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【腰抜け】徳川慶喜【臆病者】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:29:36 ID:LYb83KLO0
忠義の士10万を見捨てて逃げた徳川慶喜ってどーよ?

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 13:45:56 ID:paIDBypv0
海舟と慶喜は似てるもんな。普通、自分に似てる人って嫌いさね。

で、Wikiの伊達宗城の写真(一番上の若いやつ)、昭武じゃないでしょうか。。。
ものすごく昭武に似てるけど、伊達宗城の顔を知らない。
伊達宗城か昭武のスレがあれば、そこで聞くんだが、そんなものなかろうて。


840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:41:56 ID:UWqDp1PU0
>>837
私見だが、慶喜のほうが昭和天皇よりも好き嫌いを表面化
させなかったように思う。
昭和天皇の場合、松岡洋右、白鳥敏夫といった面々を嫌っていたのは
疑いようがない。田中角栄も。
翻って慶喜の場合、嫌いだったのだろうと判るのは勝くらいなもので、
しかし後年、勝に息子を婿入りさせるなどして、個人的に
勝に対し色々と含むところがあったかもしれないものの、
彼の顔を立てている。

その他、容保や小栗忠順に対しても一筋縄ではいかない思いが
あっただろうが、「好き」とか「嫌い」とかそういう単純で
お子ちゃまな感情で動くことはなかったように思う。
この点に関しては、慶喜は大人。

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 23:37:13 ID:XXAYOqut0
勝は明治の半ばに明治天皇と徳川慶喜の階段を実現させたからね。
慶喜は別に頼んでもいなかったが、勝が自発的に運動したらしい。
もう徳川から禄も出ていなかったから忠義立てする必要はなかったはずだけど、
これが真の忠義ってものだろう。その後、慶喜から勝に養子縁組の話しが持ち込まれた。

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:25:01 ID:KADclKfX0
>この点に関しては、慶喜は大人
全く同感です。
それに比べれば、低次元な批判や低次元な擁護が多すぎる
あれほど才能ある人が、明治期には身を謹んだのはすごい
批判非難も甘んじて受けた
ソレを思うと実は明治の方が人生も長かったし、触れ合った人も多岐に渡ったし
で、小説やドラマで描いて欲しいですね

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:26:02 ID:ghbWtQR40
>840
慶喜憎しの一念で、家茂死後、国事超多難のおりに幼君を立てようとする
大奥改革は猛烈に妨害
慶喜の正妻を大奥に入れない
明治15年に死ぬまでずっと、慶喜が家茂を毒殺したと信じ込み家達も洗脳
「田安の人間は慶喜の子女とは縁組みさせるな」「絶対に慶喜と同じ墓に入れるな」
と公言して死去

天璋院の幼児性には恐ろしいモノがあるが、例の大河のおかげで世間の評価は逆になっている。

その慶喜は東京移住後には天璋院・和宮の命日には必ず墓参し、弔歌を詠んだ。


844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:26:49 ID:KADclKfX0
昭武の件は御三家・親藩スレで聞いた方がよいでしょう
仰るとおり、ここではスレチですから
あそこなら事情通がたくさんいますよ

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:37:00 ID:KADclKfX0
>その慶喜は東京移住後には天璋院・和宮の命日には必ず墓参し、弔歌を詠んだ

仮にも先代、先々代の夫人だから当たり前のことじゃあないでしょうか
逆に命日に墓参もしなかったら、自分が15代当主であったことを否定すること
になりますからね

現当主の恒孝さんの代になって、やっとそういった行事等を縮小しよう、という
話になったのですよ、
当時は当たり前のことだったと思いますがねえ

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:58:02 ID:75l7elp30
>>841
>もう徳川から禄も出ていなかったから忠義立てする必要はなかったはずだけど、

憶測になるが、勝は慶喜個人のために運動したと言うより、
旧幕臣達のため、言い換えれば、負け組になった徳川に連なる人々の
ため、という思いから運動したんじゃないか?
なんだかんだと言っても、慶喜は徳川幕府のイコンだよ。
そのイコンが真に名誉回復されない限り、そのイコンのもとで働いて
いた者達も真に名誉回復されることがない、という発想なのでは?

勿論、勝のことなので、自分の手柄欲しさという目で見られてしまう
のは仕方ない面もあるが、勝の心中には純粋に旧幕臣達に対する
思いもあったと思うね。
なので、殿に対する忠義と言うよりは、旧幕府ファミリーに対する
ロイヤリティからの行動という印象を受ける。

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 05:13:31 ID:RWiChx400
慶喜の名誉回復に関しては勝だけでなく旧水戸藩士で側近だったこともある
当時宮内省にいた香川敬三も熱心だった。特に公爵叙勲に関しては勝より香川の
動きによることが大きい。

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 07:11:25 ID:ghbWtQR40
>>845
いや、それはそうなんだけど、15代当主にして征夷大将軍だった慶喜を敬いも従いも
しなかった篤姫と比べると。
あれだけ身分や格式を頑迷なまでに主張するなら、自分もたとえポーズでも
慶喜に敬意を表さなくてはだめだろう。

>>847
この香川敬三も歴史ファンの間では評判が悪い。
なぜなら近藤勇の斬首に一役買ったから……
しかし、幕臣でなく幕臣や徳川宗家に義理立てする必要もないのに
受爵のために奔走したのは、これこそ私心のない忠誠心と情愛の発露ではないだろうか?

