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太政大臣、摂政・関白、征夷大将軍 5

1 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:50:42
前スレに引き続き、三職について語りましょう。

過去スレ
1 http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1157633344/
2 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169184875/
3 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995/
4 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1203870640/

2 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:55:25
おもしろいので即立てた

前スレの>>1000
後付けの定義は素人が立てるものじゃないぞ

3 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 00:59:17
仲良く使いましょう。無駄遣い厳禁です。

4 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:04:48
>>2
史料の記述そのままというのが「自分の解釈」で、
根拠も無く「史料の順は、記述者が勝手に書き換えた
だけだ」と断言するのが「解釈ではない」というのは、
実に斬新かつばかげた論理だね。

「後付の定義ではこうなっている」でない根拠を持って
こいよ。否定するならね。「史料は示せないけど、否定
します」なんてのは話にならない。

5 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:07:59
>>4
すごいな。この世でまかり通っている定義を否定するわけだ。
単なる『御堂関白記』読者の一素人が。

6 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:11:16
>>5
「定義」じゃなくて「座次」の問題なんだが。
で、誰かさんは史料に実際に記述されている座次を、
「俺の『一座』の定義に反するから、あれは嘘だ」と
勝手に否定しているわけだけど。
そもそも、その「定義」に、「平安時代から大臣は親王
の上に座していた」と書いてあるのかね?
で、道長はそういう常識を無視して、敢えて親王が大臣
の上に座したかのような「嘘」を書いたのかね?

7 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:12:41
>>5
とにかく、お前さんが出すべきものは、「定義」じゃなくて、「定義のもとに
なった史料」だよ。
そもそも、お前が考えている「一座」の定義そのものが間違っているよう
だから、なおさらだよ。

8 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:12:42
>>6
だから最初から平安時代史での定義の話をしているんだって

9 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:13:26
>>7
どこが間違っているのか言えよ

10 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:13:45
>>8
だから、「定義のもとになった史料」を提示しろよ。素人じゃない
お前さんなら、そんなものはいくらでも示せるだろ?
「○記の○年○月の條にこうある」とね。

11 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:14:12
>>7
キレたらお前呼ばわりかよww

12 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:16:10
>>10
『有職故実』、『平安時代史事典』を読め

13 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:17:23
>>9
実際に宮中行事で親王が大臣の上に座しているのに、
「一座は親王も含む全ての人の上に座する」と言い張って
いるんだから、そのときの儀式が間違っていたか、定義が
間違っていたかのいずれかしかあるまい?
で、「定義」は事実から演繹されるものなんだから、事実に
反する定義は定義の方が誤りだというのも明白だ。

繰り返しだが、
>>12
それの元になっている史料は、当然知っているんだろう?
素人でないお前さんなら。
それを引くべきなんだよ。他人が引いた史料を否定したい
んならね。
こんなのは、常識以前のレベルの話なんだが。

14 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:27:56
こりゃどっちが正しいかより、どっちが先に寝落ちするかのほうがおもしろそうだw

15 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:29:28
>>13
知っているが何か?
素人でないと言った覚えは無いぞ

16 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:32:09
>>15
なるほど。ではもったいぶらずに、根拠史料を引けばそれで片付く
話ですな。
ぜひお願いしたい。

17 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:35:51
だから挙げているだろが

18 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 01:38:43
>>16
そちらさんも、ど素人が定義を否定するに十分な史料の提示と
論拠ではないということを肝に銘じた方が良い。

19 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 02:16:03
ま、争いが絶えなかったで良いではないかw

20 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 03:53:21
>>1に乙しろよ
>>4みたいな尊王派は触らん方が良い。
暫くこのネタは封印な。
征夷大将軍について語ろうぜ。

21 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 08:15:05
官職要解、日本歴史大事典 とか

22 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 22:29:54
太政大臣と関白といえば、秀次粛清後に、なにかの間違いで豊臣政権が
そのまま存続したら、どういう形になったんだろうね。
秀吉は関白を渡した後も、太政大臣で一座であり続けたという事だし、
この立場で関白を追放、切腹させたわけだ。
無論、太政大臣としての権威・権力でどうこうという話ではないけれど、
武家関白の権威が大いに傷ついたことは間違いないだろうし。

23 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 22:35:07
太政大臣が関白を処分したのではなく豊臣総領としての処断だろう
左大臣氏の長者藤原頼長 関白忠実兄弟に対する父親の干渉もそんなかんじだろうし

24 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 22:37:00
上級公家と親王に関してはオモフクがあるからそこでやれば?
スレタイに親王も含まれてるし

25 :日本@名無史さん:2010/07/06(火) 23:20:30
親王は大臣の下ということで正解。

26 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 00:32:50
外野から失礼するが、
このやりとり、「史料を示せ」と言われて示せていない方が明らかに分が悪いね。
まともに議論しないで、断言だけしてあとは「スレ違い乙」とか言って帰ってく人って2chには多いが、
学問板でそれは敗北宣言に等しい。

27 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 00:41:40
つーか史料書いたもん勝ちっつーのも違うんじゃね
どっちが偉いのなんだの、現代の俺らが格付けしてどうなんの?
このスレの議論って何がしたいんだ?

