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【忠君】偉大なる東條英機【愛国】

1 :武蔵国 ◆wJE1TEQYNM :2007/07/20(金) 23:07:36 ID:34+cCIgU0
日本史上希代の名将、東條英機を称えるスレも3スレ目に突入だ。
アンチの工作があろうと、意に介さず称えようではないか。

前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1156161767/

714 :「在日朝鮮人」VS正真正銘の国士こと石原慎太郎:2008/11/22(土) 22:16:07 ID:0EXdbE1M0
国家なる幻影 わが政治への反回想 より抜粋


(日本在住の北朝鮮人代表なる男)
「お前が謝らなければ、そこにいる息子を殺してやるから覚悟しろ」 とまでいった。


そう聞いた途端私もかっと来て、
「お前さんたちがもしそんなことをしたら、この俺に投票してくれた三百万余の日本人たちだけでなく、
多分ほとんどの日本国民が貴様らを許さないだろう。いや、本気でそういうなら今ここでそうしてみろ。
誰かが息子に指一本かけただけで、即座に警察を呼んでぶちこんでやる。するならしてみろ」

本気でいったら一人冷静な男がいて私にはわからぬ言葉で周りをとりなしていた。

「俺はあくまで事実をいっただけのことで、それが違うというなら、違うという事実を見せて抗議をしたらどうだ」
いったら相手が話をそらせて過去の日本の植民地支配がどうのこうのというから、そんな話ならもっと公開された場所でしたらどうだ、
私の発言もテレビでのことだし、その気があるならテレビでの機会を作ってやるから誰かしかるべき代表が出て来てすべき
主張をしたらいい。断わっておくがこの日本はお前たちの国とはちがって言論に関してはあくまで開かれているのだからな、
といってやったら形勢不利と見てか、いずれ出直してくると言い置いて帰っていった。

その後また改めて抗議の申し込みがあり、それは議員会館で受けると返事しておいた。
当日鶴田秘書が差配して隣の秘書室には秘書のふりをした刑事が張り込んでいたが、
やって来た連中は前よりは紳士的で、言い分は相変わらずのものだったが、
私が改めてテレビでの討論なら必ずその機会を作ろうといったら、
返事は曖昧のまま帰っていって、それきりだった。


715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 22:25:13 ID:dnsVc8VX0
黒シール事件の石原が偉そうにw
野村秋介に抗議されて土下座したくせにw

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 22:35:34 ID:WneCke980
正論では石原慎太郎に絶対勝てない三国人。


717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 22:40:55 ID:9r6u/lBw0
そりゃ正論は蛆3kのカス雑誌だからね

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 22:46:53 ID:WneCke980
石原慎太郎とのテレビ討論から逃げた三国人に正当性は無い。


719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 23:02:49 ID:dnsVc8VX0
国会の参考人招致から逃げたばかりの慎太郎を
そんな擁護しても説得力が無いね。
新銀行東京の東京都職員は知事から全員国会
証言拒否。

720 :「在日朝鮮人」VS石原慎太郎:2008/11/23(日) 09:19:11 ID:tOxZ4PoV0
石原先生は議員時代、在日朝鮮人たちに自宅まで押しかけられて脅迫された体験を持っています。
毅然たる態度で撃退したとはいえ、誰にでも出来ることではない。このような「在日朝鮮人」と真正面から戦ってきた石原先生のその箇所を、ここに紹介いたします。

「国家なる幻影 わが政治への反回想」より抜粋


(日本在住の北朝鮮人代表なる男)
「お前が謝らなければ、そこにいる息子を殺してやるから覚悟しろ」 とまでいった。

そう聞いた途端私もかっと来て、
「お前さんたちがもしそんなことをしたら、この俺に投票してくれた三百万余の日本人たちだけでなく、
多分ほとんどの日本国民が貴様らを許さないだろう。いや、本気でそういうなら今ここでそうしてみろ。
誰かが息子に指一本かけただけで、即座に警察を呼んでぶちこんでやる。するならしてみろ」

