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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 75

1 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 11:34:24

       _,,-<">">-、-,
     ,-<,レ< x > +>"`ヽ/ヽ,-,,
     トーi- >。ノく。:>< >'~-- /,-,
     / >:::o:/":。/< +>o:<_-,,i, ヽ
     ~"'-""`-,< ::。:< :::。:>o:: >--'
   ,,-''"/< :::o:: >/⌒`^>ヽ"''--">>
  / .: ""'-,,,/ヽ_::o:: >::゚: /--',,,i
  < .:      /ーヽ___/:'::.: ̄  ヽ
 /.    _,,,/   /i:::::::  :.    i
 '~~ '´~ ̄     i.l ヽ_,    :.  i
           |l   "---,,,,,:,__i
           i.|
            |.|

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!

 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

■前スレ ♪邪馬台国 ドンと来い♪ 74
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1275981440/


2 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 11:46:39
>>1

2げと!

3 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 12:05:48
倭人伝に書かれている丹はベンガラで、「其山有丹」のその山とは阿蘇の
ことだろう。倭人伝には、「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」とある。
倭では丹を体に塗っていた。中国でいうところの化粧の粉のようなものとある。

こういうのは、無害なベンガラに決まっている。水銀朱なんかを塗っていたら、
死んでしまう。

4 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 12:32:21
>>3
全く其の通りだな。
魏は水銀丹の産地にわざわざ真朱(水銀朱)を与えたりしないだろう
魏から倭に真朱(水銀朱)が贈られていることからも
倭の丹はベンガラのことだろう。

5 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 13:12:47
おや、独り言かい?さみしいのう

6 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 14:14:33
九州は装飾古墳でも大量にベンガラが使われている。
九州におけるベンガラ丹利用は、いわば伝統と言ってよい。

7 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 14:16:50
金印や蚕・絹・蛤・鉄鏃・冬場の生菜食など、符合するのは九州だけだ。

8 :口上師:2010/06/13(日) 14:26:55
このスレは日本史板の中でも最も、低学歴者、未成年者、非・反社会的傾向を持つもの・精神病および発達障害者の群れ集う場所
です。ここに新しくレスされる方は十分にお気をつけください。ここは日本史板の中のいわば隔離スレであり、不用意な書き込みは、
罵倒や中傷の対象になるおそれがあります。また、醜い自演や不愉快な工作が随時行われており、他人のハンドルを使用しての偽
レスなどは日常茶飯事です。ここは歴板のゴミタ溜めであり、むき出しのエゴや固執、病的言辞に溢れています。




9 :口上師:2010/06/13(日) 14:39:21
このスレのナビゲートを続けます。要注意人物としては、通称「 www」 で表される名無史がいます。別名を「ジョーカー」「ミラーマン
(草w を植える=植草から)」「サイキック・バカ」などとも呼ばれる彼は畿内説です。能力的には、考古学はよく勉強していますが、
所詮は素人の域を出ませんし、それは自分でも認めているようです。文献はやや暗いものの、相対的な教養はあるようです。彼は
九州説のレスを常に待ち、捏造や欺瞞、誤謬や不勉強を見かけるとそこを突いて嫌味に反論するという、いわば待ち伏せ方の論者
です。自説を主張することはあまりありませんが、よく考古学者の唱えるような一般的な畿内説であると自分で語っています。

10 :口上師:2010/06/13(日) 14:54:16
次に注意すべき人物としては「太国」と名乗るコテハンがいます。彼はおそらく九州説なのでしょうが、邪馬台国論争についての関心
はほとんどありません。彼の目的は古代日本で採用されていたという倍歴(三倍歴含む)を用いて、記紀の年代を加工することです。
吉永小百合の好きな人のいい老人なのですが、一たび倍歴や記紀の信憑性への疑義がレスされるや、超絶罵倒マシーンに変身し
ます。下ネタもまったく厭いません。彼は古神道の大家であり、天津金木を用いた卜占術に習熟していると自分で述べています。また、
唐松山(後述)とのエンドレス論争でも有名ですが、多くの場合これはスレ違いであり話の流れを分断します。

11 :口上師:2010/06/13(日) 15:02:49
10訂正 倍歴、三倍歴→倍暦、三倍暦

続いて紹介するのは「唐松山」です。彼は卑弥呼と邪馬台国が別々の地に存したというアクロバチックな説のようですが、やはり「太国」
同様スレタイの論争には関心がないようです。彼は記紀の干支を西暦に直すことを主目的として活動していますが、その手段の一つと
して一般的には偽書とされる「秀真伝」を援用します。もはやスレの古株であるので、彼の歴史に対する見解の多くは無視されますが、
ほとんどめげる様子はありません。彼は穏やかな人格であり、質問にはたいがい答えてくれますが、まったく役にはたちません。「太国」
との論争ははた迷惑のかぎりです。

12 :サイキバの軌跡w :2010/06/13(日) 15:07:29
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576
それと・・・
 「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w

590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww

595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)



13 :口上師:2010/06/13(日) 15:14:54
さらに最も注意すべき人物として「美濃もん太」を取りあげます。彼は邪馬台国は7世紀頃に存在した国としていたようでしたが、筆者も
きちんと理解できているかの自信はありません。いずれまともな論争に関心がないのは前述の二人と同様です。彼のレスの内容の特徴
として、時代・場所の混乱、美濃に対する郷土?愛、恐竜ー人類同時生存説などのムー的事象への強い興味などがあげられるでしょう。
また携帯からの異常な速度と量の書き込みを矢継ぎ早に繰り返すため、それまでの話の流れは完全におシャカになり、その後の十数時
間が彼のレスで埋め尽くされる場合もあります。また、彼のレスは他とのやりとりはなく、基本的に自分の考えの羅列であり、コミュニケー
ション障害が疑われます。専用隔離スレもありますが、人の多いこちらのスレに立ち寄ることが予想されます。彼の出現したスレが彼のレ
スにより徹底的に蹂躙される様は、まさに「ゴジラ」を見る思いですが、最近その出現の頻度は減っています。

14 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 15:19:36
>口上師

あと「縄文人」「恨み節東遷厨」「サイキバ」もよろしくw



15 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 15:25:14
>口上師

最後に口上師こと縦目仮面の自己紹介もヨロ
いや自演を責めてるんじゃなくて、面白いから是非って意味でね

16 :口上師:2010/06/13(日) 15:35:30
「縄文人」・・・彼は弥生時代の大和盆地水没説というセンセーショナルな論題でデビューを飾りましたが、今では見る影もなく、他の
九州説にも相手にされる様子はありません。説としては伊都国を前原としない、古いタイプの九州説のようです。これまで「卑狗模古」
をはじめとする複数コテを用いてさまざまな奇異の説を唱えてきましたが、その手法に憤慨したスレ住人(おそらく「縦目仮面」(後述))
により、「初老教授」などの捨コテを文体模写で乗っ取られるという逆襲を受けていますが、同情されることもないようです。レスの特徴
としては、非常識かつ無根拠の大風呂敷なものが多く、当然穴だらけであるため厳しい反論を受けます。また、用いる語彙は歴史用語
としては違和感のあるものが多く、歴史的事実に対する明らかな間違いも散見されます。これは彼が無学・無教養と揶揄されるゆえん
です。また、一時期「伊作」氏との同一人物説も流布しましたが、違うようです。

17 :口上師:2010/06/13(日) 15:49:21
「縦目仮面」・・・(なにか誤解があるようですが筆者はこの人ではありません)現役大学生・剣道部と自称していますが、この経歴に
疑念を呈する向きもあります。ただし筆者が「オカルト」や「伝統武術」板を調査した限りでは、この自称は一貫しています。はじめは
真面目学生風のレス内容でしたが、実はたいへん人が悪く、数回「改め」氏に対する総叩きを計画・実行しています。また最近では、
名無史や捨コテを用いての「縄文人」攻撃を主眼としてレスしているようです。説自体はごく一般的な畿内説です。コピペ系も多いの
ですが、マジレスの内容は根拠があります。

18 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 15:57:23
わたしたち九州説悪魔超人は軟弱な畿内説どもに比べて
鍛え方が違う!
精魂が違う!
理想が違う!
決意が違う!


19 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 15:58:35
798 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:20:35
このスレもキャラ立ってるひと多いから、九州説王位決定戦とかやればいいのにw

次々と仮面(ハンドル)を代えるテクニシャン、九州説ゼブラ縄文人

何と言われようが我が道を行く、九州説マリポーササガミハラハラ

人の意見は気にしない俺が書けたらそれでいい、九州説ビッグボディ美濃もん太

俺だけが素直に読んでいるから正しいのだ、九州説フェニックス日向厨

卑怯・反則こそが信条、脳内で勝てばそれでいい、九州説ソルジャーサイキバ

20 :口上師:2010/06/13(日) 15:59:06
「サイキバ」・・・最近登場した九州王朝説のようです。>>12にある「サイキバ」と同一人物であるかは不明ですが、畿内説およびこの
スレの畿内説各氏に強い恨みを抱いているところを見る限りはそうなのかもしれません。5月の大型連休前に現れたのですが、ほぼ
一日中レスを続けることのできる、けっこうな身分であることは間違いないでしょう。泣いている家族がいるかどうかはわかりませんが、
「畿内説詐欺」を繰り返す様は、精神障害または、少なくともある種の発達障害が疑われています。彼は他の九州説と連携することも
なく、常に孤独な心の叫びを繰り返しています。レス内容は稚拙で、残念ながら有用な示唆や新しい論点はまったくありません。


21 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 16:08:30
畿内説の連中は、定期的に壊れるなあ

22 :口上師:2010/06/13(日) 16:13:32
「東遷厨」・・・これは複数いるようです。安本本を元ネタにした東遷論争を繰り返す「恨み節」、南九州にこだわる、いわゆる「日向東遷厨」
他。この人たちの下ネタは銅鐸廃棄、三種の神器など限られているため、またそれ以上の説の進展がないため、スレのループの主要因
となっているというむきもあります。いずれにしても古色蒼然とした印象を振り撒きます。
この他「ローガン」畿内説、「サガミ」九州説、「二」九州説、「水銀厨」畿内説など、レス量の少ない、あるいは主張の穏健な比較的無害な
コテ連もおります。

このような常軌を逸した住人がくんずほぐれつを繰り返すこのスレはまさに、場末2chの吹き溜まり。漫画「コブラ」に登場するあぶれ者
だらけの宇宙酒場を彷彿とさせます。危険ですが、あなたがちょっとした目利きができれば、重要な示唆が得られるかもしれません。
注意「このスレに入るもの、すべての希望を捨てよ」ダンテ「神曲」より


23 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 16:29:03
>>4だけどオレは>>3>>6>>7>>21とは別人だよ。

24 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 16:39:28
>>3だけど、他に書き込みはしていない。

25 :労作保存委員会:2010/06/13(日) 16:52:55
スレ馬鹿五人男@
問われて名のるもおこがましいが、知らざあいって聞かせやしょう。
生まれ持ったる法力は、金木・算木の古神道。倍暦なくては夜も日も明けぬ。
粘着上等、放言上等、罵倒自慢の「倍暦 太国」

スレ馬鹿五人男A
さてその次に控えしは、異様な呪文を操れる、心優しき魔法使い。
仇敵太国に罵倒じゃ負けるが、不思議な存在人後に落ちぬ。
マシに賭けたるこの命、ホツマ遣いの 「唐松山」

スレ馬鹿五人男B
続いて次に控えしは、古くからいる住人で、名無史で書いてはいるものの、
知らぬ者なき東遷厨。昔はよかった恨み節、良かりしあの日に帰りたい。
怨念、怨念、また怨念。万年ループの「東遷厨」

スレ馬鹿五人男C
またその次に連なるは、生まれ持ったる非才にて、さらに無学で無教養。
押しは強いが根拠にゃ弱い。厚顔無恥とはこのことだ。笑われ嫌われ
蔑まれ、多コテを用いて暴れるは、弥生大和湖 「縄文人」

スレ馬鹿五人男D
さてどん尻に控えしは、新参者ではあるものの、一日ひがなのレス三昧。
二言目には詐欺連呼、こんなレスしか書けぬのも中身がないから仕方ない。
ネット依存のひきこもり、はたまた真性アスペ君?その名も高き「サイキバ」見参!


これぞスレ馬鹿五人男!! いよ〜つ、ポン、ポン、ポン・・・。

26 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:14:43
どうして、日本の歴史を論じるのに、他国の魏志倭人伝を信じすぎるのかわからんわ、
日本人なら、記紀を尊重しろと。
ウヨクといわれようがなんだろうが、
自国の古文書を否定する歴史観を採用する国なんてねーよ。日本だけだろ。魏志倭人伝をありがたがるのは。

記紀で書かれてることは、神武東征は起源前。
景行天皇が九州を平定した。
考古学上も、それで何も矛盾は無い。

東遷説を主張してるやつは、倭人はずっと中国の臣下だったことにしておきたい売国奴だから気をつけろよ。
未来に向けても、中国が利するだけで、日本には何の得にもならない話だからな。




27 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:26:17
>>26
それは心配いらん。今の大和民族は倭系じゃないと来る筈だ。

28 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:27:13
>>19
九州説王位決定戦など実施したら、間違いなく河童が復活してくるんじゃね?

29 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:32:12
>>19
九州説王位決定戦なんてしたら、また河童が復活してくる

30 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 17:32:14
>>26
ここで本当のことを云うと嫌われるよ。
嫌われる理由を考えた。
@倭国乱は崇神時代である。←これに異を唱えると嫌われる。
なぜか?
崇神時代を纒向遺跡2世紀末に合わせた場合。
神功時代も遡上する。←これが許せないことになる。
現在のママだと、神功元年は340年前後ですか、さすれば、神功紀は歴史に合わないデタラメと出来る。

つまり半島に威を張ったなどは、ねつ造であり。
倭国は常に百済から文化を受容して存在出来た。となる。

この思考を死守するためには、卑弥呼=崇神世を死守する。

そうですよね、皆さん。


31 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:33:22
河童の復活なんてやだよ〜 怖いよ〜

32 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 17:37:50
>>26
3世紀の歴史を論じるのに、8世紀に書かれた記紀では役にたたない。
文献がないと考古学では歴史までは分からない。
残念ながら魏志倭人伝など中国資料に頼る他ない。

33 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 17:50:37
ラヂオ氏曰く *AD370年- AD318年= 52年偏差.
*千熊長彦(チォンウングザングオン)は百済と倭の間を行き交いながら使臣役目をした人で, 383年の人というのを憶えておきます.

[1409] 千熊長彦, 383年の 人. Name:radio2010/06/04(金) 17:38 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソン
グシンゼギ) 7年, AD383年.
七年 正月 行水羊祭 光臣伊伐〓 白花稟主 7年(AD383年) 1月, 水羊(修養, 癸未, AD383年)祭(私
の)を行った. 光臣(狂信)を 伊伐〓(イボルチァン)で, 白花(百貨)を 稟主(稟奏)にした.

三月 夫余流民三十戸又来降 夫余与倭相通 年年受其民 散置都鄙 倭臣熊彦美而善弁 与阿□相通
多聴其言 故国人異反 或帰于我 亦帰于麗 休礼太后生長?子勿? 始立戸口典 禁民子母相婚
3月, 夫余の 流民30戸がまた 来降した. 夫余と 倭が 相通(上通)したら, 毎年その民たちを
受けて, 都邑と田舍に 散置させた. 倭の臣下 熊彦(ウングオ
ン)はハンサムだ言葉がお上手で, 阿□(子供)と 相通(上通)したら, 彼の言葉にたくさん従った. そ
れで 国人(お吸物である)らは 異反(離反)して, あるいは私たちに, あるいは高句麗に帰属した. 休
礼太后(ヒュリェテフ)は 長?(ザングフン)の息子 勿?(ムルフン)を生んだ

323年癸未 神功49年などと読むと、神功紀は正しいとしなくてはなりませんので。
千熊長彦の登場は成る可く遅くなるようにして下さい。
さすれば、卑弥呼=崇神世は安泰です。



34 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 17:59:27
>>32
書紀の記事を正しい年代に合わせれば、正しい歴史が解る。

千熊長彦が323年なら、百済建国に大きくかかわった。
これでは、百済から教えて貰ったことに出来ない。
だから、書紀は,なるべく遅くなるように読みなさい←これが敗戦国日本のつとめです。


35 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:05:51
>>8 以降の
「口上師」は話がうまいね。
よく観察してるなあ。


36 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:20:28
>>35
自画自賛

37 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:21:59
>>32

魏志倭人伝には、邪馬台国が東遷したなどとは書いてないからな。



38 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:23:50
>>26
>神武東征は起源前

毎回同じ間違い(誤字)をするな。みっともない。

39 :sss:2010/06/13(日) 18:45:52
>>26
ここは邪馬台国スレだからね。
記紀には邪馬台国も卑弥呼も登場しない。邪馬台国研究で、倭人伝が般若心経
のような立場であることは確か。それを理解しない人も多いが。

それに、記紀については年代が明確でない。
記紀の年代を倭人伝とすり合わせようとしても、それぞれの意見があって
なかなか出来ない。

すり合わせが出来れば、限られた年代しか書かれていない倭人伝を記紀が
補完できるのだが。

個人的には、卑弥呼=天照大神+台与。

いろいろ言われているようなので、コテハン復活といくかな。

40 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:47:37
>>37 魏の時代以降に東遷したのであれば、
魏志倭人伝には載らない

41 :sss:2010/06/13(日) 18:47:45
>>39
間違えた。
天照大神=卑弥呼+台与

42 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 18:48:08
>いろいろ言われているようなので、コテハン復活といくかな。

いろいろ下準備の自演してただろ。ww


43 :sss:2010/06/13(日) 18:57:26
>>42
自演なんて言葉は、My dictionaryにはないな。

44 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:04:03
>>42

コテを引っ張るコテがいないから
無理じゃね
以前みたいに改めや河童みたいにスレを回せるコテがいないからな

45 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:06:31
>>44
あれは回してたんじゃなく、かき回していたかもしくは輪姦していたようなもの。
いなくなって良かった筆頭の連中だわ。

46 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:08:23
縦目は策を使いすぎるから、策に溺れすぎてしまい
スレを引っ張るという器量はない。

47 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 19:12:11
>>39
書紀によれば、纒向は2世紀末となる。

これでは、後の時代まで遡上させる必要が起こる。
もし百済建国に倭人が関与した。←これは受け入れられない。
今のまま、百済から文化を受容した。で宜しい。


48 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:12:25
>>26
プゲラ

49 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:20:48
>>45
俺はああいう濃いキャラが好きだな。
2チャンらしいというか


まさか2チャンで真剣に古代史やろうなんて考えている奴なんかいないのだから、
あのくらい砕けた奴の方が楽しいし、なんと言っても賑やかになる。


50 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:24:00
そもそも特定のコテに引っ張られて回るスレと言うのは
何れそのコテがいなくなると廃れる。

その前にそのメインのコテのカラーにスレが染まり
住人が偏ってしまい傍から見れば「仲良しゴッコサークル」になりがち

ドツボや河童がメインでスレを回していた頃の終止符スレを懐かしむ奴は
自分達で終止符スレを回せば良い。

「暗号解読ゴッコ」メインの九州説がそこに集まって
少しは住み分けが進むなら大歓迎だwwwwwwwww

もっとも畿内説に噛み付くことしかできない馬鹿は
しつこく付きまとってくるんだろうがw

まあ「九州王朝説」は元々畿内説と言うより通説の歴史に
異を唱える事から始まる言わば寄生虫みたいな物だがw

51 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:24:16
>>41

>天照大神=卑弥呼+台与

すると、おまえは、
日本神話の起源は、3世紀より前ではないと言いたいわけだな?

縄文時代から倭人が日本で暮らしていたのに、
日本神話の歴史は、3世紀から始まってると言いたいわけか。

中国は4千年の歴史、韓国は5千年の歴史を誇っている。
ウソかどうかなんてのは、関係ない。

邪馬台国九州説を強弁したいがために、
自国の神話を、なぜわざわざ2千年に満たないようにまで矮小化したいのか?
愚かしいとは思わないのか?


しかも、天照大神が、魏に朝貢したという設定だろ?
いったい、それで誰が得をするのかな?




52 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:32:20
>>50
改めさんは行方知れずですが、河童さんらしき人ならアホーの株式掲示板に
いるので、彼が河童さんなら
古代史の掲示板には寄り付かないと思います。
だから今いるコテが固定メンバーでしょう。


53 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 19:33:36
>>51
だいじょうぶだ>>41君も含め、倭乱が崇神以前なら
倭国は半島や百済から全ての文化を受容した。

に変更は起きないから。


54 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:35:03
>口上師
いやー面白かったです。

ところで、淡路島を中心とした環東部瀬戸内海説(畿内、吉備、阿波を含む、詳細は忘れた)を唱えている人がいませんでしたか?
2chじゃなかったかな?
確か、水銀厨さんだったような気がするんですが、間違いなら申し訳ない。

55 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:46:49
>>41

sss氏って、かなり昔に常駐してた東遷厨だよな?

老教授に論破されて泣く泣く名無しになったんじゃなかったっけ?

56 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:53:36
>>51
記紀が8世紀に書かれたんだから日本神話の起源は8世紀だろ。
縄文時代以前から倭人は日本で暮らしていた
しかし8世紀に記紀が創られ日本神話も創られた。
日本には長い歴史があるが日本神話は途中で創られたものにすぎない。

57 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 19:57:17
>>56
それなら、神武東征も天照大神も8世紀の創作だから、
邪馬台国とは何の関係もないってことだな。


58 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:03:48
そうだ。

59 :水銀厨:2010/06/13(日) 20:28:50
>>54
多分私です。吉備から阿波、河内、大和を含む瀬戸内東部周辺説ですから。
70000戸という戸数からするとそれ位必要という事です。

60 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:44:56
>>51
>ウソかどうかなんてのは、関係ない

歴史を語る資格なし

61 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:52:37
>>60
アンタに資格云々を付与する権利があるのか?

62 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:54:28
>>56
ええと、持統天皇は架空の人物だという説ですか?

63 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 20:58:53
なまじっか日本史なんて知恵を付けると、あたかも自分が時の指導者か殿様にでも
思えてくるのかな

ほとんど病気だな

64 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:00:46
持統天皇のモデルとなった人物はいただろうが日本書紀の記事が真実かな?


65 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:04:24
>>64

それを言い出したら、昭和天皇も実在したか怪しくなるな。
今は記録映像もCG加工でどうにでもなるしな。


66 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:11:42
>>64の書き込みも、たぶん架空の出来事だと思う。

67 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:26:17
記紀は当時の日本の国際的立場と大和朝廷
の正当性を確保しつつ万世一系を主張した
ものだから、史実というには無理がある。
金印が本物なら倭奴国との継続性は無くな
るけど、そこにも色気を出しているしね。



68 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:26:50
昭和天皇と同時代に生きた人がまだいて実際を示す多くの証拠があるが
日本書紀の記事には裏づけとなる証拠に乏しい。

69 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:40:18
>>67
>万世一系を主張

良く読むと、神武が「天基を草創」しちゃったり、天武が新たにそれを引き継ぐ宣言をしちゃったり、
全然、万世一系になっていない。

70 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:43:54
>>22口上師へ

もう一人、紹介を忘れてるよ。
例の「トヨタン・・・」厨くん。w

71 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 21:46:35
>>67

そういや、九州の風土記にもイト国は出てこないな。

邪馬台国がイト国を滅ぼしたからだろう。


72 :sss:2010/06/13(日) 22:16:15
>>51
中国の場合は夏王朝だろうが、紀元前2000年頃にあったかもしれない。
しかし、朝鮮半島は、新羅・百済の建国である4世紀あたりが始まりだろう。
それまでは部族社会。5000年の歴史はありえないな。

日本の場合は、西暦107年に後漢に朝貢した帥升が、後漢から倭国王と
呼ばれていて、かなり重要だろうと思うのだが、この痕跡が記紀に残って
いるかどうか。

残念ながら、日本には文字のハンデがある。歴史はあっても、記録が残って
いないということがある。例えば、吉野ヶ里遺跡のことは肥前風土記にも
残っていないだろう。

記録あるいは伝承が残っていたのが、3世紀あたりからということ。

天照大神が魏に朝貢したのが事実ならそれでもいいと思う。
倭の五王だって、一応朝貢しているわけだし。

73 :sss:2010/06/13(日) 22:20:40
>>55
老教授に論破された覚えはないなあ。

74 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 22:30:47
>>68
時代を間違えれば合わないのが当たり前
書紀の記事の合わせ目
192,3年 崇神5,6年と新羅本紀
239〜240年 垂仁末〜景行元年
273年 日食は 神功元年に差し込み。
323年 神功49年 癸未年千熊長彦=百済王記?
326年 七支刀

この数字が太陰暦で合わせられる数字である。


75 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 22:32:05
百済建国は、323年である。


76 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 22:33:56
書記の時代合わせをいくらしても、書記を書いた目的がわからなければ意味がない。

77 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 22:43:56
>>52
それを聞いて安堵した。
彼は別に悪い奴じゃないんだが、彼が絡むと話が複雑になるからww

78 :口上師:2010/06/13(日) 22:47:31
>>70
「トヨタン・・・。」の人は、おそらくかなり古代史できる人だと思います。だいたい当たりはつけてるんだけど、違うかもしれない。

79 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 22:54:37

トヨタン・・・・・・・・・・
 

80 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:00:43
>>78
古代史できるっていう表現はなんなんだ?

81 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:05:23

■「纒向に卑弥呼」想像膨らむ

読売新聞 2010年6月13日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20100612-OYT8T00944.htm

 桜井市民会館で12日開かれた纒向(まきむく)遺跡をテーマにしたフォーラム「女王卑弥呼の国を探るin桜井〜卑弥呼は纒向にいたか」(市主催、読売新聞大阪本社など後援)は、考古学などの専門家が同遺跡と卑弥呼を巡る豊富な話題を語った。
県内外から訪れた考古学ファンら約1000人は、約1800年前に卑弥呼が纒向にいた可能性について思いをはせていた。

 同遺跡の発掘調査を担当したこともある寺沢薫・県立橿原考古学研究所総務企画部長は「諸国の王が談合して纒向に王都を建設した」と持論を展開。
大阪市西淀川区、無職森岡正治さん(68)は「何らかの政治的な力が働き、この地が選ばれたと納得できた」と話した。

 前田晴人・龍谷大非常勤講師は「文献から倭の女王は7人いたと推定できる」と述べ、大和郡山市泉原町、会社員野村宏輝さん(31)は「邪馬台国論争にはまだまだロマンのある話があり、もっと多くの視点から勉強してみたくなった」と耳を傾けた。

 桜井市は遺跡の発掘だけでなく、活用も検討。
福永伸哉・大阪大教授の「散策路を整備し、遺跡を歩いて体感できるようにすればいい」との提言に対し、纒向遺跡の現地説明会に参加したという神戸市垂水区、会社員大和純二さん(42)は「発掘だけでなく、後世に伝えていくことが大事だと感じた」と感心していた。

 討論で司会を担当した俳優の苅谷俊介さんが、最後に「卑弥呼は纒向にいたか」と質問。全員が「いたと思う」「いても不思議はない」と答えると、会場から大きな拍手が起きた。
桜井市朝倉台、主婦池田登美子さん(62)は「史実に基づいた話で、本当に卑弥呼が纒向にいたんだと思った」と話した。

・パネリストの話に聞き入る考古学ファンら(桜井市民会館で)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100612-771347-1-N.jpg

82 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 23:06:21
千熊長彦, 383年の 人. Name:radio2010/06/04(金) 17:38 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年,
この千熊長彦が 神功49年なら、七支刀はその3年後にもたらされる。

383年癸未 神功49年千熊長彦
386年 七支刀 となるはずであるが
泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■ を得られない、得られるのは

323年癸未 神功49年千熊長彦
326年 東晉明帝太寧4年5月16日丙午、である。

この数年後に百済本紀の近肖古王が崩御する。その年度を比べると
百済本記 肖古王
東漢桓帝延熹9年 :丙午年1月辛卯朔166年2月18日 この年肖古王即位 
東漢獻帝建安19年 :甲午年1月癸未朔214年1月29日 この年肖古王崩御
百済本記 近肖古王
東晉穆帝永和2年 :丙午年1月丙寅朔346年2月8日 この年近肖古王即位 
東晉孝武帝寧康2年 :甲戌年1月癸未朔374年1月29日 の年近肖古王崩御

書紀の肖古王
西暦273年日食、西暦274年神功元年として、(注古い資料なので1年狂っている)
西暦301年?皇暦888年、神功28年戊申1月辛卯朔 この年肖古王即位か?
西暦328年◆皇暦915年、神功55年乙亥1月癸丑朔? この年、百濟肖古王薨。
30日の誤差(閏1ヶ月)で癸未朔が成立

百済本記 肖古王即位年の1月朔と書紀肖古王即位年の1月朔は同じである。
百済本記肖古王崩御年の1月朔は、百済本記近肖古王崩御年の1月朔は同じである。
この事実から、書紀の干支で書かれた百済記があり、それが3国誌に使われた可能性を
否定出来ない。

書紀は天皇家の歴史書である。天皇家が乱れた古墳時代は、時間の流れと世継ぎが合っていない。


83 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:09:45
ということで>>78-79は、同一人物と言う事が判明いたしました。

84 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:11:07
策士、策に溺れるというやつですね

85 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:13:01

■卑弥呼はいたか 纒向遺跡討論会

朝日新聞 2010年06月13日
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000001006130002

 ◇桜井で1千人参加

 3世紀前半では国内最大級となる建物跡が昨秋、纒向遺跡(桜井市)で見つかったのを記念したフォーラム「女王卑弥呼の国を探る」が12日、同市粟殿の市民会館で開かれた。
同遺跡は邪馬台国の女王、卑弥呼とのつながりが指摘されるなど注目度が高く、専門家らの議論に約1千人が耳を傾けた。

 フォーラムでは、発掘担当者による報告や基調講演に続き、「卑弥呼は纒向にいたか?」の題で討論があった。

 黒田龍二・神戸大大学院准教授は「建物配列は同じ方位で並ぶ中国式なのに、建物自体は日本文化を尊重した造り。いい所だけを取り入れている」と、纒向遺跡の文化レベルの高さを指摘。

 福永伸哉・大阪大大学院教授と前田晴人・龍谷大非常勤講師は、副葬された鏡の分布などから、卑弥呼を支えた勢力の発祥の地が、畿内だったか九州だったかを論じた。

 柳田康雄・国学院大教授は「復元建物を造るなど、何か人が来る工夫を」と要望。コーディネーターを務めた俳優の苅谷俊介さんは「卑弥呼は纒向にいたと思う」と最後に断言し、会場を盛り上げた。

86 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/13(日) 23:16:52
日本の歴史は百済本紀に合わせて考えられてきた。しかし正解は得られていない。
考古学が発達し、この編年より50〜100年辿ることとなった今、
日本の歴史は、百済本紀を離れ、新羅本紀に合わせるべきである。
その誤差は、50〜100年である。

この数字は韓国ラヂオ氏と私と同じ認識ではあるが、
私は新羅本紀を基本とする。
対するラヂオ氏は百済本紀を基本とし、新羅、高句麗をそれに合わせる。
百済本紀に合わせて正解の得られない書紀は、新羅に合わせるべきである。


87 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:18:00
語れば語るほど、卑弥呼と纏向が無縁とわかる、素晴らしい討論会。

88 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:19:39
三国史記・三国遺事は比較的新しい書だね。

89 :日本@名無史さん:2010/06/13(日) 23:22:02
>>81

同遺跡の発掘調査を担当したこともある寺沢薫・県立橿原考古学研究所総務企画部長は「学界関係者が談合して纒向を邪馬台国の偽装した」と本音を展開。
大阪市西淀川区、無職森岡正治さん(68)は「何らかの政治的な力が働き、この地が選ばれたと納得できた」と話した。


90 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 00:01:50
>>72
>記録あるいは伝承が残っていたのが、3世紀あたりからということ。

>天照大神が魏に朝貢したのが事実ならそれでもいいと思う。
>倭の五王だって、一応朝貢しているわけだし。

この東遷厨は、昔からかわらんな。

東遷説を強弁するだけのために、
「天照大神が魏に朝貢した」とか、証拠も無い戯言を既成事実化する必要がどこにあるのだ?

こういうクズはさっさと叩き潰したいね。



91 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 01:02:36
>>22
東遷論者は少ないんじゃないかな。私は東遷ではなく東征だ。九州に本拠を
置いたまま近畿を含む東方を植民地化したという考え方。
銅鐸のいっせい埋納、それに代わる銅鏡、武具等の副葬。この副葬の習慣は
北九州にみられたもの。だいたい、近畿では弥生時代の人々と古墳時代の人
々に連続性を認めるべき史料がないということが不自然だよな。

92 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 01:46:57
>>91
それは一般的に言う所の「奠都説」だなw

大体連続性云々言うのならじゃあ九州や他の地域は連続しているのか?って話で

九州なら甕棺墓の風習を捨て
九州じゃ見られないような巨大墳墓による首長霊祭祀を始め
その墓上では吉備の特殊器台を取り入れ…etc

どの地域を持ってきても連続する物なんて無い。

「銅鐸のいっせい埋納」なんて編年が進んだ今じゃあ根拠にもならないし

銅鐸に取って代わったと言う「銅鏡」にしても
じゃあ東征勢力が最初に持ち込んだ鏡は何だ?
九州の東征開始直前の鏡とその持ち込まれた鏡を比較して
直接的な人口の流入を想定できるほどの共通点を挙げてみろという話。

逆に言えば東征と言うような事がなければ鏡の副葬と言う文化の伝播はありえなかったのか?
文化の伝播と東征による持込を如何にして峻別するか?

まあはっきり言って「下らない与太話」の一言。

>>22のこの「口上師」とか言う奴の言うように
>この人たちの下ネタは銅鐸廃棄、三種の神器など限られているため、またそれ以上の説の進展がない
>いずれにしても古色蒼然とした印象を振り撒きます。

…と言うのは、まあ真っ当な評価だろうなwwwwwwwwww


93 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 01:47:21
>>91

九州の生活痕と同様な遺物が畿内には無いので、東征も東遷も無理です。

いっても無駄だろうけど。

94 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 02:00:48
だいたい九州説や東征・東遷説が妥当なら、これほど凋落するはずがないわな。
だから昔は良かったの恨み節か、詐欺と連呼する陰謀論に走るかしかなくなったわけだから。

妥当だと思うなら、堂々としとけって話だな。

95 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 02:01:22
先ず九州以東、吉備や出雲でそれまでの弥生墳丘墓からすれば
隔絶した大きさの墳墓による首長霊祭祀が始まる。

九州ならその副葬品に力点が置かれていたが
その新しい祭祀は墓上での祭祀にかなり力点が置かれている。

この時点で既に九州とその新しいトレンドでは
もはやコンセプトが違う。

(仮にヤマト勃興が外部から入植してきた勢力によってなされた
 …と言う説をとるにしても俺なら真っ先に九州は外すwwww)

そのトレンドがやがてヤマトにも押し寄せる。

古墳は九州から伝わった副葬品を納めるために作られた入れ物じゃないってお話だなwwww


96 :95:2010/06/14(月) 02:10:58
まあ「東遷説」と「騎馬民族征服王朝説」と言うのは
要するに急激な文化の変容をもって支配者・王朝の交代劇を描くと言う点で同じ。

故にその反論も同じネタが使えるwww

明治になって日本は急速に近代化する。
恐らく遠い未来、地中から出てきた考古資料だけじゃあ
「日本は西洋に征服された」なんて筋書きになるかもしれないw

がその近代化において欧米での「産業革命」以来のプロセスを踏襲する必要があるのか?
…って話でw

既に九州以東で大型(巨大)首長墓による祭祀の文化が発生していたなら
(身も蓋もない言い方だがw)それをパクれば良いwwwwww

まあ「後発の利」と言うところだなwwww




97 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 02:26:55
東遷説を立証したいなら話は簡単と言うかやるべき事は分かりきっている。

その東遷だか東征だかを行ったクニを九州に見つける
(邪馬台国東遷説ならそのクニは邪馬台国となる)

で東征勢力がヤマトに最初に築いた集落、その足跡を残している遺跡遺物を見つける
(九州色の薄い纏向はその役目は担えない←纏向が嫌われる理由でもあるw)

でその「始まりの地」と「到達の地」で人口の移動を想定できるほどの共通点を挙げる。

…と言うのが当たり前の話だと思うがw

スタート地点もゴール地点も分からず
ただ「銅鏡」なんていう漠然とした括りで証拠とし
結局は記紀神話以上のものは出てこないじゃあ与太といって何がおかしいとwwww






98 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 05:56:03
伊勢 遺跡
ttp://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/iseiseki.html
ttp://pit.zero-city.com/ise/ise.html
近江・伊勢遺跡と吉備
ttp://www1.harenet.ne.jp/~sugi/kouko/ml/oumi.htm

≪卑弥呼女王ノ都は伊勢遺跡≫ 考察 太田雅章
ttp://blogs.yahoo.co.jp/awaumiyamataikoku/11310258.html

邪馬台国近江説 - サンライズ出版
ttp://www.sunrise-pub.co.jp/isbn978-4-88325-164-3/

99 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 06:52:49
>>92
>九州や他の地域は連続しているのか?
少なくとも、南九州は連続しているよ。北九州は銅剣銅矛が埋められたり、甕棺
が行われなくなったり、連続しないところがあるけどな。

>「銅鐸のいっせい埋納」なんて編年が進んだ今じゃあ根拠にもならないし
1世紀にも埋納されたとか言うつもりか? そんなことはどうでもいいんだよ。
最後のいっせい埋納が問題だ。長い年月続けてきた銅鐸使用を打ち切ったのは、
非銅鐸勢力なしには考えられんね。

>東征勢力が最初に持ち込んだ鏡は何だ?
今は画文とは言われているようだな。そんなことは、考古学者にまかせて
おけばいいことだ。

>東征と言うような事がなければ鏡の副葬と言う文化の伝播はありえなかったのか?
へりくつだな。鏡の副葬だけを取り出せば、文化の伝搬もあるだろう。しかし、鏡と
銅鐸の埋納、古墳、その他もろもろを総合的に考えて、単なる文化の伝播か東征による
持ち込みかを見きわめるんだよ。当然のことだ。












100 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 06:59:11
>九州の生活痕と同様な遺物が畿内には無いので、東征も東遷も無理です。
鏡、腕輪、副葬の習慣、土器いろいろあるだろうが。
逆に聞こうか? これはもともとの畿内人の生活痕ですって何だ?


