【地味】枢密院と貴族院を語るスレ【重要】
- 311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:13:19 ID:/9//chwAO
- ねじれ上げ
- 312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 20:52:34 ID:N/S9j9tiO
- 官僚院
- 313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 23:43:26 ID:Xd7OtBhD0
- >310
諮問だから、無視しても法的には許される。
ただし、諮問しなければならない案件は、勅令で決まっているので、
諮問自体をしないということはできないが、結論は無視することはできる。
終戦(聖断)の御前会議でも、枢密院議長の出席を以って、
枢密院の諮問に代えたという論理構成ではなかったか。
- 314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 20:24:41 ID:Fs2y+hw9O
- 戦前の総理による衆院解散権もあるのか無いのかわからないよね。
- 315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 00:42:25 ID:K0uAb9B50
- 枢密院ておいしそうな感じする。
いつも「すいみついん」と読んでしまうDQNなわたしには。
- 316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 16:43:00 ID:2Bf8ZSTr0
- ttp://shinshomap.info/book/4121018362.html
小田部雄次(おたべ・ゆうじ)『華族――近代日本貴族の虚像と実像』中公新書
p227
: 昭和戦前は軍国主義の時代であったが、ある意味では貴族政治の時代でもあったと言えないか。
つまり、大正デモクラシー時代の大衆運動を経験して昭和の時代を迎えたが、政党に代わって
戦争を主導して台頭した軍部とともに、公家華族たちも時の権力の中枢にいたからだ。たとえば、
昭和戦前期の政治を動かしたのは、陸海軍人のみならず、元老であった西園寺公望、首相を三度
経験した近衛文麿という旧公家の末裔たちであった。
p232
: 華族社会が経済的動揺を深めた一九二〇年代から三〇年代にかけて、天皇側近の地位にあるため、
軍部、政党、官僚たちよりも有力な発言力と実行力を持つ集団があった。彼らは「宮中グループ」と
のちに称され、法制上、機構上の権限を越えた政治集団であったが、後継首相の奏請や、政策決定に
大きな影響を与える。
貴族院の持つ協賛拒否権が実際に行使されたら、天皇の勅語でしか屈服させられなかったけど、
枢密院の方は拒否権とまでは言えなくとも、より陰湿な関与を行っていたようだ。
このような特権勢力の牙城の存在ゆえ、宮廷政治家たちの活躍が可能となっただろうか。
- 317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 15:03:50 ID:utsuHqXWO
- 選挙あげ
- 318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 03:40:51 ID:CZrGVzeR0
- アメリカの下院は伊東巳代治の枢密院並みのDqs
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080929AT3K2901M29092008.html
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