【敗北を】その後の榎本武揚【抱きしめて】
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/23(木) 15:55:10 ID:BGM5Ju8vO
- 新国家建設を夢見て挫折
内乱を起こして多くの犠牲を出したあげくに降伏し
自らはおめおめと生き残り、それどころか戦後に新政府の要職にカムバック
武士としては最低な屈辱にまみれながらも、明治という新時代の為に尽力した榎本武揚を語ってください。
- 2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/24(金) 11:37:30 ID:c6pTigtzO
- 外務大臣、海軍卿、通信大臣、農商大臣、文部大臣、
明治に入ってからこれほど大臣職をこなした人物も珍しい。
よほど優秀だったのだろうな。福沢諭吉にはボロクソに言われたようだが。
- 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/24(金) 11:46:42 ID:xutfxPI90
- こいつのせいで黒田清隆がはげになった
黒田のふさふさした髪をかえせ!!
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/24(金) 16:43:12 ID:nmY7oPC30
- 痩我慢の説
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 00:43:07 ID:clZLPa+h0
- ちなみに日本初の提督
大臣の経歴であれば、井上馨もそれくらいはやっていると思う。
だとしても、彼が当代最高のスーパーテクノクラートであるという評価は変わらないが。
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 01:43:10 ID:7ZxrfBicO
- 函館戦争のイメージが強いけど、その後に新政府に登用されてからの方がものすごい色んな仕事してるよな。
日本人のメキシコ移民を計画してあっさり失敗したりとか。
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 02:00:06 ID:WfmHubo30
- 正月にやってた新撰組の番外編の榎本は最高に良かった。
その余韻で昔のドラマの五稜郭を借りたが
こっちはいつもの里見浩太郎ノリでイマイチ。
- 8 :釜次郎:2006/03/26(日) 09:39:00 ID:RSlns/oRO
- 榎本最強!
- 9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 11:48:06 ID:+fSFyomj0
- 日本人で初めてモールス信号をマスターしたのも榎本
- 10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 23:40:31 ID:7ZxrfBicO
- この人は函館戦争で生き残った事を恥じたりしてはいなかったの?
鎮魂のための碑は後に建てたみたいだけど。
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 23:46:21 ID:Z2C0MQcKO
- シベリア大陸横断旅行もやってるし。
気象観測所も榎本だっけ?
とにかくスーパーテクノクラート。
一家に一台、榎本武揚!
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 23:48:52 ID:Zv38ltKQ0
- 恥という感情とは違うかもしれないけど、生き残った者の責務という
感情は持っていたように思える。
それが、榎本のがんばりの原動力。
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 22:48:51 ID:sjCQ3uWfO
- 教育勅語にも携わってなかった?
なんか色々やりすぎこの人。
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 00:38:19 ID:WxKwJoKO0
- 榎本はその後、日本のことを考え誠実に懸命に政務を行ったそうだ。
また、旧幕府方の人達を思いやり助けてもいたようだ。
五稜郭で生き残ったのも新しい日本に尽くし旧幕府の人を助けたい
想いがあったのだろう。
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 00:55:32 ID:bMm8mFFO0
- >>10
勝海舟の元を訪れて、言い訳がましいことをいったみたいよ。
勝自身は自分の仕事はすでに終わったと思っていたので、政治にかかわる気はまったくなくて相手にしなかったらしい。
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 12:39:25 ID:6UwOmWPU0
- 栄達した後、島田魁に面会を拒絶されたなんて話があったような。
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 15:34:07 ID:Twhm4HIJ0
- 結構、長生きされましたよね。
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 18:00:31 ID:Szcgg8ph0
- >>14
おれ何度か五稜郭行った事あるんだけど
観光で五稜郭に来てる人は古墳だと思ってる人多いんだよネ
これは本当の話だよ!
