壬寅朔甲辰。北到火前國松浦縣。而進食於玉嶋里小河之側。於是皇后勾針爲鈎。取粒爲餌。抽取裳縷爲緡登河中石上。
而投鈎祈之曰。朕西欲求財國。若有成事者河魚飮鈎。因以擧竿。乃獲細鱗魚。
時皇后曰。希見物也。希見。此云梅豆邏志。故時人號其處曰梅豆羅國。今謂松浦訛焉。

梅豆羅(メズラ)がなまって松浦(マツラ)になったとありますが、末盧国は既に魏志倭人伝に出ています。
伊蘇(イソ)がなまって伊覩(イト)になったとありますが・・・?


279 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 08:30:19
>>165
>馬の西海岸中央部に大きく食い込む浅茅湾があり「船越」を使って
>東海岸に抜けて海岸沿いに南下していた。
船越の運河が後世掘られたものだってことは知っているのかな?
古代には船で西から東に抜けることはできないんだが・・・

280 :伊都王卑弥呼:2010/01/10(日) 10:43:17
>>279
>船越の運河が後世掘られたものだってことは知っているのかな?

日露戦争前でしたかね。
「方可○○里」が面積を指していないのは明らか。
面積を知る為には島全体の形を知らなければならないが
魏の郡使は島の横を通過しただけなので
島全体の形状が分からない
面積の推測不可能。
「方可○○里」は魏の郡使の通った距離から
島の縦横の寸法を推測したもに間違いない。


281 :伊都王卑弥呼:2010/01/10(日) 10:51:19
>>276
「參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」とあり
「次有斯馬國・・・次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡」とは
奴国、不弥国、斯馬国・・・烏奴国、奴国で女王国内を可五千餘里で一周して
もとの奴国に戻るの意味でしょうね。

282 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 12:25:35
>>280
「方可○○里」が面積を表していることは、東夷伝を通読すれば明らかだよ。
地形は関係がない。方四百里というのは、一辺が四百里の正方形に相当する面積ということとだよ。
郡使は対馬に上陸している、これを否定する学者はいないよ。
上陸したときに、倭人から島の状況について説明を受けているのだろう。
島の東西は歩いて何日かかるか、南北は何日かかるか、そのようなことを確かめれば
自ずと面積は分かることだ。

>>281
周旋五千里は女王国の大きさではない。倭の地の大きさを示したものだ。したがって、
狗奴国もそこに含まれることになる。
周旋というのは一回りではない。倭の地の始まりから向こう側の終わるところまでぐ
るりと廻っていくということだ。倭の地の大きさであって、女王国の領域だとか邪馬
台国の領域だとかを言っているわけではない。
つまりは九州島の大きさだよ。


283 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 12:38:33
>>274 <年代遡上というのは、古墳時代を300年以降としていたのを、200年以降として
     100年古くしたことだよ。

あ そのことなら知っとるんじゃけど、平原のは弥生王墓で、その1号墓は長方形の方形周溝墓で、出土した遺物などから
弥生時代後期中頃に造られたと推定されてんじゃなかったかな。これも年代が繰り上げられてたの?

284 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 12:49:20
>>278 <書紀の「地名説話」の信憑性は疑問です。

私も疑問に感じます。なお、ついでながら私は神功皇后は創作された(架空の)人物と見ています。新羅征伐の事績は
4世紀末〜5世紀初の半島への侵攻の史実(広開土王碑文等に書かれている事柄)の反映だと思います。神功皇后を3
世紀半ばの人物としたがっている人達も居ますが、新羅の建国は4世紀半ばのことですから3世紀半ばに新羅征伐など
あり得ませんね。


285 :伊都王卑弥呼:2010/01/10(日) 13:12:18
>>282
>「方可○○里」が面積を表していることは、東夷伝を通読すれば明らかだよ。

東夷伝の何処を読めば「方可○○里」が面積を表しているの?

>地形は関係がない。方四百里というのは、一辺が四百里の正方形に相当する面積ということとだよ。

「方可四百里」は一辺が四百里の正方形の意味です。面積を指すの場合もありますが寸法を指す場合もあります。
面積か寸法かは文の前後で判断する必要があります。

>郡使は対馬に上陸している、これを否定する学者はいないよ。
上陸したときに、倭人から島の状況について説明を受けているのだろう。
島の東西は歩いて何日かかるか、南北は何日かかるか、そのようなことを確かめれば
自ずと面積は分かることだ。

郡使は航海の途中に休憩の為に壱岐、対馬に上陸はしているでしょうね
しかし、島内を調査はしていない。
「方可四百里」には推測可能の意味の「可」が付いているので倭人からの伝聞ではなく
「方可四百里」は郡使自身の体験に基づく推測です
よって面積ではなく島の寸法でしょう。

>周旋というのは一回りではない。倭の地の始まりから向こう側の終わるところまでぐ
るりと廻っていくということだ。

周旋というのは一回りして戻って来ることです。
行きぱなしでは周旋になりません。
周旋の用例を調べて確認してください。
末盧國から伊都國、奴國を通って不彌國まで700里です。(平均国間700/3里)
旁國の国が21国ありますから(700/3里×21=4900里)です。
これに奴國〜不彌國の100里を足せば5000里です。
奴国、不弥国、斯馬国・・・烏奴国、奴国で女王国内を可五千餘里で一周して
もとの奴国に戻れますね。

286 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 13:34:57
>>284
>私も疑問に感じます。

え?「伊都」=「恰土」を認めてしまうんですか?
梅豆邏志(メズラシ)→梅豆羅(メズラ)→松浦(マツラ)が信用できない(もともとマツラだった)以上
伊蘇志(イソシ)→伊蘇(イソ)→伊覩(イト)も信用できない(もともとイトだった)と思われますが。

神功皇后伝承には4世紀末〜5世紀初のみでなく、それ以前の数知れぬ倭人の新羅侵攻(三国史記にある)が反映されていると思います。
新羅の歴史は魏志韓伝の「斯盧国」時代を含めればもっと長いでしょう。


287 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 13:54:14
>>285
>地形は関係がない。方四百里というのは、一辺が四百里の正方形に相当する面積ということとだよ。

>「方可四百里」は一辺が四百里の正方形の意味です。

どっちも間違いだな。
400里を支配してるってことだ。方城だな。
正方形なら一辺20里、8kmあまりだよ。
おそらく対馬国というのは島中心囲む監視所だったんだろう。

288 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 14:03:14
>>286 
<え?「伊都」=「恰土」を認めてしまうんですか?

いえいえ。とんでもないことです。


289 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 14:31:17
>>288
じゃあ何なの?


290 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/10(日) 14:43:10
縄文人氏も津田妄想病原菌が脳内にて活動してるようだ?w

291 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 14:55:57
>>288
遠慮するでない がんがん反論しましょうw
ついでに太国、唐松にも噛みつきましょうよwww
そのほうが読んでいる人もオモロイ

292 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 15:07:22
纏めてみると、筑前国恰土郡は日本書紀では「伊覩縣」と書かれ、
風土記では「逸都の縣」「怡土の郡」「怡土の縣」「伊覩の縣」と書かれている。
「縣」は「郡」より古い表現と見られ、古くは「逸都」「伊覩」と書かれたようだ。
「伊都」に限りなく近い。

293 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 16:25:41
>>291
幼い日のこと私は釈迦牟尼の生まれ変わりと言われた(ことがあるような記憶が残っている)。また、
マザーテレサが亡くなったとき私を彼女の隠し子だと噂する声を耳にした(ような記憶がある)。
それほどに私は他人を慈しむ心の持ち主なのだろう。他人の言うことを否定するのはつらく心が痛む。

太国のおっちゃんは好人物だ。だから私は彼の言を気にしない。
唐松ちゃんは寂しがりやかもしれんね。太国のおっちゃんと口喧嘩をするのが生き甲斐だろね。

愛知県民さん
3世紀の伊都国については倭人伝以外に文献史料がないのです。記紀や各種の伝承にしても書かれていることが
3世紀まで遡れるか?という疑問を払拭できません。
で、倭人伝にはなんと書いてあるかと言えば、(末盧国より)東南陸行五百里到伊都国ですから、これはもう誰
が見ても前原(怡土)ではありませんね。これを覆すことの出来る資料はないでしょう。



294 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 16:33:40
「号外! 号外!」

   河童虫引退か?・・・・・・・・・・河童こと河童虫に俄かに引退説浮上


295 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 17:34:50
>>294

奴は今までに5回くらい「引退」しているはずだがw
いずれにしろスレ違いだ。

↓こちらへどうぞ
日本史ニュース速報 2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1205680954/

296 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 18:05:16
>>292 追加
古事記を忘れていた。「伊斗村」です。
故、其政未竟之間、其懷妊臨産。即爲鎭御腹、取石以纏御裳之腰而、渡筑紫國、其御子者阿禮坐。【阿禮二字以音】
故、號其御子生地謂「宇美」也。亦所纏其御裳之石者、在筑紫國之伊斗村也。

>>293
前原(怡土)にはこれだけ「伊都」に近い古地名が残っているのに、なぜ佐賀平野には残らなかったのか疑問ではある。
また、本当に「東南陸行五百里」なら宮崎まで突き抜けてしまうのではないか?という疑問もある。


297 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 18:30:35
九州説の一部で言われる「短里」は、どうも納得できない。
「到其北岸狗邪韓國、七千餘里」は、洛陽から測ったとすれば妥当そうな距離である。
また倭人伝では海を渡る表現が四回出てくるが、その全てが「千餘里」であるのも不審。
女王国まで萬二千餘里も、不弥国まで一万六百里として
陸行一月=一日五十里×三十日=千五百里を加えて出したように思われる。
河童さんが引退してなければ間違いなく突っ込まれるねw

298 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 18:35:03
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

299 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 18:56:43
>>294

>河童虫引退説

どっからそんな情報得たんだよ  引退なんてしね〜し、言ってね〜し(笑)


300 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 19:08:38
>>285
>行きぱなしでは周旋になりません。

榎一雄が「邪馬台国」で次の例を引いているよ。
陵廻阜転、山高朧長、周旋逶迤、形似書字。
そして、周旋五千余里は倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きる所
までの距離を言ったのである、と説明している。


301 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/10(日) 19:16:18
>唐松ちゃんは寂しがりやかもしれんね。

逆だ、彼がどんな考え方でも良いが、それを「真」として、議論する気も
無いのが、太国さんだ。

[244] RE:無いもの探し Name:太国 2010/01/08(金) 22:24
非常にデ○パ臭い。pp

私の書き込みの後にこんな書き込みをするのが、太国さんだ。


302 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 19:54:46
>>296

>前原(怡土)にはこれだけ「伊都」に近い古地名が残っているのに、なぜ佐賀平野には残らなかったのか疑問ではある。

それは古事記が書かれた当時から、佐賀なんて眼中にもなかったし、存在すらも認められていなかったからです。

303 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 20:04:23
慶長12年 化け猫お家騒動が起きるまで、佐賀は日本史の表舞台に立つことはなかった。
くい、くい、くい(猫招き)wwwww

304 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 20:32:13
>>296

神功皇后は斉明天皇と持統天皇をモデルにしたものだという直木孝次郎氏の説があります。斉明天皇は
新羅と唐が百済を滅ぼしたため中大兄皇子とともに百済救済のために九州に赴き、太宰府から東南の筑
後川沿いにある朝倉に橘広庭宮という仮宮を設けて指揮にあたったが、倭軍は唐・新羅連合軍に敗退し、
斉明天皇も朝倉の地で急死します。

これから見ると斉明天皇は九州北部沿岸部には行っておりません。朝倉は大和王朝の要人が留まる地で
あったように見えます。この朝倉から筑後川を下って有明海に出て佐賀市の現在嘉瀬川となっている入
り江の奥が大和町で、ここから陸路で北西に行くと唐津市に至ります。このルートの方が、朝倉から陸
路で博多湾岸に出てそこから舟で唐津に行くより時間的には短かったと思われます。

神功皇后が応神天皇を生んだ地は宇美とされ、御裳之石が筑紫國之伊斗村に在るとされますが、この伊
斗村が前原にあったかどうかは疑わしいですね。


305 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 21:07:09
>>304
>神功皇后は斉明天皇と持統天皇をモデルにしたものだという直木孝次郎氏の説があります。

斉明のように急死したのは神功ではなく仲哀天皇の方ですよ。
歴史では同じことは起こりませんが、似たことはしばしば起こるものです。

>伊斗村が前原にあったかどうかは疑わしい

筑紫國(筑紫嶋では無い)だから、佐賀でないことは確かですね。

306 :国士焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/. :2010/01/10(日) 21:11:17
仲哀天皇−応神天皇

ここだけは王朝としてさえ無理があるので救えない。

307 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 21:18:32
>>302
>それは古事記が書かれた当時から、佐賀なんて眼中にもなかったし、存在すらも認められていなかったからです。

古事記だけが問題ですか?
肥前国風土記ではちゃんと認められておりますよ。

308 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 21:33:55
>>307

>肥前国風土記ではちゃんと認められておりますよ。

何が認められているのですか?

309 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 21:37:49
>>305
倭人伝の記事と記紀の記事とを比べると倭人伝のそれの方が明確ですよね。伊都国そのものの位置が示されています。
これを否定できる資料は現れていませんね。

310 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 21:40:20
>>308
佐賀は出てきませんが佐嘉(榮)は存在を認められています。

>>309
宮崎あたりですか? 

311 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 21:45:22
>>305
だが、3世紀の伊都国の地名が残ってたならば、単なる伊斗村というのは不
自然だな。3世紀に国だったのならば、村ではなく、国名か郡名ぐらいにな
っていないとな。村名ではたまたま一致するものに飛びついたって程度だ。

312 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 22:02:11
>>297
>河童さんが引退してなければ間違いなく突っ込まれるねw
引退なんてしていないので、お言葉に甘えて突っ込ませていただきます。

>九州説の一部で言われる「短里」は、どうも納得できない
納得できる出来ない以前に、長里・短里なんて存在しないから。当然納得出来るわけないですよ
魏晋朝公里は、一辺の長さ六尺とし面積単位「歩」を立てた時に、導き出される面積単位「井」の一辺の長さが「里」

>「到其北岸狗邪韓國、七千餘里」は、洛陽から測ったとすれば妥当そうな距離である。
洛陽からずっと「水行」?

>また倭人伝では海を渡る表現が四回出てくるが、その全てが「千餘里」であるのも不審。
二回や三回だったら不審に思わないの? 何故四回だと不審に思うのかな?

>女王国まで萬二千餘里も、不弥国まで一万六百里として
加算式で導き出せるのは万五千里までですよ


313 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 22:05:11
>>310
少し依怙地になっておられますね。末盧国(松浦川河口付近)から東南に五百里ですから35km前後のところ、
佐賀市北部の大和町、富士町の辺りでしょう(近くに惣座遺跡があります)。

297で
<九州説の一部で言われる「短里」は、どうも納得できない。
<「到其北岸狗邪韓國、七千餘里」は、洛陽から測ったとすれば妥当そうな距離である。
と書かれていますが、「到其北岸狗邪韓國、七千餘里」の前段には「從郡至倭循海岸水行・・・」とありますから、
これは洛陽からの距離ではなく帯方郡からの距離であることが明白です。なお、狗邪韓国ー對海国ー一大国ー末盧国
の3回の渡海が全て千里となっているのは水行1日での移動距離を千里としたものでしょう。

私は倭人伝の距離は1里70m前後で記載されていると考えます。里数が誇張されているのか、短里なるものが用いら
れているのか。歩いて100歩の距離を1里としている感じです。

314 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 22:05:51
>>310

>佐賀は出てきませんが佐嘉(榮)は存在を認められています。

肥前風土記なんだから、ニュアンスの近い地名が登場してもなんら不思議なことではないでしょう。ましてやローカル新聞なんだから

315 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:07:33
魏志倭人伝の『銅鏡百枚』もたまには扱っていいんじゃない?
初心者スレで九州論者の河童虫さん太国さんの名前があがってるが
二人の見解を聞いてみたいな。


316 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 22:10:18
>>311
古事記は伝承記録で正史ではないですから、行政単位が厳密ではないのでしょう。
筑紫国の下なので、郡程度だと思われます。
書紀や風土記では「縣」「郡」と表記されています。

317 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 22:13:45
>>309

>倭人伝の記事と記紀の記事とを比べると倭人伝のそれの方が明確ですよね。伊都国そのものの位置が示されています。

書いてある伊都国は、末盧国と奴国の間に位置し末盧国よりも東で奴国よりも西に位置する程度だよ

318 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 22:19:36
>>315

>魏志倭人伝の『銅鏡百枚』もたまには扱っていいんじゃない?
初心者スレで九州論者の河童虫さん太国さんの名前があがってるが
二人の見解を聞いてみたいな。


銅鏡百枚の記事で興味を引くのは「百枚」の数値だけ
この「百枚」って一体何を意味してるのかな? ということかな
ここで「100枚」なんて数値示したところで、単なる無駄字になるだけなように感じる。


319 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 22:21:14
>>312
>長里・短里なんて存在しない

それなら問題ありません。

>洛陽からずっと「水行」?

もちろん文章の解釈としては間違いですよ。ただ洛陽からの距離が誤って書かれた可能性を考えたまでです。

>何故四回だと不審に思うのかな?

回数はあまり関係ないですね。対馬・一大間と壱岐・末盧間が同距離というのがひっかかります。

>加算式で導き出せるのは万五千里までですよ

万二千里は問題ないということですか。理由はちょっと分かりませんが。

320 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/10(日) 22:21:59
その百枚はまだ見つかっていなでしょう。

321 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 22:22:08
>>3017
またまたご冗談を。末盧国から見て東南の方角に五百里行ったところざんす。

322 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:28:39
>>317
伊都国は、末盧国の東南で奴国の北西だろうが。
ごまかすなよ。

323 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 22:28:56
>>313
縄文人さんは「短里」が用いられた理由は何だとお考えですか。

>>314
「佐賀」の地名が古事記に出ていないことと、伊都国が佐賀にあって伊都の地名が残らないことと
私の頭が悪いのか、関係が分かりません。

324 ::2010/01/10(日) 22:33:50
>『銅鏡百枚』

>>318
>>320
いわゆる卑弥呼の鏡として、「画文帯神獣鏡」や「三角縁神獣鏡」がよくいわれてるが
これについてコメントいただきたい。


325 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:37:27
古事記に名前が残っているかどうかよりも、佐賀市付近には肥前国府が置かれたこと
の方が意味があるだろう。それだけ、そこは発展していたということだ。
そう言えば、怡土には国府などなかったな。

326 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/10(日) 22:38:07
考古がそれがしのテリトリー外ですから、いい情報は取れません。
ただ△は、出た500枚は舶来で、卑弥呼の鏡は見当たりませんね。

327 ::2010/01/10(日) 22:39:22
2ちゃんでもね 他のスレみてると三角縁神獣鏡をよく調べてる
人らも居て、中には詳しい人もいるだろうし、九州説論者がこの鏡について
どういうことをいうのか楽しみだねww


328 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/10(日) 22:40:01
訂正
× 舶来
○ 国産

329 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 22:54:03
>>325
国府とかは律令時代の話でしょう。もっと古い時代が問題で、怡土には前原遺跡もあるわけですよ。
重要な国名が跡形もなく消えて、違う場所に「逸都」「伊覩」が残るのは不自然。
同じ問題は奴国にもあります。それも消えて違う場所に「儺」が残るとはどうかなと。

330 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 22:54:06
>>323
短里かどうか知りません(中国の文献に短里という言葉がでてくるのでしょうか?)が、帯方郡から末盧国までが
1万余里だと1里は魏時代の里≒430mではおかしいですね。

前原が伊都国でないとする別の根拠を挙げます。

ご承知のように前原には弥生時代の王墓と見られる遺跡があります。また、交易の基地ではなかったかと見られる
出土物(楽浪土器など)があり、弥生時代の住居跡と見られる遺跡もあります。王墓と見られる三雲南小路の甕棺墓
と井原鑓溝の甕棺墓および木棺墓は1世紀前後のものと考えられています。

ところが、1世紀の倭では奴国が覇権国でした。AD57には漢の光武帝から金印を授与されて漢委奴国王に任じられ
ています。漢の政策として蛮夷に王位を与えるということは漢との交易の独占権を与えるということです。

ということは、前原に葬られた王は前原を領国とする王ではなく奴国の王と考えた方が筋が通るのです。前原の地に
交易の基地があり王の墓があると言ってもそれは前原の王ではあり得ません。なぜなら、覇権国の奴国を差し置いて
楽浪郡や半島との交易を出来る筈がないからです。前原は奴国の領地であり、交易の基地であり、水軍の基地でも
あり霊園所在地でもあったのです。

331 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 22:54:11
>>324

>いわゆる卑弥呼の鏡として、「画文帯神獣鏡」や「三角縁神獣鏡」がよくいわれてるが
これについてコメントいただきたい。

興味ないよ。
鏡について「魏志曰」や「魏略曰」とかがついていて述べられているなら、それなりに考えるけど 
興味ある人だけが調べればいいだけの話。


332 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 23:06:25
>>330
平原遺跡の1号墓について原田大六氏は2世紀中頃、寺沢薫氏は200年頃、森浩一氏は150〜250年頃
という見解。考古学はよく分かりませんが。

鏡も移動しやすい物ですから、決め手になるかどうか難しいのではないか。
日本書紀によると神夏磯媛は景行天皇に八咫鏡を差し出しましたが、他にも多くの鏡が近畿に流れた可能性も考えられます。

333 ::2010/01/10(日) 23:07:36
>>326>>328
博物館に展示されてる三角縁神獣鏡の札をみると「舶載鏡(中国製)」として表示されています。
太国さんが観たものいだけが「国内製」だったということではなかろうか?w
それに私も考古より文献を重視してますが(まず文献があって、考古で照らし合わせていくという考え)、
条件は太国さんと同じはずですよ。

>>331
三角縁神獣鏡などのきねん銘鏡には「景初三年」とか「正始元年」魏の年号があり、
これらは卑彌呼が献上し、倭王に詔書を下した年といわれています。
丸っきり興味ないとする理由はなんでしょうか?
魏志倭人伝とは関係ナイのなら、それも分かるんですが、
「景初三年」とか「正始元年」には興味ないという理由も重ねてお尋ねしたい。

334 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 23:16:28
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html

335 ::2010/01/10(日) 23:19:48
>>334
熱帯ジャポニカさんよ
それ新ただねww しかしスレ全体が重くなるのでURLを貼り過ぎるのは
どうかと思うww


336 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 23:22:23
>>333
三角縁神獣鏡については国産説と舶載説が対立している状況と理解しています。
森浩一氏は「考古学の方法に徹すれば謎はどこにもなく、三角縁神獣鏡は国産である。
舶載説の人は言葉を操っているだけである」
という趣旨のことを言われている。
寺沢薫氏は畿内説だが、三角縁神獣鏡は国産とされている。

337 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 23:26:26
>>330
>1万余里だと1里は魏時代の里≒430mではおかしいですね。

おかしくもなんともないよ。海路だから。
測量できない以上、港港の単位としてたか、物資輸送の単位としてたかだよ。
それを見て、21世紀の地図の距離と比較するほうがおかしい。
おかしい以前に、そのような推理をしている人間の知能水準を表してると考えたほうがいい。

338 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 23:26:51
>>335
了解。

URLは一つだけにする。

そちらも悪徳タイワン中華工作員から日本史の警護を頼む。

339 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 23:27:35
>>333

>「景初三年」とか「正始元年」には興味ないという理由も重ねてお尋ねしたい。

「景初年号」「正始年号」が鏡に刻まれているという事は、その鏡はその年号以前に作られたものではないという事がわかります。(大変重要な事です)
ただし、それだけの事ですが。


340 ::2010/01/10(日) 23:34:07
>>336
わたしはですね、三角縁神獣鏡が舶載であろうとボウ製鏡であろうと
どっちだっていいいと思ってるんです。

三角縁神獣鏡の研究でいえば、黒塚古墳発掘以前の小林行雄氏、分布図とか、
最近の研究者でいえば、福永伸哉氏とか、私も彼らの記事をチラッと読みましたが
よく言われてるのが、トヨタ者の製品を海外で売ろうが、それは日本製だと。
ようは、日本製なのか、中国製なのか、古代鏡の原点は中国にあるわけですから
「景初三年」とか「正始元年」とかのきねん銘鏡は中国製と言ってもいいと思う。
このへんをききたいわけですよ。


341 ::2010/01/10(日) 23:37:52
>>339
じゃあ、魏志倭人伝の『銅鏡百枚』はソノ年号が刻まれた鏡でしょう?
他に何があるんです?河童さんはどの鏡とおもってるの?

342 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 23:38:43
>>339
>その鏡はその年号以前に作られたものではない

以前と言うとその年号を含むので「その年号より前に作られたものではない」ということですね。
その年号か、その年号の後かです。


343 :縦目仮面:2010/01/10(日) 23:42:18
俺も三角は?製鏡と考えています。理由はいくつかありますが、考古学的なことは煩雑でしょうからやめときま
すが、銘文から見た森博達氏の見解は無視できないと思います。ただしこれによって畿内説が揺らぐとは考え
ていません。

つまり魏の時代は、詩壇が形成され文学史上高く評価されている。卑弥呼が親魏倭王に柵封された景初三年は、
まさにこのような詩文隆盛の時代といえる。しかし三角の銘文は押韻も平仄のルールも無視されている。これらの
鏡銘は、親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威をも損なうものである。

344 :縦目仮面:2010/01/10(日) 23:43:39
?はボウ製、つまり国産ということです。スマソ。

345 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 23:44:23
>>337
状況を考えてみなされ。帯方郡から狗邪韓国までは半島の海岸沿いに舟で来たのだが。初めてのことではないよ。郡から役人が
何回も来ているだろうし、商人だって沢山往復している。舟に乗っているから測量できない。だから距離が分らんなどある訳が
なかろう。天気の良い日には対馬から釜山が見えるぞ。舟でも大凡の距離は分るわい。
おまえさん一度ボートで海に出てみろ。老練な漁師に聞いてみろ。何も分らんくせに大口叩きなさんな。

346 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/10(日) 23:45:55
>>341
>魏志倭人伝の『銅鏡百枚』はソノ年号が刻まれた鏡でしょう

横ですが、それは何とも言えないでしょう。
年号を刻んだか刻まなかったかは分からない。
年号鏡は本物かもしれないし、あとで偽造されたものかもしれない。


347 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/10(日) 23:48:43
>>341

>じゃあ、魏志倭人伝の『銅鏡百枚』はソノ年号が刻まれた鏡でしょう?

それは誰も判断できません。語れるのは文献だけですから

>他に何があるんです?河童さんはどの鏡とおもってるの?

私が何か答えたとして、それを判断できる材料を持っていますか?


>>342

>以前と言うとその年号を含むので「その年号より前に作られたものではない」ということですね。

はいそうです。
平成年号入りの硬貨を昭和に作ることは出来ませんから
ただし、明治の年号入り硬貨を平成に作ることは可能です。




348 :日本@名無史さん:2010/01/10(日) 23:52:35
>>345
沿岸沿いなら沿岸の測量で距離はわかる。外洋では無理。
それは理解できるかな?

それ以前に軍の記録なら物資ってのは重要なデータなんだよ。
魏志倭人伝は物資と軍の展開について留意して書かれている。
それは援軍を頼もうとした、許可を得ようとした記録だからだよ。
それがわからずに読んでる学者がさまざまな誤解を生んでいるんだ。

349 ::2010/01/10(日) 23:56:34
いま考古学でいわれてるのは、古代の日本と中国の外交で、鏡が多く日本列島にやってきてる。
この鏡は前漢鏡だったり、後漢鏡だったり、はたまた魏の年号のあるモノだったり・・・

そこで一番その「取引」があったであろうといわれてるのは三世紀で、文献では魏志倭人伝の
「銅鏡百枚」があり、考古の方でも三角縁神獣鏡の出土が極めて多く一致していると言えよう。
九州説論者さんに聞きたいのは、この一致するデーターについてどのように考えてるのか?
丸っきり無視ですか?それじゃあ議論は進みませんよ。

350 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/10(日) 23:59:19
>>348
<外洋では無理。
<それは理解できるかな?

このやろ!! 誰が外洋を舟で来たんだ?ふざけていると塩まぶして干物にするぞ!!

351 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:01:02
>>350
誰が?
文盲ですか?
ていうか魏志倭人伝を読んでないなら、このスレに書くべきじゃないよ。

352 ::2010/01/11(月) 00:01:16
>森浩一氏
>寺沢薫氏
>福永伸哉氏
>森博達氏

ちゃんと本を読んでいる人は名前がすぐでてくるw
河童さんは誰かいないんですか?「ゲンキ虫氏」とか?ww


353 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:03:21
縄文人は文盲に近いと思うよ。

354 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:04:49
>>349
もしかして「△は舶載」とか、途方もないことを考えていませんか?


