【肝付】小松帯刀【尚五郎】
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 13:09:49 ID:21Fz4Z1Y0
- 大河ドラマ「篤姫」でも活躍している肝付尚五郎、後の小松帯刀。
維新の立役者の一人であるが西郷隆盛、大久保利通に比して
知名度はいまひとつ
しかし重要な志士の一人。
その小松帯刀について語ってみましょう。
- 2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 15:44:57 ID:r3qdRGsb0
- この人の具体的な実績どういうものがあるの?
- 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 16:47:07 ID:R8PjJOtx0
- >>1
明治にすぐ死んじゃったからね
>>2
西郷、大久保、龍馬を抜擢し薩摩藩を革命の方向に動かした
この人が居なかったら西郷や大久保も龍馬もここまで活躍できなかった
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:35:07 ID:r3qdRGsb0
- >>3
もっと具体的にどう抜擢して動かしたの?
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 18:45:10 ID:R8PjJOtx0
- >>4
久光に上手く取り入り大久保などを登用するよう献言した
自分が信頼した人間に十分権限を与え、自在に腕をふるわせ責任は自分がとるというタイプ
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 19:00:26 ID:r3qdRGsb0
- >>5
てことは己で実際なにか偉業を成し遂げたって人ではないのな?
人材活用術みたいなのに長けてて彼らの能力をわかり、またその考えを理解でき絶妙なポジションに配置したと
それだけであれだけの名声があるのもよくわからんが
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 23:58:03 ID:BcjZT8EU0
- 人に権限を与えるには、自分が権限もってないとだめだわね。
で、自分が権限持つには、生まれがいいとか、実績積むとか。。
この人の場合は?
- 8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 02:20:25 ID:ncYEa4C3O
- 生まれが良いから家老の家に養子で入る
家老になって、藩政を任される
西郷、大久保路線で藩内をまとめ、
対外的にもその人柄により
薩摩への信頼を高めた
- 9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 02:25:35 ID:ncYEa4C3O
- でもそんなに一般的には有名な人でもないでしょ
教科書レベルでは大政奉還の二条城に
薩摩代表で登城したくらいな人
だから大河ドラマでも
話を大幅に捏造できる
西郷や大久保クラスの有名人なら
あんなに捏造したら大変なことなるからね
- 10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 12:21:08 ID:cEp5cEEu0
- 人と人を結び合わせるのが得意だったにかな。
それとエゲレスから武器を買い付けることも
小松の役割だった思う。
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 16:35:57 ID:v4rtdBTD0
- ドラマ通りの人なら、この人が、長生きしてれば、西南戦争も
起きなかったかもね。
西郷と大久保の中を取り持てる唯一の人に描かれている。
広く人望を集める人柄なら、伊藤博文より先に総理大臣に成って
も可笑しくないと思うな。
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 16:48:25 ID:dD3URoMH0
- 大河の扱い酷すぎるな。
維新の四傑と時に言われる人なのに。
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 16:59:34 ID:GjDDL9KD0
- 長州の広沢くらい実績と評価に対しての疑問をもつ人物だな
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 17:26:53 ID:v4rtdBTD0
- 維新の三傑 木戸孝允と西郷隆盛と大久保利通。
木戸孝允と比較すれば、藩内のエリートとしては、木戸
より上だよな。木戸の様に禁門の変で、失脚する様な事
も無いし、順調に出世してる。
高杉晋作みたいな、壊れた所が無いので、エピソード
に欠けるんだろうけど、能史だから、藩政の中枢に
居続けられたんじゃないか。
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 18:18:15 ID:abjeFsM20
- 暗殺されたの?それとも病死?
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 19:38:49 ID:nqHiAnWz0
- 病死だろうな。
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 23:21:11 ID:KTqUJqM9O
- 月代剃ると風邪をひくくらいだからな
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:15:37 ID:gUzVMnPk0
- 小松帯刀は病死が定説のようです。
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 10:59:19 ID:62XDeZHW0
- 生きていたとして、明治6年政変で西郷と大久保のどちらについたかだよな。
例外は多いが、大概「岩倉使節団組=大久保派」「残留組=西郷派」になってるから、
ほとんど運だよなあ。。
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 13:17:51 ID:gf74gVwZ0
- 両者を仲介することは無理だったの?
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 16:23:29 ID:+3ij2hxuO
- 小松帯刀なら、あるいは西郷と大久保を仲介し
争いを防いだかもしれない。
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 20:57:40 ID:q3e4NpMp0
- 小松なら大久保側につくでしょ
- 23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 21:06:23 ID:3g7NSCOI0
- 賞典録のランクはそんなに高くないよね
西郷が二千石、大久保・木戸が千八百石で、小松は千石(板垣・後藤あたりと同じ)
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 21:20:13 ID:gf74gVwZ0
- 明治維新は下級武士が藩主や上級武士の支配を逃れて天皇直結で
政府を作るという目的が薩長の下級武士たちにあったんでないの?
