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【何故】日清戦争【ない】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 01:03:45 ID:QLRxbmRe0
            __
                 ´: : : : : : : ̄ ̄  、
             / : : : : : : : : : : : : : : : : : :\
.           /   : : : : : : : : : : : :     . . .\      近代日本最初の対外戦争。
      、__//. /. . . . . . .    . . . . : : ! : : : : ヽ     重要なはずなのに、何故かスレッドがなかった。
        ̄/. : /. : : : :/ : : : : : : : : : : : \l: : : : : : :ヽ    だから、立ててみた。
.         l : : l : / : /. :/ : : ヽ、: : : `ヽ : !: :l: : : : : ヽ、  征韓論から三国干渉まで、
        l :/ l : l: : :l :∧: :ト、: lヽ、: : : :ヽ!: :l: :l: : : l  ̄  自由に話し合うといいと思う。
        l/!: ! : l: :/l/‐-ヽ! ヽ !  _ヽ-―!‐ !: :l: : : !
         ヽ! : l : ! rfチミ、  ヽ´ fr旡ミ! : ト、l : : ′
.           ヽ !: :l  rっソ     匕り !: : !丿/j/
.            j∧ :ト、 `¨   .      l l :l j/
              V: :lヽ、   _     /j/!/
               ヽ: ! >   __.. ィ ト、〃
                ヽ!  //j     ト!/\
                 _/ :/-―――-l : : : :ヽ、__
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  _____    /! !::!: : : :! ̄  ̄ ̄/. : : : : :/://:!
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.   ∨                ∧ /. : : : : :/://.::::::l

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 01:08:35 ID:QhRgJip4O
日露戦争

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 01:24:54 ID:QLRxbmRe0
>>2

/:::/::::/::::::::::::l::::::::|:::::::l:::::::::l:::::::::::::::::::::ヽ:::::::::::::::::::::i::::::
  /::;イ::::i::::::::::::::| ::::::l|;::::::li;::::::::|、;::::::::::::::::::::l:::::::::::::::::::::l:::::    日露戦争につながるという意味でも
  .l::/ l:::::|::::::::::::/!::::::| li::::::lヽ::::::l. ヽ;:::::::::::::::::l::::::::::::::::::::l::::::   日清戦争は重要。
  |::l | ::::|::::::::-i-L;;_l .|!i:::::l ヽ::::l  ヽ、__;;;;::::| :::::::::::::::::l::::   日清戦争は日露戦争の
  |:! .|::::::l::__;;;|_ l:::l`ヽヽ;:::l ヾ;レ‐'''゙゙´\ :::::| ::::::::::::::::l:::::   関係性を無視すべきではないのは確か。
  l!  .|:::/ ___ノ,ィ'ト|''=ミ、 ヾ!  ,r-=fニミ;;弍;;| :::::::::::::::l~゙'i   しかし、日露戦争に関連付けて話されるだけでは
    l/ ,/ト、::l゙__゙ヾ::ii::|ヽ  ,/  .|:::illi:::゙ii/ |:::::::::::::::j¨゙ l  明らかに不足。個別に議論されるべき。
   /⌒ヾ、|/`fト l ゙K);j .l'⌒''h.   K);;;;ッリ l:::::::::::::/ .ノ
  /‐-、 `iノ /'ヽ|、   ノ    ヾ、     ,/  |:::::::::::/=7゙
 ./ 、. ヽ |゙V,_  l:::i、 ̄ 丶    ゙''ー-‐''  ,l::::::::::/|:;/
 i  '゙ヽ_j-'   .|::::|.\   ‐-        ,,イ::::::::/ ,l/
 ヽ    ヽ   jl:::::l.   ヽ、      , ''゙ /:::::::/゙`ヽ、
  ヽ、.     /ヽ::::|    ,,`=ー '''i´    /:;/レ'〉;:;:;:;:,.,\
   /    /.  ヽ:| ,,r''゙,.;:;:;r''゙~ノ   /イ  /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 11:20:28 ID:JCn35Xhe0
国家同士の戦争で関ヶ原や戊辰戦争と比較すると
随分とスケールがデカイ戦争なのになぜか無視同然の扱いだよね。

徳川家康や源義経は有名でも伊東祐亨や山県有朋は有名ではないし
日本の領土が増えて大国清を破ったのにも関わらずその扱いは極めて粗末。

内戦ばかりしていた日本にとっては
初めて大国を破り、しかも領土まで増やせて
帝国主義的観点、国家的視野で見れば極めて重要な話なのに
現在で日清戦争を知っている人たちがどれだけいるのか。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 11:52:13 ID:ErtM7WxI0
近代日本の大きな分岐点だったと思う
勝海舟あたりは中国朝鮮と共同して西欧にあたるべきという主張をしていたのだが
中国朝鮮の実態を知ると、戦争するしかなかった

福沢諭吉が偉いのは、こいつらと一緒にはなれないと見切ったところ
それは今も変わらない

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 15:25:15 ID:U0eGVFEm0
日清戦争のスレッドがたったことは喜ばしいことだが、
余り語れる人がいないんじゃないか?

日露は『坂の上の雲』とかで関心を持って調べたりして、
詳しい人多そうだけど
日清は名前は知ってるけど、詳しいことはちょっと・・・・・・
って人が多そう。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 18:53:55 ID:dAKvLoiu0
>>5
日清戦争ってのは明治維新以来の揉めに揉めた
外交路線対決の終着点と考えることもできるかもな。

アジアと協調するか、西欧と同じようにアジアを支配下におくか。
明治の元勲たちがその答えを示したのが日清戦争かな。

日清戦争開戦前からアジア支配路線にはなってたと思うけどね。
それも含めて、外交路線の終着点かな。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 00:34:15 ID:KbKHceM60
>>7
日本政府としては日清戦争以降はアジア支配路線で確定です
しかし、アジア協調路線が全くなくなった訳ではないと思います
孫文を支援して辛亥革命を起こさせたり、東亜連盟を通じて満州国を建国したり
政府以外でいろいろあったようです

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 02:30:05 ID:jkjKni9R0
辛亥革命を起こさせたり満州国建国させたりした事を
協調路線といっていいのか疑問が残る。

満州国建国は傀儡政権の樹立が目的だったわけで、
植民地支配の一形態といっていいと思うけどね。
植民地支配の定義を言えっていわれたりすると困るけど。
方針としてはそういう感じじゃないかな。

辛亥革命への支援は協調路線といっていいのか・・・・・・。
協調路線ってのは、その時点で存在する国との協調じゃないか?
国家転覆の一形態である革命に手を貸す時点で協調じゃないよな。
アメリカのフセイン政権打倒がイラクとの協調路線なわけがないしな。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 02:33:06 ID:jkjKni9R0
おっと、論点が日清戦争からそれてしまった。

最近吉川弘文館からでた日清戦争ってのを読んでる途中だから、
読み終わったら又来るかもしれない。

日清戦争が重要だってのはわかるのだが
如何せん、日清戦争について語れるほど知識がないから。
高校日本史でもあまり教えてもらえないしな。

おれの出身高校では近代史自体あまり詳しく教えてもらえなかったから
日清戦争だけ知識がないわけではないけども。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 23:37:57 ID:TEFka6sFO
今の日清戦争研究における主要な論点ってなにがあるの?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 06:23:35 ID:kRKmf0Fc0
日清戦争の目的ってなんだったの?
朝鮮が魅力的だったのか?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 10:32:44 ID:ydHMTq/Y0
日清戦争の開戦目的は、それに関した文献もろくに残っていないので
現在では特定が難しいそうだ。以下、俺の勝手な推測だが

朝鮮は別に魅力的じゃない。だが、あれをとっておけば南下してくる
ロシアと戦争になった場合、戦場が日本列島から朝鮮半島や満州に移る。
日本の領土が戦場にならないほうが、国防的にも産業育成のためにも
なにかと都合がいい、と当時の日本人が考えたからじゃないかな。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 14:19:03 ID:YUZOzg2q0
日清戦争と普墺戦争は戦争目的が酷似してるんじゃないかな?
プロイセンはオーストリア帝国を排除して帝国を建設。
日本は中国の影響を日本周辺から排除し、朝鮮半島を近代化しようとした。
つまり、東アジアの覇権はあったと思う(領土争いではなく)
近代の革命は一国では収まらない。
明治維新も同様で、日本人がアジアの他国へ輸出しようとした推し進めたと思う。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 16:21:48 ID:NzP9nF1rO
>>13
「取っておく」というより「清の属国状態」では
今にも欧米の支配下に置かれてしまうことを
怖れた結果の開戦ではないかと…。
でなければ戦争終結後の講和段階で「独立」させずに
直接植民地にしていたのではないかと。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 16:31:17 ID:Y4UNZnlY0
開国しろ、近代化しろと言っても遅々として進まないので俺たちが直接やる。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 00:19:45 ID:xQhqxOrPO
日清戦争はいわゆる侵略戦争なの?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 19:01:30 ID:WSbZhQ3B0
ジュール・ブリュネ 1838年フランス生まれ 元フランス陸軍参謀総長   

エコール・ポリテクニーク卒業

「ラスト・サムライ」のモデル

1862(文久2)年からメキシコ戦役に従軍し、プエブラ攻城戦での功で24歳という若さで、レジョン・ド・ヌール勲章
・シュバリエ章を授与される。画技において抜群な才能をもち、戦地において描かれた、
そのデッサンはフランス国内中に公表された。

幕府からの要請によって創設されたフランス軍事顧問団の一員として、慶応3年(1867年)来日を果たす。

しかし、軍事伝習開始後一年たらずで鳥羽伏見の戦いが勃発。ブリュネらはフランス本国の命令により中立の立場をとることとなる。
新政府から使節団の国外退去の旨を伝える書簡を受けとったフランス公使ウトレイは帰国を決定する。
しかしブリュネはそれに賛同できず、横浜のイタリア大使館での仮面舞踏会にカズヌーフ伍長とともに出席し、舞踏会を抜け出して東北へと向う。
その後「開陽丸」に乗り込み榎本武揚の旧幕府脱走軍とともに宮古湾沖で新政府軍と戦う。
その後、箱館に入り軍事顧問として従軍する。この時、ブリュネは上司であるシャノワンヌ大尉の机の上に、フランス皇帝ナポレオン3世に当てた手紙を残してきた。
ウトレイ公使やシャノワンヌ大尉、延いてはフランス本国に迷惑のかからないように辞表を出していた。

箱館で旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚の行動を支援し、軍事的防衛の援助も行う。

五稜郭に立て籠もる旧幕府脱走軍を新政府軍が攻撃し、五稜郭は陥落、榎本武揚らは投降した。
ブリュネらは陥落前に箱館港に停泊中のフランス軍艦「コエトローゴン」で箱館港から脱出した。その後サイゴンに強制送還され軍事裁判にかけるため
フランスへ連れ戻されるが本国においてはブリュネの心情を理解するフランス国民の後押しにより軍事裁判に
かけられることはなかった。

1869年、普仏戦争が勃発して軍に復帰することを許され、セダンの戦いでプロイセン軍に包囲されたフランス軍は、ナポレオン3世以下全軍降伏し、
ブリュネも捕虜になる。
1871年パリ・コミューンでの鎮圧に参加する。その後ウィーンやローマの大使館駐在武官
1881年榎本武揚の推薦により、勲三等旭日中綬章を授与される。
1895年日清戦争で日本軍の作戦を指導し、成功させるなどの功により明治天皇から勲二等旭日重光章を授与される。
1898年フランス陸軍参謀総長に就任する。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 18:04:23 ID:lsvEOqVq0
>>17
いわゆる侵略戦争です。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 18:18:33 ID:xTgjqUOpO
『ラストサムライ』設定が


明治初期以降1877年

最後の内乱『西南戦争(士族の反乱)』です。


明治天皇はそのまま玉座から国議
傍聴してます。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 13:42:20 ID:93X+yFD80
1884年「朝貢国ベトナム」がフランスに取られて、焦った清が「朝貢国朝鮮」を侵略。
1876年の日朝修好条規により、朝鮮を独立国と認めていた日本は反発。

勝利した日本が清に求めたのは、下関講和条約第一条に示したように、まずは、「朝貢国朝鮮」の独立、朝貢関係の断絶であった。
日清戦争の10年前の清仏戦争では、ベトナムが清との朝貢関係を断絶した。

リアリスト外交(出る杭は打たれる)むき出しの列強諸国によって、眠れる獅子清国に勝利した日本は、三国干渉を受け遼東半島を
ロシアに分捕られた。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 20:24:04 ID:BwW5Y8mx0
>1884年「朝貢国ベトナム」がフランスに取られて、焦った清が「朝貢国朝鮮」を侵略。

初耳です。
具体的な説明をお願いします。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 03:45:00 ID:WT8XzPss0
袁世凱の派遣とか、従来よりも統制を強化しようとはしていたな。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 23:01:10 ID:W4XEiw5D0
日清戦争についてわかりやすく書いてある本を探しています。
ネットで検索したのですが、
日清戦争についての本自体あまりなく
どれがいいかもわかりませんでした。

どなたかよろしくお願いします。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 23:49:21 ID:i44oL8Bu0
基本になるのは、信夫清三郎『増補日清戦争』や藤村道生『日清戦争』でしょうか。
もっと前だと田保橋潔がいまだに評価が高いですね。
とりあえず『蹇蹇録』を読むという手もありますけれど。
新しいものでは斎藤聖二『日清戦争の軍事戦略』や既出の原田本でしょうね。
もちろん岩波新書のシリーズのでもいいですけれど。
親米保守色が気にならないなら岡崎久彦『陸奥宗光とその時代』にもやや詳しいです。
黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』では日清戦争に一章費やしてるので、これもいいです。
でも日露に比べて戦闘経過について知識を得るのに苦労する戦争ですねぇ、やはり。

で、侵略戦争かどうかについては坂野潤治氏にうかがいましょうw
以下『大日本帝国の民主主義』の帯紙から。

坂野 西郷は中国と一戦しようと思っていた。 (略) 本音は中国ですから。
田原 今の言葉でいえば、西郷隆盛は侵略者だったんですか。
坂野 いやいや、侵略にならないですよ。だって、敵は日本より強いんですから。
田原 あ、そうか。弱い国をやっつけるのを「侵略」というんですね。
坂野 弱い日本が強い中国を、というこの場合は、「戦争」というんです。

すでに朝鮮のことは眼中にありませんか、そうですかw

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 18:46:20 ID:y1eXzBIp0
侵略戦争なんて現代の定義をあてはめても意味がない。
アレクサンダー大王はペルシャ帝国を侵略したなんて言ってもピンとこないだろ。
単純に日本領土を防衛するために朝鮮半島が、日本以外の大国に属さないことが必要だと考えられた。
半島南端から対馬づたいに九州が攻撃される危険があったから、その判断は合理的だったといえる。
半島そのものに植民地的な魅力を感じたのは日清戦争後だろう。
さらに進んで半島を日本の利権と扱うようになったのは日露戦争後。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 12:25:45 ID:HBaZxkzV0
>>25
詳しく教えてくださってありがとうございました。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 20:04:35 ID:d/8xfIs8O
スパ王戦争だよ。
あのCMを思い出すんだ!!

日清!スパ王〜ぁぁぁ〜!!!

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 20:22:16 ID:XEXZ3qpd0
>>26は日清戦争は広い意味で防衛戦争だった、
という主張なのかな。

その主張は、朝鮮半島が(日本以外の大国によって)
侵略の危機にさらされていることが前提になるとおもうのだが
そんな事実はあるのか?

日清の間には天津条約があったし、元々朝鮮は清の属国なわけで、
清に朝鮮を攻める意思なんて無いだろうし。

ロシアは日露戦争中にシベリア鉄道が出来るまで
清と日本を排除して朝鮮を侵略する能力があったとは思えないし。

あとはどこだ?