28 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 01:41:14
>>27
どちらが格が上か、っていうのは
公家・武家問わず、歴史上、常に人々の関心の的だったわけで
それを論じること自体を無意味と言うなら、ある意味日本史なんて成り立たない。

が、まあ論じるのなら論理的に、根拠を持って話すべきだし、
それができずに煽りしかできない人はこの板から消えろ、とは言えるだろうね。確かに。

29 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 01:46:20
は?身分の上下を調べる事が学問?
日本史じゃなくて違う国の歴史じゃないのそれ

30 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 01:54:07
学ぶべきは、過去にどんな身分だったかよりも「何をしたか」だ
過去に政権を握り、国を凋落させた連中がいるなら、
そいつらに再び権力を握らせてはならない

31 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 02:27:21
>>29
あなたがどう思おうと、
格の上下というものが歴史上の多くの人々の重大な関心事だったことは間違いない事実なわけで
(歴史上の人々ばかりではない、もちろん今の人だってそうだが)、
そうである以上、
あなたが「自分はそんなものに興味はない」と考えるのは自由だが、他の人が歴史に関してそれを語っているのを非難する権利は、全くない。
それ位のことは理解しろ。

32 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 02:37:30
「格」ねえwww
相撲も格が格がって言ってたけど
内実はいとも野蛮な「可愛がり」の世界だったよねw

韓国の両班?とかもねw

33 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 03:00:18
相撲とか話そらしてんじゃねーよ、ヴォケ

34 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 03:01:17
いや「格」の話なwwww

35 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 03:33:38
で、まあ話を元に戻すと、
親王と摂関とでどちらが席次が上か?って話は、時代によって異なるものだろ。
征夷大将軍と摂関とはどちらが上?って話もそうだが。

例えば明治時代は、親王>王>公爵、だっただろうがな。
江戸期については、確か下橋敬長が「幕末の宮廷」の中で色々書いていたな。

36 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 06:42:31
>>35
1945年死去した元帥官員の宮は伏見宮系の最期の親王だったのだが王よりも上の序列だったの?

37 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 09:09:14
親王は常に王よりは上でないの?

38 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 10:49:42
班位なら宣下親王は王より上(皇族身位令第7条)。皇位継承順位とは別。
ちなみに1945年1月1日の時点で閑院宮載仁親王は、
班位(女子除く)では三笠宮崇仁親王の次、伏見宮博恭王の上。
皇位継承順位ではケツから2番目(31位。ケツは息子の春仁王)。

39 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 15:39:53
平安時代において親王なんてのは力がないのは明白なんだから
大臣よりお飾り的に上座につこうが下座につこうがどうでも良いことなんだろうな

40 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 16:03:12
ここでグダグダ言い合ってるのなんか
摂関家からしたらチャンチャラ可笑しいだろね。
もともと親王の殆どが一門の藤原氏の孫でその邸で育っているのだしな。

41 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 17:14:34
平安時代の王は臣籍じゃね?位階も品位じゃねーし

42 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 20:57:39
臣籍じゃなくて天皇の孫の親王以外の皇族ってことだろ?

43 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 21:04:39
平安中期にもなると天皇の孫(親王の子)は臣籍だよな

44 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 21:33:36
源平など賜姓されていない臣下として諸王氏と呼ばれていたべ
受領層と扱いは変わらないレベル

45 :日本@名無史さん:2010/07/07(水) 23:37:46
常元王とかオキヨ王とかって参議クラスの臣下以下じゃね?

46 :日本@名無史さん:2010/07/08(木) 01:26:55
受領クラスの王はどの系統の皇族なのかも不確かなのが多いしね。


47 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 01:11:01
というか少しで消息不明になる源平なのに何故桓武と清和源氏だけが武家統領として存在感を示したのだろう?
藤太とか嵯峨源氏は例外って事で

48 :日本@名無史さん:2010/07/09(金) 18:46:34
高望王と源頼信のおかげ。
ただの偶然だな。

49 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 23:53:16
藤原秀郷系ってそれほど繁栄していなく無い?
藤原系武士の中でも少数派か早い段階で没落しているイメージがある

50 :日本@名無史さん:2010/07/12(月) 23:20:51
>>49
小山氏や結城氏なんかは繁栄してないのか?

51 :日本@名無史さん:2010/07/13(火) 13:00:24
>>50
没落早すぎ
江戸期まで大名クラスで残ったのはいないと思う。

52 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 00:08:21
そんなこと言ったら伊勢平氏だって、
江戸期まで大名クラスで残ったのはあったっけ?

53 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 00:10:16
ごめん桓武平氏ってことで言えば相馬氏がいたな。
世田谷の俺の親戚のそばに住んでたっけ。相馬さん

54 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 10:02:25
秀吉は関白になった時点では藤原秀吉ですわな
氏の長者は望まなかったのですかい?

55 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 18:51:51
関白なら自動的に氏の長者じゃね?