天皇の下で旧大名が政治を行うという形(天皇が江戸時代の将軍を兼ねる
ような形)にするの方法もあったわけだし。
久光あたりはそういう考えでなかったの?
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 22:00:40 ID:jxxMbrcC0
- >>22
小松なら西郷に洋行を勧める。
欧米と国力の差を実感させれば西郷の考えも変わる。
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 23:31:40 ID:9WzI3cv+0
- >>24
久光は譜代老中の代わりに自分達が権力を握るまでしか考えていないだろう。
犬猿の慶喜を退かして代わりの徳川当主と雄藩大名で政権とるまでが想定内。
つまり幕府を滅ぼすまでは考えていない。つか西郷達が徳川をガチに滅ぼしに掛かると知るや大激怒。
そんな中小松は久光をはじめ薩摩国許に大勢いた倒幕反対派との板挟みに頭を痛めた。
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:40:07 ID:QqbosACT0
- >>26
天皇(飾り)−徳川将軍(飾りかロボット)−雄藩が政治主導
という感じ?
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:46:44 ID:e9oRNnDVO
- 久光将軍
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:50:55 ID:e9oRNnDVO
- 小松は大政奉還路線の
坂本と動いてから
雄藩連合+各藩武士での
政権を考えたらしい
本音なのか討幕組みとの役割分担なのかは不明だね
西郷なら小松がそう動けば
討幕の意志を隠せるから
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 16:50:15 ID:oYEfKruaO
- 小松帯刀が死んだのは病死と言われているが
病名が分からない。何の病気だったのだろうか。
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 05:37:32 ID:ASMN79j60
- そうなのか
病死なのに病名わからず・・・
う〜ん、これにはなんかあるな
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 06:46:55 ID:imF2lG8tO
- こいつより山本帯刀の方が有能である。
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 13:46:42 ID:imF2lG8tO
- 小松帯刀より山本帯刀の損失の方が痛かった。
あんな有能な人物を処刑するなんて薩長は馬鹿だ
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 15:00:45 ID:+E62HTEj0
- >>32 >>33
比較する程の記録が残っていないだろ。
戊辰戦争の時24歳で戦死したんじゃ。
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 02:47:42 ID:ORJ03WS6O
- >>34
24歳の時点で次席家老をやっている事を考えても有能だろ。
筆頭家老があの人だし
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 06:44:18 ID:eStuGKfF0
- >>35
>24歳の時点で次席家老
24歳で、家柄や家格で家老執政になるのは、当時なら特に珍し
い事じゃないよ。
薩摩藩と長岡藩では、組織の規模で、大企業と中小企業ぐらいの
差が有る。財政でも十倍以上の開きも有るしね。
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 09:39:49 ID:c6fP22Md0
- 有能な人材が全然いないから、若手でそこそこの奴を家老にしただけ
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 10:56:10 ID:ORJ03WS6O
- >>37
長岡藩は結構有能な人材が多いし
山本帯刀はもともと門閥の山本家出身ではないし
幼少の頃から有能だったから山本家の養子になった
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 15:18:12 ID:CF0Abk6n0
- >>38
譜代大名の家臣と言うだけで思考や行動に限界を持っている。
企業に例えれば、徳川宗家が、親会社で、譜代大名が、系列
子会社。常に藩主の背後に徳川将軍への忠誠が有るので、勝手な
外交交渉は、出来ない。
外様大名の家臣の小松が、薩長同盟を成立させた様な真似は、
出来ない。自藩の中立を宣言するのがやっと。
会津藩を差し置いて、反薩長連合を糾合も尚更出来ない。
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 18:12:36 ID:8e9ZY3g60
- >>39
そんなことはない。
譜代大名家でも尊王攘夷派だった家臣なんていくらでもいるし、
御三家の尾張藩なんて、藩主の徳川慶勝自身が尊王攘夷派。
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 22:17:57 ID:SxkXVal90
- >>40
譜代大名の家臣が、御三家や親藩大名の家臣相手に指導者面したら
反発されるのが落ち。
御三家の尾張藩と牧野氏の長岡藩じゃ影響力が、違いすぎる。
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:17:50 ID:+yQCLwsC0
- >>39・41
あのさ、幕末は親藩・譜代・外様を問わず、どの藩でも佐幕派と勤王派に割れたんだよ。
譜代藩の家臣だからどーのこーのとかはない。
鳥羽伏見では譜代の彦根藩の裏切りで幕府軍は敗北したし、
同じ越後の譜代の名門榊原家15万石なんて、早々に西軍に寝返った。
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 06:11:58 ID:J4DUB7vX0
