徳川政権が続行していれば、太平洋戦争は無かった。
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 09:56:12 ID:COdF7SCo0
- 徳川政権が続行していれば、太平洋戦争は無かった。
徳川政権が続行していれば、
太平洋戦争はおきず、北方領土の全喪失、日本への原爆投下もなかった。
徳川党をおとしいれて追放し、軍国主義日本をつくった薩長が悪い。
キャッチフレーズは、
「おのれ薩長め。」でいこう。
- 284 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/22(木) 22:38:51 ID:jjAodG1m0
- 戦後に生まれた人間にとっては、日本が敗戦国だったということは 辛いけど
受け容れなければならないことだったのだと思う。
その辺は、成りすましの朝鮮系の人も頑張ったと思う。
明治維新で、エリートはイギリスやフランスの最先端の学問も身に付けて
指導的な立場になったのだろう。途中からドイツに傾倒したのも間違いだった
のかもしれない。クラシックの音楽とかなら別だろうけど。
多くは士族などの出身者だったのだと思う。
自分は、明治のそういった輝かしい歴史も否定はしないけど、アメリカが
占領したことで、米式が入って来たということだと思う。
士族も何もない。英仏のように貴族もいない。
自分は、薩長が導入した朝鮮人も多い土地に住んでるので、そんなことも
わかる。
自分の苗字もカタカナとかローマ字で書く時代も来るのかもしれない。
まあ、モダンでいいという面もあるんだろうけどね。
- 285 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/23(金) 00:09:15 ID:SenFeYHL0
- あと、なりすましのK系の小泉さんが靖国参拝とかしてるの見て「ああ、惨めだ」って
思いましたね。
- 286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 10:11:46 ID:eqvrKU7O0
- 幕府が存続していたら、とうの昔に欧米に植民地化されていただろう。
従って、確かに太平洋戦争は無いだろうね。
- 287 :勝てば官軍:2008/05/24(土) 12:06:22 ID:dD/jSvcgO
- 明治維新はクーデターで成り立った。
- 288 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 12:45:41 ID:sO9ZToEC0
- 高卒レベルの維新観しか無い人は 薩長だけを評価するだろうね。
国防とか地政学的要因よりも、経済の問題なのかもしれない。
士族というエリートを解放したということが大きいのだと思う。
- 289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 14:41:23 ID:5NcsKnmy0
- >>286
島津斉彬公の考えるような雄藩連合のような形に幕府
がなっていればそうではないだろうが。天皇=法皇庁
で将軍が皇帝のようなドイツ第二帝国のようになっていたと思うが。
(大名がユンカーのように政治や軍事の実権握る)
- 290 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 14:59:24 ID:sO9ZToEC0
- >>1
そうですね。ただ、当時のレベルで薩長が軍艦とか大砲を造って攘夷が出来たのか
というと、それも無理だったでしょうね。アラブと同じで輸入した武器で戦うしか
なかったでしょうね。
どっちにしても、外交的な対応をするしか無かったでしょうね。薩長の洋行組も
西洋の文明が進んでいることを知って、開国して開化させた方がよいと判断
したのでしょう。外交に関しては、どっちがやっても あまり変わらなかった
と思います。実際、幕臣から外交官になった人も多いですからね。
問題は、むしろ国内政治だったと思いますね。徳川方がやって秩禄処分が出来たか
ということでしょう。薩長でも上級士族は 嫌がったと思います。
薩長の人間は 歴史の教科書で知ってる人が多いけど、自分は 東京在住なので
勝 海舟の伝記も読んでみたけど、今の公務員と同じで兼業禁止なんですね。
公務員の奥さんでアムウェイとかやってる人は いるだろうけど そんなわけで
内職ぐらいは 許されたらしいので 傘張りでもなんでもやったと勝は 書いてますね。
ベンチャー立ち上げた人なら解るだろうけど、一時借金したりして苦しく
なるけど上手く行った時は サラリーマンやってたより全然よかったと思える
ものなんですね。
実際、西の不平士族の乱が起こったのも、秩禄処分が一つの原因だったと
思います。西郷なんかは 士族を無いがしろにしてるとか言って怒ってた
らしいですね。
徳川が秩禄処分やったと仮定して洋式の軍隊で国内の反乱を抑えられたか
が問題だったと思います。外様に限らず、親藩・譜代藩も反乱を起こされた
時に、抑えられたかということです。話し合いで解決するという方法もあった
でしょうけど、かなり難しかったと思います。そこに外国が入ってきて、結局
植民地にされてしまったり。九州は イギリスとか関東はアメリカとかね。