渋沢栄一もそうだが、こういった見返りを期待しない援助を受けられるのは
やはり慶喜に人徳があったせいだろう。


849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 07:23:55 ID:6sfLIbqJO
香川敬三って確か性格に問題ある人物だったよな。
田中光顕とは不仲になって明治以後一言も口を利かなかったとか…

何かエピソードがあったはずだが、忘れちった。

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 16:18:45 ID:RWiChx400
香川は新撰組の近藤勇を斬首した非情な面もある一方で
慶喜の名誉回復に奔走したり旧新撰組の粕谷新五郎の慰霊文の筆をとるなど
維新前に落命した同志を中心に遺族に謝罪や慰霊を行った面もあり、
見る立場によって気難しい曲者か義理堅いかが評価が割れるのはやむを得ない。


851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 07:15:32 ID:lKpE1HTK0
家茂の後継には、篤姫は亀之助を押したが和宮は慶喜を押したとウィキにはあるが、
家近良樹「徳川慶喜」には、和宮も亀之助派で篤姫とともにその旨を板倉勝静に手紙で訴えたと書いてある。

もちろん、ネットの書き込みと最新の研究書ではどちらを信じるべきかは明白だけど…
それぞれの説のソースって?


852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:52:02 ID:xHSl2pqu0
>>843
当時、似た原因で京都大阪で2人の要人が亡くなっていますが、
その徳川家茂と孝明天皇の身辺に接近できる人間は、
徳川慶喜と松平容保だけなのですよ。

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 21:01:33 ID:xHSl2pqu0
>>851
14代選出時に、一橋慶喜を推挙するために島津斉彬に送り込まれた人間が、篤姫=天璋院です。
しかし15代選出時には篤姫はすっかり慶喜嫌いになっていましたので、慶喜を推す理由がありません。

Wikipediaの記述は、両者を取り違えたのではないでしょうか。

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 18:13:50 ID:WmfDr7yO0
Wikipediaによると、家慶はのちの家定を廃嫡して慶喜を将軍後継にしようとした、
しかし阿部正弘の反対によって実現しなかったという主旨の文がありますが、
慶喜を一橋家に入れたのは阿部だし、阿部にとっては願ってもない話ではなかったのですか?



855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 18:17:23 ID:2XvpP75XO
当時には当時の政治事情があるってことだ。

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 21:47:59 ID:LEnhelzl0
>>854
秀忠とお江与が家光より弟忠長を可愛がり、後継にしようとしたのを
家光の乳母春日局が家康に直談判して長子に継がせるべしと家光を三代に
したのは有名な話。その後吉宗が優秀とされる宗武ではなく言語不明瞭な
長子家重を後継としたのも、この慣わしを守ったから。

家定には確かに色々噂があったかもしれないが、紛れも無い家慶の子で
兄早世の為出生時より長子同然。対して慶喜はいくら本人が優秀と言われ
家慶が個人的に寵愛してても血筋的には他人同然の水戸の子。
実子と血筋の遠い親戚の子ではどちらが後継なんて普通話にすらならない。
既に当時から斉昭の女好きと政治方針は大奥・譜代の反感を買っており
その子慶喜を世子にと将軍と老中首座の権威で無理に押し通せば
相当な反発を喰らう事は予想がつき、阿部はそれを恐れたと推測できる。

ただし阿部は家慶に「今少し見合わせ候」と言い、家慶も「少し早いか」と
答えていて慶喜を世子にする気満々、一時空気を読んだだけと言えそう。
その後一年と経たず家慶が黒船ショックで死んだので彼らが具体的にどう
慶喜を世子にする気だったかは不明だが。(血筋的にはどう転んでも不可能)

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 16:30:30 ID:AHlAtifv0
ま、慶喜も面倒な時期に将軍になったもんだよな。

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 19:38:38 ID:v4XcWg1r0
野口武彦氏は2002年発行の「幕末気分」で盛大に「慶喜ポナパルティスト伝説」をぶち上げたが、
現在、その説は学会においてほぼ否定された。
週刊新潮の連載では大政奉還をどのように書くのか?