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 18:48:49 ID:7MdnCb4h0
- >>16
旧幕府からすれば裏切り者とうつるでしょ。
福沢諭吉も新聞かなんかで批判してたらしいし。
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 21:58:41 ID:jLO+NB6rO
- >>19
だから漏れは福沢諭吉が大嫌い。
ちなみにそれは「痩我慢の説」っちゅう小論文ですな。発表は「時事新報」の紙上。
内容の一部を書き出すと
『伝統ある三河武士の精神に背くのみならず、我国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以て立国の根本たる士気をゆるめたるの罪はのがるべからず』
偉そうなこといっても、福沢諭吉は維新動乱の際に、どっちつかずの傍観者だったんだよな。
そんな諭吉に勝や榎本を公の場で責める、どんな権利があるっていうんだ。戦い抜いた島田魁に言われるんならともかく。
榎本武揚が残した功績を考えれば、今の榎本の評価は、余りにも福沢諭吉の「痩我慢の説」に影響され過ぎているようでくやしい。
ちなみに榎本は自己顕示欲が少なくって、『シベリア日記』や『渡蘭日記』、隕石を研究した『流星刀記事』なんてのまで発表を控えてるんだよね。
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 23:09:08 ID:ul4zdk49O
- 全権大使として千島・カラフト条約を結んだのも榎本だっけ?
国際法の知識とかは郡を抜いてたみたいだね。
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 00:37:21 ID:BFIF+xwy0
- 福沢諭吉はは五稜郭でから榎本を救い出そうとしたのではなかったのか?
黒田清隆にそれを進言したというのは俺の記憶違いかな。
でないと後で諭吉が悪口を言うわけないもんな。
- 23 :20:2006/03/29(水) 06:52:12 ID:PSEAKgkHO
- >>22
福沢諭吉は黒田清隆の榎本武揚助命運動に力を貸してるよ。
でもそれは榎本武揚個人と付き合いがあったって訳じゃなくて、榎本の家族に頼まれてらしいし、一切の爵位も勲章も受けようとしなかった諭吉としたら、勝や榎本のその後が気に入らなかったのは当然かもね。
でも公の紙面を使って名指しで批判するってのはやり過ぎだと思うぞ。
まぁ、助命運動に協力してくれたってことで、「大嫌い」から「大」を取って「嫌い」位にしておこうか。
かたや言論人、かたやテクノクラート、二人が100年談じようともゆめゆめ埒があかぬ、かも。
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 22:30:34 ID:W/JoeyQD0
- 安部公房の小説に出てくる榎本が面白かった。
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 21:54:26 ID:ZUu6VcPyO
- 北京大使(公使?)もやってなかった?
天津条約にも携わっていたような。
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 09:25:22 ID:GCheHMdAO
- >>25
俺の持ってる本に書かれてる経歴を書くね。
このスピードじゃ、次スレなんて夢のまた夢な気がするが、良ければ次スレのテンプレにでも使って。
明治七年 駐露全権大使
同十二年 条約改正取調御用掛。外務大輔、議定官兼任。
同十三年 海軍卿兼任。
同十五年 駐清特命全権大使。
同十八年 第一次伊藤内閣の逓信大臣。
同二十年 子爵に列す。
同二十一年 臨時に農商務大臣兼任。
同二十二年 文部大臣。
同二十三年 枢密顧問官。
同二十四年 第一次松方内閣の外務大臣。
同二十七年 農商務大臣。この年、第四回内国勧業博覧会副総裁就任。
同三十年 農商務大臣を辞任。
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 11:57:16 ID:Yw2rwHwb0
- >>26
榎本はどの職についてもその働きを誠実に懸命に勤めたらしいね。
日本や人民のことをよく考えて働いたようだ。
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 17:30:58 ID:GCheHMdAO
- >>27
それなのに「痩我慢の説」でのあの言われよう、俺ぁ一万円札は好きだが、福沢諭吉は嫌いだ。
榎本武揚こそ次の一万円札にふさわしい!
だめ?