本気でいったら一人冷静な男がいて私にはわからぬ言葉で周りをとりなしていた。

「俺はあくまで事実をいっただけのことで、それが違うというなら、違うという事実を見せて抗議をしたらどうだ」
いったら相手が話をそらせて過去の日本の植民地支配がどうのこうのというから、そんな話ならもっと公開された場所でしたらどうだ、
私の発言もテレビでのことだし、その気があるならテレビでの機会を作ってやるから誰かしかるべき代表が出て来てすべき
主張をしたらいい。断わっておくがこの日本はお前たちの国とはちがって言論に関してはあくまで開かれているのだからな、
といってやったら形勢不利と見てか、いずれ出直してくると言い置いて帰っていった。

その後また改めて抗議の申し込みがあり、それは議員会館で受けると返事しておいた。
当日鶴田秘書が差配して隣の秘書室には秘書のふりをした刑事が張り込んでいたが、
やって来た連中は前よりは紳士的で、言い分は相変わらずのものだったが、
私が改めてテレビでの討論なら必ずその機会を作ろうといったら、
返事は曖昧のまま帰っていって、それきりだった。


721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 10:43:15 ID:NiOSRXKS0
石原のは石原以外の第三者のソース無いと信用できないから。

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 01:38:46 ID:K24GTg1L0
つーか石原って昔神奈川の民団とズブズブじゃなかった?
総連に対抗する意味で、よく保守政治家が原理と絡んだのと同じかもしれんが

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 01:41:06 ID:K24GTg1L0
書き加え
今でこそ日本-半島・在日という簡単な対立図式だけど
韓国が反共国家だった時代は南北朝鮮の対立が民団と総連という形で絡んでいたからね

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 03:59:23 ID:6htBnTWr0
>>722
その頃の民潭は今とずいぶん違うんじゃないの?

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 02:07:49 ID:LwX/K1w90
■元内閣総理大臣東條英機陸軍大将列伝■

※逓信省工務局長だった松前重義は、東條反対派の東久邇宮に接近したため、42歳で召集され、南
 方で電柱かつぎに使役されました。冨永恭次陸軍次官は「これは東條閣下の直接の命令で、絶対に
 解除できぬ」と述べています。高松宮宣仁親王は「松前運通省工務局長が応召したとの話で尋ねたら、
 やはり熊本の西部22部隊に二等兵として召集された由、実に憤慨にたえぬ。陸軍の不正であるばかり
 でなく、陸海軍の責任であり国権の紊乱である」と日記に書いています。

※姫路藩主である酒井家の血を引く酒井美意子は、「生来、父の前田利為と東條はソリが合わず、父
 は東條を『頭が悪くて先が見えない男』と批評し、東條は父に『世間知らずの殿様に何がわかるか』
 と反発した」と書いています。その結果、前田利為は、東條によって南方の激戦地に転任させられ、
 戦死しました。しかし東條は、これを戦死ではなく戦傷病死扱いにして遺族の年金を減額したとい
 います。

※東條を批判した衆議院議員浜田尚友は、現職のまま召集されました。

※塚本少佐は、東條夫人から私用の車を要求されて断ったり、東條への直言などのために、サイパンの
 守備参謀に左遷されて戦死した、という話が残っています。

※東條に早期終戦を説いた谷田勇少将は、最前線のラバウルに転任させられました。

※作家の司馬遼太郎は、東條を「集団的政治発狂組合の事務局長のような人」と評しました。

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 18:53:16 ID:wbqboeme0
>作家の司馬遼太郎は、東條を「集団的政治発狂組合の事務局長のような人」と評しました

そもそも、司馬遼太郎は歴史観が偏ってるからねw

727 :713:2008/11/28(金) 02:04:07 ID:OuQTHpzT0
もし仮に現在も大日本帝国陸軍が存在していたとしたらやはり私も家系柄、士官学校
から陸軍大学、陸軍将校という道を歩んでいたのでしょうか・・・

