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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!45

1 :神奈川県民:2010/01/22(金) 13:41:04
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼
事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者
以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛

女王卑彌呼とは誰だったのか?
又、邪馬壹國とは何処にあったのか? 古代最大の謎に挑む!

【前スレ】http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1262617491/
【アク禁用】http://www1.atchs.jp/most/


2 :サガミハラハラ:2010/01/22(金) 14:38:06
卑弥呼は卑弥呼なのです。他の誰かということはありません。
大和や宇佐のだれかと比定しようとするから目がくもるのです。
邪馬壱国は230年代まで佐賀県吉野ケ里に都しておりました。
230年代後半に同じ佐賀県の小城市甘木に遷都しました。
倭人伝にはその小城までの行路がかかれております。
卑弥呼はその小城甘木でなくなり、そこに(小城公園内桜ガ岡)に埋葬されました。

3 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 15:00:46
妄想乙

4 :サガミハラハラ:2010/01/22(金) 18:43:18
妄想ではなく真実なのです。
妄想とは卑弥呼は記紀や風土記の中の誰かと考えることの方なのです。

5 ::2010/01/22(金) 20:21:43
>>4 サガミハラハラさん
>卑弥呼は記紀や風土記の中の誰かと考えることの方なのです。

ほう、具体的には?
たとえば肥前国風土記をみると、弟ひめこさんとか居ますね。
しかし、弟ひめこさんは松浦郡で、吉野ケ里(神埼郡)、小城市(小城郡)ではありません。

んで、神埼郡、小城郡の記事をみても相応しい人物は現れえませんが、
風土記ではなく、日本書紀・古事記のほうの誰かの間違いだったのでしょうか?

ましてや、肥前国風土記の小城郡なんて、余程ド田舎なのかw
記事自体も少なくないじゃないですか(笑)
さて、記紀や風土記の中の誰として>>2>>4のレスはしたんでしょうね。
コメント宜しくです。

6 ::2010/01/22(金) 20:33:07
サガミハラハラさん は九州説ってことで邪馬台国を佐賀県にある
吉野ヶ里、小城市甘木としていますね。

私は畿内説なんですが、九州説のサガミハラハラさんとたまには議論しても面白い。
まあ、ビビっていつものように逃げても構いませんし(笑)
議論するんならするで、良いと思いますよ。


7 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 21:29:40
>妄想とは卑弥呼は記紀や風土記の中の誰かと考えることの方なのです。

>さて、記紀や風土記の中の誰として>>2>>4のレスはしたんでしょうね。

畿内説はどこまでいっても妄想から離れられないんだな。

8 :水銀厨 :2010/01/22(金) 21:44:22
奈良県東南部(巻向)がいわゆる「卑弥呼の都」
である可能性は高いでしょう。
「その山に丹(辰砂)あり」という条件にも、
正にぴったりなのは言うまでもありません。

9 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 21:53:13
>>8
ないない。丹に(単に)丹があることが条件じゃない。丹準な(単純な)頭の持ち主だな。

10 :サガミハラハラ:2010/01/22(金) 22:16:41
妄想とは卑弥呼は記紀や風土記の中の誰かと考えることのほうなのです。
誰かとは、たとえば、卑弥呼は天照大神とかヒメ大神だとかヤマトトトヒモモソヒメとかヤマトヒメとか、
ですね。


11 :水銀厨 :2010/01/22(金) 22:16:53
>>9
単に丹があるのではなく、遺跡の背後が産地というのが重要ですな。
言うまでも無く三輪山という場所自体もそうですが。

神武伝承でわざわざ宇陀地方を抑えたと記述してる点からも
重要な場所なのは間違いない事だ。

12 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 22:23:50
>>11
宇陀地方が丹の産地として重要だとしてもマキムクが卑弥呼の都だという証拠には成り得ないだろ。

13 ::2010/01/22(金) 22:26:53
>>10 サガミハラハラさん
いや、いや、天照大神、ヒメ大神、モモソヒメ、ヤマトヒメ説のが
十分説得力ありますよ。

貴方は、やたらと小規模を考えてるようですが、「親魏倭王」というのは
貴方の想像しているような、小規模ではなくですね、列島の支配者として授けられてるのです。
この魏の金印は卑弥呼の他にも大月氏にも授けられてますね。
ここからみても、そんな小さな王権ではないことが分かる。


14 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 22:28:40
これはサガミハラハラ氏の言うとおりと観る。

15 ::2010/01/22(金) 22:39:13
>>14 太国さん
それは貴方が九州説だからでしょ(笑)

たとえばですね、卑弥呼の「親魏倭王」金印でいいますと
古代中国の「制度」でもですね、金印のほかに「銀印」、「銅印」というのもありますよね。
で、この「金印」、「銀印」、「銅印」にしても何万人という、いわば下層部の人数ですね、
何万人以上なら「金印」、何万人以下ならば「銀印」という決まりがあるんですよ。
知らないんですか?(笑)
朝鮮半島の一部の国で「銀印」が与えられてますよね。
もし仮に九州の一部(北部の一部分だけとかw)であるのならば、
この「親魏倭王」金印にしても順当ではないんですよね。

16 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 22:39:21
九州説はそう見るしかないだろうね(笑)

弱すぎるよ

17 :岡目:2010/01/22(金) 22:41:53
>>13
天照大神、ヒメ大神、モモソヒメ、ヤマトヒメを卑弥呼にしようとこじつければこじつけられないことは
ないという程度のものではないですか。つまり、こじつけは妄想みたいなもの。

親魏倭王は30國ほどの倭国を統率するものとしての王位であることには同意。


18 ::2010/01/22(金) 22:43:22
>サガミハラハラ
>太国

二人まとめて聞いてやろう、
老いボレ共は、畿内説はおれ一人で十分だし(笑)
そもそも、なんで邪馬台国は九州だ!と考えてるんでしょうか?
安本さんが言ったから?www

19 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 22:45:09
じゃぁ、どういう奴が君の言っていた玉印っていうのをもらえるのか?
またもらった奴はどこの誰なのかいな?

20 :水銀厨:2010/01/22(金) 22:47:06
>>12
真珠があると書かれてる以上は証拠の一つになるでしょ。
その理屈なら鉄が多い事が、九州説では何のプラスに
ならないという事にもなるけど。

水銀朱=神仙思想では重要なもので、大陸の文物が
集まる交易品なのだから、あんな内陸に宮をつくる
意味でも立派な証拠だよ。

21 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 22:49:59
>>18

>二人まとめて聞いてやろう、
老いボレ共は、畿内説はおれ一人で十分だし(笑)
そもそも、なんで邪馬台国は九州だ!と考えてるんでしょうか?
安本さんが言ったから?www


つい先日「於菟」ごときで、河童に遊ばれていた奴が偉そうなこと言うなよwwwwww

22 ::2010/01/22(金) 22:51:22
>>19
>玉印

ブルー太国さんよ 今は「玉印」の話をしてるのではなく
卑弥呼の「親魏倭王」金印だよ。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1262164844/1
ここのスレで「邪馬台国関係は意外と詳しくないw」っていわれてるじゃないか
名誉挽回して行きましょうよ(笑)

23 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 22:51:57
>>18
だから記紀の中の当時の皇籍に女王(女天皇)っていうのは無いん
だよ。日本相撲協会の番付に女横綱っていうのは載ってないのさ、
だこれは同協会に女王に相当する女横綱がいないということ
なのさ。つまりそうなると、卑弥呼は畿内の番付にはなく、
九州の女王だと観るのが相当なのさ。

24 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/22(金) 22:55:10
>水銀朱=神仙思想では重要なもので、大陸の文物が集まる交易品なのだから、

古墳で大量消費した水銀朱は、倭国の産物では有るが、貴重な交易品とまでは云えない。

まずはどの様に鉄を手に入れたか?ですね。


25 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 22:56:18
何を言ってるんかね? どうせ余以外卑弥呼の真姿を知りうるもの
はいない。君とは格が違うってんだよ。いくら詳しくたって、説が
大間違いでは何ら自慢にもなるまい。むしろそのほうが恥ずかし
いぞ。ww

26 ::2010/01/22(金) 22:57:12
はあ、はあ、なるほど・・・・、
サガミハラハラ氏・太国氏は九州王朝系ともいえる「邪馬台国は邪馬台国です」
というタイプで、私とか河童氏は「天皇家」と考えてるタイプだな。

まずは、ここらへんから説明しないと駄目かな・・・・

27 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 22:59:49
今夜もまた唐松山という稀代の妄想者がやって来たか。w
まだ畿内と九州との間違いはあっても、改めのほうがマシだな。w

28 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:02:00
>>19
北九州の王では、倭王の称号はもらえないだろうな。
倭王というからには、倭国の全体の王ということだろう。
当時の倭の地とは九州全体のことだ。

29 :水銀厨:2010/01/22(金) 23:02:42
>>23
>だから記紀の中の当時の皇籍に女王(女天皇)っていうのは無いん
だよ。

記紀の中で女王がいてもらっては困るからだよ。
ただ存在を抹消は出来ないので、巫女的な存在のモモソ姫
という形で記述されてある。

わざわざ箸で突いて死んだとされているのは
「大物主との間に子孫はいない」
という事を念押ししているんだよ。

30 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:02:47
>>15

>古代中国の「制度」でもですね、金印のほかに「銀印」、「銅印」というのもありますよね。
で、この「金印」、「銀印」、「銅印」にしても何万人という、いわば下層部の人数ですね、
何万人以上なら「金印」、何万人以下ならば「銀印」という決まりがあるんですよ。
知らないんですか?(笑)

へ〜ェっ それは知らなかったね。
印鑑授与に人口の制度があったなんて初耳だよ。制度と言うんだから、ちゃんと文献記録が存在するわけだし
あるという以上はその記録を出してもらえないか?

31 :サガミハラハラ:2010/01/22(金) 23:04:07
列島の支配者というわりには、天照大神はタカマガハラのヒメ大神は北部九州のやまとととやヤマトヒメは
やまとの支配者でもないではないですか。


32 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:06:58
そういえば最近河童さんの出勤率が悪いようだけど、まだ知恵袋で遊んでいるのかな?
誰か河童さんのID知らない?

33 ::2010/01/22(金) 23:07:36
まずですね、みなさんに考えてほしい「日本建国」のことですね。
我々の住む「日本」という国家がいつごろ形づくられたのか多くの人の関心があるところでしょうね。

で、この『日本国家』というのはですね、七世紀末に出来た律令制度の古代国家を指すのが順当なんです。
ここから「日本」という国家が出来て天皇を中心とした大和朝廷が始まるんですが、
その前はですね、その大和朝廷の前身といえる古代国家があり、それらは一般的に「ヤマト王権」
といわれるんですね。
客観的にみてこの大和朝廷が日本国の建国であり、初代天皇は天武天皇が相応しく思えるんですが
国内の最古の文献としては日本書紀や古事記があるんですが、それによると
神武天皇、祟神天皇がハツクニテラススメラミコトとされ初代の王とされている。
しかしですね、あくまでもそれらは日本側の自称であって、客観的にみると七世紀末なんですよね。

34 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:09:03
>>23
お!出た相撲(笑)
阿呆の一つ覚えも大概だなw

35 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 23:09:11
>>29
困るなら神功39年の記事も書かないだろうがね。なでこれがあるのかね?w

36 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 23:13:25
>>34
今場所のどこに女横綱が出てるのかい? しかと返答しろ。

37 ::2010/01/22(金) 23:18:01
で、日本側の主張でいうと「神武天皇」、「祟神天皇」が建国主なんですけど
中国のですね、古代の文献に、この列島の事が記載されている。

「日本」という字は「旧唐書」から現れるんですが、その前身の国家には
隋書の倭国王の「多利思比孤」にしてもそうです、『天皇家』ですよね。
その前の宋書の安東大將軍、倭王「武」にしてもそうです『天皇家』ですよね。
んで卑弥呼だけがどうして『天皇家』じゃないんです?
いえ、いえ、ずーと天皇家ですよ、サガミ、太国は「九州王朝系」と考えてるようなんですが
文献からして、どうしてそこだけ天皇家ではなく「九州王朝系」になるの?っていいたい。

38 :水銀厨:2010/01/22(金) 23:18:53
>>35
当然血統の問題だろう。

39 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 23:22:27
血統の問題があるなら、代々続く一系天皇のいる紀無いで女王(女天皇)に
即位なんかできまい。書きたくないなら、神功39年の記事を載せるわけ
がないんだぜ。

40 :岡目:2010/01/22(金) 23:26:41
>>37
多利思比孤

隋書では倭王姓阿毎字多利思北孤となっているな。しかし、この倭王の居所は隋書の記述では九州としか見れんな。


41 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:26:58
>>36
何言ってんの、生理?

42 ::2010/01/22(金) 23:27:28
>>25 太国さん
>君とは格が違うってんだよ。

だからその格の違いというやつを見せてみろって言いたい
「あまり詳しく無いw」って笑われてるじゃないか(笑)

>>31 サガミハラハラさん
>列島の支配者というわりには、天照大神はタカマガハラのヒメ大神は北部九州のやまとととやヤマトヒメは
>やまとの支配者でもないではないですか。

あのね・・・サガミハラハラさん 言っておくが、日本が建国されたのは七世紀だって言ってるでしょ。
そもそもサガミハラハラさんの考えがオカシイのであって、その建国が為し得るまでには
ヤマト言葉でも有名で伊勢に祀られる「天照大神」も重要でしょうし、九州では「ヒメ大神」信仰もありました、
モモソヒメ・ヤマトヒメ の巫女時代もあったことでしょう。
これらを経過して、天皇家を中心とする日本国は誕生したんです。

43 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:30:46
>>32

ID: nebbia_18 これが河童のIDだ。


44 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:33:05
>>32 >>43  自演乙


45 ::2010/01/22(金) 23:34:59
>>23 太国さん
>だから記紀の中の当時の皇籍に女王(女天皇)っていうのは無いんだよ。
>日本相撲協会の番付に女横綱っていうのは載ってないのさ、
>これは同協会に女王に相当する女横綱がいないということなのさ。
>つまりそうなると、卑弥呼は畿内の番付にはなく、九州の女王だと観るのが相当なのさ。

だから勉強不足だって言われるんだよ。
あのね、古代の国家は巫女制でだね、ミコが神懸かりし、「辞」を伝える
シャマンが政治の中心にいた。

太国さんは日本書紀に詳しいようなので知ってるでしょう〜モモソヒメだとか
ヤマトヒメ、そして神功皇后もありゃ託宣だね。

46 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 23:35:16
>>37
>倭王「武」・・・『天皇家』ですよね
天皇家じゃぁないよ。武は当時の九州の王だ。だから武王の年代と各天皇
の即位年代が合理的にあった論は聞いたことがない。君は合わせられ
ないだろう? どうだ?

君は朝令暮改の天才で、これこそクルクル換えることばかりだな。w
これこそ嘲笑されるぞ。また変わるのか?w

47 :日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:36:48
>>44
自演じゃねーよバーカ。

あんたバカなの?死ぬの?

>>43
有難うございました。

48 :水銀厨:2010/01/22(金) 23:42:13
>>39
当然魏志倭人伝と整合性を持たせるためだろう。
注釈扱いにして曖昧にしただけの事。

49 ::2010/01/22(金) 23:44:08
>>17
>>21
>>30
の初心者さんは後でいいかい? 
今、太国とかサガミさんと話してるので。

>>20 水銀厨さん
>真珠があると書かれてる以上は証拠の一つになるでしょ。
>その理屈なら鉄が多い事が、九州説では何のプラスに
>ならないという事にもなるけど。
>水銀朱=神仙思想では重要なもので、大陸の文物が集まる交易品なのだから、
>あんな内陸に宮をつくる 意味でも立派な証拠だよ。

そうですね、「真珠」は九州・畿内のどちらも有名で
「水銀朱」は畿内のが有利ですが、九州でも無いことはない。

50 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 23:48:30
>>48
困るなら神功39年の記事など曖昧でも感づかれるから、載せっこないん
だよ。記紀に当時のころ女天皇の卑弥呼が載ってないということは、
神功39年の記述がある限り困るからではなく、畿内に卑弥呼がいなかっ
たということを意味するのさ。

51 ::2010/01/22(金) 23:49:50
>>40の岡目さんと>>46の太国は同レベルだなww

あのね・・・ 疲れるから私の代わりに誰か説明しておくれwwwww
河童さんのほうが知ってるんじゃないの???www

52 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/22(金) 23:54:02
>>49
夜も更けたのでまた明日だな。

君らには8枚落ちで指しているんだよ。落として駒が足りない上手に
持ち駒がうんとあると威張って笑ったところで下手の地位だぜ。ww

zzzzzzzzz・・・・・

53 ::2010/01/23(土) 00:03:54
あ、こっちも読んでレスして下さいね
http://www1.atchs.jp/most/

規制に掛かってる人も多くいるようなので。

54 :水銀厨:2010/01/23(土) 00:04:34
>>50
>神功39年の記述がある限り困るからではなく、畿内に卑弥呼がいなかっ
たということを意味するのさ。

この結論に至る理由が理解できないですねw





55 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 02:03:59
日本の紀記信用してないはずの九州馬鹿が
神功39年が〜 とか片腹痛い(笑)

56 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 08:31:13
>>50 >>54
安田哲也「邪馬台国の暗号」になるほどという解釈が載ってるよ。
神功39年の記述は神功皇后が卑弥呼であることを示唆したもの。『書紀』の編者らは
邪馬台国が日向だと知っていた。だから、大和の皇后である神功を日向に行かせて辻
褄を合わせようとしたもので、神功が夫仲哀天皇の仇討ちのため日向で熊襲征伐、す
なわち狗奴国討伐をしていた。そのときに、魏の使者と会った。『書紀』はそうゆう
構成になっているということだね。

57 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 08:41:33
>>56
使者送っといて、半島占拠とか意味がわからんだろうに

58 :水銀厨 :2010/01/23(土) 08:49:53
>>56
それでは神功とは卑弥呼であると書けば良いだけの事。
実際はモモソ媛がヒミコだとすれば、血統的に問題が
あったという事だろう。
だから箸で性器をついて直系の子孫は完全にいません、と
念を押してるのですよ。

魏に遣いを出してる点も問題があったんだろうし。

59 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 08:57:45
>>58
嘘は露骨には書けないということだろうな。
神功が熊襲征伐なんて事実ではないことを承知で書いているんだから。

60 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 09:06:43
>>59
神話では景行の子供のヤマトタケルが攻め入ってるよね

61 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:03:20
考古学が得意な人に聞くけどさ。
景初二年の朝献や正始元年の郡使の来訪、正始四年の倭王の遣使、正使始六年の黄幢
なんてどのように証明したり、考古学発掘してるの?

62 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:08:36
>>61
文献に書いてあることは、証明しなくていんじゃないの?
文献に書いてあることが違うとか嘘だとか主張する場合、証明が必要。

たとえば神武東征について、
記紀は紀元前のことだと書いてあるのに、4世紀だというなら、証明が必要になる。


63 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:12:51
遣使計画を書いた木簡がでないかとか、魏使が持ってきた書簡の封泥がでないかとか
黄幢の切れ端がでないかとか 探していくんだよ。まだ、出てないけどね。だからま
だ証明できてない。

64 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:15:43
桜井茶臼山の81枚の鏡の中に
正始元年(=240年ごろ)と書かれたのが見つかってますね。

九州はもう詰んだのではないですか?

65 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:20:23
>>60
先の本には、ヤマトタケルの物語も南九州に邪馬台国や狗奴国があったことを明らかに
したものだとあるね。熊襲の兄を倒して倭男具那王になった→狗奴国の男王。
熊襲の弟を倒して倭のタケルになった→邪馬台の王。確かに、うまくできてるよね。

66 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:20:48
考古学に得意な人にもう少し聞いちゃうけど

正始八年のところに書いてある、遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黄幢、拜假難升米爲檄告喩之
に関して何か発掘されたの?
それに更相誅殺、當時殺千餘人なんて奴婢百人よりも10倍死人が多いんだから
こっちのほうが10倍見つけやすいよね?で、何か発掘された?
卑弥呼が死んで更立男王と書いてあるけど、この王の墳墓は何処にあるの?
特定は無理だけど、候補ぐらいは上がるよね?
そしてここにイヨが王になると復立卑彌呼宗女壹與、年十三爲王、國中遂定
と書かれてあるように、国が定まったようだけど 国が定まった様子なんて考古学でどのように証明されてる?
イヨは政等以檄告喩壹與となっているけど、以檄告喩された跡地なんて見つかったのかな?
で、イヨは壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還と遣使を送っているけど、その足跡を示す出土物はあるの?
その時に贈られた獻上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。
の一部でも大陸で発見された?

いっぱい聞いちゃうけどどうなのよ

67 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:26:05
>だから箸で性器をついて直系の子孫は完全にいません、と
>念を押してるのですよ。

これが正解かどうかはともかく、こういう読み解きは大事だと思うなあ。
史学者も考古学者もそういうのはニガテだから軽視されすぎてる。
たとば箸とはなんなのか?本当はその時代になかったもの。
箸が登場する場面はもうひとつあるから、比較検討しないといけない。

68 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:28:56
>>64

>桜井茶臼山の81枚の鏡の中に
正始元年(=240年ごろ)と書かれたのが見つかってますね。

鏡なんて大陸から日本に移動したように、国内だったら何処でも移動可能でしょ
しかも正始年号の鏡なら、それ以前に作られてはいないという証明で
それ以降なら、散々あっちこっちたらい回しされた後に埋葬されたととも判断できるし
現に桜井茶臼山まで移動してるじゃん。
で、桜井茶臼山の鏡は中国から贈られてから埋葬されるまで、一度も他人に所有が変わってていない事を
どのように証明するの?
珍品があっちこっち移転し、所有者が変わることなんて世の常だけど

69 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:36:57
>桜井茶臼山の81枚の鏡の中に正始元年(=240年ごろ)と書かれたのが見つかってますね。

単純に、九州からの東征軍が新しく降伏してきた連中に鏡をばらまいたんじゃ
ないの。そう考えれば、鏡がたくさん出るところは新開地だな。

70 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:37:06
>>68

じゃあ、九州の王朝が鏡を持ってて、畿内に東遷してきたとでも言うの?
それはどうやって証明するの?


71 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:39:26
九州からの東征軍がいたなんて証拠はまるでないから、
畿内が独自に入手したんだろうなあ。



72 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:40:06
>>70
畿内は弥生時代は銅鐸作ってたんだろ。それが埋められたりぶち壊されたりしている。
それに、やたら大きな墓造りをさせられている。
もともとの支配者だったら、そんなにいじめるか?

73 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:55:11
はいはい、九州の邪馬台国が東遷してきたんですね。
これでいいですか?


74 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 10:57:43
>>70

>じゃあ、九州の王朝が鏡を持ってて、畿内に東遷してきたとでも言うの?

その九州の王朝とか畿内に東遷なんて、一体いつ俺がそう言ったの?
人が言ってもいない台詞、勝手につくらないでよ

75 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:02:23
はいはい、九州の邪馬台国は東遷しませんでした。
これでいいですか?


76 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:03:37
>>73
>はいはい、九州の邪馬台国が東遷してきたんですね。
これでいいですか?

だから、誰も言ってない台詞ならべて
独り相撲するのは止してくれないかな。

桜井茶臼山の81枚の鏡の中に正始元年と刻まれたものと、俺が言った>>64>>66
のどの部分が関係するのかとい話で
誰も九州の王朝とか東遷なんて言ってないんだよね
今まで言ってもいない台詞ならべて話をはぐらかしてきたのかな?

77 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:08:48
>>66
前スレの>>739という人の畿内説だと、

弟王    =10代大王祟神
卑弥呼   =祟神の義姉のモモソヒメ
更立男王  =11代大王垂仁
再び倭国乱れ=垂仁の代の戦乱、サホヒメ・サホヒコの反乱

という事みたいだね。この人の説は俺は好きだな。

78 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:09:19
>>67
>たとば箸とはなんなのか

離れたところで支えあうから「離支(はし)」って言うんだろう

79 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:10:45
>>69
それはおかしいですね。
畿内の方が鏡が色んな種類のが出て来てるし、量も多い。

80 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:15:39
>>79
新参者がたくさんいるところには新参者に与える鏡がたくさんある。当たり前の
話じゃないか。持ってきたんじゃないんだよ。銅鐸をたたきつぶして現地生産だ。

81 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:16:21
>>78
箸でホトを突いて死ぬ人はモモソだけじゃなくて

神武の時代に
セヤダタラヒメも大物主が矢に変身してホトを突いてヒメタタライスキヒメが生まれたという逸話があるから

単にセクースではないかと思うんだけど、皆さんはどう思いますか?

82 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:18:15
>>80
国内産の鏡もあったようですけど、中には中国産の三角縁もあったようで。。
中国の鏡を他国に大量に渡すのは変じゃないですかね?

83 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:19:25
もうそんなおんなじ話何年繰り返してんのよ

84 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:20:09
>>83
急にどうした?生理か?

85 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:21:52
>>82
>中国の鏡を他国に大量に渡すのは変じゃないですかね?

どこが変なの? それに、大量にと言うけれど
大量か少量かなんて個人的に感覚が違うんじゃないかな?大量と少量の境は一体何枚?

86 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:29:46
>>85

椿井大塚山古墳の36面、
奈良県広陵町の新山古墳の34面、
佐味田宝塚古墳の約30面、
大和天神山古墳の23面、
大阪羽曳野市の御旅山古墳の22面、
紫金山古墳の12面、
岡山県備前市の鶴山古墳の30面、
備前車塚の13面、
愛知県犬山市の東之宮古墳の11面、
桜井茶臼山古墳の13面(盗掘を逃れた数)

87 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:38:50
>>86
それが中国産だって言うの? どこで作ったかは、鏡をみても良く分からない
んだよ。我が国にだって名工はいただろうし。たくさん作るうちには腕もあが
るだろうし。

88 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:45:38
>>86
つまりその数が基準に判断されたというわけね?

89 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:50:02
>>87
中国産すら国内産というわけですか?
もうなんでもありですねw

90 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:55:13
>>89
中国産と言っていた物について、国内産だって反論がでて訳が分からなく
なっていることは知っているんでしょうか?

91 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:56:52
>>90
反論ていうのも
お里が知れてますけどねwwwwwww

92 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 12:07:21
>>65
こんな批評があるね。
http://sns.ajcost.jp/blog/blog.php?key=56904

93 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 13:15:33
>>64
仮に桜井茶臼山の鏡と蟹沢古墳(群馬県高崎市)で出土した「正始元年」銘の鏡が同じ鋳型とすれば、
毛野君の祖・豊城命に東国を治めさせたとする崇神紀の記事を裏付けるものであろう。

畿内説は魏志倭人伝を否定する説なので、他の証拠を見つけなければ成り立たない。
そこで日本書紀を読んだら、崇神紀のモモソヒメと箸墓の話があった。
これは使える!と飛びついたが、かんじんの魏との交渉記事が無い。
それどころか、九州を支配していた記事も無い。
景行紀には、はっきりと北九州の女王国が降伏した記事がある。
これではダメだ!書紀はほとんどデタラメだが、モモソヒメだけは正しいとする。
さらに考古学を総動員して邪馬台国を畿内にしようとするが、
原ヤマト政権の証拠ばかりで、邪馬台国の証拠はほとんど無い。
唯一あるのは魏の年号が刻まれた銅鏡だが、これは山陰・九州・山口・大阪など、
奈良県より大陸に近い地域での出土が大半を占める。
ここで注意。畿内説は頭の良い人が多く、「京都府で出土」「兵庫県で出土」とだけ書いて
いかにも畿内が多いという印象を与えようとするが、魏の年号鏡が出ているのは
兵庫県といっても但馬国、京都府といっても丹後・丹波国、日本海沿岸の山陰地方です。
奈良県の国が魏から多くの銅鏡を貰って全国に分配したのではなく、
倭国(九州)・東倭(山陰など)が独自に入手したものと考えられる。
崇神天皇は書紀にあるように山陰から鏡を奪い、豊城命に持たせて毛野に派遣したのだろう。
住吉大社神代記により、崇神没258年、垂仁没311年とすると・・・
タジマモリはヤマトが初めて晋に送り、五胡十六国の乱で失敗した使者。
西晋・楽浪・帯方の滅亡で女王国も衰え、景行に征服された。
こう考えると東洋史の流れとも矛盾は無い。

94 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 13:22:01
景行代だと卑弥呼、トヨと時代が合わない。

何代か続いたのなら、各代の墓があるはず
どこにあるのやら

95 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 13:36:53
>>15
メさんの言うとおりなら、57年の「漢委(倭)奴国王」も金印だから畿内ということになるが、それで良いですか?

「建武二十年韓人廉斯人蘇馬ィ等詣樂浪貢獻光武封蘇馬ィ為漢廉斯邑君」
44年の韓の「漢廉斯邑君」との対比から、57年の「漢倭奴国王」は「倭の奴」では無く「倭奴」
倭奴国とは、対馬・壱岐を越えた九州島のこと。
だから「倭国の極南界」であり、匈奴(きょうど)と同じ類の語。
邪馬台国(やまたいこく)という慣用読みが通用するなら、倭奴国(わどこく)で良いと思う。
その都が伊都国にあったと見られる。

筑前国風土記逸文で、五十跡手が仲哀天皇に穴門の引嶋で
「高麗の國の意呂山に、天より降り來し日桙の苗裔、五十跡手是なり」
日本書紀・垂仁天皇
意富加羅國王之子。名都怒我阿羅斯等。亦名曰于斯岐阿利叱智于岐。傳聞日本國有聖皇。以歸化之。
到于穴門時。其國有人。名伊都都比古。謂臣曰。吾則是國王也。除吾復無二王。
この二つの記事は関係ありそうだ。
ツヌガアラシトとアメノヒボコの記事は、日本書紀と古事記で錯綜が見られる。
ツヌガアラシト=アメノヒボコ集団の少なくとも一部は伊都に留まり、新王朝を開いたようだ。

96 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 14:36:54
>>93 愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
>唯一あるのは魏の年号が刻まれた銅鏡だが、これは山陰・九州・山口・大阪など、
>奈良県より大陸に近い地域での出土が大半を占める。

え?
九州に紀年鏡出てたか?

それに関東にも紀年鏡出てるぞwwwwwwwww


97 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/23(土) 15:01:14
>>54
卑弥呼が畿内の女なら当然記紀に載るのが当たり前だろう。女王なんだから、
女天皇で崇神紀あたりに彼女の記載が女天皇としてなきゃぁおかしいだろうが。
それも神功39年の記述があるということは、遠回しに卑弥呼を示唆してる訳で、
困るんならこんな記事は出すわけがなく、削除するに違いないぜ。

98 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 15:09:10
>>96
>九州に紀年鏡出てたか?

宮崎県の持田古墳群で「景初四年」銘が出土しています。

>それに関東にも紀年鏡出てるぞwwwwwwwww

>>93 を最初から読んで下さい。

99 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 15:23:55
アマテラスとはモーツァルトのミドルネーム、アマデウスと語源を同じくする。
Amadeus(アマデウス)はラテン語で「神に愛された」などの意味。

ここまで書けばわかると思うけれど、天照は当て字で、
実はアルゲアデス朝のマケドニア王、アレキサンダー大王のことだった。

100 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 15:24:41
>>93
>畿内説は魏志倭人伝を否定する説

そんなことはないと思います。誤解されているんですよ。
部分的に間違いはある、ということでしょう。

例えば具体的に、何を否定していますか?

101 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 15:54:25
>>98 愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
>宮崎県の持田古墳群で「景初四年」銘が出土しています。

辰馬考古資料館蔵の奴がそうだったのか…。

因みにコレ京都府広峯15号墳出土のものと同型らしいが
「紀年鏡は5世紀頃に作った物」
と言っている某東遷厨とのお遊びにも使えそうだwwwwww

いや教えてくれてありがとう。

102 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 16:00:25
>>93
>景行紀には、はっきりと北九州の女王国が降伏した記事がある。

景行天皇は、12年10月に大分に到着している。11月には日向に到着。
たった1ヶ月で大分から日向に行き、その途中で土蜘蛛退治とかをしている。
ここらは、ほとんど抵抗しない小さな勢力だったと考えられる。

日向に到着すると、宮を築き、本来の目的である熊襲征伐に備える。
13年5月に熊襲を平らげたとなっている。
ところが、どういうわけか18年まで日向に滞在。

その後、巡幸する。
18年3月、夷守(小林付近)、諸県君泉媛から歓迎される。
4月、熊県(人吉付近)、熊津彦兄を討つ。
4月、葦北。
5月、八代県豊村(火の国)着、
6月、高来県(島原)から玉杵名邑(玉名)に至る。土蜘蛛を殺す。
6月、阿蘇国に至る。阿蘇都彦、阿蘇都媛と出会う。
7月、紫後国御木(三池、大牟田)に至る。
7月、八女県、八女津媛という名の女神がいることを聞かされる。

浮羽を経て、19年9月に京に帰る。

ということで、景行天皇は、熊襲以外にそれなりの勢力と戦っておらず、
景行天皇のときに、北部九州が支配下に入ったというのは考えられない、
と思う。

103 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 16:19:13
北九州で七万戸規模の邪馬台があるのかと

104 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/23(土) 16:21:29
女王国は奥九州だと思うが、北九州の可能性も残存している。遺跡は
2000年近く経ってるら、殆ど消えて然りだな。

105 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 16:27:16
>>103

>北九州で七万戸規模の邪馬台があるのかと

七万戸の規模ってどのくらいなの?貴方だけの内緒の数字じゃ誰にもわからない

106 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 16:28:57
>>102
>景行天皇のときに、北部九州が支配下に入ったというのは考えられない

では、いつ支配下に入ったのでしょうか。
垂仁天皇以前で、北部九州がヤマトの支配下にあったと思わせる記事がありますか?
私は景行の九州遠征は310年代と見ていますが、313年に楽浪・帯方郡が滅亡する前後で、
女王国は分裂して弱体化していたと見られます。

107 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 16:37:53
>>102
>たった1ヶ月で大分から日向に行き、その途中で土蜘蛛退治とかをしている。

書紀の記述では神夏磯媛(この名前も「神」がついていますが)は「一國之魁帥」としており、
「一處之長」「土蜘蛛」より上のクラスと見ているようです。
注目されるのは「八咫鏡」を掲げていること。
九州から帰還後、景行天皇は真っ先に五百野皇女に天照大神を祭らせており、秘密がありそうです。


108 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 16:53:02
>>106
西暦527年に古代史最大の内乱と言われる、筑紫の君・磐井の乱が起きた。
古事記によると、このとき、継体天皇は、大伴金村と物部麁鹿火の二大巨頭を
派遣して制圧している。1年半にも及ぶ大激戦だったとされる。

当時、九州には、筑紫の君のほか火の君や豊の君と呼ばれる豪族もいた。

邪馬台国が九州にあったとしたら、熊襲以外にも伝説に残る戦いがあっても
いいのではないかと思う。北部九州の勢力は、熊襲よりもはるかに強敵と
考えるのが自然だろうと思う。

しかし、熊襲征伐は何度も書かれているのに、他の九州の勢力との大規模な
戦いは記紀に登場しない。

しかも、崇神天皇のときには、周辺に四道将軍を派遣している。なのに、
65年には、朝鮮半島の任那が朝貢してきたとの記述がある。

これらをどう考えたらいいのだろうか。

109 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 17:09:05
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

110 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 17:26:25
>>108
>しかも、崇神天皇のときには、周辺に四道将軍を派遣している。なのに、
>65年には、朝鮮半島の任那が朝貢してきたとの記述がある。

大規模な戦いが無いのは北九州だけでなく、東海や北陸、中国・四国もそうである。
繼體天皇は磐井の乱のとき、物部麁鹿火に「斧鉞」を授けた。
しかし崇神天皇は四道将軍に「斧鉞」ではなく「印綬」を授けている。
そして四道将軍の地方での戦いは何も書かれていない。

任那の朝貢については垂仁天皇の初めにも記述があり、ツヌガアラシトが穴門(山口県)に着いたとき
伊都都比古が「自分はこの国の王だ。他には王はいない」と言っている。
この時点ではヤマトが九州を支配していたとは思えない。

軍事的な知識は無いですが、関裕二氏だったか、「北九州は日田を押さえられれば脆い」と言っていたような?
日田は江戸時代も天領だったが、実際、どうなのでしょうね。



111 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 17:51:52
筑紫君磐井も斎王と同族。魏の廃帝曹芳は、卑弥呼の弟王。
戦国大名の大内氏は、百済の琳聖太子後裔を自称している。
百済も筑紫の兄弟国。大内氏の勢力範囲が邪馬台国の勢力範囲に近いと思われます。
北九州から山口県・鳥取県にかけてが邪馬台国の勢力範囲と考えます。


112 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 17:56:26
九州説バラバラ(笑)
阿呆だらけ

113 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 18:02:30
日本の国境ができたのは近世になってからです。
昔は、国境なんてないから、交易で繋がっていれば、
北九州と朝鮮半島沿岸や山東半島が一つの国(同一民族)だったなんてことは普通だった。
みんな歴史を見る視野が狭すぎるんだよ。

114 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 18:02:30
>>107
240年代の卑弥呼が景行代にいる無理

115 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/23(土) 18:13:18
>四道将軍の地方での戦いは何も書かれていない。
戦いの中身は書かれていなくとも、四道将軍を派遣した理由は書かれている。
曰。導民之本。在於教化也。今既禮神祇。災害皆耗。然遠荒人等。猶不受正朔。是未習王化耳。

まだ崇神の支配下に入っていない民を、支配下にするための将軍派遣です。それも冬を中心に6ヶ月。(3倍年なら2ヶ月)。
ここに「乱」は無い。
11年 異俗多歸。 もし東海地方から、大勢連れてこられたとしたら、考古学は2世紀末とする。


116 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 18:17:42
>>114
>240年代の卑弥呼が景行代にいる無理

いや、神夏磯媛は卑彌呼・壹與の後の女王でしょう。
卑彌呼は八女津媛(景行代は死後の女神)と考えています。

117 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 18:26:17
>>116
そうだとする文献はありますか?

