2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

じーちゃん・ばーちゃんに質問しよう。1人目

1 :日本@名無史さん:2010/04/06(火) 20:24:08
じーちゃん・ばーちゃんに対する質問を考え、共有し、回答内容を公表しよう。

日本で使われている歴史教科書は嘘ばかりなので事実を追及しようじゃないか。

テンプレートは問題点や指摘があれば改良していく。

2 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 00:12:21
助産婦が出来損ないをキュッとシメて死産扱いにするっていうのは、復活させていいと思うんだよね。
うちのひいばあちゃんが産婆やってたんだけど、産婆として最初のお産立ち合いで生まれたのが、今で言うダウン症だったようだ。
ひいばあちゃん、当時20歳、躊躇うことなく先輩に教わった通り〆たそうだよ。
ひいばあちゃんいわく
「生かしといても、畑耕すわけじゃなし、兵隊できるわけじゃなし、読み書きソロバンするわけじゃない。そういうのは穀潰し言うてな、養うことはなかったんよ」
庶民は大体こうやって死産扱いしたそうだ。
ただ金持ちだとたまに殺さず生かしといて、これがハイパー池沼化、村の娘を襲ったり、お女中さんが飼い主に監禁されて池沼の性玩具にされたり、ということはあったそうだ。
実際ひいばあちゃんが立ち会ったお産で一番悲惨だったケースが池沼絡み。
戦中のケースだけど、12歳の女の子が池沼にレイプされ続けて妊娠、堕胎も出来ずひいばあちゃんが呼ばれて立ち会うも、
女の子は出血と痛みに耐え切れず死ぬわ、何とか取り出した赤ん坊は、一目見て異常な奇形だったので、その場で処分したそうだ。
この12歳の可哀相な女の子を両親公認でレイプしてたのが、この女の子の5つ年上の実の兄。
ひいばあちゃん、割と温厚な人だったけど、こんときは人生で一番激怒して、
「17年前にワシがこんゴクツブシを〆てやる言うたんを、やめさせたんはおのれら夫婦じゃ!なぜあのときワシの言う通りにしなかった!今からワシがあの出来損ないを処分しちゃる、それが産婆の責任じゃ!連れて来い!」
って池沼飼い主を怒鳴り付けたらしい。
まあ結局池沼はその後土蔵に 閉じ込められて、10年くらいで死んだみたいだけど、ひいばあちゃんは多分このケースのせいで死ぬまで知的障害者全てを忌み嫌ってた。
オレのばーちゃんもオレのかーさんも、ひいばあちゃんに「出来損ない産んだらワシに言え。始末してやるから安心しろ」言われてたってさ。
でもオレ、ひいばあちゃんは間違ってないと思うんだよな。うちのクラスの池沼♂とかみてると、こんなん生きてる価値ないだろって思う。

3 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 01:11:08
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

4 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 01:13:20
age

5 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 01:27:18
小さい頃、じいちゃんが死んだ。俺は小さいから死というものがよく理解できず、両親が変な服(喪服)を来て泣いてばかりいるのが不思議だった。
じいちゃんは箱に入れられて、変な服(白装束)を着せられていた。出棺後、車の中で「これからどこへ行くの?」と聞くと、母は「おじいちゃんを焼きに行くのよ」と答えた。その答えが何だか恐くて、母の膝に顔を埋めていたら、そのまま寝てしまった。


目が覚めるとすべてが終わっていて、俺は自宅の布団にいた。起き出していくと両親は普段通りの姿で、母は夕食の準備をしていた。
おかずは、豚の生姜焼きだった(じいちゃんが生前好物だったらしい)。
準備が整って、いざ食べようとしたとき、父がじいちゃんを思い出したのか「お父さん・・・」と言って泣き出した。