そう考えると今平凡な社会人として送る私の生活からして何とも複雑な気持ちになります

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 07:44:12 ID:Sw+FtSpoO
田母神閣下が正統な帝国軍人の後継者

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 08:05:06 ID:MhotX1Fw0
>>728
ああいう
「信じたいことを信じる」「威勢で押し通したがる」
ような輩に引っ張られる歴史を繰り返すべきではない。

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 15:07:16 ID:yL15T2cEO
>>726 司馬の歴史観が偏っていようと、東条に対してのその人物観は合ってるよ

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 22:06:24 ID:56Vjr/540
そういう一方方向的な見方が一番怖い

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 21:48:53 ID:JhOsW5H20
1の「日本史上希代の名将、東條英機を称える」
こういう見方の方が怖いよ

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 12:58:01 ID:b/RmD6F90
東條という人は右も左も無くただ日本、大東亜民族を白人至上主義から純粋に脱却させる
という絶対理念があったんだろう。東條は韓国将兵も台湾将兵も分け隔てなく陸軍将校や
側近にまでしている。基本、国籍の差別蔑視を一切持たず、当然の事ながら彼らを同じ同志として重用した。

東條に反論反発して召集された将官等も数名いたというが、海軍を中心に蝕む内部スパイ活動
による徹底的な大日本帝国破壊工作とも受けとれる、まるで日本を敗戦に持って行くような無謀な作戦
の数々に、最高指揮官(東條を最高指揮官とする位置づけはいささか疑問が残るが一応)として、
結果、「反発=スパイ!?」と神経過敏になるのも、当時の状況に於いては当然といえば当然だったのではないだろうか。

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 17:49:20 ID:qudr/ANv0
東條の忠実な部下や同志の陸軍将官たちが

>徹底的な大日本帝国破壊工作とも受けとれる

無謀な作戦で次々と万単位で皇軍兵士の命を
奪っていったわけだが。
君の屁理屈は牟田口1人を実例としてあげるだけで
おしまいw

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 18:41:37 ID:mYpJ8lVP0
東條擁護してる方々は
どちらにせよ、負ける戦をして、日本を敗戦の方向に
導いたことは責任はあると思わないかな

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 22:35:45 ID:M73LWEab0
>>735
東條自身が思っているからこそ、敗戦の責任を負うという心積もりで刑死した
んじゃないか。
負けた事に責任は当時の内閣各員、参謀本部、軍令部、陸軍省、海軍省それぞ
れにあると思うが、東條だけに特化して考える事でもない。

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 22:57:06 ID:rNIJB8sw0
東条の側近としてまず上げられるのは、牟田口、富永。
すばらしい!さすが東条閣下!帝国軍人の鑑を取りたてて側近にされるとは!
「生きて虜囚の辱めを受けず」を強要して、自分は鬼畜に吊されるという美談を歴史に刻んだ方だけはある。

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 01:36:07 ID:cch0Zpxt0
「東條英機元首相を称える」 そういうつもりはありませんが
当時の世界情勢は全体が露骨で過激な軍国主義体制であって、日本の軍国主義も必然であったという事は全く理解されないのでしょうか?
それとも理解しようともしないのでしょうか? それでは単なる平和ボケとしか良いようがありません。
欧米の植民地になりえる又は国民が生きていけなくなる、そういう非常事態を回避する為には日本が強くなくてはならなかったのです。
東條英機氏は生粋の軍人であり、政治家ではありません。言うまでも無く東條氏が自ら進んで首相になった訳でもありません。
当時の情勢上、頼れる人物が日本に彼しかいなかったというのが正直な現状であったと思います。
今現在、当時の軍国主義や東條氏を批判できるのは、他ならぬ戦争で戦われた方達の礎があるからこそです。
東條氏を批判するのは、戦場で戦われた英霊達を間接的に批判する事と少なからず連結するという事実もある事を忘れてはなりません。