101 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 07:13:30
>>97
>東遷だか東征だかを行ったクニを九州に見つける
何をくだらんことを。九州全部だよ。

>「始まりの地」と「到達の地」で人口の移動を想定できるほどの共通点を挙げる。
何も知らんのだな。始まりの地の兵だけで動いていくわけではない。当然、征服さ
れた地の兵は次の攻撃軍に入るんだ。人口の移動痕跡なんて残るわけはない。
東征の跡は古墳をみれば分かるだろう。前方後円墳も後方墳も全部東征した勢力が
造ったものだ。

102 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 07:29:27
>>101
(;^ω^)うわ、つまんね

103 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 08:12:23
よくわからないんだけど、
近畿説は孝霊天皇の公女がヤマトトトヒモモソ媛で卑弥呼だとしているようだけど、
それだと天皇家の先祖は昔は中国に朝貢していましたってことだ。
嫌中のウヨ君などはもっての他だと思わないのだろうか。
橿原研究所などや宮内庁はもしかしたら親中?

104 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 08:40:30
東遷、東征を否定する人は、記紀の神話(神武東征)をどう見るの?
完全な架空話とするわけ?

105 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 09:10:53
>>104
完全な架空話としておかないといけません
都合の良いところは真実で都合の悪いところは架空のオハナシ
いつもの手ですよ

106 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 09:38:29
東遷はあったでしょ。7世紀後半のことだが。

神武東進とは、たかだか数十人の神武軍が畿内に乱入し、
小さな部落を占領、橿原に小屋住まいを始めただけの事件。

107 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:10:17
>>105
自分たちの先祖が九州から来たということは事実の伝承。それが何時か、
誰だったかなどは作り話。

108 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 10:19:00
年月日にイカサマをやる動機がないだろう。

109 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:19:23
>>103

念のために指摘しておくが、
モモソヒメは、皇族の一人ではあるが、天皇家の直系の先祖ではない。
天照大神とも同一視されない。


東遷説では、天皇家の直系先祖の天照大神を卑弥呼として中国に朝貢したとしている。

どっちが売国奴かな?


110 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 10:25:53
まるで「モーゼの十戒」じゃないが、あとは孫悟空とかでない限り国を
移動なんかできっこない。神武東征も少人数で移動したわけで、国まで
移動なんかしてないだろ。ああそうか、こうならモーゼも神武と同様
なのかね?

111 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:28:45
宮崎から大軍団が機内に行ったとは考えにくいが
一豪族くらいなら、行ってもおかしくないんじゃないかな。
とくに否定する材料もないし、明確に否定材料じゃなければ
神武が東遷したというのも、あっていいのでは?

それにしても、記紀の戦の描写は、少人数の喧嘩ていどでしか無く
戦を知らない人間が書いただろうな、とは思う。

数千数万の軍が衝突したら、あんなしょぼい姑息な描写にはなるまい。

仁徳天皇陵なんかは15万人を動員するとか言われてるが、
逆に言えば、そのあたりでそれだけの人間を動員するシステムが合ったわけで
天皇陵から近い場所で、それだけの大きな戦があったのだろう。

15万人の兵糧を考えれば、そんなに長期間遠距離を動かすはずがないし、
5日の距離で、倍の兵糧が必要と言われているから、最前線は
そんなに遠いところではあるまい。


112 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:31:41
神武東征話が架空というなら、モモソ姫伝承も架空だよな?
どっちも架空だろ?

113 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:39:30
神武の東征をわざわざ卑弥呼の時代に重ねる理由がわからん

114 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 10:47:27
架空じゃないね。年月日が記載されている。年月日を捏造する動機も
考えにくい。神武即位をB.C.660まで拡張したようだからこれは辛酉革命
からだとかいうなら、紀の編者は革命のことが朝廷上層部に知られやすく
朝廷転覆の心根を持ってるとかで睨まれて身の上が危ないから、こんな
危ないことをやるわけもなく、大陸の歴史より古くしたかったからだと
言うなら、これも中途半端であってB.C.660年くらいじゃぁ夏、殷や三皇
五帝の世にも及ばずその年代になってるのはこれらの動機にはなり難い。

利害大なる事由もなく、そんなに大陸に負けたくなくて年代伸ばしを
やったと言い張るなら、神武陵を始皇帝陵よりも2周くらいでかく造作
してるはずだが、そうはなっていない。というわけで、動機があるとは
全く言えず、年代にゴマ化しはないと観るべきで、ならば当時の各天皇
が百数十歳の長寿での記載となってるのはおかしいように想うだろうが、
これは当時の朝廷が古今の世界各地で行使されていた倍年暦を行使して
いたからで、何のことはない、現代人と大差ない寿命だったということ
だ。であるから、紀の記載にデタラメ、架空を書くはずがない。

また唐松山の言う不正挿入のマシとかは世界各地でやっていた前例が
見当たらず、そんなことをすれば王の怒りを買いマヤならチャックモール
の上で心臓をえぐられることは確実であり、他国でも死罪か重罪で身の
危険が切迫するから、そんなバカなマネをやるはずもない。つまりマシ
はデタラメ論であ〜る。

115 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:47:29
>>113
なら、東征を否定するのではなく、そこを否定しないと。

116 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 10:58:42
>年月日を捏造する動機も考えにくい。
簡単だ。覚えていなかったから。

117 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 11:01:34
>>116
覚えてないなら月日までも書くわけがなかろう。××天皇□□年あたりで
打ち切っているよ。月日まで記載があるということは精度が高いわけで、
そこまでの記述が多いということは、インチキではないと観るべきだ。

118 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 11:17:57
>>115
神武東征の時代=卑弥呼の時代にする根拠がないから反論しようがありません。

119 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 11:23:40
>>117
崇神168歳なんてのは、精度は高くないよ。

120 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 11:26:25
>>119
168才なんてのは、逆に造作しにくいよ。
つまりは、資料に忠実な証左と見ていいのでは。
(理由は不明でも、資料はそのまま使っている、ということ)

121 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 11:38:09
>>120
自分もそう思う。
記紀編纂者が、ありえねえ、とは思っても
その手本となる文書に記載されているから
おかしいが仕方がない、と記述したのではないかと。

はじめから全部創作だと、そこまで「ありえない」記述は
避けるのでは。

122 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 11:40:10
>>120
どこまでさかのぼっても信じる、って言うならどうぞ、どうぞ。
しかし、そうであれば、二倍年歴なんぞという話はでてこないはずだ。

123 :水銀厨:2010/06/14(月) 12:23:33
>>104
架空というか色んな豪族の伝承を脚色したものでしょう。

まず神武東征という話を読めば
実際の軍勢は河内湖で大敗をしています。

そのまま敗走して一族を次々失いながら、紀伊半島を
回って吉野から大和へ侵入という手段を取っています。
が、まずこの時点で矛盾が大きい。

亀の瀬すら越せない軍勢が、はるかに険しい吉野越えを
手負いの神武がどうやって大和へ攻め入るのかと。
神がかり的な話も多いですしね。
これは地元の伝承を組み入れた物と考えた方が自然でしょう。

124 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 12:47:29
七代孝霊天皇は何時代の人だと畿内説者は理解しているのかが、またわからない。
Wikiだと紀元前290−紀元前215とあるんだけど、
畿内説の人は紀元後100年前後の人だとしているのかな。卑弥呼が子なので。
そうすると初代神武は何年になるんだろう?

125 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:24:38
今問題にしてるのは、
東征・東遷を否定する人は、神武神話を否定するのか?と。
神武を否定するなら、モモソも否定するのか?と。
そいうことなんだけど。

126 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:30:29
>>125
過去スレ読んでこい、何度も説明してると思うぞ

127 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 13:31:45
>>119
記紀の崇神誕生から崩御までの年代を当時どういうn倍年暦を行使して
いたかで真の寿命は判明して来る。そういう記述の中には年までの記載の
ものもあるが、その前後に年だけでなく月日までの記載ある内容のもの
が結構あり、このことから年だけのものでもインチキだとの即断は早計
である。月日まであるということは年だけのより365倍の精度があるわけ
で、単なる伝説ではない。勿論伝説、迷信的個所もあるにはある。

128 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:32:00
神武が実在なら、1世紀くらいだろうが、
いちいち実在を証明する必要は無い。

七代孝霊天皇の宮が、唐古・鍵遺跡の近くにあって、東海、山陰、吉備の土器が集まっているが、
8世紀の人間は、唐古・鍵遺跡なんて知らないし、そこに各地の土器が集まってたなんてことも知らない。

しかし記紀では孝霊天皇の皇女がモモソヒメで、箸墓という巨大古墳に葬られたという。
こういう符号は、よほどモモソヒメの実在性を感じさせるし、卑弥呼にふさわしい。







129 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 13:37:17
箸墓は卑弥呼の墓ではない。天皇陵より大きい状況があっても、姫の墓の
可能性は落ちない。印度のタージ・マハルやエジプトの神殿なんかは王妃
のために王級の大きさとしている。


130 :sss:2010/06/14(月) 13:46:57
>>90
別に強弁はしていないだろう。
魏から倭王と呼ばれた卑弥呼が朝貢したのは事実。
卑弥呼に相当する人物が日本にいたのも事実。

記紀の上で、卑弥呼に相当する人物がいれば、その人物が朝貢したのも事実。
それが天照大神であっても同じ。
倭人伝と記紀の記述を考えれば類似性は高い。そう言っているわけだが。

天照大神が朝貢するはずはないと信じ込んでいるようなそちらの方が強弁じゃ
ないか。それじゃ学問ではなく宗教だな。

卑弥呼と天照大神の類似性についてはたくさんあるが、ここでは一つだけ
書いておくと、
梁書などに、復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命とある。
台与が王になったあと、また男王が立ち、中国爵命を並び受く。
奇妙に思えるが、二人の王が並存している様子がある。

記紀では、天照大神が岩戸から出た後、高皇産霊尊が登場する。
日本書紀には、高皇産霊尊は皇祖と書かれている。天照大神よりも数多く
登場し、出雲の国譲りなどを主導する。天照大神は瓊瓊杵尊にいわゆる
三種の神器を授ける。

古事記では、
是以高御産巣日神、天照大御神、亦問諸神等あるいは
故、爾天照大御神、高御産巣日神、亦問諸神等
と並列で語られることが多い。明らかに二人の王が並存している。

二人の王の並存という極めてまれなことが記紀と中国の歴史書で語られている。
同じことを言っていると考えられる。

131 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 13:48:42
>>128
>神武が実在なら、1世紀くらい
神武は年月日の記事が多くあり、実在は固い。先述のとおり年月日が
あるということは、確実だということとなる。

1世紀くらい←同意。そのとおりだ。

132 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:53:43
>>130
>魏から倭王と呼ばれた卑弥呼が朝貢したのは事実。
>卑弥呼に相当する人物が日本にいたのも事実。

>記紀の上で、卑弥呼に相当する人物がいれば、その人物が朝貢したのも事実。
>それが天照大神であっても同じ。


この文章は、論理的だが

次の一行は、君の感想にすぎない。


>倭人伝と記紀の記述を考えれば類似性は高い。そう言っているわけだが。


「類似性は高い」と、君は”強弁”してるが、
どのように類似性が高いのか、全く証明してないだろ。
安本と同じ手法の、印象操作で議論を進める悪質な行為だ。



133 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:55:08
方墳や円墳は余り方向の概念がないが
前方後円墳だと、方向がよく分かる。

畿内の前方後円墳をgoogleEarthで見てみると、方向は
結構ばらばらだが、近接した古墳では、同じ向きに向いているのもある。

前方後円墳において、方向は重要なのか、どうでも良いのか。
氏族によって同じ方向とか、氏族の発祥地を向いていたりしないのか。

134 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 13:57:48
卑弥呼がアマテラスだとすると前者は神武以前の神代となるから、年代が
合わない。つまり天皇の在位がスシ詰めとなり不合理が見えるから、
後者は前者ではないな。

135 :sss:2010/06/14(月) 13:58:58
>>92
東遷あるいは東征の根拠としては、大規模な首長墓の出現、銅鐸の消滅、
鏡の興隆、棺の副葬品や朱の出現、また文献的には記紀の神武東征などが
挙げられる。

これで足りないと言っている畿内説の纏向邪馬台国説の根拠はなんだ。

ちなみに、楯築墳丘墓は、突然変異的なもので、吉備地方に古くからある
伝統的な物ではないと思うが。

136 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 13:59:58
>>130

後半部分は、「証明」ではなく「似てるでしょ」ってだけ。

しかも、似てない部分は論じないという。
天照大神とスサノオの対立は、魏志倭人伝のどこに書いてある?
卑弥呼は独身だが、神武の祖は天照大神だ。

「神武は、卑弥呼と血縁ではない」と主張するつもりがあるのかね?



137 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:02:25
>>135

そら、ループを始めたよ。
この東遷厨は。

>>95-97氏に具体的に反論してみろ。
話はそれからだ。



138 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:05:58
>>135
もう許してあげようよ。
畿内説は根拠が足りないんじゃなくって、
アタマが足りないってのはみんなが知ってることなんだから。

139 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:10:12
>>135

東遷を否定するのは簡単な話で、
九州から奈良に移住してきた人がいたというような痕跡のある集落が、
一切見つかってないということだな。

奈良の遺跡は多いのだから、ひとつくらい遺跡を挙げて欲しいものだ。
「○×遺跡に、九州から東征してきた人が住んでいた」と。
まあ、そんな証拠は一切無いわけだが。

かわりに、吉備や山陰や東海から人が移ってきた証拠は明確に存在するがな。
九州から人が移ってきた証拠だけが、ぽっかり無いんだよ。

いいかげん事実を認めたらどうなんだ?
この数年間なにをしてたんだ?
ひたすら、東遷説復活を願って山にこもってたのかな?



140 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:23:00
人が移ってきたと言うよりは、土器に入れた物資が吉備や山陰東海から運ばれてきた。
つまり、畿内はこれらの地域を支配して、物資を収奪してきたと言うことだろう。

もっとも人が移動すれば、土器職人もいずれは畿内に来て
地元の土器を作る。つまり人材も収奪していたと言うこと。
まあ、売れるから職人が自分で来たのかも知れんが。

141 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:43:03
だいたいの畿内説の考えがわかりました。どうもです。
じゃあ、畿内説は神武からずーっと万世一系で続いて来たって事で
1世紀からずーっと奈良、京都にいて、中国でいうところの倭人(南海と同じ風俗の文身、漁労農耕民)ってことですね。
べつに縄文人(毛人)でなくてもいいんだ、ウヨ君は。倭人なら日本の利になるんだ、そういうことだよね。
いまいち畿内説のいう国益がどうのこうのというのがわからなかったからね。
で、中国に対する朝貢は傍系がしたことだと処理しているわけですね。
これからはこれらを基にまた議論していきたいと思います。




142 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 14:51:27
東遷説の考えというのは、毎年初日の出でおがんでる天照大神は、3世紀の卑弥呼が起源で、
天照大神を祀る伊勢神宮には毎年百万人の参拝があって護国繁栄を願ってるけど、
その天照大神は、魏に朝貢して臣下にしてもらっていたと。
日本人が天照大神を拝むとき、それは中国に対して拝んでるのと同じだというわけです。

中国様があっての日本の神様という意識を日本人皆に植え付けたいと、
そういう目論見があるということですね。
よくわかります。

143 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 15:21:54
>>139, >>142
なんという幼稚なレスだ。恥ずかしくないか?

144 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 15:32:19
>>139
>吉備や山陰や東海から人が移ってきた証拠は明確に存在するがな。
旅行したときに土産を買ってきただけかも知れんぜ。
考古資料なんてものは、その程度のものなんだよ。


145 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 16:07:08
畿内から九州の痕跡は余り出土していない。
九州からは畿内の土器が出土している。

九州から畿内へは物資は移動していないが
畿内から九州には物資が移動していると言うこと。

中国柵封体制における貿易物資は九州から畿内に運ばれていないが
畿内からの貢ぎ物は九州に向けて運ばれていると言うことである。




146 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 16:22:08
>>145
時代が新しいからそういう痕跡が今に多く残っているだけですよ。
古い痕跡は新しい痕跡に消されてしまうことが多い。
新しい痕跡のほうが目立ちますし。

それと卑弥呼の邪馬台国は九州で滅びてしまったから。
因幡の白兎ややまたのおろちなどの神話で王権交代があったことがわかる。
だいたい三度は王権交代があったよ。其の後は神話というよりずっと現実的で
大化の改心や壬申の乱に象徴される王権交代。

147 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 16:44:47
>>135
銅鐸国家が滅亡したのは、単に九州勢力に滅ぼされたんだろう。
九州の国が、わざわざ未開な僻地へ、遷都したり国家移転したりする必然性もない。

神武は数十人の部隊(久米の子ら)を率いて畿内の部落を横取り占領しただけ。
熊野の山を数万の大軍が登ることはできないが、数十人ならできる。
神武の引っ越しは、2世紀かもしれないな。

東遷は7世紀に天武天皇が東遷している。都を九州から移した首都機能移転。

148 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 16:59:56
東夷軍としてこの地に赴任していた千熊長彦は、乱から逃れてきた流民を受け入れ、各地に入植
させていた。(倭国への渡来も含む)
そして任地を離れるにあたり、住民に説明する。(神功49年)
千熊:晋がこの地を放棄した今、我々東夷軍も解散する。そうすればこの地も又戦乱の地となる
であろう、そこで君らの行く末であるが、この地に残るも良し、また百済や高句麗に付くも良し
私に従って安全な倭地に移住するも良し…。
倭はこの地の安定を図るため、領土を百済に分与する。
帯方方面を分与された百済王は誓う。是以自今以後。千秋萬歳。無絶無窮。常稱西蕃。春秋朝貢。
馬韓南部は、また東夷軍が再編成されたときの為の彊場として倭国の影響下に入る。

中国、書紀、百済王記?の三書を混ぜても齟齬がない。無いと云うことは、歴史の接点である。
合わないのは百済本紀である。

百済の下に倭国を付けたい方は、従来どおりの考古学編年を使い、百済本紀に従うこと。
そうすれば、卑弥呼と崇神は同時代となるかも?。ただし中国の史書倭人伝とは整合しません。
これは、百済本紀と整合性がとれない為、韓国考古学が一定の編年が出来ない事と同一である。


149 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:06:32
すでに九州で王朝が成立し、それなりに大規模の都市が成立しているとすれば
九州から畿内への移住の痕跡はない方が正しい。
移住があっても九州王朝からはじき出された、ごく少数だろう。

遷都は今も昔も金がかかるし、権力を掌握した土地から出ていくことになり
非常にリスクが高い。大和朝廷の藤原京、長岡京、平城京、平安京などは、事実上の
皇統の交代ではないかと疑っている。
そこまではなくても、皇室のバックアップとなっている物部氏や蘇我氏、藤原氏などが、
自分の権力地域に遷都した可能性はある。遷都はそのときの天皇を擁立した氏族に
よるものという考えである。

150 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:11:37
九州から畿内へと、ある時は臨時に、ある時は本格的に畿内へ首都機能を移転しただろうが、
それはせいぜい6世紀以降、畿内が九州と肩を並べる勢力になってからにすぎないだろう。
九州の国をたたんで、銅鐸国家の上に居座っても無意味だ。

151 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:16:29
神武は倭の五王をモデルにしていると思うよ。
記紀の編者は中国史書を読んで倭王武の「武」を拝借したて神武としたんじゃないの?
倭王武が五番目の王だけど、その時大きな国を領土にしていましたから。


152 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/06/14(月) 17:26:35
>>151  ↓  これっをどう思うのか?

大武神王 高句麗 3代 (18年〜44年)

153 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:33:20
記紀編纂の目的の一つに、「我が国は唐に敵対した国じゃありません」という言い訳がある。
大和朝廷天皇家の祖先の一人に、神武という落武者がいた伝承を利用した。
畿内国は九州国が隋唐と敵対する前に、分かれた別国です、と言える。
隋唐と敵対した責任追及から、これでフリーになれる。

154 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:34:06
というか大きな国を作る為にはやはり九州では片隅なので、東に移動するだろうと思う。
まず出雲、それから瀬戸内、そして畿内。
現在畿内から全国への物流の跡というのは、大きな前方後円墳を作り
銅鐸国家だった倭の大王系(大国主 大物主)つまり三輪(みわ)=御倭(みわ)系の
倭国が畿内に行きある程度世の中が落ち着いた時以西への物流を整備したのではないかな。
その痕跡を邪馬台国の痕跡だと勘違いしているわけで、年代観が間違っているわけですよ。

155 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:34:53
聖徳太子が煬帝を怒らせた事件って
中国側の記録に残っているんだっけ?

それで年代が分かるかな。

156 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:37:18
>九州では片隅なので

これは逆。半島・大陸と濃い関係を持っていた時代は、畿内が僻地。
半島・大陸との関係が希薄になって初めて、畿内が中心になる。
まあ、663年の白村江戦までは、九州が中心にならざるを得ない。

157 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:38:48
>153
>記紀編纂の目的の一つに、「我が国は唐に敵対した国じゃありません」という言い訳がある。

聖徳太子をみると、柵封体制から離れて独立国になろうという、
逆なでに近いことをやっているようにしか見えない。

聖徳太子の飛鳥系も別の勢力だったりして。

158 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:39:25
>>152
それはわかりません。

武というのは勇ましい名前で手柄のあった建国者に多く付けられる名前ですね。
神武の武もその意味かもしれませんが。けれど倭の五王をモデルにしたとは思っていますけど。

159 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:49:38
>>156
でもあれだけ大きくて数の多い畿内の前方後円墳を無視するわけにもいかなからね。

160 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 17:53:27
巨大な前方後円墳のあるところは
多数の兵隊を動員できる場所でもある。

その周辺で、戦争が起こっていたんだろう。
畿内統一の戦いだったのかも知れない。
勝者が仁徳天皇陵側か。

161 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 18:03:27
そんな大軍がどこかに攻め入ったら
かならず記録には残るわな。

162 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 18:17:52
>巨大な前方後円墳のあるところは多数の兵隊を動員できる場所でもある。

魏が考えた屯倉は、その地方の領有を認める代わりに、軍体を供出する義務を負う。
日本では景行からその手法を取り入れる、ここから古墳が地方へ分散する。


163 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 18:22:39
えっ?

164 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 18:29:33
同時に屯倉を把握する氏族は、それだけの兵員維持能力を持っているから
反乱すると危険な存在でもある。

磐井はその反乱分子という書かれ方をしているが、
糟屋の屯倉は、筑後を本拠地とする磐井の
博多周辺での活動のための集積地である。


165 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 18:47:25
日本で屯倉が導入された頃は、それが明文化されていない。
景行、成務に誓った屯倉経営も朝廷が代われば、その意義がかわる。


166 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 18:54:42
魏の手法である屯倉を導入したと云うことは、魏の冊封体勢に組み込まれた事を意味する。
であるならば、渡海の命令が下れば、朝廷を殺してでも、渡海の義務を負う。


167 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:00:24
>>135 sss

>東遷あるいは東征の根拠としては、大規模な首長墓の出現

じゃあ吉備も出雲もあるいは東日本の前方後方墳も
九州の東征によるものなのか?って話だがw
九州に前方後円墳に繋がる大型首長墓の文化があったのか?
(平原あたりを出すかもしれんが埋葬文化としての地域的広がりが無い)

>銅鐸の消滅、鏡の興隆、棺の副葬品や朱の出現、

文化の変容、文化の伝播でかたがつく話しw

そもそも銅鐸は鏡と違って墓に埋める副葬品でもない。
邪馬台国東遷説なら肝心の大和じゃあ3世紀末4世紀初頭ごろには
とっくに銅鐸は廃れているwww

「鏡」もじゃあ東遷・東征みたいな事が無ければその文化は伝わらなかったのか?
まさか弥生時代に九州以東に鏡が一枚も出ていないとか考えてないだろうな?
大体「鏡」と言う括りが漠然としすぎ
東征勢力が持ち込んだ最初の鏡は何だ?
九州の鏡と比較してそこから直接的な人口の移動を読み取れるのか?

>また文献的には記紀の神武東征などが挙げられる。

始祖神話においてご先祖さんが遠くから苦労して来たなんてお話は珍しくは無いだろうって話wwwww

…全く既視感 20000%の万年ループ
お前こっちの反論も予想してあえて書いていないか?wwwwww。

必死になって2ちゃんのこの板をそのネタで埋めても
そんな物リアルじゃあ東遷説の根拠なんて誰も思わない、通用しないwwww

168 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:05:10
神武ら数十人がやったことは、東遷じゃなくて、「引っ越し」。

169 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:13:37
>166

金印を授受した場合には柵封体制に組み込まれていると
言って良いだろう。しかし、屯倉については、大軍を遠方で動かすための
技術として導入したものであり、魏とは関係ない場合もあるのではないだろうか。

また、戦の命令は持ちつ持たれつであり、卑弥呼が魏に支援を要請したように
魏から何らかの支援を要請されれば、対応せざるをえないだろう。
だが、その要請はあくまでも柵封体制での代表者に対して行なわれると考える。

九州王朝であれば、九州の王に、
大和朝廷であれば、天皇に

白村江以前は、任那でそんな駆け引きが合ったような形跡はある。



170 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:15:39
ちなみに >>91

>九州に本拠を置いたまま近畿を含む東方を植民地化したという考え方。

と言うのは井沢あたりも鞍替えした所謂「奠都説」と言うことになると思うがw

メリットとして仮に九州邪馬台国と纏向が並存していても問題は無い。
九州邪馬台国=九州本社 纏向=関西支社 だろうからwwwwww

が逆にデメリットは、じゃあその二箇所がまさか音信不通になったなんて事も無いだろうから
当然両社に共通する考古資料を迫られるだろう。

その点「神武東征神話の元ネタは九州から落ちぶれた御一行のお話」というなら
元々考古資料を出せと言うほうが無理難題と言うことになる。

無論「そんな事は無かった」と言う「悪魔の証明」もできない代わりに話の発展性も無いw
単なる脳内ストーリーの範疇を出ないw


171 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 19:22:15
屯倉を考えたのは魏である。

>卑弥呼が魏に支援を要請したように
あり得ないとは思うが、もし本当なら、その大任を引き受けたのは、
倭人伝に書かれた倭王である。
この倭王が屯倉手法を取り入れ、倭国を統一する。
当然冊封体勢に組み込まれる、だから魏も黄旛を下賜し、後方支援をする。


172 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:23:17
>>135
>また文献的には記紀の神武東征などが挙げられる。

SSSが性格悪いのは、確信犯的に「神武東征」をひきあいに出すところだな。
もう、何年も記紀を読んでるはずだから、次の事実を知らないはずはないと思うが……。

神武東征に加わった神武の兄の、五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神武の子の手研耳命は、
その後どうなった?

みんな死んでるじゃないか?
その後、九州から援軍がきたという話もなし。
しかも、神武が即位したのは橿原で、マキムクとは位置が違う。

この神武東征神話を、どう読んだら東遷説の根拠になるんだよ?


173 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:26:10
国家を構成する人口全員で、熊野を秘密裏に登ることができるだろうか?
熊野を人に気づかれずに登れる人数は、数十人といったところだろう。
それが神武が率いる「久米の子ら」の規模だ。

174 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 19:31:09
黄旛を下賜された時点で、倭国に文字も暦も無くては、命令を伝えられない。

だから、それらを理解しない文盲の民に黄旛を下賜したり、印綬を賜ることは無い。


175 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:32:40
>磐井はその反乱 屯倉

また話が邪馬台国からずれているなw

まあここの九州説の中身が実は九州王朝説かその亜流・シンパで
通説の歴史にイチャモンつける事を目的としているからだろうがwwwww

その九州王朝説にまんまと乗ってしまう形になるがw

磐井は命乞いに「屯倉」を差し出した。
これを地方に任官された者の反乱劇の結末とするなら話がおかしい。
泥棒が盗んだ物を差し出して罪を許してくれ…と言っているようなものだw
・・・あくまで「屯倉」は自前であったはず。

じゃあ完全なヤマト王権と対等な一国一城の主であったかと言うと
磐井は毛野臣に対して「同じ釜の飯を食った元同僚」と言っていて
恐らく若かりし頃は一定期間ヤマト王権に仕官・奉公していたんだろう。

自前の領地は待つがその子弟をヤマト王権に一定期間は勤めさせる

…ここら辺からも「ゆるやかな首長連合体」を伺えるw

そんなカッチリした中央集権体制なんてのが最初からあったって話じゃない。

これは邪馬台国論争なんて関係の無い
恐らく現在の日本人なら共通の認識・常識wwwwwwww

176 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:36:56
>>175

一大率が諸国を睥睨しているさなかに、「ゆるやかな首長連合体」なんか幻想なわけだが。

177 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:39:08
>>175

(オリジナル古田説じゃなく)九州王朝説は、大いに結構じゃないか。
△鏡や箸墓で詐欺ばかりやってきた畿内説より、支持層が厚い。

178 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:39:30
>>174
>黄旛を下賜された時点で、倭国に文字も暦も無くては、命令を伝えられない。

ああ、そっちの方向に行くのか。文字と暦ですか。
また太国氏とバトルかな。

それとは別として、屯倉の年代は5世紀頃と言われている。
漢倭奴国王の金印は1世紀である。
屯倉がいくらかさかのぼる可能性はあるだろうが
柵封体制に入ったことと屯倉は連動しないと思う。

179 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:39:56
>>176
完全な中央集権機構ができていれば
そんな「にらみを利かす」存在自体要らないwww

各クニのアタマを中央から任官した人間にすれば良いわけでwwwwwwww

180 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:43:00
呉と魏が対立し、呉が朝鮮半島にまで軍を派遣していた状況下で、
九州の卑弥呼が魏側についた意味は大きい。

これで呉は半島に手を出すのが困難になってくる。
しかし九州は呉に襲われる危険が増してくる(吉野ヶ里も対呉軍?)

181 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:44:19
>>179

古代に完全な中央集権国家などないだろ。しかし十分に中央集権軍事態勢があったわけだ。

182 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 19:44:26
神武東征譚とは、
神武等が北九州を出発する。当然長脛彦では無いから。
それを九州王朝は見送る。
神武が大和制圧に成功すれば、九州に報告する。
後続が畿内に入植する。
その中で神武の地位は大王では無い、統一畿内の一地方を治めるだけ。


183 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 19:46:42
>あくまで「屯倉」は自前であったはず。

自前の領地はあっても、自前の屯倉は成立しない。


184 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:47:02
>>182

むしろ神武は、遠洋航海のできない、時代遅れの退役軍人集団だろう。
大国からは雇用されなくなったから、活路を探してさまよった挙句に、橿原部落襲撃に及んだ。

185 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:51:38
wが三つ以上つくと読みたくないのだが仕方がない。

屯倉が宮家と言う説もあるので一概には言えないが
一般論として、大軍を動かすだけの物資を集積しているのが
屯倉というならば、それは自前、または信頼できる有力者に任せなければ、
それは直ぐに敵に回る。

糟屋の屯倉は磐井の弟が差し出したとされており、
それくらい信頼できる勢力でなければ
任せられない。

186 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 19:58:14
>>172
ちなみに末子相続もモンゴルあたりの習慣らしいw

(確か自身の実母以外の父親の複数の妻も引き継ぐって話だったと思うが…
 アレって義理の母に手を打すんかな?www)

まあ神武東遷も詳細に見ればまだまだ神話の時代って事だなwwwwww

187 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 20:02:26
>>184
神武の子供
手研耳は、九州で生まれる。
手研耳の子作りは、神井八意の生まれとほぼ同じである。
神井八意が生まれたのは、推定になるが、即位後10年ほどである。
まだ神武は充分若い。


188 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:05:06
>>187
遠洋航海ができないからクビになっただけで、どんなに若くても関係がない。

189 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:06:32
>>186
神武軍は総勢何人ぐらいだと思ってる?

190 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 20:13:12
>>188
江戸時代までの日本に定年制度は無い。
働けなくなったときが引退時期になる。

遠洋航海は、海士の仕事、対する神武は農業を基本とする。


191 :186:2010/06/14(月) 20:14:14
>>189
はあ?アンカー間違えたのかな?

こっちが聞きたいのだがwwww

ある者は落ちぶれたリストラ軍人集団と言い
ある者はヤマトに文化の急激な変化をもたした
九州の何処ぞの勢力の国家プロジェクトと言うw

まあ同じ人間が場当たり的に話のスケール変えているのかもしれんがwww




192 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:23:27
>>190
神武の退役は、朝鮮半島まで行く能力がまったくない、という致命傷のためクビになったと推定できる。
それまでは北部九州沿海部だけで活躍していればよかったが、時代が変わってしまった。
定年問題・高齢化問題など全く関係がない。

193 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:24:10
>>191
熊野を夜中に昇れる人数って、何人ぐらいだ?

194 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:26:54
玄界灘は波が荒いからなあ
糸島半島の、外洋に面しているところは
年中白波が立つ。

おかげでサーフィン屋が並んでる。
唐津の方もそうらしい。

195 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:28:32
>>193

「こっちが聞きたい」と同じ事を言わせるなよアホ。

そもそも紀伊半島の南端まで…と言うのは
敵の正面を回避する軍事行動としてリアリティの無い話

史実とするなら如何なる合理的な理由があったのか
そこから聞きたいわけだこっちとしてはwww



196 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 20:43:15
>>193
>熊野を夜中に昇れる人数って、何人ぐらいだ?

昼の行軍なら木陰に遮られ見つからないが
夜中に松明を焚いて、相手に存在を知らせる意義って何だ?

197 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:46:35
単純に1世紀ごろまでの最先端文化の伝播を表現しただけのことかもしれん

198 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 20:52:37
>>197
逆に言えば、神武を1世紀に設定できる。


199 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 20:52:57
>>196
知らせる意義じゃなくて、人数を悟られない意義しか考えられない。あまりにも少数。

200 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 21:08:34
東遷説が増えたなあ。好きな人は多いんだね。ww

201 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 21:12:24
松明を焚かねば前が見えない。
松明を焚けば、木の間から、火が見える。

もし50人の行軍に半分の25本の松明が焚かれていれば、
個人の移動でないことがバレバレ。


202 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 21:16:22
しかし松明とかなんとか、この妄想はいつまで続くんだ?

203 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 21:27:58
>>201
月夜の晩なら人里に近づいてから消せばよいだけだ。
そもそも在来住民が少ないし、寝ている。
神武軍は、実際は50人もいなかったのではないか?


204 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 21:39:20
山の民は狩猟がしごとである。
獣には夜行性が多い。

夜に猟をしなくとも、夜の獣の行動をつかんでおかないと、昼間の猟に影響する。
鎌倉時代以前の道は尾根道を基本とする。この時代も移動は当然尾根道となる。
地図がないから位置を確認するためでもある。


205 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 21:43:53
>>204
松明があると獣が近付かない。
住民の少ない部落で、夜間狩人に遭遇する可能性はほどンどゼロだ。

206 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 21:46:26
>唐松山

結局、何が言いたい?

207 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/14(月) 22:00:01
だからね 猟師は、夜狼の群れがどの谷からどの谷に移動したとか、
その時に獲物の群れをどの谷に追い込んだとか、夜でなければ得られない
情報があるの。
狼が獲物を追い払った谷に行っても猟は得られない。
だから夜は全員家の中に居るとは限らないの。
しかも松明の火は、昼間の人影より遠くから認識出来る。

よって夜の行軍は、その人数まで把握されやすい。


208 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:18:31
>>160
実際に動員していた兵士の訓練として古墳を造ったのだろう。兵士を鍛えるには
力仕事をさせるのが一番だ。兵士のほかに古墳造りの要員を徴発することなんぞ
とうてい無理だ。古墳の場所があちこち移っているのも、その時その時、必要な
ところに軍を動かすからだな。


209 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:27:50
>>167
>吉備も出雲もあるいは東日本の前方後方墳も九州の東征によるものなのか?
あたりまえだろ。話の大きさにとてもついてこれないみたいだな。

>文化の変容、文化の伝播でかたがつく話しw
先祖伝来の伝統も誇りも全部投げ捨てて九州の真似をさせていただきましたってか。
おまえらしい発想だ。

>邪馬台国東遷説なら肝心の大和じゃあ3世紀末4世紀初頭ごろには
>とっくに銅鐸は廃れているwww
何でそれが肝心だ? 頭が古いな。九州勢力の東征はもっと早いんだよ。


210 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:35:37
>>209
>九州勢力の東征はもっと早いんだよ。

そうだな。邪馬台国は奈良だ。


211 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:41:27
>>200

まあ需要は無くならないだろうなw

ぶっちゃけ「卑弥呼=アマテラス」「神武東征は史実」なんて誰でも一度は考えた事があるだろうwww

212 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:44:08
>>207
古代人が深夜、山で狩りをしていた証拠は?

213 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:45:42
>>209 sss
>あたりまえだろ。話の大きさにとてもついてこれないみたいだな。

ハイ、ついていけませんwwww

「sss」流東遷説と言うのは吉備も出雲も畿内大和もその大型首長墓の発生は
ぜ〜んぶ九州からの東征勢力が起こしたと言うわけかw

壮大すぐるwwwwwwww


214 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:50:03
>>211
ちょっとでもモノを考える能力があったら
考古的な事象と組み合わせて、神武東征説なんて断念しそうなもんだけどね。

215 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:51:43
アレキサンダー(アレクサンドロス)の東方遠征を見ると、
現地人を皆殺しにして征服したわけじゃなく、征服地の文化を許容しているんだよね。
エジプトではアメン神の信託を受けてファラオになり、
ペルセポリスではペルシャ風の戴冠式を行った。

ローマ帝国もモンゴル帝国も征服地の文化や信仰を否定しなかった。
国家統一の過程では、現地の文化を容認することが不可欠なんだと思う。
(大航海時代になると、若干違うようだが)

神武も、自分達の文化を押し付けるのではなく、征服地の文化を容認したんだと思う。

216 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:52:56
>>208
兵士と古墳の築造従事者が同じかどうかはわからんが
それだけの大人数を動員するという意味では近いものがある。

すくなくともそれだけの人数を動かせるということは間違いなく言える。

常備軍のようなものを持って、戦のないときは雇われ人足
戦の時は兵士という構成なのかもしれんな。

そうすると、兵農分離でとんでもなく画期的なのだが
畿内の古墳群を見ていると、それもありのような気がしてくる、

217 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 22:54:39
>実際に動員していた兵士の訓練として古墳を造ったのだろう。
>兵士を鍛えるには力仕事をさせるのが一番だ。

古墳造営は新兵のための「ブート・キャンプ」だったとwwww

古墳を作って脱メタボwwwwwwwww

218 :sss:2010/06/14(月) 23:00:27
>>172
神武天皇の兄三人が死んだとしても特に問題はないと思うが。
むしろ、真実味があるかもしれない。

ちなみに、三毛入野命は、死んではおらず、日向に帰り高千穂を治めたの説も
ある。三毛入野命の妻子9人を合わせて、十社大明神といい、高千穂神社に
祀られている。

纏向については、神武天皇よりも、その前に大和に高天原からやってきたと
される饒速日命に関係があるのではないかと思う。
ひょっとしたら、神武天皇については、橿原でその形跡が見つかるという
こともあるかもしれない。

219 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:02:05
九州国が、諸国から兵隊を供出させて、兵役のないときに古墳を作らせていたのかもしれないな。
集団行動を学ばせたり、体を鍛えさせたりする良い方法だ。木器しか与えなければ、そうとう筋力が付くぞ。
土器は故郷から自前のものを持ってこい、なんて命令もしたのかな。

220 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:09:37
>>216 >>219
おそらく、本州の諸国は、九州のような常備の軍隊はもっていなかったんだろう。
銅鐸祭祀にたよって農業中心だった。事が起こったときに、男を集めて戦うという
程度だったはずだ。
九州は倭国の乱を経て各国とも常備軍をもった。それが東征軍の中核となったんだ
ろうな。そして、でかい墓を造って視覚的に圧倒した。山まで造る連中と戦って勝
てるわけがない。本州の国々は戦う意欲をなくした。それが初期古墳があっという
間に関東、東北まで広がっていった理由だろう。

221 :sss:2010/06/14(月) 23:13:31
>>167
首長墓というのは、例えば吉野ヶ里遺跡の墳丘墓などで見られるように、
隔絶した特定階級の墓ということで、副葬品などにも違いが見られる。
吉野ケ里の墳丘墓が出来たのは、弥生中期とされる。

一方で、近畿地方あたりは、このような隔絶した墓というのが見られない。
むしろ、銅鐸祭祀のように、集落規模の細々としたものが感じられる。
その違いということだろうな。

また、唐古・鍵では、ついに王の住むような建物も見つからなかったみたいだな。
やはり、首長と呼べるような権力は存在しなかったのではなかろうか。

それにしても、銅鐸はものの見事に消滅したものだ。記紀にも残っていない。
民間信仰としても残っていない。神社で祀られるようなこともない。
どうしてこのように完璧に姿を消してしまったのか。

222 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:13:30
徴兵制度は、漢・魏から教えてもらえたはず。

223 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:21:37
>>218

自分で墓穴を掘るなよ。

身内が全滅したのが、真実味があるなら、
それは大軍勢ではなく、よほどの小部隊。

少人数でヤマトを征服して古墳を作ったとか、頭おかしいのか?