俺は、車中での母の話と合わせて、これはおじいちゃんを焼いた肉だと思い込んでしまった。それでも両親が食べ始めたので、俺も食べた。旨かった。俺が「おじいちゃんおいしいね」と言うと、母が「**ちゃん、おじいちゃんが見えるの?」と驚いた。
俺は目の前の肉の事だと思って「うん、ぼくの前にいるよ」と言った。
その答えに両親が再び激しく泣き出したので、これは間違いなくじいちゃんの肉だと確信した。



誤解が解けたのは小学生になってから

6 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 10:20:34
>>1
年齢と性別を出来るだけ明記してくれ。
80代とかでも可。
戦前に生を享けたか、それとも戦中に生を享けたかで考え方が全然違うと思う。

7 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 10:29:11
てことで、>>1で言われていることを質問形式にすれば、じーさん・ばーさんは障害者をどう見ているのか?ですな。
みんなよろしく。

8 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 10:30:08
>>7
すまん。
>>1で言われていることじゃなくて>>2だった。

9 :日本@名無史さん:2010/04/07(水) 22:46:04
70代のじーさんが「日本人は竹を食うと外国人が馬鹿にしている」と言っていた。

そもそも外国人は昔、日本人は生魚を食べると馬鹿にしていたじゃないか。
それなのに今なんて「スシダイスキデス」って感じじゃないか。

外国人に何を言われようが、俺は思う。
竹の子って美味いよね〜(*^_^*)

10 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:17:30
俺のじいちゃん(81)がボケた。ここ数日、食事を終えた後に真顔で何度も
「飯はまだか?」
って聞いてくる。
兄と両親、ばあちゃんは、ついにこの時が来たか……みたいな暗ーい顔してる。
だけど俺はどうも納得いかなかった。
近所の小さい子集めては、嬉しそうな顔してイタズラの方法を教えたりするヤンチャなじいちゃんで、
俺が小学生の頃なんか、日が暮れるまで庭で一緒に駆け回った元気なじいちゃんだった。
それを思うと無性に悲しくなってくる。
そして一昨日の昼過ぎ。
たった今そうめんを食べ終わったばかりのじいちゃんが
「飯はまだか?」
と言ってきた。だんだん家族も慣れてきていて、ばあちゃんが上手いこと誤魔化してた。
その日の夕食は、またそうめんだった。まあ夏にはよくある事だ。
配膳を済ませて食卓につき、縁側にいたじいちゃんを
「夕飯できたよー」
と呼んだ。
そんでじいちゃんがゆったり歩いてきて、食卓の上のそうめんを見て一言。



「なんじゃ、またそうめんか」



一同( ゚Д゚)ポカーン
直後、しまった、みたいな顔をするじいちゃん。
一家は沈黙。
ほんのちょっと経って、じいちゃんは豪快に笑いだした。
つられて俺とばあちゃんが笑った。
他のみんなは乾いた笑いだった。
じいちゃんのヤンチャジジイぶりは、むしろ磨きがかかっていたようです。
じいちゃん大好きだ。

11 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:28:01
俺が小学5年の時の話。
友達と一緒に学校から帰宅している時だった。
たわいない話をしながら歩いていると100メートル先の公園の角から
ものすごい形相で自分たちを睨んでいるおばあちゃんがいた。
友達が「うわ、こわ・・」「回り道する?」と言ってたが俺が
「隅の方あるいたら大丈夫だろ?」と言い、怯えながら歩くことにした。
そして公園の角に差しかかろうとしたとき、そのおばあちゃんはなんと石を思いっきりこちらに投げてきたじゃないか。
「うぼあびゃがでええああ!!!」と奇声を発しながら。
2人で「うわああああー!」と今来た道を戻ろうと走って逃げたが、なんとそのおばあちゃんは俺たちを追いかけながら石を投げてきた。
しかも速い!奴は懸命に逃げる俺たちにポケットから石をリロードし投げる行為を繰り返した。
学校の中に逃げ込み、友達と息を殺しながら校門の外を見た。
なんとか逃げ切れたようでその場で2人でしゃがみこんでしまった。
友達を見ると涙目になりながら怯えている。
しかも眉毛の上に石であてられたであろう傷がついていた。
友達は「なんだよあのばばあ・・ 今度会ったらこっちが思いっきり石ぶつけてやる!」
そう思うのは当然だろう。
でも俺はそのおばあちゃんは憎めない
やっぱり身内は憎めない