ネタですよね。


ネタは学者が内輪で言うときだけに許されるものですよww



355 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 00:12:18
>>349
「銅鏡百枚」がすべて同じ種類の鏡だったとは考えにくい。
むしろ、一枚ずつ百種類の鏡と考えるほうが面白いと思います。


356 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/11(月) 00:12:28
>>351
半島部の循海岸水行は外洋ではないのは分るな?狗邪韓国(巨済島か?)ー對海国(対馬)ー一大国(壱岐)ー末盧国(唐津辺り)
は天気がよければ目的地が見える。海流はあるが慣れた水夫には内海みたいなもんだ。おまえらみたいなひ弱な人間じゃねえぞ。


357 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:12:46
>>349

>文献では魏志倭人伝の
「銅鏡百枚」があり、考古の方でも三角縁神獣鏡の出土が極めて多く一致していると言えよう。


文献に書かれた銅鏡百枚と三角縁神獣鏡の出土が極めて多くでは 一致でもないと思うよ。
現に三角縁神獣鏡と言われている鏡は百枚以上出土してるんだろう?
文献に書かれた百枚の銅鏡と出土銅鏡の関係が気になるのは、その出土枚数が百未満であるときの方が
より重要になるんじゃないの?


358 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:16:56
>>355

>「銅鏡百枚」がすべて同じ種類の鏡だったとは考えにくい。

いいね〜

>むしろ、一枚ずつ百種類の鏡と考えるほうが面白いと思います。

一枚ずつ違っていたかどうかは解りませんが、いろんなタイプを多数贈られたから「百枚」
ではないかと私は考えています。「100」ではなく「百」




359 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:21:56
>>352

>ちゃんと本を読んでいる人は名前がすぐでてくるw
河童さんは誰かいないんですか?「ゲンキ虫氏」とか?ww

私はカードゲームは極力しません。

360 ::2010/01/11(月) 00:22:35
>>354
>もしかして「△は舶載」とか、途方もないことを考えていませんか?

三角縁神獣鏡が「舶載」なのか?「ぼう製」なのか?素人の私には分かりかねますが、
これは考古のほうで、わたしもですね、魏志倭人伝解析ばかりやってたんじゃなく、
考古も知らないといけないってことで、九州国立博物館などの展示品をまわったりですね
教育庁でおこなっている考古学口座にも受けたことがあります。

宇佐の風土記の丘とかも周りましたが、そこの赤塚古墳からも三角は出土してますね。
そういうところで、一般的にいわれてるのは、「舶載鏡」としていわれている。
博物館のプレートにしても「赤塚古墳出土の舶載鏡」として表示されています。
一般的に「舶載鏡」といわれてういるという現実がそこにあるんですよ。

361 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:23:51
>>356
見えない。調べて。
ていうか思いつきで書くのやめて。

362 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:27:48
>>361
その人はいつもそうだよ。レスしないほうがいいよ。

363 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:28:37
>>350
>このやろ!! 誰が外洋を舟で来たんだ?ふざけていると塩まぶして干物にするぞ!!

反論できずにイサク化している。

>>356
>海流はあるが慣れた水夫には内海みたいなもんだ。おまえらみたいなひ弱な人間じゃねえぞ。

やや持ち直しているが、半分イサク化してる。

364 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 00:30:12
>>358
あれ、珍しく河童氏と一致?

全部同じタイプより、バラエティに富んでいるほうが帝国の富を見せつける効果があるでしょう。
ただ、漢文で「100」というのは無いのではないか?


365 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:30:13
>>361

だったら削除依頼出してこいよ
いちいちここで言うよりはやいぞ

366 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:33:50
>>364

>漢文で「100」というのは無いのではないか?

あいや〜  100と書いたのは 数詞の百と言う意味です

367 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:35:43
>>362
そうなんだ。荒らしですかね。


>>365
あなたも荒らしってことですか?河童さん

368 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:38:04
>>363

ぜんぜんイサクさんじゃないです。

もし縄文人さんが、伊作さんの別ハンなら
かなり無理してキャラを変えてる(伊作さんの特徴をかなり殺した)としか考えられませ


369 ::2010/01/11(月) 00:38:51
>>355
>「銅鏡百枚」がすべて同じ種類の鏡だったとは考えにくい。
>むしろ、一枚ずつ百種類の鏡と考えるほうが面白いと思います。

私も三角縁神獣鏡に詳しいわけではないので(ドンコイに詳しい人おるみたい)、
今すぐには出てきませんが、三角縁神獣鏡というのは一種類ではなく、何種類にも分かれてますよね。
ほかにも、画文帯神獣鏡もありますし、まさにこれらでしょうね。

>>357
>現に三角縁神獣鏡と言われている鏡は百枚以上出土してるんだろう?
>その出土枚数が百未満であるときの方がより重要になるんじゃないの?

卑弥呼の鏡と考えられるモノは三角縁神獣鏡の一部で百枚以上なんて出土されていません(おれ福永氏に影響されてる?w)。

>>358
そうでしょ?三角は何種類もあるんですよ、ピッタリですねwww

>>359
かといって妄想していいとはかぎりません。

370 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 00:39:53
>>360
>一般的に「舶載鏡」といわれてういるという現実がそこにあるんですよ。

一般的どうこうなら、私達はみんな畿内説にならないといけないですか?
>>343 縦目さんの説明、説得力ありそうです。あ、森博達さんですか。


371 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:42:49
>>365

>あなたも荒らしってことですか?河童さん

それを決めるのは私ではありません。荒らしと思いたい人にとっては、何を書こうが荒らしですから
それがコテを付けるという事です。
名無しはそれを面白半分に利用するのも2ちゃんの特徴


372 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:46:26
>>369
中国の王さんという人は、三角縁神獣鏡は、呉の工人が日本にやってきて
作った鏡だろうといっていた。つまり、卑弥呼の鏡ではないということ。
魏が卑弥呼に与えた鏡は、内行花文鏡か方格規矩四神鏡だろうとも言っていた。

373 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:46:52
>>371
削除要請しろよ、って言い放たないんですかね?自分のことだと。

374 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:47:45
>>369

>卑弥呼の鏡と考えられるモノ

卑弥呼の鏡だなんて、一体どこに所有を示すものがあるの?
贈られた鏡がこういう鏡ですなんて何処にも書いていないし、贈られた鏡が将来出土するって保障もないんですよ


375 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:53:35
>>373

だから何が言いたいの?出来る限り特徴が出ないように文章を短めに抑えているようだけど 

376 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:55:42
>>375
正当な批判をしてるレスに
横からチャチャ出してるんだから、まず誤りなさよ。おれは不快に思ってるんだから。

377 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 00:56:15
私はこのへんで遊び場に戻りますので失礼します。

378 ::2010/01/11(月) 00:56:41
>>370
>一般的どうこうなら、私達はみんな畿内説にならないといけないですか?

??何のことかよく分かりませんが・・・・『邪馬台国の所在地問題』に関しては
一般論でいうと「大まかに畿内説と九州説とがあり、いまだに決着が着いていない」でしょう。

>>372
王仲殊氏ですね。
日本列島で一番出土されてる古代の鏡といえば三角ですよね、
もし仮に、三角縁神獣鏡ではなくってもですね、三角の前の時期に『画文帯神獣鏡』があり、
いくら王氏が三角ではないと言っても、畿内説有利は動かないと思いますよ。

379 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 00:57:32
三角縁神獣鏡の謎
ttp://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html

いろいろ考えさせられる・・・

380 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:00:35
>>377
ほんとに失礼だと思うよ。


381 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:02:22
>>378
画文帯神獣鏡は呉の鏡といわれるから、魏とは関係ないと思う。
それに、奥野正男さんは、三角縁神獣鏡は、画文帯神獣鏡を粘土に押し付けて
形を取り、それにふちを付けたものと言っている。

三角縁神獣鏡もそういう呉の系統の鏡であり、だから王さんも呉の工人が
作ったといったんじゃないかな。

382 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:07:21
いや神獣鏡の、東王父は崇神天皇、西王母は卑弥呼か台与、おそらく台与。

383 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:17:39
いつも予算の時期が来ると、畿内でどうでもいいような事象を
大げさにリークして大騒ぎする畿内説学派・・・
官僚と結託してるとしか思えない。
官僚=畿内説?
民主の事業仕分けに、畿内説一派の一掃もお願いしたい。
日本の歴史を自民党=官僚の恣意的な歴史観からもう一度
やり直しましょう。
津田歴史観にもどるのは駄目だけど・・・


384 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 01:19:53
>>376

もしかしたらここかな?

361 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:23:51
>>356
見えない。調べて。
ていうか思いつきで書くのやめて。
362 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 00:27:48
>>361
その人はいつもそうだよ。レスしないほうがいいよ。

ここの部分を言ってるなら、確かに私がミス。私がレス番見間違って(356を357に見間違った)しまって貴方に文句言った形に

もしそうだとしたら 見間違いとはいえ不愉快な思いをさせて大変申し訳ない事をしました。
ここに陳謝いたします。


385 ::2010/01/11(月) 01:20:05
>379の愛知県民さんが貼りつけたURLみとったww

こちらもお薦め
http://youtubedouga.net/detail/nA6gdNbjAUE

なんか、卑弥呼の鏡=三角縁神獣鏡の反論の方が多いですねw
賛成論も聞きたいです。

386 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:31:37
>>385

2chでは、現在規制中のローガンだけだな。

387 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 01:32:22
>>379 より
これらの一連の報道は、突き詰めてしまえば「三角縁神獣鏡の原材料である青銅の成分が、中国産鏡と一緒だ。」とい
うものである。つまり「成分である青銅が中国産だから、三角縁神獣鏡も中国製」である、と結論づけていることにな
るのだが、これは大きな過ちである。そもそも古代の青銅製品、銅鐸や鏡や矛などの原材料が国産品ではない(多くは
中国産)事は、歴史学界では常識である。今までに発見されている銅鐸は、まず殆どの原材料が中国産の銅である。
しかしこれを中国製品だという人はいない。中国では日本式の銅鐸が存在しないからである。銅鐸が日本固有の祭祀用
具という見方は、朝鮮・中国でも定説なので、ことさら「銅鐸=中国製」を唱える学者はいない。
しかるに、鏡となるとどうして中国製品だ、中国製品だと騒ぎ立てるのだろうか。
それは、いままで見てきたように、「邪馬台国を近畿に持ってきたい」一心からである。

>>385 でも「中国製」「成分割合」が出てきます。

388 ::2010/01/11(月) 01:40:06
>>387
三角縁神獣鏡の研究者でもある小林行雄氏の三角縁神獣鏡分布図とか
観れば一目瞭然と思いますが・・・

九州ではなく、畿内を中心に分布されてます。


389 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:48:22
三角縁神獣鏡は、けっこう粗末な扱いを受けているから。
黒塚古墳などを見るとわかるけど、棺の外に大量の三角縁神獣鏡。
棺の中には、たった一枚の画文帯神獣鏡という具合。

決定的だったのは、黒塚古墳から出てきた三角縁神獣鏡が未完成品だったこと。
鋳型から出したときについてくるバリ、つまり残りくずがついたままだった。

最近では、畿内説の考古学者も、葬具だという人が多いな。

390 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:51:31
日本中で鏡が重宝されたに過ぎないんじゃないの?特に近畿地方でそのコピーを作ることが盛んに行われたに過ぎないだけで。

391 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:55:47
考古出土物なんてどんなに素人が語りつくしても、専門家の鶴の一声で決まってしまうものだから、議論すること自体無駄じゃね?
それとも素人が議論することで、何か得るものでもあるのかなって思うわけで。


392 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:58:04
最近また俄か考古学者気取りが増えてきたようだな

393 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 02:20:49
>>379
「これはバカかもしれない」、もといww 「これは謎かもしれない」の部分は笑える。

三角縁神獣鏡とは外区の文様が一見して違うだろww

この人は、三角縁神獣鏡の定義さえも知らずに、さんざん書いてきたんだね。
ただの画像鏡と三角縁神獣鏡の区別もつかないなんて。

394 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 02:45:34
個人のサイトに文句言っても・・・とはいえ、本を出した以上は公人として言わせてもらえれば、
あれだけ各地の遺跡を見て回って、九州説という結論になるのが不思議。

395 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 03:17:16
>>393
>三角縁神獣鏡とは外区の文様が一見して違うだろ

三角縁の神獣鏡だな。

396 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 03:19:59
これで三角は魏鏡ということが決定したな。

397 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 03:36:33
κ虫が失礼な人間だと言うことは周知の事実


398 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 03:39:34
と書いてしまうとκ虫に失礼だから取り消します。


399 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/11(月) 07:26:00
266年 壹與(五百野姫)は、天皇交代を上奏するため、晋に朝貢する。

晉武帝咸寧(275年-280年)中、馬韓王來朝、自是無聞。三韓蓋爲百濟、新羅所呑并。
この情報を得た晋国では、半島を我が領土として維持するため、楽浪に一つの命令を出す。
それは、百済、新羅の台頭を許さず、維持する為の方策である。
楽浪の武官は、倭国に対し軍の渡海を要請する。
274年 仲哀は、晋国の要請を受け、筑紫まで進軍するが、ここで渡海を躊躇する。
晋国の要請は絶対である、武内宿禰と住吉神は、共謀して、仲哀を除く。
渡海先には、楽浪軍が待ち受けており、共同で、新羅百済に旧来の領地回復を命令。
これにより弁辰(伽耶)は、頭に倭国を戴き、邑国の集合体として、存続。
しかし神功軍の帰京と共に、仲哀死亡を巡る、いざこざが勃発。
大和は勢力を2分する形で膠着。
孝武帝の太元十年(324年)、高句麗が遼東と玄菟郡を攻める。後燕の慕容垂は弟の農を派遣して高句麗を成敗し、二郡を復旧した。
百済らは旧東夷の馬韓の地にある、晋末に(高)句麗が遼東と楽浪の地を統治すると、(百済も)
また遼西の晋平県を治めた。晋以来、(百済は)常に藩臣として貢ものを(中国王朝に)
おさめてきた。
324年 神功49年 倭軍は楽浪郡の要請により、百済軍を率い出兵、遼西の晋平県を治めた。
倭国にとって遼西の晋平県は遠い、そこで晋国の了解の元、百済にこの地を譲渡。
326年 神功51年 そのお礼として、七支刀が献上される。
これ以降 纒向王朝の衰退と河内王朝の台頭。

県民さん あなたの主張どおり矢張りここじゃあ無いですかね?
神夏磯媛と住吉神
仲哀の橿日宮と住吉神

400 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 09:19:48
>>399
漢末以後、倭の管轄は帯方郡ですが、なぜ楽浪ばかりなんでしょう。
晋書四夷伝を見ると、馬韓は咸寧の後にも、太康(280年代)、太熙元年(290年)にも朝貢している。
通典の記事は間違いですね。
晋書に倭の渡海記事は存在しない。倭人伝は266年以後の記事は無い。すべて空想。
324年に楽浪郡はありません。
百済の山東・遼西支配説は梁書に基づくもので、韓国は国定教科書に書いているとも聞きますが、危ないですね。
七支刀は326年ではない。
どこが私の主張どおりなのか、全く分からない。

401 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 09:38:09
百済の確実な史料初見は、345年遼西にあった前燕の都に高句麗、百済の兵士・人衆が徒民されて集住しているという晋書載記の記事らしい。
342年に高句麗が前燕に大敗したころ、旧帯方郡の地域が高句麗から独立して百済を称したとする岡田英弘氏の推測に従いたい。

402 :伊都王卑弥呼:2010/01/11(月) 09:41:02
>>300
榎一雄の考えが分かりませんね?



403 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 10:27:12
神夏磯媛の女王国が景行天皇に降伏したのは4世紀初めと見られるが、
大陸では晋が衰亡し、楽浪・帯方郡が高句麗に滅ぼされる頃のことである。
原田大六氏は平原古墓の超大型鏡を八咫の鏡と解し、伊勢神宮の八咫鏡も類似の鏡であったのではないかとした。
神夏磯媛は降伏に当たって八咫鏡を景行天皇に差し出した。
景行は帰京した次の春、五百野皇女に天照大神を祭らせたという。
古語拾遺には八咫鏡について、始めに造られた鏡を失敗作としてこれを紀伊國日前神としています。
豊鍬入姫命の出自が紀伊であることを考えると、五百野皇女が筑紫の鏡を運んだのではないだろうか。

日前神宮・國懸神宮(和歌山市)の日像鏡・日矛鏡。
これまでに実物が調査されたことは無いとのこと。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%83%8F%E9%8F%A1%E3%83%BB%E6%97%A5%E7%9F%9B%E9%8F%A1

404 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 10:37:25
>>402
邪馬台国研究総覧ぐらいは読んでいるんだろう?
山田孝雄の「狗奴国考」に次のようにある。
周旋なる語は、本来他を纏繞する意にあらずして、自己が旋転して行動する義
にして、物の大きさをいう語でないことは、「佩文韻府」の十数個の用例を点
検しても明らかである。

榎も基本的にそれに同調しているわけで、総覧によるとそのような考え方が学
者の間では主流らしいな。

405 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/11(月) 12:53:14
>>361
昨夜はアルコールが入っていたので乱暴な言葉(わたしには似つかわしくない言葉)を使ったようだ。言霊を信じているわけでは
ないが、相手の言葉に反応して適切な言葉が出て来るものらしい。しかし今日は紳士らしく答えよう。

あのさ〜 対馬から釜山が見えるということを聞いたことがあるよな。ね〜か?どっちからでもいいが舟をこぎ出して
十数キロも進めば見えるぞよ。対馬から壱岐でもちょっと進めば見えてくる。壱岐から唐津に来るときゃあちこちに目印になる島
が点在している。何回も往復して慣れてる水夫にゃ庭みたいなもんだ。おめさんも行ってみろ。うい〜

406 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 13:05:09
平原古墓では八咫の鏡だけでなく、舶載と思われる多数の白銅鏡が出土した。

日本書紀卷第八 足仲彦天皇 仲哀天皇
八年春正月己卯朔壬午。幸筑紫。時岡縣主祖熊鰐。聞天皇之車駕。豫拔取五百枝賢木。
以立九尋船之舳。而上枝掛白銅鏡。中枝掛十握釼。下枝掛八尺瓊。參迎于周芳沙麼之浦而獻魚鹽地。
(中略)
又筑紫伊覩縣主祖五十迹手。聞天皇之行。拔取五百枝賢木。立于船之舳艫。
上枝掛八尺瓊。中枝掛白銅鏡。下枝掛十握釼。參迎于穴門引嶋而獻之。

このように九州から鏡を手に入れたらしい記事が多くある一方で、
「魏の国が銅鏡百枚を持って朝貢してきた」という記事はどこにも無い。

407 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 13:09:53
>>405
これは縄文人さん、こんにちは。
伊都国の問題はありますが、同じ九州説どうし、仲良くしましょう。
今後もいろいろ教えてください。


408 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 13:47:45



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




409 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/11(月) 13:53:42
>>407 愛知県民さん
これはこれは恐れ入ります。もちろん、九州説は小異を捨てて大同団結できる度量の持ち主が多いと思います。
畿内説派の諸君は強大な九州説勢に対抗するため必死になって仲間集めをやっているようですが、なんせ持ち駒
が歩ばかりのようでこちらがどきりとするような指し手がでてきませんな〜。

410 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 14:06:12
「不知正歳」の倭人にとって「景初・正始」の年号にどれほどの意味があったのだろうか?

411 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 14:24:44
>>405
>あのさ〜 対馬から釜山が見えるということを聞いたことがあるよな。ね〜か?どっちからでもいいが舟をこぎ出して
十数キロも進めば見えるぞよ。対馬から壱岐でもちょっと進めば見えてくる。壱岐から唐津に来るときゃあちこちに目印になる島
が点在している。何回も往復して慣れてる水夫にゃ庭みたいなもんだ。おめさんも行ってみろ。うい〜

それは全く倭人伝とは関係ない事ですね?

412 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 14:30:20
>>406

>魏の国が銅鏡百枚を持って朝貢してきた」という記事はどこにも無い。


あるわけないよ
朝貢したのは倭人であって、魏はその朝貢を受けた側


413 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 14:36:03
>>412
もちろん事実はそうですよ。
ただ日本書紀の立場上、魏に朝貢したとは書けません。
もしヤマトが魏に朝貢した事実があれば、立場を逆にして書くでしょう。
仁徳紀でも、呉の国が朝貢してきたと書いておりますし。

414 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/11(月) 14:59:31
>>411
うんにゃ ある!
倭人伝に狗邪韓国ー對海国ー一大国ー末盧国の水行ルートが書いてある。見てみ。

415 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 14:59:54
>>413

>呉の国が朝貢してきたと書いておりますし。

呉が日本になんらかの見返りを求めたものであれば当然「朝貢」と書きます。
「朝貢」に上下関係は発生しません。
朝見が朝献になれば当然そこには上下関係が発生しますが


416 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/11(月) 15:04:58
>>410
河童虫せんしぇい

「不知正歳」ちゃ倭人でん庶民のこっじゃなかとかね。渡来人とか大陸や半島に行ったこつのある大人なんかにゃ
漢字が分るとじゃなかか?


417 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/11(月) 15:16:14
>>415
>「朝貢」に上下関係は発生しません。

ウィキで引くと
朝貢(ちょうこう)は、主に前近代の中国を中心とした貿易の形態。
中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が恩賜を与えるという形式を持って成立する。
(中略)
宋代においてこのシステムは破綻する。遼に対しては辛うじて上位にたって中華王朝としての面目を保ったものの、
金に対しては宋王朝のほうが下位の立場に立って、貢物を差し出す事となった。

実質的には朝貢は単なる貿易とも見られますが、形式的には貢ぐ側が臣下になると思いますが?
今週はこれにて。GRRR・・・

418 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 15:16:29
>河童虫

ほ〜ら 突っ込まれた。
通称モンタこと邪馬台国東遷説の河童虫さん

あまりにも無知つーか、恥ずかしい書き込みはヨシテよw


419 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 15:24:21
>>416

>「不知正歳」ちゃ倭人でん庶民のこっじゃなかとかね。渡来人とか大陸や半島に行ったこつのある大人なんかにゃ
漢字が分るとじゃなかか?


 漢字を認知している事と「不知正歳」はなんら関係のないことです。正歳は制度ですから

ただし、庶民という文言が記載されているのであれば庶民が対象でしょう。


420 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 15:31:00
>>419
あんがとやんした。庶民はわしのことでやんした。下戸でやんす。

421 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 15:32:17
>>418

>あまりにも無知つーか、恥ずかしい書き込みはヨシテよw

人は己の無知を隠すために、先ずとる行動として
誰かを無知と位置付け己の身を隠そうとする。ま、これは小学校が自己保身のためにとる行動なんだが
まさかここでその行動に巡り合うとは  いやはや 恐るべし2チャンネル


422 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/11(月) 15:47:39
>>418

>実質的には朝貢は単なる貿易とも見られますが、形式的には貢ぐ側が臣下になると思いますが?

貢ぎ貢がれし外交は基本的に対等です。ただしそこには見栄や権威が発生するので
貢ぐ1に対して10でそれに応えることはあるでしょうが
でも
これが奉献であったり朝献であったり、上献の場合は完全なる上下関係が発生する外交です。目下の国が目上の国に対し貢物を奉じ、目上の国がそれに応えるという形の
もうこうなると、天子(宗主)と臣下(或いはさっ冊封)関係です
上献に関しては、最初から目下という位置で接触しますが


423 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 17:08:20
>>248
>1世紀において(と言ってもローマは一日にして成らずと言うからその前BC100~200辺りからかな)倭の覇権国は博多湾岸地域
の奴国であった。この地域には須久岡本や高木吉武などの有名な弥生遺跡があり、さらには前原に三雲、井原鑓溝、平原などの著
名な遺跡がある。これらは奴国の王や有力豪族の墓地である。なお、この地が奴国であることは後漢書に記されている「建武中元
二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」に該当すると考えられる漢委奴国王印が志賀島から出土したこ
とから確かであろう。

金印(漢委奴国王印)は実際には志賀島からの発見ではなく、井原鑓溝遺跡(糸島市井原)→
細石神社(糸島市三雲)からもたらされたものという古田武彦氏説(彼は「委奴国」と読んではいますが)
について縄文人さんはどのようにお考えでしょうか。
縄文人さんの上記のお考えと整合性があるようにも思えます。

424 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/11(月) 17:23:47
<金印(漢委奴国王印)は実際には志賀島からの発見ではなく、井原鑓溝遺跡(糸島市井原)→
<細石神社(糸島市三雲)からもたらされたものという古田武彦氏説

浅学にしてその説は知りません。本当のことですかね。???という感じです。

425 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 18:30:55
ご参考。
「細石神社の宮司が、金印は神社の宝物であった、という証言」
この証言があったことの確証、および、この証言が実際にあったとしても
この証言自体の信憑性については全く分かりません。面白い話ではありますが。

http://www6.ocn.ne.jp/~kodaishi/michikusa11.htm


426 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 18:59:22
倭国の諸国が連邦国家(邪馬台国)を作って女王(卑弥呼)を立てたんだと思っていたけど
石ノ森の漫画を読んだら邪馬台国はあくまでも連合体の代表者にすぎないって描かれてたんだけど
どちらが正しいのでしょうか?

下記だと邪馬台国とヤマト王権の関係とか
随分印象が変わりますが

427 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 19:57:41
>>426
石の森のは、あくまでも漫画だわなw
しかも、その漫画は、最近の考古学の研究成果なんて、
まったく反映されてないわけだし。

ここ十年の考古学の研究成果で、
だいぶん、古代史の解釈が大きく変わってきたよ。

428 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 20:14:10
343 の縦目仮面さん

ローガンさんからレスがついてます
http://www1.atchs.jp/most/

429 :◆.L.MXSPOgc :2010/01/11(月) 21:04:30
>>426
一大率などの強権的な制度を考えると、
>>倭国の諸国が連邦国家(邪馬台国)を作って女王(卑弥呼)を立てた
というものとは違うように思えます。

>>石ノ森の漫画を読んだら邪馬台国はあくまでも連合体の代表者にすぎない
その漫画の信憑性を先ず疑うべきではないでしょうか?


個人的な意見ですが、邪馬台国は結構強権的に30国を纏めて、その連合を作っていたように思っています。
共立は、それらの国を統べる邪馬台国の内部での話と見ても、それほど矛盾は感じません。

話は飛びますが、考古学者のいう「ゆるやかな連合」に、上記の邪馬台国連合が加わっていたとしても、
これも矛盾するものではないと私は考えています。

430 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 21:25:28
>>422
最近の河童さんは、2chの投稿よりもyahoo知恵袋への回答の方が主のよで。でも自分にとっては大変役に立つし
河童さんの違った一面を見たようで、大変面白いと思います。


431 :日本@名無史さん:2010/01/11(月) 23:19:56
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

432 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 00:20:22
>>430

ゲェ!
見てたんですか? これはとんだお恥ずかしいところを(でも、役に立ててくださってありがとうございます。書き込みの甲斐があります)
自分ペースでしかも知識範囲内で書き込みが出来るので、ついつい嵌ってしまいました。


433 :メ(すぐオチ):2010/01/12(火) 13:53:27
>初心者スレ156 別の邪馬台スレフアンさんの投稿:2010/01/02(土) 18:25:54
>考えたんだけど、纏向発掘でちょうど盛り上がってるんで、ここのコテ連で邪馬台国本出せないかな。
>畿内説と九州説に分かれて、HNでバトルをするという内容で、
>ドツボが司会。畿内説の大将がローガンで、九州説は年の功を買ってサガミ。

ヒマなんで邪馬台国論争ごっこに付き合ってやるかww
もし、やるんなら1/15(金)夜〜1/17(金)ぐらいかな?他のコテさん、どうするよ?!

【司会】
改め、その他

【畿内説サイド】
ローガン、うましか、縦目仮面、www(ジョーカー)唐松山、二ルート、その他

【九州説サイド】
サガミハラハラ、河童虫、太国、愛知県民、縄文人、九州王朝大好き、その他


434 :メ(すぐオチ):2010/01/12(火) 13:59:55
あ、初心者さんの要望らしんでw
それにしてもおれは司会かよw
やるんなら畿内説代表でしたいんだけどなww


435 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 14:53:59
>>280
>船越の運河が後世掘られたものだってことは知っているのかな?

知っておりますよ。
運河で通ることを船越とはいいません。

436 :435:2010/01/12(火) 15:19:48

279へのアンカーミスです

437 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 16:25:02
考古学者も、最初は、
緩やかな邪馬台国連合みたいな言い方だったのが
最近は、徐々に、倭国の中央政権としての邪馬台国へと
言及し始めているな。

438 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 18:50:31
>>後漢書とか魏志を並べて「暗号解読ゴッコ」なんだろう?wwww
>ちゃうわい。そんなのはほんのお遊びよ。

ン? あらら・・・
この人達は邪馬台国問題つーのをまだよく分かってないんだな・・・(そんなレベルかよ?)。

河童さんがいうとおりで邪馬台国の問題を考える上では
『考古学』なんていくらやっても無駄と思うゾw

まあせいぜい「金印」か「卑弥呼の墓」か「下賜品」ぐらいが関係するぐらいでwww
ましてや、「庄内式」がどうだとかw 土器編年やっても意味ナッシングだしww

そもそも「邪馬台国」というのは文献の問題で考古学の問題ではないんだな

439 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 19:31:42
>>438
>>508
もうこの手の厨房には流石にウンザリだなw

まあ考古学的なアプローチとしては
「3世紀魏に朝貢したようなクニがあったとするなら何処なのか?」
と言う事になるんだろうが、倭人伝が誰が読んでも疑いの余地が無く
ある地域を指し示すのであれば文献だけで完結するだろうな。
それができないから考古資料が使われるんであって

アホ相手にもうこんなレベルから説明しなければならないのか?
勘弁してくれwwww

ついでに言うと厳密には3世紀の日本に邪馬台国なんてクニはないし、卑弥呼なんて人物もいなかった。

「邪馬台国」と中国史書に書かれたクニがあって
「卑弥呼」と書かれた人物がいただけw

440 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 19:41:31
>>439
まったく同感だけど、その言い方じゃ「彼ら」に真意は伝わらないと思うよ。

まあとにかく、バイアスかかりまくりの連中はプロでもアマでも等しく鬱陶しい。

441 :439:2010/01/12(火) 19:42:06
おっとアンカーがダブったな>>438の馬鹿に対してなw

>438は河童の言を引用しているみたいだが
そもそも河童の認識がおかしいw

「文字で書かれたのが歴史であり嘘も真も無い白も黒も無い」
と言うのが河童の理屈だが

じゃあ文字も無かったとされる南米の古代文明は歴史として存在しなかったのか?