朝鮮情勢が今にもどこかに侵略されそうだって状況であったのなら、
広い意味で防衛戦争といえなくも無いかもしれないが、
そうでないなら、防衛のための戦争とはいえない。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 22:06:58 ID:U2O23/hz0
朝鮮の宗主国の清そのものが領土を切り取られて侵略の危機にさらされていたし、
日本もまた不平等条約を押し付けられ、半分侵略されていたようなもんだった。

生れたときから欧米諸国と対等の関係だった平成の日本人には、なかなか想像
するのは難しいかも知れないが、「このままでは清も朝鮮もいずれは完全な植民地
になるのではないか、そうなったら日本も」という危機感が明治の日本人には
あったのだと思うよ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 23:18:10 ID:SIYILBXb0
侵略か否かの定義論争をしてもあんまり得るところはないと思いますよ。
まあ、どっちが戦争を望んでいたか、そして積極的に開戦にもっていったのか、
そういうことなら、それは間違いなく日本のほうです。
共同改革なんて清はメンツが丸潰れになるんだから、受けるわけもないですし。
長いこと不明だった豊島沖海戦で先に手を出したほうがどっちなのかという問題も、
野村実『日本海軍の歴史』によると日本側が先に撃ったということで間違いないようですし。

もっとも閣内でも意見は食い違ってましたけれどね。
陸奥宗光は主戦論。伊藤はどっちかといえば非戦論。
明治天皇も感情のうえでは非戦派だったのは有名なところ。
「二度と言うな、顔も見たくない」との仰せですからよほど嫌だったんでしょうねぇ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 02:01:34 ID:z3scuEKWO
>>25

高橋秀直『日清戦争への道』はどう?分厚いから敬遠してるのだけど。やっぱりいい本?

原田本は去年でた岩波新書は政治中心で軍事行動の記述は省かれていて、今年でた吉川の方はいやって程、軍事行動を記述してるね。
同じような題材(岩波は日清日露、吉川は日清のみ)で短い期間で立て続けに出したから、差別化を図ったのかな。

どちらの本も重視してるのは、清とぶつかった後の台湾侵攻と、清とぶつかる前の朝鮮王宮占領かな?

そこにカギとなる要素があるという判断かな。多分。判んないけど。

33 :市民:2008/10/23(木) 11:16:36 ID:kIxlP6Mg0
東武天皇は台湾で暗殺されたか

http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/0202/4/140.html

会津藩や奥羽列藩同盟の推挙で即位したが、
明治維新以後軍人としてもてなされた。

日清戦争中に暗殺されるが、この頃庄内地震が起こる。



34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 19:07:17 ID:JlNV6fwI0
俺の意見としては侵略性のない戦争のというのは基本的に、冬戦争のように自国に軍隊を送られたときのことを言うわけだ。
近代に入って起きた戦争は、領土問題が大半だから侵略性のない戦争なんてないようなものだと思う。だからこのさいそれはそこまで重要ではないと思う。
一言で言うと「朝鮮をあくまで属国とする清と、それを望まない日本の戦争」なんだが、日本が清に対する領土的野心を持っていたのは否定できない。
戦争自体も偶発的に発生したものではなくて、この機会を逃すな今こそ開戦せよ、というものだと思われる。
あれだけ大量の軍隊が同じ土地で長期間睨み合ったら、それは戦争が始まってもおかしくは無い。逆に言うと明治政府はその機会を上手に利用した。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 19:46:47 ID:XkpF14hT0
かなりの博打だと思うけど成算があったのかね?
陸では勝てても海軍戦力はひかえめに言っても若干不利だし。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 20:34:10 ID:JlNV6fwI0
あったろうね。というかそれ以前に両国があわや戦争か? というは一回あったし。
だからこそ、陸奥はあれだけ強固に派兵を主張した。伊藤大統領は背後にロシア帝国がいることを理由に否定的だった。
海軍で7対3、陸では圧勝というところじゃなかったけな。旅順なんて取られたら逆に攻撃されるから、自分らで砲台を破壊していたそうな。
黄海、威海衛で勝利して、相手の戦艦を壊滅させたから、その後の攻撃は実質日本からの一方的な占領地増加政策だったんだよな。
確か、一番多い死因は凍傷だったそうな。満州は相当寒いから。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 19:37:19 ID:nUJXYBRY0
>>36
日本がというか、陸奥はなんで清と戦争したかったんだろう。
伊藤も反対してたんでしょ?

優勢だった海軍力でも、勝てる確証があったわけではないだろうし、
海軍が負けたら陸軍がかてないだろうし。
海軍も陸軍も戦争未経験の新造軍隊でしょ?
なんで清にかてると確信したんだろ。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 20:39:54 ID:2q1de7s30
海軍が優勢といっても新型小型艦ばかりで、戦艦に分類される艦は当時の日本には一隻もない。
清国の2大戦艦に対抗するため三景艦を取得したものの実戦では役に立ってない。
装備面ではいいとこ互角じゃないかな?
黄海海戦では戦術と乗員の質で勝ったけど、やはり定遠、鎮遠を沈めることはできなかった。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 00:19:38 ID:uATkjhk9O
伊藤中将と丁提督のエピソードで日本の武士道が知れ渡った戦争でありますな

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 04:11:23 ID:PWagmzyN0
>>39
どんなエピソードなんだ?

>>38
どうやら、日清戦争は日本にとっても負けるリスクが
それなりに高い戦いだったのかな?

なんか明治天皇とか伊藤とかは乗り気じゃなかったのに、
陸奥が推し進めたって感じがするのだが、
陸奥は日清両国の戦力分析をどう考えてたんだろう。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 16:35:02 ID:tAaTHcP+0
日清戦争について、関連公文書、戦闘詳報など資料満載、まとめありのサイト
「きままに歴史資料集」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm

当時の関連公文書資料ほぼ全文を猛烈にテキスト化中の鬼サイト
「獄長日記」
http://ameblo.jp/dreamtale/

いずれも膨大過ぐる量。誰か全文読んで3行にまとめてくれんか。w


42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 18:15:46 ID:aVhmDsFe0
>>41
すげー量だなw
3行にまとめるのは無理だとおもう。
歴史マニアがつくったのかな?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 17:35:39 ID:KH61wDNR0
陸奥は不平等条約改正のために日清戦争したかったんじゃないの?

「列強の皆さん!みてください。
私たちも植民地を手に入れられるぐらい成長しました!
条約改正おねがいします!」
見たいな感じで。

でも、旅順あたりで民間人を相当殺しちゃったんだな。
陸奥とか、すごいあわてたろうな。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 01:18:46 ID:oLRJDKc/0
日清間の条約締結の交渉を始めた明治3年から20数年。この間、条約改正問題、台湾事件、
琉球問題、朝鮮事件第1回から第4回までと、年を経るごとに日清交際関係は険悪になって、
政治的にも、思想的にも、感情的にも、また朝鮮に於ける権益と、ここまで対立すれば後はも
う戦争するしかないというところまで来たからねえ。
ま、中国は日本を「やたら西洋の真似をする軽佻浮薄の一小島の野蛮国」と嘲り、日本は中国
を「頑迷愚昧の一大保守国」と侮蔑し憎悪する関係になった時点で、両国の兵が会すれば衝突
するだけのこと。
で、それが明治27年7月だったってこと。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 18:44:35 ID:t8DjwZbv0
日本がシナの朝貢国だった琉球を併合し、同じく朝鮮のシナからの独立を画策していたことは、

シナにとっては中華秩序の破壊と受け取ったのだろうが、日本にとっては国際法に則った合法的行為
だった。

 シナの前近代的中華秩序と日本の欧米式国際法秩序の衝突が日清戦争およびその後の日中戦争の原因
だろう。これは今も続いている(尖閣列島の所属、チベット、ウイグル、内モンゴルの独立問題)。


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 00:38:28 ID:tJEgy1O+0
「ウ、ウリは独立したくなかったニダ・・・・ピコーン! そうニダ! 隣にロシアがいたニダ♪」


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 01:37:58 ID:SYH1oy/L0
西郷隆盛が李氏朝鮮に行って開国を説いたら
どうなってたんだろうか

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 01:47:39 ID:tJEgy1O+0
>>47

「サイゴーたんまりって誰ニカ?」
「倭奴が何かぶつぶつ言ってるニダ」
「大院君様が早く追い返せと言ってるニダ」
「さっさと帰るニダ!」


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 12:46:20 ID:NPlC7AIMO
韓国の教科書では「朝鮮は自ら清国の影響から脱する事を決定し、1897年国号を大韓帝国と改めた」とか書いてあるらしいな

テレビで聞いた時は笑っちまったよw
全て日本の決定だっつーの
あんな弱小国が自力で独立なんて出来るはずねーだろ

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 14:57:12 ID:IbD7oqDF0
あの半島の人々がそれくらいの捏造をするのは想定の範囲内。

明治時代の日本人も、さぞかし手を焼いただろうな。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 19:54:16 ID:AY/UObEvO
まあ倭人が変な事言ってるよと相手にしないだろ。
それまで中華秩序の中で生きてきたのにいきなり独立だの西洋の脅威だの言われても
理解しないよ。
外の世界を見てきた人は違うだろうけど。

52 :kobe genjin:2008/11/10(月) 23:08:59 ID:JQ14pmIX0
日本は南蛮時代のポルトガル人、江戸時代のオランダ人との接触があったが、朝鮮には西欧との
接触など何もなかったから世界情勢(帝国主義時代)を理解している人間などいなかっただろう。

 日本に併合されたために帝国主義とは日帝のことだとしか思っていないようだし。

 米英仏独ロシア日本とシナも元々帝国主義(中華思想)の権化なんだが。


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/14(金) 02:15:42 ID:C/gvzBVG0
つか、ハーグ密使事件を見るだけで、こいつら本当に何ひとつ理解できてなかったんだと痛感させられる。

あの程度の認識じゃそりゃ駄目だわw

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 14:10:27 ID:mfvScF4j0
日露戦争はゲームや映画やドラマや漫画になってるのに、
日清戦争はゲームや映画やドラマや漫画になってないね。
だから知名度が低くてマイナーなのかな?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 01:19:32 ID:F3zrvd+50
実は明治元年から日清戦争の明治27年までの日中関係が、後々の関係に重要な影響を与えているんだが、ほとんど知られていないよなあ。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 01:26:13 ID:F3zrvd+50
てなわけで、日清戦争に至った経緯を自分なりに調べたところをここに記したい。
誤りや疑問なところ、ご指摘を。

日本と清の関係

 徳川幕府時代の日本は、清に対しては長崎へ船の入港を許すのみであった。明治となり既に
西洋各国と条約を結んで通商をしているにもかかわらず、隣国清との間で条約関係がないのは
貿易発展上不利であり、また日本国内に滞在する清人の扱いに関しての規定も必要であること
から、日本政府は清と政府間条約を結ぶことにした。

 明治3年(1870)7月、日本政府は「今は文明開化となって国の交際も盛んになり、我が国
は遠く西洋諸国と盟約を結んで交際している。まして隣国である貴国とは最も情好を通じて和
親を結ぶべきである」と述べて条約交渉を清政府に申し込んだ。
 清はかつて英国との阿片戦争以来の困難な外交政策を立て直している時期でもあり、日本を
清の外援としたい目論見もあってこれを承諾。

 明治4年(1871)7月、日清修好条規、日清通商章程を調印。清政府草案に基づいたこの条
約には日清攻守同盟と見まがうような条項もあり、これこそが清政府が日本を外援となさんと
する目論見によるものであった。しかし西洋各国から、もし清国と外国との間で戦争となった
場合は日本も巻き込まれる危険性があるとの指摘を受け、それで日本政府は翌年に条約改正を
申し込んだ。しかし清政府はこれを拒否し、よって日本政府はそのまま批准した。(後の日清
戦争により失効)

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 01:28:48 ID:F3zrvd+50
台湾事件
 明治4年(1871)11月、当時鹿児島県に編入されていた琉球(沖縄)の船が難破して台湾
東部に漂着。乗っていた宮古島の人間69名の内54名が現地土民から殺害されるという事件
が起きた。また明治6年(1873)には小田県(現岡山県西部と広島県東部)の人が乗る船が台
湾に漂着し、土民から船を破壊され荷物衣類一切を奪われるという事件が発生。
 これにより日本政府は、台湾は清国領土であることから、同年、折りしも日清条約批准のた
めに清国にいた副島種臣特命全権大使にそのことを談判させた。
 しかし清政府は、「台湾東部は化外の民であり、清政府に責任は無く、またこれを逮捕する
こともしない」と返答。

 よって日本政府は自らの手で解決することとし、明治7年(1874)4月、その罪を問い、ま
た事件再発防止を目的として日本軍を派遣した。
 すると、清政府は俄かに態度を変じ、台湾蕃地は清に属すると主張して撤兵を要求。よって
日清政府間で談判となり、その結果、清政府は日本に行軍一切の軍費の償却金を支払い、今後
は外国人を害させないことなどを約束した。しかし公文を以ってこれを保証することは国家の
体面にかかわると主張して公文書とすることを拒否。一方、日本側は公文でなければ約束保証
とはならないと主張し、議論は対立し遂に談判決裂になろうとした。
 この時、日本国内ではごうごうたる清国非難の声が上がり、政府に対して清国と戦争となる
ならと、義勇兵、義捐物資、義捐金の申し込みが殺到した。
 しかしこの後に英国公使が日本と清の間に立って調停し、ようやく軍費の支払いと事後処理
を約束して決着した。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 01:33:53 ID:F3zrvd+50
朝鮮と清
 朝鮮はかつて清の侵攻を受けて降伏し、その属国となっていた。それは形式的な朝貢に止ま
らず、冊封という清皇帝の命によって国王の地位を封したものであり、清の属国の中でも筆頭
の地位にあった。
 しかし朝鮮は日本に対しては清の属国であることを隠蔽し、国王が日本に宛てた書簡などで
は、国内で使用せねばならない清の年号を使わずに「干支」を使用した。その一方で、日本幕
府に朝貢使として往来した朝鮮通信使は、清の権威の下に「巡視」という旗を立てて東夷(東
の野蛮)の国である日本を巡検するを名とし、また迎える日本人に対して「清道」というもう
一つの旗を見せ、道を清めよと命じながら行進した。朝鮮の意識としては、その国家の地位は、
宗主国である清国が最高地位にあり、朝鮮はその臣下であり、一応日本は朝鮮と対等の地位に
あるとしていたが、海の向こうの国である日本はより下位となる「東夷」と見做していたから
である。
 朝鮮の中では清の属国であることを快しとしない考えもあった。それは、朝鮮の政治や制度
は総て明の時代のものを写したものであり、明亡き後はその儒教体制と共に朝鮮こそ「聖教賢
伝」の国であると誇り、且つかつては野蛮族と卑しんでいた満州族が立てた清王朝を密かに蔑
むところがあった。しかし歴史的経緯とその国力の差に於いて、朝鮮は清の属国であることに
甘んじなければならず、またそれ以上に清に事大し阿諛せねばならない地位にあった。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 01:48:45 ID:F3zrvd+50
日本、清に属国の意味を問う

 明治8年(1875)の朝鮮江華島に於ける雲揚号への砲撃事件により、日本政府は朝鮮の宗主
国である清に対して事件のことを知らせ、またその宗属関係のことなどを問うた。
 清政府はそれに対して、「朝鮮は中国の属国であるが、内政も外交も朝鮮の自由に任せてお
り中国はこれに関係しない」と回答。そこで、日本政府としては、内政外交が自主ならばすな
わち独立国であるとして朝鮮との条約交渉を進め、明治9年(1876)2月に日朝修好条規を締
結。その第1条では「朝鮮国は自主の邦にして日本国と平等の権を保有せり」とした。当時、
条約交渉に於いて朝鮮側からは、日本の草案のこの条に対しては何ら異議は唱えず、また自国
が清の属国であることも述べず、ただ日本と対等の地位にあることにのみ拘った意見が出され
ている。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 05:48:55 ID:fhBEtZd1O
カップヌードル!