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 05:54:17 ID:T5PspyFX0
勇ましいこと言って政府内の妥協案を次々潰したから
じゃあお前がやれよって言われてしまっただけだろ。

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 14:28:49 ID:Hier9QM50
>>738
少なからぬ日本人が祖国の土を踏むことなく「英霊」になっちまったのは誰のせいだと思ってるんだ低脳

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 18:10:18 ID:kMK8EHM7O
日米関係の悪化や開戦を全て東條の責任とする典型的無知な二連投は乙だが
余りにも文に中身がないね 薄いよ

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 18:24:02 ID:ZA4fYqPR0
もちろん東条一人の責任ではないが、
中国戦講和反対、対米強硬主張、南進支持。
首相に任じられてからの対米戦回避失敗も同情できん。

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 18:40:59 ID:f7F02NjL0
>>738
タイのように独立した国もあったことを知ってますか?

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 22:53:43 ID:YXdLkROO0
>>742
支那講和反対など陸軍は誰も言ってない。
支那からの撤兵は断じて反対とも言っていない。

中支、南支からの撤退は対共産匪賊(共産党)の為に北支保証駐留を認める事と、
滿洲國の容認、南京政府との穏便なる合同を求めていた。

東條内閣時に於てだが、北支駐留は最大二十五年、講和妥結後の中支、南支か
らの撤兵はニ〜三年を以て撤兵を終了させると案も出している。

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 23:01:44 ID:YXdLkROO0
>>743
あの当時泰が独立しえたのは、純粋に「緩衝地帯化」してしまった為。
東から東京、安南、交耻支那(現越南)、老木過、柬蒲塞を擁する印度支那を押さ
えた仏国、西と南から印度、緬甸、馬来を押さえた英国。
その狭間にあってこそ泰は独立を維持していた。
そしてその国土は南は英国により馬来に徐々に侵食され、東は仏領印度支那に領
土を奪われそうになる。
日米戦始まる直前に日本が仲介となって仏領印度支那から泰に領土を返還させた
事もあった。

斯様に泰の独立は極めて綱渡りであった事を認識すべき。

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 23:30:15 ID:f7F02NjL0
>>745
エチオピア、イランは?

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 23:45:50 ID:YXdLkROO0
>>746
越屋比屋(エチオピア)、波斯(イラン)は確かに独立国ではあるが、越屋比屋は
伊太利に侵略されてしまっている。
政府はどうとも対処しなかったようだが、国内の思想家、運動家は激烈に伊太
利を批難したようだな。

だが、政府としては滿洲國の容認に伊太利が乗ってきた事もあって、結局越屋
比屋に救いの手を伸ばさなかった、どうともしなかったのは極めて遺憾。
滿洲問題とリンクされてしまってはなぁ。時期が悪過ぎた。

越屋比屋と言えば、伊太利侵攻前にはこんな話まであったのに。
昭和6年、黒田子爵の次女雅子(19)と、越屋比屋皇族アラヤ・アベベ殿下の結婚
が内定。殿下は外交使節として来日した際、日本女性との結婚を希望し縁談が進
んだ。この慶事に友好ムードが盛り上がるが、伊太利の進攻に阻まれてしまった。
婚儀も破談となってしまった。

越屋比屋は皇統と比肩する王室を抱えていたが、残念な事に戦後社会主義国化し
てしまい、王朝の滅亡となって心有る人たちにとっては無念だったろうに。

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 23:57:08 ID:YXdLkROO0
波斯(イラン)に関しては、寡聞に情報を得ていない。

内田良平率いた黒龍会の出版部が刊行した書籍に大正7年刊の『亜細亜大観』
という書籍がある。昭和6年版もあるようだが、そっちは未見。

で、その『亜細亜大観』、東亜から亜剌比亜に至迄の西伯利亜・亜細亜各地域
の地誌で、コンパクトに纏められた良書であったが、大正7年時点では「波斯は
英国植民地に取り囲まれ、略英国属国化してしまっている」というニュアンス
で描写されていた。
大戦中の記録だから、露西亜の南下政策が独逸への敗戦(革命によるどさくさに
よる敗戦と言ってもいい)で止まっているから英国色が浸透しつつあるという書
き方だったんだろう。
そう言えば20世紀初頭に立憲革命をしていたな。

まぁ、正直あの地域は知識不足。

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 00:53:57 ID:73ivO4r/0
>>744
>南京政府との穏便なる合同

「国民政府を相手にせず」っていってたクセにか?