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 17:43:15 ID:ezkEGFA3O
- まあ武士道的には最低と言われても仕方ないんじゃ。
福沢は個人だけでなく当時の権力や役人の体質を批判する意味で榎本を叩いたのだろうし。
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 18:16:46 ID:S/HgPxB70
- ・・・ブヨのように函館の人々から嫌われた榎本ブヨウ・・・
榎本らは、函館に来た当初、金や食料を気前よく供出したので函館の人々に歓迎された。
しかし、財政の悪化により、偽金を発行し、重税を課すようになると、人々から快く
思われないようになってしまう。
旧幕府軍の収奪は、多岐にわたり、賭博の公認による寺銭稼ぎ、関所設置による通行税
売春婦からの公認料徴収にまで及んだ。
そのため、人々は、旧幕府軍が人畜にまとわりつき血を吸うブヨのようだと嘆き、ブヨ
のことを榎本ブヨと呼んだと伝えられている。
ちなみに榎本の名は、音で読むとブヨウになる。
(日本の名城・古城もの知り事典)より
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 19:06:09 ID:81/5LiYC0
- >>28
『痩我慢の説』で言えば、榎本は勝叩きの巻き添えを蒙ったようなもんでないか。
一方で勝海舟の方は、それに対する反応として「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張〜」
といった名言を残しておるが。
他に榎本評としては、『明治功臣録』の中で朝比奈知泉氏がこう述べておる
「豪骨稜々、満身血と涙、しかし洒脱にして八面玲瓏」と。
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 13:12:34 ID:2CIwfMia0
- 行蔵は我に存す、毀誉は諭吉先生の主張。気にしもはん。
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 15:18:00 ID:Sn1TfEWA0
- メキシコ榎本殖民団=照井亮次郎の生涯=殖民地崩壊の実際とは=JICA前支所長が著作発表
メキシコ移民の嚆矢である榎本殖民団に参加した、岩手県花巻出身の照井亮次郎(一八七四―一九三〇)
の気骨溢れる生涯をつづったノンフィクション『シエラマドレの熱風(かぜ)―日・墨の虹を架けた
照井亮次郎の生涯』(パコスジャパン)を上梓した。
「失敗第一の原因は、最初から真面目に殖民事業を経営しようとは思わず、ただ移民を送って当時最も
有利と言われたコーヒー栽培で利益を貪るつもりであったからである。だから土地の購入にも殖民には
不適当な山地を買ったし、株主の賛同もコーヒーの利益ということをもって得たのがそもそもの榎本子
爵の失敗である」(一八九頁)という照井の言葉は、第一回移民船・笠戸丸を遡ること六年の一九〇二年
に書かれたものだ。
(全文)
http://nikkeyshimbun.com.br/031202-71colonia.html
このような事実に接すると榎本に対する評価は減ずることはあっても上がることはない。
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 22:42:07 ID:S2JO4b/L0
- もし北海道が独立国になることが成功したら
日本、北海道の歴史は変わっただろうか。
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 23:18:24 ID:s+R0bpR2O
- 国内が二分された事を禿鷹欧米につけ込まれまくって
明治政府は立ち行かなかっただろうな。
素早く統一できてよかった。
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 23:43:27 ID:ULw+akUI0
- 日本人は判官びいきみたいなところがあるけど、
冷静に考えれば、新政府軍が勝って良かったよ。
しっかし、明治政府の首脳陣にしてみたら、腹ただしかったろうな。
漏れの父方の先祖は、会津藩の近くの三春藩の藩士で、
三春藩は、早々に恭順して官軍に従ったが、
漏れの親父からは、明治政府の悪口は聞かんぞ。
逆に、長州の木戸孝允とか誉めているし。
何でか知らんが。
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 23:51:49 ID:S2JO4b/L0
- >>36
木戸孝允は温厚で敗者にも寛大だったと想われる。
海外視察で抑圧された国を見てから特にそうなった。
異国を攻めることを嫌った。
この人の願っていたのは全ての人の恒久の幸福だったという。
だから敗者からも人気が有るかも。
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 12:15:41 ID:8BER2Ddy0
- (俗っぽい話だけど)
他の元勲に比べて、ルックスの良さは際立ってるね。
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 15:14:52 ID:F4VdQ/2a0
- 明治初年の撮影とされている写真だが、
頭髪はウェーブがかかっているし、
軍服の前ボタンを上から4つはずして、
足を組んでカメラ目線って・・・
たぶん、若いときの頃だよなぁ、
土方歳三も顔負けだなwww
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 16:02:19 ID:T24jMoOD0
- >>34
間違いなく今頃ロシア領だと思うがな
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 16:29:48 ID:qH7GM9ox0