文字に書かれたいたからその真偽は問わないと言うのなら
プラトンが書いているからと言ってアトランティス大陸を実在のものとするのか?

…とまあ実に馬鹿馬鹿しいお話になるwwww

歴史には文字資料では知りえない領域があり
考古史料でも知り得ない領域がある。

別にどちらかがどちらかに対し優勢であるとか言う問題ではない。

まあ脊髄反射しかできない馬鹿には分からない話だろうがwwwwwwww


442 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 19:54:07
縄文人なども30年ほども前に今のようなレスをすれば、ひとかどの論客と見られたかも。
ただ、今上に出てくるような文献妄想をやっても、アホかとなるだけ。文献が信用されなく
なったのはこうした輩が次々と出てきたのも一つの大きな要因。結局アマの楽しい妄想が
倭人伝の文献史学を成り立たなくさせたともいえる。そしてそれに納得できない輩がヤフ
ーや2chに流れ込んでいるという構図。愚かなり、哀れなり、と言おうか。

443 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 20:40:02
縄文人は ハナ肇 と 谷啓 を足して2で割ったような顔をしてると思うな。

444 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:14:19
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

445 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 21:18:17
>>441

>歴史には文字資料では知りえない領域があり
考古史料でも知り得ない領域がある。


で、一体その「ある」と言った領域とはなんですか?

>じゃあ文字も無かったとされる南米の古代文明は歴史として存在しなかったのか?

いいえ、文字が無ければ言葉があります。

>プラトンが書いているからと言ってアトランティス大陸を実在のものとするのか?

書いてあるから実在ではなく、書いてあるという現実です。





446 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:26:19
>>445 河童虫 さん

邪馬台国のヤの字も知らない「・・・www」の名無しに
一から教えてやってよww


447 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:39:15
>>441
考古学は古代の「文化」を研究するもの。

448 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:47:42
>>445 河童虫

どうでもいいわ、そんなつまらないトートロジーだか謎賭けだかはwwwww

>>438 じゃあ、お前は

 『考古学』なんていくらやっても無駄

と言う主張らしいがそれで良いのか?w

>>446

なんかサイキバぽいがw

後は河童に丸投げしていつものようにトンズラか?


449 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:50:09
>>448
ムキになるなよ このバカwwwwwwwwwwwww



450 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:51:35
歴史というのは、どういう人がいて何をした、ということだから、考古学では
わからない。例えば、青森県の三内丸山遺跡という縄文時代の遺跡があり、
発掘調査が行われているが、歴史的なことはわからない。
当時、どういう暮らしをしていたかがわかるだけ。

弥生時代も同じなのだが、倭人伝という中国の書物があるから、歴史的な
事を考えることが出来る。考古学で歴史を考えると、いろんな解釈が出来る
から何でも有りになってしまう。

文献を否定することは、何でも有りに頼ることになり敗北を意味するな。

451 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:05:07
>>449
やはりサイキバのアホだったかw

で、例の「弥生時代の銅鏡は九州が99%」と言う数字の根拠も尻切れトンボなのかな?w


452 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/12(火) 22:06:14
>>450 最下段
アジのある言葉だな。

453 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:06:31
>>450
「編年」ってやつは、文化の変遷の時間的流れと位置的な移動の基準になる
重要な根拠だと思ってたんだが・・・「編年」って考古学の領分じゃないのか?
そりゃまあ現状の編年が大いに揺らいだり疑われたりしてるのは事実だが、
方法論自体を放棄するのは違うんじゃないか?

454 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:08:12
>>450

で、ひょとして「畿内説が文献を否定してなっている説」って文脈なのかな?wwwwwwwww


455 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/12(火) 22:13:01
>>453
おおまかには考古だな。細かいんでは文献のほうだ。
ただし唐松山は顕微鏡的で失敗している。火星を観るのに望遠鏡を使う
べきところ、奴は地球から電子顕微鏡で観ろと尻をたたく。pp

456 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:16:54
>>455
だからよ。文献派だろうが考古派だろうが、バカはバカなんだよ。
バカのサンプルを取り上げて方法論やアカデミー全体を攻撃するって、
それこそ阿呆の所業だと思うんだが。
両側から摺り合わせて攻めるのがあたりまえってもんだろうが。

457 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:17:33
>>453
編年というのは、もともと実年代とはなじまない。
土器を、形状や模様を元に古い順番に並べたもの。

一方で、文献には正確な年代が出てくる。景初三年とか、正始元年とか。
土器の編年に実年代が用いられるようになったのは、文献に合わせようと
するところが大きいんじゃなかろうか。

458 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/12(火) 22:20:11
>>456
ちょいと難しい話だね? 具体的にやさしい事例を掲げて〜願いたい。

459 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:25:07
>>457
・文献というものは常に都合のいい嘘を書いた可能性がつきまとう
・編年は文化圏的な偏差を考慮していない
どっちにも欠点はある。だから両側から考える必要がある。
それ以上の結論あんの?
文献側からのアプローチは、考古側からの資料を参照しつつ、
その「都合」を考えることこそが肝だろ。

460 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:31:55
つうかね、ここの九州説の大方が「まともな文献史学でございます」といえるシロモノかどうかだなw

基本、単一史料で他史料との比較検証もできず
なら史料批判をするかと言えばそれもせず
「”南”と書いてあったら”南”!!」
と言うドグマだけwwww

中国史書の方角は絶対間違いないというのなら
理屈から言えば、遣使の訪れた地はやはり九州の何処か?
…となり何の事は無い「九州王朝説」だw

文献史学の王道、保守本流は「九州王朝説」ってのは流石に勘弁してくれとwww





461 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:34:35
>>458
具体名とか挙げるのは好きじゃないんで・・・まあしゃあないか。

たとえば最近、箸墓出土物の炭素年代測定やったときに、発表の席で
「これで箸墓が卑弥呼の墓である可能性が高まった」とか言った。
考古学の分をわきまえないバカ発言。

いっぽう、マキムクの発掘責任者は、
「私たちは卑弥呼のヒの字も邪馬台国のヤの字も口に出してないんですけど」
と苦笑した。これが考古学の矜持。

って書くと、まるで九州派みたいだな。違うよ。どっちでもないよ。

462 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:38:58
>>460
九州でも畿内でも文献でも考古でも、結論先にありきの論法にはウンザリ

463 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/12(火) 22:47:47
>>461
卑弥呼と百襲媛とはほぼ同時代の女性だな。後者の死亡が

 紀の崇神十年=正始元年=240年(←倍暦計算)

だ。だから去年5月の千葉の博物館班の測定値範囲内にギリギリで入って
おり、正確だと思うが、前者は247年か248年死亡だから、7〜8年差が
あるわけで、卑弥呼と百襲媛とは別人ですよ。

464 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 22:49:30
>>460

>中国史書の方角は絶対間違いないというのなら
理屈から言えば、遣使の訪れた地はやはり九州の何処か?
…となり何の事は無い「九州王朝説」だw


 かなり偏見を持った恨み節のような書き方ですね

465 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 22:54:16
>>462

>九州でも畿内でも文献でも考古でも、結論先にありきの論法にはウンザリ

ウンザリというまえに、ウンザリしないような見本を示したらどうですか?
あと500レスほどあるから、ここから延々書き連ねてみたらいかがですか?
それから批判したり、周りのレスにウンザリしても、全然遅くはないと思いますが、いかがです?手本を示してみては?


466 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 22:55:49
>>463
箸墓が卑弥呼だろうがモモソちゃんだろうがイヨちゃんだろうが、
おれはなんでもいいんだよ。新事実の発見に興味があるだけで。
真実の前には持論なんてハナクソだろ?
そうじゃなくて、研究する者の態度と矜持の話をしてたんだが・・・

467 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/12(火) 22:58:47
>>466
ふむふむ。

468 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:02:34
>>465
気を悪くしたらすまん。>>466が答えってことでわかってくれ。

いや・・・
論の内容以前の態度を問うてるんだよ。わかってもらえんかもしれんがね。
久々に覗いてみて、進歩のなさにとてもガッカリしました。って話。
まあしょうこりもなくそのうち来るけどね。バイバイ。

469 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:05:24
>>464 河童虫

「偏見だ」と言う偏見を持つ前に

偏見を持たなくてすむ河童流解釈を見せてくれw

…ところで >>446 のサイキバはやっぱトンズラしたみたいだなwwwwww

470 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:11:50
>>469
いや、いるがw
タマタイコクの『ヤ』の字も知らない一等兵くん相手するのも疲れるので
静かに観戦してるところだよw


471 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:17:33
>>470
イッパツネタのピンポンダッシュ、いつもの芸風だなwwww

河童の後ろからでいいから小石でも投げとけやカスw

でないと、いるかいないのか分からなくなるからなwwwwwww





472 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 23:19:15
 >>468
きぶんを害してなんかいませんよ 

>>469
>河童流
ま、河童流なんて存在するのかしないのか?なんて解りませんが
私はただ、現代版「役不足」を、従来版「役不足」に戻そうとしているだけです。


473 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:24:09
>>471 ・・・www
あんたムキになりすぎだってw
いま、女の子と話してるから今度な
おれはお前と違って暇じゃないんだよwwwwwwww


474 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 23:26:27
>>469

ただね、従来版「役不足」が廃れ、現代版「役不足」が今の世の中を闊歩していて
今や従来型「役不足」で会話しようなんて試みたら、それこそ世間では通用しない事など十分理解はしているつもりですよ
でもね、いま扱っている材料は現代史ではなく 従来版「役不足」なんで
従来版「役不足」を、現代版「役不足」で解釈するわけにはいかないのよ


475 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:39:32
>>474 河童

あ〜あ、そんなに言質とられるのが怖いのか?w

まあ今までこの質問に答えたこの板の九州説の奴は

「遣使が訪れたのはやはり九州だ」…と言う九州王朝説か
「過去に九州にあった事を示している」…と言う東遷説か

この2パターンしかお目にかかったことが無いんだよなwwwww


476 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/12(火) 23:48:45
>>475

>あ〜あ、そんなに言質とられるのが怖いのか?w

ぜんぜん


私は東征・東遷説ですよ。 文化は西から東(気流も西から東)
物事は西から東へが基本の基の字です。


477 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:54:14
>>473

サイキバ君、トンズラするなら黙って消えなさいw
散々書き込んでおいて「暇じゃない」も無いぞ?www

どうせピンで舞台に立てないんだからもう二度と来るんじゃないぞwwwwww


478 :日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:55:31
>>404の続き
伊都王卑弥呼だとか名乗って、周旋は一周だと喚いていたのは消えたのかな?

周旋は倭地の始まりから終わりまでの距離。そのことが分かると、次の問題は具体的に
どこを倭地の始まりとみるか、どこを終わりとみるかだ。
畿内説論者は北九州を始まりとみて、五千里を長里で考えると主張した。だが、伊都国
や奴国、不弥国あたりまでを短里で理解しておいて、周旋五千里をいきなり長里という
のは到底無理。倭人伝がいう五千里というのは350キロからせいぜい400キロだ。
そうなると、東へ延ばしたってせいぜい岡山だね。畿内何ぞはどうみても倭の地の外と
言わざるをえない。門脇もそれで畿内説を放棄した。

北九州説は倭の地の始まりをとんでもないところに持って行った。朝鮮半島の南の海は
倭の領域だってなことを言って、朝鮮半島から五千里を考えたわけだ。しかし、倭人伝
が言うのは倭の地だ、海ではない。それに狗奴国だって倭の地の国だ。
北九州までで五千里のつじつまを合わせようってのは到底無理。

倭の地は海は関係なし。北九州に上陸したところから始まる。そこからぐるりと廻って
350〜400キロ。それで倭の地の果てに到達する。となれば、それが九州島の大き
さにピッタリだってことは誰でも分かる。倭の地は九州だってことを認めて話は始まる
んだ。

以上、文献史学からの周旋五千里の解釈でした。




479 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/12(火) 23:59:47
>>460
倭人伝の方角記事のことだが、
伊都国については郡使往来常所駐とあるように郡からの使者が何回も来ていることが分るだろ。このこともうたがうのでは
ないだろな。そんな何回も使者が行ってよく分った場所だよ。方角を間違えると考える方がおかしいだろ。

それともなにか、君は間違いだという証拠を持ってるとでも言うのか?正しいということを証明することを求める前に、間
違いだと言うのなら間違っているという根拠を示してみることだな。

九州説論者が文献批判もなしに倭人伝を全て信じて論じているなどと勝手な憶測をするな。

480 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:08:15
>>479 縄文人
郡使が伊都国に常駐していた事と邪馬台国の方角と何か関係あるのか?
その郡使が何回も邪馬台国に行ったと言うのならともかくwwww
行った事のない場所についての伝聞情報だったら意味が無い。
もう少し考えようなw

ところでお前は件の隋書の記述の件についてどう考えるんだ?

やっぱ東遷説で
「過去に九州にあった事を示している」
で良いのかな?


481 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/01/13(水) 00:17:36
>>480
479の趣旨を理解し給え。末盧国から東南五百里で伊都国だ。東南の方角だぞ。佐賀の有明海側だ。
この伊都国から邪馬台国は南の方角と認識されている。これが間違いだと言うのか?
伝聞情報だと?伝聞だという証拠を示してから言え。

件の隋書の記述の件 とは何だ?私は聞かれていないので何のことか分らん。

482 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:28:22
>>481
…ったく、方角の話は最初から隋書に絡めて言ってる話で
それに答える気が無いのならこっちも付き合えんなw






483 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:55:38
>>482
代わりに答えてやろう。

隋書は単に隋使が訪ねた先は倭人伝が伝える邪馬台だと言ってるだけだね。
隋使は九州を訪ねただけだよ。大和を訪ねたなんてことは一言も書いていない。
隋書は、東の諸国は倭に附庸する諸国だと書いていたな。すなわち、倭国にくっ
ついている国々、植民地だ。倭国そのものではない。


484 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:58:45
>>483
要するに九州王朝説でおk?wwwww

まあそれが理屈の上では一番筋が通っているのかな?w

でもそれが文献史学の常道だと言われたら流石についていけないがwwwwwwww

485 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:21:36
記紀には、神武東遷を思わせるような記述はない。
日向の豪族だった若御毛沼(神武天皇)が、近畿に入った時は
わずか少数の手勢で、しかも河内上陸戦は負け戦。
しかも、どうも、彼が近畿に入る前から、彼の親戚が近畿に多く住んでいたようだ。


486 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:21:57
九州だというと何でも九州王朝説というところが分かってないな。

487 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:42:41
>>486
え?
7世紀隋の答礼使・裴清が訪れたの九州となりゃあ
普通に九州王朝説じゃないのか?

ゴメンナサイ違いが分かりませんwwwwwwwwwwwww

488 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:44:25
>>483
今時そんな解釈する奴いるのか‥

489 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:45:01
神武の一家というのは、近畿王家の九州分家みたいなもんでしょう?
足利幕府に例えるのなら、鎌倉公方家。
徳川幕府に例えるのなら、尾張家と紀伊家みたいなもん。

ただし、神武の一家というのは、近畿王朝の初代倭王の男系子孫ではなかった。

そこが、足利幕府における鎌倉公方家や
徳川幕府における尾張家、紀伊家との大きな違い。

鎌倉公方家は、足利幕府初代将軍の足利尊氏
尾張家、紀伊家は、徳川幕府初代将軍の徳川家康の
男系子孫だった。

しかし、古代の近畿王朝の場合、おそらく、初代の近畿王朝の倭王は
天火明命(天照国照日子=アマテル)であり、
神武皇統はその男系子孫ではない。
神武皇統は、天火明命の弟のニニギ命の男系子孫である。
そこが、決定的に違う。
だからこそ、記紀では、天忍穂耳命(天火明命とニニギ命の父親)の代の時に
出雲国譲りを実現できなかったことを、残念そうに登場させる。

490 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 02:17:42
>>489
>神武の一家というのは、近畿王家の九州分家みたいなもんでしょう?

紀には神武が天基を草成したと記述があるます。
分家から本家にもどって初代の王っておかしくね。

491 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 02:49:51
天基を草成ってなに?
どこにかいてある?


492 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 03:02:22
>>490
系図を書いたら分かると思うが
天火明命が初代倭王なら、神武皇統にとって、微妙にまずいです。
天忍穂耳命が初代倭王ならば、
わざわざ神武を最初と捏造する必要はありませんが...

それと、神武皇統は、崇神をもう一人の初代天皇にしていますよね。
そこが味噌。
神武皇統の歴代の天皇で、神武〜開化までは
近畿王朝の最高権力者ではあっても正式な倭王ではありませんね。

493 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 06:10:31
>>489
>神武皇統は、天火明命の弟のニニギ命の男系子孫である。

日本書紀だと、
天火明命は、ニニギの子になってるけど?どうしてニニギが弟なの?


494 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 07:12:29
>>487
九州王朝説なんてのは、大和王朝と対立する王朝が九州にあったという考え方だ。
だが、そんな考え方では、我が国が朝鮮半島にまで勢力をのばしていたということ
を到底説明できない。倭国王朝は当然、我が国の関東以西を全部統一していたと見
なければおかしい。九州だとか大和だとか言ってるようじゃ、どちらも間違いって
ことだな。

495 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 08:25:19
我が国が朝鮮半島にまで勢力をのばしていた、ではなく朝鮮半島の南部はもともと倭の一部であったのです。

496 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 09:45:08
>>495
ま、妄想だね。

497 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 09:52:15
>>496
妄想じゃないでしょ、半島の歴史書に書いてあるしw

498 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 10:00:06
書いてないよ。誤読だろ。

499 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 10:14:31
半島の歴史書に書いているのではなく
中国と日本の歴史書に書いてある。
半島の歴史書のほうには、何度も
倭国に侵略されまくったように書かれている。

500 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 10:19:22
>>493
日本書紀は、複数の説を記載させている。
まあ、神武皇統が天火明命の男系子孫でないことには
古事記だろうが、日本書紀だろうが、全く変わりがない。

501 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 10:29:01
>>499
>倭国に侵略されまくったように書かれている。
それが我が国が朝鮮半島に勢力をのばしていたってことだよ。
もともと倭国ならば、侵略なんてことにはならない。

502 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 11:19:39
>>498
何処が誤読なの、多婆奴国からきた新羅の脱解王って誰?

503 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 11:23:46
倭(九州)の多婆奴(玉名)出身。


504 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 11:43:59
倭の丹波の出身だろう?どうみても。
あと、彼は姓がなかったらしいな。
倭人が姓を名乗るようになったのは後世の話。

505 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 12:12:13
丹後半島にも、太古新羅の王になった者がいると
伝承があるからな。半島の歴史書と一致しているじゃないかw

506 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 16:04:33
>>491
>天基を草成ってなに?
どこにかいてある?

紀 一、  岩波文庫
辛酉年の春正月の庚辰の朔に、天皇、橿原宮に即帝位す。是歳を天皇の元年とす。・・・・・
・・・ハツクニシラス天皇を、号けたてまつりて神日本磐余彦火火出見天皇と曰す」。
初めて、天皇、天基を草創めたまふ日に、大伴氏の・・・・・

中小路駿逸氏が指摘しております。



507 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 17:08:09
>>495

>我が国が朝鮮半島にまで勢力をのばしていた、ではなく朝鮮半島の南部はもともと倭の一部であったのです。

それはいったい何時の時代の話をしているの?

508 :縄文人 ◆2WPGHIXj76Jf :2010/01/13(水) 21:03:47
私は縄文人やで〜。九州説の王やで〜。私は肛門人やで〜。光り輝くレスをする。ちっとも臭くはおまへんで。
私は1世紀以降の東アジアの政治情勢、軍事的状況(兵法や兵器などの変遷も含めて)、産業、気象、思想な
ど幅広く考えている。そのような観点から古典に限らず現代の著書も見ている。私は古代史の天才だ。太陽の
子だ。私は過去に2万冊の本を読んでいる。私は偉い、偉い、偉い、えら〜〜〜〜〜〜い。
んがっははははあああああああ。

509 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 21:19:32
鳩山幸の母親が戦前、毛皮を着ています
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 10
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1263368465/

510 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 22:28:06



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




511 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 22:49:13
>>507
卑弥呼の時代もそうだったんじゃないかな。狗邪韓国とか。

512 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:06:02
魏志倭人伝の記述から考えたら
朝鮮半島にも倭人が多く住んでいたことが分かっている。

513 :日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:55:00
>>482
http://www1.atchs.jp/most/

514 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 00:00:46
>>512

>卑弥呼の時代もそうだったんじゃないかな。狗邪韓国とか。

どうして狗邪韓国だとそうなるの?

515 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 02:42:52
妄想が妄想を攻撃しても意味ねえだろ。
せめて妄想をすり合わせる努力をしろよバカ。

516 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 16:21:12
日本が古代に朝鮮半島を支配していたのは明らかな事実で疑う余地なし。
倭王武の上表文、広開土王碑、日本書紀、すべてにちゃんと書いてある。


517 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 17:15:21
>>516
>日本が古代に朝鮮半島を支配していたのは明らかな事実で疑う余地なし。

古代は解ったから、その古代とは一体何時を設定してるのですか?

518 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 18:51:59
1. 帯方郡から女王國までの12,000里のうち、福岡県内に比定される伊都国までで既に10,500里使っている事から、残り1,500里では邪馬台国の位置は九州地方を出ないとされる事。

2. 邪馬台国と対立した狗奴国を熊本(球磨)の勢力と比定すれば、狗奴国の官「狗古知卑狗」が「菊池彦」の音訳と考えられる事。

3. 魏志倭人伝中で邪馬台国の埋葬方法を記述した『有棺無槨』を甕棺と見なす見解に基づき、北九州地方に甕棺が多数出土している事。

4. その後の邪馬台国については、畿内勢力に征服されたという説と、逆に東遷して畿内を制圧したとの両説がある。

5. 一部の九州説では、倭の五王の遣使なども九州勢力が独自に行ったもので、畿内王権のあずかり知らない事であるとするものがある。

6. 「魏志倭人伝」の記述は北九州の小国を詳細に紹介してるが、吉備国や出雲国は触れらず、不自然。

以上が九州説の根拠ですが
近接の人はこれをどう論破してるの?

519 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 18:54:56
>>518
近接→畿内説ね

520 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 18:56:07
高句麗王にかつて撃退されたとあるね
百済に任那取られたね
そして白村江で新羅に負けたじゃん

521 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:01:50
>>518
それじゃ根拠というより主張だろ。

522 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:13:31
>>518
6は説明できる
女王国までの道筋にコレだけの国があると記されている
(斯馬国、百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国)
いくつか怪しいね
伊邪国=伊予?巴利国=播磨?鬼国=紀州?

そして出雲は明らかに投馬国
なぜなら宋版「大平御覧」の「倭人伝」で、投馬が於投馬(エツモ)と書かれているからだ


523 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:32:10
>>520
今は、日本の大都市の一等地の多くが韓国人の土地になってるが
大東亜戦争の前は日本人が住んでただろ。

韓人ってのは、倭と外国の戦争に乗じて倭の領土を取る習性があるということよ。

だいたい韓なんて中国人そのまんまの呼び名の人間が
もともと半島に居たわけ無いだろ。
先住民は倭人に決まってるだろ。
韓人が来る前に、半島には何人が住んでたと言うんだ?


524 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:33:54
>>522
宋版「大平御覧」の「倭人伝」で、投馬が於投馬(エツモ)と書かれているからだ

この内容はマジで知らなかったぞ 君やるじゃんw


525 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:38:07
宋ってだいぶ新しいのに
よく読み方がわかったな・・・・

526 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 19:38:13
河童虫さん(九州説) 太国さん(九州説) サガミハラハラさん(九州説)
反論して下さい!!w


【アク禁用のスレ】http://www1.atchs.jp/most/


527 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 20:28:53
>>524

>宋版「大平御覧」の「倭人伝」で、投馬が於投馬(エツモ)と書かれているからだ

どこをどう間違えるとと、「於投馬」が(エツモ)になるんだ?
まるで東京を(ほっかいどう)と言ってるようなもんだwwwwwwwww
たぶん、どうしても出雲を持ってきたいと願う信念がそうさせてるのだろうけど


528 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 20:44:27
邪馬台国の「邪」って文字は
馬鹿にしてるとか、嫌がらせと見ていいですか?
卑弥呼の卑も。
だとすると、わざとひねって名前を表記してるのでは。
発音も馬鹿にして適当にしてるかも。

529 :524:2010/01/14(木) 21:08:15
>>527
エツモと言ったのはおれじゃなく>>522さんだろw
アンカーぐらいちゃん打てよwww
それに調べてもないのにどうしてそんなことが言えるんだ?て思うw


530 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 21:14:47
>>518
魏志倭人伝であって邪馬台国伝じゃない、
この一言で大半説明できる。

詳細は倭人の国である伊都国周辺の風土を
紹介したとすれば何の問題も無い事ですよ。

距離についても女王国と邪馬台国を混同するから
おかしくなってるだけ。
女王国とは奴国を境界とした、本州西部〜紀伊半島の国々の事だから。


531 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 21:31:32
>>529
>アンカーぐらいちゃん打てよwww

アンカーの件は スマソ

>それに調べてもないのにどうしてそんなことが言えるんだ?て思うw

調べなければわからないほど「於投馬」はムズイのか?
調べなくても普通に読めば、「於」+「名詞」の形と見るが


532 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 21:40:41
>>530

>女王国とは奴国を境界とした、本州西部〜紀伊半島の国々の事だから


末盧国が九州なら「女王國東渡海千餘里」まで一度も末盧国が存在する島から出ていないんだが
それがどうしていつの間にか九州から本州に渡海しているんだ?


533 :524:2010/01/14(木) 21:55:17
>>531
なるほど、なるほど、
しかし俺としては>529でも言った通り、
調べてみないとなんとも言えませんわw


534 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 21:55:29
>>532
別に女王国が陸で繋がっているとも書かれてないが。
俺は女王国を瀬戸内海周辺の国々と想定している。

535 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:10:21
>>534

>別に女王国が陸で繋がっているとも書かれてないが。

それは屁理屈というもんだろう そんなこと言い出したら何でも横浜アリーナ

536 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:22:21
>>535
地理を現在の感覚で捉える事が根本的な間違い。
まず現在の国境、地理感覚を捨てる事を薦めるよ。

大体倭の地は海中洲島の上に絶在し、あるいは絶え
あるいは連なりとあるでしょ。

537 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:22:57
>>532
>どうしていつの間にか九州から本州に

いつの間にか水行して・・・

538 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:42:51
>>536
>地理を現在の感覚で捉える事が根本的な間違い。
まず現在の国境、地理感覚を捨てる事を薦めるよ。

地理を現在の感覚で捉えると何処がどのように間違えるのか説明してもらえないか?
そして、いつ私が国境や地理感覚の話をしたのか、そこのところも説明願えないか?
私は倭人が住まう地は、大海の中(つまり島)と言う事を強調したにすぎないんだけど

>大体倭の地は海中洲島の上に絶在し、あるいは絶え あるいは連なりとあるでしょ。

それはただ「參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連」という文を読み下しているだけで
全然日本語として意味を解していないし、しかも「参問」が消えてる。


539 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:45:38
>>537

>いつの間にか水行して・・・

水行では海の向こう側にある別の島には移れないぞ。海の向こう側にある島に行きたかったら「渡海」することだよ
倭人は島に住んでいるのだから


540 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 22:57:52
>>539
瀬戸内は、中国人にとって長江とかと変わらんのでは?
左右に陸地が見える、大きい川。

541 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:01:28
>>539
陸続きでも「渡海」しますが、なにか?

島だらけの半島西岸を「水行」しますが、なにか?

542 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:11:19
>>540

>瀬戸内は、中国人にとって長江とかと変わらんのでは?
左右に陸地が見える、大きい川。

それは何処に書かれていますか?


>>541
>陸続きでも「渡海」しますが、なにか?

そこは大海之中と紹介された記事の中に存在するものですか?
設定環境が島でもない陸続きの文章と一緒にされては困ります。設定が変われば当然そこに投げ込まれた文字も、文字面はそっくりでも、扱い方や意味は変わってきますよ

>島だらけの半島西岸を「水行」しますが、なにか?