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 04:48:10 ID:XH6pbZ7P0
東條は主人公にもなれない程度の男だが
主人公になれるの昭和天皇だけだな
初期の明治天皇、乃木など栄光の日々
中期の激動の時代
それ以後の悲しき時代

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 13:17:28 ID:QVDhesCQ0
>>749
文字は正確に。
「国民政府を対手とせず」
「相手」と「対手」では意味が異なるんだな。当時の近衛内閣の気負いが見られ
る。
で、繰り返すが、声明を出したのは東條ではなく、近衛。
トラウトマン工作が残念な結果に終わり、近衛内閣が発した声明で、後日「対手」
の意味を補足した補足声明まで煥発している。
「否認スルト共二之ヲ抹殺セントスルノテアル」
支那事変では興味深い事に統帥を司どる参謀本部と軍令部が講和工作の続行を強
く求め続け、内閣、陸軍省と海軍省(共に行政組織)が工作中断を主張。特に外相
(広田弘毅)と海相(米内光政)が「内閣を信用出来ないのか?」と参謀本部次長に工
作中断を認めるよう詰め寄っている。支那事変当時、参謀総長と軍令部総長は皇
族出身殿下であって、組織の長は実質次長。だから事変の行方を定める場には次
長が出席する。因みに両総長も早期講和派。
米内なんぞ、辞職を仄めかした。海軍大臣が参謀総長と軍令部が工作中断事変続
行を飲まなければ、辞めると。当時は一人重要閣僚が辞任したら総辞職とお決ま
り。
南京陥落直後の敵国首都陥落という前代未聞の大捷の一ヶ月後に内閣総辞職なんて
出来る訳がない。参謀本部次長は声涙下る激高を以て米内にそんな恫喝は如何な物
かと詰め寄る。
結局近衛はトラウトマン講和工作の中止を以て其答とした。

戦後一貫して「シビリアンコントロールの徹底」を自衛隊に課していたが、シビリ
アンが判断を完全に誤った瞬間だな。
参謀本部と軍令部の意見を通してれば、支那事変はもっと早く終わった可能性があ
る。


まぁ、近衛は昭和13年正月時点は気負ってたというべきだな。

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 13:46:39 ID:QVDhesCQ0
で、此「国民政府を対手とせず」は不磨の政策ではない。大東亜戦争突入まで持続
していた政策じゃないって事だ。だから東條内閣の時には何の関係もない。

近衛は同年11月恰度10ヶ月で方針を大転換する。
「東亜新秩序」という呼称で有名だな。もう一度重慶政権に話合いの場に着いてく
れという嘆願みたいなもんだ。
其声明の肝は「新秩序の建設は日満支三国相携へ、政治、経済、文化等各般に亘り
互助連環の関係を樹立する」とあり、茲に再び支那重慶政権に呼び掛ける。

其近衛声明に応えたのが、孫文の最も信頼していた汪兆銘。彼は重慶を脱し、ハノ
イへ向かい、そして南京に向かった。
日本陸軍と政府は狂喜乱舞。漸く話合いが出来ると。それも昔日から孫文に蒋介石
よりも可愛がられていた汪兆銘自らが南京に来たから。
中支派遣軍の誰が言ったか忘れたが、「今直ぐ其足で重慶に飛んで日本政府の書信
を蒋介石に渡してくれ」なんて言うくらい。
でも結局汪兆銘は純粋に蒋介石と袂を分かち、南京に舞い戻った訳で、其結果が昭
和15年の南京国民政府の樹立となる。