224 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:26:22
>>221

>それにしても、銅鐸はものの見事に消滅したものだ。記紀にも残っていない。
>民間信仰としても残っていない。神社で祀られるようなこともない。
>どうしてこのように完璧に姿を消してしまったのか。

これも勝ち誇ったように書いてるが、
完璧に記憶から消えたということは、「他者から捨てさせられたものではない」という証明。
強引に祭祀を奪われたものなら、それこそ伝承に残るはずだ。秘伝として伝わるはずだ。

答えは簡単で、自分達で銅鐸祭祀から別の祭祀にシフトしていった。その過程で記憶も自然に消えていったんだよ。
おまえは、江戸時代にどんな年中行事があったか、地元の祭りがあったか、全部言えるのか?



225 :sss:2010/06/14(月) 23:31:14
>>224
どういう理由で銅鐸信仰を捨て、他のどういう祭祀に代わったのかな。
自分たちで代えたというのは非常に無理があると思うが。

226 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:37:09
>>221 sss
>それにしても、銅鐸はものの見事に消滅したものだ。記紀にも残っていない。

まあ消滅したと言うのなら抜歯の風習、屈葬の風習も消えているなwwwwww

九州とて「矛」という括りならともかく
およそ武器としてのフォルムを無くした大型の銅矛も消えているって話wwww

…しかしオモロイネタで釣りをやっているならそうと早く言ってくれれば良い物をwwwwww

227 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:39:59
>>225

古墳時代が終わったのは、自分達で古墳作りをやめたからじゃないのか?

中国に征服されたからとでも思ってるのかな?



228 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:42:04
>>224
東海から中国、四国まで広がって数百年にわたり続けてきた祭祀を皆がいっせいに
やめて他の祭祀にシフトするなんてことは考えられないな。
宗教的な問題では、新しいものが入ってきたからといって、従来のを守ろうって
人々が必ずいるものだ。それが見事に消滅したのは、徹底した強制がなされたから
だと考えるべきだろうな。当然、そんな強制をするのは、それまで銅鐸祭祀をして
こなかった連中、すなわち、九州勢力だよ。

229 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:43:31
>>224
>完璧に記憶から消えたということは、「他者から捨てさせられたものではない」という証明。
>強引に祭祀を奪われたものなら、それこそ伝承に残るはずだ。秘伝として伝わるはずだ。

>答えは簡単で、自分達で銅鐸祭祀から別の祭祀にシフトしていった。その過程で記憶も自然に消えていったんだよ。

他者から捨てさせられたとしても伝承や秘伝として残るとは限らないだろ。
また、「自分達で銅鐸祭祀から別の祭祀にシフトしていった。」と言うが、先祖代々の銅鐸祭祀を捨てなければなら
なかったとすればそこには重大な事情があった筈だろ。

>おまえは、江戸時代にどんな年中行事があったか、地元の祭りがあったか、全部言えるのか?

何を言っているのだ?意味がないだろ。

230 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:46:07
>>218
もっと問題なのは、手研耳命の反乱だろ。

九州の王朝が畿内を征服したなら、どうして手研耳命が殺されなきゃならんのだね?

九州が畿内を支配してたなら、手研耳命が死んだ理由として、病死とか他にも書き方があるだろう。
神武と一緒に東征してきたという、大久米、大伴も、手研耳命が死んでも知らん振りだ。
一書に東征してきた九州仲間なのに、不自然とは思わないのかね?

これも答えは簡単で、九州から来た人間を、ヤマトは受容できなかったってことだ。



231 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:48:18
>>227
自発的に古墳造りをやってたわけではないぞ。我が国を支配していた唯一の
権力が各地に古墳を造らせていたんだよ。だから、その権力が造らせること
を停止すれば古墳造りは終わるのさ。
だが、銅鐸の場合はちがう。これは、いくつもの国を横断して、それぞれの
国、いや、もっと小さい地域かも知れんが、それが自発的につくっていたも
のだ。強制がなければ、いっせいには終わらない。

232 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:49:32
>>229
>先祖代々の銅鐸祭祀を捨てなければならなかったとすればそこには重大な事情があった筈だろ。

君は、江戸時代のご先祖様が、どんな年中行事をしてたか、親から聞いてたか?
知らないとしたなら、何か重大な事情があったということなのか?

悪いが、俺も、自分のご先祖様が江戸時代にどんな年中行事をしてたかさっぱりわからない。
だからといって、自分の街が他からの侵略にあったとは思わないがな。




233 :日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:50:41
神武軍の人数が非常に少数でしかあり得ない以上、
銅鐸の廃棄・破壊と神武を結びつけるには無理があると思う。

神武軍が引っ越ししたことは、さして疑う必要もない話だと思うがね。
で、東遷は7世紀に九州王権がやったことは間違いないだろう。

234 :sss:2010/06/14(月) 23:57:10
>>230
確かに。わざわざ日向からつれてきて数々の困難を一緒に乗り越えてきた
手研耳命が反逆者のようになっている。
実際に権力闘争のようなものがあったのかもしれない。
一般的には、天つ神と国つ神の融合とか言われるが。

しかし、あとを継いだのは、神武天皇と五十鈴媛の子だから、別に受け入れる
受け入れないの問題ではないと思うが。

ちなみに、日本先制。1-0 カメルーン

235 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:01:00
神武軍の描写が、せいぜいヤクザ一家一つ分くらいの
規模でしかない。
本当に少人数なのか、記紀を編纂する人間が、あまりにも現場を知らず
軍の戦いを描写できなかったのか…疑問だ

236 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:02:10
>>234

権力闘争があって、神武天皇と五十鈴媛の子が勝ったことが、
東遷の根拠になるのか?ってことだよ。

奈良で闘争があっても、九州からは追加の援軍はこないし、
逆に、景行天皇が九州を制圧に行ってるだろうが。



237 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:04:26
>>232
先祖代々行っていた銅鐸祭祀が行われなくなったことには重大な事情がある筈だろ。それともなにか?君はそんな祭祀
なんか簡単に変えられるものだと思っているのか?

江戸時代の先祖のことを知らないのは別に不思議じゃないだろ。知らないことに重大な事情も何もないだろ。性質の異
なる事柄を一緒くたにして論じるな。

238 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:07:35
>>237
先祖代々行っていた銅鐸祭祀が忘れられるのと、
先祖代々行っていた江戸時代の年中行事が忘れられるのと、
いったい、どういう違いがあるのかね?

ちなみに、銅鐸祭祀の期間より、江戸時代の方が長いと思ったが。


239 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:17:17
>>238
論点がずれてるだろ。
『先祖代々行っていた銅鐸祭祀が忘れられる」話ではなく「先祖代々行っていた銅鐸祭祀が捨てられて別の祭祀に
変わる」話をしているのだ。それは「先祖代々行っていた江戸時代の年中行事が忘れられる」話とは性質が違う。

240 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:33:18
>>239

では、こんな話をしたら通じるかな?

昭和初期の子供は、ベーゴマ、おはじきを宝物として遊んでた。埋めたりもしていた。
今はPSP、DS、ケータイに変わってる。

ほんの数十年の間にどんな重大な出来事があったの?
トレンドが変わったってだけでしょ。


241 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:41:58
今でもベーゴマ、おはじきをやってる奴はいるよ。
少なくとも、埋めたりはしない。

242 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 00:57:59
遊び道具ではなくて、銅鐸文化圏最高の文化財(祭祀具?)だったように思えるが。

243 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 01:21:49
>>239
銅鐸祭祀が先祖代々行われたというのは、実証されざる仮説に過ぎないよ。

現実の出土状況からは、銅鐸の使用期間はそれほど長くないことを窺わせる。
銅鐸の変遷に目を奪われて、その変遷が長いと思い込んでいるだけ。
短く考えれば4、50年位である。

初期の小銅鐸以外の銅鐸で確実に弥生中期に遡るものはない。
安全域で考えれば、銅鐸は後期半ば〜末期までの使用しか認定できない。


244 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 01:28:40
わざわざ銅鐸を割って埋めた状況を、どう説明するのか。
銅鐸文化圏周縁部のほうが遅れて廃棄しているのを、どう説明するか。
こういったことを説明しないと、説明したことにならないだろう。

245 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 01:29:00
なんだ。弥生時代のほとんどは、近畿は銅を入手することもできなかったのか。

246 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 01:34:32
>>244
>わざわざ銅鐸を割って埋めた状況を、どう説明するのか。

一例を出されてもね。


247 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 02:03:36
>>245
そだね。弥生の畿内で鏡は全くといっていいほど出ない。
なので、青銅器だけが畿内説の唯一のよりどころだった。

そこで、青銅器を可能な限り古くするのが、畿内説のデフォ。
佐原とかは銅鐸が紀元前とか、今ではネタとしても寒いことを言っていた。


248 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 02:18:09
銅鐸は小銅鐸以外が一括埋納で一緒に出てきたりする。
使用期間が100年以上の長期間であれば、これは生じにくいことである。

銅鐸が変遷の段階ごとの集団で出土することもない。

もともと弥生中期まで確実に遡る銅鐸はなく、一方で古墳時代には捨てられた
という使用期間の限定がある。

この事実を無視してきたのは、出土物の乏しい本州を九州と対等にしようという
願望によるものでしかない。

そろそろこの戦後トンデモ史観は捨て去る時期だろうね。

249 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 04:09:55
銅鐸文化はヤマト王権とは無関係
少なくともこれだけは言えるな。

250 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 07:22:40
>>130
>奇妙に思えるが、二人の王が並存している様子がある。

それ、すごく興味あります。
できればお話をお伺いしたいのですが、
ここではスレ違いになるので、どこか他のスレでお聞かせ願えませんか?

251 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 08:57:49
もともと古墳は神道的要素がある。殉死者を葬ったり、後には人物型埴輪を埋めたり。
銅鐸も神道に関係するものだと。仏教が伝来して神道から仏教になっていったため、
古墳はすたれたし、銅鐸は土に割られたりして土に埋められて封印されたかのように見える。
銅鐸が民間の祭祀道具だったらそこいらじゅうで見つかるだろうし、神社でも見かけると思うが
それが一切ないのは、銅鐸は限られた者が使用した道具だったからではないだろうか。
どこだったか忘れてしまいましたがたしか中国地方の西の山の斜面でまとまった数の大小銅鐸が何十個と
銅剣が何十本も埋めてあったのが見つかった。セットで生めてあった。武器は権力者の象徴だとするとセットであった銅鐸も
権力者のための道具だったのかもしれない。
また銅鐸は古墳時代のものだと思う。というのは前漢鏡、後漢鏡がざくざく出る北部九州に銅鐸がほとんどなく、
前漢鏡、後漢鏡がほとんどない、前漢鏡に至っては一つもない(とネットにあった)近畿に銅鐸が見つかるという状況から推測できる。
銅鐸は弥生中期という学者の見解は誤りだ。

252 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:03:14
神武は邪馬台国とは無関係でしょうが
ある時期に南九州の勢力が畿内入りしたのは事実でしょう
神武東征後、江南から入って来た勢力が九州に建国した邪馬台国は
狗奴国との抗争に破れて滅び去り、これもヤマト王権とは無関係でしょう
畿内の銅鐸文化を滅ぼしたのは朝鮮半島から入って来て
九州にはほぼ目もくれず畿内へと東進していった侵入者だったと思われます
彼らは騎馬民族ではなく海洋民族だったでしょう

253 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:11:06
>>252
神武は邪馬台国とは無関係以外は妄想だな

254 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:27:31
>>251
>前漢鏡に至っては一つもない

畿内かどうかはともかく丹後半島からは確認されてるけどな。

出雲〜丹後は九州以上に開発が遅れている土地だから
何が出てくるかわからないよ。

255 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:32:36
>>254
一個だけでしょ。

256 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 10:06:00
>>255
一つもないと言ってる事に対してだからね、

それにこの地方の未開発ぶりはマジですから。
何せ九州と違って高速道路整備も少なく
新幹線なんて計画すらない所だ。

257 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 14:16:11
出雲〜丹後は陸の孤島

258 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 15:16:09
>>252
「南九州の勢力が畿内入りした」のじゃなくて
「北部九州から東九州〜瀬戸内を経た数十人の神武軍が畿内に引っ越しした」だけ
海洋民族についてはそのとおり。

259 :sss:2010/06/15(火) 16:18:18
>>250
>>130に書いている以上ことはないんだけど。

要するに、梁書などによると、卑弥呼が死んだあと、台与が王になり、その後
また男王が立つ。二人とも倭王と認められている(並受中國爵命)。

記紀では、一度、天岩戸に隠れた天照大神が岩戸から出てくると、高皇産霊尊が
登場し、天照大神と共にその後の主要な出来事を主導する。

これは天照大神=卑弥呼+台与の根拠の一つと考えられるということ。

これが妥当とすれば、卑弥呼・台与以後の様子が記紀からうかがえる。

すなわち、すぐに出雲の国譲りがある。これは、出雲征服の記述となる。
日本書紀では高皇産霊尊が主導している。
この征服の出来事は、その後の皇室に大きな影響を与える。
崇神天皇時代の度重なる災いおよびその原因と考えられた大物主命の祟りが
それである。

出雲の国譲りの後には、天孫・瓊瓊杵尊の日向・高千穂降臨がある。
この頃、饒速日命の大和降臨もあると考えられる。
高皇産霊尊の登場によって、高天原は外に向かって勢力を拡大している。

その後、神武天皇が日向から東征する。つまり神武東征に相当する出来事は、
卑弥呼・台与時代の後ということになる。
天照大神を卑弥呼に比定するのは、畿内説にとっては、邪馬台国九州説
ばかりでなく、東遷説も肯定しなくてはならず、絶対に容認できないことに
なる。

260 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/15(火) 16:19:18
ホ30020 ナガスネヒコは ヤマサキに カワフネこはむ モノヌシが うたんとすれば
ヰツセミコ をそれタガより ゆくツクシ
クシミカタマは ヲシクモと ナガスネうてば にけゆくを をひてカハチに
とゝまりて タケチノコリと アウヱモロ ヤマトのソフに ふせがしむ モノヌシかえり
ヲシクモは カハチにゆきて ヲシホより カスガをまねき ヒラヲカの ヤシロまつりて
カミとなる 
ツクシのタネコ モをおさめ ヨカミまつりて アウヱモロ カワチをかねて
おさめしむ ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも
サホコみな タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる 

長脛彦は、文(暦)を盗んで出奔する。物主が長脛を討とうと兵を差し向けるも、失敗し
敗残兵が河内に残る。
第2陣として、神武等が、長脛追討の軍を差し向ける。
途中省略
大和を占拠した、神武は、九州に知らせをいれる。
九州から後続が畿内に入植する。この時の大王は大物主であり、近江に宮を構える。
そして、北陸方面から出雲までを大物主の領地とする。

近江伊勢遺跡の衰退と纒向遺跡の勃興は、連動する。
考古学なら2世紀末。書紀では崇神6年秋以降。
これだけ大きく動けば、考古学でも確認出来る、それが第X様式の始まりであり、
1世紀半ばである。


261 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 17:58:25
記紀はまず邪馬台国、倭の五王、日の出ずる処の天子(隋書 アマ氏)
の大きく分けて3つの王権を、何度も同じエピソードを変化させて作り話を
仕上げたのが記紀の前半ですね。
やおよろずの神々、大国主、天津神等がそれを表しています。
ですから随書のアマ氏には兄が夜に、弟が昼に・・・と二つの政権を匂わしており、
アマ氏はその時九州にいました。アマ氏は秦王国の君主でハタ氏。
ですから年代は7世紀中ごろに二度目の王権交代があったということです。
また邪馬台国は3世紀、倭の五王は5世紀からですから、今までの学者の考古学的年代観は
時代を遡りすぎていたということがわかります。
高皇産霊尊も天津神の別名です。
ですから、アマテラスオオミカミは邪馬台国+倭の五王にあたるでしょう。
スサノオが倭の五王で奇稲田姫が邪馬台国で其の子の大己貴神が倭の五王の大倭国のこと。
つまり大己貴神=大国主=大物主=アマテラスオオミカミ=etc、ということが言えるのでは
ないでしょうか。そしてアマテラスと高皇産霊尊が一緒になり神武へと繋がりますが、
また神武は天武でもあるのだと思われます。

262 :250:2010/06/15(火) 18:00:28
>>295
レス、ありがとうございます。
実は、以前から、倭国は一国二王制度だった可能性があるのではないかと
漠然と考えていましたが、確信が持てず、胸の内にしまっておりました。
しかし、>>130を見て、もしや同じ考えの方がいらっしゃるかと、胸を躍らせたのですが、
違いましたか。残念です。

263 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 18:01:25
>>262>>295>>259の間違いです。

264 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 18:37:11
>>262
SSSは相手にしないほうがいい。

しかし、倭国が一国二王制度だった可能性はある。
つまり、実務的政治をする男王と、神託を告げる女王(巫女)だな。
畿内説では、崇神とモモソヒメ(卑弥呼)ということになる。

ちなみに天照大神は、卑弥呼と全く無関係。
天照大神は、伊勢の地方神で、男神ですから。


265 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 18:48:31
モモソヒメと卑弥呼だって、無関係だろ。
どこに典拠があるんだよ

266 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/15(火) 18:59:45
饒速日命は天の磐船から飛び降りた男
磐船から降り立った、なら磐船に又乗れるが、飛び降りた饒速日命に戻るところは無い。


267 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 19:08:29
モモソヒメと卑弥呼は、細木数子と田中真紀子ぐらい無関係。

268 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 19:11:55
いや、モモソヒメは卑弥呼ですよ。
何しろ神大市媛ですから。

269 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 19:15:07
全く別人を、無理やり同一人物と断定するのは、畿内説詐欺の手口だろう。

270 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/15(火) 19:41:12
箸陵を箸墓とする大和説。


271 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 19:44:05
天照大神を卑弥呼に結びつけるほうが、詐欺に等しい。



272 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 19:59:21
五十歩百歩

273 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:00:50
奈良王朝は仏教で、伊勢神宮は神道なので、
どちらかというと伊勢神宮は奈良王朝より古い倭王(倭の五王系)の
神社なのではないでしょうか。神仏習合で神道と仏教が一緒になった結果今皇室の高祖が
アマテラスとなったのかもしれませんよね。


274 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:04:41
いかに「昔から多くの学者が比定している」といえども、
さしたる根拠もなしに安易に「モモソヒメ=卑弥呼」と比定しては学問でなくなる。

「さしたる根拠」とは、最低でも
・日本書紀に「一書に曰くモモソとは別名を卑弥呼」とある
・他の古い文献の中で「モモソの別名は卑弥呼」としているのがある
程度のことが必要であろう。


275 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/15(火) 20:09:59
暦の復元をせず、時代設定をするなら、神功49年が重要である

則與久■等共勒兵而度之。至卓淳國。將襲新羅。
請増軍士。百濟將也。
南加羅。喙國。安羅。多羅。卓淳。加羅七國。仍移兵西廻至古爰津。屠南蠻。 彌多禮。以賜百濟。
則將千熊長彦。至都下厚加禮遇。亦副久■等。而送之。

ここに「勒兵」とある。石勒、永嘉の乱(308〜323年ころ)
百済の軍を招く。半島を再編成する。領土の分与により百済は大国となる。
千熊長彦は以前から半島に居る。

これらの整合性を取ると。
乱の頃で、半島を再編成できる。これは、東夷軍が晋に帰属している間では無い。
だから、平州方面の帰属を晋があきらめた時、それは、洛陽奪回をあきらめた時でもある。
冊封が解除され、新羅に残留する石勒軍を討ち、長年の乱で流入した民の安全を図るため、
領土を百済に分与する。
百済国王は感謝の言葉を述べる「是以自今以後。千秋萬歳。無絶無窮。常稱西蕃。春秋朝貢。」
この3年後に七支刀がもたらされる。
であるならば、神功49年は、323年であり、七支刀は326年となる。

もしこの記事をねつ造とすれば、それ以前の年代決定もねつ造である。
もちろん、『卑弥呼は崇神時代』もそのひとつである。


276 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:20:36
>>262
祭祀を司る王と政治を司る王が並存したのではないかという説はあるよ。
根拠として、隋書の「天をもって兄とし、日をもって弟となす」をあげ
ているようだ。

277 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:24:20
記紀の人物や神は複数人が同じ人物に投影されているので、
これがこれと一つに絞ることは無理だし、ばかげたことで、時間の無駄。

278 :ddd:2010/06/15(火) 20:27:44
もちろん 卑弥呼=天照大神 は普通に成り立つ。

まず、卑弥呼と鏡はきりはなすことができないこと。卑弥呼は魏から「汝の好物」として
朝貢の答礼品である銅鏡100枚を受け取っている。これはおそらく内行花文鏡であろう。

また、天照大神の象徴は鏡であった。伊勢神宮に伝わるのは大型内行花文鏡で、これが
八咫鏡である。ちなみに素戔男尊の象徴が天叢雲剣、大国主尊の象徴が出雲名産の玉、
八尺瓊勾玉である。

証言として、昭和天皇の大喪の礼時に八尺瓊勾玉が入った箱を持った従者は「子供の頭
くらいの丸い物が入っているように感じたと語ったが、これは大国主尊の頭蓋骨である。

279 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:31:48
縄文人は帰れ。


280 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:35:58
卑弥呼と天照大神では、世代がまったく異なる。
天照の孫がニニギ。ニニギの曾孫が神武。
つまり5世代の差がある。

要するに、卑弥呼と天照大神まったく別人だ。

281 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:40:46
>>280
>要するに、卑弥呼と天照大神まったく別人だ。

禿しく同意!

282 :zzz:2010/06/15(火) 20:41:22
>>278
その通りだな。どこの誰とは知らんが、見事な解釈だ。

では私は「天の岩戸」神話の講釈をしよう。これはむろん日食、しかも当然皆既日食を表す。
卑弥呼が死に、台与がそのあとを継いだことについてのメタファーだ。これは倭人伝の記述
にある、卑弥呼の後に男王が立ったが、国中さず、宗女台与が押されたこととまるで重なる
ではないか。

卑弥呼の鬼道とは、性的な解放を含む祭祀であった。天下が暗くなった後、八百万の神々は、
天宇受売に歌舞をさせ、踊りながら陰部を露出させたのを見て大笑いした。笑いとはハレの場
を表すものであり、豊作祈願とともに性の解禁日でもあった。つまり五穀以外にも子宝の豊穣
をももたらすものであったのだ。

283 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:45:01
縄文人は帰れ。


284 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:45:05
>>278
>卑弥呼は魏から「汝の好物」として
>朝貢の答礼品である銅鏡100枚を受け取っている。
>これはおそらく内行花文鏡であろう。

「おそらく内行花文鏡」 ←なんの根拠もない! 夢想or願望の類い。

285 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:45:52
ですから一人の人物や神に複数人が投影されているから、みなそれなりに正しい。
それが記紀。記紀から年代を考証すること自体がばかげたこと。

286 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:50:11
>>282
>「天の岩戸」神話の講釈をしよう。これはむろん日食、しかも当然皆既日食を表す。
>卑弥呼が死に、台与がそのあとを継いだことについてのメタファーだ。

なんの根拠もない! 安本美典説の受け売りそのまま。

>卑弥呼の後に男王が立ったが、国中さず、
>宗女台与が押されたこととまるで重なるではないか。

全然重ならない! アホと違うか。wwww

287 :fff:2010/06/15(火) 20:50:40
>>282
やっぱりわかってる人はわかってるんだね。もちろん卑弥呼=天照大神だよ。

卑弥呼と男王が共立していたのが邪馬台国だけど,これは建国神話の天照大神と素戔鳴尊
の関係(姉と弟)に似てるんだよ。これは単なる偶然ではなく,古代の王制が人々に語り伝え
られ,神話に投影したのだと思うね。

ちなみに卑弥呼の死因は日食による太陽の死を食い止めるために、下腹部に矢を集中されて
殺されたんだと思うよ。そしてその後東征した邪馬台国は箸中山古墳を築いた。これが、倭迹迹
日百襲姫が当時用いられていなかった箸で陰部を突いて死んだという逸話になっているんだと
思うね、

288 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:50:53

トヨタン・・・・・・・・・・
 

289 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 20:53:26
>>287
>そしてその後東征した邪馬台国は箸中山古墳を築いた。

へ?

するとおまいは箸中山古墳は卑弥呼の墓と思ってるんかい?

290 :ppp:2010/06/15(火) 20:56:13
>>287
いやどこのどなたか知りませんが、素晴らしい解釈をご披露なされるものですな。

>>284>>286 
腐れ畿内説が、黙りおるがよい。

天岩戸から出てきたのち、アマテラスは高木神(高皇産霊尊)と一緒に行動することが多くなりますが、
これは当時13歳で即位した壱与に後見人が付いていたことを表わしているのでしょう。まあここにも
一つの ヒメーヒコ体制の姿を見ることができるでしょうな。



291 :fff:2010/06/15(火) 21:01:40
>>289
当然だろう。纏向遺跡を築いたのは九州勢力だ。むろん邪馬台国本体は九州にあるのだが、
神威を失った巫女は忌避され、僻遠の地に葬られたということだ。おのれなどのはこの深遠な
歴史の真実はおよびもつかないだろう。www

前方後円墳がそれまでの九州の墓に比して規模が大きいのは、処刑などで恨みをもって死んだ
ものたちの魂を鎮めるためであるのだ。纏向はいわば、九州邪馬台国の政治犯の墓地と考えて
もらってもよい。

292 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:04:09
>>274
その論でゆくと文献資料的には
結局卑弥呼なんていません、という話だけどな。

293 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:10:06
みんな全体の中国史書をよく読まないからへんな妄想ばかりしているんだよ。
倭人伝しか読まないからへんなことになる。

294 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:10:46
魏志倭人伝しか読まないからへんなことになる。

295 :rrr:2010/06/15(火) 21:11:50
>>291
なるほど。世の中には隠れた知恵者はいるものですね。前々から不思議だったのは、
大神神社の祭神が大物主尊であり国津神であること、この祭祀が天孫の攻め取った地で
古墳時代まで続いているのは不自然だと思っていたんですが、そうだったんですか。
九州邪馬台国の流刑墓地とすればこれは説明がつきそうですよね。


296 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/15(火) 21:17:32
卑弥呼は書紀に三尺の石となって登場する。


297 :ooo:2010/06/15(火) 21:24:21
まあ神武東征というのは史実だろう。天孫降臨した日向というのは、南九州にこだわる輩には悪いが、
北部九州沿岸(博多湾〜遠賀川河口〜洞海湾)だろうな。神武軍団はここから出発した。規模としては
300名程度の船団であろうと推測できるが、これは当時としては大兵力であった。

300人の根拠は、倭国王帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じているという後漢書の記述。生口を奴
隷と見るならば、その反乱を抑えるための兵力も必要で、要人一行と合わせれば300人の大船団であって
も不思議ではない。2世紀初頭当時の倭国にはその程度の力があったということ。また、船は絵画土器の
描写から巡構造の手漕ぎ船が考えられ、一艘が約20人乗りといったところだろうか。


298 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:26:06
八百万(やおよろず)の神々が邪馬台国を表すんですよ。
その次が大国主=大物主であり国津神であり天孫であって
その次が天津神であってニニギでありニギハヤヒ、天御中主命etsです。
だから邪馬台国と、大国主=大物主であり国津神であり天孫、は別物。


299 :ggg:2010/06/15(火) 21:36:44
>>297
おっさん、巡構造じゃなく準構造だろう。www しかし推論はいい線をついてるよ。

ただし、神武一行はまっすぐ畿内を目指したのではないことは、記紀の記述にあるとおりだ。
あちらに立ち寄り、こちらに立ち寄りしながら、瀬戸内海で海賊行為を行っていたのだろうね。
根拠としては、弥生土器V様式時の瀬戸内に分布する高地性集落を挙げておこうか。

こう書けば高地性集落は実は防御的性格は薄いなどと浅はかなレスが返ってくるだろうが、
V様式以前は、戦いといっても近隣同士の争いだった。ところがそれが、キャプテン・神武の
登場で変化してくる。

神武御一行は時たま襲ってくるだけだから、それも当然だ。普段は食っていくために田地に
いなくてはならないから、これはあくまで逃げ城的な性格のもの。しかし、高地性集落の最
高地点に焼け土跡が見られるのは、海賊襲来を近隣集落に知らせるためののろし跡である
ことは疑いない。

300 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:37:17
>>297
〉〉まあ神武東征というのは史実だろう。
どうも考古学的発見とリンクしないような気がするんだが


301 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:43:11
日向は日向峠付近だろう。
考古学では歴史はかたれないよ。

302 :kkk:2010/06/15(火) 21:47:17
>>299
おお、あなたはなんと深遠な歴史の真実を見ておられるのですか。(尊敬)

確かに、第V様式時代の高地性集落は、記紀の記述と重なります。つまり、
高地性集落が比較的多く存在する場所は、

@は山口県と広島県の瀬戸内海側の地域。
Aは香川県と愛媛県の瀬戸内海沿岸。
Bは大阪湾と淀川水系、生駒山系から和歌山県の一部、となります。

この地域はそれぞれ、記紀にある神武東征の経路と密接に関係付けることが
できますね。

神武軍は、@「安芸の埃の宮」(広島)、A「吉備の高島」(岡山)に仮宮を置き一時留
とされます。Bはむろん奈良進攻を巡る攻防の跡と解釈すれば、まったく記紀の通り
です。この事実に畿内説はどのように反論されるのでしょうか?

303 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 21:52:17

■「海にひらく古代日向」刊行

朝日新聞 2010年06月13日
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000001006130001

 朝日新聞宮崎版で「城から読む中世日向」を連載中の県埋蔵文化財センター副所長、北郷泰道(ほんごう・ひろみち)さん(57)が、
同じく宮崎版に連載した「海にひらく古代日向」「沈黙の埴輪 雄弁な埴輪」などをまとめた『海にひらく古代日向』(鉱脈社、定価1500円)を刊行した。
専門の考古学の知見に加え、『古事記』『日本書紀』などの文献を読み込んで「古代日向」の実像に迫ろうとする意欲作だ。

 都城市出身の北郷さんは立正大学で考古学を専攻し、県教委に入った。西都原古墳群の調査や整備、2004年に開館した西都原考古博物館の設立準備・運営などに携わってきた。
 一般向けに書いた本としては、『熊襲・隼人の原像』(吉川弘文館)、『古代日向・神話と歴史の間』(鉱脈社)に次ぐ3冊目となる。
 今回の本について北郷さんは「古代日向(今の宮崎県と鹿児島県)がなぜ畿内王権から重要視されたのか、『海』をキーワードにして考えた」と説明。近現代になって鉄道や車、飛行機が普及するまでは、海上交通こそが「もっとも高度な交通手段の主役だった」と指摘する。

 古代日向は、その先に朝鮮半島や中国大陸を見据える、海にひらかれた地域だった。そして、制海権を掌握した者が権力と利益を握る。その代表的人物が、『記・紀』に登場する諸県君牛諸井(もろかたのきみうしのもろい)だと北郷さんはみる。

 『記・紀』によると、諸県君の娘、髪長媛(かみながひめ)は、5世紀ごろに実在したとされる仁徳天皇に嫁ぐ。諸県君は畿内王権の外戚(がいせき)として権勢を誇ったと理解できるという。
「畿内が南九州と強く結び付く理由は、諸県君が掌握する海上交通の権益にあった」と北郷さんは記し、西都原古墳群の二つの大古墳、男狭穂(おさほ)塚・女狭穂(めさほ)塚が、諸県君と髪長媛に結びつくとみている。
(つづく)

304 :uuu:2010/06/15(火) 21:57:37
>>302

じいさん、いいことを言うじゃねえか。実際は瀬戸内で海賊行為を行っていたキャプテン・神武は
単一人物のことじゃない。北部九州から瀬戸内を通過して繰り返し畿内を襲った集団を象徴的に
あらわしたものだろうな。神武後一行は、この海賊行為によって最終的な人数はかなり膨れ上が
っていたのだろう。各地で切り取り御免で、食料と人員を確保しながら、瀬戸内の終点である畿内
に到達したと。ww

だから、どうしても神武天皇が必要なら、最終的に畿内木器勢力を屈服させたブラック・ベアードが
神武天皇だったとしてもよい。確か前スレで、神武後一行の(装備、移動、補給)とかいってたやつが
いたが、どうだかなり答えたぞ。www


305 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:01:18
>>303
(海にひらく古代日向 つづき)

 そして、諸県君や髪長媛、仁徳天皇、その後の畿内王権内の抗争などの歴史的事実をベースとして、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)、その“夫婦”の子どもの海幸彦、山幸彦などが織りなす「日向神話」の骨格が構成されたのではないか、と大胆な推測もしている。
 また、現在の串間市出土と伝えられる古代中国の謎の宝器、玉璧(ぎょくへき)についても、当時の海上ルートなどを踏まえて詳しい考察を繰り広げている。

 北郷さんは「海にひらかれていた古代日向の姿を知ることは、これから宮崎がどのように道を切り開けばよいのか、そのヒントを知ることにつながる」と話している。(神谷裕司)

・本を手にする北郷泰道さん
http://mytown.asahi.com/miyazaki/k_img_render.php?k_id=46000001006130001&o_id=3827&type=kiji


※参考サイト

◆北郷泰道 「海にひらく 古代日向」 (特定非営利活動法人「ゆめ豊かにちなん」)
http://yumeyutaka.com/index.php?Ancient%20Hyuga%20that%20opens%20in%20sea

306 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:03:37
>>304
>神武後一行は、この海賊行為によって最終的な人数はかなり膨れ上がっていたのだろう。

これは逆。水軍傭兵隊だった神武軍は、良い雇用主がなくて、結局自ら領土を所有する窮地に追い込まれた。
食い詰めた男だけの集団だから、戦死・負傷した兵は脱落していったため、畿内に攻め入ったときには、
かなり人数が減っていたから、全員で熊野を登るような少人数になった。

307 :aaa:2010/06/15(火) 22:14:24
そうですね。末席から付け加えさせていただくなら、神武一行の連戦連勝の理由など
どうでしょう。

弥生時代当時の戦争は、矢の射かけ合い(石の投げ合いなども)が中心で白兵戦が
少なかっただろうことは、鏃類の出土の多さに比して、傷痕人骨の少なさからある程度
まで言うことができるでしょう

また、倭人伝の>更更相誅殺 当時殺千余人 という記述からも、戦闘が中国本土に見
られるような大規模なものではなかったことが言えるのではないでしょうか。

それで、ここからは想像ですが、当時の長射程戦に対して、神武一行は白兵戦・・・つまり
切り込みの技術を持っていた。これはむろん大陸渡来のものです。神武一行には渡来人
もかなり混じっていたのかもしれません。

畿内説の一部の方は、ことさら九州説を貶めるため、「ぼくの考えた無敵鉄刀大九州軍団」
などと言われたりしているようですが、実際は長射程戦から一歩進化した戦術を持つ軍団
であったというのが私の推論です。

308 :www:2010/06/15(火) 22:16:01
>>306
あほうが。記紀のそのあたりの gd gd の記述を信じているのか。この低脳。

309 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:17:51
神武が強かったのは、鉄器の入手が可能だったからだろう。
敵の甲冑を小気味よく貫いて、圧倒的な殺傷能力だったはず。

310 :rrr:2010/06/15(火) 22:26:01
そうね。弥生V期の高地性集落の分布が、神武とされる海賊集団の襲来に備えた
ものだったとしたら、それはかなり長期間にわたって行われたものでしょう。いずれ
10年20年ではない。その長期間の記憶が、九州からの力の来襲として記紀に記
録されていると考えれば、実にしっくりくる。

>>302さんのレスにあるように、「吉備の高島」の仮宮のようなことが事実だったとす
れば、吉備襲来時に特殊器台などの祭祀具を取り込んで、纏向に向かったと見る
のが素直な解釈かもしれませんね。

つまり神武襲来は何波にもわたり、その度に纏にいろいろな文化が持ち込まれたと。


311 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:26:52
これって例の仮面が翻弄してるんじゃないの。

312 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:29:03
瀬戸内には、神武軍のような傭兵水軍がたくさんいただろう。
神武が全瀬戸内海を支配していたような根拠など、全くない。
支配していたのなら、畿内に攻め込まないで、瀬戸内で楽しく暮らせばよいだけだ。

313 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:40:13
神武水軍が活躍してたとしたら、
もちろん、高地性集落の時代だろ?