118 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 18:27:55
>>115
>ここに「乱」は無い。

崇神天皇は武埴安彦の鎮圧後「畿内無事。唯海外荒俗。騷動未止。其四道將軍等今急發之。」と言っていますが?
「畿内」という言葉もこの後、仏伝まで出てこないし「海外」もよく分からない。


119 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 18:36:30
>>117
文献は無いですね。
考古学では平原古墓から出土した超大型鏡が八咫鏡と同型ではないかと言われ、
森浩一氏は伊勢の八咫鏡も筑紫から運ばれたのではないかと推測された。
それが八女津媛を通じて神夏磯媛に受け継がれたのではないか?
なお、神功皇后に討伐された田油津媛と夏羽(山門県、八女に近い)は地元の伝承では
神夏磯媛の子孫とされています。

120 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 18:37:08
>四道将軍はドンキホーテ、土蜘蛛も蝦夷も熊襲も佐伯も笑っちゃったろうね。


121 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 18:42:10
>>119
では倭人伝の行程の無理はどうされますか?

122 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 18:51:02
>>121
>倭人伝の行程の無理

「陸行一月」が長過ぎるということでしょうね。
私もそう思いますが、隋書倭国伝で「其國境東西五月行、南北三月行」とありますので
そちらを基準にすれば特に不自然ではありません。
実際にそれだけかかるというより、単なる距離の単位だったのか、よく分かりません。


123 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 19:02:03
>>112
>九州説バラバラ(笑)

バラバラじゃなく九州でまとまっているじゃない。
日本語出来ないの。バカなの。死ぬの。

124 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 19:04:36
>>123
発狂wwwww

125 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/23(土) 19:11:06
>>114
新羅192,3年が崇神5,6年に対応
異族多帰は2世紀末の纒向出土土器
モモソ姫から、纒向に古墳が造られる。ただし箸中山古墳より古い。
任那からの鉄は、垂仁時代に武器となり、景行時代の九州で使われる。
都市牛利は田道間守
神功元年の日食は273年

この数字は、おおむね太陰暦で読める、崇神時代の「正朔」です。
でも神功元年は、275年が妥当と思われる。
この位早くしないと 神功渡海の説明が出来ない。



126 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 19:15:26
発狂している奴に発狂と言われれば、まともなんだな

127 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 19:59:02
>>126
いいえもう病気ですw

128 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 21:40:51
真実を追求するためには、ある時期、気違いとみなされる場合があるけれど、それに耐えられないようでは真実の追求は無理。
アインシュタインだって野口英世だってシュリーマンだって気違いだと思われていたのですよ。

129 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 22:08:42
>>128
時代が違います

130 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/23(土) 22:33:30
新羅192,3年は崇神5,6年に対応しない。この件、唐松山は千人も操縦経験
のない畿内百姓が空腹のまま日本海を軽く渡ったとか主張してるが、これは
不可能事である。せいぜい生き残って数人がいいところだ。しかも農民
なんだから、千人もの乗れる船数を確保することなんか出来やしない。
重ねて崇神5,6年には天皇も船に乗ってはいない。船舶が初めてできたのは
崇神十七年だと紀にあるんだから、まだ畿内百姓が船に乗れる身分では
な〜い。つまりデタラメであ〜る。

こやつの妄想なのである。先だって五島列島沖で可愛そうに十人位だったか
遭難したそうだが、経験者だってこんなに危険があるのだ。いわんや百姓
をやだ。おまけにオカルト脳内らしく、数日間も日食が続くと、非科学的
盲象を平気で垂れ流している。ww

131 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 23:11:30
>>110
北部九州と大和が対立したら、大規模な戦いが予想される。
文献に何か痕跡が残っていてもいいと思うのだが、それがない。
四道将軍のように誰かを派遣したという記録もない。
というわけなのだが…。

はっきりいうと、同族と考えたほうがいろいろうまく説明できる。

日田についていうと、古代の日本地図である行基図には、古代の道が書かれて
いるのだが、それを見ると、瀬戸内海から豊前、豊後を経て筑後に出ている。
つまり、現在の福岡市あたりを通っていない。

古代は、日田あたりが交通の要所だったのかもしれない。

考古学的に見ても、日田は、小迫辻原遺跡の環濠居館があり、中国でも
皇帝クラスの持ち物とされる金銀錯嵌珠龍文鉄鏡なども出ている。
邪馬台国を考える上でもけっこう重要だと思う。

132 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/23(土) 23:17:07
>北部九州と大和が対立したら、大規模な戦いが予想される。

北部九州と大和が協力して、反対勢力を駆逐した。
景行時代だよ。


133 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/23(土) 23:19:35
>>130
貴方の数字と方法では、歴史を何一つ語れない、これが現実だ。


134 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/23(土) 23:25:06
卑弥呼の活躍年代は景行ではなく、崇神の世であ〜る。2代下げて卑弥呼
の時代としちゃうから、オマエは後代がダブついて三重在位だとかの
盲象大便の垂れ流しとなって、嘲笑のマトになる。

2代上げて崇神の代とすればダブつかないから重複在位だとのイカサマ
論理は回避できる。

135 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 23:32:05
>>131
大規模な戦いねえ・・・でも、熊襲と大規模な戦いがあったのか?
景行天皇、ヤマトタケルの熊襲征伐と言っても、どちらも少人数で頭目を騙し討ちにしたという話で、
大規模な戦争など描かれていないのだが。
同族・・・熊襲・蝦夷は明らかに異民族扱いだが、たしかに北部九州と大和は同じ倭人なのだろう。
もともと言葉なども似ていて、統一はしやすかったのかもしれないが。

136 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 23:36:09
近江毛野臣は6万の兵を引き連れて朝鮮に渡ったのですから、すごい豪族ですね。
豊臣秀吉よりは大きな勢力だったことは確かです。

137 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/23(土) 23:42:50
>>136
兵の数はどこまで正しいか分からない。
倭王武の上表文には「控弦百萬、義聲感激、方欲大舉」

138 :日本@名無史さん:2010/01/23(土) 23:46:54
大きな勢力だったことは確かですって言う前に、実在の人物かどうかを考えるべき
だろうが。書かれたものがあるとすぐにそれを信じる、単純だねえ。

139 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 00:11:25
>>135
景行天皇は、もともと熊襲征伐のために九州に出かけた。
日本書紀によると、景行天皇は、熊襲征伐に当たっていろいろ議論している。
非常に強力だが勝てるだろうか、とか、わが軍に勝てないものはありません、
とか。

結局、正面からぶつかると、百姓などに害を及ぼす、ということで秘策を
講じる事になったらしい。

でも、それでも滅びず、日本武尊や仲哀天皇も乗り出した。
熊襲=隼人とすれば、隼人が最終的に大和朝廷の支配下に入るのは、
西暦720年の大規模な遠征の後になる。

140 :水銀厨 :2010/01/24(日) 00:13:36
>>49
自然水銀が採れた場所の近くが「イワレ山」だからね。
桜井ではなく宇陀にあるのがミソ。

>>81
単にセックスの話というより血統の証明でしょう。

言いたい事はモモソ姫とは結ばれたけど直系子孫はいない、
セヤダタラ姫には直系子孫がいるという事だな。

記紀に書くのは基本的にこの事が第一なんですよ。
矛盾があろうがとぼけようが、書いたもの勝ち。
内外に示す公式文献ですからね。

141 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 00:15:35
近江から東山道を通り、碓氷峠から群馬県の倉賀野に抜けられる。
倉賀野から利根川を下って東京湾まで続く河川交通を支配していたのが毛野氏。
しかも、それだけではなく、岡崎や三重、豊後にも拠点があり、
その当時の最大勢力だったことは確実です。

142 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 00:31:33
>>141
昔の関東はド田舎で必要性は希薄でした。
東海に尾張がいましたからね

143 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 00:58:03
>>139
まあ、そんな解釈では、記紀の真意は理解できそうにないな。



144 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 01:06:14
>>141
その証拠は? 毛野氏はどこへ消えたの?

145 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 01:19:43
毛野氏はクナ国だから、ヤマトに帰順したんだろ。

146 ::2010/01/24(日) 07:52:13
>>93 愛知県民さん
>畿内説は魏志倭人伝を否定する説なので、他の証拠を見つけなければ成り立たない。

畿内説がみなそうとはかぎらない

>>95
>メさんの言うとおりなら、57年の「漢委(倭)奴国王」も金印だから畿内ということになるが、それで良いですか?

いえ、15は規模的な事を述べたまで、57年の金印は福岡市東区志賀島で出土されたモノでしょうし、
現在の博多付近の王でしょう、もちろん規模的にも九州の一部分を治めてたのみではなく、
かなりの規模が認められてということになります。

>倭奴国(わどこく)で良いと思う。 その都が伊都国にあったと見られる。

わたしは従来の漢の委の奴の國王が正しいと思う。

147 ::2010/01/24(日) 08:24:02
>>140
>自然水銀が採れた場所の近くが「イワレ山」だからね。
>桜井ではなく宇陀にあるのがミソ。

ああ、貴方は「水銀厨」だったか。
神武東征の際の目的が宇陀水銀だったと考えてるんでしょうか。


148 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 08:58:00
>>146
>畿内説がみなそうとはかぎらない

方角を変えない畿内説があると?

>もちろん規模的にも九州の一部分を治めてたのみではなく、かなりの規模が認められてということになります。
>わたしは従来の漢の委の奴の國王が正しいと思う。

上の2行、矛盾していませんか?


149 ::2010/01/24(日) 09:05:59
>>148
>方角を変えない畿内説があると?

いや、いや たぶん愛知県民さんは「畿内説」というのを分かってない・・・
中には「南」→「東」と書きかえる人もいるが、南至邪馬壹國は「南」でしょうよ。

>上の2行、矛盾していませんか?

漢の委の奴の國王が正しいとは言いましたが「倭王」ではありません。

150 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 09:12:26
「建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。」

ここで金印なんて下賜されなかった。
後漢が始まってから既に32年経過しているし、倭奴國は奉貢朝賀の為にやってきたと書いてある。
金印が下賜されるなら、奉貢と書いてあるので光武帝32年目ではなく、もっと早い時期に下賜されている。
しかも、ここでは倭奴國王の遣使ではなく倭奴國として遣わされているので
ここでの朝賀は、交易に関しての挨拶だ
假金印紫綬であるならば、その遣使は王の遣いと書かれる。
假金印紫綬は国に与えるのではなく、個人に与えるもので外臣とはいえ臣下だ。

151 ::2010/01/24(日) 09:19:41
「倭□土國」にしてもそう、ヤマトを意識してかかれたのでしょうね。
まあ、ヤマトとは読めないといわれればそうかもしれませんが、
ヤマトと発現される前は少し発音が違ったのか、もしくは誤記なのか
そこのところは詳しくわかりませんが、しかしヤマトを意識したなにかの言葉でしょう。

152 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 09:22:54
「漢委奴國王」の金印に関する正式な史料は一切ない。現物があるのみだ
と、いうことは
この金印は、仮に漢王朝が絡んでの発行でも非公式に発行されたものだ。

倭奴國奉貢朝賀で金印が下賜されることは100%ない。
金印が下賜されるなら
「倭奴國王奉献」「倭奴國王朝献」と書かれ、使者に対し印綬ではなく假金印紫綬と書かれる。

153 ::2010/01/24(日) 09:40:48
>>150
>ここで金印なんて下賜されなかった。

じゃあ、銀印?w

>後漢が始まってから既に32年経過しているし、倭奴國は奉貢朝賀の為にやってきたと書いてある。
>金印が下賜されるなら、奉貢と書いてあるので光武帝32年目ではなく、もっと早い時期に下賜されている。

現実には、建武中元二年にされてますよね。

>>52
なんてコメントしていいか迷うねw

154 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 09:52:04
>>153

>じゃあ、銀印?w

銀印も銅印もない。

>現実には、建武中元二年にされてますよね。

印綬はされます。国として「奉貢朝賀」しているのだから
ただし臣下としての印綬ではなく、国としての印綬ですが

155 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 09:57:13
>>150
>建武中元二年

ここは問題ありそう。
後漢書の光武帝紀では元号は「中元」とされているが、祭祀志・東夷伝(倭伝)では「建武中元」となっている。
あるいは「光武中元」(光武帝の中元)の誤りではないか?
「安帝永初元年」との対比から見ても、そうかもしれない。

確かに57年に金印が下賜されたとは断定できないと思われる。
すると、金印はいつのものだろう?
紀元5年の「東夷の王」渡海時か、あるいは紀元前の可能性もあるか?

156 ::2010/01/24(日) 10:02:46
>>155
>確かに57年に金印が下賜されたとは断定できないと思われる。
>すると、金印はいつのものだろう?

いや、いや、150,152,154さんはまだベテランさんではないだろうし、
あまり突っ込まなかったが、愛知県民さんがそんなことを言ってたらいけませんよw

57年のですね次の年(58年)に余所でも「金印」が授けられてますね。
この志賀島で出土された金印は23mmですし、形も同系のもの。
23mmというのは、中国で出土されている物差からみてもこの時期のモノなんです。


157 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:04:34
>>155

「倭奴國王奉貢朝賀」ではなく「倭奴國奉貢朝賀」と書かれているので「「57年以前に下賜されることはありません。
57年以前に假金印紫綬されているなら
国の代表者が既に漢の外臣だから、「倭奴國奉貢朝賀」という書き出しはあり得ません。

158 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:07:16
>>156

>あまり突っ込まなかったが

遠慮せずどんどん突っ込んでください。貴方の知識程度なら
大概の問いには答えられると思いますので

159 :水銀厨 :2010/01/24(日) 10:12:31
>>147
>神武東征の際の目的が宇陀水銀だったと考えてるんでしょうか。

目的というより宇陀から大和へ入る話を神武東征に組み入れたのは、
ここは私たちが押さえましたよ、という証明でしょう。

個人的に話自体は豪族間の勢力争いの話を、組み入れた
のではないかと思うのですが。


160 ::2010/01/24(日) 10:13:15
>>158
アハハ 挑発しても駄目ですよ。


161 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:18:31
>>160
>アハハ 挑発しても駄目ですよ。

挑発なんてしていません。挑発して何か出てくる相手なら、挑発のしがいもありますが
何も出てこないとわかる相手に挑発なんてしません。

162 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:26:41
>>156

>57年のですね次の年(58年)に余所でも「金印」が授けられてますね。
この志賀島で出土された金印は23mmですし、形も同系のもの。
23mmというのは、中国で出土されている物差からみてもこの時期のモノなんです。

これはまた異なことをおっしゃる御仁だ
貴方の文面をみると、中国で出土した物差しは57年と58年だけに通用した物差しという言い方ですね
そんな期間限定ものさしなんて存在したのですか?
後漢時代に使用された物差しは、後漢時代全てに通用したのではありませんか?

ましてや金印には「漢」の文字が刻まれているのだから、漢あるいは後漢時代の物差しに
マッチするのは当然のことです。
よって貴方の言われる57・58と特定できる材料とはならないということです。

163 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 10:27:36
>>155
23mmは後漢尺ということですね。失礼しました。

>>157
>57年以前に下賜されることはありません。

>>150 と同じ人?
>金印が下賜されるなら、奉貢と書いてあるので光武帝32年目ではなく、もっと早い時期に下賜されている。


164 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:30:44
ドツボは自他共に認める逃げ糞野郎だからな

165 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 10:33:55
朝令暮[改」 クルクル改め過ぎるのが奴の自説に自身のない脳内。

166 ::2010/01/24(日) 10:34:39
もん太君(河童さん)、ブルー太国さん助けて〜〜w
ブルーの日本@名無史さんがすんげぇ〜怒り出したw どうしましょww

>>162
君は何も知らないんだなw
後漢時代から三国時代に代わって、いきなり物差の長さが変化するわけではないよww


167 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:39:07
>>166

>後漢時代から三国時代に代わって、いきなり物差の長さが変化するわけではないよww

物差しの尺度が変化していると述べているのは 「貴方」ですよ
自分が書いた>>156のレスをもう一度読んでみてはいかがですか?

貴方はこう申しています。

156 :メ:2010/01/24(日) 10:02:46
>>155
>確かに57年に金印が下賜されたとは断定できないと思われる。
>すると、金印はいつのものだろう?

いや、いや、150,152,154さんはまだベテランさんではないだろうし、
あまり突っ込まなかったが、愛知県民さんがそんなことを言ってたらいけませんよw

57年のですね次の年(58年)に余所でも「金印」が授けられてますね。
この志賀島で出土された金印は23mmですし、形も同系のもの。
23mmというのは、中国で出土されている物差からみてもこの時期のモノなんです。

168 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:40:19
>>142
確かに、その当時の関東はド田舎だけれど、
人口は九州や畿内を凌いだ。
しかも、毛野氏は田辺史と同族で大型船を作る技術を持っていた。

169 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 10:41:36
ただ改めは唐松山よりはデ○パ性が薄いので、唐松山よりはずっとマシ。

170 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:42:09
>>163

>>150>>157は同一です。

171 ::2010/01/24(日) 10:43:04
>>167
君が何も知らないようなので、教えてやるけど(えらそうw)
物差というのはだね、国の体制が変わって「いきなり」変化するんじゃなく
「少しずつ」変化するんだね。

ま、嘘と思うならご自分ンで調べてみなされ、ほ〜ら勉強になったべw

172 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 10:48:22
>>170
同一ならば、金印の下賜時期について矛盾するようですが?
後の書き込みが正ということでよいですか?

173 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:52:40
>>172

>同一ならば、金印の下賜時期について矛盾するようですが?
後の書き込みが正ということでよいですか?

いいえ矛盾しません
57・57年以前には下賜されていないと言ってるのです。
私はそれ以降については何も触れていない事を一言添えておきます。

174 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 10:54:21
>>171

自分の書き込みも理解できないほどファビョっているのですか?
物差しが57・58年だけ特殊な寸法だと言ってるのは「アナタ」です。

175 ::2010/01/24(日) 10:57:18
>>174
負け惜しみレス乙
君、泣かないでくれよw

ブルー日本@名無史さんの相手は、太国さんにタッチw
太国さん〜宜しくw

176 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 11:02:31
>>150
>しかも、ここでは倭奴國王の遣使ではなく倭奴國として遣わされているので

>>157
>「倭奴國王奉貢朝賀」ではなく「倭奴國奉貢朝賀」と書かれているので

後漢書・光武帝紀では「東夷倭奴國王遣使奉獻」とありますが?


177 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:07:43
まだ機内説など言ってるやついたのかよ
この前の機内の最古古墳が5世紀だった事で決着だろ

178 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:07:51
>>175

あなたの「ドツボ」の由来が如実に出た書き込みですね。
自分の書いたレスの内容も理解できずにどんどんどんどん深みにはまっていく


あなたは後漢時の寸法に合う金印だから、57年に下賜されたものだと述べた。
しかし、この論が成立するには
出土された物差しが、57年と58年にしか通用しない物差しでなければ通用しない論なのだ
出土された物差しが後漢時代に通用した物差しならば、後漢時代全てに通用するもので
物差しをもって57年と特定できるものではない事を貴方は知らない。
しかし貴方はそのミスを犯し、いまだにそれに気付かないという体たらく。
それだけならまだいいが
そのあと自分で、物差しの尺度は簡単には変わらないと自ら述べるダブスタ行為が重なった。



179 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 11:10:53
後漢書・光武帝紀では「東夷倭奴國王遣使奉獻」倭伝では「倭奴國奉貢朝賀」
後漢書・安帝紀では「倭國遣使奉獻」倭伝では「倭國王帥升等獻生口百六十人願請見」
帝紀と倭伝で、意識して書き分けているのかね?
国か、国王か。

180 ::2010/01/24(日) 11:13:33
>>178
はあ、ド素人さんは疲れるな・・・
君が『無知』なので、私が話してる『レベル』についてこれないだけでしょ?


181 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:15:08
古墳はだれの墓かというのも大事だけれど、だれが作ったかを考える必要がある。
箸墓ほどの大きな土木工事となると、専門の技術者はもちろん、数万人の人足が必要になる。
それを調達して仕切っていたのが毛野氏の土建屋集団だったのではないだろうか?

182 ::2010/01/24(日) 11:15:38
初心者さんに分かりやすく説明するとしたら
23.1mmなのか?
24.1mmなのか?
25.1mmなのか?である程度の時期が分かってしまう という事だね。

183 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 11:17:02
主張を改めることは結構当然なことであるし、いろいろ自説の誤りを知悉、
検討して正にもって行こうとする行為は、妄想をかたくなに護持しブレーキ
とか左右後方の確認をしていて注意深い脳内の活動からのものであるから、
健全な人物であると客観的に思えるわけで、ただ改めのように誤のほうに
逆転してしまうこともあるわけである。しかし再び古巣の九州説に舞い
戻ることもあろうし、まぁ彼の脳内で随分揺れているのだろう。

だからそういう逆転の失敗はやむを得ぬことではあるも、主張を変更して
その事由を全くあるいは殆ど語らないでとぼけてるのは、その者の信用を
落とし、変更論はこれを知る第三者が受付ないだろう。なぜ変えたのかを
全く事由説明もなく、まるで小沢さんを想起するが、こういう変更論の
語らずは、価値が全然認められないものだ。

まぁ一応、改めは今回の説変更を書きこみながら言い訳してるわけで、これ
を追及されることは平常ではなかろうが、毎回毎回変更ばかりしてるのも
信用度が大きく下落する。〜ところが唐松山はまだ日がそんなに経過して
いないが、應神あたりの三名分の在位の後期を各20年も追加増大させて
おり、どうして編年の変更を大幅にやったのか幾度も幾度も質問してるが、
一回といえど具体的説明をしたことがなく、音無しの構えで前表の盲象
防衛にいそしんでいる。こういうんでは、評価は0点にもならず0点以下
の大マイナスであり、信用は奈落の底以下の阿鼻地獄に沈む。

184 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 11:17:32
>>152
>金印が下賜されるなら
>「倭奴國王奉献」「倭奴國王朝献」と書かれ、使者に対し印綬ではなく假金印紫綬と書かれる。

帝紀では「倭奴國王遣使奉獻」と書かれておりますよ?

185 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:17:57
>>180
お前の低レベルについていける奴はもん太ぐらいだよwww

186 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:18:20
>>176
>後漢書・光武帝紀では「東夷倭奴國王遣使奉獻」とありますが?

帝紀ですから当然そう書かれるでしょうね。假金印紫綬と書かれていますか?

帝に朝献するには、一介の自称太夫では朝献できませんから

帝紀と東夷伝の違いを理解して下さい
東夷伝には「奉献」ではなく「奉貢」と書かれていましたよね。




187 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:21:53
>>179

>帝紀と倭伝で、意識して書き分けているのかね?

当然です。


188 ::2010/01/24(日) 11:21:57
>>185
いや〜このレベルぐらい「コテハン」の人ならだれでも知ってるゾ
無知なのは君だけと思う。


189 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 11:22:03
>>183 訂正
× 妄想をかたくなに護持し
○ 妄想を用心し

190 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:23:34
>>188
コテハンだから偉いってもんじゃなく
2chではただの道化師だという事を理解するべきだな

191 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 11:24:42
ジョーカーと一緒にしないでね。w

192 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:26:38
>>188

>いや〜このレベルぐらい「コテハン」の人ならだれでも知ってるゾ
無知なのは君だけと思う。

貴方を除く全てのコテハンということですね。理解できます。>>178で書かれた内容を理解できていないでしょ


193 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:29:41
>>182

>初心者さんに分かりやすく説明するとしたら
23.1mmなのか?
24.1mmなのか?
25.1mmなのか?である程度の時期が分かってしまう という事だね。

さて、その該当時期を特定してもらおうかね
貴方は23.1cmという尺度によって57年と特定できると言ったんだ。

さー特定してもらいましょう。

194 ::2010/01/24(日) 11:31:40
レベル低っ〜www


195 ::2010/01/24(日) 11:33:12
さてさて、スッキリしたので出掛けてこようかな。
スポーツで汗でも・・・・

では又です。

196 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 11:35:03
194 名前:メ :2010/01/24(日) 11:31:40
レベル低っ〜www


自分だけ蚊帳の外だとそう感じるものだし、そのように自分に言い聞かせないと
世の中渡っていけませんから。 無意識のうちに取る
自己防衛本能の一種ですね。   理解できますよ

197 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 11:38:10
ん? 名無しで「あの人」が来ている気がする・・・

198 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 13:08:46
>>95
> 匈奴(きょうど)・・・ 倭奴国(わどこく)で良いと思う。

古中国語では"hungnu"「匈(フン)+奴(ヌ)」

>「漢廉斯邑君」との対比から、「漢倭奴国王」は「倭の奴」では無く「倭奴」

「漢(王朝名)+匈奴(民族名)+悪適(部族?)+尸逐王(官爵名)」と同様に
「漢(王朝名)+倭(民族名)+奴(部族名)+國王(官爵名)」です。

199 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 13:41:31
>>198
漢匈奴悪適尸逐王銅印駝鈕、大谷大学現蔵
これについては、「悪適尸逐王」という匈奴の王号であって、三段国名ではないという説もあります。
(印というものは、与える側と与えられる側の直接の統属関係を示すものだから)
また、仮に三段国名であっても、この印は中小国家の王や夷蛮の小君長などに与えられる銅印です。
むしろ新の王莽の「新匈奴単于章」銀印亀鈕を参考とすべきでしょう。
それまでの「匈奴単于璽」(漢の兄弟国なので先頭に「漢」は無かった)を格下げしたので匈奴は怒った。

200 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 13:59:56
>>199
>「悪適尸逐王」という匈奴の王号

「漢(王朝名)+匈奴(民族名)+悪適(部族?)+姑且渠(官爵名)」
というのもありますから。3段式でよいでしょう。

>銅印です。・・・銀印亀鈕を参考とすべきでしょう。

知っておりますが。金印、銀印、銅印で異なる規則性がある、というのでしょうか?

201 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 14:22:15
>>200
それも「悪適姑且渠」の可能性もありますね。
異なる規則性と言いますが、「漢廉斯邑君」は貴方のいう規則と明らかに違いませんか。

202 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 14:28:05
そもそも官爵というものは、民族とか部族など関係無いものです。
国王であれば前には国名が来るし、邑君であれば前にはムラの名前が来る。
それだけのことでしょう。

203 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 14:39:22
>>202 少し訂正
>>198 さんのあげた匈奴の例は、国王でも邑君でもありません。
従って、前にあるのは国名や村名でなくて何の問題もありません。
比較できないものではないか。
卑彌呼の「親魏倭王」の「倭」が民族名であるのと同じ。


204 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 14:42:46
唐松山は 景行元年=239年 だとか毎回主張しているが、これに関して
今の今まで一回たりとも説明したことがない。さらに神武即位がA.D.41年
だとの主張であるが、これに関しても同様に説明したことがなく、先だっ
ての小沢さんのように、説明責任を果たさないでグズって来ている。

そこでサガミハラハラさんの日向風土記からのA.D.41年日食の主張から
そういう神武即位年を結論づけたのかと質問したのだが、どうやら否定的
に終始していたが、じゃぁどうやって神武即位をこの年代に位置づけたの
かと尋ねたものだが、そこになると肝心要のこの点に関し全くの無説明を
続けており、奴の編年はその殆どが無説明の蜃気楼だという状況下に
ある。つまり景行ご本尊の脳内仰せにより、理由無しにそうあらねばいけ
ないとの強行カルトの勝手気ままな恣意的盲象信念だということだ。ww

しかもこれは奴の表のその殆ど全部がデタラメだということだ。そこで
三重在位を主張しているが、勿論具体性ない無説明のままであり、何の
説得力も無い盲象の大便垂れ流しのものだということだ。

205 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 14:58:10
そう言えば「匈奴国」「匈奴国王」という言い方はしないですね。
匈奴には「単于」という特別な王号を認めていたためか。
もともと前漢と同格で、皇帝と同等という面もあったのだろうか。

太国さんは相変わらずお元気で何よりです。


206 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 15:09:02
愛知県民さん
貴殿もお元気でなによりです。今後2倍年暦等への参考情報ありましたら、
教えて下さい。今日はウラゴト(卜事)のとことん検討、研究でだいぶ
疲労しました。

207 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 15:18:00
>>206
いや、私は教えるほどのことは・・・
前に太国さんとお話したかもしれませんが、住吉大社神代記の垂仁没年(311?)は
倍暦だと信頼度はどうなのでしょうか。

208 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/24(日) 15:20:32
ちょっと時間が無いので今週は失礼します。
GRRR・・・

209 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 17:46:27
欠史八代の5孝昭天皇を始祖とする和邇氏こそ倭奴の子孫だと思われます。

なぜ、太国さんでさえ、今までそれに振れなかったのか不思議です。


210 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 17:46:54
>>201
>貴方のいう規則

(2段式である)規則などない、と言ってるんですがね。

>>203
>卑彌呼の「親魏倭王」の「倭」が民族名

国名。

211 ::2010/01/24(日) 18:51:51
巻向出土の木製仮面
http://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/bu071001.html

巻向のみから出土されたのではなく、他の弥生遺跡からも類似のモノが出土され、
縄文時代でいえば「土製仮面」がこれに該当するのだろうか。
ようは、巻向から使用されたものではなくその起源を辿ると木製仮面は土製仮面
から材質が変わったものだろう。

まあ、専門家はなんて言ってるのかは知らないんですが・・・・
土製仮面のみでいえば両端に糸を通せるような穴があり、これを被ったり、
手を持ったりハレ(祭り)の場で使用したのだろうか。
以前、乱こうがどうの言ってた人もいたが「聖なる祭り」じゃなく
「性なる祭り」って事になるよねw どうだろう・・・

212 ::2010/01/24(日) 19:05:06
破鏡について
三角縁神獣鏡、方格規矩鏡、内行花文鏡が割れた状態で発見されることが多い。
みなさんの間でよくいわれてるのは、そこに埋葬された被葬者の巫女霊力が否定されたとか、
縄文から続く、土偶の破壊に類するもの、墳墓を形成する為に盛り土を固める際に壊されたとか
副葬品を盗人により持ち運ばれる際に割れたとかいろいろ言われてますよね。

鏡を多く含む墳墓は女性の被葬者が多いはずなんだが(男性もある)、
霊力、霊界に何か関係してるのであろうか。

213 :メ(畿内説):2010/01/24(日) 19:22:42
もっとベターなネタの方が良さそうだねw

帶方
狗邪韓國
對海國
一大國
末廬國→伊都國→奴國→不彌國
           投馬國
           邪馬壹國

よく畿内説で「南至邪馬壹國」を「東至邪馬壹國」という人がいるが
どうみても「南」でしょうw どうして「東」にみえるのか畿内説の私も聞きたいぐらいですw

214 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:14:50
鏡に映った世界があの世で
そこから帰ってこないように傷つけるというのは
非常に原始的でありふれた発想だと思いますが。

イザナギイザナミでも黄泉の国から帰ってこないように
全力で阻止していますものね

215 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:17:18
>>213
メさんは漢文読めないでしょ。

216 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:23:04
破鏡は故人愛用の茶碗割るのと根本的に同じでしょう。


217 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:31:07
割ったら一緒には埋葬しないし、茶碗を割るのと根本的に同じなら
あっちこちで割れた鏡が出土する。

218 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:49:45
実際破鏡の出土例は多いですね。

219 :日本@名無史さん:2010/01/24(日) 21:57:09
出土例は多いですよね。それが民族的習慣なら
人の移動のヒントになるかもしれない。

220 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/24(日) 22:47:17
「親魏倭王」
魏国と親しい倭王では無い。
魏国を親と仰ぐ倭王。

破鏡は殉死の身代わりか。


221 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/24(日) 22:48:00
>>209
具体的にどうぞ。何か、2倍年暦等と関係が出て来るのでしょうか?

222 :日本@名無史さん:2010/01/25(月) 00:24:00
殉死に対応するなら石人石馬、あるいは埴輪でしょう。
破鏡はもうすこしニュアンスが違うんじゃないかな

223 :日本@名無史さん:2010/01/25(月) 00:42:00
まともな鏡を入れてる墓もある。本来ならばまともな方がいいんだろうが、
墓荒らしにねらわれる。それで、割って入れたんじゃないかな。

224 :日本@名無史さん:2010/01/25(月) 08:56:23
かつて倭の国が「親魏倭王」の金印をもらって魏の封冊を受けていたことを隠したいために
記紀は、邪馬台国や卑弥呼の記述を一切封殺したという説が正しいように思います。


225 :日本@名無史さん:2010/01/25(月) 11:02:13
>>224
そんなこと隠せる話でもないし(魏志などを抹殺することはできないよ)、
隠す必要もないことだろう(魏に挨拶した、向こうも鄭重に挨拶してき
たってだけの話だ)。


226 :水銀厨 :2010/01/25(月) 11:14:39
破鏡は当初やはり保持者本人の蘇生、守護的要素を願って、
あるいは邪神的な者にならぬ願いを持って行われた行為ではないですかね。
破片は霊力を持った物として縁者が所持したのかも。

それが次第に宗教観の統一が計られると共に国産鏡が増え、
価値が変化して行く過程において、
貨幣価値の前身としての要素が増えてゆくのでは?

227 :水銀厨 :2010/01/25(月) 11:23:12
>>225
隠せないから日本書記のみに注釈扱いで記述したのだろう。
編纂時には国体が両者とも異なるのだから、厳密に正確を
記する事もないという事で。

日本としてはやはり「卑・倭」なんて文字を問題視したのだろうし。

228 :日本@名無史さん:2010/01/25(月) 14:41:19
>>224
倭の五王についてはどういうお考え?
倭王武=雄略天皇を前提にするなら、武は中国の柵封を求めぬいた奴だけど、
雄略天皇は記紀で封殺されていない。卑弥呼についても金印の話はなしにして
その他の話が記紀に載せられてもいいのでは?

229 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/25(月) 15:41:37
>>222 魏の封冊を受けていたことを隠したいために

冊封は、324年 晋が洛陽をあきらめるまで続く。
書紀の神功49年にあたる、

>日本としてはやはり「卑・倭」なんて文字を問題視したのだろうし。
こんな物は、大陸にもいくらでもある。その例が下記。
1309. 李重
李重字茂曾,江夏鍾武人也。父景,[一0]父景 魏志李通傳注引王隱晉書「景」作「秉」,
則其人本名「秉」。此作「景」,蓋唐人避嫌名(唐高祖之父名モ)改。

230 :水銀厨 :2010/01/25(月) 16:10:50
>>229
当時の国内における感情の問題でしょう。

231 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/26(火) 16:59:43
>>207 愛知県民さん
>住吉大社神代記の垂仁没年(311?)

住吉大社神代記の垂仁没年辛未は見かけでのA.D.71年(皇紀731年)で、この年
は同帝没の翌年の次帝景行の見かけの即位年になっており、1年前が(見かけの)
垂仁没年のことから、この辛未は見かけでの没年年代を採ったものでしょう。

1年のズレは何らかの事由があるわけで許容できるものであり、それがしの崇神
没年259年の主張も古事記の同没258年(戊寅)と1年ズレてるわけで、その事由
ははっきりはしませんが、いろいろ推定してますが、一応いまのところやむを
得ぬ誤差として狭小ですから正解の中に入れてよろしいと思います。古代マヤ
文明元年も3113年説と3114年年説があるし、また西暦0年を計算に入れる方法と
これを無としてB.C.1年の翌年を0年とせず、A.D.1年とする方法もあるわけ
で、ここでも1年の差が生じます。

それがしの説では、倍暦計算から 垂仁没年=292年 を得ております。311年と
した論は辛未年を実年代と観た考察からのものだと思いますし、それがしは上
のとおり、辛未を見かけの年代だと思っております。
                                   〜続く

232 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/26(火) 17:19:14
>>231 続き >>207 愛知県民さん
貴殿は08’年の末、終止符!24スレ>833で
新羅本紀第二 の  助賁尼師今 立つ  での文

 三年夏四月倭人猝至圍金城、王親出戦・・・

を掲げ、これを〜

西暦232年となっているが、実年代362年の神功遠征でしょう

と書きこんでおり、それがしはこれに非常に重大な関心をよせています。

これだと実年代との差は130年ですが、干支の倍数での120年差とすれば、
実年代は

 232+120=352年

と観る考えが浮上します。それがしの倍暦計算では352年はピタリ神功三韓征伐の
年に合致しますよ。同計算から、翌年は

 神功摂政 立皇太后=353年

と、毎回それがしは主張しています。なると貴殿が出した文は神功の三韓征伐の
ことに間違いないと観ており、その年は上の同計算から352年だと観ます。

233 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/26(火) 17:29:05
奇しくも232年とスレ番号が一致しました。w

234 :日本@名無史さん:2010/01/26(火) 17:30:55
>>233
>西暦232年となっているが、実年代362年の神功遠征でしょう
合っていないと自ら認めているではないか(笑う)


235 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/26(火) 17:32:57
>>234
その文>・・・は愛知県民さんの過去の書きこみです。勘違いしてませんか?

