田中正造は法螺吹きドンキホーテ
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 21:19:38 ID:TmqqE5eJ0
- 事典類や小学国語、中高の歴史教科書に書かれた「足尾鉱毒事件」は、ほとんどが事実
からかけ離れています。
原因は、発言に嘘が多く行動に現実性を欠き、公害の被害者でもない田中正造を、学者や
研究者やマスコミが、反対運動の当事者として英雄にまで祭り上げたことにあります。
歴史の嘘は放置すべきではないので、「田中正造神話を粉砕しよう」というスレッドで真実を
訴えてきましたが、異常に長いコメントを書く妨害者のために、容量が512Kを超えたため、
614番で書き込みが不能になりました。そこでこのスレッドを立てました。
内容は、、「田中正造神話を粉砕しよう」の続きです。
- 422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 21:09:02 ID:DhcHiBXs0
- >>421
そしてその4年後の1913年(大正2年)7月2日、
増田は、祭りのゆで饅頭ができたから食べに来てくれ、と、
正造を招待するのです。
そういう都合の悪い話はまたしても全部無視ですか。
ところで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと
言ったかのような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
もちろん理由は分かっています。花村の文章の「10倍」という数字
をそのまま使って、同じく、花村の文にある「無害地の人々」を
「穏健派被害民」に差し替えれば、自分の大嘘に都合のいい
嘘が捏造できるからです。
そういう理由とはまた別に、何故に人をだまそうとしたのか、
その理由をお聞きしています。
- 423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 19:49:10 ID:QElOK0hF0
- 前回の手紙(明治42年12月26日付け)は、以下のように続いています。
「御貴君様は、聞くところによれば、来ても小生宅には寄らず、この次
は寄るかと思えば素通りして、お願いもできず、12月30日までに金100円
をぜひぜひぜひ、ご都合なり、借用するなり願います」
「家内どもは、御貴君が素通りに付き、田中さんは金の為に殺すんだ
ろうか。実に母始めとして涙に暮れております。金もなし、食するものも
ないから、毎日母上に口説かれておりますことは、貴様が14,15年間の
運動と田中正造への立て替え金元利、34年の調べは山のごとくだろ、
その為にぢうらいのしんくうをしまうのか。実に情けない、なさけない、
なさけない。毎日家内一同に泣かれております。大至急御情け、助け
を願います。増田清三郎、家内一同にて」
- 424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 20:03:59 ID:cwB8IC6Z0
- >>423
そしてその増田は、それから4年後に、祭りのゆで饅頭が
できたから食べに来てくれ、と、正造を招待するのです。
増田と正造の関係を何も知らない、いや、知っていて都合の悪い
部分だけを無視し続ける大嘘つきの言うことなど、誰も信用しませんよ。
ところで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと
言ったかのような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
読者をだます以外の理由があるのならお聞きしますと何度も
聞いていますが、お答えがないということはそれ以外の理由は
ないということですね。
最初から、読者をだますつもりだったんですね。
- 425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 20:01:12 ID:eMZ3448L0
- 増田清三郎からの「金返せ」という催促状に対して、田中正造はいったい
どのように対処したでしょうか。
実は、すでに明治42年8月15日の段階で、古河町の旅館・田中屋に滞在
する正造は、逸見斧吉に次の手紙を出しています。
「増田清三郎のこと、右は正に相渡し候。大喜びでトント別人の如し。しか
れども今後同人より貴下に何事を申上げるもこの上はナシです。委細は
更に御面会」
正造は、借金を踏み倒した農民・増田清三郎に、何一つ同情していません。
むしろ軽蔑しています。
- 426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 22:11:17 ID:W2Gahs9y0
- >>425
督促状を出した増田清三郎に対して、
正造は、招待を受けるという形の対処をしました。
そういう都合の悪い話は全部無視ですか。
ところで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと
言ったかのような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
まあ、自称礼儀知らずの欠格人間はそんな都合の悪い
事実は無視して、新しい大嘘をたれ流すんでしょうけど。
どっかの、鉱毒をたれ流した輩と同じですね。
- 427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 19:45:54 ID:eh7PR1HN0
- それは、前回の明治42年12月26日付けの増田の催促状から10日ばかり後、
明治43年1月6日の手紙からもよく分かります。古河町の村沢旅館に滞在す
る田中正造は、ここから東京の逸見斧吉に宛てた手紙に、この日なんと増田
を馬鹿にして次のように書くのです。
借金を踏み倒した相手に済まないと思うどころか、平気で軽蔑してお説教まで
しようとしてするのですから奇奇怪怪。
田中正造という人は、農民を救済するどころか、明らかに愚弄していたことが
よくわかります。言葉と行動は完全に分裂しているのです(引用は次回に)。
- 428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 20:27:13 ID:+UpfTMQS0
- 「ニッコッコ掲示板」をヤフーで検索してみ!ひらがなで「○っこっこ」でOKだよ!