士族でプライドの高い人は 学者になった人もいるんだろうし、自由に職業
を選べるようになったので よかったということでしょうね。手先の器用な人
は エンジニアになったり。
実業家で成功した人も多いですね。渋沢なんかは 幕末に徳川に取り立て
られたけど、沢山会社を興してますね。井上と親しかったらしいです。
国木田独歩に「馬上の友」っていう小説があるんだけど、殿様に乗馬を教える
士族が没落してしまったけど、最終的には いい会社に就職できたというような
話です。
東大卒が官僚だけじゃなくて、住友など民間にも入るようになったのは 明治
の中期以降らしいです。
どっちかというと、尊王攘夷とかよりも秩禄処分が難しかったのだと思います。
下士層は かえって良かった人が多かったと思います。
- 291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 15:26:06 ID:5NcsKnmy0
- >>290
明治政府がやったように藩主を貴族として超厚遇(華族が資産家なのは
そのときの一時金を元に利殖したから)士族は職業軍人か高級官僚にして
足軽は下士官(一代限り)兵は平民からの徴兵として
職業軍人は高給で遇すれば幕府のもとでもできたんでないか?
薩摩や長州 前田家などの当主は将軍として、統一日本軍を統率
- 292 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 16:11:51 ID:sO9ZToEC0
- >>289
そうですね。細川さんが総理大臣になったけど、殿様が能力が有れば知事に
なっても良かったのでは ないでしょうか。役人がなる場合は スペアキーみたい
なもので、マスターキーは 殿様がもっているというような。
財政的に言えば、石高から国債に替えられたということだと思います。
東北本線は 華族がお金を出して引かれましたね。
秩禄処分の替わりに士族に渡された公債は、生活が立てられるようなものでは
なかったらしいですね。お小遣いぐらいにしかならなかったのかもしれません。
能力を活かして生きていくしかなかったのでしょう。
今は、階級意識ってほとんどないけど、戦前だと東大出て大企業とか官庁に
勤めてるような人は 選ばれた人という意識は あったらしいです。
- 293 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 16:21:04 ID:sO9ZToEC0
- >>291
下士層は 辞めたかった人が多かったのだと思います。町人の方がよほど良い
生活をしているのも見ていたのでしょうから。
10年間とかで予告を出して、辞めたい人は 辞めてもらう。上級士族には、
能力が有れば軍人や官僚に登用する。そのための学校も設立する。
実際、徳川時代でも家格の石高と役付きの石高は すでに違ってたらしいですね。
書き忘れましたが、日産と日立は 長州の人が設立しましたね。最近はゴーン氏
とかで植民地っぽくなってしまいましたね。満洲などに戦車を送ったのも日産で
したね。渋沢の系統である芙蓉グループに入ってますね。
- 294 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 16:46:18 ID:sO9ZToEC0
- それから、今でもそうかもしれないけど、90年代に入って グローバル化だ
IT化だってことで、英語とパソコンの時代だとか言うと、必ず守旧派が反動
的なこと言うんですね。文学も知らないで 「英語とパソコンだけ出来ればいい
なんて」みたいな。
高卒・専門卒の人なら しょうがないだろうけど、確かに大卒の人がそれじゃ
ちょっと寂しいですね。
すでに、インターネットで2チャンなんかやってる我々は、幕末・維新期なら
開明派になってたのかもしれませんね。
- 295 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 17:06:34 ID:sO9ZToEC0
- それから、実を言うと薩長とか徳川とか言ってるのって、歴史的には 意味が
あるだろうけど、今の政治からすると とっくに時代遅れなのかもしれません。
途中から、岩手の人を総理にしたりもしたけど、南部も親藩じゃないし
かえって しがらみがないから良かったのでしょうね。
最近、ニベアの宣伝でキュウリでパックしてるなんて時代遅れだよ、みたいな
こと言ってたけど、キュウリは 葵紋とにてるので徳川の象徴でもあったらしい
です。
こちらも見てみてください。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1198035614/201-300
- 296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 17:08:58 ID:5NcsKnmy0
- 斉彬路線から倒幕路線になっていったのは、斉彬路線だとか幕府は残り
実権握るのは雄藩の藩主か上士クラスで下士(維新の功臣 伊藤や大久保
など)はせいぜい軍なら佐官、官庁なら本庁課長クラス(少なくとも当面は)
にしかなれないわけで(将軍や本省局長以上は藩主や家老クラスかその
レベルの家柄出身者)それに不満を持って倒幕にいったんでないの?