236 :日本@名無史さん:2010/01/26(火) 17:54:29
感違いしてました。orz

237 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/26(火) 17:57:08
>>236
すみません。>の記号をつけなかったので、貴殿に誤解を与えてしまいました。
今後つけるようにします。この文に興奮してましたので、>を入れるのを忘れて
しまいました。あなたは唐松山ではないですよね?w

238 :日本@名無史さん:2010/01/26(火) 23:07:35



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




239 :うわ 懐かしい:2010/01/27(水) 00:12:43
日本史板馬鹿コテ番付 初場所      
  日本史馬鹿コテ評価協会 横綱審議委員会
  番付のご意見宜しくお願いします。

東           番  付   西         
太国         横  綱   九州王朝大好き
恵也         大  関   一応九州王朝説
九州ですが     関  脇   プラム
16歳中卒ヒッキー 小  結   九州出身
倭奴国        前  頭   サガミハラハラ    
月光仮面      十  両   定ちゃん
候補多数      幕  下    歴史学博士の俺様

240 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 00:21:59
>>239
ということは、九州説の圧勝なのか

241 :うわ 懐かしい:2010/01/27(水) 00:35:29
【スレNo.1とスレNo.4】

謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1167480597/l50

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!4
http://roba33.ula.cc/test/read.cgi/history/1170408597/

242 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/01/27(水) 00:57:06
>>239
なんでやねん

243 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 01:48:59
喜べ、おかしい順番なんだよ。

244 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 09:01:33
まとめて病院送り・・・

245 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 10:30:01
このうちの何人かが同一人物だったというのがなんともはや

246 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 11:29:54
破鏡と貨幣なんか関係あるのかね


247 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 11:32:45
安本先生の季刊「邪馬台国」読んで下さい
http://yamatai.cside.com/yasumoto/kikannyamataikoku.htm


248 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 12:40:08
安本信者がお布施を貢ぐための本か。



249 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:29:18
九州説の人に聞きたいのは邪馬台国の比定地とかその根拠とかじゃなくて、
九州勢力は、いつ、どんな経緯で初期ヤマト王権の軍門に下り、
記紀のどの部分においてそれは記述されているのか?ということです。

250 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:48:50
>>249

邪馬台国の神武が東征してヤマト王権を作ったと言うだろうな。

まず、考えられない理由として、
東征した結果、ヤマトに王権ができて、九州が下位になったという理屈だな。

九州から東征した勢力は、九州の地盤を捨ててヤマトで首長になったというのか?
→それなら、九州に残った勢力が新たな首長となり、上下関係は九州が上のままになる。

九州の地盤を残しつつ、ヤマトでも地盤を築いて権力を持ったのか?
→しかし、九州とヤマトで地盤を持ってる氏族なんていない。

結局、九州勢力は、畿内の大和王権に「仲間にいれてください。おながいします。」と頭を下げてきたとしか考えられない。


251 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:55:11
>>247
先日立ち読みしたが年々電波が強くなってるなw

252 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:57:00
>>249
発想がぜんぜん間違っているんだよ。九州勢力は大和王権の軍門に下ったりは
していない。九州勢力が東征して大和、さらには関東まで支配下においたんだ。
当然、倭国の朝廷は九州にあった。ある時期に、九州に置いたままにするのは
都合が悪いということで、大和に移しただけだよ。
記紀は九州からきた勢力が大和にいたというだけで、九州に残った連中が滅亡
したなどとは一言も書いていない。いつでも、自由に九州に行ける状態だった
ことを記している。それは同じ倭国勢力の中だからだったんだ。


253 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 14:10:00
>>252

そういう妄想が許されるのは小学生までだよね。

254 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/27(水) 14:11:28
>>252
古墳時代の皇后に九州出身者は1人もいない。また神武が滞在した多祁理宮と高島宮の
遺跡はどこにも存在しない。したがって九州勢力の東征・東遷などたわ言に過ぎない。

255 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 14:20:36
地表に存在しないから、二つの宮の話がウソだということには全くなら
ない。ガンが体表になくても体内にあるかもしれぬ。そのため体内に異常
がないか検診、人間ドックなどを行うわけだろ。

それに2000年ばかり前のものが遺跡として存在するなどとは奇跡に近い。
むしろなくて当たり前だ。

256 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 14:23:32
>>249
詳しい経緯は記述されていない。
思うにヤマトタケルがヤソタケル(クマソタケルだったか?)を打ち倒した説話が該当するのでは。
この際ヤマトタケルは相手から名前を頂戴していることから、本来は九州勢が上の立場にあった
らしいことが知られる。

257 :水銀厨 :2010/01/27(水) 14:45:02
神武東征話だと東征軍は河内で背走してるよ。
だから本来ここまで。

後は内容に矛盾が多すぎ、単なる内戦記録ですよ。
記紀編纂時の脚色でしょう。

258 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 14:49:20
都合のよいところだけつまみ食いかな。

259 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 14:52:00
>>231 >>232 愛知県民さん
おいそがしいようで・・・。

新羅本紀第二のこの記述から、120年移動した352年が神功遠征の真の年代
だという蓋然性がそれがしの倍暦計算での一致で非常に濃厚になりました。

このことは崇神没年の318年説が成立し難いことを意味しており、重ねて
唐松山の崇神没年215年説(あるいはくるくる替えてる217年説など)と
神功初年273年説も成立しないことを物語っており、貴殿の出した新羅本紀
第二のこの文は、神功遠征がウソではなかったことを120年段差に
よるそれがしの倍暦計算結果の一致がその真を補強したことになります。

貴殿のこの文の提出での今回の論の功績は大なるものと評価しています。
有難う。

260 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 14:55:19
>>249だけど、ごめん、東遷説の人には聞いてないです。
そっちはそっちで東遷説の根拠をがんばって探し続けてください。
話としては一番面白くて好きです。

ニュートラルな立場だけど、最近増えてきた東遷ナシの九州説には
ちょっと興味持ってて、でも不自然さは否めないよなあ、と。
だから>>256みたいな説をあれこれ聞いてみたいと思った次第です。

261 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 14:57:26
>>254
>古墳時代の皇后に九州出身者は1人もいない。
皇后の出身地など誰についても明確には書いてないな。九州出身がいないなどとは
言えないよ。


262 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/27(水) 14:59:52
>>255
あなたはイレギュラーで地表に存在しているのにウソ話しばかりですね。いちど脳ドックで精密検査を
してもらったら良いですよ。きっと、あなたの脳ミソは越前クラゲみたいになっているでしょうね。
倍暦・倍干も神武・欠史八代も東征・東遷も九州王朝も全部たわ言に過ぎないのですよ。

263 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:01:29
>>261

>皇后の出身地など誰についても明確には書いてないな

文盲かよ。
皇后の出自は全部明記してあるが九州出身の皇后はいない。



264 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:04:13
>>260
東遷ナシの九州説ってのは、逆に減ってるんじゃないか?
まあ東遷説もかなり減ってるんだけど

同じくものすごくニュートラルな立場からだけど
きちんと詰めて考えていないニワカが最近特に湧いてきたって感じなんだが


265 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:07:41
>>260
理解できないんならば、あなたが黙ってればいいんだよ。
あなたばかり相手に書いているわけではない。
それから、私のは東遷説とはちがうと思うがね。

266 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:10:05
>>263
天皇は九州だけどね。

267 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:10:07
>>264
近視眼的な人が多いよね・・・
いったん自説というゴールを見つけちゃうと、資料に触れる際、
そのゴールへの過程に使えるものしか目に入らなくなる。
一見関係のない外堀から埋めていくのが学問だと思うんだけどね。

268 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:13:03
>>265
それはおかしいな
理解できないってのは、あんたに問題があってさっぱり説として成立していないからという意味かもしれない
そうじゃないと言うのなら、少なくとも自分のレスはこれだと明示して
どのような説なのかきちんと示さねば
名無しのうちのどれがあんたなのか、当ててみってんじゃ誰も理解してくれない

269 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:14:55
>>265
べつに答えられる人、答える気がある人だけ答えてくれればいいし。
いやbbsってそういうもんだし。つーか「私の」ってどれ??

270 :水銀厨 :2010/01/27(水) 15:18:07
ID未表示なんだし、もうコテ名乗らなきゃ
誰が誰かはわからないよ。

271 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/27(水) 15:23:27
>>266
天皇は熊襲の九州ではありません。磯城県主葉江の子孫です。五月蠅のハエ〜ッ!です。

272 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:31:01
>>271
応神が九州出身だということは争いがないところだな。

273 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 15:33:19
>>262
これから外出だ。戯言はオマエだよ。

そんなことを紀に書けが、舎人親王らは公文書偽造罪でタダではすまない。
現今の政治資金の犯罪で逮捕者が出てるが、舎人親王らはパクられて当然
死罪、流罪、よくて蟄居だぞ。

国家の書だぞ。それに紀は多数の原書群から厳選したものであり、単なる個人の
書ではない。こういう多数の大元の古文献の原書の集合から最も信用大なるもの
を抽出して成ったものであるから、オマエの云うことよりズッと信用性が
高い。但し神武より手前は舎人親王らも手に負えないもっと古い伝説の域のもの
だから、これは史実かそうでないかは判明しない。それに神武以降でも少しは
伝説らしき記述もあることは確かだが、年月日が記載されていることは、これは
原書群の大半がそういう記載だったということだ。ただ他説もあったろうから、
一に曰くとかでそれを入れて他説も保護している。

親王らのデタラメ記載だというなら、古代史的に捜査したのか? それをしない
で戯言だと云っても、捜査して紀の公文書偽造が成立するブツ等を出してから
デカい口を叩け。捜査もしないで紀が戯言だとはトンデモだぞ。
どうやらオマエは相当の津田病原菌にオマエの脳内が冒されているらしいな?w

外出だから、文句あるなら捜査結果を出しておけ。あとで読んでやる。

274 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:33:24
>>271
宋史・日本伝・王年代記には

(天御中主から彦瀲尊まで)およそ二十三世、並びに筑紫の日向に都す。
彦瀲の第四子を神武天皇と号す、筑紫の宮より入りて大和州の橿原の宮に入る。

これが古代の皇統に関する認識だろうな。

275 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 15:34:39
>>273 訂正
× 書けが
○ 書けば

276 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:36:50
頭に血が上って誤字脱字ですか。
恥ずかしいね(笑)

277 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:37:00
葛城の曽津毘古も曽の男だっていう説があるな。ということは、石乃日売も
曽の出身かも知れないな。

278 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:40:00
なんつーか、対比史料があまりにも少ないから
記紀の内容は鵜呑みにはできないってのが常識なんだと思ってたが
もう信じ込んじゃってる人には、なに言ってもムダなのかな

279 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:41:58
>>277
ソツヒコの墓は奈良県御所市の室大墓らしいですね

280 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:43:26
>>279
墓碑でも出てから言おうな。

281 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:44:23
>>280
ちょwww
なにを必死に(笑)

282 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 16:06:25
まあ>>249の要望に沿うかどうかわからんのだが

記紀で九州勢力のその後を匂わせる記述ってのが、案外少ないんだよね
一番考えられるのが、景行とヤマトタケルの西征あたりで
その後は神功応神、そして磐井まで時代が飛んでしまう
これらにしても神武が九州出身だと明記したうえで
いまだに九州に敵対勢力が多数残っていたとも
また「東に良い土地がある」と捨て台詞を残して追われた復讐とも解釈できる

だがあくまでも、そういうストーリー仕立てにした以上のものは読み取れない
ましてやこれが事実かどうかを検証する他の文献もない
公文書だから正しいなんてのは考え方としては論外だし
これらの話から何かを読み取るなんてのは、まさに雲をつかむような話で何とでも解釈できる
天の岩船なんか宇宙人のUFOだとさえ解釈できる始末だ
だから記紀を根拠にすると、何万もの解釈が可能になる
別の観点から九州説を組み立てたほうが説得力あるものができるんじゃないかな

283 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/27(水) 16:12:59
>>272
たしかに応神天皇は九州で誕生されましたが、朝鮮侵攻作戦の時に神功皇后が46歳だったと言う説が
あります。神功皇后はお腹に石を巻いて妊娠してるように偽装して、実は神功皇后の姪が応神天皇を
産んだという仮説です。応神天皇の父親はだれかって?内緒だよ〜ん。

284 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 16:24:10
応神は替え玉で、実際は丹後の人間だろ。不通に考えて、


285 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 16:27:39
>>271
>天皇は熊襲の九州ではありません。磯城県主葉江の子孫です。五月蠅のハエ〜ッ!です。

それ言っちゃうと、九州説完全死亡なんで、もうちょっと黙って居ようよ。かわいそうじゃないか。

286 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 16:40:48
ハエっていうのは、南九州の言葉だってのを知らないな。
大和ではハエなんて使わないだろう?

287 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 16:55:16
九州で使うハル(原)って地名は奈良には無いねえ。


288 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 18:37:05
>>276
こちらは目が悪いんだ。オマエは若いんだろう? 少しは目のわるい者を
いたわれ。トンでもないことを言い出すやつだ。

今帰って、これからメシだ。くやしけりゃぁ、
自分で捜査して、日本書紀が公文書偽造であることをブツ、根拠を出して説明
を充分にするんだな。w 欠史八代が戯言ならば、なにもあくせく8人分の
陵墓を万の人数をかけて、十年も二十年も造作の労働なんかやるわけがなか
ろう。労働者連はバカバカしくなって、お役人さんもう中にいない陵墓なんて
造るのやめようよと、あえぎながら文句を言うのがオチだろう。オマエも金が
もらえなきゃぁバカバカしくて労働なんかしないだろうが?ww

>>278
日本書紀の内容は元の原書群の総意的意思のものであり、
単なる一個人的著述もものではない。こういうことは当時のそいう古文書の大半
が支持してるからこそ、信用がおけるわけだ。だから君のほうこそ津田病原菌
に冒されて、脳内でそれらの活動にて君自身がそれらにコントロールされて
いるオツムなわけさ。w だから君こそ最初から否定する盲象にとり憑かれて
いるわけなのさ。w

289 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/01/27(水) 19:30:57
>>288
アレ〜ッ!外出して警察に職務質問されて留置されたんとちゃ〜うの?しぶとく生還したなぁ〜っ!
2代綏靖天皇陵=小さな丘。3代安寧天皇陵=ただの丘。4代懿徳天皇陵=自然地形。
5代孝昭天皇陵=自然丘陵。6代孝安天皇陵=自然地形の中に円墳。7代孝霊天皇陵=ただの山。
8代孝元天皇陵=中期の前方後円墳×1、円墳×2。9代開化天皇陵=中期の前方後円墳。
初代神武天皇陵=なんと明治時代にできた真っ赤な偽物。結論として全部真っ赤な偽物!
したがって古事記・日本書紀は捏造された歴史書となります。わかったか?デブ国!

290 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 20:31:53
まあ欠史八代の陵墓はなあ・・・

墓としての実体があればまだマシってレベルだからなwwwww



291 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 20:36:53
古墳の比定をしたのは後の話で
記紀にはほとんど書いてないだろ。

292 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 20:45:41
記紀の記述は曖昧だし、その後の陵墓比定もさらに曖昧だから
これらの古墳によって八代を否定する証拠とまではいかないよ

ただ記紀の記述が、全くありえない古墳を指しているというのは
少なくとも八代が実在したとしても、その墓がどこにあるのかさっぱりわからなかったということはいえる
同様に彼らの名前にしても、3世紀ではありえない名前になっていることから
名前すらもうわからなくなっていたと
この状態で、婚姻関係や継承が正確に記されているとは考えにくいよね

293 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/27(水) 21:05:22
垂仁=ホケノ山古墳
景行=箸中山古墳

>婚姻関係や継承が正確に記されているとは考えにくいよね
神功から仁徳までは、125年の時空が必要。
こうしないと、百済王家が読めない。

古いところは、婚姻関係や継承が正確に記されているが、兄が死亡したときには、弟がその嫁や子供を引き取る
という、古代の風俗を考慮しなければ成らない。
考昭を産んだのは、安寧であるが、早くに亡くなったため、懿徳の子供となる。
ここまで読まないと、歴史は再現出来ない。


294 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:13:12
>>293 すまん、どこから突っ込んだらいいのかわからん
ホケノと箸中山って・・・垂仁・景行?
神功から仁徳まで・・・百済王家?
>古代の風俗を考慮しなければ成らない。
それはわかるが
>考昭を産んだのは、安寧であるが、早くに亡くなったため、懿徳の子供となる
考昭と懿徳が兄弟って・・・どこにそんなのかいてるの?

295 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:16:01
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

296 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:19:25
欠史八代はいないと思うけどこの八人はどこからもってきたかは気になるよね


297 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:20:42
欠史八代の陵墓が葛城領内にあるのは
葛城側の大王だから?

298 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:43:32
>>297 さあそれはわからん
だけど葛城は古墳時代中ごろまでは沼地が広がる低湿地だったそうだから
そこに大きな勢力がいたと考えるのはおかしいよね
そういう干拓の歴史さえ記紀編纂時には失われていたと考えるのが普通だと思う

299 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:55:45
>>298
葛城領が沼地?間違ってますよ。
彼等の領土の大半は山や台地です。
あこが沼地なら、日本は海の中です(笑)

奈良盆地と勘違いされてませんか?

300 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:59:05
>>299 その大半の山や台地部分には弥生時代の遺跡はほとんどなくて
かわりに低湿地が干拓された古墳中期に小さな前方後円墳が現れるのだが

301 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:03:30
>>300
タカヒムスビは無視してしまうんですか?
高木神は造化神ですよ?

鴨氏の神社も丸無視?
どういうアレなんですかね

302 :水銀厨:2010/01/27(水) 22:03:48
>>298
>古墳時代中ごろまでは沼地が広がる低湿地だったそうだから

それは盆地中央部なので葛城の地ではないですよ。
葛城の中心とも言える御所玉手地区では縄文末期の集落跡、
弥生前期の水田跡も確認されてるからな。



303 :水銀厨:2010/01/27(水) 22:10:53
ちなみに玉手地区の秋津遺跡は4世紀前半な。
巻向の次位の遺跡で銅のやじりや鍛冶に関する痕跡もある。

304 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:12:14
>>301 そんな後世の施設を引き合いに出されても、なあ
東京タワーがあるから平安時代も江戸は栄えていたみたいな理屈だよ、それ
>>302 ああ、御所玉手地区とかを葛城の本拠と見ているわけか
それなら考え方としてわかる
わかるけど根拠にするには弱いってのは自覚してるんじゃない?

305 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:15:23
御所市は全然手付かずだよな
財政が切迫してて余裕がないとか…

室大墓もたまたま地元の砕石屋が
見つけたらしいし。

306 :水銀厨:2010/01/27(水) 22:16:43
>>304
どの辺りを葛城とみているの?結構広いよ。
本来金剛山も葛城山だし。
根拠も何もこの周辺は最近発掘されたばかりだし、
何より「秋津島」なんて地名の真横だからな。

307 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:17:59
>>304
あ〜あ、なんとまぁ(笑)
ちょっとはググったら?

葛城も鴨氏も否定(笑)
もうなんでも有りだなwww

308 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:18:54
富士山と香取神宮を結ぶ直線上に東京タワーは建てられたことをご存知でしょうか?
日本という国は、いまでも古代を引きずっているのです。

歴史は古代から延々と繋がっていることに気付かない歴史愛好家って、間抜けに見えます。

309 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:22:19
金剛山は昔は 高天山と呼ばれてますね。
葛城氏は西は南河内、南は和歌山北部、北は奈良盆地南部・二上山辺りまで
東は巨勢や葛までが領地だと考えますね

310 :水銀厨:2010/01/27(水) 22:24:35
>>305
財政破綻寸前で有名だからね。色んな問題もある。

秋津遺跡も京奈和道の事前調査で存在が
判ったのだが、この辺りは出雲地区と同様
何が出るか判らない地区だと思う。
それ位手付かずで開発されて無い場所。

311 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:28:15
伽耶が滅んで百済が滅んで・・その混乱期を含めて一体何人くらいが朝鮮から日本に渡ってきたのでしょう。
それと、朝鮮半島から鉄器を得るために倭国は「生口(せいこう)」を輸出していたらしいけれど、
なぜNHKは奴隷と言わずに「労働力」と言ってお茶を濁しているのでしょう?
なんとも分かりずらい番組ですね。

312 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 22:36:29
>>289
ははぁ、盲象の半玉、オマエかぁ〜。ww
どうだ津田妄想病は慢性化か〜?pp

当たり前だ。神武即位後はまだ朝廷の勢力は小豪族程度だ。そのくらい
が妥当だろうが・・・。オマエ、コテハンを隠してこっそり書きこんで
いたんだな。www

313 :水銀厨:2010/01/27(水) 22:37:14
>>309
範囲はおそらくそうでしょう。ただ吉野の国栖や
宇陀の剣主の存在をどうみるかですね、
どちらも「葛」には縁があります。

314 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 22:48:02
>>289
記紀は捏造した歴史書にはならない。そうならば、稗田阿礼・・・
舎人親王らは公文書偽造で逮捕される。これは某議員らが4億円の記載
を捏造したらどうなるかは、古今の検察の捜査権で一目瞭然だ。

親王らがそんなしょっぴかれた話はいまのところない。これはオマエの
主張のウラが取れないことを意味している。つまり半玉こと神無月巫女の
捏造デタラメのデッチ上げだということになる。

オマエは長田幹彦の歌でも唄ってろ〜。pp

315 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:51:47
邪馬台国は、九州でも畿内でもない。長野ですよ。

316 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 22:56:57
稲荷山鉄剣は、大和朝廷から賜ったのではなく、百済王から賜ったもの。
雄略は大彦の子孫、つまり科野の王だったのです。

317 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:01:58
>>314
記紀の目的は天皇絶対化だから特に欠史八代と景行天皇から成務天皇は嘘っぱちですよ

318 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:06:27
>>316
それ七支刀じゃない?

319 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/27(水) 23:15:29
>>317
>絶対化
そんなんでは舎人親王らを逮捕、訴追できない。

君は検事には不合格だな。w

八代を増やしたくとかの主張位では、ウソという公文書偽造は有罪には
できない。つまり君の説明だけでは同罪で立件できまい。君が検事なら
これで検事総長に「捜査をつくした」とはとても言えまい。それをゴリ押し
を検事総長に強行すれば、君はクビ。ww

320 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:15:56
信濃といえば、タケミナカタだろ。出雲王朝の。
アマテラス軍に敗れて諏訪湖まで逃げた、という。

321 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:20:49
219 :名無しさん@十周年:2010/01/19(火) 03:03:23 ID:icQ/9PJe0
・外国人参政権に賛成60%、反対29% 朝日世論調査 2010年1月19日0時3分
 http://www.asahi.com/politics/update/0118/TKY201001180431.html
・【調査】外国人参政権、「賛成」60%、反対29%。30〜40代では7割が賛成…朝日新聞★3
 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263832365/

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

381 :Trader@Live!:2010/01/13(水) 04:53:40 ID:2v42IriS
某新聞社の人間なんだが、外国人参政権関連で上から圧力がかかった。
簡単に言ってしまうと、嘘でも何でも良いので世論を誘導しろという内容、
後で問題にならないのか聞いた連中もいたみたいだが、どうやら政府のお墨付きらしい。
うちだけでなく他の新聞社やテレビ局なんかも似たような動きみたい。

383 :Trader@Live!:2010/01/13(水) 04:58:38 ID:2v42IriS
どんな些細な嘘も見逃さずどんどん声を上げてほしい。
新聞社やテレビ局などへの直接クレームだけでなく、
スポンサーへの抗議活動や不買運動(実はこれが一番痛い)を頼む。
戦前なんかとは比べ物にならないほどの異常事態、このままじゃ日本が無くなってしまう。




322 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:27:58
>>319
書記で使われている暦は二つあるのを知ってるかい?ひとつは儀鳳暦でひとつは元嘉暦

問題なのは雄略以前に使われているのが儀鳳暦はなんだよね、これは天武天皇のときに
中国から伝わったものなんだ。
これで嘘はきまりだね

323 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:35:22
>>319
舎人親王の子孫の清原氏は、宇都宮氏の腹心、紀清両党の片方の清原氏として知られていますが、
実際は、毛野氏の時代から関東で有力な勢力だったと思われます。
近江毛野臣とも血縁関係があったんじゃないですか?
て言うか、実は関東出身だった。

324 :sage:2010/01/27(水) 23:43:58
>>323
舎人親王は天武の子どもなのになんで関東出身になるんだよ

325 :日本@名無史さん:2010/01/27(水) 23:49:54
もう完全にスレのテーマから脱落しているから、一部のマニアしか寄り付かなくなってしまった

326 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 04:12:51
てか卑弥呼や邪馬台国なんて
一部のマニアしか興味ないわな

327 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 09:46:49
過去の邪馬台国論のように、いつまでも数字合わせの
パズルの話していてもしょうがない。

328 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/28(木) 09:52:31
>>322
そのくらいじゃぁ、舎人親王を逮捕できないですねぇ。オマエの言うのが正解
なら、ウラを取って、また例えば親王らがこれで逮捕されたとか、罪名はこうだ
ったとか、何年何月ころで、共犯が十人なら十人出たとかの偽書でなさそうな
古文書を見つけて動機を掲げ論を張れば、初めてオマエの言い分が通るんだよ。

そんなんじゃぁ検事総長に怒られる捜査の手法で、まるで風が吹けば桶屋が
儲かる式の軽率極まりない特捜検事だな。これで決まりだとは検事総長も
あきれるだろう。ww

紀の年月日は親王らの正確な逆算だよ。だから親王らのときあった暦法で
書かれてるということだろう? そのへんだよ。 早く有罪の決め手を、古代史
の捜査をやって入手してこい。それが出来れば、オマエの主張が根拠が相当
だという、信憑性があるということになる。

329 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 10:47:27
>>382
逮捕されたとかされないなんて、どうでもいい事だよ。

330 :愛知県民:2010/01/28(木) 10:58:14
>>231
太国さん、ありがとうございます。

>>232
古い書き込みですねえ。
百済王暦については書紀と三国史記で120年差が確認できますが
新羅王暦は書紀に詳細が無いので難しいところはあります。
また週末に時間あったらレスします。

331 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/28(木) 14:23:56
愛知県民さん
おヒマのときにまたお話しましょう。

>>329
逮捕されてないなら、創作をやったんじゃないね。ウラはとれまい。
また取ろうとする努力もしていまいが?w

332 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/28(木) 21:55:40
>>294 最下段
>兄弟
それは唐松山のデタラメの盲象です。騙されてはいけません。あやつは
ネジ曲げの大好きな稀代の盲象創作人です。w

333 :日本@名無史さん:2010/01/28(木) 21:56:11
デブジジイは何言ってんの(笑)?

334 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 01:07:58
妄想は大いにすべきだと思うけど、なんでこのへんにいる妄想家たちは、
同じお友達の妄想家を見下すようなことを言いたがるのかなあ。
なかよく妄想しつつ、よりよい妄想を育てなさいよ。

335 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 10:17:27
>よりよい妄想
そういうのはあるだろう。妄想の紀無い説なんかがその例だな。まぁこれは
妄想でも真の追及の途中で存在するのはやむを得まいが?

336 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 10:35:10
>>334
唐松山は日食が数日続くとかX検査結果がニンベンの字なのにそうでない字
を平然と論拠にしており、かつ天皇が臣民だとか即位してもいない人間を
天皇だとか、こういうのは畿内説とかの妄想とは格段にランクの違う桁外れ
の妄想なわけさ。それはしはそんなひどい妄想なんか言っていないぞ。

君は倍暦を妄想と思ってるのかも知れないが、古代アステカ、マヤでも
1.4倍暦(トナルポワリ暦、ツォルキン暦)を行使してるし、古代
南バギロニアでも2倍暦の行使をしている。ちゃんとこちらの主張は前例
がある。だが、唐松山の日食が数日間も続くとかx線、こんなのは完全な
非科学的デタラメだよ。一緒にしないでくれ。

337 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 10:40:17
>>336 訂正 目がわるいので、誤字が出る。すまん。
× 南バギロニア
○ 南バビロニア

3倍暦も古代エジプトでの3期暦でその芽があるし、インドでも
1ヶ月を15日で行う2倍暦の芽たる暦があるんだから、なにも倍暦
が妄想とは言えんだろうが。

338 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 12:28:59
>>337

根本的な質問を一つ

正歳を知らない者が、倍暦使う意味がありますか?

339 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 13:54:27
結論を前提に集めた状況証拠による恣意的判断。
それは妄想だよ。
ただ、可能性がないとも思わないから妄想し続けてもらいたいけど。

340 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 13:59:43
まぁ 晋書 とやらに

「不知正歳四節 但計秋収之時以為年紀 人多寿百年 或八九十」

とかあるそうな。之には 春耕 の文がないことで、よこやり氏が1年半ばかり前
に論を張っていたが、

知らないと言っても、倭民全員が知らないわけでもなかろうし、王、女王の
取り巻きが知ってたということは充分考えられる。一般の農民とかは不知
だったのであろう?

それにこの文はどうやら九州のことを言ってるのだろうし、畿内朝廷とは別物で
あり、倍暦行使の蓋然性が強く濃厚なのはこっちのほうであり、九州が倍暦を
行使していたかどうかは定かでないですよ。

それがしの倍暦の行使は畿内に限定した話だよ。

341 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 14:07:30
卑弥呼の女王国当時、九州と畿内とは別国だったものであり、このため倭人伝
には女王国がと〜女王統治の国の旨のはっきりした記載がある。当時畿内には
女王(女天皇)がいないことは確実に記紀に女天皇の記載がないことから畿内に
女王などいなかったわけであり、このことは畿内の天皇と九州の女王とは明確に
区分けすべきで、双方は遠方の外国同士だったということを認識すべきである。

このことから畿内朝廷が倍暦の行使をやってても、果たして九州が倍暦をやって
いたかどうかはまだ結論できない。

342 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 14:25:16
>>340

>知らないと言っても、倭民全員が知らないわけでもなかろうし、王、女王の
取り巻きが知ってたということは充分考えられる。


それは不知ではなく
知っている。といいます。

343 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 14:40:36
知ってないとは云っても、九州のことだから畿内とは無関係に近いよ。
だいたい大まかの意味だろうが。例外人はいますよ。 しらなきゃあ親魏倭王の
印をもらっても、なんだか使えまい。基本的意味においては君のいうとおり知っ
てますの意味ではないが、金印をもらったからにはそれ以降遅滞なくして文字を
読める倭人が出来ることになる。金印には文字が入ってるんだから、卑弥呼ら
が根子に小判ではなかろうが。

344 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 14:49:45
>>343

>金印をもらったからにはそれ以降遅滞なくして文字を
読める倭人が出来ることになる。金印には文字が入ってるんだから、卑弥呼ら
が根子に小判ではなかろうが。


金印と不知正歳には、何等共通するものではないし、文字を知っている事と、不知正歳は
関係ありません。

345 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 14:54:15
頑張ったって、九州と畿内との双方の国は別物だよ。九州のことはそのへんんまで
しか論じられないから倍暦の行使の有無は判明しないと言ってるんだよ。

暦法においては別国だから同一性質の暦法をやってた可能性は残るも、九州で倍暦
をしてなかったからといって、畿内が倍暦をやってなかったとは言えないの。

346 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 14:59:14
だから君の言う 正歳 のことは文を書いた大陸の関係者の中のある者らが
九州に渡って見聞した倭人の範囲内で不知だと言ってるわけであり、幅を
拡げて云えば、当時の日本全土の全倭人を見聞した結論のことでは
なかろうよ。

347 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 15:05:20
>>345
九州畿内なんて関係ありません。
不知正歳と書かれているのです。不知正歳と書かれている以上、暦そのものを否定しているのです。
平成元年の次の年は、やはり平成元年であり、次の年も平成元年なんです。

だから不知正歳。

348 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 15:09:28
あんたの出すべき文のどこに畿内が 不知正歳 とあるのかね?
いいかい別国ということは別暦ということは充分に考えられる。書かれて
たって、九州しか見てない者の大陸人言葉で、何で畿内の暦法は見え
るのかいな?w そんなのは見えっこないよ。

349 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 15:16:37
>確実に記紀に女天皇の記載がないことから

また都合のいい所だけ記紀から流用かw

350 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 15:22:15
>>349
だって記紀にないじゃないか。それはもっと後代の推古の世以降なら
これはいることになるし、一歩譲って神功皇后を女王としても、これも
卑弥呼より後代ではないか。倭人伝には女王国とあるんだよ。それが
該当の年代女天皇がいないんじゃぁ、畿内に卑弥呼の国はないと観るのが
相当なわけだよ。それは南北朝のように二帝並存があるなら天皇国の
隣あたりの卑弥呼の女王国があった可能性は云えるようだが、そうならば
崇神紀のあたりに両国の交易、調貢、戦争、遣使とかの記事が数個あって
もいいはずだがね? それもないぞ。

351 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 15:33:11
>>348

>あんたの出すべき文のどこに畿内が 不知正歳 とあるのかね?


全てが対象だから
書く必要性はありません。それよりも、何処に九州畿内を分けろと書いてあります?勿論、貴方の頭の中以外ですよ

352 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 16:16:38
>>350
>だって記紀にないじゃないか。

記紀は当時の権力者によって都合の悪い事は書かない、
とぼける、作為する。これが大前提なだけです。

大体九州畿内を別ける必要なんて全くないしw

353 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 17:39:11
そもそもの話し
大陸半島の文化は九州北部を経由して畿内を含む本州に入るのだから

畿内だけが正歳を知ると言う犬国の説は
畿内説の人間から見てもおかしいwww





354 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 20:36:09
(・_・ ))(( ・_・)プイ プイ プイ プイ

最近、河童さん〜みかけないけど、ヤフーへも来てないみたいだね。
ムシ説が全てデタラメだという事に、ようやく気付いてショックを受けてるのかもw
それか〜みんなから突っ込まれてイジケテ泣いてるとかww

まあ、どっちみち「三十km/一日毎」というのはありえないw

355 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 20:44:26
終止符スレ(過去)久しぶりに読むと懐かしいですね。
http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/most/5/231-231

それと卑弥呼の時代(弥生、古墳)って風呂とかどうしてたんでしょうね。
日本列島は温泉大国だけど全ての集落に温泉があるとは限らない。
まあ、上層階級はどうかは知らないが一般庶民は一週間入らないとか平気であったんじゃないだろうか。
詳しくは知りませんけど…

356 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 20:47:46
あ〜〜〜〜〜〜しったん、しったん、しったん、しったん、ほんじらへ〜〜。かぱー。

357 :人形の牛月:2010/01/29(金) 20:55:50
かぱー。

358 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 20:59:15
夏は水浴びするでしょ。


359 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 21:04:31
>>214-220
>>222-227

破鏡に関してはいろいろ言われてるようですね、
盗堀を避けるためなんて面白そうです。

>249
>九州説の人に聞きたいのは邪馬台国の比定地とかその根拠とかじゃなくて、
>九州勢力は、いつ、どんな経緯で初期ヤマト王権の軍門に下り、記紀のどの部分においてそれは記述されているのか?

九州説ではないですが・・w
一般的なのは日本書紀 卷第三 ~武天皇の即位でしょうが、
個人的な意見をしては、新唐書にもあるとおり、國常立尊の頃ではと考えたりしています。

>>254
神無月巫女さんどうして九州説を批判するのでしょうか。
たとえば、なんて邪馬台国は畿内と思ってるのか聞いてみたいです。

360 :キオレオピン:2010/01/29(金) 21:12:27
かぱー。

361 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:18:14
♪聞こえてくる 恐怖の叫び   聞こえてくる 地獄のラッパ
 河童が、河童が、やってくる  (メ は逃げ惑う メ は逃げ惑う)
 河童のレスは、最強最良  (メ は嫉妬する メ は嫉妬する)
 河童が、河童が、メ を打ち叩く。

362 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:22:07
>>354
河童さんなら毎日yahooの知恵袋に入り浸りです。

363 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 21:29:17
>>356-358 >>360
レスしてくれるのは有りがたいんだが、
もう少しう長レス宜しくー!

>>362
そうですか、アレ教えたの私なんだけどね〜w
気に入ったのか彼のヒマ潰しにはもってこいだよねw

>>288
>こちらは目が悪いんだ。オマエは若いんだろう?

太国さん〜年寄りって自慢にならないと思うんだけど・・・・w(若い方が良いに決まってる)

それと〜水銀厨さんっていろいろ詳しいようですね、
一つ、水銀朱でも語って下さいなw

364 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 21:46:33
>>340-350
裴松之:注「魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋收為年紀」
もありますが、これを翻訳すると

魏略に曰く、其俗正歳四節を知らず、ただ春耕、秋收を記して年紀となすのみ。

これについて諸説あるようですが、二倍歴の根拠としてる人もいそうですよね。

365 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 21:51:42
>犬国  ◆yVAs7uaYlY
>そうならば、稗田阿礼・・・
>舎人親王らは公文書偽造で逮捕される。

…まあ言ってもこのリアルボケ老人には無駄だと言うのは分かっているんだが(苦笑

そもそも舎人親王や稗田阿礼が勝手に世に記紀を出すなんて事ができたはずも無い。
もし記紀に捏造部分があれば当然それは大和朝廷もグルだって話しwwwwwwww

逮捕取り締まりする奴が犯人ならもうどうしようもないって話でwwwwwww

と言うか、そもそも記紀なんてそれが完成した頃には巻子本ですらなかったんだろう?
木簡を紐で繋いだ形か?

そんなもの誰もが見られたって話でもない。

偽造も何も、誰がその内容にイチャモンつけたって話で
捏造云々はあくまで後世の我々の視点から見てのお話




366 :水銀厨 :2010/01/29(金) 21:57:36
>>363
語る程の知識はないですよ、日本史スレ来て半年少しだし。
でも調べる環境はとても良いのは確かです。
以前色んな文献・調査書作る手伝いもしてたので。

水銀朱については錬丹術が至上とされる
道教が3〜5世紀に重視されるのだから、
その産地である奈良東南部に富・権力が集中するのは
当然だろうと思うだけですから。

367 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:01:49
まあ馬王堆のミイラみたいに水銀の服用を古墳の人骨からでも検出できれば
かなりリアリティのある話しだとは思うがwwwwwwwwww

368 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 22:08:24
>>366
各遺跡で出土されるのは、中国製、国内製、中国製/国内製(ブレンドしたもの)
の三パターンでしょうね。
国内でいえば奈良県宇陀市「大和鉱山」、徳島県阿南市「永井鉱山」が水銀朱が有名で
この水銀朱ですが、道教でいえば「不老長寿の薬」とされてるようですね。
しかし、上にも書きましたけど、中国にも水銀朱はたくさんある。
水銀朱と道教との関係ですが、それだけなんで他に何もないと思うんですが如何でしょう。

369 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:25:23
魏の使者って邪馬台国まで来てないんじゃないの? フィリピンや台湾や関東に邪馬台国なんてどう考えてもおかしいわけで
九州を適当に回った使者が幾つかの国で聞き込みをすると、現地住民は遠くにオラの国より何倍もデカい国があるっぺと話す
使者があんたの国には何人いるの?と聞いて何倍かした数と距離を書く
それを魏の朝廷に持ち帰って編纂すると、そこでも齟齬が起こる。


370 :水銀厨 :2010/01/29(金) 22:29:24
>>367
大和天神山なんて遺体すらなく水銀朱が墓主だよ。

>>368
中国にも沢山はないですよ、それに需要が一気に増えるのが
神仙思想と錬丹術を記した葛洪の抱朴子(317年)があるからね。
年代的にも微妙な時代なのは確か。
葛洪自身丹を探しにベトナムまで出かけてる位だし。

371 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:29:50
>>350
神武即位年を2世紀あたりにすれば辻褄合うんじゃない?

神武東征時にも西日本の豪族連合たる大和朝廷は存在していて、九州の豪族がクーデターをおこしただけだったとか

372 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 22:35:45
>>369
>魏の使者って邪馬台国まで来てないんじゃないの?

それは私への質問んですか?
とりあえずは倭人伝を読むと「拜假倭王」とありますね、
倭王とは卑弥呼さんですが、会っています。
それと、魏時、又は漢時の記録か分からないんですが、
「居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛」という記事もありますね。
これは、
宮室・樓觀・城柵を厳かに設け、つねに人がおり兵をもって守衛す
ですが、ここらへんをみても遣使は「行ってる」だろうことが想像できるはずです。

373 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 22:43:26
>>370
>中国にも沢山はないですよ、

しかし、九州と、日本海側の遺跡で発見されるのは中国製ばかりですね。

>それに需要が一気に増えるのが神仙思想と錬丹術を記した
>葛洪の抱朴子(317年)があるからね。 年代的にも微妙な時代なのは確か。
>葛洪自身丹を探しにベトナムまで出かけてる位だし。

くわしく調べてますね、ちなみに出典はどこからでしょうか。

374 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 22:44:55
>>371
倍暦の逆算で、結果は

 神武天皇即位=西暦元年

です。さきほど5回連続書きこみだとか示されて規制をかけられて
驚いたが、いままではこのくらいでは規制されなかった。だから昨今
断続的に規制規制のかかりっぱなしだから、プログラミングですぐ個人的
にも規制が強化されているのかな? さあ書きこめるか?