859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:29:54 ID:tYdTbQj30
慶喜論となると大体諸説分かれるが、
大まかに言ってこの3つに分かれるよね

1日本の将来のためには幕府をつぶすべきだと
 常々思っておりわざと幕府が早期に滅びるような行動を取った。

2幕府をつぶす気は無かったが、結果的には幕府が最も効率的に
 滅びる道を選んでしまった。

3慶喜は幕府を滅ぼすつもりはなく最善の方法を取った。
 慶喜は幕府のためによくやった。慶喜以外の奴がやっていたら
 もっと早く幕府が滅んでた。

慶喜を聡明な人間と取る場合にしても1と3とではまた全然違ってくる。
みんなごちゃまぜに語っているから紛らわしいんだよな。

因みに俺は1もしくは2だと思っている。
大政奉還を含め、あらゆる面で慶喜は実に効率的に幕府滅亡に動いたと思う。
ただ、慶喜がどういう気持ちで行動したのかまでは読めないので、
1か2に絞ることができない。


860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:28:33 ID:2MLdLdXt0
「慶喜が大政奉還をしたのは朝廷から再委任されることを見こしてのものであり、
真のねらいはフランスの力を借りて徳川絶対王政を創出することにあった」

……って、いまだにこの説が世間一般では信じられているの?
まったく物的証拠のない説が、よくも長い間まかり通ってきたものだ。
最初にこの説を考えたのは誰なのかは知らんが、逆に感心する。


861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:31:01 ID:oBZF/p+A0
慶喜は幕権拡大派じゃないの?
1〜3で言えば3が近いかな
いずれにしても慶喜に甘い解釈だなあ
1は結果から見た後付だと思う。慶喜の述懐は、明治の世の発言だから、当時
の真意は語れないしね
慶喜としては将軍でなく、閣僚の地位が一番よかったんだと思うよ
将軍になりたいそぶりはあったのかなあ

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:35:53 ID:tRuhraB5O
>>860
物的証拠がないって、それは他の説も同じだが
少なくとも大政奉還した後も政権を手放したかどうかはビミョー

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 04:49:26 ID:0bCXGDtD0
思うにそもそも大政奉還する必要があったのかというところが疑問なんだよね。
もちろん倒幕のためになら必要だけども。

薩長の武力討伐を免れるという理由も、考えてみるとどうもおかしい。
大政奉還はむしろ武力討伐を促す行為にしか思えないからだ。

そもそも大政奉還時点の幕府軍の勢力は今だ圧倒的。
また、幕府勢力が京都に陣取っている以上、幕府軍は官軍であり京に攻め上るものが朝敵とされるので
薩長はうかつには攻められない状況だった。

 しかし、大政奉還して薩長側の勢力を京都へ招き入れてしまうと、
薩長側が、幕府討伐令を発するように朝廷に対して働きかけることが容易となってしまう。
 わざわざ武力討伐のリスクを増やすようなものだ。

討伐の理由などいくらでもつけられるからね。
もし、終始誠実にして口実を与えなければ大丈夫なんて考えていたら甘すぎる。
適当な因縁をつけることもできるし、あの手この手で幕府側を挑発して口実を作る方法だってある。

 そう考えると、鳥羽伏見の戦いは起こるべくして起こったことのように思える。


864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 15:13:08 ID:kS85AKcE0
>>863
>大政奉還して薩長側の勢力を京都へ招き入れてしまう
別に大政奉還で薩長側の軍が京都に来たワケじゃない
王政復古の大号令で薩長側の軍がようやく京都に入れた。
なぜ王政復古の大号令を薩長が仕組んだか?
まずそこから調べてくれ。
予備知識なさ過ぎで説明できない。

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 15:46:08 ID:0bCXGDtD0
>>864
確かに説明を省略しすぎたもしれんが、
薩長側が大政奉還後に起こした行動は、
大政奉還があってこそのもの。

もちろん直接的な要因は王政復古だろうが、
その王政復古を可能にさせたのはやはり大政奉還なんだよ。
そもそも大政奉還自体は王政復古を行うことすら認めるものでもある。
なにせ政権は返上したんだからね。文句はいえん

 それゆえ、大政奉還が薩長の軍を招き入れて武力討伐を促す要因となった。
といいたかった。



866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:01:08 ID:kS85AKcE0
それでは討幕の密勅をキャンセルできないではないか?
あの時点では、薩長だけでなく芸州藩も「薩長芸三藩同盟」になっている。
しかも大政奉還の建白書を蹴られた事で、これに土佐が組みするぞ。
薩長芸土四藩の討伐など、長州征伐を失敗した幕府には無理な事だ。
しかも、あの頃は幕府権威が著しく低下し、将軍慶喜が大政奉還の相談の為に全国諸大名に上洛令を下したが、
上洛する大名はほとんどいなかった。
ということは、もう長州征伐のように全国諸大名を動員して討伐するという手段は使えないんだぞ?。