- >>42
薩長同盟は、倒幕が可能か如何か判らない時点で、藩政の方針を前藩主以来の
幕府支持から倒幕に転換してるの。
同盟により、第二次長州征伐の前に長州の武器の買い付けを助けている。
鳥羽伏見の戦況で、勝ち馬に乗ろうとして藩の方針を切り替えたのとは、大違
いなんだよ。
小松が、家老として西郷や大久保と久光の間を取り持たなければ、土佐藩の
武市瑞山の様に、久光に嫌われていた西郷など殺されている。
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 09:23:49 ID:Nu2OUqlX0
- >>43
譜代の長岡藩から、外様の薩摩に話がスリ替わってて反論になってない。
ゆとり脳か?www
まあ、元々小松帯刀のスレだからいいけどw
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 10:31:32 ID:3WXq/NExO
- 山本帯刀と小松帯刀って歴史的役割は同じように感じる。
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 10:46:59 ID:3WXq/NExO
- 山本帯刀がいたから河井の藩政改革が成功した。
小松帯刀がいたから西郷隆盛が表舞台に立てた。
しかしながら彼らが最終的に藩を潰したことまで似ている。
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 11:03:48 ID:3WXq/NExO
- それにしても長岡藩は薩摩藩の十分の1の規模なのに西郷や大久保に匹敵するそれ以上の人材と
小松帯刀とほぼ同格の名家老を輩出しているのにこの人気のに差はなんなんだ。
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 11:32:51 ID:3WXq/NExO
- 長岡藩にはガトリング家老だけでなく米百俵と億千マンがいることも忘れないでくれ
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 14:48:30 ID:lumKbQZE0
- 何が同格だ。薩長同盟が、無ければ倒幕は、不可能。
倒幕が無ければ、慶喜中心の近代化政策が行われている。
歴史に与える影響が丸っきり違うよ。
戊辰戦争の局地戦で、少し活躍しただけで結局負けているだろ。
御三家の紀州や尾張が、新政府側に就いて慶喜も自ら謹慎して
いるのに、中立政策や反薩長戦を挑むなど戦略眼の欠片も無いよ。
田舎者の強情でしかない。
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 15:11:03 ID:lumKbQZE0
- 戦術的にも長岡城を、裏をかかれて占領されるし。
無理やり城を奪還して、自軍を消耗させ自らも負傷。
わずか五日で、薩長軍に奪い返されている。
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 17:06:45 ID:3WXq/NExO
- 薩摩も西南戦争で西郷と一緒に自滅しているじゃないか
まだ会津藩が生き残っているだけ長岡藩には勝つ望みがあった。
それについて答えてくれよ
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 21:32:57 ID:EthppQZU0
- >>51
西南戦争は、戊辰戦争と関係無いよ。時系列を無視するな。
7月29日、新政府軍は再攻勢をかけて長岡城を再占領。
越後の全域が新政府軍の支配下に入ったのが8月16日。
新政府軍は、8月23日朝に会津若松城下に突入し制圧。
会津の降伏が、9月22日。約一か月のタイムラグしか無い。
長岡藩が、闘ってる最中に白河口も二本松も新政府軍に
抜かれている日光口も二本松陥落で撤退。
何処に勝てる見込みなど有るんだ。
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 22:14:38 ID:3WXq/NExO
- >>52
西南戦争までが幕末維新だろ
西南戦争ほど無謀な戦争がないだろ
佐賀の乱あたりで西郷が参戦してたら勝ち目はあっただろうけど江藤を見殺しにした時点で戦争する意味がなくなった。
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 22:41:03 ID:3WXq/NExO
- >>52
北越戦争開戦時なら十分巻き返しは可能だったよ。
彰義隊も上野で健在だったし、榎本艦隊も江戸湾にいたし、北関東に土方や大鳥もいたからまだ逆転できた。
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:07:15 ID:dSD9hpnB0
- >>54
連携させるリーダーが、いないから無理。
榎本も大鳥も勝の口車に乗って江戸を離れるし
その他も、結局バラバラに動いて、個別に潰さ
れている。
指揮系統が、統一されていないから好き勝手に
行動している。
新政府軍は、西郷ですら大村の指示に従って
いるのにね。
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 23:29:37 ID:07sscq+m0
- いつのまにか小松帯刀の話が消えている。
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 03:53:01 ID:9Tw55VZ80
- 長岡藩見たいなローカルな話は、こっちで語れよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1132450230/l50
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 21:16:10 ID:r024r+8v0
- 小松帯刀がいなければ薩長連合も、大政奉還も実現しなかった可能性が高い。
- 59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 22:32:03 ID:cpwOoW0R0