375 :水銀厨 :2010/01/29(金) 22:58:18
>>373
>しかし、九州と、日本海側の遺跡で発見されるのは中国製ばかりですね。

当初は大陸の知識として行っていた行為でしょう。
それがどうやら大和にあると知れると巻向周辺に
集まってくると思う訳です。勿論一部の知識層だと思いますが。

出典‥と言える程の事でもないでしょう、
色んな抱朴子に関する書物としか。



376 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 22:59:44
>>372
>倭王とは卑弥呼さんですが

間違いを教えてはいけません。
卑弥呼は女王卑弥呼、または親魏倭王卑弥呼です。

377 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/29(金) 23:04:46
改めどの
余計なことを書きこまないで。
唐松山が小ずるく借用にせいを出している。

378 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 23:06:35
>>376
そう思うでしょ。
わたしもですね、卑弥呼以外の人物で考えたりもしたんですが
倭人伝の記述全体をとおして読むとですね、景初二年記事の「親魏倭王」詔までを
「女王」とか「卑彌呼」、詔以降を「倭王」としてるんです。
これは一種の『筆法』なんですが、こうして陳寿さんは、かき分けてることが分かるんです。

379 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:08:30
>>369
>魏の使者って邪馬台国まで来てないんじゃないの

>>369さんの言ってる魏の使者の意味が、洛陽からの使者という事でしたら
いまだに来邦の確認はとれていません。
しかし、郡使という範囲を含めるのであれば
正始元年の記事と「政等以檄告喩壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還。」
この文中で来邦は確認できます。

380 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:11:09
>>387
>「女王」とか「卑彌呼」、詔以降を「倭王」としてるんです。
これは一種の『筆法』なんですが、こうして陳寿さんは、かき分けてることが分かるんです。

それは貴方の思い違いです。そんな記事は何処にもありません。
倭王は倭王です。

381 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 23:13:41
>>380
だから〜倭人伝のそこの部分だけをみて考えるんではなく、
「陳寿」さん全体の文で考えてみなよ〜疲れるな・・・・



382 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:17:05
>>372 >>374

サンクス
実際たどり着いたのなら、琵琶湖の湖畔か橿原にあったとしても相当大周りしてるわけで
関門海峡か吉備あたりに敵対成立がいたから、瀬戸内海を通れなかったのかも


383 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:31:28
>>381

>だから〜倭人伝のそこの部分だけをみて考えるんではなく、
「陳寿」さん全体の文で考えてみなよ〜疲れるな・・・・

何も考えず筆法で処理している貴方が疲れることはないでしょう。
では質問をかえます。
その陳寿の筆法とやらは、何処の部分でどのように効果しているのでしょう?

384 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 23:39:54
>>383
それを考えるのは「あなた」です。
わたしが一から教えても、聞く耳を持ってないと意味ないですし、
まずは、倭人伝にはなんと書かれてるのか、ご自分で調べてからでしょう。
ただ、倭人伝というのは、「簡単」ではない。
多くの疑問があり、そう簡単に答えを見つけられる代物ではありません。


385 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:47:52
>>384
>それを考えるのは「あなた」です。

つまり、筆法と言う言葉でごまかしてはみたものの、その筆法の内容を尋ねられたので困ってしまった。
だから「それを考えるのはあなたです」と、逃げた。
そういうことですねwwww

>多くの疑問があり、そう簡単に答えを見つけられる代物ではありません。

そう言いながら「筆法」と言ってる貴方はダブスタですね



386 :日本@名無史さん:2010/01/29(金) 23:57:10
横から失礼
>>378
ほほう、それは面白い着眼ですな。
他の夷蛮伝なんかでもそうですかね?


387 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:02:19
>>386
そうです、そうです
そこの倭人伝の記述は、いわざ『支配下に入った』ということを記してるはずです。


388 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:03:29
ていうか、「倭王」は男王とか言ってるバカたれはここの2ちゃんダケだろうな・・・


389 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:05:32
>>384 このままでは改めさんの名誉が損なわれてしまうので、ここで名誉挽回の機会を与えましょう。

先ほど改めさんは「倭王」と書かれたのは筆法によるものだとおっしゃいましたが
その筆法


「一字を以って褒貶を為す」 褒貶と為した部分はどこですか?
「文を錯うるを以って義を見わす」 錯えて義を見わしたのはどの部分ですか?

筆法と言ったのですから、せめてこのくらいはお答えください。

390 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:07:03
>>389
そのまえに倭人伝を「よく読んで下さい」


391 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:14:15
ここは初心者用スレなのか?違うだろう・・・
なんで一から十まで、おれが〜日本@名無史さん共に
教えてやらないといけないんだよw
まったく〜疲れるな・・・wwwwwwww


392 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:15:41
>>390
>そのまえに倭人伝を「よく読んで下さい」

読みましたから>>389の内容にお答えください。

393 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:19:21
>>391
>ここは初心者用スレなのか?違うだろう・・・
なんで一から十まで、おれが〜日本@名無史さん共に
教えてやらないといけないんだよw
まったく〜疲れるな・・・wwwwwwww


その原因を作っているのが自分であることを自覚してください。
貴方さえいつも中途半端に誤魔化し有耶無耶にしなければ、スレ内容はもっと向上するはずです。
だからテキパキと>>389の内容に対し答えてください
筆法を語る方なら、そのくらいは簡単なことだと思いますが

394 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:19:37
>>39+2
>読みましたから>>389の内容にお答えください。

>>389
>「一字を以って褒貶を為す」 褒貶と為した部分はどこですか?
>「文を錯うるを以って義を見わす」 錯えて義を見わしたのはどの部分ですか?
>筆法と言ったのですから、せめてこのくらいはお答えください。

今は「倭王」のはなしなんですよね、どの部分か?とかいきなり質問されてもw
知るか〜〜〜って普通思いますよ。
褒貶と為した部分はどこですか? うーん どこなんでしょうね?
錯えて義を見わしたのはどの部分ですか? うーん これも調べてみないと分かりません。

となるんですよww

395 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:25:37
そもそも陳寿に、卑弥呼に対する褒貶の評価なんてものはないだろう。

396 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:27:31
いや、いや、この「改め」を日本@名無史さんがドツボにハメてやろう
としてるぐらい私だって、感づいてますよ。
しかし、私からみたら、心の中で「こいつ初心者だな」って思っててw
私も、邪馬台国についてマダマダですが、皆さんからみたら「先輩」というか、
だから〜全然話になってナイんですよねw

397 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:40:57
俺は先輩で、多量の知識があるんだから、おまいら名無しでは話にならん。答えて
ほしくば、きちんと力量を示しなさい。

・・・と メ は言ってるようです。

398 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:42:42
>>394
貴方が率先して言いだした「筆法」ですよ
それなのに

>今は「倭王」のはなしなんですよね、どの部分か?とかいきなり質問されてもw
知るか〜〜〜って普通思いますよ。
褒貶と為した部分はどこですか? うーん どこなんでしょうね?
錯えて義を見わしたのはどの部分ですか? うーん これも調べてみないと分かりません。


というのは一体なんなんですか?
結局口から出まかせ、知ってる単語をただ並べただけという状態ですね。

399 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:45:16
いえ、いえ、滅相もない、「多量の知識がある」なんて思ってもいません。
まだまだ勉強不足で修行僧の身です。
しかし、名無しでは話にならん、もっと力量をつけなさいとは少し思いますww


400 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 00:50:42
>>398
>知ってる単語をただ並べただけという状態ですね。

まあ、彼はプロ固定だから自説を述べてもしょうがないんだよ。とにかくスレを廻すこと
を考えてるだけ。知識は増えてもそれを説にするだけの頭はないのは確かだけど。

401 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 00:53:20
「プロ固定」なんて言葉最近知ったんですが・・・
はじめてその書き込みを読んだ人から勘違いされるので、
やめてちょーだいw

402 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 01:05:03
>>399
>いえ、いえ、滅相もない、「多量の知識がある」なんて思ってもいません。
まだまだ勉強不足で修行僧の身です。

知識が有るとかとか無いとか、修行僧の身とかいう問題ではなく、貴方は「筆法」と言う
単語を述べたことに対する事実を言ってるのです。
こちらは、貴方が自分で書いた「筆法」を説明してくれと言ってるに過ぎないし
貴方がすんなり説明すれば済む話なんです。

誤魔化さないでください。

403 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 01:11:29
その人は 「逃げのドツボ」「恥知らずのドツボ」だから責め立ててもムダ。レスが増えて
喜んでるだけだろう、プロ固定だから。相手にしなければいいんだよ。みんな恥ずかしい
生き物だと思ってるんだから。

404 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 01:38:19
また適当なことを言って、期待を裏切らずに結局逃げました。(めでたし、めでたし)

405 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 01:38:39
仕方ないな・・・あまりにもシツコイので、少し講演会でもしてやるか

まずですね、宋書の倭国伝の記述で「竊自假開府義同三司其餘咸假授以勸忠節」
とあるんですね、いわば倭王武の上表といわれてるんですが、これを訳すと

自ら(倭王武)開府義同三司を假りに与え、その余は假りに授けて・・・

いわば冊封社会がみえる部分なんですが、全て王朝の許可を得てというやつでして、
倭人伝でいえば、陳寿さんはここの部分を分かりやすく説明するために
景初二年記事の「詔」前後をかき分けてるということが分かるんです。
筆法というのは、辞書で調べたら「文章の書き方」ですよね。
景初二年より前はただの女王、以降は「倭女王」、「倭王」として【表示】されてるんです。
この【表示】をわたしは、陳寿さんの『筆法』という言葉でレスしたんです。

わたしのいう陳寿さんの『筆法』というのが、>>402さん〜おわかり頂けましたでしょうか?

406 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/30(土) 01:51:54
>>403-404

【コテ】さんと、君ら【名無し】さんと一緒にするのはヨシテょ〜w

では、夜遅いのでソロソロ寝ますね・・・See you again

407 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 01:58:19
>>405

おいおい。 倭人伝の筆法を説明するのに宋書か?

>陳寿さんはここの部分を分かりやすく説明するために
景初二年記事の「詔」前後をかき分けてるということが分かるんです。

だから何が分かるのかな?
貴方が「わかるんです・わかるんです」と言っても誰も貴方の言おうとしている事が分からないから聞いてるのです。

>筆法というのは、辞書で調べたら「文章の書き方」ですよね

筆法という単語を書いてから調べたのか?



408 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:01:07
>>407
シツコイよw


409 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:03:05
確かにしつこい。

410 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:06:51
>>406
で、その筆法と倭王は一体何が関係するのかな?
そこに触れないと話は終わらない。

411 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:10:01
>>410
もう解放してやれよ。既に言ってることが支離滅裂で詰んでいるの分かるだろう?

412 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:12:57
しょせんドツボは、春秋学なんて知らない(古典についての表面的な知識しかない)から、
単に「書き方」の意味で「筆法」といってるだけだろ。ドツボはみんな嫌いだから、気にしない
でスルーしたほうがいいね。


413 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:14:47
誰だって知ってることは自慢したくなるけれど、
知らないことに対する謙虚さこそを忘れずにね!

414 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:16:25
こいつら

『御返事ありがとうございました』ぐらい言えないのか・・・


415 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:22:21
筆法だったら以前のプラムの方が、まだ少しはマシな内容だったぞ。
ガッカリだwww

416 :縦目仮面:2010/01/30(土) 02:37:15
ただ、春秋学なんて言い出すとなんでもありになってしまうことも確か。つまり、
「文を錯ふるを以て義を見し、一字を以て褒貶を為す」
というのは、文献中のあいまいな言葉や矛盾した箇所、意図的な誤記など、言葉の底に隠
された深意や人物に対する評価などを読み解く、といった意味だと思うけど、

例えば、「景初2年」は「3年」をわざと誤記したといったようなもので、これだと明帝は、司馬懿
の凱旋を待たず卑弥呼を親魏倭王に冊封したことになり、司馬懿の公孫淵誅滅の評価を引き
下げる意図がある・・・といったようなもの。ま、これに近いことをやってる人は多いんだけどね。



 

417 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 03:26:54
>>416
詳しくないのですが、
「景初2年」か「3年」かは、わりと重要な問題として議論されてるものなのでしょうか?
通説は3年?


418 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 03:54:26
>>417
公孫氏が司馬懿に滅ぼされたのは景初二年八月二十三日。
景初二年六月に使者を送るのはちょっと無理だろう。

日本書紀には、「魏志云。明帝景初三年六月。倭女王遣大夫難斗米等」 と
書かれている。魏志云とされながら、年号は違うし、難升米も違う。
難升米と言う名前は、倭人伝には6回も登場するのだが、難斗米とどちらが
正しいのだろう。

三角縁神獣鏡が話題になっている頃は、景初四年の銘の入ったものがあったので
ちょっと話題にはなったが、今はそうでもないと思う。

419 :縦目仮面:2010/01/30(土) 04:07:03
3年説をとる人が多いようです。
日本書紀の魏志引用箇所では3年になってるし、ちなみに「難升米」が「難斗米」になってる。
「梁書」や「太平御覧」の引用でもそうですね。いずれ、景初2年では、戦火激しいさ中で、敵
中横断は厳しいんでないかと。

2年説は古田氏とかですね。まあ氏は一字一句改変しない論者なので当然として、中国にも
2年説はあって、3年の場合、すでに司馬懿は曹爽によって政権の中心から外された後で、
卑弥呼の遣使という司馬懿の功労を曹爽に与えたに等しい、といったもの。>>416レスとはだ
いぶ違う内容なんですが、いろんな解釈ができるもんです。張声振という人が唱えてるようで
すが、どうですか・・・俺は感心しません。



420 :縦目仮面:2010/01/30(土) 04:11:18
あら、>>418でもう言われてますね。すません。


421 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 04:40:07
>>419
中国の研究者にもお詳しいようですが、
中国の学者はおおむね畿内説なんですよね?
つまり、魏志倭人伝を中国人が読んで、邪馬台国は畿内でも違和感を感じないと。

文書というのは、記録した人間と読んだ人間の認識が一致することが重要だと思うんですよ。





422 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 04:45:24
景初2年が3年の誤りだと、多くの人が感じるように、
方角の南も東の誤りの可能性が大きいということです。

当時の倭国は、南北の縦に長いという認識があったことは古地図から明らかです。
実際に、倭国に旅行した人から「倭国は東西に長かった」という証言を得たとしても、
「倭国は南北に長い」という常識が中国内にあったとしれば、
東を南と間違って(南が正しいと思って)記録することは考えられることです。

景初2年か3年かという話が、魏志倭人伝の記述が間違ってる可能性を裏付けます。


423 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 05:18:27
>>422
古代は地図のない時代だから、日本に関する地理的な認識を持っていたとは
考えられない。記録を書き換えるほどの認識があるはずがないと言える。

混一疆理歴代国都之図のような方向違いの地図があることは、日本の地理観が
全くなかった証拠ともいえる。

地図を見慣れている現代人でも、地理的な感覚には乏しい。例えば、アメリカ
の首都のワシントンはどの辺りにあるか。このあたり、という認識はあまり
ないと思う。何かの記録があったとして、自分の思い込みでワシントンの
位置を変えてしまう自信はないだろう。

424 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 05:25:08
>>423
ワシントンの例えはまずかったな。地図を見慣れている現代人には、ワシントン
くらいはわかるな。少なくとも、西海岸か東海岸かは誰でもわかる。
イラクのバグダッドに変更しよう。

425 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 06:30:52
>>423
>記録を書き換えるほどの認識があるはずがないと言える。

では、景初2年が正しく、3年は間違いということでいいですか?


426 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 06:37:40
>>425
間違いありません。

427 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 06:44:23
>>418
厳しいなんて誰が言ってるのですか?
別に貴方に渡航しろなんて言ってません。貴方が厳しい事なんて関係ありません

428 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 06:51:59
>>423
方向音痴が書いた地図なんて一々取り上げるなよ
古代人の我々がまるで皆、方向音痴に見えるじゃないか

429 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 06:53:32
>>422
妄想大会か?

430 :縦目仮面:2010/01/30(土) 08:10:25
倭人伝の信頼性については、三品彰英氏の言葉の通りだと思います。つまり、南を東の誤記
とみて論を立てるなどの場合は、反論に対して行き詰まる・・・水掛け論になってしまうだろうと。
ただ、「異本の校合による実証」というのは不可能に近いでしょうね。

>異国人の見聞記事には、少なくない誤謬も含まれているであろうし、また『魏志』撰者
 の原資料に対する誤解が加わっていることも確かであり、その上古書の伝写の間には誤
 写の生ずることも免れえないであろう。

>このように幾重にも重なった誤謬を訂正するのは、研究上重要な仕事であるけれども、
 あくまでそれは異本の校合による実証を得てのことでなければならない。単に誤解だ
 という理由から軽々しく字句の訂正をあえてし、あるいは自己の主観による解釈をも
 ってその史料価値を云々するような、勝手な訂正が加わる度合が多ければ多いほど、
 その論考の客観性は失われ、それだけ多くの反対意見が対等の権利をもって現れてく
 るのは、論者自身の招くところである。




431 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 08:19:55
>>430

>また『魏志』撰者の原資料に対する誤解が加わっていることも確かであり


確かだと言えるなら、その確かな部分をあげていただこうか。

432 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 08:32:53
え?
魏志倭人伝って、いい加減な記載ばかりじゃん?

433 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 08:42:53
>>432
何処がいい加減なんだ?いい加減とする部分を抜粋し、ここに
掲載してみな。
弄ってあげるから

434 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 09:02:58
>>433
まず、景初二年は、景初三年の間違い。

これが正しいというのなら、公孫氏と魏の戦乱中に朝貢したことになる。




435 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 10:02:39
>>434
なりません。

天子拝謁を求めたのが景初二年六月です。
洛陽到着までにはまだまだ数ヶ月かかるでしょう

436 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/30(土) 10:13:26
>>365 オマエはジョーカーか?w
>大和朝廷もグルだって話し・・・
>逮捕取り締まりする奴が犯人ならもうどうしようもない

オマエは探偵小説の読みすぎだな。ww
まるで怪人二十面相が明智小五郎だなどと探偵小説のエンタメを地で行く
論説をしており、小説と現実とをゴッタ煮にしてるような軽率な考察だ。w

古代史は探偵小説ではないんだよ。朝廷とグルならば、なにも雄略、武列
の悪逆非道ぶりを記紀に書きおくわけがなかろう。グルならば、これも
削っておくはずだろうが。ww

だいたいそんな考えを脳内で先行してるだけで、古代史的に公文書偽造罪
の捜査をやってウラ付けを取り、立件できるだけのブツを入手できたの
か? そういうことが出来てからグルの容疑が固まったと言え。

437 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 10:20:23
>>434

「景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都」

いいですか。この文章を穴のあくほどよく見て下さいよ

>公孫氏と魏の戦乱中に朝貢したことになる。

景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡  景初二年六月に郡に詣でたのです。
この記事から、既に六月の段階で郡は公孫の手から離れたということがわかります。
そして天子に詣でることを求め、朝貢ではなく朝獻するために洛陽に向かいました



438 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 11:39:01
な〜るほど。

「南は東の誤り」ということを認めないためにも、
景初二年のままで解釈するしかないというわけですな。




439 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 11:58:57
>>430
倭人伝の地理表記については以下の2点
・外洋航路(千里)は距離ではなく、港経路の単位、または必要な物資などの規模
・末盧國を松江(出雲)と比定
とすれば距離も方角も矛盾はないよ。(末盧國を出雲、不彌國を伊勢)

というよりそうすることで倭国というものが
太平洋側の国から大陸に向かう間にある
利権集団として機能していたことが見えてくる。

440 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:05:41
>>438

関係ないだろう。

なんでもこじつけるんだな

441 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:08:40
>>439
みえねぇよ。

442 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:21:17
東にいくら行っても暖かくなることはないなあ。

443 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:29:08
>>442
関係ない話。

福岡だって雪は降る。

444 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:48:25
東へ行っても会稽東冶には近づかないなあ。

445 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:58:50
北部九州は寒い、積雪も結構あるし。

446 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 13:00:00
>>442
暖かいとか寒いとか
全く関係ねえだろう。

447 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 13:20:49
>>437
古代は、テレビもないし、電話もない。情報は人間が歩いて伝える、という
事を念頭に置かないと。
中国で何かが起こった場合、それが日本に伝わるのには早くて数ヶ月、
一般的には何年もかかる。

日本書紀には、「武帝泰初二年十月。倭女王遣重訳貢献」とある。
司馬炎が、皇帝から禅譲を受けたのは泰初元年。その翌年には朝貢して
いるので、このあたりはすばやい反応だと思う。

この倭女王は台与だとされるが。

卑弥呼が帯方郡に使者を送ったのも、公孫氏が滅びてすぐだと思われるので、
当時は、情報伝達の仕組みを作っていたのかもしれない。

448 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 13:26:01

トヨタン・・・・・・・・・・



449 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 13:27:05
当時、近畿地方まで情報の経路はともかく、中国まで自由に往来できる経路が
確保されていたのかどうか疑問だな。

なお、>>447の泰初元年は、西暦265年。

450 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 13:43:17
>>447
>武帝泰初二年

これは「泰始二年」の誤り。日本書紀の引用に明確な誤りがあることも留意すべき。


451 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 13:51:10
太国さんのレスを読んで、また新羅本紀を見てみた。
三國史記 卷第二 新羅本紀第二  助賁尼師今(在位230〜247)
三年 夏四月 倭人猝至圍金城 王親出戰 賊潰走 遣輕騎追撃之 殺獲一千餘級
四年 夏四月 大風飛屋瓦 五月 倭兵寇東邊 秋七月 伊[ン食]于老與倭人戰沙道 乘風縱火焚舟 賊赴水死盡
沾解尼師今(在位247〜261)
三年 夏四月 倭人殺舒弗邯于老
于老は父も息子も新羅王だが、自分は王にならず「伊[ン食]」「舒弗邯」(ともに新羅の官位)として王に仕えた。
日本書紀・神功の「新羅王宇流助富利智干」(新羅王于老舒弗邯?)と同一人物と見られる。
また沾解尼師今三年は西暦249年だが、これは書紀の神功49年、荒田別・鹿我別の新羅討伐の見かけの年次と一致する。


452 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 13:52:42
>>447

思わないで書いて。
貴方の気持ちや思考は、相手にとってどうでもいいことだから

453 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:01:13
>>452
思う、という言葉を使うときは、それぞれ異説があると言うこと。

例えば、「公孫氏が滅びてすぐだと思われるので…」と書いたのは、
公孫氏が滅びていない時だと主張する人もいるので、私は、滅びていたと
考えるという意味。

ここで、はっきり公孫氏は滅びていたと書くと、そうでないと言う人が
出てきて、変な方向で混乱する場合がある。

454 :縦目仮面:2010/01/30(土) 14:03:30
近世の文献だって明確な誤りの認められるものは多い。ただ、倭人伝のやっかいなのは、
比較検討する他の文献がほとんどないため、どの部分が誤りなのかもわからないところ。結
局状況証拠でしか物がいえない。本来は、この部分が誤りであるとする方に証明義務がある
んだろうけど、それがまずできないということになる。で、行き着く先は水掛け論。

情報に関しては、のろし実験で、北九州から機内まで情報は数時間で伝わったという実験結果
もあるけど、そのようなシステムが実際にあったかどうかはわからない。

455 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:05:11
>>453
別に変な人が出て来てもかまわないのでは?
景初二年六月と書いてあるんだから

456 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 14:08:13
>>451 追加
日本書紀・神功の「新羅王宇流助富利智干」は「新羅王于老・助賁尼師今」と解釈したほうが良いかもしれない。

457 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:09:59
>>450
晋書には、「泰始初、遣使重譯入貢」と書かれている。
日本書紀は、「晋起居注云」と書かれているので、晋起居注からとったもの
だろうが、そこにも泰始初と書かれていて、これを泰初と間違ったのかも
知れないなあ。

起居注というのは、当時の記録官によって書かれた皇帝の言動の記録で、
これらを基にして、次の時代に歴史書として編纂されるらしい。

458 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:20:05
>>454
>本来は、この部分が誤りであるとする方に証明義務がある
>んだろうけど、それがまずできないということになる。

ならばその部分は「確定材料の不足」としてバッサリ切り捨てるべきなんだろうが…

そうしていけば結局
「倭人伝で位置論争に決着をつけることなんかできない」
と言う結論にならざるを得ない。

それはつまり「暗号解読ゴッコ」が成り立たないと言う事に他ならないwwwwwwwww



459 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:24:24
昭和64年とか普通に間違えるじゃないか。

460 :縦目仮面:2010/01/30(土) 14:35:00
三国志の紹興本と紹熙本でも、「対馬国」と「対海国 」といったような違いはあるけど、別に
自分のテキストを決めて、それが絶対誤りのないものとして読んでいく、いわゆる「陳寿を信
じる」といった方法論を否定するつもりはない・・・というか、どうせアマチュアなんで、やりたい
人は好きなことをやればいいとは思うけどね。ただ、その場合は自分のテキスト以外の異本
や前代の文献に出てくる引用部分と、どう折り合いをつけるかだろうね。

461 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:50:03
>>460

>その場合は自分のテキスト以外の異本
や前代の文献に出てくる引用部分と、どう折り合いをつけるかだろうね。

それは視点の違い。同じ記事でも編纂者によって捉える視点が違えば、年号は変わってくるし表現も違ってくる。
開始時間を書くやつもいれば終了時間を記載する奴もいる
それらは全て文献に掲載されているからすぐわかる。


462 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 15:17:18
>>461
>どうせアマチュアなんで、やりたい人は好きなことをやればいいとは思うけどね。

これは違うと思う。アマチュアだからプロだからではなく、一人の人間として、
歴史愛好家として、その良心に従って歴史を語ってほしい。

463 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 15:52:37
>>459
>昭和64年とか普通に間違えるじゃないか

昭和64年は7日間でした。
因みに、昭和元年も7日間だったらしい。


464 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 15:53:38
>>462

普通、みんな良心に従って自分の信じる説を述べてると思うよ。

しかし、やっかいなことがある。
「自己を客観視できる人」は、自説を「〜と、自分は思う」としか表現できない。
これは第三者に対して、説得力、訴求力に欠ける。
多くの支持がはじめから期待できない。

一方、「自己を客観視できない自己中心的な人」は、自説を「〜だ。」と断定する。
これは、第三者に対して、あたかもその説が通説であるかのように誤認させ、
多くの支持を集めることができる。しかし、その説が正しいという保障は無い。

さて、どうする?



465 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 16:09:38
これとか見てみ。
ttp://uraja.jp/shinko/about.html


>「温羅」について
>遠い昔、大陸から吉備の国にやってきた渡来人がいた。「百済の王子」と名乗るその渡来人は、戦に破れ、大陸から船に乗ってこの地に逃れてきた。古くから朝鮮半島と深い交流関係にあった吉備の国の人々は事情をくみ、その王子が率いる一団を快く受け入れることにした。
>王子はその礼として、造船や製鉄、製塩などの百済の優れた技術を伝授した。高い技術と集団を率いる英知を持ったその王子は、吉備の国の人々に慕われ、まもなく吉備の国の王となり「温羅」と呼ばれることになる。
>その後、大和朝廷の五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)に破られるが、千何百年たった今もこの地を護っているとされている。これが「温羅」の物語です。

↑本来は「温羅は製鉄に関わった渡来人だと思う」というレベルの話だったのが、
この通り通説になってしまった。
しかも、瀬戸内の製塩の技術も百済が伝えたんだと。
ふざけんな。百済のどこで製塩してたんだよ。


466 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 16:11:58
>>464

無記名掲示板なら選ぶべき道は後者でしょう。

467 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 16:14:06
>>463

平成元年、春の天皇賞(イナリワン=ミスターシクレノン)の1−7馬券を取った人なら忘れない。

468 :縦目仮面:2010/01/30(土) 16:42:18
>>462
しかし、自分の言ってることが薄々違うだろうと思ってても、意地になって書いてるとか、何かの結社(古田
史学の会とか)に入ってて、違うと知りつつも何らかの打算(会の中で認められるとか)で書いてるとか、そ
んな人いるのかなあ ww

まあ、論争がしたくて常識では考えられないことをわざと主張してくる人はいるけど、2chではそれもありと
思うけどね。俺的には、自説の主張はするけど、できるだけ間違いは避けたいと思ってる。


469 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 18:08:58
男に二言はない。
一度言いだした説は一生曲げないものだ。
それが男の美学。
かっこ悪いし、場合によっては社会悪でもあるけれど、曲げちゃなんねえんだよ。

おめえらにわかるか?

470 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 18:24:52
>>469
間違いは間違いと認めるのは大事だろ。

471 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 18:25:15
>>469
河童さんみたいな人ですね。結構頑固ですからwwwwww

472 :縦目仮面:2010/01/30(土) 18:34:20
>>465
このスレの流れとまったく関係ない話は、もしや もん太師でしょうか?w

「温羅」というのは、吉備津彦、桃太郎、吉備津の釜と三題噺になってますね。つまり、この温羅を退治した
五十狭芹彦命は=吉備津彦命で、桃太郎伝説のモデルとも言われてる。で、温羅は首だけになっても吠え
立てたんで吉備津神社の釜の下に埋め・・・これが鳴釜神事の元になり、上田秋成の「雨月物語」にこの神
事が登場する。

温羅が住んでたとされる鬼の城は神籠石式山城で、おそらく白村江の戦い以後のものだと思います。製鉄は
吉備津彦の時代に行われていたかどうかは疑問、盛んになるのは5世紀以降。製塩は弥生時代の早くからあ
ったでしょう。いずれにしても、これらの伝説の素材の時代はバラバラで、後世に結びつけられ組み立てられた
のではないかと思いますね。



473 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 18:43:32
>>472
モンタと一緒にするな。

とにかく、好きでいいかげんな説を立てるのは勝手だが、
間違った認識が蔓延すると、歴史そのものがどんどん歪められていくってことだと。

>>465のうらんじょ祭りなんて、
地元の渡来人=在日を持ち上げる祭りだろ。
祭り自体は結構だが、「百済から製塩が伝わった」などという誰も証明してない妄言を吹聴してることが問題だ。
そんなデタラメが、祭りによって事実として固定されていく状況が、許されてもいいのか?


474 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 19:04:47
>>473
在日の存在自体が悪なんだよ。

475 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/30(土) 19:10:16
>「温羅」ってオランウータンの仲間か?
神功渡海を273年頃と正しく読まないから、つけあがるんだ。
これより50年後では、半島の軍事力は、かなり上がっている。こんな時代では、
渡海不可能。
よって、おこぼれちょうだい的にかろうじて渡ったとされる。


476 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 19:39:17
旅客機がアマゾンの奥地に墜落して一人生き残ったりすると、狼に育てられないと生き残れません。
JALも倒産して安全性に不安がありますね。

477 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 20:14:15
孫呉から 渡るなら、
沖縄から潮に沿って北上するしかないだろな。

478 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 20:41:01
4〜5世紀に関して言えば、南朝との交流は深そうだよ。

遣唐使は、半島経由、沖縄経由などいろいろあった。



479 :478:2010/01/30(土) 20:43:53
4〜5世紀×
5〜6世紀○


480 ::2010/01/30(土) 21:08:16
卑弥呼の始めて遣使は景初二年、三年のどっちかって?
詳しくは、よくわからんっていうのが率直な感想だね。
ただ、河童虫さんのなんとか虫っていう師匠が『景初二年』
って言ってるので『景初三年』が正解じゃない?ww


481 ::2010/01/30(土) 21:27:53
下賜品の五尺刀二口を東大寺山古墳出土の「中平紀年大刀」と考えてる
先生もいるらしいが、これは少し疑問に感じる。
魏代の尺は約24cmで計算すると120cmになる。
中平紀年大刀といえば110cmですね、ピッタリ合わないので違うんじゃない。

銅鏡百枚は、景初三年鏡、正始元年鏡の可能性が高いと思う。
ちなみに今まで景初二年鏡は国内で発見されてないので
こういう所からも景初二年より三年のが正しい可能性が高いのではといえますよね。

482 ::2010/01/30(土) 21:34:47
ただ、景初二年説を唱える人で
倭の敏速な対応として考える人もおって
そういう考えには共感も出来るところもある。
しかし、景初元年鏡、二年鏡がまだ発見されてないのが痛い・・・
私の心の中では、景初二年説を取りたい気持があるんだが、いづれも
今の段階ではよく分からない、景初三年のが可能性〜高いんじゃないの???
としか現状ではいえないところ。

483 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 21:38:25
>>481
五尺刀は前原市の上町向原遺跡から出土した約百二十センチの太刀かもしれない。

484 ::2010/01/30(土) 21:41:31
畿内説としては、邪馬台国を大和、河内、山城、摂津、和泉の全てと
考える人も多いだろう。
しかし、同じ畿内説でも否定する意見をあるだろうし、
この「範囲」についても議論したいですね。
伊賀、伊勢、それから紀伊、近江や丹波、も含めて考えてる人もいるのだろうか?


485 ::2010/01/30(土) 21:51:55
上町向原遺跡ですか、この素環頭大刀を観る為に福岡で保管されてる、
伊都国歴史博物館へいったことがあるんですが、あいにく貸し出し中らしく
観ることができませんでした。
しかし倭人伝には「二口」とあるので、ここでもピッタリの一致してないのですが
まあそのうちの一口と考える人も多いことでしょうね。

486 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/30(土) 22:02:28
>>451 >>456 愛知県民さん
また教えてください。ありがとう。

487 ::2010/01/30(土) 22:11:42
卑弥呼は、公孫氏と強いつながりがあったでしょうね、
公孫氏といえば景初三年の前年とか前々年とか「呉」と接触していたといわれてる。
で、呉の年号の入った「青龍三年」鏡とか、「赤鳥元年」鏡も九州では発見されておらず、
大阪、京都、それと山梨とかで発見されてる・・・・。
上で書いた、「中平紀年大刀」にしても、これは西暦180代の年号なんですが、
奈良で発見されてますね。
九州王朝説の人は、この点どのように説明されてるんだろうか。

488 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 22:35:17
>>487
>呉の年号の入った「青龍三年」鏡とか、「赤鳥元年」鏡

「青龍三年」は呉ではなく魏の年号です。
呉には「赤鳥」という年号は無い。「赤烏」ですが、「赤」は読み取れず「○烏元年」からの推定です。

>九州では発見されておらず

宮崎県で「景初四年」鏡が出土しています。

>京都、それと山梨とかで発見されてる

京都で呉の年号鏡は発見されていません。
魏の景初四年、青龍三年の鏡がありますが、畿内の山城ではなく山陰の丹後・丹波です。
他にも但馬、出雲など大陸に近い山陰で魏の年号鏡が出ています。

489 ::2010/01/30(土) 22:40:13
さあ、どんどん集まってこいw

自分は、さっきまでランニングしてて、
疲れてるのであまり書き込む力が残ってないが、なるべく頑張ろうw

ジョーカーとか>>484とかどう思ってるの?
それとヨソスレで砂鉄とかリモナイトとか難しいこと話してますね(おれよくしらんw)
ただ、ベンガラを塗るっていうのは縄文時代からあって、土器の温度に関しては
縄文土器と弥生土器は焼き方がそもそも違うんだし、弥生土器の場合は上から被せたり
してますよね。
それに比べて、弥生土器というのはそのまま焼いてるんじゃなかったかな(間違えてたらすまそ)

490 ::2010/01/30(土) 22:50:23
>>488
>「青龍三年」は呉ではなく魏の年号です。呉には「赤鳥」という年号は無い。
>「赤烏」ですが、「赤」は読み取れず「○烏元年」からの推定です。

おっと〜失礼しました!訂正します。

<487訂正前>
呉の年号の入った「青龍三年」鏡とか、「赤鳥元年」鏡も九州では発見されておらず、

<487訂正後>
「青龍三年」鏡とか、呉の年号の入った「赤烏元年」鏡も九州では発見されておらず、

>宮崎県で「景初四年」鏡が出土しています。

それだけですよね?

