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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 71

1 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:32:21
           ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
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   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 70
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1272903028/l50

2 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:36:47
2!

3 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:48:58
>>1


4 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:51:07
==================================================================================
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【 要注意 】

このスレには、wwwでお馴染みのサイキック・バカが貼りついているので注意されたし。

【 対処法 】

NGWordに「w」「w」を追加。(透明あぼ〜ん推薦)

これにより、しつこく自演を繰り返すサイキック・バカがすっきり浄化されます。

【 統合失調症 】

統合失調症(とうごうしっちょうしょう)とは、
妄想や幻覚などの多様な症状を示す症候群で精神疾患の一つ。

幻覚や妄想などの症状を呈し生活能力が失われる病である。
双極性障害とならび、二大精神疾患とされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87

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5 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:21:07
>>4は、
2週間前から粘着して畿内説批判をしてるヒマ人です。
いつまで続けられるか、生暖かく見守ってみましょう。
三十路すぎの歴女九州説信者とプロファイルします。


6 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:36:41
>>4
おまい、そろそろ規制されるぞ。おまいの巻き添えはごめんだからな。

7 :日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:38:37
>>5
>>6
サイキック・バカ乙

8 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:00:35
>>7
サイキック・バカじゃないといっても信じないだろうけど、基地外はおまえのほうじゃねの?

9 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:04:27
景初二年、難升米と牛利が帯方郡に行くと町は大混乱で、
難升米らは魏軍に捕らえられてしまう。
そこで、「魏へ朝貢に行く途中です」と嘘をつき、洛陽まで行く羽目に…

とまぁ、こんな感じで、邪馬台国の朝貢は偶然の賜物だったんだよ。
倭国30国中の弱小国に過ぎなかった邪馬台国が、いきなり親魏倭王国。
報告を受けた伊都国王も対応に苦慮し、話を合わせざるをえなくなった。
なんてったって、「親魏倭王」や「率善中郎將」だからね。

そう考えると、いろいろが疑問が一気に解決するんだよね。

10 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:12:53
>>8
サイキック・バカ 乙

11 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:20:19
>>9
そんなウソは通常無理。王の印璽付きの上表文とかないといけないし。
きょう日でも、一般人がイラクで捕まって、「大統領への使者です。」で通用すると思うか?

12 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:43:14
>>11
難升米と牛利らは一般人じゃなく、公孫氏への遣使で、
それなりの体裁を整えていたので、魏軍も騙されたに違いない。
当時すでに帯方郡が戦渦にあったことは知られていたが、
邪馬台国は弱小国であったがために、情報が不十分だったのではなかな。

13 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:42:48
>>8
サイキック・バカ乙

14 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:46:07
>>13
そんな奴知らん

15 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:48:50
>>13
これは貴方自身でしょw

【 統合失調症 】

統合失調症(とうごうしっちょうしょう)とは、
妄想や幻覚などの多様な症状を示す症候群で精神疾患の一つ。

幻覚や妄想などの症状を呈し生活能力が失われる病である。
双極性障害とならび、二大精神疾患とされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87

16 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:49:19
>>15
サイキック・バカ乙

17 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 07:27:28
せっかく新しくなったんだから、罵りあわず、議論をしたら?

18 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 07:46:29
ふぁ〜、またサイキック・バカがファビョってるの?
いい加減、自演うざいよ。

19 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 10:59:55
罵りあいどころか、一方的に誰彼構わず噛み付いてくる野犬が一匹居るんだよ

20 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:03:53
NGワードで透明あぼ〜んにしてるから、
一方的に騒いでいるように見える。
せめて、引用してくれれば、両方透明でスッキリするんだが

21 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:35:07
おい、畿内説のみんな!
NGワード、「サイキ」、「www」、「www」とか入れて、語り会おうぜ!

次の1行のレスの先頭に入れておけよ!

サイキ www www

これで、九州説を追い出せるよ。

22 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:36:33
サイキ www www

まったく、九州説なんて誰も相手にしてないのに、ガンバルもんだな・・・

23 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:38:59
九州説を追い出す必要など、どこにもない
九州説の中でもとびきり痛い馬鹿が一人消えればいいだけだ

24 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:42:50
サイキ www www

>>23

なんか、馬鹿がほざいてますよ。

九州説なんて、どれも全滅。

それが、わかってないのが不思議なんだよ。

不思議ちゃんな、九州説論者。

笑える!

25 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:46:29
今度は芸風を変えて、エセ畿内説を演じているようだな、奴は

だから忠告したろ?

句読点でバレバレなんだと

こういう風に一行開けて他人に成りすましても無駄

26 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:48:38
>>25
透明あぼ〜ん

に、レスすんなよ、キチガイさん。

27 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:53:14
でその九州説を全滅させるような、あなたの畿内説の内容は?
まさか三角縁舶載説ではないでしょうね?
成りすますのなら、最新の情報を得てからにしてくださいね。

28 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 12:53:58
>>27
透明あぼ〜ん

に、レスすんなよ、キチガイさん。

29 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 16:16:14
煽られるとホイホイ釣られる。

それがサイキック・バカ = ジョーカー = 植草 = ミラーマン 

こんなバカが複数いるわけないだろ(笑)。


30 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 17:52:52
>>25
自重すれw
小突き回すからこーなる
しばらくこのスレも機能しないなw
程々に生かさず殺さずにやるこったw

31 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 19:14:55
一人しかいない畿内説の妄信者が必死にウソと自演で頑張っているのがこのスレ。
サイキックがまともなレスをせずに、ゴマカシばかり繰り返すから、いい加減ほかの人も
我慢の限界になってきた。

コイツは数年前から一人で必死に自演とウソを繰り返してきたが、何者なんだ?
精神的におかし過ぎるだろ。

32 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 19:21:20
かわいそうな子・・・・・・

33 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 20:45:12
前スレで祭器場の恥さらしを掘り起こされて
完全に逝ったなwサイキバ君

サイキック・バカ連呼してあえて似せた表現で存在を打ち消したいみたいだぞw

前スレのログとった人乙だな

34 :テンプレ:2010/05/14(金) 20:48:26
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576
それと・・・
 「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w

590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww

595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)

35 :縄文人 ◆FsPH35DJlI :2010/05/14(金) 20:48:46
このスレも腐れ果てたようだな。

36 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 20:55:48
>>33
なるほど…

サイキバ君って誰?
 ↓
それはサイキック・バカの略です
祭祀場をサイキバと読んだ僕ではありません。
 ↓
恥ずかしい過去封印・抹殺

…という流れですねw

でもサイキバ君の恥レスはそれだけじゃないと思う。
「小林行雄は考古学者ではなくて文学者!」「京都県」「同じ様式の土器でもC14で測定すれば九州のほうが古い!」…etc

数々のスマッシュヒットもこの人の手によるものだと疑っているwww





37 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 20:59:58
ずいぶん昔の話だけど
浦島伝説の舞台は、古代琉球だったと
邪馬台国との関連すら全く無い話がずいぶん書き込まれたことがあったのだが
それもこの人だったのかな?

38 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:02:26
あ、前スレで「漸進」と「前進」の違いが判らなかったのも、彼だったわ

39 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:07:19
>>36
もっとログ掘り起こして貼ろうぜw

40 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:09:03
>>36

>「小林行雄は考古学者ではなくて文学者!」
小林秀雄と勘違いしたのか?しかも秀雄は文学者でもなく評論家なのだが

41 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:11:12
>>36
どういう話の流れでそんな面白発言が出たのか、興味あるので
ログがなくても、ダイジェストストーリーを、まさに激しく希望

42 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:23:14
サイキバ君…本人がハッキリと言明した場面を見たわけではないが
おそらくは九州王朝説、しかもどちらかと言うとコテコテの古田説に近い感じだw

だからおそらく比定地としては福岡平野、「福岡の絹」は得意ネタの一つw

で基本芸風は数行の単発レス、書き逃げピンポンダッシュ。
オリジナルな理論展開は苦手っぽい。
(ゆえにファビョるとコピペ荒らしとなる)

そこで助けになるのが例の「恨み節の東遷厨センセイ」w このツーショットはよく見るwww

だが変な話で「恨み節」の歴史観だと、例えそれが九州から東征してきた勢力の末裔であろうが
4世紀半ばにはほぼ日本を統一、強固な中央主権国家を築いた構図なので
古田センセイ言うところの「多元史観」も糞もあったもんじゃないと思うが

「アンチ畿内説」と言うことで共生関係が成り立っているっぽいwwww

まあそこら辺の「アンチ畿内説だったら何でもOK」的な馬鹿丸出し現象は
そこかしこに見られる現象ではあるwwwwwww

43 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:25:33
ああ、正月にマキムクスレで老教授たちから
こてんぱんに叩きのめされていたのも彼だったのかw

44 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:48:53
以上サイキック・バカさんの自演でした。

ちなみに老教授=サイキック・バカ=ジョーカーです。


45 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:54:06
>>44
おいおいおい無茶を言うな。

あの人物が本当に「教授」なのかは別にしても
俺みたいな昨日今日古代史に興味を持ったような人間と変わらないレベルの者を
一緒にするのはいくらなんでも無理だって…www

46 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 21:57:12
マキムクスレの老教授もヒドイ自演だったなぁ。
当初は助手とセットの自演だけでスレの8割を消費していたときもあったなぁ。
その自演に釣られたフリをして楽しむという高尚なスレ。
しかし自演を指摘する無粋な連中のせいで台無し。

47 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:00:09
>>40
おそらくググって「京都大学文学部教授」と言うプロフ見つけて、そこからだと言うのがオチだったかとw
>>39
無理、てか勘弁してくださいw
>>41
悪い、前ふり部分はよく覚えていない。
が、該当部分はインパクトあったんで記憶に残っているwww

48 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:05:13
サイキックはいじり甲斐があるなあ。
最初はいじられ過ぎて土建屋になって荒らしまくったのに・・・
あれで一皮向けたな。

49 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:08:32
彼にかかれば、誰でも自演だね
自分がそうだから他人もそうだろうというのが染み付いているのかな

昨日の前スレでも、埋め戻しの話で
階層を分けて埋め戻せといわれても、自分なら適当にやるとか書いてたっけ

50 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:22:30
>>49
あの件はサイキバ君というより他の奴なんじゃね?
(「恨み節の東遷厨」っぽいがw)

掘って行く時に地層のサンプルとかデータは残すもんなのかな?

まあ埋め戻して遺跡を覆う土を元通り100%同じものには出来ないと思うが
それで後世年代が分からなくなる事も無いと思うが…

その発掘された遺跡範囲の地層だけが独立しているわけでもあるまいしwww


51 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:30:18
土建屋ってどんなけ古い話だよ。
ログをサルベージしたら「邪馬台国九州説スレッド2」に土建屋がいた。
「スレッド1」で嘘を書き連ねたジョーカーがそのことをソースと一緒に指摘されて
狼狽して議論をさえぎろうと荒らしまくったのが確認できる。

52 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:30:26
  ∧,,,,,,∧
 ミ,,´∀`彡 
  ミ   ミつ
 ミ,,,○,,,,,,,,,ミ

53 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:33:34
>>50
サンプルは残しますよ
あとは例えば粘土層A〜Dの上に泥炭層A〜Hというようにして記録もしています

54 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:37:16
1人だけ噛み合ってないよね?w

55 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:40:37
>>54
うんw句読点を指摘したら、案の定『読点』だけを抜いてきてクソワロタ
『句点』も抜けってwwwwww
どんだけ相手から塩を送られてるんだよ

56 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:53:57
ま、場外乱闘の時期だな。
まともな論争をしたくないやつがけっこういるらしい。

57 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:58:15
>>55
だよなぁw
ID強制板でも無いのに下手糞すぎる

58 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:00:47
こんな、サイキック・バカの自演スレなんか、見てるやつは畿内説詐欺と同罪だな。

59 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:03:31
まあサイキバ君レベルの奴が「畿内説は一人の自演」と言うのは
自分の分析・読解能力の無さを言っているだけなんだなwww

たとえば俺が語尾に「www」を付けず、文体も使用語彙の傾向も変えて
書き込んだとしてもある程度の長さのレスならその内容から
「ああ、wwwだな」と特定されてしまうだろうw
(主張内容すら変えたんじゃあこの板に書き込みする理由すらなくなるw)

畿内説と言っても
「三角の製作地」「狗奴国を何処に比定するか」「鉄と言うものに対する評価」「ヤマト勃興における外部勢力の影響度」etc

…と実は微妙に違っているんだが
その辺の分析はここの大抵の九州説の連中には無理だろうとw

60 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:07:29
以上、自演を弁護するサイキック・バカでした。

61 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:13:40
このスレ(ドン来い!)が誕生したのも、ジョーカーが原因なんだな。

昔は九州説スレと畿内説スレに分かれていたが、ジョーカーが九州説スレに常駐して
自演とウソで九州説の議論の邪魔ばかりして荒らしまくって、最後には自制心を失って
土建屋になって暴走してスレをつぶした。
それでスレを破壊された九州説の住人が畿内説スレ(ジョーカーの自演だけの過疎スレ)
を乗っ取ってドン来いにしたという経緯がある。

その頃から畿内説はジョーカー=サイキック・バカ以外はほとんど見かけない。
なので日夜必死に自演を繰り返すジョーカーさんでありました。

62 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:15:00
じゃあせっかくジョーカー氏がいらっしゃるようだから、少しネタ振り

前スレで狗奴国について中南部九州(熊襲)を想定されていましたよね
あれで感心させられたのが、「倭国連合の一員である北部九州から見て南に位置」という点
ああ、こういう考え方もあるのかと

当方は東海・関東などを想定しているわけだけど
これは倭国連合VS狗奴国(連合?)ではなく、おなじ倭国連合内での揉め事じゃないかと思うわけ
で、狗奴国を中南部九州だと仮定しても、同じ考えが適用できると思うんだよね

というのは加飾壷の分布範囲やルートから、太平洋側を通じて
日向と畿内には交易実績があったみたいなんだ
例の後期後半から高知県に爆発的に小集落が増えるという話からも
熊襲狗奴国がすでに倭国連合の一員だったと考えてもいいんじゃないかと思った

これが九州説をとる場合なら、北部九州邪馬台国連合は
中南部狗奴国連合と仲が良くなく、どちらが畿内や東海を味方につけるかという画策もなされていた
そんなシナリオも成り立つと思う

また暇なときにでも、レスください
貴方、大変物知りだから自説構築に大いに役立ってますよ

63 ::2010/05/14(金) 23:15:22
うーん久しぶりに来たけど、スレの進む方向がよくない
のではなかろうか。

64 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:20:28
もしかしてサイキバ君の正体って
河童=プラムなのかなwwww
ドン来い誕生の由来まで捏造するところを見ると、これ案外当たりかも知れん

65 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:21:56
>>63
きみ、神奈川の改めさんかい?

66 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:25:13
>>62
九州説どおしが頑張って、お互いの説に対して議論し合えばいいだけの話だよ
それもせずにただ垂れ流しか、罵倒のみだからダメなの

それが出来て、たまに畿内説とバトるのなら大歓迎よ

67 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:28:02
>>65
なりすましだろう。改めは自殺したと聞いている。

68 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:28:19
>>63
レベルの高い九州説が引退しちゃったからだろうな。

俺がレベルの高い九州説を自演してやろうか?
スレ活性化のために。


69 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:32:53
>>68
やってみてw
そのかわり低レベルだったらフルボッコにするけどwwww

70 ::2010/05/14(金) 23:33:49
>>67
自殺なんかしてないよ。何をいってるんだか?

>>68
ぜひやってください。レベルは縄文人以上で。

71 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:38:08
>>70
>レベルは縄文人以上で。
それじゃあ低すぎるwwww

せめて安本美典レベルで、考古資料の恣意的解釈してくれないとさ

72 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:44:35
>>69
じゃ、反論してみて。

九州は、1世紀までは九州の王が漢から柵封を受けていた。
玄界灘を制覇していた宗像氏も、九州の王に従っていたはず。

畿内説の場合、宗像氏は畿内の女王に従い、玄界灘航路を使者を乗せて行き来したことになる。
なぜ、宗像氏は九州の王に見切りをつけることになったのか?
宗像氏に限らず、九州の豪族は、どうして揃って自主的に遠くの畿内の女王共立に動いたのか?
そこまで九州が畿内に弱みを握られるような状況はとても想定できるものではない。
畿内が九州を武力で支配したとも、当然思えない。


73 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:48:48
>>62
まあ狗奴国とのいざこざを「連合体vs連合体」と見るか「うちわもめ・内部抗争」と見るかって話なんだろうと思うんだけど
後者としてみた場合、そこに魏の介入を招くような真似をわざわざするのかというのが疑問。

前者ですらあまり外交的に見て得策とも思えず窮余の策なんだろうが…

日向あたりの動向としては鉄とか銅鏡とか銅矛とか
元々九州北部の文化圏・ヒエラルキーと言ったものから距離があったんで
新しい交易体制に参加するにおいて得をすることはあっても損をすることはなく積極的に参加。

逆に熊本あたりだったらそれまで潤沢に回ってきた鉄資源も減少して不満があったとか?
(熊本の製鉄遺構とか出土鉄器と言うのは弥生の末期までには減少しているような印象を持っているが
 データを持っている人がいたらご教示願いたい)

熊本と宮崎、九州の西と東では事情が違ったのではないか?と言うのが当方の想定w

…それから、あまり買いかぶるのは止めてくれwww

74 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:49:59
>>72
北部九州が後漢との通行にこだわってたのに対して、邪馬台国連合はいち早く公孫氏の傘下に入ったから。
北部九州を押さえたのは半島の力によるところが大きい。これって常識じゃね?

75 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:55:28
>>72
なかなかだねえ

>畿内説の場合、宗像氏は畿内の女王に従い
今の畿内説は朝貢の時点で玄界灘を従えていたとか考えていない
あくまでも複数のクニや商圏が寄り合った交易連合が、倭国ゆるやか交易連合
だからもし宗像氏が輸送を行っていたとしても、それはツクシの王権も同意していたというのが基本のモデルケースになる

あとは連合に九州も参加していたと考えられているから
その卑弥呼にしても、別に九州出身の巫女でもいいんだわ
そこは吉備でも出雲でも畿内でも東海でもどこでもおk

だからお互いに支配したりされたりとかを、もはや想定していないのよ

76 :日本@名無史さん:2010/05/14(金) 23:56:39
宮崎で早期に畿内勢力と関係がついた(おそらく四国東ルート)勢力は、熊襲じゃないね。客観的に宮崎あたりはやは
り後進地域で、小勢力分立状態。この早くに畿内と結んだ勢力が西都原などを作ったんだが、国司の時代になっても
熊襲を制御しきれてはいない。これって常識じゃね?

77 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:02:34
>>73
記紀的にいえば、九州の西と東をつなぐものは、瓊瓊杵尊の天孫降臨。
これで、記紀の舞台は高天原から日向に移る。
日向と大和をつなぐものは神武東征。記紀の舞台はこれにより日向から大和に
移る。

日向と大和はけっこう似ているだろう。日向は九州でもっとも古墳の密度が
高い。大和もそんな感じがある。共に、弥生時代そんなに栄えていた形跡が
ない。

78 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:04:48
きちんと議論になってる!
>>68氏スゲーーー!あんたのおかげだよ
少なくとも安本よりはずっと高レベル!

79 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:12:13
>>76
このレスはやや誤解を招きそうなので少し加筆。日向の勢力図は 生目→西都原と移動してるんだが、こうした盟主権
の変動は吉備や上毛野でもあって、畿内における河内勢力の台頭と連動してる。これは後代のことだから邪馬台国と
直接の関係はないけど。

南九州はおおざっぱに言って、東の地下式横穴墓、西の地下式板石積石室墓という二大分布圏があるけど、ヤマトと
結んだ勢力の前方後円墳は沿岸部に分布するだけ。もちろん共存地域はあるけど。考古学的には7世紀末まで、ヤマ
ト王権の影響力は内陸部まで浸透していない。隼人の乱までね。

80 :73:2010/05/15(土) 00:15:55
それから前スレでは言わなかったが女王国と狗奴国の位置関係・方角と言う問題もある。

俺は
「倭人伝の方角を全て機械的に90度回して南を東に読み替える」
なんて立場をとらない。

地理情報は、「倭人からの伝聞」「九州に赴いた中国人の実際の見聞」「大陸の中国人の脳内地図によるもの」
…と複数ソースからなると考えている。

で、中国人にすれば脳内地図の日本列島が南北に伸びるような形のものあっても
そこには「女王国と狗奴国の位置関係・方角」なんて情報は描きこまれているわけでもなく
最初からあずかり知らぬ事で、それは倭人からの情報によるものだろう。

だからその場合「其南有狗奴国」と言うのはそのまま南だろうと。

まあ九州説論者からは「いいかげん」「ご都合主義」と言われるとは思うがwwwwwwww


81 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:22:09
>>79
さらに加筆すれば、5世紀に出現した地下式横穴墓の副葬品である甲冑や馬具などの鉄製品は明らかに畿内系で、
土着勢力にヤマト王権の影響力がじわじわと浸透しているという感じ。ただどうして前方後円墳を採用しなかったかに
ついては議論がある。俺は差別的なものと見ているが、異論もあるだろうね。



82 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:26:52
>>79
地下式横穴墓は、えびの市でも見つかっていて、なんか注目される剣が出て
いたはずだが。

検索したら、こんなのが出てきた。
http://www.miyazaki-c.ed.jp/himukagaku/unit/yume_03/page3.html

地下式横穴墓も朱で塗られていたとか。ますますわからないなこの墓制は、

83 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:28:43
>>80
それでぜんぜんOKだろうね。特に陳寿の場合、「魏使の邪馬台国見聞録」などというものを参照したという客観証拠は
ない。いろんな資料がまじった状態で本人もよくわからず書いてるんだろう。会稽・東冶あたりまで南北に伸びる日本列
島の認識はあっただろう。だいたいが、「魏使の報告書」なるロマンチックな存在が文献九州説を狂わせた一つの要因
になってる。これって常識じゃね?

84 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:31:37
ん〜、畿内説の連中って、

九州が畿内を圧倒している証拠の前では
畿内の劣勢を「ゆるやかな諸国連合」と逃げ、

巨大古墳を持ち出した時だけ居丈高になって、
「圧倒的な畿内の国家権力」などと言い出し、

ダブルスタンダードなんだよ。



85 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:32:00
>>83
確かにサガミはそれで狂った。w

86 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:36:07
>>79
ふむ、そうすると西都原なんかは内陸へ向かって勢力を伸ばして行くその最前線って感じなのかな?w

あと西都原にスポットライト当たって目立たないが大隅半島の東側にも結構、古墳群があったと思うが
併せて九州南部における首長連合の勢力の伸長の様子を見てとれるか?

…でも本来こういった話は九州説の連中から上がって来て欲しいところなのだがwwwwww


87 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:36:38
>>72氏のネタ振りと狗奴国の話もそうだけど
北九州に仮にツクシ王権(連合)があって畿内にもヤマト王権(連合)があったにしても
他に吉備や東海なんかの有力連合がまだまだあったんだから
どっかが一元的に面として支配していたというのがありえないんだよね

ツクシなんて各々のクニがなまじ裕福だから、連合なんかイラネというところも多かっただろうし
ましてやヤマト連合が3世紀の時点で西日本を掌握していたなんてのは
おそらくどんな畿内説でも今では想定していないと思う
面と面が繋がったわけでなく、あくまでも面の中の点どうしが遠隔交易に乗り出したってことで

そのゆるやかな連合に参加していたところでも前方後円墳を作ったところもあれば、作らなくても無問題
銅鏡配布と墳墓形式をセットにして拡大したという説も、今ではもう少数派だし

だから魏志倭人伝の【女王卑弥呼】については懐疑的なんだよね
行程にしても魏志の記述は、情報の寄せ集めなのだから鵜呑みには出来ない

88 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:39:27
>>84
>「圧倒的な畿内の国家権力」などと言い出し、

だから誰もそんな説は唱えていないのwwwww
カナーリ過去の、それこそ半世紀以上前の説ひっぱりだしてきて何いってんのwwww

89 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:40:08
>>84
俺が上で書いてるのは日向の古墳時代の話。ただし、「ゆるやかな連合」というのは支配ー被支配の関係ではない。例えば
生目古墳群1号墳は箸中山古墳の2分の1規格。鹿児島県高山町の塚崎古墳群10号墳は行燈山古墳の6分の1の規格で
前方部ー後円部の比やくびれ構造まで相似なのは、連合内での序列によるものだろう。これって常識じゃね?

90 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:45:20
うむ、このスレもようやく「サイキバショック」から立ち直りつつあるなw

91 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:46:43
>>87
>面と面が繋がったわけでなく、あくまでも面の中の点どうしが遠隔交易に乗り出した

そう。この認識は重要で、弥生末期頃は北部九州を除いて面の支配などはなかったと考えるのは当然なんだが、それ
がわからない厨のいかに多いことか。面の支配ができるのは、はるかはるか後代なんだよな。また交易は当然重要で
支配ー被支配というより不安定な水稲耕作の時代に食っていくためにどうしても必要だった。これって常識じゃね?

92 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:48:01
サイキバ君
これって全部ジョーカー氏の自演なんだよねwwww
40秒ルールにも引っかからず、これだけ長文連投できるってのは
彼は神レベルのタイピングで、複数の回線とプロバイダ契約をもってしてやってるわけだねwwww

もしそうだったら俺弟子入りしちゃうぞwwwww

93 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 00:50:02
>>92
ついでにビリー・ミリガンなみの多重人格者でもないとムリwwwwwwwww

94 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 01:05:12
例えば、川内川上流域の宮崎県えびの市小木原、島内両遺跡にはそれぞれ推定数百基の地下式横穴墓群があるが、これは
突出した首長権力のない社会を表しているともいえるだろう。書紀の景行紀に、熊襲のことを「衆類甚だ多し。是を熊襲の八十梟
帥と謂ふ」とある記述とも合致する。

当時の倭国の大多数はこのような状況で、戦国時代の国取合戦のようなものを想定するのは歴史的センスの欠如というしかない。
ましてやこの時代の武力東遷というものは噴飯物。言葉だけが独り歩きして、だれも細部を説明することはできない。まあ連合内で
のリーダーの交代というならあったかもしれない。これって常識じゃね?

95 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 01:29:02

■青谷上寺地遺跡 調査報告書刊行

朝日新聞 2010年05月14日
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000001005140002

 県埋蔵文化財センターは、国史跡の青谷上寺地(あお・や・かみ・じ・ち)遺跡(鳥取市青谷町青谷)に関する調査報告書など3冊と調査研究紀要1冊を刊行した。

 「青谷上寺地遺跡11 第10次発掘調査報告書」(A4判153ページ、1400円)は、遺跡の中心域を囲んでいたとみられる溝が古墳時代前期に埋められ、中心域が西側へ拡張していったことが分かった2008年度の発掘調査を考察。
「発掘調査研究年報2009」(A4判26ページ、320円)は昨年度の第11次調査の研究結果概要をまとめた。

 「出土品調査研究報告」は、遺跡で見つかった土器2千箱以上、建築部材7千点以上の出土品を紹介するシリーズ5冊目。
今回は「骨角器」(A4判151ページ、1300円)を取り上げ、動物の角や骨で作られた道具類の写真、実測図を収録した。
研究成果を2年おきに発表する「調査研究紀要3」(A4判50ページ、400円)では遺跡から出土した緑色の木製盾などについて述べている。

 いずれも県内の各教育委員会や図書館などに配布されている。購入の問い合わせはセンター(0857・27・6711)へ。出土品は順次データベース化してセンターのホームページで公開している。

 このほか、国道9号の工事に伴って調査した松原古墳群(鳥取市松原)と、小竹下宮尾遺跡・西坪岩屋谷遺跡(大山町)の調査報告書2冊も刊行した。この2冊は非売品だが全ページをホームページで公開している。(中田和宏)

・県埋蔵文化財センターが刊行した調査報告書類
http://mytown.asahi.com/tottori/k_img_render.php?k_id=32000001005140002&o_id=8546&type=kiji


※参考
鳥取県教育委員会埋蔵文化財センター
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=4314

同センター 新刊図書のご案内
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=128096

96 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 01:39:55
東遷の逆もまたしかりで、古墳時代初頭に畿内の勢力が長駆遠征して日向をたたくなどということも不可能。景行天皇の
九州巡幸にしても、熊襲梟帥をその娘に殺させたなどというのはお話レベルで、8世紀初頭の記紀成立期の事情、つまり
隼人の乱が反映していると俺は見ている。四道将軍の記事にしても、ヤマト王権による大規模軍事遠征などという話では
ない。ただし東海勢力が関東以北などに移住していった例は見られる。狗奴国は東海と考えたい。

中村明蔵(鹿児島国際大)は隼人研究の第一人者で地域に密着した研究をしているが、氏の言葉の重みを感じてほしい。

> 隼人の神話を取り込んだうえで、隼人を朝廷に服属させることを正当化するための造作を加えたものが記紀の日向神話。
   そこには記紀編纂時の、南九州、南島の領域化という朝廷の政治的関心、意図が強く反映している。



97 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 02:30:07
おっとサイキバ=サイクック・バカ混同作戦が失敗したんで
呼び方をジョーカーに変えてきてる
真っ当な議論が始まるとおとなしくなるようだしw

サイキバにつけ込む隙を与えず議論するんだw

98 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 02:50:33
>>72
福岡市からは大型甕棺が大量に見つかって、宗像には全くないらしい。
宗像氏が「九州の王」と対立していたわけではないだろうけど、
少なくとも、ある程度独立した勢力ではあったと思う。

金印が発見された志賀島は安曇氏の本拠地なので、
委奴国の海運を担っていたのが安曇氏で、
畿内の海運を担っていたのが宗像氏と考えられる。

宗像氏といえばスサノオ(出雲)との関係が深いので、
元来、出雲の海運を担っていたと思われるが、
出雲と畿内が連携(?)したことで、畿内の海運も請け負うようになったのだろう。

安曇氏と宗像氏については、もう少し考えがあるのだけれど、
長くなるので、この辺にしておきますね。

99 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 02:55:00
>>98
ちょっと訂正!
「畿内」を「邪馬台国」に変更します。

100 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 05:04:00
>出雲と畿内が連携(?)した→出雲と邪馬台国が連携した
記紀神話にその連携の話がまったく出てこないのはなぜかな?
高千穂は畿内にあったとか言い出すのかな。

101 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 05:56:37
畿内説論者が九州説論者を演じてサイキバと呼ばせたわけか。
自作自演とは畿内説のよりそうなこと。
畿内説は生活かかってるからな。

102 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 06:21:22
研究者は畿内説でないと友愛されてしまうのですよ。

103 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 08:32:14
>隼人の神話を取り込んだうえで、隼人を朝廷に服属させることを正当化するための造作を加えたものが記紀の日向神話。
>そこには記紀編纂時の、南九州、南島の領域化という朝廷の政治的関心、意図が強く反映している。

たかだか南九州くらいで、権力者たる王が自分たちの出自を作文するわきゃね〜だろ。


104 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:12:28
>隼人を朝廷に服属させることを正当化するための造作
蝦夷を服属させることを正当化するための造作は見当たらんな。

105 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:20:26
>>94
>突出した首長権力のない社会を表しているともいえるだろう。書紀の景行紀に、
>熊襲のことを「衆類甚だ多し。是を熊襲の八十梟帥と謂ふ」とある記述とも合致する。
なるほど。中国から玉璧をもらうような梟帥がうじゃうじゃいたということか。

106 :98:2010/05/15(土) 09:33:06
やっぱ、>>99の訂正は却下します。

実は最近、邪馬台国に興味を持って、あれこれ調べてる最中で、
畿内か九州か結論を出せないでいる状態です。
それ以外の可能性についても探っています。
始めは軽い気持ちで邪馬台国について調べ始めたんですが、
気がついたらドップリはまってしまってw

それで、ヤマト王権躍進の鍵を握るのは海人族じゃないかと
考えているところでして、邪馬台国とは直接関係ないんですが、
>>72氏のレスを見て、思わずレスしてしまいましたが、
考えがまとまっていない状態でレスすべきではなかったと、
ちょっぴり後悔してます。

>>100
なんとなく「連携」という言葉を使いましたが、意味するところは
「国譲り」です。 ただ、記紀については勉強不足でして^^;
間違っているかもしれませんが、高天原は高千穂だとは思いますが、
壱岐の可能性も捨てきれないので、もしかしたら、両方が合体して
記紀に記されたのではないかとも考えています。

107 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:47:48
>>106
根拠もなくあれこれ想像したところで、それはしょせん妄想だ。
倭人伝をきちっと読むこと、そこから始めるべきだろうな。

108 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:57:39
>>106
>ヤマト王権躍進の鍵を握るのは海人族じゃないかと考えているところ

ヤマト王権に限らず、海人族海運業者による交易が、
二次的国家形成に大きく関わるのでしょうね。

109 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 10:08:57
>>106
高天原はどこかの特定の場所だという先入観は捨てたほうがよい。
高天原をどこかに決めて、何かを結論したとしても、それを証明する方法は無い=空想の域を出ない。



110 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 10:37:21
深夜に1人ではしゃいだサイキック・バカ。


111 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 10:46:24
>>107
倭人伝なんてきちんと読んでも無駄だと思うよ。
読めば読むほど、電波なパズルの世界にはまってくよ。

112 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 11:29:13
>>107
> >>106
> 根拠もなくあれこれ想像したところで、それはしょせん妄想だ。
> 倭人伝をきちっと読むこと、そこから始めるべきだろうな。

え?自説の展開もなしに、「倭人伝をきちっと読むこと」かよ。
ちっとは、自分に自信を持って、意見を言ってみなよ。

113 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 11:44:27
さぁ〜、皆さん、>>107氏の「倭人伝をきちっと読むこと」から、
導き出される、邪馬台国論に期待しましょう!!



114 :水銀厨:2010/05/15(土) 12:21:37
桜井の茶臼山古墳の主がいわゆる海人族と縁があるだろう。

水銀朱の使用量の多さが、この時代何が重要だったのかを
証明しているのです。

海人族の交易の荷=丹ですよ。

115 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:03:38
海人族って何だよ?ちゃんと定義しろよな

116 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:07:22
倭人伝をきちんと読むと、九州のいろいろな場所に行き着く。

117 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:08:54
九州説というのはアマチュア史家、歴史ゴロの精神的自慰。もはやオカルトだな。

118 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:14:05
>>98>>106
住民はコピペ荒らしに辟易していたので
真面目な参加者は大歓迎
まだ確信がない部分があっても、それを仮説としてきちんと提示すれば
きっと批判だけでなく幇助もあるだろうから、どしどしやってね

あと魏志倭人伝や記紀にこだわってはいけないというのが、僭越ながらアドバイス
理由は>>80>>83>>87>>91>>94などの各氏のレス

119 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:17:33
畿内説は、
邪馬台国の場所を、魏志倭人伝に全く符合しない畿内にもっていくことで、
自分の就職口や出世、配属ポストの確保をするための詐欺説。
だから、三角縁神獣鏡魏鏡舶載説だとか箸墓卑弥呼墓説だの、
科学や理論を捻じ曲げて、いくらでも詐欺を仕掛けてくる、
プロの詐欺集団が唱える説。

120 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:22:01
そうだな。九州説でも一部の文献派は、「倭人伝を素直に読めば九州であることは間違いない」と説くけど、九州内でも
比定地があちこちに散らばっているんではどうしようもない。「それでも明らかな間違いである畿内説よりはよほどまし」
とかいうのだろうが、このような態度がスレの永遠ループを招いているのではないか。これはきちんとした自論を構築し
えない、東遷厨を始めとする九州説は反省する必要があると思うね。

ここしばらく、九州説の畿内説(というか纏向説)攻撃と、wwwを中心にそれに応じる畿内説という図式が続いているが、
もちろん邪馬台国が九州にあるのなら不毛なことこのうえない。いつも言われていることだが、九州説は倭人伝をきちん
と読んだ上で、九州の比定地を一つに絞る必要がある。これができないのなら、ただの難癖遊びと言われてもしかたが
ないのではないか。


121 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:35:06
つーか
「ボクの考えた邪馬台国が正解!あとはもちろん間違いで学者も間違い!ボク最強!!
 今まで誰も見つけられなかった邪馬台国を見つけたボク天才!!」
というのがアマチュア九州説のすべてなんだから
九州説同士でもすり合わせは難しいんじゃないかなあ
彼らは邪馬台国探しではなく、自分探しをしてるんだからね

畿内説というかゆるやかな連合説は、基本的にはアカデミズム説であるから
細部の考察の違いにとどまっているし、新事実が出たらいつでも変節するわけで
もうこれは自分探しvs学問であって、論争が成立しないのはこのためだと思う

122 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:55:49
で冷静な視点を持っている九州説は、次々と報告される発掘成果にもちちんと目を通しているから
そのつど修正を施して、最終的には成立が難しいということを悟るんだよね
もう無理っぽいけど、でも出来れば九州であって欲しいなぁ・・・という心情的九州説になる

そう言えば幽霊やUFOを子供の頃は信じていたけど
大人になって流石に無理があると判った、でも気持ちとしてはあって欲しいというのが
「涼宮ハルヒの憂鬱」の序章にあったな

123 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 13:57:34
>>118
文献がないと何にも始まらないよ。
魏志倭人伝がなかったら、邪馬台国そのものが存在しない。文献がない
弥生中期と同じような状態で、遺跡からは歴史的なものは何もわからない。

考古学でわかると言う人もいるが、いくら発掘調査が進んでこれはわからない。
吉野ケ里が何という国だったのかわからないし、方保田東原遺跡がなんという
国だったのかもわからない。邪馬台国がわかるというのもありえない。

記紀がなかったら、箸墓なんてのも存在しないし、倭迹迹日百襲姫も出て
来ない。崇神天皇もいない。

畿内説の考古学も、鏡百枚は倭人伝から取ったものだし、卑弥呼の墓の
径百歩も同じ。

文献なしでは何も出来ないのに、文献否定というのは、単に都合が悪いと
いう理由しかないだろう。

124 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:09:55
九州説の比定地が、諸説で散らばっていることは、何ら問題がない。
強引な詐欺理論で、400枚も出土している三角縁神獣鏡を
強引に魏下賜鏡だとし、箸墓の年代判定を捻じ曲げて卑弥呼墓と
言いくるめる、そんな詐欺畿内説こそ無価値である。

125 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:11:29
>>123
根本的に勘違いしているね
別に魏志倭人伝や記紀がなくてもいいんだよ
何という名前の国だとか、もし人骨が墓室から出たとして被葬者は誰か
この古墳は誰が葬られているかというのは
一次資料が倭人伝や記紀ぐらいしかない現状では、そんなの判ってたまるかというのが理性的な判断

文献から離れて考古事実のみで一度再構築することをお奨めする
すると紀元前660年に東征があり、それがたとえ3世紀の話だったにせよ有り得ないことが判る
もっと詳細に当時の日本列島の姿が判明してから、文献とのすりあわせをすればいい
今の段階ではつたない資料は全く使えないというか、使ってはいけない

126 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:19:22
邪馬台国は漢籍にしか出てこないから、文献学がベースとならざるを得ない。
これは否定のしようがない。

127 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:20:27
豊葦中津国とは今の豊橋市あたりだということがわかりました。
豊橋は元々「とよあし」とよばれていたのです。


128 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:22:35
>>126
その文献史学が、邪馬台国の位置や実態は魏志倭人伝から判断することは不可能と言い切ったことを知らんのか?
それもどうやら30年以上も前の話だということだ

129 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:23:38
>>125
考古学は古代の文化を研究するものだから、そういう観点からやってほしい。
考古学的に邪馬台国は存在しないものだから、邪馬台国問題には触れないで
やって欲しい。

考古学のそういう風な中立的な態度は、邪馬台国研究にも大いに役立つと思う。

文献の記述が絶対といえないことは確かで、それは文献同士のすり合わせ
あるいは中立的な考古学でわかる事になる。

130 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:29:56
いい大人が、浦島太郎の竜宮城はどこにあったのか?議論しているようで笑えるスレですね。


131 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:36:46
>>129
いや基本的には考古学は「邪馬台国」にはタッチしていないんだよ
その証として、邪馬台国の場所について言及した論文など大昔のものしかない

あとは一般向けの紹介書のなかで、判りやすく読者に伝える手段として引用するか
またはリップサービスとしてシンポジウムなどで聴衆に語りかけるか、そんな程度のもの

それは出来るだけ一般の人に古代史に興味を持ってもらおうという
いわばサービスの部分であって、マキムクが邪馬台国であるとかモモソヒメが卑弥呼であるなんて言うのは
学説でもなんでもない、お遊びの部分
逆にそういうものにいちいち食ってかかることもないと思うのだが
なぜなら吉野ヶ里フィーバーの際は、古代史関係者は違うと判っていながら
「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」だの「九州邪馬台国説が有力視」だとかやっていた訳だから
それにむきになってもアカデミズムの手のひらの上で踊らされているだけだよ

132 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:41:25
>>131
纏向の新聞発表では、「邪馬台国の最有力地とされる纏向」「卑弥呼の墓との
説がある箸墓」と必ず言うわけだが。

吉野ヶ里遺跡の場合は、倭人伝に書かれた「宮室、樓觀、城柵」の跡が出て
きたからそのように言われたのであって、こちらはそれなりに根拠がある。

133 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:43:43
>>118
サイバカが自分のレスを参照しろと自演しているのだが・・・

その後も自演の連続だな。
マキムクスレのように自演だけで終わらせるつもりか。

134 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:46:56
>>132
吉野ヶ里は時代が全く違うでしょwww
では3世紀のどこかの遺跡から「宮室、樓觀、城柵」が出土したのかというと、それは九州ですらない
となると、倭人伝の記述は何かおかしいのではないかと疑うのが普通なんだわ

135 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:51:09
ああ、またサイキバ君かwww
君タイムスタンプって何だか判る?