- 西郷隆盛は、斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される。
復帰するが、新藩主の実父で事実上の藩主の島津久光と
折り合わず、再び、沖永良部島に流罪にあう。
しかし、家老小松帯刀や大久保の後押しで復帰。
大久保は、兎も角小松が復帰を望まなければ、
西郷は、島流しの儘だからな。
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 23:01:23 ID:VWoPpNFV0
- 薩長連合は帯刀と龍馬が親友だったことや、薩摩の武器購入を
帯刀がやっていたことも幸いしたのだろうな。
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 23:05:00 ID:mvvj+X6z0
- 山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を
もっとも多く受けたものの一つですから、
それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで
受けつづけてきたところですから。
そういうことがあって、長州的思考法というのは
ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。
司馬遼太郎
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 23:09:06 ID:QoYwxBgxO
- 尚五郎さんは今日の放送で結婚したけど姉さん女房だね。
夫婦円満だったかな。
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 00:26:53 ID:D4a2qD1m0
- 嫁さんと義父の言う事は、素直に従っていた様だね。
『小松帯刀日記』安政3年(1856)4月19日条に次のように書かれている。
「一、御トヽ様ニハ今日ヨリ踊之内栄之尾温泉エ御湯治トシテ六ツ過御船ヨリ御出ナリ、
尤チカ(お近)ニモ御同道申上、差越候事、拙者ニハ来ル廿二日方ヨリ差越賦(つもり)
ナリ」
小松の義父清穆が霧島の栄之尾温泉に湯治に出かけるので、お近も同道し、小松もあとか
ら追いかけるという意味だろう。
実際、小松は22日に出かけ、5月5日まで湯治している。その後、2人とは別行動をとって、
都城・安永・福山などを見学している。清穆とお近の父娘は5月10日まで栄之尾温泉で湯治
してから帰郷したようである。
小松帯刀とお近が婚姻したのは安政3年正月頃と思われる。この霧島湯治はそれから3カ月
後なので、新婚旅行といってもよいというわけだろう。もしそうなら、龍馬夫妻より10年
も早いことになる。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-311.html
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 00:39:30 ID:ayzgsy0Y0
- 幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/451
山本帯刀・・・・1844〜1868
代々家老職を継ぐ門閥であったが、聡明にして果敢という評
価がされている人物で、河井継之助の人物、思想を理解していたとされ
藩政改革での藩士の俸禄改正では三分の一減俸を積極的に受け入れ、
藩士の範を示した。
長岡で戦端が開かれるや若き指揮者として重きをなし、大隊を率いる将として奮戦
長岡陥落により八十里峠附近で残存の長岡兵を指揮し西軍進入を8月末まで阻止。
その後会津若松へ転戦、会津戦争を配下の長岡兵と共に戦うも明治元年9月8日、
会津の飯寺村において集結の西軍攻撃を濃霧の中行うも長岡兵は敵味方を誤認し
配下の43人と共に捕らわれた。
西軍の将はその人物を惜しみ降伏を勧めたが降伏を拒み、
山本含み43名は翌9日斬首された。享年24歳
山本帯刀亡き後の山本家はその後、養子となった山本五十六が継いだ。
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 03:49:37 ID:NInqmACyO
- その分京都ではやりまくりだ
- 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 05:13:03 ID:1Sa53JWG0
- お近が病弱だったのと京都勤めが長いので、小松とお近との間には子どもができなかった。
小松は京都暮らしが長かったため、京都妻もいた。よく知られているのはお琴である。
もとは芸妓(げいこ)だったと思われる。お琴は小松との間に3人の子をもうけている。
上から安千代、辰次郎(早世)、於須美(おすみ)である。お琴は小松が他界してから
4年後の明治7(1874)年、26歳の若さでなくなっている。お琴は吉利郷
(現・日置市日吉町)の園林寺にある小松家墓所に葬られ、小さな墓標が立っている。
小松の死後、安千代と於須美はお琴とともに大阪に住んでいた。お琴がなくなると、幼い
2人は五代友厚に保護されたあと、鹿児島のお近に引き取られる。その後、安千代が
小松家の家督を継ぎ、清直(1865−1918年)と名乗る。
小松にはもう1人の京都妻がいた。名前を「祢政」(於政(おまさ)か)という。祢政は
明治元(1868)年10月、清揚(きよあき)という男子を産んでいる(「小松帯刀系図」)。
清揚はのちに竹崎家の養子になっている。
http://373news.com/_bunka/jikokushi/51.php
まあ、当時の家老職の武士としたら世継ぎをつくるのも役目の一つだからな。
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 08:37:10 ID:oTcznQsh0
- 小松家に養子に入った時点で子孫を残すことも
義務付けられていたようなものだから妻に子がないと
側室置いても仕方ないね。
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 14:52:00 ID:wD+RRK350
- http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=10519
オナゴローがお近にあてた手紙を発見!