56 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 22:08:16
>>54
氏長者にもなっていますね。
豊臣姓になった後も藤氏長者は離さなかったということだそうな。

57 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 23:25:11
>>56
豊臣秀次が関白になった段階で、豊臣氏長者の宣下を受けたことは
「足守木下家文書」で確認はできるが、
豊臣秀吉は、豊臣の氏を賜わった段階で
豊臣氏長者の宣下を受けたか否かは、
史料が存在しないので類推の域である。
因みに、秀吉が関白宣下を受けたときは、藤原秀吉の名義で
あったから、藤原氏長者宣下を受けているということは
「関白宣下一会」で確認できる。

58 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 23:45:06
おもて面はともかく「はぁ?なんで百姓上がりがうちらの氏長者なんだよっ」って
藤氏の公家は摂家以下思ってたんだろうな・・・。
逆に源氏公家なんぞは「藤氏ざまあwww」と思ってたかも。
まあ、足利が途絶えてその後の徳川がまた源氏長者になるからアレだけど。

59 :日本@名無史さん:2010/07/15(木) 23:55:27
徳川と百姓上がりの豊臣を一緒にしないでくれ

60 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 00:05:16
徳川は平安時代末期まで下ると源義重の先祖なので
清和源氏で間違いは無いだろうと思われる

61 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 00:08:10
源義重→世良田(得川)義季

62 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 04:07:02
>>51
山内氏
立花氏
内藤氏
田村氏
田沼氏

63 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 21:13:54
>>57
秀吉は藤原秀吉のままで関白を続けようとしたが
二条家の反対で藤原を名乗ることを制限され
新たに朝廷から豊臣姓をもらったんだよね?
豊臣姓を受けてからの藤原氏長者は
秀吉ではなくなった。

64 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 21:17:41
>>60
結構、徳川は不思議な家系図なんだがな。
他の家系図に見えない人物が多く取り込まれていて。
ちなみに徳川家が祖先だと主張する清和源氏だという得川氏とは女系つながりで、
徳川家の男系祖先が得川の娘に婿入りしたことになっている。
清和源氏はどのみち徳川家の男系の祖先ではないことははっきりしている。

65 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 21:26:51
豊臣はずっと百姓なのかな

66 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 21:43:09
織田はエ江戸時代の大名だが、藤原か平かどっちにしても源氏ではない。

67 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 22:02:13
>>65
徳川としたらそんな豊臣の子孫にまでずっと膝を折り続けることは
流石に嫌だっただろうな

68 :日本@名無史さん:2010/07/16(金) 22:59:55
天皇も豊臣姓なんか与えず百姓を与えればよかったのに

69 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 00:18:53
江戸時代の地下官人の家で豊臣氏の家があるって一時期話題になってたな。
大名の木下家は江戸時代も豊臣だっけ?

70 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 00:32:55
>>63
> 豊臣姓を受けてからの藤原氏長者は
> 秀吉ではなくなった。
豊臣秀吉になった後でも、藤氏長者は秀吉のままだよ。
内覧と藤氏長者を望んだ近衛信伊は不興を買っている。

71 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 02:59:10
>>70
豊臣賜姓以後、秀吉死去までの藤氏長者は現代の日本史便覧類では空白になっていた筈。
秀吉がそのまま藤氏長者であった可能性はあるけれど、それを肯定する史料も否定する史料もない。

72 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 12:13:09
藤原秀吉に対して、天正13年7月11日、補任関白の詔書と宣旨が下されるが
同日、従一位昇叙とともに、前関白(二条昭実)の上位に
列すべきの宣旨が下されたものの、
翌日には、二条昭実に対して、太政大臣(当時任官者無し)の上位に
列すべきの宣旨が下されている。
ということは、7月11日の段階での一座は誰なのか。


73 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 16:32:58
1587年、征夷大将軍は足利義昭w

74 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 20:04:31
>>72
藤原信長と師通みたいなものじゃないのか?
二条は太政大臣だけど、一座ではあらず。

75 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 21:46:11
秀次解官後の秀吉の統治権限の法的根拠は何だろう。
太政大臣だけでは弱すぎる気がするが。

76 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 22:12:18
>>75
全ての武家の棟梁
法的根拠がない人間が頂点にいるのは日本ではよくあること。
治天の君とか。

77 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 22:39:58
日本に限らず、近代以前の世界ではどこにでもあることだなw
共和制〜帝政ローマなどは例外かもしらんが

78 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 23:27:36
秀次の次に秀頼を関白にすることは幼少すぎて無理だったんだろうね。
征夷大将軍なら幼児でもなれたね。いっそ秀吉が関白に再任したら
名分は整っただろう。結局、秀頼は父の地位を生前に譲られることも
死後に継ぐこともできなかったのだから、秀吉政権は法的正統性に
欠陥があったわけだ。

79 :日本@名無史さん:2010/07/17(土) 23:36:27
秀頼を征夷大将軍に任ずることはできなかったのか、ちょっと不思議。
嫡子は征夷大将軍で、長じて関白になるってのも無理じゃないように思うんだが。

80 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 10:46:23
秀吉みたいな蘇生の卑しいのは1代限りの栄華でいいんだよ

81 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 11:01:17
おっと、蘇生→素性(スジョウ)

82 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 13:34:30
誰か、藤原秀吉への関白補任の詔書の原文を知っている人はいないだろうか。
天理図書館にあるというが、そこまで行けない。暇もカネも無し。

83 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 14:04:30
>>80
そうだよな。
百姓の子孫が元公爵とかでデカイ顔して現代に居座っていたら堪らないな。

84 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 15:50:09
>>83
伊藤、大山、桂、山県なんか百姓とかわらんレベルだと思うが

85 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 18:10:36
>>80
家康だってじゅうぶん氏素性が怪しいだろ。

86 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 18:27:42
2chねらーの大半も水呑や小作人の子孫のくせによく言うよなw

87 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 18:49:03
つーか血筋的には「地主」ってのが一番やばいよ。