まあこちらとしてはサイキバ君が、初心者にありがちな勘違いを次々に書いてくれるから
『サルでもわかる邪馬台国〜こんな勘違いを君はしていないか?!〜』というような
初心者向けマニュアルが出来るわけで、これはこれでいいのかもしれないね

136 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 14:56:36
日本の正史を綴った記紀に出ていないのだから、素直に邪馬台国は日本ではなかったとすべきなのではないのか?
無理に日本に持ってこようとするからとんでもないことになるのだ。

137 :水銀厨:2010/05/15(土) 15:01:09
>>115
古代大陸、半島との政治、経済交流における重要な役割である、
海上交通を取り仕切る一族の事。

宗像氏がそうだが、桜井茶臼山周囲に大和では貴重な宗像神社が
存在するのは、この墓が何らかの縁があると考えるのが自然のだろう。


138 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:08:37
潜水漁や冬でも生菜をたべる生活習慣、気候風土、
宮室、樓觀、城柵、国内外の錦が特徴の邪馬台国。
この文献上の記述を都合よく無視して纏向こそ邪馬台国とする
プロの詐欺集団が、畿内説を断固として支持・弁護している構図。


139 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:13:37
畿内説を弁護するために、30年以上前に、魏志倭人伝など無視して、
巨大権力は巨大土木工事に比例するから、邪馬台国は畿内です、
という詐欺理論を打ち立てた、畿内説プロ集団。
都合のよいところだけ、魏志倭人伝を使い、都合の悪いところは無視。
このダブルスタンダードも、畿内説詐欺の常套手段です。

140 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:14:28
なるほどー、畿内説を唱える謎の組織はプロの詐欺集団なんだー(棒)

じゃあ善良な日本国民である君は、すぐに警察に届けるべきだな
日本を少しでも良くするために、そんな重大な事実を2ch過疎板で書いてないで
すぐさま告発し、世間の目を覚まさせるべきだと思うがどう?

141 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:17:25
ピンポイントで卑弥呼の墓や邪馬台国の都を比定できないから、
九州説は成り立たないと主張する、畿内説プロ詐欺集団。
ジンギスカンの墓が見つからなければ、元もジンギスカンも
いなかった、と言い出すような詐欺手口が、畿内説です。

142 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:20:29
就職口の確保や出世の人脈に食い込む手段、転出ポストの確保など、
畿内説は利権で動きます。
天下り官僚が永年、うまい汁を吸っているのと同様、これらは罰せられることのない、
合法的詐欺なのです。


143 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:22:21
サイキバ君にだけこっそり教えよう

畿内説というのは単なる日本における出先機関でしかなく
そのバックには世界征服をたくらむユダヤの100人委員会が存在するのだ
奴らはもう君が気づいているとおり、このスレで君が真実の声を上げていることを察知している

忠告する、今すぐ身を隠せ、これ以上の書き込みは危険だ
奴らは君の個人情報などもう把握しているに違いない
繰り返す!今すぐ電源切って荷物をまとめろ!
そして孤高のレジスタンスとして地下にもぐって戦うのだ!聖なる戦士サイキバよ!

144 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:25:32
>>138
北部九州にない事はわかった。

145 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:31:38
「サイキバ」という単語を出せば、畿内説が勝利したかのように言うのも
畿内説サギの常套手段。

146 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:46:53
>>52  ですがさん?おひさしぶりです。

147 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:49:06
>>62
www氏の説は、先進であった北部九州は土下座して畿内ゆっくり連合に入れてもらったが、
南九州は土下座してもいれてもらえず、そのため交易など一切出来なくなり敵対した、というもので、
そもそもこの彼のいう畿内ゆっくり連合は考古学者のいうゆるやかな連合とは全く性質の別なものであろう。

さらにその南九州の狗奴国が北九州の国を攻めた際に、畿内邪馬台国が北九州に援軍を送って狗奴国と
対抗しようとせずに、魏に援軍を求めたのは何故か?という疑問には支離滅裂になり答えようがなく、
結局「魏志倭人伝に書かれているのはデタラメだらけ」という逃げ口上を言うばかり。


148 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:50:41
いやあ「祭器場」って単語はあなたが一番最初に出したんでしょ
>>34参照のこと

149 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:59:14
伊作(自称天才)という人の「邪馬台国・奇跡の解法」はすごいなあ。畿内説の誰か、あれに対抗できる人は居ませんか?


150 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:07:18
だいたい昨夜の畿内説(ゆるやかな連合説)の論者は
ジョーカー氏、これって常識じゃね?氏ともうひとりくらいいると見たのだが
一読してわかるように、この三氏の意見は大まかな部分では一致しているけど
細部に至る部分では三者三様に違うんだよね

これでどうして自演だと判断するのか理解できない
逆に自演だと力説する人の精神状態を疑わざるを得なくなるから、連呼するのは逆効果だと思う
また畿内説についての告発?にしても
ここの住民相手にやっても無駄で、もっと初心者の集まるところでやらねば効果がないのでは?

151 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:12:03
>>150  サイバカ☆自演乙☆ジョーカー

深夜のあの過疎時間の連続レスなんて自演じゃないとあり得んだろ。。
最大出力で自演しながら、「自演じゃないもん。」と言ってもネタにしか見えんぞ。


152 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:21:19
>>151
つまり連投規制もものともせずに連続レスできるってことか?
おまいそんな凄腕ハカーを相手にしてるわけ?

153 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:23:19
てか金曜深夜だから、過疎どころか一番の過密時間だよなwww
曜日の感覚がないということは・・・もしかしてひきこもりニート?

154 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:26:03
遺跡・出土物で「邪馬台国は九州にはなかったことが判る」あるいは「邪馬台国は畿内にあったことが
判る」などということは有り得ないことです。邪馬台国の存在の証明となる遺跡・出土物とは何ですか?
それさえ明確に出来ないでしょう。だいたい、遺跡・出土物の年代の確定法も未完成の状態です。

「ゆるやかな首長連合」とはおかしな概念です。戦乱や戦闘の形跡を示す遺跡・出土物がないから平和な
世界だったのですか?石碑でも残さない限り戦闘の形跡など後世に残る方が奇跡的です。原っぱで千人の
男達が戦って百人の死者と五百人の怪我人が出ても一年も経てばその形跡はなくなります。

2世紀から3世紀にかけて大陸でも半島でも平和な期間は短かったのです。そういう大陸や半島と交流が
ありながらのんびり平和に暮らせる倭国だったのですか?もっとも、奈良辺りは田舎だから影響なかった
かも知れませんが。


155 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:27:53
>>152  サイバカ☆自演乙☆ジョーカー

PCと携帯からやれば誰でもできるだろ。


156 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:32:53
>>147
うーん、北部九州は首長連合参加するときに土下座はしていないと思うぞ?w

九州の勢力が主張連合に参加すること自体が屈辱モノという
お前の潜在意識がそう言う絵を脳内で描かせるのかな?w

あまり自虐的になるなwww

あと…

>畿内邪馬台国が北九州に援軍を送って狗奴国と対抗しようとせずに、魏に援軍を求めたのは何故か?

については
そりゃ本国から前線までの距離が長けりゃ
長期戦に持ち込まれた場合、兵站線の維持も難しくなるって話しだねw

そんな長期遠征が出来ないからこその「緩やかな首長連合」なわけだがwww

まあ単純に兵数の多寡のみで、その兵力の移送手段や兵站線の維持も考えないのはあまりにも幼稚。

逆にお前が狗奴国との対立をどう捕らえているのか?
後学の為に聞かせてもらえないかな?
どの道、卑弥呼が魏に狗奴国との衝突を報告したのは間違いないのだから。

ついでに言いたければ行程記事の解釈も併せて言っても良いぞw

結構この板でもユニークな説なんじゃないのか?wwwwww

157 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:36:49
>>155
携帯からあの長文を連投かwwwww
神だな
それより3つの回線と3台のPCに3社のプロバイダーのほうが現実的じゃね?
また相手に塩を送ってもらってるかwwwww

158 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:37:14
>>154
>邪馬台国の存在の証明となる遺跡・出土物とは何ですか?

福永は、封泥といってたな。



159 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:38:46
>>155
負け犬乙
お前100レス近いぞ
このスレだけでw

160 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:39:21
>>158
石野と寺澤も同じ意見らしいから、封泥がひとつの決め手になるかもしれないね

161 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:40:30
しかしここの九州説って本当に学習しないというか
同じ事をスレが変わっても馬鹿の一つ覚えのように繰り返すだけ。

倭人伝の風俗が九州のものであったとしても
倭国の範囲を九州も含む広範な地域を想定している畿内説にとっては何ら問題ない

…なんて事は俺だけでも数十回あるいは百回以上は言っているかもしれんwww

これだけ繰り返してやればゾウリムシでも学習するぞwwwwwww

162 :156:2010/05/15(土) 16:44:30
まあ狗奴国を畿内から遠く九州中部南部に置いたのは
近ければすぐさま総力戦に突入して
魏に報告する暇も無かったんじゃないのか?
…という想像もあるwww



163 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 16:58:37
しかし冷静に考えれば九州説の場合
九州にまとまって30カ国あってそこから兵力を動員できるとすれば
畿内から兵力を送るなんてより、よほど効率よく多くの兵を
動員できるんじゃないのか?




164 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:04:22
クナ国とケンカしてたって言っても、
卑弥呼の即位は、180年頃、魏に朝貢したのが239年で、
60年以上、邪馬台国はクナ国を自分でなんとかしてたんだぜ?

そんなに大げさに考えることか?


165 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:10:51
>>164
逆に朝貢して助けを求めたというより、魏にしてみれば揉め事ラッキー介入しまっせかもね
ヤクザの助っ人よろしく勝ちそうなほうに加勢して、俺のお陰だろとかみたいに

166 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:13:27
>>165
魏が倭国に介入するなら、
九州のクナ国よりも、畿内を征服するように働きかけるんじゃね?
九州説の場合な。

だから、九州説は矛盾だらけなんだが。


167 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:14:53
>>157  サイバカ☆自演乙☆ジョーカー

携帯は1回だけで十分。他は規制にかからない。
あとノートパソコン+モバイルと自宅PCでもできる。

携帯で何回も長文を書いたとかごまかそうとしているところからは、
携帯でビンゴのようだな。

お前って本当に分かりやすいな。

168 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:20:32
それから…これも何十回も言っている事だが

現在の畿内説と言うのは考古資料という言わば状況証拠の積み上げでなっていて
ある意味脆弱な部分はある。

早い話「偽僭説」を持って来れば考古資料なんか役に立たないw

それでも多くの学者が畿内説に傾いているのは
九州説にそれに対抗するような物が無いからに他ならないwww

「砂鬼四荼羅経」唱えるだけじゃあラチがあかんよwwwwwwwww




169 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:21:46
>>166
だからそこで東征ですよwwwって、そういう理屈の東征説すら考えた奴もいないんだよねえ
もうちょっと頑張って欲しいなあ、ここの九州説さんたちは

170 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:21:51
>>164
>60年以上、邪馬台国はクナ国を自分でなんとかしてたんだぜ?

じゃあ、なんとかできなくなった、ってことだよね。

クナ国がだんだんと勢力を拡張してきて倭国連合と衝突することになったのか、
60年経って、女王が老齢化して衰えたのにつけ込んできたのか、
あるいは、調整能力の衰えによって起きた連合内部のもめごとだったかも知れない。

171 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:25:34
>>167
出来るか、アホwwwwww
いま2chがどれだけ大規制中なのか知らんのか?
携帯で使えるとこはSBだけで、モバは全滅だ
しかもほとんどのプロバイダが全鯖規制
この規制をかいくぐって連投なんて、神でも無理だわ

172 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:35:15
>>171
連投しながら、大量規制を力説するなよ。
腹筋が痛いじゃないか。

173 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:37:20
だめだ、なぜ物理的に連投が不可能か
幼児でも判るように教えてやってるのに・・・

174 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:41:29
仮にもし自演だったとしたら、神速タイピングの凄腕ハッカーが相手だということだが
逆にそれが相手を褒め称えることにも気づかないんだなあ
そんなのを相手にしているんだったら、君のIPなんて簡単に引っこ抜かれるぞ
個人情報も完全に把握されてるんじゃね?

175 :ググってみたwww:2010/05/15(土) 17:42:30
倭人伝 すなおに の検索結果 約 3,200 件中 1 - 10 件目 (0.26 秒)

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GPMD_jaJP309JP309&q=%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E3%80%80%E3%81%99%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%AB&lr=&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

176 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:49:33
>>175
けっこう笑ったwwwww

特に古田さんの伊都国と奴国の迷走はなんなんだwww

177 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:49:53
土建屋うざい。


178 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 17:58:37
176だけど、これのことね

http://blogs.yahoo.co.jp/longwestlonghigh/archive/2009/08/18

179 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:02:46
>>175

「倭人伝をすなおに」のガイドラインが必要だなwwwwwww



180 :ちなみにwww:2010/05/15(土) 18:17:59
松本清張短編「陸行水行」で市井の古代史マニアの浜中浩三なる人物が
主人公の大学講師に語った台詞…

>「それはですね、わたしは『倭人伝』の記事を極めて素直に読んでみたいからですよ。

「すなおに」って九州説の合言葉?www

181 :縦目仮面:2010/05/15(土) 18:29:51
自演の話が出てるようだけど、昨夜の「これって常識じゃね?」というのは俺。・・・といっても信じないんだろうな。

182 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:35:49
最初からコテで書いてやれよwwwww
かわいそうに今頃サイキバ涙目だぞ

183 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:40:44
>>181

>>72は俺だけど、2行じゃなくて、もっと詳しく説明してよ。

184 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:40:55
>>181
>というのは俺

って、いつもあとからバラしてんじゃん。

内定オメデト

185 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:42:06
老教授=サイキック・バカ=ジョーカー=縦目仮面=マキムススレ総ての名無し

次は誰を結びつける?

水銀厨さんやローガンさんも仲間に入れてやってくださいwwww

186 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 18:45:21
ここまで、実は畿内厨のたった一人の自演でした。



187 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 19:28:16
>>161
>倭人伝の風俗が九州のものであったとしても倭国の範囲を九州も含む広範な地域を想定しているから〜何ら問題ない
なるほど、これならば東北説だって北海道説だって成り立つわけだ。
畿内説ってのは、その程度の説なんだな。


188 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 19:54:23
>>180
九州説だって素直に読まないのはいくらでもいるよ。
末盧国から東南五百里、それが怡土だなんてのはどうみても素直じゃないね。
末盧国=唐津付近ならば、東南に五百里進めば佐賀付近だ。
それが素直な読み方というもんだ。

189 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:01:59
>>188
>九州説だって素直に読まないのはいくらでもいるよ。

いくらでもあるからダメなんじゃないのか?

190 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:26:35
九州説の全てが正しいなんて誰も言ってないぜ。
素直に読まない奴はだめだな。それだけのことだ。
九州説の中で素直に読む人は正解に近づいているんだよ。

191 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:30:54
>>190
ではすなおに読んだのになぜ>>175にあるように全員の結論が違うんだろ?

192 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:34:56
文章の読解力がないのかな? 九州説の中にも素直に読まない奴はいくらでも
いる。それがまちがった結論に至っているだけだよ。
最後まで素直に読んでいれば、結論は一致するんだ。なかなかそう読める者が
いないということだな。多くの者が、途中で自分の思い込みから変な方へひっ
ぱるんだよ。

193 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:35:06
魏志倭人伝を素直に読めば、邪馬台国が日本ではないことはすぐにわかる。
素直に読めば。

194 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:36:41
>>193みたいなのを思い込みって言うんだよ。

195 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/15(土) 20:39:33
魏は、初め倭国の王として、女王卑弥呼を承認した。
しかし魏は女王卑弥呼の軍事的実力を無能と判断する。
そこで魏は景初3年の朝貢の帰途に使いを同伴させる。そして大和へ着くが、そこの王
伊支馬=イクメ=垂仁の崩御を知る。
 魏使は、景行に大倭国統一をうながす、その為の後方支援として、政治手法(屯倉の導入)から軍の編成
軍備までを伝授することを約束する。
景行は奴国王と語らい、魏の要請を受け入れる。
倭女王卑弥呼と難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベはセット。
倭王←タリヒコ =景行と伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁はセットになる。

難升(斗)米と伊聲耆掖邪狗が魏から同じ位を叙勲されたことが、別の王朝であることを表す。
伊聲耆掖邪狗の叙勲は、景行が応諾したしるしであり、これ以降倭王と表記される。

大倭国統一は日本武尊の関東平定で終止符を打つ。


196 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:40:06
>>192
つまり

最後まですなおに読んだ俺カコイイ

というわけですね、わかります

でその結論はどこなの?
それを書いてくれないとただのお題目に過ぎないのだけど

197 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:43:22
倭人伝をひねくれて読むと畿内に辿り着く。天のはら〜ふりさけ見れば春日なる〜ゆるゆるゆるの〜
首長れんご〜

198 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:49:15
>>196
ははは、伊都国=佐賀と言われてもまだ気づかないのかね。
そこから先の問題は、連続説に読むか、放射説に読むかということだな。
佐賀は有明海沿岸だ。南水行できるところへ出たのに、そこから東南だ、東だ
と陸上をうろうろするはずはない。当時の史書の書き方に、連続式と放射式が
あり、倭人伝が放射式で書かれていることは学者が何人も指摘している。
となれば、放射式で読むのが素直な読み方なんだよ。
となれば、佐賀から南へ水行二十日は薩摩。水行十日陸行一月は日向南部だって
ことだな。それが結論。何も問題はないよ。いずれも南は外していない。



199 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:49:57
というか素直に読んで正解にたどり着くなら、あとは卑弥呼の都地と墳墓を指定して論文を書く。あるいはサガミ氏のように
自費出版する。で、地元自治体を説得して発掘調査をしてもらう・・・。

畿内説批判をするだけなら片足で立っているようなもので、やはり安本の甘木説のように自分の比定地があってこそ一人前。
そういう意味では、このスレの九州説はもっと自説を展開すべきだと思う。ほんとに素直に読んだという自信があるならね。



200 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:51:15
>>198
>ははは、伊都国=佐賀と言われてもまだ気づかないのかね。

気がついたよ。お前縄文人だろ。www

201 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:53:10
>>190
その正解とやらの論はなんで書かないの?

202 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:53:56
>>198
ありきたりの説だけど、まあいいか
罵詈雑言だけで書かない奴よりは数倍マシだ

しかし3世紀の日向に7万戸とかは不可能だろう
これはすなおに読めばどう解釈されるんだい?

203 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 20:57:30
>>200
残念でした。またどうぞ。

>>202
それが思い込みというもの。みんな、そんな思い込みから、何とか北九州に
収めようとか無理をして、素直に読まないんだよな。

204 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:02:17
>>203
いや思い込みつーても、それらしき遺跡がないからね
卑弥呼の宮殿は竪穴式住居でだとでもいうのかね?

205 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:03:08
>>198
強国「狗奴国」はどこに比定?

206 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:07:28
南九州はまだ対して掘られていないんだよ。
日向は広範囲にわたって花弁状住居というのがあるのは知っているんだろうな。
倭人伝が伝える住居にぴったりのやつだ。それがたくさんあるということは、
その王はかなりの宮殿に住んでいたにきまっているさ。それが発見されていないだ
けの話だ。大体、竪穴式住居に住んでいた王や貴族があんなにたくさんの古墳を
造るか? そんなはずはないだろ。それらの宮殿はすべて埋まっているんだよ。
これから出るだろうな。

207 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:10:57
よくわからないのは、この「素直に読む」というのは倭人伝の記述をすべて真(全部正しい、真実である)として文献批判
を一切しないのかということ。まあ、文献批判しようにも邪馬台国について書かれた同時代資料は倭人伝だけ(魏略もあ
るが、比較対照は困難)なので、学問的な文献批判はきわめて難しいのだが。ここらへんも、アカデミックの文献史学者
が倭人伝の読解をあきらめた理由の一つであり、アマチュア史家がはびこる原因の一つでもある。つまり倭人伝は反証
可能性がきわめて低いものであるということ。

208 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:12:54
>>205
強国というのは思い込みだな。どこにもそんなことは書いてないよ。
狗奴国は戸数・道里が書かれていない、つまり、旁国の一つだ。
旁国というのは、大国の傍らにある国、すなわち小国のことだ。

209 :花弁状人体:2010/05/15(土) 21:13:34
私は 切れ痔から痔裂肛になりました。痛くて座ることができません。

210 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:16:18
>>206
いや宮崎の発掘状況を知っているのかな?
部分的にはだけどけっこう調査が進んでいて(南九州が北九州より調査が少ないというのは誤り、ほとんど同規模)
それらを避けるような形でまだ埋もれているとしたら、邪馬台国はアメーバ状の敷地になるぞ
縦目の>>89>>94の記述はおおむね正しいから、それは考えられないんだよ

211 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:18:17
>>207
疑うべき理由がないときに疑う必要はないってことだよ。
素直に読んで何も問題がないんだ。だから疑わない。
分っかるかなあ?

212 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:19:35
>>208
「狗奴国」はどこに比定?

213 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:20:47
西洋人のいす文化は痔文化でもある。
西洋人のほとんどが痔持ち。
西洋人の地を引く東洋神も痔持ち。


214 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:21:18
>>211
では吉備、出雲、畿内、東海については、魏は全く知らなかったということかな?
その他の隔絶した地域でつまびらかではないということかい?

215 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:22:58
>>211
では疑うべき理由があるときは疑うということなのか?それは「素直」ではなく「恣意的」というべきだな。そっちこそ
わかるかなー(わかんねえだろうな)。www

216 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:24:20
>>215
おっさん古すぎwww
わかる俺も情けないがwwwww

217 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:25:58
結局自分の結論に都合のいいものは疑わず、都合の悪いものは疑うということだろう。そうして素直に読んだといいながら
たくさんの比定地ができてゆく。

218 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:26:47
>>208
>旁国というのは、大国の傍らにある国、すなわち小国のことだ。

小国というのは思い込みだな。どこにもそんなことは書いてないよ。
「 其餘旁國遠絶不可得詳」
だから、大国か小国かなんてわからないんだよ。

219 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:29:48
>>218
旁の意味を考えような。傍らという意味だというのは知ってるだろ。
何の傍らなんだ? 大国の傍ら以外にはないだろが。
つまりは、小国だってことは「旁国」という言葉自体が示すところだ。

220 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:32:28
まあこの日向クンが誰であれ、久々に自説を述べる九州説が現れたということは喜ばしい
ここはまさに「素直に」評価してやろうじゃないか。

だから日向クンは断片的にではなく、何レスか使ってまとめて発表してくれないか?
今の状況ではまだ根拠や考え方が十分に提示されていないし
こちらとしては賛同も批判もし難い段階だ
別に今夜でなくてもいい、時間があるときに頼むよ

221 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:32:53
>>215
ほう、あなたは疑うべき理由があってもなくても疑い、全て信用しないってのかい。
それでは資料は全て否定ってことになるな。

222 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:41:16
>>221
まあまあ、まだ小出しにしかしていない状況で反応しても仕方ないだろ
とりあえずまとめて書いてみてよ
俺たちがぐうの音も出ないような奴をさ

223 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:41:37
>>214
本州の方は「倭種の国」だな。倭国ではないんだよ。
だって、そうだろ。本州の北がどうなっているか、本州が島かどうかなんて
まだ、魏の連中は確かめようがないんだよ。
しかし、倭人伝は、倭国は山島にあると書いているんだ。本州のことでないの
は明白だな。

224 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:44:39
>>222
だいぶ書いたつもりだがな。反応できないってのは、私の説に欠点が
見当たらないってことだな。そう、理解しておくよ。


225 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:44:49
しかし・・・・・・これまたオールドタイプの日向説が出てきたもんだw

226 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:44:59
世界ふしぎ発見を見てわかってきますた。
古代アンデス文明と同じように、
天皇は、死んだあとミイラになって生き続けたのです。
そして天皇が鴫に住む場所が古墳だった。
古代天皇があまりにも長い在位期間府だったのはそのためです。
これですべての謎が解けた!

227 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:46:21
いやいや、オールドタイプの日向説は皆、東回りだったんだよ。
佐賀から南下するってのは、新しい説だ。

228 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:46:36
>>221
これが他の時代の資料なら、複数資料を比較対象することができる。近代の資料だって、二つのものに全く相反する
事実が書かれている場合もある。そうした場合、さらに他の資料をあたっていくことになるのだが、倭人伝の場合それ
はできない。だから、考古学や人口学、社会学など文献史学以外の分野から検討していかねばならないのだが、これ
が本当に個人の力でできるのかどうかは大きな疑問。縄文人などは弥生九州人口100万とか、弥生奈良湖とかいって
いたが、むろん専門的にはどちらもありえない。

229 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:48:15
>>224
逃げちゃダメwww
ぜんぜん肝心な部分を語っていない
今までの内容では、ここだけでなくどこに行ってもまだ前説ですらないといわれるよ

万一これでだいぶ書いたつもりなら、お話にならない
都合の悪いものには目をつぶっているだけだ、説にすらなっていない

そうじゃないと思うので、後日でいいからまとめといてくれ

230 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:51:13
邪馬台国は中・北部熊本に本拠と都市を置き、日南などの南部を除く宮崎を属領としていたのだ。
熊本と宮崎では遺跡・出土物など文化的違いがあるが、これは元々別国であったものが統合された
結果であって異とするにあたらない。
ともかく、このような広い版図を有したから戸数七万余の大国であったのだ。どだ参ったか!

231 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:51:51
>>228
人口学、社会学なんて言ったって妄想に妄想を重ねているだけだぜ。話にならんよ。
考古学的には、石野は3世紀後半日向に九州最強の王がいたって書いていた
けどな。まあ、それはたくさんの古墳を見て認めざるをえなかったんだろう。


232 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:53:31
>>231
3世紀の日向にたくさんの古墳だと・・・・・・???
そんなもんあったか?

233 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:54:12
>>229
何が都合が悪いことなのかな? 質問があったら答えてやるよ。
230は俺じゃないよ。念のため。

234 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:55:51
>>227
有明海から南に水行、薩摩を投馬、日向を邪馬台国というのは
やっぱ昔からあるよ

235 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:58:39
>>234
昔? 誰がそんなこと言ってたかな?

236 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:00:43
>>232
あるから言ったんだろ。なければ、まさか言わんだろう。

237 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:01:36
>>233
では>>214とその答え>>223についてだが
まさか本気じゃないだろうね

同時代の本州には、北部九州に頼ることなく半島と交易していたと見られている
これすらも魏は気づかなかったのか?
つまりは魏がとんでもなく間抜けで、日向邪馬台国にいっぱい食わされたということになる

続いて>>210の質問にも答えてよ

さらに日向邪馬台国は、その後どうなったのか
ここはまだ語ってないだろ?

238 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:02:41
>>231
また不都合な話題を自分で持ち出したな。石野は宮崎大から呼ばれていったんで、リップサービスをしたんだろう。ただ
し、大学が石野とともに出した結論としては「日向の首長は早くからヤマト政権へ参画してた。」だったろう。これこそ恣意
的の見本のようなレスじゃないか。

239 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:05:14
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ  土建屋はわしが育てた
  .しi   r、_) |
    |  `ニニ' /
   ノ `ー―i

240 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:08:22
一大国(壱岐)の戸数は約三千(三千許家)だ。現在では3万人前後で推移しているが3世紀辺りでは
一万五千人程度だったのだろう。九州には壱岐程度の国土だったらかる〜く300は入るぞ。九州の人口
100万は余裕だ。どだ参ったか!

241 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:11:27
日向の古墳群は、数も種類もとてつもないからねえ。
C14だと紀元前に遡るものもあるそうだし
畿内古墳群のミニチュアという意見もどこかに書かれてたな。

むしろ日向が原型で、畿内になって広い土地で大型化したのではないかな。
その後、北部九州や吉備、出雲に広がると思っているのだが。


242 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:13:53
>>237
魏に倭国以外の情報がどれだけ入っていたかははっきりしないな。
本州と取引があったのは半島東部の連中だろう。魏の使者はその実情は
あまり知らなかっただろうよ。

>>210の質問? 日向のどれだけが考古学的に発掘されているのか、あなたは
分かっているのかな? それを説明してもらいたいもんだ。資料も明示してね。



243 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:14:18
あとは花弁式住居は面白いが、あれを中国人が屋室と見たかどうかは疑問があるなあ。最近、三養基郡みやき町の西寒水四
本柳遺跡(くそ長い)で、花弁状住居跡が発掘されているが、同時に朝鮮半島南部で見られる松菊里型住居も見つかっている。

花弁状住居跡は宮崎県中南部から鹿児島県大隅半島にかけて多く分布していて、北部九州では初めてではなかったかと思う
が、これは弥生中期頃のもので南部九州より100年前後古い可能性があるかもしれない。つまり花弁式住居は南部九州発生
ではない可能性も取りざたされはじめている。・・・これは現時点ではなんともいえんがね。

244 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:16:03
>>241
はあ?なにそれ?数と畿内古墳群のミニチュアというところだけだぞ、正しいのは

245 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:18:18
>>242
逃げちゃダメ!
質問して来いといったのは君

そのあたりは知りませんでしたと「すなおに」言うなら教えてあげる

246 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:19:32
>>243
西寒水四本柳遺跡とかのは、弥生中期頃と決めつけられるかどうかが問題だな。
それに、もしそうとしても、南九州の花弁状住居がいつ始まったかなど分かる
ものではない。まさに、現時点ではなんともいえん問題だ。

247 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:20:38
>同時代の本州には、北部九州に頼ることなく半島と交易していたと見られている
>これすらも魏は気づかなかったのか?

そうだな。そのころ半島の韓と日本海沿岸の地域では民間による交易もあっただろう。だが、魏(帯方郡)
との間の国交はなかった。民間による交易はどこにでもあることで本州などが特別目立つ存在ではなかった
だろう。つまり、魏にとってはとるに足らぬ倭種の国だったわけだ。どだ参ったか!

248 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:21:39
>>245
宮崎の考古学的な発掘なんぞ、ごく一部だって承知しているよ。
王宮跡がみつかってないからといって、なかったなんて言えるものではない。

249 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:26:01
まだ未完成なんだな、彼の日向説は
自分では説明が出来ているつもりらしい
もう少し細部を固めてから再登場願うことにしよう

250 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:39:12
結構、結構。行程的に問題がない説ってのはあり得ないと思われていたんだ。
日向説には反論が出せないということだけでも、邪馬台国論争では、大変な
事件だな。今まで、倭人伝はどう読んでも読めないというところから始まって
いた。それが誤りだったということだ。

251 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:43:11
>>248
宮崎に限らず日本全国ごく一部だろう。ww ただ、市街地になってしまえばもはや計画的発掘は不可能だろうし、緊急調査
では全容はわからないだろう。そういう意味では市街地の少ない宮崎県などは可能性があるなあ。

ただ生目などの古墳にしても古いのは間違いないんだが、記紀の景行天皇の事跡と符合することが多い気がする。記紀は
普段は根拠として取り上げないんでこのレスは反則気味だが、沿岸部の首長が「ヤマト政権に早くから参画した」という宮崎
大の推論は正しいのではないかと思う。この沿岸部の首長の行動は、熊襲と呼ばれる勢力との敵対関係が関わるのかもしれ
ないし、後代熊襲が差別的に扱われた原因の一つかもしれない。まあ妄想に近いが。



252 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:52:35
>>251
>宮崎に限らず日本全国ごく一部だろう。
そうだろうな。だから、見つからないからなかった、なんて結論はおかしいんだよ。

>沿岸部の首長が「ヤマト政権に早くから参画した」という宮崎大の推論は正しいのではないかと思う。
それが従来の思い込みだな。だが、それは何の根拠もない。
それより、日向は他の勢力に侵略された形跡なんぞ、何もないよ。
畿内は、銅鐸が消滅している。鍵、唐古遺跡は何で消えたんだ?他の勢力にやられたと
見る方が自然だ。となれば、日向と畿内の古墳の類似、それは>>241氏の推測の方が
正しそうだということになる。

253 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:59:12
銅鐸は一斉消滅などしていないし

唐古・鍵はマキムクと同時期まで残っていてさらに栄える
用が終わったので計画廃棄された

何度言ったら覚えてくれるのかね

254 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:59:32
>>219
>何の傍らなんだ? 大国の傍ら以外にはないだろが。

(素直に読めば)行程が記載してあるクニグニの傍ら。

255 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:02:41
>>252
>日向は他の勢力に侵略された形跡なんぞ、何もないよ。

ループだなあ。支配ー被支配の関係ではないといってるだろう。まず日向は一つではないし、沿岸部の首長は自らの利益に
なるからこそ畿内勢力と結んだ。・・・前方後円墳南部九州発生でも持ってこない限り、地元の大学の推論を覆すのは難しい
と思うね。

銅鐸の廃棄というのは、銅剣・銅矛や甕棺が廃れたのと同じに見てなぜいけないのかな。銅鐸自体、聞くー見ると移り変わって
いるし、祭祀の切り替わりで十分説明がつくだろう。前方後円墳の祭祀あるいは、卑弥呼の鬼道にとって替わられたと解釈すれば
倭人伝との整合性がむしろある、と言えるのではないか。

256 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:03:02
>>230
> 熊本と宮崎では遺跡・出土物など文化的違いがあるが、
>これは元々別国であったものが統合された結果であって異とするにあたらない。

おっ、修正縄文人説だね。

257 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:12:30
>>250
>行程的に問題がない説ってのはあり得ないと思われていたんだ。
>日向説には反論が出せないということだけでも、邪馬台国論争では、大変な事件だな。

投馬国が鹿児島で、邪馬台国が宮崎じゃあ、
「自女王國以北其戸數道里可得略載」
に合わないって。

258 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:16:59
日向説ご披露ご苦労様。

敬意を表して、明らかな間違いの部分だけ指摘しておこう。
そこを修正してまたの登場を期待する。

>>198
>当時の史書の書き方に、連続式と放射式が
>あり、倭人伝が放射式で書かれていることは学者が何人も指摘している。

放射式などない。ただの一例もない。

また放射式は榎一雄を始めとして提唱され、確かに検討はされたが現在では否定されている。
それでもアマチュアレベルで拘る人がいるという程度のもの。
ただし至と到の使い分けは三国志の中では明らかにルールとしてみられる。
だがこれはそこから放射するものではなく、実際に往来があった地点かその先かの違い。
そこは通説としてよいが、放射式そのものの肯定では決してない。

>>208
>旁国というのは、大国の傍らにある国

「旁」に傍らという意味はない。そもそも「傍」という感じが発明され、かたわらと読まれたのは
明治時代の日本においてであって、古代中国ではない。

259 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:25:07
だいたい、古墳なんてのは
後世になればなるほど
おおきくなる傾向にあるんだな。

古墳の大きさに権威や価値を見出しているとすれば
よほどの凶作や国の疲弊がなければ
前と同じか、それより大きくする方向に変化していくだろう。

260 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:30:40
>>258
>また放射式は榎一雄を始めとして提唱され、確かに検討はされたが現在では否定されている。

そうなんだ…

まあ日向厨に賛意を示す物じゃないが
倭人伝自体はあくまで「連続式」で書かれていても
元資料が「放射式」であって、言わば伝言ゲームのように途中で誤解されて記された…って可能性なら無いのかな?

無論、こんな事を言い出したら「何でもあり状態」になるのは百も承知だがwwwwwww

261 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:31:16
>>258
>放射式などない。ただの一例もない。
榎や山尾の本を読んだことはないの? 実例を引いているぜ。

>「旁」に傍らという意味はない。
無茶苦茶な説を発明したな。辞書でもみてから言うことだね。

262 :図解:2010/05/15(土) 23:33:34
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ           ┃ ↓ /
    /        /           ┃ ↓|フクイ
   丿 水行  / ̄              ┗━━━━━━━━━━━
  |_     ↓/ ̄
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                 末盧国・・・敦賀市 (気比の松原)
 /  >   天 \              伊都国・・・旧伊香郡 (古保利古墳群)
/  /     安 \             奴国  ・・・長浜市 (国友鉄砲村)
\ |        川              不弥国・・・米原市 (息長稜)
  ∨             ☆呼邑国  投馬国・・・野洲市・近江盆地
                               (日本最大銅鐸、伊勢遺跡)
       ▲邪馬国 天
               岩 ☆為吾国  邪馬国・・・旧信楽町
             戸           呼邑国・・・甲賀市 (手裏剣=鉄?)
                         為吾国・・・伊賀市 (同上)
            ☆巴利国      巴利国・・・名張市 (同上)
      ☆烏奴国             烏奴国・・・宇陀市 (辰砂・丹の産地)
  ☆奴国                  奴国 ・・・奈良盆地

263 :図解:2010/05/15(土) 23:35:05
いきなりスマン^^;
規制解けてると思わなかった

264 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:36:37
>>261
よく読んであげなよ

>また放射式は榎一雄を始めとして提唱され、確かに検討はされたが現在では否定されている。

その反論として榎や山尾のすでに検討された考え方を提示しても意味ないじゃん
現在放射式を提唱している学者がいるのなら、その人の名前を出さなきゃ

265 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:39:27
>>264
横からだが、別に提唱している学者がいるかいないかは関係ないだろう。
学者が言っていないことを言ってはならないというわけではないし。

266 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:40:07
銅鐸は、畿内で割られて埋葬されている状態が結構あるので、他の青銅器が廃れていく状況とは異質だ。

267 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:44:15
>>264
最後に言った者が勝ちか? 山尾はまだ生きているぜ。取り消したという
話も聞かないな。

268 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:47:36
>>265
いや反論の仕方がおかしいわけ

 榎の主張は検討の結果否定された
        ↓
 榎が書いているのを知らんのか

これ反論になってない
反論するなら、いや○○が今も提唱している、かもしくは否定されようが俺は採用しているかのどちらかだろう

269 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:50:38
>>267
だから通説ではない説を採用していると、正直に書いたらいいんだよ
それを両説が平行して議論されているようなまぎらわしい書き方で誤魔化しているだろ?
この時点で論者に品位がないことがはっきりする

270 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:51:47
>>268
おいおい、俺がいつそんな反論をした?
「放射式などない。ただの一例もない。」というから、榎や山尾が具体的な
例を引いていると言っただけだぜ。

271 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:52:00
>>266
割られたものもあるし、そのまま埋納されたものもあるし様々だね。銅鐸は集落の共同祭祀で、絵画を見れば水にかかわる精霊
信仰とも言われるが諸説ある。前方後円墳は個人崇拝で、首長霊信仰の萌芽かな。宗教心というのは古代では強いものだった
ろうから、割ることで古い信仰と決別した、あるいは鬼道への忠誠を示した等々解釈はいくらでも可能。

唐古・鍵は上で誰かが書いてるように古墳時代まで数度の再開発がされており、纏向の性格を考える上での一つのキーになると
個人的には考えている。


272 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:52:21
しかし実際のところ「放射式」が駄目だったら
九州説の「砂鬼四荼羅経」もダメダメって気がする。

「連続式」で読み解いた物でスッと腑に落ちるように理解できた物が無いwww

川を遡上して水行としたり
「潮待ち」で無駄に日数を消費させてつじつま合わせたりw
まだ畿内説のほうがシンプルで分かり易い

先ず九州の地図必須で、文章だけならさっぱり分からないと言うのが
俺の実感wwwwwwwww




273 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:54:19
>>270
その次の行に榎一雄とフルネームで、彼の説は検討されたが・・・とあるじゃないか、見苦しい

274 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:54:57
>>266
スサノオ君が壊して周らはったらしいわ

275 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:56:05
>>271
何とでも屁理屈はつくと思っているのかも知れんが、銅鐸を信仰してきたのならば、
それと決別する人間がでたからといって、すぐに皆が右へならえをするはずは
ないんだよ。仏教が伝わってきたからといって、神道を捨てない、キリスト教が
伝わってきたからといって、仏教、神道を信ずる者もいる、一斉に銅鐸を捨てるところ
がおかしいんだ。

276 :図解:2010/05/15(土) 23:56:39
>>272
野洲川はゆるい川なんよ
上流の方に「水口(みなくち)」って地名もある

277 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:56:40
つまり榎や山尾が例としてあげた史書も
放射式ではなかったということがFAなのか?
そこのところを>>258はもっと詳しく書いて欲しいな

278 :日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:58:02
>>275
だ〜か〜ら〜あ

いっせいに銅鐸は消滅していないと何度言えばwww
君の一斉とは数百年単位のことか?

279 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:04:09
それにしても「素直」に読むためには、いろいろな道具立てが必要だよなあ。放射式もそうだし、地域的短里説(これを中国の学生に
言ったら驚いてた)しかり、「水行十日陸行一月」を帯方郡から邪馬台国までの里数と考えたり、「素直」という言葉の字義がよくわか
らなくなるのは俺だけかねえ。

280 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:10:11
>>278
ほう、何時と何時だっけ?



281 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:11:47
>>279
人がどういう場合に事実を誇張したり嘘をつくか、
どういう場合に事実を取り違うか、それは考慮しないと。

国土を広く言ったり、繁栄してると嘘を言うのはありがちな事。
また、使者が野蛮な風習をことさらに取り上げて報告するのもありがちな事。

282 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:14:01
>>279
>「水行十日陸行一月」を帯方郡から邪馬台国までの里数と考えたり
こんなのは、素直な読みとはいわんのだよ。
倭人伝が長里で書かれているという主張も、素直じゃないねえ。

283 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:16:28
>>280
まあこことここを読んでみ

http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku04.html

http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku08.html#summary

284 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:25:07
一斉消滅とか言ってる香具師は、そもそも畿内にいわゆる見る銅鐸がほとんどないということを知らないんじゃね?

285 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:26:29
銅鐸勢力の危機が二度あったということだろうな。
その埋め方をみるとおもしろいね。西の方から埋めているようだ。

286 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:28:36
>>284
>見る銅鐸がほとんどない
だから、何だというんだい。どう考えてるの?