12 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:34:18
幼稚園の頃。大好きなじいちゃんが死んだ。
葬式で来た坊さんがじいちゃんを殺したと思って、
お経中に「死ね!ナッパ!」と叫びながら思い切り後頭部殴った

13 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:43:34
うちのじいちゃんが核心をついた件
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/03/03(月) 00:30:21.20 ID:R9uFH55B0
♪コンニャクばたけで フルーツとれた〜
















じ「じゃあそこはフルーツ畑だな」

14 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:59:04
16 1/2 :2006/11/30(木) 18:09:12 ID:aZNYGyBc

高1の時にじいちゃんが死んだ。

昔はじいちゃん大好きでじいちゃんちにいくのが楽しみだった。
優しかったし、医者だったから俺が喘息の発作起こした時は夜でも診てもらった。
でも、大きくなるうちにじいちゃんちに行く足が遠のいた。
別に嫌いになったわけじゃなくてただ億劫だった。
そのうちにじいちゃんはボケてしまい、ますます億劫だという気持ちが強くなった。
ある日父親から「じいちゃん、そろそろダメかもしれないから顔見みせとくか?」って聞かれ時、凄く後悔した。
なんでそんなことになるまで会いに行かなかったんだって思った。
学校から帰ったら行くと約束をして家を出た。
授業が終わって、部活の用意しながらHRが始まるのを待ってる時に、先生が教室に入ってきて小さな紙切れを渡された。
紙切れには「おじいさんが死んだから、すぐ帰りなさい」って書いてあった。
見たときはなんか呆然としてて、とりあえず友達に部活休むわって言いに行かなきゃなーって考えてたんだけど、友達にあって「じいちゃん死んだから今日休む」って言おうとしたら口から言葉が出てこなかった。
何度言おうとしても「じいちゃんが・・・」までしか言えないでその場で泣き崩れてしまった。
友達は支えてくれて「もういいから」って言ってくれた。

15 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 00:59:13
17 2/2 :2006/11/30(木) 18:09:43 ID:aZNYGyBc

じいちゃんのうちに行くまでのことは本当になんにも覚えてない。

久しぶりに会ったじいちゃんは痩せてた。
俺の思い出の中のじいちゃんは恰幅が良かったから、自分が長い間会わなかったんだということを思い知った。
ひたすら悲しかったけど、涙は出なかった。
その日、伯父さんが挨拶をしたときにこんな話をしていた。
じいちゃんは開業医だったから、伯父さんと父は小さい時から医者の息子ってことで金持ちなんだろうって目で見られた。
実際は、じいちゃんは患者さんに金がないときは診療代の支払いを待ったりして、裕福とは言えなかった。
そんな感じでじいちゃんはとにかく人に優しくて、人に怒った所をほとんど見たことがない。
ただ一度だけ、昔家を出てそれっきりだったじいちゃんの兄弟がじいちゃんに逢に来たときに、じいちゃんは「お前は誰だ!帰れ!」と怒鳴った。
あれだけ優しかった人が怒鳴ったのは、ずっと逢いに来ないでいた人間がのうのうと逢いに来たからだと。
そんな人だったから今夜、この中の誰かにも今日怒鳴りに行くかもしれない、と。
俺は怒鳴りに来てほしかった。どんなに怒られてもいいからじいちゃんに逢いたかった。
そして長い間逢いに行かなかったことを謝りたかった。
葬儀はやらずに、母校に献体に出して、骨は海に撒いてくれっていうのが遺言だったからじいちゃんの顔見たのはその日が最後だ。