体が弱いのでくすりを送っている
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 17:13:31 ID:wD+RRK350
- いま鹿児島の書店で人気の本
http://item.rakuten.co.jp/book/5531041/
「龍馬を超えた男小松帯刀 」;原口 泉 著
篤姫と同時代を生きた“幻の名宰相”。西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、徳川慶喜。尊皇・佐幕の壁を超えて「小松なくば何もできぬ」と言わしめた幕末最大の英傑、小松帯刀の知られざる生涯。
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 17:31:03 ID:vfim+Qiq0
- >>69
その本読みました。
鹿児島に小松帯刀の銅像が西郷、大久保に続いて立つかも。
それくらいの業績あるものね。
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 23:57:34 ID:cIHYRt9w0
- 龍馬から一橋慶喜まで幅広い人脈と交流をしてるんだよな。
元治元年、京都滞在中の小松は、鹿児島の大久保にあるグチ話を書き送る。
当時一橋公だった慶喜はハイカラ好みであったことが有名であるが、特に豚肉の美味しさには
眼が無かったようだ。「豚一殿」と陰口を叩かれていたことも知られている。
薩摩藩士である小松は自分の食用として豚肉を保有していたようで、そのおかげで小松はたび
たび慶喜に豚肉をねだられ、ついには手持ちが底をついてしまった。
そこで急いで国許の大久保に、余分な豚肉を持っている者がいないかと問い合わせている
それにしても大名というものはワガママなものだ、と嘆息しているのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/thinuno1/5568757.html
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 00:39:38 ID:QKvllmlS0
- 浦上キリシタン事件では死罪に反対し認められる
横須賀造船所をフランスが差し押さえようとした時は、イギリスからお金を借りて返済
徳川が招待したフランス陸軍士官の早期帰国にも尽力(内戦介入を防ぐため)
明治天皇の東京行幸では御用掛の1人になり、版籍奉還にも参画
1年足らずにしては活躍してるな
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 01:14:51 ID:ALOoHQnn0
- >>70
もうとっくに建ってるよ、→小松帯力の銅像@鹿児島。
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 17:12:32 ID:MWsqMMcz0
- 萩原延壽「遠い崖」にも出てきます、当然ですけど。
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 23:14:09 ID:dj/Anicp0
- 病気にならなければ元気で活躍していれば維新の戦闘が減っただろうな。
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 23:36:48 ID:jjco17dm0
- 小松帯刀像のお清め式
京の側室との子供の末裔の大関酒造の社長も来鹿
瑛太の好演の効果でオナゴロー人気。オバサンや若い女性を中心に人気者
http://www.mbc.co.jp/web-news2/00124296_20080514_300k.asx
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 02:15:50 ID:E+4znesXO
- 子孫いるんだね…
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 08:14:42 ID:yMXzli3s0
- 苗字帯刀
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 14:35:18 ID:HpOPWh+R0
- 小松は子供のころは喘息とその後は糖尿だったらしい。
団子好きは本当のエピソード
五代友厚も糖尿西郷さんも糖尿の気があったらしい。
- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 14:36:21 ID:HpOPWh+R0
- http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=10654
幾島の墓を鹿児島市内で発見!
いままで出生不明とされていたが
1808(文化5)年6月18日、江戸詰め薩摩藩士と秋田藩の家臣の娘の間に生まれ70(明治3)
年4月26日、63歳で東京で没した。現在、子孫は宮崎市に居る。
現在の松坂のような餅肌だったといわれる
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 18:13:50 ID:xqvtFC0TO
- 西南戦争
- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:41:03 ID:KUY3Y+CQO
- 小松の銅像は建ったが
未だ故郷薩摩には、大山巌の像は無い
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 00:19:37 ID:LXoSQRqDO
- 政府軍の薩摩の方々ね…
時代は変わった
いつか建つよ
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:53:27 ID:nftqn29Y0
- かごんま塵は、故郷を見切った人と裏切りものは
終生許すわけにはいかないと言い切る
- 85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 07:55:58 ID:O01N+ULo0
- 首切り役人
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 14:18:09 ID:zGV+YHio0
- 大久保は、優秀な人材なら出身藩など問わなかったので、
伊藤・大隈・前島らを登用し、手足のように使ったが
西郷はひたすら薩摩士族ばかり可愛がったからなあ。
かごんま人は、自分達を身びいきしてくれる人が好きなだけ。
まるでそこらのヴァカ女子中学生みたいだ。
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 14:41:59 ID:hfr0Kf4xO
- う〜ん、人はいいと思うんだが…
その話で思い出したが
なんか薩摩藩の英国留学団の中に
他藩のメンバーもいたのに記念銅像は薩摩出身者だけ…みたいな
まぁ人物、同郷のみに絞っただけなんだろうけどね
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 08:15:11 ID:mf0xjEaC0
- >なんか薩摩藩の英国留学団の中に
>他藩のメンバーもいたのに記念銅像は薩摩出身者だけ…みたいな
>まぁ人物、同郷のみに絞っただけなんだろうけどね
それが現代かごしま人(とくに直轄地域人)に脈々と流れる鹿児島至上主義
のせいだろう。鹿児島人は称えるが他は無視みたいな…。
あんまり他所と友好という考え方が少ないよ。鹿児島は
鹿児島が鼻ツマミ者扱いされる要因だよ
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 12:00:26 ID:QebRRwFQO
- しかも同じ薩摩でも上士だけだろ
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 15:40:45 ID:r1uCvyQF0
- 小松帯刀は善良な人だったのかな。
人と人、組織と組織を結びつけ裏で支えているような人で
表に立たなかったのだろうね
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 17:30:54 ID:mf0xjEaC0
- 帯刀のようなタイプは過去の薩摩にも現代の鹿児島でも
少ないタイプ。
>しかも同じ薩摩でも上士だけだろ
薩摩藩の上士はほぼ島津の縁戚と薩摩の土豪で固められていたから
帯刀以外は殆ど改革や志士には参加してない。
忠誠組を中心とした下級武士や郷士が主体
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 20:38:08 ID:KjFsXqFsO
- 帯刀 御所護衛 薩摩英戦争
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 07:27:58 ID:tVgN1lXX0
- 日本で、はじめて大英帝国と外交交渉を行ったのは、長州でも
江戸幕府でもなく薩摩、その仕切役、小松帯刀。
日本ではじめてシャンパンを宴席に出したには小松帯刀
大政奉還を促したのは実は小松帯刀
まさに「小松なくば何もできず」
しかし最初から万能ではなかったはず、主流派でもなかったはず
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 17:29:12 ID:j0t1paQFO
- その頃の英国君主、ヴィクトリア女王だっけ?
