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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 73

1 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 02:27:59
           ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 72
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1274539361/


2 :サイキバの軌跡w:2010/06/01(火) 02:29:28
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576
それと・・・
 「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w

590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww

595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)


3 :悪質なコテハン:2010/06/01(火) 02:32:27
名無しや別コテとなって煽ってるコテハンリスト

縄文人
縦目仮面
九州王朝大好き
唐松山
太国

追記ヨロ

4 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 05:22:06
前スレ >>998

倭人伝には、伊都国には代々王がいて、皆「女王国」に統属するとある。
また、一大率が諸国を検察し、諸国はこれを畏れ憚るとある。

これらは、一つ抜けた力のある国の存在をうかがわせる。

だいたい、「ゆるやかな連合」なんて根拠のないものを前提にするのが
間違っている。

5 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 05:40:11
【 要注意 】

 このスレには、しつこく自演を繰り返すサイキック・バカが粘着しているので注意されたし。

【 対処法 】

 NGWordに「www」「www」を追加。(透明あぼ〜ん推薦)

 これにより、wwwでお馴染みのサイキック・バカがすっきり浄化されます。はい

6 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 05:41:21
>>3
サイキック・バカ乙

7 :3:2010/06/01(火) 09:02:29
さて真性サイキバに紛れて荒らしてる奴>>6
>>3にいるということかw

8 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 10:12:21
>>7
サイキック・バカ乙

9 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 10:42:07
前スレ998をコピペ

>>そもそも倭人伝の記述から卑弥呼が国内においても絶大な権力を持っていたかのような推測自体俺は疑っているw
>これは疑いたくなるところだよな。畿内「ゆるやかな連合」説に立てば、連合諸国はそれぞれの首長と首長霊を持っていたはず
>で、おそらく前方後円墳の祭祀はそれらの首長霊間の調整機能があったのではないかと考えている。各首長が集まっての共食
>儀礼のようなもの。そこで、神々の序列のようなものも決まってきたのではないか。

10 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 13:43:02
畿内詐欺の常套詐欺理論

  「ゆるやかな連合」

畿内政権が列島の支配者だった根拠は、
この詐欺理論に依存している。

11 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 14:41:27
>各首長が集まっての共食 儀礼のようなもの。

共食いするのかあ?おっそろしいことするな。

12 :ローガン:2010/06/01(火) 15:14:20
前スレ928さん
>『ホケノ山古墳の研究』 シリーズ橿原考古学研究所研究成果第10冊 六一書房 橿原考古学研究所 (2008/11 7000円)
>完全にソースを提示した上で書くが、要するに異なる二つの時代のものと思われる木片が出土したということで、前回の測定が否定されたわけではない。

すぐ売り切れたので読んでないのですが…
その小枝の由来には触れてありませんか?例えば、可能性としてですが、前方部木棺墓が布留1期として
供献小型丸底土器と「小枝」の同時性とか…。 前スレの貴レスを読む限り主体埋葬後、かなり期間をおいて木槨が開けられたと 述べているようにも読めるんですが。いかがでしょう。

13 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 18:47:14
>>12  横からだけど・・・・・
もとから3世紀を示すC14測定結果と、4Cを示すC14測定結果があって、
最初の報告では、「なぜか」3世紀のものだけを公表した。

しかし、外部に測定依頼していたので、4世紀の測定結果の存在も知られていたので、
隠蔽と取られるのも困るということで、最近になってひっそりと論文の中で引用された、
というのが実情だろう。


3Cのものと4Cのものが同じ古墳で出たら、新しいものが基準になるというのが定説である。

これでホケノ山古墳が4C以降であることがほぼ確定したが、相変わらず不都合な事実
から目をそむけ続ける糞がいるということが、今回再確認されたということ。

14 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 19:00:09
>>13
そんなくだらん陰謀論は聞き飽きたわ

もしお前の言うとおりだとすると、橿考研はとてつもない権力を持つ闇の組織だということになるのだが
そんなヨタ話を書き込んでいると言う自覚はあるのか?

15 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 19:20:48
しかしまあ、166回も掘って、何か出るたびに
たいして関係がないのに、卑弥呼とか邪馬台国とか
流すのは、いい加減にしてもらいたいものだ。

16 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 19:25:06
>>14
闇の組織じゃなくて、おおっぴらに詐欺を続けている畿内説詐欺集団の、一組織だろ。

17 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 19:37:33
ホケノ山が4世紀というのは妥当なところだろうな。
で、三角縁神獣鏡の出てくる黒塚などはその後。
となると、三角縁の年代は4世紀中頃か。

なんだ、元に戻っている。となると、伝世鏡理論の復活か。

18 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 19:44:46
魏志倭人伝には、一つしか塚の記述がないのに、
畿内説では、大型古墳がたくさんあるから邪馬台国の証拠だ、
という詐欺理論を振りかざして、100年になる。
いい加減にやめてもらいたい。

畿内詐欺説が、梅原末治なんていう大物詐欺師に支配されたのも問題だ。

19 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 19:56:27
まあいつもの東遷厨による安本式の恣意的ミスリードだな。

資料によって異なる年代が出ているのは事実だろうが

じゃあどちらかに統一しなければならない話なのか?
その検証が全くない。

例えば墓域内で長期にわたり祭祀が行われた云々の可能性をスルーしている。

まあ詐欺ペテンの論法だなwww

自分に都合が良いデータが出たら散々文句言っていた14Cの年代測定にも飛びつくw

仮にその小枝からの年代が正しいと言うのなら
以前、木棺から出た数字はどう解釈するんだ?

きちんと答えろって話だな。

恐らく資料としては木棺の物が一番良い筈で
後世にその場所に混入したなんて事を考えなくて良い。

それにその表面が恐らくは防腐処理のために焼かれでいたのか?
炭化しているというのも生物劣化による浸食も受けないと言うことで
資料としては条件が良いという。

同じネタに「桃核」とかがあるがwこの手の詐欺理論はもうウンザリだ。


20 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:18:37
参考までに木棺炭化部分5点を、米国ベータ・アナリス社に依頼して
加速器質量分析法で測定された数字を書いておく
(『ホケノ山古墳 調査概報』 奈良県立橿原考古学研究所 編  より)

まあ、畿内説の連中には今更だろうがwwww


測定資料No           補正14C年代(yBP) 較正された暦年代(確立95%)
HOKENO-1(Beta-141087)  1880+/-50BP     cal AD30to245
HOKENO-2(Beta-141088)  1920+/-40BP     cal AD 5to155
HOKENO-3(Beta-141089)  1910+/-40BP     cal AD20to215
HOKENO-4(Beta-141090)  1940+/-40BP     cal AD30to135
HOKENO-5(Beta-141091)  1880+/-40BP     cal AD55to235



21 :20訂正:2010/06/01(火) 20:21:35
確立→確率

22 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:34:12
卑弥呼の墓が銅鏡を副葬していたら、倭人伝は、きっとそのことを書いただろう。
魏帝から銅鏡をもらった卑弥呼が、その銅鏡と共に葬られた。もしそれが事実ならば
倭王の忠誠を伝えることにもなる、書かないはずはないな。
書いてないということは、卑弥呼の墓は銅鏡を副葬していないということだ。

23 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:34:18
ほう、ホケノ山の木棺が1世紀から2世紀頭、ってところか。
非常に興味深い。

吉野ヶ里も、紀元前後で出てくるんだよな。
想定より1世紀から2世紀古いようだな。

24 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:36:04
>>4
もうこの手のイチャモンレベルの脊髄反射レスにもうんざりだ

「ゆるやかな首長連合」とはその後のヤマト王権の発展の経緯から出てきたもので
単に「邪馬台国論争」なんて偏狭な話ではない。

まあ逆に言えば「九州王朝的歴史観」からすれば
一層認めることが出来ない考え方になるんだろうがwwwwww

そもそも、
「じゃあ弥生末期の九州に30カ国を強力に面的支配をしたそんな強国があるのか?」
…って話だなwww

少なくとも「奴国二万戸」を上回るクニとは何処だ?
イチャモン付けるだけでそれに答えないのか?

「九州の考古学者で邪馬台国が九州にあったなんて思っている学者は一人もいない」

…とある九州の考古学者が言ったとか言う話があるが
(この台詞も大概に扇動的にアレだとも思うがw)

確かに現実を見ればそう言わざるをえないwww

25 :20:2010/06/01(火) 20:44:12
>>23
念のため付け加えておくと
>>20の表でNo1とNo5の物が表面に近い物だろうと言うことで
その数字をとり尚且つ表面をいくらかは削られているだろうと言うことで
3世紀前半ごろまでと言うのが”落としどころ”だったみたいだwww

まあこれも将来「時代を下らせ過ぎた」と批判の対象になるかもしれんがwwww

26 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:48:20
>少なくとも「奴国二万戸」を上回るクニとは何処だ?

投馬国五万餘戸と邪馬壹国七万餘戸だ。何をくだらんことを聞くのだ?

27 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:48:19
単純に、ある程度でかいクニってのは全国でもどこでもあったわけだ。(ここでいうクニとは要するに権力集団のことな)
どこか一つの地域だけ、なんてことはありえないわけで。

近畿、九州、出雲あたりは地理、風土的に特に集落があつまりやすく日本列島の中でも特に大きなクニができた… これも至極当たり前の話。
んでもってその中でも考古学的な成果でいうと近畿にあったクニがどうも当時の日本列島の中でも一番でかくて進歩的であった、という。

でもそれが魏志倭人伝でいう邪馬台国であるとは限らん。
むしろ邪馬台国なんてのは日本には無かった説(今の朝鮮半島あたりにあった)のほうが、この時代の記録の唯一の頼りである中国の資料に合致する。

28 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:50:32
>>26
それはどこにあるのだ?

29 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:51:27
>26
日本語の不自由奴が脊髄反射レスするなとw

「何処だ?」と言うのは場所を聞いているんだ。

何処の国の人間かは知らないがもう少し日本語を勉強して書き込んでくれwwwwww

30 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:51:49
要するに「ゆるやかな連合説」というのは

かつて九州に強大な王国があり、それがまた強大な大和朝廷との戦いの末に滅亡したとする「九州王朝説」
記紀は基本的に真実を伝えており、王家の系譜もまた正しいと考える「記紀原理主義者」

これらにとっては根底を揺るがされる説であり、考古学会どころか歴史学会そのものが「連合説」に傾きつつあると言う現実に耐えられないのだろう。

そういえば流石に最近は2chでも見なくなったが、「九州説を唱える考古学者などほとんどいない」ということすら信じなかった阿呆が何年か前までは普通に居たなあ。
今はもうそこは認めざるを得なくなったのか、もっぱら詐欺だの陰謀だのと声を枯らして叫ぶ芸風にシフトしたみたいだが。

31 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 20:57:42
>>9
>で、おそらく前方後円墳の祭祀はそれらの首長霊間の調整機能があったのではないかと考えている。各首長が集まっての共食
>儀礼のようなもの。そこで、神々の序列のようなものも決まってきたのではないか。

おおむね首肯できる内容なんだが…

最後「神々の序列のようなものも決まってきたのではないか。」と言う部分については
最終的にその序列が決するのが記紀神話の系統が出来上がった時代と言う事だと認識している。
(各地のカミガミを国津神として出雲神話の系譜に押し込めてある意味抹殺したとw)

まあ少なくとも4世紀頃は、まだまだ、あっちこっちのカミさんは現役バリバリだったとw

32 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:00:36
>>20
このように都合の良いものだけを載せたから、足元を見られる。
4Cになる結果も同時に出しておけばよかったのにね。
英語が読めないから4Cになるほうは出せなかったとでも言うのかな。

33 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:00:48
>>25
計測誤差もあるが、この手の計測は正規分布に近づくので
西暦120年と出れば、まあ西暦120年が一番可能性が高い年代と
考えて良いはずである。外れれば外れるほど、確率は急速に小さくなる。

一番新しいところで西暦120年、いくらか削られたところはあるだろうが
2〜30年位じゃないかな。
よほど年輪層が薄くなければ、100年200年分の年輪を削り取ってしまう
とは考えにくい。

また、今の歴史年代と数値が合わないからといって、日本独自の校正曲線
を作るというのは余計なことだ。科学的に修正の根拠があれば別だが。


34 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:01:35
これ「ゆるやかな連合」ではなく、「強権支配された邪馬台国連合30カ国」が九州にあったというのは到底批判に耐えうる説では
ないわな。考古学的には古墳時代初頭にあっても九州は小集団乱立。記紀でも、なんとか姫という土蜘蛛を頭に頂く小集団の
巣窟。

35 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:04:09
>>19
>例えば墓域内で長期にわたり祭祀が行われた云々の可能性をスルーしている。

それが議論できるのは、結果を両方とも公表してからの話だな。
実際には、当初の報告では3Cの方だけ公表して、「3Cで決まり」としてしまった。

まあいつものことなので、期待していなかったが。


36 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:04:38
倭人伝に描かれている「卑弥呼を王とする倭国」は「ゆるやかな首長連合」とはほど遠いだろ。
何度言ったら分かるんだ?おまいらは学習能力を持たんのか?ったく。世話の焼ける奴らだ。

37 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:08:41
>>32
ああ、悪いが俺は英語も分からないし
そもそも、その4Cになるデータと言う物を知らんのだが

それは同じく木棺のサンプルから出た数字なのか?

それにより>>20で挙げた計測結果が全く意味のないものに成ってしまうようなものなのか?

ソースを出してくれんかね?

38 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:12:18
>>37
英語が分からないというなら、>>20のソースも分からないとしないと一貫しないよ。

39 :ローガン:2010/06/01(火) 21:12:35
>>25
出土鏡が220年頃を遡れないからでしょう。

40 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:12:43
>>30
その「ゆるやかな連合説」の根拠は何かってことなんだが。
そんなものは、倭人伝などの漢書からも、記紀からもうかがえない。

ひょっとして土器で、そのようなことがわかると言うのかな。

文献の記録がないのに、歴史学会がどうこう言うわけがないし、考古学会が
そんなことを言うとしたら、思いっきりの想像だろう。

41 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/01(火) 21:16:43
>>962 太国:崇神即位元年=景初元年=237年である。
このことは 崇神没年=259年 からの逆算にて判明する。

つまり3倍年の中身が語れると云うことか?
崇神68年/3=23年
算木はすご〜い。


42 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:17:30
3〜4世紀の当時は、面的な支配をとうていなし得るような時代ではなかったという認識をどうして九州説は持てないのだろうか?
つまりこれは広域から収税できるような状況にはなかったということ。つまり倭国は交易主体の国家段階であったということだ。
倭人伝には >租賦を収む邸閣あり とあるが、これが広域から収税していた証にあたるとは思えない。せいぜいが環濠周辺部
からの収穫の上納程度ではなかったか。

これら交易の拠点都市間の連合であったなら、その関係は当然ゆるやかなものにならざるを得ない。なぜなら倭人伝当時、長駆
遠征して他国を叩くなどの軍事行動は不可能であったと考えられるから。ましてや各地で戦いを続けながらの東征など夢物語も
いいところ。

43 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:17:46
>>39 老眼

せやせや、そんな話もあったな、思い出したわw

ありがとうなwww

44 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:24:38
>>42
マルクス主義丸出しの発展段階論だな。
4Cに広域がダメで5C、6CでおKってのは、ご都合主義だな。

まあ学者にもマルクスかぶれはいまだに多いが。


45 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/01(火) 21:26:29
>>41
>景行28年は景行40年である←嘲笑だな wwwww
      ↓

 景行36年8月 五十功彦命 誕生

この児         ↑      は圧縮とやらで生まれる直前圧死
したとか、こやつはそのように歴史を語っているぞ。ww

46 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/01(火) 21:29:14
ホケノ山古墳を何処に置くか。
崇神崩御216年では早すぎれば
垂仁崩御239年がになる。菅原=茅原。
なお前方部の伽耶系墳墓は、どちらでも田道間守で解決できる。
祭器土器を埴輪の類とすれば垂仁。
そうでない場合、殉死の確認が出来れば、崇神となる。


47 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:32:22
>>38

おいおい、えらくもったいつけるなwwww

木棺のサンプルから出た数字で4Cなんてものが出ていたとするなら
最高の反論材料だろうにw

まさかその資料と言うのは由来の良く分からない木棺とは別のものなのか?w


48 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:34:04
マルクスは関係ないし、唯物史観は実証的に否定されている部分もたくさんある。戦争は近隣同士での争いが多かっただろう。
水利や耕地に関する紛争。しかしこの倭人伝の時代にあって、戦国時代のような天下布武の思想でもあったというのか、遠征
して交易相手を叩くなど意味がない。気象条件に左右されるこの時代の農耕にあって、交易は安定して食料を得るためのいわば
保険のようなもの。

49 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:34:40
>>44
この場合マルクスなんか引き合いに出さんでも
マンガレベルの九州鉄器軍団による統一を叫ぶ九州説と
そんな荒唐無稽なものを想定しない連合説
単にこれだけの話だ。良い訳ばかり巧くなって情けない奴だな。

50 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:37:35
>>42
>つまりこれは広域から収税できるような状況にはなかったということ。

もしそれが可能であったとするなら…

この板で九州説の連中言うところの「無人都市」の土木工事に
周辺から労力をかき集めてきてやった纏向ぐらいしか可能性がないと言うのも皮肉な話なのだがwwwww

51 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:43:01
ヤマト王権による王権領域の拡大が始まったのは、4世紀始め頃からだろう。記紀にある四道将軍の頃から。しかしこれとて戦闘
というより懐柔・交渉によるところが大きかっただろう。鏡など威信財の分与や前方後円墳祭祀の許可を、その地方内での対立する
集団をうまく利用し、巧妙に立ち回っている状況は古墳時代前期において考古学的に読み取ることができる。

>>50
これは宗教による、供献と奉仕じゃないか。ww

52 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:43:39
>>42
>3〜4世紀の当時は、面的な支配をとうていなし得るような時代ではなかったという認識をどうして九州説は持てないのだろうか?
>つまりこれは広域から収税できるような状況にはなかったということ。つまり倭国は交易主体の国家段階であったということだ。

何を根拠にそんなことを言うておるのかな。収税のことなど何で分かるのだ?
倭人伝には「自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之」と書いてあるだろ。こんなことは遺跡や出土物では分からぬことだ。
邪馬台国も卑弥呼も倭人伝を離れては存在しないのだ。よ〜く読むことだな。

53 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/01(火) 21:47:09
全国から物資や人間を集める治世方法として『屯倉』が導入された。
これは、景行時代であり、箸墓の造られたのは、261年である(250±10)


54 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:47:24
まあここの九州説の連中にすれば
「ゆるやかな首長連合」って部分に噛み付いておけば
観念論争の世界で言葉遊びしておけるからなwwww

グダグダ言ってないで
じゃあ3世紀の九州に強固な面支配をした一大強国が何処にあったのか?
をさっさと言えっちゅう話だなwwww

「まだ見つかっていないだけいずれ出てくる」
「市街地にあって遺跡は既に破壊された」
「大和朝廷が徹底的に破壊して回ったニダ!」

言い訳はいくらでもあるのかもしれないが
実際例えば威信材の集中等、そんな大国があったと思える材料もなく
「畿内説の学者」と言うよりは九州の考古学者が匙を投げているのが現状なのだろうwww


55 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:50:12
畿内詐欺説では、魏志倭人伝を無視して、卑弥呼の時代を「ゆるやかな連合」と断定し、
邪馬台国を強引に畿内に比定しているが、まったくそんな状況ではない。

鉄鏃で武装した兵隊がおり、一大率を置いて、諸國を検察させ、諸國は一大率を畏憚
していたというのが実情だ。倭國乱れ相攻伐すること歴年、というのも、木の棒で殴り合う
とった生易しいものではないだろう。

ろくな鉄器もなかった畿内邪馬台国説が詐欺だというのは明確だし、ゆるやかな連合論も詐欺だ。

56 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:52:39
発掘の進んでいない九州で、ピンポイントで比定できなければ九州説崩壊!というのは無理だ。
ジンギスカンの墓が見つからなければ、ジンギスカンなどという人物はいなかった、というのと同じ。

57 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:54:58
>>49
>マンガレベルの九州鉄器軍団による統一を叫ぶ九州説と

九州説の誰が九州鉄器軍団による統一を叫んでいるのだ?俺は知らんぞ。
だいたい統一とは何のことだ?邪馬台国と関係があるか?

仮に九州勢力が畿内を征服したとしても武力だけで成し遂げたと考える必要はないだろ。
頭を使ったんだよ。そんなことはあったり前だろ。

58 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 21:55:49
>>52
一大率の解釈は難しいが、これは後代の太宰帥にあたるものだと思っている。おそらくこの時期、「ゆるやかな連合」が大陸との
交易権を伊都国から那珂川流域に置き換えたのだと思う。そして伊都国およびその周辺をけん制するために置いたものだろう。
その権威は帯方郡、つまり公孫氏と魏の力によるところが大きかったと考えている。

59 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:00:23
>>58
おまえが考えるのは自由だが、根拠も無しに披露するな。

60 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:00:38
>>56
九州の発掘はかなり進んでいる。
もし未だに未発見で埋もれているとしたら、それはごく小さな集落程度のもの。
つまりそんなちいさなムラが邪馬台国だとでもいうつもりかい?

61 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:02:54
伊都国の繁栄の源が後漢の力を後ろ盾にしたものであるなら、>>58の解釈もそう不自然であるとは思わない。画文を公孫氏の
鏡と仮定するなら、その時代の半島からの力は畿内方面に流れている。

>>54
仮に九州に強権支配を行っていた邪馬台国があったとすれば、そこが未発掘であっても同時代の発掘された九州各地の遺跡
からは、そこに向かうなんらかのベクトルが読み取れてしかるべきだと思うが、それはない思うね。残念ながら。



62 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:03:26
>>57
頭を使った九州勢力さんとやらは、なぜその後に玄界灘一帯は衰退し、畿内の土器や工法や墳墓を受け入れていったのかねえwww

63 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/01(火) 22:03:46
九州がぐだぐだしている間に
大和は、崇神58年=新羅209年、任那建国。
さらにグダグダ言っていると、古墳時代となる。

ここに九州が大国となる思考を差し込まねば、九州説は成立しない。

でもね、私は優しいから
卑弥呼と男王は、九州で比定して良い。


64 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:05:08
>>62
九州勢力の主力になれなかったからだよ。当然の話だろうが。

65 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:06:56
>>17
>なんだ、元に戻っている。

東遷廚のおじいさん、よかったですね。かつての時代に戻れて。

>ホケノ山が4世紀というのは妥当なところだろうな。

おじいさん、自分に都合がよけりゃC14も認めてしまうんですね。
正直でなにより。

66 :61:2010/06/01(火) 22:06:58
×それはない思うね。 ○それはないと思うね。  タイプミスだ。中国人ではない。www

67 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:07:19
と言うかここの九州説のアホどもは何か勘違いしているようだがwww

ピンポイントで遺跡を挙げる事が出来ないのが致命傷じゃないんだよな。

状況的にそんな強国が現れたと想定できないと言う事が問題で。

例えば九州の筑紫平野に弥生末期に威信財の集中が見られるとか
九州のどこかを中心に土器の斉一性が進むとか…

そう言った”強国の出現”を予感させるような材料があれば
今日の九州説の凋落ぶりはないわけでwwwwww

68 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:07:48
>>60
邪馬台国は戸数七万餘だ。集落の数は四桁には上ったろうよ。筑後平野だって熊本平野だってそれくらいの
集落はあっただろうよ。

69 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:08:06
>>57
ん?最強の鉄器軍団を擁する邪馬台国が、九州内の三十ヶ国を統一してたんだろ?君らの理屈じゃあ。
そして敵対し衝突していたのが狗奴国なんだろ?倭国大乱(笑)とやらの後にさ。

70 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:10:27
>>64
おまいはきちんと自分のシナリオを語れ。
何か?九州邪馬台国は台与のあとに滅んだとかいう説か?

71 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:13:02
>>68
あっただろうよって・・・ここ笑うところかいな

では筑後平野や熊本平野において現在確認されている遺跡とは別に
まだ見つかっていない邪馬台国とやらがあるとでも思ってるのかね?

九州はアマゾンの奥地じゃないんだぜ

72 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:15:48
>>70
倭人伝をまともに読めば何ということはないはずだ。女王国以北は一大率の厳しい
検察を受けていたんだ。ということは、女王国以北の国々、すなわち北九州は倭国
の乱の敗者だよ。3世紀以降、北九州が衰退するのは当然のことだ。

73 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:21:01
>>60
あまり発掘は進んでいないな。
私有地になると全く手が出ない。
道路工事なんかでごく一部が調査されるだけ。

例えば、吉野ヶ里遺跡のすぐ隣の日吉神社。墳丘墓から50mと離れていない
小高い丘。
なんか怪しげだが、私有地なので調査できないばかりか、専門家は噂すら
することが出来ない。

74 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:22:03
>>65
坊やはいい子だから、もうおねんねしなさい。

75 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:25:20
発掘が進んでないというなら、それは日本全国進んでいないところはいくらもある。特に水田などの農地になってしまえば厳しい
のは前スレで誰かが書いていたとおりで、奈良でも今度の御所市の秋津遺跡は道路開発で出たものだろう。特に九州優位とは
思わないが。

76 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:25:30
>例えば九州の筑紫平野に弥生末期に威信財の集中が見られるとか
>九州のどこかを中心に土器の斉一性が進むとか…

何故邪馬台国にそんなことが起きなければならんのだ?卑弥呼が魏から貰ったものが威信財になるとしても
各国の首長に配れば大した数は残らない。土器などはそれぞれの地域の土に合った作り方をして何が悪いのだ。


77 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:25:44
>>73
その例でいうと、そりゃあ吉野ヶ里の一部か墳丘墓かもしれないって話だろwww
つまり何割かは確認されていて、隣接する部分が範囲に含まれるかどうかが不明ってだけじゃん。

君らがいうまだ見つかってない九州邪馬台国とやらは
広大な領土の総てが未発掘だって理屈なんだろうがwww

だから九州は未開のジャングルじゃないと何度言えばわかるのかね。

78 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:26:00
>>52
自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之

しかしながら、

倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王

です。一大卒を設置したのが女王なら、自らを共立した諸国を検察するのでしょうか?

79 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:28:57
>>76
ほー、では九州邪馬台国は三十ヶ国を女王の境界としていたという倭人伝の記述は間違いなわけだな。
それともそんな痕跡は全く無いが、倭人伝に書いてあるから現物が無くても正しいのだという狂信者なのか?

80 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:30:02
伊都国は共立しない諸国だと思うよ。ああ、ここでいう伊都国はもちろん前原のこと。前原は古墳時代でも栄えてはいるが、
権威色はすっかり薄れてしまっている。おそらく平原が倭人伝にある、世々の最後の王というところかな。

81 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:30:44
そもそも畿内説にしたって卑弥呼の墓がみつかってるわけじゃないし。
ある程度のでかいその当時の遺跡がある、ってだけでしょ?
なんでそれが邪馬台国になるの?

82 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:33:02
>>81
単に現時点で邪馬台国である蓋然性が高いと言うだけの話
それ以上でも以下でもない

そんな質問が出てくること自体、君が邪馬台国論争そのものを理解していない証拠だ

83 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:33:56
>>77
いや、非常に怪しげなものでも、私有地ならば、おおっぴらになることはないと
いう話。
例えば、方保田東原遺跡は発掘調査がされているので話題になるが、
うてな遺跡は話題になりにくいということ。

84 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:33:59
>>71>>77
あのな。邪馬台国は戸数七万餘だから広大な国なんだよ。筑後平野だとか熊本平野だとかの広い領域を
持っているのだ。纏向などとはスケールが違うんだよ。余りにも広いから卑弥呼の居た所がまだ見つか
っていないだけだ。

85 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:36:50
>>84
えええ!その理屈だと筑後平野だとか熊本平野とか、平野部まるごとひとつが邪馬台国だったってことかいな!

じゃあ現在筑後平野や熊本平野で見つかっている多数の弥生遺跡、あれは何?

86 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:37:52
戸数が領土の広さを表しているってことを知らない奴が結構いるんだよな。
7万戸というと、一箇所に7万戸の大集落があったと考える、「ありえん」と
叫んで、倭人伝は信用できんなどと喚く、処置無しだね。

87 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:39:41
>>84
あのな・・・といいたいのはこっちのほうで、ぜんぜんこちらのレスを理解していないだろう。その広大な邪馬台国があるなら九州の
各遺跡も少しは統一感が出てくるだろう。それこそ九州各地の地元土器がどこかに集まってる状況とか、ある地を中心として威信
財が計画的に分配されている状況とか。前代の伊都国は確かにそのような中心になっていた形跡があるがね。

88 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:39:59
>>85
国を構成する多数の集落があったことを示すものだ。

89 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:41:17
>>85
> じゃあ現在筑後平野や熊本平野で見つかっている多数の弥生遺跡、あれは何?

別に何も糞もないだろ。
その当時そこにあった集落の遺跡…ただそれだけのこった。

90 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:48:27
>>88は邪馬台国を構成する一部だと言い
>>89は別物だというわけか・・・・・・統一しろよおまいらw

でな、>>88の言うようにもしそれらが一部なら、なぜ統一感が皆無なんだ?
各々が違う墳墓形式を用い、交易さえ近隣よりも出雲や長門を主としているわけだ。
えらく統一感のない国だったんだな、邪馬台国って。

>>89は論外もいいところで、それらの弥生後期の遺跡が邪馬台国とは別物だとしたら
それこそアメーバもびっくりというような超いびつな領土で、しかも狭いということになる。
一度遺跡分布図を見てから書け。

91 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:50:53
>>74
おや、おじいさん。レスをどうも。じゃC14は認めるんですね。

ところで、
三角縁神獣鏡舶載説が主流だったのは王仲殊以前で、
箸墓=卑弥呼の墓説が唱えられたのが90年代以降だと、
バラバラなんですけど、
東遷廚おじいさんの敵の畿内説っていつの時代なの?

92 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:55:23
>>85>>88>>89
弥生遺跡もいろいろなんで、
前期や中期で止まっていて、その後が続いてない遺跡は、
邪馬台国や卑弥呼の居所・墓とは、直接の関連が希薄な遺跡だ

93 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:55:52
>>91

ごめんなさいね、ウチのおじいちゃんってばボケちゃって、昔の話がごっちゃになってるのよ
東京オリンピックで浅田真央が活躍して、東洋の魔女と呼ばれていたなんてすました顔でいうんだから、許してあげてね

94 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 22:58:23
>>92
>前期や中期で止まっていて、その後が続いてない遺跡

そんなもん最初から除外だ、除外
弥生後期から古墳前期に存在したと思われる遺跡限定で話している
話をそらすしかもう手が残ってないのか?

95 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:02:14
>>90
> >>89は論外もいいところで、それらの弥生後期の遺跡が邪馬台国とは別物だとしたら
> それこそアメーバもびっくりというような超いびつな領土で、しかも狭いということになる。
> 一度遺跡分布図を見てから書け。


狭い集落が点在していて何が問題なんだ?
そもそも邪馬台国でない、という立場なら領土のいびつさ(ナニを持っていびつ、と言ってるかしらんがw)なんぞまったく関係ないだろうに。

96 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:05:21
ここからは妄想ととられてもいいんだけど、上で書いたように伊都国の権威は漢の後ろ盾があった。その半島のバックを「ゆるやか
な連合」が奪取したのだと思う。時代は2世紀末か。公孫度が遼東太守となったのが中平6 年(189年)、帯方郡設置が204年で、伊
都国からの交易権奪取とかさなるんだよな。まあ中平刀がどうとかはいわないけど。年代観に不満はあるだろうが、纏向建設とも重
なる。日本海側ルートから公孫氏と通じた可能性もある。



97 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:08:38
>>95
まあいっぺん弥生後期の遺跡をすべて地図に書いて、それを避ける形で邪馬台国とやらの領土を線で引いてみ
俺には頭を抱えてのたうち回る>>95の姿が見えるねw

98 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:09:10
30ヶ国共立は共立であって、統一ではない。
統一支配しているのなら、共立などと書かない。

ある程度の集落が分散しているのにすぎない。

99 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:16:07
んで、倭人伝の伊都国の描写・・・確かなことはいえないが、 >世王有るも皆女王國に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。
これが3世紀半ばあたりのことなら、2世紀末の交易権奪取から伊都国王が、卑弥呼を頂く「ゆるやかな連合」に統属されたとして
何の不都合もないと思う。卑弥呼は長生きしたんだよ。ww

あと九州遺跡の統一感という話なら、後期の銅矛の出る南西四国も邪馬台国かな?ww

100 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:16:37
>>96
建安中,公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡,
遣公孫模、張敞等收集遺民,興兵伐韓濊,舊民稍出,
是後倭韓遂屬帶方。

建安年間(196年−220年)、倭は公孫氏に属した。
このときの倭王は卑弥呼だろう。

101 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:20:38
>>98
まあ勿体つけんと、自分の考えを書いてみーや
その九州邪馬台国は7世紀に滅んだのか?それとも東遷したんか?
それ以外の考え方なのか?

102 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:22:17
>>97
だーかーらー
なんで「それを避ける形で邪馬台国とやらの領土を線で引いて」みなくちゃならんの?
そんなところに邪馬台国なんて無い、って言ってる立場の人間がw

無い、っていってるところに「領土を引いてみろ!」なんて言われても困るんだがw

103 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:27:54
自分は日向宇佐−瀬戸内文化圏東遷説だな
有明海−玄界灘文化圏の九州王朝はこれとは別勢力

で、邪馬台国は九州王朝のどっか。
情報がないから詳しい場所は知らん。

巻向箸墓がどういう情報で
ヒミコの墓と比定するのか聞きたいくらいだ。

104 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:32:24
>>98
西暦107年の帥升のときから、倭国王というのが登場する。
このときには、邪馬台国を盟主とする30カ国の統属関係が出来ていたと解釈
出来る。だから、「倭」の国王と呼ばれた。

卑弥呼の場合は、その倭国王の地位をめぐって紛糾した挙句に、王に共立
された。

これは卑弥呼が死んだ後の様子からもわかる。男王が立ったが、国中が不服。
千人あまりを殺す争いが起きた。そこで、台与を王にすると国中はついに
定まった。

これが自然な解釈だと思う。

105 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:32:35
>>90
>各々が違う墳墓形式を用い、交易さえ近隣よりも出雲や長門を主としているわけだ。

それは筑後平野部のことか、それとも熊本平野部のことか?

106 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:34:43
>>103
>巻向箸墓がどういう情報で
>ヒミコの墓と比定するのか聞きたいくらいだ。

それは東遷廚のおじいさんに聞いて下さい。こちらも聞きたいんだが。

107 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:36:18
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。

108 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:47:13
箸墓が卑弥呼の墓かはわからない。歴博のC14があれほどピンポイントで出るものとは思わないし、土器編年も幅を見る必要
があるだろう。(ただし前後に) 興味深いのは、先行する100m級古墳に対し、やはり箸墓は画期となってるといえること。書紀
の記述になぜ「日は人が作り、夜は神が作る」というエピーソードで最初の巨大古墳造営の記事として載っているのかということ。
その被葬者が天皇(大王)でもない女性シャーマンとされていること。

109 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:51:07
>>103
記紀がどうして神武東征の出発点を日向にしているのか。
これが一つ問題になるかも。
本当に日向だったのなら、これは日向にやってきた勢力がいたのではないか。
もちろん、九州の西側からだが。

そうなると、これは熊本からとしか考えられない。
筑紫・あるいは筑後あたりから日向行くなら熊本を通らないと行けないから
である。これはちょっと問題がある。

狗奴国東遷説なんてのもあるが、記紀の記述からすると、やはり邪馬台国の
勢力の東遷が妥当だと考えられる。

東遷説の根幹の一つは、天照大神=卑弥呼となるわけで、記紀が天照大神を
皇祖としている以上、狗奴国の東遷はありえないだろう。

110 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:54:37
>>108
日本書紀によると、倭迹迹日百襲姫の墓は箸墓だが、現在一般的に箸墓古墳と
呼ばれている古墳が箸墓かどうかはわからない。
日本書紀にはそれをうかがわせるような記述はないし。

111 :日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:56:08
熊本から日向に行かせる理由がよく分からない。
日向の土着の勢力の一部が(数名かもしれない)
東遷して問題はないと思う。

112 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:02:06
>>110
それはそう。記紀の記述を鵜呑みにしないというスタンスは同慶。ww ただし現在の箸中山古墳は抜きにしても、最初の大規模古墳
造営の記事が倭迹迹日百襲姫についてであることは外れない。

>>109
どこに東遷したのかはこのレスではわからないが、纏向なら太陽信仰は見られない。少しアマテラスの祭祀の起源を調べてみるといい。



113 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:05:45
魏使一行の誰かが卑弥呼の墓の築造現場を見たらどのように記述するであろうか。
仮に箸中古墳を見たのであれば「大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」と記述するであろうか。
それまでに見たことも無い前方後円墳である。その大きさ、特異な形状に接したらあんな簡単な記述では
済ませられないだろう。実際には見ていない、伝聞だという声が出そうだな。



114 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:08:21
まあ、住民のいない纏向は邪馬台国じゃないし、
箸墓は卑弥呼の墓じゃないし、
三角縁神獣鏡は卑弥呼が貰った魏鏡じゃないことだけは確かだ。

115 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:08:49
>>109
おじいさん、目が覚めたんですね。恨み節ではなく、まともなことが言えるじゃないですか。
しかし、おじいさんまで熊本とは。なぜに熊本? 最近熊本大流行り。

>狗奴国東遷説なんてのもあるが、

いつあったんですか? しかし・・・

116 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:11:18
>>110
あとはこれか。書紀には、箸墓造営時に「大阪山の石を手越し(手渡し)にして運んだ」という記事があるけど、この大阪山というのは
大阪の柏原市の芝山のことではないかと思ってる。この山は大阪山とも呼ばれ、ここの石は箸墓・纏向石塚から出ている。

117 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:12:26
>>112
しかし、古墳造営の記述は他にないと思うが。

118 :ローガン:2010/06/02(水) 00:19:01
レスの進行が速く、よんでもらえないかもしれないので再掲。
「前スレ928さん
>『ホケノ山古墳の研究』 シリーズ橿原考古学研究所研究成果第10冊 六一書房 橿原考古学研究所 (2008/11 7000円)
>完全にソースを提示した上で書くが、要するに異なる二つの時代のものと思われる木片が出土したということで、前回の測定が否定されたわけではない。

すぐ売り切れたので読んでないのですが…
その小枝の由来には触れてありませんか?例えば、可能性としてですが、前方部木棺墓が布留1期として
供献小型丸底土器と「小枝」の同時性とか…。 前スレの貴レスを読む限り主体埋葬後、かなり期間をおいて木槨が開けられたと 述べているようにも読めるんですが。いかがでしょう。」
…それに確かこの、概報にない小枝ネタは、元々「ホケノ山は4世紀中」と主張した人から始まったものだった。
なら、その当人も当然「ホケノ山古墳の研究」目を通しているはず、是非上記について該当箇所の記述を教えていただきたい。
まさか鷲崎なる人からの単なる孫引きだけではないでしょう?