外交を引き受けてた蘇我氏が韓人(からびと)に暗殺されて、
「墾田永年私財法」って土地パクリ放題な法律ができて、
シナチョンが大挙して押し寄せた。

その子孫が「貴族」や「地主」だからね。

88 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:04:53
>>87
お前、本当に日本人か?
蘇我氏宗家の滅亡→西暦645年
墾田永年私財法→西暦743年

89 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:15:18
>>88
あー、フジワラ氏の工作期間があったろうね

90 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:19:27
マスゴミの関西叩き、京都だけ例外アゲってのは、そういうこと。
藤原氏がシナチョン系だから。

91 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:22:13
>>87
なんという的外れwww
物部守屋の敗北を挙げるならともかく、渡来系とすら言われる蘇我氏とか。

92 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:28:26
それを言ったら天皇だってシナチョン系だろ

93 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:30:26
おまいら全てシナチョン系だw

94 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:50:02
>>91
そうだよ。蘇我氏は夫余=満州系の渡来人。
だから漢文に通じ、外交を担う重臣だった。

物部氏は伽耶系。
シナチョンと言うよりは「半島を経由した倭人」というのが正しそう
まあ、藤原氏にそそのかされて、いろいろやらかしてるけどw

>>92
天皇家は百済王族と同じ系統で、シナチョンではないよ。
シナチョン言うところの「匈奴」です。
しかしこれは「鮮卑」とも若干近かったりするので注意。
中村シュンスケみたいなのは「鮮卑」
つうかとりあえず創価に入ってたらシナチョン。抜けた人は日本人さ

95 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 20:46:28
>>85
子孫を含めてが265年も君臨したのだ。
妻も摂家や宮家ばかりだぞよ。
長州の田舎者とは違う。

96 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 21:00:22
家康公は何代も前に先祖を遡ってもヰキで出てくるが
秀吉は無理だしな〜

97 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 21:13:48
いやーシナチョン系の人達、がんばって話そらしてますね^^

98 :日本@名無史さん:2010/07/18(日) 21:41:23
秀吉はチョーセンジン。

99 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 00:04:16
近代・現代に置き換えるとこんな感じか?

摂政=摂政宮

関白=国事行為臨時代行

太政大臣・左大臣=内閣総理大臣

右大臣=副総理

征夷大将軍=総督(台湾総督、朝鮮総督等)





100 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 01:41:33
>>99
太政大臣 前幹事長
左大臣 内閣総理大臣じゃん

101 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 04:04:28
>>99
江戸時代前期、中期は、摂関よりも上という征夷大将軍
朝廷が機能していなかったからか…

102 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 05:55:38
…そういえば、摂関や征夷大将軍宣下に付属してくる、
牛車宣旨やら随身兵仗とやらは、
どのくらいの官位以上になれば、
それらの宣旨を下されるのかな?

103 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 08:32:12
へろへろに思われがちな室町幕府の将軍でも
奇異に感じるほど権限あるよね


104 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 11:44:33
というか、征夷大将軍が京に居座り続けるのが不思議だがね。
南朝対策という動機はわかるとしても、何とかならなかったのかね。

105 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 12:40:11
将軍が京都にいた方が朝廷としては寄生しやすくて良いかも
室町将軍は宿主としての甲斐性が無かったけど江戸幕府なら朝廷は催促しまくりじゃね?
秀吉が畿内に政権基盤を持っていたときは武家の援助で朝廷はかなり潤ったというし。

106 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 14:05:48
でも朝廷が最も窮乏した時代は室町戦国時代

107 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 19:16:07
>>104
右大将だったらよかったのかもw

108 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 19:43:20
足利の一族重臣が朝臣になって朝廷を乗っ取っちゃえばよかったんだよ。
頭部は太政官で、執行機関や地方組織は奉行や守護という組み合わせ。

109 :日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:05:53
>>108

東京憲兵隊に通報しますた。

110 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 21:59:24
天皇陛下にはそろそろ京都に帰っていただこう。そうして関東討伐の
宣旨を奏請すればいい。宣旨に楯突く日本人などいるはずがない。
こうして日本は再び天皇親政の下に統一される。

111 :日本@名無史さん:2010/07/21(水) 22:00:32
スレチガイ

112 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 12:24:04
>>101
征夷大将軍自体の地位は低いが江戸幕府の将軍は太政大臣や左大臣、右大臣を兼任していた

113 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 12:25:25
>>112
兼任しているのはわかるが、摂関より上だぞ。

114 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 14:52:10
カネと武力を持っているのだから、
貧乏公家など実力行使できないさあ。
摂家でも千石未満の家がなかったか?

115 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 15:19:52
>>114
無いよ
最低で鷹司の1500

116 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 15:20:53
>>112
徳川将軍は内大臣が基準
右大臣以上はかなり長生きしないと無理

117 :日本@名無史さん:2010/07/23(金) 20:07:26
>>116
いい加減なことを書くな
太政大臣:家康・秀忠・家斉
左大臣:家光・家慶
右大臣:家綱・綱吉・吉宗・家治・家茂
内大臣:在職3年家宣・幼児家継・痴呆家重・痴呆家定・在職1年慶喜

118 :日本@名無史さん:2010/07/24(土) 13:28:09
>>117

基本、中期以降は将軍になってから20年位経たないと右大臣になれないよ。
家慶家茂を初めとした、そうでない将軍は例外だと思うけど。

119 :日本@名無史さん:2010/07/24(土) 14:05:11
徳川の歴史は長いから前期〜中期と
中期〜幕末まではだいぶ変わるよな

120 :日本@名無史さん:2010/07/24(土) 23:35:53
官位って身分社会のときは便利だよな。

121 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 12:20:12
足利家は一応5位から累進したけど徳川はいきなり大納言からだからなあ
昇進のスピードはかなり遅いけど