それなら、神武東征は1世紀で、邪馬台国はヤマトじゃん。

縄文人は本当にバカだな。



314 :ccc:2010/06/15(火) 22:41:43
>>312
しかし、残念ながらそれらの勢力が畿内に入ったという記述は記紀にはない。この神武東征説は
すべてを記紀に依存して、それにどれだけ考古学やら他の学問からの物証を加えることができる
かの勝負だ。なんなら、畿内に見る「耳あか乾湿遺伝子」の話をしてやってもよいぞ。神武は渡来
系というのは基本だ。そうでなければ勝ち抜いてはいけないだろう。

315 :vvv:2010/06/15(火) 22:47:02
>>312
>神武が全瀬戸内海を支配していたような根拠など、全くない。

記紀の神武東征神話が根拠だがね。この神話は長年に亘る九州からの進出が元になって作られたものと考えることが
できるじゃろ。火の無いところに煙は立たんのじゃ。がはは。


316 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:47:11
神武は、壊滅状態だったって記紀に書いてあるのに、

本当に縄文人は バ カ だな。



317 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:51:06
ほとんど全滅の危機に瀕した神武軍は、生き残った少人数で熊野を登り、橿原部落に住み着いた。
神武の引っ越しはこれで終了、以後移動した形跡はなし。

318 :zzz:2010/06/15(火) 22:53:59
>>313
九州勢の東征は1世紀からはじまって2世紀末の神武で一段落じゃの。
仕上げは4世紀の崇神じゃが、これには半島征伐の頓挫により都を奈良に移したのじゃな。

319 :zzz:2010/06/15(火) 22:56:12
318
おっとミスした。
これには→これは

320 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 22:56:19
いや、九州から畿内に首都機能を移転したのは、天武だな。

321 :qqq:2010/06/15(火) 22:56:50
>>313
>縄文人は本当にバカだな。

激しく同意。これまでのレスを見る限り、このコテは低学歴のようだな。

http://uproda.2ch-library.com/257362bbD/lib257362.jpg
http://uproda.2ch-library.com/257365bs3/lib257365.jpg

322 :zzz:2010/06/15(火) 23:00:35
>>316
愚かなレスよの〜。
危機はあったがそれを切り抜けてのちにハツクニシラス大王と称されておりじゃろが。

323 :qqq:2010/06/15(火) 23:04:18
なんか本物の縄文人がまぎれこんできたようだな。>>315 >>319 >>322 >>318 の短いレスは縄文人
だな。www しかしこいつにはちゃんとした考古学を取り入れた長レスを書く力はない。www


324 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:06:06
>>322

後世に、大げさな命名をしただけだな。

325 :jjj:2010/06/15(火) 23:07:12
影も形もない縄文人に怯える連中がいるようだな。

>>320
そうね。壬申の乱をそのように見ることもできるかもね。

326 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:08:49
まあ、孝徳も難波京を使っていたようだがね。

327 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:09:05
縄文時はいないのか?

じゃ、つぶやいても平気だな。

   縄 文 人 の バ 〜 カ 



328 :mmm:2010/06/15(火) 23:11:46
ということで少しまとめよう。

神武の出自ー北部九州博多湾近辺の渡来人およびその混血勢力。おそらく南九州は関係ない。
         半島から北部九州に下った。

東征の時期ー弥生第V様式期以降。

装備・軍備ー300人程度、20人乗り準構造船20隻程度。もちろん後に増えただろう。鉄刀、弓等。

補給ーーー各地に拠点を置いての海賊行為による切り取り御免。

戦闘法ーー大陸由来の白兵戦。

東征場所ー橿原、後に纏向。


329 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:12:44
神武はやったのは、東遷でも東征でもなく、掠奪的引っ越しだ。橿原部落を占領しただけだ。

330 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:16:31
>>328
>装備・軍備ー300人程度、20人乗り準構造船20隻程度。もちろん後に増えただろう。鉄刀、弓等。

そんな大軍勢を追い返せる生駒山のヤマト軍もなかなかだな。



331 :bbb:2010/06/15(火) 23:27:52
>>330
ヤマト軍?当時のヤマトは地元勢力ももちろんあったが、近江・東海からも
かなり人が入っていた。

橿原の弁天塚古墳は北部の寺川と米川が合流する付近にあった全長60m前後の
帆立貝式の前方後円墳。これは残念ながら完全に破壊されたが、ごく初期のもの
で、特殊器台と特殊壷が出てる。吉備を取り込んだ神武一行が、ここに刻んだ足跡
のDenkmal。

332 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:30:37
何なんだこの展開は?

333 :日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:39:16
火病するしかしょうがないんだよ>九州説

334 :縦目仮面:2010/06/16(水) 00:08:29
いや冗談なんだけど・・・前スレの神武東征の 「起点ー終点、装備や補給・移動は?」という問いにだれも答える人がいない
んで、今晩自分で考えてみた。それらしく繕ってはいるけど、あちこちおかしいのは見る人が見ればわかるだろ。ww 冗談なの
は今日の最初のレスを見ればわかるようにしたんだけどね。↓
>>278
>証言として、昭和天皇の大喪の礼時に八尺瓊勾玉が入った箱を持った従者は「子供の頭
  くらいの丸い物が入っているように感じた」と語ったが、これは大国主尊の頭蓋骨である。

>>303
>西都原古墳群の二つの大古墳、男狭穂(おさほ)塚・女狭穂(めさほ)塚が、諸県君と髪長媛に結びつくとみている。

これ当たってるんじゃないか。

335 :sss:2010/06/16(水) 00:46:31
>>334
男狭穂塚と女狭穂塚には興味があるな。
陵墓参考地で、調査されていないので築造年代の詳しいことはわからないと
思う。一応、5世紀とはなっているらしいが。

西都原には行った事があるんだけど、両方の古墳ともあまり良く見えなかった。
女狭穂塚の前方部がチラッと見えたけど、あれはなかなかよく出来た
りっぱな古墳だと思う。

ところで、諸県というのは、西都原付近の地名ではない。
景行天皇のところに諸県君泉媛というのが出てくるが、これは夷守の姫と
なっている。
西都原の古墳を諸県と結びつけるのはちょっと疑問。
髪長媛は、仁徳天皇が見初めた美人だったな。他に日向関係の人物がいないので
結び付けたい気持ちもわからないではないが。

336 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 00:47:47
>>335

そりゃ君は、日向の古墳を3世紀にしたいからだろ。



337 :sss:2010/06/16(水) 00:54:37
>>336
女狭穂塚はやはり中期だろうと思った。しかし、男狭穂塚にはその可能性が
あるかも。

338 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 00:54:49
>>264,>>276
レスありがとうございます。

>276
>根拠として、隋書の「天をもって兄とし、日をもって弟となす」をあげ
私もそこが気になっていたんですよね。
であるとするなら、少なくとも推古朝までは2人の王がいたわけで、
それを、天皇家と蘇我氏とみるか、
または、推古天皇と聖徳太子とみるか、
はたまた、伊勢神宮と天皇家とみるか、
もう一つアイデアがあるのですが…スレ違いですね…
気長に探してみます。

339 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 07:40:14
二人の王がいた時期は6世紀後半から670年位まで。
場所は九州秦王国と近畿王朝
小さな日本が九州秦王国 大きな倭国が近畿王朝。
新唐書の系譜は長くみせるために重複している。
実際に九州日本が大和州に移って統治したのは670年頃。
なので大和州にはすでに大きい国があったので、それと合併した。めでたく統一という運び。
実際は兄弟一族の権力争いが複雑にからんでいて、こんな単純なものではないと思うけど。



340 :誘導:2010/06/16(水) 07:52:24
※ 九州王朝はなかったのか? ※ 16
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254667104/l50


341 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 10:37:43
秦氏は京都盆地だろ

342 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 10:50:49
列島には、首長国連邦国家=倭国と、連邦宗主国=(倭奴国、邪馬壱国など変動する)があり、
非常に紛らわしい状態だった。

7世紀になっても九州国と畿内国とで連邦宗主権を奪い合っている状態だった。
だから旧唐書に、倭国と日本国が並列に書かれているのはおかしいことになる。

343 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 13:44:49
邪馬台国は4世紀初めころに倭の五王勢力に取り込まれて亡くなった。
宗書倭国伝にある。東は毛人・・西は・・海北・・・を征服したと。
その時九州にあった邪馬台国が取り込まれた。

7世紀九州の秦王国のハタ氏が畿内に入った。秦(ハタ)の名が付く人々が人名帳には
筆頭にくることからも政治上層部に入ったことが察せられる。

344 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 15:26:57
邪馬台国=倭の五王勢力だろうが。
隋書だって、隋使が訪ねたのは魏志にいう邪馬台だと伝えている。
邪馬台国がなくなった気配はないな。

345 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 15:44:38
【同一国の名称変遷】
 山ゐ国(邪馬壱国)→山大ゐ国(邪馬台国)→大ゐ国(イ妥国)

346 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 16:19:30
>>344
倭の五王勢力は九州の倭の五王は山川を駆けめぐり征伐したとあるので馬を使った勢力だと
思います。また衆夷を征伐したとあるので衆夷とは民衆のことで、そのころ多くの人口があった倭人の国々のことだと思われます。
倭人の国々の中に邪馬台国があったのですから、倭の五王に吸収され同化したと思います。
秦王国は新興国で6世紀末に九州北部に居を構えた勢力です。
随書の最初の文はかつての邪馬台国の説明、歴史を語っているだけのことだと思います。

これが隋に「日のいずるところの天子」として国書を送った国です。であるから小日本のことです。
よく間違えられるのは日本は近畿にあったと思われるけど、最初は九州北部にあった国で、
秦王国のことです。


347 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 17:00:08
同化というより倭国上層部は姻戚関係を結んで合併したかもしれませんが。
庶民はみな倭人のまま。だから日本には現在の江南に共通する習慣が多い。


348 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/16(水) 18:11:47
昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征す
ること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に
及び、強大な一国家を作りあげました。

東は毛人を征すること五十五国、
255年頃、日本武尊が関東、東北を征する。
西は衆夷を服すること六十六国、
240年代に、景行が九州を征する。
日本武尊が関東遠征の前に、九州、穴戸、難波を征する。
北のかた海を渡って、平らげること九十五国
323年 神功49年 以荒田別。鹿我別爲將軍。則與久■等共勒兵而度之。
荒田別。鹿我別爲將軍。及び千熊長彦等が勒兵(石勒の残兵?)を討ち半島の再編成をする。


349 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 18:32:10
>>346
日本の地形で本格的な騎馬戦は無理な所の方がおおいと思われます。
それに馬はどこから調達するのかな。

350 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:26:09
馬は喰うんだよ。頭からバリコバリコとな。

351 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:33:10
わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人

赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊

踊れ踊れ 踊らぬものに 誰がお嫁に 行くものか

昨日浜で見た 酋長の娘 今日はバナナの 木陰で眠る

352 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:39:28
川勝などの秦一族としては残っていたろうが、秦王国なんていうものが7世紀ではあり得ない
大国主が日本列島の農業開拓者、秦氏は養蚕や機織などの技術者、弥生時代の話
大国主は、海を照らして寄り来る神(少彦名命=秦氏の氏神)とともに国づくりをしたとある

353 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:46:24
今夜に限って、唐松山が基地外には見えない不思議

354 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:49:31
この家旦那様の お屋敷をば見てやれば 蔵の数が四十八コラ いろは蔵とはこのことだ

一の蔵は銭蔵コラ 次のお蔵は金蔵 次のお蔵は宝蔵コラ 次の蔵から俵蔵 俵蔵には米を積むコラ 

七万五千の御俵をば七十五人の人足で 大黒柱を取りまいてコラ 千戸から千石 万戸から万石

ヤッコラセイの掛け声でコラ 棟木までよと積み上げたさても見事に積み上げたコラ 

お褒め下され旦那様サ お祝い下んせかかあ様
     
目出度いな目出度いな この家旦那様は百万長者と申される

355 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 20:36:34
>>274だが、
「学問の一線」を守らないから、こういうことになる。

356 :醜の御楯:2010/06/16(水) 20:48:07
「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つ吾は」

日本書紀に記された各天皇の御事跡はすべて事実であり、これを疑うものは
売国奴である。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳

357 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/16(水) 20:49:16
みんな神功49年をねつ造として、思考してきたから
原子爆弾並みの威力に吹っ飛んだんじゃあないか?


358 :醜の御楯:2010/06/16(水) 20:57:22
神功皇后陛下の三韓征伐は史実であり、蒙昧なかの国を礼化し徳化したものである。
皇后の非実在説など、きわめて不敬であり一顧だにすべきものではない。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳

貴様らは己の楽しみで書き込みをしているのだろうが、こちらは皇国の将来を憂えて
おるのだ。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳

359 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 20:57:51
自分にはすごい発見でも、他人からみたら興味が無いということは往々にある。


360 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:13:44
醜の御楯さんのご意見では、今の皇太子妃の評価はどうですか?

361 :醜の御楯:2010/06/16(水) 21:27:07
>>360
皇族の方々は臣民に評価される対象ではない。まいてや一挙手一投足を報道される
などもってのほかである。先の敗戦がこのような社会風潮を招いているのであろうが、
このような国に真の愛国者は育ち得ない。まことに残念であると自分は考えている。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳


362 :醜の御楯:2010/06/16(水) 21:33:19
この国を憂える皆、靖国に集おう。この少子化の危機にあって「産めよ増やせよ」とも
口にすることのできない国を憂う。何が個人の自由か!皇国が、この尊き神の国が
まさに滅びゆく途上にある。この国の戦後歴代の為政者は、英霊に詫びよ。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳

363 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:36:52
このところ「ゆるふん首長連合」論者が姿をみせないな。

364 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:42:45
>>362
大室寅之祐がどうしたって?

365 :醜の御楯:2010/06/16(水) 21:44:41
死して英霊に詫びよ。天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳
http://uproda.2ch-library.com/2577324GD/lib257732.jpg

366 :醜の御楯:2010/06/16(水) 21:46:11
>>364
貴君とは話し合う必要があるようだ。とりあえず調査する。

367 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 22:14:00
>>366
孝明天皇は、二人の医師(菅修次郎・土肥一十郎)が駆けつけた甲斐もなく、刺殺されて亡くなった。
それがどうしたって?

368 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 22:27:21
「今日よりは還見なくて大君の頻の見立てと出で立つ吾は」

帰ってくるあてはないが 大君の命だと責め立てられて 私は今から出かけてくるよ

369 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 22:48:56
御常御殿の日拝石は伊勢神宮を遥拝するためのものではない、文字通り日の出の太陽を拝む場所である
そもそも、天皇は天照(太陽の神化)だけを拝まない、天皇は「明神(みようじん)」を祭る祭主、文字通り、太陽と月を拝む
祐宮(さちのみや:明治天皇)に遊ばせる為にアヒルを飼っていただって? 
とんでもない、阿比留などの水鳥は水神の眷属でもある、象形埴輪にもなって古墳の周囲に並べられている




370 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 23:27:16
最近はどうか知らないが、ちょっと前にお地蔵様などが盗まれる事件が多発したよね。
でさ、神社の禁足地とかで警備の手薄な処とかが狙われたりしないかな?

誰も注目しなかった神社に重要な御神体が眠ってるということもありうるよね。
それが、卑弥呼の金印だったりして、盗まれて海外に流出でもしたら、大損失。

信仰が重要なのはわかるけど、御神体を博物館に預けたくらいで揺らぐような信仰なら、
本物の信仰心とはいえないと思うんだよね。
だから、警備の手薄な神社に関してはどんどん公開した方がいいと思う。

371 :日本@名無史さん:2010/06/16(水) 23:42:44
畿内説の詐欺の手口もどんどん公開。

372 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 00:00:09
大仙古墳をユネスコ世界遺産に再度申請するらしいが、
中身を調査してからにしろって

373 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 00:12:54
>>371
そう思うなら君が暴いたら?

まぁ返り討ちされるだけだろうが。

374 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 00:16:20
>>373
はい、そこ、イッパツ書き逃げピンポンダッシュの
アホの九州王朝説サイキバ君に無理な事を言わない。



375 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 00:28:18
ダッシュしなくても、畿内説の根幹は詐欺だから、あわてる必要なし。

376 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 00:33:22
お、やっといつもの調子に戻ってきたなwww

377 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 00:59:00
九州説論者御用達のドラマ

http://wwwz.fujitv.co.jp/sunao/trailer/index10.html

378 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 01:36:09
畿内説に酷似した足跡
http://www.asahi-net.or.jp/~xn9h-hysk/godhand/siryou/asiato.htm

379 :Johansen:2010/06/17(木) 03:17:30
I am Danish, and studying the history of Japan. Where Were Yamataikoku?
Please tell me briefly in English.

380 :sss:2010/06/17(木) 04:17:20
There are people thinking that there was Yamataikoku in Nara,
but I think that the possibility that Kyushu had Yamataikoku is higher.
Kyushu is a big island in the Japanese southwest.

Yamataikoku widened power before long toward the east.
And Jinmu succeeded to the throne to the emperor in Yamato(Nara).
This was the opening of the Japanese Emperor.

381 :Johansen:2010/06/17(木) 04:33:04
>>380
Thanks for the quick response. When Jinmu charged into Nara?


382 :sss:2010/06/17(木) 04:48:51
>>381
I think that it is the beginning in the fourth century.
There may be the person of the different thought.

383 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 08:09:30
>>379
Many Japanese think that Yamataikoku was in Kyushu Island.
The following website is only for Japanese.
http://www.yu-ji.com/www/msgenq.cgi
http://history.blogmura.com/board/enq/result54_1402_0.html


384 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 09:34:50
外人にまで布教ごくろうさんだねえ。

そんなに天照大神を魏に朝貢した売国奴にしたいのかね?


385 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 09:51:44
自作自演だろ

386 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 11:16:30
日本史の教科書には、次のように書いてあるそうだ。

 大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。古墳はおそくとも4世紀
の中頃までに東北地方中部にまで波及したが、これも東日本の広大な地域がヤマト
政権に組み込まれたことを示している。

 こんなでたらめを教えていいのかね? 4世紀にそんな広大な地域を支配下に
おいたヤマトが何で中国や朝鮮の史書に一言もでてこないんだ? こんな教科書
で嘘を教えるから、畿内説を信じるアホが再生産されるんだ。

387 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 11:26:18
東北地方にまで広がった装飾古墳の中心地が熊本県であり、
装飾古墳が畿内には少ない、という事実をも無視してるな。
大和地方の政治連合があったとしても、極めてローカルに
とどまっている、という事実しか見えてこないわけだが。


388 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 11:38:00
>>387
装飾古墳は、邪馬台国時代よりずっと後だぞ
横穴式石室が登場してからの話だろ

389 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 11:39:55
4世紀古墳の話にどうして邪馬台国を持ち出す?

390 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 12:07:33
古墳時代は邪馬台国ではなくて、イ妥国だろう。

391 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 16:03:02
>>387
九州勢力が本州各地に散り、全国を押さえていた。主に北九州の連中はどこ、熊本の連
中はどこといった具合になるはずだ。九州の中でどこの人たちが中心だったかで、本州
各地の墓の造り方に少し差が出たということだろう。

392 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 17:34:18
このスレだけみてると九州説がすごく人気で、
畿内説は浸透して無いように感じるけど、
現実社会の人と話すと、九州説なんて誰も興味ないことを思い知らされる。


393 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 17:43:45
× 現実社会の人と話すと、九州説なんて誰も興味ないことを思い知らされる。

○ 橿原業界人と話すと、彼らが九州説を叩きつぶすために活動していることを思い知らされる。

394 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 17:58:29
>>393
本物のヒキコモリなんだろうなあ。

普通の、どこでも社会にいる人と話してごらん。
普通の人は、「邪馬台国」の「ヤ」の字から興味ないから。

395 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 18:04:26
業界引きこもり詐欺集団=畿内説

396 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 18:08:55
>>392
シロート連中は、マスコミ報道にマインドコントロールされているから。
マスコミは橿原報道(畿内説学者の詐欺理論)に飛びつくから

397 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 18:15:25
利権に群がる業界人だけが、邪馬台国が畿内でないと困るだけ。
一般国民は邪馬台国が九州にあったと、ストレートに真実を見抜いている。

398 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 18:34:47
自分の周りにも、邪馬台国に興味ある人はいないな。
「邪馬台国はどこにあったと思う?」と聞いても、
「わかんない」とか「九州か関西でしょ」ぐらいの返事で、むしろ、
「何でそんなこと聞くの?」みたいな顔をされるんだよね。
ちょっと寂しい。
まぁ、さすがに邪馬台国や卑弥呼の名前を知らない人はいなかったのは幸い。

BBSなどを見てると、ちょっと興味のある人でも、
漢委奴国王印を卑弥呼の金印だと思っている人もいるようで、
金印が福岡から発見されたから、邪馬台国は九州だと考えてるふしがある。

という自分もただの一般人で、ちょっと興味があるという程度。
興味を持つまでは、漠然と九州だろうと思っていた。
今は「わからない」というのが本音ですね。

399 :sss:2010/06/17(木) 18:40:04
>>392
2007年 3月14日にNHK「そのとき歴史は動いた」で、世論調査をやっている。
その結果は、
九州説支持 35,087票 
近畿説支持 21,102票
一般的にも九州説支持の方が多い。

近畿地方だけだったら、九州説 4,028票 近畿説 7,499票で近畿説の方が
多いが。

400 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:03:21
>>399
一時期に比べたら、九州説支持は、激減してるということだな。





401 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:08:18
近畿地方の人でも九州説を支持する人が34%もいることに少々驚いた。

神武東征はどれくらいの人が信じているんだろう?
「神武東征 アンケート」で検索したけど見つからないな。


402 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:13:35
最近の女子高生が神武東征に詳しいとはおもえんがな。

403 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:21:00
女子高生かよワロタw

404 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:25:29
女子高生に限らず、幼稚園、小学生、中学生、高校生、大学生、リーマン、
古典文学専攻ならともかく、普通社会人の誰と話しても、神武東征で会話が弾むとは想像できませんが。

よくいわれてるが、このスレだけ浮世と隔絶してるんだよ。
君らも、普段はいったい誰と話してるんだ?


405 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:45:32
404が書きこんでいる隣に、太国と唐松山が座っている予感。

406 :醜の御楯:2010/06/17(木) 19:47:28
天に代りて不義を討つ  忠勇無双のわが兵は 歓呼の声に送られて 
今ぞいでたつ父母の国 勝たずば生きて還らじと  誓う心の勇ましさ

邪馬台国は無論九州でしょう。先学本居宣長の説くごとく、
漢に朝貢などしたのは九州にすむ熊襲の類であって断じて
日本の天皇ではないのであります。神功皇后の御名を騙っ
た土蜘蛛の女賊ということでしょう。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳

407 :醜の御楯:2010/06/17(木) 19:54:12
自分が街宣に乗って靖国神社に立つようになってから随分
星霜を経ました。その間には世相も推移して、今や古代に
思いを馳せる心の余裕を持つ人は少ないということでしょう。

かしこく尊き各天皇(すめらみこと)の御事跡に心を馳せ、日
本人として生まれたことを感謝すべきでありましょう。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳



408 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:56:34
>>399
>近畿地方だけだったら、〜近畿説の方が多いが。
普通の人は、倭人伝を読んだことがないからな。倭人伝を読んで、まともな
思考ができる人だったら、近畿説には惑わされないだろう。

409 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 19:58:36
>>406
北朝鮮のテレビ放送と似ているな

410 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 20:00:54
>>408
ていうか、日本書紀に「邪馬台国」も「卑弥呼」も一切登場しない
と知れば、おのずと近畿説には惑わされないだろう

411 :醜の御楯:2010/06/17(木) 20:05:15
>>409
北朝鮮は独裁者の国です。国民の多くが餓えて死しておるのに、
独裁者と腐敗した幹部連の贅沢ために贋金や覚醒剤を国家事業と
して作り続ける国です。

「民、うながされずして材を運び簣を負い、日夜をいとわず力を尽
くして争い作る。」・・・この仁徳天皇の御事跡を思うべきでしょう。

http://uproda.2ch-library.com/257995uai/lib257995.jpg

412 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 20:07:30
>>406
熊襲は当初、邪馬台国の構成民ではない。
倭の五王の時代には熊襲が九州政権内に入っていたはず。

天皇は最初に九州政権だけから出ていたが、6〜7世紀になると、
畿内政権から天皇が出ることもあった。

畿内政権のほうが文化水準が低く、畿内政権が書く漢文も
倭臭のするものだ。九州政権の書く漢文は見事なものだ。

あと、「大室万歳」ってワメいてる理由はなぜ?

413 :醜の御楯:2010/06/17(木) 20:11:05
>>412
ほほう「大室」とは昨夜の方ですね。貴公とはぜひ話し合いの場を持ちたい
ものです。

414 :醜の御楯:2010/06/17(木) 20:17:07
自分は中学を卒業してすぐに皇の道に入り、すでに二十余年が
経過しております。自分は無学なため、多くの先輩に導かれて日本
書紀を読んでまいりました。ここに記されていることが皆真実である
かは異論もあるのでしょう。しかし日本国民・・・帝国臣民の心の礎と
して今こそ読み直す必要があるものと考えます。

天皇陛下万歳 天皇陛下万歳 天皇陛下万歳

415 :醜の御楯:2010/06/17(木) 20:57:26
「万歳」の語は元来はシナ由来のものであり、漢籍にある「千秋万歳」
から採られたと承知しております。自分らはすべてのシナ伝来の文化を
否定するものではない。万歳は皇帝のみに用いられ、その寿命の長命と
世の長久をことほぐ意でありましょう。

地政的に極東にある文化流るる果ての国が、むしろ独立自尊の気概を
持ち、「日の出ずる国の天子」というアイデンテイティーを持ちえたことこそ
誇るべきことでしょう。

416 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 20:59:22
アスペの次は右翼かよ。ケッ。

417 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:01:31
自分も日本の皇室には誇りを持っているが、
イデオロギーと学問は別にしないと。ここは学問板。

天皇家の祖先が朝貢したかどうかは、調べてみて初めて判明すること。
「朝貢するはずがない」というのは、根拠なきイデオロギー。

418 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:04:22
また七色仮面に翻弄されてるのだと思う。

419 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:13:18
>>417
朝貢してたと強弁する必要もないよな。

九州説というだけなら問題ないが、東遷説は完全売国奴だ。


420 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:24:09
天皇家の臣民としては、天皇が選択した以上、朝貢でも何でも
受け入れるべきだ。


421 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 21:35:16
天照大神が朝貢したという証拠が無いのに、
受け入れる必要などないね。


422 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/17(木) 21:58:00
天皇陛下万歳もいいが、
323年 神功49年 以荒田別。鹿我別爲將軍。則與久■等共勒兵而度之。
荒田別。鹿我別爲將軍。及び千熊長彦等が勒兵(石勒の残兵?)を討ち半島の再編成をする。

を受け入れると云うことは、万世1系を否定することでもある。


423 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 22:00:29
そもそもアマテルに「大神」などという文字をつけて、さらに三流学者の本居宣長が
「アマテラスオオミカミ」などという胡散臭い読みをつけて流行らせてしまったのがいけない。

アマテル発祥の地、対馬では、阿麻氏留神社であり、読みはアマテルである。
世界最高神でもなんでもなく、出雲の神の部下だった。それがあるとき下剋上の謀反を
おこして、出雲の神をやっつけて征服してしまった。

この孫がニニギの命。その曾孫が神武。ニニギの次から神武の前までは、王さまですらない系譜。
で、醜の御楯が礼讃する天皇初代は神武ということになっているが、神武は橿原部落を
支配しただけの村長にすぎない。天下を治めたことも、日本列島の過半に君臨したこともない。

天皇など大したことはないのだ。まあ、天皇制は大事にしたほうがいいけどね。
醜の御楯よ、現実的な考えを持て!

424 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 22:10:47
右翼の次は古田信者か? このスレはまったく・・・。

425 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 22:12:07
利権に群がる畿内説詐欺師集団よりいいだろ。

426 :醜の御楯:2010/06/17(木) 22:33:38
右翼・・・確かに戦闘服で街宣車に乗っていればそう見られるのは当然かも
しれないが、自分らとしては民族派と呼んでもらいたいのだが・・・。

自分たちはむろん親米派ではないが、大義なきイラク戦争であっても、戦死者
は国旗に包まれ、畏敬の念を持って迎えられる・・・日本がそういう普通の国に
戻ることを願ってやまない。

そろそろ自分の時間は終わりのようだ。



427 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 22:39:59
>>426
日本の民族派って、だれが組織したか知ってるの?

朝鮮労働党が田宮高麿らに、極左組織を偽装極右組織として、
民族派という名称で、極左組織を作ったわけ。

だから民族派の上層部は、在日朝鮮人が非常に多いわけ。
朝鮮労働党直営だからね。それを知ってて加わってるの?

428 :醜の御楯:2010/06/17(木) 22:53:55
>>427
そのようなことは貴公に講義される必要はない。自分たちは牛嶋徳太朗先生に
連なる系譜である。もう時間だ、KHMが来る。

429 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:00:58
朝貢の理由はいつも対クマソ(隼人含む)政策の一環だね。
バックに世界最新鋭、最強の軍を持つ勢力が控えており、いざとなったら援軍をたのむことも可能。
これを常にちらつかせる。
戦後の日本も似てるじゃないか。

430 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:05:55
>>429

結局、どうして吉備や出雲から傭兵を徴用しなかったんだ?という自己矛盾。



431 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:14:56
>>429
早稲田の政経はほとんど革マルだ。全共闘運動の闘士だよ。
極左を偽装転向させて、民族派に仕立て上げたのが田宮高麿らの功績だ。
君の属している右翼は、北朝鮮系右翼だ。

432 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:16:50
祁布与利波 可敝里見奈久弖 意富伎美乃 之許乃美多弖等 伊埿多都和例波(万葉集巻13)

「醜の御楯」という間違った解釈を生んだ防人の歌がこれだ。民族派がこの言葉に飛びついたのだが、
元歌は家族を残して去る男の悲しみを歌っている。こっけいな話ではある。

433 :ghost of KHM:2010/06/17(木) 23:20:17
私の時間が来たようですな。(笑

434 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/17(木) 23:27:20
隼人は古墳前期、もっとも大和に仕えた優秀な部下であった。
高句麗に破れてから、船便が無くなると、トップは畿内に移る。

ここから残された隼人は大和に背く。


435 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:29:24
そもそも万葉集は、畿内政権が編纂したものではなく、九州政権がオリジナルを編纂したものだ。
だから九州政権の王様が詠んだ「本歌」がバッサリと削られていて、第一巻がなんと「雑歌」から
始まっている。

防人も九州政権が九州政権のために徴兵した兵隊であって、醜の御楯氏が思い込んでいるような、
大和朝廷の天皇陛下のために出征しているのではない。

436 :日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:56:08
まあしかし、
「天皇家と邪馬台国とは無関係」という共通認識が
このスレでも定説となりつつあると思われるのだが。

437 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 00:18:18
>>436
必死に天皇家と邪馬台国を関連つけようとしてるのがSSSという売国奴。


438 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 06:53:54
モモソヒメだとすれば関係なくはない。
葛城と大王の関係を見れば明らか

439 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 07:07:37
>>436
共通認識とか定説というのはまったくあてにならない。


440 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 08:50:03
モモソヒメだとする根拠が無い。

441 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 10:17:21
>>434
隼人が背いて長い期間そのまま? 権力者がそんな状態を放置するか?

442 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 10:34:37
自分は防人が変だと思っていた。
11世紀の刀伊の入寇でさえ、朝廷は恐ろしく冷淡で
九州の豪族が撃退しても、無いことにさえなっている。
これは太宰府が半ば独立国に近い状態であることを意味する。

そんな状態で、それ以前の7〜8世紀に、
京から遠い地に全国から徴兵を行なうだろうか。
反乱の原因になってしまうと思うのだが。

443 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 13:04:21
>>442
壬申の乱では、毛の国王(栃木+群馬)が勢力を持っていた様子があり、
それ以前の半島長期戦争時代から、九州政権の指示で、毛の国王が
関東の徴兵を九州に送っていたのだろう。

装飾古墳が畿内を除いて、熊本を中心に東北にまで広がっていたことも、
このことと関係あるかもしれない。半島からは福岡県沿岸は狙われやすく、
熊本県の有明海から遠回りした海軍は、半島から襲われにくい。半島進出
している時代は、熊本を根拠地にしたほうが安全だと思われる。福岡沿岸は
土木工事と防人配置で敵を寄せ付けないことが前提だが。

444 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 13:48:43
大宰府って平清盛が任官しているし、西国の水軍を操っていた平氏の勢力下だな
桓武以来の平氏系天皇が後白河の登場で終わった

445 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/18(金) 20:52:43
>>441
都城や大隅に古墳は作られたが、奈良時代まで造り続けることは無い。
そして奈良時代の隼人は…


446 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 21:03:09
隼人は室町時代には、倭寇に加担していると思うが

447 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/18(金) 22:58:06
室町時代の倭寇は、そのほとんどが作り話である。
中国の沿岸部で自由な貿易が出来ないから密貿易船を倭寇と言いくるめた処がある。
貿易が許されると、倭寇も下火となる。
倭寇が本物ならこうはならない。


448 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:15:39
畿内説には「ゆるふん連合」や「前方後円墳」や「三角縁神獣鏡」の他にネタはないのか?あれば出せ。
但し、醜の御盾なんかは要らん。あんなのは恥ずかしくて見ちゃおれん。

449 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:19:40
>>447
>そのほとんどが作り話である。

はあ?日本列島人だけの組織じゃありませんよ。
尋常小学校の国史で習いませんでした?
民族混成極東バイキングですよ。

450 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/18(金) 23:22:49
神功49年には、勒兵が登場する。永嘉の乱で説明せねばならない。
323年癸未 千熊長彦

ここが北方の民が倭国に流入した場所になる。


451 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:40:29
唐松山氏は尋常小学校に通ったくちかな。若しかすると国民学校かも知れん。

452 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:50:33
魏志倭人伝の記載が正しいのなら、筑後の山門郡辺りが「女王之所都」だと思うんけど、
壹與の時代に入ると新都を豊国(行橋市〜中津市)に移しているんだよね。

こんな状態だから、卑弥呼と壹與の時代では邪馬台国の所在が異なるんだわ。
壹與の墳墓は、考古学会から忘れられた京都郡の何処かだと思うな。

筑後の山門郡も旧豊国の京都郡も、本格的な発掘調査を行えば邪馬台国の実態が現れるのにね。
山門郡と京都郡は、志賀島みたいに金印が発見されてもおかしくない地域。

453 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:52:03
唐松山はたぶん、新潟の尋常小学校か国民学校で、
奉安殿の御真影に最敬礼していただろう。

454 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:53:51
畿内説の「ゆるふん連合」ってナニ?美味しいの?

455 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:54:39
>壹與の時代に入ると新都を豊国(行橋市〜中津市)に移しているんだよね。

それは初めて聞いたけど、どうして分かったんでやんすか。

456 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/18(金) 23:58:04
卑弥呼は住吉が奉斎した、橿日廟。


457 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:58:54
状況証拠は九州なんだけどね。
なぜか「考古学的成果」というやつは畿内に集中している。

状況証拠=人類誕生以来不変である人間の普通の感覚
考古学的成果=後付けでどうにでもなる屁理屈

458 :日本@名無史さん:2010/06/18(金) 23:59:07
>畿内説の「ゆるふん連合」ってナニ?美味しいの?

美味しくないと思うよ。隱金が流行ってキツく締められなかったんじゃね〜か。

459 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:00:16
>>454
畿内説の「ゆるふん連合」とは、エンゲルスもびっくりするような、畿内説詐欺の前提となる理論。
卑弥呼の時代から平安時代の大和朝廷まで、予定調和的に一直線に全国支配を強めていったとする、
タイムマシンで見てきたような、詐欺理論。

460 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/19(土) 00:03:28
『延喜式』18(式部上)・橿日廟条〔222〕
凡橿日廟宮舎人一人。大臣武内宿祢資人一人。預二得考之例一。


461 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:11:47
>>459
>予定調和的に一直線に全国支配を強めていったとする

小学校からやり直せ馬鹿者。
サイキバかサキキバレベルのゴミクズだな。

最初はゆるやかな連合体から始まり
時に畿内ヤマト王権が中央集権的な国家を目指し
時にそれが阻まれ反動があり…と言う綱引きを繰り返したのが
日本の古代史の一本の縦軸と言うのはもはや日本人の常識
邪馬台国論争も関係ない。

その最初の画期として雄略あたりが挙げられるのも常識。

こう言う馬鹿の言う「畿内説」とは「邪馬台国畿内説」に非ず。

要するに「九州王朝説」「九州版皇国史観」に反する
何の事は無い一般に常識通説とされている歴史観。

この板の九州説はもはやこの程度の物が主流のゴミクズ九州説。

462 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:16:44
>>461
まあ、西暦でいう400年頃からなら、きみの言うような感じで大体正解かな。

463 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:25:33
そもそも「首長連合体」を否定するならヤマト王権の進展のモデルは
強力な中央集権的国家が、先ず奈良盆地の東南部に起こり
それから徐々に外に向かったその版図を拡大したって話になる。

(無論その拡大が停滞した時期、内外の原因により縮小した次期もあったと言うことになるのだろうが)

が前方後円墳や神獣鏡の広がりはそのような段階的な拡大のモデルではなく
一気に広がっている。

この板の東遷厨は4世紀中頃に東遷勢力が一気に日本を支配したと言い
九州王朝説なら全国支配していた九州王朝をある時期に畿内ヤマトがのっとった形か?

…まあ何れにせよもはや「邪馬台国論争」の枠なんかはるかに超えた
基地外集団の戯言に過ぎない。

こんなイカレた連中に「邪馬台国九州説」の看板を許して良いのかとさえ思うw



464 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:27:09
最近のサイキック・バカは「www」を自重してると思ったら、
相変わらず自作自演で「ゆるふん連合」やってるんだね()笑

>>461
>>462
とか自演丸出しじゃん

465 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 00:33:43
>>464
あなたは髭撫毛が腑欄胎の方に向いとるようですぞ。お気を付けなさい。

466 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:40:32
考古学の成果を元に理論を主張する人間は、
常に「自分の理論は間違っているかもしれない」と思うがよい。
それは過去の、偉い考古学者の理論を見れば分かる。

現在の考古学の成果は、必ず将来に覆されることになる。

467 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:40:50
葛城の日巫女と三輪の大王の連合。これが大和国の原型

祭祀王は葛城、俗世王は三輪。これで共立がなった。
俗世王方の祭祀王廃絶のクーデターが乙巳の変。

468 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:45:54
>>466
確かに考古学なんて分野は一つの遺跡・遺物で
用意に「イッパツ逆転劇」が起こりやすいジャンルのだろうが

それが起きたならそれを踏まえてより蓋然性の高い説にシフトすればよいだけの話だ。

それを拒んでイチャモンつけるしか能の無いアホ集団が
この板のゴミクズ九州説の連中www

469 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:53:06
>>461
7世紀、九州政権が評という行政単位を全国に敷いた。
万葉集も九州政権下で編纂された。
防人も、九州政権が自政権のために徴兵した。

九州政権から出た天武が、畿内に首都機能を移して、
これらを引き継いだ、というのがこれからの常識だ。

いまさらエンゲルスの原始共産制理論=畿内説ゆるふん論
を振り回されても、純粋な幻想にすぎないんだよ。

470 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:54:58
△鏡舶載説、箸墓卑弥呼墓説、ゆるふん説、どれも詐欺理論ばかりじゃん。

471 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:58:02
>>469 サイキバ
>というのがこれからの常識だ。

「これから」っていつからなんだ?w

とりあえず歴史教科書から変えていこうな?www

それから言っておくが「ゆるやかな首長連合」と言っても
地の一滴も流れない和気藹々の仲良し倶楽部…なんてものを想像しているのは
お前みたいなここの九州王朝説の能天気集団だけだからなwwww






472 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 00:59:59
サイキバじゃなくてサイキバ化した「九州王朝大好き」かもw

473 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:01:19
伝承にある通り、壹與の国を豊日別とするなら、当然、卑弥呼時代の邪馬台国とは所在が異なる。
豊日別にあった旧京都郡周辺を発掘調査しない限り、壹與の国(豊日別)の実態は不明のまま。

この地域だと、国作〜総社地区の国府跡くらいしか満足な調査が行われていないわけよ。
要するに、ここいらの地方自治体には発掘調査を行う予算すらないのが実情。

474 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:03:18
>>461
まだ「ゆるやかな連合」なんて言っているのかwww

大きさがまちまちな各地の勢力が、民主的に話し合って連合でもしたというのかな?
お花畑ですな。

連合なのに、中心は常にヤマトなの?
ふーんww

475 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/19(土) 01:04:35
>現在の考古学の成果は、必ず将来に覆されることになる。

それはどうかな?