- 蝦夷共和国時代のエノカマの写真が昔のプリングルスおじさんにそっくりだったのに、
今はプリングルスおじさんのデザインが変わっちゃってもうあんまり似ていない。
安部公房の、『榎本武揚』の榎本に関する異説は、
皇国日本に共和国などけしからん皇国史観の継承だったりする。
満洲育ちの安部がそういう説があることを知っていたか、それをどれほど意識していたかわからないが。
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 14:26:22 ID:tEwpeJwE0
- 榎本は海外通で、自分の国を作ろうとしたことまであるのに
明治政府の洋化政策には批判的だったらしいね。
なんというか、行動にも思想にも常に二面性のある人物だよな。
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 21:13:05 ID:m6uyceLg0
- 榎本が本気で独立国家を蝦夷につくるなんて、お笑いだよ
勝海舟と組んで一芝居打ったってところだろう。
土方が浮かばれないな
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 23:37:47 ID:4blZpld60
- 榎本さんはラストサムライよ
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 23:48:47 ID:HrqFmEcUO
- 結局のところ個人のことなんかその人本人にならねば分からないわけで・・・。しかしあえて言うなら榎本武揚はあの時代にしては結構現実をみる目があったんじゃないかなと思う。
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 23:59:44 ID:xj743z92O
- 幕府が潰れた後、仲間を集めて自分の国を作ろうとするなんて
生半可な男の出来る事じゃない。その辺はまさにラストサムライ。
しかし最後の最後でそれを投げ出して、敵であった新政府に仕官し、凄まじい功績を残しつつ、ちゃっかり栄達するなんて
まさにサムライを超えた発想と行動とも言える。
こんな人生送った男がほかにいるだろうか。
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 08:32:57 ID:HdlaXqBV0
- 榎本武明が現れた!
榎本は海律全書を落とした
黒田はレアアイテムを手に入れた!
なんと榎本が起き上がり仲間になりたそうにこちらを見ている!
仲間にしますか?
榎本が仲間に加わった!!
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 11:33:36 ID:gkO9exSoO
- 榎本は降伏はしたけど、自分が助かろうとは思ってなかった。
榎本と大鳥が降伏の交渉のために黒田と会談した時、降伏の条件は自分達の死刑の代わりに兵達の罪を問わない事だった。
黒田は榎本を助けようとしていたから、両名の死罪について確約しなかった。それに榎本が反発したため会談が延々と長引いた。
結局は黒田の裁量で、榎本、大鳥も助命、一部幹部以外は反乱兵も無罪という事で収まった。
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 11:46:55 ID:Ub4YEvrY0
- 黒田いいやつだね
酒乱だけどね
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 19:08:43 ID:eOVXlkwR0
- 幕府のエリート。
他のエリート達は明治政府に仕える気なんてなくて逃げたが。
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/12(水) 12:45:25 ID:sHw/aug8O
- 黒田が酒に酔って奥さんを惨殺したというのは事実なの?
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/13(木) 03:24:05 ID:kObJVZYF0
- 安彦良和の『王道の狗』で
李氏朝鮮の使者が時の外相の陸奥宗光に向かって
「わが国の国事犯で現在日本に亡命している金玉均を引き渡して欲しいのだが
前の外相の榎本武揚は、信義の問題である!とか言って承知してくれなかった。
陸奥さんはそんなセンチメンタルなこと言いませんよねぇ?」
見たいな事を言ってるシーンがあったが
これは作者の榎本と陸奥のキャラを考えての創作?
それとも実際に拒否したことあったの?
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/13(木) 14:44:52 ID:+bZ7qTzF0
- >>51
黒田清隆が妻を酒に酔って殺したというのは長州閥の創作したデマらしい。
実際は病死という説が一般的のようだ。
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/13(木) 19:55:49 ID:4jwY+Ujf0
- 榎本と李鴻章の対談
アジ歴
B03030242800
「日清交際史提要」の「第四冊 第十四編 至 十六編/2 第十四編 天津会議」のp20
B03030242900
「第四冊 第十四編 至 十六編/3 第一五編 善後商議」のp10
これ読むと、榎本の人柄や弁舌の鋭さも窺える感じ。
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 11:33:31 ID:7deu7JxwO
- >>53
二人目の奥さんを、浮気してると勘違いして殺そうとしたことはあったらしい。
勿論、その時も黒田は酔っていた。
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/17(月) 00:27:43 ID:raN+JbJL0
-
■日中韓の正しい歴史 基礎知識入門サイト
韓国は“ な ぜ ”反日か?