867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:20:12 ID:0bCXGDtD0
いやだから、幕府が長州征伐を起こすことは確かに困難だが、
その一方で、長州側が幕府を討伐することも困難な状況。
一種の膠着状態。長州側が大規模な行動を起こすには
大きなきっかけが必要な状況だった。それが大政奉還になるのだが。

また、「幕府側が、直ちに長州を討伐をできないから幕府の負け」と決め付けるのはいささか乱暴だろう。
勝ち、負けの他に引き分けというものもある。
しかも、膠着状態はむしろ長引けば自力の高い幕府側に有利に働く。
フランスから最新式の戦術を学ぶ時間や、幕府の体制を整える時間も稼げるだろう。
対処の仕様はいくらでもある。

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:46:44 ID:kS85AKcE0
>、「幕府側が、直ちに長州を討伐をできないから幕府の負け」と決め付けるのはいささか乱暴だろう。
勝ち、負けの他に引き分けというものもある。

勝ちもしないし、負けもしない。なるほど。
でも、それだと「日本は統一国家とは呼べない」という判断を外国がするかもしれんぞ?。
これまでもこの手で、自国民保護の為にといって軍を上陸させてきた。
また長引けば長引くほど、外国は諸藩との交流外交を進めてしまうだろう。
これまで、幕府が統一政権と見ていればこそ幕府と外交をしていたが、
それが崩れるとなれば「藩=国」と見られてしまう。
三百諸侯が勝手気ままに外交交渉、条約締結できるとなれば・・・・
日本は単なる諸外国の草刈り場になる恐れもある。
長引けば長引くほど、この危険は増すだろう。
幕府にとって対処しなければならない相手は、討幕派だけではないよ。
幕府の権威失墜は著しく、すでに英国は薩長に肩入れしている状態でどうするんだ?


869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:53:16 ID:kS85AKcE0
ああ、言っておくがIF論を展開した以上最後まで答えてくれ。
少なくとも「可能性はある」とか「選択肢はいろいろある」と曖昧な表現で終わらせて欲しくないな。
それだと「なんだ。単なる妄想か?w」で終わりになってしまうからな。
せめて「幕府主導による近代化の可能性と日清日露戦争から大日本帝国憲法、選挙制度の導入、廃藩置県や秩禄処分はどう対処するのか」まで
語ってくれなきゃ、大政奉還が不要だなんて言えないぞ?。

俺は安易にIF論など持ち出すべきじゃないと思うけどね。

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 17:18:03 ID:+WQJ6lL40
徳川慶喜は、京都に江戸幕府に代わる自らの新政府を作ろうとしていたのだと思う。
だから江戸幕府にとってみれば、最初から最後まで、自らを潰すべく動いていた敵ということになる。
薩長にとってみれば、最後に主導権を取って徳川慶喜を幕府ごと葬った、ということになる。

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 17:47:40 ID:0bCXGDtD0
>>868
これは別にif論ではなく、幕府にとっては自滅するだけの大政奉還を何のために行ったのか
疑問に思ったというだけなんだけどね。

 まあ、内戦が長期化すれば他国の介入を許す虞がある。
これを恐れて慶喜は、幕府を自滅させた。ということであれば説明は付く。
 ということは、やはり大政奉還は最も効率的な自滅策であり、慶喜もそれを知っていながら行ったという
結論でいいのかな。

 因みに、外国の介入を恐れていたのは薩長側も同じなんだけどね。
 内戦の長期化を懸念していたのはお互い様ということ。外国介入云々は幕府だけの不利要因でもなかった。
 これはつまりお互い妥協する道もあったということ。
 
 また、外国の介入を許した場合、幕府の権力は一層安泰なものになるだろう。
 そもそも外国とのバイブやノウハウは、長年貿易を独占していた幕府が最もすぐれている。
 諸藩は完全に幕府に頭が上がらなくなるため、幕府側の団結力はむしろあがる。
 薩長があせっていたのはそのことを知っていたからでもある。
 まあそれが、 日本の将来にとって良いかどうかはまた別の話だけど。
 
 

>せめて「幕府主導による近代化の可能性と日清日露戦争から大日本帝国憲法、
選挙制度の導入、廃藩置県や秩禄処分はどう対処するのか」まで
語ってくれなきゃ、大政奉還が不要だなんて言えないぞ?。

また、もう一つ疑問に思ったのは、慶喜が自ら幕府をつぶして薩長側に権力を譲ったと
考えたとしても、一体薩長のどこに日本の将来を託すほど信頼する要素があったのかということ。
 薩長に託して良かったというのはあくまで結果論だからね。

 現時点では、選挙制度や廃藩置県の構想なども無い(一部考えている人もいただろうが、表面化はしていない。幕府側にだって
似たようなことを考えているものは居た)。
単に幕府に変わって権力が欲しいものたちの集まりにしか見えない。
しかも、薩長軍は手段を選ばない過激な反乱軍。
はっきり言って現時点では薩長側は日本の未来を託せるほど信頼できる集団には見えない。