ばーちゃんがじいちゃんは俺と一緒に自分の故郷へ旅行に行ったことを喜んでたって言ってくれた。
じいちゃん、俺もじいちゃんとの旅行楽しかったよ。それと、ごめんね。

16 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:08:35
111 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2006/08/12(土) 08:45:23 ID:+fn9uvqJ0
ばあちゃん……
俺がうまいって言ったら、ずーっとそればっか作ってくれたな……
子供の俺には嬉しかったよ、ばあちゃん

死に目に会えなくてゴメンネ、子供だった俺は深夜1時過ぎまで起きてられなかったんだ
それに「倒れた」って聞いても、すぐに起きるもんだと思ってんだよ
最後に俺の名前呼んでくれたそうだね、その時のばあちゃんの気持ち考えると切なくなる

ばあちゃんが亡くなってから10数年、二十歳を過ぎた頃になって
父さんからばあちゃんの話を聞いた時ショックだった
ばあちゃんはじいちゃんの後妻で、父さんとは血が繋がってない
つまり俺とばあちゃんは、言ってしまえば赤の他人

それを聞いたとき「最後に俺の名前を呼んでくれたこと」を思い出し
ばあちゃんが死んだ時より泣いた

血の繋がりとか戸籍上とか関係無く、ばあちゃんは俺のばあちゃんだった

17 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:20:54
小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。
でも買ってきたのは黄金に輝くソフト

「ドラゴンバスター」。

当時60歳くらいだったばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに
俺はばあちゃんが憎くて、

「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」

といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。

物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。
でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。
ばあちゃんその日は寂しかったろうな。

んで、次の日学校から帰ってしょうがなく「ドラゴンバスター」をやってみた。
そしたらこれが以外に面白い。
夢中になって遊んでいるとばあちゃんが突然部屋に入ってきて、
「ごめんなぁ。○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ・・・(山形弁)」

18 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:21:17
俺はゲームに夢中で
「もういいから!入ってくんな!!」

そう言われた時のばあちゃんほんとに悲しそうな顔してた。
でも、「ドラゴンバスター」が面白かったから怒りなんてとっくに忘れて
その日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。

布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。

俺はその日ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。

ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。
ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。

急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、
一人暮らししている今でもあの「ドラゴンバスター」は大事に持ってるよ。

ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。

19 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:24:36
470名前:名無し 投稿日:03/05/02
ほんとに出会えるもんだね・・・びっくり・・・

ttp://xxx.com


471名前:名無し投稿日:03/05/02
死んだ俺のじいちゃんやばあちゃんとも出会えますか。

じいちゃんは五年前から寝たきりだった。
生きてる頃は正直、気にしたこともない存在。
寝たきりなだけでやたらと元気だし、死ぬだなんて考えたこともなかった。

それが去年さらっと死んだ。
棺おけに入ったじいちゃんはベッドに寝たきりだったころと変わらない顔してた。
そのまま火葬場で骨になった。

じいちゃん死んで元気がなくなったのか、今年の初めにばあちゃんも死んだ。
立て続けに死なれて親父たちはへろへろになってた。

俺が思い出せるのはじいちゃんやばあちゃんのウザったいおせっかい。
寒いからもっと着ろだとか、俺がひそかに嫌いな料理を美味いから食えだとか。
実家に帰った時に千円や二千円を小遣いにくれたりとか。
そんな程度しか思い出せない。

じいちゃんもばあちゃんも俺のことを好きだった。
だけど俺はそんなに好きってわけじゃなかった。
でももう一回会えるなら、今度はちゃんと好きだったって言ってやりたい。