島だらけの半島であることを、どこで読み切るのでしょう?今までそんな会話がまかり通っていたとは、まったく不思議な話です。




543 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:15:33
>いかんせん、「於投馬国」と記載するのは御覧ただ一書で、事例が少な過ぎます。
>これは国名問題の「壹」か「臺(台)」かの論争で、三国志版本のみが「邪馬壹国」にするに対し、
>その他漢籍(後漢書・梁書・北史・隋書・通典・翰苑・太平御覧)がみな「邪馬臺(台)国」と記述しており
>(ただし、広志は邪馬嘉国とする)、問題の質的レベルが違うと思います。

>4:『百科事典である太平御覧は魏略にあった「於投馬国」を添削もせずにそのまま残した』、との説はいかがなものでしょうか。
>百科事典は、原文からそのまま引用することもあるし、要約することもあるし、原文に改変を加えることもあります。

九州説のワッシー吠えてるねwww


544 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:16:38
>>538
頭固いね、もっと柔軟にならないと。
大体倭人は半島南部にもいる時代だ。
その時点で現在の地理・国境感覚を捨てなきゃな。

>>539
九州から本州なんてそれこそ目と鼻の先だろ?
海と認識されてたかどうかは疑問だな。



九州から本州なんて目と鼻の先だよw

545 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:17:08
結局今まで糞汁を、色が同じと言うだけで、味噌汁と思って飲んでいたのか? 畿内を主張する人たちは。

546 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:17:47
あ、ここね
http://cgi.din.or.jp/~washi/cgi-bin/board/read.cgi?file=0294

547 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:21:26
>>545
君たちの習慣ですか?

548 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:23:17
>>544
>頭固いね、もっと柔軟にならないと。

そういう問題ではないと思うが

>大体倭人は半島南部にもいる時代だ。

それがなにか?倭人なら帯方郡にもいるし、洛陽にもいますが

>その時点で現在の地理・国境感覚を捨てなきゃな。

だからそれらを捨てることがどのように重要な事なのか説明願えないかと言っているのだ


549 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:27:24
>>544

>九州から本州なんてそれこそ目と鼻の先だろ? 海と認識されてたかどうかは疑問だな。


いや、個人的な感覚なんてどうでもいいんだよ。

550 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:32:59
>>548
>だからそれらを捨てることがどのように重要な事なのか説明願えないかと言っているのだ

単純にいうと海運が主体なんだから、、単に九州や四国といった
島単位で国を分けて考えるのはおかしいと思うんだけどね。

そう考えると、おくまで九州島のみに拘る一部の九州説論者さんが
もうちょっと、どうなの?という印象です。

551 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:35:55
>>549
個人的な感覚、意見は君にはないのかね?
倭人伝の解釈には未だ定説なんて無いですよw

552 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:42:31
>>550

> 単純にいうと海運が主体なんだから、、単に九州や四国といった
島単位で国を分けて考えるのはおかしいと思うんだけどね。

それは倭地の歴史を紐解くには重要な考えかもしれないけれど、海外交易とは関係ない事だから。しかも視線は国内視線ではなく海外からの地理的な視線だし

>そう考えると、おくまで九州島のみに拘る一部の九州説論者さんが
もうちょっと、どうなの?という印象です。

いや、末盧国から「東渡海千余里」まで 末盧国が存在した陸地(島)から他所の島には移っていないという史料事実を述べているのだが


553 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:45:30
>>551

>倭人伝の解釈には未だ定説なんて無いですよw

定説があるとか無いとかの問題じゃないんだよ。
地理的な史料事実の問題なんだよ


554 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:49:11
いずれ定まりぬ。

555 :日本@名無史さん:2010/01/14(木) 23:59:08
>>542
>設定が変われば当然そこに投げ込まれた文字も、
>文字面はそっくりでも、扱い方や意味は変わってきますよ

それは誰が決めるの?

>まかり通っていたとは、まったく不思議な話です。

問題なく、まかり通ります。

556 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 00:01:53
>>555

>それは誰が決めるの?

その問題はここでは一切関係の無い話です。

557 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 00:11:06
>>555

>>設定が変われば当然そこに投げ込まれた文字も、
>>文字面はそっくりでも、扱い方や意味は変わってきますよ

>それは誰が決めるの?

このような質問を投げかける前に、文字は文章が違った環境に投げ込まれても一つの意味しか成さないという意見を提示できれば
先ほど書きこんだ「誰がきめるの?」なんて質問は発生しませんよ。
例えば私が「吉田君が決めますと」答えた場合、それを肯定したり否定したり出来る材料を貴方はもっているのでしょうか?
もし判断する材料を持っていないのであれば、私がその質問に答えても、貴方には判断できないのだから、徒労に終わってしまう事になりやしませんか?


558 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 00:14:44
>>555

>問題なく、まかり通ります。

まかり通っているのではなく、それを指摘する人が今まで誰もいなかったのでは?

559 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 00:33:21
>>557
>設定が変われば当然そこに投げ込まれた文字も、
>文字面はそっくりでも、扱い方や意味は変わってきますよ

それは当然そのとおりだが、

>判断する材料

は、共通ルールに基づくのではないか、ということ。
(漢字も)コミュニケーション・ツールなのですから。
「倭人伝」のみの独自ルールがあると?

>>558
>まかり通っているのではなく、それを指摘する人が今まで誰もいなかったのでは?

これはちょと、おっしゃる意味が理解できませんが・・・

560 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 01:03:24
>>552
>いや、末盧国から「東渡海千余里」まで 末盧国が存在した陸地(島)から他所の島には移っていないという史料事実を述べているのだが
だから関門海峡を海を渡ると認識してたかという疑問なんですよ。
関門海峡周辺は同一文化圏と判断してもいいと思うけどね。

561 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 01:21:53
関門海峡は通るに実に危険な場所ですよ
タンカーの事故ってどうですか?
水軍の存在からも同一文化圏と判断できそうだが、
でも陸ではなく、海の文化でしょう。それは。

562 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 01:33:56
>>561
危ないのは通過する場合じゃないの?
船の大型化が進んで密集する事によるものでしょう。

海人なら同一文化園で問題ないでしょう。


563 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 01:57:14
>562
いやいや周辺も含めて、潮の流れがすごいんだって。
少なくとも「陸続き」なイメージには無理があるな。
同一文化圏には違いないですが。
関門というくらいですから、海を渡るほどのことですよ。

564 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 02:04:14
関門という言葉からは海を渡るという印象はないな。
むしろ川の特大版じゃないの?

565 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 02:21:49
水行というのは、陸行でもいけるところだが、船で行くという意味。
海を渡るというのは、舟でなければいけないところ。だと思う。

関門海峡は舟がないと駄目。伊勢湾は舟がなくても大丈夫。

566 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 02:32:52
>>565
それは異論があるな。
接岸せずに船で一気に千里進むような場合が海を渡るで、
川を含めてそれ以外が水行だと思う。

567 :どの人と議論する?:2010/01/15(金) 02:49:25
改(歴史学専門、神社・遺跡めぐり、九州説→畿内説、約4年)
ロ(考古学専門、三角縁神獣鏡、三国志、シンポジウム、畿内説、4年)
河(言語学・漢字学専門、魏志倭人伝解析、人気bP、温泉、剣道、九州説東遷・東征、6年)
太(歴史学専門、倍暦、古神道、日本書紀・古事記の年代を研究、九州説 ?年)
唐(歴史学専門、ホツマ論者、日本書紀・古事記の年代を研究、瓜生島、九州・畿内説 ?年)
サ(歴史学専門、教師、本を自費出版、佐賀へ旅行、九州小城甘木説、21年)
縦(考古学専門、アジア考古学、オカルト、中国語、大学生・剣道部、畿内説、2年)
美(専門分野不明、記紀研究、弁辰彌烏邪馬國、近代史〜恐竜時代、海外説、3年)

愛(歴史学専門、日本書紀・古事記、宇佐、神社、九州八女説、4年)
う(考古学専門、王道派、高レベルを好む、大卒、冷静な大人、畿内説、3年)
www(考古学専門、自成論、東遷説批判、畿内説、3年)
縄(歴史・考古学専門、九州の考古学、伊都国前原説を批判、九州説、?年)
二(歴史学専門、福岡平野ルート、佐賀平野ルート、ファンタジー・低脳批判、?説、数年)
九(古田史学専門、九州王朝論者、九州王朝歴40年、2ch歴長い、奈良、九州説、?年)

568 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 09:17:33
>>560
>だから関門海峡を海を渡ると認識してたかという疑問なんですよ。
関門海峡周辺は同一文化圏と判断してもいいと思うけどね。

九州は島と認識されてました。よって関門海峡は海と認識されていたことになります。

569 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 10:26:04
関門海峡なんて運河みたいなもんだろ。
大分〜山口を移動するならともかく、
門司〜下関へは移動しても
海を渡るなんて表現はされないよ。


570 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 10:36:51
関門海峡は人工的に造られた、なんてトンデモ説まであった位だからな。
初見ではホントに運河にしか見えないです。

571 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 11:07:04
そもそも水行の意味は何だろう


572 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 11:21:17
>>570
>初見ではホントに運河にしか見えないです。

実際に見た事あるの ?
地図で見ると運河っぽく見えるが、実際は一番狭いところで600mもあるんだよ。
そんな運河があるかよ。

>>571
>そもそも水行の意味は何だろう

魏志で水行が使われとるのは倭人伝だけなので、それから推測するに海岸にそって
いくことなのかな。

573 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 11:36:28
>>572
中国人からしたら
長江や黄河と比べたら、関門海峡を海峡とは思いにくいよね。
瀬戸内海を川と勘違いする中国人もいるらしいし。

長江なんて、川幅の広いとこ、10キロぐらいあるだろう?

574 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 11:36:56
>>572
>実際に見た事あるの ?

当たり前です、最初にバスで橋を渡った時は
想像以上に距離が短くて驚いた。

関門海峡の幅は確かにパナマやスエズより大きい(200M位だろう)
でも全長距離は関門の方がはるかに短い。
古代中国でも全長2500kmの運河があった位だから
人工的に掘削する事も可能だったのかも知れない。
勿論そんな主張をするつもりはないがw

575 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 11:51:05
普段長江なんてみてたら関門海峡を海とは認識しないでしょ。

576 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 12:18:14
>>574
>関門海峡の幅は確かにパナマやスエズより大きい(200M位だろう)

関門橋
だから、一番狭いところで600mあるんだよ。
その一番狭いところに架けられていて、橋の最大支間712m橋長は1000mを超えてる。

577 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 12:46:51
>>572
>魏志で水行が使われとるのは倭人伝だけなので、それから推測するに海岸にそって
いくことなのかな。


なんとかして九州にしたいだけだろ(笑)

578 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 13:39:45
>>576
どっちにしろ狭いな。向こう岸に手が届く感じ

579 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 14:04:15
>>576
長江で川幅数キロもあると言ってるでしょ。

580 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 14:59:56
>>579
だから,何 ?
長江については意見してないよ。

581 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:20:34
>>580
元々は中国人が関門を「海を渡る」と認識するか?という疑問だろ。

黄河、長江といった、川幅が数キロ以上もある川が存在する
国の人間が、関門海峡をみて海を渡ると判断するのか?
という点ですよ。


582 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:45:44
>>581
では、東に海を渡ること千里あまりでまた国がある。みな倭種。
この海はどこを指すのかという問題がある。
他に渡るような海があるのかという問題。

583 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:48:24
普通に海と判断するんじゃね?

目の前は対岸だけど
右みても左みても、広大な海が広がっているんだし。
場所にもよるだろうが、川に見えるような景色って
あまりないよ。

584 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:50:27
>>583
関門海峡の一点だけが狭いのであって、他のところはけっこう広いからね。

585 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:55:15
>>582
志摩半島から渥美半島、伊豆半島から
三浦、房総半島なんかもそうだろ。

無接岸で一気に千里余進む事が「海を渡る」だろう。
陸で繋がってるかなんて道路が無い時代では何の関係も無い。

586 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:56:52
九州側から本州側に渡るときは北か西だな。

まあ、変なところから船出すれば東方向に渡れないことも
無いと思うが、あの地形みて東に渡る発想は出ないわな

587 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 15:58:35
>>581

この時代では郡使でさえ伊都国で逗留させられるので、中国人が自由に倭国内を旅行できる
わけもなく、当然、倭人の見張り兼、道案内がついていると思われるので、間違えないだろう。
それに、関門までいく途中に川をいくつも見るから、日本の川の小ささに驚くかもね。

588 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 16:01:14
伊都から関門海峡までで大きそうな川と言えば
遠賀川くらいか。

筑後川は通らんだろうし

589 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 16:04:18
まあ少なくとも関門を渡るのに、東へ海を渡ること千里余はないだろうな。

590 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 16:24:53
>>585
どこから東に海を渡るのかな?
東の国とはどこを指すのかな?
海を渡らなくても行ける尾張や美濃などがどうして無視される格好になるのかな?

591 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 17:35:17
古代の名古屋のあたりって、今とだいぶん、地形が違うでしょう?
かなり奥まで海が入り込んでいた。
熱田神宮のすぐそこにも、海が入り込んでいたし。

592 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 18:34:06
>>590
例えば女王国の一員に志摩国があったと仮定すると、
鳥羽だろう。トバは港の意味だという説もあるからな。

尾張や美濃も女王国の構成国(30国)で説明されているとも
考えられる。

房総半島へ船で渡る話なら、蝦夷退治でヤマトタケル伝承でも
存在するでしょ。

593 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 18:43:45
>>584-591
>関門海峡


規制時用スレにも書き込みあるね
http://www1.atchs.jp/most/

594 :通りすがり ◆SRGKIKYOUM :2010/01/15(金) 19:13:33
七里の渡しだな。

595 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:00:40
これだから何時もなにも解決しないヲタ話で終わるんだな。
九州から渡海していないからという話が、いつの間にか舞台が伊勢湾になってる。
畿内説と言うのは何時もこんなズルしながら強引にきめつけてるのか?
関門海峡の話が出たと思ったら、いきなり長江がどうたらだとか?長江と関門海峡にどんな関係があるというのか?全くもって摩訶不思議な光景だ。


596 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:06:05
>>590

>どこから東に海を渡るのかな?

九州から

>東の国とはどこを指すのかな?

四国


597 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:09:34
>>595
頭悪そうな奴だな。
長江と関門海峡の関係?
中国人目線ならどうなんだという単純な話でしょw

598 :縄文人 ◆i08jMw7KQQ18 :2010/01/15(金) 21:10:17
私は縄文人。このスレで最も知能指数が高く、かつ博識である。私は、気象学、地質学、地形学、古生物学、
易学、政治学、地政学、人類学、社会学、生理学、行動心理学、精神分析、軍事評論等々あらゆる知識を兼ね
備えている。私はこれまで2万冊以上の本を読破してきた。私にかなう碩学はいない。私は偉い、私は偉い、
偉い、偉い、立派だ、立派な説を論じておる。伊都国は断じて前原ではない。邪馬台国は、佐賀を中心とする
広域国家だ。九州人口3世紀で150万人ほどもいたろう。ぐはははははは。

599 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:17:01
ああっ、縄文人先生だ。ぼくらの救世主。

600 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:18:51
病院逝こうか

601 :縄文人 ◆KEZGC1cVMw :2010/01/15(金) 21:20:24
ほないくで。 伊都国(前原市に比定)を女王の都とする説や、伊都国を前原市辺りに比定して伊都国から不彌国
への方角はそのまま東とした上で、不彌国からは邪馬台国は目の前の近距離(数里〜十数里で百里以下の里数
のため記載されていない)にあるとする説もあるので、それらについて見ておきたい。
これらの説では末盧国から伊都国への方角の問題と陸路を行かねばならない理由に加えて、郡から女王国まで
万二千餘里という記述との整合性が問題になる。陸路を行かねばならない理由は示されていないが、それは置
いといて万二千餘里との整合性はどうとれるのか。伊都国までの里数の合計は1万五百餘里であるから、残る
千五百里、千四百里はどうするか。古田氏は對海国の方可四百餘里と一大国の方可三百里の記述を基に島を半
周する距離(800里と600里)をそれに充てる。しかしこれはちょっと苦しい。面積の記事を行路距離に加え
る読み方は普通ではない。さらに、
古田氏の邪馬壹国は福岡市にあることになるが、伊都国(前原市)を女王の都とする説もそうであるが、水行
十日陸行一月をどうするか。これを郡からの旅行日数だとするほかはないが、水行十日は郡から半島西岸沖か
ら半島南部を経て、対馬、壱岐、松浦までの日数で説明可能であろうが、陸行一月は説明が着き難いだろう。
末盧国から30〜40kmの距離である。途中に立ち寄る国も少ないのだからどこかで足止めされていたとしか考
えられないが、そんな足止めの日数を記載するものだろうか?半島内を陸行したなら一月はかかるかも知れな
いが「從郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千餘里」はどう見ても水行の記述である。

602 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:25:03
読むだけ時間の無駄だな。

603 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:26:56
ほないくで まで読めた。
あとは読めたもんじゃない

604 :縄文人 ◆1woBZrtXR6 :2010/01/15(金) 21:28:36
フッ、ハッ! 志賀島で金印が出土したことで漢委奴国王が博多湾岸地域にいたであろうということは私も
否定していないよ。だが、ここが倭人伝の(戸数二万餘の)奴国とは簡単に決められないだろ。1世紀後半に
覇権国だった博多湾岸地域の国が2世紀末にはその地位を失っている。それは邪馬壹国の卑弥呼が女王に
共立されていることから明らかだが、その前の倭国乱があり、さらに後漢書の帥升の記事がある。倭国乱は
180年前後のことと考えられるが、直前の記事「其国本亦以男子為王住七八十年」から「1世紀半ばの漢委奴
国王の男王体制成立は倭国乱の130年ほど前のことになるから、本亦以男子為王に相当するのは帥升と見れ
ば筋が通る。建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬 安帝永初元年倭
國王帥升等獻生口百六十人願請見後漢書のこの記述は暗示的である。光武帝に朝賀した者は印綬(金印で
あろう)を下賜されたのに、帥升は生口160人を献じて目通りを願ったのに対して皇帝が謁見したとも下賜品を与
えたとも書かれていない。異常なことであろう。蛮夷の国が朝貢して来た場合中国の王朝は喜び印綬や相応の
下賜品を与えるのが通常である。したがって、帥升は漢委奴国王の地位を簒奪した(王を殺したかも知れない)、
そして王印も失った、これは大変なことであるから漢に詫びを入れた、漢はその行為を良しとしなかったが起きた
ことは仕方がない、倭の新しい権力者を罰しなければならないが殺すより臣従させた方が得策と考え不問に付し
た、というような解釈も生まれる。これが事実であることを証明する文書記録は無いが、あり得ないことではないで
あろう。ともあれ、倭人伝のあの奴国を博多湾岸地域に比定するにはまだクリアしなければならない問題があるの
だ。ついでに、繰り返しになるが、前原市は防衛を考慮しなければならない王都を置くには地政学的には不適であ
る。攻撃的な軍隊(特に水軍)の基地なら相応しい。 あ、Walkin the show,

605 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 21:34:57
>>604
あぼーんって?
どういう意味???

606 :泣き女:2010/01/15(金) 21:36:53
縄文人様、しびれるうう。ひいいいいい。

607 :縄文人 ◆zEGpD4VZDY :2010/01/15(金) 22:25:40
どうだ凡百。私が縄文人だ。フテて笑え。体を腐らせろっ。

608 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 22:42:36
生口とはなにかってのが問題ですね。
魏の国で天然痘が流行って、それを見かねた卑弥呼さまが、特別に生ワクチン160人分を供与したということかな?


609 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 23:07:21
生口、というのは加工用人体原料だろう。もちろん食材として用いてもよいし、人椅子や燈台鬼として用いてもよい。
ちなみに燈台鬼というのはこんな話。

昔、軽大臣という日本人が、遣唐使として中国にわたったきり、行方不明になった。息子の弼宰相は、父の消息
を探すため、中国へ渡った。彼は中国のとある場所で、「灯台鬼」を見た。これは「人間燭台」のことである。頭に
大きなロウソクを載せる台をしつらえ、体中にびっしり入れ墨をほどこされ、薬で喉をつぶされた灯台鬼は、弼宰
相の姿を見るとポタポタと涙を流し、声を出せないので指先を歯で噛み切り、自分が身内であることを知らせる漢
詩を書いた。
弼宰相は、目の前の灯台鬼が、自分の父親の変わり果てた姿であることを知り、愕然とした。

610 :日本@名無史さん:2010/01/15(金) 23:27:27
これは半分冗談、半分本気。三国時代の中国に人肉食があったことは、「魏志程c伝」に略奪した糧食に人
肉が含まれていたために程cが出世を逃したという記述がみられる。

611 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 02:33:28
>>601
>水行 十日陸行一月をどうするか。これを郡からの旅行日数だとするほかはないが・・・

これは邪馬壹国から郡までの総日程ですね。それも倭人からの伝聞ですね。

612 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 07:24:46
>>584
狭い運河を掘ったら、流れが急で削られたんだ。ww

613 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 10:14:38
関門=運河掘削説なんて妄想もあっていいかもな。
実際煬帝は2500kmの運河を5ヶ月で(勿論細切れの物を繋いだのだが)
完成させてるし、万里の長城の例もある。

地形的にもあの最狭部の両岸の山の切れ方は不自然だ。
高低差があるので、最狭部分をある程度ほったら勝手に
削られるんじゃないか?

614 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 10:31:48
たとえば江戸時代の利根川の水路付け替え。
この時代にもブルドーザーやパワーショベルなどの重機があったわけではないので、条件は古代と同じ。


615 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 14:00:06
私は崇神天皇より前、奈良にも女王国があったのではないかと思う。
何故なら記紀の記事からは、神武天皇は最大でも奈良盆地か、その片隅を支配しただけと思われるから。
中国では新王朝の開始時には始祖だけでなく、その父や祖父にも皇帝の号を贈ることがよくある。
神武と欠史八代も、これと同じではないか?
たとえば欠史八代の后妃の記事に頻出する磯城県主葉江は「葉江の男弟」という表現からは女性のようである。
また孝霊天皇の妃とされる倭国香媛は、古事記では意富夜麻登久邇阿礼比売命という壮大な名前を持つ。
その娘のモモソヒメと合わせて、奈良の女王たちであったのかもしれない。
ただし卑彌呼とは無関係。

畿内の古墳から魏鏡が出土したとしても、それが畿内説の証拠とはならない。
日本書紀によると、崇神天皇は出雲を、垂仁天皇は但馬を脅して神宝を提出させている。
この神宝に含まれる鏡が魏鏡であると直ちには言えないが、
出雲・但馬が筑紫との交易か独自ルートかで魏鏡を入手していたとしてもおかしくは無い。
現に出雲では景初三年、但馬では正始元年の年号鏡が出土している。
また、但馬に近い丹波では青龍三年・景初四年の年号鏡が出土している。
ヤマトは山陰の諸国を脅して魏鏡や職人を手に入れ、三角縁神獣鏡を大量生産したのではないか。

垂仁天皇は晩年、さらに外国の宝物を集めようと田道間守を初めて晋に派遣した。
ところが運悪く八王の乱・五胡十六国の乱が起こり、田道間守は帰れなくなってしまう。
どこまで旅をしたのか、奇跡の生還を果たすも垂仁は既に亡く殉死。
景行天皇は中国への遣使を諦め、西晋・帯方郡の滅亡で仲間割れした筑紫の女王国を攻める。
最後の女王・神夏磯媛が持っていた八咫の鏡は景行の手に渡った。
神功皇后は残党狩りのあと新羅に遠征、百済と修交し、ようやくヤマトの外交が始まる。

616 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 14:20:07
>>615
鏡を脅し取ったとか(笑)
そんなのがまかり通るならなんでも有りだよな(笑)

617 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 14:25:09
>>615
>日本書紀によると、崇神天皇は出雲を、垂仁天皇は但馬を脅して神宝を提出させている。

崇神のアレも大概リアリティのないお話だよなw

一応の名目は「検校」なんだから事前に連絡して
トップの人間に出迎えさせるのが普通じゃねえのか?wwwwwwwwww

まあ留守にしていて九州に行ってましたと言うのが意味深ではあるがwwwwwwwwww

618 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 14:32:55
>>616
脅すというのはちょっと品が無かったですね(笑)
「おもしろく思うのは、記紀でヤマトの支配者が羨望の目であこがれる神宝が二つある。
一つはヒボコが招来した出石にあった神宝、
もう一つが出雲臣の遠祖である出雲振根が管理していた出雲の神宝(崇神紀)である。
記紀の世界で神宝として大きく描かれたものが、ともに日本海沿岸地域にあったことは、
直接に大陸との交渉・交流の手段を持たないヤマトの状況をよく示している。
ヤマトはその地域内に豊かな生産力があったのではなく、他の地域を支配し富を収奪する手段
(政治力と武力)によって豊かさを補っていたのである」
(森浩一「記紀の考古学」)

619 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 14:54:41
>>617
>一応の名目は「検校」なんだから

「検校」は崇神紀ではなく、垂仁26年に出てきますね。
崇神60年は「是欲見焉」ですから有無をいわさず、ということでしょうか。

620 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 18:30:30
脅しとれる程の大きな力…
やはり七万戸とも言われる地域は畿内か

621 :縄文人 ◆/xu1OicFrg :2010/01/16(土) 18:40:26
私は縄文人。九州説の王にして天才史学者。畿内説には蛇蝎のごとく嫌われておるようだが、私は正しく根拠の
あること以外はレスしない。私は、経済学、金融工学、冶金学、鉱物学、認知心理学、書肆学、ドイツ文学、英文学
法医学、肛門外科、切手の歴史、ありとあらゆることに深い知識を持つ、知の巨人だ。ぐはは、私は偉い!私は
小林秀雄より偉い。私はこれまで十万冊以上の書籍を読破してきた。私は縄文人だ。

622 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 19:28:51
八咫の鏡は平原古墓のある筑紫で作られ、伊勢まで移動した可能性が高い。
未発見の親魏倭王の金印も、九州で出土した場合はともかく、畿内で出土した場合は慎重に考えなくてはならない。
特に景行・仲哀・神功の陵墓で出土した場合、むしろ九州説の証拠になると考えられる。
(もちろん宮内庁の指定通りではないかもしれない)


623 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 20:40:03
>>622
何、ビビって防衛線張ってんだよww

624 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/16(土) 20:48:54
>>623
愛知県民さんの言ってることは、よく言われてることで・・・
金印がもし仮に九州で発見されたなら邪馬台国は九州で決まり。
しかし畿内で発見された場合はそうとも限らないと言いたいわけだ。


625 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/16(土) 20:52:03
逆にいえば、景行天皇以前の陵墓で発見されたのならば、
邪馬台国畿内説に軍配が上がるのかもしれない。


626 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 20:55:05
>>623
別にビビッていませんが。
第一、陵墓の発掘なんていつ行なわれるか分からないし。
でも・・・1875年に大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が大雨で崩れ、七子鏡?と思われる銅鏡が出てきて
ボストン美術館に所蔵されているという話もあるが、はっきりしないようだ。
一刻も早く、きちんと発掘すべきではないかと個人的には思います。


627 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 21:04:29
>>624
>金印がもし仮に九州で発見されたなら邪馬台国は九州で決まり。
>しかし畿内で発見された場合はそうとも限らないと言いたいわけだ。

そうですね。

>>625
>逆にいえば、景行天皇以前の陵墓で発見されたのならば、
>邪馬台国畿内説に軍配が上がるのかもしれない。

そうでしょうね。
景行天皇が女王国の年代を知っていたら、あえて崇神陵に副葬したとか有り得なくもないが・・・
苦しいでしょうね。

628 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 21:11:17
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

629 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/16(土) 21:37:13
「愛知県民さん」と「wwwジョーカー氏」または縄文人氏
なんか、新鮮な顔合わせってかんじでいいなww

それと「破砕鏡」について話し合ってるみたいだけど
こっちの規制よスレもよんでほしい
http://www1.atchs.jp/most/


630 :縄文人 ◆gWTQX0ugGc :2010/01/16(土) 21:55:22
ふんじゃっ前原に伊都国があったという前提で考えるとそのようなことも立論可能だが、それが
正しいとは言えないのだ。倭の国にとって楽浪郡を通じての漢との交易を独占的に行うには
漢に覇権国として認めて貰う必要があった。それには当然実力(外交力、武力、経済力)が
必要であった。一方、漢は己の威信が高まることであれば蛮夷の国を冊封体制に組み入れたが、
当時倭の国は漢にとっては(背いたとしても)軍を派遣して制圧するには遠く、海を越えて行か
ねばならず、それに値する見返りは期待出来ないところであった。

倭の国々にしてもその事情は分っていたであろう。倭の国々の中では漢に侵攻するなどの無茶を
しない限り、恭順の意さえ見せておけば漢から武力制裁を受けることはないと認識されていたで
あろう。それは半島と中国東北部における情勢(夫余や高句麗と漢の関係)を知る者には分った
であろう。

1世紀半ば倭では奴国が漢委奴国王に封じられたが、奴国はそれ以前に実力を蓄えていた筈である。
そして、半島との通交ルートの支配権を握っており、それが万全なものとなったところで、光武帝の
封禅の儀という折りを捉えて朝見を行い漢委奴国王の位と漢との交易独占権を入手した。

弥生時代は戦乱の多い時代だった。稲作に食糧生産の比重が移り、人口は増大したものの、一旦気象に
異変が生じれば食糧不足から略奪戦争が勃発した。弱肉強食の時代と言ってもよいほどで、強者が支配
し、弱者はおとなしく従うしかなかったのだ。そのような時代の倭の覇権国が奴国であった。その奴国
を差し置いて大陸や半島との交易を大々的に行える国が前原に存在できた筈は無いのである。

前原は1世紀には奴国の交易基地であり水軍の基地であったし、その時代の前原の王墓遺跡は奴国の王
族のものであると考えたほうがよいのである。

631 ::2010/01/16(土) 22:51:25
いずれにしても、邪馬台国は畿内で決まりかな。
三国志、通称魏志倭人伝には「倭国乱れ」とあります。
陳寿さんの三国志でいう「乱」の字がみれる箇所では、いずれも大規模な戦いを意味するわけで
九州にはそれらの戦闘地ではないだろう。

えーとですね・・・九州にも福岡県穂波町のスダレ遺跡から出土した
「石剣の刺さった人骨、それから〜有名な佐賀県の吉野ヶ里遺跡で発見した
「首のない人骨」などあることは、あるんですが、いずれも弥生中期のモノですね。
九州説さんは、ここらへんはどのように考えてるのでしょうか?
コメント宜しくです。


632 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/16(土) 22:52:28
「親魏倭王」の金印は台与の古墳である西殿塚古墳か石上神宮の禁足地を発掘したら出土するでしょう。
また「魏倭率善中郎将」「魏倭率善校尉」の銀印は日本全国で出土する可能性があります。

633 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 23:14:33
>>631
弥生中期?
「吉野ヶ里遺跡」をウィキで見ると「倭国大乱を思わせる戦いのすさまじさが見てとれる」
「弥生時代後期には、環壕がさらに拡大し、二重になる(防御の強化?)とともに、建物が巨大化し、3世紀ごろには集落は最盛期を迎える」
とありますが。
考古学の年代はよく変動するので分かりません。


634 ::2010/01/16(土) 23:21:06
>>632 神無月巫女さん
>「魏倭率善中郎将」「魏倭率善校尉」の銀印は日本全国で出土する可能性があります。

銀印「晋率善羌中郎将」 というのが大阪府立近つ飛鳥博物館に保存されています。
http://www.osaka-archives.com/museum_cat_06.html

ですから、この場合、「魏倭率善中郎将」ではなく
「魏率善羌中郎将」 では?と思いますが・・・

635 ::2010/01/16(土) 23:28:42
>>633
吉野ヶ里遺跡の三世紀といわれてる二重環壕は戦争の爪痕といえますか?