>京都で呉の年号鏡は発見されていません。
>魏の景初四年、青龍三年の鏡がありますが、畿内の山城ではなく山陰の丹後・丹波です。
>他にも但馬、出雲など大陸に近い山陰で魏の年号鏡が出ています。

しかし、年号鏡は、九州では一つのみで、ほとんど奈良周辺ですねw

491 ::2010/01/30(土) 23:00:06
今夜、日本@名無史さんはやけに少ないな・・・少し苛めすぎたかなww


492 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 23:02:07
>>490
>年号鏡は、九州では一つのみで、ほとんど奈良周辺ですね

「ほとんど奈良周辺」は全く違いますね。
山陰の丹波・丹後を「京都府出土」とだけ書き、山陰の但馬を「兵庫出土」とだけ書いて
いかにも畿内周辺と印象づけようとする畿内説の狡猾さには呆れます。
日本書紀にもあるように、畿内は山陰諸国の神宝に憧れて奪おうとしていますから
畿内出土でも独自に入手したものではないでしょう。
群馬県の年号鏡は、崇神紀の豊城命の東国派遣を証明するものでしょう。

493 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 23:19:09
そもそも鏡は移動しやすい物です。
三種の神器の八咫鏡も筑紫から伊勢に運ばれたという説もあり、
景行紀の神夏磯媛の記事はその裏づけと思われます。
ほかにも仲哀紀で伊都や岡の県主が白銅鏡を差し出したり、ヤマトは山陰や九州から政治力や武力で
富を収奪して繁栄したようです。

494 ::2010/01/30(土) 23:24:05
>>492-493
邪馬台国の所在地を語るのには「魏志倭人伝」は欠かせません。
この倭人伝に、邪馬台国まで「水行十日、陸行一月」とあり、九州では説明できません。
これについて愛知県民さんがどのように考えてるのか、コメントお願いしたいです。


495 :来栖川姫子:2010/01/30(土) 23:28:38
>>492
大阪府和泉市の黄金塚古墳から魏・景初3年銘の画文帯神獣鏡。
兵庫県宝塚市の安倉古墳から呉・赤烏7年銘の平縁神獣鏡。
京都府木津川市の上狛古墳から西晋・元康?年銘の平縁神獣鏡。
ほとんど奈良周辺から出土してます。残念でした。

496 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 23:32:25
>>494
>水行十日、陸行一月

確かに、そのまま読むと長過ぎる感じはしますが、隋書倭国伝の
「其國境東西五月行、南北三月行」と比較すると、特に長過ぎるとは言えません。
実際にそれだけ時間がかかるというより、距離の単位という感覚だったのではないでしょうか。

497 ::2010/01/30(土) 23:36:47
>>493
記紀を読むとですね、イワレヒコ東征があり、それ以降の大王(天皇)は近畿を拠点にしてるんです。
ようは都を近畿に置いたということ。
愛知県民んさんが卑弥呼の時代をどの大王(天皇)の時代に当ててるのか知りませんが
倭人伝をみると「都」という字がみえます。
「都」というのは一集落の〜ではなく列島規模の支配者でしょうね。
昔の大王(天皇)は九州には都を置いたことが無い(仮宮はあるが)。
神夏磯媛さんというのは後で言う豊前国クラスの豪族でw
とても倭人伝に「都」と記述されるような「列島の支配者」とはとても思えません。

498 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/30(土) 23:41:14
>>495
呉も西晋も卑彌呼と関係ないでしょう。

499 :縦目仮面:2010/01/30(土) 23:45:27
なんか過疎ってますね。一応まとめとくと、関係ありそうな紀年鏡は、
 
方格規矩四神鏡 青龍3年(235) 太田南5号墳     京都府弥生町
方格規矩四神鏡 青龍3年(235) 安満宮山古墳     大阪府高槻市
三角縁神獣鏡   景初3年(239) 神原神社古墳     島根県加茂町
画文帯神獣鏡   景初3年(239) 和泉黄金塚古墳   大阪府和泉市
三角縁盤龍鏡   景初4年(240)?広峰15号墳     京都府福知山市
三角縁盤龍鏡   景初4年(240)?持田古墳群      伝・宮崎県
三角縁神獣鏡   正始元年(240) 蟹沢古墳     群馬県高崎市
三角縁神獣鏡   正始元年(240) 森尾古墳       兵庫県豊岡市
三角縁神獣鏡   正始元年(240) 後家老屋敷古墳   山口県新南陽市

平縁神獣鏡    赤烏元年(238) 狐塚(鳥居原)古墳 山梨県三珠町
平縁神獣鏡    赤烏7年 (244) 安倉高塚古墳    兵庫県宝塚市

平縁神獣鏡    晋の元康年間(291〜)上狛古墳    京都府

ここで大体見られます。 
http://fukuoka.cool.ne.jp/chikuzen/enjoy/mirrorindex.html


500 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 23:49:28
>>496
>実際にそれだけ時間がかかるというより、距離の単位という感覚だったのではないでしょうか。

時間の単位

501 :日本@名無史さん:2010/01/30(土) 23:49:53
>>498
ベトナムの金印や高床式住居、亀石や猿石文化、
ワ族の存在など

気になる関係ではありますね 孫呉と日本は

502 ::2010/01/30(土) 23:51:31
>>496
隋書倭国伝ですか・・・そのまえに宋書倭國伝を読んでほしいです。

<宋書倭國伝>
東征毛人五十五國西服衆夷六十六國・・・

東に征するに毛人五十五國、西に服するに衆夷六十六國・・・
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/soujo/frame/soujo_frame.htm

明らかに、九州ではなく近畿ですね。
で、隋書倭国伝の「其國境東西五月行、南北三月行」に関しても近畿なんですよね。
「東西五月行」というのは、「東」は東北に差し掛かるぐらい、「南」は九州、
「南北三月行」というのは日本海側〜太平洋側の範囲でしょうね。
愛知県民が「東西五月行」をどこからどこまでと考えてるのか知りませんが
倭人伝で言うと九州の「不彌」から二月ですね。
大体、近畿にさしかかるぐらいではないでしょうか。

503 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 00:00:50
>>499
縦目さん、ありがとうございます。

>>502
>「不彌」から二月

? 十日または一月でしょう。

>宋書倭國伝

海北95国は、三韓78国と二郡18県にほぼ等しい。
毛人55国、衆夷66国は倭の30国と比べてちょっと多いのでは?

504 :縦目仮面:2010/01/31(日) 00:01:09
いちおうオカルトマニアとして一言。w 鏡には魔力が宿るとは西洋でも言われてますが、
上の「平縁神獣鏡 赤烏元年(238) 狐塚(鳥居原)古墳 山梨県三珠町」というのは、
発見者の地主?が、この鏡を鉄瓶のふたに使ってたら目が悪くなり、占いをしたら鏡の
たたりという結果が出て、浅間神社に納められたという奇妙な話があります。

鏡の呪術的な用途としては、辟邪(魔を払って遺体を守る) 辟崇(遺体の復活や怨霊化
を押さえる)などとも言われます。ま、出土の状況は様々なようですが・・・。

505 ::2010/01/31(日) 00:04:12
>>498
>呉も西晋も卑彌呼と関係ないでしょう。

いえ、大ありですよ。
卑弥呼さんというのは、魏志倭人伝に記述される人で、
この倭人伝には「男子無大小皆黥面文身、自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫
夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害」と記述されてるとおり、
卑弥呼さんを頂点とする倭の風俗が記述されてる。
この記事は重要で、梁書倭伝にも「倭者 自云太伯之後 俗皆文身」とあり、
三国時代の「呉」と切っても切れないような関係を想像させられます。
そして、上にも書きましたが、公孫氏との関係です。
卑弥呼〜公孫氏、公孫氏〜呉の関係からしても無視することはできません。
西晋についてはよくしりませんけど・・・・

506 :来栖川姫子:2010/01/31(日) 00:09:20
>>498
西晋は邪馬台国の台与と関係があるでしょう。
ちなみに卑弥呼が魏からもらった五尺刀は京都府京丹後市久美浜町の湯舟坂2号墳から出土した
金銅装環頭太刀です。全長122cmでピッタリです。素環頭太刀のようなチャチな物ではないよ。

507 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 00:14:24
>>505
風俗とかの類似は別として、呉とは政治的な関係は確認できないということです。
日本書紀では應神・仁徳・雄略世で「呉」と通交していますが、これは東晋か宋を指すと見られます。

508 :来栖川姫子:2010/01/31(日) 00:16:52
>>504
それは絶対に太国と思います。デブ国は古鏡を所有しているらしい。

509 ::2010/01/31(日) 00:18:53
>>503
倭人伝には「女王之所【都】」と記載されており、
「倭人」といえば七世紀から始まる「日本人」の祖にあたり、
「都」は九州には一度も置いたことがありません。

三十国に関しては主要国でしょう(笑)

510 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:19:22
天孫の『孫』は孫呉の孫氏のことじゃないかとさえ思ってしまう

511 :ローガン:2010/01/31(日) 00:19:47
>>493
> そもそも鏡は移動しやすい物です。

愛知県民さん。だめですよ。自身の上レスで、
>京都で呉の年号鏡は発見されていません。魏の景初四年、青龍三年の鏡がありますが、畿内の山城ではなく山陰の丹後・丹波です。
>他にも但馬、出雲など大陸に近い山陰で魏の年号鏡が出ています。

と書いたのに… 発見個所云々で、畿内説を詭弁だと指摘しておいて(笑)

512 :縦目仮面:2010/01/31(日) 00:20:15
三国志の呉書・孫権伝には、次のような話があります。愛知県民さんは亶洲をどこと考えますか?
「会稽の東」という語も出てきますが・・・。

黄竜2年(230)の春三月、孫権は将軍・衛温、諸葛直ら将兵万人を遣わし、海に出て夷洲
および亶洲を求めさせた。亶洲は海の中にあり、長老は伝えて次のように言った。

「秦の始皇帝は、神仙の術を持つ徐福に、童男女数千人を連れて海に出て、蓬莱の山と
仙薬を求めさせたが、徐福一行はこの島に留まって帰らなかった。代々続いて数万家にも
増え、そこの人々は、時に会稽に来て取り引きをすることがある。会稽の東の県人は海に出
て風に流され、そのまま亶洲に行った者もいる。」
  
その住んでいる所は果てしなく遠く、将軍らはついに亶洲には行きつけなかった。だが、夷洲
には行くことができ、数千人が帰ってきた。(意訳)




513 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:21:16
>>502
>東征毛人五十五國西服衆夷六十六國・・・
>東に征するに毛人五十五國、西に服するに衆夷六十六國・・・
>明らかに、九州ではなく近畿ですね。
明らかに九州だよ。海北95国というのがある。大和を基点とするならば朝鮮半島
をいきなり海北とは言わんよ。九州を基点にするからこその言葉だ。

>「南北三月行」というのは日本海側〜太平洋側の範囲でしょうね。
九州の南北だよ。本州で南北といえば、敦賀から紀伊半島先端までだろうが、
それは九州の南北とさして変わらん距離だね。
それが三月ならば、九州、本州を通じた東西が五月などということはありえない。



514 :縦目仮面:2010/01/31(日) 00:23:41
>>508
www 太国さんは古神道の秘技である、天津金木を操り、卑弥呼の容貌も幻視したと言って
ますね。最近は年寄り自慢をしてるようです。www

515 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:25:03
>>502

><宋書倭國伝>
東征毛人五十五國西服衆夷六十六國・・・
東に征するに毛人五十五國、西に服するに衆夷六十六國・・・
明らかに、九州ではなく近畿ですね。

これで九州ではなく近畿ということはわかりません。
東は「征」だが 西は「服」と書かれているだけなので

516 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:28:19
>>514
アルツハイマー始まってるかも知れん・・・

517 ::2010/01/31(日) 00:29:19
>>507
卑弥呼さんが国交を持ったのは、ご存知の通り「呉」ではなく「魏」です。
しかし公孫氏との関係、夏との関係からみてもその地域とは
まるっきり関係ないとするのはどうかと思うという事です。

>>513>>515
何言ってんだか、近畿だよwwwww

518 ::2010/01/31(日) 00:35:59
さて、ここで愛知県民さんに質問ですが・・・
宋書、隋書の倭国王は近畿の大王(天皇)なんですが、
魏志の倭王は九州ですか?近畿ですか?

もし、九州というんでしたら(言うでしょうねw)、
どうしてそこだけ近畿ではなく九州なんでしょうか?

519 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 00:36:57
>>512
亶洲はよく分かりませんね。日本列島とは決められないでしょう。
呉では「倭国」は知られていなかったのでしょうか。

520 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 00:45:21
>>518
>どうしてそこだけ近畿ではなく九州なんでしょうか?

「そこだけ」ではないです。漢委奴国王もありますし、後には14世紀の懐良親王もいます。
宋書、隋書の倭国王は日本書紀の外交記事と対応しています。
(太国さんとかは、細かく対応してないから駄目というでしょうが)
魏志の倭王は対応する外交記事がなく、九州に別の国があったように思われます。


521 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 00:45:38
>>517

>何言ってんだか、近畿だよwwwww

そう思いたい気持ちは分かります。自分に言い聞かせているように聞こえます。

ところで昨夜の「筆法」はもうおしまいですか?

522 :縦目仮面:2010/01/31(日) 00:51:08
>>512 の夷洲は台湾説が多いようです。亶洲は、種子島、沖縄等 日本以外にも様々な説が
ありますね。また、陸遜伝では「夷洲・亶洲」ではなく「夷洲・朱崖」と出てきます。孫権は扶南国
を始め、各地に使者派遣を積極的に行おうとしていたようで、漢書などからも倭についての知識
もあったのではないですかね。ただし、沖縄などが倭と認識されていたかどうか?




523 ::2010/01/31(日) 00:51:13
>>520
漢委奴国王は「倭王」じゃないですよ、
そこに書いてると思いますが・・・。

>九州に別の国があったように思われます

近畿の大王(天皇家)の前身が九州にはありましたが、記紀にもある通り、
イワレヒコ(神武)東征の前ですし、そもそも祟神は三世紀の人物といわれてるんです。
神武〜祟神まで近畿で何代も続いてますし、「卑弥呼の時代は?」というと
おそらく「都」は近畿でしょうね。
九州一体の代名詞「カメカンボ」ですが、これも弥生中期が一番盛んです。


524 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 00:56:33
>>519 追加
「倭」は前漢時代(その前も?)から中国に知られており、光武帝から金印も受けているのに
別の名前を使うというのが、よく分からないです。高句麗などは同じ名前だったかと。
「倭」から「日本」への改称でも中国側では混乱したようですし。


525 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 01:02:46
>>512
ひとつご指摘。
「会稽の東の県人」とありますが、「会稽の東冶の県人」(福州付近)ですよね?
岡田英弘氏の亶洲=ルソン島説もありました。


526 ::2010/01/31(日) 01:04:09
>>524
いえ、違います。
「倭」というのは、冊封制度の象徴であって、おそらくは中国側から命名されたのでしょう。
ソノ時代はと言うと、中国史書にみえるとおり漢(後漢)時代だったでしょうね。
そして、
一世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
二世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
三世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
四世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
五世紀・・・「倭」 ここらへんから少し反抗ですが、まだ冊封で〜〜す
六世紀・・・「倭」 ここらへんから少し反抗ですが、まだ冊封で〜〜す
七世紀・・・「倭」 ここでやっと自立です、日本建国(日本国家の誕生) という悲しい現実。

527 ::2010/01/31(日) 01:05:16
>>524
いえ、違います。
「倭」というのは、冊封制度の象徴であって、おそらくは中国側から命名されたのでしょう。
ソノ時代はと言うと、中国史書にみえるとおり漢(後漢)時代だったでしょうね。
そして、
一世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
二世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
三世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
四世紀・・・「倭」 冊封で〜〜す
五世紀・・・「倭」 ここらへんから少し反抗ですが、まだ冊封で〜〜す
六世紀・・・「倭」 ここらへんから少し反抗ですが、まだ冊封で〜〜す
七世紀・・・「日本」 ここでやっと自立です、日本建国(日本国家の誕生) という悲しい現実。

528 :縦目仮面:2010/01/31(日) 01:07:33
まあよくはわからないんですが、公孫氏などは倭についての知識はかなりあったでしょうが、
呉だと、古書に出てくる伝説の倭人といったイメージなのかもしれません。魏でも、倭からの
朝貢というのは、白雉や麒麟?が見つかったような、皇帝の威徳を表す瑞兆と見られたのか
もしれませんね。もしかしたら魏側で朝貢を促すようなことがあったのかもしれません。(妄想
か?)いずれ、倭人伝の皇帝詔書は、かなり卑弥呼を持ち上げてるような気がします。

529 ::2010/01/31(日) 01:09:43
>>521
>ところで昨夜の「筆法」はもうおしまいですか?

俺と遊びたいのかしらないけど〜w
次は縦目さんに遊んでもらえよ、ちなみに彼は考古学の鬼だけどw(怖いぞ〜w)

530 ::2010/01/31(日) 01:12:35
>>528
いえ、その前に、
そもそも倭人というのは「夏の民」なんです。
中国史書にもいろいろ明記されてるはず。


531 ::2010/01/31(日) 01:15:37
大陸からの移住民ですね。
上にも書きましたけど梁書の倭伝にも
「倭者 自云太伯之後 俗皆文身」とあり、これは何を言ってるのか?
を考えたら、大陸のですねソノ地域と倭との関係が浮かんでくるはずです。

532 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 01:16:57
>>523
メさんは神武東征をどう考えているのでしょうか?
神武東征で、神武一族は故郷を捨てて奈良に移動しています。
景行の九州遠征でも墓参りをした様子も無いし、平安時代にも日向三代の陵は細かく指定されていなかったらしい。

>>524
前漢書地理志の「楽浪海中」の倭人の記事があります。


533 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 01:17:55
>>529

>俺と遊びたいのかしらないけど〜w
次は縦目さんに遊んでもらえよ、ちなみに彼は考古学の鬼だけどw(怖いぞ〜w)

全然話の中身を理解出来ない人みたいですね?
私は「昨日の筆法はどうしたのか?」と尋ねているのです。

その問いに対して貴方の返事は

「俺と遊びたいのかしらないけど〜w」

遊びたいなんて誰が言っているのですか?私は昨日中途半端になっている「倭王と筆法」の関係を問うているのです。
はぐらかしたいのか、誤魔化してやり過ごしたいのかは知りませんが
人の言っていることぐらいは最低限理解して下さい。



534 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 01:20:25
>>531
家康曰く 我が祖は清和源氏なり

535 :縦目仮面:2010/01/31(日) 01:25:22
>>530
上に出てきた「夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害」というやつですね。岡田
英弘氏の説では、史記での記述や夏人伝承の分布地などから、また夏人が龍を祖先神と
する事などから、東夷を夏人とし、水上民族であったのではないかとしています。ただ、前
16世紀以前の話で、倭との関係を考えるのはかなり難しいですね。あと、夏については、
後代様々な伝説が付加されてるので、二里頭文化=文献に表れる夏というイメージは持た
ないほうがいいかもしれません。

>>525 すみません。そのとおりです。




536 ::2010/01/31(日) 01:25:54
>>532
>メさんは神武東征をどう考えているのでしょうか?

イワレヒコ東征は弥生中期の出来事と考えてます。
近畿に移ったのはいいんですが、すぐには栄えず、かなりの年月は経過して
首都にふさわしい地域になったのではないでしょうか。
当時は、都は近畿にあるんだけど、まだ九州のが栄えてたようですし。

>景行の九州遠征でも墓参りをした様子も無いし、平安時代にも日向三代の陵は細かく指定されていなかったらしい。

高千穂にあります。
というか、九州へは一時的に居たようで、九州の前は三重、滋賀県とか
静岡らへんにも居たようですし・・・あ、ほつまです。

537 ::2010/01/31(日) 01:30:47
>>535
>16世紀以前の話で、倭との関係を考えるのはかなり難しいですね。

いえ、いえ、そこ(倭伝・倭人伝)に書いてるじゃないですかw

>>533
>全然話の中身を理解出来ない人みたいですね?
>私は「昨日の筆法はどうしたのか?」と尋ねているのです。

答える義務がありません、質問したら全て答えてくれるなんて
甘っちょろいことは考えない方が良いですよ。

538 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2010/01/31(日) 01:34:25
疲れた・・今日は脱落します。
ZZZ・・・

539 ::2010/01/31(日) 01:35:29
ほんじゃ〜自分もw
又明日です〜zzzz

540 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 01:38:17
>>537

>答える義務がありません、質問したら全て答えてくれるなんて
甘っちょろいことは考えない方が良いですよ。

権利ばかり行使して、義務は無視ですか?都合のいいお方だ事

541 :縦目仮面:2010/01/31(日) 01:43:33
倭人伝の記述は、倭人の文身からの連想といった程度という感じですがね・・・。
これは史記にある、

>越王句践。その先は禹の苗裔にして、夏后帝少康の庶子なり。会稽に封じ、以て
  禹の祀まつりを奉守す。文身・断髪し草来を披きて邑とす。・・・

から引いたのでしょうが、中国ではこのあたりの記述の信憑性は疑う説が多いようですね。
ただし、当時会稽で断髪・文身があったのは確かで、「夏后少康之子封於會稽、斷髮文身
以避蛟龍之害」の部分は、倭人伝内で「計其道里當在稽東治之東」と呼応しているのでしょう。


542 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 01:48:13
>>537

>答える義務がありません、質問したら全て答えてくれるなんて
甘っちょろいことは考えない方が良いですよ。

自分で切った手形ぐらい決済してください。
と、言ったところで理解できないでしょうが、自分で蒔いた筆法の種ぐらいは面倒見なさいということですよ
自分で種を蒔きながら、子供が出来たら「はいさようなら」ですか?
「育てる義務はない。」とか言って毎日毎日逃げまどうのでしょうか?
子供が出来たら全部育てる義務はないって
どんな神経しているのでしょうか? 筆法の種を自分が蒔いた事も忘れてしまったのかな?

543 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 01:57:37
メはッ正真正銘の基地外だな

544 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 01:59:30
>>543
悔しいのか?w 


545 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 02:19:58
>>543
ほんの二分弱という速攻で、あっという間に釣れましたな
自分でも気になっていたのでしょう。
>>544の文面が微かに震えているのが見えます。

546 ::2010/01/31(日) 08:20:27
>考古学では弥生時代を前期・中期・後期に分けている。
>この区分の基準は何なのだろう?
>予想としては、社会の様相が異なるのだと思う。
>中期は農耕社会。後期は過渡期。

基本は、縦目さんがどこかで言ってた通り土器編年による区分でしょうね。
しかしこの方は社会面による区分を知りたがってるようで、言うとしたら

・弥生時代前期は「本格的な水稲農耕の開始」
・弥生時代中期は「金属器、ガラス加工の開始」
・弥生時代後期は「鉄器の本格的普及」

でしょね、あ、『奈良文化財研究所 監修「日本の考古学」』からの引用ですが・・・

547 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 08:36:36
規制用スレもたまには読んで下さいね
http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/most/5/l10

>>546

548 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 09:14:55
解析ヒント、とか
「き」の正体デス(⌒ε⌒) だってよw

しかし、まあ彼等はオママゴトみたいなトンデモ暗号解析ゴッコが好きだねw
あの低いレベルにはとてもとてもついて行けないぉwww

さて、悪口いってスッキリしたところで再度寝よっとw

549 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 10:17:07
ここのスレも相変わらずパッとしないね
倭王や詔が筆法だって?
そんな事言ったら全て筆法に見えちゃうぞ

「卑弥呼以死」の“以”は、この一文字で年代を意味する筆法みたいなもんだけどね

550 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 11:20:24
>>508
なんだとぉ〜? オマエは例の半玉か〜?
ふざけるな、古鏡なんか持ち合わせていないぞ。なんでも、そんなことを
すれば違反だっていうじゃないか?

551 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 12:04:26
>>514
幻視? そうじゃぁないですよ。まぁ一緒にしちゃうのも分からんわけ
ではないです。去年ウラゴト(卜事)で材料を集めて挑戦したんですが、
75%の出来で、卑弥呼の完全真影は前段階の鉄人27号の状態で終わりまし
た。今年は(やろうとすれば今からでも若干時間はかかりますが)再度
これに挑むつもりですが、いろいろ別の研究不足を発見し、そちらに精力
を費やしていますのでまだ時間がかかりますな。とりわけ明日明後日に
迫った税金の申告関係で、これが面倒で取り組めません。いろいろ問題
が後から後から出て来てスムーズには参りません。だがなんとかやって
みたいものです。パソコンの腕も写真を入れたり能力がないのでやったこと
がありませんが、覚えれば見せてあげられます。

552 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:23:51
卑弥呼時代の天皇って結局のところ誰なんだ。

553 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 12:27:39
>>552
倍暦計算から

 崇神即位元年=237年=景初元年

ですね。景行の代は卑弥呼の年代ではありません。

554 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 12:27:44
>>552
>卑弥呼時代の天皇って結局のところ誰なんだ。

天皇なんてまだ存在していない。

555 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:46:22
>>554
nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ

君はビビって日本@名無史さん にしかアンカーを付けれないの?
コテハンさんにどうぞ。

556 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 13:16:55
>>555
「君は」まで読んだ。

557 :ローガン:2010/01/31(日) 13:17:38
>>533
>私は昨日中途半端になっている「倭王と筆法」の関係を問うているのです。

倭王と筆法の関係って何でしょうね。私も聞いてみたいw
…使訳時通記述随時豈常也哉。なんで、編者は手元の情報を列記しただけでしょう。

558 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 13:23:17
>>557

私もその「倭王と筆法」の関係を聞きたくて遣って来たのですが


楽しみです。

559 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:25:18
まあ天皇っていうより大王なんだが、神功→応神はその後のトヨになる説があるがどうなんだろう。何故記紀作成者は神功を天皇・大王としなかったんだ。訳わからん。

560 :門前の小僧、お茶を濁す。:2010/01/31(日) 13:32:11
話題を逸らす必死さにワロタwww

561 ::2010/01/31(日) 13:50:58
>>557
>>558
>倭王と筆法の関係って何でしょうね。私も聞いてみたいw

あらあら、もん太君は仕方ないとして(バリアw)、ローガンさんまでそんなこと
言ってたらだめですよw じゃあ〜二人とも、私が講演会しますので、よく聞いてなさいよw

中国や朝鮮半島の古文、古事にはしばしば「倭」や「倭人」、「倭種」、「倭地」
とかが記述されてる。
前漢の劉欣が著した「山海経」(さんがいきょう)、後漢に王充(おうじゅう)の
「論衡」(ろんこう)、それから班固(はんこ)の「漢書地理志」にもこれらの記述がみてとれる。
で、中国史書の中で始めて「倭王」と記述されるのは、みなさん御存じの通り陳寿著の「三国志」ですね。
この三国志の中に倭人の条といわれる部分にその倭王が記載されるんですが、
この倭王というのは「制詔親魏倭王卑彌呼」とあるとおり、卑彌呼さんの肩書なんです。
そして、この卑彌呼さんは景初二年記事以後は「倭王」、「倭女王」とされている。
それ以前は、「王」とか「女王」という表記なんです。

この違いを考えた時、
景初二年記事以前は、「王」とか「女王」。
景初二年記事以後は、「倭王」、「倭女王」と表記されてることに気付かされるはず。
この書き方の違いを「筆法」という言葉で表したということです。

562 ::2010/01/31(日) 13:52:50
>>558
>楽しみです。

君はローガンさんの後ろの影にでも隠れてなさいwww


563 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 14:00:47
何なんだ?この最低レベルのレスは?

564 ::2010/01/31(日) 14:04:45
もん太は、ま〜だ「至と到の違い」とかw「北岸」とかやってんのかw

何年間、古代史やってるんだって思う。
ハンドルネームを変えても「全然進歩」のない奴だな・・・
口を膨らませて〜ローガンさんの後ろの影にでも隠れてなさいよ〜
まったく情けない奴だな・・・

565 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 14:12:54
>>561
自分は説明しているみたいだが、中身を理解していないので、全然説明になっていない事に気付いてください。
「倭王と筆法」の関係ですよ。
肩書の説明ではありません。

566 :ローガン:2010/01/31(日) 14:40:07
>>561
景初二年を境に書き分けたと云う意味のレスだと承知しました。多分、魏略に見えない事が根拠でしょうか。
では、其国本亦以男子為王 の立場は何でしょうね。
さておき 倭女王てのは、陳寿が書き分けたと云うより、資料を写したものでしょう。

567 ::2010/01/31(日) 14:46:24
>>566 ローガンさん
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-02.html

ここ全体を通してよく読みましたか?
魏略から引用したのは確かでしょうが、著者はあくまでも陳寿です。
「其国本亦以男子為王」にしてもその扱いはたんなる「王」と表示されています。
ローガンさんが、倭人伝を読んだことが有るのならそんな質問しないと思うんですが・・・

568 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 14:48:48
メが言ってることは、卑弥呼は倭(日本全体)の王ということであり、
畿内説ということになるが、メって畿内説だった?


569 ::2010/01/31(日) 15:01:39
>ローガンさん
私が上の方にも書きましたけど「日本建国」というのは七世紀終わりなんです。
しかし、列島側の自称といいますか、
日本書紀によるとハツクニシラススメラミコトとあり、
神武天皇、祟神天皇が建国主として表示されています。

で、七世紀終わりに誕生した「日本」ですが、それまでは冊封、近代的にいえば
中国の「植民地」みたいな立場にいたんです。
シンガポールやら台湾やその周辺のアジア諸国にしてもそうですが、
大日本帝国は大東亜連立をかかげ「大東亜戦争」(太平洋戦争)へと発展しますよね。
シンガポールなんかは、イギリスの植民地から解放されて「自立」し
建国にしても植民地時いこうとしているはずです。
日本に関しても、同じようなもので、イギリスではなく中国の植民地だった。

んで、話を戻しますけど、七世紀の日本建国が為されるまでに歴史事件として
重要な箇所はなんどもあるんです。
神武天皇、祟神天皇もそうですし、応神天皇、それから雄略天皇、推古天皇時代も重要でしょう、
しかし、なんといってもソノ大陸側から始めて「倭王」として認められたのが
みなさんも御存じの「卑弥呼」様ですよね。
それが、陳寿著、三国志に表jいされてるというんです。

570 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 15:04:58
>>561を細かく検証してみます。

>この倭王というのは「制詔親魏倭王卑彌呼」とあるとおり、卑彌呼さんの肩書なんです。

つまりここは結論ということですね?
それ以前書かれたメさんの文章では、親魏倭王卑彌呼と倭王を結び付ける論証や史料事実は何も示されていませんので

>そして、この卑彌呼さんは景初二年記事以後は「倭王」、「倭女王」とされている。

これも結論ですね
何も説明されていないのに「倭王」は卑弥呼の事だとしている

>それ以前は、「王」とか「女王」という表記なんです。

なるほど、既にここで主張が破綻しているのですね
何処に「王や女王」が登場しているのか?という疑問が残ります。
書には「倭女王」という記述は存在しても、「王や女王」という記述は一切書かれていません。百歩譲って「倭女王」=女王という事にしても
倭王という文字を見つけることはできません。

>この違いを考えた時、 景初二年記事以前は、「王」とか「女王」。 景初二年記事以後は、「倭王」、「倭女王」と表記されてることに気付かされるはず。

私の結論を言わせてもらえば
貴方が勝手に描いた貴方の妄想の世界の中で全て「卑弥呼」に見えてしまい、筆法という言葉をもって処理したということでですね?

そしてメさんは、自分では説明しているつもりなんだが、細かく中身を覗いてみると
頭に描いた結論を箇条書きで述べているに過ぎなかったということです。



571 ::2010/01/31(日) 15:09:06
>>570
ローガンさんと同様、君も倭人伝をよく読んでから質問しなされ。
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-02.html

チト、昼飯まだなので外食してきます(あとで来る)。

572 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 15:12:54
>>561
メさん。ここをよく見てください。

「正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王」

郡使は倭国に詣で「拜假倭王」なんですよ
もし「倭王=卑弥呼」なら、一体卑弥呼は誰の代理なのです?

親魏倭王という称号まである魏の外臣卑弥呼が代理を務めなければならない 卑弥呼の上位者って
一体だれなのですか?

573 ::2010/01/31(日) 15:18:19
>>572

はじめて「倭王」と記録されたというわたしの>>569をよく読んで下され、
記念するべきはずの初代「倭王」が二人?アホかいwww

では・・・・(あとの後漢書の記録の倭王〜がどうの突っ込み話でw)


574 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 15:24:46
なんで、メは畿内説みたいな話をしてるんだよ?


575 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 15:27:38
>>574
畿内説に転向したらしいぞw

恐らく内側から畿内説を潰そうとする九州説側から送り込まれた自爆テロ要員だともっぱらの噂wwwwwwwwww

576 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 15:37:38
>>573

あそこにはメさんの脳内結論しか書かれていないので、参考にもなりません。
そのことは既に>>572にて私が述べたとおりです。


>では・・・・(あとの後漢書の記録の倭王〜がどうの突っ込み話でw)

関係ない話です。

577 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 15:44:44
>>573

>はじめて「倭王」と記録されたというわたしの>>569をよく読んで下され、
記念するべきはずの初代「倭王」が二人?アホかいwww

だんだん感情的になっていますよ。
「こういうはずではない。」「こうなってほしい」「こうならなければならない」
希望や願望を語らないでください。
一体何を記念するのです?

578 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 15:45:13
>>572
拝仮の意味も知らないのか・・・

579 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 15:49:45
>>574
少しでも風当たりの弱い場所を選んだ、ただの風見鶏だろうよ。

580 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 16:01:22
和楽2010年2月号
殿様が受け継ぐ、天下の茶道具 
<連載>水戸藩開藩400年記念企画 第二回  水戸徳川斎正・眞木画像

「新田」(にった)画像あります
「新田」…茶入「初花」「楢柴」と共に天下の三名物とされ、千利休が天下一と賞した

徳川眞木
「たとえちり紙の欠片のようなものだったとしても、わが家にとっては家康公がご自身で
その瞬間、実際に懐に入れていた紙のほうが大事ということ。それが価値観のすべてなんです」

徳川斎正
「だから展覧会図録の挨拶文にはいつも、ものの美しさより先に、このものを愛でてきた、
使ってきた人たちの思いや行動を想像してみてください、と必ず書くようにしています。
そうでないと、ただの、ものの展覧会になってしまいますから。…」
Download now→50秒後にClick here to start your download
○ http://www.zshare.net/download/71917271be73c258/
○ http://www.zshare.net/download/7191687716a05356/

【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 10
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1263368465/
幸の祖父について疑問。
100年前、屋号、土地、蔵がある家の人間は日本を離れない。
あの時代移民として海外に行くのは、残念ながら水のみ百姓の人達。
http://s04.megalodon.jp/2009-1027-1252-51/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/89-90
後半部分に屋号の話がでてきます (週刊文春2009年10月8日号)
http://s01.megalodon.jp/2009-1027-1249-36/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/37-53

戦前戦後の歴史に詳しい方、ぜひ鳩山幸スレに書き込んでください

581 :ローガン:2010/01/31(日) 16:04:51
>>569
>しかし、なんといってもソノ大陸側から始めて「倭王」として認められたのが
> みなさんも御存じの「卑弥呼」様ですよね。それが、陳寿著、三国志に表jいされてるというんです。

いや、だめですよ。卑弥呼の記事の直前、つまり其国から一女子為王名曰卑弥呼まで一文です。
卑弥呼を共立した其の国とは倭国。以男子為王とは当然、倭国王である。
卑弥呼以前は単なる王で、卑弥呼をもって初めて倭国王であるなどと云う細やかな書き分けまでよむのは読み過ぎでしょう。
上でも書きました。「使訳時通記述随時豈常也哉」 使訳時に通じ事にしたがいて記述す。あに常ならんや…。
私は「手元にある情報をただ書き並べておきました。」 ぐらいに読んでいます。

582 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 16:08:18
>>578
>拝仮の意味も知らないのか・・・

「奉詔書印綬詣倭國拜假倭王」の拝と假は知っていますが



583 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/31(日) 16:21:43
>初代「倭王」が二人?アホかい
倭女王と倭王は、別人。だから二種類の表記となる。


584 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 16:22:44
>>582
で、どう訳しているの?

585 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 16:24:03
>>582

拝=副詞(謹んで)
假=動詞(与える)
倭王=名詞

名詞に謹んで与える。

586 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 16:50:58
>>583

>倭女王と倭王は、別人。だから二種類の表記となる。

はいそうですね
別人でないと、この「奉詔書印綬詣倭國拜假倭王」は成立しません



587 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 19:24:12
>>581
>卑弥呼を共立した其の国とは倭国。以男子為王とは当然、倭国王である

倭人伝の何処にその事がかいてありますか?

588 ::2010/01/31(日) 19:29:32
>>570 nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ

ごめん、君じゃ話にならんわ。。。
私も一から十まで説明するの面倒なんですよ。
それと、君の師匠さんは、「邪馬台国」に関して、私から見てもソコソコ詳しいですよ。
貴方より数段も上というか、師匠さんに教えて貰ったら如何だろうか。


589 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 20:04:02
     ,''"""""'''''';;::、
    iッ' ̄ ̄`゛〈:::::::i
    |⌒  ⌒  |:::::::|           ほほう それでそれで?
    ( .);( . )==-ァ|_t -‐'´, '゛`ヽ、
    { ::..(__:::   ,′) ,r'     i , ,  |
     ; ==‐'  ソニ_/、    !    |
     ! ___/^─'´ \゛、__〉' ⌒|
         |  ヽ、_, -ー" ̄    }
         !, -‐(_____,,,-く
         i       _../   i
         `ー--‐ "´        |


590 :ローガン:2010/01/31(日) 20:06:32
>>587
レス読んで、意味が理解出来ないなら 時間の無駄。
悪いが 君のような人とは話したくない。

591 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 20:54:02
世代の断絶は越え難いようですね。


592 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 21:00:24
>>588

>ごめん、君じゃ話にならんわ。。。
私も一から十まで説明するの面倒なんですよ。

ものは言いようで、話にならないのではなく、話が理解できないと訂正したほうが誤解がないかもしれないね
それに、説明するのが嫌なら
初めから筆法なんて理解していない語句を並べない事だし
こんなところにのこのこ顔を覗かせるもんじゃないよ。
さっさと荷物まとめて退散することだ  それがいい。

593 ::2010/01/31(日) 21:03:35
>>590 ローガンさん

587は私じゃないけど・・・587の言ってることは分かる。
私達の目線で言えば「倭国王」でしょうが、
著者の陳寿氏はそのような表示はしていませんね。
よって、倭人伝をよく読んだら「倭国王」とは言えないということになります。

594 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 21:08:51
>>588
ほら、君の証言を探し出してきたぞ。もう一度確認するんだな。
誰が筆法なんて言い出したか。


378 :改め ◆PWTcGEfp1s :2010/01/29(金) 23:06:35
>>376
そう思うでしょ。
わたしもですね、卑弥呼以外の人物で考えたりもしたんですが
倭人伝の記述全体をとおして読むとですね、景初二年記事の「親魏倭王」詔までを
「女王」とか「卑彌呼」、詔以降を「倭王」としてるんです。
これは一種の『筆法』なんですが、こうして陳寿さんは、かき分けてることが分かるんです。


595 :ローガン:2010/01/31(日) 21:17:16
>>593
>倭人伝をよく読んだら「倭国王」とは言えないということになります。

そうですか…良ければ、その理由を教えてくれませんか? 倭人伝、読んだつもりなんですが。どうもわからない。


596 :ローガン:2010/01/31(日) 21:36:50
>>593
あ、ごめんなさい。理解出来ました。

> 私達の目線で言えば「倭国王」でしょうが、著者の陳寿氏はそのような表示はしていませんね。
> よって、倭人伝をよく読んだら「倭国王」とは言えないということになります。

循環論法です。


597 ::2010/01/31(日) 21:43:24
>>595
あれあれ?ローガンさんともあろうお方が・・・・

「倭王」というのはですね、皇帝に認められない限り「倭王」ではありませんよ。

『宋書倭國伝』
竊自假開府義同三司其餘咸假授以勸忠節

竊かに自ら開府義同三司を假し、其の餘は咸な假授して、以って忠節を勸む。

宋書の上表なんですが、ヤマト王権は反抗をみせる場面です。
このように、何にしても皇帝の「許可」が必要であった。

そして、『其年十二月、詔書報倭女王曰 制詔親魏「倭王」卑彌呼』
まずは、「倭王」というのは、卑彌呼さんですよね。

更立「男王」國中不服更相誅殺當時殺千餘人

「壹與」遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還

「男王」にしても「壹與」にしても『倭王』ではありませんよね?ここまでいいでしょうか?