検索はひらがなでお願いします。(○は「に」)(カタカナでは引っかからないかも?)
まだ規制ないし、色々貼れる
- 429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 18:36:34 ID:k9FNWexj0
- >>427
それは、花村の田中正造に関する著書を見返してもよく分かります。
花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
- 430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 19:55:31 ID:fe4Q6pXf0
- 明治43年1月6日付け、逸見斧吉宛の手紙とは、以下のとおりです。
「去月下旬以来(埼玉県の)川辺の増田清三郎氏の裏通行。車にて往来6回
せるに1回も立ち寄らざりしは、他人の素人にはなし急ぐためなり。しかして
去月30日青年4人同行、立ち寄りたれば、この人すでに貧苦止みなく悪魔の
小売に欺かれたり。増田氏は食えぬその理由の弁解、気焔万丈。これまこと
に神の我に教えられたるところなり。凡人食尽き飢えれば敵に降るを恥じず。
あたかも兵士の戦破れて降るも同一に心得ておる。非戦論の困難ここにあり。
食多ければ無益の戦争を聞き、食尽きれば内地の人民を責め滅ぼして兵士
の食物とす。これ、現代の政治が我人民を殺しその肉を食うに至りしは、まこ
とに凡人社会の常となり申し候。恐るべし恐るべし。増田清三郎氏の変化もま
た哀れなる次第にて候。ただし、追々この人には人道の汚点たるをば説き申す
べく候。蘇生まで説き申すべく。31日の夜も飯積の野中氏方にて夜食して、暗夜
無灯提、独り麦倉の飯塚伊平氏に来泊す。10時にて候。5日夜書く。6日朝」
封筒の裏には、「古河町旅舎村沢方より本日発す。あとは田中屋、43年1月6日
午前9時」とあります。彼は正月に人の家を泊まり歩き、ご馳走に預かっていた
わけです。乞食をしながら、借金を踏み倒した相手を責めているのです。
- 431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 20:16:14 ID:k9FNWexj0
- >>430
そして、増田は、3年後の1913年7月2日に、田中正造を
祭りのゆで饅頭ができたから食べに来てくれ、と誘うのです。
もちろん、正造は食べに行きましたとも。
そして、その1ヶ月後に倒れ、さらにその1ヶ月2日後に死ぬのです。
断片的な文章だけでは何も分かりませんよ。
それにまたしても正造か増田のどっちかが誰かにまた変なことを
吹き込まれたのかもしれませんしね。
はっきり言えるのは、正造と増田はこの手紙のあともずっと死ぬまで
親しくつきあったということです。
それに、知人に御馳走してもらうのは、乞食とは言いません。
その言い方だと、パトロンのいる芸術家は全員が乞食ですね。
ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチと同じだと言うのなら、
まあ、そうかもしれませんけどね。
ところで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言った
かのような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
- 432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 12:21:16 ID:Xafe5swl0
- 砂川さんはレス乞食だけどね。
誰も思うようなレスを返してくれないので独演会しか出来ないけど。
- 433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:02:00 ID:twnca0HG0
- 田中正造は、借金を踏み倒した増田清三郎に関し、前回の手紙のほかに明治
44年1月7日にも、同じく逸見斧吉に次の手紙を書いています。
「また埼玉の河辺村増田殿、同村に従来の悪漢等また人民を売って(私欲)云々、
しかも増田殿等これを発見、去月その由を訴えるとて300人県庁に行く道、久喜
の停車場辺にて警官の偽言にだまされて空しく帰りたりとの風聞は、かつて聞き
おりたるところ、右利島(村)、川辺(村)の人民は、ここに到りて正造を頼まんと
するのです」
「増田氏、先年は偽りの文句を左部彦次郎に学びて、悪手紙を東京市の我々の
同志にくばりて、面目を傷つけ、今また正に死になんなんとしては人民を引き連
れて正造にすがる。正造は暇すらあれば救うのです。増田殿が前年の事は咎め
ぬのです。けれども谷中の外四方八方皆この混乱で、手も足も廻るものでない。
無邪気の人民は、鉱毒よりも水害よりも恐ろしき危難に陥りました。右参考に申し
上げ候。早々頓首」
- 434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:58:08 ID:sSKfkTp10
- >>433
そしてその2年後の1913年(大正2年)7月2日、増田は、祭りの
茹饅頭ができたから食べに来てくれと正造を招待するのです。
そして正造は食べに行きました。
要するに増田にいろんなことを吹き込んだ人がいたんでしょう。
それは前からさんざん指摘していますよ。
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたといったかの
ような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
大嘘だと指摘されても、全く悪びれることもなく平然と新しい大嘘を
つき続けるのは何故ですか?