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 07:53:35 ID:+jscjtCa0
>>1
万国が日本に正義有りだと捉えているから。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 22:28:42 ID:0DdfPEl/O
>>9
当時の支那に「国家」という概念は無かったので強調もなにもない。また当時の支那人は列強から支配される事に対する危機感が全く無い。
満州はアジア大陸の大量の難民を保護しコミンテル拡大を阻止していたんですが

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 22:39:09 ID:0DdfPEl/O
>>30
平成の日本人ですが欧米諸国とこの国が対等だなんて1度も思った事ないですよ。
スレちがいですいませんが

64 :56:2008/12/22(月) 22:52:06 ID:F3zrvd+50
続きです。
琉球問題。

 琉球王国は慶長年間に薩摩島津家に降って以来、実効支配を受けてその隷属となっていたが、
清にも朝貢を行い、あたかも実に於いて島津に属し、名に於いては中国に属するかのような
姿であった。
 明治4年(1871)、日本政府は琉球を鹿児島県の所領に編入。翌年5年には琉球王を華族に
列した。明治8年(1875)に明治の年号使用と儀礼一般を日本同様にさせ、清への隷属を禁じ
て日本領土であることを明らかにした。次いで明治12年(1879)3月には琉球藩を廃して沖
縄県を置いた。
 ここに至って清政府は日本政府に対して、「琉球国は世々中国の冊封を受け入貢して今に数
百年となるは天下の国の共に知る所である」と琉球が清の属国であることを主張。これに対し
日本政府は、琉球の歴史、文字、言語、神事、風俗、法律など、総て日本のものであり、また
琉球王が島津家に対して世々子孫に伝える忠義の「誓文」などを上げて反論した。
 明治12年(1879)、清政府は日本を訪問するグラント元米国大統領に琉球問題の調停を依
頼。日本政府と会談したグラントは清政府に対して、日本は清とは和平を望んでいるとして日
本と和睦の会談を開くよう勧告した。よって清政府は日本政府に会談を申し込んだ。
 明治13年(1880)8月、各国との条約改正を願いとする日本政府は、琉球問題も絡めて清
が各国と締結している条約にある内地通商のことなどを日本も各国と等しく享受できるよう改
正を求め、その対価として宮古・八重山諸島の清への譲与を提案し、これを以って琉球問題を
終結させることとした。
 59日間に及ぶ日清の協議の結果、琉球問題の終結と日清条約改正と2島交付のことなどが
議定された。しかしその後、清政府内では、日本のような弱小国に譲歩する必要はないとして
議定に対する反対意見が多くなり、遂に調印を拒否。議定した公文も撤回した。
 よって日本政府はこの清政府の不誠実の対応を非難し、協議内容を世界各国に公開して以後
は琉球問題には応じないと宣言した。
 しかしその後も清政府は琉球問題は未解決として繰り返し協議を要求し続けた。(日清戦争
後に止む)

65 :56:2008/12/22(月) 22:58:47 ID:F3zrvd+50
朝鮮事変と主権侵害

 台湾事件、琉球問題は、清にとってはその世界観である中華秩序を揺るがす出来事であった
が、日本が朝鮮に進出する恐れもあると懸念した清政府は、その宗属関係を西洋諸国に認めさ
せ、また日本に対する牽制となると見て、朝鮮に対し西洋国と条約を結ぶように指導した。
 朝鮮は日清両国以外の国との交際は拒否し、依然として開国を拒む鎖国状態にあったのであ
る。
 まず米国との条約交渉を清政府主導で行い、条約文に朝鮮が清の属国であることを明記しよ
うとした。しかし米国政府はこれを拒否。よって別の公文に属国であることを表記する形式で
合意し、明治15年(1882)5月に米朝条約を締結させた。朝鮮はこれにより事実上開国し、
後にはイギリス、ドイツ、ロシアなどとも条約を結んだ。
 しかし、朝鮮国内では西洋国との交際を忌み嫌う守旧派の人々がこれに猛反発。中でも、清
に事大して開国を進めた王妃一族とは最も対立する人に国王実父の大院君がいた。守旧派の中
心人物である大院君は朝鮮独自の儒教政治を理想とし、清の属国であることも快しとはしない
人であったが、明治15年(1882)7月に兵士が軍の待遇に不満を抱いて起こした事件を機と
して軍乱を起こすよう指示。よって首都の殆どの兵士とこれに付和雷同する乱民は王宮を襲撃
し、守旧派と対立する政府要人や王妃一族の多くを殺害した。また朝鮮政府に西洋国との交際
を勧告していた日本への反感から日本公使館(公使花房義質)をも襲撃し、王宮近衛兵に西洋
式教練を指導していた堀本禮造を始め公使館職員など14人を殺害した。

66 :56:2008/12/22(月) 23:03:11 ID:F3zrvd+50
 この事変により朝鮮政府は大院君など守旧派が実権を把握し、清に倣っていた政府の仕組み
も旧に復させた。また大院君は王妃も殺害するよう指示しており、乱後に朝鮮政府は王妃は死
亡したと発表。しかし女官が死亡したのであって本人は密かに王宮を脱出して王妃一族に匿わ
れていた。
 日本政府はこの事変に対し、かつて日本も開国や維新を経る中で数々の内乱があった経験か
ら、国の変革期には内乱が起きやすいものであるとの見方を示し、すぐに軍事的報復に出るこ
とはせずに謝罪と賠償を求めることとし、朝鮮政府との談判に花房義質公使を派遣した。また
王妃死亡のことを受けて弔意を表するため宮内省侍従長も同行させた。
 一方、清政府は属国の変乱に対して直ちに軍を派遣し、やがて乱の首謀者を大院君と見て守
旧派40人と共にこれを清国に拉致し、大院君を清国内に幽閉した。
 その後、日朝協議の結果、朝鮮政府は日本に対し謝罪と賠償をすることとなったが、同時に
日本政府は公使館の護衛を朝鮮政府に求めた。しかし朝鮮政府には実質上軍の統率は困難なこ
とから今後は日本兵が護衛することとなった。
 この時の取り決めを済物浦条約と言う。
 かつて清政府は「朝鮮は中国の属国であるが、内政も外交も朝鮮の自主であって、中国はこ
れに干渉しない」と日本政府に説明していたが、国王実父であり執政者でもある大院君を拉致
するという行為は、朝鮮の主権を侵害した最たるものであった。台湾事件といい琉球問題の対
応といい、またこの朝鮮事変での清政府の行動といい、その言行不一致の態度は日本に清国へ
の大なる不信を抱かせる事件でもあった。

67 :56:2008/12/24(水) 00:14:36 ID:No3kDq8g0
続きです。
日本の対朝鮮政策

 済物浦条約の締結後、朝鮮国王は日本へ派遣した謝罪使節をもって密使とし、日本政府に賠
償金の減額と危急の時の国王護衛を要請した。日本政府はこの要請を受け入れ、先ず賠償金5
0万円の5年分割払いを10年分割とし、国王依頼の護衛には日本公使館の護衛兵を充てるこ
ととした。また朝鮮政府が日本の銀行から借りて支払った賠償金10万円を国庫に入れずに銀
行に預け入れ、もし朝鮮政府が銀行からの借り入れ金の返済が出来ない場合は、これを利子と
共に返却することにした。また、後には賠償金の内の40万円を朝鮮の文明開化のための資金
贈与という形で帳消し処分とした。
 これら朝鮮への寛大な処置は、日本政府の対朝鮮政策が、賠償金などで朝鮮を疲弊させるこ
とにあるのではなく、朝鮮を富国強兵の国とすることによるものであった。
 日本は条約締結以来、朝鮮に対し西洋文明を取り入れて開明に向い富強国となるよう繰り返
し勧告し、そのための様々な支援を行った。以下それを列挙すると、
・最新兵器の贈与(ガトリング回転砲や小銃) ・軍事技術の供与 ・小蒸気船の贈与 ・日
本と清の漢字新聞の贈与(当時朝鮮には新聞がなく世界の情勢を知るすべもなかった)、また
新聞発行技術者の提供 ・西洋医学の普及(医学書、また種痘技術などの供与、医療実施) 
・病院の設置(日本人も朝鮮人も診療を受けることができた) ・写真技術、電気技術、学校
教育、議員政治などの紹介 ・地球儀、地球全図、朝鮮地図、アジア東部地図、朝鮮海岸測量
図などの贈与 ・法律書の贈与(国際法) ・工業、建築、鉱山開発、石炭掘削、染色、繊維
、合金、彫刻、石版、陶磁、ガラスなどの各種技術供与 ・海底電信線の敷設 ・郵便制度支
援 ・留学生の受け入れ、その他。
 明治9年(1876)から明治17年(1884)までの間だけでも以上のようなものであった。

68 :56:2008/12/24(水) 00:16:27 ID:No3kDq8g0
 日本はペリー来航以来、富国強兵策の必要性を痛感し、その手段として国家を挙げて西洋文
明化に取り組んでいた。日本にとって朝鮮はその近接した地理的条件もあって国防上重要な国
であった。よって日本は朝鮮が独立国且つ中立国として位置することをこそ望み、朝鮮政府に
も富国強兵策を勧告し、そのための支援を続けて来たのである。
 当時西洋人の常識としての考えは、「およそ文明国が、非文明の人を征服するのは神の法則
がさせるのであって、文化文明が進歩する上で喜ばしいことである(1885年4月・英国紙ナイ
ンチーンス センチュリー)」というものであった。もちろんその文明とは西洋文明のことを
指す。したがってアジア諸国は西洋国にいつ征服されてもおかしくないという情況下にあった
のである。日本が朝鮮に勧めて共に開明に歩むことを求める理由の一つがここにあった。
 また、日本政府はロシアの動向にも神経を尖らせ、やがてロシアが南進して朝鮮に進出して
くることを警戒した。またこれは英仏独三国もそのように見ており、とりわけアフガニスタン
の領土問題をめぐって露国と対立する英国は、日本に対して露国の朝鮮進出を警戒するように
繰り返し勧告した。

69 :56:2008/12/24(水) 00:21:52 ID:No3kDq8g0
再事変と日清の戦闘

 朝鮮政府内は、大院君が取り除かれたことから守旧派はほぼ排除され、清国に事大する王妃
一族の閔族が実権を握り、支那党と呼ばれた。その一方で、日本の力を借りて開化を急ぎ真の
独立国となることを願う日本党と呼ばれる人々も政府内でいくらかは力を得た。
 そのような状況下に、明治17年(1884)の朝鮮政府内では朴泳孝、洪英植、金玉均、朴泳
教ら日本党の勢いが強くなり、支那党である閔台鎬、閔泳穆、閔応植、趙寧夏らと対立して政
争となっていた。やがて支那党は日本党を陥れて流刑に処することを計画。それを知った日本
党はクーデターを決意し、これを日本公使(竹添進一郎公使)に相談した。竹添公使はその軽
挙を厳しく戒めたが、12月4日、日本政府支援による朝鮮初の郵便局開設の祝典の時に、日
本党は国王を擁してクーデターを決行。国王からは直ちに日本公使に危急の時であるとして国
王護衛を依頼。よって竹添公使は、日本政府と国王との約束もあることから日本公使館護衛兵
1中隊およそ120名を率いて王宮に入り、国王を護衛した。また、かつて日本陸軍戸山学校
に学んだ日本党の朝鮮軍人は朝鮮兵を指揮して王宮を警護し、また支那党の要人を王宮に呼ん
で次々と暗殺した。
 その後、国王は米英独3国の公使領事らも王宮に呼び国の変革の事を述べ、やがて各国公使
領事が帰館した時に竹添公使も帰館を申し出たが、国王は尚も護衛を続けるように要請。よっ
て警護を続ける中に国王は新政権の発足を定めた。新政権は日本党の者で殆どが占められたが
、それを発令した時に王宮に銃声が響いた。京城駐在の清兵(1500人)の内の約千人が3隊に
分かれて王宮を囲み侵入した後に突然日本の護衛兵を攻撃したのである。
 よって戦闘となったが、清軍が教練している多数の朝鮮兵部隊は清軍と共に日本兵を攻撃し
た。この戦闘では日本兵3名が戦死し、清兵8名が戦死。夜になると清兵の攻撃は止み日本党
の洪英植、朴泳教らは国王を伴って支那党の朝鮮兵に投降した。

70 :56:2008/12/24(水) 00:34:11 ID:No3kDq8g0
 これによって国王護衛の任が終わった竹添公使と日本兵は直ちに公使館に帰館したが、公使
館に於ても清兵、朝鮮兵、乱民による攻撃が繰り返された。よって、日本側は仁川日本領事館
に撤退し、その後公使館は放火を受けて消失した。
 またその後、京城在住の日本人商人も清兵から襲撃を受けて36人が殺害され、また婦女は
陵辱され、財産を略奪され、その他行方不明者もいることが判明。実は清軍の将である袁世凱
が日本人の皆殺しを指示していたのである。中でも婦人ばかり12人が清兵に拉致されて清兵
営に監禁されていたが、これは米国公使が袁世凱に談判して取り戻し、仁川の日本領事館に送
った。

 やがて事件の全容が日本に伝わると国民世論は激怒し、清と朝鮮を懲罰するために征服する
べきとの声が日本全土に渦巻いた。しかし日本政府は日本保有の蒸気船の数の統計まで示して、
戦争は出来ないと説き、また新聞条例を発令して開戦を煽る記事を禁止し、且つ朝鮮人や清人を
差別的言葉で(韓奴、ちゃんちゃん、豚尾)呼称することを禁じ、国民世論が戦争に向うのを懸命
に食い止めようとした。
 この明治17年の朝鮮事変は日本人の心に清国への最も激しい悪感情をもたらし、その憾み
が長年続くことになる大事件であった。

71 :56:2008/12/28(日) 12:41:20 ID:7fPh70rT0
続きです

天津談判

 事変後、日本政府は朝鮮に井上馨外務卿を大使として派遣。再び朝鮮政府と談判になり、そ
の結果、朝鮮政府が日本政府に謝罪と賠償をすることで日朝関係を修復することに合意した。
 一方、清政府に対しては、朝鮮からの日清両国の同時撤兵と日本公使を攻撃した清将兵の懲
罰と居留民被害の責任を要求することとした。
 日本政府は、もし朝鮮に日清両兵がこのまま駐在し続けるなら将来必ず再び衝突する事変が
起り、終には両国の戦争ともなりかねないと見ていた。よって、朝鮮からの両国の恒久撤兵を
提案することとし、伊藤博文を大使として派遣した。
 対する清政府は李鴻章に談判させた。明治18年(1885)4月、清国天津で談判を開く。
 伊藤博文が主張する恒久撤兵に対し、李鴻章は、「朝鮮は中国の属国であるから中国には朝
鮮に派兵する義務と権利がある」と主張。議論は平行線となった。また、伊藤博文が、「日清
両国が朝鮮に対してはすることは、朝鮮が自治自衛できるように支援することに止めるべきで
ある」と主張したのに対し、李鴻章は、「今まで支援をしたが、朝鮮は必ずまた内乱となって
中国の派兵を求めるだろう」との見方を示した。また李鴻章は清将懲罰のことについては、「
先に攻撃したのは日本兵である」と主張し、居留民被害のことも「清兵は規律が厳格でそのよ
うなことはしない」と加害のことを否定した。
 談判数回に及び遂に李鴻章は、「我が国は戦争の用意に取り掛かるほかはない」「我が国は
仏国とすら開戦した」と発言。よって、清国との戦争を避けたい日本政府は、恒久撤兵論を取
り下げて、李鴻章が言う「一時撤兵」を承諾。またその提案する「派兵する時は両国で互いに
事前に通告する」という「行文知照」のことを承諾した。
 しかし居留民被害のことについては議論の末に、李鴻章が「調査して清兵の加害の事実があ
れば李鴻章個人がこれを処罰する」と約束。