119 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:20:01
>>111
これは、記紀の記述、つまり天孫降臨から来ているわけだが。
瓊瓊杵尊は高天原から日向に降ったが、舟を使っていない。
山を越えてきたような印象がある。饒速日命が大和に行くとき、天磐舟で
やってきたと書かれているのと対照的。

120 :倭国は南北に長い:2010/06/02(水) 00:27:04
魏使が末盧国に上陸してからの行程の方角と距離で言えば、東西に500里前後、南北に1700里前後の
範囲で移動している。1里は80m前後を示すと見られるから、東西40km、南北140km前後というと
ころか。そしてその南に(どれくらい広いか分からない)狗奴国がある。

魏使の感覚では倭国は南北に長いということになるだろう。これがその後の大陸の倭国観となったの
だろう。

121 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:30:26
>>117
ああ、「最初の」という言葉が悪かったか。w じゃあ「最初にして唯一の」とかにすればいいか。記紀も金科玉条のように信じてる人
もいるけど、俺は8世紀成立時の事情が大きく内容に影響を与えていると考えてる。これを載せれば東遷厨にはいつも大反発を
くらうけど日向神話については、

> 「隼人の神話を取り込んだうえで、隼人を朝廷に服属させることを正当化するための造作を加えたものが記紀の日向神話。
  そこには記紀編さん時の、南九州、南島の領域化という朝廷の政治的関心、意図が強く反映している」

という隼人研究の権威、地元の中村明蔵氏の見解を支持する。



122 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:34:02
>>121

そうだね。
せめて、橿原遺跡から九州の遺物が何かみつかればいいんだけど、一切無いでしょ?
明治政府は一生懸命探したと思うんだけどなあ。


123 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:36:44
マキムクには卑弥呼の都の遺跡は無いと九州説は言うが、
それなら同じように、九州の一団が東征してきた証拠を出してみろと。

神武東征は証拠が無くても信じるが、
マキムクを卑弥呼の都とする証拠は一切信じないって、
そんな都合の良い話があるかっての。


124 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:40:05
>>120
>東西に500里前後、南北に1700里前後の範囲で移動している。
そんな狭い範囲では、水行二十日や水行十日陸行一月というのは理解できないだろう。
万二千里は女王国の境界までだ。その奥があるんだよ。
女王国の境界までという読み方ができるということは、明治時代に内藤が指摘して
いるんだが、その後の連中がほとんど考えていない、これが問題だな。

125 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:43:02
>>123
纏向を卑弥呼の都とする証拠はまったくないが、神武東征の証拠は
古事記と日本書紀の二つもあるよ。

126 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:43:54
神武東征に必要性も必然性も感じていないが
記紀に載ってるから、なんかネタ元になるもの
くらいはあったんだろうという程度。

日向から極少数の人間が、現地の人間に取り入って
畿内の政権を握っても、現地の人間が政権をとっても

九州王朝には、あまり関係がない。

127 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:44:03
しっかしひどいですなあ 近頃の邪馬台国関連と称するスレは
去年の巻向の発表で一旦静かになって、 それからじわじわとDQNが増えだして、
現在はジンバブエか南ア並みの無法、無差別テロの状況ですか

何かもっとまともに論議できる方法を考える必要がありそうですね

128 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:50:06
>>127
マキムクが宗教の方向に突っ走ったから、もうどうにでもなれという
退廃的な状況になった感があるな。
学者がアレでは・・・



129 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:53:25
>>123
しかし、神武東征は一応、文献に書かれていることだからね。

神武天皇が舟で到着した「河内国草香邑青雲白肩之津」は、記紀編纂時には
すでに内陸部になっていた。これからして作り話じゃないだろうと思うし。


130 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 00:56:55
>>129
古事記や日本書紀は皇国史観に毒された権力者が書いた偽書ですよ。

と脳まで赤く汚染された左翼学者が言っていましたよ。


131 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 01:30:03
浦島太郎も風土記に書かれたれっきとした史料なのだが

お前、それを信じてるのか?

132 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 01:36:25
もともと東遷説ってのは左翼バリバリの皇国史観否定だったのだが
どこかですり替えが行われたようだな
安本のアマテラス=卑弥呼あたりからかな

133 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 01:41:50
ところで…前スレから出てきた「鷲崎弘朋」なる人物の問題の発言ってこれかな?

http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/

ここの掲示板のにそのコメントがある。

>科学的と称する当初の炭素14測定値は、同じ炭素14年代法で否定されました。
>当初のDNA鑑定が、後に同じDNA鑑定で否定されたのと同じです。
>従って、ホケノ山古墳の築造をAD240年頃とする説は成立しません。

確かに上記の事が書かれているが・・・

大体DNAと言うのなら同じ人間から採取したものでないと意味がない。
(この場合同じ木棺ということになる)

違う人間(小枝)から取りゃ、そら違うDNA情報になるわなwwww

大丈夫か?この人間wwww


134 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 01:45:24
>>132
ミイラ取りがミイラに…ってやつかな?
皇国史観を否定していたつもりが自分自身が九州版皇国史観に染まったとか?wwww

ちなみに邪馬台国ブームの立役者の一人「松本清張」なんか
wikiでそのプロフ調べてみれば良い真っ赤っかだからwwwww

135 :133:2010/06/02(水) 01:53:08
ところで>>133で挙げた
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/
の掲示板。

今ざっと見たが「唐松山」「太国」「二 ◆.L.MXSPOgc 」
…この板でもおなじみの痛い面々が書き込んでいるんだなwww


136 :家電.com:2010/06/02(水) 01:59:16
家電.com
HP
http://Kadencom.chochouo.com



137 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 02:51:02
>>135
俺もこないだそこ見たんだけどさ
2chのテンションまんまなのでどんなけアホなんだよと大笑いしたw
しかも個人のBBSに集団で凸して荒らしと変わらんなw
相手が大人の普通の対応だったみたいで尻切れになってるし

138 :137:2010/06/02(水) 02:52:43
鷲崎氏の主張の内容は別としてだがなw

139 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 06:39:28
>>133
>大体DNAと言うのなら同じ人間から採取したものでないと意味がない。
>(この場合同じ木棺ということになる)
そうとは決めつけられんな。同じ古墳からでた別の木が先の木と年代を異にする
ならば、先の木から割り出した年代比定に影響を与える場合は多々ある。


140 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 14:37:40
>>129

7世紀に書かれた書物が証拠になるかアホ。
しかも、

「記紀神話の神武東征の証拠は、記紀神話に神武が東征したことが書かれてるから」って、
「循環論法」でググって首吊って来い。




141 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 15:24:59
>>140
記紀とほぼ同じ伝承がそれ以前から存在したことは、多くの根拠がありまくり。

A 倭王武の上奏文からも征服伝承は裏付けられる。
B 稲荷山鉄剣のオオヒコ銘も同じ伝承がその頃に存在したことを裏付ける。
C 記の久米歌も歌い継がれてきたものがその当時存在したのだろう。
D 紀に多くの異伝が書かれているのも、その異伝が存在したからであろう。
E その他
 
これら全部を否定して、「記紀は後世の捏造である」とするのが、左翼史観。
直樹孝次郎とかは、ほとんど全部が捏造と言い切っている。

142 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 15:28:17
>>140
言っている意味がわからないかな。

神武天皇は生駒山近くまで舟で乗り付けている。このときには河内湖がまだ
存在していたことになる。しかし、記紀編纂時には、河内湖はすでになかった。
神武東征が記紀編纂時の作り話だとしたら、内陸部に船で乗りつけるような話は
作れない。

神武東征は、けっこう確かな伝承あるいは記録に基づくものではないかと
いうことなのだが。

143 :ローガン:2010/06/02(水) 16:09:14
>>142横失礼。
寝屋川市の打上とか(門真市の打越もかな?)地名に、水際であったと思われるものが残っているので
河内潟、河内湖があったという伝承が存在しても、何もおかしくないけどね。 だからと言ってそれが神武東征の根拠にはならんでしょう。

144 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 16:57:39
>>143
そうかな。根拠になると思うけど。

では、古事記に書かれている大久米命の刺青についてはどう思う。
大久米命は久米氏の祖とされているわけだが、神武天皇一行の大久米命は
刺青をしていた。それを見て伊須氣余理比賣は、奇妙に思った。

倭人伝には、男子は、大人も子供も皆、刺青をしていると書かれている。
大和あたりではそういう習慣がなかったから、姫は奇妙に思ったということに
なる。

大和あたりで習慣のない刺青のことが古事記には書かれている。しかも、
神武天皇の一行についての記述になる。
こんなことが作り話でかけるのだろうか。

145 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:08:23
>>141-142

それなら、神武東征は紀元前のことであり、
東遷説がこじつけてるような4世紀のことではないと、言っていいな?

記紀神話のどこにも、神武が邪馬台国の後に東征したなどと書いてないからな。




146 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:35:06
邪馬台国の前に東征したとも書いてないだろ。

147 :ローガン:2010/06/02(水) 17:44:29
>>144
まあ、砂鬼よむのも結構ですけどね…
西から勝ち上がったように書いているんだから、大和にみられない習俗に触れて潤色しても差し支えないでしょう。
履中も狩の折、メサキキズの人を供に連れたと書いてある。

148 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:46:48
>>146

東征したのが事実だと言い張るなら、
神武東征は紀元前しかないだろ?
何を勘違いしてるんだ?

149 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:52:06
紀元前7300年なら、OK

150 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 17:52:37
C14で、結構全国から紀元前の数値が出てくるところを見ると
誤差はあるだろうが、案外神武東征が紀元前で合ってたりして。

151 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 18:06:59
>>145
意地でも紀元前にしないと気がすまないのかな?
じゃあ応神天皇は3CでOK?

152 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 18:10:56
神武東征
この時、大物主は、近江に入植し、天たねこは河内に入植する。
これだけ動けば遺物が残る。
それが弥生X様式の始まりであり、1世紀中葉になる。
この数字を得る為には、崇神は2世紀末である、つまり纒向は崇神より始まる。

>大和あたりで習慣のない刺青
これは間違い、縄文以来、入れ墨は倭人の風俗である。但し朝廷は、渡来人であり
この風俗を受け入れなかった。


153 :ローガン:2010/06/02(水) 19:37:38
>>135
> ところで>>133で挙げた
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/ の掲示板。

覗いてみました。今は亡き「あらため」さんとか…どうしているのだろうか? それに風って人、伊作ちゃんやんか。

154 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 19:53:42
>>139

まあDNA云々は「本人のセンスの問題w」と言うことにしてもだ

そもそも、等しく土中から出てきた木片でその二つの年代が違う…なんて話とは違う。
この鷲崎がキッパリと「否定された」と断言している物は木棺からとった物と言う由来がハッキリしている。

対してその小枝と言うのはどうなんだ? って話で。
どちらの数字を取るべきか?
その検証もすっ飛ばしてとにかく
「新しい年代の方」じゃあ話にならない。

仮にその小枝の年代をとったとして
「じゃあ以前木棺からはじき出された年代は一体なんだったのか?」
って話で、これに関して鷲崎なる人物は言及しているのか?

まあ俺ならその小枝が何処から来たのか?その由来を疑うなwwwww


155 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:01:00
>>154
>「じゃあ以前木棺からはじき出された年代は一体なんだったのか?」

調査は同時期じゃなかったかな?
木棺の材料はいつ伐採されたものか不明である。100年前かも知れない。
対して、小枝は埋葬の前後のものである可能性が高い。

仮に小枝が3Cと出ていたら、喜び勇んで小枝の方を重視したことは間違いなかろう。
もともと年代特定に関係あると選別した試料を、外国の調査期間に調査依頼をしたのである。
結果が、思わしくないから軽視するというのでは、ご都合主義にも程がある。

まあいつものことかもしれないが。

156 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:01:51
>>151
おまえが、応神の実在を証明してからの話だろ。
あほか?


157 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:10:16
>>141
>記紀とほぼ同じ伝承がそれ以前から存在したことは、多くの根拠がありまくり。

そりゃあるだろうさw
「記紀は全くの出鱈目」「記紀は全くの史実」
どちらかの二択って話じゃないしそれに陥るとトンデモまっしぐらってだけの話w

河内湖の地形の描写の話とて
地名由来の話として伝わっていた物がちりばめられていたとしても
何ら不思議でもない。

東遷厨的には稲荷山鉄剣とかの事例を挙げて
「ホラやっぱり記紀は全て史実欠史八代も神武東遷も史実!」
ともっていきたいのだろうがwwwwww

まあ今後も単なる伝承と思われていたことが考古学的に史実と見なされるようになる発見はあるかもしれんが
現時点、ヤマト王権の始まりは纏向に始まるのだろうと言う認識は
思想の右左、邪馬台国畿内説とか九州説とか超えたレベルの共通認識。

なのに記紀に何故纏向の箸墓より前の古墳についての言及がないのか?
場所は目と鼻の先どころか自分の家の敷地の中とも言う場所で
その大きさとて作られた当時は国内最大級の首長墓であったろうということも
これまた常識レベルのお話。
そこにかすりもしていないというのはやはり欠史八大の実在性を疑う材料にはなる。

まあそれらの墓全てが崇神の倍塚とか
神武が東征してきて崇神までの代鳴かず飛ばずで
既に纏向に王権を築いていた勢力に婿入りしたとか…

香ばしいお話はとりあっていたならキリがないわなwwwwwww

158 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:13:53
>>155
>仮に小枝が3Cと出ていたら、喜び勇んで小枝の方を重視したことは間違いなかろう。

お前の脳内陰謀論聞いてもしようがないわwwww

「小枝」と言うからには木槨の為の構造物とも思えないし
とりあえずその小枝の出土状況等の情報が欲しいところだな。



159 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 20:14:10
メさんは先週辺りに顔を出しましたよ。

誉田、大仙陵、400年前後に百済が高句麗の臣下と成った以後では作れない。


160 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:19:58
>>157
それが、いいとこ取りのご都合主義なんだよ。
記紀の都合の良い部分だけ取るという。ニューサヨクの堕落したやり方。

マキムクなんて、記紀の伝承がなければ、正気とは思えないぞ。マジで。
現実には150回以上の発掘であの広大な範囲から集落遺跡が1つたりとも出土していない。
1つもだよ。これは異常すぎるよね。

それを「古代都市」とかいうのは普通なら正気の沙汰じゃあないんだよ。
さらには人口7万戸の邪馬台国の中心とか。
もうね。精神大丈夫?という状況なのよ。

箸墓にしても、モモソヒメの伝承がなければ卑弥呼につながらない。
モモソヒメが誤りとながら、モモソヒメを経由して卑弥呼と推定するという倒錯した思考回路。
もうね。「禁酒したからビールをやめた」と焼酎を飲みながら言うようなもんだろ。

161 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:30:39
マキムクを都市として認めないのに、九州勢力が東遷してマキムクを造ったという異常

162 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:31:45
>>160
あーあ、また恨み節か下らない。

「都市」なんてのは定義の問題で「都市」と言う語が使われるのが気に入らないと
ヒステリー起こしているお前に付き合っていてもラチがあかんわwwww

お前はよほどイデオロギー闘争が好きなようだがw
>>157で挙げたような認識はもはや右も左も関係のない話。

脊髄反射ではなくてもう少考えてから書き込め馬鹿・

纏向が本当に「無人都市」であったならその土木工事に要した労力は遺跡範囲の外から徴用したと言う事になり
相対的に想定される権力は大きな物にならざるを得ない。

「纏向」が自分の考えている「トンデモ史観」に合わないから無視したくて
「無人都市論」ぶち上げているんだろうが全く逆の方向に話が進んでしまうって事に気づけよ馬鹿wwwwwwwwwww

163 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:38:00
記紀の伝承地に王宮は作られたかもしれないが、普通はそこが都市とは考えないよ。

都市なんて早くても6世紀以降のものだし、時代が違いすぎる。

王宮の周りに城下町ができるとかいう時代錯誤の考えも、普通はしないよ。


マキムク信者にはそれが分からんのかな。

5世紀の都市も確認されていないのに、マキムクが3世紀の都市とか沙汰の限りじゃないよね。

現に集落遺跡の一つさえ出ていないわけだから、なおさら。


164 :162:2010/06/02(水) 20:38:47
あと…

>>160
>さらには人口7万戸の邪馬台国の中心とか。
>もうね。精神大丈夫?という状況なのよ。

「七万戸」なんて数字をマジに受けちゃっている学者って誰なのよ?www

お前こそ精神大丈夫か?w


165 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:44:31
>>163
>都市なんて早くても6世紀以降のものだし、時代が違いすぎる。

…ったくだったらここでギャアギャア言ってないで
80年代か90年代か知らんが
「弥生都市論」なんて言い出した連中に文句でも言って来いw

なんなら「謝罪と賠償を求める」と訴訟起こしても止めんぞ?wwwwwww

166 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 20:45:19
稲荷山鉄剣のワカタケルは雄略では無い。
現箸墓は、伝承のモモソ媛の箸墓では無い。


167 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:47:10
>>165
>弥生都市論

都市の定義をいじくる論法だね。


でもマキムクから集落遺跡が出ていないという結論は動かせないよ。
というか信者はその事実から目をそむけ続けることに苦痛を感じないのかな。

168 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:51:23
東遷厨に何を言っても無駄
>>162の言ってる事も理解していない

169 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:55:23
>>167
>というか信者はその事実から目をそむけ続けることに苦痛を感じないのかな。

お前の脳内に生息する「纏向信者」ってのがどう言う生き物か知らんがw

「集落遺跡」が見つからない事が苦痛なんて感覚は無いな・・・ナニソレ?wwwwww

はっきり言えば「無人都市」ウェルカムw
正直話としてはそっちの方が面白いwwwwwww

ピラミッドの上部が大きければ大きいほど下部もそれに比例して大きくなるだけの話w


170 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 20:59:00
>>167
全然判ってないんだな

マキムクから竪穴式とかの集落跡がごっそり出てきたら
それってただの大きな集落遺跡にしか過ぎないだろ?

つまりマキムク内に多くの人が住んだ形跡がほとんどないにもかかわらず
日本各地より労働力と技術を結集出せて新たに現出されたという、弥生時代の常識を覆すような存在なんだよ。

ここが単なる宗教都市なのか物流基地なのかは、今のところわからない。その総ての面を持つのかもしれない。
だがマキムクを中心に、その後の日本列島の姿が大きく変化するのは、もう常識レベルの話だろう。

玄界灘周辺の各クニも、それに釣られるように大きく形態を変えている事は、いくらなんでも君だって知っているだろ?
これはよく言われているように、邪馬台国だとかいうレベルのちっぽけな話ではとうになくなっている。
いい加減時代に追いついてくれ。

171 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:02:40
九州の政権が造成した、古代纏向霊苑

172 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:03:45
このサイキバ君だって変な個人HPではなく、たくさん考古学の論文や調査報告を読んでいけば、邪馬台国というよりも
当時の倭国の全体状況がおぼろげながら見えてくるはず。それは倭人伝の記述よりもダイナミックな姿。

173 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:04:31
>>169
じゃあなんでマキムクが政治の中心になるの?

要するに「ろくなものが出ていないけど、記紀に従って日本の中心にした。」ってことだよね。

昔は王宮が頻繁に移動していたし、固定した都市なんてないよ。
そんなの常識レベルのことなんだが、マキムク信者はなぜか「都市」にこだわる。


174 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:04:56
だが九州を感じさせるものは何もないというwwwww

175 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:06:05
纏向霊苑に、倭人の中心政権があったと捏造する畿内詐欺説

176 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:08:05
九州政権は、海外進出に不向きな人民を各地から纏向霊園に集めて、
墓の造成をさせましたとさ。

177 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:14:03
もう既視感 200億%ぐらいの展開、うんざり・・・

東遷説とか九州王朝説とかのカルト信者は
纏向に下らないイチャモン付ける暇があったら
九州にお前らが思い描くような「 九州大帝国 w 」を探してこいwwwwwwwww

178 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:14:06
そしてサイキバ君の言うように「纏向霊苑」つまり王家の谷説をとったにせよ
やはり過去に類を見ない、というより日本史上初めて墳墓建設のために大造成が敢行されたことになる。

しかも日本全国の特徴を併せ持った形式の墳墓と葬送儀礼となれば
もうこの時点で東遷とか小指の爪の先も考えられなくなる。

179 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:18:16
つまりマキムクが王家の谷であろうが、物流基地であろうが
さらに別に邪馬台国であろうが無かろうが、この地とその周辺に九州勢力がやってきたという考え方そのものが成立しないわけだ。
それくらい畿内どころか吉備などの東瀬戸内にも、九州特有の特徴を持つ出土品が無い。

まさか九州のものだけ溶けてなくなったとか
学者が九州のものだけをより分けて隠蔽したとか、そう言いたいのかなwww

180 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:23:16
纏向からは金印が発見されてるんだけど、九州のものだから学者が隠したのさ。

181 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 21:28:56
崇神天皇 188年〜216年 29年間 崇神6年は、新羅193年の記事
垂仁天皇 217年〜239年 23年間 都市牛利は田道間守である。
景行天皇 240年〜261年 22年間

神功皇后 275年〜343年 69年 初年のあづないの罪は273年の日食である。
326年 東晉明帝太寧4年が七支刀の銘である。



昨年出土した大型建物は垂仁の珠城宮である。



182 :サイキバ:2010/06/02(水) 21:28:59
僕はべつに、本当は邪馬台国のことなんかどうでもいいんだ。

このスレに畿内説は詐欺と書き込むと、たくさんの有象無象のバカから

レスが返ってくる。それが何か、こんな引きこもりでも世間とつながってるような

気がしてうれしいんだ。もちろんネット・ショッピングで、ありがとうございましたと

いわれるのもうれしいんだけど。

183 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:29:09
>考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
>畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
>なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

…、まあこれはサイキバ君の一世一代の恥レスだがw

見方によっては案外、九州説の連中に共通する勘違いを表しているかもしれないwwwww

と言うのも九州以東に巻き起こった「大型首長墓」と言うのは
単に大きさだけの話じゃなくて、その墓の上で祭祀が行われ
尚且つその埋葬文化を一定の地域で共有していたと言うところに
それまでの弥生墳丘墓とは違った意味を持つ。

そういった文化が発生しなかった九州はやはりクニグニが絶えず争っていて
「連合体」の形成に向かう動きには向かわなかったとも思える。

…これも九州に卑弥呼を共立した30カ国を想定しにくい材料の一つだろう。

184 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:35:56
>>183
そういう意味でも平原2号墓で確認された柱跡というのは異質なんだよな。
柳田はそれを北九州影響説の柱の一つと考えているようだが
俺にしてみれば平原と前原周辺ってのが、他の九州特に玄界灘周辺から見て浮いているように思うんだ。

これを前原が初期に連合参加したという、九州でも異質の存在だったと見ることも出来る。
北九州では他に宇佐あたりも、九州よりも瀬戸内に組していると考えたほうがいいのかもしれない。

185 ::2010/06/02(水) 21:45:09
こころから死にたいと思って死ぬ人は
いないのではなかろうか?

186 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:45:50
人や物資を現地調達した纏向に、九州特有のものが少ないのは当然。

187 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:46:25
>>184
無論平原の話が出るのは想定済みだがw
ただ>>183で言ったようにそれが九州北部の地域的に広がっているって言うのが無いからなあ・・・

確かに「浮いている」と言うのも頷ける話wwwww

以前この板に殴りこんできた「伊都国東遷厨」は
その辺は「九州的空間構成が共通している」みたいななんとも曖昧模糊とした話だったがwwwww


188 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:53:33
北部九州は副葬品の豪華さで勝負という感じで、墳墓の大きさには重きを置いていないようだけどね。平原は弥生終末でよいと
思うけど、出土した鏡のほとんどが国産なのは、この時期の北部九州の情勢を物語ってるだろう。あとは2号墓のお寒い状況を
考え合わせても。

189 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:56:12
>>160
>現実には150回以上の発掘であの広大な範囲から集落遺跡が1つたりとも出土していない。
>1つもだよ。これは異常すぎるよね。

発掘面積の少なさは伏せておいて
都合いいところを誇大宣伝する芸風は、もう見え透いてるだろうに。

それはともかく、
纒向を例えば吉野ヶ里のような弥生集落の延長上のイメージでとらえているから異常に思えるのではないかな。

奈良盆地を除いて、近畿地方の環濠集落は後期になると解体して、人々は小さなムラに分散するようになるが。
庄内式期の初めに纒向を建設した人々は、集住のための集落をつくろうとしたわけではなかったのではないのかねえ。

190 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 21:57:55
纏向は霊園である。
昨年発掘された建物跡は古墳築造に関連する建物跡である。
出土する土器は各地から集められた人夫達が持ち込んだものである。
箸墓の築造年代は発掘調査を行わなければ決められない。

191 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:02:06
柳田の鳥居がどうたらというのは、さすがに用語の使い方がマズイのではないか。

192 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:02:11
>>187
>「伊都国東遷厨」「九州的空間構成」

いたねえ。彼の言っていたのは、だぶんこれ。

「北内郭を囲郭する平面A字形の環濠の南西ー北東の中軸線は夏至の日の出地点と冬至の日没地点を結ぶ線と一致しており、
 大型建物の南北中軸線の北への延長上190mに中期の墳丘墓の中心が、
 また、南約650mの延長上に中期に築かれた祭壇と考えられる遺構の中心が、さらに南60kmには雲仙岳が存在する」

吉野ヶ里と平原。それらが、辻の大型建物・纒向石塚・三輪山のセットと同じ、と言いたかったんだと思う。

193 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/02(水) 22:08:08
崇神6年≠新羅193年

これの等号をかたくなに言うやつは、当時船がないのに半島に千人もの
空腹の〜漁師でもない渡航未経験素人の百姓が渡海したとかを肯定して
るわけで、こういう強行突破論のやつははるか遠い大宇宙の彼方の電波星
に電送人間機があったとかUFOがあったから渡海できたということを
遠回しに言ってるも同然でありwww、電送人間機によって直接畿内から
半島に電送したという論の遠回しの肯定であり、もしくはUFOの仕業で半島
渡航がひとっ飛びの論の遠回しの主張であるからして、そういう電波星人
とかからこういう論を言うやつは強力な大電波を受信してるのだろうと
真剣に考えるべきなのであろう。ppp wwwww

194 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/02(水) 22:09:38
(纒向から)出土する土器は各地から集められた人夫達が持ち込んだものである。

うん この時代の纒向は、各地に命令が出せる状況であったと。

内緒で教えるが、箸墓は景行の墳墓である。
だから九州でも関東でも全て命令が出せる状況であった。


195 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:11:18
>>153
流れ流れて伊作ちゃん、いまはココ。

http://6247.teacup.com/toshifjjp/bbs

196 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:16:01
>>190
>纏向は霊園である。
>昨年発掘された建物跡は古墳築造に関連する建物跡である。

確かにマキムクには古い時期の古墳が何基もあるようですが
古墳築造のためにあんな大型建物は要らないのでは?
それに建物群が方角をピシッと揃えているのも、なんか別の理由があるみたいに思えるし。

>箸墓の築造年代は発掘調査を行わなければ決められない。

それが出来るに越したことはないですが、ある程度は、今の時点でも年代が絞れるのでは?
後円部の墳頂から宮山型特殊器台が出てますよね。やはり相当古い古墳なんでしょう。

197 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:19:52
縄文人は、現代の工事現場のプレハブの詰所が頭にあるんだろう。ただそれだけのこと。

198 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:23:25
なんという最先端技術に満ちたプレハブだwww

199 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:25:52
>>193-194
しっしっ!ふたりの巣でやってくれ

200 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:26:11
しかも当時、列島最大の建築物だという。

201 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:27:50
>>198
あれは高床式なんでしょう?
プレハブなんかじゃないですよ。ww
もっと周囲を掘ってほしいですよね。

202 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:32:02
>>189
集落がないことを認めちゃっていいの?

「全部掘ったわけじゃないんだよ。全部掘ればどこかでドカンと掘り当てるはず。」
「それまでは集落遺跡が出ていないことをあえて自分から言う必要はない。」
というのがマキムク教の公式見解だよ。

てゆうか、集落がないことを認めたら、何があるということになるのかな?
「何もないけどとにかくヤマト王権の中心」とかいう感じかな?

電波ゆんゆんマキムク教〜♪


203 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:44:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

204 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:55:48
>>202
>集落がないことを認めちゃっていいの?

それもおもしろいかも知れない。
大溝と大型墳丘墓があることは認めちゃっているんだから、
土木工事に大量の人々が投入されたのも認めちゃっているわけだ。

纒向に集住していなかったなら、周囲の集落から集めてきたと認めちゃっていいわけだ。
そしてそれは誰かが集めたんだと認めちゃっていいわけ。

「やっぱりヤマト王権の中心」とかいう感じかな?

>電波ゆんゆんマキムク教〜♪

おじいちゃんの頭の中がこれだってのも認めちゃっていいね。

205 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:02:45
だから、九州政権が周辺人民を集めて、纏向霊園を作らせたわけだ。
当然、纏向には王宮も人民住居跡もない。

206 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:17:19
>>205
ゆんゆん頭で脊髄反射したけれど、
当然、九州政権がどこにあったかは考えることもできない。

207 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:17:23
>>205
ほう、その霊園に葬られた九州人たちは
自分たちの宗教とは無関係な祭祀で葬送され、自分たちの文化とは違う墓の中に入れられ
自分たちとは無縁の人たちに供養されたって事かwww

ホームレスの無縁仏みたいだなwwwwww

208 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:21:15
>>204
集落がないことを強調している学者なんて居ないだろ。
お前みたいに開き直って「バカ宣言」できるほど正直じゃない。

集落がない支配者専用の王都の存在を認めたら、ヤマト王権は
いきなり広域政権として誕生したことになる。

まるで完成した権力が移住してきたように・・・

209 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:24:16
>>208
>まるで完成した権力が移住してきたように・・・

んで、どこに住んだんだ?無人都市なんだろ。ww

210 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:29:01
>>208
住居群の問題は、現段階では発掘の結果待ちだろう。

>ヤマト王権はいきなり広域政権として誕生したことになる。
>まるで完成した権力が移住してきたように・・・

それ、けっこう言われてます。

211 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:29:36
どちらにしても住居跡が認められない建物群って不自然だな。
やはり隣の藤原京の前身にあたる都市ではないだろうか。

古墳とは別で。

212 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:31:08
>>208
そう、シナリオとしてはそのほうが面白いのだけど
冷静になって考えると、やはりどこかにプレ纏向だとか、連合に参加した各クニの範囲内に母体の一部となる集落や技術が存在したと考えざるを得ない。

いきなり未知のテクノロジーで纏向が突然発生したってのは、ワクワクするんだけど
おそらく日本各地に一部ずつ、祖形となる集落遺跡や墳墓があるはずだと思う。
阿波・讃岐の長突円墳などは、その祖形のひとつだろう。

213 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:31:10
>>210

でも、九州の痕跡は何もないからね。



214 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:34:25
のちの例えば奈良平安時代位に、
掘立柱を用いた建築物を立てた。
その掘っ立て柱を立てた穴が
弥生の地層にまで達していた。

なんてことはないのかな。
発掘した人もプロだから
ちゃんと区別できるよね。

215 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:36:12
>>208
え?

神武だかの東征勢力がいきなり纏向にやって来たと言うのは
お前が「恨み節東遷厨」なら不味いんじゃないのか?w

神武が纏向を建てたなら欠史八代もそこにいたのか?ww

場当たり的に何でも言ったら良いと言う物じゃないぞwwwwww


216 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:37:40
纏向は瀬戸内・四国と東国の中間地で、ミーティングの場所として地の利がある。「三国志東夷伝高句麗条」に面白い記述があって、

>その国の東大穴あり、名は隧穴といい、十月国中大いに会し、隧神を迎え国東上に還りこれを祭り、神座に木隧を置く。

つまり国の東部にある大穴(洞穴か?)に国中から集まって祀りを行うという意。十月というのが出雲の神有月を思わせて興味深いが、
案外纏向もそのような機能があったのかもしれない。五日市・十日市といった定期市場、あるいは植付け期、収穫期に祭祀のために
特ににぎわったとか。

217 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:41:03
>>213
うん、大和在地勢力が主導したという考え方はアリ
近隣の河内・近江・紀伊が主導というのもアリ
いやいや阿波・讃岐だろうというのもアリ
えーっ!どう見ても吉備・出雲だろう!それもアリ
何いってんだ東海ですよ、ト・ウ・カ・イ!もちろんアリ
関東や東北や北陸は仲間に入れてくれんのかのう・・・絶賛キャンペーン中につきアリ

ふっ、北部九州ですよ・・・それナイ、全くナイ
はあっ?中南部九州は?・・・日向がヤマトに擦り寄ってたというのはアリ、でも主導はナイ、露ほどもナイ

まあ、こういうこったwwwwwwww

218 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:42:37
やっぱり、東遷厨の人格破綻してるところは・・・

マキムクは「無人都市」とバカにしながら、
マキムクに東征してきたと言い張るところだな。


219 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:45:22
>>213
鏡を尊重する文化は九州のものだろう。弥生の近畿地方では見かけない。
一つ二つあったとしても、それは朝鮮の前方後円墳のようなもの。

副葬品の量に差があることからも、九州は甕棺の頃から階層社会だった。
特定階級の墓という古墳とも共通点がある。
副葬品の内容である鏡、剣、玉が、皇室の三種の神器ともなっている。
他の地域では見かけないな。

220 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:46:37
畿内の銅鐸政権は、滅亡してるね。
九州政権が外敵の少ない土地、纏向に霊園を造成したというのが実態だ。

畿内纏向政権が着実に日本列島を手中に収めていったかのような、
お笑い詐欺理論は成り立たないということだ。

221 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:50:28
>>220
>畿内纏向政権が着実に日本列島を手中に収めていったかのような、

これは邪馬台国を抜きにしても、考古学的にも、文献的にもこのとおりじゃないか。まあ、途中で王権が河内に移ったりしてはいる
が。九州王朝はないよ。ww

222 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:50:52
>>219
>副葬品の内容である鏡、剣、玉が、皇室の三種の神器ともなっている。

wwwwwwww腹痛いwwwwwwwww
未だにそんな妄想を言う奴が居るとはおもわなんだwww

とっくの昔に否定されてるよ、それ

嘘だと言うのなら、その三種の神器「のみ」が出土した墳墓か遺跡を

ひとつでいいから挙げてみろ

223 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:55:26
つーか>>220の言うような

>畿内纏向政権が着実に日本列島を手中に収めていったかのような

それ連合説と違う、ぜんぜん違う
お前誰と戦ってるんだ?