598 ::2010/01/31(日) 21:53:38
ローガンさん

「男王」、「壹與」、其國本亦以男子為「王」、自為「王」以來

これらは単なる列島の「王」ですよね?

制詔親魏「倭王」卑彌呼

皇帝から認められた「倭王」ですよね?だんだん理解出来て来ましたか?

599 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:06:37
倭国の王が倭王だよ。壹與がどこの王だというのかな?

600 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 22:09:42
>>598
>制詔親魏「倭王」卑彌呼

皇帝から認められた「倭王」ですよね?だんだん理解出来て来ましたか?

横から失礼します。
すると、倭國女王俾彌呼遣使奉獻と、ここに書かれている俾彌呼は
皇帝から認められている卑弥呼とは別人ということでよろしいですね

601 ::2010/01/31(日) 22:13:49
だれか〜>>599さんと>>600さんに「邪馬台国」を教えてやって〜

太国さん、縦目さん 宜しく!


602 ::2010/01/31(日) 22:24:30
>循環論法

一生懸命、この意味調べてたw(難しい単語を使いますね、おれだけかw)
http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&dtype=2&p=%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%AB%96%E6%B3%95
めんどくさいので「倭国王」を使ってというのならいいんですが、景初二年前は違うという事です。


603 :縦目仮面:2010/01/31(日) 22:27:00
>>601
今、ドンと来いにいるんで、自分で戦ってくださいね。


604 ::2010/01/31(日) 22:31:11
>>599
>>600
しょーがないな・・・答えるの面倒なので
何度も、何度も質問してばかりではなく、今度からは一度きりにして下さいね。

>>599
>倭国の王が倭王だよ。壹與がどこの王だというのかな?

早い話、暫定王だね〜

>>600
>すると、倭國女王俾彌呼遣使奉獻と、ここに書かれている俾彌呼は
>皇帝から認められている卑弥呼とは別人ということでよろしいですね

別人とは誰も言ってないでしょう。

605 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:35:28
>早い話、暫定王だね〜
魏が認めた王と認めない王(自称の王かな)がいるというのはいいんだよ。
そのいずれにしろ、倭国の王は倭王だということさ。倭女王といったところ
で倭国の女の王というだけのことだ。


606 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 22:36:33
制詔親魏「倭王」卑彌呼が皇帝から認められたということで「倭王」
だったら
まだ認められていない景初二年六月の記事に「倭女王」を使用するのは違反ですよね
皇帝に認められた「倭王」を使うなら、「倭女王」と区別するために
当然、親魏はともかく「倭王卑弥呼」と使用してくるのが筋です。
景初二年六月には(卑弥呼)は認められていませんから。 (卑弥呼)という名称こそ
景初二年十二月に初めて皇帝から認められた、他と区別するための名称です。
だからこれ以降(卑弥呼)の名称が記事から外されることがないのです。

607 ::2010/01/31(日) 22:38:54
>>605
いや、卑弥呼=倭王であり、倭女王です。

倭王と倭女王の違いに関しては、ローガンさんが上でレスしたようなのでしょう。


608 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 22:39:38
改めどの
貴殿は畿内説なんでしょう? w

609 ::2010/01/31(日) 22:42:48
>>608 太国どの
そうです。

>>606
しかし景初二年から認められています。


610 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 22:43:03
正始元年と四年の記事だけ卑弥呼の名称が外されているのを貴方は筆法と解釈した。
だったらその外された理由をここで述べるのが筋でしょう。
その外された理由を述べてから(理由に関する正誤は関係ない)、初めてそこで「筆法」
という単語が使用できるのです。
その先に述べなければならない説明をおざなりにし、「筆法」で片付けようとしたところに
そもそもの間違いがあるのです。

611 ::2010/01/31(日) 22:46:35
>>610
だから、ろくに倭人伝も読んだ事ないのに「筆法」なんて語るなつーの。
私がいくら説明しても分かるはずないじゃないか。

612 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:51:04
>>607
私の書き方が誤解されたのかな?
卑弥呼=倭王であり、倭女王だということはいいんだよ。
ローガンの説明は、其の国を倭国とするところは、私は女王国だと思うよ。
そのほかは同意するね。



613 ::2010/01/31(日) 22:55:09
>>612
其の国というのは「列島」のことですよ。


614 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 22:59:23
>>611

>だから、ろくに倭人伝も読んだ事ないのに

全て暗記していますよ

>「筆法」なんて語るなつーの。

それを言われているのが貴方なんですよ(自覚してください)

>私がいくら説明しても分かるはずないじゃないか。

だから言ってるでしょ
貴方が説明と称しているのは、一般では説明と言わないのです。
早い話、頭の中に描いた結果だけを述べた箇条書きだって
つまり、貴方の「説明」と、一般が認識している説明には大きな隔たりがあるのです。


615 :ローガン:2010/01/31(日) 23:00:58
ははあ。改め説「筆法」の根拠はこれかな。
漢光武帝八年高句麗王遣使朝貢始見稱王
概ね理解出来た気が。いや、お恥ずかしい事で。

616 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/01/31(日) 23:03:48
>>609

>しかし景初二年から認められています。

それは詭弁です。
景初二年と六月と十二月を 景初二年と拡大して同一ですか?


617 :縦目仮面:2010/01/31(日) 23:04:59
いや、よくわからない流れですが、「筆法」といっちゃうと陳寿の卑弥呼に対する人物評価
や事績に対する正邪の判断のようなものが入ってくると受け取る人もいるんでしょう。
しかし、それはないと思います。ローガンさんの説でいいと思いますけどね。

618 ::2010/01/31(日) 23:20:29
唐松山さんに後は任せたw

615のローガンさんが理解してくれたようで、私としては満足ですw(^-^)
では、今夜はおちますね、SEE YOU AGAIN~~ zzzz


619 :ところで・・・:2010/01/31(日) 23:22:13
>◆EY2wfgakAQ

これってキー解読されちゃってるのか?w



620 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/31(日) 23:29:25
>卑弥呼を共立した其の国とは倭国。以男子為王とは当然、倭国王である

間違いがある。卑弥呼を共立した其の国とは倭国。以男子為王とは当然、倭王の称号は使えない。
後に男王と呼ばれる。
倭女王と男王は、一体であるが、倭王は別人。



621 :日本@名無史さん:2010/01/31(日) 23:30:39
>>619
河童さん本人で、nebbia_18はyahoo知恵袋IDですよ。

622 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:05:04
やっぱり河童か。道里でわけが分からんことをいうと思った。

623 :nebbia_18 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 00:18:47
倭女王と書かれるのは、その対に男王の存在があるからです。
名称は区別するために存在します。
この世の中に男しか存在しないなら、男という文字は存在せず
女だけしか存在しないなら女と言う文字は存在しません。

女王と書かれるのは、その対に男王の影があるからです。


624 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:32:56
>>623
河童なら紛らわしいからコテ戻せよ。

625 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:34:47
>>624
彼は河童じゃない。
ネビアさんだ、それでいいじゃないか。


626 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:40:36
>>625
でもネビアさんはヤホーではもっと真面目に解答していますよ。

627 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 00:54:17
>>626
おいおい。
私は区別なく、ここでも真面目に受けてるよ


>>624
これでいいかい?あのハンドル何となく気に入っていたから定着させよう
と思ったんだが

628 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 11:25:59
これは酷いwwww

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1435522274
>何らかのモトから発生した広がり全体を“みな”と言います。
>沢山枝分かれしたモトを(ミナモト)と言うし
>舟が一カ所から様々に出航した場所を(ミナト)と、言うのです。



629 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 12:28:34
>>628
わざわざの紹介乙です。

あそこに書かなかった事を追記しておくと

「み」=目的語
「な」=述語

630 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 12:41:33
>>629訂正。

「み」=主語
「な」=述語

でした。 訂正します。

631 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 13:04:56
>>628は・・君かな?

>酷い

酷いなんて言っても、君にはどうして「皆」を(みな)と言うか
説明出来ないだろう。(笑)
それとも説明できるかな?

632 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 17:32:02
>>629-631

これは酷いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




633 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 18:13:53
>>628

まず、「みなもと」「みなと」の「み」は「水」以外にありえない。
みなもと=水の元=水源
みなと=水の出入り口=港
「みな〜」で辞書を引けば、多くの意味は「水」と関係する言葉ばかり。

さて、「皆」の語源であるが、これは水とは関係なさそう。
そこで、「み」が○○という意味で、「な」が××という意味だ、という説明をすることは簡単だが、
それを河童君は受け入れないだろう。
どうしても説明しろ言うなら、説明してもいいが、河童君から反論されてもスルーします。
相手するのは時間の無駄だし、本当の語源がどうなのかなんて、簡単にわかるものじゃない。
あくまで、個人的な解釈の範囲でしか説明はできない。
ただ、河童訓の解釈は酷すぎるというだけ。


皆(みな)の語源であるが、これは「実る(みのる)」=「実が成る」ということ。
この場合の「み」は水ではなく、「実・身」ということになる。
「みなり」は、「ひととなり」=「一人前の立派な人」と同じ意味。
「水」も「実・身」も、、根源的には「霊(み)」や「もののけ」の「も」に通じる言葉。
皆(みな)が転じて「者・物(もの)」という意味にもなる。
「皆」には、もともと「複数の人」の意味は無かったはず。
「実り」が、「多く」の「熟した実」を意味することから、「皆」も「多く」の「人間」を意味するようになった。



634 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 19:52:01
>>633

>どうしても説明しろ言うなら、説明してもいいが

誰もあんたに説明しろといってないし、でも説明したかったんだろう。

>どうしても説明しろ言うなら、説明してもいいが、河童君から反論されてもスルーします

反論する気にもならないほどありきたりな説明だから、心配しなくても大丈夫
わたしの想定内の出来事です。



★今日のお昼過ぎから携帯規制です。(ドコモ、au、ソフトバンク)
ドコモとauは二回目だから、もしかしたら3カ月規制か永久?
ソフトバンクは1カ月かな?



635 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 20:15:53
皆・・・みな、もん太 ww(人は皆、もん太のような属性をどこかに隠している)

636 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 21:05:29
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1236116277
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1036118740
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1336118058
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1236120317
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436117729
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436121809

これは酷い。これは酷い。これは酷い。酷過ぎる。
こんな出鱈目な解答を世に晒してもいいのか?

637 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/01(月) 21:11:29
>>636みたいなレスはご遠慮してくださいね >>632さん>>628さん

先に自分でやっておきましたので今後はそっとしておいて下さい。お願いします。


638 :日本@名無史さん:2010/02/01(月) 22:41:45
規制スレへ
http://www1.atchs.jp/most/



639 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 04:47:56
>>637

コテハンで発言したことについては責任持てよ。

640 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 11:32:08
>>631
説明できたら正しいというなら、
四億円原資の説明をした小沢発言は、
政治献金という説明も、父親の遺産という説明も、家族名義の貯金を引き出したという説明も、
説明出来ているのだから、どれも正しいということになる。

説明さえできれば、説の正しさが証明されるとでも思ってるのか?

641 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/02(火) 16:59:25
>>640

nnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnn?

>説明さえできれば、説の正しさが証明されるとでも思ってるのか?

誰が何時「正しい」とか「証明」とかいったんだ?
頭の中でそうきめちゃったか?  まずいなそれは。

で、小沢がどうしたって? 逮捕でもされたか? 任意で行われた参考人質疑の検事調書でも公開されたか?
たかだか週刊誌のゴシップやマスゴミの報道だけ頼りに
人の正否を判断したり材料にしたりするもんじゃないよ
それともそういう探偵ごっこでも流行っているのかな?  俺は松田優作だ! 私は薬師丸ひろ子ね! なんて

642 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 17:49:05
「みな」が主語+述語ねえ…

そう言えば昔、秋田出身の奴に方言として

「かっけ」で「これ食うか?」の意味だって聞いた事があったのを思い出したwwwwwwwwww
(なにぶん昔の記憶でうろ思えなんで間違ってたらすまんw)

「みな」は「みんな」と間に「ん」がは入ったりするんで
そこら辺がヒントになるような気もするが…

まあ、ネットは大概の事はタダで(ネット環境の維持費は別にして)色んな情報を入手できるが
タダより高いものは無いと言う事だなw
俺も気をつけようwwwwwwwww

643 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 19:32:09
>>641
>誰が何時「正しい」とか「証明」とかいったんだ?

じゃあ、なんで

>酷いなんて言っても、君にはどうして「皆」を(みな)と言うか
>説明出来ないだろう。(笑)
>それとも説明できるかな?

こんなこと書いたの?証明できなくても、正しくなくても、とにかく説明できれば偉いの?

>で、小沢がどうしたって? 逮捕でもされたか? 任意で行われた参考人質疑の検事調書でも公開されたか?

逮捕するかどうかは検事総長の判断だろ。そんなもの、オレはしらん。
しかし、
「父親は遺産を残さなかった」「父親の遺産で土地を買った」「政治献金で土地を買った」「家族の貯金を引き出して土地を買った」
これは小沢自身が言ったことで、一人の人間の発言として、全部が正しい可能性は零。
それとも、嘘でも何でも、説明したら偉いのか?

644 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/02(火) 21:44:18
>>643

>じゃあ、なんで

じゃあなんで?じゃないだろう。 人の主張に対して「酷い」と評価したから,
そう評価した相手にたいして>>631のレスを入れたんだよ
とうぜんだろう。
主張に対する判断が「酷い」という判断だよ。
「酷い」と判断できるということは、私とは違った自分の考えというものがあるからこそ
その自分の考えに照らし合わせると「酷い」と判断せざる負えないから「酷い」の表現がレスに現れるんだよ
だから私は、その判断材料となったものを披露しろと言ったんだよ。
至極当然の要求だろう?

だから、正しいとか正しくないなんて全く関係のない話なわけだ。   そのくらい理解できるよね?
それとも、なんの考えもなく他人に対し「酷いと」発言したのか? もしそうだったら、それこそ本当のアホだ

「酷い」と判断できる人は、>>633のようにちゃんと自分の考えというものをもって、自分の考えに照らし合わせてから比較評価するもんだよ。


>偉いの?

君の「偉い」というものが分からないので、なんとも答えようがない。
「偉い」と判断するにはある基準を設けて、その水準を上回れば偉いと判断しているという
君の基準がわからないと  誰も君の疑問んに答えてあげることは出来ないんだ
それに、偉いとか偉くないかなんて言う評価は
第三者評価するもので、本人には判断できないから

645 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 21:50:51
「みな」は「御名」、それほど古い言葉でもない。

646 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 21:58:31
>>641
>それともそういう探偵ごっこでも流行っているのかな?  俺は松田優作だ! 私は薬師丸ひろ子ね! なんて

えっ?!河童虫さんて女性だったのですか?
それとも、しらなかったのは俺だけ?

647 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/02(火) 22:19:15
>>642

>「みな」は「みんな」と間に「ん」がは入ったりするんで

「みんな」は「みむな」の転訛 「み・無・な」

648 :縦目仮面:2010/02/02(火) 23:10:39
言語スレと化してきてるな。ww
「みなもと」はどう考えても、上で出てきた「水の元」じゃないのかな?
「皆」は、家にある日本国語大辞典(小学館)の語源説によれば、

>@ミナミ(見並)の略 <大言海>
  Aミナミ(満並)の略 <大言海>
Bミナ(見何)の義 <言元梯>
C満足の意で、ミチヌヤの反 <名語記>
D充つる意 <国語の語根とその分類=大島正健>
  Eミナル(身成)の義 <和訓栞・言語の根しらべ=鈴江潔子>
  Fミノア(身顕)の義 <国語本義>

・・・・・・何だこれは?これはわからんと言ってるのと同じではないのか?www
「並」は「並む」という動詞の名詞化だろうから、「見並」で「見えるところに並ぶもの」といった
意味なんだろうか?言語はムズカシ。




649 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/02(火) 23:30:28
>>643
小沢は不起訴だってよ。(TVニュース速報から)

>>648 縦目さん。

>言語はムズカシ

辞書を見過ぎると尚更ムズクなるよ。辞書はみんな中途半端なところで妥協しているから

650 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/02(火) 23:42:25
>>648

>「みなもと」はどう考えても、上で出てきた「水の元」じゃないのかな?

そうだよ。
誰か違うこと言ってた?  水の元を(みなもと)と言うんだよ  

ある点から噴き出した水は、やがてとてつもない広さにひろがる。  所謂(ミナ)
その(ミナ)という言葉に、「水」という漢字をあてた。

だから(水の元)をミナモトという。


651 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/02(火) 23:50:54
もしかしたら、私が「皆」の話をしているときに(水の元)(源)の話を出したから

ミナモトの(ミナ)を皆元と思ったのかな?
それは誤解だよ 

私が言っているのは「ミナ」の話で、皆や水という漢字の話ではない。
皆の(ミナ)と水の(ミナ)は同じだと言っているの

皆の(ミナ)
港の(ミナ)
源の(ミナ)
水の(ミナ)
これら日本語(ミナ)はみんな意味(河童語で言意)は同じ

橋のハシ、箸のハシ 端のハシ  これらもみんな同じ意味だよ

652 :縦目仮面:2010/02/02(火) 23:53:53
>>650
>誰か違うこと言ってた? 

あ、そうでしたか。ヤフーは見てないもので。「皆」というのは、「居合わすすべての人」と
いう意味もあるようですが、これは古代の集落で、河童さんのような語り部が、人を集め
て見回して、「皆」(見並)といって話を始める・・・なんかありそうですねえ。

653 :日本@名無史さん:2010/02/02(火) 23:54:07
どうでもいいわwww

654 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 00:00:30
ミナ”ト”  ミナ”モト” は主語+述語に何が続いてるんだ?w

主語+述語+句読点とか?wwwwwwwwwwwwwwww



655 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 00:03:16
ミナという言葉は「水」という文字だけにあてられたわけではない。
「水」と言うのは日本語の(ミナ)が用いられたほんの一文字にしかすぎない。

だから、ミナという言葉がどんな漢字にあてられたかを調べ、それらの全てに共通するものを探し出せば
取りあえずは大ざっぱながら 日本語の(ミナ)の意味が見えてくる。
それが最初の一歩かな?  これはほんの下準備にしか過ぎないけど

656 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 00:06:34
>>654
興味があったら自分で探しなよ。 布団に入ると頭の中に ミナが沢山映るから(楽しいよ(笑)寝不足になるけど)

657 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 00:14:07
>>656

悪い、俺はテレパシストじゃない、もしくは特殊な電波キャッチするアンテナ持ってないから

その言意学とやらを理解するのは無理wwwwwwwwwwww






658 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 00:37:26
>>657
無理にはすすめません。

 ただ、今までの GコードをG7 に思考転換するだけですよ

659 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 02:56:16
>>655
港のミナが、水のミナと同じなら舟は関係なかろう。
それに、水に当てられたのはミであって、ミナではなかろう。

660 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 05:10:35
なんで河童は「ミナ」でひとくくりにするんだよ。

「ミ」=水(名詞)
「ナ」=の(助詞)

だろ。



661 :水銀厨 :2010/02/03(水) 11:38:08
河童さんは丹と舟が酷似している点は
どう判断してるのでしょうか?

662 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 14:45:37
>>661 遅くなりました。(なにぶん携帯寄生虫で、昼間の書き込みが出来ないもので)

「舟と丹」でしたよね。
これは私も以前追求したことがあったんですが、収穫ゼロでした
舟=木 から  丹=井からと まるで出所が違うところから作成されているんですよ


折角のお近づきの記しに、「舟」に関するネタを落として行きます。

倭人伝に「・・・周旋可五千餘里」という記事が掲載されていますよね
ここで書かれている「周」という文字を
単純に(めぐる・まわる・一周)なんて考えていたのでは、一生意味は分からないということ
ここでの「周」は

「舟が旋ずる」と読むのです。

(釈名)に こんな解説がされています。

「船を舟  舟は周である」と   そう、旋するのは舟だということです。

663 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 14:54:37
>>659

港(ミナト)のミナと水は関係ありません。  港という日本語に「港や湊」の漢字を
あてただけです。
成田にあるのは水道水か雨水ぐらいでしょうから


>>600

「の」は助詞だから、無視してもいいでしょう。「ミナ」という言葉の構成が
主語と述語の関係にあるのです。

「ミナ」=(ミ)が(ナる)

ミ(実)は個体ですが、(ナ)をミに付加し、一つの言葉になると 
個体である(実)が広がりをもって、たわわに成るさまを表現しています。
だから(ミナ)    

因みに  「ナ」=形成   (なる)という動詞です。

664 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 14:55:11
>>661
ちゃんと漢和辞典くらい読めよ

665 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 15:02:13
>>659

追記すると  港(ミナト)というのは 最後に「ト」が付加されているように
あの海の部分の事ではなく、土地の部分を「港」というのです。

だから「ミナ・ト(土)」   「ト」はそのほかにも「都」という文字にもあてられています。

666 :水銀厨 :2010/02/03(水) 15:03:15
>>662
ありがとうございます。
私も色々調べたのですがやはり?でした。
水銀厨としては丹を運ぶ人と関係あるのかなと
興味を持ちましたが。

>>664
それで納得すりゃこんな質問しませんw

667 :縦目仮面:2010/02/03(水) 19:51:48
>>660
俺はこの660説(というほどのもんでもないだろうが)に一票。「みな」は「水の」の転訛
じゃないのかなあ。水「みず」が「み」になる例としては、「垂水」「出水」「澪」「水漬く」など
いくらでもあって、水底は「水の底」、港は「水門(みなと)」で「水の門」というのが通常の
解釈だと思う。まあ、河童さんは飽き足らないだろうけど。

668 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 20:52:11
>>667
そうでしょうね。「の」を挟まない言い方が「みと」で、「の」を挟めば「みのと」。
口角を横に引いて「み」と発音した口の形のまま「の」と発音すれば、「な」に聞こえます。
だから「みのと」は「みなと」に変化したんでしょう。
「まなざし」でも同じでしょう。
「ま」と発音した口の幅を変えずに「の」と発音すれば「な」に聞こえます。
「まなざし」は「まのさし」でしょう。

669 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 21:19:42
源とは、嵯峨天皇の子孫を期限とする天皇の男系親族集団。
嵯峨天皇といえば、49名の皇子皇女がいたことで有名。
その子供をすべて皇子とすると天皇家の財政が破たんしてしまうため、
源氏という姓を与えて臣下に下ったのです。
そもそも、天皇家とは好色家で子孫を増やすことによって支配領域を増やしていったので、
その後も好色な天皇はすべての皇子を皇族にとどめることができず源氏として地方に赴任させたことで勢力を拡大してきた。
神武天皇から数えると天皇の子孫は日本の人口の半分くらいになるのではないかと推定されます。

源氏の子孫である徳川家斉も好色家で40人の妾と55人の子供がいたというし、
天皇家とは、後漢の中山王劉勝の血を引く王が日本に渡ってきたことを示します。

670 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 21:45:37
ミノからミナには転訛しませんよ。 可能性があるのはミナホ
ミノからミナホならOKです。というより、それじゃ先祖返りだけど


http://images.google.co.jp/images?hl=ja&source=hp&q=%E8%93%91&lr=&rlz=1R2ADFA_jaJP363&oq=&um=1&ie=UTF-8&ei=vW5pS8SEIoyA7QOmuITCBg&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCIQsAQwAw

箕(み・みの)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95

これは「水」とどう結び付けるの?

671 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 21:52:19
>>668

>「ま」と発音した口の幅を変えずに「の」と発音すれば「な」に聞こえます。

なぜ、口の幅を変えずに「の」と発声しなければならないの?
それに、
「Ma」の発声から口の形を変えずに「ナ行」の音を出せば 当然出てくる音は
同じ母音(a)の「ナ Na」ですよ
 

672 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 22:06:45
>>670
水面には「みなも」「みのも」両方の読みがあります。
広辞苑では、「みのも」に「水の面」の字を当てております。
ちなみに、散木集の「濁りなき水の面に月の宿らずは」というのが引かれています。

673 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 22:38:34
>>672

「水面」は(スイメン)で、漢語です。

そして、読みが(みなも)(みのも)ではなく、水面の意味が(みなも)(みのも)ですよ



674 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 23:01:45
               ,..--‐‐‐‐‐‐‐‐---..  
             /) ::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)  
      *    ///)/        ヽヽ   
          /,.=゛''"/:ヽ  ........    ...... |:| +
   /     i f ,.r='"-‐'つ    、  ,   ||  
  /      /   _,.-‐'~;;|  fエ:エi.  fエエ) | 
    /   ,i   ,二ニ⊃  'ー-‐'  ヽ ー'│  細けぇ事はいいんだよ!!(笑)
   /    ノ    il゛フ     ~~/(_,、_,)ヽ~~│ 
      ,イ「ト、  ,!,! |    /       │  + 
*    / iトヾヽ_/ィ_/|ヽ.    !ー―‐r   │  
    r;  !\ヽi._jl:::::::::ヽヽ     `ー--'  /
    ∧l   \゙7'゙ .j:::::::::::ヽ \  ___/:::::\ 
    _|\∧∧∧MMMM∧∧∧/|_


675 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 23:12:19
>>673
漢語である「水面」と、倭語である「みなも」「みのも」が
「みなも」=「水面」=「みのも」の関係にある。
つまり「みなも」=「みのも」

676 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 23:22:41
>>675

>つまり「みなも」=「みのも」

じゃあ


http://images.google.co.jp/images?hl=ja&source=hp&q=%E8%93%91&lr=&rlz=1R2ADFA_jaJP363&oq=&um=1&ie=UTF-8&ei=vW5pS8SEIoyA7QOmuITCBg&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CCIQsAQwAw

この(みの)は(みな)と言うの?

677 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 23:24:40
>>676
「蓑」に「みな」という音を当てる例があるの?

678 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 23:26:22
>>676

だからね、この「みのも」というのは、「みのも」じゃなくて「みなほも」と言うんだよ

679 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/03(水) 23:28:33
>>677

>「蓑」に「みな」という音を当てる例があるの?

だからそれを>>675に聞いてるの。
>>675

みなも=みのも と言っているんだから

680 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 23:33:53
源とは水原、つまり葦原中津国のことだった。

681 :日本@名無史さん:2010/02/03(水) 23:43:39
>>679
ああ、そういうこと。
「みのも」=水面=「みなも」は事実。
「みの」=蓑≠「みな」も事実。

つまり、「みのも」=水面のばあいの「の」と、「みの」=蓑の場合の「の」は別物。
これは、事実から導き出された結論。

前者は「な」に転訛しうる「の」。後者は「な」に転訛しえない「の」。
ここまでは、まちがいない。

それで、前者は格助詞の「の」。後者は何の「の」か不明。

以下、推論。
もしかしたら、蓑は、なにかの転訛したものかもしれない。
たとえば、雨に関係するので、「水(み)+X」 が転訛して「みの」。
Xの候補としては、たとえば「担う」の「なう」とか「衲」とか。
あるいは、水とは無関係かもしれない。

682 :縦目仮面:2010/02/03(水) 23:51:05
俺の強い味方である ww 日本国語大辞典の語源説によれば、蓑(みの)の語源は、
身担(みに、みになふ)「国語の語根とその分類=大島正健」 、身成(みなる)「和訓栞
・言語の根しらべ=鈴江潔子」 、 あるいは 身覆(みおほ)の転訛とあって、これはけっ
こうどれもありそうな気がしますね。結局「水(み)」「身」「実」などは、同音の別の和語
ということなのではないですか。


683 :縦目仮面:2010/02/04(木) 00:05:08
あと、これ以上遡って「水」と「身」の違いなどを調べるのは難しそうですが、
いちおう「み」にあたる上代万葉仮名を見ると、特殊仮名遣いの甲乙2種の
別があるようですね。

甲類は四段活用動詞の連用語尾(編み、摘み等)御、水、宮、海、三など。
乙類は助詞「のみ」 身、実、神など。この両者は明らかに書き分けられてい
て、これは音韻上の違いがあったということ。有力説としては、乙類の母音が
中舌的な性質を持つとする性質。つまり、上代では「水」と「蓑」では発音の
異なる別の「み」であったということです。

684 :縦目仮面:2010/02/04(木) 00:10:27
× 中舌的な性質を持つとする性質   ○ 中舌的な性質を持つとする説

この甲乙2種の書き分けは、「き」「ひ」にもあって、やはり同じ音韻上の別が
あったと見られます。

685 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 00:11:02
>>681

>つまり、「みのも」=水面のばあいの「の」と、「みの」=蓑の場合の「の」は別物。
これは、事実から導き出された結論

はい。これは同意します。


>後者は「な」に転訛しえない「の」。

はい、これも同意します。

>前者は「な」に転訛しうる「の」

これはありえません。
母音(a)と(o)は根本的に別物ですから。
転訛しうるのは、 (ナホ)から(ノ)へ

それに、「の」から「な」に転訛出来るのなら、 助詞の「の」と「な」は同じ働きということになりますよ

686 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 00:14:59
>>683

その違いをどう表記して後世に伝えますか?「み」の 乙と甲を

687 :縦目仮面:2010/02/04(木) 00:22:14
甲類を表す万葉仮名としては「美、彌」、乙類は「未、味」など。けっこうはっきり
書き分けられていますね。あとは変体仮名を読めるようになれば、万葉仮名の
古文書を読めるんでしょうが、道は遠そうです。ww

688 :縦目仮面:2010/02/04(木) 00:47:06
つまり、「日」と「火」との書き分けなどについても、太陽は火の玉なのだからもともと
は同じものだったなどという説もありましたが、上代特殊仮名遣で「日」が甲類に、
「火」が乙類に分類されることがわかった時点で成り立たなくなった、というようなもの
です。ま、これは異説もあるんですが、

>エ、キ、ケ、コ、ソ、ト、ヌ、ヒ、ヘ、ミ、メ、ヨ、ロ
  この13種について「キ」もキと読む万葉仮名のたくさんのものが二つの類に分れ
ておって、同じ類に属する万葉仮名はどれも同様に用いられるが、違った種類に属
するものは決して同じには用いられないのであります。例えば「雪(ユキ)」のキには
「伎」「企」「枳」などのどれを使ってもよく、「月(ツキ)」のキには「紀」「奇」などどれを
使ってもよい。しかし「月(ツキ)」のキには「伎」「企」「枳」などは用いず、「雪(ユキ)」
のキには「紀」「奇」などは用いないというように、きっぱり二つの類に分れている。
 「古代国語の音韻に就いて」橋本進吉


689 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 02:47:27
>>685
>母音(a)と(o)は根本的に別物ですから。
>転訛しうるのは、 (ナホ)から(ノ)へ

ここが誤解のもとですね。
転訛といっても、「の」と発音している口を、「な」の形に変えるのじゃないと思いますよ。
「み」つまり「i」と発音している口から、「な」と発音するようになるということじゃないですか。
「みのも」の母音は「 i → o → o 」。
「みなも」の母音は「 i → a → o 」。
「イオオ」と「イアオ」と、どちらが発音しやすいか、日本人なら発音してみればすぐわかるはず。
「ア」の口幅は、「イ」の口幅と同じで、「イ」から「オ」に変化する途中の形。
そこに「ノ」の子音「n」が付けば「ナ」になります。
>母音(a)と(o)は根本的に別物ですから。
という批判はあたりません。

690 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 16:52:37
>>688 縦目さん

その「雪」と「月」の音韻の区別は、音韻ではなく
「雪」=(ユキ)

「月」=(ツ・キ) つまりこの「キ」は動詞の連用からの名詞化
ツク という動詞が静止することで名詞化されたもの

そういう区別がいつの間にか音韻と言う形で紹介されたのでは?

691 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 17:02:37
>>689

>転訛といっても、「の」と発音している口を、「な」の形に変えるのじゃないと思いますよ。
「み」つまり「i」と発音している口から、「な」と発音するようになるということじゃないですか。
「みのも」の母音は「 i → o → o 」。
「みなも」の母音は「 i → a → o 」。
「イオオ」と「イアオ」と、どちらが発音しやすいか、日本人なら発音してみればすぐわかるはず。
「ア」の口幅は、「イ」の口幅と同じで、「イ」から「オ」に変化する途中の形。


それが母音だけの移行ならわかるけれども
実際は

「みのも」の母音は「 i → o → o 」。
「みなも」の母音は「 i → a → o 」。の間には N子音、M子音が間に入るんですよ

692 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 17:29:22
(みな)を表現すると、漢字の「水」で表す事ができる。

「ミ」は、「ミナ」の名詞形=漢字「水」に用いる事ができる。
「ミノモ」の「ノ」は助詞

「(ミ)の(モ)」

「ミナモ」は(みな・も)で「ミナ」の(ナ)=動詞

ミナは、ミネ、ミノの連用です。 ただしこのミノは(水の面)の(みの)とは違います。

693 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 18:57:55
【速報】石垣島で2万年前の人骨発見=直接の年代測定で日本最古

沖縄県石垣市の石垣島の洞穴から見つかった人骨について、
骨からコラーゲンを抽出して放射性炭素に基づく年代測定を行ったところ、
旧石器時代の約2万年前と推定される頭骨が含まれていたことが4日、分かった。
同県や琉球大、東京大などの研究チームによる成果で、年代を直接測定できた人骨では日本最古。
日本人の起源を探る上で重要な手掛かりになると期待される。
古い人骨や化石の年代は、発見された地層から間接的に推定されることが多い。
国内でこれまで、直接測定で最も古かった人骨は、静岡県浜北市(現浜松市)で1960年代に見つかった約1万4000年前のものだった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000090-jij-soci 


694 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 19:05:20
ミナモ?

自分のSubハンを宣伝してどうするw


695 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 19:06:24
ミナモじゃなくって
ミノモだったw


696 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 20:49:26
御諸山=三輪山


697 :縦目仮面:2010/02/04(木) 21:10:44
>>690
奈良時代以前の甲類と乙類の万葉仮名の書き分けは、上代においては母音がアイウエオ
の5音の他にイエオのみ甲乙の2種類に分かれ、8母音であったことから生じたという音韻に
よる区別と考える説が一般的ですが、この他に6母音、7母音説もあります。

8母音なら上代日本語は50音でなく87音(or88音)あったと考えられ、平安時代以降になって
そのような区別が薄れたため、一つに統合されていったとされます。この本居宣長以来の
研究は膨大な蓄積があって、突き崩すのはなかなか難しいでしょう。ただ、古代語の音韻の
実際について確証がないのも確かではあります。

698 :縦目仮面:2010/02/04(木) 21:33:23
まあ河童さんはご存じでしょうが、これは邪馬台国問題についても関係があり、記紀でヤマトと
記されているのは、耶麻謄、夜麻登、野麻登、耶魔等、夜摩苔などで、もちろん倭人伝の邪馬
臺も、ト音であるとしたらすべて乙類で、いっぽう九州の山門郡や山戸郡は甲類であるというもの。

ただこれは、倭人伝は中国人の耳で倭語を聞いて漢字を当てたものでしょうから、どこまで正確
なのか疑問であると考える説の方が常識的ともいえます。実際、発音記号が確立した現在の中
国語でも、「愛因斯坦=アインシュタイン」といったありさまなので、ちょっと根拠としては使えない
でしょう。このあたりの話は河童さんのほうが詳しいでしょうが。w





699 :縦目仮面:2010/02/04(木) 21:47:07
まあいずれ、日本語の音韻は世界的に見れば単純な方で、はっきり唇を噛んで発音するな
どのようなものはない。

・・・これを極限まで押し進めたのが、筒井康隆の小説 「関節話法」で、マザング星では全身
の関節を鳴らすことによって会話が行われていて、例えば「右手親指の第一関節をぽきりとい
わせてから足首をごき、と鳴らし、左手中指の第二関節をこきりとやる」と、これは「思いやりの
ある人」とか「話のわかる人」という意味になる。w

小説の主人公は重大な交渉のためこの惑星に派遣されますが、地球人であるためうまく
関節が鳴らず、「船」という言葉を「しゅらしゅしゅしゅ」に言い換えたり、だんだん支離滅裂
になっていき、最後は左肩を脱臼し、右手首の関節と股関節が外れ「言語障害」で入院する
というもの。ギャグではありますが、言語というものについて深く考えさせられる傑作です。

700 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 21:57:24
寓話やSF小説をネタに歴史を語られてもなぁ・・・

701 :縦目仮面:2010/02/04(木) 22:21:29
>>700
確かに。逸脱が過ぎましたかね。上レスした、甲類・乙類の別を発見したのは本居宣長で、
「古事記伝」第一巻「仮字の事」で、「同じ音の中でも、言葉に応じてそれぞれに当てる仮字
が使い分けられている」と述べられています。

しかし宣長は邪馬台国論では九州の女酋偽僭説で、実は自らの研究で、山門のトと邪馬臺
のトが音韻的に異なるという後代の説の非常に近くまでいっていながら、結局は国学の立場
から大和と同一と見ることを廃し、あえて「ヤマタイ」という読みをとったと推測でき、このあたり
は面白いなあと思います。

702 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 23:10:27
>>699

筒井康隆ですか、私が最初に手にしたのがあの「陰脳録」で、何度も読み返したのを
思い出しましたよ

703 :縦目仮面:2010/02/04(木) 23:18:11
家には古本屋で買った筒井康隆全集があって、宝です。w いつか別スレで ベスト10とか
やりたいですね。

704 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/04(木) 23:48:15
>>
筒井全集とは凄いですな〜
私なんか書店で単行本を一冊ずつ購入でしたよ(笑) 
でも、吉里吉里がちょっとしたブームになったころ、だんだんと筒井から遠ざかりましたけど
たまに昔の短編をクスクス読み返す事があります。
当時は、彼の独特の言い回しに苦慮した記憶が残っていましたが、
年齢の経過とともにですか、あの当時よりも本から伝わるイメージが湧くんですよ

筒井と言ったら私は最初に手にして読んだ、「お母さんに秘密の、お風呂での吸い込みお遊び」ですね

705 :縦目仮面:2010/02/05(金) 00:06:16
そんなに評価は高くないんでしょうが、俺は「エロチック街道」という短編が好きです。


706 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/05(金) 00:39:01
>エロチック街道

確か温泉が題材だったかな?(ほとんど忘れてる)

エロチック街道の中の「遠い座敷」とか、かくれんぼが少し思い出せる程度に
なっちゃいましたよ

707 :日本@名無史さん:2010/02/05(金) 00:50:35
「家族八景」「七瀬再び」
短編はどれがおもしろかったかタイトルが浮かんでこないな。

文庫で一冊ずつ購入だった。・・・まだあるが、26冊。

708 :日本@名無史さん:2010/02/05(金) 03:18:41
まあ疑いなく言語のプロ中のプロだから、まあ
そんなに見当はずれなたとえ話ではないよね

709 :◆.L.MXSPOgc :2010/02/05(金) 13:20:26
>>698
私の記憶違いかもしれませんが、日本語の甲類・乙類の漢字の書き分けと漢字の意味には関係はありませんよ。
漢字の意味を無視して音だけを、日本語の音にあてていたはずです。

また中華人は、自分達の言葉の音で日本語を聞いて同じ音の字をあてているので、
これと日本語の甲類・乙類を一緒に語るのは、少し乱暴です。


710 :日本@名無史さん:2010/02/05(金) 18:30:38
そうです。あんたは偉い。
少しというよりかなり乱暴かな。

711 :縦目仮面:2010/02/05(金) 20:11:50
>>709
おお二さん、お久しぶりです。>>698 を 読んでもらえればわかるように、これは何かの
根拠になるようなものではありません。いちお再レス。

>ただこれは、倭人伝は中国人の耳で倭語を聞いて漢字を当てたものでしょうから、どこまで正確
  なのか疑問であると考える説の方が常識的ともいえます。実際、発音記号が確立した現在の中
  国語でも、「愛因斯坦=アインシュタイン」といったありさまなので、ちょっと根拠としては使えない
  でしょう。このあたりの話は河童さんのほうが詳しいでしょうが。w


712 :縦目仮面:2010/02/05(金) 20:39:00
>>706
「エロチック街道」は、街から隣町までの交通の手段になってる温泉の流れに乗って洞窟
トンネルを半裸の湯女と一緒に流れていくというもので、暖かい布団の中で見る夢のような
幻想的な作品。筒井康隆は理詰めで書いてる作品もけっこうあるんですが、このようなシ
ュールな夢や無意識をモチーフにした作品のが俺的には好きです。

713 :日本@名無史さん:2010/02/05(金) 23:36:51
ここもオタクの談笑サロンになったか。まあ、和気藹々としゃべくるのもいいだろう。

714 :日本@名無史さん:2010/02/05(金) 23:44:16
いつになったら、学問板にふさわしい議論ができるのだろう?