- 297 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 17:33:04 ID:sO9ZToEC0
- 夕刊フジとか読むと、政治家の批判とかが口汚く書かれていて、多少書きすぎ
とかも思うけど、薩長は イギリスに留学生を送ったし、徳川は アメリカに
留学生を送って、政治家がそんなに尊敬されていないってことも知ったらしい
ですね。
丁度、下っ端がやれば良かったのではないでしょうか。あくまでも、殿様は
オーナーで まあ政治家は 携帯のストラップみたいなものなのでしょう。
今は 国民主権だから、国民の下請けみたいなものでしょうね。
- 298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 17:52:16 ID:5NcsKnmy0
- 斉彬路線を改善しながら突っ走っていけば、将軍=皇帝、ただしウィルヘルム2世
の後半のような状態ではなく、ビスマルクのようなユンカー(大名や家老
上級旗本出身者)が政軍の中枢を占める、という形になったと思うが
皇室は欧州のローマ法王のような存在になって。
- 299 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 19:47:29 ID:sO9ZToEC0
- >>1
薩長が征韓論とか日韓併合とかやらなければ、>>295みたいなことには なら
なかったでしょうね。
海舟が話したのを本にした氷川清話読んでみると、薩長の人間は 大きい財政
やったことが無いから、近視眼的で長期的なビジョンが描けないと書かれています。
実際、初期の大蔵官僚も幕臣が多かったらしいです。
まあ、薩長の人間は「粗忽さん 短慮でいっぱい」とでもいったところでしょうかw
- 300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 22:03:39 ID:LuCYeh890
- 長薩と言ってください。by山口県人
- 301 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/24(土) 22:37:49 ID:sO9ZToEC0
- そうですね。たしか木戸が初代宰相で、西郷が2代、大久保が3代ですね。
木戸は 意外と偉ぶらないでいろんな人の意見をきいたらしいですね。どっちか
というと調整型の政治家だったのかもしれません。議会制になってから活躍した
方が良かったのかもしれません。
ただ、あの時代だと専権的な薩摩人の方が合っていたのかもしれません。
西南戦争が終わった明治10年に木戸も病気で死にますし、大久保は 暗殺され
ましたね。
長州の歴史も案外詳しいですね。新書本なども何冊か読みました。
脱隊騒動というのがあったことは 知りませんでした。木戸も自ら鎮圧しました
ね。長州というと、維新の輝かしい歴史を思い浮かべる人が多いと思いますが
私は このことを知って驚きました。「悲劇の長州奇兵隊」というタイトル
でした。
それもありますが、山口県も在日が多いらしいですね。
- 302 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/25(日) 02:06:26 ID:7L0PTjGI0
- >>300
はいはい。木戸は 人柄的には 良かったと思いますよ。
器じゃないのに学級委員長に任命されてしまったという感じだと思います。
中高時代に制服にコロンとかつけるのって流行ったけど、何となく木戸の
イメージですね。
体育会系の薩摩系の人とは 合わなかったのでしょうか。
- 303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 03:17:54 ID:kpeqTkZg0
- そうだな。
江戸幕府が続いていれば今頃俺も越後高田30万石のお殿様だよ。
世が世なら。。。
- 304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 11:44:11 ID:FSdXpAJ6O
- 世界史的に見て、徳川幕府のままなら、もれなく欧米列強の植民地になってただろな。
- 305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 12:06:23 ID:1zLUGq/80
- >>301
在日が多いのは、下関が戦後の在日引揚港の一つだったかららしい。
祖国に帰らずにそのまま居ついたのも結構居たとか。
これは他の引揚港、たとえば博多や舞鶴なんかでも同じ傾向がある。
- 306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 12:56:00 ID:GfOuvKZ80
- >>304
天皇家マンセーの考えならそうなるでしょうが
幕府の元で統一的政権(天皇は欧州の法王的存在で)
なら、明治維新後のような国にはなったでしょう。
支配層が大名家や家老、高位旗本家出身に限定の。
- 307 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/25(日) 13:44:42 ID:7L0PTjGI0