287 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:31:14
>>282
縄文人かな?「水行十日陸行一月」を帯方郡から邪馬台国までの里数と言ったのは古田だったか。氏の「原文をみだりに
改変してはならない」というのがある種の強烈なしばりになって、「でも解釈は自由だよ」というのがこっそり付け加わったと
いう気がするんだが、古いことはよくわからない。ww

いずれにしても考古学者の支持が多い畿内説より、九州説は同じ九州説内に「素直に読まない」敵を多く抱えていることに
なるんじゃないか。w

あと「旁国」というのは、俺の漢文理解だと「その他の広範囲の国々」というような意味じゃないかと思うけど、自信はない。w
詳しい人にご教示いただけたらありがたいです。

288 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:35:54
しかしこの日向厨も相変わらず微塵も進歩していないなw

「銅鐸が一斉に叩き割られて鏡になりました」
と言うのならそれは一体いつなのだ?
実年代できちんと言ってみろ。

で、叩き割られた銅鐸を材料にして作られた鏡の種類は?

もう少し具体的に持論に肉付けしてみろよ
「石野が言った」「榎が言った」と言う所で思考停止せずにwwwwww



289 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:36:24
>>286
俺がどう考えているのかではなく、そもそも銅鐸勢力なんてものは最初から無いの
銅鐸を祭器として採用していた場所はあっても、それらは連動などしていない
奈良盆地からは見る銅鐸がひとつも出土していないということは
紀伊や三遠とはまた違った文化形態を持っていたということだろ?
そして開始や生産の終了、使用の終了も各地でまちまちで一元的関連性が無い
最終的に庄内式土器の開始あたりが、残った銅鐸祭祀の終了になると考えられている

じゃあ庄内式普及が征服の証しかというととんでもない話で
その頃になると北九州でも庄内式土器が爆発的に導入される

要するに銅鐸は邪馬台国とかとは一切関係ないの

290 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:39:19
>>287
ヨコだが今出てきているやつは日向厨と俺が分類しているやつで
縄文人とは別人だと思うw

ただここまでのレスを読めば分かると思うが
日向説と東遷説とセットになっているんで
かなり縄文人と被る部分はあるwwwwwwww

291 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:41:59
>>288
銅鐸のいっせい埋納は3世紀だろうな。それとも、数百年にわたって毎年
埋められていたとでも言うつもりかね?


292 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:42:59
じゃあここに常駐する九州説とは

縄文人、サイキバ、東遷厨、日向厨の4人なのかな?

293 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:45:02
>>291
それ単なる君の想像(願望とも言う)で、そんな調査結果はひとつもない
まず想像を裏付けるためにも資料をあたれ
そしてそれが想像に反していたのなら「素直に」あきらめろ

294 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:45:06
>>291
3世紀?
じゃあ100年はある訳だw

一つの文化が廃れるには十分な時間だなwwwwwww

295 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:45:17
畿内説は、wwwwwの他に何人いるんだい?

296 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:47:13
サイキバは縦目仮面が殺したようなものだなw
あれだけ自演を叫んでおいて
それ俺なんですけどと出てこられては立場もへったくれもないだろう

297 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:48:29
www厨は畿内説の私から見ても不快ですね。
畿内説のレベルを一人で下げている。
はっきり言って邪魔。

298 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:51:20
>>296
甘いな。
サイキバ君はそんなにヤワじゃないぞw

常人ならもう恥ずかしくてこの板に寄り付けなくなるような
恥レスの数々の記憶も右から左に受け流してしまう無敵スキルを持っているからなwww


299 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:52:37
畿内説になりすまし、乙
さっきから銅鐸について書いている者だが
なかなか彼の指摘は的を得ていて面白いぞ

不快なのはこてんぱんにやられた九州説だろうな
じゃあ君の畿内説ってどんなのかって問われてもなりすましだから書けないだろ?

狗奴国の比定とかは彼とは異なる見解なのだが
不快とか思っている奴はたぶん畿内説にはいない

俺はもっと煽ればいいのにとすら思っている

300 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:53:48

241   名前:  ローガン   2010/05/15(土) 20:06:32   ID:F4xQNemE

表では三角縁神獣鏡に関する議論をしていた。三角縁神獣鏡は倭鏡であるとする畿内説派が多いようですね。
2ちゃんで魏鏡説を支持するのは私くらいだと云う御仁もいた。

では倭鏡説派に尋ねますが、「三角縁神獣鏡が国内で作られた期間をいつとするのか?」
新納編年3段階と、円圏規矩鏡の芝草模様の経年変化を同期としないと前期古墳が、下がるのではないか?
三角縁神獣鏡の出土の多くは布留0期ですね。
魏鏡と同期の文様推移とするなら工人達が次々と来倭したとでも云うのだろうか?
その工人達は鏡以外何も残さなかったのだろうか?
それとも、倭鏡ゆえ倭人による作鏡だとでも云うつもりなのか?

301 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:55:38

243   名前:  ローガン   2010/05/15(土) 21:22:25   ID:e0x32XS+

続き。
魏鏡に見える芝草模様と三角縁神獣の唐草文帯を同期とすれば、権現山51は魏の末期。
平面プランを共にし、宮山型を持つ箸墓は3世紀半ばが想定される。
ここでの前提条件は、魏鏡と三角縁神獣鏡の経年変化がほぼ同期である事。
この年代観を支持するなら、三角縁神獣鏡は短期間の様式変化を認めなければならない。

仮に倭国内において渡来工人が239年に初めて三角縁神獣鏡を作ったとして、
その後、約10年毎に工人達が度々入れ替わったなどと云うつもりなのだろうか?
寺澤氏は王権誕生で通使の度に工人を招聘したとするが、なんら根拠は示していない。
「工人達の速やかな入れ替わり」など単なる推測に過ぎない。
しかし、国産説ではこのような少々無理な推測をする以外にない。
上で述べたような理由により、長期にわたる経年変化は拙いからである。

302 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:56:03
>>298
そうなのか・・・レギオンみたいな奴だなw
我々は大勢であるが故に・・・とばかりに繁殖するのかw

まあ上でも書いたけど、最近ここに戻ってきて
なかなか理知的な畿内説論者がけっこう戻ってきているんだなと感心したので
この間からちょくちょく参戦させてもらってます。ヨロ

303 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:56:16
>>292
wwwwの分類はあんまりあてにならない。

304 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 00:59:34
www厨は、単純でいい奴なんだよ。ホントはね。
思考が単純なので、みんなから何度言われても、
ちょっと時間が過ぎるとwwwを書いてしまう。
にくめない奴さ。

305 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:01:22
>>299
おもしろいのは認めるがな。
九州説風情にスキをつかれる書き方が気にくわんのよ。
こちとら生まれも育ちも京都で邪馬台国が九州なんかにあったなんぞ反吐がでるわ。
www厨は前から畿内説のあいだでも嫌われもんで
あるシンポジウムで何人かと話題になったくらいや、アレは何とかならんのかと。
ズブの素人か、どっかの研究室のもんかのどっちかやろ。


306 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:03:23
>>305
こういう感情的な人間が畿内説を支えているのは確かだな。

307 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:03:44
>>300-301
これちょっと宿題にしておいてw
舶載説でこれだけきちんと論理展開しているのは久しぶりに見た
よく咀嚼してから当方の見解を述べますわ

>>305
>京都人
またまたご冗談をwww
わたしらそんなくっさいくっさい言い方しはらしません

308 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:07:26
>>293
ははは、一度ではなく二度埋められているってか?
銅鐸勢力は二度手痛い攻撃を受けたということだろう。

309 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:08:06
お馬鹿な畿内厨は相手が九州説であるか畿内説あるかさえ見抜くことができないのです
さすがですね

310 :縦目仮面:2010/05/16(日) 01:14:29
このスレもIDつけたほうがいいのかなあ。俺も最近はずっと名無史で書いてるけど・・・

客観的に見て、銅鐸の廃棄=東遷とするのはもうムリだと思う。東遷は確かにロマンがあるけど、じゃあその細部(動機・規模・
戦略等々)を具体的に頭に描ける人というのはいるのかな。俺はどうやってもできない、薩摩藩でもあるまいしねえ。

311 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:16:44
週末にこのスレをROMるのが楽しみなんだが、
なんで畿内説がここまで嫌われとるのかがようわからん。なんで?
だれか教えてちょ。

312 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:20:04
根拠がまったくない。単なる信仰だからだよ。

313 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:22:17
>>310
東遷は無理だろうな。東遷する理由がない。

314 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:22:53
>>310
銅鐸祭祀がどのようなものだったのかがいま一つつかめない。
東遷を前提にすれば、よほど相容れないものだったのかもしれない。

銅鐸が記紀に全く登場しないことも東遷説の根拠の一つなのだが、記紀から
銅鐸祭祀の様子が全くうかがえないのも困ったもの。

315 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:23:25
>>305
>あるシンポジウムで何人かと話題になったくらいや、アレは何とかならんのかと。

おいおいおい、一体どんなシンポなんだよwwww

>こちとら生まれも育ちも京都で邪馬台国が九州なんかにあったなんぞ反吐がでるわ。

まあ京都の人間と言っても色々だろうが
そんな了見で畿内説に立つというのは頂けないなwww

別にコチトラ「畿内説」と言うだけで馴れ合うつもりも無いんで
お前みたいな奴から嫌われても全く問題ない。

てかそっちの方がありがたいぐらいだwwww

316 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:23:35
>>311
基本的に現代の畿内説=アカデミズム説だから

九州説は民間の好事家が唱える説で、提唱者によって史料の解釈や比定位置が異なる
だいたいが倭人伝や記紀の解釈によって構成されている

現代の畿内説はそういった文献解釈をすでに行っていない
なぜなら文献学者から、倭人伝解釈は既に限界との見解がとっくの昔に出されているから
だから考古学的知見に基づく考察がされている、それが現代の畿内説
しかも考古学では九州説を提唱する研究者は皆無に近い

そんなこんなで、目の敵にする理由は山ほどあるのよ
オカルトが物理学を毛嫌いしているのと同じよ

317 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:36:51
>なぜなら文献学者から、倭人伝解釈は既に限界との見解がとっくの昔に出されているから
これが問題なんだな。そんなことを言う連中は、みんな、伊都国=怡土だと思い込んで
いる。伊都国を怡土にすれば、あとの話は絶対に合わないのさ。

318 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:39:08
>>316
だから、弥生前期や中期の事を考えてみたらいい。
この時代のことが考古学でどれだけわかるか。縄文時代でもいい。

邪馬台国時代は文献があるから、固有名詞のようなものが出てくる。
文献がなかったら、縄文時代と全く変わらない。考古学では手も足も
出ないはず。

319 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:44:35
>>317 日向厨

だからお前さんの説が日の目を見るようなことがあるとすれば
佐賀大和あたりで楽浪土器でも大量に出て

 「弥生末期に半島大陸との交流の窓口が玄界灘周辺ともう一つ出来ていたみたいだ…」

…って話になった時じゃないのかな?

半島との交易は 勒島→原ノ辻→博多湾岸 とシフトしたと言うのが今日の常識的な理解だと思うが
もう一つ”ハブ”みたいな物があったとなったら
九州の考古学がひっくり返ると思うwwww

まあ日向に直接的に邪馬台国につながるような物が出れば万々歳なんだろうがwww

320 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:47:17
大和へつなげるための常識的な理解なんだろうな。
倭人伝を素直に読んだ常識ではないよ。

321 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 01:47:29
>>317
つまりこうですね
「学者はバカだから間違っている!ボクこそが正しい!真実はボクにあり!えっへん!」

>>318
比較史料もないようなもので推論を立てるなんて、文献学でもやらないよ
というか学問の世界ではそういう遊びはしない
もっと様々なことが判明してから、文献を検証すべき
今の段階で使っても何の役にも立たないどころか、害になる

322 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 02:34:24
>>316みたいに、すでに結論が出ているという話自体が嘘だし、
「だから邪馬台国の比定を放棄」というならわかるが、
「文献を一切無視して邪馬台国を比定する」というのでは、
単なる馬鹿でしょ。

323 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 02:41:14
銅鐸が畿内の中心部から周縁部に向かってだんだんと廃棄されてくる時代、
機内には連続した巨大権力がなかった、権力が断絶したと見るべきだろう。

ところが根拠のない「ゆるやかな連合」論を持ち出してきて文化の違う
九州まで畿内の勢力下にあったと強引に結論付け、
一方で巨大古墳があった畿内こそ、列島最高の強大権力があったとし、
それゆえ邪馬台国は畿内纏向だというストーリーを流す。

しかしその畿内は、権力が断絶して、それどころではなかった。
鉄器も少なくて広域支配などできなかったというのが実相。

324 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 04:20:22
>>323
そろそろご高説でも伺おうかw
上2行だけならまだしも

3行目以下は妄想というかアンタの希望だろw

325 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 04:23:33
>>323
>鉄器も少なくて広域支配などできなかったというのが実相。

鉄器と支配領域の広さにどう言う相関関係があるのか詳しく説明してもらえるかな?

ちなみにインカ帝国の領域って南北にどれくらい広がるか知ってるい?wwwwww

326 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 05:52:21
>>315
>別にコチトラ「畿内説」と言うだけで馴れ合うつもりも無いんで

あれ?畿内厨ってのは味方が少ないんでいっつも馴れ合ってんじゃなかったっけ?



327 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:06:15
>>321
学者は倭人伝どおりに読まないから辻褄があわなくなるんだ。倭人伝どおりに
読めば何も難しいことはない、ってだけのことだよ。
妙な言いがかりはつけないことだ。

328 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:11:32
>>327
倭人伝どおりに読んだら、九州のはるか南、台湾の東の海上になってまうのは周知の事実。

329 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:12:12
>比較史料もないようなもので推論を立てるなんて、文献学でもやらないよ
資料が一つしかなければ、比較資料がないまま推論するしかないだろ。

それに、倭人伝ほど詳しい資料はないが、比較資料はあるんだよ。後漢書、隋書
梁書それらをみれば、倭人伝は正しいと判断できるってことだ。


330 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:13:28
>>328
周知などとごまかさず、それを論証してみなさい。できるものなら。


331 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:19:17
>>330
短里とか放射説とか、他の漢籍では全く出てこない説を捻り出さなければならないのが、その証拠です。

332 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:22:29
>>331
そんなことしか言えんのかね。情けないねえ。
長里で、韓=方四千里、一支国=方三百里の説明がつくか? 
東南五百里はどこに比定するんだ。


333 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:23:44
>>332
で、結局短里支持者なわけか。

334 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:24:51
水行十日でどこまで行けるというのでしょうか
平安時代でさえ、たとえば土佐〜京都は海行一月ですよ

335 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:28:16
>>334
京都は海に面していないんだが。
まあ、議論とは別に、興味があるので、そのソースをプリーズ。

336 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:32:46
>>335
短里で考えるしかないだろ。倭人伝がどんな理由で短里で書いているかなんぞは
はっきりいえばどうでもいいことだ。現実に短里で書いている。それは否定できない。


337 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 07:48:06
>>336
東夷伝の記述は正しいはずという思い込みから出発してるから、
>長里で、韓=方四千里、一支国=方三百里の説明がつくか? 
なんていう迷路にはまり込むんだ。
短里なんて、倭人伝でしか登場しない物を想定するより、
東夷伝の記述は間違ってると割り切った方が妥当。

338 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 08:07:56
>東夷伝の記述は間違ってると割り切った方が妥当。

「東夷伝の里は違ってる(短里)と割り切った方が妥当。」 でしょう。



339 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 08:13:59
短里は倭人伝だけじゃないぜ。魏略だって使っている。

340 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 08:17:03
畿内厨というのは土佐日記ひとつ知らないらしい。

341 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 08:32:59
>>315
まあええわ。
だがな、これだけは言っておく。
お前の存在に怒っている真面目な研究者たちが少なからずいることを忘れるな。
お前が嫌われるのは匿名掲示板の書き込みとはいえ、お前が一人で畿内説の研究者の品位を貶めているからだ。
今の時代、くやしいが匿名掲示板とはいえその影響は無視できない。
普通に書け。ズブの素人にしちゃ結構いいこと言ってるしね。
以後慎め。

それから畿内説について学閥がどうの研究者の生活がどうの言ってる奴がいるが、これにもひとつ言っておく。
そんな事実は絶対にありませんよ。
考古学的見地から普通に考えれば邪馬台国は畿内でしかありえない。
研究者であれば当然そういう考えに行き着くわけです。
何も畿内説を強要しているわけではない。
一部で言われているように最近の研究結果から畿内説が怪しくなってきて若い研究者が離反しているとか
若い研究者とベテランの研究者のあいだで確執があるとか、そんなのはまったくの出鱈目です。
間違った情報にだまされないように。




342 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 09:04:37
>>341
それは、年配研究者の見地です。

343 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 09:05:01
>考古学的見地から普通に考えれば邪馬台国は畿内でしかありえない。
考古学者って、畿内中心の遺跡、遺物しか知らないんじゃないかな。
ほんの20年くらい前まで、日向の古墳は5世紀以降ってなことを言って、
検討しようともしなかったからな。そうゆう先入観が今もかなり残ってい
るんだよ。


344 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 09:09:48
>>340
知ってるわけないじゃん。
常識も教養もないただの研究バカに過ぎないんだから。

345 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 09:33:55
>>156
土下座は自分で言ってたんだろ。
考古学者の言うゆるやかな連合自体は、まぁそうなのかも知れないとは思うが、それをまちがえて
「ぼくのかんがえたさいきょうのきないせつ」
に組み込んだら、まったく違う性質の連合になってしまっている。

で、君の頭の中では九州は畿内より魏のほうが近かったようだが、
その後の熊襲討伐や隼人の反乱などで同様に援軍を求めなかったのはなぜなんだ?
それと、助けを求めた魏はトヨにあっただけで戦闘も調停もせずに帰っているが、
その後、畿内から北九州に援軍を送ったという考古学的証拠でも出てきてるのか?
それとも北九州を見捨てたとか言うのかな。

346 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:03:17
>>341

「研究者」ねえ…まあ、○○研究家、○○評論家なんて自己申告だろうが
まさか何処かの大学で教鞭をとってたり
公的な研究機関に勤めてたりしてます、なんて言わないだろうなwwww

そもそも俺なんか古代史に関する市販本を数冊読めば仕入れられる程度の知識の人間で
その俺に叩かれているアホなんざあ既に漫画レベルのお話。

それで畿内説だの、九州説だのの、レベルなり品位なりを計ろうということ自体が噴飯物w
気は確かか?ドアホw

正直言えばお前が京都の人間と言うこと自体疑っている。

>>305
>邪馬台国が九州なんかにあったなんぞ反吐がでる

はあ?
じゃあ奈良にあったら我慢できるのか?
良く分からない情念だなwwww

本当にこのスレが「けんきゅうしゃ」とやらに注目されているのなら
当然お前のそのレスも読まれる。

俺ならそんなアホレス恥ずかしくて書けないがwwwwwww

347 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:12:23
www嫌われもんの登場か。
畿内説同士の醜い罵倒合戦はどっかよそでやってくれないかな。


348 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:17:46
>>334
>>340
お蔭さまで、高校以来ひさしぶりに土佐日記を読んだよ。
でもさ、こういうものを参考にするなら、ちゃんと中身を読まないといけないと思うよ。

>平安時代でさえ、たとえば土佐〜京都は海行一月ですよ

中身を読めば、土佐湾の浦戸から淀川河口の川尻まで、
実際に船が動いているのは十日。まさに水行十日。
距離的には、九州から川尻まで瀬戸内海を通る場合より、若干短いくらいかな。
これって、水行十日の距離が、瀬戸内海を航行する距離と近いという証左じゃないの。

349 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:22:46
>>348
そこをどう解釈するかでまた分かれるのでしょうね
水行十日を実働十日とするか十日ほど見ておかないとならないととるか
邪馬台国論が議論噴出となるのも無理なからぬところでしょう

350 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:25:33
所要日数というのは、適度な休みも入れて言うもんだろうな。

351 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:26:08
>>340
地形や天候の関係があるから
距離や日数なんかを記した、後の時代の日記なんぞ何の参考にもならない。

352 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:31:00
>>349
夷人不知里數,但計以日.
とあります。
距離を表すのに日和待ちの日数は含めませんよね。
それを含めると、その時々で距離が伸び縮みすることになりますから、
地理情報として意味をなさないでしょう。
だから、水行十日とは、実際に船が航行する日数でしょう。

353 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:39:56
>>316
ありがトン。
ここは色んな人の意見が見れて面白いね。
でも何で畿内説は自称研究者の人やwwwの人みたいに幼稚な人ばっかりなんだろ。
>>340>>349の人や同じ畿内説でも>>348>>352の人みたいに(人違いならゴメン)穏やかに議論すればいいのに。


354 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:42:32
>>340>>349は間違い。
>>334>>349の人が多分いっしょの人だね。ゴメン。

355 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 10:58:26
土佐山田にぞ山田国(邪馬台国)ありしとする説を支持してくださった方、ありがとうございます。
全国80万山田さんを代表して御礼申し上げます。
邪馬台国はもちろん物部です。

356 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 11:00:14
なりすましや中傷しか手がないとは、もう九州説は末期症状だな

357 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 13:54:28
しらっと大ウソをつく畿内説

>短里とか放射説とか、他の漢籍では全く出てこない説

どちらも大ありなんだが。

358 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 14:11:13
長里だと、北はベーリング海峡でアラスカの一歩手前
南だとパプアニューギニアでオーストラリアの一歩手前まで。

つまり、長里だと日本じゃないという結論になる。

359 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 14:13:42
>>357
短里が、どこに出てくる?
放射説の例として、漢書西域伝のことを念頭に置いているのなら、
それは倭人伝の文とは構造が全然違うから無意味です。
倭人伝と同様の文の構造で放射説であるなんていう例は無いです。

360 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 14:36:00
>>341
wwwwwは、たいした存在感じゃないか。

しかし、誹謗・中傷、人格攻撃なんでもありの畿内説の中で、けっこうまともに
論じるwwwwが、一人で畿内説の品位を貶めているというのも面白い。

361 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/16(日) 14:36:19
隔離スレより

241 名前: ローガン 2010/05/15(土) 20:06:32 ID:F4xQNemE
表では三角縁神獣鏡に関する議論をしていた。三角縁神獣鏡は倭鏡であるとする畿内説派が多いようですね。
2ちゃんで魏鏡説を支持するのは私くらいだと云う御仁もいた。 では倭鏡説派に尋ねますが、「三角縁神獣鏡が国内で作られた期間をいつとするのか?」
新納編年3段階と、円圏規矩鏡の芝草模様の経年変化を同期としないと前期古墳が、下がるのではないか?
三角縁神獣鏡の出土の多くは布留0期ですね。魏鏡と同期の文様推移とするなら
工人達が次々と来倭したとでも云うのだろうか?その工人達は鏡以外何も残さなかったのだろうか?
それとも、倭鏡ゆえ倭人による作鏡だとでも云うつもりなのか?


362 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/16(日) 14:37:15

243 名前: ローガン 2010/05/15(土) 21:22:25 ID:e0x32XS+
続き。
魏鏡に見える芝草模様と三角縁神獣の唐草文帯を同期とすれば、権現山51は魏の末期。 平面プランを共にし、宮山型を持つ箸墓は3世紀半ばが想定される。
ここでの前提条件は、魏鏡と三角縁神獣鏡の経年変化がほぼ同期である事。 この年代観を支持するなら、三角縁神獣鏡は短期間の様式変化を認めなければならない。
仮に倭国内において渡来工人が239年に初めて三角縁神獣鏡を作ったとして、その後、約10年毎に工人達が度々入れ替わったなどと云うつもりなのだろうか?寺澤氏は王権誕生で通使の度に工人を招聘したとするが、なんら根拠は示していない。
「工人達の速やかな入れ替わり」など単なる推測に過ぎない。しかし、国産説ではこのような少々無理な推測をする以外にない。上で述べたような理由により、長期にわたる経年変化は拙いからである。
同期の経年変化を支持するなら、やはり三角縁神獣鏡は中国鏡であると考えるのが穏当であろう。勿論それだけではなく、所謂、長方形ちゅう孔 外周突線 甚独奇… 当時の華北の様式を三角縁神獣鏡は持っているのである。


363 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/16(日) 14:49:19
320年) 高句麗 冬十二月、兵を派遣して遼東を侵略、慕容仁が防戦し、これを破る。
321年 四年十二月,以慕容廆為持節、都督幽平二州東夷諸軍事、平州牧,封遼東郡公。

倭国軍が東夷軍として、活躍していれば、その長として慕容廆が君臨したことがある
したがって華北の様式を三角縁が持っている事もありうる。


364 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 14:52:34
>>362
箸墓を3世紀半ばとする前提条件がおかしいんじゃないかな。

三角縁神獣鏡は、呉の工人が作ったという説もあるくらいなので、呉との関連
がありそうなのだが、当時、魏とも呉の両方に通じていると言うのはおかしい
ので、やはり、呉の滅亡(西暦280年)が契機になっていると考えられる。

三角縁神獣鏡の年代としては、4世紀も半ば近い頃という説も多いが。

365 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 15:03:31
>>359 横シツレイ
>倭人伝と同様の文の構造で放射説であるなんていう例は無いです。

>>261
>榎や山尾の本を読んだことはないの? 実例を引いているぜ。
>>270
>榎や山尾が具体的な例を引いていると言っただけだぜ。
>>277
>榎や山尾が例としてあげた史書も

と、あなたの相手は主張しているわけだが、実際のところどうなのだろう?
(相手は実例を挙げないようなのであなたに尋ねるわけなんだが。)

366 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 15:24:40
自分も横からだが、榎の放射説は、実例とかいうものではなかったように記憶している。
つまり三国志の他国への行程も放射読みをすべきだという主張だったはずなのだが
この説は当時の文献学に衝撃を与え、上でいわれている様に様々な検討が加えられた。
その結果として、放射読みには無理があるのではないかというのが結論だったと思う。
これはアマチュア同士の議論などではなく正式な論文として提出され、様々な学者が精査した結果だから説としては一般的ではない部類に入るということになる。

少なくとも連続説か放射説かが未だに議論されているとはいえない。
マイノリティだから間違いと主張するつもりはないが、放射説を採用するのならそこはまず断っておくべきだろうとは思う。
これは短里説も同様で、やはりマイノリティ説だから、採用するに当たっては相当の根拠が必要になる。
個人的にはだが、学問を標榜するならば決して「素直に読めば」などという一言で説明すべきことではないと思うのだが。

367 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 15:36:46
この「素直に読めば」という常套句は文献学では禁則事項のひとつとされている。
通説に異を唱えるならば、それこそ枚数を費やして詳細に説明すべきであって「私はこう読む、こう読める」を主張するだけでは相手にされない。

例えは悪いかもしれないが「私には霊が視える」と言い張るだけで、何故視えるのかまたその正体は何かに言及してこそ学問であり
言いっ放しで明確な根拠も示さないままでは、やはり学問的態度とはいえないと思う。

その根拠なのだが榎一雄と山尾幸久は「自説は放射読みである」と主張しているに過ぎないのであって、彼らの説を紹介したうえで自分も賛同するのならまだしも
榎や山尾が書いているから根拠なのだというのは、論理的におかしい。

368 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 15:42:40
故に論者は、「行程については放射説、短里説を採用する。」としたうえで、誰の説に賛同したのかやそう読む具体的実例を挙げねばならない。
そこを「素直に読む」などで済ませてしまっては、おそらく誰の賛同も理解も得られないままになるのではないだろうか。
苦言を呈してしまったが、放射読み・短里を採用する理由を具体的に述べた書籍・論文は多数あるのでそれらを参考に再構築されたし。

369 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 15:45:19
>>366-368
長っ
3行で済むだろw

370 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 15:49:21
追記、山尾幸久は放射読みの提唱者というわけではなく「榎説の採用者」という認識が正しい。
故に自著論文においてもマイノリティ説である放射読みを採用する理由をかなりの枚数を割いて説明していたはずで、これが学問的態度であると言えよう。

371 :疑心暗鬼:2010/05/16(日) 16:11:42
畿内説論者の方々にお尋ね申す。諸兄らは下記の倭人伝の記事を如何に見られるか?ほぼ史実と見られるか、
それとも根も葉もない虚偽と見られるか?

其國本亦以男子爲王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼

372 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 16:18:52
男子王の時代が780年しか続かなかったということだ。
1代で20年としても39代。
随分長く続いているではないか。

373 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 16:24:13
780年wwwギャグだよね?

374 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 16:35:39
畿内説は、都合の悪い文献の記述は間違いとする。
間違い?があまりにも多いと、文献そのものが信頼できないとする。

>>372
7,80年ということだな。780年は、七百八十年となる。

375 :365:2010/05/16(日) 16:59:32
>>366-368,370
詳細な説明ありがとうございました。

376 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:29:19
>>371
>下記の倭人伝の記事を如何に見られるか?

「ほぼ史実」でよろしいのではないでしょうか。

「其國本亦以男子爲王」とは、
後漢書の「安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見。」と同様の知見があって書かれたこと。
「住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年」とは、
後漢の衰えとともに帥升系倭国王の威光が衰退したことを言うのでしょう。

377 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:31:50
>>364
>箸墓を3世紀半ばとする前提条件がおかしいんじゃないかな。

あまり関係ないのでは?

>>ここでの前提条件は、魏鏡と三角縁神獣鏡の経年変化がほぼ同期である事。
つまり、
>>新納編年3段階と、円圏規矩鏡の芝草模様の経年変化を同期
ということなんでしょう?

中国での芝草模様の変化と、三角縁神獣鏡の(唐草文様の)変化が同じだということではないのかな?
そうするとこれは、倭にいる工人の仕業とは考えにくい。さりとて、

>>約10年毎に工人達が度々入れ替わったなどと云うつもりなのだろうか?

ということなのでは?

>三角縁神獣鏡の年代としては、4世紀も半ば近い頃という説も多いが。

それ“東遷廚”説。

378 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:36:53
>>377
>魏鏡と三角縁神獣鏡の経年変化がほぼ同期である事。

身勝手な空想も甚だしいな。


379 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:39:58
>>366
資料を指摘しても自分で調べることは全くしないんだから困った人たちだ。
榎があげるのは次の記事。
漢書大宛国の記事
 大宛国王治貴山城。去長安万二千五百五十里。・・東至都護治所四千三十一里。北至康居卑闐城千五百一十里。
西南至大月氏六百九十里。北与康居、南与大月氏接。

380 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:40:38
>>341
>考古学的見地から普通に考えれば邪馬台国は畿内でしかありえない。

本気でそんなことを考えている学者は一人もいないよ。
本気であれば、C14に対する批判に答えるはずだが、批判の集中砲火に対して沈黙しつつも、
マスコミに対してだけ大本営発表を繰り返している。

同じことが、他の学者にも言える。
学者で畿内説を信じている者はいないが、そのことを言える空気が存在しない。


381 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:48:07
>>378
>身勝手な空想も甚だしいな。

身勝手な空想だと言えるほどの知識・裏づけが・・・あなたにあるのかね?

「唐草文としては、中国の規矩鏡においてオンタリオ博物館鏡から景元4年鏡までの変化があって、
 三角縁神獣鏡でも同じような変化をたどる。それはパラレルな関係として存在している・・・。」
(岸本直文)

382 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:48:43
土建屋で抽出
>>48 >>51 >>61 >>177 >>239

ジョーカー(サイキック・バカ)が昔「土建屋」というコテで荒らしまくったってこと?
自制心を失った状況で荒らした恥部だからこのレスを無視しているということ?

383 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 17:48:57
>>364
その程度の知識で「銅鏡」の話題に参加しいなほうがいいよ。

384 :疑心暗鬼:2010/05/16(日) 17:56:41
>>376
レスに感謝申し上げる。
「其國本亦以男子爲王」とは帥升に始まる男王のことで、其國とは卑弥呼が王に共立された倭国のこと
という認識でござるな。ソレガシも同意でござる。

で、引き続いての問いでござるが、
帥升の倭国は何処にあったのでござろうか?


385 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:02:08
>>384
>帥升の倭国は何処にあったのでござろうか?

これはソレガシの一存ということになるのでござるが、
北部九州一帯、広形銅矛祭祀圏でござろう。

386 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:02:34
>>381
岸本のソースを出して書いた方が良いのでは?
まあその説が説得的なら、三角縁舶載説の今の壊滅的な状況はなかっただろうが。

日本でだけ120種以上、600面以上出土して、日本内での文様の変化が説明できる状況で
三角縁神獣鏡の変化に中国との同期性を認めようとするのは無理スジだな。


387 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:03:44
>>382
必死すぎるぞw
このスレ見ただけでも誰もそんな風に思わんでしょ

388 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:13:31
>>379
節子、それ放射読みの例であって、放射説の根拠とちゃうwww

放射読みと放射説を混同しているのか、あるいはわざとか知らないが
とにかく君が省略したところをもう一度読み返せ、なんて書いてある?

389 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:16:10
>>387
そりゃあ必死だろうね、サイキバにしてみればどんな汚い手を使ってでも貶めてやるとばかりに暗い情念を燃やしているだろうから

390 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:20:31
>>388
意味不明だな。放射式で書かれた実例をあげたんだぜ。

391 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:24:38
>>386
>三角縁神獣鏡の変化に中国との同期性を認めようとするのは無理スジだな。

の理由が

>日本でだけ120種以上、600面以上出土して、日本内での文様の変化が説明できる状況

だというのは、意味がわからない。関係ないことじゃないか?

中国鏡と三角縁神獣鏡の型式変化が併行関係だと言うのは、福永・岸本・小山田など。
ソースは「シンポジウム三角縁神獣鏡」。123Pに文様要素の併行関係が図示してある。


392 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:31:27
>>388 横シツレイ
>とにかく君が省略したところをもう一度読み返せ、なんて書いてある?

戶六萬,口三十萬,勝兵六萬人。副王、輔國王各一人。

393 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:33:24
>>389
土建屋☆自演乙☆ジョーカー☆サイバカ

394 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:33:37
>>390
混同してるのか・・・それとも・・・
まあ他の人に解説するつもりで書くか

放射読みには条件があって、ある一定の場所に到着したことを明記せねばならない
これは到と至の使い分けと言う程度のものではない
またそこを拠点として各方向にある都市や国を述べる際は「東至」「北至」で始まらねばならない
この条件を満たさないものは、連続して読むしかない。他の読み方は出来ない。

また放射読みが中国史書に登場するのは漢書のみであり、それ以外の史書ではみられない。
仮に三国志が放射読みで書かれていたとするならば、東夷伝のみでなく他地域でも同様のルールが適用されるはずだが、それすらない。

榎が主張したのは、倭人伝のみこの放射読みが適用されるというものではなく三国志そのものが放射読みであると言うこと
だが結果的にそうではなかったので、この主張は通らなかった。

それに対し放射説というのは、魏志倭人伝のみが放射読みをする唯一の例外だとする、いわばトンデモ説であり
榎の主張を恣意的に拝借しただけの代物。

395 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:37:18
要は
土建屋
ジョーカー
サイバカ(サイッキク・バカ)
とのたまう奴は>>393一人とw
自分でまとめちゃいけないぜ

サイキバ君ど素人すぎるよ
ここまで天然は珍しいなw

396 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:37:46
>>392
だよね、特に「輔國王各一人」に注目。
これは「今からその回りにある国のことを書きますよ」というネタ振りの役目も担っている。
こういうふうに情報を提示する順番によって、拠点と周辺を区別しているわけ

魏志倭人伝のみならず三国志にはこういった用法が用いられていない。

397 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:40:35
>>391
横からごめん
ソース明示はフェアで好ましいとは思うのだけど
さすがにその本は古すぎるのではないか?
少なくとも平成以降の資料を基に展開して欲しい

398 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:45:41
>>394
>放射読みには条件があって、ある一定の場所に到着したことを明記せねばならない
嘘をつけ。そんな条件はないな。あるというならば、その根拠をだすことだ。

>各方向にある都市や国を述べる際は「東至」「北至」で始まらねばならない
こんな条件もないな。あるというならば、その根拠をだすことだ。

>この条件を満たさないものは、連続して読むしかない。他の読み方は出来ない。
かってな思い込みだな。できの悪い本でも読んだのかな?

>放射読みが中国史書に登場するのは漢書のみであり、それ以外の史書ではみられない。
山尾が新唐書の例を書いているよ。調べてみたまえ。

>榎が主張したのは、倭人伝のみこの放射読みが適用されるというものではなく三国志
>そのものが放射読みであると言うこと
榎はそんな馬鹿なことは言ってないよ。倭人伝の伊都国以降の記述を問題にしているだけだ。


399 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:45:55
>>397
>さすがにその本は古すぎるのではないか?

なるほど。では、これがその後否定された、ということでしょうか?
もしくは、あなたの持っている新しい資料を教えて下さい。

400 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:49:07
>>397 追記
>少なくとも平成以降の資料を基に展開して欲しい

初刷発行 2003年(平成15年)5月30日 だったが?


401 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:56:34
>>399-400
悪い、俺のほうが他の本と勘違いしていた
大変申し訳ありませんでした

402 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 19:08:05
>>401
>大変申し訳ありませんでした

おお、2ちゃん日本史板で、こんな素直なお詫びの言葉にお目にかかれるとは!

403 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:03:30
>>402 ひどい自演を見たww

でもまあ『シンポジウム』はいまでもAmzonで注文して買う価値があるよ。
全員が舶載説で全部舶載の車崎もいるので、その時点での舶載説の状況がよく分かる。
舶載説が壊滅状況にある今ではネタ本的要素も否定できないが、ネタとしての要素と
学説史的要素の両方を味わえる逸品である。


404 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:13:48
>>403
>全員が舶載説で

おいおい。ちゃんと読めてるか?

405 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:21:24
>>404
言葉のアヤでごまかそうと言う話かな。
全部舶載説以外は、一部が国産であることを認めているので、国産説の森浩一と同じとかいう詭弁かな?

舶載説とは、三角縁のかなりの部分(論者の大多数は過半数以上)が舶載という立場ね。
森浩一は原理的には全部国産と断定できないという常識的な立場であって、実質的には全部国産説ね。
原理的というのは、1面の舶載鏡を数千枚コピーした可能性までは原理的に否定できないと言うこと。

自演じゃないということは言わなくても良いの?

406 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:35:12
>>405
>言葉のアヤでごまかそうと言う話かな。

なにをごまかす?
出席者全員が舶載説、じゃないだろ?

407 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:40:39
>>406 話が見えないんだけど・・・


408 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:47:57
>>407
>話が見えないんだけど・・・

悪い。紀年銘鏡を魏鏡だとする小山田を舶載説とするなら、
>全員が舶載説
ということになるのかな。申し訳ない。

409 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 20:57:24
>>403
>ネタとしての要素と学説史的要素の両方を味わえる逸品である。

おっと、安本先生と古田先生、お二方の悪口はそこまでにしてもらおうか。



410 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 21:05:12
舶載か国産かという問題と、邪馬台国に関係があるのかないのかという問題は
別だな。

411 :転載:2010/05/16(日) 21:14:29
>247 名前: ローガン 2010/05/16(日) 08:05:01 ID:bpGerg5Q

>ありがとうございます。しかし、みんなスルーやね。答えられないのかな。

412 :疑心暗鬼:2010/05/16(日) 21:42:23
>>385
拙宅ではソレガシが夕食の支度をせねばならないという不条理極まる境遇につき返事が遅くなりもうした。

貴殿も帥升の倭国は北部九州一帯との認識でござるか。ソレガシは倭国の範囲をも少し広く、すなわち、南部
を除いた九州の大半と見たいところでござる。帥升の本拠は博多湾沿岸の(旧倭奴国)から佐賀県東南部に亘
るものだったと邪推致しおるところでござる。

この帥升の倭国も七八十年後(2世紀末頃)に乱れて邪馬台国の卑弥呼共立によって新たな体制に変わるわけ
でござる。ということは、邪馬台国は九州にあったということになるでござろう。

若し、邪馬台国が畿内にあったのであれば、倭国は九州から近畿にまで及ぶ連合国であったということになる
でござろう。そのようなことが考古学的に考えられるのでござろうか?




413 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 22:13:08
>>412
>そのようなことが考古学的に考えられるのでござろうか?

3世紀の比恵・那珂遺跡群、博多遺跡群からはたくさんの外来系土器が出土しています。
西新町遺跡では地区を分けて外来系土器主体の住居があります。
同様な土器組成を持つ集落は三雲遺跡にもある、そうです。

それら外来系土器の比率をそのまま人口の比率を示すものとすれば、
3世紀の博多津で最も多い外来人は大和である、そうです。

このことから、どのようなことが考えられるか、はおまかせしますが・・・。

414 :疑心暗鬼:2010/05/16(日) 23:45:14
>>413
土器でござるか。
倭人伝にも書いてござるが、国々には市があり有無交易すと。遺跡出土物からははるか縄文時代の昔から
かなり遠距離に亘って物資の流通があったようでござる。交易品としては米や海産物などの食料品、衣料、
農機具、装飾品、木材や縄や籐製品や土器などの日用品、時として武器や鏡などがあったのでござろう。

このような交易はどのように行われていたのでござろうか?国の中の市では近隣の農夫や漁師や木こりや
土器職人その他が自分の製品、産品を持ち寄って有無交換していたであろうと思うのでござるが、時には
他所の国から商品を持ち込む者も居たのではござるまいか。その商人達は交通手段(舟)を持っていたと
思うのでござるが、如何でござろう。

ソレガシの邪推かも知れぬが、弥生時代には商人が居て、彼らはかなり自由に各国を巡って商売をすること
ができたのではござるまいか。各国の指導層も商人達から利益を得られるので出入りを許した。つまり、商
人達の行動は国と国の間の政治的関係の埒外にあった、言い換えれば、商人達は政治的中立を守ることに
よって自由に行動できたのではござるまいか。

そのように思案すれば、何処にどのような土器があろうとそれは政治的状況を示すものではなく、単に商人
が行き来していたということを示すものに過ぎないのではござるまいか。

415 :日本@名無史さん:2010/05/16(日) 23:55:57
おまえら飽きもせずよくこんなことばっか議論してるよな

もっと未来のために生きろよ

どうせ真実なんて見えてこないんだし

過去にばっか囚われるな

416 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 00:00:32
>>415
おぬしも暇人よの〜。他人の趣味に悪態つくのは大人げないと思わんか?