「首のない人骨」に関しては前2〜1といわれてますね。
これは凄まじい戦闘の爪痕といえるんですが、弥生中期です。

636 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 23:28:49
>>582
そこの節はシュ儒、裸国、黒歯国といった、
山海経で言及されている伝説上の国に関する箇所だから
信憑性に欠ける記事ではないだろうか。



637 ::2010/01/16(土) 23:34:18
>古代の勾玉は出雲が本場

八尺瓊勾玉がどうかは知りませんが
「勾玉」の歴史は古く九州の縄文時代から出土されてますね。
一概に「本場」と決めていいものか・・・と思います。

638 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/16(土) 23:36:58
>>630
縄文人さん
後漢書には「倭奴国」「拘奴國」は出てきますが、ただの「奴国」は出てこないのでは?
「倭奴」は「匈奴(きょうど)」と同類の表現とも考えられます。
「倭奴国」は「倭国」と同じで、その都(1〜2世紀)が「伊都国」と考えればよいのではないでしょうか。


639 ::2010/01/16(土) 23:42:13
「勾玉」と言えば弥生時代のイメージが強いんですが
その始まりは縄文時代から始まるモノでして、どこの遺跡かというのは
わたしも本を開くのが面倒なので調べてほしいです。


640 :日本@名無史さん:2010/01/16(土) 23:43:24
>>634
>ですから、この場合、「魏倭率善中郎将」ではなく
「魏率善羌中郎将」 では?と思いますが・・・

??その銀印は羌人がもらったっものだろう。羌というのは、中国西北部のチベット系民族。タングートとも呼ばれる。
この銀印は出土品ではないようなので、太平洋戦争後日本に持ち込まれたか、コレクターが中国から買って手放した
ものではないかな。印章のコレクターは多い。だから日本から銀印が出土するとしたらおそらく、
「魏率善倭中郎将」だろうね。

641 ::2010/01/16(土) 23:46:54
>>640
なるほど
「魏率善倭中郎将」ですか、こりゃ失礼ww


642 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/16(土) 23:49:41
>>634
羌って???魏の時代は「魏烏丸率善伯長」の印から印文は自国名→相手国名→役職となってます。
卑弥呼の使節が魏からもらった銀印は「魏倭率善中郎将」「魏倭率善校尉」が正しいと思われます。

643 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 00:00:44
>>635
「大乱」としているのは後漢書だけですしね。
全ての戦死者が残っているわけではない。
今の遺跡と考古学だけで結論するのはどうかと思います。

>>637
>一概に「本場」と決めていいものか

これは失礼しました。
勾玉は縄文早期から登場し、三種の神器の中でもっとも古いもの。
勾玉だけで年代を定めるのは困難な場合が多いようですね。

644 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:03:02
>>637
古代の勾玉は出雲が本場というのはいえてるだろうね。まず文献的には、スサノオがヤマタノオロチを退治した後、
勾玉をアマテラスに献上し、これが三種の神器のひとつ「八尺瓊の勾玉」になったという伝承があるし、中世に出雲
大社本殿裏の真名井遺跡から、最高品質の翡翠の勾玉が銅戈とともに出土し重要文化財になってる。この他、玉作
遺跡もたくさんある。新潟糸魚川産翡翠を用いた玉作工房は日本海側に多い。だいたい 玉造温泉は旧出雲国だろ。

645 ::2010/01/17(日) 00:05:20
中郎将印は何個が出土されていて
難升米の銀印を予想するとしたら>>640さんがいってるとおり
「魏率善倭中郎将」かもしれません。

たしか、各地で発見されてるモノはこっちだったような・・・
640さん宜しくww

646 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 00:07:19
メさん
>>637 はスレ違いでしょう?
初心者スレですよ。
気づかずにレスしてしまった・・・
すみません。

647 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:14:19
「出雲風土記」によると、勾玉は太陽と月が重なり合った形を表し、太陽と月の力と恵みを受けることで、幸運
を呼びこむ。また、孔は祖先との繋がりを持つ意味があって、霊力の恵みを受けられるというようなことが書か
れてるが、ま、これは後付けかもしれないね。
 
勾玉は確かに縄文、弥生、古墳時代を通して見られるものだが、本翡翠が材料として好まれていた傾向があ
り、他には瑪瑙や鉛ガラスなどが見られる。日本以外では朝鮮半島三国時代の新羅の副葬品として出土して
おり、翡翠のほかに、ガラスや水晶なども見られ、形態も大小にばらつきがあることから、日本から伝わった既
存の勾玉を加工したものではないかと言われている。当時の重要な交易品だったのだろう。

648 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:20:12
あとは中郎将というのは武官職名なんだが、率善がつくものは異民族が国外で闘う中国の軍に加勢した場合
などに与えられるもので、蛮夷印とも分類される。少し違うけど、「善なる軍勢を率いる」くらいに解釈してもいい
かもね。

649 ::2010/01/17(日) 00:20:51
>>646
あそこは「初心者」対「講師陣」の質問スレだったような・・・
講師とされた人同士で話してたら「太国VS唐松山」スレ立ったし、
たぶん、こっちでいいのかと・・・逆にあそこで話してたら怒られそうでw


650 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 00:28:17
>>647
ヒスイは新潟の糸魚川が有名ですが、八尺瓊勾玉の「瓊」は赤色の玉のことであり古くは瑪瑙とも言われますね。

>>649
なるほど。気をつけます。

651 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:35:12
難升米の率善中郎将は将軍位なので、実は梯シュンの建中校尉より形式的には上になるんだよな。張政と
比べてどうかというのはちょっとわからない。

まあ、勾玉や銀印の話はこれくらいにして、少しマキムクスレでも話題になってる出雲の話をしようか。
例えば70年代頃、松本清張氏は、畿内一円は「天孫族」が進入する前は、「国津神」系の出雲族が支配して
おり、それが畿内を奪われたため山陰に後退を余儀なくされた・・・というような説を唱え 賛同者も多かったんだ
けど、考古学的資料からはちょっと考えにくい。逆にもともと出雲に住んでいた勢力が大和に大量流入した・・・
地名の類似などからこの説もよく聞くけど、やはり考えにくいと思う。

652 ::2010/01/17(日) 00:35:44
著者の陳寿さん三国志で「乱」という字があてられてるのは、何も通称魏志倭人伝の
部分だけではなく180年代に大陸各地で起こる大規模な争いなどにも用いられており、
おそらくは、倭人伝の「倭乱れ」も大規模だったことが予想できます。

三国志のどの部分かというのはですね・・・
今、本を調べて答えるのは面倒なので書き込みませんが、そこからみると小規模な争いではないと思ってます。

653 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:45:38
おそらく縄文後期から弥生時代にかけて、この糸魚川産翡翠などの交易に見られる文化圏が存在していた
のは確かだと思う。これは考古資料の裏付けも十分あるが、言語的にも出雲と東北の言葉はよく似ている。
これは言語学者 小泉保氏の研究によれば、縄文語系統であり弥生語系統が遅くまで入ってこなかったためと
されている。ただし、同じ日本海側でも丹後の言葉は少し違っていて、丹後は四隅突出型墳丘墓も見られず、
出雲文化圏から離れた飛び地になっている。

654 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 00:47:33
「倭國亂相攻伐歴年」
わずか八文字の記事で、具体的なことはよく分かりませんね。
「更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人」
こちらのほうが具体的に詳細に書いてあります。
モモソヒメの死後の状況とは全く違うように思われます。


655 ::2010/01/17(日) 00:53:23
出雲ですか・・・
出雲市で大型な四隅突出墳丘墓といわれる西谷三号墓、四号墓があるんですが
ここには吉備で造られたといわれる埴輪のルーツ(起源)特殊器台が出土されている。
西暦にして200年前後といわれてるんですが、巻向にも「特殊器台」は出土されてますし、
この三つは政治的な強いつながりがあったよう。

それとは別に、日本書紀の祟神天皇条に武諸隅に出雲振根の弟が兄に黙って
出雲の神宝を献上して、それを知った兄の振根からだまし討ちにされるという話がアル。
それを知った天皇が詔にて吉備に出雲を討たせるんだけど、なんか複雑な関係を思わせますよね。

656 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 00:54:18
これは、丹後には大和と同族である弥生語系の勢力が、弥生中期頃から琵琶湖経由で進入していったためで
はないかとも考えられる。で、丹後だけは日本海出雲文化圏に属さず、言語的にも違うということが起きている
のだろう。そして、2世紀後半〜末頃から全国一ともいわれる鉄量を保有する一大勢力に育っていく。しかし、大
和との繋がりが強いかというと、そうともいえないようだ。

657 ::2010/01/17(日) 00:58:35
勾玉は縄文早期からあるんですか?
よくいわれてるのは、縄文晩期から〜ですが
そのまえに東北地方で見つかるヒスイ玉とかありますね。
ペンダント風に仕上げられており穴があいてますよね。

658 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 01:00:59
>>655
ほう、よく知ってますね。勉強の成果が現れてるようですね。確かに西谷3号墓からは吉備、丹後、北陸系の
土器が出土していて、互いに儀礼的な弔問外交のようなことをしていたと考えられている。そして、この墳墓
上で何らかの祭祀儀礼が行われたと想定される。しかし、丹後に四隅突出墳が見られないこと、上記の言語
系統が違うことなどから別勢力と考えるのが妥当だろうね。

659 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 01:09:57
>>657
鈴木克彦氏の「縄文勾玉の起源に関する考証」によれば、縄文時代極初期の?状耳飾りが勾玉の原型である
と考えられており、縄文時代早期末から前期初頭に滑石や蝋石のものが出現し、縄文中期にはC字形の勾玉が
見られるようになる。・・・このあたりは受け売りだけどね。

660 ::2010/01/17(日) 01:10:31
話が飛んで申し訳ないが・・・・
弥生墓の地域差でいえば近畿は東海なんかと同じですし(方形周溝墓)、
九州でいえば代表的な「カメカンボ」がありますね。
出雲はこれらとは違って「貼石墓」っていうんですか。

よく九州から近畿に東遷したとか聞くんですが、神武天皇が九州から近畿に移ったというのは
記紀にあるわけですけども、一時的だけで、もともと天皇家は近畿、東海地方の
豪族だったというのはどうでしょうね、ようはホツマが正しいというか如何でしょう。




661 ::2010/01/17(日) 01:20:32
アハハ ほめられたよw

勾玉に関しては、専門家がっていうよりも、素人がみても
あの勾玉より前のヒスイ玉と関係するんじゃないか?ってことぐらい想像はできますよねw


662 ::2010/01/17(日) 01:24:49
いや、いや、ブルー名無しさんは「考古」に関して詳しいですよね。
普段は巻向スレにいるんですか?
あそこのスレには、たしかに詳しい人もいるようですが・・・

663 :縦目仮面:2010/01/17(日) 01:25:59
>>640 ここからずっと書いてたのは俺ですけど、ホツマが正しいということもないでしょう。貼石墓が前方後
円墳の葺石に影響を与えたという話もありますが、四国からの影響かもしれずこのあたりはわからないですね。
纏向では纏向1式の頃から、北陸・山陰系の土器は出てますけど。・・・俺はヤマト王権は畿内自生説ではない
し、東海というのも考えにくい。やはり ゆるやかな連合でしょうかね。




664 ::2010/01/17(日) 01:34:30
ああ、縦目さんだったのか・・・・なるほどw

>>663
弥生墓の地域差でいえば「近畿」と「東海」それから「日本海側」なんかも
「方形周溝墓」で同じですよね。

ところで愛知県民さんはどこへ?


665 ::2010/01/17(日) 01:47:08
>ゆるやかな連合

本を読んでいたらよく考古学の先生方が発言してる言葉ですが
今言った「墓制」もそうですが、「土器」もそう。
庄内式土器なんかは薄甕といわれてるのに対し、5様式っていうんですか・・・・
厚甕の分布図でみても「近畿」、「東海」、福井県などの「日本海側」にも広がってますね。
ここらへんから想像できるのは、同じような文化がそこにあり共有した何かがあったのだろう...
と予想出来るのではなかろうか。

666 ::2010/01/17(日) 01:53:39
>>654
>「倭國亂相攻伐歴年」 わずか八文字の記事で、具体的なことはよく分かりませんね。
>「更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人」こちらのほうが具体的に詳細に書いてあります。

で、それらの戦闘があったであろう、遺跡は、九州で証明出来るのでしょうか?
あと、上にも書きましたけど、倭人伝の記事のみならず三国志全てから眺めるということもできます。

667 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 01:56:24
で、出雲の話に戻ると、荒神谷遺跡、賀茂岩倉遺跡の状況を見れば、弥生時代中期後半頃に何かが起きたの
かもしれない、何か国譲り神話として伝承されるようなことがあったかも・・・実際現地には行ったことがあるんで
すが 実に辺鄙な場所で、出土は奇跡的という気がします。まだ何が埋まってもおかしくない。・・・しかし、難しい
ですね、俺的にはオオクニヌシの国譲り神話は、単に日本海交易文化圏が、瀬戸内のそれに切り替わっていっ
たことを象徴的に表していると捉えたいところですが。ま、出土した銅鐸の同笵関係などから、いろいろなことが
わかってきつつある現状ですね。

668 ::2010/01/17(日) 01:57:53
>>663
>ホツマが正しいということもないでしょう。

ホツマを否定する前に読まれたことはあるんでしょうか?
そこに何という事が書かれてるのか、知ってないと否定できませんよw


669 :縦目仮面:2010/01/17(日) 02:09:28
>>668
・・・だいぶ前の「ドンと来い!」だったかな?で、唐松山さんと論争したときにざっとは読みました。おそらく近世
に、神道宣伝のために書かれたものだという気がします。いずれ、大物主が神武天皇の命により記し、太田田
根子が完成させたなどということはありえないでしょう。美しい文章であるとは思いましたが。

で、俺的には>>667で書いたように、オオクニヌシからの武力による国譲りなどということは考えないんですが、
ただ困るのが、三輪山祭祀の中心であるオオモノヌシ神が、大国主神命の和魂であるとされること。この部分が
大和ー出雲の関係をわからなくさせる大きな要因の一つとなってますね。


670 ::2010/01/17(日) 02:21:57
ゆるやかな連合ねえ・・・
たとえば、魏志倭人伝に卑彌呼を「共立」あるんですが、考古学の先生方が
この共立を原始的な民主によるものだとか、玉に耳にするんですが、いわば
部族同盟というんですか・・・しかしですね、魏書の夫余の条にも「共立」、
ほかにもですね、高句麗の条にも同じようなのがありますね。

この二つの記事に関しての共立の場合はゆるやかな連合とかではなくw
王が死んだのでその一族から、または太子を共立したと一般的にはいわれてるんですよ。
そこから言える事はですね、「原始的な民主性」ではなく考古学者の一部で言ってる
村の集まりだとかw 民主的だとかw ここからはそのようなことはいえないんですよね。

以前、マンガか?とか言った覚えがあるんですが、ここらへんどのように考えてるんだろうか。

671 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 02:23:35
しかし、これにしても三輪山禁足地および周辺山麓から出土する祭祀遺跡は古墳時代中期から後期にかけ
ての時期に集中していて、4世紀後半から始まった磐座祭祀は多量の滑石製模造品や土製模造品を伴って
5世紀後半にピークを迎えます。それ以前は、もちろん磐座はあったんでしょうが、どのような祭祀が行われ
ていたかは判然とせず、おそらくこの5世紀以降に神々の体系をまとめるといった作業があって、ここで国津神
系としてオオモノヌシ、オオナムチなどが大国主命として統一されたのではないかという疑念を持ってます。神
道用語としての和魂などというのはけっこう新しい概念ではないですかね。ただ記紀厨、神話厨からの反論は
多そう。w

672 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 02:28:08
>>670
後代の大和朝廷のようなものがあって、群臣から卑弥呼が推挙されて王となった・・とは考えていません。
ゆるやかな連合 といってもこの倭人伝の時代は、一人の領主がクニ全体を面として完全支配しているので
はなく、交易などの拠点どうしの連合のようなものとして捉えています。まあ、共立の理由は倭国乱を収める
ため、という倭人伝の記述に従っときます。w


673 ::2010/01/17(日) 02:34:12
>>669
それはほんの一部でしょうねw
たぶんホツマを読んだ人ならば、
私の言おうとしてることがすぐにピンとくるはずなんですが・・・・

今日は遅いし、寒いのでもう寝ますね。
では、またです・・・・・zzzz

674 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 03:14:32
縦目仮面は説の当否はともかく力があるね。

675 :メ(まだねてないw):2010/01/17(日) 03:19:56
>縦目仮面は説の当否はともかく力があるね。

うんうん
以前から言ってることなんですが
コテさん、ようは、固定ハンドルを持ってる人はみんな実力者というか。
あ、自分もコテですがw 自分以外の〜という意味でww

676 :メ(まだねてないw):2010/01/17(日) 03:44:16
>>669
>ただ困るのが、三輪山祭祀の中心であるオオモノヌシ神が、大国主神命の和魂であるとされること。
>この部分が大和ー出雲の関係をわからなくさせる大きな要因の一つとなってますね。

オオモノヌシというのは、別に一人のことではありませんよ。
現在でいえば「役職」にあたるというか、代表者は、おそらくは事代主(二代目大物ヌシ)でしょうね。

三輪周辺の土地に関しては、そこが出雲系の土地だったと考えています。
祟神なんかは「イリ」ですよね...こうすればつじつまが合う。
これが三輪周辺での「天つ神」系、「国つ神」系の関係。

677 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 03:48:12
>>676

こいつも、「出雲系」とか、電波飛ばしてんな。
出雲系って何だよ?
そんな九州説以下の脳内設定はたくさんだ。


http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1262915333/830-




678 :メ(まだねてないw):2010/01/17(日) 03:50:38
>>677
お前さん、古代史を何も知らないんだねえw

「天つ神」、「国つ神」って知ってる?
私も君の古代史の先生ではないので、一から十まで教えるの面倒なんだわw


679 :縦目仮面:2010/01/17(日) 04:01:11
しかし メさんは、神道をかなり古いものとして捉えてるんですねえ。もちろん古いものでしょうが、俺はその教義
が体系化されたのは文字導入以後と考えてるんで、「天津神」や「和魂」やら、各神社の社伝なんかもかなり
後代のものとして考えてます。伝承は、文字化し整理される過程でかなり変質するものだと思いますけどね。
ま、何らかの真実が含まれてないとはいいませんが。

680 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 04:07:40
>>678

日本神話のことなら、君以上のことは知ってるよ。

俺も、三輪山と出雲の関係を知りたくて、
日本神話、神社伝承、氏族系譜、すべて調べて、
三輪山と、出雲の関係を調べに調べた結果、
「両者に関係無し」という結論になったんだ。

文献から、
まず、大物主と、大国主との関係に具体性が無い。
同一人物でも、子孫でもないと見るべき。
国津神・天津神という思想が生まれてから、天津神ではない地方神が、
すべて大国主の子としてまとめられてしまっただけだ。

考古学から、
四隅と類似するような遺構が、奈良から見つからない。

結論・出雲と三輪山は無関係。


681 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 04:20:55
>>669
>ただ困るのが、三輪山祭祀の中心であるオオモノヌシ神が、大国主神命の和魂であるとされること。
>この部分が大和ー出雲の関係をわからなくさせる大きな要因の一つとなってますね。

オオクニヌシが、現在の島根県の神だと考えるのも間違いのもとだろう。

オオクニヌシが、現在の島根県の神だと考えると、「大和ー出雲」という見方になってしまうが、
オオクニヌシは国作りをした神であって、西日本全体で信仰されている。
島根県の出雲が、弥生時代以後、西日本全体に影響を及ぼしたなんて事実は無いのであって、
オオクニヌシ信仰が古くからあったとするなら、島根の勢力とは関係なく、
古代の倭人の間で信仰されていた神と見るべきものだ。




682 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 04:29:18
>>681
なるほどね。では、出雲大社が島根県にある理由は何ですか。これも後代のことかもしれませんが、ただ記紀に
そう書かれている理由はあるはずですよね。

683 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 04:29:43
古代に、西日本全体で信仰されていたオオクニヌシという神がいたことは、考えられる。
各地の風土記や伝承にも、登場するからな。

結論から言えば、
三輪山には、オオクニヌシと直接関係の無いオオモノヌシという神がいた。
で、三輪山麓に生まれたヤマト王権が、西日本のクニをまとめるために、
オオクニヌシの魂が三輪山の神だとして喧伝し、信仰を利用したにすぎない。
それ以上の意味は、全く無いと言っていい。





684 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 04:33:07
>>652
古代に、島根県に「出雲大社」は無い。
島根にあったのは「杵築大社」。

そして、丹波には、出雲大神宮があり、オオクニヌシが祀られている。
出雲大神宮の社伝には、大国主は、もともと、丹波の出雲大神宮の神だとされている。

>『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、
>大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。
>すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。
>よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。  
>ttp://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm

685 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 04:51:05
奈良朝のはじめまでは、
オオクニヌシと言えば、丹波の出雲大神宮のカミだったということになる。
そのオオクニヌシが、島根の杵築大社に移されて出雲大社になった。
それも、「出雲大社」と呼ばれたのは、明治時代になってからだ。

あと、
「神無月」を出雲では「神有月」として、「神が出雲に集まる」という迷信があるが、
それは出雲大社のでっちあげであって、神話や風土記のどこにも、
秋になったら神が出雲に集まって会議をするとかいうような伝承は一切無い。

古語では「な」は「の」の意味で、神無月は単純に「神の月」という意味でしかない。
「水無月」も同じく、梅雨を意味する「水の月」が語源。
中世の頃に、「無」を嫌って「有」とする風潮が生まれ、出雲だけ勝手に「神有月」としただけ。
東京の「亀有」も昔は「亀無」だった。
ttp://homepage3.nifty.com/sakagen/

あまり神話を史実のように語ると、後で恥をかくことになりますよ。


686 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 05:39:52
記紀に大物主神が登場するのは崇神天皇記。
疫病が流行し、死亡する者が半数以上。人民の心は離れ、反逆する者も現れた。

そこで、倭迹迹日百襲姫の神託により、大田田根子命に大物主神を祀らせると
災いは収まった。

古代ではこういうことは良くある。何か災いが起こったとき、過去の因果か
影響していると考え、その元になるものを祀る。菅原道真のときの太宰府天満宮
がそうだし、隼人を大量に殺したときの祟りを恐れて宇佐神宮が整備された。

つまり、大物主神を祀ったのは、災いが大物主神の祟りだということなのだろう。
では、大物主に対する過去の悔いるような出来事とは何か。
記紀による限り、ずっと前の出雲の国譲りの際の出来事しかない。

国譲りというと、穏便な印象になるが、実はかなり残虐な出来事だった。

ちなみに、大物主神は、それ以前にも登場している。
高天原を追われた素戔鳴尊は出雲に行った。素戔鳴尊のあとを継いだ
大己貴神は、少彦名命と共に出雲の国づくりをする。

やがて、少彦名命は、常世の国に去ってしまうが、その後にやってきたのが
大物主神となっている。いわゆる出雲の国譲りはその後で起きた。

687 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 06:00:35
>>686
>大己貴神は、少彦名命と共に出雲の国づくりをする。

「出雲の国づくり」ではない。
「葦原中国」だ。
最後に行き着いたのが出雲と書いてあるだろう。

オオクニヌシとスクナヒコナが国作りした伝承は、島根だけでなく、播磨風土記にもある。
道後温泉などにも伝承が残されている。




688 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 08:59:19
>>666
>で、それらの戦闘があったであろう、遺跡は、九州で証明出来るのでしょうか?
>あと、上にも書きましたけど、倭人伝の記事のみならず三国志全てから眺めるということもできます。

今のところは証明なしかな。今後の発見に期待というところですね。
それにしても「倭國亂相攻伐歴年」という曖昧な歴史記事に異常に拘って
(「更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人」も後で聞いた記事のようです)
たとえば方角とか、リアルタイムの記事を無視するというのはバランスを欠くのではないか。
あと、畿内説は「倭國亂相攻伐歴年」にはこだわるが「更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人」
は触れたがらない人が多い。
モモソヒメ死後に男王(誰?)が立って大混乱で退位したり、豊鍬入姫が女王になったり。
豊鍬入姫が天照大神を祭るのはずっと前なのだが。


689 ::2010/01/17(日) 09:11:34
>>679
>しかし メさんは、神道をかなり古いものとして捉えてるんですねえ。
>もちろん古いものでしょうが、俺はその教義が体系化されたのは文字導入以後と考えてる
>ま、何らかの真実が含まれてないとはいいませんが。

あらら・・・私は縦目さんと丸っきり考えが逆のようですね。
縦目さんは細かいところは詳しいようなんですが、古代日本の基礎が・・・・。

現在、三重県の伊勢神宮で祀られている「天照大神」とか、「豊受大神」とかを中心とする
「神道」がありますよね、ヤマト言葉とか聞いたことがあると思うんですが、
天照大神の時代にはまだ「漢字」は伝わってきてないんですが、その漢字が本格的に伝わってくるのは
仏教伝来の頃でしょうが、その伝来する前には、古代日本で使用されていた「神代文字」というのがあるんです。

ホツマ、ミカサフミなどが有名ですが、これ以外にも古い神社の「札」とかにも
これらの文字がみれ、疑いの余地はないですね。

それに、この列島と大陸との付き合いは古く、なにも、後漢や魏時代の一世紀〜三世紀ぐらいから
関わりを始めたわけではないんです。
私が聞いたところによると紀元前十世紀ぐらいまで遡れるらしい。

690 ::2010/01/17(日) 09:14:59
>>680
>日本神話のことなら、君以上のことは知ってるよ。

笑わせるなwww
>>680-687までの君のレスを読ませてもらったけど、あきれるしかないw
唐松山さん〜助けて〜www

691 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 09:16:02
>>638
縄文人さんへのレスで、「倭奴国」=「倭国」はまずかった。
「倭奴国」=「伊都国」とします。
読みは違うと思われるが、「倭奴」は「匈奴」の類の蔑称ということで。
参考として、「建武二十年韓人廉斯人蘇馬ィ等詣樂浪貢獻光武封蘇馬ィ為漢廉斯邑君」
「漢廉斯邑君」と「漢倭奴国王」を比較して下さい。
「漢韓廉斯邑君」にあらず。

692 ::2010/01/17(日) 09:19:34
おっと〜愛知県民さんが来てたようなので、あとは任せてw
もうひと眠りしましょうかねw 
また、あとで来ます・・・zzz

693 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 09:21:34
>>688

中国の記事にはあるが、記紀には記録が無いということを言ってるのかな?
それなら、倭の五王も、記紀には記録が無いので、
どうぞ九州王朝説でも唱えたらいかがかな?