122 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 12:50:31
>痴呆家重・痴呆家定
まだ、こんな俗説を信じてるのか。
家重はもちろん、家定に関しても近年の研究者の中には普通の知能と精神の持ち主と
論証している例があるのに。
明治になってからの側近の談話を読めば、家定が普通の凡人レベルだったのは明白だ。

123 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 15:40:54
というか痴呆や病弱と官位は関係ないしw

124 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 19:06:02
綱吉、吉宗は虚飾にすぎない朝廷の官位になど頼らなくてもよかった。
実質的に幕府が実権にぎってる上に、天皇・院とは同格、摂関より格上だったし。

125 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 22:57:08
>>124
綱吉公は御台所でもなかった母上が従一位に叙位されるように
積極的に朝廷に働きかけていますけど?

126 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 17:51:30
それは卑賤の出で側室あがりの生母に対する孝行のためであって、
将軍である自分自身の権威づけとは、また別の話。

127 :日本@名無史さん:2010/07/26(月) 19:04:10
親孝行なら立派な御殿つくって肩たたきしてりゃいいじゃん。
それの方が実があるよ。でもそれでも叙位を望んだってことは
虚飾であろうと位階ってものが軽んじられるもんではないということ。

将軍も同じ。朝廷官位に頼らないというなら徳川宗家家督だけで
いいじゃん。

128 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 03:55:44
>>127
全くその通り。
本当に朝廷の官位などどうでもいいのなら、
そもそも征夷大将軍になんぞならなかったはず。

129 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 08:15:54
あくまで征夷大将軍であることに意味があるんじゃねえのか

130 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 08:16:42
そもそも武士が支配している時代だぜ

131 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 12:11:03
>>113
実権はともかく名目上は摂関の方が上だろ

132 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 13:09:07
鎌倉幕府の3代将軍以降は何で将軍じゃなくて執権なの?

133 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 14:46:34
>>131
後陽成天皇の皇子で関白となった近衞信尋が将軍の下座についたらしいぞ

134 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 15:02:48
>>131
関白秀吉という人を見て来た徳川将軍家が
その関白より下に置かれる職を好んで得るもんかね

135 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 19:32:52
将軍はもともと令外の官で官位相当制の枠外にある。
摂関と将軍とどっちが上かというのは、結局、現実の力関係で決まる。

文久期に朝廷の権威が回復するまで、江戸時代のほとんどの期間において、
将軍は摂関より格上だった。

136 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 20:50:27
>>129
別に頼朝は大将軍だったら何でも良かったらしいけど。
そもそも征夷大将軍に全国の武士を統率する権限が無かったことは坂上田村麻呂を見れば明らか。
頼朝は守護・地頭などを設置し、自らの政所から全国の武士への命令系統を発する権限を確保した以上、最後に欲しかったのは権威づけになる称号。

137 :日本@名無史さん:2010/07/27(火) 22:33:30
義仲が頼朝追討のための征夷大将軍になったから頼朝は
せひとも征夷大将軍になりたかった。背後に奥州藤原氏の
鎮守府将軍が控えていたことも征夷大将軍に固執した
理由だ。

138 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:17:31
>>133
一座の宣旨を受けた太政大臣の秀忠よりは下座だが現職将軍の家光よりは格上だったはず

征夷大将軍自体は従四位程度でも成れるよ
それ自体の官位で言えば参議や八省の卿よりも格下






139 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:20:20
まあ、江戸時代の官位官職はステータスシンボルみたいな
物なんだろう。
官位官職で大名の序列もある程度確定しているし。


140 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:23:29
>>132
3代目以降も鎌倉幕府崩壊まで幕府最高職は征夷大将軍ですけど?

141 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:29:03
>>137
義仲の征夷大将軍は誤記説が有力
鎮守府将軍との関係も後付け
更に義仲滅亡後に後白河法皇の方から頼朝に「征夷将軍」への任命を打診されたが、頼朝から全ての官職の授与を断っている。

142 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:36:21
>>138
足利義満、義持以降の将軍は、摂関より上だよ。
摂関のほうに、「俺の方が格が上だ」と主張する力がないし、
仮に主張したとしてもすぐに解官、所領召し上げになるだけ
だから。実際、関白が将軍の裾を取ったりしているわけだし。

後、
> 征夷大将軍自体は従四位程度でも成れるよ
これは意味がないと思うが。卿にしても督にしても、本来の
相当から離れて、公卿が兼ねるのが通例になっている例
があるわけだし。

143 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 07:25:44
>>138
昨夜、葵徳川三代のDVDを観た
秀忠と家光は関白より上座に座して関白が平伏していた

144 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 13:38:26
令制の官位はすべて関白の下だった。秀吉が全国政権の首長いとして
関白位を望んだのは理に合ってる。家康が新機軸を打ち出さなかったのは
不可解だ。幕府の実力が衰えるとたちまち混乱が生じる。天皇の下の
日本国王という構想はありえなかったのかな?