417 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 00:03:42
>>416
日本史板で無駄に同じようなスレばっかあげてるからむかつくだけなんだけど。

1つにしぼれよ。大人げない議論ばっかしてるくせによく言うぜ。

418 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 00:44:39
>>414
>各国の指導層も商人達から利益を得られるので出入りを許した。

これは俺もそう考えるし納得なのだが、次の

>つまり、商人達の行動は国と国の間の政治的関係の埒外にあった

は飛躍し過ぎ、というか、熟慮に欠ける結論なのでは?

419 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:28:07
商人達の行動は国と国の間の政治的関係の埒外にあったと言い切れるかどうかは
問題だが、土器で政治的状況(国の範囲)を決められるものでないことは明らかだ。

420 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:32:37

■30日「邪馬台国論争大会」 出場の論者5人発表 ミス卑弥呼らの新衣装も 宇佐市

西日本新聞 2010年5月16日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/171896

 宇佐市南宇佐の宇佐神宮で30日に開く「第6回全日本邪馬台国論争大会‐アマチュア研究者大集合」(西日本新聞社など後援)の実行委は15日、大会に出場する5人の論者を発表した。
今回は邪馬台国の場所について福岡説、佐賀説の熱い議論が期待される。キャンペーンレディーのミス卑弥呼やミス壱与などの新しい衣装も披露された。

 大会は昨年、23年ぶりに同市のパロディー国家「新邪馬台国」などが再開した。今年は、全国から寄せられた17人の論文から面白さを基準に5人を選んだ。

 前中津市長の鈴木一郎さん(75)は邪馬台国を「邪馬壹国(いちこく)」と呼び、福岡県飯塚市の地名の由来に近いと考える「飯塚説」、同県久留米市の建築士福島雅彦さん(70)は邪馬台国と語尾に「−たい」とつける筑後弁を結び付け「久留米説」を唱える。
このほか、茨城県土浦市の獣医師、伊東伸浩さん(48)が「佐賀平野説」、山口県光市の郷土史家、古野秀夫さん(87)が「甘木説」、横浜市の広告代理店勤務、菊池秀夫さん(51)は「筑後山門説」を主張する。

 大会は午前10時開始。参加費は昼食付きで2千円で、事前申し込みが必要。29日午後6時半には論者を囲む飲食付きの前夜祭(参加費3千円)を同市別府のリバーサイドホテルで開く。
 15日午後1時からは初心者向けの講演会、29日同2時半からは史跡ツアーがある。いずれも無料。同市観光協会=0978(37)0202。

・新調された衣装を披露するミス卑弥呼の佐藤博美さん(中央)やミス壱与の行時未加さん(左)たち

※参考サイト 宇佐市観光協会
http://www.usa-kanko.jp/news/1005-yamataikoku.html

421 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:39:24
曽畑系土器という縄文早期の土器でさえ、九州を中心に朝鮮半島や沖縄
あるいは西中国まで分布している。

弥生時代前期の遠賀川式土器にしても、ほぼ全国的に波及している。

土器が非常に古くから、広い範囲に流通していたのは明らかで、弥生後期でも
同じ、というかもっと交流があったに違いない。それを政治的なものと
結びつけるのは、もう滑稽としか言いようがない。

422 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:50:28
そのとおりだろうね。土器に目をつけてあれこれ言うのは、資料不足の畿内説
論者のこじつけというべきものだ。
土器は交流があったことを裏づけるに過ぎない。目をつけるべきものは、威信財
や武器だな。古墳もある程度は考える資料になるが、大きさが権威の所在や大小
を示していると思い込むのはまちがいだ。

423 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:53:00
>>421
>曽畑系土器という縄文早期の土器でさえ、九州を中心に朝鮮半島や沖縄
>あるいは西中国まで分布している。
>弥生時代前期の遠賀川式土器にしても、ほぼ全国的に波及している。

逆はどうか。全国の土器が遠賀川流域に来ているか?

>土器が非常に古くから、広い範囲に流通していたのは明らかで、弥生後期でも
>同じ、というかもっと交流があったに違いない。

邪馬台国時代はどうか。九州の土器と本州の土器の動きに差はないのか?

424 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:54:22
マイタウン福岡・北九州

■ふるさと史 学び探る

朝日新聞 2010年05月13日
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001005130003

  柳川で講座6回 29日「神籠石の謎」

 筑後地域の歴史愛好家たちでつくる「ふるさと歴史講座実行委員会」(平田喜勝会長)は29日から、全6回の「ふるさと歴史講座」を柳川市大和公民館で開く。
今年最初のテーマは、みやま市瀬高町大草の女山(ぞ・やま)にある「神籠石(こう・ご・いし)」と呼ばれる列石群の謎だ。卑弥呼伝説が残る山で、古墳も多く、かつて邪馬台国九州説の根拠の一つだった。

 神籠石は1辺が約70センチの立方体の切り石で、古くは「女王山」とも呼ばれた女山の斜面を囲み、全長は3キロ近いとされる。築造の目的としては「神域説」と「山城説」があったが、最近は古代の山城の跡という見方が強いという。

 「朝鮮系山城と神籠石系山城―女山の神籠石をめぐって―」と題して講義するのは、九州歴史資料館の西谷正館長(九大名誉教授)。朝鮮半島と古代日本の交流などを研究し、日本考古学協会長も務めたことがある。

 歴史講座の2回目以降のテーマと講師は、
▽6月5日=「モンゴル襲来の衝撃」(佐伯弘次・九大教授)▽8月28日=「回船と漂流」(半田隆夫・福岡女学院大講師)▽10月23日=「歴史と景観―フランスの農村」(野沢秀樹・元九大副学長)
▽12月4日=「南北朝内乱前後の北部九州の土豪と民衆」(丸山雍成・九大名誉教授)▽2月26日=「柳川藩の基礎学9」(木村隆久・福岡女学院高校講師)。各回とも午後2〜4時。

 年会費は計5千円(初回に受付で納付)。申し込みは中村清事務局長(電話0944・76・2720)へ。

・卑弥呼伝説が残る女山の斜面に露出する神籠石の列=みやま市瀬高町大草
http://mytown.asahi.com/fukuoka/k_img_render.php?k_id=41000001005130003&o_id=6768&type=kiji

425 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 02:04:32
>>422
>目をつけるべきものは、威信財や武器だな。

すると邪馬台国は南九州説もないな。
いったい北部九州のどこだろう?

426 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 02:08:13
>>425
南九州説がないってのは、どうゆう考え方をしているのかな。
威信財や武器に目をつけて、南九州説の可能性が少なくなるとは
思えないがね。

427 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 02:21:23
>>426
>南九州説がないってのは、どうゆう考え方をしているのかな。
>威信財や武器に目をつけて、南九州説の可能性が少なくなるとは
>思えないがね。

ん?>>422の考えに従ったまで。邪馬台国は政治的上位の国だし、女王卑弥呼は倭の最高権威者だからね。
南九州は威信財や武器の出土状況が、北部九州に比べてガタ落ちだろ。それとも、なんかあったか?

428 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 02:32:06
北部九州の威信財や武器って何だ? 大型の銅鏡とか銅剣、銅矛ならば
邪馬台国時代のものではないだろう。

429 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 03:28:21
この「疑心暗鬼」というのは縄文人だろうけど、またコテ名を変えて性懲りもなく電波を流しているな。
まず縄文人の歴史認識がおかしいのは、弥生後期の国家体制を古墳中期あたりのように理解していることだ。
この貨幣もない時代に、商人(交易によって利益を得る個人)のようなものは存在しないし、
クニの規模や体制も縄文人が頭に描いているほど大きくはないし、確立されたものではない。
このような認識に至るのは、縄文人の頭の中で社会の発達段階に対する大きな混乱があるためだろう。

この時代の交易というのは集落ぐるみで行っている場合がほとんどで、個人経営の商人などは
ずっと後代にならないと出てこない。弥生後期は人口増加期であるが、水稲耕作は不安定であり耕地面積も
大きくはなく治水技術もまだまだ。そんな中で各地の集落は高品質の土器を含む特産品を持ち、
安定して食料を得るための手段としていた。つまり交易によって米などの食料が倭国内の余剰のある地域から
ない地域へと回っていたということ。

そういう意味では交易は各地の集落の存亡にかかわる生活手段であり、政治(この言葉は不適切だが)そのもの。
この交易をスムーズに行うための手段が「ゆるやかな連合」である。むろん連合成立の事情としては
それだけではなく、鉄その他の大陸製品の輸入ルートをめぐってのこともあっただろう。
倭国全体を人間の体に例えれば、交易は血流。滞った地域は壊死してしまうんだよ。







430 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 04:23:27
縄文人が上記のような誤った認識に至った原因の一つとして、弥生時代において面としての、
首長による広範囲の支配を想定していることが考えられるが、弥生時代に班田収受が行えるような整った官僚機構が
存在するはずもなく、一つのクニというのは吉野ヶ里程度の規模であり、それぞれに首長を持つこの規模の
クニが乱立している状況である。

これらのクニが独自に独立採算で食料を得ようとしても、数年不作が続けば集落は壊滅してしまう。
そこで玉造り、鉄器の鍛冶加工、青銅器の生産などの分業体制が始まったのである。
ただし早くから戦争が導入され、地域の統合が進んだ北部九州は漢の冊封を受けて、倭国では唯一国家と呼べる
体制にあったようだ。しかしこれとて、後漢の衰退とともに大陸の文物を得ることが出来なくなっていくのは、
弥生後期の大陸製品の出土状況が物語っているだろう。

残念ながら南部九州の場合、鉄製品や鏡などすべての大陸製品において北部九州とは大差であり、
南部九州に邪馬台国を想定するのであれば、この北部九州との関係をきちんと論ずる必要があるのは
>>427のいうとおりだろう。

土器の移動の場合、交易の有無にかかわらず、優れた形質(熱効率やデザイン)のものは波及していくものだよ。





431 ::2010/05/17(月) 04:26:44
あなはやわ

432 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 04:30:04
いずれ縄文人にアドバイスをするとすれば、頭の中でいろいろな時代の社会体制が入り混じっているようなので、
弥生時代中期、後期、古墳時代・・・というように、時間軸に沿ってそれぞがどのような社会であったかを勉強していく
必要があるだろうね。

433 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 04:30:19
おっす^^
ひさびさ登場(笑)

434 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 04:39:24
>>432
「縄文人」だの「石器時代」だの言う時代や言葉は、明治維新後に勝手に作られた作り話でしかないよ

これらの「作り話」は、本当の日本や日本人の歴史とは関係ないただの近代学者による空想の話でしかないってば


記紀や風土記などに書かれてる本当の日本の歴史を知らないの?


民族である「日本人」の歴史は、「国之常立命」が日玉の地に降り立った所から始まってる訳だし
国土である「日本列島」ってのも、もともとは海原だったのが、水が引いた事で今の領土(島)が出来たんだよ

だから要は約2000年ぐらい前までは、地球はそういう状態だったんだよ
雨が止み、水が引いた時から、今の文明人類の繁栄が始まったんだよ


今の学校で教えてる歴史ってのは嘘っぱちだから、あんなの信じたら歴史なんて解んなくなるよ

435 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 04:46:06
まず「歴史の認識」に関して、「俺の知ってる日本の歴史」と
「現在の一般社会で教育の場で強要されてる歴史」とでは、
その内容がめちゃくちゃ違う



つかさ古事記やら日本書紀やら魏志倭人伝やらの古代の歴史書を元に歴史を考えると言うなら、ちゃんとそれらの歴史書に書かれてる「本当の日本の歴史」を少しは理解すべきだよ

大陸から移民してきた訳でもなけりゃ、縄文人やら弥生人なんていう訳の解らん人類が住んでた訳でも無いんだよ

436 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 04:55:59
>>432
まず「弥生人」だの「縄文人」なんてのは嘘っぱちだってば

んでもって「昔の日本はどんな社会だったのか?」って事を考える場合、「現在の日本はいつどのように作られた社会なのか?」をまず知るべきだよ


ちなみに今ある「国家」という観念は、そもそもフランスの産業革命において勝利した個人主義者のフリーメーソン達が作り上げたものであって、
それ以降、ヨーロッパを中心に次々に「國(クニ)」が滅ぼされ「国家」と言うものが作られたんだよ

で、日本に置いては約100年前に、「大和の國(クニ)」が滅ぼされ「日本国家」と言う国家が作られたんだよ
それが今俺達が暮らしてる「日本の国家社会」だよ


「日本国家」が建国される以前までの大和は、それぞれの地域に、それぞれの「國(クニ)」があった社会だよ

近代的に言えば複数の都市からなる「都市国家」とか言うやつ

437 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 05:06:38
「九州が発祥だ」「京都が発祥だ」

とか、バカ見たいに言い合ってるけど、古代の書物をちゃんと読めば、国之常立命が降り立った時はまだ、日本アルプス山脈以外の土地は海の中だよ

伊耶那美伊耶那岐の時代にようやく、雨が止み、水が引いて沢山の島(現在の日本の国土)が産まれたんだよ
嘘だと思うなら日本の国土の中で「貝の化石」が発見される地域を調べてみなってば

だいたいさ、「日本人は大陸から移民してきた」だのなんだの言う妄想を信じるのであれば
「日本の発祥は中国大陸だ」って事になるんだよ?
それこそ九州でも畿内でも無いっての




438 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 05:18:14
ちなみに「発祥」の意味も良く解らんし
例えば「日本人の発祥」を知りたいんか?
だとしたらそれもちゃんと古代書には書いてあるんだよ
日本人ってのは世界中の六山に降り立ったそれぞれ赤人、青人、黄人、白人、黒人、黄金人の内の「黄金人種」って人種なんだよ

伊耶那岐や伊耶那美はもちろん、天照やスサノオもこの人種であって、その血統を受け継いでるのが俺ら日本人だよ
中国大陸などにいる黄色人は「黄人」の方で、日本人とはルーツが違うよ
黄人はチベットだかの大陸内陸部の高山地域に降り立った人種なんだから



つかなんの発祥を知りたいんだ?
単に「天皇(あまのすめら)」の発祥かあ?


439 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 05:21:45
美濃もん太は生きていたんだな。
久しぶりに美濃劇場の始まりか。

440 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 05:31:53
邪馬壹国だの卑弥呼だの以前に、みんな大和の歴史を知らなすぎだよ
そもそもこの國が「日本」なんて名前になったのも、明治時代になってからなんだから、それ以前は「大和(やまと)」って名前なんだよ


そもそも「日本(ニッポン)」って発音は、日本語じゃなく「漢字の音」を読んでるだけでしょ?
「日本(ひのもと)」って発音しないと、日本語の発音にはならないんだよ


ちなみにこうした「二文字の漢字を組み合わせて、漢字の音で発音する言葉」ってのも、明治時代に作られたんだよ
例をあげると「日本(ニッポン)」「天皇(テンノウ)」「国家(コッカ)」「教育(キョウイク)」「学校(ガッコウ)」「戦争(センソウ)」・・・
沢山有りすぎて切りがない
とにかく、これらの言葉は明治時代に作られた言葉で、単に漢字の字音を発音してるだけで
本来の日本語とは関係なく発音してる言葉

江戸時代までは大和では、こうした言葉(漢音発音)は使われてないよ

441 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 05:47:55
>>439
うんw
「●の2週間お試し」とかいうのやったら、書き込み出来るようになったよw

つかさ俺が言いたい事、なんとなく解ります?

俺はたかだか100年ぐらい前に作られた「日本国家」なんて言う国家の歴史なんてどうでもいいんだよ

てか古代書の中に書いてある話と、今の日本社会で一般的に教育されてる歴史の中の話とでは、マジで全然違う話なんだもん


俺は近代の日本国家の中で新たに作られた歴史なんかよりも
古代書などで古くから伝えられてきた話の方が本来の俺ら日本人の辿ってきた歴史なんだと思うよ


442 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 05:58:22
もし仮に縄文人だの弥生人だのがいたとしても、それは縄文人や弥生人の歴史であって、別に俺ら日本人の歴史じゃないんだしさ
そもそも日本人が大陸から渡って来たって言うなら、それは単に島国に渡った大陸人の歴史だって話になるしさ


そもそも日本のどの古代書にも、そんな話は書いてないんだよ
縄文人だの大陸から渡って来ただの妄想で話を作るのは勝手だけど、俺はそんなものは、日本の歴史とは思って無いんだよ




443 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 06:11:16
ちなみに日本(やまと)には大陸から渡って来た氏族もちゃんといるし、それれはそれでちゃんと古代書で伝えられてきてる話だよ

例えば大國主ってのは太秦(イスラエル)から蚕を持ってきた渡来人の力を借りて、一緒に國造りをしてたりもしてるし、
それら太秦氏や和仁氏らの渡来氏族達もちゃんと、他の日本人の氏族と同じ様に書き記してるし、伝えられた文化などの事も素晴らしい文化だとして取り入れてるんだし
ちなみに韓(漢)の真女人が使ってた真女字(今で言う漢字)を取り入れた様子なども古書物では詳しく伝えられてるよ
逆に日本人が海を渡り大陸に稲作や水路や水田の開拓技術を伝えた様子も詳しく書いてあるんだし


444 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 06:12:15
>>441
規制中だったのか。

いや、ほとんどわからん。

445 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 06:43:13
>>444
解らんかあ(涙)

日本の古書物に限らず、インディオ、シュメール、ギリシア、チベット、アステカ、ヒンズー、、
世界中のあらゆる地域の伝承はどれも「過去に地上に起きた天変地異の話」ってのが言い伝えられてるんだよ
俺はそっちが本当の歴史なんだと思うよ

それが本当の歴史だった場合、あらゆる事の辻褄も合うしさ
例えば恐竜が滅んだ理由も、ピラミッドやローマの都市(ローマは地下にも都市が埋まってる)が砂や土砂で埋まってた理由も
そういや最近発見された単なる小山だと思われてたペルーのピラミッドも、土砂に埋まってたからピラミッドだと解らなかったんだし
沖縄には海底遺跡もあるし、山岳地域で海の生物である貝の化石が発見される理由もさ
あと世界中で恐竜の化石が発見される理由も辻褄が合うしさ(化石は死骸が大量の土砂に埋まらないと石化はしない)




446 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 06:49:36
二週間もコイツいるのかw

447 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 06:51:10
>>444
海外は置いといてさ、日本の書物の中でで伝えてる話はどんな話なのかを考えて見たことある?

古事記にしろ日本書記にしろさ、まずは天之常立命とかが出てくるんだけど、あれは歳星が消えて太伯が今の位置に来た様子とか伝えてるんだよ

そして国之常立命は海原の中の島に降り立つんだけど、そこが日本アルプス(乗鞍岳)で、その時は日本は、まだ日本アルプス以外は海原の中なんだよ

448 :縦目仮面:2010/05/17(月) 06:58:39
>>447
まず人のレスをちゃんと読むことだね。「縄文人」というのはコテ名。文句があるのなら、>>414に言ってくれ。


449 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 07:04:51
伊耶那美伊耶那岐の時に「島産み」の話があるけど、あれは何年も降り続いた雨が止んで空は晴れ、洪水の水が引いた事で、沢山の土地が産まれたって事を書いてるんだよ
こうした話は日本各地にもあるから調べてみ?
例えば今の伊豆ってさ、あそこは元々は小さな浮島だったんだよ
それが水が引いたから本島と陸続きになったんだよ
こうした話を信じる信じないは勝手だけどさ、ただ先代の日本人が何千年近くもこうした昔話を伝えて来たって事は事実だよ


ちなみに縄文人だの石器時代だの言う話は、土器や遺跡を見た近代の学者達が勝手に想像して作り上げた話でしかないよ


450 :縦目仮面:2010/05/17(月) 07:12:01
>>436
どうせこのレスも読まないで、自分の書きたいことだけを書くんだろうが・・・。

>まず「弥生人」だの「縄文人」なんてのは嘘っぱちだってば

「縄文人」は縄文時代の人のこと、「弥生人」というのは弥生時代の人のことで、必ずしも大陸からの渡来人を指しているのでは
ないし、そう考えている人はほとんどいないだろう。

>「縄文人」だの「石器時代」だの言う時代や言葉は、明治維新後に勝手に作られた作り話でしかないよ

これはそうだけど、この区分は便宜的なもので、何か時代に名前をつけなくちゃならないので、土器の分類から決めただけ。それ
ほど深い意味があるわけではないよ。縄文時代の開始は1万5千年以上前なので、まさか「高天原A期」とかつけるわけにもいか
ないしね。

451 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 07:16:52
>>430
>弥生時代に班田収受が行えるような整った官僚機構が存在するはずもなく、
>一つのクニというのは吉野ヶ里程度の規模であり、
倭人伝が2万戸、5万戸、7万戸の国があったと伝えているのに、それを無視
してずいぶん小さな国を考えたものだな。しかし、そんな一集落が一国家だな
んていう原始的な状態であったら、魏が倭国を重視するはずはない。
倭人伝の伝える戸数をもとに、多くの集落が集まって一つの国家をつくってい
たという状態を考えるべきだ。戸数の多さは国の広さを示す(ある程度は比例
しているはず)と考えればいいんだよ。

>南部九州の場合、鉄製品や鏡などすべての大陸製品において北部九州とは大
>差であり、南部九州に邪馬台国を想定するのであれば、この北部九州との関
>係をきちんと論ずる必要がある
確かに、弥生時代の状況をみれば、南九州は北九州よりも劣っているようだが、
当時の戦いは、武器の優れた方が絶対に勝つなどというものではない。
戦国時代の戦いだって少数が大軍を破ることはいくらでもあった。
古墳時代に入って、北九州は衰退の一途をたどっている。それに比べ、南九州
は古墳時代を通じて大変な繁栄を続けている。その繁栄は、何をもって為され
たのか? 南九州の産物だけであのような繁栄は無理。当然他の地方からの収
奪を考えるべきで、それこそ邪馬台国の存在を裏づけるというべきなんだよ。


452 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 07:19:13
>>448
おー
仮面だw 久しぶりっすw
生きた古代生物だかを探しに海外には行って来たの?
恐竜が栄えた時代ってのは近代学者達が言ってるような何千万年も前の話じゃないよ^^
普通、死んだ生物の死骸が化石なんかにはならないよ
石化して発見されるって事は、洪水などにより大量の土砂に埋まったからだよ
ちなみに大量の土砂が氷ってるのが永久凍土って奴で、この氷った土砂からは氷付けのマンモスが発見されてるでしょ?


453 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 07:35:22
>>450
今の文明が開花したのが約2000年前
ここが今の文明を築いた人類のスタートであって、仮にそれ以前に別の文明があったとしても、それは今の文明を築いた人類の文明とは別の文明だよ
もしくは、今の文明が開花した約2000年ぐらい前に一度文明が滅んだから、約2000年前に再スタートをしたのかどっちか

それに高天原(たかまはら)ってのも土地の地名であって時代の名前じゃ無いっての
あとさ、様々な古代書で伝えられて鎮魂の塚まである「ツチグモ族」の存在を無視して、彼らの住居を勝手に「石器時代の墓だ」とか言ってるじゃん?
つい数百年前まではツチグモ族って呼ばれてた夜行性の小人族は、日本を初めハワイや東南アジアなどに実際にいたんだよ
貝塚とかってのもあれは俺ら文明人の残した遺跡じゃないんだよ

454 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 07:37:45
>>451
小さなクニもなにも、集落の規模は吉野ヶ里や唐古・鍵で出土しているとおり。だから「クニ」という用語を用いている。
七万戸とか言うのが実数かどうかはともかく、むろん畿内説はそれらの集落が集まった連合を否定するものではな
い。ただし大きな連合があったとして、それを一人の首長が直接支配しているわけではない。あえて言えば古代ギリ
シャのポリスの連合に近いようなもの。

北部九州と南部九州で戦闘があった痕跡は見つかってないし、それは北部九州にはメリットがない。この時代の戦
争は弓矢によるものが中心で、白兵戦は少なかったようだから必ずしも鉄器優位ではないというのはそのとおりだろ
う。黒曜石の鏃のほうが貫通力が高いという実験結果もある。鉄鏃は再利用できたかもしれないが。いずれ、弥生後
期あたりの馬も車もない時代に、自分たちの集落をほっておいて長駆遠征して戦うなどということはありえないだろう。

南九州の西都原に男狭穂塚・女穂塚ができるのは応神・仁徳紀あたりで、河内王朝の成立と関係しているのだろう。
この時期、吉備や関東でも首長権の移動が起きている。しかし、いくら西都原が栄えたといっても、その支配は隼人
の値には及んでいない。







455 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 07:40:18
あれま。 隼人の値→隼人の地。

456 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 07:52:36
>>450
仮に1万5000年前に既に大陸にも日本にも俺らと同じ文明人が居たとした場合、文明が開花した約2000年ぐらい前までの約1万3000年もの間、人類は何故か文明を停滞させてた事になるんだよ
で、何故か急に約2000年前から農工や開拓や鉄鋼や文字や都市や文学や芸術などあらゆる文明を開花させ、たった2000年程でこれ程の規模の文明を築いた事になる

だとしたら約2000年前に何があったの?
この時に世界中にいた縄文人だかの脳が進化でもして、世界中で一斉に今の文明人となり、たった2000年程でこれだけの技術や文明を築いたの?
そうして考えると学者達が作った歴史の話は良く解らないでしょ?
なんの辻褄も合わないしさ


457 :縦目仮面:2010/05/17(月) 07:58:31
>>452
いや、モンゴルに行ったのはもう2年前のことで、熱射病で死にかけた。w 電話一本で救急車が来る国というのはあり
がたいものです・・・。古代生物というか、「モンゴリアン・デス・ワーム」は影も見つからなかった。ww

あと渡来人については、邪馬台国時代にも大きな影響を与えていると考えます。ただし、女性単独あるいは夫婦そろって
来る事例は多くなかっただろうから、渡来人は現地人とすぐに混血するでしょう。このあたりのことはDNA分析などで様々
な研究報告が出ていますね。

458 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 08:09:10
んな、学者達が勝手に想像して作った歴史の話なんて信じずにさ
古書物などで伝えられてきた昔の話の内容を否定せずに素直に聞く耳を持てば、俺ら日本人やしいてはこの文明人がどんな歴史を辿って来たのかとかちゃんと理解出来るってば
天変地位により海原に飲み込まれた時代に、国之常立命が矛で固めた地に降りたって、その後、伊耶那岐達の時代には雨が上がり植物が生え始め、次々に島が産まれれ、そこを國造り(開拓)していったんだよ


約2000年前に世界中で一斉に文明が開花した理由も解るでしょ?
そこからたった2000年ぐらいの間に人類はこれだけの文明を築いたんだよ



ちなみに、この時の天変地異が起きる以前にあった文明(この天変地異で滅んだ文明)の話を伝えてる書物や話も日本を始め世界中にはあるよ
ただそこに出てくる今の文明人にも叡智を伝えた以前の文明人の姿って、俺ら人類とは違う人類と思うけどな
シュメールの如夫や日本でも例えば国之常立命とかってのは、違う星から来てたり下半身は蛇とかで描かれてるんだよ



459 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 08:28:24
>>457
「渡来人」ってもね、大陸にいる黄色人は伝承ではシュメールの何とか山からの発祥だよ
六山(ムーサン)御嶽伝承ってのが日本や沖縄やチベットやヒンズーには有るんだけど、結局、どの伝承も
「全て水に沈んだ」って事を伝えてるんだよ
アステカやインディオにも同じ伝承があって、要はこれってだから高い山に逃げた僅かな人だけが生き延びれたって話なんだよ

で、それらの代表的な山が世界6人種(黒人、白人、青人、赤人、黄人、黄金人)にそれぞれ6っか所あるって話だよ
黄金人の日本は日本アルプス(国之常立命が降り立った位山)
白人はアトラス山
アジアは良く解らないけど、チベット、シュメール、インド、スリランカ、トルコなどに、そうした伝承の山があり聖山と崇められてきたんだよ


中国大陸の東沿岸部にはそうした地は無く、いま沿岸部にいるマンチュリ人にしろ上海人にしろ朝鮮人にしろ内部からの渡来人だよ
日本人が朝鮮半島にわたった時も「太秦からの秦人」が治めてたと書いてあるしさ
それに例えば日本は百済の白江村の戦いで何万人もの兵や馬を送るほどの航海技術はあったけど
大陸の人は日本程の航海技術は無いよ


そもそも渡来してきた氏族にしろ、日本のなんとか山を信仰上の聖山としてそこを目指して渡来してきた人達ぐらいで、日本を治めてやろうとかそうした意味で大陸から渡来して来てた訳じゃ無いんだよ


460 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 08:43:58
「文明」に関しては大陸が優れてたとか日本が優れてたとか欧州が優れてたとか、そうした話は無意味だと思うよ

俺ら文明人は約2000年前に世界中に一斉に文明を開花させ、一緒に歩んできた同じ文明人な訳だから

ただ一つ言えるのは、その土地で人が暮らすようになるにはまず「開拓」が必要って事
これは日本では「國造り」って呼んできた
日本の各地を開拓したのは記紀にあるように紛れもなく日本人な訳だし、水田をはじめとする開拓技術は日本は優れてたんだと思うよ

ちなみに大陸人の開拓技術もすごいよ
特に「道」
シルクロードを始めとした大陸を行き交う交通路を開拓したのは大陸人だろうしさ
秦人もこの道を通って東アジアまで渡来してこれたんだよ


461 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 08:52:20
>>457
ちなみに邪馬壹国時代って言うけど、邪馬壹国って飛鳥時代辺りの話だよ

例えば世界中の何処を探してもさ、樹齢2000年なんて木は無いよ
伝承では雨が上がるまでは世界はとても寒くて草木もろくに生えなかったらしくて、雨が上がりようやく水が引き大地が出来て草木が生えたらしいからさ
この時がせいぜい1500年〜2000年前ぐらい前の事だと思うよ


462 :美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI :2010/05/17(月) 09:42:17
俺、あくまでも古くから伝えられてきた伝承や古書物などを元に話をしてるだけだけど
これって一般的に教育の場で教えてる歴史の内容とは全然違う話になっちゃうでしょ?

けどさ、どっちの話を本当の歴史なのかって思うのかをちょっと考えて見て欲しいよ
俺的にはどう考えても、昔から言い伝えられてきてる歴史の話の方が
色んな事(山奥で貝の化石が出てくる理由とか、恐竜が滅んだ理由とか)の辻褄も合うし
こっちが本当の歴史で、学校で教わった歴史の方は近代人の勝手な妄想から生まれた作り話な気がするよ


463 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 18:23:07
>>461
>ちなみに邪馬壹国時代って言うけど、邪馬壹国って飛鳥時代辺りの話だよ

( ゚д゚)ポカーン


464 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 18:24:12
ここは、美濃もん太の独り言スレになりました。

はい、次の独り言をどうぞ。


465 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 18:55:06
しかしモリタボ買ったのに、何でこれだけで止まったんだろう。

466 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 19:24:34
>>美濃もん太 ◆RoY2GHF3nI
スレチだ

以上

467 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 20:16:46
>>465
寂しかったんだろう。

こいつは言いたい事だけ書いて
ツッコミは無視するというボケっぱなし芸人だから

468 :疑心暗鬼:2010/05/17(月) 21:21:26
>>429
>この「疑心暗鬼」というのは縄文人だろうけど、またコテ名を変えて性懲りもな>く電波を流しているな。

貴殿は疑り深い性格でござろうな。ソレガシを縄文人と間違えるとはよほど縄文人を気にしておいでのようじゃ。
これではソレガシのコテの疑心暗鬼は貴殿にお譲りした方がよさそうじゃ。

>この貨幣もない時代に、商人(交易によって利益を得る個人)のようなものは存>在しないし、

ソレガシは個人としての商人とは言っておらぬのじゃが。舟を使って荷物を運搬し交易を行うにはある
程度の人数を必要とする。護衛も必要だったろう。貨幣は使っていなかったかも知れぬが(絹や鏡や宝
飾品は貨幣の代りになったかも知れんがの)商売を稼業とする集団はあったのではないかな。

既に紀元前2世紀の秦とローマ帝国の間には隊商路が拓かれていたし、同じ頃エジプトのプトレマイオ
ス朝の時代にはインドとの海上交易も行われていたのじゃ。つまり、商業および商人(商団)が存在し
ていたのだ。

その商業や商人が存在する中国に倭人も出入りしていたであろうし、大陸や半島から商人が入って来て
いたであろうがの。
中国鏡や貨泉その他大陸や半島の物品が日本で出土することがそれを物語っているじゃろが。

弥生時代の日本列島に統一国家はなく、鎖国態勢をとる権力構造はないから、半島や大陸との人の
行き来は(物理的に容易ではなかったであろうが)自由であったのじゃ。
大陸での商業を見知った倭人あるいは大陸や半島から渡ってきた商人達が日本で交易の業務に携わって
いた可能性は否定できんじゃろ。それとも貴殿はそんなことは絶対に無かったと言えるのでござるか?
(続く)


469 :疑心暗鬼:2010/05/17(月) 21:25:40
468の続き

>クニの規模や体制も縄文人が頭に描いているほど大きくはないし、確立されたも>のではない。

縄文人の頭の中を覗いたことがないゆえどんな像が描かれているか存ぜぬが、これはソレガシへのコ
メントであろうから、チトばかりソレガシの考えを述べよう。

九州は半島へ、半島を経由して大陸へ、あるいは東シナ海を渡って大陸への通交に地の利があり、
他の地域より早く社会構造が変化したのじゃ。1世紀には漢委奴国王を戴く国が誕生しており、
2世紀には帥升の倭国体制が生まれておる。遺跡、出土物の豪華さからもこれらの国の首長の権
力の大きさが窺い知れるじゃろ。

これに対して、畿内の弥生遺跡からの出土物には大きな権力を持つ首長の存在を示すものがない
じゃろ。九州に国ができていた頃は畿内はムラ社会かせいぜいクニと呼ばれる程度の社会構造で
あったようではござらぬか。

>この時代の交易というのは集落ぐるみで行っている場合がほとんどで、個人経営>の商人などは
>ずっと後代にならないと出てこない。

集落の間で有無交易することもあったであろう。それを否定してはおらぬがの。
倭人伝にも対馬や壱岐のところで乘船南北市糴、亦南北市糴と不足する食糧を得る為に交易を行っ
ていると書いてある。これが国営の事業であったか民営であったかは判然とせぬが、官民いずれも
あったと見る方が自然じゃろ。

先述のごとくソレガシは「個人経営の商人」を意図しているのではござらぬが、
商業を営む者達が弥生時代に居なかったというのは貴殿の思い込みではござらぬか?「ずっと
後代にならないと出てこない。」などと何を根拠に申されるのでござるかの。

470 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:31:35
>>468
んじゃあ、縄文人と同程度のバカだな。もう書くなよ。

471 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:32:35
確かに真面目な議論のジャマにしかならないヨタだな。

472 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:47:49
>>469
面白い意見だと思います
たしかに大陸に近い九州のほうが畿内よりも早く社会構造が変化したでしょうね
邪馬台国が九州にあったかどうかとは別にこのあたりは受け入れざるをえません

473 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:49:56
>>472
アホか。そんなの当たり前だろ。

474 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:50:19
なんだ、デブ国か

475 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:54:41
まあ弥生期のクニそのものを商人のクニとも考えるのはありだとは思うけどね
商人といっても店舗を構えているわけでも行商人を抱えているわけでもないけど
どこも交易によって栄えていたというのは間違いないだろう
一部が繰り返し唱える武力制圧だとか征服だとかよりはずっとましな考え方だ

476 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:00:39
北部九州は渡来人も多く、当時の倭国内にあっては先進的な社会であったが、おそらく漢の影響が強すぎて倭国のダイナミックな
変化についていけなかった。そのうちに畿内発の前方後円墳祭祀に周りを席巻されてしまったんだろう。平原1号墓出土の鏡のほと
んどが国産なのは、公孫氏の時代になって大陸の文物が手に入らなくなっても必死に権威を繋ぎ止めようとした証かもしれない。
平原2号墓の副葬品はみすぼらしく、大陸との交易の中心も畿内の影響を受けた博多湾岸に移っていったと考えられる。

477 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:12:09
畿内説が動揺しているな。>>470なんか悲鳴にしか聞こえん。
>>476は笑える。縄文時代が抜けきらない畿内に「倭国のダイナミックな変化」が起ったそうな。

478 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:17:47
つまりその南部も含めて九州=先進地域、畿内=後進地域だったということですね


479 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:18:32
客観的に見て、縄文人とこの疑心暗鬼がきちんと勉強していないのは事実。「官民、商人」とかの用語も違和感ありまくり。
縄文人は「学者の説に頼らず、常識を元に自分で判断する」というようなことを常々述べていたが、これは裏を返せば「自分
はちゃんとした勉強はせず、脳内の妄想でいく」というのと同義。

480 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:20:19
その学者が、畿内説詐欺で、利権を守る裏社会

481 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:22:42
>>480
まだいるのかお前。ww その調子でやってくれ。まともな九州説も困ってるだろう。どうせ美濃もん太が再降臨すれば
誰も何も出来なくなる。wwww

482 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:31:02
>>480
学者・学問というのは古代史の狭い範囲の畿内説というようなことではなく、もっと広範囲の普遍的なものを指している。
縄文人の場合なら、人口学、地質学などすべてに大きな間違いが認められる。本人は単なる時時間つぶしの娯楽なの
かもしれないが、こちらから見れば大きな害毒を垂れ流している状態。太国・唐松山両氏は、すでに誰も相手にしない域
に達しているからいいけど。疑心暗鬼は縄文人ではないというなら、ぜひああはならないように気をつけてほしいな。w

483 :疑心暗鬼:2010/05/17(月) 22:35:59
>>479
>「官民、商人」とかの用語も違和感ありまくり。

これは誰にでも分かるように現代の言葉で書いたのでござる。弥生時代に「官民、商人」をどう言って
いたかはよく判らんのでな。

>縄文人は「学者の説に頼らず、常識を元に自分で判断する」というようなことを常々述べていたが、

さようでござるか。まあまあでござるな。ソレガシだと常識も間違っていることがあるからも少し慎重
な考え方をするでござるよ。

しかし、なんでござるな、貴殿は他人の批評しかされぬのかな。これでは楽しい議論にはなりませんぞ。




484 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:40:10
>>483
楽しい議論をするつもりはないなあ。しかし、ちゃんと勉強してる人なら九州説でも認める。いつかの伊都国東遷厨のようにね。
縄文人のような害毒はちょっと放置してはおけない。ww

485 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:41:32
>>480
畿内説の利権など存在しません。
まったくの絵空事です。
畿内説でない学者が学界からつまはじきにされたり、
妨害を受けたりなどという事実はいっさいありません。
強要されている者など一人もいません。皆自分の意思で畿内説なのです。


486 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:46:45
「東遷説」って笑うよな。
東遷して大和なら、すでに大和に権力が集中していたことになる。
自ら墓穴を掘っている。



487 :疑心暗鬼:2010/05/17(月) 22:49:37
>>484
>縄文人のような害毒はちょっと放置してはおけない。ww

畿内説論者としては許しておけんということでござるな。彼の論にまともに反論できんからじゃろの。

488 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:52:49
そんなに畿内説論者がいてまともな説明をできる者は一人もいないのかい?

489 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:00:49
>>485
もう亡くなったが、門脇禎二さんが言っていたよ。
関西で九州説を唱えると、何かつけチクリチクリとやられる、と。

490 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:03:12
そう言えば、門脇は最後に畿内説はどうみても駄目だといって転向宣言をして
死んだな。
最近、文献史学者で畿内説を主張する奴はいないだろう。誰かいるかい?

491 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:03:53
大阪でジャイアンツファンだというとチクチクされるのといっしょやないか。
そんなの気にしとったら、渡来系大阪人やってられまっか?

