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【米百俵】長岡藩を語れ【ガトリング家老】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 10:30:30 ID:81SBPMS30
どうぞ

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 11:11:50 ID:ORJ03WS6O
>>138
河井が捕まったならどうなっただろうか

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 11:56:34 ID:PFdrSrSNO
河井が捕まったなら三尺玉

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 12:12:49 ID:XinqP5Lq0
河井は一藩の利害を超えて日本全体の国益を考えてた。
ほとんどの藩が保身に走り日和見に汲々としてたのとは対照的だ。

薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…
今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 14:08:50 ID:ABZ5/JIiO
>>133
たとえ会津攻めの先鋒だとして何が問題なわけ?
みんなハッピーじゃん。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 19:08:36 ID:LhyHIJSg0
>>139
強硬派の首魁が河井だから、
河井がいなくなれば、戦争はおそらく起きない。

>>141
それもろ会津じゃん。


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 19:15:33 ID:mvWOwcC3O
たしかにすばらしい人物だが結果的に家どころか一藩をめちゃくちゃにしてしまった。
こういう能力も自信もある強情な人物が強権を握るとどうなるかという見本。
結果として小林虎三郎の言う通りになった。何がしたかったのだろうな。結局は個人的に薩長の連中を内心片腹痛くく思って憤慨しただけなのかも知れないな。
河合さんは家老になんかしてはいけなかった。彼自身もかわいそう。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 13:40:15 ID:3WXq/NExO
河井と米百俵や億千マンといった有能な人物がいるのに長岡藩は評価かされないのは謎だ

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 05:30:28 ID:QR9ZHmG10
億千マンってなに?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 11:23:42 ID:AxmRQs8X0
>>146
三島

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 23:30:55 ID:DOvhfS7v0
>>142
おまえ馬鹿じゃないの?

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 02:05:30 ID:l1VwY4Rb0
>>142
仮に資本主義を守るために朝鮮半島で自衛隊が最前線で戦ってくれ、
戦費がかかるから3000億だせって命令されたら大問題だろ。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 05:52:39 ID:y0VbKWx40
極端なたとえ話を突然始める知的障害者発見。
先鋒は他藩にも命じられているのに。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 00:37:14 ID:ayzgsy0Y0
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/451
山本帯刀・・・・1844〜1868

代々家老職を継ぐ門閥であったが、聡明にして果敢という評
価がされている人物で、河井継之助の人物、思想を理解していたとされ
藩政改革での藩士の俸禄改正では三分の一減俸を積極的に受け入れ、
藩士の範を示した。
長岡で戦端が開かれるや若き指揮者として重きをなし、大隊を率いる将として奮戦
長岡陥落により八十里峠附近で残存の長岡兵を指揮し西軍進入を8月末まで阻止。
その後会津若松へ転戦、会津戦争を配下の長岡兵と共に戦うも明治元年9月8日、
会津の飯寺村において集結の西軍攻撃を濃霧の中行うも長岡兵は敵味方を誤認し
配下の43人と共に捕らわれた。
西軍の将はその人物を惜しみ降伏を勧めたが降伏を拒み、
山本含み43名は翌9日斬首された。享年24歳
山本帯刀亡き後の山本家はその後、養子となった山本五十六が継いだ。




152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 00:37:52 ID:ayzgsy0Y0
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/452
三島億二郎(1825〜92)