224 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:55:59
>>222
>「のみ」

なんで「のみ」なんだよ。
三種の神器+副葬品が合ってもいいんじゃない?

225 :ローガン:2010/06/02(水) 23:56:25
>>185

> こころから死にたいと思って死ぬ人は いないのではなかろうか?

どないしたん?大丈夫かいな…

226 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:59:50
「銅鏡」「三種の神器」

…そんな物を東遷説(この場合邪馬台国東遷説に限らずもっと広義のもの)の根拠に挙げる
学者もいないだろうw
(以前の伊都国東遷厨もそうだったと思うがw)

鏡と言うのなら、じゃあ東征勢力が持ち込んだ鏡の種類は?
九州の鏡と畿内の鏡を挙げてその連続性を証明してみろ…って話になる。

まして「三種の神器」なんて記紀を読んだだけでも「二種の神器」だったりする場面が出てきたり
そもそも九州に「三種の神器セットw」を特別に副葬した事例があるのかって話で
笑われるのがオチwwww

まあ戦後高度成長期に「冷蔵庫・テレビ・掃除機」が三種の神器と言われたとか
(流石にリアルタイムでは知らないがw)
一般大衆にはアピールしやすいキャッチ・コピー見たいなもんだったんだろうw

宣伝戦略としては結構良かったのかもしれないwwww


227 :日本@名無史さん:2010/06/02(水) 23:59:58
>>219
>皇室の三種の神器

書紀には、伊都県主の祖五十迹手が八尺瓊、白銅鏡、十握剣の三種の神器を仲哀天皇に献上した説話を伝えているけど、書紀
では卑弥呼を神功皇后に擬しており、その夫の仲哀天皇の在位は西暦192〜200年。この記述からは卑弥呼共立直前の伊都国
王の服属を反映したものとも読み取れなくはない。伊都国からの交易権奪取のときにこの風習も取り入れた、と。ww

228 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:01:50
>>222
鏡も剣も玉も古代九州の墓の副葬品であることは間違いない。
これらが重要視されていたのも間違いない。
他の地域でこういう習慣のあるところがあったか?

魏から鏡をもらったのも卑弥呼も九州だろうな。近畿地方の勢力だったら、
銅鐸くださいと言っていたかも。銅鐸はあっちにはないか…。

229 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:03:13
>>224
はあ?そこまでアホなのか?

例えば主要な副葬品である鏡、剣、玉が頭頂部に副葬されていて、それ以外がその他扱いというのならまだしも
この三種以外にも山ほど種類があったり、また少なかったりするのが現実なのだから
その三種「のみ」を重宝する氏族など、当時の日本には存在しなかったというのが結論だろうが。

三種の神器など神武譚にも登場しないというのは、君は無視か?
早く見て6世紀、遅ければ12世紀という通説も、まるっきり無視というか意地でも受け入れたくないのかね。

230 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:04:21
三種の神器といえば吉武高木遺跡かな

231 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:05:17
三種の神器・・・これと銅鐸はネタがなくなると始まる万年ループの種。ww 東遷したというなら、まずその東遷集団について語れ
よ。ループの責任はそっちにある。ww

232 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:09:37
>>228
>鏡も剣も玉も古代九州の墓の副葬品であることは間違いない

いや間違い、大間違い。
単にそれもあったというだけの話で、じゃあ大仙古墳とかで玉が出ずに鎧とか鏃が出たというのは
あれは天皇陵ではないんだなwww

ちなみに高松塚古墳とかだと、剣も鏡もないのだが、あれは天皇家縁のものではないんだなwwwキトラもそうだなwww

233 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:10:07
吉武高木遺跡は、怡土から日向峠を通って
福岡市側に出てすぐのところだな。

自分は日向宮崎説なので、参考までに。

234 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:10:44
>>231
www 結局、太国と唐松山がやってる「倍暦」「増し」論争となんもかわらない。いわゆる学会では通用しない論を持ち出して泥沼
の水掛け論に引きずり込む。生産性はなにもないし、たとえ東遷があったとしてもその実態はまったく見えてこない。実際はありえ
ないから見えてこないんだけど、まあその言葉とムードに郷愁があるだけなんだろうな。ww

235 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:13:25
>>232

案外、三種の神器が出ないところは、
地元の古い勢力というだけで、
天皇家は別の血族かもしれないぞ。

つーか聖徳太子も含めて
飛鳥時代以前は結構いろいろな勢力の王が、
取り混ぜて記紀に記載されているような
気がするんだ。

236 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:15:05
そもそも天皇陵以前に、被葬者がはっきりしている古墳は
岩戸山古墳とあとひとつくらいしかなかったような気がするのだが。

237 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:16:38
>>233
前に出てきた痛い日向厨とは違う人なのかな?
ならばマジレス

吉武高木遺跡は邪馬台国程度のちっぽけなお話から離れても
北部と中南部を繋ぐ拠点集落だとみる考えが強いね
いずれにせよ、もっと精査な調査が待たれる遺跡であることは間違いない

238 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:19:27
まあ、万世一系は記紀編者の苦心の賜物で、武烈ー継体とか奇妙な話が多い。書紀は中国に見せるために作られたという側面も
大きいから、あちらの易姓革命に対して、違う形の国家像を提示しているのではないかな。

239 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:19:36
>>236
ここの東遷説やら九州説の多くは、記紀原理主義だから
大仙が仁徳陵ではないということすら耐えられないんだよw

まあ今時あそこを仁徳陵だと言い張っているのは、地元の堺市くらいなのだがwww

240 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:38:35
あとは、倭国から日本への改称を期に白村江で唐と戦った主体をあいまいにしようとしたりとか。けっこう編集意図は成功してて、
中国では万世一系の体制を うらやましがったりもしている。

241 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:49:46
以上、ジョーカーさんの自演乙☆でした。

242 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:59:50
>>230
>三種の神器といえば吉武高木遺跡かな

邪馬台国東遷説(=九州邪馬台国の大和への東遷)に三種の神器を絡めて言ったのは
確か和辻哲郎だったと思う。井上光貞がその説の後継者かな。

けれども、具体例として吉武高木遺跡を持ち出すのはおかしいね。
あそこの鏡は多鈕細文鏡という珍品中の珍品。どえらい特殊な鏡だからね。
皇室のシンボルの八咫鏡とは結び付かないし、
だいいち吉武高木遺跡はずっとずっと古い遺跡だよ。紀元前。邪馬台国とは無関係だろ。

それに多鈕細文鏡だったら、畿内でも早くに導入されてるよね、邪馬台国以前から。

243 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 01:18:58
三種の神器を副葬するという形式のルーツが重要だと思うんだな。
ぶっちゃけ、八咫鏡じゃなければならないなら、
天皇の数だけ八咫鏡がないと、副葬に足りない。

244 :242だけど:2010/06/03(木) 01:20:04
>>242だけど、三種の神器のうち、鏡が弥生時代では北部九州が一手に引き受け、相当集中してるのは認めるよ。
でも剣は違うでしょ。

銅剣は、邪馬台国時代よりも早くに、出雲や瀬戸内なんかが九州をしのぐ集中を見せてるよね。
出雲の荒神谷遺跡と、それから後期の瀬戸内の平形銅剣。

鉄剣・鉄刀も、必ずしも九州独占じゃなかったと思うね。
弥生後期の日本海側あたりの本州の遺跡は、古墳時代が始まる大和にさきがけて、かなり導入されてるみたいだ。

245 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 01:20:47
ジョーカーさんのおかげで畿内説に見切りがつけられました。

246 :242だけど、もうひと言:2010/06/03(木) 01:23:11
>>242だけど、玉もだね。
勾玉は結構あちこちの弥生遺跡から出てるから、決して九州独占じゃなかったはずだよ。

247 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 01:49:02
三種の神器は、文化の伝播にすぎない。

それを東遷の証拠にするなら、
明治時代に日本人がチョンマゲを捨てたのは、西洋人に征服されたからか?
ということ。

こんな簡単な理屈が理解できないアホが多いとは。


248 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 02:02:52
>>247
文化の変化が重要なのだが。
銅鐸が消滅し、鏡が大量に普及したことも、集落祭祀から個人崇拝への大きな
変化が見られる。その過程で大きな古墳も作られる。

近畿地方の弥生時代文化から古墳築造は結びつかない。
一方で、例えば吉野ケ里の墳丘墓がある。宮殿と見られる跡もある。

皇室の三種の神器も明らかに九州弥生文化に延長にある。

記紀を見ると、神武東征が書かれている。
結論はおのずと明らかだと思うが。

249 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 02:06:02
【無茶は】チリで政変!東西に分裂へ【するな】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1275483455/

250 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 02:25:59
>>248

その変化は、畿内の問題であって、
九州から東遷という根拠にならないと言っておるのだアホ。

神武東征は紀元前のことと書かれてる。都合よく4世紀にもってくるな。



251 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 03:12:13
>>250
年代の根拠は、卑弥呼+台与=天照大神にある。
神武東征は天照大神の後、すなわち卑弥呼の後になる。

では、卑弥呼+台与=天照大神の根拠はというと、倭人伝と記紀という
全く別物の文献の記述が良く似ていること。

まず、卑弥呼は女王だが、記紀で女王と認められるのは推古天皇以前では、
天照大神以外にいない。しかも共に独身。共に鏡との関連が深い。

さらに、卑弥呼は狗奴国との争いに苦しみ、天照大神は素戔鳴尊との争いに
苦しむ。卑弥呼はその最中に死に、天照大神は素戔鳴尊との争いに怒り、
天岩戸に隠れる。

倭国では、卑弥呼の跡継ぎをめぐり大きな戦乱が起こる。天照大神が岩戸に
隠れると、高天原は真っ暗になり、悪い神が騒ぎ出す。

台与が王になると平和になり、天照大神が岩戸から出ると高天原はもとの
ように明るくなる。

台与が王になると、男王が立ち、共に中国の爵命を受ける。
天照大神が岩戸から出ると、高皇産霊尊が登場する。

何の関連もない倭人伝と記紀の記述がこれだけ似ていると、同一人物としか
思えないな。

ジョーカー、登場するかな??

252 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 04:13:12
名無しをジョーカーなんて呼んでる奴って、
ドツボぐらいしか思い浮かばないんだがw

253 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 04:19:59
>>251

>年代の根拠は、卑弥呼+台与=天照大神にある。

どこにそんな証拠があるのだ?

都合よく、全く違う文献を結びつけるな。
「似ている」なんて、おまえの主観でしかない。

卑弥呼は独身だが、天照大神の子孫は神武。
卑弥呼は、狗奴国と争ったが、天照大神はスサノオと争った。
そして、狗奴国はどうみても、出雲ではない。






254 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 04:22:48
さらに、天照大神は男神といわれてる。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1171251121/l50

いまどき、額面通り、天照大神を女神と考えるなど、情弱もいいところだ。



255 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 06:17:39
http://img.barks.jp/image/review/1000027580/yakkun1_s.jpg
アマテラスはこんな感じだよ

256 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 06:49:37
銅鐸の一斉消滅(実際は一斉ではないし、埋納の状況もさまざま)と、三種の神器の副葬習慣の移動(上でさんざん書かれて
いるように、それだけに特化した遺跡はほとんどない)のような古めかしい論拠を常に持ち出して、そしてはい終わりというのが
東遷説。その後の展開がまるでない。

257 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/03(木) 09:12:43
>>254
天照大御神は女ですよ。ホツマに男とあるそうですが、これはホツマ編纂当時
もっと古い日神の時代の記録の疑念からの妄想が増幅したものであり、ホツマに
取り憑かれるとホツマの内容に全部気を許して、日神は男だとかの誤りの妄想
信念が根付いた脳内となり、もう治らなくなります。騙されてはいいけま
せん。唐松山はその大宇宙から強力電波到来の妄想エイリアンに完全に同化
したデタラメ信念の虜人間です。

258 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/03(木) 09:40:03
>>234
過去スレ【復活】日本書紀総合考察スレ【しました】
>932 唐松山 2010/05/27(木)
 景行28年から景行40年を1年とする。
 否定するなら、この間に起こった事を証明して否定するのが本筋
        ↓
否定 本筋 ↓
>935 太国 2010/5/27(木)
先代旧事本紀大成経
(景行)36年8月
 物部大臣 胆咋宿禰の子、五十琴姫を后と為し 五十功彦命 を生り

奴は景行28年は景行40年だと抜かしているもので、この間がマシという年数の
不正注入の加増が行われたのだからこの両者の年代の間は本来は無く、景行28年
と景行40年は接着剤のように直接繋がる〜貼り合うという意味のことを頑強に
主張していたもので、さらに他にこの間の年代の古文献等がないという調べも
ろくすっぽしないで決めこんでたものであって、これが同経に記載があるために、
これから奴のマシがデタラメだということをさらけ出したことになる。

それを即興の言い訳を数日間考えこんで 奴得意のうっちゃりスリ抜けの言い回し
でこのことは重視しないでいいとかの照れ隠しの書きこみで、イカサマの上の
論をイカサマでないように言い訳し、誤魔化そうと書きこんで各スレ民と
それがしを暗まそうと手繰らんでいる。w

紀年は卑弥呼の年代がどの天皇の代ころになるのかという事に直結して
来るので、この研究は看過できないです。

259 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 09:54:02
>実際は一斉ではないし
どんなふうに、どのくらいの期間で埋められたの?

260 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 10:23:57
>>257

ホツマがどうのではなく、
天火明命を祀る神社の縁起を調べても、天照大神と接点が多く見られるわけ。
特に、尾張の神社では、天照大神と天火明命を同格に扱っているのは事実。
もともと、天照大神は伊勢の地方神で、尾張氏の祖神だったのを、天武天皇が皇祖神にしたというのが真相。
天武天皇は尾張氏に養育されていたという深い関係も事実。
記紀の成立の過程にまで目を配ろう。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1171251121/190
190 :日本@名無史さん:2009/02/03(火) 00:47:35
>>186
>伊勢の神について、男神・風雷神・蛇神といった属性を伺わせる伝承が残っているのは、
伊勢の神が皇大神宮として成立する以前の地方神時代の名残

名古屋の葱の一族も同じことを言ってました というのは愛知県一宮市の
真清田神社(ますみだじんじゃ)に残る天火明の伝承が全く同じ属性です
(神社の縁起書に書かれて境内に立て札あり)やはり同一人物なのか?
もしくは同じ血縁の海部族つながり? 今交通事故のリハビリ中につき
不動明王ニートですが、元気になれば縁起の看板をうpしたいのですが・・
いずれにせよ、彼がアマテラスの構成要素の可能性は高いかな

261 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 10:34:52
安本氏あたりの史学者なら、天照大神が男神だという説を知らないはずはない。
しかし、天照大神の性別について論文を書いたことは一度も無い。
天照大神の性別を論考して、男だと認めてしまうと、自身の天照大神=卑弥呼説が破綻するから。
安本氏の言説が信用できない所以。




262 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 11:15:30
>>251
>年代の根拠は、卑弥呼+台与=天照大神にある。

まずこれを根拠とする理屈がおかしい。
これは様々な考察から証明すべき事項であり、それが完了してから初めて根拠となる。
倭人伝と記紀の記述がよく似ているということだが、それは単なる希望的観測であり
実際はまったく似ていない部分のほうが多い。
そこについてもきちんと考察した形跡がなく、誰かの受け売りに終始している時点で、説としての呈をなしていない。

ちょっと考えただけでも、卑弥呼はいいとしても台与が生涯独身であったとする史料が存在しない。
アマテラスは共立された女神ではない。
何より三貴神の父親(生みの親)に相当する存在についての言及が全くないなど、突っ込みどころ満載である。

263 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 11:23:17

トヨタン・・・・・・・・・・
 

264 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/03(木) 13:18:55
>>260
鰯の頭も信心というか当時は迷信が多いわけで、この言い草は極端だが、
アマテラスは超ミス・ユニバース級の美女ですよ。今日の午前中繁華街に
隣接する大きい駅構内を歩いていて、独りで歩くえらい美女を見つけたが、
世の中広いなと考えながらボーッとしていたが、あの娘を今アマテラスに
容貌を重ね〜もう生きて合うことはないだろうなと想ってしまった。w

とにかくこの娘でないが、アマテラスは小柄のえらい美女ですよ。

265 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 13:21:40
>>264
チミと唐松山は二人だけの世界に篭っておいてください

266 :ローガン:2010/06/03(木) 14:45:53
大和において、特定個人の為に平地に300m近い墳墓を造る…これを立案し、実行出来る技術力及び経済力を備えた勢力が、遅くとも3世紀中葉には存在していた。
そして、その巨大墳墓は大和オリジナルという訳ではなく、おそらく吉備地方に起源をもつ祀られ方。
又、未調査なれど、他の前期古墳から寸法取りすると九州発祥の、銅鏡を大量副葬する。 など、各地の祭祀(サイシ)方法を集めたスタイルである。
又、それに先立つ庄内期の土器拡散、纏向への搬入土器の多さ等、総合的に見ると北部九州まで巻き込んだ人の移動の活発化、広域化が見てとれる。
そしてその時期、最も求心力のある地が纏向。その地に初めて300m近い個人特定墓が築かれた。
当然、広域に影響力を持つ初めての王の墓である。その築造が3世紀第3四半世紀とすれば、
倭人伝に登場する各国から共立された女王の墓と重ね合わせて考えるのが、妥当な見解でしょう。


267 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 14:49:19
>>266
>各地の祭祀(サイシ)

わざわざ漢字の読みを書いておくあたり…サイキバ君への思いやりが見られるW

268 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 15:08:23
>>262
卑弥呼が女王になったのは西暦180年頃。台与が晋に朝貢したのが西暦266年。
さらにもっと生きたとすれば、卑弥呼+台与の時代は100年ほどにも及ぶ。

これは伝承として強く残っても不思議ではない。天照大神として結実するのも
十分すぎるほどありうることだろう。
しかし、卑弥呼が女王になった経緯については残っていなかったものと
思われる。記紀のどこを見てもそれをうかがわせるような記述はない。

天照大神にしても、イザナギ、イザナミの国産み神話の世界から直接、
繋がっているわけで。

>>266
普通に考えて、強い権力集中の象徴のように見える巨大古墳と、浮世離れした
民主的な王の共立とは相容れないように感じるのだが。

土器の普及は、交流の証ではあってもそれ以上のなにものでもない。
それは、古くは曽畑系土器など縄文式土器でもわかるし、遠賀川式土器でも
わかる。これに政治を絡めて考えたらとんでもないことになる。

269 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 15:38:03
>広域に影響力を持つ初めての王の墓である。その築造が3世紀第3四半世紀とすれば、
>倭人伝に登場する各国から共立された女王の墓と重ね合わせて考えるのが、妥当な見解
確かに、一番大きい墓が7万戸の勢力をもつ女王の墓らしいというのは合理的な見解に
聞こえるが、もしそうとすれば、次の5万戸の勢力をもつ投馬国の王の墓はどこにあるの
かな? 

270 :ローガン:2010/06/03(木) 16:22:06
>>268
「人の移動の活発化、広域化が見てとれる」と書きました。果たして、それと水稲耕作の伝播を同義に考えられますか?

>>269
>確かに、一番大きい墓が7万戸の勢力をもつ女王の墓らしいというのは合理的な見解に聞こえるが

いや、卑弥呼は7万戸の主ではなく、倭国王。

271 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 16:31:05
>>269

丹波でしょ?


272 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 16:41:47
>>268
>卑弥呼が女王になったのは西暦180年頃。台与が晋に朝貢したのが西暦266年。
>さらにもっと生きたとすれば、卑弥呼+台与の時代は100年ほどにも及ぶ。

卑弥呼の統治は70年あって、その間、九州と畿内は無縁だったのかね?
非常識とは思わないのかな?

畿内は鉄が欲しくて九州と交易を求めたろうし、
九州は同盟国が多いほうが、魏に対してハクが付くから畿内を邪馬台国連合に入れようとしない理由が無い。
畿内もまた、九州との連合を拒む理由が無い。
しかし、君は、九州の邪馬台国と畿内は無関係だと思ってるだろ?

卑弥呼(台与)が死んだ後で畿内に(今まで無関係だったのに)東遷したきたと、
そういう理解し難い妄想をしているのかな?




273 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 16:49:54
鉄が欲しくて交易を求めたのなら
もうちょっと鉄が出てもいいんじゃないか

淡路島でも鉄を加工しているにしては
やはり少なすぎる。

鉄を独占的に管理するために
淡路島に鉄工房を隔離しているのではないか

庶民レベルで鉄の交易が行なわれているのなら
もう少し多く出てもいいとおもうんだ。

274 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 16:53:27
>>273
君は支離滅裂なんだよ。


275 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 17:03:02
>>270
で、投馬国の墳墓はどれなのよ。

276 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/03(木) 17:14:06
畿内と九州の卑弥呼の女王国とは殆ど無関係だな。これは女王国が九州の
北沿岸あたりでないことを匂わせる。北沿岸なら大陸半島の遣使の通り道
だから、女王国がそのあたりならば畿内に女王国の情報が入るし関係も
出来ることは当時の時間の問題だ。だから女王国は結構隔絶性の高い九州
の地域にあったと考えられ、阿蘇あたりでないのかと考察してしまう?

そして卑弥呼は相当の高齢まで生きていたことを匂わせるのは

5年に東夷の王が大陸に働きかけており、約50年後の
57年に金印の件で半島との連絡があり、その丁度50年後の
107年に帥升の生口での付き合いがあり、その約50年後の
158年(阿達羅5年)に半島に倭人行きがあった。

このようにほぼ50年の歳月の経過で倭は大陸と半島との接触が公式的に
あるわけで、ここから 阿達羅5年=158年 は正確性強く、右辺の編年が正
しい可能性が濃厚である。しかも上のそれぞれの記事は畿内というより
九州のほうであろうし、こうなると阿達羅の年代が確定出来えたことに
なるから

 阿達羅20年=173年 卑弥乎 遣使 来聘

は年代的にウソでもなさそうである。となると、この時卑弥呼が20歳と
すれば 247年-173+1=75 から 75+20=95歳 となるし、15歳で彼女
が即位したなら90歳となって、だいたい数字が合ってくるが? どう?

277 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 17:15:08
投馬国で墳墓が作られたっていう根拠は?

278 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 17:29:49
>>277
大きな墓を造る時代だったんだろ。それ以上には、特に根拠はないよ。
大国でも大きな墳墓を造るとは限らんというならそれはそれでいいんだが。



279 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:21:47
>>254
>さらに、天照大神は男神といわれてる。

逆に言えば、それこそが「アマテラス=卑弥呼」説のよって立つ唯一の根拠だろうwwww

もはや常識の話として
太陽が岩屋に隠れて神や人がそれをなんとかして外へおびき出す
…なんてお話は海外にも類似があり別に卑弥呼の死に重ねる必要も無い。

が、後世の人間が元々あった太陽神(男神)の岩戸隠れの神話に
卑弥呼の姿を重ね合わせたからこそ
元々、男神であった太陽神が女神になってしまったと…
(「アマテラス=持統」説もここで持ち上がってくるw)

パッと考えてエジプトのラー、ギリシャのアポロ、インドのスーリヤ…太陽神は皆男神であって
「何故、日本の太陽神が女神なのか?」については逆に神話学的なアプローチでは答えに窮する羽目になるw

が、アッサムのカシ族の伝説に岩屋の中の美女をおびき寄せると言う話があり

何の事は無い、元々日本の太陽神は女神だった、少なくとも女神と言う神話はバージョンの一つとして存在していて
「何故、日本の太陽神が女神なのか?」すら問題でなくなるwww

「アッサム」と言う地名を聞いてピンと来ない奴もいるかもしれんが
案外、稲の伝来ルートと重ね合わせると面白いのかもしれん
まあ学者の今後の研究に期待だなwwwwwwww


280 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:23:03
参考までに先述>>279のカシ族の伝説についてソースを出しておく

>さらにカシ族の伝説には、岩屋の中に身を潜めている若い美女を、花を見せて少しずつ入り口におびき寄せ、
>ついにこれを捕まえて夫婦になると言う話があるが、メンヘン・ヘルフェンは、
>これを隠れた日の女神を誘い出す神話のヴァリアントと認め、
>鏡をつけた賢木を示してアマテラスを岩屋の外に誘い出すと言う
>日本神話のモチーフとの類似を指摘しているのである。
   (『日本神話の源流』吉田敦彦)



281 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:34:17
九州は、古墳時代になっても鉄器量は畿内より多い大国だった。

しかし、九州では大きな前方後円墳が作られなかったからな。
大国でも大きな墳墓を造るとは限らんということだろ。
九州は鉄器があっても大国じゃなかったという見方もできるがな。





282 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:45:36
知ったふうなことをほざいている連中へ

巨大前方後円墳は誰がどのようにして築造したのかを考えたことがあるか?。
善良な民がボランテイアで作ったのか?

283 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:50:57
九州は、古墳時代になっても鉄器量は畿内より多い大国だった。

しかし、ヤマトにあるような、大きな前方後円墳をボコボコ作ることはしなかった。
九州はヤマトに反抗的だったんだよ。歴史的にずっと。

これで、九州勢力が東遷したとか、前方後円墳の起源が九州とか笑わせる。


284 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:54:19
>>266
出た。東遷廚の天敵、

>三角縁神獣鏡舶載鏡説やら箸墓卑弥呼墓説が、畿内説の主流派

ローガンさんて、畿内説の保守本流やったんやね。

285 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:56:37
恐らくこの板の九州説の連中はこう思っているだろう

「たかが大きな古墳を作ったぐらいで邪馬台国を名乗るんじゃねえ!
 俺の邪馬台国を返せ!!」

…とwwwww

確かに大きな古墳を作ると言うのはそれだけ労力を動員できる証ではあるが
実は大きさはそれほど重要でない。

ぶっちゃけ九州で作ろうとすれば出来たのは間違いない。
古墳時代に入って九州でも前方後円墳は作られているのだから…

より重要なのはその埋葬文化を共有して首長同士の繋がりが出来ることで
こっちの方がより大きな意味を持つ。

…なんて言ってもこの板のトンデモ九州説の連中は理解しないんだろうがwwwwwwwww


286 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:02:55
畿内大和王権は、九州からの征服王朝だったから王の権力が強く、人民を搾取してて大きな墓を作れた。
九州は、半島での戦争に力を取られて墓づくりどころではなかった。
というところだろう。

287 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:08:50
>>281
九州には大国なんてないから

288 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:21:46
大和朝廷は、大量に古墳を作る宮崎の文化が入ってきた。
古墳は権威を表していた。
逆に、常にそういう権威のプロパガンダをしないと、
まとめられないほど不安定だったのかも知れないね

福岡佐賀の九州王朝はもともと大量に古墳を創る文化がない。
えらい人が亡くなったら、小さい古墳は作るけど
それはただの墓という意味合いで、古墳の大きさに
価値観を持ってなどいなかった。

289 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:27:19
>>261
と言うか安本って本来、本職は心理学者で
心理学者といえば少なくとも考古学者や文献史学者なんかよりは
神話学にも馴染みがあると思うのだが・・・(CGユングなんかはタオも研究していたはず)

当然、太陽神の岩屋隠れの類型が海外にもあるなんて事は百承知のはず。

それについて言及した事はあるのだろうか?

まあそんな物出した日にゃあ「卑弥呼の日食」なんて物は吹っ飛ぶんだろうがwwwwwwwwww

290 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:31:58
古墳に価値は見いだすが、誰が古墳の中に入っているかは
余り重要視しない文化でもあるようですな。

現在、はっきりと被葬者が分かる古墳は殆ど無く、
藤原道長の孫の代には、もう道長の墳墓が分からなくなっている
という記述があるそうです。あまり墓碑が見つかりませんから。

明治維新後にあわてて、かなり適当に歴代天皇の古墳の比定を
やったようですがね。

291 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 19:46:09
>>289
心理学者というのは、騙しのテクニックに長けてるということ。

実際に、多くの信者を抱えてるだろう。
自説を強弁することは、宗教の洗脳と同じ。
そうしたことに欺瞞を感じないか、自問できなきゃ、ただの詐欺師と同じ。


292 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 20:08:13
漢魏の薄葬の伝統を九州は受け継いでいるから、巨大古墳など作らない。
畿内が中国文化圏から隔離されているのが、このことで分かる。

293 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 20:13:43
畿内で大型古墳を作らなくなったのは
いつくらいからかな?

294 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 20:14:47
>>290
軍隊が普段の鍛錬のために古墳を造っていたんだろう。そして、たまたま死ん
だある程度の高官をその古墳に葬った。だから、寿陵なんて言われるものがあ
るんだよ。

295 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 20:23:17
>>294
>軍隊が

そういう説もどこかで聞いたことありますね。
戦をしないときは古墳を作らせ、常に一定の常備軍を維持していたと。

6世紀から古墳が小さくなり、古墳の場所が広がる傾向にあるらしいので
その頃には畿内はほぼ統一して、大人数を維持する必要が無くなった。
または、戦の場所が地方に移り、そちらで作るようになったとか
考えられないかなと思います。

296 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 20:47:38
巨大古墳を作ったのは信仰心と、あとは食えたからだろう。

297 :ローガン:2010/06/03(木) 20:53:23
>>292
> 漢魏の薄葬の伝統を九州は受け継いでいるから、巨大古墳など作らない。

薄葬ってねえ… 例えば平原1号をご覧なさい。 誰が見ても墓やん。 そんなのを指して薄葬なんていいませんよ。
三国志を読みなさい。

298 :ローガン:2010/06/03(木) 21:02:31
>>284
>三角縁神獣鏡舶載鏡説やら箸墓卑弥呼墓説が、畿内説の主流派

そう、おかげで思い出した。畿内派△国産鏡説の人に 質問してたんですよ。
舶載前提の短期編年を支持しないと、前期古墳が下がりますが いかが…と。

299 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 21:06:22
>>297
平原1号が、いったい何百mあるんだ?え?馬鹿か?

300 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 21:18:57
ローガンはバカ。ケーケケッケッケ。畿内説は詐欺。コケケケケ。

301 :ローガン:2010/06/03(木) 21:19:40
>>299
後程、説明しますよ。今から帰るから。

302 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/03(木) 21:47:03
>>300
九州説がこけるのは、君の書き込みから。

まあそうならないようにガンバレ。


303 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:04:55
ローガンを援護しなけりゃいけない唐松山もかわいそうだな。

304 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:09:45
箸墓のような約3百米もあるような巨大古墳は、
漢魏の薄葬の流れを受ける九州邪馬台国では作らないんだよ。
埋葬物が相当立派でも、これ見よがしの巨大な墓は作らないの。

畿内詐欺説は、こういう大事な点がお構いなしなんだよ。

305 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:15:42
>>304
しかし魏志倭人伝によれば、卑弥呼が死んで、
それで彼女のために造った墓は、相当大きかったんじゃないの?
九州にそんなのがあるかい? 径100歩以上だぞ

306 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:27:24
>>304

つまり、東遷説を主張するやつはアホとゆーわけですな。






307 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:27:25
つーかその薄葬とやらを主張する九州説というのは
倭人伝の記述が間違っているという主張になるのだが、それ判ってるの、サイキバ君?

径百歩で殉死多数、大いに塚を作るなど薄葬とは程遠いわな。

とどめは鬼道。

この漢や魏からすれば常識外の異教を魏志は不思議がっているんだろ?

やっぱ君、きっちり考えをまとめてから煽ってよw
九州説が迷惑するからな。

308 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:29:12
>>305
いわゆる箸墓クラスの墓を造るためには何年もかかるはずだが、倭人伝を
見る限りそんなにかかったようには読めない。
狗奴国との争いもあったし、卑弥呼が死んだ後は後継の王をめぐって大きな
争いも起きている。

殉葬者が奴婢百人余と書かれているところを見ると、すでに葬られたのだろう
から台与が王になった後のんびり作ったとも思えない。

卑弥呼の墓はそんなに大きなものではなかったんじゃなかろうか。
倭人伝の数字は、距離といい、戸数といい、大き過ぎる数が多いから、卑弥呼の
冢の径百余歩もちょっと誇大な感じがする。

309 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:34:01

トヨタン・・・・・・・・・・
 

310 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:35:48
>>308
君が九州説なのか畿内説なのかは分からないが
魏志の記述には誇張というか伝聞・推定が多数あり
戸数や行程に信は置けないという考え方が普通なんだよ

おっと「普通」とか書くと「素直に読めば」と同じレベルに堕ちちゃうかwww

ばっさり言ってしまうと、それが「定説」なわけだ。
だから定説と違う解釈をするものは、なぜ定説を採用しないのかを丁寧に説明してから持論を述べるべきんんだよな。

ちなみに俺の倭人伝解釈は、すべて定説に従うというもの。
つまり佐伯有清のまとめによるものだと明記しておく。

311 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:38:59
佐伯有清って、時代錯誤もいいところだろ。


312 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:43:16
>>311
はあ?佐伯以降に何があるというんだ?
具体的に名前を挙げてくれ。

もしかして古田か?鳥越か?

文献解釈特に中国古代文献解釈において、彼のまとめ以降に新解釈や新学説は一切出ていない。
これは言い切ってやるよ。
だから具体的にだしてみな。

313 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:56:34
>>312の「一切出ていない」には
在野のアマチュアや門外漢の素直に読めば解釈は含まれないとは、念押ししておくわ。
そういう擬似歴史読み物レベルの話をしたいのだったら、歴史系の板以外でやってくれ。

314 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 22:56:45
>>308
径百余歩という大きさを考える必要がある。径というのは、けして円の直径ではない。
図形の差し渡し。すなわち、どんな形であっても図形の真ん中をとおる線を引けばそれ
が径だ。前方後円墳の長さも径なんだよ(もちろん、幅も径なんだが、墓の大きさをい
うときに幅をいうわけはない。)百余歩はまともに計算すれば、百四、五十メートル。
まあ、長さ百メートル以上、百五十メートルぐらいの前方後円墳ならば、卑弥呼の墓に
一致する大きさと言えるだろう。箸墓は大きすぎる。箸墓だったら径二百歩だね。

315 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:05:00
>戸数や行程に信は置けないという考え方が普通なんだよ

>なぜ定説を採用しないのかを丁寧に説明してから持論を述べるべきんんだよな

信を置けないというなら理由が必要だろうが、倭人伝が書いているとおりに読む
のにあれこれ理屈をつける必要はないな。
末盧国が唐津であることは定説だ。そこから東南五百里、それが佐賀付近だって
ことは倭人伝が書いているところ。文句があったらそれらが言え。

316 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:05:05
>>312

解釈なんて、想像の域を出ない。「解釈」なんてものに頼るのはバカ。

「俺の解釈サイコー」と酔いしれてるだけだろ。

317 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:05:27
1里360歩
1里7〜80mで
100歩は25mくらいだね。

318 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:06:15
卑弥呼の冢は短時日で作られたのではないか。

其八年太守王[斤頁]到官 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状 
遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之 卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人 
更立男王 國中不服更相誅殺當時殺千餘人 復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王國中遂定 政等以檄告喩壹與
壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還

正始八年張政が来倭したときに卑弥呼は死んだようである。そして直ぐに冢が作られたようである。
卑弥呼の死後に男王が立ったが国中服さず千餘人の死者がでる争が起こった。卑弥呼の宗女壹與を王にする
ことで治まった。壹與は張政に使者をつけて送還した。この間の期間は如何程であったろうか。

男王が立ったのは卑弥呼の埋葬が行われる前であったのか、それとも後だったのか。卑弥呼の冢が作られる
前であれば、男王が立って争いが起きたのであるからその争乱の最中に箸墓のような大きな古墳を作れる環
境にはないであろう。男王の時に卑弥呼の冢が作られたのであれば短時日で作れる規模のものであったろう。

男王が立つ前に卑弥呼の冢が作られたのであれば、これもまた短時日で作られたものであろう。王位を数年も
空けていたとは考え難いからである。

壹與の代になってから卑弥呼の冢が作られたのであろうか?それならば卑弥呼の冢の記述は壹與の登場後にな
されずに男王の前に置かれたのか。仮に壹与の代に卑弥呼の冢が作られたとしても、その冢が箸墓のような巨
大な前方後円墳であったならば「大作冢徑百餘歩」というような簡単な描写で済ませるであろうか。



319 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:07:50
>>312

解釈なんて、想像の域を出ない。「解釈」なんてものに頼るのはバカ。

「俺の解釈サイコー」と酔いしれてるだけだろ。

魏志倭人伝で信用できるのは、

「大乱の後、倭国をとりまとめた倭王がいて、魏から金印をもらった。その倭王は、どうやら女性らしい。」
とそれだけだ。

ほかの解釈は無効。空想の域を出ない。


320 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:08:51
>>314
あなたの言うような考え方もある
また>>308のような考え方もある。

そのいずれか、又はもっと違う解釈をしてもいいのだが
客観的に見て、どの解釈が正しいのかなど倭人伝(しかも12世紀の写本)しか史料がない時点で、結論は出ないよね。

だからそのあたりは棚上げにしているというのが、畿内説の解釈方法。

これは矛盾に目をつぶるとかのサイキバ突込みとかじゃなく
分からんものは分からんという、ごく当たり前の態度なんだわ。

321 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:09:06
>>317
一里が360歩かどうかが問題だな。1里7〜80mというときは、360歩では
ないのかも知れないと言われている。


322 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:11:27
>>318

長文ご苦労だが、
「ボクの考えた空想」を披露してるにすぎない。
「ああ、そうですね。君の意見はもっともだ。」と言って欲しいのか?