72 :56:2008/12/28(日) 12:42:34 ID:7fPh70rT0
 更に日本公使を攻撃した清将懲罰のことは、伊藤博文が第三者による裁定を求めることを提
案し、その裁定者に米国大統領を指名したことにより、これを嫌った李鴻章が遂に譲歩して李
鴻章が個人的に清将の軽挙を戒飭することを約束。談判は終結した。

 この時の取り決めを天津条約と言う。条約文には、日清両国の朝鮮からの同時撤兵のことと、
派兵する時は日清両国で互いに通告することなどが規定された。清将戒飭と居留民加害調査の
ことは李鴻章が別文を以って日本側に提出した。
 しかし再び派兵することが可能としたことは、将来もし朝鮮で両国の兵が遭遇するなら軍事
的衝突を起こして遂には日清間で国家戦争となることを約束するも同然のことであった。日本
政府はその事を懸念して恒久撤兵を主張したのであるが、李鴻章は兵の規律を厳しくすればそ
のようなことはないと言明。しかし、実際の清兵の規律の悪さは日本人居留民に対してのみな
らず、朝鮮人に対しても暴行略奪が続き、日清戦争時に於いても当の李鴻章が「軍は通り道の
家を襲い婦女を暴行し家財を略奪しており、これでは輸送の人夫を集めるのが困難である」と
嘆かねばならないほどのものであった。
 また清将戒飭のことも、清政府は条約締結後わずか5ヶ月で当の戒飭されたはずの清将袁世
凱を政府高官に任じて朝鮮に駐在させた(公使のような役職)。袁世凱は事変の時に日本人の
皆殺しを清兵に許可した人である。中国伝統の戦い方は敵は兵民を問わずに殺害するものであっ
たからであったが、居留民加害と日本公使攻撃の責任ある人の朝鮮への赴任は、日本人の清国
への敵愾心を煽り、その不誠実の対応に日本政府も大なる不快を覚えた。
 なお、居留民加害の調査の結果が日本に伝えられることはなかった。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 00:52:10 ID:Q2sUJ2xb0
向野堅一という人物について詳しく知りたいのですが誰か知ってる方いますか?
あと『日清貿易研究所』、『殉節三烈士』についても知りたいです。


74 :56:2008/12/29(月) 22:25:48 ID:F88F/FrU0
>>73
【初心者】初心者はまずここで質問をPart2【歓迎】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1188651343/

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 22:36:05 ID:Q2sUJ2xb0
>>74
誘導感謝。
行ってきます。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 11:52:39 ID:CV0j5jz20
何気に思ったんだが日本が本格的に挙国一致で戦争を始めるのは
日清戦争からなんだな。
倭国の大乱とか治承寿永の乱とか多くの合戦が行われていたけど
あくまで国内の有力者同士の戦いだったり
権力者同士の権力抗争だったりすぎなかったわけだし。

文永弘安の役や文禄慶長の役が存在したけど
両者共に挙国一致かどうかと言えば実に疑わしい。
後者は秀吉個人の個人的な戦争だし
前者は日本の一部の有力者の戦いという側面は否定できん
天皇もあまり関与しなかったし

天皇から全国民まで挙国一致で一致団結して戦ったのは
日清戦争であると言うのであれば
日本って戦争経験って実は無いんだな


77 :56:2009/01/16(金) 16:17:07 ID:Iiv6i/vs0
(続きです)
露韓密約と天津密談

天津条約により、日清両国が朝鮮から撤兵することを知った英国政府は、ただちに朝鮮南端
の小島である巨文島を占拠し、艦隊基地とした。露国とアフガニスタン領土をめぐって対立す
る英国は、日清両国が撤兵したことにより、露国の南下政策のひとつとして朝鮮に進出するこ
とを警戒し、その牽制のために前進基地を朝鮮に設けたのである。
しかし、占拠は朝鮮政府の承諾を得たものではなく、朝鮮が抗議しても英国は動かず、また
宗主国の清政府も、そのことを半ば容認した。よって朝鮮政府は、露国に接近することによっ
て朝鮮の庇護を画策し、密使を露国に派遣して露韓密約を結ぼうとした。
しかしこれは直ぐに清政府の知るところとなり、李鴻章は朝鮮国王に詰問状を送って、その
密約を断念させた。
一方、日本政府は、もし朝鮮政府が露国の保護下にでもなろうとするなら、必ず他の西洋諸
国もこの問題に干渉してきて、終にはこの極東の地域が大国に蹂躙されて戦乱ともなりかねな
いと大いに憂慮した。

よって、日本政府は、朝鮮の政治を小児の政治と判断し、朝鮮への多少の干渉となるも止む
を得ず、清政府に対し、朝鮮政治への日本との共同指導を提案した。
指導は、朝鮮政府で有能な人材に政務を執らせ、その進退も清国政府の許可制とし、また顧
問官として米国人を雇わせ、清国からも有能な駐在官を派遣して指導させ、これらを常に日清
両政府で協議しながら事を進める、というものであった。また、これらは非公然に行い、その
目的は、アジア全体に対する他国からの侵略を防ぐことであって、朝鮮の政治に干渉すること
を主意とするものではない、とした
天津に於いてこれを榎本公使と秘密会談した李鴻章は、この提案に大いに満足して賛成した
が、後に態度を一変し、日本と相談して行うなら清は日本の指導を仰がねばならない地位とな
る、として日本と共同して行うことを拒否した。

78 :56:2009/01/16(金) 16:18:21 ID:Iiv6i/vs0
(続きです)
よって、その李鴻章の管見と猜疑心に失望した日本政府は、終に日清共同指導を諦め、もは
や朝鮮問題には関与せず、これを放任して成り行きを見守るという方針に転換した。また、明
治17年の事変で、日本は国王の依頼を承諾して護衛兵を提供したにも拘らず、事変後に朝鮮
政府が、日本が朴泳孝や金玉均らと謀って国王を拘束し、且つ政府要人を殺害したかのように
主張したことにも、日本政府は大なる不快を覚え、以後は朝鮮を独立国とも富強国ともするた
めの積極的援助を殆ど放棄した。もっとも、朝鮮政府の方から技術支援などを求めた場合は、
これを受け入れている。例えば明治22年(1889)4月に、朝鮮政府が火薬製造技術の取得のた
めに留学生派遣を申し出たことで、日本政府はこれを陸軍省火薬製造所に入学させている。

よって、明治18年以降は、日本政府は朝鮮には関与せず、一方、清政府が属国朝鮮との宗
属関係を強化するために、朝鮮で様々な問題を起こしても、ひたすら傍観するのみという方針
を貫くことになる。
しかし、このような消極策は外国人には理解できないことだったのであろう。たとえば、横
浜外国人居留区に在住するフランス人ビゴーは、風刺画集を出版し、明治20年(1887)2月15日
発行の雑誌トバエ(鳥羽絵)第1号に於いて、日本、ロシア、中国が、朝鮮という魚を釣ろうとす
る「釣り会」という風刺画を表した。西洋人にとって、例えばビゴーの母国が、明治18年に、
清国の属国であったベトナムを奪い取って植民地としたことからも、同様に日本も隣国朝鮮を
そのように狙っているだろう、という西洋人の常識が描かせたものだろう。

しかし、この見当違いの風刺画は、時に「漁夫の利」というタイトルを勝手に付け、更には、
あたかも日清戦争に関係あるかのように、今日に於いても日本の学校教育の教材として用い
られている。
今日の歴史教育に携わる者が、実は自国の近代史の詳細には無知であることの証のひとつであ
ろう。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 16:43:59 ID:m2Gz7ilh0

戦争するからには強力な動機があるはず、だいぶ粉飾された生活感のない文章だね

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 16:45:00 ID:m2Gz7ilh0
いい国作ろうカマクラ幕府、すいへいりーべぼくのふね

ってか

81 :56:2009/01/16(金) 18:53:49 ID:Iiv6i/vs0
>>79
この時点で、日本は本気で清と戦争する気はなかった。
もちろん勇ましくそれを叫ぶ国民は少なくなかったが。
それでも日本政府としては、現実を見た場合、日本と
清との国力の差は歴然。
それが、なぜ戦争を決意したのか。
やがて、その動機も、狙いも、勢いも、ハッキリしてきます。


82 :56:2009/01/16(金) 18:55:50 ID:Iiv6i/vs0
>>79
粉飾されたという部分を具体的にご指摘されたら有難いが。


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 23:28:23 ID:wc7YwDOv0
ID:m2Gz7ilh0はちょっとおかしいひとでしょう。気にせんでいいかと。

ただ、どうしても人名や地名で漢字ばっかりになってしまう分野だから、
もうすこし固有名詞以外に、かなを多めにつかえば、ぐっと読みやすくなるんじゃないかと思う。
今のままだと画面がまっくろになっててみた瞬間に「うわぁ」ってなるから。
たとえば、「終に」は「ついに」でかまわないし、「於いて」も「おいて」でいいと思う。
「成り行き」や「覚え」なども、漢字の固有名詞がおおい文章では、かなで書くといいと思う。

まあ、ひとそれぞれの好みの問題ですが。


84 :56:2009/01/17(土) 07:14:59 ID:bQEB+uqZ0
>>83
ありがとう。参考にします。

85 :56:2009/01/18(日) 21:02:10 ID:BxyuP2Yx0
(続きです)
長崎事件
 さて、明治17年朝鮮事変は日本国民に、清国への大なる悪感情を生じさせたが、当時の世論
は事変での日本側被害のことのみならず、「朝鮮は清に隷属を強いられている」として、朝鮮
の独立を求める声も大きかった。日本政府はそれに対し、天津条約によって清政府は朝鮮の独
立を認めた、などという曲解の説明をして何とかなだめようと努めたりもした。
 天津条約がなった後は、日清両国は関係修復に向けて努力せねばならない時期であった。日
本政府が新聞条例を設けて、中国人のことを指すのに、「ちゃんちゃん」「豚尾」などという
侮蔑語を使用するのを禁じたことなどは、その取り組みのひとつでもある。

 しかし、清国は別の道をとった。それは、日本を怖れさせ、ひれ伏すようにさせる、という
政策であった。
 ベトナムをめぐる清仏戦争が終結し、すでに建造されていたドイツ製甲鉄巨大戦艦定遠・鎮
遠の引渡しを見た清政府は、海軍を創設して艦隊を編成した。
 明治19年(1886)8月、李鴻章は、「我が中国海軍は、以て日本に観して之を懾伏(恐れひれ
伏すこと)せしむべし」と、定遠・鎮遠と巡洋甲鉄艦など、あわせて4隻を、突然、艦の修理
を理由に長崎に入港させた。定遠・鎮遠は、当時世界最大級の戦艦であり、その艦名は、遠国
を鎮定することを意味した。
 さらには、上陸した清兵が長崎遊郭で乱暴を働いたことにより、日本巡査の取り締まりをう
ける事件が発生。翌日には、新たに上陸した清兵数百人が暴動を起こして長崎の市街を破壊。
取締りの巡査30人との間で争闘となり、市内は逃げ惑う人々と共に大混乱となった。やがて、
憤慨した日本人多数が巡査に加勢し、ついに清兵は長崎の中国領事館内に逃走した。
 この事件で、巡査が2名死亡し26名が負傷。清兵は死亡者8名、負傷者42名を出すに至った。

 日本と清との間の条約である日清修好条規において、第13条には、両国の人間が相手国にお
いて乱暴狼藉などの犯罪を行った場合は、相手国の地方官が取り締まることが規定され、もし
犯罪者が手向かいする場合はこれを殺してもいい、とまで記載されている。

86 :56:2009/01/18(日) 21:05:16 ID:BxyuP2Yx0
(続きです)
 しかし清政府は、日本巡査の行為を条約上の取締りと認めず、清兵を殺すための計画的な争
闘であると主張。また、李鴻章はこれを、親が出るまでもない子供の喧嘩であり、日本が公平
に巡査を処罰すれば、清国は納得する、などと述べた。
 しかし当然日本政府は、これを条約上の問題であると主張して対立。日清両政府で議論数ヶ
月に及ぶも解決せず、当時日本国内の一大問題となった。
 やがて、日本政府が折れて政治的解決を提案し、ついに翌年2月に喧嘩両成敗として、互い
に自国で処罰し、相手側の死傷者に対して賠償する、という方法で決着した。
 国の実力の前には、条約はあってなきがごときものであることを、日本人に痛感させた大事
件であり、明治17年の事変に続く再びの恥辱と損害にも、当時の日本人が歯噛みをしながら耐
えた事件である。
 後に日本政府は、巡査ほとんど全員が負傷しながらも、取り締まりに奔走したことを讃えて
賞与したが、これを清政府に知られることをはばかって公表をせずに行った。

 一方、清政府は、日本に中国の海軍力を見せて怖れさせるという目論みが、かえって多くの
清兵の死傷者を出したことを憤り、李鴻章などは、「今度こそは日本を一撃せん」と放言する
に至った。しかしこの言葉は、清軍顧問官のドイツ人によってドイツ公使に伝わり、やがて日
本人一般が知ることとなった。

 当時の福岡警察署長であった湯地丈雄は、長崎事件を調査して清国の脅威を痛感し、かつて
日本が、元・南宋・高麗の連合軍から侵略を受けた、すなわち元寇の地である博多には記念碑
の一つもないことから、記念となる施設を建てることを全国に呼びかけ、国防の大事を説いて
日本中を回った。
 日本人が心から中国人を敵視し、また蔑むようになったのは、この頃からであるが、当時、
長崎事件として知られたこの事件のことは、今日の歴史の教科書に見ることもなく、授業で語
られることもない。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 21:35:15 ID:PaWqLnLe0
やってみたらチャンコロが雑魚すぎて劇的なところが皆無なため影が薄いんだけど
それは結果論にすぎないんだよね
やる前は結構びびってた

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 22:21:57 ID:kLy0kcDoO
世界には国際条約を守る国と守らない国
抜け穴を利用する国の3種類あって、中国ドイツロシアは守らない国の筆頭だろう

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 01:44:34 ID:dnGX+VkH0

清に朝鮮の独立を認めさせるための戦いだよね。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 04:17:58 ID:YXSKPdiAO
この年に生まれた人はまだ生きてるよな。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 06:20:26 ID:Vkt8XJ3C0
まだ沈まずやこのスレは。

日清戦争は日露戦争と違って、英米の後ろ盾も無かったから、
凡ミスひとつで即アウトなのに、戦争に踏み切ったのが凄いね。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 23:40:31 ID:Mb08xHdw0
内閣弾劾案が提出された伊藤内閣が、
国民の目をそらすために仕掛けた馬鹿みたいな戦争だろ。
人口で10倍、軍事力で6倍の清と戦って勝ったのは、正直信じられん。
清の指揮系統に問題があったとか、日本は弾の規格化が進んでて融通が利いたとか、
理由らしきものは色々あるみたいだけど。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/07(土) 23:51:49 ID:ieSk5blY0
>92
>内閣弾劾案が提出された伊藤内閣が、
>国民の目をそらすために仕掛けた馬鹿みたいな戦争だろ。

根拠となるソースをどうぞ。ヒヒヒヒ
アジ歴に帝国議会の記録があるから、どのページのどの部分か言ってみw
それを言うやつはけっこういるが、誰もその根拠を示したことがないんでね。

>正直信じられん。
数も装備も日本を上回っていたのに、なぜそうなったかは調べてみ。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 09:37:58 ID:77KzpouN0
>>93
>根拠となるソースをどうぞ。ヒヒヒヒ
つ歴史のミステリー47号(DeAGOSTINI)

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 11:47:30 ID:fSpYzI3d0
>>94
何その「月刊ムー」なみのソースw

はい、原資料を掲載しているページ。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/75h.html
当時の議会で何が問題となっていたかが分かるもの。

衆議院で政府不信任案を圧倒的多数で可決。
また、政府批判の上奏案を可決して天皇に上奏。

それに対し、政府は解散で答え、天皇は上奏を受けなかった。

で、何が批判されていたかというと、要するに「政府は外国に対して弱腰すぎる。世界で
最も卑しい支那人に対してさえ頭を下げてばかり」というもの。
だから東学党の乱の鎮圧に、その後、護衛兵を派遣した時に、もう何の成果もあげずに軍
を帰すわけには行かなくなった。
先のリンクの元ページである、
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/75h.html
を読むと、明治初期からの清との積年の対立が、国民に大なる憤懣を抱かせ、議会を動か
し、政府の尻をたたき、ついに日清戦争に向かわせた経緯が理解できるから。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 11:49:12 ID:fSpYzI3d0
>>95
おっと間違った。下のリンクは、
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/resi075.html
ね。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 11:52:06 ID:KYjYTdML0
公式文書って、100%正しい史料になり得るのか?
政府に都合の悪いことは書かないだろ?