- 何で江戸無血開城ができたかというと、勝は国の都は 皆のものという考え
をもってたということもあるんだろう。薩長の屋敷もあったわけだからね。
それから、官軍が攻めてきたときに、イギリスの大使パークスに 話に行ってる
んですね。海軍は イギリス式でやるというようなことで、教官を招いたりも
してたんですね。
それから、薩英戦争と馬関攻撃以降は、イギリスは 薩長も買収してたんです
ね。とにかく、兵器を買ってくれて、鉄道を引くのに借金もしてくれれば 向こう
としては よかったんですね。大使も本国で面目が立つということでしょうね。
>>305
この間、NHKで「海峡」っていうドラマをやってた。戦後、半島にいた
日本人が引き揚げてくるという話だった。
朝鮮戦争も、アメリカが半島に軍隊置くために あえて起こして半分のところ
で休戦にしたような気がする。
大国の戦略とか外交というのは そんなものかもしれない。
- 308 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/25(日) 13:49:44 ID:7L0PTjGI0
- 「薩長」というのは、歴史の教科書でも定着したものだから今さら直せない
のかもしれない。文部科学省も 認めてることなんでしょうね。
下関といえば、安倍さんの地元だけど、突然辞めて意表をついてましたね。
小泉さんが「まさか」という坂も世の中には あるとか洒落みたいなこと言って
ましたね。
カリスマのある小泉さんの後やるんじゃ 難しいでしょうね。福田さんも支持率
低迷してますね。
- 309 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/25(日) 15:11:45 ID:7L0PTjGI0
- 意外とダメだとみられてた中国の方が むしろ独自性を保っていて、成長も
著しいですね。長い歴史の中で異民族が入ってきて支配しても独自性を保って
きましたからね。何十年とかいう単位じゃなくて、百年・千年といった時間で
物事を考えられるのかもしれません。
むしろ、日本はじめ 韓国、台湾、フィリピンなどは アメリカの従属国
ですね。
歴史の皮肉というのは そういうことなのかもしれません。
- 310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 01:13:35 ID:Y0VQfOme0
- 今の中共は明らかに百年千年単位で物事を考えていないと思うが……
>>306
その体制で、早い内に勃興する民主化運動にどう対応するかが思い浮かばないんだよなぁ。
大名や幕閣にゃ久光公みたいな保守主義者がごろごろいるし、武家の特権を守るなら、本格的に政治に影響する民主化は論外。
実際のドイツ帝国もそうだったし。
その体制で、いずれ来るロシアの南下政策に対抗できる力を供えられたかどうかに疑問を感じてしまう。
あと、大概の大名が商家に借金しなきゃ維持的ない程増えすぎた武士層をどうリストラするか。
- 311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 01:38:47 ID:M4AmA1CKO
- 中国における虐殺史
1851年 太平天国の乱 主導者・洪秀全 死者2000万人〜8000万人
1860年〜 回教徒の乱 主導者・清王朝 死者2000万人〜3000万人
1900年 義和団の乱 主導者・義和団と西太后 死者数757名、負傷者数2654名
1928年 済南事件 主導者・蒋介石 日本人居留民の被害人員約400名
1928年〜 国共内戦 主導者・蒋介石・毛沢東 死者約2千万人
1937年 通州事件 主導者・蒋介石 日本人居留民の被害人員約400名
1938年 黄河決壊事件 主導者・蒋介石 死者約32万人、離郷者数約63万、罹災者1000万人
1951年〜 三反五反運動 主導者・毛沢東 71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束
1947年 二二八事件 蒋介石 死者19,000〜28,000人(数十万との説も)
1946年〜 国共内戦の再発 蒋介石・毛沢東 死者300万人(諸説ある)
1946年〜 東トルキスタンの虐殺 主導者・毛沢東他 死者1000万人以上 850万人が強制中絶、核実験の放射能によって75万人が死亡・50万人以上が虐殺。
1949年〜 チベット大虐殺 主導者・毛沢東、胡錦濤他 死者20万人以上(諸説あり)
1958年〜 大躍進政策 主導者・毛沢東 死者2000万人〜5000万人
1960年〜 文化大革命 主導者・毛沢東 死者1000万人(一説には3000万人)
1989年〜 天安門大虐殺〜現在 法論功大虐殺、環境大破壊、毒入り製品毒野菜輸出
- 312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 02:14:15 ID:QsxtcbVq0
- >>310
第一次大戦まではその体制でいけたと思うが
(欧州の国々もそれに近い状態がほとんどだった。)
実際明治政府でも旧来の武士支配層(薩長)以外にまで
気を使うようになったのは、明治末期から。
日露戦争あたりまでは306体制のようなもの。
支配層が違うだけで。