323 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:11:59
>>319
>大乱の後、倭国をとりまとめた倭王がいて・・・
なに言ってるんだかwww
その大乱も存在が確認できないし、倭国を取りまとめたという形跡すらないというのが考古学的事実だろう。

324 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:13:32
>>314の言うような考え方もある また>>308のような考え方もある。
どっちにしても、箸墓は無理ってことだな。


325 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:15:42
>>322
反論できないと「「ボクの考えた空想」を披露してるにすぎない。」という言葉で逃げるのか。
おまえみたいなアホとは議論にならんわい。

326 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:16:09
>>323
考古学では倭国とか邪馬台国という国がこの世にあったということすら言え
ないよ。

327 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:16:57
>>315

>倭人伝が書いているとおりに読むのにあれこれ理屈をつける必要はないな。

この倭人伝を聖書と置き換えてみると、至上主義者の思考回路がよくわかるな。
倭人伝の批判許すまじですかwww

328 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:17:47
>>326

その通り、日本国が登場したのも8世紀からだしな。

329 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:18:48
>>327
筋の通った批判をしろ!

330 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:19:25
倭人伝の批判もいいけど根拠がないとね。
俺様脳内設定にあわないからといって
いちいち変えられたらついて行けないから。


331 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:19:48
>倭人伝の批判許すまじですかwww
別に。「信を置けないというなら理由が必要だろうが」と書いているだろ。
批判したけりゃ、すれば。

332 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:21:47
>>325

魏志倭人伝に書かれたことが事実という証拠がなければ、
他人の空想について論評は無駄だよ。


333 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:23:56
倭人伝は洛陽での記述以外は信用できるものではない。

334 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:24:07
畿内説は倭人伝を信用できないとしなければ存立できませんからな。ははは。


335 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:25:13
>>326
何度同じ事を教えてあげればいいのかねえ・・・

倭人伝の記述は、考古成果と全く一致しない。

考古学的には、倭国というまとまった広域国家の存在は考えられないし
その盟主となる邪馬台国の存在などもっと考えられない。

だから纏向について語るときも
倭人伝の記述が正しいと仮定するならば・・・という但し書きがつくわけだ。

それを扇情的にマスコミ相手に話すのは、考古学関係者にしてみれば、いわば客寄せパンダなのよ。
だから吉野ヶ里のときでも、バリバリの畿内説論者だった佐原真が
「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」とのキャッチコピーをひねり出して、一般の興味を古代史に向けさせようとしただろうが。

それが気に入らないのなら、古代史から遠ざかったほうがいい。
そういう煽りの部分も必要だって事だ。

336 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:25:35
魏志倭人伝が信用できないなら、
そもそも邪馬台国の存在を認めないはずだが。

337 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:28:25
つまり、邪馬台国はリップサービスで
畿内に邪馬台国はないと解釈して良いわけだ。



338 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:29:39
>考古学的には、倭国というまとまった広域国家の存在は考えられないし
>その盟主となる邪馬台国の存在などもっと考えられない。

思い上がるのもいい加減にしろ!おまえの頭の程度で何が分かると言うのだ。

339 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:30:19
九州にもないけどな。

340 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:30:30
>>325
反論できないとかの高尚な話でなく
議論に値しないレベルであるといわれてるだけだと思うが。

いつも言うのだが、もっと設定を練りこんでから開陳してくれ。
穴だらけのプロットを論評させられるこちらの身にもなってくれや。

世間一般の九州説は、そのあたりももっともっと考えているんだぞ。
あんたはもっと現実世界での九州説の友達を作って、議論を重ねたから来てくれ。

341 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:31:39
>>335
>考古学的には、倭国というまとまった広域国家の存在は考えられないし
>その盟主となる邪馬台国の存在などもっと考えられない。
そうだよ。君の言うとおりだ。考古学でそんなことが分かる訳がない。
だから、考古学に頼って邪馬台国の所在をあれこれ言ってはいかんのだよ。
邪馬台国の所在は、文献学的に検討すべき事柄なんだ。

342 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:33:04
>>338
かなりあせったみたいだねwww

でも本当に考えられないんだよ

俺の頭が考えたんじゃなく、考古学会の一致した意見だけどね。

だから君はその怒りの矛先を、サイキバ宜しく考古学に向けて空しく吠えてりゃいいんじゃないかwww

343 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:33:52
畿内説
 倭人伝は信用できない
 邪馬台国の記述も認めない。
 邪馬台国は存在しない
 畿内説もありえない

344 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:34:56
邪馬台国は、むしろ邪魔になってきたよな。

ヤマト王権成立過程について考察するためには。


345 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:35:20
>>340
アホか!

346 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:36:10
>>341
>邪馬台国の所在は、文献学的に検討すべき事柄なんだ。

まあこの板の九州説の言う「文献史学」と言うのは
殆ど「古田史学」の芸風そのまんまやけどなwwww

あるいは「砂鬼四荼羅経」とでも言うかwwwww

347 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:36:44
倭国はもちろんある。ただし、それは魏から見ての冊封国としての倭国。実際は交易の拠点となる集落がゆるやかに連合した
点のつながりとしてのもの。ただしかなり広範囲にわたる。倭人伝当時の交易の様子を見れば九州が九州島内で完結していた
などということは到底ありえない。

348 :図解☆さくっと近江説:2010/06/03(木) 23:37:00
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ           ┃ ↓ /
    /        /           ┃ ↓|フクイ
   丿 水行  / ̄              ┗━━━━━━━━━━━
  |_     ↓/ ̄
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                 末盧国・・・敦賀市 (気比の松原)
 /  >   天 \              伊都国・・・旧伊香郡 (古保利古墳群)
/  /     安 \             奴国  ・・・長浜市 (国友鉄砲村)
\ |        川              不弥国・・・米原市 (息長稜)
  ∨             ☆呼邑国  投馬国・・・野洲市・近江盆地
                              (日本最大銅鐸、伊勢遺跡)
       ▲邪馬国 天
               岩 ☆為吾国  邪馬国・・・旧信楽町
             戸           呼邑国・・・甲賀市 (手裏剣=鉄?)
                         為吾国・・・伊賀市 (同上)
            ☆巴利国      巴利国・・・名張市 (同上)
      ☆烏奴国             烏奴国・・・宇陀市 (辰砂・丹の産地)
  ☆奴国                  奴国 ・・・奈良盆地

349 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:38:59
>>341
うん君はそうやって、比較文献もない史料という「証言」をあれこれいじくっていればいい。

俺は「物的証拠」を元に考察するから。

まあ言うなれば、凶器が包丁だとの犯人の供述を信じるのが君
その包丁に一切指紋もルミノール反応もなく、しかも死体に縊死痕があるのを重視するのが俺というわけだ。

350 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:39:48
>>342
>かなりあせったみたいだねwww

べつに。おまえも考古学会と同じレベルだということだな。嘆かわしいもんだ。

351 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:44:09
>>349
アホか?古代の政治状況を示す遺物が全て残っているとでも思っているのか?

352 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:46:04
>>308
卑弥呼の墓についてはちょっとわかりませんが、

>狗奴国との争いもあったし、卑弥呼が死んだ後は後継の王をめぐって大きな争いも起きている。

狗奴国との争いについては、載斯、烏越等からの伝聞情報以外になにも語られていませんね。
男王擁立後の混乱については「誅殺」ですしね。

不確かな情報をもとにした「争い」を前提に考えるのはどうかと・・・

353 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:46:36
>>350
うん、その評価は正しいwww

君もサイキバ君と一緒に、畿内説や柏原考古学研究所は詐欺師だと叫ぶべきだなwww

だってもう君には陰謀論を叫ぶしか道は残っていないのだからね。

相対性理論は間違っていて、物理学会がイルミナリティと繋がってるとか
人類は月には行ってなくて、あれはNASAとハリウッドの陰謀だとか

君の友達はネットにはけっこういるよwww

354 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:47:09
「自分は考古学と文献の併用なんてしない文献一本でやる!」

…と言うのはアリだ。

むしろ尊重されるべき姿勢とも言えるだろうが

この板の九州説のアホ連中の言う文献史学なんて要するに
「すなおに読んだら」から始まる俺サマ流解釈に過ぎないwww

もっとも本当に文献だけでやっている奴がいるのか疑問だ。

そう言う奴に限って「九州の先進性」とやらを強調する時には
漢鏡の大量出土や志賀島の金印とかの考古資料出してくるんだろうがwwwww



355 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:48:20
>>351
全て残ってなくとも、この程度は出土しているんだよwww
何も知らないにも程があるぞw

356 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:48:49
>>314
> 径というのは、けして円の直径ではない。図形の差し渡し。
>すなわち、どんな形であっても図形の真ん中をとおる線を引けばそれが径だ。

その根拠は? 具体的な用例を示して下さい。

357 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:49:29
まあ考古学ですべてがわかるわけではないが、2〜3世紀に関してもかなりジグゾーパズルのパーツが揃ってきている。そしてそれ
は今後ますます増えていくだろう。そうして当時の列島の様子が明らかになっていくというわけだ。邪馬台国は、その全体像から見て
語ればよい。倭人伝はほぼ単一の同時代資料であり、アマチュアが楽しみでひねくりまわす分には問題もないのだが、考古学的な
知見に目を瞑るなら、歴史の真実からは化石のように取り残されていく。

>日も暮れよ、鐘も鳴れ、月日は流れ、私は残る  「ミラボー橋」アポリネール

358 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:49:36
邪馬台国は九州にあって九州で滅びて別の勢力が九州から本州に進出して近畿に王朝を作った。
だから三世紀の時点では邪馬台国は九州にあって中国と行き来したのは
九州の邪馬台国。
それを記紀は神話を取り込んで、歴史を長く見せたために3世紀の倭人伝の邪馬台国が
近畿にあると勘違いしてしまっている。簡潔に言うとこういうことだよ。

359 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:54:18
>>354
なんか芸スポの「木村カエラできちゃった婚」のスレに出てきた

「カエラは処女だよ!俺は素直に感じるんだ!だからみんな嘘、嘘、嘘!
マスコミの恣意的な報道にはうんざりだ!だからミンスは・・・云々・・・」

こういう奴と同じ匂いが、文献至上主義者から漂ってくるのだが・・・

360 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:54:51
>>352
卑弥呼は狗奴国との争いをわざわざ説明させている。
外国でそのような説明をしなくてはならないのは非常にみっともない。
自分で解決できないのかとの批判を承知の上でそうしているところをみると
けっこう切羽詰っている。

しかも、張政が派遣されている。何のために張政がやってきたのか。
狗奴国との争いがどういう状況だったかは察することが出来るだろう。

男王が立ったときの争いでは、千人余が殺されたと書かれている。
これも小競り合いどころの争いではない。

361 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:57:06
>>358
それ井上光貞の「狗奴国東遷説」そのままw

ちなみに初出は1978年、中央公論社の日本の歴史シリーズの第一巻「神話から歴史へ」を参照な。

362 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:58:38
はっきり言って卑弥呼の墓に関する記述も大概にぁゃιぃと俺は見るw

理由は、言わずもがな奴婢百人の徇葬なんて事が書いてあるから。

今日徇葬跡なんて考古学的にきちんと確認された物があるのか?
九州にあるとか無いとか言う話も聞くことがあるがどうもハッキリしない。

どの道それが百人なんて数になれば「特異例」であるのは間違いない。
そんな物が出てきて年代も合っているのなら
墓の大きさや形なんてどうでも良いそれが卑弥呼の墓と言うのを認めざるをえないwwwww

この「百人」と言うのも怪しいし
卑弥呼に仕えた奴婢千人と言うのも更にぁゃιぃ。

「千人」と言えば吉野ヶ里のような大型拠点集落の人口に匹敵する。

一次産業従事者までカウントしているのか?w

どうも魏使による見聞に基く報告書があってそれによって書かれたか
能天気に信用は出来ないだろうw

もっともそんな事言い出したら「倭人伝ウソつかない」が前提の『暗号解読ゴッコ』が成り立たないのだろうがwwwwwwwww

363 :日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:58:49
>>356
まず、字典でも引いてみること。方墳、径でググっても結構出てくるよ。

364 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:00:36
>>358

それ、20年前のマンガの話。


365 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:03:39
>>360
狗奴国との争いに切羽詰ったと言うかね
そもそも伊都国の王は漢人系なわけよ。
だから同族を増やして、自分の立場を有利に持って行こうとしたんじゃないかね〜
で、その結果、日向に帯方郡の人が来たんだと思うんだわ

366 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:05:08
まあこれも大批判がくるのはわかってるが、倭人伝の行程記事をもとにこれだけ雑多な比定地が出てくるのは、おそらく陳寿自身に
具体的な地理的イメージがないまま、資料をつなげていったからだと思うね。

367 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:05:22
>>360
卑弥呼が狗奴国との戦いを説明させたのは、同じ朝貢国どおしで争うことを
禁じられていたからだ。狗奴国を攻撃する事前準備として、魏に説明してい
るだけで、魏の援軍を頼んでいるわけではない。


368 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:06:14
>>354

文献と考古学的資料を併せて考察するのは当然だろ。古代にどういう国があってどういう事件が起きたか
などは文献が無ければ分からない。壬申の乱など考古学的資料で分るか?何も分からんだろ。
しかもだ、遺跡や出土物から絶対年代など分かりはしないのだ。金石文などの文字資料が無ければな。

お前達の倭人伝批判が当を得たものであれば聞く耳は持ってるが、倭人伝の内容が考古学資料に合わない
などと言う奴がいるからダメだと言っているのだ。十分な考古学的資料が揃っているのか?どこがどう合
わないのかの説得力ある話ができないだろが。

369 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:07:31
>>362
まあ痛い九州説とのお遊びから離れて、真っ当に考古を語れば
もし徇葬が事実だったとして、それが3世紀後半の大王墓や首長墓で実際に行われていたにせよ
さすがに人骨の出土を期待するのは難しい。

だが大量の人骨が失われたにせよ、それらを徇葬したという痕跡は必ずあるはずなので
それがものの見事に全くでないということは、やはり疑わざるを得ない。

徇葬ではなく、卑弥呼の死後に一斉に処刑して遺体は別のところに葬ったとしてもいいのだが
それだと倭人伝記述から遠ざかるという、至上主義者にとっては致命傷となる考え方になってしまう。

どっちにしても、とっくの昔に破綻しているんよな。

370 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:08:08
>>360
> しかも、張政が派遣されている。何のために張政がやってきたのか。
>狗奴国との争いがどういう状況だったかは察することが出来るだろう。

因齎詔書黄幢拜假難升米為檄告喻之
政等以檄告喻壹與

これだけですが・・・。なにごともなかったように察することも出来る。

>これも小競り合いどころの争いではない。

千人が多いか少ないかわからないが、「誅殺」だと書いてある。
誅殺の意味は?

371 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:08:09
>>368

倭人伝の内容が考古学資料に合ってるのか?
どこが?


372 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:08:17
ひいい、縄文人だわ。いや〜ね。

373 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:09:23
>>368
あのな、散々いろいろな人がお前に教えてあげてただろうが

それを聞く耳持たないのは、お前だろ、縄文人wwwwww

374 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:11:25
>>348 近江厨(仮)

良くのそのAA貼って自説をアピールしているが…wwwwww

一つ聞きたいのだが その魏使ルートと言うのは交易ルートとしても機能していたと考えるのかな?

仮にそうだとしたら九州説で「伊都国=佐賀大和」を唱えている奴に言ってる事と同じ事を問わなければならない。

例えば「伊都国・・・旧伊香郡 (古保利古墳群)」に郡使の常駐の可能性を示唆するような
考古資料(例えば楽浪土器の大量出土等)があるのかと。

何れにせよ交易ルートとしても機能していたと言う考えなら
それなりの出土物が欲しいところ…





375 :ローガン:2010/06/04(金) 00:11:32
>>299
> 平原1号が、いったい何百mあるんだ?え?馬鹿か?

遅くなりました。平原1号と箸墓のサイズ、両者を比較して、どちらが薄葬か?
という意図を持ったレスですな?だったら 魏の「薄葬」が理解出来てない。 三国志よんでないな。
君は漢魏は薄葬だとしたが、漢代は魏と同様ではない。後漢書礼儀志に記載されている。
よく、魏が薄葬と云われる所以は、三国志に記載されている。武帝遺令、文帝三月詔もその意図は自身の墓に盗掘者を呼び込むような墓を造るなと云う事である。
「君を安んじ親を落ち着かせ万年ののちまで、霊魂を危険にさらさせない方法を講ずる事 それこそが賢人聖者の忠孝である。」
ここから読める魏の薄葬とは、安らかに眠る為、誰が見ても「墓」と認知出来るような祀り方は止めてくれ…という事。
仮に、その「薄葬」を踏襲しているなら、墳丘墓など造らない。勿論、その大きさによる薄葬と厚葬の区別など 論外。

376 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:12:02
>>368は苦しくなったときの縄文人の常套句で

その意味は・・・

アーアー聴こえない聴こえない

377 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:12:08
>>369
うん、畿内からは出ていないんだ。九州からは出てるそうだ。



378 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:12:26
>>361
狗奴国じゃないですよ。遅れてますね。


379 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:13:31
縄文人は考古学が嫌いなんだよ。日々上書きされる情報を取り込む知恵も根気もない上に、自分のトンデモ説を実証的に否定される
だけだから。

380 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:18:24
>>375
>ここから読める魏の薄葬とは、安らかに眠る為、誰が見ても「墓」と認知出来るような祀り方は止めてくれ…という事

まあ中国人が恐れるのは自分の死後その墓をあばかれる事…とは良く聞くなwwwwwwww

381 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:19:29
>>363
ありがとうございます。しかし辞書(漢辞海)には用例は挙げられてません。
ググってみても出てこないようなんですが。

方墳って?
つまり、中国史書での「径」の用例で、円形でないものの“さしわたし”を示したものがあるか、
を確かめたいわけなんですが、ご存じないですか?

382 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:19:31
>誰が見ても「墓」と認知出来るような祀り方は止めてくれ
こじつけではなく、ちゃんとした文献でも紹介してくれ。
薄葬の意味として、そんなことを書いているのは見たことがない。

383 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:22:40
>>379
だな、実際考古学的見地の重要性を説く俺でさえ
「考古学のおやつ」などでの新説や新発表を目にするたびに、日進月歩の進化に眩暈がしそうになる。

実は俺はちょっと前まで東海・関東勢力の畿内影響など、あまりまともに考えてなかったんだよ。
ところがすでに3世紀の時点で、纏向成立にさえ多大なる文化的影響を与えていた可能性のほうが、今は強く考えられてるんだな。
少し前の、東海=労働力という北条の説(古墳時代を見直す)でさえ、もう本人も認めるように再考を迫られているんだよな。

縄文人レベルではついていけない・・・といえば馬鹿にしているようだが
きちんと謙虚な気持ちで真面目に学べば、彼とてサイキバとて納得せざるを得ないというか
もう妄説が存在できる余地など全く無いんだよな・・・。

384 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:22:43
>>374
ほんと文献厨なんだから、そんな事言われても。
人がいない所に古墳が勝手に湧くわけなくない?
楽浪土器の出土・・なんかどっかで読んだ気がするな、ぐぐって来ます。

あとね、前もちょっと書いたけど、
古代の和歌で「近江」の枕詞は「楽浪の」と書いて「さざなみの」です。

あと、佐渡・能登の方言は関西アクセント気味とのこと。
ついでに、佐渡でヒスイとれるらしいよ♪ヒスイGET!

385 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:23:59
薄葬ねえ。だいたい邪馬台国が薄葬を取り入れていたという記述がない。冊封国は中国の元号や暦を取り入れることがいちおう
義務とされるが、それは建前上のことで、文化度がそこまで達していなければどうしようもない。わざわざ中国の法令の一つ一つを
遵守していたなどありえないこと。まして、魏側は卑弥呼の鬼道が倭国をまとめるバンドとなっていたことを理解していたようだから、
それを無理に止めて、せっかくの秩序を乱すことも考えられない。

386 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:27:10
>>377
うん、その遺跡を具体的に頼むよ。出てるそうだじゃなくてさ。

で、先に言っておくが、具体的にはふたつの遺跡が俺の頭の中にある。
そのふたつに関しては、完全に否定できると釘をさしておく。

それ以外にあるのなら、もう2chで書くにはもったいない大発見なので、具体的に書くこと。

387 :ローガン:2010/06/04(金) 00:30:35
>>318
>正始八年張政が来倭したときに卑弥呼は死んだようである

解釈の違いと云われればそれまでですが、正始八年に張政等が来た…。と決まったものでは無いでしょう。 又、その時に卑弥呼が死んだ とするのも「以死」なので、異論有ります。
記述自体は、八年という実年代は、王キ赴任の年。 張政等来倭はそれ以降、臺與が王になってから。


388 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:32:05
卑弥呼の墓の塚は周時代の塚に似ていると思う。
倭人伝の鬼道にしても周時代を思わせるし、中国に派遣された人は自分を「大夫」と呼ぶのも周時代に関係する。
周の太伯は呉を建国した。倭人伝には倭人は呉の太伯の末裔と自称。
風俗も百越に近い。だから卑弥呼の墓は周時代の名残で円の塚だと思う。


389 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:35:54
>>381
中国史書は知らんが、径の意味は字典に書いてあるだろ。図形の差し渡しと。
円に限るならば、図形なんて書かずに「円」と書くよ。円に限らないから図形だ。
方墳に径と書いているのは、我が国の資料だが、径の意味を知ってるから、
方墳にも使っているんだろう。

390 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:36:54
ここの九州説って、ホントに時代についてこれないんだなー

iPadって知ってる?おじいちゃん

391 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:39:25
ずっと読んでいるけどここの畿内説って、ほんとにいい加減。
もっと歴史って複雑だよ。

392 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:40:24
>>387
>張政等来倭はそれ以降、臺與が王になってから。

出た。保守本流ローガン翁のトンデモ説。

393 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:41:10
>>386
お前に完全に否定できるなんて言われてもなあ。
畿内説にかぶれているようなお前は信用できんからね。


394 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:41:52
>>391
いや畿内説のほうが複雑怪奇だよ

ついて来れないんだねwww

と、煽ってみるwwwwwww

つーかこの政局の混迷を見ていると九州説とかいってる場合じゃないと思うんだが

395 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:42:24
>>391
あ、近江説と畿内説は別だから。

木より森を見ることが大切ですよ〜複雑なものこそ。

396 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:43:48
>>394
政局の混迷っていつの?
まさか現代の?
それこそ歴史捏造もいいとこ。

397 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:44:01
>>393
いやあんたは、トンデモ九州説だから
他のまともな九州説の話も信用してないだろwwwなあ縄文人

398 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:45:36
畿内説を本気で信じている人なんているのかなあ。

本気なら古墳時代を3Cからとする根拠をちゃんと言ってよ。

ジョーカーもこの点は逃げてばかりだな。

399 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:46:27
>張政等来倭はそれ以降、臺與が王になってから。
卑弥呼が存命中と解することもできるよ。

400 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:46:50
>>394
まあ古代史とりわけ邪馬台国論争なんて浮世離れも良いところなのだろうがwwwwwwww

それでも日本の政治土壌と言うのは古代の邪馬台国の時代から
共通する物があるのではないかとも思ったり思わなかったりw

「ゆるやかな首長連合」に見るように突出したリーダーの存在を認めない方向性と言うかwwwww

いっそ女性総理が立った方が上手くいくのかも試練wwwwww

401 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:47:09
>>388
>自古以來其使詣中國皆自稱大夫

倭人が中国に詣でたのは、四郡設置以降だろう。
「大夫」は漢朝の官だよ。

402 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:49:22
>>400
スローガンは「もったいない!」な。

403 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:49:35
>>400
みずほはカンベンなwwww
その共立には、俺は狗奴国と化して抵抗するわw

あ、雪子姫やレンちゃんやマキコや姫もカンベンなwww

404 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:51:11
>>403
>その共立には、俺は狗奴国と化して抵抗するわw

やめれ、中国の介入招くだろうがwwwww

405 :ローガン:2010/06/04(金) 00:51:21
>>382

> 薄葬の意味として、そんなことを書いているのは見たことがない。

三国志ですよ。読んでね。

406 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:52:20
九州の殉葬ねえ。平原の原田説は柳田氏に否定されてるし、祇園山墳丘墓なら共同体墓所と見る。あとは鷲崎「「百体神社」説とか
か?あれはトンデモの極地で、戦死した隼人の霊に失礼だろう。ww その九州における殉葬例の話は俺もぜひ伺ってみたい。

407 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:53:27
>>404
その発想はなかったわwwwww

じゃあ難斗米になって、ムクドリと会話させてもらうわwww

408 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:55:03
>>401
無知を披露したら笑われますよ。
周時代には大夫という官名はすでにありました。

409 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:56:20
>>405
こいつらのレスを見てれば、文献重視とかいいながら三国志どころかその一部の東夷伝すらまともに読んでないことがはっきり
わかる。倭人伝を読んだだけでいっぱしの文献派面しているのは、縄文人をはじめたくさんいるようで片腹痛い。ww


410 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:00:53
>>409
だな
いったい何の文献を重視しているのやら・・・
一度考古学には全く触れずに、文献のみで相手してやろうかなと思うわ

411 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:01:37
>>382
漢文帝之不發,霸陵無求也;光武之掘,原陵封樹也。霸陵之完,功在釋之;原陵之掘,罪在明帝。
是釋之忠以利君,明帝愛以害親也。
忠臣孝子,宜思仲尼、丘明、釋之之言,鑒華元、樂莒、明帝之戒,存於所以安君定親,使魂靈萬載無危,斯則賢聖之忠孝矣。
自古及今,未有不亡之國,亦無不掘之墓也。
喪亂以來,漢氏諸陵無不發掘,至乃燒取玉匣金縷,骸骨並盡,是焚如之刑,豈不重痛哉!

ちゃんと読むように。

412 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:12:31
>>408
>周時代には大夫という官名はすでにありました。

いや、それは知ってますけど(礼記)。
ここでの「大夫」は周にさかのぼれないでしょう、ってこと。

413 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:14:39
>>412
私の書いた意味わかっていますか?
倭人は周時代の文化を引き継いで九州にいたので墓は円なのではないかと、
そういうことです。

414 :ローガン:2010/06/04(金) 01:21:19
>>398
>本気なら古墳時代を3Cからとする根拠をちゃんと言ってよ。ジョーカーもこの点は逃げてばかりだな。

横失礼。橋口編年kvf式…西新で庄内並行。祇園山は「古墳」まあ、主体じゃないけど。
もう寝ます。

415 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:24:11
上に出ていたけど、ホケノ山が4世紀半ばで確定したんだろ。
もう畿内説も終わりだな。


416 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:24:19
>>413
>そういうことです。

まあ、ちょっと飛躍かなと思うんで。
それと、「呉の太伯の末裔と自称」は通行本にはないよ。

417 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:33:57
>>416
魏略逸文と北史にはある。他の文献があえてこの部分は不明だからという理由で
書かなかった可能性はある。
呉は荊、陽の地域にあったし、朱崖などの風俗と同じだと書いてあるので
呉の末裔(血縁ではなく)というのは信用できるものだと思う。

418 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:51:02
>>415

まあ、がんばれwwwwwwww

419 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 01:51:51
スレの進行の早さがすごかったな。
東遷説の話が彼方に隠れてしまった。

420 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 02:41:16
>>411
では、魏代の陵墓はないのかな?

421 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 02:56:50
近江厨だけどさ〜
そもそも楽浪郡は日本海に面した半島東部にあったんだと思うわけですよ。
楽浪郡が平壌辺りっていうの、正しいのかな。そっちが帯方郡じゃないの?
ま、どうでもいいけど

422 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 03:29:09
だいたい、邪馬台国は帯方郡を通じて魏とやり取りしてた、とかいうのどうなん
帯方郡が消滅してから歴史をパクっただけちゃうんかと

まあいいや寝よ

423 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 07:57:44
畿内説って、魏志倭人伝を無視して、邪馬台国や卑弥呼を語る詐欺説なんだね。
一日で良く理解できたよ。

424 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 08:50:10
ここを見ていると考古ガッカイとやらがインチキで、
畿内説の人たちがやたらと必死なのは伝わってきます。
不利な立場にあればあるほど人は口角泡を吹き飛ばして相手を中傷し貶めようとするものです。
畿内説の人たちの書き込みにはいつもアホ、馬鹿などの中傷が目立ちますが、
畿内説というのはそこまで相手を貶めねば成り立たぬ程度の脆弱な考えなのですか?

425 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 08:51:57
九州説が必死なのは良くわかった

426 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 10:15:04
ま、馬鹿にきちんと馬鹿だって言えるのが2ちゃんねるのいいところだよなW

427 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 10:35:28
近江厨の見解を聞いてみたいところなんだけど
>>348の行程をとった場合、倭人伝には九州の記述が一切無いことになるよね
いや俺も畿内説なのだが、九州内30ヶ国説に本州の記述がない不自然さと同様に、それも不自然だと思うのよ
弥生後期の北九州も畿内も、お互いはもちろん魏や帯方も無視できるような矮小な存在ではないので
その辺りをどう考えているかだね

428 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 10:49:35
ざっと読んで驚いたが、銅鐸がいっせいに消滅したなんて今の時代に言う奴がいるんだな

同じ九州説の知り合いとかいないのか?

いまどき九州説からもそんな話は聞かないから、電話でもして聞いてみれば?

429 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 11:23:37
ウィキによると、「埋納時期は紀元前後と2世紀頃に集中している。」とあるね。
二回に分かれているから、いっせいではないと? 紀元前後のことはどうでもいいんだよ。
しかし、「いっせい」という言葉がよほどこたえるらしいな。
たしかに、大切にしてきた物を突然埋めるなんて、普通じゃとても考えられないからな。

430 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 11:35:57
>>405
三国志を読んでみたが、薄葬の意味は書いてないな。>>411のあげる文章も
薄葬の一つの形態とは言えるだろうが、薄葬の意味ではない。陵墓を造った
ら直ちに厚葬だとはどこにもない。

431 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 11:52:06
>>429

銅鐸の一斉消滅とか、もう50年以上前に否定されて、今では誰も唱えない過去の見解だから驚いたんだよ
お前以外そんな戯言を言う人間って、この世にいるのかい?
もしいるのなら教えてくれんかね、すくなくとも俺は見たことも聞いたこともない

432 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:00:18
>>429

自分で「2世紀頃に集中」してるって引用してるのに、
どうして無視してるの?

東遷があったとしても、2世紀ってことだろ。
つまり、邪馬台国は畿内。



433 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:04:56
>>427
なぜそれが不自然なのか分からない

「漢委奴国王印」を渡してある国を無視するわけがない!みたいなこと?
そもそもアレって捏(ry

あなたが畿内説だっていうのも(ry

434 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:05:49
>>432
たぶん246年とかの西暦を

2世紀なんだと勘違いしていると思われwww

435 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:07:53
>>429
古い時期のは、出雲のものだろう?
荒神谷遺跡を見ればわかるが、あれは明らかに性格が違う。
まとめて、丁寧に埋めてある。銅剣も358本、銅矛も16本がまとめて埋めてある。
埋納にどういう意味があるのかはわからないが。

近畿地方などの銅鐸の埋納の時期は、2世紀というと妙な先入観を持ってしまうが、
要するに庄内期が始まったあたりの時期ということだろう。
纏向の登場する頃になるな。

436 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:15:55
>>435
隠したんだよ。略奪されないように。
確か、埋め方も浅いよね?

437 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:16:33
>>432
金印捏造説論者かあ・・・・・・とことんこの板は定説から外れた奴が多いなあw
この問題はもう語りつくされた感があるから、なぜ本物だとするのが通説なのかは自分で調べてくれ

あのね、考古学的に見て弥生終末期(歴年代では紀元230年から300年あたり。ちょっと広めに取った)には
吉備、出雲と瀬戸内、そして北九州の一部それに中南部九州の一部などは
畿内とかなり濃密な交易関係にあると見られている。もちろん東海・関東もだ。
そのなかで例えば鯖江から上陸して近江に向かったにせよ、そこと同等かそれ以上の商圏が日本各地にあるのよ。
しかもあちこちの違う形式の土器や祭祀具が、これは纏向だけでなくこの時期になると入り混じって出土するようになる。
この状況で、近畿以西の商圏を全く記載しないなんて考えにくいんだよ。
これは九州内に30ヶ国を閉じ込める古い九州説が成立しないというのと、全く同じ理由。

438 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:20:56
>>436
おまいは>>435をもっとよく読め

439 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:24:47
>>437
鯖江じゃなくて敦賀。

船旅が苦手な
中国人が
異国の地理を
正確に把握していたはずだ!っていう主張はナゾすぎる

そして畿内説詐称疑惑については弁明しないのね。図星か

440 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:27:45
>>438
>>435をもっと読んでみた

纏向登場が2世紀って早過ぎない?

441 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:30:48
>>439
ああ敦賀かwwwよけいにマイナーなところだな

というか君、倭人伝の呪縛にとらわれすぎてやしないか?
地理感なんてあまり必要ないんだよ。
物流の当事者にしてみれば、きちんとモノが揃っていて適正価格ならおk

それと俺が畿内説詐称ってwwwwwwもしかして新参者?

バリバリの「ゆるやかな交易連合説」だよ。
君のようなカビの生えた古臭い畿内説と一緒にしないでくれ。

442 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:33:35
>>440
そう、庄内開始や纏向建造を、この人はえらく早く見ている。
まあ2世紀末ごろから建設が始まったとする説はあるのだが、畿内説の中でもそれは早いほう。

443 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:38:15
>>441
え、鯖江のほうがメジャーなの?メガネっ子か?
まあ敦賀は今現在、観光地的には普通にマイナーだろうけど

あのさ、北前船って知ってる?


444 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:45:23
>>443
世間話なら付き合わないぞwww
で、北前船がどうした?そこから日本海交易ルートを語るのかい?
だったら縄文時代に遡って語らねばならないのでメンドクサイのだがwww

445 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:48:44
別にメンドクサくないよメガネ君。
縄文期も江戸期も、地形は変わらない。

畿内へ行くには敦賀港が便利。
単純な話だよ、メガネ君。

446 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:51:43
>>445
> 縄文期も江戸期も、地形は変わらない。

え?

お前、馬鹿でも知ってること知らないの?

痛いなぁ〜

考古学って言うレベルじゃないのよね、君の意見は・・・

447 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:52:35
>>445
なんだ、そういう単純な話かwww
日本海交易ルートを語ってくれるのかと思ってたよ。

で、すまんが俺は確かに眼鏡をかけてるんだけど
ALOOKやZOFFといった量販店で買ってるので、福井県の地域振興には協力してないのよwwwすまんね。

448 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:55:06
銅鐸が、同心円で広がるように一斉に壊され、埋められたのを否定している畿内説がいて笑ったよ。
魏志倭人伝も考古学も、全部無視して語る詐欺畿内説まであるんだな。大したもんだ。

449 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:55:18
>>446
え、縄文期と江戸期で地形が変わったの!?
馬鹿だから知らないよ^^

考古学のレベルうんぬん言われても、ここ日本史板だし。
なんかファビョってる?メガネ君。

450 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:57:16
>>449
ごめん、馬鹿の相手はしないから・・・

451 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:57:34
>>447
いやそのALOOKやZOFFの商品が鯖江製なんじゃないかと^^;

452 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 12:59:37
>>449みたいなアホでも参加できるスレになってしまいました。


453 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:02:26
あ、いちおう直しとこか

弥生期と江戸期で、地形はそう変わらない。

貝塚が山の上で発見されるとか、そーいう頃は過ぎてるからね

454 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:06:59
>>453みたいのが学者の意見をうのみにする典型的なひと。自己判断能力ゼロ。


455 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:25:04
>>448

246年とかの西暦を2世紀なんだと勘違いしている人か(笑)

そうだね。銅鐸は2世紀に消滅したね。
だから東遷は2世紀で、邪馬台国も畿内ってことだね。



456 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:26:08
相変わらずここのスレは古くて臭いウンコのぶつけ合いばかりですね。
古代史の中心テーマは、邪馬台国論争なんか通り越して、2世紀後半〜3世紀初頭の情勢はどの様なものであったかに既に移行してるんですけどね。 無駄なアガキはやめましょう。

ちなみに 魏志倭人伝の最も基本的な事柄、“元の文書”は誰が、何時、何のために書いたのか? については誰も論じようとしないので書いておきます。 元の文書は・・・・・
?書いた人は、洛陽へ向かう倭国の使節を、伊都国まで出迎えに来ていた帯方郡の郡使、
?書かれた時は、魏から晋に替わったAD266年の2回の遣使のうち、後の方。
?書かれた目的は、倭国についての知識を持たない、新任の外交責任者(外務大臣)への情勢 報告。
この二度目の遣使は、魏から晋への移行に際し、新任の外交責任者に対して自己の業績をアピールするための帯方郡太守王?の画策による物と推定しています。 詳細は・・・・・・
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_2.html

ついでに、編纂段階を逆に辿って、推定復元した"倭人伝の元の文書"。 ずいぶんすっきりした内容です。
http://www.eonet.ne.jp/~organism/yamato-1_1.html

457 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:26:20
もう一度!!