文政8年(1825)長岡藩士伊丹市左衛門の二男として生まれる。 継之助より2歳年上である。
20歳でわずか37石の川島家の養子となる。佐久間象山に学び、吉田松陰とも交流があり、
黒船の来航では調査を命ぜられている。蘭学に秀でており藩校宗徳館の三進といわれた秀才の花輪馨之進、
三間市之進、渡辺進は川島塾の門下生である。また継之助とも親しく、若いころ奥州各地を遊歴している。
継之助と違って性格は温厚かつ沈着であり、華々しく表面にはでることはなかった。
それゆえに継之助に信頼される。 慈眼寺の会談が決裂の後、継之助は億二郎に真っ先に開戦の止むなきを伝えた。
継之助は自らの首と3万両で戦いを避けようとしたが、非戦派だった億二郎が生死を共にすることを誓い、
長く苦しい戦いに突入する。
億二郎が力を発揮したのは、戊辰戦争後の長岡の復興である。下級藩士の出でありながら、
藩主や藩士から人望が高く大参事に抜擢された。そして壊滅的な打撃をこうむった藩士や領民のための産業振興、
教育環境の整備、病院や銀行の設立さらには北海道の開拓と移民など、億二郎の果たした業績は数え切れない。
米百俵で学校が設立されたというが、百俵の代金では学校は建てらず、本や教材費でほとんどなくなる。
億二郎は苦しい財政の中から、三千両の大金を学校建設資金として最優先に割り当てた。
明治25年(1892)68歳の人生を閉じるが、後半生は長岡の基礎造りのために、懸命に捧げた人生である。
継之助や小林虎三郎を凌ぐ逸材であり、長岡藩士で唯一の銅像が、信濃川のほとりで今も長岡を見続けている。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 08:26:17 ID:y2VPosLp0
>>148
馬鹿はお前。多数意見の恭順否定は長岡が朝鮮に転落したようなもの。
会津の先鋒やっていた方がマシ。てか、普通の判断が出来る藩はやっていたわけだしなー。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 19:53:39 ID:BnUxOb3X0
>>149
その結果連合軍に攻め込まれ、
国土が灰になったら、その為政者は当然責められるとおもうが。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 21:48:37 ID:1BsegrRhO
>>154
約束されたミスチョイスだしな。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 00:56:06 ID:C1rHyxHX0
>>141
>河井は一藩の利害を超えて日本全体の国益を考えてた。
内戦の長期化こそ日本の国益を損なう。
紀州や尾張が、新政府側に成り、慶喜さえ恭順蟄居してしまた時点で
反薩長で戦う旗頭が、無くなってしまってる。流れは、定まっている。
奥羽列藩連合や旧幕府陸海軍は、頭不在の烏合の衆。
烏合の衆と一緒に戦う事事態情報分析能力の欠如。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 14:42:38 ID:uwKRP/RR0
>>153-154
もう少し歴史を勉強した方がいい
現在の価値観で過去の価値観を否定することはできない

多くの藩の家老は家格だけの馬鹿家老だったのだよ
徳川から毛利や島津に将軍家が変わるとか思ってたのよ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 19:30:50 ID:iUfFqeeH0
>>157
お家と領地の安堵が当時の至上の価値観ですが、なにか?

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 23:43:03 ID:PhKqYvYC0
>>156
>内戦の長期化こそ日本の国益を損なう。
私利私欲のために無責任に攘夷を煽り内戦を起こしたのは薩長。
その薩長に権力を明け渡さなければ国益が損なわれるとする主張は、
盗人猛々しい屁理屈にすぎない。

>流れは、定まっている。
結果論にすぎない。たしかに討幕派は緒戦において予想外の勝利を収めたが、
それが永続するか否かは不確定だった。
必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例は数え切れない。

>奥羽列藩連合や旧幕府陸海軍は、頭不在の烏合の衆。
であるならば討幕派も烏合の衆にすぎない。
「頭」は戦闘のなかで新たに創造されるもの。

>>157
薩長もまた藩のために幕府を乗っ取ることが目的だった。
日本全体の変革を見据えていたのは、
河井や小栗のような一部の知識人だけ。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 05:17:47 ID:wXuDvp7Z0
河井にも小栗にもそんな知性はないよ。
あったのは、幕府の維持、復活だけ。
そうすれば自分達の地位も安泰だからね。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:28:04 ID:AMRE8qnc0
>私利私欲のために無責任に攘夷を煽り内戦を起こしたのは薩長。

それは幕府のこと、反抗的な諸藩を討伐するってことで、
内乱を起こしたからね。

>必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例は数え切れない。

末期の日本陸軍みたいな発想だな、
そういや当時の陸軍上層部は・・・

>であるならば討幕派も烏合の衆にすぎない。

統一した指揮系統で動いている新政府軍と、旧幕府を一緒にすんなよ。

>薩長もまた藩のために幕府を乗っ取ることが目的だった。

日本の為に動いたわけであって、藩のことなど考えてないよ。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 00:52:13 ID:Se2UL+q90
>>159
奥羽列藩同盟の、財源もなく軍制改革もなく兵器すら慌てて輸入する有様を考えれば
本当に必勝を算していたのかさえ疑問。
長岡が崩壊した後に勝ち戦ってあったっけ?

頭は創造されるって、当時の佐幕派に大村益次郎と比肩できる知能がいたか?
それが全軍の音頭を取れる立場にあったか?

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:38:31 ID:MDI4RaKf0
>>157
河井が家老になったのは大抜擢だな、家格からはありえない。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 21:44:06 ID:MDI4RaKf0
>>161
イギリスの商人に借金したからだろw

