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昔の日本って中国や朝鮮くらいしか知らなかったのか

1 :日本@名無史さん:2010/04/09(金) 22:22:36
語る

2 :日本@名無史さん:2010/04/09(金) 22:44:33
 遣唐使、遣隋使は仏教を学んだのだからインドや西域のことは知っていたはずだな。

 空海はサンスクリットを学んだくらいだし。あとチベットのことも知っていただろう。

 元寇でモンゴルを知り、中世になるとルソン、安南、カンボジアなどに日本人町を作ったんだから東南アジアも知っていた。

 江戸時代にはオランダ貿易を通じて西洋を知り、19世紀には赤蝦夷風説考でロシアを知った。


3 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 01:08:23
種子島に鉄砲が伝わったときにはポルトガルを知り、南蛮貿易ではスペインも知っていた。

 その証拠にポルトガル語、スペイン語などの外来語が残っている。

4 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 01:15:21
日本はむしろ唐以後のシナ、新羅統一以後の朝鮮のことなどほとんど知らなかっただろう。

 シナについては書物の輸入で観念上では知っていたが、朝鮮となると対馬藩くらいしか、知らなかっただろう。


5 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 02:20:24
そういえば南蛮貿易時代には日本からローマへ遣欧使節が行ったし、支倉常長の使者が太平洋を横断してメキシコまで行ったな。


6 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 03:04:03
小学校の教科書にも正倉院にあるペルシャの装飾品とか出てきたね

7 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 03:08:44

三国一の花嫁て
中国・印度・日本だろ!
朝鮮は国家と見ていない。
大陸文化の陸路でしか無い。



8 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 03:32:32
>>4
本気で言ってるの?

9 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 04:01:14
>>1

正倉院展見た事ないな!

一度見て来い。



10 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 13:07:03
>>8
その言葉はむしろ>>1に投げ掛けるべきでは?

11 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 14:14:09
今時遣唐使廃止で交流がほぼ絶えた、とかおもっていたとは

12 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 14:32:17
とりあえず、仏典にインドや中央アジアの多数の国が記述されていたのでは?

13 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 14:38:20
インドやペルシャの影響が大きいよね。


14 :中国+日本=大国:2010/04/10(土) 15:46:51
韓国は中国に目くばせをして、しかしある日米国が東アジアの話から退出して自家保険をかけるために彼が中国を頼ります.韓国は大したことはなくて、あなたは本当に彼が世界の強国な時にか?番犬、もしも扉はすべてないなら、それでは犬が更に必要で何をします.

15 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 16:08:04
信長の甲冑ってイタリア製だったろ。
秀吉のマントもイタリア製。
日本人は昔からイタリア好きだったんだよ。
このことが支那人や朝鮮人からみたら
我慢ができないところだったのだ。
日本は、親の支那や兄の朝鮮の文化を無視して
儒教から見たら最低の欧州文化に
憧れていたのだから。

16 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 21:19:00
>>8 白村江の戦争後、新羅統一以後は日本と朝鮮には国交断絶状態がつづいていたんだが、何か正式な国交があったか?

 それ以後の接触というと元寇、倭寇、秀吉の出兵、朝鮮通信使だけだろう。

 日本は新羅とではなく高句麗の後継国家渤海とは国交をもっていたがな。それも新羅包囲の軍事同盟国としてだ。


17 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 21:30:13
>>11 遣唐使以後、民間交流は細々と続いていたがシナの中華秩序をきらって正式国交はなかっただろう。

 一時、室町幕府が朝貢貿易に応じたが、一代限りで止めた。そういう希薄な関係のまま明治を迎えたわけだ。

 シナとは元寇、倭寇、秀吉の朝鮮出兵で戦争しただけだったしな。

 日本は唐、元、明、清、中華民国と戦争してきたのだ。朝鮮とは新羅、高麗、李氏朝鮮と戦争を重ねた。


18 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 21:43:21

昔の日本は、世界は

日本・唐土(中国)・天竺(インド)

これが世界の全てだと思っていた。

19 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 21:46:06
南蛮時代に山田長政がタイの傭兵隊長をやっていたからタイも知っていて、江戸時代には日本人を母にもつ国姓爺が台湾で活躍したから台湾のことも知っていた。