492 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:04:16
>>430>>451
班田収受法というのは、奴隷制のプランテーションと同じですよ
政府が人民を土地に縛り付け、耕作を強制し、なおも都の強制労働に駆りだすと言う
そんなの本邦では、8世紀からの200年間だけ施行されたに過ぎない支配制度です
しかも、その実施を支えたのは郡司の汗によるところが大きい
郡司は国造の末裔とかで土地の顔役だから、結局は在地の豪族に頼った、ドブ板行政的なものでしかなかった
「整った官僚機構」が支えた訳ではないんですよ
中世になると、それが荘園という括りに変化します、そこでは荘園領主が事実上の行政官です
本邦では、どの時代を通しても中央集権的に隅々まで官僚支配が及んだ事はないんです
戦国時代や江戸時代になるともっとそうですよね、大名諸侯による地方分権の世界です
それでも、国としては分裂する事なくまとまりを保ち続けたんです
そう思うと、大国をなすには、なにも大きい政府など必要としないんじゃないでしょうか?
「一つのクニというのは吉野ヶ里程度の規模」、その通りだと思いますよ、中世の荘園がその規模です
地縁的な纏まりとしては、その位の規模が丁度良いんですよ
農耕民族の基本は自給自足です、足らない物だけを物々交換や金銭で外部から買うだけです
玉造り、鉄器の鍛冶加工、青銅器の生産などは商業としてではなく、自らの用のためです
でなければ、あんなに多種多様な様式が生まれる訳ないでしょう、もし商業用なら規格統一される筈です

493 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:04:48
>>430>>451
(つづき)
逆に、班田収授法は物を規格統一で作らせようとした制度であったと言えます
田圃を割り付けて一様に米を生産させ、「調」で納める麻布も規格が決められていたんですから
そんな統一思想の産物です、班田収授法というもの自体が
で結局、本邦では破綻するんです、大陸から学んだ制度って結局は使えない代物ばかりですよ
中国の冊封を得なくても、全然問題なく、自然発生的に広域国家が作られたのだと思いますよ
冊封を受けるって、言葉を変えれば従属国になるという事だし、一つ転べば傀儡国家になりかねませんよね
中国に朝貢したのは、冊封を得てその後ろ盾をもとに国内統一を進めるのが目的ではなく、単に半島貿易の後ろ盾が目的でしょうね
それだけ鉄を輸入に頼った地域があって、その代表者が取った行動が、朝貢・冊封です
つまり九州地域の政権だと思います
それだけ九州は、鉄を半島から輸入しやすい土地だったという事です、むしろ半島との交易無しには発展できなかった土地というか

494 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:10:01
>>492
商業用ってのは、他人の物より優れている、特徴があるということを言いたいんだよ。
だから、多種多様の物ができる。現代の商品をみてみろ。

495 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:14:22
>>490
俺の本棚にあるだけでも、水谷千秋、遠山美都男とか。まあビッグネームではないがね。ww

496 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:14:47
>>490
むしろ最近は邪馬台国論争を避けている学者の方が多いだろ。

「三角縁は国産で解決している」という当たり前のことさえ、声を大にして主張する
若手、中堅が現れない異常な状況がずっと続いているわけだから。


497 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:17:36
>>494
現代のスーパーマーケットは、お百姓さんに規格を提示して、その通りのサイズで作らせて納品させているよ
商業用とは、どこに持って行っても一定の価値で通用する物を求めるもんだよ
土器の厚さ一つとっても、上手くお粥を炊くには火加減が違うんだ、道具と技術と生活様式が不可分に絡んでいるのが文化だよ
奇をてらうのは現代の感覚だ



498 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:19:03
>>468
後漢書・韓伝の辰韓の部分には、「凡諸(貨)貿易、皆以鐵爲貨」とある。
鉄を貨幣として使っていたらしい。
辰韓の項には、倭も出てくるので倭も同じだと思われる。

499 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:19:33
>>492
長文で何がいいたいかと思えば、班田収授は官僚機構が支えたものではないということか?そういう面は否定しないし、
中国に学んだ制度がうまく機能しないというのもあてはまる場合が多い。こっちが言いたいのは、8世紀の時点でそうなん
だから、倭国時代の3世紀に、広域の統治など不可能だということだよ。

500 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:20:37
>>495
水谷千秋は、継体天皇以降が専門だろ。
継体が新王朝とかいう戦後に流行ったトンデモ説を否定した点は評価できるが、
蘇我氏に関しては記紀の史実性を肯定する方向性がグダグダになったね。

専門外の邪馬台国に関しては、畿内説にリップサービスをしているが、
それで畿内説論者にいれるのは可哀想な感じもする。


501 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:31:05
>>500
継体天皇が専門なのはそう。今本棚から引っ張り出した「女帝と譲位の古代史」水谷千秋 より25〜26P

>この纏向遺跡からオオヤマト古墳群の辺り一帯が、卑弥呼が都とした邪馬台国であり、また大和政権発祥の地で
  ある可能性が高いといえるだろう。纏向遺跡の発掘はまだ大半が残されているそうだが、これからさらに我々を驚か
せるような遺物が発見されるに違いない。長く続いた邪馬台国論争も、ようやく決着の見通しがついてきたようだ。

ああ面倒くさい。ww




502 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:37:12
×これからさらに我々を驚かせるような遺物が発見されるに違いない。
○これからさらに我々を驚かせるような畿内説ゴッドハンドが駆使されるに違いない。

503 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:40:19
>>495
比定地一覧表なんぞを見ても二人の名前は出てこないみたいだな。
どんな説か紹介してみてくれんかな。
しかし、そんな名前しか出てこんとは情けないな。

504 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:41:08
>>501
水谷はそんな感じで専門外のところは妥協しているね。
森公章も水谷と同じ時代以降が専門だけど、邪馬台国がらみのところは
かなり妥協したことを書いているね。

両者とも専門分野では、戦後の左翼史観とは一定の距離を取りつつも、
専門外のところとなると、歴史家としての身持ちを崩した感じがする。

まあ網野も専門外のところは、タミル語肯定とかのトンデモだらけだったから
総じて学者というものは、専門外は一般人と同じということかもね。

505 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:44:36
畿内説の人でも、考古学的には畿内説というくらいだから、歴史学的に
九州説なのは認めていると思われる。

だいたい、畿内説の文献否定は、裏を返せば、文献的にはまずいということを
意味しているわけで。

506 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:44:52
>>503
??若手の文献学者は倭人伝の読解なんか不毛だからやらない。もう論じつくされているし、それこそ自分のキャリアになら
ないから。w あと、知らないのは勉強不足。論文とはいわないけど、せめて新書くらい読んだら。

>>502
揶揄しかできないんなら出て行けよクズ。


507 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:45:42
>>499
日本が統一されたのはいつの頃だと思うんですか?
大和朝廷時代? 坂上田村麻呂が蝦夷を屈服させた平安初期? 
初の武力政権が興った鎌倉時代? 一分の隙も無く国土を三百諸侯に割り付けた江戸時代?
統一って、古くから完成している様で、つい近世まで統一されてなかったとも言える
その倭国時代とやらは、何を統一したか、何の統一をもって国家の体を為したかでしょ?
宗教? 貢納? 共立の王? 土地人民の一円支配と中央集権?
時代により出来ることは限られるよ、倭国時代に出来る限界とは何かでしょ?
中国や半島との交易を勝手にさせない、王が仕切る(朱印船貿易みたいな)事で上に立ったんじゃないの?
少なくとも魏に朝貢した王は、半島を支配する帯方郡の後ろ盾があるから、顔パスで安全に交易できたんじゃないの?

508 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:50:22
>>506
新書だって畿内説でまともに書いている本はないんだろ。
門脇が認めたように、どうやったって合理的な説明は不可能だってことだよ。


509 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:52:03
>>507
わけわからないなあ。統一なんて一言もいってないだろう。畿内説は「ゆるやかな連合」説なんだよ。鉄輸入ルートの確保
とかもあっただろう。

>中国や半島との交易を勝手にさせない、王が仕切る

まあそう。倭人伝にある、>皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。 というのは
魏の後ろ盾と連合のまとまりによる力、それが王の権威ということだろう。

510 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:52:42
>>505
そうとも言えない。
直木孝次郎は、「文献史学では畿内説が正しいが考古学のことは知らない。」と
書いていた。まあ、20年位前だが。

その頃は、「弥生時代は九州が他の地域よりも圧倒的に先進的で出土遺物も
突出していた」という考古学の事実は、だれも著書に書かなくても当然にみんな
知っていたから、「考古学的には畿内説は成り立たない。」というのが支配的だった。

今は、邪馬台国時代を古墳時代に繰り上げて畿内説が生き残っているから、
逆に考古学では畿内説という言い方をしたりする。
まあ文献史学者も当然この経緯をしっているから、嫌味というか揶揄するような感じが
しないでもないけどね。



511 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 23:53:26
>>508
図星。

512 :509:2010/05/18(火) 00:00:31
>>510
>「考古学的には畿内説は成り立たない。」

当時はそうだったろうね。もう寝る。ww

513 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:01:31
>>496
>「三角縁は国産で解決している」という当たり前のことさえ、声を大にして主張する

そんな馬鹿な事を言う奴はいない。
ここの九州説のアホ連中みたいに「500対0」を連呼してりゃ良いって話でもないだろうしw

まあ、 「早く国産で決着したと宣言してほしい!この恨み無念を少しでも晴らしてほしい!」

…と自分が快哉を叫ぶ日を待ちわびている心情は分かる気もするのだがw

とりあえず、もん太ハリケーンで流されちゃった >>300-301のローガンのネタでもやっつけてみれwwww


514 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:08:12
しかし現在の「九州説」と呼ばれるものは
多かれ少なかれ先ず畿内説の批判から入っていって
じゃあそこから「先九州の何処か?」に踏み込んでいる物がどれだけあるんだろう?

九州説というのは結局「アンチ畿内説」「畿内説批判」と言うのがその実態。

「畿内説は畿内説で勝手にやっていろ
 こっちはこっちで文献資料考古資料をもって九州説を組み立ててみせる!」

…と言うような気概をもった研究者っているのかねえ…

515 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:10:22
>>509
交易以外に何がありますかね? 支配する対象が
土地人民を一元支配しようとすれば、官僚機構も法令も必要になります
また武を武をもって支配しようとすれば、遠征可能な軍隊も必要になります
でも、交易は相手がある事だから、そことの独占契約を勝ち取れば済む話ですよね
なにも、広域の王権=広域の統治 ではないと言いたいんです
鉄資源が発展のキーになりえる時代ならば、鉄の交易を仕切る事で、3世紀だろうと比較的簡単に広域王権は可能だと思います

516 :509:2010/05/18(火) 00:17:48
>>515
www 寝たはずだったが戻ってきた。

>鉄の交易を仕切る事で、3世紀だろうと比較的簡単に広域王権は可能だと思います。

王権の解釈の問題のようだけど、「ゆるやかな連合」を王権というなら別にそれでもOK。魏に対してはまさに倭の王権が
発声したわけだし。俺が縄文人を批判してるのは、当時の倭国がずっと後代の政治体制のような書き方をしているから。
軍事力ではないから、交易重視は当然。ただし俺は宗教も重視してるけどね。

517 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:21:07
>>514
逆だろうな。畿内説の方が九州説批判として成立したというような感じがする。
特に、東遷説を敵視している。でなきゃあ、年代繰り上げても意味ないし。

518 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:24:06
昨日はいらないのが次から次へときたなw

519 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:27:26
>>514の続きになるが先に出てきた門脇にしても
むしろ畿内説の批判から入っているのは否めないだろう。

>邪馬台国があったとされる弥生後期の大和盆地に
>日本列島の諸小国を、果たして「統属」させていた政治勢力はあったのか。
>逆に、列島各地の諸小国は、大和のその地域勢力に「統属」されていたのであろうか。
(『邪馬台国と地域王国』門脇)

…どうもここら辺「緩やかな首長連合」という枠組みの発想についていけなかったのか?
と言う樹が駿河どうだろう?www



520 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:41:26
いや、門脇は、次のように言っている。緩やかな首長連合という考えには別に
反感は抱いていないようだ。

女王国・・・女王ヒミコの専制的権力ではなく、諸国が相対的には自立しており
それぞれの体制を温存したまま、相互の共通利害にもとづいて連合した、いわば
二重の国制による連合であり、それは原初的な地域的王国と予見できる・・

門脇が協調しているのは、倭国の大きさや行程が大和にはどうみても合わない
ということだよ。



521 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:42:23
協調→強調だったな。

522 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:44:44
>>519
門脇にその批判はおかしいだろ。
門脇は独立した「地域国家」を認める考えだったから、それより後退した考えに
批判されるいわれはない。

まあ地域の独立ありきというのは今はあんまり流行らないね。

523 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:48:55
>>513
その>>300-301を批判する必要性すら感じないのだが・・・

中国の別の種類の別の文様の変化とリンクさせるという前提がそもそも成り立たない。
リンクさせたいなら、中国で三角縁がたくさん出てからにして欲しいね。
それとも「特鋳」説とかが前提なのだろうか。

「特鋳」なんて言い出したら、なんでも説明できるね。
前方後円墳特注説、天皇特注説、物部特注説、蘇我氏特注説、銅鐸特注説などなど・・
こんなことを言い出した人は、言ってて恥ずかしくなかったのかな。


524 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:51:44
先に3世紀の倭国の”クニグニ”の規模について言及が見られたが

ミスター吉野ヶ里こと高島忠平センセイが漢書の地理誌や遺跡の発掘状態を元に
九州のクニグニを地図上で示した物があるが…
(『邪馬台国時代のツクシとヤマト』この本を持っている人も多そうだからそこの179pを参照されたし)

30カ国となると九州の北半分の”おいしいところ”はかなり持っていくみたいだwwww

これを「連合体」を否定して強固な面的支配していたとなると相当な大国。
単純に面積だけで言えば戦国大名でもそんな領土持っていた奴はいないだろう。
そんな一大帝国を想定している学者もいないと思うがw

吉野ヶ里のような拠点集落とその周辺の集落を想定したようなクニじゃあとてもじゃないが統治できるとも思えない。
ハッキリ言って与太レベルwww

当然玄界灘周辺地域にもその支配力は及んでいたと言うことになり
二万戸の奴国の3倍強の七万戸ぐらいの勢力はやはり必要となるわなw

そんな大国がいまだに「九州の何処かにあった」…なんてレベルの話と言うのはどう言うことだ?w
九州王朝説の言うように大和朝廷がその痕跡を徹底的に壊して回ったのか?wwwwww

「連合体なんてありえない」…と脊髄反射で言うのは良いが
それは自分にも返ってくる事を認識した方がいいwwwwwwwww



525 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 00:58:24
>>522
ん〜、だから本来なら「ゆるやかな首長連合」と言う枠組みと
門脇の「地域王権」と言うのは本来齟齬をきたさないはずなんだが

門脇の畿内説の捉え方自体が既に時代遅れだったんじゃなかったのか?

…ということねwww

526 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 01:16:39
>>524
邪馬台国の七万戸で、畿内説は近畿地方全体を一つの国と考えているという
のもあったりするが、大和でさえ奈良に過ぎないわけだから、こちらの方が
ずっと荒唐無稽だと思う。

それに、大和朝廷は、ほどなく日本全国を支配する。邪馬台国時代に
九州の北部が一つの国の支配下にあるものありえないとは思えない。

527 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 01:20:23
>>477
>縄文時代が抜けきらない畿内に「倭国のダイナミックな変化」が起ったそうな。

…と言われてもねえ、
やがて畿内で古墳時代がスタートするのは間違いないのだからw

頭に血が上ってケチレスつけるしか出来ないとしか見えないぞwwww

畿内というか九州以東である時期から作られるようになる大型首長墓は
九州の弥生時代の墳丘墓と比べても大きさが隔絶している。

まあ九州がそのトレンドに取り残されたのか
あるいは主体的に自主路線を選択したのかは色々見方はあるだろうが…

528 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 01:30:23
>>484
>いつかの伊都国東遷厨

いたね。「土器の移動は権力とは無関係」。
しかし、土器の移動が人の移動を表すなら、人が移動するのはなんのためか?

>>414
>何処にどのような土器があろうとそれは政治的状況を示すものではなく、
>単に商人が行き来していたということを示すものに過ぎないのではござるまいか。

商人はともかく経済的動機、つまり交易のために移動するのだというのは、妥当だろう。
物々交換のこの時代、交易のための“商品”は、では誰のものだったのか?

弥生社会の開始期から余剰生産物は集落全体の共有財産であり共同管理だった。
最初期の環濠集落である江辻遺跡では竪穴住居は環濠に沿っており、
中央部は広場になって、公共の大型建物と高床倉庫6棟が建つ。
環濠は一年間苦労して収穫した生産物を守るための防御施設なのだろう。

その集落の共有財産は、首長の階級的成長によって首長層の管理するところのものとなっただろう。
余剰生産物はとりあえず、首長の元へ集積される。それが“商品”として交易されるわけだ。
交易の主体が首長ならば、“それを体現した人の移動”は「政治的状況」の反映とみなしてよかろ?

529 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 01:30:47
>>527
大きな古墳が作られたのは、支配した地域の人間に古墳を作らせたからだろう
と思う。だから、支配関係が流動的なときに大きな古墳が作られる。
大和朝廷の権力が大きくなっても、そうでない場合は古墳は小さくなる。

530 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 01:58:39
>>529
ぶっちゃけ「東遷説」を下敷きにしてるよな?wwww

だがその理屈なら
先に言ったように、それまでの弥生墳丘墓と隔絶した大きさの大型首長墓の出現を、九州以東のトレンドとすれば
ある時期から九州から出雲に吉備に大和へ…と民族大移動が起きたって話だなwwww

もうその手のレベルお話はウンザリだ


531 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 02:12:19
>>530
まあね。
しかし、記紀を下地にすると、それもありえる。

出雲の国譲り、天孫の日向降臨。饒速日命の大和降りなんかはその一環と
考えることも出来るわけで。
民族大移動というよりは、出雲の国譲りを考えると、派兵と言った方が
いいのかもしれないが。

532 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 03:46:07
とりあえず、奈良県御所市の室や秋津、名柄を調査しろ

533 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 06:44:30
>>514
南九州説というのは、従来の伊都国の比定がおかしいというところから始まるんだ
そうなると、畿内説なんぞまったく見当違いってことで問題にする気にもならん。

534 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 06:52:08
>>528
物の交易は国境を越えて行われる。早くから中国や朝鮮半島の物が我が国に
入ってきていることを考えれば、それは簡単に理解できるだろう。
交易の主体だって、首長に限ったはなしではあるまい。いろいろなケースが
考えられる。

535 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 08:23:15
>>530
「東遷説」って笑うよな。
東遷して大和なら、すでに大和に権力が集中していたことになる。
自ら墓穴を掘っている。

536 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 11:21:50
>>535
それが大国主の国であり
ニギハヤヒ・ナガスネヒコの国であるんだそうだが、なんともテキトー臭い

537 :初老教授:2010/05/18(火) 17:52:09
>>516
>王権の解釈の問題のようだけど、「ゆるやかな連合」を王権というなら別にそれでもOK。魏に対してはまさに倭の王権が
>発声したわけだし。俺が縄文人を批判してるのは、当時の倭国がずっと後代の政治体制のような書き方をしているから。
>軍事力ではないから、交易重視は当然。ただし俺は宗教も重視してるけどね。

縄文人氏はどのように言っていたのですかね。
倭人伝には倭国の俗についての下記の記事があります。
其犯法、輕者沒其妻子、重者滅其門戸。及宗族尊卑各有差序、足相臣服。收租賦、有邸閣。國國有市、交易有無、使大倭監之。
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國、及郡使
倭國、皆臨津搜露、傳送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。下戸與大人相逢道路、逡巡入草;傳辭説事、或蹲或跪、兩手據地、
爲之恭敬。對應聲曰噫、比如然諾。

これを見ると、倭国には法があり、裁きをする者や刑を執行する者が居たと思われます。これも単なるムラの掟と首領による私刑
ではない感じです。また、税が徴収されていたとあり、税として納められた穀物その他の物品を収納する建物も設けられていました。
特に注目されるのが一大率の存在です。中国の刺史のようであると述べられています。

魏、晋の時代の刺史は単なる監察官ではなく、軍権を与えられて実質的に任地の統治権を有する存在でした。それと同じようであると
言うのですから、諸国が一大率を畏憚するのも頷けます。一大率は軍の指揮官でもあったのです。考えてみれば当然のことですが、
武力(暴力)を伴わない組織が取締り業務を行える筈はありません。

上記の倭人伝記事の最後には身分制度の存在を述べています。

以上の内容から見れば、初歩的ではあろうが官僚制度があり、倭国盟主の邪馬台国は軍隊を伴う組織によって配下の諸国を監察、
支配していたと考えられます。これはもちろんゆるい首長連合などといった概念から遠いものですね。
むしろ中央集権的な国家に近い感じではないですかね。

538 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 18:53:46
>>536
権力の集中の証が巨大古墳じゃなかったのかな。
ヤマト王権なんて言葉を作り出した畿内説の方に矛盾がある。
もともとは大和朝廷だったわけだし。

>>537
西暦107年の帥升のときから、倭国王という言葉を使っている。これは
伊都国王でもなければ、奴国王でもない倭の国王。この頃にはすでに
国々の上に立つ国があったと見るべきではないだろうか。

539 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 19:46:18
>>537
倭国の法体系については後の「隋書」にその記述があるが
中国の五刑(死・流・徒・杖・笞)が見られるとともに
中国には無かった倭国独自の所謂「固有法」も見られるとか
(支払い能力が無ければ奴隷に落とされる等)

だが、倭人伝にも見られる、それらの固有法も、広域を支配していた権力が
支配地域に一律に施行したと言うより
ある程度は倭人社会に共通した一種の”相場”みたいな物ではなかったのか?

で、その性格を巡りよく問題にされる『一大率』だが
畿内ヤマトから派遣された軍とか、兵は現地の人間でも
ヤマトから派遣された人間の指揮下にあったとか言う構図には疑問がある。

個人的には実際には奴国あたりからの兵で
一応は名目上はヤマトの指揮系統という事でも
実際は間接的なコントロールだったのではないか?と想像している。

北部九州を直接的に軍事力でコントロールなんてシナリオを考えた時
「じゃあ当時ヤマト王権はお膝元の畿内・奈良盆地をどれくらい掌握していたのか?」
と言うご疑問が付きまとうw

まあ「ゆるやかな首長連合」と言っても全く軍事力による力学が
働かなかったと考えるのは流石に無理だろうし
そこら辺、軍事力のウェイトをどれくらいに見積もるか…悩ましい問題ではあるwwww



540 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 20:00:58
>>537
ということは邪馬台国は畿内にはなかったとの考えですか?

541 :サガミハラハラ:2010/05/18(火) 20:23:23
清寧天皇のスレたてました。是非お立ち寄りください。

542 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 20:29:01
>>540
その人は縄文人だよ。

倭人伝の、 >國中において刺史の如きあり。

というのは、刺史が皇帝直属の官であるように、一大率は倭王の直属官であるとも読めるね。



543 :初老教授:2010/05/18(火) 20:31:02
>>540
倭人伝の「其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼」という記事と
後漢書の「安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見」という記事から考えると、卑弥呼の倭国は帥升の
倭国を継いだものと見ることができます。

そうであれば卑弥呼を王として成った倭国30国はほぼ帥升の倭国のメンバーであったとするのが無理のない見方で
しょう。その帥升の国が何処にあったかが問題ですが、2世紀の弥生遺跡・出土物で見る限りは、九州にあったと
見るのが自然でしょう。他の地域には倭国王墓に相応しい出土物を持つ遺跡が見当たりません。

帥升の倭国が乱により卑弥呼の共立となりますが、共立に参加できる國と言えば帥升の國の近隣の国々で乱に関わ
った国々であったでしょう。畿内辺りの國が卑弥呼の共立に参加したとは考え難いですね。
しょう。

544 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 20:40:43
あらら、「老教授」じゃなくて「初老教授」か紛らわしい奴だなw

確かに>>543で邪馬台国が帥升の後継とか言うのは
今は亡き縄文人の芸風だったかな?wwww

大体ここら辺からまあ遺跡まで持ち出すとなれば玄界灘周辺地域になると思うが
九州のどこら辺かハッキリしてもらいたいもんだw

545 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 20:45:19
正体は分からんが、初老教授の言は、まあ妥当なところだな。

546 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 20:46:22
後漢書を用いるなら、「更々相攻伐し、歴年主無し」だな。つまり帥升から長年の間王位の空白があったとも読める。
倭国の範囲はこの間に拡大して、畿内辺りの国が盟主権を得ても不思議はない。というか倭国の範囲が北部九州
から広がっていくための乱だろ。ww

>首領による私刑・・・これは縄文人の用語。ww

547 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 20:54:58
いずれ倭国王の地位にあった帥升が、後漢の衰退により後ろ盾を失いそのために乱が起きたとするのが一般的な解釈。
で、当然その後継争いは、新たなる半島の盟主公孫氏と誰が結ぶかという争いになる。また、この倭国王を巡る争いが鉄
資源の入手ルートと結びついたのもごく自然ななりゆき。

画文を公孫氏の鏡と見て、後漢の衰退以降、北部九州に大陸・半島の文物が入らなくなったことなどは、上記の解釈で非
常に明瞭に説明できるんだよな。

548 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:00:30
昔から不思議なのは「ゆるやかな連合体」を否定する奴も
個人名を「帥升」として「帥升等」としない。

「帥升」を個人名とするなら「帥升等」は「帥升ら=帥升と愉快な仲間たち」w

「帥升等(ら)」と記述されると言うのなら
それはもう連合体としか見るしかないと思うのだがどう言う解釈なのか?

まあ単にそこまで考えていないだけかもしれんがwww

あと字面の問題だが
「帥升」って結構「良い字」だよな?
それが「卑弥呼」なんて文字になると言うのは
後継者と見るよりはそれまで外交経験の無いような
新興勢力と見なすのが易いと思うが
ここのモジモジクン・漢字博士の連中はどうなん?wwww




549 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:00:34
しかし、誰も証明していない「ゆるやかな連合」を前提に、
畿内説はどんどん仮説の屋上屋を重ねるんだな。
「合従連衡で激しく外交合戦しあう連合」の可能性も十分にある。

550 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:04:49
「帥升」は漢語臭く、渡来人臭い。ww 「帥升等」を個人名とすれば、なんとなく倭人伝の「難升米」とかとごろが合う感じも
する。しかしこれは特殊な読みが必要だな。ww

551 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:15:42
>>549
イチャモンは良いから

じゃあ九州に邪馬台国の強力な面的支配による30カ国がどの範囲にあったのか?
それを証明するにいかなる傍証でも持ってくるのか?

…ハッキリしてくれwww

どうせここの九州説の連中はたとえ100万回言っても学習しないだろうが
「ゆるやかな首長連合」なんてのは単に邪馬台国の問題だけじゃない
その後の古代の日本の姿に関する問題で

単純な話、4世紀5世紀、各地に時に畿内王家のそれを凌駕するような
巨大古墳が築かれていると言う事実がある。

ヤマト王権が強固な中央集権国家を徐々に拡大したようなプロセスは
考えにくいと言うのが常識だと思うがwwwww

552 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:20:34
後漢書の「桓靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主」という記述は、中国人も暗に後漢の衰退が倭国の乱を招いたこと
を認めているような筆法になってるな。また、魏志漢伝の「是後倭韓遂属帯方」というのは、公孫氏に服属したというこ
とだろう。ただ、三国志の文脈上、韓伝にはこう書けても、倭人伝におおっぴらには公孫氏の名前は出せない・・・・とす
るのは邪推かな。ww

553 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:31:43
>>551
また少し反則をすれば、日本書紀の崇神紀の、

「民を導く根本は教化することにある。今すでに天神地祇を崇敬して、災害は皆消え失せた。しかし辺境の人々はなお臣従
していない。そこで四方に群卿たちを選んで、我が教えを知らしめよ」

という天皇の四道将軍派遣の時の言葉はけっして軍事支配を押し進めるための檄ではない。そして四道将軍の遠征経路と、
初期の前方後円墳の分布はほぼ一致するんだよ。ww

554 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:32:23
>いずれ倭国王の地位にあった帥升が、後漢の衰退により後ろ盾を失いそのために乱が起きたとするのが一般的な解釈。

一般的な解釈とと言うけど、どの文献の解釈かね。帥升の倭国が後漢の衰退により交易などで影響を受けたであろうこと
は推定できるが、「後ろ盾を失いそのために乱が起きた」とは何を根拠に言えるのか?
2世紀後半から3世紀にかけて大陸は戦乱の時代であり、半島も乱れていた。また、寒冷化による食糧不足で半島には北
方の民族の流入があり、それに押されるかのように半島から列島に移入する者も多かったと見られる。

さらに、列島内部でも寒冷化による食糧不足に加えて渡来人の増加が混乱をもたらしたとも考えられる。
このような、国際的、自然災害的要因も考察した上で論じるべきであろう。帥升が後漢の威光にすがって倭国内を統率
していたなど空想の産物でしかない。

>また、この倭国王を巡る争いが鉄 資源の入手ルートと結びついたのもごく自然ななりゆき

文章としてなってないが、これも根拠の無いはなし。

>画文を公孫氏の鏡と見て、後漢の衰退以降、北部九州に大陸・半島の文物が入らなくなったことなどは、上記の解釈で非
>常に明瞭に説明できるんだよな。

「画文を公孫氏の鏡と見て」とは何を根拠にしているのだ?
「後漢の衰退以降、北部九州に大陸・半島の文物が入らなくなったことなど」は戦乱状態で交易がしにくくなったことでより
よく説明できるだろが。

555 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:33:50
>>551
30カ国体制というのは、倭人伝から妥当性がある。

伊都国に代々王がいて皆女王国に統属する、とか。一大率の存在とか。
女王の境界の尽きるところ、とか。狗奴国は女王に属さない、とか。

ゆるやかな連合なんてのは、何の根拠もない空想に過ぎない。
範囲なんてのも全くわからない。

記紀の神武東征を想定すれば、大和朝廷は初期から存在していたことになるが、
それでは困るので、ヤマト王権などということを想定しなくてはならなくなると
いうだけのことだろう。

556 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:40:09
>>555
>記紀の神武東征を想定すれば、大和朝廷は初期から存在していたことになるが、
それでは困るので、ヤマト王権などということを想定しなくてはならなくなると
いうだけのことだろう。

これはぜんぜん違う。Wiki でこれについての大論争があったが(俺も参加してたw)ぜひ一読を勧めるね。

557 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:52:06
「大和」というのは後代の令制国としての大和を連想させてしまうため、奈良盆地東南部の三輪山麓一帯(すなわち令制大和国
のうちの磯城郡・十市郡)を直接的にさす意を含む「ヤマト」のほうがより適切と考えられるから。

「朝廷」の語を用いないのは、天子あるいは天皇の称号のない時代にこの言葉を用いるのは字義的にふさわしくないから。まあ
論点はこれだけではないが、俺はどちらかといえば「ヤマト政権」がふさわしい気がする。連合の盟主は地元のヤマト出身とは
限らないからね。

558 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/18(火) 21:52:56
>ヤマト王権などということを想定しなくてはならなくなると

神武東征、同元年は西暦42年 第X様式があてはまる。

>ヤマト王権などということを想定

西暦193年 崇神6年秋大物主より譲位 近江伊勢遺跡の衰退と纒向遺跡の興隆であらわされる。


559 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:54:09
奈良平安時代の大和朝廷をそのまま卑弥呼の時代にスライドさせようとして、
ありもしない3世紀の畿内朝廷を印象づける、「ゆるやかな連合」論。

朝鮮半島の鉄(軍事物資)を諸国が必死に奪おうと動き始めた3世紀、
「ゆるやかな連合」なんて牧歌的風景を前提にしないと、
鉄器が出ない邪馬台国畿内説が成り立たない時点で、終わっている。

560 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:55:05
>>554
根拠といわれればないがwwそっちだってないだろ。だけどね、こうなんだよ。そう考えると辻褄の合うことばかり。ルンルンルン。

561 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 21:58:40
>>556
重要なのは、ヤマト王権なるものの根拠なのであって、仮に考古学者のような
存在が考え出したものだとすれば、明らかに畑違いの越権行為。

ウキペディアは畿内説が頑張ってるなあ。明らかに、その関係者と見られる人の
書いたものと思われるものが多い。

562 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:03:51
>>561
www「大和朝廷」「ヤマト政権」「ヤマト王権」どれも全部腹立たしいだろ。「朝廷」はやはり明らかにおかしいと思うので、
俺は「倭王権」でもいいんだが。www


563 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:06:00
>>551
30国は九州にあった国だ。北九州に奴国、伊都国。南九州に投馬国、邪馬台国。
あとはその周辺に旁国が散在していた。
倭人伝にそのとおり書いてあるだろ。
本州まで倭国だとしたら、とても30国ではすまない。数百国を考えないといかん
ことになるな。

564 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:10:41
>ヤマト王権が強固な中央集権国家を徐々に拡大したようなプロセスは
>考えにくいと言うのが常識だと思うが
そう思ったら、畿内に邪馬台国があったというのがどうもおかしいと気づくべき
だと思うがね。
だいたい、畿内に何で強国が生じるんだ? 弥生時代、畿内に強国があった痕跡
は残ってるか? 何もないところから、古墳時代に入って急に全国統一するよう
な国家が出るわけがないではないか。

565 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:12:09
>>563
お前はペケ。>今、使訳通ずる所三十國。 だから、使訳通じない国はいくらもあるんだよ。黒歯国とか。www

566 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:15:31
>>564
だから、連合各国で纏向を建都した。背後には広大な東国が拡がる。少しの鉄や大陸製品で米を持ってきてくれる
クニがね。

567 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:18:16
>>565
文章の読み方を知らんな。旧百余国、それに対して、今三十国。
その三十国が使訳を通じている国ばかりだということだ。
他には国はないんだよ。黒歯国は倭国ではない。南方の国だろう。


568 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:21:26
>>566
人がいなかった空白地帯につくった協同組合の本部ってことか?
あきれた発想だ。多くの畿内説論者がガックリしてるだろう。

569 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:21:44
>>567
はあ?倭国にあるクニがすべて使訳通じていると? つまり使訳通じない国は倭国ではない(倭人の国?)とか??
ありえないだろ。www

570 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:36:01
>>568
なぜだ? 纏向の東海土器は供献あるいは労働力の移動というのは定説だろう。前方後円墳の祭祀は各地の葬制の
習合が見られる。庶民の居住跡が少ないことを考え合わせれば、宗教都市(聖域でもいいが)と見るのはごく自然だと
思うが。

571 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:39:27
>>569
畿内説にかぶれているから「ありえないだろ」なんて言う羽目になるんだよ。
旧と今の対比に気づかんとは、文章を読む資格がないな。

572 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:43:03
>>571
そっちの言う意味がわからない。「使訳通ずるところ」というのは「使訳通じないところ」もあるということじゃないのか。

>>563
>本州まで倭国だとしたら、とても30国ではすまない。数百国を考えないといかんことになるな。

だから使訳通じないクニは本州には(九州にも)たくさんあっただろうと言ってるんだが?


573 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:53:52
>>572
>だから使訳通じないクニは本州には(九州にも)たくさんあっただろうと言ってるんだが?

だから「本州で使訳通ずるところはなかった」んだね。そうだろね。女王国の東の海を渡って千里の
国々は皆倭種としか認識されてないからね。

574 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 22:57:18
九州には女王を戴く30国の倭国の他に狗奴国があったようだね。

575 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:06:03
旧百余国。これは使訳を通じていない国も含めた話だということは分かるだろ。
では、今は幾つの国があるというんだ? 旧の国数を書きながら、今の国数を
まったく書いていない? そんなことはあり得んだろう。今は三十国に統合さ
れている。それが使訳を通じているということだよ。使訳を通じていない国が
全くないかとなれば、やや曖昧な書き方だが、通じていない国がたくさんある
などということではけしてないな。

狗奴国は、倭国のうちだ。これも使訳を通じていた三十国の一つだ。


576 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:12:30
いつまでたっても対比史料のない倭人伝の記述に拘るわけか・・・
そこまで倭人伝を信じられる理由って何なんだ?
まさか魏の公文書だからという単純な理由だけじゃないだろうな

577 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:26:49
>そこまで倭人伝を信じられる理由って何なんだ?

他に信じられる史料があるのか?

578 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:29:35
対比史料? あったところで、君は、二つでは足りない、三つでは足りない
って言うんだろうな。

579 :水銀厨:2010/05/18(火) 23:30:29
使訳を通じてていた三十国‥

弥生期に漢人が畿内の河内までやってきていたのは
貨泉等の出土状況で現状でも確定済みです。

580 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:32:23
基本的に単一資料の倭人伝一本でやろうってんなら
その史料批判は徹底的になされるべきで

それこそここの畿内説の連中が「何もそこまで」と呆れるぐらい
一言一句、その情報の確度を検証すべき

しかしここの九州説の場合
「畿内説は方角を信用しないのに邪馬台国自体の存在は信じるんだな」
と言う皮肉に表れているように
肯定するなら全肯定、否定するなら全比定の二択しか頭に無いw

どの部分が信用できてどの部分が信用できないかの峻別なんて
元々頭の中に無いwww

と言うかそもそも
「倭人伝の行程記事で邪馬台国の位置を割り出せない」
なんて事になったら連中の「暗号解読ごっこ」と言うゲーム自体が成り立たない。

故に史料批判も当然とする立場とはスタートからして違う。

まあ最初から「これはゲームです」って言ってくれりゃあ
こっちもゲームに興じている連中に冷や水浴びせるような
野暮な真似はしないんだがwwww

581 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:40:40
先のもん太災害で流されてしまったネタにローガンの三角のネタと
>>258から始まる「放射説」の検証があったが…

放射説でふと思ったんだがこの板でもよく言われる

「魏使は卑弥呼に会っていない」

と言うのは榎がその嚆矢なのか?(確か「基本論文集」か何かで読んだと思うが)
その発想自体、そうとうアクロバチックだよなあ…

582 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:45:48
>>580
そんな検証は済ませているから心配するな。大丈夫、倭人伝は基本的に
正しいことを書いているよ。

583 :日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:50:09
>>581
榎は良いことも言っているが、確かに「魏使は卑弥呼に会っていない」 というのは
いただけないな。それに、水行十日又は陸行一月という読みもペケだ。


584 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:00:44
九州説は、水行十日陸行一月の解釈が分からないだけで
あとはおおむね同じだ。

記述されている表現の範囲で、ズレは生じているが
背振山地の北側ルートか、南側ルートかの違いでしかない。

畿内説は距離方向風俗を否定している。
逆に魏志倭人伝で、肯定している部分はあるのか。

585 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:02:10
>>580
「九州説論者は倭人伝の史料批判をしない」というのは君の偏見ではないか。

例えば、方角は間違いとする理由が見つからないから信じる。畿内説論者その他が間違いだとする理由が成立
しないことを確かめているのだ。戸数だって間違いとする理由がない。その他も同様に間違いだとしたらその
理由は何かと問いながら見ているのだよ。

586 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:18:41
>>585
>方角は間違いとする理由
・後代の南北が逆さまになったような古地図の存在。
・隋書の記述「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
 中国史書における方角が間違いないというのなら
 上記は魏志を踏襲している以上九州王朝説のようなものになってしまうw

>戸数だって間違いとする理由がない。
・現在考古学で想定されている人口モデルとかけ離れている。
 あれを実数とするような学者ってリアルでいるんか?w

…と、まあ疑うべき理由はあって、これももう何十回と言っているが
「あーあーあー聞こえない」状態ですぐさまリセット。

同じ事を繰り返すのみ…もうウンザリ、よく飽きないなこの連中www

587 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:27:34
>後代の南北が逆さまになったような古地図
後代の人間が地図をまちがって作ったからといって、何百年も前の人が方角をまちがえた
とみるべき資料にはならんよ。倭人伝の資料を書いた人物は、倭国を訪ねているんだ。
まちがった地図を書いた人物は、我が国を訪ねたのかね? 訪ねてないだろ。

>隋書の記述「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
九州に邪馬台国がずうっと存在していた。そう考えるべきならば、それに従ったらいいだろ。
合理的に考えられる結果を毛嫌いするのは学問的ではない。


588 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:41:32
>>586
方角について
倭人伝に記載された倭国は九州の南北に長い地形を表現している。当時からかなり後世まで倭国は南北
に長いというのが中国人の認識だったということを南北が逆さまになったような古地図は示しているだけ
のことじゃないか。

>現在考古学で想定されている人口モデルとかけ離れている。

そのモデルが絶対に正しいと証明されてはいないだろ。集落遺跡の数から推定するしかないだろうが
全ての集落跡が発見済みでなければ結論は出せんだろが。

>同じ事を繰り返すのみ…もうウンザリ、よく飽きないなこの連中www

君こそ愚にもつかぬ理由を繰り返すばかりだ。少しは勉強しろ。

589 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:42:26
>>587
>倭人伝の資料を書いた人物は、倭国を訪ねているんだ。

訪ねているか、訪ねていないか、それは判らない。
「訪ねている」と断定するなら、それを証明してみたまえ。証明はできない筈だ。

590 :ローガン:2010/05/19(水) 00:43:26
東遷とか王朝とか云うからダメなんですよ。 そんなの畿内説に否定のネタを提供してるだけ。
「共立」された王なんだから。九州説でも環瀬戸内の緩やかな連合でいいんですよ。 どこにリーダーシップがあったか?って事ですよ。
広域倭国の構成員としての官、副官、一大率、大倭と呼ばれた役職が使者来倭当時 既に機能していたと云う事は王権の枠組み構築に際し、
早くから、大陸の情報に関して先進の、北部九州勢力の主導は可能性大でしょ?なら、初代共立王選出の主導権は北部九州勢力と考えられるんでない?
緩やかな連合体の上に乗っかる倭王… 共立と云うシステムゆえ、その後は吉備や近畿、東海にイニシアティブが移ったと。
私が九州説だったらこう考えますが、いかが?

591 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:45:45
>>587
>何百年も前の人が方角をまちがえたとみるべき資料にはならんよ。

ずっと後代の人間でさえ確かな地理情報を持っていなかった
ならば3世紀の中国人じゃあ…と類推するのは何もおかしいことではない。

だから正確には「間違っていた」と言うのではなくて
「あてにならない」「疑うべき理由はある」と言う話

南と言う方角があっているかもしれないし、間違っているかもしれない
少なくとも「間違っている」可能性を排除して
ドグマよろしく絶対間違いがないというのはもはや学問でなく宗教www

>九州に邪馬台国がずうっと存在していた。

じゃあ邪馬台国九州説=九州王朝説ということでいいな?w

少なくとも7世紀まで続いた九州王朝、邪馬台国以上にその姿が見えない。
行き着くところまで逝った教条主義。

正直言って付き合ってられないw

592 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:45:54
うんうん。

593 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:52:50
>>590
ローガン氏のレスは久々に見るが、読むとやはりホッとする。

594 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:53:18
>>588
>そのモデルが絶対に正しいと証明されてはいないだろ。集落遺跡の数から推定するしかないだろうが
>全ての集落跡が発見済みでなければ結論は出せんだろが。

だったらより正しいと思われるモデルを出せって話だな馬鹿馬鹿しい。

そんな事を言い出したら畿内ヤマトには、まだ弥生時代の鉄器や銅鏡がうなるほど出てくるかもしれない。
「現在のモデルが正しいとは限らない」のだからwwww

お前こそ下らないイチャモンレベル言う暇があったら
自説をまともな物にする客観的データに基づいたモデルでも作っとけwwwww


595 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:59:53
>>584
>逆に魏志倭人伝で、肯定している部分はあるのか。

景初三年の朝貢等、大陸で起こった事はおおむね肯定してるだろう?
あと行程記事のフミ国あたりまでの記述。
(今に残る地名との一致や考古学的考察等々)

…こんな当たり前の事いまさら言わせるな、馬鹿馬鹿しい。

と言うかそれらの部分は大抵は九州説とも合意を見ている。

その部分からひっくり返すのがここの「暗号解読ゴッコ」の九州説の連中wwww

逆に聞きたい。

お前らが史料批判して「ここは信用性は低いと見るしかないな」って部分は何処だ?