あることないことを吹き込む輩のおかげで、増田と正造は、かなり仲が
悪くなったこともありましたが、しかし、死ぬまで招待をされたり受けたり
する関係が続きました。
そういう都合の悪い話は全部無視なんですね。あなたは。
- 435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 20:42:19 ID:2Po9GqjJ0
- 前回の手紙は、何を言っているのか判然とはしませんが、増田たち農民を「無邪
気の人民」と決め付け、彼らは自分を頼ってくるが、「暇すらあれば救える」けれ
ども、「手も足も廻るものでない」から、それはできないといっています。お金を返
すことが先決なのに、自分勝手な理屈を持ち出して、その相手をかえって責める
のですから驚きです。
田中正造の異常な金銭感覚は、大正元年11月30日の次の日記にもよく伺えます。
彼は、国会議員引退後に選挙地盤を譲った蓼沼丈吉から、200円(今なら200万円)
借りていました。相手は当然返金など期待していないお金でした。
ところが正造は、お金を返したことがないのに、口から出る言葉はいかにも立派に
聞こえます。だから学者たちはだまされるのです。
「去る7月中、蓼沼丈吉氏は、佐野町川田屋にて予に面会の時、予が金200円の
借金は帳消したりと告げたれば、予はこれに答えていう。返済の義務は我にあり。
帳面は消すとも予が精神は消すべからず。予の精神は、返金せしのちにあらざ
れば消えず。蓼沼氏笑う」
- 436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 22:36:12 ID:wQLy4yfJ0
- >>435
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかの
ような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
貸した本人が返済をあてにしていないのなら、そもそも何の問題があると
いうのでしょう。今だったらまあ贈与税とかの問題が起きるでしょうけどね。
ひとまず、あなたが、何が書いてあるのか分からないのに、文章に出てくる単語
を抜き出して自分の都合に合わせた内容に製造する輩だということはまたしても
よく分かりましたけどね。
学者はだまされているのではありません。
あなたの大嘘にだまされなかっただけです。
どの学者かは知りませんがね。
- 437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 21:26:40 ID:d1j+afE10
- もう一つ、正造の興味深い手紙があったので紹介します。
島田雄三郎と言う人に宛てたものですが、どうやら、正造がこの人から時々お金を
恵んでもらっていたようです。
そこで正造は、借用証を発行し、実際に甥の原田定助にお金を払わせようとしたが、
相手から「お金は差し上げたので貸したのではない」と断られた、というのです。
「先年来の恩借金といえども、何もかも投げやりにても人道またよろしからず、今後
参上の頃、証文らしきもの相認め申したく候間、その節紙と筆と墨とをご用意、ご貸
与下されたく候。おうかがいかたがた併せ御意を得候。頓首」(明治39年5月21日)
それからひと月後の明治39年6月25日、正造はこの島田雄三郎に宛てて、次の手紙
を出しました。
「仮証。1.金20円也、ただし、間接に津久居彦七君を保証人に選任いたし、足利町
原田定助殿より来る6日受取、急ぎ御回金仕るべく候事。明治39年5月19日。田中
正造。島田雄三郎殿」
「本証元金返済のため持参候ところ、なお御恵与下さる候との厚きお言葉にしたが
い、すなわち頂戴いたし候につき、後来のため、この仮証そのまま貴下に御預け申
し上げ置き候也。6月25日、田中正造」
正造は、彼に寄付したいという人々に甘えて、「証文を書きます」などと口先で相手を
だましながら、収入を得る道を選んだのではないでしょうか。
- 438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 22:07:23 ID:iQH2Io/40
- >>437
其れで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
くれるというのにわざわざ証文を書くのは正造の性分でしょうね。
別に悪いことをしてるわけでも何でもない。
闇に隠れてこそこそ現ナマの受け渡しをしている輩だと思われたくなかったの
かもしれませんね。
「証文を書きます」ってのはだましてるわけでも何でもないじゃないですか。
どうせ正造が返さないなんてのは島田雄三郎は知っている。だから証文は
いらないといった、にもかかわらず正造は書いた。
元々返すあてがないと分かっている相手に金を渡したときに、
相手が「証文を書く」と言ったことのどこが誰をだましていることになるんですか?