 だいたい江戸時代までにインド以東のアジア諸国は知っていたということだな。

 その他は大航海時代のスペイン、ポルトガル、オランダと徳川家康が英国人三浦安針を顧問にしていたからエゲレスも知っていた。

 19世紀に入れば蘭学を通じて世界情勢を知ることになった。


20 :日本@名無史さん:2010/04/10(土) 21:52:33
>>18 それは昔といっても奈良、平安時代までのことだ。

 鎌倉時代にモンゴル、戦国時代には南蛮人と地球儀、江戸時代にはオランダ、イギリス、
19世紀には世界情勢を知る立場にあった。

 シナも世界のことは知っていただろうが、中華思想でシナが一番という錯覚に酔いしれていただけだったな。


21 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 00:26:21
>>16
博多で宋や高麗と貿易してなかったか?
遣唐使廃止以前は中国文化の受容はあくまで表面的なものに見える。

22 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 01:01:36
>>21 宋音というシナ語が入っているので日宋貿易はあっただろう。

 しかし、朝鮮語や朝鮮漢字音は入っていないから、高麗貿易はどうかな?
 対馬や北九州だけで細々とやっていた程度だろう。

 遣唐使・遣隋使が帰国後、特に仏教を広めたことが表面的なことか?
その後の鎌倉仏教、戦国時代の一向一揆、など日本史上での影響は大きいが。


23 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 02:30:36
>>15
ただ隣にいるからというだけで勝手に親子とか兄弟扱いする
支那と朝鮮
自分達が役にたたん儒教に固執し続けたせいで近代化が遅れた
くせに。

24 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 03:11:41
>>15 シナ人や朝鮮人が我慢できないことを日本人は好んだのだ。

 蓼食う虫も好き好きだ。今ではシナ人や朝鮮人も欧米ブランド品が好きになったようだな。


25 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 03:54:41
スッポンはうまい

26 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 09:38:49
こうしてみると日本はスペイン、ポルトガル(当時の世界帝国)、オランダと出会って相当深く接触していたことがシナ、朝鮮と違うところだ。

 すでにフィリピンはスペイン領、インドネシア(ジャワ)はオランダ領という植民地時代に入っていた。

 西欧人のアジア侵略を知っていたことになる。秀吉のバテレン追放令、徳川幕府の切支丹禁制令はそういうことだ。


27 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 09:45:29
当時と近代と現代を一緒にするな。
近隣や付き合いのある国しか知らないのは
当たり前だろ。時代背景を考えろ。
また政側と庶民の差だってあるだろ。
現代人が世界全ての国を知ってるか?

以上!おしまいっ!

28 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 13:42:55
奈良の正倉院にはペルシャの宝物が保管されている。江戸時代以外は開国していた。シルクロード貿易もしてた。中国と朝鮮だけとゆうのは古代の日本人を馬鹿にしてますね。

29 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 13:43:31
age

30 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 16:13:22
>>28 奈良の大仏開眼式はインドの高僧が主催していたしな。

 大仏殿建立にもペルシャ人が来日していたそうだし。

31 :日本@名無史さん:2010/04/11(日) 16:22:55
>>27 日本は南蛮貿易時代に東南アジア各地に進出して日本人町を形成していたことを否定するのか?

 当時の東南アジアにはすでに西欧が植民地を建設していた。

 日本は朝鮮より数百年早く西欧との接触を始めていたのだ。

 シナも接触はしていたが、何の対策も取らなかったことが日本との差につながったな。


32 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 11:10:50
織田信長が宣教師から地球儀を献上されてる

33 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 12:05:15
>>15
でもそれで大正解

34 :日本@名無史さん:2010/04/14(水) 12:57:17
世界が三国という認識は戦国時代でも残ってる。
大友宗麟が大坂城を「三国無双」と評したり、
仙石秀久が敵前逃亡した時も「三国一の臆病者」と落首された。
大友は早くから南蛮貿易や布教に関与してた大名だから、欧州その他の知識があるはず。

それでも三国という言葉を使うのは、日本人は他国を認知しながら何だかんだ言っても
「世界の主要国は本朝・唐土・天竺だ」的な感覚が残っていたんだろう。
シドッチ、ラクスマン来航、フェートン号事件、
オランダ商館に毎年国際情勢を提出させても幕府の基本姿勢は変わらなかったし。
完全に「三国」認識を吹っ飛ばしたのは、やはり黒船だろう。

35 :日本@名無史さん:2010/04/20(火) 00:00:55
>>34 マゼランが地球は丸いと証明したのもその頃だしな。

 コロンブスは到着したのがアメリカでなくてインドだと信じていたしな。


36 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 01:07:59
>>1
お前は今でもそうだろ!”