>>449みたいなアホでも参加できるスレになってしまいました。

458 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:27:52
豆知識。
鯖江市 - Wikipedia
メガネフレームの国内シェアは96%で世界シェアでも約20%を鯖江市が占めている。

鯖江はおいといて、
畿内説をとるならば、敦賀港からの上陸は考えるべきルートなはずだよ
むしろ今まで、意図的にスルーされてきたとしか思えないくらい。

459 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:34:22
>>458
地元では当たり前なんだが、畿内説は詐欺だから、
何の疑問もなく瀬戸内海ダラダラ行程を言い出したわけ。
非常識が畿内説詐欺も特徴でもあります。

460 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:37:52
>>459
詐欺師が何の疑問もなく?
詐欺師は意図を持って嘘をつくものだよ

自分が言ってる内容は分からなくても、目的はある。
それが詐欺師じゃないかい?

461 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:38:55
>>458

敦賀を港にして栄えてたのは、丹波じゃないの?

462 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:41:25
>>432
2世紀なんてところにこだわる必要はないな。それは3世紀かも知れない。
要するに、ある時期にいっせいに埋められたというところが重要なんだ。
ウィキが何で2世紀と書いたのか? おそらくは、倭国乱との関係だろ。
倭国の乱を境に銅鐸→銅鏡という変化があった。倭国の乱は182前後だ。その
ころに埋められた。てな、考え方だな。
しかし、それは倭国の乱の時期を間違えているだけのこと。倭国の乱が3世紀な
らば埋められたのも3世紀ということだ。何時埋められたのか、50年ぐらい、
考古学ではどちらとも言える、決めつけることはできないんだよ。

463 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:42:49
>>461
敦賀湾は若狭湾とはちょっと違うよ
地図みてみ

464 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:44:46
>>460
バレバレなのに何の疑問もなく嘘をついている畿内説詐欺って、本当に馬鹿でしょう?
だから一般国民が全然畿内説を信じていないわけ。

465 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 13:48:16
>>464
うん、そんで畿内説と近江説は分けて考えてね。

466 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:12:29
>>464
いや一般国民はもうたいていが畿内で決まりと思ってるだろ。
まだそうなのかは言い切れないとは思うけど。

467 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:14:59
まあ近江は、鉄鏃も出ないし、冬の生菜を食べられないなど、
南方系風土の記述に全く合致しないし、
宮室・楼観・城柵の跡が発掘されないし、
邪馬台国でない可能性が101%ぐらいありそうだが。

468 :467:2010/06/04(金) 14:16:09
あ、ごめん。畿内説も120%可能性が無いや。

469 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:17:23
>>462
きみのいう「いっせい」ってどのくらいの長さなの?
100年とかでも{いっせい」なの?
畿内といっても、見る銅鐸と鳴る銅鐸の埋葬時期はそれよりさらに長くなるし地域差もかなりある。
それでも「畿内でいっせい」なの?
また東海ではそれよりかなり後になるが、それも含むの?

ところでこんな基本的なことを今更言わねばならないって、君は素人以下なの?

470 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:25:58
>>467
南方系風土とか立派な宮殿とか、その辺の記述は
やつらどうとでも書くよ。だって中国人だよ?
そもそも「倭人」は江南から移住してるから、
その辺りの風習で暮らしてるという偏見がある。

つーか九州なら冬に生菜食えるんかと

471 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:32:09
>>462
ごちゃごちゃ言ってるが、

「3世紀に邪馬台国東遷があったから銅鐸の廃棄は3世紀に一斉になされたんだ!」

ということ以外に、アタマに無いんだろ?
だったら、3世紀に一斉に銅鐸廃棄されたことを証明する責任はおまえにある。


472 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:38:16
>>466
学者の間ではすでに、畿内説は三角縁神獣鏡舶載説と同じでもう完全に
見込みがないという空気が支配的だよ。

それを認めない好戦的な人たちがマスコミを通して大本営発表を繰り返しているけど、
大半は「むなしい敗者の遠吠え」と理解している。

最近は自暴自棄な人たちとは一線を画して距離を取る若手・中堅が一番多い。

473 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:40:41
>>472
>学者の間ではすでに、畿内説は三角縁神獣鏡舶載説と同じでもう完全に
>見込みがないという空気が支配的だよ。

へー。






474 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:42:08
>>472
>学者の間ではすでに、畿内説は三角縁神獣鏡舶載説と同じでもう完全に
>見込みがないという空気が支配的だよ。

ほー。
きみ、北朝鮮のひと?

475 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:47:21
しかし三角縁の舶載説はすげえ腫れ物扱いだな。

引きこもり歴15年のジョーカーに対する家族の対応並みに。

476 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:47:39
>>472
さりげなく嘘をつくなあwwww

じゃあ九州説が完全死亡したというのはどうなるのだねwwwww
若手や中堅はまさか九州説やら東遷説だとかいうんじゃないだろうなwwww
じゃあ誰が州説やら東遷説なのか、具体的に人名を挙げてくれ

最後までいい嘘ついてくれよwwwww

477 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:50:41
>>475
そうかサイキバ君は引きこもり歴15年だったのかwwww
そりゃあご家族は大変だろうなあ

でも自分がそうだからといって、他人もそうだとは思っちゃいけない
ところで昨日は木曜日だから通院日だったんだろ?
てか働けwwwwおまいは外に出て会話しろwwww

478 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:51:24
>>472
だからこそ邪馬台国がどこにあったかなど問題ではない
ヤマト王権の成り立ちのほうが重要問題だ、などと言っているわけですね
畿内説の方々は

479 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:51:59
メガネ君帰ってきたの
自分のメガネがどこで作られているかも知らずに物流を語るメガネ君
福井に足向けて寝るなよ^^

480 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 14:57:05
あーまた糞コテ(名無し)とサイキバのコラボw

>>475
自己紹介乙w

481 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 15:03:12
>>472
三角縁神獣鏡もダメ、マキムクもダメってなっちゃったからね。
たしかに畿内説を唱える学者たちの危機感は相当なものだよ。
良識ある学者も畿内説を撤回しようにも色んなしがらみもあるから難しいみたい。
今は畿内説にそのものに何としてもしがみつこうとする連中と、
邪馬台国そのものよりも畿内に発生した王権がどのようにして生まれたかを探求しようとする連中と、
だいたい2つの派閥に分かれてる。


482 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 15:09:18
>>481

そうだね。
おかげで九州説は消滅してしまったわけだ。


483 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 15:15:59
しかし牛歩というか亀の歩みというか

サイキバ君もすこしずつだが、嘘が進化しているなwww

484 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 15:48:54
>>483
それはwww氏とたぶん俺のおかげ

485 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 15:57:47
役にたたなくてすまん。


486 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 16:39:15
>>481
大学教授などは、良識ぶった言動をしているな。
そうでない生徒にまでバカにされる。

研究費や発掘や著書などの利権に直結していて学生とも会わない連中は
恥も外聞も捨ててしまった感がある。


487 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 17:13:20
さあさあ畿内詐欺が、次はどんな詐欺を出してくるかが楽しみだ。

488 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:11:18
最近は主流派がマスコミを使った既成事実作りを進めても、中堅・若手が
同調しない傾向が強くなったね。

Hみたく激怒してブログに書いたりとか、公然と反旗を翻すのも出てきた。


489 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:22:11
集落が未だに未発見というマキムクの実情も古代史に少しでも興味があれば
当然知っているので、マスコミでの煽動にも限界があるわな。


490 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:27:35
何時まで畿内で引っ張るんだよ。大和中原主義w
米中露も舐めまくりだぜ。

491 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:31:40
畿内説への帳尻あわせのために、周辺領域まで広く汚染されるというのが、
様子見をしている学者の本心だろう。

492 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 18:52:16
一昔前の認識では、
纒向は、崇神からであった。しかし時代が遡上したにも拘わらず、
崇神は3世紀中葉に構えている。
幸か不幸か、そこに箸墓があった。そこで箸墓=崇神時代に飛びつくが
今度は纒向の最初の開発者が不在となる。ここに卑弥呼を差し込もうとするが、なかなか旨くは問屋が卸してくれない。


493 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:56:04
なんか今日はサイキバ君必死だなwwww

>>484
ねえねえ、俺も努力したつもりなんだけどwww

494 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 18:56:22
>>442
いや、2世紀という年代にとらわれてはいけないということで、はっきり言えば
2世紀ではないと言いたかったのだが。

495 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 19:18:56
>>483
>サイキバ君もすこしずつだが、嘘が進化しているなwww

いや気をつけないと東遷厨あたりが劣化して
サイキバ化しているのが疑われるレスもあるから要注意wwwwwwww


496 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 19:48:35
 脇本遺跡、飛鳥期の大型建物跡
 東国にらむ要衝の地 

 5世紀に雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」があったとの説がある奈良県桜井市の脇本遺跡で、6世紀末〜7世紀初めとみられる大型掘っ立て柱建物跡の一部が見つかり、県立橿原考古学研究所が3日、発表した。

 推古天皇によって宮が飛鳥京(同県明日香村)の周辺に移された時期の遺構だが、同研究所は「規模からみて天皇家にとって重要な建物だったはず。東国などへ抜ける交通の要衝でもあり、雄略天皇以来、代々重要な地であり続けたのだろう」としている。

 見つかった柱穴と重なり合うように、欽明朝に当たる6世紀後半の柱穴の一部も確認された。同じ場所で建物が建て替えられたとみられ、同研究所は「欽明天皇に関連する遺構と考えられる」とした。日本書紀はこの地区に欽明天皇の行宮があったと記している。

 大型建物跡で見つかったのは柱穴6個で、深さ0・5〜1メートル。柱は直径48〜58センチと推定される。飛鳥京跡で見つかった天武天皇の「正殿」とされる大型建物跡の柱は直径約60センチで、匹敵する大きさ。年代は穴から出土した須恵器で特定した。

497 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:00:10
>>496
敏達13年(584年)に、播磨国すら領有していなかった大和国。
雄略ならもっと領土がせまいだろう。
九州政権の役所だった可能性も十分にあるだろう。

498 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 20:09:05
九州政権の役所が大和にあるなら、ご当地九州には、これを上まわる
宮殿が無くてはならない。

九州に大乱は想定出来るが、それを平定してその地で宮殿を建てた大王はいない。
大和には大乱を想定出来ない。


499 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 20:15:18
卑弥呼の後の男王の時代にも殺戮はあった。
この殺戮の時代には、箸墓は作れない、よって箸墓を260年頃とすると
もう九州王朝の出番では無い。


500 ::2010/06/04(金) 20:23:22
みなさん、ローガンさん 太国さん 唐松山さん 
見てないかもしれないけど河童虫さん
wwwさん 縦目さん サガミ先生 さようなら。

501 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 20:35:24
巨星おつ 元気でがんばって下さい。
何時かまた合いたいですね。


502 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:36:06
少々の例を。
大宰府政庁跡にあった宮殿全体が、従来考えられているよりはるかに巨大だった可能性がある。
吉野ヶ里遺跡クラスの遺跡で、まだ見つかっていないものが十分ありうる。

畿内詐欺説に翻弄されないようにご注意ください。

503 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:38:15
>>502
それ、奴国でしょ。



504 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:49:03
九州では、大陸や半島からの襲撃に備えて、都を移転したり、副都を各地に置いた可能性がある。
固定概念に固執した、唐松山氏にとっては考えられないことだが、一般人なら普通に考えられる。

505 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 20:51:33
しかしサイキバは、畿内説詐欺を連呼しながら一日中書き込みしてるんだな。すごいエネルギーとしかいいようがないが。ww
これをもっと生産性のあることに向ければ・・・。

東遷厨にしても、銅鐸廃棄などの話になると生き生きとしてくるが、この姿勢は俺から見れば不思議な感じ。まあ畿内説諸氏
にはすでに、邪馬台国より初期ヤマト王権の構造解明に興味の中心が移ってる人もいるようだけど、九州説ならなぜ自分の
九州説を語らないのかねえ。例えば奥野氏のあげた、卑弥呼の墳墓たりえる可能性のある5つの墳墓、これらはどれも興味
深いものだよ。

>@平原方形墳 A福岡市早良区 宮の前C地点墳墓 B 祇園山古墳  C佐賀県神埼郡 西一本杉古墳 D宇佐市 古稲荷古墳

506 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:00:50
>>497 敏達13年(584年)に、播磨国すら領有していなかった大和国。

播磨だけでなく、吉備も出雲も丹波も阿波もどこも領有していませんが、ずっと。
大和は 旧来の領主を国造として尊重し、その下に官僚を送り込んでいただけ。
だから「緩やかな首長連合」と謂われるわけです。

507 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:01:54
>>505

人からもらった餌には食いつかないのが九州説。
「俺の説サイコー!」

508 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:01:59
太宰府政庁跡は中心部の役所の意向に過ぎない。
地図を見てもらえば分かるが、御笠川から北の部分は
太宰府政庁の東西南北線と同じ方向を向いていることが分かるだろう。

東西の丘陵地帯からの出土物から見て
この辺り一帯は、当時の都府楼の集落である。

また御笠川の南側から二日市にかけて、
もう面影はないが、当時の遺構のいくつかが発見されている。

都府楼という名前自体、記述が残る古い名前であり、
この辺り一帯は当時からかなりの規模の歳と考えられる。
また、紀元前後と思われる出土物も出ている。

牛頸地区には土器の窯も出ている。

509 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 21:03:44
残念ではあるが、209年頃任那建国である。
倭人が半島に出ても、攻められることは無い。

ああ そうか任那は大和の分国であった。
魏使は任那で大和の情報を得てから、奴国王を尋ねたが、もう大王の座にはいなかったもんね〜。
そこで選ばれたのが卑弥呼であり。
正始元年には、倭王(帯彦)が承認される。


510 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:05:20
>>506

中央集権化したのは、大化の改新からかな?

511 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:05:47
また、東遷説で卑弥呼あるいは台与の墳墓は畿内にあるというのなら、その東遷の概要を少しばかりでも説明してくれてもよさ
そうなものだ。九州のどの遺跡を起点に、何人くらいの規模で・・・というように。いくら銅鐸埋納や三種の神器の話をしたところで、
それはどこまでいっても「かもしれない。」にしかならない永遠ループの種。

>>506 
そうね。九州説諸氏には、「面としての強権支配などずっと後世にならないとできない」と何度言っても理解してもらえないんだ。

512 :ローガン:2010/06/04(金) 21:08:04
>>500
え?どうかしたの?先日からの書き込み、何か変ですよ。死ぬのがどうとか…。
「飽きた、つまらなくなった」って事ぐらいならいいんだけど。(確かに以前よりは、くだらないスレになったなあ。)


513 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/04(金) 21:08:15
>>497
そいつは景行の代に朝廷が日本を統一したなどとインチキの大風呂敷を
しいています。奴は妄想の天才的創作者です。

514 :縦目仮面:2010/06/04(金) 21:11:00
>>512
なんか気になりますね。

515 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:11:25
鉄器もない畿内説を無理に守るには、「ゆるやかな連合」という嘘をつき続けなければならない。
ところが魏志倭人伝では、諸國が一大率を畏憚している状態が明示されている。
軍事的に制圧していたわけだ。畿内詐欺説では、都合の悪い部分を無視する。
さすが畿内詐欺説だけのことはある。

516 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/04(金) 21:17:38
アラタメ氏は管理職になって行き詰まって悩んでいるんではなかろうか?
心配だな。

517 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:19:45
>>515
しかしお前はまったく他人のレスを読んでないのか?一大率はむろん重要で、「ゆるやかな連合」が交易権を奪取したからこそ
置かれたもの。この権力は半島・大陸の力を背景としてのものだったろう。だいたい「郡使常駐」との整合性をどう見てるんだ??

518 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/04(金) 21:19:48
一大率は勿論 奴国王の軍隊でしたよ。
倭女王=大乱の国に立てられた女王 神橿日姫か?男王の斎王?
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下
男王

この3人は九州。



519 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:22:55
馬鹿を言え。この時代、呉がしばしば朝鮮半島まで侵略しているんだぞ。
呉と敵対してまで魏に仕え、強力な一大率で列島諸国に睨みを利かせている構図だ。

520 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/04(金) 21:24:28
唐松山は綏靖が女天皇だとか抜かして頭がおかしくなっています。
す〜ぐ精神病院へ行って診てもらったほうがいい。かなり重症のもようだ。

521 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:28:36
>>500 ドツボ

何があったかは知らんが
一回持っている物を全て捨ててみろ。

案外別に自分にとって必要の無いものと気づくかもよ?

もう終止符スレのスレ主に執着もしてないだろう?
でもスレは回る。
地球は回るwwwwwwww

522 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:28:39
あと皆はスルーしたようだけど、俺は>>456の視点はけっこう面白いと思うんだ。 >泰始初、遣使重譯入貢。 この「晋書倭人伝」
の266年と考えられる朝貢時に、倭使に対して何らかの参問はあっただろうと推測でき、その情報が魚豢あるいは陳寿の手に入っ
た可能性は否定できないと思う。

>>519
意味不明。

523 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 22:08:20
>>522

しかし、台与は、倭王として金印はもらえず、朝貢も途絶えましたな。
この事実の方が大きいんじゃないかな?

九州の卑弥呼の後継者が東遷してヤマト王権をつくったなら、
卑弥呼よりも強大な倭王として中国に認めさせることが出来たはず。
東遷説の矛盾。


524 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 22:18:17
>>500
さよならはまだ早いぞ。
あと、何を言っていいのかわからないが。

525 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/04(金) 22:33:26
これアラタメの本音だとやばいな。あいつと論戦してなかなか針を刺され
るに近い文句を奴に言われたことがあったが、対人関係で敵を作ったか
これは想起されることで、もしくは会社が傾いたか借金を作ったか、
イジメられたのかね?

526 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 22:36:44
>>515
>諸國が一大率を畏憚している状態が明示されている。

「諸國畏憚之」      一大率を畏憚しているのは北部九州の諸国だろう。
「常治伊都國」      一大率は伊都国に治していたからである。
「世有王皆統屬女王國」  伊都国には王がいる。
「其國本亦以男子為王」  かつて北部九州の盟主として倭王に封じられた王の名残りである。

「王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國
 皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」

北部九州は大陸への窓口としても重要だから、ここを押さえるのは当然。

「乃共立一女子為王」 一大率を派遣したのは卑弥呼を共立した諸国である。

527 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 22:45:20
>>525
たんなる生存確認

528 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/04(金) 22:48:13
改めは自殺しないといいが・・・? えらく心配だ。><

529 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 22:49:11
>>526
>一大率を派遣したのは卑弥呼を共立した諸国である。

そう思います。>國中において刺史の 如きあり  というのは、倭王の直属官という意味も含まれているのではないですかね。
「ゆるやかな連合」が那珂川流域に交易拠点を移し、旧勢力である伊都国を監視するために置いたものと考えられそうです。

「改めドツボ」氏については、だいぶ前のスレで 「仕事が変わって引っ越すことになった、もう書き込みもスレ立てもできない。」
と書いて消息が途絶えましたね。

530 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/04(金) 22:55:48
のっとられでもしたかとも思ったが? 引越し先でITが出来ないとなれば、
金が何かの不都合な事情で底をついてるかな??

531 :試験官:2010/06/04(金) 22:57:17
>>517
>一大率はむろん重要で、「ゆるやかな連合」が交易権を奪取したからこそ 置かれたもの。

何の根拠でそんなことが言えるのか。「ゆるやかな連合」が交易権を奪取したという証拠を示しなさい。


532 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:01:43
きゃー
縄文人よー


533 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:01:45
「諸国が共同で設置した一大率」を
「諸国が畏憚する」ことが矛盾なんだよ。 >ゆるやかな連合論=畿内説の破たん

534 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:03:20
>>533
卑弥呼が共立されたという
魏志倭人伝は誤記ということですな。

一大率を恐れる必要ないもんな。

535 :試験官:2010/06/04(金) 23:03:48
>>526
>一大率を派遣したのは卑弥呼を共立した諸国である。

卑弥呼は共立された王であることは倭人伝に記述されているが、一大率を諸国が派遣したなどとは書かれて
いない。諸国は一大率を畏憚しているとは書かれている。何故「一大率を派遣したのは卑弥呼を共立した諸
国である。」と言えるのか説明しなさい。

536 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:11:08
>>531
www 証拠はない。ただそう考えればいろいろなことが都合よく説明できると思うだけだね。西新町遺跡にはかまど跡のある遺跡が
あるし、これは渡来人の集落だろう。あとは庄内式土器の流入。それに画文を加えた三題話。しかし、これだって暗闇の中にあって
光も見えない東遷よりは、はるかに現実味があると思うけどね。

537 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:11:17
そういえば、三国志か何かで大率という言葉を聞いて
一大率は中国から派遣したものと長い間思ってた。
どうも世の中の通説では、邪馬台国が派遣したものらしい
書き方なので、いつのまにかそう改めたのだが、

改めて考えてみると…どっちだ?

538 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:12:49
>>535
>説明しなさい。

説明が必要か?

きゃー
落第生よー

539 :試験官:2010/06/04(金) 23:17:10
>>538
君は女子学生か?

540 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:20:57
>>537

それをいったら、「王」も中国語だから、
倭王は中国人が派遣したことになるね。


541 :試験官:2010/06/04(金) 23:23:21
>>536
君の論は東遷説がなければ成立しないのか?東遷説から離れてみないか。その上で問う。
邪馬台国と畿内を結びつける史料なり遺跡なりが存在するのか?

542 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:26:46
>>539
>君は女子学生か?

いやいや。「北部九州の諸国」と「共立した諸国」が別物だというのはわかるだろ?
どちらも、倭国を構成する諸国には違いないが、
参加する時点での温度差があったのではないか。

それと、卑弥呼は御輿であるから、実質一大卒を派遣したのは中央政権を構成する共立諸国だということ。

543 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:28:03
一大率は中国語だから三国志にもでてくるんじゃないの?
直訳すればある大いに率いる。直感で中国語だってわかる。
大将軍のようなもので、大将軍とは書かなかったのだから、
どこか大将軍とは区別されるところがあったのかもしれない。

544 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:34:18
お前縄文人だろ。ww >東遷説がなければ成立しないのか?・・・ww 東遷は俺にしてみれば まったくありえないんで議論のじゃまに
なるから引き合いに出してるだけ。過去スレを見ればわかるが、さんざんなループだ。

>>543
そうね。「伊支馬」のように倭語を写したらしいものとは違って、漢語的な名詞は何らかの意味があるのだと思う。

545 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:46:43
庄内は九州に流れ、画文は畿内に流れる か。

546 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:52:19
>>542
>「北部九州の諸国」と「共立した諸国」が別物だというのはわかるだろ?

何故だ?「北部九州の諸国」と言うが女王国以北の国のことだな?当然女王国以北の国も倭国の構成員で
あると考えられる。これが卑弥呼の共立に参画していなかったという根拠はないだろ。

>参加する時点での温度差があったのではないか。

各国にはそれぞれ思惑があったであろうとは考えられる。しかし、女王国以北の諸国が全て卑弥呼の共立
に消極的だったという記述はない。

>卑弥呼は御輿であるから、実質一大卒を派遣したのは中央政権を構成する共立諸国だということ。

卑弥呼の共立後に邪馬台国が盟主としての権力を強めたかも知れないではないか。魏に朝貢して親魏倭王
に任じられたのはその現れとも考えられるだろ。

547 :日本@名無史さん:2010/06/04(金) 23:58:36
漢委奴国王とか親魏倭王とか
おとなしく中国の冊封体制に収まっていたのに
大和朝廷は金印の事を知らないか、
意図的に避けているようにすら見える。

これからみても、
倭国と大和朝廷が関係がないことはわかるだろう。


548 :ローガン:2010/06/05(土) 00:02:39
>>537
> 一大率は中国から派遣したものと長い間思ってた。

毋丘倹伝に、封其渠率二十餘人為侯 と出て来ます。(ちくま本は、「大酋長二十余人を侯王にとりたて。」と訳しています。)
渠は「大きいさま。親分。かしら。巨に同じ」(藤堂編 漢和大字典) 渠=大として 渠率と大率は同義で良いのでは。

549 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:03:09
記紀には矛や鏡は出て来るが銅鐸は出て来ないな。ということは大和朝廷は畿内近辺の出自ではないのでは
ないか。

550 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:04:20
>>546
>これが卑弥呼の共立に参画していなかったという根拠はないだろ。

投稿したあとで、わかりにくかったかな? とは思ったんだよ。確かに。
言い方を変えよう。

「北部九州の諸国」と「共立の中心になった国々」が別物だと(いう考えが論の前提だと)いうのはわかるだろ?

「卑弥呼の共立に参画していなかった」とは言ってないし、思っていないよ。

>女王国以北の諸国が全て卑弥呼の共立に消極的だったという記述はない。

だから、そこは推察だろ?
倭国乱のあとの共立なんだから、積極的なのも消極的なのもいるんじゃないのかい?

>強めたかも知れないではないか。
>その現れとも考えられるだろ。

それも推察だろ? だったら

>という記述はない。

なんて言うのはダブスタですよ。

551 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:07:30
>>549

出雲風土記にも銅鐸は出てきませんよ?


552 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:08:45
これもよくはわからないが、おそらく九州の倭の奴国が金印をもらったように、倭の邪馬台国が金印をもらったんだろう。中国から
見れば冊封したのが奴国であろうが、邪馬台国であろうがそこの王が倭王。

553 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:18:11
>>550
細かいことを言うようだが、

>>女王国以北の諸国が全て卑弥呼の共立に消極的だったという記述はない。

>だから、そこは推察だろ?

推察ではない。実際に記述がないのだ。

>>強めたかも知れないではないか。
>>その現れとも考えられるだろ。

>それも推察だろ? だったら

>という記述はない。

>なんて言うのはダブスタですよ。

いや、そこのところは君の推論に対してこういう推論も有り得るぞと言っているのだ。




554 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:39:04
>>553
>推察ではない。実際に記述がないのだ。

推察しているのは自分ですよ。

(>女王国以北の諸国が全て卑弥呼の共立に消極的だったという記述はない)けれども、

そこは「倭国乱のあとの共立なんだから、積極的なのも消極的なのもいるんじゃないのか」 と考えて、
「北部九州の諸国」と「共立の中心になった国々」とでは温度差があったのではないかと、 推察したのです。

>いや、そこのところは君の推論に対してこういう推論も有り得るぞと言っているのだ。

「卑弥呼の共立後に邪馬台国が盟主としての権力を強めた」という記述も
「魏に朝貢して親魏倭王に任じられたのはその現れ」だという記述もありませんけど、そうかもしれないという
推論は有り得るんですよね。

だったら、
「女王国以北の諸国が全て卑弥呼の共立に消極的だったという記述はない」けれども
「北部九州の諸国と共立の中心になった国々とでは温度差があったのではないか」という
推論も有り得るでしょう。

細かくてどうも。

555 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 01:51:15
>>554
「共立」というのは、中国では家臣が一致団結して王を立てることを言う。
それだけでFA

556 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 02:43:01
縄はまじで消えてくれ
サイキバレベルなんだからw

557 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 03:39:08

ジョーカーは畿内説の醜さを宣伝するために不可欠な存在だな。

ジョーカーのおかげで目が覚めた畿内説支持者も多かろう。

だからお前は消えなくて良いよ。

558 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 06:59:56
邪馬台国は関西にあった(笑)卑弥呼は関西の女王っていいたいだけだろう
全く根拠のない(全く意味のない)自尊心を持つ関西人の発想そのものだな(笑)

東北熊襲とか吼えまくってた某会長見ても、こいらの脳ミソは腐ってる。

559 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 07:21:12
なにこの韓国の反日教育みたいな人

560 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 07:21:33
>>558
女王・・・ちょっと違うな。斎王といいたいんだが。
考えてもみろ、神託を受ける時大王はどんな行動をする?
神託中は跪いて神の言葉とやらを聞いていただろうよ。

それを見た中国人にはどう映る?女の方が位が上なんだと思うだろう。
そういうことだ。

561 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 07:24:11
銅鐸って本当に祭祀の為の物だったんだろうか。。。
ただの隣村との連絡用ツールだったんじゃないかと思えてきた。

562 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 07:59:45
これはよく知られていることだが、「共立」の事例については、東夷伝では「夫餘の条」で簡位居という王が嫡子なく死したので、諸加
(馬加・牛加・猪加)が庶子である麻余を共立した、とある。また「高句麗条」では、

>伯固死し、二子あり。長子は拔奇、小子は伊夷模。拔奇不肖にして、國人すなわち伊夷模を共立して王となす。

つまり伯固王が死んで、長子の拔奇が無能だったので、国人が次男の伊夷模を王にしたとある。この二例から見ると、共立の主体
は夫餘の場合は諸加(官人)、高句麗の場合は国人(王の宗族)となる。邪馬台国の場合も、「連合諸国が共立した」と読んでいいか
は難しいだろう。ただし、この「共立」は正当な嫡子以外の王位継承に用いられるということもできるだろうか。

563 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 08:08:19
隣村との連絡ねえ。「のろし実験」によれば、北部九州から畿内まで情報は数時間で伝達されていて、高地性集落にはのろしの
跡が見つかる事例も多い。ただし、九州ー畿内で連絡網があったかはわからないけどね。

564 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 08:30:08
>>555
>中国では家臣が一致団結して王を立てることを言う。

史書の共立の用例を調べて、そう言った人がいましたよね。
ちょっと手元の資料をさがしたが、見当たらなかったけど。

まあ、でも

位居死,諸加共立麻餘。(夫餘)
國人便共立伊夷模爲王。(高句麗)

諸加といい、國人といい、諸候のことだから、
倭国の場合も、国々の首長が共立した、でいいでしょう。

565 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 08:55:54
>>562
おや、縦目さん?

>「共立」は正当な嫡子以外の王位継承に用いられる

以前読んだ本には、そのように書かれていたと記憶しています。
いま探したが(本が)無かったけど。

諸加、國人の解釈はわかれたみたいですね。

諸加別主四出,道大者主數千家,小者數百家。(夫餘)

本有五族,有涓奴部、絕奴部、順奴部、灌奴部、桂婁部。本涓奴部爲王,稍微弱,今桂婁部代之。
・・・
王之宗族,其大加皆稱古雛加。
涓奴部本國主,今雖不爲王,適統大人,得稱古雛加,亦得立宗廟,祠靈星、社稷。
絕奴部世與王婚,加古雛之號。(高句麗)

とありますので諸候としました。

566 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 11:18:19
今の「共立」のお話は要するに
ある体制(ヒエラルキー)の頂点にある王家の嫡子以外を
その体制に属する者らが担ぐ様と言う事か。

で、九州説的解釈だとそれは漢委奴国王から連綿と続く
九州王家の言わば”内輪の争い”と言う解釈になるのかな?

魏からすれば卑弥呼の朝貢もとりあえずは
「安心の九州ブランド」といったところか?w

まあネタを投下しておくと
倭人伝にある「金印紫綬を仮し」の「仮し」には
「(気持ちよく)くれてやる」と言うよりは
相手にそれに見合った実力があるのかどうか?
ある種の”戸惑い・疑念”のニュアンスも汲み取れるとか言う話も聞いたことがあるがどうだろうか?

つめり魏からすれば邪馬台国は倭国内での新興勢力で
イマイチその実力を測りかねている部分があったとwwwwwww


567 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 12:07:02
>>566
>「金印紫綬を仮し」の「仮し」

仮=与える、でいいと思う。
開倉廩仮貧民(漢書 循吏傳 龔遂伝)「漢辞海」

魏にすれば倭国からの遣使は大歓迎ですよ。

568 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:11:03
妻木晩田が投馬

吉野ヶ里?なにそのちっぽけな環濠遺跡!?

569 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:12:59
>>566
倭王は、西暦107年に後漢に朝貢したとされる帥升から続いているんだろう。

そう考えれば、
其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、
名曰卑彌呼
という倭人伝の記述も理解できる。

いわゆる倭国の大乱の意味も台与が女王になった経緯を考えると理解できる。

卑弥呼が死んだあと、男王が立つが国中が不服、さらに相誅殺。千人余が
殺される事態となっている。
そして、台与が王になることにより国中がついに定まる。

卑弥呼が女王になった経緯もこれと同じと考えることが出来る。

570 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:15:30
ベトナムにも全く同じ金印を与えてるし、
中国的にはあまり重要な印鑑ではなったみたいだね

571 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:36:45
銅印ならともかく、金印を与えられた国の数など限られているわけだが。

572 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:44:08
>>571
家臣「倭の女王からの使者です」
皇帝「じゃまくせぇな・・金印でもやっとけ」

573 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 13:56:35
そういう場合は臣下が面会するだけで終わり

574 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:15:58
>>569
>卑弥呼が女王になった経緯もこれと同じと考えることが出来る。

「倭國亂相攻伐歴年」「更相誅殺當時殺千餘人」

おんなじか? もうちょっと考えた方がよくね?

>>570
>ベトナムにも全く同じ金印を与えてるし、

時代をカン違いしてんじゃね?

575 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:41:24
>>565
562レスは、上田正昭氏の本をもとに書きました。この諸加は馬加、牛加、猪加、狗加など家畜に擬した官名ですが、「四出道」を
統括した諸侯と見ても間違いではないでしょう。國人の解釈は分かれそうです。

「仮し」は単に与えるでいいように思います。むしろ魏側から朝貢を促した可能性もあるかもしれません。

576 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:49:18
共立というのは用例を考えると、みなで相談して王を決めたということ。
王家の嫡子以外とかは関係なく。嫡子の中でも正式に次の王になるのは太子。
だから正確にいえば王家の太子以外と言ったほうがいい。
自立は多くが王権を奪って君主になることをいうので、共立に対する反対語にあたるかな。
たとえば次男が国人の意見など関係なく太子を排除して自分が王に立った時など自立を使用する。
例外はあるとは思うけど。
だから共立は皆が納得の上で立てた王。でも一大率を諸国を監視し畏怖しているのは
矛盾するから、女王国と一大率のいる伊都国以外の国々は武力で負けた国で女王国に
屈服して服属した連合国なんだと思う。そう考えると伊都国というのは津(港)に近い
邪馬台国の出張国みたいなものかな。

577 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 14:53:29
司法と行政の二権分立みたいなことだと思うんだ

578 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 15:00:18
共立と言うことなら、各国が納得する人気投票のようなもの。
顔やスタイルがよい方が有利だよな。

逆に、ものすごく恐ろしげで、威圧感があった方が
有利だろうか。

台与13歳は、水準以上に顔が良ければ、一番魅力的な年代だな

579 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 15:04:36
邪馬台国の呪術的首長は共立の卑弥呼だったが、
実際には政治的首長が並立に君臨していただろう。
だから一大率はもちろん呪術的な組織ではないわけだ。

こういった二頭統治は、隋書等を見ても確かめられる。

580 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 15:19:02
○二権分立
×二頭統治


581 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 16:47:45
>>578
>台与13歳は、水準以上に顔が良ければ、一番魅力的な年代だな

アグネスさんが屋上に来いって言ってましたよ

582 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:21:25

トヨタン・・・・・・・・・・
 

583 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:33:39
卑弥呼は王家の血を継ぐ数少ない一人だったんじゃないかな?
男弟は片親違いか人望が薄かったか、あるいは政略的な理由で王にならなかった。
つまり、この場合の共立とは、諸国が納得して卑弥呼を王と為したという意味かと思う。

卑弥呼の死後、王家の血を受け継がない男王が立ったが、
「国中不服、更相誅殺、當時殺千餘人」となったため、
卑弥呼の宗女(王家の血を継ぐ)台与(壱与)を王と為したのではないだろうか。
13歳の少女を王とするに足る理由は、それぐらいしか考えられない。

584 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:38:45
で、卑弥弓呼のおっさんは?