内容がどうかじゃなくて
胸くそ悪いやり取りを見て言いたくなっただけだが

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 12:22:57 ID:e8kQKbe90
>97

何がいいたいの?

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 12:41:46 ID:9qucDy1j0
>>97
「史料批判」の世界にようこそ。
では当時の議会議事録(野次まで記録されているもの)に対する史料批判をどうぞ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 21:25:11 ID:e8kQKbe90
>>97がどこを胸くそ悪いって感じたのかがわからんw

>公式文書って、100%正しい史料になり得るのか?
おまえは何を言ってるんだ?ここは2chとはいえ学問板だぞ。
100%正しい史料なんてあるわけないだろw

だから史料批判するんだろう。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 21:38:52 ID:sgznfkG80
しかし2chで論理的な史料批判まで深化したスレを見たことはないな。
大体史料の出し合いで水掛け論になるか、分析なしに相手の史料を否定するか。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 10:24:29 ID:/HPliNk50
やっと立ったか日清スレ
ソウルの南からピョンヤン、遼東半島、満州の付け根まで北上し
大連湾、旅順、最終的には北洋艦隊本部の威海衛近くに敵前上陸
すべてに勝利し、近代戦争の先駆けとなった戦いぞ
しかも正々堂々、少数でも突撃し勝利している
兵は黙々と行軍し、廠重も困難をものともせず海外特派員も呆れるくらいだ
素直に黙って死んでいった兵士たち、泣ける。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 11:58:52 ID:Du3Cab7J0
フランス製兵器(日本)vsドイツ製兵器(清)の代理戦争だったか?
あとアメリカ製兵器もライバル企業同士の代理戦争にさせられたみたいだし。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 00:01:59 ID:l6AcEx600
英仏(日本)vs英独(清)だね。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 22:22:21 ID:XYw8inwYP
清軍は、装備は新しくとも、戦術が古く、錬度も低かったようですからねえ。
とりわけ陸軍は。
たくさんの幟をひるがえして、わざわざ自軍の陣地を示し、小銃の射程距離も
あまり考えずに、やたら遠方から撃ったりと。また、砦にこもりっきりで積極
的に撃って出ることもなく、だから日本軍は容易に砲弾を浴びせることが出来
たということです。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/18(水) 19:46:00 ID:pDR3G/in0
>>105
日本には外国人将校が指導に来て近代的な軍隊を作っていったよな。
清にも外国人将校いたと思うんだ。なんで近代化できなかったんだろうか?

それはそうと、タイムスタンプが惜しいねw
もう少しで222222だったのにw

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 15:17:27 ID:2jP/8w770
ドイツの特派員の報告では
清軍でなくとも、ドイツ兵でも日本の突撃で逃げるだろうと言っている

黄海会戦では、清国海軍の将校はみな先進国の傭兵、つまり
アメリカの特派員報告のごとく、日本軍は世界最強だったと思うぞ

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 15:31:18 ID:2jP/8w770
あ、そうそう、突撃っつっても日清のそれは
日露の旅順の突撃や太平洋戦争のバンザイ突撃と違って
相手が浮き足立った時や一部に被害をださせて
その隙を突いての突撃で、質のいい突撃だったみたいだぜ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 22:19:03 ID:k2EKCb2IP
愛国心教育を受けてきた国民兵の日本軍と、軍閥の傭兵である清兵とでは、訓
練度のみならず精神的なものにおいても、ずいぶんと違っていたようですねえ。
それに、清軍は糧秣もまかないがお粗末で、行軍の途中や陣地周辺の村々から食
料の略奪をやらねば維持できなかったようで。
もっとも、日本も清国との戦争を準備していたわけではないので、開戦当初は兵
站の確保や運搬にずいぶん苦労したようです。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 22:26:13 ID:k2EKCb2IP
ただ、陸戦の初戦である成歓の戦闘に、日本海軍から撃沈された輸送船高陞号の
清兵1100名と大砲10数門と、あのドイツ陸軍顧問のフォン・ハネッケンの指揮が
加わっていたなら、戦況は果してどうなっていたか分らないのですよねえ。
ハネッケンも高陞号に乗っていたことはあまり知られていないようです。
もし日本軍が成歓の戦闘で破れていたら、その後はたいへんな苦戦が続いたと思い
ますよ。
まったく東郷平八郎GJ!なわけで。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 22:30:44 ID:yjg4M06N0
ほんとに愛国心教育なんておこなわれてたの?
ナショナリズムの高揚は日清以後なイメージがある。

国民国家がどうのとかなんとか。よくわかんないけど。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 22:32:10 ID:yjg4M06N0
おっと。それと
日清、日露戦争ともに、日本は食料を現地から徴発することは
やってたと思うよ。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 00:43:37 ID:vecNF6fwP
ヒント 教育勅語。1890年(明治23)10月30日発布。

日清戦争時の兵食。精米、牛肉、獣肉魚肉缶詰、干し魚、高野豆腐、切昆布、干瓢、梅干、ラッキョウ、味噌漬、紅生姜、沢庵、奈良漬、茄子芥子漬。携帯口糧としては、パン、獣肉・魚肉缶詰、佃煮、干し魚、食塩。他に補助食品として鰹節、砂糖、醤油、醤油エキスなど。
朝鮮で得ていたものは、魚肉類(除く缶詰)と野菜ぐらい。それも韓銭がないと購入できない。当時、あまり流通していない韓銭を入手するのに、日本軍兵站部はずいぶん苦労したのだけれども。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 01:10:35 ID:vecNF6fwP
日本軍は糧食そのものは、そんなに問題もなかったのですが、運搬手段たる人夫の確保に苦労
したのです。
給料もいいことから開戦前は朝鮮人人夫に不自由しなかったのですが、開戦と同時に、朝鮮人
人夫の逃亡が相次ぎ、ついでに糧食を満載した馬ごと連れて行ったものだから兵士の糧食に欠
乏を生じ、ついに兵站部の日本軍人が責任を感じて自決する事態までになったのですよねえ。
まあ、当時、日本が勝つとは朝鮮人は夢にも思ってないですから逃亡するのも無理もないこと
なのですが。
日本が勝つかもしれないという雰囲気で、朝鮮人人夫が戻ってきたのは、成歓の戦闘に勝利し
てからでした。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 01:30:39 ID:R+fKmcQb0
へぇ2ちゃんねるでは極右的発言を拒むと「朝鮮人人夫が逃げた」って言うんだ
まるでタコ部屋みたいだね
関係者ですか

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 01:31:35 ID:R+fKmcQb0
極右じゃなくてただのコジキ商人なんだけどな

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 01:40:35 ID:R+fKmcQb0
ドラマやアニメの主人公になっちゃって、互いにその名前で呼び合うだけでなく
道行く人を、勝手に悪漢に配役し
殴りかかるなどして歪んだ求愛行動を示す
それがポン中だからな

タコ部屋、ポン中、きちがい発言
お前らの親分の名前はダレなんだ


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 01:41:59 ID:R+fKmcQb0
書き込みサクラ

お前家出少女だろ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 01:44:07 ID:R+fKmcQb0
資本主義ってやだね
893が銀行の下請けしてるわけだ
昔は銀行から金取ったのに、今やその手下

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 11:49:40 ID:6bpP9SV50
>>114
兵站が重視されてなかったというか、
兵站に関しては準備不足ですよね。

日本って兵站に力入れない感じですよね。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 13:01:45 ID:vecNF6fwP
>>120
そんな感じですよねえ。
日清戦争の時は、後には人夫が確保できたのですが、今度は運搬の際の護衛と人夫監
視が不充分だったようで。東学の乱民から襲撃されて物資は奪われ、人夫は殺されたりと。
また、人夫による物資の盗みが多く、とりわけ楽しみにしている慰問品が抜き取られたりと。
これは日本人人夫も朝鮮人人夫もやっていたようですが、朝鮮人の場合は、朝鮮政府が盗み
をしたものを梟首刑にしたことから、抜き取りはぐっと減り、落し物を拾って届ける朝鮮人
までが現れたと記録されています。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 21:31:54 ID:CHTn2kWr0
こういう論理のすり替えが平然と出来るってスゴ杉てワロタ


123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/21(土) 23:58:49 ID:vecNF6fwP
ところで、これは日本軍参謀本部でもそう思っていたのですが、人夫賃金は朝鮮人は1日1円、
日本人人夫は50銭と。
ところが、現地の報告では、結局は日本人人夫も1円の経費がかかったということなのですよ
ねえ。
朝鮮人の場合は手弁当で、運搬がすんだら帰りは自弁なのですが、日本人人夫の場合、現地に
生活の基盤があるわけもなく、それで手弁当というわけにもいかず、結局は食費や帰りの経費
の補助やらで、賃金は50銭でも、結局は1円の経費となっていたようです。
で、何とか経費を節約しようと、朝鮮人人夫募集において1円から徐々に下げていったのです
が、連戦連勝の報もあって、6、70銭でも募集に応じる朝鮮人には困らなかったとのことです

また護衛や監視のことですが、日本にとって、けっして余裕のある戦ではなかったですから、
武器も弾薬も兵士もみな前線に送って、それで兵站のことがあまり顧みられなかったのかもし
れませんねえ。

>>122
ここは日清戦争のスレなのですが、何かご不満でもw?


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 15:19:11 ID:PdVILoFY0
兵站に関しては、海外特派員のすべてが関心しきりなのだがなぁ…
朝鮮の道なき道をようも運んだものだと…

食事に関しては牛肉のしぐれ煮の缶詰など
百姓の次男三男などは食べたことのないご馳走だったんだろうなぁ
いま食べても不満のないものじゃない?

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 17:11:38 ID:h4zmgEFw0
日本と言えば兵站無視と、とりあえず叩いておけばOKという思考停止のお偉い先生様が常駐しているスレで
おまいは何を言っているのだ?

バカには現実なんかどうでもいいんだよ

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/23(月) 23:08:48 ID:dd4LlaCIO

日清も日露も朝鮮の取り合いだろ!



127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 00:05:25 ID:/uQnhgaCP
日清戦争当初の日本軍兵站のまずさは、そもそも準備が十分でなかったこともありましょう。
用意周到に清国との開戦を準備していたわけではなく、成り行きのままに始めた戦争ですから。
日本兵の糧食はその内容としては充分なものでしたが、反対に、どうやら清兵のほうは食料や食
器まで現地で調達せねばならなかったようで。
清人人夫が日本兵に語ったことによれば、約束の賃金も払われず、わずかな雑穀をもらっただけ
で、それで朝鮮人の畑から野菜などを盗んで飢えをしのいだ、と。
しかもこれが負け戦の逃走時の話ではなく、開戦前後の平壌に前進した清軍の中での事ですからねえ。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 00:08:03 ID:/uQnhgaCP
そもそも、朝鮮が日本の勧告や援助を生かしてまともに近代化を進めておれば、日清戦争はなかった
のですよねえ。
開港しても連年貿易赤字。それもやたら西洋高級木綿ばかり輸入して輸出は振るわず。それでますま
す貧国となって、内乱につぐ内乱。兵士の給料もろくろく支払えず、自ら守り自ら治めるという意識
も低く、すぐに外国の兵を頼りとするなど。
清の属国であるかどうかなど、あまり問題ではなかったのです。ただただ、自ら国内の内乱を鎮圧で
きる、また未然に防げる力と内政の改良があったなら、朝鮮の地で戦争はなかったのです。


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/24(火) 01:33:50 ID:l9LgwTmj0
李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にした
のであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国
の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東ユ『晝永編』)といっている。

針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、
日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が
流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方
に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。

大韓民族(朝鮮民族)の文化の特色は、「常に退歩しつづけること」だ。
コピーはできる。しかし、劣化コピーだ。
創意工夫が無い。本質的な理解もしない。だから、進歩することはなく、劣化コピーのみ。
元祖や起源に近いことをありがたがるのも、コピーが世代を経るごとに劣化するからだ。
立地条件のおかげで、常に近隣文化圏から文化文明の供給があったから辛うじて国の体裁を
保つだけのものは確保できた。劣化すれば隣を模倣すればいい、の繰り返しだ。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 15:41:56 ID:++EbN07T0
ソウルの南に上陸したり平城に進軍した清軍は略奪もしただろうが
半島や満州南部で戦った清に略奪があったとは考えられないな

日本軍も突貫突撃ばかりではなく、退却したりして巧妙に戦ったんだな
ほんと、基本に忠実で勇気ある戦いだったみたいだ
でも戦死が数千で病死が万単位って、嘘みたいだな…。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 20:57:32 ID:c+IYpIqA0
>>103
日本の野砲、山砲を初めとした火砲はイタリア製のコピーだよ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 08:43:04 ID:7ylFpfmrO
>>130
秀吉の唐入りもそんな感じだった。
朝鮮半島って日本に比べて寒いし不潔なんよ。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 10:12:36 ID:/SgwqxDAO
>>24
江川達也の日露戦争物語(漫画)見れば分かるよ
日露戦争物語っつても日清戦争で打ち切りだけどw

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 03:53:05 ID:+r3iInfEO
楽勝ではないよなwwwwwwwwwwwwwww

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 07:08:46 ID:oK1DY4Tj0
>>130
病死の相当数が脚気。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 16:30:15 ID:HZ7llGI40
日露の脚気は有名だけど
日清も脚気なの?

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 19:19:52 ID:eCzqkZ1J0
原因は同じだからね。
副食に乏しい状況で白米ばかり食ってたせい。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 16:07:55 ID:Rk/lAudf0
日清戦争の内地移動下でも死者はでています。
歩兵第七連隊、金沢市から福井までの酷暑の陸行160キロの下
日射病(熱射病)1259名、死者5名。

他、戦地ではコレラ、アメーバ赤痢、マラリアでの死者多数、
冬季においては歩兵二十二連隊が兵員の7割が凍傷にみまわれた。
らしいですね、凍傷の死者については不明。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 16:12:01 ID:Rk/lAudf0
>>124
明治20年頃から海軍が缶詰に注目
日清戦争の軍納牛肉缶詰を民間に払い下げ民間需要が増す
日清戦争時251万7328円を購入、内4443トン(148万5678円)
明治30年は1550トン、日露戦争時は2309万9211円
明治37年 :9337トン
明治38年 :17298トン

鮭缶詰の工場がカムチャッカで生産を開始するのが
明治43年 :堤商会による


140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 18:53:14 ID:GQ2FS9NzO
森鴎外の馬鹿野郎

江戸時代の人間でも豆食って回避したのに

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 19:01:06 ID:K32tPpjH0
森はほんとどうしようもないな。
脚気の病因については高木や北里あたりは、かなり早くから栄養学的な問題を指摘してたんだけど
東大閥がこれを無視。
森も東大閥なのでそれに従って栄養学的な観点からの実験すらしなかった。
海軍では結果が出てたのにそれも無視するんだから病死した人は浮かばれない。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 06:59:57 ID:+cMA2LlCO
文豪としては偉人だが軍医としては全くの無能だったよな森さんは。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 11:19:48 ID:HS8U0kLmO

朝鮮の取り合い戦争だろ!