596 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 01:01:44
>>589
君は何を言われても「信じない」と言えばすむと思ってるのかも知れんが、
そうではないよ。
合理的に考えて疑いを容れる余地がないとなれば、証明できたということ
になるんだ。倭人伝には「梯儁を遣わした、倭国にいたり、倭王に拝仮した」
とある。倭国の状況として書かれているところは、実際に目撃しなければ書け
ないことが多々書かれている。学者は誰も使者が来たことを疑わない。
それは証明されたということだ。

597 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 01:05:40
>>594
古代の人口推計なんぞ、そう簡単にできることではないんだよ。
正しい答をだすのができなかったら、これまでのを信じろってかい?
馬鹿馬鹿しい論理だ。


598 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 01:10:04
まあ痴呆症か健忘症かここの九州説連中の万年ループネタばかりもあれなんでw

参考の為、榎の文章の一説を書いておく

>これは一見不思議のやうであるが
>女王といふ特別な性質、乃至は女王が俗権の直接の行使者ではなく
>国民の信仰の中心であったといふ特殊な事情が、
>女王に魏使を直接に招見しなくてもよい理由を与へたのであらう。
(『魏志倭人伝の里程記事について』榎一雄)

ホンマかいな?
冊封国の王が皇帝の勅使に会わなくて良いなんて話通るんか?wwwww


599 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 01:12:08
>>596
「倭人伝の資料を書いた人物」(>>587)は梯儁だ、と主張するのか?
ではそれを証明してみたまえ。できない筈だ。

600 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 01:26:27
梯儁が来たことは証明されたと考えるのかな?

601 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 03:16:17
>>598
郡使は卑弥呼に会っていないと前から思っていた。

理由としては、郡使は、伊都国に常駐すると書かれていること。
不弥国から先は里程でなく、日程になっていること。
邪馬台国の様子も書かれていないし、卑弥呼の姿にも一言も触れていない。

また、皆臨津搜露、傳送文書賜遺之物詣女王 という記述もある。
文書や賜り物を女王のもとに伝送したと。
郡使がこれらのものを卑弥呼の所に直接持って行ったとすればこのような
書きかたはしないだろう。

ただ、港に臨んで調べを尽くし女王のもとに伝送、ということからすれば、
郡使は、港で女王のもとに届ける品物を積んだ船を見送ったということに
なり、舟が不弥国から南に向かったことは確かだということになる。

602 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 06:58:41
>>601
ちがうな。郡使は倭王に拝仮しとある。これは直接に会ったことを示す言葉だ。

倭国へ派遣された使者が卑弥呼に会わないで帰れるわけがない。
伊都国に常駐は誤った読み方だ。常にそこを経由するということ。
日数表記は、里数がよくわからなかったからにすぎず、行かなかったからではない。
邪馬台国の様子は、男子は大小となく云々以下の記事として書かれている。これは
北九州で書いたものではない。倭の地は温暖〜、屋室あり父母兄弟臥息処を異にす、
城柵を厳かに設けなど行かなければ書けるものではない。
その地には牛馬・・無しとあるが、自分が倭の地を歩いていなければ、何がいない
などと書けるものではない。植物の種類も自分で確かめたからこそ書ける。
文書、賜り物の伝送、それが正しく行われていたと書いたのは、伝送の状況をみて
いたことを示す。使者を案内する倭人が途中で交替するときの引き継ぎ状況をみて
いたんだよ。


603 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 08:12:57
>>602
特に風俗記事に関しては、別に魏使が見聞きしたものであるという必然性などないのだが?
帯方郡の郡使からの報告かもしれないし、その前の楽浪郡時代の情報かもしれない。
見聞したのが魏使であるという確証などどこにもないから元資料は何かが問題になるのであって、そこをすっ飛ばして論じても砂上の楼閣に過ぎないのではないか?

604 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 08:16:46
魏使と郡使は別だと考えているのかな? では、郡使は何時、誰が倭国を
訪問したのかね。


605 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 11:04:39
>>597
では、推計じゃなくて当時の実数なら信じる人は多いんでしょうか?
奈良時代は戸籍(全部残ってないが)が作られて、人口がかなり正確に出ている。
弥生時代の人口 < 奈良時代の人口
というのが正常な歴史感覚だと思うのだが、こと邪馬台国論争になると、みんな感覚がおかしくなるんだよな。
れっきとした公文書として編まれた延喜式などの第一級資料を無視するやつがいる。
なぜ、そんな資料を省みないのか不思議だ。

606 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 12:17:27
>>602
馬鹿らしい。単なる、君の主観に過ぎない。まったく、客観的視点に欠ける。

607 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 12:34:53
邪馬台国論曲解指数。

レベル10がまったくのデタラメ。

畿内大和説-曲解レベル5
到達地点ありきの解釈なので、なんとも言えない。
北部九州説-曲解レベル20
曲解につぐ曲解でも理解できないレベル。
南部九州(日向)説-曲解レベル3
割と合理的。

608 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 13:31:01
>>607
ふむ、これが君の信じ(ない)レベルか。
こういう表現は、1/0の二極化じゃないからいいな。

誰だって、自分の推す説が100%で、それ以外はゼロだと
考えている訳じゃないからね。

前提条件
魏志倭人伝で書かれた卑弥呼の所在地
その後移動した分は入れない。
信じる方が10、信じないのが0

筑後 7
熊本 6
日向 6
大分 5
畿内 4

こんな感じかな。

609 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 13:47:55
何かへんな論争に発展しとる

610 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 14:16:16
極東諸国が軍事物資の鉄を奪いに半島に集まっている時代、
ありえない「ゆるやかな連合」論を根拠なく妄想する畿内説。
血みどろの戦いの結果、列島百余国中、三十国がまとまった、
と見るのが自然。

鉄器の出ない畿内こそ邪馬台国だ、と言い訳するために、
「ゆるやかな連合」念仏を、必死に唱える羽目になっている。

611 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 14:39:13
>>610
>ありえない「ゆるやかな連合」論を根拠なく妄想する畿内説。
>血みどろの戦いの結果、列島百余国中、三十国がまとまった、
>と見るのが自然。

あなたは九州説のようだが、そうすると「列島百余国中、三十国がまとまった」は
もう少し説明してもらわないと。

つまり、「三十国」には本州や四国にあった国が含まれるのか?
具体的にはどこ?



612 :ローガン:2010/05/19(水) 14:53:06
>>548
>あと字面の問題だが「帥升」って結構「良い字」だよな? それが「卑弥呼」なんて文字になると言うのは
> 後継者と見るよりはそれまで外交経験の無いような新興勢力と見なすのが易いと思うが ここのモジモジクン・漢字博士の連中はどうなん?wwww
「良い字」「悪い字」とか、あんまり関係ないでしょう。魏略西戎伝にある釈迦の父は、屑頭邪。
斜めのくずあたま?
卑字を使う個所とは思えませんね。単に音をあてただけ。卑弥呼も同様ですよ。


613 :水銀厨:2010/05/19(水) 15:25:01
>>610
卑弥呼は鬼道を行う訳ですが。

邪馬台国において重要なのは少なくとも
呪術には鉄より丹、水銀朱ですよ。

実際倭人伝に「その山に丹あり」と記述されている
点を無視しての邪馬台国探しはダメです。

614 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 15:33:44
鬼道を行う邪馬台国が、水銀を含んでいない鉛丹を、魏からたくさん貰っているわけです。

615 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 15:35:39
卑弥呼が水銀を使った記述など、一切ない。
さすが、畿内説詐欺。

616 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 15:45:23
>>615
詐欺ではありません。狂信です。

617 :水銀厨:2010/05/19(水) 15:57:54
まあ「丹の山」は確実に徳島と紀伊半島にはあった訳ですから。

それに弥生後期の時点で河内の加美遺跡周辺までは
水銀朱を用いる漢人が来ていた点も確実でしょう。

その事実をスルーしちゃダメですよ、という事です。

618 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 15:59:32
兄弟統治の伝統があった邪馬台国には、呪術担当と軍政担当とを、
分担していたと思われる。

619 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 16:01:10
>>610
「ゆるやかな連合」なんて、君が念仏ように必死に唱えてるだけだろwww

620 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 16:02:18
邪馬台国で水銀を使用した記述など魏志倭人伝には一切ないが、福岡県に集中して出土し、
畿内はほとんど出てこない弥生期の倭錦・中国錦なら、魏志倭人伝にしっかり出てくる。


621 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 16:04:07
畿内説では、何の根拠もない「ゆるやかな連合」を前提にしないと、
邪馬台国を畿内に持ってこられないから、必死に「ゆるやかな連合」を唱える。
もちろん、「ゆるやかな連合」である根拠など、まったくない。

622 :水銀厨:2010/05/19(水) 16:06:35
>>620
ん?丹有りと書かれてますよ?

水銀朱と水銀自体を混同しちゃダメです。


623 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 16:10:38
>>621
「ゆるやかな連合」なんて、君が念仏ように必死に唱えてるだけだろwww

624 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 16:32:50
倭錦なら、とりあえず甘木と吉野ヶ里で出た。
朱の採掘時期は6世紀以前は不明だが、朱を産出する鉱山は存在する。
それも、上陸したとされる松浦に近い場所である、

「この山に丹有り」という、この山が松浦ではないと否定する材料は無い。

625 :水銀厨:2010/05/19(水) 17:08:17
>>624
否定する材料も無いが確定する材料=採掘跡がない。

徳島や紀伊半島には現時点で確実な採掘跡が存在する、
そしてその後4世紀以降、日本でも最大の辰砂産出地である
宇陀周辺、奈良県東南部に有力豪族が集結している、
という事実です。

626 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:34:54
水銀厨さんの主張は、連合の中でなぜマキムクに王都が置かれたのかを説明する仮説だから
VS九州説として説く手段としては疑問だな
彼らは連合説そのものを理解していない(出来ない)から、君の主張も同時に理解不能なんだよ
だから丹に関しての議論は連合説同士の場、つまりマキムクスレでやったほうがいいのではないか?

627 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:37:02
>>624
>倭錦なら、とりあえず甘木と吉野ヶ里で出た。

大嘘だな
どこが嘘なのか判ってやっているのか?それとも無知なだけか?

628 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:39:48
水銀厨が嘘を撒くことで、一方的に畿内説が不利になるだけ、という状況が笑える。

629 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:45:37
>>628
別に水銀厨さんは嘘などはついていないよ
一応発掘結果に基づいて、そこから言わば空想の翼を広げているといった感じだ
それが嘘なのか仮説なのかすら判断できないようなレベルでは、古代史を論じても荒唐無稽なマンガ程度のものしか生まれてこないよ

630 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:47:10
嘘でも仮設でもなく狂言

631 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:53:58
>>612 老眼翁
>単に音をあてただけ。卑弥呼も同様ですよ。

いや、だから、音を当てただけなら、そう言う「卑字」を使われてしまい。
「伊都国」とか「帥升」って言う「貴字(?)」で表記されるのは

例えば本人から
「おれっちの字はこの字を当ててね」
と自己申告がっあったとかw

文書のやり取りで、その文字での表記が認識されるにいたった…という事で
中国側との付き合いの質も量もそれなりにあったんじゃないのか?って想像なんだが

…無理筋かな? www

632 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 17:57:07
>>630
脊髄反射で誤変換か・・・哀れなことだ

とりあえずこれだけは自覚しておいてくれ
現実世界において、鉄器軍団が東征したやら九州を軍事力でまとめていた邪馬台国などという九州説はもはや存在しないと言って良い
そんなことを言い出した途端に、畿内説より九州説から「それは有り得ない」と諭されるのがオチだ
もう九州説も、交易連合(これを連合と呼ぶか交易協定と呼ぶかの議論はある)を前提に論じられる時代にとっくの昔に移行している
征服とか侵略などという戯言を垂れ流しているのは、もうネットでさえもごく一部だけだぞ

早く現実に追いつけ、別に畿内説に賛同せずとも良いから
でないと置いて行かれたままで人生が終わるぞ

633 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:00:56
考古学者 森浩一氏

ヤマタイ国奈良説をとなえる人が知らぬ顔をしている問題がある。(中略)
倭人伝では、”養蚕をおこない、糸をつむぎ、細やかな(けん)や緜(めん)を作っている”。
作っていただけでなく、魏へ二度めに派遣された使者が献じた品物のなかに、”倭錦、青、
緜衣、帛布”などがある。(中略)

布目氏(布目順郎氏、京都工芸繊維大学名誉教授)の名著に『絹の東伝』(小学館)がある。
目次を見ると、『絹を出した遺跡の分布から邪馬台国の所在地等を探る』の項目がある。
簡単に言えば、弥生時代にかぎると、絹の出土しているのは福岡、佐賀、長崎の三県に集中し
、前方後円墳の時代、つまり4世紀とそれ以降になると奈良や京都にも出土しはじめる事実を
東伝と表現された。

布目氏の結論はいうまでもなかろう。倭人伝の絹の記事に対応できるのは、北部九州であり、
ヤマタイ国もそのなかに求めるべきだということである。この事実は論破しにくいので、つい知らぬ
顔になるのだろう。

京都工芸繊維大学名誉教授 布目順郎氏

弥生後期の絹製品を出した遺跡もしくは古墳は、すべて北九州にある。
したがって、弥生後期に比定される邪馬台国の所在地としては、絹を出した遺跡の、現時点での
分布からみるかぎり、北九州にあった公算が大きいといえるであろう。

わが国へ伝来した絹文化は、はじめの数百年間、北九州で醸成された後、古墳時代前期には本州
の近畿地方と日本海沿岸地方にも出現するが、それらは北九州地方から伝播したものと考えられる。

634 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:12:45
>>633
モリコーさんはもう九州説も東遷説も今では唱えていないって知らんのか?
それどころか邪馬台国関連からはもう身を引いて、今では関東学とやらに没頭している
もうご本人は流石に無理だということに気づいたんだよ

ついでに布目さんの主張だが、これはとっくの昔に論破されている
まあ論破というより基にするデータが足りないよと指摘されて、あわてて説を引っ込めたわけだが

そのデータは前にも書いたが、要するに
九州で弥生期に繊維が出土するのは甕棺墓からのみで、それは密封性の高さによってぎりぎり保存されていたから
甕棺が廃れてからは九州でも繊維は出土しない
先に書いた大嘘というのは、甕棺出土の繊維を「倭錦(わしずり)」と呼んでいること
あれを倭錦と呼ぶ学者はひとりもいない。そのような説が出されたこともない
中途半端な知識しかない初心者が混同して、サイトか擬似歴史本あたりで書いていたのに騙されたのか、わざとやっているのかは知らんが
俺もそんなにたいした知識もないが、いくらなんでもそこを間違うほど低レベルではない

635 :水銀厨:2010/05/19(水) 18:15:27
>>626
マキムクスレでは極力邪馬台国話はしたく無いからね、
どうせ荒れるし。

魏志倭人伝、に「丹」とある以上は、嫌でも邪馬台国と
関連せざるを得ない点が辛い所です。

それに元々九州説VS畿内説なんて正直どうでもいい。
北部九州に所謂王権があったのも確実だろうし、
以前から△鏡国産説を唱えています。

ただ倭人伝の記述や当時の他の文献を読む限りでは
倭国の範囲が九州から瀬戸内、紀伊半島にかけてを
指すのは間違いないと思うだけです。

だから鉄や絹が九州での出土が多いなんて主張は
全く的外れでしかないのです。

636 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:18:21
そうすると「4世紀以降になると奈良や京都にも出土しはじめる」のも甕棺なのかな

637 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:18:45
>>634
ソースは?

638 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:21:19
倭国から「絹」が出土するなら、どうみても「倭錦」と言えると思うが、どうだろう。

639 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:49:28
>>636
そこまで説明してやらんといかんのか・・・
その時代に偶然が重なって保存されていた繊維が、やっとこさ出土したと言うだけだ
条件さえ良ければ、九州だあろうが東北だろうが、今後出土するかもしれない
>>637
「森浩一 関東学」でググれ
いつからそちらにシフトしたか著書の初版年月日を確認すべし
甕棺の話なら、ソースどころか何故それを知らんのかが理解できない
逆に甕棺以外から3世紀までの遺跡や遺物に繊維が出土したというニュースなど聞いたことがない。あったらこちらが知りたいほどだ

>>638
いや「倭錦(わしずり)」というのは、日本書紀の記事に由来を発する学術用語なわけ
だから畿内で絹繊維が出土したときでさえも、これは倭錦と読んでいいのか?いやだめだろうという議論がなされた
つまり弥生墳墓を古墳と呼んで混同しているのと同じことだと思ってくれ

640 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 18:52:10
>>625
だが、近畿の山に青玉(翡翠)はないな。

641 :水銀厨:2010/05/19(水) 19:04:23
>>640
産出地が畿内に限る必要はないですよ。
交易ルートがあればいいだけでしょう。
それに青玉=翡翠かどうかという点では、まだ少し疑問を持っています。


642 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:06:22
ちなみに布目氏の著書には、縄文時代の織物や養蚕についてまでも言及してあったはずだ
ということは、絹の出土自体は邪馬台国とは関係がないと見るべきではないか?
もし今後の発掘で大量の絹が畿内で出土しようが、それと邪馬台国は直結しない

643 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:11:44
>>639
森浩一の話はデマだな。
森浩一は同じことを何回も著書に書かない。
だからといって説を放棄したり撤回したりしたわけではない。

こんなことは基本中の基本だよ。

ニワカはこれだから困るね。

644 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:12:12
>>641
交易ルートがあればいいってことならば、水銀朱も青玉も日本全国どこでも問題
なしってことになるな。

645 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:13:20
>>643 >森浩一は同じことを何回も著書に書かない。
おまえこそ読んでないだろwwwww

646 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:14:48
>>645
じゃあ森浩一が「昔の説を撤回した」というソースを出しな。


ジョーカーお得意のウソの書き逃げは許さんよ。



647 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:16:56
>>644
実はそういうこと
弥生後期後半から古墳期にかけての時代は特に、出土品がその土地の特産物かどうかの判断に苦しむ
実際に遠距離間で中間のクニを介さずに直接取引をする時代に入ったと見られるので、即断を避けるのが普通

648 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:17:01
>>643
すまんが一般向け著書なら「考古古代学」系の自伝的内容を何回も書いているな。

649 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:18:58
>>648
んで、昔の説を撤回したというソースは?


ウソの書き逃げはいけませんな。


毎度のことながら、ジョーカーは事実と希望的観測の区別ができないよね。

だからこそ、いまだに畿内説に洗脳されている絶滅危惧種ってことなんだが。

650 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:19:55
>>646
逆になぜ今もなおモリコーさんが東遷にこだわっているとか思うのが不思議だ
マキムクの大型建物跡の出土の際でも、コメントすら出していなかっただろ?

651 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:22:45
倭人伝の丹が水銀入りかどうかも判明しないし、
水銀入りではない魏の鉛丹を邪馬台国が貰っているし、
邪馬台国から出るとされている丹がベンガラではない証拠もないし、
水銀厨が無理な畿内説をエンドレスで流して荒らしているだけだ。

652 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:23:01
あ、祭器場クン登場か・・・
(これからは混同作戦阻止のため、俺は漢字で書くね)

祭器場クン、それジョーカー氏と違う、書いたのはオレだよオレオレ
さてお得意というかそれしか能のない自演認定をさっさとやってくれ

オレだよ、オレオレ

653 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:23:41
>>650
涙をふけよ

654 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:24:22
九州説、畿内説、東遷説は、それぞれ独自だし、
東遷説の中にも選り取り見取りで、ひとくくりにできない。

655 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:25:32
>>652
サイキック・バカ君、とっとと巣に帰ってください。

656 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:28:48
そろそろ壊れてきたな。
もう勝利宣言して逃走の時間かな

657 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:29:37
>>651
まあさっきは水銀厨の弁護めいたものを書いたけど、実際のところはマキムクスレでも
ちょっと拘りすぎじゃないか?新たな出土情報がでるまで一旦保留したら?という意見のほうが圧倒的だった

まあしかし無理な畿内説というが、無理な九州説もエンドレス状態じゃないか?
ここは「ドン来い」という、いわばなんでもありのスレであり、一種の本スレ荒らし防止の役割を担っているわけだから
連合説はマキムクスレで、九州説は卑弥呼スレを本丸にしてればいいんじゃね?
そこが荒らされたのなら、これはもう怒っても良いと思うよ

・・・とか書くとなりすまし畿内説やらなりすまし九州説がぞろぞろ出てくるような気もするが

658 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:29:49
また  サ  イ  キ  バ  か

659 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:33:24
祭器場クンは別に九州説だとかなんだとかじゃなく、単に意趣返しに来ているだけだろうから
彼の馬鹿さ加減を見て九州説を非難する気はないよ
むしろ九州説の人も迷惑しているだろうとさえ思う

気が済むまで荒らしていいよ
但し他のスレには一切近寄るな
荒らしも引き受けますというのはここだけだからな

660 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:35:03
あ、これからは「祭器場>>34クン」にしようwwwwwww

661 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:38:36
>>659
Hey You
荒らし容認じゃないぞ

662 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:41:37
しかしサイキバ君も、大型連休中ずつと張り付いて、かなりの粘着力というかアスペ・パワーだよな。

663 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:42:59
そうだな。発達障害的な臭いがきつい。

664 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:47:05
ジョーカー☆自演乙☆サイバカは本当によく釣れるな。

665 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 19:58:44
>>664
おまい、アスペなんやて?強く生きいや。

666 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:01:45
釣り宣言は敗北宣言なのもわからんのかwww

667 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:07:23
まあ水銀で、畿内説を証拠づけるのは無理だろう。

668 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:11:02
まあ妄想で、九州説を証拠づけるのは無理だろう。

669 :水銀厨:2010/05/19(水) 20:16:22
>>644
そのとおりでしょうね、確実な交易ルートが証明できれば。
でも採掘跡はだからこそ重要でしょう。

>>651
この時代の丹とは基本的に辰砂の事です。

これは当時の中国の文献資料に記されている事です。
ベンガラは酸化鉄、赤土ですから間違えようがない。
金メッキと金塊を同一視するようなモノでしょう。

>>657
まあ、拘りすぎだとは自分でも思ってますよw

でも水銀朱に関する出土物も最近は注目され出したのが
何よりと思ってます。


670 :サイキバ:2010/05/19(水) 20:16:42
僕は毎朝10時には起きるんだ。エヘヘ 引きこもりにしては健全だろ。エッヘン。

それは確かに部屋はゴミの山だけど、僕は健康だからかまわないんだ。

両親は共働きで、妹は中学校に行って家には誰もいない。

食事は用意してあるから、「クゾババア死ね」とつぶやきながらそれを食べるんだ。

さあ今日も、ネット通販でたくさん買い物をして、家族を困らせてやるんだ。

おっとその前に2chに「畿内説は詐欺」って書き込まなくちゃ。


671 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:21:08
上手だなあ。

672 :ローガン:2010/05/19(水) 20:21:45
>>581
> 先のもん太災害で流されてしまったネタにローガンの三角のネタと

そうそう、畿内派の三角縁神獣鏡国産説としては、制作年代をどう考えてるの?


673 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:24:35
>>639

絹は、3世紀までは甕棺以外からは出土せず、4世紀を過ぎたとたん甕棺以外から出土してもイイわけか。
随分と都合のいい解釈だなア。書いてて恥ずかしくないのかねエ。

674 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:30:05
1700年も経っていれば、絹は分解してしまうが、
1600年なら絹は分解せずに残っているんでしょう

675 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:32:53
>>639
なにを形而上学をのたもうてんだよ。
中国側にとって「わしずり」なんか無関係。そんな読みは後世のもの。
中国から見て、倭国の「絹」なら「倭錦」なんだよ。

676 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:40:07
また、畿内説の詐欺理論=絹消滅理論&わしずり理論が論破されました。

677 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:57:08
畿内では鉄が溶けるという理論もあったな
だから、弥生時代の鉄は殆ど発見されないとか。

678 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:00:22
>>676
君のその必死のカキコミは笑える。

679 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:13:21
甕棺以外からは出てないのだから、3世紀の出土は九州にも当然ないわな。
人骨もそうだが、何らかの保存に適した条件がないと残らないというのは基本だと思うが。

680 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:19:36
なにを屁理屈こねてんの

681 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:23:07
まあ鉄に関しては、おおむね畿内説は村上恭通の論文に異を唱える奴はいないよ
要約すると「弥生後期の畿内の鉄は溶けたと思われる量も含めて、同時代の北部九州の足元にも及ばない」

このあたりは北条芳隆や寺澤薫、柳田康雄らなども同意見だね、もはや主流説といってよい
表立って異論を唱えているのは、白石太一郎センセくらいか?

682 :サイキバ:2010/05/19(水) 21:24:54
僕はこの草を生やしたサイキック・バカが憎い。

僕のレスを辱めた罰として徹底的にこらしめてやるんだ。

こいつの態度は、僕をアスペルガーと言ったカウンセラーとよく似ている。

何年でもこのスレに貼りついて、サイキック・バカと詐欺畿内説を困らせてやるんだ。ウヒャヒャヒャ。

・・・なんか頭が痛い、・・・BAIO××DOKI が僕を呼んでる・・・。

683 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:29:04
>>675
そんな俺様定義のマイ用語なんて使ってたら、誰ともコミュニケーションン取れんわwwww

倭人伝に倭錦とかの言葉はあるか?
中国から見れば単に倭の絹だろう
4世紀や5世紀の絹でさえ倭錦とは呼ばれないんだぜ

684 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:29:18
>>670 >>682
まるで朝から晩までこの板に張り付いているサイバカのようだな。
いわゆる自白自演ってやつ?


685 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:29:39
>>682
何が、アスペルガーだ。その言葉を、2度と口にするな。三画特注の詐欺畿内説。

686 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:31:13
ついに壊れたのか・・?

687 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:34:35
相当やばいな。。。

688 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:42:36
アスペルガーが暴れているスレはここと聞いてdできますた

記念パピコ\(^o^)/

689 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:49:56
>>682
>BAIO××DOKI が僕を呼んでる・・・。

これバイオモドキ神のことか?・・・ヤバイな。

690 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:57:12
あれはバモイドオキ神だったんじゃね?
このサイトの下のほうの画像参照ね

http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ark/global/KOBE.HTM

691 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 22:49:29
ふむ。反則ではあるが見事な攻撃というべきか。

692 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 22:53:28
森浩一ねえ…

あのセンセイ畿内説か九州説か良く分からないところがあるなあw

まあビジュアル本(ビジュアル版逆説の日本史[一]古代編上 2008年12月22日)
だけど、その中で井沢との対談。

井沢:なるほど。宮内庁では、箸墓の被葬者を倭迹迹日百襲媛としてますが、誰の墓と考えますか。

森 :二つも見方があります。一つは、卑弥呼そのもの。
   その場合は、九州で死んで遺骸を大和に持ってきたきたとする説と、
   大和で死んだとする説が成立します。どちらにしても変死らしい。

井沢:私は殺されたと思ってますが。

森 :その可能性もある。もう一つは「魏志倭人伝」に書かれている壱与という女王。
   台与とも読めますが。

井沢:西晋へ挨拶に行ったという女王ですね。

森 :そのどちらかと考えて間違いないでしょう。

…まあ、もはや森を九州説というのは無理だろwww
かと言って綺麗スッパリ畿内説というのもアレだがwwww

それより現時点「黄金塚」の年代、どれくらいに考えてるのかな?

693 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:03:16
ローガン氏の説は難しい。魏晋鏡は出土例が少なくて、芝草文でも唐草文でもはっきりしたことが言える状況ではない気がする
が・・・。雲文は確かに三世紀中葉には見られるけど、時系列変化をいうまでできるのか?ただ、これまで舶載といわれてきた三
角は、短い期間に製造されたのは間違いないと思う。四つ程度のの製作集団により、あえて多くのバリエーションを持つべく効率
的に作られている。

694 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:11:35
>>692
森は畿内説とか九州説というより、アンチ主流なんだろう。それはそうとして、面白い研究を見つけた。

https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/3596/1/Shien144_hp001.pdf

695 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:14:05
三角縁神獣鏡に関しての基本である小林の形式分類について
京大がオンライン化しているから紹介しておく

http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/72981

PDFだからADOBE必須な

696 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:16:51
当時だったら 卑弥呼だw

http://www.youtube.com/watch?v=U82EpWqoqbQ

697 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:21:12
水銀厨さんは畿内説のなかでは非常に論理的で一聴の価値のある方ですよ。
他の畿内説の人たちはあまりにも幼稚で見るにたえませんね。
私は徳島説ですが、水銀厨さんの書き込みはいつも楽しみにしています。

698 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:22:41
>>672
この板でも年代はあまり話しに上らないなあ…。
特に「500対0」を念仏のように繰り返す九州説の連中は
製作地と制作年代が別ってこと自体認識しているかもぁゃτぃw

まあ唐草模様の変遷については某東遷厨の言うような4世紀半ばの年代を想定した場合
律儀に100年前の模様の変遷をトレースしたって話になるんだろうか?www

「シンポジウム…」の三角と規矩鏡の文様の併行を示した図にも
福永言うところの「外周突線」が出ているけど、それと「長方形鋳孔」の組み合わせは
図の中にも出ている北京大営村の271年築造された墓の中から出てきた物が年代的にほぼ下限。
…と言う話だからねえ。

そこから大きく下ると言うのなら中国鏡においてはドマイナーな要素を持った鏡を
わざわざチョイスして大量に作って
その中には過去の文様の変遷をトレースした物まであるとw


699 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:24:22
邪馬台国って玄界灘と瀬戸内海の沿岸地域の小国が連合した国家なのに、
どうして奈良盆地の勢力が盟主になりえたんだろうか。
全体に影響を及ぼすには制海権が必要なはずなんだけどな。
畿内説ではその点が不思議です。


700 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:25:26
>>694
dクス これは読み応えあるわ
九州説の人も舶載かイ方製かの議論はひとまず置いといて
論文中にある古墳前期における北部九州の銅鏡分布図だけでも見て欲しい

701 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:29:18
話は変わるが、なんか2ちゃんが重くないか?
芸スポ+や削除非難とかが板ごとdドルようだし

702 :若返った教授:2010/05/19(水) 23:32:26
>>588>>594>>605
古代の人口について

地球上の人口は今日まで増加しております。長いスパンで見れば時代と人口には正の相関関係が認められます。
しかし、それは一様な増加ではありません。ある時は減少したり停滞したりもしています。氷河期には大きく減少
したと考えられます。間氷期(温暖期)には食糧の増加により人口は増えたでしょう。

そのような長いスパンの話でなくても、弥生後期以降の人口についてもかなりの変動があったのでは
ないかと考えられる事象が見出されています。下記のサイトに屋久杉の年輪の炭素同位体比から推定
した気候変動と畿内の自然災害の出現率(安田、2004による)の図が示されています。

これによると、8世紀中頃から急な温暖化が起っており、異常気象の発生率が高くなっています。
この温暖化による異常気象による災害には旱魃や風水害があり、これは食糧生産に影響したと考えられ
ます。また、温暖化により疫病の流行も増加したと考えられます。

奈良時代の大仏の建立に関しては水不足(旱害)による不作や疫病の流行が関わっていたとされますが、
この時代には異常気象による食糧不足や疫病の流行などで人口が減少し、不安定な社会状況であったと考
えられます。このため朝廷は立て直しのために大仏を建立したり、遷都をしたり、制度を改めたりなどの
改革を行わざるを得なかったのでしょう。

この奈良時代から平安時代初期の9世紀まで温暖化による異常気象が続いたようです。したがって、この期間の
人口は古墳時代あるいは弥生後期より少なかった可能性もあります。

このようなこともありますので、何方かが書き込んでいた「弥生時代の人口 < 奈良時代の人口 」という不等式
は成立するかどうか怪しいものでしょう。





703 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:34:14
>>696
「卑弥呼」とか「邪馬台国」とか言う文字を出したら
自分の趣味の開陳その他、何でも許されると思うなよ。

そっちがその気なら俺にも考えがある。
http://www.youtube.com/watch?v=SGSQt3l1aqU
http://www.youtube.com/watch?v=0NjZny2wUC4

…何故かここで倭人伝の内容を丸飲みして古代日本の姿を描く九州説の連中とダブったwwww

704 :若返った教授:2010/05/19(水) 23:36:10
702に貼付けるのを忘れました。
http://www.bioweather.net/column/essay2/aw34.htm

705 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:47:04
>>696>>703
クソワロタ じゃあ俺もニコ動からの甜菜ネタ

http://www.youtube.com/watch?v=ILt8DMQhH-M

706 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:55:01
>>704
縄文人GO HOME!!電波はいらない。

707 :日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:56:49
>>706
まあそう嫌わんでもええやろ。ただの無学なおっさんやで。ww

708 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:03:17
水銀厨は、「魏の時代に丹といえば水銀入りしかないことは証明されている」と言い放ったところ、
邪馬台国が魏から鉛丹を貰っていると指摘され、轟沈してしまったぐらい、詐欺理論なわけだが。

709 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:06:15
>>703
ニコ動で改めて米入りで見たらさらにワロタわwwwww

710 :縄文人:2010/05/20(木) 00:13:38
>>707
この不景気で仕事もなく、家に帰れば家族に馬鹿にされ、

ええことは何もなしじゃ。せめてここだけでも、学者先生

気取りしたってええじゃろうが。それが2chというものだろう?

711 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:14:55
>>694
辻田か、相変わらずもってまわった回りくどい文章を書いているな。
しかし、難しそうな表現で三角縁舶載説を述べてもやっぱり無理があるよなあ。
エロビデオの解説を哲学的に書いても所詮エロビデオだろうし、文章に凝っても
意味がないよね。

問題点をごまかすためだけに回りくどい表現をしているんじゃないかという気さえする。
この点、森浩一の文章は優れている。無駄のない数式のような文章である。

森浩一の文章で「1+1」でも、辻田は「A+B+C+(D+E)+9+(-A)+(-B)・・・」と書いている。
要するに無駄が多い分だけ論理性が犠牲になっている。

712 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:16:28
なんだかんだいっても縄文人は人がいい。それがサイコーに人の悪いやつに狙われてる
ように思える。



713 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:17:01
畿内説に都合の悪い情報は電波である。

714 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:22:27
>>711
お前の文章こそわけわからん。辻田はページ数をかせいでるんだろ。ww

森は反骨精神を見せるんだが、ポーズだけで本当に主流に嫌われることはやらない。たしかに文章はうまいが、
頭が文学系にできてるんだろう。記紀も考古学者としては読めるほうだが、晩年の古代考古学とやらはいただけ
ない。あれは、老い先短いのを悟ってのショートカットか、さもなければ一般向けの本を書いてもうけたいんだろ。

715 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:26:46
考古古代学 だった。ww

716 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:30:52
>>695  情報ありがとう。

しかし、この1971年の時点では椿井大塚山の三角縁は、実質的に小林ほか少数しか現物が
見れない状況だったんだよねえ。
椿井の報告書が出る89年(小林の死亡年)まで他の人は反論する材料がなかったわけだ。
何で30年も報告書が出なかったのだろう。

それはともかく、小林の伝世論や△舶載説は今ではトンデモの部類に入るかもしれないが、
型式分類については学説史上の価値が最も高いと思う。

最も遺物の独占が激しく、他者による反論の機会が皆無に制限されていた部分の学説が
最もまともというのはある意味皮肉なことではある。

同時代の学者からの批判可能性のある状況でこの学説が公表されていれば、より価値が
あったのではないかと惜しまれる。

717 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:31:55
まあこれでも読んで東遷説は元気出せwww


京都府精華町の鞍岡(くらおか)山3号墳(直径約40メートルの円墳、4世紀末〜5世紀初め)で、権威の象徴とされる武器「桙(ほこ)」を立てた「送霊船」が描かれた円筒埴輪(はにわ)が見つかり、町教委が19日、発表した。
武具と船を表現した円筒埴輪は、全国で2例目。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100519-00000602-san-soci

718 :ローガン:2010/05/20(木) 00:35:34
>>693
>ローガン氏の説は難しい。魏晋鏡は出土例が少なくて、芝草文でも唐草文でもはっきりしたことが言える状況ではない気がするが・・・。雲文は確かに三世紀中葉には見られるけど、時系列変化をいうまでできるのか?
基本は紀年鏡でしょう。国産なら、それ以降の年号が見えないという所は不思議です。まあ、無いものを考えても仕方無いですがね。
舶載説ゆえ、240年頃からとすると1期約10年という編年、考え方として理解出来ない訳じゃない。
三角出した権現山51、及びkvfの祇園山、つまり布留0期を3世紀半ばから第三四半世紀と考えて三角縁の編年自体とは整合するのでは?
勿論、三角縁の編年は魏鏡自体、比較対象が少ない事による「卵か鶏か?」の観があるのは否めません。
ただ、この年代観は舶載説ゆえ成り立つものではないですか?国産説ではやはりタイムラグを考える必要があると思います。すると、前期古墳は下がりますね。

>これまで舶載といわれてきた三角は、短い期間に製造されたのは間違いないと思う。四つ程度のの製作集団により、あえて多くのバリエーションを持つべく効率的に作られている。

そう。隔離スレでも書いたんですが。
「2001年6月24日(日)三角縁神獣鏡三角縁神獣鏡の湯口痕跡の位置に4タイプ。文様の違いに対応し,工人集団の差を反映。奈良県立橿原考古学研究所などによるレーザー式三次元立体計測。[読売新聞] 」
複数の工人グループによる制作。薄葬下であまり需要のなかった鏡が 東夷の島国の為、慌ただしく作られた…。






719 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:37:27
>>714
>あれは、老い先短いのを悟ってのショートカットか

そうだね。論証に記紀を取り入れれば考古学だけで押していくよりはるかに楽になる。
矜持を捨てたと言われそうだが、年寄りならしかたないか。論文の頁数をかせぐ癖が
ついて文章がおかしくなっている研究者は多いかもね。

720 :水銀厨:2010/05/20(木) 01:16:31
>>697
私も徳島=阿波は重視しています。
あまり○○説という分類はしたくないのですが、
淡路島〜徳島〜河内南部が主だと想定しています。

>>708
この時代「丹=仙薬」で、厳密には
「丹=水銀朱」という訳でもないです。

辰砂から精製される水銀朱ほ勿論丹ですが、
鉛も仙薬として重用されていて、
加熱して赤くなった物を鉛丹と呼んだのです。

ベンガラ=赤土は顔料として用いる物で、
当時「仙薬」として用いられる事はありません。
総称として丹と混用されるのは、もう少し後の時代の事ですから。

721 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 01:23:13
卑弥呼が魏からもらった百枚の鏡は、今日出土しても、せいぜい1枚程度だろう。
それを三角縁神獣鏡400枚をずらっと並べて、ひいひい腕組んで考えると、
卑弥呼の百枚魏鏡が判明して、畿内説が実証されるはず、と考えるほうがおかしい。

722 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 01:26:05
邪馬台国が丹を仙薬として使ったと断定する所以もない。
それが証拠に、鉛丹を魏からもらっている。
よって、水銀丹=卑弥呼=畿内説などという理論にはならない。

723 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 01:29:46
魏の時代、丹といえば、水銀の含まれていない丹と、水銀の含まれる丹があった。
魏が邪馬台国に渡した丹は、水銀の入っていない丹だった。
邪馬台国が丹を仙薬として使った証拠も全くない。
だから、水銀厨の説は誤り。

724 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 01:30:52
>>721
おまいは>>694->>695を読んでから書け
それと教えておいてやる

現在までに出土している三角縁で神獣鏡に分類される銅鏡は

600枚以上出土している

400枚ってwwwwwwwwいつの時代の話だ
70年代かwwwwww

725 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 01:32:43
別に600枚でも1000枚でも同じだが何か?

726 :水銀厨:2010/05/20(木) 01:34:57
>>722
邪馬台国が仙薬として丹を使ったなんて記述は
倭人伝にはありませんよw

ただし「鬼道を用いる」という書かれている点からは
水銀朱の呪術使用は大いに考えられますが。

言うまでもなく倭人伝に書かれているのは「その山に丹あり」
という事です。中国人はそう見ていた訳です。

辰砂の採掘跡のある場所は倭国の範囲であると言えるはずです。

727 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 01:59:30
「鬼道を用いる」だけで水銀朱は無理だろう。

728 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 03:15:15
よって、卑弥呼=水銀=畿内説が正しいという論法は、無理。

729 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 06:55:55
>>724
あの読みにくい論文のどこが役に立つんだ?ちょっとまとめてくれんかな。

730 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 08:46:07
>>720
>総称として丹と混用されるのは、もう少し後の時代の事ですから

そう言える根拠は何でしょうか?

731 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 10:28:06
>>702
この手の雑な論法しか聞いた事が無い
魏志倭人伝をあんなに細かく論議するくせに、延喜式などの数字は一蹴して取り合わない

732 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 12:02:35
小沢一郎幹事長、ソウルの国民大学で講演「日本人は寄生虫、害虫」

民主党の小沢一郎幹事長は12日、ソウルの国民大学で講演後、約250人の学生と
日本人について語り合った。学生から、多くの日本人が学校にも通わず、仕事にも
就かないニートについて聞かれ、小沢氏は「日本のニートの現状はみんな親が悪い。
日本人の親は学校にも行かないで、仕事もしないぶらぶら遊んでいる子供を食べさせ
ている」と持論を披露した。
小沢氏は「学校にも行かない無職の子どもを責める前に、日本人の親達は子供を
甘やかしている。親に民族教育を確りしないといけない」と主張した。「日本人の
若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」とした。
「もともとむ日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても
過言ではない」とした。「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような
優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人
が増えるだけだ」とした。日本の古代歴史についても「韓半島南部の権力者が日本の
国家を樹立したもの」と述べた。・・・・( ソウル発外電 2009/12/13)

【トンデモ史観】小沢一郎・韓国講演
ttp://www.youtube.com/watch?v=uX7xFMvCly8&feature=youtube_gdata
【売国】小沢一郎幹事長言行録
ttp://www.youtube.com/watch?v=NXjgD4jb_Jg&feature=channel


733 :↑自民党(清和会)&統一教会の小沢攻撃ウザイ:2010/05/20(木) 14:33:14
 


734 :初老教授:2010/05/20(木) 18:53:30
>>731

あなたも「いつまでたっても対比史料のない倭人伝の記述に拘るわけか」と言われる人と同じ意見ですか?
確かに倭人伝には対比史料がありませんが、延喜式もその点では同じでしょう。何か延喜式の数値を検証できる
史料がありますか?