585 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:54:19
狗奴国とは素より不和と書いてあるだけだし、
それほど大規模な争いではなかったのかもしれない。
むしろ、邪馬台連合の内部抗争の方が激烈な印象。

卑弥弓呼は邪馬台国内の王権争いとは無縁で、
むしろ関わりたくないと思っていたのかもしれない。

586 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:00:59
>>585
ん〜、狗奴の権力者狗古智卑狗とか、
狗奴連合側の内部抗争も半端なく激烈な印象があるのだが。

狗奴国王の卑弥弓呼は、
邪馬台国との戦争以前に、狗奴を纏めることができなかったんじゃまいか?

587 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:13:42
邪馬台国連合と狗奴は不和なだけで、
実際は、魏志倭人伝に書かれている通り、鉄器を用いて戦う同じ文化圏の勢力。

狗奴の一部は、日向の神武みたいに畿内での領地横取りに成功してる。

588 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:22:51
狗奴国に関する記述は、

『其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王、自郡至女王國萬二千餘里』

『其八年、太守王?到官、倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻撃状、遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黄幢、拜假難升米爲檄告喩之』

この2箇所だけですよね?

589 :小説狗奴国:2010/06/05(土) 18:33:46
2世紀末の倭国乱が卑弥呼の共立により治まろうとしていたとき、卑弥呼の異父弟卑弥弓呼は邪馬台国を
出て南の諸国を統合して狗奴国(大奴国:かっての奴国のような地位を目指して名乗った)を打ち立てた。
その参謀が狗古智卑狗である。

狗奴国の領域は昔から中国江南地方との交流があり、半島経由で大陸との交流を行っていた九州北部地方
とは文化的風合を異にする面があったが、政治的、軍事的レベルは邪馬台国連合にとって無視できぬもの
があったようである。

590 :Peter Frampton:2010/06/05(土) 18:39:12
I want you, show me the way,


591 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:40:04
つーかなんだ
どうやっても邪馬台国をパクれない事に気付いて
狗奴国をパクろうとし始めたのか寄生虫ども

592 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 18:46:31
>588の2箇所以外に狗奴国に関する記述がないとするなら、
狗奴国内の抗争があったかどうかわからないし、
狗奴国と邪馬台国の戦争がどれほどだったか、想像する以外にないですよね。

一方、邪馬台国の王位をめぐる争いは、1000人余りを殺すと書いてありますから、
かなり激しかったと思われます。

>>589
それも有り得ると思います。
特に、狗奴国と中国江南地方との交流は可能性大ですね。

593 :蒋門神:2010/06/05(土) 18:49:17
狗奴国は日本列島にはない。それは半島の、後に百済となる領域のことである。もともとは「大きな国(コンナラ)」
と呼ばれていたものが転訛し「クンナラ→クナ→クダラ(百済)」になった。百済はその発音にしたがえば(ペクチェ)
であるが、これを「クダラ」と呼ぶのはこのためである。

594 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 19:31:45
>>593
「オハイオ」が「おはよう」の語源だというのと同じですね、わかります。

595 :蒋門神:2010/06/05(土) 19:39:30
そして、この百済にあった狗奴国は日本に入って河内と呼ばれる地に王朝を立てた。これが後世の大和朝廷の起源である。
このスレは邪馬台国関連のもので、この百済王朝による大和征服以前の話であろうから私の主張はスレ違いとなってしまうが、
ここでは狗奴国に対する正しい理解を進めるためのものとして寛容していただきたい。

ちなみに百済からの征服者の姓は「金」といった。「君が代」とは、正しくは「キムが代」つまり金王の治世ということである。



596 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 19:40:40
>>595
「騎馬民族説」のお仲間ですね、わかります。

597 :お仲魔:2010/06/05(土) 19:51:19
>>596

コンゴトモヨロシク…

598 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/05(土) 20:40:31
百済は、東夷軍の一部として、東夷軍の旗下で働いていたが
323年頃、東晋がこの方面を切り捨てたとき、倭軍と共同で半島の再編成をする。
そして領土を割譲され、百済が大国としての領土を得る。
このお礼が326年の七支刀である。
400年前後に高句麗に攻められた百済は、高句麗の属国となる。
この遺構が、ソウルの積み石塚であり、この時代は倭国と通好が無い。
履中から百済が登場しないのはその為であり、
この時期に倭の5王による朝貢が開始される、雄略末に通好が再開されると
倭王による朝貢は停止する。


599 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 20:51:11
奴国が女王国に属する国の境界でその南が狗奴国だから、百済にあったはずない。

卑彌呼と卑弥弓呼の関係は卑弥弓呼は異父弟と言うけれどそれの理由は?
私は「卑彌」という宗教者であり王であった男王の子が卑彌呼でその孫が卑弥弓呼
だと思う。卑弥弓呼は生まれた土地を離れて女王国の南に国を構え、女王国には属さなかった
のだから、倭国乱で王位を争った国で邪馬台国に負けたのだろうか。
だから2世紀の倭国乱とは邪馬台国の王位継承争いのことを指す可能性も。
だから共立も邪馬台国内の国人による共立ということも解釈できそう。
連合国はその後、女王国に属させたかもしれない、それで諸国を監視する一大率を
置いたとも解釈できる。

600 :ローガン:2010/06/05(土) 21:29:34
>>430

おっと、見逃してた。
> 三国志を読んでみたが、

本当によみましたか?411氏の貼った文。霸陵は良いが原陵は駄目だと言っているんですよ。
光武原陵は土盛植樹した「山方三百二十三歩高六丈六尺」。こんなのは駄目だと言ってる。なぜ霸陵を良しとするかは、詔では「盗賊の欲するのものがない」とある。
それにこの陵は自然の丘を利用したものなんですよ。諸葛亮伝にも、似たような記述がある。「山に因りて墳と為し冢は棺を容るるに足る」
棺が納まる程度の冢を自然の山に造れと云う事。つまり曹操も曹丕も諸葛亮も、永遠の眠りを盗賊に荒らされ無い為、簡素にしかも所在がわからないようにしてくれと言っている。これこそが薄葬の意味。
君は漢魏は薄葬である、とした。ではその薄葬の定義とは何?


601 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:12:51
>>600
卑弥呼の墓は質素にしたんでしょ。
一般豪族が宝物をたくさん埋めようとも、制限する対象ではない。

602 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:15:13
要するに、箸墓みたいな大げさな墓は薄葬じゃないから、畿内説は成り立たないという証明になるな。

603 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:19:08
>>602
薄葬そのものが有り得ないという流れなのだが、日本語読めないのか
それともアスペルガーか?

604 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:19:49
その人はアスペルガーだろう。気の毒だな。

605 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:20:11
>>600
曹操の場合は、とにかく自分の墓の場所を知られたくなかったらしいね。
盗掘全盛の時代だからだろうけど。それが高じて、質素が美徳というような
風潮もあったらしい。墓に木を植えるのさえ華美だ、みたいな。

606 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:22:26
>>604
なんだアスペか・・・俺は気の毒だとも思わないな
アスペの治療もせずにネットに逃げ込んでいる役立たずは死ねばいいのにとさえ思っている。

607 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:23:04
だいたい倭人伝を信じれば、三国時代のはるか以前に中国では廃れてしまった殉葬などと書かれている時点で、魏の法令とは
なんの関係もないものということになるだろ。

608 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:26:04
>>607
それと卑弥呼の宗教が鬼道と称されている時点で終わりだよな

これで文献尊重とか素直に読むとか、片腹痛いわ

609 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:27:41
>>606
アスペでも、九州説でも、1日中フリーのニートでもかまわないんだが、
文献も考古学の知識もないところが痛い。
完全な議論のジャマ。

610 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:30:09
>>607
だから、殉葬に真実味があるということじゃないのかな。
自分たちのところで当たり前にやっていたのなら、倭でも王が死んだのだから
殉葬位するだろうみたいな先入観もありえるが。

611 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:31:54
>>609
いったい、どういう文献的なあるいは考古学的な知識があれば、箸墓が
卑弥呼の墓になるわけ???

612 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:37:33
>>611
またアスペルガー無知無能サイキバかwwww
お前の出番は終わった
俺はバカとキチガイは」嫌いなんだよ、氏ね
他の人ほど俺は優しくないぞ、だから視ね

なんか事件起こせwww
そしたらここのお前のレスをν速やVIPに貼り付けて笑いものにしてやるから

613 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:42:24
>>610
もはや支離滅裂だな。畿内説は倭人伝の記述に重きを置かない立場が多いんだが、九州説は素直に読むんだろう?だったら、
薄葬と殉葬は両立しないことがわかるだろ。ww お前らの立場で考えてやってるんだが。

>>611
別に箸墓の話はしていない。お前に能力がない話をしている。スリ変えだけはうまいな。ww 今までそうやって生きてきただろ。

614 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:42:27
箸墓の発掘調査が困難でどうせバレる心配はないからと「3世紀の築造だ」などと抜かしているのは誰だ!
出て来てツラ見せろ!!

615 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:42:40
>>612
おいおい・・・・・・・・・

しかしアスペはもう無視していいんじゃないか?
しばらくは荒らしにくるだろうが、本格的に無視すればここには来なくなるはず。
アスペを患う人は、面と向かっての罵倒よりも蔑みの視線や無視のほうが傷が深くなるらしいが
もう俺たちもサイキバの病状なんて考えてあげる必要などないとはおもう。

616 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:44:03
>>612
客観的にみて、お前の方が事件起こしそうだな。

617 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:44:53
>>614
おっ!アスペが発狂したわwwwwwwwwwwwwwwwww

618 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:46:31
>>614
箸墓の表面調査とトレンチ入れたのどこだか知ってる?
宮内庁と、毎度おなじみ橿原考古学研究所だよw

619 :ローガン:2010/06/05(土) 22:51:49
>>614
> 箸墓の発掘調査が困難でどうせバレる心配はないからと「3世紀の築造だ」などと抜かしているのは誰だ!出て来てツラ見せろ!!

怖〜。 「ばれる心配」とかは考えてないけど…。
私は、三世紀の築造だとはぬかしてます。出て来ましたので何なりと…

620 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:54:37
>>619
じゃあ俺もwwwww

宮内庁と橿原考古学研究所ですw

昨年から箸墓の本格調査に入ってます。
流石に掘削は宮内庁さんが難色示してますが、現在鋭意調査中です。

ツラ見せましたwww

621 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:58:25
>>619>>620
で、箸墓が三世紀の築造だという根拠は何?

622 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 22:58:37
>>613
>薄葬と殉葬は両立しないことがわかるだろ。

薄葬は魏のことであり倭人伝には書かれていない。殉葬は卑弥呼の死に関して倭人伝に書かれている。
違う国のことであるのに両立しないなんて。アホちゃうか?

623 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:03:51
>>622
これもスリ変え。卑弥呼の墓は魏の薄葬にしたがって大きくないと主張してたのはそっち。畿内説はだいたい卑弥呼の墓は大型古墳
と見ている。そして殉葬は疑わしいと思ってる。

今まで都合が悪くなるとそうやって話をスリ変えてたんだろうが、周りの人はため息をついたり、嫌な顔してなかったかな?よく思い出
してごらん。

624 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:04:19
甕棺墓って日本全国にある。これは縄文人の墓ではないということは誰も異論はないと思う。
古代中国から伝わったらしい。特に九州北部に集中しているのは、
韓国から渡って来て北部にまず住んで人口を増やしたために集中しているのだと思うし、
後時代に甕棺を使用しなくなったので、日本全国にはあるものの、北部九州に集中するという形になったのだと思う。
甕棺は地中にうめて土を封じて冢(円形)の形にしたのだと思う。
現在の遺跡はその冢がくずれて平らになったのだと思う。
魏志倭人伝には馬がいないとあるので、騎馬民族が侵入以前だから、
倭人は中国から来ているが、騎馬民族ではないということがいえる。
大作冢とあるので、普通よりも大きい冢を作ったであろうことが予想できる。
規模から考えて普通の冢が径2メートル前後だとしたら、大きい冢は径25メートル位。

625 :622:2010/06/05(土) 23:15:38
>>623
>卑弥呼の墓は魏の薄葬にしたがって大きくないと主張してたのはそっち。

わしゃそんな主張はしとらんがの。誰か別の人と間違えとるんじゃなかか?

>畿内説はだいたい卑弥呼の墓は大型古墳 と見ている。そして殉葬は疑わしいと思ってる。

思うチョル言うたかてそんなんで議論になりますかいな。大型古墳と見られる根拠と徇葬(倭人伝
にかかれてるんは殉葬ではおまへんで〜)は疑わしいという根拠を示してつかあさい。


626 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:16:40
>>600
ローガンは言葉を知らんな。薄葬とは、厚葬に対する言葉であり、簡素な弔い方という意味に過ぎない。
けして「誰が見ても墓かどうか」(297)で薄葬か厚葬かが分けられるわけではない。
相対的な問題なんだよ。
それとも、漢魏時代には、誰がみても墓と分かるような一切造られていないというのかな?



627 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:18:00
きゃあーーーーー縄文人よーーーーーー
臭いわあ!臭い臭い臭いクサイーーーーー!

628 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:19:12
また支石墓については東南アジア、中国沿海部、特に韓半島西部に集中し、
九州北部に少しある。
日本全国にはあまりなく北部九州にほんの少しあるだけなので、日本にはあまり渡ってこなかった
民族だろうと思う。
分布の形からいって海洋族だろうか。

629 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:21:21
>>621
そうじゃないと、邪馬台国がらみにならんだろ。

金だよ、金が根拠に決まっているだろ。

630 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:22:07
>>627
その人は肛門人だよ。

631 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:28:10
>>629
カネって・・・それ焼酎邪馬台国とか、卑弥呼の湯とか必死な九州の方じゃね?
マキムクなんか、大型建物跡は埋め戻すわ、小学校は大溝発見で校庭を掘り返されて運動会も中止になったとかで迷惑以外の何者でもないのだが

632 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:29:17
>>623
ついでに言えば、私も薄葬を理由にしたことはない。
卑弥呼の墓が大型の古墳でない根拠は、倭人伝の記述から卑弥呼の冢を作るのに
あまり時間をかけているようには思えないというところにある。
そういう余裕もなかっただろうということだな。

だいたい、径百余歩が本当だとしても、箸墓は大きすぎる。

633 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:37:26
>>632
なら薄葬厨を今後は無視するということでおkだな

634 :肛門人:2010/06/05(土) 23:38:02
臭かったか。それはすまんのう。だいたい3世紀の奈良盆地には巨大湖があってビショビショのグチョグチョだわ。おはははは。
湖畔で木器・石器を振り回してた土人の集団が邪馬台国であるはずもなかろうて。げははははははああああああああああああ。

635 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:45:33
箸墓と名づけたいわれが作り話そのものだし、おかしいと思わないのかな畿内説者は。
なんであんなに厚葬にするのって。王級の墓だよどうみても。
記紀ではモモソヒメでヒメだよ。話も現実離れした神話だし。

636 :日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:58:35
>>635
あれ?記紀至上主義は捨てたのか?

ホントに少しずつだが、嘘の内容が進化していて、おじさんは教えた甲斐があって嬉しいぞ

637 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:00:45
九州は基本的に薄葬の風を守っていると思う。
卑弥呼の墓に豪華な宝物を埋めた様子もなく、即席に作った墓としか読めない。
「徇葬者奴婢百余人」が薄葬かどうかは当時の基準で考えるしかないが、
奴婢の死体を掘り起こす盗掘もないだろう。そもそも徇葬と殉葬が同じかどうか不明だ。
径百余歩にしたって、箸墓はその10倍ぐらいあるだろう。


638 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:00:55
>>636
勘違いが多いですね。
ななしで書き込みだからだれだかわからないのに決め付けられては。
私はただの通りすがりで常駐者ではないですよ〜w

639 :ローガン:2010/06/06(日) 00:02:50
>>621
> で、箸墓が三世紀の築造だという根拠は何?

舶載三角縁神獣鏡は短期編年。中国鏡ゆえ芝草模様の変化は同期。景元四年銘鏡が第4段階と同期とすれば、
それを出した権現山51は早くて魏末。 特殊器台の編年から、三角を出した権現山51は都月型共伴。
都月型も持つが、その前の宮山型を箸墓は持つのでもう少々上がる。 又、前方部で二重口縁壺が採取されている(これは、タガの表現のない奴ね)。
二重口縁壺を出した松山の朝日谷2号の放射性炭素年代がおよそ260年。などなど。
ほら!ツッコミ所満載。

640 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:05:28
>>639
いやローガン先生、それだとどこが突っ込みどころか、かれらはさっぱりでついて来れないです
もっと判りやすい餌を与えてやってください

641 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:12:55
>>639  最後で自虐ネタかと思った。
>>640によると、マニア過ぎて突っ込めないだろうという意味だったのね。

てゆうか、ローガンはジョーカーみたいに>>640で自演するのね。

けど、突っ込みどころ満載だから、一個ずつ分かりやすく書いて欲しいな。

642 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:13:41
>>639
確かに突っ込みどころ満載。年代の根拠になるものがないな。
C14だけだが、これもいろいろ問題点があるし。

結局、実年代というか暦年代を持ち出したことが畿内説の焦りかも。

643 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:16:47
>>639
権現山の二重口縁壺が「10b式」と言われてますが、250年前後であっても不思議はないですね。

644 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:21:48
甕棺からも中国鏡や青銅の武器が一緒に埋葬されているそうだから、
こちらも中国からの渡来人だ。
米粒も発見されるそうだ。
その甕棺の中国鏡の年代を調べれば、だいたいの時代がわかる。
それが畿内と一致すれば畿内の年代測定が古く遡りすぎていることになる。
炭素年代測定で出した年代では古く遡りすぎで、実は弥生人(米を伝えた)は
そんなに古い時代に渡来したのではないよ。
弥生人は北方人という概念は間違い。北方は米が無かった。
弥生人が韓国から渡ってきたので、確かに北から渡来したのは確かだけど
ルーツは南だよ。
で畿内王朝は邪馬台国の後に来た渡来人の王朝だよ。つまり馬と鉄の文化を伝えた。

645 :ローガン:2010/06/06(日) 00:24:27
>>641

又、自演とか…私は携帯からなんで、2分やそこらで書き込み出来ない。山崎何とかでみてごらん。(笑)

646 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:27:37
だれか1年かけて>>639の解説をしてくれ。俺は読まないけど。

647 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:27:39
>>645
なんでジョーカーが自演を否定するときと同じような理由を・・・

648 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:35:38
吉備の二重口縁壺の「10b式」というのは庄内1式と対応し、九州土師器ならTaかな。この対応関係は崩れないだろうから、
畿内を新しくすることは北部九州も同時に新しくなること。それはそれとして、権現山は古いと考えられ、三角も古い。

649 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:36:40
人間の歴史を考えれば、大昔の人間は移動生活で、時には同じ場所に来てしまった民族が縄張り争いをしたり
、次に農耕が行われ土着が多くなり土地をめぐる縄張り争いになり、それをのがれて
民族が移動をして新天地に国を作っての繰り返しで、いまどき単一民族だなどといっている人もういないよね。
地球規模で人類の歴史を考える時代だよね。異論ないでしょ?

650 :ローガン:2010/06/06(日) 01:09:45
>>642
>結局、実年代というか暦年代を持ち出したことが畿内説の焦りかも。

云われると思った。まあ、「3世紀の根拠を出せ!」って言われたもんで、つい…
とりあえず、弥生っていつまで?古墳時代っていつから?が共有出来ないと中々議論にはならんようにも思いますがね。
ただ、思うに…議論はいいけど 他説の否定に躍起になった所で、持説が浮かび上がるものでもないでしょう。
もう寝ます。

651 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 01:10:44
>>644
>畿内王朝は邪馬台国の後に来た渡来人の王朝

この部分に完全に同意です

652 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 01:41:33
>>649
もういい加減に明らかにしていくべきだと思う。
他国の歴史とも連動してるんだから。

653 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 01:53:31
73…

おまえらよく飽きもせずに邪馬台国なんて論じ合ってるよな
もういい加減こんだけ長寿スレだとループしまくってんじゃないのか?

654 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 01:58:44
>>653
そろそろブレークしますよ

655 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 03:55:05
>>653

このスレは名無し化した悪質な糞コテと電波(サイキバ、縄文人)と
一部のコテハンと数多の善良な名無しさんによる馴れ合いスレなの

656 :縦目仮面:2010/06/06(日) 07:45:52
>悪質な糞コテ  ・・・どうもお誉めにあずかって恐縮です。ww

657 :サガミハラハラ:2010/06/06(日) 08:20:04
もういいかげん邪馬台国は小城甘木であることをみとめてはどうかね。

658 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 08:47:57
何でそんなトンデモに取り憑かれたのかねえ。

659 :サガミハラハラ:2010/06/06(日) 08:58:34
認めたら楽になるぞ。

660 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 09:03:58
おまいは辣腕刑事かwww

661 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 10:03:13
ははは、悪質と云うかここはサイキックバカの隔離スレなんだよ

662 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 11:01:43
阿波国風土記が出てこないかな、
出てくればいろんな妄想の根拠が一気になくなると思うのだが。

663 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 11:29:30
>>659 サガミハラハラ

とりあえずカツ丼出してもらおうか?

あと焼きそばパンも欲しいな、
お前チョット行って買って来いや
ダッシュな。

664 :電波:2010/06/06(日) 11:48:37
自分の知力では理解できないことは「電波」で片付けるというのは幼稚すぎないかい。

665 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 11:59:57
サガミハラハラ さんまず調書を作りましょうか。

2世紀末の纒向の開発者を誰にします?

666 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 12:04:33
>>664
だったらそれは「電波」と言われた奴が自説を証明してひっくり返して見せろだなw

「世の中には科学や常識で測れない事がいっぱいある」
と言うのは事実だろうが

かと言ってじゃあ全てを真に受けていたら身がもたないって話だwww





667 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 12:07:02
>>664
そのとってつけたような演劇口調とか
わざわざ名前に何か入れるのって

幼稚というか構ってチャンなのはたぶん病気ですよw

668 :電波:2010/06/06(日) 12:08:49
>>666
いやなに、「全てを真に受ける」のも知力不足によるものじゃないかね。

669 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 12:11:03
荒らしを認めた>縦目

>>3は全員確定か

670 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 12:19:01
>>668
だからある程度峻別してどうしようもない奴が「電波」と呼ばれているって話で

お前も下らない幼稚な言葉遊びしていないで
具体的に何を言いたいのかハッキリしろ。

「九州王朝説」か?「邪馬台国東遷説」か?w



671 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 12:26:20
まあ一度聞いておきたかった話をふっておこうw

かなりの年よr…ゴホゴホ…ベテランさんに聞きたいんだが
昔の年代観は大雑把に言えば畿内と九州で優に100年ぐらいの差があったとしてたわけだろう?

(無論ここの九州説のアホどもは今でもそう言うイメージで
 下手すりゃ九州以東は毛皮まとった原始人がマンモス追いかけている絵なのかもしれんがw)

一体どうやってそれほどの差が開くと考えていたのか?
関門海峡に目に見えないバリアでも考えていたのか?wwwww

正直、今日行政の無駄でよく言われる「縦割りの弊害」と言うのに似て
「九州は九州、畿内は畿内」と縄張り意識があっただけの話じゃないかと思うのだが…w

672 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 12:41:01
新羅232 倭人が侵入し金城を包囲
新羅233 倭軍が東部へ侵入、倭の船を焼く
取り調べ官:これらは皆お前のやった事だろ。
佐賀熊襲:いいえとんでも御座んせん、儂はただのパシリだす。
頭領は狗奴国の狗古智卑狗だす。
取り調べ官:では、何故狗古智卑狗に荷担したんだ?
佐賀熊襲:へい儂っしやあ、ただの船頭を遣っておりましたが
奴国の船賃の倍を呉れると云うんで、それで手伝いました。
取り調べ官:それでどうした?
佐賀熊襲:へい最初は伽耶で鉄を積んで帰るだけでしたが、そのうち頭領が
さらに倍の船賃を出すから手伝え云いまして…
取り調べ官:それで新羅を襲ったのか?
佐賀熊襲:へえ…


673 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 12:57:41
佐賀熊襲:そのうち向こうの公孫氏が魏にたおされまして、
魏の使いが奴国を訪れて、大王を出せと云ったんですが、儂等あ、奴国王を
認められないんで、代わりに卑弥呼を立てたんです。彼女は何ンの力もありゃ
しません、ただの看板です。その方が儂等にとっても都合がいいんで。
それでも時々は渡海して、村々を襲いましたよ。
でも魏はそれを良しとしなかったんでしょ。
大和の足彦と奴国が共同で戦を仕掛けてきたんだす。しかも魏の黄幡を振りかざして…
取り調べ官:んで?
佐賀熊襲:最初は奴国の配下の国々を平定するだけと思うて居りましたが、それが終わると
今度は、こちらに矛先を向けてきたんだす。


674 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:09:30
>>671
ではジジイが僭越ながらwww

単に各地域の土器編年の摺り合わせが進んでなかっただけで
契機となったのがやはり庄内式の存在
これが短期間の間に畿内から北九州に持ち込まれたことが確実となったため
やっと両者の時系列が一致した

それまでの土器は近隣地区から漸次遠方に伝わっていたため、間に複数のクニを挟む場合の編年一致が困難だったわけ
だから東海と近畿もパレース式の出土例が増えたことで摺り合わせが可能になった

そしてご存知の通り、古墳編年も過去の見解では古墳時代が寸詰まりになっているという重大な疑念があったため
土器編年一致とともに年代観修正が行われたというわけ

675 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:17:40
>>674
ご教示感謝。
流石ご隠居、ガクってもんがあるw
憎いよコンチ(ry

にしても今から見れば(当時すり合わせの為の指標が無いとはいえ)変な時代だったんだなとwwwww


676 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:31:18
>>671
倭人伝にあるように手で飯を食ってたのは北部九州だけだから。
青谷上寺地遺跡にみられるように、北部九州以外では文化的生活を行っていたんだよ。

677 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 13:40:13
取り調べ官:ふむふむ。
佐賀熊襲:最初は新羅で戦の経験もあるんで対抗できるとふんどったんやが、新羅の
軍体なぞ、足下にも及ばない強さなんですわ。
支那の軍体というものは、馬で物資を運び、命令一つで右翼も左翼も自在に動くんですわ、
まあ仕方ないんで、足彦の軍体には、逆らわないようにして、統領狗古智卑狗との戦いに
荷担して、統領狗古智卑狗を破ったんですわ。
まあ足彦がいなくなれば儂等の天下が待っていると。
世の中はそこまでは動いてきたんだす。足彦がいなくなって儂等の天下がやって来たところまでは
そこで儂等はちょこっと、ほんのちょい、ちょこっと海を渡って、此までの損害を取り返そうと…


678 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:49:51
大和王権が北部九州を防衛拠点にするさいに、
九州人は役立たずなんで、蝦夷を警護にあたらせている。

679 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:53:05
>>674
畿内から北九州に持ち込まれたことが<これがそもそも逆でしょう

土器編年→古墳編年<基本となるものが土器編年じゃ古墳編年も全くあてにならない。
 
畿内より古い土器は北部九州にはあるし、そしたら、その古い土器はもっと時代を遡ってしまう。
土器編年といっても炭素年代測定にたよったり、邪馬台国あるいは大和王朝は3Cに畿内にあったという前提のもとででしょう?
全く考え方誤ってる。

680 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:56:42
このあたりが、北朝鮮の国営放送と同じ臭さなわけだが

×契機となったのがやはり庄内式の存在
 これが短期間の間に畿内から北九州に持ち込まれたことが確実となったため
 やっと両者の時系列が一致した

○庄内式で畿内詐欺説を補強できることに気がついた

681 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 13:58:17
>>679
もっと勉強してから書こうな
せめて安本信者もしくは邪馬台国の会のコピーだと丸わかりの部分くらい隠せるようになってからな

682 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:00:00
ああ、またサイキバ@伝ら(伝播)君かよw

字は読める?ルビふってやろうか?

683 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:05:00
足彦ってタラシヒコと読みますよね。
オオタラシヒコにしてもそうだけど記紀には多い名前。

タラシってのは上にあった百済は韓国語のクンタラ?大きい国の意がなまってクダラになったっていってたけど、
そのタラ(国の意)と、シは韓国語でも日本語でも何々氏というその氏で
つまりタラシとは百済から来た人なんじゃないの?ヒコは王の子という意味だと。

684 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:11:55
>>683
現代日本でも「麻里亜(マリア)」とか「絵里香(エリカ)」とかが実在するけど
彼女らは欧米人ではないでしょ?
名前というのは時代ごとの流行があって、外国文化の影響を受けたり受けなかったりとごっちゃなので
一概には言えないとおもうよ

685 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:12:59
>>682
恨み節@東遷廚じゃね? 理屈を言えるということは。

686 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:16:52
>>685
うーんなんて判断の難しい奴らだw

つまりアスペ6割アホ4割がサイキバで
恨み節6割アホ4割が東遷廚という認識でおk?

687 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/06(日) 14:17:25
だれかさんが「調書」などと片腹痛い。こいつなんか刑事、検事にしたら、
無実の者を有罪にしてしまう。ww
伊支馬がイクメ(垂仁)などと、双方の名だって大して似てもいないのに
同一人物だとか、古代史操作のウラも散らず妄想を披露している。ww

ちょっと名が似てて自説に都合がいいとウラ付けを怠り、他に何の根拠等
も出せない。そうならば卑弥呼が卑弥弓呼だとか彌馬獲支が崇神だという
ことも軽く言えてしまうが、こいつは前者には不問でとぼけており、後者
に対しては ? で誤魔化し、恣意的取捨をしたインチキのシッポを見せて
いる。

今日の朝刊にも出てたが、某県警でコンビニ強盗の犯人だとして某人を
逮捕したのだろう。県警はこの者が無実であったことを認めており人相
が似てたらしく、眼鏡と半そでシャツ押収でもしたのか、これが広く
出回っている品らしく、結局犯人特定の証拠とするには早計であったと
云うことだ。誤認逮捕をしてはならず、唐松山が刑事ならさっさと誤認
逮捕をやるだろう。やつは誤認の天才であるのだ。ww

688 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 14:22:09
取り調べ官:…
佐賀熊襲:へ、卑弥呼様ですか。彼女は尊大なお方でした。
儂等が、帯方の市へ出かけるときには、必ず、日時の吉凶を占って貰い、それから出かけたもの
です。まあ卑弥呼様がこの日は大風が吹くと言えば、ほとんどその通りになり、観天望気にかけ
ては、儂等船乗り以上の力を持っていましたから、それが足彦がこっちに来てから、しばらくし
たら、亡くなってしもうたんだす。そりゃあもう、悲しかったですわ。
男王?ありゃダメだ、ただのでくの坊、お飾りですわ、だから儂等も好き勝手が出来たわけですが。
足彦一人になってから、統領狗古智卑狗は、滅ぼされたんですわ、はい。


689 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:22:54
>>687-688
おまいらは専用スレでやってくれ

690 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:26:35
>>684
それでもたったというべきか17、8百年前の言葉が今でも訛って伝えられて
いるだろうから、韓国語と日本語は共通語が訛って違うように聞こえても同じ言葉が基だったり
するので、記紀にしろ中国文献の和語の当て字にしろ、言葉を読み解くカギになりそう。
もちろん記紀はまず物語に脚色が多いということを踏まえた上で。

691 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:28:21

>547
記紀成立時点の国際情勢で以前の冊封体制を持ち出すのは得策でないと判断したのでは?唐から冊封を強いられれば地政上、新羅の下位に置かれる危険性がある。だから一概に倭と朝廷が無関係と断言はできないと思うな

ただまあ倭奴国王の金印が本物なら、親魏倭王をもらう時になぜ金印を返還しなかったのか疑問が残るが。

692 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:29:53
>>690
まあそれを真剣に研究するのはいいんだけど。とりあえず現代韓国語つまりハングルと
古代朝鮮語は全く違う言語だということを認識しておいてね
でないと藤村由加が万葉集をハングルで読んだみたいに失笑されたりするから

693 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:32:31
>>691
一応奴国と邪馬台国というように、主体が違うからそこはまあいいんじゃないかとは思うけど
真に問題なのは、台与が晋に使者を送ったのが事実なら
親魏倭王印は返却しているはずだということなんだよね

694 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:41:27
>>692
全く違うというのは言いすぎだよ。
たった一千何百年か前のことだし、民族が一掃されて全部入れ替わったのならありうるけど、
それに現代韓国語と現代日本語はよく聞くとよくにている。
たとえば、ちょっと待ってというのを韓国語はチャッカマという。

695 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:42:30
>>691
未だになぜ金印があんな島から出てきたのか。
これは畿内九州関係なく疑問ですよね。

A.志賀島が邪馬台国
B.倭寇に奪われた
C.志賀島まで運んで埋めた

Aはないと思いますが・・他に可能性があるものは無いですか?

696 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:46:54
>>621
>で、箸墓が三世紀の築造だという根拠は何?

以外と、東遷廚がそのへん詳しいんじゃないか、と思ったりして。
彼はその「畿内説主流派」とずっと闘い続けてきたわけだから(頭ん中で)。

築造時期を推定する材料は、形状、後円部出土の特殊壷・特殊器台、前方部出土の土師器壷、周濠出土の土器。

697 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:48:55
>>694
まあ「ハングル 成立」でググってみ
トンデモサイトもあるけど、きちんとした言語学サイトを参考にすれば
なぜ日本語と似ている部分があるかもわかるから

>>691
あれに偽者説が長い間つきまとったのは、発見のエピソードに信が置けないからなんだよね
本当に志賀島で百姓が農作業中に偶然発見したのかについては、かなり怪しい話だというのが通説だね
これは本物だと認定する側も、そこは信用できないとしているし

698 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:55:27
>>695
>なぜ金印があんな島から出てきたのか。

金印奴国王の権威が後継されなかった。
盟主権が他国に移動した。

旧盟主国奴国と新盟主国との関係、盟主権の引継の様子がどうだったかは、
志賀島がどんなところだったかによって推測できるかも・・・

699 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:59:53
>>695
他にもあります。相手にされないだろうけど、一応書いてみる。

漢のと刻印されているってことは、漢の領域内の諸侯を意味する。
外臣だったら漢のは付けないと思う。
だから倭国は後漢初めは中国国内の渤海近くにあって、
中国が戦乱で戦士を異民族から駆り立てたり土木工事をさせたりするので
それをきらって半島に大勢逃げたんですよ。
公孫氏が遣民を集めに探したけどあまりつかまえられなかったって。
その時、金印を持った倭国も北部九州に流れてきたと。



700 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:05:45
>>697
ハングルとはどうしても違うと主張したいようだけど、無理だよ。
だってDNAでも母方は同じ全く同じ民族だよ。男方は征服者のDNAが残るから
日本と韓国は違うけど、民族的にはどちらも混血でよくにているんだよ。
外見だってほとんど変わらないし。
どちらも同じ語順で話すし。

701 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 15:13:50
>新羅の下位に置かれる危険性がある。

東夷の中で最初に冊封を受けたのが、倭王(足彦)である。
この後東晋まで東夷の統領として、半島に君臨する。


702 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/06(日) 15:15:36
足彦≠大足彦

703 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/06(日) 15:24:19
ホ36024  フソマフユ うむミコヤマト オシロワケ イムナタリヒコ


704 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:27:52
>>700
いやね、思想とか(例えば嫌韓とかね)そんなのは全然ないんだよ
ただ言語の成立過程がまるで違うというのは、もう日韓どちらの国でも定説なんだ
だからDNAとか関係ないのよ

ハングルと日本語の読みが似ている部分があるのは、日本語を参考にした部分があるから
つまりハングルというのは自然発生ではなく人為的に造られた言語なんだ
だから古代史で半島との共通項を探すのは、当然古代朝鮮語を使うしかないわけ

705 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:35:21
>>704
古代朝鮮語とハングルは全く違うといったから否定したんだよ。
現代ハングルは足をタリだったかタラだったかいいますよ。
足彦はタラシヒコ、タリシヒコと記紀では足をタラ、タリと読ませる。
ということは古代朝鮮語も足はタリといったと思うよ。
だから全く違うことはないよ。
少しの共通語をもとに解釈を広げていこうといいたいだけ。

706 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/06(日) 15:36:02
>>703
わかった分かった。等号が正解でいい。ホツマはオマエだけ詳しいだけで
他のスレ民は分からぬ人が結構いるんだろうから、即タリヒコなど略称を
書きこむならば出所の題名もきちんと書いておけ。

707 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:36:37
しかし見事に定説を知らん奴ばかり集まってくるな。
どこかを追い出されて2ちゃんねるでやれとかいわれて流れてくるのだろうか?