144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 14:57:31 ID:+QkzyYgMP
森が無能だったというよりも、師匠であるドイツ医学界が、脚気は日本の風土病であるとして
細菌説を言っていたのを、どうにも信じ込んでいたと聞いたことがあるが。

>>江戸時代の人間でも豆食って回避したのに
まあ、西洋文明は何もかもが正しいと信じ過ぎたということか。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 18:46:29 ID:Ackjf0qC0
>>144
北里はドイツ留学中に脚気細菌説を否定してるんで、必ずしもドイツ医学界全てが細菌説というわけではないと思う。
個人的に森が一番ダメだと思うのは、結果が出てる海軍があるのに、試験すらせずに細菌説に固執したこと。
細菌説を信じてるなら、己が正しいことを証明するために試験すべき。
頑迷といえば聞こえがいいけど、少なくとも学者失格。死者の数を考えると人間失格。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 07:04:32 ID:jJnVzlKu0
古くは蒙古が元と言う国を建国したりそれ以外でも異民族による
新政権が樹立していたなか日本軍があれだけぼこぼこにしたにも
関わらず新政権樹立どころか戦後から反日が凄まじく未来永劫末代まで
呪ってやると言われる始末。
女真族みたいな蛮族にすら数世紀にわたり支配されてきたのになぜ?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 13:12:20 ID:FjdUTBF8O
>>146
体制の維持には敵がいたほうが好都合だからです

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 18:38:09 ID:2j+ZHF+00
それは分かるけどなぜ日本人による王朝ができなかったの?

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 23:56:14 ID:buHK+vkg0
>>148
天皇が日本に引きこもってるようじゃ日本人の王朝なんてできるわけがない

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/13(水) 06:00:27 ID:TS96AbsE0
別に天皇が赴かなくてもも何々幕府みたいに誰かが王として君臨すればよかったのに

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 12:50:42 ID:4t+tOJm50
>>150
勝手にそんな事したら日本に潰されるだろ

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 09:07:55 ID:r6VehQGx0
イザベラバード女史の朝鮮紀行に詳しく書いてる。面白い。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 20:47:04 ID:McO6ZJ++0
台湾征服戦を日台戦争って言ったら偏向らしいね。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 21:06:10 ID:JBNyxu1M0
台湾は国ではなく清の領土だったわけだから、
日台戦争は微妙じゃないか?

かといって、日清戦争の講和は終わっていて、
書面の上では割譲はされてるわけだしな。

書面の上で割譲された台湾を、実効支配する為の戦争だし、
台湾征服戦争が一番しっくりくるんじゃないか?

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 21:13:25 ID:YvkdlVby0
1894年(明治27年)日清戦争は開戦までは
列強清国対三等国日本の戦争で、海外の見識では、清国優勢の評価だったが。
日本は勝利した、しかも実にあっけなく・・・・。
そんな印象があるのがこの戦争。

海外派遣の外交官の情報収集なども優位に働いたのだろうか?
また、高給で契約し海外から招いた軍人や、技術者の力量によるのだろうか?
それとも単に、当事国の戦争への認識の違いがこの結果を生んだのか?
ただ、どうしようもなく清が弱かったのか?

謎だ。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 21:44:21 ID:JBNyxu1M0
確か、日本は清の暗号を解読できてたんじゃなかった?
記憶が定かではないが、そんなことを聞いたことがあるような。

情報戦の勝利で幕を開けた日本の近代戦争は
アジア太平洋戦争での情報戦の敗北で幕を閉じるわけだな。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 22:15:19 ID:McO6ZJ++0
>>154
議論の焦点としては割譲後に起きた征服戦争の名称だし、清朝は無縁でしょ。

台湾民主国の壊滅は乙未戦争だとして、その後続いた一年くらいのゲリラ戦とか
1000人以上靖国行になってるけど、位置づけがよく分からない。他に征討戦の戦没者で
靖国行きの例とかあるのかな

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 22:45:43 ID:JBNyxu1M0
台湾以外の征討戦ってどんなのがあったっけ?
国と国でもない征討戦って珍しい気がする。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/20(水) 12:39:24 ID:ht7szF+dP
日本と支那がたたかった。日本かった。
日本「あなたの台湾ちょうだい」
支那「さしあげます」
日本「きょうからここは日本です」
台湾にいる支那人「いやです、ここはあげません」
日本「いやなら支那におかえりなさい。ここは日本のりょうどです」
台湾支那人「くぁwせdrftgyふじこlp;!!」
日本「はい、どんどん掃討、どんどん掃討」

よって「どんどん掃討」戦w


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/20(水) 13:29:00 ID:qNtRi7Bx0
日清戦争だけは、じつは日本は自前の燃料資源(石炭)で戦えた。
日露戦争以降は、全部、輸入。
日米戦争はもうわや

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 02:34:29 ID:r6aHipWf0
>>160

なるほど、燃料カテゴリ的には自国調達資源で戦えたのが日清戦争だった。
しかし軍艦は輸入、軍事編成教育等は海外の軍人を招いて得たもので
日本の先進性が大きく作用した戦争でもあった。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 03:57:51 ID:GWZ1k9s+O
日露はともかく、日清戦争となると感覚的には時代劇の世界。
世界最高齢は1894年生まれだよね。

その人は、日清戦争、日露戦争、WW1、WW2〜イラク戦争と生きてるうちに経験している訳で。

今の平和って幻想に過ぎないよな

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 09:38:16 ID:HNeM2bNh0
中国ドラマの日清戦争
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2829553

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 18:40:33 ID:UI+7VU6nO
日清戦争は甘え

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 22:00:25 ID:O0LLLjpi0
日清戦争の戦死者って脚気が一番多かったんでしたっけ?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 16:56:46 ID:owORGrae0
日清戦争のデータ

戦死者 977 人
負傷者 3,335 人

日本の脚気による年間死亡者数が1000人を切るのには
昭和30年代まで待たなければなりませんでした。

日清戦争
兵力動員は24万人、戦傷者1.3万人(戦死者は数百人)、期間10ヶ月。



167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 01:13:06 ID:x0Y5Xh5h0


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 21:34:23 ID:kY7YVnzd0
>>165
日露戦争では動員兵力100万人の内
25万人の兵が脚気を発病、内脚気病死者2万7800人

これを日清戦争動員兵力とシンクロさせると
動員兵力25万人 脚気発病想定6万人、脚気病死者想定6000人
という計算かな?

いずれにせよ記録とか統計は残っていないだろう。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/20(月) 23:31:42 ID:aXHd6NH50
旧参謀本部「日本の歴史」によると、日清戦争に於ける
戦死および傷死 千四百十七名
病死      一万一千八百九十四名
変死      百七十七名


170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 10:27:24 ID:eCo7WIO00
病死が万を超えているが、本当に脚気なのか?
一年に満たない従軍で脚気って死ぬもの?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 11:35:43 ID:bcHrFsKsO
後ろの味方に撃たれたのだよw

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 12:01:08 ID:eCo7WIO00
しかし凍死で一万つうのも信じられないし…
水が悪いのかなぁ…

でも病死が一万余つうのも、もったいない話だよな

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 14:10:21 ID:BjCXDKDw0
満州と朝鮮にはいろんな伝染病がはびこってて、
多くの日本兵は免疫がないうえに水も食料も不足
してた劣悪な環境だったからバタバタ死んだらしい

大陸の伝染病には、のちに満鉄の社員として満州にわたった
日本人たちも大いに苦しんだそうだ

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 21:08:49 ID:eCo7WIO00
フランス陸軍大学校長ラングロワー中将の観察の一節

日清戦争は実に日本の見事なる戦争で、われわれの学ぶところが頗る多い。
なかんずく兵站・運輸の整々たることまさに陸軍の模範とすべきもので、
戦勝の一大原因はこれに存する。

とまあ、缶詰を発明したナポレオンの祖国に褒められているし、
日露も同じく沿岸砲を203高地まで運んだりして兵站で勝った
ようなものなのだが、太平洋戦争の兵站軽視は何なんだつうことだな

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 13:07:17 ID:D//kUQXb0
初歩的な質問だけど、1894年(明治27年)当時の日本って
清国から見てどうでもいい弱小国扱いだったんだろうか?
また、李朝は日本が勝てると思っていたのだろうか?

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 14:06:05 ID:BIEIvDBo0
>175
スレの前半を読め、長崎事件など詳しく書いてある
弱小国つうより朝鮮と同じく属国扱いだわな
黄海で破れ、山東半島に上陸され、北京が危うくなって慌てた
李鴻章なんて教科書じゃ人物のような表現をされてたが
俗物の権化みたいな香具師だわな

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 17:17:04 ID:D//kUQXb0
>>176
56が研究熱心だった頃だね、色々参考になるよ。

東辺の極小国「日本」は清国に手向かえない劣等国の筈だから
李朝の次は日本を併合、そうなれば清国は太平楽
こんな構想が清国にあったんだろな
李朝は戦局の模様見で清の属国下での太平楽

思いっきり出し抜いたが日本

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 20:41:33 ID:BIEIvDBo0
その李朝が理解できない。
独立の意思のない国なんて、あるのか?

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 22:53:39 ID:Wh5JtUvr0
>>176
>弱小国つうより朝鮮と同じく属国扱いだわな

明治4年の時点で、清国皇帝と日本天皇は平等の「日清修好条規」を結んでる。
もっとも、その後日清両国は対立を深めるわけだがな

結局のところ日清戦争の原因は、
「平等扱いしてやったら、どこまでもつけあがるナマイキな小日本に
なめられてたまるか!」
「落ち目のクセに、いまだに大国のつもりでゴリ押しする清国ごときに
なめられてたまるか」
という両国の意地の張り合いだと、オレは考えてるよ。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 22:58:41 ID:Wh5JtUvr0
>>178
小国が大国に安全保障を依存するのは別に不思議ではない
今の日本でさえ、アメリカ軍撤廃・自主防衛を主張するのは少数派だろ?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/24(金) 21:54:57 ID:Xk9qI+TI0
そうすると日清戦争は全くの侵略戦争ってことで桶?
西南戦争で培ったノウハウを生かし
徴兵で膨張した軍隊を海外で試す格好の相手だったってこと?
つまり日清戦争こそが原爆までのビッグバンの最初だ。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/24(金) 23:16:05 ID:wUyVy2e+0
日清戦争は当時世界から見て超弱小四等国以下の日本が・・・・
清国の属国下に置かれた李朝を上手く盾にしつつ
最後は国力に勝る清国に勝利して超弱小国からそれなりの国という認識を受けた戦争
という事で桶?

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 09:21:22 ID:hwI6+28B0
侵略戦争って・・・
弱国が挑んだのにそういうのか?

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 11:14:10 ID:TpX+ip8H0
列強国清国からの李朝独立派と日本が手を組み清国の脅威に対する
朝鮮半島という防波堤を造った

高校の授業でこう発言したら先生に睨まれるのだろうか
会社の同僚的会話では比較的アリなんだが


185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 11:53:24 ID:UgqPGJgt0
今日は日清戦争開戦から115年目の日

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 13:42:16 ID:eQn6W88P0
朝鮮王朝自体が秦の属国であることを望んでいるような雰囲気なんだよな
これがロシアであっても同じじゃないのかな
ではなぜ日本はだめかって、つらつら考えると
やはり秀吉に行き着くのかなぁ…

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 18:47:58 ID:N8PGJJfxO
誰が見ても外観的に同族の関西人のせいさ

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 19:59:27 ID:hBKO1/rC0
その手は桑名の焼きハマグリ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/28(火) 19:44:12 ID:MJggsRhV0
下等国日本VS列強国清国が昭和生まれの俺に理解出来なかった。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 23:47:44 ID:6hAHgr3q0
所詮は侵略戦争か?

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 11:00:17 ID:VQOnfxID0
侵略戦争とかバカげたことを言っている人が奴多すぎます。
というよりも何故戦争が起こったか、を知らない人が多すぎる。
でもこれは仕方ないことなんだと思います。
なぜなら小中高での教え方がそういう方針だから。


日清戦争の一番の理由は、当時の日本は食糧問題を抱えていたということ。
そして近代化(列強の植民地支配にならないため)を進めるためには、
どうしても市場拡大というのは不可欠事項。

ゆえに日本は朝鮮に打って出たというわけです。
では何故朝鮮だったのでしょうか。簡単ですね。
そう、日本は最大の市場である中国を目指していたのです。
まぁあと対露のことも考えていたのですがここでは説明を省きます。

日本は当時食糧問題を抱えていたと先に述べましたね。
人口が爆発的に増えていた日本。さてどうしましょう?
独立国を作ってそこに移住させようと考えていたのです。
だから朝鮮だったわけで、それが満州ですね。


ほら、全てが繋がっているでしょう?
だから山県有朋は朝鮮のことを利益線と言ったり、
朝鮮は食糧で困っていた日本に防穀令を出したりするんです。

断言しておきましょう。
日清戦争がなければ日本は列国の植民地支配を受けていたでしょう。
日清戦争のおかげで日本は近代化に成功しました。

当時のことを考えることで一番重要なのは“列国の脅威”です。
理由があるからこそ戦争をする。

戦争万歳というわけではなく、当時の歴史的背景を見れば
この戦争は妥当どころか得策と言えるのは誰もが頷けるはず。


192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/18(火) 19:12:16 ID:e2oS8TjU0
1884年(明治17年) 清仏戦争始まる(1884-1885)
清軍は敗北し、天津条約によって清国はその宗主権を放棄
フランスの保護国化を承認した。

1884年(明治17年)
愛国公党(明治7年結成)板垣退助、後藤象二郎  
駐日フランス公使サンクイッチと会見、朝鮮でクーデターを実行する資金
100万ドルの提供を求めた


193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/20(木) 19:09:03 ID:PSl/fc0d0
日清戦争って何か計画的な戦略に立って開戦されたかのようなお話になっているけど、
7月23日からドタバタとなしくずし的に開戦したせいで(実際の布告は8/1)、
今でも中国では宣戦布告なしに日本が仕掛けてきた的な扱いらしい。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 00:02:00 ID:BOetrbbJ0
>>193

そりゃ日中戦争じゃないか

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 22:51:04 ID:934Y+bWW0
>>194
まじでまじで。中国の高校の歴史教科書はそう書いてあるんだって。
日本と中国の歴史教育を日清戦争の記載で比較する論文があって
いろいろふいた。
当然、台湾征服戦争も中国人が日本に抵抗したという文脈で結構詳しく記述してあった。

と思ったらNステでミンビ殺害事件がw

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 00:54:08 ID:i/lV+qee0
いろいろと見解違いはあるから面白いよ

抗英斗争・?起抗英: アヘン戦争
甲午?争       : 日清ラーメン
抗日?争・抗日救国: 日中戦争

まあ宣戦布告なんて大して誰も真面目にやってない

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 00:55:15 ID:i/lV+qee0
化けまくり・・・orz 戦の簡体字とか入れといて

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 01:43:36 ID:txq+lJH1O
>>196
日清ラーメン
フイタ

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/26(水) 19:20:09 ID:uAWxOYRo0
>>195
特定アジアはいつも 嘘ばっか、というだけの話。
奴らは嘘しか言えないんだよ。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 15:55:29 ID:HnkXRPRR0
日本は列強国の武力的干渉に対抗すべく富国強兵をしてる間に
ごく稀にだが他国を武力で干渉する国力を得た、
しかし、その時点で国を動かしていたのが近代帝国主義だった
列強清国に勝利という成果が帝国主義への良き印象となり
国民は帝国主義の囚われ人となり民権とか自由が制限される事になる
民主国家への道が閉ざされてしまう

このあたりが「日清戦争」以降の戦争が帝国主義による侵略戦争
という評価を決定しているような気がする。

1945年敗戦の後から今日の民主主義国家「日本」の経済成長を見れば
やはり帝国主義「大日本帝国」の評価は低いよ
でも当時はそれで行くしかなかったのかな?