- 313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 19:28:46 ID:gVfEAPcU0
- 戦前の官僚(田舎の大地主の息子)や軍人(田舎の貧乏人の息子)
が力を持つようになったのは大正後期からでそれまでは薩長やそれにつながる
藩閥政治で 幕府存続での改革でも上士出身か下士出身かの違いはあっても
同じようなものだったはず
- 314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 21:38:44 ID:TzIXLL+g0
- >>307
なにいってんの、幕府だったら、
欧米資本で鉄道強いてくれるのに、
薩長が天下とったから、自力で引いてしまい、
鉄道を使って植民地化できなくなったってのに、
- 315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 10:04:46 ID:7HcoukZb0
- >>314
経営と運営は 日本が独自でやるけど、財務的には 欧米からお金借りて引いた
ってことでしょう。債権発行して 欧米に買ってもらったりということですね。
バランスシートの問題なのでしょう。
最近、空港会社を外資に開放していいか ってことが議論になってるけど、
有事の時に軍事に転用するとかで、外国が保有すると それが出来ないとか
いう議論もあるんだろうけど、自衛隊が別にあるから 特に問題は ないん
じゃないかと言う意見もありますね。
ロンドンのシティって働いてる人は イギリス人だけど、なんかアラブマネー
がほとんど買ってしまったという話を聞いた。
- 316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 10:30:23 ID:7HcoukZb0
- 例えば、中国ファンドがお勧めですよ、とか証券会社が勧めてきたりするけど
「いやBRISCの方が ポートフォリオ性があっていい」みたいな話ですね。
当時は、欧米で「日本ファンド」なんてのも あったのでしょうか。
これからは 環境の時代だから そっちもいいかもとかね。
- 317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 20:09:14 ID:sRV9jHoj0
- >>315
幕府は、鉄道の敷設を欧米に認可してたんだよ。
これがどういうことかわかるか?
政府が借金をして、その金で鉄道を敷設するわけじゃない。
欧米に鉄道そのものを強いてもらい、管理運用も任せるということだ、
そして鉄道を守る為に、軍を駐留していくわけ。
- 318 :細川徳生@チャンスイット:2008/05/27(火) 23:11:41 ID:/+ckojaK0
- 徳川幕府マンセーーーーーーー
- 319 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/28(水) 00:20:45 ID:Orq3LP1v0
- >>317
東京ガスのもんですが ですねw
鉄道マンでも 下級士族で 転職した人は 多いらしいですね。幸い、そういった
人材があったのが幸いだったと思います。
ただ、昭和になって 国鉄は ダメになりましたね。
今 国際化で生産ラインが中国なんかに移ってるけど、なるべく日本人に仕事
も与えてやらなきゃダメだろうし、そうしないと日本にお金が落ちないのでしょうね。
- 320 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/28(水) 00:22:53 ID:Orq3LP1v0
- >>317
法学部ですか?内国事務総裁ですか?
- 321 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/28(水) 00:50:55 ID:Orq3LP1v0
- ところで、薩長とか水戸が担いだ天皇とかって どうかと言うと、例えばボルボで
交通事故の衝突実験とかしてるらしいけど、事故にあった車ってイメージも
ありますね。
NHKで 松平アナが「戦艦大和の西郷」みたいなことやってたけど、そんな
イメージもありますね。東シナ海で最後に大爆発おこしたらしいですね。
長州の人で未だ維新の話とかしてる人もいるんだろうけど 欠陥車ってイメージ
もありますね。
いや、「惨めだ」とか言ってたりw
ただ、自分らは 生きてかなきゃならないから、そんなのは 相手にしてられない
んだけどね。
- 322 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/05/28(水) 01:08:20 ID:Orq3LP1v0
- そこまで言っちゃうわけ? さすが、人間が 激しいですねw
- 323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 10:59:03 ID:lZHSAX9r0
- たぶん、平成生まれの人は もう知らないだろうけど、自分ぐらいの世代だと
祖父母など身近な年寄りから、終戦の日に多くの人が皇居前で自決したとかいう
話を直接ききました。
『戦艦大和なんてとっくに無いよ』みたいな話ですね。
期待していたものに裏切られたときに どう立ち直りますか?