同時代の、清の西太后
そして、天璋院
この三人の晩年の風貌、なんか似たものただよわせてるよな、女傑顔w
ごめんスレチ
鹿児島土産に、幻の宰相・小松帯刀ラベルの焼酎もらったな…
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 19:46:50 ID:r0tLgjSX0
- 小松家当主になると領地経営で評判に成るぐらいだから実力は有ったと考えて
良いんじゃないか。
当主になった帯刀は領内改革に取り組み、その手腕を発揮する。その一方で、吹上浜の雑木林での兎狩りや、
若者たちによる相撲などを催しては、無礼講にて家臣および領民の意見などを聞き入れるなど、またたく間に
「小松家の名君」として藩内では知らないもの者はいない存在になった。
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html
この評判で、久光の近習に成ったんだから。
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 20:00:46 ID:r0tLgjSX0
- 小松帯刀(たてわき)が京都政局の表舞台に躍り出たのは文久2(1862)年春。
島津久光は亡兄・斉彬の遺志を継ぐとして、朝幕改革(京都手入れ)のために率兵上京を企てる。
これには、薩摩藩の主だった家老も無謀な賭けであるとして反対し、奄美から召喚された西郷吉之助
(のち隆盛)も、鹿児島育ちで京都や江戸に声望や人脈のない久光ではとても成功はおぼつかないと、
一度は諌止(かんし)したほどである。
小松はこの久光の政治的な賭けの先兵として京都に一足先に乗り込んだ。小松がまず最初に会った要人は
近衛忠熈(ただひろ)だった。忠熈は前(さきの)左大臣で、安政の大獄で謹慎処分を受けたままだった。
久光の率兵上京の目的のひとつは朝廷改革であり、人事面においては大老・井伊直弼(なおすけ)に協力的
だった関白・九条尚忠(ひさただ)に代え、島津家と縁の深い忠熈を関白に就けることだった。
小松はそのために奔走したのである。そのかいあって、忠熈はほどなく関白に任官する。
http://373news.com/_bunka/jikokushi/47.php
この功績で、弱冠28歳の薩摩藩家老に抜擢されるんだからその周旋能力の高さを後々も発揮するんだよな。
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 22:42:31 ID:ldhRKSTr0
- 大河ドラマでは小松尚五郎は架空の人物と勘違いしている人も多いようだ。
あれだけの維新の功労者なのにかわいそう。
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 02:19:04 ID:zLDvwBdyO
- 早世だよな
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 05:05:52 ID:Yj+WCHI60
- >>97
あれでは知名度広まらないほうがかえってマシだとオモ。
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 07:42:02 ID:w6dSKwubO
- ドラマでも、もっとしっかりした男らしい姿に描いてほしいね。
じっさい優れた人だったのだから。
- 101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 11:52:52 ID:SiXfty+i0
- 早漏だよ
- 102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 21:31:49 ID:AXFz8RyG0
- パリの万国博覧会に、薩摩が単独で出品して幕府と張り合ったのはなぜ?
小松帯刀と関係があるの?
- 103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 22:47:11 ID:2nIyPOvy0
- 薩摩藩は倒幕を実施したチーム(サッカーで)とみなすと、オーナーが島津久光、監督が
小松帯刀、司令塔が大久保利通、フォアードが西郷でゴールを
蹴りこんだというところがいいところ。
- 104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 21:57:09 ID:O8CJdmf/0
- >>102
パリ万博の行われたのは1867年で、既に幕府と薩摩藩は敵対関係にあったから。
パリ万博の薩摩藩出展の責任者は五代友厚
五代や寺島宗則のような薩摩藩の英国留学生組がやったんだよ
- 105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 17:31:39 ID:fO0RU3KCO
- 小松帯刀弁当販売記念あげ
- 106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 22:49:38 ID:17P/T/U1O
- 山本帯刀弁当も作ってくれや
- 107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 22:53:42 ID:LIRr1+4k0
- じゃ、安藤帯刀も。
- 108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 01:57:53 ID:PeRlV3AJ0
- 小松は西郷のように好き嫌いが激しくなく偏見ないし薩摩に珍しい木戸タイプだよな
木戸のようにネチネチしてないし
- 109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 11:59:46 ID:tg7tHEwm0
- 久能帯刀も
- 110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 21:14:13 ID:U9atHd8d0
- 弁当
ttp://do-yo.at.webry.info/200803/article_13.html
- 111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 02:47:57 ID:PfBeY0MaO
- 旧字体の『辨當』がいいな
お食事「處」みたいな…
- 112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 02:52:26 ID:7jrmxuXQ0
- >>3
斉彬の時代から名士として名を馳せていた西郷を"抜擢"した??