708 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:38:39
>>705
思うよ、じゃなくて古代朝鮮語事典なんてその辺に売ってるのだから買えば?
解釈を拡げようにも元を知らないのなら意味無いじゃん。

709 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:38:52
707は、ライフスペースのグル、高橋弘二。
「これは定説です」

710 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:41:52
>>699
>外臣だったら漢のは付けないと思う。

漢匈奴悪適尸逐王、とかあるよ。

711 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:44:21
>>708も言ってるけど、とりあえず解釈を拡げるに足りる素養を身に着けようよ
それと君ちょっと日本語が下手なんだけど、もしあちらの人だったら逆に資料は入手しやすいだろうし
リアル厨房なら、学校で先生に質問してみればいいよ
他の痛い連中と今のところは同じ扱いはしないけど、勉強不足のまま突っ走るのならそれもやむなしということになる

712 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:46:05
>>708
じゃあ、だよにする。
古代朝鮮語辞典があれば百人力ですよ、そりゃ。
でも民族的に入り混じって現代の言葉があるのだから、古代朝鮮語が現代ハングルに与えた影響を
全く否定するのは同意できない。
土着で頑張った民族が多いだろうし、そこで子孫繁栄したんだから。

713 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/06(日) 15:46:31
どうやら底が見えて来た。
タリヒコは言ってるのはホツマくらいだろう。ホツマは他の通常の古文献
と違い和歌的五七調なんだろうから、オオタラシヒコと書くと五七とは
ならないから、和歌の作者がうんと詰めてタリヒコと言ったのであろう。

これは芸能界で有名な後藤マキさんだったか、ゴマキだとか言うような
ニック・ネームと同様のようだな。

714 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 15:49:46
>>710
じゃあ、外臣かな。それにしても1世紀半ばはまだ中国勢力は
倭国には及んでいない。
漢書地理志には楽浪海の倭国とあるけど、それは楽浪海だから
九州の海ではないので。

715 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:03:09
>>714
>1世紀半ばはまだ中国勢力は倭国には及んでいない。

どゆこと? 以歲時來獻見雲 とあるよ。

>漢書地理志には楽浪海の倭国とあるけど、それは楽浪海だから九州の海ではないので。

「倭国は半島にあった」と言ってるのかい?

716 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:06:15
>>711
日本語がへたですか?なまりがあるからじゃないの。
自分では標準語だと思っているけれど。
あまり書き込むことがないから慣れていないのだと思う。
パソコン習いたての初めての書き込みは支離滅裂な文章になりますよ。
書き込みのスペースが小さいので、言葉の前後が確かめられなくて、
へんな文章になったこと経験ないですか?

日本人以外に偏見があるからそういうこといって人を小ばかにするんでしょ。
そういうイジワルな性格なおしたほうがいいですよ。



717 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:06:19
>>712

>古代朝鮮語辞典があれば百人力ですよ、そりゃ

買え、話はそれからだ。

718 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:07:51
>>716

>パソコン習いたての初めての書き込みは支離滅裂な文章になりますよ。

PC初心者が2chに来るな、このアフォが。

719 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:13:00
>>695
小説的に想像すると、西暦57年に、ある国の王が後漢に朝貢し金印をもらう。
後漢から金印をもらったということで、その国はけっこう威張る。

しかし、西暦100年頃、強力な王が出現して攻められる。ついに王は敗北して
逃走。志賀島まで逃げてきて金印を埋めてのちに自殺。

その国を滅ぼした王は帥升。帥升は、金印を与えた王を滅ぼしたことを
後漢に報告しておいた方がいいかと西暦107年に朝貢。倭国の支配者である
ことを宣言する。かくて帥升は、後漢から「倭国王」と呼ばれる。

720 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:16:06
初心者がいきなり2ちゃんかよ・・・
ここがどんなところか知ってるのか?
日本史板は基本的に学問板だから、真面目に質問すれば答えてくれる人もいる。
○○を読めと教えてくれる人もいる。

だが基本的に2ちゃんは嫌中韓が多い。ネトウヨ(ネット右翼)のすくつ(巣窟のスラング)だぞ。
悪いこと言わんから、ヤフー掲示板か教えてgooあたりに逝け(行けのスラング)

お前、回線切って首吊ってこい(相手にしないという意味の古い2ちゃん用語)

721 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:19:35
どうせ2chなんて、統一凶会の工作掲示板。
みんなの統一協会党
統一実現党
朝鮮総連
ネトウヨ        の巣窟だからな

722 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:21:12
>>716
つまらない批判は無視することも重要だよ。
というか、これが一番重要かも。

723 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:22:36
2chは名無しで書けるのでそこが魅力でね。


724 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:25:45
>>723
おいおい、本気でここが【匿名掲示板】だとでも思ってるのか?
お前のIPなんてダダ漏れだよ。

本気で匿名化するにはそれ相応の手続きが必要だ。
それをきちんとやってから来い。

725 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:31:05
>>724
別にどうってことないですよ。
だってここは考古学版でしょ。
真剣に考古学を考えようと思っている人がどうしてコソコソしなきゃなんないのよ。
参考になるから、来て、書き込みしたまで。
殆んど書かないけどね。

726 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:35:09
>>725
考古学板と違うわwwwwwwwそれは隣だwwwwwwww
ここは日本史板だwwwwwww

しかも「板」は「いた」と読む。だから「版(ばん)」は間違いだwwwwwww

727 :縦目仮面:2010/06/06(日) 16:41:36
本気で考古学やってる学生でも、コソコソいろんな工作をしてるみたいですよ。

728 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:48:08
>>725
何でもいいから火傷せんうちに帰れ。

729 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:50:32
現在>>725の自宅に、統一協会の食口(しっく)数名が向かっています。

730 :縦目仮面:2010/06/06(日) 16:54:45
「この門より入るもの、すべての希望を捨てよ。」神曲:ダンテ www

731 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:59:04
京大考古学教室(梅原末治の弟子たち)では、>>725を洗脳する準備を始めています。

732 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:59:59
初心者(餌)が紛れ込んだと聞いて飛んできました。
祭り会場はここでいいのか?

733 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:13:56
>>695
>A.志賀島が邪馬台国

志賀島から発見された金印は「親魏倭王」ではなく「漢委奴国王」です。
ですから、

A.志賀島が奴国(または倭奴国、あるいは委奴国)

とするべきですね。
ちなみに、志賀島には奴国の宝物庫があったのではないでしょうか。

734 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:16:58
>>727
都合悪くなると出てくる糞コテは
とっととコテやめて出てってください

735 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:22:39
>>733
つまんない間違いを指摘する前に

>奴国の宝物庫があった

と言う理由を添えてくれないと、
・・・ではないでしょうか、とか言われても答えようがない。

736 :縦目仮面:2010/06/06(日) 17:24:02
>>734
おまいもすべての希望を捨てたほうがいいぞ。ww

737 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:29:17
>>736
ここ数スレヲチしてますけど
あんたが多分一番最低かなw

738 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:30:58
>>736

コテはるならもうちょっと議論に参加したら?

739 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:37:50
>>736
君には罰として今日から邪馬台国ムー大陸説論者になる事を命ずる

740 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:44:58
まあいいんじゃね?
縦目に恨み骨髄のサイキバ、縄文人、東遷厨なんか以外は
面白い奴だなと思ってるんだから

これも自演認定かwwww
縦目本人には違うことが判るだろうから、これからも九州説いじりで笑わせてくれな

741 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:03:32
ローソンに売ってるやっすい漫画買ったら
卑弥呼が宇宙人でワロタ

742 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:43:09
>>740
あんたがネタ振り、叩き、議論と一番マシだよ
まぁコテの不甲斐ない事w

743 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:50:18
>>696
ようするに、根拠なんかないのが畿内説。

望ましい結論を叫び続けるのが、畿内説。

744 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 18:53:15
>>743
>望ましい結論を叫び続けるのが、

まさに、おまえの姿だな。

745 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 19:20:49
>>715
以歲時來獻見雲とあるのは前漢時の倭国。
楽浪海とは楽浪郡の海。
倭人伝では「帯方郡の東南の大海」
楽浪郡の南が帯方郡なので、楽浪海と帯方郡の東南の大海はまったく別の場所。
つまり前漢時代に朝貢していたのは九州の倭国ではないということがいえます。
ただし楽浪海は前漢時と後漢時では場所が変わったと思います。
漢はそれこそ留まることなく国が膨張していましたから。
多分現在の渤海が旧楽浪海だったと思います。


746 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 19:29:32
3世紀の帯方郡の地はすべて、1世紀の楽浪郡に含まれるわけだが。

747 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 19:40:37
>>746
含まれる含まれないは問題ではなく地理的な位置が問題なのですよ。
帯方郡は楽浪郡の南にあったそうです。

748 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 20:17:24
邪馬台国って一地方の小さな都市国家連合なんじゃないの?

749 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 20:19:16
>>747
地理的に100%含まれるから、同一個所を指しているわけだが

750 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 20:41:10
>>749
楽浪郡はどこにあったか知ってる?

751 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 20:51:16
>>750
3世紀の帯方郡は、1世紀において帯方郡ではなく、楽浪郡だった。
つまり、
3世紀の帯方郡の東南の大海は
1世紀の楽浪郡の東南の大海に内包される。

752 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 20:53:44
>>751
帯方郡の南は馬韓ですよ。
馬韓の西海を楽浪海って言うと思う?

753 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:16:34
帯方郡の位置が、時代によって全く異なることが、全く分からない奴がいるんだね

754 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:18:12
>>752
1世紀の帯方郡と、3世紀の帯方郡の場所を、どこにあると思ってる?
同じ場所だと思ってる?

755 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:26:01
>>754
どこ?
ところで南韓の海を楽浪海といったと思う?
漢書地理志には楽浪海中と書いてあるよ(東南の大海中とは書いてない)。南韓の対馬の在る海を楽浪海といったと思う?

756 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:26:38
同じ場所だろう・・・>>754

757 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:31:01
>>756
もう一度聞くけど
南韓の海(対馬の在る海)を楽浪海といったと思う?

758 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:42:30
アンカーミス>>756 すみません。
>>751
もう一度聞くけど
南韓の海(対馬の在る海)を楽浪海といったと思う?
漢書地理志には楽浪海中とあって東南の大海中とは書いてないですよ。

759 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:09:46
>>758
横レスだが、どっちだって同じだろう。
漢書の書かれた時期には、楽浪郡しかなかった。だから、「樂浪海中有倭人」
となる。
その後、楽浪郡の南に帯方郡が出来る。
だから、三国志では「倭人在帶方東南大海之中」となる。

要するに、自分たちの領土を基準にしているということかな。

760 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:17:40
>>759
違いますよ。
楽浪海中有倭人分為百余国の下りは漢書地理志の燕の地の説明ですから。
そこでわざわざ倭を説明するなら当然韓半島も説明しなきゃ。

761 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:21:24
>>759
あなたは南韓の南の海(対馬のある海)を前漢時には楽浪海と言ったと思っているんですか?


762 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:31:44
「存在しない帯方郡」の海など存在しない。
存在しない海の記述を前提にした議論って、おかしくないか?

763 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:36:36
帯方郡は、たしか郡衙の場所が特定できてなかったような
それに郡と言っても、関内の郡じゃないんだし、冊封による間接支配だからな
馬韓55国、弁韓12国、辰韓12国だっけ、それらと全部冊封関係を結んでいたとしても、片鱗に行くほど境界は曖昧だろうな



764 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:38:53
>>760
後漢書には、「倭在韓東南大海中、依山嶋爲居、凡百餘國」とある。
漢書・地理誌は、「樂浪海中有倭人、分爲百餘國」。
同じことを言っているだけ。ちょっとかき方が違うだけ。
どちらも日本のことを指している。

765 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:42:21
>どちらも日本のことを指している。
どちらも九州のことを指している。




766 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:54:08
嶋は「小さな島々」なんだから、九州だけじゃ無いだろ

767 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:57:54
>>764
同じじゃないですよ。楽浪海は楽浪郡の海。
倭人が日本だけにいたと思っているんですか?
倭人は中国の南にいた百越でしょう。米つくりを本格的に教えたのは百越ではないのですか?

768 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:05:08
楽浪郡は前漢時には燕に属していたんですよ。
ですから楽浪海中に倭人有りと説明したんですよ>漢書地理志燕地の条

769 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:15:33
>嶋は「小さな島々」なんだから、九州だけじゃ無いだろ
九州ってのは、まわりの小島も含むんだよ。本体が大きな島だってことは
倭人伝に書いてあるだろ。


770 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:37:44
馬韓など三韓や九州の倭は後漢書東夷伝から登場したんですよ。
章帝和帝以降東夷の国の略記を得たとあります。
ですから後漢時代の資料や魏の資料を見て倭国伝が書かれたわけですから
二、三世紀の倭国の様子を詳しく伝えてあり、これほど信用できる資料は他にない。

771 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:56:10
今来たんだけど、この流れはいったいどういうこと?
誰か3行で

772 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:07:10
もちろん福岡〜長崎は島だらけだが、九州が島というのは、
3世紀の中国人も知っていた。
隋の時代になっても、本州が「島」だったとは判明しなかった。

773 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:25:21
>>771
以前見た
行から
読み直せ

774 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:28:57
九州の本体が大きい島とはどこにも書いてない。
知っていたとして大きな九州を他の小島と区別しないでただの山島で表現するのはおかしい。

775 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:30:04
>>772
サンクス

本州が島かどうかでもめてたのかー
楽浪海がどうこうって、半島に邪馬台国があったとか言い出すのかと思ってちょっとwktkしてたのにw

776 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 00:55:01
>>774
わざわざ洲島、周旋五千余里って書いてあるだろ。しかも、水行十日陸行一月できる
島だってことも書いている。これで、「どこにも書いてない」っていうかね。
あ、それに「洲」とは大陸を表す文字だよ。

777 :691:2010/06/07(月) 00:56:16
幾つかレスがついていて嬉しい限り。
>>701
その通り。しかも、その後、隋では対等を目指し、白村江では唐と敵対。
一瞬とは言え半島を領土化した唐と、それを追い出した新羅とその後和解。
したたかですよね。

>>695 他
自分はここで言う「ゆるやかな連合」に近い考えです。協商連合というか。
そして、邪馬台国では一大率に見られるように、統一国家への歩みが地味に
始まった頃なのかなあと漠然に思ってます。
その意味でその前の時代に当たる倭奴国金印を正確に把握しないと駄目かと。
自分はそれを「平和的協商連合の和を乱した行為」と考えていて、
真の盟主は別にいたと思ってます。地政的に言えば、出雲あたりかと。
まあ逆に倭奴国王の突出が平和的協商連合に盟主の必要を生んだのかもですが。
何れにしても「他国を武力で滅ぼす」という体力は古代のクニにはないかと。
だから倭国大乱も盟主争いとムラ争奪戦程度で、盟主の分家が共立されたって
所じゃないかなあと思ってます。連合内で不和があった訳ですしね。

>>693
正しく、そこが知りたいですねえ。
返却は確実にされてると思うし、晋とどのように新たな関係を結んだのか。。
手がかりは何もないですが。

778 :691:2010/06/07(月) 01:00:23
あげちまった。。。スマソ

779 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 01:10:47
>>774
最古の地図はすでに島国なんだが

780 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 01:33:24
島かどうかは、歩いていけるかどうかが重要で、
たとえ本州〜北海道〜樺太〜シベリアが陸続きでも、
実質的には島扱いだったんじゃないかな。

それに、たとえ九州がユーラシア大陸くらいの大きさだったとしても、
中国から見れば島なんだよ。

781 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 07:34:41
後漢以降に韓や倭が朝具するようになって略記をかけるようになった。
ということは、57年の金印は時期的に同じ頃の朝貢。
この時奴国は倭の極南界だから、総合的に考えて、北部九州沿岸にあったと考えていい。



782 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 07:39:47
甕棺が初期の倭人の墓。
青銅武器と一緒に鉄武器も混ざっているそうだ。
ということは青銅器と鉄器が同時に伝わったってこと。
つまり倭人は韓国南で大陸先進文化を吸収してから九州上陸した。


783 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 07:50:46
魏志倭人伝は前漢の楽浪海の倭人と後漢初期の倭の極南界の奴国を
以降の最新資料と合わせて書いたため、冒頭の百余国や、二つある奴国の
二番目の方を極南界と言った。本当は後漢初期の奴国は一番目の奴国の方。
時代とともに領土が広がっているということ。つまり日本は
渡来人にとって開拓したての新天地だった。

784 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 07:58:57
気分転換にこういうのもいいかも。

♪今日は倒れたー♪のところでのスベランカー三宅の映像には吹いたw

http://www.youtube.com/watch?v=USdfnxLrKR0




785 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 13:03:22
銅鐸がいっせいに埋納されて姿を消したということに、文句を言っていた奴がいたな。
しかし、下記のようなことは常識だろ。

銅鐸のまつり
 銅鐸(どうたく)は,稲作のまつりに用いられたカネで,ふだんは地中に埋められ,
まつりのときに取り出して使われたと考えられている.近畿地方を中心に450個以上発
見されているが,徳島からは40個あまりが出土しており,その数の多さは全国に知ら
れている. 銅鐸の独特の形は,朝鮮式(ちょうせんしき)小銅鐸をもとにつくられ,
つりさげる小さなカネから大型のものへと変わっていった.しかし,古墳づくりがはじ
まると,いっせいに地上から姿を消した.



786 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 14:29:18
>>785
そうだよね。
政治的、文化的に急変したんだよね。

787 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 15:41:37
>>785
>ふだんは地中に埋められ,まつりのときに取り出して使われたと考えられている.

集落から離れた場所に、埋められた形で見つけられることが多いので、そのような
解釈になるのかもしれないが、もう少し違う解釈も可能だと思うな。

普段、埋めておいたりしたら、汚れるし、傷が付くこともあるだろうに。

788 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 16:20:22
丁寧に割って埋めてある銅鐸もあることから、
銅鐸の使用を禁止されたとしか、考えようがない。

789 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 16:26:54
>>787
確かに、その点はいろいろ考えられるだろう。私も埋めるよりはどこかに大事に
保管していたのではと考えるね。

>>788
そうだね。銅鐸祭祀に無縁の者が支配者になり、銅鐸使用を禁止したと考えるの
が自然なように思う。

790 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 17:20:23
>>789
>そうだね。銅鐸祭祀に無縁の者が支配者になり、銅鐸使用を禁止したと考えるの
>が自然なように思う。

それは当然、2世紀のことだよね。

つまり邪馬台国はヤマト。



791 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 17:35:12
>>790
2世紀とすれば神武東征として記紀に載せられた九州勢力の東進だな。邪馬台国本体はまだ九州を出て
いない。

792 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 17:37:19
>>790
魏志倭人伝によれば、一国が滅亡してそれを卑弥呼の国が支配征服したような記述などない。
つまり、国家群は連続して存在していたわけだ。
銅鐸国家の滅亡は、畿内説など絶望的にあり得ないという証拠になる。

793 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 17:54:20
>>791
それは古田t気比湖などの多元王朝説

794 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 18:00:48
>>792
絶望する必要は全くありませんが、
畿内説が無理に無理を重ねなければ成り立たないのは事実のようです。

795 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 18:10:33
聞く銅鐸から見る銅鐸へ、そして願埋する銅鐸へと変わったんだよ。
旅の安全を祈願して、あるいは安産祈願、子供の成長祈願(七五三)などで埋めた。
戦勝祈願の場合は大量に埋設されることもあった。
また、豊作祈願は割ってから埋めると良いとされていた。

初期の銅鐸は貴重品だったが、次第に量が増え、後期はインフレ状態だった。
これにより銅鐸生産国は慢性的な赤字状態に陥った。
そこで、銅鐸を埋めると願いが叶うという風説を流布したのだ。

銅鐸インフレは、銅鐸生産国だけでなく、
それを権威の象徴や富の蓄積として利用していた人々にとっても不都合だった。
そのため、銅鐸を埋める習俗が一気に広まった。

銅鐸生産国は銅鐸に代わる新たな商品を探していた。
試しに銅矛を作ってみたが、近畿以東ではあまり人気がでなかった。
ちょうどそこに、女王が魏国から銅鏡を賜ったという噂が流れてきた。
これはいけるということで、三角縁の大量生産が始まったのだ。
しかし、銅鏡もまたインフレ気味となり、墓に入れるという風習を生み出した。
(経済視点で探る銅鐸・銅鏡)

796 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 18:29:04
>>795
まるで、近代の資本主義経済の観点からという感じ。
この頃は、まだ物々交換が主流の時代だったと思うので、経済性の原則の
ようなものが優先するとは思えないな。

797 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 18:45:03
>>795
違うな。大学入学祈願のために埋めたのだ。

798 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 18:59:25
素朴な疑問

甕棺なんかだと、竪穴式住居の一角から出て来たりして、竪穴式住居に住む
庶民の墓であることは分かる。従って、北部九州では出土数も非常に多い。
甕棺壺棺団地みたいなのも見つかっている。

前方後円墳はその大きさから考えて、断じて庶民の墓ではないと思う。
庶民はどのように埋葬されていたのだろうか。

799 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 18:59:54
>>796
物々交換が主流なのは間違いない。
しかし、銅鐸が増えて、銅鐸と米との交換比率が変わった。
初期は銅鐸1個につき、銅鐸10杯分の米と交換だったのが、
中期には銅鐸5杯分の米と交換となり、後期には銅鐸1杯分の米と交換というように、
銅鐸と交換してもらえる米の量が減ったのだよ。
もちろん、交換レートなどあるはずもなく、その場の交渉で決まるのだろうが、
欲しくない物と交換する人はいないから、少ない米と交換せざるをえなかった。

800 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:03:43
>>798
直接土葬か水葬かと

801 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:17:29
宮崎の古墳群の場合、非常に小型の円墳がびっしり土地を埋め尽くしている。
どの程度の人物が埋葬されたかは分からないが、かなり庶民に近い地位まで
小型の円墳に埋葬された可能性がある。

一方、畿内では古墳は支配者層のものになっている。(違うかも知れないが)

九州では支配者層と庶民の間にあまり差がない。
畿内では支配者層と庶民に大きな差があると言うことは言えるだろう。

>>800
現実問題として、そうなってしまうでしょうね。
庶民には墓を残す余裕はないのでしょう。

802 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:31:08
>>801
逆に言えば、人口のかなりの割合の人が良い生活をしていた可能性があると
いうことだ。

803 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:35:32
>>801
土葬は極めてエコな埋葬法なんだよね。
人間の体は栄養価に富んでるから、土葬した土地の植物はよく実る。
これは、ハイヌウェレ神話にも通ずるところがあって、
狩猟採集の縄文人はよく知っていたのだと思う。

水稲(水田)には土葬による栄養価のメリットは少ないが、
畿内の人々は森が豊かになるという土葬を選んだのだろう。


804 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:41:27
畿内の奈良〜平安時代、庶民は山へ遺体を置きにいっている。
ただ置くだけだから、野犬に食われたりするのが普通。
時代を経て、遺体を草などで囲ったりするようになった。

九州では甕棺に入れて土に埋めているんだが。

805 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:43:06
甕棺はもともと朝鮮人の葬儀だろ。

甕棺が出る地域は、韓式土器が出る地域だからな。



806 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:45:16
倭人の一部が日本人になり、倭人の一部が朝鮮人になっただけで、
九州を朝鮮人が支配していったわけじゃない。

807 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:48:26
>>804
甕棺はある程度の支配層にのみ適用された、いわば当時の九州セレブご用達の葬送だよ。
それより落ちる層は集合墓に埋葬というか、穴を掘って盛り土かけて埋められている。
吉野ヶ里にその出土例があるね。

そしてそれ以下の労働層は、おそらく野葬だろう。

808 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 19:53:27
吉野ヶ里の、住居跡の発掘作業の公開に行ってきたのですが
竪穴式住居跡のかまどから近い場所に、子供の甕棺が埋められていました。

亡くなった子供を遠くに離したくなかったのでしょうかね。

809 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:02:16
>>803
ハイヌウェレ神話と一般的な土葬を絡めるのは無理があるだろうw
遺体の埋葬と言えば先ず土葬から始まったんだからwwww

まあ太平洋の何処の島だったか選ばれた少女を殺害して
その神話を再現すると言う風習も聞いたことがあるが

やはり何かしらの宗教的な演出がないと
流石に牽強付会wwww

大地の生命力の復活…と言うなら銅鐸の埋納がそれを思わせる。

ちなみに記紀神話にも食物起源としてハイヌウェレ神話が出てくるが
それにはアマテラスが噛んでいて
それもアマテラスが南方系の出自であろうと言う傍証だと思うw



810 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:09:43
>>806

それなら、畿内を九州が支配したなどと妄言を吐くのもやめろよな。


811 :蒋門神:2010/06/07(月) 20:10:56
私は碩学にして博学、叡智の塊である蒋門神様だ。何でも質問してみろ、こんにゃろめ。

812 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:17:42
>>810
こいつは誰と戦ってるんだ?

813 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:19:02
>>811
どうしてプリキュアは2人から5人に増えたのに、また2人に戻ったの?

814 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:22:12
>>804
大人用の甕棺は子供用に比べて数が少なかったはず。
なので、権力者用ではないかと思う。

>>807
同意

815 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:23:18
前のプリキュアはセクシー路線で、
3人の子持ちパパとしてはひじょうに嬉しかったのだが

今のは駄目だ。劣化したな。
せいぜい、すこし眼鏡に萌える程度でしかない。

で、トヨタンもこれくらいの年齢か。

816 :蒋門神:2010/06/07(月) 20:24:10
>>813
それはゴレンジャーなどの集団戦隊ものが真のメジャーになれなかったのと同じ理由だろう。スマンが質問は古代史関係だけに
してくれんかの。確かに「何でも質問してみろ」とはいったが、スレ内容を考えてたもれ。

817 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:28:14
>>813だが、>>815とはいい酒が飲めそうだ。
>>816
いや戦隊モノは平成ライダーと並ぶ、イケメン輩出の大メジャーだぞ。

818 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 20:29:59
>>808
たしかアイヌも、嬰児の遺体は玄関に埋める伝統があった。それと同様に、
亡くなった嬰児に限り、もう一度この家に生まれてくると信じられていたと思う。


819 :ローガン:2010/06/07(月) 20:54:21
>>811
蒋門神様。
教えて下さい。弥生早期、所謂 遠賀川式土器の伝播(でんぱ)速度を、どの程度と考えれば良いのでしょうか?


820 :蒋門神:2010/06/07(月) 21:06:38
>>819
ふむ、のっけから難しい質問だが、この土器は水稲耕作の指標ともいわれたことがあったが、水稲農法の伝播よりは速い速度で広
まったのじゃろう。というのは、順次に伝播していったのではなく、集落の人口拡大による集団移住によって広まり、それにやや遅れて
その地域での稲作が開始されたと考えられるからじゃ。総体的には西日本には前期前半から中葉までには広まった、でよいのではな
いか。

821 :蒋門神:2010/06/07(月) 21:15:40
ローガン君とやらは初心者のようじゃから、もう少し詳しくレスすれば、遠賀川土器の出土する遺跡は北部九州型の水路をもった
高いレベルの水田遺構を併せ持つことが多い、これは北部九州からの人口爆発、あるいは戦闘による移住者の存在を物語って
おる。この場合の伝播速度は速い。また近畿地方では突帯文土器集団が、遠賀川土器の集団と共存しやがてそれに飲み込まれ
ていく様子も窺うことができる。これはある意味の東遷といってもよい。

822 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:16:05
遠賀川式土器の伝播を支えた「人」は、どんな人びとでしょう?

823 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:17:25
いよっ、いいぞ縄文人。やるじゃないか。

824 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:24:56
>>822
水稲農耕は、技術的に高いレベルで北部九州の玄界灘に面する地域に導入された。これは弥生初期の大陸動乱による渡来人がも
たらしたものと考えることができるじゃろう。彼らは潅漑技術も含めた水田の開発と維持の技術、機能分化した木製や石製の各種の
農耕具を使用しておった。

この水稲農耕という画期的な技術により集落の人口は増加し、それにともなって弥生の戦争も開始される。渡来人たちは戦争という
概念を持ち、またその技術も持っておった。これらのことにより、北部九州からはじき出された人たち、というのが貴方への回答になる
じゃろうな。

825 :824=蒋門神:2010/06/07(月) 21:26:49
おっとコテ名をつけるのを忘れとった。

826 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:28:38
何故、沖縄や東北にまで伝播させたのでしょう?

827 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 21:31:50
ほうほうでは、
蒋門神さま 教えて下さい。

弥生土器X様式の拡散とは、何を意味するんでしょうか?
宜しくお願いします。


828 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:33:28
>>826
東北つーか関東以東から出土するのは、遠賀川「系」土器だよ

829 :蒋門神:2010/06/07(月) 21:35:31
>>826
沖縄はよくはわからんが、関東以北は上記の速い伝播にはあてはまらないのではないか。おそらく水稲農法の漸進と同期した
ものじゃろう。北部九州からの移住者にとっても僻遠の地であったということじゃ。青森県八戸市の遺跡まで到達するには中期
前半までかかっておる。

ところでローガン君は自分の見解を持っておるのかな?

830 :蒋門神:2010/06/07(月) 21:41:21
>>828
そう。これは漸進していく土器形式の移動。時間がかかったじゃろう。

>>827
>弥生土器X様式の拡散とは、何を意味するんでしょうか?

これは漠然としていて答えにくい質問だが、拡散というなら交易が活発化した時期ということもできるじゃろう。貴殿の質問の意味が
よくわからん。

831 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 21:57:10
では質問をかえます。
X様式の発生とは、何を意味しますか?
1世紀中葉の出来事として。

まだ禅問答かな。


832 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 21:58:24
これ縄文人か?

833 :蒋門神:2010/06/07(月) 22:07:26
>>831
>X様式の発生とは、何を意味しますか?1世紀中葉の出来事として。

叩き板による成形法が技法として発達した・・・このような答えを求めておるのではなかろう。ふうむ。第X様式の年代幅が広すぎ
るということにご不満があるのか。

834 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:10:55

■沖ノ島 韓国研究者ら注目 「共同で世界遺産に」

朝日新聞 2010年6月6日
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201006040283.html

 玄界灘に浮かぶ沖ノ島(福岡県)。その昔、大和朝廷が航海祭祀(さいし)を催した神の島として、今、世界遺産をめざしている。
近年、韓国の遺跡との類似が指摘されたり、祭祀の主催者は外国勢力だったとの見方が浮上したりと、海外の専門家からの注目度も高まっている。

 沖ノ島は古代の海路上にある孤島。古代国家が航海の安全を祈って、4〜10世紀に祭祀の舞台にした。8万点もの遺物は国宝に一括指定されており、「海の正倉院」とも呼ばれる。

 昨年、世界遺産“予備軍”となる暫定リストに「宗像・沖ノ島と関連遺産群」として記載されたが、文化庁からは、国際的な評価を得るには顕著な普遍的価値の確実な証明が必要などと注文がついた。
関係自治体はアピール活動をしており、「東アジアでも一流の遺物が出ており、国家レベルの交流があったことは間違いない」(中国社会科学院考古研究所の王巍さん)と評されるなど手応えもある。

 先月30日に福岡市内で開かれた、自治体や関係団体でつくる推進会議では、来年2月に東京で国際シンポジウムを開き、世界遺産実現に向けて弾みをつける計画も報告された。

 ソウル大名誉教授の任孝宰さんは「沖ノ島と韓国の竹幕洞は多くの点で共通している。お互いに密接で、分かちがたい遺跡だ」として東アジアを視野に入れた連帯の必要を説く。
竹幕洞遺跡とは全羅北道の祭祀遺跡。海岸線にあり、たくさんの遺物が見つかった。日本や中国の品々もあり、沖ノ島と共同で世界遺産に提案したらどうか、との声もちらほら聞こえてくる。

 韓国・東亜大の朴廣春さんは、祭りの主催者として新羅を想定する。
金の指輪や馬具など新羅の優品が目立つことを根拠に、新羅の使いが近畿に向かう途中で祭祀をしたり、6世紀前半に大和政権に対して蜂起した筑紫君磐井と新羅の使いが一緒に祭祀をしたりした、という。

 大胆な仮説ながら、専門家会議の委員長、西谷正・九州歴史資料館長は「世界遺産の実現には海外有識者のサポートを得ることが大事だ。学術的な注目も大きな追い風になる」と歓迎している。(編集委員・中村俊介)

835 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:11:55
>>832
違うんじゃね?

836 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 22:16:09
X様式は取り下げ、代わって次のことを教えて下さい。

纒向の開発は誰が最初ですか?


837 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:18:38

■梅原猛氏講演「出雲王朝は存在」

山陰中央新報 '10/06/05
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=520090004

 かつて古代出雲王朝の存在に否定的な自説を示し、昨年、雑誌上で撤回した哲学者の梅原猛氏が5日、出雲市駅南町、ビッグハート出雲で講演し、出雲地域で度重なる青銅器群の出土などを理由に「出雲王朝は存在した」と語った。

 講演会は、梅原氏の新著「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」(新潮社)の出版を記念し、松江市の今井書店が主催。県内外から古代史ファンら100人が聴講した。

 梅原氏は約40年前に書いた「神々の流竄(るざん)」で、出雲地域に神話を裏付ける考古学的遺跡がないことを根拠に、出雲神話について「大和に起こった出来事を出雲に仮託したもの」と主張した。
しかしその後、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡など、古代史を塗り替える貴重な発見が出雲地域で相次いだ。

 この日の講演で、梅原氏は「神話に匹敵する遺跡があったと言わざるを得ない」と自説を撤回。
出雲王朝の存在を認めたうえで、八岐大蛇(やまたのおろち)や国譲り神話、出雲大社の建造が示す出雲の歴史について、古事記や日本書記の記述を基に、梅原流の解釈を分かりやすく紹介した。

 6日に出雲大社に参拝することを明かした梅原氏は「大国主命におわびをしたい」と講演を締めくくり、会場を沸かせた。


・古代出雲について語る梅原猛氏=出雲市駅南町、ビッグハート出雲
http://www.sanin-chuo.co.jp/photo/0605/5200900041.jpg

838 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:21:03
>>836
貴殿には悪いが、崇神が3世紀末から4世紀初にかけて行ったものじゃ。

839 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 22:28:28
2世紀末、近江から出雲に移った大物主は、
崇神時代に振根が殺されることにより消滅する。


840 :蒋門神:2010/06/07(月) 22:31:10
>>836
>纒向の開発は誰が最初ですか?

・・・ははあ、それで第X様式=纒向1類にこだわっておったのか。なんとなく貴殿の意図することの概要が掴めてきた気がするのう。
これはわからんが、当時の奈良盆地の弥生集落が衰退・消滅の方向に向かっておることを考えれば、地元勢力を当てはめるのが
常識的なのかもしれん。しかしこれは自生説といって否定的な見解も多い。畿内「ゆるやかな連合」説に立てば、四国や吉備の勢
力の影響下ということになろうが、まだまだ藪の中じゃろう。

841 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 22:39:29
見破った?


842 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 22:44:16
でもねえ
第X様式=纒向1類
第X様式と纒向1類の間には150年の時間が流れているんですけど。


843 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 22:48:34
大国主命の出自:高句麗から来た人。

1.大国主命の別名は大穴牟遅神(オオナムヂ 大国主神)

2.高句麗東大穴有り隧神(ナムシン 朝鮮語)を祀る(後漢書東夷伝より)

オオアナナムシン→オオナムヂに。



844 :蒋門神:2010/06/07(月) 22:52:13
>>842
そう、だから >>833レスで、 >第X様式の年代幅が広すぎるということにご不満があるのか。 と、あらかじめ書いておるのじゃ。
貴殿の意図を推察するなら、このような展開になることは、この縄文人にはすべて見通しであるから。ただし崇神没年の干支を
一巡り繰り下げるのは茨の道じゃろうて。(笑


845 :蒋門神:2010/06/07(月) 22:57:49
>>844
×縄文人  ○蒋門神

846 :ローガン:2010/06/07(月) 23:01:59
>>820
ははあ―早速のご託宣傷み入ります。神様。
私見など恐れ多くて… 「速い速度」と戴きましたが、どの位、例えば何世代とか教えていただきたく。
それと、転生される前のお名前や如何に? 縄?縦?

847 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 23:03:49
第X様式の年代幅はピタリですよ。
ホ30033 ツクシのタネコ モをおさめ ヨカミまつりて アウヱモロ カワチをかねて
おさめしむ ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも
サホコみな タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる

これが神武東征時で、近江伊勢遺跡の衰退辺りで、X様式が終わり纒向1類 が出現する。
近江伊勢遺跡の衰退は次世代纒向遺跡の勃興。
ついでに、唐古、鍵遺跡も近江伊勢遺跡の衰退と運命を共にする。
となれば、唐古、鍵遺跡は、ヤマトオオクニタマの都でしょう。


848 :蒋門神:2010/06/07(月) 23:08:14
>>846
だから、北部九州から移住した遺跡なら直の世代。その周辺で2世代程度かのう。西日本一帯に広まるまで4〜5世代程度ではないか。
関東以北はもっと遅れる。

縦目とかいう低脳学生ではない。縄文人という輩は優れたレスをするが、私とは別人だ。

849 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:10:18
>>842 ヨコ失礼します
>第X様式と纒向1類の間には150年の時間が流れているんですけど。

「弥生後期の土器であるX器の土器は、そもそも絶対量が他期間の土器より多い。
 ・・・詳しく製作技術や形態の変化を検討すると、X期の土器は数型式以上の変遷をたどることができ、
 変化の過程に長い年代の流れを認めることができる。」
(森岡秀人「年代論と邪馬台国論争」古代史の論点4)

じゃ、だめなんでしょうか?