自分は、あまり 多くは期待しない方だね。所詮、人間に過ぎないわけだから。
左翼みたいに天皇自体は 否定もしないけど、特別どうこうとも思いませんね。
それから、多くの人は その日その日の生活が大変だったのでしょう。
ヘブライ人が砂漠の中でマナを拾って食べたように。
全ての人が、出エジプトの中にいるのです。
- 324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:11:42 ID:fsVypPma0
- 交易の窓口を長崎などに絞り、諸外国との交わりを極端に制限していた徳川政権下の日本。
しかし当時の欧米列強の間では、ロシア、中国、トルコ、神聖ローマ帝国などと並ぶ
「世界の七帝国」の一つとして認識されていたらしいことが、東北大の
平川新教授(日本近世史)の研究で明らかになった。
「七帝国」に関する記述があるのは、蘭学者・桂川甫周が1794(寛政6)年に
編集した『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』だ。
10年のロシア生活の後、1792年に日本に送り返された漂流民・大黒屋光太夫への
聞き取りなどを基にまとめられた本で、光太夫がペテルブルクで聞いた情報として、
「帝号を称する国をイムペラトルスコイといい、王爵の国をコロレプスツウといふ。
(中略)帝号を称する国僅(わずか)に七国にて、皇朝其一(そのひとつ)に居る」
というくだりが出てくる。漂流民の歴史に詳しい平川教授が確認、
先頃開かれた研究者向けのセミナーで発表した。
「帝号を称する国」とは帝国、「王爵の国」とは王国のこと。ここで
「帝号を称する(略)僅に七国」と書かれた日本以外の国々は、
ムガール帝国(インド)、ロシアなどといった大国ぞろいである。
では、「帝国」と「王国」はどう違うのか。蘭学者・山村才助は『訂正増訳采覧異言』(1803年)で、
「威徳隆盛にして諸邦を臣服する大国」のことを「帝国」と呼んでいる。
つまり複数の王国を支配する国というわけだ。
2008年06月03日12時18分 朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200806030124.html
18世紀にアムステルダムで発行された「日本図」。欄外に「EMPIRE」の文字が見える
http://www.asahi.com/culture/news_culture/images/TKY200806030120.jpg
- 325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:15:21 ID:fsVypPma0
- 平川教授によると、16世紀以降、来日した宣教師らによって、戦国大名が割拠し、
分国を支配する日本の姿はヨーロッパに逐一報告されていた。徳川幕府が成立すると、
それら「諸王」(大名)に君臨し、統括する幕府の将軍を「皇帝」とみなし、
皇帝が治める日本を「帝国」とする見方が強まる。1785年に太平洋を
探検したフランスのラペルーズの航海記にも日本が「帝国」と書かれている。
当時、列強の間では、「帝国」は「王国」より上の最上級の国家とみなされた。
大黒屋光太夫も、ロシアでの経験として、「王国の民だと言っても誰もとりあってくれないが、
私の国は帝国だというと皆、上座を譲ってくれた」と語ったとされる。
光太夫はロシア滞在中に、7回もエカテリーナ女帝に召し出されるなど、非常な厚遇を受けた。
「これまでその理由がよくわからなかったが、彼が帝国の臣民とみなされたから
だと考えれば納得がいく」と平川教授は語る。
「日本が中国と並ぶ世界の帝国の一つという考え方は、ロシアから帰国した大黒屋光太夫や
石巻の若宮丸漂流民などによって伝えられ、19世紀には知識人の間にかなり広がっていた。
漂流民がもたらした異国情報が、当時の人々の日本という国に対する自己認識の形成に
大きな影響を与えた可能性もあるのでは」
菊池勇夫・宮城学院女子大教授(日本近世史)は「帝政ロシアが徳川日本を同等の帝国と
認識していたとの指摘は重要だ。これを機に、世界史の中での近世日本をめぐる
議論が活発になることを期待したい」と話している。(宮代栄一) (終)
- 326 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/04(水) 21:35:27 ID:CPlDBcEG0
- たぶん、維新戦争は 武士同士のケンカってレベルなんだと思う。
その後の不平士族の乱は どっちかというと経済戦争的な面が大きいと思う。
岩倉ミッション以降の大久保と それ以前の大久保が どう変わったかあたり
が 核心なんじゃないか。