しかし、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたといったかのような
言い方をする誰かさんは、人をだまそうとしているのが明白です。
だって、花村はそんなこと言ってないですから。
もし言ったとしたら何かの言い間違いでしょう。
- 439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 20:48:33 ID:2oalIh9X0
- 旅行に出ていたうえ、帰ったらアクセス規制されてだいぶ途絶えましたが、書き込み
を続けます。
田中正造の日々の動きを見ていると、あちこち転々と移動していて、本拠であるべき
谷中村にはほとんど落ち着いていません。
谷中から動かない方がお金がかからないはずなのに、働かずに収入のない彼が、
なぜあちこち動き回っていたのでしょう。理由は簡単です。お金がないからこそ、他人
の家を訪ねて食事をおごってもらい、泊めてもらっていた、というわけです。
このことを正直に告白した手紙があるので、次回に紹介しましょう。
- 440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 19:26:20 ID:EGa1eBzm0
- その手紙とは公害反対運動のリーダー的な活動家だった野口春蔵に宛てたもので、
日付けは明治44年9月1日、差出人は「日本の東京より、世界的土人」となっています。
「拝啓、臨時お頼み申し上げておきます。それは小中辺の人々が何を誤解せしか、
正造が村長を望むとやら、万一にもなられては大変、郡長さん困るだろうとかにて、
内々反対の運動しておるとの風聞が耳のきわをかすってきていた。・・・去年以来正造
がたまたま小中に行くのは、銭に困って行くので、他に用があって行ったのではないで
す。正造は天国に行く道普請の最中で、多忙ですと話して下さいよ」
小中とは、正造の生まれ故郷で、栃木県佐野町にある地名です。
多忙な人が、お金に困って故郷の知り合いの所に出かけ、泊めてもらって食事をご馳走
になり、お小遣いをもらって帰るなんて、あり得ることなのでしょうか。多忙は明らかにうそ
です。彼は誰からも何も頼まれていないし、自分で勝手に動き回って、忙しいといっていた
に過ぎないからです。
- 441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 20:59:32 ID:ZUo81Dbj0
- >>440
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
正造が誰にも何も頼まれているかいないかなんて分かりませんよね。
あなたにとって頼まれていないと都合がいいというだけですよね。
事実と製造した大嘘は読者に分かるようにしてください。
だいたい、人に頼まれて多忙だなんて書いてないじゃないですか。
天国に行く準備で忙しいってだけでしょう。
旅の準備で忙しい、というのを、人に頼まれごとをして忙しいという
大嘘に作りかえないでください。
- 442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 20:18:11 ID:DGtHMDaJ0
- いったい、他人の家をどのように転々と訪問していたのか。日記を見れば分かると思った
ので、明治の末年から少しの間、正造の日記をメモしてみました。それを並べてみましょう。
明治45年4月29日、昨日栃木県茂木氏を訪れて佐野に至り、小島氏方に泊す。
同年5月5日、昨4日、谷中より海老瀬、藤岡に。田中弥平氏方に泊す。
同年5月6日、木村市郎氏と共になり、海老瀬佐山の家に泊す。
同年5月18日、前夜本郷稲村広吉氏に泊し、河辺村稲村氏を立って、三人して
(島田宗三と竹沢房之助と)古河町に。わだやで昼飯ののち、板倉、雷電、板倉沼を
見に行かんと材木店○○方に泊す。
同年5月19日、汽車で足利に至りて原田氏方に投宿。
同年5月22日、昨日馬門大橋屋に泊し・・・・。
- 443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:19:46 ID:DroI2ris0
- >>442
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたといったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
ひとまず、正造には支援者がたくさんいたというのは分かりますね。
- 444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:04:23 ID:zTYvrNVH0
- 前回の日記について少し説明します。
5月22日に出てくる大橋屋は旅館のようですが、その他は普通の家です。
元国会議員の偉い人が来れば、ご馳走を出して饗応し、床の間のある一番奥の部屋に、
来客用の寝具を用意するでしょう。
本当は乞食のように、食べ物と寝る所を求めて行っただけでしょうが、正造を迎えた人々