694 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 09:29:50
>>689
>漢字が本格的に伝わってくるのは仏教伝来の頃

本格的というのが微妙ですが、もっと古いと思いますよ。前漢鏡・後漢鏡にも漢字の銘文がありますし、
弥生人も漢字が読めたと考えるのが普通でしょう。
神代文字は、私は否定的です。

>>693
>倭の五王も、記紀には記録が無い

書紀には應神・仁徳・雄略世に呉国(中国南朝と思われる)との外交が記録されています。
崇神世に魏との外交は記録がありません。

695 :縦目仮面:2010/01/17(日) 09:37:10
>>689
>ホツマ、ミカサフミなどが有名ですが、これ以外にも古い神社の「札」とかにも
  これらの文字がみれ、疑いの余地はないですね。

神代文字ですか(絶句)・・・いや、オカルト仮面としては「ムー」を読んでますので、実はカタカムナ文明など
も詳しいんですが、すべて近世以降の創作だと思いますね。スレの人はどう思いますか?ww
http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/sinmoji.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97



696 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 09:42:35
阿比留文字なら対馬で近世まで使われていましたよ。
それほど古い時代に消えたわけではありません。

697 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 09:45:41
九州説のオカルトぶりには呆れるね。
自分の解釈は都合よくねじまげて、相手の解釈は間違いと決め付けるというのは、
どうにかならんもんかね。

>>689
ホツマが「神代文字」だってぇ?
とっくの昔に論破されてるものをいまさら持ち出して得意になってるってどういう神経なんだろう。
俺は、「上記」がブームになった頃から古代史マニアだが、
「神代文字」も「九州説」もとっくに卒業したよ。
アホらしい。あんなものをマジメに信じてた頃があったなんて。いくら厨房だとはいえ。


698 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 09:51:11
>>680
勉強してその知識しかないのかw
朝から笑わせないでくれよ。

699 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 09:52:38
>>696
>阿比留文字なら対馬で近世まで使われていましたよ。

近世「だけ」使われたのではありませんか?
阿比留文字もホツマ文字も、構造はハングルに似ているようです。


700 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:00:00
九州説を熱弁して何が楽しいのかわからない。
2ちゃんみたいな狭いコミュでしか話し相手が無いのか?

もうちょっと表に出て、いろんな人と合って、
合う人ごとに九州説の話がサラっと言えるかどうか考えてみるといい。
きっと相手は君の事を「かわいそうな人」として見るだろうよ。


701 :縦目仮面:2010/01/17(日) 10:11:28
阿比留文字・・・上のリンクを見てわかるとおり、字形はハングルそっくりですよね。ハングルというのは、1446年
に李氏朝鮮の世宗大王が創作・公布したといわれてます。ただ、阿比留文字の方がハングルの元になったと
する説もあるんですが、これは電波かと。

江戸期の国学者が、「やまとごころ」を尊重するあまり、漢字伝来以前に日本に文字があったはずだと考え、そ
の文字を発見しようとしたして、そのときに捏造されたものが多いともいわれ、阿比留文字も、平田篤胤によるハ
ングルを元にした捏造とする説があります。ただし、古い石碑や神社の古札にこれが記されている・・・といった
話はつねにあり肯定派からは証拠として出されることが多いんですが、検証はなされていません。

702 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:15:39
>>699
対馬は、卑弥呼より古い時代から朝鮮と倭国の交易を担う役割を果たすため、日本語と朝鮮語の両方を表記できる文字が使われていたのです。
阿比留文字よりハングルの方が複雑であるため、阿比留文字がハングルの基であるという説もあります。

703 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:33:10
字と文字を使い分けている人と、字と文字を使い分けられない人が、
同じ土俵で相撲を取っても、結局何も得るものはない。
いったいここでの主題は(字)なのか?(文字)なのか?

704 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:41:01
>>700

>九州説を熱弁して何が楽しいのかわからない。
2ちゃんみたいな狭いコミュでしか話し相手が無いのか?

もうちょっと表に出て、いろんな人と合って、
合う人ごとに九州説の話がサラっと言えるかどうか考えてみるといい。
きっと相手は君の事を「かわいそうな人」として見るだろうよ。


いや、日常社会と非日常社会の2chの出来事を区別できずに、ここでそんなことを書き連ねる
君こそ「かわいそうな人」ではないかと思うが

705 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:47:32
この石碑が造られた年代が特定されているわけではありませんが・・
宮崎県の円野神社(創建703年)に阿比留文字で刻まれた石碑が残されています。

http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/miyazaki/matono2.jpg


706 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:49:13
複雑な文字の方が後で出来たというのは、いささか疑問だな。
むしろ、簡単になるのが正常進化じゃないのかな。

707 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 10:55:49
>>705この円野神社のある宮崎県諸県郡は、古くは古事記や日本書紀にも登場する「諸県君」の根拠地であり、
また、約1キロ西には山之口古墳も存在し、このあたりに邪馬台国の中心地であった可能性も強い。
さらに、西には天孫降臨の地とされる「高千穂峰」がそびえている。

708 :縦目仮面:2010/01/17(日) 11:21:50
>>707
ははあ。実はコテの唐松山さんが信奉する「秀真伝」(ホツマツタヘ)によれば、高天原は現仙台市付近の
多賀城跡付近とされます。これらの古史古伝も、内容にもう少し共通性があれば信頼度も増すんでしょうが、
仙台=高天原はさすがにありえないでしょう。

ホツマに関する批判としては、

・秀真伝は五七調を貫徹しているが、古代では字余りなどの変則句が含まれるのが自然であること。
・漢語を無理やり読み下した形跡があり、漢字渡来以前の文章とが思えないこと。
・序文の短歌が石川五右衛門の「磯の真砂は尽くるとも世に盗賊の種は尽きまじ」に似ていること。
・「めかけ」という江戸時代以降の言葉が出てくること。
・秀真文字による花押が存在するが、花押は950年以降に登場すること。秀真文字は母音と子音の組み合わ
せで構成され、五十音図の存在を前提とするものであるため、上代の音韻に基づいて作られたとは考えにくいこと.
・この書を初めて世に出したとされる、18世紀の神道家、井保勇之進に、神社社伝等の捏造常習者であった疑惑
 があること。

等々、たくさんあります。


709 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:22:02
邪馬台国は、阿比留文字を使って対馬経由で朝鮮や魏と交易をおこなっていました。
だから、邪馬台国は、諸県以外に考えられません。
後は、邪馬台国を示す石碑が見つかるのを祈るばかりです。

710 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 11:23:51
少し前に、崇神紀の四道将軍にだけ「印綬」が授けられ、ヤマトタケルや物部麁鹿火は「斧鉞」だと指摘したが
「斧鉞」でないこと(武力行使無し?)と、四道平定の具体的記事が無いことは符合する。
考古学で言われる「ゆるやかな連合」の反映であろうか。
または崇神より前に連合ができていて、崇神はそれを引き継いだだけか。
ヤマト政権の成立は、邪馬台国ごときより重要です。

711 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:29:27
>>710たかが卑弥呼、されど卑弥呼・・なのです。このスレの住人の間では。w

712 :縦目仮面:2010/01/17(日) 11:36:53
>>710
そうですね。このことについては以前少し話しましたが、崇神期に倭国製の印綬があったとは考えられない。
国産印章というのは早くても5世紀以降です。なぜこの部分だけ、印綬の語が用いられているのかは興味深
いところです。

四道将軍といっても、はるか千年後の戦国時代の国盗りのような感覚は俺は持っていません。馬も車もない
3〜4世紀の軍事力は、輸送・移動面からもたかが知れてるでしょう。おそらく交易の拠点をたたく、と言った程
度で、鏡を与えたりして懐柔することが多かったのではないでしょうか。

713 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:43:54
中国の物を模したものが
なかったと考えるのは早計。
鏡ですら、真似してるのに

714 :縦目仮面:2010/01/17(日) 11:47:39
>>713
まあねえ。しかし鏡と違って出土がないんですね。出土がないからなかったとはいいませんが、最古と考えら
れてるのが「大連之印」で5世紀以降のものです。

715 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:52:50
鏡を見たことのない未開の土蜘蛛なら、国産の粗悪鏡でも充分尊ばれた。
太陽を写して目くらましでもすれば、恐れおののいたのかもしれません。
三角の分布は、それでしょう?

716 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 11:54:45
>>712
>鏡を与えたりして懐柔する

群馬県高崎市の蟹沢古墳の年号鏡は、豊城命や毛野氏との関連から面白いですね。
出雲や但馬・丹波などは、大陸の鏡をヤマトに献上する方ではないか。


717 ::2010/01/17(日) 11:54:49
プッ 私が用いた神代文字が流行ってるようでw

>>708
>ホツマに関する批判としては、 〜〜〜等々、たくさんあります。

だから何??って言いたいw
縦目さんは考古学に詳しいようで...さすが先生から、又は本で多くの学者から
学んでるダケあって、その考古学に関しては「本物」でしょうね。

しかし、考古学以外に関してアニメで知ったのかw みんなで作り替えるウィキで知ったのかw
こう言ったら失礼かもしれませんが、ほとんどマンガ程度の知識としか思ってるんですよねw

余所スレでも書いたんですが、倭人伝のワの字も知らない邪馬台国を語る人も居てそれはオカシイと。
上のほうでも書いたじゃないですか。
ホツマを否定する前に読まれたことはあるんでしょうか?
読んでもナイのに否定なんてできませんよw

718 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:59:22
印造るなら貨幣造っててもおかしくない。
でも出ないという事は3〜4世紀には無いという事。

719 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:59:58
そういや、ドツボさんの畿内説聞いた事ないですね。

教えてくれませんか

720 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 12:07:09
>>718
古代シュメールは印はつくったけど、貨幣はなかったと記憶しているが。
印と貨幣がセットである理由は無いよな。

721 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 12:14:20
>>717
だから読んだと書いたはずです。まあ、斜め読みですが。あとは、古史古伝、偽書に関する本も読んでますよ。
ま、かなり時間のムダをした気がしますけど。まさか メさんは「ホツマ」が真の古書と考えてるんですか?!
まあ、信じるのは自由ですが。

>>716
これに関しては、ヤマト王権はかなり巧妙という気がします。上で出雲や丹後のことを書きましたが、邪馬台国
時代に強大なクニと目されていた地域が古墳時代前期には衰退または拡散していく、という傾向もあります。
かえって、その周辺地帯に大型の前方後円墳や多くの鏡の副葬などが見られるようになる。

例えば、吉備地方では楯築の造られた備中ではなく備前に、丹後では鉄器が大量出土する天橋立方面ではなく
半島の反対側の網野町方面に前方後円墳が造られる。また、記紀の振根の話にあるように、出雲は厳しく押さえ
られた節があり、古墳も傍流とされる方墳や前方後方墳が多いなどです。


722 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 12:25:48
安岡正篤のように歴代総理を操る思想界の大ボスみたいなのがいるのではないの?

723 ::2010/01/17(日) 12:27:42
>>719
>そういや、ドツボさんの畿内説聞いた事ないですね。
>教えてくれませんか

そのまえに貴方の名と持説をお願いしますよ。

>>721
>メさんは「ホツマ」が真の古書と考えてるんですか?!

ナ二を持って「真の古書」とするか分かりませんが、少なくとも真実を伝える部分も
あるのではなかろうかと考えてます。
ホツマを知ってる人じゃないと分からないと思うんですが、ねつ造というか、
全て偽りの真実であのような本は書けないでしょうね。



724 :縦目仮面:2010/01/17(日) 12:37:35
>>723
もちろん真実は少しであればどんなものにも含まれます。東日流外三郡誌でもね。「秀真伝」についても、江戸
期の古代、神道に関する知識で書いてあるという部分がほとんどでしょう。いずれ、「秀真伝」については真書で
あると説く一般書も多く、個人のHPも多い。実際この中に見られる東北幻想のようなものは、危険な部分がある
と思うんですけどねえ。


725 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 12:40:12
しかし、漢字が伝わるまでは日本は文字を持たない未開の野蛮人の住む国で、
百済が滅亡して高貴な漢人(あやひと)が日本に大挙して渡来し、彼らと繋がりのあった
蘇我氏一族が大和の王を大王から天皇へと王権を強めていったとするのは偏った見方で、
漢字が伝わる前にも、神代文字と呼ばれる出雲文字や筑紫文字、ホツマ文字や阿比留文字などが
各部族ごとに使われていたとみるべきなんじゃないか?

726 ::2010/01/17(日) 12:58:17
たとえば>>680 さんが
>日本神話のことなら、君以上のことは知ってるよ。

と豪語しておりますがw 
その次にでてきたのが、「オオクニヌシが〜」とかでチャラチャラおかしいわけで、
>>698さんからも「勉強してその知識しかないのかw 朝から笑わせないでくれよ。」
とか突っ込まれてますけど、まさにそのとおりなんですよねw 笑うしかないというかww


727 ::2010/01/17(日) 13:01:10
>>724
ま、縦目さんがそう思うなら、それもいいんじゃないですかね。
無理に考えを変える必要もないわけで、本人が決めることでして。

728 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 13:15:56
自称邪馬台国の鬼とか古代史の使い手とか太国主の末裔とか・・何でもありの世界ですね。

729 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 13:30:59
歴史というのは、あまりにも範囲が広く、どんなに勉強したつもりでも
自分の知っていることなど歴史のほんの一部分でしかないのです。
そういう謙虚さを失ってしまったら、鼻持ちならぬ自惚れにしか見えない。
歴史愛好家としては恥ずかしい態度だと思います。

730 :縦目仮面:2010/01/17(日) 14:00:51
>>729
これはそうですね。実は近世で、簡単に思えるようなことでもわからないことはたくさんあります。俺は歴史学
博士スレとかでも書いてるんですが、>天皇の存在は明治以前にはどの程度知られていたのでしょうか?
このような質問が、意外にわからなくて答えられない。


731 ::2010/01/17(日) 14:09:09
「お伊勢さん」とか「お多賀さん」とか聞いたことはありますか?
九州の田舎にでもですね、『一生に一度は、死ぬまでにはお伊勢参りがしたい』
というのが昔からよく言われてたと言われますし、日本全国探しても天皇の存在を知らない人なんて
居なかったのではなかろうか? ま、江戸時代に生きたわけではないので・・・
あまり強く言うと叱られそうですがw そういうところから想像はできますよね。


732 ::2010/01/17(日) 14:20:14
そもそも皇族が祀られてる神社は日本全国にあるだろ!って話。
現在、都会では区役所、地方の市役所で「戸籍」を管理してるんですが、
江戸時代なんかは「寺院」や「神社」がそういうのをやってたんですよね。
書く家に「位牌」とか置いてる家もあるんでしょうが、これらもこれら「寺院」や「神社」に
納めるのが一般的と聞きますし、江戸時代の各家というのは「寺院」や「神社」と現在よりも深い関係があったと聞いています。
そこに祀られてる神様を知らないというのもおかしな話で・・・

733 ::2010/01/17(日) 14:24:14
愛知県民さん 如何でしょうw


734 :縦目仮面:2010/01/17(日) 14:25:51
>>732
「お陰参り」などですね。いや当然その話も出したんですが・・・。588〜594参照。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254816203/

735 ::2010/01/17(日) 14:33:15
あ、そもそも江戸時代の「主要大社の朱印領」というのがありまして
そこでナニナニ神社は何万石だと記録されてるのがありまして、
一般的に所属先みたいなものが江戸時代にはあったんですね。
で、多い順に「伊勢神宮」とか、もっと古い時代でいえば「宇佐神宮」とか。
いずれも、そこの本殿で祀られてる神は”天皇家の祖先”でして、
自分らの所属先の神様も知らないとは、おかしな話になってしまいますよね。

736 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 14:38:22
>>733
いや、私に振られてもよく分からないですがね。
江戸時代は将軍様はみんな知っていたが、天皇のことは知られていなかったというのが通説じゃないですか?
明治維新で欧米に対抗して強力な国家を作るため、キリスト教でない日本では皇室中心でいこうという考えがあった。
しかし庶民で「テンノウ」といえば「天皇」ではなく、インドの最低の神?(よく知らない)「天王」のことであった。
「天王」は多くの神社もあり、親しまれてはいたが、あまり尊敬はされていなかったという。
「天皇」? 新手の「天王」出現か?と取られたり・・・
すみません、詳しい人は教えて下さい。

737 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 14:39:15
>>736 は愛知県民です。

738 ::2010/01/17(日) 14:39:40
>歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/12/11(金) 20:54:32
>>588
>明治以前は全国統計がないので具体的には分かりません。

おいおい博士さん・・・アルって!ってかんじですよねw
この「全国統計」が今言ったやつでして・・・そこに何万石だと記録されてるではないか。

言うまでもないが、縦目さんが正解で「歴史学博士の俺様」も知らないことがアルってことでいいんじゃないでしょうかw


739 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 14:40:45
>>723
私は葛木日女命(後のモモソ)が卑弥呼とする、畿内の葛城・三輪連合国説ですね。
 ※三輪は当時は違う名でしたでしょうが、便宜上『三輪』とします

倭国大乱は葛城と三輪の争いで、俗世王(三輪)と祭祀王(葛城)にすることで折り合いをつけたのだと考えます

卑弥弓呼はタケハニヤスの事で
結果はモモソが祟神に神託し、討伐しましたね。

『再び倭国乱れ・・』は11代大王垂仁の頃に起きたサホヒコ・サホヒメの反乱で
討伐後、ヤマトヒメ(トヨ?)が伊勢に社を築いていますね。
葛城族の建内宿禰や子孫の蘇我が大王並みの権力を
有していたのは先祖が祭祀王だったからだと思います。

奈良県御所市は財政難で発掘は出来ないようですが、あの地はまだまだ発掘しきれていないと思います。


名は名乗りません。名を語る理由がないですし、2chではなくよそでやれってことになりますし
特にここでコテハン名乗るとバカにされますんでw

740 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 14:44:08
牛頭天王(スサノヲ)とか有名ですね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B

741 ::2010/01/17(日) 14:45:28
うーん 私も江戸時代に生きたわけではないのでw

ですが、「天皇」というのを知らないのであれば、>>731でもいった
「お伊勢さん」とか「お多賀さん」、「一生に一度は〜」とかも無かったのではなかろうか?
少し、卑弥呼、邪馬台国から脱線気味ですので、ここらへんで戻しましょうかww


742 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 14:46:22
しかし、なぜ祟神は『祟り神』と書くのだろう・・・?
何か怨み事があった大王のかな?

743 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 14:51:27
>>741
神社神道と国家神道を区別する必要があるのでは?
江戸の庶民はそこまで考えていなかったのかもしれない。
ま、明らかにスレ違いですけどね。

744 ::2010/01/17(日) 14:53:30
>>739
なるほど、たまに畿内説でも「葛城」と「三輪」を話して考える人も居るようですが、
邪馬台国を三輪に考えるとして、その三輪=邪馬台国は、西の果てにある九州の玄海海にある
諸国を治めてたはずですので、そのルート上にあり、三輪より「西」にある「葛城」を
治めてないでどうするって話になりますよね。
貴方の考える、畿内の葛城・三輪連合国説については畿内説の多くの人からも賛成が得られるんじゃないでしょうか。
私も反対はしませんよ。

745 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 14:54:40
タタール人だったのでしょうね。

746 ::2010/01/17(日) 14:56:34
>>743
うーん、どうなんでしょうねw
わたしも専門分野以外なので強くは言えませんが、
江戸時代の記録から皇祖が祀られる神社とつなぎ想像してみましたが・・・
ちゃんとした答えを求めるなら専門の人に聞いたほうがよさそうですねw

747 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:00:05
>>744
ドツボさん、私は自説を話しました。
次は貴方の説を是非聞きたい。

748 ::2010/01/17(日) 15:01:19
>>747
あなたとにたりよったりです。
以上

749 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:04:56
>>748
私は恥を偲んで自説を書きました。
これは貴方が言い出した事なのですから、
そんな返答ではなくて、ちゃんと答えてください。

750 ::2010/01/17(日) 15:08:22
>>749
今日はもう疲れたので今度でいいですか?
ていうか、何度も書き込んでることなので、
わたしのレスを読んでいってくれたらこっちも助かるんですが...。

751 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:10:23
逃げるのがうまいね。プッ

752 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/17(日) 15:11:40
私も今週はこれで。GRRR・・・

753 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:12:31
>>750
そうですか、逃げるのも結構ですが
逃げるだけではダメですよ。

自分の信念の無い周りに流されるような人生ではきっと詰ってしまいますよ。
もう少し性根を叩き直されたらいかがですか?

754 ::2010/01/17(日) 15:14:11
あ〜疲れたw
自分もオチ またです、バイバイ GRRRRRRRRRR


755 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:15:23
>>743
牛頭大王は日本全国で御札が配られていたでしょうからね。結局、都市部以外の農民などのことも考えると
>統計がないからわからない・・・というのは責任ある答えかなと思うんですよね。

756 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:21:16
>>753
そいつは逃げのドツボだからマジレスしてもムダ。

757 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:21:33
>>755
だから江戸時代の統計は上のレスで「メ」があるって言ってるでしょう。
ちゃんと読んだ?
「寺」、「神社」でぐぐれってかんじだなw


758 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:25:51
>>756
ホントですね。全く叩いても響かない・・残念な人です。
こういう人が同じ畿内説だという事が恥ずかしい。。
九州説に戻ってくれないものでしょうかね・・・

759 :縦目仮面:2010/01/17(日) 15:27:16
>>757
神社の所領何万石でわかるものではないですね。w


760 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 15:33:07
じゃあ江戸時代は納税義務が無かったってことでいいんでないのw


761 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 18:23:49
江戸時代は娘を売ると金になったのだから楽なものですね。今ではとても無理。

762 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 21:29:59
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

763 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 22:36:49
ヤフーの奴ってなんでああもバカなんだろーねw
口を揃えていうのが
・卑弥呼は数人(笑)
・呼←遠くを叫ぶ(笑)
・山口県(笑)
・持統天皇(笑)
・京都(みやこ)郡(笑)
・万葉集(笑)
ワンパターンで腹痛いwww

764 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 22:40:37
まあ、こっちはこっちで
2ちゃんは考古学バカなんだろーがねえwww

ていうか〜
邪馬台国問題に考古学なんて関係ないからww


765 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 22:47:31
馬鹿っぽい投げだしメールだな。

766 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 22:49:20
釣り人ハケ〜ン

767 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 22:55:04
>>765
考古学???
邪馬台国に一切関係ありません「0%」
文献の問題です「100%」w

768 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 22:59:09
邪馬台国に考古学が絡んできてもいいと思う。
いろんな視点で考えることが出来る。
悪いのは、考古学者が絡んでくること。

769 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 23:08:23
>>765
>馬鹿っぽい投げだしメールだな。

馬鹿っぽいのではなく、正真正銘の馬鹿です。

770 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 23:14:17
>>768
まあね
考古学から
言語学から
民俗・神話学から
人類学から
漢字学から
植物学から
違った目線から物事を眺めてみるっていうのも大切だよね。
ただし、邪馬台国問題というのは100%文献の問題なんだよね。
2chでは考古学が流行してるけどそれは違うと教えてやってるのであって。
2chではそんなことも教えてくれる人がいないのか?て恥かく前に俺が教えてやってるの。

771 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 23:25:24
100%文献の問題なら、
どうして沖縄説にしないの?

772 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 23:32:17
>>770
そげんなこと言うことなかと

考古学と言うのは、専門家からから発せられた情報以外の情報というものがないから
素人が一番入りやすい部門だ

773 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 23:34:01
>>771

沖縄なんて関係ないから、沖縄説なんて浮上しないのだ。

774 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 00:00:15
>>773
何が関係ないのだ?


775 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 00:12:55
>>774

>何が関係ないのだ?

関係ないものに理由をつける必要はありません。


776 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 14:31:16
>>771
倭人伝の行程どおりに進んだら、九州島の中だからだよ。


777 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/18(月) 14:42:24
>>771
遣使はロボットではないからだよ。ロボット単純進行なら九州海上をはるかに越え
るが、遣使は人間だから停泊、海賊回避、病人の介護、観光、風水害のための
時間超過等、これで時間がうんと経過する。

778 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 14:59:13
伊都国までは郡使が常駐していたのだから、魏略や魏史が書かれた時代でも中国王朝
は地理的に把握していただろう。ところが不弥国以降が日数表示になっているのは、これ
はやはり投馬国や邪馬台国が伊都国からかなりの遠隔地にあったということだろう。少な
くとも筑後平野ではないのではないか。

779 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 17:22:43
>>777
>遣使はロボットではないからだよ。ロボット単純進行なら九州海上をはるかに越え
るが、遣使は人間だから停泊、海賊回避、病人の介護、観光、風水害のための
時間超過等、これで時間がうんと経過する。

倭人伝は旅日記ではないので、旅行によって起きる出来事の書き込みはしません。
JRの時刻表に、時々起きる人身事故、列車の故障、自然災害の遅延の様子を書くことがないのと同じことです。

780 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 17:28:39
>>778

>伊都国までは郡使が常駐していたのだから、魏略や魏史が書かれた時代でも中国王朝
は地理的に把握していただろう。ところが不弥国以降が日数表示になっているのは、これ
はやはり投馬国や邪馬台国が伊都国からかなりの遠隔地にあったということだろう。

既に帯方郡から訪れている者にとって、いったい遠隔地という感覚はどれほどの距離を必要とするのです?
帯方郡から伊都国までは遠隔ではないが、それ以上は遠隔とする貴方の感覚はいったいなんなの?
遠隔だなんてどこにも書いていないことを勝手に想像して
話を複雑にしないでください。

781 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 17:29:40
ここは倭人伝を想像するスレになったようだ

782 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 17:35:43
>>739
この説は良いね。1番しっくりくるな。
ドツボ相手にしてないで
もっと語ってください。

やはりコテ名乗られては?

783 ::2010/01/18(月) 19:15:36
>>739
>私は葛木日女命(後のモモソ)が卑弥呼とする、畿内の葛城・三輪連合国説ですね。
>※三輪は当時は違う名でしたでしょうが、便宜上『三輪』とします

ほう、日本書紀をよく読んでますねw(なつかしいw私は4年ぐらい前に読んだのでww)
ようは、倭迹迹日百襲媛命ではナイってことね。

>倭国大乱は葛城と三輪の争いで、俗世王(三輪)と祭祀王(葛城)にすることで折り合いをつけたのだと考えます

後漢書の「倭国大乱」がでてきましたよw 魏志倭人伝の「倭国乱れ」は?ww

>卑弥弓呼はタケハニヤスの事で
>結果はモモソが祟神に神託し、討伐しましたね。

ここも日本書紀からですね。

>『再び倭国乱れ・・』は11代大王垂仁の頃に起きたサホヒコ・サホヒメの反乱で
>討伐後、ヤマトヒメ(トヨ?)が伊勢に社を築いていますね。
>葛城族の建内宿禰や子孫の蘇我が大王並みの権力を有していたのは先祖が祭祀王だったからだと思います。

後漢書じゃなく、こんどは魏志倭人伝のですかw

>奈良県御所市は財政難で発掘は出来ないようですが、あの地はまだまだ発掘しきれていないと思います。

わたしは巻向の発掘のほうが興味ありますね。
何故かというと多くの先生方が邪馬台国最有力候補としている地ですし
とくに大和神社付近が人気あるようですし。

>名乗りません。名を語る理由がないですし、2chではなくよそでやれってことになりますし
>特にここでコテハン名乗るとバカにされますんでw

>>782さんからも薦められてますが、まあ自信がついてからでもいいしw

784 ::2010/01/18(月) 19:18:13
あ、こちらも

規制スレhttp://www1.atchs.jp/most/

785 ::2010/01/18(月) 19:24:59
>後のモモソ

んん?まてよ これやっぱり意味が分からんな・・・・
>>739さん 説明宜しくです。



786 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 19:40:45
河童は、バテレン宣教師とニホンカワウソの混血であるというのは定説。


787 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 19:56:48
>>785
739では無いが、モモソ姫の別名または幼名または生前名だろ。

これは祟神の妻が妹なのでほぼ間違いないよ

祟神=弟王=モモソの義弟ってことだろ。

788 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 21:39:52
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

789 ::2010/01/18(月) 21:42:24
すみません 「倭迹迹姫命」と勘違いしてたみたいでw
だからなつかしい と・・・

ところで、よく倭迹迹日百襲姫命を「葛木日女命」という人がいるが、
尾張氏系図、海部氏系図、勘注系図では「葛木日女命」ではなく、
「日女命」、倭迹迹日百襲姫命(倭迹迹日売千千媛)と思うが、

これって葛木氏だからでしょうか?それとも他に出典があるとか?
だれか知ってる人いましたら返事、宜しくです。

790 :通りすがり ◆SRGKIKYOUM :2010/01/18(月) 21:43:33
sirane

791 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 21:47:22
「葛木日女命」といってる人は同一人物だろう。
葛城王朝があったと、暗にミスリードしたいのではないか?



792 ::2010/01/18(月) 21:52:36
>>791
「葛木日女命」でググってみたんだけどヒットしないし・・・
そうみたいですな、出典など丸っきり無く
ただ単に葛城王朝という妄想みたいで語ってるぽい。
まぎらわしいので「葛城の日女命」とか「葛城の日女」とか言ってほしいんですけどね><

793 ::2010/01/18(月) 21:57:01
「葛城氏」と「葛木氏」にしても違うし・・・・・



794 :通りすがり ◆SRGKIKYOUM :2010/01/18(月) 21:59:24
豪族の支配力を王朝に準えるかね。

795 ::2010/01/18(月) 22:00:54
あれ・・・「葛城氏」と「葛木氏」同じなんですか?
わたし、ここらへん詳しくないので詳しい人いましたら
教えてくれませんか。

796 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 22:06:39
>>795

俺が、おまえより詳しいと言ったら、俺の言葉を信じるのか?


797 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 22:09:36
プチエンジェル事件の真相がいよいよ明らかに?