軍事力の背景にある 産業力とかを知ったなどの面で。
たぶん、薩長などの上級官僚じゃない連中が 学制なども確立したんだろうけど
今のアジア・アフリカなどでは 学校に行けば有意義な職業にも就けるとか
宣伝しても 人が集まらないらしい。笛吹けど踊らずというのは そういうこと
なんだろう。
当時の日本では 東大他 軍の学校にも人が集まったということは、文明が
成熟していたからなんじゃないか。
薩長との対比で、会津とか新撰組を言う人もいるけど、会津でも いろんな
分野で取り立てられた人も多いから、あまり会津差別を言うのは 違うと思う。
山川 健次郎とかも 知らないんじゃないか・・・
自分は 東京在住だから、むしろ 薩長の政治家のその後なんかも関心が
ある。TVでやってたけど、山縣有朋の子孫が、戦後改革で屋敷も財産も
取り上げられて、那須の方で細々と暮らしてるらしい。
音羽の椿山荘が元の屋敷らしいけどね。
時代がどう変わっても、生きていかなきゃならないですね。
- 327 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/04(水) 22:55:42 ID:CPlDBcEG0
- それから、旗とか腕章持ちたいって人って今でも多いんだろうけど、かえって
本業に専念できなくなるから、高くついちゃうのかもしれませんね。
そういうの好きな人に預けとけば いいんじゃないでしょうか。
- 328 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/04(水) 23:23:49 ID:CPlDBcEG0
- それから、昨日まで支配層面してた人が 米軍に財産も何も摂取されて
そういうのも見て、どう感じるかなんだろうけどね。
不良朝鮮人が暴れたみたいな話もあるらしいけど、自分は そのままにしとく
方だと思う。
知らないというか否認する方でしょうね。
- 329 :名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/07(土) 00:21:57 ID:uUVJhFx10
- あと、薩長土肥とか会津系の人とかって 東京でも多いんでしょうけど、日本の
教育って案外 公法的な教育する方だと思う。
有名な政治家とかでも麻布中高の出身とかって多いんだろうけどね。麻布
つくったのはたしか幕臣の江原ってひとらしいけどね。
都立から行った人の方が どっちかというと左だと思う。
国家どうあるべきかって議論も案外自分も好きだけど、犬張子みたいに中味
がないんじゃ、ダメでしょうね。
どら焼でもあんこがたっぷりつまってないとダメでしょうね。
エンジニア系の人とも付き合いがあるけど、彼らは 意外と公法的な思考を
してますね。
板についちゃって離れないものってあるんだろうけど、税金の取り立てとか
治安系の方面は どっちかというと幕臣系のひとが 一番向いてるような気がする。
それをどう使うかが 問題なんでしょうけどね。
- 330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 01:35:51 ID:8DRm94PR0
- >>1
>徳川政権が続行していれば
↑未だに「ちょんまげ」なんて、俺やだよ。
- 331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 20:00:09 ID:VrtWNuku0
- >>330
大正時代には変革されてただろう。
中国で辛亥革命が起こったり、トルコでオスマントルコが倒れた時期でもある。
ともに江戸時代の延長のような体制から近代的な体制、軍になった。
- 332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 20:27:22 ID:sQJ/pjdK0
- スルタンもカリフも廃止され、地方の軍閥が独裁大統領になったな。
つまり明治維新が大正期に起こる、と。
- 333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:17:21 ID:Nibn+7JF0
- >>332
斉彬や久光の考えたような改革をしていれば、万一欧米の植民地に
されるにしても大正時代くらいだった(当時の日本には理解できなかったが
当時の欧米は中国に夢中だったし、日本の力も正確には判りかねていた。
中国でも欧米が入ってから(半)植民地かされるまでにはそれなりの期間
がかかっている。)大正期に植民地化あるいはそれを防ぐための倒幕による明治維新
的なものが起こったと思う。
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