>この手の雑な論法しか聞いた事が無い

雑な論法と言われますか。議論では相手を非難したりけなしたりするだけでは良い結果は得られません。
相手の論の間違いは指摘すべきですが、ただ「間違いだ」というだけでなく理由も示さないといけません。そう
しないと子供の喧嘩のレベルになります。

>>702は「九州には倭人伝に記載されているような戸数は有り得ない」という主張の論拠として用いられている
「弥生時代の人口<奈良時代(あるいは平安時代)の人口」という前提と「延喜式などの数値」という記録のうち
「弥生時代の人口<奈良時代(あるいは平安時代)の人口」という前提について問題を提起したものでしょう。

その前提が正しくなければ「九州には倭人伝に記載されているような戸数は有り得ない」という主張は成立しないわけ
ですから、十分に検証すべきでしょう。>>702には古代の気象に関する研究データに基ずく考察が述べられています。
それは「弥生時代の人口<奈良時代(あるいは平安時代)の人口」という前提に疑問を投げかけています。

したがって、「弥生時代の人口<奈良時代(あるいは平安時代)の人口」という前提に立って論を張っている人達は
>>702の疑問を払拭する必要があります。若し、あの前提を何の疑いも無く採用したのであれば、それこそ雑な論
法と言うべきでしょう。

735 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 20:04:50
>>734
なんだこのバカは??耕地面積がまるで違う。お前のバカにあきれてカキコが止まったじゃないか。

736 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 20:18:30
縄うぜぇ
サイキバレベルなんだからどっか池

737 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 20:48:26
♪マハリークマハ−リタ ヤンヤラヤンヤンヤン  マハリークマハーリタ ヤンヤラヤンヤンヤン

アホウの国からやってきた とっても間抜けな作業員 縄文人 縄文人 アホウの力でスレ中に

蔑みの笑いをふりまくの。

738 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:01:05
>>737
すまん、もう少し新しいのでやってくれwww
判る俺も俺だが

739 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:02:54
>>735
バカはおまえだろ。食糧の量は耕地面積だけでは決まらないことも知らぬのか。植物の生長が天候や気温など
の気象条件に左右されるのを知らんのか。害虫や病害の発生が気象に左右されるのを知らんのか。
また、人口は食糧の量に左右されるが、その他に疫病の発生や戦争などによっても大きく影響される。

「耕地面積がまるで違う。」とは何を根拠に言っているのだ?どのくらい違うのだ?答えてみろ。

740 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:04:38
>>739
と、自信がなくなったらコテを外す縄文人さんでした。wwww

741 :ローガン:2010/05/20(木) 21:07:30
>>716
>しかし、この1971年の時点では椿井大塚山の三角縁は、実質的に小林ほか少数しか現物が見れない状況だったんだよねえ。
> 椿井の報告書が出る89年(小林の死亡年)まで他の人は反論する材料がなかったわけだ。

そうなのかなあ?53年の緊急調査は梅原氏だし、71年は近藤義郎氏。それに作業員らに隠匿されていた鏡とか遺物一切、国有になったんですよね。 全ての遺物が京大に移されたのは86年。報告書的には早いほうでは? 詳しくは知らないけど。

742 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:08:23
736、737、738
君らは黙っていてくれないか。畿内説派はまともな議論ができないと思われるからな。

743 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:11:34
735を忘れたんでは?

744 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:12:07
>>742
さらに自演をする縄文人さんでした。

745 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:13:09
詐欺一筋の畿内説派も、詐欺すらできない畿内説派736・737・738も、両方黙っていてほしい。

746 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:17:44
詐欺wwwwwwwwwww

747 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:27:05
まあ相手にして欲しかったら、もっとマシなネタで来いよなってとこだなwww

現実の世界で平城平安より弥生期の人口のほうが多かったとか、ホントに言えるの、あんた?
俺無理、絶対無理、ホモをカミングアウトするより無理
だから無視、もう無視しかない

ちなみにこのネタを振ったら畿内説に無視されたって、あちこちでジャンジャン言いまわって欲しい
あいつら逃げたとかの勝利宣言もバリバリに頼むよ、出来ればネットだけでなく現実世界でも頼む
人口の問題は畿内説の弱点だとかも付け加えて、派手にやってくれ

748 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:41:19
「昭和28年に行われた椿井大塚山古墳の発掘調査報告書は、
 京都大学に戻った樋口隆康氏が執筆し、昭和38年に書上げて梅原末治教授に提出しました。
 梅原教授はこれに加筆し、 自身の名前で京都府埋蔵文化財報告書の一冊として刊行しようとしました。
 ところが、昭和28年3月、大塚山古墳の石室発見当時梅原教授が現地に不在であったことから、
 調査結果が無断で使用されたと、梅原氏を暗に批判する文章が雑誌に発表されるなどした結果、
 刊行は中止され、椿井大塚山古墳の貴重な発掘調査結果は長い間日の目を見ることはありませんでした。
 樋口隆康氏はこの事態に嫌気がさし、長く日本を離れシルクロードで遺跡の発掘調査にあたります。
 時が流れ、梅原末治教授が没し、樋口隆康氏が手もとに残したノートをもとに平成10年になって
 「昭和28年 椿井大塚山古墳発掘調査報告書」が山城町教育委員会から発行されることとなり、
 発掘調査報告書の問題は落着しました。」

http://www.eonet.ne.jp/~yamashiro/yamashiro/ootukayama.html

椿井大塚山古墳の石室発見の状況も書かれています。

749 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 21:46:42
10世紀の資料で3世紀の九州の人口を推測する? そりゃ無理だろう。
3世紀には九州に都があった、その後本州に遷った。となれば、九州の
人口が激減し、新らしい都に人口が集中することは見やすい道理。
そんな単純なことが分からんのかねえ。

750 :初老教授:2010/05/20(木) 22:03:19
>>739
数年前のことでしたか、九州の稲作がこのままでは難しくなるのではと心配されたことがありました。
平均気温が高くなったため従来の品種の稲で病虫害が多発し、高温に適した品種の開発が必要だとの
議論が起きました。冷夏や水不足は不作を招きますが、平均気温が例年より僅か1度高くなっても不作
になるのです。

微生物や昆虫やネズミや猪などの獣の活動も気象の影響を受けます。こういった生態系の中で食糧生産
が行われるのですから、このような視点からの考察は欠かせないでしょう。

人口には疫病が大きく影響します。古事記には崇神天皇5年の疫病について「病(えやみ)多(さは)
に起りて、人民(おおみたから)尽きなむとす」との記述があります。平均気温が上がると蚊な
どの伝染病を媒介する昆虫が多くなり、疫病流行の危険性が高くなります。

8世紀中頃からの急激な温暖化は食糧生産に大きな影響を与えまた疫病の発生率を高めたと推定されます
が、記録が無いので詳しいことは判りません。いずれにせよ、「弥生時代の人口<奈良時代(あるいは平
安時代)の人口」というような前提を設けることは思慮不足と言えるでしょうね。





751 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 22:04:14
>>750
お前が思慮不足だアホウ。

752 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 22:14:39
>>751
幼稚なレスだの〜。

753 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 22:16:08
三星堆文明(揚子江文明)が滅んだのは、
実は地球の寒冷化のため、
揚子江流域では稲が育たなくなったからだし、
その子孫が九州に渡って稲作技術を継承した。
更に温暖化が進めば、様子項流域に戻ればいいのだけれど、
既に漢民族に支配されていて帰る場所はありません。
しかし、北海道で稲作ができるようになるし、移り住むといいかも。

754 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/20(木) 22:25:41
ホ33047 ヰトシゑやみす ナカバかる ムトシタミちる
崇神六年。百姓流離。は5年凶作、6年逃散となる。

この出来事は、新羅本紀192,3年の記事と同等である。
つまり崇神世は2世紀末と認識出来る。
この数字は、考古学が云う纒向遺跡の年代と同等である。

纒向は崇神からはじまる。
箸墓は景行崩御の頃造られる。



755 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 22:34:04
基地外がわき始めたな。

756 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/20(木) 22:51:58
193年≠崇神6年

船がなくては渡海はできない。船が破壊されては半島航行は死に至る。
今回の半島の艦爆破事件は、乗員がお気の毒だ。冥福を祈る。

船舶製造が初めて出来たのは崇神6年より後代の 崇神17年 である。
唐松山の説はデタラメの妖魔の論である。><

757 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/20(木) 22:54:40
奴は稀代のデ○○なり。

758 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:04:09
>>754
白村江の戦では毛野氏は5万人の兵を朝鮮半島に送っているわけだし、
毛野氏の祖である祟神の時代に船舶がなかったなどということは考えられない。
遣唐使が苦難の末朝鮮半島を渡ったのは王権の断絶があったからに他ならない。

759 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:07:31
斯馬国 = しま/志摩 
巳百支国 = みまき/御牧(京都府久世郡)
伊邪国 = いせ/伊勢
都支国 = とき/土岐
弥奴国 = みの/美濃
好古都国 = かがつ/各務原
不呼国 = ふわ/不破? ほこ/矛→関市?   
姐奴国 = しゃが/志賀(“シャガ”の花?)
対蘇国 = とそ?/伏見(酒)?
蘇奴国 = そね/彦根?大阪?(“ソネ”の木)
呼邑国 = こお/甲賀
華奴蘇奴国 = かねすな/高島市(砂鉄産地)
鬼国 = くぃ/栗太郡(栗)
為吾国 = いが/伊賀
鬼奴国 = くぬ/五條市(クヌギ)
邪馬国 = 信楽??
躬臣国 = きし/和歌山市(雉) 
巴利国 = はり/名張 「針」?
支惟国 = きい/紀伊郡(京都市南区)
烏奴国 = うだ/宇陀
奴国 = 奈良盆地??
狗奴国 = かが?/大阪?香川?淡路?吉備?

760 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:12:09
ド素人なので学閥事情は知りゃしないのですが
畿内説の主導権を京大が握ってるなら、本当のことは出てこないですよ

761 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:26:12
>>760
何故?

762 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:28:10
不都合な真実だから。

763 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:29:08
>>760
知らんかったら書くなwww

小林行雄・梅原末治に異を唱えた樋口隆康
その樋口を完全否定した白石太一郎
樋口・白石の議論なのど面子ごと吹っ飛ばした寺沢薫・石野博信
寺澤・石野に対し「勘違いしている」とあざ笑う村上恭通

全員、京都大学における師弟関係だよ
学閥やら師弟やら人情やら義理やら、こと考古学に関しては屁のつっぱりにもならんのよ

764 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:32:17
>>763
京大以外は?

765 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:51:45
>>764
小林・樋口を鴨川挟んでいじり倒した同志社の森浩一や京都梅香女子大の梅原猛
通称、今出川通ホルモーwwwと呼ばれる一種楽しい近接戦でもりあがったなあ

766 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:52:50
>>763
どんぐりのなんとか、というか目くそなんたら

767 :日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:57:45
>>765
ああハイハイ京都府外で。
宦官京都人たちの乳繰り合いなんかどうでもいいのよ
大企業の、熱心に会議してるフリする給料泥棒と同じでしょ

志摩、伊勢、美濃、伊賀
素人九州説でさえ、このあたりは近畿の地名を挙げている
どうして畿内説は、各国の比定をしようとしないの?

「紀伊」が元々京都の地名だったことなんか、学者ならすぐ分かるはず
それが「竹田の子守唄」の生まれた土地であることも

またアク禁くらうかしら
巻き添えになる人ゴメンよ

768 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:03:40
考古学については、後世に生きる人間ほど有利だからなあ。
出土物が新たに出てくるので。

文献史学では、師匠を批判するのは難しいだろ。

769 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:05:32
>>768
ここは2ちゃんねるだから、
師匠とやらの顔色うかがうことないよ

770 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:31:44
人口のお話で言えば古典的な人口論では人口は基本的に「幾何級数的な伸びを示す」
ただし「算術級数的にしか伸びない(食料等の)生活資源」他により制限され
時には飢饉や戦争といったもので激減するという事はあるだろうが

3世紀の邪馬台国の時代と8世紀の奈良時代を比較するなんてのが土台無茶。
500年の差だぞ?
ご ・ ひゃ ・ く ・ ね ・ ん 

「倭人伝の七万戸とか五万戸という数字は、ほぼ実数」
「北部九州だけで100万人は楽勝」

…とかボンボン出てくるここの九州説は脳味噌沸いているとしか思えない。
リアルの九州説でもそんな個と言う奴いるのか?

この連中がそんな与太を必死に言うのは
「倭人伝ウソつかない」と言う前提が崩れたら
自分たちの『 暗号解読ゴッコ 』が成り立たないと言う脅迫感からだろうwww

まあそんな、ン十万という人口を要するクニグニが既に出現したのなら
階層化が更に進み纏向のような「無人都市((C)恨み節)」が
あっちこっちに出現していてもおかしくないだろうが
ここの九州説の連中は例の「3点セット」でもって
邪馬台国は環濠集落というモデルを持ってくるのだから馬鹿丸出し。

兎に角「否定のための否定」出たとこ勝負で書いているから
そんなアホをさらすようなことになってしまうwwwwwwww


771 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:43:30
纏向には人口がなく、畿内説などあり得ないから心配するな >770

772 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:45:01
>>718
>三角縁神獣鏡の湯口痕跡の位置に4タイプ。
>文様の違いに対応し,工人集団の差を反映。

先ず中国鏡と言う立場からすると一つの工房で4つの生産ラインがフル稼働というイメージか?w

長い戦乱で銅鏡の製作組織も一度壊滅しちゃったんで
比較的、戦乱の被害が少なかった地(例えば荊州とか?)より工人を集めてきたので
そのような違いが出た…とか?

それなら、いっそ発注先の4つの異なる工房で作られた
「特鋳説」と言うより「外注説」ではどうだろうか?(倭人の為の銅鏡製作まで手が回らなかった為)wwwwww

国産説に立てば三角の生産は4箇所あったと言うことか?
候補地としては何処になるんだろう?
奈良盆地南東部・纏向周辺、木津も挙がるか?
いっそその一つが九州にもあった…なんてことになったら面白いがwwwwww


773 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 00:51:18
>>772
wwwさんは京都の人だっけ?大阪?
さっきの宦官さんとは別人よな?

>>759の比定どう思う?

774 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:03:05
>>773
>>759の比定どう思う?
ごめん。
その手の比定興味ないというか、正直言うとやったことがありませんwww

かつて湖南の地名比定(当時、湖南は卑弥呼を倭姫命にしている関係で伊勢方面が多かったが)
に対し橋本増吉が九州の地名で同じ事をやってのけて「イミナイジャーンwww」とやっているし
実際言葉は悪いが所詮「語呂合わせ」の範疇のお話だと思っていますw

まあ本音は単に「しんどい」からなんだがwwww


775 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:12:36
人口のお話でもう一つ。

一つ目安になる物としては一大國(壱岐)の「有三千許家」が挙げられるんじゃないだろうか?
島であればその範囲、輪郭はハッキリしているわけで。

壱岐と言えば有名な「原の辻」やカラカミといった遺跡があって
中々に大きな集落もあったんだろうがそれでも三千家。

奴国でいきなり「二万戸」と数字が跳ね上がるのは
「〜万戸」と記されるクニは、ここの九州説の連中が言うような
環濠集落モデルのクニではおっつかないと言う傍証になるのではないか?wwww

776 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:17:58
>>771
巻向だけで7万戸の規模だと思ってるバカ発見。
葛城の勢力は大阪まで及んでいたというのに

777 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:19:43
>>774
湖南って琵琶湖の南だと思ったよw
まあ趣味なら好きな方面からやればいいけどさ

そんなふうに関係ない事例でお茶を濁すって事は、
>>759を見て違和感、不自然さを感じたわけじゃないわけね
おk

778 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:35:39
>>777
いや、単に>>759のテキトーな否定なんぞ、
無視されてるだけだと思うぞw

779 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:37:23
>>778
ほうほう、じゃあ私を無視しなかったあなたに聞くよ
>>759についてどう思う?

780 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:40:25
>>779
『言葉遊び』を嬉々として書き込んでるバカ。
ただそれだけで何の興味も抱かない。

781 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:43:11
ぐーの音も出ないので、「言葉遊び」のレッテルを貼りました、と
おk

782 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:45:02
>>781
オメデタイ思考脳でよかったね

783 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:52:50
横だが、言葉遊びだっていいじゃないか。
それが邪馬台国の魅力の一つでもある。

>>759
悪くないと思うよ。

784 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:54:24
>>783
『悪くないと思うよ』

切り捨て方が酷過ぎwもうちょっと構ってやれよwww

785 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:54:46
オマエモナーのAAとか探しに行った方がいい?

つか何の興味も抱かないって何故www
まさか何のリストか分からんのかなwwwww

786 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:56:11
>>768
文献史学で邪馬台国とか、若手は手を付けないだろ。やっても業績にならないから。
だから、師匠批判とか存在しないんじゃない?

文献史学で師匠の批判が難しいというのは、理由がある。

学問の性質上、年季がものを言うから、ほとんどの場合、若手より長くやってる師匠の方が、実力的に上。
実力でかなわない師匠と同じテーマで研究しても、師匠以上の成果が出せないから、普通は避ける。
研究テーマは無数にあるから、わざわざ師匠とかぶるテーマを選ばない。

新出資料がほとんどない場合、研究し尽くされて、いまさら批判することがない。

こんなかんじかな。
べつに小沢に睨まれた民主党議員みたいにビビってるわけじゃないよ。

787 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 02:00:07
>>786
批判することが何もないわけないでしょ。
魏志倭人伝の行路すら放り出されてたのに

言葉遊びはもうたくさんですー

788 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 02:06:53
>>759
一つの字を違う読み方するのは良くない。
例えば、
> 都支国 = とき/土岐
> 好古都国 = かがつ/各務原
「都」は、「と」か「つ」かどちらかに統一すべき。
同様に、
> 弥奴国 = みの/美濃
> 姐奴国 = しゃが/志賀(“シャガ”の花?)
> 蘇奴国 = そね/彦根?大阪?(“ソネ”の木)
> 鬼奴国 = くぬ/五條市(クヌギ)
> 烏奴国 = うだ/宇陀
> 奴国 = 奈良盆地??
「奴」の読みも多すぎ。「の」「ぬ」「な」あたりに統一すべき。

もう少しがんばりましょう。

789 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 02:20:32
>>787
倭人伝の行路が放りだされてるのは、諸説出つくして、何も結論が出なかったから。
文献史学からは結論が出ませんってこと。
批判しようとしても、新出資料でもないかぎり水掛け論にしかなりゃしない。
だから、若手にとって倭人伝とか邪馬台国なんて業績にならないからやらない。
倭人伝の行路?何それって状態で、批判もなにもないだろ。

発掘で新しい資料が見つかる分野では、弟子の仕事を師匠が引用したりもする。
白い巨塔のような幻想は抱かないでね。

790 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 02:40:39
>>788
おお、よくがんばりましたw

じゃあ、
都支国 = とぅき/土岐

一連の「奴」に関しては
しゃがの「が」は鼻濁音ね。「しゃな」に近い音。
ナ行ってくぐもって聞き取りにくいでしょ。
外人の聞き取り能力なら、全然誤差範囲。
とりあえず「奴」って字を充てとけって意識もあるだろうし。

>>789
そんなに大変なナゾだったんだ!ポアンカレ予想並みかよ!
じゃー>>262の行路についてはどう思う?
ド素人が、日本海で「まつら」と言えば若狭湾の松原だよなー
あら、たどってみたら行けちゃう・・って感じで作ったんだけど

791 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 03:56:58
>>789
末盧国から東南ってどっちか? 分かるだろ。
伊都国さえ正しく比定すれば、あとは簡単だ。すぐに結論がでるさ。
邪馬台国論争のもとは、伊都国の比定をまちがったことにあるんだよ。


792 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 10:14:33
>>791
なんでそんな何も無いところに比定したがるんだろうねwww
きみの理論ではまだ地中深く埋もれているだけだってことなんだろうけど

では聞くが、三雲や平原、須久や岡本といった北九州でも最大規模かつ最先端の遺跡がある地域はなんて国なんだ?
いや名前なんかより、そんな有力国をガン無視した魏って、単なる間抜けなの?

倭人伝解釈にしても、なんで松浦半島が末盧国だと単純に信じ込んじゃうのかねえ
対馬国から末盧国の行程には「方角は一切書かれていないんだぜ
たぶん君は「素直に読んだ」のではなく、読みこなしていないだけだ

793 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 10:33:18
わたしたち九州説悪魔超人は軟弱な畿内説どもに比べて
鍛え方が違う!
 精魂が違う!
  理想が違う!
   決意が違う!

794 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 11:50:07
>>793
つまり「悪魔六騎士」ばりにキャラは揃ってんだなwww

博多説、甘木説、日向説、山門説、宇佐説、阿蘇説あたりかw

そんでもって残虐超人が、東遷説と九州王朝説wwwww

795 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 12:21:16
>>791
そもそも末盧国が比定されてないんで、方角以前の話になるのよね。
そこんとこ、君は理解できてるの?

796 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 12:52:12
>>793-794
逃げて畿内説逃げて〜っ! (><)


797 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:07:46
騎馬民族説は、はぐれ悪魔超人あたりか

798 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:20:35
このスレもキャラ立ってるひと多いから、九州説王位決定戦とかやればいいのにw

次々と仮面(ハンドル)を代えるテクニシャン、九州説ゼブラ縄文人

何と言われようが我が道を行く、九州説マリポーササガミハラハラ

人の意見は気にしない俺が書けたらそれでいい、九州説ビッグボディ美濃もん太

俺だけが素直に読んでいるから正しいのだ、九州説フェニックス日向厨

卑怯・反則こそが信条、脳内で勝てばそれでいい、九州説ソルジャーサイキバ

799 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:46:27
くやしいのう、くやしいのうww

800 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:51:50
邪馬台国が畿内じゃなかったらヘドロ吐くって人もいたし

801 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:54:18
>>800
俺なら亜硫酸ガス吐くなw

802 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:57:47
そういう人らが大仏テロもやったんやろなあ
初めは、信楽の山の上からガス流そうとしたらしいしなあ

803 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 14:03:23
>>770

なにを勘違いしてるんだこの粗雑頭脳は。3世紀の人口を論ずるのに”弥生時代の人口<奈良時代(平安時代)の人口”
を持ち出すなら、それが正しいかどうかを検討してからにするべきだ というのが初老教授の主張だろ。あったりまえ
のことじゃね〜か。うだうだ言わずに検討しろい!

おまえは「2030年の日本の人口は1980年のそれよりはるかに多い筈だ、なぜなら世界の人口は増え続けているのだし半
世紀も経ったら相当増えるだろうからな」などとは言わんだろな。人口の増減には原因があり、確立論で論じられる統計
的な事象ではないのだ。

>3世紀の邪馬台国の時代と8世紀の奈良時代を比較するなんてのが土台無茶。
>500年の差だぞ?
>ご ・ ひゃ ・ く ・ ね ・ ん 

アホ丸出しじゃね〜か。
「3世紀の邪馬台国の時代と8世紀の奈良時代を比較するなんてのが土台無茶。」・・・誰が比較しとるんじゃ?
年数が経てば増えると決まったもんじゃなかろ。減る場合もある。その5百年の間に何が起ったかはっきり判っと
らんじゃろが。何も分からんことを議論の根拠にできるか!馬鹿もん!



804 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 14:10:26
>何も分からんことを議論の根拠にできるか!

その通りじゃないかwww
なのになんで弥生終末期やら魏志倭人伝やら邪馬台国やらを語りたがるwwww

805 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 14:18:50
>>798
美濃もん太は九州説なん?
イナバの白兎は岐阜の稲葉って書いてるの見たけど


806 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 14:39:33
>>804
決まりきったことよ。文字による記録があるからよWWWWWWWWW


807 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/21(金) 17:11:04
2世紀末、纒向は狐狸の跋扈する原野であった。
だからそこからは、それ以前の遺物は出土しない。当然道路(上つ道)も
人の住む西方を通っていた。


808 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 17:22:42
>>803 アホの縄文人
うむ、だいぶ縄文人本来の芸風に戻ってきたなw
馬鹿丸出しのキャラが分かりやすくて宜しいw

「初老教授」のキャラは当初、纏向スレのテンプレの文章を参考にでもして作ったのかな?
まあ雰囲気を変えるのには他のコテを真似ると言うのが手っ取り早いがwwwww

>うだうだ言わずに検討しろい!

で、そもそも、どうやって検討するんだ?ドアホ

現在出ている推定の数字は遺跡の数やら耕地面積やら農業の生産性やら
吉野ヶ里あたりじゃあ甕棺墓の数も参考にされていると聞くが…
まっ、正直言って自分で計算できるような代物じゃないが

一方のここの九州説の連中の根拠は
結局は「倭人伝に書いてあるからその通り」と言う話でしかない。
こっちの方はもはや積算根拠も糞もあった物じゃない。

「倭人伝の数字が正しいのか?」と言う問いに対して
「倭人伝に書いてあるから正しい」と言っているアホの図wwwwww

自覚しろクズwwwwwwwww

809 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 17:24:22
>>803 お馬鹿な縄文人
まあ「検討しろい!」とのお言葉だから少しマジレスしてやるが

先ず「七万戸」と言うのは実数にしてどれくらいなのだ?
比較的小さい数字でも一戸=5人ぐらいで35万人と言う計算だと思うがどうなんだ?

で、現在考えられている吉野ヶ里のような拠点集落の人口が約1000人前後
その周辺の集落と併せて5000人程度と言うのが大体の相場だと思うが
(無論、数戸規模の集落も多々あったろうし
人口の推定にはそういった物を小まめに拾っていく必要があるんだろうが…)

もし環濠集落のモデルで35万人のクニとなると
とてもじゃないが従来の数字じゃ追いつかない。

邪馬台国を一つの拠点集落といくつかの周辺の集落からなるとすれば
先のモデルの比率に当てはめれば、その中心となる拠点集落は35万人の20パーセントで7万人。
吉野ヶ里の70倍の超々々巨大環濠集落と言うことになるw

もし集落個々の規模はそのままとするなら今度は集落の数で補わなければならない。
人口35万人の邪馬台国の中には、今度は吉野ヶ里クラスの拠点集落が70箇所必要となるw

(…俺一体何を書いているんだろう?www)

集落個々の人口、集落の数、そしてその人口を抱えるクニの範囲。
そして、それだけの人口を擁したクニが果たして環濠集落の段階にあったのかどうか?の検証etc
どう言う構図を描いているのかな?

「検討しろい!」と威勢良くほざく前に、お前がきちんと検討しろクズw


810 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 17:30:56
今まで何度か書いているが高島センセイが北部九州の地図上に
漢書の地理誌や遺跡に基づいて再現したクニの数が30

( 最初本人も意識していなかったが佐原真に
「卑弥呼が統括する30と言うのを意識してやったのかね?」
と突っ込まれたと言うオチがあるらしいがwww )

まあそのクニグニの規模も大小あって環濠集落とも限らないが
かなり乱暴だが先の集落群の人口が約5000人と言うのをそのまま当てはめれば
北部九州で15万人。

小山修造(1984)で弥生期の九州全体の人口が10万チョイ。
鬼頭(2000)でも弥生期の九州全体の人口がやはり10万チョイ(九州を南北に分け北部は約4万)

まあ先の乱暴な計算のものはかなり大きくなるが
環濠集落の最盛期の人口を全て一律に当てはめた不都合だろう。

九州の北半分(あるいは南半分)で10万にも届かないと言うのは大体納得しうる話だが
投馬国の五万戸、邪馬台国の七万戸その他が実数ともなると文字通り桁が違う話で

「倭人伝に書いてあるからそれが正しい!汝疑うこと無かれ」

…と言う『 ドグマ 』だけじゃあ眉唾ものもいいところwww

これが「史料批判も十分に行った九州説です」ってんじゃあ
世の中舐めているとしか思えないwwwwwwww


811 :対朝賊軍事総裁 高田信弘 ◆2I5hlJuq8sNH :2010/05/21(金) 17:40:49
琉球、日本、アイヌ、台湾と比べて朝鮮は突然変異のクズ
何でかは知らん。それは神さんが決めはったことやあきらめい!

812 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 17:48:27
信用する、しない、は自由だが、

http://sito.ehoh.net/zinko.html

このサイトを見ると、江戸時代には
筑後と肥前を足すと100万人程度の人口を持つようだ。

弥生時代にどのくらいの割合で減らさなければいいか分からないが
20万〜30万程度いてもおかしくないんじゃないか。

たしか、以前延喜式の記録を提示してくれた人がいた。
よければ、サイトを提示してくれるとありがたい。

813 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 18:03:04
>>812
先の>810に挙げた鬼頭のデータだと
江戸時代弘化3年で九州の北で250万程度だから
別にその数字には違和感はないw




814 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 18:07:58
実際に耕作するかどうかは別問題として
面積的には、それだけの人間を食わせるだけの
キャパシティはあると言うことだ。

815 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 18:17:09
馬鹿馬鹿しいなあ。大規模自然災害(日本沈没レベルww)または広範囲の大戦乱でもないかぎり、
人口が、弥生時代<奈良時代 であるのは自明。これは 邪馬台国=インドネシア レベルの電波
だろうよ。

816 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 19:44:32
九州全体で十万人? 
倭人伝によれば、対馬国=千戸、一支国=三千戸だ。これだけでも2万人ぐらい
になるんだぜ。小山、鬼頭ってのは何を考えてんだろうな。

817 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 19:54:24
>>808,>>809
アホだとか馬鹿だとかクズだとか罵声を発するだけしか能がないようだの。哀れなことよ。

またまた勘違いしやがって。ったくどんな頭の構造を持っとるんだ?803が検討しろと言ったのはそういうこと
じゃないだろが!も一度803を読み返して見ろ。世話の焼ける奴だ。

>>815
こんな粗雑な思考を披露してどうする?「人口が、弥生時代<奈良時代 であるのは自明」だなどとは幼稚園児
並みの言い分だ。




818 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 20:13:41
>>817
で、検討する自分が人口をどう考えるのか言わないのか?アホ

七万戸とは実数としてどれくらいだ?
クニの大きさは?
そのクニに集落はどれくらいあったんだ?
集落一つあたりの人口は?
その卑弥呼がいたであろう集落は旧態依然の環濠集落なのか?

自説に都合が悪いからイチャモンつけるだけしか脳がないクズ。

イチャモンつけるだけで具体的なその人口のクニの姿を考えたことも無いんだろう?www

819 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 20:20:13
弥生期、九州全体で100万人はいただろ。
比定地など、ゆっくり考えればよい。
住民のいない纏向に、何万戸もいなかったことは確かだ。

820 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 20:32:51
博多湾沿岸が奴国二万戸とすれば
面積2.5倍で五万戸、3.5倍で七万戸となる。

伊都国の千戸は少なすぎるような気がするが、他の中国書には
一万戸と言う記述もあるらしいので、それは一万戸の間違いかも知れない。

また、伊都国は、現在の筑肥線、または旧道二〇二号線の当たりは海だったと
考えられ、そこから南側、雷山までの狭い地域が伊都国であったとすれば
千戸でもまあ、だいたい正しいのかも知れない。

821 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 20:55:27
wikipediaの近代以前の日本の人口統計から考えてみる。

ある程度信頼できそうな、奈良時代の人口推定を元にする。
筑前の国が八万程度となっており、2.5倍だと20万で
少し足りないが、筑後肥前を合わせた筑紫平野で16万である。

また。3.5倍だと28万程度となるが、肥後国の18万位しか匹敵するものがない。

人口から見て、近そうなのは投馬国五万戸を筑後+肥前
邪馬台国七万戸を肥後国と推定する。

個人的には邪馬台国を筑後南部としたいのだが、ちょっと残念。

822 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:11:03
以前から巻向無人とか言ってる頭の残念な人が一匹いるけど、
人が居なくて建物が建つの?土器が搬入されるの?
土木工事できんの?

本当に頭の残念な人だね。

823 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:12:59
>>822
妖精さんが一晩でやってくれました

824 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:34:43
まあしかし、この人口問題というのはある種の九州説にとっては生命線で、畿内説なら倭人伝の七万戸などの記述を
伝聞情報の一言でかたずけてしまうことが多いが、倭人伝は正しいとする立場であれば、7万戸にそうとう広範囲(例え
ば畿内+瀬戸内)を想定せざるを得ない人口状況というのは不都合極まりない。とすれば、弥生時代当時の人口を水
増しして、九州島内でまかなえるようにしなくてはならない。

つまり九州島内で最低百万、現代の人口推計論などはすべて間違いと主張しなくてはならない。しかし、これはさすが
に議論になふらないので、著名な九州論者でもそのように説くことはない。まさに2CHでなくては発生しない議論であり、
ここが場末であるとともに、学問板とはとても呼べない場所であることを端的に表している。ww

825 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:39:15
>>824
>まさに2CHでなくては発生しない議論であり

だろうなあwww

俺もここ以外で「七万戸は実数」なんて言うのは聞いたことがない。
いや、もしあるのなら教えてほしい。

826 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 22:13:06
九州には数10万の人口があったけれど、口蹄疫が流行ってほぼ滅亡しました。
全頭処分となったからです。

827 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 22:24:43
人口のネタを更に引っ張ると…

その絶対数もさることながら
地域間の比率もここの九州説にとっては問題だろうwwww

九州が他地域を圧倒して人口が多いなんてものは見たことがない。
じゃあ鉄器の豊富さが農業の生産性に直結して
人口の増加には結びついていないと言うことが考えられるだろう。

俺が古代社会において鉄の有用性について疑問を持つのもここにある。

もっとも時代や地域を細かく分ければ鉄の有用性を十分に見て取れると言うものがあれば
ソースを出して示してもらいたい。


828 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 22:42:00
>>818
なんとも品性下劣な文章だな。器の小ささが現れてるぞ。

817の論点は違うだろ。なんで彼が7万戸だのを論じなければならんのだ?君が彼の見解を聞きたいので
あればきちんとした依頼文を書け。お願いしろ。

829 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 22:48:24
>>828
比較検証しようにもその対象がなければ話にならない。

単に「その数字は信用できない」と言われてもどうしようもない。

七万戸について具体的な数字が出せない。
現在出されている人口モデルについて何処が間違っているのかも
具体的に言えない…じゃあ話にならない。

集落一つあたりの人口の見積もりが間違っているのか?
集落の数の見積もりが間違っているのか?

イチャモンつけるだけでその先は何も考えていないと言われても仕方あるまい?www







830 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 22:55:56
>九州が他地域を圧倒して人口が多いなんてものは見たことがない。

いつの時代のはなしだ?弥生時代の人口の記録が残っているのか?わけの分からんことを言うな。

>じゃあ鉄器の豊富さが農業の生産性に直結して
>人口の増加には結びついていないと言うことが考えられるだろう。

何が言いたいのか分からん文章だ。文章の書き方を習ってないのか?

鉄の有用性は農具や工具として最大に発揮される。そんなことはお百姓さんや大工さんに聞けば分かる。
文献などのソースを必要とすることでもあるまい。

831 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 22:57:17
>>822
東征軍の兵士が造ったんだよ。

832 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:00:42
>>830
まさかと思うが、弥生時代に鋼鉄が存在したとでも思っているのか?

833 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:06:30
>>831
東征軍の兵士はどうして九州の土器を持ってこずに、まだ先にある東海の土器を大量に持ち込んだの?
それにどうして吉備の宗教を採用したの?自分たちのじゃなくて

834 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:10:00
で、結局のところ知ったかぶりの「縄文人」のクズは

自分が「七万戸」と言う数字をどれくらいに数えているのかも言えず

歴史人口学とかから現在出ている数字は間違っていると言うなら
その何処が間違っているのかも具体的に言えず

兎に角「倭人伝に出ているから間違いない」と言うドグマを繰り返すのみなのかな?




835 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:10:47
>>829
君はまだ分からんのか?「倭人伝の7万余戸の国が九州にあるわけがない」と言って「弥生時代の人口は
奈良時代や平安時代の人口より少ない」という前提でイチャモンをつけているのは君等ではないか。初老
教授はその前提に疑問を呈して、その前提が成り立つかどうかを検討すべきだと言っているのだ。

君は論点をわざとずらしている。これではまともな議論にはならぬ。

836 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:13:12
吉備の宗教? 吉備を経由してきたから、吉備の習慣もあるかも知れないが、
大きな墓を造るというのは朝鮮の風習が影響しているんだろう。
土器は最初に東征してきたときに持ち込んだものではない。東征軍はさらに
東方を征服した。そして、そこからの物資を大和を経て九州に送ったんだよ。
大和は中継地点だな。

837 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:17:15
というか、いくら鉄器が豊富でも(確かに北部九州は豊富で、開墾・耕作に利があったのは間違いないが)大規模治水
はできない。これができるようになったのは仁徳期あたりからで、渡来人による大陸技術の導入が考えられてる。水稲
農法は稲を冠水させる特殊な農法で、鉄器優位はそれほど大きくはない。


838 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:17:45
>自分が「七万戸」と言う数字をどれくらいに数えているのかも言えず

そんなことはあるまい。7万戸は7万の戸数のことだろ。他に数え方があるか?

839 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:20:13
@延喜式などの資料を否定したいのなら、論証すべきはそちらにある。
A九州に14万戸もの人口を押し込みたいのなら、それに相当する遺跡を割り当ててみよ。
B魏志倭人伝の戸数を否定したいのなら、これも論証をせよ。
C弥生時代<奈良・平安時代 を否定したいのなら、これも論証をせよ。
D人口の問題にあえて触れない風潮を感じるが、片手落ちとは思わないのか。

840 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:20:44
邪馬台国時代の九州は、全体で約二十万戸、人口にして約百万人だろう。
それは、朝鮮半島の韓が十四、五万戸、対馬国+一支国が四千戸というのと
対比して十分に納得できる数字だ。当時の九州は朝鮮半島よりも住みやすい
ところだった。半島よりも少し人口密度が高いという程度だろう。


841 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:22:51
>水稲 農法は稲を冠水させる特殊な農法で、鉄器優位はそれほど大きくはない。

またまた知ったかぶり。鉄器は木製の鋤や鍬を作る道具として重要なのだ。

842 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:22:58
>>836
戦国時代でもありえないほどの大帝国だねwww本気?

843 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:25:01
>>839
無理言うなよ、ただの思いつきで引っ込みがつかないだけなんだからw

844 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:25:23
弥生人口が大きいとするのは、@倭人伝の七万戸の記述は正しい A邪馬台国は九州の一部である とする両者を満たす
解なんだろうが、別に畿内「ゆるやかな連合」説なら、近畿+瀬戸内の七万戸はそう不思議な数字ではないし、投馬国を山陰
+北陸で五万戸もありえなくはない。しかし、奴国二万戸は不自然なので、すべて不確かな伝聞情報。ww


845 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:28:18
>>841
畿内ではそうだが、北部九州の鉄製農具化が進んでいるのはいつかの伊都国東遷厨のいったとおり。

846 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:29:02
韓伝は、韓の広さやだいたいの戸数を示している。倭人伝が倭国の大きさやおよその
人口を示さないはずはない。大きさは周旋五千里、人口は戸数十五万戸+旁国分だ。
総戸数せいぜい二十万戸という程度だろう。
その戸数を九州、四国、本州の総戸数だっていうのかな?我が国だけやたら人口密度
が低くなってしまうなあ。

847 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:30:31
>>835 初老教授=縄文人

勘違いするな馬鹿者。
畿内だろうが九州だろうが「七万戸」のクニなんかないだろうというのがこっちの主張。

それに人口と言う物は条件さえ許せばそれこそ幾何級数的に伸びると言うのが常識。
そんな物はイチャモンとは言わない。

奈良時代の人口が弥生時代以下と言うのなら
それは「カタストロフ」とでも言うようなことがあって
人口が著しく減ったとしか考えられない。

それとも弥生時代の九州には500年後の人口を養えるような
失われた技術=ロスト・テクノロジーでもあったのか?w

「異常」を訴えているのはお前の方。
だったらそれを説明するのもお前だろうなwww


848 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:30:37
>>844
つまりは、合理的な説明はできないから「伝聞情報」と逃げざるを得ない・・・

849 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:32:46
九州には一大国(壱岐)くらいの国なら百以上は余裕で存在できるぞい。戸数20万など軽い軽い。

850 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:32:53
そもそも弥生末期の九州に奴国=福岡平野の比恵那珂遺跡より
大きな物があるのか?