現在の考古学の数字は書紀を太陰暦で読むことが出来る。


476 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:06:19
「アメリカの国債を買わない」ことをカードとして
橋本龍太郎は使ったが
翌日アメリカの株は大暴落しただけでなく、
橋本は反米政治家としてマークされた(@wぷ

橋本の娘は、
六本木のクラブで米兵に強姦され、
その米兵はアメリカに逃げ帰ったという。

477 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:07:21
>>474
>民主的に話し合って連合でもしたというのかな?

今まで俺はそんな事を言った覚えはないし。
「首長連合」と言う語が見える本でもそんな内容を読んだ記憶が無いw

 連合=近現代的な民主主義・人道主義・平和主義

…みたいなアホな連想はここの九州説でしかお目にかかったことが無いwww


478 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:08:04
橋本龍太郎の娘は六本木の路地裏で黒人米兵数人にレイプされた。
しかも娘の開マン写真を送りつけて橋龍を脅していたという。
アメリカはやることが違うね。

479 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:19:21
ここの「首長連合」に噛み付いているような九州王朝説のアホ連中が
根本的に理解していないのが「ヤマト王権の変質」

最初は甘言を弄し後から真綿で首を締め付けるような
やり方と言うのはその脳味噌では想像もできないらしいw

脳味噌お花畑
「むてきの きゅしゅう てっきぐんだん が ぜんこく を せいふくしました」
と言う筋書きが限界か?wwww

ちなみにwikiあたりに見える「ヤマト王権の変質」について以下

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9#.E7.8E.8B.E6.A8.A9.E3.81.AE.E5.8B.95.E6.8F.BA.E3.81.A8.E5.A4.89.E8.B3.AA
>王権の動揺と変質 [編集]
>継体・欽明朝の成立(古墳時代後期前半) [編集]
>ワカタケルの没後、5世紀後半から末葉にかけての時期には、巨大な前方後円墳の築造も衰退しはじめ、一般に小型化していくいっぽう、
>小規模な円墳などが群集して営まれる群集墳の造営例があらわれ、一部には横穴式石室の採用もみられる。
>こうした動きは、巨大古墳を築造してきた地域の大首長の権威が相対的に低下し、中小首長層が台頭してきたことを意味している。
>これについては、ワカタケル大王の王権強化策は成功したものの、その一方で旧来の勢力からの反発を招き、
>その結果として王権が一時的に弱体化したという考えがある[24]。

480 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:25:04
あーあ、また壊れたか。
定期的に壊れるなあ

481 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:36:35
サイキック・バカは耐性なさ杉

火病を起こすのは朝鮮人だけだと思ってたわー

さいきっくぱか さいきっくぱか きないせつ ぱかにするな ()笑

482 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:36:43
一大率が「ゆるやかな連合」をやさしく見守っていた、なんて記述は、
畿内説詐欺しか言わない、嘘八百理論だなw

483 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:39:26
畿内政権が予定調和的に全国を支配していくインチキ理論が、「ゆるやかな連合」論。

魏志倭人伝には、ゆるやかでない「激しく緊迫した連合」しか載っていないわけだが。

484 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:42:34
>>482
畿内説では記述の有無なんてどうでもいいらしいよ。
流石は詐欺師集団のゆるふん連合()笑

485 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:47:13
まあ、朝鮮労働党が田宮高麿らに、極左や在日朝鮮人を集めて、
日本国内でエセ民族派の過激グループを作らせたわけだから、
天皇陛下万歳畿内馬鹿だとか、大馬鹿国粋畿内派だとか、
本当は極左や在日や同和関係者なのに、日本男児代表みたいな
そぶりを見せながら、北朝鮮に協力している工作員が街に繰り出し、
ここにはゴキブリやダニのような畿内派がいっぱい湧いて出るわけだ。

486 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:49:42
>>483
「激しく」とか「ゆるやか」なんてのは言葉のあやの範疇でしかないが
それでも「連合」と言うのは使うわけだwww

そもそも「首長連合」に噛み付いているようなサイキバレベル連中なら
連合体なんて物自体が

「そんな生ぬるい物が存在したはずが無い」

…と言う主張になりそうなもんだがwww

>畿内政権が予定調和的に全国を支配していくインチキ理論が、「ゆるやかな連合」論。

…と言うのならヤマト王権がいかにしてその勢力を伸ばして言ったか
インチキじゃない”正しい理論”を聞かせてもらえるかな?w


まさか九州王朝による九州王朝のための九州王朝説じゃないとは思うがwww



487 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 01:57:31
しかしこのスレで少し前からイデオロギー論争的なものが出てきているが

やっぱアレかな?

ここの九州説の連中はウヨとの親和性が高くて
畿内説=サヨ=許すまじ!…って構図になっているのかな?www

ウヨクと言っても色々で大川周明とかは
「天皇は古代豪族の生き残り」と言い切ったんだったかな?w

まあ今時「九州王朝説」や「東遷説」に頼らないと
アイデンティティを確保できないようなウヨは流石に先が無いと思うがwwww


488 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:05:00
いいや、天皇陛下万歳絶叫を繰り返す右翼がこのスレで畿内派を主張したのだが、
その属する組織は朝鮮労働党直営の民族派団体だった。

それだけの話。


489 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:06:15
>>481
同意。あおりがいがあるけどね。

490 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:06:59
要するに、変な宗教だとか、基地外思想にかぶれちゃってる馬鹿は、
簡単に畿内説詐欺に騙されるというわけだよ。

491 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:08:31
三角縁神獣鏡舶載鏡詐欺
箸墓卑弥呼墓詐欺
ゆるやかな連合詐欺

馬鹿はこういう詐欺理論に弱い。

492 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:10:57
まあウヨクだろうがサヨクだろうが
ここの九州説(中身は「九州王朝説」「東遷説」)が
ゴミクズであるのは間違いないwwww

しかし考えてみれば少なくとも邪馬台国ブーム以降の九州説は左のカラーが濃いと思うがw

ブームの立役者の一人松本清張や多元史観wの古田とか
どう見ても左だよな?w




493 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:12:24
しかし、邪馬台国は大和で何の問題もない話なんだけど、
執拗に畿内説に絡んでくる人っては、
やっぱり世間と乖離したヒキコモリニートってことなんだろうな。
畿内説を叩くことでしか、自己のアイディンティティを保てないというか。

畿内説が気に入らないなら、それに変わる自説を展開すればいいのに、それも出来ない。
卑弥呼の都はどこか?
卑弥呼の鏡はどこか?
卑弥呼の墓はどこか?

何一つ提示してくるものは無い。
そのへんを追求すれば「これから発見されるのだ」という。
そんな幼稚な相手とは議論にもならないんだよなあ。

494 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:17:33
本来議論というのは、

卑弥呼の宮殿は、吉野ヶ里だ!
卑弥呼の鏡は、後漢鏡のお古だ!
卑弥呼の墓は、どこかの公園だ!

という主張に対して、論理的に検証していくものであるはずだが、
九州説の人は、「九州説の証拠はまだみつかってない」「畿内説は詐欺」の、一点張りだからねえ。
ここでいくら畿内説を詐欺だと喧伝したところで、
九州説信者が増えるわけじゃないと思うよ?

やっぱり、九州説を広めたいなら、持説を丁寧に主張していかないと。
それができるならね。


495 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:19:00
サイキック・バカって、成りすまし朝鮮人の分断工作じゃないの?

496 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:25:48
九州説信者が悲鳴をあげてるのは、畿内説側にも責任があって、
古田とか安本とかの洗脳を解くならきちんと解いてあげないと。
洗脳が解け始める頃が、一番攻撃的になるというか。

まずは、邪馬台国の時代の九州が衰退傾向にあったことを説明すべきなんだろうね。
九州に鉄器が多いってデータを信じてる人が多いけど、
邪馬台国時代の遺跡で鉄器工房って九州のどこにあるの?
それすら即答できる人なんていないんじゃないの?



497 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:28:10
>>494
>本来議論というのは

まあ2ちゃんでまともな議論と言う物を望む事自体無理なんだろうがw

それでもせめて議論ゴッコぐらいの体裁を繕うためには
ある程度は共通の認識土俵って物が必要。

少なくとも今の日本の義務教育で学習した歴史ぐらいは
最低限におかないと話にもならない。

話の途中で
「地球が丸いなんて証明されたのか!」
とか火病起こされたら話の進めようが無いw

で、九州王朝説なんてのはそう言った日本の義務教育レベルから
ひっくり返そうってお話だから
元より一般人に受け入れられる物でもないwwww


498 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:28:35
>>494
まあここに常駐つーか流れ着いてきた九州説なんてのは
他所でまったく相手にされないであろうと思われる連中ばかりだからな。

他所では九州王朝説やら東征説なんてのは、真っ先に九州説論者から馬鹿にされる。
こいつらがここに居ついたのは、ひとえにID非表示だからだろう。
自演だけでなく、ID表示のBBSでは何を書いてももう読んですらもらえないからね、彼らは。

ここまで変な九州説しかないのは、まあここだけだと思うよ。
イデオロギーというより単にオカルトに犯されているだけだしね。
しかも2chオカ板ですら馬鹿にされる記紀原理主義と古史古伝が根拠とか、もう笑ってしまうレベル。

499 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:33:50
>>496
ところがここの九州説は、吉野ヶ里の全盛期が3世紀で
学者が間違っているとか平気で言い出すんだわ。

もう都合の悪いことはみんな間違いか捏造だと連呼するだけだし
本人に学問をする気がまったく無いんだろうね。
ただひたすら擬似歴史本に書かれたオカルト話を繰り返す。

500 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:40:37
ジョーカーって具体的な議論は避けるよね。

三角縁は舶載かどうか?
マキムクで集落跡が出土しないのはなぜか?
弥生時代の本州で鏡の出土が極端に少ないのはなぜか?
C14で歴博がどうして批判の集中砲火を受けているのか?
年輪年代はなぜ批判されているのか?
畿内説を本気で信じている学者がいないのはなぜか?

501 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:44:49
まあ九州説からも追い出された、未熟九州説がここの連中だからな。
議論したければまともな九州説のいるところでやるわ。
まともな九州説というのは、>>496が指摘した九州内の鉄器工房なんてのはそらで言える。
そのうえで鉄器の優位性なんて戯言も言わない。

ここの未熟九州説は思い当たる節があるだろ?
銅鐸の消滅とか鉄器軍団とか書いて、仲間のはずの九州説から鼻で笑われたことや
苦笑交じりで「もうちょっと勉強してね」と諭されたことなんかを。

502 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:48:16
>>500
ジョーカー氏はどうかは知らんが、そんなこと今までに腐るほど議論されているよ。
君が知らないか、あるいは読まないか理解できないかだけだ。

で、最後に大嘘いれるのはこれはもう心の病なのか?
九州説を本気で信じている学者などいないの間違いだろ?

もしいるのなら、たったひとりでいい。具体的に名前を挙げてみな。
たったひとりでいいぜ。

503 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:48:51
>500
過去に何度も言及しているが?w

要するにイチャモンつけたいが
過去に相手がどう言ったなんか覚えていないし
今後も覚える気も無い。
勿論、過去ログ拾うなんてめんどくさい。

「だから初めから言え」と言う話だな?w

甘えるなクズ。

こっちの気を引くようなネタ、もしくは外出のネタでも新たな視座に基く話とか
何か芸を見せれば乗ってやってもいいがwwww


504 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:49:09
>>501
具体的な反論はやはりいえないのが、ジョーカーなんだな。




所詮、ネットドランカーww

つまり、ただのアホ



505 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 02:54:23
>>502
とジョーカー☆自演乙☆土建屋さんが言いました。

506 :sss:2010/06/19(土) 02:54:32
>>496
それは前にも書いたのだが、もう一度書くかな。

鍛冶遺跡は非常にたくさんある。
愛媛大学の村上教授は、鍛冶遺跡のレベルをT〜Wに分類しているらしいが、
その中で、最もレベルの高いT類に分類される遺跡が熊本県だけで、

下前原遺跡、諏訪原遺跡、方保田東原遺跡、小糸山遺跡 尻遺跡、二子塚遺跡
西弥護免遺跡、狩尾遺跡 となっている。

これらは精錬鍛冶あるいは製鉄までも行われていたかもしれない。
鉄滓が多量に出てくる。
淡路島の垣内遺跡からは、鉄滓は出ていないな。出ていたら、話題にならない
はずはない。日本最大の製鉄遺跡なんてことになるのかもしれない。

507 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 03:03:27
>>500につづけて

三角縁の舶載説はもはや絶滅危惧種。
最大級の地雷なので当人以外は全く言及もせず無視されるようになったね。

弥生の本州での鏡の出土が異常に少ないことは昔から畿内説の最大級タブーだね。
明らかに少ないのに、誰もそのことをはっきりと指摘できないのが畿内説クオリティー。

マキムクの悲惨な実情も畿内説では言ってはいけないことになっているね。

C14はあっという間に集中砲火になったのに、歴博は全く反論できずにマスコミに
勝利宣言を一方的にたれ流すだけの惨めな状況だね。

年輪年代も最近ははっきりと無視されるようになったね。
むしろ約20年間一度も検証されないものに言及する人が少数でもいることの方が驚き。


・・・という問題を無視し続けて畿内説を叫ぶ人たちが、本気で畿内説を信じているとは
誰も考えていない。

ジョーカー自身もそのことは十分に理解しているはず。


508 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 03:14:28
>>507 に続けて
C14だけは批判が多方面から出ているが、これはどうしてなんだろう?

春成が否定した弥生前期の鉄にしても、すぐに反論が出て、春成の沈黙は長い。

甕棺の面からの批判もあるが、歴博は反論できず(マスコミ垂れ流しのみ)。

C14適用手法そのものに対する批判もある。

学界で発表する前にマスコミ先行というやり方そのものの批判も多数ある。

北條のように激怒してブログに書いたりするレベルの批判も出た。

これまで好意的だった石野でさえ、日和って見放した。


まさに集中砲火だな。

509 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 03:16:27
>>507

いつもの恨み節か・・・
本当に飽きないと言うか怨念の塊のようなやつだなwww

話がずれているのは、そもそも年代観の修正は
年輪年代等の理化学的年代測定を待たずにやるべきだったと
何度も言ったぞ?

あと三角の製作地論争も意味がないと言った。

まあお前が溜飲下すネタとして
鬼の首を取ったように喧伝したいのはもういい加減分かったからw

あと鏡の出土数だが
サイキバは「弥生時代の銅鏡は九州と以東で100:1」とか言っていたが
お前はどうなんだ?w

お前がよく噛み付く「岡村編年」で神獣鏡を全て国産にして
年代も全体百年ぐらいずらしてもとてもそんな差にならないと思うのだが?w

それともあれに挙げられている九州以東の漢鏡は全て4世紀以降に日本に入ってきたとか?w

510 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 03:34:27
>恨み節東遷厨

「避けている」と言うのなら・・・

いまだかつてお前が邪馬台国を何処に比定しているのか?
読んだ記憶が無いのだが?w

甘木でおk?www

511 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 05:06:36
>>496
>邪馬台国の時代の九州が衰退傾向
確かに、3世紀にはいってからの北九州は衰退傾向がみえるな。しかし、それはあくまでも
北九州だ。倭国の乱で負けたところだから仕方がないな。

倭国の乱の後、近畿の鉄は増えたかな? 近畿が北九州に勝って、一大率を北九州に送り込
んだのならば、近畿の鉄が飛躍的に増大しなければならない。そのぐらいの理屈は分かるよ
な。ところが、北九州に比べ相変わらず近畿の鉄は低迷だ。

しかも、銅鐸のいっせい消滅、唐古・鍵の消滅など弥生→古墳時代の連続性が認められん。
古墳時代に入ってからは、副葬の習慣、鏡、武器、腕輪、何から何まで九州色で塗りつぶ
されてしまう。これで、近畿が北九州を傘下に入れたと言っても、まともな頭をもっている
人は誰も信じないぜ。

倭国の乱で勝ったのは近畿ではない。九州の中で、弥生時代から古墳時代にわたり繁栄を続
けた所、そこが勝者だな。


512 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 07:38:08
>>511
すまんが誰かこの馬鹿に

銅鐸の一斉消滅の事実など無い
唐古・鍵は古墳時代に入っても継続・発展している
副葬の習慣、鏡、武器、腕輪を挙げながら墓制や祭祀については言及しないセコさ
倭国乱でどこかが勝ったなど、今では九州説ですら言わない戯言

この4つだけでいいから教えてやってはくれないか?
何度も何度も同じことを書くのはもう嫌なのでね。

513 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 08:30:32
>>511
君は思い込みが激しいタイプだな、
鉄を重視しすぎなのもちょっとイタイ。

514 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 08:40:30
>>512
一つひとついこうか?

>銅鐸の一斉消滅の事実など無い
お前等の大好きな福永ですら言ってるぞ。

巨大化へ向かっていた畿内・東海の見る銅鐸は、その巨大化が頂点に達した
弥生後期後半に突如姿を消す。〜ほぼ2世紀末頃と考えられる。

2世紀末頃とするか、3世紀初めとするか、人によって違いはあるだろうが、
突如埋納されて姿を消す、それに替わって出てきたのが、九州勢力の象徴鏡
なんだよ。文句あるか?


515 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 08:46:27
なんだ結局畿内説なのかw

516 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 08:57:14
イワレヒコ(神武)が東征してきたとき、ニギハヤヒは天孫族は2人いるはずがないと疑ったけれど、
イワレヒコが所持していた鉄器類、ことにその矢筒の形や模様を見て、自分たちと同祖の秦の始皇帝の末裔、
しかも、自分たちよりずっと位の高い始皇帝の直系だと知る。
それで、今まで従ってきた長随彦を裏切りイワレヒコに寝返るわけだ。

つまり、ニギハヤヒの祖先は徐福集団だったのだ!

これでまた謎が解けた!

517 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 08:57:39
>>515
本州が九州の植民地にされたってだけだ。銅鐸埋納がいつであろうと、畿内説には
ならんよ。そんな時期に蹂躙された所に、邪馬台国があるわけはないってことだ。

518 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:03:12
>>517
おいおい倭人伝無視かよwww

519 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:20:15
>>518
全然・・倭人伝に何か書いてあるか?
九州には30国あるんだぞ。そのことを考えて意見を書いてくれ。

520 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:23:02
>>514
じゃあひとつひとつ潰してやんよwww

福永のその発言はいつの頃だ?少なくとも出典を述べよ。
見る銅鐸の消滅ですら地域差があって100年以上かかってるんだぞ。
これに小銅鐸を加えたらとてもじゃないが「一斉」とか「突然」なんて言葉は使えない。

しかも北九州でも小銅鐸が出土していて、そいつはまさに「突然」消えるのだが
これは北九州が銅矛勢力に征服されて植民地になったとでもいう気かなwww

しかも銅鐸の後に鏡が出てきたとか、それが九州勢力の象徴だとか
どれだけ情報が古いというか初心者向け文庫本知識というか、間違いだらけだな。

521 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:27:14
>>514
>弥生後期後半に突如姿を消す。〜ほぼ2世紀末頃と考えられる。

それなら、畿内説でOKだろ。

>>517
それなら、邪馬台国の範囲は近畿まで広がるということを認めるのか?

ああ、楽しい。
議論をすれば、簡単に九州説の矛盾が露呈する。
いや、矛盾が露呈するのは、銅鐸や鉄器がどうこう言ってる東遷説限定なんだがな。

522 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:28:03
>>519
よくわかったよw自爆乙wwwww

523 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:31:20
>>519
おまえの理屈だと邪馬台国の境界である30ヶ国は九州で
本州は邪馬台国の植民地だってことだよな。

あれえ?倭人伝にはそこから先は遠くてわからんって書いていたよな?
植民地なのに遠くてワカンネって・・・九州邪馬台国の奴って池沼だったのか?
それとも魏にはウソをついたとかかい?

524 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:32:49
>>506

熊本県でそれだけの鍛冶遺跡を挙げるのはいいが、

おまえは、邪馬台国熊本説じゃないだろ? 
なぜ、熊本に邪馬台国が無いと判断し、
熊本は九州内で優位に立てなかったと思ってるのか、次のレスで答えてもらおうか。




525 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:37:17
>>524
普通に考えて>>506が挙げた鍛冶遺跡のほとんどが古墳時代と見られるものだから
まあ言ってみればそれに気づいているかな?って感じの釣りだろ。

てか俺はこれも縦目の悪戯だと考えてるけどねw

ここの未熟九州説に遺跡を語れるはずなどないから。

526 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:43:27

>>506は、前提として、熊本県の鍛冶遺跡が、淡路島の垣内遺跡と同時代だと言ってる。

これは間違いないな?

なぜ、彼がそう考えたのか、いろいろ聞きたいことがある。




527 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:46:36
>>523
わざわざ30国あると書いてやってるのに、分からん奴だな。
倭国の乱で北九州諸国がこけるまでは、北九州の諸国が力をもっていただろう。
その連中がまず、本州、南九州へ勢力をのばそうとする。本州を最初に植民地
(支店か子会社かはいろいろあるだろうが)にしたのは北九州の国だろうな。
となれば、倭人伝は女王国(邪馬台国を中心とした国々)を描いているから、本
州の様子なんぞよく分からないってことになるよ。倭人伝のとおりでいいんだ。

528 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:48:56
>>520
福永の「邪馬台国から大和政権へ」に載ってるよ。

529 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:50:21
>>506の挙げた、熊本の鍛冶遺跡

>下前原遺跡、諏訪原遺跡、方保田東原遺跡、小糸山遺跡 尻遺跡、二子塚遺跡
>西弥護免遺跡、狩尾遺跡 となっている。

これらを3世紀として考えた根拠は何か?
そして比較するように挙げた淡路島の垣内遺跡を3世紀だと考えた根拠は何か?

「学者の誰々がそう言った」でもいいから答えてほしいな。
そうでなければ、SSS氏は根拠もなく適当にウソをついたことになるよな。




530 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:51:05
数百年の時を賭けて鉄器文化は日本中に広がりました。
時間差があったのは仕方のないことです。
しかし、銅製品をうっちゃる必要はあんめ?

531 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:56:48
銅鐸は弥生時代のものではない。
そもそもここが間違っている。
前漢鏡、後漢鏡がほとんど出ない近畿になんで銅鐸だけが弥生時代にあるんだか。
銅鐸は古墳時代のもの。
銅鐸は近畿王朝つまり前方後円墳の主の祭祀だ。だから九州には銅鐸が少ない。
前方後円墳の主はその後九州秦王国のハタ氏に合併されて前方後円墳も銅鐸も消滅していったってこと。
銅鐸が弥生時代っていうのは、訂正したほうがいい。


532 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 09:57:18
>>527
ほほう、倭人伝をそういう風に「素直に読んだ」のだねwww
笑わせるわなwww

ところでおまえの忌み嫌う畿内説(つーかゆるやかな連合説)の立場から考古学的事実を述べさせてもらうが
倭国乱で北九州がこけるって、どういうことかね?
北九州は邪馬台国の時代とみられる3世紀に衰退したことを示すモノは、少なくとも出土事実からは無い。
衰退などしてないんだ。再編成されていくだけなんだわ。

で各地に支店やら子会社を作った北九州の痕跡が見事に無いのはどういうことなんだ?

おまえは副葬品やら鏡やら腕輪やら、伝播でどうにでも片付くものしか出せないのだろうが
肝心の祭祀と墓制はどうして北九州の特徴が一切ないのだ?

九州に葺石があったのか?特殊器台があったのか?

533 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:00:13
>>531
どんどん新たなトンデモが湧いてでてくるな

534 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:11:08
>衰退したことを示すモノは、少なくとも出土事実からは無い。
衰退したことを示すモノってどんなものがあるんだ? 具体的な例をあげてくれ。
むずかしいぞ。

>北九州の痕跡が見事に無いのはどういうことなんだ?
副葬の習慣、腕輪、鏡。みんな九州の痕跡だ。あなたが正しく評価できないだけの話。

>祭祀と墓制はどうして北九州の特徴が一切ないのだ?
副葬の習慣は祭祀の一部だ。大きな墓を造ることももともとは朝鮮半島からの影響、
それが北九州に入ってきたんだ。北九州の特徴は十分にある。
葺石、特殊器台? 少しは現地のものも取り入れていくだろう。当然のことだ。





535 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:16:37
>>534
>副葬の習慣、腕輪、鏡。みんな九州の痕跡だ

九州もどこかの国の植民地だった可能性がありますねwww

536 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:17:02
>>534

庄内式の時期に、纒向型前方後円墳が大和にできるが、
その頃北九州は何か古墳を作ってたの?

めだった古墳がなければ、相対的に北九州は衰えたことになるよね。



537 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:18:43
>>529
まあ釣りにそうむきになることも無いだろ。
過去のレス内容からも異質であるという点から、>>506がsssの成りすましだという可能性も捨てきれないし。

てかそろそろ個々の遺跡について具体的に掘り下げて議論しないか?
例えば方保田東原が邪馬台国に直結する重要な場所だと考えているかのようなレスが過去にあった。
また平塚川添を候補地とするレスもあった。
これらについて、ひとつひとつ可能性を探ってみるってのもいいんじゃないか?

いや文体から分かるように、俺はゆるやかな連合説でこれらが邪馬台国だとは全然考えていないのだが
とりあえず思考ゲームと捉えてもいいし
何よりも遺跡についての細かな言及には、ここの阿呆九州説は絶対について来れないのだから
議論したい人とそうでない人、もしくは議論に耐えうる基本的知識を有している人を見分けるためにも有効だと思うが、どうだろうか?

538 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:20:43
>>537
それなら吉野ヶ里遺跡が分かりやすくて良いのでは?

539 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:24:56
そもそも通説に洗脳されすぎている。
通説や定説には間違いが多いのだよ、本当は。

天皇の和名をみれば誰をモデルにして書かれたか想像できる。
まず随書の秦王国は九州にあった、そしてアマ氏。アマは天なので、
天の付く天皇や神はみな秦王国関係の人をモデルにしている。
例えば天武天皇
天渟中原瀛真人天皇=アマ氏の中原(博多周辺)に少し停滞(かりにすんでいて)
瀛(海)を渡った真(秦、辰)の人という意味。
またの和名を浄御原天皇=御原(飛鳥)を一掃して浄(きよ)めた天皇という意味。
わかりましたか畿内説の人。



540 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:25:54
>>539
お前が騙されてるのはよくわかったw

541 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:29:27
>>536
そうだね。あるべきモノが少ない、だから衰退していたんだろう、と判断
するんだ。だから、普通の思考力があれば、衰退していたことを示すモノ
をだせなどとは言わない。

542 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:30:25
>>534
今更って感じだな。よほど物を知らないと見える。
板付がどうなった?須久がどうなった?そして西新はどうなってるんだ?

>>534
副葬品、腕輪、鏡ねえwww
未だにそのレベルってのは、本当に昭和から進歩してないんだな。
全部時代が違うのだが、どうして同系列に語る?

>>534
>大きな墓を造ることももともとは朝鮮半島からの影響
>それが北九州に入ってきたんだ。

へぇ〜、九州に大きな墓があったんだwwwそれどこ?
でもって墓は朝鮮の「影響」で、畿内には「征服」と、こりゃまた都合のいいお話でwww
しかも少しは現地のものってwww

まるっきり違うのだが、そこは意地でも認めないというか、分かってるくせにとぼけている部分だねw

543 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:34:38
和名ショウにはハタ氏(アマ氏)関係の太秦公宿ネや秦長蔵連とか
秦忌寸とか秦造の名前が筆頭にきているってことは認めるよね。
これさえも騙されているというつもりかな。

544 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:35:44
>>538
じゃあまず吉野ヶ里からいきますか?
でもここを邪馬台国だとする奴は普通はいないんだよね。
(実は前スレでひとり居て、俺にとって人生初のリアル遭遇だったので珍獣ハンターになった気分だった)

じゃあ上のほうでも書かれているが、吉野ヶ里の出土遺構が
本当に倭人伝の記述に沿ったもので、復元施設が妥当なものなのかという検証からやりますか?

545 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:40:07
>>543

>ハタ氏(アマ氏)関係

その前提がおかしいだろ。
何を根拠に同列に語ってるわけ?



546 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:41:38
吉野ヶ里が邪馬台国という前提は置いといて、その前に「吉野ヶ里遺跡は倭人伝の中の
○○国である」という九州説側の統一見解が聞きたい。

547 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:42:00
>>542
板付、須久、西新がどうしたって? そこの何が衰退を示す証拠のモノだってのかな?

>全部時代が違うのだが、どうして同系列に語る?
同じ話だよ。全部時代がちがう? 国語の勉強からだな。






548 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:42:42
それに近々の大型古墳はあまりにも整然と整いすぎている。
大仙陵古墳つまり仁徳天皇陵などは近くの陪墳を削ってまで作っている。
ということは、周りの小さい前方後円墳より後に作ったっていうこと。
きっと近畿王朝が大国主からハタ氏系にかわってから、ハタ氏は自分たちの
先祖を古くするためと、大国主系の先祖を敬い祭るための両方の意味で大型の古墳を作った可能性がある。
だからあの古墳は八世紀のものだよ。このころなら、多くの人員を動員できる。
世の中も落ち着いたことだし。

549 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:44:27
>>545
たぶん元ネタは竹内文書やらホツマやらをオカルト風味で味付けした擬似歴史本でしょ。
たま出版とか二見書房とかから出ているアレですよw

550 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:44:48
とにかく、磯城と御所の室、三室、名柄、秋津を調査しろ。
コレで古代日本について分かるはずだから

551 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:46:04
>>548
あのう・・・8世紀って、平城京や平安京の時代なのですが・・・

552 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:50:00
>>547
おまえは本当に分裂症か何かか?
衰退したって言ってるのは「オマエ」
再編成したって言ってるのが「オレ」
つーか代表的なこの3つを引き合いに出して、それでも分からないなんて、おまえ古代史に興味ないだろ。

あとおまえが勝手に同じ時代だと勘違いというか、間違った認識を持っているだけ
要するに無知なんだ、おまえは。

553 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:50:37
秦王国の名はアマ氏と書いてある。また秦は倭語ではハタといったのだよ。
ハタは説がいろいろあるけど、海をわたるのワタだろうという説もある。

九州の風土記にはイツ(伊都)イトではないのよ本当は、の君は新羅のヒボコだって
書いてある。ヒボコは王の子という意味。ヒが王を意味し、ボコは子供の意味。
その新羅のヒボコが秦王国の王のこと。

554 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:54:23
>>546
それは無理だと思う。邪馬台国の場所さえバラバラだし
なかには九州だったら場所はどこでもいいという、およそ信じられないほどの低レベルの馬鹿さえここにはいるから。

個人的には、吉野ヶ里は○○国であるとか書いてくる奴は完全にトンデモだと思っている。
倭人伝と地名の語呂合わせ遊びだからね。

555 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:55:51
>>553
おもしろそうな話するなw話に乗っかりたいけど、今はやめておくw

556 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:55:57
>>553
>秦王国の名はアマ氏と書いてある

だから、出典を書けって。

どこのトンデモ本の話を信じてるんだ?


557 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:57:30
>>553
それどこかで読んだことがあるが思い出せない。
たぶん関かそれとも井沢だったか・・・たま出版系のオカルト物だったか忘れたけど。

ということで、出典ヨロ。

558 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 10:58:21
隋書を見ればわかるよ。阿毎氏と書いてある。

559 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:00:20
井沢だろうが誰だろうが歴史書は信用できないから、一切参考にしていないですよ。


560 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:01:14
>>554
九州説側にそれをやってもらわないと倭人伝の信憑性の裏付けが出来ないのだけどね

561 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:02:59
>>552
「オレ」かどうかはコテじゃないから分からんのだよ。
「オレ」なら、衰退したことを示すモノってどんなものがあるんだ? 具体的な例をあげてくれ。
という問に答えたらいいだろ。
板付、須久、西新がどうしたって? それもはっきり言えばいいことだ。

562 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:04:36
>>558

どこの隋書に、阿毎氏が秦王国だと書いてあるんだボケ。


563 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:04:39
>>559
おーいwwww
井沢って井沢元彦のことだよwwww

あの逆説の日本史シリーズを書いているミステリー作家。
それ歴史書ちゃう、節子。

564 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:05:18
>>560
九州説にもいろいろあるからな。私は不弥国だと考えるよ。
末盧国から東南五百里が伊都国。これが佐賀付近だ。となれば、
そこから東方百里の吉野ヶ里は不弥国になる。

565 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:07:12
>>561
だから「衰退していない。再編成されている」って何度書かせるんだ、この池沼が。
衰退したことを示すモノなどないってこっちは言ってるんだよ、このチンカスが。

566 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:09:20
>>564
では不弥国=吉野ヶ里から水行するというのはどう解釈しているのですか?
松本清張よろしく川下りでしょうか?

567 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:10:36
>>565
板付、須久、西新と遺跡名をあげても、再編成されているなんて主張には
何の益もないことだよ。せめて、こうこうこうゆうふうに考えます、ぐらい
のことは言わんと頭が足りないんだなって思われるだけだ。

568 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:12:52
>>566
伊都国からの放射説ですよ。佐賀から有明海へでられるのに、わざわざ吉野ヶ里まで
行く必要はありません。


569 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:17:33
>>567
いや>>561とかを読んでみてくれ。
当方が「衰退ではない」と主張しているのに対し
なぜか「衰退したことを示すモノ」を出せと、まるっきり見当違いのレスがかえってくるんだよ。
こいつキチガイかと普通思うよな。

で貴方が「衰退ではなく再編成であることの論拠を出せ」というのなら
これはゆっくりと長文で答える。
ただ今は実は朝酒飲んでるwww
今夜か明日くらいに書くことは約束する。
その際はこのレスの番号コテにするよ。

570 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:22:45
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり
奢れる大和説、久しからず

571 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:23:31
>>568
おはよう日向厨w

口蹄疫問題は大変だが頑張れ。
宮崎の牛や豚は安くて品質がよく旨い。
そこだけはキミの見当違いの邪馬台国論とは別に応援しているから
募金も送ったし風評被害に負けずに、いまはただ耐えてくれ。

572 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:24:24
>>569
酔っぱらってるな。あなたが>>532で「衰退したことを示すモノは、少なくとも出土
事実からは無い。」なんて言うから、そんなものあるはずがないってことを言って
るんだよ。自分が言い出したことを忘れているのか?もう一回、ゆっくり読んでみろ。



573 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:27:26
>>571
募金も送ったとは感心、感心。しかし、私は日向とは何の縁もないんだよ。
学問的に日向説をとっているだけだ。

574 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:29:39
>>572
酔ってないのにその理解力ですかorz

「衰退したことを示すモノは、少なくとも出土事実からは無い。」

そう、無いって書いてるんだよ。

なのに「そんなものあるはずがない」ってどーゆーこと?

無いっていうオレとないっていうキミ。
どこに相違点がある?

575 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:33:36
>>574
まあ、酔いが醒めてからゆっくり読み直すことだ。良い子はネンネ。

576 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:34:21
>>573
前スレで「宮室・楼観・城柵」がないので日向は否定されてるよ

577 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:41:03
井沢とか松本とか‥
邪馬台国問題で、こいつ等は単なるご都合主義の
妄想バカだという事を理解したわ。

578 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 11:52:14
>>577
清張は川下り説を採った短編小説の「陸行水行」とは別に
「古代史疑」という当時としては画期的な九州説を打ち出しているから
まあ今では古臭いのだが、そんなに馬鹿にしたものでもないと思う。

問題は井沢で、奴は言うなれば安本なんかと同じ詐欺師タイプ。
得意の怨霊説は、デビュー作の「猿丸幻視行」からして梅原猛の丸パクリだし。

そういう意味ではビリーバー古田に相当するのは
ノストラダムスの大予言を信じて、シェルター建設をしない政府は馬鹿だとエッセイに書いた高橋克彦かもね。

579 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 13:10:54
畿内詐欺説では、3世紀に吉野ヶ里が弱体化しているから、邪馬台国は畿内だという。
これが、いかに詐欺かを以下に述べる。

吉野ヶ里は、強国の呉に対して置かれた国防軍の意味があったはずだ。
呉は朝鮮半島にまで進出してきており、九州政権にとっては大変な脅威だった。
呉が弱体化していき、危険性が去ると、国防軍の規模は縮小するのが当然だ。
吉野ヶ里軍は別な拠点に回されたわけである。
これをもって「3世紀九州政権の衰退」だとは笑わせる。


580 :sss:2010/06/19(土) 13:16:55
>>524
勝手に、熊本説じゃないだろうと決め付け、熊本説ではない根拠を示せと
言うのはおかしいんじゃないか。
以前から、熊本が一番有力と思っている。

581 :sss:2010/06/19(土) 13:26:41
>>525
これは、愛媛大学村上教授の『古代国家成立過程と鉄器生産』からとったもので
確かに、「弥生時代から奈良時代に至る」となっている。
しかし、少なくとも諏訪原遺跡、方保田東原遺跡、西弥護免遺跡、狩尾遺跡は
弥生後期の遺跡。

582 :sss:2010/06/19(土) 13:35:54
>>529
基本的なのは、弥生後期における九州と近畿地方付近の鉄器生産。あるいは
鉄器工房の比較だと思うが。
逆に聞きたいが、垣内遺跡は日本最大の鍛冶遺跡と宣伝されているが、
これについてどう思う?
遺跡の質あるいは鉄器生産の量について。

583 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 13:37:37
>>560
熊本だと、倭人伝の行程記事をどう読むのかな?
女王国の東渡海千里は?
隋使が筑紫から東に回ったのはなぜ?