 そんなまったくの未知数の集団に日本の未来を託すぐらいなら、小栗のように自分で国を改革しようと
考えるほうが自然な発想のような気がするんだよな。
「慶喜は見識があるため、薩長には日本を強国にする力があるということくらい全てお見通しだった」
といわれればそれまでなのだか。しかし超能力者でもなければそこまで見通すのは難しいような

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 19:34:52 ID:cpAJtQAx0
山内容堂なんかは、大政奉還で諸藩連合国家を作るような構想をもっていたようだが。
幕府っつか慶喜の考えも似たようなものじゃないか?
長州戦争で敗れたりとはいえ、それでも諸藩の中で頭抜けた力を持っていたのは徳川家だった訳だし、
容堂公や春嶽公が主張したように、領地返納を”徳川家のみ”とせず、”全国の諸藩”とすれば、
その影響力は幕府の頃ほどとは言わないまでも大部分維持できただろう。
朝廷の権威の下に立つ新政府(あるいは新体制)での主導権を握るのが、当時の慶喜の目的だったと思うけどね。

大政奉還があってこそ王政復古が起こった訳だが、慶喜がそこまで望んだわけではないと思うが。
王政復古に対する幕府、というか公議政体側の巻き返しは、春嶽公や容堂公らを中心に速攻で始まってる訳で。
下阪後に幕府諸隊や艦隊、フランス人顧問団まで呼び寄せて各国大使の前で啖呵まで切ってるんだから、
幕府を潰す気はあっても徳川家を潰す気は無かったのは明らかだろう。

まぁ政治的勝利を目前に盤ごとひっくり返る訳ですが。

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 21:01:17 ID:o5igjEfQ0
>>871
IF論ではないのならば、単純に「何故大政奉還しなければならなかったのか」という事のみになるが、
通説に従うならば、

突然大政奉還を宣言する」事で、政権を朝廷に押しつける。
政権を担う準備のない朝廷は、政権を運営できる行政機能を備えた日本唯一の組織体、
つまり徳川家に「もう一度政権を担当してくれ」と頼むはず(実際にそうなっている。)。
政権をお返ししたのに、再度徳川家が政権を担う事にしたのは徳川家の意志ではなく天皇の意志であり、
故に諸藩は徳川家に従うべしという形で、武力を行使せずに「徳川家の権威回復(朝廷権力による強化)」と
正式な国家運営機関(幕府という形ではなく)として立ち上がれる。
これを狙った可能性は指摘されている。
実際、慶喜は十五代将軍に就く際、散々拒絶した挙げ句に「諸藩や幕臣達に望まれて将軍になった」という形にした。
その結果一橋時代は、散々江戸の老中に政策を邪魔されたが、将軍になった際には老中に一言も文句を言わせなかった。
つまり、大政奉還は武力を使う事無く、徳川支配の権威付けと政権運営継続する上での正当な理由付けの為に為された事というのが通説だね。
慶喜の思惑通り、大政奉還直後に政権担当は徳川家へと朝廷から命令が出て、ここまでは目論見通りだった。
これを薩長が阻止すべく、王政復古の大号令、つまりこれまでの政権担当や方式をキャンセルする。
これにより徳川家の再度の政権担当者という朝廷の命令もキャンセルされたんだ。


874 :871:2008/06/28(土) 22:52:54 ID:lKm4sXzF0
通説によれば要は見通しが甘かったというとこになるね。
しかし、孝明天皇が生きているときならまだしも、朝廷の世論が薩長寄りで
しかも京都には得体の知れない薩摩勢力がいる中でその朝廷に
権力を返上するのは非常に危険な賭け。
そもそもたとえ再度政権を移譲されたとしてもそれだけで
武力を行使せずとも薩長勢力が素直に従うと思うのは甘すぎるような。
 そもそも彼らは朝廷の意思など重視していない。

それで大人しくなるならば、とっくの昔に薩摩も長州も抵抗をやめているはず。
今までだって幕府は朝廷からの支持を受けていたわけだし。
すくなくとも長州は朝敵とされた時点で抵抗をやめていなければおかしい。
また、朝敵と知っているのに長州と手を組んでいる薩摩も同じ。
そもそも朝敵などというものは京都さえ押さえれば簡単に覆せるものだからな。歴史から見ても。
彼らはそれを良く理解していたのだろうな。

 結局は武力衝突は避けられない。

確かに、多少は幕府有利に働くだろうけれども、
薩摩に権力を握らせるリスクの大きさを考えると、再移譲の効果には疑問が残る。

もしかしたら慶喜は、ちょっとあせったのかな。





875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:02:21 ID:cpAJtQAx0
朝敵とはいっても、それにされた幕府だって「君側の奸を除く」とか言ってる訳で。
まぁよくある事。