俺はつい最近まで姦国の位置が分らなかったが・・・・・・

37 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 18:51:57
ジャガイモ(ジャガタラ=ジャカルタ)、カボチャ(カンボジア)、南京、ラウ(ラオス)、ルソン、安南などの言葉があったから、これらが外国地名だという認識はあっただろう。

 胡坐、胡麻、胡椒など胡の付くものはシナの西方、西域のものという認識もあった。


38 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 19:14:08
ただ、唐土にくらべて天竺は、リアルな実感がなかったんじゃないのか?
いまみたいにテレビで手軽にインドの様子を見ることはできないんだから。

仏教関連で名前だけはメジャーだけど、その実態は坊さんも含めて誰も知らない、
ファンタジーの中の存在のような国だったんじゃないかな。

39 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 19:23:33
東アジア民にとっての西の果てはインド。だから、西方極楽浄土なんて呼ばれてた。
ヨーロッパ民にとっての東の果てもインド。だから、東アジアを極東呼ばわりして、途中にあるイスラム圏を中東と呼んだ。

東西両方から世界の果ての不思議の国呼ばわりされてたインドって、本人達はどう思ってたのかな?

40 :日本@名無史さん:2010/04/23(金) 20:00:30
インドから見れば、イギリスや日本こそ「世界の果て」だよな。
どっちもユーラシア大陸の端っこの島国だし。

41 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 02:13:40
>>38 それはシナ、朝鮮もそうだろう。鎖国時代にシナ、朝鮮へ行く人間はいないしな。

 だから日本人はシナを聖人の国などという幻想を抱いていた。朝鮮人についても数十年に一度の朝鮮通信使を見た人間はほんの一部だろう。

 日本人が初めてシナ人に接したのは満州のシナ人で、朝鮮人は日韓併合時代だ。


42 :日本@名無史さん:2010/04/24(土) 02:19:07
>>38 シナ、朝鮮へ行ってみて初めて、土人の国だと分かったのでシナ、朝鮮が蔑称になる現象が発生したのだ。


43 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 13:18:34
>>1 シナ、朝鮮のほかに琉球王国が近くにあることは知っていたな。

 アイヌの北に粛慎が居ることも知っていただろう。

44 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 14:01:01
なんにせよ、「シナ」なんて連発してる奴に言うことに説得力はないな。

普通に中国って言えよ。肩から力抜けよ。

45 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 14:12:22
【国際】「シナはべっ称でない」中国最大級ネットが改名拒否

 【北京21日清水美和】中国で最大規模のポータルサイト「シナ(sina)・ネット」を経営する新浪網公司は二十一日、本紙の取材に対し
「シナ(支那)は中国へのべっ称」と一部の学者などから出ていた改名要求を拒否する方針を表明した。
「シナは英語のチャイナを語源としており、それ自体に侮辱の意味は込められていない」というのが理由だ。

 最近、「中国青年報」など一部新聞が、中国最大のネットが「シナ」を名乗るのは国辱的だと、日本から帰国した学者などの意見を紹介する形で批判。
北京大学の劉金才教授は「日本が中国への侵略を開始するにつれ中国へのべっ称として使われるようになった。
シナは支那と発音が全く同じであり、
もし日本で中国のことをシナと呼べば中国人とけんかになる」と名称の再考を促した。

これに対し新浪網広報部は「シナは英語のチャイナの過去の発音。
中国の英語名を変える必要がありますか。
シナに侮辱の意味が込められているというなら、
自身の国家を強大にすればいいだけの話。
新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする」
と批判を一蹴(いっしゅう)。
シナ・ネットにも
「欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」など同社を支持する意見が寄せられている。