出会えますかこの野郎。

俺はじいちゃんとばあちゃんに会えるのかって聞いてんだよこの野郎。

20 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:26:04
去年のちょうど今頃の話なんだが。
仕事の関係で俺はほとんど日本にいなかった。
で、六ヶ月振りに日本に帰って来たんだよ。
帰ってきた港の直ぐ近くに祖母と叔父夫婦が住んでる家があったんで、土産持ってな。
んで、いつも通り「おいばばぁ!今年の夏は暑いけどくたばってへんやろなw」とか言いながら家に入った訳。
でも祖母の返事が返ってこない。
いつもなら「お前こそ死んだと思ってたわwww」とか笑いながら出てくるのに。
で、代わりに出てきたのが叔父。「ばあさん、3月に脳梗塞で・・・」って突然言われたんだよ。
慌てて祖父の仏壇のある仏間に行ったら、祖父の遺影の横に祖母の遺影が。
俺もう、大声出して泣いたのよ。祖母は大好きだったのに、その死に目にも会えなかったのかよってな。
そしたら、突然祖母の声が聞こえたんだよ。

「○○(俺の名前)、うちが死んだら笑ってやるって言ってたやないか!笑え!」

ってな。一緒にそこにいた叔父夫婦もしっかり聞こえたらしい。
もうそこからは俺も叔父夫婦も大笑いしながら大泣き。
滲んで良く見えない視界の隅で、祖母の遺影が笑ったような気がした。

21 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:32:54
僕のおばあちゃんが今年の4月に亡くなりました。
大腸がんが再発して頚椎に転移した結果だそうです。
母から半年ほど前に「おばあちゃん、長くないよ。」と宣告を受けましたが、
病院に見舞いに行くといつでも満面の笑みで迎えてくれ、
元気そうにしていたので、病状が深刻なんて全然信じられませんでした。

実際は毎日のように激しい痛みに襲われ、布団の中で泣いていたそうです。
そんなこと知らなかった・・・

当時僕は高校3年で大学受験をひかえていて、精神的に不安になってたのですが、
おばあちゃんは「○○なら絶対受かるよ!」と励ましてくれる唯一の人でした。
その言葉に励まされたおかげで第一志望の大学に合格し、真っ先に合格通知を持っていくと、
おばあちゃんはとても喜んでくれました。しかし大学の入学式の8日前に容体が急変し、
眠ったままで口もきけなく、食事も一切とれない状態が続き、入学式の次の日に亡くなりました。
オリエンテーションを受けている最中に母からのメールが入り、急いで家に帰ったのですが、
冷たくなったおばあちゃんと対面したとき、涙があふれて止まりませんでした。
声をあげて泣きました。後に母から聞いたのですが、おばあちゃんは自分の病状も余命も知っていて、
受験があった僕のことを一番気にかけてくれていたそうです。大学が決まった後も
「あと1年病気が遅かったら、たかの入学式に行って門出を祝ってあげれたのに」とよく母につぶやいていたそうです。
現在僕は実家から遠く離れた場所に一人住んで、大学生活をしています。
窓際には病院のベットの上で微笑むおばあちゃんの写真。。。

僕はおばあちゃんからもらった優しさ、思い出を絶対忘れない。
これからもずっと。
大学でがんばるから、見ててね、おばあちゃん。

22 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:35:14
俺の近所に住んでた爺さんの話。

一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

「若、ご立派になられましたな。」

もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。
そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。

後に医師から聞かされた話なのだが、「じい」が脳に負った障害は重く、そこから意識が回復した例は
聞いたことがない、というかまずあり得ないということであった。
だがあの場にいた俺は、オカンは、看護士は、確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」とは腰を抜かしてたオカンの談である。

そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと心に誓ったものの
結局こんな時間から2chに入り浸ってるような、天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。

23 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:44:33
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたため
おばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱に
ハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか
一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、
「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、
なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、
「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。

今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。

大好きです。

24 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:51:31
じいちゃんとばあちゃんは2人で暮らしてた。
ばあちゃんはボケが進んでた。
じいちゃんが介護してた。いろいろ大変だったみたいだけど、
会話はできているようで、人が思うほど大変じゃないよって言ってた。

ばあちゃんの家に行くと、いろんな事が紙に書かれていた。
「冷蔵庫は閉めましょう」「電気は消しましょう」「トイレは←」「ふく、くつした↓」とか、
いろんな字がじいちゃんの手で半紙に筆で書かれていた。
書いてあれば守ってくれるんだって。