【私設ソープ?】"不可解" 陸山会、「民主・小沢氏」名義で億ション買いあさり…謎の女子中国人留学生、外国人秘書が住む?★4
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263484511/

798 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/18(月) 22:09:54
「海部氏勘注系図」を見ても葛木高額日女命はいますが葛木日女命はいません。
葛木高尾張出身の人が葛木・葛城を名乗ると思います。

799 :通りすがり ◆SRGKIKYOUM :2010/01/18(月) 22:11:28
>>797
とりあえずお前は帰れ

800 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 22:13:07
>>739に対して、ひとつ言わせてもらえれば、

葛城と三輪の攻防も結構だけど、
どうしてモモソヒメが「葛木日女命」なのか、何も論じておらず、
>俗世王(三輪)と祭祀王(葛城)
と、断定している。

実際は逆かも知れないのだけどね。

>>782は、すっかり鵜呑みにしてるようだが。


801 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 22:49:20
>>791
妹や親が葛木なのに日女命の苗字が違うとでも?
冗談は顔だけにしてください

802 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 22:51:13
>>791
斎藤さんの子供は斎藤さんですよ。
山田や鈴木じゃない

803 :739:2010/01/18(月) 23:00:56
どうもこんばんわ。
あ、ドツボさん、今日は説を語っていただきますよ。

皆さん私の愚説に突っ込んでおられますね。
そりゃそうでしょ自分の信ずるものが大事でしょうからw

モモソヒメが日女命であるという事は、祟神の后がその妹である事から証明されていますね。
昔の人は名をコロコロ変えたり周りが名前を勝手に変えたりしてますものね

>>791
『葛城の日女命』って書けば良いだけなんじゃないでしょうかw?
何も突っ込むところじゃないw同じ人のことなのですから


804 ::2010/01/18(月) 23:09:17
>>803
「葛木日女命」とかどこに書いてるん?って聞いてるんですけど?

んで、倭国大乱は葛城と三輪の争いで倭人伝の「倭國乱」は?

805 :739:2010/01/18(月) 23:12:47
>>804
「倭國乱」後、卑弥呼が共立されたのですから、
大乱だろうと乱だろうと読めば分かりませんか?
一文字一文字屁理屈過ぎやしませんか?あの人と同じですよw邪魔くさい


806 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:12:49
>>803

>『葛城の日女命』って書けば良いだけなんじゃないでしょうかw?

なんで、「葛城の〜」になるのか?ってことでしょ。
モモソヒメと同一とされてるのは、「日女命」で、
「日女命」の姉妹に「葛城高千名姫命」がいるというだけ。

それでけで、鬼の首をとったように、モモソヒメが葛系?などと断じられるのかね?


807 :739:2010/01/18(月) 23:15:35
>>806
おやおや妹と姉は違うところで生まれたといいたいのですかw?
それは異な事をw

別に葛城が邪馬台国だとはいっていませんよw日女命の出自の話です

808 :739:2010/01/18(月) 23:17:10
>>806
一文字屁理屈で言うのでしたら『葛』は『葛城』ではないですよ。
葛はもっと東、巨勢の奥です

809 :739:2010/01/18(月) 23:19:59
俺の説はどうでも良いんですw昨日で終わっています。

今日はドツボさんの『崇高なる説』をお教えしてもらわないといけませんw
さぁ、語ってくださいよドツボさん

810 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:26:08
葛木御歳神社は御所市の葛城の鴨氏の社で通称『中鴨』ですね
上鴨(高鴨)、中鴨(御歳)、下鴨(鴨都波)

811 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:26:51
>>809

>さぁ、語ってくださいよドツボさん

そろそろトンズラしようと腰が浮いてる人に、無理を言ってはいけません。

812 ::2010/01/18(月) 23:28:14
>>806
あとは806さんに任せたwww

>>809
その前になんでおれが君に教えてやらないといけないの?ってはなしw

>>811
よく分かってるじゃんww

813 :739:2010/01/18(月) 23:31:29
>>812
>>723の自分の発言に悔いるんですねw
自分の意見も無い周りに流されるあなたのその糞みたいな生き様が招いた失態ですw


814 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:34:13
>>812
わ〜恥ずかしい(笑)
逃げ根性を本人が公認して
揚げ句の果てに開き直ってる(笑)

さすがドツボ

815 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:34:21
なるほどドツボは糞であると。納得。

816 ::2010/01/18(月) 23:34:57
>>813
わたしは、そのまえに貴方の名と持説をお願いしますよ。 と言ったんですよ。
いわば、いきなり失礼じゃないか!まずは名と持説を言ってからが筋じゃないのか?
てことで、誰も次に会ったときに「おしえてやる」なんて一言も言ってないわけで・・・
貴方が勘違いしてるダケなのではなかろうか?


817 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:35:33
>>815
正確には肥溜めだろ。ww

818 :739:2010/01/18(月) 23:36:38
>>816
はいはいドツボ無学無学ww勉強しなおしなさいwww

819 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:38:10
>>807
>おやおや妹と姉は違うところで生まれたといいたいのですかw?

そういう場合もあるんじゃないの?
せめて、葛城にモモソヒメの伝承を探してきてから語ってほしいね。

四国には、モモソヒメが成年期まで讃岐で過ごしたという伝承がありますが、
これはどう脳内処分するおつもりで?


820 ::2010/01/18(月) 23:41:41
>>818
負け惜しみレス乙!w

もうね、こっちは君の実力を見抜いて相手してないだけでw
それぐらい気付けってな話でww

実力者の縦目氏とか愛知県民氏とかには、私も普通に応対してるんだよねww

821 :739:2010/01/18(月) 23:42:33
>>819
あくまでそれは『伝承』でしょ。
伝承を全て鵜呑みにするのなら、日本は物凄く非科学的な島ですね。

四国、特に讃岐は瀬戸内海の要衝ですね。ここに誰もいない訳がありませんね
当時の丹波や葛城は大阪はもちろん淡路も直轄地です。四国も支配していたとは考えられませんか?

822 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:42:34
816 名前:メ :2010/01/18(月) 23:34:57
>>813
わたしは、そのまえに貴方の名と持説をお願いしますよ。 と言ったんですよ。
いわば、いきなり失礼じゃないか!まずは名と持説を言ってからが筋じゃないのか?
てことで、誰も次に会ったときに「おしえてやる」なんて一言も言ってないわけで・・・
貴方が勘違いしてるダケなのではなかろうか?


>>812>>816は、メがどんなに喚こうが河童の足元にも及ばないところが如実に表れたレスだなwwwwwww


823 :739:2010/01/18(月) 23:44:32
>>820
肥溜めで声張り上げてもくさいだけです。
もう逃げ口上はたくさんですので消えてください。

彼らも貴方の相手なんてめんどくさいだけでしょうし

824 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:46:05
>>821
>伝承を全て鵜呑みにするのなら、日本は物凄く非科学的な島ですね。

はあ?
じゃあ、海部氏系図かいてあることは、全て信じるのかね?
しかも、モモソヒメは「別名」とあるだけで、本当に同一かどうかも、知れたものじゃない。


825 :739:2010/01/18(月) 23:49:50
>>824
系図は現存する『証拠』ですよね。口頭で伝承されたようなものではない
別名と書いてある時点でモモソの名は複数有ったという証明にはなりますね。

826 :日本@名無史さん:2010/01/18(月) 23:53:07
>>825
系図が証拠で、伝承は信用ならない、ですか。
しかも、
>別名と書いてある時点でモモソの名は複数有ったという証明にはなりますね。

もう、なんでもありだね。
好きにすれば?


827 :739:2010/01/18(月) 23:58:57
>>826
はい、好きにしてますよ。
俺は基本的に伝達ゲームみたいなものは信用してません

だから言ってるじゃないですか。
貴方は貴方の信ずる説を信じれば良いんじゃないですか?

自説すらない奴もいますが、まぁそんなのは相手にしない方向で

828 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:05:07
普通は記紀の方が信頼されているんだろう。
海部氏系図は、記紀に出てくる名前が書かれているから、一応本当かな??
と考える人もいるということだろう。

むしろ、記紀に書かれていない無名の人の方が家系図としての真実性はあるが。

まあ、こんな系図は誰だって簡単に書けるというのは事実。
徳川家康あたりからの系図なら、30分くらいでできるかも。

829 :739:2010/01/19(火) 00:09:56
>>828
私は海部系図を捏造とする根拠もないわけで、
系図は資料の一部として採用しています。

海部氏が家系図をわざわざ捏造する理由が思い当たりますか?
私は捏造する意味はないと思っています。
なので資料として採用しました


830 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:13:36
>>829
家系図を捏造する根拠は、古今東西を問わず、自分の先祖が由緒ある人に
繋がることを自慢することだろうな。

831 :739:2010/01/19(火) 00:16:47
>>830
日女命を入れた理由は?
がっつり卑弥呼とか書いてたらアレだけどw

832 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:19:50
記紀と同時期に書かれた系図や、代が交代する度に書き足された
系図ならいざ知らず、記紀の後に書かれた系図なら、記紀に登場する人物と同じ人物を
描くことは可能だな。

833 :739:2010/01/19(火) 00:20:02
徳川は幕府を開く為の根拠として、清和源氏を名乗りました。
そのための系図をかいたのでしょう。
海部は・・・?理由がありませんよね。

834 :739:2010/01/19(火) 00:21:31
>>832
記紀に日女命は出てきませんよね?

835 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:23:48
>>831
日女命というのが誰がわからないし。
卑弥呼と結びつけるのもどうかな。

836 :739:2010/01/19(火) 00:27:32
>>835
随分、根本を言いますねw

日の巫女ではなく
「卑弥呼」という蔑まれた名の女性であったと言いたいわけですか?

837 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/19(火) 00:29:37
>>832
「海部氏勘注系図」は620年頃に書かれた「丹波国造本記」が原本です。天皇記・国記と同時期です。

838 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:30:38
>>834

>記紀に日女命は出てきませんよね?

出てこないことがなにか?
この系図が代々書きたされたものであるのならば、日本最古の書ということになりますな?

839 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:34:14
>>837
>「海部氏勘注系図」は620年頃に書かれた「丹波国造本記」が原本です。天皇記・国記と同時期です。

で、その根拠は?

840 :739:2010/01/19(火) 00:36:12
>>835
実際、妹は記紀などにより居た訳です。
姉が居てその名は倭迹迹日百襲姫命というわけです。
海部氏系図に妹は出てきますよね。その系図で姉の名は「日女命」
つまり、倭迹迹日百襲姫命=日女命 というわけです。

倭迹迹日百襲姫命さんは畿内説で卑弥呼とされる人物であり、
当時起きた出来事も>>739通り一致する出来事が記紀に載っていますね

倭迹迹日百襲姫命が巫女になる前も、倭迹迹日百襲姫命が神託をしたときも、倭迹迹日百襲姫命の死後も
戦いが起きた時期は記紀によると>>739の時期なのです




841 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:37:41
いろんな系図があるが、だいたい記紀を参考にしながらうまいとこ作ったもんだ。あてになるかい!

842 :739:2010/01/19(火) 00:40:01
>>838
さて、中国はなぜ今も三国以前の話が残っているのでしょう?

代々にわたり古書を書き写す人が居たからです。
今の日本書紀は藤原不比等時代のものですか?

書き写すという行動は日本人はとらなかったとでも?

843 :739:2010/01/19(火) 00:42:55
>>841
それだと、記紀も当てにしないという事になりませんか?

844 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:43:45
現存する海部氏系図は、江戸時代に出来たものだろう?

>>842
だったら、代々書き写してきたとすれば記紀の方が古いな。
海部氏の始祖といわれる天火明命よりずっと前のことが書かれている。

845 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:44:24
俗世王だとか祭祀王だとか訳の分からん話をするな。
集落がいくつか集まって作られたクニのボスは言わば侠客の大親分だ。この大親分が進化したものが
王だ。祭祀王なんか居らん。巫女みたいのが居ただけだ。

846 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:44:31
やれやれ、しかし上のレスは丁寧に相手をケアする河童と、それができないメの違いが
はっきり表れてるな。ww


847 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 00:47:15
>>840
倭迹迹日百襲姫は、倭人伝に書かれている卑弥呼とは全く異なる。
共通点は女というだけだろうな。
決定的なのは王でないこと。

それに、記紀は信用できないなどといいながら、倭迹迹日百襲姫を持ち出す
神経はどうかしていると思う。

848 ::2010/01/19(火) 00:49:10
あ、おれは、ほとんどそういうのは河童さんに任せてたほうなのでw
あの人は、誰でも、彼でも相手するタイプらしく人気はありますよね。
おれは面倒くさがりなので、自分の気に入ったレスにしかあまり関心が無くってw
まあ、彼のが人気あるのも頷けるよねw


849 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/19(火) 00:49:32
>>839
「海部氏勘注系図」に「丹波國造本記、豐御食炊屋姫天皇御宇」とガッツリ書かれてます。

850 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/19(火) 01:19:29
>>844
「海部氏系図」と「海部氏勘注系図」の2つ系図があること御存じですか?両方とも国宝です。
「海部氏系図」には丹後国印がたくさん押されています。

851 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 01:20:43
>>847
共通点‥巫女でもあるし、何より
墓建造の逸話まで書かれてるからな。

852 :739:2010/01/19(火) 01:27:17
>>845
デブ国さん、コテやめたんですか?
また横綱がどうのこうの言い始めるんですねww

>>847
レス読んでますか?俺、どちらかというと記紀至上主義なのにw

853 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 01:28:54
いつまで九州説の人は粘るんでしょうね?

854 ::2010/01/19(火) 01:29:16
たまに耳にするのは、「祖神」の祭祀権を各一族ごとに争って獲りあう話があるが、
その勝った一族が自分たち「祖神」として信仰する。
「祖神」から「祖霊」へと、そして「氏神」へと・・・ ここから言えることは
必ずしも自分たちの祖神が血のつながりがあるとは言えない。

まあ、私自身の考えをいわせて貰えば「系図」に関しては血がつながってるのではなかろうか?
と思ってるんですが甘いでしょうかね....。

855 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 01:30:26
>>854
日本語でおk

856 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 01:31:50
>>848
梅毒に人気があるのかwwww

857 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 01:35:22
>>853
九州説論者は
倭迹迹日百襲姫とか丹波とか葛城とかマキムクとかは基本的に

アーアーキコエナイキコエナイ

だからなwww

858 ::2010/01/19(火) 01:45:24
よそスレ読んでたが神無月巫女さんの邪馬台国九州説批判は凄まじいなww
神無月巫女さんが邪馬台国九州説を恨んでる理由とw
なんで邪馬台国九州説は無いのか、聞いてみたい気もする。


859 ::2010/01/19(火) 02:04:31
>大国主一族は北ぇー北ぇええええーーーと追いやられてしまいました 
>蝦夷♪ (⌒ε⌒)

笑ってたけど本当に津軽いっちょるしww


860 ::2010/01/19(火) 02:15:04
おれもヤフー行って来よっとww


861 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 02:18:28
>>857
聞いてやるから言ってみて、どうして倭迹迹日百襲姫は卑弥呼なの?

862 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 12:56:17
>>858
畿内説派の多くがナイーブなんだな。特に神無月巫女なんてのは月が欠けてゆくのを見て可哀想と涙を
流すようなオボコだろうよ。弥生時代(古墳時代でもいいが)にゆるやかな首長連合だとか俗世王と祭
祀王の併立だとかドングリ村のよい子達みたいなこと言っていて生きて行けるか。

大陸や半島との交流は随分早くから行われていて、特に九州は地理的に近いから秦から漢に至るまでの
大国の興亡の有様や半島での小国の争う様を知っている。九州から出かけて行って学んだ者も居ただろ
うし大陸や半島から渡って来た者もいた。畿内などの田舎にも時折日本海に漂着した渡来人が入って来
たであろうが、量的に九州とは比較にならぬ。

そんな畿内に主に半島の(後の百済人となる夫余系人と倭人)渡来人達が大量に入って来たのは2世紀末の倭
国乱の頃だ。後漢の統制力がなくなり大陸も半島も戦乱の世となり、北方民族の南下により押し出され
た人々が九州に逃れて来た。九州の知己や縁者を頼って来たのだ。ところが、この頃は異常気象(一時的寒冷
化であろう)による不作が続いており、大量の渡来者を養うべき食糧が無かった。

不作は倭国内に深刻な政治状況を齎していたが大量の渡来人はそれに拍車をかけた。倭国内の各国はそれぞれ
自国の国益が大事だから倭国王の言う事を聞かず内戦が勃発した。この時、倭国王族の神武が部下達とともに
渡来人の集団を引き連れて東方へ出て行ったのである。そして最終的に彼らが奈良盆地の一角に定住したので
ある。(一旦これにて打ち切り)

863 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 13:10:57
日本は元々、談合寄り合い文化だからね。


864 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 14:12:24
大体神武東征なんてないよ。虚像だからな。
まあ半島や大陸からの移動はあるが。

865 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 14:51:48
>>862
文献的に、大量の渡来人の日本流入はありえない。

高句麗は、扶余族が建国した国といわれている。

百済も扶余族の末裔とされている。

百濟即後漢末夫餘王尉仇台之後「百済、すなわち漢末の扶余王尉仇台の末裔」(通典)
百濟者本扶餘之別種「百済は、元は扶余の別種」(唐会要)
などの記述がある。

扶余族や朝鮮の記述はたくさんあるが、それらの勢力が海を渡ったという記録は
中国にも、朝鮮にも、また日本にもないので、まあ、有り得ないと言わざるを得ない。

866 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 17:56:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

867 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 18:17:24
>>864
神武が実在の天皇であったかなかったかは問題ではない。九州から畿内を支配することになる人達が入って来た
という記憶が作り出した神話と見ればよい。

>>865
<文献的に、大量の渡来人の日本流入はありえない。
ではなくて、「大量の渡来人の日本流入を記した文献は見当たらない」だろ。

<扶余族や朝鮮の記述はたくさんあるが、それらの勢力が海を渡ったという記録は
<中国にも、朝鮮にも、また日本にもないので、まあ、有り得ないと言わざるを得ない。

夫余族等の半島の勢力が海を渡って列島を侵略したのであれば記録されたかも知れないが、言わば敗残者達が九州に
逃れて来たとしても半島の記録には残らないだろう。
一方、これらの渡来人の子孫が後の大和王朝の有力者となっていても逃亡者としての祖先を語る筈もない。






868 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 18:44:38
>神武が実在の天皇であったかなかったかは問題ではない。九州から畿内を支配することになる人達が入って来た
という記憶が作り出した神話と見ればよい。

そこに時の権力者というフィルターがあるから
全面的に肯定する事は困難だろう。
まず先に降りてる天孫がいるという記述もあるし。

実際痕跡が乏しすぎるのが難点だからな。


869 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 19:09:21
>>862
>ドングリ村のよい子達みたいなこと言っていて生きて行けるか

まあこの辺がこの板の九州説論者の限界だなwwwwwww
「連合体」と言えば近現代的な民主主義に則った集団としか想像できないアホさw

じゃあ統一国家の前段階として連合体なんてものがあり得ないと言うのなら
どこぞのマッチョ王が自国の領土を外に外にと拡大して言ったと言う事になる。
(まあ倭王武の上奏文をマジ受けしちゃうんだろうがwwwwwwwwwww)

中国は秦の始皇帝が現れて辺境の秦が一代で一気に全土を統一したとでも思っているのか?
「合従連衡」の故事由来を勉強して来いって話しだなwwwwwww

この板の九州説論者は東遷説とか九州王朝説と言う
なんの事はない 『 九州版皇国史観 』 に近い連中が多いので
そういったモデルの方が都合が良いんだろうwwwwwwwwwwww

事は邪馬台国の位置論に留まらず
その後の日本史についても畿内説(と言うか現在の常識)とここの九州説じゃあ
全く違う別世界の人間wwww



870 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 19:25:11
「古代において連合体なんてありえない!」とここの九州説の連中の言い分だが

じゃあ九州邪馬台国、卑弥呼を戴いた30ヶ国って言うのは何なんだ?って話なんだよなwwww

考え方の方向性は2つあるかな?

一つは極々狭い範囲であったから「仲良し組み」が成立したとw
コレこそ脳味噌お花畑で、クニの堺を接していれば当然利害が衝突する。
「ご近所だったら仲良しグループを形成できる」なんてのはアホの戯言www

もう一つは九州には強力な軍事力を擁した邪馬台国があり
それを頂点に「九州大帝国」が形成されていたと言うタイプか?w
(この板の九州説はこっちの方が多そうだがw)

まあ妄想は自由だがその痕跡を上げて欲しいものだwwwwwwwwwwwww

そんな大帝国どころかローカル連合体のようなものすら九州にあったかどうかも怪しいのにだw
(弥生末期の九州独自の埋葬文化や威信財体系と言ったものが見当たらない等)



871 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 20:37:41
>>869
ほう 分っているではないか。ユルヤカな首長連合などないということがね。

<「合従連衡」の故事由来を勉強して来いって話しだなwwwwwww
粋がるな。おめ〜この合従連衡は戦国時代と言われる弱肉強食の世界を生き抜くための策謀のやりとりって
ことは理解しているだろうな。

九州倭国の連合体は始まりは1世紀頃の奴国が国力(軍事力)の大きさをもって周辺国を従わせたことだろう。
もちろん、漢との交易を通じて得た貴重物品や技術の供与などの飴も与えただろう。

倭国乱で体制に変化が起きたが、邪馬台国が覇権を握るにあたっては戦乱に疲れた各国の厭戦気分に乗じて女の
卑弥呼を王に立てたが、その後は一大率などの軍事組織を整備してその軍事的威圧によって周辺国の支配体制を
確立している。これは倭人伝から読み取れるものだ。

<まあ妄想は自由だがその痕跡を上げて欲しいものだwwwwwwwwwwwww
痕跡とは遺跡だとか出土物のことか?馬鹿の一つ覚えのようにこの文句を繰り返しているな。
拙者が上に述べたことの痕跡がどのような遺跡や出土物となると言うのだ?戦争の死者か?それとも他の物か?
広開土王碑のような金石文か?言うてみい。




872 :縄文人 ◆MQ0p5Cp/G9mp :2010/01/19(火) 20:42:34
>>871
これこれお主の説はすべて間違ってる。

873 :伊作 ◆hX7FZ9emujXF :2010/01/19(火) 20:43:44
>>871
脳内こくな。このチラシ裏がwwwwwwwwww

874 :卑狗模古 ◆MM5rEeJhQQcU :2010/01/19(火) 20:48:35
兄貴達のいうとうりだ。俺たち、縄文人、伊作、卑狗模古は桃園で契りを立てた義兄弟。産まれたときは別別
でも死ぬときゃー一緒ってやつよ。こぎたねえ黄巾賊のような台詞を吐くんじゃねえ。俺の狼牙棒をカチ食ら
わせてやろうかい。wwwwww

875 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 20:53:56
>>871-873

これ全て同一人物=知ったかぶりの縄文オヤジだろ?wwwwww

>拙者が上に述べたことの痕跡がどのような遺跡や出土物となると言うのだ

アホか?

キサマが言ったこの証明や傍証を引っ張ってくるのを
なんで俺がやってやらなきゃならんのだボケwwww

>これは倭人伝から読み取れるものだ。

他人がお前みたいな特殊電波キャッチできるようなアンテナを標準装備していると思うなよwwwww


876 :縄文人 伊作 卑狗模古 ◆hX7FZ9emujXF :2010/01/19(火) 20:58:37
♪ あ、俺たち三人義兄弟。すべては世のため、人のため、天に替わりて悪を打つ、忠勇無双の三人組よ。

「私は縄文人、中山靖王劉勝の末裔だ。好きなものは人肉料理。」
「私は伊作、青龍偃月刀の使い手にして、髯自慢。」「俺は卑狗模古、飲み助で乱暴者だが義には厚い、この
狼牙棒が目に入らんか?wwwww]



877 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:02:46
ちなみにこの縄文人(=伊作=卑狗模古)も九州邪馬台国は
熊本から宮崎へ九州を横断しての一大帝国ってこうそうだったかな?w

まあこの板の九州説にありがちなんだが

対畿内説に対しては鉄器とかを得意げにもって来るんだが
熊本と宮崎じゃあ鉄器の出土が全然違うだろうって話で

「ボクのかんがえた むてきの きゅしゅうやまたいこく!つよいぞ まけないぞ」

…ってレベルのお話wwwwwww

それをいくつものハンドル使って聞かされるんだからたまったもんじゃない…

そもそもハンドル変えてもキャラ同じなんだから意味無いだろうとwwww
多少キャラ設定してもどうせ直ぐに馬脚を出すしw





878 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:04:17
>>875
お得意の「アホか?」と「ボケwwww」が出たな。それしか知らんのか?ボキャブラリー欠乏症だの〜。

<他人がお前みたいな特殊電波キャッチできるようなアンテナを標準装備していると思うなよwwwww
おめ〜の感性が鈍いだけのことだろ。

縄文人はアク禁だそうだ。このスレ見てにやにやしてんじゃね〜か。

879 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:05:03
>縄文人 伊作 卑狗模古

同年同月同日に三匹まとめて死んどけドアホwwwwwwww



880 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:09:06
ここのスレも死んだな。

881 :伊作 ◆hX7FZ9emujXF :2010/01/19(火) 21:10:59
>>878
「カス」というのもあるようだ。ここでクイズを一発、次の5つの言葉のうち、私の好きなものはどれか?

@ 天下布武 A 山東呼保義  B 大東亜の曙  C 精力善用 自他共栄  D 則天去私 

882 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:18:13
>>877
<熊本と宮崎じゃあ鉄器の出土が全然違うだろうって話で

熊本が本宅で宮崎は別宅のようなもんじゃろ。宮崎はのんびりした風土で戦争などめったになかったし、
農耕にも貴重な鉄を多く使う必要がなかったんじゃね〜かの。

883 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:19:07
>>876伊作の伊は「尹(ユン)」韓国の10大姓にあるくらいだから、朝鮮由来の姓であって縄文人というのは仮冒ではないのか?
そういうことは自ら説明しないと、小沢氏のようなことになる。

884 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:19:37
自作自演って楽しいのかねえ。

885 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:23:54
これ縄文人じゃないと思うよ。

886 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:25:55
872,873,874,876,881
縦目の悪戯じゃないかな。

887 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:30:01
>>885

もう良い、縄文人かその自演か騙りか…区別つけるのも面倒くさいし、つけても意味も無いしw

ゴキブリやネズミが出ても一々その固体の区別なんかやってられるかと・・・wwwwww

888 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/19(火) 21:32:46
>>862
オボコって???月が欠けてゆくのを見て可哀想と涙を流していません。
株価が下がるのを見て可哀想と涙を流しています。
あなたがお風呂に入っている時に窓からチキンラーメンを放り込んであげます。
あなたはきっと狂喜乱舞するでしょう。

889 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:34:44
奇人変人スレだな。

>>888 それやるとネ申と同じ罪状になるよ。


890 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/19(火) 21:42:30
>>889
父と子と聖霊の御名によって汝の罪を赦そう。アーメン。

891 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:50:54
>>886

>縦目の悪戯じゃないかな。

101.25%そうでしょう。

892 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:51:18
>>887
ほうほう。キツネが他人をゴキブリやネズミ呼ばわりしておるわい。そんなことは置いといて、おぬしの説では
伊都国や奴国や不彌国や投馬国はどこか高説を垂れて下さらんか。

893 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 21:54:51
ネ申 って 田代まさしのことじゃないの。男wの風呂覗いたwww

894 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 22:30:54
>>892 縄文人(多重人格厨)
あん?
それを聞いてどうするんだ?

まあ、一度だけ答えておいてやるが
不彌国までは定説でおk、後は日本海ルート説だなwwwww
投馬国はもし現在にまでその地名が残っているとすれば島根半島の恵曇(えとも)かな?w

ただし所詮あの行程記事なんかどうとでも読める。

一般に畿内説に有利とされる距離(日数)にしても実際の移動にどれくらい費やされたのか
換算する基準がなければ意味が無いwww

(いまだにマスコミは「方角重視の九州説、距離重視の畿内説」なんて紹介をするがw)

ゆえに、この日本海ルート説にも別段拘泥するものでもなんでもない。

・・・で、コレをどう面白く話を広げてくれるんだ?

895 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 00:17:20
>>894
奈良に住んでいると仮定して、まあ、仮定でなくてもいいが、福岡に行くとき、
わざわざ丹波経由で行こうと思うかな?

896 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 00:27:08
>>895
かったるいw

まあナニを言わんとしているかは分かるがそんな事は真っ先に考えてある。
もっと言うなら纏向は大和川を使っての水運が一つの「ウリ」だからなwwwwww

要するにあの行程記事が魏使の実際のルートと同じものとは限らないって話しだなw

897 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 00:36:04
「接頭辞」・・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A5%E9%A0%AD%E8%BE%9E

898 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 00:53:39
>>896
畿内説というのは、通常とは考え方が逆なんだよな。
普通は、倭人伝の記述から邪馬台国を探そうとする。
しかし、畿内説の場合は、畿内説にそって倭人伝を解釈しようとする。

899 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 01:00:25
>>898
違うなw

そもそも倭人伝が位置論争に決着を付けられるようなシロモノでない事は
百年以上にわたる論争において既に分かりきった事。

むしろ見切りをつけたのは九州説のほうが早かったかもしれないwwwwwwww

俺にしてもこの行程記事解釈をもって自説の根拠とした事はない。
もう一度言っておく

>>894
>ゆえに、この日本海ルート説にも別段拘泥するものでもなんでもない。

まあ畿内説を前提にしてもあの記事がありうるだろう…というレベルw




900 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 01:32:37
河童さん
「おいてする」「おいて」「に」「より」「ああ」はパスするとして
辞書にオエツなど越の国の名称に用いられているが、
これも「接頭辞」「接尾辞」「後置詞」「接続詞」で基本的に
名詞句の前に置く接置詞を前置詞、後に置く接置詞を後置詞。

しかし、虎のことをオトといった例があるね(出典:春秋左氏伝「宣公四年」)。
「虎」は名詞ですからオトも名詞となり一概に否定は出来ないんじゃないの?