584 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 13:43:30
首都と副都を置く習慣があったのだろう。
熊本か福岡か二者択一である必要などさらさらない。
シドニー・キャンベラ・メルボルンの三都市を使い分けている
オーストラリアを考えよ。

585 :sss:2010/06/19(土) 13:48:58
>>583
熊本については総合的に判断した。

倭人伝の行程についても考え、ある程度の妥当性があると考えた。
鉄器生産の先進地であることも重要。
あるいは一大率の位置との関係もある。
記紀の内容から、日向との関係も重要だと思った。
向野田古墳や阿蘇の長目塚古墳など、女王の人骨の出土する大型古墳もあり、
女王に馴染みのある土地だと考えた。
盆地に近い土地柄であり、古代人好みであり、生産性も高いと思った。
延喜式にも肥後は「大国」とあり、現在でも米の生産は高い。
など。

一つ一つを条件を完璧に満たす場所などないと思うので、総合的な判断になる。

586 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 13:55:36
>>528
>福永のに載ってるよ。

流れ的に「sss」かな?

…ったく堂々とデタラメ言うな馬鹿者が。

福永がそのその本の中の何処に

>>514
>巨大化へ向かっていた畿内・東海の見る銅鐸は、その巨大化が頂点に達した
>弥生後期後半に突如姿を消す。〜ほぼ2世紀末頃と考えられる。

…なんて書いてある?

p27に「複数出土銅鐸の型式組み合わせ」の表を引いて
近畿や阿波の多くが扁平式で絶えている事を示している。

「邪馬台国から大和政権へ」p26〜27
>九 銅鐸祭祀の終焉
>中期社会の変質を裏付けるもう一つの、そして決定的な現象として、
>中期末から後期初頭頃に一斉に行われた銅鐸埋納をあげることができる。
…(中略)…
>従来は、これら新古の銅鐸すべてが前方後円墳出現直前の弥生終末期に一斉に埋納されたとする理解が有力であったが
>近年の知見をふまえるとこの点は再検討を要する。


…ったく平気で嘘をつくなこの日向東遷厨は。


587 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:04:55
それからこの「sss」と言う嘘吐きが鉄に関して村上をよく引いているが…

村上は九州以東の鉄の普及に関し
地域ごとにその需要・普及の状況が異なり

鉄によってヤマト王権が起こり古墳時代がスタートした
…と言うような解釈には疑義を呈すると言うか反対の立場だと思うが…

こいつの言う東征説にはむしろ真逆の方向w

九州における鉄の優位性を説けば説くほど
少なくとも東遷説なんて物は否定される方向に向かわざるをえないwwww


588 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:05:00
>>586
目次見て拾い読みしかしないから、そんなことになるんだ。
50、52ページを見ろ。

589 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:17:39
>>588
「拾い読み」しているのはキサマの方だろうがw

…にしても嘘をつく時はsssと言うハンドルを外すようにしているのかな?w

p50
>一貫して巨大化へと向かっていた畿内・東海の「見る銅鐸」は、
>その巨大化が頂点に達した弥生後期後半に姿を消す。

…この部分に飛びついちゃったんだなアホがw

まあ最終的に銅鐸が消えると言うことで全部を一緒にしてしまった
ちょっとアバウトな書き方だが福永もそこを切り取られてお前のような解釈されるとは思ってなかったろうよw

同じp50に

>ふたたび列島社会に大きな変化が進行していた事は間違いなさそうだ。

…とありこの「ふたたび」と言うのが埋納のピークが2回あった事を示している。

それぐらいは理解しろ馬鹿者。

もっとも自説に都合の良い部分だけ切り取るというのはお前の基本芸風なのかもしれんがwww

590 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:25:31
>>589
僅か90ページの本すらまともに読まずに何を威張ってるんだ?
福永のいうのは、@弥生中期末から後期初頭とA弥生終末期の二回に分かれる
ようだというだけの話だ。200年近く間がある話だ。
@の埋納は銅鐸国同士か九州勢力の侵攻を恐れてか分からんが、そんな時のこ
とはどうでもいいことだ。問題は、終末期のいっせい埋納なんだよ。


591 :sss:2010/06/19(土) 14:33:04
>>587
それは、村上教授が東征あるいは東遷を想定していないからだろう。
それを想定すれば、うまく説明が付くのに意図的に避けているようなところが
あるんだろう。

ちなみに、HNを付けたり、はずしたりするような姑息なことはしない。

592 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:40:59
>>590 

よろしい。

少なくとも埋納のピークが2回はあり
「全ての銅鐸が一斉に埋納された」なんて与太は言わないのだな?wwwww

が、銅鐸の最終モデル「巨大化した見る銅鐸」は弥生末期には畿内より
むしろその周辺に分布している(先の福永の出した表で表れている)

福永は(言わばドーナツ状に)畿内周辺に見られるその末期の見る銅鐸の中心が
畿内にあったと見ているようで(このへんが個人的には頂けないw)

p49
>現在までの調査事例からは後期の畿内に生まれた中心勢力の確定にはなお至らないが、
>その有力候補としては
…(中略)…
>唐古・鍵遺跡などをあげてもよかろう。

としているわけで、まあ簡単に言うと

日向東遷厨の脳内ヒーローの神武ちゃんが「むてきのてっきぐんだん」率いてヤマトにやってきた頃には
肝心のヤマトじゃあ殆ど銅鐸祭祀は終わってたって話だなwwww




593 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:47:39
古墳時代の開始時期についてのジョーカーの根拠を聞きたいね。

いつも逃げ回ってばかりだねジョーカーは。

594 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:51:12
>>591 sss
>それを想定すれば、うまく説明が付くのに

仮に村上が東征・東遷を唱えたとしたら(村上センセイゴメンナサイwww)

「鉄は東征・東遷に全く関係ござんせん」

と言う結論にならざるをえないだろうなwwwwwwww

ここら辺がこの板の東遷厨どものジレンマで

豊富な鉄でもって九州の先進性やらそこから邪馬台国が九州にあったことの傍証として
それを東征・東遷まで引っ張ろうとしても

現実にはその絶対量を九州から見ればまだまだ「鉄不足」のままに古墳時代がスタートしちゃっているという事実w

九州からやってきた神武軍団は鉄を九州に置いてきたらしいwwwwwwww


595 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 14:54:09
ジョーカーってのは、本当はバリバリの東征九州説。

畿内説の見苦しさを分かりやすくするために畿内説を偽装しているだけ。


そう考えるとすべて理解できる。



596 :sss:2010/06/19(土) 14:58:03
>>594
もともと鉄がない、鉄を作るような工房もない、こんなところにやってきて
すぐに大量の鉄が出るはずがない。考古学的に、鉄の出土は鉄が捨てられた
事実がないと証明されない、ということは知っておくべきだな。

むしろ、ゼロ?からスタートしてやがて豊富になっていく過程に、東征などの
根拠を見る思いがする。最初は、九州から調達していたんだろう。

597 :ローガン:2010/06/19(土) 15:09:18
どっちも頑張れ。

598 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:10:02
>>596
>むしろ、ゼロ?からスタートしてやがて豊富になっていく過程に、東征などの
>根拠を見る思いがする。最初は、九州から調達していたんだろう。

それは東征・東遷じゃなくて文化技術の伝播・東進w

九州から工人を引っ張ってくる事もせず
技術が畿内に定着するに時間がかかり
最初は完成品を九州から「お取り寄せ」していたと言うのなら
それを示すに十分な考古資料をもってこいって話だなw

出てきてから考えようwwww

まあここのk東遷厨度もの想定では
人っ子一人いない原野のヤマトを開拓し
武力でもって盆地、畿内・近畿そしてそこから西に東に征服劇おっぱじめなければならないはずだが

随分と悠長なお話だw所詮ご都合主義の笑い話www

599 :sss:2010/06/19(土) 15:22:30
>>598
文化あるいは技術がこれだけ急速に進むのも東征・東遷で説明できる。

斉藤山遺跡の鉄斧は、縄文時代と弥生時代の境目あたりのもの。
九州では、非常に古くから鉄器が使われている。
にもかかわらず、唐古・鍵遺跡などでは全くといっていいほど見つからない。

弥生時代が600年か何百年かはっきりとは断定できない状況だが、この間に
近畿地方にはあまり普及していない。
なのに、古墳時代になると急激に普及する。
これも、東遷・東征を考えた方がうまく説明できるというもの。

まして、銅鐸の消滅、鏡の普及、墓制の変化などを考えれは一目瞭然。

記紀には、神武東征の記述もある。

600 :ローガン:2010/06/19(土) 15:27:31
>>534
>副葬の習慣は祭祀の一部だ。大きな墓を造ることももともとは朝鮮半島からの影響、それが北九州に入ってきたんだ。北九州の特徴は十分にある。
君の論調だと、北九州が半島に影響を受けたって事やね。
なら、畿内は北九州に影響を受けたと何故、解釈しないの?
北九州→畿内が征服なら、半島→北九州も征服になりますよ。君の論調なら。

601 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:30:54
>>594
>「鉄は東征・東遷に全く関係ござんせん」

それは君の勝手な想像だろう。鉄の有用性は言うまでもない。鍬や鋤の刃先として、木を削る刃物として、
石を割る鏨として、武器としてこれに優るものはない。その証拠に現代でも前述の道具や器具に鉄が使われ
ている。他の材料に対する優位性がなかったら使われる筈は無いだろが。

出土量については596のsss氏の論の方が説得力があるぞ。九州勢力が鉄器を持ち込んで畿内の生産力が高
まったから土着勢力もその恩恵を認めて従ったのよ。


602 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:38:59
>>599 sss
まあそうやって「文化の急激な変化」そのものを東征東遷の根拠にわめき続けるしかないわけだがw

急激だから王朝交代劇と言うようなロジックは通用しない。
それが通用するなら文明開化の明治は日本は西洋に征服されたと言う話になる。

一般論で言うなら生物の進化も今日我々の身の回りにある工業製品の進化も
直線状と言うよりは「階段状」にある時期に一気に変化する。

まあどっちにしても直接的な人口の流入の痕跡が出てこなければ東遷説なんて与太話に過ぎないwww

ちなみにアマテラス=卑弥呼+壱与とし天孫降臨を史実
神武東征も史実と言うのが日向厨のシナリオだが

なぜか日向三代は無視されちゃっているというwwwww

もう一つ言えばアマテラス=卑弥呼+壱与
スサノヲ=狗奴國の卑弥弓呼とするのはいいが
三貴神のツクヨミを見事に無視している、まあご都合主義のつまみ食いwwww




603 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:45:08
どんな証拠がでようと、見た奴はいないだろう、徹底否認で何とかなる、
ってのが畿内説だな。

604 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:52:05
ここの東遷厨どもの言い分が通用するならば

稲作文化も東征の証。
半島から先ず九州に伝わった銅鐸も東征の証。

…なんてアホなお話になりかねないw



605 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 15:53:38
>>600
北九州と畿内とでは、どちらがどちらを従えたのかの問題なんだよ。
北九州と朝鮮半島では、そんな関係はないな。
そこの違いが分からないのかな?

606 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:15:57
九州と畿内で大戦争をやっていないというのが謎なんだよなあ。
出雲は大国主で形跡があるし、畿内での闘争や、九州では磐井など。
これらの戦争話のどこかに畿内九州大戦争が隠れているのか。
大戦争はなかったのか。

607 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:19:32
>>601
優位性?ないね。
鉄器なんて一部の人間しか使用できないものだ。
銅や木で事足りる

証拠に木製の鍬を中世まで日本人は使っている。
鉄がなぜでないか?鉄は腐るからだ。

608 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:22:38
>>601
>九州勢力が鉄器を持ち込んで畿内の生産力が高まったから土着勢力もその恩恵を認めて従ったのよ。

根拠は?

これは昔の自分も意外に思ったのだが
古墳時代に入って畿内ヤマトの集落群や田畑の跡が急増したなんて話を聞いた事がない。

「巨大古墳が出てきたから人口も増えたんだ」
なんてお話は無しなw
元々それらを造営するに足る人口があったと言う論も成り立つのだからw

そもそも鉄器の豊富さと農業生産力が直結するなら人口に反映されているはずだが
そんなデータも見たことがない。



609 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:23:12
いいや、古代の鉄鏃は、今でも全国の畑から相当出てくる。

鉄を繰り返し再生利用しなければいけない畿内と、
大量に使い捨てできた九州の差が大きいと思う。

610 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:24:36
どうせ畿内は、木器とサヌカイトと黒曜石を使っていたんだろう。

611 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:25:53
>>607
木製の鍬でも刃先は鉄だ。
鉄器の優位性を認めない学者も研究者もいないね。

612 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:27:01
>>606
そこだよ。畿内説論者は、畿内が北九州を支配下に置いたと言いたいが、その
形跡がないものだから、連合だとか再編だとかいって、畿内を中心とし北九州
をその支配下に入れた新しい枠組みができたと主張する。
だが、九州の雄として繁栄してきた北九州が戦いもせず、畿内の支配下に入る
わけがない。当然、それなりの戦いはあったということだよ。

613 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:31:03
>>608
鉄器が使用され始めたような大昔に誰が人口の統計を取っていたんだ?
そんなデータあるはずない。
おまえバカだろ。


614 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:31:44
東遷説のアホどもによって話が混乱しているが

鉄の有用性については
「そりゃあれば便利なアイテム」だという事に異をとなえる奴はいないwww

問題はそれが果たしてヤマト王権発生のキーアイテムになったかどうかで


「鉄は国家なり」と言う近現代の価値観をそのまま古代に持ち込んでいる
東遷厨にすれば東征勢力が持ち込んだ鉄こそヤマト王権発生の原動力にしたいわけだが

現実には畿内における鉄の普及は相当に『 ゆるやか 』(←不味かったかな?w)




615 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:32:06
>急激だから王朝交代劇と言うようなロジックは通用しない。

何を言うとるんじゃ?九州勢力が入るまで畿内には王朝などと言えるものはなかっただろ?唐古・鍵にしても
池上曽根にしても王権の存在を示すような遺物はない。

畿内の弥生時代と古墳時代の不連続性をうまく説明できるのが東征や東遷なのだ。これより説得力のある説明
をしたらどうかね。

616 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:38:39
しかし鉄の事に関しても

その研究が深化すればするほど王権発生との因果関係が怪しくなってきているのが現状www

それを便利な万能アイテムにして東遷説まで引き出したいアホどもにとっては
またイバラの道が続く状況に変わりは無いwwwwwww


617 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:39:16
>>607
なるほど、畿内の豊かな土壌では鉄器が腐食して残らなかった訳ですね。

>>610
そんなことはありません。
畿内で造られた優秀な鉄器が九州に運ばれて運用されたのです。

618 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:39:30
>「鉄は国家なり」と言う近現代の価値観をそのまま古代に持ち込んでいる

畿内説のアホどもにはつける薬がないわい。

619 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:43:31
>>617
土壌の酸性度は火山の多い九州の方が高く、
鉄器も腐食しやすく残りにくい。
九州で造られた優秀な鉄器が畿内に運ばれて運用されたのです。

620 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:45:08
3世紀以前に富士山かどこかが噴火して
畿内に硫酸の雨が降り続いた。
だから、それ以前の鉄は溶けてしまった。

だから噴火活動が収まり、硫酸の雨が降らなくなった
古墳時代以降には畿内でも鉄が見つかるようになるのである。

合理的だ。

621 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:45:46
畿内の鉄が九州に輸出された?
馬鹿を言え、当時の鉄はすべて半島由来の九州経由だ。

622 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:47:07
>>615
>これより説得力のある説明をしたらどうかね。

畿内ヤマトによる主体的な文化の受容。

これで何処かの勢力一つをルーツにするなんて無茶振りもいい理屈を取らないですむが?wwwwwwwww

逆に東遷厨どもの言い分なら東征東遷などと言うイベントが無ければ
畿内はいつまでも銅鐸祭祀を続けなければならなかったのか?

仮に社会構造をシフトする場合でも何百年と言う時間をかけなければならなかったのか?
(その場合第一次の銅鐸の埋納ピークも外来勢力によって王朝が滅ぼされたって理屈になるのか?w)

…と考えれば東遷厨どもの言っている理屈が如何にアホ理論と言うことがお分かりいただけるだろうか?wwwwwwwww



623 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:49:05
>>619
九州で造られた鉄器が、畿内に運ばれた形跡は殆ど存在しません。
倭人が鉄器を用いると云うのは中国人の捏造です。

624 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:51:16
>畿内ヤマトによる主体的な文化の受容。
おいおい、それだけじゃ畿内ヤマトは邪馬台国があったという主張につながらない
んだよ。北九州を傘下におさめていたと言わねばならない。そう言わないと、帯方
郡や魏へ使者もだせないからな。
九州のお余りをいただいたということですまそうったってそうはいかんのだ。



625 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:53:08
>>621
鉄は朝鮮半島を経由して畿内に持ち込まれ九州に広まった。

626 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:55:12
>>625
そうそう、そのぐらいのことを言わないと畿内説は成立しないんだ。
ご苦労さん。

627 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:57:50
>>625

ウリナラ畿内説、ごくろうさん、アイゴー!

628 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:58:47
鉄が国内で生産される以前は
九州の倭が朝鮮半島南部に進出し鉄を独占的に手に入れていた。
畿内など他の地域は九州の倭から交易で鉄を手に入れるしかなかった。

629 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:04:03
>>624
傘下に納める必要が無い。

北部九州にすれば商売相手としても組むに十分なメリットがあるし
軍事的にも九州のほかの地域や半島と二正面・三正面作戦をとるのは馬鹿がやることwwwww

実際に纏向型前方後円墳の出現、畿内の影響を極めて強く受けた土器の出現…と
それを見るに足る傍証はある。

吉野ヶ里には有名な首なし遺体があるが
同じような戦争犠牲者の跡は雀井・新町他に多々見られる。

その戦争の相手とは何処の誰だ?
当然九州内での戦争。

九州の敵は九州w

連合体に加盟して安全を確保するのは必然的な選択wwwwwwww


630 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:05:34
>>624
そうだそうだ。座布団2枚。

631 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:06:03
>>629

吉野ヶ里の敵には、呉国軍もいたはず。

632 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:11:41
>北部九州にすれば商売相手としても組むに十分なメリットがあるし

ない、ない。畿内から何が得られるのだ?余剰人口の受入口としての価値しかない。

633 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:13:22
>>626
魏志倭人伝には、倭人は鉄の鏃を使うと記されている通り、畿内から鉄の鏃が出土している。

これは朝鮮半島から佐渡島を経由して、畿内に持ち運ばれた鉄を、
邪馬台国7万戸の人口を持つ箸墓古墳周辺で鉄の鏃に加工されて九州へ大量に広まった。


634 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:14:28
鉄鏃も絹も、圧倒的に九州から多く出るわけだが

635 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:16:13
>>634
認めろよ、九州の鉄の優位性は、畿内での鉄の工房発見によりなくなったのだと。

636 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:17:19
>>634
そんなことはありません。

637 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:18:01
>>632
対価として何を支払ったのか?と言う問題に関しては
「完全にコレ」といえる物は無いかな?

それは畿内〜九州間の交易だけじゃなくて古代の交易全般に言えると思うが…

まあ普通に考えて穀物かな?
(特に米、雑穀類や堅果類に比べて美味しw)

土器の斉一性の高まりと言うのは交易に使う入れ物の規格化もあるだろうwwwww

638 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:18:52
>>591

>それは、村上教授が東征あるいは東遷を想定していないからだろう。
>それを想定すれば、うまく説明が付くのに意図的に避けているようなところが
>あるんだろう。

すごいね。
SSSに言わせれば、村上は東遷を想定してるはずなのに、
事情があって東遷説でないように振舞ってる。
ということだそうだ。

ようするに、畿内説の陰謀ってやつを信じてるんだな。




639 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:20:08
>>635
あれは古墳時代なのに、恥も外聞も捨てて無理して弥生時代にしたんだけど、
弥生時代の遺跡や墳墓からは、そこで作られたはずの鉄が全く出土していない。

これが畿内説クオリティー



640 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:20:10
>>629
吉野ヶ里の首なし遺体は九州統一以前のもの。
軍事的には半島が主戦場で日本国内には敵になるほどの勢力はなかった。
前方後円墳は宗教、精神面の問題だから国家権力とは直接関係ないな。
畿内の影響を極めて強く受けた土器の出現???


641 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:22:40
巨大墳墓は、それだけの人間を動員できたという
傍証ではある。大軍を編成できたと考えて良い。

642 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:23:33
>>637
対価として何を支払ったのか「完全にコレ」といえる物は無い
つまり、畿内では鉄は手に入りにくく高価であったということね♪

643 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:25:23
>>640
で、その九州が統一された「大九州帝国=邪馬台国」の存在を示す
考古学的資料は何かあるのかな?w
(無論、オレサマ流文献解釈「砂鬼四荼羅経」はなしなw)

恐らく畿内説なんてどころか九州の考古学者もびっくりの話だと思うがwww




644 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:26:50
>612 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:27:01
>>606
>そこだよ。畿内説論者は、畿内が北九州を支配下に置いたと言いたいが、その
>形跡がないものだから、連合だとか再編だとかいって、畿内を中心とし北九州
>をその支配下に入れた新しい枠組みができたと主張する。
>だが、九州の雄として繁栄してきた北九州が戦いもせず、畿内の支配下に入る
>わけがない。当然、それなりの戦いはあったということだよ。

実に、九州説らしい九州説だね。まさに見本。

鉄器で有利だった九州が畿内連合の傘下に入るわけがないと。
じゃあ、4世紀以後、大和が発展したのはなぜか?
邪馬台国が、東遷したからだ! ……と、こうなる。

しかし、九州から畿内に東遷があった証拠は何もない。
それなら、東遷の証拠を探すよりも、
「鉄器で有利だった九州が畿内連合の傘下に入るわけがない」という先入観を捨てること。
それが学問というものだ。

SSSをはじめ、ここの九州説には無理だろうな。


645 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:28:11
>>641
人間を強制的に多数動員できたということは
国家権力が強力で支配層と被支配層がはっきり分かれていた証拠
巨大墳墓は外部からの進入者が在地の勢力を支配した証。

646 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:29:58
>>637
>つまり、畿内では鉄は手に入りにくく高価であったということね♪

そうだが?

恐らく農耕に使うにしても「あれば便利な道具」であってもコストパフォーマンスで考えれば
あまり効率良くなかったんじゃないかな?w

勿論鉄器の技術やその入手ルートを畿内に持ってきてくれた
九州からの東遷勢力なんて物は東遷厨の脳内にしかいない存在wwwww

647 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:32:38
>>643
大宰府

648 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:33:55
>>644
4世紀以後、大和が発展した???
バカこけ。

649 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:37:25
太宰府を 遠の朝廷 と万葉集(だったっけ?)で表現しているが
京から見て遠いところになる朝廷という意味なのか。
昔の朝廷という意味なのか。

京から見て遠いところの朝廷と言うことなら、朝廷が二つあることになるし
昔は朝廷だったというなら、支配が移ったと言うことなのか。

650 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:38:03
SSSは、東遷説を唱えるにしても、
肝心なところを語らないのが詐欺くさい。


東遷したきたのは、どれくらいの人数だったのか?
ある程度想定してるはずだから、これも答えてもらわないと話しにならんな。

文献にも詳しいようだから、東遷したきた人々が奈良のどこに住んでたのかも、
きちんと答えてもらいたい。


651 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:41:25
>>649
バカが飛びつくと困るから説明するが、

近つ淡海、遠つ淡海、という言い方があって、琵琶湖、浜名湖のこと。

琵琶湖は昔、浜名湖にあったわけじゃない。

わかったか?


652 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:45:01
>>650
sssに限らず東遷説なんて所詮「イメージ商法」の域をでないからなwwww

九州に邪馬台国が見つかったわけでもなく
その東征勢力がヤマトに入植した痕跡が見つかったわけでもない。
(九州色の薄い纏向はそれには役不足)

スタート地点もゴール地点も不明。

あとは「鏡」とか「三種の神器」とか「記紀神話」とか漠然とした物を書き連ねて
さも証拠が揃っているように見せかけるだけ。

で、たまには「銅鐸の一斉埋納」なんて嘘も平気で言うw



653 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:47:21
淡海は湖と解釈するんだね。まあ、湖はどこにでもあるから、
遠いところの湖と、近いところの湖、いくつか湖はあるだろう。

朝廷もいくつかあったってことか。

畿内大和朝廷、九州王朝朝廷、出雲、吉備にもあったかも知れないね。

654 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:48:29
>>652
畿内はイメージもないから

655 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:48:44
>>644
初代天皇が大和を征服して橿原宮で即位するまでの話は、このスレの住人なら歴史教科書で習ってる。
神武東征を完全否定するなら朝鮮人、関西人向けの歴史教科書でも独自に捏造すればおk

656 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:51:38
>>655

え?
お前は歴史の授業で神武東征神話が史実であると習ったのか?

一体いつの時代の話なんだ?w


657 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:53:13
>>655

神武東征は紀元前だろ。

まさか、4世紀とかウソを塗りかためるのか?

658 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 17:55:40
>>652
>sssに限らず東遷説なんて所詮「イメージ商法」の域をでないからなwwww

>九州に邪馬台国が見つかったわけでもなく
>その東征勢力がヤマトに入植した痕跡が見つかったわけでもない。

畿内説も所詮「イメージ商法」の域をでないからなwwww
畿内に邪馬台国が見つかったわけでもなく
文献には畿内説の根拠となるものは毛ほどもない。

659 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:02:05
>>651
そう言えば
「飛鳥」に対しても「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」があるな

これも別に飛鳥が奈良から大阪に移動したって話じゃないwwwwwwwww

660 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:02:40

畿内説ってまとまりがないですね。
2.3世紀の卑弥呼の父上が2世紀の人なら神武は1世紀だって前に畿内説君が言ってましたよ。
畿内説者はどんだけ主張の違いがあるんだか、わけわからんよ。

661 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:02:42
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/jinmu.jpg

神武東征が行われているから、実際にヤマト王権が成立したわけだが、
これを否定するアフォの中身は左翼か朝鮮人だろ?

ねぇ、どうなのよ? サイキック・バカさん

662 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:04:30
銅鐸の消滅→「九州勢力の象徴鏡」の出現、
という話は終わったのか?

福永の言を東遷説に濫用するというアクロバチックをもう少し聞きたかった。

(お、アク禁解除の予感)

663 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:05:40
朝廷や淡海は何を示しているのか分かるけど
飛鳥は何を示しているの?

飛鳥朝?

664 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:07:15
>>663
以下を見れ

http://chikatsu.mediajoy.com/asuka_j.html

665 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:07:37
>>507 恨み節@東遷廚
>三角縁の舶載説

>>509の言うとおり、舶載説を否定しても東遷説の浮かぶ瀬はない。

>弥生の本州での鏡の出土が異常に少ないこと

これも同じく、だからといって東遷説の浮かぶ瀬はない。

>マキムクの悲惨な実情

その現状ですら、すでに壊滅させられた東遷説の哀れさ。

>C14、年輪年代

を否定しても、過去の年代比定にはもどらない。

言ってもしょうがない繰り言をつぶやき続ける、恨み節@東遷廚であった。

666 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:12:40
>>657

記紀の初期天皇の在位期間は異常に引き伸されていることは知っているだろ?
第40代天皇である天武天皇の在位を天武天皇2年(673年)- 朱鳥元年9年(686年))とすると、
天皇1代の在位期間を平均13年と見て、初代の神武天皇は2世紀後半の人となる。まあ、いい線だな。

667 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:16:07
>>666
文献からも、東遷説は否定されたってわけだ。

668 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:17:13
>>514
>それに替わって出てきたのが、九州勢力の象徴鏡なんだよ。文句あるか?

「問題は、これをどう解釈するかである。
 画文帯神獣鏡は、北部九州にもっとも厚い分布をみせていたそれ以前の中国鏡のあり方とは異なり、
 明らかに畿内地域に分布の重心を移している。

 列島への画文帯神獣鏡の流入は、
 ほぼ西暦200年すぎに始まったと理解できるのである。」
(福永伸哉「邪馬台国から大和政権へ」)

銅鐸消滅→銅鏡出現、を煎じ詰めていけば(誰かも言ってたが)、
九州勢力が移動してきて大和で卑弥呼を擁立した、ってことになるんじゃないのか?

669 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:17:31
だから日本書紀はどういう人々が中心になって書いたかわかれば、
その人らの先祖中心に書くはず。つまりその前の王朝も自分らの王朝として
取り込んで書いた可能性は大いにある。
和名しょうに乗っている人々はみな漢韓系の渡来人だ。
この人らに有利なように書かれたのが日本書紀だといえるということは
皆わかっているだろうに。

670 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:18:04
>>661
アホの九州王朝説サイキバ君かな?
お前みたいな日本語の不自由なアフォに朝鮮人とか言われてもなあwwww

で神武東征神話のルートを図示した物を出してだからどうだって?

じゃあ記紀を丸呑みするならならばだ…

そもそも高天原が九州(筑紫)にあったなんて一言も書かれていない
そして天下を治めるに相応しい地として大和が書かれていて
九州は西の辺境の地として書かれている。

無論皇室に繋がる勢力が魏に朝貢したなんて事も書いていない。

記紀を信奉するなら九州説や九州王朝説なんて出てくるはずもない。

もはや非国民の域だwww

もっとも古田の多元史観と言うのはアンチヤマト中心主義的な
左のカラーが極めて強いものだと思うがwwwww

671 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:19:26
>>667
うんにゃ。神武は東征したが、これははしり。

672 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:24:58
>>668
>銅鐸消滅→銅鏡出現、を煎じ詰めていけば(誰かも言ってたが)、
>九州勢力が移動してきて大和で卑弥呼を擁立した、ってことになるんじゃないのか?

そう。

東遷説でも、2世紀ならありうる話。
それをなぜ3世紀までまたないといけないのか?
しかも、九州説のヒミコは70年間統治してて畿内とは無関係だったそうだ。
都合が良すぎるだろ。





673 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:28:48
卑弥呼は少なくとも60年間は同じ地にいて山にひきこもって
鬼道を信仰していた。

674 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:29:15
>>672
>それをなぜ3世紀までまたないといけないのか?

邪馬台国東遷説、にならないから。

675 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:30:17
現実的には、2世紀の吉備東遷説だろう。

九州が吉備を通り越して大和まで東遷したなどと、おかしな主張しなくても、皇国史観は批判できるわけで。


676 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:34:47
>>675
まあ同じ東遷説でも吉備東遷説の方が可能性は高いと言わざるをえないだろうなw
(あくまで九州東遷説と比較しての話だが)

でも吉備東遷説って九州東遷説のようにヒステリックに叫ばれる事はあまり無い様に思うが
何故なんだ?w

九州東遷説にアレな人間をひきつける何かがあるのか?www

677 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:39:13
>>662
しかし末期の実際には畿内周辺に分布の見える銅鐸の中心地が
畿内ヤマトにあったような事を想定している福永と

その中心地を征服する事によって銅鐸文化を滅ぼしたとする東遷厨の目論みは
何故か一致しているようなwwwww

678 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:43:40
>>676 ヨコから
>でも吉備東遷説って九州東遷説のようにヒステリックに叫ばれる事はあまり無い様に思うが
>何故なんだ?w

まったくの別物ということだ。
ヒステリックなのは「邪馬台国東遷説」であって、
吉備でも伊都国でも、東遷した結果「畿内に邪馬台国」になってしまう。

679 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:47:47
>>676
九州人の畿内コンプレックス。
その中で唯一九州が歴史的に誇れるものだと思われていた邪馬台国を、掻っ攫われたような心境なのだろう。

この劣等感と恨みがあらぬ方向に発揮されたのが、九州東遷説。

吉備の盛り下がりはは、まずそれほどこの説がメジャーで無いという事が大きい。
たぶん岡山人は桃太郎伝説を奪われたら怒るのだろうけどね。

680 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:48:27
>>677
>何故か一致しているようなwwwww

だから飛びついたんだろう。
・・・このまま続けていくとどんな展開になったのか、ちょっと興味があったわけだが。

681 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:52:31
>>678
だな、東遷かどうかは別にして
伊都国が倭国のゆるやかな連合形成に大きく貢献し
実質上のトップだったとする、いわゆる「北部九州主導説」というのは普通にある。
これなんかが今の代表的な九州説のひとつだわな。

ここの連中のように、倭国乱で勝利した九州だとか
鉄器軍団が東征したとか
神武伝説は真実だったとか

九州説からも相手にされない妄想とは違う。

682 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:58:04
>>681
「北部九州主導説」というのは、近畿も邪馬台国連合に含まれるわけだろ?
卑弥呼は北部九州主にいたということでいいのかな?
かなり現実的ではあるな。

しかし、ここの九州説はSSSも含めて近畿が邪馬台国連合に参加していたとは絶対認めないと。
そのあたりが屈折してるんだろうな。


683 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 18:58:42
>>681
そう、九州から畿内への「連合体」を想定するなら
その中での権力の移動と言うものは想定しやすい。

(ただ個人的には。直接的な人口の流入の跡
 あるいは、よほど両者に共通の遺物(鏡なら同型鏡)でも無い限り
 それに組する気はしないが)

少なくとも「無敵の神武鉄器軍団」が前方を阻む敵をちぎっては投げちぎっては投げ…

なんて与太は言わずとも済むwwwwwwww

684 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:03:36
>>680
飛びついたはいいけど、読み進めるうちに福永は一斉埋葬を完全に否定していることに気づいたんだろうね。
しかしもう目的のためには手段を選ばないとばかりに
福永が一斉埋葬を支持しているかのような、ウソの書き込みをする。

村上にしても東遷を完全否定しているのだが
それがどこやらかの圧力で書けないだけだちょ、これはもう単なるウソではなく病的な思い込みに走っている。

ウソをつき続けると心が病む典型的な症例だ。

685 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:14:17
>>438
しかしマンコに箸刺して死ぬなんてエピを誰が何時なんの目的で考えだしたのだろう。
おれは案外実話をもとに語られた話だと思うんだが。
どんなところにも突発事故の危険はある!!!


686 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:15:14
>>668
銅鐸の一斉埋納→鏡が何時のことか、今の考古学者の話を簡単には信じないんだ
が、邪馬台国の東征は250以後だと思うよ。銅鐸の一斉埋納→鏡がそれよりも前
ならば、それは北九州勢力が東征したってことだろう。銅鐸の一斉埋納が3世紀後
半ならば、邪馬台国東征もありうるだろうが。私はこれまで最初に邪馬台国が東
征したなんてことは一度もいっていない、最初の東征は北九州でも南九州でも銅鐸
埋納の時期から判断すればいいことだ。

687 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:19:18
>>682-663
卑弥呼が九州に居てもいいし、纏向でもいいらしい。
そこは論者によって違いはあるが、九州から東海まで含めた点の繋がりが倭国連合であるという
極めて当たり前の考え方をしている。

大まかな言い方になるが、連合のなかで纏向を中心地とするのが、畿内主体説で
そこに吉備や阿波などの影響を主張するものもいるというのは、もちろんご存知だろう。

その連合の中で北部九州が指導的役割を果たしたという考えもあれば
また畿内に権力主体が集中してきたので、北部九州も自然と中央を目指したという形の説もある。

いずれにせよ連合の存在を下敷きにした、これが現代の普通でまともな九州説や影響説だね。

688 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:22:03
>>686
おまえの「邪馬台国の東征は250以後だと思うよ。」の根拠は、
「今の考古学者の話を簡単には信じない」なのか?

自分の言ってることがおかしいことには気がつかないのか?



689 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:25:05
「邪馬台国の東征は250以後だと思う」の根拠は、考古学には関係ない。
倭人伝の伝えるところでは、女王国が東征している気配は感じられないからだ。

690 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:25:27
>>685
あの時代における箸といのは、食事用の「お箸」ではなく、いわゆる「糞箆」。
ケツの穴に残った糞をそれで掻いて拭くんだわ。

でもってそいつは普段はトイレブラシよろしく、便壷周辺にスタンドアップされている。
これは携帯用トイレでもそうで、部屋の片隅にセットで置かれていたりする。

まあ尻もちついて、マムコにグサッという事故もけっこうあったんじゃないかね?
あるいはそういうプレイも当時は普通にあったとか。

691 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:27:16
>>687
だいぶ、論点がスッキリしてきたじゃないか。


A.3世紀の九州〜近畿のゆるやかな倭国連合が存在した。卑弥呼は九州でも畿内でもどちらにいてもいい。

B.邪馬台国は九州。近畿との連合は認めない。

さて、SSSはじめ九州説の諸君はこの議論に参加してくるかな?




692 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:37:11
>>691
まあおれ自身は再三書いてきたように、連合の中心は纏向で
その初期主体は河内、阿波、讃岐、播磨などの東瀬戸内と
三河、遠江などの東海勢力
これにその真ん中に位置する大和が加わったことで一気に融合に向かったというものなのだが。

北部九州主導(影響)説の言う様に、そこに半島に最も近い北九州が強い関心を示したうえ
もっと広域化させるために主導したというシナリオもありだとは思っている。

北部九州主導(影響)説論者とは、おれは議論したいのだが
未だにアホ話しか出来ない有象無象の古い九州説は退場せよとは言いたい。

693 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:37:25
倭人伝には投馬國の記述の次に
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月
とある。

投馬國から「水行十日陸行一月」して何故そこが畿内になるのか。
畿内説はこれを説明する義務がある。


694 :668:2010/06/19(土) 19:38:10
>>686
>最初の東征は北九州でも南九州でも銅鐸埋納の時期から判断すればいいことだ。

なるほど。最初の東征で銅鐸埋納がおこった。その後、

>邪馬台国の東征は250以後

ということか。で、

>今の考古学者の話を簡単には信じない

あなたの想像する「銅鐸埋納の時期」は?

695 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:42:07
>>693
シンプルに説明してやろうか?
行程記事が間違っている、だ。
行程だけでなく風俗や倭国の政治形態や成立過程にしても大幅に間違っている。

倭人伝にこう書いてあるから真実なのだとかいう宗教じゃないんだからね、俺らは。

696 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:43:44
>>694
そいつにマジに聞いても・・・。
結局は、自分の都合のいいように脳内で組み立てた説があって、それに都合の悪い考古学的な知見は
信じないということなんだろう。だったら、多数の銅鐸を比較検討して自分なりの編年があってしかるべき
なんだが、そんな能力も根気もないだろう。

697 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:45:10
>>694
想像であれこれ言うのは控えておこう。確度の高いことしか
言わんようにしているんでね。

698 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:50:27
>>691

北部九州を中心として、一大率に監視された緊張感ある結束を強いられた倭国連合があった。
連合に加われないような落ちこぼれ集団の中には、未開の地、畿内に逃げ込んだものもいた。
白村江敗戦以後、半島と軍事的緊張が解けて、畿内の副都に首都機能を移転した天武天皇以後、
九州政権の都は畿内に落ち着くこととなった。


699 :694:2010/06/19(土) 19:51:13
>>697
>想像であれこれ言うのは控えておこう。

686さん?

>確度の高いことしか言わんようにしているんでね。

じゃ、ナニコレ?