じいちゃんはいつも一緒にいてあげたけど、どうしても区役所とか病院に
薬をもらいにとか出かける事があった。
心配だけど「外には出ないこと」と玄関に書いておけば、大人しく待っていて
くれたんだって。

ある日、じいちゃんが出かけた。
もちろん玄関には「外には出ないこと」と書いておいた。
それなのに、じいちゃんが戻ってきたら、ばあちゃんは家のすぐ前で車に
轢かれてしまっていた。救急車で運ばれた。
じいちゃんが駆けつけると、待っていたかのように、じいちゃんの手を強く
握って天国へ行った。
じいちゃんはとても悔やんだ。家族全員も悔しかった。
今まで書いてあることは必ず守ってたのに、なぜ家を出たんだろう。

25 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:51:49
家族同然の付き合いをしていた隣のおばちゃんが話をしてくれた。
事故の直前、急に雨が降ってきて、おばちゃんは布団を取り込みに庭に出た。
すると、ばあちゃんが傘を持って慌てて道路に出てったそうだ。
その時に事故にあった。

じいちゃんが勤めていた頃、ばあちゃんは雨が降ると必ず駅までじいちゃんを
迎えに行ってたそうだ。ちょっとでも雨が降ると必ず迎えに行ってたんだって。
雨を見て、じいちゃんが家に居なくて、傘を持っていこうとしたのだろう。

それだけ、じいちゃんが好きだった。
じいちゃんもばあちゃんが好きだった。

じいちゃんもしばらくして病気で天国へ行った。
ばあちゃんが持っていた傘と一緒にお墓に眠っている。
じいちゃん、ばあちゃん達は幸せだったんだろうな。

26 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:52:28
糖尿病を患ってて、目が見えなかった、ばあちゃん。

一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする。
一緒に買い物行ったり、散歩したり。だけど、ばぁちゃんの体が弱っているのは子供だった私でもわかった。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ、私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。私のことも、わからなくなってるらしい。なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。

それから。半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

27 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:52:43
葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」
そう言って、私に封筒を手渡した。

ばぁちゃんの字で、"さぁちゃんの"って書いてあった。中身は、通帳だった。私名義の。二十万ほどの預金が入っていた。働い てないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。

28 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 01:56:11
昔バンドをやっていた。
XJAPANとか全盛期の頃で自分達もそういうのを目指してたから当時の自分は金髪のロン毛とかだった。
ありがちな話だけれどそんな俺の姿を見て祖母はいつも
「髪の毛早く切ってちゃんと仕事しなさい」「○○ちゃんどうしちゃったの」とか言ってきた。
当時は「ババアうるさいな〜」って思ってた。
それから数年後、バンドも辞め普通に働き始めた頃祖母が死んだ。

式やら何やらを終え一段落した後、生前の品を整理していた父が
祖母が沢山書き溜めていた孫への手紙というか仏様へのお祈り?が書かれた紙を発見し見せてもらった。

俺のものは全部で4枚あった。
「○○ちゃんはとても健やかで朗らかな可愛い孫です。これからも○○ちゃんが元気一杯過ごせます様に」
「○○ちゃんが無事学校を卒業しました。ありがとうございます」
「○○ちゃんに恋人が出来ました。こうして孫の成長を見る事が私の生きがいです。○○ちゃん良かったね」
これだけでも俺は号泣だったんだが最後の一枚

「恥ずかしがり屋の○○ちゃんが最近、舞台で音楽を演奏しています。
楽しそうな顔を見て私も元気をもらいました。○○ちゃんのグループがうまくいきます様に」
あの頃、口ではうるさく言いつつ影で応援してくれていたのかなと思ったら
涙腺が崩壊した。

今も書き込んでて思い出して一人で泣いてしまったw

29 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 02:01:58
私が中学2年の時に、糖尿病を患っていた祖父が亡くなりました。
2月の初めの雪が降る日の事でした。