851 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:34:28
>>848
伝聞情報じゃないのか?魏使が調査し、数えたと言い出すのか?wwwww

852 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:37:35
>>841

その鉄器を製造加工するには大量の木材が必要なわけだがwwwww

853 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:41:45
>>851
奴国へ行って奴国の役人から聞いたのならば、「すべて不確かな伝聞情報」
なんてことは言えんな。

854 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:44:35
結局ここの九州説には「史料批判」なんて物はできない。

学問じゃなくて宗教と見れば分かりやすい。
経典の部分部分を個別に信用性なんて論じたら宗教にはならんだろうwww

もしくは『暗号解読ゴッコ』と言うゲームのルールブックか?
そこに書かれているルールを個別に採用したり捨てたりしたら
ゲームが成り立たないとか?wwwwwwwww

855 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:45:46
しかし、「人口 弥生時代>奈良時代」 というのを、日本中の気象学やら農学、その他の専門研究者に言ったらあきれられる
だろうよ。まさに2chのレベルを表す論題で、学問とはほど遠い。鉄工所のおっちゃんが一杯飲みながらやってるヨタ話で、ま
ともな議論をしたい人には迷惑この上ないだろうが、バカは書くなとも言えんし・・・。ww


856 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:45:50
>人口と言う物は条件さえ許せばそれこそ幾何級数的に伸びると言うのが常識。
農業生産物は幾何級数的には伸びない。つまりは、条件が許さないってことだ。

857 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:48:03
>>855
よかったな。書きたいことが書けて。

858 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:49:10
まあこの七万戸なんてのを信じられる単純さは、ある意味羨ましいわ
悩みとかないんだろうなあって思ってしまう

859 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:51:54
柔軟な思考ができるんだよ。7万戸の環濠集落を考える連中とはちがうんだな。
日向+肥後の相当部分ぐらいの広大な地域で、合計7万戸と考えるわけだ。
つまり、戸数が多いってことは、それだけ領域が広かったということさ。

860 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:51:55
>>857
本当は「バカ」ではなく「無教養」」と書きたいところ。・・・あら、書いちゃった。www

861 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:52:57
>>859
>それだけ領域が広かったということさ。

別に、畿内+瀬戸内・四国 でいいじゃん。

862 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:55:33
>>859
>7万戸の環濠集落を考える連中
また脳内でそんな存在しないものを造りだしちゃってwww
そんな奴いないっつーのw

>日向+肥後の相当部分ぐらいの広大な地域
ほう、とすると邪馬台国内には、異なる二つの文化圏があったということだな
俺の言ってる意味、判る?

863 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:56:35
>>859
>つまり、戸数が多いってことは、それだけ領域が広かったということさ。

つまりこれは「ゆるやかな連合」ではなく、強権支配ということなんだろうが、北部九州は弥生中期から首長間の序列
が見られるものの、日向と肥後でそんな形跡があるかな?

864 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 23:57:07
>>861
入りゃいいってもんじゃないんだよ。畿内+瀬戸内・四国では広すぎる。
隣の家が見えねえよ。

865 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:00:34
>>847
どうしようもないおっさんだな。8世紀頃に急激な温暖化があったのだ。天平の頃には旱魃や洪水が多発して飢饉に襲われ、
疫病が流行して多くの死人が出た。人が少なくなったため耕作放棄された田畑が多く、朝廷は立て直しのため荒れた農地を
再開墾するため墾田永年私財法を制定した。それほど重大な危機だったのだ。

866 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:02:15
>>865
>朝廷は立て直しのため荒れた農地を
>再開墾するため墾田永年私財法を制定した。

お前明日ちょっと中学校に行って歴史の先生に謝ってこい

867 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:03:27
>>865
急いで年表でもググっただろう。www あの程度で弥生以下とかに落ちると思うわけ?ww

868 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:03:50

ここの九州説にとって倭人伝はそれこそ

『 不 磨 の 大 典 』wwwww

一つ過ちを認めれば他の部分も検証しなければなくなると言う状況は
非常にまずいわけw

こんな物「文献史学」でもなんでもないよな?wwww

869 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:08:06
>>868
古田史学がまさにそれだもんな。
邪馬壱国なんてのも、史料は疑ってはならずというおかしなマイルールがあるため。
だから東外流でも、たとえ冥王星とあろうがムー大陸とあろうが、疑うのはご法度だった。

870 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:09:04
>>865
最高のバカだな。三世一身の法が農民のためのものであったのに対し、墾田永年私財法は藤原氏などの豪族や大寺院
による利益誘導の側面が強い。農業不振の時期は日本史上何度もあるが、普通に人口は伸びている。ww

871 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:10:19
日向と肥後はあまり交流はないだろう。
文化も違うし、九州山地があって遠い。
日向は海を介して、宇佐やその先の
瀬戸内海と交流が深かったのではないか。

872 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:12:30
>>863
日向が北九州と戦うには、肥後を支配下に入れることが絶対条件だろう。
肥後の免田式土器は宮崎、鹿児島に広がっている。肥後が日向の支配下に入った
ことの裏づけとなるかもな。記紀神話でも、日向は西方(主に薩摩だけど)を支
配下に納めたように描いているだろ。

873 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:13:11
集約農業がある程度進んだ奈良・平安時代でさえ、九州は11.7万町歩、75.6万人なんだよな
14万戸×5人/戸=70万人 だから、AD900年頃の生産力が弥生末期に既にあったと主張せざるを得ない
そう主張しないと九州に押し込めない訳だが、これをどう論証してくれるんだい?


874 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:15:29
畿内説が史料批判をしたいのは自由だが
距離も方向も風俗も否定しておきながら、
邪馬台国を信じているようだ。

どのような条件なら否定で
どのような条件なら肯定なのか
基準を示して欲しいものだ。

そしてその基準の正当性もな。

それがなければ、信じたい物を信じて
否定したいものを否定しているだけの
ただのわがままに過ぎない

875 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:17:01
>>871
そうですね。日向沿岸部や東部九州の早期前方後円墳は、まさに海からの文化の伝播であり、初期からヤマトを中心とする
連合政権に参画していた証左。これらの首長は渡来系の可能性もあり、少なくとも未開の熊襲に嫌気をさしていた先進的な
人々でしょう。

876 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:18:37
>>872
免田式土器の分布に目をつけたのはいいとは思うのだが
それを支配・被支配の証左とするのは早計ではないか?

ならば庄内式を受け入れた北九州は畿内に支配されており
その畿内もパレス式を受け入れたということは東海に支配されていたということになる。
そういうのは考えにくいよね。

だから近距離間における文化伝播の影響範囲と考えたほうが良くないか?

877 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:20:11
>>865

いやあ「墾田永年私財法」の制定において
その背景に飢饉による荒廃からの脱出なんてことがあった

…なんて記憶の何処にもなかったからWikiで調べてみたヨwwwwwwww

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%BE%E7%94%B0%E6%B0%B8%E5%B9%B4%E7%A7%81%E8%B2%A1%E6%B3%95

そのお話を証明するような史料ってあるのかい?

脳内ソース以外であったら出してくれwwwwwww

878 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:20:27
宮崎、鹿児島の耕地がやたらと少ない数字になってて不自然だといわれてるのを知ってるだろ?
奈良、平安ともなれば、九州南部はいわば放棄された土地なんだよ。都が畿内に遷ったんだ。
そんな時期の耕地面積を調べたって、九州に都があった当時の耕地面積なんぞ分かりは
しないさ。

879 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:21:10
>>872
日本書紀では景行天皇に服属(というか教化)させられたはずなんだが。資料を都合よく操ってるのはどっちだ?この紀の
記事が875レスのような史実の反映だろう。

880 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:24:48
>>870
またまた教科書的な知識の範囲でしか考えることができんのだな。

>農業不振の時期は日本史上何度もあるが、普通に人口は伸びている。

農業不振だけじゃないだろ。疫病の流行もあるのだ。こっちの方が影響が大きい。
「普通に人口は伸びている」と言うが、それを示す記録があるのか?いい加減なことを言うな。

881 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:25:18
>>878
隼人のために、公地公民はこれらの地域ではまともに機能しなかった。しかしこれらの地域に先進的農法があった
という根拠はない。むしろそれを否定するようなものばかり。

>九州に都があった当時の
こ前提は電波。

882 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:27:11
>>880
縄文人=知的弱者は書くのをやめたらどうだ?害毒以外の何者でもない。

883 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:28:37
>>876
確かに土器だけで支配、被支配をいうことはむずかしいかも知れん。しかし、文化の
伝播があったということは、日向と肥後の交流の証拠にはなるね。
南九州説は、佐賀から南下して八代付近から陸行するコースを考えるんだ。
そのことからしても、肥後と日向の深い結びつきが考えられる。
鉄が少なかった日向勢力が倭国乱で勝利する要因として、肥後の鉄を手に
れたことを考えるべきだろう。

884 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:28:53
>>874
じゃあ君が卒倒するようなことを教えてあげようか。

便宜的に「邪馬台国」と呼んでいるだけで、そんなもの実在したかどうかなど、どうでもいい。
同時に卑弥呼が実在したかどうかも疑わしい。

魏がどこまで事実誤認していたのか、また他の地区と情報を混同させてしまったのが検証できない現状では
邪馬台国とやらの位置探しなど、ケツ拭く紙ほどの価値もない。

それでも大昔に位置論争が行われたのは、その場所によって当時の倭国の姿が推測できると考えられていたから。
しかしすでにもう3世紀の倭国の姿というのがほぼ判明した今、邪馬台国がどこにあろうとなかろうと、大局に影響しない。

ここの九州説は「ゆるやかな交易連合」を否定すれば、九州説にも光明がさすとか考えているのだろうが
今では九州説でさえも、この枠組みの中で考えるのが常識。

要するに魏志倭人伝の解釈だとか、もう誰もやっていないし、どうでもいいのだよ。
君には信じられないだろうけど、時代は変わったんだ。

885 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/22(土) 00:31:53
このスレはGoogleのパックマンで5000点獲得した人のみが書き込める。
邪馬台国九州説の人には無理でしょうね。

886 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:32:35
>>882
縄文人はここに愛想を尽かして出て行ったんじゃないか?しかし、彼は畿内説にとっては不都合な存在
であるらしいな。

887 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:32:51
>>883
>確かに土器だけで支配、被支配をいうことはむずかしいかも知れん。しかし、文化の
>伝播があったということは、日向と肥後の交流の証拠にはなるね。

素直な人で嬉しいwww
そうそう、そういうふうに少しずつ考古成果を加味していって
ここの駄目九州説連中とは一線を画した存在になってください

888 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:32:53
そんな話で卒倒する者がいるかな?
「魏志倭人伝の解釈だとか、もう誰もやっていない」なんてのは、いくら考えても
合理的な説明ができないって降参してるだけだろ。
誰が見ても、不合理な点が見当たらないコース、伊都国を見直すことでそれが
見つかったから、また倭人伝の解釈論争が活発になるだろうよ。

889 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:35:12
>>886
いや不都合でもなんでもないよ
ただバカだから邪魔ってだけでさ
あいつ何のとりえもないし、うるさいし臭いし気持ち悪いし


・・・・・・涙拭けよ、縄文人

890 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:37:20
>>884
そうそう、魏志倭人伝も邪馬台国も
畿内説には関係の無いことだよね。

だから、魏志倭人伝に書かれているのは
九州説で問題なし。

891 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:37:43
>>888
>「魏志倭人伝の解釈だとか、もう誰もやっていない」なんてのは、いくら考えても
>合理的な説明ができないって降参してるだけだろ。

そうだよ、文献学は降参した。

>誰が見ても、不合理な点が見当たらないコース、伊都国を見直すことでそれが見つかったから

いやそんなもの見つかってない。君の脳内以外は。
誰が見つけたの?どこに発表されたの?
君が見つけて2chで発表したってオチ?

892 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:39:11
>>890
問題ないんだったら、畿内説に噛み付いてこなくていいのにw
ものすごくあせってるというか、追い詰められているのは判るけど、迷惑なんだよな

893 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:40:04
>>873
これは九州説の生命線でもあるんだが、なぜ議論しないの?
九州説の息の根を止められるんだよ?

894 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:42:47
>>893
三十余国を九州内に収める九州説なんて、すでに昭和の頃に息の根が止まっているから。
おれはここで懐かしいものを見せられて、けっこう喜んでるんだよ。

895 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:42:56
>>886
というか、学問的な議論に不都合な存在。中学生の中に幼稚園児が一人入って相撲を取ってるような状態で
おミソとして扱うしかない。去っていったのなら嬉しいが、初老教授という、縄文人に輪をかけて電波なのが出
てきたからねえ。

896 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:43:46
あれ? >>198でも読み直したら。誰も反論できなかったよね。


897 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:46:52
>>896
あれだけボロクソに叩かれたのに、もう無かったことにする気なのか
あるいは叩かれた自覚さえないのか・・・

まあこれくらい鈍感でないと、今の時代に九州説の新説です!とか言えないわな

898 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:48:45
>>892
関係ないとか価値がないってのは
>>884がいってることなんだが。

九州説は九州説でよろしくやってるから、
関係ない畿内説は入ってこなくていいよ。

ウザイから。

899 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:49:34
>>896
今や、倭人伝をやりたいのは厨坊か、厨坊レベルの精神年齢者だけだと思うがねえ。

900 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:51:12
>>891
こんなのがあったな。
http://www.geocities.jp/niginiginomiko/page1.htm
「邪馬台国の暗号」(安田哲也)


901 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:51:38
>>898
いやよろしくやってなんかないじゃんwww
かまって君オーラ全開で、こっちをちらちら見ながら、いじめて欲しそうにしてるもんだから、つい、ねw

ということで君は巣に帰ってよろしくやってくれ。
おれはそこには決して行かないから。

902 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:56:20
>>898
>九州説は九州説でよろしくやってるから

そう言えば少し前は「終止符スレ」が九州説
「ドン来い」が畿内説という大まかな傾向があったと思うんだが…

ドツボや河童が死んでから終止符スレが低迷して
こっちに九州説の連中が流れてきているような気がするんだがwwwww


903 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:56:42
>>900
へー素直君の主張とほぼ同じに見えるが、ご本人?

もしそうならこんな場末のスレで罵声にまみれてやらんでも
yahoo!なりどこかのコミュなり、もっと人が多く集まる場所に行くことをお奨めするよ
ここでいくらやっても、伊都国の比定が間違っていたという意見に賛同する人は現れないだろうから

904 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:00:41
>>895
初老教授の「弥生時代の人口<奈良時代(又は平安時代)の人口という前提は検証を要する」というのは
当然ではないかな。時代が下れば人口は増加しているとは必ずしも言えないのだし、8世紀には急激な温
暖化があり、異常気象(旱魃や風水害)も増えたという研究報告もある。

905 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:01:51
>>904
検討の必要は無いと思うよ、縄文人さんw

906 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:04:41
>>903
まあ、正しい結論に気づく人間が何人かでてくるのは当然だわな。
最近、結構、この考え方をきくよ。特に「邪馬台国の暗号」(安田哲也)
の方は、記紀が南九州説で書かれているって書いてるよ。


907 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:06:14
こんな電波いちいち検討してたら、スレいくつあっても足りないし、いくらなんでももう少し生産的な議論がしたい。
8世紀にテレビを見てたとかいうのとあまり変わらない主張だよな。

908 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:09:44
>>904
頭冷やして考えろ。

500年以上も昔の人口にまで落ち込むなんて
それこそどんな天変地異が起きたんだって話で
その異常をとなえる者の方がそれを説明すべき。

先ず、後世奈良時代平安時代の人口から見て倭人伝のそれはいかにも誇大である。

次に弥生時代の人口の推定でも同様に倭人伝のそれはいかにも誇大である。

二つの方向から否定されているんだが分かってるか?www

909 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:11:12
明治維新前後で江戸=東京の住民は半分に減ってしまった歴史的事実がある。
先進的な稲作農業で多くの人口を養えた九州は、白村江以降、
唐の傀儡政権樹立派の残党が征伐される立場となったり、
難波京へ首都機能移転が行われたりして、人口が激変したと思われる。

散々人口が減ったあとの奈良平安時代の人口から、
弥生時代や白村江以前の人口を推定するのはちょっと無理がある。

910 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:12:36
電波:畿内説に不都合な事実、説、論を称する用語。

911 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:12:36
というか、3世紀から8世紀まで増えていった人口がまた3世紀以下まで落ち込んだというなら、それには文献・考古その
他の学問上多数の痕跡があって、必ず教科書に載ってる。ww

912 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/22(土) 01:13:59
Googleロゴのパックマンで遊びましょう。頭冷えるかも・・・。

913 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:15:13
>>909
>明治維新前後で江戸=東京の住民は半分に減ってしまった

バカなのか、恣意的操作なのかは知らんが、みな死んだわけじゃない。移動したんだよ。

914 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:15:47
江戸→東京は、首都機能移転しなかったが、人口が半分に減った。
九州→畿内の首都機能移転で、九州の人口はもっと減っただろう。
残党軍を大量に殺したし、官僚はほとんど引っ越ししたわけだから。

915 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:16:14
延喜式の数字自体の信憑性もかなり問題だろう。

916 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:17:53
難波京移転等により、激減したあとの九州の人口で、
白村江以前の人口をそのままスライドして推定するのは誤りだ。

917 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:20:15
>>916
お前の電波度は、常識人=

918 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:21:34
カキコ失敗したスマン。
>>916
お前の電波度は、常識人=0 基地外=10 として、8くらいだな。

919 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:25:38
671年に唐軍ら2千人が倭に上陸したころ、唐ではチベットの侵略阻止で敗北し続け、
極東から至急兵を引き上げ、チベットに投入する必要があった。

そのため、それ以降は新羅と和平を保ちさえすれば、日本列島は外敵の心配が一服し、
首都機能を畿内に移転するほうが、国内を統治しやすくなった。

920 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:28:45
魏志倭人伝の何万戸の都市は今のどこか、今現在言えないから九州説は崩壊だあ、
などという屁理屈は、発掘が進んでいない九州に向かって言っても無駄。
また1戸が何人に相当するかの見解も確定的ではない。

921 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:28:47
普通、人口はリニアに、必ず右肩上がりに増えていくわけではないぞ。
農業なら農業のなにかドラスティックな変化があったときに増えるんだ。

縄文時代なら、縄文時代の狩猟採集生活(一部農業もやっていたが)
の生産力が限界で、それから上は、極めてゆっくりとしか増えることができない。

弥生になって、コメ生産ができるようになって、稲作出来る土地を開拓し尽くして
また停滞する。

鉄が入り、開拓できない土地が開拓できるようになって、開拓し尽くして、

また停滞する。

さて、奈良時代なら、人口統計があるが、弥生時代から
どのくらい増えたのか。弥生時代に対して
奈良時代までに、どんな変化があったのか。

吉野ケ里からも鉄製品が出てくるところと、鍬や鋤などの道具の出土を見る限り
奈良時代もあまりかわらなそう。
農業生産力を大幅に増加させるようなドラスティックな変化は
あまりないように見えるんだが、あるとしたら、どんな改革があったのだろか。

それとも、農業とは関係なく、なにか大きな変化はあるのか。

922 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:32:33
だいたい、日向の古代住居址なんぞいくらでもあるから別に遺跡調査なんぞせず
どんどんつぶしてきたんだよ。
大和ならば、大騒ぎしたんだろうがね。

923 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:33:09
>>914
江戸→東京の時は、江戸の人口が急激に増えても養えるだけの生産力があった
そりゃ、江戸は徳川の時代から一大消費地で、生産物が集まる仕組みが出来ていたからね
九州→畿内でも、それだけの人口移動が可能だったのなら、畿内に既にその生産力あるいは物流システムが既にあっと事になる
畿内が既にそんなに整っていたのなら、畿内にも相当な勢力が存在したと認めざるを得ない
どっちにしたって矛盾するんだよ

924 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:34:03
>>921
>農業なら農業のなにかドラスティックな変化があったときに増えるんだ。

違うね。医療技術が進展する近代以前は、大量死の原因がある場合を除いて人口は微増で推移する。特に民族移動を
考える必要のない島国の日本においてその傾向は顕著。また、農業技術やその他の社会制度も人間が暮らしやすいよ
うに少しずつ進歩している。なぜ嘘を書くんだ?

925 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:39:11
福岡平野だと那珂川、御笠川で削られたところ以外は
ほぼ全域、何らかの遺跡があると思って良い

佐賀平野だと、過去に海底じゃないところなら
何らかの遺跡があると思って良い。

遺跡面積から、人口を出すことはできないか?

926 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:40:44
中生代の恐竜の絶滅も含め
地球上には何度か「大絶滅」と言える現象があったとか…

ここの九州説によると『 九州大絶滅 』とでも言うべき現象が
あったと言うことなんだろうなwwwww

しかしそれが3世紀に近い時代だと奈良時代8世紀までに
人口を回復する時間がたっぷりある羽目になるので
精々6世紀とか7世紀あたりか?www

一体いつの時代、どのような大惨事だったのか?
文献資料、考古資料その他に残ってないはずはないと思うので
是非にもご教授くださいwwwwwwwww



927 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:41:58
九州がそんなに肥沃なら、そもそも手放さないし、後世まで田畑は残るものだろう
だいたい農民の感情からして、既に耕して安定生産が見込める土地を捨てて
新たに開墾田起こしから始めようなんて考える訳が無い
どの時代を通じても、支配層の移動・移封はあっても、農民ごとすっかり移動するなんて聞いた事が無い
農民は土地を捨てないものだよ、九州に肥沃な土地があったなら、農民は残って後世まで耕し続けただろうよ

928 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:43:16
>>924
>限界に達したあとは。極めてゆっくりとしか増えることはできない

これは微増と同じだと思うが。
もっとも、1%以下という、極めて小さい微増を想定している。

929 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:47:06
>>927
俺も同じツッコミを考えたがw

もし 一次産業従事者=お百姓さん も根こそぎ移動なんて事が
あるとすれば他民族に圧迫されたとか

中米あたりの古代文明なら焼畑の連続で
農地がやせ細ってしまった…とかかなあwww

930 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:48:37
いずれこの資料は信頼性が高いので参照してくれ。エクセルが入っていれば読める。
http://www.stat.go.jp/data/sekai/02.htm

931 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:49:08
良く考えてみたら、開発され尽くした土地で、人口が増えるはずがない。
余った人間は、普通よその土地へ行くんだ。

ひとつの国で人口が増え続けることはできないのだ。
あたりまえのことだが。

932 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:57:40
>>924
農業技術を教えてもらって、30年で人口倍増した国あるんですけど・・・

933 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 02:11:02
>>927
実際、筑後平野ではいまでも耕し続けてるから。
過去に海だったところは別として、紀元前から耕しているから
土地はいくらか疲弊しているらしく
筑後川に近いところは、肥えている土地で、遠いところは痩せているという。
筑後川が反乱して、微量元素の多い土に入れ替わっているからだそうだ、

934 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 04:59:33
なんだ縄が暴れてただけか
どっか池よ

935 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 06:26:13
>>790
大変遅レスで恐縮だが、ポアンカレ予想より難しいよ。
ちなみに、僕が昨日夕食に何を食べたか、君にはわからないだろう。
あてずっぽうは言えても、論理的に正解にいたるのは不可能。
君にとってポアンカレ予想を証明するよりももっと難しい。
君に言えることは、僕が夕食の献立を質問したという事実から、夕食は食べたらしいということだけ。
同様に、倭人伝があるおかげで、女王が存在したらしいということは言える。

僕が日記に献立を書いていて、それを君が入手できれば僕が何を食べたか簡単に答えられるように、
新資料が出れば、文献史学からでも何か言えるんだけどね。

考古学は、言葉は悪いけど、我が家のごみ箱をあさって何を食べたか調べるようなもんかな。
日記を覗くか、ごみ箱を覗くか。

>>262の行路は、たとえば、昨夜僕が何を食べたか、君が何らかの推論の下、トンカツと答えたようなもの。
でも、情報が足りなさすぎるのだから、推理すること自体に無理がある。
結論は偶然当たってるかもしれないしが、
文献史学としては、当否を証明しようがないから、学問的な価値はない。
将来、邪馬台国問題が解決するとしたら、考古学の成果によるしかないだろうね。
そうでなければ、3世紀の日本に文字が存在して、その記録が発見されるか。

936 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 08:02:46
倭人伝は日記だよ。君はそれを「見栄を張って食べてもいない物を書いているに違いない」などといって
まったく信用しないだけだよ。私は日記を読んで不自然なところがなければ、まともに受け取る、それだ
けのことだ。ゴミ箱をあさることができなければ、日記だけで判断するしかないじゃないか。

937 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 08:37:00
倭人伝なんてまともに読んでいたら畿内説は絶対に成り立ちませんから、
ありとあらゆる難癖をつけて徹底的に無視しておかないといけません。

938 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 08:45:49
>>937
『まともに・・・』とか『素直に・・・』とか言う奴って
殆どデンパ君だから気をつけるべき

939 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 08:54:33
『まともに・・・』とか『素直に・・・』は、絶対に読まないのが畿内説だ。
ん、これって全くのデンパ君だよな。殆どではなく、全てだ。

940 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:16:53
>>939
日本語でおk

941 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:20:05
>>936
倭人伝は日記じゃないよ。
僕(倭人)の隣人(帯方郡)が「隣の人はこんな人」って書いて送った手紙を受け取った人(魏の朝廷)が残したメモを
拾った無関係な人(陳寿)が切り貼りして出来た物。

>>937>>938>>939
「まともに」「素直に」読んだら、畿内も九州も無理だよ。
「会稽東冶の東」を素直に読んだら沖縄じゃん。
それを無視して九州説論者が「まともに」「すなおに」とか言っても、説得力皆無です。

942 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:26:17
>>932
李氏朝鮮の場合は、500年間人口が殆ど変わっていない。
日本の保護国、併合されると40年で倍以上に人口が増えている。
新しい技術の導入がないと人口は停滞し
新しい技術の導入があると人口は急増する。
縄文〜弥生は新しい技術の導入があり人口が急増した時代
弥生〜奈良は新しい技術の導入がなく人口が停滞した時代。
じゃないかな。

943 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:40:37
会稽東冶は会稽東治説があります。
太白?だかが、東の会稽という野蛮国に行き、蛮人を治めたということからだそうです。

944 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:43:53
当時の中国の地図の日本が傾いている件

945 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:50:08
倭人伝が日記じゃないのは当然。
公孫氏の帯方郡が残した倭についての記録や
魏の帯方郡が倭に派遣した梯雋
次に魏の帯方郡が倭に派遣した張政の記録を基に
陳寿が歴史書を書くにあたって纏めたもの。
陳寿の基資料の字が汚くて見間違えた誤記や
誤記から記録の内容を誤解した部分があり
倭人伝の内容に矛盾が生じたのだろう。

946 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:59:47
>>942

「弥生時代九州だけで100万人」なんて話になったら
”停滞”じゃ済まない。

恐らく半分近くに減少しているって話だが…

3世紀から8世紀までに九州の人口をどん底まで落とし込んだ
『 九州大絶滅 』と言うべき現象がないと無理wwwwww

しかも3世紀に近い年代なら
8世紀までに人口を回復する時間があるので
8世紀に近い時代に起きたんだろう。

文献や考古資料に残っていないはずは無い。
是非それが一体何なのか解明してくれ。

現在古代の人口の推定数字を出している学者の研究
まるごと吹っ飛ぶ快挙になるんじゃないのか?w

947 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:06:46
>「会稽東冶の東」を素直に読んだら沖縄じゃん。
読み方を知らない奴だな。完全な誤読だ。会稽から東冶にかけての東ということだ。
東冶の東ではない。それに、倭人伝の記事は、その辺りだろう、と言ってるだけ。
その推測が不正確だからといって、「まともに」も「素直に」も読まないっていう
のは正しくないね。

948 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:10:38
>>946
>恐らく半分近くに減少しているって話だが…
減少? いつの人口が? その認定資料がないんだろ。

949 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:17:24
>>948

鬼頭(2000)

http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html

そう言えば鬼頭センセイ、以前「歴史人口学」のセンセイとして
爆笑問題と対談でTVに出てたなwww

で、現象とまでも言わずとも弥生の九州百万人が”横ばい”と言うような数字を出しているようなデータでもあるのか?

お前は何に基づいて話しをしているのだ?





950 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:26:25
おいおい、数字が細かく書いてあるからって鵜呑みにしちゃいかんのだよ。
その数字を出す資料にまったく信用できるものがないってこと。
だから、「こんな程度じゃないかな」、鬼頭がそう考えただけで、それ以
上のもんではない。

951 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:28:57
>>950

ただ単に「信用できません」と言われてもねえ…

じゃあどのような数字が正しいのか?
何処をどう考えてこの数字を修正すべきなのかその根拠を言え。

お前の感想、願望を聞いても意味がない。


952 :第三者:2010/05/22(土) 10:34:00
「3世紀の人口<奈良時代の人口」については根拠が無いことが明らかになって来た。むしろ、奈良時代の方が
異常気象による不作や疫病の多発による死亡者の増加の可能性が高く、「3世紀の人口>奈良時代の人口」という
こともあったかも知れない。まあ、当時の人口の推移を示す記録がないので真相は不明であるが、少なくとも
「3世紀の人口<奈良時代の人口」を議論の根拠として用いるのは不当であると言えよう。

倭人伝には対比史料がないから信用すべきでないという論は乱暴である。延喜式なども倭人伝と同様の状況下に
あるが、こちらは信用するが倭人伝は信用しないでは筋は通らない。

953 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:37:15
一つの資料では信用できない、伝聞ではいけない、なんて言ってたのは君じゃ
ないのかな? もし、そうなら、きちんとした資料はない、よって、古い時代
の人口は分からない、って結論を出すべきだろ。
平安時代の人口と比較して・・とか、研究成果と比較して・・なんて言えない
ってことよ。少なくとも、君の論法からすれば言っちゃいかんのだよ。

954 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:37:39
>>947
>会稽から東冶にかけての東ということだ。

だから、そう言ってるじゃん。
会稽の東は薩南諸島。東冶侯官の東は石垣島。
会稽から東冶にかけての東は、まさに沖縄。

>それに、倭人伝の記事は、その辺りだろう、と言ってるだけ。
>その推測が不正確だからといって、「まともに」も「素直に」も読まないっていう
>のは正しくないね。

倭人伝の記述は不正確だって認めてるよ。

まあ、それで困った人が、東冶ではなく東治だというのでしょうね。
そうすれば、かろうじて九州島の南端にひっかかる可能性が出てくるから。

955 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:47:04
>>954
薩南諸島は鹿児島県、沖縄県ではないんだよ。一緒にしてはいかん。

倭人伝が推測だと書いているところは不正確だって仕方がない。それがやむを得ない
範囲ならば、他のはっきり書いている部分を疑う理由にはならんさ。

956 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:48:21
>>953

結局イチャモンつけるだけで
自分の方は何一つ客観的なデータを出さない。

「倭人伝ウソつかない」と言うお話で終わり。
お前の倭人伝の読書感想文を聞いても意味がない。
そんな物はチラシの裏にでも書いておけアホ。

せめてお前が比定する九州邪馬台国の領域に
弥生末期、奴国=福岡平野の比恵・那珂を凌駕するような遺跡でも挙げてくれ。

そうすれば「七万戸」と言う数字が実数としてどれくらいだったのかはともかく

「奴国二万戸以上の国勢を有したクニが九州にあったんだろうな」

と言うのは誰もが首肯できるだろう。

イチャモンのためのイチャモンレベルのお話はうんざりだw

しかしこの話を持ち出した初老教授は言うだけ言ってトンズラなのか?

それとも例によって縄文人のアホの捨てハンだったのだろうか?wwwwwwww


957 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 10:54:58
>>956
君が客観的なデータを無視しているだけだ。
倭人伝、これほど客観的なデータはないよ。

958 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:00:09
www風情などに客観性を求めるのはチンパンジーに攻撃性を抑制せよと言うようなもの。
相手の知能レベルをもっと考えてあげようよ。

959 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:02:47
>>949
鬼頭
弥生時代、北部九州、紀元前1800年40,500人
奈良時代、北部九州、紀元725年340,500人

これからすると3世紀の北部九州は300,000人くらいかな。

960 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:09:25
>>959
>紀元前

なんのことかと思ったが…「BP」は○年前であってBCとちゃうからwwww

961 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:18:55
まあ鬼頭のモデルだと九州でも北より南の方が人口が多いってのも面白いなwww
(ここは良く日向厨がひく部分ではあるがw)

大型の誰でも知っているような遺跡のイメージでその地域の人口を推し量ると
とんでもない誤解をするんだろう…



962 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:24:00
>>960
失礼しました、
途中から記述方式が変わっている可笑しな表ですね
鬼頭のモデルは数字の根拠が示されていないので
どの程度信頼出来るものかも分かりませんし
鬼頭個人が私はこう思う程度にしか扱えませんね。

963 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 11:25:05
大型建物の周囲の人口が少ないということは、
大型建物を建てた権力者は、さらに大きな領地の人間を動かす事ができた
証拠である。


964 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:31:07
>>962
ならば倭人伝なんかもっと問題外に酷いってだけだなw

「そもそも魏使は卑弥呼の下には赴かなかった」
なんて話まで飛び出す始末で。

そもそもその邪馬台国の位置すら定かではないのならデータ以前の問題wwww

で、>>956
>せめてお前が比定する九州邪馬台国の領域に
>弥生末期、奴国=福岡平野の比恵・那珂を凌駕するような遺跡でも挙げてくれ。

これに答えてみる九州説の人間はおらんのか?
この板じゃあ

「九州には邪馬台国の候補の遺跡が腐るほどある」

と言う話を良く聞くんだがwwwww


965 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:53:34
>>964
奴国=福岡平野の比恵・那珂は邪馬台国の領域だよ。

966 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 11:58:30
奴国が現在の福岡市周辺で、ここを二万戸と仮定すると
2倍から3倍の国が他にもあったと言うだけのこと。

そのクラスの国のいずれかが邪馬台国の可能性があるということだ。

967 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 12:12:41
>>966
だからそんな2倍3倍とかいう規模の遺跡、少なくとも候補なんかこの世に存在するのか?って話だよ。

俺には奴国さんの身長は2メートルで、邪馬台国さんは7メートルとかいったヨタ話にしか読めないよ。

968 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 12:13:21
邪馬台国は7万戸・・・北部九州全域(35万人?)
奴国は邪馬台国中最大の国邑
「世有王」と記された伊都国が邪馬台国の王都。

969 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 12:50:21
福岡平野 平野部 500平方キロ(現在) 奴国二万戸
筑紫平野 平野部 1250平方キロ(現在) 投馬国五万戸

だいたいあってる。

970 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 12:52:06
追加 筑紫平野は、佐賀平野も含みます。

971 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 13:08:34
珍説

筑紫平野 投馬国五万戸
これは八女に2メを足して 10メと読み、ヤメ大国が正しい表記である。


972 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:15:53
アハハこりゃ愉快だ

973 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:17:35
甕だが

>>798
>卑怯・反則こそが信条、脳内で勝てばそれでいい、九州説ソルジャーサイキバ

チョーウケタwwww

974 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:18:57
熊本平野を計っていたけど
平野部が950平方キロ止まり
玉名や山鹿などは、台地で平野扱いされない。
台地は地図で見ても、余りよく分からない。

ぐすん

975 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:25:55
熊本平野は八代も含みます

976 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:27:14
>>967
気の毒に・・。掘っても掘っても大したものが出ない地域にこだわっていると
どこにでも遺跡が眠っているという状況が理解できなくなるんだろう。

977 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:31:54
>>976
だよなw九州にこだわったって、しょうがないよなw

978 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:39:15
まぁ多く見ても九州全島で七万戸位だな。

979 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:50:08
>>978
北部九州に七万戸(邪馬台国)
南部九州に五万戸?(狗奴国)は十分に入る。

980 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:52:01
よし、肥後を投馬国五万戸
肥前筑後を邪馬台国七万戸としよう………かとおもったが、

肥後は全体的に標高が高い。当時海だった可能性が高いのは
肥前筑後の方である。むかし海だった部分(福岡も意味だった場所は結構ある)
を考えれば、肥前筑後より、肥後熊本の方が
広かったかも知れない。

981 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 13:56:38
伊都国(前原) -> 奴国(福岡) -> 宇美 -> 投馬国(筑後肥前)
->邪馬台国(熊本)

のほうが行程順的にもしっくりはくるな。

982 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 14:03:33
倭人伝の記述では北から南に
帯方郡⇒韓⇒投馬国⇒海⇒邪馬台国⇒狗奴国の
順で国が在ったと読める。


983 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 14:28:52
こういう四苦八苦を称して「素直に読んだ」ということか

984 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 14:32:14
妄想垂れ流して何が『素直』になんだかwwww

985 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 15:36:16
>>982
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
「帯方郡からに南、投馬國に至る水行二十日。官を彌彌といい、副を彌彌那利という。五萬余戸か。
投馬國から南、邪馬壹國に至る、女王の都する所。水行十日 陸行一月。官に伊支馬あり、次を彌馬升といい、次を彌馬獲支といい、次を奴佳鞮という、七萬余戸か」
3世紀に日本で陸上を一月も移動出来るような道路が整備されていたとは考えられないので、一月は一日の誤りであろう。

986 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/22(土) 16:05:50
景行は大和から周防サバまでを20日で移動している。
であるならば、合計40日有れば、郡から大和まで移動可能となる。
そこに官有伊支馬 、イクメが居ればそれは垂仁のことだ。


987 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 16:13:35
>>985
「女王之所都」女王の都する所とは
「世有王」と王が代々居ると記された伊都國のこと。
「皆統屬女王國」とは倭の国々は皆、女王國(伊都國)に統屬するの意味。
伊都國の遺跡と考えられる平原遺跡では女王の墓が見つかっている。

988 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 16:18:13
> 3世紀に日本で陸上を一月も移動出来るような道路が整備されていたとは考えられないので、

古代のことは勝手に判断してはダメです。

奈良時代に大道があったことが確認されたのも1970年代ですし・・・

989 :ローガン:2010/05/22(土) 16:50:20
人口か…
飛鳥の天智代の木簡に「白髪部五十戸…」とあり、行政単位と考えて良いでしょう。当時の戸は郷戸だと思う。1戸当たり20〜25人。仮に23人として50戸で1150人。
西南大学の高倉洋彰氏は、以前読んだ本の中で、青銅器分布から奴国連合を福岡平野、佐賀平野、筑後平野とし、奈良時代の行政単位で87郷とされていました。
とすれば、87郷×1150人で100050人。 仮に3世紀頃、これより、1割少ないとすれば、約90000人。
後漢書郡国志の1戸5〜6人を当てはめると約18000戸。まあアバウト二万戸とするとこの領域、つまり福岡平野から筑後平野が、奴国ですね。 まあ、数字遊びかもしれないけど。

990 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 16:55:23
一戸が何人か分からない以上
国の規模を面積比で評価するのは
一つのやり方だと思う。

991 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 17:02:35
>>990
韓の国と比較すると
九州に入る戸数はせいぜい10万戸〜15万戸でしょうね。

992 :初老教授:2010/05/22(土) 17:28:51
>>956
私は議論のやり方について感想(「弥生時代の人口<奈良時代(あるいは平安時代)の人口」という前提は科学的検証
が十分に行われていないということ)を述べたのですが、お陰で話が盛り上がっていましたね。

ところで、どなたかが九州に5万戸だとか7万戸だとかが存在したと判るような遺跡でもあるのかというようなことを
言われておりました。九州にはいたる所に弥生遺跡が存在しますが、一例として旧山門郡地域の古代遺跡を示す地図が
下記のサイトにありますのでご覧下さい。この地域には発見され記録されたものだけで60を越える弥生遺跡があります。
http://www.geocities.jp/bicdenki/newpage1.htm

なお、弥生時代のこの地域は上のサイトにある地図のように有明海が陸地内部に運河のように入り込んでおりまして、満
潮時には現在の柳川市は島の状態となっていたと考えられます。現在の内陸部に9カ所の弥生時代の港の跡が発見されて
おります。この港は満潮時における舟の出入りに用いられたと考えられます。
有明海の干満潮位の変化は約6メートルに達しますので、舟での行き来は満潮時の数時間に限られていたと考えられます。

この地域は倭人伝の投馬国の一部をなすものという説がありますが、大人数の一行が舟を使ってこの地域を旅する場合、
用を足したり食事をしたり宿泊をするために豪族の集落に立ち寄ると、潮位の関係で一日に一カ所しか移動できないと
いうことが考えられます。筑後川に近い宝満川流域の不彌国から水行20日で投馬国を通り抜けるとすれば現実味のある
ことに思えますね。


993 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 18:50:27
>>992
死ね、無教養。

994 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 19:06:42
水行は瀬戸内海のこと

995 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 19:47:10
水行は外海でも内海でも川でもよい、
単に陸行に対して使われた語。


996 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 20:16:33
>>955
>薩南諸島は鹿児島県、沖縄県ではないんだよ。一緒にしてはいかん。

何言ってんの?
会稽東冶之東=会稽から東冶にかけての東
会稽の東=薩南諸島
東冶の東=石垣島

薩南諸島と石垣島の間は?=沖縄

計其道里、當在会稽東冶之東

これはあやふやな推測を述べてるんじゃないよ。はっきり書いてあるんだ。
道里を計算すれば、当然そうなるということ。
「當然」とは「當(まさ)に然るべし」。
「当然」の「当」と「當在会稽東冶之東」の「当」は同じもの。

997 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 20:45:42
>>993
喧嘩に負けた子供の捨て台詞みたいだな。

998 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 20:46:22
>>992 初老教授
>科学的検証

下らないレトリックだな。
それっぽい言葉を出せば格好つくと思うなよアホ。
読んでいるこっちが恥ずかしいわw

「弥生時代の人口>奈良時代の人口」と言う異常事態を想定するのなら
それを主張する者が立証すべきで

てめえに都合が悪いから馬鹿がごねていだけの馬鹿に過ぎない。

九州の人口を500年前以下に引き戻したような
『 九州大絶滅 』とでも言うべき現象が起こりえた可能性をさっさと説明してみろ。

それからお前が遺跡の紹介として出してきたリンク先。
弥生末期に絞らないと話にもならない。漫然と弥生時代を持ってきても意味なし。

(年代をぼやかして弥生時代全体の話に持っていくのはここの九州説のアホ連中のデフォだがwwww)

こっちが何の為に福岡平野で「比恵・那珂」に絞ったか意味を理解できていないようだな。

「纏向スレ」の老教授のキャラを真似て
それっぽい事を言おうとしているんだろうが内容が幼稚、お粗末、低レベル。

やり直せ馬鹿者。


999 :縄文人:2010/05/22(土) 21:01:12
ぐへへ。 あ、プールサイドに夏がくりゃ、ぐへへへっへっへ。

あ、縄文、縄文、縄文人が、とってもかしこい縄文人が、

わっはは、わっはは、へーいへーいへーーい。



1000 :日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:06:48
>>798
>次々と仮面(ハンドル)を代えるテクニシャン、九州説ゼブラ縄文人

・・・と言うわけでしたwwwww


1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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