は、賓客と思って受け入れたはずです。
ですから、職業もお金も家族も家もなかった正造は、その家を訪問する具体的な用事が
ないにもかかわらず、次々と個人の家を泊まり歩いていたのだと思われます。
- 445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:10:58 ID:DroI2ris0
- >>444
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
正造が泊まる家を毎日変えたのは、いろんな理由がありますが、
そのうちの1つが、あそこの家ばっかりひいきにする、と言われている
という噂を聞いたからです。
あなたが大嘘を製造したいのはよく分かりますが、それは事実とは異なります。
- 446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 19:30:52 ID:VnJR3iJw0
- 前回の日記について少し説明します。
5月22日に出てくる大橋屋は旅館のようですが、その他は普通の家です。
元国会議員の偉い人が来れば、ご馳走を出して饗応し、床の間のある一番奥の部屋に、
来客用の寝具を用意するでしょう。
本当は乞食のように、食べ物と寝る所を求めて行っただけでしょうが、正造を迎えた人々
は、賓客と思って受け入れたはずです。
ですから、職業もお金も家族も家もなかった正造は、その家を訪問する具体的な用事が
ないにもかかわらず、次々と個人の家を泊まり歩いていたのだと思われます。
- 447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 19:36:32 ID:0Le/9ioA0
- 明治45年6月、7月の正造の動静を、日記からまたメモって行きます。
6月12日、11日出京、神聖舎に泊す。12日、野木役場に到りて泊す。
6月15日、昨夜、藤岡の河内屋、今15日、赤麻に急行して船田源蔵氏に泊す。
6月21日、久保田氏にて昼、山崎氏方に泊す。
7月2日、金龍寺方出立。字悪戸日高文六氏を訪れて、中妻関口安蔵
氏方に1泊し、今2日西小路田中ます子方に休む。
7月3日、夜、藤岡町鍛冶店田中弥平氏方に泊す。
7月8日、赤貧の洗うが如き心もて、無一物こそ富というなれ。田沼高沢
に泊す。人を見るは神を見るより難し。
7月9日、朝、三好村蓼沼氏方を訪ね、・・・遠藤氏死去を訪うて、五月女
両家を訪うて小中に泊す。
7月16日、15日夜、関口吾一郎氏を訪れて泊す。
7月20日、今日まで佐野の新里兼吉方に厄介となる。
7月24日、この7日間は、印刷屋船江氏方に出入りして、氏の多忙にじゃ
まして大いに困られた。
- 448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 19:45:09 ID:xYJ87H9Y0
- >>447
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
別に正造が泊まりに来たって、泊めたければ泊めればいいんじゃないですか?
そんなのはそれこそ正造の勝手だし、支援者の勝手です。
あなたのところに正造が泊まりに来たら、断ればよろしい。
実際、断った人だっていたはずです。その場合、正造は、近くの別の家に行く
わけです。
臨終のエピソードがまさにそうですよね。雲龍寺に行ったら箸にも棒にもかからない
ような扱いを受けて、しょうがないから庭田本家に行った。
そうしたらまたまた主人が留守だったので、分家のほうに「回された」のです。
そして、正造は、庭田の分家で死にます。
正造がどこに泊めてくれといっても、誰が正造を泊めても、それは正造と支援者の
勝手です。
しかし、足尾から鉱毒をたれ流すのは勝手ではありません。
- 449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 21:45:32 ID:IXdI9qWG0
- 人の家に押しかけて行って、いろいろ厄介になりながら、「無一物こそ富
というなれ」と言ってのけるとは、何という無神経でしょう。
「人を見るは神を見るより難し」と言っていますが、いったいどうすれば神
を見ることなど出来るのでしょう。この人の言ってることは全く訳がわかり
ません。
印刷屋の仕事の邪魔をして迷惑をかけたようですが、これで、相手の
都合に関係なく人の家に押しかけていたことも分かります。自分でも認
めているように、彼は、遠慮というものを知らない不躾な人間なのだと
言えます。
- 450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 21:58:28 ID:5cclomPa0
- >>449
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
>この人の言ってることは全く訳がわかり
>ません。
分からないんだったら、せめて分かってから文句を言うべきなんじゃないですか?