145 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 13:54:57
戦国時代も将軍>>摂関なのか?
幕府も衰亡したし、朝廷も困窮していたらしいけど

146 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:32:59
源氏長者やら太政大臣を兼ねてる場合はともかく
単純に比較した場合

摂関>>>>>>>>征夷大将軍

なのは明らかだろ
摂関は二位以上、将軍は四位相当だ

147 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 15:48:49
だから単純比較ではなく、徳川の場合は摂関より上なんだって。

148 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 16:03:24
太政大臣も摂関より下だ。

149 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 17:09:26
源氏長者も太政大臣も藤氏長者を兼ねる摂関よりも下なんすけど・・・・

150 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 17:24:06
>>147
だったら、なんで摂関家から正室を迎えるの?
落ちぶれど、名家の娘を金と権力をいわして嫁に迎えるのは
なに上がり者の常套手段。

151 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 17:32:32
そんなこといったって上なんだから仕方ないな

152 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 17:34:39
日本の支配者の場合、ヨーロッパのように外国の王族と縁組みしないのだから、
武家同士に縁組み相手を求めると全部格下になってしまう。

摂関家も宮家も、江戸時代の大部分の期間において徳川将軍より格下であるが、
国内で釣り合う縁組み相手と探せば、それくらいしかないからしょうがない。

153 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 19:03:55
大大名みたいに実力のある危険な存在を外戚にしたくなかったから。
摂関家は名はあっても実力はないから安心して正室にできた。

154 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 20:42:51
>>144
> 令制の官位はすべて関白の下だった。
そんな事実は存在しない。座次ですら他の大臣の下であった
例も少なくないし。
>>146
摂関にも将軍にも官位相当は無いから、見当違いだ。
それに、足利時代以降の将軍が摂関を家臣扱いしていたのは、
源氏長者だの太政大臣が根拠という話では全く無い。

155 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 20:46:11
>>153
それは違うだろ。
日本統治の正当性を示す為にも、朝廷と婚姻と通じて密接に
なることが要求されたんだよ。
最たるものが自分の娘を天皇家へ嫁がすこと。
古くは蘇我氏、藤原、平清盛、源頼朝も天皇の外戚になることに
よって天皇の権威を借りて正当性を示そうとした。
皇族もしくは、朝廷の最上位の家の娘と婚姻することで、朝廷の
外戚として統治権の正当性を示したんだよ。
その他にも、家康の神号や東照宮の宮号宣下、輪王寺宮の存在など
徳川幕府は朝廷の権威の凄さをわかっていた。
徳川幕府が安定した中期以降は、その必要性がなくなったけど
慣例として正室は皇族もしくは摂家からと言うことになったん
だろうけど。
衰退期の公武合体に示すように、朝廷の権威はバカに出来ない。

156 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 20:47:22
>>150
摂家自体、清華やら大名家やらから正室を迎えているんだけど。

157 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:02:37
>>156
徳川が迎えていたのとは意味合いが違うだろ。
いつの時代も、権力を手に入れたら、次にほしいのは
いい血筋と名誉(官位官職)だよ。

158 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:14:37
>>157
少なくとも、「関白の方が将軍よりえらいから」なんていう理由では
全くないぞ。
将軍家は摂家を家臣である三家と同格にしか扱っていないし。

159 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:17:13
坂本龍馬の新政府構想では徳川慶喜を内大臣から副関白に昇進させるとしていたから
やっぱ将軍より摂関の方が権威では上なのかもね

>>154
それをいうなら織田信長も将軍を家臣扱いしていた
松永久秀にいたっては言うことを聞かなくなった足利義輝を殺害してるし

160 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:22:07
>>159
幕末は別だよ。
後、織田信長は足利義昭を家臣扱いなどしていないぞ?
徳川将軍家の場合、例えば書札の宛書が三家と同じ「殿」、
差出が「公方様」となっているし、秀忠、家光上洛時には
将軍が関白より上座にいる。

161 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:26:50
>>159
おいおい幕末と一緒にするなよ。

162 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:38:50
>>158
どっちが「偉い」じゃなく、「家系」や「血筋」が重要
なんだよ。日本と言う国を統治するには、もちろん
権力は絶対だが、天皇をよりどころにする「権威」も
必要だった。
秀吉や家康がわざわざ金を積んで名門家の猶子になったり、
系図を改竄したりと、なんで行ったか当時の日本人の常識を
理解しないと。
現代では想像できないだろうが、日本人は伝統や名門に
弱いんだよ。

163 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:43:44
どうしても家系を飾りたかったからだ、ということにしたいようだね。
その要素も無いとは言えないだろうが、
>>155のように
> それは違うだろ。
と、大名を外戚にすることを避けたという理由を否定する根拠にする
のは、見当違いもはなはだしい。

164 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:50:40
>>163
つうか幕府開くまでは大名同士の婚姻は普通だったのだが?
それに大大名が怖いんなら中小大名でも良かったんじゃないの?
なんで13代目の正室は摂関家の養女にしてまで摂関家の娘に
仕立て上げたんだよ?

165 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:53:33
>>163
将軍家から大名家への婚姻はあるが。大名家から将軍家への
婚姻はない。どっちも外戚になるのだが、なんで大名を
外戚にすることを避けたいと言えるの?