幕府の権威は失墜したが、諸藩中最も強大だったのは幕府だった訳で。
欠けた権威を補修するには朝廷を上に立てるしかなかったんだろう。
そうなっても、実力を以て実権さえ握れば問題ない。
王政復古ですら政略的には問題にならない方向に進んでいた。

むしろ最大の誤算は鳥羽伏見の敗戦じゃないか?その前に薩摩の謀略があるにしても。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:27:06 ID:Pw6pZx300
>>874
>武力を行使せずとも薩長勢力が素直に従うと思うのは甘すぎるような
しかし、大政奉還された事で薩長討幕派の勢いが消失した事は確かだ。
討幕に向けた薩長芸の芸が大政奉還論の土佐により、平和革命路線に転換している。
土佐はご存じの通り、王政復古で徳川擁護を捲し立てた。
武力を用いて王政復古のクーデターを起こしたまでは良かったが、
その後「徳川家も新政府に招くべし」という徳川擁護派(土佐・福井・尾張・芸州など)が巻き返しをはかり、
小御所会議の決定はほぼ骨抜きになった(現官位は剥奪されるが、前将軍と名乗ることを許し格式も前将軍家に準ずる。
納地は徳川家だけでなく、全国諸大名が石高に応じて全員で出し新政府の財源とする。徳川家の領地だけで新政府の財源にはせず、徳川家も諸藩と同様に再計算する)
岩倉具視をはじめとする朝廷公家達も徳川家擁護派を受け入れ、武力討幕に消極的になっている。
江戸薩摩藩邸焼き討ちが起こった際、薩摩藩は徳川が朝廷に逆らったと言ったが、
岩倉等公家衆は「徳川家と島津家の私闘に過ぎず、朝廷は関知せず」と不問にしている。
明治政府を構成する諸藩は薩長だけではなく、王政復古に協力した福井藩や尾張藩(御三家だよ)もいるから、薩長は彼らを無視できない。
土佐と福井、尾張が最後には押し切って、慶喜が朝廷に謝罪の挨拶にくれば罪を許し、新政府に招くと発表。朝廷の政治を担う者として、
官位無しはまずいから辞官の後、新たな官位を与えられ、納地も再考になっている。
これに薩長も同意した。押し切られたといっていいけど。
最後の最後に薩長が縋り付いたのは、慶喜の上洛は認めるが、会津桑名には帰国させるという妥協案。
薩長が必死の抵抗した。徳川擁護派も徳川復権が確実になった事から一安心して認めてしまった。
会津桑名に何の罪があると抵抗(山内容堂が朝議で徹底反論)もしており、
揉めている最中に、大阪の旧幕軍と会津桑名が軍を率いて進軍した。
帰国を命じられている会津桑名が武装した状態で上洛したから入京を拒絶戦争になったという経緯がある。

こうした事から慶喜には十分に勝利の算段があった。
逆に安易に武力を用いて恫喝すれば、朝敵に従っている薩長の思うつぼ。

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:09:31 ID:WBpz4qhi0
>>875

>欠けた権威を補修するには朝廷を上に立てるしかなかったんだろう。 

この点が少し誤解しているところがあるのではないかなと思うんだよな。
朝廷を上に立てているのは今までも同じだし。
たとえ、再移譲を受けることに成功したところでぶっちゃけ今までとそれほど変わらないだろう。
幕府の権威が失墜した原因は別なところ(幕兵の弱さ)にあるわけだし。
幕府の権威を回復するためには戦闘の勝利しかない。

因みに、鳥羽伏見の敗戦が慶喜にとっては最大の誤算だったというのは確かに同意できる。
おそらくそこでパニックになってしまったのだろうな。


878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:10:14 ID:WBpz4qhi0
>>876

>しかし、大政奉還された事で薩長討幕派の勢いが消失した事は確かだ。 
>討幕に向けた薩長芸の芸が大政奉還論の土佐により、平和革命路線に転換している。 

前にも言った通り、大政奉還を行う前でも薩長が幕府を討伐するのは困難な状況だった。
あえて無理な行動をとったらむしろ薩長側が不利になるだけ。
まあ、先に動いた方が負けという状況だな。

>その後「徳川家も新政府に招くべし」という徳川擁護派(土佐・福井・尾張・芸州など)が巻き返しをはかり、 

 ちなみに新政府を作られた時点で政治的には完全に徳川の敗北だよ。
たとえ新政府に招かれたところで、じわじわと権力を削られるのは目に見えてる。
もはやそこは薩長の土俵なんだから、徳川の消滅も時間だ。
いずれ、痺れを切らして鳥羽伏見のようなことが起こるだろう。武力衝突はやはり避けられない。
とにかく新政府は作らせてはだめだ。