そもそも、人に見せるつもりで書いたわけじゃない日記に向かって意味が分からない
などというのは、そもそも言う相手が間違っています。
「タバコ 2 夕方 565−98999 安蘇郡」
って日記に書いてあったら、意味が分からないとか図々しく言うんでしょうね。
あなたは。
正造の日記は自分が後で見返すためのものであって、解読は読者の責任です。
誰の日記だって、後世の歴史家が解読に苦労するのは同じです。別に正造の日記だけが
特別なわけじゃない。
日記に「島田」とあったら、島田熊吉なんだろうか、島田早苗なのだろうか、島田三郎
なんだろうか。書いた本人は見返せば分かるから困らないのだし、他人に見せるつもりで
書いたわけじゃないのだし、それをどの島田か分からないなどというのは筋違いというものです。
- 451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:28:26 ID:7wccbvR20
- 明治45年7月に明治天皇が崩御されていますから、8月から大正時代
に変わります。大正元年に入ってからの正造の日記を見てみましょう。
次々と他人の家を回って食事をいただき、泊めてもらっている様子が
分かりますが、何の用事でその家に行ったのかについては、何も書い
てありません。
8月22日、(古河の旅館)田中屋より人力車で新郷村に入り、山中栄吉、
小倉佐市、小野善助氏を訪れて新久田の並木氏を訪問。不在。
渡良瀬川を西に越えて河辺村稲村広吉氏方に入り昼飯を乞う。
車夫と二人分。
8月29日、去る24日、館林町荒井清三郎氏方の厄介となり泊す。
・・・眠り覚めて小便に立ち、東西を誤り、行く所を失い隣室を
呼ぶ。この家の老婆驚き起きて下女を呼ぶ。家中騒動となる。
小便ほとんど洩る。
- 452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:35:39 ID:aL1sKnmU0
- >>451
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
泊まりに行った家に何の用があったのかなかったのか知りませんが、
日記にそれを書かなきゃならないという法はありませんね。
- 453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 20:21:53 ID:r+jB9rKL0
- 大正元年の日記を続けます。
9月2日、植野村新井新次郎方に休息を許されて昼寝す。島田雄三郎
氏を訪ねて小遣金3円を得て馬門に行く。
9月7日、昨夜海老瀬村の増保金蔵氏方に泊す。
10月3日、昨夜福田女史、石川三四郎両氏と宮崎女史を訪ねて泊す。
2氏は帰る。
10月10日、昨日、部屋に泊す。
10月11日、昨日、古河町田中屋に泊す。
10月12日、恵下野に泊す。
10月20日、赤麻村大前山志家氏に 泊す。
10月21日、藤岡、谷中、古河町、野木に入りて夜栃木に来たり<か
な半>に 泊す。
10月23日、恵下野に泊す。
人力車の車夫と二人分の昼飯を請求したり、小遣いを3円も(今の
3万円ぐらい)もらったり、昼寝をするために家にあがったり、深夜に
老女を起こしたうえ小便を漏らしてしまったり、何とも迷惑至極ではあ
りませんか。
- 454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 21:06:58 ID:CJ1oerb80
- >>453
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたといったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
死の前年でも、相当精力的にかけずり回っているというのは分かりますけどね。
昼寝をするために上がったのではなくて、休息しているうちに寝ちゃったんじゃ
ないですか? いかさまバクチをうつためにはそういう意味にとったほうがいいと
いうことは分かりますけどね。
- 455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 19:59:06 ID:kSC5xWag0
- もう少し、彼の日記を続けます。死の前年に当る大正元年の11月分からです。
11月5日、4日夜繁桂寺に泊す。本日、知事に陳情書を出す。3日夜田中
弥平氏に泊す。2日は赤麻の日高文六氏方に泊す。1日は部屋
村田中森之進氏に泊す。30日金半に泊す。31日、皆川村森戸
金太郎氏に泊す。およそかくのごとし。
11月6日、田中弥平氏方。昨夜ここに泊す。
11月21日、海老瀬の佐藤氏方に泊す。昨夜古河町田中屋に泊す。
11月28日、東京日本橋芳町上総屋方にて飯村丈三郎氏に逢い、邑楽郡
に帰り、大出氏の死を訪うて山本氏に泊す。
11月30日、昨夜大出氏に泊す。
- 456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:36:51 ID:HUUY0B4q0
- >>455
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
ほかにもツッコミをいれなきゃならない大嘘がたくさんあるので、
早くけりをつけてくださいよ。
大嘘がばれると、新しい大嘘で覆い隠そうとしても、
その手にはもう乗りませんよ。
- 457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 20:09:18 ID:fLDuukLn0
- 大正元年の12月分には次の記述があります。
12月5日、古河町より宇都宮に行き、翌6日帰りて藤岡の篠山にめぐりて
川島氏に泊す。
12月7日、川島氏より恵下野に来り、島田氏に泊し、田名網氏に逢う。
閑を得て野木に来たり、大野氏に逢うて、古河町田中助次氏に
逢うて泊す。
12月17日、藤岡町川内屋に泊す。
12月18日、出京、上野の上野館に泊す。
12月19日、島田三郎氏を訪う。この夜巣鴨の巣鴨館に。12月20、21、22、
23日、巣鴨館、上野館に泊す。
12月29日、本所緑町3ー20佐野屋川辺長三郎方、久々にて泊す。今日
花井氏を訪うて上野館に厄介。
- 458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 20:18:27 ID:k5zYOAgV0
- >>457
それで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
正造はあっちこっちに泊まり歩きましたが、だからといってそれが何なんでしょう?