166 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 21:59:03
>>164
幕府を開いてからでも、大名相互の婚姻は普通にあるだろ?何が言いたい
のか理解できない。家臣間の婚姻と、主君が家臣から正室をむかえるか
どうかというのは、全く違う問題だ。
で、中小大名では家格的につりあわない。血筋よりも、幕府体制下での格式が
低いという点が問題になるからね。それに、大大名でも家臣であることに変わり
は無いから、正室をむかえるには家柄が不足ということもある。
そういう意味で、格下扱いとは言え直接的な家臣ではない家の中で、もっとも
高い格式の摂家というのは便利な存在なんだよ。

で、島津から直接正室をむかえるのを避けたというのは、島津の家格では不足だと
いうことの直接的な帰結だね。その結果として、懸念されたとおり島津のわがま
まを聞き入れる羽目になったわけだが。

167 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:03:10
>>165
「外戚」の意味すら知らないなら黙っておけ。
外戚は広義には母方親族の総称、狭義には母方の祖父ないし伯叔父。
将軍家から大名家に嫁がせる場合、将軍家が大名家の外戚になるので
あり、大名が将軍の外戚になるわけじゃない。

168 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:07:08
だから、徳川の家格の維持向上のために皇室・摂家から嫁を迎えて
いるっと言うことなんでしょ?
それなら自分も同意見なのだが。あなたは大大名と外戚になると
問題あると言ってなかったけ?
本当に大大名と外戚になることを避けるのなら、将軍家から
大名へ娘を出すと言うことはないはず。

169 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:09:25
>>167
悪かったね。じゃあ「親戚」で。


170 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:09:55
>>168
当時、将軍家より高い格式の家は皇室しか存在しないから、格下
の家の中で一番高いところで妥協したというだけだよ。極論だけど
ね。
で、
> 本当に大大名と外戚になることを避けるのなら、将軍家から
> 大名へ娘を出すと言うことはないはず。
「外戚」の意味くらい調べてから書いてくれ。単なる姻戚関係を
指す言葉じゃないぞ。

171 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:15:36
>>169
あのさー、「外戚」と「親戚」では政治的な意味が全く違うんだが。
その程度のこと「すら」考えずに垂れ流していたのか?
建前がどうであれ、「将軍の生母」「将軍の生母の父」という存在
は軽く扱うことが出来ないんだよ。特に、相手自身がそれなりの
格を持っている場合はね。
島津重豪のわがままぶりをみても、そのことは明白だよ。
将軍家から嫁がせる場合には話が全く違う。将軍が外戚になる
わけだし、「御付」も押し込めるからね。

172 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:20:02
将軍家は別格扱いだから
幕府は禁中並公家諸法度を制定出来たでいいのだよな

173 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:22:50
徳川家康・秀忠時代はまだ幕府の権力基盤が確立していなかった。
そこで古来に習って、秀忠娘和子と天皇に、鷹司の娘を家光にと
公武合体をはかって権力基盤を確立しようとした。
しかし、幕府が安定化してその必要性がなくなったが、家光以後
慣例化して皇族摂家から迎えると言うのが真相なんだろうよ。

174 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:29:59
>>171
それは摂家出身の生母が出現したら同じ危険性があるだろう。
綱吉みたいな摂家生母マザコン将軍が誕生すると、それこそ朝廷の
介入を許すことになる。
真実か不明だが、春日局が家光御台所を朝廷の介入を防ぐ為
堕胎させたと言うのもあるし。
もし本当に外戚の介入を防ぐ為だとすると、一門同士の婚姻に
限定するだろう。
>>
173
同意。外戚云々と言うより単なる慣例に過ぎないと思う。

175 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:35:38
>>174
「朝廷の介入」にはならないよ。まあ、実際に幕政に首を
突っ込もうとした例もなくはないが、朝廷に関しては五家
の協議が義務付けられており、外戚だけが権勢をふるう
体制にはなっていない。

176 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 22:42:32
>>175
一番近かったのは近衛基煕なんだろうけど、近衛も霊元院と不仲だったからね。

177 :日本@名無史さん:2010/07/28(水) 23:22:24
徳川は摂家宮家で良いとして足利の正室は何故平公家の日野なん?

178 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 02:54:45
7代将軍の惟康親王が尾張守ではなく尾張権守や讃岐権守の様な国司の権官に任じられたのってどういう意味があるの?

179 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 06:45:46
>>178
権官は経済的利益だけを受けるポスト

180 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 20:27:34
>>174
実際には摂関家出身の将軍御台所は出産経験がある人はいるんだよね。
だから、堕胎は嘘だろう。
春日局存命中に嫁いで来た家光御台所は、ホモで女に興味がなかった家光のせいで
ずっと二の丸に押し込められて別居生活、家光が全く通わなかったらしいから、
当然性生活が全くなく妊娠しなかっただけだろう。

公家出身御台所の子は夭折したために将軍となることはなかったが、
他家から養子に迎えられた将軍の母が都から来た姫君だった例はある。
徳川慶喜の生母は、都から来た宮家出身の姫宮だったしね。


181 :日本@名無史さん:2010/07/29(木) 21:43:20
慶喜はそもそも、将軍家の出じゃないし。

182 :日本@名無史さん:2010/07/30(金) 13:23:47
雄藩の母は公家や宮家でも良いという事?