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html
東亜板では最も有名なサイトのうちの一つ。
韓国の話を中心に、中国や日本に関する問題を
過去・現在ともに、わかりやすい言葉で大雑把に把握できる。
まだ読んでない人はぜひ一読を。
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/18(火) 15:16:55 ID:1KoaFuEp0
- なんかこの人って苦労を苦労と思わない強さがあるよな。
いや、もちろん凄い努力家だし辛い思いもしてるだろうが
何というか、普通の人がへこたれそうな状況の中で、逆にとんでもない発想をしてるというか・・・
受動的な自分としてはかなり憧れる。
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 15:45:06 ID:AdjVSt/40
- 旧幕軍を平気で裏切る
変節漢榎本ぶよう 稀代の詭弁家 ペテン師
- 59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 19:04:50 ID:p0Vw3B6n0
- 榎本を許して明治政府に採用した薩長は度量が大きい。
会津などでも極悪非道に思われているけど本当は数多くの会津の人間も
採用しているし、巷で言われているほど薩長は極悪ではなし。
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 23:23:08 ID:Xq/eaLp90
- 稀代の詐欺師 榎本武揚 なぜ切腹しなかった
死ぬのが怖かったからだな
臆病者が 土方は許さんぞ
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 12:18:34 ID:jXiR9GkQ0
- 榎本は、親父の代に幕臣になった成り上がり者。彼に徳川に対する忠義を
求めるのは酷。
それでも、榎本と行動を共にした、高松凌雲(徳川慶喜の元御典医)は、
兄貴の古屋作左衛門(幕府軍)が函館で戦死したもとこともあり、新政府の誘いを断り
、一介の町医者として明治を生きたんだけどね。
高松も親の代までは九州の庄屋で、三河以来の幕臣ではないよ。
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 22:37:16 ID:YNqIVrfIO
- あなたの好きな偉人って番組の宣伝見て
自分が偉人だと思う人は榎本なんだと初めてわかった。
好きな歴史上の人物は別の人だが決して「偉人」ではない。
バカが夢見て散ったってのが個人的に好きなだけ。
榎本はもっと評価されるべきだ。
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 23:07:57 ID:876X1a240
- そこそこ評価されてる榎本よりも
土方厨に散々な目に遭わされてる陸軍奉行の大鳥圭介くんが・・・
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/24(月) 20:09:13 ID:vTvlu1/r0
- 汗まみれになれるインテリっていいよな。
箱館政権の首脳陣は魅力的だ。
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 13:12:46 ID:B7WrVezw0
- 策士榎本に騙された、土方の無念はいかばかりか。
そういえば来月は土方さんの命日だな
武士は節を尊ぶ
箱館の閣僚の中で戦死したのは、陸軍奉行並土方歳三ただひとり。
- 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 13:17:57 ID:z/Lzq+s40
- 出ましたよ土方厨w
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 15:14:49 ID:lzGi/bux0
- 大鳥は日清戦争でも朝鮮兼清国駐在の外交官として活躍して
袁世凱との交渉やら何やらで活躍している。
実際のところ土方よりはずっと上だろう。
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 16:26:37 ID:pXTNljSr0
- 土方は生き残っていたら、新政府に斬首された可能性大。
新撰組の幹部を長州が助命するとは思えんわ。
良くて、終身幽閉だな。
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 18:19:04 ID:25EuGA24O
- いや、榎本が釈放されるんだから、土方も同等かそれ以下の扱いだろう。
まあ土方が明治時代に生き残っても政府にマークされて、ショボい反乱罪みたいなのをきせられて刑死とかになってたのでは。
立見尚文みたいに軍に登用されて、日清日露で活躍してたら格好いいけど。
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 18:48:49 ID:EQZA6WfP0
- 回想録とか遺してないところが、らしいっちゃらしいんだけど
前半生が気になる身としては複雑だな・・・。
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 20:16:47 ID:yoBJcff00
- 大鳥は経歴みるとわかるけど、明治政府の色んな役職を歴任して、且つ成果を残してる
なんつーか器用な男だ。ただ一芸がないぶん目立たないかもしんないが
土方は生き残ったら西南戦争で喜々として薩摩兵と戦ってそうなイメージがw
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 20:45:41 ID:pXTNljSr0
- >71
佐川官兵衛(元会津藩士)のようにか。
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 20:55:00 ID:4cuB4bnZ0
- >>71
>土方は生き残ったら西南戦争で喜々として薩摩兵と戦ってそうなイメージがw
それは嬉々と薩長政府の部下として戦ってるってことか?