>逆に安易に武力を用いて恫喝すれば、朝敵に従っている薩長の思うつぼ。 

朝廷のことかな?朝廷にしたがっているのならなおさら大政奉還せずとも
薩長が攻め上ることは困難だろう。幕府は京都にどーんと構えているだけでよい。
その間に戦力の近代化を進めればよい。

大政奉還する前だって幕府も朝廷にしたがっているんだから。
新撰組や会津を功績を考えれば尚更。大義は幕府にある。




879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:23:17 ID:9BnOhgCe0
>>877
朝廷を上に立てると言っても、かつては幕主朝従(長井雅樂案)と朝主幕従(久光案)の違いによる悲劇もあった訳だし、
簡単に割り切れるもんではないと思う。
征夷大将軍職の再任命は慶喜も考えてなかったんでない?
あくまでも諸藩連合の中での主導権を握るのが目的では。

戦勝が一番の利だったのは確かだと思うけど、そこまで自信を持っていただろうか?
江戸の騒擾で主戦派が暴走するまでは、一応抑えていた訳だし。

>>878
徳川家を解体するのではなく、諸藩連合の中でその力を利用しようとする容堂公や春嶽公の勢力があり、
王政復古後の政略戦でも、薩摩相手に有利を保てる力は持っていた。
新政府がその体制で発足したとしても、即徳川家の力を削ぐ方向に行くとは限らないと思われ。

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:48:24 ID:WBpz4qhi0
>>879

>征夷大将軍職の再任命は慶喜も考えてなかったんでない? 
>あくまでも諸藩連合の中での主導権を握るのが目的では。 

確かに、後者の考えが近いのだろうね。


>戦勝が一番の利だったのは確かだと思うけど、そこまで自信を持っていただろうか? 
>江戸の騒擾で主戦派が暴走するまでは、一応抑えていた訳だし。 

それは戦勝しろという意味ではなく、
権威回復のためには、戦勝以外はあまり意味が無いという意味ね。
前にも言ったけど、別に薩長に攻め入れと言っているわけではないよ。

>>878
>新政府がその体制で発足したとしても、即徳川家の力を削ぐ方向に行くとは限らないと思われ。 

もちろん即削ぐとは言わないがやはり時間の問題だろうということ。
何れにせよ幕府の発言力は著しく落ちてしまう。
そのままじわじわ力をそがれ事に耐えつづけるか切れて対決するかどちらかを選ぶことを迫られるだろう。
単なる一藩で満足するなら存続も可能かもしれないけど・・しかしそれでは勝ったとはいえんし

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 05:06:51 ID:hSpeGIeAO
大政奉還後の政権再委任論はあくまで推測ですからね。

最近の学説では否定されているが、小説だと「慶喜策に溺れる」と言う感じで再委任論で書かれる場合が多い。

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 08:35:34 ID:V1DLHSxu0
>>878
お前さぁ「結論アリキ」で物を考えすぎ。
基本的に単に「幕府が滅びたのは徳川慶喜が悪いだけ」と言いたいだけだろ?。

>大政奉還を行う前でも薩長が幕府を討伐するのは困難な状況だった
お前「IF論じゃない」と言っていた癖に、結局「薩長を討伐するのは不可能だったという可能性論つまりIF論」になってるだろw。
だからそれならIF論らしく、「薩長が幕府を討伐できないとして、どうするんだ?」という最初の頃のIF論展開になるっつーの。
お前は、結局幕末の結末として何が一番いいんだ?IF論でいいから説明してくれ。
俺はまずそれが知りたい。できれば大正時代までシュミレートしてみろ。
幕藩体制が望ましいのか?政権を朝廷に渡した上での、大名会議制がいいのか?。薩長が作った明治政府のような統一国家体制がいいのか?。
それとも小栗が考えた徳川世襲制の大統領と地方領主世襲制の地方分権制がいいのか?

>薩長が攻め上ることは困難だろう。幕府は京都にどーんと構えているだけでよい
 それじゃ、単に倒れていないというだけで幕府権威の回復も何もできない。
 将軍の命令を諸藩が何も聞いてくれないような状況では、即時討幕はないとしてもいずれ討幕されてしまう(支配力が無いのだから政権が倒れるのは必然)。
 単に問題を棚上げにしただけで、延命策でしかない。なんの問題解決にもなってないぞ?。
>>881
>大政奉還後の政権再委任論はあくまで推測
 推測というか幕臣達が慶喜の大政奉還を受け、再委任うけて徳川支配体制の正当性を認めさせる策だろうとして自己を納得させていた。
 史料に従うならば、大政奉還し大名を諸大名の列に入って大名合議の議会制体制にするとなるが・・・・
 これが明治維新後の慶喜の回顧談から出てきた話しで、自己弁護が入っているという指摘もある。 