最晩年に正造をただで泊める家が山のようにあったということは、
最晩年になるまでの間に、正造がそれらの人々に金では勘定できないほどの
貢献をしたという証拠です。
- 459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 20:13:59 ID:5oYC5ZhR0
- 彼の最後の年である大正2年の日記に移りますが、正月の元旦から
他人の家に泊まり歩いていることがわかります。
1月1日、2日、横浜根岸婦人慈善病院の上隣、福田・石川両氏を訪うて泊す。
1月3日、芝口越中屋に投宿す。
1月6日、東京より逗子に来たり松屋に投宿す。
1月20日、友沼、教員木本寅之助氏方宿。
1月22日、野木村字野渡に昨夜泊して、野木村の田畑を買収する手続き
を聞き、足尾銅山党の悪謀たるを説明し、降雪中古河町に帰る。
田中屋に宿す。
- 460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 20:27:56 ID:pp7U3Hij0
- >>459
あなたがどれだけお願いしても、これだけの人が泊めてくれるって事は無いでしょうね。
- 461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 20:45:20 ID:qlcTvFOk0
- このように、他人の家を回って寝と食とを恵んでもらうホームレス生活を
繰り返す中で、正造はこの間の日記に次のように書くのです。
「大正2年1月10日、宇都宮市停車場白木屋にて書く。予は、人の幸せを
祈る者なり。人の命を長くする者なり。人を助くる者なり。世の中を清む
る者なり。世を正す者なり。予は、山川を荒らさぬ、自然の者なり。河川
を地勢のままにして水を自然の清きを汚さず、流れを流す者なり」
いったい、寝たり食べたりする生活の基本をすべて他人に依存している
人間が、何で「人を助くる者」なのでしょう。馬鹿馬鹿しい限りです。
- 462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:00:40 ID:YGv5kSn+0
- >>461
そして正造はその年の8月に倒れ、9月に死ぬのです。
そんな人がその年になってまだ精力的に動き回っているというほうが
すごいことだと思いますがね。
しかも末期ガンですよ。
ところで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」と言ったかのような
大嘘をつき続けるのは何故ですか?
大嘘をついて指摘には素知らぬふりとは、まさしく馬鹿馬鹿しい限りです。
- 463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:53:07 ID:2m1J2XRe0
- 生前にどれだけ自己犠牲を強いて駆けずり回っていようと、後世の
蛆虫が貶す事は可能なんだな。神の視点ってやつだ。
俺はその埋め合わせに現世であなたに蛆虫って言って上げるよ。>>461
- 464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 21:05:13 ID:p6GbE3d10
- 田中正造は、10年以上も無収入のまま、働くことをせずに生活費をすべて
他人に頼るという、異常な生き方をしていたわけですが、普通の人ならそう
いう生き方はまずいと思うのに、彼は、それでも「世間の人は自分にお金を
くれたがらない」ことを不思議に思い、しかしそれは、神様がそうされている
のだと悟って、反省することにしたというのです。この感覚を皆さんはどう思
われますか。
この実体をよく物語っている手紙があるので、次回に紹介します。
- 465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 23:31:03 ID:Mvs+zMTH0
- >>464
それ、現在の政治家にそのまま言って回る方が意味有るよ。
歳費で活動費用なんて到底まかなえなくて寄付が頼みなんだから。
大人なんだから知ってるでしょ?