日本は之を以て「中華民国の正当政権は重慶から南京に移行。南京政府を正当政府
と認識」とする訳で、日本は南京国民政府と講和する。
それは同時に重慶は地方政権であって、飽迄重慶「政権」であって、政府ではない。
日本としては南京「政府」と講和したから、南京政府を保護し守る事に徹しないと
いけない訳。
重慶政権を無条件に再承認し、南京政府との講和条約や同盟を破棄するという方法
は国際信義上執る事は出来ない。そんな事をしたら戦後日本を信頼する国は無くな
ると。

昭和16年、日米交渉で重慶に求めていたのは南京政府との平和的な合同。日本の立
場としては南京政府をベースとした重慶政権の合流というスタンス。

アメリカは当然重慶政権の再承認を求める訳だから、第二次、第三次組閣をした近
衛も苦慮すると。
陸相東條は今迄の外交・軍事の結果を完全に破棄する=南京政府の否認を含めるのな
らば国際信義上撤兵は無理だと。
他に前に書いた北支への対共産勢力向けの保証駐留が条件にあったな。

斯様に当時陸軍はバカの一つ覚えみたいに「支那から絶対撤退しない」なんてのは
言っていないんだ。

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 15:01:48 ID:OotmwMPN0
>>751>>752さんの様に私的感情を持たず、丁寧な歴史学の検証をされている方は
「正確なる史観」を身に付けている。全て拝読させて戴いたが、実に見事である。

歴史学を網羅している者からして、満州事変、支那事変、開戦に至る経緯これら当時の状況を、
浅知恵からか東條批判の材料とする者に対しては、曲解した現代雑誌の一ページを読破した程度
の様なものの印象を受けざるえない。
実例に挙げると、東條批判に決まって出てくる開戦前の支那講和反対や南進支持、対米強硬主張派etc、
これらおよそ不毛な議論を持ちかける傾向にあるが、全く以って意味を成さない。

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 15:05:59 ID:OwVr6u750
>陸軍はバカの一つ覚えみたいに「支那から絶対撤退しない」
>なんてのは言っていないんだ。

でも東條は講和に積極的じゃないだろ。

1938年の在郷軍人会で、
「シナ事変解決のために、支援元の米英・ソ連に対する二正面作戦を準備せよ」
と発言したり、
大川周明の撤兵説得に対しても「靖国の英霊に対して相済まぬ」と拒否した様。

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 15:20:25 ID:OwVr6u750
>日本は之を以て「中華民国の正当政権は重慶から南京に移行。
>南京政府を正当政府と認識」

汪兆銘政府が正式な中国政府と言っても、
同盟国のドイツもすぐには認めなかったな。

日本の力により建てられた様な政権だし、
中国権益条約(現地独立煽りも禁止)上も問題ありだろ。

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 15:30:33 ID:OwVr6u750
>昭和16年、日米交渉で重慶に求めていたのは南京政府との平和的な合同。

つまり、中国を日本の傀儡政権下に置きたいって事だろ。
日本と不平等条約結んだり内政干渉されたりの南京政府(汪兆銘)の元に蒋介石も下れと。
「平和的」なんて言葉は良いが、中国権益を持つ他列強との間にも軋轢が生じるし。

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:14:28 ID:QVDhesCQ0
>>754
支援元との戦争を視野に入れろというのは、東條に限らず、陸海軍認識を持って
いるんだが。
対米戦に乗り気かどうかはその上での更なる判断であって、基礎的な視点として
重慶を外交的にも軍事的にも落とすには支援元をどうにかしなければというのは
確実に持っていた。
海軍にしても陸軍にしても今闘うか、後で闘うかの差でしかないんだよ。当時の
全体的な認識は。
三国同盟や日ソ中立條約で漸く支援国の内ドイツとソ連を正当に外交手段で退け
られたがね。