715 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/06(土) 00:09:15
>>714

>いつになったら、学問板にふさわしい議論ができるのだろう?

学問板に相応しい議論の場となるように、先陣切ってスレを引っ張ってくれ

716 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 05:04:02
どいつもこいつも年已長大だな



717 :縦目仮面:2010/02/06(土) 06:43:05
www そうかもね。俺も2ch歴が2年目に入って、真摯に討論しようとする姿勢が薄れて
るかもしれん。ところで河童さんは、倭人伝の倭語を漢字表記した語句は、字音とともに
字義も考慮して選ばれているという説でしたよね?(と、邪馬台国の話題を振る)

・・・これから稽古なんだが、この信じられん寒さはなんだ?

718 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 09:08:39
寒い? 倭の地に住んでないからだろ。

719 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 09:45:40
倭の地だが今日は寒いぞ。

720 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 11:24:40
半島は寒くて作物が育たないため、暖かい九州に渡って来たんだろう?

721 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 12:05:16
九州でも北部は寒いし。

722 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/06(土) 12:08:12
>>717
>ところで河童さんは、倭人伝の倭語を漢字表記した語句は、字音とともに
字義も考慮して選ばれているという説でしたよね?(と、邪馬台国の話題を振る)

はい、固有名詞と判断できるものは、音は日本語、文字は漢語という立場です。


>・・・これから稽古なんだが、この信じられん寒さはなんだ?

私も昨夜、体育館にて子供たちの指導に行ってきましたが
最初から最後まで、足先の感覚がありませんでした。

723 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 14:25:31
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

724 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/02/06(土) 15:04:24
>>722
>固有名詞と判断できるものは、音は日本語、文字は漢語という立場です。

上記は漢籍の非シナ語地域記述において共通している表現法だと思いませんか?
すなわち、「固有名詞と判断できるものは、音は現地語、文字は漢語という立場」ですね。

725 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/06(土) 16:12:28
>>724

音は全ての言語に精通しているわけではないので、判断は出来ませんが
否定する理由もありません。
ただ、全てに共通しているのは「漢語」表記であるということ
この文字を見れば、この文字を見た人が全て同じ認識で意味を解せるということです

726 :◆.L.MXSPOgc :2010/02/06(土) 19:17:55
>>725
>>この文字を見れば、この文字を見た人が全て同じ認識で意味を解せるということです
同じ認識をしたかどうかと、その認識が正しいか否かは別問題です、そこは間違えないように。

(同じ認識が出来るかどうかは証明が必要ですが、面倒なのでその不備には触れません)

727 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 19:58:20
いつまでそんなくだらない問答やってんだよw
現実に出てきた資料なり物なりの証拠に基づいた議論やれよwww

728 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/06(土) 20:01:37
>>727

>いつまでそんなくだらない問答やってんだよw

気が済むまで

>現実に出てきた資料なり物なりの証拠に基づいた議論やれよwww

では進行を頼みます。

729 :日本@名無史さん:2010/02/06(土) 20:22:24
>>728
もう貴方に用はないので、巣に帰ってください。

730 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/02/06(土) 20:32:46
>>729

>もう貴方に用はないので、巣に帰ってください。

だから何時も言ってるように
人を追い出すのは多大なるエネルギーを要するから、自らが身を引いた方が早いし確実です
そんな単純な道理も分からずに 古代史に手を染めようなんて「百年早いし」
そんな人が参加しても、貴方が言うような
>>727のような議論は望めない。

理解できましたか?

731 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 09:10:16
>>721
だから、九州南部。それ以外の地で、倭の地は温暖、冬でも云々なんて書かれる
ところはないよ。今、奈良の連中は温暖なんて言えるか?

732 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/07(日) 09:56:54
その昔
建御名方は、大和の湖水が凍るのを待って、ワカサギ釣りを楽しんだ。
だから 落ち延びる先に諏訪を選択。
今どちらでも全面結氷は、期待できない。

733 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 10:47:17
>>731
奈良は暑いよ。
実際、冬は雪少ないし、夏はジメジメ蒸し暑いぜ
山に囲まれてるせいか風の通り抜けが少ない

734 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 10:50:53
>>730
梅毒wwwアホスwww

735 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 10:56:24
>>731
邪馬台国伝ではなく倭国伝の記述ですよ。

736 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 10:59:21
なんだかんだ言っても、河童がメインを取らないとここはスレ伸びないでしょ。メ じゃ
話しにならないし。

737 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 13:41:46
>>736
んなメインとかイラネ

738 :縄文人 ◆l90pmSiN8I :2010/02/07(日) 13:44:04
ならば私が主として話そうか。

739 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 14:16:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

740 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 14:50:11
すまん、20年前にわしが埋めたやつだ。

741 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 15:24:49
>>738
華がないので無理です。

742 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 15:33:50
縄文人には無理だろうな。縄文人には河童みたいな物腰の柔らかさがないし、スレを引っ張っというのは
、ただ知識量の豊富さだけじゃどうにもならない持って生まれた人間性みたいな所があるからな。

743 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 15:40:22
縄文人は知識もないと思うが。ただの土建屋の親父かなにか。

744 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 15:42:42
そうかと言って ドツボでは憎まれるだけ。他のコテは2ch利用の目的が違うようだし、
やっぱし河童しかいないんじゃないの。

745 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 16:09:37
でも肝心の河童さんが最近ここよりヤホーだし
顔を出しても直ぐにいなくなる。これじゃスレは引っ張れないよ。

746 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 16:29:33
良質のレスが少数書き込まれるのと、
電波ビンビンのレスが大量に書き込まれるのと、
どっちが良いの?

747 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/07(日) 16:46:23
みなさん暇そうなので爆弾投下

神功〜仁徳間は、ただ圧縮して時代を繋いでも何も解決しない。
ここの分析は 面白い。

まず 神功〜応神間に百済王朝が書かれている、この部分は、
神功元年 275年からそのまま数える。
この時仁徳は、神功39年太歳を元年として、横に神功紀を置く。
すると 神功38年に、仁徳卅一年春正月癸丑朔丁卯 立大兄去來穂別尊 爲皇太子 が重なる。
仁徳の大兄去來穂別尊は、応神と重なる。
ここで気になるのが、女鳥皇女は、応神の子である。これでは父仁徳の妹で年代が合わない。
合わない事の思考は置いといて、応神を仁徳の父親の位置に設定せねばならない。
そこで 312年、仁徳元年の前に応神41年を置くと、応神元年は、273年が得られる。
この273年こそ、神功元年に記載される、日食の年である。

この仁徳の如く2名の必要な部分を1名で凌いでいるのが 允恭である。
433年廿三年春三月甲午朔庚子。立木梨輕皇子爲太子。 翌年に内乱が起こる。
ここは 倭の5王の交代が想定される部分でもある。


748 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 17:04:34
九州の土建屋のおやじなら、自ら邪馬台国の石碑を掘り当てるチャンスがあるがな。うらやましい。w

749 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 17:08:02
倭の5王というと5人いるように聞こえるが、実は「倭五王」という名前の王だったのだ。
これでいいんでしょう?

750 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/07(日) 17:11:25
がおー


751 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 17:20:23
名曰卑彌呼 は名曰く卑弥呼だとは思うけど、
たとえば呼がコと読むのは確実?

たとえば名曰卑彌呼事鬼道能惑衆で名曰くヒミと呼ばれよく
鬼道で衆を惑わし・・・って言うことにはならんの??

ヒミなら隋書に出てくる王妻のキミにつながるかなーと思ってね。


752 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 17:36:15
>>746
良質のレス=自分の気に入ったレス で、OKか?

753 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 17:47:14
>>751

彌呼が名詞 で卑は形容詞

754 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 17:47:59
いやしかし、人が少なければ良質のレスも少ないもんだよ。いろんな知識を持った人が
いて、たくさんの玉石混交のレスの中に珠玉のレスがたまに混じるというのが普通だろ。
中には○○人のようなチラシ裏電波もいるけど、我慢してやってくしかない。だから人は
少ないより多い方がいいんだよ。

755 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:03:22
>>733
私は今の話をしてるんだがねえ。夏の話にしなければならないってのは
今は温暖ではないってことを認めるってことだな。

756 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:06:23
>>751ありがとう。じゃあ、ヒ・ミコなのね?
ミコが巫女・御子なのか、王なのか不明だけど。。

ヒは日とか火とかになるのかな・・・。

757 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:28:10
>>753から河童の匂いが・・・・気のせいか?

758 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:58:50
火のミコなら、タタラとも関係が出てきそう。
鬼道ってなんだ?
こっちでいう、鬼じゃないよね。
先祖の御霊的な。御霊降ろしとかしてたのかな。
どっちにしても新しい何かが出てこないと分からないね。

759 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 19:27:32
>>752
そうでもない。
ミナモがどうのこうのなんて、河童の電波ビンビンだが、嫌いじゃない。
それなりに暇つぶしになる。
だが、このスレがその方向に行くなら、ドン来いとの差異がなくなるじゃないかと。
ほとんどスレタイが違うだけの重複スレだよ。

760 :水銀厨 :2010/02/07(日) 20:26:19
>>758
鬼道は呪術的な要素を持つ中国の土着的な宗教ですよ。
系統的にはそのまま道教に繋がると考えていいです。

761 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 20:48:24
鬼道とは魏道
つまり魏の国と同じ宗教を進行している同祖の国だということだ。
魏国と倭国はもともと兄弟国だったのだ。

762 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 20:53:29
>>760
なんの説明にもなってないと思うが。道教は、身分の高いものも低いものも同一に
羽化登仙や長寿をめざすことのできる、現世利益・個人利益の宗教なんだけどね。

763 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 20:57:38
>>758

「鬼道」とは  邪悪(あやしげな)な手段

鬼=形容詞  邪悪・あやしげな

道=名詞   手段・方法 

764 :水銀厨 :2010/02/07(日) 21:08:16
>>762
道教の実体なんて3世紀の時点では確立されてませんよ。
少なくとも抱朴子、隋・唐以降です。
鬼道とは神仙思想という点では共通しています。


765 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 21:17:47
WBA世界フライ級チャンピョンベルト獲得

亀田大毅選手おめでとう
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100207-00000029-spnavi-fight

766 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 21:18:31
>>764
だから実態の確立されてないものに、これです、と名前をつけたってしょうがない
だろう。神仙思想って?卑弥呼は 赤松子とか王子僑めざしてたの?

767 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 21:21:38
魏の国名に鬼の字が入っている由縁を考えたことがあるのでしょうか?
ないとしたら、相当の間抜けですね。(笑う)

768 :水銀厨 :2010/02/07(日) 21:48:13
>>766
何言ってるのかイマイチ解りにくいな。

要するに鬼道というモノは中国の原始的、民間や
辺境に残ったとされる呪術的、土着的な宗教、
そう言ってるだけですよ。

それが神仙思想と同様道教に繋がるのは事実ですね。


769 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 22:02:35
>>768
でもね、卑弥呼と同時代の、蜀では鬼道とも称された五斗米道や黄巾の乱を起こした太平道
などは、治病などの現世利益を与えるという形で下から組織化された宗教。しかし倭の実態とは
合わない気がするんだよね。前方後円墳は首長への個人崇拝だし、倭人伝の記述とも合わない。

770 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 22:07:57
鬼道とは、魏の道、魏の正教そのものじゃないか。
儒教以外の宗教全般だなどという解釈はとんでもない誤解。

771 :水銀厨 :2010/02/07(日) 22:23:34
>>769
鬼道といっても、民間で行う俗信信仰、家族祭祀、療病といった
ものから、もっと地位の高い者が先祖を祀ったり、
人を呪ったりするものまで様々ですからね。

鬼道の場合は巫は大抵若くて綺麗な少女が選ばれたので、
卑弥呼の存在を見て魏の使いにはそう見えたのでしょう。


772 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 22:53:48
>>771
??俗信信仰、家族祭祀、療病などで、連合各クニの首長が従うということはないと
思うよ。丹厨というなら、秦の始皇帝の時代から、不老長生など道教のの骨格は定ま
ってたのは知ってるだろう。教義としての文章化や教団の組織化はまだ先だけどね。
道教という言葉を用いるなら、そのどの部分を卑弥呼が取り入れて、どのような祭祀を
行ったかを説明してもらわないと。

773 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:01:59
>>772
771は、連合各クニの首長が俗信信仰に従ったと言ってるんじゃないだろう。
連合各クニの首長は、それぞれその伝統にしたがった正当な祭祀を奉じていた。
でも、そんな祭祀なんて、中国皇帝の「正当」な祭祀からみれば、みな鬼道。
そして現代人からみれば、みな俗信信仰。

774 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:07:05
ふーん、正当な儒教に対する異端という意味で道教という言葉を用いているということか。

775 :水銀厨 :2010/02/07(日) 23:10:21
>>772
>俗信信仰、家族祭祀、療病などで、連合各クニの首長が従うということはないと

だから地位の高い者が行うものまで様々だと言ってるでしょ。
魏の使いからすれば巫女らしい王がいるので「鬼道」という
言葉を選んだ、と思う訳です。

卑弥呼が好む物に「丹」関係が入ってる時点で
神仙思想についての知識があるモノと判断してます。
墓に朱を用いている層は皆そうでしょうね。

>>770
魏の朝廷は鬼道自体は禁止したりもしてるよ。
方仙道や黄老道は取り入れたりしてるけど。


776 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:12:29
>>774
ちがうよ。鬼道とかいているのであって道教じゃないでしょ。
道教の源流が鬼道と呼ばれただろうと推測できるが、両者は同一のものじゃない。
それに、皇帝の認める正当な祭祀はすべてが儒教というわけでもない。
あくまで、皇帝が認めるか否かが問題で、儒教かどうかが問題じゃない。
皇帝が認めていない祭祀が鬼道と呼ばれたと思われる。

777 :水銀厨 :2010/02/07(日) 23:17:27
大体道教という言葉を説明するのは困難です。
色んな宗教の要素を取り入れてしまいますからね。
観音菩薩まで取り入れてるし。
ある意味現代の日本人の宗教観が一番近いかも。

778 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:19:47
>>776
なるほど、いってる意味はわかった。魏の皇帝が認めた正当以外の宗教ということね。
俺は単純に、鬼は「死者の魂・祖先の霊」の意味だと思うけど。

779 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:25:32
違うってば。
魏という国名自体が鬼道に委ねられた国という意味であって、
その後、儒教を取り入れたとしても、国民の宗教が鬼道。
後に大和朝廷が仏教を取り入れても、国民の信じる宗教はあくまで神道だったのと同じです。


780 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:29:47
>>778

>俺は単純に、鬼は「死者の魂・祖先の霊」の意味だと思うけど。

つまり、鬼は名詞ということですね?
だとしたら、「道」は名詞?それとも動詞?

781 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:30:23
>>778
鬼は「死者の魂・祖先の霊」の意味というのは、その通りだけど、
史書で鬼道というとき、鬼道淫祀というのもあるし、蔑視のニュアンスが加わると思う。
現代人が未開社会のシャーマニズムを見るのと、かなり近い感覚なんじゃないかな。

782 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:37:24
>>781
それは同意。・・・というか女王というもの自体、中国から見れば奇異だったんじゃないか
な。俺は畿内説なんで、九州説からは忌み嫌われる「ゆるやかな連合説」なんだけど、
おそらく卑弥呼の鬼道はシャーマニズムで、その役割は各クニ首長の祖先霊の調整の
ようなものなのではないかと考えている。

783 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:44:55
卑弥呼=神功皇后

終了

784 :水銀厨 :2010/02/07(日) 23:51:42
まあ一番簡単にいうとジャーマニズムでしょうね。

魏は鬼道自体制限する方針があったので、蔑視のニュアンスは
あったと思います。

785 :日本@名無史さん:2010/02/07(日) 23:53:57
神功皇后は架空というのが、通説だろ?
だけど、九州には何故あれだけ神功皇后がらみの遺跡が多いのかな

786 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 00:09:17
後期の大山は相手が何でも振飛車で、自分からは仕掛けず相手の選択肢を多くする
ような指し方だよな。これはやはり力の差があって相手のミスを確実に咎められるのと、
やはり盤外で忙しいせいもあったんじゃないかな。米長が「相手は必ず間違える」とか
言ってるのも大山の影響じゃないか?

787 :縦目仮面:2010/02/08(月) 00:10:46
あーーー最悪の誤爆。>>786は将棋板に書いたものです。すいません。すいません。


788 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 00:11:37
>>786

なんだ?将棋の話しか?誤爆?

789 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/02/08(月) 00:24:34
>>785
神功皇后が架空の人物だと言う説は自虐的歴史観にもとづく反日左翼の歴史学者による捏造です。
神功皇后と言われる息長帯比賣命は日本の歴史上に存在した実在の人物です。
問題なのは神功皇后の人間関係と血統が複雑で歴史上から抹殺された人物が複数いることです。

790 :縦目仮面:2010/02/08(月) 00:42:53
すまんことです。>>782 とか俺なんですが,、将棋板できつい論争をしてて片手間にこちらを
書いてたら誤爆しました。w


791 :水銀厨 :2010/02/08(月) 01:21:40
>>789
神武、神功と「神」が付く人物は相当作為されてるでしょうね。


792 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 03:47:47
倭国大乱は応神(神武)東征の事
応神が15代目であるのは、素戔嗚尊を祖とする出雲朝が14代あったから
狗奴国とはスサノオ以前のクナト神信仰の出雲側の事

終了

793 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 09:59:36
神功皇后は台与を脚色してある。

794 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 11:28:28
九州北部は神功皇后多いですね。
各地の神社でも、女性を祭っている祭神で
神功皇后が由緒に入っている神社が多くあります。

795 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 12:33:21
仲哀天皇と神功皇后は、山口県の穴門豊浦宮と福岡県の橿日宮(香椎宮)を
本拠地にしているから、九州と縁が深いのは当たり前かな。
応神天皇も筑紫で生まれているし。

こういうことから、王朝の交代とか応神天皇の東征という説も生まれて
くるのだろう。

神功皇后はあくまで皇后であって天皇ではない。仲哀天皇が死んで69年間も
天皇不在というのが不思議といえば不思議かな。もちろん、69年をそのまま
信じることは出来ないわけだが。

796 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 12:45:42
神社の由緒調べてると

あー、はいはい神功皇后、神功皇后ね、とか
おまえら、女神ならなんでも神功皇后と言っとけば済むんか、

と問い詰めたいくらいに、神功皇后が出て来ます。
ここまで出てくると、この辺が本拠地で、向こうでちっとは痕跡あるのかよ
とか思わなくもない。


797 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 13:24:34
神功皇后自体は葛城地方出という事になってるからな。
新羅を攻めたとなってる以上は
北部九州に伝承が多いのは当然だろう。
実質は男の武将だろうが。

798 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/02/08(月) 14:01:30
>>795
神功の当時は3倍年暦でしたので、正味は1/3の23年となります。

799 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 22:16:05
太陽神が女神なのは日本だけだろ
卑弥呼も太陽神の女神として祀られてるのか?




800 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/02/08(月) 22:19:03
九州に卑弥呼神社というのが確かありましたが・・・。

801 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 22:31:51
卑弥呼は、「ヒノミコ」だろうとよく言われる。
この「ヒノミコ」が果たして「日の巫女」なのか、それとも「火の巫女」なのか。
「日の巫女」ならば、太陽神というような意味なのだろう。
「火の巫女」ならば、火の国の巫女という意味かもしれない。

「日の巫女」ならば、太陽神としての天照大神とも通じる。

802 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 22:43:50
卑弥呼は姫子、姫氏系の女王だったことは間違いない。
周王朝、晋・魏・・・みんな姫姓ではないか。
やはり、魏と倭は兄妹国だったことは間違いない。

803 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 22:48:35
>>795
神功皇后は倭国王だったんだよ。そして、天皇というのはその下の大和の代官。
だから、神功皇后は天皇を名乗っていないんだな。

804 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:01:23
>>802同意

805 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:05:31
>>801
>「ヒノミコ」が果たして「日の巫女」なのか、それとも「火の巫女」なのか。

じゃあ卑弥弓呼は? 卑弥で区切るってのはアリ?

806 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:15:22
卑弥呼は姫子なのか?それとも製鉄と関係のある火巫女なのか?
もしくは、太陽神を祭る日巫女なのか?その宗教的背景を考察すれば一目瞭然。

807 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:24:11
「日の御子」の可能性もあるんじゃないの。

808 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:51:01
姫子ってのは良くわからないな。

あちらの人間は、お宅の王の名前は何?
と尋ねた。
古来、王を名前で呼ぶことはないから、ひのみこ様と答えた。
とすれば、やはり一番妥当なのは地名などから来る「火のミコ」だろう。
「日のミコ」もちょっと違和感がある。

ちなみに、台与の場合はまだ王になっていなかったから名前だろう。
王になったら尊称で呼ばれるようになる。

809 :日本@名無史さん:2010/02/08(月) 23:54:10
火の国というのはだいたい熊本県。ただ、熊本県は肥後、長崎・佐賀県は肥前
と呼ばれ、これらから一緒になって火の国ということもある。

810 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 00:28:16
>>805

>じゃあ卑弥弓呼は? 卑弥で区切るってのはアリ?

ナイ

卑=形容詞  弥呼=名詞

811 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 00:32:28
>九州に卑弥呼神社というのが確かありましたが・・・。

佐賀原住民ですが初耳です。
久留米に豊姫神社はあります。

ググると鹿児島と阿蘇にあるようですね


812 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 00:40:32
>>810
>卑=形容詞  弥呼=名詞

んじゃ、弥弓呼=名詞、ね。弥弓呼ってなんなの?

813 :age:2010/02/09(火) 19:16:06
卑弥呼神社って本当にあるの?
嘘つきは針千本飲ます

814 :縦目仮面:2010/02/09(火) 19:32:11
卑弥呼神社でググったら、簡単に出てきた。しかしこれ、トンデモ系じゃないの?いずれ
この卑弥呼像はひどくね。
http://blogs.yahoo.co.jp/jtqqp754/59129316.html


815 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 20:21:00
由緒とかちゃんとあるのかなあ、って感じですね。
妙に新しそうだし。

816 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 20:21:21
昭和5年建立の石碑じゃないか

817 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 21:37:30
>>814

こ、これわっ!!

一種の『シリウスミステリー』なのか?wwwwwwwwww

まあ「神話」がそれができたのが、いついつの時代より前でなければならないという決まりは無い訳でw

卑弥呼の姿や邪馬台国の姿も今後も時代とともに変わっていくんだろうなあ・・・

818 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 21:50:18
>>816景初4年と彫って、硫酸と灰を交互にかけて劣化処理をしておけば完璧だったのに・・・

819 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/02/09(火) 22:05:50
>>814
確か30年弱くらい経っているだろうか、場所は宇佐神宮のあたりだったか
もう忘れましたが、その時は旅行中で、卑弥呼神社という名で、新品新築
の神明造の小さなお宮で、できたてのホヤホヤだったですよ。
そのURLの神社ではなかったですね。

820 :縦目仮面:2010/02/09(火) 22:29:04
この?彌呼像の両手の配置は印こそ結んでないが、仏教的だよな。

821 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 22:40:55
いいんだよ。神社なんてコンビニみたいなものなんだから、もうかる分霊をもらえばいいんだ。
セブンイレブンがローソンが全国に広がったように、
八幡神社とフランチャイズ契約を結んで、もしくは勝手に八幡宮を名乗って全国に広がったのだ。
もちろん、地方独自の神社もある。
むしろ、それが千年以上続いているというのは驚異だ。

822 :縦目仮面:2010/02/09(火) 22:58:03
神社は宣伝してはやったものが勝ちという面もあって、特に氏子を持たない崇敬神社は
そうだろう。神社の歴史について研究してる人は多いけど、社伝や御由緒というのは、時代
を古くする傾向や、自社と天皇の事績や著名な神を結びつけたがる傾向をどうしても内在し、
そのあたりを割引いて読む必要があると思う。参考にならないというわけじゃないけど。

823 :日本@名無史さん:2010/02/09(火) 23:59:58
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

824 :日本@名無史さん:2010/02/10(水) 00:13:21
大手三社の携帯規制と一部のPC規制で、あっちこっち過疎状態が続いてる

825 :縦目仮面:2010/02/10(水) 00:29:33
唐松山さんが信奉する「秀真伝」にしても、おそらく江戸期に発見者の井保勇之進が自分で
書いたものと推測されるが、「高島郡誌」によれば、勇之進が周辺の近江国高島郡一帯の
神社の社伝を書き散らした形跡があって、文章内容もホツマと共通しているといわれる。
まあこれは一例だが、このような形で地元の知識人が書き上げた神社の御由緒も多いと
思われる。

826 :日本@名無史さん:2010/02/10(水) 08:14:47
NHKでも、
高天の原は、御所市高天だとやっていたな。
九州にある高天のほうは、
高天を拝むための地域であって、高天ではないと。

827 :日本@名無史さん:2010/02/10(水) 18:02:28
>>823
ここに書き込むより佐藤洋一郎氏に直接言ったらどう?いつも同じ文面だし、誰も反応しないし。

828 :日本@名無史さん:2010/02/10(水) 20:55:15



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ




829 :あげて下さい:2010/02/10(水) 22:03:10
建国記念について



830 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/10(水) 22:49:36
漢字で書かれたホツマ伝は、百害あって一理なし。


831 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/11(木) 09:44:30
神功皇后の渡海は、273年の日食の頃。
神功紀には、百済王朝が書かれている。
韓国考古学は、この時代の特定(百済本紀に合わせる)と大陸文物との整合性に苦慮している。
つまり 百済本紀を正しいと確認出来ない、この数字に神功を合わせても、事実には成らない。

では、何処に特定するか。
275年 神功元年
326年 神功52年 七支刀
ここから 百済王朝をかぶせる、依って 神功69年はそのまま認めないと歴史にならない。
神功紀をよく読むと、神功47年 皇太后。太子譽田別尊。大歡喜之曰。先王所望國人今來朝之。
仲哀は渡海を拒否した。だから ここに書かれた「先王」は仲哀では無い。


832 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 20:45:50
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

833 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 21:16:05
邪馬台(たい)国じゃなく

邪馬壱(いち)国じゃない?


834 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 22:23:46
ヤマトヒメがトヨじゃないかという説が、このスレ?にありましたね。
ヤマトヒメといえば確か、伊勢神宮を建立した斎王ですよね

うろ覚えですが・・・

835 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 22:44:38
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の風俗からして、
邪馬台国は渡来系の民族ではなかったことは確かです。
斎王によって乗っ取られたと見ることはできます。

836 :日本@名無史さん:2010/02/11(木) 22:48:26
>>835
裸族というより、服装が穴を開けて頭を通しただけの
質素なものだったから書いただけなのでは?

当時の服飾技術のレベルが中国と比べるようなレベルではなかったでしょうし

837 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/02/12(金) 00:33:48
>>831
神功皇后が皇太后で応神天皇が皇太子と言うことは品陀真若王が天皇で金田屋野姫命が皇后と
言うわけですね。つまり、古事記・日本書紀は品陀真若王の存在が不都合の真実のようです。

838 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 19:11:21
>>836
裸國、K齒國ですか
余り深く考えない方がよろしいかと・・・

839 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 20:42:59
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

840 :唐松山 ◆4lxU4hFjNM :2010/02/12(金) 21:13:04
>>837
不都合な名前は掃簡単に見つかるかな?
例えば、仲哀亡き後を誰が継ぐか?
仲哀の子供は次々と殺される、殺した側も殺された側も、相手方を信用しない。
ここで一つにまとめられるか?
仲哀の兄弟にワカタケルが居る、もちろん歴史には登場しないが、
大彦から数えればほぼ7代目になる。



841 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 21:26:45
金陀真若王・・・確かに不都合な存在ですね。w
こういう悪ふざけとしか思えないような不謹慎な名前を付けるのは
藤原不比等(人に非ず)の悪い癖です。

842 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 23:30:29
>>839
稲作の歴史ばかりではない。
山の民、海の民を忘れるな。


843 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 23:38:00
藤原不比等は駄洒落の天才だった!
これがすべての謎を解くカギです。

844 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 23:39:01
続きはこっちで書いていいのかな?


845 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 23:43:21
こっちはドンと来てはダメだスレです。

846 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/12(金) 23:52:33
ドンコイスレにこんな書き込みがあった。

>>989
>その倭人伝がどれだけ正確なのかを検証する資料がほとんどないのに なぜ鵜呑みにするのだ?

この人は邪馬台国の卑弥呼の存在は信じているのだろうが、検証はどのようにしたのだろうね。

847 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 23:58:24
テスト

848 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 00:06:34
ドン来いスレにこんな書き込みがあった。
>>963 唐古・鍵遺跡は現在の標高で50m前後のところにあるが、ここは奈良湖の湖畔にあったことが洪水で埋まった形跡
からも明らかである。

大和盆地の土質は、液状化現象による地震被害を防ぐためのボーリング調査によって、数千年前まで明らかになっている
(広範囲で行われている)が、少なくとも紀元後、湖があったという痕跡はない。

この人はなぜ、いつまでもデタラメを言い続けるのだろうか?

849 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 00:23:33
>>848
>大和盆地の土質は、液状化現象による地震被害を防ぐためのボーリング調査によって、数千年前まで明らかになっている
>(広範囲で行われている)が、少なくとも紀元後、湖があったという痕跡はない。

『少なくとも紀元後、湖があったという痕跡はない」? その年代の判定がどのようになされたか知っていますか?


850 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 00:29:56
>>846
卑弥呼という女王が存在したかどうかすら疑わしいわな

851 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 00:36:05
>>850
そこまで疑うなら、邪馬台国研究やめたら

852 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 00:36:10
>>849
鍵・唐古よりも低地に縄文末期の遺跡が存在するけど。




853 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 00:43:01
>>852
ほうほう。鍵・唐古よりどれくらい低い土地ですか。周辺の地層に褶曲などの地層変動がありませんか?
地盤沈下は起っていませんか?

854 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 00:56:02
こっちにも書いておくか…

この縄文人の妄想が崩壊しちゃっているのがだ…

じゃあ巨大干拓工事で新たに手に入れた土地に大きな集落跡が幾つも見えるのか?

…っちゅう話で

恐らく標高40〜50mぐらいまでが集落を築くに適したんだろう
(もっともそれより低いところにも人のいた形跡はあるが)

が、それは4世紀になっても変わっていない。

この知ったかぶりのおっさんの説だと4世紀に入って爆発的に人口が増えて
それで古墳文化を迎えるシナリオだが

肝心のその形跡が無い。

結局、東遷説を前提にして標高データから湖を想像してみました
ってお話しwwwww



855 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:06:52
まあ縄文人は

「九州の無敵神武軍団の東征」とか
「スーパーゼネコン神武組の巨大プロジェクト」
熊本と宮崎、九州を横断するような一大帝国があったなんて事を先ず証明した方がいいなw

おそらく畿内説の学者どころか

九州で発掘作業に当たっている考古学者が
先ずぶっ飛ぶんじゃないだろうか?wwwwwwwwwwww




856 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:09:33
>>855 訂正 と言うか飛ばした

「九州の無敵神武軍団の東征」とか
「スーパーゼネコン神武組の巨大プロジェクト」
とか言う前に

857 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:11:03
>>853
萱野周辺、地盤沈下は認められませんね。
いい加減奈良湖ネタは端から見てても情けない。
ネタとしては湿原水害被害が多いのは事実だが、
弥生期に常時湖状態だった話なんて、一部の
デンパしかしない話。

858 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:16:14
この縄文人というオッサンはアホやな。治水が整ったのはごく最近の話で、
30年前くらいまで大雨のための洪水は全国で日常茶飯事だった。
大和川流域は氾濫平野で、長い間湿地帯だったんだよ。

859 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:21:46
完全に否定されたことをいつまでも言い続けるのは、発達障害じゃね?

860 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:25:00
しかし東遷説論者って異常に4世紀以前の奈良盆地を無人の野にしたがるよなwwwww


861 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 01:35:42
いいじゃない

862 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 04:44:18
>>858
前半は同意だが、
後半は俺は奈良に実際に住んでいるが違うぞ。

奈良は紀伊山地のお陰で大雨が降りにくい。
台風はほぼ無効化
(最近、被害を受けたのは室生寺の五重塔が倒れた平成10年9月22日の台風7号ぐらい)

大和郡山は確かに地盤が緩く池が今でも多数あります。まぁお陰?で金魚の養殖が盛んですが。


863 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 07:24:14
>>854
>4世紀に入って爆発的に人口が増えてそれで古墳文化を迎えるシナリオだが
>肝心のその形跡が無い。
そうだろうな。そんなところに、でかい墓があるからといってヤマト王権なる
ものを想定したのが馬鹿な話ってことだ。
大和は単なる墓場だって考えた方がよほどすっきりと理解できる。

864 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 07:50:25
>大和は単なる墓場だって考えた方がよほどすっきりと理解できる。

理解力の乏しいバカにはそれでいいんじゃない?

865 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 09:34:37
大和や河内にある誰の墓か判らない古墳は
皇室の先祖のものではないだろう
皇室の先祖に滅ぼされた先住民のものだな。

866 :神奈川県民:2010/02/13(土) 10:46:39
【一時休暇】
皆様、急ですが、今スレをもって一時休暇にしたいと思います。
次スレは、何ヶ月後か分かりません。

住民の方は、ドンコイに移りましょう。
・・・てことでお願いします。


867 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 13:10:19
その「ドンと来い」スレが立たない。
最近、スレ立て規制が厳しいな。

奈良盆地はともかく、阿蘇は昔、湖だったという説がある。
神武天皇の孫に当たる健磐龍命が一端を蹴飛ばし、水を流し出した。
そのあと、開拓し良田がたくさん出来たとか。

そのわりには、縄文遺跡や弥生遺跡がたくさんあるが。
ちなみに、阿蘇の中央には火山があるが、それを含めると奈良盆地と
同じくらいの広さになる。

868 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 13:51:29
縄文人はバカだな。
これから、どれほどバカなのか、簡潔に述べたいと思う。

869 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 13:54:44
縄文人がバカな理由。

考古学的に100%でないという理由で畿内説を批判してるようだが、
それなら考古学的に九州に邪馬台国があったという証拠は何%あるのか?
100%でないなら、「九州に邪馬台国があった」などとは、縄文人は言えないはすだ。

しかし、縄文人は九州に邪馬台国があったと主張している。
ようするに縄文人は論理的思考のできないバカなのだ。

おわり。


870 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 13:58:54
おそらく縄文人は中卒か、夜間高校出だろう。むろん学歴など大して意味のある
ものではないが、縄文人が社会に出てもまったく勉強していないのはレスを読め
ば明らか。

871 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 14:03:35
縄文人への反論は簡単である。

「じゃ、九州のどこに邪馬台国があったの? 卑弥呼の墓はどこなの?」

と、問い詰めれば、縄文人はグゥの根も出ないで退散するしかありません。
おおかたの九州説はそんなもんです。
畿内説をいくら批判したからといって、九州のどこかの地に邪馬台国の遺跡が出現するわけじゃありません。
すると、きまってこう返事がきます。

「まだ発掘されていないのだ! わはははははは!」

そうですね。まだ発掘されてない可能性はあります。
だったら、縄文人が目星をつけたところを発掘してきなさい。
発掘許可くらい申請してきなさい。申請するだけならたぶんタダでしょう。
あるいは、自説を本にして自費出版でもしなさい。
それくらいの労力も惜しんでネットでごちゃごちゃ言ってるだけなら、所詮その程度の人間です。

その点、サガミハラハラ氏のほうが人間的に何百倍もマトモですな。


872 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 14:21:47
>>871
>「じゃ、九州のどこに邪馬台国があったの? 卑弥呼の墓はどこなの?」

まあ、これに回答している九州説論者も結構いるわけだが
問題はそれがバラバラで収拾がつかなくなっている点。

要するに将来、邪馬台国比定地や卑弥呼の墓が明らかになったら、
現在の九州説の大半はウソだったということになるわけだ。ww

873 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 14:55:53
案の定、奈良湖の話を出すとヒステリックなレスが殺到する。畿内説には痛いところだからだ。

唐古・鍵遺跡には水没の跡がある。
この遺跡は山裾から遠く離れた極めて緩い傾斜の平野部にあり、周辺より僅かに高くなったいわゆる微高地に存在する。
もし湖が存在していなければ(つまり大和川を通じての排水がうまくいっておれば)、このような場所が水没するには数千ミリ/hの
降水が必要であろう。排水が悪く湖になっていたから水没したのである。簡単な理屈なんだが。

857は湿原という言葉を使って湖のイメージを消そうとしているが、実態は同じで水浸しで人の住める場所ではない。
854は相変わらずの短絡思考だ。
>じゃあ巨大干拓工事で新たに手に入れた土地に大きな集落跡が幾つも見えるのか?