46 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 15:39:36
>>39
>東アジア民にとっての西の果てはインド。だから、西方極楽浄土なんて呼ばれてた。
それは違うぞ。西に阿弥陀仏の極楽浄土あれば、東には薬師仏の瑠璃光浄土がある。
仏教世界ではあくまでインドが真ん中だ。

47 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 15:41:48
>>45
>日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平
っていうか、歴史を知らない者が勝手に蔑称と思い込んだだけ。

48 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 17:50:07
【五代帝王物語】
麗しき御賀の儀、いかばかりの事にてか有んずらんと覚えしに、蒙古国とかやより牒状を奉る。
高麗の牒を相副たり。宰府よりまづ関東へつげて、関東より二月六日牒状をまゐらせたり。
これに依て御賀止めらる。
公私本意なき御事也。蒙古国もとは契丹の所属、韃靼国也。年比契丹国已下の近辺の諸国打とる。
大宋国も、三百余州のうち大略皆討とられて、僅に六十余州残れり。高麗も同せめおとされて、
臣として蒙古の朝につかふる由、牒状にも載たり。

49 :日本@名無史さん:2010/04/25(日) 20:31:37
>>43 東洋史では中国というとチベット、ウイグル、内モンゴルまで含む。

 日本人はシナは知っていたが、チベット、ウイグル、内モンゴルなど知らなかっただろう。

 チベットは知っていたかも知れないがな。

50 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 10:48:58
元寇があった時点でモンゴルは知っているし
ウイグルというよりペルシャやオスマン帝国は知っていた
婆羅門も知っていた
ルソンなんかに書状出してるので秀吉世代は確実に東南アジア諸国も知ってるな

51 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 13:06:33
邪馬台国時代には朝鮮がシナの帯方郡植民地だったことも知っていただろうしな。

 倭の五王時代には朝鮮が百済、新羅、高句麗に分裂していたことも知っていた。


52 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 17:00:38
ちゅーか、昔から中国の史書を欠かさず輸入してたから外夷伝に載ってる国は全部知ってるだろ

53 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 17:18:46
>>52
オランダからも西洋の書物を輸入してたしね。
知識人はかなり知ってたはず。

そこらの百姓は朝鮮と中国と天竺を知るのが精一杯だろうが。

54 :日本@名無史さん:2010/04/26(月) 17:24:42
しかしわれわれを最も驚かせたのは、
レザーノフ使節がペテルグルグから送還して來た、
日本人たちの描いた航路圖であつて、
そこにはデンマーク、イギリス、カナリヤ諸島、ブラジル、ホーン岬、マーキズ諸島、カムチャッカ、日本など、
一口にいへば彼らの航海し、寄航した、あらゆる海洋や國土が描いてあつた。
なるほどその圖には距離についても、位置についても、何の尺度も保たれてゐないが、
これを書いた人間はただの水夫で、太陽の位置だけで、どちら側を航海したかを判斷して、
心覺えでこの圖を作つたことを考慮するならば、
日本人が稀に見る才能を持つてゐることを認めざるを得ないのである。

ゴロウニン

55 :日本@名無史さん:2010/04/27(火) 02:05:03
>>53 坊主ならお経を読んでインド語も多少理解していただろうしな。


56 :日本@名無史さん:2010/04/27(火) 13:32:06
>>53 隠れキリシタンなら百姓でもローマは知っていただろう。

 キリシタン大名なら当然知っていたな。

57 :日本@名無史さん:2010/04/27(火) 14:18:05
キリシタンならイスラエル、エジプトその他キリスト教関連の地名、国名も知っていただろう。


58 :日本@名無史さん:2010/05/05(水) 11:28:21
>>16
新羅は白村江以降、唐が占領した百済の地を奪ったことで唐との関係が悪化。
新羅は報復を考える唐に対抗するため、唐・新羅からの防衛を固めていた日本と同盟状態に。
後に渤海が成立拡大すると唐と直接国境が接しなくなり、
渤海との同盟状態で北方の防衛面での心配がいらなくなった新羅が尊大となったことで日本との関係が再び悪化。

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