850 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:16:05
携帯でよくがんばるねぇw

851 :蒋門神:2010/06/07(月) 23:19:11
>>849
>長い年代の流れを認めることができる。 もちろんよいと思うぞ。君はよく勉強してるなあ。これに不満があるという場合はおおかた
池上・曽根遺跡の年代年輪を根拠として、第W様式を短くし、第X様式を引き伸ばしたモデルについてのものだな。よく東遷厨が引き
合いに出す類の話じゃのう。

852 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 23:20:23
>>874 に書いたように、神武東征から崇神12年頃までに、150年の年月が流れる。

本当は、この数字を『縄文人』なる論者がどう切り刻むか?ここに注目した質問なんです。


853 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:21:01
>蒋門神
>青森県八戸市の遺跡まで到達するには中期前半までかかっておる

寺沢は遠賀川式が濃尾平野から東に行くにつれ希薄な分布になるのが
東北でまた濃厚な分布を示すことに触れて東北の物は大陸からの直輸入との考えを何処かで言っていたが
それは如何に?

まあ個人的には日本海側のルートで西日本もしくは北陸の物が伝播した可能性も想像しているがw

>これはある意味の東遷といってもよい。

東遷じゃなくて東進、言葉は性格に使おうなwwwww

>>846
縦=変態仮面に一票だなw


854 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:21:48
>>847
うーん、やっぱり唐松さん相手は難しい。とんだボケかましかも知んない。

>近江伊勢遺跡の衰退は次世代纒向遺跡の勃興。

「(滋賀県の野洲川や堺川流域では)後期の中頃には、酒寺遺跡から2.5km南に離れた堺川左岸に伊勢遺跡があらわれる。
 ここでは後期後半ごろに役目を終え、かわりに1.3km南西の下鈎遺跡に大型建物群が方形配置であらわれ、金属器も生産する。
 そして古墳時代になると2km北の下長遺跡に方形環溝ができ、中には大型建物が建つ。」

ヤケだもう。

855 :853:2010/06/07(月) 23:25:47
おっと、いけない調子に乗ってしまった…
これじゃあ「考古学」一般スレのような内容だな。

九州王朝説のアホどもが邪馬台国スレを古代史一般スレにするのと同じ穴の狢だwwww
反省wwwwwwww


856 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:30:48
>>849
以前から第X様式はそんなに長かったのかな。

857 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:33:45
>>852
>>874 に書いたように、

凄い事をやれるんだな。さすがはホツマ教。

>神武東征から崇神12年頃までに、150年の年月が流れる。

神武東征を2世紀末とすれば150年程のちは4世紀前半でぴったり・・・なんだが。


858 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:34:29
「正確」に書けよ>>853

 >言葉は性格に使おうなwwwww

859 :蒋門神:2010/06/07(月) 23:35:45
>>853
>東北の物は大陸からの直輸入  これはさすがに馬鹿げておるのではないか。土器形式を学んだ、で十分成り立つ話じゃ。
このソースは確認しておらんが、寺沢は時に突飛なことをいうからのう。

縦目とかいうものではない。やつの縄文人に対する態度は失礼千万、目に余る。

>東遷じゃなくて東進、言葉は性格に使おうなwwwww

遠賀川の頃の九州からの流れが、縄文晩期の東北地方の影響を掃き出していった。・・・これを象徴的に東遷という言葉で表して
おるのじゃ。


860 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 23:36:08
神武東征とは、神武以下少数の人間が動いたのでなく、畿内全体に入植した。

であるならば、その足跡が残る、それがX様式で説明出来る。
そして2世紀末に纒向遺跡の勃興。この裏に
近江伊勢遺跡や唐古の衰退がある。
書紀で言えば崇神からとなるが、大半は崇神=箸墓=250年±10年の論者が多い
するとここに60年近い空白が生まれてしまう、ここをどう埋めたら良いか?

この空白を蒋門神さんに埋めさせようと目論んだが…
池上・曽根遺跡(−50年)は、関係無い。これは、神武東征前に居た弥生人の遺跡である。
だから近江に入った大物主も大国宮を作り替えている。これは先人が居た証拠である。


861 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:37:10
>>853
北陸を見直してくれたようで何よりです^^

862 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/07(月) 23:37:13
神武東征は紀元前だな。

863 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/07(月) 23:40:03
男が出産したと言う奴の書きこみは信用が全然な〜い。

864 :ローガン:2010/06/07(月) 23:48:03
神様。スレ違いをふって申し訳ありません。
ただ、上に書かれた「遠賀川系」しかり、青森砂沢の石器に変化が見えない事、セットであるはずの大陸系磨製石器が見えない事…
「東遷」「東進」と考えるのはいかがなものか。 いや、言葉が過ぎました。神様。

865 :蒋門神:2010/06/07(月) 23:49:39
確かに考古スレになってしまったのは反省点じゃな。じゃが私は古代史の神、文献でもよいぞ。神話でもよいぞ。この縄文人は
どこへも逃げはせん。しかしもう夜は遅い。また明日じゃ。(笑

866 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/07(月) 23:51:08
景行も穴穂の宮を近江に持つ。
垂仁時代にはここを天日矛もこの方面
天日矛はツノガアラシトが任那建国で叙勲され名乗った。

>>857
残念だが崇神には歴史の合わせ場所がある。
崇神5,6年の記事は、新羅192,3年の記事と同等である。
だから2世紀末の纒向遺跡は崇神からと成る。

神武元年は西暦42年。書紀には700年の伸長がある。
これより圧縮すると世継ぎが出来ない、この状態でも安寧、懿徳を兄弟として得られる
最も短く見た場合である。


867 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/06/07(月) 23:57:38
「東征」とか「東遷」はなかったが、卑弥呼・台与の「西征」は日本古代史の真実です。

868 :蒋門神:2010/06/07(月) 23:58:05
>>864

いや弥生時代の近畿以西から東北への流れはともかく、近畿から亀ヶ岡式に代表される東北地方の影響が徐々に排除されて
いった時期は確実にあるのじゃよ。それは文化の流れだけではなく、九州からの人の流れを考慮しなくてはならんのじゃ。こんに
ゃろめ。

>>865
×縄文人  ○蒋門神

869 :日本@名無史さん:2010/06/07(月) 23:58:36
>>860
>近江伊勢遺跡や唐古の衰退がある。

だから、滋賀県じゃこの時期、国邑が次々と場所を変えて移動してるんですよ。
ついでに

「近畿の弥生土器編年は小林行雄氏が戦前に設定した唐古第一〜五様式が基礎となる。」

そうですよ。神武は唐古を乗っ取ったんですか?
(もはやヤケのヤンパチ)

870 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:00:37
蒋門神というのは「金瓶梅」で武松に殺された相撲取り。こんなの縄文人は知らないだろ。

871 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:00:39
>>867
ふむ、東海地方とは敵対したままということだな。

872 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/08(火) 00:01:17
崇神5,6年≠192,3年

873 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/08(火) 00:03:55
安寧と懿徳は兄弟ではな〜い。唐松山は紀物損壊の天津罪の常習者である。

874 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:05:03
>>870
今回はよく役づくりが出来ている。この調子で頼むよ。

875 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:12:11
メガネ君黙っちゃった。。

876 :神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/06/08(火) 00:12:54
>>871
尾張氏は卑弥呼・台与の同じ一族で親戚なのに敵対してるの?奇妙な話ですね。

877 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:36:00
>>849
以下は以前にもいった話だが…

森岡の第X様式の形式変化がそれまで精々二つと考えられてたものが
資料の増加によりそれ以上に変遷を認められる・・・と言うことに加えて

竪穴式住居の増改築の回数も多い事を挙げていたと思う。

この話が「邪馬台国」の何に関係するのかと言えば 

よくサイキバや東遷厨(恨)が言う
悪の秘密結社キナイセツが年輪年代によって年代遡上を目論んだなんていう陰謀論が基地外の戯言で
既に弥生後期の始まりが前倒しになるのは必然だったと言う話w

ただ開始時期が早まり長くなった第Xだが今後更に
庄内も開始時期が早まり長くなりその分”食われる”のではないかとも思う。

まあ素人の勝手な予想だがwww

そうなると、よく畿内説論者でも纏向がそれこそ
忽然と現れたかのような表現をする人間もいるが
それも変わってくるのではとw


878 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:43:53
なんか、アレだ
最近よく見る台湾工作員コピペ。
あれって、自分達がやってる手口そのものなんだろうね。
マッチポンプ。

畿内説と九州説もそれだよ。
>>877 このメガネもね。

879 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:45:36
>>877
土器の編年は伸縮自在でいいな。

880 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:49:56
× 悪の秘密結社キナイセツ

○ 業界ぐるみで公然と詐欺をはたらく畿内詐欺説

881 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:51:07
>>878
要するに、畿内説は論争を避けたいというだけの話だろう。
だから、マッチポンプなんて言葉で牽制しようとする。

882 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:53:59
>>881
私畿内説じゃないから^^

883 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:58:29
畿内説ジャナイって公言して恥ずかしくないのかね?

中学生か?


884 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:59:16
>>883
いみふ

885 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:00:03
>>877 誰も相手にしないから自演に精を出すしかないのね。

X期が出土量が多いとか言ってもね。
他地域とのすり合わせで考えると、X期だけ長くできないよ。

庄内式なんて出土地域が限定されていて、出土量も一部だけに偏っている上に、
他地域の変遷とのすり合わせで期間は長くできないという問題があるよね。
大和だけで庄内を細分化して長期化しても、その間他地域では80年ほど時間が
停止したことにするわけにもいかないのよね。

まあそんなのは無視するのが畿内説のお約束でしょうけど。

886 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:00:48
>>878
サイキックバカ = ジョーカーって台湾工作員なの?

これ、関西人の最底辺だと思うんだけど気持ち悪いよね

887 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:03:30
>>886
あほか。あんなんどう見ても中国人の工作コピペ。

888 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:10:32
>>887>>877

台湾工作員乙

889 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:12:24
>>888
そうかそうか

890 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:16:49
な〜んだサイキックバカ = ジョーカーって、関西人を装った台湾工作員だったのかよ
以外に半島の日本人隔離工作だったりして()笑

891 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:16:59
畿内説に都合の良いように、土器編年は自由自在。

892 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:23:53
中国・北チョンに都合のいいように、延々キャットファイトしてるだけ

893 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:26:06
なんだ、統一協会&朝鮮右翼の書き込みがふえたな。
さすが文鮮明の弟子ひろゆきの2chだけあるな。

894 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:26:59
>>893
そうかそうか

895 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:29:56
えっ?大森朝鮮人高利貸し、池田大作の差し金?

896 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:32:41
えっ?中国系でしょ?

897 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:46:03
で、サイキックバカ = ジョーカーは結局ナニ人なんだよw

898 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:51:22
しかしサイキバってとことん中身が無いなw
レスの中身も頭の中身もwww

台湾人とか朝鮮人とか草加とか…

結局ネット上で拾い集めたレベルの九州王朝説で
数行の一発ネタ書くのが限界のゴミクズwww




899 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:53:24
>>897
中国系渡来人じゃね?

900 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:55:59
>>899
●層関西人か生野キムチの成りすましじゃねーの?

901 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:58:27
どうなの?メガネ君

902 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:01:53
しかしここだけの話w

草加と畿内説と言うか特に纏向遺跡とは相性悪いんじゃないだろうか?w

三輪の近くにあって今日の神道にも繋がる部分と言うのはあるだろうしwwww






903 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:08:00
>>902
そんなの気にしないでしょ?
乗っ取ってしまえばこっちのもん、ってな感じでしょ?

904 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:08:19
>土器の編年は伸縮自在でいいな。

まあ一般論で言えば
資料が増えてくりゃ開始年代も遡って期間も長くなるのは必然だろうな。

「昔は〜」なんて言い出したら庄内も布留も無かったって話になるwwww

時の流れは無慈悲だwww
この板のトンデモ九州説はが救われる日があるのだろうか?

♪おお、神よ彼らを救いたまえ〜wwwwwwww


905 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:11:42
>>904
そうかそうか。
そんでまたぐだぐだ長レスして都合の悪いレスを押し流すわけか

906 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:13:26
>>904
足洗って楽になりなよ;;

907 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:14:07
>>903
>乗っ取ってしまえばこっちのもん

…ってこの日本をか?ガクブルAA略

※このスレをご覧の方へ
  >>902の「草加」とはおせんべいのことです。
  実在の人物・団体とは関係ありません。
  >>903のレスには一切関係ありませんエンガチョwwwww

908 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:37:33
池田大作(成太作)
1928年東京府荏原郡入新井町(いりあらいまち) 不入斗(いりやまず)百七十七番地
(現・大田区大森北二丁目十三番地)の朝鮮人部落にて海苔漁師をしていた
在日朝鮮人の父と、日本語すら話せない朝鮮人の母との間に生まれる。一説
では父親が外で女遊びをして設けた子で、母親との間に確執があったとも言
われているが定かではない。本名は成太作(ソン・テチャク)である。


909 :691=777:2010/06/08(火) 02:39:29
>>781
同感です。自分も倭奴国は北部九州にあったと考えます。
この時点で糸魚川のヒスイとを単純に結ぶ日本海ルートが海外交易の主軸かと。
国内勢力としては、瀬戸内・太平洋岸諸国の勢力もかなりあったと思いますが、
日本海沿岸勢力が海外交易の旨味から、これに拮抗もしくは上位にあったかと。

邪馬台国時代は、このパワーバランスが瀬戸内・太平洋岸諸国にシフトした、
或いは統合された画期と考えます。畿内は瀬戸内(河内)と太平洋(濃尾)を
結ぶ地政上の要地で、この統合には好都合。
古墳時代移行畿内が発展する点も説明できるかと。
ただ実現するには相当な綱引きがあったでしょうけど。

そして何れのルートが主軸になろうと北部九州の重要性はずっと変わらないと。

910 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:43:56
>>900
そうそう
被差別部落があった場所と、邪馬台国に属する国があった所が、かなり重なるんだよ
100年ものあいだ、真実が隠されてきたのはそのため

911 :691=777:2010/06/08(火) 03:20:13
ついでに銅鐸について漠然とした私論を。

銅鐸はクニが減った証拠かと(祭祀権の減少)。
中国の周代を見ると、極端に小さなクニが平和的な自立を許されていた
のが分かります。でも、こうしたクニはいつか服属を余儀なくされる。
本当は銅を溶かして再利用するのがエコだけど、何らかの理由で埋めた。
それが再起を誓うものか、魂が宿るとした宗教的理由かは分かりません。
ただ、そういった再編期が大きく分けて2度あったと。

その文化がなくなったのは政治的手法として大王が宗教を変えただけかと。
クニが統合され巨大化していく地方のオサたちも興味を失っていた。
銅鐸の巨大化も限界あるし、それより古墳の方が壮大で派手ですしね。
勿論、王権は変わった。そして、そこに政治的天才がいたんだろうと。
征服王朝によるものではなくて、「上手いことやった」。
そして、この天才が後ろ盾としていたのが卑弥呼とか台与だったかなと。

912 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 07:41:52
>その文化がなくなったのは政治的手法として大王が宗教を変えただけかと。

神道から仏教ですね。
早くても6世紀中葉〜。まずは北部九州に伝わり近畿へ。
仏教に帰依した大王が近畿へ東遷した。
唐書倭人伝にもあるじゃないですか。日本はもとは小国だったけど、
大きな倭国を併合したって。

913 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 07:47:56
×仏教に帰依した大王が近畿へ東遷した
○仏教に帰依した日本王が近畿へ東遷した

914 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 07:57:37
邪馬台国(九州内で滅亡)→倭の五王(大国主)→日本(仏教)
こんなとこかな。

915 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 08:10:39
【基地外の特徴】

論点をズラしまくる
妄想が激しく書いてもいないことを勝手に拡大解釈
やたらとwwwなどを使いたがり論理がメチャクチャ
痛いところを突かれるとサイキバ君と言っては逃げ、自分が不利になるとアホ馬鹿の連呼





916 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 08:30:35
昔見た映画(スハルト時代のインドネシアが舞台)で、
子供が死んだとき母親が大切な物(何だったか忘れた)を壊す(割る)という場面があった。
そのとき、銅鐸を割るというイメージが頭に浮かんだ。

銅鐸を割って埋めるというのは、宗教的な意味があったんだと思う。
なぜ、見る銅鐸から埋める銅鐸へと変わったのかはわからないが、
銅鐸が増えて、有り難味が薄れたのは間違いないと思う。

ちなみに、映画のタイトルは「危険な年」でメル・ギブソン主演、シガーニー・ウィーバー共演。
イスラム教のインドネシアに、呪術的な信仰があるのかはわからない。
単に監督か脚本家の思い付きなのだろうか?

917 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 08:33:25
>>915
>論点をズラしまくる
今あなたがやってること?

>>911
これもそうだね。
「政治的天才」だって。面白い言い方だね。
ワイロの使い方とか印象工作が上手ってことかな。

918 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 08:37:43
銅鐸は神道の祭器でしょ。
鈴の大きいもの、いちおう音は鳴るのかな、中子があるらしいから。
鈴は魔よけの意味もあったとか。
それを割ろうというのはそれを上回る宗教的信心がないとできそうもない。

919 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:02:27
【神輿(みこし)を壊すお祭り】
 「みこしまくり」長野県
 「あばれみこし」長野県、愛媛県
 「灘の喧嘩祭り」兵庫県姫路市

祭器を壊す行為それ自体が祭祀となりうる。

920 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:19:52
【左義長(さぎちょう)】
どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われる。
その年飾った門松や注連飾り(しめかざり)などを焼く。
出迎えた歳神を、焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。

921 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:25:33
メガネ君、こういうのは取り締まらなくていいの?
古代史でも考古学でもないじゃない

922 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:27:38
銅鐸を壊す祭りってのは考えられない。
鈴は魔よけだからね。
やはり神道を象徴するものを封印するおまじないかも、土に埋めたのは。
銅鏡が粉々に割られているのも人為的だから、やはり銅鏡の性格上、
神器というか、王権の象徴みたいなものなので、新しい王権が古い王権を封印するために
壊して回ったのかも。


923 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:29:16
もともと固定の面々は自分たちの世界だけの人たちなの
生暖かく見守ってネ

924 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:34:15
コテハンいないじゃん

925 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 09:52:08
庶民の間では神道に対する信仰心はなくならず、その後神仏習合していくんだよね。
あるいは並行に存在して。

926 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 10:08:40
なんにせよ、卑弥呼・台与・邪馬台国、銅鐸の消滅、前方後円墳の登場、ヤマト王権には
何らかの関係があると考えられるよね。
これらを結ぶ線となりうる考古学的な発見に期待するしかないわけだが、
天皇陵を発掘できない以上、望みは薄いのかなと思う。

927 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 10:27:53
卑弥呼・台与・邪馬台国は鬼道で神道の原型みたいなもの。
北部九州の古墳にはあまり銅鐸は出て来ないため、
銅鐸は近畿の大王の神道の象徴。この大王は邪馬台国を征服して東進し、
大きな国を作った(大国主)
その後仏教を携えた新政権(日の出づる処の天子=日本)が九州から東遷して、たいした争乱もなくのっとった。
こういうことかな。簡単にいうと。


928 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 10:43:10
出雲、因幡に大国主神話がよく知らないけどあるようなので、
出雲神話など出雲が発信地ということは近畿王朝はしばらく出雲にいて、それから
近畿に移ったのかなあ。それで大きな巨大古墳ばかりが大阪奈良には多いのだと思う。


929 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 10:54:06
時代区分すれば
邪馬台国2世紀初め〜3世紀後半〜4世紀初め頃まで
倭の大王(五王?)4世紀初め〜7世紀中葉
日本 7世紀中葉〜

930 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 10:56:17
記紀神話の大きな流れを言えば、南九州に降臨した天孫族が出雲を征服したと
いうところまでが神話時代のこととして語られている。
それから、神武以降の時代設定で、瀬戸内方面を東征、大和に至ったとある。
まあ、実際もそんなところなんじゃないかな。

931 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:07:01
今までの年代測定は全部白紙になおしたほうがいいよ。
記紀、近畿を中心にした歴史観だったからね。
マキムク信者さんたちには残念だけど、邪馬台国は九州にあったよ。

932 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:08:32
>>930
なるほど、神話を聞きかじってるだけだと、こういう誤解があるわけか。

まず、高天原が出雲を征服したのは、日向に降臨する前の話。
この時点で、「南九州に降臨した天孫族が出雲を征服した」という解釈は成り立たない。


933 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:15:02
>>931

背理法って知ってる?
もしも、九州に邪馬台国があったとしたら、いろいろ矛盾が噴出するんだよ。

まず、丹後は朝鮮半島と直接交易してたことはわかってる。
当然、出雲も朝鮮半島と直接交易してた。
そうした状況で、九州に来た使者は九州だけでなく出雲や丹後の様子も知ろうとするだろう。
魏志倭人伝には出雲や丹後の様子も書いてあるはずだ。
水行二十日の投馬国が、それにあたる。
すると、水行十日陸行1月の邪馬台国は投馬国の向こうにあるクニなので、大和国ということになる。




934 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:22:25
3世紀前半時代では九州北部沿岸から奈良までたったの2ヶ月では天がひっくり返っても行けないよ。
それも水行1ヶ月で大阪まで無理。方角も違うし。
近畿説の人ってなにかにとりつかれているみたい。

935 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:24:41
卑弥呼は、西暦180年頃に共立され、257年まで70年以上女王として君臨していた。

もし、卑弥呼が九州の女王だとしたら、その70年の治世の間、畿内とはなんの関係も持たなかったのか?
連合しようとか占領しようとかしなかったのか?
魏から親魏倭王と認定されても、九州と畿内は互いに関係なかったのか?
九州説がそう考えてるとしたら、それこそ理解し難い話。

さらに、東遷説に至っては、
卑弥呼が九州を70年間統治していて、畿内には無関心だったのに、
卑弥呼が死んだら急に「都を畿内に移そうと思った」とかいう、これまた理解し難いご都合主義的話。

結局、九州説というのは、2〜3世紀の日本列島の様子を俯瞰できてないってことだ。


936 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:29:53
>>935
考古学成果によって、3世紀の日本列島の姿がかなり明確になってきたからな。
九州説や東遷説というのは、それがわかる前の説だから。ついでに昔の畿内説も。

ここの板に異様に考古学を憎悪しているものがいるのは、過去の幻想を打ち砕くものだからだね。

937 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:40:33
>>933
>九州に来た使者は九州だけでなく出雲や丹後の様子も知ろうとするだろう。
>魏志倭人伝には出雲や丹後の様子も書いてあるはずだ。
倭人伝には倭国のことを書くだけだ。倭種の人が住むところの全てを書いている
わけではない。


938 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:41:13
>>935
中国史書を無視しすぎているよ。あなた方は。
そもそも出発点の時代設定が違いすぎる。
3世紀に近畿に王権があったとしたら、倭人の君長くらい。縄文人と混血したり征服したり、追いやったりしてね。
そんなに早く日本列島が渡来人に征服されていたら、北海道の合併など中世期にあったよ。
実際は明治初年だからね。
邪馬台国以降の話を近畿説は魏志倭人伝に重ねているからそういう勘違いをおこすのだし、
考古学的物証もそれに都合よく重ねているだけ。

939 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:45:50
>>932
神話として語られているところに、日向に降臨する前の話だなんてことを
言ってみたところで何になるんだ。この世に存在しない者が出雲を征服する
ことはない。南九州に根拠をおいた人々が出雲を征服した、神話はそれを
語っているんだよ。

940 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:49:40
>>935
>卑弥呼は、西暦180年頃に共立され、257年まで70年以上女王として君臨していた。
倭人伝には、そんなことは書いてないな。いいかげんな解釈をもとに考えてはだめだ
ってことだよ。


941 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 11:55:07
>>938
>そんなに早く日本列島が渡来人に征服されていたら

なにかこのあたりのことを、貴方は根本的に間違えているように思う。
縄文人=原日本人、弥生人=渡来人とかいう大昔のトンデモ説が念頭にあるのかな?

942 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:00:20
>>941
あなたはどのようにお考えですか?
こういう時はあなたの考えも出してくれないと先に進めないんだけど。

943 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:06:47
>>942
いや、まず>>938の主張の根拠が見えないのですよ。
1,2行目と3,4、5行目に繋がりがない。
なのに6,7行目で個人の主観をさも結論めいたような文調でまとめている。

つまり論理的に全く一貫性がないので、何か普通とは違う枠組みで考えているとしか思えない。
これではこちらの考えを述べても噛み合わないのは必至なので、まず質問しているわけですよ、議論に至る前提として。

944 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:16:01
>>918
>銅鐸は神道の祭器でしょ。

違いますね。

日本全国のあらゆる神社で、銅鐸祭祀など、全然やってません。

ところが日本の神社には、ある物が置かれている場合が多いです。

ある物とは、鏡です。

945 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:18:58
>>943
あなたがたの論理ってほんとに理解しづらいね。
近畿に邪馬台国があったっていっていたので、もしあったとしたら倭人の君長くらいだろうって話。
とても巨大古墳を作れるような財力も人員も動員できない。
倭人の国は環濠集落だからね。ちいさな邑単位。

人の意見の波生した部分だけを取り上げてレスしてくるので、こちらは混乱してしまう。

946 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:31:22
>>945
派生も何も、貴方が根拠としていること自体が明らかな間違いなので、なぜそんな間違いを前提に論を進めるのか不思議なのですよ。

>近畿に邪馬台国があったっていっていたので、もしあったとしたら倭人の君長くらいだろうって話。
>とても巨大古墳を作れるような財力も人員も動員できない。
>倭人の国は環濠集落だからね。ちいさな邑単位。

いったいこの中に、正しいことがひとつでもあるのですか?
主観や仮説ではなく、基本事実を把握していないか無視しているのかの問題です。

947 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:31:44
>>945

>近畿に邪馬台国があったっていっていたので、もしあったとしたら倭人の君長くらいだろうって話。

なんで君の主観を前提条件にしないといかんの?

948 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:38:41
>>938
>そんなに早く日本列島が渡来人に征服されていたら、北海道の合併など中世期にあったよ。

そもそも、この人はヤマト王権が渡来人の征服王朝だと思ってるんだろう。
最初から話はかみ合わないよ。
40年くらいアタマが古い。


949 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:41:13
>>948
いまどき騎馬民族説ですか・・・。やっぱりトンデモが前提じゃないですか。
そんな人から議論を求められても誰も相手にしませんよ。

950 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 12:54:03
ほんとに畿内説者って頭おかしんじゃないの?
奈良に環濠集落ってそもそも見つからないんだってね。

倭人と倭の五王は人種が違う。倭の五王は漢民族。これが近畿王朝の正体。
その後また政権交代はあるけれど。
倭人は百越人、DNA的にも異人種。

951 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:00:24
マキムク信者にとっては残念だけど、邪馬台国は九州にあったよ。
ごめんね〜。

952 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:04:15
そんなに偏狭な愛国心があるんだったらせいぜいアイヌ人を持ち上げていれば?
まあ、アイヌ人も今では純粋なアイヌはいないとか。

953 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:06:09
平日の昼間っから、創価の工作員がよくがんばってるね

954 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:08:00
>>950
「漢人」は漢民族じゃなくて満州族だねw

漢民族アピールしちゃって、正体バラしてどうすんのwwww

955 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:10:56
畿内説論者って邪馬台国の倭人は渡来人ではないとう認識なのかな?
いったいどうなのよ。

956 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:16:19
>>954
程度低すぎて相手にできないよ、ごめんね〜。

他の方に
漢民族は長安辺りにいた遊牧民で土着して農耕をはじめ国を拡大していった。
同じ地域にいた匈奴も実は人種的には漢民族の一派で夏后の子孫。
だから鮮卑、烏孫などもみな人種的には漢。

957 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:22:02
>>956
何レスしてんの?

言うに事欠いて、国を作った人はみんな「漢民族」ですか。
死ねばいいのに

958 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:24:47
>>957
ふたことめにはそれか・・・。
あなたがたはどういう人たち?
暴言を平気で書けるって。あなたの醜い顔が浮かぶようだよ。

959 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:27:32
>>958
たぶん馬鹿にははっきりと馬鹿だといえる人たちだと思いますよ。
で言われているほうは、自分が馬鹿だと気づいていない人。

960 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:28:04
匈奴が漢民族なわけないじゃん

http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
匈奴はY遺伝子ハプロタイプのN系統。

そこで匈奴が漢民族だとか言い出すって事は、
日本の国の始まりに匈奴が貢献したってのは理解してるんだね。

そうだよ、「ヤマト」は匈奴だよ。
滋賀・伊賀・奈良に、N系統がたくさんいるはず。

961 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:28:19
まあ、邪馬台国では、冬に生菜をたべているし、
海に沈没して海産物を採っているわけだから、
畿内では有り得ない、ということだけは確かだ。

962 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:29:13
>>958
つーか2chで暴言を咎めるとか、どこの世間知らずだって感じだわwww

963 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:29:52
漢人だってもとをたどればDNA的に突然変異したり進化したりして
そういう人種が生まれたんであって、世界中、いろいろな人種が生まれた。
だから人間愛という広い目を持って歴史を見られないのかなあ。


964 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:32:19
>>963
世界平和のために、事実をはっきりさせなきゃいけないね。
フランスまで行って迷惑かけてんでしょ?
ヨーロッパで自分達の手口が通用すると思ってるのが驚きだけど
そう勘違いさせ続けてしまった日本人にも責任がある。

965 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:32:55
>>962
こういう人たちはリアルで普段暴言はいているんだよ。
2chだけじゃないよ、きっと。
大人の社会じゃいちいち注意してもらえないから、ありがたいと思ったら?

966 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:34:10
>>963-964
何の話というか何の自演だこれは???
どこぞの新興宗教信者がまぎれこんだか?

967 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:34:39
>>961
倭人伝の行程からしたって畿内ではあり得ないってことは確かだよ。
九州以外を言うのはトンデモだ。たまたま、学者の中にトンデモがいたため
ほかのトンデモが大きな顔をしてトンデモを繰り返しているだけ。

968 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:35:36
>>964
意味不明だよ、悪いけど。
なにか宗教で洗脳されてる?君は。

969 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:36:57
>>965
おいおい、頭大丈夫か?????
なら大人の俺様がお前を注意してやるから、ご高説を賜りやがれ。

「お前に2ちゃんねるは無理だから帰れ」

970 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:37:38
>>968
創価学会はフランスでカルト認定を受けています^^
知ってるでしょ?

>>966
うん、この科学が発達した時代に、おかしな事いうよね>>963は。

971 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:39:34
ああ創価学会がまぎれこんでるのかYO!

972 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:44:01
>>969
アフォだなあ、最低限言ってはいけないことってあるんだよ。
2ちゃんねるだからって暴言はき放題の野放し、無法状態だったら、
2ちゃんは無くなるよ、そのうち。あなた方の命の次に大事な2ちゃんが。
まあ、同じようなもの作ればいいんだろうけど。

973 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:44:57
>>971
そう、で、唐・新羅から密入国した連中。
満州系の蘇我氏を暗殺して、分断工作やデマやきもい目つきの脅しで政治に巣くった。
だから鮮卑・朝鮮の血が濃い九州に、日本の起源を持って行きたがってるというわけ

974 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:46:58
次スレ、頼む!
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 74


           ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 73
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1275326879/


975 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/08(火) 13:55:00
>>935
卑弥呼の国は外界と隔絶した地域にあったのだろう。同国の周囲とはさすが
に少しばかり交渉があって交易戦争等の融和葛藤があっただろうが、これ
くらいであり、九州の中でも奥九州あたりが最も同国が存在した可能性
が強いと思える。こんなことで交渉もあまりなくさらに遠隔の畿内なんか
当時は遠い遠い外国であって、双方の連絡性は薄く、このため伝の借り物
以外、紀に女王国の記述はない。なお東遷など勢力が畿内ほどはなくて、
ありえない。

976 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 13:57:48
>>950
>奈良に環濠集落ってそもそも見つからないんだってね。

唐古・鍵は環濠集落じゃなかったっけ?



977 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 14:03:50
>>976
いやそもそも環濠集落の意味がわかってないっぽい

978 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 15:30:38
集落以前に、住居跡がない

979 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 15:47:53
だいたい、遺跡が残るのは片田舎だろ
住居跡なんて浅い層は、とっくに消えてるよ

980 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 15:55:06
>>976
唐古・鍵は一応、環濠集落といわれる。吉野ケ里も環濠集落。
なんだ同じじゃないかと思われがちだが、実態は違うんじゃないかな。

吉野ケ里の場合は、厳重な防御施設であり、唐古・鍵の場合は単なる洪水対策の
ように思うのだが。

981 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:09:51
>>974
駄目だった。スレ立て規制は相変わらず厳しいな。

982 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:16:15
「住居跡だけ浅い層」とは、新手の畿内詐欺説だな。

983 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:18:15
>>981
立った!クララが立ったよ!

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 74
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1275981440/

984 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:18:16
>>981
こっちも駄目だった。
書き込み規制はp2で回避してもスレ立て規制にはかかってしまう。


985 :ローガン:2010/06/08(火) 16:18:18
話を邪馬台国に戻す。
卑弥呼の墓の記述「卑弥呼以死大作冢徑百餘歩」 正始八年以降に張政等が来倭した際の記事である事は云うまでもない。
「卑弥呼は既に死んでおり、差し渡し150m程の墓を造る」という意味である。
さて、中国において墳墓の規模を記す際には、高さが最重要事項であるといえる。にもかかわらず、魏志倭人伝ではその規模に言及しているのに、肝心の高さには触れていない。
つまり、張政等は完成時の高さが わからなかったのではないだろうか?
大作冢ゆえ、作冢の活況は目の当たりにしたが、完成までは留まらなかった。張政等は臺與が王になってから来倭し、その滞在はごく短期間であったものと思われる。
張政等は墓の大きさは記録したが、その高さには触れていない…という事は卑弥呼の墓とは、築造途中では高さが把握しづらい構造、工程を持つものである。
しかも、それが150mもの規模である事を加味すれば、前方後円墳と考えざるを得ない。


986 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:25:43
>>983
ハイジ乙

987 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 16:40:05
>>985
しかし、殉葬者が奴婢、百余人とあるから、もう完成していたと思う。
完成していないのに殉葬者はおかしいから。

988 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 17:57:41
ずいぶん大きい一歩ですね。
一里は何メートルですか。

989 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:19:00
×「卑弥呼は既に死んでおり、差し渡し150m程の墓を造る」という意味である。

○「卑弥呼は既に死んでおり、差し渡し25m程の墓ができていた」という意味である。

990 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:20:54
ある程度、薄葬を守っているから、即席の土盛りが低い墓だろう。

991 :ローガン:2010/06/08(火) 18:29:54
>>987
葬儀の記述が無いので推測ですが、既に殉死していたと思う。 白骨化→再葬を待つ間の記述ではなかろうか?

>>988
大きいも小さいも無いでしょう。度なんだから。1.4m強

992 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:29:57
>>944
それは面白いと思う。銅鐸は、祭祀の形態としても残っていない。
記紀にも残っていない。
完全に消え去った文化といえるだろうな。

993 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:37:05
箸墓に合わせて、卑弥呼の墓の大きさを断定する畿内詐欺説だなあ>>985
箸墓によって魏志倭人伝の度量衡を決める詐欺。

994 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:46:29
100歩150メートルだと
一里が500メートル以上になるな。

帯方群から万二千里でオーストラリアまで行けるぞ。

995 :ローガン:2010/06/08(火) 18:50:48
>>993
>箸墓によって魏志倭人伝の度量衡を決める詐欺。

しっかりしてね。 三国志の中の魏書。その中の東夷伝。しかもその末尾だけにのみ、通用する度量衡があるって意味かなあ?
「魏代の度量衡」の書き間違いじゃない?

996 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 18:51:45
ローガンの家には、箸墓尺があるんだろう。
畿内説に都合で、伸びたり縮んだり、自由自在。

997 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 19:03:05
箸墓卑弥呼説が出た最初に時点では、
 「本当は円墳」
 「初期だから周濠はない」
というようなことが言われていたけど、まあ間違いだった。

998 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 19:05:18
箸墓に立派な周濠がある時点で箸墓を古く見るのも限界がある。

999 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 19:07:43
もうすぐこのスレの箸の墓場


1000 :日本@名無史さん:2010/06/08(火) 19:08:45
只今、卑弥呼と刻んだ青銅器を埋めています。畿内説のみなさん、今しばらくお待ちください。
                                                     by ゴッドハンド

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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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