>>686
>邪馬台国の東征は250以後だと思うよ。
>銅鐸の一斉埋納→鏡がそれよりも前ならば、
>銅鐸の一斉埋納が3世紀後半ならば、

700 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:54:10
>>691-692

ヨコからだが…

まあ分かっているんだろうがここの九州説にそんな呼びかけをしても無駄。
その多くは九州王朝説的な前提で

「中国史書に見える倭国とは九州のことなり〜っ!」

と言うのがこいつらのドグマだからwwwwww

701 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:55:31
しかし畿内説って、詐欺しかないんだなw

702 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 19:56:38
>>699
それは条件付きの推理。単なる想像ではない。

703 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:00:05
銅鐸生産の終了は種々の資料から庄内以前と考えられる。銅鐸の廃棄を250年頃と見るならば、土器編年もそれ
につれて新しくなるだろう。まあ東遷説にとっては望むところなのだろうが、それにつれて並行関係にある北部九州
その他の土器編年も新しくなる。これは九州の考古学者もむろん認めないだろう。このスレでどんなトンデモを言っ
てもどうにもならん話。

704 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:07:06
土器編年で畿内と九州で似た土器が出土した場合
九州の土器を畿内から影響されたものだとして年代を遅くしているの可笑しくない?
普通に考えて九州の土器の影響を畿内の土器が受け、九州の土器の方が古いはずだが。
現在の土器編年メチャクチャだろ。

705 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:08:54
土器編年詐欺は、畿内詐欺説の定番メニュー

706 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:12:14
しかし、上レスを読んだが、福永にしても村上にしても本全体の論旨を無視して、自説に都合のいい部分だけ赤線
でも引いているのかねえ。まあ自分で調査するなどということはこのスレの住人はほとんどできないだろうから、資料
を借用するということはむろんアリだが、自説に都合のいい箇所だけ血眼になって探してる読書法ってどうなん?
そういう人生って? www

>>705 >>704 それは九州の考古学者がやってること。お前らの自前の編年を述べたら?


707 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:12:45
>>705
君も、詐欺だ詐欺だと連呼してないで、
○○式土器と並行してるのは△△土器の何式だとか、具体的に指摘しなよ。

できないなら黙っとけ。


708 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:16:34
まあ >>705 はサイキバだろうから、自前の土器編年などないだろうし、障害があるようだから黙っているのもムリな
話だろう。「かわいそうな病気の人」という態度で接してやるべきなんだろうな。


709 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:19:54
前漢鏡と後漢鏡がほとんど出ない近畿にどうして銅鐸だけが2,3世紀にあるのか、
不自然だ。銅鐸の廃棄は近畿に仏教が入ったからとしか考えられない。
銅鐸の絵は五穀豊穣を祈っているようにも見えるし、自然の動物がいて
穀物倉があって。どうみても神道関係だよ。倭の五王が神道をもって近畿地方に行ったんですよ。
卑弥呼の鬼道はもっと古い信仰で占い中心だ。神のおつげがどうのという。

710 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:24:07
>>695
・・・なるほど。
じゃ、邪馬台国という言葉も、捨ててもらわないとな。
他は捨てるが、邪馬台国の名称だけ取るというのは都合良すぎ。

711 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:27:21
>>692
ここは2chだから、このスレで何か有意義な仮説が組み立てられるということはないと思うよ。むしろ実生活の鬱屈の
はけ口というまさに2chらしい使われ方をしているし、このことが今では2chの存在意義の大部分を占めているだろう。
他の板にも書いているが、日本史板はまだしも、ネット依存の一日中書き込みや実生活はとうていムリだろうという病状
が覗える人は少ないほうだと思う。だから、そういう議論をしたければ自分のブログでも持つしかないだろうね。

712 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:29:43
>>692
>まあおれ自身は再三書いてきたように、連合の中心は纏向で
>その初期主体は河内、阿波、讃岐、播磨などの東瀬戸内と
>三河、遠江などの東海勢力
>これにその真ん中に位置する大和が加わったことで一気に融合に向かったというものなのだが。

その認識で間違いないでしょう。

北部九州は、いつどのように大和に加わったかでしょうね。
直接ではなく、吉備が仲介してたはずですが。
吉備と北部九州は銅剣文化を共有してたわけですから、1世紀から交流はあったわけで。

え?九州説って何ですか?





713 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 20:41:48
だから、九州政権の天武天皇が、畿内をサクッと横取り。
これが畿内政権の最後。

714 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:03:15
>まあおれ自身は再三書いてきたように、連合の中心は纏向で
>その初期主体は河内、阿波、讃岐、播磨などの東瀬戸内と
>三河、遠江などの東海勢力
>これにその真ん中に位置する大和が加わったことで一気に融合に向かったというものなのだが。

なんという気味の悪さなのだろう。何の為の連合なのか?融合って何だ?ああ寒つ。

715 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:08:29
>吉備と北部九州は銅剣文化を共有してたわけですから、1世紀から交流はあったわけで。

神武は東征の途中で吉備を手なづけているが、それ以前から九州からの移住者がいたのだろう。

716 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:10:20
吉備吉備と、いつになったら桃太郎の世界から抜け出すんだい?

717 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:16:36
吉備と北部九州は銅剣文化を共有してたわけですから、1世紀から交流はあったわけで。
そういう考え方は成立しないよ。
古い文化が西の進んだ文化も知らずにどんどん東に行く場合のほうが考えられる。
つまり東に行くほど古い文化を継承した民族。
それを以ってまるで現代のように東にあるから西と東は同じ時代という理屈は
おかしいということにきずかなければ。

718 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:21:03
>>714
書いてる本人も良く分かってないんだろう。

東征の拠点が纏向なんだよ。そこは、東海と九州を結ぶ交通の要衝だ。舟で
熊野灘を回るのは危険だし遠回りだ。東国、特に東海の産物を津に集めて人
力で纏向に運ぶ、そこから川で下れば瀬戸内海、安全に九州まで運べる。

纏向は本州支配の大拠点だからこそ、そこに兵を集めていた。だから、兵の
訓練のために造った古墳がでかいものになったのさ。


719 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:25:20
>718
このように、九州説とは、ぜんぜん話が噛み合わないと。



720 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:26:52
住民のいない纏向が拠点とは、さすが詐欺説だけのことはあります。

721 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 21:52:30
>>692
つうか、なんで巻向の時代に、東海の代表が「三河や遠州(いわゆる三遠地域)」になるんだよ?
時間軸が滅茶苦茶だ。

巻向の時代の「東海」とは、濃尾と伊勢国のことだ。特に伊勢が奈良盆地の勢力と強い関連性を持つ。
東三河や遠州が重要な地域となるのは、
尾張・伊勢の「東国文化」が、大和の強すぎる影響を受けて「大和と同化」してしまい、
東国的文化が東へ東へ拡散傾向となった後の時代の話。

722 :水銀厨:2010/06/19(土) 21:57:28
巻向は丹の搬出拠点ですよ、宗教都市です。

この地で重要なのは丹だという事が、茶臼山や天神山古墳の
水銀朱量でも理解出来ると思いますが。

兵の拠点は河内(八尾)方面です

723 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:00:32
V様式から、三河の土器が流入してたよね?


724 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:00:58
住民も王宮もない纏向で、いろいろ詐欺を唱えても苦しいなあw

725 :水銀厨:2010/06/19(土) 22:05:19
>>724
しかし大規模古墳が集結してるのは事実ですから。
目を背けてはダメです。

726 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:12:33
岡山や広島にも巨大古墳があるよ。野蛮な国でも土盛りは可能。

727 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 22:14:20
>>725
水銀厨?中毒者ですか?・・・苦しいでしょうね。丹にこだわってるようですが、古代においては
赤いものなら血のほうが普遍的でしょう。倭人伝の徇葬は殺人徇葬です。特殊器台には切り取
った人体の部分を、特殊壷には血を入れたのだと思いますよ。

728 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:14:32
>巻向は丹の搬出拠点ですよ、宗教都市です。

宗教都市とはどういうことなのかな。纏向は霊園だろ。住民は墓守くらいだろ。都市と言えるか?

729 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:15:46
古墳の多い都道府県は、兵庫、千葉、鳥取、福岡、京都だ。
纏向なんて目じゃないよ。

730 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:17:59
宮室・楼観・城柵・絹・蚕・鉄鏃・冬の生菜食・蛤などなど、纏向には無縁だねえ〜

731 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:21:35
大規模古墳が集結してるのは

つまり歴史が浅い、深みがないということで、
ある程度の王朝が奈良に遷都したからともいえる。
巨大古墳があるということだけで邪馬台国があったということにはならない。

いきなり渡来人が近畿に飛んでくるはずはないし、
海から渡って来たとしてもいきなり巨大古墳を作れるほどの力はない。
それなのに古い生活の跡がほとんどなく巨大古墳と唐代の碁盤の目の
遺跡跡だけじゃ、なんとも歴史が浅い。

732 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:23:17
宮室・楼観・城柵・絹・蚕・鉄鏃・冬の生菜食・蛤などなど倭人伝の記述は信用できない。
何故なら畿内説に不都合だからだ。邪馬台国は大和になくちゃナラんのだ。

733 :水銀厨:2010/06/19(土) 22:24:22
>>727
名前のとおり丹に拘ってますよ。

天神山の古墳についてはどうですか?
大量の鏡に囲まれているのは水銀朱ですけどね。

この時代、人なんて墓造られるのはごく一部、
その中で水銀朱の為だけに古墳が造られている訳です、はい。

734 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 22:24:58
>>728
箸中の近くに茅原という地名がありますね。茅原大墓古墳は4世紀後半以降でしょうが、茅原
の地名はもちろん「血原」から取ったものです。纏向は霊園ではなく処刑場ですよ。卑弥呼の
鬼道・・・血の儀式のための。

735 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:26:27
>>718
>兵の訓練のために造った古墳がでかいものになったのさ。

「マキムク ブート・キャンプ」説かwwwwwwwww





736 :水銀厨:2010/06/19(土) 22:28:06
私は畿内説でも大和に70000戸の国が存在するはずがない
という説なので念のため。

邪馬台国があるとしたら、瀬戸内東部、河内や阿波が
本拠だろうという説です。

むしろ四国説の方が近いかもね。

737 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 22:31:25
>>733
大和天神山古墳の木櫃は、卑弥呼の血風呂を模したものですよ。倭人伝の「以婢千人自侍」という
のは、当時の倭国にそんな千人も住める宮城などないでしょう。これは各地の巫女から血を抜いて
卑弥呼に届けていたということです。

738 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:37:07
>>736
その考え方から、全国の大古墳の在処を見直してみな。ようく理解できるから。
例えば、北九州で玄界灘沿岸にあること、壱岐や対馬にまで古墳が造られたこと
これらはその地の王が造ったなんてことでは理解がむずかしい。

739 :水銀厨:2010/06/19(土) 22:37:49
まず鬼道を用いる卑弥呼というのは、初期道教、所謂神仙思想に
影響を受けていた事は充分考えられるでしょう。
倭人伝の記述でも丹を好むとも書かれていた訳ですから。
それに黄色の旗を理解理解している点からも推測できます。

だとしたら、宮を設けるなら人があまり入らない、つまり「山」に
宮を設けるはずです。これはあまり姿を見た者がいないと言う記述でも
合致する部分です。

丹の山を背後に抱える巻向というのは、神仙思想的には
申し分ない環境な訳ですよ。
人が大量にいては逆に困ります、ありえないw

740 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 22:38:21
姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。

弥生は血の時代です。2世紀から3世紀にかけて、銅鐸の水の祭祀に代わって、血の祭祀の時代
に入ったのです。それが卑弥呼の鬼道。前方後円墳で行われた殯では、おそらく死者の霊を継ぐ
ために死肉食なども行われていたことと考えます。


741 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 22:43:56
>>739
道教?馬鹿な。あれは個人利益のためのものですよ。不老長命を餌にして時の皇帝にも信じられて
いたようですが、単なる方士の方便でしょう。個人利益を願うことができるほど当時の倭国社会が分化
していたと思うのですか?馬鹿馬鹿しい。

742 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:47:36
>>733
倭人伝の丹はベンガラのことではないかな。朱丹を身体に塗るとあるが、この場合の朱丹は赤い顔料のことで、水銀朱のような
高価なものではないだろう。
魏から汝の好物を与えるとして下賜された「眞珠鉛丹各五十斤」の眞珠は水銀朱だろう。卑弥呼は自国に豊富に水銀朱が産する
のであればわざわざ欲しいと言う筈はない。なお、「出眞珠青玉其山有丹」の眞珠は丸い真珠のことだ。

743 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:52:03
>>739
何千人もの男が墓造りをしているそばで、千人もの女を集めて神仙思想の瞑想に
ふけるってのかね。暴動が起きるぜ。

744 :水銀厨:2010/06/19(土) 22:52:37
>>741
ま、鬼道を用いると倭人伝の記述に書かれている事ですから。
嗜好品に丹関連が含まれていたのも同様です。

道教といっても年代によって解釈が異なりますので。

>>742
丹については記述が長くなるのでパス。
そのうちどっかで発表しますので
(これでも一応この業界の片隅にはいますので)

ここで言う真珠は水銀朱ではないですよ、勿論海の真珠でもありませんが。

酔って書き込んだので乱暴な文章失礼しました。

745 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:52:40
>これは各地の巫女から血を抜いて卑弥呼に届けていたということです。

『ジョジョの奇妙な冒険』の石仮面でも出てきそうな勢いだなw
URYYYYYYYYYYYY!!!!!

746 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:53:46
記紀では丹の存在とかあまり気にしていないね。

747 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 22:57:13
ghost of KHMだと?気取ったハンドルつけやがって。目障りだ。オカルト板に行け!!

748 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 22:59:10
>>744
根本は違いません。五斗米道にしても卑弥呼とはほぼ時代が合っていますが、個人による病気平癒祈願
ー謝礼としての米の寄進(五斗米の名の由来)など入信の手続きが必要だったため、広がりは遅遅として
いたはずです。これから、前方後円墳の有無をいわせぬ圧倒的な広がりを説くことはできませんよ。
卑弥呼の鬼道とは、現世利益・個人利益の道教であなく、まずは各地の首長層を取り込んでいったので
しょう。

749 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:00:39
神仙思想にぴったりな土地など日本国中どこにでもある。
山だらけだもの。
むしろ卑弥呼の時代は山より、火を崇拝していたんだよ。


750 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:02:20
>>690
箸墓には糞取りの箸がたくさん埋まっているのでしょうか
3世紀中ごろのウンコが、発掘許可を宮内庁が出せば、いろいろ研究できるようになるかもしれないわけですね

751 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 23:05:32
>>747
あなたが地獄に行けばよい。(笑 ハンガリアのエリザベート・バートリの話をご存知ですか?
若さを保つために600人以上の処女を殺し、その血を血風呂で浴びた。あの弥生時代版が
卑弥呼なのですよ。エリザベートは「鉄の処女」を用いるのを好みました。血がたくさん採れます
からね。

752 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:06:13
真性の基地外がまた一人出てきた。

753 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:06:51
>>744
鬼道の「鬼」とは、死んだ人のことで、死後の霊魂を扱っていたということだ。
漢魏時代の原始道教は「方士」がやっていた宗教で、全くの別ものだ。

九州ではたくさんベンガラが採れたので、体にたくさん塗っていたわけだ。
水銀丹を体中に塗りたくったら破産してしまう。

754 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:09:17
>>752

九州説が火病してるだけだろ。
荒らすことしかできないんだよ。


755 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:10:35
いや、詐欺の畿内説が暴れているから、みんなでからかって楽しんでいるのさ。邪魔するな。

756 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:12:19
この板の九州説が他の普通の九州説にハブられて
ここに居ついたという意見が正しい気がしてきた

757 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:12:57
有機水銀じゃなくて水銀酸化物だから毒性は低いとはいえ
日常的に体に塗るのは危険だなあ。

758 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 23:14:22
残念ですねえ。残留脂肪酸分析などの精度がもっと高ければ、古代史・・・特に弥生時代がどれほど血に
まみれていたかがわかるはずです。

>>754
>九州説が火病してるだけだろ。

私のレスを読んでいませんね。私は卑弥呼が纏向にいたと言っています。纏向は卑弥呼の血の儀式の
ための領域。各地の首長たちをどれほど怖れさせたことか。いわゆる「ゆるやかな連合」とは、軍事力なき
時代にあって、血と呪術的恐怖によるバンドなのです。

759 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:14:45
>>756
まあ九州説といっても中身は

「九州王朝説」とか「邪馬台国東遷説」とかのトンデモばっかりだからなwww


760 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:16:08
>>744
2ちゃんねるでも邪馬台国、論文も邪馬台国、ミクシイも邪馬台国、
お好きなんですね


761 :ghost of KHM:2010/06/19(土) 23:20:03
東遷説・・・(笑  縄文晩期とされる橿原遺跡からは、中空土偶と呼ばれる消化器官(腸など)
を表現したきわめて特異な土偶が出土してますが、彼らがどこからそのような解剖学的知識を
得たと思いますか。・・・答えは一つしかないはず、人肉食ですよ。(笑

762 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:20:57
>>756
まあ九州説にとっても迷惑な存在だな

763 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:25:33
ミクシィの邪馬台国ってどうなの?

昔覗いてみたときは、やっぱり九州説が互いに励ましあってるだけだったけどな。
九州説ファンの面倒もみなきゃならん原田はどういう立ち位置にいるのか?

関係ないが。


764 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:30:51
気になるレスがあるな。 → >>428


765 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:33:39
「ghost of KHM」とか「醜の御楯」って縦目の後輩だったか?w

で縦目の指示で板を荒らすように言われているとwww

766 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:44:55
>「ghost of KHM」とか「醜の御楯」って縦目の後輩だったか?w

いいや全て縦目だ。縦目は就職したとか言っていたがどうやら首になったようだな。

767 :ghost of Karl Heinrich Marx:2010/06/19(土) 23:45:12
>>765
そのような人は知りません。また右翼にも知り合いはいません。私はオカルト板でも「池沼」の
罵声を浴び続ける孤独な人間です。しかし、私のレスと、例えば >>718 のようなレスとどちら
が無根拠で書いているでしょうか?いずれにしても3世紀の倭国にあって、鬼道を用いる巫女が
王として冊封されたことは事実でしょう。この解明がないかぎり真実はけっして掴めませんよ。


768 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:49:22
「九州王朝」でも「東遷」でも「血まみれ古代史」でもどれも出鱈目度は変わらん
といいたいんだろうな。

769 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:51:23
鬼道より纏向における、宮室・楼観・城柵・絹・蚕・鉄鏃・冬の生菜食・蛤などについて述べてみよ。

770 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:51:39
>>766
そうだね。2ちゃんに入り浸りの社員がいる会社などろくな会社じゃあるまいからな。

771 :日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:54:19
朝鮮労働党直営の会社なら、それが本業かも

772 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:03:40
>>769
>蛤

ところで九州じゃあ潜水漁法でハマグリをとる事例があるのか?w

鰒なら分かるが(実際に岩から引き剥がすための道具も出土している

773 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:03:50
俺出版社勤務だけど、口上師とか全部同一人ならスカウトしたい。

774 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:07:25
>>773
ここの九州説は他じゃお目にかかれない基地g…個性的なキャラぞろいだがw
プロデュースしだいで面白い事になるのではないか?www





775 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:14:57
この出版不況の中、九州説とはいえ邪馬台国ネタに食指を動かす出版社があるのか?


776 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:18:09
>>744
私は鬼道とは陰陽道の原型のようなものだと思っているのですが、
同じ畿内説の水銀さんはどうですか?

鬼道=陰陽道ならば、奈良県御所市の鴨氏が出てきますね。
御所といえば、南河内〜奈良西部を支配していた葛城の本拠地です。
祟神の嫁も葛木の姫ですね。更に姉はモモソヒメ。
後の雄略に礼をとらせた一言主(事代主)や建内宿禰、もっと後の蘇我氏も
みんな葛城の人間。
葛城の近くには最近ニュースで有名になった巨勢氏も蘇我の分家ですね。

たまに書き込みあるけど、
私も御所の秋津や三室、蛇穴(サラギ)を調査した方が良いと思うけど、
全然そんな動きもないですね

777 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:19:48
>>772
こんな文章があったよ。

日向灘や高知の潜水漁師はチョウセンハマグリの水管が砂の表面に出ているのを見つけて採捕します。
鹿島灘では考えられない漁獲法です。


778 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 00:21:30
http://www.youtube.com/watch?v=aGQ1jrQP9tY
菅首相に痛撃 韓国人情婦との私生児を韓国で養育か?

779 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 01:54:08
さてそれでは、海のない纏向で、いったいぜんたいどうやって蛤を採るのか、
その方法を教えてもらおうかw

780 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 02:33:04
>>779
何を言ってるんだwww
お前は纏向地域だけが国全体だといいたいのかwww

781 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 02:48:06
>>769
よく、倭人伝の中に書いてある「冬の生菜食」を、九州説論者の論拠とする人がいるが、
これだけは、ほとんど何の関係もない。
単なるイメージにだまされているだけ。
気象学どころか、大阪(奈良)と福岡とに、住み比べたことすら無い連中の妄想だ。
「邪馬台国琉球説」や「邪馬台国鹿児島説」ならともかく、
北部九州と近畿中部とで、冬の寒さや植生には、ほとんど差が無い。
福岡は緯度は低いが、極寒の朝鮮半島の直接の風下にあたるので、
日本海で温められる本州以東より、緯度の割に寒い。

両者の違いがあるとすれば、むしろ雨量と地質で、
近畿のほうが、若干土地の再生産力に劣るところがあるが、3世紀にはあまり関係ないだろうな。

782 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 02:55:29
だいたい温暖とかの気候記事やら風俗記事などは
きちんと倭人伝には「倭国」や「倭の地」が主語になってるんだよな。

しかも三国志の倭国範囲認識には諸説がある。
済州島や台湾すら倭の地だと見ていたとする説もあるくらいだ。

それを邪馬台国という「女王の都する処」のみに限定している時点で
もう読み方としては完全におかしい。異説とかのレベルではなく単なる読み間違い。

ここの九州説が原文を独自に解釈しているほど漢籍に通じているとは思えないから
どこかの俺様訳文を鵜呑みにしたか、あるいは正しい日本語すら読めないのかのどちらかだろう。

783 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 03:43:26
以上本日の、畿内説による詐欺解説でした。

784 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 03:44:50
>>783

ワロタ

785 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 04:14:36
>>779
倭国の産物なら何の問題ない。
…これもこの板でもう何十回何百回と言われた話。

なんなら「明太子」でも「とんこつラーメン」でも問題ないw

このレベルのネタをひたすら繰り返すしかないのが
ここのゴミクズ九州説。




786 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 05:54:24
>>780 >>781
倭国のどこかが倭人伝の記事に合えばいいなんてのは、苦し紛れの屁理屈にすぎん。
倭人伝が書いている倭の地の風土、産物などは使者が実際に確かめたもの。
「倭の地は温暖、冬生菜食」は邪馬台国のことでなければならん。畿内も北九州も
だめだよ。これを素直に読んだだけで、南九州だということは明らかだ。

787 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 05:59:38
日向厨の朝は早い

788 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 07:14:02
オランダ戦の合間に、NHKのサイエンスZEROをちら見した。
ちょうど高松塚古墳をやっていた。
高松塚古墳の被葬者は「皇子か朝鮮半島からの移住者ではないか」とやっていた。

いつから、高松塚古墳の被葬者が、皇族か半島系かの二者択一になったのか?
教えてくれ。

789 :水銀厨:2010/06/20(日) 08:27:01
>>776
私は卑弥呼が、丹(仙薬の意味で)について興味を持っている点、
黄幢の意味を理解している点から、やはり初期道教の一種だと思っています。

ただし葛城地方に関しては、この年代においてとても重要だという事は
同意です。ただし狗奴国の本拠なのではという想定もありますが‥

>>781
北部九州なんて寒いですよね。嫁の実家が佐賀なもんでよく往復するのだが、
正直冬は降雪も奈良より多い位だ。

790 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 08:46:50
佐賀の何処かにもよりそうだが
この冬は積もったのが3回かな。
昼までにおおかた溶ける。

奈良って意外と雪降らないんだな

佐賀原住民

791 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:08:36
>卑弥呼が、丹(仙薬の意味で)について興味を持っている点、

そんなことがどこに書いてあるの?

792 :水銀厨:2010/06/20(日) 09:09:23
奈良で雪が降るのは都祁や榛原、南部吉野といった標高の高い山間部。
今年盆地中央部での積雪は皆無でした。

793 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:12:27
福岡、前原は北側に当たるせいか
佐賀側と比べて気候がちがうので、若干気温が低い。

しかし乾燥するせいか、佐賀より更に雪はふらない。

794 :水銀厨:2010/06/20(日) 09:14:55
>>791
倭人伝にありますよ。卑弥呼の賜った好物として真珠、鉛丹があります。
これ等は仙薬ですから。

795 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:19:51
倭の地は温暖、冬夏生菜を食す。この言葉は、一方で、会稽東冶の東と
言っていることと関係しているな。つまり、使者らは、会稽東冶と同じ
ぐらい暖かだと感じたということだ。

796 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:19:53
好物ってのは、すぐれた物とか良い品物とかいう意味、この場合。

797 :水銀厨:2010/06/20(日) 09:25:48
>>796
当然貰う方がその価値を知らないと、正に豚に真珠となります。

798 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:29:26
ともかく卑弥呼の好物だという意味ではない。
また、価値を知っていたとも書いてない。
その時に初めて価値を知ったかもしれないし。

799 :水銀厨:2010/06/20(日) 09:38:12
>その時に初めて価値を知ったかもしれないし。

鉛丹は加工品なのでその可能性は有ると思いますよ。
ただし丹(仙薬)についての知識が無いとは言えないでしょう。
水銀朱自体は古くから採取されていた訳ですから。

800 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:46:18
水銀朱は書いてないですよ。鉛丹でしょう?

801 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 09:46:36
丹(仙薬)についての知識が無いとは言えないとしても、そのことから
卑弥呼が、丹(仙薬の意味で)について興味を持っているとも言えない。

802 :水銀厨:2010/06/20(日) 09:56:06
そこで「鬼道を用いる」という事がヒントになると思いますよ。
初期道教のような物を指すのなら丹は重要でしょう。

>>800
勿論倭人伝の記述の事ではないですよ。

水銀朱の意味も知らずに(徳島、紀伊半島で)採掘、精製はしない、
という意味です。漢人自体は弥生末期には
河内までやって来ていて水銀朱を墓に使用していますから。

仙薬についての知識は最低でもこの時点で入ってきているという事です。

803 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 10:07:10
倭人伝の記述あったことを根拠にしなければ。

>漢人自体は弥生末期には
河内までやって来ていて水銀朱を墓に使用していますから。

これは違いますよ。

804 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 11:26:10
>>788
NHKには魚羊人が大勢潜り込んでるからな。

805 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 11:50:13
>>788
高松塚古墳の中身は高句麗だから半島系といっても異端だよ。
どうして高句麗が倭の本拠地に君臨していたのかは不明?

そもそも、倭の五王は高句麗との全面戦争に明け暮れているから、
高句麗が倭の本拠地である畿内に入り込む余地なんか存在しないはず。

高松塚古墳は存在しない方がいい。高句麗の壁画も消してしまえって事




806 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 11:54:12
「文化の伝播」という発想が全く無いやつがおおいな。

関係があれば征服しかないのかよ。

807 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 12:08:55
考古学では「文化の伝播」は推測できても
国家権力の盛衰までは推測できないからな。
考古学を根拠に邪馬台国の話するやつがいるが
考古学を全然理解してないな。

808 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 12:09:47
>>806
高松塚は文化の伝播なんかじゃない。

いまだかつて高句麗の民族衣装をまとった皇族は存在しない。
当時、明日香に君臨していたのが倭種ではなく高句麗であっただけ。

まあ、纏向だけは頑張って卑弥呼の墓であって欲しいがね。

809 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 12:12:32
>>802
だから倭の国内では手に入らない真朱(水銀朱)を魏から頂いたのね。

810 :sss:2010/06/20(日) 12:19:20
水銀朱は、辰砂をすりつぶせば出来るものだから、これを貴重と言うのは
どんなものかと思う。まして、古代のものに高価なんて言葉を使うのは
単なるイメージ作りのような気がする。

ちなみに、倭人伝に書かれている鉛丹は、鮮やかな色だが、黒変するために
絵の具には用いられないらしい。もっとも一般的な用途は、鉄の錆び止め。
ベンガラもあるし、水銀朱も縄文時代から使われていたらしいから、
顔料は足りている。魏も錆び止めの用途としてくれたのかもしれない。

811 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 12:48:47
>>810
SSS氏へ。

>>506は、
熊本県の鍛冶遺跡が、淡路島の垣内遺跡と同時代だと言ってるが、
その根拠はなんだ?



812 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:00:44
>>805
高句麗が、「半島系の中でも異色」だとは思わないが。

言語学を扱っていたりすると、
どうみても、日本語との系統論で「 辛 う じ て 脈あり」なのは、
半島言語の中で、高句麗語 「 だ け 」という結論がでる。
特に日本語が、どうみても新羅語と全く無縁らしいということは、
かすかに残る朝鮮南東部の地名人名の、あやふやな復元音からだけでも明らかに分かってしまう。

百済語も、あまり縁が無い。記紀には比較的記載例が多いが、
およそ日本語とは関係がない。



813 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:14:31
長崎のハウステンボスは、オランダ人が入植・支配した植民地だったのか。


814 :水銀厨:2010/06/20(日) 13:26:18
>>809
倭人伝には真珠も有ると記述されてますけど。
それに厳密には真珠=水銀朱では無いですから。

>>810
少なくとも抱朴子位は目を通してください。
倭人伝と同時代の鉱産物資料ですから。
間違ってもそのような解釈にはなりません。

815 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:30:03
抱朴子を読んで卑弥呼が鬼道を始めたわけじゃないから、関係ないけどな。
列島独自の宗教だったから、「何教」などと書かずに、魏志倭人伝にありのままが書いてあるだけだ。

816 :水銀厨:2010/06/20(日) 13:37:37
>>815
抱朴子が書かれた頃は既に卑弥呼は存在しないですよw

抱朴子は倭人伝の産物解釈には必要だと思うだけです。
ベンガラを丹なんて言ってるのは全くの無知だからね。

817 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:41:05
だから抱朴子を読んでベンガラ使用を中止したりするわけないだろ。
卑弥呼と抱朴子は無縁。抱朴子を百年読んでも卑弥呼の解明にはならない。

818 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:43:28
九州でたくさんとれたベンガラを、体に塗っていた、これが真実。
列島側で抱朴子を読んで道教に宗旨替えする必要もなければ、
ベンガラを禁止して水銀を強要する必要もない。

819 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:46:20
>>814
「出真珠 青玉 其山有丹」の真珠は青玉と併記されているから
「珠翠」のこで海の真珠。
「真珠 鉛丹各五十斤」の真珠は鉛丹と併記されているから
真朱の誤植で水銀朱。
「貢白珠五千」の白珠は倭の魏への贈りもので
真珠のうち特に上等なもの。

820 :水銀厨:2010/06/20(日) 13:49:48
>>817-818
言ってる主旨が無茶苦茶ですよw

朱丹とは赤色顔料の総称の意です。
ベンガラを塗る人もいれば、一部に水銀朱を入れた人もいるという事。
で、ベンガラは赤土、代赭石で酸化鉄。
水銀朱の代用品で仙薬である丹でないですよ、はい。

821 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:51:20
抱朴子なんてオタクの書いた書物がありがたがられたのは、後の世。
魏の公文書なりに「丹=水銀朱」と書いたものがなければ、信用に足らず

822 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 13:53:24
>>817-818

ここで、抱朴子を排除してる人は、

魏志倭人伝と日本書紀を結びつけて、卑弥呼はアマテラスだなどと言わないように。

日本書紀は抱朴子よりももっと魏志倭人伝と無縁の文献だからな。


823 :水銀厨:2010/06/20(日) 13:54:17
>>819
抱朴子によると、真珠は一寸以上(3センチ前後)の物を飲むとありますが。
そんなパールが存在しますかね?
それに乳を合わせて飲むと水銀のようになるとあります。
さて、何でしょうね?

824 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:00:05
海山経や抱朴子を、一言一句真実だと信じ込んじゃってる時点で、負け組。
オカルトが入ってるからね。

825 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:00:38
抱朴子を百年読んでも・・・
水銀厨は自分の先入観で倭人伝を読んでる。

826 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:02:58
卑弥呼は、特に仙薬を好んだわけじゃない、で話は終了。
仙薬仙薬と騒いでいるのは、卑弥呼じゃなくて水銀厨だけ。

827 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:03:06
>>823
一寸は指の幅の長さが基本で
一寸以上(3センチ前後)は後代のことです。
一寸は大粒のパールくらい。


828 :水銀厨:2010/06/20(日) 14:07:53
>水銀厨は自分の先入観で倭人伝を読んでる。

私にとって褒め言葉ですね。
〜先生の季刊誌やションベン臭いつまらん論文は
間違っても参考にしません。

>>827
ソースとなる文献を知りたいですね。
それに水銀のようになる物でしょうか?

829 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:08:43
【水銀厨畿内説詐欺】
邪馬台国が畿内じゃないと困る
→水銀の産地なら畿内が有利
→卑弥呼が水銀丹仙薬だけを使った道教の女巫女と断定
→詐欺で抱朴子を持ち出して言いくるめようと画策
→詐欺がバレそう
  ↑いまここ

830 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:11:33
>>810
SSS氏へ。

>単なるイメージ作りのような気がする。

おまえは、天照大神を卑弥呼+台与といってたが、これはイメージ作りじゃないのか?

どうでもいいが、ROMってないて>>811に回答よろしく。


831 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:12:52
卑弥呼や倭人は仙薬しか使用せず、ベンガラは使わなかった証拠は一切ないが、
古代の日本は、ベンガラを大量に使っている。もう馬鹿かとアホかと。

832 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:13:31
>>818
なにげない表現だが、説得力あるなァ〜
おそらく真実を突いてるぞ。

833 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:16:02
だいたい、文献重視の九州説が抱朴子を無視するのがダブルスタンダード。

魏志倭人伝に「その山に丹あり」とあり、当時の中国では丹を水銀としてた用例があるのだから、
九州説としては水銀の採れる山を見つけることが先だろう。

ベンガラと水銀では全く用途が違う。
始皇帝の時代から水銀は貴重品だ。

834 :水銀厨:2010/06/20(日) 14:21:37
>>833
確かに多くの九州説では、同年代の資料である抱朴子や、
当時の中国にとって、鉄なんかよりはるかに重視する
必要のある水銀朱は無視ですからねw

その解釈もトンデモ論ばかりだし。


835 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:21:47
>>833
抱朴子を無視はしないよ
当時の中国で丹を水銀としてた用例があっても
ベンガラが丹の一種でないことにはならない。

>ベンガラと水銀では全く用途が違う。
>始皇帝の時代から水銀は貴重品だ。

だから何???

836 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:24:00
中国版のウィキペディアで「丹」を見てみ
古代より現代まで、「赤い土全般」を指す意味なんだよ。
(もちろん、水銀朱を指す場合もある。)
厳密な区別は現代ですら、ない。

837 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:25:04
>>835
つまりベンガラを丹とする、当時の中国側の文献資料を探せばいいだけじゃないですか?

838 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:26:22
ウィキペディアw



839 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:27:01
>>835
>当時の中国で丹を水銀としてた用例があっても
>ベンガラが丹の一種でないことにはならない

それなら、天照大神が卑弥呼と似てるなどと、SSS氏みたいなアホなことは言わないな?

おまえが、ダブスタでないなら、SSS氏の説も一言否定してもらおうか?

「天照大神が卑弥呼という根拠はない」

はい、どうぞ。


840 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:30:46
>>833
あのな、現代に例えると、
倭人伝--政府官報
抱朴子--麻原ショーコウの論文
なんだけどな。

841 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:33:09
>>839
>天照大神が卑弥呼と似てるなどと、SSS氏みたいなアホなことは言わないな?

言わねえよ。

>おまえが、ダブスタでないなら、SSS氏の説も一言否定してもらおうか?

SSS氏の説って何だ?知らねえよ



842 :水銀厨:2010/06/20(日) 14:33:24
>>836
丹とは本来赤い色の仙薬です。

少なくとも各年代の鉱産物資料からはそう読めます。

それが水銀や鉛の毒性が知れるようになってから
代用品であるベンガラ等も含めた総称へと変化して、
赤い土全般を指すようになっていったのです。

843 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:37:43
>>840
自称文献重視派の九州説論者にとってはね。

844 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:38:42
倭人が丹といえば水銀仙薬しか使わなかったと断定しちゃうのが詐欺。
ベンガラは古代、盛んにつかわれていた。水銀よりも大量にね。


845 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:41:38
卑弥呼が道教の信者だった証拠など一切ない。
卑弥呼がベンガラを使わなかった証拠など一切ない。
むしろ大いにベンガラを使っていたと考えるのが自然。
体中にべンガラを縫っていたんじゃないだろうか。
わざわざ倭人全員が、体中に水銀なんか塗るわけがない。

846 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 14:51:28
卑弥呼は長生きしたようだが
「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」
の朱丹が水銀朱なら健康を損ねて長生はできながったろう。
魏の使者が来た後に、
卑弥呼が急に死亡したのは、魏から大量の真朱(水銀朱)を貰い
それを化粧に使った為ではないかな。

847 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 15:04:06
卑弥呼が長生きっだたことが
倭人伝の丹が水銀系のものではなかった
証拠になると思うのだが。

848 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 15:05:22
真朱ではなく真珠と書いてあるのだから、其の通りに読むべき。
白珠はパールではなく白い玉石。


849 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 15:30:28
真珠をすりつぶした白い粉を酪漿(乳)に混ぜると水銀と同じ効果があるという仙薬

>それに乳を合わせて飲むと水銀のようになるとあります。
真朱を乳にとかしてもピンク色になりぜんぜん水銀のようにはならないだろう。

ですから抱朴子のいう真珠とは貝の真珠のこと。

850 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 15:40:59
>>848
「真珠 鉛丹各五十斤」
真珠パールを五十斤と量り売りはしないよ。
白い玉石って何だ?

851 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:00:43
>>841

SSS氏の説は、東遷説といってなあ。
天照大神は、卑弥呼+台与なんだと。

根拠を聞いたら、魏志倭人伝と日本書紀の記述が似てるからだそうだ。

笑うよな?