901 :900:2010/01/20(水) 01:38:12
こことか参考「トラの語源は」
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/996/996936353.html

基本的には、「前置詞」でしょうがオトという名詞の例もあります。
河童さん 、反論お願いします。

902 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 11:58:37
>>899
>そもそも倭人伝が位置論争に決着を付けられるようなシロモノでない事は
>百年以上にわたる論争において既に分かりきった事。
それが思い込みだね。従来の論争は、全て伊都国を怡土に比定したうえでの
論争だった。出発点がまちがっていたから、百年論争しても正しい道が見え
てこなかったんだよ。伊都国さへきちんと比定すれば、あとは自ずから道が
開ける。倭人伝で十分に邪馬台国は確定できるんだ。


903 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 15:24:45
>>902
ずっと昔、松本清張たちが邪馬台国について論争していた本があった。
松本清張は、九州説で玄界灘沿岸重視だったと思う。

結局、「そろそろ邪馬台国論も里数・日数論から開放されないとね」と清張が
言い、畿内説を含めみんなが同意していた。

みんな、伊都国=怡土が不自然なことはわかっていたのだろう。しかし、
それを認めると畿内説はもちろんのこと、当時九州説の主流だった玄界灘
沿岸説などの北部九州説も成り立たなくなる。

お互い、あまり触れないでおこうという暗黙の了解みたいなのがあったの
だろうし、今でもあるだろう。特に、畿内説には死活問題となる。

しかし、吉野ヶ里遺跡で有明海沿岸に光が当てられてみると、ここが古代から
非常に発展していた地域なのが考古学の面からも裏づけられる。
例えば、熊本の斉藤山貝塚からは、日本最古とされる鉄斧が出ている。
時期は、縄文時代と弥生時代の境目あたりとされる。

有明海を考えると、倭人伝の行程の上からも矛盾は少ない。

904 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 15:30:59
斉藤山貝塚(斉藤山遺跡)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%96%89%E8%97%A4%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1/

905 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 16:36:18
>>896
なんで大和川?
畿内説は瀬戸内海を水行と考えているんだけど?
丹波から大和が陸行

906 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 17:12:42
>>900-901

>河童さん 、反論お願いします

君はいったい何を言いたいん?

907 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 17:53:05
>>903

おいおい、確か松本清張は筑後川下流域の説じゃなかったか?w

なんだか北部九州説と畿内説がグルになって里数日数を葬ったかの様な言い方だが
清張のそう言ったドライな考え方は「五万戸、七万戸」をバッサリ誇張としているところからも知りえる話だwwwww

>>902は伊都国≠怡土を自分の独創かのように思っているかもしれんが
何の事はない松本清張が短編小説「陸行水行」の中でやってみせているwwww

>>902は日向厨だと思うがその説を通すなら放射説が正しい事を
他の「砂鬼四荼羅経」を唱えている九州説に説いて是非読み方の統一を図って欲しいw

倭人伝がいい加減と言っている畿内説に言ってどうする?って話で
自分と同じように「砂鬼四荼羅これしかない」と言ってる連中こそ相手にすべき


比定地を統一しろとは言わないが読み方の統一ぐらいはしようぜ?
暗号解読ゴッコの皆々様wwwwwwww



908 ::2010/01/20(水) 20:03:35
>>906
「接頭辞」ではなく「名詞」として使用した例があるって事。
春秋左氏伝「宣公四年」記事にあるらしい。

それとおれも「太平御覧」購入しようかな。
五万以上するけどねw

909 ::2010/01/20(水) 20:58:35
やはり、購入するのは、あまり頭の良い方法ではないなw

「太平御覧」のみならず、「通典」や、それから「武英殿本」の中に書かれてる
倭人の部分も観たいし、全て揃えてたらの金が続かないww
て、事で図書館だなw

910 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 21:15:13
>>908

>「接頭辞」ではなく「名詞」として使用した例があるって事。

「於」を名詞としてだろう? だったらあるよ。

人の名前や鳥名に

911 ::2010/01/20(水) 21:24:23
>>910
だから、おれが言いたいのは「お母さん」というのは、
名詞が「母」のはずだから、前置字は「お」、後置字は「さん」にあたり、
「於」に関してもこれが考えられるが、全てそうとも言い切れない。
で、「太平御覧」の「於」は前置字、後置字などの「接頭辞」ではなく、
名詞として用いられたんじゃないの?
河童さんはどう考えてるか知らないけど・・・

912 ::2010/01/20(水) 21:40:44
だいたいさ〜君はおかしいと思わないの?
今まで倭人伝や倭伝、その他の文献をみてきてるだろう。
んで、「お母さん」の「お」の部分に当たるような例っていままで有ったかい?
ないでしょうね、んで、昨晩、少し調べたんだけど、「於」という時にはほとんどが
前置字、後置字などの「接頭辞」で使用されてるらしいね。
しかし、わたしが上で言ったように名詞で使用された例があり、「於投馬國」の
この「於」が「接頭辞」だって?おかしくないかい?

913 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 21:43:12
>>911

>だから、おれが言いたいのは「お母さん」というのは、
名詞が「母」のはずだから、前置字は「お」、後置字は「さん」にあたり、
「於」に関してもこれが考えられるが、全てそうとも言い切れない。

太平御覧の「・・・至於投馬国・・」なんて
きれいに(動詞)於(名詞)の形じゃん。  投馬国に(動詞)

つまり、君が言いたいのは
「おかあさん」というもの全てが一つの名詞じゃないかと言いたいわけ?

914 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 21:46:52
>>912

だから「於」の名詞使用があるって言ってるじゃないの
人の名前や鳥名

915 ::2010/01/20(水) 21:54:25
>>913
「おかあさん」に関しては例題をだしただけなので無視しようw

ttp://honyaku.yahoo.co.jp/transtext
ここのサイトで翻訳すると「つきましては」となるね。
「・・・至於投馬国・・」を河童さんが翻訳したらどうなるわけ?

>太平御覧の「・・・至於投馬国・・」なんて
>きれいに(動詞)於(名詞)の形じゃん。  投馬国に(動詞)

たんなる偶然の一致かもしれませんよ。
そこの国だけなんで丁寧語になるの?
ttp://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&dtype=2&p=%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF

後の文の邪馬臺國は付いてないのに・・・

]「就いては」の丁寧な言い方。それですから。したがいましては

916 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 21:58:36
>>912

もしかして君が言ってる【春秋左氏伝「宣公四年」】記事って 連綿の事じゃないの?
「於菟・於檡(木睪)」=トラ(方言) 

917 ::2010/01/20(水) 22:03:36
>>916
そうそう、虎の事を「於菟」というんだって、「菟」はウサギだから「於」をあわせて
トラと・・・ ここからいえることは「・・・至於投馬国・・」は「於」+「名詞」ではなく
>522さんがいってる「於投馬(エツモ)」の可能性もあるってことになるよね?


918 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 22:07:20
>>915

>「・・・至於投馬国・・」を河童さんが翻訳したらどうなるわけ?

さっきやったじゃん。 「投馬国に(動詞)」

>ここのサイトで翻訳すると

サイトの翻訳はやめたほうがいいよ  小沢の証言よりあてにならないから



919 ::2010/01/20(水) 22:12:38
おれは、「於投馬=エツモ」だと断言はしませんが、調べてみないと分からないとは言った。
そこで、「於投馬国」は「於」+「名詞」なのか?
もしくは、「於投馬国」は全て名詞なのか?
私は畿内説なんで、>522さんの立場に立って話してるんですが、「於投馬国」は全て名詞というのも
否定は出来ないんじゃなかろうか?っと言ってるんです。
これについて、九州説の河童さんの意見を聞きたい。

920 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 22:13:33
>>917

>「於投馬(エツモ)」の可能性もあるってことになるよね?

だったら尚更不可能だね。
君が用いた「於菟」とは連綿だよ。 だったら「於投馬國」ではなく「於投」で連綿としなければならない。
それでいいのかい? しかも「於投」がどうして連綿になるかの説明までしなければならない。
その場合、残った「馬國」はどうするんだね?


921 ::2010/01/20(水) 22:19:25
>>920
連綿ですか、河童さん難しい言葉を使うねw

>連綿(れんめん)とは、字と字の間を切らずに書くこと。

う〜ん、よくわからないんですが、連綿ならなんで「於投」になるんでしょうかね?
もちろん、「馬」も名詞ですから「於投馬」「國」とは考えられないんでしょうか?


922 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 22:26:35
>>921

連綿語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%BF%E8%AA%9E

葡萄とか琵琶なんかは連綿だよ 二文字にて一つの意味



923 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 22:29:27
>>921

で、「於越」だけど
この時の「於」は副詞で、語句の協調

924 :通りすがり ◆SRGKIKYOUM :2010/01/20(水) 22:30:50
闘敖於菟・・・

おっぱいおっぱいかよ。

925 ::2010/01/20(水) 22:33:18
>さっきやったじゃん。 「投馬国に(動詞)」

ていうことに「したい」ぅて事ですよね?九州説の河童さんw
わたしもですね、魏志や魏略、後漢書などに同じような、
「於」+国名という例があるなら、ああ、河童さんのいうとおりですね、で終わりますけど。
そのような例は無いんですよね。
どうして、「於投馬國」だけあるのか?ンで調べたら「全て名詞」で「於投馬(エツモ)」の
可能性もあるのではなかろうか?と思ってるんです。
「於投馬國」が全て名詞としても都合よく、くっつけて離す 河童さんの得意分野ですねw

以前に貴方は、「倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」の「與」を「と」ではなく、
組みし、とかなんか言って都合よく「組みし〜」「離す」とか言ってませんでしたかな?
今回もその部類でしょうか?ww

926 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 22:33:57
>>923 訂正

語句の強調・・・・・×
語気を表す・・・・・○


スマソです。


で、この時の(於)は(于・乎)と同じ

927 ::2010/01/20(水) 22:43:11
>>922
>葡萄とか琵琶なんかは連綿だよ 二文字にて一つの意味

いや、いや、それは「葡萄」や「琵琶」の例ですよね。
いまは、「於投馬國」の話で「於投馬」の三文字が全て名詞として考えたら
この三文字にて一つの言葉でいいと思いますよ。

>>923>>926
>で、「於越」だけど
>この時の「於」は副詞で、語気を表す

うん、うん、「於越」の場合は「お越」と言ってるようなもんでそれで良いと思いますよ。
でも「於菟」の場合はどうなんですか?「於越」の場合とは違いますよね。
「於菟」はトラで、すなわち「虎」ですから。

928 :通りすがり ◆SRGKIKYOUM :2010/01/20(水) 22:45:23
期待。

929 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 22:49:23
卑弥呼の霊とのつどい

於:2ちゃんねる日本史板謎の女王スレ
時:景初4年1月22日午前0時
参加費:錦1匹

930 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 22:51:18
にしきはちょっとむり

931 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 22:55:53
>>926

おいおい何を頓珍漢な事をいってるの?

今まで「於」について述べてきたのは、中学生でも理解できる漢文法だよ。(現に私でも知ってる)


>以前に貴方は

それは日本語の解釈。 ○と× ○×が組す ○×の関係 
これは使い方次第で意味は同じなの。
漢文の文法と日本語の解釈をミソクソ状態にしてはだめだよ。

於+名詞
動詞+於+名詞
名詞+於+動詞
形容詞+於+名詞

於の連綿

932 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 23:02:47
>>931はアンカーミス

926・・・・×で >>927へでした。


>>927

>いや、いや、それは「葡萄」や「琵琶」の例ですよね。
いまは、「於投馬國」の話で「於投馬」の三文字が全て名詞として考えたら
この三文字にて一つの言葉でいいと思いますよ。


個人的にどう考えようと自由だし、君を説得するつもりはないからお好きにどうぞ
とりあえず基本的な事は述べたから、

933 ::2010/01/20(水) 23:09:06
「於」を用いる基本は貴方の言うようなのですよね。

なんでも言うが、私が言いたいのは
「於菟」はトラで、すなわち「虎」ですから「於菟」は名詞だろと言ってるんです。
たとえば「菟」はウサギの古名。
「おウサギ」がなんでトラとなるんだって話で

「於」を用いる基本は「副詞」、「助詞」が多いんですが、かといって
「於投馬」は「於+名詞」と断定はできない。
私も河童さんも昨日、今日これを調べただけで今議論してて、
間違ったことを言うかもしれないですが、わたしとしては納得してないんですよ。

934 ::2010/01/20(水) 23:12:48
>個人的にどう考えようと自由だし、君を説得するつもりはないからお好きにどうぞ
>とりあえず基本的な事は述べたから、

では、「於投馬」は「於+名詞」が基本だけど、全て名詞という事も考えられて
すなわち、「於投馬=エツモ」の可能性も高いという事でいいでしょうか?


935 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/20(水) 23:16:49
於菟と書かれた書物がある国を考えれば分かりそうなもんだわな。
わざわざ現地の解釈に沿ってまで記すような慈愛に満ち溢れた方々なのだろうか。

936 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 23:33:52
>>934

>では、「於投馬」は「於+名詞」が基本だけど、全て名詞という事も考えられて
すなわち、「於投馬=エツモ」の可能性も高いという事でいいでしょうか?

【0%】

>>933

>「於菟」はトラで、すなわち「虎」ですから「於菟」は名詞だろと言ってるんです。

「於菟」は人名   「於菟」からくる「虎」が名詞なら「於菟」は連綿
「於」は人の名前の時に名詞として用いられますよ

937 ::2010/01/20(水) 23:37:07
>>936
残念だね、河童さん
http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&dtype=2&p=%E6%96%BC%E8%8F%9F

広辞苑 第六版で引いても同じようなことが記載されてますね。

938 :日本@名無史さん:2010/01/20(水) 23:55:34
森於菟、医学者. 文豪森鴎外の長男
足利 於菟丸、下野喜連川藩11代藩主・喜連川縄氏の長男(喜連川氏は毛野氏の子孫)
毛里英於菟 、内閣調査官
三浦於菟、東邦大学付属大森病院・東洋医学科教授(三浦氏は鎌倉幕府の御家人)
?穀於菟(とう こくおと/とう こうおと、生没年不詳)中国春秋時代の楚の宰相(令尹)

於菟とはなに?『於菟(オト)』は『虎』の意味。「楚国」の方言

毛利、毛野氏は楚からの帰化人か?
尹は弾正台の官名。

939 ::2010/01/20(水) 23:57:38
>>938
そこを用いるのは丸っきり見当違いと思います(必死w)

940 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/20(水) 23:59:40
>>937

なにが残念なの?辞書の引き方出来ないんじゃないの?


於菟が虎なのは楚の方言とされている。

方言で「於(虎+兔)」 で

左伝註文では 
「於」音「烏」  「菟」音「徒」

楊雄『方言』
虎, 陳魏宋楚之間, 或謂之「李父」。江淮南楚之間, 謂之「李耳」, 或謂之「於[虎+兔]」。自関東西, 謂之「伯都」。

『方言』「於[虎+兔]」の下の郭璞の注では
「於」音「烏」。今江南山夷呼虎為「[虎+兔]」, 音「狗竇」。


これでも参考にして研究するんだね。



941 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/21(木) 00:03:53
>>937

>広辞苑 第六版で引いても同じようなことが記載されてますね。

マジで一日20時間ぐらい毎日勉強したほうがいいよ。
とてもじゃないけど今の君は小学生以下のレベルだよ  マジで。

942 ::2010/01/21(木) 00:29:20
>「於菟」は人名

「於投馬」は国名というのは如何でしょうか?
その次の字が気になるね。
え?!「國」ですか?「於投馬國」ですか?まじで?!
じゃあ、国名でしょ(笑)

943 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/21(木) 00:35:24
>>942

はい ブラボーブラボー

あとは暇な人にでも相手してもらって下さい。   
馬鹿らしいから 私はこれで降ります。

944 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 00:38:18
「於投馬」とは「乙女国」
女王国に対抗する国だったことは明白。

また一つ謎が解けた。


945 ::2010/01/21(木) 00:39:38
>>943
ちょと待ってくださいな。
わたしも昨日、今日調べたばかりで、いま結論を急ぐのはどうかと思う。
今日はもう寝ますので、後日にしましょう。
では・・・・zzzzzzzzzzzzzzzz

946 ::2010/01/21(木) 01:29:13
考古で、

「於投馬國」が、オズマ、エズモ、イズモ、なんと呼ばれてたのかは知りませんが、
出雲国風土記をみると四つの郷があり、その一つに「惠曇郷」というのがみれると思う。

で、みなさん御存じのように島根県簸川郡の「神谷遺跡」から1985年に358本にも及ぶ銅矛が大量に出土、
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E7%A5%9E%E8%B0%B7%E9%81%BA%E8%B7%A1
島根県雲南市加茂町の「加茂岩倉遺跡」から1999年に銅鐸が出土しています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%8C%82%E5%B2%A9%E5%80%89%E9%81%BA%E8%B7%A1

出雲国風土記の惠曇郷というのは、現在の「鹿島町」といわれ、この二つの遺跡の傍ですね。
古代出雲の中心地が島根県の簸川郡、雲南市と思われ、太平御覧の「於投馬國」がエズモと呼ばれていたのなら
この三つは一致するのではなかろうか、この不可解な一致を「方言で於(虎+兔)」で片づけて良いものだろうか?

まあ、河童さんは考古学は完璧に無視なので話しても無駄でしょうけどね(笑)

947 :メ(寝る前):2010/01/21(木) 01:59:02
ん〜「於投馬國」が「於」+名詞なのか?「於投馬」全て名詞なのか?
よく分からんというのが現状だが、「於菟」は方言とか、どこかにも記載があったが
いわば「名称」でもあるし、「於投馬」は名称と読めないこともないな。

他の人の意見も聞いてみたいな・・・・ さて、マジで寝るzzz・・・


948 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 02:01:56
くだらない議論…

949 :縦目仮面:2010/01/21(木) 02:48:01
ははあ。於投馬(エトモ)=出雲(イズモ)説というのは確かにあるけどね。末松保和氏は宋版「太平御覧」では
「於投馬」と書いていることを指摘して、「エトモ」→ 「イズモ」の変化を示し、出雲説を補強している。島根半島の
日本海側中央部の鹿島町には恵曇(えとも)と呼ぶ古い港もある。

出雲国風土記には、スサノオの子神である磐坂日子命が国土開発のため国巡りをしたときに鎮座したのが恵曇
神社とあり、古い地名なのは確か。しかしこれ以上のことは何ともいえないね。投馬国で有名な説としては、

@宮崎県西都市妻(本居宣長)・・・都万神社があり、西都原古墳群がある。
A福岡県筑後市・八女市付近(白鳥庫吉)・・・古くは上妻郡、下妻郡であった。
B島根県(出雲国)(笠井新也)・・・「イズモ」を「ツマ」の転訛とする。
C広島県福山市鞆の浦(新井白石)
D山口県防府市玉祖(内藤湖南)・・・玉祖神社がある。
E熊本県天草(宮崎康平) F岡山県倉敷市玉島  G鹿児島県薩摩・・・設馬国の誤写との説あり。 H兵庫県但馬
など。
                           
     



950 :縦目仮面:2010/01/21(木) 03:20:46
ちなみに@AEGが九州説かな。Bだと畿内説日本海ルート。

951 ::2010/01/21(木) 07:49:52
うーん 畿内説としては、於投馬を出雲として邪馬台国論争に終止符を打ちたいところだが
現状は厳しいかもしれない。
そもそも、於投馬(エトモ)=出雲(イズモ)なんて誰がいいだしたんだって話でw
未練だけが残りそうな予感する


952 :水銀厨 :2010/01/21(木) 09:37:48
投馬国は出雲国でしょう。丹波・但馬からの転嫁説でも可能。
それに水行20日は行程ではなく国土の広さの事です。
邪馬台国も同様で、水行10日、陸行1月の広さの国なんですよ。

953 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 10:25:55
>>907
>伊都国≠怡土を自分の独創かのように思っているかもしれんが
>何の事はない松本清張が短編小説「陸行水行」の中でやってみせている
松本清張は確か伊都国=朝倉としただけだよな。九州の東回りにこだわっていた
わけで、それでは怡土説と大同小異だ。

放射説の正しさをまだ認識できないのか? 少しは文献史学者らの本も読むべき
だろうな。放射説が理解できないようでは何を言ってもだめだ。

954 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 10:33:29
バカじゃねえの時代遅れの放射説を正しなどと。
陳寿は行程を読む側に分かり難い放射には書かんし
行程の途中で里程が日程に変わったら目的地までの距離が分からんから
行程を里程と日程で連続して書くこともしない。
里程と日程で同じ行程を2度説明しているだけのことだよ。


955 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 10:37:45
残念ながら、当時の史書は連続式に書く場合と放射式に書く場合があったんだよ。
分かりにくいなんてのは、史書の常識を知らん奴の言うことだな。

956 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 10:46:50
放射式に書いた例は?

957 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 10:49:57
榎の「邪馬台国」とか山尾の「魏志倭人伝」でも読んでね。出てるから。榎に反対した
学者も放射式の例があることは認めていたよ。


958 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 11:26:56
学者も認めた放射式の例何で示せないの?

959 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 11:41:17
今、手元にないんでね。

960 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 11:42:23
話にならんな。

961 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 17:36:11
何だ、本をまったく持ってないのか?

962 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 18:33:55
つうか仮に放射式で書かれた事例を示したとて
そりゃ倭人伝が放射式で書かれた”可能性”があるって話しで

もしアレが放射式に読むしかないシロモノなら
梁書や御覧を記した中国人は自国の史書も読めないアホばかりで
明治や大正の放射説なんて議論の俎上にも上げなかった我が国の学者も
同様にアホばかりとなる壮絶なお話wwwwwwwwww

そもそも放射説は榎の発案でもなく
榎が発表してウケた背景には先ず榎の肩書きと
当時「(九州説を中心にした)邪馬台国ブーム」があって丁度、「渡りに船」と多くのマニアが飛びついた背景があるんだろうwwwwwwww

963 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 18:44:51
放射式も連続読みも過去の遺物。

964 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 18:53:51
ワープ読みとか?wwwwwwwwwww

965 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 20:14:00
>>964
ワープ読みってなんですか?

倭人伝の行程は「梅田から名古屋まで100km、日本橋まで300km、
愛知まで1時間、東京まで2時間。」と同じ書き方だ。


966 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 20:25:06
ただ陳寿の文章が、明解でないのは事実。ま書写ミスがどっかにあるのかも知れんが。
もともと漢文は含蓄的表現が多い上に、倭人伝の里程記事には、どちらにも取れる
ような記述がある。

967 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 20:33:28
中国人(含台湾)による倭人伝の読み解きは日本でも幾つか刊行されていて
その中には放射説をとっているものもあるが、共通してとっていない、否定しているのが

同じ肯定を(郡か何処かに舞い戻る形で)里数と日数とで2回説明する

…というものらしいが

まあそりゃ中国の学者の中には探せばその説をとる人間も出てくるかもしれんが
現時点放射説よりさらに難易度が高そうな印象ではあるwwwwwwwww

968 ::2010/01/21(木) 20:41:59
あいつは、又、洗脳されてるのかwww

飽きないねw ある意味凄すぎるwww いい加減気付けよって話で・・・w


969 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 20:53:17
寒いね

970 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 21:29:59
>>966
倭人伝の文章のどこが明快でないのかな?
何も問題はないよ。
上陸して東南を東北に進めばあとは難しくなるがね。

971 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:03:31
>>970
で、邪馬台国はどこになるので?

972 ::2010/01/21(木) 22:05:45
誰も、於投馬=エツモなんて言ってる人いないしww

バカだww





973 ::2010/01/21(木) 22:06:34
誰も、於投馬=エツモなんて言ってる人いないしww

バカだww





974 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/21(木) 22:10:31
イヅモと音韻感覚が離れすぎてるきらいがある。牽強付会に近い感じ。

975 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/21(木) 22:14:20
「お」「を」が直接「え」「ゑ」には転じるには舌の動きに無理がありすぎないか。

976 ::2010/01/21(木) 22:21:52
>>974
ブルー太国 こんにちは(笑)

『於投馬=エツモ』ですが、伊都國(前原市)の南のヅマと出雲とが
合わさったようにも見えますよねw

977 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:23:01
その程度の転嫁なら普通にある。


978 ::2010/01/21(木) 22:25:42
あ、こちらのアク禁用もたまには書き込もう ALL
現在、アク禁になってる人多いみたいだし^^
http://www1.atchs.jp/most/

あ、それと45スレは明日でしょうし、それまでにここを終わらせたいですね。



979 ::2010/01/21(木) 22:28:08
明日ってあと1時間30分後やんw

それと976レスは「さん」が抜けとった ブルー太国さんネww


980 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:32:09
規制多かったから人少ないんだね。

御所の秋津での説明会は誰か行かないの?


981 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:33:16
>>977
>その程度の転嫁なら普通にある。

ふつうにあるなら二つ三つあげてちょうだい

982 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:40:19
>>971
末盧国で上陸して東南五百里、有明海沿岸だね。そこから、水行二十日で投馬国。
それが川内。水行十日陸行一月で邪馬台国、それが日向だよ。倭人伝どおりだろ。

983 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:45:06
>>982
ナイナイw

984 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:50:10
川内が投馬なんて‥
大体狗奴国はどうすんだ、海底人か?

985 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:54:33
>>983
君の先入観を聞いても仕方がないね。倭人伝の行程と合っていないというなら
言ってみな。
>>984
川内が投馬国だって説は大勢いるよ。
狗奴国は気にするほどの国ではないな。どこにでも比定できる小国だ。

986 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:55:45
水行10日とは、博多湾から平戸、西彼杵、島原半島経由で有明海へ入った場合の邪馬台国までの日数。
それなら、博多湾で荷物をおろし輿に乗り換えて、物見遊山を楽しみながらゆっくり進んでも1月はかかりませんよということ。
たどり着いたのは菊池川の河口付近だろう。

987 :\\:2010/01/21(木) 22:57:33
tst

988 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:58:32
>>984

>大体狗奴国はどうすんだ、海底人か?


http://www.ric-toy.ne.jp/item_ragon.html

989 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:03:48
>>985
>君の先入観を聞いても仕方がないね。倭人伝の行程と合っていないというなら
言ってみな。

数字合わせなら何処でも出来るだろw

狗奴国の入る場所がない。それに小国相手に
魏の手を借りるのかw
日向に70000戸もの人口がいたとはとても思えない、
これだけでも矛盾が多すぎだろ、



990 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:10:37
>>989
君の意見は倭人伝の行程の問題ではないな。ということは、肯定的にはまったく
ケチのつけようがないということだな。結構、結構。

狗奴国なんてのは、倭人伝が小国だってことを明らかにしているよ。
以北以外は、旁国は戸数道里を略載できないとされている。狗奴国については戸
数道里が書いてないだろ。ということは、旁国、すなわち小国なんだよ。
日向に7万戸があったとは思えない? 小山氏の人口推計を知らんのかな。
九州で人口集中地は筑後川流域と都城盆地だ。二大集中地なんだよ。
矛盾なんぞ、まったくないな。


991 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:11:39
↑訂正  肯定的→行程的

992 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:18:02
>>989
>>982ではないが、七万戸は日向だけでなく、当時の日本のどこでも不可能。
また、弥生後期の宮崎平野は、けっこう人口密集地だったことがわかっている。
狗奴国は、都城盆地や鹿児島に比定することが可能。後の熊襲や隼人になる。

ただ、行程としては、宇土半島あたりを投馬国に比定し、芦北あたりから
陸行するのがいいと思う。日本書紀の景行天皇の九州巡幸もそのコースを
辿っているので、古代からの道があったと思われる。

日向説を採るわけじゃないが、それなりに根拠はある。日向は、記紀の主要な
舞台だし、神武天皇の東征の出発点でもある。
一大率が、北部九州のあのあたりに置かれていることも合理的に説明できる。

しかし、弱いところもあるなあ。

993 :神奈川県民:2010/01/21(木) 23:18:16
次スレは明日中には立てます。



994 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:18:22
>>990
>君の意見は倭人伝の行程の問題ではないな

ケチつけるまでもないからだよ。
方角も正しいとするその行程なら、邪馬台国へは
川内の南に進まなきゃダメでしょ。
急に東へ旋回するとも記述されてないよ。



995 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:24:34
君の意見なんて聞いていない。

知りたいのは真実だけさ。

996 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:29:16
>知りたいのは真実だけさ。

君には一生無理だな。

997 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:39:52
>>994
読解力がないんだねえ。誰も東へ旋回するなんて言ってないぜ。
水行十日陸行一月、全部、南へ行けばいいんだよ。

998 :日本@名無史さん:2010/01/21(木) 23:57:08
>>997
>水行十日陸行一月、全部、南へ行けばいいんだよ。

そんなこと何処にも書いていない

999 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 00:07:15
>>998
君が読めてないだけだな。水行十日陸行一月は南への行程だよ。

1000 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 00:46:18
邪馬台国は大和だな。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

371 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)