土方なら逆に西郷軍についた方が良くないか?
そっちのほうが反政府主義としては一貫してるし、薩摩人(特に在郷の)なら新撰組への敵対心は弱いだろう。
実際戊辰戦争の薩摩兵士の殆どが西南戦争では政府軍の軍人だしな。
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 05:51:42 ID:EV9xUFRY0
- 会津兵の多くが西南戦争で政府軍に参加してる件についてw
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 10:34:13 ID:hQUUJVi90
- 榎本は資生堂の創始者といってもいいのだろうか?
その後に海外で石鹸売りに奔走していたのか?
榎本の子孫もおいしいところをとっていくよな。
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 12:41:55 ID:eq566H+50
- 反政府勢力をうまく蝦夷地に集めたよな。
各地でゲリラ活動をやられるより、貧弱な独立国家を作ってもらったほうが
潰すには都合がいい。
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 19:49:26 ID:zYdWAN2X0
- 北海道はその後、薩摩の黒田と榎本で開発されている。
榎本にとっては黒田さまさまだね。
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 20:07:44 ID:K336In9Y0
- >>75
創始者とまでは言えないんじゃ。
キッカケになったくらいのもん。
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 13:09:38 ID:drpp8qv50
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- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 12:09:20 ID:x5+aNJZM0
- いま、子孫の方は、何をされているのかな?
立派なご先祖様を持つと大変でしょうな。
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 12:22:36 ID:u3j1Cl9t0
- 明治になってから、徳川慶喜が爵位をもらうこととなり、
そのお祝いにと旧幕臣達が集まって記念写真を撮ることとなったが、
この時榎本だけは「一緒に写真に収まるのは恐れ多い事だから」と言って辞退したらしい。
本当に慶喜を敬ってたのか、あるいは嫌ってたのか軽蔑してたのか…
- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 22:33:09 ID:E/HYzbGg0
- お〜い「榎本武揚をお札に!」て言ってた人どこにいったの?
がんばれ!!
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 00:10:05 ID:sd9qhQb00
- >>81
嫌っていたんだろうな、たぶん・・
何でこんなヤツのために、
命を懸けて戦ったんだろうと思ったんじゃまいか・・
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 10:06:26 ID:i4BJ8TiP0
- 榎本って箱館戦争の後の獄中で色々書いてるんだね。
石鹸や西洋ろうそくの作り方などを載せた本を書いて世に広めようとしたり、
知人や家族が食べていけるようにと、製茶法、焼酎醸造法、
鶏卵の人工孵化、金銀メッキ法、ブランディーの製造法などを書き送ったりしてる。
その博識ぶりにも驚くが、なんというか、マメというか、全身が人に役立つテクノクラートに出来てるみたい。
- 85 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:39:32 ID:zRn6Te/i0
- >>83
穏健に済ませたかった慶喜と薩長許すまじの保守派の幕臣とでは考え方にも大きな食い違いはあったろうな。
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 18:17:52 ID:HV/84rXn0
- >>83
本当は二人で話たかったかもよ?
お互い言い分はあっただろうからね!
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 18:32:03 ID:5Jn2Y1vg0
- 榎本武楊と徳川慶喜、互いにやり方は違っても
日本を思って日本のために働いたいたという点において
一致している。一度は袂をわかっても最後は和解していて欲しいな。
本当はどうなったかは知らないが。
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 19:18:51 ID:jv45tQ/k0
- 榎本は幕末、恭順を決めた慶喜を叱りつけたエピソードがあったような…
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 20:59:59 ID:67ZDAc1AO
- >>82
>>28のこと?