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/31(月) 10:53:51 ID:h/dBf1480
遼東半島を狙わないかわりに台湾割譲をひきだしたら、欧州列強の介入を避けられたかもしれないよね。

帝国主義は不可避ではなかったとは思うけれど、一度アメリカ辺りの植民地になっていたかもしれない。
少なくとも領土拡張主義が終わったのはWW2以降だから、それを前倒しにする山盛りのIFをぶちこまないと
リアリティはないでしょ。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/31(月) 11:41:39 ID:i+fD6hqI0
当時は宣戦布告前に攻撃するのは合法だったぞ。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/31(月) 16:08:17 ID:p5GIet/xO
第二次大戦は大変な惨禍だが、
福祉など社会制度の充実や科学技術の進歩という評価すべき事情もあるなぁ。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 03:23:04 ID:StE7J+900
帝国主義国家の行う侵略と民主主義国家の行う侵略って
海外から見て印象が違うのだろうか?
また列強国の脅威に対抗する帝国主義国家の軍備増強と
民主主義国家の行う軍備増強も印象が違ってくるのだろうか?
侵略や属国化は他の国もやってたよね

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 06:23:30 ID:wnI+poYM0
そもそも日清戦争に因縁つけるやつっているの?
なんでも中国と付けば日本が犯罪者だの、
弱い中国イジメだのと解釈するのは自虐史観なんだか自尊史観なんだかよくわからんな。

日露戦争もそうだけど、
清もロシアも"帝国"ですから。

帝国同士が戦争やってもただの当り前

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 06:26:06 ID:mMviBXV40
>>204
そもそも帝国主義と民主主義を同列に並べる時点でどうかとおもうが

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 06:36:00 ID:wnI+poYM0
朝鮮は最初から独立国家じゃない。
中華思想では属国か蛮族のどちらかしかないから、
蛮族より地位があるのなら属国。

チベット・ウイグル・モンゴル・朝鮮・ベトナムと全部解釈は同じで、
現在時点で独立国は過去の歴史も認められ、
属国のものは過去の歴史も属国。ただそれだけ。

むしろ日本等の東方からの圧力で全体的に西にシフトしている。
チベットは元々は吐藩という立派な"蛮族"だったのだから。
朝鮮が独立国なのは日本の圧力のおかげ。
(もしかすると)日本が独立国なのもアメリカの圧力のおかげ。
『おかげ』と言っても感謝じゃない。
地勢上の立地はその地域の先天力なのだから。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 06:55:45 ID:uD3gdJ3F0
フランスやイギリス、アメリカも「民主主義」を標語しながら
植民地主義も並行して行っており、
民主主義と植民地主義は寧ろ表裏一体の面もある


209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 07:17:15 ID:wnI+poYM0
イギリスは見事な帝国だけどな。

民主主義は帝国を解放して自立できるまで支援してあげる。
それをなぜか「植民地」と呼ぶ人がいる。不思議だなー by 列強

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 08:02:45 ID:uD3gdJ3F0
アボリジニやタスマニア人の例でもわかるように、
民主主義は「文明の名において」として「未開人」を殲滅したことでは
ロシア帝国などの「野蛮な専制国家」よりも苛烈だった面もある。
ロシアは征服した部族にツアーリへの忠誠を誓わせるだけで殲滅はしなかった。


211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 14:17:48 ID:mMviBXV40
>>209
植民地:国際法的には国内、国内法的には国外という二重法制
同化:建前では差異の解消。実態は差異を温存するか、宗主国への吸収

少なくとも17世紀以降大体こんな感じだろ。そもそも列強は「おまえの施策は植民地主義」と
言われても反発しない。えてしてそれが正しいことだと考える不遜な存在だからだ。
その点、日本の歴史修正主義者は日教組以上に、植民地や侵略を悪しきものと考えているのが
笑える。侵略や植民地であったら自分の立場が危うくなると思い込んでるあたりが、なにか
よっぽど悪いものでも食ったんじゃないかという感じに思えるね。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 20:16:26 ID:9gycr+1Q0
帝国主義とか植民地とかの語彙じゃなく
武士道とかサムライで日清戦争を語れないかなぁ…

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 21:41:10 ID:3gXGxfEY0
議会制民主主義体制の教育の下では、帝国による武力介入は侵略
というロジック。
そこいら辺が戦後教育の弊害なのかな?

日清戦争後、新参者の日本は従来列強国に干渉されフルボッコ
ある意味祖国防衛の富国強兵だったと思うのだが、それは現在無かった事
あるいは、まるで悪かった事のように伝達されてる。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 03:05:32 ID:fbBJ/Pbi0
>>212
ほれ。武士道と日清戦争
http://homepage3.nifty.com/aab/busido.htm
あと薩摩武士と日清戦争についての議論が、防衛大の准教授の論文
戒能善春 日清戦争における台湾作戦―戦争か治安か― 防衛学研究37

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 06:46:39 ID:Myn8s5bQ0
大体日清戦争のおかげで辛亥革命が始まったのだから
感謝こそされ恨まれる筋合いはないだろう。

どれだけの大陸革命家が日本の轍を踏んだと思ってるのか。
そんなのを教科書ではなぜ教えんの。

革命の父孫文は日本亡命中の東京で旗揚げだし、
国民党指導者の宋教仁は法政大学出身。
蒋介石も日本の軍事学校を出ているし。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 11:27:53 ID:fbBJ/Pbi0
>>215
おまえ、辛亥革命以前に列強に割譲されまくったきっかけが日清戦争だろ。

>どれだけの大陸革命家が日本の轍を踏んだと思ってるのか。
...

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 19:13:51 ID:CRbGuQz10
日清戦争で日本相手に一敗地塗れたので中華思想というアイデンティティが脅かされ、
日本に対する関心が高まり、日本に学ぶものがあるのではないかと留学生なども増えたという。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 01:20:28 ID:/Uqf6cMV0
>>216
上のやつのいうように親日派ってのはアジアの潮流のひとつ。
今や当のネウヨ馬鹿が差別しゃがるから親日派まで否定されちまってるけど。
そういった意味でネウヨのカスのクズのゲロの存在は世界のガン。

孫文が日本なのは世界の誇りだ。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 01:38:03 ID:TootHZ4I0
>>218
よくわからん。なにが、なぜ誇りなの?
色々な面がある人っツーのは把握しているが、そこまで価値を与える意義は無くね?

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 02:02:02 ID:/Uqf6cMV0
>>219
毛沢東よりも蒋介石よりも上だぞ?
台湾中共両方で通用する建国の祖だ。

おそらくネウヨだろうから引っかかっているんだろうが、
日本がアジア全体のリーダーシップとして
列強からの解放を狙っていた動かぬ証拠のひとつなのだ。
向こうでは、日本で言うなら神社のひとつ造られてそうな存在。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 11:30:27 ID:TootHZ4I0
>>221
とりあえず、複数の国の建国の祖ということなら、その国々にとっての誇りだわな。
>日本がアジア全体のリーダーシップとして
>列強からの解放を狙っていた動かぬ証拠のひとつなのだ。
理屈こねるの下手だろ。これでも読んで頭を冷やせ
http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/ff97b229fc1de6dfa6da7a154bbe1154

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 19:01:46 ID:lYNSI+ej0
日清戦争で東夷、小日本と馬鹿にしていた日本に一敗地塗れたことは
中華思想の清国・中国人にとっては屈辱的な面もあったが、
立ち遅れた当時の清国の現実を痛切に認識・自覚した一部の清国人も発生した。


223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 00:28:01 ID:kPEV6Bx60
>>221
見るも無惨な女関係だ。革命的だな。さすが革命家。

外国人の女だと多少年齢が割ってても気にならないもんなのだ。
かつて14歳のBOAを声を大にしてイケると言い切れた。。
いまでも別に後ろ暗い感はない。
・・・あー待て、続きがあるからまだ行くな

中国革命は中国日本の二人三脚で行ったものだ。
この事実をなぜ隠蔽するのだ。ここに歴史の闇がある。ウヨサヨともに拒絶するこの話に。

ちなみに外国女の場合年長側もアリだ。セーフゾーンが拡大するようだ。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 01:26:06 ID:v517Xhzm0
日清戦争は日本のアジア侵略の始まりだったという見解は正しいの?

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 02:06:54 ID:kPEV6Bx60
正しくない。
アジアも日本も関係ないから。
拡大は村レベルから世界レベルまで一貫している

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 05:43:39 ID:PfA1ciyK0
民族の政策が分裂している国の一勢力に他国が資金・武力で協力して
特別な条約を結んで対抗勢力を納得させる・・・
これって侵略?


227 ::2009/09/04(金) 07:22:05 ID:HFrM8uqx0
10ヶ年計画の始まりは日清戦争だった

http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p034.html

第一次世界大戦もその計画が行われていた。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 12:45:29 ID:6P4c7jj00
>>226
Q: 弱小国が大国と戦うのは侵略?
A:国の規模は関係ありません。周辺民族が民族的テリトリーを拡大するために
帝国に分け入り、帝国の支配を破壊するのも侵略です
Q:分裂国家に介入しただけでしょ。
A:戦場がどこだったか考えてください。清朝本国に侵入し、そこの割譲を条約に
盛り込みましたね
Q:開戦ぐずぐずじゃん
A:開戦以前から、さまざまな駆け引きが行われていました。
その間朝鮮介入策のみ南進策を含めたもの多様な策が出ていますが、最終的に侵略だったといえます
Q:皇軍は規律正しく、純粋に朝鮮介入だけだった
A:皇軍の行状については、様々なメディアによる報道があります。旅順虐殺事件や、
兵士の手紙を読みましょう。また
Q:うるさい。りょうとうやたいわんはたまたまだ。台湾鎮定戦は露骨に侵略戦争の
側面が明らかになっています
A:戦前から南進策が検討されています。台湾については戦中に献策があり
それを受け入れました。
Q:でも条約に基づいた割譲じゃ、、
A:そもそも条約の有無は侵略と無縁です

簡単なQ&Aを作ったぞ。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 01:27:39 ID:oGM4w2p50
えーい邪魔するな
日本の侵略は長州挙兵からずっと続いてるわけで、
別に中国進出が侵略の第一歩ではない、と言っている。
サヨは黙れ

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 07:39:45 ID:CQyPcLME0
>>228
現在の一般常識や教養といった点で「侵略」という表現は正しい
出版刊行物的にも、情報番組的にもそうだしそれでいい。
しかし幕末から明治のひとつの時代の一般的な考え方としての日清戦争を
このスレで知りたい、でなきゃ現在と明治時代が平行線で進行してしまう。

【たとえば明治時代の考え方】
Q:
弱小国が大国と戦うのは侵略?
A:
Yes、列強国が我々を属国化しようとするなら大国の一部を切り取るしかる後に
反撃するか講和するか・・・・。
講和するならそれなりのモノを列強から頂かねばならんだろう、
兵を遠征させるために船も造らねばならんし、銃砲も必要だ。
船は財閥に造らせるか調達させるか、いずれにしても財閥大儲けだな。
財閥からも頂くものはいただかないと・・・。
どちらにしても、ペリーの我が国への砲艦干渉は実に参考になったよなー

231 :ねこ:2009/09/05(土) 07:56:40 ID:WeEX9vrg0
日清戦争の10年前に日本は戦争に失敗した

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/34/231.html

教科書には書いてないが、日清戦争の10年前、1884年、

日本とフランスは、中国を挟み撃ちにして攻撃した。

フランスは、アモイ、香港を、日本は朝鮮半島を攻撃した。

だが、日本とフランスの陰謀に気づいた清朝は、即座に袁世凱を朝鮮に派遣し、

日本軍を打ち破った。

日清戦争は、この10年後の日本の雪辱の戦いだった。


232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 15:18:57 ID:U47gm1Py0
それ面白いな。
載ってるページはオカルトだけどw

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 18:49:49 ID:RMQYw2Id0
野津鎮雄が生きていれば、
第一軍の司令官は山縣ではなく大野津だったかな。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/07(月) 00:23:24 ID:raULsQte0
>>230
どっちゃにしろ、侵略されるとかなわんと思っていたのは確かだろ。
言語の通じない異民族に支配されていたら、まじでかなわないという価値観だったのは、
フィリピン人・台湾人のあばれっぷりから自明。
逆に易姓革命的に支配者だけ変わって生活に影響を及ぼさなかったら、文句はでなかっただろう。

あと日本は、戦勝国だから新規領地に無茶をしても良いという価値観で統治を始めたみたいだな。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/10(木) 04:48:55 ID:4st0AKUv0
>>234
上海での西欧支配がどういうものかを高杉晋作らが長州に伝えたそうだが
他国の武力介入や不平等条約支配が祖国に及ぶ恐怖
他国に武力介入させない強い意志が新政府にも引き継がれたんだね
そして武力介入への対抗策が論じられ、富国強兵が始まる

1853年(嘉永6年)6月3日:黒船来航
1862年(文久2年) 5月:高杉 晋作 上海へ藩命で渡航
1862年(文久2年) 8月:生麦事件

1874年(明治7年)5月:台湾出兵
1894年(明治27年):日清戦争

高杉 晋作の上海渡航から34年で日清戦争・・・
感慨深いな

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/12(土) 00:03:18 ID:kEV2p4uW0
例えば日本は戦後単一民族などとほざき出して
いつまでも朝鮮人を揶揄ったり中国人を叩いたりと
外人人類学を羽ばたかせている。

だが中国=漢民族はどうかというと、
多民族国家・数十の民族で成る国とされているが、
そもそもその主体の漢民族が未定義民族である。

漢民族には固有の定義がない。
遺伝的要件も言語要件もない。
部族概念も宗教基準もなく、
ただ自身を「中国人」だと思った者が漢民族とされる自認主義をとっている。

だから膨張に限界がない。世界中が漢民族になることも可能。
これを踏まえた危機感を持つ日本人が
果たしてどれだけいるか。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/12(土) 01:14:45 ID:EAbntR9FO
>>228
>国の規模は関係ありません。周辺民族が民族的テリトリーを拡大するために 帝国に分け入り、帝国の支配を破壊するのも侵略です
これは同意

>戦場がどこだったか考えてください。清朝本国に侵入し、そこの割譲を条約に 盛り込みましたね
戦場が何処かは全く関係ありません。清側の朝鮮への不当な介入により戦端が開かれており
緒戦は朝鮮で戦われています。清軍が弱体で本国に押し込まれただけです
また割譲をもって侵略とも言えません。日本はアメリカに沖縄を割譲しましたが、アメリカが日本を侵略したのでしょうか?
>開戦以前から、さまざまな駆け引きが行われていました。 その間朝鮮介入策のみ南進策を含めたもの多様な策が出ていますが、最終的に侵略だったといえます
 
これも同意出来ません
多様な策が出ているのは当然で、検討と実施は区別するべきでしょう

>皇軍の行状については、様々なメディアによる報道があります。旅順虐殺事件や、 兵士の手紙を読みましょう。
旅順占領時の市民の殺害は後の南京とは異なり、日本軍に責があります。当時は日清共に近代手前の国に過ぎませんでした

>戦前から南進策が検討されています。台湾については戦中に献策があり それを受け入れました。以下

清は台湾を割譲したのですから、台湾の地方政府並びに駐留する軍組織を解体する義務があります

実際起こった事は、台湾の清軍は軍閥化し、北京政府はそれを放置しました

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/12(土) 13:35:19 ID:eeoI46130
明治維新後、列強国に備えた日本の武力的対抗策の舞台裏は切羽詰まっていた
という印象がある。

日本は海外に殖産を投げ売り予算をかき集め、教師や技師や医者や建築家や軍人を高給で雇う、
機関銃を輸入しライセンス生産したり、軍艦を輸入、留学生を派遣し海外のノウハウを
取得しようとしたり、海外交流に布石を打ったり。
無茶なスピードだがかなり効果的な資金の投入に成功した対抗策だと思う。
この威勢で列強国の武力介入をどう攻略するのか?
その結論が日清戦争あたりの情勢なんでしょうか?