>>162
北越戦争の段まできたら勝ち目はないだろうな。
まあ、河井は武装中立を成功させて戦わず済ませたかった、
新しく藩丁をつくる構想も同時に進めてるからね。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 00:12:45 ID:4dVXp8N80
イギリスから借金していたのはまさに幕府だろう。
その借金が返せずに、関税を引き下げられたり、開港を迫られたりしていた。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 03:00:56 ID:bIYnKwh20
少なくとも長州がイギリスから借金してたって話は聞いたことがないが。
廃藩置県の折にも撫育方には百万両ぐらい残ってて、そっから毛利家として七十万両明治政府に寄進した記録もあるし。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 05:25:24 ID:SV8GNkpY0
>>124
中立を主張するのなら、最初から朝廷の上層部(岩倉とか、木戸、西郷)
とかに、絶対根回ししていたはずなのに。
していなかったってことは最初から決戦するつもりだったのではないの?
岩村との会見は茶番というか、開戦の大義名分だけでは?
山縣や黒田が出てきても結果は同じだったのでは? 
責任を岩村に擦り付けただけで。

江戸城の無血開城ももっと上で話が付いてたって言うし。



168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:35:35 ID:jJiLncp7O
あげ

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:44:49 ID:XRbtGrOZO
関原

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:42:22 ID:duBKxWrKO
日越

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 21:07:09 ID:XTOx7M5nO
宮本

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 13:57:52 ID:9uQKIPwvO
雲出

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 23:24:06 ID:FvMf7UF1O
大島

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 11:56:21 ID:SvZ3XmZ60
なんにせよ会津より好感が持てるのは確かだよ。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 22:59:28 ID:qqYCjoL0O
悠久山

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 21:49:28 ID:d14i84MlO
鳥越

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 09:21:23 ID:Oi37/mjmO
NHKの番組見て歴史が動いた?見て感動したよ…

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/02(土) 23:27:49 ID:V7k6bDOS0
正直、維新に河井がいなかったとしたら
ものすごく退屈であったろう

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 21:11:32 ID:4Th08DXuO
大手大橋

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 03:21:45 ID:PwJnPvHWO
八方台

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 20:16:54 ID:65X/tveS0
ぶっちゃけ、俺の出身地の藩が、戊辰戦争で何やってたのか全く知らん。
西日本だから多分官軍方だったんだろ、程度。戊辰戦争の資料を見ても、
藩の全く名前が出てこない。4万石の藩だったんだが。。。

河合がいなかったら、長岡もきっとそんな感じだったと思うよ。
今日に至るまで話題を提供してくれて「武士の意地」というテーマを
与えてくれるんだから、有り難い話じゃねーか

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 03:07:22 ID:Lk8iD7t/O
いまの長岡の人って継之助のことどう思ってるの?嫌いなの?

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 21:56:12 ID:CNF3kTTGO
>>182

良く思っている人は少ない。たいてい河井が嫌いな人は小林虎三郎がいいっていう人が多い。俺は逆だけどね。

会津だと河井の評価は高いんじゃないかな?

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 16:33:01 ID:seo7jsXtO
長岡藩士の子孫だが、西軍とアメリカに家を焼かれた。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 20:26:18 ID:SnD22Snr0
ちなみに、長岡市内全域に放火して、市街地の95%以上を焼き払ったのは、
薩長ではなく、長岡藩士と会津藩士です。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/30(土) 17:40:23 ID:r3nYVfJ/0
篭城する方が、敵(包囲側)の拠点にならないように
城下町を焼き払うのは当たり前の話で、仕方ないんじゃないか。

西南戦争の熊本城攻防戦でも、篭城した官軍は、まず熊本の街を焼き払って
西郷軍の拠点にならないようにした。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 16:19:33 ID:QdTE1nwdO
長岡住みだが河井は俺の英雄

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 07:11:59 ID:pei9Q5D80
関東管領上杉の家臣だったはずなのに、気が付いたら徳川の藩屏として戦っていた、不条理
征夷大将軍で源氏の棟梁なんだから、一応の筋は通るけど
なんだかなあ、という気分は否めない。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 22:09:15 ID:hSakDnZB0
牧野は、徳川家康配下の武将の一人であったが、イマイチぱっとしなかった。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 16:34:02 ID:osSN+IsI0
牧野家と言えば、徳川配下の武将と言うより、鎌倉時代より続く東三河の豪族。
遊行僧が由来の徳川家なんかより、はるかに名門。
だから成上がりの徳川家なんかより、名門の今川家との方がウマが合って、
酒井・本多・石川・井伊・大久保といった、安祥以来の旗本衆よりは
徳川家への帰属が遅く、桶狭間以後。

しかし、名門だけに何かと優遇されて、結局5つも大名家が誕生した。
信州の名門で譜代大名になった小笠原家に、4つも大名家が誕生した事に似ている。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 22:55:01 ID:76Z6YLC1O
牧野家の当主は皆「忠」の字が使われているが、そのうちつける名前がなくなるんじゃないか。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 09:35:22 ID:QoQNJAVAO
三島億次郎は他藩でいうと誰に近いタイプ?

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 14:34:01 ID:oAh+7Eh+O
>>191

現在の当主は忠昌さま

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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