183 :日本@名無史さん:2010/07/30(金) 23:02:15
>>181
慶喜は御三家の生まれで御三卿の一橋家の養子に入った
御三家や御三卿は将軍と同じ「徳川」を名乗り
最も近い親族であり将軍が絶えれば将軍を出す家柄
将軍生母が宮家や公家ではどうしてもだめなら
なぜ御三家や御三卿では公家出身の御簾中が
跡取りを産んでいたのかということだな

184 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 11:54:07
天皇の外戚の場合には、実際にその祖父の家で生れ、育つわけだから
当然、外戚の力が強くなる。
一方で、宮方の娘が御三家に嫁いで、そこで子を産んでも、育てるのは自分じゃないし
子供からみたら、碌に顔をみたことさえない祖父なんて、大した影響力をもつもんじゃないだろう。

単純な血縁だけの話じゃないのよ。外戚って言ってもその「近さ」には色々ある。

185 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 13:56:26
>>184
それもちょっと語弊があるな。
外祖父の家で天皇が育ったのは摂関全盛期ぐらいまで。
院政期以降、れっきとした女御や中宮などではなく
とんでもないところにまで天皇の落胤ができるようになり、
やむなく天皇家のほうが養君を命じて皇子女を育てるようになった。
養君は天皇が命じるので、父親である天皇に養育権が移ったに等しい。
母方ではなく父方の手で子供が育つようになった時期でも合った。

外戚の元で育たなければ外戚の影響力がないというのもな。
後水尾天皇の中宮となった徳川和子の皇子女は
外祖父の徳川幕府のもとではなく天皇の居る内裏で育っている。
それでも外戚徳川幕府の影響力は排除できなかったはず。

186 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 15:39:07
>>185
しかし逆に言えば、天皇を外戚が養育出来なくなったことも、摂関家の影響力が落ちて
院政期に入る一因になったのでは?と考えることもできる。
それと徳川幕府は明正天皇の外戚として朝廷への影響力を強めたわけでもないと思う。
そもそも和子入内の前から後水尾天皇に対して圧倒的に優位な立場から干渉してたし。

187 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 20:54:13
>>186
> 天皇を外戚が養育出来なくなったことも、摂関家の影響力が落ちて
そもそも外戚になれていないんだから、養育云々以前の問題だと
思うけど。

188 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 22:28:26
>>186
摂関家の力が落ちて天皇を里で養育できなくなったのではなく、
摂関家が入内させた娘たちに皇子がどうしても産まれず、
結果、摂関家を外戚としない天皇が続くようになった。
それが理由だよね。

それに、徳川秀忠がメリットが何一つないのにわざわざ娘を入内させるかい?
秀忠は和子の入内に当たって内裏の全面建て替えまで決行している。
後水尾天皇が徳川秀忠のいる二条城に行幸したのも、
秀忠が中宮徳川和子の父で自身の舅に当たるためだった。
これだけでも徳川家の権威は朝廷に深く根付くこととなった。
幕末の孝明天皇も妹婿の将軍徳川家茂を京へ呼びつけて、
譲位決行の神社詣でに同行させている。

189 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 23:29:23
 逆に、家斉なんか、なんで自分の娘を皇后にしようと思わなかった
んだろう?
 嫁ぎ先に困るくらい大勢産んだんだから、輿入れさせても良かった
のにね、

190 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 23:29:42
>>185
>外祖父の家で天皇が育ったのは摂関全盛期ぐらいまで。

そう?
江戸時代になっても、皇子・皇女は基本、外祖父の家で育つんじゃなかったっけ?
明治帝だって中山家で育ったはず。

191 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 23:37:06
>>189
確かにそう思っても良かったが、
たまたまそう思わなかった、ってことなんだろうw

家斉の時代になるともう、幕府の力が朝廷を圧倒して久しいわけだから
今さら外戚になることが幕府の力の強化になるわけでもないし、
色々面倒を起してまで娘を入内させようとも思わなかったんだろ。

192 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 23:39:08
>>189
この頃は財政難

193 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 23:44:59
里方で育った場合の外祖父と、
遠く嫁いだ先で生れた子供にとっての外祖父と、ってのは
「家族」と「親戚」の違いだよな。
場合にもよるが、まあやっぱり普通はかなり違うだろう。

194 :日本@名無史さん:2010/07/31(土) 23:51:52
蔵人別当って官位死んでるなあ

195 :日本@名無史さん:2010/08/01(日) 08:43:48
>>190
明治天皇は女官である母親の局で育っていた。
孝明天皇の女御の養子に入って儲君とされてからは
宮中の若宮御所で大事にされたけどね。


196 :日本@名無史さん:2010/08/01(日) 13:01:04
>>189
もはや大名家との縁組の方が有益だから

197 :日本@名無史さん:2010/08/01(日) 23:56:08
>>195
いま手元に資料が何もないからネットで見てみたけど
例えば、「祐井」で検索してみそ?いくらでも出てくるが

http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/161403/

> この地は中山邸の跡です。中山邸跡にある祐井(さちのい)は、・・・・
> 明治天皇のお生まれになられた翌年の嘉永6(1853)年、夏の日照りに井戸を掘ったところ
> 清水が涌きでました。前年に生れ中山第で養育されていた
> 明治天皇の幼名である「祐宮(さちのみや)」から孝明天皇が井戸を「祐井」と命名されました。


明治天皇が宮中の局で育った、っていうのは、ソースはなに?

198 :日本@名無史さん:2010/08/02(月) 00:04:05
ソースがWikiなんぞですまんが、
中山慶子の項みると、祐宮は中山邸で出生、5歳までそこで育って、その後慶子の局に移ったってあるね。
和宮内親王も橋本邸で出生してるし、
何歳までいるかは別として、皇子皇女が里で生れること自体は江戸時代でも一般的だったはず。

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