883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 18:02:06 ID:WBpz4qhi0
>>882
>お前さぁ「結論アリキ」で物を考えすぎ。 
>基本的に単に「幕府が滅びたのは徳川慶喜が悪いだけ」と言いたいだけだろ?。 
>だからそれならIF論らしく、「薩長が幕府を討伐できないとして、どうするんだ?」という最初の頃のIF論展開になるっつーの。 
>お前は、結局幕末の結末として何が一番いいんだ?IF論でいいから説明してくれ。

なんで勝手に熱くなってんだよwとりあえず落ち着けよ。
別に慶喜を虐めたいわけではなく、態と幕府を滅ぼすつもりだったのかどうかを検証したかっただけだよ。
なんか気に障ったところがあったならすまんな。

それから別にどうなるべきかということや、幕府が勝った後の事を論じるつもりもなかったんだが、
そうだなあ、幕府が勝ったとしてもいずれ似たような近代化を
遂げていくと思うよ。但し、幕府の場合、共和制に近い形になるだろうな。
そもそも従来の幕府の形態は共和国に近い。そのまま近代的な共和国に移行していくところが自然な流れだったのではないかな。
最初は藩主も世襲制となるかもしれんが、それも長くは続くまい。何れ選挙制度ようなものが実施されることとなろう。
ただ、世襲制の藩主自体は、実権の無い名誉職をあてがわれて生き残るかもしれない。
 また、将軍職も各藩の藩主(代表)による投票で決定されるいわば議会制民主主義のような形になるだろう。
今までもそういった議会制民主主義に近い形であったので移行も比較的スムーズだろう。

 幕府がフランスの力を借りて軍備と戦術を増強していくうちに、欧米流の政治思想も否応なく導入されていくため、
何れはそういった形態にならざるを得なくなる。
 何せ、薩長の明治政府が欧米かぶれしていたと言っても、幕府の欧米かぶれはそれ以上だったのだから。それが原因で動乱がおこるわけだが。
もともと幕府のやろうとしていたことを薩長がやったにすぎない。
とはいえ、幕府が勝った以降のことは完全にIF論だけどな。


> 単に問題を棚上げにしただけで、延命策でしかない。なんの問題解決にもなってないぞ?。

だからそれが幕府のためには一番良かったと言っている。時間の経過はむしろ幕府に有利に働くんだから。
軍隊を近代化させるための時間

884 :徳川家康:2008/06/30(月) 14:20:06 ID:B3+FyousO
慶喜は頑張った。
徳川宗家を滅ぼさなかった事は評価できる。
お前みたいな子孫を持ち余は幸せだ

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 15:49:37 ID:FIeQON8N0
父から息子へ

お前を養子に出す前に  
言っておきたい事がある
かなりきびしい話もするが  
わしの本音を聴いておけ
将軍に好かれても傲ってはいけない  
家祥に嫌われてもめげてはいけない
朝廷は敬え  
いつもきれいでいろ
出来る範囲で  
構わないから
忘れてくれるな  
一橋も治められない男に
天下を治められるはずなどないってことを
お前にはお前にしかないものがあるから
それ以外は口出ししない
黙って江戸に行ってこい

京の朝廷と徳川幕府と
どちらも同じだ大切にしろ
条約勅許かしこくこなせ
たやすいはずだお前の腕なら
大奥の陰口言うな聞くな
それからつまらぬシットはされるな
幕府は滅びはしない多分しないと思う
しないんじゃないかな 
ま ちょっと覚悟はしておけ
幕府はみんなで守るもので
お前一人が苦労してつくろうものではないはず
お前は一橋家へ家を捨てて行くのだから
帰る場所は無いと思え
これから一橋がお前の家

幕府が滅びて朝敵になっても
母より先に死んではいけない
例えばわずか一日でもいい
母より早く逝ってはいけない
何もいらない 吉子の元に行き
涙のしずくふたつ以上こぼせ
お前のお陰でいい幕引きだったと
吉子が言うから必ず言うから
忘れてくれるな
俺の愛する息子は
愛する息子は神君以来の英傑
忘れてくれるな
幕府を背負えるのは
幕府を背負えるのは慶喜
お前ただ一人


886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 21:54:36 ID:0wd6Y5TH0
゚(ノД`)゚

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 22:01:41 ID:I/HS9yo40
>>880
逆に薩長を新政府内で少数派に追い詰め滅ぼすんじゃないか
そして慶喜は終身大統領に就任する
確か慶喜は西周に組織図を作らせてたよな

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 23:56:35 ID:YL4J5aAe0
>>885
泣けたな。とくに、まちょっと覚悟はしておけの部分が秀逸。いかにも列公。
おやじの一番長い日、防人の詩、あまやどり(みんな題うろおぼえだが)
なども良いのではないか?
つまり、慶喜はさだのキャラだってことか?

ヲレとしては、ふんどしの締め方と痔の予防法の件も入れといてほしかったが。

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