祖父は亡くなる1.2年前から病院に入院していましたが、
病気のために体が思うように動かなく、看護婦さんや先生に当たる事もしばしばあったそうです。

そんなある日、入院しているはずの祖父が急に帰ってきたのです。
タクシーに乗って。
(ここまで人に迷惑をかけるなんて困ったジジイだ…。)
そう考えていました。

私は「どうしてちゃんと入院してなかったの!?」そう言って祖父を怒鳴りつけました。
でも、祖父はなにも言わず私の顔を見てニコニコ笑っているだけでした。
2時間後、祖父はまたタクシーで祖母と共に病院へと戻って行きました。

そうして祖父は寝たきりになって1年後病院でなくなりました。

祖父が亡くなった日、湯灌をしている時祖母がボソっともらしました。
「じいさん、孫さ会いに行くんだって言ってみ−んな止めるのも聞かずに急に外さ出てタクシーさ乗ってしまうんだものなー。
運転手さ(どこにいく?)って聞かれて孫さ会いに行くって笑ってたな…」

じいちゃん、ごめんね。

あの時は私に会いに来てくれたんだね。

それなのに怒っちゃってごめんね。

早く病院に帰れなんて言っちゃってごめんね。

せめてあの時、お茶さえ入れてあげなかった自分が情けなくて悲しいです。

30 :日本@名無史さん:2010/04/08(木) 22:21:41
なんだこのクソスレ・・・





目から汗が出てきて止まらん。


31 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 13:23:54
上げ潮

32 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:06:36
ばーちゃんは天長節を嬉しそうに語った。

33 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:51:37
しかし なにも おこらなかった!

34 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 10:27:49
保守

35 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 12:43:05
田舎にもアメリカ軍人はいたようだ。
日本も戦争を経験し食料が不足していた時期もあることを肝に銘じておくべきだ。

36 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 17:37:23
第二次朝鮮戦争来るかな?

37 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:01:09
おまいらいい加減にしる!


これ以上俺を泣かすな!!

38 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 01:13:28
これより面白いコピペ集めてきてください。

39 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 22:23:34
表にしてみました。
http://2nnlove.dtiblog.com/blog-entry-2226.html

40 :日本@名無史さん:2010/06/26(土) 12:21:44
ばーちゃんに質問。
@腰巻からズロースに変えたのはいつからですか。
Aズロースからパンティに変えたのはいつからですか。


41 :日本@名無史さん:2010/06/26(土) 14:14:34
ばーちゃんは元パンパン

42 :日本@名無史さん:2010/06/26(土) 15:18:16
>>40
年令や地域によって様々だろうね。ばーちゃんと何歳から言うのかに
よっても違うだろう。今後腰巻を一番下の下着にしていた経験のある
世代がいなくなるだろし、最初からショーツだという人に孫が出来つ
つある。

43 :日本@名無史さん:2010/06/28(月) 22:58:07
腰巻をズロースに、ズロースをパンティに切り替える時それなりの決意をす
るのかな。

44 :日本@名無史さん:2010/06/29(火) 22:41:44
一人で腰巻→ズロース→パンティという三段とびをなさった激動の昭和史の
体現者の方もたくさんいらっしゃったでしょう。

45 :日本@名無史さん:2010/06/30(水) 18:06:21
腹巻って暖かいよね。

46 :日本@名無史さん:2010/07/04(日) 16:55:24
ヨハネの黙示録

「また、小さき者にも、大いなる者にも、
富める者にも、貧しき者にも、
自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、
その右手あるいは額(ひたい)に刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることも
できないようにした。

この刻印は、その獣の名、またはその名の数字のことである。
ここに知恵が必要である。
思慮(しりょ)のある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。
そして、その数字は、666である。」
                 (第13章第16〜第18節)



47 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 21:14:11
硫黄島は皆知っとけ。

48 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 07:07:26
age

31 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)