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/05(金) 23:22:58 ID:pfLWSQud0
- >>88
大坂城から逃亡した慶喜を、「腰が抜け申したか!」と面罵したそうだね。
株を買って成り上がった俄か幕臣風情が征夷大将軍を罵倒するなんてありえない
気もするけど。
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/06(土) 12:34:05 ID:WRgt+2+b0
- 榎本が明治時代に成功したのは、薩長どちらにも属してなかったのが大きいみたいだね。
かつ能力があるし、元逆賊ということで政治的野心も持てないから、薩長双方から便利使いされたようだ。
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 17:28:25 ID:h3i6tfo90
- 妙な義侠心出さずに大人しく恭順してれば、明治以降政治家になんかならず
著名な技術者か実業家として名前が残ってたかもしれないのにな。
本人的にもそっち方面に進みたかっただろうし・・・。
いや、そーゆーところが好きなんだけどね。
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 21:23:37 ID:lfvEXuQX0
- 箱館戦争の生き残りにも、官途に就かず、一介の市井の人として生涯を送った
人もいたそうだね。
私は、そっちの生き方にしびれるし憧れるな。
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/08(月) 11:21:30 ID:5omJQ/j+0
- 『陽が開くとき』 おすすめです。榎本主人公じゃないけど。
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/08(月) 20:45:38 ID:1JyBw13qO
- この人が最後に農商大臣を辞職したのは、足尾鉱毒事件がきっかけじゃなかったっけ?
開発による公害で辞職だなんて、ある意味テクノクラートらしい末路だよな。
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 19:47:34 ID:B/sMBtn40
- 榎本が新政府出仕した事実だけで、評価を下げている者がいるが
節を曲げるのを誰より嫌っていたのは榎本だ。
榎本は釈放された後、新政府から執拗な出仕の要請を受けたが、
「薩長が跋扈する朝廷で官につけるか」と意固地に断り続けていた。
薩長ではなく天朝に仕えるのだ、世を乱した分朝廷のために働くべきではないのかと
大鳥が説得して、ようやく榎本が出仕に応じた。
新政府と世の中が榎本の才を必要としたわけで、
榎本から好き好んで新政府に仕えたわけでは決してない。
実際、新政府では超がつく人材不足で、法律も外交も工業も農業も開拓事業も、
榎本のように有能な人間を咽喉から手が出るほど欲していた。
徳川に付いて静岡に落ち着いた、高い教育を受けた旧幕洋学者、陸海軍士官の多くが、
良い待遇で新政府に迎えられている事実は、知られていない。
また、榎本は、困窮した旧幕臣の数々を、金銭面でも身の振り方でも、手厚く保護していた。
榎本に感謝する声は多々ある。
栄達した榎本を妬む見方や、節を変えたという言にも、榎本は弁明もせず、
ただ脱走の原因を、「若かったからさ」と笑っていた。
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/11(木) 07:31:59 ID:6aP4CjM10
- 高校の時の日本史の先生が榎本のファンで授業中熱く語ってたのを覚えてる。
なんか黒板に榎本年表まで書いてたww
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 06:29:32 ID:O62ZcH8TO
- 今日の神奈川新聞に、少しだけ榎本武揚のことが載ってた。
時間がないから読んでられなかったけど…
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 16:10:28 ID:1vo4Qt+t0
-
詳細教えて下さい、神奈川の人・・・
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 22:09:14 ID:O62ZcH8TO
- >>99
神奈川新聞の中でも、横須賀版だけだったかも。
「三浦半島人物志◆53」ってので出てた。
はじめだけ書き出すと
中島家には榎本武揚からの手紙が、二通残っています。
一つは、榎本がオランダ留学の途次、セントヘレナ島から中島三郎助にあてたものです。
他は、蝦夷地に向かう直前、三郎助夫人の錫にあてたもので、末子・与曾八(後に海軍中将)の誕生を祝うものでした。
心温まる文章でつづられたこの書簡には、与曾八が成長した折には、何から何までお世話をすると書かれていました。そして、九年後、それは現実となります。
一八七六(明治九)年、榎本は、若き日三郎助の内弟子であった木戸孝允から三郎助の遺児与曾八を託されました。
榎本は彼を扶助し、長じると海軍に入れます。
調子に乗って約半分書いてしまった…
(新聞まんまだと「長すぎる行があります」ってエラーになっちゃうんで、適当に改行しちゃってます)
あとは、荒井郁之助が「三郎助のために造船所を造ろう」って言ったのに賛同して支援したこと、榎本武揚の簡単な経歴が載ってる位かな。
横須賀なんで、話の中心が中島三郎助になっちゃってるみたいだね。
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