久光に島流しにされてるのを戻してやった事について抜擢だといってるのか?
藩内は西郷を求める声高く、久光ですら西郷の復島を認めざるを得なかった状況だぜ。
なにも小松が一人で周りの声を押しのけてやったわけじゃない。大久保の力も大きい。
それに大久保だって自分から囲碁を手段に使って久光に接近して重用されたわけで、
なにも小松に抜擢されたわけじゃないでしょ。
小松はその時期にはもう若き家老として藩内に重きを置いていて、その件にも一枚咬んでいたのかい?
最近の研究ではそうなってるの?是非教えてくれ!
- 113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 10:20:48 ID:eZjfEk6e0
- >>112
趣味が囲碁だったというだけで、
囲碁を足掛かりに久光に接近したというのは創作かと。
時代小説やドラマの見過ぎだ。
- 114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 11:32:57 ID:7jrmxuXQ0
- >>113
オレが読んだ史実検証系の本にも囲碁をきっかけに久光に接近できたというのは定説のように
書かれていたんだけどな・・・。(甲東逸話にも載ってるし)
「久光への接近のために碁を学んだというのは創作だ」という説は知ってるけど、
その論者も「大久保のもともとの趣味である囲碁が、たまたま久光の趣味と合致した」
と唱えているんであって、囲碁がきっかけだってことは否定してないんだよね。(どころか疑いすらない)
是非>>113が創作だと判断するに至った、囲碁きっかけ説に異議を唱えている本やサイトがあるのなら教えてくれないか?
- 115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 15:53:19 ID:l7nWwcTw0
- >>112
>小松はその時期にはもう若き家老として藩内に重きを置いていて、その件にも一枚咬んでいたのかい?
1862年(文久2年)、帯刀は27歳の若さで家老職に就任する。また、帯刀は大久保利通に請われて
下級藩士の勤皇グループ・誠忠組の指導者にもなる。
http://k21komatsu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html
西郷不在の時に、大久保は、小松を誠忠組の指導者として迎え入れているぐらいだ
関与してるに決まっているだろ。
誠忠組は、大久保が、実質的に仕切っていても、小松の政治勢力で有り私兵として
誠忠組を、手足の様に使っていたんだよ。
家柄や家格が、重視されていた時代に、島津一族に次ぐ家格の小松家の当主は、
薩摩で大きな力を発揮出来る。
単に実力だけでは、如何にも成らない事を現実主義者の大久保は、判っているから
小松を誠忠組の指導者に担いだんだ。
- 116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 19:03:58 ID:7jrmxuXQ0
- >>115
なるほど。1861年に大久保が小納戸役になったときには小松も翌年家老になるほどの力をもっていたわけだ。
大久保と小松も同時期に久光に気に入られていった鋭才同士だけに関係を深めていったのは当然だな。
たださ、>>3みたいに小松が大久保を抜擢っていうのはやはり違和感があるよ。西郷も然りだけど。
精忠組(誠忠組とどっちが正しいのかねぇ?)が小松の政治勢力で私兵と言い切ってしまうのもどうも腑に落ちないよ。
下4行には同意です。
ただ、言うならどっちかってと指導者より代表者が適切では??精忠組の意見を代表して藩内に発表できるのは小松くらいだし。
指導者は実質的に仕切っている大久保のほうが適切。
>>115さんは>>3と違うわけだし、抜擢云々は関係ねえって思うかもしれないけどご容赦ねがいます。
- 117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:49:16 ID:Q0V8Io430
- アーネスト・サトウはかなり、小松を評価していたようですね。
長州で小松に対応する人物は誰なのでしょう?
- 118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 03:33:00 ID:kFNwJNOfO
- >>117
周りの武士達に比べ品格のある顔立ちであったと
- 119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 12:41:28 ID:rTY7Lw3aO
- >>117
木戸孝允(桂小五郎)だね。
- 120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 13:29:54 ID:NuCWyt00O
- 藩の高級役人だった波多野金吾のほうがしっくりくるなあ…
ペリー以来志士活動で高名だった木戸は性格こそ似ずとも西郷でしょ。
- 121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 18:59:07 ID:Nezut4Yl0
- >>117
オレも広沢(波多野)が小松に相当する気がする
早死にしたことも同じだし
- 122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 21:03:51 ID:1XK9maCb0
- 桂小五郎は運が良かったじゃないのかな。
高杉も久坂も早く死んだし。
もう一人、池田屋で死んだ吉田稔麿あたりが生きていたら、出る幕なし
状態だったじゃないかな。
- 123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 21:41:09 ID:PpbHi5lMO
- う〜ん…久坂はすぐに死んだから政治家としての才能はわからないし、
高杉なんて自他共に認める革命の人だから明治政府で何かを成せたとも思えん。
生きてても士族反乱を起こしたんじゃないかってよく言われてるよね。
とりあえず桂を過小評価しすぎかと。
もうちょっと勉強したほうがいい。
- 124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 14:14:52 ID:GHriM+0Y0
- 帯刀帯刀「たいとうたてわき」と読む。
- 125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:52:53 ID:TZ1KK/t8O
- 島津久光の時代になり小松帯刀は活躍する。
城代家老の地位だから出来たこともあり、その地位を利用しだいかつする。
- 126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 19:24:44 ID:c6hWZmFPO
- 龍馬を超えた男という本があるがどれだけ超えていたのだろうか?