湖の水位が1mくらい下がって新たに手に入れた土地は水田だ。梅雨時には冠水する。そんな土地だ。人が住むところではない。
奈良盆地の平野部は非常に傾斜が緩やかだから1mの湖面の低下でも水田として利用できる土地は従前の数倍〜数十倍になる。
それだけ食糧生産力が高くなる。これによって後に大和王朝を築ける素地ができたのだ。




874 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:34:07
九州に邪馬台国の証拠が見つからないから
他説を攻撃するしかないという、この現実。

875 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:38:44
>>873 バカ縄
>湖の水位が1mくらい下がって新たに手に入れた土地は水田だ。梅雨時には冠水する。そんな土地だ。人が住むところではない。

まあこの馬鹿はそうやって逃げるしかないだろうなw

結局4世紀からの変化を証明できない。

何のことは無い。
4世紀以前だろうが以後だろうが、やはり標高の低い盆地を南北に走る
いくつもの川の近くの土地は人が常時住むにはリスクが大きかったか
あるいは幾度かの氾濫でその痕跡が非常に見つけにくいか…

先ず東遷説ありきで、その為に4世紀前の奈良盆地は人がいなかった事にしたい。
その為の盆地湖の想定。

知ったかぶりが「地質学」とか大風呂敷を広げてみたものの
その中身は単に「標高データで一定以下に水をはってみました」程度のもの。

本当この板の九州説の質を更に下げているのが
この手の東遷説前提のトンデモ理論だなwwwwww


876 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:42:35
>>872
>まあ、これに回答している九州説論者も結構いるわけだが

考古学上の証拠を伴うものはほとんど無いよね。

九州説が、壊れたテープレコーダーのように、九州は先進国だ先進国だと言ってるわけだが、
弥生時代に九州が先進地域だったのは事実だが、それは北九州のみ。
この時点で日向説と宇佐説も外れる。

邪馬台国は筑紫平野にあったとするしかないわけだが、
それは、魏志倭人伝の「水行十日陸行一月」という記述を自ら否定せねばならない。


877 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:49:04
>>873

たとえば縄文人がこういう理屈をこねてても、
神武が開拓した年代はいつなの?

4世紀以後だという証拠は?

と問いただしたら、答えられるわけないわけ。
だって、4世紀以後だという根拠は「ボクがそう思うから」でしかないわけだから。
縄文人は、他人に100%の証拠を求めているが、
縄文人の説は、1パーセントも証拠がともなっていないんだなあ。

だから、読んでても退屈。


878 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:49:58
>>875
奈良盆地は鉄器の出土が異常に少ない。大福銅鐸に見られるように銅鐸の
進展も遅れている。そんな風だから、畿内説の考古学者も大和朝廷の発祥の地
として奈良盆地を諦めざるを得ず、連合説なんて妙なのが考え出された。

奈良盆地が、弥生時代辺鄙な地であったことは確か。
にもかかわらず大和朝廷が生まれた。ジレンマだな。

879 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:52:35
>>873
>唐古・鍵遺跡には水没の跡がある。

まずこれが大嘘なんだけどね
標高から推察しただけの、いわばオカルトレベルの仮説
ネットでよくあるレベルの話しだ

反論があるなら、水没もしくは河川氾濫による浸水の事実を示す
報告書、著書を提示してからだ

880 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 15:54:53
私が登場したら畿内説派は逃げ出した。まともな反論ができないからな。

>>869
>考古学的に100%でないという理由で畿内説を批判してるようだが、

**につける薬はないと言うが、私の論を全く理解できずにこんなレスをする。
考古学的に100%でないという理由で批判しているのではない。倭人伝や記紀に根拠を求められないで仕方なく考古学的資料
を持ち出している人達の言う事の間違いを指摘しているだけだ。

>>870
縄文時代には大学はおろか小学校さえなかったからね。だけど、キミはこんなレスして恥ずかしくないの?

>>871
ぐう〜。
邪馬台国は熊本と宮崎の大部分の土地にあったね。卑弥呼の墓もそこにあっただろう。


881 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:55:52
>>878
「奈良盆地が辺境」だって?

それって、東遷説にとっても矛盾だよね。
どうしてそんな「辺境」に遷都しないといけないの?ってこと。
奈良盆地が湖だったというなら、
吉備とか近江とか、もっと地理的に都合のよい土地はたくさんある。

どうして遷都に奈良を選んだのか理由を説明してみれば?
と、問いただせば、これまた答えられない有様。

それなら自生説だって全然問題ないわけ。


882 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 15:58:25
>>880

>>871
ぐう〜。
邪馬台国は熊本と宮崎の大部分の土地にあったね。卑弥呼の墓もそこにあっただろう。

なるほど、縄文人は、そういう考え方だったか。

で、根拠は?

根拠を聞かせてね。



883 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:07:39
何を盆地にこだわってるのか知らんが、
葛城や磯城を忘れてないか?
しかも巻向は盆地のど真ん中にあるわけじゃない。

真ん中は大和郡山市辺りだ。

884 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:15:35
縄文人は、他人に対しては逃げるな逃げるなとほざいてるようだが、
自分に根拠を求められると、全然答えられずに、むなしく消えるしかないんだよな。
で、ほとぼりがさめた頃に現れて関係ない話を始めると。いつものパターンだ。

縄文人は、自分で、
「邪馬台国は熊本と宮崎の大部分の土地にあったね」といったわけだから、その根拠だけは聞かせてね。

さらに、神武(九州勢力)が奈良を開拓したとか発言したわけだから、
その根拠も聞かせて欲しいね。

あ、別に答えなくてもいいんだよ?
こっちも全然興味ないんで。



885 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:16:24
>>882
代わりに答えよう。
1、倭人伝の邪馬台国までの行程の記述についてかなり妥当性が高いこと。
2、弥生前期の鉄斧(日本最古といわれる)が出ており、古くからの先進地で
あったこと。熊本県玉名市。
3、弥生後期の鉄器の出土が突出していること。
4、九州の西北部にあったとされる伊都国に一大率を置く意味が認められること。
5、宇土市あるいは阿蘇で、女王と見られる古墳が発掘されており、
女王の存在が確認されていること。
6、日向に天降る、記紀の天孫降臨神話に妥当性があること。
7、方保田東原遺跡やうてな遺跡など弥生後期の大規模な集落があること。

など。

886 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:19:08
>>884
そちらも畿内説の根拠を聞かせてね。

887 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 16:20:51
>>875
あくまでも認めたくないのだな。キミには理解できない領域の話なんだろな。

>>877
私は既に述べている 神武東征は2世紀末、倭国乱の頃だと。
神功皇后の新羅征伐の記事は4世紀末の倭による半島侵略を反映したものと考えれば、崇神天皇は4世紀初、
神武天皇は2世紀末でぴったり納まる。

この神武の集団が奈良に入って奈良湖の排水事業に着手した。そして飛鳥朝時代とほぼ同じ状態まで持って
いったのが崇神である。こう考えれば二人が大和王朝の始祖的大王として記紀に記述されていることが理解
できる。

888 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:26:14
>>887

ああ、そうか、

縄文人は、崇神が4世紀だとかのたまってたよな。

で、「崇神が4世紀」ってのが、これまた根拠ゼロなんだよな。
確か、何度も聞いたけど、全然答えられなくてうやむやにされてたんだ。
あれからすこしは理論武装した?

「崇神は4世紀以後だと思っただけ」

これ以上の理由があるなら、聞かせてね。
興味ないけど。

889 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/02/13(土) 16:32:25
崇神の代は3世紀。

890 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:37:33
 |``i‐'''''"" |     .|
       |  | (◎ .! ____ |
       |  |  lj  .!ハ((.__\     
       |  |    .||l._  _ l彡|   
       |  |   _,,,|.l ・〉. ・` .V^)    
       ``‐‐'i''i"  | (_,ヽ * i.J   ___
             .| |   ヽ`ニニ´ |   /\__\
           ヽヽ   ┬ '  ヽ  \/(◎)
              ,r''',ニ二/´ ̄    l     `´
     _,,,,--/ /_,、 / .、     i
_,,,,--'''''    {  {_二ノ.ヽ     i \
          \ .{  `‐〉     }、  \
             . | .`r.、__   ノ_ ノ l、  .\
             <`|  |\`¨    \-'    .\
               \_).\ヽ、    ))
                      `-.ニ-‐''

891 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:37:44
崇神4c説>wiki? wikiはどっからの出典なんだろう?

892 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 16:41:18
>>888
興味がないなら聞かねばいいんじゃないの。あんたは**か?

893 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/13(土) 16:45:42
崇神世は、
考古学は、2世紀末とする。
新羅本紀では、193年に倭人が飢饉の為押寄せた、とある。
崇神紀の6年の状況と同一である。

ここから太陰暦で読めるよう、19年×n回を差引くと
景行元年は、240年と考えられる、丁度たじまもりの帰国と重なる。



894 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:46:09
>>892

縄文人に「逃げ道」を作ってやっただけだよ。

答えたくないなら、答えなくてもいいよ、ってね。
ほら、安心しただろ?


895 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 16:51:34
>>885
代りに答えて頂いてありがとうございます。これで十分すぎるほどだと思いますが、戸数7万餘を収容する
ことが可能という点も付け加えさせて下さい。

896 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:56:49
>>887 バカ縄
>あくまでも認めたくないのだな。

ん?勘違いするなよ。

根拠の無い妄想の如き説は検証以前の問題。

ついでに言うと巨大度毒工事の痕跡も無い。

作業を行うに当たって当然鉄器の技術供与のようなものが
あってもいいものだろうがそれも見当たらない。

この時点で仮にこの馬鹿が妄想する巨大工事があったとしても
それをなしたのがヤマトの人間でも構わない話になるw

もう何処から何処までも穴だらけ。

新しい考古資料の提示なんかは元より求めるべくも無いだろうが
せめて理屈としての最低限の体裁は繕うぜ?wwwwwwww

897 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 16:59:07
>>885
>>895

さて、>>885が鏡に言及してないように、
弥生時代末の日向に、漢鏡がほとんど流入していない点、
(漢鏡が流入してたのは北九州のみ)
銅矛文化圏すらも外れてるほどの「辺境」だったという点はどう説明するのかな?


898 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 16:59:23
>>894
おやおややっぱり興味があるんだ。
あのね。神功の事績(新羅征伐)を4世紀末にすれば、(夫の仲哀天皇は14代だから)崇神天皇はその4代前
で、1代を20〜25年とすれば、4世紀初ということで問題なし とまあ こういう訳なのだ。

899 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:02:31
>>866
とうとう改めドツボもギブアップか…
ネットカフェ回っても駄目だったんだろうか?wwwww

何れこうなる事は予想されてはいたが確かにスレ立て規制厳しそうだな
ドン来い65は俺が立てたが今回もできるかなと思ったが駄目だった。

まあ邪馬台国スレ乱立気味ではあるし整理のためにはいい機会かも知れんがwwwww


900 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:05:49
>>898

どうして崇神と神功の系譜や代数が正しいと決め付けてるわけ?
神武天皇の紀元前660年即位は否定してるくせにおかしいよね?勝手すぎやしませんか?

>神功の事績(新羅征伐)を4世紀末にすれば、(夫の仲哀天皇は14代だから)崇神天皇はその4代前

4代前だという記述が事実だと保証する根拠は何なの?
実際は10代前かもしれないし、2代前かもしれないのに?

901 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 17:10:35
>>896
>それをなしたのがヤマトの人間でも構わない話になるw

唐古・鍵遺跡の出土物のうち工具関係をみればわかるだろ。また、水没するようなところに集落を構える程度の知識
しかない人間が急に利口になる訳がないだろ。

あのな。大和川の排水工事は重要な工事ではあるが巨大工事という言葉で表現するような大人数や大量の資材を使う
ような工事ではないのだ。亀の瀬辺りに堆積した岩石を少しづつ取り除いてゆく。頭を使う工事だ。

902 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:12:50
>>878

結局「昔は良かった」式の怨み節だなwwww

鉄器の豊富さ=先進地域 と言う図式自体成り立つのかどうか怪しくなっている。
少なくとも昔ほどには素朴にその図式を妄信する人間もいないだろうw

現に弥生時代の人口を推定したものを見ても鉄器出土量に比例したようなものなんか無い。

そしてヤマトは鉄器不足wのまま古墳時代に突入するのは誰の目にも明らか。

え?畿内説の学者も昔は鉄を重視してた?

シラネーヨwww

お前が学問の進展についていけず精神的ダメージを受けたとしても
こっちは知ったこっちゃない。
勝手に「謝罪と賠償」を請求する裁判でも何でも起こしてくれwwwwwwwwww

903 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:19:36
>>901
>亀の瀬辺りに堆積した岩石を少しづつ取り除いてゆく。頭を使う工事だ。

つまり、縄文人は、盆地湖の水が引いたのは、
亀の瀬辺りに堆積した岩石を少しづつ削ったからだと。
そういうことを言っているのかな?


904 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 17:20:18
>>900
およよ。これはまた徹底してますね。

905 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:20:36
>>901 アホ縄

で今度は九州人は頭が良かった説かwwww
ったく下らない。

じゃあその高度な土木技術(壮大なスパンでの計画)が九州のものであるという根拠は?

吉備でも出雲でも播磨でも阿波でも讃岐でも東海でも関東でも北陸…でもない
九州に限定できる根拠は?

お前の脳内の「古代九州人は頭が良かったんだぞ!」と言うガキじみた設定だけなのか?w

具体的にその巨大土木工事に繋がる九州での工事実績を聞かせてもらえないかな?



906 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:22:50
日本書紀にも土木工事の記事は多いけど、
亀の瀬を削って盆地湖の水位を下げたなんてのは大工事だよね。
どうして天皇の偉業として日本書紀に記載が無いんだろうね?




907 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/13(土) 17:24:04
>神功皇后の新羅征伐の記事は4世紀末の倭による半島侵略を反映したもの

この思考が大きな間違いで、いずれにせよ倭軍は渡海をし、任那他の地域を領有する。
この初めが神功と書かれている以上、最初の渡海は、神功だ。
では何時か? 神功元年の記事に、日食が出てくる。この日食は大きく「日のカゲが
キラメク」と表現されている。完全日食かそれに近い。この条件は、273年の日食になる。
崇神の数字から同じく19年×n回を差引けば、神功元年275年が得られる。
この前年には、晋において、幽州を分けて平州を置く、この下に楽浪などが、入る。
晋書を読めば、この辺から、東夷の洛陽詣でが時を置かずに頻発する。
ここに倭国が無いはずが無い。
それから約50年後、晋は皇帝の崩をもって、永嘉の乱への関与を止める。ここで323年だ。
この時大陸東北部は、東晋の領土で有ったが、乱から身を引いたことにより、空白の領土となる。
遼西群晋平県、そこに建国したのが、倭軍と百済の混成軍、神功49年にその事が書かれている。


908 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/13(土) 17:25:44
いいかい縄文人どんよ、うそ八百の歴史などまき散らすなよ。


909 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:26:39
結局縄文人の言う事は全て妄想レベル。

2・3世紀に巨大湖があった根拠が無い。
それを耕地にした土木工事を示す根拠が無い。
耕地が急激に拡大されたと言う根拠が無い。
そこに九州からの東征勢力がいたという根拠が無い。

ナイナイ尽くしの無い尽くし〜wwwwwwww

全ては東遷説の脳内ストーリーの為wwwwwwww






910 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 17:40:43
>>905
あのね。奈良湖の排水工事は先ずそれを思いつくことが重要なのだ。唐古・鍵の住民にはそれができなかった。
次には工事を行う段取りをつけることが必要だ。誰を現場に行かせるか。人夫や指揮者を出した家族の面倒をどうするか、
などなど人々を纏めて指導しなければならない。

神武は記紀によれば九州の日向から瀬戸内を経て奈良に入り樫原の地に宮を構えた。これだけのことを行うには軍事面だけ
でなく政治的にも優れた指導力が必要だろう。

唐古・鍵に代表される現地弥生人にこれだけの指導力があったか?無いから征服されたんだろが。

911 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:54:53
>>910
妄想ばかりであまりに見苦しい。
能書きはいいからさっさと大規模排水工事の痕跡と
文献記録を出せばすむ話。

912 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 17:56:06
>>909
>2・3世紀に巨大湖があった根拠が無い。

唐古・鍵の集落は弥生時代中期後半に洪水により埋没し、後期に再建されたと考えられているのではないかね。
私は前にも述べたが、この地が水没するには湖の存在が不可欠と言っているのだ。それが根拠だ。

913 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 17:57:48

神武が東征後、奈良湖の排水工事をやったなどという記事は、日本書紀にも古事記にも無い。
もちろん中国の文献にも見えない。
考古学的にも、何ら証拠となるものがない。
後世の言い伝え等もない。

縄文人氏ただ一人の妄想であろう。史実としては受け容れられない。


914 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:04:21
>>912
>唐古・鍵の集落は弥生時代中期後半に洪水により埋没し、後期に再建されたと考えられているのではないかね

お前の理屈ならその水没は長期間になるよな?
その間住民は何処に避難してたんだよw


915 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:04:40
>>910
「巨大土木工事があった」「神武軍団による征服劇があった」
と言う前提でのお前の脳内ストーリーはいいから

その壮大なプランが実行された根拠を出せって話し。

ったく、様々なジャンルに造詣の深い知識人とかうたって
ご高説を垂れるがその中身は幼稚な妄想レベルのオンパレード。

じゃあもう一つ追い討ちをかけておいてやるw

土木工事で新たに得た土地は農地専用で居住区じゃないと言ったが

じゃあ仮ににそうだとしても、それで収穫が増大したなら標高50m以上の土地に
集落が爆発的に増えたという根拠があるのか?
人口の爆発的増大を何に見る?
根拠を提示できていないことには変わりは無いwww

言っておくが古墳時代になって古墳や纏向ができる事の理由の話しだから
それらの出現をもって根拠とするなら循環論法になるぞ?wwww




916 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:11:31
>>912 縄
>私は前にも述べたが、この地が水没するには湖の存在が不可欠と言っているのだ。それが根拠だ。

やり直し。

川の氾濫で説明がつくし
少なくとも湖の増水で水没したなんて
ここのお前の説以外では正直きいたことが無いwwwww

917 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:17:12
おまいらどうでもいいが、ドン来いのスレ立てろよ

918 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:17:45
>>912
この中期後半の洪水の後が神武東遷を表すというのか?どうせWikiを見て得た知識だろうが、
文化的には継続している。他勢力が入ってきて環濠を最掘削したという様子は微塵もない。
古墳前期にも再開発され、纏向と平行して存続している。




919 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 18:25:15
>>914
私に避難民の世話までさせるのか?多分山裾の近くに野宿だろ。

>>915
収穫が増えたらなんで集落が爆発的に増加しなきゃならんのだ?
そりゃ人口が増える要因にはなるし、実際にも増加しただろう。だが、集落が爆発的に増えるか?
一戸当たりの出生数が2倍になっても戸数は増えんだろ。

大事なことは一戸あたりの富が増え、生活レベルが向上する。収量の増えた米でいろんな物を買えるだろう。
これが人々が感じる指導者の恩恵だ。こうして神武が王に担がれた というのはあり得るだろ。

920 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:29:08
当時は河川の氾濫を制御する技術はないから、洪水跡の見られる遺跡は各地にある。
例えば静岡の登呂遺跡などにしても、大洪水で一瞬に潰えたと見られていたが、再発掘
で洪水後に再建され2世紀末頃まで続いたことがわかってる。たかが洪水跡程度で、古代
の湖の存在を語られてもどうしようもない。全国各地に湖があったことになってしまうな。

921 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 18:31:53
>>916
>川の氾濫で説明がつくし

これだから素人は困るのだ。873を読み直せ。

922 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:34:31
>>919
このバカレスをいつまで続けて掲示板を汚す気だ?亀の瀬の掘削は古代では不可能な
大工事になるだろうが、そこにこの時代の人の手が加わった何の痕跡もない。工事の痕跡
もなければ、その後九州勢力が入ってきた跡もない。ないないつくしだ。脳内で歴史を語ら
れてはたまらない。中学生なども見ているのに恥ずかしくないのか?


923 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:34:31
縄文人の話は最初から破綻してるから、わざわざ論破する気にもならないんだよなあ。

話も面白くないし。

かといって、徹底的においつめて、板から追い出すのも大人げないしなあ。
いまじゃあ、数少ない九州説ネタ要員。
レスポンスが早いだけがとりえ。
ひまつぶし相手にちょうどいいみたいな。


924 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:39:44
一体縄文人は誰と戦っているんだ?

鍵・唐古の件なんて普通は川の増水で片付く話だぞ。
実際環濠には何度も改修跡があるし。

土建屋神武なんてデンパにも程があるぞw



925 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/13(土) 18:40:23
暇な老人相手のボランテイアをやっているのだ。楽しんでくれたかな。ほな夕食でもとりなされ。

926 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:41:16
>>919 縄

ふむ人口増大の根拠は示せないかw
元々この話し、倭人伝の七万戸の話で人口からスタートした話じゃなかったのかな?wwwwwwwwww

人口増大の根拠は示せないから今度は一人当たりの富の増大・蓄積に話を変えたとw

で、それを示す根拠はないんだよな?w

結局、巨大古墳や纏向遺跡の出現に東征勢力が関っている事の証明を
それらの出現に見るしかないと言う循環論法の愚www



927 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:41:36
古奈良湖が存在したのは、300万年前から。かつて琵琶湖は現在の位置ではなく、今よりずっと南の今の伊賀盆地あ
たりにあったとされる。その水は今の淀川でなく奈良盆地を抜けて大阪湾に注いでいた。それが、生駒山地の隆起にし
たがって流れがせき止められ、盆地内に水がたまり湖になっていった。

さらに200万年前あたりに、生駒山地南の金剛山地の北端の二上山が大規模な地滑りを起こし、今の亀が瀬と呼ばれ
るごく狭い部分を除いて水が流れなくなり水位が上昇した。地滑りの跡は地質学的に確認できる。

150万年前〜100万年前にかけての大規模な地殻変動でそれまで、奈良盆地に流れ込んでいた水が、より北の今の
京都、大阪側の方へと流れるようになり淀川の原型となる。少しずつ亀が瀬から水は抜けていき古奈良湖は消滅した。
しかしその後ずっと湿地の状態が続き、現在も軟弱地盤地帯ではある。


928 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:51:17
>>925

はいはい、おじいちゃん、楽しませてくれてありがとうね。
もう施設に帰る時間ですよ。


929 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:52:47
>>927
まあ1000年2000年とかのレベルの話じゃないってことやねw

確か古代琵琶湖の痕跡が伊賀にあって水が引くと直ぐにひび割れを起こす粘土質の土壌が稲作に適さず

どうしても男は「出稼ぎ」に出る必要があって
傭兵として活躍したのが伊賀忍者の話しの始まりとかNHKでやってたなwww




930 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 18:54:05
だいたい、湖の排水というのは信じられないほどの大工事だ。神武集団がそのような技術
を持っていたというのは妄想もいいところで、精神分析の対象になるような事例だな。神武
が東征する前の九州では、確かに水路を用いた水田耕作は早くから行われていたが、さ
すがにそのような大工事の痕跡はない。神武が奈良盆地に入った後、簡単な護岸工事で
すらされた痕跡がない。纏向の大溝などは、この話の流れではずっと後代になるしな。


931 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 19:02:38
結局、縄文人は自分の説を広めていい気になりたいだけ。大胆な仮説とか本人は言ってる
ようだが、ある程度の教養レベルがあれば、それがまったく不可能であることが自明としてわ
かる。で、大攻撃を受けて退散していくパターンが定着してきたようだが、ほとんどのこのスレ
の住人は、縄文人よりはレベルが高いということを再認識すべき。

大和川流域あたりは、地震により地盤液状化の危険があるということで様々な調査がなされ
ている。気をつけられたし。



932 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 19:25:32
>>885よ、縄文人のお墨付きをもらえてよかったな。

じゃ、はやいところ、>>897にもレスよろしく。

弥生時代末の日向に、漢鏡がほとんど流入していない点、
(漢鏡が流入してたのは北九州のみ)
銅矛文化圏すらも外れてるほどの「辺境」だったという点はどう説明するのかな?



933 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 21:12:06
銅鐸も銅矛も倭人伝には出てこないな。
銅鏡だって、北九州みたいにいくらでもあるところだったら
魏から貰ったりするもんか。
銅製品が少ないところこそ、倭人伝が伝える邪馬台国に合っ
てるんだよ。




934 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 21:40:48
倭人伝に書かれた7万戸から人口を推測するなんて
狂気の沙汰としか思えない。
7万戸と人口のどこに共通点があるというのか

935 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/13(土) 21:51:01
>傭兵として活躍したのが伊賀忍者の話しの始まりとか

忍者の始りは、伊勢御師だぞお〜。
伊賀も甲賀も、伊勢御師の出所だあ〜。


936 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:02:12
>>931
大和川は今と昔では流れている場所が違うのをご存知か?

937 :縦目仮面:2010/02/13(土) 22:11:14
日本史最初の忍者的人物とは誰だろうな? 秦河勝あたりかな?

938 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:13:17
現在でも奈良盆地出口の大和川が大地震などによる地滑りで閉塞すれば大洪水が起ることは予想できる。
縄文人の言う弥生時代の排水工事についての文献は見られないようだが、全くあり得ない話ではないだろう。
しかし、縄文人はその話をわざと持ち出して遊んでいたような気がする。


939 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/02/13(土) 22:15:12
幻流っていう忍びの派があったのかね?w

940 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:18:04
>>934
人口と戸数はほぼ比例すると考えてもいいのではないか。
戸数7万余が嘘だと言うのか?そうであればその根拠は?

941 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:28:57
古代から一人暮らしの世帯が多かったんですね。
孤独死も多かったんじゃないかな?
なんだか身につまされますね。

942 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:32:09
>>938
縄文人は史実を追求しようなんて気はさらさらないからね。

943 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:32:29
奈良盆地の地下には巨大な宙水があるといわれる。古代の湖の名残とも
言われる。ある時代にそこが湖だったかどうかは、その時代の集落があるか
どうかで判断するしかないな。

山辺の道は、海岸線沿いだったという説もあるらしい。

縄文時代の橿原遺跡には、船着場のようなものがあり、魚の骨が大量に出て
来るし、葦やヨシのような水生植物の痕跡も認められるらしいので
水辺のほとりだったのは確からしい。

944 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:39:36
真実に目覚めた縄文人が、日の出処を探して旅に出たのだ。
そしてアフリカを出てユーラシア大陸を横断し、日本列島にたどり着いた。
それが東征の正体だ!

945 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:42:45
>>932
まあ、縄文人と同一人物というわけではないので、全く同じ考えではない。
>>885からもわかるように、熊本中心の考えになる。日向との関連は比較的
遅かったと考えている。その分、日向の鏡文化は遅れていたのだろう。

東遷説的には、日向との関連は卑弥呼時代のあとだと思う。

それよりも、根拠を相手に述べさせてばかりで、それにケチをつけるだけと
言うのはおかしかないかい。
そちらも、畿内説の根拠を言うべきだと思うが。
一度も聞いたことがないのでね。

946 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:52:02
倭人伝の戸数誇張説

弥生時代に戸数7万(人口にして30〜35万人)の国はあり得ないとして倭人伝の戸数は誇張されているとする。

しかし、對海国(対馬)の千余戸、一大国の三千許家、末盧国四千余戸などはおかしくないであろう。あるいは
これも誇張されていると言うのだろうか?ある国の戸数は誇張されているのに別の国のそれは正しいと言うのであ
れば理由を述べなければ納得されない。


947 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:56:01
>>946
対馬や壱岐などは常駐していた郡使の行路沿いでよく知られていたから、それだけ。

948 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 22:59:46
>>940

>人口と戸数はほぼ比例すると考えてもいいのではないか。

どこに比例するなんてこと書いてあるのかね?

>戸数7万余が嘘だと言うのか?そうであればその根拠は?

誰が何時そんな事言ったんだろうか?
何故嘘という発想が生まれるのかね?
誰も言っていない事を勝手に想像を膨らませて話を歪曲するのかな?
戸で人口を推測するなんてナンセンスだと言っているに過ぎないんだが

949 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:01:22
>>946
戸は43m×43m。平地を表してる。人口じゃないだろ。
軍人が人口調査してどうすんだよ。

950 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:04:18
まあ倭人伝の人口の記述に関しては特に「〜万戸」と言う数字は
実数として捕らえるには難があるとは思うが

奴国で急激に跳ね上がる様は日本と半島の交易の中心が

 勒島→原の辻→博多湾岸

とシフトして行き、福岡平野が畿内の土器や古墳と言った文化を積極的に
受け入れていった時代背景として捕らえれば俄然納得がいくんだよなwwww



951 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:07:20
>>948
>どこに比例するなんてこと書いてあるのかね?

倭人伝にそんなことが書いてあるわけないだろ。戸に空き家は含めないだろうから千戸あれば少なくても千人、
万戸あれば少なくとも万人で、戸数が多いほど人口が多くなると統計的な観点から言えるだろ。屁理屈はよせ。

952 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:07:37
>>950
倭人伝の「戸」を読んで、人口だなんて思う奴は
自分が視野の狭いお花畑だと表現してるのと同じだと思うがね。


953 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/13(土) 23:08:37
孝元9年 ホ32148 コホのナツ アメヨソカふり ヤマシロダ アワウミあふれ
タもミモチ ナゲキつぐれば ミコトのり ミケヌシオシに いのらしむ
ホ32155 ミナツキソムカ ヲコナヒは ミモムソうたひ ヲシグサに イタミもなをる
マモリもて タにぬかづけは よみかえり やはりわかやぎ ミヅホあつ タミカテふゑて
にきはえは

孝元9年 梅雨の長雨で、大和湖が増水、水田が水に浸かったが、
その後の回復と増水による栄養分の補充で、その年は豊作となる。


954 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:11:40
倭人伝の戸数から人口を推測するのは当たり前の話だ。
戸数と人口がまったくの無関係なんてのは非常識以外の何ものでもない。

955 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:12:54
>>952
戸と人口が結び付く史料なんてどこにもない
戸と結び付くのは「里」だよ

まさしく戸をもって人口云々なんて語った日には、なんでもアリアリ状態全開になる

956 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:13:04
>>954
それがお花畑の証拠だよ。背景がまったくわかってない。

957 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:14:21
>>955
だな。ましてや軍人の資料を読んでそれでははなから見当はずれだ。

958 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:15:04
>>954
だったら戸と人口が結び付く史料を出してみなよ

○○人為戸なんて史料見た事ないけどね  あったら出してくれ  これはお花畑の想像パラダイスじゃないんだ

959 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:16:22
まあその中心を須玖・岡本と見るか比恵・那珂と見るかは
人により年代観によりけりだろうが
福岡平野の隆盛を見るに何ら難はないだろうが

九州説の場合それらを凌ぐ同時代の遺跡があるのかだなw



960 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:16:49
>>958
結びつかないという史料を出してみなよ。

961 :水銀厨:2010/02/13(土) 23:17:44
奈良湖が増水すると当然河内平野でも水害が起こるよね。

畿内説でも河内南部重視の私にとっては、奈良に居住人口が
少ないのは大して問題じゃない、むしろ卑弥呼に神仙思想の
影響を認めているので、都に余り人が多いとむしろ困る。

962 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:19:42
>>960

おいおい
ここで悪魔の証明をやれというのかな?  勘弁してくれよ
お子ちゃまのままごとの場じゃないんだ

963 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:20:56
中国語で戸は door. familyの意味アルね。


964 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:21:38
悪魔の証明って言葉を知らないんだな。

965 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:30:35
>>958
戸は面積なんかじゃない。家族の意味だ。家族によって構成員数は異なるだろうが、戸数が多ければ人口が多い
と考えて何の不都合があるか。

966 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/13(土) 23:35:18
河内は、仲哀の稜墓から、
渡海派と残留組の戦で、ここから2派に分れる。


967 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:38:28
>>965
>戸は面積なんかじゃない。家族の意味だ。家族によって構成員数は異なるだろうが、戸数が多ければ人口が多い
と考えて何の不都合があるか。

不都合とか都合の話をしているんじゃないんだよ
戸と人口の関係を記載した史料が存在するのか同うかの話だ
君が戸は面積じゃないと言っても、戸為里の史料は現存する事実だけど
それを否定してまで 人口と戸を結び付ける史料があるのか無いのか聞いているんだよ

>>639
それは現在の中国語での話だよ
第一いま扱ってる史料は現代の中国語じゃないだろう。

968 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:43:47
ここでは平然と悪魔の証明を要求されるのか?
不思議なところだ

969 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:50:57
古代一种居民组织,先秦以二十五家为里 [community]
八家为邻,三邻为朋,三朋为里。――《尚书大传》
古者七十二家为里。――《论语·譔考文》
一里八十户。――《公羊传·宣公十五年》
百家为里。――《管子·度地》


970 :日本@名無史さん:2010/02/13(土) 23:52:08
まあこのスレもスレ立て規制の厳しさで次スレが立つかどうか分からんが
改めドツボもついにギブアップしたみたいだしwww

「卑弥呼は誰か?」ってアプローチで邪馬台国論争に終止符打つなんてのは無理だったとwww



971 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/02/14(日) 00:01:07
>>970
卑弥呼を特定したのは、私だけか。

972 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:06:28
969の資料は私が提出したものだ。
967は戸為里の資料と言ってるがこれだろ。ここの里はcommunityの単位としての里だ。
また戸については民居曰編戶として《唐六典》戶部掌天下戶口の例文がある。

973 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:12:10
>>971
唐松ちゃん

例の新装開店’卑弥呼の湯’の番台にいる子か?

974 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:14:24
>>973
下がれ下郎。

975 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:15:41
また出てきたのかよ、糞親父。お前が来ると史実から遠のく。wwwwwwww

976 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:16:51
>>972

>communityの単位としての里

ということは何処に書かれていますか? 貴方の意見はどうでもいいのです。

977 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:19:15
>>974
名無しだとえらそ〜な言葉が使えてうれしいだろ。

978 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:22:14
お〜い。
戸と人口を結び付ける史料はまだかー?
夜が明けちゃうぞー

979 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:22:44
>>976
戸=家族ということぐらいは辞書にのってるよ。


980 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:28:38
>>977
下がれ、無知蒙昧。

981 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:30:47
>>976
古代一种居民组织,先秦以二十五家为里 [community]

上記はそのまま中国の辞書から引いたものだ。[community] は私の意見として付け加えたものではない。

982 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:32:38
>>978
そんなものは無いと言ってるだろが。諦めて寝な。

983 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:34:54
>>980
無知蒙昧という覚えたての言葉が使えてうれしいね。ボーヤも勉強してるね。えらいえらい。

984 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:37:15
>>979
>戸=家族ということぐらいは辞書にのってるよ。

その解釈は一体何時を基準にそう解釈しているのかね?
全ての時代に共通した意味である事を保障された文言かね?
で、その家族と解釈されたソースは一体どの文献からの解釈なのかね?
当時の戸は当時の文献でしか解釈できないのだが、時代を大きく隔てた解釈でも通用するのかね

985 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:40:20
>>981
で、戸と人口がどのように関係するのかな?

986 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:45:28
7万戸で推定○○万人と言ってる人は、戸と人口の関係を示す資料を
ここで提示すれば済む事なんだよ。
何をそんなに出し渋っているのか?


987 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 00:51:37
>>984
気になるんだったら自分で調べてみたら?

988 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 00:58:11
>>985
1戸は1つの家族だ。家族によって構成員数はちがうだろう。だから何人を以て1戸とするみたいな文献はない。
統計的には平均して1組の夫婦に2人以上の子供が居ないと人口は減少してゆくから、1戸に子供2人以上と見て
1戸は4〜5人とすればよいだろう。

989 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 01:03:30
>>988
結局定説道理じゃないか。ww このUntouchableが。

990 :神奈川県民:2010/02/14(日) 01:07:54
終止符スレは今45スレをもって一時休暇に入ります。

この際、他の邪馬台国スレを片づけよう。


991 :縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/02/14(日) 01:12:00
>>989
ひとに向けてUntouchableなどという語を使ってはならない。気をつけ給え。

992 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 01:13:16
Untouchableというのは、インドカースト外の人々、不可触賤民などと訳されてるね。

993 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 01:16:54
>>988
だから想像はいりません。記録を想像で埋めても空しいものですよ

>家族によって構成員数はちがうだろう。だから何人を以て1戸とするみたいな文献はない。

それは変ですね
戸にて人口を割り出すという事は、戸に対して家族構成平均値が記載され記録されているからこそ割り出せるものですよ
それが記載されていないという事は、戸と人口にはなんら関係が発生しないという事ではありませんか
戸とは別な意味でのつながりだからこそ
戸に対しての人口を記載しなかったと捉える事の方が、人口を想像で割り出すよりも
現実的ではないでしょうか
戸為里が記録されているのですから、戸から人口を割り出すのではなく
戸を基として 「里」へ進むべきではありませんか

戸と里の関係は文献史料事実ですよ
戸=4〜5人は永久想像ですよ

どちらを優先させるかなんて議論する余地もない事です。

994 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 01:20:53
それでも「私は想像談義がしたい」と言うのであれば、これは違った次元でのお話なので
止めはしませんが
しかし、そうなってくるとその話はここではなく、お花畑と言う板があるのでそちらに誘導せざる負えません

995 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 01:24:54
>>989 >>991
縄文人がUntouchableという語の意味を調べるのにかかった時間が8分30秒。www


996 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 01:39:55
畿内説立ち入りお断り
九州説専用スレ


♪九州説 ドンと来い♪1
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258876085/l50


997 :縦目仮面:2010/02/14(日) 01:47:23
あら、俺もスレ立て規制になってる。生物板でゴタゴタがあったせいか?ここは誰かキレイな体の人が・・・。

998 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 02:03:03
>>997
スレ立て規制はそういうものじゃなくて、プロバイダとか地域とかで
スレ立ての数を制限しているんだろう。
要するに、放っておけばスレが立ち過ぎるということ。

999 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 02:11:37
神奈川県民さんは結論が出たのかね?

1000 :神奈川県民:2010/02/14(日) 02:12:31
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!46
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1266080998/

休暇宣言したがドンコイ立ってないようで不便でしょう。
とりあえず46スレ終了後にしましょうか。

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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