軍事板の方々はどう思いますか?

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/12(土) 14:32:15 ID:/heBFDhF0
>また割譲をもって侵略とも言えません。日本はアメリカに沖縄を割譲しましたが、アメリカが日本を侵略したのでしょうか?

侵略なんじゃないの?
ソ連も日本を侵略したし。
極論するなら竹島も韓国の侵略だけど。まあこれは痛み分けで俺は譲ってもいいと思うけど。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 14:48:26 ID:dzI2uK+m0
>>237
1894年12月から下関条約締結までの動きを知らずに書いてるでしょ。
日本は完全に割譲を狙った作戦を運用した上で、たまたま李鴻章が暴漢に襲われて
終戦条約を結ばざる得なかったから、しゃーなく占領の事実がないまま終戦した。

あと、そもそも軍閥が”清から”独立宣言したのも、樺山が台湾を攻撃したのも、日清間の授受式の前
だからね。ま、受け渡しを約束をした日と、実際に受け渡しの儀礼を遂行した日どちらが正式な割譲日に
なるかしらんが。
さらにいうと桂太郎時代の法の運用だと1895年5月ー1898年5月までの三年間は、台湾人は日本人でも
清国人でもないらしいぞ。だから警察権の運用にすら値しないという解釈だって出来る。これを主張
している研究者はみたことないが

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 03:49:03 ID:2Aims46e0
237ではないが、
>たまたま李鴻章が暴漢に襲われて終戦条約を結ばざる得なかったから、

休戦定約な。で、条件としては「日本政府は台湾澎湖列島とその付近で交戦する遠征軍を除いて、
その他の戦地における休戦を許諾す」と。
で、清側は、台湾などの除外を設けないことなどを要求するんだが、結局は、陸奥が、どうでも
台湾澎湖列島は除くと主張し、結局は、台湾除外などの字を記さずに、「奉天省、直隷省、山東省
地方に在りて」と表現を変更するなどして合意。

何を論点としてるのかよく分らんが、そゆこと。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 04:50:56 ID:IqNjvxa00
野心はあったが、要するに自衛戦争だよね日清戦争は

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 01:21:57 ID:G5fyQ9lH0
日本世論の長年の憤懣が限度に達し、ついに清国に殴りかかった事件とも言える。


244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 21:08:50 ID:Lp6R0jsJ0
>>242
先制的自衛つーこと?
対清・対朝鮮でそれはないだろ。
せめて、自衛策として帝国主義を選択した結果侵略した。ぐらい言わんと説得力皆無だぞ。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 22:07:44 ID:1Yvb3eRmO
正田

246 :242:2009/09/15(火) 22:24:29 ID:ZvLabOMI0
>>244
将来の対露武力政策という性質上
李朝鮮への野心と清国への牽制的な自衛戦争だよね日清戦争は?
確かにダブルスタンダードな自衛戦争論です
でも当時の世相は自衛戦争だったんだよね?

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 23:47:48 ID:OSZ5konM0
>>246
違う。
大衆というか新聞報道は、清の属国の朝鮮を独立させてあげるというスタンス。で、戦場報道に
よって、劣った朝鮮プゲラ、清って大したことねぇプゲラみたいな感じで、差別意識が
高まっていった。ほっとくと日本がどこかからやられるという問題意識は少ない。
個人的に、司馬遼太郎が「坂の上の雲」の映像化を反対したのは、差別意識のなぞりなおしを
嫌がったんじゃないかなと思ってる。

大本営的には、9月には冬季の戦略として台湾侵攻が決まっていた。ちょっと北洋艦隊殲滅に
手間取って3月後半にやっとホウコ諸島占領になったんだけど。台湾侵攻策はかなり早くから
あって、台湾出兵のときが最初。当時は体力がなかったから見送ったけど。

総合的に言えば、清・露を牽制という側面は小さい。遼東を朝鮮領とさせておくという案もあったしね。
大本営は実際にはかなりフラフラ戦略を変更していたから、開戦目的から戦争の性質を決めることは
難しい。直接的には台湾侵略するのが一番だったんだと思ってる。これだけは戦前の状況証拠と帰結が
一貫している。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 00:09:04 ID:OAqyBo8W0
あたり前だが日本という国は一個人ではない。そこには様々な考えを持つ人々がいる。朝鮮へ
の派兵を機に領土の拡張を主張する人もいたし、このさい朝鮮を保護国として日本の権力の下
に置こうと考える者もいた。また朝鮮を独立国として立たせ、清やロシアの間との緩衝国とし
ようと考える者もおり、中には、直ぐに西洋列強国に呼びかけて、朝鮮をベルギーやスイスの
ような、列強国が保障する中立国とするべきであると言う者もいた。しかし、日清戦争が始ま
ると日本の世論として表れたものは、いわゆる強気をくじいて弱きを助けるという、朝鮮独立
のための義戦という声で満ち満ちた。
自衛なのか野心なのか、それは具体的に誰の意見を指すのだろうか。遠山満なのか柴四郎なの
か、あるいは山縣有朋なのか陸奥宗光なのか。
もちろん、それら個人の意見が日本を代表するものでないのは明らか。
日本を代表するのは日本政府であり、当時の日本政府がどのような方針で政策を練り、実行に
移したかなどは、政府閣議による。また影響が少なくなかったのが帝国議会である。
日清戦争にどのような日本の思惑があったのか。それは閣議と議会の記録を調べるほかなし

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 02:55:52 ID:rFuPBbwu0
>>247>>248
詳しくありがとうございます、
閣議と議会の記録に記載のない財閥と政界関係者の懇意な関係は
財閥の成長率を目安にすればいいんでしょうか?
当時の財閥と政界の婚姻関係とか調べた事もないけどそういう部分を調べると
見えてくる事があるのでしょうか?
李朝に投資した日本の資金や債権は回収しなくちゃならないわけですよね?
当時の日本にとって李朝は、鉄道や海運や米穀のみならずは商売上幅広い投機対象だったんでしょ?

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 23:57:04 ID:OAqyBo8W0
当時の朝鮮は投機筋にとっては難しい市場と言える。政府との取引ならともかく、民間投資は
はたして利益があったのやらなかったのやら分らないトラブルだらけ。例えば米作を依頼して
も前金だけ受け取って失踪したり、豊作となったのに農民に売ることを禁ずる防穀令を出して、
地方官が暴利を得ようとしたり。それで賠償問題が度々持ち上がっている。その他にも色々と
損害を蒙る日本商人が絶えなかった。
で、朝鮮人は約束を守らない、というのが当時の日本人の常識となったようで。
また、貿易についてもこの頃の朝鮮の輸入品はカナキンという西洋木綿がダントツ。つまりは
白衣の高級生地。日本商社がこれを西洋国から輸入して朝鮮に転売してもその利は薄い。一方、
朝鮮からの輸出は金などの貴金属とそら豆や牛皮が主。これも大した利益はあがらない。なお
貿易額は日本の12分の1程度。それも連年赤字。
金と言っても、朝鮮では灰吹き方などはなく、もっぱら砂金拾いによるもの。その量もたかが
しれている。
で、金鉱山の開発なども、これは以前に清政府が英国人に詳しく調査させたが、その開発費の
みならず、道路整備や鉄道建設など、莫大な投資が必要であり、しかも回収の見込みもないこ
とから、清政府は諦めてしまった。
鉄道と電信の件も日朝両政府間で協議されていたが、これも整う見込みなし。日清戦前も戦後
も。
海運なども、運ぶ物資の量が量だからねえ。

経済的な利益という視点から日清戦争を見るのもいいが、その場合、この戦争はあまりにもリ
スクが大きい大ギャンブルとなる。日本が負ければ3億円の賠償と琉球諸島などの割譲ではす
まない。


251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 12:43:53 ID:9BHcDSZy0
1876年(明治9年)
日朝修好条規で西欧並みの野心的な条約を手に入れた結果が
投機的に不毛な環境だったとは。

日清戦争黄海海戦も総トン数では清国が優位に立っていたし
http://ww1.m78.com/topix-2/battle%20of%20yalu.html

もし負けていたら大変な事に・・・・


252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 11:09:06 ID:E6rELZZV0



岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
h‍ttp‍:‍/‍/‍q‍b5.2‍ch.net/t‍est/rea‍d.cgi‍/sak‍u2ch/1256‍630318/1



早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww


253 :くすのき:2009/11/03(火) 20:17:20 ID:71iZFivO0
ヒ素カレー事件は、日清戦争のパロディ

http://pwvx.hp.infoseek.co.jp/0203/36/247B.html

事件の日、7月25日は日清戦争の開戦日だった。

そして、まさにその事件の日、中国の湖南省を中心に大洪水が発生。

145名が死亡し、25万戸の家屋が全壊した。



254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 11:17:09 ID:BCmFtUsz0
勉強になるスレだ
大河板にも書き込んでくれ

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 20:52:38 ID:SbKgZN5QO
清は朝鮮を属国としていたが、属国自体はエジプトやら冷戦時代の東欧やらがあったわけで
清と朝鮮との関係を条約で規定しなかった所が手落ちになるのかな?

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/26(木) 18:04:48 ID:BiV9M5Hm0
朝鮮に関する揉め事で、宗主国としての責任を避けるため、時に朝鮮は自主の国と言い、干渉するときには属国と言うなど、そのダブスタぶりが日本から突っ込まれる原因となった。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 22:06:08 ID:r6RR7LCo0
陸奥宗光が 『ただ虚しく兵を撤退させる訳には・・』 と蹇々録でも語ってますよね。
ソウルの景福宮を、占領してまで内政改革を要求するっていうのは、とても強引。
全体で考えると、食料難ってのも根拠が薄くて、朝鮮半島から大量の米を輸入してきたし

結局のところ、軍事を背景に なんらかの権益を得る事が目的だったと考えます。(実際そうなった)
撤兵しても、せいぜい、日比谷の焼き討ち事件程度で、すんだのでは?と思う。

派兵した直後は、大鳥公使と袁世凱で、『双方撤兵する』と決まりかけたり、他国の公使からの撤兵要求
とかもあったのに、無理やり開戦してるのは、否めない。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 22:18:34 ID:r6RR7LCo0
そうなってしまったのも、朝鮮半島に経済的に、既に進出してしまっていたことが大きい
香港や、マカオ、上海のように、釜山あたりに租界を作って、あとは半島の奥深くまで
関与しなければよかったと思うのが、個人的な歴史観です。
壬午軍乱や、甲申事変で、朝鮮の改革が失敗してきたので、陸奥は何がなんでも、結果を出したかったという事でしょう。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/14(月) 01:02:25 ID:yKbLOI//O
NHKが本気出したぞ

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 08:24:34 ID:K0p88ISv0
福沢諭吉が偉いのは、こいつらと一緒にはなれないと見切ったところ
それは今も変わらない

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 08:25:44 ID:KJUgye/W0
距離をとって付き合う

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 21:13:55 ID:Bum3ACjc0
森鴎外が
坂の上の雲に出て脚気について語ってるんだが。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/22(火) 21:26:11 ID:5gJpcTkS0
>>262
脚気は細菌のせいだから麦飯は喰わせん。
てか
この時代1食1合の銀シャリがご馳走だったらしいよね
副食ほとんどなし。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/23(水) 10:10:51 ID:RD8vja530
こんな資料があるけど、はっきりとした結果が出なかったんだろか。

(脚気患者小豆食麦の為試験給与致度伺)
脚気患者ヘ小豆食麦ヲ為試験給与致度義ニ付伺
 当台各隊之内逐々脚気症に罹る者有之候に付、為試験定則精米之内ヲ減じ、
換ゆるに小豆、或は食麦混和炊爨給与致度旨申出候隊も有之候間、代用として
小豆或は食麦給与致度、然る上は、経費決算に至て各隊食米を減じ、代用小豆
或は食麦の名称を以、精米領り実費仕払勘定相立可然哉、至急何分の御指揮相
成度、此段相伺候也。
  明治十七年九月十三日
   東京鎮台司令官三好重臣代理
   東京鎮台参謀長乃木希典
 陸軍卿西郷従道殿
 伺之趣、本年送第四千〇十二号達候通、可相以為事

日清戦争の10年前に、試験的に脚気患者に白米を減らして麦や小豆を食べさせるというもの。陸軍乃木の名での上申、許可されている。
これが成功していたから、脚気対策が出来てたかも。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/23(水) 10:13:43 ID:RD8vja530
>>264
× これが成功していたから、脚気対策が出来てたかも。
○ これが成功していたら、脚気対策が出来てたかも。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/25(金) 05:37:45 ID:Deqp+VL60
>>264
貴重な情報ありがとうございます。
海軍だけが脚気対策に着眼してた訳じゃないんですね。





267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/15(金) 23:13:12 ID:QZRlYE840
坂の上で高陞号撃沈の場面があったが、清軍の士官はキョンシーのような格好してた。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 12:06:10 ID:oQsDHsrH0
>>267
あれが軍服というか正装なのかな?
たとすれば燕尾服やスーツで戦争する感覚でいるのかな?
清は見た目の大きさの裏付けなく、小さな近代国を目指す日本に敗北した。
西欧や米の近代化運用に成功したのかな、日本は。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 22:07:44 ID:4qSzrIRD0
「日清戦争は侵略」 史料から「坂雲」検証
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1263991631/l50


270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 23:18:03 ID:JgCjVfXd0
西欧の領土的野心の真似=砲艦政策=不平等条約政策=侵略

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/17(水) 08:57:33 ID:B4+OgVaf0
NHK竜馬伝で、武市が土佐勤皇党を作ったころをこの前放送していましたが、
武市のように公然と幕府を批判することは、罪に問われなかったのでしょうか?


272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/27(土) 22:14:48 ID:e/y/PiVm0
藩政=共和国制度
だから国の元締めである幕府が弱体化すれば
罪を問うエネルギーも無くなってしまうのでは?

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/20(火) 13:04:00 ID:jbjM8HDg0
軍服がカッコイイ時代

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 15:09:38 ID:vj8hVjFZ0
カッコイイ軍服は
日本全国各地域、選り抜きの身体強健で屈強な軍人のため
あつらえられた
原則は全装備2着支給

士官や下士官は自身の俸給で3着以上の軍服や常備服を
洋服屋でつくらせていたそうです。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 08:14:35 ID:dMyQMsTc0
日清、日露戦争で日本を勝利に導いた大韓帝国(李氏朝鮮)

日本が近代において地位を確立した、日清、日露戦争での勝利の裏には
大韓帝国の日本への支援が大きく働いたことは日本の教科書には書かれていませんが有名な話です。

清と日本の領土欲から両国の対立が避けられない自体になることは
1870年には明確でした。

そしてとうとう、台湾出兵によりこの対立は現実化します。

江戸末期から日本の開明派を支持し、支援を与えていた朝鮮の政治家達は
日本を支えるべく行動を行いました。
この方針は半島内の政権の変化があっても、終始変わりませんでした。

日清戦争での日本への支援は
・多額の戦費の支給
・数多くの情報
・ヨーロッパ諸国、アメリカへの外交工作の担当
・軍艦の供与(イギリスより購入後日本に供与)
  吉野
  浪速
  高千穂
  
・海軍指揮官の観戦武官として派遣
(日清戦争での海戦はこれらの武官による作戦指導)

これらの支援により、日本は清に対して勝利を収めました。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/09(金) 15:09:46 ID:4aXXmjQUP
>>275
詳しい解説サンクス
それなら韓国の人たちが怒るのも当然な気がする

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 09:56:54 ID:UutZS4vu0
>>275

朝鮮からすれば、後方支援だけで独立させてもらったのだから
もっと日本に感謝してもいいと思う。

自力では独立できるワケがないのだから。

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