- 466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 19:07:16 ID:utPsuS9Q0
- それは、明治43年8月23日付けの碓井要作宛の手紙で、次の通りです。
「人を救うもの、かえって人に助けらるる点あり。しかれども笑うなかれ。天
は我に食を賜うの厚き甚だ多くして、分に過ぎたり。ただ天我に金品を賜う
の乏しき事、また分に及ばずして正造常に窮するところなり」
「これを案ずるに、予正造は金品に関係なきをもって予の業とせよとの教え
たるを悟れり。今はこれを悟れり。・・・金と道とは併行せざる所以、まことに
よく天は教えて、また我に金品をもって給せず。ここに安心立命の道自然に
備われり」
「よりて予は金品に乏しきを憂えず、厭わざるなり。天の賜うところのものを
受けて天の命に働かんとするにあるのみ」
この手紙から、彼の突然の訪問を受けた人々は、正造にお金をくれることは
あまりしなかった代わりに、多すぎるほど食事を出していたことがよく分かりま
す。もちろん、一番いい寝室に暖かい蒲団を敷いたことでしょう。
- 467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 19:31:59 ID:IG/kg3Z/0
- ところで彼は、当然その家に迷惑をかけるこうした行為をしながらも、さらに
平気で、普通の人には出来ないような失礼を繰り返していました。
岩崎勝三郎がまとめた『田中正造奇行談』(明治35年)にあるエピソードをい
くつか紹介していきます。
「先年、翁(正造)は被害地の各村を回って、帰途影沢某の家へ行ったこと
があるが、その時翁は雨茣蓙に草鞋がけという出で立ちで、裏口からつか
つかと奥座敷に入ったが、そのまま横になり、腕枕で昼寝を決め込んでし
まった」
「家人はそんな事とは夢にも知らなかったが、しばらくたってこれを発見した
から何者かと行ってみると、はからずも田中翁であることが分かった。翁が
家人に向かって言うのに、あまり駆け走って疲れたゆえ、裏の方から失礼し
たと、挨拶がすむとまたも昼寝をつづけたとは、いかにも頓着しない男である」
この頃は、国会議員は雲の上の人だったので、庶民はどんなことをされても、
文句を言わなかったのでしょう
- 468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 21:11:45 ID:DHz0JKPy0
- >>467
どっかの誰かが鉱毒をたれ流ししなければ、田中正造もそんな
苦労をしなくてよかったんですけどね。
その言い方では、正造が草履がけで他人の家で昼寝したのは、
古河市兵衛が悪いからという意味にしかなりませんよ。
どうしてそんなに古河を悪人にしたいんですか?
ところで、花村が「10倍ぐらい」の「穏健派被害民」がいたと言った
かのような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
- 469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/01(火) 12:43:30 ID:TSz1Vjqk0
- 岩崎勝三郎って奴の身元が気になるな
誰かさんみたいにどっかから金もらって書いたんじゃないのか?w
- 470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/01(火) 21:09:52 ID:oSGCkkvU0
- >>469
いえいえ。この本の序文は
「此世に生活して居ればこそ田中正造だが、死ねば直ぐに田中明神と祭られるのだ、して其死んだ
後に祭られた人は、明治の昭代にも少なくないが、死なぬ前に、なんだかんだと騒がれるものは、
恐らくは此田中正造の外は一人もあるまい。
然らば何故に、此くも世間で持囃されるかと云つたならば、外でもない、翁は実に忠君愛国の至誠に
富んで居るからである。
殊に鉱毒問題の如きは、翁が一生の事業として、十年一日の様に、其善後策に翻弄されて居るにも
関はらず、当局者は未だにこれを解決して呉れない、最早此上は一身を犠牲に供しても、幾萬の
被害民を救ひ出すの外ないと云つて、遂に直訴を企てた、所謂明治の佐倉宗五郎を演じたのである。」
(一部の漢字を現代のものに改めました)
と始まる本なので、そういう誰かに金をもらった本ではなさそうですよ。
ところで、岩崎の言うとおりだとすると、当局者は全然鉱毒問題を解決させなかったということになりますね。
まさにそれは本当です。
どこかの大嘘つきに見せてあげたい文章ですね。
ああ、もう読んでるんですっけね。
- 471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 00:41:05 ID:V/Ik5/G/0
- ワロタ、正造のヨイショ本なのに
悪意を持ったような部分だけ抜き出したのかw
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