- 127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:39:13 ID:pWneICeE0
- 「龍馬を超えた男」って・・・
「どっかのテレビ局の北国の坂本龍馬」と同じくらいアホなタイトルだな。
個人としての身分、立場が違いすぎて比較にならん。
した仕事の種類も全く違う気がするし・・
- 128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 02:37:35 ID:DcjeCHC6O
- >>127
身分としては城内家老の小松帯刀が上の立場にはなる、脱藩癖のある坂本龍馬は郷士の身分。
偉いのは 薩摩と長州 所謂 薩長同盟のさい 京都小松帯刀邸 で酌み交わされた。
有名なエピソードは 薩摩新婚旅行に来ていた坂本龍馬とお龍さんの旅籠を尋ね 当時長崎でしか手に入らないカステラを持っていた小松帯刀。
- 129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 02:58:43 ID:DcjeCHC6O
- 【港区郷土史料館】外国人と写真に写っている、この当時薩摩家老
小松帯刀が写真中央に写っている。
前に座る外国人と小松より身分高いであろう人物。
肖像画や銅像の小松帯刀より写真の帯刀は華奢な感じがする。
- 130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 12:32:02 ID:69KQUqf/O
- 小松帯刀は趣味は何だったのだろうか?
大久保利通は囲碁が趣味。帯刀も好きだったかな?ドラマでは篤姫に負けてばっかりだけど。
- 131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 19:10:48 ID:+b57LdMHO
- >>130
主君が蘭学好き影響もあり蘭学を学ぶよう家巨には言ってたから蘭学かな?
小松帯刀は文系だと思う。
- 132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 19:12:55 ID:+b57LdMHO
- ゴメン理系
- 133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 20:43:40 ID:XmUjNkBP0
- 当時の最新テクノロジーである蒸気機関に熱中してたそうだから
理系と思っていいんじゃない?
- 134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 09:43:07 ID:Ngo68FxTO
- 経済的感覚もあったからね。
文系も、ある程度できただろう。もちろん理系もできる。
両方ができなければ歴史を切り開く大局的な視点は持てないかもしれない。
- 135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 11:20:17 ID:oYDS2nED0
- >>123
そんなこと言ったら真木和泉守や平野國臣や
田中河内介が生きていたらどうするんだ。
- 136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 14:21:14 ID:yy+o76yd0
- >>135
そんなこと言ったらって言われてもな・・・
よくあんたの言いたい事の意味が分からんw
真木なんて結果的に単純な国粋攘夷論者のまま死んでいったわけで。
その後政治家としてどうなるかなんて誰もわからないだろ?
単純に考えたら新政府から離脱しそうな気がするなぁ。
- 137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 10:37:20 ID:urJquXvSO
- 桂は幕末初期からずっと長州を代表する志士だったし、常にリーダーとして必要とされた人間だった。
他の誰が生きていようと、桂の価値は変わるものじゃないよ。
明治以後の活躍もオレは凄いと思うよ
- 138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 13:31:48 ID:ArMZZ89E0
- なんつーか、ゼネラリストでコーディネートやプロデュースに優れた人だったのではないか?
- 139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 22:57:33 ID:F1SrPlIQ0
- まぁ、新しい国作りの志半ばで亡くなっちまったけど、弁当になれたんだから本望だろうな
- 140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 23:58:58 ID:igqbgbfx0
- 弁当ってなんだw
明治政府における木戸の役割も面白いが、小松が生きてたらどこに収まったんだろうなぁ。
有司専制と外征派と民権派、三者の間を取り持てただろうか。
- 141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 22:01:17 ID:WCbON/H90
- 品川駅の常盤軒にて小松帯刀弁当発売中
- 142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 04:48:58 ID:RKyBsB9mO
- //gxc.google.com/gwt/n?q=%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B8%AF%E5%88%80&hl=ja&safe=off&client=ms-docomo-jp&mrestrict=xhtmlchtml&ad=m4&gl=jp&ie=UTF-8&ei=zCiKSP-dKJmq6wOD-fS0Dg&sig2=0EGQ-Omn75F0t3mGQCG5Pw&inlang=ja&rd=1&u=http://www.rekishi.sagami.in/tatewaki.html
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