852 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:01:11
斤とは重さの単位だろう?どうして重さの単位で表記するのがおかしいのか?問題ないだろう。

853 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:33:34
じゃ真珠をすりつぶした粉をまるめたものじゃない?
仙薬にあるそうだから。
真珠の銀色が乳とあわせると水銀のようになるということです。
それに量り売りしないとも限らないけどね。

玉石はいろいろな色がありますよ。白い石のアクセサリーなど良く売られている。
パワーストーンのお店などで。庭用の玉石ではないので念のため。

854 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:34:32
>>852
漢代の一寸は23mm
漢代の斤は250g
50斤では12.5Kg
真珠パールを12.5Kg!
天然物しか無い時代に12.5Kgもの真珠パールは入手不可能でしょ。


855 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:34:41
>>852
壹與が張政を送らせる使節に託した献上品のところに「貢白珠五千」とあるだろ。真珠(パール)など
は重さでなく数で表しているではないか。数えられない物は重さで量を示すんだよ。ちゃんと区別があ
るのだよ。

856 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:45:13
50斤と書かれているのだから50斤なのですよ。
真珠は粉にして丸めれば仙薬になる、そうすれば、君たちが主張する鉛丹と並んで書いてあっても
おかしくない。また量り売りでもおかしくない。

857 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:46:51
>>853
>真珠の銀色が乳とあわせると水銀のようになるということです。

水銀のような銀色の液体ができるわけね。


858 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:48:19
>真珠は粉にして丸めれば仙薬になる

丸めなくてもいいだろ。

859 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:49:07
そういうことですよね。
パールの輝きは水銀に似ていますからね。
真朱では赤色ですからピンク色になってしまう。

860 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:50:21
天然真珠って超貴重品だったんですけど
その超貴重品の真珠を粉にして渡したんですか!?

861 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:53:06
>>真珠の銀色が乳とあわせると水銀のようになるということです。

んなわけないだろ。真珠を粉にしたら白色だよ。銀色なんかにはなんね〜よ。

862 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:54:57
丸めてもいいでしょ。飲みやすいし。



863 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 16:57:18
真珠を粉にして飲む・・・カルシウムの補給だな。

864 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:00:06
えらく高価なサプリメントだな。

865 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:03:02
真珠は白色じゃないですよ。
銀色。
真朱は赤色。
水銀のようになるはずもない。

>その超貴重品の真珠を粉にして渡したんですか!?
頭の中で考えないで、真珠を計ってみれば?
11.14キロですよ。正確には。何粒分くらいになるか。

866 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:13:46
真珠を粉にしたら白色だけど、乳とあわせると元の真珠銀色が出るんだろう。
しかし粉の真珠貰ってもな。
魏から貰った方の真珠はやっぱ真朱の誤記だろう。

867 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:17:35
真珠(パール)は炭酸カルシウムの結晶層と有機質の層が交互に積層して干渉色を生み出す。つまり、真珠の色は物質の色
そのものではない。したがって、粉末にすればその干渉色は失われて白色となる。分かるかな?

868 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:19:55
とりあえず「仙薬」の幻想は捨てろ
原文を素直に読む

869 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:20:56
クレオパトラは真珠を酢に溶かして飲んでいたそうだ。美容飲料だな。卑弥呼ももしかして・・・

870 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:23:17
実験してみないと否定も肯定もできないな。
粉末にしても各粒子内に炭酸カルシウムの結晶層と有機質の層が残っていれば
干渉色は失われないようなきがすけるけどな。

871 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:26:51
>11.14キロですよ。正確には。何粒分くらいになるか。

うちのかみさんのネックレスで計ってみた。うちのは大粒だから1粒が2.5gある。これだと
約4,500粒となる。

872 :訂正:2010/06/20(日) 17:27:19
>>870
実験してみないと否定も肯定もできないな。
粉末にしても各粒子内に炭酸カルシウムの結晶層と有機質の層が残っていれば
乳とあわせれば干渉色は失われないようなきがすけるけどな。

粉末は白だな。(・・;)

873 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:32:38
真珠は水銀と同じで変化のシンボル
珊瑚が金と同じで不変のシンボル

874 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:38:02
議論が雑多になったので、スレを分けるのもよいかも。
専用で議論するとマキムクスレや、年輪年代スレのように、畿内説の敗北がすぐに確定する。

☆三角縁神獣鏡は国産か?☆【舶載死滅?】

▲鉄器の出土から見た古代史▲【畿内説涙目】

■C14で古代史年代が変わったか?■【歴博沈黙】

▼弥生の本州での鏡の出土は僅少▼【畿内説のタブー】


875 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:41:20
>>874
このスレも

★東遷説という幻想★【安本に騙された人々の悲喜劇】

876 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 17:44:05
さて、お遊びはこれくらいにして。
水銀朱が邪馬台国所在地の決め手にならないということでお開きにしようではないか。

877 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 18:22:18
話が活発になるようにネタを投下。

ホケノ山古墳は4世紀の築造ではないか?

ホケノ山古墳からは庄内式土器、木槨に納められたコウヤマキの木棺、素環頭太刀、鉄刀、鉄鏃などが
出土している。木棺のC14年代測定の結果から3世紀前半頃の築造とされている。

しかし、木槨の存在は倭人伝の記述に合わないし、C14年代測定の精度に疑問なしともしない。庄内式
土器については専門家の間でも年代についての考えの相違がある。

また、こんな見解もある。
「庄内式土器は北九州一円と、近畿地方では、大阪府八尾市近辺と奈良県の天理市から櫻井市にかけての
地域に分布する。
北九州ではかなり広い地域に分布しているのに対し、近畿地方では大阪と奈良のかぎられた地域にしか分
布しない。

これは、庄内式土器が九州から近畿地方にもたらされたと考える方が自然である。」

つまり、庄内式土器は九州からの東征勢力が持ち込んだものだという主張だが。



878 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 18:24:02
>>874
ふむふむ、東遷厨@恨み節のご執心のネタと言うわけだなw

改題させてもらうとこうなるwwwww

 ☆三角縁神獣鏡の制作年代はいつ?☆【東遷説即死?www】

▲ヤマト王権発生のプロセスに鉄は無関係?▲【九州説号泣www】

 ■そもそも昔の「古墳時代は4世紀から」の根拠って?■【理化学的年代測定待つまでも無くwww】

 ▼本州の鏡は東征勢力が持ち込んだのが初め?▼【東遷厨の詐欺商法www】

で、4つ目に関してだがお前は
「弥生の本州での鏡の出土は僅少」と言うが実際にどれくらいを想定して
何を根拠にするんだ?
単にイメージだけの世界なのか?w

とりあえずお前が良く噛み付いている岡村編年の7期のものを全て削っても
少なくともサイキバのアホが言うような100:1になんかならないw

それともそれらは全て4世紀以降に日本に入ってきたとか電波飛ばすのか?w

もし3世紀までの九州以東に少なからず鏡の流入を認めるなら
それと東遷勢力が持ち込んだ鏡との峻別は如何にする?

まあ4世紀神武が東遷するまで本州の鏡はゼロだったら
東遷説のイメージ商法・詐欺商法には一番都合が良いんだろうがw

879 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 18:25:03
>>876
それは無理ですね。
ベンガラが丹でない以上は、九州説論者は
まず丹の山と採掘跡が無いと話しになりません。

880 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 18:29:26
>ホケノ山古墳は4世紀の築造ではないか?

そう言えば以前、多分「恨み節東遷厨」だったと思うが
ホケノで小枝が出てきてそれの14C測定では4世紀の年代が出たと言う話があって

俺の他、その小枝とやらが何処からどのように出てきたものか?
…と言う詳細を望む声があったと思うが…


アレっていったいどうなったんだ?wwwww

881 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 18:44:23
>>879
倭人伝は「その山に丹あり」と書いているだけだ。
採掘しているなぞとはどこにもない。
現在、九州の山には丹があることが確認されている。何も問題ないだろうが。

882 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:02:29
>>880
なにそれ?
詳しく。

ホケノ山が4世紀だったらすごいねー。
九州の前方後円墳の登場は5世紀からってことになるのかな?


883 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:07:30
>>882
簡単に言うと、木棺が2世紀末くらいの切り出しなのに対し
そのそばに落ちていた小枝が4世紀半ばだということが、新たな報告書で発表されたってこと。

884 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:09:51
つまり、近畿説考古学者が隠してたという話

885 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:13:55
>庄内式土器が九州から近畿地方にもたらされたと考える方が自然である。

ここまでくると本当に宗教だなw

886 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:15:33
まあ>>884のような馬鹿は置いといて(どちらの発表も橿考研)

この問題はホケノ山の築造年代という単純な話ではなく
かなり後世にわたって増改築が行われていたのではないかという疑義の提出となった。

極端な話をすると、横穴式だから新しい古墳だと断定できなくなったということ。
後の世に崩落した部分をその時代の工法で修理したとも考えられるから。

887 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:17:54
ベンガラを大量に使った装飾古墳の分布は、九州が中心だ。
ベンガラ丹を倭人が体に塗っていたというのもきわめて自然。

888 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:20:45
>>887
装飾古墳を根拠とするなら、その丹を塗る風習とやらも5〜6世紀のものということになるな。

つーかいい加減丹から離れろ。

889 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:22:18
はあ?古墳時代のベンガラ採掘跡など見つからなくても、
九州では伝統的にベンガラ丹を使っていて当然だ。

890 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:23:56
>>877は誰なんだろう?

安本信者を装った釣りくさいな。
いくらなんでも、いまどき「庄内式土器が九州から近畿地方にもたらされた」なんて発言したら、
集中砲火でバカにされるだけだし。

このスレではSSS氏だけだろ。そんなアホな考えに同調してるのは。



891 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:27:37
>>890
だいたい>>877は邪馬台国の会のHPの劣化コピーだからね。
そのまま鵜呑みにした情弱がいないとは言い切れないが
まああり得ない話なので、話題にするのも馬鹿らしい。

892 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:39:04
九州で装飾古墳以外でベンガラ朱を使った物って他にどんな物があるの?

893 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:43:19
>>892

東海にはベンガラを塗った土器とかあるが、
九州には無いな。

894 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:47:17
>>893
やっぱないのかw
特殊器台もベンガラ朱だったはず

895 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 19:48:31
縄文時代のベンガラ塗り土器が九州から出てるよ。
ベンガラ使用は九州の伝統なんだよ。

896 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:02:03
吉野ヶ里の石棺にもベンガラが塗られているから九州とベンガラの縁は深い。

897 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:02:28
>>895
日本全国で絶賛出土中。
特に青森や福井など日本海側に多い。

898 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:07:52
九州や東北で使われた弥生のベンガラ。
産地は九州の可能性がある。

899 :訂正:2010/06/20(日) 20:12:54
弥生時代の九州で出土する甕棺の中は朱(ベンガラ)が満たされている。

900 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:17:06
抱朴子には1寸以上の真珠を飲めと書いてあるそうだから、
真珠の粉を丸めて丸薬にしたんですよ。ですから、
まるめる為の混ぜ物もあるから重くなるんですね。

901 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:20:09
>>880
『ホケノ山古墳の研究』に詳しく載っているだろ。
もともとホケノ山概報の時点でこの小枝の試料はあったし、関係者もそのことは知っていた。

しかし、4C半ばという数値が不都合だったので概報では無視された。
そのことが強く批判されたからかともかくとして、その後に小枝の試料も公開された。

ともかくホケノ山築造時期の小枝として、わざわざ選別したものが4C半ばと出た事実だけが残った。
これで畿内説ももう終わりという雰囲気が一部で出始めて、泥舟からの脱出もちらほら。


902 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:24:41
>>898
何か勘違いしてない?
ベンガラ朱を使った彩色土器は、すでに縄文時代前期から日本各地にあるよ。
特に福井県の鳥浜貝塚遺跡が古く、量も豊富。
青森県でも三内丸山遺跡で大量のベンガラ塗り土器が出土した。
>>897はそのことを書いているのだけど。

むしろ九州産のベンガラ塗り土器を話題にするなら
南九州に多く見られる壺形土器について語ったほうがよくないか?
これなんかは先に書いた日本海側の分布からは外れ、単発的に発生するだけでなく
後の多くの壺形土器の祖形ではないかと見る向きもある。
鹿児島県の上野原遺跡なんかを調べれば参考になるだろう。

いつまでも怨み節や妄想パズルに終始せずに、地道にコツコツと調べれば色々あるんだから。

903 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:26:28
>>878
三角縁舶載説は、もうあきらめたのか?
じゃあ舶載説に今もしがみついているのはバカってことでFA?


鉄の出土傾向をそのまま議論することからは逃げるのね。


歴博のC14の擁護はさすがにあきらめたのか?そりゃ賢明だな。
しかし、批判はしないのが、畿内説クオリティー。


弥生時代の本州での鏡の出土が極端に少ないことには反論しないのか?
畿内説では未だに言論封鎖の対象なのか?


ということでこれらのスレを立ててジョーカーへのABCDE包囲網を作ろうぜ。


904 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:26:35
>>901
よくまあそんだけの嘘を思いつくもんだ。
しかし嘘をつくならきちんと設定を決めような。

905 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:28:13
>>903
だからそんなつまらない自演をして楽しいのかと・・・
>>902で書いたように、コツコツ真面目に勉強すれば
いくらでも材料はあるのだが、勉強は嫌いか?

906 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:31:53
>>904
どこがウソなのかな?
ホケノ山築造時期の小枝のC14が4C半ばとでたことは事実だよね。

この期に及んで>>886のような見苦しい言い訳は笑えるね。


907 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:33:19
とにかく魏からの贈り者に水銀朱はない。

908 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:36:47
>>902
君が勘違いしているだけだから、他人に振らないように。
青森も倭人百余国の一部であって、九州産ベンガラは
倭人の国々へと大いに普及したその結果と推定できる。
なにしろ採掘場所が不明なのと、縄文期から九州で
使われているからな。
壺の形式とベンガラ使用は分けて考えたほうがいいぞ。

909 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:37:42
>>906
そう、そこだけは事実。
あとは作り話だろ>>901

910 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:38:47
>>908
ベンガラなんてどこでも採れます

911 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:39:30
>>908

>青森も倭人百余国の一部であって、九州産ベンガラは
>倭人の国々へと大いに普及したその結果と推定できる。

だめだこりゃwww
九州よりはるかに福井のほうが早いのだが

912 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:40:01
>>910
では聞くが、縄文期・弥生期の採掘場所を言ってくれたまえ。

913 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:40:45
>>911
南九州のほうが古いな。

914 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:41:55
>>911
君は縄文前期と縄文中期のどっちが古いか分からないのかねwww

915 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:42:30
>>903

大いに賛成。畿内説詐欺には辟易した。

916 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:42:55
>>912
縄文期は知らんが弥生期は水田とかからだろ

917 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:45:58
>>912
横からだが>>902で例に出した福井県の鳥浜貝塚遺跡や青森県の三内丸山遺跡。
どちらも採掘遺構が出土している。
しかも両方とも縄文前期。
今のところ鳥浜貝塚のほうがやや古いと見られている。

さて質問には(横からだが)答えたので、こちらからも質問。
南九州で最も古いと見られる採掘遺構はどこで、それはいつの時代のものか?

918 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:46:50
>>914
ベンガラは、旧石器時代から使われているから、心配するな。
三世紀、畿内より九州で圧倒的に使われているから、
邪馬台国はベンガラゆかりの九州だ、ということだ。

919 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 20:49:14
>>918
きゅうせっきぃーーーーwwww
それ中部から東北・北海道の話じゃんか。

で、2行目は全くの嘘だよね。どこで使われているのだ?

もうひとつ分からないのが3行目。邪馬台国とベンガラってwwww

920 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 21:08:59
しかしこのスレも、どうやっても知的にはならないな。朱色がなぜ珍重されたのかとか?なぜ古墳の石室に
朱が塗られてるか?といった発想はないのかな。単に防腐剤や虫除けだけではないだろう。

921 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 21:19:02
>>920

そんな むずかしいこと わかんない

だって ぼく きゅうしゅうせつ だから

922 :877:2010/06/20(日) 21:53:04
>この問題はホケノ山の築造年代という単純な話ではなく
>かなり後世にわたって増改築が行われていたのではないかという疑義の提出となった。

>極端な話をすると、横穴式だから新しい古墳だと断定できなくなったということ。
>後の世に崩落した部分をその時代の工法で修理したとも考えられるから。

これはどうなんだろなあ。ホケノ山古墳の築造年代を3世紀にしたいという意図があっての強弁くさいな。
古墳を後の時代に修理することがあったのかな?新しい墓を作るために古い墓の一部が削られるなどのこと
はあったかも知れないが。

923 :sss:2010/06/20(日) 21:53:07
>>892
阿蘇では弥生後期の住居跡からも大量のベンガラが出ている。
東北方向に厚く撒かれていたので魔よけの意味があるのではないかとも言われる。

しかし、東北の方向を鬼門とする考えは中国のもの。
中国では、東北方向からモンゴル系の民族がよく攻めてきていた。
これを考えると、この頃から日本でも中国的な考え方が普及していたと
考えることも出来る。

924 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 22:20:13
>>923
SSS氏へ。

>>506は、
熊本県の鍛冶遺跡が、淡路島の垣内遺跡と同時代だと言ってるが、
その根拠はなんだ?

逃げ回ってないで答えろ。


925 :sss:2010/06/20(日) 22:40:33
>>924
同時代とは言っていないが…。
垣内遺跡については、最近、盛んにマスコミで報道され、「日本最大の…」と
いうような形容詞が付くことが多い。
まるで、近畿地方の鉄器生産がすごく多いようなイメージを与えている。
これについて、疑問を持っているわけで、それよりも例えば熊本県の弥生後期の
鍛冶遺跡の方が高度であり、数も多いといっているわけだが。

926 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 22:44:17
>>915
ではとりあえず、三角縁神獣鏡から始めますか。

927 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 22:58:52
>>925
>同時代とは言っていないが…。

はぁ?てめえふざけんな。

>例えば熊本県の弥生後期の
>鍛冶遺跡の方が高度であり、数も多いといっているわけだが。

そのためには、20世紀の八幡製鉄所と垣内遺跡を比較してもOKってか?
まともに議論する気があんのか?










928 :877:2010/06/20(日) 22:58:56
垣内遺跡
「発 掘 調 査 の 結 果 、弥 生 時 代 後 期( 1 世 紀 半 ば 3 世 紀 初 め ) の 建 物 跡 が 2 3 棟 見 つ か っ て い ま す 。
う ち 11 棟 の 竪 穴 建 物 で は 、床 面 で 強 い 熱 を 受 け て 赤 く 焼 け た「 炉 跡 」が 認 め ら れ 、鉄 鏃 を
は じ め と す る 鉄 製 品 、素 材 と な る 鉄 片 、 鏨 ( た が ね ) で 裁 断 さ れ た 鉄 細 片 が 出 土 し て い ま す 。
ま た 、 石 鎚 、 鉄 床 石 ( か な と こ い し )、 砥 石 な ど 鉄 器 づ く り に 使 っ た と 思 わ れ る 石 製 工 具 も
数 多 く 出 土 し て お り 、 こ れ ら 11 棟 の 竪 穴 建 物 は 鉄 器 生 産 を 行 っ た 弥 生 時 代 の 鍛 冶 工 房 と
考 え ら れ ま す 。」

弥生時代最大級の鍛冶遺跡というふれこみだが出土した鉄は量的にも内容的にもしょぼい。
これに比べると熊本の西弥護免遺跡(弥生中期〜終末期)では581点の鉄器や細い針状の鉄滓 が出土していて
垣内などとは比べ物にならん。諏訪原遺跡でも大量の鉄片、鉄滓が出土している。


929 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:03:12
奈具岡遺跡(丹後)

弥栄町の奈具岡遺跡では、水晶や緑色凝灰岩の玉作が短期間に盛んにおこなわれ、
大量の玉が生産された。弥生時代中期(約2000年前)の大規模な玉作り工房跡である。
ここでは、鉄製の工具が使われ、玉の穴をあけるにも、鉄針を用い効率良く生産された。
この生産と交易が丹後の経済力の基盤となった。鉄片が8kg発掘されているが、
この鉄片は素材から作った製品の端切れであって、単純に計算すれば、平
均的な弥生時代の鉄斧なら300個分はあろうという素材の量だという。


930 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:04:14
しかし倭人伝の情報からは、特に鉄が重要だとは記述されてないよね?
何故そこまで鉄に拘るのでしょうか、九州説の皆さんは‥

931 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:08:32
林・藤島遺跡(福井)

1999年、福井市泉田町の集落遺跡「林・藤島遺跡」(弥生後期、西暦200年頃)から
全国でも最多の出土数となる1000点を超える鉄器、鍛冶(かじ)跡が見つかり、
当時の福井が(越の国)が鉄器の先進地域であった事を見せつけた。


932 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:09:57
>>930
鉄製の槍や矛をもってる兵と竹槍や棍棒の兵とでは、鉄製の武器を持ってる方が
戦いで有利だったと考えられるからだろうな。

933 :sss:2010/06/20(日) 23:10:33
方保田東原遺跡も、1世紀あたりからの集落遺跡だが、ここでも、多量の鉄滓が
出ている。鉄滓というのは、鉄を精錬するときに出来るもので、スラッグとも
いわれる。
製鉄が行われていたといってもいいかもしれない。
これがあるとないとでは決定的な差がある。

垣内遺跡にはそれがない。あったらこんな大事なものが報道されないわけが
ない。

934 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:14:38
>>933

>製鉄が行われていたといってもいいかもしれない。

このクズは、どうしてこういうわざとらしいミスリードを書き続けるのかね?
いったい、どこの考古学者が、製鉄が弥生時代末から始まったと考えてるのかね?





935 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:15:35
>>922
問題はホケノ山にとどまるような小さなものではないということだろう。
全ての古墳編年を見直す必要すらあるということじゃないか?

936 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:17:08
九州からは大量の鉄器が出ている。

だから、邪馬台国は九州だと言っていいかもしれない。

所詮、この程度の論法だろう。

そういう論法が通じた時代は20年前に終わったんだよ。




937 :877:2010/06/20(日) 23:20:46
丹後や福井には九州を経由せずに直接半島東部からの鉄が入った可能性はある。製鉄跡は見つかっている
のだろうか。おそらく鉄の塊が持ち込まれて、鍛造だけが行われていたのだろう。それに比べると九州では
製鉄から行われていた形跡がある。

938 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:21:59
てか、現状の九州説には鉄と方角しか拠り所がない

939 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:23:40
文化の伝播から時代を考えると、九州北部の方が地理的にどう見ても先に伝わる。
青銅器と鉄器がほぼ一緒に伝わったということは、日本に来た最初の渡来人の倭人は
結構遅く紀元前1世紀頃から日本に住み着いたということ。
其の前は韓南や楽浪海にいたらしい。わともと倭人は大陸にいた民族だから。
それがまず最初のできごとで日本の他の地はまだ毛人だけだった。
九州から発展したのだから、近畿に文化が到達するのは、その何百年後。
なぜかっていえば、渡来人が初めて九州から入植した時には近畿には渡来人がいなく毛人だけだったので、
文化の伝播はすぐに行えなかった。1世紀九州沿岸部からはじまり、
2世紀に倭国乱があり卑弥呼を共立して都は筑後平野の方へ。卑弥呼は山の中で60年はずっと同じ地にいた。
ということは3世紀、邪馬台国は九州にありました。近畿はありえません。ということです。おわり。

940 :sss:2010/06/20(日) 23:23:49
>>934
製鉄が弥生時代から行われていた可能性は十分にある。
まず、弥生後期の列島最大の鉄器生産地が阿蘇であること。
鉄素材を輸入していたら、こういう場所に鉄器生産地があるのはおかしい。

さらに、朝鮮半島では、使われていない褐鉄鉱で出来た鉄器がある。
ちなみに、褐鉄鉱は、焼くとベンガラが出来る。阿蘇の特産。

941 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:24:46
九州説は、必死になって九州のほうが鉄器量が多いと、議論を煙に巻いてるが。
九州説のホンネは、九州以外の弥生遺跡から鉄器が1gも出てもらっては困るというとことだろ。
九州以外から、僅かでも鉄器が出てきたら、九州と他の地域が交易してたことを認めないといけないからな。
九州と他の地域が交易してたことを認めたら、なしくずしに九州説は崩壊すると恐れてるわけだ。

なにせ、魏志倭人伝には九州のことしか書いてなくて、
東の倭の地は隔絶しててよくわからんということだそうだからな。





942 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:27:25
>>940
>褐鉄鉱で出来た鉄器がある

ちょっとまて。
そんな鉄器がどこで見つかったんだ?
だいたい、褐鉄鉱が何だか知ってるのかおまえ?
褐鉄鉱で製鉄されたものが、実用に足りるような鉄器になるとでも思ってるのか?


943 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:29:00
>>938
それだけでもあったら大したものだ。畿内説は、何も拠り所がない。

944 :877:2010/06/20(日) 23:29:07
>>937
そんな単純な論のためにレスしたのではないよ。鉄の話は>>924が騒いでいたからつい横から口出し
しただけだ。

>>938
そんな単純な煽りをするものではない。そんなこと言ったら畿内説には拠り所が何もないじゃないか
と返されるだけだ。

945 :sss:2010/06/20(日) 23:31:47
>>942
褐鉄鉱だけでなく菱鉄鉱で出来た鉄器もある。
どちらも朝鮮半島では見られない。
阿蘇には、韓国からも研究者が見学に来るらしい。

ちなみに、阿蘇の褐鉄鉱は、戦時中は八幡製鉄所に運ばれて製鉄されていた。

946 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:32:46
九州では、輸入品は良質の軟鉄の鉄てい、自家製鉄は粗悪な軟鉄
丹後、福井、遅れて大和では、最初から鋼鉄
鋼鉄は三韓時代の半島にはなく、中国王朝の官立工房でのみ生産できた
魏が滅ぼした国の難民→遼東→公孫氏が保護→魏が討伐→辰韓に技術者が逃げる→新羅から直接丹後や福井へ

947 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:35:58
>>945

ほんとに、弥生時代から製鉄が始まってたら大ニュースなわけだが。
その大ニュースとやらがいつ報道されたか教えてくれ。


948 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:38:25
奈良では最初から鋼鉄ってことは、
古い文化を継承した人々がその前に住んでいなく、
全く新しい最新の技術を持った人々が初めて入植したってことを物語っていますね。
なので人家跡がみつからないのだね。漢鏡もね。


949 :sss:2010/06/20(日) 23:41:23
>>947
畿内説にとって都合の悪いことは報道されない仕組みになっているらしい。
しかし、製鉄が弥生時代から行われていたという説は以前からある。

だいたい鉄滓の意味を知っているのかな。

事典では、鉱石から金属を製錬する際などに、鉱石母岩の鉱物成分などが
冶金対象である金属と溶融分離したものである。

となっている。鉄滓があること自体が製鉄の証のようなものだが。

950 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:41:31
>>947
次のような説明をみつけた。自分で探してみたら。

最近発掘された広島県三原市の小丸遺跡は3世紀、すなわち弥生時代後期の製鉄遺跡で
はないかとマスコミに騒がれました。そのほかにも広島県の京野遺跡(千代田町)、西
本6号遺跡(東広島市)など弥生時代から古墳時代にかけての製鉄址ではないかといわ
れるものも発掘されています。


951 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:44:57
>>949
>畿内説にとって都合の悪いことは報道されない仕組みになっているらしい。

なるほどね。

畿内説の陰謀ですか。
そうやって、いままで何年も見えない敵と戦ってきたのか……。
他の、君の知ってるコテハンの多くは、九州説から去っていったというのに。


952 :877:2010/06/20(日) 23:47:13
>>935
申し訳ない、見過ごしていた。私もそのとおりだと思う。

953 :sss:2010/06/20(日) 23:51:01
>>951
九州には、鉄滓の出ている鍛冶遺跡がたくさんあるのに、未だに6世紀?の
古墳時代にならないと製鉄が始まらないと信じ込んでいるような人がいるのが
その証かもしれないな。

954 :877:2010/06/20(日) 23:56:12
>>951
最近は九州説が見直されて支持者が増えているんじゃないの。

955 :日本@名無史さん:2010/06/20(日) 23:59:25
学者の最も悪いところって、これは何年〜何年、これは何年〜何年と
時代区分してしまうところ。
そうしたら東北に縄文人がいて西に弥生人がいて、同時代であるのに、
時代区分するものだから、東北の縄文人は実際より古く比定されてしまうのだよ。東北は平安時代頃まで
縄文の文化を残していたのに。
地理的な時代区分も必要だよ。

956 :877:2010/06/21(月) 00:04:05
>>955
なるほど。おもしろい。面白いけど今日はもう時間がない。またいずれ話を聞かせてもらいたいですな。

957 :水銀厨:2010/06/21(月) 00:22:33
>>938
しかし肝心の魏志倭人伝については、
鉄に関する文言はごく僅かなんですけどね。
中国側にとってはその程度の関心事です。

鉛丹、朱丹、真珠、賜物等、丹に関する記述の方がずっと多いんですよ、
文献重視派の皆さんは何故かスルーですが。

958 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 01:06:56
>>955

うん、そうだね。
昔は縄文人と弥生人を区別して考えていた。

でも、今は、縄文人と弥生人の明確な区別はできなくなっている。
縄文人は長い時間をかけて弥生人と混血していった。
縄文土器も、ゆるやかに弥生土器に変化していった。
弥生人がおしよせてきて日本を征服したなんて論は、もう今は、誰も言わないよ。

縄文時代と弥生時代の区分すら否定に向かってるのに、
しかし、2ちゃんでは地理的区分を言い出すヤツがいると。
どれだけ時代に逆行してるのだろう。


959 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 01:27:12
>>958
違うだろ、
縄文人、といわれる東北文化圏の南下が
蝦夷人差別として近代まで残っていたから
魏志倭人伝の解釈にも影響を与えてるという話だ。

つまり江戸や明治のころには、蝦夷が天皇に関わる
歴史の一部になっているなんて説は許されなかったんだよ。

960 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 01:40:47
誰か、>959が何を言ってるか翻訳して。

961 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 06:11:33
とうほぐのエミシって、鉄器文化を持つ騎馬民族だけど縄文人扱いでいいの?

かんさいじんの学者が介入すると歴史が捏造されて真実が見えなくなるよね。

962 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 07:35:03
>>961
いったいどんな漫画を読んだら、こんな勘違いをするのだろうか?

963 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 08:04:24
>>959
>蝦夷人差別として近代まで残っていたから

関西では現在でも残ってるのだが・・・orz

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%86%8A%E8%A5%B2%E7%99%BA%E8%A8%80

964 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 08:32:10
>弥生人がおしよせてきて日本を征服したなんて論は、もう今は、誰も言わないよ。
これはそのとおり、西から弥生人がおしよせてきてどんどん縄文人の土地をうばって
国境を勝手に決めて自分たちのものにしていった。
それを今は誰もいわないってどういうことかな。
それに>縄文土器も、ゆるやかに弥生土器に変化していった。
ゆるやかに変化していくの意味は少しずつ北上するという意味でしょ?
一度新しい文化に染まれば、変化は急激だよ。
だから文化の変化を考えるときは地理を考えなくてはならない。

頭のなかでゆるやかな思考してもだめってこと。






965 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 08:51:39
>>962
>俘囚「ふしゅう」とは、陸奥・出羽の蝦夷「えみし」のうち、朝廷の支配に属するようになったもの。
>このうち隷属の度合いが低いものを夷俘(いふ)という。
>日本の領土拡大によって俘囚となったもの、捕虜となって国内に移配されたものの二種の起源がある。

>俘囚が有していた狩猟技術・武芸技術は、乗馬と騎射を中心とするものであり、
>俘囚の戦闘技術は当時登場しつつあった武士たちへ大きな影響を与えた。
>例えば俘囚が使用していた蕨手刀は、武士が使用することとなる毛抜形太刀へと発展している。
>このように、俘囚の戦闘技術は揺籃期の武士へと継承されていったのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%98%E5%9B%9A

歴史上の蝦夷「えみし」は独自の鉄器文化を持つ騎馬民族。
むしろ、この時代に入っても鉄器の有効活用がなされなかったのは大和朝廷側。

966 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 08:53:18
>縄文時代と弥生時代の区分すら否定に向かってるのに、
しかし、2ちゃんでは地理的区分を言い出すヤツがいると。
どれだけ時代に逆行してるのだろう。

こういう考えかたはまさに現代人の病的思考だと思うね。
文化の伝播、つまり紙におちたインクがじわじわとまわりに広がるように、
あるいは虫が葉っぱを少しづつ食べ広げていくようにという事実を一切無視した
意見だよ。
今はインターネットやテレビがあるので一瞬にして文化は伝わるが。
むしろ今は地理的というより、国の経済、内政事情を考えたほうがいい。

967 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 10:28:32
今でも学者は誤りをおかしていると思うよ。
例えば、この道具は弥生期中期の遺跡から出土したとか、縄文期後期の遺跡から
出土したからだいたいこの時期にあたるとか。
縦と横の思考が必要だとしたら、学者のは縦、或いは横しか考えてないってことが多いように思う。


968 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 10:38:49
>>965
鉄器文化を持ってても、鉄器の弱い大和に屈したってことは、
鉄器が九州に多くても、九州の優位性は担保されず、
邪馬台国は大和で何の問題もないってことですな。

なるほど理解した。




969 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:07:45
朱に関しては、棺を水銀朱、石室をベンガラ朱で
使い分けているところもあるみたい。

両方存在は知っているが、水銀朱は高価でなかなか使えないと言ったところか。

970 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:35:48
>>928
これは笑えるね。

本当は古墳時代の中規模な鍛冶遺跡なのに、弥生時代に繰り上げて
日本最大級にまで仕立て上げた。

しかし、弥生時代にここで作られたはずの鉄製品が全然出ない。
悲しいですね。宗教の末路というのは。

971 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:39:16
弥生末期に硫酸の雨が降り続いて鉄が溶けたのである。
それ以外に理由はありえない。

物的証拠は全く無いが。

972 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 11:44:31
>>970
一番悲しいのは遺跡そのものからも鉄の出土がすくなすぎることだな。

本当に鍛冶遺構なのか?

炊飯場じゃねえのか?

973 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 12:49:21
>>972
炊飯場でも何でも鍛冶遺構だということにしておかないとマズいのですよ。
利用できるものは何でも利用しておかなければ
畿内説など、あっという間に崩壊してしまうのですから。

974 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:02:49
詐欺で編んだ絨毯。それが畿内説です。

975 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:07:51
淡路島で鉄器加工が行なわれていたと言うことは
時の権力者が、鉄器を独占して、隔離していたと言うことだ。

武器武具に使用するためであり、農具に使うことは殆ど無かっただろう。

それほど鉄地金が希少ということで、安定的な大陸との交易路は
まだ持っていなかったのだろう。

976 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:12:25
中国からはもちろん入ってないな。朝鮮半島から僅かに入手していたという程度だろう。

977 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:17:35
九州では、少なくとも吉野ヶ里では紀元1世紀で、農具がかなり大量に出土する。
もう、その頃には一部の権力者のものではなく、鉄器が農民に降りてきていると考えて良い。

畿内では3世紀でも、鉄器は農民に降りてきているとは言えず、
少なくとも、九州との流通はそれほど無かったと言うことは言える。

978 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:41:40
鉄器だけがよりどころの九州説。

しかし、4世紀以後、鉄器の少ない畿内に九州が支配された説明はできないと。


979 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:43:58
さて、4世紀に、本当に九州は畿内に支配されていたのかな?

980 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:51:55
>>968
もう、魏志倭人伝に書かれてる倭人が鉄鏃を用いるとか、
冬でも夏でも生の野菜を食べるとか、山の迫った海浜沿いに暮らしているとか、
邪馬台国のある大和を完全無視した陳寿の捏造でいいよね()笑

981 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:52:31
宮室・楼観・城柵・絹・蚕・大魚・水禽・温暖・冬の生菜食など、
鉄鏃意外でも、九州しか考えられないよ。
とくに有明海沿岸の温かさも含めて考えれば、九州以外考えられないな。

982 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 13:53:45
纏向に大魚w

983 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 14:02:26
九州厨の必死さを見てると断末魔のようだ。

いくら泣き喚いても、九州説が復活することは無いのに。


984 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 14:05:56
>纏向に大魚w

いや、巨大な奈良湖の存在を暗示しているのかも。

根拠は全く無いが。

985 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 14:29:40
>>984
陳寿は琵琶湖に生息するブラックバスを暗示しているのかも?
根拠は琵琶湖にブラックバスがいっぱいいるから。

986 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 14:44:26
>>983
さっさと涙拭いて次スレ立てろよ()笑

987 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 14:56:22
吉野ヶ里は3世紀の卑弥呼の都かなんて騒がれていたが
まあ、いろいろな発掘結果から弥生中期ということになった。
(それが正しいかどうかは知らん)

近視眼的には、九州邪馬台国の根拠が遠ざかったことになるが
無理に結果を捏造してはいけない。
その結果が理にかなっていれば、また別の根拠と繋がってくることになる。
無理に捏造すれば、別の根拠と繋がらず、論理が破綻する。

少なくとも吉野ヶ里が弥生中期と言うことを受け入れれば、その時代から
吉野ヶ里では広い階層で鉄が使われたという根拠に繋がってくるのである。

捏造すれば、他の発掘結果と繋がらなくなり、浮いてしまうのである。

マキムクのように。

988 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 15:08:36
卑弥呼宮殿の一角か 纒向遺跡で柵など出土

邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が20日発表した。

 過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認。
当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。

 女王・卑弥呼が活躍した時期とほぼ一致しており、卑弥呼がまつりごとを行った宮殿の一角との見方が浮上、邪馬台国畿内説に弾みをつけそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090320-00000576-san-soci


邪馬台国畿内説大勝利!!!!!!!!

九州(笑)


989 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 15:14:18
>建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり
客観的にはこれだけね。

990 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 15:20:01
ほんとに纒向って他の発掘成果から浮いているな。

東西に整然と、という建築手法は、弥生の環濠集落からはほど遠い。
また、住居跡もない。本当にないはずはない。そこでは人間が何かやっているのだから。
とすれば、異様に巨大な敷地で住居跡が遙か彼方にある巨大な遺跡だと言うことになる。
まさに巨大古墳のように。

または、回りから住居跡は見つかっているのだが、3世紀じゃないので
見えないことになっているかだな。

991 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 15:25:16
>>990
長引く不況で予算が下りないから、関西人御用学者が必死に捏造を繰り返してるだけの話。
柱穴と柵が出たから卑弥呼宮殿だと云わないと畿内説自体が成立しない。

992 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 15:40:01
しかし、建物の形がわかってきたといいながら、それでも楼観がでてこないというのは
かえって致命的だな。

993 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 16:01:30
で、九州の遺跡で、卑弥呼の都ってどこ?
なんかありましたか?



994 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 16:08:27
九州に邪馬台国の遺跡はありません。気のせいです。

995 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 18:39:19
マキムクは昔は蟇亀鵐吼という表記だった。住んでいたのは両生類や爬虫類や鳥類だった。
嘘だと思うならあのスレを見るがよい。今では閑古鳥がないている。

996 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 18:52:51
しかし真っ昼間から自作自演の連投が出来るご身分が羨ましいわ

997 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 19:00:15
蛤も大魚も採れない纏向、涙目w

998 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 19:05:36
>>995
蟇亀鵐吼で検索したら、お宅がトップにくるでw
すごいSEOだな。

999 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 19:13:54
畿内説は、

1000 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 19:15:01
やっぱり詐欺でした orz

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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