大川の説得に「國の英霊に相済まぬ」と言ったのは、俺がずっと書いているよ
うに、「無条件での撤退は不可能」という事であり、最低でも共産勢力打倒の為
の北支駐留を認めてくれなければ、遺憾ともし難いというのが昭和15年当時の日
本の姿勢。

>>756
南京国民政府と不平等条約なんて結んでいないのだが。
昭和18年には大東亜会議に合わせて日本が北清事変以来持つ権益、租界を完全に
南京政府に返還しているし。
アメリカとイギリスは慌てて重慶政権に権益を放棄している。が結局は日本の行っ
た施策をトレースしたに過ぎない。
滿洲の話は別よ?滿洲國を認めて南京国民政府は日本と和解しているんだから。

>>753
まぁ、此時代の事は複雑怪奇。とても勧善懲悪の世界観では語れないからね。

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:21:57 ID:QVDhesCQ0
>>755
アメリカの力により立てられた戦後の幾つかの国の政権はどういう扱い?
特に日本は。
えっ?日本とアメリカの共同作業だって?それなら汪兆銘と日本との関係も同じ。

21世紀に入ってもイラクは?
グルジアは?南オセチア・アブハジア両自治州は独立国?グルジア領?


斯様に一見単純な解釈では国際政治は語れないと思うんだよ。


759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:29:18 ID:OwVr6u750
>南京国民政府と不平等条約なんて結んでいないのだが。

当初の日華基本条約は不平等条約だろ。

>えっ?日本とアメリカの共同作業だって?
>それなら汪兆銘と日本との関係も同じ。

当時の中国は、条約上も列強が勝手に都合良い政権を建てて良い状況じゃない。

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:33:52 ID:QVDhesCQ0
>>759
日本が率先して南京政府を立てたのではなく、蒋介石と袂を分かった汪兆銘が政府
を立て直したいという事から主軸はあくまでも汪兆銘。
日本は蒋介石を残した状況で南京の政権樹立を手伝うべきかどうかと悩み捲った。
まぁ、結果的に手助けしたけど。

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:34:35 ID:OwVr6u750
そもそも司令官ではなく参謀長のクセに、
「東條兵団」なんかで戦線広げてた東條が、
中国講和に積極的だったなんて思わないね。

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 17:16:17 ID:QVDhesCQ0
>>761
統帥と国務をごちゃごちゃにしてないか?

支那事変当初は書かれているように東條は現地の関東軍参謀長。兵団を以て戦線を
拡げていたと言うが、北支事変勃発すれば、麾下部隊を前線に送り戦闘する。
そりゃ、戦闘するだろ。又、当時内蒙古自治を目指し(本心は独立だったようだが)
た徳王の存在も忘れてはいけない。

だが、北支事変は飽迄も第二十旧軍と休戦まで至ったのであり、戦闘は一時7月下
旬には止まった。
支那事変が拡大するのはどう解釈しても中支上海に於ける第二次上海事変から。数
千の日本海軍陸戦隊に対し、蒋介石は20万の軍を対峙させた。其処で米内海相が陸
軍の支援を要請すると。上海派遣軍及第10軍の派遣は飽迄も海軍側の強い要請から
の物であり、陸軍が主体として送り出した物ではない。
上海で留めるか、南京迄行くかは紆余曲折があったが、当時陸軍参謀本部・海軍軍
令部は南京で留める腹であった事は先にも書いたように特筆すべき。

で、昭和13年以降東條中将は内地勤務となるんだが、政治に係わりだすのは陸軍大
臣になった昭和15年から。
本当に彼が国政に係わったのは昭和15年7月22日から昭和19年7月22日迄。計ったよ
うに恰度4年。
大臣になったら陸軍の主張を言うのは当然としても、「中国講和に積極的だったと
思わない」等と言うのは如何なものかと。
それはあんまりな人物観であって、何か、「人は数年前に思っていた事を何時まで
経っても軌道修正しないものだ」と思っているのかと。

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 17:17:28 ID:QVDhesCQ0
第二十旧軍→第二十九軍

ミスタイプはきつい。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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